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いやあ、昨夜は中矢、惜しかった! 勝機はあったと思いますが、十字固めをくらって腕を痛めた影響か、寝技のチャンスが決めきれず、相手の優勢勝ちで金メダルを逃す結果に。しかし、善戦、善戦! 君はまだ若い! 次があるさ! さて、ジェフリー・ディーヴァーの『ロードサイド・クロス』というサスペンスを読了しましたので、以下、心覚えを書き付けておきましょう。ネタバレ注意です。 本作は、女子高生が突然拉致され、車のトランクに押し込められたまま海辺に取り残されて、大潮であわや水没! というシーンから始まります。 しかし、結局、車は水没を免れ、女子高生は溺死せずに済んだのですが、被害者の女子高生から事情を聞き出すことになった kinesics (表情や身振りなどから証言者の嘘を見抜く捜査方法)のプロ、キャサリン・ダンス捜査官は、この女子高生が明らかに犯人を知っていて、しかも彼の逆恨みを恐れて偽証しているらしいことに気付くんですな。 で、色々調べた結果、この女子高生、ネットのスレッドで、自動車事故を起こして同級生を二人事故死させてしまったあるクラスメートの男子についてネガティヴなことを書いていたんです。で、どうやらそのスレッドの書き込みを恨んだこの男の子(トラヴィス・ブリガム)が、今回の殺人未遂を起こしたらしく、その女子高生もそう思い込んでいるらしい。 で、その容疑者のトラヴィスが起こした事故ですが、高校の卒業式後のパーティーで、その男子高生がクラスメートの女子高生3人と共にクルマで暴走、車が道路脇に転落して後部座席に座っていた女の子二人が死亡、助手席の子も大怪我を負ったものの、どういうわけか単なる事故として扱われ、トラヴィスもほとんど何のお咎めもなかった。 で、そのことを疑問視したジェイムズ・チルトンという著名な社会派ブロガーが、自分のサイトでこの事故を取り上げたんですな。で、そのブログが投げかけた疑問に多くのブログ読者が反応し、トラヴィスを非難するスレッドが立った。 で、ここが現代ネット社会のコワイところですが、有力なブロガーがこうした問題を取り上げると、たちまちトラヴィスの素性をばらす奴が現れ、その子が社会的な制裁を受けるようになってしまうんですな。そして、トラヴィスの貧しい家庭環境、ゲームオタクであることまでが俎上に載せられ、非難と嘲笑の的となる。で、これに怒ったトラヴィスが、どうやらスレッドに批判的な投稿をした人物に復讐を始めたらしいと。 で、ダンス捜査官は、次にこの男子高校生に非公式に事情聴取に行くのですが、彼と話をするうちに、確かに彼は何かを隠していることをダンス捜査官は見て取る。 ところが、日を改めてもう一度事情を聴こうと思っているうちに、トラヴィスが行方をくらましてしまう。それも、父親の銃を盗んで。そしてそれと同時に、スレッドでトラヴィスを批判した人物、あるいは、そのスレッドの元であるブログの開設者たるジェイムズ・チルトンに好意的なコメントを寄せた人々などが、次々と誘拐されたり、殺されたりしていくんですな。 で、ダンス捜査官はトラヴィスの逮捕に全力をあげるのですが、しかし、そんなダンス捜査官にはもう一つ、彼女の全神経を奪うような出来事が起こってしまう。 実はこの事件の少し前に、ダンス捜査官は別な凶悪犯を追っていたのですが、この凶悪犯がダンス捜査官の同僚に大やけどを負わせ、瀕死の重傷を負わせたことがあったんですな。で、その同僚は、ダンス捜査官の母親が看護婦として働いているある病院に入院していた。 で、瀕死の状態があまりに辛かったため、その同僚の捜査官はダンス捜査官の母親に何度も「殺してくれ」と、安楽死の幇助を頼んでいたわけ。 そして、実際、何者かの手によって、その捜査官は安楽死させられる結果となった。 で、安楽死の手引きをしたのが、ダンス捜査官の母親ではないかという容疑が課せられ、彼女が逮捕されてしまうんです。でまた悪いことに、彼女を検挙した検察官が敏腕で、証拠を積み重ねている様子。そして、場合によっては、ダンス捜査官自身を検察側の証人として召喚するのではないかという恐れすらある。 ダンス捜査官は、自分の母親に不利な証言をしなくてはならないかもしれないということもさることながら、仮に本当に母親が安楽死をさせたのであれば、母親は少なくとも20年くらいは刑務所に入ることになるのではないか、そしてそれは彼女にとって死刑と同じくらいの苦しみになるのではないかということに、恐れおののきます。 さて、ダンス捜査官は、殺人を重ねるトラヴィスを捕まえることができるのか、そして彼女の母親の容疑の行方は?! というような話です。ですが、そこはそれジェフリー・ディーヴァーのローラーコースター・サスペンスですから、こんな単純な話であるはずもなく、この先、話はどんどん展開して、最終的には思ってもみないような結末になります。あと、本作には、ダンス捜査官と男性同僚との恋の行方も描かれていて、ロマンティックで胸キュン(←中年男の使う言葉ではないな・・・)な側面もありますので、そういう楽しみもありますぞ。 あと、ダンス捜査官の真骨頂たるキネシクスの活躍の場が本作ではちょっと少なく、また、あまりにも最初の事件と最後の解決との間(意味合い)が離れすぎていて、読者としては肩透かしを食うような感じを受けてしまうところもある。その辺がね、ちょっと物足らないかな・・・。前作『スリーピング・ドール』の方が、私としては面白かったかも。 でも、本作のテーマは「ブログの暗部」、ですからね。私もブロガーの末席を汚すものとして、本作を読みながら、ちょっとコワイなと思うことが多々ありました。ディーヴァーは現代社会の闇を描くことが多いですが、ブログもまた、そういう闇に成り得るのだと、本作を読んで改めて思わされました。そういう意味では、勉強になりました。 ということで、『ロードサイド・クロス』、絶賛はしませんが、面白くなくはないです、程度のものとして、おすすめしておきましょう。でも、できれば先に、前作『スリーピング・ドール』を読むことをおすすめします。二つの事件は、密接に関連しますのでね。これこれ! ↓【送料無料】ロードサイド・クロス [ ジェフリー・ディーヴァー ]価格:2,500円(税込、送料別)【送料無料】スリーピング・ドール(上) [ ジェフリー・ディーヴァー ]価格:770円(税込、送料別)【送料無料】スリーピング・ドール(下) [ ジェフリー・ディーヴァー ]価格:770円(税込、送料別)
July 31, 2012
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毎日、オリンピック・柔道の試合を夢中になって見ております。 で、昨日の海老沼選手、準決勝敗退。残念・・・。 しかし、ホント、国際試合を見る度に思うのですが、こういう場合の日本チームの監督とかコーチ陣というのは、一体何をやっているのかと。 昨日、海老沼選手が格下の選手に敗れた時もそうですが、相手はまず徹底して海老沼の袖を絞って組ませず、機を見て肩越しに道着の背中、あるいは帯を掴み、そこから「隅返し」。これで、いとも簡単に海老沼選手を裏返したわけですが、一体、今まで何度、これと同じシーンを見てきたことか。 毎回、毎回、このパターンで日本人選手は泣きを見ているわけでしょう。なんで、同じ過ちを繰り返すのか。 もちろん、柔道のセオリー通り、ちゃんと組み合えば、おそらく日本人選手に勝てる外国人選手なんてそう沢山はいないでしょう。しかし、国際試合で対戦する外国人選手は、そもそも組みませんから。組手を嫌って、変則的に道着の背中をとって、隅返しをしさえすれば、日本人選手はコロっと負けてくれる。それが分かっているのに、誰が組むものですか。 だったら、どうしてその対策をしないのか。 あるいは、どうして日本人選手は、肩ごしに相手の道着をとって、隅返しをしないのか。 おそらく、そういう変則的な柔道を練習しようとすると、「そんなもん、日本柔道じゃない」とかいって、お偉いさんたちが怒鳴りつけるのでしょう。 ま、国際試合で日本人選手が負けるのは当たり前ですよ。 ところで、今日、登場する男子の中矢選手、この人に、私は大いに期待をしております。今大会で金メダルを取れる奴がいるとしたら、中矢選手ではないかと。 何故ならば、彼は寝技のスペシャリストですからね。私はこのブログで何回も指摘しておりますが、寝技ほど外国人選手に対して有効な技はありません。だから、中矢選手は金メダルに届くだろうと思っているんですよね。 さて、ワタクシの予想が当たるかどうか、この先、楽しみでございます。
July 30, 2012
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いやあ、ついに食べてしまいましたよ、「いなばのタイカレー」。 え? ご存じない? 遅れてる~! 今、ネットで大評判よ。そういう情報はちゃちゃっとキャッチしなきゃ。ちゃっと行って、パッと買って帰って来る。そのくらいじゃなきゃ、情報通とは言えまへん。 で、そのいなばのカレーですけど、基本的に缶詰なわけ。ちょうど「ほていの焼き鳥」みたいな感じの薄っぺらい缶詰になっている。で、値段がまた魅力で、たった100円なの。 100円たって、それがまずけりゃしょうがないわけですけど、これが旨いんだ。その辺のレトルト・カレーなんて全然目じゃない。そのくらい本格的なタイカレー。それもそのはず、これ、タイでの現地生産らしいですからね。で、それが100円。平べったい缶詰ですけど、円柱形というのは、意外に体積がありますから、ひと缶でたっぷり一人前はあります。 で、現時点でいなばのタイカレーには3種類あるらしいのですが、今日、私がいただいたのは、「いなば チキンとタイカレー イエロー」というのと、「いなば ツナとタイカレー レッド」の2種。これを家内と半分ずつ食べてみたと。 私の好みから言うと、「チキンとタイカレー イエロー」の方が好きかな。だけど、今回我が家がやったように、2種類くらいを分け合って食べた方が、味に変化があっていいかも。繰り返しますが、かなり本格的な、それでいて日本人の舌に合うような味付けのタイカレーでございます。 ということで、いなばのタイカレー缶詰、今後我が家の常備食となること決定!って感じ。まだ試したことがないという方、教授の熱烈おすすめ!です。さあ、ネットへ、スーパーへ、急げ!これこれ! ↓いなば チキンとタイカレー(イエロー) 125g缶価格:119円(税込、送料別)いなば ツナとタイカレー(レッド) 125g缶価格:119円(税込、送料別)
July 29, 2012
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いやあ、オリンピック開幕ですね。これから2週間というもの、色々楽しませてもらいましょう。 で、初日。柔道。格闘技好きの我ら夫婦。夢中になって応援していました。 女子48キロ級では、長年、谷亮子の陰に隠れる形になっていた「戦う丘みつ子」こと福見友子選手。男子60キロ級では、北京大会で初戦敗退の悔しい思いをした平岡拓晃選手。どちらも今回のオリンピックに期するところ大の選手。どちらにも勝ってもらいたい! しかし・・・。 福見選手は順調に勝ち進み、これは楽々金メダルかと思ったところで、準決勝敗退。そして3位決定戦にも敗れて5位。一方、平岡選手は、危なっかしい勝ち方をしてハラハラさせながら、準決勝では見事な一本勝ちで、これで悲願の金メダルかと思いきや、決勝戦で不覚を取るという・・・。 ま、しかし平岡選手は銀メダルですからアレですけど、福見選手は残念でしたね。試合後のインタビューは可哀想過ぎて見られませんでした。 ま、柔道の試合は水モノですからね。常に実力通りの結果が出るわけではないし。 福見選手は、オリンピックを花道として引退する予定だったそうですが、どうなんですかね。あと4年頑張るつもりはないのかな。トライだけはしてもらいたいような気もしますが。 というわけで、柔道初日は、ざっとこんな感じでしたけど、その一方、重量挙げで日本の三宅宏実選手が銀メダル! すごい! これは朗報でした。その他、なでしこジャパンの対スウェーデン戦も、まずまず合格の勝ち点1。 とまあ、あっちの競技を観たり、こっちの競技を観たり、もう夕方から夜中まで、仕事が手に付きません。これが2週間も続くのでは、いかんですな。 しかし、それがオリンピック・イヤーというものでございましょう。 さて、明日はまた明日で、柔道では中村美里選手が出ます。果たして彼女は金メダルをとって笑えるのか。楽しみでございます。
July 28, 2012
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暑いですね・・・。 日本って、冬はめちゃくちゃ寒いし、夏は死ぬほど暑いし、ホント、住みにくいところですなあ。こんな国って、他にある? 日本の夏と同じくらい暑い夏を持つ国はいくらでもあるでしょうけど、そういう国は冬も暖かいんじゃない? 逆に、日本以上に寒い国もあるでしょうけど、そういう国は夏は涼しいんじゃない? 日本人は、何かというと「日本には四季がある」とか言って自慢するけど、これ自慢になってるのかなあ。「うちは春・夏・秋しかないから、過ごし易いよ」とか、「秋・冬・春しかないから、快適よ」とか、そのくらいの国の方がいいような気がする。個人的には。 さて、あんまり暑いもんで、こりゃ夏バテ対策を講じなければ、って話になりまして。で、買い物に行くと、スーパーは鰻だらけ。そういや今日は土用の丑の日でした。 だけど、国産の鰻は、確かに高いんだよね! 蒲焼にした鰻一本1,600円くらいする。それだったら、鰻屋さんに行って焼きたてを肝吸いと一緒に食べた方がいい。 一方、某国産のはお手頃価格だけど、うーん、何が入っているか分からんからなあ。聞くところによると、その国のオリンピック選手は、何ヶ月も肉を食べてないっていうじゃないですか。肉を食べてしまうと、ドーピングに引っかかるというので。 肉食べただけで、間接的にドーピングになってしまうって、どう言うこと!? ま、そんなわけで、今日が今日、大混雑の鰻屋さんに行く気もなかった我ら夫婦は、日和見して鰻の代用品を買っちゃった。そう、「穴子の蒲焼」。もちろん国産よ。 で、今日の夕食にはそれを刻んで、たれの染みたご飯に混ぜ、穴子のまぶし状態にしていただいたのですが・・・ うまーーーい! ま、やっぱり鰻とは違うな、という所はありましたが、それでも「そっち系」なものを食べているという感はありますからね。 ってなわけで、一緒に作った「シジミの味噌汁」と共に、栄養満点のおいしい夕食となりました。なんか、気分的にパワーついたぜ、って感じ。 だけど、また明日も今日と同じくらい暑いのかと思うと、ちょっとゲンナリ。例の超能力を使って、ひと雨、降らしちゃおうかな・・・。
July 27, 2012
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『昭和ちびっこ広告手帳2』(青幻社・1,200円)という文庫本を読んだ、というか手に入れてじっくり見ていたのですけど、もう、これ最高!これこれ! ↓【送料無料】 昭和ちびっこ広告手帳 2 / おおこしたかのぶ 【単行本】価格:1,260円(税込、送料込) ま、この「モーレツ!」風な表紙からも想像がつくように、昭和30年代から40年代くらいまでの様々な商品の広告をそのまま集めた本なんです。だから、読むというよりは見る本なわけ。 で、昭和30年代から40年代なんていうと、私なんざちょうど子供の頃ですから、この本には私の子供時代に夢中になった色々なものが溢れているんですな。それを見ていると、もう懐かしくて、懐かしくて。 例えば不二家「メロディチョコ」とか。懐かしーー! 明治「ミオ」とか。アサヒ玩具の「ママレンジ」とか。 「ペプシ」はまだいいとして、「ミリンダ」なんて飲み物、久々に思い出しましたわ。アグネス・チャンが宣伝してたりして。月星の「スターシューズ」とか、履いてた時期ありましたよ。 「マッキャンベル・ジーンズ」とか、ありましたなあ。「カオー・フェザー・クリームリンス」とか。 「コーリン鉛筆」なんて、今、あるんですかね。スティックのりの「ウフ」とか。ナショナルの電動鉛筆削り「パナパーム」持ってたわ、コレ。 あと「電子ブロック」ね。リコーの「マイ・ティーチャー」もあった、あった。 それから「電子ウィンカー」つきの自転車! 憧れたなあ! ツノダとかツバメとか丸石とか丸金とか、今、どうなっているか分からない自転車メーカーの広告も載ってるわ。「丸金ほい、自転車ほい、丸金自転車ほいのほいのほい」っていうコマーシャル、覚えています? あ、ソニーの「スカイセンサー」とか、ナショナルの「クーガ」とか、懐かしい! ワタクシはスカイセンサー派でしたけど、クーガの「ジャイロアンテナ」とか、覚えてます。 お、「ブルワーカー」の宣伝もあるっ! これ、欲しかったけど、高くて買えなかったんだよなあ・・・。 というわけで、めくるページごとに「懐かしぃ~~!」の嵐。 それにしても、こういう広告を見るだに、昭和後期って、面白い時代だったな~って思いますね。それに比べたら平成なんてぜーんぜん面白くない。四半世紀経っても、全然印象に残らない。 とにかく、私と同世代の方、この本、絶対おすすめ!です。これがあれば、半日、飽きずに見てられるわ。楽しい、楽しい、たのすぃ~!
July 26, 2012
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大学ではそろそろ期末試験シーズンなんですけど、最近、教員の間で話題になっているのがカンニングの問題。 最初は学生団体の方から出てきた話で、試験などでカンニングをする奴が多く、真面目にやっている学生が不利になるので、もっと厳しく取り締まってほしいと。 学生の方から言ってくるくらいですから、実際、うちの大学でもあるらしいんですわ、カンニング。情けないことではありますが。 ま、試験とカンニングの問題は今に始まったわけではなく、それこそ古の中国の科挙にもそういう記録があるわけですが、それにしても、本当に嫌な話題でありまして。 で、そんな話題が出た折も折。今日、1限の授業で期末試験をしてきた同僚の某先生と廊下ですれ違ったら、苦い顔をしたその先生、「釈迦楽さん、これ見てよ~」と。 何かと思ったら、カンニング・ペーパーの山。ノートを縮小コピーしたもの。今日のテストで、数人の学生から巻き上げたものだそうで。1年生の授業で、ですよ。 ひゃー! 現物があったら、もう言い逃れできないじゃん。 それにしても、この4月に希望に満ちて大学に入学してきた1年生が、わずか数カ月のうちに、カンニングをするだけの知恵というか、世間ずれというか、それを身に着けたのかと思うと、何だか薄ら寒い感じがしてきます。 アメリカの大学ですと、期末試験などに「オナー・システム」というのを採用しているところが結構あって、この場合、試験会場に監督が居ないんです。つまり学生は学生で「絶対にズルはしません」と誓い、教員側もその学生の誓いを尊重し、信用して、監督しないんですな。そういうシステムを伝統的に採用しているわけ。 もちろん、オナー・システムを採用していても、実際にはカンニングする学生が皆無ではないようですが、しかし、うちはそういうシステムで試験やるからね、という伝統が成立するということ自体、教員・学生の双方に、名誉を重んじる気概があるということですよ。 で、振り返って我が国の大学の現状を見ますと、とてもそんなオナー・システムを採用できる状況にはない。 日本人は、昔から、むしろ西洋人以上に名誉を重んじるものじゃなかったでしたっけ? そういうサムライ気質は、今、どうなっちゃったの? で、私も今日、テストをやったのですけど、カンニング・ペーパーの山を見せられた後ですからね・・・。つい、テストの前に「カンニングしたら許さんけんね。机間巡視しまくって、本気モードで摘発にかかるけんね」と、警告せざるをえませんでした・・・。 そういうことを言わなければならないこと自体、本来、不名誉なことであって、初めからその気がない真っ当な学生には申し訳ないことでございました。でもね、少数の不心得者が居るかもしれないとなると、そういうことになっちゃうのよ。 中高生の間のいじめの横行も、大学生のカンニングの横行も、結局は同じところ、すなわち「モラルの欠如」という根っこから発するのだと思いますが、この種のモラルの欠如を、一体、どうやって改善したらいいのか・・・。 前に田中角栄氏の回想録を読んでいた時に、日本の戦前の教育勅語を、中国の周恩来首相が非常に高く評価していた、という話が出ていたのですが、ああいう徳目を小学校の時から拳拳服膺させるような教育とか、もう今はできないのかな・・・。 ま、それはともかく、期末試験なんてどんな手段を使ってでもとりあえずパスすりゃーいいや、というような正義感のない学生が自分の大学にもやたらにいるということを改めて知らされて、いささか気落ちしているワタクシなのでありましたとさ。
July 25, 2012
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姉が新居に引っ越したというので、引越祝いにピアノを買って送ってあげました。 ま、ピアノと言っても、アコースティックな本物の奴ではなく、いわゆる電子ピアノなんですけど、本物のピアノに比べれば遥かに小型で場所をとりませんし、ヘッドフォンを使えば、夜でもご近所さんに気兼ねなく練習できる。そういう意味では、むしろこちらの方が現代生活には向いているのかなと。 私たち姉弟は、共に子供の頃からピアノを習っていたので、実家にはピアノがあったのですが、姉の結婚に伴ってそのピアノは姉が持っていったわけ。 ところが二年ほど前に姉のご主人の急な転勤が決まって、仮に移り住んだマンションが手狭だったことから、姉は泣く泣くこのピアノを手放すことになったんですな。慣れ親しんだピアノを手放すのですから、この時は本当に辛かったようで。 で、昨年だったか、たまたま姉が私に家に遊びに来た時、家内のピアノがあるのを見て、まさに飛びつくようにして、「これ弾かせて!」と言ったかと思うと、ものの30分ばかり夢中になって弾いたことがありましてね。普段はおとなしい姉に、そんなパッションがあったのかと思うような喜びようで。 それを見ていて、これはいつか、私が姉にピアノを買ってあげなければならないなと、心に誓ったわけですよ。で、今度、家を新築したのを機に、その思いを実行したというわけ。 本当は、スタンウェイでも買ってやりたかったのですが、今回は先立つものがなく、電子ピアノとなりましたけれども、それでも今日、そのピアノが届いたということで、姉から何度もメールがあって、何だかとっても嬉しそうな様子なので、良かったかなと。 ということで、今回は我ながらいいお金の使い方をしたなあと、いい気分のワタクシなのでありました、とさ。
July 24, 2012
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昨日の話ですが、昨日は2年ぶりに勤務先大学の同窓会があり、卒業生たちの懐かしい顔を見て参りました。 私の所属する科は、まだ歴史が浅いので、最初期の卒業生でも卒業後20年ほど。昨日集まった卒業生も、その多くは30代半ばから40歳そこそこの年頃でしょうか。 だけど、まあ、このくらいの年頃となると、大体、子育ての真っ最中というところで、昨日も子連れが3組ほど居ましたかね。 でも、自分の教え子が、小さな子供を連れて同窓会に来るというのもなかなか趣のあるもので、それを迎え入れる先生側としては、なんだか孫を連れて里帰りしてきた娘を迎えるような感じですね。多分、初孫をもったおじいちゃんというのは、こういう気分なんじゃないかと。 で、幼児たちが遊ぶのを眺めながら、卒業生たちの話を聞くわけですけど、それぞれの歩む人生のコースには、山もあれば谷もある。他人事ながら、大変だなあと思わされることもあります。 が、そうであっても、その状況を受け容れて、一生懸命、明るく頑張っている様子を見ると、改めて、うちの卒業生たちは皆、大した連中だなあと、つくづく思います。 卒業生たちに会うというのは、教師をやっていて、一番幸せな時かな・・・。 ということで、昨日は、懐かしい教え子たちの顔を見ることが出来て、楽しいひと時を過ごしていた私なのでありました、とさ。
July 23, 2012
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名古屋場所は今日が千秋楽。結局、私の大嫌いな日馬富士が優勝。ああ、つまらない。 それはともかく、今日、私が取り上げたいのは、今日の千秋楽ではなく、昨日の白鵬対稀勢の里戦でございます。 この相撲、例によって気負った稀勢の里が、立ち会いに二度、横綱に向って突っかけたわけ。ま、突っかけること自体はそれほど珍しいことではないので、それだけなら私も問題視しないのですが、稀勢の里は二度までも突っかけた。 これは、私が思うに、非常によろしくないことであります。相手は横綱ですから、やはり下の地位にいる稀勢の里としては横綱に敬意を払うべきなのであって、二度まで突っかけるのは良くない。だって、突っかけるということは準備の出来てない横綱を突き飛ばすことですから。 だから、この時点で白鵬が稀勢の里を睨みつけた気持ちもよく分かる。ま、あまり見た目のいいことではないので、本当は白鵬も慎むべきではありましたけどね。 さて、問題は次の行動です。 稀勢の里が二度突っかけ、白鵬も稀勢の里を睨みつけたとなると、この後、荒れた相撲になる可能性が十分にあった。例えば、白鵬が張り手をかまし、稀勢の里も対抗して、互いに顔の張り合いになるとか・・・。おそらく、観客の多くも、そういう激しい相撲を期待したことでしょう。 ところが。 白鵬は立ち合いに注文をつけ、左に飛んだため、稀勢の里は白鵬にほとんど触れることもなく、ばったり前に落ちた。白鵬が「すかした」わけですな。つまり、激しいバトルはおろか、相撲自体が取られなかったわけ。それで白鵬が勝ってしまった。で、熱戦を期待した会場の観客からはブーイングの嵐。 で、今日の新聞各紙の報道などを見ても、この相撲に対する酷評の嵐ですわ。某紙の論調を引用しますと、「北の湖理事長は「お客さんが期待しているわけですから、横綱として受けて立って力を見せつけてほしかった」と苦言、鏡山審判部長は「興ざめだよ」と吐き捨て、横審の鶴田卓彦委員長は「ただ勝てばいいんじゃ横綱じゃない」と激怒した」とのこと。 私が問題視したいのは、こうした観客や相撲関係者の、白鵬に対する批判でございます。 私が思うに、昨日の相撲に関し、白鵬は完全に正しいことをしました。 あの場面で、横綱たるもの、ああいう形で相手をすかすのが最も正しく、また最も美しい行動だっただろうと。 勿論、白鵬がその気になれば、張り手の応酬のような激しい相撲をとって稀勢の里を下すことも簡単だったでしょう。しかし、それでは稀勢の里の下品な挑発に乗ったことになる。だから、白鵬は、こういう挑発をしてきた稀勢の里に対し、「お前なんかと相撲を取る気はないよ」と、門前払いを食らわしたわけよ。「顔を洗って、出直してこい」と。 その毅然とした態度。これこそが横綱の品位、横綱の相撲でございます。文句なく、美しい! で、私は、その注文相撲を見て、おお、さすがに白鵬、大横綱の風格が出てきたなあとめちゃくちゃ感心したわけ。 にも関わらず、世間のこの白鵬批判は何? なんで白鵬の美しい相撲を理解できないのか? 北の湖理事長をはじめとする相撲関係者には、白鵬がなぜああいう相撲をとったのか、その意味が分からなかったということなのだろうか? 特に、横審の鶴田某の発言はどうよ。「ただ勝てばいいんじゃ横綱じゃない」とは・・・。こいつ、相撲がまるで分かってないな。大横綱・白鵬の心も読めないのでは、横審なんか務める資格はないよ。辞めろ、辞めろ。 というわけで、肝心の相撲関係者にすら理解されない中、毅然として注文相撲をとった白鵬。私は、あの相撲こそ、今場所最高の一番だったと、ここに断言しておきましょう。
July 22, 2012
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八光流柔術の道場に通い始めて2年が過ぎ、また日頃行っている筋力トレーニングの成果もあって、かーなーりー細マッチョな体型になってしまったワタクシ。仮初めにも文学者ともあろうものがこんな筋肉隆々でいいのか、という疑問はありつつも、上腕二頭筋の発達にほくそ笑む日々・・・なんですが、一点だけ、なかなか鍛えられない体の部位がありまして。 そう、ご想像の通り。腹筋です。 腹筋トレーニングの基本たる「シットアップ」、これを毎日やればいいのでしょうが、このトレーニングを続けると、私の場合、腰を痛めることが多くて、ちょっとコワイんですよね。 で、何とかならないものかとずっと思っていたのですが、最近、にわかに美木良介氏の提唱する「ロングブレス・ダイエット」に興味を抱きまして。新しもの好きな私としては、随分、後手に回った感がありますが。 で、とりあえずネット上にアップされている動画を見たのですけど、解説している美木先生(いきなり「先生」呼ばわり)の均整のとれたお身体と、自分の信じるロングブレス法を布教せんとする宗教家のような情熱に一発で魅了され、これはもう、ロングブレス・ダイエットにチャレンジするしかないっ! と思ってしまったのでございます。これこれ! ↓美木良介先生のロングブレス呼吸法デモ映像 ね、すごくない? で、まさに「よーし、これで行こう!」と決意した折も折、昨夜某テレビ番組でこのロングブレス・ダイエットのことが取り上げられ、肥満体系に悩む若手ミュージシャン・コンビが、揃ってこれにチャレンジし、3ヶ月で30キロ以上ものダイエットに成功したという例が放送されたという・・・。 この偶然。これはもう神のお告げではないかと。 ということで、今日から一回2分、日に数回のロングブレスにトライし始めたワタクシ。さて、その効果は?! いずれ結果報告したいと思いますので、乞うご期待! でございます。さらに、これ! ↓【送料無料】美木良介のロングブレスダイエット必やせ最強ブレスプログラム価格:1,680円(税込、送料別)
July 21, 2012
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相変わらず大津いじめ問題がすごいことになっております。 これまで知らぬ存ぜぬで口を拭い、いじめなんてありませんでした、で通していたのに、ことが一旦こうなってからは、今度は逆に加害者生徒とその関係者への社会的な制裁がすごいらしい。もちろん真相究明と責任の所在をはっきりさせることは重要ですが、ここまでエスカレートすると、それはそれで健全な感じがしませんなあ。 でまた、この件が明らかになってからというもの、日本中のあちこちで同様のいじめが報告されるようになって、大津の問題が大津だけに限らないことも明らかになって参りました。 思うに、「いじめは絶対にしてはいけません」と指導して、「そういう風に指導しているのだからいじめはなくなったんだ」と勝手に思い込み、思い込むばかりかそれを前提にして、実際にいじめがあっても見て見ぬふりをする、という日本の教育界のシステム自体、見直すべきございましょう。 そういえば、もう十数年も前に聞いた話ですが、ある大学にいじめ問題の研究者がアプライしてきたことがあって、その方の採用が教授会で審議されたことがあったんですって。 で、その方は、中学の時だか高校の時だか、ご自身が激しいいじめにあったというのです。で、その自身の経験から、「公立学校の中に警官を常駐させよ」というのがその方の持論で、そういう方向性の研究をしている人だったんですな。 ところがその大学の教授会では、学校に警官を常駐させればいいというような、そんな安易な教育観を持っているような人物はよろしくない、という意見が大勢を占め、その方の採用人事が流れてしまったというのです。 その話を側聞して、私自身はその研究者の方の考え方を面白いと思い、「学校に警官が常駐し、常時校内をパトロールしていたら、確かにいじめも減るかも」なんて思ってしまっただけに、その方の採用人事が流れたことに若干驚きもし、そうか、一般に教育界では、警官を学校に常駐させるという考え方はタブーとされているのか、と、気づかされたのでございます。 だけど、今回、大津や他の地域で行われたという陰惨ないじめの実態を見るにつけ、担任の先生も教育委員会も頼りにならないのであれば、警官による校内パトロールみたいなことも、一つの方策としてアリなんじゃないの? とあらためて思います。少なくとも、一考には値するのではないかと。採用するしないは別として。 また、そういう考え方は教育という崇高なるものを侮辱するものだというような反応が教育界に根強くあるのだとすれば、それだったら、あなた方の崇高な教育理念とやらで、しっかりした、実効性のあるいじめ対策をやりなさいよ、と言いたくなりますね。 とにかく、重要なことは、いじめは常に存在する、ということを前提に対策を立てるということじゃないでしょうか。いじめはダメよと言ったところで、無くなるはずがないものなのだから、いじめは必ず起こるものだということを踏まえた上で、いじめをする子に対し、それは割に合わないものだということを思い知らせないといけないのではないかと。 かの田中角栄氏だって言ってますよ、「子供というのは、小さな猛獣だ」と。猛獣なんだから、ちゃんとしつけないとね。
July 20, 2012
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2010年のアメリカ映画『キッズ・オールライト』を観ましたので、心覚えを書いておきます。以下、ネタばれ注意です。 舞台はロサンゼルス郊外の比較的裕福な住宅地。ここにニックとジュールズというレズビアンの夫婦・・・と言うのか「婦婦」というべきか、よく分かりませんが、とにかくそういうカップルと、ジュールズが匿名男性からの精子提供を受けて産んだジョニとレイザーという姉弟からなる四人家族が住んでいてる。レズビアン・カップルを核にした家族というと、なんだかやけに進歩的なようですが、ロスという土地柄もあって、周囲もこの家族をさほどの違和感もなく受け入れているし、当の家族のメンバーも、別に自分たちがとりわけ特殊だと思っているわけではない。ごく普通の一家なんです。ごく普通の一家が、ごく普通に暮らしている。 ただ、娘のジョニはちょうど高校を卒業したところで、進学先の大学も決まり、もうじき遠くの町に引っ越すことになっているんですな。だからこの夏が、家族四人で過ごす夏としては最後のものとなる。そのことが若干、家族のメンバーに緊張を与えていることも確か。 で、そんな一足先に巣立っていくジョニに対し、弟のレイザーがあることを頼むんですな。自分たちの生物学上の父親である人に会ってみたいと。精子提供者の情報を親の許可なく聞き出すには、18歳以上になっていないとダメなんです。だから、15歳のレイザーは、18歳になっている姉のジョニにそのことを頼んだわけ。ジョニの方は別に自分から父親に会いたいとは思っていなかったようですが、とりあえず弟の頼みを聞いて父親を特定し、姉弟の二人で彼に会いに行くことにする。 で、実際会ってみると、彼らの父親はポールという名前で、彼らの家からさほど遠くないところでオーガニックな食材を使った自然派志向のレストランを経営している人物だったんですが、これが気さくで、感じがよく、しかもなかなかのハンサム。結婚はしておらず、気ままなライフスタイルをエンジョイしている感じ。で、そんなポールと話をするうちに、弟のレイザーよりも、むしろ姉のジョニの方が彼に惹かれてしまうんですな。レズビアン・カップルを両親として育ったこともあり、大人の男性に興味があったこともあるでしょうし、また知らず知らずのうちにポールの中に理想の父親像を見てとったこともあるのでしょう。かくして、ジョニとレイザーは、その後もポールと何度も会うことになるんですな。一方、ポールの方も、突如現れた娘と息子に戸惑いつつ、これまた知らず知らずのうちに父性愛が芽生えて行く。 ところが、こうしたポールとジョニ&レイザーの密会は、やがてニックとジュールズの知るところとなり、二人は子供たちが黙って父親に会っていたことに動揺します。が、そこは進歩的な一家ですから、ここはひとつ冷静にならなければと自制しつつ、ポールを家に招くことにする。ニックとしては、一度公式に招いて、後は彼のことは過去のことにしてしまおうという腹づもりがあったわけ。 が、実際にポールに会ってみると、彼が予想外にいい男だったことで、ニックの計算が狂い始めます。そして話の流れの中で、ジュールズが造園業を始めてみたいなどと口にしたことから、ポールが自宅の庭のデザインを彼女の頼むことにもなる。医師として家計を支えるニックに対し、ジュールズはこれまで仕事をした経験がなく、それゆえ自己実現もしてこなかったのですが、今回、初めてポールから仕事を依頼されたことで、自分も仕事をしてお金を稼ぐことができるかもしれないという期待に、夢中になってしまうわけ。 で、そんなこともあって、ポールの自宅で作業することになり、必然的に彼と頻繁に会うことになったジュールズは、自然の成り行きで彼に惹かれて行き、ポールもまたかつて自分の精子によって自分の子を産んでくれたジュールズに惹かれて行く。そしてついに二人は一線を越してしまうわけ。むしろジュールズの方が積極的に。 で、ジュールズとジョニとレイザーがそろってポールに惹かれている状況、それはポールを父親、ジュールズを母親とする生物学上の家族が再結成された形をとっているわけですが、その状況を敏感に感じ取ったニックは、焦りと嫉妬で心のバランスを崩し、家族の中で孤立していきます。が、ニックも知的な人ですから、そんな自分の状態を反省し、家族に謝罪し、その印として、今度は家族全員でポールの家を訪問しようと提案する。 で、ポールの自宅での食事会で、ニックはポールを受け入れて行きます。とりわけ、ポールと自分の音楽の趣味が近く、ともにジョニ・ミッチェルの大ファンだということが判明すると、ますます心のわだかまりが解けて行くことに。 が、ポールの自宅のバス・ルームやポールの寝室に、ジュールズの髪の毛が落ちていることを発見したニックは、自分が想像していた以上に二人の関係が進んでいたことを知り、和解のための訪問が逆効果になってしまうんですな。で、帰宅してからニックとジュールズは大喧嘩となるのですが、二人のやり取りを立ち聞きしていたジョニやレイザーにも、ポールとジュールズの関係がばれてしまう。その結果、今度はジュールズが家族の中で孤立することになり、またポールを理想化していたジョニもまた、彼に幻滅してしまう。 一方、ポールはポールで真剣にジュールズのことを愛しはじめ、それまで身体だけの関係で付き合っていた女性とも別れてジュールズとの結婚を夢見、ジョニやレイザーを含めた家族を作ることを夢想し始めていたのですが、自分とジュールズの関係が家族にばれたことで、家族全員を傷つけてしまい、その結果、もはや彼が受け入れられる余地がなくなったことを知ることになる。 かくしてニックもジュールズもジョニもレイザーも、そしてポールも傷つき、一家はバラバラになってしまうのですが、そうこうしているうちにジョニが大学に入学するため、遠くの町に引っ越す日が近づいてくる。で、まだ互いにしっくりしないまま、家族全員でジョニの荷物をクルマに積み、彼女が住むことになるアパートまで送っていくのですが、家族のメンバーの一人の巣立ちの時を機に、バラバラだった家族の心がまた一つになっていくんですな。喧嘩したまま別れたくない、という気持ちを誰もが共有していたこともあり、またジュールズが皆の前でポールとのことを謝罪したこともあって、家族がまた一つになっていく。 で、そんな風にして、一度危機に陥った家族の傷が、癒え始めたことを示唆したところで、この映画は幕を閉じると。 ま、そんな感じの話ですな。 で、本作に対する私の評点は・・・ 「78点」でーす! 合格。 映画全体として、ドーンという感動もない代わり、どこにも無理がないというか、平和に暮らしていた一家のもとにポールという異分子が入り込んできたことで生じる波紋というか、感情の起伏が、ごく自然に、さもありなんという感じで、上手に描かれている。そういう意味で、すごく説得力があるわけ。家族を丸ごとポールに奪われそうだと感じた時のニックの、恐怖にも似た焦りの感情も実に上手に描かれていたし、やや支配的な性格のニックの下で自己実現を阻まれてきたジュールズが、ポールと出会ったことを機に、ニックへの不満が噴出していくことも実に説得力がある。また思春期の只中にあるジョニとレイザーの姉弟の、変わりゆく家族の状況の中での心の動きも実に自然。 一方、気ままに自分一人の生活をエンジョイしてきたポールが、ジョニやレイザーやジュールズと出会ったことで、結婚して一家を構えるという選択肢もあったのかな、と気づき、次第にその考えにとりつかれていく様子も、これまた自然なんだなあ。 でまた、ひと騒ぎの後、結局、元の鞘に戻りました、という結末も、まあいいんじゃないでしょうか。家族ってのは、それがたとえレズビアンのカップルの家族であっても、こういう風に傷つけあうこともあり、また傷つけあった後、もとの関係に戻るだけの回復力を自然に備えているものなのであってね。 つまり、ある家族がたまたま経験することになった一つのエピソードがすごくナチュラルに描かれていて、誰もが「家族って、こういうもんだよね」という思いを共有できる。その意味で、すごく普遍的な物語だと思います。 で、そういう意味では普遍的な家族の物語なんですが、一つだけ、やっぱりアメリカだなあと思うのは、ニックやジュールズが自分の非を認めて、家族の前で謝罪をするシーン。これが日本だと、たとえ今のまずい状況が自分の責任であると分かっていても、親の立場にあるものが、子供も含めた家族に公式に謝罪する、ということはないでしょ。そこがね、日本人の目から見ると、アメリカっぽくて面白いなと。 結局、「言葉」と言うモノに対する信頼の問題なんですよね。日本人は一般に言葉に重きを置かない民族だと思いますが、それに対してアメリカ人は、言葉をもう少し信頼している。というか、「たとえ完全な手段じゃないとしても、言葉で伝える以外に方法がないでしょ」という諦観がある。そういう意味での言葉への信頼は、日本人より遥かに強いんじゃないかな。 そういうアメリカ人の「言葉」の使い方がね、こういう映画を見るとよく分かる。 とまあ、そういうもろもろのことも含め、この映画、見る価値ありと判断します。教授のおすすめ!です。ただ、この映画の題名(原題も疑問ですが、特に邦題)は、果たしてこれで良かったのだろうかと、ちょっと思いました。これこれ! ↓[DVD] キッズ・オールライト オリジナルバージョン価格:3,032円(税込、送料別)
July 19, 2012
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かつて熱狂的な相撲ファンにして、最近は大相撲中継を見ることすらなくなってしまったワタクシ。千代の富士と共に、私にとっての大相撲は終わったのかもしれません。 が、そこはそれ、今でも相撲についての見巧者ではあるという自負はありますし、スポーツ・ニュースなどで映像が流れれば、そりゃ、それなりの興味をもって見ます。 で、今日、たまたま稀勢の里と日馬富士の一戦をニュース番組の中で見たわけ。 勝敗から言えば日馬富士の勝ち。だけど、その相撲たるや惨憺たるものでありまして。 要するに、日馬富士が稀勢の里の顔を狙って3発も4発も張り手をするのよ。明らかに殴ろうとして殴っている感じで。実際、あれは殴っているんですよ。出来れば、脳震盪でも起こさせようという腹で。 日馬富士って人は、そういうところのある力士で、時どきインタビューなどに応えて自分で言うんですよ、「やってやろうと思った」って。この「やってやろう」というのは、漢字で書けば「殺ってやろう」という意味ね。 まあーーーー醜い。相撲として醜い。見苦しい。 人様の前で、あんな下品な相撲をとって、それも力士の模範たるべき大関が、ですよ。 あんな見苦しい相撲をもって「気合い相撲」だなんて自負してもらっては困るし、周囲もそれを許しちゃいかんと思います。 あーーー、こんな奴が大関だなんて言っているから、私のようなオールドファンはついていけなくなるんだよ~! あんなもの、相撲じゃないよ。 下品きわまりない張り手をする日馬富士よ、猛省せい!
July 18, 2012
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スギちゃんという芸人については、彼がメジャーになり始めたごく初期の時点から応援しているのですが、彼は人柄がいいらしいね。家内がその優しい人柄に惚れこんでおりました。 で、私自身、ファンなものだから、つい自分でもスギちゃんネタを思いついちゃうわけ。 例えば先日も、冷えた水羊羹を食べながら、「シャカちゃん、この間、水羊羹食べる前に、電子レンジでチンしてやったぜぇ~。水羊羹なのにだぜぇ~。舌火傷しちゃったぜぇ。ワイルドだろう~?」とか。その気になると、いくつでも思いつく。 で、スギちゃんも新ネタに困っているだろうから、傑作を幾つか送ってやろうかと思ったら、家内曰く、迷惑だから止めろと。スギちゃんのブログを読んでいると、私と同じように、ネタのアイディアを送ろうとするファンが沢山いるらしく、しかしスギちゃん自身が同じネアイディア思いついていることも多くて、逆に使いづらくなるらしいんですな。なるほど。 ま、ネタを送るのは止めにしますが、とにかくいい人らしいので、一時的な人気に終わらなければいいなと思います。 一方、マツコ・デラックスはすごいね。 私は深夜にお茶を飲みながらテレビをつけることが多く、そうすると、ほとんど毎夜のようにマツコの出ている番組に出くわすわけ。あんまり頻繁にマツコの深夜番組に出くわすので、じゃあ、マツコがまだ登場する以前、深夜枠の番組はどうしていたんだ? と不思議になるほど。 で、思うにマツコのすごいところは、徹底して「受け」の芸だってことですな。 「ゲッツ!」のダンディ板野とか、「そんなの関係ねえ!」の小島よしおとか、「ワイルドだろう~?」のスギちゃんとか、一発屋で終わることが懸念されがちの人というのは、攻めの芸なんですよね。何か面白い一言を言うことでウケを取るのですが、その一言が飽きられたらもう終わりという。 しかし、マツコはそういうんじゃないもんね。「対談相手への当意即妙の返し」という受けの芸。だから、相手が変わる毎にどうにでもなる。 やっぱり、芸能界で長く生きて行くためには、「受けの芸」を磨くことかなあ・・・。明石家さんまさんも「受け芸」の人だしね。所ジョージさんは、はじめは「攻め」から入って、「受け」に転換した系だな。 ワタクシも、マツコに学んで受けの芸を磨こうっと! (何になりたいんだっ!) ちなみに、マツコ系の番組で私が一番好きなのは、「怒り新党」かな。マツコさん的には、有吉さんという人が一番、パートナーとしてやりやすいんじゃないかと、見てて思います。有吉さんも頭がいい人なので、マツコさんを適当に攻めて、絶妙の受け芸を引き出しつつ、本質的には有吉さんも受け芸の人なので、マツコに攻めさせもするという。逆に「月曜から夜ふかし」のパートナー、関ジャニの村上信五君は、マツコの相手をするにはちょいと若すぎるのかな、と。 さて、そろそろ深夜の茶会の時間です。今日は、マツコに会える日だっけ? ま、それはともかく、それでは、皆さま、お休みなさーい!
July 17, 2012
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2010年のアメリカ映画『トゥルー・グリット』を観ましたので、心覚えを書き付けておきます。以下、ネタバレ注意です。 舞台は19世紀後半、西部劇時代のアメリカ。14歳の少女マティは、父親をチェイニーなるならず者に殺され、一家を代表して死体を引き取りに行きつつ、父親の敵を討つことを決意するんですな。で、初老ながら腕利きの連邦捜査官コグバーンを真の男(=トゥルー・グリット)と見込んで、彼を雇い、自らも彼と一緒にチェイニーを追うことにする。 一方、一匹狼のテキサス・レンジャー、ラビーフもまた、マティとはまた別な理由でチェイニーを追っていた。 で、そのチェイニーですが、彼は彼でさらに大物のならず者、ラッキー・ネッド・ペッパーの手下となり、彼の一味と共に行動している様子。 さて、マティはコグバーンやラビーフの助けを借りて、父親の仇を討つことが出来るのでしょうか?! というような話です。 で、私のこの映画に対する評点は・・・ え? 何? あらすじがやけに短いじゃないかって? だって、この通りなんですもん。14歳の女の子が、親の仇を討つ話。それ以上ではありません。 さて、気を取り直しまして、私のこの映画に対する評点は・・・ 「66点」でーす。期せずして『宇宙人ポール』と同点! で、不合格! まあね、上に述べたように、話自体がシンプルなんですわ。で、そのシンプルな話を、監督を務めるコーエン兄弟がいかに面白くするか、そこに注目したのですが、コーエン兄弟らしいひねりがまるでない。コーエン兄弟が初めて西部劇に挑戦、という前宣伝に釣られたものの、意外に普通過ぎて、イマイチ乗り切れませんでした。 この程度の出来では、人におすすめすることはできまへん。コーエン兄弟も、ついに焼きが回ったかな。 しかも、後で知ったのですが、この映画もまた、1969年の『勇気ある追跡』とかいう映画の二番煎じなんだそうで。なあんだ、またリメイクかよ、というところもありましてね。もっともコグバーン役については、1969年バージョンのジョン・ウェインより、今回のジェフ・ブリッグスの方が合っているような気はしましたが。 ところで『トゥルー・グリット』のDVDには、特典映像が付いているのですが、その中で、本作の原作を書いた Charles Portis という作家について、えらく気合を入れて解説しているものがあって、へえ、そういう作家がいるんだ、という感慨を得ました。それによると、ポーティスなる作家は、「作家が憧れる作家」という感じの人のようで、純文学と大衆文学の中間あたりに位置する作家のようですが、知る人ぞ知る、というのか、評価する人は評価するみたいなんですな。 で、現在までのところ、5作しか書いてないらしいし、またその5作にしてもすべて絶版になっていて、今回のリメイク映画が作られたのを機に、ようやく復刊されたのだとか。 ふうむ。アメリカではたった5作書くだけで生涯食っていけるのか・・・。むしろそのことに感動。 ま、映画としての『トゥルー・グリット』にはさほど感心しませんでしたが、原作を書いたポーティスなる作家のことを知ることが出来ただけでも、良かった、ということにしましょうかね。 やっぱり、転んでもタダでは起きない、という心掛けが、大事なんだよね~。これこれ! ↓ トゥルー・グリット (ハヤカワ文庫) / 原タイトル:TRUE GRIT (文庫) / チャールズ・ポーティ...価格:756円(税込、送料別)
July 16, 2012
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早坂茂三著『田中角栄回想録』(集英社文庫)を読了しましたので、感想を一言。 言わずと知れた田中角栄元首相の秘書を23年間に亘って勤められた早坂氏による回想録でございます。が、ちょっと誤解を招きそうなところもあって、これは早坂氏が角サンの言行を回想した、ということではなくて、角サンが自分の政治信条や彼が担当した様々な政治的局面の真相、あるいは思い出などを回想したのを、早坂さんが編集して語った、ということなんですな。だから、本当に角サンがそう語ったのか、それとも早坂さんが勝手に想像した架空の回想録なのか、その辺は不明。そこは、そういうものとして、早坂さんの言葉を信じて、角サンが多分、本当にそう語ったんだろうなと思うしかない。 もっとも、早坂さんという人は、角サンに惚れこんで、「オヤジ」と慕いながら23年間も連れ添ったわけですから、そこは信じてあげないとどうしようもないですな。 で、とにかくそういうものとして読んでいくと、いかに田中角栄という人が優れた政治家であり、かつ、人間的に度量が深く、魅力があった人か、というのがよく分かるし、またとんでもない勉強家であり、勤勉の人であったかというのもよく分かる。 田中角栄というと、人脈・金脈を使って首相の座にのし上がったという印象がありますが、彼が28歳で初当選してから党役職についたり、閣僚になったりするまでに10年の間がある。で、この10年の間に、角サンは議員立法を四十幾つも発案していて、しかもその内の三十幾つかのものを法制化に結び付けているというのですな。これは若手議員として異例の成績なのだそうで。 議員立法というのは、その名の通り、国会議員なら誰でも発案できるわけですが、しかし、それを現実化するとなると至難の技。社会にある問題があると認識し、その問題を解決するためにはこういう風に法律を変えるとよいという判断をし、その法律改正のために所掌官庁と渡り合い、説得し、反対議員なども説得し、賛成多数となるよう準備して、それでようやく現実化できるわけですけど、そうやって一つでも法律を変えるというのがどのくらい大変なことか。それを角サンは、政治家としての無名時代に、三十幾つもやったというのですから、これは凄いことなんです。 で、そういう苦労を若い時にしているので、角サンは法律の条文一行の重大さを良く知っていたと、早坂さんは語ります。条文一行が、そういう言い回しになっているのは、どういう事情があり、どういう妥協があったか。その結果、その一行が、どのくらいの影響力を持っているか。そういうのをとことん知っていたと。 でまた、議員立法を通じて、あることを実現するために、どこに働きかければよいか、どの官僚が使えて、どの官僚が使えないのか、同じ議員の中で、誰がどういう立場なのか等々、そういうことも学んだというのです。そういうことをずっとやってきたから、彼はいざ閣僚になったり首相になった時に、官僚を上手に味方につけ、活用することが出来た。 そういうことを含め、政治家が社会をよくするためには、決して首相になるだけが唯一の道ではなく、無名の政治家だって、議員立法によって社会を変えることが出来ることを角サンはよく知っていた。だから、角サンは、早く閣僚入りしたがる若手議員をいつもそう言って叱りつけていた、というのです。 また、田中角栄というと、例えば「角福戦争」とか、他のライバル政治家と対立するイメージがあったり、「闇将軍」などと言われるような、影のフィクサー的なイメージを持たれることが多いわけですけれども、(早坂さんに拠れば)角サンほど敵を作らない政治家はないというのです。むしろ人的な関係においては公明正大、私利私欲なく付き合うし、党のために、いつでも汗をかくことを怠らなかった。 と言って、自民党さえ良ければいい、という人でもなく、日本のためならば、自民党の不利益になることも提案したといいます。 例えば小選挙区制。角さんは小選挙区制の信奉者なんですけど、確かに小選挙区制ですと、ある時期は自民党が圧勝することもある。だから、一見すると自民党有利に見えるのですが、しかし、逆に自民党が不人気な政策を実行したりすれば、次の選挙で大負けし、野党が第一党になる可能性が十分にある。それこそが、与党・野党が競って善政をするようになる基礎であると。角さんはそう信じて「小選挙区制」にしろと言い続けた。 ところが、当時の野党は、それだと短期的に見て野党に不利なので、「中選挙区制」にこだわった。で、中選挙区制にすると、自民党がずっと政権を取り続けることになるけど、それでいいのかと言っても、野党があくまで中選挙区制がいいとこだわるので、角サンも「野党が、それほど自民党に政権を取らせ続けたいというのなら、それでもいいか」と、小選挙区制の案を引込めたというのです。 このこと一事をとってもそうなんですけど、角サンは、そういう野党体質には非常に批判的だったようです。といって、野党を馬鹿にしていたわけでもなく、野党の中にも人材を見出していた。その辺が、懐の大きいところでありまして。 その他、個々の政治的局面についての回想も面白くて、例えば通産大臣時代、3年に亘って縺れてきた日米繊維交渉を、就任数カ月で解決してしまった手腕とか、首相になってからすぐに日中国交正常化を果たしてしまった手腕など、見事なもの。角サンいわく、縺れた交渉事ほど、機を見て一気に解決するにしくはない、というのですけど、短期的なマイナスがあっても、長期的なプラスを見越して一気に話をまとめるあたり、これが政治というものかという感じがします。 私も関係なくはない教育行政についての角サンの考え方だって、しっかりしてますよ。 角サン曰く、「子供というのは、本質的には小さな猛獣」だ、というのですな。だから飴と鞭でしつけなければならない。それを、親に代わって学校の先生がやるというのだから、先生というのは大変な仕事だと。だから、角サンは、総理大臣時代、学校の先生の給料を1.5倍に引き上げ、そして沢山の先生方の視野を広げさせるために、海外留学の機会も与えたというのです。またそれまで勲八等どまりだった小学校の先生の受勲の格上げもしたと。その代り、教育は中立・公正の場とし、労働運動などは禁止する。「そうでなければ、親たちは子供を安心して先生に任せておけんじゃないの」と。 さらに、人間は勉強しなければ親より馬鹿になる、というのが信条で、大学紛争でまともに勉強したい奴が大学に入れないという現状を批判し、多くの批判を受けながらも大学管理臨時措置法を強行採決させて、大学紛争を収束させたのも、角サンだったとのこと。で、この次の選挙で自民党が大勝したのは、日本中の親たちが、大学紛争の収束にホッとし、それを解決した自民党を評価した部分があったのではないかと、角サン的には自負するところがあったとのこと。 また彼は、戦後の6・3・3制が既に定着してしまったので、それを根本から変えるのは難しいが、戦前のような専門学校教育の善さを認識していて、工業専門学校などをもっと増やすべきだという考えの持ち主だった。 この辺、個人的に、角サンの考え方に賛同しますねえ。 とまあ、ことほど左様に、田中角栄氏の考え方というのは、実にまともで、実に大局を見きわめていて、実に説得力があるのよ。それでいて単なる理想論ではなく、現状と理想の間で、折り合いをつけようとする。まさに「できることはやる、できないことはやらない。ただしすべての責任はこの田中角栄が背負う」(大蔵大臣就任時の訓話)という大方針。これぞ政治家、という感じがします。 ま、角サンに惚れこんでいる早坂さんの筆になるものですから、田中さんのいいところばかり取り上げてあるのかもしれませんが、それにしても、やっぱり田中角栄、凄い人物であったなあ、という感じは十分に得られる本でございます。 個人的なことを申しますと、田中角栄がロッキード事件で取沙汰されていた頃、私は小学生でしたが、それでも田中角栄はいい総理大臣だったのではないかという意見を持っておったんですな。で、そのことを家族の前で言ったところ、両親からひどく叱られまして。ああいう金権政治家を誉めるとは何事か、というわけ。 しかし、両親よりも小学生の私の方が田中角栄のことを理解していたと思いますし、今なお、田中角栄という人の人間的魅力・政治家としての手腕を評価した私は正しかったと思っています。 本書は、その私の長年の思いを、さらに正当化してくれるものでありました。もう絶版になっている本ですので、興味のある方は古本でどうぞ!
July 15, 2012
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2011年公開の映画『宇宙人ポール』を観ましたので、心覚えを。以下、ネタバレ注意です。 イギリス人青年のクライブとグレアムは、アメリカSFコミックの熱烈なファン。仲良し二人組は休暇を取ってアメリカを訪れ、コミコン(コミック好きの祭典)に参加した後、キャンピング・カーに乗って、「エリア51」だのロズウェルだの、UFO絡みの名所を訪ねるという、彼らにとっては至福の計画を実行中。 ところが、そんなSF好きの彼らに、予期せぬ出来事が降りかかるんですな。何と二人は、「ポール」と名乗る逃亡中の本物の宇宙人に遭遇してしまうんです。 やたらに英語の達者なポールは、乗り物の操縦が不得手で、今から40年ほど前に地球に不時着したのですが、その後、アメリカ政府に「ゲスト」として招聘され、何不自由なく暮らしていた。 ところが、「ゲスト」扱いしながら、実はアメリカ政府は、ポールの故郷の星の持つ文化・技術をポールから学ぶことが狙いで、その目的は概ね達成された。いや、政府だけでなく、ハリウッドも彼から宇宙人のことを沢山学んでいて、例えばスピルバーグ監督もポールの示唆を受けて『E.T.』を作っていたと。 で、ポールから聞き出せることは聞き出してしまったので、後は、ポールが持つ様々な能力、たとえば「息を止めている間だけ、身体を透明化することができる」とか、「自分の記憶や知識を直接相手の脳に伝えることができる」とか、「相手の怪我や病気を、一旦自分のものとして引き受けた上で、治すことができる」といった能力がいかにして発揮されるのか、そのメカニズムを知るために、ポールを解剖することを、アメリカ政府は計画し始めたわけ。 で、ポールは彼と親しい政府内部の友人からその計画を聞き、これはやばいということで逃亡、そして自分の故郷に帰るべく、UFOの着陸場所へ向う途中、クライブやグレアムと出会ったと。 何しろポールは政府から追手がかけられている身ですし、しかも姿かたちが、いわゆる「宇宙人」っぽい宇宙人ですから、人に見かけられればすぐにそれとバレて、通報されてしまう。 そこで、ポールは、SFおたくの二人に出会ったのをこれ幸いと、二人に逃亡幇助を依頼、二人もこれを了承し、かくして三人の逃亡劇が始まるのですが、何しろまだアメリカに慣れないイギリス人おたく二人組ですから、行く先々でトラブルに巻き込まれてしまう。とりわけ、キャンピング・カー専用の宿泊サイトで出会ったキリスト教原理主義者の娘さん・ルースにグレアムが一目惚れしたことがもとで、結局、ルースもポールの逃亡を助ける旅に参加。そのために、猟銃を持ったルースのオヤジさんにまで追っかけられる羽目に。 さて、アメリカ政府とルースのオヤジさんの追跡を振り切り、クライブ・グレアム・ルースの三人は、ポールを故郷の星に返してあげることが出来るのでしょうか!? というような話です。 で、この映画に対する私の評点は・・・ 「66点」でーす! 不合格だけど、まったく面白くないわけではないし、とりたてて腐すほどでもない、という感じ。 ま、誰も言うことですけど、『未知との遭遇』とか『E.T.』、あるいは『カラテ・キッズ』とか『グリーン・ホーネット』など、その辺の一連のアメリカ映画に対するオマージュが色々とち散りめられていていて、しまいには『エイリアン・シリーズ』のヒロイン、シガニー・ウィーバー(この場合は悪役・・・だけどエイリアンを退治する役ですから、彼女には打ってつけ)まで登場させるという手の込みよう。また狭量なキリスト教原理主義者とか、「男二人の旅」=「ゲイ・カップル」と見做すところなど、アメリカ文化の特性なども適当に揶揄しているところなどもあって、そういった諸々を楽しむ映画なのでしょう。アメリカ映画に多い「ロード・ムービー」の一例としてカウントしてもいい。 しかし、全体としてみると、不慮の事故で地球に来てしまった宇宙人を、もとの故郷に返してあげる過程で、その宇宙人との友情を築き、彼が施す奇跡を体験する、という意味では、それこそ『E.T.』の中年版なのであって、目新しいところはどこにもない。ポールの造形にしても、あまりにも「いい奴」過ぎて、ひねりが効いてない。あの、「死んだ鳥を生き返してから食べる」的な部分を、もう少し沢山盛り込んであれば、良かったのではないかとも思いますが。 ということで、私としては「さほど大した映画ではない」という結論なんですけど、この映画はそもそもそういう判断をする対象でもなくて、疲れている時にでも気晴らしに漫然と見る程度のものとして、見ればいいのかな。 その程度のものだと最初から割り切るなら、別に見て損というものではありません。おすすめ! とまでは言いませんけど、小すすめ! くらいは言っておきましょうか。これこれ! ↓[DVD] 宇宙人ポール価格:2,453円(税込、送料別)
July 14, 2012
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「ブルーベリーが実ったので、摘みにいらっしゃい」とのお誘いを受け、既に定年を迎えられて悠々自適の生活をすごしていらっしゃる大先輩同僚H先生ご夫妻のご自宅に遊びに行ってきました。 と、その前に刈谷市寿町にある「ラパン」というフレンチのお店でご馳走にも与かってしまいました。このお店、料理全般に美味しいのですが、この時期「桃のスープ」というのが味わえるのがステキなところ。桃の実をすりおろしたものに、何か酸味のあるもの(ヨーグルト? サワークリーム?)を加え、おそらく若干の塩味も加えたような感じで、非常に濃厚かつ爽やかなお味。夏の暑気払いにうってつけでございます。 さて、H先生のご自宅にはかなり広いお庭があり、そこに奥様が丹精を込めたイングリッシュ・ガーデンが広がっている。その中に数種のブルーベリーも植わっているのですが、これがちょうど色づき始めておりまして。 ブルーベリーのいいところは、一気に実がなるのではなく、毎日少しずつ、熟した実が現れるところ。ですから、結構長い日数、少しずつ収穫して楽しむことが出来るんですな。 で、今回私も初めてブルーベリー摘みというのを体験してみましたが、要するに色が濃い紫色になっているものをちょっと指で摘まむと、ポロッと取れる。このポロッという感触がよいわけ。で、逆にまだ熟れていない実は、少しぐらい摘まんでもポロッと取れませんので、その場合は、「あ、これはまだ熟れてないな」と思えばいい。 で、ある程度摘み終わったところで、お部屋に戻り、摘んだばかりのブルーベリーをいただきましたが、酸っぱいものもあったとはいえ、甘いものは甘く、なかなか美味しいものでした。要するにブルーベリーってのは、庭木のように育ててもちゃんと実るし、おいしい実がなるということですな。 先生のご自宅には、ブルーベリーの他にもブラックベリーや、オクラやピーマンやトマトなどの夏野菜、それにミョウガやバジルなどもあって、ちょっとした家庭菜園の趣。やっぱり庭のある一戸建てというのは、いいもんですね。マンション暮らしは気楽でいいけれど、庭の愉しみというのは、一戸建てならでは。 ということで、今日はラパンの「桃のスープ」と共に、庭作りの愉しみというものを、H先生ご夫妻から教わったのでした。今日も、いい日だ!
July 13, 2012
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なんか、大津市のいじめ問題がすごいことになっておりますな。 新聞報道によると、警察による中学校・教育委員会への強制捜査で、生徒たちが動揺しているとのこと。 だけど、動揺するところが違わないかい? 警察が来たから動揺するのではなくて、自分たちの仲間の一人が、同じ仲間によって凄惨ないじめを受け、おそらくはそれがもとで自殺したというところに動揺するべきじゃないの? 警察が来るのは、ある意味、その事件の当然の帰結であって、それ自体は別に動揺するほどのことではないのではないかと愚考しますが? 一方、警察も警察だよね! いきなり手のひらを返したような強制捜査開始だけど、お前ら、被害者の遺族からの被害届を3度も受理拒否したそうじゃないの。なんで受理拒否したのか、誰が責任者なのか。警察自体も、強制捜査の対象になるべきじゃないの! ま、結局、マスコミを通じて騒ぎが大きくなったから、警察も重い腰を上げたし、騒ぎが大きくなったから、ことの重大さを教育関係者も理解したということなんでしょうけど、そうじゃなければ、この事件は闇に葬られていたわけですから。 いかにも日本人らしいな。スカイツリーしかり、金環日食しかり、オウムの逃亡犯しかり、パンダの出産しかり。一旦話題になれば、すごい騒ぎになるけれども、そうじゃなきゃ、という奴。 となると、自分の子供が学校でひどいいじめを受けたら、警察に相談に行くのではなく、マスコミに行かなきゃダメだってことかな。本気で、子供を守ろうとするならね。 っていうか、もっといいのは、そんな学校に行かせないことだよね! もちろん、生徒同士の日常的な、ちょっとしたいさかいがあった程度で、大げさなリアクションをするのもどうかと思うけれど、「自殺の練習」とか「葬式ごっこ」までやられたら、そんなところに行かせることはないな。義務教育ったって、自分の子の命と比べたら、義務教育の方を無視すりゃいいんですよ。 とにかく、いじめを受けている子たちの悲鳴を、学校も、教育委員会も、警察も、ちゃんと聞けと。今回の騒動が、そういう教訓に結びつけばいいんですけど。だけど、どうかな・・・。人の振り見て我が振り直さない連中が、この国には多いからねえ・・・。
July 12, 2012
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1999年公開の映画『ギャラクシー・クエスト』を観ましたので、感想等を一言。以下、ネタばれ注意です。 本作で言う『ギャラクシー・クエスト』というのは、1970年代に数年間にわたってアメリカで放送されていたテレビ番組(もちろん『スタートレック』がモデル)のこと。放送が終わってから既に20年ほどが経過しているにも関わらず、いまだに熱狂的なファンが大勢居り、この番組に出演していた俳優たちは、何かと催しものに引っ張り出されているんですな。 とはいえ、既に放送終了から20年も経っていれば、放送当時子役だった出演者も立派な大人になっている。となると、もともと大人だった出演者などはもう相当なおじさん・おばさんになっていて、しかもこの間、俳優としては誰も大成しなかったので、『ギャラクシー・クエスト』絡みのイベントは貴重な収入源。といって、いつまでも過去の作品にあやかった仕事しかない、ということに対して卑下するところもあり、出演者同士のチームワークも最悪。 ところがそんなある日、またもや『ギャラクシー・クエスト』ファンの集いがあり、サイン会などをしている時に、「サーミアン人」と名乗る一団の妙な人たちがギャラクシー・クエストの「タガート艦長」役を務めたジェイソンの元にやってきて、自分たちを助けてくれ、というような要請をしてくるんですな。で、ジェイソンは、またギャラクシー・クエストの熱狂的なファンのたわごとだと思い、彼らを適当にあしらってしまう。 ところがこのサーミアン人というのは、実は、本物の宇宙人だったんです。 彼らの星では、地球からの電波を受信し、『ギャラクシー・クエスト』という番組を「ドキュメンタリー」だと勘違いして見ていたんですな。で、タガート艦長をはじめとする乗組員たちを真の英雄としてあがめ、『ギャラクシー・クエスト』に登場する宇宙船をモデルとして、それとまったく同じものを作り上げていたと。何しろ、サーミアン人たちは「嘘をつく」ということを知らないので、20年前のテレビドラマを、完全に真実の物語と思っていたわけ。 で、今、そのサーミアン人たちは、「ファクトリ星人」を統率する悪玉・サリスと戦争状態にあって、絶滅寸前。その危機を、タガート艦長はじめ、ドクター・ラザラス(『スタートレック』で言えばスポック博士に当たる)、マディソン中佐(シガニー・ウィーヴァーが演じる)、技術主任チェン、ラレド大尉などなど、『ギャラクシー・クエスト』の乗組員たちの協力と指導の下、乗り切ろうと、いわば彼らをスカウトに来たんですな。 で、どちらにしろ俳優としては食えない連中ばかりですから、彼らはサーミアン人たちの慫慂に応えて、サーミアン製のギャラクシー号に乗り込み、サリス軍団との戦いに備えることになると。 さて、この俳優たちは、彼らを英雄と崇めるサーミアン人たちと協力して、サリスとの戦いに勝利することができるのか?! というような話です。 で、この映画に対する私の評価は、と言いますと・・・ 「76点」です! 合格! 映画の出だしは、イマイチ、ぱっとしなくて、「これ、ほんとに面白いのか?」と、疑惑がチラッと脳裏をよぎったのですが、途中から俄然面白くなってきて、最後の方は結構ノリノリで見ていたという。何と言っても『ギャラクシー・クエスト』の俳優たちを本物の英雄と信じ切っているサーミアン人たちの純粋さというのがすごく切なくて、また、そこまで自分たちを信じてくれる人々を裏切れないということで、俳優たちも次第に自覚が増し、本物の英雄になっていくというところが実にいい。そしてタガート艦長ら乗組員だけでなく、『ギャラクシー・クエスト』の熱狂的なファンたちもまた、彼らの窮地を救うのに大きな役割を果たす、というところもとてもいい。 ということで、見終わった後、すごく爽快なんですよね。気持ちよく楽しませてもらった、という感じがある。 もちろん、傑作映画とまでは言えませんが、十分に佳作、それも、見る価値のある佳作映画だと思います。私は、好きです、この映画。 というわけで、『ギャラクシー・クエスト』、教授のおすすめ!と言っておきましょう。見たことがないという方は是非!これこれ! ↓【送料無料】【マラソン限定セール対象】グレイテストヒッツ::ギャラクシー★クエスト価格:1,838円(税込、送料別)
July 11, 2012
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小沢コージ著『クルマ界のすごい12人』(新潮新書・680円)を読了しましたので、心覚えを書きつけておきましょう。 本書は「バラエティ自動車評論家」を自称するライター、小沢コージ氏が、自動車産業に様々な形で携わる成功者たちを取材し、そういう人たちの生い立ちとか、いかにしてそれぞれの分野で一流となり、成功を納めて行ったかについて書き記したもので、クルマ/ライフスタイル誌『エンジン』に連載されていたのをまとめたもの。 で、そのクルマ界のすごい12人が、具体的には誰のことなのか、そのメンツを書いておきますと、山内一典氏(ゲームソフト「グラン・ツーリスモ」の開発者)、尾上正志氏(カーコンビニ倶楽部創業者)、丸山和夫氏(ミニ専門店MINIマルヤマ創業者)、羽鳥兼市氏(中古車買取会社「ガリバー」創業者)、梁瀬次郎氏(ヤナセ名誉会長)、和田智氏(カーデザイナー)、光岡進氏(自動車メーカー「光岡自動車」創業者)、小野光太郎氏(ホイール製作等・小野グループ代表)、横幕宏尚氏(改造車製作等・ヴェイルサイド創業者)、星野一義氏(レーサー/インパル社創業者)、藤井孝雄氏(自動車関連専門書店「リンドバーグ」創業者)、山田眞次郎氏(自動車ドアロック等「インクス」創業者)の12人。ヤナセ会長の梁瀬次郎さんとか、レーサーの星野一義さんのように、結構名前が知られている人もいますが、必ずしも知名度の高い人ばかりではありません。 でも本書を読むと、確かにここに挙げられた12人は誰もみな「すごい人」であることが分かります。 で、その「すごい」にも色々なニュアンスがあって、卓越した才能を開花させて己の進む道をぐんぐん突き進んでいった人もいるし、あるいは「顧客サービス」を愚直なまでに推し進めることで、その道のトップに立った人もいる。また、他の人たちが目を付けないところに目を付けることでビジネスを成功させた人もいるし、逆境を利用して、それをむしろ味方につけて成功した人もいる。それぞれの人がそれぞれのやり方でてっぺんを取っていったというところが何とも面白いし、また痛快なんです。 だから、どのエピソードを読んでも勉強になるし、思わず膝を打つようなところがあるのですが、個人的に一番面白かったのは、「MINIマルヤマ」を創業した丸山和夫さんの話でした。もうね、丸山さんの人生なんて、ある意味、実録版「わらしべ長者」ですよ。 丸山さんは東京は墨田区のご出身なんですが、小学校4年くらいの時に、荒川で手こぎボートに乗りたいなと思ったんですって。で、川沿いにはボロい小船がいくらも転がっている。 で、そんなボロい小船の持ち主を探し出し、2,500円ほどで売ってもらったというのですな。もちろんそのままでは浸水してしまうので、自力で修理し、それで荒川に乗り出すと。 で、荒川に船を浮かべてみて分かったのは、荒川にはやたらに野球のボールが浮いている、ということだった。河川敷で草野球をやる人たちが多いので、ホームランボールが沢山あるんでしょう。 そこで小学生の丸山さんは、自分の小船を使ってそのボールを拾いまくり、日曜日とかに河川敷で草野球をやっている人たちに一袋いくらで売ってみたところ、ガンガン売れるんですって。それで小学生の丸山さんは、仕入れ値タダの野球ボールで小学生にとってはひと財産を稼ぐ。しかも、小学校を卒業する時には、「船でボールを拾い、それをまとめて販売する」というシステムというか、権利を、後輩に2,500円で売ったというのですから、その商才、双葉より芳し。 で、中学生になった丸山さんは、小学校時代に貯めた資金で、ゴーカートを自力で製作し始める。ま、実家がクルマ屋さんだったので、道具は揃っていたとはいえ、見よう見まねで結構スピードの出るカートを作り、それを販売までしたというのですから大したもの。 で、その後、中学・高校とゲームセンターに入り浸り、メカ好きが嵩じてゲーム・センターで壊れた機械などを直してあげているうちに、ゲームセンターにゲーム機を納入しているメーカーからスカウトされ、高校時代に既に給料をもらっていたという・・・。そして高校卒業後は父親の経営するクルマ屋に就職。 で、その後、新婚旅行で出かけたパリで、丸山さんの将来を決定づけるようなことに出くわすんですな。それがイギリスの小さな名車ミニ。パリの街中を小気味よく走りまわるこの小さなイギリス車を見かけた丸山さんは、一目でこのクルマに魅了され、いずれ日本でもミニ・ブームが来るのではないかと予感するんです。 で、日本に帰ってから、自動車雑誌にいきなり広告を打つ。「ミニのパーツ、大量入荷!」と。もちろん、大量入荷どころか、そんなもの一つもないのに、です。とりあえず、嘘の広告を出してみて、反響を見ようとしたわけ。 すると、広告が出た一時間後から、ひっきりなしに電話がかかって来た。一部のマニアの間だけとはいえ、ミニのパーツは需要があったんですな。 で、とりあえず電話の問い合わせに対しては「さっき、売り切れました。次の入荷は2週間後です」と適当な返事をしておいて、ミニのパーツの仕入れを計画する。 で、本家イギリスに買い付けに行ったのでは赤字になると考えた丸山さん、イギリスの旧植民地の香港なら安いパーツがあるのではないかと、香港の電話町で自動車パーツ販売店の住所を調べて地図に印をつけ、印でいっぱいになったところがパーツ屋街に違いないと目星をつけてそこに赴き、狙い通りにミニのパーツを安く仕入れることに成功するんです。で、それを丸山さんの考える「適正値段」で売りまくって大もうけをする。で、香港で7か月ほどパーツを買いあさった後、今度はシンガポールに目を付けて、そこでも大量買いして大もうけ。やがて、パーツだけでなく、ミニ本体も売るようになり、数百台のミニを売りつくすと。 で、普通のミニを売るだけでは物足りなくなった丸山さんは、いよいよミニの故郷イギリスに赴き、その昔ミニのレース仕様を作っていたジョン・クーパーを口説き落として、「ミニ・クーパー」という特別仕様車を作らせ、そのキットを販売させるんです。そう、今もミニの特別仕様車として世界中に名高い「ミニ・クーパー」は、丸山さんの企画によるものだったんですな。 とまあ、そんな感じでバブル時代にミニや特別仕様のミニを売りまくった丸山さんですが、バブル崩壊が近いことを予見した丸山さんは、バブルがはじける前に自ら事業を縮小、健全化し、自分がミニを売った顧客が、今後も末永くミニに乗り続けられるよう、上手に体制を整えて今日に至ると。 ま、ざっとこれが「MINIマルヤマ」創業者・丸山さんのビジネス・ヒストリーなわけ。めちゃくちゃ面白いでしょ? で、これは一つの例でありまして、本書には他に11人分の、同じくらい面白いヒストリーが綴られているのだから、面白くないわけがない。クルマに興味がない方にとっても、勉強になる本だと思います。 また小沢コージさんの書きぶりもいいんですな。癖のない文体でさらっと書いていますが、これだけの内容を分かりやすく、面白く伝えるのですから、ライターとして相当な腕前。私は昔から自動車ライターとして小沢コージ氏を憎からず思っておったのですが、本書を読んで、ますますファンになりました。 ということで、『クルマ界のすごい12人』、教授のおすすめ!です。やっぱり成功する人たちというのは一味違う、ということを勉強するためにも、一読して損はありませんぞ!これこれ! ↓【送料無料】クルマ界のすごい12人価格:714円(税込、送料別)
July 10, 2012
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今日、映画論の授業で、私の大好きな映画を学生たちに見せましてね。別に私が作った映画じゃないですけど、こういう時はつい、自慢したくなるものでして。どうだ、いい映画だろう?ってなもんで。 見せた映画は、ポール・ニューマンが監督・主演した『我が緑の大地』(1971・原題は『Sometimes A Great Notion』)でありまして、アメリカン・ニューシネマ・・・と言っていいのだと思いますが、これがいい映画なんだ。これを見ると、ポール・ニューマンという人が俳優としてだけではなく、監督としても相当腕がいいことが分かる。少なくとも、世評だけは高いクリント・イーストウッドのへぼ監督ぶりとは段違い。 ところが。 見せた後の反応がゼロ。アレ? と思って、ちょっと受講生に感想を聞いてみたところ、彼らがこの映画をまったく理解できていないということが判明。理解できないので、当然、面白くないと。 はあ~?! もうダメだ。 ちょっと前までの学生は、面白い映画の存在を知らないだけで、それを見せれば「面白い」と反応したもんですけど、最近の学生は、面白い映画を見せても、面白いこと自体が分からないんですから、話にならない・・・。 ということは、今まで私がこの授業の中で、見るべき価値のある映画を色々紹介したり、解説をしたりしてきたことも、全て無駄だったということでしょう。だって、私が相当高い評価を与えている映画を実際に見ても、それが面白いと分からないんですから。 また、それを言ったら、映画論の授業だけじゃなくて、文学関係の授業も全部無駄だよね。優れた文学作品を読ませたところで、それがいい作品だということが分からないでしょうから。 ということは、もう、私は大学の先生として、失格だってことだな。 今日は、そういうことが分かりました。倫理的には、辞めた方がいいよね。経済的には、辞められないけど。 自分が話していることが通じないってのは、とにかく、辛いよね。 ほんと、情けないの一語であります。トホホ・・・。
July 9, 2012
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レンタルDVDで映画『スナッチ』を観ました。以下、ネタバレ注意です。 本作は、2つの別な事件が錯綜するクライム・ムービーなんですけど、まず一つ目のクライムはダイヤモンド絡み。ベニシオ・デル・トロ演じるフランキーが率いる窃盗団がアントワープでユダヤ人の宝石商から大粒のダイヤを強奪するんですな。で、このダイヤを闇市場で売り捌くため、NYの大物故買商アヴィーの下に行く途中、同時に盗んだ小粒のダイヤを売るためロンドンに立ち寄るわけ。そしてギャング仲間に紹介された元KGBのロシア人武器商、ボリスと出会う。 で、ボリスからピストルを買ったフランキーは、その料金代わりにボリスから頼まれ、ロンドンの非合法賭けボクシングで、ボリスの代わりに金を賭けてもらうことにする。実はフランキーはこの種の賭け事に目がなく、ボリスの提案に二つ返事で乗ってしまいます。 ところがこれがボリスの罠。彼は知り合いの黒人チンピラ3人組を使い、フランキーが肌身離さず持っている大粒ダイヤ入りのアタッシェケースを強奪させるんですな。で、様々な偶然が重なって、フランキーはずっこけ3人組に拉致され、ボリスはフランキーを殺してまんまとダイヤを奪ってしまう。 と、フランキーが一向に姿を現さないことに業を煮やしたアヴィーは、NYからロンドンにやって来て事情を探り、どうやらフランキーは殺され、ダイヤはロシア人のボリスに奪われたことが判明。そこでアヴィーは不死身の殺し屋・トニーを雇い、ボリスを追うことに。 一方、もう一つのクライムは、フランキーが関わりそうになった掛けボクシング絡み。 この掛けボクシングを仕切っているのは、ブリックトップと呼ばれるギャングの親玉。邪魔者は全て殺し、豚のエサにしてしまうというものすごくコワイおじさん。で、このブリックトップと関わりながら、賭けボクシングにボクサーを提供しているのがジェイソン・ステイサム演じるターキッシュと、その弟分のトミーなんですな。 ところが、ターキッシュが自分のオフィスであるトレーラーを安く新調しようと、トミーをパイキー(ジプシーのこと)たちの元に派遣したのが間違いのもと。もともと非合法な存在であるパイキーたちは、反面、商売上手でもあって、トミーがターキッシュから預かった1万ポンドと引き換えに、使えもしないトレーラーを提供、さらにトミーが文句をつけると、トミーが用心棒として連れて行ったボクサー、ゴージャス・ジョージを叩きのめしてしまうんですな。そして、この時、ジョージを叩きのめしたパイキーたちのリーダーが、ブラッド・ピッチ演じるミッキーだった。 で、賭けボクシングに使う予定だったジョージを潰されてしまったターキッシュは、仕方なく、恐る恐るブリックトップにその旨伝えるのですが、ブリックトップは、ジョージを叩きのめしたミッキーをジョージの代役として雇うこととし、彼を連れてくるよう命令する。 で、ミッキーを使った賭けボクシングが始まるのですが、何せ、ミッキーは一般の常識が通用しないパイキー族ですから、4ラウンド目でダウンする八百長ボクシングの筋書きを無視し、最初の一発で相手ボクサーをノックアウトしてしまう。 もちろん、これで賭けボクシングは台無し。ミッキーを連れてきたターキッシュも一巻の終わりかと覚悟するのですが、ブリックトップはもう一度だけターキッシュにチャンスを与えるんですな。で、今度こそ、ミッキーを筋書き通りに行動させることを約束させる。とはいえ、先のこともあるので、見せしめとしてターキッシュがそれまでに稼いでいた全財産はブリックトップに奪われ、ミッキーたちパイキー族の心の支えだった母親(マー)も、焼き殺されてしまう。 そして、いよいよ賭けボクシングの日。ミッキーはブリックップに言われた通り、本当に4ランド目にダウンしてくれるのか? また同時並行的に進んでいるもう一つのクライム、ボリスの持っているダイヤの行方は? そして、この二つのクライムは、どこでどう交錯するのか?? というようなストーリーです。 で、この映画に対する私の評点は・・・ 「89点」です! 今年見た映画の中では、『レイヤー・ケーキ』の91点に次ぐ高得点! いやあ、これ、すごく面白い映画ですよ。ガイ・リッチ―監督って才能あるんだ~って思いました。っていうか、『レイヤー・ケーキ』もそうですが、イギリス映画の底力ってすごいね。 ま、ある意味、『パルプ・フィクション』的な構成ではあるのですが、やはりそこにイギリス的な控えめな笑いというのがそこここに忍ばせてある。パイキー族のわけの分からないしゃべり方とか、撃たれてもなかなか死なないボリスとかね。そしてコワイおじさん、ブリックトップの名演技とかもかなり面白い。先だって観た日本映画『探偵はBARにいる』と比べるのもアレですけど、同じ映画、同じワルの世界を描いた映画でも、彼我のレベルの差は大きいなあと、改めて思います。 ということで、2001年公開のこのイギリス映画、もしご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、是非ご覧ください。教授の熱烈おすすめ!でございます。これこれ! ↓【送料無料】【DVD3枚3000円5倍】対象商品スナッチ価格:1,000円(税込、送料別)
July 8, 2012
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昨夜の話なのですが、今年3月に卒業した昨年度のゼミ生たちと3カ月ぶりに再会してきました。卒業後、それぞれの道に進んで一生懸命頑張ってきた連中ですが、3カ月が経ってとりあえず現在の生活にも慣れ、一方、かつての仲間たちの様子も聞きたくなってきた頃なのでしょうな。 で、名古屋は栄の東、トルコ料理の店「キャプテン・イスタンブール」で合流。エスニックな料理に舌鼓を打ちながら、旧交を温めます。 まず今回の同窓会を企画してくれたMさんですが、彼女は今や社長秘書! と言って、ナイスミドルのイケメン社長に仕えている・・・わけではなく、彼女にとっては「御祖父ちゃん」的な存在のようですが、やはり社長秘書は社長秘書。息の抜けない部分もあるらしい。最初から秘書になるつもりで就職したわけではなく、入社したらたまたまそこに配属されてしまったようですが、結果として時に英語での応対をする必要もあるようで、大学時代に培った英語力を発揮しているとのこと。やはり、英語力というのは、どういう就職をするにせよ、必要な時代になってきたということでしょうか。 白一点のZ君は、大学院進学組。大学院在学中に小学校の教員免許も取るつもりとのこと。小学校免許を取るには、例えば「ピアノ」の習得も必須で、昨日の昼間、まさにピアノの課題曲のテストがあり、一応、弾きこなして単位取得の手ごたえを得てきたとのこと。先生になるというのも、色々な勉強をしなければならず、なかなか大変ですなあ・・・。大学院の修了は3年後になるので、今年は教員免許取得のための試験は受験しないとのこと。まだ余裕があるうちに、修論の準備も含め、様々なことにトライしてもらいたいものです。 旅行代理店に就職したNさんは、仕事の都合で遅れて到着。旅行代理店の仕事は彼女に合っているらしく、同僚にも恵まれ、なかなか楽しそうなOLライフを送っている模様。先日は東京ディズニーランドと周辺ホテルで研修があり、向こうも代理店にプッシュしてもらいたいわけで、下へも置かぬおもてなしを受けたとのこと。なるほど、旅行代理店に勤めると、そういうおいしい部分があるわけですな! しかし、忙しいことは忙しいらしく、お客さんとの応対の中で、段々、言葉遣いがおかしくなってきて、「そうですね」と相槌を打つべき場所で「そうだわな」などと言ってしまうような失敗がよくあるとのこと。ま、Nさんの満面の笑顔があれば、少しくらいの妙な言葉遣いも、愛嬌として受け取ってもらえることでしょう。 職場が四日市にあることもあって、2時間遅れの到着となったIさんは、Nさんとまた別な旅行代理店に就職したのですが、頑張り屋のIさんは仕事の成績も抜群。先輩社員に伍して営業所の成績トップを維持し、7月の成績如何によっては「新人賞」を取れるかも知れないとのこと。話を聞いていると、ちょっと仕事のし過ぎじゃないかと思われ、心配になってきますが、本人がそのことに張り合いを持っているならば、まあ、やれるところまでやればいいかなと。また東南アジア方面に男一人で出かける客が結構多く、それがどうやら有名寺院などを見に行くばかりではないことについ最近気が付いたそうで、段々、大人の階段を上っているようではありました。 とまあ、4人それぞれ、自分で選んだ道で頑張っており、また現場で評価されるような活躍をしているようで、彼/彼女らを送り出した私としては、エッヘン、どんなもんだい、と言いたくなりましたね。やっぱり、我がゼミの連中は、優秀ですな。 指導者がいいからね! というわけで、卒業式以来、昨年度ゼミ生たちの一回り大人になった様子を、トルコ料理と共に堪能した私だったのでした。
July 7, 2012
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先日、野暮用であるところに行ったら、隣にブックオフがありまして、ついでに寄ってみたところ、105円の棚に『ケンブリッジのカレッジ・ライフ』(中公新書)なる本を発見。今年の9月に短期間ながらイギリスに出張し、どうせならケンブリッジ大学も見てこようかと計画している私としては、事前の情報収集として読んでおいて損はないかと思い、買ってしまいました。105円だしね。 で、それを読了したので心覚えを書き付けておきます。 本書は、明治大学で経済学を講じていらっしゃる安部悦生氏が、訪問教授として1年半ほどケンブリッジ大学に滞在されていた経験をもとに、この大学のありようを書いてみた、という趣旨の本。滞在期間の短さもあり、長い歴史のあるケンブリッジ大学の隅から隅まで紹介するような本ではありませんが、私自身、アメリカの大学に同じような立場で滞在していた経験があることもあって、自分自身の体験からの類推、あるいはそれとの対比をする楽しみもあり、結構、面白く読むことができました。 で、まず興味深かったのは、ケンブリッジ大学の複雑な構造の話。 私はイギリスの大学事情についてはまったく疎いので、本書を読んで初めて知ることが多かったのですが、イギリスの場合、たった1校の私立大学を除いて、すべての大学が国立大学だというのですな(1992-3年時点での話)。で、それゆえに大学の学費はすべて無料であると。だから、当然、ケンブリッジ大学も国立大学であると。 しかし、ケンブリッジ大学には「カレッジ」と呼ばれる組織が30ほどあって、こちらは私立なんですな。だから、ケンブリッジ大学というのは、国立大学と私立大学の複合体と言うことも出来る。 もう、この段階で、よく分からないですよね?! で、学生は、国立のケンブリッジ大学の学生であると同時に、30あるカレッジのどこかに所属することになる。その際、カレッジにも格があって、それこそ古いものになると西暦1284年創立だそうですが、そういう由緒ある奴から、1970年代にできた新しいものまであるので、当然、優秀な学生ほど、創立の古い、由緒とパワーのあるカレッジに所属することになる。 一方、教授陣の方ですが、これも国立大学としてのケンブリッジに所属するわけですが、同時にカレッジからオファーされればカレッジの方の教授にもなると。しかしこれは必ずしもそうでなければならないということでもなくて、ケンブリッジ大の先生ではあるが、どこのカレッジにも所属していないという先生もいる。逆に、カレッジの方で教鞭は執っているが、ケンブリッジ大学には所属していないという先生もいる。何だそれ?って感じでしょ。 ちなみに、大学では上から教授・助教授・講師という身分があるわけですが、カレッジでは一概に「フェロー」と呼ばれる。で、フェローの方は、早くからそのカレッジに所属していることがモノを言うので、例えば大学での身分は講師だけれど、早くからカレッジのフェローになっていたので、後からフェローになった大学の教授より、カレッジでは身分が上、というケースもあるのだとか。そういう場合、例えばカレッジのディナー時など、教授が講師に紅茶を注いで回らなければならない、などの逆転現象も付随して起こる。ややこしい! その他、各カレッジでは、フェローになると一日に一食はカレッジの食堂でタダで食事ができるとか、フェローの長、マスター・フェローになると、かなり広大な屋敷が提供され、定年までそこに住めるとか、色々恩典があるらしい・・・。 で、大学でのランチとかディナーというのが、これまたかなり儀式ばっていて、日本の大学のように、先生と学生が同じ食堂で雑多に食べるなんて無粋なものではなく、教授陣の食事スペースは、学生の場所よりも50センチばかり高い位置にしつらえられ、厳密に区分されているとのこと。またディナーでは毎回席順が決められ、気軽なランチにおいても、全員一緒に取らなければならないなど、自由気ままなカフェテリア方式ではないようです。 さらに、カレッジの庭の芝生の上を歩けるのは、フェローのみ、みたいな規則もあって、観光客が勝手に芝生に入ることは禁じられている(無言で)とのこと。良かった~、このことを先に知っておいて! さてさて、大学での講義に目を転じると、ケンブリッジ大学の方では、「講義」と言えば日本の大学と同じく一斉授業で、先生が講義し、学生が大人しくそれを聴くというスタイル。アメリカの大学のような演習形式の授業というのは少ないらしい。ただし、日本の私立大学の多くのように、学生数100人とか200人の大講義というのはなくて、せいぜい30人程度なんだそうで。 その一方、カレッジでの授業は、スーパーバイザーと呼ばれる先生と学生が一対一の対面で指導する形を取り、これが日本の大学での「教養課程」的な感じになるらしい。ちなみに、ケンブリッジではこういう指導をするカレッジの先生をスーパーバイザーと呼ぶのですが、同じ役割を果たす先生をオックスフォード大学ではチュートリアルと呼ぶらしい。その辺は、それぞれの大学の伝統の違いなんだそうで。 ちなみに、修業年数ですが、イギリスの大学の修業年数は3年。ただし「東洋学」のように、学業に語学の習得が必須の場合は修業年数が4年となり、ある程度の期間、研究対象の国への留学が必要になるとのこと。その辺はイギリスらしく柔軟かつ合理的なんですな。 で、イギリスでは優秀な大学ほど、授業期間が短いのが常で、ケンブリッジ大学ともなると、年間の授業期間は20週とのこと。日本の国立大学が一概に32週と決められているのと比べると、いかにイギリスの大学の授業期間が短いかが分かりますな。 本書では、こうした大学のシステムの記述の他に、イギリスに滞在して経験した様々なことも書いてありますが、その辺のことはむしろ林望しの『イギリスはおいしい』的な本を読んだ方が面白いので、私としては、純粋にケンブリッジ大学のシステムについて語っているところを面白く読んだ、という感じです。 だけど、大学のシステムの中に色々儀式ばったことが組み込まれているというのもそうですが、イギリスの大学、そしてイギリスの大学人ってのは、何だかこう、面倒臭いですな。プライドが高いというのか。 例えばあるランチだかディナーだかの席で、安部さんが隣に座った先生に「How many years have you been working here?」(何年くらいこの大学で働いていらっしゃるのですか?)と尋ねたら、その相手の人が「I am not working here, I am teaching.」(私はここで働いているんじゃない、教えているんだ)と答えて、ぷいと横を向いてしまったとか。 あるいは、アメリカの名門ブラウン大学の先生がケンブリッジ大を訪問し、同じく食事の席で隣に座った先生に「In which field are you engaged in?」(ご専門はどちらの畑ですか?)と尋ねたところ、「私は農民ではない」と答えて横を向かれたとのこと。 イギリス人、感じ悪! とまあ、色々ケンブリッジ大学の様子を読んでみて、私としては、アメリカの大学、とりわけ西海岸の大学の方が、気さくでいいなと思ったことでございます。ま、そういうイギリス人気質、ケンブリッジ気質に順応すれば、それはそれで楽しいのかも知れませんけどね。 ということで、イギリス名門大学の何たるかを、ちょっとだけでも垣間見ることが出来たという点で、本書『ケンブリッジのカレッジ・ライフ』、そこそこ面白かったです。少なくとも105円の価値はあったな。これこれ! ↓ケンブリッジのカレッジ・ライフ 大学町に生きる人々 中公新書 / 安部悦生 【新書】価格:693円(税込、送料込)
July 6, 2012
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昨日、大学生の教養について私見を述べましたが、実はもう一つ、このことに関して私にはアイディアがありまして。 現代の大学生の一般教養として、「戦後昭和民俗史」を教えておくべきではないかと。 昭和・戦後史というと、堅苦しい方面の著作はいくらでもあるわけ。政治史とか、そっち系はいくらでもある。 だけど民俗史となると、個別のジャンルの研究(「戦後風俗史」とか、そういう奴)はあるものの、トータルな奴が意外にない。 しかし、私が考えているのは、そういうのではなく、昭和の後半を生きてきた人間にとって、昭和はどんな時代だったかっつー、カタログ的な思い出であります。 私自身、昭和40年代初頭に物心ついてから、昭和後半を生きてきたわけですが、その中で、色々な思い出がある。初めて家に電話がついたときのこと。テレビがカラーになった瞬間。家の周りにどんどん団地が出来ていったこと。走っているクルマが皆アースを付けていたこと。紅白歌合戦で、出場歌手全員の歌を歌うことができたこと。 パンタロンが流行ったこと。スーパーマーケットが家の近所に出来たこと。オイルショックでトイレットペーパーが払底したこと。短波ラジオに夢中になったこと。深夜ラジオを聞き始めたこと。ディスコ・ブームが来たこと。レコードがCDに変わった瞬間。スキー場ではどこもユーミンがかかっていたこと。空前のバブル景気で、100メートル先の店に行くのにタクシーに乗ったこと。 そういう一つ一つの思い出を総合した「昭和後期」という時代を、今の大学生に伝えておきたいという気持ち。それが私にはある。 なぜなら、今の若者、つまり平成生まれの彼らは、昭和のことを何も知らないからです。何も知らないので、ジェネレーション・ギャップが凄い。まるで、昭和と平成の間に不透明な衝立があるみたい。それを、少しでも解消したい。 それに、これから社会に出る大学生たちにとって、部長クラスの上司がどういうものを経て今日に至ったか、知っておいて損はないだろうと。 で、そういうことを扱う本があまりないのであれば、ワタクシ自身で書いてもいいなと。また、そういうものをまとめておけば、それはそのまま、自分史にもなりますしね。 っつーことで、本当は他にも書かなくてはならないことが沢山あるのですが、またぞろ一つ、遠い目標が出来てしまった私なのでありました、とさ。
July 5, 2012
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今日も今日とて、不毛な会議に3時間も出席して参りました。半分寝てたけどね。 今、うちの大学では1、2年生の時に受講する「教養科目」の改革をしようとしているんですけど、「教養」って何か、ということのコンセプトがまるで定まってないわけ。で、コンセプトがないまま、好き勝手に「あれも教養」「これも教養」って感じで、個々の授業題目だけが先行して決まっていくというね。ま、その授業科目を担当する個々の先生の顔を思い浮かべながら考えているわけだから、どうしてもそうなっちゃうんだけど。 だけど、結果として挙げられている授業を見ると、まあ、これがつまらなそうな題目ばかり挙がるのよ。 例えば、文系の学生向けに「宇宙のはじまり」とか。そんな話聞きたい? 「防災学」とか。何それ? 防災なんて「津波てんでんこ」って覚えておきなさい、で終わる話じゃないの? 私が思うに、大学生に必要な教養って、「新聞がまともに読める能力」じゃないかと思うんですよね。 新聞をまともに読むって、結構、難しいですよ。新聞って、色々な話題があるからね。 例えば「株式欄」ってありますからね。株式欄ざっと見て、「ああ、日本経済って、今、こうなっているのね」って、分かります? 「東証株価指数」とか、「TOPIX」とか、「キャッシュフロー」がどうだって言われて、何のことか分かるかって言われたら、意外に多くの人が正解を言えないと思います。 とすれば、大学の教養科目で「株式の何たるか」を教え、日経新聞や会社四季報をざっと読めるくらいにしてやったら、身に着けておいて損はない教養になるんじゃないか。 また新聞には海外の政治に関する記事もありますから、それが読めるようにする。アメリカ大統領選で、今何が争点になっているのか、シリアで何が起こっているのか、ギリシャがEU抜けると何が問題になるのか。大体、いまどきの大学生なんて、現職のイギリス首相やフランス大統領の名前が言える奴なんて、そんなにいないですよ。そういうことを、教養科目の中で教えて、海外の政治動向に興味を持たせるなんて、良いテーマじゃないですか。 さらに新聞には文化欄がありますからね。文芸時評、音楽時評、美術時評、ファッション時評と、色々ある。日本古来の文化についての記事だってあります。浄瑠璃などに対して、大阪市が補助金を出ししぶっている問題にしたって、そもそも「浄瑠璃って何?」ってところから理解してないと、なかなか分からないですよ。 とまあ、新聞が扱う話題を包括的に理解するとなると、結構な教養が必要となるわけで、それを大学の教養科目として扱えば、勉強になることも多いだろうし、公務員試験や就職試験における「常識問題」への対策にもなるじゃん? それに、その見地から個々の授業題目を決めて行けば、トータルとしてうちの大学が学生に何を教えようとしているか、そのコンセプトが明確になっていいじゃないですか。 ・・・と、ワタクシは思うのですが、大学ってところは頭の固いセンセイ方が多いからね。こういう話をしても、通用しないんだ、コレが・・・。 で、結局、文系の学生に「星はどうして生まれるか」なんて授業をやっちゃうわけよ。まあ、もちろんそれも教養っちゃ教養だけど、学生も「なんで文系の俺たちが、星の成り立ちとか勉強しているんだろう」って、思うよね・・・。可哀想に。 というわけで、ワタクシには同僚の皆さんのお考えになっていることが、さっぱり理解できないのでありました、とさ。
July 4, 2012
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ジョニー・デップ、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画『ツーリスト』を観たので、若干の感想を。以下、ネタバレ注意です。 イギリスの大物マフィア、ショーの片腕でありながら、彼を裏切り、金融詐欺で彼から大金を奪って逃げたアレグザンダー・ピアース。彼は今、多額の税金未納のためイギリス政府から、そしてもちろんショーからも追われる身ながら、2年以上も行方をくらましている。 ところがそのアレグザンダーが、恋人のエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)と連絡を取り、再会するつもりらしいという情報がもたらされるんですな。で、イギリス政府も各国政府と連絡をとりながら、エリーズの動向を見張っている。 一方、エリーズは、アレグザンダーからの連絡で、ベネツィアで彼と再会することとなり、彼の指示通り、リヨンから電車に乗ってベネツィアへと向かい、その間、追ってくる警察を攪乱するため、アレグザンダーと体格のよく似た男を適当に見繕って誘い、行動を共にさせる。そして、この時選ばれたのが、ジョニー・デップ演じるフランクという男。彼はアメリカの片田舎の名もない大学の数学教師なのだが、妻に2年前に死なれたことから、傷心を癒す旅に出ていたのだった。 で、何も知らぬフランクは、いきなり電車の中でエリーズから誘われ、ベネツィアに着くと、今度は豪勢なホテルにまで誘われ、すっかりその気になってエリーズに惚れてしまうわけ。 しかし、エリーズにとってフランクは単なる隠れ蓑。適当にあしらわれるのだが、マフィアは彼をアレグザンダーだと思い込み、何度も拉致されそうになってしまう。 不用意に彼を選んだためにフランクをひどい目に会せてしまったエリーズは、とりあえずマフィアの追手から彼を救い出し、ある程度のお金を渡して、さっさとアメリカに帰るように指示。そして自分自身は、イギリス警察の下へ。 実は、エリーズはイギリス警察のエージェントだったんですな。そしてアレグザンダーと接触し、彼の愛人となって様子を探っているうちに彼の虜となり、警察の仕事を放棄していた。が、その後、アレグザンダーは彼女の許を去って2年程雲隠れしてしてしまい、今回、2年ぶりに彼女に接触してきたと。 で、エリーズは、相変わらずアレグザンダーを愛していたとはいえ、今回、アレグザンダーとは全くタイプの異なるフランクという生真面目な男と偶然知り合ったことで、少しフランクの方に心を動かされていたんですな。で、2年ぶりにアレグザンダーが彼女に接触してきたことを機に、この際、彼をイギリス警察の手に渡す手引きをする本来の職務に立ち戻り、彼と縁を切ろうと決意した。 で、エリーズはアレグザンダーの指示通り、さる舞踏会に出席。勿論舞踏会はイギリス警察がばっちり見張っているわけですが、その間隙をぬってアレグザンダーは彼女に次の指示を出し、彼のベネツィアにおける豪勢なアジトに導くわけ。で、エリーズもそこへ向かう。 ところが、マフィアのショー一味もまたエリーズを追って、このアジトにやってくるわけ。で、エリーズに、アレグザンダーの金庫を開けるよう命じ、それが出来ないなら彼女の顔から美貌を奪ってやると脅迫。エリーズは危機一髪! と、そこへ、何を血迷ったか、エリーズを助ける白馬の騎士としてフランク登場! しかし偶然アレグザンダーの身代わりにされた男に、アレグザンダーの役が務まるはずもない。 さて、冷酷なマフィア・ショーの手のうちに入ってしまったエリーズと、「ああ勘違い」なフランクの運命やいかに?! ・・・というような話です。 で、この映画に対する私の評点は・・・ 「57点」でーす! ひどい! というほどではないけれど、必見!とはとても言えないレベルの作品、かなあ・・・。 これ、2005年のフランス映画のリメイクらしいですが、うーーん。なんか、アンジーとジョニデの出演料以外、あんまり金がかかってないなあ、という安易な作り。それに、ジョニデが登場する度に、何かこう、ゆるいコメディみたいな感じがしてしまって、サスペンスという感じが削がれるんですよね・・・。サスペンスにもコメディにもなり切れない、妙な感じ。むしろ、オリジナル(『アントニー・ジマー』)の方で見たかったなと。 このリメイク、最初、フランク役はトム・クルーズにオファーされていたようですが、トム君は『ナイト&デイ』に出演するので断り、それで回り回ってジョニデに話が行ったとのこと。確かに『ツーリスト』と『ナイト&デイ』は、ちょっと傾向が似ている作品ではありますが、私が思うに、『ナイト&デイ』の方が500倍面白いね。 『シザー・ハンズ』や『ギルバート・グレイプ』など、私もジョニデに対して「お、面白い俳優が出てきたな」と思った時期もありましたが、最近はもうダメ。「ジョニデが出演する作品に、傑作はおろか佳作すらなし」と言い切れるところまで来ちゃった感じがしますね。『ツーリスト』観て、なおさらその感を強くしましたわ。 というわけで、『ツーリスト』という作品、教授のおすすめ!はなーしよ。
July 3, 2012
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小松左京さんの書かれた『SF魂』(新潮新書・680円)を読了しましたので、読書録を付けておきたいと思います。 本書は、日本SF界の大御所にして、1年ほど前に亡くなった小松左京さんの、まあ、自伝のようなものでございます。 「SF」という文学ジャンルは、少なくとも今の日本に定着していると思いますが、さて、どのようなものとして定着しているか。亜流、傍流、色物・・・、いずれにせよ、王道とは思われていないでしょう。 今でこそそうなんですから、日本SF創世記の頃にあっては、「児戯に等しい」の一言で片づけられていたんですな。だからこそ、仮初にも文学を志す者が、なぜ一般には「児戯」と見做されていたモノに賭けることになったのかということは、小松さんとしてどうしても言い残しておきたいことであったでしょうし、また読者としてはそこが是非知りたいところなわけですよ。 で、小松さん自身の説明によると、若い頃の「戦争体験」が、まさに彼をしてSFへと向かわしめたというのです。 中三の時に終戦を迎えた小松さんは、一方では自分がもう少しで戦場に赴く可能性があったということ(沖縄では同学年の少年たちが兵隊として死んでいる)の恐怖と、自分は結局戦わずして生き残ったという罪悪感のようなものがあった。その一方、そんな戦争の酷い現実を通り越してきたはずの世界が、またぞろ冷戦下において核戦争の可能性を匂わせていることへの怒りもあった。 で、そういうものがないまぜとなった中で、「あの戦争があの時終わらずに今も続行していて、自分も兵隊として本土ゲリラ戦を戦っている」というシチュエーションを想像してみたら、どんなストーリーが生まれるだろうか、という発想を小松さんは得る。ここにおいて小松さんの戦争体験と、SF的パラレルワールドの発想が結びつくわけ。そしてその結果が、「地には平和を」という作品に結実する。これが、小松さんが煮え切らないまま抱え続けていた自身の戦争体験にケリをつけた瞬間であり、またSF作家・小松左京の出発点だったんですな。 そしてまた、こうしてSF作家としてデビューした小松さんにとって追い風となったのは、この頃から早川書房の『SFマガジン』をはじめとする専門誌がいくつか創刊されたこと。かくして作品発表の場を確保した小松さんは、「SF界のブルドーザー」と呼ばれるほどの勢いで、次々と作品を書いていく。それが『日本アパッチ族』であったり、『日本沈没』であったり、『復活の日』であったりするわけですな。 しかも、作家活動だけでなく、1964年頃からは数年後に迫った「大阪万博」の企画にも関わるようになるんです。当時、所轄の通産省あたりは、大阪万博を日本製品のショーケースにするようなつもりだったらしいのですが、それでは万博の意味がない。この得難いチャンスをもっと意義深いものにするためには、どのような理念のもとに企画を考えればよいか。そういうことを桑原武夫、加藤秀俊、梅棹忠夫など、錚々たる知性の持ち主達と考え、例の「人類の進歩と調和」というEXPO'70の理念に到達するわけ。 で、作家でありながら、こうした企画へも首を突っ込む小松さんの傾向を、小松さん自身は、自身の母校である京都大学に連綿と流れる学際的総合の伝統の影響だろうと分析しておられます。蛸壺的な知のあり方ではなく、もちろんそれも大事だけれども、その一方で個々の知の成果を一堂に並べ、見渡し、連結させることで、新たな知の地平を作り出していく、そういう京都大学的なやり方が、とりもなおさず小松さん自身の知のあり方なのではないかと。 事実、SFのストーリーを構築していく小松さんのやり方は、まさに学際的総合です。 例えば『日本沈没』を例に取ると、最初の思いつきは、当時『ナショナル・ジオグラフィック』誌(あるいは『サイエンティフィック・アメリカン』誌)の最新刊に掲載された「海洋底拡大説」だったというのです。で、これを読んで興味を持った小松さんは、早速地球物理学の勉強を始める。 また小松さんの母親が関東地方の出身で、関東大震災を体験しており、地震の恐ろしさを母親から植えつけられてきたということも、地盤変動への興味を一層掻きたてた、というところもある。 一方、1963年に林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」が出たことで、小松氏自身が作家活動の最初から抱いていた太平洋戦争への疑問が再び活性化されたこともある。あの戦争の末期、日本政府は「一億玉砕」「本土決戦」などと声高に言っていたけれども、日本国民が玉砕して一人も居なくなったらどうするのか、日本という国が無くなってしまったとしても、それでもいいと思っていたのか、という疑問です。 で、こういう様々な思いがSFという枠組みの中で混ぜ合わされたところから、海底の地盤変動によって大地震が引き起こされ、日本の国土が無くなってしまったら、その時、日本人はこの事態にどういう風に対処するだろうか? という発想が生じてくると。と、ここまで言えば、この発想こそがかのベストセラー『日本沈没』の出発点だということは、自明でありましょう。小松左京という作家が作品を作り出していく、その過程とはこういうものであったか! ということが分かる点で、この辺は非常に面白いところです。 でまた、もう一つ面白いと思ったのは、『日本沈没』という作品に、当時の政治家たちがこぞって強い関心を示したというところ。中でも田中角栄氏は、ホテル・ニューオータニですれ違った小松さんを呼び止められ、「君とはいっぺん、ゆっくり話したい。今度時間を作ってくれ」と言ったとか。何だかんだ言って、昔の政治家というのはみなそれぞれに読書家であり、それぞれに鋭敏であって、小松さんが『日本沈没』で描いた「日本という国が無くなった時、日本人はどう対処するのか」というテーマに、少なからぬ興味を抱いた、いや、ある意味、危機感を抱いたのでしょう。 そして、時代毎にそれぞれの時代が抱えていた問題点や不安感を白日の下に晒し出すような作品を書き続けた小松さんですが、そんな彼が本書の最後で語っているのは、SF文学というものに対する不動の自信です。このあたりは小松さん自身の言葉を引用しましょう。 SFの思考法の特徴は、物事を相対化する、ということだと思う。(中略) 歴史的事実も、現実の社会も、相対化することで初めて見えてくるものがある。『日本沈没』も『首都喪失』も現実を相対化したシミュレーションであり、一種の思考実験だ。思考実験は最初は哲学から出てきたものだが、それを科学に応用して、まったく違う地平を開いたのが量子力学とアインシュタインの相対性理論。では文学でどうかと考えた時に、それが可能なのはやはりSFしかない。(175‐176頁) まだ駆け出しSF作家の頃、SFという文学ジャンルの可能性の大きさに身震いしたという小松さんが、最晩年に至ってなお、SFこそが文学の中の文学であると言い切ったこと。一言で言えば、それが小松左京という男一匹の一生だったということなのではないでしょうか。 私は、残念ながらというべきか、SFというものの善き理解者ではないし、SFに夢中になったことが一度もないまま、文学研究者になった男ではありますが、しかし、「自伝」という文学ジャンルは好きなんです。とりわけ、理科系の研究者の自伝の無邪気さが好きで、湯川秀樹とかの自伝なんかも結構楽しんで読んでしまうのですが、小松左京氏の自伝を読んでも、そういう理科系研究者の自伝に特徴的な無邪気さがあって、本書も面白く読むことが出来ました。 そういう意味で、SFファンにも自伝ファンにも、本書『SF魂』、おすすめ!です。これこれ! ↓【送料無料】SF魂価格:714円(税込、送料別)
July 2, 2012
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ジェフリー・ディーヴァーの『The Broken Window』を読了しましたので、心覚えを付けておきます。以下、ネタバレ注意ということで。 これ、肢体不自由の捜査官、リンカーン・ライムを主人公にした作品なんですが、今回、ライムが追うのは、アイデンティティー窃盗のプロ。 情報化社会の中、例えばクレジット・カードを使えば、買い物の記録が残りますし、携帯を使えば、どこにかけたか、誰と話したかの記録が残るばかりか、その時、どこに居たかも記録として残ってしまう。そういう情報を日々蓄積して行けば、個人の経済状況や嗜好、さらには思考の傾向までも明らかにできるようなデータの集合体が完成する。 で、そういう個人情報を完璧に集める会社として、本作には「SSD」という会社が登場します。この会社は非合法すれすれでありとあらゆるアメリカ人の個人データを収集しており、その情報から引き出せる個人の嗜好傾向を、他の会社に売ることで利益を上げている。 で、このグレーゾーンの会社が存在できる理由は、SSDの顧客リストにアメリカ政府があるから。政府はSSDの情報バンクを利用し、例えばテロリストなどの洗い出しに役立てているわけ。それだけに、SSDの違法性は、大目に見られているところがある。 ところが、このSSDの持つ個人情報を使って、犯罪が行われるんですな。 犯人は特定の個人の情報、例えば趣味や出身地や出身校などの情報を得ることで、その人に近づいて親しくなり、油断させたところでその人の所有物を奪い、殺害したりする。その一方、それとはまた別の人間の情報を活用することで、その人をこの犯行の犯人に仕立て上げるわけ。犯人に仕立てられた人は、まさに冤罪を被るわけですが、何しろ犯行現場にはその人の靴跡、その人のよく使うモノが残されており、その人のDNAを特定する髪の毛や体液が残されているので、裁判では有罪になってしまうんです。で、真犯人は、まったく疑われることなく、次の犯行を犯すことが出来る。この真犯人は、異常なまでのコレクターなのですが、彼はそうやって、被害者のコレクションをしているわけ。 で、何と、この情報窃盗犯の何番目かの冤罪被害者に、リンカーン・ライムの従兄弟であるアーサー・ライムがなってしまい、殺人犯の容疑者に仕立て上げられたことで、リンカーンがこの事件に介入することになると。 リンカーン・ライムは、犯行の性質上、SSDの社員の誰かがこの犯行を行なっていると読むのですが、SSD社のセキュリティが非常に厳重なため、犯人がどうやって情報を持ちだしたのかが分からない。しかもSSDの社長のアンドリュー・スターリングは、捜査に協力的であるものの、ちょっと得体の知れないところがあり、また彼の部下たちとなると、これまたどいつもこいつも一癖ありそうな人物ばかり。また、捜査の手がSSDに伸びたことで、当然、犯人も警戒し、捜査の進行を逐一チェックしているらしい。 そこで一計を案じたリンカーン・ライムは、犯人をおびき寄せるために一芝居うち、身内の捜査官をコンピュータ犯罪研究の第一人者ということにして、犯人が彼を襲ってきたところで逮捕することにするわけ。 ところが敵もさるもの、これがライムたちの芝居だと見ぬき、この芝居に引っかかったと見せかけて、別な捜査官を拉致。そしてこの捜査官を拷問することで、逆にライムを始め、アメリア・サックスやロン・セリット、ロン・プラスキなど、「ライム組」の捜査官たちを特定し、彼らの個人情報を操作することで、彼らを捜査活動のできない状況に追い込んでしまう。 そして、ついに犯人はライムの最愛のパートナー、アメリアを拉致することに成功、彼女を殺し、さらにライムの世話人であるトムも拉致・殺害して、リンカーン・ライムを破滅へ追い込む計画を、着々と進行させていく。 さて、リンカーン・ライムは、この情報操作の達人、「何でも知ってしまう男」を、逮捕することができるのでしょうか?! というような話です。 ディーヴァーの作品の最近の傾向として、「情報化社会における犯罪」を扱うことが多くて、『The Blue Nowhere』も情報窃盗の話でしたし、また「あまりにも身近過ぎて、使わずにはいられないモノ」を犯行のカギとした作品として、電気を操る犯罪を描いた『The Burning Wire』がありますが、結局、『The Broken Window』も、人々が身近に使っている便利なものを通して個人情報が収集されてしまうことの恐怖を描いているわけですから、ディーヴァーの最近の関心事を作品化した、というところなんでしょう。とりわけこの作品では、「情報は力だ」ということがクローズアップされていて、その力を犯罪に使われたら、ひとたまりもないよね、という部分を、上手にサスペンス化しております。 ところで、一方でそういう最新の犯罪を描きつつ、もう一方で、この小説では別の葛藤も描いておりまして。 実は今回、リンカーンが助ける従兄弟のアーサー・ライムという人物と、リンカーン自身との微妙な関係が焦点の一つなんです。 少年時代から仲が良かったリンカーンとアーサーですが、大学受験に際し、アーサーが希望通りMITに合格したのに対し、リンカーンは不合格となり、仕方なくイリノイ大学に進学することになってしまうんですな。しかも、これと同時期に、リンカーンの恋人だった女性が、アーサーとデートしているという噂をリンカーンは耳にすることになる。つまり、リンカーンは理想の進学先と恋人を、共にアーサーに奪われることになる。これが二人の不和の始まりだった。 しかも、それだけならまだ良かったんですが、この話には続きがあるんです。 実は賢く、自分の父親(リンカーンにとっては伯父)の信頼も厚いリンカーンに対し、劣等感に苛まれていたアーサーは、リンカーンの高校で事務員をしていたリンカーンの恋人を騙してリンカーンが大学入試用に作成したエッセイを盗み出し、これを自分のものと差し替えてMITに提出、そうやってMITに合格していたんです。つまり、非常に古いというか、トラディショナルなやり方で、アーサーはリンカーンの「個人情報窃盗」をしていたわけ。 が、そのことでリンカーンはMITに落ち、恋人とも別れてしまって、ある意味でその後の人生が変わってしまった。で、大分大人になってからそのことを知ったリンカーンは、アーサーを呼び出してなじるのですが、それに対してアーサーは、リンカーンが自分の父を自分から奪った(と、アーサーは思っていた)ことで、リンカーンに対してずっと怒りを感じていた、と。彼にひどい仕打ちをしたのは、その報復だった、と逆にリンカーンをなじるんです。 この作品には、そういったリンカーンの過去の苦い思い出も詰まっているんですな。 ということで、この作品、色々な意味で面白いです。リンカーン・ライム独特の捜査手法、「forensics」があまり活用されないという点で、ディーヴァーのリンカーン・ライムものの中で最高というわけではありませんが、ディーヴァーの作品につまらないものはないですからね。設定からすると、『The Cold Moon』(邦題は『ウォッチメイカー』)の後に来る作品ですので、『ウォッチメイカー』を先に読んでから、この作品を読む、というので、如何でしょうか。これこれ! ↓【送料無料】BROKEN WINDOW(A)価格:977円(税込、送料別)
July 1, 2012
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