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図書館で『夏のルール』という本を手にしたが・・・・おお ショーン・タンの新刊の絵本やないか♪【夏のルール】ショーン・タン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりきょうだいがいる人もいない人も大人も子供もみんなの心にじん、と残る『アライバル』『遠い町から来た話』のショーン・タンが描くあたらしい夏のものがたり。<大使寸評>すばらしい作品がならぶ、ショーン・タンの絵本の最新刊(2015年時点)です。不安感と郷愁が垣間見えるのは・・・・ディアスポラあるいは移民としての原点が見えるようです。ついでに、持論をひとこと・・・・強大な漢族と対峙するニッポンも、ディアスポラの不安感は他人事ではないわけです。rakuten夏のルールこの絵本の、お気に入りのページを紹介します。赤い靴下を片方だけ干しっぱなしにしないこと。パーティで残った最後のオリーブに手を出さないこと。パレードに遅れないこと。帰り道をおぼえておくこと。なお、ショーン・タン公式サイト:Rules of Summerでも、英文メモ付きの絵が見られます。これらの絵もSF風イラストに収めておきます。
2015.04.30
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「絵本」でしょうか♪<大学図書館>・夏のルール・Rain Won't 雨ニモマケズ<市立図書館>・炭鉱に生きる・楽園のしっぽ・工作舎物語・図解世界史図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【夏のルール】ショーン・タン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりきょうだいがいる人もいない人も大人も子供もみんなの心にじん、と残る『アライバル』『遠い町から来た話』のショーン・タンが描くあたらしい夏のものがたり。<大使寸評>すばらしい作品がならぶ、ショーン・タンの絵本の最新刊(2015年時点)です。不安感と郷愁が垣間見えるのは・・・・ディアスポラあるいは移民としての原点が見えるようです。強大な漢族と対峙するニッポンも、ディアスポラの不安感は他人事ではないわけです。rakuten夏のルール夏のルールbyドングリ【Rain Won't 雨ニモマケズ】宮沢賢治、アーサー・ビナード、山村浩二著、今人舎、2013年刊<「BOOK」データベース>よりアニメーション作家・山村浩二の絵と詩人・アーサー・ビナードの新訳が出会う、本当の宮沢賢治の里山。ビナード,アーサー(Binard,Arthur)1967年、ミシガン州生まれ。高校時代に文学を志して詩を書き出し、ニューヨーク州のコルゲート大学に進んで英米文学を学ぶ。卒業と同時に来日、日本語でも詩作を始める。2001年、第一詩集『釣り上げては』(思潮社)が中原中也賞に選ばれる。2007年に『ここが家だーベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、2013年に『さがしています』(童心社)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞山村浩二1964年、名古屋市生まれ。子どものころから盛んに絵を描き、13歳で最初のアニメーションを制作。東京造形大学卒業後、自主制作をつづけながら独自の手法を見出し、2002年に発表した『頭山』がアヌシー国際アニメーション映画祭のグランプリに選ばれ、米国アカデミー賞にもノミネートされる。フランツ・カフカ原作の『カフカ田舎医者』で2007年オタワ国際アニメーション映画祭のグランプリを受賞。現在、東京藝術大学大学院教授<大使寸評>アーサー・ビナードさん英訳の「Rain Won't 雨ニモマケズ」とのこと。海外の読者に賢治のメッセージが伝わるとええな♪ということでおます。rakutenRain Won't 雨ニモマケズRain Won't 雨ニモマケズ byドングリ【炭鉱に生きる】山本作兵衛著、講談社 、2011年刊<「BOOK」データベース>より日本初の快挙、「世界記憶遺産」登録。世界が認めた「ヤマ人の記憶」。<大使寸評>追って記入rakuten炭鉱に生きる【楽園のしっぽ】村山由佳著、文藝春秋、2005年刊<「BOOK」データベース>より房総の丘の上、馬と犬と猫、鶏、うさぎに囲まれた自給自足の生活。「憧れの田舎暮らし」を実現させて十余年、自然と向き合う日々は…じつは結構ツライ。容赦ない気候、終わりなき農作業、作物の病害虫、人の都合などお構いなしの動物たち。でも、生きものとして真っ当に日々を過ごせる、ここが私にとっての「楽園」なのだー。直木賞受賞後初のエッセイ集、心豊かな四季の記録。<大使寸評>Iターンを繰り返し最終的に千葉の田舎に動物王国を築いたわけで・・・素晴らしい行動力というか、大物である。相方のこだわりも大きかったようで、人間の住まいより先に馬小屋を建てるあたりが・・・尋常でなかったようですね♪rakuten楽園のしっぽ【工作舎物語】臼田捷治著、 左右社、2014年刊<「BOOK」データベース>より70年代の黎明に工作舎という編集宇宙を学ぶ。才能を呼び集める才能とは?クリエイター列伝、屈指のノンフィクション!【目次】第1章 松岡正剛ーなにもかも分けない方法/第2章 戸田ツトムー小さな声だからこそ遠くまで届く/第3章(芦澤泰偉ー遅いという文句は出ない/工藤強勝ー報酬はタブーの世界/山口信博ー間違えるのも能力/松田行正ー密度がとにかく濃い/羽良多平吉ー最後までなじめなかった)/第4章 森本常美ー夢を見ていたよう/第5章 祖父江慎ーおどろきしまくりの日々<読む前の大使寸評>編集者松岡正剛が給料を度外視して打ちこんだ工作舎とは、どんなだったのか♪この本は、図書館に借り出し予約しようと思うのだ。<図書館予約順位:6(2/11予約済み)>rakuten工作舎物語工作舎物語byドングリ【図解世界史】ムック、成美堂出版、2006年刊<カスタマーレビュー>より世界史の授業は時系列の流れに偏りがち。地理的な関連が歴史上のできごとに影響している事例は多い。人類の誕生からポスト冷戦の時代まで、時間の流れと空間の広がりを美しいビジュアルとコンパクトな解説文で紹介。<大使寸評>尖閣諸島沖事件が起きて以来、中国は覇権体質を緩めるどころか、加速しているが・・・中国の覇権体質は必然なのか?という今日的難題について、地政学的に見てみたいと思ったわけです。rakuten図解世界史図解世界史byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き95
2015.04.29
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図書館で『Rain Won't 雨ニモマケズ』という絵本を手にしたが・・・・宮沢賢治、アーサー・ビナード、山村浩二のお三方の合作のような絵本がええでぇ♪【Rain Won't 雨ニモマケズ】宮沢賢治、アーサー・ビナード、山村浩二著、今人舎、2013年刊<「BOOK」データベース>よりアニメーション作家・山村浩二の絵と詩人・アーサー・ビナードの新訳が出会う、本当の宮沢賢治の里山。ビナード,アーサー(Binard,Arthur)1967年、ミシガン州生まれ。高校時代に文学を志して詩を書き出し、ニューヨーク州のコルゲート大学に進んで英米文学を学ぶ。卒業と同時に来日、日本語でも詩作を始める。2001年、第一詩集『釣り上げては』(思潮社)が中原中也賞に選ばれる。2007年に『ここが家だーベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、2013年に『さがしています』(童心社)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞山村浩二1964年、名古屋市生まれ。子どものころから盛んに絵を描き、13歳で最初のアニメーションを制作。東京造形大学卒業後、自主制作をつづけながら独自の手法を見出し、2002年に発表した『頭山』がアヌシー国際アニメーション映画祭のグランプリに選ばれ、米国アカデミー賞にもノミネートされる。フランツ・カフカ原作の『カフカ田舎医者』で2007年オタワ国際アニメーション映画祭のグランプリを受賞。現在、東京藝術大学大学院教授<大使寸評>アーサー・ビナードさん英訳の「Rain Won't 雨ニモマケズ」とのこと。海外の読者に賢治のメッセージが伝わるとええな♪ということでおます。rakutenRain Won't 雨ニモマケズ賢治の原著にアーサー・ビナードさん英訳を組み込んでみました。雨ニモマケズ 風ニモマケズ Rain won't stop me.Wind won't stop me.雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ Neither will driving snow.Sweltering summer heat will only rise my determination.丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク With a body built for endurannce, a heart free of greed.決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル I'll never lose my temper, trying always to keep a quiet smile on my face.一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ My diary diet must be simple:several heaped bowls of brown rice,some vegetables and miso.アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ Profit must never be the issure.ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ I'll listen to others, observe carefully, and refuse to forget.野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ I'll make my home in a hut with a thatched roof, near a meadow surrounded by pine trees.東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ If a child were to fall ill in the east, I'd run there to help with the nursing.西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ If a mother were to overwork herself in the west, I'd be there to carry the heavy bundles of rice.南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ If a man were on the verge of death in the south, I'd rush to soothe his fears.北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ If bitter lawsuits and fighting were to break out in the north, I'd uege all parties to come togeher and talk things over.ヒデリノトキハナミダヲナガシ In days of drought, I'd weep, just weep.サムサノナツハオロオロアルキ In unseasonable cold spells, I'd walk the fields and worry over the stunted crops.ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ People may call me a fool. I doubt if anyone will applaud me.Then again, perhaps none will detest me either.サウイフモノニ ワタシハナリタイ All this is my goal ― the personI want to become. アーサー・ビナードさんが「あとがきにかえて」で「雨ニモマケズ」の今日的意義を語っています。<今ニモマケズ> 「雨ニモマケズ」は現代の読者に誤解されやすいようだ。少々古風な言い回しがあり、片仮名と漢字という一風変った表記法ではあるが、それでも今、日本語として読める。その結果、人びとはつい「日本」が、この作品の舞台になっていると思い込む。 けれど、実際は「雨ニモマケズ」が生まれたところは、21世紀の日本とはあまりにも大きく異なり、宮沢賢治の生活の現場へ戻って見回せば、現代はまるで別の国だとわかる。地域社会も自然環境も、もちろん経済の仕組みにおいても、大事なポイントはほとんど共通していない。食料自給率100%の地産地消が当たり前だった、田んぼと畑を中心とした暮らしが、今ではコンビニとファストフードを中心とした輸入の渦と化している。 当たり前すぎるくらい当たり前だった里山も、執拗に破壊され、もはや探し求めなければ出会えない生態系となった。日本中の川が護岸工事でコンクリートの溝につくりかえられ、賢二の親しんできた生き物たちは駆逐されてきた。 当然、土壌の良し悪しをたえず気にかけ、地質も水質もわが身の一部としてとらえていた詩人には、放射能汚染を許容することなどあり得ないのだ。 詩というのは、言わなくてもわかることを説明したりしない。「みなまで言うな!」と自分に言い聞かせながら、詩人は表現の無駄をはぶき、本質を読者に手渡そうとする。ましてや「雨ニモマケズ」は、人生の〆切が容赦なく迫るなか、賢二の最後の手帳につづられたもので、多くを語る時間的余裕もなかった。 たとえば「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と書かれているが、その「味噌」のあとに「原材料:大豆(国産、遺伝子組み換えでない)」といった捕捉は当時、必要なかった。また「玄米」のほうも、取り立てて「1キログラム当り100ベクレル未満」みたいに放射能検査の結果を添えなくても大丈夫だった。 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の「雨」と「風」に含まれる汚染物質は、1931年と今とでは雲泥の差なのだ。それをちゃんとわきまえた上で作品を読まなければ、意味をはき違えかねない。おお プロテスト詩人という趣きがあり、ええやんけ♪この絵本の一部です。
2015.04.28
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図書館に借り出し予約していた『工作舎物語』という本をゲット・・・・編集者松岡正剛が給料を度外視して打ちこんだ工作舎とは、どんなだったのか♪個人的な関心事ではあるが・・・・松岡正剛、編集工学、ビジュアル的な装丁という組み合わせが、何やら心騒ぐわけです。【工作舎物語】臼田捷治著、 左右社、2014年刊<「BOOK」データベース>より70年代の黎明に工作舎という編集宇宙を学ぶ。才能を呼び集める才能とは?クリエイター列伝、屈指のノンフィクション!【目次】第1章 松岡正剛ーなにもかも分けない方法/第2章 戸田ツトムー小さな声だからこそ遠くまで届く/第3章(芦澤泰偉ー遅いという文句は出ない/工藤強勝ー報酬はタブーの世界/山口信博ー間違えるのも能力/松田行正ー密度がとにかく濃い/羽良多平吉ー最後までなじめなかった)/第4章 森本常美ー夢を見ていたよう/第5章 祖父江慎ーおどろきしまくりの日々<読む前の大使寸評>編集者松岡正剛が給料を度外視して打ちこんだ工作舎とは、どんなだったのか♪この本は、図書館に借り出し予約しようと思うのだ。<図書館予約順位:6(2/11予約、4/21受取)>rakuten工作舎物語臼田捷治がつづる「はじめに」の一部を紹介します。p7~10 看板雑誌『遊』と『人間人形時代』、撰集『日本の科学精神』、『全宇宙誌』などによる書籍によって時代を画した一連の成果は、工作舎を立ちあげた編集責任者である俊才・松岡正剛と、数々の独創的な方法論を編みだしたグラフィックデザイナー・杉浦康平との緊密なコンビネーションが核となって世に送り出された。それまでの雑誌や書籍にはなかったヴィジュアル的な側面に力を注いだ新しい挑戦と、なおかつそれと一体となっている独自の編集力は、多くの若者を魅了した。その姿勢は今日に至るまで変らない。 工作舎の現編集長である米澤敬のことばを引用すると、「発足以来40年間にわたって、デザインとは編集であり、編集とはデザインにほかならないことを、一貫して活動の基本とし続けて」いるのだ。 いまや日本はデザイン王国である。出版デザインでは、大半の書籍がブックデザイナーによる意匠をほどこされて書店に並ぶ。有名装丁家も多数輩出し、彼らが手がける作品群は、書店の平台において、しばしば「ジャケ買い」という衝撃的な行動を日々誘発している。中身の吟味はさておいて、デザインだけで読み手をレジに直行させるのである。永らくデザイン不在であった文芸誌までがアートディレクターの差配によって世に送り出されているのが当たり前のことになった。 だがいまから40年ほど前、70年代前半ごろまでの出版デザインはまだまだ立ち遅れていた。戦後デザインのフロンティアである原弘と、次の世代である杉浦らによる先駆となる活躍はごく一部にとどまっていたのである。小説本の装丁は画家が中心の担い手であり、その中にはすぐれた仕事も残されてきたことはたしかであるが、それでも大半が「画家の手内職」だった。 人文系・学術系の堅い内容の書籍はもっと遅れていた。編集者が何らのセオリーもないまま、自己流で装丁をまとめあげているケースが多くを占めていた。もちろん、編集者にもセンスのある人はいる。私が1970年に入社した美術出版社では、8割がたは先輩編集者たちが装丁までまっとうしており、新米の私は、手塩にかけるような丁寧なその仕事ぶりを隣の席からまぶしく眺めていたものだった。大向こうをうならせるような派手さはないが、いぶし銀のような技は健在だった。 そうはいっても出版界全体のデザイン水準は低かったといえるだろう。 「外づらよりも大事なのは中味だよ」 そういう意識が出版界では支配的だった。たしかに一理ある。だが、中味さえよければ本は売れる時代はとうに翳りを見せ始めていた。読者も内容にプラスしてデザイン性を求めだした。意識の高い読者は装丁のみならず本文のレイアウトのあり方にも関心を高めつつあった。 「日本では、まだまだ編集者や出版社の勘によることが多く、それで成功したり、社風が形成されたりしているが、もはやそれらが不合理であることを反省する時点なのである。本の装丁も、調査とプログラムにもとづいて科学的におこなうべき時代が来たのである」 このように出版デザインの本格的な展開が待ち望まれていた時代に、鋭いクサビを打ち込んだのが新参組の工作舎であり、松岡正剛であった。 その松岡について杉浦康平が私に「松岡正剛くんは日本でいちばん優秀な編集者だよ」と言っていたことが忘れられない。10970年代半ばのことである。私も当時、編集者として杉浦事務所に出入りさせていただいていたのであるが、いつもフランクに、寸鉄人を刺すような、的確で鋭い物言いをする杉浦である。同世代である松岡のあふれんばかりの才覚は私なりに理解していたから、杉浦の松岡評に納得したものだった。芦澤泰偉がブックデザイン第三世代のデザイン・シーンを語っています。p129~131 工作舎とは離れるが、ここで80年代前半のデザイン・シーンを振り返ってみよう。 杉浦康平世代を継ぐ次世代の旗手として、1943年生まれ菊池信義は、新春に駈けぬける風のような清新な活力をブックデザインの世界に注ぎ始めていた。芦澤と同じように菊池は広告畑からの転身であり、事実上のデビュー作といえるのが1979年の埴谷雄高著『光速者』(作品社)。著者の脳の断層写真を使った装丁が話題を集めた。菊池の存在感はこれ以降、急速に高まっていく。 83年に東京の八重洲ブックセンターで開いた初めての個展、「平台/『菊池信義の本』展」でも世の耳目を集めた。テキストの内実に寄り添いながら織りなすアプローチは、官能性と清潔感をたたえ、同時代に特別の影響を与えてきた。 一方、工作舎をやめた戸田の活動も鮮烈極まるものだった。アートディレクションした『GS』(冬樹社)は1984年創刊。浅田彰らが編集に参画し、折からのニューアカデミズム・ブームが起き、哲学や思想の新しい潮流を象徴する季刊誌だった。戸田はデザインサイドから明確な輪郭を、この知の新局面に添わすことになる。それは、松岡が提唱し、実践しているように、グリッド・システムに象徴されるモダニズムの定則に揺さぶりをかける果敢な試行であり、ブロックごとに一行に納まる字数を変えるといった、ポスト・モダニズムとも呼応する「知的レイアウト」が全面的に繰り広げられた。 現在、京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長の要職にある浅田彰は、『GS』編集時は京都大学の助手だった。そのころの浅田のトークを、私は東京御茶ノ水のカザルスホールで開かれたあるシンポジウムで一度聞いたことがあるが、いちばん記憶に鮮やかなのは次の発言である。「英語でしゃべるよりもフランス語でやるほうがいいんですけれどもね」。浅田の嫌う「幼児的」感想で恐縮であるけれども・・・・。 ともかくも、目ざす方向は違うかもしれないが、松岡正剛と浅田はともに桁はずれの才能である。松岡によると浅田も『遊』に惹かれていた若者のひとりだったという。浅田は松岡とはひと回りほど若い。たぶん高校生時代のことであろう。 浅田を挙げたからには、『遊』にシンパシーを寄せていたもうひとりの俊才を紹介しないといけない。やはり松岡によれば、浅田と同じくニュー・アカデミズムの一翼をになうかたちになる中沢新一がそうだったという。中沢はやがて、自ら現地におもむいて修行にいそしんだチベット仏教学とフランスの構造主義哲学とを関連づけながら、伸びやかで柔らかな知性を存分に表し出す。現在は明治大学の野生の科学研究所所長を務めている。先頃、コミック雑誌『ガロ』の個人的ミニブームで、かなり入れ込んだ大使である。『ガロ』には著名な漫画家、イラストレーターが参集したが、それには編集長兼出版社社長の長井勝一さんの損得抜きの(ような)経営方針に負うところがあったのでしょう。一方、工作舎の場合も、松岡正剛の、損得抜きの、止むに止まれないクリエイティブな執心があったようですね♪ただ、長井さんに比べると、よりハイカラで、頭でっかちの観はあるけど(笑)この記事も松岡正剛の世界に収めるものとします。
2015.04.27
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四国の田舎の法事を終えて、ただいま神戸に帰還しました♪で、書きためていた、日記をアップします。日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・恋するソマリア・恋する文化人類学者今回の2作品は、タイトル、内容、対象へのアプローチ方法などがよく似ているが・・・・その違いは大学教授という権威付けが有るか無いかだけのような気がする(笑)***************************************************************恋するソマリアより<異文化と通じた瞬間、深い喜び:三浦しをん(作家) > アフリカ東部のソマリア連邦共和国は、無政府状態が二十年以上つづき、「ソマリランド」「プントランド」「南部ソマリア」に分裂していた(現在も、ソマリランドは事実上独立国家らしい)。いずれも、ソマリ語を話すソマリ人が大多数を占める土地だ。 ソマリ人がどういうひとたちで、どんな暮らしを送っているのか、詳しい現状はほとんど報じられない。しかし著者は、ソマリ人とソマリ社会に魅せられ、複雑怪奇なソマリ語を習得して、現地での取材を行っている。 とはいえ本書は、決して堅苦しい内容ではない。著者はソマリの文化や実情を知りたくてならず、恋愛のごとき情熱をもってアタックするのだが、ソマリ人は独立独歩かつ喧嘩っぱやく、情に厚くて合理的という、なんかようわからん破天荒なお人柄。こちらの常識などまるで通じず、著者の「恋心」はむなしく空回りすることも多い。結果、本書では爆笑の珍道中が繰り広げられる。 あれよあれよというまに、著者が戦闘の前線地帯に案内されてしまう場面は、本書の白眉だろう。緊迫感と呑気さが絶妙にブレンドされたソマリ人の言動と、折悪しく襲来した「恐怖の大王(=超弩級の便秘)」に振りまわされる著者の姿に、腹の皮がよじれた。なにしろ前線なので、笑いごとじゃない事態も勃発するのだが、その顛末はぜひ実際にお読みいただきたい。 ほかにも、ソマリの家庭料理を教えてもらったり、長老が語る「妻とのなれそめ」を聞いたり(胸が熱くなる、驚きのエピソードだ)、人々の魅力が活写され、愉快な旅の時間がページからきらきらあふれてくるかのようだ。 ソマリ社会に恋して悔いなし。自分とは異なるひとがいるからこそ、世界は輝き、通じあえた瞬間の深い喜びも生まれるのだ。体当たりで悪戦苦闘する著者の姿は、そう物語っているように思えた。 ◇高野秀行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より台所から戦場まで!世界一危険なエリアの正体見たり!!アフリカ、ソマリ社会に夢中になった著者を待ち受けていたのは、手料理とロケット弾だった…。『謎の独立国家ソマリランド』の著者が贈る、前人未踏の片想い暴走ノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞第一作。<読む前の大使寸評>あれ?講談社ノンフィクション賞受賞作を集英社から刊行しているけど・・・そのあたりの仁義は、どうなっているんだろう?高野さんの破天荒な人柄は、その著作『謎の独立国家ソマリランド』、『世にも奇妙なマラソン大会』を通して、よく知っているのだが・・・・この本も面白そうである。三浦しをんさんも、高野秀行さんの面白さに気づいたか・・・さすがやね♪<図書館予約:(3/3予約済み)>rakuten恋するソマリア世にも奇妙なマラソン大会byドングリ謎の独立国家ソマリランドbyドングリ恋する文化人類学者より<学問の掟破り的暴挙が面白い:佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論) > 学問は客観的で普遍的な知識の体系を目指している。そこから得られる展望はとても豊かなものがあるのだけど、普遍的であるが故に、日々の生活や個別の実感とは結びつかないことも多い。 学問が進めば進むほど、そういう傾向が強くなっていくので、専門外の人からしたら、学問なんて自分たちとは関係ないものなんだな、つまらないな、ということになってしまう。 こうして、世に言う科学離れや反知性主義がじわじわと広がってくる。つまり学問とはその成り立ちからして必然的に、発展すればするほど人々から背を向けられ、反感を買う宿命にあるものなのだ。 この、学問の宿痾に敢然と立ち向かったのが、著者の鈴木裕之だ。西アフリカでストリート音楽を研究する文化人類学者である彼は、調査をしている間に現地のスター歌手と恋仲になり、結婚する。そしてなんと、「私の結婚物語」を「文化人類学」という客観的学術体系で読み解き、解説するという、学問の掟破り的暴挙に出たのである。 掟破りだから、これはもう、めちゃくちゃ面白い。結婚についてだけでなく、〈私〉とは何なのか? 民族とは? 国家とは?……など、文化人類学の(ということは今の時代を考えるための)重要な概念を次々と考察していくので、波瀾万丈、破顔一笑の物語を楽しく読み進んでいくうちに、自然と文化人類学の基礎が身についている(かもしれない)。マニアックな参考文献案内も読み応えがある。 だけど、結婚については詳しく描写されているのに、書名に反して、どんな恋愛をして、どういった気持ちだったのかは、ほとんどなにも描かれていない。これはどうしたことか。当事者からの報告には常に情報の偏りが潜んでいるという、これまた文化人類学の原則を示しているのか。 この先、『家庭をもつ文化人類学者』などの続編が登場するのだろうか。楽しみだ。 ◇鈴木裕之著、世界思想社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりこれは恋の物語であり、異文化交流の物語である。アフリカで、著者は彼の地の女性アイドル歌手と恋に落ちた。結婚式は、8日間にわたる壮麗なものだった。激しい異文化の渦に巻き込まれた著者が、自らを素材に語る体験的入門書。ラヴ・ロマンス風文化人類学入門。<読む前の大使寸評>この本は高野秀行著『恋するソマリア』と、タイトル、内容、対象へのアプローチ方法などがよく似ているが・・・・その違いは大学教授という権威付けが有るか無いかだけのような気がする(笑)<図書館予約:未>rakuten恋する文化人類学者**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から65
2015.04.26
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。だいたい、3~4ヶ月待つという気の長い辛抱を強いられるけど・・・図書館から「貸出し準備OK」のメールが届くと嬉しいわけです♪これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)・だから日本はズレている(12/08予約済み)・日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う(12/15予約済み)・キャプテンサンダーボルト(1/07予約済み)・イスラム国(2/25予約済み)・恋するソマリア(3/3予約済み)・文体の科学(3/14予約済み)・台湾の歓び(3/15予約済み)・証言班目春樹(4/20予約済み)<予約候補>・まっくら、奇妙にしずか・英国一家 日本を食べる・夜また夜の深い夜・21世紀の資本・ダイオウイカは知らないでしょう・経済と人間の旅・サラバ!・原色 木材加工面がわかる樹種事典・オートメーション・バカ<予約取消し>・反日プロパガンダの近現代史(2/05に購入済み)・地方消滅(待ってられないんで、買う予定)・ジェフ・ベゾス 果てなき野望・中空構造日本の深層(市図書館は収蔵無し、看護大にあるが貸出し不可)<予約分受取>・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/7受取)・日本語に生まれて(12/09予約、12/16受取)・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約、12/16受取)・驚きの介護民俗学(12/23予約、12/28受取)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約、2/06受取)・本屋さんで待ち合わせ(2/17予約、2/22受取)・ノー・シューズ(9/9予約、2/25受取)・佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人(3/8予約、3/13受取)・東京ブラックアウト(1/07予約、3/18受取)・工作舎物語(2/11予約、4/21受取)【奇跡の2億年史】ピーター・クレイン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長崎の出島が悠久の命をつないだ!ヒトの役に立ち、敬われてきたからこそ、この愛すべき樹木がたどったあまりに数奇な運命!2億年近く生き延びたあとに絶滅寸前になったイチョウは、人間の手で東アジアから息を吹き返した。その壮大な歴史を、科学と文化から描く名著。<読む前の大使寸評>人類の過去の記憶、過去のDNAに寄り添うようなイチョウがええなぁ♪銀杏をいただくときは、そのあたりに感謝していただきましょう。<図書館予約:(12/03予約済み)>rakutenイチョウ 奇跡の2億年史イチョウ 奇跡の2億年史byいとうせいこう【だから日本はズレている】古市憲寿著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりリーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。【目次】「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる<読む前の大使寸評>斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・あかんのやろな~。<図書館予約:(12/08予約済み)>rakutenだから日本はズレているだから日本はズレているby斎藤環【日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う】鈴置高史著、日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベースより>4月のオバマ訪韓で迫られた「踏み絵」を振り切り、7月の習近平訪韓で“ルビコン河”を渡り始めた韓国。激変必至のアジア地図、日本はいかに進むべきか。米中の対立激化、北朝鮮の変節、ロシアの影ー。一気に流動化する世界の「これから」を読み解く。<読む前の大使寸評>良質な鳥瞰図のような視点と、グローバルで政治的な視点と併せ持って考えることが肝要ではないでしょうか。つまり、激高しやすい彼の地の民と同じ土俵で論争するよりも、論争は脇に置いて、民間交流に徹するわけです。<図書館予約順位:7(12/15予約済み)>rakuten日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う【キャプテンサンダーボルト】阿部和重, 伊坂幸太郎著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界を救うために、二人は走る。東京大空襲の夜、東北の蔵王に墜落したB29。公開中止になった幻の映画。迫りくる冷酷非情な破壊者。すべての謎に答えが出たとき、カウントダウンがはじまった。二人でしか辿りつけなかった到達点。前代未聞の完全合作。<読む前の大使寸評>売れっ子作家2人による合作ということで気になるわけです。サスペンス仕立てなので、それなりに面白そうである。エキサイトニュース阿部和重と伊坂幸太郎の合作で『キャプテンサンダーボルト』が抜群におもしろいに、合作のウラ話が載っています。<図書館予約順位:110?(1/07予約済み、神戸市は入荷待ち)>rakutenキャプテンサンダーボルト【イスラム国】ロレッタ ナポリオーニ著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より対テロファイナンス専門のエコノミストが放つまったく新しい角度からの「イスラム国」―。多頭型代理戦争の間隙をつき、領土をとり、いち早く経済的自立を達成した「イスラム国」は、テロリストがつくる史上初めての国家となるのか?<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約順位:7(2/25予約済み)>amazonイスラム国【恋するソマリア】高野秀行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より台所から戦場まで!世界一危険なエリアの正体見たり!!アフリカ、ソマリ社会に夢中になった著者を待ち受けていたのは、手料理とロケット弾だった…。『謎の独立国家ソマリランド』の著者が贈る、前人未踏の片想い暴走ノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞第一作。<読む前の大使寸評>あれ?講談社ノンフィクション賞受賞作を集英社から刊行しているけど・・・そのあたりの仁義は、どうなっているんだろう?<図書館予約:(3/3予約済み)>rakuten恋するソマリア【文体の科学】山本貴光著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長短、配置、読む速度…目的と媒体が、最適な文体を自ら選びとった。古代ギリシアの哲学対話から、聖書、法律、数式、広告、批評、小説、ツイッターまで。理と知と情が綾なす言葉と人との関係を徹底解読する。<読む前の大使寸評>『文体の科学』という書名が、かなりふざけた感じがするので・・・・書評だけでも読んでみようと思ったわけです。・・・わりと、広く浅い感じで読みやすそうである。なんといっても書名に座布団3枚♪冗談はさておいて、主語を明確にしない文体に評者も注目しています。内容の普遍性を担保するために、主語を明確にしないのか・・・・これなんか反米の大使としては、言語学的ナショナリズムがうずくわけです♪<図書館予約:(3/14予約済み)>rakuten文体の科学【台湾の歓び】(文字数制限により省略、全文はここ)【証言班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?】(文字数制限により省略、全文はここ)(以降、文字数制限により省略、全文はここ)図書館予約の軌跡16図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム上記の<予約候補>であるが、今後は神戸市の予約サイトの「予約カート」に入れて待機することにしよう。ところで、法事があるので、今日から26日まで四国の田舎に帰省します。その間は音信普通になる予定ですので、そこのところを宜しく♪
2015.04.22
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今ではドングリ国のスーパーでも置いてあるほど、柿の葉寿司は関西いちえんで流通しているわけで・・・・大使も、とぎれずに愛顧しているわけでおま♪(勝手に関西遺産)が柿の葉寿司をとりあげています。芭蕉寿司のほうは、知らんでぇ。2015.3.18((勝手に関西遺産)包むなら 風味と誇りより■柿の葉寿司 奈良県民の柿の葉寿司への愛情は、恐るべし、である。 例えば、将棋担当の筆者に「お正月は柿の葉寿司を食べますね」と奈良市在住の将棋棋士、脇謙二八段(54)と囲碁棋士、荒木真子三段夫妻。「吉野大峯・高野観光圏協議会」地域コーディネーターの西久保智美さん(39)は寿司を省略して「柿の葉」と連呼した。それで分かるでしょ、というわけ。 西久保さんに「奈良県吉野町の吉野山で桜が咲き誇る頃、行列が出来る柿の葉寿司専門店がある」と教わり、訪ねた。金峯山寺に近い「ひょうたろう」。店主の水本和幸さん(62)に「違いを分かって欲しい」といきなり食べ比べに誘われた。一皿目は塩味が強く、二皿目は具のサバの脂が酢飯に染みこんで、まろやか。最初の皿は当日、次の皿は前日作ったもの。「2日目がおいしいでしょ」。はい…。すごい迫力だ。 吉野地方に古くから伝わる柿の葉寿司。冷蔵庫などない昔、熊野灘でとれたサバは塩漬けにされ熊野街道で運ばれた。塩加減がほど良くなった頃、うすく切って、すし飯に乗せる。柿の葉にくるんで吉野杉で作った箱に入れ、一日押しておくと柿の葉の芳香も移り、風味豊かに。「吉野が林業で豊かだったから、わざわざサバが届いたんだと思うよ」。郷土への誇りも隠し味だ。 もともとは夏祭りの時のおもてなし料理。「各家庭で作ってました。僕のはお袋の味」と水本さん。そんな素朴な存在だったはずが、今や全国区に。各地の名物駅弁を集めた、JR東京駅の「駅弁屋 祭」では「柿の葉すし本舗たなか」(本店・奈良県五條市)など柿の葉寿司が一大勢力だ。 人気の理由は? お箸やお皿が無くても食べられる簡便さや、もともと保存食だから日持ちも良い。 その特性が発揮されたのが阪神淡路大震災だった。「みんな、パンやカップ麺でしのいでいる。ごはんものでホッとさせてあげたい」。被災地の首長からの要請に応え、「たなか」は柿の葉すし1万5千食を急送した。箸や皿が無い避難所でも食べやすく、ネタも同じだったので気兼ねなく分け合え、好評を博した。 「柿の葉ずし総本家平宗」(本店・奈良県吉野町)は自社のホームページ上に、奈良県出身の河瀬直美監督のミニ映画「つつむという優しい文化」を掲げる。平井宗助代表取締役(44)は「海外のホテルだとチップはそのまま置いておくけど、日本旅館なら紙で包んで渡したりするでしょ。包んで真心をこめるって日本人の精神性を体現している」。 もうすぐ春。桜吹雪に包まれながら、柿の葉寿司を食べ、包む文化までも味わうことにしよう。(佐藤圭司)おおきに!「勝手に関西遺産」10年勝手に関西遺産1勝手に関西遺産2勝手に関西遺産3
2015.04.21
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6年ぶりに志摩ハーフに出走したが・・・今回の入れ込み具合は、思い出のコースを楽しく走れたら御の字やで、という気楽なものでした。ということで、観光の目玉を挙げてみます。しまかぜ・鵜方駅で、近鉄京都線の新型車輌「しまかぜ」を見られたが、さすがに2014年ブルーリボン賞を授賞した車体は、JRもうかうかしていられないようです。時刻表の設定によるのだろうが、ホームの両側を上りと下りの「しまかぜ」が行き違うのが、ええでぇ♪・定宿にしているホテルのバイキング朝食が格段に進歩していた。・毎度のことであるが、この大会の2日間パルケエスパーニャの無料特典は特筆に価するな~(何につけタダに弱い大使である)誇れる記録ではないけど、今回の記録詳細です。60歳以上順位:130位台/250人(ラップタイム) (1K換算)スタートライン通過1'41秒1K 7’56 6’123K 22’22 7’115K 37’44 7’416K 41’41 3’56 (長い下り坂)9K 60’58 6’25 (アップダウン)11K 73’52 6’2712K 80’23 6’2813K 87’16 6’5314K 94’09 6’5116K 107’43 6’4717K 114’46 7’0219K 131’26 8’20(上り坂を歩く)残2K 133’00 残1K 138’14 5’13ゴール 145分台 6分台汗と涙の志摩路レポートに示すように6年前の記録から14分落ちているが・・・・その言い訳は、3月、4月を寒波と長雨にたたられて、練習不足だったことです。だけど、練習不足でハードなこのコースを2時間25分台なら御の字であるという言い方もできるのだ♪(どう言いつくろっても、めめしいがな)
2015.04.20
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図書館で『世界の文字とことば』という本を手にしたが・・・・この本では、言語が文字の系統ごとにまとめられているという、一風変った本になっています。お札、街中の看板、パソコンのキーボードなど多数の写真で、各文字の書体が見えるのが楽しい本である。まず、最古の文字ヒエログリフを見てみましょう。p78【最古の文字ヒエログリフ】 エジプト発祥のヒエログリフ(聖刻文字)は、メソポタミア発祥の楔形文字と並んで世界最古の文字に位置付けられています。しかし、言葉を体系的に表記することのできる象形文字としては、エジプトのヒエログリフが世界最古にして世界最長の歴史を持ちます。 もっとも古いヒエログリフの資料は、ファラオの出現より数百年も早い紀元前3500年頃と言われ、またもっとも新しい資料はエジプト文明が滅亡してローマ帝国の属州となった紀元後4世紀末のものになります。 ヒエログリフが象形文字と呼ばれるのは、その文字の形が何らかの対象をかたどっているからです。エジプト人たちは建物、地形、天体、道具、人物、動物、植物など彼らが目にした森羅万象をくまなく文字にしました。それゆえヒエログリフの一覧を見ていると博物図鑑を眺めているような気持ちになります。 文字の数は時代によって異なりますが、ピラミッドが建設されていた時代で750文字ほど、有名なロゼッタ・ストーンが作成された時代には、6000文字まで増えていたと言われています。 さて、この象形文字として作られたヒエログリフですが、文字の使い方においては表音文字の用法がもっとも多いということを読者の皆様方はご存じでしょうか。象形文字は文字の作り方に関する用語であり、これとは別に文字の使い方を指す用語には、表語文字、表音文字、限定符などがあります。 確かにヒエログリフには表語文字の用法があり、たとえば「山」の象形文字を書いて「山」の意味になったり、また「月」の象形文字を書いて「月」の意味になったりします。しかしながら、このような用法は全体の10パーセントにも満たず、用法の半分以上が表音文字なのです。 アレクサンドロス大王やローマ皇帝カエサルなど、外国人の名前を記したヒエログリフの碑文が残されているのですが、そのようなことが可能だったのも、ヒエログリフが表音文字を兼ね備えた文字体系であったからだと言えます。漢字にも表音機能があるのですが、アレクサンドロスやカエサルを漢字で表記しなさいと言われたら、ちょっと悩んでしまうところです(永井正勝)ビルマ文字の書体が見えるところを紹介します。p102~103【ビルマ文字・ビルマ語】より ビルマ族は9世紀頃、現在の中国の雲南省から南下してきてイラワジ川の流域に住み着いたと考えられます。ミャンマー南部でモン人が使用していた文字を借り、工夫を加えて自分たちのことばを書き表しました。 ビルマ文字は、ビルマ語のほかに上座部仏教の経典語であるパーリ語のお経を書き表すためにも用いられます。形は丸形を基本とした、なんともかわいらしいものです。 碑文のやや角ばった字から、貝葉に文字が書かれるようになってしだいに丸みをおびるようになり、現在の形ができあがりました。パやガ、ンガーなど、まるで視力検査表のように、丸の上下左右の一部が欠けた文字があります。数字も独自のビルマ数字を使用し、車のナンバーや店頭での価格表示などに見ることができます。 ビルマ語は、日本語に比べ数多くの母音があり、また音の高低や抑揚の違いによって表す意味が異なってきます。一方、日本語にある音でビルマ語にないものもあります。日本語のキャ、キュ、キョにあたる発音はビルマ語にはないため、「東京」は「トーチョー」と発音されます。 語順は日本語とほとんど同じです。そのため、日本人にとって文法は比較的学びやすいといえるでしょう。(井上さゆり)【世界の文字とことば】町田和彦著、河出書房新社、2009年刊<「BOOK」データベース>より優美な文字、かわいらしい文字、不思議な文字と世界の言語。【目次】ギリシア文字の系譜(ギリシア文字ーギリシア語/キリル文字ーロシア語 ほか)/アラム文字の末裔たち(ヘブライ文字ーヘブライ語/アラビア文字ーアラビア語 ほか)/ブラーフミー文字の子孫たち(デーヴァナーガリー文字ーヒンディー語/デーヴァナーガリー文字ーネパール語 ほか)/漢字の一族(漢字ー中国語/漢字とかな文字ー日本語)<大使寸評>お札、街中の看板、パソコンのキーボードなど多数の写真で、各文字の書体が見えるのが楽しい本である。rakuten世界の文字とことばところで、志麻ハーフの結果であるが、2時間25分台という凡庸なタイムでした。その言い訳は、3月、4月を寒波と長雨にたたられて、練習不足だったことです・・・・、いいわけはさておいて、練習不足でハードなこのコースを2時間25分台なら御の字であるという言い方もできるのだ♪ラップタイム等詳細はのちほどに。
2015.04.19
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図書館で『島国チャイニーズ』という本を手にしたが・・・・「反中」「嫌中」が蔓延するなか、野村進の東アジアを描くノンフィクションは貴重なフィールドワークだと思うのです。【島国チャイニーズ】野村進著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>より「反中」「嫌中」が蔓延する日本に生きる在日チャイニーズたちのひたむきな人生模様。【目次】第1章 劇団四季の中国人俳優たち/第2章 日本で大学教授になる中国人/第3章 中国人芥川賞作家の誕生/第4章 留学生は“反日”か/第5章 北国の中国人妻たち/第6章 神戸中華同文学校/第7章 女たちの池袋チャイナタウン<大使寸評>「反中」「嫌中」が蔓延するなか、野村進の東アジアを描くノンフィクションは貴重なフィールドワークだと思うのです。著者の本では、『コリアン世界の旅』『調べる技術・書く技術』を読んだけど、ええでぇ♪rakuten島国チャイニーズ楊逸さんの母方は満族とのこと・・・・あ、やっぱりそうか。満族は文革で漢族の迫害を受けたそうで、そのバネが今の楊逸さんを生んだようですね♪彼女の独特な日本語表現に触れているところを見てみましょう。p101~103 芥川賞選考委員の池澤夏樹は、楊逸の出現を、「世界文学の潮流が、ようやく日本にも及んできた」 と位置づけた。たとえば、ジャマイカ生まれの母を持つイギリスの作家や、ニューヨークに移住したインド人作家、アフリカ・セネガル出身のフランス在住作家らが、軌を一にするかのように世界各地で台頭してきた。旧植民地出身者と女性の多さが、その特徴である。「いずれも境界線を越えた人たちだから面白いんですね。文化の差を想像力の源泉として書いている。楊逸さんも、中国から日本に来ることによって、それまでの体験や見聞、自分の身に付いた中国文化の価値に気づいたわけでしょう。国境と言語を越えなければわからないものを持ってきてくれたという意味では、日本の文学にとってたいへんありがたいことだと思います」 芥川賞選考会では、彼女の独特な日本語表現も、論議のまとになった。私が気づいただけでも、「田舎色の歯」「あんたら文句太郎か」「分厚い唇に男の約束を載せ、強く噛み締めた」といった、これまであまり見かけたことのないような言い回しが出てくる。 成田空港で到着出口から次々と姿をあらわす乗客の中に、旧知の顔を探す主人公が、「洋顔。また洋顔。ハーフかな・・・・」 とつぶやくところなどは、日本の辞書には載っていない言葉なのに、その意味が感覚とともに伝わってくるのが新鮮だ。池澤は言う。「たしかに日本語として難があるところもありますが、ときとして陳腐であっても、ときとして力強いわけです。『純粋な日本語』と言う人もいるけれど、言語に純粋な言語なんてないんですよ。そのときどきの言葉を持ってきて、語彙をふくらませていく。言葉というのは、こういうふうにして変っていくんですね。彼女の日本語にはそのあたりもかいま見られて、面白いんです」 私なりに言い換えれば、通常の日本語からの逸脱や飛躍が、日本語を豊かにする可能性を秘めているということであろう。別の芥川賞選考委員の高樹のぶ子に、「生活実感と問題意識を搭載した中国の重戦車の越境」と評された楊逸の登場は、日本語の多様化をも「搭載」していたのである。神戸中華同文学校神戸中華同文学校といえば、地元の大使もこの学校をよく知らないので、興味深いのです。この本で、そのあたりを見てみましょう。p193~197 “イジメ”がない学校というものが、はたしてこの日本にあるのだろうか。 それも、民族や国籍の違いからくる根深いイジメが、ずっと以前から皆無に近かった学校などというものが――。 いま私は、神戸にある「神戸中華同文学校」という学校に来ており、目の前には三人の中学三年生が座っている。いずれも、白いポロシャツに、下は濃紺と新緑のタータンチェックのズボンかスカートという、こざっぱりとした服装である。 一人の男子生徒は両親とも日本人、二人入る女子生徒のうち、一人は父親が中国人で母親が日本人、あと一人は両親とも中国人である。 もう少し詳しく述べると、二人の女子生徒のうち、父親が中国人の生徒は、祖父母の代から日本に暮らす、いわゆる“老華僑”である。“老華僑”というと、高齢の華僑のよううだが、そうではない。もう一人の生徒は、両親が1990年代に来日した“新華僑”なのである。(中略) 前置きが長くなってしまった。いま私の目の前にいる三人の中学三年生は、私が同文学校側に依頼して集めてもらった、それぞれ日本人、老華僑、新華僑の子どもたちなのである。 あとで振り返れば、私はなんと愚かな質問をくりかえしたものだ。 10%の一員である日本人の男子生徒に、私は、少数派として、「肩身が狭くない?」 などと尋ねていた。彼は、全校生徒の投票で選ばれた生徒会長でもある。また、そのことに、つまり日本人が生徒会長に選出されたことに、「違和感はなかったの?」 と、私は老華僑と新華僑の女子生徒たちに訊いたりしていた。 三人は多少とまどいの笑みを浮かべつつ、そんなことはなかったと答えてくれたのだが、本当はあきれ返って「ハア?」と言いたかったのかも知れない。(中略) 同文学校のベテラン教師によれば、最近の華僑の生徒たちには、「えっ、私って中国人なの?」「オレって、中国人だっけ?」 という意識があるようにすら感じるそうだ。 私は三人の中学生たちから一番何を知りたかったのか。 身もふたもなく言ってしまうと、民族や国籍の違いによる校内での“イジメ”の有無を確認したかったのである。なぜなら、ここ神戸中華同文学校にはそうしたイジメがないと取材前から耳にしていたし、多数の教員や在校生の親たちも、全員が私の質問に「ノー」と答えていたからだ。それも、力んだ否定の仕方ではなく、「そう言われてみれば、ありませんねえ」 といった、どこか拍子抜けさせられるような答え方で、 しかし、本当にそんなことがありうるのだろうか。もし事実とするなら、むかしからずっとそうなのか。 本書の取材協力者であるフリー編集者の江建が同文学校の卒業生なので、彼が在籍していた20年ほど前にも、日本人の生徒と喧嘩になった華僑の生徒が、たとえば、「小日本人!」 と言い放ったりするようなことはなかったのかと問うてみた。「小日本人」とは、中国人が日本人に浴びせる悪罵の常套句である。 すると、普段はどちらかと言えばポーカーフェースの江が、びっくりした顔になって、「いや、そんなことは・・・・」 と、ほとんど絶句したのである。彼は『中国人から儲ける本』などという、あざといタイトルの本の編集・構成を担当しているくらいだから、建前を言う男ではない。ほかにも卒業生十名ほどに尋ねたが、そのようなイジメはむかしからなかったと断言する声ばかり。卒業生個別にインタビューした結果なので、これはもう信じるしかない。 ここ同文学校には、さほど遠くない過去に、日本の学校で在日韓国・朝鮮人の生徒が味わった屈辱や、あるいは朝鮮学校に通う、片親が日本人の子どもが朝鮮人の子から浴びせられた罵声のようなものが、まったくと言ってよいほど存在しないのである。これは、もちろんすばらしいことだ。「奇跡的」と言ってもよい。同文学校創立時のエピソードが出てくるあたりを紹介します。p203~205 神戸を含む日本の華僑社会で、最大級の尊敬を集めてきた人物の名前を尋ねれば、華僑の十人中九人までが同じ人名を答えるにちがいない――、「孫文」と。いわずと知れた、中華民国“建国の父”である。孫文の肖像は、日本各地にある中華学校を訪ねると、たいてい目立つところに飾られている。 孫文には、政敵に追われ日本に亡命していた一時期があり、そのおり横浜に学校を開いて、華僑への啓蒙活動をおこなっていた。余談だが、孫文は日本の学生服をアレンジした詰め襟服を愛用しており、これは「中山服」と呼ばれ、のちの中国・人民服の元となった。「中山」とは、孫文みずからが称した号で、彼が滞日中、「中山(なかやま)」という日本名を名のったことに由来している。 明治末期の日本には、孫文ら中国大陸の出身者をはじめ、朝鮮やフィリピン、ベトナムなどからの独立運動家や亡命者がつどい、アジアで欧米の植民地にならず、しかもいち早く近代化をなしとげたこの国に、それぞれの祖国の将来像を重ね合わせていた。なかでも神戸港の開港とともに華僑ら外国人が増えはじめた神戸は、横浜や東京とならぶ彼らの拠点となっていた。 こうした時代背景のなか、孫文よりも一年遅れて日本に亡命してきた儒学者・梁啓超が、神戸で華僑学校の建設運動をはじめたのは、1899年(明治32年)の春。それから数えて百十余年の歴史を、同文学校は刻んできたことになる。「同文」とは、中国と日本とは文字も人種も同じ「同文同種」という言葉からとったものだ。 孫文も1913年(大正2年)に同文学校を訪ね、授業を参観し、講堂で記念講演をおこなっている。 同文学校百十余年の歩みは、神戸華僑史の縮図であるばかりか、私を含む大多数の日本人が知らずにいた現代史をも浮かび上がらせる。 一例をあげると、明治初期より大正、昭和の初めまで、神戸はマッチ製造の中心地として、ライターや自動着火装置などが普及していない時代に、非常な活況を呈していた。このマッチを中国大陸や東南アジアに輸出して巨富をなしたのが華僑たちであり、彼らが資金面で同文学校を支えていたのである。 だが、そうした成功者や富裕層はごく一部に限られ、華僑全体としては、早くも1874年(明治7年)の日本による台湾出兵のころからぎくしゃくしだした祖国と日本との関係の影響をもろに受け、日本人から白眼視される存在になっていった。 同文学校の顧問を務め、司馬遼太郎の盟友でもあった直木賞作家の陳舜臣は、自伝的小説の『青雲の軸』で、こんな場面を描いている。 神戸で生まれ育った主人公が、幼いころ祖父に手を引かれて植木市に行ったところ、当時「支那服」と呼ばれた民族服姿の祖父を見とがめた植木屋から、「こらあ!ここはチャンコロの来るところやないぞ。なんぼカネ出したかて、わいら、チャンコロには売らへんのやから。はよ去にやがれ!」 と怒鳴りつけられたのだ。「チャンコロ」とは中国人への蔑称である。祖父が身じろぎもせずにいると、植木屋は顔をくっつけんばかりにして、「やい、ふざけとんのか!おまえらに見られたら、植木が腐ってしまうやんかい。はよ去なんと、どつくぞ!」 と面罵するのであった。祖父は平静な表情のままゆっくりとその場を立ち去るのだが、孫の手を握る彼の手のひらは燃えるように熱かった。神戸ならではの、老女のエピソードです。川西英p207~209 (全文はここ)ところで、19日の志麻ハーフマラソンに出走するので、この後、出かけます。結果報告は19日夜半以降になるので、しばらく音信普通になります。
2015.04.18
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図書館で『ロスト・シング』という絵本をみっけ♪日本で2012年に発刊されたこの絵本は、オーストラリアでは2000年に発刊されています。いわば、ショーン・タンの絵本の原点のようです。絵本であるが、大人向けのSF風イラストでもあるわけで・・・・優しいショーン・タンの持ち味がよく表れています。【ロスト・シング】ショーン・タン著、河出書房新社 、2012年刊<商品説明>より少年が海辺で出会った迷子は大きくて赤いだるまストーブとヤドカリとタコが合わさったような奇妙な生き物。街でも目立つのに誰もその存在に気づかない。アカデミー賞受賞映画の原作絵本! <大使寸評>日本で2012年に発刊されたこの絵本は、オーストラリアでは2000年に発刊されています。いわば、ショーン・タンの絵本の原点のようです。絵本であるが、大人向けのSF風イラストでもあるわけで・・・・優しいショーン・タンの持ち味がよく表れています。rakutenロスト・シング訳者あとがきの一部を紹介します。《帰るべき場所》《帰属》というテーマをつねに追い求めていると、訳者から紹介されています。『ロスト・シング』は、オーストラリアのイラストレーターであり作家であるショーン・タンが、『アライバル』(2006年)、『遠い町から来た話』(2008年)に先立つ2000年に発表した、彼の絵本作家としての本格的なデビュー作である。 夏のある日、少年が海辺で迷子の生き物と出会い、その飼い主を探して街を歩きまわる。大きくて赤くて、だるまストーブとヤドカリとタコが合わさったような奇妙なその生き物は、灰色の殺風景な街の中でひどく目立つのに、なぜか誰もその存在に気づかず、関心も示さない。はたして迷子の家は見つかるのか――。 《帰るべき場所》《帰属》というテーマをつねに追い求めるショーン・タンの原点が、『ロスト・シング』にはある。奇妙な迷子は、理由も意味もなく、「ただそこにいる」ものだ。あらゆるものがコントロールされ、無駄や逸脱を認めない社会では、この迷子のように無意味で分類不能なものは居場所を与えられない。人々のセンサーからこぼれ落ち、姿さえ見えなくなってしまう。そんなふうにそんなふうに社会の決まりごとからはみ出してしまった、よるべないものに注がれる作者の目は優しい。 その目になって、少年といしょに迷子の家を探すうちに、この表情のない、言葉も話さない、およそ共感できそうな要素のない変てこな生き物が、むしょうに可愛く見えてくるからふしぎだ。(中略)『ロスト・シング』は作者自身の手でアニメーション化され、2011年度アカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞した。監督・脚本・デザイン・美術をすべて自分でつとめ、納得のいくものに仕上がるまでに10年の歳月をかけたというのが、いかにも彼らしい。絵本の一部を紹介します。それらしい場所扉が開いた裏表紙なお、ショーン・タン公式サイト:The Lost Thingでも、英文メモ付きの絵が見られます。“A dark little gap off some anonymous little street” acrylic, oils, collage.
2015.04.17
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ふだん読売新聞は読んでいないのだが、ネットで「本よみうり堂」を見つけたんです。お なかなかええやんけ♪・・・ということで、気になる書評やニュースを見てみましょう。・在日詩人・金時鐘さんが回想録・本屋大賞に上橋菜穂子さん「鹿の王」***************************************************************在日詩人・金時鐘さんが回想録より 『猪飼野詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)=写真=が、回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島で1948年に起きた「四・三事件」との関わりをつづった。 「苦難の故郷を見捨てて逃げを打ったことは一生の負い目」と長く沈黙してきたが、その体験は金さんの紛れもない“詩のありか”でもある。 四・三事件は、同年4月3日の反体制派弾圧事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金さんは、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。 〈春は 喪の季節です。/甦(よみがえ)る花は きつと/野山に 黒いことでしよう。(略)//私は一本の つつじの花を/胸にかざるつもりで います。/砲弾の くぼみに咲いた 黒い花です。〉 55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。日本に来た理由は「よんどころない事情」としたままだったが、ゆるぎない詩人の言葉で「在日」を生きる意味をとらえてきた。「そうでないと、民族意識に目覚めたことも、事件に関わったことも、自分にとって何のよすがでもないことになる。空虚だよ。知った者が、知らない形は取れないのよ」 韓国の民主化が進んだ90年代以降、事件の検証が進むにつれ、講演や対談の場で体験を語り始めた。2010年の詩集『失くした季節』では当事者としての心情を率直に表現した。 〈ぼくの春はいつも赤く/花はその中で染まって咲く。(略)//世紀はとうに移ったというのに/目をつぶらねば見えてもこない鳥が/記憶を今もってついばんで生きている。(略)//木よ、自身で揺れている音を聞き入っている木よ、/かくも春はこともなく/悔悟を散らして甦ってくるのだ。〉 改めて文章に書き残したのは、「80も半ばを過ぎて、自分の整理をしたようなもの」。苛烈な生を支えたのは、密航船の手配を整え、一人息子を逃がした両親の存在だった。「まるで鳥がひなを育て、巣立たせるような見返りのなさ。それは、愛の全くの原型なんだよ」。朝晩、遺影に向かってあいさつを欠かさないという。(大阪本社文化・生活部 中井道子) ◇金時鐘著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の済州島で育った著者(1929~)は、天皇を崇拝する典型的な皇国少年だった。1945年の「解放」を機に朝鮮人として目覚め、自主独立運動に飛びこむ。単独選挙に反対して起こった武装蜂起(四・三事件)の体験、来日後の猪飼野での生活など波乱万丈の半生を語る詩人の自伝的回想。『図書』連載に大幅加筆<読む前の大使寸評>金時鐘さんは、梁石白さんとともに、大阪城公園の鉄をかましてきたアパッチ族であったが・・・当時のことを知る人たちがいなくなる歳頃になりました。<図書館予約:未>rakuten朝鮮と日本に生きる本屋大賞に上橋菜穂子さん「鹿の王」より 2015年本屋大賞(同賞実行委員会主催)が7日発表され、大賞は上橋菜穂子さん(52)の「鹿の王」(上下巻、KADOKAWA)に決まった。 授賞式で上橋さんは、「生まれて初めてのアルバイトが書店員で、本屋さんと一緒に生きてきたような人生です。そんな、読者と本の懸け橋である本屋さんに選んでいただき、ほんとうにうれしい」と喜びを語った。 「鹿の王」は、異世界が舞台の長編。死に至る謎の病に侵されたが一命を取り留めた男を主人公に、生命の神秘から、異なる価値観の民族や国家の衝突、さらには先鋭化した部族の凶行までも描く。 2位は西加奈子さん(37)の「サラバ!」(小学館)、3位は辻村深月さん(35)の「ハケンアニメ!」(マガジンハウス)。翻訳小説部門は、ピエール・ルメートル著「その女アレックス」(橘明美訳、文春文庫)だった。 ◇上橋菜穂子著、KADOKAWA、2014年刊<「BOOK」データベース>より強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団“独角”。その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるがー!?厳しい世界の中で未曾有の危機に立ち向かう、父と子の物語が、いまはじまるー。<読む前の大使寸評>この本を図書館で借出し予約するつもりだが、何ヶ月待つのやら?<図書館予約:未>rakuten鹿の王**************************************************************<インデックス>本よみうり堂トップ本よみうり堂の書評から1
2015.04.16
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ディーラーでN-BOXを見て半日の検討、交渉の後、この車を契約したわけで・・・・アホな一目惚れのようなものだが、今もって、なんとか合理的な理由を求めて、グズグズと反芻しているのです。 朝日新聞に2014年度の国内新車販売ランキングが出ていたが、上位10車種のうち7車種が軽自動車だったそうです。また軽自動車のシェア争いはダイハツがスズキを抑え、9年連続トップを守ったとのこと。新車販売、「新星」現れず トップ10、前年度と9車種同じより 2014年度の新車販売ランキングは、上位10車種のうち9車種が前年度と同じ顔ぶれだった。注目の「大型新人」が現れないのは、市場が縮む中でメーカーが冒険を避け、実績がある車の改良に力を入れていることや、海外を狙った車に開発資金を集中しているためだ。 トップ10のうち、14年度に初めて市場投入された車種はゼロ。全面改良(フルモデルチェンジ)があったのもダイハツ工業の「ムーヴ」だけだ。他はホンダ「N―BOX」や日産自動車「デイズ」のように屋根の高さなどが違う「派生車」、スズキ「ワゴンR」のように小幅に改良した車が目立つ。 人気が集まったのは、軽の中でも天井が高く、室内が広いワゴンタイプ。販売台数のトップ10に入った軽の7車種中、6車種がこのタイプだ。「燃費や荷物が積みやすいなど、実用性を求める声が強まっている」(ホンダ広報)ためで、軽以外から乗り換える人も多いとみられる。 異彩を放ったのは、スズキが14年1月に発売した軽の「ハスラー」。派手な色使いやオフロード車風のデザインが若者らに受けた。ただ「車体塗装などに手間がかかって生産が追いつかず」(広報)、12位にとどまった。 ■国内は「守り」の姿勢 少子高齢化や節約志向の高まりで、国内の新車販売は縮小傾向が続く。15年度は499万台にとどまる見通しで、95年からの約20年間で3割減る計算だ。 自動車の開発には1車種あたり数百億円の費用がかかるとされる。投資に見合う販売台数を達成するため、各メーカーは縮小が続く日本市場向けより海外市場で売れる車に注力しがち。国内向けにはある程度売れた車を改良したり、形をやや変えた派生車を出したりする「守り」の姿勢が主流になっている。トップ10のうち、6車種が軽のハイトワゴンだったそうで・・・大使がこのカテゴリーに魅了されたのも、わかる様な気がするのだ。ちょっと古い記事だけど、N-BOXの開発裏話を見つけたので見てみましょう。ホンダの新戦略 軽の技術でアジアを制すより<「女性軸」が成功の要因>片山:ダイハツ、スズキの二強だった軽の牙城に、ホンダが「Nシリーズ」で加わり、日産、三菱も共同開発で参入しました。軽をめぐる競争は、一段と激しさを増しています。伊東:ホンダは、ダイハツさんとスズキさんの2社が一所懸命戦っていた軽市場に再参入し、まったく新しい価値を持ち込んだ。既存の軽のラインアップにはない、ゆとりある空間をもった「N BOX」を開発した。つまり、2社とはまったく違う価値をもった、内装もハイレベルの軽です。お二人の社長は、「せっかく2社で戦っていたのに……」と怒っておられるのではないでしょうか。片山:「N BOX」が、軽のイメージを変えたのは間違いない。伊東:いまの軽は、「安いから買おう」という車ではない。軽は、取り回しがよくて狭い道でもよく走るし、維持費も安い。でも、軽の魅力は、それだけではない。購入の選択肢が広がり、「欲しい」と思ってもらえる車になった。その意味で、ホンダは、日本の軽市場に新しいカテゴリーをつくったといえるんじゃないかと自負しています。片山:「N BOX」は、もはや軽が「プア」な車ではなく、「クール」な車になったことを示している。伊東:それをやり遂げたのが、「N BOX」の開発責任者の浅木(泰昭)です。浅木は、F1第二期参戦の立ち上げからエンジン供給に関わり、ホンダのF1活動の黄金期を支えた。その後、初代「オデッセイ」のエンジンなど北米市場の人気車種に搭載されるエンジンの開発を手掛けたんですが、ある機種の商品化で挫折を経験しているんです。 軽をやろうとなったとき、初代「オデッセイ」の開発責任者の小田垣(邦道)が、浅木を見つけてきたんですよ。小田垣は、お客さんの潜在的な欲求をくみ取って、商品につなげる力がものすごくあって、その権化みたいな男だった。浅木は、そこで修業をしたわけです。 それで、最後に……っていっちゃ何だけど、軽を任せた。浅木は、「N BOX」に挫折の悔しさをすべてぶつけたんじゃないかな。「N BOX」は、浅木の情熱が具現化した商品ですね。・・・なるほど、もはや軽が「プア」な車ではなく「クール」な車になったと、片山さんが「N BOX」の魅力を語っています。(大使の一目惚れの理由を代弁してくれています)この後、ハイトワゴンの詳細な比較表をエクセルで作るので、請うご期待♪(いつまで待つのか)たいがいのこだわり商品は、事前に比較表を作って検討するのが大使のパターンであったが…今回のは衝動買いだったので、順序が逆転した次第です。軽自動車購入後の事後比較1軽自動車購入後の事後比較2軽自動車購入後の事後比較3軽自動車購入後の事後比較4軽自動車購入後の事後比較5軽自動車購入後の事後比較6ホンダ N-BOXの自動車カタログ・価格比較N-BOXの性能Honda Cars明舞 学園南店
2015.04.15
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図書館で『韓国の住宅』という本を手にしたが・・・・大使は、とにかく韓屋の建築的造形が好きなわけです♪ このところ日韓では歴史認識でもめているが、アート、民俗など認め合う事柄は、探せば多いんですけどね。【韓国の住宅】金光鉉著、丸善、1991年刊<「BOOK」データベース>より大地の身体として息をしている韓国の住宅を訪れ、生活と物体の存在性が自然と合一しながら透明な空間に化する建築を発見する旅。本書は、古い伝統と、それに培われた建築的造形と空間が、どのように建てられるかという意識を超え、荒い土地の上に生み出してきた生活感覚をイメージとして描き出す。 <読む前の大使寸評>両班の古民家のカラー写真が多く載っているが・・・とにかく、その建築的造形が美しい♪日韓で古民家を比較しても、好みかもしれないが、韓国に軍配を上げるのである。Amazon韓国の住宅この本の韓屋の写真の一部です。良洞の観稼亭安東の義城金氏宗家韓国と日本の住宅の違いは、何といっても韓屋にマルとオンドルがあり、日本には無いことだと思うのです。そのあたりをこの本で見てみましょう。<マルとオンドル>よりp80 韓屋と呼ばれる韓国の住宅は、中国や日本と同様に木造の建物であるが、それらと大きく違う特性は、それがマル(板の間)とオンドル(温突)の構造によって建てられるという点にある。オンドルは、北方の寒い地方で始まった閉鎖的な構造であるが、その反面、マルは南方の高温多湿な地方で発生して、暑さに対処するために工夫された開放的な構造である。 つまり、これらの二律背反的な構造が、韓国においては一つの住宅の内部空間に共存しているのである。 地面に密着したオンドルの構造は基壇の上に高められるし、虚空の上に敷かれたマルは低められて、オンドルと水平をなして行く。オンドルだけのある家には縁側が付けられるが、中部地方では大庁と縁側あるいは楼マルで構成されて、平面には高低の差が生じる。その結果、台所・アンパン・縁側・楼マルなどは、立面に奇異な律動感を生み出す。 特に、マルは住宅だけでなく、宮殿とお寺、櫓と楼亭などの集会と眺めのためのものに幅広く使われてきた。また、それはもともと地温・地湿を防ぐための構造であったが、その機能は倉庫、蔵書、民家での祭祀、夏の生活の場、部屋と部屋との連結通路、部屋とマダンとの間の中間領域などに多様に使われた。中庭としてのマダンも、韓国独自の概念があるようです。<「マダン」の概念>よりp70~71 西欧的な定義では、外部空間とは建物を除いた空間を意味するが、東洋の場合は必ずしもそうでない。韓国の外部空間は、共同体の意識にための開放的な空間と、個人の生活のための閉鎖的な空間というふうに、空間の使い方によって区別される。それはという言葉が示すように、「空いて」はいるが具体的な機能を持った閉鎖的な場所、すなわち構造物の単位である「間」を意味するものであり、ただ均質に空いているものとしての西欧の空間概念とは異なる。韓国では、このような性格の外部空間を「マダン」と呼んでいる。 マダンは、物理的な庭のみならず、場所とか中間領域の意味をも表す。辞典によれば、マダンとは「家の前後にある平らに均した固い土地」、あるいは「事が起こる場合または事にあたる時機」といって、空間的な意味だけではなく、時間的な意味をも含んだ複合的な言葉である。しかし、語の用法は空間のみに限らず、伝統的な仮面舞踏とかパンソリという謡を教える単位のように、一種の間合いにも似た時間の概念としても用いられる。このように、マダンとはいわば場あるいは場所に近い概念である。 マダンは、韓国の伝統的建築においては、除いてはいけない確固たる位置を占めるもので、宮殿・お寺・書院・住宅などのあらゆる種類の建物と一体になって存在してきた。村には亭子木を中心とした亭子マダンがあり、井戸端には洗濯場としての井戸マダンが、邑村の内には市の開かれる場所としてのマダンがある。 同時に、それは日常生活の中では仕事場として、また休み場や遊び場にも使われるし、ときには思索の場所という象徴的な意味で韓国人の心に宿っている。韓国辞典が説く「マダン」を見ても日本人には、もうひとつピンとこないのだが、この感じ方は韓国独自のようですね。なお、大使も韓国出張中に、田舎で樹下のマダンをよく見かけたものです。夏の日陰の縁側の心地よさは、日本人も理解できるが・・・次にあるように、韓国の縁側の味はひとしおである♪<オンドルとマルの趣き>よりp82~83 オンドルが、冬の生活空間のためのものであれば、マルは、夏の生活空間のためのものである。涼しい夏の昼、麻布でつくった着物をきて、後ろの板門を開き放し、大庁に横たわって昼寝をする味は口では話し切れない。 しかも、楼マルに座って涼しい風の中で、青空を茫然と眺めていると、天井の神仙が羨ましくないし、甘ったるいマクワウリやスイカを食べながら、蝉のすだく音でも聴いていると、すでに人口の住宅にいるのではなく、自然の一部に身体が同化しているような錯覚さえ呼び起こす。それが、韓国住宅の大庁と楼マルの味であり、韓国の住宅ではないと感じられない趣きの一つである。 マルには、大庁マル、楼マル、トェンマル(縁側)、チョンマルなどがある。大庁マルは、部屋と部屋との間、あるいは楼マルと部屋との間に敷かれる広い板の間であり、楼マルは、舎廊棟や別堂の一部に他のマルよりも地面から高く引き上げられた板の間である。プサンナビの「良洞民俗村」の解説が、ええでぇ♪良洞民俗村(慶州)より ここは李朝時代の伝統文化や家並みが現代までそっくりそのまま残されたところで、村はまるで500年前の様子そのままとして残っている村です。 現在も人々が普通に暮らし続ける一方、貴重な民俗資料として村全体が大切に保存されています。伝統的な両班家屋や藁葺き屋根の家160戸が並び、その中には200年以上経過した古い家屋も54戸あります。李朝時代中期以降の建築様式を存分に楽しむことができる場所として、また数百年前から引き継いである伝統文化を体験できる場所もあります。
2015.04.14
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図書館で『JR上野駅公園口』という本を手にしたが・・・・この小説の主人公はJR上野駅付近で暮らすホームレスの男性である。大使は転勤で2年間、東京暮らしをしたことがあるので、JR上野駅付近は土地勘もあり懐かしいのです。柳美里さんのエッセイなどは読んだことがあるが、小説を読むのは初である。、毎度のことではあるが・・・虐げられる者、ハンデキャップを持つ者に寄り添う柳さんのスタンスがいいではないか。ホームレスの実態に触れているところを見てみましょう。p85~91 だが、この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必用のない者だ。女房のため、子どものため、母親、父親、弟、妹のためという枷が外れて、自分の飲み食いのためだけに働けるほど、日雇いは楽な仕事ではない。 昔は、家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ立て小屋で暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスに成った者なんていない。こう成るにはこう成るだけの事情がある。サラ金の高利子の借金が膨らんで、夜逃げしたまま蒸発した者もいれば、金を盗んだり人を傷つけたりして刑務所にぶち込まれ、娑婆に出ても家族の許には帰れないという者もいる。会社をクビになって、女房に離婚されて子どもも家も取られて、捨て鉢になって酒や賭け事に溺れて一文無しになった者、転職を繰り返してハローワークに通い詰めても希望する職が見つからず、気落ちして抜け殻みたいになった4,50代の背広を着たホームレスもいる。 落とし穴だったら這い上がることもできるが、断崖絶壁から足を滑らせたら、二度と再び人生に両足を下ろすことはできない。落ちることを止められるのは、死ぬ時だけだ。それでも、死ぬまでは生きなければならないから、細々と駄賃稼ぎをするしかない。 秋になれば、公孫樹の木の下で銀杏を拾って、ゴザで干して売ることもできる。 駅のゴミ箱で漫画雑誌や週刊誌を拾って古本屋に持って行けば、一冊何十円かにはなる。堅い雑誌よりかは、若い女の水着や下着が表紙の週刊誌の方が高値で引き取ってもらえる。ビニールシートの上に雑誌を並べて捨て本屋をやっている者もいるが、地回りのヤクザにショバ代を取られる場合もあるし、ホームレス同士で雑誌の取り合いになって突き飛ばされて線路に転落し、電車に撥ねられて死んだという話も聞く。一時でも何かを所有すれば、奪われ失うかもしれないという危険と不安に付き纏われ、気が気ではない。 その点、その日に集めた分をその日のうちに換金できるアルミ缶は気が楽だ。回収用のビニール袋を持って、道端や植え込みやゴミ箱に捨ててあるアルミ缶を拾って歩く。リサイクル業者に持って行けば、一個二円、百個で二百円、千円稼ぐには五百個、二千円稼ぐには千個――。 ここで暮らしはじめた67歳の時から、何度この銅像を見上げたかわからない。西郷さんは、いつもアメ横の方に体を向け、丸井のビルの辺りを眺めている。右手には犬の綱、左手は脇差しの鞘を握っているが、右手の方に力が籠もっているように見える。(中略) ここは、上野公園の中でいちばん外の音が聞こえる場所だ。アルミ缶で膨らんだゴミ袋や捨て雑誌を積んだ自転車を引いて歩く道すがら、よく西郷さんの前で足を止めて、目を閉じた。 車の走る音・・・・エンジン・・・・ブレーキ・・・・アスファルトを滑るタイヤの音・・・・ヘリコプターが旋回する音・・・・ 一歩、二歩、前に出た。帽子を目深に被っていたから、目を閉じたことは誰にも気付かれなかったと思う。足裏で盲人のための点字ブロックを黄色い線の上に立つと、瞼の暗闇の中で恐怖が伸び伸びと広がっていった。ホームレスに陥るあたりを見てみましょう。p128~152 娘の洋子が心配して、原町の動物病院に看護師として勤めはじめた孫娘の麻里をちょくちょく寄越してくれていたが、しまいには「おじいちゃんが心配だから」と麻里はアパートを引き払って越してきた。 コタロウという名前の雄犬も一緒だった。胴と顔の長い、よく吠える茶色い小型犬だった。 (中略) 雨の朝だった。 「むしむしすんね」と麻里が半分開けて網戸にした窓から、湿気を含んだ風が雨音と共に流れ込んできた。雨の匂いを嗅ぎながら、麻里がこしらえてくれたスクランブルエッグとトーストを食べて、麻里と犬を玄関まで見送った。21歳になったばかりの麻里を、祖父である自分とこの家に縛るわけにはいかない、と思った。 と書き置きをして、押し入れから出稼ぎに行く時に使っていた黒いボストンバックを取り出し、身の回りの物を詰め込んだ。 鹿島駅から常磐線に乗り、終点の上野駅で降りた。公園口改札から表に出ると、上野も雨だった。青信号が点滅し出したので、傘を差さずに横断歩道を渡った。渡り切ったところで、夜空を見上げた。大粒の雨が空から降ってくるのが見えて、雨で濡れた瞼が震えた。その夜は、東京文化会館の軒下で過ごすことにしたが、規則正しく地を打つ雨の音を聞いているうちに疲れと眠りが押し寄せ、ボストンバッグを枕にして眠っていた。 生まれて初めての野宿だった。(中略) テント村のホームレスの荷物はブルーシートと紐で小包のようにまとめられ、その一つ一つに、国、西、燈、す、すなどと車のナンバープレートのように、公園内の「縄張り」別に整理番号が付けられた荷物調査表がぶら下げてある。「国」が国立科学館、「西」が西郷さん、「燈」が上野東照宮のお化け燈籠、「す」が摺鉢山―、自分とシゲちゃんのコヤは「す」で摺鉢山の麓の木陰にあった。 と、漢字の後にいちいち平仮名の読みが入っていて、かえって読みづらいのだが、ホームレスたちには小学校卒業程度の学力もないと思っているのだろう。 ガァーガァーガァー・・・・・テント村の樹上で、烏たちが鳴き交わしている。コヤの中の食料を狙っているのか、巣が近くにあるのか、時々ギャッギャッと鳴き声が険しくなり羽ばたきの音が混じるので、烏同士で争っているのかもしれない。(中略) あの日は11月20日、一ヶ月間で五度目の「山狩り」だった。上野公園内や周囲には美術館や博物館が多く、天皇家の方々が訪問されるような展覧会やイベントが立てつづけに行われることもある。御料車の経路に上野公園の正岡子規記念球場の前の通りも入っているのだが、通りからは見えない場所にあるコヤまで撤去が強制されるということは、行幸啓の機会を利用して、上野公園で暮らす五百人ものホームレスを公園から追い出そう、とオリンピックを誘致しようとしている東京都が目論んでいるからだろう。 その証拠に、天皇家の方々が皇居や赤坂御用地にお帰りになられた後も数時間はコヤを建てられないし、夜になって元の場所に戻ると、立入禁止の看板や柵や花壇が設置されていて、ホームレスは公園から締め出しを食らって路頭に迷う――、と解っていても、行幸啓の時は、雨が降っていようが、雪が降っていようが台風が接近していようが、コヤを畳んで公園の外へ出なければならないのだった。2014年2月に書かれた「あとがき」の一部を見てみましょう。p179~181 この小説を構想しはじめたのは、12年前のことです。 2006年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。 「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施1週間前、2日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、張り紙の情報を送ってもらいました。 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前7時から、公園に戻る5時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。 真冬の厳しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。 「山狩り」の取材は三回行いました。 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると――、70代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。 彼が描いたのは、屋根と壁――、家でした。 その後、8年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、5冊の小説と2冊のノンフィクションと2冊の対談集を出版しました。 2011年3月11日に東日本大震災が起きました。 3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発、14日に3号機が水素爆発、15日に4号機が爆発しました。 わたしは、原発から半径20キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた4月22日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。著者は南相馬市のFM放送で週一回のパーソナリティを務めているそうである。有名人という利点を生かしているが、この持続するしつこさは、なかなかできることではないと思うのだ。【JR上野駅公園口】柳美里著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのため、上野駅に降り立った。そして男は彷徨い続ける、生者と死者が共存するこの国をー。構想から十二年、柳美里が福島県に生まれた一人の男の生涯を通じて“日本”を描く、新境地!<読む前の大使寸評>著者は南相馬市のFM放送で週一回のパーソナリティを務めているそうである。毎度のことではあるが・・・虐げられる者、ハンデキャップを持つ者に寄り添う著者のスタンスがいいではないか。rakutenJR上野駅公園口
2015.04.13
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ふだん読売新聞は読んでいないのだが、ネットで「本よみうり堂」を見つけたんです。お なかなかええやんけ♪・・・ということで、気になる書評やニュースを見てみましょう。・北欧女子オーサが見つけた日本の不思議***************************************************************絵柄も笑いも日本流 北欧女性の四コママンガ人気より 北欧の女性が描いた四コママンガが話題だ。 東京での驚きと失敗の日々を紹介する、スウェーデン人のオーサ・イェークストロムさん(31)の『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』(KADOKAWA)は、絵柄も笑いの感覚もまさに日本のMANGA流。その不思議さにも満ちている。 「興奮すると鼻血が出るとか、泥棒がハンカチ(実際は風呂敷)をかぶっているとか、はじめは意味が分からなかった」。日本のマンガを読み始めた当初の戸惑いを、オーサさんはこう話す。 ところが、現在、彼女が描く四コマは、青ざめた顔を示す顔の縦線や、擬態語、擬音語を使うなど、日本独特のマンガ表現が自然で驚かされる。 コンビニおにぎりの正しい開封の仕方を発見するまで、半年もかかったり、文房具のコンパスまで「可愛い」という日本の女の子の感性が分からなかったり……テーマこそ日本に暮らす外国人が感じるカルチャーギャップだが、笑いのつぼや絶妙なオチの感覚も、日本の四コマそのまま。とても外国人が描いたとは思えない。 オーサさんが、日本マンガにはまったのは、13歳のとき。「友人に勧められて日本のアニメ『美少女戦士セーラームーン』を見て、衝撃を受けたんです。当時ヨーロッパでは女性向けのアニメやマンガがなかったので、印象的でした」。以来、『らんま1/2』『ワンピース』などスウェーデンで手に入る日本マンガを片っ端から読破。読み書きできる英語訳がなかった『ベルサイユのばら』も、フランス語版を辞書を片手に読んだという。 その頃から「趣味として」マンガを描き始めたが、多感な時期に日本マンガを読みふけったことで、「日本独特の表現を自然に吸収できたのでは」と担当編集者の山崎旬さんは話す。 スウェーデンでは、マンガ専門学校に通い、在学中にショートストーリーマンガでデビュー。「日本にあこがれて」19歳から何度か来日した後、2011年からは日本に引っ越し、専門学校でグラフィックデザインを学んできた。 外国人と日本人が一緒に暮らす都内のシェアハウスで5畳半の和室住まい。日本人の友達も多いが、自身の生活を四コマに描いてみようと思ったのは、「自分自身にしかできないものを」と先生や友人に勧められたことが背中を押した。昨年8月からブログで発表すると人気を呼び、今月、書籍化された。「子供の頃から日本でマンガを描きたくて、その夢を追いかけて来日した。夢がかなって本当にうれしい」と喜ぶ。 メイドカフェやホストクラブにも行ったことがあるというオーサさん。「今は、フクロウと触れ合えるカフェに行ってみたい」と不思議の国への興味は尽きない。専門学校を先日、卒業し、「これからも日本で四コママンガを描き続けたい」と好奇心旺盛な目を輝かせた。(金巻有美) ◇オーサ・イェークストロム著、KADOKAWA、2015年刊<「BOOK」データベース>よりコンビニおにぎりは便利すぎる!女子が何でも「可愛い」と言うのはなぜ?ホストの男性はアニメみたいで素敵。北欧スウェーデンからやってきた漫画家が描く、日本への愛にあふれた驚き&爆笑のコミックエッセイ!<読む前の大使寸評>北欧女性の四コママンガてか・・・・これぞ クール・ジャパンなんでしょうね。<図書館予約:未>rakuten北欧女子オーサが見つけた日本の不思議**************************************************************<インデックス>本よみうり堂トップ
2015.04.12
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4/5朝日GLOBEのテーマは『空室あります』であったが・・・・(「ます」は、例の記号であるが、その記号が出ない)日中のマンション事情に触れていて興味深いので、大使の講釈を加えて紹介します。中華の経済中枢は日本の不動産バブルを知識として知っているようだが・・・体験したわけでないので、本当の怖さがわかってないようです。【空室あり:GLOBE】空室あり:GLOBEより 中央政府は20年までに農村と都市の戸籍を徐々に統一する方針を示している。都市の戸籍を持てば、医療や教育といった公共サービスを都市部で受けられるようになる。都市化は加速し、住宅不足はさらに深刻になる見通しだ。 新築の集合住宅の分譲価格は、広州市では10年間で3倍に跳ね上がった。買えない人々の不満を抑えようと中央政府は、投機目的で住宅を複数買うことを規制する。一方、07年から賃貸を中心とした低中所得層向けの公的な集合住宅の建設も始めた。「保障性住宅」と呼ばれる。住宅都市農村建設省の次官は2月の記者会見で、11年から14年までに、7100億元(約13兆5000億円)の補助金を投じて全国で計3200万戸以上を着工したことを発表した。 だが、分譲も保障性住宅も戸数を増やすことが優先され、建物の質や管理は後回しになっているとの指摘もある。中国では、マンション購入時に修繕費の一時金を支払うよう法律で定めているが、大半のマンションで大規模修繕のための積み立てはしていない。広州市の日系不動産会社社長、平岡省吾(37)は「構造上、貯水槽を取り換えられない高層の物件もある。築20年の中古が増える今後5年間で、修繕が進まない物件が値崩れする可能性もある」と話す。<数百年前の集合住宅がモデル> 広東省深セン市で建築事務所「都市実践」を共同経営する建築家の孟岩(50)は「効率よく部屋をつくることだけを考えた高層の集合住宅は、エレベーターに乗って出入りをするだけで住民同士の交流がない」と話した。孟は08年に広東省仏山市に建った「土楼マンション」と呼ばれる保障性住宅を設計した。全国から出稼ぎ労働者が集まる広東省で「地方から出てきた若者が孤立しない集合住宅をつくりたかった」という。 設計する際にモデルにしたのは、福建省の山中に残る数百年前の集合住宅、「土楼」だ。今の河南省のあたりから南下した人々の子孫とされる客家(ハッカ)が建てた集合住宅で、1棟に数百人が同居している。狭いスペースにできるだけ多くの部屋を設けるため、3~4階建ての方形や円筒形の造りになっていた。中心部には、住民の共用スペースとなる広場があった。中央政府の強引な住宅政策はどうかと思うけど、地方の建築家は頑張っとるやんけ♪数百年前の集合住宅がモデルとのことで、共用を考慮したわりと地に足がついた設計ですね♪土楼マンション一方で、少子高齢化が先行する日本のマンション事情である。空き家、空室問題に対しては、安くシェアするなど、革命的な踏ん切りが求められているのでしょうね。 この空室問題に対応するため、URは2011年から多摩平の森でモデル事業「たまむすびテラス」を立ち上げた。すべての住民が他に移り住んだ4階建ての5棟を民間事業者に期限付きで貸し出し、思い思いのアイデアで再利用を進めた。 若者向けのシェアハウス「りえんと多摩平」は、1階に共用の食堂と居間を設け、2~4階は3Kの1住戸に3人が暮らせるように改装した。サービス付き高齢者向け住宅の「ゆいま~る」は新たにエレベーターを設け、増築部分に介護施設を入れた。リフォーム事業に力を入れる建材会社「たなべ物産」は菜園つき住宅「AURA243」を手がけ、現在は5棟のほぼ全室が埋まっている。<隣人との交流が入居を決めた理由> たまむすびテラスを3月末に訪ねてみると、菜園の春キャベツが旬を迎えていた。「古い団地の魅力は敷地が広くて緑が多く、建物と建物の間も余裕があること。最近のマンションや都心の戸建て住宅では味わえない豊かな環境です」。一昨年に入居した会社員の黒野雅好(54)は語る。家賃は月11万円で、近くの同じ広さの集合住宅と比べるとやや高いが、単身赴任なので隣人との交流が入居を決めた理由でもあった。 黒野は毎月2回、同じ棟に住む子育て中の夫婦やシェアハウスの若者たちを招いて食事会を開く。自室がある1階の窓を開けると、菜園へとつながるウッドテラスがある。採れたての菜の花やブロッコリーを使って料理の腕をふるっている。「たまむすびテラス」の家賃は月11万円か・・・URなど役人が上前をはねるので、ちょっと高いようですね。ネットでも空き家問題がトレンディーである。それだけ、どこでも見られる切実な現実なんだろう。需給関係のうち、供給側に着目したセミナーを覗いてみましょう。教材費3万円、でも仕事を休んで参加者続々とのことである。2015.4.10日本の空き家の再生教室、「リノベスクール」の熱気より 不動産事業における新たな発明かもしれない。福岡県北九州市で生まれた「リノベーションスクール」と呼ぶ取り組みが全国に広がっている。特徴は、受講生が数日缶詰めになって、空き家や空きビルを活用する事業のアイデアをひねり出し、実践してしまうこと。最終日の講評会は満席で立ち見が出る程だ。不動産オーナーも顔を出す。小さなエリアにゲリラ的に現れた新しい空間が、確実に街を変え始めた。「我が街でも」と、全国の自治体からの引き合いが増えている。「初期投資を抑え、7年で回収する計画です」「事業内容はいいが、回収期間が長すぎる。5年以内で投資回収できるように組み直してほしい」――。 このやりとりは、企業内部の議論ではない。東京都豊島区で3月に開かれた「リノベーションスクール」最終講評会のヒトコマだ。受講生の前には、講師のほか不動産オーナーや区議会議員も座る。会場は満席。不動産や街づくりの関係者や一般市民で溢れかえり、立ち見が出たため、急遽、別会場を用意することになった。 リノベーションスクールの存在は、建設・不動産業界では2~3年前から話題になっていたが、筆者はここまでの盛り上がりを見せるとは正直、思っていなかった。立ち見が出る程ぎっしり満員の会場とその熱気に驚いた。(中略) 豊島区で開かれたリノベーションスクールでは、提案した4件のうち2件が実際に動き出し、オーナーとの話し合いが続いている。1つは、以前、とんかつ屋として営業していた物件の再生。外国人観光客が多いという土地柄を生かして、ゲストハウスにリノベーションするアイデア。近隣にある人気ゲストハウスに運営を委託すると提案した。 もう1つは、ビルの1階が空き倉庫となっていた物件だ。地域住民が集まる公園の前という立地を生かして、コミュニティーカフェとして再生する。「あやかりカフェ」と名付け、地域住民が趣味や技能を生かしてワークショップを開催するなど、地域の“資産”に「あやかる」のがコンセプトだ。 筆者は初めて最終講評会を聞いたが、受講者の熱意に圧倒された。「自分の提案が実際に形になる」。これが、受講者が熱中する理由の一つなのだろう。
2015.04.11
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・オートメーション・バカ・ぼくが映画ファンだった頃なお朝日新聞デジタルのサービスが向上したせいか、書評欄は掲載日に見られるようになっています。(たまに、遅れることもあるけど)***************************************************************オートメーション・バカより<機械任せで加速度的に能力が劣化:]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家) > ネット検索、スマホにカーナビ。近年、加速度的に進化する情報技術により我々の生活は大きな変貌をとげた。だが変わったのは生活だけではない。あらゆる作業が自動化(オートメーション)されることで我々自身も大きな変化の波を受けている。 その変化とは端的に言って人間の能力の劣化だ。本書にはいくつもその象徴的な例が紹介されている。例えば自動操縦機能の進化で手動操縦できなくなった飛行士、GPSの登場により自力で旅ができなくなったイヌイット、決定支援ソフトに診断を仰ぐようになった医師などである。 能力の劣化は我々が行為をしなくなり、世界と関与する機会が失われることでもたらされる。昔の飛行士は操縦桿を握ることで機体を直接動かす感覚を持てた。世界に働きかけると必ず反応があり、その反応が思考、感性、技術を磨く生成効果をもたらした。ところが操縦が自動化され、世界と関与しなくなることでその効果を喪失した。自動化は我々と世界との間に壁を作り、自分では何もできない薄い人間ばかり生み出すのだ。 何も難しいことを言っているのではない。あなたも携帯が登場するまで知人の番号を何件も記憶していたはずだ。しかし今はきっと妻の番号も覚えていないだろう。もちろん私も覚えていない。 確かに人類は原始より石器や土器など様々な道具に労働を代行させてきたが、それは筋肉機能の代替にとどまっていた。しかし情報技術の進展により機能の代替は知的領域にまで及んでいる。記憶、判断、思考、欲望、そして今では道徳に関する判断まで我々は機械任せにしつつある。 本書を読むと次の疑問を抱かずにいられない。はたして人間はいつまで人間でいられるのか? この傾向が進むと、いずれ脳内に入出力されるあらゆる情報は自動化され、人間は脱身体的存在となるだろう。だが、それが人間と言えるのだろうか、と。 ◇ニコラス・G.カー著、青土社、2014年刊<「BOOK」データベース>より運転手がいなくても車が走り、パイロットが操縦しなくても飛行機が安全に飛び、さらには、自分の必要としているものも、道徳的な判断さえも、すべて機械が教えてくれる世界。それは一体どんな世界なのかー。ベストセラー『クラウド化する世界』『ネット・バカ』の著者が鮮やかに暴き出す、すべてが自動化する世界のおそるべき真実!【目次】第1章 乗客たち/第2章 門の脇のロボット/第3章 オートパイロットについて/第4章 脱生成効果/第5章 ホワイトカラー・コンピュータ/第6章 世界とスクリーン/第7章 人間のためのオートメーション/第8章 あなたの内なるドローン/第9章 湿地の草をなぎ倒す愛<読む前の大使寸評>いかにも探検家の角幡唯介さんが選びそうな本である。角幡唯介さんが次に目指すのは北極だそうだが、この探検にはGPS機能の機器を持参しないそうで(星座観測、六分儀を使用?)、オートメーションを拒否して動物的感覚を頼る計画だそうです・・・・すごい♪また、アップルやグーグルが自動運転車の製造を目論んでいるようだが・・・・何と心ときめかない製品ではないか(笑)<図書館予約:未>rakutenオートメーション・バカぼくが映画ファンだった頃より<映画の快楽伝える記憶の蓄積:細野晴臣(音楽家)> どこの町にも映画館があった頃、映画というものは単なる娯楽を超え、20世紀文化の華であった。劇場まで足を運んで見るという行為が、映画産業という枠組みにとっては必須だったが、映画館が激減した現在、シネマ・コンプレックスという今どきのシステムに戸惑う映画ファンは部屋でDVD鑑賞にひたる。 この変化が「映画文化」を揺るがしてから久しい。著者自身も劇場に行かなくなり、「映画ファンであることを放棄した」と言う。映画を映画館でしか見ることのできない時代、映像を記憶に刻むことが「映画体験」であり、それはいい作品があったからこそできた。1940年代、グローバル化する前のハリウッドにはまだ映画各社の「社風」があり、面白い映画を作る創意を競い合っていた。 そんな黄金時代の映画を享受できた楽しさが本書から伝わってくる。MGMのライオンや20世紀フォックスのサーチライトなど、映画会社のロゴにさえワクワクしたという著者の喜びはぼくにも共感でき、自分の映画にまつわる記憶を呼び起こしてくれる。 映画の記憶が「色彩につながっている」というのも新鮮だ。イラストレーターで映画を4本監督した著者らしく、映画の楽しさは、誰もが知る20世紀の名作や硬軟織り交ぜた膨大な数の映画を、解説ではなく、その目と耳で楽しんだ心象から語られる。また、その視線は映画の構図や伏線にも向けられ、ぼくもよく見たMGMのミュージカルでさえ、その細部の記憶には追いつくことができない。 「放棄」したとはいえ、それでもやはり「映画ファン」という姿勢は全編に貫かれ、映画に対するオマージュには圧倒される。映画史に残る日本の名士との交流記やジェームス・スチュワートとの対談も希少。まさに映画ファンになるための極上の手引書ではないだろうか。映画ファンが高じればプロになるのだ。 ◇和田誠著、七つ森書館、2015年刊<「BOOK」データベース>より少年時代に見た1940-50年代の映画─監督論に俳優論、作品論や、三谷幸喜やジェイムズ・ステュアートとの対談を収録。和田誠さんの楽しい映画コラム集です。第1章 個人史の中の映画:新橋の虹、極私的映画ポスター史……第2章 雑学的映画ばなし:視界の中のマザーグース、洋画と邦題……第3章 この一本:「翼よ! あれが巴里の灯だ」『椿三十郎』……第4章 追 悼:レッド・アステア、ボブ・ホープ、ヒチコック……第5章 対談二席:三谷幸喜、ジェイムズ・ステュアート第6章 監 督:山中貞雄、黒澤明、市川崑 <読む前の大使寸評>1940-50年代の映画を題材にしたということで、団塊の我々にとってもやや古い映画のお話であるが・・・和田誠さんの雑学的映画ばなしが面白そうである。<図書館予約:未>rakutenぼくが映画ファンだった頃**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から64
2015.04.10
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先日、ショーン・タンの『遠い町から来た話』『アライバル』という絵本を見て衝撃を受けたのです。おおSFテイストのイラストやんけ♪・・・・大使のツボが騒ぐのです。ということで、SF風イラスト(ファンタジー風を含めて)を集めてみたのです。なお、手塚治虫や松本零士、大友克洋らが抜けているけど・・・メジャー過ぎる、あるいは大使好みでないという勝手な理由ですので、ご容赦ください。・アルザック:メビウス(1975年~1976年)・アダムの肋骨:諸星大二郎(1978年)・王と鳥:監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェール(1980年)・天空の城ラピュタ:宮崎駿(1986年)・風の谷のナウシカ:宮崎駿(1984年)・ナンバーファイブ 吾:松本大洋(2000年~2005年)・千と千尋の神隠し:宮崎駿(2001年)・PLUTO:浦沢直樹(2003~2009年)・アライバル:ショーン・タン(2006年)・スカイ・クロラ:押井守(2008年)・うみべのまち:佐々木マキ(2011年)・遠い町から来た話:ショーン・タン(2011年)・星を追う子ども:新海誠(2011年)・闇の国々:スクイティン(2011~2013年)・夏のルール:ショーン・タン(2013年)・2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆(2014年)【アルザック:メビウス】メビウス-アルザックの画像「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編*****************************************************************************【アダムの肋骨:諸星大二郎】*****************************************************************************【王と鳥:ジャック・プレヴェール】王と鳥byドングリ*****************************************************************************【天空の城ラピュタ:宮崎駿】*****************************************************************************【風の谷のナウシカ:宮崎駿】*****************************************************************************【ナンバーファイブ 吾:松本大洋】*****************************************************************************【千と千尋の神隠し:宮崎駿】『千と千尋の神隠し』を読む40の目(その1)byドングリ*****************************************************************************【PLUTO:浦沢直樹】PLUTOこの人たちについての14万字ちょっと1byドングリ*****************************************************************************【アライバル:ショーン・タン】アライバルbyドングリ*****************************************************************************【スカイ・クロラ:押井守】*****************************************************************************【うみべのまち:佐々木マキ】佐々木マキの世界byドングリ*****************************************************************************【遠い町から来た話:ショーン・タン】葬送ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話byドングリ*****************************************************************************【星を追う子ども:新海誠】新海誠アートワークスより*****************************************************************************【闇の国々:スクイティン】*****************************************************************************【夏のルール:ショーン・タン】*****************************************************************************【2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆】ちょっと、蛇足かもしれないが、SF風の絵ではあるなぁ♪熱闘!日本美術史byドングリ
2015.04.09
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大使が観た映画のなかで、移民を扱った映画という括りで集めてみました。この括りが思いのほか良いわけで・・・自分でも驚くほど名画そろいなんですね♪(改)ショーン・タンの『アライバル』の絵を見て『アメリカ・アメリカ』という映画を思い出したので追記しています。・グランド・ブタペスト・ホテル(2014年):ドイツ国境あたりで各国人・人生はマラソンだ!(2012年):オランダのエジプト人・屋根裏部屋のマリアたち(2010年):フランスのスペイン人・グラン・トリノ(2008年):アメリカのモン族・サン・ジャックへの道(2006年):フランスのアラブ系・イブラヒムおじさんとコーランの花たち(2003年):フランスのトルコ人・バグダッド・カフェ(1994年):アメリカのドイツ人・アメリカ・アメリカ(1963年):アメリカのギリシャ人移民がテロの温床となっている昨今であるが・・・グローバル社会においては、いろんなしわ寄せが移民のところに吹き溜まってくるのでしょうね。********************************************************************【グランド・ブダペスト・ホテル】ウェス・アンダーソン監督、2014年、英・独制作、H26.10.30観賞<Movie Walker作品情報>より『ムーンライズ・キングダム』の鬼才ウェス・アンダーソン監督によるコメディ。ホテルのコンシェルジュとベルボーイがホテルの威信をかけて、得意客を殺した犯人捜しに挑む姿が描かれる。『ハリー・ポッター』シリーズの名悪役ヴォルデモート役でおなじみのレイフ・ファインズが主人公に扮し、コミカルな演技を披露する。<大使寸評> この映画は主演のレイフ・ファインズに注目して見たのだが、もう老境にさしかかり渋い役どころとなっています。また、共演者もジュード・ロウ、エイドリアン・ブロディとか、思いのほか豪華ラインアップになっています。ホテルのコンシェルジェといえば、「おもてなし」がお仕事のようなもので・・・オリンピック日本招致のPR作戦以前から、あったわけですね♪喜劇タッチでもシリアスな映画として、「ライフ・イズ・ビューティフル」を彷彿とするわけで・・・どちらもさりげなく言っていたのが、人間としての威厳を失わないことでしょうか。『ハリー・ポッター』シリーズを見ないので知らなかったけど、レイフ・ファインズは名悪役ヴォルデモート役でおなじみとのこと・・・ハリウッド映画を見ないと駄目なのかしら?Movie Walkerグランド・ブダペスト・ホテルオフィシャルサイト********************************************************************【人生はマラソンだ!】ディーデリック・コーパル監督、2012年、オランダ制作、H26.10.30観賞<Movie Walker作品情報>より破綻寸前の工場を再建するため、家族や仲間に支えられながら中年男たちがフルマラソンのゴールを目指す姿を描くオランダ産ハートフルコメディ。幼なじみの友人であり出演もしているマルティン・ファン・ワールデンベルグとヘーラルト・ムールダイクによる脚本を、本作が長編映画デビューとなるディーデリック・コーパルが監督した。<大使寸評>大使の場合、「楽しく走る」がモットーであるが・・・この映画のように「人生はマラソンだ!」もいいかもね♪この映画は記録が遅めのランナーにも、また速めのランナーのもお奨めの作品でおます。ねたばれになるので、詳しくは書かないが・・・・末期ガンの経営者、コブ付きバツ一、ゲイ、恐妻家と、チーム編成がメタボな飲んだくれというか、かなり悲惨なわけです。レースでは末期ガンの経営者が仲間や息子のために走り続けたのが、泣かされるのです。この4人にコーチを務めるエジプト人移民を加えたら、オランダ社会が垣間見えるわけだが・・・オランダ人も辛いぜ。Movie Walker人生はマラソンだ!公式サイト********************************************************************【屋根裏部屋のマリアたち】フィリップ・ル・ゲ 監督、2010年仏制作、H25.4.24観賞<movie.walker解説>より1962年、パリ。株式仲介人のジャン=ルイが雇ったスペイン人メイドのマリアを迎え入れる。彼女は、シュベール家と同じアパルトマンの屋根裏部屋で、同郷出身のメイドたちと暮らしていた。軍事政権が支配する故郷を離れ、異国で懸命に働くスペイン人メイドたちに、次第に共感と親しみを寄せるジャン=ルイは、やがて機知に富んだ美しいマリアに魅かれてゆくのだった。しかし、そんな夫の変化に無頓着なシュザンヌは、彼と顧客の未亡人との浮気を疑い、夫を部屋から追い出してしまう。こうしてその夜から、ジャン=ルイはメイドたちと同じ屋根裏で一人暮らしを始めるが、それは彼に今まで味わったことのない自由を満喫させることになる。<大使寸評>証券会社の社長でもあるジャン=ルイは屋根裏部屋で暮らすスペイン人の女中仲間と付き合うはめになるが・・・・金持ちばかりと接してきたジャン=ルイに、カルチャーショックも与えた女中たちであったが、これがなんとも楽しい連中なんですよ♪シュザンヌと離婚した後、ジャン=ルイは会社を後任者に渡して、マリアを探しにスペインに向かって旅立つのです。(映画はハッピーエンドが待っています)ちなみに、原題はLES FEMMES DU 6EME ETAGE(6階の女たち)となっていて即物的だが、かえって気になるかも♪movie.walker屋根裏部屋のマリアたち********************************************************************【グラン・トリノ】クリント・イーストウッド監督・主演、2008年制作、2009年観賞<大使寸評>朝鮮戦争の英雄でもあるコワルスキーは子育てに失敗しているような有様で、つれあいを失ったあとは生活が崩壊しかかるが・・・・隣屋のモン族の一家の優しさに、徐々にその偏見が溶けていくのです♪一家の息子の意気地なさに業を煮やしたコワルスキーが、建設会社への就職前に男としての特訓を行うのだが・・・・・なに 建設会社のオーナーの気を惹く態度、ため口の特訓なのだが、笑ってしまいます。寅さんのため口をもっと柄を悪くしたようなもので、このへんのセンスは日本人の不得意とするもので・・・・・それは見てのお楽しみ♪その隣屋が、チャイナマフィアのようなごろつき連中から機関銃の掃射を受けるや・・・・・行き着けの散髪屋で髪をととのえ風呂にまで入り(つまり死に装束を調えて)、丸腰で出かけるが・・・・連中を死出の道連れにしてして一掃するところが、過激な老人の面目躍如というところです。連隊記念のライターを握り締めて、こときれるところなんか・・・泣けるぜ。goo映画グラン・トリノ********************************************************************【サン・ジャックへの道】コリーヌ・セロー 監督、2006年仏制作、2007年観賞(文字数制限により省略、全文はここ)********************************************************************【イブラヒムおじさんとコーランの花たち】(文字数制限により省略、全文はここ)********************************************************************【バグダッド・カフェ】パーシー・アドロン監督、1994年独制作、2004.2.1観賞(文字数制限により省略、全文はここ)********************************************************************【アメリカ・アメリカ】エリア・カザン監督、1963年米制作、1964年頃鑑賞<movie.walkerストーリー>より 1896年のトルコでは、ギリシャ人やアルメニア人が政府の弾圧に苦しめられていた。ギリシャ人の青年スタブロスは、親友のアルメニア人バルタンからアメリカの話を聞き、そのきらびやかで自由な国アメリカに対して異常なまでの憧れを持つようになっていった。 そんなとき、親友バルタンが、トルコの圧政に反抗したために殺された。スタブロスの自由への渇望は爆発し、彼はアメリカへ行く決心を固めた。その頃、素足を引きずりながらひたすらアメリカを目指して旅する、アルメニア人ホハネスと出会い、スタブロスは靴を与えてやった。 スタブロスの父親イザークは息子のアメリカ行きを許し、一先ずスタブロスをコンスタンチノープルで敷物商を営むいとこのオデッセのもとに送った<大使寸評> 昨今では、移民問題が吹き荒れる欧州であるが・・・ エリア・カザン監督がこの映画で描いた1900年頃のアメリカは、まさに自由の大国であった。 移民船が、ニューヨークに到着し、自由の女神像が見えたときの感激のシーンが印象的でした。 オーストラリアに移民した家系のショーン・タンが『アライバル』という絵本で、移民船到着とイミグレーション手続きのシーンを描いているが・・・この映画のシーンを思い出したのです。movie.walkerアメリカ・アメリカ
2015.04.08
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今回借りた8冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「絵本」でしょうか。<大学図書館>・印刷大図鑑・日本の笑い・遠い町から来た話・アライバル・青い蓮(タンタンの冒険旅行14)<市立図書館>・韓国の住宅・JR上野駅公園口・この人たちについての14万字ちょっと図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【印刷大図鑑】グラフィック社編、グラフィック社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりオフセット印刷、孔版印刷、凹版印刷、凸版印刷、オンデマンドなどなど、誌上工場見学&綴じ込み実物サンプルで印刷のアレコレがまるわかり!特集連動ミニブック「DIY印刷&プリンタートイでセルフ印刷を楽しもう」手軽に買える印刷や箔押し、ダイカットなどの印刷加工関連キットや、本来はこども向けだけど大人も楽しめる、使えるプリンタートイを大紹介。あなたの部屋は今日からミニ印刷工房!<大使寸評>印刷の5大方式というのがあって、その多彩な可能性の解説が刺激的である。装丁とか手作り本とかが、今の大使の関心事なんですが・・・プリンタートイ(印刷用おもちゃ)の付録本がおもろいでぇ♪rakuten印刷大図鑑印刷大図鑑byドングリ【日本の笑い】平凡社編、平凡社、2011年刊<「BOOK」データベース>より笑う顔には福来たる。滑稽やおどけ、ユーモラスな絵や工芸品に仕掛けられた「笑い」の壷。<読む前の大使寸評>見て楽しい、大人の絵本とでもいいましょうか♪お奨めは、河鍋暁斎、北斎、若冲、曽我蕭白あたりです。rakuten日本の笑い【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>ディアスポラの不安感が絵に表れているが・・・SFチックな絵に引きこまれるわけです。ショーン・タン公式サイトを見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪rakuten遠い町から来た話遠い町から来た話byドングリ【アライバル】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より新たな土地に移民した者が、その土地で生まれ変わり、新生児のように成長していく。そこには過去の自分を捨てなければならない辛さと、新しい人生を歩むチャンスを手にした幸せとの両面がある。それをまるでサイレント映画のように一切の文字を使用せず表現した、究極の文字なし絵本。 <大使寸評>大型本でハードカバーであるので重厚感があり、表紙の装丁も古めかしくいい感じです。そして、なによりセリフが無い、絵ばっかりである。絵の中に意味不明の文字が描かれているが、新規に入国した移民にとっては読めないわけです。・・・セリフが無い、従って翻訳文もないわけで、絵本の中には読める文字が一切無いわけです。個人的には、古代のヒエログリフに接するように、稀有な文化的体験であるが(笑)・・・・まるで、韓国で迷子になった時と同じで、シュールな趣きがあり、しびれるわけでおま♪Amazonアライバルアライバルbyドングリ【青い蓮(タンタンの冒険旅行14)】エルジェ著、福音館書店、1993年刊<カスタマーレビュー>より1930年代の上海を舞台に、おなじみタンタンが悪徳日本軍人の陰謀に挑むという筋立て。不名誉な悪役とはいえ日本人が重要な役回りを務めているので、日本のタンタンファンには随一の必読書であろう。この当時のいわゆる魔都上海に関しては現在の日本でも関心が高く、数多くの本も出版されているが、このタンタン上海編は1930年代リアルタイムに執筆されたものなので、その点からも注目に値する。<大使寸評>大学の図書館でタンタンの全シリーズ見っけ♪・・・で、まず日中が描かれた『青い蓮』を借りたのです。国際連盟を脱退した頃の日本人が登場するのだが・・・ちょび髭で眼鏡をかけて悪賢いという典型的なプロトタイプなんですね(悪)タンタンのシリーズでは、わりと政治的イシューが見られて、異色の一冊ではないでしょうか。Amazon青い蓮(タンタンの冒険旅行14)【韓国の住宅】金光鉉著、丸善、1991年刊<「BOOK」データベース>より大地の身体として息をしている韓国の住宅を訪れ、生活と物体の存在性が自然と合一しながら透明な空間に化する建築を発見する旅。本書は、古い伝統と、それに培われた建築的造形と空間が、どのように建てられるかという意識を超え、荒い土地の上に生み出してきた生活感覚をイメージとして描き出す。 <読む前の大使寸評>両班の古民家のカラー写真が多く載っているが・・・とにかく、その建築的造形が美しい♪日韓で古民家を比較しても、好みかもしれないが、韓国に軍配を上げるのである。Amazon韓国の住宅【JR上野駅公園口】柳美里著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのため、上野駅に降り立った。そして男は彷徨い続ける、生者と死者が共存するこの国をー。構想から十二年、柳美里が福島県に生まれた一人の男の生涯を通じて“日本”を描く、新境地!<読む前の大使寸評>著者は南相馬市のFM放送で週一回のパーソナリティを務めているそうである。毎度のことではあるが・・・虐げられる者、ハンデキャップを持つ者に寄り添う著者のスタンスがいいではないか。rakutenJR上野駅公園口【この人たちについての14万字ちょっと】重松清著、扶桑社、2014年刊<商品説明>より重松清氏によるインタビューをメインとした作家論の連載を単行本化。対談形式ではなく、「作家論に踏み込んだインタビュー」がメインとなり、インタビューパートも重松氏が執筆。時代の第一線で活躍する作家たちの人気の秘密や作家たる源泉を作家の視点で深く掘り下げた作家論<読む前の大使寸評>重松清さんの作品は、まだ読んだことはないが・・・・この本の腰巻に書かれた対談メンバーとコピーにつられて借りたわけです。rakutenこの人たちについての14万字ちょっとこの人たちについての14万字ちょっとbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き93
2015.04.07
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図書館で『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方』という本を手にしたが・・・どうも美術監督のことを、今ではプロダクションデザイナーと言うようですね。 70年代からは、美術監督という名称はプロダクションデザイナーに代わり、それにともない以前の美術監督助手が美術監督になったそうです。(もうひとつピンとこないが)プロダクションデザイナーとは、何やねん?百聞は一見に如かず、『SAYURI』のセットを見てみましょう。<古きハリウッドスタイルを踏襲する:ジョン・マイヤー>よりp204~205 『SAYURI』(05)は当初、京都でロケをする予定だったが、その地は関係者の手で保護させていたので、撮影許可が下りるのが難しかった。 マイヤーは5週間にわたり京都をロケハンしたが、最終的にはこの歴史溢れる京都の街の代わりに、ロサンゼルス近郊にあるサウザンドオークスでの撮影を決めた。結果的にその判断は正しかったとマイヤーは述懐した。 もし、京都で撮影許可が下りたとしても、サウザンドオークスで撮影したほうがよかった。京都の街を歩けば分かるが、歴史的なたたずまいの背景に近代的なビルが見えてしまう。やはり、京都で撮影するには無理があった。私は古き良き時代のハリウッド映画の大ファンであり、私たちは根本的に300×300フィート、つまりフットボール場の2倍の広さを持つ場所にセットを建て込んだ。 そのなかには、150フィート(約45m)もある循環式の川を作り、桜の木を植え、街の一端から優雅に街全体に溢れさせた。木々は季節によって高くも低くもなる。私たちはそれらを用意した。(中略) これらの作業はハリウッドで仕事をするすべての技術者たちが、今までに行ってきた方法である。私たちは山に囲まれ、川の流れる低地であるサウザンオークスの景観を利用した。撮影用地にセットを建て込んだので、普段は付き合いのある木材加工店、金属加工店、塗装屋、彫刻屋、左官屋、鋳造工場などが必要なかった。現場にいる2~3名の作業責任者が、日本の感覚をもたらしたなんて、観客には分からないはずだ。さらに手作りの障子の美しさには、目を奪われたと思う。障子の材料は現地から車で3時間もある場所に存在していたシーダー木を伐採し、製材した。(中略) 苦労の甲斐あって、障子はとても存在感があったと自負している。橋を通り抜けずに曲がった道を行くと最終的にこの街の端まで歩くのに5分はかかるのだ。すごいと思わないか?2007年に『SAYURI』を観て、そのセットが印象に残っているのだが・・・後追いでくだんの鑑賞フォームを作ってみました。【SAYURI】ロブ・マーシャル監督、2005年米制作、2007年観賞<Movie Walker 作品情報>より「シカゴ」のロブ・マーシャル監督がアジアの豪華俳優を迎え、アーサー・ゴールデンの小説を映画化。ひとつの愛を支えに、花街一の芸者となった女性の数奇な運命を描く。<大使寸評>「SAYURI」を観るまえには、ハリウッドの日本認識はどんなんかなー?・・・というさめた期待で見に行った映画でした。近代の日本を中国人の主演女優、オール英語で描いた「サユリ」でしたが・・・・・見比べてみると、オール日本人、オール日本語の「硫黄島からの手紙」の素晴らしさが際立ってしまいます。(脚本は英語で練り、あとで全て和訳したそうですね)ミヤコという駅名などおかしな所もあったりしたけど・・・戦前から戦後にかけての時代考証は概ね良くできているし、セットで組んだ先斗町もなかなかのもので、特に大相撲や敗戦直後の町のセットなどの考証がよかったですね。 そして、日本大好きスピルバーグが製作に名を連ねているからには・・・・接客業のプロとしての芸者をそれなりに描いては、いたようです。しかしねー芸者の舞い(ダンスというべきか?)で扇子をクルクル回したり、サユリに水色のコンタクトを付けたりで、なんか没入できないところがあるんですね。主演女優と助演女優は中国人であり・・・なんで中国人が?と思わないでもないが、英語をうまくしゃべる日本人の役者が少ないのでしょう。工藤夕貴は完璧な英語をしゃべるだけでなく、おっちょこちょいの演技をさせたら(地なのか?)グーですね。・・・ということで、工藤夕貴のオカボとかっこいい謙さんが観られたことで、なんとか得心した映画でした。Movie WalkerSAYURI【映画美術から学ぶ「世界」のつくり方】フィオヌラ・ハリガン著、フィルムアート社、2015年刊<「BOOK」データベース>より現代を代表する傑作映画を、美術デザインの視点から解き明かす!あの名作映画の“未公開”セットデザイン画、コンセプト・アートワーク、傑作写真を多数掲載!<読む前の大使寸評>現役プロダクションデザイナー21人が登場するが、日本からただひとり種田陽平が紹介されています。rakuten映画美術から学ぶ「世界」のつくり方プロダクションデザイナーとは、何やねん?1
2015.04.07
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図書館で『アライバル』という絵本を手にしたが・・・・大型本でハードカバーであるので重厚感があり、表紙の装丁も古めかしくいい感じです。そして、なによりセリフが無い、絵ばっかりである。絵の中に意味不明の文字が描かれているが、新規に入国した移民にとっては読めないわけです。・・・セリフが無い、従って翻訳文もないわけで、絵本の中には読める文字が一切無いわけです。【アライバル】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より新たな土地に移民した者が、その土地で生まれ変わり、新生児のように成長していく。そこには過去の自分を捨てなければならない辛さと、新しい人生を歩むチャンスを手にした幸せとの両面がある。それをまるでサイレント映画のように一切の文字を使用せず表現した、究極の文字なし絵本。 <大使寸評>大型本でハードカバーであるので重厚感があり、表紙の装丁も古めかしくいい感じです。そして、なによりセリフが無い、絵ばっかりである。絵の中に意味不明の文字が描かれているが、新規に入国した移民にとっては読めないわけです。・・・セリフが無い、従って翻訳文もないわけで、絵本の中には読める文字が一切無いわけです。小さなコマ割りが並んだページは、サイレント映画の弁士の説明みたいなものでストーリーを補足してくれます。また映画といえば・・・移民船の到着はエリア・カザンが『アメリカ・アメリカ』でよく似たシーンを描いています。モノクロで全体的に暗く労働者の悲哀を描くということでは、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』を彷彿とします。ま~、字のない絵本を飽きもせずながめているが、ひとえにショーン・タンの画力によるのでしょう♪個人的には、古代のヒエログリフに接するように、稀有な文化的体験であるが(笑)・・・・まるで、韓国で迷子になった時と同じで、シュールな趣きがあり、しびれるわけでおま♪Amazonアライバルショーン・タン公式サイトの絵本picture books-The Arrivalから気になる絵を集めてみました。
2015.04.06
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<この人たちについての14万字ちょっと>図書館で重松清著『この人たちについての14万字ちょっと』という本を手にしたのです。重松清さんの作品は、まだ読んだことはなかったが・・・・この本の腰巻に書かれた対談メンバーとコピーにつられて借りたわけです。【この人たちについての14万字ちょっと】重松清著、扶桑社、2014年刊<商品説明>より重松清氏によるインタビューをメインとした作家論の連載を単行本化。対談形式ではなく、「作家論に踏み込んだインタビュー」がメインとなり、インタビューパートも重松氏が執筆。時代の第一線で活躍する作家たちの人気の秘密や作家たる源泉を作家の視点で深く掘り下げた作家論<大使寸評>重松清さんの作品は、まだ読んだことはなかったが・・・・この本の腰巻に書かれた対談メンバーとコピーにつられて借りたわけです。インタビューをメインとした作家論とのことであるが・・・このアイデアは編集者から出たものかもしれないが、著者はこの企画をじゅうぶんにこなしているように思った次第です。rakutenこの人たちについての14万字ちょっとこの本の腰巻にも書かれている「まえがき」の一部です。<まえがき>より ひとに会う企画である。人選は僕に任せてもらった。基準は、ただ一つ。インタビューの最初の質問で声が震えてしまいそうなひとに限る、とした。 間違っても、新刊のPRを兼ねた「社交」の対話にしたくない。ちょっと格好をつけて言い換えれば、「俺でいいのか?」という問いを突きつけられつつのインタビューでありたい、ということでもある。 だから、やはりこれは『en-taxi』でやるべき、『en-taxi』でなければできない連載だったのだと思う。 ずっとお目にかかりたくて、ようやく初対面が叶ったひとがいる。何度目かの対話であっても、向き合うたびに畏れを新たにするひとがいる。・・・なかなか掴みのうまい「まえがき」ではないでしょうか♪(少なくとも、私と言う読者を重松さんは掴んだのです)浦沢直樹とメビウスの関係が、大使のピンポイントのこだわりになるので・・・勝手ながら、この本でそのあたりを見てみます。PLUTO<浦沢直樹 巨大なるマイナー>よりp101~103重松:大友さんをはじめとするニューウェーブの影響は大きかった?浦沢:『少年ジャンプ』的なマンガではないマイノリティに対するシンパシーは寄せていました。それはあるんだけど、あっちの世界に行くと、清貧というかなんともいえない貧しさが待ってる感じがして、自分とはちょっと違うなあ、と。その一方で、あんなに素晴らしいものなのに世間になぜ受け容れられないんだろう、という疑問や憤りがずっとあったんですよ。 BDのメビウスもそうでしょ?日本で真っ向からメビウスに共振してモノを創っても、絶対に世間からは無視されてしまう。だから、そうではないなにかを見つけたいし、それはあるはずだ、と。重松:近年の浦沢さんの長編には、入れ子構造、作中作を入れる構造が目立ちます。『MONSTER』なら絵本の『なまえのないかいぶつ』、『20世紀少年』ならバーチャルアトラクションで繰り広げられるケンジたちの少年時代、『BILLY BAT』ではケヴィン・ヤマガタの描くアメコミがあるし、手塚治虫の作品を換骨奪胎した『PLUTO』も、物語が二重になっている。浦沢:物語内物語が多いよね。重松:その構造の中にマイナーポエットのものを入れ込んでしまうのも、いまおっしゃった「そうではないなにか」の一つではありませんか?浦沢:そうですね。あの絵本なりアメコミなりを単体でやっても世間は見てくれない。でも、中に入れてしまって、「ほら、こうやったら、ちゃんとみんなが見てくれるものになるでしょう」というのはあります。重松:そのときの「世間」というのは、マンガ好きではない人たちも含めてのことですよね。浦沢:「ツウ」には受けても、やっぱりマンガというのはポピュラー文化だから、お茶の間にどーんと置かれなくちゃ・・・・ということなんです。極端に言えば、メビウスから『サザエさん』までの振り幅がないと。重松:ただ、「世間」は『サザエさん』のほうにだけ目を向けませんか? 振り幅の片方があまりにもメジャーすぎると、そっちしか見てもらえない、というジレンマが生まれそうな気がするのです。 浦沢さんの初期作品には大友克洋さんの影響がすごく感じられるし、過去のインタビューではメビウスや『タンタン』のエルジェへのシンパシーが何度も表明されています。でも、そっち側にも振り幅があることが『YAWARA!』などの大ヒットの前では霞んでしまって、「世間」になかなか伝わっていかない。浦沢:それはデビュー以来ずっと、いまだに抱えている難問なんですよ。僕自身は「同志」のつもりでいるマンガ家から「あいつはメジャーだから」「浦沢は違う世界の人間だから」と思われているんじゃないかと胸を締めつけられてしまうような感じがあって・・・・。 ようやく変ってきたのは、ここ2、3年ですね。江口寿史さんと『フリースタイル』という雑誌で対談したあたりから、僕が「同志」だと思ってきた人たちと触れ合うことができて、僕がちゃんと話すと、あちらが「あれ?」となるのがわかるんです。 浦沢さんは、やはり、メビウス路線を目指してほしいものですね。メビウス-アルザック
2015.04.05
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NHKスペシャル『地球を活け花する!プラントハンター・西畠清順 世界を行く』を4/2深夜の再放送で見たのだが・・・・すごい人である。 軽装のハンターはビニールヒモ、ハサミ、片手ノコギリだけという商売道具を持って、世界中に出かけていくが、これだけで事足りるというのもすごい。 茶花を商う関係で山から松の枝を採ってくるという修業時代に、若きハンターの五感が研ぎ澄まされたようで・・・その感覚、技能には欧州や南米の同業者も、舌を巻いているようです。 若きハンターは、「植物は人を幸せにしてくれ、男の一生をかけるにふさわしい」と自らの仕事を語っていました。 西畠さんが「そら植物園」というサイトのブログでかなり大口を語っているが・・・・世界を相手の商売だから、このくらいのスケールが要るのでしょうね。そら植物園より 「街に緑を」というフレーズはだれの耳にもやさしい言葉です。きっと政治家も開発業者も、造園屋もみんなが口にしたい言葉です。しかし言葉ではなく実際に行動し、結果的にどれだけ緑量を増やすことができたかという結果がすべてなのです。 日本では“パークなんとか”とか、“ガーデンなんとか”とか、なんとなく緑豊なイメージを彷彿されるホテルや商業施設やマンションや広場のネーミングがうんざりするほどありますが、実際にネーミングになるほど緑が説得力ある印象を受けるような場所に行ったことはありますか。 行政は、緑被率(特定の面積のなかでどれだけ緑化面積があるかの割合を示す数字)の割合を条例などで設定して緑化に取り組んでいたりしますが、大切なのは緑“視”率です。植物は立体的です。「そこまで切ったら木がある意味がないんじゃないかな」、と思えるようなくらい枝葉を剪定した公園の木や街路樹の景色をよく目にします。設計時に、図面で緑被率を何%確保したからと言って、実際管理する業者の剪定の仕方で全くもってその緑量は変わるのです。(中略) 方法としては、植物を使っていろんなおもしろいことをやろうぜ!っていうのが一番お洒落でリアルかな。もしリー・クアン・ユーが生きていて、おれと30分話をさせてもらえる機会があったらなら、きっと“たしかにアンタに言う通りだ”と言わせる自信があるのだけれど。ドングリ国でも、神戸国際会館の屋上にもうすぐ西畠さんの庭園が見られるようです。<4月25日屋上庭園が改装オープン!>プラントハンター西畠清順氏が地元兵庫県で初めて手がける屋上庭園が神戸国際会館に誕生します。神戸の楽園をコンセプトに、植物の成長過程が楽しめる庭園を目指し、現在造営中です。【オープン日】 2015年4月25日(土)【場所】 神戸国際会館 11階
2015.04.04
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図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・このなかの絵が、SFタッチでええんやな~♪描かれた絵にディアスポラの不安感が見えるのだが・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。<葬送>よりp80,81 去年の冬のある寒い晩、飼っていた犬を数日前に殴り殺した男の家から火がでた。 男は腕力が強かったので、燃えさかる家の中から自力で家財道具をすべて運び出し、前庭の芝生の上に置いた。運び終えたとたん、周囲の物陰から、ありとあらゆる大きさと形の犬が百頭ちかくあらわれた。 彼らはゆらめく光の中に集まると、並べられた電化製品や家具の一つひとつに、まるで自分の持ち場のようにひょいと飛び乗った。犬たちは男を寄せつけず、男が打とうとすると激しく噛みついたが、それ以外はじっと動かず、静かに炎を見つめていた。 火は信じがたい勢いで燃えさかり、家はものの数分で焼け落ちた。怒り狂った男が得物を探しにどこかへ行ってしまうと、犬たちはまるでそれを待っていたかのように地面に降り、煙のたちこめる暗闇の中を音もなく歩きまわって、すべての家財道具に順番に小便をひっかけていった。一度だけ、彼らは空に向かって吠えた。とりたてて大きくも長くもない吠え方だったが、その声はひどく哀しげで、聞こえるはずのない人々でさえ、不安げに寝返りをうった。 それから犬たちは通りや路地に散っていった。首を垂れ、おのれの足がコンクリートの歩道を踏む音を聞きながら。そこはかつて、広々とした野生の黒い大地だった。この絵本ではないのだが、ショーン・タンのアニメ画像をThe Lost Thingギャラリーで見てみましょう。The Lost Thing公式サイトより【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・「ショーン・タン公式サイト」を見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話ショーン・タン公式サイト遠い町から来た話1遠い町から来た話2
2015.04.03
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大使がリピーターとして通っているミュージアムを、その頻度順に並べてみると・・・・横尾忠則現代美術館・県立美術館・竹中大工道具館・市立美術館・・・あたりになるのです。竹中大工道具館の企画展には、大使のツボがうずくわけで・・・・ネットで見てみると、以下ヒットしました♪今回、竹中大工道具館の企画展は「木地屋 小椋榮一の仕事」を取り上げています。<木と共に生きる>より ろくろを使って椀や盆などの木地を挽く職人、木地屋(きじや)。小椋榮一氏の作品を通して、木地屋の技と挽物の魅力に迫ります。 ・・・ということで、昨日、新神戸駅近くの竹中大工道具館にでかけたのです。お天気は小雨でした。企画展の展示の一部を紹介します。トチタモ木地屋集落と移住ルート小椋榮一氏の経歴が木地屋やまとで見られます。木地師についてより、山中木地挽物を見てみましょう。<『木と漆(民芸の教科書3)』山中木地挽物>よりp108~109 石川県にある漆器の産地にはそれぞれに特徴がある。「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」そして「木地の山中」だ。「木地の山中」については県内にとどまらず、本書の取材を続けるなかで、各産地やつくり手からもずいぶんと耳にした。川連や会津、輪島などの大産地にも当然木地師はいるものの、数をこなすためには山中の木地に頼らざるをえない部分があるそうなのだ。 いまや全国の漆器、とくに椀などの挽物の生産地といっても過言ではない山中だが、ここにいたったことについては大きくふたつの理由が考えられる。 ひとつは、産地としての成り立ちだ。山中は安土桃山時代の天正年間に、越前の国から山伝いに入ってきた木地師の集団が、山中温泉の真砂という集落に住みついたことが起源といわれる。江戸時代中期に木地挽物の技術が伝達されて以降は、とくに挽物の産地として大きく発展を遂げていった。<木地生産協同組合を設立し、漆器用木地の一大産地へ> そしてもうひとつは産地として、「木地の山中」の伝統をさらに推し進めたことだ。それが、木地屋が協同で出資して始まったという「山中漆器木地生産協同組合」の設立だ。こちらでは、それまで各々の木地屋でおこなっていた原木の仕入れから、「粗取り」と呼ばれる半製品の状態に加工するまでの作業が一括しておこなわれる。 工場に入ると、ケヤキ、トチなどの樹種別、寸法別に大まかに加工された椀がうず高く積まれており、その奥では機械音が響き、4名の従業員が黙々と粗取りの作業をおこなっていた。それらを木地屋が購入し、注文に応じて製品の仕上げて、山中および全国の塗師や漆芸家へと出荷していくというしくみだ。 原木の仕入れ、粗取りというもっとも手間にかかる工程を組合でまとめて請負うことにより、木地師の作業の効率は飛躍的に向上し、全国から寄せられる大量注文にも対応できるようになった。それが原木の大量仕入れによるさらなるコストの削減を促すという好循環を生み出した。 現在の組合長で、木地師でもある中出利成さんは、「全国の漆器の椀もののほとんどは、山中でつくられたと思ってもらってもいい」と胸を張る。原木の仕入れは月に一度、中出さんと職員が岐阜の原木市場へ足を運び、ケヤキやトチ、ミズメなどを購入するそうだ。これが木地となり、全国へ出荷されていくということを考えると、中出さんたちの役割は大きい。 漆器と聞くと、塗りのこと、あるいは漆のことに目が行きがちだ。しかし、うつわの使い勝手の大部分を決めるのはそのかたち。ところが近現代の漆の世界では、そこがなおざりにされてきた感は否めない。結果として、全国の漆器産地には塗師があふれ、木地師の数は減ってしまった。その現状に山中は目をつけ、全国の木地の生産地として確固たる地位を築いた。また近年は中国などへの指導もおこなっていると聞く。活力を失っている漆器の産地も少なくないなか、歴史を重んじ、強みを理解した山中の試みは注目に値する。
2015.04.02
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図書館で借りた『東京ブラックアウト』を読破したところです。この小説の内容は、原発再稼動のメカニズムを解き明かしているわけで、それだけ著者が原発行政の核心部を熟知しているということなんでしょう。【東京ブラックアウト】若杉冽著、講談社、2014年刊<商品説明>より大ベストセラー『原発ホワイトアウト』を凌ぐディテールと迫力!! キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル、最新作! 「原発再稼働」が既定路線のように進む日本……しかし、その裏には真っ黒な陰謀が渦巻いていた! いったん「原発再稼働」を認めれば、「発送電分離」は不可能となる……そのカラクリを暴いていくと驚愕の真実にぶち当たった……そう、「原発再稼働」で殺されるのは、大都市の住民だったのだ!! 自分の家族の命と財産を守るため、全日本人必読の書!<読む前の大使寸評>キャリア官僚がクビ覚悟で執筆したようだが、クビになっても生きてゆけるという大胆さがいいですね♪<図書館予約:(1/07予約、3/18受取り>rakuten東京ブラックアウト原発事故の発端が見える悪夢のような序章を見てみましょう。<第7章 メルトダウン再び>よりp182~188 日本全国で15基の原発が次々と再稼動することになった記念すべき原発再稼動元年の大晦日の夜・・・・大雪の続くなか、大陸の朝鮮族の工作員、崔は、関東山地の奥深く、日本海側に連なる鉄塔の足元に辿り着いた。ちょうど「紅白歌合戦」が終わりに近づくころだった。 吹雪は激しいままで、「ホワイトアウト」と呼ばれるような、大雪で視界が遮られ何も見えない状況だった。 崔が手慣れた様子で鉄塔の基礎の部分にダイナマイトを装着し、発破器をつないだ。そして携帯電話で何者かと話し終えたあと、同行している若者に顎をしゃくってうながした。 若者は朝鮮語で何事かを叫びながら発破器のスイッチを押した。轟音が山中にこだました。雷にも似た火花が暗い山中を不連続に切り開いた。 「原発ホワイトアウトの始まりだ・・・」 崔は右側の頬を少しだけ歪めて笑うと、すぐ下山の準備にかかった。汗のひとつもかいていない。(中略) 新崎原発で発電された電気は、北新崎幹線と南新崎幹線という二系統の50万ボルトの高圧電線で、それぞれ約200基の鉄塔を介して、関東電力ノエリアに送られていた。 もし送電線に支障を来たし発電した電気を送り出せない、そんな事態に陥れば、エネルギーが蓄積され、原発自体をスクラム(緊急停止)したとしても、外部電源か非常用電源かで冷却し続けない限り、崩壊熱で炉心がメルトダウンする―。 「関東地方で大規模な停電が発生、原因は調査中」―テロップがNHKの「ゆく年くる年」の放送の途中に流れたのは、新年を迎える数分前だった。 停電が起きたのは関東地方の50万世帯・・・だが、停電を食らった世帯ではテレビのテロップを確認することもできず、そのまま床についた。たいていの場合、大雪のせいによる停電なのだろう、くらいにしか受けとめられていなかった。 翌、元日の早朝6時から、官房長官の緊急記者会見が官邸で行われた。 「昨夜12時前、関東電力の高圧送電線の鉄塔が倒壊する事故があり、新崎原発が緊急停止いたしました・・・・現在、原子炉を非常用電源で冷却中であります。周辺住民の方々は冷静に対応願います。この事態によりまして、関東電力の供給区域内で、現在、50万世帯に停電が起きておりますが、順次、復旧する見込みであります」 緊張した面持ちで官房長官がこう述べる。民自党時代とくらべると、政権復帰後の保守党政権の危機管理は、つねにスピーディであるとの評価が定着している。 記者から次々と質問が浴びせられる。 「放射能漏れはありますか?」 「一切ございません」 「現在、原子炉は冷却できているのでしょうか?」 「非常用電源が稼動中であります」 「非常用電源の燃料はどのくらい備蓄しているのでしょうか?」 「発電所内に1週間分は確保しておりますが、念のためタンクローリー車による輸送を、官邸から指示したところであります」 「鉄塔の倒壊の原因は何なんでしょうか?」 「現在、調査中です」 「停電の復旧にどのくらいかかりますか?」 「関東電力において、火力発電所の出力上昇を現在、行っておりまして、本日午前中には復旧できる見通し、との報告を受けております」 「明日の電力需給には問題が生じないのでしょうか?」 「現在、関東電力において、計画停電の実施について検討中との報告を受けております。他電力からの融通の可能性についても鋭意検討中とのことであります」・・・新崎原発の緊急停止となれば、仙内と厳海が稼動して比較的余裕のある筑紫電力から、西から東に向け玉突きで電力を融通しなければならない。筑紫電力から、嶋根を稼動させている山陽電力へ、そして高花と大井を稼動させている近畿電力へと、次に東海電力を経由して関東に電力を融通することになる。 もともと50ヘルツと60ヘルツの壁が東と西の電力会社の競争を妨げているといわれ、フクシマの事故前から東西の連係線を強化すきと、有識者から指摘されていた。しかし、フクシマの事故時には、周波数変換ができる変電所は三つだけ・・・両周波数間で融通できる最大電力は90万キロワットに過ぎなかった。(中略) 「除雪車を呼べ、すぐにだ!」 緊急対策室の所長代理が、必死の形相で施設課長に指示する。その施設課長は除雪業者に連絡を取ったが、業者の事務所の電話は通じなかった。 しかも、除雪業者の保有する除雪車は、この吹雪のなか、幹線道路の除雪にすべて出払っていた。発電所で除雪車の運転手の携帯番号を把握していない以上、業者が捕まらない限り、連絡を取ることは不可能だ。 「原子力災害対策特別措置法に基づく15条通報です。原子力緊急事態です!」 と、所長の留守を預る所長代理が官邸のオペレーションルームに報告する。 その、官邸内に設置された原子力災害対策のオペレーションルームには、元日早々、原子力規制委員長や原子力規制庁長官、その他の専門職員たちが、そして本部員たる閣僚たちも、関東近県が選挙区の者たちから続々と駆けつけてきていた。 1000年に一度のような津波には「想定外」との言葉が出たりするが、北朝鮮のテロ活動など、明日起きても不思議ではないのかも? 小説のほうは、このあと、炉心溶融、東京ブラックアウト、京都遷都にまで、たたみ掛けるように進行するのです。一方、現実の世界で動き始めた原発再稼動とは・・・・現状の権力システムに対する踏み絵みたいなものなので、腰を据えたエネルギー・ビジョンが求められているんでしょう。この小説でも、オルタナティブなエネルギーが述べられています。<第10章 政治家と官僚のエクソダス>よりp258 本当は、原発の再稼動に費やすためのコストを送電網の増強や大型蓄電池の整備、それから揚水発電所の建設に振り向ければ、原発はいらないはずだ。 そこまでの設備投資が間にあわないにせよ、古い発電所を稼動させたり、大工場の自家発電所から電気を購入したり、大口の需要家との需給調整契約による供給停止措置を発動したりすれば、電力は十分足りるのである。 あるいは日中、太陽光発電で得たエネルギーを使って水を水素と酸素に分解、こうしてつくった水素を燃料電池用に使い、夜間の電力やエネルギー源にしてもよいはずだ。 しかしそれでは、原発即ゼロ論が全国で勢いづきかねない。レント(超過利潤)の巨大な、すなわち権力者の取り分が多い原発を守る・・・・日村と小島が申し合わせた通りである。もし、現実に原発事故がまた起きたら、この小説のような京都遷都の目も出たりして・・・次回の復興はかなり悲観的なものにならざるを得ないでしょうね。東京ブラックアウト1
2015.04.01
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