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今年も今日一日で終わりです。今年は何故か年末にバタバタしていました。先週の二十日にちょっとした事件が起こり、日記も2日ほど休んでしまい、その影響で1週間つぶれてしまいました。今週は年末には珍しく4件の法事などが入ってなかなか掃除ができませんでした。やむなく今日は朝から本堂の掃除をして、境内の落ち葉を掃きました。年末の掃除はどうしてもしなければならないか?などとも考えますが、掃除は人のためにするものではなく、むしろ自分の心の塵を払うためのものです。また、何か口実がないとなかなかできないものです。盆暮れは大掃除をすると決めていなければ大掃除をする機会はありません。ここへ来て旧3月21日(御影供)、盆、年末は欠かさず仏器を磨いてきましたが、今年はそれもしてません。年末の御札・塔婆のお焚き上げもしてません。来年に残してしまいました。いろいろな意味で来年への課題が残った一年です。まあ、いい加減な性格なのであまり気にしていませんが(笑)最後になってしまいましたが、今年の一番の収穫はこのブログを開設したことによって、いろいろな方々と知り合えたことです。知らないことも教えていただき感謝しています。本当にありがとうございました。来年もお付き合いよろしくお願いします。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月31日
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慶次2000さんのブログにコメントを入れたら、質問が入っていましたのでお答えしたいと思います。特に私のような神仏に普段接しているものは特に気をつけなければならないのが、神仏に対する接し方です。お寺に入り僧侶を志す時は神仏に畏れというものをいだいています。ところがお寺の仕事に慣れてくると、神仏に対する接し方も慣れてしまうことがあります。これは気をつけなければなりません。知らず知らずのうちに神仏を粗末に扱い、そのために悪いことが起きてしまうことがあります。また、神社仏閣は霊気の高い場所にあるものがあります。ここでは、霊気を補充できますので、お参りすることによって病気を治すこともできます。しかしどうやって、霊気の高い神社仏閣を見分けるか?簡単な方法では巨木が生えているところがそうです。木には寿命がありますが、その寿命を遥に超えてなお生きている巨木のある場所は大地のエネルギーの集中している場所です。木は動かない故にそのエネルギーを大きく受けているのです。そのような神社仏閣をいくつかお参りすると、霊気の高い場所というのがわかってきます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ神様に慣れるってどういうことを意味しているのでしょうか?教えていただけますか?それから霊気の高い神社とはどのような神社を言うのですか?
2005年12月30日
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柳水庵から先に進むと一本杉庵があります。ここは遍路道を登っていくといきなり巨大なお大師さんの銅像が現われます。信仰がない人であっても山の中でお大師さんに迎えてもらうと何か不思議な気持ちになるのではないでしょうか?ここから下ると左右内の部落です。ここから再び上って焼山寺に至ります。焼山寺は樹齢200~300年の大木が境内にあり本格的な霊場という感じをさせるお寺です。ここまできたら、せっかくですから奥の院にもお参りしたいところです。標高930メートルの焼山寺山の山頂に奥の院があります。(焼山寺は700メートル)登りで約1キロに蔵王権現を祀ってあります。道はところどころ悪いところもありますが、ぜひ行って見たいところです。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月30日
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11番札所の藤井寺は臨済宗(禅宗)のお寺です。四国霊場には真言宗でない札所がいくつかあります。ここはもともと真言宗の寺院が荒廃していたのを禅宗の僧が復興したと考えられています。本堂の右から12番札所焼山寺への遍路道が続いています。かつては遍路ころがしと呼ばれた難所でありました。現在では、ハイキング道としても整備されており、昔の面影はありません。前回お話ししましたように、鳴門から食べること、寝ることに苦しんだお遍路さんにとっては、地獄のように苦しい道のりだったに違いありません。藤井寺の本堂から少し歩いただけでも雰囲気を味わえますので、少しでも足を伸ばしてください。焼山寺までの約13キロ弱の間に3つの番外霊場があります。まず長戸庵ここには10年ぐらい前まで、人が住んでいました。現在はその面影がなくなっています。(と思う)次の柳水庵まで水がありませんので水は必需品です。柳水庵は弘法大師の加持の水が湧き出ているところです。かつては、この柳水庵で一泊して焼山寺を目指す歩き遍路も多かったのですが、現在では宿泊できなくなっているため、歩きの遍路は、11番から12番を打ち抜けその麓まで下りなければならないため、別の意味で難所となっているような気がします。最近体験された方のお話をお伺いしたいところです。素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月29日
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久しぶりに行の話です。以前より本堂で護摩を焚いています。本堂の後ろに位牌堂があり、そこにお不動さんが祀ってあります。護摩は通常早朝に焚きます。その後に仏様の仏飯・お茶などをお祀りします。すると不思議なことにお不動さんのお厨子が開いているのを何度か見つけました。お厨子には引っかかりがあるので、誰かが開けない限り自然に開くことはありません。以前は坊守さんがいましたので、その人が開けたのだろうと思っていました。ところが坊守さんが体調を崩しいなくなってからもそれは続きました。気味が悪く?なってきたので考えたところ、お不動さんの護摩を焚いているにも関わらず、お厨子を開けたことがありませんでした。そこで、護摩の前にきちんとお不動さんにもお祀りして、お厨子を開けて焚くようにしたところ、お厨子が開くことは無くなりました。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月28日
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以前に施餓鬼の話をしました。真言僧は朝暮のお勤めと共に施餓鬼をして、餓鬼さんの供養をしなければならない。そのように言われておりますので、昨年よりずっと施餓鬼をしてきました。本来は午後9時~11時くらいにするものですが、諸般の事情により時間が前後することもあり、止む終えず朝?することもありました。ともかくも続けてきたわけであります。ところが数日前に、お葬式がありお骨をお祀りしました。また同じ頃、となりの家の解体工事がはじまりました。そのことと関係があるのかわかりませんが、餓鬼さんがいなくなったようです。餓鬼さんを見つけた方はご連絡ください。連れ戻しに行きます。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月27日
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さあ、十番から先が四国遍路の本番です。ここまでは、いわば四国を廻るための準備段階のようなものです。心も体も少し整ったところで、まず四国三郎と呼ばれる吉野川へ向かって歩いていきます。対岸へ渡るにはかつては渡し舟を使っていたといわれていますが、現在ではいくつもの橋が架けられています。かつて、明治の終わり頃までは、お金がないまま四国へ渡ってきたお遍路さんが一番札所から歩いてきて、食べるものもなく、寝るところもなく、十番までお参りして、吉野川へ向かい、河原で力尽き行き倒れになっていたと聞いたことがあります。私が歩いている時に不思議なことがありました。ある台風で増水した時のことです。十番から下って吉野川を中洲に渡り、さらに対岸に進もうとするとなんと増水のため、対岸へ渡る潜水橋(増水すると水の下に入る橋)が水没していたのです。途方に暮れました。何しろ民家はありませんし、普段からほとんど通行はない場所です。何キロも遠回りして別の橋を渡るかと思うとどっと疲れてしまいました。とぼとぼ戻ろうとした時、一台の車が走ってきて「乗ってくか」と声を掛けてくれ、対岸まで送ってくれました。その先の山麓に11番札所の藤井寺があります。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月26日
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とらねこも寒がって家の中に入りたがっています。ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月25日
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一行禅師は顕教を学んだ上で密教の出会いました。金剛智三蔵について金剛頂経系の密教を学びました。そして一行禅師の名を真言宗の第六祖としたのが、善無畏三蔵と共に「大日経」を翻訳し、その注釈書である「大日経疏」を著作したことです。かつては真言宗で大日経を研究することは大日経疏を研究することでありました。また、天台宗では「大日経義釈」(大日経疏の校訂版)をもって大日経を学びますが、これも一行禅師の著作です。仏教界を超えて当時の多彩な学問の世界の第一人者として名を残した天才一行禅師、惜しむらくは僅か45歳の若さでこの世を去ったことであります。死因は一説によると、不老不死の研究のために水銀(腐食防止に使われていた)を飲んでいたことだといわれます。もし、一行禅師があと10年長生きしていたら、日本の仏教も全く変わっていたに違いない、そう思わせる天才でありました。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月25日
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雪男といっても皆さんが期待する雪男ではありません。話は変わりますが今年は大変、雪が多いようです。私の経験した豪雪は昭和56年です。南飛騨でも1メートル以上の雪が積もり雪下ろしをしない小屋などが雪に押しつぶされていきました。美濃白鳥では新設したばかりのの体育館が3メートル以上!の雪で押しつぶされました。ちなみに私が生まれた年には飛騨久々野で3メートル50の積雪があったといわれています。本題ですが私は雪男と呼ばれています(自称)。大雪の年には必ず自分の身に大きな変化が起きます。ことしは徳島でも雪が舞い路面が凍結しています。寒波(雪)が人間の生理に与える影響についてご存知の方はお知らせください。ちなみに私は誤解のないように言っておきますがぺギラ(ご存知ですか)ではありません。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月24日
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コウユウさんから一行禅師について書いて欲しいと頼まれたので書きます。一行禅師は真言宗ではの八祖(密教を伝えてきた8人)の一人とされていますが、密教の枠にとらわれない広さを持っています。中国では科学者(天文学者ー暦の作成、天体義、地球儀の作成)として、肖像が切手になっています。若いころは道教に通じて「大衍玄図」「議決」という著作を残しています。さらに風水師としても「葬書」(風水はもともとすぐれた土地に墓地を立てることによって一族の繁栄を図るためのものである)の注釈を完成させて風水理論の革新をもたらし、易にも通じて著作があったといわれています。後に道教の勢力が強かった唐王朝で密教が広まった背景には一行禅師の力が大きいといわれています。21歳の時、禅宗において出家して禅を極めています。禅宗の高僧伝「景徳伝灯録」に名が見えるようです。続いて戒律を学び、天台を学んだといわれています。密教との出会いはまた明日です。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月24日
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前回20日に記事を上げた後、その僅か1時間後に大変なことが起きてしまい、昨日までほとんど寝ていません。昨日は少し眠れましたが、今日も朝から大忙しです。ようやく少し前にログインしました。皆さん私がいない間も訪問していただいて、ありがとうございます。訪問していただいたと思われる方のところにはお伺いいたしましたが、まわりきれていない方はごめんなさい。コウユウ
2005年12月23日
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夕方不意に携帯電話が鳴った、私の郷里の同窓生からである。彼は同窓生の幹事をしているので普段メールのやり取りはしているが、ほとんど電話でのやり取りは無い。よほどのことであろうと取ってみると、ある同窓生の死亡のうわさがあるのでそのの確認の依頼であった。その同窓生はあまり人との付き合いは無く、私の生家のすぐ近くに住んでいた。私なら事情を聞いているのではと電話をかけてきたのだった。私の生家に電話すると事実であった。彼は子供の頃は良く遊んだ記憶がある。空き地で毎日のように暗くなるまで遊んでいた。銭湯に連れ立っていっていた。私が東京へ出かけてからは疎遠になり、ほとんど付き合いも無くなっていた。しかし、亡くなったと聞くと、在りし日の思い出が浮かんでくる。檀家寺にいる関係上、人の葬式に関係することは多い。しかし5年前にこちらへ来たばかりで知っている人の葬式は少ない。葬式を行う立場として、故人を知っているほうが良いか悪いかは判らない。知っているが故に思い入れが多すぎてはやりにくいとある老僧から聞いたことがある。私もそう思う。郷里は雪が多いようである。葬儀にはいけないが、彼の供養はしたいと思う。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月20日
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四国遍路で歩いているとよく聞かれることが、何日くらいで廻れるか?ということです。この質問をされると私は戸惑ってしまいました。前にも申しあげましたが、四国遍路はスタンプラリーではありません。スタンプラリーの様に納経だけを行っている人と、丁寧にお参りする人では、滞在時間が30分位は違ってくるのではないでしょうか?もし札所一ヶ所あたりの滞在時間が30分違ったとしても88ヶ所では40時間あまり違ってきます。一日の行動時間を考えると、4日も違います。さらに番外霊場をお参りすると、一週間位の違いはすぐに出てきます。ところで、一番札所から十番札所までが10里10カ寺と呼ばれ札所がつながっているところです。それこそ健脚の方でしたら、一日で歩くことも可能です。一方丁寧に(私の知り合いの真言僧は健脚でしたが、お寺での読経時間が30~40分!と長かった)お参りすると5番位までしか進めません。三番札所から十番札所までは重要な番外霊場はありません。各札所の特徴についてはガイドブックをご覧ください。十番札所切幡寺の麓には遍路用品を売っている店がいくつかあります。古い遍路日記を読むと、このあたりは遍路宿が軒を連ねにぎわっていたそうです。遍路用品も最近は出かける前か一番でそろえるのが一般的ですが、昔は一番からそのまま歩いてきて、ここで揃えたようです。その名残ではありませんが、とても安いです。わざわざ買いに行く必要はありませんが、ここですべてそろうことは憶えておいてください。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月19日
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バトンが回ってきました。よろしくお願いします。(ぴくまるぴーちゃんさん)ということで回されてしまいました。1)回してくれた方の印象をどうぞ。 素敵な女の子だと思います。 2)回りから見た自分は、どんな人だと思われていますか?(5つ述べてください。) わかりません3)自分の好きな人間性を5つ述べてください。 ???4)では、逆に嫌いなタイプは?(制限ナシ) ありません5)自分がなりたいと思う理想像がありますか? 一行禅師(ご存知ですか)6)自分のことを慕ってくれる人に叫んでください ???7)最後に、この●印象バトン●を回す5人にバトンタッチ! 希望の方がいらしゃいましたら、お申し出ください。全く面白くないです。申し訳ありません コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月19日
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四国でも大寒波です。昨夜より雪が降り続き、朝起きると、真っ白になっていました。今日は2軒の法事がありましたので、困りました。1軒はすぐ近くですが、もう1軒は車で10分位かかります。急いでタクシーを手配しようとしましたが、断られてしまいましたので、いい機会だと思い歩いていきました。徳島市の積雪5センチといいますが、写真を見る限りではもう少し積もっているようです。長靴を履いて、颯爽と?出かけました。道路には雪があります。恐ろしいのは、ノーマルタイヤ!の車が結構走っていることです。雪国の感覚では考えられないことですが、こちらの人はスタッドレスをほとんど履いていません。それにも関わらず、スピードは結構出ていますので、車の動きをしっかり見ていないと、いつこちらに向かってくるか判りません。また大きな橋を渡る時の風の冷たさは言葉で言い表せません。30分以上歩いてようやく到着。施主さんは外で待っていてくれましたが、当方が歩いて来たのを見てびっくり。少し遅刻してしまったので、急いで拝み始めようとしましたが手袋を忘れたので、手印が結べません。帰りは車で送ってもらいました。昔の人はすべて歩いて行ったはずです。それに比べると今は遥に便利になりました。そう考えると時間に余裕があってもいいはずですが、逆にせわしなくなっているような気がするのは、私だけでしょうか? コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月18日
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これから四国本番です。山門で一礼して一番札所入ります。作法はガイドブックを読んでください。お勤めはせっかくですから本堂、大師堂の2ヶ所でしましょう。他の諸堂もお参りして、ゆっくりしましょう。一番札所から二番札所までは、一番の門前を通っている県道12号線沿いに進むと歩いても20分位ですが、門から真っ直ぐに戻って旧道をゆっくり行きましょう。四国遍路で重要なことはヒロ伊藤さんの記事ではありませんが、あくせくしないことです。歩いている方でも何日で、どこまで進むと予定していますが、もったいないです。四国遍路はオリエンテーリングではありません。武蔵野ではありませんが、迷うのもいいですよ。旧道を進むメリットは人と触れ合えること、歴史がわかることです。二番札所の極楽寺には長命杉という杉の大木があります。ぜひ触ってみてください。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月17日
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いきなり衝撃的なタイトルですが、私が悪徳業者からお布施を貰ったわけではありません。最近の耐震強度偽装問題を見ながらふと思ったことです。問題になっている一部の業者は最近までその業界では大変評価されていたようです。当然その業者たちによって潤っていた人がいるはずです。その中に坊さんも入っていたのでは?別にその人たちを非難するつもりは全くありません。そうではなく、以前から篤信の檀家とか信者と思っていた人がいきなり悪徳業者とか、凶悪犯のレッテルを張られたら、どうしようか?などと心配してしまったのです。「以前から怪しいと思っていた」とは言えないだろうし、「あの人は本当は心のやさしい人なんです」と言えるかな?そんなことを考えながら悩んでしまいました。仏教者の立場では、やはりマンションやホテルを買った人だけでなく、渦中の業者も救っていかなければならないと思います。皆さんはどう思われますか? コウユウ ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月16日
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とらねこも寒そうです。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2005年12月16日
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昨日はとても寒く、徳島市内でも雪が積もり、日中も雪が時折舞いました。夜になって七日に行きましたが、その席でのことです。真言宗の坊さんでも、座ったらいきなりお経を読み始める人もいるけど、おじゅしさん(私のことです)はしばらく印を結んだりしている。それはピアニストがいきなり演奏を始めないで、座ってからしばらく間をおいて演奏し始めるのと同じですか。と聞かれ戸惑ってしまいました。別に間を持たせるためにしている訳ではありません。それなりに根拠があることです。印の話についてはこちらを読んでください。真言宗は総合仏教ですから、ある人は浄土系に近い修行をしていますし、禅のような修業をしている人もいます。ですから、法事でもお経を自分独りで唱える人もいれば(こちらが伝統派かも知れません)、ある程度自分で唱えてから来ている人と一緒に勤行する人もいます。その人によって考え方が違いますので回向の仕方もかなり異なってくるという話をしました。そのあたりは、法事に来ている僧侶にどんなことをしているか聞いてみるとよくわかります。 コウユウ人気blogランキングへ
2005年12月15日
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こんなコメントがありました。 以下引用文私以前夫婦で八十八カ所廻りを観光のつもりで廻ったのですが、何度も廻っているという人たちのなかにはどうみても仏様に失礼と感じるお参りのしかたをしている人がいたし、何度も廻るのも、何か違うという印象があったのですが、修行としてはどういうのが正しいお参りだと思われますか?以上引用文お答えしたいと思います。実は私もこのコメントと同じようなことを感じたことがあります。歩きで廻っている人の中には、何日で廻ったかというような速く廻ることを自慢する人や、車で廻る人の中にも回数を自慢する人がおります。概して、何度も廻っている人はお寺でのお勤めがおざなりにされているような場面に遭遇したこともあります。さらにお寺の悪口を宣伝しているような人も少なからず存在します。このような巡拝者に出会うと果たして本当のお参りとはどんな形なのだろうとお考えになるのは当然かも知れません。結論から申し上げると、正しいお参りの仕方というものは存在しません。確かにお寺をお参りする作法としてはいろいろ形はありますが、絶対的なものではありません。ご指摘のお話は何度も巡拝しているのだから、これぐらいは守らなければならない、というお考えかと思いますが、そんなによく出来た人ばかりが巡拝しているわけではありません。四国霊場の仏様もお大師さんもどんな人間であっても受け入れてくれると私は信じています。ですから、仏様に失礼なお参りの仕方だとお感じになられても、その人のレベルでお参りしているので、受け入れてあげていただきたいと思います。 素光人気blogランキングへ
2005年12月14日
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9月28日にブログを立ち上げて以来、今日で記事100件となりました。最初は果たして宗教系の話題など読んでくれる人はいるのだろうか?最初の頃はコメントも、掲示板の書き込みもない状態でしたので、不安でいっぱいでした。おかげさまで最近は毎日のように書き込みしていただき、活気があるブログに育ちつつあるとひそかに喜んでいるこの頃です。この場を借りてお世話になった皆様に、お礼を申し上げたいと思います。普段は文字は大きく、文章は短くをモットーにしておりますが、今日ばかりは少し文章が長くなるのをお許しください。最初にお世話になったのがblue sky blue さんです。始めたばかりで何でも聞きました。ところが、この方も今から考えると初心者だったので、判らない事はいくつかのブログに書き込みしました。そこで答えてくれたのが福岡の高校生水&サミィさんです。文字を大きくする、コピー、写真の入れ方など初歩を教わりました。また、月光浴住職さん、南無南無さんの二人のご住職とヒロ伊藤さんには佛教についていろいろ教わりました。コメントの返し方などの文章の技術は美人社労士のギャオス777さんの引き写しです。リンクの技術はカブキものの慶次2000さん、テンプレートについては素敵なお姉さんのちゅうなごんさんから指導していただきました。いろいろコメントを入れてくれる可愛い女の子!びくまるびーちゃんさん怪しい雰囲気を漂わせる響 醒司郎さんと占い師の心風2005さんには見えない世界からのコメントいただいております。バシ9119さんとマスクMさんには厳しいご指導していただきました。驚かされたのは夜叉神天さんと四谷さいだあさんの中学生コンビの仏教に対する深い理解と熱意です。子育て系唯一の常連さくらんぼのハハさんと、なんとなく愛らしいぢん3112さん、不思議な雰囲気の末摘花7247さんと、美しい詩を綴るすみれ想さんにはリンクしていただいてます。癒し系のコウタさんハードボイルドの雰囲気のモンロゥさん謎の経歴をもつたまたま博士さんにもリンクいただいてます。そのほかたくさんの方にもお世話になっております。皆さん本当に有難うございました。今後ともこの「弘法大師(空海)の秘宝を追え」をよろしくお願いいたします。素光 こうゆう ゆうき
2005年12月13日
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好評につき追加しました。 ゆうき人気blogランキングへ
2005年12月12日
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加茂のオオクスを見てきました。樹齢1000年といいますが、まだまだ元気です。 ゆうき人気blogランキングへ
2005年12月12日
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じつは、霊山寺の北約一キロのところに、大麻彦神社があります。阿波の一宮で風格たっぷりの神社です。寂本の霊場記には霊山寺と並んで、大麻彦神社が奥の院として描いてあります。すなわち、かつては大麻彦神社が1番札所であったと考えられます。この説は、五来重氏の「四国遍路の寺」にも書いてあります。また、ある遍路研究家から四国遍路の起源はお六部さん(旧66ヶ国の国分寺と一宮神社をお参りして廻る行者)であると聞いたことがあります。明治以前は神仏が分かれておらず、四国霊場にも神社の札所があり、他の三国の一宮はすべて札所となっていました。当然かつては、大麻彦神社が札所だったことが予想されます。何故こんなことにこだわるか?実は四国遍路を考える上で非常に重要なことなのです。四国参りは観光が目的という方はどうでもいいことですが、功徳を頂きたいという方は、もともと札所であった霊気の高い場所も合わせてお参りしていただいたほうが、効果があると思われるからです。現在の一番札所は霊山寺ですが、お参りしたときには大麻彦神社もお参りすることをおすすめします。人気blogランキングへ
2005年12月11日
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先日ある人と話していたら、大窪寺(四国霊場の最後の88番札所)のもみじの話が出ました。その人が言うのには、「大窪寺のもみじはきれいですよ。四国霊場で一番じゃないですか。ところで、大窪寺に比べて霊山寺は小さいですね。」ということです。霊山寺は行ってみると分かりますが決して小さくはありません。普通のお寺よりははるかに大きいのではないでしょうか。いったいどういうことでしょう?この人の言いたいことは、四国霊場が作られるときに最初の札所と最後の札所は大きいお寺を選んだはずではないか。大窪寺はそれなりに大きいが、霊山寺はそう考えると小さいということです。実際四国霊場を1番から打ち始めると(四国霊場ではお参りすることを打つという。これは、かつてはお参りした時、仏様と縁を結ぶために、自分の住所と名前を書いた木札を本堂などに打ち付けたからです。)さほど感じませんが、88番からお礼参りに1番に戻ると小さいお寺と感じてしまうのです。そこでタイトルの1番札所は本札所か?ということになるのです。まだまだ続きます。 素光人気blogランキングへ
2005年12月11日
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少し前の話になりますが、以前に私が腕輪念珠を渡した人がやってきていわく「腕輪念珠をもう一つください。」そしてその人の手を見ると私の渡した腕輪と違うものが・・・。どうしたんですか?と聞くと私の渡したものは切れてしまったので新しいのが欲しいとのことです。渡したのは星月菩提樹といって使っているうちに白い色が茶色く変わってくるものです。念珠は使い込んだほうが価値があるんです。直して使ったほうがいいですよ。という話をしました。実は私の念珠も2本ドックに入って修理中です。一本は外回り用の杉のもの、もう一本は本堂勤行用の天竺菩提樹のものです。一度に2本も出してしまいましたので、ちょっと困りました。中で使うものはともかく外回り用の数珠がありません。石が使ってあるものは切れやすいので携帯は避けたいところです。一方、修法に使う「かや」はとても外回りには使えません。巡拝には思い切って、法華経用の数珠を使いました。真言僧なのになんで?と思われますが、有縁の行者さんからいただいたものです。多分気づかれないでしょう。そしてそれ以外は虎の子の沈香を使ってしまいました。少しもったいないですが、使わないともっともったいない?法事のとき匂いのする念珠でやってくる真言僧がいたら、それは私かも知れません。 コウユウ人気blogランキングへ
2005年12月10日
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その昔、一番札所への道は鳴門の撫養港から上陸して、そこから霊山寺へ向かいました。途中の旧道にはお地蔵さんが所々祀ってあります。一番札所までの旧道沿いに2つの番外霊場があります。種蒔大師(東林院)と談義所(十輪寺)です。種蒔大師は、名前の通り弘法大師が祈願して農業の奨励をしたという伝説のある場所で、四国曼荼羅霊場の一番札所になっています。また、談義所はここで弘法大師が四国の高僧を集めて、四国霊場を決めたといわれているところです。種蒔大師にはもう一つ面白い話があります。実は弘法大師が四国霊場を決めようとやってきて、朝一番で撫養から歩いてきた。ここを一番札所にしようと思っていたが、住職が寝ていたので止めて霊山寺まで行き一番札所にしたということです。確かに種蒔大師は大きなお寺ですから負け惜しみのように聞こえて面白い話です。二つの霊場とも、一番札所から歩いても一時間くらい(車ならすぐ)ですから、遍路に来られたら話の種によってみてください。 素光 人気blogランキングへ
2005年12月09日
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お仏壇を買ったので、魂入れをして欲しいという依頼がありました。話を聞いていると、仏壇は買ったが、中に掛けるお軸を買っていないとのことです。そもそも、仏壇とは何でしょうか?仏とついている位ですから、仏様がいらっしゃる檀であります。真言宗では仏壇の中に、本尊として十三仏(あるいは大日如来)、不動明王、弘法大師の軸を掛けます(仏像の場合もある)。宗派によって軸が釈迦如来、阿弥陀如来、祖師、法華経曼荼羅などに変わりますが、仏壇の本尊がないということはありません。何故かと申しますと、この本尊様に供養することによって、その功徳を先祖や私たちに振り向けているからです。仏壇自体は仏様の宮殿ともいえますが、いうなればただの箱です。ですから、お軸が無いと仏壇の意味がありません。自分のお宅の仏壇を見て本尊様がない方は速やかにお買い求めください。人気blogランキングへ
2005年12月08日
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最近少し太くなっています。 ゆうき人気blogランキングへ
2005年12月07日
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真念法師は道指南のあとがきに、「かつては四百八十八里の道のりがあり、横堂(番外の札所)も全部も全部拝んだが、今は僅かに八十八の札所だけになり三百有余里の道のりとなった。」と嘆いています。これから、札所について書いていきますが、番外の札所についてもお話していきます。番外なんていらないなんて言わないでください。まず、番外の中には本札所がたくさん含まれています。明治の神仏分離令によって、神社の札所はすべて外されました。前にも書いたように、札所の始まりは行場です。当然霊気が高いところを選んでいますので、お参りしただけで、体調がよくなることもあります。ところが、本札所ではない処ではこの効果が期待できません。ですからこれから四国巡礼をされる方には、番外霊場もお参りされることをおすすめします。 素光人気blogランキングへ
2005年12月07日
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何人かが発言し、「この問題は文書を投げ込んだ当事者だけでなく、そういう環境を造った全員に責任がある。だから全員が反省するために写経を行う」という意見がだされ、それを寮生の総意としようとしました。その時です、一人の寮生が発言を求め「誰が犯人か見つける方法がある。」といいました。全員が注目しました、ところが意外な言葉が吐かれました。「犯人をくじ引きで決めよう」一斉に笑いが巻き起こりましたが、本人は真剣でした。「全員で責任を取るということは、責任をあいまいにするということでもある。かといって誰が悪いか、今のままでは決められない。だから、本堂でくじ引きをして責任の所在を明らかにしよう。」とても理解に苦しむ意見でした、「そんなもの誰がするか」「するなら一人でしろ」と罵声が飛びました。しかし本人はみんなを説得しようと続けました。「誰が悪いか仏様に決めてもらおう。たとえ犯人でない人間が選ばれたとしてもそれは菩薩道ではないか。」さすがに仏教系の学校でした。賛同者が出ました。その寮生は言いました。「僕が犯人になろう、後の犯人はくじ引きで決めてくれ。」この話を皆さんはどう思われますか? コウユウ人気blogランキングへ
2005年12月06日
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昨日慶次2000さんの記事にコメントを入れました。後から考えると、少し不適当なコメントだったかと思います。慶次2000さんも思うところがおありかも知れません。次の記事で武士道について書かれています。私もある一つの話をしたいと思います。ある仏教系の学校での話です。そこは寮があり、約70人の寮生を数人の寮監が見ていました。ちょっと多いように感じますが、寮監は寮を見るだけでなく、生徒たちを僧侶として育てるための指導教官も兼ねていました。その寮監の中に一人素行に問題のある人がおり、自分のことは棚に上げて、寮生には厳しくしておりましたので、うらまれていました。あるときその寮監の部屋に「殺してやる」という文書が投げ込まれました。そのうわさが広がると寮生は「天罰だ」「ばちがあたった」「いい気味だ」と犯人を褒めたたえました。ところが、面白くないのはその寮監です。校長先生にそのことを報告しました。校長先生は寮生全員を集め、「文書を投げ込んだものは申し出るように」といいましたが、誰もやりましたとは言いません。校長先生は犯人が判るまでは全員外出禁止を申し渡し、「後からでもやったものは申し出るようにまた誰がやったか知っているものは報告するように」そういい残してその場を去りました。誰が犯人かいくつかの情報があったようで、何人かの寮生が呼ばれました。しかし、それでも犯人は判りませんでした。そして、ついに寮生全員で問題をどう解決するか、集会が持たれました。 コウユウ人気blogランキングへ
2005年12月06日
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真念法師の業績については以下の通りです。1、遍路石を200基以上建立 四国にはたくさん遍路石と呼ばれる道しるべがあり現在でもさまざまな時代のものが残っています。最古のものが真念法師の立てたもので現在でも30基ほど残っています。(札所では54番の境内にあります)2、遍路屋の建設 当時は現在と異なり、宿が整備されていたわけではありません。露をしのぐお堂でもあれば良いのですが、それすらないところもありました。そのようなところに、遍路屋と呼ばれるお堂を建てました。いくつ立てたか記録に残っておりませんが、真念庵というお堂が37番、38番、39番の中間地点に残っています。3、四国遍路道指南(1687年) 四国霊場のルートブックを執筆した。これ以前は四国霊場を道案内する書物がありませんでした。4、四国遍礼霊場記(1689年) 四国霊場のガイドブックの作成者。著者は高野山の学僧寂本ですが、その資料を提供し、著作を勧めたのが真念法師であります。これによって四国霊場が一般の人にも知られるようになりました。5、四国遍礼功徳記(1690年) 四国遍路の奇瑞・霊異をまとめたものを書いた。寂本は霊場記を書くにあたって不思議の類を切り捨てました。しかし、真念法師は四国の不思議を書きたかったと思われ、この本を著作したようです。 この3部作によって四国遍路ブームが起こったといわれます。ときは戦国から徳川泰平の時代へと移り、道路網が整備されてきたことと無関係ではありません。現在に至る四国遍路の枠組みは、真念法師によって創られました。この扉からたくさんの人が四国霊場へと入り巣立っていきました。しかし、この業績に対して正当な評価がなされていません。願わくは、真念法師に光が当たることを。四国霊場にお参りされる方は、前述の真念庵と真念法師のお墓がある州崎寺にぜひお参りください。人気blogランキングへ
2005年12月05日
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今日は徳島も非常に寒いです。山間部では20センチ以上の雪が降り、徳島市内でも車にうっすらと雪が積もっていました。空は久しぶりの青空ですが、風が強く冷たいです。今日は施餓鬼法の講習会があり、行って来ました。施餓鬼は餓鬼さんに食を施すことにより、寿命を延ばし、災難を鎮め、罪を滅するためのものです。真言宗ではこの施餓鬼を行えば不思議と生活に困らなくなると、言われています。皆さんも餓鬼さんに食を施して、功徳を得てください。コウユウ1、家の東側に低い木の台のようなものを置き、2、朝炊いたご飯を新しいかわらけに入れて取っておき、 水と一緒に夕方置く。注意:できるだけ暗い場所で昼間も通らない場所が良い。 夜はそこを通らないこと。人気blogランキングへ
2005年12月05日
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四国遍路を語る上で外せないのが真念法師です。真念法師についてあまり語られていないので、お遍路さんでも知らない人が多いのは残念です。四国霊場の開創についてはさまざまな説がありますが、私は弘法大師の後を追う(弘法大師のようになりたいと願う)僧が修行場を求めて歩いたことから自然発生的に出来上がったのではないか?と考えています。それ故に四国霊場の開創者は弘法大師ということになります。一部の修行者のみによって行われていた四国遍路が、誰によって大衆に開かれたか?その扉を開いたのが真念法師であります。四国遍路の父と言われています。では、真念法師とはいかなる人物か?残念ながら詳しいことはほとんど分かっていません、ただ四国遍路を二十余度行ったといわれています。しかし、その残した業績は弘法大師に勝るとも劣らないのです。その仕事については明日お話します。人気blogランキングへ
2005年12月04日
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葬式・法事でお供えするときに、御香料、御香奠などと書いてあります。すなわち、お香をお供えしているということです。お香の功徳については「真言宗法儀解説」によれば、真実知恵の火を焚焼し、菩提の果を薫じ、法界に遍満万せしめて、その徳を成就すとあります。どういうことかと申しますと、火を知恵に見立て、香を自分が得たさとり(菩提の果)に見立てて、それを燃やしてこの世のすべてに、その功徳をいきわたらせようという壮大な願望であります。また、香食という言葉があります。亡くなった方は、香のようなものしか食べられないともいわれています。ですから、御霊供、ご飯、お茶などは温かいものをお供えして、その湯気を食べていただくのです。したがって、線香は亡くなった方のご馳走なのです。夜叉神天さんの記事に線香もいいものに変えました。とあります。線香、お香は良いものを使いましょう。ちなみに線香屋さんの回し者ではありません コウユウ人気blogランキングへ
2005年12月03日
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仏教徒にとって、一番大事なのはお釈迦様?大日如来?阿弥陀様?観音様?その中で「弘法大師」の位置づけってどういうものなんでしょうか。(うちの宗派も真言宗なもので)このような質問がありましたのでお答えしたいと思います。ちょっと答えにくい質問です。佛教徒と一口にいっても日本の伝統宗派だけでも13宗あります。新興仏教を含めるとどれだけあるか、分かりません。それに加え、スリランカ、タイ、ミャンマー、チベットなど諸外国でもそれぞれかなり異なった教義のもとに仏教を名乗っています。ですから、各立場でそれぞれ一番大事なものは、異なってきます。それを理解していただいた上で真言宗の立場をお話します。真言宗では大日如来が宇宙の真理を現していると考えています。ただ、その大日如来があるときは阿弥陀如来、そしてあるときは観世音菩薩、そしてあるときは現実世界にお釈迦さんとして現われます。まるで、多羅尾伴内(ご存知ですか)のようですが、お薬師さんも、お地蔵さんも、お不動さんも、毘沙門さんも、神社の神様までもすべてその実態は大日如来なのです。さて、弘法大師の位置づけです。弘法大師も大日如来の化身といえますが、真言宗ではちょっと特別な存在で、「南無大師遍照金剛」と弘法大師を拝みます。何故、弘法大師を拝むか?高野山の大門に「日々出て影向を欠かさず、処処の遺跡を検知す」とあります。これは弘法大師が毎日いろいろなところを廻って人々を助けているという意味です。弘法大師伝説は3000以上あるともいわれますが、この元になったのが、弘法大師が困った人を助けに来てくれるという教えです。非科学的ではありますが、真言系の学者は真顔でこの話をしますし、真言宗の教義とは反するにも関わらず、高徳の僧ほどこのことを信じています。不思議な話ですがそれが真言宗です。このことについては、また改めてお話したいと思います。ところで、遍照金剛というのは大日如来の徳を現しています。何故弘法大師が遍照金剛か?これには訳があります。密教の灌頂という儀式を受ける時に、投華得仏というものを行います。これは曼荼羅の前で華を投げ、仏様と縁を結びます。その時に、弘法大師の投げた華が曼荼羅の大日如来の上に落ちたので、その時にこの名前を貰いました。それ以来遍照金剛は弘法大師の代名詞になっています。少し長くなってしまいましたがお分かりいただけたでしょうか? 素光人気blogランキングへ
2005年12月02日
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弘法大師の生涯の特徴としては、まず第一に宗教以外の業績があり宗教家としてでなくても、歴史に名が残っていることです。まず、書道家としては「弘法も筆の誤り」ということわざがある通り有名ですが、他にも綜芸種智院という庶民のための学校を作り、満濃池という日本最大の溜池を改修し、日本最初の辞典編纂者でもあります。そのほかにも文化史に名を残しているのですが、残念ながら宗教家以外ではあまり研究されていないのは残念です。第二には宗教家としてのスタートが遅いことです。他の高名な僧侶は子供の頃から仏門に入っている方が多いですが、弘法大師は31歳で得度しています(ちなみに同時期の最澄上人はー天台宗を開いた人ー14歳とも15歳とも言われています)当時は平均寿命が短いので、今なら50歳ぐらいにあたるのではないでしょうか。それでいて真言教学をほとんど完成させています。同時期の天台宗が最澄上人以降も名僧を輩出し、教えも発展させた後、浄土、禅、日蓮宗へと分かれていったのと対称的です。あまりにも簡単ですが、興味がある方は、たくさん伝記が出ていますので、ご覧ください。つづく 素光人気blogランキングへ
2005年12月01日
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