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人や企業との出会いは,多分に偶然であることが多い.たまたま出たセミナーでたまたま隣にいた人,たまたま知り合いの企業家の集まりで出会った企業など,「たまたま」会う人や企業の数はそれこそ無限で,日々日常的に,数多くの出会いが偶然起こっている.でもその中で,本当に親しくまた協力しあえる関係に発展するのは,ほんの一握りだ.それは,「出会いは偶然,関係が深まるのは必然」という法則があるからに違いない.つまり出会いそのものは偶然だけど,そこからお互いを知り,親しくなり,企業活動においても協力しあえる関係になっていくには,必然的な事情があり,互いの意識的な努力が必要とされるからだ.つまりある関係は,「互いに必要という必然の結果」なのだと思う.そういえば,思い起こせば,社会人に成りたての頃,また現在の会社に入社してから,数多くの企業に会ってきた.もちろん意識的に出会いを作った企業が殆どなのだが,関係が深まった例はそれほど多くない.「もし今,会ったらもっと親しくなっている」企業や人は多いのだが,その時は「偶然はあったが,必然はなかった」状態だったのだろう.これからどんな出会いがあるかわからないけど,こちら側の準備だけはしておいて,偶然から始まった関係を必然に変えていきたい思う.そうすることでしか,企業も人も成長できないのだから.
Feb 28, 2007
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子供にとって,いや大人にとっても大事なのは,「根拠のない自信」だと思う.何の裏づけもないのに「俺はできる」と思うことが,実際にそれを実現化するためには絶対必要だと思う.学校の成績が悪くても,難易度の高い大学に行けることが「当然」と思えたり,やったこともないスポーツで「近い将来中心選手になれる」と思ったり,会社経営をしていて「当然10倍にはなる」と確信していたり,何でも根拠も何もなく,そう思い込むことが人生を生きるのに大切な「能力(無能力?)」なんじゃないかあ.そういう意味で,僕が多分,自分の子供をいわゆる進学塾に行かせないであろう理由は,この「根拠のない自信」を客観的なデータで壊してしまうからだ.小さいときから,データで裏づけされた「自分の位置づけ」を毎日毎日突きつけられることで,子供は「自分はこんなもの」と思ってしまう.実際には,子供の成長率や可能性は無限大で,一ヶ月前に出来なかったことが飛躍的に出来るようになったり,ある時点のデータってのはまったく信用ならないというのが真実だと思う.親にとって大事なことは,「根拠のない自信」をどう持たせてやるかだと思っている.根拠がなくても自信さえあれば,現実にぶち当たったときのギャップが生まれる.そうすれば,「今はこうだけど必ず出来るはず」という確信の基に努力することが出来る.自信のレベルが高ければ高いほど,現実が追いつくための努力は並々ならないものになるけれど,自分を信じさえすれば大抵のことは出来るものなのだと思う.会社経営も同じこと,当社も身の丈に合わない相当高い「根拠のない自信」を持っている.現実がその自信とおりになった時に,「そりゃそうでしょ」と感じる位の志をもって並々ならない努力をしていこうと思っている.
Feb 25, 2007
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先週,とある経営コンサルティング会社のセミナーに参加してきた.リフォーム業界向けのものだが,今後の周辺ビジネスの勉強のためと,当社のセミナーの運営方法に参考になるかなと思ってのことだ.数万円の結構な値段のセミナーだったけど,さすが大手とあって50人ほど集まっていた.まあ当然リフォーム業界以外からは僕だけだったような気がする.僕自身はセミナー内容そのものよりも,このコンサルティング会社がどのような顧客を対象にして,どのような内容でフィーを取っているかの方が興味があった.逆に言うと,顧客である企業は,どのような内容に対してならどの程度コストをかけるのかということでもある.基本的なビジネスモデルは,「情報の乏しい中小企業オーナーに対して,他社の成功ノウハウを教える」というものだ.僕は「温度差ビジネス」と呼んでいるけど,ホットな情報(=成功した実績のあるモデル)を,情報的に冷えている顧客に渡すのが仕事である.だから顧客は,あくまで情報に飢えている(特に地方の)中小企業であり,数千万円は出せないけど数百万円は自由になるオーナー社長であり,コンサルティングの中身は他社の成功事例そのものである.情報を流用される成功事例企業も納得ずくで,多少有名になること,成功事例として紹介されることによる信用やブランド力の向上などで,まあウィン-ウィンというか,バーター取引となっている.さて振り返ってみると,当社のセミナーはちょっと真面目すぎるくらい真面目のように思えてくる.まず無料セミナーだし,結構アカデミックな内容になっている.商品を売るためのものにも必ずしもなっていないし,結構耳の痛いことも言ったりする.参加者も超真面目で,営業担当者が営業活動なんかする雰囲気でもないくらいの勢いである.まあ当社はそれで収益を上げるコンサルティング会社ではないので,これで良いのだと思う.ただし回収のこともしっかり考えておかないと,中長期的にはこういう業界貢献ができなくなってしまうので,注意,注意.
Feb 24, 2007
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経営にリスクは付きものだが,賭けを二回重ねると駄目だと言われている.賭けを二回重ねるとは,「工場を建てて(一回目の賭け),商品を売る(二回目の賭け)」とか,「新しい人材を雇って(一回目の賭け),新規事業に乗り出す(二回目の賭け)」などである.要するに,不確かなことを前提に,更に不確かなことをやろうとすることのようだ.経営者として,賭けを二回重ねるどころか,三回も四回も重ねてしまうこともある.ある需要があると仮定して(一度目の賭け),そのための人材を確保し(二度目の賭け),商品開発をさせてみて(三度目の賭け),これが売れるはずだからと既に次の投資を決めてしまう(四度目の賭け)とかいうことも,世の中には日常茶飯事であるかも知れない.多分,もっと慎重に,地道に稼ぎ地道に経費を抑えつつ,実力の範囲で一歩ずつ前に進むべきなのだろう.こうなると仮定して少し進む,そして検証できてからまた新たな仮定の元に前にまた一歩進むという,「賭けは一回まで」というルールでこれからも経営していきたいと思っています.
Feb 23, 2007
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京セラ創業者の稲盛さんがよく言っているんだけど,経営者には情と理の両方が必要だと思う.情だけに流されては激動する市場経済において生き残れる経営は出来ないし,情がなければ,結局人は動かない.よく「ウォームハート,クールヘッド」とか言われるのも同じことを指しているのだろう.僕は(こう見えて)結構,情に流されてしまう方だ.気を遣ってやらなくていいことをやったり,相手が期待していると思うと,これまた不必要に親切にしてしまうこともある.一方で,理屈も結構好きであることも事実である.大体の議論は,0.5秒で反論や論理を思いついてしまうし,論理的でないことはぜんぜん納得出来ないし,経営も理詰めで展開を考えることが多い.情の部分はなぜか気恥ずかしくて隠していることが多いから,理の部分だけが目立ってよく「緑の血」とか言われるけど,まあそんなこともないのになとよく思っている.経営において,情と理は順番と割合が難しい.情から始まった話に無理やりに理屈をつけてやってしまうと大抵失敗するし,理屈だけで考えた案件は,やる人は結局感情を持つ人間だから,モチベーションなどメンタルな部分に気を遣わないとぜんぜんうまく達成できない.優れた経営者って,どこからが情でどこまでが理なのか分からないほど,どちらも相当高いレベルで混然としているのだろうなと思う.こう考えると,経営をするということは,人間修行そのものだ.情と理を高いレベルでミックスさせて目的を達成する.さて,明日からも修行の毎日だなあ.全然まだまだだし.
Feb 22, 2007
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今も昔もそうみたいだが,小さいときから塾に通う子供が多い.目的は「いい大学に行くこと」で,そのためには「いい高校」,そのためには「いい中学」,そして「いい小学校」まで遡る場合もある.誤解を恐れずに言うなら,「いい大学」に入るためにそこまでする必要があるとは到底思えない.大学受験は試験日の一発勝負が大部分だから,小学校のときに塾で習ったことを試験日当日まで覚えていることも,そんな問題がそもそも出るはずもない.そうすると,小学校時代の塾での勉強は,「準備の準備の準備の,そのまた準備」みたいなものだ.会社でも1年先のことすら分からないのに,10年以上先の大学受験のことなんか予測不能,準備不能だと思うのだけどなあ.以上は前置きで,では子供の頃,学生の頃に何を習うべきかということが本題である.僕はいつも,「目の前の課題を一生懸命やること」が大切だと思っている.勉強の中身そのものよりもまず「勉強したいという気持ち」,調べ物をする内容そのものよりも「調べたいという好奇心」,クラブ活動で得る技術や体力そのものよりも「高い目標に挑戦しようという気概」が何より大事だと思う.学校で習うことは(大学も含めて),社会に出てからほとんど何も役に立たないけれど,そのとき培った「精神」は一生持ち続けることができる.大学のときに法学部の先生が,「弁護士などになる人が1割ちょっとしかいないけれど,社会人として役に立つ法曹精神(リーガルマインド)を学んで欲しい」と最初の授業で言ってたのを思い出す.水球で得た体力は今は当時の十分の一も残ってないけど,「やれば出来る」という自信は一生持ち続けれるのだろう.今の子供たちは,学校や塾で「精神」を習っているのだろうか?たかが大学のためにその機会が失われているならとても残念なことだ.まあこれって子供に限らす,僕たち大人にも言えることだけど.
Feb 20, 2007
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僕はよく,経営戦略の基本として,「差別化」と「回収」のことを意識している.差別化とは,「自社が他社より優れている何か」であって,何でもいいからこれを磨いていかないと利益率や成長率は向上しない.ブランドであったり,品質であったり,何か他社より優れていないと,顧客はこちらのことを向いてくれない.では差別化に成功したなら,その差別化要因そのもので利益を上げれば良いかというと,それはまた別の話になる.「商品を売る」という製造業なら,「差別化された品質=利益の源泉」という構図が成り立ち,まさしくその商品を売ることで,利益は「回収」される.この場合,「差別化=回収」となる.一方で,「差別化ノットイコール回収」の場合もある.サービスの良いレストランなんてその典型で,食事そのものはそこそこであっても,サービスや雰囲気がよければ値段に反映される.形式的には,食事代に付加されているのだが,実質的には「そこそこの食事代+サービス料」である.この場合,差別化はサービス・雰囲気でなされ,回収は食事代で行われている.当社の場合も実は,差別化のポイントと回収は異なっている.差別化はひたすら情報提供やセミナー開催など,「無償の情報提供」で行っている.直接はモノを販売しない技術スタッフを揃え,安くない経費をかけて国内外で情報収集を行い,周到な準備活動を経て,無償でセミナーなどにご招待する.セミナー自体も商品紹介ではなくて,結構真っ当な技術・経営研修会となっている.コーヒーまで出して情報提供するのだから,相当手間をかけていると言っても言いと思う.ここまでやって「差別化」を図るのだが,この情報提供で利益回収は出来ない.やはり(哀しいかな),情報はあまりお金にならないのだ.それよりむしろ,それはそれと割り切って,商品販売で利益回収を図る方がスムーズにいく.顧客にしても,情報自体は無償で,「業務用資材をこの会社から買ってやるか」ってことの方が気楽でいいと思う.業務用資材はどうせどこかの商社から購買するのだから,「たまたま」当社から買ってもらっても別に負担は増えない.そして当社はもちろん,利益回収が実現するって訳だ.意識的に差別化と回収のポイントをずらす戦略をとっているのだけど,今のところはこれが一番良いと思っている.顧客の負担を増やすことなく,当社も売上が増える仕組みだから,まあ,大げさに言うと「WIN-WIN」ってことだろう.まあしょうもないセミナーをやってしまうと感謝もされず,むしろ時間の無駄だったといわれかねない.上記のモデルは,当社が意味のある情報を提供できるかにかかっている.装考えるとちょっと緊張してくるなあ,もう7年目なんだけど.
Feb 17, 2007
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今期は1月に始まったばかりだが,お蔭様でまあまあのスタートを切っている.今までやってきたことが徐々に結果に結びついてきたということだから,おめでたいことではあるのだが,実はこのところ僕は危機感を募らせている.大体事業が悪くなるときは,数年前に遡って原因があることが多い.調子のいい時は何も変えようとしないから,ある時突然に,ビジネスモデルが陳腐化した時にあわてふためくことになる.そういう時,よくよく考えてみると,あの何もかもがうまくいっている結果オーライの時に危機の萌芽が芽生えていたのだ.当社が今多少でも調子が良いとすれば(まあ大したことないけど),それは数年前からの積み重ねが今現れてきているに違いない.とすれば,数年後調子良いままでいくには,またもっと成長するには,今のうちにいろいろな案件を仕込んでおかねばならないのだろう.土俵のへりに追い詰められてから苦し紛れに打つ,うっちゃりは成功率が低い.どうせなら,余裕のある土俵の真ん中で大技を打つべきなのだと思う.いつでも油断は禁物,たいした成功もしていないうちから,安心している場合ではないと思う.今期は始まったばかりだが,危機感をもってことに当たりたいと思っている.
Feb 14, 2007
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そろそろ新大学3年生の就職活動が始まるようだ.4月にもなれば,そろそろ会社訪問やらが開始される.僕らの頃は就職協定などもあって,4年生の5月だか6月が解禁日だったから,ほぼ1年早まっていることになる.しかも僕らの頃はバブル後期で,超売り手市場だった.背の丈ほど来る募集パンフレットを片っ端からゴミ箱に投げ捨て,結局公務員試験の終わる7月中旬まで就職のことは考えずじまい.エントリーシートやら筆記試験に追われる今の学生がかわいそうに思える.それより何より変だなと感じるのは,学生に「目的意識」を求める企業が多いこと.中途採用には即戦力を,新卒には社会人としての目的意識を求めるというのが流行のようだが,大体学生に,目的意識を求めるってのもなんだかミスマッチな気がする.僕が思うに,優秀な人材とは,目の前の「本分」とでも言うべきことに熱中できる人だと思う.大学生であれば,学生の本分であり一生にその時しか出来ない「学問」,多分その中には,現実的なことにはおよそ役に立たないであろう哲学書や文学書を読んだりすることも含まれるだろう.また時間に融通が利くのだから,長期の放浪旅行や,(将来就く予定のない)肉体労働,フィールドワークなんかも学生の本分だ.逆に僕なら採りたくないのは,学生の癖に社会人みたいにイベントを成功させて収益を上げましたとか言う「学生」(これはもはや学生ではない)や,将来の就職活動を見越して,似非ビジネス活動なんかをやっていた人たち.あまりにも目先(就職)のことを考えて,かなり小粒な感じがしてしまうのだ.学生に,社会における「目的意識」,つまり会社に入ったら何をしたいかを聞く面接官は見当違いだと思う.学生の時,何に熱中していたか,およそ企業活動には関係のないことを一生懸命やっていた人たちが,一旦社会に出たら伸びていくのだと思うんだけど,違うかなあ.
Feb 12, 2007
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営業システムを考える際に,決して忘れてはならないのが,「企業の存在意義」である.営業活動の効率化を図るあまりに,そもそもその企業が存在することでどういうメリットが顧客および社会にあるのかという根本を念頭に置く必要がある.商社という業態の当社の場合,単にモノを右から左へ効率的に動かすだけでは存在意義は薄いし,早晩利益率も低下し,企業としても立ち行かなくなる.当社は防虫分野でしかも業務用の商品を扱っていて,顧客はその道の専門プロであるから,顧客が安全かつ有効に仕事が基礎となる専門知識を提供し,幅広い商品を扱い,敏速にデリバリーするという機能が存在意義となる.しかも顧客にとって本当に必要な情報とは,顧客の側で明確に箇条書きにされてタイムリーに質問してくれるものでもない.ましてや経営課題的な長中期的なもの,新規ビジネスに関することなどは,日ごろ漠然と考えられているだけだから,「お問い合わせ窓口」として電話番号を書いておくだけでは意味がない.フェイストゥーフェイスで定期訪問しながら,専門知識を地道に伝達し,「顧客の経営課題」の解決に力になろうという一見非効率な努力が,長い目で見れば当社の「存在意義」を増していくものだろうと思っている.営業活動の効率性と,会社の存在意義,時には矛盾することもあろうが,会社の財務体質を強くするためには前者を磨き,長期的な成長を考えて後者を強化する,どちらも大事だってことで,ここでも経営者の価値が反映されるのですね.
Feb 11, 2007
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最近,営業システムについて考えることが多い.僕は社長になってから(2000年1月),いつも「システム」について考えてきたように思える.なぜシステムなのかと言うと,世の中の他の経営者はどう言うかは知らないけれど,少なくとも当社の社員は真面目によく頑張っていると思うからだ(ほんとに).社員が頑張っているのに収益が上がらないとすれば,それはシステムがそもそもおかしいってことになる.ここで言うシステムとは,そもそものビジネスモデルも含まれる.僕はいつも経営戦略とは,差別化戦略×回収戦略と考えているから,(1)他社と何が違っていて(差別化),(2)その違いを武器にどう売上げを確保するかが課題となる.(1)の差別化には,商品・サービスそのもの以外にも,発注のし易さや納期の早さ,アフターサービスやブランドイメージなども含まれる.当社の場合は,研修会開催など技術サポートなどで差別化を図っている.(1)に成功しても,意外と忘れがちなのが,(2)の回収戦略である.当社でも,情報提供を行い,定期訪問をして色々顧客のためになることを費用をかけてやったという充実感で満足してしまって,営業行為自体をおろそかにしてしまうことがある.お人好しといえばそのとおりで,数字に追われる商社がそんなはずはないだろって思うだろうけど,まあそういうこともよくあるのだ.相手もそんなんじゃあ悪いなあと言ってくれて注文をくれることさえあるけれど,具体的に商品提案を受けて価格交渉なども詰めてやってくれないと買えないよというのが普通の感覚だろう.そうすると当社のシステムは,(1)技術サポートなどで差別化を図り,かつ定期訪問で最新情報をお届けする,(2)商品ラインアップを広げて,毎日必要になる商品を当社から購買してもらう,ってことだ.まあ単純といえば単純なシステムである.単純なシステムなんだけど,これをきちんとやるには,大枠のシステムの下にサブシステムというものが必要になる.セミナー開催のための手順,サポート体制の充実,商品でも差別化を図るための開発体制,メーカーとのパートナーシップ,商品ラインアップを広げる努力,訪問顧客を選別する基準,訪問頻度の設定,売れている商品を把握する仕組み,次回提案商品を選定する基準,などなど. これらのシステムがうまく稼動しているか,管理して的確に修正していく,プロセス管理システムも必要である.当社では日報がその役割を果たしている.更にこれらは勿論,社員という人間が行うわけだから,モチベーションを保つ仕組みも必要になる.人間とシステムがうまく組み合わさって会社はうまくいく.「血の通ったシステム」とでも言うべきものが必要だ.多分大事なのは,システムが社員に便利かつ有効で,顧客のためになるものでなければ動かないってことだ.数字だけで分析して,だからこうしろと言っても動かないし,当社の社員は優秀で真面目であることを信じて,そのサポートのためにシステムを考えようっていう姿勢が大事である.営業システムを考えることから,どうしても会社のシステム=ビジネスモデルに行き当たる.常に基本に戻って,みんなが幸せになる仕組みを考えていきたいと思っている.
Feb 9, 2007
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会社における報酬の問題を考えると,どうしてもそもそも「働くとはどういうことか」ってことに戻ってくる.社会人になりたての頃は,「こんな何も知らない学校を卒業したばかりの人間に色々教えてくれて,しかも給料までくれる」って誰でも思っていたと思う.労働を売るったって,会社に役に立っているかもわからない状態だから,「お金をもらって勉強する」というのが実際だと思う.この感覚は実はその後もずっと大事で,一生勉強だとすると,「仕事は報酬を貰いながらする修行」のように僕は感じている.もしお金のために働いていると感じている人がいたら,それは多分間違いだし,不幸なことだ.どう考えても,(お金のためとは言え)いやな事をするのは苦痛だし,一回しかない人生,そんなことで無駄に過ごして良い訳はない.しかも,いやいややっている人で金銭的にも成功した人はおらず,実は楽しくやっていたら,金銭的にも恵まれたってケースがほとんどだと思う.仕事は楽しいからやる,いや,楽しくなるように考えてやるというのが本当で,もっと言えば,「魂を磨き,人生を充実させるための修行」くらいに考えるのが正しいんじゃないかと思っている.そうすると,昨日の話じゃないが,「これだけ働いたから幾ら」,「これだけ稼いだから幾ら」ってばかり考えていると,本当に大切なものを忘れてしまうような気がする.子供の頃の良い思い出って,もちろん損得抜きで夢中になって遊んだ経験ではなかったか?僕も,その時は苦しいばかりの水球の練習や,その結果達成したことを鮮明に覚えているし,人生はかなりそのおかげで充実したと思う.でもその時,「損得のためにやった」訳ではないし,今から思えば何であんなに熱心に取り組んだんだろうと思うことすらある.たぶん大事なのは,「一生懸命取り組む,そのこと」であって,「何の報酬のために」とか,「幾ら得した」ってのは,人生において大分と優先順位が低いんじゃないかと思う.お金は大切だけど,働く上では,もっと大切な「一生懸命やる」ってことがあるんじゃないかなあ.そしてそれが社会のためになったら言うことはない.こんなことを考えていると,残業代うんぬんってちょっと馬鹿らしい議論のような気もしてくる.
Feb 7, 2007
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いわゆる管理職クラスに関する「ホワイトカラー・エクゼンプション」ってのが巷の話題になっている.要するに管理職に対する裁量労働を認める法律なのだが,「残業代ゼロ法案」とかいうありがたくない名前で呼ばれているようだ.仕事には,(1)他人から言われてする仕事と,(2)結果に責任を持ち,やりかたは自分で考える仕事の二種類があると思う.前者は主に時給で働く労働者,後者はマネージャークラスや専門職に該当すると思う.経済が発達した先進国では,前者はどんどん国内外にアウトソースされるか,機械が代替するようになっている.労働者はいまや,知恵を使って富を生み出すことが期待されているから,「ただ単に働けば報酬がもらえる」っていう時代は終わってしまったのだと思う.そして経済的豊かさの源泉は天から降ってくる訳がないから,やはり経済活動の結果を配分していくしかない(ない袖は振れない).そうすると,結果の如何に限らず,働いたから報酬をくれという考えは,経営者に限らず社員レベルでもだんだんと成り立たなくなってくる.そこでホワイトカラー・エクゼンプションの話になるのだが,世の中では結構抵抗が大きいようだ.でも大体,残業代ゼロが嫌ということは,つまり結果でなく働く量で報酬を貰おうというのだから,その人はホワイトカラーでなく,やはりブルーカラーだってことだ.そう考えると,経営側にも問題があるのかなあ.ホワイトカラーとおだてて残業代を払わずに,実際はブルーカラーの仕事をさせている.そういう会社は,不断に付加価値を上げていくプレッシャーを感じていないから,競争力も弱っていく.ホワイトカラー・エグゼンプションの導入うんぬんよりも,経営の根本的な考え方のほうが問題だと思うだけどなあ.
Feb 6, 2007
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どんな事業でも「変革期」というものは必ず存在する.既存のビジネスモデルが古くなってしまって成長性,利益率ともに低下してしまったり,若手のバリバリ社員が歳をとることで会社のエネルギーが下がってしまったり,商品の陳腐化,競合相手の出現など,原因はさまざまだ.多分大事なことは,こうした「変革期」をただ待っているのではなく,「来たるべく危機」を予想して,こちらから積極的に「変革を起こす」ようにすることだ.危機に強制されて変わらざる得ないのではなく,どうせならこちらから変革を起こしてやろうと思うことだ.当社の場合,現状のビジネスモデルでまあ調子良く成長を遂げてきた.中小企業的には,給料が払えて人員が増えて,顧客からの評価も悪くなければ合格点かも知れないが,このままではいずれ「変革期」に追われることも予想される.何事も永続的にうまくいく訳がないから,「次の一手」を打っておく必要がある.ビジネスには上りか下りのエレベーターしかなくて,上がらなければ,下がるしかないのが現実なのだ.変革に取り組むには勇気と努力が必要だ.「社会により良く貢献する」という気概を持って,事に当たりたいと思っている.
Feb 6, 2007
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何事も,「部分」としての各利害関係者の幸福と,「全体」としてのある案件の成功はきっても切り離せない.「部分」としての社員が生き生きとして,生活が保証されて,やりがいをもって仕事ができて初めて,「全体」としての会社もうまくいく.仕事上の取引だって,「部分」としての顧客,メーカー,または販売代理店,さらにはエンドユーザーなどがすべて良かったと思ってくれないと,「全体」としていいビジネスとは言えないし,また長続きしないものだと思う.「全体」としての結果も大事だけど,「部分」としての各プロセスや各関係者の幸福も同じように重要なのだ.誰かを犠牲にして,何かを達成するって考えられない.「成功には犠牲がつきものだ」ってのは,僕はそうじゃないと思っている.もちろん,人それぞれ考え方も人生観も違うから,「部分」をすべて満足させるのは本当に骨の折れる仕事だ.でも僕は敢えてそうやっていきたいし,一人の脱落者も出さずに,「全体」も達成したいと思っている.さて1月もあっと言う間に終わってしまった.2月も3月もこの調子で過ぎ去って行ってしまうのだろうなあ.今年はかなりの激動も予想されるし,しっかりと部分と全体を見つめていきたいと思っている.
Feb 3, 2007
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ビジネスをするに当たって,「制約」と「限界」の違いは意識しなければならない.というのも,世の中で「制約」と思われているものの殆どは,実は打開可能なものだからだ.世の中の規制産業といわれている金融業も自由化が進んでいて,僕が銀行に入った90年代から現在まで名前が変わっていない都銀は,住友信託銀行(これっと都銀?)だけだそうだ.運送業も規制緩和,タクシー業界も規制緩和で,これまで「(外部的な)制約があるからできなかった」事柄が,制度的にはどんどん可能になっている.そうすると今度問題になってくるのは,「心理的な制約」である.「これは当社の仕事ではない」,「昔からそんなことはやっていない」,「多分できない」,「しがらみがある」とか言うのは,外部的というより内部的な,かなり「気のせい」の範疇の「制約」である.こういう制約を壊して,「やれば出来るんじゃないの?」と考えていくことからビジネスの付加価値は生まれる.考えてみれば,中小企業なんて今までどおりのことをやっていたら,一生大企業になれないから,如何に「心理的な制約」を超えて創造的に仕事が出来るかにかかっている.ただでさえ小さいのに,慣習に従ってしまって一線から踏み出さなかったら,何事も起こらないのに決まっている.「制約」と区別しなければならないのは,「限界」だ.「限界」というのは,やろうと思っても出来ない事柄で,中小企業だから,いや大企業であっても,すべての事柄を完璧にすることなんて出来やしない.自社の自分の限界を知って,身の程を知って経営することも同時に大事なことだと思う.「制約を超え,限界を知って仕事をする」というのが,僕のスタンスなんだけど,どうかなあ.社員にも周りの仕事でかかわる人にも,こう思って欲しいなと思っている.
Feb 1, 2007
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