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先日、松本に学会出張した際、お土産に地酒でも買って帰ろうと思い、松本駅で地酒の小瓶を買い求めたのですが、そいつを昨日、夕食の時に飲んだんですよ。すると・・・ うまーーーい! ひゃー、旨いわ、コレ! 松本の三河屋という馬刺し・馬鍋の店で「善哉」という、やはり松本市内の酒蔵のお酒を飲んで、これもまあおいしかったのですけど、コレには到底かなわない。 で、私が買った松本の地酒というのは、その名も大きく出て「大信州」。楽天でも売っているようです。これこれ! ↓【大信州で一番人気の超辛口酒です】大信州 純米吟醸超辛口 720ml [日本酒/長野県/大信州酒...価格:1,500円(税込、送料別) 冷で飲んだのですけど、まさに「フルーティ」という言葉がぴったり。キレもあるし、後味も馥郁として、かつ、スッキリといったところ。日本酒で、ここまで「あー、これ、好みだーー!」と思ったのは初めてです。これは旨い! と思って、色々ググってみたところ、大信州の評判ってものすごくいいね。どのサイト見ても絶賛に近い。私自身はなーんの予備知識もなく、ただ駅で売っていたから買っただけなんですけど、いい銘柄を見つけちゃったみたい。 ということで、これからはもう当分、この銘柄で行こうかなと。世話になった人への贈り物としてもいいですしね。松本の地酒「大信州」、教授の熱烈おすすめ!です。騙されたと思って、一度買って飲んでごらんなさいな。後悔はしないと思いますよ! それにつけても、日本酒がお好きだった恩師のS先生が生きておられたら、真っ先にこのお酒を贈ったのにと思うと、残念でございますなあ・・・。
February 29, 2012
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先日の『翻訳の技法』(飛田茂雄著)に続き、柴田元幸さんの『翻訳教室』(新書館・1800円)を読んでおります。 なんで続けざまに翻訳関連の本を読んでいるかと言いますと、自分でも翻訳系の授業を大学でやってみようかなと思っているからなんですが、その観点から言いますと、本書『翻訳教室』は、もう、そのものズバリの本。何しろ本書の内容は、アメリカ文学の翻訳でも名高い柴田元幸教授が東大の学生たちを相手に繰り広げる翻訳の授業の実況中継であり、しかもこの種の授業を何年もやられて、授業形態も練り上げられ、完成された形になっていますから、これを読めば「なるほど、こういう風にやれば翻訳の授業というのはうまくやることができるのか・・・」というのがよく分かる。 と言っても、もちろんこれは柴田先生だからうまくできるのであって、誰でもできるような方法ではないわけですが。それにしても、めちゃくちゃ参考になることは確か。 で、その方法ですが、まず英語で書かれた小説の一節(分量にして1~2ページ分くらい)をあらかじめ学生たちにそれぞれ訳させ、その中で柴田さんが適当に選んだものを叩き台にして、ワンパラグラフごとにその訳文を検討していくんですな。で、そのディスカッションには、もちろん他の学生も参加する。そして学生たちから出される改善案をうまく取捨選択しながら、柴田さんが修正案を作り上げていくわけ。 で、その学生からの意見の取り上げ方が絶妙なんです。いい意見はもちろん、悪い意見であっても、それをうまく操りながら、誰もが納得できるような修正案を導き出していくわけ。それはもう、目を瞠る手腕ですよ。 そして、その修正案を作り上げていく中で、「翻訳ってのはこうやるもんだ」というのをまざまざと見せつけていくわけ。その鮮やかさ、深さ。しかも、それをユーモアをもってやるんだから、出るのは感嘆のため息ばかりよ。 これはもう、凄いとしか言いようがない。翻訳を目指す人はもちろん、英語に興味のある方であれば、誰にとっても必読の本と言っていいと思います。私もまだ途中までしか読んでいないのですが、早く最後まで読みたくてウズウズしているところ。今日日、なかなかそんな本はありませんぞ!これこれ! ↓【送料無料】翻訳教室価格:1,890円(税込、送料別) それにしても、柴田元幸先生と言えば、超売れっ子であり、超多忙な方であるにも関わらず、東大において、これほど内容の濃い授業をされているのかと思うと、我が身を振り返って大いに反省を強いられます。自分よりよっぽど忙しい人が、こういう授業をやっているのなら、私ももうちょい奮発しないといけませんな。 ところで。 これだけ大いに感心している本なのですが、現段階で一か所、「これは柴田先生の誤訳ではないか?」と思っている箇所があります。それは第1章、スチュアート・ダイベックの「ホームタウン」という小説の訳なのですが、当該箇所の原文は以下の通り: Later, heading back with her to your dingy flat past open bars, the smell of sweat and spilled beer dissolves into a childhood odor of fermentation: the sour, abandoned granaries by the railroad tracks where the single spark from a match might still explode. この文の、特に後半部分(コロン以後)なのですが、学生訳の最終修正案は、 「鉄道線路沿いにある、すえた臭いのする見捨てられた穀物倉庫。そこはいまでも、マッチ一本すった火花がパッと浮び上がったりする。」 となっていて、また柴田さんご自身の訳では、 「線路脇の、饐えた匂いの、使われなくなった、いまもマッチを擦る火花が時おりパッと浮かび上がったりする穀物倉。」 となっている。 しかし、これはおかしくないかなと。 私が訳すとするならば、 「鉄道線路沿いにある、使われなくなって、饐えたような匂いを発している穀物倉庫は、今なおマッチ一本擦るだけで爆発するかも知れないと思わせる」 くらいかなと。 穀物倉庫というのが、実は非常に引火しやすく、引火すれば大爆発を引き起こすものだ、というのは、私からすれば常識に属する知識ではないかと思うのですが、どうなんでしょうか? 穀物倉庫というのは、穀物が一杯入っている時は安全なのですが、貯蔵されている穀物が少なくなって、内部に空間が増え、穀物の破片が粉末状となって漂っていると、ダイナマイトのように引火して爆発するんです。だから火気厳禁なの。穀物を運ぶタンカーなんかでも、穀物を満載した行きは大丈夫なんですけど、荷物を下ろして倉庫が空になった帰りのタンカーって、ものすごく危険なのよ。 で、この文の場合、打ち捨てられた穀物倉庫ですから、もう穀物の粉末も下に沈み切って本当なら既に爆発の危険はないのですけれども、だけどそれでもやはり、ひょっとしたら、という恐れを抱かせる、ということなのではないかと。だからこその「still」なわけで。 またこの文に続く部分で、「・・・, and then the gliding shadow of a hawk ignited an explosion of pigeons from the granary silos.」というところがあって、穀物倉庫の爆発が、別な形で提示されている。そういうことも含め、柴田先生やその弟子たちの「マッチの火がパッと浮び上がる」という訳は、ちょっとおかしいのではないかと私は思います。ここはやはり、マッチの火は、「引火」「爆発」というニュアンスを入れて訳さなくては。 だって、そうでなきゃ、穀物倉庫とマッチの取り合わせの根拠がなくなるじゃないですか。 だけど、この本、既に第8刷なんですよね。誰も指摘しないのかしら。それとも、私の訳がおかしいのか? えーっと、名大のN先生他、これをお読みの同業者の皆さま、柴田元幸訳と釈迦楽訳、どちらに軍配を上げますか? 是非ご意見をお聞かせ下さい。
February 28, 2012
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2月はなぜ28日とか29日しかないのか、というと、あれはシーザーが自分の名前(ジュリアス)を7月の名前にしてしまったのを真似て、後継者のアウグストゥスが自分の名前を8月の名前にした時、シーザーの7月が31日あるなら、8月も負けずに31日にしてしまえ、ってんで、もともと30日しかなかった8月を31日にした、その分、2月から持ってきたと。まあ、そういうことになっているわけですが。 で、シーザーとアウグストゥスが勝手に自分の名前を1年の中に入れたので、9月以後、月の名前と数が合わなくなっちゃった。例えば10月は「オクトーバー」ですが、この「オクト」ってのは数字の「8」を意味するので(8本足のタコを「オクトパス」と言うがごとし)、もともとオクトーバーは8月の意味だったわけ。 ちなみに1月を表す「January」は、表と裏、二つの顔を持つローマ神話の「ヤヌス神」に由来するので、旧年と新年の両方を睨むことができる神様の名前を冠してあると。 そんな話を家内としているうちに、話題がギリシャ神話のことになりまして。子供の頃、私はギリシャ神話が好きで、よく読んでいたんですな。 で、子供の頃に特に好きだったのは、意外なことに、ヘーパイストゥースだったんです。ヘーパイストゥースは鍛冶の神様。主役になる神様ではないのですが、武器を作ることもあって、神話中では割と重要な脇役であり、かつ、毀誉褒貶の対象外になっているところがある。 表舞台には立たないが、密かに重要かつアンタッチャブルなポジションを得る。子供の頃の志向というのが、実に、その人の人生を通しての志向にもなっているところが面白いところでありまして。 もっとも、そこは子供のことですから、もうちょい派手なヒーローに憧れるところもありました。となりますと、プロレス好きだった私がヘーラクレースに肩入れするのも無理のないところでございましょう。 ゼウスの落胤でもあるヘーラクレースは、その出自ゆえに色々と苦労をさせられるのですが、その数々の冒険の過程で、プロメーテウスを救助する、という、重要な役割を果たします。プロメーテウスは、もちろん、人間に火を与えたことで名高い神様ですな。 プロメーテウスは、ティーターン(巨人神)ですから、いわば土俗の神。そのワンランク低い神が人間に味方して火なんか与えたものですから、上位神ゼウスが怒り狂って、山の上に鎖でプロメーテウスを縛り付けてしまった。で、そこへ鷲がやってきて身動きの取れないプロメーテウスの内臓を食うのですが、プロメーテウスも一応神様なので死ねないわけ。だから、苦しみは永遠に続くことになる。 で、そこを通りかかったヘーラクレースは、かわいそうだなと思ってプロメーテウスを餌にしていた鷲を百発百中の矢で射落とし、彼を助けてあげる。するとそのことに感謝したプロメーテウスは、お礼として、ヘーラクレースに一つのアドバイスをするわけ。 プロメーテウスは予言ができるんですな。名前からして「プロ」というのは「前もって」という意味、「メーテー」は「考える」という意味で、「プロメーテウス」とは「前もって考える者、前もって知る者」という意味なので。 で、そのプロメーテウス曰く、「ヘーラクレースよ、女には気をつけろよ。お前は女に打ち負かされることになるぞ」と。 ところがヘーラクレースは御存じの通り強力無双の大男ですから、自分が女なんかに負けるわけがないと思っている。で、せっかくのプロメーテウスの予言を忘れてしまうわけ。 ところがヘーラクレースは、その後、奥さんの浅知恵と、自らの嫉妬のおかげで、愛する奥さんから誤って毒を塗られてしまい、毒殺されることになる。プロメーテウスの予言は当たってしまうんですな。 で、このくだりを読んだ釈迦楽少年は、なるほど、かのヘーラクレースをも破滅させたとなると、恐るべきは「女の浅知恵」と自らの「嫉妬」かと。この二つこそが世の中で最も恐ろしいものであり、よくよく注意せねばなるまいと、子供ごころに決意したのでございます。 しかし、感動的なのはそこからで、毒が回る苦しみの中でヘーラクレースは自らの体を薪の上に横たえ、火をつけてもらって自ら死のうとする。ところが英雄を殺すことをためらって誰も薪に火をつけないんですな。そこでヘーラクレースは、大人ではなく子供に頼んで火をつけてもらう。自らの愚かさにより死ぬことになったとはいえ、最期の最期までヒロイックかつ賢い行動をとるヘーラクレースの英雄ぶりたるや。ヘーラクレースよ、あんたこそグレートだぜ! あんたの周りにいる奴ら全部をひっくるめたよりもグレートだ! (『グレート・ギャッツビー』より一部セリフを抜粋) とまあ、釈迦楽少年はそんなところに感動したわけですね。 と、そんなことを回想するにつけて思うのは、小学校の時のワタクシの方が、今時の大学生より、はるかに知識も知恵もあったなと。(結局それが言いたかったんかいっ!) ま、それはともかく、40年近く前に読んだものとはいえ、これだけのことがすらすら思い出せるのですから、子供の頃の読書ってのは、恐ろしいものでございます。 また、子供時代以降、ギリシャ神話をまともに読んでいないというのも残念なことでございまして、もうちょい暇になったら、もう一度はじめからギリシャ神話を通読してみたいものです。きっと、大人になったからこそ分かる含蓄が色々あることでしょう。 ただ、もうちょい暇になる、というのが、なかなか実現しないんだよな~・・・。
February 27, 2012
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今日の明け方の夢枕に、先月亡くなった私の小・中学校の時の同期生、原慶之君が登場しまして。夢の中では彼はロサンゼルス在住ということになっていて、たまたま彼の地を訪れることになった私と家内、それに何人かの友人を原君がもてなしてくれることになった。 海の見えるレストランで、窓を背に、ベンチシートに体育座りをしながらリラックスした原君が、久々に会った私たちがご馳走をパクつくのをニコニコしながら静かに眺めている。 私と原君は、それほど親しい関係ではなく、クラスが一緒になったのも附属小学校の1・2年の時だけ。そもそも私と原君の間に、接点となるようなものがあまりありませんでしたしね。ただ長い長い「学校生活」なるものの最初の2年間を共にしたというよしみはあったので、別に悪い関係でもなかった。学校時代、廊下などですれ違えば、やあ、と互いに挨拶するくらい。それ以上でもそれ以下でもない、という感じ。 ですから、1カ月ほど前に、彼が心臓発作で亡くなったという報せを受けた時も、ビックリこそすれ、特にそのことで落ち込むというほどではありませんでした。 そんな程度の付き合いだった原君が、なぜ私の夢枕に立ったのか。まったく分かりません。しかし、夢の中の原君の、実に屈託のない笑顔が実に印象的でね。子供時代のよしみで、私に別れの挨拶として、彼の一番機嫌のいい時の顔を見せに来てくれたのかなと。 人間ってのは馬鹿なもので、一生の間に沢山の人に出会うのに、その中のごくごく限られた人としか言葉を交わさないものでございます。私にしたところで、小学校・中学校・高校と、沢山の人と出会ったはずなのに、結局、一度も言葉を交わさないまま終わってしまった人の方がよほど多い。 今思えば、そういう、あまり親しくなれなかった人達と、もっと色々話をしておけばよかったなと。ひょっとしたら、その中にすごく気の合う人がいたかもしれないのに。 原君ともね、学校時代、もっと沢山話をしておけばよかった。夢の中で見せてくれたあんないい笑顔を、もっと見たかったですわ。 かつての同級生、原慶之君のご冥福をお祈りいたします。合掌。
February 26, 2012
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今日は国立大学の前期二次試験があり、私も英語の問題の採点作業をやっておりました。 ま、受験生諸君が難解な英文に向き合った時に、苦し紛れにひねり出す奇想天外な解答の数々は、ブログのネタとしては絶好のものではあるのですが、さすがに入試関連のことなので、ここでは口外しないようにいたしましょう。 とはいえ、「ゆとり教育」なるものが我が国の知的水準に与えた悪影響の大きさは計り知れないものがあるということは確かでありまして、その諸悪の根源はもちろん文科省にあり、しかも彼らはその大失態の責任を感じて赤面するどころか、そんなことは知らないことにして、彼らが育て上げたアーパな学生たちの無知蒙昧ぶりの尻拭いを大学に負わせようとしている、その破廉恥なあり方を、小なりと雖もこのブログで非難したいと思うのでありますよ。 さてさて、話題は変わりまして、昨日行ってきたベン・シャーン展ですが、そこで買った図録、これが結構読み応えのあるものでして、帰宅してからパラパラと拾い読みしていたのですが、その163頁、李美那という人の書いた「阿部展也の見たベン・シャーン」という一文の中に、「1960年10月、阿部はルーズヴェルトのシャーンのアトリエを訪れる。シャーンの親友ジョージ・ナカシマの設計で増築した住まいの2階に、木の階段下で靴を脱いで上がると・・・」という一節がある。 で、ワタクシ、「ん?」と思ったのでございます。ジョージ・ナカシマ・・・。どこかで聞いた名前だなと。しかも最近。 思い出しました。先日読んで、このブログでもご紹介した『アメリカの名作住宅に暮らす』という本の一章が、まさにジョージ・ナカシマの設計した家を取り上げていたんですな。で、この本が取り上げている家は、まさにナカシマの自宅で、今はナカシマの次女のミラさんが暮らしている。 で、さらによく見ていくと、なんとこのジョージ・ナカシマの自邸の一角に、ベン・シャーンの絵が飾ってあるではないですか。 なるほどね。これでベン・シャーンと、日系の建築家、ジョージ・ナカシマを結ぶ線がつながりました。言い換えれば、そういうところでも、ベン・シャーンと日本はつながっていたわけだ。第五福竜丸ばかりではなく。 ま、自分で言うのもなんですが、色々な種類の本を沢山読むことのメリットというのは、こういうところにあるのでしょうな。絵画にまつわる本と、建築にまつわる本、ジャンルの異なる本をほぼ同時期に読んでいたことで、予想もしなかったことが分かってくると。 でまた、この経験から言えるのはですね、「人はモノを知らないと、モノが見えない」ということですね。 最初にジョージ・ナカシマの設計した家の写真を見ていた時には、そこにベン・シャーンの絵が飾ってあることに気が付かなかったんですから。そして、ジョージ・ナカシマとベン・シャーンが親友同士だったということに気づいてから、ようやく、ナカシマ邸に飾られていたベン・シャーンの絵が目に入ったんですから。 重要なのは、ですから、「知識」、なんですな。知識があるから、モノが見える。知識がなければ、モノを見ていても、気づかないと。 ま、ベン・シャーン展を見たおかげで、その後からも色々といい勉強をさせてもらいましたよ。
February 25, 2012
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今日は色々なことをしましたよ。 まず今、名古屋市美術館で開催中の「ベン・シャーン展」に行ってきました。 が、その前に腹ごしらえ。新栄にある「TAXiM」というレストランに立ち寄ることに。大通りから一本入ったところにあるこの店、トルコ料理とイタリア料理の両方を楽しめるのですが、トルコ料理ファンの私と家内は、迷うことなくトルコ料理の選択肢の中から「牛肉のケバブ」を選びます。 と、まず焼き立てホカホカのトルコパン(軽いナンみたいなもの)が出てきて、サラダとレンズ豆のスープがこれに続き、メインのケバブ(バターライス添え)が来るわけですが、ここのケバブには、ちょいとピリ辛のソースが脇についていて、適宜、これを加えながら食べるシステム。これで750円は安いですな。我々はこれにチャイ(お変わり自由)と、ライスプディング(絶品!)をつけて、二人分で2400円くらいだったかな? なかなかのコスト・パフォーマンス。次は夜、豊富なメニューの中から選びながら食べてみたいものでございます。 さて、お腹が一杯になった我らは、「ベン・シャーン展」に向かいます。 実は、私としては特に前々からベン・シャーンに興味があったわけではなく、しかし、アメリカの著明なアーティストの大規模な展覧会として見過ごすわけにもいかず・・・という程度の興味・関心のもとに、この展覧会に向ったわけでありまして、いわば、職業的な義務感から見に行ったわけなんですけれども、実際に見てみたら、期待していたのの1.6倍くらい面白かったです。 ま、シャーンの、何と言うのか・・・「北川民次風・社会主義的」油絵は、全然好きになれないのですが、グラフィック系の作品(名古屋市美術館の展覧会で言えば、2階に展示してある諸作品)には、なかなか良いものがありました。とりわけブックデザインとか、レコード・ジャケットなんか作らせると、センスのいいものを作りますね。 さらに凄いと思ったのは、ベン・シャーンの写真ね。これは素晴らしい。で、あら~、ベンちゃんの写真の腕、大したもんじゃん、と感心していたら、何と、彼はアメリカを代表するカメラマンの一人であるウォーカー・エヴァンスと一緒に活動していた時期もあるんですってね。道理で・・・。 結局、ベン・シャーンというのは「画家」というよりも「グラフィックの人」なわけですな。今回、そういう認識を得たことで、彼に対する見方が変わりました。だから、この展覧会、見て良かったなと。この展覧会、まだ会期がありますから、名古屋周辺にお住いの方は是非!これこれ! ↓ベン・シャーン展【送料無料】ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト価格:2,625円(税込、送料別) で、ベンちゃんにすっかり満足した我らが次に向かったのは、これまた新栄にある名演小劇場なる小さな映画館。今日は『アニマル・キングダム』というオーストラリア映画の上映の最終日だったので、滑り込みセーフでこの映画を見ておこうというわけ。以下、ネタバレ注意です。 『アニマル・キングダム』という映画は、ジョシュアという名の17歳の少年の話なんですが、このジョシュア君、おふくろさんと二人で静かに暮らしていたのに、ある日、そのおふくろさんがコカインの過剰摂取で死んでしまうんですな。で、身寄りが無くなった彼は、母親の母親、つまり母方のおばあちゃんの下で暮らすことになるのですが、このおばあちゃんの息子たちってのが、そろいもそろってワルでありまして、何と一家そろって麻薬の売買などで生計を立てている犯罪者一家だったと。血筋とはいえ、仔羊がオオカミの群れの中に入ってしまったような感じなわけですよ。 で、とりわけ一番上のポープ(ジョシュアから見れば叔父さんにあたる)は、かなり行っちゃっているワルでして、警察にも一番目を付けられている。 そんなある時、警察の麻薬特捜部がこの一家をつぶすべく、一家の中では一番まともなバズを「銃刀法違反」か何かのいい加減な現行犯で射殺してしまうんですな。で、それにブチ切れたポープが、警察への報復として、弟たちと共に警官二人を殺してしまう。そして、ジョシュアは心ならずもこの報復劇に端役として加わってしまうわけ。 当然、警察はポープたちの仕業と見て捜査に乗り出し、なかでも一番うぶなジョシュアの自白を手掛かりに、事件の真相を解明しようとする。 が、警察側も必ずしも血も涙もない連中ばかりではなく、ガイ・ピアース演じるレッキー捜査官は、ジョシュアが心ならずも叔父たちの犯罪に巻き込まれたとみて、何とか彼をこの犯罪一家から引き離し、まともな道を歩ませようとする。 つまり、ジョシュアは二つの選択肢のはざまで悩むことになるわけです。レッキー捜査官を頼って叔父たちの犯罪を暴く代わりに、自分は悪の道を外れるか、それともあくまで血筋を守り、叔父たちを裏切らないように振る舞うか。 しかし、ジョシュアが一家の鎖の中の一番弱い輪っかだと知っているポープは、ジョシュアがガールフレンドに何か話したのではないかと勘繰り、ガールフレンドを殺してしまうんです。それどころか、ジョシュア自身も殺してしまうことをもくろんでいる。いや、ポープだけでなく、彼の祖母すら、息子たちを守るためには、孫のジョシュアを殺すことを厭わないんですな。 そういう中で、ジョシュアは一つの決意をするんです。そしてこの決意に従って、彼は逮捕されたポープ叔父たちに有利な証言をし、彼らの無罪を勝ち取るのに貢献する。つまり、ジョシュアは、レッキー捜査官ではなく、一家の方を選んだ・・・。 ・・・のか? というような話です。 で、私のこの映画に対する評価ですが・・・ 「74点」でーす。 クエンティン・タランティーノが、この映画を高く評価したということですが、うーん、それにしてはもう一つ、盛り上がりに欠けるかな・・・。最後の最後、ジョシュアがどういう行動をするかというのも、かなり前から予想がついちゃいますしね。 でもま、面白くなくはないですよ。DVDとかで見るなら、悪くないかも。オーストラリア映画ってのも、なかなか見るチャンスがないですしね。 というわけで、今日は初めてのレストラン、ベン・シャーン展、そして『アニマル・キングダム』と、3つのイベントを行って、なかなか充実した一日となったのでした。
February 24, 2012
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ガレージ入りしていた愛車・アルファロメオ156が数日中に退院するという連絡が来て、ほっとしています。 今、代車で乗っているトヨタ・ラウム君。まあ、これが地味なクルマなんだ。「お前は保護色かっ!」って言いたくなるほど周辺の空気に溶け込んで、ほとんど不可視状態。 例えばラウムでコンビニとか乗り付けるでしょ。何か買うでしょ。コンビニから出てくるでしょ。さっき自分が駐車したラウムの前を通り過ぎて赤いクルマの方に歩いていくでしょ。ポケットからキーを出して、ロクに見もせずリモコンでドアのカギを解除しようとするでしょ。開かないでしょ。アレ、なんで? と思うでしょ。で、よく見ると、その赤いクルマが他人のクルマでしょ。あわわわ・・・となって、振り返るでしょ。するとさっき通り過ぎたところに、影の薄~いクルマがあるでしょ。 それがラウムなのよ。 「シャンパンゴールド」っていうと、何だか華やかな印象の色のように思えるけど、トヨタ車に応用すると、一種の「ステルス」になるね。 でまた、乗ってもなーんの感動もないんだ、これが・・・。ただ動くと。カーブ曲がっても、グラっとくるしね。ブレーキ踏んでも「ホントに止まるのか、これ?」って不安になるし。スピード出す気にもならん。 さすがにアルファロメオとラウムを比べるのもアレですが、前に乗ってたプジョー306なんて、車格から言ったらラウムと同格、フランスの「ザ・大衆車」ですよ。なのに、ラウムとは比較にならないほど味の濃いクルマだったよ。ほんとに、クルマ自体がハツラツとしていた。人車一体の感覚で、痛快なカーライフを満喫できましたわ。 そこへ行くと、トヨタ車のとことん退屈なこと・・・。こういう違いってのは、一体どこから来るのかね。トヨタは大衆車の開発のためにはテストドライバーを使っての走り込みとか、やらないのかね。それとも、使ってこのザマなのか。 ま、ともかく、早くアルファ156に帰ってきてもらって、大学への通勤路を楽しいものにしてほしいものでございます。
February 23, 2012
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いやあ、それにしても須藤元気の賢いことはどうよ。 今日、初めて彼の率いる World Order のパフォーマンスを見たのですけど、見事なもの。目が離せないという点で、まさにパフォーマンスですな。しかも、日本で、というよりも、外国で受けるだろうというのを最初から計算しているもんね。YouTube を通じて世界に発信することで、日本より先に外国で受けようと。これこれ! ↓World Order のパフォーマンス 格闘家時代から好きな選手ではありましたが、引退してからの須藤元気の八面六臂の活躍ぶりと、それを支える頭の良さには、感心するを通り越して呆れるわ。すごいね。
February 22, 2012
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レイトショーで話題の『ドラゴン・タトゥーの女』を観てきました~。以下、ネタバレ注意です・・・ ・・・っていうか、今回はストーリーの紹介をしません。ま、興味のある方は見て下さいってことで。 で、いきなり評価に行くのですけど・・・ 「71点」でーす! 辛うじて、辛うじて合格! 私の好きなダニエル・クレイグが出ていて71点ということはですね、つまり、「期待したほどではなかった」という意味ですね。財閥一族の隠された秘密を暴けるのかぁ~っと気張ったところで、大した秘密じゃないんだもの。要するに、そういう由緒正しき金持ち一族には、大抵一人くらいエロ爺が居て、この困ったちゃんなエロ爺が諸悪の根源って話ですから。しかも、パッと見一番悪そうな顔をしているおっさんが、やっぱりワルだったというところもね、予想通り過ぎて興醒めよ。 そして、この3時間のドラマをかくのごとくひと言でバッサリ切ってみて気付くことは、『ドラゴン・タトゥーの女』とは、言うなれば「西洋版・横溝正史映画」だってことですね。 そう、結局、ヴァンゲル一族ってのは、ちょっとお洒落な「犬神家」なの。誰かが誰かと入れ替わる、なんて筋書きも含めて、ね。 だから、どう頑張ったって71点だよね! ただ、ダニエル・クレイグの相棒役となるリスベットちゃんは半端ないよ。かなりのインパクト。演じた若手女優ルーニー・マーラ嬢の今後の活躍に期待しましょう。 さてさて、期待の『ドラゴン』がやや期待外れとなった今、次に見るべき映画は何でしょうね。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』か? うーん、それもいいけど、やっぱり私としては、『アニマル・キングダム』を先に見るべき、かもね。『ものすごく』は正面切って泣かせる映画らしいですから、とりあえず斜に構える系のワタクシとしては、いきなりは飛び付けないのよね~。
February 21, 2012
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アメリカ文学者で、翻訳家でもあった飛田茂雄さんの書かれた『翻訳の技法』(研究社・1700円)を半分くらいまで読んだのですけど、さすが数多くの翻訳を手がけ、自ら苦労された方だけあって、説得力のある翻訳論でありますなあ。 ところで、これは翻訳を語っている本ですから、英語による原文が随所に出てくるわけですが、その原文が私なぞには懐かしいものばかり。 例えば欽定訳聖書やシェイクスピアの『ハムレット』、メルヴィルの『白鯨』などはもちろんのこと、ヘミングウェイの短編「殺し屋」とかね。フラナリー・オコナーの「善良な田舎者」とか。ジョーゼフ・ヘラ―の『キャッチ=22』とか。そして極め付きはナサニエル・ウェストの『ミス・ロンリーハート』! これらの作品はですね、1970年代から1980年代あたりの大学・英文科の学生なら、ほぼ確実に読んでいるものなんです。 つまり、このあたりの時代までは、日本の英文科の学生にとっての「必読作品」というのが定まっていたと。 逆に思うのは、「文学部・英文科」といった学部・学科自体が消滅しつつある昨今、そういう「必読作品」というのは、今、果たして存在するのだろうかと。 それにしても『ミス・ロンリーハート』なんてかなりマイナーな作品を、日本中の英文科の学生が大抵読んでいたというあたり、ある意味、凄いことですな。今日日、本国アメリカの国文の学生たちだって、こんな作品、読んでないんじゃないかしら。 1990年代の終わりごろ、UCLAで研究していた時、同じ授業を取っていたアメリカ人の学生に「アメリカ文学を勉強しているって、例えばどんな作家が好きなの?」と問われ、「うーん、シャーウッド・アンダスンとか、フラナリー・オコナーとか・・・」と答えたら、「知らないな。面白いの?」ってあっさり言われたことがありましたけど、そうだとすると、ナサニエル・ウェストなんてなおさら「誰それ?」の世界じゃないかなあ。だけど、日本人のある世代の英文科卒にとっては、『ミス・ロンリーハート』と言えば、誰もが「はい、はい」の世界なんですよね・・・。まさにガラパゴス的アメリカ文学史観。 でも、それってある意味、伝統芸能的に素晴らしいことだったんじゃないかと。つまり、自分たちより上の世代の先生方から、「この作家のこの作品は素晴らしいんだから、読め」というメッセージを託されて、それを次の世代が素直に受け取ってきた、っつーことでしょう? そうやって、「素晴らしい作品」についての知識が伝承されていったと。 それが今じゃあ、「隣は何を読む人ぞ」の一言で片付いちゃうほど、バラバラだもんね。誰も、「この作家のこの作品は素晴らしいから、末代まで読み伝えよ」というような、自信満々のおススメもしないし。 もちろん、人は自分の好みに応じて好きなものを読めばいいので、今の状況こそが健全な文学研究の形なのかも知れませんし、それだけ読むモノの幅が広がったことを喜ぶべきかも知れません。 だけど、論じる対象がメルヴィルとホーソンとポーとホイットマンとソローとディキンスンとジェイムズとトウェインとドライサーとオニールとオールビーとテネシーとフォークナーとウルフとヘミングウェイとフィッツジェラルドとスタインベックとライトとボールドウェインとエリソンとバースとアップダイクとベローとロスとサリンジャーと、たまにケルアックとマッカラーズとウェルティとショパンとカポーティとスタイロンあたりだけに絞られていた時代ってのも、今から考えると乙なもんだったなあと。誰もが同じ土俵の上で相撲をとっていた時代。 とにかくね、飛田さんの本の中に『ミス・ロンリーハート』の原文が載せられていて、それを読んで、「そうそう、ミス・ロンリーハートにはちょっとエキセントリックな上司が居て、その上司の名前がシュライク(Shriek)で、これが「金切り声」という単語と同じ綴りなもので、そこに何か隠れた作者からのメッセージがあるのではないか、なんて考えたものだったなあ」などという回想が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡り、何ともいえないノスタルジーに襲われたのでありました。 だから、少なくとも私の世代までは、飛田さんの語っていることがすっごくよく分かるんじゃないかと、まあ、そんな風に感じながら、今、この本を読み進めているのでございます。これこれ! ↓【送料無料】翻訳の技法
February 20, 2012
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ひゃー、松本から戻って参りました~。 ということで早速、旅行記でございます。行先は信州大学松本キャンパスだったのですが、今回は雪道を避けて、私にしては珍しく特急「しなの」を使っての出張。しかし、これがなかなかのもので、千種から松本まで2時間で行っちゃうのね。近い、近い。しかも車窓からは雪景色の「寝覚の床」(浦島太郎が余生を過ごしたところとも言われている・・・って、そうなの? マジすか?)なども見られますし。 で、現地に着いてみると、いやあ、やっぱり名古屋と比べて5度くらいは気温が低いのか、めちゃくちゃ寒い。とりあえず昼飯を食おうと、偶然同じ特急に乗り合わせた顔馴染みの先生方と「弁天」なる蕎麦屋へ。世界の小澤征爾さんをはじめ、有名どころの色紙がずらりと並ぶ地元の名店のようで、私は店おすすめの「鴨すい」なるものを食べてみたのですが・・・。 ま、その先は言わないことに。 で、その後タクシーを飛ばして信州大へ。で、学会の役員会があった後、そのまま2月例会になだれ込み、研究発表を二つ聴きました。 一本目はトマス・ピンチョンの『重力の虹』についての研究で、作中言及される「降霊術」をめぐるあれこれについて、「死後生存説」(魂は不滅で、霊媒なら死んだ人と話をすることが出来るという説)と解するべきか、はたまた「超ESP説」(死んだ人と話などすることはできるはずはなく、ただ超能力的にその人の情報を得ることが出来るとする説)と解するべきか・・・ってな話だったのですが、うーん、私としてはどっちでもいいかな、と。 二本目は『デクスター』という人気テレビドラマを素材とした翻訳論なんですけど、まずその前に「語りの視点」を分析し、「主人公が他の登場人物たちとあれこれ関わるのを、ナレーターが独自の視点から物語る場合」とか、「主人公がナレーターを兼ねるので、主人公の視点がそのままナレーターの視点になる場合」とか、そんな風に分けていくと、「語りの視点」のパターンってのは7つくらいに分類できるそうで、で、じゃあ『デクスター』の個々の場面をこのパターンに当てはめていくと、大体、あるパターンが頻繁に使われていることが分かる、というようなことのようで。 で? いや、そのあたりで話が終わってしまったので、「だから何?」という部分は特に聞けなかったのでありました。 確かに、『デクスター』の原作全文をパソコンに読み取らせて、ピリオドからピリオドまでを一文と認識させ、その何十何万文に分けられた文を分析していったというのですから、なんかすごいお手間な研究のようですが、それだけやった挙句、結論的には大山鳴動して何とやらという感じでしたなあ。 今回の発表者お二人について厳しいことを言わせていただければ、二人とも研究発表ってのが何をすることなのか、そのあたりの認識が甘いっ! 40分くらいしか時間が無いことが最初から分かっているのですから、この限られた時間の中で、自分がやっていることの意義とその成果をたとえその一部だけでも明確に伝えて、確かにこの研究には価値があるということを聴衆に納得させなきゃダメ。 さてさて、こう中途半端な研究を聞かされたとなりゃ、後は「アフター学会」を楽しむしかないっ! ということで学会員一同が向かったのは馬刺しの店「三河屋」。名物の「馬刺し」と、それからさくら肉を使ったすき焼きともいうべき「馬鍋」を地酒などと共にいただきましたが、ちょっと馬鍋が煮詰まって味が濃くなりがちだったとはいえ、まずまず合格点をあげられるお店でございました。 その後、二次会へと繰り出す面々と別れ、私は定宿のリッチモンドホテルに投宿。 そして今日となりまして。ホテルで朝食を済ませてから、松本市街に数件ある古本屋さんをめぐるツアーを開始・・・のはずだったのですが、さすがに朝10時きっちり開店している古本屋さんもなさそうだったので、差し当たり松本市民美術館へ向かいます。ここでシャガール展をやっていると小耳にはさんだので。 ま、シャガール展ってのは、日本中どこでもやっているような感じで、私も過去、何度となく見てきたものですから、さほど期待もしないで行ったのですけど、これがね、案外、大規模なもので、しかも内容が素晴らしかった。ひょっとして今まで見たシャガール展のベスト?と思えるほどのもので、見てよかったなと。学会員の皆さんで、これ、見逃したなら大損よ。4月までやっているそうなので、松本まで行くガッツがある方は是非! 同時開催で、松本と縁の深いデザイナーの田中一行さんと、アーティストの草間彌生さんのミニ展示もありますぞ。 そして、そろそろ町が暖まってきた頃を見計らって古本屋さんを一軒一軒当たっていったのですが、今日が定休日の店や、存在しなくなってしまった店も多く、期待したほどではなかったという。ただ一軒、「慶林堂」というお店はなかなかよかった。 私と名前が近い歌人の釈迢空(しゃく・ちょうくう、折口信夫の歌人としての名前)の歌集、『海やまのあひだ』の美本をはじめ、釈さんの本がずらりと並んでいる一角があったので、私が物色していると、それを見ていた店のご主人が、「釈迢空、お好きですか?」と話しかけてきてくれまして。で、私が「ええ、釈の歌も好きですし、民俗学者としての折口信夫にも興味があります」と言うと、ご主人曰く、折口先生は松本という土地と関わりが深かったんですよ、と。 ご主人によると、その昔、折口さんは松本に伝わる民俗芸能などを取材するために、事前にこのあたりの教育関係者に調査を依頼し、後から松本にやってきて、その調査結果などを聞き取りながら、実際の芸能を見たりしたのだとか。で、折口さんがそういう風に宿題を課すので、地元の教育関係者も、自分たちの民俗のあり方に開眼し、随分勉強になったんだそうです。 で、松本に来るたびに、折口さんは地元の人々に要望されるままに気前よく色紙などに揮毫したそうで、その後、そういう色紙が古書市場に出回ったため、このお店でも随分沢山の釈迢空の短冊などを扱ったのだとか。 で、「今も、どこかにあるはずですよ」と言いながら、5分くらいもあちこち探してくれた挙句、2枚の短冊を出してきて下さった。こういうものは大体3万円くらいで売買されるそうです。ま、私も、チラッと「買おうかな」と思いましたが、今回はお話だけ伺っておくことに。でも、折口さんと松本との関連などが聞けて面白かった。 さて、そろそろ旅も終わりに近づいたので、今回はお留守番の家内のためにお土産をゲットしようと思い、まずは「coto.coto」なる洒落たギャラリーで可愛い陶器のオブジェを買い、「やまへい」で佃煮を買い、「みづしろ」で漬物を買い、そして「竹風堂」という和菓子屋さんで「栗粒あん どら焼山」というどら焼きを購入。そして再び特急「しなの」車中の人となって、名古屋に戻ったのでありましたとさ。 ところで、色々買ったお土産の中でも特に「竹風堂」さんの「栗粒あん どら焼山」、これは旨かった! あんこ自体が小豆ではなくて栗餡なんですけど、皮の柔らかさといい、栗餡の味といい、もう絶品。ネットでも買えるそうなので、甘党は是非! 教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓竹風堂 どら焼山 しかし、二日間の駆け足の旅でしたけど、名古屋から松本って2時間で行けますし、案外近いなと。そして、さすが教育県と言われるだけあって、文化的なものを大切にする気風がありありと感じられるところがあり、なかなかいい旅となりました。八ヶ岳ばかりに夢中なワタクシですが、これからはその行き帰りにチラッと立ち寄ってもいいなと。 ただ、蕎麦だけは・・・。信州は蕎麦どころとはいえ、信州蕎麦の独特の味は、私の理想とする蕎麦の味と少し方向性が違うようで、少なくとも今回に関しては、意外に満足できなかったのでした。
February 19, 2012
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卒論関係の仕事が終わったとなると、次のミッションはうちの学科で出している紀要論文集の編集作業でございます。 ま、大体この手の仕事というのは、誰もが面倒臭がるものなんですが、私はとにかく出版にまつわることが大好物なので、自発的に毎年引き受けて、編集から校正から、印刷会社との折衝から、最終的に完成した論集を日本各地の研究機関へ送付するところまで一人で担当しているんです。 で、とりあえず昨日・今日で全体の作業の約半分に当たる同僚3人分の論文の編集作業を終了したところ。傍から見ると、すごく細かい、職人芸的な作業なんですけど、自分としてはもう楽しくて仕方がないので、全然苦じゃないの。自分でも不思議なくらい。 で、この調子で行けば、今週末で全部の編集作業を終わらせられそうではあるのですが、実は明日から今年度最後の出張で、信州大学松本キャンパスに向かうんです。 とはいえ、ホントのところを言いますと、最後の最後までこの出張に行くかどうか迷いましてね。冬の松本、寒いかなと。 が、色々松本のことをググっていると、面白そうな古本屋さんが何軒もあることが判明しまして。冬の松本・一人古本ツアーというのもいいかなと。あと、老舗のジャズ喫茶もあるみたいですしね。 というわけで、結局、明日は朝一で車上の人となることに。 さてさて、学会と古本ツアーでどんな収穫がありますことやら。また出張から戻りましたら報告しますので、どうぞお楽しみに~!
February 17, 2012
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今日はゼミOGのSさんが大学に遊びに来てくれました~。 遠慮しいのSさんは「これと言って用事があるわけでもないのに来てしまって申し訳ありません」と言うのですが、用事がある時だけ来るなんて、それこそ利己的なのであってだね、用事がないのに来る、ただ来ると楽しいから来る、という方が私としては嬉しいのよ。だから次からも、用事なく来てね~! で、Sさんは私にとっても気心の知れた弟子なので、話題は百出。このブログでも紹介した『戦国鍋TV』の話題からクルマの話、各種甘味の好悪の話に料理の話、ショッピングの話等々、それこそ話のネタが尽きることがなかったのでした。 また昨年の夏、私と家内とSさんの三人でとあるレストランで食事をした時、私の勧めで久しぶりに飲んだビールのおいしさがきっかけとなり、ついにSさんがお酒の味に開眼したという話も面白かった。そんなにおいしかったなら、ご馳走した甲斐があったというもの。だけど、あんまり飲み過ぎちゃダメだよ! 楽しいお酒にしてね! それにしてもSさんを見ていていつも思うのは、モノの考え方のスジがいい、ということです。うまい言い方が思いつきませんが、「真っ直ぐに考える」んですよね。真っ直ぐに歩いて行って、考えなければならないことにぶつかったら、変に避けたりしないで、しっかり考えて出すべき結論を出し、そこからまた真っ直ぐ歩いていく、という感じ。これが清々しい。そして落ち着いている。 ま、賢い子ぞろいの我が愛弟子たちの中でも、とりわけ、どこへ出しても恥ずかしくないのがSさんだな。私も、Sさんから学ぶことは多いです。 Sさん、今度はめくるめく外車の世界をチラ見させてあげるので、また遊びに来てくださいね!
February 16, 2012
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今日は卒論の口頭試問があり、我がゼミ生4人も無事この試練を乗り越えて、全員、晴れて合格となりました。で、これをもって今年度の卒論指導は完全に終了~! ということで、今日は夕方から釈迦楽ゼミ恒例となりました「忘卒論会」を実施。お互い色々苦労した卒論作成のもろもろを、今日を限りにすっぱり忘れて楽しもうと。 で、某居酒屋に陣取って、打ち上げをしたわけですが、もう一つ、忘卒論会に欠かせないのが、「卒論占い」という奴。卒論指導中、文章の添削をする中で、その文章の癖などから書き手の隠れた性格や予想される将来像までも見通すという、神業に近い特技。で、ゼミ生たちに、それぞれどういう形で幸福が訪れるかを予言して差し上げた次第。 とはいえ、あの人に取り憑いたインチキ占い師とはレベルが違いますので、ご安心を! でも、毎年思いますけど、せっかくこうして一人一人の性格まで良く知るようになったゼミ生たちが、間もなく私の下を去って社会へ巣立っていくと思うと、何となく寂しいですなあ。娘を嫁に出すような気持ち。 というわけで、そんな楽しくも切ないひと時を過ごしてきた今日の私なのでありました、とさ。
February 15, 2012
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やーれやれ、ようやく終わったよ、今期の期末試験の採点。ということで、今日は久々、誤字大賞行ってみよ~!「その言葉自体、変」編跳躍的:それを言うなら「飛躍的」かなあ。まあ、跳ねるも飛ぶも、似たようなもんだけど・・・。思青期:多分、「思春期」と「青年期」がごっちゃになったのでしょう。銃火戦:ひょっとして「銃撃戦」のことかな?最始:「はじめ」違いですな。「最初」でしょ。統:本人は「銃」のつもり。それが「トウ」。仮面ライダーか?!「惜しい! 音は合っているけど」編批反:これはよくある間違い。正しくは「批判」。境偶:惜しい! 「境遇」かな。布及:「普及」ですな。「布教」に惑わされたかも。興通点:逆に、難しくない? 簡単に「共通点」と書いて。租先:ちょっとの差だけど、「祖先」ね。融離:「遊離」だよね。「隔離」とごっちゃにしたか?避常階段:確かに「避難」するための階段ですけど、字としては「非常階段」かな。同揺:一緒に揺れてどうする! 「動揺」でしょ。題本:なんか合ってそうですけど、正しくは「台本」。台材:これじゃ舞台の大道具みたい。正しくは「題材」。問句:問い詰めたいことがありそうな感じではありますね。正しくは「文句」。乱倒:感じは出ているよね! でも「乱闘」が正解。細め:「こまめ」のつもりらしいですけど、どう読んでも「ほそめ」だ! 正しくは・・・正しくはどう書くんだっけ? え? 「小忠実」? こんなのワタクシでも書けないよ~。 そして今季の誤字大賞は・・・ 「困乱」に決定! すごい困っている感じ! 「混乱」よりむしろいいかも! ところで、これは「誤字」ではないのですが、英文和訳の問題で、学生たちの解答にやたらと「銃撃戦を逃れ」とか、「火事を逃れ」とか書いてあって、なんだろう、そんなシチュエーション無かったけどなと思って出題した英文を見たら、 Out on the fire escape ・・・ という部分の誤訳でした。つまり、「fire escape」(非常階段)という言葉を、そのまま「『fire』を『escape』して」と訳したんだ、ということが判明。そして絶句。 こいつらに「Spring has come.」を訳させたら、きっと「バネを、持って、来る」と訳すんだろうな・・・。
February 14, 2012
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昨日はホイットニー・ヒューストンの突然の死に驚かされ、今日は大相撲の田子ノ浦親方の死に驚かされ、何だか驚かされっぱなしでございます。 ま、知名度の点では前者の方が圧倒的ですけど、ホイットニー48歳、田子ノ浦親方(元久島海)46歳と、まだまだこれからというところで、前兆もなく突然、という点ではよく似ている。 でまた、両者とも若い時にピークを迎え、その後、何となく目立たなくなっちゃった、というところも似てるっちゃ似てるんだなあ。ホイットニー・ヒューストンなんて、80年代後半から90年代前半あたりまでは飛ぶ鳥落としてたし、田子ノ浦親方も学生時代はアマ相撲のタイトルというタイトルを総なめにして、それこそ鳴り物入りで大相撲入りしましたからね。ただ期待された割に、大相撲の世界では成功を納められなかったのではありますが。 で、思うのですけど、10代、20代で人生のピークを見てしまうと、その後が難しいなと。 もちろん、ホイットニーのような桁外れの成功者と普通の人の人生を比べるのもアレですけど、一般的に言えば、最初にピークがあって、後は下り坂というより、最初はパッとしなくとも、少しずつ右肩上がりで行って、50代、60代あたりでピークを迎えるってのが、一番幸せなんじゃないかしら。 その点、例えば池上彰さんとかね。彼なんか、人生後半戦の今、ピークって感じでしょ? NHKでのキャリアも一段落、「子供ニュース」みたいなのを担当させられて、なんか一線を退きました的な感じがありましたけど、子供にも分かる分かり易い解説ぶりが評判を呼び、あれよあれよという間に世間にもてはやされるようになったと思ったら、今や東工大の教授。本屋さんに行けば「池上彰コーナー」がありますからね。めちゃくちゃいい後半生って感じ。 私なんざ、ホイットニー・ヒューストンや田子ノ浦親方と同世代ですけど、もうちょい頑張って生きて、池上さんほどでなくてもいいですけど、50代・60代で自分なりのささやかなピークを迎えたいもんですなあ。 っていうか、ピークなんかなくてもいいから、健康で穏やかに過ごせればいいかなって気になってきたかも。 ま、そんなことを考えつつ、同世代にしてあまりにも早い死を迎えてしまった二人のご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
February 13, 2012
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今日はアメリカ文学史の期末試験の採点やってたんですけど、まあーーーーー驚きますね。 何が驚くって、もちろんあんまり出来が悪いもので。いやあ、こんなに出来が悪い学年って、初めてだわ。まず、基本となる文学史上の事実関係を、私が教えた通りに正確に理解している学生なんかロクにいやしない。一体どうやったら、ここまで人の話を曲解できるのか。 だって、「シカゴ・ルネッサンスの代表的な作家は、トロツキーである」とか、平気で書いてくるんですよ・・・。トロツキーって・・・。 私、これまで自分の教え方にある程度の自信を持っていましたけど、それも今日限りですわ。もう、今時の学生たちは、私の手には負えないわ。 また、文学の勉強なんだから、知識のことだけじゃなく、もう少し情緒的な問題も出そうと思って「なんか一つ、アメリカ文学の作品を読んで、思うところを書け」なんて設問をしますとね、「僕が読んだのは・・・」なんて書いてくるわけ。主語が「僕」。大学生なんだからせめて「私」とか書けよと。 で、肝心の内容もお粗末なもので、単に作品の粗筋をなぞった挙句、「今の自分には難しすぎて意味がよく分からなかったが、いつかもう少し大人になってから再度チャレンジしてみたい」なんてまとめてくる。ウソつけって。それに大体、二十歳を越したいい若者が「いつかもう少し大人になってから」って、どういうことだよっ! じゃあ今のお前は何なんだ。赤ん坊か? あともう一つ頭にくるのは、最近の学生が「○○かも知れない」って言葉をやたらに使うこと。「生きる幸せとは、もっと小さくて何気ないものなのかもしれない」とかね。そういう書き方をする学生が妙に沢山いる。嫌だね、こういう書き方。そう思うか、そう思わないか、どっちかしかないはずなのに、「かもしれない」って。 結局、こういういい加減な言い回しだけで生きているから、文学なんてものと対峙できないんだろうね。 あーあ・・・。出るのはため息だけだよ~。 ということで、夕方、近くの喫茶店行って息抜きしちゃった。 行ったのは竹の山ってところにある「Cafe ROXA」ってカフェで、前は「リモンチェリ」ってレストランだったところ。竹の山も、次から次へと店が出来るけど、その分、競争も激しいのか、案外、出入りが激しいですな。 で、ケーキセットを食べたのですが、まあ、ケーキもそこそこおいしかったし、コーヒーも悪くない。だけど、なんか印象に残らない店なんですよね。 そもそも、この店は、どういう客を相手にしようとしているのだろう? 若者? それとも地元のおじちゃん、おばちゃん? 店構えは、そこそこ若向きなんですよ。ところがメニュー表がまた古臭い昭和の喫茶店風で、しかもメニューに載っているのが、サンドイッチとか丼物とか、妙に爺臭い。で、備え付けられている雑誌なども、ファッショナブルなものとはとても言い難い。 だもので、どうせならファッショナブルなカフェに行きたいファッショナブルなワタクシとしては、なんか変な居心地なわけ。 完全に若者向けな「イースト・パラダイス」や、完全に地元のおっちゃん・おばちゃん御用達の「コメダ」が竹の山で隣り合わせに上手くやっているのを見るにつけ、外観とコーヒー・ケーキは若者向けなのに、他のメニューやその他もろもろが爺臭い cafe ROXA の先行きが不安になってくるワタクシ。こうターゲットがあいまいなんじゃ、ここもひょっとして長くないかも。 ということで、息抜きに行ったカフェでも、ちょっと悩んでしまったワタクシなのでした。
February 12, 2012
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風邪による体調不良、入試関連のごたごた、大雪による交通障害等々、色々な理由が重なって結局1月は一度も柔術の稽古に行けなかった私。でも一昨日、ようやく今年の稽古はじめとして、道場に行ってまいりました。 ほぼ1カ月半ぶりの稽古。久々に師範の先生や稽古仲間と投げたり投げられたりの稽古をしましたが、極められた時の痺れるような激痛に、冷や汗と悲鳴が同時に出まくり。 特に二段技の「腕押え捕り」の練習で、黒帯同士の稽古では、一旦極めた後、さらに足を組み替えることで、もう一段厳しく極めるので、本当に腕が折れるんじゃないかと一瞬、恐怖が全身を駆け抜けます。で、そこからさらに三段技に入って「持回り」なんてされた日には、あーた、痛みの余り、爪先立ってしまいます。 もっとも、八光流の場合、実際に腕が折れるような技というのは無くて、極められた時の痛みも、技を外してもらえれば、次の瞬間にはスッキリとした後味を残して一瞬で消えるのですけどね。 いやあ。しかし、久々の稽古で、八光流の強烈な痛みを思い出しましたよ。 で、この痛みで全身が奥の方から覚醒したというのか、しばらくサボっていた筋トレ、思わず復活させてしまいました。以前、師範がおっしゃっていた通り、痛みというのは、生命力を活性化させますな。こうしちゃいられない、寒さなんかに負けてちゃいられないというエネルギーがもくもくと湧いてきて、腕立てにダンベル、腹筋に柔軟、そして仕上げの八光流体操と、ばりばりこなしております。 ということで、今日もそろそろ、筋トレでも始めるか!
February 11, 2012
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今年度の授業がすべて終了してホッと一息・・・する間もなく、期末試験の採点作業に追われております。加えて卒論の口頭試験に向けて、他のゼミの学生の卒論を何部か読まないといけないこともあり、いわば「残務整理」の時期と言いましょうか。 しかし、期末試験の採点ってのも苦しいもので、作業自体が単調であることもありますが、自分があんなに噛み砕いて説明したのに、アホな学生どもが完全に誤った理解の仕方をしていたりすると、ガックリよ。 特に一般教養の英語なんて、無残なもの。今時の学生って、これほどまでに英語ができないのかと驚愕するばかり。 だって、最近の大学生、「白」って英語で書けないよ。「whyte」なんて書いてるし(ホントは「white」)。あと「bad」の比較級(worse)も書けない。「put」の過去形は「putted」(ホントは「put」)なんて書くし。「危ない」は「dengeraus」だしね(ホントは「dangerous」)。「簡単」というのを「easie」(ホントは「easy」!)と書くようじゃ、奴らにとっては簡単じゃないんだな。 これが国立四大の学生の実力ですぞ!! 名古屋近郊某私立大学では、be動詞の「is」を「我々」と訳す学生が居て、なんで「我々」なんだと尋ねたら、「「i」に「s」が付いているのだから、「私」の複数形じゃないんですか?」と答えたそうで、しかもこの大学ではこの学生が英語の実力トップだった(「s」をつけると複数形になる、ということを知っていたのはこの学生だけだった)という話を聞いたことがありますが、そういう大学に比べると、これでも大分マシなのかもしれませんけどね。 さて、そんなストレスに満ちた採点作業の合間に、好きな建築関連の本をチラ読みしているんですけど、まず吉村順三氏の『小さな森の家 軽井沢山荘物語』(建築資料研究社・2330円)。これ、吉村順三氏が軽井沢に建てた別荘について自ら解説した本なんですが、この別荘建築は・・・一言で言って、なかなかいいね。 いいというのは、あちこちよく考えられている、という意味でありまして、例えばこの家は一階がコンクリート造、二階以上が木造になっていて、一階部分の面積が小さく、二階以上の方が大きいキノコ型になっているのですが、これは一つには湿気の多い軽井沢の気候を考慮し、湿気で木造部分が痛まないよう、高床式になっているんですな。 それから一階部分にある家の出入り口が堅固になっていて、これは別荘建築であることを踏まえ、長期間留守にする際のセキュリティの確保を意識した造りになっている。 また一階にある広いテラスで過ごす時の暖房用に、テラス用の暖炉が切られている。これは春先や秋口など、肌寒い時期に、しかしテラスで過ごしたい、と言う時にすごくありがたい設備でしょう。だけど、暖炉が外に切ってあるなんて家、なかなかないですよね! あと、作り付けのベンチのある食堂は、窓の配置といい、なかなかよろしい。 しかし、そこまでかなあ。別荘として「簡素」を旨にしているのでしょうけど、私の趣味からするとちょっと簡素過ぎて、ワクワクさせてくれるものが無さすぎる。巷間言われているほど、優れた名建築とも思わないかな。優良可で言えば、若干可よりの良。そんなところですよ。 次にチラ読みしたのは、中村好文さんの『中村好文 普通の住宅、普通の別荘』(TOTO出版・2800円)。これは先の吉村順三さんの弟子でもある人気建築家の中村好文さんが実際に手がけた住宅や別荘について、中村さんご自身が解説を施したもの。中村さんって、柏木博さんの家を作っていたり、加藤典洋さんの別荘を作っていたり、知識人にも大うけって感じの方。 が! この本に取り上げられた中村さんの代表作を見る限り、私の趣味とはまるで異なる人だということが判明。私がずっと「日本の住宅建築の、こういうところが嫌だな」と思ってきたところが満載の家ばかりで、こりゃアカン!って感じです。私の判定では、優良可で言うと間違いなく可。 もっとも、じゃあ私の判定で誰が「優」なのかというと、今のところ、誰も発見できないんですけどね。私が思うに、アールトもコルビジエも、リートフェルトもグレン・マーカットも、ルイス・カーンも、みんな「良」以下だからね。フランク・ロイド・ライトは「優」に近い「良」だけど、「優」はあげない。 と言って私はただ単に気持ち良く住める家が欲しいだけで、豪華な家を欲しがっているわけではありません。ただ、気持ちよく住めるには、こういう条件があるだろうということだけは明確に持っていて、それを満たしてくれるような建築家が居ないというだけ。 しかし、これだけ現行の住宅建築に不満があるんだから、私、文学者じゃなくて、建築家になるべきだったんじゃないかって、今更ながら思いますなあ。道を間違えたかも。 とまあ、そんなことをブツクサ思いながら、採点の合間に建築関連の本を愉しんで読んでいるワタクシなのでありましたとさ。
February 10, 2012
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落語家の林家正蔵さんがジャズファンだということは、その筋の人たちの間では有名な話ですが、その正蔵さんが書いた『知識ゼロからのジャズ入門』(幻冬舎・1500円)を読んでしまいました。ま、正直、それほど期待もせずに・・・。 ところが。 これがね、案外、いい本なんじゃないかと。 まず、一番最初に私が「おっ!?」と思ったのは、ベーシストのポール・チェンバースを紹介した項。「正蔵のジャズ談義」と題されたコラムの中で、正蔵師匠は次のように書いている: 数多の名演奏に顔を出しているチェンバースですが、あえて申し上げますと、私は彼のアルコ(弓)弾き嫌いがいまだに直りません。 たまに巧い方が、綺麗なバラードなんかで、寄り添うようにアルコ弾きするのは好きなのですが、チェンバースのようにハード・バップなんかでやられると、好きになろう好きになろうと思っても、どうにも好きになれないんです。「なぜアルコで弾くの!? ちゃんとしたテイクも録っておいてくださいよっ!」と、思ってしまいます。 え~、いまだに、「アルコ」と「ナマコ」は好きになれず! (89頁) まあ、最後のオチはアレですけど、この意見には私も完全に同意。ほんとにチェンバースがアルコ弾きし始めると、もうゲッソリするほど嫌になるんです、ワタクシも。ポール・チェンバースのアルコ弾きに一番近い音は、ノッポさんと一緒に出てくるゴン太くんの、あの「ホヘホヘ」って音、あれですよ。あんなふざけた音がご陽気に飛び出してくると、「やめて、それ、頼むから」って言いたくなる。 でも、自分以外の人がそういうことを言っているのを読んだのは、私の知る限り、正蔵師匠が初めて。感性、近いかも。 それだけじゃありません。この他にも例えばオーネット・コールマンについての「ジャズ談義」はこんな調子: 『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』とか、生々しくて面白いですね。 ・・・(沈黙)。基本的にあまりコメントがありません(苦笑)。といいますのも、いまだに「オーネット・コールマンが大好きなんだ」と胸を張って言えるところに行き着けていないんです。(後略)(45頁) これもワタクシと同じ! 激しく同意! あとね、「快適な眠りを誘うジャズ名曲」というコーナーで、「ちょっとツウですが、ローランド・ハナ(p)なんかはオススメです」(74頁)と書いていますが、私、他の初心者向けジャズ本の中でローランド・ハナのことを薦めている本って読んだことがない。でも、実は私も好きなんです、ローランド・ハナ。 で、その他、彼が薦めているジャズCDで、私が知らないものを次々とアマゾンで試聴してみるのですが、確かに良いんですよね。実際、正蔵師匠に薦められるままに、何枚も買っちゃっいましたよ。 ってなわけで、私も巷に出回るジャズ入門本を随分読みましたが、ひょっとしてこれがベスト?と、密かに思い始めているのでありました。 が! そういうことを大きな声で言えない事情がありまして、実は私の家内が大のアンチ正蔵派なの。なんかイケスカナイそうで。だから、家の中ではおおっぴらに正蔵師匠のことを誉められないワタクシ。 仕方がないから、ブログでこっそり誉めておきましょう。林家正蔵師匠のジャズ入門本、意外な好著でございます。これからジャズを聴いてみようなんてムキには是非! 教授の、ないしょでおすすめ! です。これこれ! ↓【送料無料】知識ゼロからのジャズ入門価格:1,575円(税込、送料別)
February 9, 2012
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もともと建築マニアなもので、建築系の本をよく読むのですけど、今回読んだのは馬場正尊著『「新しい郊外」の家』(太田出版・1480円)。数日前に読んだ『東京R不動産』が面白かったもので、その続編のようなつもりで。 本書は、「東京R不動産」の仕掛け人である馬場氏が、いかにして房総に自宅を建てたか、という、その顛末を中心に、氏独自の都市論・建築論を語ったものなんですけど、まず馬場氏の結婚をめぐるプライベートな話というのが凄くて、某大学の建築学科に在籍中、彼女さんが妊娠してしまって、そのまま学生結婚。卒業後、しばらくは頑張って大手広告代理店でめちゃくちゃに働くものの、良かれと思って購入した都心マンションでのワンルーム生活の中で、ワンルームゆえのプライバシーの無さから精神的に参ってしまい、それがもとで離婚。 ところがその後、都心のワンルームを出て多摩の方に引っ越したりしているうちに少しずつ回復し、離婚した妻子と再び同棲するようになり、やがて元妻が妊娠。かくして二度目のできちゃった婚でもとの鞘に収まるという、珍しいパターンなんですな。 で、そんな自らの体験の中から、「住まい」というのは、それほどまでに住み手の精神状況に影響する、ということを馬場氏は実感するわけです。間違った住まいを選んでしまうと、人間関係まで破綻してしまうよ、と。 で、どこに住むか、どのように住むかということに意識的になった馬場氏は、その後、色々な経緯の中で、「房総」という土地を発見する。良く考えてみれば都心から余裕の通勤圏でありながら、「湘南」のようなブランド土地とは異なり、何故か都会人から見捨てられている土地。 そして房総のことを知れば知るほど、房総に本宅を持ち、都会に小さなマンションを持つという二重生活が、自分の生活にとってベストなのではないかということに、馬場氏は気づき始める。 で、そこから具体的に土地を探し、土地を買い、家を建て・・・という具体的な話になっていくわけですが、その経験の中からまた馬場氏は色々なことを学ぶわけ。 例えば、大手住宅メーカーに丸投げで家を建ててもらうのではなく、自分で設計し、自分で建設会社を選び、自分の好きなように家を建てようとする人が必ず直面する難題に、馬場氏も直面することになる。 普通、住宅メーカーを使って家を建てる場合、家を建設している間に掛かるお金は、そのメーカーが立て替えておいてくれるわけです。住宅ローンというのは、家が建った後じゃないと支払われませんので、建てている途中ではお金が下りない。だからその間は住宅メーカーが工務店に支払うべきお金を立て替えてくれる。そういうのを「つなぎ融資」と言うのだそうですが、つまりは住宅メーカーは、銀行のような役割も果たしているわけです。ところが、住宅メーカーに頼らず、すべて自分で建てるとなると、そういう風に「つなぎ融資」をしてくれる人がいないわけですから、最初から必要なお金を用意しておかなくてはならない。 ところが、そんなまとまったお金を持っている人ばかりじゃないわけで、そういう人はどうすればいいのかというと、「日本住宅ワランティ株式会社」のような、ワランティ会社に頼むという手がある。こういう会社は、つまりは、通常の住宅メーカーがやっている「つなぎ融資」を、代わりにやってくれる会社なわけですが、そういうものがあるんだ、と言うこと自体、馬場氏は自らの経験の中で知っていくことになる。 ま、とにかく、そんな感じで色々なことを経験しながら馬場氏は房総に家を建てるのですが、その家は、かつての自身の失敗に学び、家族がそれぞれのプライバシーと、一所に住んでいるという感覚の両方をバランスよく持っていられるように考えて設計されている。勿論、この家は馬場さんのご家族にピッタリなだけで、誰にも合う住宅ではないのですが、要するに馬場さんの言わんとすることは、住宅というのは、自分のライフスタイルに合わせて作れよ、ということなわけ。 つまり、住宅というのは、「大きな計画」の中で作られるものじゃないよと。 で、そのあたりから本書は、個人の家を建てる物語から飛躍し、もっと大きな物語に入っていきます。 馬場さんは、広告代理店に勤めていた頃、東京都が長年計画してきた「世界都市博覧会」の計画が挫折するのを目の当たりにし、さらにオウム真理教の事件を通じて「都市」が内側から崩壊していくのを見た。そういう経験の中から、大きなマスタープランの元に計画された都市計画なんてものは実現不可能なのではないか、という悟りを持つんですな。だからこそ、「住む」という、人間の存在そのものにかかわるようなことに関しては、絵に描いた餅的な大計画はナンセンスなのであって、「自分はこう住みたいんだ」という個々人の欲求そのものから、都市と人間の住まいとの関係を作り直すべきではないかという感覚を得る。で、それがこの「房総の家」の建設や、あるいは「東京R不動産」のプロジェクトに結び付いたというわけ。 そして、そういう形で「いい住まい」を提案することこそ、これからの建築家の仕事なんじゃないかと、馬場さんは言います。逆に言えば、今まで建築家は、都市のあり方なんてこととは関わりなく、「施主さん」という個人とだけ付き合うことに満足しすぎてきたのではないかと。 例えば都心に狭い土地を購入した「施主さん」が、「ここに住みやすい狭小住宅を建ててくれ」と頼んで来れば、「はいはい」と引き受けて、狭小住宅を建ててしまう。それが建築家の腕の見せ所だと思って。 しかし、今の馬場さんなら、そういう施主さんに向かって、「そんなところに狭小住宅を建てるのはお止めなさい。同じお金を出せば、郊外でもっと豊かに暮らせますよ」と提案するでしょう。またそうやって人々が暮らしの場を移せば、都心は都心で、もっと機能的に改変することができるようになる。それは、無機質な大計画から出た都市再開発ではなく、個人の暮らしを豊かにするための必然的な都市再開発になるはずだと。 だから今馬場さんは、「新しい郊外」というコンセプトを、一般大衆に向かって広めることが、新世代の建築家としての自分の役割だと、そう自負していらっしゃる。そのいわば宣言書が、本書『「新しい郊外」の家』であるわけですな。 ちなみに、馬場さんは房総に新しい郊外を見たわけですが、このブログでも何度となく主張しているように、私は八ヶ岳に新しい郊外を見ておりまして、そこを本拠として、東京・名古屋に小拠点を持つというライフスタイルを何とか実行しようとしている点で、馬場さんと基本的に同じ路線の考え方をしている。ですから、この本は私に言いたいことを代弁しているようなところがあり、その点で大いに共感しております。もちろん、実際に個人が住宅メーカーに依らずに家を建てる場合のあれこれについて書いてくれているところも大いに役立ちますしね。 というわけで、この本、私としては知己を得たような気持で読んだので、もちろん、教授のおすすめ!印を付けちゃいましょう。これこれ! ↓【送料無料】「新しい郊外」の家価格:1,554円(税込、送料別)
February 8, 2012
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愛車アルファロメオ156が整備のためガレージ入りしておりまして、代車としてトヨタの「ラウム」(2代目)なるクルマにしばらく乗ることになりました。 ラウム、もう絶版車になったようですが、外寸の割に中は広々、横開きの後部ドアを開けると大型トランクがいくつも積めそうな広大な荷室がありますし、後部座席のドアはスライド式で、これまたガバっと開く。運転席に座ってみても、視界がすごくよくて、なかなか。 ただ、いかんせん、運転フィーリングがいつものトヨタ式と言いますか、路面情報が伝わってこず、締まりのないステアリング、止まることは止まるけれども、ガツンとは効かない不安なブレーキ、目障りなセンターメーター、使いにくい足踏み式パーキングブレーキなどなど、運転が面白くなくなる要素満載。さらに内外装のデザインはこれ以上はないほどの平凡ぶりで、まるで安い建売住宅の四畳半に座っているみたい。だらだらとテレビのワイドショー見てたら、一日が終わっちゃいましたみたいな、そんなライフスタイルしか思い浮かばない。 パッケージングはそこそこいいのに、そこから先、わくわくするようなモノが一つもない。「このクルマに乗ったら、どんなエキサイティングな生活が待っているだろう?」というライフスタイルへの空想を掻き立ててくれるような、そういうモノが一つもない。つまり、トヨタ車の典型みたいなクルマ。 惜しいね。私をデザイン部門のアドバイザーにでもしてくれたら、もう少し何とかしたものを。 さてさて、今日は4限の時間に、先輩同僚(といっても、国文学がご専門ですが)が、勤続36年の末の最終講義をされるということでしたので、私も学生たちに交じって聞きに行ってきました。 で、最終講義の内容なのですが、前半は「君が代」の歌詞の分析、後半は「いろは歌」の解説というもので、いつも先生がやっていらっしゃる国文学の講義の、その最後の奴、という感じでした。ま、我々の世界では、隣は何をする人ぞ、と言いますか、互いの授業に関しては不可侵が原則ですから、長年の同僚とはいえ、その人が日ごろどんな授業をしているのかを実際に見聞きする機会はほとんどありません。それだけに、ああ、A先生はいつもこんな感じで授業をやっていらしたのか、ということが分かって面白かったですし、とくに仮字(かな)を教えるための「いろは歌」が時代によって変遷してきたこと、そして現代の我々も知っているあの「いろはにほへと・・・」(平安中期成立)のヴァージョンに込められた仏教的な世界観のことなど、色々と勉強することがありました。 しかし、「最終講義」という言葉の響きから、思わず期待してしまうようなもの、つまり、その先生が36年間にわたる勤務の末に抱かれた感慨とか、あるいは後に残る同僚や学生たちに託すメッセージとか、そういうことに触れられることがなかったので、そこがちょっと残念だったかなと。 やっぱり、そういう、「最後の言葉」ってのが、聞きたいよね~。 でも、先輩同僚の最終講義を聞く度に、「自分だったら、何を語るか」ってことを、考えさせられますね。自分だったら、引き際に何を話すだろう。これが最後の授業だって時に、どんな思いを抱くだろうって。もちろん、まだ大分先のことではありますが。いや、大分先、でもないか・・・? ま、そういうことを考えるのが、他人の最終講義を聞く意味なのかも知れませんな。
February 7, 2012
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大谷能生著『植草甚一の勉強 1967‐1979全著作解題』(本の雑誌社・1600円)を読んでいたら、ステキな文章に出会いました。 1970年代、ジャズ評論家として、あるいは映画・ミステリ評論家として、いや、街を徘徊してポップでキッチュな品々を探し出しては買い求める、そんな消費の楽しみを語って若者たちの間でカリスマ的な人気を誇った面白いオジサン、植草甚一氏については、既に色々な人が語り尽くしている感がありますが、しかしそんな植草氏も、もちろん最初からカリスマであったわけではなく、むしろ彼の書くもの、彼が面白いと思うものが理解されず、鬱々としていた時期もあった。そんな、植草氏が「グレて」いた頃のエピソードを、映画評論家の淀川長治氏が語っている文章があって、これがたまらなくいいんですわ。以下にその部分を引用します。 戦争前に、映画の宣伝関係の人達が集まる会があったの。30人くらいお座敷に集まるのね。甚ちゃんおとなしくしていらっしゃるんだけど、一所懸命膝の下で何かしているから「甚ちゃん、あんた何してるの」といったら、「長さん、ぼくちぎってるの」いうんですよ。座布団を爪でどんどん破ってるの。料理屋のきれいな座布団をですよ。黙って黙ってやってる。 つまり人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの。気に入らない人にはものもいいたくないの。気に入らない人がいっぱいいたのね。相手がバカだからしゃべったら腹が立つのね。で、しゃべらないでいっぱい飲んでるから酒が強くなるのね。 僕が止めなさいっていったら、黙ってスーっと床の間に行って、きれいな掛け軸の仙人の顔に髭つけたのね。料理屋大変でしょう。ぼく怖くなって黙っちゃった(笑)。 いつも帰り「長さん一緒に帰ろう」っていうの。ぼく酒飲まないから「長さんコーヒー飲みましょう」っていうのね。で、喫茶店に入るわけね。コーヒー注文するでしょ。コーヒー出てきますでしょ。それで、ぼくの顔見て黙ったまま、そのテーブルをガチャンとひっくり返すんです。他のお客さんもいるんですよ。ぼくがビックリして「アンタ」いうと「これでいいんです」って済ましてるの。ぼくが「あれ弁償しますから」と店の人にいうと「いいんです。あの人いつもあれだから知ってますよ」っていう。甚ちゃんはケロッとして「それでは長さん出ましょう」という。とにかく自分はしょっちゅう遠慮しいだから、そういうところでハケるのね。それがぼくにはよく分かるのよ。だから私は好きでしたね。(・・・・) 甚ちゃんは本を読んで読んで読みまくっている学者だから、そういう学問の相手が映画界にいないのよね。だから学がハケないの。ぼくは尊敬すると同時に、子守りの役もやったよね(笑)。(106‐107頁) 淀川さんに「甚ちゃん、あんた何してるの」と問われた植草さんが、「長さん、ぼくちぎってるの」と答えるくだりとか、もう、耐えられないほど可愛いというか。そして、そんな困ったちゃんの植草さんのことを本当によく理解して(「つまり、人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの」・・・)、「だから私は好きでしたね」と言う淀川さんの優しいこと。この淀川さんの植草さんについての思い出一つ、これ一つ知っただけで、この本は私にとって買うに値しましたね。 とはいえ、もちろんこの他にも、植草さんの本質的な部分について著者の大谷さんが言及・指摘していることで、深く納得できる部分も沢山ある。 中でも一番納得したのは、植草さんのニヒリズムについて云々しているところ。大谷さんによれば(というか、大谷さん自身、他の方たちが指摘していることを引用しながら述べているのではありますが)、植草甚一という人は、何か根源的なものを追求したり、それに惑溺することがない、と言うんです。例えば、植草さんの映画評は、淀川長治さんの映画評とは異なって、映画を見た興奮や感激に浸り切り、そこで得たものを書き尽くそうというところがないと。 同じことは彼の自伝的文章にも言えるので、植草さんは自分の過去を語りながら、自分のルーツであるはずの親のこと(とりわけ肉親の死)にはほとんど触れていないし、例えば二・二六事件などの大きな出来事を直接見聞きしていながら、そうした社会的・政治的ビッグイベントから何の感慨も受けていないかに見えるんですな。彼の筆は、自分という人間を形成したはずの事々の記憶に触れながらも、そこを深く追求していくことはせずに、あてどもない連想をたどって、すぐに別な最近の記憶や、別な対象に飛躍してしまう。 で、そんなところから伺うに、要するに植草甚一という人は、真理や道徳や倫理や信仰といったものには頼らず、「その場その場の個人的な歓びを、世界の果てにあるだろう至高の価値よりもはるかに高く見積もる」(157頁)ような、徹底したニヒリストだったのだろう、というのですな。で、そういう意味では、植草さんは、例えば永井荷風や成島柳北などに代表される江戸っ子文化人の系譜に連なるのだけれど、しかし、植草さんが彼らと決定的に異なるのは、植草さんには永井荷風や成島柳北にはある強烈な「自我」が、まったくないことだと。 だからこそ、と言うべきか、植草甚一にとって興味があることというのは、「「生」や「死」や「歴史」といった一回性のものではなく、映画や小説やレコード、おもちゃや切手やファッションといった、入れ替えのきく人工的な文物ばかり」(55頁)だ、と、大谷さんは指摘しています。 うーん、このあたりの指摘は、植草甚一という人を理解するに当たって、なかなか鋭い観点になりそうじゃないですか。 しかし、そんなニヒリストは、その人自身はいいとして、たとえばその奥さんから見たらとんでもない、そして掴みどころのない自己中心的な人間ということになるわけで、実際、本書に掲載された植草甚一夫人の梅子さんの植草評(257‐261頁)なんて、ほとんど夫に対する呪詛というに近い。これまた、背筋の凍るような、それでいて最初に挙げた淀川長治氏の植草評と同じくらい植草甚一という人を表した述懐だと思います。 ということで、この本、植草甚一氏のファンであるならば、手に取って損はないと思います。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓【送料無料】植草甚一の勉強価格:1,680円(税込、送料別)
February 6, 2012
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毎年恒例のお墓参りから戻って参りました~。 昨年は参加者が私も含めてたった二人と、ちょっと寂しいお墓参りだったのですが、今年の参加者は5人。中でも、初参加の女子、Kさんが加わったのは朗報で、やはり女性が混じると会が華やかになりますからね。 で、いつものように皆でY先生のお墓に参り、お花を供え、線香を焚いて、この一年にあったことなどを、それぞれ心の中でご報告。 そして、これもいつものように、皆で近くのレストランに行き、昼食を兼ねた宴となりました。 で、色々話していたのですが、昨年、お子さんの中学受験がらみで欠席だったH君は、そのお子さんが都内有数の名門中高一貫校に進学されたとのこと。さすが、さすが。そして初参加のKさんのところは、下の坊やが、同じ進学校から海外の大学に進学されたそうで。なんか、皆、すごいなあ。 ま、初参加ということもあって、Kさんの消息に注目が集まったわけですが、何しろ彼女は、我々が通っていた一貫校の大学の事務系職員として勤務していることもあって、学園内部のことに通じているわけ。で、我々が小学校・中学校などで習った先生方が、今、どうされているか、なんてことも皆知っている。ということで、彼女からその辺の情報を聞いて興味津々。へえー、あの先生、もう定年退職されたんだ~、とか、えー、今、あの先生が部長になられたんだ~、とかね。 その他、同窓会経由で、同窓生たちの消息にも詳しく、色々な同窓生たちの現在の様子なども聞くことが出来、いつもの墓参とはまた違う面白さがありました。 もっとも、逆に今度は私の現況なども、彼女を通じて同窓生たちの間に広まるわけで、それはどうかなと思うところもありますが。私は、ひっそりと生きていたいので、あんまり人に噂されたくないんですけど~。 でも、ま、人生、ギヴ&テイクですからね。 というわけで、Y先生が亡くなって30年目の墓参は、とにもかくにも、いつも以上ににぎやかに執り行われたのでした。 さてさて、私は明日、大学院の授業がありますので、今日中に名古屋に戻らなくては。早めの夕食を実家で御馳走になってから、西へ向かってクアルファロメオを走らせます。明日からはまた名古屋からのお気楽日記。どうぞお楽しみに!
February 5, 2012
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今日はお昼にどこかで外食をしようということになり、どうせなら「センチメンタル・ジャーニー」を兼ねて、昔、住んでいた町に行ってみよう衆議一決。親子3人で東林間というところを訪れることにしました。 昔はのどかな田舎町だった東林間、今は何だかごちゃごちゃした感じになってしまいましたけれど、それでも30年前に住んでいた町ですから、見るものすべてが懐かしい。駅前の「イトオ時計店」、ケーキ屋の「アマンデン」、薬屋の「いろは堂」、まだ健在でした。 で、まずは昔時々食べに行った「宮川」という鰻屋さんで鰻でも食べようかと、西口の商店街に行ってみたのですが、なんと宮川さん、昨年12月をもって店じまいした後でした・・・。あら~、どうせなら最後に一回、食べておきたかったのに~。 で、仕方がないので、その近くにあった「ラ・フェット」なるイタリア料理の店(もちろん、昔はこんな店はありませんでしたが)で食べることにしたのですが、うーん。お味の方は今ひとつだったかな・・・。だけどお店の人の感じはよかったので、我慢しましょう。 お腹が一杯になった我ら親子が次に向かったのは、駅前の大通りに面した昔馴染みのパン屋さん、神田ベーカリー。ここも昔からありますなあ。パン屋というより肉屋を思わせるような、通りに面していきなりショーケースがある店構えは30年前と少しも変らぬたたずまい。ここで名物のロールケーキ、いや、もとい、「ロールカステラ」(600円也)を購入。これ、昔よく買ったんだ。 そしてさらに坂を下って大黒屋金物店の健在を確認したところで引き返し、駅の東口方面へ。東口も大分様変わりして、かつて立ち読みをしていると店番のおじさんがハタキをかけにくる「山下書店」や、よく最中を買いに行った「中村屋」も無くなってしまいましたけど、ラーメン屋の「三福」はまだ健在。あと、確か駅前にモンブランという喫茶店があったような気がしたのですけど、それも無くなっておりました。 東芝林間病院を通り越したところにある十字路(かつて「不二家スーパー」があったところ)を右に折れ、かつての我が家(第1号)のあったところへ。しかし、そこはもう昔の面影がまるでなく、新しく建てられた住宅が密集しているばかりなり。私がほんの子供だった頃は、この辺りは広々とした野原と相模原特有の平地林が広がる、のどかなところだったんですけどねえ。 で、次に、東林間内で引っ越したかつての我が家(第2号)のマンション、「ルネ東林間」の方へ。と、こちらは当時と寸分も変わりなく、よく手入れされ、管理が行き届いている感じで、まだまだ第一線のマンションという感じでございました。だけど、昔マンションの脇にあった「吾妻寿司」とか、ラーメン屋さんの「東珍軒」とか、無くなっちゃったんだ・・・。 ということで、昔を懐かしむショート・トリップを満喫した我らは、帰りに昔懐かしい和菓子屋「松月」でかのこなどを買って、帰宅の途についたのでした。 しかし、昔住んでいた町というのは、たまに再訪すると面白いもんですな。特に子供時代に住んでいた町となると、その町がまだ存在しているということ自体、なんだか不思議というか、奇跡的なことのように思えて来る。消え去ったと思っていた過去が、まだそこにあった、みたいな、ね。私の両親も、昔のことを思い出して楽しそうにしていたので、いい親孝行が出来ましたよ。
February 4, 2012
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なんかソニーの社長の交代があったようですけど、確かに最近のソニーはパッとしませんなあ・・・。 昔はねー、ソニーっつったら、カッコいいものの代名詞というか、そういう時代がありました。ワタクシなんざ、もろにソニー世代だからね。 さすがにトランジスタ・ラジオまでは遡りませんけど、私がガキの頃には「スカイセンサー」というラジオが流行りまして。私が親にねだって買ってもらったのは世界中の短波放送を聴くことに特化した「スカイセンサー5900」という奴で、これがメカといい、デザインといい、カッコよかったのよ。秋葉原で買ってもらったのですけど、子供ごころにあまり嬉しすぎて、買ってもらった途端、鼻血出しちゃったというね。 それからラジカセね。もちろんナショナルその他、他社も色々出してはいましたが、やっぱりソニーのラジカセはデザインが別格にカッコよかった。音の面では、おそらくはドンシャリ系の音を嫌ったのか、低音重視の方向性を持った音作りで、その割に音の解像度が悪いというのか、妙にくぐもったような音でしたけど、それでも「これはソニーなんだから、こういう音がいいんだ」と、客の方が勝手に思い込んで、満足していたようなところもありました。それほど、カリスマ的なブランド力があったもんですよ。 そして決定的だったのは「ウォークマン」ね。あれは音楽を聴くスタイルを根底から変えてしまった。思えばあの頃が、ブランドとしてのソニーの最高潮だったのかも知れません。 で、問題はその後ですなあ。ベータがVHSとの戦いに負けたあたりから、ソニー神話の崩壊が徐々に始まったというべきか。パソコンのジャンルでも、確かにVaio のデザインは秀逸だとは思いますが、故障し易い上にアフターサービスの質があまりにもひどいということで、私の周辺でも「二度と買わない!」という怒りの声を何度聞いたことでございましょう。 そしてソニーが市場を発掘したとも言えるウォークマンの世界は、アップル社の iPod が出た時点で完全にお株を奪われ、さらにここ最近ソニーが期待をかけていた「有機EL」が、日本市場での手応えを得られないまま、今度は韓国メーカーにお株を奪われて、もはや万策尽きたというところでしょうか。 かつてのソニーのイメージであった「独創的かつ革新的で、しかもグッドデザイン」は、今はアップル社にこそ当てはまるので、ソニーの神通力も最早完全に過去のものとなった感がありますなあ。私なんざソニー世代であるだけに、余計、今のふがいないソニーに対して厳しい見方をしてしまうところがありますけど、今のソニーだと、社長が交代しようが何をしようが、期待が持てないような感じがします。 思えば、有機ELディスプレイの開発に一番乗りした以上、それにこだわって、ブラビアをすべて有機ELのシステムに移行させるくらいのことをやればよかったんじゃないかと思いますけどねえ・・・。ま、サムスンに持って行かれた今となっては、何を今更の世界ですが。 でも、かつてのソニー・ファンとして、この会社にはせめてもうひと花咲かせてもらいたい気がします。平井社長の手腕に、ひとつ、期待をしておきましょうかね。頑張れ、ソニー!
February 3, 2012
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今朝の名古屋は銀世界でございました。 結構積もりましたね。自宅近くでは10センチ、いや、それ以上積もったかな? あ、こりゃアカンと思って速攻で2限を休講に。本当は今日、期末試験のつもりだったのですが、この雪で電車やバスが遅れ、遅刻する学生が多数出た場合、結局、再試験をすることになりそうでしたのでね。 しかし3限の授業はやることにしたので、お昼前、少し晴れ間が覗いたところで自宅を出発。 とはいえ、大通りはともかく、横道はまだたっぷり雪が積もっておりまして、果敢にもノーマル・タイヤのアルファロメオで走りだした私としては、結構、ハラハラでございます。特に雪が氷と化した橋の上とか、上り坂とか、「これ、大丈夫だよなあ・・・」と、問うても仕方のない問いを発しながら、慎重にそろそろと。 でまた、おそらくは昨夜、雪のために立ち往生して、そのまま道の真ん中に乗り捨てたと思しきクルマや、あるいはスリップして電柱に激突し、ボンネットが跳ね上がった状態で道の脇に止まっているクルマなんかがあちこちにあって、それが渋滞を引き起こしていたりするもので、時間が掛かる掛かる。 それでもどうにかこうにかごまかしながら大学まで到着~。ひゃー、スリルあったなあ。やっぱり、一年に一回あるかどうかというこういう日のために、チェーンを装備しておかないとまずいかしゃん。でも、ゴムチェーンって、3万円くらいするんだよな~。で、買って結局一回も使わないことだってあるわけで、そんなものに3万円も出すかとなると、なかなか悩ましいところでございます。 しかし、雪国の人には申し訳ないけれど、太平洋側に住んでいて、1年とか2年に一回、この程度の雪が降ると、なんかこう、ワクワクするね! テンション上がるわ。ほんとは授業なんかやってないで、雪合戦したい。やったら怒られるかな? 怒られてもやりたいな。 さて、ところで私、明日から東京の実家に戻ります。週末に小学校時代の恩師のお墓参りがありますのでね。毎年2月の第一日曜日は、先生のお墓参りと決まっておりまして、その時に来られる人が集まることになっているの。 その先生が亡くなって、今年で30年。53歳で亡くなられたので、いま生きていらしたら83歳。生きていても不思議はない歳ですなあ。 私はこれまで一度もこの墓参を欠かしたことがないので、今回で30回目のお墓参り。だんだん、先生が亡くなった年齢に、私自身が近づいて参りました。その割に、当時の先生と比べて、今の私の貫録のないことよ。今更ながら、先生は偉大な人だったなあって思います。 でもね、ともかく、一年に一度、先生の墓前に立って、しばらくお話しをする。それが、私にとって欠かすことのできない習慣なのでございます。 ということで、明日からはしばし東京からのお気楽日記。道中の無事を祈っていて下さいね~。
February 2, 2012
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数年前にちょっと話題になった本、『東京R不動産』(アスペクト・700円)を読了したので、覚え書きを。 「東京R不動産」というのは実在する不動産屋さんで、ネットで検索しても、そういうサイトがあり、ちゃんと不動産を紹介しています。じゃ、この不動産屋さん、普通の不動産屋とどこが違うのか。 ま、一言で言えば、ちょっと毛色の変わった物件を紹介している、ということですな。 どう変わっているかというと、例えば、部屋は4畳だけなんだけど、そこに60平米のバルコニーが付いていて気持ちいいよ、とかね。5階建てビルの5階なんだけど、エレベーターはないよ、ただし、ビルの屋上は好きに使ってくれていいよ、とか。一応3DKだけど、部屋の幅はどこをとっても1メートル73センチしかないよ、とか。めちゃくちゃぼろいけど、内装とか、好き勝手に手を入れていいよ、とか。 しかし、普通であれば不利な条件の多い物件でも、それを構わないと思う、いや、むしろそういうのを探していたという人は居るわけ。「東京R不動産」は、そういう不可思議な物件を、そういうのを欲する人に仲介する仕事をしていると。 で、この東京R不動産の発足経緯というのが面白くて、代表にあたる馬場正尊氏が、自分のオフィスとして使える物件を探していたんですな。その際、彼としては内装を自由に変えていいというのが条件だった。 ところが、内装を変えて、しかも出ていく時に元に戻さなくていい、なんていう物件って、普通の不動産屋では扱わないらしく、あちこち問い合わせてもなかなか色よい返事がないんですって。 で、それでもしつこく問い合わせたところ、しぶしぶ、「こんな物件でいいんならあるよ」と、ファイルの一番底の方にあった物件を紹介してくれた。そしたら、それがまさに馬場氏の望むような物件だった、というんです。 そこで彼は、普通の人が望む物件と自分が望む物件の間には大きな差異があって、自分が望むような物件は、たとえ存在はしていても、その気になって掘り出さないと表には出てこないんだ、ということに気づくわけ。 だったら、自分と同じような人のために、そうした隠れた物件を掘り出してやろうじゃないか。 そう思ったことが、「東京R不動産」の始まりだったんですな。 不動産の価値は、普通、広さとか日照とか、駅からの近さとか、そういういくつかのパラメータで計られるわけですけど、それとは別のパラメータで見れば、この大東京には面白い不動産が沢山ある。それを発掘することは、いわば「街の可能性を発掘するような作業」(7ページ)だろうと、馬場さんはそう言います。実際、東京R不動産は、今では何人もの社員を抱えながら、採算の合うビジネスを行なっている。事業として成立しているわけです。 で、本書『東京R不動産』は、この会社が過去に仲介してきた妙な物件を紹介しつつ、その物件が今、借り手によってどんな風に使われているかを紹介しているのですが、やはりそういうユニークな物件をわざわざ借りようという酔狂な人たちですから、やっぱりユニークかつ才能豊かな人が多いようで、その妙な物件をリノベーションしたりしながら、実に豊かに使いこなし、生活を楽しんでおられる。その楽しさが、写真を多用した本の紙面からヒシヒシと伝わってきます。大体、一般的には不利な条件の多い物件ですから、賃料も異様に安いものが多いですしね。安く借りて、楽しんで生活できれば、いいことづくめじゃありませんか。 ところで、本書を読みながら思ったのですが、この「東京R不動産」の行き方ってのは、経済とか学問の世界にも深く通じていると思うんですよね。 そもそも物の価値というのは、本質的に決まっているのではなく、他の物との関係性によって決まるわけです。例えば、かつて日本では浮世絵なんてのは、そんなに価値のあるものだとは思われていなくて、ふすまの穴をふさぐのに使われたりしたわけですが、外国人から見たらえらく興味深いものに思われて、どんどん買っていく。今、ボストン美術館で国宝のように飾られている浮世絵だって、もとはそういう風に日本では二束三文で売られていたもんでしょ。同じように、日本では100円ショップで売っているような電卓でも、そういうものが普及していない国に持っていけば、その5倍くらいの値段で売れるわけですよ。 ニューヨークのマンハッタン島だって、今、あの島を丸ごと買おうと思ったらどのくらいのお金が掛かるか。だけど最初にあの島をネイティヴ・アメリカンから買い取った白人は、わずかばかりのラム酒と、金ボタンだったか貝ボタンだったか、とにかく何個かのボタンと交換したってんでしょ? つまり、ボタンなるものを見たことがなかったネイティヴ・アメリカンたちは、そんな素敵なボタンとだったら、この島まるごとと交換してもいいと、そう思ったわけです。 逆に、ネイティヴ・アメリカンからしたら、白人ってのはものすごい馬鹿だな、こんなちっぽけな島を何で欲しがるんだろう、と思ったことでしょう。 物の価値は、価値観の体系の中で決まる。広大なアメリカの大地を自由気ままに駆け回っていたネイティヴ・アメリカンの価値観の中では、ちっぽけなマンハッタン島なんて、モノの数にも入っていなかった。だけど白人側の価値観の体系からしたら、マンハッタン島にはものすごい価値があったと。 一つの価値体系の内側にいると、物の価値というのは固定的(本質的)に決まっているんだとしか思えなくなるわけですが、様々な価値体系を相対的に見比べることのできる人にとっては、そうではないということが見えてくる。で、そういう人は、二つの価値体系の差異を利用してビジネスができるわけですよ。 「東京R不動産」は、そういう物の価値の相対性を見抜いて、通常の不動産屋さんが「屑物件」と見做したものを掘り出し、その物件に価値を見出す人に仲介することで、ビジネスを成立させたと。そういうことですな。 だから、この本は、不動産の本であると同時に、非常にすぐれたビジネス・モデルを提示していると言ってもいい。 学問も同じでしてね、大概の研究者が「つまらない」「価値が無い」と決めつけたものを屑籠から拾い出し、「いや、これ、結構面白いんじゃないの?」と考え直すところから、案外、新しい発見があったりするのよ。私が今、大衆向けロマンス小説の研究をしているのも、そうしたところに発想の根っこがあるわけですが。 ですからね、『東京R不動産』、ただの不動産の本と思うなかれ。読みようによってはなかなか深い本ですぞ。例えば私もクリストファー・アレグザンダーという人が発案した「パタン・ランゲージ」なる概念のことを本書から学ぶなど、勉強の種をいくつも拾いましたし。っつーことで、この本、教授のおすすめ!でございます。これこれ! ↓【送料無料】東京R不動産価格:735円(税込、送料別)
February 1, 2012
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