嫌な夢を見る 〜 昨日の会話を思い出す



昨晩は嫌な夢でうなされた.
その夢の記憶が起きた後も残っていて, 午前中はずっと横になって休んでいた.
過去の記憶の断片.
今回の夢はかなり鮮明で, その中に色, 音, 匂いがあった.
特に煙草の匂いをはっきり覚えている.
考えてみると, こういうものも脳が自分の感覚を操作している結果であって, 脳とは不思議だと思う.

午後, 散歩に出かける.
歩きながら, 昨日作業療法のアトリエに来ていたメンバーの男性と行った会話の内容を思い出した.
昨日, 彼と会話をしている時には自分は完全にてんぱっていた.
会話の中で彼の名前を間違えて呼んでしまったこともあり, その内容はどこかに飛んでしまっていたのだろう.

今日になってそれを振り返ることができたが, 面白い話をしていたのだ.
ひどい緊張状態ではあったが, 会話を楽しんでいたのではないかと思う.

彼は子供の頃から一つのことをずっと続けることができない, と言っていた.
高校の頃は暗黒時代だったそうである.
それでお互いの体調の話をした.

自分は彼に, 何一つ自分に自信を持てるものが無く, こうして会話をしていてもちゃんと会話をできているかどうか, 相手に対して失礼なことを言ったりしていないかばかりが気になって苦しいと伝えた.
そうしたら彼が最近読んだある本の内容を引用しながら彼自身もそういう経験があると言う.
共感が持てた覚えがある.

その文章は森岡正博という哲学者がウィトゲンシュタインについて書いた自分と世界との関わりについてのもの.
別に哲学そのものを勉強したくて読むのではない.
苦しさから救われたかったり, 生きる力が欲しかったりした時にふと哲学に頼るのだ.

そういったような話の続きを, 散歩をしながら今度は一人であらためて考えた.

世界と双方向で関わること・繋がることは自身の内的な知覚と, 他者との間の普遍的な了解を介して初めてできるようになる.
自分の勝手な解釈だがそういう考え方がある.
多分現象学とか, その周辺のような分野だと思うが, よくわからない.

作業療法の時には自分は絵を描いているが, その絵は自分の表われである反面, 他者にとっては絵のイメージだけがあり自分の表われそのものが伝わっているわけではない.
他者がそれについて語ったり感じたりしたことと, 自分が絵画として表わしたものとの間に何かしら通じるものがあれば, 自分とその他者との間にはある繋がりができたことになる.

今年, 読書が普通にできるようになってから図書館に通うようになったが, 鬱・貧困・ひきこもりなどとの関わりでそういう本に出会えた.
ある時期, コミュニケーションへの恐れを何とかしたいと思っていた.
その時に上のようなことを書いた本を見つけて読んだのだ.

少し救われたし, コミュニケーションへのこういう向き合い方があるのだと知った.
それを入口にしてフッサールやメルロ=ポンティの文章の断片にもあたることができた.

森岡正博も今度読んでみたい.
図書館で検索してみる.

ひどい文章になってしまった.
posted by 底彦 at 19:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2016年12月23日

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