全38件 (38件中 1-38件目)
1
今日は四国もとても寒かったです。思わず帽子(真言宗の僧侶がしているマフラーのような白いもの)をしてしまいました。午前7時に時間前に出発。参加者19名今日は72番曼荼羅寺から、駐車場から境内に行こうとすると、「ここは裏口です、山門からお入りください」とある。名物の松が枯れてしまって寂しそうです。続いて73番出釈迦寺へここには奥の院捨身が岳禅定ー弘法大師が身を投げたところお釈迦さんに救われたーがあるが、車でもそこまでいけるそうです。空は曇っており、気温も上がってきません。紅葉も赤が鮮やかでとてもきれいです。75番善通寺は、弘法大師の父の屋敷後といわれており、善通寺派の総本山でもあります。ここにはお大師さんの子供の頃からあるというクスノキがあります。まだまだ元気です。76番の金倉寺は智証大師円珍のゆかりの寺で、大師堂の真ん中に智証大師が座っており、弘法大師は脇!にされています。金比羅さんにも昼食で行きました。さくらんぼのハハさん推薦の豊原念珠堂(70段目)をのぞいて、とら丸(そこからすぐ上)へ行きました。とら丸(旅館もあります)はオリジナルの仏像があり、三宝荒神・倶利伽羅不動・韋駄天・蔵王権現など珍しい仏像があり、一見の価値あります。77番道隆寺は本堂がきれいになっていました。79番高照院では1キロぐらい歩きましたが、絵を売っている青年がいて、お地蔵さんの絵を貰いました。80番国分寺まで何とかたどり着き、今日の日程を終えました。大変疲れました。コウユウ人気blogランキングへ
2005年11月30日
コメント(4)
以前に慶次2000さんより依頼があり、四国遍路の体験談(フリーページにあります)を書きましたが、このたび四国遍路について雑記帳として書いていきたいと思います。四国遍路をされる方の、参考のなればとも思いますし、またコメントを掲示板のように書き込んでいただいて、情報の交流になればとも思っています。前置きはこれぐらいにして、まず、四国霊場を創ったといわれる弘法大師(空海)についてごく簡単にお話します。弘法大師は讃岐(香川県)の出身で、774年に生まれたと言われています。幼少の頃から神童と言われ一族の期待を一身に集め中央の官僚になるべく、18歳で大学に入りましたが何故かドロップアウト。31歳で唐に渡るまで何をしていたかよく分かっていません。24歳の時に三教指帰という本を書いています。その中で仏教の優位性を説いており、山林修行をしていたとの記述があります。俗に空白の7年間と呼ばれていますが、この何をしていたか分からない時期が憶測を呼び沢山の弘法大師伝説の素地となりました。四国霊場の開創もその一つです。31歳の時、唐にわたり密教を伝授され、わずか2年で戻ってきます。816年に高野山の開創を許され、823年京の東寺を賜り真言宗を開きます。そして835年62歳で入定しました。つづく 素光人気blogランキングへ
2005年11月29日
コメント(0)
とらねこは今日も元気です。 ゆうき人気blogランキングへ
2005年11月29日
コメント(4)
最近法事に行きますとよく聞かれることがあります。それは印と真言についてです。真言僧は法事に関わらずあらゆる場面で印というものを結びます。印とは手の形によって仏様を現すものとでも言うのでしょうか?仏像をご覧になるといろいろな手の形(身振り)をしています。これが印です。それを真言僧は自分の手で結ぶ(行う)のです。仏事では沢山の印を次々に結びますが、袈裟の下に隠して行うことも多いので、なかなか見ることができません。私は師から隠さなくても良いと言われましたので、そのまま行っています。すると、「九字を切っている?」とか「陰陽師みたい?」とか言われたことがあります。一方真言とは、四国遍路などされた方はご存知かと思いますが、各札所に各本尊様の真言というものが、ひらがなで書いてあります。これは、、もともとサンスクリット(古代インドの言葉)を音写したものがなまったのを、ひらがなで書いてあるので大変読みにくいのですが、真言宗では仏様の本当の言葉ということになっています。つまり、仏様のまね(手の形ー印)をして仏様の言葉を話し(真言)、あとは仏様と同じように考えればすなわち仏様である。ちょっと強引なようですが真言宗の基本的な考え方です。 ところで、「マスクMさん」より> 近所のお寺で> 「発心すれば即ち至る」と聞いています。ということを言われましたので次のように答えました。真言宗には即身成仏というものがあります。生きているうちに仏になることが可能と説いています。しかし「発心すれば即ち至る」というわけではありません。方便(仏の教えに導くための方法)ではないでしょうか?そう書いたところ「マスクMさん」より「般若心経秘鍵」の初っぱなに書いてありますよ。 「即身成仏」 ということも同じことではないでしょうか? 何ごとも 「即」でなければ・・・ 今 成仏できなくて いつ成仏出来るのでしょうか?「般若心経秘鍵」というのは弘法大師の般若心経の解説書です。すぐに調べてみたところ大変有名な文句です。それ仏法はるかにあらず、心中にしてすなわち近し、真如他にあらず、身を棄てていずくにか求めん。迷悟われに在れば「発心すればすなわち至る」明暗他にあらざれば信修すればたちまちに証す。「」の中の部分です。マスクMさん教えていただいてありがとうございました。このあたりブログの良いところです。面と向かってはなかなか言ってもらえないでしょう。自分の不勉強がよく分かりました。マスクMさんは阿波と古事記を愛する方です。どのような方か興味がある方はこちらへこのようなこともありますが今後ともよろしくお願いします。 コウユウ人気blogランキングへ
2005年11月28日
コメント(2)
昨日コメントをいただいたzazen256さんにお返事しようとしましたが、少し長くなって入らないようですので、こちらでお答えさせていただきます。質問は抜粋しました全文読みたい方は、昨日の日記をご覧ください。質問1ところで、仏教で説かれている極楽浄土までの距離についてですが、四億3千2百万キロメートルであり答え1私が調べたところでは「西方へ十億仏国土すぎたところ」とあります。(中村元ー仏教語大辞典)ご指摘の距離はこれを何らかの方法で数値化されたものと考えられます。質問2死後49日間で辿り着くと聴きましたが、間違いないでしょうか?(その著者名・書名は、メモがありませんので不明です) 仏教の教えとして、この設定値が正しいとすれば、人は死後、光速の約1/10の早さで極楽浄土へ飛んでいくことになります。お盆や法事のときには、菩薩として、同じ速さでこの世に帰って来てくださるのでしょうか。答え2非常に答えづらい質問です。日本仏教の核心部分に触れる疑問だと思います。お盆、法事、さらに葬式などは一般的には仏教と思われていますが、本来の仏教の教えとは関係ありません。これらは、日本の民族信仰を仏教が代行?している状態です。ですから、地域によってお盆の祀りかた、法事・葬式の方法などが異なっています。むしろ仏教の宗派による違いよりも、地域による違いのほうが大きいのではないでしょうか。この問題については慶次2000さんの日記もご覧ください。本来の仏教では49日に次の生を受ける(生まれ変わる)といわれています。極楽浄土へ生まれ変わる(往生)ことについては、肉体のような物質が飛んでいくわけではありませんので距離にかかわらず、49日までに決まると考えていただいていいかと思います。現在日本で(仏教)と思われているものは、日本古来の民族信仰に、道教、儒教が合わさったものを、中国化した仏教を日本風にアレンジしたもので行っています。また仏教自体が沢山の矛盾を抱えており、前述の状況があることを考え合わせれば、専門家でも論理的に説明することは不可能かと思います。しかしながら、現在でもこの矛盾がありながら日本人はこれらの行事を行っておりますので、そういうものとしてご理解ください。質問3 私は、10年ほど前から、毎日それぞれの意味を噛み締めながら、「光明真言」「般若心経」「坐禅和讃」「念仏門」「延命十句観音経」を黙唱しています。 このうち「般若心経」は三十年以上、毎日唱え続けていますが、未だに自分の解釈が定まりません。答え3般若心経についての解釈本は沢山出ています。ちなみに、弘法大師の解釈本もあります。内容は千差万別で、そのうちでどれが正しいかというと、どれも正しく、どれが間違っているかというと、どれも間違っているといえます。何故ならば、般若心経は密教色のある経典であり、それ全体が一種の真言(陀羅尼)ですので、解釈することよりも、読んだり写経したりすることで感じることのほうが大事です。試しに無心で毎日108巻ずつ7日間読んで見てはいかがでしょうか。2時間ぐらいで終わると思います。何か判ると思います。 ゆうき以上zazen256さんの質問にお答えさせていただきました。人気blogランキングへ
2005年11月27日
コメント(6)
二種回向とは聞きなれない言葉です。恥ずかしながら私も初めて知りました。通常浄土の教えで説かれているのは、阿弥陀如来の誓願を信じて極楽浄土へ往生する(往生回向)ことであります。ところで、この極楽浄土は大変誤解されています。先日もある人から「仏教とキリスト教の違いは死んでから極楽へ行くか、天国へ行くかで、極楽も天国も同じ」と言われびっくりしました。どこが違うか。一言で言えば、天国はそこへ行ったらそれで終わりです。ところが極楽はそこで仏になる為の修行をするのです。修行するために行くのはいや、などと言わないでください。(実際そう言われたことがあります)仏になるのは大変なのです。通常は三劫成仏といって大変長い間(計算したところ4500垓年以上ー京の上の位)何度もいろいろな世界に生まれ変わりながら修行しなければなりません。それを考えれば極楽に生まれて美しい風景の中で、妙なる音楽を聴きながら、修行することが如何に楽であるか分かるでしょう。さて仏となってどうするか?その先があります。「(また回向と言ふは、かの国に生じおわって、還って大悲を起こして、生死に回入して、衆生を教化するをまた回向と名づくなり)つまり、念仏の行者が阿弥陀浄土に往生した後に、また、衆生を救済するためにこの生死の世界に帰ってくるのが回向である」下巻P381これが還相回向です。この往生と還相の二つの回向が二種回向です。現代においては生きていることを重視し「死に方」「死の先」というものについてはあまり考えられていません。「死に方」などといえば縁起が悪いといわれそうですが、何時かは必ず誰にでも訪れるものです。かつては、死ぬ間際には阿弥陀如来の来迎を願い、掛け軸や仏像を枕元に置き、皆で読経しながら見送ったと記録にもあります。お通夜で行われている枕経はその名残です。しかし、今ではそのようなことも無く、ほとんど病院で見送られています。どちらが安らかな「死に方」でしょうか。「死に方」を考える以上「死の先」についても考える必要が出てくるのではないでしょうか。この浄土の教えはその選択肢の一つだと思います。(終) 素光浄土の教えについてはお気楽住職の月光浴お坊さん日記をご覧ください人気blogランキングへ
2005年11月26日
コメント(5)
法然上人の思想の中で興味深いのは悪人成仏と二種回向です。悪人成仏とは「悪人こそ救われる」という親鸞聖人の悪人正機説である。「この思想は(法然上人)の「選択集」にははっきりと語られていない。しかし、そういう思想が法然に無かったとはいえない」(下巻P364)と梅原氏は語っている。古代インドで阿弥陀仏が信仰されるようになった背景には、異民族の侵略があった。つまり、異民族と戦えば仏教における殺生戒を破ることになる。殺生戒を破ったものは地獄に落ち、長い間苦しめられる。しかし、戦わなければ皆殺しにされる。降りかかる火の粉をどうするか、というぎりぎりの選択を迫られた時に信仰されたのが阿弥陀如来であった。たとえ殺生戒を破ったものであっても、自らの罪を悔い改め阿弥陀如来にすがるものならば、極楽浄土に往生できると説いたのであった。良い行いをすれば報われる。悪い行いをすれば罰が当たる。因果応報ともいいます。しかし、悪いことをしたら永遠に救われないか?という問いに答えたのが浄土の教えであります。毎日のように暗いニュースが報じられる今の時代にこそ、必要とされる教えかもしれません。明日は、二種回向の話をします。 素光人気blogランキングへ
2005年11月25日
コメント(4)
しばらく空いてしまいましたが、前回の続きです。もう一つの「選択念仏」のほうは深刻です。これは法然上人としては譲れるものではありません。一方の天台宗にとっても死活問題です。まず天台は総合仏教で、法華経を中心にして円(法華経)・禅・密・戒の兼学を行っています。これは、天台に限らず当時の仏教は真言も奈良仏教も総合仏教でした。また、浄土信仰は天台にも広まっていましたが、完全に天台の教義から離れたわけではありません。(ちなみにほぼ同時期に禅宗を開いたといわれる栄西禅師は、天台僧としても歴史に名を残すほどで、密教の著作も多く禅はその一部でした)ですから、口称念仏だけの宗派を認められるものではありません。大変な反発があるのは当然のことです。大原問答で天台が敗れたことにより、口称念仏が天台に劣らないと思われ、法然上人に帰依者が出てきたことは見逃しがたいものに映ったことでしょう。またこれは私の推測ですが天台宗は伝教大師(最澄)の頃、受戒を受けさせるたびに他派(主に法相宗)に弟子を取られて悩んでいました。それを防ぐために比叡山に戒壇を建てたのです。今また新たな宗派が天台宗から起こった場合天台宗が弱体化する恐れがあると考えたのではないでしょうか。 素光人気blogランキングへ
2005年11月24日
コメント(0)
今日はうれしいことがあったのでお話したいと思います。たまたまブログを検索していたら、「いずれ仏教はなくなってもよい」という衝撃的なタイトルを見つけました。早速読んでみました。夜叉神天さんです。真言宗で最も重要とされている理趣経という経典から引用されていたので、ずいぶん仏教に詳しい人がいるもんだと感心しました。さらにコメントを入れている四谷さいだあさんのところへ飛びました。すると四谷さいだあさんも仏教の講座を書いています。どんな人かなと思いプロフィールを見てびっくり・・・。四谷さいだあさんは小学生・中学生なんです。戻って夜叉神天さんも見てみると同じです。思わず自分の中学生の頃を思い浮かべてしまいました。こんな若い人たちが仏教を盛り立ててくれるのに僧侶として恥ずかしい限りです。一度訪問してあげてください。人気blogランキングへ
2005年11月24日
コメント(4)
今日は月例の地蔵講です。本題とは関係ありませんが、ちょうど「波がしら」の発足式が行われています。この話はマスクMさんのページをご覧ください。今日の地蔵講では「人間の目指したもの」について話したいと思います。人間は太古より自分たちの身を守り、より良い生活を目指してきました。雨風をしのぐ建物を作り、服を着ることによって自然の影響を最小限にして生活できるようにしてきました。また、食料も自然の恵みを飼いならす?ことによって飢えから開放されてきました。人間はそれだけで満足することなく、快適性を追求していきます。その快適性を追求した結果できあがったのが、現在の大都市です。大都市には人間の望むものが何でもあります。現代の日本人は、かつての天皇・将軍ですら食べられなかった珍味を食べ、冷暖房の効いた快適な住まいで生活しています。まして、近世以前の庶民はとても比べものにはなりません。しかし人間は幸福になったでしょうか。普通の欲望は望むものが手に入ると、さらに欲望が大きいものになっていきます。これは仏教の世界では餓鬼の世界です。餓鬼は満足をしらないのです。人間は餓鬼を目指したのでしょうか?そうではありません。いつまで経っても満足できないものを追い求めるのではなく、それを手に入れたら飽きることのない本当の満足を手に入れませんか。 コウユウ 人気blogランキングへ
2005年11月23日
コメント(5)

昨日の続きです。昨日の宵から今日にかけて、十夜大法会に行ってきました。十夜大法会は本来、「無量寿経」に基づいて旧十月六日より十五日までの10日間行われた念仏会で、広く浄土宗、天台宗寺院で行われていたと言われています。十夜大法会の内容について順を追って説明します。まず、僧侶が本堂に入り導師と呼ばれる僧が檀に上り修法を行います。そして周りに座っている僧によって声明(仏教音楽)が始まります。まず、讃と呼ばれる仏様を讃嘆する音楽から始まります。若手の僧が頭(声明の出だし部分の独唱)をとり途中で鉢(シンバルのようなもの)を突きます。続いて唄(ばい)と呼ばれる老僧による独唱があり、若手・中堅の僧が立ち上がり散華を行います。散華は紙でできた華を撒きながら、声明を唱えます。そのあと、唱礼と呼ばれる導師が頭をとる、テンポのよい音楽を行います。そして次がメインとも言うべき理趣経の中曲です。僧が全員で行堂(お堂の中をお経を唱えながら歩いて回る)を行います。この、中曲が終わると法要も終わりに近づきます。過去帳、願文などを読み上げて、最後にもう一度讃(最初に唱えたものと違うもの)を行って終わりです。真言宗の法要は、僧の合唱による声明もさることながら、頭と呼ばれる独唱部分も聞き所の一つです。また、散華・行堂など目でみる部分も多く、よくできた法要は十分に鑑賞価値のあるものと言えます。機会があったら一度ご覧ください。 コウユウ真言宗の法要としての十夜大法会
2005年11月22日
コメント(0)

昨日の宵から今日にかけて、十夜大法会に行ってきました。十夜大法会は本来、「無量寿経」に基づいて旧十月六日より十五日までの10日間行われた念仏会で、広く浄土宗、天台宗寺院で行われていたと言われています。浄土宗の十夜法会については月光浴住職様の日記をご覧ください。真言宗の法要としての十夜大法会徳島の真言宗寺院では旧暦の10月15日前後に十夜大法会として「理趣経」に基づく真言宗の法要を行っております。この法要は滅罪のために修せられ広く檀信徒の家内安全、過去精霊菩提を願います。真言宗は難解な教義で、少し勉強したぐらいでは全く分からないと思います。その真言宗を分かりやすくしたのが、これら法要なのです。まず真言宗の本堂は、真言宗の第一祖龍猛菩薩が密教を授かった南天竺の鉄塔を模倣したものと言われています。さらに、法要で唱えられる声明(仏教音楽)はその中で流れていたものと言われています。そして香を焚き感覚で密教と言うものを感じ取れるようになっているのです。 内容については、明日説明します。 コウユウ人気blogランキングへ
2005年11月21日
コメント(2)
ちょっと間隔が空いてしまいました。前回の続きでお寺をどう捜したらよいか?と言う質問もありましたので、お寺の選び方についてお話します。1、仏教について勉強するまず、お寺を選ぶにあたって、仏教について少し勉強する必要があります。「え~」と言わないでください。先々長い付き合いになりますから、面倒がらずにしてください。少なくとも、禅宗、浄土系、日蓮、密教の違いぐらい分からないといけません。2、自分の気に入った宗派を選ぶ自分の実家の宗派などにこだわらずに選びましょう。3、地域で多くある宗派の寺院から選ぶ。競争原理が働いているので、良い寺院に会う可能性が高い。4、宗教活動(行事)の盛んな寺院を選ぶ。住職が外向的なことが多いので話しやすいことが多い。5、お寺に足を運ぶ寺院の境内を見て回り、どんなお寺か見てみましょう。自分の感性に合うかどうかも大切な要素です。6、住職と話してみる。お寺を捜していると言えば、普通の寺院ならいろいろ話してくれるはずです。檀信徒の規定などについても、たずねてみましょう。人それぞれ良いお寺の基準があります。信頼できる人の意見を聞くのも大切なことです。 ゆうき人気blogランキングへ
2005年11月20日
コメント(2)
最近は黒い猫に縄張りを荒らされて逃げ回っています。ゆうき人気blogランキングへ
2005年11月20日
コメント(2)
先日の「法然の哀しみを読んでー女人の話」が以外に波紋を呼びました。このブログには珍しくコメントがいくつも入っています。気になって、ちょっと「女人結界・禁制」について検索してみました。驚きました、11月5日付けで大事件が起きていました。一般の方からもいろいろな問題が提起されています。以外に?タイムリーな話題だったようです。本題に入ります。女人禁制については先日述べたように、戒律を守る上で必要とされたと思われます。ただ気になるのは、何故男子結界の山が無かったかということです。これについて私見を述べたいと思いますので、広く意見をいただきたいと思います(研究者、僧侶の方からご意見いただいたら幸いです)。まず一つには、かつて、山は今よりも危険でした。明治時代まで狼がいました。また、山の幸などのめぐみを与えてくれると同時に荒れ狂い洪水や山崩れなどで命を奪う恐ろしい存在でした。ですから、人々は山を恐れ、祀りました。それ故、山へ入る時期も制限されたのでしょう。また、現在より遥に豊かだった山は犯罪者も受け入れました。ですから、女性が山へ一人で入ると出て来れない(今風に言うと事故、犯罪に巻き込まれる)ことは多かったのではないでしょうか。山の神が女神であることは、女性の遭難が多かったことと関係があるのではないでしょうか。つまり山の神の怒りに触れたということです。そう考えられていたとしたら、まず男子禁制の山ができることはありえません。もう一つは武装の問題です。物騒なことと思われるかもしれませんが、近世に至るまで治外法権を得る方法としては武装する必要がありました。ですから、男子禁制の山はできなかったのではないでしょうか。山が女人禁制とされた理由には女性を守るためという理由があったともいえるのではないでしょうか。これをもってヒロ伊藤さん、慶次2000さんへの「おこたえ」とさせていただきます。 素光 人気blogランキングへ
2005年11月19日
コメント(5)
今日は、「法然の哀しみを読んで」の続きを書く予定でしたが、予定を変更します。真言宗の寺院には多宝塔という塔があります。多宝塔というと法華経の中に出てくる塔を思い浮かべます。名前は同じですが、中に祭られている仏様は多宝如来でなく五智如来という密教の仏様です。この五智について話します。まず最初の智慧は大円鏡智といい、器の中の水が静かになると、鏡のようにものを映し出すように、物事をそのまま見る智慧です。2つ目の智慧は平等性智といいすべてのものが実は変わらない、同じであるということを観る智慧です。3つ目が妙観察智といい、ものごとの違いを見ていく智慧です。4つ目が成所作智といいそれらの真理を行動に移していく智慧です。つまり、静かに物を見、それが差が無いことを知り、さらにその違いをわきまえて行動していく。簡単に言えばそんなところです。そして第五の法界体性智という智慧があります。前の4つは哲学的にも捉えられますがこの法界体性智は、その4つの智慧をあわせたものと言われ、その4つの智慧を超えた存在ということが出来ます。 素光
2005年11月18日
コメント(2)
朝とても寒く風が冷たい中を、四国巡拝に行きました。本日の最初の札所は別格15番の箸蔵寺。紅葉がとてもきれいです。ちょうどロープウェイが出たところですが、20人で行きましたので臨時に発車してもらいました。上も寒かったのですが、お日さまが出てきて暖かくなってきました。200段を超える石段は年配の方が多いので大変かと思いましたが、みんな何とか上がりました。ここには、江戸時代のものと思われるミニ四国八十八があります。四国遍路を研究する方はどうぞ。続いて別格17番の神野寺へこちらも紅葉がきれいでした。満濃池は心持ち水が少ないようです。次に71番弥谷寺へここも石段がたくさんあり、境内の最上部に本堂があります。さすがに、一部の方は上まで上がれないとのことでしたので、途中の大師堂で遥拝し、私が代参しました。帰りに上がり口の俳句茶屋で甘酒とところてんをみんなで食べました。食事を取り別格18番海岸寺へ向かいます。ここは丁寧なお寺で本堂(大師堂)に上がってお参りさせてくれます。写経もできるようです。開放的なお寺で好感が持てます。少し上がったところにある多宝塔は独特の装飾があり一見の価値があります。ここで、四国遍路のガイドブックの名著ともいえる「四国遍路だより」の復刻版があります。最後に74番甲山寺をお参りして帰りました。 コウユウ
2005年11月18日
コメント(0)
昨日の続きです。仏教と「女人」(こういう書き方をすると既に誤解されやすいですが)についてはいろいろ誤解されていることが多いのでちょっと書きたいと思います。まず「女人結界」については、現在残っているのが女人結界だけなので、女性が差別されていると感じる方もいるのではないかと思います。ところが尼寺は男子が入ることが禁じられていましたので、基本的には戒律上の問題です。つまり、異性が修行の妨げになるということです。現在でも真言宗では行中は異性とは接しません。もう一つ女性が仏教で差別されているかどうかの問題があります。確かに戒は僧が250戒に対し僧尼は348戒と多いですし、女性は「五障」がある(梵天、帝釈天、仏などになれない)といわれています。このことを見ると確かに女性は差別されているように見えます。ところが、日本ではあまり考えられていないことがあります。それは輪廻の思想です。つまり、人間は死んでも直ぐに(49日間)何かに生まれ変わるという考え方です。次に生まれ変わるのは必ずしも人間とは限りませんので、仏教の不殺生戒(生き物を殺してはいけない)もこれに由来していると言われています。すなわち、男性として生まれてきているのは、前世までの行いによってたまたまそうなっているに過ぎないことになります。女性についても他の生き物もそうです。恐ろしく長い時間の中で考えた場合、今男か女かということは、ほんの一瞬の出来事でしかありません。ですから、女性差別とは考えられなかったのではないでしょうか?まだ、続きます。 素光
2005年11月17日
コメント(6)
今朝は何故か三時過ぎ起きました。トイレへ行くと窓がとても明るいのに気づいて、窓を開けてみると満月です。一旦はその後眠ろうとして床に就きましたが、眠れません。思い切って護摩を焚くことにしました。実は昨日焚く予定で用意していたのですが、朝早く起きられなかったのと、少し腰痛が起きていたので今回は中止する予定にしていました。準備を済ませ外へ出てしばらくお月さんを眺めようとしましたが、早くしなさいとばかりに雲に隠れていきました。前回の護摩は(11月9日上弦)は途中で気分が悪くなり、終わってから倒れこむようにお昼まで寝てしまい、散々でしたが今回は気持ちよく終えることが出来ました。 素光
2005年11月17日
コメント(0)
前回の話では月光浴住職様から貴重な体験談をいただきました。ありがとうございました。本題に戻ります。法然上人の弟子の中には不思議な最後を遂げた人がいます。法力房蓮生は「口から光を放ち、異臭が漂い音楽が聞こえ紫雲がたなびき」(下巻P172)といった最後を遂げ津戸三郎為守は早く阿弥陀仏が迎えにきてほしいと念仏を唱えながら腹を切り内臓を切って捨てたが苦痛はなく2ヶ月近く生きながらえた後に息絶えた。これが事実とは考えがたいのですが、少なくともその当時はこれが事実と考えられる要素があった。すなわち、法然教団はそのようなことが起きても不思議ではないと思われる位の厳しい行をしていたのではないでしょうか。しかし、それゆえにか、法然教団が弾圧されます。この話について梅原氏の指摘によれば直接の原因とされる安楽・住蓮事件(下巻P208)については冤罪とのことです。そして、その根底にあったのは「女犯と肉食」と「選択念仏」の問題です。「女犯と肉食」については、法然上人がそれを認めていたわけではありませんが、法然教団につながる者の中に一部の不心得もの(現在ではそういえなくなっていますが)がいたようです。法然上人はたとえそのようなものであっても、極楽に往生できると考えて黙認していたのでしょう。ところが、それが標的になったようです。この話について「女犯と肉食」についてはどれ位重い罪か、私にははっきり言ってよく分かりません。しかし、現在でも大峰山のみ残る「女人結界」(かつては日本の霊山のほとんどにありました)と関係があることは確かです。この話の続きはまた明日したいと思います。 素光
2005年11月16日
コメント(0)
今日は朝から出かけていました。久しぶりの遠出(県外)です。商売柄?日常はあまり忙しくありませんが、それでもさすがに遠出するのは、巡拝の先達を除くとあまりありません。ごく最近県外に出かけたのはいつだろうと考えましたが、よく分かりません。数ヶ月たっているようです。まず、金比羅さんへ向かいました。高松道で西へ向かいます。善通寺インターで行き過ぎてその先のさぬき豊中でUターン。ようやくの思いで金比羅さんへ。10年ぶりの金比羅さんは、季節はずれか閉まっている店も多く、当時に比べると人も少ないようです。さくらんぼのハハさん推薦の豊原念珠堂へ行ったところが「ショック」シャッターが閉まってました。さらに、追い討ちを掛けるように、電話がしょっちゅうかかってきます。留守番をしているとかかってこないのですが・・・うまく行かない時はこんなものです。帰りに高松で買い物をして帰ってきました。 昨日は掲示板に4件、コメントが3件入っていますが、これからお返事します。ごめんなさい。 コウユウ
2005年11月15日
コメント(2)
法然上人は不思議な夢を見ています。それは極楽の観想の夢です。(上巻P402)つまり、法然上人は自らが否定した観仏を完成させていたのです。研究者の中にこの体験を否定する人がいる(P408)そうですが、否定すべきものではありません。法然上人は明らかに観仏にも通達していたのです。それにもかかわらず、法然上人は念仏にこだわったのです。また、法然上人は上西門院、後白河法皇、九条兼実といった天皇・貴族に戒を授ける一方で庶民にも説法を行っています。「一百四十五箇条問答」(下巻P31)「にんにくや肉を食べても7日たったら仏事をしてもよいか」とか「子供を生んで百日の間は神や仏にお参りするのをはばかったほうがよいとおもわれますがどうですか」などの素朴な疑問に丁寧に答えています。これは現代の僧侶にとっても多いに参考になるもので、法然上人の暖かい人柄がしのばれる。僧侶のあるべき姿を示したものともいえます。 素光月光浴住職様の(「法然の哀しみ」を読んで)もご覧ください。
2005年11月14日
コメント(4)
日本は明治以来発展を遂げ、物質的には豊かになりました。ところが、神仏を敬う心はだんだんなくなっているような気もします。そんなものあっても仕方ない。お金にならない。確かにその通りかもしれません。しかし、最近のいろいろな事件(慶次200さん、ヒロ伊藤さんのブログも読んでみてください)について思うのは、精神的な歯止めが無いということです。その昔、日本には「物の怪 」と呼ばれるものが存在していました。それを人々は恐れていたのです。科学の光によってそれらの「物の怪」は否定されていきました。結果として、恐れるものが無くなってしまったのです。人間には恐れるものが必要です。それも人間や何か実態のあるものでなく、訳の分からないものです。実態のあるものは何時かその効力を失います。しかし、訳の分からないものの効力はいつまでも続きます。もし、神仏を恐れ敬う気持ちがあったなら、行動を起こす時の歯止めになるのではないでしょうか? コウユウ
2005年11月14日
コメント(6)
前回の続きですが、信頼できる僧侶をどのような基準で選ぶか。これは大変難しい問題です。まず、自分がどのような目的で僧侶を選ぶかを決めなければなりません。葬儀だけしてもらえばよいのか、それとも、その後の供養も頼むのか。あるいは、お布施が安ければよいのか、それとも納得のいく葬儀をしてもらいたいのか。葬儀だけ、安ければよいというのであればそのような僧侶を捜すしかありません。しかし、先々のことも考えて納得する葬儀を行いたいのであれば、まず仏教の宗派について勉強する必要があります。葬儀のお布施は高額になることもあります、通常高額商品を購入する場合はよく研究する必要があります。面倒でも少し勉強して、気に入った宗派を見つけて、納得できるお寺を捜すしかありません。お寺の捜し方についてはまた次回お話します。 ゆうき
2005年11月13日
コメント(0)
何故易行なのか?これはまず行というものを理解しなければいけません。ところで、私は30過ぎてから、仏門に入りました。別に実家がお寺というわけではありませんので、何で?とよく理由を聞かれます。でもよく分かりません。あえて言わしてもらえれば、俗には「行きがかり上」仏教的には「仏縁」あったとが言うことでしょうか。つまり、自分の意思よりも、何か他の力によって引かれていたのです。何のためにこの話をしたかというと、実は行も同じなのです。行も自分の力で行うというよりも、何か別の力に導かれて行うものなのです。ですから、傍から見るよりも大変ではありませんし、楽しく感じることさえあります。法然上人も大変なことをしているという感じは無く、むしろ、行を楽しんでいたのではないでしょうか?そうでなければ、毎日6万回の念仏を続けることは出来ないのではないでしょうか。 素光月光浴住職様の(「法然の哀しみ」を読んで)もご覧ください。
2005年11月13日
コメント(2)
長々と前置きが入りましたが、ここから本題です。以前の記事についてはここへ。法然上人は比叡山で師である叡空上人と激しく対立した。まずは戒体についての考え方である。(上巻P192)戒体というのは戒を授かった時、その授かった人の中に生まれるもののことである。それについて、梅原氏はよく分からないとしている。私もよく分からないが、後に浄土教団が破戒を理由にして弾圧されたことを考えるとかなり重要かとも思う。さらに、問題であったのは観仏と念仏のことである。(上巻P195)現在では念仏といえば、「南無阿弥陀仏」と唱えることであるが、当時はそうではなく「仏を念ずること」でありその中心は「仏を観想すること」であった。この「仏を観想すること」は大変な行である。極楽浄土をありありと思い浮かべなければならない。これは極めて難しいので口で南無阿弥陀仏と唱えるように法然上人は主張したのである。ところで、法然上人は比叡山を去ったあとどのような行をしていたか。じつは毎日6万回、死期が近づいたら7万回の念仏というすざましい行をしていたのである。いったいどれ位の時間がかかるのか。私は虚空蔵菩薩の真言を毎日2万回唱える行をしたことがありますが、それですら平均12時間位かかっています。虚空蔵菩薩の真言のほうが念仏より長いことを割り引いてもこれより短いとは思えません。仏教書には法然上人は易行の道を開いたといわれていますが、普通の人にとっては苦行とは思えても、とても易行とはいえないと思われます。ところが、これは易行なのです。 素光月光浴住職様の(「法然の哀しみ」を読んで)もご覧ください。
2005年11月12日
コメント(0)
前回の続きです。お布施はあくまでも気持ちの問題であるから、こちらが適当と思う金額を払えばよい。そのような意見もあるようですが、そのために嫌がらせをされることもあるようです。せっかくの葬儀が台無しになるようではあまりおすすめできません。ではどうしたらよいのでしょうか。寺門興隆という雑誌の2005年10月号によると、葬祭業者の83,2%が葬儀の際の僧侶の手配をしています。これは何を意味しているのでしょうか?葬儀の際のお布施が高いともいわれますが、葬祭業者はどのような基準で僧侶を選ぶのでしょうか?少なくとも葬祭業者を選ぶのと同じくらい僧侶を選ぶのは重要ですが、僧侶の選び方について検討されているのは見たことがありません。葬儀の際に初めて僧侶と会うのでは、その時に詳しく条件について話し合うこともできません。あらかじめ信頼できる僧侶を決めておけば葬儀の際のトラブルについては回避できるのではないでしょうか。 ゆうき
2005年11月11日
コメント(2)
先日、月光浴住職様(おすすめ新着にあります)とお知り合いになったのをきっかけに、「法然の哀しみ」という本を読みました。大変おもしろかったです。ところで、鎌倉仏教を開いた祖師のなかで親鸞聖人(浄土真宗)と道元禅師(曹洞宗)の二人は最近流行で書店へ行くとたくさん関係書籍があります。それに比べると法然上人(浄土宗)と栄西禅師(臨済宗)について書いたものはあまりありません。同じ禅と浄土なのに何故でしょうか?もともと鎌倉仏教は個人救済の傾向が強いのですが特に浄土真宗は「阿弥陀如来に極楽往生を願う」曹洞宗は「座禅」と純化された思想ですので現代人には分かりやすいのかも知れません。それに対して法然上人は大原問答(京都の大原で比叡山の僧相手に法論を行った)をしたり「南無阿弥陀仏」をすすめながら受戒も行うあたり、栄西禅師は禅・密教・戒律の三宗兼学ということで純粋な禅でないところが分かりにくとおもわれているような気がします。親鸞聖人と道元禅師のお二人は思想的には純粋なところがあり、行動も世間にへつらうことなく宗教家としての生涯を全うされています。現代ではそのあたりに共感を憶える方が多いのも理解できます。興味がある方は著作を読んでみてください。ところで、この二つの教えは何故生まれたか。実は本題の法然上人と関係があるのです。それ以前の宗派は南都六宗に加え真言・天台の二宗です。南都六宗は学問宗で今の宗派とは異なり学派とも言うべきもので、基本は大乗仏教です。大乗仏教というのも誤解されているようですが、仏教哲学をベースにして菩薩行(他者を救う)を行い成仏をめざします。真言・天台もその仏教哲学の上に現世での成仏を目指す教えです。いずれも総合的に学・行を行う教えでした。そこで、登場したのが法然上人です。法然上人の専修念仏の教えなくしては後の親鸞、道元、日蓮の各祖師の教えは生まれなかったかも知れません。 素光
2005年11月10日
コメント(0)
先日仏壇の開眼法要(魂入れ)に行きました。その時その家のおばあさんに「あなたどこのお坊さん」と言われたのです。何故かというと「あなた(私)のお経が真言宗のお経と違う」からだそうです。戸惑ってしまいました。そのおばあさんは仏壇から真言宗の仏前勤行次第を取り出し「真言宗ではこういうお経を読むんです」といいます。私が読んだのは理趣経というお経です。真言宗では僧侶は仏事には理趣経を読みますが、信者さんには般若心経や観音経を勧めて理趣経は勧めません。何故か分かりませんがそうなっています。一つには理趣経を授かるために、僧侶は行(理趣経加行といいます)をしています。ですから簡単には教えないとも考えられますが、それだけとも思えません。結局おばあさんには理解してもらえないままその家を後にしました。 コウユウ
2005年11月10日
コメント(0)
一般の人が仏教でイメージするのは、葬式と先祖供養です。僧侶の対して質問されることの大半も仏教の教義よりも葬式と先祖供養に関することのほうが多いようです。ところが、葬儀に関して葬祭業者との間にいろいろとトラブルもあるようです。この件に関してはバシ9119さんの「葬儀の勉強」をご覧ください。(お気に入り一覧にあります)私は僧侶との問題について扱いたいと思います。葬儀業者については最近特にいろいろと関心をもたれているようですが、葬儀を取り仕切る僧侶についてはあまり関心を持たれていないのが現実です。この問題については従来からの習慣の上にあぐらを書き、積極的に宣伝(布教)に努めてこなかった僧侶の側に大いに問題があります。しかし、葬儀を頼む側が関心を持たないまま葬儀の内容の検討なしに、葬送儀礼を行ってきたことが原因でもあります。今もって僧侶に対するお布施が高いとか安いというような金額的な認識でしか捕らえられていないようです。一方僧侶の側から見ますと葬儀に対するお布施は高いという意識はないようです。一方葬儀を頼む側からするとやはり高いと思われているようです。この認識の違いはどこから来るのでしょうか。 ゆうき
2005年11月09日
コメント(0)
毎日お寺にあるお墓に朝6時過ぎにお参りされる方がいます。雨降りはさすがにお休みですが、晴れても曇っても、暑い時寒い時、毎日自転車で通われていますので、大変熱心な方と思っておりました。ところが、その方と今日お話をしていたら、「私は信仰心が無いので・・・」という発言が飛び出したので、びっくりして目が点になりました。傍から見るととても信仰心があるように思われるのに何故でしょう。ご本人によると「私は毎日お経を上げたり、お寺参りなどをしないから」とのことです。確かに国際的な基準からすると、佛教徒でありながら「お経を上げたり、お寺参りなどをしない」のは信仰心がないと思われるのかも知れません。日本人は生まれた時は神社にお参りして、結婚式はキリスト教会で、死ぬとお寺に頼む。こんなイメージがあってみんな信仰心がないと思っています。私はそうは思いません。本当に信仰心が無かったら、神社にお参りすることも無く、お寺に葬式を頼む必要も無く、教会で結婚式をする必要は無いでしょう。それをするということは、宗教に対して何らかの敬意を払っているからに、他ならないのではないでしょうか。日本は昔から他の文化を取り入れそれを独自の進化をさせてきています。宗教はその代表です。日本には太古より神道に佛教、道教、儒教その他の教えを取り入れた日本の信仰がある。もう少し自分たちの信仰に自信を持ってもいいのではないでしょうか。 コウユウ
2005年11月07日
コメント(2)
最後に一つだけお話したいことがあります。2回目の巡拝のとき、17番井戸寺の手前で猫が車に引かれて死んでいました。よくある光景ですが、そのとき、感じたのです。その猫は私自身なんだと。私は猫とさらにすべてのものとつながっているんだと。「六大無碍にして常に瑜伽なり四種曼荼羅おのおの離れず」を体感した瞬間です。当時は真言宗の教義をしりませんでしたが、後で知って驚きました。私は急いで猫を道端へ連れて行き穴を掘り始めました、土が固くなかなか掘れません。すると後ろから「あのうー」と声を掛けられました。振り向くと一人の女性が「どうぞ、使ってください」と小さなスコップを差し出していました。わたしはそのスコップを使わせてもらい猫(自分)を葬りました。そのあとも巡拝を続けましたがその時の意識はだんだん薄れていきました。四国巡拝が縁で僧侶になり行もしましたが、残念ながらその時が即身成仏に最も近づいた瞬間でした。これからまた、努力していきたいと思っています。素光
2005年11月06日
コメント(3)
別格霊場20番の大滝寺へ上がる途中のバス停で寝た時は、寒くて4時過ぎに起きてしまいました。寝袋の上が霜が下りたように白くなっていました。雪が降っていましたが、寒くて仕方ないのでやむを得ず歩き始めました。その日は、大滝寺をお参りして88番の大窪寺へ向かい、夕方に着きました。大窪寺には通夜堂があると聞いていましたので、今日は部屋の中で休めると思いました。ところが、お寺はお正月の準備でそれどころではなく、お参りしたあと町のほうへ下っていきました。あたりはすっかり暗くなって不安になってきます。途中で神社を見つけましたので泊めてもらおうと思い、すぐそばの民家に許可を受けに行きました。すると「うちはかまわんと思うけど、すぐ先の人がうるさくて文句を言うからそこに聞いて」と言われ暗い気持ちになりました。思い切ってその家にいくと「神社では寒いだろうからうちに泊まり」と言われ泊めていただきました。その後三度四国巡拝をしましたが、不思議と野宿をして厳しい思いをした後は、何故か暖かく迎えてもらえました。四国は不思議な場所です。お大師(弘法大師)さんも確実にいます。 素光
2005年11月05日
コメント(0)
2回目の遍路では不思議な経験がありました。12番の焼山寺から下りてくるところで、大きく川が曲がっているところがあります。そこは、川沿いに行くよりもいったん対岸に渡り、対岸をあるいて先の丸木橋を渡ると近道になります。歩きの遍路では10メートルでも近道したほうが楽ですから、その道は気をつけていました。ところが夕方で疲れていたこともあって、対岸に渡る橋を行き過ぎてしまいました。100メートルも行き過ぎたでしょうか、戻るのも面倒になり、損したと思いながら川沿いを歩き続けました。しばらく歩いて川を見て驚きました。近道していたら渡るはずの丸木橋が増水した川に流されていたのです。もし、近道をしていたら、大変な遠回りになってしまったに違いありません。これも不思議な導きです。そのあとも四国を歩き続けます。托鉢はしていましたが、さほど収入はありません。しかし 不思議と食べるものには困りませんでした。また、ほとんど毎日お風呂にも入れ、いろいろなところで善根宿をいただき、ときどきは宿に泊まる余裕すらありました。そして、前回お世話になった椿堂では再び泊めていただきました。お礼にお手伝いしていたら、いつの間にか3ヶ月が過ぎていました。その間に老住職からお経も習いました。 そして、お正月を前に椿堂を後にしました。 素光
2005年11月04日
コメント(4)
慶次2000さんから四国遍路の体験記をという話がありましたのでちょっと書きます。また慶次2000さんのブログも訪問してあげてください。よく行くページの「一夢庵風流日記」です。私が四国遍路に出たのは平成六年から平成八年にかけてです。今ほど歩いてのが四国遍路が多くない頃でした。今は徳島在住ですが、当時は実家のある岐阜県におりました。また、実家はお寺ではありませんので仏教に触れることもあまりありませんでした。ひょんなことから、お四国遍路をすることになりました。まず1回目の遍路では11番の藤井寺から12番の焼山寺へ行く途中に柳水庵というところで、3度目の遍路という同郷の人に会いました。その方とは同じ宿に泊まったことが無いにもかかわらず、なぜか何度も会って遍路の作法などを教えてくれました。そして私も遍路に慣れた高知までくると不思議と全く会わなくなりました。この方は、弘法大師の使いだったのでしょうか。その後松山の宿で真言宗の僧籍を持つ方と同宿になりました。その方が何故か私にひつこく托鉢を勧めるのです。当時は僧侶ではなかったので断わりました。その方は朝托鉢をしていますので、その間に私は先へ進んでいきました。その方は毎日托鉢をしているので、歩いているだけの私に追いつくことはありません。ですから、もう会うことは無いだろうと思っていました。そう思いながら急いでいると60番の横峰寺からのくだりの山道で足を痛めてしまい、ほとんど歩けなくなりました。そこで、17度四国を回ったという修験者につかまり、無理やり托鉢をさせられたのです。その修験者からも逃げましたが、とうとう65番下の椿堂というところで前述の僧侶の捕まりました。その僧侶からは「逃げてもだめですよ托鉢をするようになっているのです」と言われ、そしてついに托鉢をすることになってしまいました。ちなみに言うと托鉢を進める僧侶にはそれ以後一人しか会いませんでした。私もお遍路さんには勧めません。何故私がさせられたか。それは、約1年半後2回目の遍路では所持金3万円で四国に来ることになったからです。しかし当時は全く想像していませんでした。 素光
2005年11月03日
コメント(0)
とらねこです。最近は他の猫になわばりを荒らされています。
2005年11月03日
コメント(5)
昨日は七日に行って来ました。そこで、新仏さんに付けた戒名について「どんな意味でしょうか」と聞かれました。最近よく戒名の意味を聞かれるようになりました。お坊さんの中には、葬式の時または骨上げの法事の時にどんな意味があるか説明する方もいるようです。さらに、一文字ずつどのような意味があるか、わざわざ文書で渡す方もいます。ところが、私は基本的に説明しません。戒名には形があります。まず○○◎◎信士(居士)の◎◎の部分がいわゆる戒名です。○○の部分は道号と言います。これは俳句をする人に俳号があるように、仏道修行をする場合は(仏)道号を付けます。・・・というように説明はできます。ただ戒名は100年200年300年と残るものです。後の人が見てもどういう理由で戒名を付けたかが解るようなものでなければなりません。したがって、わざわざ説明しなければならないような戒名はよくないと私は考えています。それともう一つ、私が説明することによって遺族の想像を壊すことがあります。それはさまざまな思い入れがあって戒名の一字一字をこちらが思っているよりもよく解釈されていることがあるからです。そんな説明をしながら遺族の方に理解していただきました。コウユウ
2005年11月02日
コメント(0)
虚空蔵菩薩求聞持法は食(日食、月食)の日に行うという話を以前にしました。科学があまり進んでいなかった昔には食の日が特別な意味を持つとされていたのかも知れません。この食の日だけでなく満月・新月の日も仏教の世界では特別な日とされています。布薩という儀式があります。これは半月毎に戒律を犯していないか懺悔(さんげ)する儀式で満月・新月の日におこなわれます。私が以前、虚空蔵菩薩求聞持法を成満したときも満月でした。明日は新月です、心を新たにして行に入りたいと思います。 素光
2005年11月01日
コメント(0)
全38件 (38件中 1-38件目)
1