全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()
必要があって、小笠原信之さんの書かれた『文章力が身につく本』(高橋書店・1,200円)を読みました。この本にはもう一つ、『文章力が豊かになる本』という姉妹編があって、シリーズ累計20万部のベストセラー。 本書の構成は、基本、見開きの2ページで、文章力をアップするノウハウを1項目勉強するというもの。これがトータルで80項目あって、この80項目(160ページ)を通読すると、文章を書く時に気をつけるべき点が一通りおさらいできる、という仕組みでございます。 で、各項目には「原文」(あまりよろしくない文章例)と、それを添削した「改善例」が示され、なぜこのように添削したかを語ることで、良い文章を書くためのポイントを一つ、指摘するわけ。 例えば第3項「主語と述語を近づける」では、 「証人は容疑者が店員が外の騒音に気をとられている最中に万引きしたのを見たと言った。」という原文をまず示し、ついで、 「店員が外の騒音に気をとられている最中に容疑者が万引きしたのを証人は見たと言った。」という改善例を示して、この一文で一番重要な主語・述語関係である「証人は」→「見た」というつながりをなるべく近づける形で書くことが、分かり易い文を書く上での重要なポイントである、と教えてくれるんですな。なるほど、なるほど。 また「具体的・客観的に伝える」という項目では、 「納期が迫ったので、徹夜の生産態勢に入った。」という原文を、 「納期が3日後に迫ったので、徹夜の生産態勢に入った。」と改善し、「数値などを出すと、話題になっていることの程度が読み手によく伝わる」と教えてくれるわけ。 とまあ、こんな調子で、「専門用語は初出時に説明する」「「が」は逆接のときしか使わない」「「~だろう」を多用しない」「何でも「こと」「もの」で片づけない」「難しい言葉と易しい言葉を交ぜない」「比喩表現を避ける」「「~したいと思う」を使わない」・・・といったノウハウを伝授してくれる。 で、第1章から第3章までは、上に述べてきたような一文ごとの文章改善ノウハウについて述べているのですが、第4章に入ると、今度は一文ではなく、(小)論文など、ある程度起承転結のあるまとまった文章を書く時のノウハウとして、「必要な材料を集める」とか「書く前に徹底的に考える」といったことを伝授しています。そして続く巻末特集では、「表現・表記の基本ルール」「同音同訓異義語一覧」「言い換え表現一覧」「書き終えた後にすること」といったトピックについてそれぞれ例示があると。 で、本書を通読した上での感想なんですが、「いい本か、悪い本か」と言われたら、間違いなくいい本だと思います。 ここに指摘されている80項目のノウハウは、ほとんどどれももっともなことばかりでありまして、しかもそれが分かり易く指摘され、シンプルな改善法まで示してある。本書を必要とするような人にとって、この一貫した明晰さは、とてもありがたいものでありましょう。その意味で、数多ある類書の中でも、かなり上位に位置する良書だと思います。 強いて瑕瑾を挙げるならば、ごくごくたまに、改善例より原文の方がいいじゃないか、と思われるようなものがあること、かなあ・・・。 例えば第36項「「まず」「そして」を極力削る」というところで、 「私がこの仕事に向いていると思う理由は、以下である。まず、人と接するのが好きなこと。そして、人の役に立つことに喜びを見出せること。さらに、相手の立場を想像できること。」という原文に対し、改善例は、 「私がこの仕事に向いていると思う理由は、以下である。人と接するのが好きであり、人の役に立つことに喜びを見出せ、相手の立場も想像できる。以上である。」となっているのですが、この改善例、そんなにいいですかね? こんなに短い文の中に「以下である」と「以上である」が出てくると、何だか変な感じじゃないでしょうか。私だったら、逆に改善例を原文のように添削しちゃいそうです。もちろん、私も「「まず」「そして」を極力削るべし」という著者の指導方針については反対しないので、ただこの原文と改善例をもう少し工夫すれば良かったのではないか、ということなのですが。 この種の、ちょっと変だなと思うようなところが、本書には他にも何ヵ所かあります。しかし、そういうのは、先ほども言ったように「瑕瑾」なのであって、全体としては非常にいい本です。 で、本書を読みながら思ったのですが、私のような天性の文章家(エッヘン!)からすると、本書が扱っている80個のノウハウは、全て当たり前のことというか、まったく考えもせずに実行していることなわけ。子どもの頃から。だから、個人的に私が本書から学んだことなんか一つもない。 で、本書の著者の小笠原さんも、本職がライターである以上、そういう天性の文才があるのでしょうから、普段、自分が何か文章を書く時には、無意識に正しい文章を書いているんだろうと思います。 だけど、別に文章のことに限りませんが、「無意識にやっていることを、敢えて意識の上に上せる」ってのは、大変なことだと思うんですよね。自分は一体なぜ、正しい文章を書けるのか。それを改めて考え、自分が無意識にこなしている添削過程を一旦バラバラにして、それを80個のノウハウに還元するってんですから、こいつは骨だ。 で、その骨の折れることを小笠原さんはやったと。だから、シリーズ累計20万部の恩恵を受ける資格があると思うんですな。 ま、そういうことです。 ということで、本書、教授のおすすめ!です。文章書くのが苦手、でも書かなくてはならない立場にある、というような人がいらっしゃいましたら、一読して損はない本ですよ。これこれ! ↓【送料無料】伝わる!文章力が身につく本価格:1,260円(税込、送料別)
April 30, 2012
コメント(2)
今日は柔道の全日本選手権があったので、格闘技好きのワタクシ、つい見てしまいました。 が・・・。 オリンピック出場をかけて畳に上がっているはずの鈴木選手、上川選手、高橋選手の誰一人として決勝に進出できず。唯一準決勝までは進んだ鈴木選手も、その試合の途中で肩を脱臼。当然のことながらその後は試合にならず。 それでもオリンピック出場枠外の新鋭、石井竜太選手に、今後の期待が持てるかと思いきや、決勝において自分より40キロも体重の軽い90キロ級の加藤選手に隅落としであっさり完敗。結局、重量級選手が全日本を制することがなかったというていたらく。 巴投げや寝技の巧みな加藤選手の大健闘は称賛に値するとしても、重量級のあまりにも不甲斐ない結果は、オリンピックを直前に控えて、相当厳しいと言わざるを得ません。国内の90キロ級の選手にすら勝てないということになると、パワーがあって変則的な柔道を仕掛けてくる海外の選手を相手にした時にどうなるのか。「初戦敗退」という残念な見出しが、今から目に見えるようでございます。 どうした、柔道日本?! って感じですなあ・・・。 篠原監督がどういう指導をしているのか知りませんが、このままじゃダメなんじゃないの? 「一本を取る柔道」一本槍の方向性で、ただ単に練習量を増やすとか、そういうのでは既に行き詰ってますよ。その意味で、オリンピック強化選手育成の方向性を見直す時期に来ているのではないかと。 とにかく、今日の一連の試合を見る限り、日本柔道の未来は暗いと思わざるを得なかったのでありました。
April 29, 2012
コメント(0)
日本のジーンズ・メーカー、否、Gパン・メーカーのボブソンが倒産したというニュースが新聞の片隅に載っておりましたね。 ボブソン、私にとっては懐かしいメーカーですなあ。 子供の頃、Gパンと言えばボブソンか、ビッグジョン。家の近くの小さなジーパン屋さん(今は無き「テキサス」)でよく買ったものでした。エドウィンもあったのかも知れませんが、私がよく買ったのはボブソンだったような気がします。リーバイスとかリーとか、アメリカ物も置いてあったのかも知れませんが、それらを買ったという記憶があまりありません。多分、値段が高かったせいか、あるいはサイズが合わなかったからでしょう。何せ子供の頃の私は痩せて細かったですからね。 当時、Gパンの値段って、確か3,000円くらいしたんじゃなかったかな。今から40年近く前の3,000円ですからね。今思えば、結構な値段です。当時の衣料品って、高かったですよ、全般的に。 そして私の子供の頃のGパンと言えば、「パンタロン」ね。もう、今時の「ブーツカット」などとは比べ物にならぬほどの、果てしない裾の広がり。当時は、あれがカッコ良く見えたんだ。 で、子供時代のワタクシは、今よりもはるかにぶっ飛んだファッション・センスをしておりましたので、まだ「ストーン・ウォッシュ」などという言葉が一般的になる前、新品のGパンをわざと色落ちさせ、古びたような感じにするために、買ってきたばかりのGパンにいきなり漂白剤をぶっかけたりしたものでございます。まだ一回も履いてないのにだぜぇ。ワイルドだろう~? と言っても素人の悲しさ、漂白剤のかけ方によって色落ちにムラが出来るわけですが、その色ムラがまたカッコいいとか言っちゃって、世界で唯一のマイ・漂白剤ウォッシュのパンタロン・ジーンズを得意になって履いておりましたっけ。 そうそう、パンタロン・ブームの後、「スリム・ブーム」ってのもあったなあ。今時の「テーパード」なんて甘っちょろいものじゃなく、ほんとに辛うじて足首が通るかどうかくらいの細さに裾がすぼまっている奴。ほとんどモンペですな。 そんな、今思えば、ヘンテコなGパンばっかりでしたけど、私の子供の頃のGパン遍歴ってのは、そんな感じでしたよ。そしてそれを支えてくれたのが「ボブソン」だったと。 それが倒産・・・。そういや、私自身、ボブソンのジーンズを履かなくなって幾星霜。それどころか、今はリーバイスすら履かず、ユニクロのジーンズとか履いちゃうからなあ。 自分でも履かないのに、こういうことを言うのもなんですが、子供の頃に親しんだ懐かしいメーカーが潰れてしまうのは、何だか寂しいね。 ということで、今日はボブソン倒産のニュースに、しばし、遠い昔のことを偲んでいたワタクシだったのでした、とさ。
April 28, 2012
コメント(0)
今日は研究日で大学はお休み。ということは一足先にGW入り、ということになりますね! というわけで、今日はお昼を外食することに。明日からはどこもお客さんで大混雑だろうと思いますので。 で、我ら夫婦が向かったのは、竹の山にある「カフェ・ダウニー」というお店。家内はスモーク・サーモンとアボカドのパンケーキ、私は今月のグルメバーガーであるアスパラガス入りの何とかバーガー(名前忘れた)をオーダー。どちらも旨し。お店に備え付けのインテリア系洋雑誌やフィガロのアメリカ西海岸特集なんかも熟読しつつ、リラックス。 で、お腹が一杯になった後、今度は長久手のスーパーマーケット、アピタへ。 なんでここか、と申しますと、このスーパーは今週、GWフェアの目玉としてトロピカル・フルーツの販売をするというので、面白いから買ってみようということになったから。 で、マンゴスチン、スターフルーツ、アテモヤをゲット! もう一つ、ドリアンも売っていて、興味はあったのですが、話に聞くものすごい悪臭というのがどのようなものなのか、ちょっと怖かったので、日和見して、買いませんでした・・・。 で、ついでに「ビアード・パパ」でシュークリームでも買って帰ろうかと思っていたら、なんとそのお店がつぶれていたという・・・。うそー! ビアード・パパのシュークリーム、好きだったのにぃ・・・。仕方ない、その跡地にあった新しいお店、「モチクリーム・チーズケーキ」でチーズケーキを買ってみることに。 さて、その後、学会の仕事として学会誌を全国各地・世界各地の研究機関に送付する作業をしたり、床屋さんに行って髪の毛を切ったりして、今日のイベントすべて終了~! で、家に帰ってから今日仕入れたものを色々食べてみました。 まずモチクリーム・チーズケーキのスフレみたいなチーズケーキですが・・・うーん、ちょっとね、メレンゲの含有量が多すぎて、チーズケーキとしてはパンチ無さ過ぎ、かな。もうちょい濃厚な奴が好みなもので。次回、今度はバウムクーヘンにトライしてみて、それがダメだったらこの店を見限ることにいたしましょう。 そしてそして問題のトロピカル・フルーツですが、今日はまずマンゴスチンとスターフルーツを食べてみることに。 マンゴスチンの方は、まあ、感じとしてはライチみたいで、不味くはないですが、種が大きすぎ、また実の部分の種離れが異常に悪くて、なんかこう種をしゃぶっているだけみたいになってきて、「果実を食べた~」という充足感が得られず・・・。一方のスターフルーツは、確かに形は面白いですが、肝心な味となると妙に水っぽくて甘さが遠く、水で薄めた何かを食べているみたい。これまた充足感を得られず。 前々から薄々気づいていたことではありますが、ひょっとして私、トロピカル・フルーツって、苦手かも・・・。人が尊ぶマンゴーも、私からすると「別に~」って感じだし。 で、残るは「森のアイスクリーム」とも呼ばれるアテモヤですけど、これは明日以降のお楽しみということで。 ってなわけで、GW初日は、こんな感じでなんということもなく、しかしリラックスして過ごした私なのでありました、とさ。
April 27, 2012
コメント(0)
すっかり忘れていましたけど、今日、大学では、放課後に新入生歓迎パーティーが行われることになっていたのでした。大学側がお金を出し、学内の食堂でショボくやるんですけどね。 で、お金は大学側が出すのですが、パーティーで何をやるかの企画は在校生が立てることになっていて、聞くところによるとゲームとかそういうのをやるらしい・・・。で、教員も出来れば出席してほしいと連絡が回ってくる。学生サービスの一環だそうで。 しかし。 私はね、出ないの、こういうのには。 だってさあ、なんかちょっと、幼稚っぽくなあい? 大学生にもなって、歓迎会でゲームだなんて。「1年生になったら、1年生になったら、友達100人出来るかな?」みたいなのを、大学生になってまでやるかねえ・・・。 ワタクシ的には、大学に入ったら、むしろ積極的に「友達を作らない」方向で動いた方がいいんじゃないかとすら、思っているわけ。 自分として大学で学びたいことがあって、また大学を卒業したらこうなりたいという目標があって、それで大学に入ってくる、というのがスジでしょ? となると、とことん「自分の都合」を重視すべきであって、たまたま一緒の大学に通っているからといって、人の都合に合わせることなんかないですよ。無理やり一緒に行動したり、無理やり友達作る必要なんかない。 もちろん、そうやって自分の都合で動いている中で、たまたま目指す方向が同じだったり、魅力的な人柄が目に付く奴がいたりしたら、その時、やはり自分の都合で、そいつと友達になればいいのであってね。 だから、大学側が主体になって、「はあい、みんなで集まって、お遊戯したりして、仲良くなりましょう!」という趣旨のパーティーをやるということが、私にはどうも解せないんだなあ。それこそ、大の大人である大学生を子供扱いすることではないのかと。そういう風に子供扱いするから、大学生がいつまで経ってもガキのままないんじゃないのかと。 で、私は新1年生を対象にしたこの種のお遊び的な企画には賛同しないので、出席もしないのさ。 というわけで、学生も同僚の先生方もみんなパーティー会場に行ってしまったため、やけに静かな研究室棟にただ一人残って、淡々と自分の仕事をこなしているワタクシなのでありました、とさ。こういうところで、ワタクシは結局、一匹オオカミなのよね~。
April 26, 2012
コメント(2)
今季のドラマの中では、『リーガル・ハイ』が出色なんじゃないでしょうかね。テンポのいいストーリー展開もいいですけど、何よりも堺雅人の怪演ぶりから目が離せませんわ。 さて、話は変わりまして大学改革の件なんですが、うちの大学、またぞろ改組を計画しておりまして。もうたった5年前に改組したばかりだというのに、何やっているんでしょうか。ま、文科省が「組織改善しないところはつぶす」と脅迫するので、仕方なくやっているのでしょうが。まったく、何が独立法人化だよ、って感じ。国立大学の時より、独立法人化してからの方が、よっぽど五月蠅いじゃん? ところで、その改組の方向性なんですが、現状、「ジェネラリストの養成」というのを掲げているんですよね、うちの大学。つまり、何か特定の能力を高めるのではなく、全般的に教養のある人間を育てるという目標に向かって改組しようと。 ま、私個人としては、それでいいと思います。大学は専門学校じゃないんだから。教養こそ、大学でしか身につかないことですからね。 だ・け・ど。 しかし今、世間が大学に求めているのは、ジェネラリストではなく、スペシャリストだろうと思います。 今、一番ホットな学部って、どこかご存じ? 「看護系」ですよ。看護系学部を持っているところは受験生増で左団扇だって言うし、実際、ちょいと目端の利く大学は、この動きに対応して看護系学部・学科を新設してます。上智とか、千葉大とか。 つまり、何か専門的な知識を持っているスペシャリストこそ、世間は求めていると思うんですよね。とりわけ愛知県みたいに実学を尊ぶ土地柄だと、一層その傾向が強い。薬学系とかね。 だから、ジェネラリストを養成するという本学の改組の方向性は、大学教育の理想からすると正しいけれど、現実的な意味での「社会的ニーズ」という観点からすると、明らかに時代に逆行していると思います。 で、今年からその改組を推進する委員会のメンバーにさせられてしまったワタクシとしては、悩むわけよ。経営的に明らかに失敗すると思われる「ジェネラリスト養成」の方向性に、ほんとに賛同していいのかと。 で、私なりに考えるのですが、本学の現状からすると、もうすでに「ジェネラリスト養成」はやっていると思うんですな。 だって、ワタクシ自身が開講している授業題目見てよ。「アメリカ文学史」に「アメリカ・ジャズ史」、それに「アメリカ映画史」とか、そんな感じ。就職の時に即効的に役に立つ知識じゃ全然ないですよね。明らかに、そういうのとは別の次元の教養ですよ。 だから、別に改組しなくたって、既にジェネラリスト養成はやっているんじゃないかと。 となると、本学に必要なものは、ジェネラリストにプラスすべき何か、つまり、スペシャリスト的側面なんじゃないかと。 で、思うのですが、アメリカのリベラル・アーツ型大学みたいに「主専攻」と「副専攻」に分け、主専攻で全般的な教養を身に着けさせ(つまり、現状のやり方を継続する)、その一方で、それこそ専門学校的な知識を「副専攻」の中で身に着けさせたらどうか。 で、「副専攻」では、徹底的に「実学」的側面を追究する。 例えば、副専攻として少数精鋭の英語クラスを作り、そこに入ったら英検1級を目指させるとかね。主専攻は「情報科学」だけど、副専攻は「英語」とか。 主専攻は「ドイツ文化」だけど、副専攻は「秘書養成科」で、卒業までに秘書検定1級取らせる、なんてのもいいんじゃない? 主専攻が「史学」で、副専攻が「コンピュータ・プログラミング」でもいい。うちの大学出て「SE」になる学生も結構多いからね。 あるいは、主専攻は「英米文化」だけど、副専攻は「音楽」にして、器楽演奏を徹底して習うとか。音大に行くほどではない(あるいは、経済的に無理)だけど、子供の頃からピアノを習ってた、なんて学生は多いんじゃないかしら? そんな子にとって、主専攻で英米の文化についての教養を高めつつ、副専攻として、大学でピアノのレッスンをしてもらえる、なんて大学は魅力があるんじゃないかなあ。 その他、主専攻は「国文学」だけど、副専攻は「スポーツ」で、ゴルフをみっちりやるとか。サラリーマンになったら、ゴルフ的教養も必要なんでしょ? あるいは、主専攻が「日本語教育」だけど、副専攻は「パフォーマンス」で、創作ダンスをやるとか。 そういうことが出来る大学があったら、結構、受けると思うんですけど、どうでしょうかね? ワタクシが高校生の受験生だったら、そういう副専攻システムのある大学、面白くていいなと思うのですが。で、私だったら、主専攻は「アメリカ文学」で、副専攻は「器楽」にして、トランペットでもマスターしたい。 主専攻で教養を身に着けつつ、実学重視の副専攻で何か一芸を身に着けさせるという方向性。大学教育の理想である教養重視のプログラムを維持しつつ、社会のニーズである「大学まで行ったなら、何か資格とか特技みたいなのを身に着けてきてもらいたいじゃない」的な要望をも満足させる方策として、こういうのはアリだと思うのですが。 ってなわけで、今後のワタクシのこの問題への関わり方を考える上で参考になりますので、上のような考え方に魅力があるかどうか、読者諸賢のご意見をお聞かせ下さい。いや、やっぱり、大学のあるべき姿を追求すべきであって、ジェネラリスト養成の方向のままで進んでいいんだ、という意見もあり得ると思いますけどね。
April 25, 2012
コメント(2)
昨日、釈迦楽ゼミOBのM君が、後輩を叱咤激励するため、ゼミの時間に遊びに来てくれました~! で、いつも悪いのですが、M君は研究室に遊びに来る度に、M君の地元・郡上八幡の「清水味噌」を手土産に持ってきてくれるんです。これが旨くてね。 私にとって生涯で一番旨かった味噌は、母方の祖母が手作りしていた味噌。これはたとえようもない。で、郡上八幡のしみず味噌は、この祖母の味噌にかなり近い味がするんですな。だから、私にとっては、現在手に入る中では最高の一品ということになる。 ところで、今回M君は、いつもの清水味噌に加え、瓶詰の麹味噌も持ってきてくれたんです。パッケージには「秘伝 しみず味噌 純米こうじ 甘口」とある。 M君の解説によると、これは味噌汁を作るためというよりは、例えば野菜などをつけて食べるディップとして使ったり、あるいは焼いた餅につけて食べたりすると旨いとのこと。なるほど、なるほど。 で、早速今日の夕食の時にとりあえず食べてみた。すると・・・ う・まーーーーーい!! めちゃくちゃ、旨いやん、これ! で、最初はブロッコリーにマヨネーズとしみず味噌を合わせたものをつけて食べていたのですが、他の野菜もどうだろうということになって、さらに色々と試してみたわけ。 その結果、判明したことを発表しまあす。 「秘伝 しみず味噌 純米こうじ 甘口」に、アボカドをディップして食べると、最高に旨いっ!! これはね、もう、死ぬほど旨いよっ! 熱帯生まれの「森のバター」も、まさかこの日本で、郡上八幡のこうじ味噌に出会うことになるとは、予想していなかったでありましょう。しかし、この組み合わせの妙は、プライスレス! ということで、結局、味噌汁だけでなく、この瓶詰のこうじ味噌も、釈迦楽家の舌を虜にしてしまったのであります。いやあ、M君感謝! そして、この味噌の旨さをまだ知らぬあなた! 清水味噌は教授の熱烈おすすめ!ですぞ。 楽天では扱っていないようですが、ネット上には情報がありますので、是非!これこれ! ↓清水味噌の情報はこちらから! 写真左に見えるのが、瓶詰のこうじ味噌です!
April 24, 2012
コメント(6)
![]()
さて、安曇野ドライブ旅行も二日目。宿を出た我々がまず向かったのは、「アートヒルズ・ミュージアム」というこのあたりでは比較的大きな観光地。ガラス製品のミュージアムなんですが、ミュージアムとは言いながらお金を取って展示品を見せるのではなく、単に展示品をそのまま販売するというショップですな。 とはいえ、オブジェ、アクセサリー、花器、グラスや皿などの日用食器など、2フロアにわたるガラス製品は見ごたえがあり、ちょうど小さめの花瓶を探していた我々は買う気満々で物色。結局、花瓶を1つ、食器としての小ボウル4つを購入して大満足。思ったよりずっと安かったですしね。 そしてミュージアムを出たところに併設されていた地域の物産品販売所で、「安曇野のむヨーグルト」なるものを買って、その場で一気飲み。これがまた実に濃厚で美味よ。 かくしてアートヒルズ・ミュージアムにすっかり満足した我らは、この近辺のそこここに点在する小さなギャラリーをちょこちょこ見ながら、「安曇野絵本館」に向かいます。ここは、昨日お会いしたギャラリー・シュタイネのオーナー・Yさんが、自らの後半生の方向性を決める出会いを果たした場所。ならば私も行って、私の人生が変わるかどうか、見てみようじゃないの、というわけ。 で、その木立の中にひっそりと佇む絵本館を訪れてみますと、現在は「スージー・ズー絵本原画展」をやっている最中でした。 その「スージー・ズー」ですが、ひょっとしてご覧になったことがある方も多いかと思いますが、私の好みから言いますと、少し子供っぽいと言いますか、私の人生を変えるものではないかなと。 で、そのメインの展示についてはさらっと見飛ばしてしまったのですが、この絵本館の2階部分では、世界各国から集めてきた絵本がずらっと展示・販売されている。これが実は、見ものだったんです。 絵本と言っても、『はらぺこあおむし』的な子供向けの絵本もありますが、子供向けと言うより、むしろ大人向けと言ってよいようなものも多々ある。で、そういうものも含めてあれこれ見て行くと、時間の経つのを忘れます。 で、今回私がとりわけ惹かれたのは、下に示した2冊。これこれ! ↓【送料無料】MISSING PIECE MEETS THE BIG O,THE(H)価格:1,666円(税込、送料別)【送料無料】おてんばルルソフトカバ-版価格:2,100円(税込、送料別) まず『The Missing Piece Meets the Big O』ですが、私は寡聞にして知りませんでしたが、家内に言わせると有名な作品なんですってね。ピザの一切れみたいな形をした「missing piece」君が、自分とぴったり合う相棒を探して旅に出る、という話でありまして、ユーモラスなストーリーの中に「社会の中で自分に合う場所を探すこと」の比喩とも取れるものがあり、あるいは「他者との関わり方」についての教訓とも取れる内容が盛り込まれていて、非常に面白い。 一方、後者はかのイヴ・サン・ローランの手になる絵本でありまして、おてんばのルルちゃんが、破天荒な悪行の数々をやってのけるという爽快な悪童物語。教育的ではないかもしれませんが、これはこれで楽しい。 ということで、この2冊を手に入れたというだけでも、「安曇野絵本館」を訪れた甲斐があったというもの。ちなみにこの絵本館、入館券で館内の喫茶室でお茶が飲める仕組みになっておりますので、お得です。 さて、このあたりでお腹が空いてきた我ら。やはり安曇野に来た以上、蕎麦を食わねば、ということで、お蕎麦屋さんに向かいます。 と言っても、石を投げればお蕎麦屋さんに当たるくらい、蕎麦屋だらけの安曇野のこと。どこへ行くべきか迷うところでありまして、ここと決めて行っても、人気店だと1時間待ちなんてこともざら。 そんな中、我々が選んだのは、昨日Yさんから勧められた「穂高城」。城というか庄屋というか、とにかく変わった店構えの蕎麦屋さんでしたが、出てきた蕎麦はなかなかのもの。つけ汁のカツオ出汁がややきつめな気がしましたが、総じて合格の味でした。つまみで取った馬刺しや野菜の天ぷらもサクサクとおいしかったですしね。 で、満腹した我らが次に向かったのは、安曇野の一大観光地、「わさび大王」でございます。もっともわさび大王に行きたかったのではなく、その近くでやっているラフティングをやってみたかったんですけどね。 ラフティングと言っても、本格的なものではなく、ものの15分くらい、ボートをオールで漕ぐというものなんですけど、普段、水の上から世界を見るということがないので、たまにそういう体験をしたら気持ちがいいかなと。 しかし、実際やってみると、オールでボートを漕ぐというのは難しいね! 二人で漕ぐ場合、両側の人間が息を合わせ、しかも同じくらいの力で漕がないとボートが真っ直ぐに進まない。なんでもそうですけど、実際に体験しないと、本当のところは分かりませんな。いい経験になりましたわ。 で、後で聞いたのですが、わさび大王でのラフティングは、この日が今年最初の日だったそうで、それにしても朝方に降った雨のため、中止にするかどうか迷ったのだとか。そんなですから、私たちも待ち時間なしに乗れましたが、これがGW中ですと、普段なら10分で着く豊科インターからわさび大王までの道のりが渋滞で2時間かかり、ボートに乗るまでに2時間半待ち、たった15分のラフティング体験をするのに半日かかるという状態なのだとか。 ってなわけで、これにて我らの安曇野旅行の旅程終了~。 で、今回、安曇野を色々回ってみて面白かったですし、蓼科や小淵沢と並ぶ移住先として、考慮に入れてもいいかなともチラっと思ったのですが、強いて言えばちょっとだけ問題点が。 それは何かと言いますと、サルですね。 安曇野というのは、標高で言うと500メートルくらいなんですが、このあたり、サルが出るんです。実際、そりゃもう結構な数のサルの群れと出会いましたよ。それで私ね、サルの出るところに暮らしたくないんだなあ。だから、軽井沢もパス。あそこもサルが出る。 ということで、やっぱり本格的に移住するなら、標高1000メートルの小淵沢以上、1500メートルの蓼科以下のところかな。ま、そんなことを結論づけた今回の旅だったのでありました。
April 23, 2012
コメント(2)
さて安曇野旅行の全貌なんですが、まず初日。 初日の予定としては、安曇野へ向かう途中、中央道・伊那インターで降りて、そこからしばらく行ったところにある「le petit marche」という予約制のレストランでジビエ料理を食べつつ、同店に展示・販売されている北欧雑貨を見ようというのが目玉だったのですが、前日に予約を入れたところ、既に貸切状態で計画は挫折。 そこで初日の昼食は途中のSAで簡単に済ませることとし、結局、午後3時頃に長野道・豊科インターに到着。そしてそこから20分ほど走ったところにある「安曇野ジャンセン美術館」に向います。ここはアルメニア出身の画家、ジャン・ジャンセンの作品ばかりを扱った世界で唯一の専門美術館であります。 で、見た感想なんですけど、裸体もしくは半裸体の女性を大きく描くことの多いジャンセンですが、私の個人的な好みとしては、むしろ静物画や風景画の方が好きかなと。しかし展示されている作品の大半が上に述べたような人物画なので、イマイチ乗り切れず。30分くらいで見終わっちゃった。 で、予想外に早く見終わってしまい、しかし、宿に入るにはまだ時間があったので、本当は翌日行く予定だった「ギャラリー・礫(シュタイネ)」を訪れることに。 ところで、そもそも何故、私と家内がこのギャラリーに行くことを計画していたかと申しますと、先日、家内が家の近くにある「ミルグレイ」というケーキ屋さんを訪れた際、そこにこのギャラリーの展示の案内状が置いてあって、その展示内容がとても良かったからなんです。で、近く安曇野に行くのなら、是非ここに立ち寄ろうと思っていたわけ。 で、ジャンセン美術館から地元の人たちが「山麓線」と呼ぶ道を5分ほど北上し、ちょいと右折して小道(安曇野では主要道路を一歩入るとすべてが小道なんですが・・・)を行ったところに、そのギャラリーはありました。そしてその佇まいを見た途端、「お、これはどうやらアタリだな」という予感。というのは、建物の感じが、如何にもセンスがあったからです。 実際、中に入ってみて、予感が的中したことが分かりました。そこに展示されている作家ものの陶器のどれもが、私と家内の好みのど真ん中、という感じ。で、家内と目配せして「どれを買うか」を決める作業に早くも突入。 で、そうやってあれこれ品定めをしている間に、ギャラリーのオーナーのご夫婦と少しお話をさせていただいたのですが、我々が名古屋から来たという話の中で、実はオーナーご夫妻も名古屋のご出身とのこと。ついでにミルグレイに話が及ぶと、実はギャラリー・シュタイネにはカフェが隣接していて、そのカフェで出すお菓子としてミルグレイの焼き菓子が使われている。それでギャラリー・シュタイネの案内はがきが同店に置かれていたのだと判明。ふうむ、縁とは奇なものでございます。 で、さらに展示作品を眺めていた我々をビックリさせたのは、そこに小淵沢の「月の手工房」の有吉亙さん・あいざわゆみさんの作品が展示されていたこと! 有吉さん・あいざわさんのことはこのブログでも何度か紹介してきましたが、有吉さんは陶芸を、あいざわさんはガラスをつかったアートを作られる方で、私たちはもう何年もお付き合いをさせていただいている間柄。そのお二人の作品が、このギャラリーに置かれていたのですから、もうビックリです。しかも、3日後の月曜日には、お二人が新しい作品を持ってこちらのギャラリーに来る予定というのですから、さらにビックリ。 私たち御用達のケーキ屋さんの焼き菓子が提供され、私たちの友人のアーチストが作品を預けに来るこの「シュタイネ」というギャラリーに、そんなこととは露知らずに行ってしまったというね。これは、本当に縁ですなあ。 そうなってくると、初めてお会いしたオーナーご夫妻とも、何だか古くからの知り合いのような感じが湧いてくるものでございまして。 で、展示されていた作品を2点ほど購入した後、早速、テラス・カフェでコーヒーとミルグレイの焼き菓子をいただきながら、ご夫妻とお話しさせていただくことに。 オーナーのYさんは、身体の大きな、いかにも都会よりこういうところが好きそうな方でしたが、普通に会社にお勤めだったのをリタイアしてから8年ほど前にこちらに移られ、ギャラリーの仕事を始められたとのこと。 で、面白かったのはその動機で、ある時、何気なく立ち寄った「安曇野絵本館」において、スタシス・エイドリゲビシウスという絵本作家の作品を目にしたのが運命の分かれ道だった、というのですな。それまで、Yさんが特にアートに興味があったとかいうわけではないのに、スタシス・エイドリゲビシウスの作品世界にいきなり魅入られてしまった。それで、自分の人生の後半は、ぜひこの地で、自身、芸術作品に囲まれ、それを扱うような生き方をしたいと、そう思ってしまった。 うーむ、そう考えると、芸術作品との出会いというのは、その人の人生の方向まで変えてしまうというね。凄い力。ある意味、コワイ。 それで、理解のある奥様とご一緒にギャラリーの開設となったわけですが、それについては色々ご苦労もあったようで、ここには敢えて記しませんが、私には非常に参考になる話をお聞きすることが出来ました。 それから、ギャラリーとカフェの建物の感じが非常に私の好みだったので、設計者を尋ねたところ、春日裕昭さんという、小淵沢をベースに活躍されている建築家であるとのこと。その後調べて見ると、私はこの人の設計した建物の多くに足を運んでいることが判明し、ここでも奇なる縁を感じましたねえ。 ということで、この日一番の目的地であったジャンセン美術館の方は少し期待外れでしたけど、ギャラリー・シュタイネ訪問の方は大成功、Yさんご夫妻という、私にとっては私のやりたいと思っていることを一歩先に実現された方とお知り合いになることが出来、しかもステキな陶器を購入することもでき、さらにおいしいコーヒーとミルグレイの焼き菓子までいただくことが出来て、実に実に幸福なるひと時を過ごすことが出来たのでした。気付いてみれば、2時間近くお邪魔した挙句、明日の昼食の時に訪れるべき蕎麦屋さんの情報などもお聞きしてしまったというね。 で、またの日の再会を約して、Yさんご夫妻と別れた我々は、この日の宿泊先であるペンション、リゾートイン・グリーンベルへ。ペンションとしては割と大きな部類だと思いますが、このペンションで良かったのは風呂。安曇野、というか穂高は温泉でも有名ですが、ペンションにも温泉が引かれていて、これがまた入ると肌がすべすべになるいいお湯。前日に道場で痛めた格闘家としてのワタクシの体は、このお湯ですっかり癒されたのであります。 というのが、安曇野旅行初日の全行程。明日はまた2日目の模様をお伝えしますね!
April 22, 2012
コメント(2)
昨日・今日と、信州・安曇野へドライブ旅行して参りました~。 毎年この時期、名古屋では既に終わった桜を見に、信州に旅行するのを楽しみにしているのですが、いつも蓼科や小淵沢に行くのでは芸がないということで、今回は安曇野の方に向いました。 で、早速、その旅行記を綴りたいところですが、帰ってきたばかりで疲れちゃったので、詳しい話はまた明日、ということで。 それでは皆様、お休みなさーい!
April 21, 2012
コメント(0)
アメリカ・サンタモニカの病院で、アメリカで最も有名な、と言っていいと思いますが、DJの一人が亡くなりました。ディック・クラークさんです。享年82歳。 私が中学生の頃だったか、今のAFN、当時はFEN(米軍「極東」放送)と言っていたアメリカの米軍ラジオ放送を聴くのが楽しみで、土曜とか日曜の午後は、ほとんど810キロヘルツのFENをかけっぱなしで、ラジオから流れてくるアメリカのロック、ポップスに耳を傾けたものでございます。 そしてその頃の懐かしい番組が、ディック・クラークさんがDJを務める「Dick Clark: Rock, Roll and Remember」という長丁場の放送でした。その名の通り、現在流行している曲の他に、ちょっと古めのロック・ナンバーなどを、この業界に長く携わっているDJならではの選曲で流してくれるもので、特にその古めのロックを紹介する時のクラークさんの暖かい声質に、「ああ、この人は、今よりもっとロックが輝いていた頃の曲が好きなんだろうな」という感じを抱いたものでございます。いかにも「自分が愛しているものを、皆さんに紹介します」というのが伝わってくるわけ。 大人になって働くようになってからは、土曜とか日曜とか言ったって、結局、翌週にやるべきことなどに頭を悩ませていたりして、本当の意味ではのんびりなんかしていないことが多いのですけれど、中学とか高校とかそういう頃は、学業から解放されている土曜・日曜というのは、ほんとにのんびりとしていた。だから、そののんびり解放されて、何だか満ち足りた気分を満喫していた週末のイメージと、その頃に聴いていたラジオ放送というのが、私の脳裏では、一体となっているわけ。 だから、あの「Rock, Roll and Remember」という番組は、思春期のたまらなく懐かしい思い出として、鮮明に私の中に刻まれている。 その番組の進行をしていた名物DJのディック・クラークさんが亡くなったというニュースは、ですから、私にとってはかなり大きい意味があるんですな。 というわけで、我が青春のDJ、ディック・クラークさんの死を、はるか極東の地で、私は悼むわけでございます。願わくば、ディック・クラークさんが天国で、お好きだった往年のロックン・ローラーたちとの再会を果たしていますように。合掌。
April 20, 2012
コメント(2)
アフラックのテレビCM、「まねき猫ダック」の歌詞が聞き取れなくてイライラする~! 「まねき猫ダックも力こぶ」じゃない方の歌詞。ワタクシの耳にはどうしても「まねき猫ダックの近い膝」と聞こえるんですけど、本当は何て言ってるの~! 誰か教えて~!! さて、話は変わりまして、今日の夕方、共同研究室でコーヒーを飲んでいる時、「叔父貴」ことO教授から面白い話を聞きました。 O先生は、数年前に研究のためイギリスに半年ほど滞在していらした時期があったのですが、その時にお世話になったアパートのマネージャーさん(イラク人)が日本に遊びに来るというので、京都を案内してあげたというのですな。 で、今年はたまたま桜の開花が遅かったので、京都でもまだ桜が十分楽しめたと。 ま、それはそれで良かったわけですが、その京都で、O先生は面白いものを見たそうで。 それは何かと申しますと、今、京都ではあでやかな振袖姿の若い女性をやたらに見かけるというのですな。で、古都・京都といえども、さすがにここまで沢山の振袖姿の女性を見かけることはかつてなかったことなので、非常に珍しかったと。 ところが。 その振袖姿の女性たちがですね、中国語をしゃべっていたんですって。 そう、その若い女性達というのは、ほぼ全員が中国人だったんですな。多分、振袖を着て京都の町を散策するというイベントが組み込まれたパッケージ・ツアーがあるのでしょう。それで、今や京都は、振袖を着た中国人の女性だらけになってしまったらしい。 ひやーーー。そうなの?! で、それに加えてですね、京都の町全体が、今や最大の上得意となった中国人観光客に合わせてちょっと変わってきていると。例えば、清水焼の陶器なんかも、どんどん派手になってきて、今や極彩色の文様のものばっかりが店頭に並んでいるのだそうで。 ふうむ。そんなですか・・・。 ま、これが現在、新手の富裕層がじゃんじゃん生まれている経済絶好調の中国のパワーというものなんでしょうかね。 そう言えば、うちに大学に留学している中国人の学生に聞いたのですが、今、上海から北京まで新幹線で移動すると、車窓に見えるのは農村風景、などではまったくなく、うち捨てられて廃屋となった工場の跡ばかりなんですって。 つまり、どの会社も景気が良くなって、新社屋をじゃんじゃん建てるのですけど、古い社屋を壊してから新しい建物を建てるより、より都会に近いところに新しいのを建てた方がいいというわけで、古い社屋をそのまま捨てちゃうんですって。 とにかく、中国の経済成長ってのは、そういうレベルなんですな。 ということで、尾張名古屋は城でもつけど、古都・京都は中国人観光客でもつ。私も後学のために中国語を話す麗しき振袖女性たちを見てみたいものですけど、京都嫌いのワタクシとしては、そういうチャンスはありそうもないかな。
April 19, 2012
コメント(0)
今日、新1年生対象の教養英語の授業をやったのですが、まあ、出来ないね。びっくりするくらい出来ない。 しかし、単に「出来ない」というレベルを遥かに超えているんじゃないかと思うような出来事に遭遇よ。 この授業で読んでいるのは、映画化もされた『アポロ13』という本で、事故により宇宙空間で制御不能になったアポロ13号をどうやって地球に戻すか、乗組員の宇宙飛行士3人とNASAの地上スタッフが総力を挙げて問題解決に取り組み、ついに彼らを無事救出するまでを描いたドキュメンタリー的なストーリーです。 で、テキストの中に、地球から月までの距離である「three hundred and twenty thousand kilometers」という表現が出てきたと。 で、その部分を日本語に訳した学生が、この数字を「2万3百キロ」と訳したわけ。 ん? 2万3百キロ? どうやら、「three hundred」と「twenty thousand」を分けて、二つを足したらしい・・・。 で、私が「そこ、ちょっと違うんじゃないの? 2万とんで3百キロだったら、日本からブラジルぐらいまでしか行けないよ」と言って再考を促したのですが、そのように間違いを指摘されても、意味がよく分からない様子。 で、ようやく小さな声で「3千2百キロですか?」ですって! おやおや、さらに距離が短くなったじゃないか! さすがに私も呆れて「3千2百キロじゃ、日本からハワイへ行くより近いじゃないか! フィリピンくらいまでしか行けないぞ! 月って、地球からそんなに近いところにあるのかよっ!!」と追い打ちをかけてみたのですが、学生は既に思考停止。 で、私、黒板に「320,000」と書き、「three hundred and twenty thousand っていったら、こうなるだろ? これ、幾つだよ。この数字、読んでみ」と促したのですが、ついにその学生は最後まで答えられなかったのでした。 今時の国立大学の学生は、「320,000」という数字が「32万」を意味することが分からないらしいのですな。数字も100を超すと、「沢山」というカテゴリーに入ってしまって、細かいことは分からなくなるのでしょう、多分。 その次。今度は3人の宇宙飛行士たちが、地上の宇宙センターと交信する場面で、飛行士たちがセンターに向かって「ヒューストン(Houston)」と何度も呼びかけるシーンがある。 ところが、この「ヒューストン」が学生には分からないんですな。大体、読み方自体も間違っていて、「ホウストンさん」などと訳している。ローマ字読みか・・・。 で、面白いので、「キミキミ、その『ホウストンさん』ってのは、一体何なんだい?」と尋ねてみた。すると、「宇宙飛行士の誰かの友達ですか?」ですって。 やっぱりね。ヒューストンってのがテキサス州にある大都市の名前で、NASAの宇宙センターがある場所だってことが分かってないわけだ。 まあ、そんなもんかなあ。わたしら、子供の頃、アポロ11号の月面着陸をテレビで見てひゃーーって思った世代からすると、「永田町」という地名が日本の政治の中枢を意味するのと同じように、「ヒューストン」と言えばスペース・シティ、強烈に宇宙を連想させる地名なんだけどなあ。 だけど、仮に「ヒューストン=宇宙センター」という常識がなかったとしても、大学生なんだから、テキストの文脈からして、そのくらいのことを想像できなくてどうするんだろう・・・。英語力の問題だけじゃないような気がしますぞ・・・。 というわけで、これが「国際化」が叫ばれて久しい我が国の、前途有望たる若者たちの英語力であり、常識力であり、想像力なのでございます。国立四大でこのレベルなんですから、その下のクラスとなると、もうそれこそ想像を絶する、常識を遥かに超えた「ゆとり力」を持った無知蒙昧の群れがうごめいているのでございましょう。 ま、あんまり長生きしたくないもんですな・・・。
April 18, 2012
コメント(0)
代議員なるものになってしまった関係上、今後2年間というものは大学運営上の各種会議に出席しなくてはならなくなったワタクシ。今日も2コマの授業を終えた後、会議、会議でございました。 大学の会議ってのは、本当に、本当にアホくさいからね! で、我慢、我慢の2時間を過ごした後、ゲッソリと疲れて研究室に戻ろうとした時、うしろから「釈迦楽さん」という声が。振り向くと、同じ会議に出席していらしたN先生ではありませんか。 N先生は歴史学がご専門。私とは大分畑が違いますが、共に映画好きという共通点がありまして。ま、私が見る映画はアメリカ映画が大半であり、N先生はもっとマニアックな方面のものをご覧になるのですが、たまに会えば、やはり映画の話題が出る。 で、今日も最近見たお薦めの映画、という話題で立ち話になったのですが、今日、N先生に薦められたのは、ドイツの映画監督、ヴェルナー・ヘルツォークが撮った『忘れられた夢の記憶』という3D映画。 ん? ドイツ映画の巨匠が3D映画? と思ったのですが、N先生によると、これはフランスで発見された世界最古の洞窟壁画を撮影した一種のドキュメンタリー映画なのだそうで、鍾乳洞の石灰柱とかに描かれているため、3Dにしないと、その立体感のある壁画が活きない。それゆえの3Dだ、というのですな。 で、その壁画の映像を見ていると、3200年前の人間が、すでにピカソを超えていたことが分かると。それほどの圧倒的な壁画であり、その映像なのですって。 で、しかも映画の最後の最後で、ヘルツォークは原子力発電所の近くで飼われているワニが、何らかの遺伝子変化なのか、白子がやたらに生まれる、というのを突如映像で映し出し、3200年前からこんなに素晴らしい芸術を生み出してきた人間が、今、そういう遺産をすべて台無しにするような愚挙をやっているんだ! という強烈なメッセージを残して映画を終えるのだそうです。 ふーむ、N先生のお話を聞いていると、つい引き込まれて、その映画を見たくなってきます。残念ながら名古屋での上映は既に終わっているので、いつかDVDで見るしかないわけですが。 それと同時に、ヘルツォークの他の作品、例えば『アギーレ/神の怒り』とか、『フィッツカラルド』などは、実に一見の価値があるそうですし、また現在上映中の映画としてはヴィム・ヴェンダースの『ピナ・バウシュ』が一見の価値ありとのこと。『ピナ・バウシュ』については、私もかねがね見たいと思っていた映画なんですが、N先生に尻を叩かれて、ますます見たくなって参りました。 ということで、5分、10分といった短い立ち話ではありましたが、その前の2時間の会議のアホらしさの後で、この立ち話が一服の清涼剤となり、会議中に感じていた疲労感が吹き飛んだような気がしましたよ。 ま、大学というところにワタクシがまだ勤めていられるのは、先輩同僚とのこういう爽やかなひと時があるから、と言っていいでしょうな・・・。
April 17, 2012
コメント(0)
新学年も早や2週目となり、そろそろ新学年特有の喧騒も少し収まってきたかな~という今日この頃。教員同士が集まってコーヒーなどを飲んでいると、話題に上がるのは、今年度のゼミ生たちの卒論テーマのことです。 ま、うちは例年、スタートダッシュが遅いことで有名なので、まだ確固たるテーマを決めて卒論作成に取り組んでいるのはいないのですが、他の先生方のゼミではそろそろ方向性だけは決まった学生もいるとのこと。 で、どんなテーマが出てきているのか、一応、参考までにチェックするのですが、相変わらずパッとしないテーマばっかり。平凡というか、月並みというか、どうしてそんなつまらないテーマしか思いつかないのかしら?とあきれるようなものばっか。 例えば、「語学」関連で卒論を書きたいという学生がいるらしいのですが、具体的な話を聞くと、やはり小学校英語の是非とか、その程度のことしか考えてないみたい。 「小学校英語の是非」とかさあ、そんな、誰もが思いつくようなテーマで卒論書いて、無難な結論でもくっつけて、それで一丁上がりだなんて、それであなたは満足なんですか、ってなもんだよなあ・・・。 どうして、誰でもが思いつくようなことしかやらないのか。どうして他の人がやらない、面白いことをやろうって思わないのか。私にはまったく理解できません。 もし私が語学関係で卒論書くなら、「外国人力士はなぜかくもやすやすと日本語をマスターするのか」というテーマにするな! で、外国人力士たちに実際にインタビューして、どうやって日本語を勉強しているのか調べる。なにせ7月になれば、力士たちの方で名古屋に来てくれますからね。それに今、相撲協会も人気回復に必死だ。正式に申し込めば、力士のインタビューくらい、やらせてくれるでしょうよ。 例えば白鵬の話す日本語の完璧なアクセントとかもそうですけど、ワタクシ、前々から不思議で仕方がないんですよね。どうして外国人力士は、あれほど短期間に日本語をマスターするのか。何か、上達のための秘訣、というか、要因があるに違いない。それが何か分かれば、日本人が外国語を勉強する時の参考になるんじゃないの? それに、「力士の語学」というテーマ、まだ誰も手を付けてないんじゃない? 私だったら、そういう他人がやってないテーマを探すけどなあ。 ま、よそのゼミの学生のことを心配したって仕方がない。せめて我が釈迦楽ゼミの学生だけでも、あっと驚くようなテーマで卒論を書かせたいものでございます。
April 16, 2012
コメント(4)
![]()
話題の調味料、塩麹、使ってます? この間築地に行った時、とある店の店頭で塩麹の瓶詰を売っていて、ちょっと興味ありげに手に取って見ていたら、気風のいい店のおっちゃんが「お、買ってきなよ。今買わないでどうするの?」と言うので、つい買ってしまったわけ。 で、その後、家で使ってみたのですけど、結構いいですよ、これ! まず我が家でやってみたのは、チキンの塩麹漬け焼きです。 これまた先日コストコで買った「さくら鶏」(=モモ肉)をですね、ビニール袋に入れ、そこに塩麹をモモ肉一つにつき大匙1杯ほど加えててよく擦りこみ、そしてそのまま冷蔵庫で2時間ほど放置。で、それをただフライパンで焼くだけなんですけど、塩麹以外、何も足さなくても、これだけでいい味が付くのよ。塩味だけでなく、麹の味と香りもするので、何となく味噌に漬けた肉を焼いて食べているみたいな感じ。しかも、麹の効果なのか、肉が柔らかくなって実に美味。 で、その次に試したのは、お魚。鮭の切り身(もちろん塩鮭じゃない奴)を買ってきまして、やはり同じようにビニール袋に入れ、塩麹を目分量で入れ、少し擦りこんでしばし時間を置き、それをグリルで焼くと。この場合、麹の部分が少し焦げやすくなるので、アルミホイルなどをかけて焼け具合の調節をする必要がちょっとありますけど、焼き上がった鮭は、ちょっと西京漬けにした魚のような感じの味に仕上がって、これまた美味。 結局、何を漬けても旨いっちゅーわけですな。 で、次は豚肉のステーキ肉を塩麹に漬けてから焼いてみよう、というのが我らの計画。あとね、キュウリとか人参とか、その辺を漬けてみたら、おいしい浅漬けが出来るのではないかと、その辺もトライしてみようかなと。 ということで、塩麹、我が家で大活躍中でございます。まだ試してない方は是非! 教授のおすすめ!です。これこれ! ↓通常発送(1~4営業日) 在庫あるだけ 塩麹ペーストタイプ150g入。漬けるショッピングの食品用...価格:398円(税込、送料別)
April 15, 2012
コメント(0)
院生に文学作品の翻訳の宿題を出しておいたのですが、答え合わせの都合上、自分でも翻訳してみないとまずいので、今日はその予習をやっておりました。 ところがね、やっぱり岡目八目とはよく言ったもので、人の翻訳を云々することは簡単でも、自分でやってみるとまあ、難しい、難しい。 宿題に出したのは、ジョン・スタインベックの有名な短編「菊」の冒頭に近い部分で、大昔に読んで割と面白かったという印象があったので適当に選んだだけなんですけど、翻訳するつもりで読むと難しいわ。 例えば、主人公の女性、イライザ・アレンの容姿を説明した一文を訳すのだって一苦労よ。 She was thirty-five. Her face was lean and strong and her eyes were as clear as water. というのですが、「彼女の顔は lean で strong だった」って、どう訳せばいいの? 「lean」は「(顔などが)細い」という意味ですが、だからと言って「彼女は細面で・・・」なんて訳すと、なんだかなよなよっとした竹久夢二の版画に出てくるような女性を想像させてしまって、次の「strong」と合わないですよね? じゃあ、「彼女の顔は引き締まって、逞しい感じだった」とするか? そう訳すとなんだかアスリートの顔のようですなあ・・・。それとも、ひょっとして「strong」には精神的に強い(きつい)という意味があるのかしら? ならば「彼女の顔立ちはきりっとして、気の強さを窺わせた」とするか・・・。いやいや、この小説全体を読むと、イライザがそれほど精神的に強い女性のようでもないしなあ・・・。 ってな具合で、簡単な一行を訳すのでも考え出したらきりがない。 でまた、風景描写がまた難しいのよ。例えば、 On the foothill ranches across the Salinas River, the yellow stubble fields seemed to be bathed in pale cold sunshine, but there was no sunshine in the valley now in December. The thick willow scrub along the river flamed with sharp and positive yellow leaves. まあ、川の向こう岸に見える山麓の牧場が、陽を浴びている(be bathed)というのですが、日本語で「陽差しを浴びる」なんて訳すと、暖かそうな風景に見えますでしょ? だけど「in pale cold sunshine」なんだから、どちらかというとうすら寒い情景のようでもある。陽は射していて、一応明るいのだけど、寒そうだ、という情景をどう訳せばいいのか・・・。 それから一番最後の方で土手の柳の葉が「sharp で positive」だ、と書いてあるのですが、柳の葉だから「sharp」は分かるとして「positive」って何? 葉っぱがポジティヴって・・・。 で、究極に困ったのが、次の一文。 It was a time of quiet and of waiting. 前半は「静寂の時」とするとして、「a time of waiting」は? 意味は何となく分かるが、日本語として訳しようがない。 とまあ、そんな具合で、悩む、悩む。翻訳は、キツイわ~。 だけど、なんかね、楽しかったです。あーでもない、こーでもないと日本語をこねくり回すの。それから、いわゆる文学作品・名作と呼ばれるものを、一字一句にこだわって読むことなんて久しぶりだったので、何だか一生懸命小説を読んでいた学生時代に戻ったような感じがして、それもまた楽しかった。 ひょっとすると、こういう細かい仕事、何をすべきかは明確に分かっているけど、それをベストな形で実行するにはどうすればいいかが分からないので、それを一生懸命考える、という方向性の仕事って、自分には合っているかも。 ということで、うーん、うーんと唸り、悩みながらも、結構楽しい時間を過ごしていた今日のワタクシなのでありました、とさ。
April 14, 2012
コメント(0)
宮脇孝雄さんがお書きになった『翻訳の基本』という本を読みましたので、心覚えを書き付けておきましょう。 今、大学院で翻訳ということを演習に取り入れているので、その参考になるかと読んでみたわけですけれども、この本、そのタイトルとは裏腹に、「翻訳の基本」について勉強しようと思って読むと裏切られます。これ、別に翻訳の基本を教えようという本じゃないです。 じゃ、何の本かというと、エッセイだね。翻訳にまつわるエッセイ。基本的には、他人の誤訳を指摘して、それをネタに小話をするというスタンス。 で、エッセイなんだから、著者としては読者を面白がらせようとしているんでしょうな。 が、その面白がらせのセンスが、いかんせん古い。っていうか、ダサい。 どこが古くてダサいかと言いますと、翻訳をネタにしたエピソードを一つ紹介するとするでしょ。それはいいのですが、そのエピソードを締めくくる最後の一文で、宮脇さんという人は、何か面白いことを言おうとして、オチをつけるんですな。そのオチが、まったく面白くない。 例えば、英語を日本語に翻訳する時に、訳文の文末を「・・・のだ」で終わらせるパターンが続くとよろしくない、ということを指摘しておられる箇所がある。それは確かに宮脇さんのおっしゃる通り。だけど、この件の最後の一文に、 「~のだ」を連発する翻訳を見ると、どういうわけか、私などは、天才バカボンのパパを思い出すのだ。 と書き、わざと「のだ」で終わらせて、オチをつけるわけ。 面白いですか? ワタクシには全然。 もちろん、こういうのも一回だけならいいですよ。だけど本書の場合、ほとんどすべてのエピソードの後にこの種のオチが来る。ある翻訳者が「hindsight(あと知恵)」という言葉を誤訳していたエピソードを紹介した後、「最初に挙げた例文をこしらえた方は、「しまった、そう訳せばよかった」と思っているかもしれないが、そう思うことを一般に「あと知恵」というのである」と締めくくるとかね。 また別な例を挙げると、最近の日本語に「~つく」という言い方があって、「天気がぐずつく」「いちゃつく」「ぐらつく」「ぱくつく」「いらつく」「だぶつく」「むかつく」「ばたつく」等々、よく使われるようだけれども、翻訳をする際にこういう言い方をあまり安易に使うのはよろしくない、と指摘しておられる件で、このご指摘は有益なのだけれども、その後の決めの一言、 まさかこんなところで「つくつくぼうし」の鳴き声を聞こうとは思わなかった。 と言われると・・・もう、げっそりよ。 さらに文末のオチだけでなく、書き出しにも面白がらせようという工夫(?)があって、「オノマトピア(=擬音語)」の説明のところでは、 オノマトピアといっても、ユートピアや小野道風の親戚ではない。 などと書き出すわけですけど、このセンス・・・。ボディ・ブローのように、効いてくるわ~。 で、「こう書いたら、読者はきっと腹を抱えて笑い出すか、俺の卓抜なユーモアにニヤリとするぞ!」と思っているらしい書きぶりにいささか嫌気がさし、これを書いている宮脇氏というのはよほど時代遅れのジジイなのかと思って略歴を見たら、何と1954年生まれで、私と10歳くらいしか違わないじゃん? っていうか、名著『翻訳教室』を書かれた柴田元幸先生と同い年だよ! その年齢にして、この笑いのセンスか・・・。ワタクシには絶対に到達しえない境地だね。 しかし、本書の奥付を見るとこの本、2000年に出版されて以来、2009年の時点で既に第5刷。アマゾンのレビューを見ても、みんな絶賛、5つ星とか付けちゃっててビックリよ。ええーー、この本がーーーーって感じ。 ワタクシには無理。はっきり言って、この本、人におすすめしようという気にはなりません。だから、「教授のおすすめ!」は、なーしーよ。 しかし、せっかく最初から最後まで読んだので、自分の勉強として、授業のネタに使えそうなところだけ箇条書き風にピックアップしておきましょう。○原文が疑問文で、文末に「?」マークがあったとしても、それを日本文に訳した時、バカ正直に「?」をつける必要はない。○「会社を解体する」「婉曲に要求する」など、漢語を二つ続けるのは一般的に良くない。○「My heart is like a singing bird.=私の心はさえずる小鳥のようだ」「These children are jewels.=この子たちは宝石だ」のように、直喩は直喩、暗喩は暗喩として訳すのがよろしい。○男性の容姿の描写で、「tall, dark and handsome」と書いてあった場合、「dark」は「肌色が浅黒い」と訳すよりは、「黒髪で」と訳した方が無難。○翻訳は保守的な方が無難。「それが何よりも最悪だった」的な訳文は、やはり違和感がある。○分詞構文の訳し方として、いつでも「~しながら」と訳すのは危険。「Smiling, she nodded.」ならば、「彼女は笑いながら頷いた」と訳してもいいが、時に「彼女はにっこりして頷いた」などとした方がいい場合もある。○「頷いてみせてから、~と言ってやった」というように、「~してみせる」「~してやる」という言い方を乱用するのはよろしくない。○原文が過去形であっても、すべて過去形で訳す必要はない。ただし実際の動作を表す言葉は、過去形のまま訳した方がよい。 ま、ざっとこんなもんかな。182頁の本を読んで、釣り上げた収穫はこれだけ。ちょっと少ない感じではありますが、読書を釣りに例えるならば、坊主の日があってこその釣りですからね。
April 13, 2012
コメント(0)
最近私のお気に入りのテレビCMは、何と言ってもジョンテ・モーニングがキュートに踊りまくる「アイスブレーカーズ」で決まり。あれは何度見てもいいわ・・・。特に疲れている時に見ると、元気が出る。今日の教授のおすすめ!です。これこれ! ↓アイスブレーカーズCM
April 12, 2012
コメント(2)
![]()
先日、車検に出しておいた我が家の愛車第2号、スバルのR1が戻ってきましたので、今日はアルファではなく、R1で大学まで通勤しちゃいました。というのも、エンジンオイルやエレメントを入れ替えたついでに、呉工業のエンジンオイル添加剤を入れてみたので、その効果や如何に? という興味があったので。これこれ! ↓KURE オイルシステム 軽自動車用価格:890円(税込、送料別) で、感想ですが、うーん、まあ、エンジンの吹き上がりとか、少しは効果があったかな、と。で、高回転にした時のエンジン音が静かになったかどうかも知りたかったのですが、今日は生憎の雨で、雨音や水たまりを通過する時の音にかき消されてエンジン音の具合がイマイチよく分からず・・・。 でも、とにかく代車として借りていたekワゴンと比べると、R1が如何にいいクルマか、ということは分かります。アクセルを踏んでも踏んでもスピードが上がらないekワゴンとは違って、少なくともR1は軽々とスピードを上げていきますからね。今回のエンジンオイル添加剤は、そんな素敵なR1君へのご褒美ということにしておきましょう。 さて話は変わりまして、矢崎泰久さんの書かれた『「話の特集」と仲間たち』を読了しましたので、心覚えを書き付けておきましょう。 ここでいう「話の特集」というのは、1960年代から90年代にかけて存在した雑誌の名前。この本は、雑誌『話の特集』の創刊から、どうやら軌道に乗った5年目くらいまでのエピソードを、創刊者であり編集長であった矢崎さんの視点から綴ったものであります。 『話の特集』というのは、『文藝春秋』的な総合誌でもなく、といってヴィジュアル誌でもなく、その中間あたりを狙った、当時としては非常に斬新な誌面の雑誌でありまして、いわゆるミニコミ誌の走り、あるいは植草甚一の『宝島』、パルコ出版の『ビックリハウス』、椎名誠の『本の雑誌』、天野祐吉の『広告批評』といった系統の雑誌群のルーツになるような雑誌、と言えばいいでしょうか。 そこそこ売れ線の雑誌を何誌か発行していた日本社。その社長の息子であった矢崎さんが、新しい雑誌の創刊にかかわることになったのは、実は偶然のことでありまして、たまたま東京オリンピックが近いということで、さるホテル業界の人からホテルの客室に置いておく外国人観光者向けの雑誌の刊行を頼まれ、それで試しにパイロット版を作ってみた、というのが実質的な創刊経緯だったんですな。 で、このパイロット版を作るに当たり、なにしろ外国人観光客向けということもあり、従来の雑誌とは異なるハイセンスなものにしたいということで、矢崎さんは色々知恵を絞るのですが、その際、助力を仰いだのが新進気鋭のイラストレーターであった和田誠だったと。で、その和田誠からの紹介で、これまた気鋭のイラストレーター、横尾忠則にも絵を描いてもらうことになる。 で、完成したパイロット版(『エルエル』)はなかなかの出来だったのですが、この時は諸般の事情で実際の刊行にまでは至らず、挫折してしまいます。 が、その後、今度は日本社の自発的な企画としてまたぞろ新雑誌の企画が持ち上がり、矢崎さんは中途で終わってしまった『エルエル』の企画を実現すべく、『話の特集』という雑誌の創刊を志すことになると。 そしてこの時もまた和田誠が、矢崎さん以上に企画・編集の中心となって、当時、最先端を行くアーティストやライターに片端から声を掛け、いよいよ『話の特集』は、現実味を帯びていくことになります。 で、ここから先がすごい。何がすごいって、この新雑誌に関わったメンツがすごくて、例えばデザイン・イラスト方面では和田誠、横尾忠則に加え、宇野亜喜良、大橋歩、真鍋博、亀倉雄策、粟津潔、田中一光、黒田征太郎、長新太、また写真方面では篠山紀信に立木義浩と、錚々たる面々が顔を揃えることになる。また執筆陣も豪華で、小松左京、筒井康隆、寺山修司、五味康祐、伊丹一三(後の十三)、草森紳一、小中陽太郎、野坂昭如、丸山明宏(後の三輪明宏)、澁澤龍彦、小沢昭一、竹中労、永六輔、小田実、池田満寿夫、山本直純等々、ごく一部の執筆者の名前を列挙しただけでも、よくもまあ、これだけ豪華なメンツを揃えられたものだと感心せざるを得ない。 要するに、その後、それぞれに名を成す大家の面々が、若き日にこぞってこの雑誌に関わっていた、ということなんですけどね。それだけにこの新雑誌には活気があった。 ところが、これだけのメンツを揃え、マスコミでも取り上げられるほど話題になった雑誌ではあるのですが、1960年代の日本ではやや登場が早過ぎたというのか、一般大衆から見るとハイブラウ過ぎたというのか、『話の特集』は、販売面では苦戦し続けるんですな。いくら頑張っても、なかなか黒字にならない。 その上、人からの紹介で雇った経理担当者が悪い奴で、日本社の手形がその筋の方面に渡ってしまい、編集長の矢崎さんは、コワイ人たちに誘拐され、監禁までされるという恐ろしい経験までした挙句、もちろん雑誌は一旦廃刊となり、会社も倒産の憂き目に。 しかし、この雑誌に愛着を持っていた上記文化人たちの手弁当の助力もあり、『話の特集』は不死鳥のように蘇るんですな。そして、1990年代にその役目を終えるまで、後続の雑誌に様々な影響を与えながら、およそ30年間に亘って刊行され続ける。 ま、本書はそんな名物雑誌『話の特集』をめぐる興味津々のエピソードで綴られた、カラフルな一大絵巻といったところなんですな。 それにしても、この本を読んでいると、1960年代あたりの日本における、新進気鋭の文化人たちの勢いね。それがものすごい。で、そういう連中が、どういうわけだか、皆、横につながっていて、切磋琢磨したり、あるいは皆で力を合わせて何かを成し遂げようとしたりするわけ。 こういう文化人同士の熱い交流ってのは、どうなんでしょう、今、存在するのかなあ。しないような気がしますなあ。例えば村上春樹氏とか、家でジャズ聴いているか、翻訳しているか、本書いているか、ジョギングしているか、そのどれかであって、他の文化人と胸襟開いて付き合っている図なんか、あんまり想像できません。 無論、だから文化人は自らの殻を出て、広く他の文化人と付き合うべし、などと提言するつもりはありませんが、とにかく1960年代の日本のそういう状況って、凄かったんだなと。それだけは強く印象づけられる。 で、そんな文化人たちの一つの牙城が、『話の特集』だったと。 というわけで、そんな熱い、熱い「文化のるつぼ」みたいな時代が日本にもあったんだ、ということを知るためだけでも、本書『「話の特集」と仲間たち』は、一読に値するんじゃないかと思います。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓【送料無料】「話の特集」と仲間たち価格:1,575円(税込、送料別)
April 11, 2012
コメント(0)
![]()
テレビのBS放送で、毎週、『アメリカン・アイドル』(シーズン11)を楽しんでいるのですが、今週の課題曲は「ビリー・ジョエル」で、現在勝ち残っている10人がそれぞれビリー・ジョエルの曲を披露していました。 で、私も久しぶりにビリー・ジョエルの曲の数々を耳にすることになったのですが、こうして聴いてみると、ビリー・ジョエルという人がいかに優れたソングライターであったかということがよくわかります。ほんと、どれもこれも名曲ばかり。 ところが・・・。 1970年代、80年代のアメリカン・ポップスに親しんできたワタクシの耳にはどれも懐かしく、ポップなビリー・ジョエルの曲を、オーディションに参加している連中が、何故か十分に歌いこなせていないんですな。 現在のところオーディションに勝ち残っている10人というのは、エントリー総数ウン十万人の中から選び抜かれた10人ですから、みんな抜群に歌の上手い人ばっかりなんです。それなのに、ビリー・ジョエルの曲を上手に歌いこなせていないと。ま、中に1人だけ、「ピアノマン」をすごく上手にアレンジして歌ったコルトンという奴が居ましたが。 で、オーディション参加者の思わぬ苦戦ぶりを見ながら思ったのですが、ビリー・ジョエルの曲というのは、実は、見かけ以上に難しい曲が多いのではないかと。 まず、彼の曲は音域が意外に広いんですな。だからサビの部分を自分の声に合うように設定すると、出だしのトーンが低くなりすぎて、うまく歌えないわけ。それで苦労している人が随分いました。 それからビリー・ジョエルの曲というのは、ポップスにしてはブルージーな曲調のものが多いのではないかと思っていたのですが、オーディション参加者の中で、ブルースを歌うのが得意な人ほど、ビリー・ジョエルの曲にてこずっていたんです。ということは、やっぱり彼の曲は基本的にポップスなので、それをあえてブルース風にアレンジすると、曲の良さが生かせなくなるのかなと。 あとね、ビリー・ジョエル自身、苦労人なので、彼の曲の歌詞にはそういうことが反映されていて、すごく深いものがある。ところがオーディションに参加している連中はティーンエイジャーから20代までですから、歌詞の深い意味を十分に汲み取れないんですな。で、スティーヴン・タイラーやジェニファー・ロペスなどの審査員たちから「歌詞の意味を理解していない」と批判される人も多かった。 で、そのような審査員たちからの酷評に対し、何か言い分はあるかと問われた参加者が口を揃えて答えるのは、「曲を知らなかったので、まず曲自体を覚えるのが大変で、歌詞の内容まで十分に理解する時間が無かった」ということ。 えっ!? ビリー・ジョエルの有名な曲を、歌手を目指そうというアメリカ人のあんたらが知らないの? 日本人のワタクシがほとんど全曲知っているのに? そうか・・・。アメリカの若者たちにとって、ビリー・ジョエルはもう「懐メロ」なのか・・・。 なるほどね。 でも、もしそうだとすると、アレですね。私のような日本人でも、アメリカ人にアメリカのことを教えてやれる、っていうことなんですから、そういう意味では慶賀すべきことなのかもね。アメリカ人の若い連中に、「お前ら、アメリカのポピュラー・カルチャーのイロハも知らねえのかよ。もっと勉強しとけ」などと優越感に浸れるわけだ、わっはっは。 っていうか、オーディション参加者がビリー・ジョエルの曲に手こずっていた理由がもう一つわかりました。彼らの多くはビリー・ジョエルの曲をまったく知らないので、どの曲が自分に合っているのか、どの曲が自分にとって歌い易いのかが分からず、それで自分に合わない歌を選んでしまったのではないかと。 例えばフィリップ・フィリップスだったら、「Moving Out」ではなく「That's Not Her Style」を歌えば良かったのよ。またヒージュン・ハンは、繊細な歌声なんだから「And So It Goes」とかを歌うべきだった。もう、私に選曲を任せてくれれば、それぞれの参加者にピッタリの曲を探し出してあげたのにぃ。 ま、それはさておき、一気にビリー・ジョエル・ブームがやってきた我が家では、番組終了と同時にビリー・ジョエルのCDを引っ張り出してきてかけまくり、ついでに家になかった『The Stranger』というアルバムまで、アマゾンで買っちゃった。 ってなわけで、今、私の気分はビリー・ジョエル、ビリー・ジョエル、ビリージョエルなのであります。ビリーよ、たとえアメリカ人の若者たちがあなたの事を忘れたとしても、ワタクシは覚えているからね~! これこれ! ↓【送料無料】【エントリーすると、3枚以上購入でポイント3倍!】【輸入盤】 BILLY JOEL / STRANGER価格:1,000円(税込、送料別)
April 10, 2012
コメント(4)
![]()
今日は私の誕生日! 誰か「おめでとう!」って言って! で、大学に行ったら、事務でなぜかヘルメットを手渡されました。校章入りの立派な本格的ヘルメット。何を血迷ったか、大学の執行部が、大学に勤務するすべての人に行きわたるよう、このヘルメットを作ったのですと。 ワタクシにはまったく理解できない、愚かな公費の使い方だと思いましたが、まあ、これは大学が私に誕生日プレゼントとして、ジョークとしてくれたんだと思って、まあ、もらっておいてやる(by 田中氏)かと。 というわけで、今年度初のゼミは、新品のヘルメットをかぶりながら挙行したのでありました。新ゼミ生には大ウケでしたけどね。 さて、今日は小川隆夫さんが書かれた『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』を読了しましたので、ここでちょっとご紹介しておきますね。 小川隆夫さんは本業はお医者さんですが、ジャズ関連の著作も多く、何と言っても世界で最も有名なジャズ・レーベル、「ブルーノート」から出されたレコードを全種類集め、ブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンからお墨付きをいただいた世界で唯一のコンプリート・コレクターとしても名高い方。本書はそんな小川さんがいかにしてブルーノート・レコードと出会い、そのコレクターとなったか、その辺りの事情を綴った半生記であります。 となると、中年ジャズファンであり、また根っからの古本好きとしてコレクター心理も多少なりとは心得ているワタクシとしては、興味津々の本であることは明らかでありましょう。 さて、本書によると小川さんがブルーノートのレコードと出会ったのは高校1年の時。渋谷・道玄坂にあったヤマハ渋谷店のバーゲン・セールにて500円で買い求めた『ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1』だった。あの「ウン・ポコ・ロコ」3連発で有名なレコードですな。 で、分けも分からず、ただバーゲン・セールの人混みの中、売れ残りの一枚としてようやく手にしたこのレコードの「ウン・ポコ・ロコ」3テイクを聴いて、小川隆夫少年は「こりゃ、ヘンテコなレコードを買って損した!」と後悔するんですな。しかし、小遣いをやりくりして買ったレコードだけに、無駄なものを買ったとは思いたくない。そこでこのレコードを繰り返し聴いて、何とか好きになろうと努力した。 そしたら、本当に好きになった、というのですから、たとえそれが一枚のレコードの話だとしても、出会いというのは不思議な形でやってくるものです。ある意味、真のジャズ・ファンになれるかなれないかを分ける試金石とも壁ともなるレコードを一番最初に聴いてしまい、それを無理やりにでも好きになったことで、いわば「躓きの石」を端から飛び越えてしまったようなもんですからね。 で、その後もレコードを買ったり、自らギターを演奏して友達同士でバンドを組んだりして、音楽を楽しんでいく小川さんですが、父親を継いで医者になることを決めていた小川さんは、音楽と受験勉強の二束の草鞋をどうにかこうにか履きこなし、1年間の浪人時代を経て、東京医大に合格。 もっとも浪人時代にも小川さんのジャズ遍歴は続いていて、勉強の傍ら、ジャズ喫茶に出入りしたり、新宿のレコード屋「マルミ」でレコード漁りをしたり、という日々だったようですが、この「マルミ」の店長とのエピソードがなかなか面白い。 ある日、小川さんが初めてこの店を訪れ、セロニアス・モンクのレコードを買おうとすると、店長が買わせてくれないというのですな。そしてその代わりにデューク・エリントンのレコードを勧めてきたと。つまり、若造のお前なんかにモンクはまだ早い、先に基本となるエリントンで勉強してこい、というわけです。 で、普通そんなことを言われたら腹を立てる人だっているでしょうが、小川さんは素直に店長の勧めに従ってエリントンを買い、そのレコードを聴きこんだんですな。で、2週間後、再びマルミを訪れた小川さんは、店長からエリントンの感想を聞かれ、「エリントンのピアノがあまり聴けない点が不満ではあるけれど、オーケストラの響きがそれ自体でスイングしているし、それぞれの曲でフィーチャーされるソロにも満足した」と答えた。 するとその店長、「はい合格」と言って、小川さんにモンクのレコードを(200円引きで)売ってくれたんですって。 いい話じゃないですか。店はただ品物を売る、客はただそれを買う、というのじゃない、店主と客とインタープレイがあった時代。ジャズだねぇ・・・。 で、ともかく東京医大に進学して医学の勉強を始めた小川さんは、忙しい勉強の合間にレコードを買い続けるのですが、さすがに理系人間というか、ある程度の量のレコードが溜まってくると、分類して整理したいという欲求が小川さんの中に目覚めてくるんですな。 で、そうやって自分の持っている400枚ほどのジャズ・レコードを分類してみると、そのうちの100枚程度がブルーノート・レーベルのもので、しかもその100枚はどれもレベルの高い、はずれの少ないものばかりだった。 ここで小川さんの心に「だったら、ブルーノートのレコードを全部コレクションしてみるか」というほのかな野望が生じてきたんですな。 ところが今と違って情報も少ない時代で、一体ブルーノートが創立以来、どのくらいのレコードを世に出してきたのか、なんてことは皆目分からない。ジャズの1レーベルのレコードをすべて集めよう、などということを志す人は、当時日本はもちろん、世界にも居なかったので、それを志すことがどのくらい大変なことなのかすら見当がつかない。 でも、とにかく小川さんは、『スイング・ジャーナル』誌など、老舗ジャズ雑誌のバックナンバーを買い集めたりして、そういう昔の雑誌に載っている新譜情報などから、ブルーノートがこれまでどのようなレコードを出してきたかを調べ、自分の持っていないものを務めて集め始めるわけ。 しかし、どうせ集めるならば、後の時代に再販されたものではなく、ブルーノートが最初に出したオリジナル版を集めたくなるのが「コレクター心理」というもの。となると、どれがオリジナル版で、どれが再販版かを見きわめる必要が出てくるわけですが、これもまた難しい問題でありまして。 これが古本のコレクションの話ですと、なにしろ本自体に「初版」と書いてありますから、どれが初版かを見きわめるのは造作もないことなんですが、当時のジャズ・レコードの出版にそんな決まりはないので、どれがオリジナルかがなかなか分からない。 例えばレコードに記された版元ブルーノート社の所在地の記載を見て、そのレコードが発売された時、ブルーノート社はその所在地にあったから、多分、それがオリジナル、という程度の見きわめ方はあるのですが、A面とB面でブルーノート社の所在地の記載が異なるものもあったりして、本当にそれがオリジナルなのか、よく分からないことがある。 何しろ、社長のアルフレッド・ライオンからして、どれがオリジナルか見きわめがつかないというのですから、アメリカ人というのはもともとそういうことに興味がないんでしょうな。 そこで、他の見きわめ方として、例えばレコードの端の厚みであるとか、レコード中央部の溝であるとか、ジャケットに記載された業務用暗号だとか、そういうものから、「おそらくこれがオリジナル」というのをおおよそ断定して行かざるを得ない。 で、既に自分が持っているレコードであっても、様々な観点から、それがオリジナルではないのではないかという疑いがあれば、別に「おそらくこれがオリジナルであろう」というものに買い替えるというのですから、小川さんのブルーノート・レコード完全コレクションへの道は遠く、また苦労の多いものであるわけですな。 でも、その後、NYの大学に留学に行って、現地で本場のジャズメンやレコード店主などと友達になったこともあり、小川さんのブルーノート・コレクションは次第に厚みを増し、コレクションを志した1973年から14年の後、1987年6月21日、ついに小川さんはブルーノートの完全コレクションを達成します。そしてこの14年の間に、小川さんは本業の傍ら、すっかりジャズ業界の人となっていたと。 ブルーノート・レコードのコレクションという、かつて世界中の誰も試みたことのないことを、ひょんなきっかけから始めたことで、小川さんの人生は大きくコースを変え、またこの上なく充実したものになった。その幸福な幸福な過程を綴ったのが、この本なんですな。 本書はそんな小川さんの半生記の他に、ブルーノート・レコードの魅力を行方均氏と語り合った対談や、ブルーノート・レコードの完全カタログも収録されております。特に完全カタログの方は、学術的な価値すらもあるのではないかと。 というわけで、どんなものであれ、モノを集める趣味のある人間にとって、本書『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』は非常に面白い読みものでありまして、そんな御同好の士に向って、教授の熱烈おすすめ! と言っておきましょう。 ちなみに小川さんは1950年生まれ、団塊の世代の最後の方に属しておられる方なんですが、この世代には例えばビートたけしさん(1947年生まれ)とか坂本龍一さん(1952年生まれ)なんかが入るわけですけど、私、この世代の人達に非常に興味がありまして。この世代の才人たちの群像を、色々な本を通じて構築していくというのが、現在のワタクシの趣味になりつつあるような気がしています。これこれ! ↓【送料無料】ブルーノート・コレクターズ・ガイド改訂版価格:2,940円(税込、送料別)
April 9, 2012
コメント(8)
![]()
今日の名古屋は雲一つないいい天気。桜もほぼ満開ということで、お昼を食べてから、家の近くにある川沿いの桜並木をお散歩することにしました。 で、その時、もうせんユニクロで買った黒い「ジャンパー」を着ちゃった! これ、冬場のランニング用に意気込んで買ったんですけど、今年の冬があまりにも寒かったので、ランニングなんかしやーしない。結局全然着なかったんですけど、それじゃ買った甲斐がないということで、今日、散歩の時に着てみようかなと。 だけど、ジャンパーって、微妙ですね! これが本革だったりするとそれなりにカッコいいですけど、ナイロンじゃね、なんか田舎っぽいというか。 「ジャンパー」って言い方もちょいダサいけど、さらにダサく「ジャンバー」って発音したい感じ。 話が飛びますけど、外来語を変な風に発音する人っていますよね? ワタクシ、あれ、大嫌い。 例えば「スムーズ」と言えばいいのに「スムース」っていう人。それから「ページ」のことを「ペーシ」っていう人。 あと「シャープペン」のことを「シャーペン」っていうガキとかね。私の言語上の美意識に反するわ・・・。 で、その美意識に反する「ジャンバー」を着てですね、お散歩に出発! そうそう、武道家のワタクシは、こんな時でもトレーニング用に両足首にそれぞれ0.5キロのウェイトをつけて歩きますぞ。これこれ! ↓有酸素運動をより効果的に!タニタ リストアンクルウェイト FB-677【28dw09】価格:1,440円(税込、送料別) さて、自宅近くにある天白川の支流沿いの遊歩道を歩いてみますと、桜が満開・・・一歩手前みたいな感じ。で、好天にも誘われて、こんなところでもブルーシートを敷いて宴会をしている若い人たちのグループがちらほら。あとは老若男女が、家族連れで、あるいはまた犬を連れながら、そぞろ歩きを楽しんでおります。平和だねえ。 で、桜並木を端まで歩いた私と家内は、そのまま天白川に出て、土手を歩きます。 散歩中の我ら夫婦は「いいもの発見隊」となり、何かいいものを発見しながら歩くのを常としております。「いいもの」は何でもいいのですが、例えば道端のタンポポとかね。薹の立った菜の花とか。色の濃いスミレとか。あるいは川の中に突き出た岩場で昼寝をしている亀とか。意外に大きなシラサギとか、黒いカワウとか。春の花に舞うモンシロチョウとか、羽の赤いシジミチョウとか。そういうものを先に発見した方が報告するわけ。今日は家の近くにある乳牛用の牛舎で、可愛い仔牛も発見しましたぞ。それに竹林では可愛いヤマガラも発見。 で、小1時間ほど歩いて今日のお散歩終了~! いやあ、歩いたせいもあって、「ジャンバー」が暑いほどでしたね。 そして帰りがけにスーパーに寄って、夕飯のおかずなどを買って帰りましたとさ。 ってなわけで、今日はのんびり花見散歩をして、明日からの仕事再開に向けて英気を養ったワタクシだったのでした。今日も、いい日だ!
April 8, 2012
コメント(0)
![]()
町山智浩著『<映画の見方>がわかる本』(洋泉社・1,600円)を読了しましたので、心覚えを書き付けておきましょう。 本書は、アメリカ映画、それも1960年代末から1970年代末にかけての話題作(時に難解作)を9本ほど取り上げ、それら一つ一つを読みほどいていく、というような趣向の本です。で、その取り上げ方も、形而上的な解読を試みるのではなく、個々の映画の制作過程を詳らかにするということに主眼を置いているんですな。つまり、ある意味では非常に下世話な話にもなってしまうのですが、その下世話な事実を知らないで、映画史に名を刻む映画をただ神格化したって意味がないじゃないか、というのが町山さんのスタンスなのでしょう。 例えば本書第一章で取り上げられる『2001年宇宙の旅』。原始、いわゆる「モノリス」との接触によって猿が道具を使うことを覚え、進化していく過程を描いた長い冒頭シーンですが、あの退屈であり、かつ難解なシーンがなぜ退屈で難解なのか。 町山さんによると、その答えはごく簡単なことでありまして、何と、映画が制作された当初、あのシーンには「ナレーション」が付いていた、というのです。つまりあのシーンは解説つきだったと。ところが監督のスタンリー・キューブリックが、それだと映画が理屈っぽくなってしまうと考えて、解説ナレーションを最終的に削ってしまった。だからあの映画は、冒頭からして「難解」になったわけ。 あらま、そうだったの? ってなわけで、本書ではこんな感じの「目からウロコ」の話が次々と明らかにされていきます。 例えば人類の進化を促した黒い岩・モノリスにしても、あれ、最初は「異星人」にするはずだったんですって。異星人が地球の生き物に進化を与える、というシーンをキューブリックは撮りたかった。ところが当時の技術では本物らしい異星人を映像化することができなかった。そこで仕方なく、黒い岩、ということにしちゃったのだそうで。だから、あのモノリスに何か深淵な意味を求めても意味がないんですな。あれは単なる「大人の事情」なんですから。 もう一つ例を挙げるならば、映画の最後の方、木星の軌道上に浮かぶもう一つのモノリスに接近したボーマン船長が体験するあの光のシャワー。あれは「ワープ」していることを示す(ま、それは何となく分かる)のですが、ワープの過程でボーマン船長は超新星の爆発から新たな星が生まれ、そこに生命が生まれて進化するまでの膨大な時間の経過を短時間のうちに目撃することになる。で、この映画の冒頭で描かれた猿から人間への進化のシーンは、本来はここに挿入されるはずだったんですって。だけど、進化シーンを冒頭に持っていくことにしたため、惑星の生成過程だけを示す光のシャワーだけが残された。 で、その後にボーマン船長の「スター・チャイルド」への変身が起こるわけですが、もし猿から人間への進化のシーンが当初の計画通りワープ・シーンの中に組み込まれていたならば、船長の謎の胎児化が、人類のさらなる「進化」であることがもっと明確に観客に伝わったはず・・・。 とまあ、『2001年』の制作過程を見ていくと、この映画の本来の意味がいかにシンプルなものだったか、それが様々な事情で、いかに難解なものになり、そのために神格化されてしまったか、ということが明らかになっていくわけ。 面白れぇ~! けど、身も蓋もねぇ~! その他、本書には面白くて、時に身も蓋もない話がわんさか。中でも私が映画論の授業中に使えそうなネタとして心のメモに書き付けた話題を箇条書きで紹介すると・・・○『卒業』の主役は最初ロバート・レッドフォードだったが、彼には女性に奥手な青年役が無理だったので、ユダヤ系のダスティン・ホフマンが抜擢され、結果としてユダヤ系家族がスクリーンに上ることとなり、これが後の『ゴッドファーザー』はじめ、非アングロサクソン系の家族の物語がハリウッド映画の主題となる突破口を開いた。○『卒業』の中で主役のベンが歩くシーンでは、必ず彼は右から左へ歩き、背景の群集は逆に左から右へ移動する。これは「世間の逆を行く」という意味でベンを「カウンター・カルチャー」の象徴とするため。○『猿の惑星』の原作者、フランス人のピエール・ブールは、かつてビルマでアジア人を使ってプランテーションを経営していたが、第二次大戦で日本軍に占領され、逆に日本人にこき使われるという体験を持つ。この逆転現象が、彼をして『猿の惑星』を書かせた。 これがアメリカで1968年に映画化された時、アメリカでは公民権運動(黒人問題)の最盛期でもあり、黒人の暴動が頻発していた。『猿の惑星』がもともと持っていた「逆転現象」のテーマは、アメリカにおいて「黒人に支配される白人」というテーマに代わり、それが「猿に支配される人間」という形で映像化された。(その意味でこの作品は1933年の『キングコング』と同様のテーマを持つ。)○『地獄の黙示録』は、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』だけでなく、実在のCIAエージェント、トニー・ポーの実話やベトナム戦争時の「レアルト大佐事件」なども下敷きにしている。原作者ジョン・ミリアスはベトナム戦争に行きたかったが行けなかった人物で、彼のオリジナル脚本は映画版とは異なり、非常に好戦的だった。『Apocalypse Now!』というタイトルも、当時のベトナム反戦スローガンである「Nirvana Now!」へのあてつけだった。○『黙示録』でカーツ大佐を演じるマーロン・ブランドは、当時太り過ぎていてアクションが出来ない状態だったので、仕方なく急遽キャラ設定を変更することに。それに伴い、フレイザーの『金枝篇』、ウェストンの『祭祀からロマンスへ』、T・S・エリオット『荒地』などからの引用がちりばめられたセリフが埋め込まれることになり、作品はさしたる意味もなく難解なものに。○『ロッキー』の筋書きのモデルとなったのは、モハメド・アリ対チャック・ウェプナーの試合。これを見て感動した売れない俳優シルベスタ・スタローンは、冴えない自らの姿を冴えないボクサーに重ねた脚本を一気に書き上げ、自らメガホンをとることに。最後のアポロとの試合シーンでは、予算がないために、フライドチキンを食わせるという対価で観客役に町のホームレスを動員。長い撮影時間では暴動が起こると見たスタッフは、最初に腫れ上がったメークをした15ラウンドのシーンを撮り、順にメークを落としながら1ラウンドまで逆に撮って行った。○ロッキーではアポロ側、すなわち黒人側が常に贅沢な暮らしをし、ロッキーなど白人側が底辺の生活をしている。これは『猿の惑星』と同様の構図。一方、『タクシー・ドライバー』では、底辺の生活をしている白人のトラヴィスが、白人少女を囲う黒人のポン引きを銃殺する話で、1976年のアカデミー賞を分け合った両作は、同じ構図のネガとポジ。 とまあ、こんなところかな? で、映画というのは、その撮影過程や制作の背景を知ると、難解だと思われていた映画が、実はくだらない事情で難解なものにされていたことが分かったり、逆にシンプルな映画の裏側に深い意味が隠されていたりすることが分かるわけでありまして、この辺が本書の著者町山さんのいわゆる「映画の見方」なんじゃないかなと。 というわけで、まあ、確かに本書は面白いですし、勉強になるところは多いのですけれど、見方を変えると、なんだ、ただの裏話じゃん? というところもあって、これを読んだために特定の映画のことがすごく愛しくなってくる、というものでもない。その辺がね、「絶賛おすすめ!」とはならない所以であります。 が、読んで損するというものでは決してなく、取り上げられている映画についての正しい知識は身に付きますから、この時代のアメリカ映画に興味がある向きには間違いなく「教授のおすすめ!」であります。『2001年宇宙の旅』に挫折した方など、是非!これこれ! ↓【送料無料】 映画の見方がわかる本 『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで / 町山智浩 ...価格:1,680円(税込、送料込)
April 7, 2012
コメント(0)
昨秋、応募しておいた文科省の科研費ですが、昨日、採択者の内示があり、私の研究計画はまたもや見事採択されておりました~! これで今後3年間は潤沢な研究費を使えるというもの。ということはつまり・・・ 今年の夏は海外滞在決定や~! わっはっは! どーしよ、どーしよ。やっぱ第二の故郷ロスアンゼルスに行こうかなあ、それとも昨年行けなかったロンドン? はたまたワシントンDC? あるいは一昨年に行って楽しかったボストン? ということで、新学年開始早々幸先のいいニュースを聞いたワタクシ。気合が入るねえ。 さて、一夜明けた今日、研究日なので家でのんびり・・・と思いきや、家内の愛車スバルR1の車検のため、午前中からディーラーに行って手続きをしてまいりました。代車は三菱のekワゴン。中も広くて4人家族ならこれで十分だなとは思いますが、いかんせん非力、非力。エンジンも壊れよとばかりアクセルを踏み込まないと前に進みゃーしない。 で、その非力なクルマを飛ばして長久手のアピタへ。今日はここの中に入っているサブウェイのサンドイッチで軽くお昼を済ませてしまおうという計画。家内はBLTサンド、私はサブウェイ・クラブを注文。相変わらず旨し。 で、その後、アピタ店内のCDショップでハービー・ニコルズのピアノ・トリオ作品を買ったり、本屋さんで立ち読みを楽しんだりし、じゃあそろそろ帰るかと店内を横切っていると、店内の特設会場にずらりと男性用スーツが吊るされている。就活用か、新入社員用か、この時期、そういう需要があるんでしょうな。 しかし、驚くのはその価格でありまして、スーツ上下・2着で9,800円ですと。 2着で9,800円?! それ、どういうジョークよ・・・。 そうなってくると、この手のジョークが大好きなワタクシ、ちょいと見て行かないわけにはいかないじゃないですか。 でね、見ると、普通のスーツなのよ。別に安いからといって、見た目からしてひどいというわけではない。 で、私も遊びで細身用の上着を羽織ってみたと。すると・・・ あらま! まるで誂えたようにぴったり~! ま、自分で言うのも何ですが、私、驚異のスーツ体型でありまして、どんなスーツでも似合っちゃうのよね~。 で、そうなるとこちらの選ぶ目も真剣になってきて、グレー・ストライプ、グレー・チェック、紺ストライプ等々、様々なタイプの上着を次々と羽織ってみたりして。平日のお昼間ゆえ、他のお客さんもほとんどいないので、誰に気兼ねもなく試着し放題。 だ・け・ど。 実際買う気で試着してみると、やっぱりどこかダサいんですよね~。おっさん臭いというか。それに「気を付け!」の姿勢で羽織っている限りはシルエットもいいのですが、ちょっと体を動かそうとすると、肩廻りがつれて動きにくいとか、そういう部分がある。「2着9800スーツ」の限界? ということで、やっぱりこれは私が買うシロモノではないなと判断。はい、ジョーク終了~。でも、あれこれ試着して面白かった! で、帰宅。 ってなわけで、科研費をゲットしたことで、今日は何をしても何となく心楽しい一日となったのでした。
April 6, 2012
コメント(2)
![]()
ジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライム」サスペンス、『The Burning Wire』を読了しましたので、心覚えを書き付けておきましょう。(以下、ネタバレ注意!) とある日、ニューヨークで、いつものようにバスに乗ろうとした乗客が、体中に穴が開いたような状態で死んでしまう、という「事件」が起きます。バス停付近にあった「アルゴンキン電力会社」の変電所に仕掛けられたワイヤーから高電圧の電気が発射され、アーク(=電弧)となってバス停のポストを直撃、溶けた鉄が礫となって件の乗客を襲ったのでした。 やがて犯行声明がアルゴンキン電力会社に届き、ニューヨークのどこそこの界隈の電気を切らないと次の犠牲者が出る、的な脅迫がなされる。で、そのあたりを探っていくと、どうやら火力発電や原子力発電など、旧式の電力生産に固執するアルゴンキン電力会社を批判するエコ・テロリストたちか、または何らかの形で同社に恨みを持つものの犯行ではないかということが判明してくる。 で、依頼を受けた肢体不自由の名探偵、リンカーン・ライムが捜査に協力するのですが、その結果、背後に潜むらしいエコ・テロリスト集団のことはさておき、直接の犯行を行なっているのはアルゴンキン電力会社に勤めていたレイモンド・ゴルトなる人物だ、ということが分かる。彼は自分が癌にかかったのは高圧電線に近いところで作業をさせられてきたためだと思い込み、会社を恨んで復讐していたんですな。 で、犯人は特定できたものの、神出鬼没のゴルトの次の攻撃を阻止することは難航します。何と言っても、彼が使う武器は電気。高圧電気を自在に操り、様々なものに電気を通じさせてしまうので、金属などはもちろんのこと、通電するものであれば、どんなものでも彼の武器になってしまう。 そしてそんな彼の無差別のテロ攻撃により、某ホテルが通電され、そのために金属製のドアノブに触れた客が感電死したり、また別なマンションではエレベーターが通電され、乗っていた住民が感電死するなど、犯行はエスカレートするばかり。 そして、ライム得意の科学捜査により、ゴルトの居所を突き止めたと思いきや、これも実はゴルトの罠で、逮捕に向かったライムのパートナー、アメリア・サックスと、ライムのお気に入り、若手捜査官のロン・プラスキーを危うく感電死させそうになるという・・・。 ところが、その後の捜査により、ライムは全ての事件の構図が、実は逆転しているのではないか、ということに気付きます。つまり、この一連の事件は、アルゴンキン電力会社に対して恨みを抱いたゴルトが、エコ・テロリストたちのサポートを受けてアルゴンキン社に対して攻撃を仕掛けているのではなく、逆に、アルゴンキン社の女性社長であるアンディ・ジェッセンと、その兄である退役軍人のランドール・ジェッセンが仕組んだ逆攻撃だったのではないかと。 実は、ゴルトによる無差別殺人の標的になったと見られていた被害者たちには、1つ共通点があった。彼らの多くは、アルゴンキン社が採用しているような従来型の発電方法ではなく、太陽光発電や風力発電など、クリーンなエネルギーの開発に携わる人たちだったんですな。で、アルゴンキン社は、そうした未来的なエネルギーの開発者たちを亡き者にし、アルゴンキン社の業績を安泰なものにしようとしていたのであって、ゴルトという人物が実行犯と見られていた事件も、実はすべてゴルトに扮したランドール・ジェッセンが行っていたと。 被害者と思われていた電力会社が、実は加害者だったというどんでん返し。となると、アンディとランドール兄妹の次の標的となるのは、近々ニューヨークで開催される予定の、クリーン・エネルギーのための技術市に全米から集まってくる技術者たちに違いない。ひょっとすると、既に会場の建物には配線が仕組まれて、スイッチ一つで会場内の人々全員を電撃で焼き殺すことが可能になっているのかも! さて、この危機をリンカーン・ライムは、そしてアメリア・サックスらは、防ぐことはできるのか?! というような話。面白そうでしょ? でも、ご安心下さい。上に紹介してきたのは、この小説の内容のすべてではないんです。実はこの話、この先さらに大きなどんでん返しがあるんです。ジェットコースター・サスペンスを書かせたら右に出るものがないジェフリー・ディーヴァーのことですから、そう簡単に読者に先を読ませてはくれません。 というわけで『The Burning Wire』、ディーヴァー作品の中のベストとは言えませんが、リンカーン・ライムもののファンであれば、楽しく読めることは必定。教授のおすすめ!と言っておきましょう。英語も易しいので、分厚いペーパーバックでも比較的楽に読み進められますよ!これこれ! ↓【送料無料】The Burning Wire価格:1,260円(税込、送料別)
April 5, 2012
コメント(0)
実家にいた時、たまたま父が某所で買ってきたカレンダーがもとで、ちょっとした「週の始まり論争」というのが持ち上がりまして。 父が買ってきたそのカレンダー、日にちの表示をするに当たって、月曜日を先頭におき、「月・火・水・木・金・土・日」の順序で記載されていたんです。ところが、今日本で出ているカレンダーの多くは、日曜日を先頭にして「日・月・火・水・木・金・土」の順になっている。つまり、1週間は月曜日から始まるのか、それとも日曜日から始まるのか、という点で、両者に認識の違いがあるわけですな。 で、父や私は「月曜始まり説」をとっておりまして、このカレンダーこそが正しいと。しかし家内は「日曜始まり説」の信奉者で、喧々諤々議論の結果、埒が明かず・・・。 ちなみに『大辞林』で「週」を引くと、「日曜日から土曜日までの7日を1期とした時間の単位」とあって、日曜日が週の始めだと考えていることは明らか。『広辞苑』も同様で、日本の代表的な国語辞典は家内の味方のようです。 しかし「日曜始まり説」を唱えるのであれば、「週末」というのは土曜日のことであって、日曜日は含まないおつもりかしら? と思って再び国語辞典を見ると、大抵曖昧なことが書いてある。例えば『新明解国語辞典』だと、「月曜を週の始めとするにせよ、日曜を始めとするにせよ、週末とは土曜の午後、もしくは金曜日の夕方から日曜日にかけての仕事のない時間」みたいな記述になっていて、何だかちょっとずるい感じです。 一方、私が思うに、1週間という時間の単位は、結局、西洋起源であり、さらに言えばユダヤ・キリスト教起源であろうと。で、そのように考えた場合、誰でも思い浮かぶのは旧約聖書の『創世記』であって、そこに神がこの世を6日間かけて創造し、7日目に休んだ、というはっきりとした記述がある。となれば、6日働いて7日目に休む、というのが神の示した模範なのであって、日曜日こそが週の最後の安息日ということになるであろうと。 それに、現代の日本だって、普通、「週明け」というのは月曜日のことを指しませんかね? で、この二つが、私の「月曜始まり説」の根拠でございます。 一方、私の父はというと、その昔帝国海軍の軍歌として歌われた「月月火水木金金」の歌を持ち出してきて、この歌の示すところやっぱり1週間は月曜から始まるのではないか、というのですが、まあこれは、論拠としては薄いけれど、時代性を感じさせて面白いですな。 とはいえ、歌のことを考えると、例の「一週間の歌」はいきなり「日曜日に市場へ出かけー、糸と麻を買ってきたー(チュラチュラチュラチュラチュラチュララー・・・)」で始まりますからね。これだと家内の説の方が有力ということになるのか? で、家族の中で話していても決着がつかないので、ネットにはどういう風に書いてあるだろうと思い、ちらっとググってみたところ、これがまた大変なことになっておりまして。 どうもこの1週間の始まり論争というのは、ネット上でも恰好の論争ネタらしく、日曜始まり説、月曜始まり説、双方が自説を主張し、他説を論駁しあってえらいことになっている。アメリカでもカレンダーは日曜始まりだ、とか、ドイツでは日曜始まりだけど、フランスは月曜始まりだ、とか、そもそも週という時間の単位の起源はユダヤ・キリスト教ではなく古代バビロニアだ、とか、まあ、色々な情報が飛び交っております。これらを全部読んで、どちらか勝者を決めるのは至難の技。 ま、とにかく、1週間の始まりをどこに設定するか、というのは、案外、難しいものなんですな。定説がないんですから。 というわけで、この論争に首を突っ込んで得るところなしと判断し、まあ、個々人が勝手に判断すりゃーいいんだ、という結論にしておきますが、自分は全然勤勉じゃないくせに、『プロ倫』的な価値観だけ何となく保持している私としては、1週間をいきなり休日で始めるという感覚に、どうしても馴染めないのでした。さてさて、読者諸賢のご意見や如何に?
April 4, 2012
コメント(2)
このところ悩まされていた歯痛のため、某大学病院に行ってきました。 私の場合、嘔吐反射が強いので、そういう人専用の部門で治療を受けるのですが、その前に大体の状況を掴むため、最初は普通の初診外来で診察を受けます。最初に担当してくれたのは、うら若き女医さんです。 で、予想通り歯科治療器具を口の中に入れるのがままならないので、とりあえずレントゲン写真を撮ることになりまして。 しかし。 そのレントゲン写真を見ても、どこにも虫歯がないと。そういうことが分かった。 で、そんなはずはない、ということで、今度は氷を使ってテストをしてみようということになり、専用の氷の棒を歯の一本一本に当ててみるのですが、そんなことをしても、全然沁みないし痛くない。 どうも私の歯痛は、通常の意味での虫歯によるものではなかったらしいんです。 で、困ったその女医さん、「レントゲンに虫歯が映ってないし、氷を当てても痛くないって言うし、器具も入れられないし、ワタシ、分かんなーい」的な体で、他の先生にアドバイスを求めつつ、もうこうなったら、とにかく「嘔吐反射外来」の予約を入れちゃって、向こうでやってもらおうと。そんな感じになってきた。 しかし彼女からの相談を受けた男性の医師は、「どこが悪いのかまるで分からない状態で、患者だけ嘔吐反射外来に回すのもまずいだろう」とか言いながら、頭をひねっている。そのうち、他のブースに居た手すきの先生方も集まってきて、「何だ何だ、何が問題なんだ?」と大騒ぎですよ。とうとう、歯科中の先生が7、8人も集まって、治療椅子に横たわっているワタクシの横で円陣を組んで相談が始まってしまいまして。なんか、私の変な歯のせいで大変なことになってしまって、申し訳ないような、しかし、私だって好きでこうしているわけではないんです的な、妙な感じになってしまったという・・・。 で、大学病院の先生方の叡智を集めた結果、衆議一決、今度は歯に電流を流してみることにしたんですな。 歯に電流を流すと、それは歯の神経への直接の刺激になるわけですから、虫歯によく似た痛みを引き起こします。だから健康な歯に弱い電流を流すと、チクっとする。 で、「これは痛いですか。痛いね。じゃ、これは?」という感じで歯の一本一本に電流を流していったわけ。勿論、その都度、チクッとします。 ところが、ある一本だけ、電流を流しても痛くなかったんです。 つまり、その歯だけ、内部で神経が死んでいたと。 そう、見かけはまったく虫歯がないのですが、どういうわけかその歯だけ、歯の中で神経が死んでいて、それが化膿していたらしいんですな。これが痛みの原因だったと。 で、それが判明した途端、もう、歯科の先生方全員がバンザイですよ。電流作戦を考案した若い男性の先生は、他の先生方から「お前、よく見破ったな! 上出来!」などと祝福され、ちょっとしたハイファイブ状態。 なんかよくわかりませんけど、「隠れ虫歯」という診断の難しい状況に対する医学的勝利に貢献できたようで、私も誇らしいです。 で、原因さえ分かれば後は簡単、選手交代で若い女医さんとバトンタッチした働き盛りっぽい男性のお医者さんが担当して、とりあえず嘔吐反射の強い私に耐えられる限りの処置をしちまおうということになり、ドリルで当該の歯の神経のあるところまで穴を開け、中を掃除・消毒することに。 でも、その時迄には歯科中のアイドルとなってしまったワタクシ、治療している先生の他にも3人ほどの先生が覗きこみながら、「そこはさあ、ロータリー・ドリル使ってやってみたら?」「いや、この患者さんの場合、ドリルがどうこうって問題じゃないみたいなんですよね」などなど、岡目八目的な観察とアドバイスに晒されながらの、嬉し恥ずかし的な楽しい治療となってしまったのでした。 で、結局あと一回、通常の外来で処置を進め、最終的な治療のみ全身麻酔をかけて行うことになったというね。やれやれ、何はともあれ良かった、良かった。 ってなわけで、どうも私の場合、たかが歯痛といえども一筋縄では行かないのでした。チャン、チャン。
April 3, 2012
コメント(2)
短かった春休みも今日でおしまい。ということで、今日、実家から名古屋の自宅に戻りました~。 で、今日は帰る途中で多摩境というところにある「コストコ」に立ち寄ることに。コストコというのは、アメリカから上陸した会員制卸売りマーケットなんですが、この店に寄るのも1年以上ぶり。と言うのも、昨年3月のあの大地震の際、このお店の駐車場が崩落し、それからほぼ1年に亘ってお店を閉めていたためなんです。 で、その間に会員資格の更新も出来なかったので、今日、果たしてお店に入れるのかどうか、若干不安ではあったのですが、入り口で係員の人に聞いてみると、お店自体が1年間閉店していたこともあって、会員資格が2年間延長されたとのこと。ですから、私もまだあと1年間は会員ということになるわけ。良かった~! ということで、1年ぶりのコストコで、私も家内も買いまくりましたよ~。 ほんの一例を挙げますと「36個入りのコーンブレッド」、「ミラー・ビール1ケース」、「桜鶏モモ肉2キロ」、「プロシュート沢山」、「ラム肉沢山」、「キレイキレイ(2リッター位)」「レイズ・ポテトチップ超デカ袋入り」、「ハーシー・キスチョコ(1.5キロ)」、「はちみつバター2パック」、「パイン缶詰1ケース」、「ハワイ・ライオン・コーヒー(567グラム入りパック)」等々、買いも買ったり2万円超。まあ、でも、分量のべらぼうな多さからすれば、すごくお得な買い物です。 とにかくね、コストコの魅力は大量買い。圧倒的な量のものを買うと、なんか、妙に幸福感があるんですよね。 ということで、久しぶりのコストコ・ショッピングに、私も家内も大満足だったのでございます。ま、1つ心残りがあるとすれば、ガーミンのナビが1万3千円ほどで売っていたのを買わなかったこと。やっぱりあれは買っておけばよかったかな? さて、ショッピングを終えた我らは多摩境から町田を通過し、国道16号線を南下して横浜インターから東名に乗る・・・予定だったのですが、インターの近くに家内の大親友の家があるということで、ちょいとピンポンダッシュをすることに。 が、生憎お留守だったようで、家内は残念がっておりましたが、来たことだけ示すものを後に残して、そのまま東名に乗って一路名古屋へ。 さてさて、そんなこんなで、春休みも終了。明日は歯科の病院に行き、明後日からは本格始動でございます。やれやれ。
April 2, 2012
コメント(2)
1週間ほど前から薄々覚悟はしておったのですが、どうやら、歯医者に行かなければならないほど、虫歯が悪化してきたようでございます。トホホ・・・。 2007年ですから、今から5年前に大掛かりな治療をし、虫歯フリーになったはずの私なのですが、それからわずか5年にして、またもや要治療の状態になってしまったか・・・。朝昼晩、さらに必要に応じて甘いものを食べた時などには、その都度歯磨きしてたつもりなんだけどなあ。 なぜそこまで気が重いかと申しますと、私の場合、通常の歯科治療が受けられないのよ。嘔吐反射が強過ぎて。 だから、全身麻酔かけるの。もう、ほとんど完全な手術よ。 完全に意識が飛ぶので、その都度「ほんとに、目、覚めるよな、俺・・・」という若干の恐怖を抱きながらの治療になるというね。ま、現在の医学のレベルからして、そのまま意識が戻りませんでした、ということにはならないとは思いますが。しかし、100%の保証もないですからね。特に私のように心臓に難を抱えている場合。 ということで、もうすぐ新学期が始まりますわ、歯医者にも行かざるを得ませんわ、死ぬかも知れませんわ、という憂鬱の三重奏状態。 「4月は最も残酷な月だ」って言ったのは、T・S・エリオットでしたっけ? その通りだ、と、私も言いたい・・・。
April 1, 2012
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1