全39件 (39件中 1-39件目)
1
図書館で『やまとぢから』という本を手にしたが・・・元気な童子や生き物がオンパレードである。籔内さんの元気印のような作品が日本中に見られるようになって・・・・ビックリやでぇ♪【やまとぢから】籔内佐斗司著、青幻舎、2013年刊<「BOOK」データベース>より20代に体験した仏像修復を通じて、森羅万象の命をあらわす“童子”シリーズを誕生させた籔内佐斗司。現在、東京藝術大学大学院文化財保存学教授として後進の指導にあたりながら、2010年には平城遷都1300年祭・公式マスコット“せんとくん”キャラクターデザイン、“平成伎楽団”プロデュースなど、人々の心に「やまとぢから」を呼び覚ます活動を展開し続けている。待望の最新作品集。<読む前の大使寸評>籔内さんの元気印のような作品が日本中に見られるようになって・・・・ビックリやでぇ♪rakutenやまとぢからこの本で、伊藤さんが説く「やまとぢから」を見てみましょう。<やまとぢから:伊藤順二>p10 日本における仏教が土着信仰と融合し、言わば、カスタマイズされた宗教へと変身したことも薮内の興味の対象となっているのではないだろうか。 多神教である神道と個の実存と絶対的存在を結び付け、その融合の結果として「禅」のように即現実的でありながら、観念的な哲学的教義さえ生み出した日本における仏教。薮内の意識の中に絶えず在る岡倉天心が西洋的芸術概念を導入しながらも、仏教的アイコンを死守したという事実は両者の共通性とそれを見据えた上での折衷に日本芸術の将来を見たためではなかったのか。 薮内の視点もそこに準じるものである。 中でも、「鬼」というテーマは非常に興味深いものである。 薮内本人が指摘しているように、鬼は「隠」の音変化であるとも言われている。「隠」はつまり「隠ぬもの―隠れているもの」を指す。目に見えない、超自然的なものを意味するのである。それが天王や明王信仰と結び付き奇怪な姿を取るようになる。それは往々にして有り得ない形を取る。すなわち観念的な知覚によって再現された形を取るのである。 その意味においては、薮内の大部分の作品がその視点を担っている。特に非可視形から可視形に姿を変える、犬や兎、蛙、童子といった生き物が地から湧き出たように、または空間から飛び出てきたように表現されるのは、非可視の世界の存在を知らせるためであり、その境界線の微妙な存在感が牧歌的な作品全体の印象に緊張感を与えている。 薮内の作品は日本全国で見ることができ、その数は数百数千にも上ることだろう。しかし、私にはそれぞれがつながりがあって、一つの世界を作り上げているように見える。つまり私たちが存在している社会と同時進行的に存在している見えない世界を表現するために全国にその入り口を網羅しているように見えるのである。 彫刻はその性質ゆえに静的であることが宿命であるが、薮内の作品はそのマルチプルな構成と共に作品背景に共通し、一体化された世界観の構築により全ての作品が動的な性質を帯びている。見えるものと見えないもの一切が言わば縁起を持つことによって、見えない世界に存在する一つの大きなエネルギーとの調和を現実世界に持ち込もうという意図を感じるのは私だけだろうか。籔内佐斗司の画像を見てみましょう♪bing籔内佐斗司の画像より
2015.07.31
コメント(0)
今回借りた7冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「庶民の暮らし」でしょうか♪<市立図書館>・ブギウギ・その日東京駅五時二十五分発・沢田マンションの冒険・いかめしの丸かじり<大学図書館>・仙台ぐらし・職人暮らし・文学王図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【ブギウギ】坂東眞砂子著、角川書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より敗戦間近、箱根に疎開中のドイツ軍潜水艦長・ネッツバントが変死した。遺体を発見したのは、旅館に住み込みで働く安西リツ。この事件の調査をする海軍に通訳として連れ出された法城恭輔は、他殺の可能性を色濃く感じていた。しかし、ドイツ軍医・シュルツェは自殺であると断言する。不審に思い調べを進めると、事件の背後にはナチス・ドイツの陰謀が見え隠れしていた。一方リツは、若いドイツ人潜水艦乗組員のパウルと急接近していく。そしてリツも、否応なくその陰謀に巻き込まれていくこととなるー。激動する時代と、そこで力強く生きる人々を緻密な描写で描いた、傑作長編ヒューマン・ミステリ。<読む前の大使寸評>ドイツ人潜水艦乗組員のからむ陰謀とくれば・・・・読んでみるかと借りたわけです。rakutenブギウギブギウギbyドングリ【その日東京駅五時二十五分発】西川美和著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より終戦当日、ぼくは故郷広島に向かった。この国が負けたことなんて、とっくに知っていたー。「あの戦争」に挑む、鬼気迫る中編小説。<読む前の大使寸評>西川さんといえば、気鋭の映画監督・脚本家である。その西川さんが伯父さんの体験をもとに綴ったセミドキュメンタリーのような小説ということで・・・借りたわけでおます。rakutenその日東京駅五時二十五分発【沢田マンションの冒険】加賀谷哲朗著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より他に類を見ない巨大セルフビルド建築、沢田マンション。日本版サグラダファミリアとも称されるこの建物がどのように継ぎ足しながら作られ、いかに住民に使いこなされてきたのか。4階に釣堀、5階に水田が広がり、屋上の自家製クレーン、謎の地下室、お座敷バスまである建築物の魅力に迫る。住民主催の沢マン祭りなどコミュニティとしての魅力も!<読む前の大使寸評>巨大セルフビルド建築ということでは、ガウディ並みに気宇壮大である♪沢田マンションの魅力とは?・・・・大使思うに、アナーキーな、執着と奔放さではないだろうか♪<図書館予約:(7/18予約、7/22受取)>rakuten沢田マンションの冒険沢田マンションの冒険byドングリ【いかめしの丸かじり】東海林さだお著、朝日新聞出版、2010年刊<「BOOK」データベース>よりいまや“国民駅弁”となった人気者。ゴハンにイカか、イカにゴハンか?恍惚と絶句を誘う味の往来!シリーズ最新刊抱腹絶倒の食エッセイ第32弾。 <読む前の大使寸評>丸かじりシリーズ第32弾てか・・・・ギネス級やで♪とにかく東海林さんの食エッセイは面白いのです。国民栄誉賞も近いぜ。Amazonいかめしの丸かじりいかめしの丸かじりbyドングリ【仙台ぐらし】伊坂幸太郎著、荒蝦夷、2012年刊<「BOOK」データベース>よりタクシーが、見知らぬ知人が、ずうずうしい猫が、多すぎる。タクシー運転手が嘆く不景気の元凶は何か、喫茶店で執筆中にやたらと話しかけてくるおじさんは誰なのか、どうすれば自分の庭に猫が糞をしなくなるか。仙台に暮らす心配性の著者が、身の回りで起きたちょっとおかしな出来事を綴る。2005年から2015年までに書き溜められたエッセイ集。短篇小説「ブックモビール」も収録。 <読む前の大使寸評>見慣れない装丁だと思ったら、地方の出版社なんで・・・納得♪なお、この本の文庫本が本屋の店頭に出ています、ナウ。Amazon仙台ぐらし仙台ぐらしbyドングリ【職人暮らし】原田多加司著、筑摩書房、2005年刊<「BOOK」データベース>より技術を身につけて職人になりたい-大学を出ても就職が難しい現在、そんな若者が増えている。そして若者にとどまらず、職人への転職を考えるサラリーマンも少なくない。では、職人になるにはどうしたらいいのか。そして、職人生活(人生)はサラリーマン生活(人生)とどうちがうのか。著者は、桧皮葺・柿葺の専門職人の十代目で、国宝や重要文化財となっている歴史的建造物の保存修復を生業とする。その著者自身の経験および、屋根職のほか、宮大工、左官などの他の匠たちから聞き出した話をもとに、職人人生の機微と、知られざる伝統技術職人の「現在」を伝える。<読む前の大使寸評>伝統技術職人の「現在」という視点がいいではないか♪rakuten職人暮らし【文学王】高橋源一郎著、ブロンズ新社、1993年刊<「BOOK」データベース>より夏目漱石からミラン・クンデラまで語り尽くして縦横無尽、前人未踏、抱腹絶倒の最新文芸評論集。【目次】ぼくの好きな日本の作家たち/ぼくの好きないろいろな本たち/ぼくの好きな作品の解説たち/ぼくの好きな外国の作家たち<読む前の大使寸評>ちょっと古い本なのだが、高橋さんお奨めの本とは・・・興味深いのです♪rakuten文学王文学王byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き107
2015.07.30
コメント(0)
図書館で『文学王』という本を手にしたが、高橋源一郎が、好きないろいろな本について語っていて・・・・ええでぇ♪【文学王】高橋源一郎著、ブロンズ新社、1993年刊<「BOOK」データベース>より夏目漱石からミラン・クンデラまで語り尽くして縦横無尽、前人未踏、抱腹絶倒の最新文芸評論集。【目次】ぼくの好きな日本の作家たち/ぼくの好きないろいろな本たち/ぼくの好きな作品の解説たち/ぼくの好きな外国の作家たち<読む前の大使寸評>ちょっと古い本なのだが、高橋さんお奨めの本とは・・・興味深いのです♪rakuten文学王高橋さんがテレビで観た金子光晴の印象を語っています。なるほど、作家はこのように長々と書き連ねるものなのかと思うのです。実はこの番組を大使も観たのですが、ここまで語ることはできません(笑)<昔、金子光晴という詩人がいた>p170~173 わたしがはじめて金子光晴をテレビの画面で見た時、その詩人はとうにしなびた老人になっていた。その人がどんな詩人であるのか、どんなふうに生きてきたのか、まるでわたしは知らなかった。その人は生まれた時からずっと老人であるようにも見えたし、また、つい数日前に生まれたばかりの新鮮な老人のようにも見えた。そう、老人であることがひどく似合っているようにも、ぜんぜん似合っていないようにも見えた。 要するに、その人はきわめて奇妙に見えたのである。そして、わたしはそのことを不思議に思わなかった。よくは分からないが、詩人というものはおそらくそういうものに違いない。そう思ったのだ。しばらくして、わたしは、その人の書いたものを読みはじめた。そして、その人の書いたものが、その人自身にあまりに似ているのに驚いたのだった。 その人の書いた詩は、確かに素晴らしい詩だったが、同時に、詩とはいえないもののような気もした。そして、わたしはその人の書いた小説を読み、自伝を読んだ。感想はいつも同じだった。それらはどれも、そして、いつもその人にそっくりだった。そのことに人々はなぜ驚き、衝撃を受けないのか、わたしにはさっぱりわからかった。 この国、この日本で、ものを書いている人たち、その人たちの書いているものは、ほとんど、その人には似ていないからだ。その人に似ていないということはだれにも似ていないということだ。だれにも似ていないということは、人間に似ていないということだ。 わたしは本当に不思議に思うのだよ。その人の書いているものを読むと、これは確かに、生きている人間が書いたということがあんなにはっきりわかるのに、どうしてほかの、ものを書く人はそうではないのか。その人の書いたものを読んだ人は、いままでもずっと、そういう疑問を心の内に抱いていたのだとわたしは思う、ああ、なぜ、その人だけが別なのだ。 その人だけが別であって、どうして、わたしがそれでないのか。恥ずかしくもまた、わたしもその疑問を抱く一人なのである。わたしもまた日本語でものを書く一人である。わたしの書くものは、果たしてわたし自身に似ているだろうか。わたしたちはそういう疑問に責め苛まれながら、これからも、なににも、だれにも似ていないものを書かねばならないのであろう。 その人はその疑問から無縁であったのか。いや、そうではあるまい。わたしたちの手元に残された14巻の全集をつぶさに読めば、その人こそ「わたしはなににも似ていない。おそらく、人間にさえ」という悩みを生涯にわたって突きつめつづけたのである。その人は80歳まで生き、文学の社会のあらゆる潮流に逆らい、そしてしなびた老人となって、少年であったわたしの前に姿を現した。その時、その人は、その人自身にそっくりになっていた。 この文庫版の選詩集を読み、金子光晴という詩人に興味をおぼえたら、その人の書いた詩をもっと読んでください。それから、その人の書いた伝記や紀行やエッセイも読んでください。なんだかすごくふつうの言い方になるけど、その人の書いたものはどれも最高ですから。もし、この文庫を手にとり、いままさにこの解説を読み、レジに持っていこうとしているなら、どこかの棚にあるであろうその人のほかの文庫本も捜して、ついでに持っていってください。何冊も一度に買えないというなら、まず『マレー蘭印紀行』からはじめてください。 この本の中の日本語は、この百年間発表されたすべての本の中でももっとも美しい。日本的な因襲のすべてに、生涯にわたって反抗しつづけたその人が書いた日本語こそ、だれのどんな日本語より美しかったのです。ところで、金子光晴は大使も好きなというか、評価するアーチストなんです。『ねむれ巴里』という本が長らく埃をかぶっていたので・・・最近やっと飛ばしとばしで読んでいます♪【ねむれ巴里】金子光晴著、中央公論社、1973年刊<「BOOK」データベース>より中国から香港、東南アジア、そしてパリへ。夫人三千代との流浪の旅は、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明けくれるはなやかな人界の底にいつ果てるともなくつづく。『どくろ杯』につぐ、若き日の自伝。<読む前の大使寸評>小さな活字でびっしり書かれた本なんで、長らく積んどく状態であったが…リタイアし暇だから、やっと読む気がわいてきたのです。(蔵書は1973年刊の初版本だが、2005年刊の文庫本データとしています)Amazonねむれ巴里ねむれ巴里byドングリ
2015.07.29
コメント(2)
図書館で『仙台ぐらし』という本を手にしたが・・・伊坂幸太郎のエッセイ集(2005~2012年)が仙台市の出版社から発刊されています。・・・とにかく、仙台なのだ♪【仙台ぐらし】伊坂幸太郎著、荒蝦夷、2012年刊<「BOOK」データベース>よりタクシーが、見知らぬ知人が、ずうずうしい猫が、多すぎる。タクシー運転手が嘆く不景気の元凶は何か、喫茶店で執筆中にやたらと話しかけてくるおじさんは誰なのか、どうすれば自分の庭に猫が糞をしなくなるか。仙台に暮らす心配性の著者が、身の回りで起きたちょっとおかしな出来事を綴る。2005年から2015年までに書き溜められたエッセイ集。短篇小説「ブックモビール」も収録。 <読む前の大使寸評>見慣れない装丁だと思ったら、地方の出版社なんで・・・納得♪なお、この本の文庫本が本屋の店頭に出ています、ナウ。Amazon仙台ぐらし『ゴールデンスランバー』、『アヒルと鴨のコインロッカー』・・・・大使が、伊坂さんの小説を読み出したきっかけは、これらの映画だったのです。伊坂さん自身が、それらの映画化について語っています。<映画化が多すぎる>p109~112 数ヶ月前のことだ。ファミリーレストランの隅のテーブルで仕事をしていた。平日の昼間だったためか人は少なく、婦人たちが三人、前のテーブルにいるだけで、店内は比較的、静かだった。正確には、その静かな店内に、婦人たちの交わす会話が響き渡っている、という具合だった。そのやり取りを聞くともなく聞きながら、ノートパソコンを叩いていた。 そのうちに僕に背中を向けた一人が、「ねえ、ほら、聞いてよ」とうんざりした声を出した。「わたしさ、この間、車で出かけた夜に渋滞に巻き込まれて、ぜんぜん進まないから何かと思ったら、映画のロケだったのよ」 顔を上げてしまうのを堪え、耳をそばだてた。 「ああ、ニュースで見た見た。仙台で撮ってるんだってね」 「〇〇が出てるんだって。あと、〇〇」と役者の名前を並べる。 それは間違いなく、僕の書いた『ゴールデンスランバー』という小説の映画化の話だ。ゴールデンウィークあたりから仙台でロケをしている、と僕も聞いていた。 「もうさ、やんなっちゃうのよね。渋滞とか」 婦人の愚痴を聞きながら、僕の肩はどんどんすぼまってくる。本当に申し訳ない、と内心で謝った。 もちろん僕自身は、映画化の作業には直接、関わっていない。その婦人の通行を妨げる場所で撮影をしよう、と決めたわけでもない。が、僕の小説が映画化されなければ、もっと言ってしまえば、僕のその小説が存在していなければ、彼女は渋滞に巻き込まれなかったのではないか。僕のせいかもしれません。申し訳ありません、と打ち明け、許してもらいたい気持ちになった。 そうこうしていると今度は別の婦人が、「映画といえば、ほら、わたしこの間、あれを観てきたのよ」とはじめる。 僕は少し身構える。 「『重力ピエロ』っていうの」その声に、僕はまた、肩をすぼめる。それも僕の小説を元にし、仙台で撮影をし、公開された映画だったからだ。 「どうだった?」とほかの二人が聞く。声には出さなかったが、僕も聞いた。 「どうでした?」 「何かね、暗い話で、やんなっちゃった」本当に申し訳ないです。居たたまれない気持ちになり、もちろん表面上は平気を装い、仕事を続けていたが、内心では必死に謝罪を繰り返した。 「おまえの小説、映画化が多いな。何でもかんでも映画化されるんだな」少し前に知人に言われたことがある。その彼の言い方は批判的であるようにも、評価をしてくれているようにも、どちらにも聞こえた。 もちろん、何でもかんでも映画化されているわけではない。昔に比べれば格段に邦画の数が増え、小説や漫画を原作として映像化することも多くなり、僕に限らず、様々な作家の小説の映像化が実現するようになった。ただ、僕の小説の舞台の大半は仙台であり、それを映画化する際にはやはり仙台でロケを行うことが多く、そしてさらに、仙台ロケが行われるたびに、地元として盛り上げようと新聞やテレビが取り上げてくれるため、実際以上に、「何でもかんでも映画化されている」という印象が、仙台に住む知人にはあるのかもしれない。 町を歩いていると、いつも気さくに話しかけてくれる年配のご近所さんが、「今度、映画になるんだね」と声をかけてくれることもしばしばあった。「映画となると忙しいだろう」と。 どうやら、そういう人からすれば、僕の仕事は映画を作ることにも思えるらしく、そう思い遣ってくれる。 「そうですねえ」と答えるものの、実際には映画関連で忙しいことなどないから、少し恐縮する。 なかなか難しいのは、映画の出来について僕がどの程度、関わりを持つべきなのか、ということだ。 たとえば、『アヒルと鴨のコインロッカー』という僕の小説が映画化された時だ。僕はこの映画をとても気に入った。その描かれている空気感が素敵で、試写を観て以降も、DVDで何度も楽しんだ。携わったプロデューサーさんや中村義洋監督をはじめとするスタッフさんたち、役者さんたちにも好感が持て、公開前の宣伝時期には、どこか仲間意識すら抱いていたような気がする。「僕たちのこのいい映画を、たくさんの人に観てもらおうぜ!」とでも言うような、そう書くと非常に恥ずかしいが、でもまさにそういう感覚だった。以前の日記から『ゴールデンスランバー』のメモを再掲します。「ゴールデンスランバー」シネマトゥデイより人気作家・伊坂幸太郎の同名ベストセラー小説を、『アヒルと鴨のコインロッカー』『フィッシュストーリー』に続き中村義洋監督が映画化したサスペンス。巨大な陰謀に巻き込まれ、首相暗殺の濡れ衣を着せられた宅配ドライバーの決死の逃避行をスリリングに描く。主演は、中村監督の『ジェネラル・ルージュの凱旋』でも共演している堺雅人と竹内結子。そのほか吉岡秀隆、劇団ひとり、香川照之、柄本明といった実力派キャストが顔をそろえる。
2015.07.28
コメント(2)
図書館に借出し予約していた『沢田マンションの冒険』という本を予約4日後にゲットしたのです。沢田マンションの魅力とは?・・・・大使思うに、アナーキーな、執着と奔放さではないだろうか♪【沢田マンションの冒険】加賀谷哲朗著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より他に類を見ない巨大セルフビルド建築、沢田マンション。日本版サグラダファミリアとも称されるこの建物がどのように継ぎ足しながら作られ、いかに住民に使いこなされてきたのか。4階に釣堀、5階に水田が広がり、屋上の自家製クレーン、謎の地下室、お座敷バスまである建築物の魅力に迫る。住民主催の沢マン祭りなどコミュニティとしての魅力も!<読む前の大使寸評>巨大セルフビルド建築ということでは、ガウディ並みに気宇壮大である♪沢田マンションの魅力とは?・・・・大使思うに、アナーキーな、執着と奔放さではないだろうか♪<図書館予約:(7/18予約、7/22受取)>rakuten沢田マンションの冒険大使が四国に帰省する際に、高知近辺を通っているのだが、まだ沢田マンションを見ていないのです。で、とにかく「日本の九龍城」とも呼ばれる沢田マンションを、訪ねてみたいわけです。まず、予備知識としてネット情報を見てみましょう。香港の旅行雑誌に沢田マンションが掲載されたとのこと。wikipediaの沢田マンションを見てみると・・・ま~、すごいわ♪wikipedia沢田マンションより 沢田マンションは、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に建設された、集合住宅である。鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で造りあげた。通称「沢マン」(さわマン)、「軍艦島マンション」とも。現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪、地下1階地上5階建て、入居戸数約70世帯、約100人居住。 自身の製材業経験やマンション建設過程での発電・給湯などに由来する、沢田嘉農の発動機コレクションが展示してある。 増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。 小学生の娘まで動員し「届かない足でレッカー車を運転して」生コンクリートを運び、セメントの練り込みをしたという。「設計図はわしの頭の中にある」として、きちんとした図面もなく独自に工事をしていった。屋上には夫妻自作のクレーンや製材所が設けられた。 手作りの沢田マンションの歴史はまた、度重なる行政指導や工事中止命令などの軋轢の歴史でもあった。現在では、住民で自主防災組織を結成し、年に1度の避難訓練を行なうなどして、行政との関係も概ね良好である。この本で、沢田嘉農さんの「100世帯アパート経営」に賭けた人生を見てみましょう。<はじめてのアパート建設>p58~63 ときは太平洋戦争の末期。17歳になり軍隊に徴集されてノコギリやヤスリの手入れを任されるものの、翌年夏に日本は敗戦し、嘉農青年の短い軍隊生活は終わります。その後も自分で製材業を続けますが、数年後に最愛の母・寅絵さんを亡くし、ほどなくして父が後妻を連れて来たころ、27歳になった嘉農青年は家を出る決意をしました。 なんら蓄えがなかった嘉農さんは橋の下で寝泊りしながらよその製材所で働きはじめます。その後アパート住まいを経て、いよいよ「100世帯アパート経営」の準備にかかりました。四万十川の河口近く、中村のお金持ちから2ヶ月の期限つきで土地を8万円で借り、河原から石を運びこんで整地、知人から譲り受けた巨木を材に挽き、ひと月半ではじめてのアパートを完成させました。えっ、乾燥してない生木でつくったの?という指摘もあるでしょうが、そこは「嘉農ワールド」ですから目をつむりましょう。 そのアパートは18万で販売することができました。材料はタダ、人件費もゼロですから、不動産屋の販売手数料5%の9000円と借地代8万円を引いても9万1000円の利益でした。これを元手に建てた2件目のアパートで、嘉農さんにとってはじめての賃貸アパート経営が実現します。その賃貸アパートに入居したうちの1世帯が、のちの奥さんとなる裕江さんの家族でした。(中略) 詐欺にあったとはいえ、中村で準備してきた建材は残っていました。嘉農さんは新たに高知市中万々の造成地を見つけて家を建てはじめます。ひとしきり建ち上がったころ、巨大な台風がやってきました。とても強い風で、周囲に建ちはじめていた家がほとんど壊れてしまったそうです。そのなかで沢田夫妻が建てた家だけが、なぜかほとんど無傷で残っていました。周辺の家よりも太い材木を使っていたことが幸いしたようですが、そういった理由以上の強運もあったのでしょう。地元の生きる伝説となった二人の建てる家は、値段が安いこともあって後から後から注文が舞いこみました。(中略) 仕事の増えた沢田夫妻は自分たちの建てた建売住宅に住み、その住宅が売れるとまた新しく建てた建売住宅へ転々と移り住みました。このことは家賃を節約できるだけでなく、自分たちのつくった家の済み心地を、そこに住まう人の立場で体感することのできる貴重な機会でした。そして1965年、貯まったお金で薊野に土地を買い、作業所を併設したアパートをつくって大家業を再会します。その後も、家賃収入を生み出すアパートを10棟以上つくり、アパート経営を拡大していきました。沢田マンションの運営方針がいい加減で大らかなのが…ええでぇ♪<引越しと改装のハーモニー>p260~263 マンション内引越しが頻発する理由を沢田マンションの運営方針から探ると、大家がよい意味でいい加減なので契約は簡単、礼金・更新料などが不要というのが大きな要因です。また家賃がずいぶんと感覚的に設定されているので、うまく掘り出し部屋を見つければ割安感を味わえます。ふつうの賃貸住まいで「試しに住んでみる」なんて不可能ですが、沢田マンションでは、まるで洋服を試着するような気軽さで部屋を選べるのですから、試しに引越ししてみたくもなるというものです。 ちなみに同じ住戸に住み続ける限りは家賃がずっと一定で値上げがないというのも特徴で、古くから住んでいる人のなかには相場よりかなり低い家賃で住んでいる方もいます。<出て行かないのと、出て行けないのと> 入居者側の要因もあります。 沢田マンションの中で、いまの自分によりフィットした住戸があればそっちに住みたいというのがマンション内引越しの基本原動力です。「フィット」の中身は広さ、家賃、日当り、階数、設備や内装の新しさなどなど、人それぞれの趣味や事情によります。 それでも引越しの選択肢を沢田マンションだけに限定しているのは、左記のような理由があります。 沢田マンションの建物や人間関係が好きだからというポジティブな理由の人、通勤・通学や買い物などに便利な立地や手ごろな家賃がよいからという人のような「出て行きたくない」ケースと同時に、個々の事情から半ば「出て行けない」ケースもあります。 沢田マンションの入居審査は人物本位ですが、一般の賃貸住まいでは本人に非がなくとも入居審査で保証人不在などの理由をつけて入居を断ることがよくあります。そのような世帯がマンション内の引越しで生活の変化に対応できているのだから、わざわざ大変な努力をしてまでよその建物に移り住む必然性がないのです。 けれど、みんなが少しずつよい住戸へのステップアップを求めてマンション内を玉突きのように移り住んでいき、同時に外から入居してくる人もいるのですから、いよいよ「よい住戸」が足りなくなってきます。 この問題をブレークスルーするための荒業として住戸の合体による拡張、「2コ1化」があります。「2コ1化」は、入居者が減少した時期に考えた「マンション経営改善」でした。従来のコンパクトな間取りが時代にそぐわなくなってきたことを敏感に察知して、部屋を広くすることで需要を喚起しようとしたのです。結果的に新規の入居者が再び増えはじめるとともにマンション内引越しのモチベーションも引き上げられました。「より広い部屋に住みたい!」というわけです。<引越しと改装のいい関係> マンション内引越しは入居者をキープしながら、住戸が空いた機会に順次改装していくことでマンション全体がリフレッシュしていくチャンスも生み出します。 入居者と大家の個性が響き合うことで、循環と新陳代謝を続ける空間が存在しているのです。沢マン見学のマナーがネットに出ています。sawaman gallary room38より沢田マンションはマンションです。見学する際にはマナーを守って下さい。特に以下の点はご注意下さい。・許可のない撮影行為・喫煙・ポイ捨て・住居スペースへの進入・その他住人のプライバシーを損なう行為はご遠慮下さい。 住人がボランティアで沢マンツアーも行ってます。仕事等でツアーが出来ない場合もあります。大使の故郷は四国西南部の中村であるが・・・・若き日の沢田さんは、中村で建売アパートを建てて賃貸アパート経営をスタートしたそうです。もしかして大使とニアミスしていた可能性もあったわけで、無縁ではないのです♪
2015.07.27
コメント(2)
図書館で『いかめしの丸かじり』という本を手にしたが・・・丸かじりシリーズ第32弾てか・・・・ギネス級やで♪【いかめしの丸かじり】東海林さだお著、朝日新聞出版、2010年刊<「BOOK」データベース>よりいまや“国民駅弁”となった人気者。ゴハンにイカか、イカにゴハンか?恍惚と絶句を誘う味の往来!シリーズ最新刊抱腹絶倒の食エッセイ第32弾。 <読む前の大使寸評>丸かじりシリーズ第32弾てか・・・・ギネス級やで♪とにかく東海林さんの食エッセイは面白いのです。国民栄誉賞も近いぜ。Amazonいかめしの丸かじりこの本のどこから読んでも面白いのだが、「ラーメン大革命」を見てみましょう。<ラーメン大革命>p110~114 大変なことになりました。 ラーメン界に大革命が起きたのです。 昔の銭形平次の映画なら、子分のガラッ八が、 「親分てえへんだ!てえへんだ!」 と駆け込んでくるところです。 ちょっと古かったかな。 いずれにしてもそのぐらいの大事件。 ラーメンの二大主流といえば、醤油ラーメンと味噌ラーメンで、あとは塩ラーメンがぼちぼちといったところだった。 二大主流とはいうものの、醤油ラーメンが味噌ラーメンを大きく引き離していたわけです。 「きょうはラーメン」 と決めて出かけて行くとき、たいていの人は 醤油ラーメンを頭に描いている。 だが味噌ラーメンのファンも手堅くいて、味噌ラーメンの名店といわれる店もあちこちにある。 どういうわけか味噌ラーメンは「醤油ラーメンもやっています」という店はまずない。また醤油ラーメンの店のメニューには、味噌ラーメンはない。 ぼくもふだん食べているラーメンは醤油だが、ときどき味噌ラーメンが無性に食べたくなる。 醤油ラーメンと味噌ラーメンでは具も違ってくる。醤油のほうは、メンマ、チャーシュー、そしてあとは味つけ卵、ほうれん草、海苔といったところになる。 一方、味噌のほうは・・・・。 え? 具の話はいいから冒頭の「てえへんだ!てえへんだ!」の話はどうなったのか?ですって? わかってます。 そっちにすぐとりかかりますから、具の話を片づけさせちゃってください。 味噌ラーメンはいわゆる“サッポロラーメン”が始まりで、ひところはモヤシ、挽き肉、コーン、バターなどを具としたが、いまは醤油ラーメンの具と変わらなくなっているようだ。 味噌ラーメンの店は少ないので、味噌ラーメンを食べたいときは、ぼくはスーパーの生の袋麺を買ってくることにっしている。 生の袋麺には各メーカーとも、醤油、味噌、塩が揃っている。 え? 「てえへんだ!」の話を早くしろ、ですか。 そうはいかないんです。 なにしろわざと“引っぱって”いるからです。 わざとじらしてるんですから。 さて、ここからが本題です。 このあたりから「てえへんだ!」に徐々につながっていく予定です。 醤油ラーメンの店は、どの店も、その店の店主が心血を注いで作り上げた究極のスープである。ということがでえきる。 味噌ラーメンのほうも、その店の店主が苦心惨憺の末に完成させた至高のスープである。 両スープとも、これ以上のものはないというスープである。 いいですか、ここんとこですよ、ここんところからいよいよ「てえへん」につながっていきますよ。 この両スープを混ぜたらどういうことになるのか。 ああ、考えただけで胸が高鳴る。 舌が踊る。ノドが震える。 究極と至高が混ぜ合わされるのだから、エート、ド極至究高の味とでもいうものにならないわけがない。 こんなことを思いついた人、これまでにいたでしょうか。 「醤油味噌合体ラーメン」の誕生です。 「おう!」という、全国各地からの驚嘆と賛嘆のどよめきがぼくには聞こえてくる。 問題はどうやって両者を混ぜ合わせるか。 味噌ラーメンの店に行って醤油をたらす。 醤油ラーメンの店に行って隠し持った味噌を投入する。 こんなことではその味は高が知れている。 あるんですね。至高のスープと究極のスープを混ぜる方法が。 さっき書いた生の袋麺、あれを使うのです。 それぞれの袋からスープの子袋を取り出して二つ並べてみましょう。ホラ、ここにちゃんと究極の醤油スープと至高の味噌スープが揃っているじゃありませんか。 生麺に付いているスープは、各メーカーがしのぎを削って作り上げた究極と至高のスープばかりです。 そうなのです、鍋に二杯分の湯を沸かし、この二つをその中に投入すればいいのです。 あっという間に“醤油味噌合体スープ”ができあがる。 一口すすってみます。 おう、まず醤油の香り、ちょっとあとから味噌の匂い、おう、またしても醤油の香り、なにしろ日本人の心の故郷、味の古里、味噌と醤油が手を組んだのだ。 そこんところへしのぎを削ったスープの味が加わってくるのだから、もう気も狂わんばかりにおいしい。 このとおり、東海林さんは「醤油味噌合体ラーメン」を賛美するのだが・・・・大使としては懐疑的になるんですね。どうしても。
2015.07.27
コメント(0)
本屋で手にした新潮45-8月号の特集が「戦後70年」となっています。手元不如意の大使は、最近、雑誌は買わず、もっぱら図書館で読んでいるのだが…表紙に「創刊400号記念特大号」コピーが踊るように、8月号の内容は力が入っているので、(衝動買いに近いけど)3日ほどの冷却期間をおいて購入したのです。また、最近、図書館で『その日東京駅五時二十五分発』、『ブギウギ』、『昭和史をどう生きたか』という本を借りたが、これも終戦秘話、占領時代を描いていて、つまりは「戦後70年」がテーマと言えそうです。ということで、「戦後70年」を考えるために、「戦後70年」関連を並べてみました。・新潮45-8月号・その日東京駅五時二十五分発・ブギウギ・昭和史をどう生きたか・朝日新聞の「戦後70年」シリーズ*****************************************************************************【新潮45-8月号】雑誌、新潮社、2015年刊<目次>より【戦後70年】特集 漂流する日本 ・国防を忘れた「異形の民主主義」/佐伯啓思・日本人よ目を覚ませ!/ケント・ギルバート・もう誰も戦争を知らない/古市憲寿【戦後70年】特集 あの戦争は何だったのか ・「一億玉砕」という亡国思想/保阪正康【対談】・地に足のついた話をしよう/内田樹×藻谷浩介 <読む前の大使寸評>表紙に「創刊400号記念特大号」コピーが踊るように、8月号の内容は力が入っているので、(衝動買いに近いけど)3日ほどの冷却期間をおいて購入したのです。『文芸春秋』はいかにも老人向け雑誌であるが、その点、『新潮45』は若々しくて、ええなぁ♪shinchosha新潮45-8月号*****************************************************************************【その日東京駅五時二十五分発】西川美和著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より終戦当日、ぼくは故郷広島に向かった。この国が負けたことなんて、とっくに知っていたー。「あの戦争」に挑む、鬼気迫る中編小説。<読む前の大使寸評>西川さんといえば、気鋭の映画監督・脚本家である。その西川さんが伯父さんの体験をもとに綴ったセミドキュメンタリーのような小説ということで・・・借りたわけでおます。rakutenその日東京駅五時二十五分発*****************************************************************************【ブギウギ】坂東眞砂子著、角川書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より敗戦間近、箱根に疎開中のドイツ軍潜水艦長・ネッツバントが変死した。遺体を発見したのは、旅館に住み込みで働く安西リツ。この事件の調査をする海軍に通訳として連れ出された法城恭輔は、他殺の可能性を色濃く感じていた。しかし、ドイツ軍医・シュルツェは自殺であると断言する。不審に思い調べを進めると、事件の背後にはナチス・ドイツの陰謀が見え隠れしていた。一方リツは、若いドイツ人潜水艦乗組員のパウルと急接近していく。そしてリツも、否応なくその陰謀に巻き込まれていくこととなるー。激動する時代と、そこで力強く生きる人々を緻密な描写で描いた、傑作長編ヒューマン・ミステリ。<読む前の大使寸評>ドイツ人潜水艦乗組員のからむ陰謀とくれば・・・・読んでみるかと借りたわけです。rakutenブギウギブギウギbyドングリ*****************************************************************************【昭和史をどう生きたか】半藤一利著、東京書籍、2014年刊<「BOOK」データベース>より特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。【目次】ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)<読む前の大使寸評>半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪rakuten昭和史をどう生きたか昭和史をどう生きたかbyドングリ*****************************************************************************<朝日新聞の「戦後70年」シリーズ>工事中朝日新聞が「戦後70年」シリーズを載せているので、スクラップしているのだが・・・そのタイトルを並べてみます。・同時代史 ずれるアジア(2014.8.13)・核を制御できるのか(2014.8.16)・特攻 戦局悪化の末に(2014.10.23)・日系知事多様性の重み(2015.1.3)・日中つなぐ留学の歩み(2015.1.5)・支援の世界変化の芽(2015.1.6)・知と文化読んで再発見(2015.1.8)・戦場「こんなでは、ねぇ」(2015.2.17)・隊員の合祀、地方に610柱(2015.2.18)・過去を伝える、イギリス、中国(2015.3.3)・米国へ、憧れと反発(2015.4.20)・「日本人民も被害」消えゆく説得力(2015.7.15)http://www.asahi.com/articles/DA3S1859538.html…・平和利用、潜む「核保有」(2015.7.26)*****************************************************************************1951年4月にマッカーサー元帥は解任されたが、当時5歳の大使にとってもマッカーサーの名前は知っていたのです。ガキ仲間にも「日本でいちばん偉いのはマッカーサー」と話した記憶があるのです。
2015.07.26
コメント(0)
図書館で『旅の大様』という本を手にしたが、パラパラと斜め読みしたところ、過酷な旅や迷子体験などが語られています。これこそ、旅の楽しさの本質ではないかと思うわけで・・・ええでぇ♪【旅の大様】四方田犬彦著、マガジンハウス、1999年刊<「BOOK」データベース>よりグルジアで盗難に遭い、ロンドンでアパート不法占拠に参加し、サハラ砂漠で寿司ネタクイズに興じ、パゾリーニの墓を訪ねる。市場で迷い、絵葉書を送り、奇妙な料理を食べ、土産物屋でボラれる。…筋金入りの旅のアマチュアがつづる、哀しくもおかしい旅の記憶。<読む前の大使寸評>パラパラと斜め読みしたところ、過酷な旅や迷子体験などが語られています。これこそ、旅の楽しさの本質ではないかと思うわけで・・・ええでぇ♪Amazon旅の大様この本で、旅行中の災難を見てみましょう。大使もサウジアラビアでの通関には往生こいたのだが・・・この災難と比べたら、まだ生ぬるかったようですね♪<災難とその対策>p14~17 何かの気配に気がついて、ハッと目が醒めた。三人の若者がわたしの足の下に置いた荷物に手をやって、それをこっそりと運び出そうとしている。慌てて叫ぼうとしたが、そのうちのひとりがどうやら刃物らしきものを突きつけ、小さな声で何かをいった。 やがて彼らは仕事を終えると、ふっと姿を消した。あっという間の出来事で、わたしはしばらく狐につままれていたかのように、呆然としていた。同行の二人から少し離れたところで長椅子に身をもたせかけていたのが災いしたのである。ほどなくして恐怖の感情が蘇ってきたころに、彼らが駆けつけて来た。わたしはパスポートや現金はおろか、カメラ、メモ、日本までの航空券、そして着替えの衣類まで、ほとんどすべてを奪われてしまったのである。 さて、これからが大変だった。駅の公安の連絡を受けて、二人の刑事が駆けつけて来る。彼らはともに、同郷の独裁者スターリンそっくりの顔と体型をしていて、わたしこそが犯人であるかのように警察署まで連れて行った。二日間にわたってみっちりと事情聴取があり、奪われたもののことごとくをわたしは報告しなければならなかった。 ロンドン製Tシャツで、表に大きく「レノン」と書いてあります、といったぐあいである。それはいくらのものかとか、スターリンその1が尋ねた。20ドルくらいでしたと、わたし。それはわれわれグルジア警察の職員の半月分の給料だと、スターリン2がいった。1のほうが、わたしを叱りつけるような口調でいった。「」 読者のなかには、わたしがどうやって彼らと意思疎通可能だったか、疑問に思う人もいるだろう。そう、われわれはなかに二人の通訳を介しながら、英語、ロシア語、グルジア語を往復しつつ話を進めたのだ。どうして取調べがこんなに念入りだったのかといえば、われわれ一行が、女王陛下はもとより、当時の独裁者ガムサフルギア大統領とも面会していたためである。警察側はわれわれを、西側のきわめて重要なジャーナリストにちがいないと、勝手に思いこんでいたためだった。その結果、わたしは睡眠4時間の日が二日続くことになった。 結局、写真家と記者はアゼルバイジャンに出発、パスポートを持たないわたしはモスクワへ戻ることになった。災難の直前まで滞在していたホテルへと、わたしはすごすごと引き返してくた。 二人のスターリンたちが書いてくれた証明書のおかげで、ともかくも宿泊と朝食だけは確保されたが、気の落ちこみようはただごとではない。強盗たちがちらりと見せた光り物の不気味な感じは、いつまでも脳裏を去らなかった。喪った現金が惜しいとはそれほど感じなかったが、さあこれからコーカサスを抜けて中央アジアを横断し、中国との国境のところにまで足を伸ばそうと目論んでいた矢先に、情けなくも一番最初の都市で躓いてしまったのだ。このことの挫折感は大きかった。(中略) 翌日、飛行場に行ってみると、前日の同じ時刻に出発する便がようやく24時間遅れで出発するというところだった。二人のスターリンが権限でもって乗客たちのなかから一人を引き摺り下ろし、わたしを乗せた。ほとんど無一文のままモスクワの空港に到着したわたしは、証明書のおかげでなんとか外国人専用ホテルにありついた。もっとも夕食を食べにレストランに行く金などあるわけない。ロビーをぶらぶらしていると、いかにも娼婦といったなりの、ミニスカートに毛皮のコートの女が片言の英語で話しかけてくるのだが、こちらには答える気力さえなかった。もう自分はけっしてソ連に来ることはまいだろうから、最後にコレを眺めておこう。そう思ったわたしは、腹をすかしたままカリーニン通りを散歩した。 グルジアの老婆たちのお祈りが効いてきたのか、少しずつ運が向いてきたのはこれからである。夕暮れの街角を歩いてくると、『地球の歩き方』の韓国語版を手にした韓国人学生の一行と擦れ違った。わたしはともかく片言の韓国語で、わが身にふりかかった長い災難のいっさいを説明した。「ちくむ、ちょんまるぴごんね。ぱぷ、もごしっぽよ」とわたし。もうクタクタ。メシ食わしてくれえ、くらいの意味である。 彼らはこれから友人の留学生の誕生パーティに行くところだといい、わたしを気安く仲間に入れてくれた。信じられないことに、韓国人たちはモスクワでも律儀にキムチを食べていた。 こうしてわたしは夕飯にありつくことができ、そのあと二食を抜いたまま、翌日の夜にはモスクワ国際空港に入ることができた。すでに疲労は極言に達していた。日本大使館がぶっきら棒に差し出した帰国証明書だけを片手に出国審査を受けようとしたが、係官の若い兵士はソ連のヴィザを提示しないと出国はできないと頑強に主張した・・・・このような絶望的状況から無事に帰還できたのだから、もう旅行中にどんなことが起きても克服できるのでしょうね♪四方田さんが「道に迷う悦び」を語っています。おお わが意を得たりやでぇ♪<道に迷う悦び>p148~150 そう、思い出してみるならば、実にたくさんの外国の都市で、迷子になったものであった。はじめて訪れたソウルでは、かの迷路のごとき南大門市場のなかで案内の友人と逸れてしまい、呉服屋街から魚屋街、肉屋街と、同じ場所を1時間ほども廻ったことがあった。あまりに頻繁にウロチョロするので店の人に不信がられ、ひどく心細い思いをしたあげくに、やっと友人にピックアップされたわけだが、ソウルの巨大な胃袋とも呼ばれるこの市場で迷うという体験に、ある種の陶酔感があったことも事実である。 またモロッコの旧都フェズでは、これもまた群衆で溢れんばかりの旧市街に入りこんだ瞬間から、もう自分がどこにいるのか見当がつかなくなってしまい、しきりと話しかけてくる自称ガイドに悩まされながら、ほうほうの体で新市街へと脱出したこともあった。(中略) 結局のところ、旅行という旅行のなかでもっとも強い印象をあとあとまで残すのは、道に迷って困りはてたという体験ではないだろうか。おそらくソウルの市場でひとりきりになることがなかったとしたら、韓国人の肌身に触れる親切さを知る機会は、もっとあとになっていたことだろう。メディナで群衆に揉まれるということがなかったとしたら、フェズの思い出はもっと淡いものとなっていたことだろう。それにあのボストンでの深夜の災難があってこそ、フライッシャーの恐怖映画『ボストン絞殺魔』の本当の面白さがわかったのではないか。 もちろんあらゆる旅行が、迷子になるという体験を伴っているわけではない。たいがいの場合、わたしはまず未知の邑に到着すると、キオスクなり書店なりで現地の地図を求め、現在位置やホテルの場所、翌日発つことになる町外れのバスターミナルの場所までを、その場でキチンと地図のうえに書きこんでもらったりする。 にもかかわらず、しばしばわたしは迷ってしまう。片言の現地の言葉で子供たちに道を聞き、そこへ暇な大人たちが加わって、人の群れができる。誰かが、付いていってやろうといい出す。ぼくも一緒にいくよと、子供のひとりがいい、他の子供たちがそれに準ずる。こうしてあっという間にハメルンの笛吹きのような行進が始まり、わたしはさらにぐるぐると周囲を廻ったり、ときには余興でジャッキー・チェンの真似をしたりしながら、ようやくホテルに到着するのだ。 これが東京での毎日であったとしたら、時間に追われていて、とうてい迷うことの愉しみを満喫することなど、思いつかないことだろう。摂氏35度の日光の下で汗だらけになったハンカチを絞りながらそう考えるたびに、迷うことこそ、実は旅行にあって特権的な行為なのだと、自分にいい聞かせるのである。
2015.07.25
コメント(0)
時として、ホルモン焼きなど食べたくなるので、鶴橋まで出かけているのだが・・・ネットで、焼肉ホルモンを覗いてみると、ゲッ!鶴橋だけで44件もヒットします。鶴橋焼肉ホルモン44件このなかで配膳スピード、お値段なら、ガード下の「金太郎」が、ええでぇ♪ということで、この店の口コミ情報を見てみましょう。鶴橋焼肉ホルモン金太郎より<おのいもこさんの口こみ>駅前からすぐの金太郎さん。看板のメニューを見て入りました( ^ω^ )目に止まったのは安さ!!定食850円?でホルモン315円均一。焼肉定食850のと、てっちゃんタレを頼みました( ^ω^ )定食は先にサラダ、味噌汁、キムチ、ご飯が出てきました。なんと、言ってもスピードが速いwwその次に定食のお肉、ハラミ、ロースが来ました。だいたい各5枚くらいで厚みがしっかりしているお肉でした。850円でハラミ、上タンの定食もありました!他含め8種類くらいはあったかと…(o^^o)レーメン、テールスープ定食もあり味料理を飽きさせないメニューだと思いました!お肉なんですが厚みがあるぶんしっかりとしたお肉の歯ごたえは、ありました。タレは甘タレなんですがあまり甘すぎないようなサッパリしたタレでした。お肉の量も多く、定員さんも対応がよく満足でした。また近くに行ったときは立ち寄ろうと思いました。なお、大使お奨めの店としては、鶴橋駅西口前の鶴橋焼肉白雲台が筆頭になります。西口を出ると、目の前がこの店なので、たいへんわかりやすいのも、ええでぇ♪韓国料理に対する思いは韓国料理あれこれにしたためています。このように、大使は時として韓国料理に対する禁断症状が出るわけで。その都度、鶴橋まで遠出しているわけでおます。
2015.07.24
コメント(0)
図書館で『ブギウギ』という本を手にしたが、本屋の店頭に終戦特集が並ぶのに誘われたわけではありません。もともと潜水艦関連の本は大使のツボでもあるわけで・・・・ドイツ人潜水艦乗組員のからむ陰謀とくれば読んでみるか、と借りたわけです。【ブギウギ】坂東眞砂子著、角川書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より敗戦間近、箱根に疎開中のドイツ軍潜水艦長・ネッツバントが変死した。遺体を発見したのは、旅館に住み込みで働く安西リツ。この事件の調査をする海軍に通訳として連れ出された法城恭輔は、他殺の可能性を色濃く感じていた。しかし、ドイツ軍医・シュルツェは自殺であると断言する。不審に思い調べを進めると、事件の背後にはナチス・ドイツの陰謀が見え隠れしていた。一方リツは、若いドイツ人潜水艦乗組員のパウルと急接近していく。そしてリツも、否応なくその陰謀に巻き込まれていくこととなるー。激動する時代と、そこで力強く生きる人々を緻密な描写で描いた、傑作長編ヒューマン・ミステリ。<大使寸評>もともと潜水艦関連の本は大使のツボでもあるわけで・・・・ドイツ人潜水艦乗組員のからむ陰謀とくれば読んでみるか、と借りたわけです。複数の登場人物が1人称で語るスタイルなので、読んでいる途中は、誰が主人公なのか分からなかったが・・・・終戦を前後して、輪舞のように進行するミステリータッチのお話が、ええでぇ♪最新型潜水艦の設計図、第3帝国復興計画、ジェノサイド等々、著者の広く鋭いパースペクティブが感じられるが、一方で、綿密なプロットをはりめぐらせたミステリー仕立てがあるわけで・・・・高村薫の作品の読むような趣があるのです。著者は欧州での長い滞在歴があり、この作品でも終戦時ドイツのイメージに反映されています。高村は『リヴィエラを撃て』でアイルランドの民族紛争を絡めてミステリーを描いているが・・・この2作品は似てなくもないと思ったのです。(最大の黒幕はCIAであるところなんか似てるのでは)著者の早過ぎた死が惜しまれますね。rakutenブギウギところで、大使の潜水艦に対するこだわりが潜水艦映画を観てきた、潜水艦の世界に出ているので、ご笑覧ください。
2015.07.23
コメント(0)
本屋で『情報の「捨て方」』という新書を手にして斜め読みしたが・・・お説ごもっとも、これこそ「情報活用」の書だと思ったのです。ただ、成毛さんのような有名人はFacebookを愛用するのが当然なのかもしれないが・・・市井の一般人には、ツイッターが向いている思うわけです。(色々理由があるのだが、大使はFacebookが嫌いやでぇ)【情報の「捨て方」 】成毛眞著、KADOKAWA 、2015年刊<「BOOK」データベース>より新聞を読むな。BSテレビを観ろ。メモは「太赤マジック」で取れ。SNS上のバカは即刻「ブロックしてよし」-人生もビジネスも、どう“情報を捨てるか”で質が決まる。「良い情報を探す」前に、疑い、見極め、そうして活かせ。人、街、テレビ、ネット、スマホ…本当の知的生産をするための、「情報活用」以前の教科書。【目次】序章 「情報とは一体何か」-バカを相手にしないための手段として/1章 情報を「入手する」-24時間浴びる、しかしルートは絞る/2章 情報を「見極める」-「どうせウソだよね」という思考習慣/3章 情報の「非整理術」-整理に追われて1日を終える人々/4章 情報を「噛み砕く」-解釈する力のない者は敗れる/5章 情報を「生み出す」-受け取るだけの人間になるな/6章 情報を「活用する」-面白い生き方をしたいなら/特別章 成毛眞「情報」個人史<大使寸評>お説ごもっとも、これこそ「情報活用」の書だと思ったのです。ただ、成毛さんのような有名人はFacebookを愛用するのが当然なのかもしれないが・・・市井の一般人には、ツイッターが向いている思うわけです。(色々理由があるのだが、大使はFacebookが嫌いやでぇ)rakuten情報の「捨て方」この本で、スマホのあたりを見てみましょう。大使のように、情報活用には紙媒体をメインにしているアナログ派は絶滅の危機に瀕しているんだそうです・・・・世も末やでぇ。<情報量は増えたが、人間の能力は進化していない>p31~33 スマホ以前、人は本や雑誌を持たずに電車に乗ると、中吊り広告くらいしか読むものはありませんでした。私のような活字中毒者は週刊誌の中吊りを、見出しを覚えてしまうほど繰り返し読んで、目的地に着くまでの時間をつぶしていたものです。 しかし今や、中吊りをぼんやり見上げている人は少ない。本派・雑誌派も絶滅の危機に瀕しています。その代わりに幅をきかせてきたのがスマホ派です。ゲームをしている人もいますが、それ以外の人は、スマホを介してメッセージをやりとりしたりサイトを閲覧したりして、何らかの情報に触れています。 その情報の大半は、「前日にはなかった情報」です。スマホで得られる情報は刻々と更新されていて、そして、消費されていきます。以前なら、外出中に起きたニュースに触れるのは、たまたま入った喫茶店でテレビを見るときくらいしかありませんでした。しかし今は、どこにいても、新鮮な情報に触れられるようになっています。 そして膨大な量の鮮度の高い情報は、再発信されます。情報を得た人がそれを「Facebook」や「Twitter」などのSNSでシェアするため、拡散していくからです。これはSNS以前には考えられなかったことです。 したがって現代人は、好むと好まざるとにかかわらず、日々湧き上がってくる大量の情報と向き合う覚悟を持たなくてはなりません。 この10年間で触れられる情報の量は圧倒的に増えました。しかし、それに対峙する人間の処理能力が向上したとはとても思われません。そんなに進化するはずがないのです。では、努力で情報量の増加にキャッチアップできるかというと、それも不可能でしょう。 しかし、人間にもできることがあります。 高度情報化社会で人間にできること。それはまず、触れる情報を選抜することです。あからさまなダメ情報についてはすでに述べましたが、それ以外にも、吸収も接触も不要な情報はいくらでもあります。次のお話はブログを書く上で参考になります。<自ら「発信する」本当の理由>p144~145 面白い映画や小説との出会いは嬉しいものです。そういったものに出会うと、自分だけで楽しんでいるのが惜しくて、その映画や小説がどれだけ面白かったかを、誰かに話したくなります。 そのようなときに、はたと、あることに気がついたことはないでしょうか。 「あれ? 面白かったことは覚えていても、内容をきちんと覚えてない!」 よくある話だと思います。 その理由は単純で、そもそも「後で他人にその面白さを伝えるために観たり読んだりしていない」からです。だから物語にのめり込んでしまい、全体感を把握できないのです。 もし、最初からその内容を誰かに伝えようとして観たり読んだりしていれば、物語を深く楽しみつつ、ストーリー全体をつかむことができるはずです。つまり、誰かに情報を発信することは、自分の中で情報を整理することに等しいのです。 私は「HONZ」でノンフィクションの書評を書いています。ノンフィクションを読むときは、書評を書く、というアウトプットが前提となっているのです。 なので、書評で活用できそうな、自分が知らなかったことや面白いことが書かれている箇所には付箋を貼り、あとからすぐに参照できるようにしています。 ちなみに使っている付箋は、100円ショップのダイソーで売っている、フィルムタイプの付箋です。紙の付箋よりも薄いので、たくさん貼っても本が厚くならずにすんで便利です。 また、アウトプットしたときには、どのような反応があるか、は必ず確認しています。これは、普段の会話でも同じでしょう。私が話したことが理解されていないようであれば、私の伝え方に改善の余地があるということです。 映画や小説の面白さも、何度も話しているうちに、伝え方が上達するというのはよくあることです。繰り返し発信することで、発信術は向上するのです。小学生の頃から百科事典を50音順に読んでいた成毛さんはユニークであるが、何かを得るには何かを捨てる必用があると語っています。…潔いではないか♪<成毛眞の「情報」個人史>p181~182 つまり私は、同世代が読むような本は読まずに10代を過ごしたのだ。時間が限られているのだから、当然と言えよう。 私が子どもの頃に触れなかったのは、少年少女向けの物語だけではない。映画もほとんど見なかったし、漫画も読んでいない。だから未だに漫画の読み方がよくわからず、『AKIRA』や『攻殻機動隊』など、世界観がしっかりしたものしか読めない。 テレビも、子供向けのものは見なかった。見ていて楽しかったのは「シャボン玉ホリデー」や「夢であいましょう」など、大人向けの番組である。NHKの「新日本紀行」や「NHKスペシャル」の前身である「報道特集」もよく見ていた。法隆寺の改築をテーマにした回のことは今でもよく覚えている。そこでしか見られない映像だった。 ついでに正直に言うと、漫画を愛読していることを公言する人の気持ちもわからない。そうした発言によって炎上しかかったことがあるが、しかし、それでも、こう想像してほしい。米連邦準備理事会のジャネット・イエレン議長や、一躍有名になった経済学者のトマ・ピケティ、白熱教室のマイケル・サンデルが漫画を読むだろうかと。万一、漫画を読んでいたとしても、ほかのことに使う時間を犠牲にして漫画を読んでいるという自覚は持っているに違いない。 何かをするには、何かをしないことを選ばないとならないのである。漫画を読むことを習慣としている人のうちどれだけが、これを意識しているだろうか。なるほど、成毛さんは漫画や一部の映画などサブカル系の情報は多分シャットアウトしているんでしょうね。…全面的に賛同できないにしても、卓見ではあるんでしょう。(態度がでかい大使ではあるが)先日読んだ成毛さんのメガ!という新刊が面白いので、お奨めです。
2015.07.22
コメント(0)
今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「ビジュアル本」でしょうか♪<大学図書館>・世界ふしぎワンダーライフ・新 日本の路地裏・やまとぢから<市立図書館>・おかしなジパング図版帳・旅の大様図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【世界ふしぎワンダーライフ】渋川育由編、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりデータ無し<読む前の大使寸評>なぜ こんなところに?・・・・世界は広いぜ、ということなんでしょう。Amazon世界ふしぎワンダーライフ世界ふしぎワンダーライフbyドングリ【新 日本の路地裏】佐藤秀明著、ピエ・ブックス、2008年刊<カスタマーレビュー>より路地裏。それは温かい生活観が漂う空間であり、どこか懐かしさが漂う。今の日本では、暮らしやすさを追求するあまり、住まいや街が変化し続けており、路地裏を維持することも容易ではないと思います。そのような路地裏の危機に瀕した現代にありながら、佐藤氏がカメラを携え全国の路地探訪により巡り合った数々の路地裏の呼吸を選りすぐりの写真により本写真集では表現しています。<読む前の大使寸評>今でも消えつつある路地裏…役人のミスリードも有ったが、市場原理という抗しがたい力には叶わないのかも。Amazon新 日本の路地裏新 日本の路地裏byドングリ【やまとぢから】籔内佐斗司著、青幻舎、2013年刊<「BOOK」データベース>より20代に体験した仏像修復を通じて、森羅万象の命をあらわす“童子”シリーズを誕生させた籔内佐斗司。現在、東京藝術大学大学院文化財保存学教授として後進の指導にあたりながら、2010年には平城遷都1300年祭・公式マスコット“せんとくん”キャラクターデザイン、“平成伎楽団”プロデュースなど、人々の心に「やまとぢから」を呼び覚ます活動を展開し続けている。待望の最新作品集。<読む前の大使寸評>籔内さんの元気印のような作品が日本中に見られるようになって・・・・ビックリやでぇ♪rakutenやまとぢからやまとぢからbyドングリ【おかしなジパング図版帳】宮田珠己著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>よりいったい、ここはどこなんだ?空想と、思い込みと、伝言ゲームで描かれたどこにもない日本へ、ようこそ。【目次】1 おかしな王国、発見!/2 オランダ使節、珍妙な国を旅する/3 へんてこな人々、あべこべな習俗/4 謎の王ダイロと、武士と呼ばれる戦士たちの世界/5 得体の知れない宗教/6 世界の片隅で歴史は動く<読む前の大使寸評>日本を見たシーボルトが描いた日本人は、リアルだがどれも辛気臭いのだ。一方、日本を見たことのないモンタヌスが(伝聞で)描いた日本は、奇想天外で、ユーモラスでさえある。こんなにも、無責任に描いてそれを出版しても良かったのだろうか?rakutenおかしなジパング図版帳おかしなジパング図版帳byドングリ【旅の大様】四方田犬彦著、マガジンハウス、1999年刊<「BOOK」データベース>よりグルジアで盗難に遭い、ロンドンでアパート不法占拠に参加し、サハラ砂漠で寿司ネタクイズに興じ、パゾリーニの墓を訪ねる。市場で迷い、絵葉書を送り、奇妙な料理を食べ、土産物屋でボラれる。…筋金入りの旅のアマチュアがつづる、哀しくもおかしい旅の記憶。<読む前の大使寸評>パラパラと斜め読みしたのだが・・・旅の楽しさの本質的なところが見えるようです。Amazon旅の大様*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き106
2015.07.21
コメント(0)
図書館で『おかしなジパング図版帳』という本を手にしたが・・・日本を見たことのないモンタヌスが(伝聞で)描いた日本は、奇想天外で、ユーモラスでさえある。【おかしなジパング図版帳】宮田珠己著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>よりいったい、ここはどこなんだ?空想と、思い込みと、伝言ゲームで描かれたどこにもない日本へ、ようこそ。【目次】1 おかしな王国、発見!/2 オランダ使節、珍妙な国を旅する/3 へんてこな人々、あべこべな習俗/4 謎の王ダイロと、武士と呼ばれる戦士たちの世界/5 得体の知れない宗教/6 世界の片隅で歴史は動く<大使寸評>日本を見たことのないモンタヌスが(伝聞で)描いた日本は、奇想天外で、ユーモラスでさえある。一方、日本を見たシーボルトが描いた日本人は、リアルだがどれも辛気臭いのだ。しかし、こんなにも無責任に描いて、それを出版しても良かったのだろうか?(笑)rakutenおかしなジパング図版帳ネットでモンタヌスの画像をみてみましょう。モンタヌスの画像より左:モンタヌス、右:シーボルト 三浦しおんが、この本に目をつけてこんなお辞儀見たことないよとの書評を書いています。さすがに、面白い本にかけては目利きである。(と思う)
2015.07.21
コメント(0)
図書館で『世界ふしぎワンダーライフ』という本を手にしたが・・・おお 世界にはすごい場所があるで♪【世界ふしぎワンダーライフ】渋川育由編、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりデータ無し<読む前の大使寸評>なぜ こんなところに?・・・・世界は広いぜ、ということなんでしょう。Amazon世界ふしぎワンダーライフこの本が取り上げたワンダーライフから3ヶ所を選んで、ネット写真とともに紹介します。たぶん大使はこの場所を訪ねることはないでしょうけど。■壊したのはどこだ(p15) 有名建築がめじろ押しのウィーンのなかでもひときわ目立つ。日本でも人気の高いフンデルトヴァッサーのクンストハウスウィーンだ。デザイン家具で知られるトーネット社の倉庫を改造した場所で、中はフンデルトヴァッサーの美術館になっている。生涯、直線を嫌った男として有名で、友人の建築家ペーター・ペリカンによると、職人が直線に仕上げたところを、夜中に二人でハンマーで壊して廻ったのだという。■世界一癒される村(p43) まわりを7000m級の山々が取り囲み、山岳民族の人々は、巧みに石を積み上げて、家屋や水路、だんだん畑などを造ってきた。春にはアンズの花が咲き乱れ、秋には色づくポプラが風に揺れる。フンザには、究極の理想郷を求めて世界中から多くの人がやってくる。訪れた人は必ず言う。帰らなくてはならないが帰りたくないと。世界一癒される村は、「風の谷のナウシカ」のモデルともいわれている。■小麦の大砂漠(p79) 一人の男がカバンを手にトボトボと草原の道をやってくる。そんな映画のシーンはほとんどがこの地で撮影される。ワシントン州の隠れた絶景ポイント、パルースの丘だ。見渡すかぎりの大地は何と300kmもつづき、とてもトボトボとは歩けない。まるで砂漠のような光景だが、驚くことにこれはすべて小麦畑なのである。しかも丘の傾斜は最大で50度もある。収穫のコンバインは、車体を水平に保ちながらグルグル自在に動き廻る特注製だという。春の光景
2015.07.20
コメント(0)
図書館で『新 日本の路地裏』という本を手にしたが・・・おお ノスタルジーが刺激されるでぇ♪生活感が溢れるが、きれいとばかりは言えない路地裏もある。この写真集を見ながら、独断で、趣きのある場所を挙げてみます。(●印は、まだ行ってないので、行ってみたい場所にもなります)鞆の浦・長崎(長崎市)・尾道(広島県尾道市)●鞆の浦(広島県福山市)・法善寺(大阪市中央区)・近江八幡(滋賀県近江八幡市)●郡上八幡(岐阜県郡上市)・高山(岐阜県高山市)・築地(東京都中央区)・上野(東京都台東区)・喜多方(福島県喜多方市)●小樽(北海道小樽市)この本で、佐藤さんが路地裏の魅力を語っています。<はじめに>p4~5 今、日本から路地裏が消えようとしている。古い家がどんどん取り壊され、特徴のない、積み木でこしらえたような町がやたらと多くなってしまったのだ。先日、札幌を十年ぶりに訪ねたのだがすすきの周辺の猥雑な路地裏がすっかりこざっぱりとした街に変貌していたので驚いた。 今の日本では、十年もたてば変わってあたりまえなのかもしれないが、なにか寂しい。生きることに懸命だった貧しかったころの、温かな生活感が路地と共に消えてゆくのである。あの京都でさえそうである。1日に1軒の町屋が消えているという。 広島県の尾道は路地をうろつく目的のみで20年も前からかよっているが、まるで落ち葉が散るように古い家がなくなっているし、東京の月島~佃~京島界隈でもそうだ。特に京島は新しい東京タワーが建つので凄まじい変わりようだ。 しかし、暮らしやすさを求めて住まいや街を変えてもひとは懐かしさに憧れるから勝手なものである。でもこのまま古い路地裏がなくなるのを指をくわえて見ているわけにはいかないので、こうなったら懐かしさ溢れる路地を新たに発見すればいいのである。 日本にはまだまだ知られていない路地がたくさんあるのである。お役人には美意識というものが無いので、日本の住宅や街は原則的にスクラップ・アンド・ビルドである。でも、懐かしさというものが曲者で・・・・そのスクラップに惹かれることもあるわけです。【新 日本の路地裏】佐藤秀明著、ピエ・ブックス、2008年刊<カスタマーレビュー>より路地裏。それは温かい生活観が漂う空間であり、どこか懐かしさが漂う。今の日本では、暮らしやすさを追求するあまり、住まいや街が変化し続けており、路地裏を維持することも容易ではないと思います。そのような路地裏の危機に瀕した現代にありながら、佐藤氏がカメラを携え全国の路地探訪により巡り合った数々の路地裏の呼吸を選りすぐりの写真により本写真集では表現しています。<読む前の大使寸評>今でも消えつつある路地裏…役人のミスリードも有ったが、市場原理という抗しがたい力には叶わないのかも。Amazon新 日本の路地裏
2015.07.20
コメント(0)
先日、観た『アール・デコの挿絵本』という本の美しさにいたく感激した大使であるが・・・これまで観てきた挿絵本を、その挿絵や装丁とともに並べてみました。・アール・デコの挿絵本・ビアズリー怪奇幻想名品集・日本橋檜物町・藤田嗣治、本のしごと・和田誠切抜帖*****************************************************************************【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。 ■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。 <読む前の大使寸評>グラフィック技術が発展した現代でも、アール・デコの挿絵本が史上最高水準だそうです。とにかく、きれいな本である。Amazonアール・デコの挿絵本アール・デコの挿絵本byドングリ*****************************************************************************【ビアズリー怪奇幻想名品集】オーブリー・ヴィンセント・ビアズリ, 富田章著、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】ビアズリーの生涯/1 初期作品と『アーサー王の死』/2 『サロメ』の衝撃/3 『イエロー・ブック』から『サヴォイ』へ/4 円熟の時代から終焉へ/ビアズリー芸術の特質<大使寸評>晩年のモノクローム線描の独創性、完成度は鬼気迫るものがあるが・・・・現代のイラストレーターを凌駕するような独創性に驚くわけです。25歳で夭折していたのか・・・死を予感していたのだろうか。図書館でこの本を借りた半日後に、原田マハの書評を見つけたので、参照ください。rakutenビアズリー怪奇幻想名品集ビアズリーの画像『スチューディオ』付録(1895)『アーサー王の死』挿絵(1893)*****************************************************************************【日本橋檜物町】小村雪岱著、平凡社、2006年刊<裏表紙>よりわが国装幀史上屈指の名作、泉鏡花『日本橋』を手がけた日本画家・雪岱。その仕事は、挿絵・装幀はいうにおよばず、舞台美術の世界でも一家をなすほどで、本職の画業に収まらない広がりと奥行を持っていた。同じく画家であり名文家の誉高い鏑木清方から非凡な文才を評価されていたが、遺した文章は多くない。本書は雪岱の死後、有志の計らいで成った貴重な一冊。同時代人による雪岱評アンソロジーを併録。<読む前の大使寸評>装丁史上の大家ともいえる雪岱の本であるだけに、この本の装丁が素晴らしい。もちろん、巻頭の画像、雪岱のエッセイ、雪岱評アンソロジーも・・・ええでぇ♪heibonsha日本橋檜物町日本橋*****************************************************************************【藤田嗣治、本のしごと】林洋子著、集英社、2011年刊<「BOOK」データベースより>画家・藤田嗣治が80年を超える生涯のなかで、母国日本や第二の祖国となったフランスなどで関わった「本のしごと」-書籍や雑誌を対象とした表紙絵や挿絵-から約90冊を、新たに公開された彼の旧蔵書を核として、国内の公共図書館、美術館や個人のコレクションを交えて紹介。パリ時代のオリジナル版画入り豪華本から、日本でのモダンな女性誌や戦時下の出版まで、そして愛妻のために見返しに少女像を描いた一冊など、貴重な図版を200点以上収録。<読む前の大使寸評>この本の編集、掲載した資料の多彩さ、内容が今でもハイカラなことなど、この本自体がビジュアル的にええでぇ♪rakuten藤田嗣治、本のしごと藤田嗣治のアンソロジーbyドングリ*****************************************************************************【和田誠切抜帖】和田誠著、新書館、2007年刊<「BOOK」データベース>より「昭和15年、4歳。そのころからイラストレーションを描いてました」何が飛び出すか。ほんのすこし懐かしい、不思議なスクラップブックです。<読む前の大使寸評>週間文春の表紙を書き続けているイラストの大家であるが・・・大使より一回り年上の和田さんの、ややスローな感性に癒されるわけです。rakuten和田誠切抜帖
2015.07.19
コメント(0)
SF映画といっても、おとぎ話のようなファンタジー風のものまで入れると膨大な数になるが・・・宇宙や技術にこだわったハードSF映画に限定して、集めてみます。なお、『スターウォーズ』、『エイリアン』などのシリーズものは別扱いとします。・インターステラー(2014年米制作)・エリジウム(2013年米制作)・ゼロ・グラビティ(2013年米制作)・プロメテウス(2012年米制作)・スターゲイト(1994年米制作)・ブレードランナー(1982年米制作)・ソラリス(1972年ソ連制作、77年日本公開)・2001年宇宙の旅(1968年米制作)『未来世紀ブラジル』の扱いに悩むが・・・これはハードSFというより、ファンタジーあるいは哲学なんだろうね。『GODZILLA ゴジラ』は、明らかに違うし。それから、昨今ではハリウッド映画は原則として観ないと決めた大使であるが・・・・ハードSF映画はハリウッドの得意分野でもあるので、大使の方針も揺らぐのです。****************************************************************************【インターステラー】クリストファー・ノーラン監督、2014年米制作、2015.6.15DVD観賞<Movie Walker作品情報>よりクリストファー・ノーラン監督によるSFドラマ。環境の変化などの影響で食糧危機に陥り、滅亡の危機を迎えた人類が新たな星を目指す姿がつづられる。宇宙へ旅立つ元パイロットの主人公をマシュー・マコノヒーが演じ、彼とその娘との愛が描かれる。彼と共に新天地を目指す宇宙飛行士をオスカー女優のアン・ハサウェイが演じる。<大使寸評>最新の宇宙理論に則った、やや頭でっかち気味の映画だと感じたわけです。地球の危機に宇宙を目指すのが、アメリカの開拓精神ということなんでしょうが・・・宇宙を目指す前に、もっとやることがあるではないかと、いらつくわけです。(つい反米意識が出る大使である)ブラックホールや5次元の世界が見られるハードSF映画であるが・・・自分の娘の臨終に立ち会う場面がいちばん良かった。いろんなテーマを入れ込み過ぎた感があるのだが、この場面で救われる気がしたのです。それにしても・・・2時間50分の長時間映画は、見ててやや疲れるのです。movie.walkerインターステラー****************************************************************************【エリジウム】ニール・ブロンカンプ監督、2013年米制作<作品情報>『第9地区』で南アフリカを舞台にエビ型エイリアンと人類の戦いを描いた、ニール・ブロンカンプ監督が、マット・デイモンを主演に迎えて描くSFアクション。富裕層はスペース・コロニーに、貧困層は地球に住む近未来を舞台に、余命5日を宣告された男が、永遠の命を手に入れるべく、命の危険にさらされながら戦いに挑む姿を映し出す。<観る前の大使寸評>予備知識なしで『第9地区』を観たが・・・これが実に面白かった。ニール・ブロンカンプ監督の最新作ということなので、封切りに合わせて観ようではないか♪それにしても、マット・デイモンとジョディ・フォスターが出演するとは、メジャーになったものだ。もうB級映画とは呼ばせない!果たして結果は・・・観てのお楽しみ♪Movie.Walkerエリジウムエリジウム公式サイト****************************************************************************【ゼロ・グラビティ】アルフォンソ・キュアロン監督、2013年米制作、2014.5.11DVD観賞<Movie Walker解説>よりサンドラ・ブロック&ジョージ・クルーニー主演のSFサスペンス。スペースシャトルでの船外活動中に事故に見舞われ、宇宙に放り出されてしまったベテラン飛行士と医師。2人が暗闇の恐怖と戦い、生きて帰還すべく壮絶なサバイバルに挑む姿が描かれる。監督は『トゥモロー・ワールド』のアルフォンソ・キュアロン。<大使寸評>この映画を観て思うことなんですが・・・・ハリウッド映画の描くアメリカン・ドリームは宇宙にしか残っていないことと、中国の傲慢な振る舞いである。地球の回りを飛び回るデブリ(宇宙ゴミ)は人工衛星の脅威となっているが、中国の衛星破壊実験でその脅威が倍加した事実があるわけです。つまり、宇宙を国威発揚と軍拡の場としか見ない中華思想が見えるのです(大使の場合)なんか、つい米中に対する愚痴に落ち着いたが(笑)、それはともかく・・・・ジョージ・クルーニーが命綱となっているロープを、自ら断ち切るシーンがかっこよかったでぇ♪movie.walkerゼロ・グラビティ「ゼロ・グラビティ」を観て byドングリ****************************************************************************【プロメテウス】リドリー・スコット監督、2012年米制作<goo映画解説>より地球上の古代遺跡で人類の起源に関わる重大なヒントを発見した科学者チーム。その謎を解き明かすため、宇宙船プロメテウス号に乗って未知の惑星を訪れる。めくるめく神秘と衝撃に彩られた探査航海の果てに、人類が決して触れてはならない、地球上のあらゆる歴史や文明の概念さえも覆す、驚愕の真実を発見する。<大使寸評>ネタバレになるけど「創造主が人類を滅ぼそうとしたのは何故か?」という謎は、謎のままであった。それにしても、自分で帝王切開したあと、すぐに(しかたなく)走り回るヒロインはタフである♪movie.walkerプロメテウス3Dで「プロメテウス」を観たbyドングリ****************************************************************************【スターゲイト】ローランド・エメリッヒ監督、1994年米制作、DVD鑑賞<goo映画解説>より古代遺跡から発見された巨大な環=星間移動ゲイトをくぐり抜け、遙か宇宙へ旅立った人々の冒険を描いたSFアクション。総製作費6000万ドルを費やしたというスペクタクル/SFX場面の量感や、創造された異世界の言語などが見どころ。監督はセントロポリス・フィルムを主宰し、初長編「スペースノア」以来、「MOON<ムーン>44」「ユニバーサル・ソルジャー」などSF映画に才を発揮する旧西独出身のローランド・エメリッヒ。彼が10数年来にわたる念願の原案を、パートナーであるディーン・デヴリンと共同で脚色。<大使寸評>映像のこだわり、戦闘シーンもなかなかのもので・・・・一万年前のエジプト文明と、はるか未知の星がスターゲイトを通して交錯するというSF映画の王道のような映画ですね(褒めすぎたか)。goo映画スターゲイト****************************************************************************【ブレードランナー】リドリー・スコット監督、1982年米制作、<Movie Walker作品情報>より近未来のLAを舞台にして、人造人間と人間との戦いをフィルム・ノワール調で描くSF映画。ジェリー・ペレンチノ、バッド・ヨーキン提供。アメリカでは、ラッド・カンパニーがサー・ラン・ラン・ショウの協力を得て、WBを通じて配給。マイケル・ディーリーが製作し、「エイリアン」のリドリー・スコットが監督、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(早川書房)に基づき、ハンプトン・ファンチャーとデイヴィッド・ピープルズが脚色した。製作指揮はブライアン・ケリーとハンプトン・ファンチャー、撮影はジョーダン・クローネンウェス、音楽はヴァンゲリス、特殊視覚効果監修はダグラス・トランブル、リチャード・ユーリシッチ、デイヴィッド・ドライヤーが担当。出演はハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、エドワード・ジェームズ・オルモスなど。<大使寸評>映像美術に見るべきものが多かったけど・・・・ハチャメチャの日本語ネオンがクールだぜ♪movie.walkerブレードランナー****************************************************************************【惑星ソラリス】アンドレイ・タルコフスキー監督、1972年ソ連制作、DVD観賞<Movie Walker作品情報>より広い宇宙にはさまざまの生命形態がある。惑星ソラリスも星自体が一つの生命体であり、この異質の生命体と初めて接触した一人類を描く、ファースト・コンタクト・テーマのSF作品。72年カンヌ映画祭審査員特別賞受賞、国際エヴァンジェリー映画センター賞受賞作品。監督は「僕の村は戦場だった」のアンドレイ・タルコフスキー、脚本はフリードリフ・ゴレンシュテインとアンドレイ・タルコフスキーの共同、原作はスタニスラフ・レム(「ソラリスの陽のもとに」早川書房刊)、撮影はワジーム・ユーソフ、音楽はエドゥアルド・アルテミエフが各々担当。<大使寸評>星自体が意識を持っているというお話が、だんだんとわかってくるわけで・・・怖いのです。movie.walker惑星ソラリス****************************************************************************【2001年宇宙の旅】(文字数制限により省略、全文はここ)****************************************************************************
2015.07.18
コメント(0)
図書館で『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』という本を手にしたが・・・関西案内として、いけてるんやないけ♪京阪神の微妙な違いや見所を知るとなれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんじゃないでしょうか。関西の戦時、終戦時ころといえば、関西ニューカマーの大使にとってはミッシングリンクであるが、この本でその穴を埋めようという意識がはたらいたのかもしれません。【ほっこりぽくぽく上方さんぽ】田辺聖子著、東京美術、1999年刊<「BOOK」データベース>よりお聖さんと一緒に出かけませんか?上方の心懐かしきたたずまい、現在のぬくもりに触れる旅へ-。あたらしい関西案内。【目次】1 始まりはミナミ/2 大阪ベイエリア/3 キタを味わう/4 ちょっとそこまで…/5 南へ、神の国へ/6 京都慕わし/7 上方モザイク<読む前の大使寸評>京阪神の微妙な違いや見所となれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんだろうね。ちょっと古い本なので、楽天ブックスに画像が無かったけど。rakutenほっこりぽくぽく上方さんぽお聖さんが堺で、与謝野晶子の足跡を巡っています。<堺と晶子>よりp84~91 堺に晶子の生家はいまはない。生家跡に碑がある。甲斐町西一丁、昔の紀州街道、いまは堺を南北に貫く大道筋、幅50メートルの大通りで路面電車が走り車の往来烈しい。その西側歩道に横長の白いコンクリートが衝立のように据えられている。中央に嵌められた、黒い巻紙を展べたような黒石。 晶子の筆跡で白く浮き出している歌は、・・・生家跡、というからには、これっきゃない、という、まさにきわめつけの歌。「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ おとめとなりし父母の家」 七五調というのはいいなあ・・・と、しみじみ思ってしまう歌。七五調の呪縛から逃れようとする詩人たちも、日本語をあやつる以上、その口吻にともすれば、七五調臭が匂うという、何とも厄介なリズムだが、何千年の伝統だから、もう、どうしようもない。 私などはいつも会話に大阪弁を用い、ときとして地の文も大阪弁を使うが、小説のくせに七五調が出がちである。ついでにいうと、大阪弁と七五調は出会いのもので、うまく文芸化できればいい味の川柳になる。「命まで賭けた女てこれかいな」 松江梅里 これは「女て」のテが生命。「もしわてが死んだらもらいはるやろな」 河村日満 これはもちろん生命保険ではなく、後添さんをもらいはるやろな、というひがみっぽいあてこすりであるが、七五調でいわれると笑ってしまうであろう。されば男の方もつい、 と応酬したくなってしまうではないか。 ま、七五調はともかく、この歌の、晶子の筆跡も字くばりもいい。晶子の字は読みやすい細書きで、彼女は面相筆を使ったというが、なよなよしつつ品がいい。といって水茎の跡うるわしく、というような無個性の麗筆ではなく、もっと素朴でいい意味の我流である。 横長の白い台はちょっと弧を描いてブラシ様の花の生垣を擁している。その上に、くしゃくしゃしたコンクリートの塊。とあおきさん。 キャベツと晶子、なんの関係があるのだろうか。 と鉄線コスモス嬢。 と私。 気分を具象化すると、キャベツのような、つつじのような、リボンの花結びのような一塊のお飾りになるのかもしれぬ。 横に晶子生家の図が金属板に描かれている。 とみな感心する。「御菓子所 練羊羹製造所 駿河屋 鳳宗七」とある。この宗七は晶子の父である。八角の大時計が屋根の上にかかげられ、客は店先に立ち並んでいる。往来には馬車、大八車、郵便配達、日傘の通行人、いかにも堺の目ぬき通りの賑わい、向かいの店も駿河屋の出店で、これは糸屋さんらしい。軒下のガス燈、この絵は「住吉・堺豪商案内記」(明治16年刊)に載っているよし。 晶子はようかんや饅頭を売る店の奥の結界(帳場の座り机の三方を木の格子で引きまわしたもの)に座って勘定したり帳面をつけたりして、娘時代を過ごしていたのだ。晶子は明治11年生まれだから、この絵のころは五つほどであったろうか。髪をお煙草盆(少女のヘアスタイル)に結っていた12,3のころから店番をしていたといっている。 もう今では晶子をおぼえている人は堺にもさすがにいないが、私が最初に取材した24,5年前は、また聞きながら、老婦人の思い出話として、 というのを聞いた。は大阪弁でお嬢さんという意味。が語源で、になったというが、小さいいとさんからになった。末娘のこと。駿河屋には娘が多くいた。晶子は三女で、二人の異母姉と晶子の妹がいる。 娘時代の晶子は、いつも髪を乱していたよし、これは町の古老の証言で、というのもある。後者の証言は「君死にたまふことなかれ」の碑のある泉陽高校の図書部、晶子委員会から頂いてきたパンフの中にあった。図書部の生徒さんらも中々がんばっていやはるらしい。 昔の女学校だから良妻賢母教育で、裁縫が主な授業である。晶子は裁縫も得意でのちの子沢山の時代、子供の着物など一晩で縫いあげている。数学も成績がよかったそうだ。晶子はどうやら、母から緻密犀利な頭脳と、父からは好学の志、情操を受けついだらしい。 長い娘時代、晶子は父の蔵書の古典を片はしから読んだ。『源氏物語』も『栄華物語』も少女時代から読み齧って、いつのまにか濃厚な王朝趣味に耽溺し、ロマンティックな夢想に心を遊ばせる。どんな少女時代だったかは、彼女の歌一首であきらかだ。 「あなかしこ楊貴妃のごと斬られむと 思い立ちしは十五のおとめ」(中略) 鉄南は節度を以って対したにちがいない。晶子はそれにもめげず、夢に夢をかさねて歌う。 「やは肌のあつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君」 ―さて、その覚応寺へ向かおうというのである。 私のレクチュアであれこれ想像をかきたてられた鉄線コスモス嬢とあおきさんはいそいそと九間町の覚応寺をめざす。このあたり、家なみも古く、お寺が多く、いかにも昔の堺の面影がある。長い白壁の塀は西本願寺堺別院、その北にあるひっそりと小さなお寺が覚応寺だった。小さいが、覚応寺は河野通有の子の通元がひらいた古刹である。おそらく晶子も胸とどろかして覚応寺へくることもあったろう。である。さればここの歌碑も(黒い石に白い字で、葦手ふうの美しい散らし書き)、 「その子はたち くしにながるる くろかみの おごりの春のうつくしきかな」 くぐり戸を入ったところにいろんな貼り紙がある、その一枚に、当時の現住職は河野鉄南ではありません、と断り書きがあるのがおかしい。お寺と歌碑の拝観に来てついでにと聞く人が多いのだろう。 現ご住職の河野正伸師は鉄南の甥御さんに当られるそうだ。晶子と鉄南の明治の青春にあてられて、うら若い美僧が出現するかと期待したらしき鉄線コスモス嬢とあおきさんは、貼り紙をみて、(あ、そっか・・・・)と深くうなずくようであった。アホやな、いまごろ鉄南さんがご健在のはずはないだろう。ほっこりぽくぽく上方さんぽ(その1)ほっこりぽくぽく上方さんぽ(その2)
2015.07.17
コメント(0)
図書館で『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』という本を手にしたが・・・関西案内として、いけてるんやないけ♪京阪神の微妙な違いや見所を知るとなれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんじゃないでしょうか。関西の戦時、終戦時ころといえば、関西ニューカマーの大使にとってはミッシングリンクであるが、この本でその穴を埋めようという意識がはたらいたのかもしれません。【ほっこりぽくぽく上方さんぽ】田辺聖子著、東京美術、1999年刊<「BOOK」データベース>よりお聖さんと一緒に出かけませんか?上方の心懐かしきたたずまい、現在のぬくもりに触れる旅へ-。あたらしい関西案内。【目次】1 始まりはミナミ/2 大阪ベイエリア/3 キタを味わう/4 ちょっとそこまで…/5 南へ、神の国へ/6 京都慕わし/7 上方モザイク<読む前の大使寸評>京阪神の微妙な違いや見所となれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんだろうね。ちょっと古い本なので、楽天ブックスに画像が無かったけど。rakutenほっこりぽくぽく上方さんぽキタの住民、お聖さんが釜ヶ崎、上町台地あたりを巡っています。<オダサクと坂の町>よりp16~29 昭和41年にも再び釜ヶ崎で暴動が起きた。釜ヶ崎の碁会所で火事があり、消防車の出動が遅いというので労務者と消防士の間で言い合いになった。それがきっかけで警察の派出所やタクシーに投石、火つけが行われた。2千人が騒いで機動隊が出動し、騒ぎは三夜つづいた。警官たちが悩まされたのは雨あられと降る投石である。町のまん中でどこにそんな石があるかと思われるが、これは南海電鉄阪堺線と国鉄関西線の線路の石を取って投げるのだから無尽蔵である。 しかも大阪人の間の噂話では、男たちは石を投げるのにいそがしく、取りにいくひまがない。女たちが汚い乳母車や買物車に線路の石を積み、 と売り歩いていたというのだ。大阪人は何というたか。 何をほめとんねん。ほんとに見当はずれなほめ方をするのが大阪人である。この騒ぎがきっかけで、大阪府、大阪市、大阪府警は相談して釜ヶ崎を明るい清潔な町にすることを申し合わせ、名称も変えよやないか、とに改めたのである。なお、線路の石を今後も無尽蔵な武器に用いられてはたまらぬので、南海電鉄と国鉄に対し、石を取りのぞいてアスファルトや敷石にするよう、協力を申し入れた。南海と国鉄はとんだとばっちりであった。 ともあれ、のある西成区もごくふつうの市民がふつうの庶民的生活を営む地域であるにはちがいない。釜ヶ崎や西成を詠む川柳作家、西川晃さんの句は明るい。「十字架がおかまの胸に垂れ下がる」 晃「立飲みの父を持つ子が立読みし」 晃 この、ほっこり味が大阪風である。いちばん、ほっこりには関係なさそうな釜ヶ崎でも大阪人のへ入ると、とたんに、ほっこりと、おかしな味になってしまう。しょうがない。そういう遺伝子を、大阪人はインプットされているとしか思えない。何でもほっこり味にしてしまう。 さて、ぽくぽくあるきが、あるきはじめ早々、釜ヶ崎で寄り道してつまづいてしまったが、私はいっぺん、かねてより見たいところがあった。 上町台地の坂である。大阪にも坂があるのだ。神戸に坂が多いのはよく知られているし、私自身、坂のてっぺんに住んだことがあるが、大阪は平地だから、ほとんど坂はない。しかし一部に高台がある。従って平地をつなぐ道路は坂になる。「上町台地は、大阪城から南へ幅およそ2キロの南北に細長い高台である。西側は急傾斜の崖となっており、西側斜面を東西に刻んだ谷は、生国魂神社から一心寺にかけての、真言坂・源聖寺坂・口縄坂などの急坂となっている」(大阪春秋77号) つまり太古、難波はほとんど海だった。淀川の河口にいくつか島があって、これが世に言う難波の八十島。そして海から屹然とそびえていたのが上町台地で、古代の難波の都もここにあったのだろう。港があり、外国使節を迎える迎賓館もあったろう。やがて石山本願寺ができて、大坂城ができて、大坂のまちが興る。 坂の下も次第に海がしりぞき、陸地となり町になった。坂は庶民のくらしを見てきたわけである。 そういう坂をオダサクも歩いている。 私は大阪でもキタの生まれだから、ミナミの、日常生活に密着したような路地の坂、早くいえば路地坂(そんな言葉はないが)は知らない。オダサクの歩いた坂道を見たいと思いながら、大阪の上町まではなかなかいけない。イラストのあおきさんに、 と聞くと、あたし、大阪生まれじゃないもんで、とのこと。大阪在住歴はまだ浅いそうである。 ともかくいってみようと上町台地の下を南北に走る松屋町筋へ車を走らせた。下寺町1丁目の源聖寺、そのちょっと南にあるのが、これが有名な源聖寺坂で、碑があるからすぐ分かる。長い石畳がつづき、はるか彼方に急な石段が望まれる。両側はお寺の塀、というおもむきである。私は爪先上がりの石畳に、早くも息切れし、目もくらみそうになる。 若いあおきさんはリュックを背負い、かるがると足を運ぶ。さすがに若いだけに息も切らさない。 私はモノもいえない。坂道はキライだ。キライだが何と美しい坂道だろう。ここまでくると松屋町筋をびゅんびゅん走る車の喧噪がハタととだえる。しんとした石の坂だ。 とあおきさん。 私は目もくらみ、声もかすれ、必死に石段をのぼる。あおきさんは叫ぶ。 ふと見上げれば、いつのまにかお寺の塀は切れ、両側、片仮名のラブホテルで埋めつくされている。 源聖寺坂は、思っていた以上に風情のある坂であった。ふっさりと樹々がかぶさり、大阪は緑の少ない町やと私などは思いこんでいたが、この上町台地で見る限り、である。木々におおわれた石畳の坂道をゆくと、古い大阪がたってくる。明治の中頃までは、船場あたりの人が天王寺詣りをするには、この源聖寺坂を登り下りしたらしい。それで坂は賑わって、坂の中腹の料亭が繁盛したという。(中略) と私はあおきさんの率直な好学心をむりにねじ伏せ、 齢延寺の向かいが銀山寺、ここは近松の『心中宵庚申』の主人公ら、お千代・半兵衛の比翼塚がある。ついでにお詣りを、と思えばが指でペケをして門が開かないと知らせる。 鉄線コスモスというのは私がつけたアダナで、同行の女性編集者さんである。いま時の若い子だから細い手足がやわらかい鉄線のようにすうと伸び、そのてっぺんにコスモスのような花のかんばせが、ひらっとついている。鉄線コスモスの所以だ。 鉄線コスモス嬢は木立と寺だらけで人通りもない白い道を考え深げにながめ、 緻密な発想のできる人のようであった。 ええトコで話の腰を折るなっ。鉄線コスモス嬢は何かこだわりがあると、いまいち、話にノリきれないという、のようであった。 大阪人は東京だろうとどこだろうが平気で大阪弁でしゃべる。大阪弁を方言と思っていないせいだ。大阪弁こそ世界に冠たる日本語だと思っているふしがあるが、それと同じく、大阪特有の名詞もつい全国共通語と早合点してしまう。大阪人の悪癖の一つだ。(中略) 「別れ話をくちなわ坂の中ほどで」 中田たつお いい味の川柳がしみじみ思い出される、ひっそりと情緒ある坂、坂の途中にやわらかい感じの肩の丸やかな石碑があった。「大阪府立夕陽丘高等女学校跡」とあり校歌らしき一節が彫られている。夕陽丘高女。昔の大阪オトコならその名に心ときめかないものはなかった。 なぜだかここの女生徒は美少女ぞろい、といわれていた。私の知人の男にいわせると、昔の中学生(旧制)は女生徒と連れ立って歩くのはおろか、口をきく、視線をあてるさえ、ご法度であったという。 と鉄線コスモス嬢の緻密なこだわり。 と少し嫉妬を起こしている私。 お彼岸に真西へ沈む夕日を拝んで人々は日想観を行じたが、藤原家隆の、 「ちぎりあれば難波の里にやどり来て 波の入日ををがみつるかな」 からこのへんの高台、夕陽丘とついたという。ともあれ少年オダサクは口縄坂の途中にあった夕陽丘高女の美少女の一人に淡い思いを抱いていた。彼の通ったのは高津中学でほど近い。 いったい大阪男たちは夕陽丘高女の美少女を崇拝するのと、『夫婦善哉』の蝶子はんみたいな働きもんの頼り甲斐ある女と、どっちが好きや、というたらと厚かましくいう。蝶子はんに嫁いでもらい、にあこがれを捧げつづけたい、イモリの黒焼をふりかけたいというのだ。エエかげんにせえといいたい。ほっこりぽくぽく上方さんぽ(その1)
2015.07.17
コメント(0)
日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年 ・紙の動物園***************************************************************勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年より<後引く犠牲と損害、勝敗とは?:島田雅彦(作家・法政大学教授)> 日露戦争で日本は勝利したことになっているが、賠償金も、領土割譲も期待を遥(はる)かに下回り、国民に大いなる失望をもたらした。そもそも、アメリカが調停に乗り出したのも、満州における日露双方の権益拡大を牽制する意図があったからで、結果からすれば、自国のアジア戦略を戦わずして有利に導いたアメリカが日露戦争の真の勝者だったともいえる。 第二次大戦はドイツ、日本の敗戦に終わったものの、両国はともに民生中心の復興に専念し、戦争に加担しなかったため、「奇跡の復活」を遂げ、戦後三十年にして、経済大国になった。P・K・ディックは『高い城の男』で日独が戦勝国になったパラレルワールドを描いたが、米英が不況に喘いでいた時期は、そのSFの通りの皮肉な結果になったといわれた。 本書はここ二百年のあいだに起きた戦争がもたらした結果に公正な歴史的評価を下そうとしているが、その結論は歴史上のどんな戦争も、得られる利益より失う犠牲の方が大きいということである。多くの場合戦勝国の損害も甚大であり、歳月の経過とともに勝利や敗北の意味は薄れるどころか、逆転しさえもする。 アメリカが矛盾だらけの中東軍事介入を行い、実質、タリバンやISなどのテロリスト集団を育成する結果となった今日、戦争は国家間の武力衝突から、テロやサイバー攻撃、経済戦争の形で日常に潜在するものになった。戦争で勝利した国も平和維持のための軍事負担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である。 連合国が作った二十世紀の後半の世界秩序も、旧植民地や共産国の逆襲によって綻びが出ている。軍需産業を抱える連合国とその協力国が国益をかざし、さらなる戦争に踏み切れば、おのが没落を早めることになる。 ◇イアン・ビッカートン著、大月書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より ナポレオン戦争、クリミア戦争、日露戦争、第一次・第二次大戦など、過去200年間に行われた「世界戦争」を仔細に検証し、その勝利の代償がいかに甚大なものであったのかを独自のアプローチで明らかにする。これまで十分に論じられてこなかった戦争における勝利と敗北の問題を探究する現代の名著。<読む前の大使寸評>アメリカが日露戦争の真の勝者だったんだって・・・・聞き捨てならないのです。<図書館予約:カートに入れる>rakuten勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年紙の動物園より<未来と郷愁と生の意味を紡ぐ:中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)> 話題のSF作家による短編集。つよいノスタルジアの感覚が、巧みなプロットの15編を包んでいる。 表題作「紙の動物園」に、SFエンターテインメントを期待する読者は戸惑うかもしれない。英語がへたな中国人移民の母がつくってくれた、生きて動く折り紙の話だ。アメリカ人として生きるため母を疎んじた息子の前で、紙の老虎が再び動き出す。 つづく「もののあはれ」は宇宙船の危機を日本人主人公が救う話だし、「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」では人類のほとんどが意識だけになって、データセンターにアップロードされている。だがこうしたいわゆるSFらしい設定は、世界各地の神話や伝統文化、そして現代社会の諸問題と結びつけられ、寓話的な奥行きをストーリーに与えている。 たとえば「結縄(けつじょう)」ではアメリカの科学者が、縄の結び目で記録を残す古代の技に長けたある民族の老人を、たんぱく質の構造研究に利用する。お礼は収穫量は多いが翌年は発芽しない、遺伝子組み換えの種籾。古い米の遺伝子、螺旋状に縒(よ)りあわされたいにしえの結縄は、忘れられ失われていく。 異なる文化・信条に葛藤する親子が、時空を超え繰り返し登場する。漢字や中医学、台湾や日本との歴史的関係、合衆国の反共政策も重要なモチーフ。著者は11歳で中国甘粛省から米カリフォルニアへ家族で移住したという。郷愁の源は祖先の国とのつながりか、未来の物語それ自体が懐かしい過去を欲するのか。 「月へ」では亡命申請中の中国人男性の娘が、新米弁護士に、こういう。「大きくなったら、あなたみたいになりたいな。生きていくためにお話をするの」。暗黒の世界/宇宙へ向けて、物語る人はことばの網を投げかけ、人々が生き延びるのに必要な意味を紡ぎ出す。人の生存には水や食べ物や科学だけではなく、物語が必要だから。 ◇ケン・リュウ著、早川書房、2015年刊<「BOOK」データベース>よりぼくの母さんは中国人だった。母さんがクリスマス・ギフトの包装紙をつかって作ってくれる折り紙の虎や水牛は、みな命を吹きこまれて生き生きと動いていた…。ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞という史上初の3冠に輝いた表題作ほか、地球へと小惑星が迫り来る日々を宇宙船の日本人乗組員が穏やかに回顧するヒューゴー賞受賞作「もののあはれ」、中国の片隅の村で出会った妖狐の娘と妖怪退治師のぼくとの触れあいを描く「良い狩りを」など、怜悧な知性と優しい眼差しが交差する全15篇を収録した、テッド・チャンに続く現代アメリカSFの新鋭がおくる日本オリジナル短篇集。<読む前の大使寸評>SF文学賞史上初の3冠に輝いた作品とのこと・・・・いかなるものか?♪<図書館予約:未>rakuten紙の動物園**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から72
2015.07.16
コメント(2)
今回借りた7冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「民俗絵巻」でしょうか♪<大学図書館>・山口晃 前に下がる下を仰ぐ・謎解き ヒエロニムス・ボス<市立図書館>・在日の地図・昭和史をどう生きたか・ほっこりぽくぽく上方さんぽ・鳥の王さま ・ヘンな日本美術史図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【山口晃 前に下がる下を仰ぐ】山口晃著、青幻舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より山口ワールド、水戸芸術館で炸裂!『山口晃大画面作品集』以降の新作から、すゞしろ日記的「食日記」、「続・無残ノ介」紙ツイッター、インスタレーションまで、山口晃の“今”を凝縮した一冊。随想・自作解題書き下ろし。<大使寸評>この本は山口晃の個展「前に下がる下を仰ぐ」の、展覧会図録の体裁をとっているとの挨拶が載っています。電柱に対するこだわりが、いかにも山口晃である。また、紙ツイッターという試みもバカバカしいというか、面白い♪rakuten山口晃 前に下がる下を仰ぐ山口晃 前に下がる下を仰ぐbyドングリ【謎解き ヒエロニムス・ボス】小池寿子著、新潮社、2015年刊<出版社情報>より異形の生き物、不思議な建築。大画家はなぜ、こんな奇想天外な絵を描いたのか!? 偽りの楽園で快楽に耽る男女。阿鼻叫喚の地獄を跋扈する怪物たち。聖人と魔物の息詰まる戦い。500年前に描かれた人類の罪と罰の一大パノラマは、一体誰のために、何の目的でつくられたもの? そして謎多き画家の素顔はーー? プラド美術館の《快楽の園》を始め、最新研究にもとづき真作とされた全20点を徹底解剖。 <読む前の大使寸評>キリスト教の素養がない大使にとっても、眺めるだけで面白い本になっています。rakuten謎解き ヒエロニムス・ボス謎解き ヒエロニムス・ボスbyドングリ【在日の地図】山野車輪著、海王社、2006年刊<「BOOK」データベース>より何処から来て何処へ往く!?在日韓国・朝鮮人とは何者なのか?『マンガ嫌韓流』山野車輪の待望の最新作。【目次】東日本のコリアタウン(古き佳き関東在日韓国・朝鮮人の集住地区ー三河島(東京都)/JR千葉駅移転の謎解くキーストーンー千葉市栄町(千葉県)/在日VS東京都 朝鮮学校訴訟に揺れる街ー枝川(東京都)/重工業と共に歩んだ大規模コリアタウンー川崎市桜本・浜町・池上町・戸手(神奈川県) ほか)/西日本のコリアタウン(闇市起源の巨大コリアマーケットー大阪市鶴橋(大阪府)/在日韓国・朝鮮人の聖地、全ての道は猪飼野に通ずー大阪市桃谷(大阪府)/大震災から蘇った驚異の生命力ー神戸市長田区(兵庫県)/傷跡残した民団・総連の共同暴走危険行為ー相生市・三木市(兵庫県) ほか)<読む前の大使寸評>この本は、マンガの頁が半分くらいあり、写真も満載で読みやすいのだが・・・全国の在日の情報が広範囲、かつディープであることに驚いたのです。近場の長田区、焼肉の鶴橋が、個人的には興味深いのです。<図書館予約:(7/01予約、7/05受取)>rakuten在日の地図在日の地図byドングリ【昭和史をどう生きたか】半藤一利著、東京書籍、2014年刊<「BOOK」データベース>より特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。【目次】ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)<読む前の大使寸評>半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪rakuten昭和史をどう生きたか昭和史をどう生きたかbyドングリ【ほっこりぽくぽく上方さんぽ】田辺聖子著、文芸春秋、1999年刊<「BOOK」データベース>よりお聖さんと一緒に出かけませんか?上方の心懐かしきたたずまい、現在のぬくもりに触れる旅へ-。あたらしい関西案内。【目次】1 始まりはミナミ/2 大阪ベイエリア/3 キタを味わう/4 ちょっとそこまで…/5 南へ、神の国へ/6 京都慕わし/7 上方モザイク<読む前の大使寸評>京阪神の微妙な違いや見所となれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんだろうね。ちょっと古い本なので、楽天ブックスに画像が無かったけど。rakutenほっこりぽくぽく上方さんぽほっこりぽくぽく上方さんぽbyドングリ【鳥の王さま】ショーン・タン著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より『ロスト・シング』でオスカーを獲得、『アライバル』で世界中の読者を魅了した作家の想像力の源泉を集めて贈る魅惑のスケッチブック。<読む前の大使寸評>このところショーン・タンの本をしつこく追っかけているが、この本でショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪<図書館予約:(6/06予約、7/10受取)>rakuten鳥の王さま鳥の王さまbyドングリ【ヘンな日本美術史】山口晃著、祥伝社、2012年刊<「BOOK」データベース>より自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻ぶりで疾走した雪舟のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年や川村清雄ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤…。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史。<読む前の大使寸評>大使の場合、日中画力比較というふうに、ついナショナリズムが出てくるわけです。・・・で、雪舟を題材にした日中比較を見てみましょう。<図書館予約:(7/05予約、7/10受取)>rakutenヘンな日本美術史ヘンな日本美術史byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き105
2015.07.15
コメント(2)
図書館で『昭和史をどう生きたか』という本を手にしたが・・・半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪戦争の足音が高まる今こそ、昭和史がもっと注視されるべきではないかと思うわけです。【昭和史をどう生きたか】半藤一利著、東京書籍、2014年刊<「BOOK」データベース>より特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。【目次】ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)<読む前の大使寸評>半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪rakuten昭和史をどう生きたか読みどころの多い本なので、(その2)として紹介します。『失敗の本質』を著わした野中郁次郎氏との対談を見てみましょう。<撤退と組織>p165~172野中:本日は「撤退の本質」ということについて、存分に話し合うことができればと思っております。半藤:「撤退」ということで、すぐに思い浮かぶのは、「ガダルカナル島の撤退」と「キスカ島の撤退」です。日本が太平洋戦争で成功した撤退というのは、この二つだけじゃないでしょうか。島嶼の戦いは玉砕という形をとった。 ガダルカナルの撤退は連合艦隊司令長官、山本五十六が駆逐艦20隻を投入して全部潰してもかまわないからやる、ということで一気に敢行した。アメリカ軍のほうは撤退と思わず、補給と思っていたのであっけにとられたというくらいの見事な作戦でした。(中略) キスカ島の場合は半分は僥倖があるのですが、両方に共通するのは、指揮官の決断があっての成功ということです。片方は最高指揮官、もう片方は現場の指揮官ですが、自分の判断で行った最高の決断でした。(中略) 他は野中さんが『失敗の本質』(中央公論社)でお書きになっているように、日本の軍隊は集団主義ですから、あっちの顔を見たり、こっちの顔を見たりして優柔不断になりやすいので成功しない。撤退そのものが日本人は不得手のようです。野中:私は経営学の組織論という分野を専門としている者ですが、方法としては知識創造というコンセプトで組織を切ろう、ということでやっております。 で、知には二つのタイプがあります。まず論理的で分析的な「形式知」。デカルトを典型とした西洋型の知ですね。一方、言語やドキュメントで表現するのが困難な、「暗黙知」というものがある。直感、ノウハウ、クラフトみたいな経験知で、長嶋監督のような方が典型です。 私どもは、組織としての日本陸海軍を研究して『失敗の本質』を書きましたが、書いているうちにアメリカ軍は極めて論理分析を大切にするが、日本軍は暗黙知型である、とつくづく思い知らされました。 知を生み出すには形式知と暗黙知が循環することが大切なんです。経験知も大事だが、それをきちっと言語化、概念化することによって反省が起こる。反省が起これば自分の経験知も豊かになるはずなのです。ところが、日本軍を見ていますと、論理的、分析的な人物が中心にいなくて、声が大きいとか、一見度胸がいいとか、直感型の人が重視される傾向にあって、組織の中で知を生み出す対話が起こらないということを強く感じました。 『ノモンハンの夏』(半藤一利著)を読みまして、ノモンハン事件を引き起こした関東軍作戦参謀の辻政信は、本当のエリートだったのだろうか、とあらためて思いました。彼は極めて頭のいい人物でしたが、本当の意味で対話のできるリーダーではなかった・・・・。半藤:辻政信だけでなく、この場合は同じく作戦参謀だった服部卓四郎とのコンビを考えたほうがいいんじゃないかと思います。 日本の軍隊は個人では動かず、集団で動く。集団をリードするのは個人なのですが、その時に強力なコンビが存在しますと、思いのほか集団をリードしてしまうことがある。 インパール作戦でもビルマ方面軍司令官の河辺正三と第15軍司令官の牟田口廉也がなコンビを組んでいるんですね。実は盧溝橋事件もこのコンビがやっているのです。野中:つまり同じ失敗を繰り返した、と。半藤:ええ。盧溝橋の時、河辺は旅団長、牟田口は連隊長でした。これ以上拡大してはいかんと、河辺が止めに来るのですが、牟田口と睨み合ったまま、顔面蒼白のまま河辺は何も言わずに去るのですね。以来あ・うんの呼吸と言いますか、肌の合わない二人なのに、コンビになると妙に呼吸があった。野中:暗黙知は共有していたわけだ(笑)。半藤:そうなのですよ。その二人がインパールへ行く。「閣下、私たち二人が太平洋戦争を引き起こしたのだから、私たち二人の手でこの戦争の最後、見事に花を飾りましょう」というのがインパール作戦の基本なのです。日本人というのは非常に知的な人がいても、もう一人の強硬論者とコンビを組みますと妙に突出してしまう習性があるように思います。野中:非常におもしろいご指摘ですね。半藤:私はノモンハンのあとが特に大事だと思っています。辻政信と服部卓四郎の二人はもうこりごりだったのでしょう、北へ出るのは。それで二人は南へ南へと思考を転回させるのです。ノモンハン後、辻はただちに台湾に行き、南方作戦を研究していますからね。 ノモンハンの1年後、服部卓四郎は陸軍参謀本部へ戻ります。そして作戦班長になっちゃう。その上の作戦課長はロシア通の土居明夫、部長は田中新一でした。(中略)以後、復活したコンビは南へ、南へと対米英戦争必至の南方作戦計画を推し進めていくのです。野中:半藤さんは司馬遼太郎さんとお親しかったと思いますが、『坂の上の雲』を例にとっても、明治維新の頃の人々は非常に深く考えていますね、謙虚に。ああいう深さというものはどこから来たのでしょうね。半藤:当時、国民の知的レベルが相当に高かったからではないでしょうか。 私がなぜ『ノモンハンの夏』を書こうかと思ったのかと言いますと、もしあの時点で反省し、教訓を学んでいれば、その後日本を滅ぼすようなことはなかったのではないか、と思ったからです。ところが、実際に本を読まれた方々はそうした教訓よりもむしろ、現在の日本と似ていると思われたようなのです。 戦争の時代にはなぜ、いい意味のインテリゲンチャがいなかったのだろうか。リーダーの中に知性の欠けている人が多いのはどうしてか。現在もリーダーに本来の意味での知的人物がいないのはどうしてだろうか、と聞かれることが多くなりまして、それで私も考えました。 その結果、国民全体の教育レベルが低い時には、どうしてもいいリーダーがでないのじゃないか、と。幕末から明治維新にかけての国民の知的レベルは相当に高かった。それでいいリーダーが出て、明治維新も成功したのではないかという気がします。野中:太平洋戦争の頃は、新聞、マスコミの知のレベルも低かったのですね。逆に戦争を煽っていますからね。極めてプリミティブな攻撃性と申しますか、情緒的な知が支配していた、ということが問題ですね。半藤:そう、情緒的な知、いまとあまり変わりませんな(笑)。野中:もう一つ感じましたのは、『坂の上の雲』などでは、本質を見抜く哲学的な思想が身についている。しかも彼らは美しい言語で概念と言いますか、コンセプトを出せる。(中略) 単なる直感を超えた自覚と言い換えてもいい。この自覚に至るためにはどうしても経験知が形式知と相互作用しなくてはいけません。そこで日本の軍人、とくにノモンハンなどの失敗を見ていますと、経験を積んでもそれを言語とか概念に捉え直すということがないのですね。言語にしませんと私たちの経験を自覚的に捉えることができませんから、反省を欠きますね。半藤:なるほど、たしかにそうですね。正確な言葉にして教訓を残していない。野中:真珠湾攻撃というのは艦隊決戦から航空主兵へと移ることになった新しい概念なのです。ところが発案者である山本五十六の書いたものを読んでも奇襲というアイデアはあっても、これまでとはまったく異なる理論が背後にある、本質的に「機動部隊」という概念があるのだということを言っていない。 そこで源田実参謀に会いに行ったんですよ。「あの時、機動部隊というコンセプトははっきりしていたのでしょうか」と。もうかなりお年でしたが、「どうもはっきりしていなかったな。ただ、俺は航空主兵ということは論文で書いた」とおっしゃってはいましたが。 逆にきちっとっしたコンセプトを形式知化し、ハード、ソフトに落とし込むシステムを構築したのは米国海軍でした。半藤:おっしゃるとおりで、日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による自己改革。さらに言語化。これができないんです。丸谷才一氏との対談の中で満州国建国あたりを、見てみましょう。<戦争と艶笑の昭和史>p210~213丸谷:満州国建国というものがどうしてあんなふうにうまく成功したのかという疑問があるわけです。なぜ列強の干渉を受けずに、見逃されたんだろうか。半藤:いちばん初めに文句を言うはずのソ連が、一言も言ってないですからね。極東には関心がなかったんですよ、もう。昭和の初めの時点では欧米列強は、ソ連も含めて・・・・。丸谷:ニーアル・ファーガソンというアメリカの学者の『憎悪の世紀』という20世紀論によると、大恐慌が1929(昭和4)年に起こる。するとイギリスもアメリカもみんな対外政策を自粛して、国内政策にやっきになった。それで1931(昭和6)年になると、スターリンは極東への関心を捨てちゃって、1935(昭和10)年に日本に東清鉄道を売った。そしてソビエト軍をアムール川まで引いちゃった。半藤:ウォール街の暴落以後、欧米列強の眼がアジアのほうまで向かなくなったのはたしかなんです。丸谷:だから僕はね、ここのところまで読んだとすれば、石原莞爾ってのはやっぱり頭がよかったのだなあと。半藤:そこが問題なんです(笑)。まあ、いくらかどさくさ紛れの感はありますがね。ただ、アメリカはそれほど文句はつけなかったもののやっぱり初めから睨んでましたからね。石原莞爾が思うように最初はうまくいきましたけど、やっぱり最終的には・・・・。(文字数制限により省略、全文はここ)昭和史をどう生きたか(その1)
2015.07.14
コメント(0)
図書館で『謎解き ヒエロニムス・ボス』という本を手にしたが・・・キリスト教の素養がない大使にとっても、眺めるだけで面白い本になっています。新潮社の回し者ではないけど、「とんぼの本」シリーズはええでぇ♪【謎解き ヒエロニムス・ボス】小池寿子著、新潮社、2015年刊<出版社情報>より異形の生き物、不思議な建築。大画家はなぜ、こんな奇想天外な絵を描いたのか!? 偽りの楽園で快楽に耽る男女。阿鼻叫喚の地獄を跋扈する怪物たち。聖人と魔物の息詰まる戦い。500年前に描かれた人類の罪と罰の一大パノラマは、一体誰のために、何の目的でつくられたもの? そして謎多き画家の素顔はーー? プラド美術館の《快楽の園》を始め、最新研究にもとづき真作とされた全20点を徹底解剖。 <読む前の大使寸評>キリスト教の素養がない大使にとっても、眺めるだけで面白い本になっています。rakuten謎解き ヒエロニムス・ボスこの本で、ボスとその時代、ボスの暮らした街などを見てみましょう。<ボスとその時代>p6~8 阿鼻叫喚の地獄を跋扈する怪物たちに、偽りの楽園で快楽にひたる男女。悪魔の誘惑に抗う聖人に、地上で虚栄と欲望に溺れる人々―。 約500年前に、人類の罪と罰を恐ろしくもイマジネーションに富んだ絵画世界を掻き出した画家ヒエロニムス・ボス。あるいは「ボッシュ」「ボッス」と言ったほうが馴染み深いという方も多いかもしれません。その生涯については、残念ながら本人の日記や手紙などが一切残っていないため、詳しいことは余りわかっていませんが、謎めいた作品と相俟って、この奇想の画家の存在は多くの研究者や鑑賞者の想像力を掻き立ててきました。 ボスの描く世界には、人間の罪と罰が奇々怪々な姿かたちをともなって具体的に表現されています。しかし、恐怖に満ちた世界でありながら、悪魔や怪物はどこかユーモラスで、彼らにさいなまれる人間たちも自身の運命を甘んじて受け入れているようにも見えます。 恐ろしいはずのその世界が、現実離れした夢幻の国のように感じられるのは、怪奇なものを生み出すボスのたぐいまれな想像力と、そして、透明感のある美しい彩色の力にあるように思えます。色彩の万華鏡の中で永遠に逸楽を生き、苦悩する人々を、永遠にさいなむ異種混交の生き物たち、その魅力の絵画世界は、いまも多くの人々を魅了してやみません。 教会や公的機関の記録など周辺に残されたわずかな手がかりから探っていくと、ボスの生まれはおそらく1450年頃。同時代人には、イタリア・ルネサンスを代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)がいます。 本名をヒエロニムス・ファン・アーケンと言い、画家としての通名「ヒエロニムス・ボス」は、生涯を過ごした都市スヘルトーヘンボス(現オランダ)の地名から名乗ったようです。オランダ語で「森」を意味するこの名前に関しては、Boschをドイツ語読みすると「ボッシュ」となるので、日本ではこう呼ばれることも多かったようですが、近年は、オランダ語の発音「ボス」で統一されるようになってきました。ただし本名の「アーケン」はドイツの地名で、一族の出自はドイツにあったと推察されています。 ボスの一家は代々画家で、祖父、父をはじめ叔父や兄弟などが画家として活動していました。おそらくボスも、父や叔父などから画家としての手ほどきを受けたのでしょう。 スヘルトーヘンボスは当時、ブラバンド地方の北の中心都市でした。フランス王家につらなるブルゴーニュ家の支配下にあり、主要な産業は織物や鋳物。また商業都市であると同時に宗教活動の盛んな地でもありました。 ボスは、ここで「誓約兄弟」と呼ばれる、スヘルトーヘンボスでも強い影響力を持つ組織の一員になっていました。在俗ではあるものの、聖職者に近いところに位置する立場で、指導的な役割を担った知識人であったと考えられます。また富裕な貴族の娘と結婚し、経済的にも余裕のある生活をしていたようです。その最後は、兄弟会の記録によれば疫病による病死。1516年8月9日に葬儀が執り行われています。ヒエロニムス・ボスの画像を見てみましょう♪bingヒエロニムス・ボスの画像より
2015.07.14
コメント(2)
図書館に借出し予約していた『鳥の王さま』という本を手にしたが・・・予約して約1ヵ月、思いのほか早くゲットしたのです。このところショーン・タンの本をしつこく追っかけているが、この本でショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪【鳥の王さま】ショーン・タン著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より『ロスト・シング』でオスカーを獲得、『アライバル』で世界中の読者を魅了した作家の想像力の源泉を集めて贈る魅惑のスケッチブック。<読む前の大使寸評>このところショーン・タンの本をしつこく追っかけているが、この本でショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪<図書館予約:(6/06予約、7/10受取)>rakuten鳥の王さまこの本でショーン・タンのノート記事が紹介されています。もしかして、ショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪<ノートより>p96 ここでお見せするのは、僕の持っているスケッチ用のノートだ。どれもアトリエの外に持って出るのに便利な、ごく小さなもので、ほとんどの絵は旅行中に(たいていは飛行機や列車の中で)ペンかエンピツで描いたものだ。とくべつ上質というわけではない紙に、安物のボールペンで描くせいか、アート然とした気負いが消えて、いい具合に力が抜けるところが気に入っている。 その結果生まれるのが、こんなふうに素朴でてらいのない落書きだ――より作りこんだ作品の出発点としては、申し分ない。とはいうものの、こうしたスケッチをこの本に入れることには、正直ためらいがあった。なにしろ粗雑で、支離滅裂で、混沌としていて、僕の中での“人前に出せる”基準からはひどくかけ離れている。でももちろん、そこが面白いところでもあるので、ごく一部だけ、典型的な例をお見せしようと思う。 たとえば、博物館の展示品や雑誌に載っていた写真を、見たままにさっと描いたものがある。スケッチには次々と通りすぎる興味をつかまえてじっくりと眺め、より深く掘り下げるという効能がある。それにノートがあると、あとで記憶をつついて呼び覚ますのにも役立つ。アイデアはその場で書き留めておかないと、まずまちがいなく忘れてしまうから。 写実的と呼ぶにはほど遠い、ほとんど妄想に近いようなスケッチもある(意識と無意識をつなぐ通路に向かって開く、小さな窓のような落書き。こういうのを見るたびに、僕は魚釣りを連想する)広い海に当てずっぽうに糸を垂れ、何かを釣り上げるのに似ているから。意味のないはずのところに意味が生じたり、たまたま隣り合わせた無関係のイメージから予期せぬ効果が生まれたりして、それまで波の下に隠れて見えなかったアイデアが釣針にかかるたび、僕は新鮮な響きを感じるのだ。ショーン・タンが創造のノウハウを披露しています♪<本、舞台、そして映画>p36 僕がこれまでかかわった仕事の多くは、完成品のクオリティをいかに高めるかが鍵となってきた。印刷物の原画の作成しかり、デジタル映像の構図を決めることしかり、人形の構造上の問題をクリアすることしかり。 イメージを形にするプロセスでは、山のような手直しと問題解決が必要となるため、ともすれば膨大な時間と手間がかかってしまい、原点となるアイデアが途中でぼやけたり、置き去りにされたりということが起こりやすい。だから僕は、儚い蝶を紙の上にピンで留めるように、原動力となるイメージをぱっとスケッチして、記憶にとどめておく。 こうして新鮮なイメージを保存しておけば、あとで何度でもそれを参照することができる。僕は一つの仕事が終わるまで、アトリエの壁に初期の修作をずっと貼っておいて、そもそものはじめに自分が何を「伝えよう」としていたのかを、つねに思い出すようにしている。 もう一つ、スケッチのすばらしい点は、生物の胚のように未分化であいまいなところだ。ざっくりと粗いタッチで描いた走り描きは、自分でも予期しなかった物や仕草や表情をそこここにはらんでいて、そこからどれでも好きなものを取り出して発展させていくことができる。 ときには偶然の生み出す新たな効果をねらって、描いたものをハサミとテープで切り貼りして並べ替える、ということもやってみる。たいていの場合、何かの形を見極めたい一心で描くので、いい絵である必用はまったくない。だが皮肉にも、そういう心持ちこそが、いい絵を描くためには必用なのだ・・・・まっすぐで、気取りのない好奇心が。この本も絵本あれこれに収めておきます。ショーン・タンの画像を見てみましょう♪bingショーン・タンの画像よりproud parents鳥の王さま、p16、17
2015.07.13
コメント(0)
図書館で『昭和史をどう生きたか』という本を手にしたが・・・半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪【昭和史をどう生きたか】半藤一利著、東京書籍、2014年刊<「BOOK」データベース>より特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。【目次】ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)<読む前の大使寸評>半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪rakuten昭和史をどう生きたか昭和史といえば、満州国の成立過程が大問題であったわけですね。そのあたりが澤地久枝さんとの対談に見られます・・・・いや、勉強になります♪<満州国がなければ太平洋戦争はなかったかもしれない>p52~56澤地:いま私が気になるのは、満州国をつくった時に、最初の国家予算は誰がおカネを出したのだろうという点です。国であるからには、国家予算がなければ困るでしょう。半藤:カネを出したのは陸軍だと思われますが、最初に満州国の国家予算はどうやって組んだのかはよく分かりませんね。澤地:満州中央銀行が出来て、紙幣を発行する。国務院も途中から予算を議決してるのです。けれども最初の時にはどうしたのかなというのが私の疑問です。中国全体で言えば、中国が1927(昭和2)年に一応北伐が終わって、蒋介石を中心にして纏まっていく。その後の緊急の課題は幣制改革、すなわち貨幣を統一しなければならないことです。日本にしてもその必要は理解すべきだったと思う。イギリス人のリース・ロスが、日本と共同で幣制改革をすすめようと誘うのですが、日本は拒絶し、結局イギリスによって中国の貨幣の改革は成就する。 イギリスは阿片戦争のようにひどいこともやっているけれど、一方で中国に貢献もしている。しかし、日本は一から十まで敵役になるような政策を選択する。満蒙は生命線であり、中国を自分の掌握下に置きたいと言いながら、トラブルばかり大きくなっていく。極端に言えば、アメリカとの戦争にしても満州、中国問題がなかったら起きなかった。半藤:そりゃもうそのとおりですよ。満州事変以来、軍がぐんぐん台頭してきて、じつに好戦的で野蛮な国家になった、というのが基本的なアメリカの対日観ですからね。しかもこと国防に関することになるとアメリカは、日本の国策と正面衝突する門戸開放とか領土保全とかの基本原則をもって迫ってくる。一歩も譲ろうとはしないのですからね。日本のささやかな野心も決して認めようとはしない。戦争への一本道と言ってもいいわけです。澤地:野心は次なる野心を生む。満州国建国の翌年(昭和8年)に、国民政府が日本の満州支配を事実上認めたタンクー停戦協定が結ばれます。この時に、山海関の南に中立地帯が作られる。そこに日本は、殷汝耕を首班とする〇東防共自治政府という傀儡政権をつくる。殷汝耕夫人は四国出身の日本人で、ここは大陸の阿片の密貿易の拠点になった。 日本はさらに華北も手中におさめようとする。すなわち梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定で、中国側の反日感情に火をつける。満州国建国から日中戦争が始まるまでの間に日本はそういう既成事実による中国の主権侵犯を積み重ねていく。しかし、満州に留まっていれば、国際連盟加盟国は、経済不況で背中に火がついていたから、満州国は国際的には妥協されて認められていたかもしれない。半藤:もうすでに国際連盟は半分以上妥協していましたね。澤地:しかし日本は昭和8年に国際連盟を脱退して、自ら孤立への道を歩いていく。ドイツも同様で、孤児同士は1936(昭和11)年に日独防共協定を結んで、運命的な選択をする。 同じ11年に、スイ遠事件という悪名高い事件が起きますね。内蒙古の政治代表である徳王が、田中隆吉のバックアップを受けて「内蒙古の失地回復」と称してスイ遠を攻め、スイ遠事件が起きるけれども、フ作義の率いる精鋭軍隊によって、徳王側は惨敗を喫する。これが、中国の抗日感情、士気の高揚につながるのです。日本はそんなに恐れなくてもいいという事実が張学良の心を揺さぶったと思う。 張学良は蒋介石の指示どおりに、共産党軍を討伐する軍の最高指揮官として前線にいた。満州事変の時は抵抗していない。長征後の中共軍を包囲して、同胞相食む戦闘を前に苦悩していた。そこへスイ遠での勝利です。スイ遠事件がその後西安事件の引金となり、さらに国共合作につながったと思う。半藤:いまの一連の話で、軍がとにかくいちばんよくないと思えるのは、満州事変のあとの処理だったと思うのです。満州事変はあきらかに陰謀であるということが分かっていたわけですからね。澤地:天皇の命令もなくやったわけですから指揮官たちはセン権の罪で死刑に値します。半藤:ところが現実には、関係した本庄繁、石原莞爾、板垣征四郎、林銑十郎らは全員出世して、なかには男爵にまでなる軍人がいた。「勝てば官軍」です。そうやって「悪いことをしてもバレずにうまくやればいい」という教訓を残したことが陸軍を徹底的にダメにしたと思います。要するに軍人は皆勲章が欲しいのです。だから、スイ遠事件も起こる。満州の次は内蒙古、内蒙古の次は中国北部というわけです。盧溝橋事件も似ているところがある。勲章めあてに拡大していった。 しかし、いちばん大きいのが満州事変なのです。だから石原莞爾がやったことは、褒めていいのか、貶していいのか分からないけれども、すごいことを考えた。ソ連の脅威に対抗したうえで、最後は日米戦をやるために、満州という地域を日本の支配下に置くという大構想を現実に成功させたわけだから。澤地:当時、板垣征四郎は上官なのに、「なるほど」と思ったのですね。半藤:石原莞爾は評して曰く「板垣さんは足の裏に針を刺すと、三日ぐらい経つと痛いと思う人だ」という(笑)。板垣は大雑把な人だったのでしょうね。だから石原莞爾にとってはよき上官だった。それで満州が日本の一部になってしまったのですね。 でも満州進出はすべて軍が推進したと、責任をそれだけに帰するというわけにはいかない。マスコミは太鼓を叩いたし、日本人の多数がそれはいいと思ったのですから。それこそ澤地さんのご両親を含めて、当時の日本人は、満州はこれから日本と仲良くなっていく国だという思いで渡っていったのではないですか。半藤さんと宮部みゆきさんが坂本龍馬についてミステリー仕立てで語っているが・・・文芸にも秀でたマルチタレントという新解釈が出たりして、面白いのです。<幕末のミステリーを歩く>p249~253半藤:宮部さんと私は、同じ都立隅田川高校の卒業生なんですよね。私の時は府立七中と言いましたけど。下町っ子同士なんだよね。宮部:そうなんです。今日は「歴史探偵」でいらっしゃる大先輩に歴史のお話を伺えるのを本当に楽しみにしてきたんです。もう、伺いたいことがたくさん!半藤:そうですか。宮部:半藤さん、『幕末史』の中でチラッと、坂本龍馬という人は、ここまで伝説化されるほどすごい役割を果たした人なのかどうかは疑問だ、とお書きになっていましたよね。半藤:そうそう。龍馬の手柄のように思われている薩長同盟だって中岡慎太郎と土方久元がすでに計画して動き出しているのにあとから乗っかっているだけですし、大政奉還の発想自体、勝海舟と大久保一翁に伝授されたことです。人物の魅力はすごくあったんだけど、独自の発想はなにもない。宮部:私もそう思うんです。やっぱり司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』という小説が素晴らしくて、あれでみんな龍馬に惚れちゃうんですよね。ある種のカリスマ性があって、陽性の人で、人好きがしたのですね。半藤:穏やかな人で、人の話をよく聞くし、弁が立つし、女にもモテたし、生涯二回しか怒鳴ったことがないけど、そのうちの一回は薩長同盟の時に西郷さんを怒鳴りつけた、と。「俺たちが命懸けでやっているのはなにも薩摩や長州のためじゃない、新しい日本のためだ」・・・・本当かどうか知らないけど、かっこいいんです、ここが。宮部:いいシーンですよねえ。居並ぶお偉方に向かって堂々と、つまらない面子なんか捨てろ、と言えるかどうか。半藤:考えてみれば西郷も大久保もみんな迫力あるすごい人たち。今、新人議員が小沢一郎さんを怒鳴りつけるようなものでしょう。そんなことできる人なんていないよ(笑)。宮部:「この若造、誰や?」と無視されても仕方なかったところなんですね。それなのに、龍馬のエネルギーが、パッションが、通じた。半藤:龍馬の後ろには海舟と大久保一翁という大物がついていましたからね。この二人がどんどん添え状を出して、龍馬は浪人にもかかわらず薩摩の島津斉彬、福井の松平春嶽とか毛利公とか、トップにすぐ会いに行ってる。普通は行けと言われたところで、そう簡単に殿様に会う気にならないと思いますけどね。宮部:添え状を出させてしまう魅力、それを持って会いに行く行動力、そして会ってしまえばなんとかなっちゃうという・・・・人物に大きな魅力があったのでしょうね。半藤:宮部さん、有名な都都逸の「何をくよくよ川端柳、水の流れを見て暮らす」というの、ご存じ?宮部:はい。半藤:これがね、坂本龍馬作だというんですよ、矢田挿雲の本を読んでいたらそう書いてあるんです。伏見の寺田屋の二階から眼下の淀川を眺めながら作った、と。宮部:エーッ!半藤:それから「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る」、あれもそうだというんです。こんな有名な歌が、ほんまかいなと思うんですけどね。でも龍馬から乙女姉さんに当てた手紙なんか見ますと、ものすごく茶目っ気がありますから、ありえないことではない。高杉晋作の作と思われていたこの都都逸が、本当に龍馬作だとすると、龍馬は粋な才気のある人だということが非常によく分かります。漢学の素養がないことも分かるけど(笑)。かえってよかった。(以降、文字数制限により省略、全文はここ)
2015.07.12
コメント(2)
図書館に借出し予約していた『ヘンな日本美術史』という本を手にしたが・・・大学図書館で『山口晃 前に下がる下を仰ぐ』も借りているので、山口晃ミニブームになった感もあるのです♪【ヘンな日本美術史】山口晃著、祥伝社、2012年刊<「BOOK」データベース>より自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻ぶりで疾走した雪舟のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年や川村清雄ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤…。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史。<読む前の大使寸評>大使の場合、日中画力比較というふうに、ついナショナリズムが出てくるわけです。・・・で、雪舟を題材にした日中比較を見てみましょう。<図書館予約:(7/05予約、7/10受取)>rakutenヘンな日本美術史大使の場合、日中画力比較というふうに、ついナショナリズムが出てくるわけです。・・・で、雪舟を題材にした日中比較を見てみましょう。<こけつまろびつの画聖誕生>p86~88破墨山水図 現代の絵描きでも、一応、画学校とか芸術大学などを出て真面目な石膏デッサンなり静物画が描けると言うと、どんなにふざけた絵を描いていても、やろうと思えばちゃんと描けるんだと云う、免罪符と言いますか、見る人を安心させる言い訳になります。「四季山水図」は、そういう意味では一見「いい子ぶって」いる訳ですが、やはり見ていて非常に気持ちのよい絵です。上手が本当に上手になると、むしろ嫌味がなくなってくる。上手さが上手さを消していくとでも云う所があって、絵の透明度が高くなる事によって、素直に絵に入っていく事ができるのです。 そういう絵を描く技術を持っていながら、しかもそれが当時の王道でありながら、それでもなお「破墨山水図」を描いたのが雪舟でした。 大雑把に言ってしまいますが、いわゆる中国的な山水画は、日本人の私から見るとクドい感じがします。近景の樹木の描き込みや岩の凹凸と、遠景に溶け込む山々と大気の表現などが、透明感に溢れた大空間を現出させて実に見事なものなのですが、やはりうるさく感じられる。技術的にも凄いのですが、どこか執拗で「そこまで必要なのか?」と思えてしまうのです。 これには実際的な側面も影響していると思います。日本で中国風の山水画を描くとなると、その風景は基本的に想像の産物です。 けれども中国の風景写真なり、映像を見れば分かりますが、あの国には山水画に描かれたような風景が実際にあるのです。日本では信じられないような「」な形の岩山が実在し、彼らは空想やデフォルメではなく、見たものを元に描いていることが分かる。 その上で、単なる「画工のスケッチ」に堕さぬよう、風景思想やら絵画理念やらを厳格な筆法で入れ込んでくるのです。余白にまで意味が満ち満ちて、放ったらかしの部分がまるでない。それが好きな向きには堪らなく、きらいな向きにも堪らない、感動と辟易をもたらす所以でしょう。一方、日本人の多くは、その風景を知らないまま画面を写し、思想に心酔してきました。 大もと、すなわち中国における、絵と現実の風景との関係を知らずに、絵の方だけを模写した結果、日本人は、それを予期せぬ方向に変容させてしまったのです。これを私は「古屋の漏り」効果とか「ジュリアナ」効果とか呼んでいます。 「古屋の漏り」と云うのは、昔話です。虎や狼が馬を盗ろうと忍び込んだ家で、そこのお爺さんとお婆さんが、虎や狼よりも「古屋の漏り」つまり雨漏りの方が恐ろしいと話しているのを聞いて、自分たちより恐ろしいものが来ると思って逃げ出したと云う話です。 あるいは「ジュリアナ東京」などと云っても、若い読者の方はご存知ないかもしれませんが、80年代末に流行した「お立ち台」などで有名なディスコです。東京で流行ったとなると、地方でも真似をするのは必定でして、しかも「東京ではこれくらいやっているだろう」という曲解で、どんどん過激なキワドイものになっていったそうです。 つまり、現場を離れて何かが伝わる過程では、伝言ゲーム的な意味のねじれが生まれます。しかも、元を知らない人間ほど、オリジナルに負けてはならじと過剰なものを付け足していく傾向にあって、結果的に常軌を逸したものになりやすいのです。 その事が、絵の世界では図様の変容を生みます。中国で生まれた山水画もそれが大陸から日本に伝わってくる過程で、ある種の奇矯さを持つようになる。墨の濃淡で立体感を表現する破墨と云うのも、もともと本家の中国では邪道だと言われていた描き方です。 中国の山水画においても、描き尽くされてしまうと、ある種のマニエリズム(技巧主義)化が起こって、さらにそれを過ぎると今度はミニマルな方向へ進むという振幅があって、その中から破墨のようなとんでもないものが生まれてきました。<雪舟の生み出す恐るべき絵画空間>p95~97秋冬山水図 「秋冬山水図」を見て感じるのが、雪舟の生み出す恐るべき絵画空間です。先程も申し上げたように、中国の山水画ですと繊細な筆致が空間をを生み出しているのですけれども、それに比べると「秋冬山水図」は格段に荒い。荒いのですが、筆致が的確です。それはもう絶望的に的確なのです。 そして「鳥獣戯画」の時も申しましたが、やはり実物を見ますと透明感が全然違いまして、初めて見た時にはぞっとするような感覚を覚えました。とにかく、吸い込まれそうな深さに無性に怖くなった事を思い出します。 何がそのような物凄い感じを引き起こすのかと云うと、その特異な空間性ではないでしょうか。 その空間性が現れる要因を考えてゆくと、まずは絵を構成する単位の大きさによるのではないかと思われます。それが大きな視線の動きと流れを生み、一瞥でも含む所が多くなるのです。 雪舟はこの絵の中で、手前の道、岩、崖くらいの単位でモチーフを大きくポン、ポン、ポンと配置していき、それらの存在感を破墨仕込みの荒く闊達な調子でグワシと掴まえます。そして掴まえられた荒ぶる気は、無骨ながらニュアンス豊かな輪郭線によって画面に定着される。(中略) 厳格な構図の静謐な画面の下では、張り出そうとする力と奥へ吸い込む力とが激しくぶつかっている。そこに垣間見える深淵に、私はぞっとするのです。画聖と呼ばれる雪舟がとんでもない山水画を描いた経緯を、山口さんが皮肉たっぷりに解説したわけだけど・・・・とかく権威にまで登りつめた御仁には、この種の皮肉が付き物のようです(笑)。ということで、曇りのない目で、雪舟の画像を見てみましょう♪bing雪舟の画像より比較対象ともいえる南宋院体画よりピックアップしてみました。bing南宋院体画の画像より聞くところによると、南宋院体画の伝統を継ぐ者として雪舟が評価されているんだそうです。とにかく彼の地では文化大革命で、文化が一度破壊されたので、文化的伝統を継ぐ人が逼迫しているんでしょうね。
2015.07.12
コメント(0)
図書館で『山口晃 前に下がる下を仰ぐ』という本を手にしたが・・・巻頭に、この本は山口晃の個展「前に下がる下を仰ぐ」の、展覧会図録の体裁をとっているとの挨拶が載っています。電柱に対するこだわりが、いかにも山口晃である。また、紙ツイッターという試みもバカバカしいというか、面白い♪【山口晃 前に下がる下を仰ぐ】山口晃著、青幻舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より山口ワールド、水戸芸術館で炸裂!『山口晃大画面作品集』以降の新作から、すゞしろ日記的「食日記」、「続・無残ノ介」紙ツイッター、インスタレーションまで、山口晃の“今”を凝縮した一冊。随想・自作解題書き下ろし。<大使寸評>この本は山口晃の個展「前に下がる下を仰ぐ」の、展覧会図録の体裁をとっているとの挨拶が載っています。電柱に対するこだわりが、いかにも山口晃である。また、紙ツイッターという試みもバカバカしいというか、面白い♪rakuten山口晃 前に下がる下を仰ぐこの本で展覧会の気分を満喫してみましょう。<展覧会場>よりp6~58■第1室 初めに入った部屋に色が無いと云うのも、またこやつ仕上がらなかったかと思われそうで、何やらはばまれましたから、今回の中では派手々々しいものを置いています。どこか表向きの、しかし精一杯色々試した作品たちです。 試したのは、新しいと思う事でもあり、今更ながらではあっても自分に必用と思う事であり、まちまちです。■第3室 1室を出て胎内めぐりの様な細い通路を抜けた先にこの部屋が表れます。天井の高い特徴的なつくりの中に電柱様のオブジェが三本。 壁にはテキストらしき物も見えますが、やはり近づけず反対に階段を昇ってオブジェを目近にする様になっています。■電柱の歴史 電話機をつなぐ「電信柱」に遅れる事20年あまり、電力を送る「電力柱」は、明治も23年頃に登場します。折りしも急激な西欧化に対する反動で、日本の旧来文化の復興が叫ばれだした頃です。政府は一国の街路を飾るにふさわしい装柱をと、各方面に下達しました。 その一端を担ったのが古流の華道家であり、関東では遠州流、関西では池の坊です。電柱の間隔から装柱具の配置、配線の具合までを、電柱の機能をふまえた上で美しく行います。ネットで山口晃の画像を見てみましょう。bing山口晃の画像より
2015.07.11
コメント(0)
図書館で『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』という本を手にしたが・・・関西案内として、いけてるんやないけ♪京阪神の微妙な違いや見所を知るとなれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんじゃないでしょうか。関西の戦時、終戦時ころといえば、関西ニューカマーの大使にとってはミッシングリンクであるが、この本でその穴を埋めようという意識がはたらいたのかもしれません。【ほっこりぽくぽく上方さんぽ】田辺聖子著、東京美術、1999年刊<「BOOK」データベース>よりお聖さんと一緒に出かけませんか?上方の心懐かしきたたずまい、現在のぬくもりに触れる旅へ-。あたらしい関西案内。【目次】1 始まりはミナミ/2 大阪ベイエリア/3 キタを味わう/4 ちょっとそこまで…/5 南へ、神の国へ/6 京都慕わし/7 上方モザイク<読む前の大使寸評>京阪神の微妙な違いや見所となれば・・・関西ネイティブのお聖さんの本がいいんだろうね。ちょっと古い本なので、楽天ブックスに画像が無かったけど。rakutenほっこりぽくぽく上方さんぽお聖さんの生誕地あたりを見てみましょう。<私の『私の大阪八景』>よりp153~156 戦後十数年たった頃、私は同人雑誌に「私の大阪八景」を連作のかたちで、時折、連載していた。昭和30年代後半だ。途中、39年1月に至り、芥川賞を受賞したこともあって、最後は書き下ろしで一作書いて、文芸春秋から『私の大阪八景』として出版してもらった。 八景、いうけど、五景しかあらへんやないか、と友人たちにいわれたが、いや、こういうもんはカズが合わんでもエエのや、と煙に巻いてやったことをおぼえている。おみやげの名物饅頭の包み紙なんかに〇〇八景なんて印刷するときはカズが合わないと困るが、小説はまだ続きがあるのかと思わせるほうがよい、などと私は与太っぱちをいっていたが。― 五景をいま並べてみると次の如くである。 その一、民のカマド その二、陛下と豆の木 その三、神々のしっぽ その四、われらの御楯 その五、文明開化 ―小学校六年生の女の子トキコが戦時下に女学生になり、女専生徒になり、終戦を迎え、やがて社会へ出てゆく、つまり、女の子との相関図というか、最後の章は終戦直後の天皇巡幸を梅田新道でお迎えした話で終わる。五景でとどめたのは、たぶんもう、息切れしたのであろう。 このトキコは、私と等身大でもあるが、当時の一般的コドモ像の抽出されたものでもある。 藤本義一さんはといったことがある。そういえば夫人は統紀子さん、これはウチのオッチャンもよく知っている。昔、神戸にいたころ、そのころはFAXなんて文明の利器などありはしません、原稿が出来ると、オッチャンを拝み倒して車で伊丹空港まで走ってもらっていた。航空便を利用するのである。 昼間なら私がタクシーを飛ばしてゆくが、夜は食事の用意をせねばならない。診察室から出てきて、やれやれとビールを飲もうとするオッチャンに、と叫ぶ。オッチャンは憤然、色をなすがしかたない、早く飲みたい一心で車を引き出して走らせる。そういうとき、伊丹の最終便で混雑する受付で、義一氏のお原稿をやっぱり送りにこられた統紀子夫人に会うという。 と挨拶して別れたよし、と私はぷりぷりしたものであった。現代から思うと、という感じであるが。 戦争下の小学生といっても四六時中、戦争浸りになっていたわけではなく、昭和12年の日支事変(当時そう呼んでいた。戦争ではなくて事変であって国民はほとんどみな、シナの一部で紛糾があるらしいが、いずれ止むやろう、とタカをくくっていた。まさかそれがきっかけとなってずぶずぶと泥沼にはまり、8年に及ぶ塗炭の苦しみをなめさせられようとは、誰一人思いもしない)のはじまったのは小学4年生であった。まだ大阪下町の路地には、チョボ焼き、一銭洋食、紙芝居、しんこ細工、しがらき・わらび餅などの屋台や金魚売りが来ていた。 小学校の下駄箱の上には「一銭ヲ笑フ者ハ一銭ニ泣ク」という格言がかかげられていたが、私は無駄遣いの天才で、一銭も度重なれば十銭になる、連日十銭を屋台のオッチャンに散じてしまう放蕩者で、たびたび家へせびりに帰っては、と母に叱られていた。まだまだ泰平の世であった。 夏休みには浄正橋に出る角のの境内でラジオ体操が行われ、7月の25日は天満の本宮と同じく夏祭があった。町内の家々には軒にと書かれた提灯を吊り、しかるべき素封家などは、家紋を白く染めぬいた浅葱色の幔幕を張った。 神輿は練り歩かれることはなく、しかし毎年、天神サンに飾られて、宵宮から本祭の間じゅう、派手な祭囃子が鳴りひびいた。コンコンチキチン、コンチキチン(祇園囃子よりもっとスピードアップして勇壮である)のお囃子は、天満の、船渡御と同じ。境内いっぱい、そして鳥居までの広い道すじにも店が出て、金魚すくいやりんご飴、山吹鉄砲、と面白かったこと。 やがて夏は夢のように過ぎ、早や、祭りのあと仕舞といわれる地蔵盆であった。どこの路地の奥にも、子供たちを護って下さるというお地蔵さんが祀られていて、町内の糸道のついたおばさんが三味線を弾き、唄う。女の子は天花粉にまみれた白い顔で長袖の浴衣など着て踊る。 ~かんてき割った、叱られた。おかしてたまらん、トッテレチンリン・・・ という意味不明の歌詞ながら全大阪中の地蔵盆で唄われ、踊られていたもの。この祭りを最後に秋が来て、大阪の空にも赤トンボがとぶ。(中略) 福島西通と、堂島大橋の間のほぼ中間、市電通りに面して私の家、があった。今は自動車関係の店らしい。このへんの空襲は昭和20年3月13日・14日、次いで6月1日、7日、15日、26日、7月7日。ウチは6月1日、消しにくい油脂焼夷弾が雨あられと降った。一望灰燼の焦土を「大阪八景」に加えるべきか。なるほど、関西弁の文章となると、お聖さんがピカイチではなかろうか?♪お聖さんの第二の故郷が神戸になるんだそうです。<神戸・浮き寝のかもめ鶏>よりp359~362 翌朝も快晴。私たちは復興成った生田神社へお参りする。倒壊した生田サンの拝殿の写真を見た時は世も末だと思った。石の大鳥居は根元からこなごなに倒壊、石灯篭も石の玉垣も、境内の歌碑のたぐいも殆ど倒れた。 それが1年半ばかりで復興した。さすがに生田サンや、とみな感心した。神戸150万市民の発祥の地やから、 加藤隆久宮司はいわれる。今日は白いお召し物に紫の袴というご神職のいでたち。 生田神社は三宮のネオン街のただ中にある。古典で有名な生田の森は、こんどの震災でも無事で、社殿の背後に濃い緑があるのはうれしい眺め、あざやかな朱塗の本殿、拝殿、楼門、そして鳥居。 神社建築は美しい。白壁に朱の柱、朱の垂木、梁長押、青い連字窓、清浄潔白でしかも花やか。生田サンの神紋は桜で、お祭には関係者は桜の造花をかざす。それもいかにも女神のご祭神にふさわしい。(中略) 災害に強い神社にしなければならぬというので、再建された拝殿は、耐震性高強度鋼管コンクリートの大柱が用いられている。加藤宮司さんは何でも歌になさる。 祝詞調で朗々とうたいあげられるので耳に快くはいりやすく、震災の衝撃の現実感があった。神社にはみるからに森厳で近寄りがたいところもあり、それも日本神道の幽邃を示唆して有難いものであるが、生田神社の、 という方向も神戸らしく、明快で親しみやすい。
2015.07.10
コメント(0)
借出し予約していた『在日の地図』という本を手にしたのです。マンガの頁が半分くらいあり、写真も満載で読みやすいのだが・・・全国のコリアタウンの情報が広範囲、かつディープであることに驚いたのです。【在日の地図】山野車輪著、海王社、2006年刊<「BOOK」データベース>より何処から来て何処へ往く!?在日韓国・朝鮮人とは何者なのか?『マンガ嫌韓流』山野車輪の待望の最新作。【目次】東日本のコリアタウン(古き佳き関東在日韓国・朝鮮人の集住地区ー三河島(東京都)/JR千葉駅移転の謎解くキーストーンー千葉市栄町(千葉県)/在日VS東京都 朝鮮学校訴訟に揺れる街ー枝川(東京都)/重工業と共に歩んだ大規模コリアタウンー川崎市桜本・浜町・池上町・戸手(神奈川県) ほか)/西日本のコリアタウン(闇市起源の巨大コリアマーケットー大阪市鶴橋(大阪府)/在日韓国・朝鮮人の聖地、全ての道は猪飼野に通ずー大阪市桃谷(大阪府)/大震災から蘇った驚異の生命力ー神戸市長田区(兵庫県)/傷跡残した民団・総連の共同暴走危険行為ー相生市・三木市(兵庫県) ほか)<読む前の大使寸評>この本は、マンガの頁が半分くらいあり、写真も満載で読みやすいのだが・・・全国の在日の情報が広範囲、かつディープであることに驚いたのです。近場の長田区、焼肉の鶴橋が、個人的には興味深いのです。<図書館予約:(7/01予約、7/05受取)>rakuten在日の地図この本は、東日本および西日本のコリアタウンの探訪記となっているのだが、そのうち京阪神地域のコリアタウンを見てみましょう。<西日本編概説>よりp115~117 戦前期において半島と日本との連絡が、「釜山~下関」航路と「済州島~大阪」航路の2系統だったため、必然的に朝鮮人の集住地区は、西日本に偏重することになる。 特に大阪を中心とした京阪神地域は、日本全体の視点から比較してみても、在日韓国・朝鮮人の本場としての地位は揺るぎようがない。 コリアタウンとしての密度は濃厚そのものであり、もはやランドマークとしての総連・民団施設探しなど、あまり意味がないほどである。犬も歩けばいつのまにかコリアタウン。鶴橋、桃谷、尼崎。京都東九条にウトロ地区。あまりにも有名な、なかば観光地と化しつつあるこれらのコリアタウンに探訪ロマンの余地など残されていないのだ。 ここでは、東日本のコリアタウンとの対照が興味深い。特に総連施設が意気軒昂である。北朝鮮の無道が明るみに出るにつれ、東日本の総連施設は人の気配も感じさせないないほどに静まり返っているか、もしくはNPO法人や朝鮮食材店などに偽装しているケースが目立つ。対してこちらは正々堂々、「朝鮮会館」や「在日本朝鮮人総連合会〇〇支部」など、本来の看板を掲げたままだ。総連、いまだ健在なのである。 しかし、いま総連がいくら気を吐いてはいても、次代の「総連エリート養成機関」である朝鮮学校については、また話が違う。全体として児童・生徒数は長期減少傾向にあり、京阪神地域においては堺市、岸和田市、また西日本エリアに目を向ければ、松江市や相生市、九州飯塚市などで閉校が相次いでいる。 「阪神教育闘争事件(神戸市)」に象徴されるように、戦後の朝鮮人は攻撃性を剥き出しにして懸命に「朝鮮学校」を守り育ててきた。彼らの先人たちは、いまの先細り状況をどう感じるのだろうか。 取り壊されることもなく、草むし苔むす一方の廃校。少なくとも総連系の在日朝鮮人に関しては、極めて近い将来に日本社会から退場することになるのだろう。総連の墓標ともいえる廃校を見るにつけ、誰しもそう感じるはずだ。総連は歴史的な役目を終えたのである。<鶴橋>よりp127 このように、猪飼野地域への朝鮮人集住には諸説あるのだが、少なくとも平野川の開削工事において、いわゆる「強制連行」説に見られるような労働者への強制性は全くない。時期を見れば、1938年の国家総動員法以前であって、当時は急増する朝鮮人の渡航制限を実施していたほどだった。そもそも同事業は鶴橋耕地整理組合という民間団体による土地改良事業であって強権的な色合いなどあろうはずもないのだ(『猪飼野郷土史』)。 では、最も真実に近い説明は何か。何よりも鍵を握るのは、済州島と大阪を結ぶ定期船「君ヶ代丸」の就航が鍵を握る。『異邦人は君ヶ代丸に乗って』では、「済州島出身の人は他ではいじめられたりして、生活しにくいこともあり、どんどん猪飼野に集まってくる。ここだと済州島出身者がのびのびと生活できるということもあって済州島出身者でほとんどが占められるようになっていったのです」との記述がある。 総じて済州島民は大阪を目指し、この地に身を寄せ合い、彼らの共同体を育ててきたのである。在日二世であることをカミングアウトしている歌手の和田アキ子の両親は、済州島から大阪に渡ってきて鶴橋で料理店を経営している典型的な出稼ぎ型の朝鮮人だった。鶴橋在住の朝鮮人家庭で同様のケースは非常に多く、そのため鶴橋は「済州島より済州島らしい」と韓国人からも形容されるほどである。 かつて田畑が一面に広がる郊外だった鶴橋は、大阪鉄道(現・JR大阪環状線)が開通するとともに、急速に人口増と都市化の波に洗われた。戦災で焼け野原になってはいるが、戦後もその成長力は衰えず、大阪最大級の規模を誇る闇市が出現している。その規模は500人~600人の売り子がいたという。 現在の鶴橋駅周辺の猥雑この上ない巨大市場は、当時の闇市を直接の原型としている。この街では、当分「戦後」が終わりそうにない。<大阪府桃谷>よりp134~137 生野区の韓国・朝鮮人人口が、全住民の25%に達するというのはあまりにも有名な話だ。日本一のコリアタウン猪飼野は、東成区の鶴橋駅周辺と、生野区の桃谷・中川・中川西などの広範囲なエリアから成り立っている。(中略) 戦前の桃谷一帯には朝鮮市場があった。1925年に開設された鶴橋公設市場を核として発展し、順次東へと拡大していったのである。間口一間半・奥行き二間ほどの小規模な店舗兼住宅が30軒ほど並んでおり、最盛期は毎月の1日と15日に10人の警察官が交通整理のために出動するほどだったという。 現在、地域のメインストリートである御幸通り商店街は、コリアタウンとして観光地化されている。在日韓国・朝鮮人商店の域内分布としては、東の区画が50%程度、中央部は75%、西は30%程度だという(『猪飼野郷土史』)。 もともと猪飼野地区を形成している生野区と東成区は、自営業者の比率が高く、1985年の国勢調査では生野区が35%、東成区が31.3%という結果が出ている。済州島から出稼ぎにやって来た朝鮮人たちは日本語を巧く話せないことから企業に就職することができず、自営業の道を選ぶしかなかった。そして二世・三世の家業継承で状況は固定化されていった。(中略) こうして鶴橋・桃谷は日本最大のコリアタウンとして、今日も多くの在日韓国・朝鮮人でにぎわっている。済州島から出稼ぎにやって来た朝鮮人にとって、君ヶ代丸はまさに日本への箱舟だったといっていい。 <神戸市長田区源平町>よりp146~147 神戸市といえば、戦前戦後を通して日本有数の朝鮮人集住地区である。1929年に行われた神戸市社会課の調査では、「1軒の労働下宿の存在はやがては多数朝鮮人の流入を刺激し、多数朝鮮人のイ集はやがては更に労働下宿の開店を促す」と、急速に進む朝鮮人流入状況について報告している。 彼らの日常生活は極めて切迫したものであり、度々生活保護の受給を求めて運動を行っていた。『兵庫のなかの朝鮮』では、1953年に兵庫県警が発行した『警察年鑑』からその様子を紹介している。「朝鮮人の生活は極度に窮迫している。したがって、生活保護法による被扶助者も存在総数の21%強に達し」ていたという。 彼ら貧困層は、特に長田区周辺に集住していた。1950年には800名の朝鮮人が長田区役所に向けてデモを行い、179名が逮捕されている。 こうした朝鮮人の攻撃性は戦後しばらくの間全国各地で発揮されていたが、特に兵庫県においては一際戦闘的な傾向を持っていた。1948年4月24日、いわゆる「阪神教育闘争」事件である。 終戦後の10月、兵庫県の在日朝鮮人たちによって飾磨朝鮮初等学院が早くも開校した。翌年6月には、日本初の朝鮮人中学校が開設。全国で続々と朝鮮人学校が開校するきっかけとなっている。『兵庫のなかの朝鮮』によると朝聯系の学校は573校、生徒数は5万6000人を超えていた。 1948年、GHQは共産主義の巣窟と化していた朝鮮学校への閉鎖命令を下すが、朝鮮人から激しい反対運動が沸き起こり、特に神戸での反対運動は凄絶を極めた。混乱収拾のために、GHQは神戸全域に非常事態宣言を発令せざるを得ないほどだった。逮捕者は1732人に上がったという。 ただし、貧しい朝鮮人の全てが反社会的な行動を取ったわけではない。手に職をつけ、地道に働き、地域に溶け込もうと努力する朝鮮人の姿を忘れてはならない。戦後から現代にかけての厳しい経営環境を生き抜いてきた。神戸市長田区のケミカルシューズ産業の経営者や労働者は、その好例だろう。彼らの多数は1995年の阪神・淡路大震災で被災し、同産業は壊滅的な打撃を受けた。当時行政の迅速な支援が行われたのは、彼らの性向と無関係ではないだろう。京都の在日といえば、『パッチギ!』を思い出すのです。<京都市東九条>よりp164~167 『京都に生きる在日韓国・朝鮮人』(京都市国際交流協会)によれば、既に1906年の京都においても、山陰本線敷設工事に、数十人の朝鮮人労働者が従事していた。山陰地方の山間部を貫くこの工事は、国家を挙げての一大プロジェクトだったために工員が不足しており、そうした労働力不足を補ったのが、朝鮮半島から職を求めてやって来た朝鮮人だったのだ。 当時、鉄道網の整備は大阪・京都で盛んに行われており、1927年には新京阪電鉄の工事にも多くの朝鮮人労働者が従事し、労働争議なども頻繁に行われていた。 (以降、文字数制限により省略、全文はここ)
2015.07.09
コメント(0)
図書館で『岡崎京子の仕事集』という本を手にしたが・・・岡崎京子が2004年に手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞した時期は、てっきり大活躍中と思っていたが、その時は長期療養中だったんですね。大使はその程度のファンだったのだが、これではアカンと、wikipediaをよく読んでみます。【岡崎京子の仕事集】岡崎京子, 増渕俊之、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>よりマンガ史に残る衝撃作『ヘルタースケルター』の原作者・岡崎京子の仕事の全貌が、この一冊に。全作品集の解説と初公開の習作イラスト、エッセイ、対談など、さまざまな魅力を凝縮したバラエティブック。<大使寸評>事故さえなければ、山田詠美クラスの能力を発揮できたと思うのだが・・・・惜しまれるのである。マンガの画力を比べたら、山田詠美を凌いでいることだけは確かである♪rakuten岡崎京子の仕事集岡崎京子を見直しているのだが、これではアカンと、wikipediaをよく読んでみます。wikipedia岡崎京子より1980年代から1990年代にかけて、サブカル誌、漫画誌、ファッション誌などに多くの漫画作品を発表、時代を代表する漫画家として知られることとなった。(新しいタイプの女性漫画家として内田春菊、桜沢エリカ、原律子ととも一般誌で紹介される。)岡崎の作品では、映画、小説、音楽、現代思想書などからの引用が多用され、また同時に、岡崎の漫画表現を考察する本や雑誌も多数出版されている。1996年(平成8年)5月、交通事故に遭遇し、重い後遺障害が残った。それ以降は事実上の休業状態が続いている。2003年(平成15年)後半頃より過去作が次々復刊されている。次の画像を見れば、山田詠美を凌いでいることだけは確かである♪岡崎京子マンガの画像よりちなみに、山田詠美のマンガを添付するので、画力を見比べてはいかがかな?♪岡崎京子がヘルタースケルター映画化に事故後初コメント
2015.07.08
コメント(0)
図書館で『アール・デコの挿絵本』という本を手にしたが・・・版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。 ■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。 <読む前の大使寸評>版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。Amazonアール・デコの挿絵本挿絵本といえば版画との関係が深いが、そのあたりにふれたところを見てみましょう。<ポショワールと板目木版>よりp92~94 アール・デコの挿絵本を支えた二つの版画技術ポショワールと板目木版。一流のイラストレーターと卓越した技術をもつ職人との幸福な出会いが、後世まで語り継がれる見事な挿絵を生み出した。■ポショワール 現代のように写真製版によって、原画を複製する技術が未熟だった20世紀初め、一流のイラストレーターたちが多用したのがポショワール技法だった。版画職人ジャン・ソデによって完成されたこの技術によって、鮮やかな色彩表現となめらかで均一な彩色が可能となった。■板目木版 木材を縦割りにした板を使う板目木版は、木目を効果的に生かして、シンプルながら大胆な表現が可能な版画技法。1922年、ジョルジュ・バルビエが初めて板目木版による複製技法で制作した『チビリスの歌』は、浮世絵の研究によって独自の技術を開発した彫り師であり刷り師のF=L・シュミットの手によって、造本芸術史上に残る大傑作となった。この本でもジョルジュ・バルビエの挿絵を多数紹介しているけど・・・ええでぇ♪ネットでジョルジュ・バルビエの画像を探してみました。ジョルジュ・バルビエの画像よりネットで、この本の著者・鹿島茂氏によるトークイベントを見つけたのです。2015/6/17稀代のブックコレクター鹿島茂氏が本を「解体」してまで見せたかった! アール・デコ挿絵本の美より2015年5月20日(水) 代官山 蔦屋書店にて、『アール・デコの挿絵本: ブックデザインの誕生』(東京美術)の刊行を記念して、著者のフランス文学者でブックコレクターの鹿島茂氏によるトークイベントが開催された。『アール・デコの挿絵本: ブックデザインの誕生』は、鹿島氏が所有する古書コレクションを例に、20世紀初頭のアール・デコ期につくられた豪華な挿絵本の楽しみ方を案内する一冊だ。本トークイベントでは、鹿島氏が新刊のテーマでもあるアール・デコの挿絵本の特徴と誕生の経緯を、日本の出版文化と比較しながら紹介した。<貴重な『アール・デコの挿絵本』を徹底解体!?> アール・デコとは、1910年代から30年代にかけてフランスを中心に世界的に流行した、装飾美術のスタイルのこと。この時代は、数々の上質の挿絵本が生まれた頃でもある。鹿島氏はこれまで、練馬区立美術館で2011年から2013年まで3回、「鹿島茂コレクション」として、30年以上にわたって収集してきた挿絵本や版画の展覧会を行ってきたが、そのうち2012年と2013年はアール・デコに特化していた。今回の書籍の刊行は、過去の展覧会での「限界」が発端だったという。「ケースに入れて本を展示するので、表紙を見せるか中の本文を見せるかの、どちらか一つしかなかったのです。既にボロボロになった本を数冊だけ、泣く泣く解体して展示しました。でも本のコレクターとしては、できればそれはやりたくない。しかし、こんなに美しい挿絵本を、全ページ見せたい。なんとかならないかなと思って作ったのが、この本なのです」(鹿島氏)こうした経緯から本書は、ヴァーチャルな「徹底解体」を行った。つまり、挿絵本の複数ページを掲載することで、読者がさながら挿絵本を手にするような感覚で読めるように編集されている。表紙やジャケットから始まり、次に見返し、フォ・ティトル(仮扉)、フロンティスピス(口絵)、オール・テクスト(別丁の挿絵)、ヴィニェット(文字と組み込んだ小さな挿絵)、キュ・ド・ランプ(章末および巻末の空白部を埋める小さな挿絵)、巻末目次、限定部数を示したジュスティフィカシオン・デュ・ティラージュ(限定刷り詳細)と、アール・デコの挿絵本の構造を理解することができる。
2015.07.08
コメント(0)
今日は七夕であるが・・・・七夕といえば朝鮮のカササギ伝説が思い浮かぶのです。織女と牽牛を結ぶカササギの橋でんがな♪(・・・と、過去の記事を再掲します)韓国ではカラスが見えない代わりに、我が物顔で飛び回っているカササギ(カッチ)であるが・・・・個人的な思い出のある鳥なんです。キムさんと水原の民族村を訪れた際、カッチを見かけたのでベストショットを狙ったわけですが・・・・近眼の私よりキムさんのほうがましなので、カメラを渡して撮ってもらった写真です。カササギ(織女と牽牛のような思い出ですがな・・・泣)wikipediaカササギより朝鮮半島では、七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれている。朝鮮語ではカササギをKkachi(カチ)と呼ぶ。大韓民国では首都のソウル特別市をはじめとする多くの都市が市の鳥に指定している。また、ソウルの地下鉄にはカチ山駅という駅がある。現在日本に生息するカササギは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前国の佐賀藩主鍋島直茂、筑後国の柳川藩主立花宗茂など九州の大名らが朝鮮半島から日本に持ち帰り、繁殖したものだとされる。その一方で、冬に朝鮮半島から渡ってくるミヤマガラスの大群にカササギが混じっていることがあるという観察結果から、渡ってきたカササギが局地的に定着したという意見もある。当地の天気予報が良いほうにはずれて、今夜は天の川が見えそうです♪七夕伝説より織女(ベガ)と牽牛(アルタイル)七夕伝説のおこりは中国です。もともとは、中国の織女、牽牛の伝説と、裁縫の上達を願う乞巧奠(きこうでん)の行事とが混ざりあって伝わったものといわれています。織女と牽牛は夫婦なのですが、仕事をせずに遊んでばかりいたので、1年に1日のデート以外は仕事、仕事の毎日を強制されるという儒教的思想の色濃いお話。昔の農民が「仕事、仕事」の毎日を哀れむために作ったのが七夕伝説の最初なのではないかといわれていますが、中国の後漢のころ(1~3世紀)には作られていたようです。
2015.07.07
コメント(0)
図書館で『賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ』という本を手にしたが・・・17編のエッセイが、ええでぇ♪とにかく、経済的切り口で語るエッセイということでは、村上さんはピカイチなんだろうね。【賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ】村上龍著、ベストセラーズ 、2013年刊<「BOOK」データベース>より敗者であふれ、思考放棄の国の脱・幸福論。【目次】寂しい人ほど笑いたがる/フィデル・カストロと会ったころのこと/幸福かどうかなど、どうでもいい/「何でも見てやろう」と「別に、見たいものはない」/反体制派なのにエリート、かつお金持ち/一生これでOKというプライドと充実/情熱はなかったし、今もない/いくつになっても元気です、という嘘/いまだに続く心の中の戦後/フェラーリに火をつけろ〔ほか〕<読む前の大使寸評>17編のエッセイが、ええでぇ♪とにかく、経済的切り口で語るエッセイということでは、村上さんはピカイチなんだろうね。rakuten賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ村上さんが世代間の意識の違いを、雇用状況の違いを語っています。<反体制派なのにエリート、かつお金持ち>よりp54~62 ニコニコ動画で有名なドワンゴという会社を経営する川上さんから、「カンブリア宮殿」に出演してもらったときに、「昔は反体制だった村上さんが、どうしてこんな体制的というか、経営者視点の番組をやっているんですか」というような意味のことを聞かれた。成功している企業のほうが少ない時代だからです、とわたしは答えた。 たとえて言えば、権威に充ちた強大な父親(日本社会)に対し露な現実を突きつけた冷酷な抵抗の意を示していた息子(わたし)がいたのだが、あるときから父親は健康を害し、症状はしだいに重くなり、今や棺桶に片足を突っ込んでいるような状態となった、そんな感じの世の中になってしまった。 高度成長期のように日本全体が豊かになっていく時代では、それによって生じる歪みを露にするという姿勢は必要だし有効だが、このエッセイでも何度か指摘したとおり、歪みはすでに埋もれたり隠れたりしていなくて、露になるどころでなく、あふれかえっている。 たとえば、近代化の歪みの犠牲となり、犯罪によって社会への復讐をはかる人間は文学の主要なモチーフの一つだったが、いまやそういった人々は新聞の三面記事やワイドショーでほぼ毎日扱われるようになった。発作的に凶悪犯罪に走る孤独な人間は、小説の中ではなく、たとえば白昼の秋葉原などに現実に存在する。 「カンブリア宮殿」という経済番組をやっていると、他にもいろいろなことに気づく。中小企業どうしの統合・合併を仲介する「日本M&Aセンター」という会社がある。年間の売り上げは60億円とそれほど大きいわけではないが、経常利益が30億で、50%という驚異的な利益率を誇る。 中小企業どうしのM&Aを成功させるためには、相互の信頼の維持が不可欠で、法務・財務・営業などの資料を徹底的に精査する必要がある。だから、日本M&Aセンターでは、弁護士、会計士などのスペシャリストを社員として擁している。逆に言えば、原材料費や設備投資などは不要で、だから支出のほとんでおは人件費だ。利益率が高いのもうなずけるし、30代で年収数千万の社員もめずらしくないらしい。 すごい会社だと感心したが、わたしが驚いたのは、その会社の社長以下、複数の幹部社員がわたしの作品の熱心な読者だったことで。彼らは金融や会計や法律のプロフェッショナルで、高収入を誇る正真正銘のエリートである。勝ち組とか負け組みとか、そんなレベルではなく、おそらくどんな会社にでも転職できる「専門家集団」なのだ。 どうしてこんな人たちがわたしの小説の熱心な読者なのだろうと、不思議な気分になった。わたしは、もともと「ロックとドラッグとファック」を描いた処女作でデビューし、一貫して「反社会的な」作品を書いてきた。『13歳のハローワーク』という子どものための職業紹介絵本なども作ったが、そのメインテーマは「世の中には自分に向いた仕事をする人と、向いていない仕事をする人がいるだけだ」というもので、自分に向いていない仕事を我慢して続けている人たちから大いにひんしゅくを買った。子どものための絵本だったが、毒を含んでいたのだ。 なぜエリートたちが、と不思議に思ったが、熱心な読者は、その人たちだけではなかった。他の、かなりのパワーを持つ経営者、プロフェッショナルたちにもファンがいて、何度も驚いたことがあった。 年齢というか、世代のせいもあるかも知れない。日本M&Aセンターの社長とわたしはほとんど同年配で、60歳前後だが、考えてみると、ビートルズやローリング・ストーンズをリアルタイムで聞いていた世代だ。高度成長期に少年時代を過ごし、国内では全共闘、世界ではヒッピームーブメントやパリの5月革命に代表される反乱の嵐が吹き荒れたころ、高校生だった。30代でバブルを経験し、その後の長い経済と政治の停滞時には、すでにかなりの社会的ポジションを得ていた。 反抗もしたし、権威を疑うという精神は今も失っていない。世界を旅し、おいしいものを食べ、うまい酒を飲んで、刺激的な音楽を聞き、ハリウッドの黄金期、アメリカンニューシネマ、フランスのヌーベルバーグなど数々のすばらしい映画を封切り時に見ることができた。ただ、決して「自分たちは恵まれた世代だ」などと思ったことはない。当たり前だと思ってきた。 もちろんいやなことや、挫折や、絶望感も味わったが、それなりに楽しんできた。だから今の社会的閉塞感がより鮮明に実感できる。 今と何が違うのだろうか。今の若者は、海外旅行や自動車や社会的成功などにあまり興味がないのだという話をよく聞く。そして、今の若者は、わたしたちの若いころに比べてより洗練されていると思う。世代として、マスとして、人をとらえることには注意しなければならないが、最大の違いは、経済の成長と停滞だと思う。(中略) だが、現代が過去に間違いなく劣っていることがある。一般的な労働者の給料が上がらないことだ。さらに雇用も安定しない。給料が上がらないと、将来的な生活設計ができない。恋愛して結婚相手を探すにも、結婚して子どもを作り家庭を築くにも、ベースとなるのは給料で、それが低く固定されると、希望が失われる。だから、若者の中に、社会貢献やボランティア活動にモチベーションを見出す人が増える。 それはそれでいいことだと思う。海外旅行や、高いワインや、高級車に対して魅力を感じないのも、別に悪いことではない。洗練は、根源的な人間のエネルギーを奪うが、欲望を肯定しながら生きていくことが必ずしも必須だとも思わない。 繰り返すが、貧しくてもそれなりの生活ができるのは、いいことである。だが、わたしは今の時代に若者として生まれなくてよかったと思う。とても生きづらい印象があるからだ。我々、団塊の世代は恵まれた世代だったこと、逆に言えば、今の若者が辛い立場にあることががわかりますね。
2015.07.06
コメント(0)
日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・ハトはなぜ首を振って歩くのか ・マグリット事典今回は本よりも、評者に着目して選んでいます。***************************************************************ハトはなぜ首を振って歩くのかより<鳥とヒト、それぞれの二足歩行:三浦しをん(作家) > 駅前や公園で、「ぐるっぽぐるっぽ」とぼやきながらたむろしている。首のあたりがぎらついている。そして、その首を振って歩く。私はやつらがやや苦手だ。やつら そう、ハト。 苦手な理由はまさに、右に挙げた特徴のせいだ。襲撃されそうで、なんかこわい。しかし本書を読み、私の恐怖心は、かれら(ハト)に対する無知から来るものだったのだと、深く反省した。ハトが首を振って歩くのは、我々人類を威嚇するため、ではなかったのである! じゃあなぜ、首振りをするのか。詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいが、おおまかに言うと、(1)目(2)歩きかた(3)食べ物が関係しているようだ。著者は、鳥類と人類の骨格を比較し、ハトをはじめとするさまざまな鳥を観察して、門外漢にもわかりやすいよう丁寧に研究成果を説明してくれる。文章にユーモアがあふれ、「変」としか言いようのない写真のキャプションもちらほらあるので、油断できない。思わず噴きだすこと多数で、楽しい読書の時間を味わえた。 驚くべきことに、ハトの首振り研究は1930年までさかのぼれるそうだ。人類(の一部)は八十年以上も、ハトの首振りに魅了されつづけてきたのだ。「ほかにもっと研究すべきことがあるんじゃないか」と最初は思ったのだが(失敬)、読み進むうちに、「歩く」ってなんだろう、と考えさせられた。「つねに二足歩行をする動物は鳥とヒトだけ」とのことで、言われてみればそのとおりだ! しかし鳥の場合、ハトとスズメでは歩きかたが全然ちがう。ふだんなにげなく行っている「歩く」という行為は、まだまだ謎に満ちた、非常に奥深いものなのだ。 本書を読んで以降、私はハトに親しみを感じるようになった。それぞれのスタイルに合った歩きかたで、仲良く駅前広場を横切ろうぜ。 ◇藤田祐樹著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より気がつけばハトはいつでもどこでも、首を振って歩いている。あの動きは何なのか。なぜ、1歩に1回なのか。なぜ、ハトは振るのにカモは振らないのか…?冗談のようで奥が深い首振りの謎に徹底的に迫る、世界初の首振り本。おなじみの鳥たちのほか、同じ二足歩行の恐竜やヒトまで登場。生きものたちの動きの妙を、心ゆくまで味わう。【目次】1 動くことは生きること(動くとは、どういうことか/死なないために動く ほか)/2 ヒトが歩く、鳥が歩く(鳥とヒトの二足歩行/歩くことと走ること ほか)/3 ハトはなぜ首を振るのか?(首振りに心奪われた人々/頭を静止させる鳥たち ほか)/4 カモはなぜ首を振らないのか?(体のつくりがちがう?/まわりが見えてないカモ? ほか)/5 首を振らずにどこを振る(ホッピング時に首は振るの?/首を振らないチドリの採食 ほか)<読む前の大使寸評>三浦しをんの選ぶ本は、だいたい外れがないので・・・・この本が気になるのです。<図書館予約:未>rakutenハトはなぜ首を振って歩くのかマグリット事典より<絵による批評:横尾忠則(美術家) > 野崎武夫訳、創元社・3780円/本書の原書は、ルネ・マグリット(1898~1967)の欧州での展覧会開催(2011~12)に伴い、編集された。この欄は絵による批評です。(横尾忠則さんの絵による批評なんだそうです。さすがに現代アーチストである) ◇クリストフ・グリューネンベルク, ダレン・ファイ著、創元社、2015年刊<「BOOK」データベース>より「Absence(不在)」から「Zwanzeur(無意味なことをする人)」まで148語のキーワードを総数約250点の図版・写真とともに一挙掲載!シュルレアリスムの大家、ルネ・マグリットの作品と彼の世界観を明らかにする百科事典の初邦訳。世界各国の美術館に所蔵されている作品や資料をもとに、国際的なマグリット研究家たちがキーワードを丁寧に解説。レファレンスとしてきわめて有用な一冊であり、マグリットを中心に当時の文化状況を理解するうえで必携の書。<読む前の大使寸評>本の内容は「BOOK」データベースのとおりであるが、横尾忠則さんの絵による批評が面白いので・・・・この本が気になるのです。<図書館予約:未>rakutenマグリット事典**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から71
2015.07.05
コメント(0)
今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「ビジュアル本」でしょうか♪<大学図書館>・アール・デコの挿絵本(2015年)・メガ!(2015年)・クール・ジャパン!?(2015年)<市立図書館>・賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ(2013年)・岡崎京子の仕事集(2012年)・魂の流れゆく果て(2001年)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。 ■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。 <読む前の大使寸評>グラフィック技術が発展した現代でも、アール・デコの挿絵本が史上最高水準だそうです。とにかく、きれいな本である。Amazonアール・デコの挿絵本アール・デコの挿絵本byドングリ【メガ!】成毛真著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より巨大なのにディテールが緻密。メガな現場を探検!【目次】1 ザ・巨大!(首都高・大橋ジャンクションの地下網ー地下を約8.4キロ掘っても誤差は約数ミリの精密さ/東海道新幹線の運行システムー15秒刻みの緻密なダイヤを集中的に制御する秘密の場所/三菱重工業長崎造船所ー日本にエネルギーを運ぶ新型のLNG船が続々進水)/2 次世代エネルギー(東京ガスの世界最大タンクー横浜と川崎の地下に潜む世界最大容量のガスタンク/国家石油備蓄基地ー備えあれば憂いなしを体現する巨大タンク群/大企業集結プロジェクトー世界初!海に浮かぶ風力発電所 回転速度は新幹線並み/浜松ホトニクスの挑戦ー夢の「核融合発電」実現のカギを握る超強力レーザー)/3 職人技ー技術は細部に宿る(オハラのすごいガラスー宇宙の果てを見通す精密な巨大ガラス/本が届くことの驚異ー一日最大200万冊を扱う日販の大流通システム/「グローバルニッチ」の未来形ーメガなのにディテールにこだわる日本/この本の紙をつくる人たちーどんな紙でも精緻につくる 日本製紙と特殊東海製紙)/4 宇宙・地球の起源を探る(130億光年先を見る望遠鏡ー超伝導素子を手づくりする国立天文台/ミッションは「ちきゅう」-海洋研究開発機構 地球深部探査船の内部/宇宙の謎を探る、世界のCERN、日本のKEK-1兆円、完成まで12年の加速器で粒子をキャッチ)<読む前の大使寸評>成毛さんがメガな現場をレポートしているが、カラー写真満載のビジュアル版になっているのが嬉しい♪とにかく、大使のテクノナショリズムに叶う本である。rakutenメガ!メガ!byドングリ【クール・ジャパン!?】鴻上尚史著、講談社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりNHK BSの人気番組『COOL JAPAN』の司会者として、世界を旅する演劇人として、外国人から聞いて議論したニッポンの姿。【目次】プロローグー「クール・ジャパン」とはなにか?/第1章 外国人が見つけた日本のクール・ベスト20/第2章 日本人とは?/第3章 日本は世間でできている/第4章 日本の「おもてなし」はやはりクール!/第5章 日本食はすごい/第6章 世界に誇れるメイド・イン・ジャパン/第7章 ポップカルチャーはクールか?/第8章 男と女、そして親と子/第9章 東洋と西洋/エピローグーこれからの「クール・ジャパン」<読む前の大使寸評>NHK番組『COOL JAPAN』が面白いけど、司会者の鴻上尚史が語るこの本も番組にも増して面白そうである。2009年の100回記念番組で世界各国100人にアンケートを取った結果、クールだと思ったベスト20は次だったそうです。1.洗浄器付き便座 2.お花見 3.100円ショップ 4.花火 5.食品サンプル 6.おにぎり 7.カプセルホテル 8.盆踊り 9.紅葉狩り 10.新幹線 11.居酒屋 12.富士登山 13.大阪人の気質 14.スーパー銭湯 15.自動販売機 16.立体駐車場 17.ICカード乗車券 18.ニッカボッカ 19.神前挙式 20.マンガ喫茶…ウーム、なるほどこれがクールなのか。目からウロコが落ちるようです。rakutenクール・ジャパン!?クール・ジャパン!?byドングリ【賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ】村上龍著、ベストセラーズ 、2013年刊<「BOOK」データベース>より敗者であふれ、思考放棄の国の脱・幸福論。【目次】寂しい人ほど笑いたがる/フィデル・カストロと会ったころのこと/幸福かどうかなど、どうでもいい/「何でも見てやろう」と「別に、見たいものはない」/反体制派なのにエリート、かつお金持ち/一生これでOKというプライドと充実/情熱はなかったし、今もない/いくつになっても元気です、という嘘/いまだに続く心の中の戦後/フェラーリに火をつけろ〔ほか〕<読む前の大使寸評>追って記入rakuten賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ賢者は幸福ではなく信頼を選ぶbyドングリ【岡崎京子の仕事集】岡崎京子, 増渕俊之、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>よりマンガ史に残る衝撃作『ヘルタースケルター』の原作者・岡崎京子の仕事の全貌が、この一冊に。全作品集の解説と初公開の習作イラスト、エッセイ、対談など、さまざまな魅力を凝縮したバラエティブック。<大使寸評>事故さえなければ、山田詠美クラスの能力を発揮できたと思うのだが・・・・惜しまれるのである。マンガの画力を比べたら、山田詠美を凌いでいることだけは確かである♪rakuten岡崎京子の仕事集岡崎京子の仕事集byドングリ【魂の流れゆく果て】梁石日、光文社、2001年刊<「BOOK」データベース>より莫大な借金を抱えて大阪を出奔。放浪の末に東京でタクシードライバーに…。人生の辛酸をなめつくした末たどり着いた運命の法則は?待望のフォト&エッセイ。<読む前の大使寸評>在日、猪飼野、大阪造兵廠、アパッチ族・・・大使は、この歴史から目が離せないわけです。rakuten魂の流れゆく果て魂の流れゆく果てbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き104
2015.07.04
コメント(0)
<メガ!>大学図書館で『メガ!』という本を手にしたが・・・おお 市立図書館に借出し予約している本ではないか♪予約をキャンセルすることにして、この本を借りたのです。なお、この本は新刊コーナーに置いてあったけど、まだ誰も借りた形跡がないのです。昨今の大学生は読書離れをしているのか?・・・と思わないでもないが、大学図書館が案外、穴場なのかもね。【メガ!】成毛真著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より巨大なのにディテールが緻密。メガな現場を探検!【目次】1 ザ・巨大!(首都高・大橋ジャンクションの地下網ー地下を約8.4キロ掘っても誤差は約数ミリの精密さ/東海道新幹線の運行システムー15秒刻みの緻密なダイヤを集中的に制御する秘密の場所/三菱重工業長崎造船所ー日本にエネルギーを運ぶ新型のLNG船が続々進水)/2 次世代エネルギー(東京ガスの世界最大タンクー横浜と川崎の地下に潜む世界最大容量のガスタンク/国家石油備蓄基地ー備えあれば憂いなしを体現する巨大タンク群/大企業集結プロジェクトー世界初!海に浮かぶ風力発電所 回転速度は新幹線並み/浜松ホトニクスの挑戦ー夢の「核融合発電」実現のカギを握る超強力レーザー)/3 職人技ー技術は細部に宿る(オハラのすごいガラスー宇宙の果てを見通す精密な巨大ガラス/本が届くことの驚異ー一日最大200万冊を扱う日販の大流通システム/「グローバルニッチ」の未来形ーメガなのにディテールにこだわる日本/この本の紙をつくる人たちーどんな紙でも精緻につくる 日本製紙と特殊東海製紙)/4 宇宙・地球の起源を探る(130億光年先を見る望遠鏡ー超伝導素子を手づくりする国立天文台/ミッションは「ちきゅう」-海洋研究開発機構 地球深部探査船の内部/宇宙の謎を探る、世界のCERN、日本のKEK-1兆円、完成まで12年の加速器で粒子をキャッチ)<読む前の大使寸評>成毛さんがメガな現場をレポートしているが、カラー写真満載のビジュアル版になっているのが嬉しい♪とにかく、大使のテクノナショリズムに叶う本である。rakutenメガ!成毛さんが巨大プロジェクトの意義を語っているが、これぞテクノナショリズムという感じでおま♪<桁違いを見ることの意義>よりp112~113 まずは、どんな現場に赴いても、遠くから見てそれと判るものは、近づくとますます大きく感じられるという当たり前のことに唸らされた。 海上にそびえる風力発電用の風車を見たときもそうだった。港からは水平線に隠れまったく見えない風車が、船で沖に出て30分ほど進むと姿を現してくる。それはみるみるうちに大きくなり、豆粒ほどだった風車が、100メートル以上の高さであることがわかったときには唖然としたものだ。 山手線の車輌2輌分の長さを持つブレードが、2000トンを超える浮体の上で回転しているのだ。SF映画でしか見ることができない光景が目の前にあったのだ。 一方で、そういった巨大なものは実に精緻で精密でもあった。ただ単に大きいだけではないのである。(中略) 広大な砂漠地帯に、一軒家ほどもある巨大なパラボラアンテナを66台も並べて、宇宙から降り注ぐ微弱な電波を検出するという電波望遠鏡のプロジェクトでは、2ミリという小ささの超伝導素子の製作を、材料の開発から始めていた。これは、チリの高原の砂漠で進められている国際的な共同プロジェクトなのだが、一番難しい一番小さな超伝導素子づくりは日本が担当していた。 まだまだ日本は、この手の科学技術では世界をリードしつづけているのだ。 わざわざ「この手の」と断りを入れたのには理由がある。それは、建築・土木であったり、機械・電気や化学であったりと、華々しい株式市場という錬金術に彩られた、インターネットやスマートフォンとは別の科学技術だと言いたいのだ。 手や体を動かして取り組まなくてはならない種類の科学技術は、どこか前時代的で泥臭く見える。しかし本当はこの手の科学技術こそが、人類の生活の基盤を支えているのは間違いない。(中略) 日本は基礎科学と、土木建築や素材などの分野で、中韓どころか欧米を凌駕する体力を持っているのだ。「アルマ望遠鏡」サイトを見てみましょう。アルマ望遠鏡 2013年、天文学史上最大の国際プロジェクトである「アルマ望遠鏡」の本格運用が始まる。南米チリのアタカマ砂漠にある標高5000メートルの高原がその舞台だ。構想から約30年。建設におよそ7年をかけた壮大なプロジェクトでは、日米欧が共同で宇宙誕生の謎解きを目指す。しかもこの望遠鏡、日本の最先端のモノづくり技術を結集させた世界最高性能の鋭い“眼力”を持つのだ。【直径18kmに相当】チリに建設が進むアルマ望遠鏡は「アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計」の略称だ。アルマとはチリの公用語であるスペイン語で“魂”の意味を持つ。世界20カ国・地域が魂を込めて開発した望遠鏡で、未知の宇宙を仰ぐ。まさに人類全体の挑戦となる。光ではなく、電波の一種である「ミリ波」を使って観測する電波望遠鏡で、解像度は米ハワイ州にあるすばる望遠鏡の約10倍を誇る。これは「大阪にある1円玉を東京から見分けられる解像度」(国立天文台)に相当し、人間の視力に換算すると6000にもなるという。光では見えない宇宙空間のちりやガスを観測し、惑星の起源や生命誕生の鍵を見つけ出そうとしている。アルマ望遠鏡のパラボラアンテナ(三菱電機提供)電波をとらえるパラボラアンテナは大型化するほど解像度が増す。アルマ望遠鏡は66台のアンテナを組み合わせる干渉計方式で作り、1台の仮想的な巨大望遠鏡を実現する。これで直径18.5キロメートルの大型アンテナに相当する解像度を得ようというわけだ。
2015.07.03
コメント(0)
図書館で『魂の流れゆく果て』という本を手にしたが・・・猪飼野あたりの写真も多く、大使の土地勘もはたらいて興味深いのです。在日、猪飼野、大阪造兵廠、アパッチ族・・・大使は、この歴史から目が離せないわけです。【魂の流れゆく果て】梁石日、光文社、2001年刊<「BOOK」データベース>より莫大な借金を抱えて大阪を出奔。放浪の末に東京でタクシードライバーに…。人生の辛酸をなめつくした末たどり着いた運命の法則は?待望のフォト&エッセイ。<読む前の大使寸評>在日、猪飼野、大阪造兵廠、アパッチ族・・・大使は、この歴史から目が離せないわけです。rakuten魂の流れゆく果て梁石日の作品では『血と骨』が圧巻であるが、その深層が語られています。<父を描く>よりp121~130 私は3年前に『血と骨』(幻冬舎刊)という小説を出版した。この小説は以前、講談社から出版した『修羅を生きる―恨を乗り越えて』という半自伝的な本の中で多少ふれている父と家族との関係をとおして一人の業深き人間の生きざまを徹底的に描いたものである。 むろん小説だから事実とフィクションがないまぜになっているが、根幹のところは事実にそくしている。小説を書くようになってから、私は二度、父についての小説を書こうと試みたが、二度とも失敗して途中で投げ出してしまった。 どうしてもその時点の筆力では父を描ききることはでっきなかったのである。いまひとつは父を憎んでいた私の深層心理から解き放たれないまま書こうとしたことが逆に私を自縛してペンを進めることができなかったのだ。 さらに想像力の問題がある。父を位置づける時代背景と在日朝鮮人の生きられる身体とをどのように普遍的な次元にまで昇華させられるのか、といった文学の本質について私は十分に対応できなかった。いわば私は父に対する憎しみに鼓舞されて書こうとしたのだった。 だが、憎しみはエネルギーになりえても、結局のところ新しい地平へ踏み出すおのれの再生につながらなかったのだ。私自身の再生なくして父を描くことはできなかったのである。 そのために私は長い試験の時を費やさねばならなかった。そこへ行き着くために、私は自らの人生をいま一度模索し、文学の闇の奥底まで行き、ふたたび光を求めて浮上してくる道程を避けて通ることはできなかったのだ。描けると思っていた父は途方もなく巨大な存在であった。それは父という人間の存在が巨大であったという意味ではなく、私がかかえ込んでしまったもろもろの実存が、父に投影されている人間の底しれぬ業の深さが私には見えなかったのである。 父の存在の背後にあるもの、父の向こう側から、いわば死の世界からこちら側を見つめている死者の眼に、私はたじろいだのだ。 そこには母がおり、姉と妹と弟がおり、腹ちがいの兄妹と従兄弟、そして無数の在日同胞と日本人と、戦争、解放、南北の分断、さらには私の妻と子供とそれらをとりまく日本的状況の中で、憎んでいた父が私の闇に厳然と立ちはだかっていた。 死者ほど死んでいるものはない。だが、死者ほど実存を生きつづけるものもないのである。小説を書くことは一方で死者を語らしめることにほかならない。 『血と骨』を書きながら、私は過去へ過去へさかあのぼっていった。私の記憶は激しい逆流にあえぎながら、たどり着いた1930年代という年代から現在に舟を漕ぎだした。(中略) 母が亡くなったとき、仕事をしていたこともあって私は死水を取れなかった。近くに住んでいた姉が偶然訪れ、母の死水を取ったのである。知らせを聞いて帰ってみると、息を引き取った母の口に姉がスプーンで水をあげていた。痩せ衰えて皺だらけだった母の顔が少しむくんだようになっていて皺がなくなり、つやつやしていた。私は泣いた。一人机にうつ伏せて泣き続けた。こみあげてくる感情は悲しみより、悔恨、悔恨、また悔恨であった。私を溺愛し、私のためだけに生きてきたといっても過言ではない母に何一つできなかった悔恨であった。 そして母が亡くなって1年後に姉が首を吊って自殺した。28歳だった。このときも私は短い生涯の中で一日として幸せな日を送ることのできなかった幸薄い姉のために泣いた。自分の無力を思いしらされt。しかし、死は一つの通過儀礼でしかなかった。過ぎ去ってしまえば私は元の私にもどっていた。らん惰で、いい加減で、エゴイストの私である。 その私がなぜ『血と骨』を書いたのか。『血と骨』を読んだ友人の女流陶芸家はつぎのような手紙をくれた。 「梁さんは、この本を書くために文学してきたんや、と思います。(中略)父上が貴兄に文学を与えてくれたのだと思います」かつてのアパッチ族だった梁さんが、アパッチ族の発生と消滅の経緯を語っています。<大阪城公園:大阪曼荼羅02> 写真は京橋駅と森ノ宮駅の間にある大阪城公園である。手前には日航ホテルをはじめ各企業のビルが聳えている。だが、大阪城公園やビルが林立している一帯は、かつてのアジア最大の兵器製造工場跡地なのである。 日本が連合軍に無条件降伏したのは1945年8月15日だが、その前日に、この造兵廠は1千機のB29とグラマン戦闘機の猛爆を受けて壊滅したのだった。 その後、第二寝屋川(旧猫間川)周辺に在日朝鮮人がバラック小屋を建てて住みつき、1958年2月頃から造兵廠跡に入り込んで瓦解した鉄塊を盗んで生活の糧にしていた。そしていつしか鉄塊を盗む在日朝鮮人は「アパッチ族」と呼ばれるようになった。私もじつは、このアパッチ族の一人として徒党を組み、夜な夜な造兵廠跡に忍び込んで鉄塊を盗んでいた。 しかし、この造兵廠跡の鉄塊は国有財産であり、したがって警察の厳しい監視の中で鉄塊の盗掘は続けられ、ついにアパッチ族と警官隊の大規模な衝突が起こったのである。夜空に照明弾が打ち上げられ、逃げまどうアパッチ族と警官隊との凄まじい戦いが連日連夜つづき、その年の10月にアパッチ族は壊滅した。 あれから40数年が経ち、瓦壊したかつての兵器工場跡は埋めたてられ整備されて美しい公園になったが、いままた新たな現象が起きている。いわゆるホームレスたちが公園内に数百のテントを設営して暮らしているのだ。それらのテントを撤去しようとするとき、第二のアパッチ族と警官隊の衝突は避けられないだろう。『血と骨』という2004年の映画を3年前にDVDで見ていたので、再掲します。【血と骨】崔洋一監督、 2004年制作、H24.4.24観賞<大使寸評>タケシならではの凶暴な父親役が圧巻であり、これほど欲望のおもむくままの人生もあったのかという感じですね。怒りにまかせて家を壊すような、破壊力がすごーい♪また、チョイ役ではあったが、若き日の(今でも若いが)オダギリジョーが息子役を好演しています。goo映画血と骨CinemaTopics血と骨
2015.07.03
コメント(0)
<個人的経済学20> H27.7.01~お役所、官僚にグチばっかり こぼしていても埒があかないので・・・・建設的?な思索をすすめようと思いなおした。ということで経済に的をしぼって考えたい。昨今では、アジア投資銀(AIIB)が発足したので、中国経済のフォローがメインとなっております。・中国経済の困惑ぶり**********************************************************************<個人的経済学19>目次・アジア投資銀(AIIB)のお手並み拝見・アジア投資銀ショックを検証・トマ・ピケティの『21世紀の資本』・中国が仕掛ける対米「著作権」戦争**********************************************************************<個人的経済学18>目次・ピケティ著「21世紀の資本」の中国での読まれ方・世界が注目する「12.14アベノミクス審判」・『資本主義以後の世界』その2**********************************************************************<個人的経済学17>目次・中国は不動産バブルを克服できるか?・日韓Win-Win企業ともいえるTAK・本命は「燃料電池車」か「EV」か・ユニクロはブラック企業なのか、成功モデルなのか?・『資本主義以後の世界』その1**********************************************************************<個人的経済学16>目次・『21世紀の資本論』が経済論争を目覚めさせる・安部さんのブラック企業優遇策・カルテル摘発か護送船団か・デトロイトの惨状・エズラ・ボーゲルが断じる現代中国・大丈夫?コマツ・ノーベル経済学賞のいかがわしさ・新型金融業なんか社会の敵だ(工事中)**********************************************************************<個人的経済学15>目次・アベノミクスの本質・日本のシンガポール化・中国バブル崩壊序章・中国経済はいつ崩壊するのか?**********************************************************************<個人的経済学14>目次・強欲資本主義を勉強中・やはりヘッジファンドが悪いのか・「機械との競争」に人は完敗している(工事中)・アベノミクスって期待できるのか?・国民国家とグローバル資本主義について・米国発の経済学**********************************************************************<個人的経済学13>目次・空洞化/海外進出情報・えっ、これがあのダイソー?・李明博大統領の認識は正しいか(工事中)・韓国制裁には明確な目的がいる・コンピュータ投機の愚・中国最大の弱点、それは水だ!**********************************************************************<個人的経済学12>目次・「改造EV」の産業化・コモディティ化圧力に曝されているわけで・・アメリカ人の財布は日本と云うカラクリ・「お金の正体」シりーズ**********************************************************************<個人的経済学11>目次・国債と格付けのいびつな関係・国債暴落というオオカミが見える・「グラススティーガル法」ってなんや?・中国が世界一の経済大国になる日・里山資本主義の夜明け・国際連帯税をはばむものとは?**********************************************************************<個人的経済学10>目次・自由貿易についての2冊・農業経営者は米先物市場を希望?・すべては輸出企業のため(工事中)・格付け会社は競馬新聞みたいなもの(その2)・IMFとヘッジファンド(工事中)・「新自由主義」は終った・ウォール街デモの行方・円高と空洞化**********************************************************************<個人的経済学9>目次・米国金融資本主義の終焉は本当である!・ウォール街デモの広がり・『帝国以後』で鬱憤が晴れる・寺銭を払わずギャンブルを取り仕切る・ウォール街デモは遅すぎたくらいだ・ウォール街の天敵(トービン税導入)を目指すEU**********************************************************************<個人的経済学8>目次・超円高の仕組み・金融危機の狼煙・FXおばちゃんは活況を呈している・要注意の中国系ファンド・1ドル50円時代恐るるに足りず・水ビジネスへのハゲタカ投資・格付け会社はさしづめ競馬新聞・みんなで貧しく暮らす・中華の札束攻勢**********************************************************************<個人的経済学7>目次・環境問題のたらい回し(工事中)・中国製コピー商品に対抗する1・レアアースとシェールガス・クルーグマンの出まかせ・サド・マネタリズム**********************************************************************<個人的経済学6>目次・自由貿易の神話・中谷巌さんの「懺悔の書」1~3・余剰マネーや過剰流動性・朝鮮からのコメ供出**********************************************************************<個人的経済学5>目次・アングロサクソン・モデルの本質を知りたい(その2)・海賊事件で儲けているのは誰か・アングロサクソン・モデルの本質を知りたい・レアアースの囲い込みに対して、どう対応すればいいの?・大恐慌以来の金融規制・ヘッジファンド、金融工学の間違いが歴然としたいま・泥棒に追い銭とならないように・「マネー資本主義」シリーズ第2回・格付け洗脳・汚れたノーベル経済学賞・田原と猪瀬のグリーン・ネオリベラリズム・馬鹿の心理に着目する行動経済学・派遣切りは人災/竹中さんの詭弁・コーポレートガバナンス・・・なんじゃ?それ。・ウォール街の悪しき輸出品・村上龍の予感・反省だけなら猿でもできる**********************************************************************<個人的経済学4>目次・物言う株主だって?・投機におびえる世界・やっかいなフリードマン・投機が生む食料難・馬の鼻面にニンジンをぶら下げるようなもの・ゴリゴリの攘夷派・デイトレーダーはバカで浮気で無責任**********************************************************************<個人的経済学3>目次・工本主義とは何じゃ?・オイルマネーについて・もうひとつの日本は可能だ・モルガンスタンレーに中国ファンドが出資とは!・レアメタル・ショック・石油を担保にした石油投機・コモディティファンド・石油高騰は投機のせい・暴力団がインサイダー取引・くたばれ!金融工学・経済グローバル化を超える地元力・日本産米の中国輸出開始・リヒテンシュタイン氏の暴言・高速ツアーバス・円キャリートレードとは・新聞を読んでいても、経済の闇は見えない・緑資源機構の官製談合・三角合併が5月解禁・FTA先進国?の韓国・資源にからむドロボウと警察のいたちごっこ・ハゲタカ・あややと経済学の深い?関係・ゼロ金利が日本に国家的損失及ぼす・温暖化対策とWTO体制<中国経済の困惑ぶり>ギリシャ問題で世界中の株価が下がっているが…伊藤洋一さんがブログで中国経済の困惑ぶりを語っています。2015/6/29そして、中国の憂鬱より 中国株の下げがちょっと深刻なのは、今までは効いていた「政府の措置」を市場が無視していること。「政府の措置」というのは、今回の場合は利下げ。この週末に、0.25%の政策金利の下げと預金準備率の引き下げを同時に発表。 この結果、一年物貸出金利は4.85%となった。昨年の11月以来実に4回目の利下げであり、史上最低。中国当局の慌てぶりが分かる。また中国金融当局は、今回預金準備率の50ベーシスポイントの引き下げも実施した。 この二つの金融措置は、中国政府の株下落に対する困惑ぶりをよく示している。中国の富裕層を踊らせてきた株価がこのまま急落すれば、ただでさえ弱い中国の消費に打撃となり、各種資本も逃げて、中国経済の成長率が落ちる。目標の7%達成は無理になる。 「成長すること」「豊かになること」が「統治の正統性」となっている今の共産党にとて、国民から「なんとかせい」と言われかねない問題を抱えたと言える。しかし一方でジレンマもある。 なぜなら、今回の利下げは「構造改革重視」「マーケットの動きには左右されない」としてきた当局の政策運営姿勢を問うものとなるからだ。あまりにも「株価の下げをきっかけで行った利下げ」ということが鮮明だからだ。 「金融政策とそれに対する信頼が、企業の業績と同様に中国の株式マーケットにとっては重要」、とされる。しかし、株価の上昇を放置した後にその急落に慌てふためく中国当局の姿勢は、中国政府の意向・政策がかつての神通力を失いつつある事を示しているようにも思う。 中国は今まで、意図通りに中国経済を動かしてきた。それが終わったかも知れない。それにしても、AIIBはその母国での株価急落の中での設立署名式ですか。縁起は良くない。経済財政諮問会議すり替えられた規制緩和 内橋克人こうして日本は格差社会になった世界で最も有名な経済学者が問う「アメリカの横暴」と「ニッポンの覚悟」やがて中国は労働者輸入国になる戦後・日米経済史年表
2015.07.02
コメント(0)
図書館で『藤田嗣治手しごとの家』という本を手にしたが・・・・インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。それから・・・新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪【藤田嗣治手しごとの家】林洋子著、集英社、20094年刊<「BOOK」データベース>より日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾティックな品々…。本書では絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど、貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。<読む前の大使寸評>インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。それから・・・新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪rakuten藤田嗣治手しごとの家藤田が最晩年を過ごした家を見てみましょう。<私たちの家>よりp17~22 2000年9月、パリ南郊に位置するエソンヌ県は、県内の小村ヴィリエ=ル=バクルに残る藤田最晩年の家を「メゾン=アトリエ・フジタ」として一般公開しました。そこは、藤田が1961年秋から68年1月の死の直前まで君代夫人とともに暮らした、小規模ながら画家の記憶あふれる場所です。現在でも鉄道の便が悪く、パリ市内から車で一時間程度を要します。 このヴェルサイユにほど近いパリ南郊は、1950年代にはパリの芸術家や文化人たちが週末を過ごす「田舎の家」を好んで持った地域で、彼も知人に招かれて近隣を訪れ、緑豊かな田園風景に魅せられたのがアトリエをかまえたきっかけといいます。しかし、藤田夫婦のように定住した例はめずらしく、パリの喧噪を離れ、70歳半ば過ぎてからの「隠棲」の場として選んだと思われます。 瀟洒で慎ましいこの家は、藤田後半生の代表作《礼拝》にも描きこまれています。洗礼を終えた夫妻がマリアに帰依する姿の背景に広がるのは、画面左手、藤田の後方に見えるヴィリエ=ル=バクルの家とそこからシェヴルーズの谷へとつづく丘陵地帯です。(中略) 移り住んですぐに75歳の誕生日を迎えた彼は、その後の6年余りを過ごすことになります。1955年にフランス国籍を取得して日本国籍を抹消した藤田が、59年に洗礼を受けたのち、「フランス人、キリスト教徒」として住まった家です。確かに、ここでは1966年に完成するフランス北部の都市ランスの礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペのフレスコ画の構想が練られるなど、キリスト教を主題とした絵画が数多く描かれました。この本を作った著者の思いが述べられています。<おわりに:林洋子>よりp193~195 集英社から藤田で新書をというお誘いをいただき、新書のヴィジュアル版という媒体に美術書としての新たな魅力と可能性を感じました。画集や展覧会カタログと比べて、サイズが小さくとも手に持って間近に見ることができる点で、いたく近眼だった画家が手元で愛でていた「もの」をたどるには理想的な版型だろうと。そして、前の本で画家の公的な側面を浮かびあがらせた自分が、これでその「合わせ鏡」となるべき、彼の私的な領域に踏みこむことができると確信しました。 当初、著作権交渉の難航を覚悟しましたが、関係者の尽力もあって君代夫人のご理解を得て、2009年2月に出版が決まりました。直後に夫人が人事不省に陥り、4月2日に亡くなられました。98歳でした。たいへんご壮健で、誰もが100歳までお元気だろうと思っていたところの急逝でしたが、亡き夫の没後40年関連の行事を見届けた彼女を、藤田がそばに呼んだのでしょう。満開の桜が舞い散るなかでの葬儀でした。 こうして、君代夫人が抱える藤田の遺品について書こうと準備していた間に、その持主が亡くなったことで、藤田の遺品は二重の意味での遺品となりました。遺品とは多くの場合、家族にとって故人の身代わりを意味します。だからこそ君代夫人には遺品でも、第三者には意味を持ちにくいものもありました。彼女は亡き夫の下着や羽根布団まで残していました。明治人らしいものを捨てない、ものを大切にする始末のよさと、そして藤田への無限の愛情のなせるわざでしょう。 本書では、もはや歴史上の公人となった創造者・藤田嗣治の画家以外の活動領域を示す、「手の痕跡」が感じられるものにしぼりました。人一倍、プロ意識の強い画家が、公開や販売を想定せず、あくまで自分たちのために手間と時間を惜しまずつくりこんだ非売の品々や書きものは、私的な遺品の「耐用年数」を越えて公的な文化資源として扱われるべき時期を迎えていました。 それらは藤田が最晩年までこだわりつづけた「家」とそこに残された「手しごと」が核となっており、本書は結果的に「メゾン=アトリエ・フジタ」自体を紹介し、文化資源として位置づける役割も果たしたのではないかと思います。そして、いささかなりとも、画家としての、本業の藤田理解にも資することを願います。この記事も藤田嗣治アンソロジーに収めるものとします。
2015.07.01
コメント(2)
全39件 (39件中 1-39件目)
1