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図書館で『中国人の論理学』という本を手にしたが・・・・とにかく、尖閣の漁船衝突事件以来、中国人の自己中心的な論理は、どのように生まれ、形成されているのか?知りたいわけでおます。【中国人の論理学】加地伸行著、中央公論新社、1977年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータ無し<読む前の大使寸評>中国人の自己中心的な論理は、どのように生まれ、形成されているのか?知りたいわけでおます。Amazon中国人の論理学中国人の思考様式を見てみましょう。p147~149<部類の歴史好き> さて、こうした分類という手段から、どのような文化が生まれてくるのか、ということになる。私は、その最大のものを、歴史において見ることができるといいたい。 まずその歴史そのものであるが、中国人の歴史好きは、他の民族にくらべて異常なほどである。このことは、隣国のインドとくらべてみるとよくわかる。インド人は、中国人と正反対に歴史観の希薄な民族である。そのことは、文献の成立ということを見るとよくわかる。たとえば、ある文献がいつごろできたか、ということについてインド人はあまり関心を持たない。そのようにして伝えられてきたため、文献相互の関係など、非常に漠然としたことしかわからないのである。 これに対して、中国における文献の場合、その成立年代は、かなり具体的にわかる。それほど記録ということに関心を強く持っているわけである。 だから、その文献のうち、歴史記録などを見ると、まさに、歴史の基礎である年月日に対して、詳細に記録を残しているのである。いや、年月日だけではなくて、起こった事実に対して詳細な記録を残そうとするのである。 たとえば、日本で行われている邪馬台国論争における最大の史料である『魏志倭人伝』にしても、その史料内容の信憑性は別として、外国についてあれほど詳細な記録を残しているというのは、中国人の分類主義、そして事実主義からくるもので、もし、中国の位置にインドがあったとしたならば、きっと『魏志倭人伝』のような詳細な記録は存在しなかったであろう。 そういう発想で歴史を書くことのモデルを作ったのは、漢の時代の歴史家、『史記』を書いた司馬遷である。司馬遷は、王朝の歴史、諸侯の歴史、文化史、年表、といった歴史の骨組を作ったうえに、個人の伝記集(列伝)というものを特につけ加えたのである。 その個人伝記集は、なにも偉人英雄ばかりではなかった。名医や文学者、あるいは金貸しだの軽評論家だの、はては男娼やヤクザに至るまで、さまざまなタイプの人間を描いている。そしてこの個人伝記集にこそ『史記』のおもしろさがある。著者はさらに、中国人個々の様式を見つめています。p157~161<実際主義> 名実一致という観点から広がってくる中国人の即物的感覚は、生活において最大限に発揮される。たとえば、音楽の場合、バイオリンを習うとする。日本であったなら、基礎練習を順序だてて習うということになるだろう。そして技術的なトレーニングを十分に積んだうえで、やっと曲にはいるということになる。 ところが、中国人は、いわゆる初歩的なことを習うとすぐ曲を引きはじめる。その曲は、自分の知っている歌であったり、簡単なバイオリン曲であったりして、その辺の区別は気にかけない。だから、私が台湾にいたとき、中国人がバイオリンを引いてやろうといって引いてくれたのは、「ウサギ追いしかの山・・・」であったり、「G線上のアリア」であったりする。彼らはなにも技術至上主義的小音楽家になろうとは思っていない。音楽を楽しむということを直線的に求めるわけである。<個我の強さ> また、中国人は、日本人と異なり、個我が非常に強いが、その個我の強さと実用主義とが結びつくと、さらに強力な個我の主張となる。その結果、体育の場合など、個人競技では傑出したのが出やすいが、団体競技はどうもあまり向いていないようである。 さらにいえば、実用主義に相乗されたその個我の強さは、しばしば、法という抽象的な強制力を実感しようとしない。中国では公安(警察、憲兵など一切を含めて)関係の人数が多いということは、民衆が法に対してその強制力を実感しないからである。日本だと、たった一人の警官であっても、その背後にある抽象的な強大な法と国家権力を意識するから、一人の警官が多数の人間を統御できる。 しかし、中国人は、相手が一人の警官であるなら、なるほど背後に法と国家権力があることは知っているが、それよりも実感として相手を一人の人間として意識する。すなわち、1対1の関係として意識するのである。だから、中国では、極端にいえば、十人を押さえるのには十人の警官の力が必要なのである。 法治国家といえば、日本ほど抽象的な法に従順に支配されている国家は、世界でもまれにみるものであろう。逆に、中国ほど中央政府に服従しないで、地方分権的に独立する傾向にある国家も少ないであろう。反乱や反体制運動が絶えない。これは、単に領土が広いというような地理的な問題とは思えない。絶えず、中央政府や国家に対して忠誠を要求する論調が絶えないことからも、そのことがよくわかる。<に徹する> そういう実質主義は至るところで見られる。たとえば、小さなバクチのやりとりにそのことがよく現われている。台湾で学校の用務員がトランプを使って、小銭をやりとりするバクチをしていた。連中とは親しかったものだから、横でよく見ていた。まあいってみれば、日本の会社におけるかけマージャンみたいなものである。 その日本のマージャンの場合、仲間は逃げることのない同僚だから、数字で計算だけしておいて、給料日に清算、ということであろう。ところが用務員たちの清算方法はそうではない。1ゲーム―といっても、その日のゲーム全部をいうのではない。カードを配るその1回1回ごとのゲームで上がりが出ると、すぐ清算するのである。なんと1回1回ごとに小銭のやりとりをするのである。 日本の会社の場合のような1ヵ月後などという抽象的な清算方法ではない。具体的も具体的、そのものずばりである。だから、いつでも席を抜けることができるし、いつでも参加することもできる。 いろいろな解釈が可能であるが、そばで見ていた実感としていえば、1回ごとの評価を重んじているという雰囲気であった。 当然、たる商売において特性が出てくるといえよう。しかしそれはなにも商売人に限ったわけではない。民度の低さが出てくると思いきや、関西人に通じるようなラテン系のノリもあるのが意外ですね。(著者は台湾人を通じて中国を見ているのだが)あまり好きではないのだが、現代中国語のあたりを見てみましょう。p104~105<毛沢東の文体> 前章において、古代中国人の論理学意識というものを見てきた。それは、中国語という言語の性格、すなわち概念語が中心という性格、概念語を並べるということで成りたつような言語の性格を基礎としていた。それだけに、概念語としての漢字一つ一つの意味をがっちりと押さえる必用があった。 その結果、出てきたものが、名と実との一致、という考え方である。この名実一致をめぐって、名の優先派と実の優先派とが争ったのである。そして、その論争は、古代中国から後の時代へとずっと続くのであった。その中で、一貫しているものは、名実一致という理想である。名の優先派も、実の優先派も、結局のところは、名実一致をめざしていたのである。 この名実一致とは、とりもなおさず概念の固定ということである。漢字という概念語一つ一つの安定である。そういう安定があってこそ、中国語の安定も生まれるわけである。であるから、漢文から現代中国語へという大きな変化が生じたとはいえ、漢文・現代中国語の両方を包み込む中国語としては、古代以来、依然としてそういう概念語の安定へという観念が生きているといえる。 現代中国語は、翻訳を通じてかなり西欧近代語の影響を受けている。その意味でも、漢文から変容をとげている。しかし、一方、伝統的な漢文の基盤を離れることができない。西欧近代語風のものは、時枝文法流にいえば、の要素が強く、漢文風のものは、の要素が強いといえよう。 このととが綱引きをしてひっぱりあいをしているのが、現代中国語であり、その代表的文体として毛沢東の文章があげられよう。毛沢東の文章は、西欧近代語風であるかと思えば、漢文風でもあるのである。 このように、現代中国語は、純粋に概念語中心的とはいえないものの、全体として、やはり依然としてその流れが主流であることにはまちがいない。とすると、現代中国語によってものごとを考える現代中国人が論理学についてどのように考えているか、ということを見ることは、漢文によって論理学を考えていた古代中国人との対比を示すことになるであろう。 そして、概念語中心という中国語の性格が一貫している以上、古代中国人と現代中国人との間においても一貫するものがありはしないか。いや、その可能性は大いにあると考えられる。ここで、日中の言語を見てみましょう。(著者は英文和訳の際、各単語に訳す順番の番号を振っていたそうです。さすが訓読のエキスパートというべきか)p30~33<訓読について> これはつまり、漢文でいえば返り点を打って読むのと同じことである。中学生や高校生のほとんどは、英語をさっと読んで、英語そのままでさっと理解できない。たどたどしく英語を読んだあと、ヨイショヨイショと返り点(あるいは番号)を打ち打ち訳すわけである。すなわち漢文法流にいえばしているわけで、これが日本人の外国語理解のオーソドックスな方法である。そしてまたこの方法で器用に読みこなすのだから驚きである。 私は、日本人が外国語を学ぶ際、話すことよりも読むことに長じてゆく理由の一つは、この訓読の伝統があるからであろうと思う。奈良朝、いやそれ以前から、鍛えに鍛えて練りあげられてきた漢文読解法―訓読の技術が、しらずしらずのうちに伝承されている。日本人は、訓読の要領で外国語を読んでいるというのが真相である。 もっとも、奈良そしてそれ以前では、漢文を中国人が読むのと同じように音読していた。音博士という官職などがあり、音韻の問題を担当していた。 けれども、中国音で読んでそのまま漢文を理解できるのは、当然のことながら、ごく少数の語学の熟達者にすぎない。大部分の学生は、日本語として理解するのに、なにか便利な術はないものかと考えたであろう。その結果、原文の漢文に記号をつけて、その記号をたどって日本語訳に結びつけるという奇想天外なことを思いついていったのである。(文字数制限により省略、全文はここ)
2015.10.31
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北京大学国際関係学院院長・賈慶国さんがインタビューで「国際秩序を守るリーダーの役割を学んでいるところ」と説いているので、紹介します。インタビュアーの突っ込みが的確というか厳しいので、誰かと思ったら…吉岡桂子委員でした♪(賈慶国さんへのインタビューを10/30デジタル朝日から転記しました) 台頭する中国の強気な外交は、日本を含む近隣の国々に困惑と懸念を呼び起こしている。南シナ海や尖閣諸島をめぐる対立はどこからくるのか。アジアの「住人」でもある米国との関係をどう考えているのか。急速な大国化に伴う自己認識のゆらぎが背景にあるとみる中国外交の専門家、賈慶国さんにきいた。Q:米国は、中国が南シナ海で埋め立てた人工島から12カイリの海域に軍艦を派遣しました。A:米国の行為は中米関係に打撃を与えます。海洋秩序を守る目的であり、中国に対抗するものではないと言っても、中国人はそうは思わない。米国への不信を強め、将来の関係に悪影響を与えます。Q:9月末の米中首脳会談は、緊張を緩和できなかったのでは。A:それでも、首脳会談は成功だったといえます。(習近平国家主席の訪米前)多くの人の目に両国は対抗の方向へ向かっているように映っていました。それを食い止め、反転させ、安定させました。 サイバーにかかわる問題で対話を回復させた意義は大きい。気候変動や投資協定、軍事的な領域でも共通認識が得られました。Q:安定したのでしょうか。南シナ海での対立はむしろ鮮明になっています。A:南シナ海の資源がかつてより多くあると評価されだしたことも大きな原因です。関係国が権益を必死で主張しているのだから、中国もやるべきだという声が強まっています。中国を含む各国の政府に対する民族主義からくる圧力はとても大きいものがあります。Q:国内の民族主義を利用して、中国は勢力を拡大しようとしているのではないですか。A:発展の過程にある中国は、安定した国際環境を望んでいます。主要な課題は国内の改革と発展であり、一朝一夕に片付かない南シナ海の問題を解決することではありません。この地域の安定は『一帯一路』の実現にも必要です。Q:習政権の近隣外交の柱とされる、中国と欧州を結ぶ陸上と海上の「シルクロード経済圏構想」のことですね。A:『一帯一路』の重要な目的は、東南アジアの国々と経済で協力し、相互の連携や理解を強化することで関係を安定させることです。南シナ海の問題も関係国との協力を強化し、共同でうまく管理する必要があります。中国は将来、南シナ海問題で相対的に温和なやり方をとる可能性があるとみています。 ■ ■Q:中国は米国が主導してきた国際秩序、とりわけアジアの地域秩序に挑戦を始めたのでは。A:中国は国連に(台湾に代わって)加盟した1971年以降、現行秩序のなかで、発展をとげてきました。国連安全保障理事会の常任理事国でもあります。経済面でも、現在の貿易や金融の枠組みのなかで巨大な利益を得ています。むしろ、秩序が弱体化するほうが問題なのです。朝鮮半島の核問題にしても、海洋の航行の安全問題にしても、米国が自分たちはもうかかわらない、と手を引いたらどうなりますか。 ただ、今のシステムが完全に良いとは思っていません。不公平で不合理な部分もあると感じています。内部の改革を通じて変えようとしています。Q:自分に都合のよい秩序に作り替えようとしている?A:中国はかつては国際秩序を最大限利用して自らが発展すればよかった。貢献や責任は小さくてすんだ。今はそうはいきません。このシステムにただ乗りするには、中国はすでに、大きすぎます。 多くの人は『中国は責任を果たせ』『リーダーの役割を発揮しろ』と言います。中国は超大国になりつつあるなかで、米国のように自分でも車を運転することで国際秩序を守り、同時に自分の利益も守ることを考えるようになりました。国際秩序を守るにはコストがかかるので、他国の助けを借りる必要があります。まだ十分には分かっていませんが、多くの中国人が意識し始めました。Q:アジア開発銀行(ADB)があるにもかかわらず、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立に乗り出しました。A:AIIBは国際金融秩序への挑戦ではなく、補完です。最初は反対していた米国も理解し、いまは反対していません。 もちろん、中国政府には不満もあった。国際通貨基金も世界銀行も改革の歩みが非常に遅い。新興国の発言権を高める改革が議決されても、米国の議会の反対で進まない。ならば、自ら作ろうと。当初は、自分たちが都合良く管理する銀行にできると考えていました。インフラ事業へ融資して、『一帯一路』の実現に役立てようと。しかし、やっているうちに各国の支持がなければ期待する成果は得られないと気づいたのです。 他国は自分に利益があると思わなければ加わらない。中国は多国間組織でのリーダーのあり方を学習しているところです。まず、多くの人に共感を得られる考えを提示できなければなりません。協力を実現できる経済力も必要です。そして、多くの国家の利益を調和させなければならない。自国の利益や価値観にこだわる欧州の先進国と協調しながら学ぶことができれば、中国にも世界にも良いことだと思います。Q:10月初めには環太平洋経済連携協定(TPP)に日米を含む12カ国が合意しました。中国はどうしますか。A:中国経済の開放度はTPPの基準には達していません。基準に達すれば、自然に加わっていくでしょう。肝心なのは、中国自身が対外開放の程度を引きあげていく努力です。Q:TPPは安全保障の観点から、中国への対抗との見方もあります。A:安全保障の観点から考えれば中国を排除するほうが安全ではありませんよ。ゼロサムゲームで考えると国際関係は暗闇です。中国人にもそういう人はいます。しかし、現実はすでにそれを超えています。冷戦の時代は過ぎ、人々の生活はすでにグローバル化している。建設的に国際関係を分析し、処理していくべきでしょう。 ■ ■Q:それにしても、中国は、日本との間では問題が発生すると首脳を筆頭に対話を断ち切るのに、米国には会うのですね。A:米国が例外なのです。(欧州諸国と比べても)米国が中国に与える影響がとても大きいからです。かつては、軍事交流はたいした影響がないと考えて断つこともありましたが、最近は違います。両国の根本的な利益を考えて、強化する対象になっています。Q:習政権のスローガン「中国の夢」が持つ外交的な意味はなんですか。A:『中国の夢』は近代史に根ざしたものです。強大だったはずの中国が、アヘン戦争以降、侵略されて主権は踏みにじられ、領土を奪われました。独立、自主、繁栄、富強を得て、世界で尊重されたい。これが中国の夢です。Q:尊重されているでしょう。A:外国が中国を見る目と中国人が中国を見る目は違います。中国からすれば、過去よりも豊かになったが、それほどまだ発展していない。強大になったといえども米国ほどではない。そして、中国人が十分だと思うほどには尊重されていません。国際問題が中国抜きで決められることもある。中国内部の問題に批判がたくさん寄せられる。中国人にしてみれば、気分が良くないのです。 ただ、中国自身にも問題はあります。中国は移行期にあり、アイデンティティーと利益が矛盾する面がたくさんあります。中国は発展途上国であり、発展している国である。貧しい国であり、富んだ国である。強い国でもあるが、弱い国でもある。普通の国であり、超大国でもある。たとえば、気候変動で、途上国であれば発展する権利を重視する。先進国ならば省エネや二酸化炭素の削減を重視する。中国はどちらの立場だと認識し、どういう利益を得るために行動するのか。 得たいと思う利益を確定させることが対外政策の基盤ですから、この矛盾が世界に困惑を与えています。中国はいったい何がほしいのか、何をしたいのか。中国自身が自分の立場や利益を確定しきれておらず、困惑と心配を引き起こしてしまう。一貫性のない混乱したメッセージを発信することにもなり、外国は中国の脅威に備えた対策をとろうとする。それに中国も反応する。将来、そこが安定すれば、もっと一貫性があり、予見可能性のある対外政策に落ち着くと思います。 *賈慶国:1956年生まれ。専門は中国外交、米中関係。中国の国政助言機関である全国政治協商会議常務委員。米コーネル大学で博士号取得。<取材を終えて> 中国外交も一色ではない。中国共産党・政府の内側には強硬派もいれば協調派もいる。最近の言動を見れば、国力の増大を過信した前者が優勢と言える。「超大国」を目指すつもりであれば協調の作法を学ぶべし――。賈さんの言葉には、自画像がゆがむ国内の強硬派こそ耳を傾けるべきかもしれない。(編集委員・吉岡桂子)学院院長といっても、共産党政権とほぼ同じスタンスなので・・・かなり高慢な印象を受けるわけです。中国の自画像北京大学国際関係学院院長2015.10.30この記事も朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2015.10.31
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図書館で『実証 古代朝鮮』を手にしたが・・・この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。【実証 古代朝鮮】井上秀雄著、日本放送出版協会、1992年刊<「BOOK」データベース>より一衣帯水の隣邦、朝鮮半島の歴史と文化その特徴と独自の発展過程の原因はなにか。現地踏査と綿密な資料分析で説く古代朝鮮文化史。【目次】第1章 ぬりかえられた古代朝鮮史-歴史と文化の特徴(古代国家の成立と地理/物質文化からみた特徴-墳墓と都城/神話と伝説にみる政治の理想像と民族性/精神文化の受容と国際交流)/第2章 王権をめぐる民族の興亡(連合体制国家への道/小国家の群立と統合/三国抗争と隋・唐王朝/解明された南北国時代)/第3章 よみがえる栄光の古代文化(異体文字の世界/城郭の変遷/律令の官制と祭祀/それぞれの王者像)<読む前の大使寸評>この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。漢字文化圏では、日本語だけに訓読が発達したが、これが漢字習得にとって決定的に重要だったようですね。rakuten実証 古代朝鮮この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めています。金石文の発見地の分布から、著者は、これまでの通説とは異なる検討が必要であると述べています。<日本金石文との比較>p144~146 金石文の発見地を、王都およびその周辺と地方とにわけると、古代朝鮮と日本とでは対照的である。すなわち、古代朝鮮では、6世紀以前の合計で、地方はわずか2割弱しかなく、王都に8割強の金石文が集中している。一方、日本では、畿内が3割足らずで、地方が7割を超えている。このことからみれば、朝鮮での文字文化は政治の中心である王都に集中し、地方にある金石文も王朝と直接関係をもつ地方行政関係の金石文である。 日本の場合をみると、通説では、大和朝廷からこれらの銘器が下賜されたものとしているが、この分布状態からみれば、王都への集中度は弱く、通説とは異なった理解が必要となるのではなかろうか。 朝鮮や中国から伝来した金石文を除けば、刀剣では1例のみが畿内から発見され、他の4例は、九州・関東・山陰など、律令用語でいえば外国にあたるところから発見されている。これらの地域は、畿内より朝鮮三国との交流の容易なところである。十数万点にのぼる木簡の発見が示すように、大和王朝では7世紀後半以降、急速に文字文化が盛んになるが、それ以前は、他の地域とあまり差がなかったと考えることができる。 このように考えれば、日本での文字文化の受容が大和朝廷のみによるとする通説には、抜本的な再検討が必要となろう。さらにいえば、古代朝鮮は、中国の文字文化と類似し、政治的要素の強いものであったが、日本は政治的要素がそれほど強くなく、文化的要素、とくに宗教的色彩の強いものとみなければならない。また、文字も中国での使用とはかなり異なった使用法であった。 少なくとも、大和朝廷が全国支配に文字を使用するのは、全国に国衛の設置される7世紀後半以降のことである。このことは大和朝廷の全国支配の時期や方法にもかかわることで、7世紀前半以前の日本古代史全体を再検討する手がかりを提供してくれるものといえるのではなかろうか。 古代東アジアの歴史を、いままでは中国を中心に展開したと考えたが、最近ではこれに対応する古代の朝鮮や日本の動向を重視しなければならないことが理解されはじめた。7世紀以前の中国知識人には、朝鮮や日本が、思想的には東方信仰の聖地であり、軍事的には侵略を許さぬ強力な勢力であるとみえた。 さらに、政治的には中国で数百年にわたって蓄積した律令体制をきわめて短期間に受容して、整備した古代国家を成立させた脅威的な国々と映ったようである。 歴史を大国主義や先進国崇拝の立場からではなく、民族や国家の自立・独自性を尊重する立場から見直す必要に迫られている現状では、古代東アジア史の研究も、この立場から再検討する必要がある。 仏教の受容のしかたが日本と大陸とでは異なるが、何故なのか?と思うわけです。p63~68<仏教の受容> 高句麗に仏教が伝えられたのは、故国原王が百済軍に敗れ、戦死した翌年の372年である。百済はこれより12年遅れた384年で、高句麗と激しく戦っていたときのことである。新羅は、法興王が加羅諸国に進出する528年に、仏教を受容している。 これら三国は、いずれも国際的な緊張の時期に直面しており、固有信仰とも深くかかわりながら受け入れている。高句麗では、仏教受容の年に、国家的な儒教の教育機関である大学を建て、翌年には、中国風の法制である律令を布告している。また、391年には、故国壌王が教書をだして、仏教の振興をはかるとともに、役人に命じて、国民のために在地の神を祭る神社を建てさせている。このように仏教の受容は儒教や固有信仰にも影響を与えていたことが知られる。 仏教のその後の発展が、固有信仰とどのようにかかわってきたかを、5世紀前半の高句麗で考えてみたい。高句麗は427年に、第20代の長寿王が王都を平壌に遷都した。このとき、始祖東明聖王を祭るため、当時盛行していた方形の封土墳を作り、陵前には八角九層の塔をもつ定陵寺を作った。この封土墳も中国から受容したものであり、寺院も新たに北方や中国から受容したものである。このように外来文化と固有信仰とが融合して、新たな高句麗文化を作りあげていった。(中略) 高句麗や百済は、大きな障害もなく仏教を受けいれたが、新羅では法興王が仏教を公認しようとすると、貴族たちが激しく反対した。<道教の受容> 道教は、新羅の花郎にもみられるが、高句麗でもっとも盛んであった。これが受けいれられた事情は、『旧唐書』『新唐書』をはじめ、『三国史記』『三国遺事』にも伝えている。(中略) 高句麗に道教が普及していた様子を『旧唐書』高句麗伝では、唐の道士の講義を聞きに集まった者が数千人にもおよんだといい、『新唐書』ではその数を、毎日数千人集まったといっている。その数の真否はともかく、高句麗で道教が盛んであったことが知られる。 次に、儒・仏・道の三教が、ともに盛んにならなければならないとする法蔵王など高句麗人の考え方は、新羅の花郎が儒・仏・道三教と固有信仰を統合したものと類似しているように思われる。(中略) 朝鮮諸国は仏教や儒教の外来宗教を国民生活の向上や国家の安全、国力の発展などの必要に応じて受容している。これは宗教だけでなく、政治制度や経済活動等でもみられることである。いわば国家的・民族的危機に対処するため、外来文化を受容してきたとも考えられる。 これにたいして日本の外来文化受容は、国際的に緊迫した事情がほとんどなかったため、国家的・民族的危機に対応するためのものでなく、貴族や僧侶たちが、それぞれの教養を高めることを第一の目標としたものと考えられる。古代日本の仏教は、造寺・造仏をはじめとする仏教文化の受容に関心が集まっていた。また、仏教教義の研究も、布教や国民教化のためではなく、学問のためであり、知識の拡充を主としたものであった。このように、文化受容の考え方にも、朝鮮と日本とでは、かなり大きな違いがみられる。朝鮮の歴史について見てみましょう。これがこの本のメインテーマなんだもんね。p101~103<唐の朝鮮侵略と三国の対策> 隋との四度にわたる大戦争を経験した高句麗人は、それ以上強力な唐の侵略軍が、やがて襲撃してくるものと考え、宮廷貴族たちを排除した泉蓋蘇文を支持した。同じような政変が、642年に百済でも起こり、政変に敗れた王弟のギョウキや大佐平の智積たちが、大挙して大和朝廷に亡命してきた。 百済の政変は、どのような内容であったかを詳細に知ることはできないが、唐の東方政策に対応した戦時体制確立のためのクーデターであったと推測される。 これよりやや遅れて、647年に百済でもクーデターが起こって、王を中心とする戦時体制となった。その経緯は、642年に百済と高句麗とが連合して新羅を攻撃し、百済軍が王都・慶州まで侵入してきた。そこで新羅が、翌年唐に救援を求めたのにたいし、唐の太宗は、唐軍の派遣とひきかえに、唐の王族を新羅王にするように求めた。新羅の貴族会議ではこの要求を受けいれ、善徳女王を廃位した。これに反対する金ユ信たちが、善徳女王を擁護して、貴族の連合軍と戦い、これを打ち破った事件である。その後、金ユ信たちは、太宗武烈王と協力して貴族連合体制を排除し、戦時体制を確立して、統一戦争にそなえた。 大和朝廷の「大化の改新」は、種々の疑問点があってその内容にはなお不明な点もあるが、貴族連合体制の頂点にあった蘇我氏の本家が、クーデターで倒された点では、三国のクーデターの影響とみてよいであろう。 朝鮮三国が、それまでの貴族連合体制から対唐戦争にそなえて戦時体制に切りかえたころ、唐の太宗は高句麗への侵略を準備しはじめた。645年、唐の太宗は多くの家臣の反対を押しきって、高句麗侵略にむかった。家臣の反対したように、名将の誉れ高い唐の太宗も、高句麗軍の堅塁に阻まれて、なす術もなくひきあげた。 唐の太宗は、第一次の高句麗侵略に失敗したにもかかわらず、647・648両年にわたって出兵した。このとき、重臣の房玄齢が上表文を太宗に奉った。そのなかで、この高句麗侵略が、いかに無意味で無謀なことであるかを説いているが、このことは今日にも通ずる重要な問題といわなければならない。 649年に、唐の太宗が薨去し、高宗が即位した。唐と高句麗との戦闘は、655年に再開され、658年から668年までは連年続いた。660年に、唐は新羅と連合して百済を滅ぼし、ついで668年に新羅の助勢をえて、ようやく高句麗を滅ぼすことができた。 唐は西方諸国で大きな戦果をあげたのに、高句麗や百済との戦いでは、新羅軍の助けを借りなければならなかったのはなにゆえであろうか。遼河の大湿地帯が唐軍を苦しめ、高句麗の籠城作戦が功を奏した面もある。しかし、長年培ってきた文化を守ろうとする民族意識や、無謀な侵略にたいする自衛意識が、より重要な要因と思われる。実証 古代朝鮮(その1)
2015.10.30
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・職業としての小説家・死者の花嫁―葬送と追想の列島史 ***************************************************************職業としての小説家より<文体革命もたらし、矛盾や変化を刻む:佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)> 村上春樹の自伝的小説論&小説家論。既出の情報も多いが、ファンなら読んで損はない。 彼は、日本語小説の文体に革命をもたらした人だ。文体を変えるということは表現の手法を変えることで、すなわち物の見方や考え方を変えることである。つまり、拠るべき価値観や規範を変えるということである。 初めて小説を書くに当たって、新しい文体を開拓するためにどのような作業をしたか、本書に詳しく書かれている。劇的な出来事が起こらない日常生活を題材として小説を書くためには、「これまでの作家が使ってこなかったような(中略)軽量ではあっても俊敏で機動力のある」文体がどうしても必要だった。そのために彼は、一度英語で書いてから日本語に翻訳し、さらにコツコツと叩き上げていくことによって、望む文体を作り上げていった。 村上のこの試行は、大瀧詠一や山下達郎たちによる、日本語でポップスを不自然でなく歌う音楽語法の模索に符合する。戦後の日本人が、自分たちの生活や心情を適切に表現する言葉と歌を手に入れたのは、1970年代から80年代初頭にかけてと言えそうだ。 村上は、みずからの心の奥底(スピリチュアル)に「降りて」いき、物語の素材を持って帰ってくる。自己の無意識を意識化して、小説に仕立て上げていく。現実世界に「何も書くことがない」のだから、心の深層を掘り下げて探しにいくしかない。 一見、何事もなく見える日常の、一皮むいた下には社会の潜在的な矛盾や変化が渦巻いている。村上作品とは、その矛盾を鋭敏に察知した彼の無意識を文章に彫り込んでいったものなのである。実際、本人の実感として、彼の小説は社会が地滑り的に変革している国でよく読まれているらしい。だとすると、村上の作風を嫌う人たちというのは、社会のこのような変化自体を快く感じていない向きなのではあるまいか。 今回、彼の最初期と最新の長編を2編ずつ読み直して改めて気づいたのだが、新しい文体は最初期のそれと明確につながっている。両者大きく異なるという印象をもっていたのだが、そうではない。最近作の文体は軽量な俊敏さはそのままに、非現実的世界の劇性を語るのに適した稠密さと濃密さを兼ね備えている。文体と描かれる世界の有機的融合。これはやはり、成長あるいは円熟と呼ぶべきなのだろう。 しかしそのルーツは、やはりデビュー作『風の歌を聴け』にある。であれば、この作品こそが金字塔と位置づけられるべきなのか。 評価は時にまかせよう。今はただ、彼の作品をリアルタイムで楽しめる特権を享受しておきたい。 ◇村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>買って読もうかと迷った本であるが…図書館に借出しを予約したのです。<図書館予約:(10/27予約済み)>rakuten職業としての小説家死者の花嫁―葬送と追想の列島史より<死生観は時代や社会で変化する:三浦しをん(作家)> 墓参りの際、私の内心に去来する思いを強いて言語化すると、「お元気ですか(相手は死んでいるのに妙だが)。我々はなんとかやっています。見守っていてください」となる。眼前にあるのは直方体の石なのに、そこが死者の住居かのように、死者が身近に漂っているかのように、私は認識している。日本に住む多くのひとが、死者や墓に対して同じような感覚と認識を抱き、「これが日本の伝統的な死生観だ」と考えているのではないだろうか。 ところが、「伝統的な死生観」ではないことが、本書を読むとわかる。墓にだれが埋葬されているのかが明確化し、「死者は身近に留まる」と人々が認識するようになったのは近世以降のことで、中世のひとは遺骨あるいは遺体を霊場や共同墓地に運んだら、あとはそれまで(むろん、故人を懐かしく思い起こすことはあったにちがいないが)。死者はどこかにある理想世界(極楽浄土)に行くべきで、いつまでも身辺に留まる死者がいたとしたら、それは「まだ救済が確定していない、哀れむべき人々」だと考えられていたのだそうだ。 著者は文献の分析や現地調査を通し、中世から近世にかけて、死生観や宗教観に一大変化が生じたことを明らかにする。つまり、常識・伝統だとされる供養のしかたや死者への認識と距離感は、時代や社会によって変化するものだったのだ。 著者の筆致は穏やかでうつくしく、人間味と深い思考に裏打ちされた目から鱗の研究成果が、素人にものみこみやすく伝わってくる。散骨や樹木葬を希望するひとが増え、死生観が何度目かの変化の局面を迎えているいま、本書を読むことができてよかった。墓や葬送儀礼の変転を知り、死と死者について考えることは、自分がいかに生き、他者とかかわり、どのような社会を築いていきたいのかを考えるのと等しい。 ◇佐藤弘夫著、幻戯書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より自然葬・樹木葬など葬送のあり方が多様化する現在。では、従来の仏教式の葬送文化はどのように成立したのか。それを支えていた“死生観”とは。墓、先祖、幽霊ーその常識を覆す。死後についてのパースペクティヴ。【目次】プロローグ 死者を訪ねる人々/第1章 墓石の立つ風景/第2章 骨を運ぶ縁者/第3章 死を希う人々/第4章 墓に憩う死者/第5章 幽霊の発生/第6章 霊は山に棲むか/第7章 目に見えぬものたちと生きる/エピローグ 記憶される死者 忘却される死者<読む前の大使寸評>三浦しをんが選んで、書評を書いた本なので期待できそうやでぇ♪<図書館予約:市図書館は未収蔵>rakuten死者の花嫁―葬送と追想の列島史**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から76
2015.10.30
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<読書の技法(その2)図書館で借りた『読書の技法』という本を読んでいるのだが・・・「図書館大好き」メモを日々綴る大使としては、参考になる技法が見つかるのが、ええでぇ♪【読書の技法】佐藤優著、東洋経済新報社、2012年刊<商品説明>より月平均300冊、多い月は500冊以上。佐藤流本の読み方を初公開!1冊5分の超速読と30分の普通の速読の仕方、哲学書や小説・漫画の実践的読み方、記憶に残る読書ノートの作り方まで完全網羅! <読む前の大使寸評>目次を見ると、多読の技法、読書ノートの作り方なんかが載っているので、借りたわけです。佐藤さんは月平均300冊も読むのか・・・ムムム、桁がひとつ違っているで!rakuten読書の技法この本は読みどころが多いので(その2)として読み進めたのです。佐藤さんは月平均300冊も読むそうだが・・・・無理だと知りつつも、その超速読法を極めようと思うのです。p78~80<超速読の目的は2つ> 超速読の目的は2つある。ひとつは、前述したように、「この本が自分にとって有益かどうか」「時間をかけて読むに値する本かどうか」の仕分けである。 しかし、この判断ができるためには、その分野について一定の基礎知識があるというのが大前提になる。 すでに十分な知識がある分野か、熟読法によって付け焼き刃でも一応の基礎知識を持っている分野以外の本を速読しても、得られる成果はほとんどない。知らない分野の本は超速読も速読もできないというのは、速読法の大原則だ。グルジア語がわからないのにグルジア語で書かれた本のページをいくら一生懸命めくっても、指の運動にしかならず、知識がまったく増えないのと同じである。 超速読のもうひとつの目的は、「この本はこの部分だけを読めばいい」「この箇所を重点的に読めばいい」という当たりをつけることである。 5分という制約をかけてページをめくり、気になった箇所が後でわかるように印をつけるのはそのためだ。ここでも、シャーペンやポストイットで判断できる基礎体力があるということが大前提になる。 よって、超速読では、シャーペンで印をつけポストイットを貼るなど、本を「汚く読む」ことが重要だ。だから超速読で済ませる本でも、必ず購入する。立ち読みのルールは、商品としての本を汚さないことだが、それでは判断を下すための超速読はできない。 そう言うと、読者から次のような質問を受けることがある。 「タイトルを見ただけですぐ買ってしまい、その後、読まずに積んでおくだけの本がたくさんあります。どうすれば『積読』を防げるか解決法を教えてください」 タイトルは著者と編集者が腕によりをかけてつける。裏返して言えば、魅力的なタイトルがついている本は、出版社がそれだけ力を入れて作っている本ということだ。したがって、タイトルにひかれて購入し、とりあえず「積読」になっていても、仕方がない。 そのうえでおすすめしたいのは、自分の本棚にあえて「積読」本のコーナーを作り、5~6冊たまった頃合いを見て、超速読をしてみることだ。 休みの日に、超速読を用いて30分くらいで全冊、全ページに目を通せば、何らかの発見があるはずである。次に「普通の速読」の技法を見てみましょう。p88~89<「完璧主義」を捨て、目的意識を明確にする> 次に、熟読法・速読法を通じて最も難しい「普通の速読」の技法について記す。 普通の速読で最も重要になるのは、繰り返し述べているように基礎知識だが、その次に大切なのは、本の内容を100パーセント理解しようという「完璧主義」を捨てることだ。 「時間は有限であり稀少財である」という大原則を忘れてはいけない。速読はあくまでも熟読する本を精査するための手段にすぎず、熟読できる本の数が限られるからこそ必用となるものだ。速読が熟読よりも効果を挙げることは絶対にない。 その意味では、「もう二度と読まない」という心構えでのぞむことが大切だとも言える。そうした気持ちで取り組まないと、必要な情報が目に飛び込んでこないし、頭にも残らない。いい加減な気持ちで何回も繰り返してしまうと、結局、熟読したのと同じだけの時間がかかってしまうことになる。 また速読をする場合には、必用とする情報についての明確な目的意識も必要だ。 たとえば、藤原正彦『国家の品格』を読む場合に、「藤原氏のレトリックから学ぶ」という問題意識を持つ場合と、「同書の論理構成とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とが類似している部分を調べる」という問題意識を持つ場合とでは、着目する箇所が自ずから異なってくる。ダボハゼのように図書館の本を読んでいる大使にとって、佐藤さんの基本書の選び方などは参考になります。p59~62<まず本の真ん中くらいのページを読んでみる> では具体的に、3冊の基本書を使えば、たとえば民族問題について、どの程度の基本知識を身につけることができるかを検討していく。基本書には、次の3冊を使う。 ・ベネディクト・アンダーソン『定本想像の共同体ナショナリズムの起源と流行』 ・アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』 ・アントニー・D・スミス『ネイションとエスニシティ歴史社会学的考察』 最初に、これら3冊の基本書のどれから読み始めるかを決めなくてはならない。 それにはまず、それぞれの本の真ん中くらいのページを開いて読んでみる。 なぜ、真ん中くらいのページを開くのかといえば、本の構成として、初めの部分は「つかみ」と言って、どのように読者を引き込むかという工夫を著者と編集者がしており、最終部の結論は、通常、著者が最も述べたいことを書いていっるので、読みやすいからだ。翻訳書の場合、そのような本自体の構成に加え、真ん中くらいになると緊張が続かなくなり、翻訳が荒れてくることがある。 真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。あえて、このいちばん弱い部分をつまみ読みすることで、その本の水準を知るのである。 この3冊の場合、この基準で言うと、まず『民族とナショナリズム』が脱落する。日本語としてわかりにくく、内容がとらえにくいからである。 ただし、翻訳者の名誉のために強調しておくが、本書の翻訳は正確である。原著の英文に当ってみればわかることであるが、ゲルナーの文章は、さまざまな隠喩や、インテリならば知っている人物や著作については詳しい説明を加えていない。 マルクス主義のナショナリズム論を批判した部分がいい例だ。 ここでゲルナーは、シーア派の一部が、大天使ガブリエルは、アリ(4代目のイスラム教指導者)に対して行うべき啓示を誤まってムハンマドに対して行ったと主張したように、マルクス主義者は、プロレタリアートに届けるべき「目覚めよ」というメッセージを民族に配達してしまったという、郵便の「宛先違い」の理論は成り立たないと言っている。ゲルナーの主張を理解することは、イスラーム教、スンニ派とシーア派のドクトリンの相違、さらにマルクス主義の唯物史観の基本構造について知識がないと不可能だ。(中略) 実を言うと、『民族とナショナリズム』を完全に消化できれば、民族紛争のみならず、グローバリゼーションが引き起こす問題や、アルカイダ型のイスラーム原理主義過激派の問題を解明することも容易になる。しかし、現時点の実力で理解できない本については後回しにすることが合理的だ。 どの順番で本を読むかということも、重要な読書の技法である。読書の技法(その1)
2015.10.29
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「日中韓」でしょうか♪<市立図書館>・シノワズリーか、ジャポニスムか・実証 古代朝鮮・人生を豊かにするモノ<大学図書館>・世界の文字事典・中国人の論理学図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【シノワズリーか、ジャポニスムか】東田雅博著、中央公論新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より西洋世界により大きな影響を与えたのはどちらか?「文化史のリオリエント」を鍵に、これまでの評価を再検討する。<読む前の大使寸評>シノワズリーと聞けば成金趣味と解釈するのだが(大使の場合)・・・日中文明の対決が、目下のところ大使の関心事になるわけです(笑)<図書館予約:(10/14予約、10/25受取)>rakutenシノワズリーか、ジャポニスムかシノワズリーか、ジャポニスムかbyドングリ【実証 古代朝鮮】井上秀雄著、日本放送出版協会、1992年刊<「BOOK」データベース>より一衣帯水の隣邦、朝鮮半島の歴史と文化その特徴と独自の発展過程の原因はなにか。現地踏査と綿密な資料分析で説く古代朝鮮文化史。【目次】第1章 ぬりかえられた古代朝鮮史-歴史と文化の特徴(古代国家の成立と地理/物質文化からみた特徴-墳墓と都城/神話と伝説にみる政治の理想像と民族性/精神文化の受容と国際交流)/第2章 王権をめぐる民族の興亡(連合体制国家への道/小国家の群立と統合/三国抗争と隋・唐王朝/解明された南北国時代)/第3章 よみがえる栄光の古代文化(異体文字の世界/城郭の変遷/律令の官制と祭祀/それぞれの王者像)<読む前の大使寸評>この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。漢字文化圏では、日本語だけに訓読が発達したが、これが漢字習得にとって決定的に重要だったようですね。rakuten実証 古代朝鮮実証 古代朝鮮byドングリ【人生を豊かにするモノ】玉村豊男著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベース>より人生それぞれの場面で幸せをくれたモノたち。同じ空間でともに暮らすモノたち。どれもが、かけがえのない人と時間にまつわる物語を持っている。エッセイの達人が、モノに自らの人生を投影させて滋味深く描く。 <読む前の大使寸評>追って記入Amazon人生を豊かにするモノ【世界の文字事典】庄司博史編、丸善出版、2015年刊<「BOOK」データベース>よりデータ無し<読む前の大使寸評>漢字文化圏というピンポイントのこだわりで、借りたわけです。rakuten世界の文字事典世界の文字事典byドングリ【中国人の論理学】加地伸行著、中央公論新社、1977年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータ無し<読む前の大使寸評>中国人の自己中心的な論理は、どのように生まれ、形成されているのか?知りたいわけでおます。Amazon中国人の論理学中国人の論理学byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き119
2015.10.29
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<世界の文字事典>図書館で『世界の文字事典』という本を手にしたのだが・・・この本にも「漢字文化圏」の説明が載っているので、借りたわけです。このところ、我がブログは「漢字文化圏」オンパレードの様相を呈しているがな♪【世界の文字事典】庄司博史編、丸善出版、2015年刊<「BOOK」データベース>よりデータ無し<読む前の大使寸評>とにかく、漢字文化圏というピンポイントのこだわりで借りたわけです。rakuten世界の文字事典漢字のあたりを見てみましょう。p412~413<漢字文化圏> 日本や朝鮮半島の諸国家、それにベトナムなどの非漢語圏の国家は、この2つの方法を組みあわせて、漢字を自国語表記に適用できるようにしてきた。かくして漢字は漢語が話される中国国内だけでなく、東アジア地域一帯に広く普及し、古代における国際共通文字としての役割を兼ね備えていくこととなった。こうしてこの地域に、漢字と古代中国の規範的文体(これを日本では漢文とよぶ)を通じて交流できる集団が形づくられた。これが「漢字文化圏」である。 この文化共同体は中国を中心とし、中国の周辺にあって中国と外交や貿易の関係をもっていた国々で構成されており、具体的には、東は朝鮮半島の緒王朝と、海を隔てた日本、西ではシルクロード上に位置した国、それに南のベトナムなどが含まれていた。 なお中国の北方にあった遼や西夏、また独自の高度な文化を展開したチベットでも漢字を使用した時期があり、漢字を自由に使いこなす人々もたくさんいたが、最終的には独自の民族文字を制定し、それによって言語表記や書物の出版などの文化的営為を行ってきたから、漢字文化圏には包括されない。 現在の極東地域には「漢字文化圏」という文化的な靭帯は存在しない。漢字はもはやこの地域で全面的に使われる主要な文字としての地位を失っており、東アジアの諸国で今も漢字を主要な文字として使用しているのは、中国(台湾・香港を含む)と日本だけである。<現代の漢字> 第2次世界大戦後、世界のあちこちで大きな変動が起こったが、東アジア地域の文化面での最も大きな変革は、それまで東アジア地域の文化面での最も大きな変革は、それまで東アジアの文化に共通する基盤として存在していた漢字が、しだいに姿を消し始めたことだった。 この地域において漢字はすでに最もメジャーな文字という地位を喪失しており、かつての漢字文化圏で重要な一翼を担っていた朝鮮半島では、北半分の地域では漢字が全廃されているし、南半分の地域でも、新聞や雑誌には部分的に漢字が使われてはいるものの、日常生活で見かける文字はほとんどハングルだけで表記されている。 また、漢字文化圏の最も南方に位置したベトナムでは、かなり早い時期からアルファベットによる文字表記が進行しており、ベトナムでは、中国系住民を除いて漢字を読める人はほとんどいないのが現状である。 漢字の本家である中国でも、中華人民共和国が成立してから変革の波が押し寄せた。中国革命を指導した毛沢東は、1951年に「漢字はかならず改革し、世界の文字に共通する表音文字の方向に進まなければならない」との指示を出した。こうして国家によって言語と文字の改革が強力に推進された。 中国のこの言語と文字の改革を「文字改革」というが、それは、全国に通用する標準語の制定、漢字の発音を表記するための新しい表音文字の作成、それに漢字の簡略化、を三本の柱とするものであった。 過去の中国で漢字を使い、書物を読み書きしたのは、実際にはごく一部の特権的な階層だった。漢字には悠久の歴史があるというものの、実際には伝統的文化の世界に生きた少数の知識人だけが所有した歴史であって、過去の農民や都市の労働者など圧倒的多数の人々は漢字とは無縁だった。人民共和国になってから行われた漢字の簡略化は、まさに漢字をより多数の人民に開放するためのものだった。漢字文化圏といっても、今では朝鮮半島が脱落しているので中国・台湾・日本だけという有様なんですね。中・台・日・韓が共通の漢字を採用するようになれば、筆談も可能となり、ほんとうの文化圏なんだけど。(共通の漢字としては、繁体字より日本の新体字が好ましいと思うけど)漢字文化圏の成り立ちについても再掲しています。お次は、日本人には馴染みの少ないアラム系文字であるが・・・原初「世界共通語」とでもいう由緒ある文字なんですね。p398~400<アラム系文字の誕生> 原初アルファベットは、紀元前2000年紀の地中海東海岸で西セム語を使う人たちにより考案されたが、この原初アルファベットは考案者たちの言語特徴から子音文字のみで構成され、書き順は牛耕式や「右から左」(Right-to-Left、略してRTL)など比較的自由であった。海岸部ではフェニキア文字、海を越えるとギリシャ文字として発展したが、内陸側のシリアでもアラム人都市国家で使用され、前8世紀頃よりアラム文字とよばれた。アラム文字 ギリシャでは言語構造の相違から母音文字が加わり、書き順も現行のLTRに変わって、1字1音の原理を備えた(アルファベット方式) これに対して、アラム文字は同じ西セム語を表記するため、子音字表記の原理そのままで書き順はRTLが定着した。やがて、字形が簡略化しアラム語もシンプルな言語構造に変わると、画数が多い楔形文字と粘土板を用いる古代オリエント世界の中で、書材を選ばないアラム文字とアラム語は急速に浸透した。 単語単位で分かち書きする原理が定着する中で、子音字しかなくても母音の大まかな音色を表記する工夫が始まった。 こうして、RTL+子音字のみ+単語単位で分かち書き+読みの母方式の4原理を備えたアラム系文字は急速に発展し、西アジアから中央アジアを経て東アジアにまで伝わったシリア文字、広大なイスラム地域で使用されるアラビア文字、世界のユダヤ人たちが使うヘブライ文字は、異なった言語環境に4原理を修正しつつ対応し、現代世界でも大きな役割を果たしている。<世界共通語は文字とともに> アラム人の都市国家はやがて古代アッシリア帝国に滅ぼされ、アラム人は国を失う。アッシリア語は漢字のような楔形文字と粘土板が不可欠であるため、交易で帝国内を往来した亡国のアラム人商人が使うアラム文字とアラム語は、急速に古代オリエント世界に広まり、世界共通語の地位を獲得した。 アッシリアの後に登場したアケメネス朝ペルシャの時代には、エジプトを含む大きな版図で公用語となり、アレキサンダー大王以降、ついにはインド西部まで公的場面ではアラム語とアラム文字を使用した。仏教を広めたインドのアショカ王もアラム語で碑文を残している。 歴史の変化の中でアラム人は姿を消したが、その言語と文字を人類文明に不滅の遺産として残した。バビロン捕囚の古代イスラエル人が国際語たるアラム語を修得し、ヘブライ語表記の文字もアラム文字に変わり、時間とともに独自性を帯び、現今のヘブライ文字に発展した。 イエス・キリストは母語アラム語で育てられ、新約聖書にはアラム語で記録された彼のことばがある。その聖書は紀元後3世紀シリア北部で土地のアラム語(シリア語)に翻訳され、その地域のアラム文字はシリア文字との名を得た。 以上は、アラム系文字の第一発展期である。<シルクロードを渡るアラム文字> 古代ペルシャ帝国とアレキサンダー大王の東征により、アラム文字は中央アジアの一部にまで広がり、アラム語以外の言語の記録に使用される時代に移る。中央アジアのソグド文字は、東西間で文物の交流がいかに広く多様であったかを端的に示している。 イスラム前のメソポタミアは、シリア語の聖書とともにキリスト教文化の歴史を刻んでいたが、アッバース朝初期には、ネストリウス派キリスト教(景教)の中心地は中央アジアに近いイラン西部に移った。イスラム興隆に押された景教は、ここから中央アジアを越え布教を開始する。 この頃からアラム系文字にとり、非アラム語表記の試練が始まる。その第1は、言語特徴がまったく異なる中央アジアの言語環境で母音表記の試みが始まったこと、第2に22文字で表記できない未知の音を表記する改革と追加への対応である。ギリシャ文字で経験したのと同じ母音字と新字創出の試みは、ソグド文字の頃から始まりウイグル文字では相当の工夫が行われた。 そしてついに、シルクロードを渡り切る前に、文字の書記方向が反時計まわりに90度回転し、アラム文字はアジアの文字特徴を獲得した。縦書き文化圏(漢字)への接触が密になり、RTLで上の行より下に進む誕生以来の原則から、上より下に向かう縦書きで左の行より右に進むという変革を実現したのである。
2015.10.28
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図書館で借出し予約していた『シノワズリーか、ジャポニスムか』という本をゲットしたのです。折りしも、習主席の訪英を最大級のもてなしで迎えたイギリスの節操の無さが注目されるが・・・・この本を読めば、かつてシノワズリーを愛でたイギリスでは、今でも中国との相性の良さが読み取れるのだろうか?「人権問題が気になるが、カネに色はついていない」というイギリス人の経済観念が見えるだけかも。【シノワズリーか、ジャポニスムか】東田雅博著、中央公論新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より西洋世界により大きな影響を与えたのはどちらか?「文化史のリオリエント」を鍵に、これまでの評価を再検討する。<読む前の大使寸評>シノワズリーと聞けば成金趣味と解釈するのだが(大使の場合)・・・日中文明の対決が、目下のところ大使の関心事になるわけです(笑)<図書館予約:(10/14予約、10/25受取)>rakutenシノワズリーか、ジャポニスムかイングランドにおける中国趣味あたりを見てみましょう。<『18世紀イングランドにおける中国趣味』>よりp81~83 ポーターはいう、「私の作業仮説によれば、中国美学を完全なまでに受容することは、単なるイギリスの趣味の表層的な変化のみでなく、むしろジェンダー、ネーション、欲望の基本的な構成を根底的に変容させることをも含んでいたのである」と。 彼の目的は、シノワズリーとして知られている中国文化の受容が、イギリスの文化にどういう作用を及ぼしたかを明らかにすることなのである。これまで中国文化の受容、あるいは利用については大いに研究されてきたが、それを受容もしくは利用した側に何が起こったのか、どういう変化が生じたのかについては概して見過ごされてきたといえる。そこをポーターは突くのである。シノワズリーの影響という問題を考える場合に、きわめて重要なポイントであろう。 17、18世紀はシノワズリーの時代であり、上中流層に中国の物産、とりわけ中国製の磁器がもてはやされた。ポーターはこうした現象の意味を問う。この時代はまた、喫茶の習慣が普及し始める時期でもあったから、この磁器は茶器としても使用される。とくに18世紀には紅茶文化が花開いた。 だが、当時のイギリスの人々は中国磁器で茶を飲んでも、あるいはブルー・アンド・ホワイトの皿を使ってみても、大英帝国の栄光を感じることはできなかった。ポーターによれば、それは「栄誉ある支配の光景ではなく、珍しいほどの卑屈な従属の光景」だったのである。フランクやポメランツの主張に従えば、世界経済の中心は中国であって、イギリスはむしろ周辺的な位置にあったからである。中国磁器で飲む紅茶の味は苦かったということだろうか。 話はそこで終わるわけではない。中国に対するイギリスの見方は、17、18世紀には概して肯定的、好意的であったが、19世紀にはアヘン戦争などを契機として劇的に悪化することになる。すでにイギリスの中国観は18世紀の後半には、肯定的なものからやや否定的なものへと変化し始めていた。こうした磁器などの中国的なモノは、「中華帝国の圧倒的な力と歴史を、弱体で皮相で、いささかばかげたものとして捉え直すこと」を可能にし、かくしてこのような中国のイメージの悪化を助長する。「だが同時に、これらのモノとそれらを生み出した文明は、しばしば不愉快なことに、イングランドの文化的後進性、物質的従属性、世界の舞台への相対的に遅れた登場を思い起こさせ続けた」のである。この両義性こそが、これらの一見はかないモノの力なのである。フムフム、当時のイギリスには、シノワズリーとイングランドの文化的後進性を対比させる知性があったわけですね♪1904年セントルイス万博では、日中ともに力を入れて万博に参加したようです。<1904年セントルイス万博>よりp196~198 1904年のセントルイス万博は、アメリカのルイジアナ買収100年を記念して開催された。規模は壮大であったが、入場者数は1893年のシカゴ万博をかなり下回ることになった。 だが、この万博は日本と中国の展示を比較するという意味では、これまでになく大きな意味を持っている。実は中国政府は、これまで万博に本気で参加したことはなかった。万博に関わる仕事をすべて中国海関任せにしてきたのである。ところが、このセントルイス万博ではこれまでの方針を改め、初めて本格的に参加することになった。一方の日本は、少なくともウィーン万博以来、きわめて熱心に万博に参加してきた。このセントルイス万博の開催は、奇しくも日露戦争を戦いつつあった時期と重なったが、日本は総力を挙げてこの万博に参加した。とすれば、この万博での日本と中国の展示を比較することはきわめて大きな意味があるだろう。 まず興味深いのは、この万博では日本も中国も天皇や皇帝の縁戚者を派遣し、自国を大いにアピールしようと競い合った点である。日露戦争遂行中の日本は、アメリカの支持を得たいとの思惑もあり、皇族の伏見宮貞愛親王を派遣した。伏見宮貞愛親王は10月23日に日本を発ち、11月19日から24日までセントルイスに滞在、万博会場を見学するとともに、当選したばかりのセオドア・ルーズヴェルト大統領らと会談した。 他方、中国はこれまで万博のような博覧会を全く評価せず、そこに参加することに何の意義も認めていなかった。そこで、ロバート・ハートが総税務司を務める中国海関に任せてきたのである。だが、このセントルイス万博で初めて、中国は清朝宋室の一人、フ倫を正監督としてアメリカに派遣したのである。そして副監督には東海関税務司のF・A・カールとともに、イエール大学卒業の学歴を持つ候選道黄開甲を任命した。フ倫らは日本を経由してアメリカに向かい、1904年4月にワシントンに到着し、やはりルーズヴェルト大統領と会見した。その後セントルイスに向かい、万博に参加したのである。 こうした事態は、当時の中国の新聞に「実に中国空前の特挙と為す」と評されたという。シノワズリーとジャポニスムに対する評価を見てみましょう。<シノワズリーに対する評価>よりp24~25 実はシノワズリーとジャポニスムに対する評価は、互いに関連づけられて対比されてなされることも多い。シノワズリー研究の泰斗オナーが両者を比較して論じた次の一節は、今日に至るまでのシノワズリーとジャポニスムをめぐる評価を決定したともいってよい、きわめて重要なものである。ボードレールとともに「美とは気まぐれなものだ」と多くの者が信じていた時代に現われたジャポネズリーは、エキゾティシズムへの新しい需要に応え、瀕死のアカデミズムの伝統の中にあった古典主義からの歓迎すべき救済者を提供した。その歴史は、より長く複雑なシノワズリーの歴史を、いわばミニチュア・サイズで反映している。 だが、両者はある重要な点で異なっていた。17、18世紀の画家や職人は彼らのパトロンの命令で、中国の芸術についての彼ら自身の独自な解釈を生み出していたが、19世紀の画家は彼ら自身が発見したオリエント世界のモデルに、より控えめで受動的な精神態度でアプローチした。 彼らは日本の芸術が基いている本質的原理を理解し、マスターしようとした。かくして日本は、中国よりも遥かに深く重要な影響をヨーロッパの様々な芸術に与えた。 ジャポネズリーとジャポニスムは厳密に区別されることが多い。とくに美術史家の間ではそうである。この点は第3節において詳述することになるが、ここで使用されているジャポネズリーはジャポニスムのことだと考えてよい。このオナーのシノワズリーとジャポネズリー(=ジャポニスム)の評価は、あとに続く研究者たちの評価の雛形になった観がある。西洋世界に与えた影響の大きさという点では、シノワズリーよりジャポニスムを遥かに高く評価するという流れがここにできたのである。 西洋と東洋、二つの世界の美術の出会いをテーマに研究する先駆者の一人、マイケル・サリヴァンも、西洋世界への影響という点ではシノワズリーよりもジャポニスムを高く評価する。
2015.10.28
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図書館で『実証 古代朝鮮』を手にしたが・・・この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。【実証 古代朝鮮】井上秀雄著、日本放送出版協会、1992年刊<「BOOK」データベース>より一衣帯水の隣邦、朝鮮半島の歴史と文化その特徴と独自の発展過程の原因はなにか。現地踏査と綿密な資料分析で説く古代朝鮮文化史。【目次】第1章 ぬりかえられた古代朝鮮史-歴史と文化の特徴(古代国家の成立と地理/物質文化からみた特徴-墳墓と都城/神話と伝説にみる政治の理想像と民族性/精神文化の受容と国際交流)/第2章 王権をめぐる民族の興亡(連合体制国家への道/小国家の群立と統合/三国抗争と隋・唐王朝/解明された南北国時代)/第3章 よみがえる栄光の古代文化(異体文字の世界/城郭の変遷/律令の官制と祭祀/それぞれの王者像)<読む前の大使寸評>この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。漢字文化圏では、日本語だけに訓読が発達したが、これが漢字習得にとって決定的に重要だったようですね。rakuten実証 古代朝鮮実証 古代朝鮮byドングリ漢字文化圏に括りのある大使としては、東アジアの文字文化のあたりが気になるのです。異体文字というものも興味深いのです。異体字<5~6世紀の文字文化の交流>p133~135 次に、百済「武寧王陵第一誌石」の異体文字を通じて、その文化交流の経路やその意義を考えてみたい。 百済の金石文で現存最古のものは、武寧王陵から出土した二つの誌石である。第一誌石は、525年に作られ、その表面に武寧王の死去と埋葬の年月日を刻んでいる。52文字中、寧・将・年・歳・月・朔・冠の7字の異体文字がある。これらの異体文字の源流を探ると、次の三つのグループにわかれる。第一は南北両朝の通用字形、第二は北朝系の字形、第三は南方系の字形である。 第一の南北両朝の通用字形は、将・歳・朔の3字である。当時の中国の字形の伝播経路をみると、南朝では楷書風の字形が好まれ、新しい字形が作られた。新しい字形は、皇帝など身分の高い者がまず使用し、しだいに身分の低い者や地方に伝わった。北朝では、南朝の新字形を受けいれるが、その受容にあたって、そのまま受けいれたものと、変えられた字形とがある。そのまま受けいれたものを南北両朝の通用字形といい、変えられた字形を北朝系の字形という。(中略) 百済は武寧王代には、北方の高句麗や靺鞨(まつかつ)と争い、漢江流域の争奪に明け暮れていた。中国王朝との国交は、南朝の梁のみで、北朝とは使節の交換が行われていなかった。また墳墓の形式なども南朝様式といわれ、百済のこの時期の文化は、すべて南朝文化の受容と考えられてきた。しかし、第一誌石のこれらの6字の異体文字をみると、南朝の字形ではなく北朝系の異体文字が使用されている。このことからいえば、百済の文化は、南朝一辺倒でなかったことが知られ、6世紀前半の文化交流の経路を見直す必要がある。<東アジアの文字文化>p146~151 中国周辺の諸民族中、今日まで漢字文化圏にとどまっているのは日本だけである。日本では文字として漢字およびその変形である仮名しか使用しなかった。日本人がはじめて漢字に接したのは、後漢の光武帝が建武中元年(57)に奴国(福岡市)の王に「漢倭奴国王」の金印を与えたときからである。 次いで『三国志』倭人伝によれば、景初2年(238)以後、倭国の使節が魏の都(洛陽)や帯方郡に往来し、国書を交換したという。また、漢族の諸国とも文書の交換が行われていたらしい。しかし、このときの倭王の国書や文書は具体的に記録されていないので、詳しいことはわからない。 国書の具体的な例は『宋書』倭国伝に魏の詔書にこたえる倭の武王の上表文がみられる。この上表文は、みごとな漢文として後世永く賞賛された。 この時期の日本内部では、漢字が伝達機能をまだもっていなかった。当時日本の国内では、文字は意志の伝達ないしは地方行政として利用されず、せいぜい文字の呪術性を利用していた程度とみられる。 この上表文から5世紀の北九州の倭国には、文字文化にかなり熟達した外交担当者がいただけでなく、倭国の漢字文化の浸透度は、その王名からみても、高句麗・百済に次ぐものといえよう。 しかし、5世紀の大和の漢字文化の理解度は誤字の多い稚拙な漢文の隅田八幡の銅鏡銘程度とみられる。武王の上表文に匹敵する漢字文化を大和の知識人がもつようになるのは、『日本書紀』や『懐風藻』の編纂される8世紀を待たなければならない。 日本の国字・国文は、次のような経緯をへてできあがった。国文の特徴は、漢文と文体を異にし、助詞などの虚辞を加えることである。まず文体の国字化は史部流にはじまり、次いで虚辞を漢字の間に加える宣命書へと発展する。 国字の場合は新羅文字・契丹文字・西夏文字などのような結合文字ではなく、高句麗文字・チェノムにもみられる省略文字の系統である。 国字化の過程は、まず文字の意味を日本語風に読む訓読が異常に発達した。次いで訓借文字が著しく発展したなかで、万葉仮名などの音借の漢字が定着した。平安時代初期(9世紀)には万葉仮名を草書風にくずしたものがあらわれ、平安時代中期にはほぼ、ひら仮名が定着してくる。カタ仮名は奈良時代(8世紀)以後、学僧が仏典の読み方や注解などに漢字の略字を用いたことからはじまる。 新羅の金石文では、漢字を使用しながら新羅語を表記しようとした吏読的な書法が早くからあった。朝鮮では漢字を日本のように訓読することはなく、すべて音読である。そして、その漢字音も日本のように呉音・漢音・唐宋音とわかれていない。朝鮮の漢字音はベトナム語と同様、一音一字であるが、7世紀以降の唐代音ないし、11世紀の宋代音が多い。 また、漢文の音読法も、日本で後世返り点や送り仮名をつけて読むような読誦法でなく、漢文の語順にしたがって漢字音で音読し、その間に助詞・助動詞などをあらわす音を送り仮名ふうに補って読んでいる。換言すれば、日本では漢文を日本語化してしまったのに対し、新羅では漢文を生かしながら吏読を補足したといえる。 このような漢文の日本化と朝鮮化との違いは、中国文化の受容の仕方の違いとして重視しなければならない。とくに11世紀は、契丹族の侵入があったとはいえ、高麗文化の全盛期で、中国王朝の政治支配が直接高麗におよんでいなかった。それにもかかわらず、この世紀に、高麗が積極的に宋の言語文化や文字文化を受容している。 新羅語の流れをくむ朝鮮の漢字音のなかには、唐の長安音が多い。これは、新羅と唐との間には670年代に苛烈な戦闘が行われたが、その間も含めて新羅が積極的に唐の文化をとりいれたためである。これに対し、13世紀から14世紀にかけてのモンゴルの高麗支配では、唐や宋ほどの影響を与えていない。 朝鮮語と日本語とは、言語や文章の構成できわめて類似したところが多い。吏読の書体は宣命書と一見きわめて類似したものになっている。違うところは、宣命書では漢字まで和訓で読んでいるのに対し、吏読では漢字を唐音や宋音で読んでいるところだけである。 (中略) 漢字を変形して民族文字を作ったのは、朝鮮がもっとも早く、次いで日本である。この種の民族文字は、契丹文字や女真文字や西夏文字などに展開していく。これとは別に、中国周辺の諸民族では、漢字文化圏を脱却して、別の文字文化を作りはじめた。それはモンゴル文字にはじまり、17世紀のベトナム文字にいたるまで広くみられる。 東アジアの文字文化は、支配階級の漢字・漢文の使用と、国民の民族言語を基盤とした民族文字の形成との、二大潮流がみられる。東アジア諸地域の支配者は、漢字・漢文を使用することによって、支配者間の連帯意識を強めるとともに、国内の政治的・社会的権威を維持・発展させようといてきた。そしてその権威づけとして、漢字文化を高度な文化として称賛し、その立場にたって、歴史書が編纂されてきた。 これに対して、民族言語を基盤とする独自の文字への憧れは、文字文化が国内政治や国民生活に使用されはじめると、ただちにあらわれた。支配者たちは、民族言語の文字化を低級な文字文化と規定し、その使用を極力おさえようとしていた。しかし、国民の文化意識の高いところでは、民族文字が早くから普及し、漢字・漢文は国際関係の分野にのみとどめ、国内政治では、民族独自の文字文化を発展させた。漢字文化圏では、日本語だけに訓読が発達したが、これが漢字習得にとって決定的に重要だったようです。・・・・韓国の悲惨な漢字状況を見るにつけ、そう思うわけです。なお、韓国の悲惨な漢字状況については漢字の世界に取りまとめています。異体字同定一覧史料編纂所データベースより
2015.10.27
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「紙の本」でしょうか♪<市立図書館>・読書の技法・紙の本は滅びない・中国新声代<四国の図書館>・図書館奇譚・妻が椎茸だったころ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【読書の技法】佐藤優著、東洋経済新報社、2012年刊<商品説明>より月平均300冊、多い月は500冊以上。佐藤流本の読み方を初公開!1冊5分の超速読と30分の普通の速読の仕方、哲学書や小説・漫画の実践的読み方、記憶に残る読書ノートの作り方まで完全網羅! <読む前の大使寸評>目次を見ると、多読の技法、読書ノートの作り方なんかが載っているので、借りたわけです。rakuten読書の技法読書の技法byドングリ【紙の本は滅びない】福嶋聡著、ポプラ社、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界最大のインターネット書店であるアマゾンが「日本上陸」して15年。キンドルやiPadは新たな読書端末を登場させた。それでも人々は、書店にやって来る。何を求めて?インターネット空間に漂うコンテンツが膨大になればなるほど増す、書物の必要性。「世界を、宇宙を、人々の生きざまをもっと知りたいし、変えていきたい」と綴る現役書店人が今こそ世に問う「紙の本の」意義。<読む前の大使寸評>電子書籍に信頼のおけないアナログ老人としては、あくまでも「紙の本」に拘りたいのである・・・というか、手に取りパラパラめくりながら品定めするというアナログ機能には、電子書籍は到達し得ないと思うのです。rakuten紙の本は滅びない紙の本は滅びないbyドングリ【中国新声代】ふるまいよしこ著、中国書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より女優、漫画家、ブロガー、企業家、経済学者、映画監督、ビデオクリエーターなどなど、「変わる中国」を代表する十八人のインタビュー集。<読む前の大使寸評>5年前の本なので今ではやや古くなったが、当時は興龍中国を代表する顔ぶれだったようです。大使としては賈樟柯(映画監督)が興味深いのです。rakuten中国新声代中国新声代byドングリ【図書館奇譚】村上春樹著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より図書館の地下のその奥深く、羊男と恐怖と美少女のはざまで、ぼくは新月の闇を待っていた。あの名短篇が、ドイツの気鋭画家によるミステリアスなイラストと響きあう。新感覚アートブック第三弾!<読む前の大使寸評>題材といい、装丁といい、黒を基調とした挿絵といい、わりと魅力的な本である。ドイツの気鋭画家によるイラストなんだそうです。rakuten図書館奇譚【妻が椎茸だったころ】中島京子著、講談社、2013年刊<商品説明>よりオレゴンの片田舎で出会った老婦人が、禁断の愛を語る「リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い」。暮らしている部屋まで知っている彼に、恋人が出来た。ほろ苦い思いを描いた「ラフレシアナ」。先に逝った妻がレシピ帳に残した言葉が、夫婦の記憶の扉を開く「妻が椎茸だったころ」。卒業旅行で訪れた温泉宿で出会った奇妙な男「蔵篠猿宿パラサイト」。一人暮らしで亡くなった伯母の家を訪ねてきた、甥みたいだという男が語る意外な話「ハクビシンを飼う」。5つの短編を収録した最新作品集。 <大使寸評>本の大きさが月刊雑誌以下で、新書サイズ以上という手頃な大きさである。同時に借りた『図書館奇譚』と2冊持ってみると、黒っぽい装丁と本のサイズが同じであることに気づいたのです。電子書籍がブイブイいわせている時代ではあるが・・・・こんな感じで本をながめられるのは「紙の本」の特権なんだろうなあ♪「妻が椎茸だったころ」など読むと・・・「妻孝行したい時には、妻は無し」としみじみした気持ちになるわけです。rakuten妻が椎茸だったころ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き118
2015.10.26
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図書館から『紙の本は滅びない』という本を借りて読んでいるのだが・・・電子書籍に信頼のおけないアナログ老人としては、あくまでも「紙の本」に拘りたいのである。というか、手に取りパラパラめくるというアナログ機能には、電子書籍は到達し得ないと思うのです。だけど・・・紙の本は滅びないだろうけど、「町の書店」の減少は市場原理の表れなのか?【紙の本は滅びない】福嶋聡著、ポプラ社、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界最大のインターネット書店であるアマゾンが「日本上陸」して15年。キンドルやiPadは新たな読書端末を登場させた。それでも人々は、書店にやって来る。何を求めて?インターネット空間に漂うコンテンツが膨大になればなるほど増す、書物の必要性。「世界を、宇宙を、人々の生きざまをもっと知りたいし、変えていきたい」と綴る現役書店人が今こそ世に問う「紙の本の」意義。<読む前の大使寸評>電子書籍に信頼のおけないアナログ老人としては、あくまでも「紙の本」に拘りたいのである・・・というか、手に取りパラパラめくるというアナログ機能には、電子書籍は到達し得ないと思うのです。rakuten紙の本は滅びない大使の懐が実際に痛むわけではないが、「町の書店」の減少には危機感を抱くのです。<右肩下がり>よりp168~172 出版業界の総売上のピークは、1996年である。前年1995年は「阪神・淡路大震災」、「オウム真理教事件」によって社会的にも大きな曲がり角を迎えた年であったが、出版業界に大きな影響を与えたのは、ウィンドウズ95の登場によって、世の中が本格的なインターネット時代を迎えたことだろう。 インターネットの普及によって危惧された最悪の予想ほどには、書籍の売上は落ちていない。だが、徐々に目減りしていることは確かだ。ボディブローのようなその目減りが、早晩出版・書店業界に雪崩を引き起こす可能性は、否定できない。 書店業界にいる者にとっては、書籍販売における目減り以上に、もっと衝撃的な数字がある。21世紀に入って、毎年1000軒規模で、書店が消えていったことだ。2005年以降、さすがにペースダウンしているが、年々減っていることに違いはない。一方で、書店売場面積は、増加し続けている。 書籍販売額が思った以上に減っていないこと、そして書店売場面積が増加し続けていること、ならば今やどんな小売業界にもある「構造改革」は不可避ながらも、全体として書籍・出版業界は安泰なのではないか。 そうではない。 「町の書店」の減数が、やがて大型チェーン店の経営をも、揺るがしてくるのだ。 何よりも危惧されるのが、「読者」の「再生産」の問題である。 ぼく自身、学校帰りに駅前の書店で、「次は何を読もうか」と、書棚に吊り下げられた文庫目録を見るのが楽しみだった。そうした経験が継続することで、本への関心が持続し、ぼくはとうとう書店人になってしまった。子供のころから日常的に大型店に行く人はいない。「町の書店」の減数は、やがて大型店に赴くようになる「読者」の「再生産」にとって大きな危機なのである。 「町の書店」の減数はまた、「雑誌の危機」にも直結している。 ある時、文芸春秋の役員から「月刊『文芸春秋』の売上減は、『町の書店』が消えていったカーブと見事に一致している」と聞いた。すぐに腑に落ちた。『文芸春秋』は、発売後しばらく「町の書店」の入口に積まれる「スター」である。 だが、コンビニエンスストアで買う雑誌ではないし、ましてやネット書店で買うものではない。敢えて言えば、大型書店の雑誌売場よりも、「町の書店」の入口に積まれている方が似合う。 2008年には、『論座』(朝日新聞社)、『月刊現代』(講談社)といった歴史ある有力総合月刊誌が姿を消した。「町の書店」の減少が、ジワリジワリと効いてきているのかもしれない。 では、「町の書店」は、どうして激減していったのであろう。 ジュンク堂書店をはじめとするナショナルチェーンの出店競争が槍玉にあげられることも多いが、自己弁護と見られることを恐れずに言えば、ぼくはそうではないのではないか、と思っている。これまでの議論でも少しずつ触れているように、通学・通勤・買い物のついでに立ち寄る「町の書店」と、休日などを利用してわざわざ足を向ける大型書店とは、役割が違うからである。 むしろ「町の書店」は、二つの新しい業態の影響をモロに受けてしまったのではないだろうか。その二つとは、24時間営業で雑誌も扱うコンビニエンスストアと、アマゾンをはじめとするネット書店である。 「町の書店」にとって雑誌の売上シェアの高さは、ナショナルチェーンの、特に専門書を売りにしているジュンク堂書店のそれの比ではない。24時間営業という武器に太刀打ちできないまま、根幹となる雑誌の売上が打撃を蒙ったことは想像に難くない。新刊書籍の再販制度や、古書のせどり、インターネットオークションが語られているが、これらを「商売」として見ると、面白いわけです。<再販制の弾力運用とゆらぎ>よりp174~178 「再販制」とは、ひとことでいえば、出版社(メーカー)による書店(小売)への価格拘束であり、原則的には独占禁止法違反である。 1953年の「独占禁止法」改正時に、化粧品や洗剤などとともに「不当な取引制限」の適用除外とされた出版物の再販制は、1980年10月、公正取引委員会から「部分再販」、「時限再販」の実施など5項目の指導を受けている。 1991年7月、日米構造協議(SII)での独占禁止法の強化合意を背景に、公正取引委員会が「独占禁止法適用除外制度の見直し」報告書を公表。1995年7月には、著作物の再販制の全廃をも示唆していた「再販問題検討小委員会」中間報告も公表された。その中で、出版物の再販制は、「文化水準の維持をはかっていくうえで不可欠な多種類の書籍等が、同一の価格で全国的に広範に普及される体制を維持する」ため、「適用除外」の存続が決定した。 (中略) そうした中、再販制を守るための公正取引委員会へのポーズとしてではなく、実際に出版・書店業界の存亡の危機を乗り越えるために、菊池氏の「買い切り時限再販を」という提案がなされたのである。 「出版・書店」業界内でそうした議論が巻き起こる傍ら、「業界外」で、いわば「真逆」な形で「再販制」が切り崩されつつあることも、指摘しておきたい。それは、「業界内」では「値崩れ」と思われていることの逆、「定価超え」という取引形態である。 「せどり(背取り/競取り)」という言葉がある。書籍・雑誌などを古書店から安く購入し転売する行為である。古書業界では伝統的な商いの手段であった「せどり」が、本をめぐる環境の変化により、新しい形態を持ちつつあるらしいのだ。「ブックオフ」などの「新古書店」で仕入れた本をインターネットオークションやアマゾンのマーケットプレイスなどで転売し利鞘を稼ぐ商売が成立しているらしいのである。 それだけなら、「古書販売」という業態が、「インターネット」という新たなメディアを利用して新しい販路を求め得た、そしてそれに参画する販売者が増えた、ということに過ぎないとも言える。だが、そうした「マーケット」で時折現われる「定価超え」という現象は、「再販制」の存在意義を根底から覆す。「定価超え」であるならば、古書店・新古書店でなく新刊書店で買っても、「商売」は成り立つ。出版社品切れ本などの稀少本のみならず、新刊売れ行き良好書でのそうした「商売」も、現に見られる。 それが可能なのは、さまざまな理由で入手困難な本を、手数料を上乗せしてもよいからすぐに欲しいという「市場」があるからだ。図書館、本屋に足繁くかよう大使は、「せどり屋」という商売が気にかかるわけです。「これなら、俺でもできる」と思ったりするが・・・・そんな甘いものでないのかも?<「せどり屋」と再販制の逆向きの崩壊>よりp207~211 【背取り(せどり)は、書籍・雑誌などを古書店から安く購入し転売すっる行為。本の背表紙を片っ端から見て本を選ぶことからこう呼ばれる。これらを行う者は古書店バイヤーであったりあるいはインターネットオークションやアマゾンなどで転売し利鞘を儲けにする目的で古書店めぐりをする人を指す。その本を売って利益を得られるかどうかという目利きが重要である】 河原すみ著『せどりで副業!30代ダブルワーカーの日記』の一節である。 ぼくも「せどり」という言葉は知っている。書店人であるから、同じく本を扱うことを生業とするお隣の古書業界についても、関心と少しばかりの知識はある。古書を商う業者が、同業の書店をめぐり、あるいは即売会などで、転売が利益を生みそうな本を仕入れることである。 かつては、「せどり」された古書は、自店の店頭で販売するか、即売会で古書愛好家や同業者への転売を待つしかなかった。今や、“インターネットオークションやアマゾン.co.jpなどで転売し利鞘を儲けにする”ことができる。 店舗を持つ必要がないから、同書の著者のように割合簡単に「副業」にできる。著者の商売のフィールドである「ヤフオク」や「マケプレ」はまさに「市場」であり、価格は市場原理で決まる。一冊一冊の古書の価値を見定めていたかつての「せどり」とは、いささか異なっているかもしれない。 そして、「せどらー」たちが仕入れることができる場、著者も仕入れの拠点としているブックオフの存在も、大きな環境の変化であろう。いわば、かつては書店から読者に渡った時点で終了していた本の流通が、さらなるさまよい・さすらいの場を持っているのだ。そしてそこに市場が成立しているのである。 いわば、ブックオフ、インターネットという新しい業態、市場が、古書業界の伝統的な「せどり」に、新たな形態をもたらしているのだ。
2015.10.26
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昨夜(24日)のNHKスペシャル『雇用激変』を観たのだが、興味深い内容であった。世の中で正社員というものが少数となり、非正規が増えている。・・・いつのまにか、雇用の保証がないなかで結婚、出産、住宅購入、教育などという人生計画が成り立たない社会に変わってきたということだろう。2015.10.24#雇用激変~あなたの暮らしを守るには~より 今回のテーマは「激変する雇用」。労働者派遣法の改正論議などが進む中、今、専門家たちが警告しているのが将来の日本に訪れるかもしれない「中間層が消えた活力なき格差社会」。それを招くのが現在進む雇用の「二極化」だ。低収入の非正規労働者が増える一方で、正社員は体を壊すほどの激務を強いられるという「働く人の二極化」。 このままでは、老後破産が相次ぎ、それを支えるはずの社会保障が税収減から危機を迎えるという最悪のシナリオも浮上している。番組では雇用の現状を伝えるとともに、暮らしを守るために今からどんな手が打てるのか。新たな中間層を作るための「限定正社員」といった多様な働き方や、非正規の人々を支えるための「処方せん」を専門家や市民の討論を通して探る。限定正社員とか、シェアハウスとか・・・・これらの前例の無い新しい現象に対して、極楽トンボのような厚生官僚、財務官僚はどんな施策を描くのだろうか? 自航力を失った官僚たちを政治が牽引するしかないんだけど、今の政権党がねぇ・・・番組を見ながら、次のようにツイートしたのです。●NHKスペシャル『雇用激変』を見ている、ナウ。雇用の二極化が進み中間層が欠落しているのが、昨今の雇用環境であるが・・・・・非正規社員を限定正社員に変える動きが見られるそうです。●NHKスペシャル『雇用激変』を見ている、ナウ。かつては大企業の正社員というボリュームゾーンが存在したが・・・今では住宅ローンが組めるそのような中間層が少数派になっているということのようです。●NHKスペシャル『雇用激変』を見ている、ナウ。夫婦で年間600万ほど稼がないと、住宅、教育の費用を捻出できないわけで・・・・雇用政策や財政の建て様もない時代なんだね。●NHKスペシャル『雇用激変』を見ている、ナウ。かつては、企業の正社員というボリュームゾーンに住宅、教育という社会保障を肩代りさせてきた。そのようなボリュームゾーンがいなくなれば、税収が減り、公務員を養うことさえできなくなるのだが・・・
2015.10.25
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図書館で『中国新声代』という本を手にしたが・・・・この本は、見慣れない九州の出版社から刊行されています。腰巻で村上龍さんが宣伝コピーを書いているように、なかなか力が入っています♪【中国新声代】ふるまいよしこ著、中国書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より女優、漫画家、ブロガー、企業家、経済学者、映画監督、ビデオクリエーターなどなど、「変わる中国」を代表する十八人のインタビュー集。<読む前の大使寸評>5年前の本なので今ではやや古くなったが、当時は興龍中国を代表するそうそうたる顔ぶれだったようです。大使としては賈樟柯(映画監督)が興味深いのです。rakuten中国新声代賈樟柯(Jia Zhangke)へのインタビューで、中国映画産業の実態を見てみましょう。<賈樟柯(Jia Zhangke)>よりp276~277 1970年山西省フン陽市生まれ、美術大学を目指して受験勉強中に陳凱歌監督の「黄色い大地」に触発され、北京電影学院へ。「長江哀歌」「世界」など、急激な経済改革による繁栄の影で変化に戸惑う中国の庶民の姿を描き続けてきた。ジャ・ジャンクーprofileよりQ:あなたの映画は日本の北野武監督から、そして香港、あとフランスからの出資を受けていますが、「世界」から上海電影製片廠が関わるようになって、日本側が「なぜ自分の映画に投資するのに、中国の製片廠に投資しなくちゃならないんだ?」と混乱していたと言っていましたね。賈:それはね、こういう流れだったんです。2003年にぼくは「解禁」された、つまりずっと映画を撮ることを禁じられていたのが、2003年に当局が中国における映画の撮影と配給を認めた。そこでぼくは新しい協力関係のモデルを探したわけです。 その後上海製片廠が関わるようになって、彼らが当局との連絡、つまり映画と当局のパイプ役を果たしてくれている。たとえば審査の申請からそれに合格するまでの手続きを担当している。上海電影グループは「聯合映画館リンク」という巨大な配給ネットワークを持っているので、彼らの映画館リンクを利用して、ぼくの映画を配給するようになったんです。それが最新作の「四川のうた」まで続いていて、今のところそれなりにうまく行っています。Q:そういうやり方をとるようになったのは、映画産業政策が開放されたからですか?ほかにも制度が変わったところはあるんでっしょうか?以前は、まず脚本時に1回、撮り終った素材で1回、さらに編集済みのものをもう1回という審査が必要だったんですよね?賈:審査の面もちょっと変わりました。現在は中間の素材審査が無くなって、撮影前の脚本の審査と、撮影後編集済みの出来上がり品の二つの審査に簡素化されました。 実際、「世界」から「長江哀歌」、「四川のうた」の三作では、ほとんど自由に表現できました。さらに審査自体もすべて上海製片廠が担当してくれるので、ぼくが中間に関わる必用が無くなった。そうしてぼく個人の精力が自由になった。製片廠が関わってくれたことで、ぼく自身が審査に向き合うという必要が無くなったんです。 そして審査の結果に対しては、ぼく自身がこだわっているものを除いては、それほど大したことがない場合はすこし変える。基本的にぼくの表現に影響するほどではありませんね。Q:そしてあなたの映画も中国の映画館で上映されるようになった。賈:ええ、2004年の「世界」から、ですね。 中国の映画制度の変化が始まったのは2003年です。政府が新たに映画に対して位置づけを始めたんです。というのも、以前は映画は中国政府の宣伝担当機関に属するとされていて、そこでは政府の政策、党の政策の宣伝といったものに責任を負ってきたんですね。だから、その審査はとても厳しかった。それが2003年になって新たに映画を産業として位置づけたことによって、映画は「宣伝の工具」から産業になって、中国映画をある意味で開放した。 あの年にぼくと一緒に解禁された監督も十数人いましたね。そして、そんな観客面での変化を除けば基本的にまだ審査制度は残っていますが、基本的に空間はかなり大きくなった。Q:審査制度自体にも大きな空間がもたらされた?となると、あなたの以前の「一瞬の夢」などの脚本は今の制度を受ければ通ったとか?賈:それは・・・・そんな仮定はできませんね。というのも、中国映画の審査ではなにが撮れてなにが撮れないかということを、きちんと言い切ることができないからです。Q:となると、今の状態は?賈:とにかく以前よりは自由になった。脚本審査でも以前は完璧なものを出さなければならなかったのが、今では紙二枚の大綱でよくなったんですから。だから以前と比べてかなり簡単になった。Q:審査のほかにも簡素化された面はありますか?たとえば、審査の具体的な内容とか。賈:「四川のうた」を例にとるなら、これが審査を通過したこと自体が驚きでしたね。というのも、この映画は実際とても複雑で、国営工場に関わるものであり、兵器生産の話題も出てくるし、中国の制度の転換、経済制度の転換、計画経済から市場経済へ、そして計画経済の失敗も・・・・まさかあんなにスムーズに行くとは思っていませんでした。
2015.10.24
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図書館で借りた『読書の技法』という本を読んでいるのだが・・・「図書館大好き」メモを日々綴る大使としては、参考になる技法が見つかるのが、ええでぇ♪【読書の技法】佐藤優著、東洋経済新報社、2012年刊<商品説明>より月平均300冊、多い月は500冊以上。佐藤流本の読み方を初公開!1冊5分の超速読と30分の普通の速読の仕方、哲学書や小説・漫画の実践的読み方、記憶に残る読書ノートの作り方まで完全網羅! <読む前の大使寸評>目次を見ると、多読の技法、読書ノートの作り方なんかが載っているので、借りたわけです。佐藤さんは月平均300冊も読むのか・・・ムムム、桁がひとつ違っているで!rakuten読書の技法第4章「読書ノートの作り方」の一部を見てみましょう。<コメントを書くときのポイント>よりp103~105 もちろん抜書きをしたとしても、内容をすべて憶える必要もないし、そんなことは不可能だ。ただし、本の内容を取捨選択し、手を動かして一部を抜き書きすることと、記憶の定着度合いとの間には、明らかに正の相関関係があると筆者は考える。 どの部分を抜き書きするかは、自分が特に重要だと思った箇所でかまわない。それに加えて、コツとしては、自分が現時点で理解できなくても、重要だと推察されるところも1~2ヵ所、抜き書きしておくことである。 自分が理解でっきないのは、自分の基礎知識が足りないからなのか、それとも内容がでたらめなのか、それは将来、知識がつけばわかる。わからない箇所が1ヶ所もないような本は、逆に読んでも意味がない。まずは時間を区切り、その範囲内で、自分が重要だと思うところと、理解はできないが重要そうなところをあわせて抜き書きしておくといい。 「コメントに書くことが思い浮かばない」という相談も受けるが、最初は、「筆者の意見に賛成、反対」「この考えには違和感がある」「理解できる、理解できない」など自分の「判断」を示すもので十分である。 「わからない」「そのとおり」「おかしい」の一言でもいい。何らかの「判断」を下すことが重要だ。 次のステップとしては、自分の「判断」に加えて、「意見」も書き込むようにする。 「私はこうは思わない」「この部分は、あの本のパクリだ」「同じデータに関して、あの専門家は別の評価をしている」など自分の「意見」も書き込めるようになれば、十分理解して自分で運用できる水準になっている。佐藤さんは、実際に手書きで読書ノートを綴っているそうで(そのノートの写真が冒頭あたりに載っています)、そのアナログぶりに驚いたのです。まあ手書きノートも、大使が綴っているパソコン打込みデータも似たようなものだから、この本に書かれた技法は、非常に参考になります。お次は、本の読み方について二つほど、見てみましょう。p250~260<深夜の読書法> 原稿によほど追われているとき以外は、日付けが変わったところで、原稿執筆やノート作りの作業はやめて読書に切替えている。これが1日の後半の読書時間だ。 このときの読書は、気力の度合いで、変化させることにしている。 極端に疲れていると熟読はできないので、夜中に新しい基本書を熟読することはあまりない。夜中に読むのは、何度でも読み返す基本書や過去に読んだ本など、記憶に定着させたいものが多い。新しく読む本なら、すでに通暁しているテーマのものを選ぶようにしている。 外国語でも、朝鮮語や中世ラテン語だと、かなり辞書を引かないと読み進めることができない。これは夜中に疲れているときには不向きだ。だからこの時間帯に読む本は、日本語か辞書を引かないでよいロシア語や英語が中心になる。 ちなみにロシア語や英語を読む場合にh、カシオ計算機の電子辞書EX-Word(XD-SF7700)を必ず横に置いている。<理想の読書環境は人によって異なる> 2010年8月、箱根仙石原に新しい仕事場を作り、外交官時代にイギリス、ロシア、チェコで集めた外国語の本と、神学、哲学、文学関係の本や資料はこの仕事場に移動した。6万冊収納できるスペースがあるので、75歳まで仕事をするということであれば、雑誌までとっておこうと欲張らないかぎり、いまある本はすべてそこに納まるはずである。 筆者の場合、周囲にある本の種類によって着想が代わる。東京では、政治や外交に関する評論の分をもっぱら綴り、それ以外の仕事は箱根でするようにしている。置いている本が違うので、必然的に、読む本も異なる。 以前は町の喫茶店にもよく行ったが、最近は声をかけられることが多くなり、気軽に行ける場所が限られてしまった。ホテルのラウンジにはときどき行くが、基本的には自宅か仕事場で読書もしている。気分転換をしたくなったり、きちんと本を読みたくなったときは箱根に行く。 環境が変わると、効率も変わる。ただし、人にはそれぞれの場所の相性があるので、理想の読書環境は人によって異なる。 筆者は図書館をあまり利用しない。図書館の本は書込みができないからだ。しかい、図書館での読書が効率的だという人もいるはずである。落ち着いた喫茶店を好む人もいれば、電車の中がいちばんはかどる人もいる。 あるいは、有料の自習室がいいという人もいるはずだ。人間はケチな動物なので、カネを払うと払った以上を取り返したくなる。その特性を利用するわけだ。 大事なのは、自分にとっていちばん読書がはかどる場所を見つけ、作ることである。 抽象的なスペースではなく、個性と結びついた場所をギリシャ語で「トポス」というが、自分なりの「トポス」を作ることで時間を圧縮した読書をすることができる。ところで、今晩の高速バスで四国の田舎に帰省します。例の如く、ブログののほうは5日ほど音信不通となる予定ですので、そこんとこ宜しくお願いします。
2015.10.19
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昨今では、日中韓の歴史認識がトレンディであるが・・・ナショナリズムを静める意味でも、過去の日記(2012.5.24)から「漢字文化圏の成り立ちについて」を読み返してみようと思い立ったのです。****************************************************************************中華思想には反発するが、漢字文化圏という括りが好きな大使である。それでは「日本古代語と朝鮮語」という本で、漢字文化圏の成り立ちについて見てみましょう。【日本古代語と朝鮮語】大野晋編「日本古代語と朝鮮語」毎日新聞社、1975年刊<大使寸評>中国に過剰適応してしまった朝鮮が見えてくるが・・・つくづく日本という辺境の有りがたさが解りますね。Amazon日本古代語と朝鮮語この本の漢字文化のあたりを紹介します。<漢字文化>p120~121 いったい日本、あるいは朝鮮が、なぜ漢字文化を必要としたか。それはご承知のとおり、中国からこの政治の仕組みを学ぼうとしたのです。日本の各地にはたとえば紀の臣、葛城の臣、播磨の臣・・・などと呼ばれる豪族どもがおりました。それぞれの豪族がみな私民を持って独立支配をしているわけです。ところが、そのうちの有力豪族にかつがれた大君というのが起こってきて、各地豪族の持っている私民を取り上げて自分の直轄支配の中に置こうとする。あるいは朝鮮や中国から渡ってきた人たちを職業団体として受け入れ、それをまた朝廷の直轄支配のもとに置いて、品部(しなべ)とし、それから貢物を取り立てようとする。そういう時代になってきて、いよいよ政治の制度が必要になってくるわけです。行政制度が必要になった時代というのは、おそらく倭の五王のころでしょう。そこで倭の五王が、あれほど頻繁に中国に使いをやる。何を学ぼうとしたか。何はともあれまず、この官僚制度を学ぼうとしたのです。 それの具体的なあらわれは、後のトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに、いわゆる「十六階の官位」を制定し、そして「十七条の憲法」を発布して、「私民を廃して公民とせよ」「この世の中に二人の王があってはいけない、大君が全国を統一するのだ」そういう意図をはっきり「憲法」としてうち出します。さらに下って、「大化の改新」に至って初めて「律令制」を日本に取り入れるということになってくるわけです。だから中国の文化を必要としたというのは、要するにそういう全国支配の官僚体制、政治の知識がほしかったわけです。でなければ、万里の波濤を越えてあんなに頻繁に使いを出すものですか。漢字文化というのは、漢字文化というのは、徹底的に「政治的なもの」であるということを、日本の歴史のがわからもご理解いただきたい。 なお、ここでちょっと申し上げますが、「律令」の律というのは刑法のことです。漢の刑法のことを「漢律」と申します。そして令というのが、いまいいましたような、官庁の組織法です。ですから中国の律令制度は、秦の始皇帝に始まり、漢の時代に大躍進を遂げ、魏の時代に完璧になった。その律令制度を六朝の宗の国へ行って学んできた、これが倭の五王が使いを出した原因です。またそれを隋の王朝へ行って学んできた、それがトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに遣隋使が行った原因です。同じように、遣唐使を出した主たる目的も、やはり唐の行政組織と行政のやり方を輸入する、それが最大の目的でございました。 同じことは百済についてもいえます。百済が五世紀から六世紀にかけて、「郡県のごとし」(魏書にみえる言葉)といわれる地方の役所を置くようになります。それから宮廷の内部にも「内官」というものを置くようになります。それから冠位の制定も決めます。やや遅れて新羅も冠位の制定をする。そういう時期になって百済も新羅も盛んに中国の文化に取り入れるわけです。その主たる目的は、いうまでもなく律令制を取り入れるということにあったわけです。そのほかの、たとえば暦だとか、天文だとか、薬草・食品だとかは付随的に入ってきたのであって、主たる目的はあくまでこの官僚制を導入することにあったわけです。日本古代語と朝鮮語では、漢字をどう読んだのか?・・・・文献はあるがテープレコーダーが無かったので、学者の間で好き勝手な推論が飛び交っています。<漢字の訓読み>p159~161 鈴木:ところで、朝鮮では漢字の万葉仮名的な一時一音的な表記がありますね。それから、かなり早い時代に、漢字の意味をそのまま朝鮮語に当てはめたり、あるいは訓読みのような形で使ったりしていますが、これについてお話ししていただけませんか。大野:「郷歌」の文字の使い方は、「万葉集」の巻一、巻二などの古い書き方に非常によく似ていますよ。むしろ一時一音という「古事記」の表記は新しいんですね。そして意図的にきちっと整理して使ったものです。「万葉集」巻五は、大伴旅人の歌に、当時唐の都に留学したという山上憶良の歌などを収めたものですが、これは一時一音になっている。それから東国の歌を集めた巻十四--これがまた東歌で大和地方とは非常に言葉が違っているものだから、手直ししてある。これは時代にどうも問題点があります。 巻十五が新羅に遣使された人たちのもので、これも一時一音、巻十七~二十はそれぞれ用字法が違っているので、これはおそらくさまざまの書き方がしてあるのを四人の人に一時一音に直させたんだろうというのが私の見解です。ともかく「古事記」のほうが新しいんです。むしろ「万葉集」だけについていえば、巻一、巻二などは音もあり訓もあり、その他いろいろに当てて使う点で、郷歌の書き方と同じなんです。ともかく場合によっては、「万葉集」の古い時代の書き方は、朝鮮から習ったものであり、それを日本的に当てはめたものであると考えます。梅田:鈴木先生のおっしゃった一時一音表記というのは史読や吐のことだと思いますが、史読というのは文書類に用いられた表記法で文を書き表す時にその実質的な意味を表す部分は主として漢語で表記し、助詞や助動詞などの文法的要素に当たる朝鮮語を漢字の音や訓を借りて表したものであり、また、吐は漢文につける送り仮名のことでこれも漢字の音や訓を借りて表記されました。吐には漢字の略体も使われ、日本の片仮名と形が同じものもあります。 しかし、史読にしろ吐にしろ、いわば漢文表記の補助手段ですが、郷歌は朝鮮語の文全体を漢字を使って書き表している点でちがっています。おっしゃるとおり、成立は郷歌のほうが恐らく先行すると思います。ただ史読の前身ともいえるような漢字使用法が新羅の金石文に見られますが、これはかなり古いといえます。なお、史読と吐について言えば、それに含まれている語法から考えると、史読はかなり古い語法を含んでいてその成立が吐よりも古いことを思わせます。前述の郷歌式の表記法はその後用いられなくなりましたが、史読や吐は近世まで使われました。鈴木:そうすると、中国から朝鮮へ漢字が入ってきたときに、それを最初に表記したときは最初から一時一音と訓読みの両方が入っていたのかどうかということですが。大野:最初は漢文ですよ。鈴木:固有名詞の読み方なんですけれども、たとえば新羅の王子の名前が波珍(ハトリ)という形で出てきます。珍という字にトリという音を当てていて、これは三品彰英さんが訓読みだということをおっしゃっています。ですから、いわゆる訓読みのようなものと音読みとが、最初からごっちゃに使われたのか、それともどちらが先なのかということについてお聞きしたいのです。大野:それは中国語に習熟している人なら全部漢字音で、漢字で書くでしょう。ところが、十分中国語に習熟していない者は最初から混同して書きますよ。漢語に習熟するということはたいへんやっかいなことですからね。長田:『古事記』については成立上そういうことが考えられるかもしれませんが、いわゆる推古朝遣文の仮名書きは一時一音です。それから『古事記』の序文で例の有名な、一時一音で書くと趣旨が長くなるからやめるというくだりを見ると、一時一音のほうが先にあったというふうに考えられる。鈴木:『古事記』の序文は、日下(クサカ)とか帯(タラシ)はそのままで使って一時一音にはしないとも言っていますね。大野:一時一音にすれば、倭国の言葉を倭国の言葉としてはっきり書くことはできる。しかし、それは、今度は長々しくなるからわずらわしい、そういう意味じゃないですか、序文のあのくだりは。
2015.10.19
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本屋で『英語化は愚民化』を立ち読みしたが・・・・1日ほどの冷却期間をおいて買ったのです。まあ、衝動買いになるんでしょうね♪ところで、17日のツイッターで見つけたのだが、文科省主導の英語化が、諸悪の根源のようです。Huhei HUMAN@humanhuhei●大学の「国際化」などと銘打って講義等を英語化する動きが文科省主導で行われている。繊細な日本語に基礎を置く日本文化の破壊につながるこういった政策に右寄りの連中から抗議の声が上がらないのが不思議だ。米国と結託した外務官僚主導で日本人の精神破壊が着々と進行している。恐ろしいことだ●日本人しか絶対に受講しない大学の講義のシラバスまで英語化を強制され小学生にまで英語を教えるなど、米国による英語帝国主義がなりふり構わず進められている。繊細な表現のできない下手な英語などを早期教育で学ぶことなど実に亡国的である。日本に来る外国人にはゆっくりとした日本語を話せばよい。【英語化は愚民化】施光恒著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!<読む前の大使寸評>アメリカ仕込みのエスタブリッシュが企てているんだろうと、漠然とした如何わしさを感じていたが、やはりそうだったのか。rakuten英語化は愚民化補助金というアメをちらつかせて英語化を推進する文科省の実態が、この本で告発されています。p20~24<加速する英語偏重の教育改革> では、実際にどんな英語化政策が推進されているのか、具体的に見てみよう。まずは教育に関わる政策から始めたい。2013年12月に発表された「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」では、次のような改革が提案されている。 目を引くのは、英語教育の早期化だ。小学校5年生から英語を正式教科として教えるというのだ。実施は早ければ2018年度から始まる。 現在でも小学校5,6年生には、英語になじむことを目標にした外国語活動が週に1コマ、設けられていて、ネイティブ・スピーカーの指導助手とともに、英語で歌を歌う、ゲームをするなどの活動を行っているが、英語が正式教科となれば、成績もつくようになる。 そして、英語の授業を週に3コマ程度実施し、授業がない日にも昼休みの後に「モジュール」という時間を15分設けて、聞き取りや発音の練習などを行うことが計画されている。とにかく毎日英語を学ばせることを狙っているのだ。 一方、外国語活動のほうは、小学校3年生から開始しようという計画だ。日本語の読み書きすら覚束ない学齢にもかかわらずだ。(中略)<「大学授業の5割を英語で」の衝撃> 大学教育については、さらに衝撃的なレベルでの英語化が進められようとしている。 安部政権が発足して4ヶ月経とうとしていた2013年3月15日。安部首相がTPP交渉参加を表明した記者会見があった日のことだ。記者会見を済ませた首相はすぐさま官邸内の大会議室に向かい、第4回産業競争力会議に出席した。楽天・三木谷氏が民間議員をつとめる件の会議である。 この日の会議はTPP交渉参加表明の直後ということで、必然的にグローバル化を念頭にした発言が数多くあった。下村博文文部科学大臣も、大学を核とした産業競争力強化プランとして「グローバル人材の育成」を挙げ、大学の授業の英語化を早急に進めることを提案した。 その際、提出された授業の英語化の数値目標が衝撃的なのだ。一流とされる大学は、今後、10年のうちに5割以上の授業を日本語ではなく、英語で行うようにすべきだというのである。 5割という数字は重い。これでは日本の知の最先端の場から日本語を撤退させ、その分を英語に割譲するようなものだ。(中略) しかし、内閣府や文科省が主導して進めようとしている今回の英語化は、当然ながら国立大学をも対象とした大規模なものである。そして、早くも2014年度から「スーパーグローバル大学創成支援」プロジェクトとして具体的に始動した。<スーパーグローバル大学という虚妄> 「スーパーグローバル大学創成支援」とは、「世界大学ランキングトップ100を目指す力のある、世界レベルの教育研究を行うトップ大学」(タイプA)、または「これまでの実績を基に先導的試行に挑戦し、我が国の社会のグローバル化を牽引する大学」(タイプB)を選び、認定した大学には一校につき最大50億円(10年間)の補助金を与える、というプロジェクトである。104校の応募があったなか、2014年9月に計37校が認定された。 補助金の配分については、英語で行う授業の割合が重視される。要するに、英語で行う授業数が多ければ、多くの補助金が配分されるというのだ。 補助金を少しでも多く獲得したい各大学は、文科省の意向に沿い、英語で行う授業の大幅増を予定している。いわゆる一流大学ほど、これに熱心だ。まるで日本語で授業していれば、取り残され、一流ではなくなってしまうという強迫観念にかられているかのようにも見える。文科省の役人が働くほど、世の中が悪くなっていくようなレールが敷かれているようです。文科省は仕事をしない方がマシというか、やっぱり文科省は三流なんでしょう。安部さんの肝いりでこの英語化が進められているのかもしれないが、そうであれば安部さんの罪は深い。
2015.10.18
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図書館で『流れとかたち』という本を手にしたが・・・・最近は読みやすい本ばかり読んでいるので、たまには歯ごたえのあるこんな本もいいかと思ったのです。流れに関する論説を熱力学界の著者が書いたとのことであるが・・・熱力学というのが意外というか、意味深である。かつて学校の教科で一番難しく思ったのは熱力学と流体力学だったが・・・リタイアした今となっては、こんな本にも手が出るんですね♪【流れとかたち】エイドリアン・ベジャン, J.ぺダー・ゼイン著、紀伊国屋書店、2013年刊<「BOOK」データベース>より樹木、河川、動物の身体構造、稲妻、スポーツの記録、社会の階層制、経済、グローバリゼーション、黄金比、空港施設、道路網、メディア、文化、教育ー生物・無生物を問わず、すべてのかたちの進化は「コンストラクタル法則」が支配している!ダーヴィン、ドーキンス、グールド、プリゴジンらに異を唱える熱力学界の鬼才が放つ、衝撃の書。【目次】第1章 流れの誕生/第2章 デザインの誕生/第3章 動物の移動/第4章 進化を目撃する/第5章 樹木や森林の背後を見通す/第6章 階層制が支配力を揮う理由/第7章 「遠距離を高速で」と「近距離を低速で」/第8章 学究の世界のデザイン/第9章 黄金比、視覚、認識作用、文化/第10章 歴史のデザイン<読む前の大使寸評>学校の教科で一番難しく思ったのは熱力学と流体力学だったが、リタイアした今となっては・・・こんな本にも手が出るんですね♪生物・無生物を問わず、すべてのかたちを支配する「コンストラクタル法則」とのこと・・・よく覚えておこう。rakuten流れとかたちこの本は読みどころが多いので(その2)として紹介します。熱力学界の鬼才といわれるエイドリアン・ベジャンの人となりを見てみましょう。<自由を与えられれば>p32~34 あらゆる領域同様、ルーマニアという国も、商業やアイデアなど、多くのもののための流動系だ。共産主義政府は何十年にもわたってこうした流れを妨げていたので、私の母国は破綻した。 旧チェコスロバキアの民衆蜂起は1968年のプラハの春につながり、束縛がある程度緩められた。そのころルーマニアは数学の競技会を開催し、全国で6人の勝者が国外留学を許されることになった。私はその催しで最高得点を取り、その後、アメリカのマサチュ-セッツ工科大学に入学を許可され、工学の学位はすべてそこで取得した。こうして自由へのささやかなアクセスを得たおかげで、自分を作り直す、つまりこの地球上での自分の動きをデザインし直すことができた。 変化する能力を欠いた融通の利かない統治機関は、流れを妨げる避けようもない抵抗形態の一つの現れにすぎない。独裁者や全体主義政府の下で苦労するかわりに、流動の配置は時とともに一方向、すなわち、流れを妨げるような摩擦をはじめとする「ブレーキ」の影響を減らす方向に進化する。 抵抗は必然的で避けようがない。だからこそこの世界はけっして完全な場所にはならないし、流動系にしてみれば、前より良くなり続けること、つまり、不完全性の程度を減らし続けることがせいぜいなのだ。それでも、コンストラクタル法則は進歩という概念を示し、希望を与えてくれる。自由さえ与えられれば、流動系はしだいに優れた配置を生み出し、流れやすくなる。 私は自分の学究生活を通じて、この現象とはとりわけなじみが深かった。まったくの偶然から、デューク大学の工学教授として、また産業界と政府のコンサルタントとして、研究を通して、河川や樹木が直面するのと同じ流れの問題に取り組んできたからだ。 私たち技術者は洒落た存在とはあまり思われていないが、私の専門は、電子機器の冷却用の、より小型で効率的なシステムをデザインすることだ。一般に、演算能力を上げれば上げるほど多くの熱が出る。ノートパソコンの下側やプラズマテレビの画面を撫でるとわかるだろうが、目玉焼きが作れそうなほど熱い。私は何十年にもわたって数学と物理法則を使い、その熱が本体の内部を通って外部に出るように導くための、より優れたデザインを開発してきた。 私は自分が生み出している図面が自然界に見られる樹状の流動構造と一致することに気づきはしたものの、別段気にも留めなかった。1995年にブリゴジンの講演を聴くまで、両者のつながりを見破って、母なる自然と自分が同じような答えにたどり着く理由を普遍的な原理が説明できるということに気がつかなかった。だが、あの晩に経験した閃きのせいで、私はいやおうなしに自分の仕事から目を上げ、身の周りのありとあらゆるものの形と構造を考えることになった。コンストラクタル法則発見の、更にその萌芽期のエピソードを見てみましょう。<生命は流れであり、動きであり、デザインである>p120~121 このように私たちは、コンストラクタル法則の中に、活動している生命の果てしない映画を目にする。人工の流れから、自然界の生物の流れと無生物の流れのいっさいに至るまで、一見まったく異なる数々の現象が単一の物理的原理に支配され結び付けられていることを、コンストラクタル法則によって私たちは初めて知ることができる。物事の様相(進化を続けるもののデザイン、すなわち、刻々と形を変える流動系の境界)に私たちの焦点を合わせ直すことで、コンストラクタル法則は自然界のデザインを明らかにし、予測し、説明してくれる。 そして、熱力学の法則のような、森羅万象を支配する緒法則が、いたるところで私たちの目にする、脈動し進化を続けるデザインを生むために配置を伴って流れようとする普遍的傾向と、協働していることを示してくれる。コンストラクタル法則のおかげで、私たちは、長い間、単なる壮大な偶然の一致にすぎないと考えていた事象に、予想可能なパターンを見て取ることができる。 私はこの事実を発見したばかりではなく、身をもって体験した。1960年代のルーマニアで、店頭から肉が消え始めたころ、獣医だった私の父は、ある解決策を思いついた。鶏の雛を孵すことにしたのだ。父は、卵の内部を電球で照らし出して胚が成長しているかどうかを確認できる、検卵用の箱を持っていた。当時10代だった私は、日々目の前で繰り広げられる血管系の成長の場面を驚異と畏敬の念を持って見つめた。 卵の殻の内側に血管が伸び、やがてびっしりと広がっていった。私は、そのとき見えていたデザインが、学校で描いていた色塗りの地図の河川流域のデザインと同じであることにも気がついた。ひよこの胚が丸い卵の内側で進化しているのに対して、ドナウ川の流域は丸い地球の表面で進化していたのだ。 あのころは、この二つの事象の類似は興味深いものであって、なかなか良いところに気がついたと思っていた。今思えば、父の箱は、私たちの周りのいたるところにあるデザインを照らし出していたのだ。最後に、木村繁雄・金沢大学教授の解説を見てみましょう。<解説>p392~394 本書は、ノーベル化学賞受賞者イリヤ・プリコジンの熱力学に関する講演が誤まりであると断定するところからはじまる。序章のこの衝撃的な書き出しに続き、コンストラクタル法則の基本的な考え方がきわめて戦闘的な文章で開示されてゆく。一般に科学的方法とは、ミクロな領域を支配する原理から出発し、積分という数学的操作を経て、マクロな現象を予測しようとする。 これに対しコンストラクタル法則はマクロな観測事実をそのまま原理としてとらえようとする、一見過激なものだ。ベジャンは細分化による全体像の欠如が現代科学の悲劇であるとする。 第一章、第二章は流動系を対象として、工学的応用(電子機器冷却)、地球物理学的応用(河川流域の形成)、生物学的応用(血管系の形成)について述べ、そこに現われる流れ構造はすべて流動抵抗低減の方向に求めた結果であることを照明する。 第三章、第四章、第五章では生物進化の秘密に迫る。そこではなぜ動物は体の大きさと移動速度が比例するのかについて論じ、また樹木がなぜ我々が見るような幹と枝から構成されなければならないかを明らかにする。そしてダーウィンの進化論は否定され、生物のみならず、無生物についても、進化の方向には必然性があることが示される。 第六章、第七章、第八章では社会システムと社会秩序に言及し、そこに見られる階層的構造がコンストラクタル法則の原理に基き必然的に生まれたものと説く。これらのいずれの解析においても「スケール解析(スケーリング則)」が重要な役割をはたしている点は注目すべきである。 圧巻なのは最後の第九章、第10章である。これらの章で、ベジャンは物理学の世界では扱うことのない領域に踏み込んでゆく。それは文明と歴史の問題である。これらもまた物質と情報の流れであり、コンストラクタル法則に支配されると主張する。 彼はここでコンストラクタル法則の勝利を高らかに宣言する。情熱の迸るような力強い議論は、疑問を呈する余地さえ与えないでわれわれを圧倒する。その強烈な説得力を持つ彼の言葉の底に流れているものは、激しい「思考する自由」への渇望であり、文明の進化の方向への楽観的な信頼であることを読者は理解するであろう。 本書は全編を通して堅牢な構成力に貫かれており、みごとな造形美ともいうべき魅力に満ちている。これほど多様なテーマを扱いながらすこしも衒学的なところがない。説明はきわめて平易で具体的であり、ベジャンが「視覚の人」であることを感じる。かなり革命的な理論の話でありながら、熱力学のことなど知らない読者でも楽しく読み進められる、良質なポピュラーサイエンスの一冊に仕上がっている。なるほど、簡潔で必用十分な解説でんな♪わりと我の強いベジャンの論説には熱力学、工学、生物学、地球物理学などの下地が裏打ちしていること、そして視覚に拘るところがアートにも感じられるのが、ええでぇ♪流れとかたち(その1)
2015.10.17
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図書館で『かくて老兵は消えてゆく』という本を手にしたが・・・・かねてより、著者の強情で頑固なキャラクターに一目置いているわけで、借りたのでおま♪【かくて老兵は消えてゆく】佐藤愛子著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より孤軍奮闘・七転八倒の日々の果て、ついに九十歳を迎える佐藤愛子!『ゆうゆう』連載の人気エッセイ、待望の単行本化。<読む前の大使寸評>瀬戸内寂聴さんより1歳ほど若い佐藤さんである。ま~今でも現役ばりばりのご老人と言えるので・・・消えゆく年代ではないでえ。rakutenかくて老兵は消えてゆく「佐藤さんの常識」あたりを覗いてみましょう。<独特の常識>よりp176~181 「佐藤愛子は独特の常識の持主だから気をつけろと編集長にいわれて来ました」 某女性誌から若い女性のインタビュアが来て、そう言った。 聞いて、思わず私は笑った。「独特の常識」とは編集長もうまいことをいう。それをハッキリいうと、佐藤愛子は「常識なし」「偏屈」「何かとうるさい奴」ということになる。しかしそれではあからさまな悪口になると彼の「常識」が働いて、「独特の」という言葉を考え出したのだろう。 なかなかの「常識家」だと思うが、それを無邪気なニコニコ顔で私に向かっていうこの部下は、上司の心知らず、常識不足といえるのではないか。生真面目な人ならそういわれると、 「独特の常識? どういうイミかしら?」 キッとなって反問するところだろうが、「独特の常識」の持主である私は、キッとならずに笑ってしまう。 常識とは、 「普通一般人が持ち、また、持っているべき標準知力。一般知識と共に理解力、判断力、思慮分別などを含む」 と広辞苑は教えている。「常識」と並んで「情識」という項目があって、 「情識―勝手な考え。わがまま。一説に争う心とし、また強情、頑固の意ともいう」 とある。私はどうやら同じジョウシキでも情識家の方であるらしい。 ところでこの春頃のことだ。ある週刊誌が天皇皇后両陛下が葉山御用邸で静養しておられるご様子をグラビアで紹介していた。 散策の途中で両陛下は相模原から来たという40代女性とにこやかに話をされ、その時のやりとりを紹介している。女性曰く、 「離れた場所から会釈や手を振ったりしましたら、歩く方向を私たちの方に向けて下さいました。陛下に『お身体は大丈夫ですか?』と尋ねますと、『大丈夫です。ありがとう』とおっしゃいました。最後に握手をお願いしましたら、わざわざ手袋を脱いで握手して下さいました。お二人の手は、柔らかくて温かかったです・・・」 ここまで読んで私は心底驚いた。 天皇陛下に握手を求める! そこいらの、どこの何者ともわからぬおばちゃんの分際で! 何という非礼、非常識だろう。 そもそも握手というのは、目上の人が目下の者に向かって手をさしのべるものだ。それが常識というものではないか。そんじょそこいらのおばちゃんが、畏れ多くも・・・(えんえんと続くが、中略) 災害を受けた人々を慰め励まそうとお考えになって天皇皇后両陛下が被災地に行幸行啓なされた時の様子がテレビで流されることがある。両陛下は床に膝をつかれ、上半身をさしのべて被災者の人たちをねぎらっておられる。そのお姿に向かって立ったまま携帯電話を掲げて、上から撮影しているバカ者たちを見るのは一度や二度ではない。(なぜか女が多い) 聞いた話だが、そのバカ女の一人が陛下に向かってこういったという。 「陛下、こっち向いて下さい」 私は反射的に「うぬッ」と唸ったきり、次の言葉が出なかった。すべてに我慢強くいらっしゃる両陛下はその非礼に対して何ら不快感をお見せになることはない。そのお心のうちはいかばかりか。その非礼を制止する人間が一人もいないことに私はもう一度、「うぬッ」と唸る。こういう手合にはどんな言葉でわからせればいいのか・・・・もはや唸るしかないのである。大使の夢は、佐藤さんと同じで楽隠居なのだが・・・そのあたりを見てみましょう。<夢は楽隠居>よりp7~13 考えてみると、『ゆうゆう』とも長いつき合いになる。最初「老兵の進軍ラッパ」というタイトルで書き出したのは2006年、私が82歳の時のことだ。その第一回目に私は「ラッパ吹く前に」という小見出しでこんなことを書いている。 「いやもう、この世の移り変わりの目ざましいこと。この50年間の日本人の変わりようは価値観だけでなく、感性にも及んでしまった。大正生まれ、80を越えた私のいい分など、一生懸命になればなるほど空を斬るばかりである。『老兵は死なずただ消えゆくのみ』と去り際にいったマッカーサーの言葉をしみじみ噛みしめる今日この頃なのである・・・・」 そんなことをいいながら、それでも2年間書きつづけていたのだが、そろそろ進軍ラッパも息切れして掠れがちになってきた。そこで、2ヶ月の休憩をもらった後、もう「進軍ラッパ」を吹く元気はないので、「消燈ラッパ」と題して1年半ばかり吹き鳴らしているうちに、気がつくと私は85歳になっていた。 ある日、私は思った。85といえば昔なら「楽隠居」の身である。息子や娘、その連れ合いや孫たちに囲まれ、万事万端若い者が知らないことなどを教えてやって、おばあちゃんは何でも知っている、わからないことはおばあちゃんに聞けばいい、おばあちゃんおばあちゃんと尊敬され大切にされる日々を送っているところである。 「昔」とはいわず今でも私の友達の中には日々の糧や仕事に追われることなく、穏やかに長い人生の疲れを休めている人もいるが、中にはいやもう、腰は痛いし血圧は高いし、めまいはするし・・・・、とボヤいている人もいれば、アルツハイマーで彷徨するご亭主を追いかけるのにヘトヘトになって隠居どころではない人もいる。 「あの人どうやらボケがきているんじゃないかしら」といわれるている人や、そういっている彼女こそホントはボケているのだという人がいたりして、日向ぼっこの隠居暮らしはむつかしい時代になった。あーあ、長生きは昔はめでたいことだったのに、長生きもし過ぎるとおめでたくなくなってしまう。 過ぎたるは及ばざるが如しとはこういうことなのね、と憮然と独り合点する日々がきて意気阻喪し、2009年12月「消燈ラッパ」を終わりにした。私は楽隠居を目ざそうとしたのだった。 それから1年。楽隠居になったかといえば「楽」のつかないただのばあさんになった。しかし私がただのばあさんになっても、世の中は当然のことながら目まぐるしく動いているので、その動きは新聞やテレビ、訪問客らによっていやでも目や耳に入ってくる。 かつて楽隠居が存在していた時代にはテレビはなかった。目がかすんでくればかすみっ放し、耳が聞こえなくなればそれを仕方がないこととして受け容れるだけだった。 だから自然に楽隠居になることが出来た。楽隠居とは心身の衰えのおかげで手に入れることが出来る境地だったのである。それが今になってわかった。 心身が衰えるということは欲望がなくなっていくことであるから、だから何もかも忘れて倅や娘任せにして、縁側で日向ぼっこしていられるのであろう。温泉に行きたい、おいしいものが食べたい、もっともっと楽しみたい、あれがしたい、これが欲しいと思い煩うのは老い切っていないからで、だから「あんなに働いたのに年金はこれっぽっち」と思ったり、「散々苦労してきたんだからこれからうんと楽しむわ・・・」とはり切ったり、「これからの老人はいかに生きるべきか」を考えて新聞に投稿したり、若者のあれこれに文句をつけたくなったりする。楽隠居になるにはエネルギーが涸れる必要があるのだ。 しみじみそんな述懐を洩らしていると、 「結構じゃないの。老人が若々しく元気でいられる社会は成熟している証拠ですよ」 と70代の女性論客からいわれ、 「はァ、確かにね・・・・」 と答えないわけにはいかないような気持ちになってしまう自信のなさ。成熟?成熟とは何ぞや。 ある日の新聞で、私は天皇陛下が中国の習近平副主席との面談に応じられたという記事を読んだ。天皇が外国の首脳や高官とお会いになる場合は、確か1ヵ月(か3ヶ月)前に申込みを受け、さまざまな調査調整の上で受諾が決まるのだと聞く。だがこの時は従来のしきたりが無視された。中国が求めるままに早速、面談が実現した。それは小沢一郎民主党幹事長が強引な力をふるったからだということだった。 その記事を読んで私は「?」と思った。この「?」は、どうも釈然としない、いったいなんで?という疑問の「?」に加えていささか憤慨の気がある。以前なら、みるみるトサカを紅潮させて、地面を踏みしめる闘鶏のシャモになっていただろうが、その「?」でとどまった。楽隠居を志向する身としては、こういうところでトサカを紅潮させたりしてはいけないのである。(中略) なにゆえ、小沢一郎氏はそんな権力を振るえるのか?どういう魂胆から百何十人もの議員と胡錦濤と握手させ、一緒に写真に写ってもらって喜々として帰ってきたのだろう? 中国と仲よくするためなのか、それとも私なんぞにはわからぬ複雑な外交上の理由があったとでもいうのか? 私の老いた胸に暗雲が湧いた。その黒い雲は「これで中国と日本は対等ではなくなっていくのでは?」という心配を孕んでいる。これによって中国は「これで日本はわが国にひざまづいた」と確信したに違いない。かつては世界に比類のない国のありようを誇った日本。「万世一系、神の御末のお方」とすべての日本人が仰ぎ見、尊敬し、「天皇陛下のおん為には命も惜しまじ」と思い決めて戦場に赴き、命を落とした日本男子の膨大な人数を思っただけで世界の国々は肝を潰し、かつ天皇陛下という存在の重さ、大きさ、厳かさに敬意を払ってきたのだ。テンノウ?なんでエライ?と心中ひそかに思っていたとしても、だ。当時85歳の佐藤さんはかくも意気軒昂だったわけである。楽隠居はまだ早いで(笑)
2015.10.16
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本屋で『日韓 悲劇の探層』という本を手にしたのです。この種の嫌韓本?をダボハゼのように買わないように厳選しているのだが・・・また買ってしまった。冗談はさておき、日本を見る眼として・・・ドナルド・キーンさんも鋭いが、呉善花さんも鋭いと思うわけですよ。【日韓 悲劇の探層】西尾幹二×呉善花著、祥伝社、2015年刊<「BOOK」データベース>より「史上最悪の関係」を、どう読み解くか。祖国から「売国奴」と侮られ、「入国拒否」されている呉善花氏の個人体験と心の葛藤をとおして、日韓関係のあり方を考える。 <読む前の大使寸評>本屋では相変わらず、この種の嫌韓本?が新刊コーナーを賑わせているが・・・ダボハゼのように買わないように厳選しているのです。でも、また買ってしまった。冗談はさておき、日本を見る眼として・・・ドナルド・キーンさんも鋭いが、呉善花さんも鋭いと思うわけですよ。Amazon日韓 悲劇の探層この本で、日中韓の支配制度のおさらいのような箇所を見てみましょう。<極度に硬直した李氏朝鮮の支配>よりp125~128 呉:韓国人が「強者への恨みつらみ」をバネに生きようとするのには、歴史的な背景があります。李氏朝鮮時代を通して、民衆は、権力に対する異議申し立てがほとんどできない、過酷な強圧支配下に置かれ続けてきた、ということです。李氏朝鮮のような強固な専制主義の王朝国家が長くつづきますと、「強者への恨みつらみ」を持ち続けることが、民衆精神の重要なテーマになっていくように思います。西尾:学問を積んだ者が中国では高い地位を占めていました。日本から見てどうしても理解できなかったのは中国社会には武士がいなかったことです。いても地位が低かった。士大夫といわれる存在の「士」は文官であり、読書階級が支配階級でした。彼らは主として、高級官僚登用試験の科挙に合格した者たちで、国家の政治を担当しました。官僚身分の世襲は禁じられていました。そして中国では漢の時代に、郡県制度が成立しています。 高級官僚たちを各県に派遣して知事とし、何年か交代で務めさせる形で全国を支配していました。中国はそうした官僚支配の社会でしたから、貴族という階級が生まれなかったのです。 それに対して朝鮮は、高級官僚が世襲となり、両班と呼ばれる貴族階級を形づくっていったんですね。貴族を作らないための科挙であり、郡県制度だったのに、韓国では貴族を作ってしまった。このことが、後々まで中国とはまったく違った大きな影響を与えることになります。 日本は中国・朝鮮とは異なり、科挙を採用しませんでした。そのため貴族(公家社会)が成立しますが、古代の早い段階で王朝の郡県体制が崩れて武士が出現し、封建制度が採用されるようになります。そして日本の封建制度の下では、儒者は地位が低かったのですね。 ところが中国でも韓国でも、儒者という文人教養者たちが国家官僚としての権力者になっていったわけです。ここが決定的に違います。 呉:そうですね。日本は国土が狭く、王朝の支配は強固な武力支配とは言えない弱いものでしたから、やがて在地権力が台頭して武家の権力ができたと言えます。中国はあれだけ広い国土ですので、それだけ巨大な権力機構が必用でした。そこで、国家統治の強力なイデオロギーとして儒教が採用され、国家中央に権力を集中させる、強固な中央集権官僚国家が成立したと思います。 朝鮮半島にも、日本のような進み方への可能性はあったと思います。しかし朝鮮半島は、異民族の侵入に常に悩まされ続けましたし、巨大な中華文明の圧倒的な影響下にありました。そこで中国式の中央集権官僚国家を、そのまま取り入れていったと思います。 とくに李氏朝鮮は、中国式の中央集権制をあの狭い朝鮮半島内で、本家の中国以上に徹底させたため、世界に類をみない硬直した官僚国家体制が成立してしまいました。西尾:国土が狭いからそうなったんですか? 呉:第一にはそうだと思います。中国はあれだけ国土が広いので、どうしても支配の徹底性を欠きます。しかし朝鮮半島は狭いですから、徹底的に規格化された制度と、画一的な手段を用いての政治が可能でした。李氏朝鮮は、日本に併合されるまで500年間も続きました。これほど長く続いた王朝国家は、世界に例がありません。西尾:500年の間に根付いたものは、そう簡単には変わりませんね。 呉:李氏朝鮮時代の社会構成単位は、内側に閉ざされた血縁小集団で、横の連帯を政策的に断たれていました。こうした血縁小集団が、「自分の血縁一族の利益だけを追求し、他人(外部の血縁集団)の迷惑など考えない」で、たがいに闘争し合うところに生じるエネルギーが、社会を動かす活力となっていたのが旧時代の韓国です。日韓関係の現代史に基づく今後の展望について見てみましょう。<韓国は、必ず日本に助けてくれと言ってくる>よりp248~250西尾:韓国はやがて、必ず日本に助けてくれと言ってくると思います。そこで日本が多少の援助をするにしても、決して忘れてはならないことがあります。 かつて朝鮮が、どこかの国に保護してもらわなくては国が成り立たない状態にあったとき、日本だけではなく、関連する諸国は大変困ったのです。なんとか朝鮮半島を成り立たせないと戦争が起きかねない、しかし半島を引き受けたくはない。そういうことで、ロシア、イギリス、清国、アメリカの4ヶ国が「日本がやってくれよ」といって、日本が「それじゃあ」と引き受けたことから、日本の朝鮮統治がはじまったのですね。 韓国内では併合に反対した人たちだけではなく、とても歓迎した人たちが多数いたこと、そしてその事実を韓国が今なお認めようとしていないこと。そのことを日本人はよくよく知っておかなくてはなりません。韓国という国は、あれほど助けたのに、後になったら逆恨みし、必ず恩を仇で返す国だということです。 呉:当時の朝鮮は、まさしく国家倒産の危機にありました。それで日本は併合の前に、朝鮮がロシアから借りていた膨大な借金を、全額立て替えて返済したのですね。その金額は、当時「一国が買える」と言われたほど巨大な額でした。日本がいなければ、朝鮮は確実にロシアに呑み込まれていました。 韓国は日本に助けて欲しくても、「助けてくれ」という言い方はしません。これまでのことからしても、日本が支援するように仕向ける戦略をいろいろとってくると思います。しかし日本はそれに乗って、政治的な妥協をしてはなりません。 韓国が日本に付き合ってくれといってきて、日本が応じられる唯一の方法は、かつてそうだったように、韓国に対して「両国間の懸案事項の棚上げ、内政不干渉」を条件にすることです。考えが違うところは棚に上げておいて、考えが合うところから進めていこうと。韓国と付き合うならば、そういう付き合い方しかないということです。韓国が「それは嫌だ」といえば、日本は突っぱねればいいだけのことです。西尾:「反日」という言葉が広く使われ、最近では、はやりの用語になりましたが、私はこの言葉はもう終わりに近づいていると思います。韓国と中国と北朝鮮の三国は、ただの「反日」国家ではなく、すでに「敵性国家」の段階に入ったのだと思った方がよいということが、今日の呉さんの分析と報告によって、はっきりしてきました。一般の日本人も、そういう感覚に近づいていると思います。 両国の間に股裂きにされた呉さんの、身をもってした苦難の体験は、真に「悲劇」の名に値するものでした。しかもいっさいの感傷を排した峻厳な呉さんの自己直視と祖国客観化は見事で、「悲劇」を崇高な域にまで高めています。日本人を多方面から精神的に啓発してくださった本日の対談の機会を与えられたことを、心から感謝します。この本も蔵書録の韓国関連の本に収めるものとします・・・・揺れ動く情勢を反映して(好き、嫌いはあるが)、よく買ったものです。
2015.10.16
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図書館で『流れとかたち』という本を手にしたが・・・・最近は読みやすい本ばかり読んでいるので、たまには歯ごたえのあるこんな本もいいかと思ったのです。流れに関する著作を熱力学界の著者が書いたとのことであるが・・・熱力学というのが意外というか、意味深である。かつて学校の教科で一番難しく思ったのは熱力学と流体力学だったが・・・リタイアした今となっては、こんな本にも手が出るんですね♪【流れとかたち】エイドリアン・ベジャン, J.ぺダー・ゼイン著、紀伊国屋書店、2013年刊<「BOOK」データベース>より樹木、河川、動物の身体構造、稲妻、スポーツの記録、社会の階層制、経済、グローバリゼーション、黄金比、空港施設、道路網、メディア、文化、教育ー生物・無生物を問わず、すべてのかたちの進化は「コンストラクタル法則」が支配している!ダーヴィン、ドーキンス、グールド、プリゴジンらに異を唱える熱力学界の鬼才が放つ、衝撃の書。【目次】第1章 流れの誕生/第2章 デザインの誕生/第3章 動物の移動/第4章 進化を目撃する/第5章 樹木や森林の背後を見通す/第6章 階層制が支配力を揮う理由/第7章 「遠距離を高速で」と「近距離を低速で」/第8章 学究の世界のデザイン/第9章 黄金比、視覚、認識作用、文化/第10章 歴史のデザイン<読む前の大使寸評>学校の教科で一番難しく思ったのは熱力学と流体力学だったが、リタイアした今となっては・・・こんな本にも手が出るんですね♪生物・無生物を問わず、すべてのかたちを支配する「コンストラクタル法則」とのこと・・・よく覚えておこう。rakuten流れとかたち「コンストラクタル法則」が自然界の必然であることが冒頭あたりに述べられています。p12~17<すべては流れを良くするために> 流動系には二つの基本的な特徴がある。流れているもの(液体や気体、質量、熱、情報など)と、その流れが通過する道筋のデザインだ。たとえば稲妻は、雲が放電するための流動系だ。稲妻は文字どおり電光石火の早業で、まばゆい分枝構造を生み出す。これは流れ(電気)を、一立体領域(雲)から一点(教会の尖塔、あるいは別の雲の一点)に移動する非常に効率的な方法だからだ。河川領域の進化も、似たような構造を生み出す。河川領域もまた、流れ(水)を一平面領域(平野)から一点(河口)へ運んでいるからだ。樹状構造は、気道(酸素の流動系)や、毛細血管(血液の流動系)、脳の神経細胞の樹状突起にも見られる。 この樹状パターンが自然界のいたるところで現われるのは、一点から一領域への流れや一領域から一点への流れを促進するためには、これが効果的なデザインだからだ。実際、そのような流れのある所には、必ず樹状構造が見つかる。 人間は自然の一部であり、自然の法則によって支配されているので、私たちが構成する一点から一領域への流れや一領域から一点への流れもまた、樹状構造を持つ傾向がある。そうした流れの一例が、職場への経路で、それには多数の小さな私道や一般道や、それが流れ込む少数の大きな道路や高速道路が含まれる。また、私たちの職場を維持する情報や物資、従業員、顧客などの流れるネットワークも同様だ。 移動しやすくなるように私たちが工学技術で作り上げた世界は、自然界のデザインのどこも真似してはいない。その世界は自然界のデザインの現われなのだ。とはいうものの、ひとたびその原理を知れば、私たちはそれを利用してデザインを改善することができる。 樹状構造は、自然界ではごくありふれたデザインではあるが、コンストラクタル法則の現われはほかにも多くある。簡単な例を挙げよう。湖面を漂う丸太や海に浮かぶ氷山は、動いている空気の塊から水の塊への運動の伝達を促進するために、風に垂直な向きをとる。 さらに複雑な例に、動物のデザインがある。動物は地表でしだいにうまく質量を動かせるように(有効エネルギーの単位当たり、なるべく長い距離を動けるように)進化してきた。それには、見たところ器官の大きさや骨の形、呼吸と拍動のリズム、あるいはくねくね動く尻尾や駆ける脚や羽ばたく翼のリズムといったものが含まれる。 こうしたデザインが生じた―そして協働する―おかげで、動物は、河川流域に落ちた雨粒のように、地表を動きやすくなる。 コンストラクタル法則のおかげで、流動系は時がたつにつれて進化し、しだいに優れた配置をとり、その中を通る流れを良くすることになる。デザインの生成と進化は、肉眼で見える物理現象で、自然に生じ、そこを通る流れをしだあいに良くする。この原理は、あらゆる尺度で成り立つから素晴らしい。 個々の細流や樹木、道路など、進化をしている流動系の中で、各構成要素も進化を続けるデザインを獲得し、流れを促進するのだ。こうした要素は一体化してますます大きな構造(進化を続ける河川領域、森林、輸送網)になり、さまざまな大きさの構成要素が協働するために、何もかもがいっそう流れやすくなる。 これはたとえば、脳の神経ネットワークや肺の中の肺胞、人間の集落の形や構造に見られる。そして全体を眺めると、私たちを取り巻く最大の系、すなわち地球そのものの上で合わさり、形を変えていく流れは、地球全体の流れを良くするように進化する。「多から一へ」だ。<「生きている」とはどういうことか> コンストラクタル法則が革命的なのは、それが物理法則であり、単に生物学や水文学、地質学、地球物理学、あるいは工学に限られた法則ではないからだ。この法則は、いつであろうと、どこであろうと、どんな系をも支配し、無生物(河川や稲妻)、生物(樹木や動物)、工学技術で生み出された事象、さらには、知識や言語や文化のような社会的構成物の、進化を続ける流れにも及ぶ。あらゆるデザインが、この同一の法則に従って生成し、進化する。 この法則は、生きているということの意味について新たな理解を提示し、それによって、科学のさまざまな分野を隔ててきた壁を取り壊す。生命は動きであり、この動きのデザインをたえず変形させることだ。生きているとはすなわち、流れ続けること、形を変え続けることだ。 系は流動と変形をやめれば死ぬ。たとえば河川流域は、配置を変え続けながら、時の流れの中で生き永らえる。そして、流動し形を変えることをやめたときには、干上がって川床をさらす。つまり、かつての「生きていた」流動系が化石化した遺物となる。また、今日は地下で見つかる固体の樹状鉱脈は、流れ、渦巻き、蛇行していた流体が大昔に凝固したものの化石だ。生き物たちが生きているのも、彼らの流れ(血液、酸素、移動など)が止むまでのことだ。そのあとは、彼らもまた化石化した遺物となる。 このようにすべてを統一するかたちでの定義が可能になったのは、大きな進歩だ。なぜなら、それは生命の概念を生物学という専門領域から切り離すからだ。その定義によって、生命の概念は「死の状態」という物理学の概念と整合する(いや、並び立つと言ったほうがなおいい)。死の状態は熱力学における「環境との平衡状態」を意味し、その状態にある系は、圧力や温度などが周囲と同じなので、中で動くものが何もない。コンストラクタル法則は、物理学の言葉で生命を定義し、生きている系の現象全般に当てはまるものだ。流れに着目して神経回路網をみると、どこか道路網に似てくるという不思議さがあるんですね♪たぶん、両者はコンストラクタル法則に則っているんでしょう。神経回路網これまで知られてきた慣性と粘性の法則は、日常生活の運動の場面でよく体感しているが、かたちとして眼で見ることはできない。一方、著者が紹介しているコンストラクタル法則は自然界が示すデザインそのものということになるようです。つまり、その法則がかたちとして眼に見えるのです。
2015.10.15
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・古本道場・北欧女子オーサが見つけた日本の不思議・かくて老兵は消えてゆく・カラーリーフ・ボクが韓国離れできないわけ<大学図書館>・流れとかたち図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【古本道場】角田光代, 岡崎武志著、ポプラ社、2005年刊<「BOOK」データベース>より古本道の師匠がくりだす、6つの指令。新直木賞作家は無事、古本道をきわめられるのか。<読む前の大使寸評>この本には写真やマップもたくさん載っていて、古本のイメージと逆行するようなビジュアル編集が、ええでぇ♪rakuten古本道場古本道場byドングリ【北欧女子オーサが見つけた日本の不思議】オーサ・イェークストロム著、KADOKAWA、2015年刊<「BOOK」データベース>よりコンビニおにぎりは便利すぎる!女子が何でも「可愛い」と言うのはなぜ?ホストの男性はアニメみたいで素敵。北欧スウェーデンからやってきた漫画家が描く、日本への愛にあふれた驚き&爆笑のコミックエッセイ!<読む前の大使寸評>北欧女性の四コママンガてか・・・・これぞ クール・ジャパンなんでしょうね。<図書館予約:(5/22予約、10/07受取)>rakuten北欧女子オーサが見つけた日本の不思議北欧女子オーサが見つけた日本の不思議byドングリ著者のマンガをネットで探していたら、こんなん出ました♪アメブロで1位。北欧生まれの女子が描く”素朴な日本の不思議”に思わず納得より 漫画を描いているのはオーサ・イェークストロムさん。プロフィールによると、東京在住のアラサースウェーデン女子。ブログで公開している4コマ漫画のテーマは「日本での驚いた出来事や発見したこと」で、日本での日常を面白く描いています。 日本では当たり前のことも、在日歴が数年のオーサさんにとっては、新鮮なこと。そのフレッシュ感が、漫画から伝わってきて、読者も新たな発見があったかのように感じます。そして、ゆる~く可愛いキャラクターたちが可愛いです!【かくて老兵は消えてゆく】佐藤愛子著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より孤軍奮闘・七転八倒の日々の果て、ついに九十歳を迎える佐藤愛子!『ゆうゆう』連載の人気エッセイ、待望の単行本化。<読む前の大使寸評>瀬戸内寂聴さんより1歳ほど若い佐藤さんである。ま~昨今では現役ばりばりのご老人とも言えるので、まだ消えゆく年代ではないでえ。rakutenかくて老兵は消えてゆく【カラーリーフ】中野嘉明著、農山漁村文化協会、2013年刊<「BOOK」データベース>よりカラーリーフガーデンとは、鮮やかな乳白色や黄色、赤紫、銀青色など、多彩な葉色の樹木や多年草が、さわやかなカラーハーモニーを奏でる庭。最近では世界各国からカラーリーフの樹木や多年草が次つぎと導入され、入手も容易になっている。本書では、現在入手しやすいカラーリーフプランツ421種の選び方や、カラーハーモニーを奏でるデザイン法をご紹介した。<読む前の大使寸評>カラー写真の多いこの本は、彩りの葉っぱ大好きという大使のツボがうずくのです。rakutenカラーリーフカラーリーフbyドングリ【ボクが韓国離れできないわけ】黒田勝弘著、晩声社、2008年刊<「BOOK」データベース>より韓国・韓国人探検記。毎日が新発見、韓国人はおもしろい、読みはじめたら止まらない。むっつりウオッチング、言葉・食・花・歌・街・魚、笑いと驚きのてんこもり。【目次】1 私を殺してくださいー日韓誤解の楽しみ/2 金剛山もメシの後ー食は語る/3 桜に罪はないものをー街と人と自然と/4 秋の夕日に照る山もみじー韓国を釣る/5 マイ・ファースト・ソングー韓国を歌う/6 故郷忘じたく候ー歴史の断片<読む前の大使寸評>黒田さんといえば、韓国通ジャーナリストの先達というか・・・ホンマもんやで♪<図書館予約:(10/03予約、10/10受取予定)>rakutenボクが韓国離れできないわけ韓国の魚料理byドングリ【流れとかたち】エイドリアン・ベジャン, J.ぺダー・ゼイン著、紀伊国屋書店、2013年刊<「BOOK」データベース>より樹木、河川、動物の身体構造、稲妻、スポーツの記録、社会の階層制、経済、グローバリゼーション、黄金比、空港施設、道路網、メディア、文化、教育ー生物・無生物を問わず、すべてのかたちの進化は「コンストラクタル法則」が支配している!ダーヴィン、ドーキンス、グールド、プリゴジンらに異を唱える熱力学界の鬼才が放つ、衝撃の書。【目次】第1章 流れの誕生/第2章 デザインの誕生/第3章 動物の移動/第4章 進化を目撃する/第5章 樹木や森林の背後を見通す/第6章 階層制が支配力を揮う理由/第7章 「遠距離を高速で」と「近距離を低速で」/第8章 学究の世界のデザイン/第9章 黄金比、視覚、認識作用、文化/第10章 歴史のデザイン<読む前の大使寸評>学校の教科で一番難しく思ったのは熱力学と流体力学だったが、リタイアした今となっては・・・こんな本にも手が出るんですね♪生物・無生物を問わず、すべてのかたちを支配する「コンストラクタル法則」とのこと・・・よく覚えておこう。rakuten流れとかたち*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き117
2015.10.14
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図書館で『古本道場』という本を手にしたが・・・・写真やマップもたくさん載っていて、古本のイメージと逆行するようなビジュアル編集が、ええでぇ♪【古本道場】角田光代, 岡崎武志著、ポプラ社、2005年刊<「BOOK」データベース>より古本道の師匠がくりだす、6つの指令。新直木賞作家は無事、古本道をきわめられるのか。<大使寸評>この本には写真やマップもたくさん載っていて、古本のイメージと逆行するようなビジュアル編集が、ええでぇ♪rakuten古本道場冒頭の「入門心得」で岡崎さんが古本道の奥義を語っています<古本道場 入門心得>よりp5~9 というわけで、これから入門者の角田光代殿といっしょに、読者の皆さんに険しく厳しい古本道の奥義を極めてもらうべく、いろいろ教え授けることになった。星一徹は、息子の飛雄馬に「輝ける巨人の星となれ」と、ひときわ夜空に輝く星を指し示したが、古本道に星などありはせぬ。強いて言えば、それぞれの胸のうちに星はある。それを輝かすも曇らすも、自分次第というところ。せいぜい励まれたい。 拙者は現在48歳と、70、80歳が矍鑠とするこの世界では政界と同じくまだまだ弱輩者。本来は看板を上げるなどおこがましいのだが、われらの世代の古本観は、先行する世代とは少し違ってきておる。ひとつには、マンガ、SF、ミステリ、映画、音楽など、それまで古本業界であまり扱われなかった本に注目し始めたのがちょうどわれらの世代。サブカル世代、あるいは古本ヌーベルバーグといってもいい。 古本と呼ぶフィールドがそれまでになく広がった。もちろん、古老たちから見れば、低下、俗化、嘆かわしいということになろう。しかしそれでいいのだ。先行する世代から批判されないところから、なにも新しいものは出てこないことは過去の歴史が証明しておる。すでに作られた価値基準を敬しつつさりげなく無視し、自分たちがおもしろいものを是とする。これぞわが古本道である。 その古本道を伝授すべくこれから毎回、角田殿に拙者から指令を出して、それに従い、古本屋をじっさいに巡っていただく。いわば修業である。獅子はわが子を千尋の谷につき落とし、這い上がってくるものだけをよしとして育てたというが、わが胸のうちもそんな思いだ。奥歯をかみしめ、しかし笑みを忘れず修業に勤しんでいただこう。 さて、角田殿と同じく、古本道へはほとんど足を運んだことのないという御仁のために、拙者から老婆心ながら心得を少し授けたい。 ◆心得 其の一 わたしはただの風邪をひく これは言い換えれば、自分の趣味、関心を第一の価値基準に置く、という意味だ。最初は誰しもそうして古本と出会い、古本の愉しみを知っていくのだが、次第に知恵がついてくる。自分が珍しいと思った本が珍しくなく、こんなものがと見過ごしてきたものに高い値段がついている、というようなことがわかってくる。目利きになるわけだが、じつはこれが落とし穴だ。古本業界における価値基準が浸透してくると、知らず知らずのうちに、そういう眼で本を見るようになる。古本が値段に見えてくる。あれが高い、これが安いと亡者のごとく、古本という賽の河原でのたうつようになる。 原点に戻れ、とわたしは言いたい。自分がいいと思ったもの、好きなものが絶対一番なのだ。それがどんなに安い値がついて、古本屋やマニアが唾棄するものであっても一向に構わない。人からうつされた風邪はいやだ、と肝に銘じることだ。自分の風邪はあくまで自分でひく。このことを忘れないでおこう。 ◆心得 其の二 古本屋と新刊書店は別業種 え、なんで? おなじ本屋じゃん・・・そう思う者は多かろう。そこがアサハカの夜は更けて、だ。新刊書店に置かれている本は、一部を除きこれすべて委託品。返品可能な商品だ。汚れたり、カバーが破れても返品はできる。店主のふところは痛まない。置かれている本も、店主が自分の眼で選んで注文するものもあるが、ほとんどは取次ぎを通して配本されてくる。これは店の規模や業種によって変わってくるが、まあ、そういうものだと思ってよろしい。 ところが、古本屋に置かれた本は、すべて店主が身銭を切って仕入れた返品不能な商品ばかりだ。汚れたり、カバーが破れたりして売れなくなれば、そのロスは店主がかぶる。あなたがお金を払って自分のものとするまでは、古本屋の棚に並んだ本はすべて店主の財産、所有物だ。店主の蔵書といってもいい。古本屋の店主が不機嫌で難しそうな顔をしているのはゆえなきことではない。乱暴な扱いは厳禁、ということだ。本の上にカバンを乗せる、つばをつけてページをめくるなど論外。土下座してへりくだる必要はないが、他人の本に触るという最低の礼儀は必要だ。 そこまで言う店主はほとんどないが、扱いを間違って本を落として傷めたり、カバーや帯を破った場合は買い取る、ぐらいの心構えを持ったほうがいい。じつはこれは新刊書店でも同じことなのだが、昨今客のマナーがいちじるしく低下している。ひとこと注意しておきたい。 ◆心得 其の三 買いたいと思ったときに本はなし 古本屋の本は、基本的にどれも一点ものだ。複本はない。買い逃して次に行ってなければそれまで。「次はいつ入りますか?」と聞いている客をよく目にするが、釣り客に「次の魚は何時ごろ釣れますか?」というのと同じ。二度目はない、と古本にかぎっては思ったほうがいい。古本マニアの話を聞くと、不思議とみな、買いのがして次に行くと必ず売れてなくなっているという経験をしている。 喉から手が出るほど欲しかった本が目の前にあり、しかしお金が足らず、あわてて銀行でお金を下ろして戻ってみるとほんの数十分のうちに売れていた、なんてウソみたいな実話もある(ゴホン!ワシじゃワシじゃ)。そういうときは店の主人に一言いって、取り置きを頼めばいい。 とにかく、最初のうちは失敗を恐れず、積極的になんでも買っておけばいい。あとで後悔するよりはるかに精神的に負担が少ない。失敗したと思えばまた古本屋へ売ることもできる。ウーム、出版業界の成り立ち、物流、アマゾンの尻尾などを彷彿とするくだりなど・・・古本道の奥義は、なかなか深いものがありまんな♪角田さんの古本修業の様子を見てみましょう。<安藤書店>よりp99~102 早稲田通りを少し戻って、にいく。えーと、安藤書店の店主は、三楽書房の店主のおとうさん。そうか、息子は跡を継いだのではなくて、べつのお店をはじめたわけだな。二世代の古本屋が、同じ通りに店を構えている。 外のワゴンに新書が並んでいる。通りがかりの学生が、立ち止まってワゴンを眺めている。いいぞ、きみ、知識に飢えたまえ、と老婆心で若者を応援している。 文学が多い。ここもまた、平野書店と同じく、じつに硬派な品揃えである。夏目漱石、三島由紀夫、安岡章太郎、深沢七郎、丸山健二、・・・しかも、本の背表紙に「初版本」の帯が巻いてある! 初版本、というものの価値について、じつは私はよくわかっていないのだが、しかし、この修業をはじめてからなんとなくいいもののような気がしている。レストランなんかで、バターの味など判断がつかないのに、これはエシレバターだと言われると、なんとなくいい気持ちがして、食べたくもないパンにたっぷりバターをつけて食べる感じ、とよく似ている。・・・っていうか、それってただの貧乏根性? いやはや、とにかく初版本がたくさんあるのだ。しかもよく見ると、著者のサイン本というのもある。それなのに値段がさして高くない。 こういうところで、好きな作家の「初版本・サインつき・しかも安価」を見ると、血が逆流する、というのは大げさだけれど、アドレナリンが確実に上昇して、物欲が渦巻く。 深沢七郎セットとか、開高健とか、志賀直哉とか、うん、欲しい欲しい、と目移りしているうちに、オールオアナッシング境地に陥り、全部買えないならなんにもいらないや、という気分になってきた。 そんな空白の心で選んだ2冊。開高健『シブイ』2000円。これは発刊が90年と新しいけれど、見たことがなかったのと、なかのデザインが美しいのとで、買うことにした。黒田征太郎の奇天烈な挿絵が入っている。カバー絵は中川一政。箱に入っていて、この箱が真っ黒。真っ黒の箱に「シブイ」と真っ黒の文字が入っている。(中略) それからもう一冊は『対話録・現代マンガ悲歌』1000円。70年発刊のこの本の表紙は佐々木マキで、じつに70年代らしい。中身は対談集。水木しげると鶴見俊輔、とか、林静一と鈴木清順、とかつげ義春と鈴木志郎康、とか、興味深い組み合わせの対談である。 編集部の書いたあとがきに、対談余話が載っていて、これがじつにおもしろい。病み上がりのつげ義春が、対談に緊張しすぎて前日から青林堂近くの旅館に泊まりこんだ・・・とか。つげ宅で行われた漫画家同士の座談会の様子なんかも、ああ、いいなあ、と思う。 レジで会計をしていると、「この店には永島慎二さんの絵が飾ってあるんだよ」と、向井氏が教えてくれる。レジの周辺の額を見ると、本当だ、永島慎二の絵。 漫画家、永島慎二を、私はリアルタイムでは知らなくて、つい最近、「ふゅーじょんぷろだくと」というところから再販された『漫画家残酷物語』を読んで知ったばかり。書きたいものと、売れるものの、永遠のジレンマが幾度も書かれるこの漫画の作者の絵。なんだか、感慨深い。 店を出ると、もう陽は沈みかけている。お店に戻るという向井さんと、まだ本を見ていくという河上さんと別れ、高田馬場までてくてく歩く。角田さんが買った『対話録・現代マンガ悲歌』が面白そうである。図書館に置いてあるやろか?ところで、12日のNHKオイコノミアのテーマは「本の値段は誰が決める」であり、又吉直樹と西加奈子の共演もあり、たいへん興味深く拝見したのです。本(新刊本)や新聞の値段には定価があり、その定価は法律で守られているとのこと。市場原理に任せず、定価という国家統制を行うのには、本や新聞の特殊事情があるわけで、番組の先生から統制理由の説明があったのだが・・・もう忘れてしまって(汗)新刊本には定価があるが、いっぽうで、古本には定価がない。では、新刊本と古本の境界はどこにあるのか?・・・経済的な疑問がわいてくるのです。いずれにしても、新刊本は再販制度で定価が守られています。この再販制度が、アマゾンの攻勢から弱小書店を守る砦として働いているようです。
2015.10.13
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図書館で予約した『ボクが韓国離れできないわけ』という本を1週間後にゲットしたのです。目次を見ると、韓国の言葉や料理を題材にして面白い話がてんこ盛りである♪【ボクが韓国離れできないわけ】黒田勝弘著、晩声社、2008年刊<「BOOK」データベース>より韓国・韓国人探検記。毎日が新発見、韓国人はおもしろい、読みはじめたら止まらない。むっつりウオッチング、言葉・食・花・歌・街・魚、笑いと驚きのてんこもり。【目次】1 私を殺してくださいー日韓誤解の楽しみ/2 金剛山もメシの後ー食は語る/3 桜に罪はないものをー街と人と自然と/4 秋の夕日に照る山もみじー韓国を釣る/5 マイ・ファースト・ソングー韓国を歌う/6 故郷忘じたく候ー歴史の断片<大使寸評>黒田さんといえば、韓国通ジャーナリストの先達というか・・・ホンマもんやで♪なるほど、読みはじめたら止まらない。<図書館予約:(10/03予約、10/10受取予定)>rakutenボクが韓国離れできないわけ韓国あれこれ2にも書いたように、大使が選ぶ韓国トロット(韓国演歌)となれば・・・『釜山港へ帰れ』『大田ブルース』『木浦の涙』『カスマプゲ』・・・あたりになるのです。これが奇しくも黒田さんとカブるわけで、いわゆるスタンダード・ナツメロなんでしょうね♪<ぼくの韓国歌謡事始め>よりp202~204 あれは1971年8月のことだった。初めての韓国旅行で、今のロッテ・ホテルの場所にあった「半島ホテル」に泊まったのだが、その地下にナイトクラブがあり、到着した夜、さっそく出かけて一杯やった。その時、初めて聞いた韓国歌謡が『大田ブルース』で、以来、ぼくは韓国演歌のファンになった。あの時の『大田ブルース』は実に鮮烈であった。 次は1977年6月、釜山で1ヵ月の住み込み取材をした折り、遠出をして湖南線に乗った。ところがこの時の湖南線の列車が光州からソウルまでの間、車内放送でのべつまくなしに趙容ピルの『釜山港へ帰れ』を流していた。湖南線に『釜山港・・・』という取り合わせも面白いが、あれは何時間かかっただろうか。おかげで『釜山港へ帰れ』はイヤでも憶えてしまった。 この釜山滞在の後、日本に帰り、そのころ、日本で出ていた季刊雑誌『三千里』に頼まれ釜山レポートを書くはめになった。このときの原稿で「こんないい演歌があった」と『釜山港へ帰れ』を紹介し、歌詞を自分なりに翻訳して掲載した。『釜山港へ帰れ』は後に日本で爆発的に人気を博するのだが、この歌を日本に最初に紹介したのはぼくではなかったかと、今でもひそかに自慢している。 ぼくはこの時の釜山滞在で“韓国病”になり、翌1978年3月からソウルに語学留学する。韓国にはまることをぼくは“韓国病”と名づけた。 ソウルでの下宿は延世大学前の新村だった。そのころ夜の街でどこに行ってもやっていたのがユン秀一の『サランマヌン、アンケッソヨ(愛はもうごめんだ)』だった。当然、これも自然に憶えてしまった。ユン秀一はハーフの男前だが、この歌はどこかヤクザっぽいムードがあり、当時の韓国人の男ぶりにピッタリで韓国情緒を楽しませてくれた。 以上が「思い出の韓国歌謡ベストスリー」である。その後の韓国滞在ではもっぱらナツメロ中心に韓国歌謡を楽しんだ。しかしソウルあたりでカラオケ屋に行くと、最近は韓国人たちのナツメロのリクエストがめっきり減っている。その分だけぼくのナツメロ・レパートリーは人気を博する(?)ことになるのだが、本場の韓国人たちがナツメロをやってくれないのは、いささかさびしいですね。 この原稿は実は先ごろ亡くなられた韓国の代表的ナツメロ歌手、金貞九先生に対する哀悼の意味で書いている。ソウルのプラザホテル裏の劇場式ビアホール「草原の家」でよく歌っておられた『涙に濡れた豆満江』がなつかしい。あの歌は『木浦の涙』や『雨降る湖南線』などと並ぶ韓国演歌の名曲である。 ぼくら70年代の語学留学生たちはみんな得意の韓国歌謡の持ち歌があった。たとえばその中で『涙に濡れた豆満江』を持ち歌にしていたのが、その後、韓国・朝鮮問題の研究者として活躍している武貞秀士君(防衛研究所アジア太平洋室長)である。彼は興が乗ると腰から抜いたベルトの先を右足で踏みしめ、ベルトを櫓に見立てて舟をこぐまねをしながらこれを歌う。 当時のぼくら日本人留学生は歌を通じ韓国情緒を勉強した。今は、留学生たちはどうかな。
2015.10.12
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図書館で予約した『ボクが韓国離れできないわけ』という本を1週間後にゲットしたのです。目次を見ると、韓国の言葉や料理を題材にして面白い話がてんこ盛りである♪大使は、韓国出張時に韓国スタッフから「何を食べたいですか?」と聞かれると、たいがい魚料理を所望したように・・・総じて、韓国の魚料理は美味しいと思ったものです。【ボクが韓国離れできないわけ】黒田勝弘著、晩声社、2008年刊<「BOOK」データベース>より韓国・韓国人探検記。毎日が新発見、韓国人はおもしろい、読みはじめたら止まらない。むっつりウオッチング、言葉・食・花・歌・街・魚、笑いと驚きのてんこもり。【目次】1 私を殺してくださいー日韓誤解の楽しみ/2 金剛山もメシの後ー食は語る/3 桜に罪はないものをー街と人と自然と/4 秋の夕日に照る山もみじー韓国を釣る/5 マイ・ファースト・ソングー韓国を歌う/6 故郷忘じたく候ー歴史の断片<大使寸評>黒田さんといえば、韓国通ジャーナリストの先達というか・・・ホンマもんやで♪なるほど、読みはじめたら止まらない。<図書館予約:(10/03予約、10/10受取予定)>rakutenボクが韓国離れできないわけ釜山の魚料理をのぞいてみましょう。・・・黒田さんに言わせると、釜山の魚料理はいまいちのようです。<アナゴ刺身論>よりp63~64 韓国では政権交代を目前にこのところ何かと政治がらみの話題が多い。そのひとつに、食通の間では首都ソウルの食の風景にも変化がありそうだという話を聞いた。大統領が木浦出身の金大中氏から釜山出身の慮武ヒョン氏に代わるため、食の方でも釜山料理が幅を利かすのではないかというわけだ。 金大中政権時代はたしかに湖南料理が幅を利かせた。ぼくの経験でも、政権筋のお呼ばれというとだいたいが全羅道系の店だった。ただ「食は湖南にあり」というように、もともと全羅道料理は食材も豊かで味もいい。皿数の多さをはじめ、そのお膳の豊かさは実に楽しい。だから政権筋でなくても湖南の料理は人気があった。 ところで釜山料理だが、どうも印象はよくない。まずキムチが塩からっくて、かつトウガラシ辛く、ふくよかさがなく、まずい(?)。日本のスーパーで「釜山キムチ」と銘打ったのがあったが、キムチのブランドを釜山に代表させてはいかん。 あとは釜山というと魚料理だが、これといったものがない。腔腸動物だろうか「ケーブル」(ユムシ)のぶつ切りとか、小型のヤツメウナギみたいな「コムジャンオ」(ヌタウナギ)の焼いたやつとか、素材そのものの面白さはあるが、いずれも料理というにはいまいちだ。 昨年、釜山のアジア競技大会の際、こんな風景があった。北朝鮮の選手団から「釜山名物は何か?」と聞かれた地元の記者が「オデン」と答えたのだ。オデンにはハンペンなど魚肉の練り製品を使うので、「釜山オデン」がうまいというのは分からなくでもない。それにオデンは日本原産だから日本人にはうれしい話ではあるが、これでは釜山のためにはいささかさびしい。 で、政権交代で話題になっているのは釜山名物(?)の「アナゴの刺身」である。全羅道とくに木浦は発酵させてアンモニア臭いっぱいの奇食「ホンオ(エイ)の刺身」で有名なため、釜山は「アナゴ」で対抗しようというわけだ。ちなみにアナゴは韓国語では「チャンオ(長魚)」だが、釜山では日本語をそのまま使っている。もうひとつちなみに、同じ長い魚のウナギは韓国語では「ペム(ヘビ)チャンオ」といっている。 ところが釜山の「アナゴの刺身」というのは、ぼくら日本人にはどこか抵抗感がある。皮を剥いだ後、骨ごとぶつ切り風にスライスしてあるからだ。そのまま噛みしだいて飲み込めばいいのだが、ぼくらには骨が気になる。アナゴそのものは白身で淡白な味だし、刺身で結構いけるのだが、骨がねえ。 料理という意味ではやはり「ホンオ」が一枚上手だ。強烈なアンモニア臭という韓国を代表する嫌悪食品だが、それなりに手が加わっていて、かつ話題性もある。それに次期政権は金大中政権の与党を引き継いでいるので、全羅道系がかなり残っている。「ホンオの刺身」もまだまだ楽しめそうだ。確かにチャガルチ市場で見るコムジャンオは異様であり、あまり食欲はわかないのです。ところで、釜山の味であるが・・・アナゴの天ぷらには閉口したのだが、フグ鍋はかなりいけてると思った次第です。写真に写っているチクワを揚げたように見えるのが、アナゴの天ぷらと称するものであるが・・・・料理人には日本でアナゴの天ぷらを食べて研鑽に励んでもらいたいと思うのである。(韓国ほろ酔い旅行3 より)大使は韓国出張時、釜山ではフグ鍋を食べ続け、仁川では海鮮カルグクスを食べ続けたように・・・総じて韓国の魚料理は美味しいのだ。
2015.10.12
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図書館に借出し予約していた『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』をゲットしたのです。待つこと4ヶ月ちょっとか・・・・待機期間のバラツキは神戸市が何冊買うかにかかっているのかな?(つまり需要に対して購入数が少なかった?)北欧女性の描く四コママンガということだが・・・・これぞ クール・ジャパンなんでしょうね。【北欧女子オーサが見つけた日本の不思議】オーサ・イェークストロム著、KADOKAWA、2015年刊<「BOOK」データベース>よりコンビニおにぎりは便利すぎる!女子が何でも「可愛い」と言うのはなぜ?ホストの男性はアニメみたいで素敵。北欧スウェーデンからやってきた漫画家が描く、日本への愛にあふれた驚き&爆笑のコミックエッセイ!<読む前の大使寸評>北欧女性の四コママンガてか・・・・これぞ クール・ジャパンなんでしょうね。<図書館予約:(5/22予約、10/07受取)>rakuten北欧女子オーサが見つけた日本の不思議著者のマンガをネットで探していたら、こんなん出ました♪アメブロで1位。北欧生まれの女子が描く”素朴な日本の不思議”に思わず納得より 漫画を描いているのはオーサ・イェークストロムさん。プロフィールによると、東京在住のアラサースウェーデン女子。ブログで公開している4コマ漫画のテーマは「日本での驚いた出来事や発見したこと」で、日本での日常を面白く描いています。 日本では当たり前のことも、在日歴が数年のオーサさんにとっては、新鮮なこと。そのフレッシュ感が、漫画から伝わってきて、読者も新たな発見があったかのように感じます。そして、ゆる~く可愛いキャラクターたちが可愛いです!
2015.10.11
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中国メディアに日本人の受賞に関する記事が出ていたが・・・人の役にたつというノーベル賞の本質については触れていません。このあたりが中華たる所以なのか?2015/10/01日本で「ノーベル賞」受賞者が輩出される理由=中国メディアより 中国メディアの騰訊訂閲は28日、日本がノーベル賞受賞者を輩出していることについて、日本人受賞者はいずれも努力家であると同時に、自然に接し、多くの本に親しむ幼少期を送ってきた人が多いと伝え、子どもたちを取り巻く環境も日本からノーベル賞受賞者が輩出される理由につながっているとの見方を示した。 記事は、日本人のノーベル賞受賞者たちはみな、学校教育で基礎知識を着実に学ぶと同時に未知の世界に対する好奇心を膨らませたと伝え、「幼少期に大自然に接し、無邪気な探究心と興味が科学教育の啓蒙につながっている」と指摘した。 さらに、緑色蛍光タンパク質の発見と開発によってノーベル化学賞を受賞した下村修氏が「他の分野への応用や利益を考えての研究ではなく、なぜクラゲが発光するのか知りたかっただけ」と述べたことを紹介。大自然など自分の周りの世界に対する好奇心が、ノーベル賞受賞者を科学研究の世界に進ませたと報じた。 続けて、日本は島国であり、地理的条件は研究開発において不利な要素が多いはずだと主張する一方、日本人は自分たちの自然環境に親しみと誇りを持ち、自然現象に敏感だと指摘。2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏も「幼少のころに学校の裏山で遊んだ記憶が忘れがたい」と述べていると紹介した。また記事は、日本のノーベル賞受賞者はみな幼少のころから「読書」に親しんできていると伝え、日本政府も現在は子どもの読書習慣を重視しており、4月23日を「子ども読書の日」に定めたほどだと紹介。テレビやインターネットなどが普及した現代において、読書は学校教育を補足する役割を果たしつつ、子どもたちに有益な知識をもたらしてくれると論じた。 そのほか、ノーベル化学賞を受賞した野依良治氏は「12歳の時に父親に連れて行ってもらった展示会で化学に興味を持ったのが始まり」だと伝え、家庭の教育や環境も重要だと指摘。中国も日本と同様に家庭教育を重視する文化があるとしながらも、現代の中国では家庭教育が退化し、子どもの物質的欲求を満たすことばかりが重んじられていると主張。中国の子どもたちも「親の財産が将来的に自分のものになる」と当然のように考え、自立心や独立心に劣ると批判した。(編集担当:村山健二)韓国メディアに日本人の受賞に関する記事が出ていたが・・・日本人の「匠の精神」を評価しています。でもやはり、上記のノーベル賞の本質には触れていません。2015/10/7科学分野ノーベル賞日本21人・中国1人、韓国人受賞はいつ?より 今年のノーベル医学・生理学賞受賞者3人のうち1人は日本人、1人は中国人だった。また物理学賞受賞者2人のうち1人がまたも日本人だった。その結果、日本は自然科学分野のノーベル賞受賞者が21人となり、中国も今回ついに最初の受賞者を出した。 今回、医学・生理学賞を受賞した日本人と中国人の受賞者は、いわゆるエリートコースを歩んできた科学者ではない。中国中医科学院の屠ユウユウ首席研究員(84)は博士学位もなく、また海外に留学した経験もない。さらに中国で理工系の権威者に贈られる院士の称号も与えられていないことから「三無」の科学者と呼ばれていた。彼女は1600年前に書かれた中国の医学書を詳しく調べ、190に上る薬草の効能について実験を重ねた末に、191回目に実験を行ったヨモギの一種「クソニンジン」からマラリアによる発熱に大きな効能を持つ成分の抽出に成功した。 日本人受賞者の大村智氏(80)は北里大学名誉教授だが、出身は山梨大学という地方国立大学だ。大学卒業後は夜間の工業高校で教師を務めていたが、在職中、仕事を終えてから油まみれで勉学に励む生徒たちを見て「自分もこのままではいけない」と考え、研究者の道を進むようになったという。大村氏が40年にわたり勤務した北里大学は「日本の細菌学の父」とも呼ばれる北里柴三郎(1853-1931)が101年前に私費で設立した研究所が母体となっている。先代の科学者が未来を見据えてじまいた種が、今回大村氏のノーベル賞受賞として報われたのだ。 屠ユウユウ氏がマラリア治療剤の研究を始めたのは1969年で、当時の毛沢東主席の指示によるものだった。中国は1994年、巨額の報酬を与えて世界中から優秀な科学者100人を招くいわゆる「百人計画」を進め、それが後に「千人計画」となり、今の習近平・国家主席の就任後は「万人計画」となった。中国がこのように国家の次元で科学の発展を目指しているとすれば、日本は一つの分野を究極まで突き詰める科学者たちの「匠の精神」により、2000年以降はほぼ毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出している。 韓国はつい昨年まで18兆ウォン(約1兆9000億円)に上る政府予算を研究開発に投入したことからも分かるように、国と民間による研究開発投資の割合は世界一だ。ところがその結果はあまりにも見るに堪えず、これらの資金は誰かの懐に漏れ出しているとのうわさばかりが聞こえてくる。韓国が近代的な科学に取り組んだ歴史はまだ短いが、その上研究者たちに執念も魂もなければ、国が今後いくら資金を投入しても結果は出ないだろう。韓国の報道も、落ち着いてくると「倫理」や「品格」という言葉が登場しました。2015.10.10日本人ノーベル賞受賞は韓国人にありがたい知らせより ノーベル賞はゆっくりと成長する木であり、湿度や温度と太陽の光が調和して初めて芽を出す気難しい種でもある。研究目標の設定や研究費の配分に当たって、将来を見通す視点が必要だ。ノーベル賞の受賞者はその大部分が、20-30年前の研究実績によって決まる。逆に言えば、20-30年後にも斬新かつ重要な研究と思われるテーマを見つけなければならない。 大統領の鶴の一声で、研究目標や研究費が一気に変わってしまう後進的なスタイルは毒薬にしかなり得ない。教育部(省に相当)の長官・次官の経験者が総長を務める大学に研究費を支給する不公平なシステムからも早く卒業すべきだ。教育部の事務官や係長、課長が下手な指揮をすることにより、現場の研究者たちを挫折させるような状況も、これからはなくしていかねばならない。 根本的なことは、研究者の姿勢や倫理意識の変化だ。自然科学部門のノーベル賞を受賞した日本人21人のうち、大学の総長を夢見て、あちこちでのぞき見をしているといううわさが流れるような人は一人もいない。研究費の管理をめぐる不正で外部の干渉を招くこともない。あるときは競争、またある時は協力しながら、共に日本をノーベル賞への道に導いた湯川秀樹氏(1949年受賞)と朝永振一郎氏(65年受賞)は、研究実績だけでなく、研究者の品格と権威によって人々から尊敬された。今年もまた日本からの「10月の風」に当たりながら、いろいろな考えが脳裏をよぎった。韓国メディアによると、韓国が漢字排斥の弊害にあえいでいるようです。韓国人の思考力まで低下させる漢字排斥については見るに耐えないが・・・政府予算で研究開発投資に励むより、漢字復活させるほうが、よほど効果的だと思うけど。2015/10/4漢字教育こそハングルの力を育てる道より 先ごろ、大阪を訪れたときのことだ。空港で入国審査を待つ列で韓国の若者2人が何やら話しながら、しきりに後ろを振り返った。やがて決まりが悪そうに「あのぅ、『卿』という字はどう書くんでしたっけ」と尋ねた。入国書類に自分の名前を漢字で書けなかったのだ。家族はかつて子どもが生まれ、どんな名前を付けようかとあれこれ悩んだはずだが、漢字離れがこれほど進んでいるとは知らなかった。 文章が上手だとして選ばれた大学生の作文に点数を付けたことがある。こういう文があった。「国軍の将兵がわれわれを『昼撤不夜』献身しているという事実…」「階層を『追越』した共同体意識」。正しくは「不撤昼夜(昼夜問わずの意)」「超越」で、漢字を正しく知っていれば、こんな間違いは犯さなかったはずだ。 そのさまを見て、最近インターネット上で流行している「綴り間違いネタ」シリーズを思い出した。例えば「日就月将=日々成長・発展する)」という単語をハングルで「イルチオルチャン」と表記するようなケースだ。エアコンの「室外機」を「シレギ」と表記した例もそうだ。元の漢字を知らないまま、聞こえるままにハングルで表記すれば、こうなってしまうのかもしれない。しかし、笑ってばかりもいられない。 学校から漢字教育が消え、漢字ができない人が増えたことで、韓国人の言語生活はますます貧困になっている。韓国語の語彙の70%を占める漢字語をまともに知らないために、語彙力、読解力が低下する。経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に文章理解力を測定した調査で、韓国は最下位だった。漢字を活用した造語力が低下し、英語の専門用語を翻訳できないケースが相次いだ。 見るに見かねた教育部は、2018年から初等学校(小学校)で漢字教育を復活させる計画を立て、このほど公聴会が開かれた。初等学校で漢字300-600字を覚えることを目標とし、教科書にハングルと漢字を併記する案が検討されている。しかし、漢字教育に反対する団体が公聴会の名称を問題視し、壇上を占拠したため、賛否両勢力の間で口論となり、小競り合いも起きたという。 漢字教育論者で経済学者だった故・林元沢教授はこう話していた。「なぜ人々はハングルと漢字をコーヒーと紅茶のように二者択一しようとするのか。コーヒーと砂糖、紅茶と砂糖のような補完関係とは考えられないものか」。言語生活で漢字を敬遠したことで、ハングルが韓国語をうまく表現できない文字になってしまえば、ハングルの立派な価値がむしろ低下しかねない。今こそ論争から脱却すべきだ。漢字を教えることがハングルの力を育てる道だ、と考えを改めるべきだ。
2015.10.10
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図書館で『カラーリーフ』という本を手にしたが・・・彩りの葉っぱ大好きという大使のツボがうずくわけです。【カラーリーフ】中野嘉明著、農山漁村文化協会、2013年刊<「BOOK」データベース>よりカラーリーフガーデンとは、鮮やかな乳白色や黄色、赤紫、銀青色など、多彩な葉色の樹木や多年草が、さわやかなカラーハーモニーを奏でる庭。最近では世界各国からカラーリーフの樹木や多年草が次つぎと導入され、入手も容易になっている。本書では、現在入手しやすいカラーリーフプランツ421種の選び方や、カラーハーモニーを奏でるデザイン法をご紹介した。<読む前の大使寸評>カラー写真の多いこの本は、彩りの葉っぱ大好きという大使のツボがうずくのです。rakutenカラーリーフこの本の冒頭にカラーリーフプランツの説明やその魅力が載っています。p6~7<カラーリーフプランツが奏でる魅惑的なカラーハーモニー> 樹木や草花など植物の葉の色は、多くは緑色をしていますが、なかには秋でもないのに全面が黄色や赤紫色、銀青色などに美しく色づくものや、緑葉の一部が白色やクリーム色、ピンク色などになる、いわゆる「斑入り」のものがあります。 本書では、これらの樹木や草花を合わせて「カラーリーフプランツ」と称し、これらを部分的に用いたり、カラーリーフプランツを主体に組み合わせてカラーハーモニーを鑑賞する庭園を「カラーリーフガーデン」と呼びます。なお、下草に用いる草花は一度植えると長年にわたり楽しめる多年草のみ取り上げています。<美しさを追い求めて作出されたカラーリーフプランツ>グレース これらのカラーリーフプランツは、自然状態で生まれた変種や品種もありますが、多くは人が美しさを追い求めて交雑したり選抜したりして生まれた園芸品種です。そのため、カラーリーフプランツの色彩は、種類ごとに実に変化に富んでいます。 たとえば、6月頃に開花して煙のようなピンク色の花穂をつけるスモークツリーのカラーリーフには、新葉は透明感のある赤紫色で、夏になると緑色を帯びたブロンズ色になり、秋にはオレンジ色から紅色に紅葉するグレースや、ゴールデン・スピリット、ロイヤル・パープルなど、それぞれに色彩が異なる園芸品種があります。<種類や組み合わせで異なるカラーハーモニー> カラーリーフプランツは、その選び方や組み合わせ方により、いろいろなイメージを演出します。 たとえば、秋の黄葉や紅葉のような美しい自然をイメージして、黄色系や赤色系のカラーリーフプランツを組み合わせれば、春から秋まで美しい黄葉、紅葉の感動的な景色をもたらしてくれます。また、静かな高原をイメージして、白色系や銀青色系を組み合わせると、清涼感のあるカラーハーモニーになります。我が家の庭作りのコンセプトといえば・・・・自然風な落葉広葉樹をメインにして、できるだけ彩り豊かな(国内原産の)樹を植えるということでした。ところが、ある日、大公妃が外来種のスモークツリーを勝手に1本植えてしまったのです。…でも、今では見慣れたせいか、そのわりと強烈な彩りが気に入っているわけです。我が家のシンボルツリーは玄関脇のケヤキなんですが・・・その他の樹木、草花は以下のとおりです。春秋の彩りを考慮したつもりなんです。<高木>・カツラ・モチノキ・棒ガシ<中木>・モッコク・ヤマボウシ・ハナミズキ・ノムラモミジ・カイヅカイブキ(列植え)・カイドウ・ハナズオウ・スモークツリー<低木>・ドウダンツツジ・ナツハゼ・バイカウツギ・ゴールデンモップ・シシガシラ(列植え)・サツキ(クマノ)(密植)・キャラボク(密植)・カクテル(バラの木を一本だけアクセントに)・シロヤマブキ・トサミヅキ・ジンチョウゲ・タマツゲ・アジサイ類・ハイビャクシン<下草>・ギボウシ・シロタエギク・トリアングラリス・ムラサキゴテン・セイヨウジュウニヒトエ・ホトトギス・シャガ・ツワブキ・アイビー(北側の柵に全面)なお、惜しくもシャラノキとエゴノキは枯れてしまいました。
2015.10.09
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“文学賞にチャレンジ”という秘めたる野望を持つ大使なんですが・・・この際、文学賞についてあれこれ集めてみました(アホやで)・『五色の虹』・大特集『作家と文学賞』・作家の履歴書・新人賞へチャレンジ・書評サイト<『五色の虹』>第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品は、三浦英之の『五色の虹』とのこと。満州建国大学卒業生たちの戦後に着目して、彼らの半生を追った著者のジャーナリスト魂がいいではないか♪・・・ということで、「五族協和」にこだわる大使は、出版社のサイトを覗いてみました。第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品『五色の虹』より三浦英之 日中戦争の最中、日本の傀儡国家となった満州で、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの五民族から選抜された優秀な若者たちが六年間、共同生活を送った場所がある。 幻の大学と呼ばれる最高学府「満州建国大学」。 そこでは満州国の国是「五族協和」を実践すべく、特殊な教育が施されていた。学生たちは二十数人単位の寮に振り分けられ、授業はもちろん、食事も、睡眠も、運動も、生活のすべてを異民族と共同で実施するよう強制されていたのだ。一方、学生たちには「言論の自由」が等しく与えられ、五民族の学生たちはそれぞれの立場から、日本や満州の政策をめぐって日夜激しい議論を戦わせていた。 1945年、満州国が崩壊すると、建国大学は開学わずか八年足らずで歴史の闇へと姿を消す。それぞれの母国へと戻った学生たちは「日本帝国主義への協力者」として弾圧され、過酷な生活を余儀なくされた。日本人学生の多くはシベリアに送られ、中国やロシア、モンゴルの学生たちは長年、それぞれの権力の監視下に置かれた。 そんな彼らが半世紀以上、密かに編み続けてきた記録がある。極秘の同窓会名簿である。卒業生1500人の氏名と住所、戦後に就いた職業などが記されている。かつてのニッポンが目指した「五族協和」と、現在の中国共産党の進める「少数民族同化政策」とが、どう違うのか?・・・ついナショナリズムに傾く大使でんがな。<大特集『作家と文学賞』>本屋でIN★POCKET 2014年10月号を見かけたが・・・大特集『作家と文学賞』となっているので、即買いでした。超お買い得やで♪【IN★POCKET 2014年10月号】雑誌、講談社、2014年刊<出版社サイト>より【大特集:作家と文学賞】いつ、どこで、どの作品で、賞を受けたのか。驚いた。喜んだ。はたまた、悔しかった。文学賞に対する思いは、作家の数だけ違う。けれど、ひとつだけ共通すること。どんな賞にも受賞者しか知らない秘密と思い出がある。作家がこっそり教えてくれる、ここだけの「文学賞」、うちあけ話。 <大使寸評>ピンポイントで大使のツボを突いています。これで200円なら、超お買い得でおま♪文学賞カレンダー(p53)なんてのもあるので、だめもと応募に役立ちそうです。(アホやで)kodanshaIN★POCKET 2014年10月号<作家の履歴書>『作家の履歴書』という本は適当につまみ読みしても、文学賞デビュー方法が学べる内容になっています。つまるところ、読んで楽しいハウツー本として評価できるのではないでしょうか♪(デビューできるかどうかは、読者の素質次第なんでしょうけど)【作家の履歴書】阿川佐和子、他著、KADOKAWA、2014年刊<商品説明>より当代きっての人気作家が、志望動機や実際に応募した文学賞、デビューのきっかけなど、作家になるための方法を赤裸々に語るノンフィクション。作家志望者必読の、様々なデビュー方法が具体的に学べる決定版!<読む前の大使寸評>作家志望の大使にとって、作家デビューのヒントが満載の1冊でおま♪rakuten作家の履歴書作家の履歴書byドングリ<新人賞へチャレンジ>『日本語文章がわかる』という本のなかで、某誌編集者の松成氏が新人賞へ勧誘していました。某誌および出版業界の宣伝も兼ねているんでしょうけど。<新人賞へチャレンジ:松成武治>よりp101~102 『生きる』で今期(2002年下期)の直木賞を受賞した乙川優三郎氏は、「何の下地もなしに小説らしいものを書きはじめてから十余年」と自らの歩みを回想しています。 乙川氏が、小説の世界に入ったのは、「気まぐれ」からだったといいます。 ある夜、酒を飲みながらテレビで退屈な時代劇を見ていた。これなら自分にも、短篇なら書けるかなとワープロに向かいます。 10秒前までは、その気もなかったのに、書き始めてみると、結局、2週間ぐらいかかりますが、最後まで書くことができた。で、小説雑誌の新人賞に応募する。落選。以来、年に2篇、新人賞にチャレンジして、5年目に「藪燕」でオール読物新人賞にゴールイン。 『霧の橋』で第7回時代小説大賞、『五年の梅』で第14回山本周五郎賞授賞、と乙川氏は、一作、一作、階段を上がるように作品世界を充実させて、今回の直木賞受賞を迎えます。乙川氏の場合、何の準備もない、ずぶの素人からここにいたるまでに十余年の歳月が必用だったというわけです。 第109回の直木賞を授賞し、乙川さんの先輩にあたる高村薫氏もよく似たコースを辿りました。 日本経済が右肩上がりの好調を続けた80年代のなかば、高村氏は、当時はまだまだ高価、70万円ほどもしたパソコンを入手。 買ってはみたものの、さほどの用途もなく、暇つぶしの気分で文章を作ってみた。それが高村氏にとって、小説世界への入り口でした。 書き上げてみると、だれかに読んでもらいたく、といって親や友達に見せるのは恥ずかしく、と、新人賞に応募したのが今日の高村氏に接続します。 高村、乙川氏ばかりではなく、新人賞にチャレンジする人々は増加の一途です。 発行部数よりも、新人賞への応募数のほうが多いと悲鳴を上げる雑誌まであらわれるほどの活況ぶりですが、この現象は、次の世代の文壇隆盛のために大変に喜ばしいことだと受け止められます。 偶然、出来ごころ、好奇心、動機はさまざまで結構です。続々と小説世界への参加を期待しています。大変に魅力に満ちた世界であると確信しています。<書評サイト>ネット上には、いろんな書評サイトがあり、大使もフォローしているのだが・・・この中に文学賞受賞作も含まれているので、励みになるのでは。■朝日新聞系列最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評からbyドングリ■文芸春秋・今月買った本・新書の窓■図書:岩波書店・読む人・書く人・作る人
2015.10.09
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政策研究大の白石隆さんがインタビューで「力の均衡維持へ日米連携で制した、新秩序の規格争い」と説いているので、紹介します。TPP推進派の論説であるが・・・反TPPの大使から見ても、なかなか説得力があると思うわけです。なお、インタビュアーは大使注目の吉岡桂子委員となっています。(白石隆さんへのインタビューを10/7デジタル朝日から転記しました) 日米など12カ国で続けてきた環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉が大筋で合意した。米国主導を日本が支え、アジアの新しい通商の枠組みをつくる意味は何か。TPPでアジアのパワーバランスはどう変わるのか。アジア地域研究の第一人者で、政策研究大学院大学学長の白石隆さんにきいた。Q:TPPの大筋合意をどうみますか。オバマ米大統領は「中国のような国に世界経済のルールを書かせられない」などとする声明を出しました。A:先進国の経済が世界全体の半分以上を占めているうちに、日米でアジアの通商秩序を整える主導権をとれた意義は大きい。 世界経済は今、中国をはじめとする新興国の台頭によって、大きな構造変化がおきています。米国は『アジア回帰』を掲げつつも、単独でこの地域の安定を維持するのは難しく、この地域の同盟国、パートナー国との連携を重視するようになっている。日本は米国や他のパートナー国とともに、地域のバランス・オブ・パワー(力の均衡)を保つ役割を担わなければならない。また、通商問題など国境を越えたルール作りについても連携しなければならない。Q:日本にとっての意義は。A:二つあります。経済面では、アベノミクスの成長戦略の起点になる。農業対策など1980年代から積み残してきた課題は多い。大筋合意を機に産業構造を見つめ直し、改革を進めるべきです。 安全保障面では、新しい安保法制の成立とともに、米国とのパートナーシップを深化させることができる。日米が協力して成果をあげた意味は大きい。Q:米国は東西冷戦中、共産化を避けるためアジアの国々を支援しました。中国が台頭するなか、米国に都合のいいルールをアジアに広げる試みでは。A:TPPは中国を敵視したり、排除したりする枠組みではありません。アジア、とりわけ東南アジアは、関税の削減よりも、サービス分野の自由化、知的財産権の保護などが、さらなる経済成長のカギをにぎる発展段階に移っている。中国も上海などに自由貿易試験区を設けて、サービスの自由化を進めようとしている。質の高い通商ルールを誰が先につくり、広げていくか。いわば新たな秩序を構築するための規格争いです。 その意味で、ベトナムが大筋合意に加わっている意義は大きいと考えます。東南アジアの中でも発展の程度はさほど高くないが、経済と安全保障の両面からTPPに入る決断をした。TPPを生かしてうまく成長できれば、アセアンの他国も続く可能性がある。 ■ ■Q:それにしても日本はなんでも米国追随でいいのでしょうか。A:アジアでは今、協力ゲーム、つまり金融や貿易でいかに協力しあうかというゲームよりも、パワーゲームが重要になっています。戦後日本の外交・安全保障の基本である日米同盟の重みも増しています。日米の立場が大きく離れると力の均衡が崩れ、将来への見通しが悪くなる。安全保障の分野は、経済に比べると日本の行動の自由が限られていますが、その範囲内で日本が独自にできることを日本の判断でやる。それが日本の国益になります。Q:中国への対抗が必要、と。A:日本の外交・安全保障政策を常に中国への対抗、牽制というレンズだけで見るのは賛成できません。確かに、中国は2008年ごろから自己主張を強め、最近では南シナ海の岩礁を埋め立てて滑走路を造り、軍事利用しようとしています。主権・領土の問題では譲歩しないとも明言しており、大国である自分たちが強く出れば周辺の国は黙ると考えて、機会があると力で現状を変えようとします。 太平洋からインド洋に至る、広大な地域における力の均衡の維持は非常に大事です。世界や地域のルール、規範を一緒に作ってはじめて、大国として尊敬される。これを中国にわかってもらわなければならない。日本が新安保法制とTPPを両輪にして日米同盟を深化させ、地域の力の均衡を維持していくことは、アジアの多くの国々でも歓迎されると思います。 ただし、日本のアジア外交が米国と完全に同期してしまうと、アジアの国々は米国にだけ対応すればよい、ということになりかねない。それが日本外交の難しさです。どこで米国との違いを見せていくかも、重要なポイントです。 ■ ■Q:中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、日本と米国は参加を見送りました。A:東南アジアの国々は当初、中国だけに都合のいいルールにならないよう、日本も入って内側から力を発揮してほしい、と考えていたと思います。しかし、日本は入らないという選択をしました。従って、世界銀行やアジア開発銀行(ADB)を通じてAIIBとの協調融資に取り組み、中国に関与していくことが重要です。Q:習近平政権は中国と欧州を陸上と海上で結ぶ「シルクロード経済圏」構想を掲げています。日米への対抗ですか。A:オバマ政権のアジア重視のリバランス(再均衡)戦略への対抗であることは間違いない。国内政策との関連では、経済成長率が7%を下回れば、多くの産業が過剰生産になり、赤字になる国有企業も少なくない。海外のインフラ需要を盛り上げ、資材などを輸出し、自国企業の進出を支援するということでしょう。中国企業の直接投資が進めば、日米などの企業を中心とした現在の生産網とは違うネットワークが生まれます。 また、長期のエネルギー供給を考えれば、中国が陸のエネルギー動脈を作りたいというのもよく分かる。南シナ海の領有権問題で対立するフィリピンやベトナムなどはともかく、タイ、カンボジアなど大陸部のアジアの国々を抱き込む狙いもあるはずです。Q:中国は今後も、自国中心の国際的な枠組みを示してくるはずです。日本は毎回、米国と組んで対抗していくのでしょうか。A:日米同盟は基本です。しかし、経済協力で、日本は中国と同じゲームはしない方がいい。インフラでいえば、高速道路など誰でもつくれるものは任せておけばいい。二酸化炭素排出量を低く抑えられる発電所の建設を支援するなど、質の高い協力が重要です。 ■ ■Q:日本とアジアの100年をどう評価しますか。A:日本は第1次大戦から第2次大戦にかけて、国家戦略上、致命的な間違いをおかしました。これははっきりしています。民族自決がいわれ始めた時代に、欧州列強より一周遅れで帝国の建設に乗りだし、アジア、特に中国のナショナリズムを敵にするとともに、英米も敵にしてしまった。 中国は戦場となり、東南アジアの多くの国々も、占領下で経済が崩壊し、深刻な危機を招いた。1940年代後半から50年代にかけてアジアでは革命・反革命があり、独立戦争もあった。そうした中で、日本は70年前の夏、降伏した。戦後日本の出発点は、こういうアジアとどう向き合うかという問題がありました。Q:反日感情も強かった。A:1970年代初めにもタイで日本製品の不買運動があり、田中角栄首相のジャカルタ訪問時には暴動も起きた。その後、福田赳夫首相時代に福田ドクトリンがだされた。 ベトナム戦争で米国の威信がゆらぐ中、日本は日米同盟を堅持して軍事大国化せず、経済協力で東南アジアの国々を支援するというものでした。これは今も日本の対アジア政策の基本です。アジアの発展を日本の利益と考える開かれた国益の概念は定着し、日本は、この地域の人々から信頼されるようになったと思います。Q:ただ、中国との緊張を抱えたままでアジアは安定しますか。A:ボールは中国のコートにあります。中国が世界でどのような役割を果たそうとしているかによります。一方、米国一極時代は終わり、中央アジアからアフリカにかけての地域では、イスラム過激派は国民国家の枠組みを壊そうとしており、中国はロシア、イランなどとユーラシアの大陸連合に向かっているように見えます。 日本は戦後70年、米国を中心とする自由主義的国際秩序の下で平和と繁栄を享受してきました。米国による平和とドル本位制、自由民主主義国家と市場経済という制度の上に築かれたものです。しかし、米国一国では、世界の平和の維持や通商秩序のバージョンアップはできない時代です。日本は歴史にも現状に対しても『修正主義』に陥ってはならない。今後も、現行の国際秩序を発展させる側に立つべきです。 *白石隆:1950年生まれ。専門はアジアの政治、国際関係。日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所所長。著書に「海の帝国」など。<取材を終えて> 中国の台頭でアジアの秩序が揺さぶられるなか、白石さんが言うパワーゲームが重要になればなるほど、協力ゲームの重要性も増すように思う。安保を絡めた規格争いから始まったTPPを、中国を引き込む協力のカードに切り替えられるか。うらやましくなるような成果があがるかどうかにかかっている。(編集委員・吉岡桂子)TPPの底流白石隆2015.10.07 この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2015.10.08
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図書館で『東京奇譚集』というタイトルがやや昔がかった本を手にしたが・・・村上春樹の小説を昔にさかのぼって読みたくなるわけです。・・・村上春樹に、はまってしまったんでしょうね。【東京奇譚集】村上春樹著、新潮社、2005年刊<「BOOK」データベース>より五つの最新小説。不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語。【目次】偶然の旅人/ハナレイ・ベイ/どこであれそれが見つかりそうな場所で/日々移動する腎臓のかたちをした石/品川猿<読む前の大使寸評>村上春樹の小説を昔にさかのぼって読みたくなるわけです。・・・はまってしまったんでしょうね。rakuten東京奇譚集短篇小説の香りをちょっとだけ嗅ぐ意味で、ハナレイ・ベイの一部を書き写してみます。p69~73 大柄の白人の男が彼らのテーブルにやってきて、彼女の脇に立った。手にはウィスキーのグラスを持っていた。たぶん40歳前後。髪は短い。腕は細めの電信柱くらいあり、そこに大きな龍の入れ墨が入っていた。その下にUSMC(合衆国海兵隊)という文字が見える。かなり昔に入れたものらしく、色は薄くなっている。「あんた、ピアノうまいな」と彼は言った。「ありがとう」とサチは男の顔をちらっと見てから言った。「日本人か?」「そうだよ」「俺は日本にいたよ。昔のことだけどな。イワクニに2年」「へえ。私はシカゴに2年いた。昔のことだけど。それでおあいこだよね」 男は少し考えていた。それから冗談みたいなものだろうと見当をつけて笑った。「なんかピアノ弾いてくれよ。景気のいいやつ。ボビー・ダーリンの『ビヨンド・ザ・シー』知ってるか?歌いたいんだ」「私はここで働いてるわけじゃないし、今はこの子たちと話をしてるの。ピアノの前に座っている髪の毛の薄い痩せたジェントルマンが、この店専属のピアニストだよ。リクエストがあるんなら、彼に頼めばいいんじゃない?チップを置くのを忘れないようにね」 男は首を振った。「あんなフルーツケーキには、へなへなのオカマ音楽しか弾けない。じゃなくて、あんたのピアノでしゃきっとやってもらいたいんだ。10ドルやるよ」「500でもごめんだわね」とサチは言った。「そうかい」と男は言った。「そういうこと」「なあ、どうして日本人は自分の国を守るために戦おうとしないんだ?なんで俺たちがイワクニくんだりまで行って、あんたらを守ってやらなくちゃならないんだ?」 「だからピアノくらい黙って弾けと」「そういうことだ」と男は言った。そしてテーブルの向かいに座っている二人組の方を見た。「よう。お前らどうせ、役立たずの、頭どんがらのサーファーだろう。ジャップがわざわざハワイまで来て、サーフィンなんかして、いったいどうすんだよ。イワクニじゃな・・・」「ひとつあんたに質問があるんだけど」とサチが口をはさんだ。「さっきから頭に、ふつふつと疑問がわき起こってきててね」「言ってみなよ」 サチは首をひねって、男の顔をまっすぐ見上げた。「いったいどういう風にしたら、あんたみたいなタイプの人間ができあがるんだろうって、ずっと考えてたのよ。生まれたときからそういう性格なのか、それとも人生のどっかで何かしらすごおく不快なことがあって、それでそうなってしまったのか、いったいどっちなんでしょうね?自分ではどっちだと思う?」 男はそれについてまた少し考えていた。それからウィスキーのグラスを、テーブルの上にごつんという音をたてて置いた。「あのな、レイディー・・・・」 その大きな声を聞きつけて、店のオーナーがやってきた。彼は小柄な男だったが、元海兵隊員の太い腕をとり、どこかに連れていった。知り合いらしく、男も抵抗はしなかった。ひと言ふた言、捨てぜりふを残していっただけだった。「すまなかったね」、少し後でオーナーが戻ってきてサチに詫びた。「ふだんは悪いやつじゃないんだけど、酒が入ると人が変わる。あとでよく注意しておくよ。店からなんかサービスするから、不快なことは忘れてくれ」「いいよ、ああいうの慣れてるから」とサチは言った。「あの男、いったいなんて言ってたんすか?」とずんぐりがサチに尋ねた。「何言ってるのか、ぜんぜんわかんなかったな」と長身が言った。「ジャップってのは聞こえたけど」「わかんなくていいよ。そんなたいしたことじゃないから」とサチは言った。「ところであんたたち、ハナレイで気楽にサーフィンしまくって楽しかった?」「すげえ楽しかった」とずんぐりが言った。「サイコーだったす」と長身が言った。「それは何より。楽しめるときにめいっぱい楽しんでおくといい。そのうちに勘定書がまわってくるから」ところで、ノーベル賞文学賞受賞者が8日に発表されるが・・・今年こそ村上春樹だよね。
2015.10.07
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日経テクノロジーオンラインにスマートグラスのパネルディスカッションの記事があったので、紹介します。大使は鯖江市と、村田製作所に恨みはないのだが、ちょっと違和感を感じたわけです。2015/10/7メガネの聖地“鯖江市”が生み出すウエアラブルより 消費者の趣味・嗜好が多様化する中、1社だけで突き抜けた製品を開発するのは難しくなっています。得意分野を持つ企業が集結し、異業種が連携してこそ、新たな価値が生まれてくるのです。こうした中、メガネ産業が盛んな“鯖江市”では、村田製作所がハブとなり、伝統技術とエレクトロニクス技術の融合を図った新たなウエアラブルの開発に挑戦し、デザインと使いやすさにこだわったスマートグラスのコンセプトモデルを開発しました。共創が生み出す新たな付加価値~ウエアラブル開発で何を得られたか~・真のIoTとは何か? 生活に溶け込むスマートグラス・プロジェクト(村田製作所) ・伝統のメガネ産業とエレクトロニクス技術の融合でスマートグラスの拠点づくりを目指す(福井県鯖江市長 牧野百男氏)上記の後、1.デザインの重要性2.コンセプトは“生活に溶け込む”3.スマートグラスの未来についての3つをテーマに、パネルディスカッションを進行いたしますスマートグラスすなわちウエアラブル眼鏡は、アメリカの軍事技術に端を発しているわけで・・・・一般人の生活で必需品というものではない。それに目をつけてパネルディスカッションを開くとは、単なる儲け主義なんでしょうね。グーグルグラスの2番煎じのような代物は、まったく、どうかと思うでぇ。『オートメーション・バカ』というシニカルな口調の本に、グーグルグラスの愚かしさが語られているので見てみましょう。<あなたの内なるドローン>p257~259 グーグルグラスのディスプレイはまた、デザイン上、逃れることが難しいものである。目の前に浮かび、いつでもちらっと見さえすれば使える状態だ。少なくともスマートフォンはポケットやハンドバックに入れたり、車のカップホルダーに突っ込んだりできる。グーグルグラスとインタラクトする際、言葉を口にしたり、頭を動かしたり、手ぶりをしたり、指でタップしたりすることも、精神や感覚への要求を増やしている。 アラートやメッセージを伝える聴覚信号(ブリンがTEDの講演で得意気に語ったことによれば、『まさに頭蓋骨をとおして』送られてくるもの)に至っては、スマートフォンの着信音やバイブに劣らずうっとうしいものに思える。隠喩的に言って、いかにスマートフォンが去勢的であろうとも、ひたいに取り付けられたコンピュータは、もっと悪いことになりそうだ。 とはいえ、グーグルグラスなどのデバイスが、過去のコンピュータからの断絶だとするブリンの示唆は間違っている。これらは、既存のテクノロジーのモメンタムをいっそう強めているのだ。スマートフォンによって、それからタブレットによって、ネットワーク接続された汎用型コンピュータはポータブルで親しみやすいものになったが、同時に、ソフトウェア企業がわれわての生活の、より多くの面をプログラムできるようにもなった。 視点次第で善にも悪にも見えるサイクルを、われわれは起動させた。アプリケーションやアルゴリズムへの依存を強めるにつれ、それらの補助なしに行動することはますますできなくなっている・・・われわれはスキルの抜け落ちだけでなく、注意力の抜け落ちも経験しつつある。それでさらにソフトウェアは必要不可欠なものになる。オートメーションがオートメーションを生むのだ。 誰もがスクリーンを通じて生活していこうとするのだから、当然社会はみずからのルーティンやプロシージャに適合させていく。ソフトウェアが達成できないこと(計算で処理できず、したがってオートメーションに抵抗するもの)は、不必要なものに見えはじめる。【オートメーション・バカ】ニコラス・G.カー著、青土社、2014年刊<「BOOK」データベース>より運転手がいなくても車が走り、パイロットが操縦しなくても飛行機が安全に飛び、さらには、自分の必要としているものも、道徳的な判断さえも、すべて機械が教えてくれる世界。それは一体どんな世界なのかー。ベストセラー『クラウド化する世界』『ネット・バカ』の著者が鮮やかに暴き出す、すべてが自動化する世界のおそるべき真実!【目次】第1章 乗客たち/第2章 門の脇のロボット/第3章 オートパイロットについて/第4章 脱生成効果/第5章 ホワイトカラー・コンピュータ/第6章 世界とスクリーン/第7章 人間のためのオートメーション/第8章 あなたの内なるドローン/第9章 湿地の草をなぎ倒す愛<読む前の大使寸評>いかにも探検家の角幡唯介さんが選びそうな本である。角幡唯介さんが次に目指すのは北極だそうだが、この探検にはGPS機能の機器を持参しないそうで(星座観測、六分儀を使用?)、オートメーションを拒否して動物的感覚を頼る計画だそうです・・・・すごい♪また、アップルやグーグルが自動運転車の製造を目論んでいるようだが・・・・何と心ときめかない製品ではないか(笑)<図書館予約:(5/15予約、9/19受取)>rakutenオートメーション・バカオートメーション・バカby角幡唯介
2015.10.07
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図書館で『下流老人』を予約しようとも思ったが、結局、本屋で購入したのです。楽天ブックス日別ランキング(社会部門、2015年10月5日現在)でトップの本であり、それだけ切実な問題なんだろう。折りしも、国勢調査票の提出時期となっているが・・・年金生活者はその他扱いであり、員数外なのかと寂しい思いをしたのです。また、安部さんが国連での演説で「エコノミクス」を連呼して顰蹙をかったが・・・弱者に冷たいアベノミクスに期待する極楽トンボは少ないのではないか。【下流老人】藤田孝典著、朝日新聞出版 、2015年刊<「BOOK」データベース>よりまもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」である。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパクトは計り知れない。<読む前の大使寸評>楽天ブックス日別ランキング(社会部門、2015年10月5日現在)でトップの本であり、それだけ切実な問題なんだろう。rakuten下流老人老人問題の本かと思いきや、少子化にも言及しています。<少子化を加速させる>p41~43 下流老人の問題は、間接的に少子化を加速させる一因にもなっている。現代において、子どもをつくって家族を持つことは、もはや「リスクである」という考え方さえある。 たとえば子どもを産んだら、大学卒業まで育てきるのに一人あたり1000万~2500万円程度はかかると言われている。 実際に、文部科学省の「平成24年度子供の学習費調査」や日本政策金融公庫の「平成26年度教育費負担の実態調査結果」などによれば、幼稚園から大学卒業までの19年間にかかる教育費で最もコストの低い場合は、すべて公立学校に進学するケースで、約1000万円である。そして最もコストが高いのは、すべて私立に進学するケースであり、とくに理系の大学に進んだ場合は約2500万円かかる。 非常にドライに考えれば、その分だけ自分の老後の資産が減ることになる。1000万円あれば、自分が十数年は、下流に至らず長生きできるとも言えるわけだ。そして、先ほどから指摘しているとおり、子どもに老後の面倒を見てもらうことは、おおよそ困難と言える。つまり「コスパが悪い」のである。 そのような前提で出産や子育てを見れば、出産しないという「合理的選択」を積極的にとる若者が増えても否定はできないだろう。すでに少なからぬ若者が、結婚や子どもをあきらめていることを考えると、日本の少子化問題は、いよいよ深刻であり、解決策がないように見えてしまう。 海外の先進諸国では、少子化対策として、若者支援にも積極的に手を入れている。たとえば、フランス等では、若者に低家賃の住宅支援や家賃補助制度を導入し、合計特殊出生率を引き上げる政策が重要施策として行われてきた。これが一定の効果をあげていて、少子化に歯止めをかける原動力になっている。 一方、日本にはこのような有効な少子化対策がなく、下流老人の問題や老後の生活不安がシビアに若者を直撃している。今のように出産や育児に対する負担を個人の努力にほぼ丸投げしている状態では、若者が老後のために子どもは産まないという発想に陥ったとしても、何ら不思議はないのである。少子化と貧困な政治とは同義語みたいなものであるが・・・政治家と行政がもっと本気に、誠実に動けば改善できるはずである。さて実態は?ところで・・・国勢調査票の提出は、てっきり任意だと思っていたが・・・昨日、記入し投函したあとに、残っている封筒を見ると「国勢調査票の提出は国民の義務」と書いてありました。拒否すると罰則もあるそうです。提出期限は明日(7日)ですよ。
2015.10.06
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は『国際市場で逢いましょう』と『奇跡のひとマリーとマルグリット』であり、館主の設けたテーマは「使命を背負う者は・・・」となっていました。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・今回のテーマは大使に言わせたら「懸命に生きた」または「遺志をつなぐ」になるんですけどね♪【国際市場で逢いましょう】ユン・ジェギュン監督、2014年、韓国制作、H27.10.4観賞<Movie Walker作品情報>より朝鮮戦争やベトナム戦争に巻き込まれながら、激動の時代をただ家族のために必死に生き抜いた一人の男の生涯を描く大河ドラマ。監督は「TSUNAMI ツナミ」のユン・ジェギュン。出演は「新しき世界」のファン・ジョンミン、「ハーモニー 心をつなぐ歌」のキム・ユンジン、「パパロッティ」のオ・ダルス、「王の男」のチョン・ジニョン、「チング 永遠の絆」のチャン・ヨンナム、「ソウォン 願い」のラ・ミラン、東方神起のユンホ。2015年3月6日より開催の「第10回大阪アジアン映画祭」のクロージング・セレモニーとして上映。<大使寸評>鉱夫としてドイツまで出稼ぎ、ベトナム戦争の輸送業務で稼いだ金で家を建て、雑貨店を買い取るドクス(ファン・ジョンミン)は明るくふるまうが・・・わりと底辺の肉体労働で働いてきたわけです。老境にさしかかり、ようやく父の遺志をまっとうしたと納得するドクスであった。韓国の現代史を網羅したようなこの映画では、釜山の街の変遷がセットで再現されています。時代考証もしっかりしているようです。また、朝鮮戦争の興南撤収作戦の輸送船や逃げまどう群衆のシーンは迫力があり、これだけエキストラを使ったシーンは、日本映画よりも素晴らしいのではないかと思った次第です。日本でも戦後のノスタルジーを誘う作品として『ALWAYS 三丁目の夕日』がヒットしましたね。この『国際市場で逢いましょう』は1950年代から現在に至るまでを描いていて、盛りだくさんで駆け足という印象もあるが・・・ドイツやベトナムでの海外ロケもあり、かなり制作費もつぎ込んでいるようです。いずれにしても、美術レベルを知る意味でも、現代の韓国を知る意味でも興味深い作品でした。Movie Walker国際市場で逢いましょう公式サイトこの映画の素晴らしいレビューをネットで見つけたのです♪韓国人の深き孤独―韓国映画「国際市場」より 主人公の老人はその国際市場の片隅で小さな輸入雑貨店を営んでいる。老人は地区再開発の変化の中で客のあまり訪れないその店を頑固に守っている。その理由は彼が自分の商売や地域コミュニティに愛着があるからではない。彼は幼少時北朝鮮で別れて来た生死不明の父親がいつか「コップニネ」というその店の名を目印に訪ねてくるのを待っているからなのである。 厳冬のさなかに撤収を始めた国連軍のあとを赤軍の統治を嫌った大量の避難民たちが追い縋った。当初、北朝鮮東海岸の玄関口である「興南」の埠頭に蝟集した10万あまりの避難民は国連軍にとって想定外の存在であった。興南撤収 中国軍の追撃を振り切りつつ定員千人余りのアメリカの貨物船メレディス・ビクトリー号が興南埠頭に残された1万4千人の最後の避難民を乗せて南の地、巨済島に向けて出航し、軍民合わせて20万人の奇跡的な撤収作戦を成功させたのである。映画ではこの辺りの事情がすばらしいCG技術で現実感と迫力に満ちた映像で描かれる。【奇跡のひとマリーとマルグリット】ジャン=ピエール・アメリス 監督、2014年、仏制作、H27.10.4観賞<Movie Walker映画ストーリー>より19世紀末、フランス・ポアティエ。聾・盲の少女たちを受け入れてきたラルネイ聖母学院に、ひとりの少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)がやってくる。マリーは生まれながらに目も耳も不自由で、一切教育を受けてこなかった。修道女のマルグリット(イザベル・カレ)は、心を閉ざし野生動物のように獰猛なマリーの教育係を買って出る。それは、魂と魂がぶつかり合うような激しい戦いの日々だった。そして8ヶ月目、マリーはついに物に名前があることを理解し、次々に言葉を吸収していく。学ぶ喜びを得て見違えるような笑顔を見せるマリーに、献身的に愛を注ぎ生きる喜びを教えていくマルグリット。しかし元から身体が弱く病に冒されていたマルグリットに残された時間は、あとわずかだった。<大使寸評>死という事実を理解したマリーに対して、自分の死を受け入れがたいマルグリットであった。マリーの面会をようやく許したマルグリットに、やっと安息の表情が浮かびます。最後の会話では、別の修道女の教育をひき続いて受けることが語られて(もちろん手話で)いました。マルグリットの死後、マリーは障害者の教育の補助役を務めたそうで・・・ここにマルグリットの遺志が引き継ぎされたことが分かります。Movie Walker奇跡のひとマリーとマルグリット今回の映画は、2本ともアメリカ映画を外していたが、案外これが決め手だったりして(笑)毎回思うのだが・・・この映画館が入れ替えなし、座席指定なし、すなわち昔の映画館そのものなのが・・・ええでぇ♪パルシネマ上映スケジュール
2015.10.05
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図書館で『書店繁盛記』という本を手にしたが・・・出版業界や本屋のウラ話が見えるのではないか、と興味深いのです。要は、アマゾンという黒舟に如何に対抗するかということなんでしょうね。大使は、アマゾンと楽天ブックスを書籍の検索に愛用しているが・・・一方でこれらはe-コマースのツールであるわけで書店の強力な商売敵でもあるわけです。【書店繁盛記】田口久美子著、ポプラ社、2006年刊<商品説明>よりリブロ池袋店店長を経てジュンク堂池袋本店副店長を務める著者は、カリスマ書店員としてつとに知られる存在だ。作家たちからも絶大な信頼を寄せられる彼女の、本や出版業界、社会全般に対する考察は必読。社会の縮図と称される書店の、奥深い世界がリアルにわかる。<読む前の大使寸評>出版業界や本屋のウラ話が見えるのではないか・・・と興味深いのです。要は、アマゾンという黒舟に如何に対抗するかということなんでしょうね。rakuten書店繁盛記この本で、書店の危機が「はじめに」に述べられています。<はじめに>より 書店は今大きな曲がり角に来ている。街から消えていくスピードが加速度を増している。小さな書店ばかりではない、中から大までの規模へと蔓延していっている。十年以上も前だったら、「日本人はなんで本をよまなくなったのか」というシンプルな、しかし答えの出ない問いにさまざまに頭を悩ませていればすんだのだが、いまやインターネットという新しいツールが活字媒体に侵入し、しかもオンライン書店(実はジュンク堂もオンライン書店を開いている)という販売形態が、小さくなる一方の書店マーケットを着実に侵食している。呆然度は厳しさをますばかりである。 ベストセラーがまず大型書店やチェーン書店に集約されて、小さな書店に並ばなくなってからどのくらいの年月を経たのだろうか。十年?十五年? そして今、『ハリーポッター』の予約に多くの読者はキーボードをたたく。出版社も予測されるベストセラー本の配本にはまずオンライン書店の予約数を確認する。 韓国ではオンライン書店の売上シェアが全体の60%を超えたという。それぞれの国の出版形態事情を抱えながらも、いまやオンライン書店は世界的傾向にある。どういうツールにせよ、むしろ手に入りやすくなったのだから、歓迎すべき事態ではないか、利便性歓迎、という声が読者の立場から聞こえてくるのだが、果たしてそうだろうか? 出版社が、アマゾンの「1500円以上の本、送料無料」という設定にあわせて、単行本の定価付けの最低ラインを1500円にあわせようとしている。価格の変化が、今静かにおきているのだ。 次は何が起きるのだろう。書店に行ってずらっと並んでいる本から選ぶ、パソコンの画面から選ぶ、単に目先が変わっただけ、どこに変化の余地が?まずはタイトルが検索しやすい本が有利になるだろう。それから?本の内容まで変化させるところまでいくのだろうか。もしかすると曖昧なジャンルの本が出版しづらくなるかもしれない。たんなる予感にすぎないのだが、本の内容というのは、入手手段に左右されるくらいもろいものではないのか、と私は秘かに危惧をしている。 変わったのはオンライン書店という販売形態だけではない、書店員の意識も、仕事自体も、さまざまに変化している。もちろんお客さんの意識も、ありようも、出版社も取次ぎも、である。変わらないのは、出版社→取次→書店という流通形態という骨組みなのだが、それも少しずつガタが来ている。 日本全体がこの30年で大きく変わったのだろう、出版はそれを忠実に映しているのに過ぎない。出版という日本にとってちっぽけな産業は、変化を映すのには格好の場なのだろう。こんな状況のなかで働いている私たち書店員の右往左往を書きとめたのが本書である。どうか、「沈没」などという事態に陥らないように、少し落ち込んでもはねのけるほどの活力がある場所でありますように。自慢じゃないが・・・大使は『ハリーポッター』を読んだこともないし、アナ雪を観たこともない。そして、アップル製品は持たないし、近くにあるUSJに行くこともない・・・・要するにアメリカ嫌いなのである。この本では、ジュンク堂書店員の日常業務が縷々つづられています。書店員も辛いぜ。<不思議なお客さま>よりp138~139 各フロアに客用椅子と机を設置しているせいか、開店を待って椅子にすっとすべりこむ輩が多い。時に異臭を放つ人物に居座られる。朝から酔っ払っているオジさんもいる。先日は女子校生の胸を触った、とひと悶着があった。「勘弁してね」とお引取りいただくことになる。 そのまま閉店までじっくりと腰を落ち着ける常連さんもちらほらといる。何故か男性が圧倒的に多い。97年の開店以来毎日来ているオジさんもオニイさんもいる。決して買わない、読むだけ。ほとんどの諸君は、目立たないように伏し目がちに本を物色し、躊躇なく取り上げ、音もなく椅子の方向に向かう。本を手に熟睡する輩も多い。長時間にわたると「ここは睡眠場所ではありません」といって揺り起こす。 その男性には目をつけていた、30代だろうか、背丈は180センチはあるだろう、がっちりとした体格をしている。ここ1週間ぐらい、毎日来ている。開店から閉店までのパターンである。それほど異臭がするわけではないが、全体にうっすらと汚れが目立つ。閉店間際に本を書棚に返しに来た現場を見かけた。 返した場所と書名を確かめようとして眼が合った。こちらがすくみあがるほど激しくにらまれて、ちょっと震えた、えっ、私のほうが悪いわけ?と一瞬思うほどであった。閉店後その本を確かめた、『グラスホッパー』(伊坂幸太郎 角川書店 04年)、思い切り広げて読んだのだろう、背中が割れてしまって、広がった状態で元に戻らない、ページのところどころに指のあとが黒くはっきりとついている、きっと指をなめながらめくったのだろう。小口もところどころ汚れている。とてもお客さんに売れる状態ではない。 『グラスホッパー』、確か在庫が切れそうだった、と気がつき、あわてて探し回った、案の定ほかに1冊もない。うーん、何ということだ。 担当者に見せたら「ここのところ、汚れた本が何冊か棚にささっていて、困っていたんです。しかも売れ筋が」と泣きそうだ。「12月なのに・・・、次の入荷まで品切れになるかなあ」「いや、それは大丈夫です。この間注文した分がそろそろ入ってきますから」 次の日、見かけたら警備の社員を呼ぶぞ、と手ぐすね引いて待っていた。ほら、来た、来た、さあ、お引き取り願いましょう。前日の厳しい眼差しの記憶があるので、ちょっとひるんで、遠くから見ていた。暴れるだろうか?いや、結構おとなしく帰っていった。 「なんて言ったの?」と警備員に聞くと、「なあに、簡単ですよ。この本を昨日読んだのはあんただよな、こんなに汚したんだから、買ってもらおうか。もし買えないんなら、迷惑だから出て行ってくれ、ってね」本当に、ストレートでした。<若い書店員へ>よりp298~300 文学賞はお祭りみたいなのだが、毎日出る新刊のメンテナンスは日常の仕事の積み重ねが「文芸書の顔」を作る、店の評判にも関わる主要な仕事だ。なぜなら、現在小梅の担当する日本文学の売上のほぼ半分が刊行からひと月以内の新刊で占められているから。 インターネットによる注文では、新刊が半数以上を占める。しかし同じ日本文学でも現代文学とミステリー・SFでは新刊比重が後者の方がより高い、つまりエンターテインメント系のほうが売上グラフの山が高く、落ちるのが急だ。 現代文学でも大江健三郎と江国香織では売れるスピードが違う。これが海外文学になると、売上自体がぐっと冷え込んでいるし、新刊の売上比率は低くなる。より専門書よりの動きに近くなるのだ。そして海外ミステリーは新刊しか売れない、つまりめったにロングセラー化しない。 昨年高橋源一郎氏がジュンク堂のトークセッションで「日本の近代文学は明治以来を取り入れることがそのまま歴史だったけれど、最近はがガクッと減っている。西洋文学への畏敬の念がなくなったようだ」と語っていたが、書き手ばかりでなく読み手も一緒に変化している、と本をいじりながらシミジミ感じる。 しかし小梅の1日は新刊メンテナンスや賞モノ確保だけでは終わらない。大半の仕事はもっとこまごましてもっと地味だ。ただし、池袋店は一階が集中レジなので、社員はレジ業務からはおおよそ解放されている。これが他店書店員の仕事との最も大きな違いだろう。 小梅はストック整理が下手なの、と自戒し、それならとんでもない字を書くほうを反省したら、と職場のみんなに冷やかされ、おしゃべりな営業マンとつい話し込んで、気がついたら就業時間中に補充品の棚入れが終わらない、と嘆き、お客さんに聞かれた本があるはずのところになくて慌てふたむき、ホームページに在庫2冊と記されている本を必死で探しても見つからず、「ニだよ、二冊、何で一冊もないの!」とお客さんに叱られて泣きそうになり、客注品が気づかないまま棚に入り、しかも売れてしまって動転したり、「ねえ、小梅さん、やっぱりミステリーやSFと現代文学の棚をもう一度考え直そうよ」という私の言葉に右往左往し、「これからのブンガク界は少年少女たちがアイドル作家になる時代です」ときっぱり断言し、「でも、それって文学にとってはどうなんでしょう」と首をかしげる。 そして、月に何回か開催されるトークセッションを仕切ったり、新入社員が常連のクレーム客につかまりそうになるのを一生懸命に防ごうとしたり、池袋店の新人教育担当として走り回ったり、友人の結婚話や失恋話に一喜一憂し、自らの恋愛の行方にも心を痛めて、朝6時に起きて洗濯機をかけながら出版社から送られてきた仮綴本を読んでから遅番出勤し・・・(中略) そして、忙しさからちょっと解放されるとき、ふっと、これから書店はどうなるのだろうか、私は書店員としてどのくらいやっていけるのだろうか、と小梅は考え込むときがある。それは、私が今回取材したジュンク堂の面々、そして彼らだけではなくほとんどの社員も同様であろう。 ジュンク堂は書店の中ではかなり恵まれた、安定した職場である。そこの社員である彼らが持ってしまう共通の不安感はイコール書店という存在自体の危うさだ。書店に関わるすべての人々が持つ危機感なのだ。
2015.10.04
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・図書館利用の達人・書店繁盛記・民話と伝承の絶景36<大学図書館>・東京奇譚集・アラマタ珍奇館図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【図書館利用の達人】久慈力著、現代書館、2008年刊<「BOOK」データベース>より【目次】最先端の「千代田Web図書館」がリニューアル・オープン/拡大する公共図書館のインターネット・サービス/図書館利用の極意/図書館サービス利用の極意/国会図書館利用の極意/公共図書館利用の極意/省庁、行政、議会図書館利用の極意/専門図書館、博物館図書室利用の極意/大学、産業、報道関係などの図書館利用の極意/図書館の抱える問題点は/図書館利用の極意-実践編<読む前の大使寸評>大使もたいがい図書館を利用している方だが、如何せんダボハゼのように手当たり次第に借りているだけなのかも?で・・・この本を読んで、図書館利用の奥義を極めようと思ったわけです。rakuten図書館利用の達人図書館利用の達人byドングリ【書店繁盛記】田口久美子著、ポプラ社、2006年刊<商品説明>よりリブロ池袋店店長を経てジュンク堂池袋本店副店長を務める著者は、カリスマ書店員としてつとに知られる存在だ。作家たちからも絶大な信頼を寄せられる彼女の、本や出版業界、社会全般に対する考察は必読。社会の縮図と称される書店の、奥深い世界がリアルにわかる。<読む前の大使寸評>出版業界や本屋のウラ話が見えるのではないか・・・興味深いのです。アマゾンという黒舟に如何に対抗するかということなんでしょうね。rakuten書店繁盛記【民話と伝承の絶景36】石橋睦美著、山と渓谷社、2014年刊<「BOOK」データベース>より自然美と人の生業の融合した幽玄の世界に風景写真の第一人者が迫る!出羽立石寺・松島の戻り松・土佐室戸岬・吉野の山桜・近江三井寺ほか。【目次】日高二風谷・平取町ー義経北行伝説とアイヌの関わり/雄勝町・小町堂ー小野小町に愛を捧げた深草少将/湯沢・院内銀山ー小関太夫の悲恋物語/遠野・日出神社ー義経愛娘の哀話と河童淵/鳥海山麓・象潟蚶満寺ー松島へ嫁いだ紅蓮尼の貞淑/出羽・立石寺ー慈覚大師円仁と磐司磐三郎/松島・西行戻り松ー西行と童の問答話と円通院秘話/飯豊連峰・小玉川ーマタギと野猿の悪戯/二本松・安達ヶ原ー黒塚に葬られた鬼婆悲話/郡山・安積の里ー花かつみの里に語り継がれる純愛〔ほか〕<読む前の大使寸評>著者は西行をモチーフにした謡曲を意識して各地を巡ったそうである。自然美と幽玄の世界のコラボレーションというべきか♪rakuten民話と伝承の絶景36民話と伝承の絶景36byドングリ【東京奇譚集】村上春樹著、新潮社、2005年刊<「BOOK」データベース>より五つの最新小説。不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語。【目次】偶然の旅人/ハナレイ・ベイ/どこであれそれが見つかりそうな場所で/日々移動する腎臓のかたちをした石/品川猿<読む前の大使寸評>村上春樹の小説を昔にさかのぼって読みたくなるわけです。・・・はまってしまったんでしょうね。rakuten東京奇譚集【アラマタ珍奇館】荒俣宏著、集英社、2000年刊<「MARC」データベース>より字を書く人形、鳥人間の剥製、カラクリ時計、光る肖像画…。古今東西の文化遺産からジャンクまで、集めに集めたガラクタの数々。『マンガオールマン』連載を加筆・訂正。<読む前の大使寸評>身銭をきって歩き回り、これらガラクタを探り当てたアラマタのこだわりが、ええでぇ♪rakutenアラマタ珍奇館*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き116
2015.10.04
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図書館で『民話と伝承の絶景36』を手にしたが・・・写真のきれいなビジュアル本である。著者は西行をモチーフにした謡曲を意識して各地を巡ったそうである。自然美と幽玄の世界のコラボレーションというべきか♪【民話と伝承の絶景36】石橋睦美著、山と渓谷社、2014年刊<「BOOK」データベース>より自然美と人の生業の融合した幽玄の世界に風景写真の第一人者が迫る!出羽立石寺・松島の戻り松・土佐室戸岬・吉野の山桜・近江三井寺ほか。【目次】日高二風谷・平取町ー義経北行伝説とアイヌの関わり/雄勝町・小町堂ー小野小町に愛を捧げた深草少将/湯沢・院内銀山ー小関太夫の悲恋物語/遠野・日出神社ー義経愛娘の哀話と河童淵/鳥海山麓・象潟蚶満寺ー松島へ嫁いだ紅蓮尼の貞淑/出羽・立石寺ー慈覚大師円仁と磐司磐三郎/松島・西行戻り松ー西行と童の問答話と円通院秘話/飯豊連峰・小玉川ーマタギと野猿の悪戯/二本松・安達ヶ原ー黒塚に葬られた鬼婆悲話/郡山・安積の里ー花かつみの里に語り継がれる純愛〔ほか〕<読む前の大使寸評>著者は西行をモチーフにした謡曲を意識して各地を巡ったそうである。自然美と幽玄の世界のコラボレーションというべきか♪旅行するなら、中国人の立ち寄らないこんな場所がいいんだろうな~。rakuten民話と伝承の絶景36「二本松・安達ヶ原」の鬼婆秘話を見てみましょう。<黒塚に葬られた鬼婆悲話>p40~41 能の「黒塚」で知られる安達ヶ原の鬼婆伝説の地を訪ねたい。そう常々思っていて、この春ようやく訪れることができた。舞台となる観世寺は、阿武隈川のほとりの安達太良山を望む山里にあった。ここで奈良時代の神亀丙寅の年(726)に、鬼婆は成仏させられたのである。黒塚 熊野の僧裕慶が安達ヶ原まで来て日が暮れ困り果てていた。ようやく老婆がひとり住む岩屋を見付けることができ、一夜の宿を乞うことにした。老婆は親切に裕慶を招き入れ、裏山へ薪を拾いにゆくが、「奥の部屋は覗いてくれるな」と言って出掛けてゆく。そう聞くとかえって覗きたくなる。裕慶は岩屋を出て、部屋の板戸を開けると、なかに死体や白骨が累積していた。驚いて逃げ出した裕慶に気付いた老婆は、鬼婆と化し追いかける。ついに追いつめられた裕慶は、こうなったら仏にすがるしかないと覚悟を決め、背負っていた笈から如意輪観世音菩薩を取り出し必死に経を唱えた。 すると白真弓に金剛の矢をつがえた観音が立ち上がり、数本の矢が放たれ鬼婆を射抜いた。遺体は観世寺近くに葬られ、いま黒塚と呼ばれる。 旅人を貪り食った鬼婆だが、それに至るまでの経緯は悲惨だ。人間の心を持っていた頃は岩手という乳母であった。都の貴族に奉公していたが、たいせつに育てた姫が不治の病にかかってしまう。占いを立てると、胎児の生き肝が病に効くと聞かされ、信じた岩手は生き肝を求めて旅立ち、陸奥国の阿武隈川のほとりへ辿り着く。そこの岩屋に籠り、妊婦が通るのを待つことにした。 歳月が過ぎたある日のこと、生駒之助と恋衣の若夫婦がやって来た。恋衣は夜半になって産気づき、夫は産婆を迎えにゆく。この時とばかり、岩手は恋衣の腹を出刃で裂き、胎児の生き肝を抜き取ってしまう。恋衣は虫の息で、「幼き頃に別れた母を探してここまで来たが、会うことが叶わなかった」と呟き息絶えた。 そのとき、岩手は恋衣のお守り袋に気付いた。それは、昔別れた我が娘に付けたお守り袋だった。以来、岩手は現実の惨さに気が狂い鬼婆と化したのである。お次に、「吉野山・金峯山寺」を見てみましょう。<世の無常を映す山桜>p108~109 私は吉野山の落ち着いた佇まいが好きでたびたび訪れている。なによりも時代の変遷によって滅びていった、さまざまな人物たちが刻んだ哀惜感が生み出した風景がよいと思っている。 吉野山といえばやはり桜である。千本桜が満開になった時の美しい光景の奥には、吉野山が重ねた歴史を映しているように感じられる。それは、吉野山の桜が日本古来からある山桜だからだと私は思っている。ソメイヨシノに比べると華麗ではないが、花姿に優雅さを漂わす気品が感じられるのだ。それゆえであろう。平安の歌人は桜を愛してきた。なかでも西行は、金峯神社からさらに奥の谷間にひとり暮らし、自然の中に身を置いた時期がある。そこで儚い世の無情と桜花を重ね合わせ、苔清水の湧き水に自然の息づかいを感じ取っていたのではないだろうか。山桜 吉野山と桜にまつわる話は役行者小角に起因する。金峯山で修業のおり、金剛蔵王菩薩が夢枕に立った。これこそが御神託だと悟った役小角は、傍らの山桜の幹に蔵王権現の像を刻んだ。以来、桜は御神木とされ、吉野山金峯山寺の蔵王堂へ参詣に訪れる人々が桜を植え続けてきた。こうして吉野山の山肌は次第に桜に覆われていったのである。 壬申の乱が起きたのは天武元年6月である。天武天皇が崩御すると、吉野山に出家していた大海人皇子が蜂起して近江王朝の大友皇子を倒し、飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位した乱である。壬申の乱のきっかけは、吉野山の桜に由来する伝説が付されている。 ある日、大海人皇子がうたた寝していると、雪降る吉野山に満開の桜が咲く夢を見た。これこそ吉夢だと信じ、密に吉野山を脱出して伊賀から伊勢、美濃へ出て、東国の豪族を統合して近江へ攻め上がったのである。役小角によって桜の名所となった吉野山は、常に戦乱の歴史の彼方に存在感を示してきた。 私は吉野山を旅するとき、参道沿いにある店「ひょうたろう」の柿の葉寿司を頬張って歩く。それが私のささやかな楽しみになっている。
2015.10.03
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<図書館利用の達人>図書館で『図書館利用の達人』という本を手にしたが・・・表紙に「インターネット時代を勝ち抜く」というキャッチーなフレーズが添えられています。大使もたいがい図書館を利用している方だが、如何せんダボハゼのように手当たり次第に借りているだけなのかも?で・・・この本を読んで、図書館利用の奥義を極めようと思ったわけです。【図書館利用の達人】久慈力著、現代書館、2008年刊<「BOOK」データベース>より【目次】最先端の「千代田Web図書館」がリニューアル・オープン/拡大する公共図書館のインターネット・サービス/図書館利用の極意/図書館サービス利用の極意/国会図書館利用の極意/公共図書館利用の極意/省庁、行政、議会図書館利用の極意/専門図書館、博物館図書室利用の極意/大学、産業、報道関係などの図書館利用の極意/図書館の抱える問題点は/図書館利用の極意-実践編<読む前の大使寸評>大使もたいがい図書館を利用している方だが、如何せんダボハゼのように手当たり次第に借りているだけなのかも?で・・・この本を読んで、図書館利用の奥義を極めようと思ったわけです。rakuten図書館利用の達人この本で、奥義の一部を「はじめに」から見てみましょう。<図書館利用で驚異的な成果>p13~14 著者の図書館利用は、著作活動、ジャーナリスト活動、市民運動、本人訴訟、テレビ番組出演などの目的のために、約40年近くの間に延べで数万回にもなります。著作活動の主な成果は、約80冊の単行本の出版であり、ジャーナリスト活動の主な成果は、『週刊金曜日』で4本の連載企画を実現したことであり、テレビ番組「新説!?日本ミステリー」へ準レギュラーとして協力、出演していることであります。 市民運動の主な成果は、ゴルフ場乱開発を国内、海外で、さまざまなかたちで数百ヶ所もストップさせたことであり、「本人訴訟」での主な成果は約20件の「裁判」を提起し、3件で「勝訴」したことです。その最大の要因は、図書館を最大限に利用した情報戦の成果といっても過言ではありません。 利用した図書館は、北は北海道から南は沖縄県まで、全国で数百館、国会図書館だけで数千回、三つの都立図書館だけで数千回といった具合です。1日で数ヶ所の図書館をハシゴすることはごく普通のことでした。しかも、国会図書館から専門図書館まであらゆる種類の図書館を、いかに多面的に、効率的に、経済的に多くの情報を得るかを考えながら利用してきました。現在では、最寄りの図書館からリクエストして、市内の全館から取り寄せ、貸出を受ける方法で、さらに効率性、経済性が向上しています。 インターネット情報は居ながらにして手軽に利用できます。それで情報が万全だと思っている人もいますが、必用情報のほんの一部にすぎないことおもあります。インターネット情報は、情報が過大に膨らみすぎ、雑多すぎて、絞り込む作業、情報を選択する作業が煩雑になります。しかも立ち上げ費用、稼動費用、プリントアウト費用もばかになりません。批判的視点の情報が少ないことも弱点です。 図書館情報のほうが、インターネット情報よりバランスがとれ、より優れている場合も多いのです。さまざまな図書館利用によって、膨大な量の情報から「宝探し」をしているような楽しみもあります。 そうです。図書館は「情報の宝の山」なのです。しかも無料です。利用しない手はありません。インターネット時代を勝ち抜く鍵は、図書館情報にあるといっても過言ではありません。ここで、図書館に対する辛口批評を見てみましょう。p170~172<図書館民営化の問題点> 現在は、何でも民営化の方向がよいとされる風潮がありますが、図書館ほど公共性の高いものはなく、安易な民営化の動きには、大きな疑問を呈さざるをえません。 民営化によって図書館サービスから利益を生み出すというのは、本来なじまないものです。図書館同士が利益をあげるために、競争し合うのも本来なじまないものです。図書館同士の相互協力、ネットワークが崩れてしまいます。利益のあがらない部分、たとえば社会的弱者へのサービスの停止も出てきます。選書にも偏りが出てくる可能性が強くなります。現在、ほとんど無料で利用できるデータベースの利用も有料化されていくでしょう。 図書館民営化のモデルといわれる山梨県の山中湖情報創造館では、正規職員は1名だけで、あとの7名はNPO職員で運営されています。しかし、はたして民営化して経費の削減が思いどおりなされているのか、レファレンスサービスやビジネス支援に偏重して、貸出サービスがおろそかになっていないかなど、評価が分かれているようです。<図書館コンビニ化の問題点> 長野県佐久郡の川上村文化センター図書館や山口県萩市立須佐図書館では、24時間オープンの図書館が開設されています。須佐図書館の場合、職員は9時30分から18時まではいますが、後は無人となり利用者は、利用者カードで図書館のロックを解除して入館するといいます。自動貸出機による資料の貸出やパソコンによる検索も返却の手続きも無人でできるようになっています。しかし、防犯カメラの設置、不正な資料の持ち出し検知装置などのコストがかかります。さらに大きな事故が起きる可能性が高くなります。この地域には、書店や貸本屋、レンタルビデオ店がないという事情があるようですが、そこまでして図書館サービスを拡大する必要があるでしょうか。 岐阜県内の図書館では、県内の200店舗のコンビニと連携して、送料利用者負担の予約資料の受け取りを実施しようとしました。安易に利便性だけを追い求める傾向が一部に出始めていますが、由々しい事態だと思います。この「コンビニ図書デリバリーサービス」は、利用者が少ないという理由で中止になったようです。このサービスを無料にして実施する地方公共団体も出てきているようですが、あまり感心できません。コンビニ図書デリバリーサービスというのも出始めているのか・・・どうかと思うけど。著者は単行本を80冊ほど出したジャーナリストのようですね。このようなプロの方の図書館利用には及ばないが・・・・図書館をもっと効率的に楽しく利用しようと思うわけです。
2015.10.03
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<図説 日本民俗学>図書館で『図説 日本民俗学』を手にしたが・・・図説というだけに、写真が多くて読みやすいのが、ええでぇ♪この本に載っている物事は、過酷な新自由主義にさらされて、急速に消滅しているような気がするのだが・・・でも、ま~ヤンキー現象など新しい民俗も生まれていることだし。【図説 日本民俗学】福田アジオ, 古家信平、他著、吉川弘文館、2009年刊<「BOOK」データベース>より日本列島各地にいきづくさまざまな民俗。日本人の心のふるさとを豊富な図版で探る。【目次】1 ヒト(身体を包む/身体に施す/身体を守る/ヒトの願い)/2 イエ(住まいの空間/イエと家族/親類と本家・分家/出産と育児/結婚の祝い/死の儀礼)/3 ムラ(ムラの空間/ムラの社会構成/ムラの交際/農と生活/海と山の生活/さまざまな職業/ムラとマチ)/4 カミ(霊魂の行方と先祖/イエを訪れるカミ/カミを求めて/カミとの交流/氏神と氏子/他界と結ぶもの/ふしぎな世界と空間)/特論 南島<読む前の大使寸評>図説というだけに、写真が多くて読みやすいのが、ええでぇ♪rakuten図説 日本民俗学八百万のニッポンであるが・・・この本で、「氏神と氏子」を見てみましょう。<氏神と氏子>p228~229 日本人はさまざまなカミを祭祀し、祭祀形態も地域や時代、社会構造によって極めて多彩である。日本のカミ祭祀については、基本的に祭祀されるカミの性格、祭祀者、および両者を媒介する媒介者に注目する必要がある。 祭祀されるカミの性格、すなわち、神格には、農業神、漁業神、狩猟神など人々の食糧獲得方法に規制された神格や、神話上の人物や実在の歴史上の人物の場合もある。また、鎮守に代表される地域神としての性格や一族の先祖神もある。 さらに、つねに特定の場所に滞在する滞在神と一年に一度、異なる世界から来訪する来訪神の別や、男神と女神の別もある。 カミを祀る祭祀者・媒介者・信者などは祭祀組織の問題である。祭祀者が一定地域の住民である場合、祀られるカミは氏神と呼ばれるが、祭祀を実際に担当するのは、祭祀者を代表する氏子総代、あるいは祭祀者に代わる神職である。祭祀者の外延には広い意味での信者や崇敬者の問題も無視できない。 また、祭祀者の問題として、これまで注目されてきたのが宮座である。中世以降、歴史的に変化してきた宮座をどのように理解するかは、日本のカミ祭祀の重要課題である。ここで、宮座という言葉が聞き慣れないので、ウィキペディアを覗いてみました。・・・民俗学という業界で、問題視されている概念なのかも。wikipedia宮座より「宮座」という語が出現するのは近世以後なおかつ西日本を中心とした地域である(東日本では特定の「総本家」が主宰する事例が多い)が、その組織の由来は古代末期にまで遡る。このため、「宮座」の語の有無を問わず、神職を持たずに村の住人のみを構成員として祭祀を行う組織を歴史学・民俗学・宗教学などの学術研究の分野においては「宮座」と呼称している。 宮座には大きく分けて株座と村座の2つに分けることが出来る。株座は名主・草分け・勧請主・社家・社人やその一族など特定の家々が世代を超えて資格を保持しておりその家系の者だけが参加できる特権的祭祀組織である。これに対して村座は基本的には一定の年齢もしくは元服などの特定の儀式を済ませた村人であれば誰でも資格を獲得し、定員がある場合でも空席が出来た場合には年齢順・儀式授与順に繰り上がって座入(加入)が許される祭祀組織である。 通説では株座が先に成立してそれが開放されて村座となったとされているが、反対に村座が階層分化によって閉鎖されて株座になったとする見方もある。また、畿内には株座と村座が並存する重層構造となっている例もあった。お次は、木地師とか漆器とか炭焼きとか、大使のツボでもある「山村の職業」を見てみましょう。<山村の職業>p172~175 山村は日本の職人の大部分の出自がここから発したもので、職人化が早い時期から行われたとみられている。 まず木地師をはじめ塗師職人は素地の原木や漆樹を求めて各地を渡ったが、日本の漆塗りの膳椀や調度の歴史をみると少なくとも中世においては大きな社寺の需要に応じて職人が定住した傾向がある。 和歌山県根来寺の調度をつくった根来塗りは、のちに寺の崩壊とともにその技法を全国に伝えたとされる。 東北地方の岩手県奥州市の正法寺は禅宗の名刹として知られ、黒漆塗り鉄鉢型三重の正法寺椀を古くから産している。能登半島には、中世の山岳仏教として一大勢力を誇った真言宗の石動山天平寺があった。この山の越中側には大窪・長坂という一村がすべて宮大工・御用大工が住むムラがある。すなわち焼失した寺院の再建工事を機に起こった近世の職人村であった。 このように山の大社寺の周辺には染物師(紺屋)・ヘギ師(木羽割師)・皮革師・石工(石屋)・蝋細工・紙漉・木彫り師などが集住し、社寺が必要とする物の求めに応じて種々の専門技術者が都市のように集中していたと考えられる。 山の職業地で重要なのは鉱山で、金銀鉄銅を掘る鉱夫、穿子、蹈鞴師や吹子師、鍛冶師などの職業があり、そこからさらに金屋とか鋳物師などの職業を生み出し、彼らは近世には町場(城下町)に定住するようになった。 さらに最も山仕事らしい職業としては、木挽きがおり、彼らは山入りすると輪場と称する山小屋を建て、輪台を据えて一夏を過ごす。 そしてヨキタテと称して、大木伐採の前には根本に斧を立て、お神酒を注いで山の神に祈ったり、老木の伐り株にその末枝を刺し立てて、鳥総立と称する山の神に奉謝する株祭りの儀礼を行った。そのほかに炭焼も朴や楢・クヌギといった雑木を伐り炭窯を築いて、年に300~1000俵の木炭を焼く。 加賀の白山麓では、かつて冬炭焼と称して厳冬期に雪に埋もれてまでも炭を焼き、また1000メートルの高地に棒小屋を建て、一冬の間、鍬柄をつくる木地師がいた。 中部山岳地帯の木曾や飛騨では材木を河に流す運材を専業とする人々がいた。俗に筏流しと称せられる職人で、河がないところではキンマ(木馬)で材木を運び出すか、春3月一本ゾリで雪道を滑り下りるか、あるいはボッカと称して人の背に担いで材木を麓まで運んだ。 そのほか狩猟を専業とする山人もおり、なかでも東北のマタギは有名で、秋田のマタギによる熊の巻狩りが知られている。江戸時代後期以降は火縄銃などを使った鉄砲打ちが各地に登場するようになった。 そのほか山村には桑畑をもって養蚕を副業とする家、檜笠・蒲製ハバキやコツラ(マタタビ)・藤蔓・竹・紅葉・桜木皮などを材料として編んでつくる籠などの細工物を副業とする家が多い。なお、木地師については木地師についてとしてフォローしています。
2015.10.02
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<図説 本の歴史>図書館で『図説 本の歴史』を手にしたが、この本は「ふくろうの本」シリーズとのこと・・・そういえば、「とんぼの本」シリーズもあったような。最近、この本みたいなビジュアル本が増えてきたが、きれいで、読みやすいので・・・ええでぇ♪【図説 本の歴史】樺山紘一著、河出書房新社 、2011年刊<「BOOK」データベース>より石に刻み、木や葉に書くことから始まった。紙の発明、大印刷時代。デジタル化、本の未来形までを考える。【目次】1章 書物という仕組みは(本とはなんだろうー旅のはじめにあって/紙という舞台ーこの最強のメディア ほか)/2章 本が揺り籃から出る(アルファベットを書くー書体の工夫/漢字の書体 ほか)/3章 書物にみなぎる活気(グーテンベルクの存在/大印刷時代の展開 ほか)/4章 本の熟成した味わい(本は権利のかたまりー著者権と著作権/本の文明開化ー本木昌造と福沢諭吉 ほか)/5章 書物はどこへゆくか(神田神保町ーどっこいそれでも古本は生きている/デジタル化の衝撃 ほか)<大使寸評>昨今では、スマホやタブレットで電子ブックを読むのがトレンディーだとか。でも、コンテンツがすべてと言ってしまえば身も蓋もないのである。加齢とともにアナログ志向が強まる大使としては、とにかく紙の本(電子でない本)に傾くのである。rakuten図説 本の歴史この本で、装丁のあたりを見てみましょう。<装丁の技>p75 いわゆる和綴じ本の装丁は、西洋のものとは違って非常に質素である。手書き本ではなく、春日版や高野版のような中世の版本(印刷本)の表紙は、本文と同じ用紙を使い、その表に本のタイトルである題箋(外題)を書きしるした簡単なものであった。 それが江戸時代に入り、町人文化として盛んに版本が出版されるようになると、表紙の素材や表現が多様化していったのである。 表紙のデザインに関してみると、題箋も印刷されたものを貼るようになり、用紙もカラー化され、または意匠が施されたものが登場する。その表紙については、単色の染紙を使ったものと、模様が入ったものに大別できる。 その模様も型押しによる凹凸から、光悦本のような雲母刷りや手書き模様などさまざまである。たとえば江戸時代では、江戸初期の栗皮表紙、寛永前後の丹表紙、慶長中期の光悦本、赤本、青本、黒本、黄表紙などの地本類の表紙など、西洋のような豪華さはないが、さまざまな表現の工夫がされていることがわかる。 ただ残念なことに、今日では和綴じ本はほとんど使われることがなく、本といえば洋式製本の形態のものである。 現代の装丁家は、本の保護はもちろんだが、それ以上に、いかにその本の内容が表現されているか、書店で購買者の目を引くか、制約があるなかでも美しい本が作れるかといった条件を満たす装丁を心がけているようである。やはり、美しい装丁の本を手にするのは・・・ええな~♪なお造本・装丁に対するこだわりは本に携わる職人たちでフォロー中でおます。
2015.10.02
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中国経済の先行きに不安が高まっている。世界の金融市場が動揺し、激しく乱高下する局面もあった。中国に何が起きているのか。経済で深く結びついた主要国はどう動くべきか。 吉岡桂子編集委員が二人の中国経済人にインタビューしているので、紹介します。(中国経済人へのインタビューを9/30デジタル朝日から転記しました)■過剰投資が招いたデフレ 余永定さん(元中国人民銀行通貨政策委員) 中国経済は現在、デフレ状態です。経済成長のスピードは落ちるし、克服には3~4年かかるでしょう。短期的にはかなり厳しい情勢です。 消費者物価はまだプラスですが、企業どうしの取引価格を示す指数(生産者物価指数)は2012年3月から前年同月割れが続いています。リーマン・ショック後の景気対策が過剰な投資を招き、生産力が需要を上回って、価格競争が起きているからです。 では、どうすべきか。企業の集約を進めて過剰な生産を解消するとともに、成長力のある新しい産業を育てる政策が必要です。とはいえ、前者は雇用問題を伴うし、後者は不確実性が高い。企業の債務が大問題で、悪化の趨勢にあります。銀行の不良債権比率は今のところ高くありませんが、やはり悪化しています。 中国は、市場の力をより活用する経済へ向けて改革を進めるとともに、デフレを抑えるため、積極財政と金融緩和を続ける必要があります。企業が銀行借り入れに頼らず、証券市場からの資金調達を円滑にできるようにしていく必要もあります。 しかし、中国の株式市場は正常な機能を失っています。中国政府や官製メディアが、実態とかけ離れたバブルをあおった結果です。そしてバブルがはじけたら、政府は株式を買い支えたり、空売りを制限したり。企業の新規上場も止めてしまいました。パニックが去った今、政府は一刻も早く、こうした「救市」をやめるべきです。 人民元の相場形成についても、中国政府は人為的な介入をできるだけ控え、市場の調整力に委ねるべきです。その意味では、人民元の対ドル相場を、市場の実勢に近い水準に切り下げた政策は正しい。 とはいえ、中国人民銀行(中央銀行)はもっと市場関係者やメディアとの意思疎通を強化し、政策の意図を詳しく説明すべきでした。確かに中国の中央銀行は、米国や日本と違って国務院(内閣に相当)の判断が最終決定になるという事情もあります。ですが、中国の経済情勢は複雑で、(中国の経済学者の)私でもよくわからないことがあります。不要な誤解を避けるためには、もっと意思疎通に努力しなければなりません。 今年下半期の成長率は、上半期より低くなり、7%の目標を実現できないかもしれません。来年はもっと低いでしょう。とはいえ、中国はしばらくの間、6%以上の経済成長は問題なく達成できます。1人当たりの平均所得はまだ低く、成長の余地がある。直面する問題が多いからこそ、潜在力も大きい。改革を推進すれば、「新常態」に向かって軟着陸できるはずです。中国経済の規模が米国を追い抜くのは、時間の問題だと思います。(聞き手 編集委員・吉岡桂子) *余永定:1948年生まれ。中国社会科学院世界経済・政治研究所長を経て同院学部委員。元中国人民銀行通貨政策委員。 ◇■国家が経済を牛耳る限界 茅于軾さん(北京天則経済研究所名誉理事長) 中国の経済成長は、イノベーション(革新)を起こせるかどうかにかかっています。国家が経済を牛耳るままでは難しいでしょう。国家が抱え込んだ権力を手放していく改革抜きに、このまま発展していくとは考えられません。 根源的な問題は政治にあります。金融やエネルギーなど主要分野で独占的な地位を占める国有企業改革の遅れに、象徴的にあらわれています。 中国の国有企業は規模が大きく、数も多い。リーマン・ショック後、中国経済が世界に先んじて高成長を取り戻した時、公共事業などの投資が牽引しました。国有銀行が金融面で支え、鉄鋼などの国有企業が大増産したのです。しかし効率は悪く、資源も浪費する。この成長方式が持続的でないことは、中国共産党・政府自身も気づいています。 李克強首相も、資金や土地、労働力などの配分に「市場の力をより利用する」と改革の決意を語っていたはずです。しかし国有の2大鉄道車両メーカーを合併させるなど、むしろ大きくしようとしている。国際入札で中国企業に競争力を持たせたいのかもしれませんが、大きな間違いです。内外で競争してこそ、企業は強くなります。 効率をあげるためにも国有企業の株式を民間に売却して私有化を図るべきですが、進んでいません。土地やお金など肝心な「資源」を動かす権力を、国が握っています。労働力にはまだ市場の力が働いていますが、そこにも共産党員であれば良い待遇を受けられるという「特権」が存在する。腐敗退治で国有企業幹部を捕まえても、共産党が人事権を握り、国有企業じたいが党を支える基盤だと考えられている現状では、本質的な改革は進まないでしょう。 もうひとつ指摘しておきたいことがあります。言論の自由の範囲が狭くなっていることです。この1年余り、弁護士やNGO関係者、ジャーナリストが大勢拘束されています。経済のルールや人権を守る弁護士らの仕事が命がけになっているのです。これでは法治は進まないし、経済変調を警告する声もつぶされる。 私が創設した民間の経済研究所には、政府系シンクタンクの研究員は参加してはならない、という圧力もかかりました。異なる意見がぶつかりあう論争を通じてこそ、政策も統治も磨かれるはずです。 30年余りの改革開放政策で中国は確かに発展しました。年に延べ1億人が旅行を含めて海外へ出かける時代です。景気減速で苦労する中小企業は少なくありませんが、庶民の雇用はまだ安定している。 新たな成長点は政府が探せるものではありません。今のうちに、イノベーションを生み出す基礎になる、個人や市場の力を発揮できる社会に向けて改革に踏み出すべきです。(聞き手 編集委員・吉岡桂子) *茅于軾:1929年生まれ。中国社会科学院での経済研究を経て、93年に民間の北京天則経済研究所を設立。変調する中国経済余永定、茅于軾2015.9.30 この記事も朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2015.10.01
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