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30日夜半に、年賀状の印刷中に、黒インキがなくなってしまい・・・・スーパーの時間は終わっているから、明日にするかと30日の投函を諦めたのです。ということで、とうとう大晦日になって、この記事を書いているが…年賀状の年内投函の目処がたっているので、わりと機嫌は麗しいのです。今年は、図書館での借出し予約に慣れたせいもあり、例年にも増して足繁く図書館に通ったわけで…大晦日も図書館ネタで決着をつけることにしよう。年越し用に、借りた『利己的な遺伝子』であるが、飛ばし飛ばしで読んでいるが…やっと後半部分にたどりついたのです。*********************************************************************** <『利己的な遺伝子』5> 図書館で借出し予約していた『利己的な遺伝子』という本をゲットしたのです。待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪【利己的な遺伝子】リチャード・ドーキンス著、紀伊国屋書店、2006年刊<「BOOK」データベース>より「なぜ世の中から争いがなくならないのか」「なぜ男は浮気をするのか」-本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、雌雄の争い、攻撃やなわばり行動などが、なぜ進化したかを説き明かす。この謎解きに当り、著者は、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から快刀乱麻、明快な解答を与える。初刷30年目を記念し、ドーキンス自身による序文などを追加した版の全訳。【目次】人はなぜいるのか/自己複製子/不滅のコイル/遺伝子機械/攻撃ー安定性と利己的機械/遺伝子道/家族計画/世代間の争い/雄と雌の争い/ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう/ミームー新登場の自己複製子/気のいい奴が一番になる/遺伝子の長い腕<読む前の大使寸評>待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪<図書館予約:(12/05予約、12/18受取)>rakuten利己的な遺伝子この本は読みどころが多いので、(その5)として読み進めたのです。この章では神にまで言及し、かなり著者の主観が濃厚であるが、思い入れが感じられて、まあええんとちゃう♪p295~297 <新登場の自己複製子>より そもそも遺伝子の特性とは何なのだろうか。自己複製子だということがその答えである。物理学の法則は、到達しうる全宇宙に妥当するとみなされている。生物学には、これに相当する普遍的妥当性をもちそうな原理はあるのだろうか。 宇宙飛行士がかなたの惑星に到達して生物を探せば、われわれには想像もつかないような奇妙、奇怪な生物に遭遇するかもしれない。しかし、どこに住んでいようが、どんな化学的基礎をもって生きていようが、あらゆる生物に必ず妥当するようなものが何かないのだろうか。 たとえ炭素の代わりに珪素を、あるいは水の代わりにアンモニアを利用する化学的仕組をもつ生物が存在したとしても、またたとえマイナス百度でゆだって死んでしまう生物が発見されても、さらに、たとえ化学反応に一切頼らず、電子反響回路を基礎とした生物がみつかったとしても、なおこれらすべての生物に妥当する一般原理はないものだろうか。むろん私はその答えなど知らない。 しかし、もし何かに賭けなければならないのであれば、私はある基本原理に自分のお金を賭けるだろう。すべての生物は、自己複製をおこなう実体の生存率の差にもとづいて進化する、というのがその原理である。 自己複製をおこなう実体としてわれわれの惑星に勢力を張ったのが、たまたま、遺伝子、つまりDNA分子だったというわけだ。しかし、他のものがその実体となることもありえよう。かりにそのようなものが存在し、他のある種の諸条件が満たされれば、それがある種の進化過程の基礎になることはほとんど必然的であろう。 私の考えるところでは、新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである。それはまだ未発達な状態にあり、依然としてその原始スープの中に不器用に漂っている。しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており、遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである。 新登場のスープは、人間の文化というスープである。新登場の自己複製子にも名前が必要だ。文化伝達の単位、あるいは摸倣の単位という概念を伝える名詞である。私のほしいのは、ということばと発音の似ている単音節の単語だ。そこで、このギリシャ語の語源をと縮めてしまうことにする。もし慰めがあるとすれば、ミームという単語は、あるいはこれに相当するフランス語のという単語に掛けることができるということだろう。 旋律や、観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壷の作り方、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である。遺伝子が遺伝子プール内で繁殖するにさいして、精子や卵子を担体として体から体へと飛びまわると同様に、ミームがミームプール内で繁殖するさいには、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へと渡り歩くのである。 神という観念を考えてみよう。それがどのようにしてミーム・プールの中に発生したかは明らかでない。もしかすると、それは、独立した「突然変異」によって幾度も発生したのかも知れない。では、それはいかにして自己複製をおこなうのだろうか。語られることば、書かれた文字によってである。しかも偉大な音楽や偉大な芸術がその手助けをしている。 しかし、そのミームはなぜこのように高い生存値を示すのだろうか。ここでいう「生存値」とは、遺伝子プールの中の遺伝子にとっての値ではなくて、ミーム・プールの中のミームにとっての値であることを忘れないでほしい。申し遅れましたが…皆さんにとって、来年こそ良い年になるよう祈念する次第でおます♪『利己的な遺伝子』1『利己的な遺伝子』2『利己的な遺伝子』3『利己的な遺伝子』4
2015.12.31
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本屋で集英社のブックレット『青春と読書:1月号』を手にしたのです。表紙のコピーに中島京子の受賞記念エッセイ、三浦秀之の『五色の虹』受賞インタビューが載っていて、大使好みやないけ♪…なにしろ定価90円なので、タダみたいな価格がお得♪このブックレットで、三浦秀之インタビューを見てみましょう。p16~18<インタビュー:三浦英之>より 第13回開高健ノンフィクション賞を受賞した、三浦英之さんの『五色の虹―満州建国大学卒業生たちの戦後』が刊行されました。日中戦争の最中、旧満州に存在した最高学府「建国大学」。「五族協和」の実践をめざし、若者たちが夢見たものとは何だったのか。スーパーエリートたちは、どのような戦後を生き抜いたのか…をテーマに各国に散らばる卒業生を訪ね歩き、丹念にインタビューをおこなった本作。現在、朝日新聞アフリカ特派員(ヨハネスブルグ支局長)としてアフリカ大陸、中近東、欧州を飛びまわる三浦さんに、本作品を執筆するまでの道程、日本を離れているからこそ見えてくるものについて伺いました。■「普通の人々の人生」を書きたいQ:作中にあるように、「建国大学」との出会いは偶然というか不思議なつながりでもたらされますが、もともと三浦さんの中に「戦争」や「満州」への関心はあったのでしょうか。A:僕は神奈川県の在日米陸軍司令部がある「キャンプ座間」の横で生まれ、小さな頃から日の丸よりも星条旗を見て育った人間です。 年に1,2回キャンプの開放イベントがあるのですが、1980年代当時、日本には流通していなかった大型缶のコーラとか、子どもの腕くらいのホットドックとか、普段見たことのないものがいっぱいあって、小学校低学年の頃は毎年行っていました。でも高学年になると、それ以外の基地の「現実」がだんだん見えてくるようになるんです。 たとえばキャンプ内における清掃員やバスの運転手、警備員はすべて日本人で、お客さんというか威張っている人はアメリカ兵なわけです。 「ああ、日本は戦争に負けたんだな」って、いやがおうでも刷り込まれていく。それらは今でも心の傷のようなものとして残っています。それ以来、戦後史にずっと興味を持ち続けてきました。 新聞記者になってからも年に1回、8月の終戦記念日には、戦後関係の記事を一貫して書き続けています。初任地の仙台支局にいたときは、真珠湾攻撃に参加した元日本兵の方が操縦する飛行機に同乗して仙台上空を飛んだりしました。 でも、今回の「建国大学」に関しては、「戦後」の文脈で取材をしたという意識は強くないんです。Q:と言いますと?A:この作品に限らず、新聞記者として僕がいつも意識しているのは「普通の人々の人生」を書きたいということです。僕は政治とか大きなものを動かしている人を取材するより、市井に生きている人たち、普通に頑張っている人々の人生に興味があり、そういうものの集合体を通じて今の世の中を描きだせないかと考えています。 僕と変わらない、一緒に電車に乗ったり信号待ちをしたりしている人たちのストーリーを書きたい。今回も、特殊な大学に行ってしまったために、その後の人生を大きく狂わされた人たちがいた。なのに、彼らの人生はほとんど語られていない。 それらを突き詰めていくことによって、今まで明らかになっていない「もう一つの戦後」を描けるんじゃないか、そう思ったことがきっかけでした。Q:実際に建国大学やそこで学んだ方たちが送った人生を追ってみて、いかがでした。A:これまで僕が知らなかった歴史や価値観、世界観が見えたんじゃないかと思います。戦後70年ということで、関係者の方の記憶の面でも年齢の点でも限界でしたし、ギリギリのラインで間に合ったというのが正直な実感です。彼らはこれまでずっと話せなかったんです。言いたくても言える状況になかったし、恐らく何を言ってもわかってもらえない、と彼らは思っていた。 そこに僕みたいな青二才が突然訪ねてきて、「話聞かせてください」と。あるいは、矛盾するようですが、一番いいタイミングだったのかも知れません。最後の最後で、彼らは思いを託してくれました。 でも個人的にはもうちょっと早く会いに行きたかったですね。戦後60年で行きたかった。そうすればもっと倍ぐらいの人に会えただろうし、もっと明確な記憶の中でいくつものエピソードを聞けたと思うんです。Q:満州というのは非常に難しい題材です。東アジアをはじめとする諸外国との「歴史認識」の違いはもちろん、国内においても様々な見解の相違があります。そのことについてはいかがですか。A:何かを断定的に言うというのは、今の世の中で非常に難しい行為だと感じています。中国や韓国が日本の歴史認識に対して非難をするけれども、それらはある意味では正しく、ある意味では間違っていると思います。僕は今海外で生活していて、アメリカに行ってもそうだし、東南アジアを旅行していてもそうだし、どこに行っても、それぞれの国にそれぞれの歴史や歴史認識がある。 民族がそれぞれ自らに主体を置いているから、ひとつの戦争、ひとつの領土に対しても、判断や認識が全く違う。でもそれは利害が複雑に入り組んだ国際社会では、至極当たり前のことだと思うんです。それを自分たちの認識だけで判断し、相手に一方的に押し付けようとする行為は、どう考えても間違っている。「こっちの歴史認識が正しいんです」って相手にごり押ししたって、たとえばカナダとアメリカでも歴史認識は違うし、アフリカ諸国に至ってはそれこそ全然違う。 お互いに殺し合った歴史を持つ民族や国同士ではなおさらです。自分がどこに住むのか、何人なのか、どういう友達を持っているのかということによっても、歴史の認識は大きく変わってくるのだと思っています。(中略)Q:今あらためて建国大学に集まった若者についてどう思いますか?A:すごい人生ですよね…。僕も今アフリカにいて日々感じているのは、人の命の重さがいかに軽いかということです。いつどうやって死ぬかわからないような状況がごく普通にあると、人は「未来」を担保しないというか、80歳まで生きるだろうなとか、貯金しなきゃなとか、そういうことを考えなくなる。今どうするか、だけです。死が近くにあることで生が強くなり、不思議と「生きていること」を強く実感できるようになる。 当時の建国大学の学生たちも同じだったように思います。当時はいつ爆弾が落ちてくるかもしれない、いつ戦闘が起こって徴兵されるかもしれない状況があったわけですが、そうしたときに「いやー僕、60歳まで頑張るから、それまでには庭付きの広い家を持てるといいなぁ」なんて誰も思わない。 僕も日本にいるときには思うんですけど、日本はずっと平和で安定しているから、どうしても未来が見えてしまう。その中で日常を繰り返していると自然と生が薄くなってしまうというか…「いつかできるよ」症候群にかかってしまう。 今のアフリカや当時の満州みたいなところでは、死が本当に身近にあることによって人間は強く生きようとする。建国大学の卒業生たちに会って、そんな思いをさらに強くしました。図書館サイトで『五色の虹』を検索したが・・・・残念ながら、未購入、未収蔵となっています。もう、そろそろ購入したかな?【五色の虹】三浦英之著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より旧満州、最高学府、建国大学。「五族協和」を実践すべく、集った若者たち。歴史の闇に消えた大学で、スーパーエリートたちが夢見たものとは。生き抜いた戦後とはー。2015年第13回開高健ノンフィクション賞受賞。<読む前の大使寸評>とにかく、「五族協和」という標語は、良いも悪いも、昔も今もインパクトがあるわけです。<図書館予約:(市は未収蔵)>rakuten五色の虹ウィキペディアで五族協和と五族共和を覗いてみました。(五族共和では、日本、朝鮮の代わりに回族、チベット族となるようです)wikipedia五族協和より五族協和とは、日本が満州国を建国した時の理念。・五族は日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人を指す。五族協和 (満州国)を参照のこと。・1912年に中華民国が成立した際に唱道した理念は、五族共和を参照のこと。【五族共和は、中華民国北京政府が掲げていた漢族、満州族、蒙古族、回(現在の回族ではなくウイグル族など新疆のイスラム系諸民族を指す)およびチベット族の五民族の協調を謳ったスローガン。中華民国北京政府を象徴するスローガンとして、北京政府の国旗・五色旗と関連付けて考えられた。】
2015.12.30
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図書館で『日中戦争とノモンハン事件』という本を手にしたが・・・・・著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。この本は従軍戦記ではないけど、戦場の雰囲気は感じられるのです。【日中戦争とノモンハン事件】水嶋都香著、第一書房、2007年刊<カスタマーレビュー>より勉強家であり理解力と洞察力に優れた筆者は、恐らく厚さ2メートルほどに達したかと思われる量の文献を読破し、表題に関係する事実を細部にわたって整理し再構成している。大多数の読者にとって今や仔細への関心が持てない時代の出来事であるが、筆者はそこに現代への教訓があるとしている。 まずノモンハン事件を詳述し、次に日中戦争の経緯を描き、それから敷衍して今の日本の国防・教育問題を論じている。随所に筆者の洞察とバランスある見識が読取れる。<読む前の大使寸評>とにかく、関東軍参謀の独断専行負け戦が腹立たしいのです。著者は、若年のため日本軍での軍歴はないが、難民生活後に八路軍の軍歴を持つに至ったという異色の人である。また、東芝で技師長を勤めた経歴を持つように、どおりでバランスある見識が感じられるのです。Amazon日中戦争とノモンハン事件ノモンハン事件において…高慢で無能だった辻参謀はつとに有名であるが、そのあたりを見てみましょう。(敵情把握よりも、精神力を重視したのかも?)p86~87<関東軍投入兵力と敵情判断> 日露戦争の旅順の戦いで、度重なる攻撃に失敗した第三軍の乃木司令官及びその幕僚の罷免が大本営の一致した意見であった時、戦況報告を受けた明治天皇の「」の一言でそれが見送られたということが思い起こされる。乃木の典型的な古武士的性格を熟知されていた天皇が、「」と考えられたからといわれている。 旅順では、大山総司令官の承諾を得た児玉総参謀長が第三軍司令官の職権を一時代行するという非常手段をとるなどをして、ようやく203高地を奪取、旅順開城にこぎ着けた。 一方、ノモンハンでは小松原第23師団長指揮のまま、その壊滅まで戦闘が続けられた。 1939年(昭和14)6月の作戦について、機密作戦日誌は次のように述べている。【当時第2飛行集団、第23師団及び安岡支隊その他を派遣せしは、鶏を割くに牛刀をもってせんことを欲したるものにして、第一次事件の経過並びに第二次事件当初に於ける敵兵力より判断して、之を以て終始し得るものと考えありたり。 関作命第1532号、6月20日の命令から引用。 外蒙古軍の有力なる一部は、ハルハ廟を奪取し、在ツァガンオボ満州国軍第7団は昨19日、戦車約50、山砲10数門を有する約1000の包囲攻撃を受けたるが如きも爾後の状況明らかならず。ノモンハン方面の敵はその兵力1000、高射砲、野砲各10数門、戦車数十なるものの如し。 また資料関東軍自体が、「6月16日~18日頃になるとハルハ河両岸のソ満軍兵力は、砲20数門、機甲車輌30数両、高射砲10数門、自動車500以上に及び」と述べている。これが、辻参謀を含めた当時の関東軍の敵兵力見積りである。《牛島康充》】 戦車数十はともかくとして、敵兵力1000とは下算も甚だしい。 第二次ノモンハン事件の作戦計画策定時点である6月中旬頃、辻参謀は「この時までに知り得た、外蒙古及びソ連軍の兵力判断は、歩兵9大隊、戦車約150両、火砲約120門、飛行機約150機、自動車約1000両、しかし蓋を取って見た敵兵力は右判断の1倍半乃至2倍に近いものであった」と述べている。【この辻の述べていることは昭和14年6月当時の判断ではなく、昭和34年に、かつての判断をごまかすための記述である。昭和14年当時に、辻及び関東軍が判断していた敵戦力は、失笑を受けるほど少ない(5分の1くらい)。資料関東軍をはじめ、日本資料の大部分が、辻参謀の記述をそのまま無批判に引用している。《牛島康充》】 ハルハ河にわずか一本橋を架けただけで無謀な渡河作戦を行ったことからも、牛島説には頷けるものがある。 世に「一犬虚に吠ゆれば、万犬実を伝う=一人が虚言を言うと、多くの人々がそれを真実として伝えるものだ」というたとえがある。辻参謀という声の大きい人物が虚を吠えた可能性は高い。この記事も戦記のインデックスに収めておきます。
2015.12.30
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又吉直樹さんが芥川賞を受賞して以来、作家へのハードルが下がったので(錯覚です)、「よし 俺もいっちょう」と思うのである。…で、これまで集めた文章修業ハウツーのインデックスを作ってみました。・伝わるWebライティング・文章のみがき方・売れる作家の全技術・すっきり書ける文章のコツ80 ・日本語文章がわかる ・作家デビューを目指す貴方へ・言語表現法講義 なお、村上春樹の文章修業については別枠として『職業としての小説家』1~6を設けています。・伝わるWebライティング・文章のみがき方・売れる作家の全技術・すっきり書ける文章のコツ80 ・日本語文章がわかる・作家デビューを目指す貴方へ・言語表現法講義
2015.12.29
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図書館で借出し予約していた『利己的な遺伝子』という本をゲットしたのです。待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪【利己的な遺伝子】リチャード・ドーキンス著、紀伊国屋書店、2006年刊<「BOOK」データベース>より「なぜ世の中から争いがなくならないのか」「なぜ男は浮気をするのか」-本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、雌雄の争い、攻撃やなわばり行動などが、なぜ進化したかを説き明かす。この謎解きに当り、著者は、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から快刀乱麻、明快な解答を与える。初刷30年目を記念し、ドーキンス自身による序文などを追加した版の全訳。【目次】人はなぜいるのか/自己複製子/不滅のコイル/遺伝子機械/攻撃ー安定性と利己的機械/遺伝子道/家族計画/世代間の争い/雄と雌の争い/ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう/ミームー新登場の自己複製子/気のいい奴が一番になる/遺伝子の長い腕<読む前の大使寸評>待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪<図書館予約:(12/05予約、12/18受取)>rakuten利己的な遺伝子この本は読みどころが多いので、(その4)として読み進めたのです。雌雄対決のお話なのだが・・・面白そうやで♪p213~222 <雄と雌の争い>より 私たちは、ある動物が雄と呼ばれ、別の動物が雌と呼ばれることを単純に受け入れただけで、これらのことばが本来何を意味するかは、不問に付していたのである。しかし雄性の本質とはいったい何なのか。根本において雌を定義する性質とは何なのだろうか。 哺乳類であるわれわれは、ペニスの存在、妊娠、特殊な乳腺による授乳、染色体の様子などの諸特性の総計によって両性は定義されるものとみなしている。ある個体の性を判定するためのこれらの基準は、哺乳類に関してはいずれも十分役にたつ。 しかし、動植物一般を対象とすると、今述べた基準は、ズボンをはく傾向をもって、ヒトの男女判定とするのと同じくらい頼りないしろものになってしまう。 たとえば、カエルなどは、雌雄いずれにもペニスは存在しないのである。もしかすると雌雄ということばには一般的な意味はないということだろうか。結局のところそれらも単なる符牒にすぎず、もしカエルを記載するのにそれらが役立たないというのであれば、それらのことばを放棄するのもまったく随意ということになるのか。 もし望むなら、カエルに関しては性1と性2というような名称を勝手につけて、性を二つに分ければよい、というようなことなのだろうか。ところが、動植物を通じて、雄を雄、雌を雌と名づけるのに使用しうる基本的な特徴が一つ存在するのである。雄の性細胞すなわち「配偶子」は、雌の配偶子にくらべてはるかに小型で、しかも数が多いというのがその特徴だ。 この点は、動植物いずれを扱う場合にも当てはまる。一方のグループに属する個体は大型の性細胞をもち、便利のために彼らを雌と呼ぶことにする。他方のグループは便利のために雄と呼ぶことにするが、こちらは小型の性細胞をもっているというわけである。 両者の差異は、爬虫類や鳥においてとくに顕著である。これらの動物では、発育する赤ん坊に数週間にわたって十分な食物を供給できるだけの栄養分と大きさが、個々の卵細胞に備わっている。卵が顕微鏡的な大きさでしかない人間においてすら、卵細胞は精子よりなおはるかに大きいのである。あとで明らかになることであるが、他のすべての性差は、この一つの基本的差異から派生したと解釈できるのである。 たとえばカビの仲間に見出されるようにある原始的な生物では、ある種の有性生殖はみられるものの、雄性と雌性が存在しない。同型配偶と呼ばれるこのシステムでは、個体を雌雄に区別することが不可能なのだ。どの個体も他の任意の個体と交配できる。精子と卵子という二種類の配偶子はみられず、性細胞はすべて同じものであり、同型配偶子と呼ばれている。減数分裂によって造りだされた同型配偶子が二個合体することによって新固体ができるのである。 A,B,Cという三個の同型配偶子があれば、AはB,Cいずれとも合体することができる。通常の有性的システムではとてもこんな具合にはゆかない。もしAが精子で、これがBあるいはCと合体可能なら、BとCは卵子のはずであり、BとCの合体は不可能である。 同型配偶子の合体の場合には、両配偶子が新個体に寄与する遺伝子は同数なのはもちろん、両配偶子が寄与する備蓄食物の量も同量である。精子と卵子の場合も、遺伝子の寄与数は同じである。しかし備蓄食物に関しては、卵子の寄与量が精子のそれをはるかにしのいでいる。実際にこの点に関して、精子の寄与は無に等しい。精子の関心は遺伝子をできるだけ速く卵子に運びこむことに集中しているのである。 したがって、父親が子に対して投資した資源量は、受胎の時点で、公平な分担量、つまり50%よりはるかに少ないのである。個々の精子は微小なので、雄は毎日莫大な数の精子をつくることができる。これは、別々の雌を相手にすれば、雄がきわめて短時間のうちに多大な数の子どもを作る潜在能力をもっていることを意味している。 しかもこれも、個々の胚が、受精の際に母親から十分な食物を与えられているからこそ可能となるのである。胚に対する食物供給の必要から、雌が作れる子どもの数には一定の限度がある。一方雄が作りうる子どもの数には実質的に限度がない。雄による雌の搾取の出発点はここにあるのである。(中略) こうみてくると、雄というのはかなり値打ちの低いやからに思われてこよう。「種にとっての利益」という単純な考え方をとるなら、雄は雌より数が少なくなるはずと予想してしまいそうだ。理論的には一頭の雄は、雌百頭くらいのハーレムを相手にするくらいの精子を楽につくれるはずだずだから、動物集団中の雌の数は、雄の百倍くらいになってしかるべきではないかというわけだ。別の角度からこれを表現すると、種にとって雄はいっそう「消耗品的」な存在であり、雌はいっそう「貴重な」存在だということだ。 種全体という観点から見れば、今述べた見解はもちろん完全に正当である。しかしここでちょっと極端な実例を引合いに出しておこう。ゾウアザラシに関するある研究によれば、観察されたすべての交尾例の88%は、たった4%の雄によって達成されたという。この例だけでなく、他の例においても、おそらく生涯交尾のチャンスはないと思われるあぶれものの独身雄が多数見られているのである。 しかも、これらのあぶれ雄も他の点ではふつうの生活を送っており、個体群の食物資源を食う際の旺盛さでは、彼らも他の成獣には決してひけをとらない。「種にとっての利益」という観点から見れば、これは恐るべき浪費である。あぶれ雄たちは、社会の寄生者とみなされてしまいそうだ。しかし、たとえ雄のうちで実際に繁殖に参加するのが全体のごく一部にすぎむ場合でも、雄雌の数は等しくなる傾向があるのである。(中略) 雄雌いずれの体に入りこんだにしろ、遺伝子はそこで与えられた機会を最大限に活用するはずである。どんな機会が与えられるかは、雄雌いずれの体に入りこんだかによってかなり異なろう。便利な近似法として、ここでまた、個々の生物体は利己的な機械であり、その全遺伝子のために最善を尽すものと仮定しよう。その種の利己的機械にとっての最善策は、自分が雄であるか雌であるかによってまったく異なることがあるものだ。 簡潔にするために、個体に意識的な目標があるかのように想定する方法をここでも採用することにしよう。これまで同様、これは単なる比喩にすぎぬことをはっきり頭にとどめておいてほしい。実際の生物体は、利己的な遺伝子たちによって盲目的にプログラムされた機械なのだ。 本章の出だしの話題だった配偶関係を結んだペアの問題に立ち返ることにしよう。雌雄いずれも、利己的機械として、同数の息子と娘を「ほしがる」だろう。この点までは両者の利害は一致する。彼らに不一致が生ずるのは、子育ての苦労の矢面にどちらがたつことになるかという点である。どの個体も、生存する子どもの数をできるかぎり増やしたがっている。任意の子どもに対する投資量を少なく切りあげることができれば、その分だけ、彼あるいは彼女の作りうる子の数は増加する。 この好都合な事態を作りだすのに利用できる明白な手段は、配偶者がどの子どもにもその公平な分担量以上の投資をおこなうように仕向け、自分のほうはそのすきに別のパートナーと新たな子をもうけるという手である。この戦略は雌雄いずれにとっても望ましいに違いないのだが、雌がこれを実現するのは雄にくらべて困難である。 雌は、大型で栄養をたっぷり含んだ卵子の形ではじめから雄より多量の投資をおこなっており、このため受胎時においてすでに母親は、どの子どもに対しても父親以上に深く「身を投じて」しまっているのである。当の子どもが死んだ場合、彼女は父親よりも多くのものを失う立場にある。さらにもう一つ、死んだ子の代わりに将来新たに子どもを一頭育てるにしても、失った子どもと同じ段階までそれを育てるために彼女が投資せねばならない量は、父親のそれより多いにちがいない。なるほど、生物学的な雌雄の関係はよくわかりました。だけど、植物系男子とか、少子高齢化という経済的側面が強くでてきた昨今の状況について、遺伝子は今後どう対応するんでしょうね?『利己的な遺伝子』1『利己的な遺伝子』2『利己的な遺伝子』3
2015.12.28
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大使はNHK番組『オイコノミア』を極力観ているのだが、又吉さんと経済学者とのやり取りが、ええわけです。又吉さんの、ボケのキャラクターには関西芸人の趣きがあって(実際、関西芸人であるが)好きなんですよ♪今秋には、又吉直樹特集の『ダ・ヴィンチ』7月号を買って積読状態になっているが・・・この際、『ダ・ヴィンチ』などから、「又吉直樹の輪」を集めてみました。<又吉直樹の輪>・西加奈子(作家)・せきしろ(俳人)・樹木希林(女優)・大竹文雄(経済学者)・長谷川朗(書店次長)********************************************************************遅ればせではあるが、9月頃に『ダ・ヴィンチ』7月号の増刷版を買ったのです。【ダ・ヴィンチ7月号(又吉直樹特集)】雑誌、メディアファクトリー、2015年刊<アメーバニュース>より芥川賞受賞作となった又吉直樹の『火花』。受賞後すぐに40万部の増刷を決定したものの、全国の書店で完売状態に…。さらに増刷し、累計発行部数は124万部を突破! その勢いは増すばかりだ。 又吉人気は『火花』以外にも拡がっている。現在8月号が販売中の雑誌『ダ・ヴィンチ』。45ページにわたる又吉特集を組んだ『ダ・ヴィンチ』7月号(6月5日発売)は飛ぶように売れ、急遽2万部の増刷が決定した。なお、『ダ・ヴィンチ』でバックナンバーが増刷となるのは同誌史上初の快挙! なんと表紙も祝・芥川賞受賞バージョンに。現在品切れ中の『火花』が店頭に並ぶころには、『ダ・ヴィンチ』7月号も再び書店に並ぶはずだ。<読む前の大使寸評>文学界の救世主のような又吉さんであるが、それどころか、出版界の救世主なのかもね。・・・ということで、大使にとっては『ダ・ヴィンチ』購入2冊目?になったのです。おっと、『ダ・ヴィンチ』の宣伝になってしまったが・・・又吉さんに関しては、芥川賞受賞以前から、NHK番組「オイコノミア」を通じて、謹厳実直かつ天然ぼけのパーソナリティに惹かれていたわけでおます。又吉直樹特集『ダ・ヴィンチ』史上初のバックナンバー緊急増刷決定!********************************************************************p50<西加奈子、中村文則に贈る言葉:又吉直樹> 「西加奈子さんの『サラバ!』を読み終わったあとに、僕は自分の小説『火花』を書き、そのあとに、中村文則さんの『教団X』を読んだ。最強の2冊に挟まれて書けて、幸せだった」と弊誌連載の中で語った又吉さん。 西さんと中村さんは、又吉さんがこよなく愛し、尊敬する作家。実は以前から仲良しの三人。西加奈子の世界 より(対談は、この雑誌を見てください)********************************************************************p21<『カキフライが無いなら来なかった』:せきしろ> 歌集や句集を読むのは好きだったんですけど、自分でつくるとなると短歌も俳句も長すぎる、なんて勝手なことを言っていた僕に、せきしろさんが教えてくれたのが自由律俳句。尾崎放哉や種田山頭火もそのときはじめて知りました。「こんな感じでしょうか」と最初につくった句が、タイトルの「カキフライが無いなら来なかった」です。誘っていただいたおかげで本にもなりましたし、僕にとっての自信にもつながった一冊ですね。この本がなければ、今もまだ小説を書いていなかったかもしれません。********************************************************************日本ペンクラブの何たるかについて、樹木希林さんとの対談で見てみましょう。将来の日本ペンクラブ会長:又吉直樹もいけそうやでぇ♪p25<対談:又吉直樹×樹木希林>樹木:なんかこのたびは本がとっても売れているそうで。又吉:ありがとうございます。樹木:で、それは何の力ですか。又吉:いや、何の力なのか。樹木:やっぱりあなたの力量でしょう。それでね、プレゼントがあるんですけど、これは拒まないでいただきたいんですけど。又吉:えっ。何ですか、これ。樹木:日本ペンクラブの入会申込書。でも入会金が3万円もするの。年会費が2万円。又吉:入れるんですか、勝手にそんなんいただいて。樹木:勝手には入れないですよ。今の会長は浅田次郎さん。初代の会長は島崎藤村で、川端康成は17年もやったそうです。浅田さんの前は阿刀田高さん。そうそうたる顔ぶれでしょう。又吉:スゴイですね。樹木さんも入っておられるんですか。樹木:私はものを書いていませんから。ものを書いた人だけ、世間にそれを認められた人だけに入る資格があるんです。今、あなたは認められたということで。部数だけ考えると。又吉:いや、どうなんすかね。これ書いて出して、でも受理してもらわらへんかったら、すっごく恥ずかしいんですけど。樹木さんの紹介やったら入れるもんなんですかね。樹木:私は紹介しませんよ。私はただ書類を持ってきただけ。だって私は資格がないから。ものを書いてないので。又吉:じゃ誰にもらってきたんですか、これ(笑)。樹木:昨日、ペンクラブに行って、専務理事でノンフィクション作家の吉岡忍さんにもらってきたんです。又吉:その時「誰に渡すんですか」って聞かれませんでした?樹木:それは聞かれますよ。ちゃんと「又吉さんにプレゼントです」って。もし入れたら、面白いじゃない。ダメだったら笑いにしましょうよ。又吉:わざわざ取りに行ってくださったんですか。じゃあ、とりあえず申し込んでみますか(笑)。樹木:今日のおみやげです(笑)。(後略)********************************************************************p23<『オイコノミア』:大竹先生など> 大学の先生って、実は若手芸人とシステムが似ていて下積み時代がとても長く、経済的な感覚も僕らと非常に近いんですよ。僕とは縁のないエリートだと思い込んで誤解していました。経済学というのは、いろんな人がしあわせになるためにはどうしていくべきかを考える学問なのだと知って、先生たちと話すのも毎回楽しくなりましたね。********************************************************************p33<ヴィレッジヴァンガード下北沢店次長:長谷川朗> 2012年秋から「又吉直樹の本棚」ということで、又吉さんセレクトの本100冊を、又吉さん直筆ポップと一緒に陳列させてもらっていたのですが、若い人の反応が非常に大きかったですね。『火花』発売以降は特にそうで、普段小説をあまり読まないような、たとえば女子高生が「又吉のやつ読んだよー」と話す声が私たちの耳にも届くほどでした。 その又吉さんが選んだ本なら読んでみようと手に取ってくださる方も多かったように思います。それが本に対するハードルを下げることにつながり、本が売れにくい今の時代に需要そのものをつくってくれた。その功績はすごく偉大で、本を愛する人にとって救世主のような存在だと思います。直筆POP********************************************************************p55<又吉直樹の解体全書> 芸人になって初めての単独ライブは、芥川龍之介の『或阿呆の一生』の朗読で幕を開けた。 「暗転の中、僕が芥川の文章を絶叫する。沈黙があって、“こんな感じで観てください”って僕が言って、イースタンユースの『裸足で行かざるを得ない』が流れる。あの歌のサビはですから。あの頃の僕も、きっとそんな心境やったんでしょうね」 18歳で上京。よしもとの新人を育成するNSC東京校に入って3年、この時、22歳。 「若手芸人って単独ライブってなかなかやらせてもらえないんですよ。それこそ5年目とか6年目で初ライブなんてザラで、そういうなかで僕らはめちゃくちゃ恵まれて3年でやれたんです」 中学の同級生だった原偉大と結成したは、同期の中でも頭ひとつ抜けた実力派だった。ライブ当日「ここから何かどえらいことが始まるんじゃないか」、本人もこの日の客もそんな予感に震えたはずだ。 正解のない場所でもがき続ける時、人はたぶん自分で自分に落とし前をつけていくしかない。 2003年、線香花火は相方の引退によって解散する。 「相方が漫才の能力の高い男だったんですよ。僕はもともと漫才師になりたかったんで、彼がやめるとなると、少なくとも僕が思っているような漫才はもうできひんな、きっついなあと。芸人あかんかったら、もう何えもええみたいな。そこから普通に働いて、結婚してみたいな発想は全然浮かばなかったですね。正直、めちゃめちゃ幸せな未来みたいなものを20代で想像したことはないです」 まさに孤立無援の花。道なき道を、人は何を信じて歩き続けるのだろう。(中略) うちの母親は奄美諸島の加計呂麻島の出身で、貧しいながらも家族で大阪に出てきました。じいちゃんもクリスチャン。母方のばあちゃんは沖縄でいうユタみたいなことをやっていて、島独特の自然観も入ってるから、広いんですよ、宗教観みたいなものが。又吉さんは出版界の救世主なのかもね
2015.12.28
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年の瀬と相成り、朝日新聞が2015映画の回顧記事を載せているので、紹介します。この回顧記事に載っている日本映画のうちで、大使は、「FOUJITA」「海街diary」「龍三と七人の子分たち」の3本しか観ていないのだが・・・・2015年の日本映画のベストとしては「FOUJITA」が一押しだと思うのです。はい。なお、河瀬直美「あん」が、お正月映画として、くだんの2本立て館に掛かるのだが、これは期待できそう♪2015.12.25(回顧2015)映画 「芸術」と「商品」歩み寄り、豊作より 7年ぶりの橋口亮輔。10年ぶりの小栗康平。寡作で知られる実力派監督の新作がそろって見られた稀有な年だった。橋口の「恋人たち」は無名俳優を使って、現代社会の生きにくさをリアルに描写。小栗の「FOUJITA」は画家藤田嗣治の人生の断片を、デジタル映像の粋を尽くして見せた。 今年はほかにも世界的に評価の高い監督たちが続々新作を公開した。北野武「龍三と七人の子分たち」、黒沢清「岸辺の旅」、是枝裕和「海街diary」、塚本晋也「野火」、河瀬直美「あん」。多作の三池崇史と園子温は当然のごとく複数の新作を送り出した。 彼らの作品の多くはこれまでアート映画に分類されてきた。しかしカンヌ国際映画祭に出品された3本、「海街diary」「岸辺の旅」「あん」は人気の俳優を主役に据え、物語や主題も幅広い観客に受け入れやすくなっていた。それでいて、いずれも監督の個性を全く減じることなく、芸術性も十分に発揮されていた。亡夫の幽霊と旅する女性を描いた「岸辺の旅」は、黒沢をカンヌの「ある視点」部門の監督賞に導いた。 綾瀬はるか、長澤まさみらが4姉妹を演じた「海街diary」は興行収入16・8億円、ハンセン病の元患者の晩年を叙情豊かに描いた「あん」は5・2億円を上げて商業的にも成功。「恋人たち」「FOUJITA」もスマッシュヒットになっている。 映画は「芸術」であると同時に「商品」でもある。日本映画黄金期の巨匠、溝口健二も小津安二郎も黒澤明もメジャーの映画会社で当時の人気スターを使い、「商業映画」の枠組みで「芸術作品」を撮っていた。現代の日本映画を引っ張る監督たちが「芸術」と「商品」の間で、バランスの取れた作品を発表したことは、一つの成熟と言えるのではないだろうか。 これに対し成熟を拒否したように孤高を保ったのが塚本だった。「野火」は、戦時中の人肉食をモチーフにした大岡昇平の小説が原作。観客の心をあわ立たせる映像で、戦争の無残さを焼き付けた。 戦後70年だった今年は、第2次大戦を扱った映画が相次いで封切られた。ポツダム宣言受諾までの内閣や軍部、天皇を鳥瞰で描いた原田眞人の「日本のいちばん長い日」、同じく終戦前の東京の庶民を虫瞰で追った荒井晴彦の「この国の空」。これらは塚本、原田、荒井の各監督が長年映画化を模索してきた作品。節目の年を生かして公開に至ったことを喜びたい。 「芸術映画」の監督たちが「商業映画」へ目配せをする一方で、「商業映画」から企画がスタートした作品の中に、職人監督やスタッフの誠実な仕事によって質の高い秀作になった例も目立った。とりわけ、学年ビリの高校生が一念発起して慶応大に合格するという実話を映画化した「ビリギャル」は土井裕泰の演出と有村架純の演技が相まって興収28・4億円という予想外のヒットになった。 このほか、三木孝浩の「くちびるに歌を」、堤幸彦の「イニシエーション・ラブ」、大根仁の「バクマン。」などが娯楽映画の秀作として印象に残った。これらの作品はきっと名画座で繰り返し上映され、後世の映画ファンをも楽しませることだろう。 芸術とは無縁にメガヒットを狙う娯楽大作と、海外の映画祭で賞を狙うアート系の小品。日本映画が二極化していると言われて久しい。しかし今年は両極からの歩み寄りが見られ、中間層が少し分厚くなった。外国映画も合わせて、「アナと雪の女王」のような一人勝ち映画がなかった代わりに、20億円を超えたヒット作が約30本もあったのが今年の特徴だ。映画ファンにとってどちらが望ましいかは言うまでもない。 50年以上前に引退した原節子が9月に亡くなっていた。享年95。伝説の女優がついに本当に伝説になった。作家の野坂昭如は85歳で死去。この才人にゆかりの映画は「火垂るの墓」だけではない。例えば、藤田敏八「バージンブルース」(1974年)は野坂の歌をモチーフにした名作だった。本人も自身の役で出演し、美声を披露している。(編集委員・石飛徳樹)***********************************************************************過去の日記より『FOUJITA』を再掲します。<『FOUJITA』>この映画については、「はじめての藤田嗣治」として早々と予告していたので、先日、土日を外して見に行ったのです。パリでは、お調子者を演じて売名するクレバーな面と、美術館に通って模写を続ける地道さのある藤田が描かれています。一方で、日本に帰国後、戦争協力画に殉じた(協力するしかなかった)藤田である。【FOUJITA】小栗康平監督、2015年日仏制作、H27.11.16鑑賞<movie.walker作品情報>より戦前のフランスを中心に活躍した日本人画家・藤田嗣治の波乱の生涯を描いた、オダギリジョー主演の人間ドラマ。“乳白色の肌”の裸婦像でエコール・ド・パリの寵児となるも、日本に帰国し、戦争協力画を描く事になる藤田の絵に向き合う真摯な姿勢を映し出す。監督は『泥の河』『死の棘』など数々の名作を手がけてきた小栗康平。<観る前の大使寸評>小栗監督は、筋金入りの近代主義者の藤田を、キツネのエピソードを交えて古層を持った日本人として描いているようです。フランスで知った自由と孤独…フランスに帰化した後、藤田は日本人に会うことは稀だったが日々喫食するのは日本料理だったそうです。movie.walkerFOUJITA「水漬くかばね」のように水に沈んだ戦争協力画が、最後のシーンで出てきます。この独特な解釈で良かったのか?小栗監督は、近代主義者の藤田を知った上で日本的な藤田を描いているが・・・キリスト教に帰依しフランスで眠る藤田は、どう思っているのでしょうね。映画では、疎開先の田舎でも戦時中のニッポンの空気感がよく現れていたが、美術スタッフのセンスがいいのでしょうね。ついでに、この映画のネット情報をオマケだ。・なぜ“ややこしい絵描き”を題材に?小栗康平監督が回答
2015.12.27
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図書館に予約していた『反知性主義』を、半年待ってようやくゲットしたのです♪表紙に「いま世界でもっとも危険なイデオロギー」というフレーズが見えるが、どんなかな?まあ(良くも)悪くも、アメリカを牽引している反知性主義という宗教的なイデオロギーを知りたいわけです。【反知性主義】森本あんり著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、アメリカで変質したキリスト教が生みだした「反知性主義」にあった。いま世界でもっとも危険なイデオロギーの意外な正体を、歴史的視点から鮮やかに描く。<読む前の大使寸評>表紙に「いま世界でもっとも危険なイデオロギー」というフレーズが見えるが、どんなかな?まあ(良くも)悪くも、アメリカを牽引している反知性主義という宗教的なイデオロギーを知りたいわけです。<図書館予約:(6/22予約、12/23受取)>rakuten反知性主義この本は、アメリカにおける信仰について多くを述べています。手っ取り早く要点を読み取るには、プロローグとエピローグがいちばんということで、まずプロローグから。p24~25<宗教の伝播とウィルス感染>より キリスト教は、それぞれの土地に根付いて発展する際に「土着化」のプロセスを経る。もし読者の中に、「アメリカはキリスト教の本場だ」と思っている人があれば、ここは少し考えを改めていただかねばならない。キリスト教は、アメリカにとっても外来の宗教である。アメリカだけでなく、キリスト教はヨーロッパにとっても、いやどこの国どの文化にとっても、異質な外来宗教である。その外来の宗教が、土着化の程度に応じて変異するのである。 このプロセスは、生体がインフルエンザなどのウィルスに感染した時のことを考えるとわかりやすい。ウィルスは、宿主に受け入れられ、そこで繁殖してゆく過程で、宿主に大きな影響を及ぼすが、同時に自分自身をも変化させてゆく。亜種が生まれるのである。そのように自分を変化させることによって、ウィルスはいっそうよく宿主の生態環境に適応することができるようになり、ますます自己繁殖してゆくようになるのである。 それと同じように、宗教も伝播の過程で、その土地の文化に大きな影響をもたらしつつ、同時にみずからを変化させてゆく。宗教学的に言うと、これは「土着化」や「文脈化」と呼ばれるプロセスである。それが成功すればするほど、宗教はその土地に独自のものとなり、変容を遂げてゆくわけである。 仏教も、日本に伝来して次第に根づいてゆくうちに、それまでの教えや実践の伝統を離れて独自の変化を遂げていった。キリスト教もアメリカという土壌も根づくうちに、強調点や視座を変えながら適応を繰り返してきた。その結果、おおもとの精神は同じであるとしても、それぞれの土地や文化に即して独自の現象形態が生み出されるようになったのである。 アメリカという土壌は、この意味でキリスト教というウィルスにとって絶好の培養地であった。大繁殖したキリスト教は、その過程でアメリカ社会を大きく変容させたが、同時にみずからも変貌を遂げ、多くの亜種を生み出してゆく。次に、エピローグから「先鋭化してきた反知性主義の背景」を見てみましょうp262~263<反知性主義が生まれた背景>より では、そのような反知性主義が、なぜアメリカのキリスト教を背景にして生まれ、先鋭化していったのか。 しばしば言われるように、アメリカは中世なき近代であり、宗教改革なきプロテスタンティズムであり、王や貴族の時代を飛び越えていきなり共和制になった国である。こうした伝統的な権威構造が欠落した社会では、知識人の果たす役割も突出していたに違いない。 それが本書で辿ったアメリカの歴史であるが、反知性主義はそれと同時に生まれた双子の片割れのような存在である。双子は、相手の振る舞いを常にチェックしながら成長する。他の国で知識人が果たしてきた役割を、アメリカではこの反知性主義が果たしてきた、ということだろう。 本書は最初から最後まで、キリスト教がアメリカにおいて土着化ないし文脈化したこと、そしてその結果が宗教と道徳の単純なまでの同一視であること、の二点を強調してきた。 ダニエル・ベルという政治哲学者によると、アメリカ史には「政治における妥協性」と「道徳における極端性」が共存している。アメリカは、一方では欲望全開で何でもありのフロンティア社会であり、かつ同時に禁欲的で厳格な法律をもったお上品の国である。都会には売春と飲酒と賭博が蔓延する一方で、プロテスタント的・中流階級的な倫理観は他のどの国よりも強い。だからアメリカでは、敬虔が道徳主義に道を譲り、神学が倫理学に従うのである。その結果、妥協を旨とするはずの政治が道徳の極端性を帯び、政治が道徳化してしまった。宗教の道徳家も、これと同じプロセスの産物である。 もうひとつ忘れてはならないのが、平等という理念である。 1950年代にマッカーシーが極端で理不尽な知識人攻撃を繰り返していた時ですら、人びとは彼の反知性主義にある種の正当性を感じていたという。それは、そこにいかにもアメリカ的で明快な大義名分、すなわち民主的平等を求める熱情が含まれているからである。反知性主義の核心部あたりを、見てみましょう。p221~233<反知性主義の完成>より■戦闘的な反知性主義のヒーロー 「ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義」とは、20世紀初めの大衆伝道家ビリー・サンデーを題材に創られたシンクレア・ルイス原作の映画『エルマー・ガントリー』に登場する言葉である。 極貧の生まれから大リーグ野球選手となって名を馳せ、やがて福音伝道者へと転身したサンデーは、学校教育をほとんど受けておらず、聖書や神学の知識もない。その説教は壇上を走り椅子を振り回す型破りのスタイルで、単純ながら強いアピール力があった。そのサンデーを模した映画の主人公のガントリーは、伝道集会をまるで地方回りのサーカスのように仕立て上げ、野卑なアトラクションで人を呼び込む。そういう手法を仲間に批判されると、開き直って次のように語るのである。【そうさ、あんたは5ドルもする百科事典で、おれは2セントのタブロイド紙だ。お高くとまった連中は、そういうのが好みかもしれん。だが、ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義にはうんざりだ。おれは神学も生物学も知らないし、学問は何ひとつ知らない。だがな、大衆は誰も百科事典なんか買わない。タブロイド紙を喜んで買うんだよ。おれがその大衆だ。】 すさまじい自信と戦意に満ちたサンデーの姿をよく写し取った言葉である。エドワーズやホイットフィールドを萌芽期、フィニーやムーディを発展期とすれば、リバイバリズムはサンデーにおいて完成期に達したということができる。アメリカの反知性主義も、同じく彼において一つの完成形態に到達する。彼以降のリバイバリズムや反知性主義は、いわばこの原型をパターンとして応用しているにすぎな。 ビリー・グラハムの大衆伝道しかり、ジョゼフ・マッカーシー上院議員の共産主義者狩りもまたしかりである。信仰復興運動も、第3次まではその波が明確に数えられるが、第4次以降は史家によって数え方がまちまちで拡散している。■牧師資格の取得 反知性主義のヒーローたちに共通することだが、サンデーには学歴がまったくない。神学校で勉強したことはなく、大学はおろか高校すら出ていない。そんな彼が、どうやって聖書の言葉を語る伝道者になれたのだろうか。元大リーガーとしての名声があったとしても、それで知識の欠けを補えるものではない。伝道を始めたはよいが、その後も彼は長い間、いわば無資格で「無免許運転」であった。 ヘレンとの結婚後、彼はそのまま彼女との出会いの場であるシカゴの長老派教会に籍をおくようになったが、その長老派教会が彼に「伝道者」としての資格を認定したのは、ようやく7年後のことである。正式な「牧師」資格の認定には、それからさらに5年を待たねばならなかった。それにしても、長老派といえばインテリ教会の代表格で、牧師になるための資格試験もある。いったいサンデーは、どうやってその試験を切り抜けたのか。 牧師検定の口頭試問では、サンデーは神学や歴史についての質問に「それは私には難しすぎてわからない」「その問題はパスします」という答えを連発した。しまいには、検定委員の方が音を上げてしまい、こう切り出したという。「もう試験を打ち切りにしようではないか。彼は、ここに座っているわれわれ検定委員をみな足し合わせてもかなわないほど、多くの魂をキリストに導いたのだ。神が認めておられる伝道者を、われわれが落第させるわけにはゆくまい。」こうしてサンデーはめでたく牧師としての資格っを得ることになった。 本書をここまでお読みの方はもう説明の必要もないが、そもそもキリスト教の伝道者となるためには、牧師の資格は不要である。どこかの教会で正規の伝道者と認定してもらう必要もない。いや、そんな資格だの肩書きだのがあっても伝道には何の役にも立たず、かえって邪魔になるだけだ。神の言葉を宣べ伝えるのに必用なのは、地上の権威ではなく神ご自身の承認である、というのがその根本的な確信の在り処なのである。
2015.12.27
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本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。【トウ小平】エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊<商品説明>より トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル<読む前の大使寸評>エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪hontoトウ小平この本は読みどころが多いので、(その4)として読み進めたのです。中国共産党の病理が語られているので、見てみましょう。p231~234■深刻な腐敗 橋爪:中国のチャレンジについて、順番にうかがいましょう。まず、経済発展が、まだ一部に偏っているので、国全体にそれを押し広げなければなたないというのがあります。 ヴォーゲル:そう。 橋爪:高度成長から安定成長になって、10年20年とかかる。二番目に、いま話のあった社会保障や社会インフラの整備に、相当の投資が必要です。これは産業の投資と違って、財政支出を伴いますね。 ヴォーゲル:いま、その二つよりももっとむずかしい問題はね、腐敗だと思いますよ。 橋爪:ああ、はい。 ヴォーゲル:国民は、指導者を支持するのに、腐敗をやめろ、腐敗をすぐ何とかしてほしい、と思っている。 ところが、腐敗を根絶しようにも、腐敗の根はあまりに深い。上の指導者はいま、みんな心配しているんですね。自分もひっかかるんじゃないかと。指導者はみな、家族が腐敗問題をいっぱい抱えているので、自分たちの将来を心配しています。海外へ行こうか、どこに財産を隠そうか、気が気でない。 そういう心配があまり強くなると、習近平に対して、反感を持つ可能性がある。習近平政権も、それを恐れなければならない。しかし国民の手前、腐敗問題に手をつけて成果をあげないわけにはいかない。このバランスが崩れると、深刻な政治闘争を引き起こし、政治が乱れてしまうという心配があるのです。それが、いま直面している問題。いちばん危険なことだと、私はみています。■腐敗は構造的 橋爪:ヴォーゲル先生が危ないっておっしゃるなら、それは相当あぶない。 ヴォーゲル:ハハハハハ。 橋爪:腐敗の問題はね、昔、国民党に対して言われていたことで、共産党は革命的規律があるから大丈夫、のはずだった。 ヴォーゲル:そう。 橋爪:そもそも共産主義だから、私有財産がない。こう、言ってたわけですね。 ところが、社会主義市場経済になってみると、市場経済のなかには、私有財産があります。社会主義のなかには、権力があります。権力を独占しているのが中国共産党だとすると、権力を私有財産に変換できるわけです。これが、腐敗ってことですよね。 ヴォーゲル:そう。 橋爪:じゃあこれは、構造的な問題であって、取り除く方法が、私には思いつかないんですけれど。 ヴォーゲル:ですからいま、腐敗の問題は、抑えようとしているんですけれども、それは非常にむずかしい。どうにかして、腐敗をどんどん少なくさせようとすると、幹部たちは反撥する・・・・。■組織ぐるみの腐敗 橋爪:そんなの無理だと思いますけどね。腐敗は、共産党の組織ぐるみなんだから。 たとえば、ある市があってね、なにをやるかっていうと、じゃあ、市が持っている空き地にマンションを建てて、分譲して、みんなで儲けましょう。市有地に、市の企業がやってきて、建設して、販売して、買うのは値上がりを見越したバブルな買い手だったりなんかするわけです。 見る間に売れた。それで利益があがると、市長がこれぐらい、副市長がこれぐらい、水道局がこれくらいって、関係者が全員でわけちゃうわけでしょ。というやり方だから、自分だけ分け前はいりませんって言ったらにらまれますから、仲良くしている証拠に、分け前をもらわないといけない。 そういう案件がもう、毎日のようにあるわけですから、共産党の幹部はほっといてもじゃんじゃん儲かると思うんですけど、これ、誰かが有罪になったら全員有罪になってしまうわけですよね。 ヴォーゲル:はい。 橋爪:どうしようもないんじゃないですか。 ヴォーゲル:非常にむずかしいですね。どういうふうにやったらいいか。■共産党は利権集団に 橋爪:この現象はどういうことか。中国共産党は、ひとつの社会実体ですね。 ヴォーゲル:はい。 橋爪:それは、機能を、もっているわけです。中国を発展させる。人民の生活を向上させる。経済や政治をうまくやる。その機能をになうはずなんですけど、その実、その関係者が、利権団体になっていて、自分の利益のために、中国共産党に寄生している。もし、後者の割合のほうが多くなったら、それは社会の寄生虫です。だったら、駆除する以外にないじゃないですか、まるごと。 ヴォーゲル:非常にむずかしいですね。どうしたらいいか。はっきりした道は、ないですね。最後に習近平の今後を見てみましょう。p248~250■習近平は、実力者 橋爪:じゃあ、習近平。 ヴォーゲル:胡錦濤のあと、もう少し指導力のあるひとが必用だ、とみんな思った。自信のあるひと。そして、習近平は、コネがいっぱいあったんですね。 橋爪:習近平を選んだひとは誰ですか。誰かいないんですか。 ヴォーゲル:誰と誰というのは、はっきり証明できないですね。 ただね、政治局の上の、人びとですね。年配の人びと。元政治局にいたひととか。年長者は、まだ中国では、影響力をもつでしょう。われわれが調べるかぎり、だいたいそういうことらしい。そうやって、政治局の常務委員はだいたい決まった。 橋爪:なるほど。 ヴォーゲル:習近平は、父親も改革派。彼は多少、農民のこともわかっている。地方の経験もあったし、非常に自信満々で、頭がいい。そういうひとなので、胡錦濤よりも、強いことをやれるわけですね。そもそもそういう人間を選んだのです。 橋爪:いま集団指導制と言っていいですか。それとも習近平の力が、飛び抜けて強くなっていますか。 ヴォーゲル:習近平は、わりあいに強くなった。だけどまだ、集団が決めるんですね。習近平が、今後、権力を自分の手に集めて、もう少し強い指導者として、働く可能性はあるんですけれども、ほかのひとが反対すれば、やりにくい。権力は、限られているんですね。 橋爪:あと数年すると、少し人事で入れ換えが、一部あるはずですね。 ヴォーゲル:そうそうそう。 橋爪:それから途中で、薄キ来とか周永康とかいろんなひとを抑えて行ったので、対抗するひとがあんまりいないようにも思うんですけれども。 ヴォーゲル:それはわからないですね。 橋爪:わからない? ヴォーゲル:まだ、わからないですね。いまのところは、まだ見えないんですね。 橋爪:いまのところ、見えない。習近平が失敗して、なにか問題を起こすとすれば、いちばん大事な問題はなんでしょうね。やっぱり腐敗ですか。 ヴォーゲル:腐敗ですね。みんな、自分の将来を心配しているわけですね。みんなも腐敗をやっているのだから、という言い訳は、ちょっと通用しないでしょうね。中国の復興のために、聡明なトウ小平は改革開放を断行したが・・・土地が国家独占という社会主義体制下でそれを行ったことが、諸悪の根源となったようですね。そういう危険性をトウ小平は知っていたのかもしれないけど。『トウ小平』1『トウ小平』2『トウ小平』3
2015.12.26
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図書館で借出し予約していた『利己的な遺伝子』という本をゲットしたのです。待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪【利己的な遺伝子】リチャード・ドーキンス著、紀伊国屋書店、2006年刊<「BOOK」データベース>より「なぜ世の中から争いがなくならないのか」「なぜ男は浮気をするのか」-本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、雌雄の争い、攻撃やなわばり行動などが、なぜ進化したかを説き明かす。この謎解きに当り、著者は、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から快刀乱麻、明快な解答を与える。初刷30年目を記念し、ドーキンス自身による序文などを追加した版の全訳。【目次】人はなぜいるのか/自己複製子/不滅のコイル/遺伝子機械/攻撃ー安定性と利己的機械/遺伝子道/家族計画/世代間の争い/雄と雌の争い/ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう/ミームー新登場の自己複製子/気のいい奴が一番になる/遺伝子の長い腕<読む前の大使寸評>待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪<図書館予約:(12/05予約、12/18受取)>rakuten利己的な遺伝子哲学的というか、印象的な出だしを見てみましょう。p1~4 <人はなぜいるのか> ある惑星上で知的な生物が成熟したといえるのは、その生物が自己の存在理由をはじめて見出したときである。もし宇宙の知的にすぐれた生物が地球を訪れたとしたら、彼らがわれわれの文明度を測ろうとしてまず問うのは、われわれが「進化というものをすでに発見しているかどうか」ということであろう。 地球の生物は、30億年もの間、自分たちがなぜ存在するのかを知ることもなく行き続けてきたが、ついにそのなかの一人が真実を理解しはじめるに至った。その人の名はチャールズ・ダーウィンであった。正確にいうなら、真実をうすうす気づいた人は他にもいたのだが、われわれの存在理由について筋が通り、かつ理にかなった説明をまとめたのが、ダーウィンその人であった。 ダーウィンは、この章の標題のような質問をする好奇心の強い子どもに、われわあれが理屈の通った分別ある答をきかせてやれるようにしたのである。 生命には意味があるのか?われわれはなんのためにいるのか?人間とはなにか?といった深遠な問題に出会っても、われわれはもう迷信に頼る必用はない。著名な動物学者C・G・シンプソンはこの最後の疑問を提起したあとで、こう述べている。「私が強調したいのは、1859年以前には、この疑問に答えようとする試みはすべて無価値であったこと、われわれがそのような試みをまったく無視できるのなら、そのほうがましであろうということである」。 今日進化論は、地球が太陽のまわりをまわっているという説と同じくらい疑いないものであるが、ダーウィン革命の意味するものすべてが、さらに広く理解されねばならない。動物学は大学ではいまだ少数派の研究分野であるし、動物学を選ぶ人でさえ、その深い哲学的意味を評価した上でそう決心するのではない場合が多い。 哲学と、「人文学」と称する分野では、今なお、ダーウィンなど存在したことがないかのような教育が行われている。こうしたことがいずれ変わるであろうことは疑いない。どのみち、この本の意図は、ダーウィニズムの一般的な擁護にあるのではない。そうではなくて、ある論点について進化論の重要性を追求することにある。私の目的は、利己主義と利他主義の生物学を研究することにある。(中略) 私の論旨そのものに入る前に、私は、それがどういう種類の議論であって、どういう種類の議論でないかを手短に説明しておきたい。もし、ある男がシカゴのギャング界で長年順調な生活を送ってきたと聞いたら、その男がどういう種類の人間であるか、およその見当がつこう。おそらく彼は、タフな早撃ちの名手で、義理堅い友人を魅きつける才のある人間であろうと思われる。 これは絶対確実な推論ではないかもしれないが、ある人が生きのび成功してきた条件について何かわかれば、その人の性格についてなんらかの推測をくだすことができる。この本の主張するところは、われわれおよびその他のあらゆる動物が遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである。成功したシカゴのギャングと同様に、われわれの遺伝子になんらかの特質があることを物語っている。 私がこれから述べるのは、成功した遺伝子に期待される特質のうちでもっとも重要なのは非情な利己主義である、ということである。ふつう、この遺伝子の利己主義は、個体の行動における利己主義を生みだす。しかし、いずれ述べるように、遺伝子が個体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、もっともよく自分自身の利己的な目標を達成できるような特別な状況も存在するのである。 この最後の文の「限られた」と「特別な」という語は重要なことばである。そうでないと信じたいのは山々だが、普遍的な愛とか種全体の繁栄とかいうものは、進化的には意味をなさない概念にすぎない。この章の続きです。利己的にみえる行動と利他的にみえる行動が述べられています。p7~11 利己的にみえる行動と利他的にみえる行動の例をいくつかあげてみよう。われわれは自種を扱うさいには、主観的に考える癖を抑えがたいものなので、他種の動物の例をひくことにしよう。まず、個体による利己的行動のいろいろな例をみる。 ユリカモメは大きなコロニーをつくって営巣するが、巣と巣はわずか数十センチしか離れていない。かえりたての雛は小さくて無防備であり、捕食者にとってはたいへん呑みこみやすい。あるカモメはとなりのカモメが巣を離れるのを、たぶん魚をとりに出かけるのを待って、そのカモメの雛に襲いかかり、丸呑みにしてしまうことがよくある。こうして、そのカモメは魚を取りにいく手間を省き、自分の巣を無防備な状態にさらさないで栄養豊かな食物を手に入れるのである。(文字数制限により省略、全文はここ) 利他的にみえる行動の例をいくつかあげてみよう。 働きバチの針を刺す行動は、蜜泥棒に対するきわめて効果的な防御である。しかし刺すハチたちは神風特攻隊なのだ。刺すという行為で、生命の維持に必用な内臓がふつうは体外にもぎとられ、そのハチはその後まもなく死んでしまう。そのハチの自殺的行為がコロニーの生存に必要な食物の蓄えをを守ったかもしれないが、そのハチ自身はその利益にはありつけない。われわれの定義では、これは利他的行動である。意識的な動機について述べているのではないことを思いだしてほしい。この場合にも、また利己主義の例でも、意識的な動機はあることもあろうし、ないこともあろうが、それはわれわれの定義には無関係である。 ある個体が、友のために生命を捨てることが利他的であることは明らかだが、友のためにわずかな危険をおかすこともやはり利他的である。多くの小鳥はタカのような捕食者が飛んでいるのをみると、特徴的な「警戒声」を発し、それによって群れ全体が適当な逃避行動をとる。警戒声をあげる鳥は捕食者の注意を自分にひきつけるので、ことさら身を危険にさらしているという間接的な証拠がある。それは仲間より多少危険が増すということにすぎないのだが、やはりこれは、少なくとも一見した限りではわれわれの定義による利他的行為に含まれるようにみえる。 動物の利他的行動の中でもっともふつうに、もっとも顕著にみられるのが、親、とくに母親の子に対する行動である。彼らは巣の中か自分の体内で卵をかえし、多大な犠牲を払って子に食物を与え、大きな危険に身をさらして捕食者から子をまもる。一例をあげると、多くの地上営巣性の鳥はキツネのような捕食者が近づいてきたときに、いわゆる「擬傷」ディスプレイをおこなう。親鳥は片方の翼が折れているかのようなしぐさで巣から離れるのである。捕食者は捕らえやすそうな獲物に気づいて、おびきよせられ、雛のいる巣から離れる。最後に親鳥はこのしばいをやめ、空中に舞いあがってキツネの顎から逃れる。この親鳥はたぶん自分の雛の生命を救ったであろうが、そのために自分自身をかなりの危険にさらしている。 私は物語を語ることによって、自説を主張しようとしているのではない。適当に選びだした例でもって、ちゃんとした一般論のまともな証拠とすることはできないからである。これらの話は単に、個体レベルの利他的行動と利己的行動はどういう意味かを説明するためにあげたにすぎない。 この本で私は、遺伝子の利己性と私が呼んでいる基本法則によって、個体の利己主義と個体の利他主義がいかに説明されるかを示そうと思う。しかしその前にまず、利他主義についての誤まった説明をとりあげねばならない。というのは、そうした説明が一般に知れわたっており、学校で広く教えられてさえいるからである。 この説明は、すでに述べたような誤解にもとづいている。つまり、生き物は「種の利益のために」、「集団の利益のために」ものごとをするように進化する、という誤解である。生物学でこの考え方がどれほど優勢であるかは、容易にみることができる。動物の生活は大方が繁殖に捧げられており、自然界にみられる利他的自己犠牲の行為のほとんどが親の子に対するものである。「種の存続」とは繁殖ということのよく使われる婉曲な言いまわしである。たしかに、それが繁殖の結果であることはまちがいない。繁殖の「機能」が種を存続させる「こと」だと推論するには、論理をわずかに飛躍させるだけでよい。このことっから、動物が一般に種の存続に役立つようにふるまうと結論づけるには、さらに短い誤まった一歩があればすむ。たぶんその次には、自種の仲間に対する利他主義という話になるであろう。 この考え方はなんとなくダーウィニズム的なことばに翻訳できる。進化は自然淘汰によって進み、自然淘汰は「最適者」の生存に加担する。ところで、ここでいう「最適者」とは最適個体のことだろうか、それとも最適品種、あるいは最適種のことだろうか?いったい何をさしているのだろう? 目的によってはこれはさして問題ではないが、利他主義について述べるときには、これは非常に大事なことである。 ダーウィンが生存競争とよんだものにおいて競いあっているのが種であるとすれば、個体は将棋の歩とみなすことができる。種全体の利益のために必要とあれば、犠牲になるのである。もう少し上品な言い方をすれば、各個体がその集団の幸福のために犠牲を払うようにできている種ないし種内個体群のような集団は、各個体が自分自身の利己的利益をまず第一に追求している別のライバル集団よりも、おそらくは絶滅の危険が少ないであろう。 したがって、世界は、自己犠牲を払う個体からなる集団によって大かた占められるようになる。これが「群淘汰」説である。この説は、V・C・ウィン=エドワーズが有名な著書の中で世に公表し、ロバート・アードリーが『社会契約』の中で普及させた、進化説の詳細を知らない生物学者たちに長年真実だと考えられてきた説である。 昔から支持されてきたもう一つの説は、ふつう「個体淘汰」とよばれているものである。私としては遺伝子淘汰というほうが好きであるが・・・・。
2015.12.26
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図書館で『街の本屋が「カア!」と啼く』という本を見かけたが・・・・地方の出版社(明石市)から出した本であるが、著者のセンスがいいのか出版社のセンスがいいのか・・・表紙が恰好よくて、写真も多くて、短篇小説集も付いていたりして、とにかく、装丁に関してはハイレベルな本である。ということで、即、借りた次第です。【街の本屋が「カア!」と啼く】川辺佳展著、幻堂出版、2002年刊<「MARC」データベース>より「なんか事業をやらないか」という父親のひとことをきっかけに本屋経営を思い立った著者の、はじめの失敗から理想の本屋をめざした店作り、地域の人々との交流などを描いた奮闘記。巻末に小説も付す。<大使寸評>地方の出版社(明石市)から出した本であるが、著者のセンスがいいのか出版社のセンスがいいのか・・・表紙が恰好よくて、写真も多くて、短篇小説集も付いていたりして、装丁に関してはハイレベルな本である。この本屋の場所も知っているし、出版社はドングリ国のお隣の明石市とくれば・・・親近感が沸くのです。愛情物語シリーズ#1となっているが、その後シリーズ2巻は出ているのだろうか?Amazon街の本屋が「カア!」と啼く装丁が良くて借りたのであるが・・・幻堂出版という出版社と著者のコラボがええでぇ。これから読むので、面白さは追ってお伝えします。こうご期待♪***********************************************************川辺 佳展(かわべ よしのぶ) 1956年神戸市生まれ。神戸市西区に郊外型書店を開業も12年で幕。なお懲りずに元町・下山手に「烏書房」を開業。奮戦中。 なお、この本の出版苦労話がリーフレット町の本屋に載っています。「街の本屋が『カア!』と啼く」が、(カクジツに)置いてあるお店(http://homepage2.nifty.com/hon-karasu/list-machi-kaa.htmより)なお、海文堂書店が載っているので、この情報は2002年のものかも?<神戸>元町 海文堂書店三宮 ジュンク堂三宮店三宮 ジュンク堂三宮駅前店三宮 紀伊国屋書店三宮 三宮ブックス三宮 福家書店元町 ちんき堂元町 ジャパンブックスハーバーランド アシーネ新開地 神文館書店六甲道 雄倉書店板宿 ブックス三ツ輪パルプラザ店西神南駅構内 喜久屋書店西南店元町 カフェ・AZUMA元町 アビョ~ン(バー・北長狭通3丁目)新開地 ナフシャ(カフェ)<明石>大久保 巌松堂書店
2015.12.25
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年の瀬となり…殊勝にも2015年を振り返ってみようと思う。個人的7大ニュースを目指したが、晴走雨読のワンパターン生活なので、それほどイベントが多くないわけです。…で、5大ニュースにペースダウンして披露してみます。・孫娘誕生(1月)・人生最後の車買い替え(1月)・術後定期診断の経過は良好(12月)・図書館予約の運用が佳境(11月~12月)・三田ハーフで不名誉な関門閉鎖(12月)*****************************************************************************<孫娘誕生(1月)>孫娘(初孫)が1月13日に生まれたのです。孫娘の誕生を祝うかのような旗の列です♪・・・というのは冗談で、産院を退院の日に天皇、皇后両陛下の御来貢があり、マイカーが先導車列にスポッとはまったので、この写真が撮れました。。(この日は、阪神・淡路大震災追悼式に両陛下がご臨席くださったようです)*****************************************************************************<人生最後の車買い替え(1月)>普通車の維持費に堪えかねて、軽自動車(ホンダN-BOX)に買い換えたのです。年齢から考えて、人生最後の車買い替え、つまり最後の車となるでしょう。車購入後に後追いで、カー雑誌で他車との比較なんかを行って、悦に入っております♪*****************************************************************************<術後定期診断の経過は良好(12月)>12/8に、術後の定期診断に出向いたが経過は、まあ良好とのこと♪でも、血液検査結果が万全でないので受診インターバルが半年から3ヵ月後となりました。術後の経過とマラソン実績については、腑抜けの闘病記に収めているので、ご覧ください。*****************************************************************************<図書館予約の運用が佳境(11月~12月)>神戸市の図書館予約サービスを昨夏から利用しているが・・・予約、予約候補選定、受取という一連の運用が、11月~12月頃になって忙しくなったのです。最新の運用実績を以下に紹介します。<予約中>・文体の科学(3/14予約、11/28再予約)・忘れられた巨人(7/18予約済み)・日本戦後史論(7/27予約済み)・ハトはなぜ首を振って歩くのか(8/13予約済み)・紙の動物園(9/27予約済み)・データの見えざる手(11/20予約済み、副本4)・長いお別れ(11/23予約済み、副本24)・第2図書係補佐(11/29予約済み、副本7)・電気は誰のものか(12/09予約済み、副本0、予約6)・「中国共産党」論(12/11予約済み)・対話録・現代マンガ悲歌(12/22予約済み、副本0、予約0)<予約分受取:11/19以降>・かたづの!(8/24予約、11/19受取)・シェール革命再検証 (11/09予約、11/27受取)・李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集(11/28再予約、12/04受取)・ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ(12/01予約、12/05受取)・オールドテロリスト(7/21予約、12/13受取)・利己的な遺伝子(12/05予約、12/18受取)・反知性主義(6/22予約、12/23受取)・夜また夜の深い夜(5/12、12/23受取)・中東湾岸ビジネス最新事情(12/16予約、12/23受取)*****************************************************************************<三田ハーフで不名誉な関門閉鎖(12月)>このレースは最終関門の制限時間が2時間30分とかなりきつい設定となっています。・・・で、ラスト前の関門で関門閉鎖時間を5分ほどオーバーし、記録なし完走の憂き目となった次第です。レース詳細は三田ハーフマラソン結果2015を、ご笑覧ください。*****************************************************************************のんびりと、今年の回顧を書いているが、年賀状を書くほうが先ではなかったか?・・・ということで、これから年賀状にとっかかる予定です。
2015.12.25
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本、年越し」でしょうか♪<市立図書館>・反知性主義・夜また夜の深い夜・中東湾岸ビジネス最新事情・日中戦争とノモンハン事件<大学図書館>・伝わるWebライティング図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【反知性主義】森本あんり著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、アメリカで変質したキリスト教が生みだした「反知性主義」にあった。いま世界でもっとも危険なイデオロギーの意外な正体を、歴史的視点から鮮やかに描く。<読む前の大使寸評>予約して待つこと6ヶ月でゲットしたのです。いま世界でもっとも危険なイデオロギーとのこと・・・怖い物見たさもあるわけです。<図書館予約:(6/22予約、12/23受取)>rakuten反知性主義反知性主義byドングリ【夜また夜の深い夜】桐野夏生著、幻冬舎、2014年刊<「BOOK」データベース>より私は何者?私の居場所は、どこかにあるの?どんな罪を犯したのか。本当の名前は何なのか。整形を繰り返し隠れ暮らす母の秘密を知りたい。魂の疾走を描き切った、苛烈な現代サバイバル小説。<読む前の大使寸評>前回の書評で『最貧困女子』を取り上げたが、日本では若年女子やシングルマザーに貧困が吹き溜まってくるようです。桐野夏生の脳裏には、その先までが、見えるのかもしれないですね。<図書館予約:(5/12予約、12/23受取)>rakuten夜また夜の深い夜【中東湾岸ビジネス最新事情】畑中美樹著、同友館、2009年刊<「BOOK」データベース>より新たなビジネスの芽に目ざとい米欧企業の一部は、中東湾岸で現地パートナーと組んだ合弁事業を立ち上げたり、地域事務所を新設したり、あるいは駐在員数を増やしている。中東湾岸の新たなビジネス・チャンスにいち早く動いたのは米欧に限った話ではなく、世界各地に進出しつつある中国勢も例外ではない。日本も「新しい市場としての中東」を早急に見直し、これまでの固定観念にとらわれず、ビジネス・チャンスの宝庫として接して行く必要がある。<読む前の大使寸評>在職時にはサウジの造水プラント関連の仕事に従事したので、リタイア後にも中東湾岸ビジネスが気になるのです。<図書館予約:(12/16予約、12/23受取)>rakuten中東湾岸ビジネス最新事情中東湾岸ビジネス最新事情byドングリ【日中戦争とノモンハン事件】水嶋都香著、第一書房、2007年刊<カスタマーレビュー>より勉強家であり理解力と洞察力に優れた筆者は、恐らく厚さ2メートルほどに達したかと思われる量の文献を読破し、表題に関係する事実を細部にわたって整理し再構成している。大多数の読者にとって今や仔細への関心が持てない時代の出来事であるが、筆者はそこに現代への教訓があるとしている。 まずノモンハン事件を詳述し、次に日中戦争の経緯を描き、それから敷衍して今の日本の国防・教育問題を論じている。随所に筆者の洞察とバランスある見識が読取れる。<読む前の大使寸評>とにかく、関東軍参謀の独断専行負け戦が腹立たしいのです。著者は東芝で技師長を勤めた経歴を持つが、どおりでバランスある見識が感じられるのです。Amazon日中戦争とノモンハン事件【伝わるWebライティング】ニコルとケイト著、ビー・エヌ・エヌ新社 、2015年刊<「BOOK」データベース>より今求められるのは、ずっと・もっと・しっかりつながるWebサイトづくり。そのために、ふさわしいスタイルをみつけよう。親切に、話しかけるように書くことからはじめよう!読者を意識し、わかりやすく、フレンドリーな文章を書くための、最高に親切なWebライティングガイドです。長年ウェブに携わってきたニコルとケイトが、Apple、MailChimpなど名だたる企業でのWebライティング経験から書き上げた待望の本。<読む前の大使寸評>米国人ライターのハウツウ本といえば毛嫌いするはずなのだが、手にとってパラパラめくると・・・お いけるやんけ、という次第です♪rakuten伝わるWebライティング伝わるWebライティングbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き128
2015.12.24
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図書館に予約していた『中東湾岸ビジネス最新事情』をゲットしたのです♪在職時にはサウジの造水プラント関連の仕事に従事したので、リタイア後にも中東湾岸ビジネスが気になるのです。【中東湾岸ビジネス最新事情】畑中美樹著、同友館、2009年刊<「BOOK」データベース>より新たなビジネスの芽に目ざとい米欧企業の一部は、中東湾岸で現地パートナーと組んだ合弁事業を立ち上げたり、地域事務所を新設したり、あるいは駐在員数を増やしている。中東湾岸の新たなビジネス・チャンスにいち早く動いたのは米欧に限った話ではなく、世界各地に進出しつつある中国勢も例外ではない。日本も「新しい市場としての中東」を早急に見直し、これまでの固定観念にとらわれず、ビジネス・チャンスの宝庫として接して行く必要がある。<読む前の大使寸評>在職時にはサウジの造水プラント関連の仕事に従事したので、リタイア後にも中東湾岸ビジネスが気になるのです。<図書館予約:(12/16予約、12/23受取)>rakuten中東湾岸ビジネス最新事情2009年時点のサウジの発電・造水事業を見てみましょう<サウジアラビア:発電・造水事業はすでに計画済み>p114~115 湾岸協力会議(GCC)諸国でも圧倒的に人口の多いサウジアラビアのフェヒード・アル・シャリフ・サウジアラビア海水淡水化公団(SWCC)総裁兼民営化・リストラチャーリング責任者は、2008年6月、シンガポールで開かれた国際水資源週間の中東ビジネスフォーラムで、同国で総額120億ドル超の発電・造水事業を計画済みであり、今後数年で造水量を1日当たり224万立方メートル、発電量を2750MWにそれぞれ拡大することを明らかにした。 また同総裁は、サウジアラビアが主要な政府資産の民営化を行う予定であり、海水淡水化の民営化事業だけでも今後20年で430億ドルの規模に達することを明らかにした。(中略) さらに同総裁は、「2008年春の時点で、サウジ最高経済評議会は4件の独立型造水発電事業(IWPP)を承認した。総額46億ドルにものぼる最初の3件の事業の金融面は既に手当て済みで、建設も進んでいる。総額30億ドルの第4の事業も入札にかけられた。IWPP絡みのその他の送水事業(総額45億ドル)も計画されている」と述べ、各種事業がIWPPをベースとして既に進められつつあることを説明した。日本企業の水処理事業関連の動きを見てみましょう。<和製メジャー作りに動き出した日本>p118~120 世界レベルでの水資源への関心の高まりや、国境を越えた水ビジネスの拡大は、日本企業にも大きな影響を与えた。これまで水処理機器の販売や海水淡水化施設の建設など、限られた分野で海外の水ビジネスに関わってきた日立プラントテクノロジーや東レ、荏原製作所、鹿島をはじめ日本企業14社が、2009年1月に「」を創設したのである。個々の分野では優れた技術・ノウハウなどを持つ企業が集まり、補完し合うことで、トータルな水ビジネスでのビジネス・チャンスをつかもうとの発想である。 現時点では、約35兆円強といわれる世界の水ビジネスの規模だが、一説では2025年には現在のほぼ3倍の110兆円規模に拡大するという。その内訳は、エンジニアリング関連が約10兆円、素材関連が約1兆円であるのに対して、管理・運営事業が約100兆円にものぼるという。 日本の企業は、従来から海水淡水化の分野では高い技術を持っており、世界の同施設の市場占有率も米国に次ぐ20%超を維持してきた。特に日本はポンプ技術に秀でており、中東でも多くの受注を獲得してきた。 また、海水をろ過する際に使用される水処理膜の技術でも、日本企業は世界のトップレベルにある。サウジアラビアなどでは逆浸透(RO)膜型のプラントを数多く受注している。しかし、それだけでは海水淡水化施設を建設する単なる建設屋に終わってしまう。施設を建てるだけでなく、それを一定期間、運営・管理し、その対価も徴収できれば収益源は広がる。 さらに、ここに来て日本企業の間では、配水や海水の再処理による再利用といった水処理事業を見直す動きも急である。既に見たように生活用水や工業用水の確保がますます難しくなっている中東湾岸では、水処理への需要が急速に高まっている。 将来の水ビジネスに着目する東レは、既に中国の上海に水処理事業の研究施設を持っているが、2009年6月、水処理関連企業の集まるシンガポールに研究拠点「東レ・ウォーター・テクノロジー・ラボラトリー」を新設することを発表した。同社は水処理事業だけで2015年に売上高1000億円超、営業利益100億円超を目指している。2009年発刊のこの本には明るい湾岸情勢が述べられているが、最新の報道ではサウジ財政悪化が伝えられています。さて、今後の中東湾岸ビジネスはどう展開するのか?独立型造水発電事業(IWPP)の基礎知識については石油上流企業従事者のためのIWPP基礎知識というのがネットに出ていました。(基礎といっても、かなり専門的だが)ちなみに、大使がサウジで従事した造水プラントの建設現場はこんなでした。とにかく暑いわけです。この記事もサウジアラビアあれこれに収めておくものとします。
2015.12.23
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今年もあと10日を切り、なにやかやと年の瀬回顧の時期になりましたね。ということで、今年のマラソンの応募、出走を振り返ってみよう。〇4/20 志麻ハーフ〇5/25 浜坂ハーフ〇9/14 烏原駅伝〇11/1 淀川ハーフ〇11/8 六甲10K・11/23 神戸マラソンは応募3連敗となり、もう応募するのを止めています。〇12/20 三田ハーフ 記録の方は、歳を追ってというか、順調に下降しております。でもまあ、練習のモチベーションは維持できたので、良しとしよう。なにしろ年金生活で、練習時間はたっぷりあることだし・・・来年頑張ればいいのである。今年の印象的なレースとしては・・・なんといっても関門閉鎖にぶちあたった三田ハーフということになります(汗)昨今ではハーフの記録は2時間半あたりで低迷し、あまり意気があがらないのだが・・・・筋トレを取り入れるなど、練習方法を見直さないかぎり記録アップは望めないようです。***********************************************************ちなみに、2014年の回顧は2014年のマラソンを振り返って でおます。なお、通年のマラソン記録については腑抜けの闘病記 収めております。2016年度の「志摩ロードパーティ」は、11月12日、13日開催に変更とのことなので・・・3月、4月は、どこか新しいレースをみつくろってエントリーすることになります。
2015.12.22
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図書館で『歴史と文化の町並み事典』という本を手にしたが・・・・この本で取り上げた町並みで、ドングリ国に近い順では、神戸市北野町、京都市産寧坂、大津市坂本、南丹市美山町、近江八幡市あたりになるが、興味深いのです。【歴史と文化の町並み事典】文化庁編、中央公論美術出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より妻篭宿(長野県)、白川村(岐阜県)、川越(埼玉県)-文化庁選定の歴史を活かした109地区を完全網羅!城下町、宿場町、山村集落など全109地区の歴史や風土を丁寧に紹介。各保存地区の景観を伝えるカラー写真を豊富に掲載。巻末に制度や用語の解説、年表など伝建地区に関する資料を収録。<読む前の大使寸評>この本で取り上げた町並みで、ドングリ国に近い順では、神戸市北野町、京都市産寧坂、大津市坂本、南丹市美山町、近江八幡市あたりになるが、興味深いのです。rakuten歴史と文化の町並み事典とにかく、まず我が町神戸の歴史的風致地区を見てみましょう。北野町p132 <神戸市北野町山本通> 神戸は、古くから天然の良港として栄えた兵庫の津と、幕末の開港とともに神戸村に設けられた外国人居留地の二つの地区を核として発展した町である。 安政5年(1858)の修好通商条約による兵庫開港は、文久3年(1863)に予定されていたが政情が不安定のため延期され、慶応3年(1868)にようやく開港の運びとなった。 条約では開港場に外国人居留地の設置が義務付けられており、旧生田川西岸の海岸付近一帯約25.6ヘクタールがその地区と定めらた。計画によると、居留地には歩道と車道に分離された道路が東西南北に通されて126区画の宅地や公園がつくられ、また下水道も設置され、辻々にはガス灯が設けられることになていた。 しかし神戸では居留地の整備が大幅に遅れたため、周辺部にいわゆる雑居地を認めるっこととなり、外国人が日本人と任意の契約のもとに土地や家屋を借り、家の新築を行うことが始まった。その主な地域に選ばれたのが居留地の北方、六甲山麓で、この付近は段状の田畑の所々に集落や溜池の散在する農村であったが、明治2年より英国人ガールほか数名の山手永代貸が始まっている。 そして明治5年には山手地区開発のため、東西3条南北5条の道路工事が開始され、山手と居留地を結ぶ幹線道路も開設された。さらに明治21年より第二次山手新道開設工事が行われ、異人館の建築もこの頃から一層活発となった。 保存地区はかつての山手雑居地の一部に当たる北野町山本通の東西約750メートル、南北約400メートルの範囲である。この地区は明治20年代になって、山手の道路が整備されるとともに発展し、外国人住宅として異人館などの洋風建築物が数多く建てられ、高級住宅地になるに及んで、良質の和風住宅も加わって調和のとれた独特の雰囲気をもつ町並みが形成された。 その最盛期には200棟を超した洋風建築物も戦災や戦後の建替えなどで減少したが、幸いに今もなお重要文化財旧トーマス住宅(明治42年)をはじめ33棟の洋風建築物が残されている。(中略) 神戸市北野町山本通伝統的建築物群保存地区は優れた意匠の洋風建築物が良く保存され、これと和風住宅などが一体となって優れた歴史的風致を形成し、国際性に富んだ神戸らしさを最も良く残す貴重な町並みである。
2015.12.22
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レース結果は、18K地点の関門閉鎖に遭ってしまい記録無しとなったのです。我がマラソン人生で、初めての関門不通過という不名誉な経験でした。でもね・・・記録がなくなっても、ストップされるわけでもないので、完走めざして走ったわけで、お天気もいいし、沿道の応援も暖かいし・・・・ヘロヘロとなって2時間33分でゴールいたしました♪以下、記録詳細です。65歳以上順位:記録なし/311人(ラップタイム) (1K換算)10K 68’くらい 6’48ゴール 153'くらい 7’43レース結果は2時間33分台で、去年より15分も遅くなっています。とにかくレース前の練習不足が、結果に表れています。筋力の衰えが見て取れるわけだが・・・でも、よく完走できました♪このレースの関門閉鎖はゴール地点で2時間30分とかなり過酷な設定となっているので、レース前にやや不安があったけど・・・やはり関門不通過となったのです。【レース後の反省】大使の持論「ハーフなら練習なしでも根性で走れる」を過信したのが・・・良くなかったみたいです(当然です)。【本レースのお楽しみ】大会が準備したトン汁をレース後にいただいたが、ええ味してるでぇ♪ということで・・・・乗り換えの三宮で、韓国料理屋に立ち寄り、慰労の牛すじチゲをいただきました。ちなみに、去年の三田ハーフマラソン結果2014です。
2015.12.21
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父の蔵書棚から『韓国人が見た日本』という本を見つけたのです。1984年刊ということでかなりの古本であるが、朝鮮日報社編というのが・・・興味を惹くわけでおます。日韓で隣国に対する国民感情は、今が戦後で最悪のようだが、当時はどうだったか?ということで読んでみよう。【韓国人が見た日本】朝鮮日報社編、サイマル出版会、1984年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>1984年刊ということでかなりの古本であるが、朝鮮日報社編というのが・・・興味を惹くわけでおます。朝鮮日報といえば右翼的言論で日本のサンケイ新聞に匹敵するのだが、韓国での売れ筋トップというところが恐れ多いのかも。rakuten韓国人が見た日本巻頭に、1984年時点の朝鮮日報編集局長・崔さんのことばが載っています。p2~3 <はじめに> 日本に国を奪われたのち、日本の教育を受け、日本式の思考を経験した世代は、日本について多くのことを知っているかに見えた。それにもかかわらず、日本に対する知識は普遍化されえなかった。日本を知っているということが親日の烙印を押されると言う民族のわだかまりは、時代的に不可避であった。また日本を知っているといっても、それは植民意識の延長線上で、韓国人としての視角を見失ったものでもありえた。 あれこれの理由から、韓国人にとっての日本は「豊かな国」として憧憬の対象にもなり、あるいは「掠奪者」としての呪詛のシンボルにもなるというように、きわめて整理されない「葛藤の国」に終始してきた。昨日の日本と今日の日本を、そしてそれをつなぐ日本の意識の脈を提示し、説明する書籍一冊すら出版されることがなかった。 このような状況は、植民統治を受けるという国恥を実感できない、いわゆる「ハングル世代」の膨張とともに、深刻な様相に発展しはじめた。日本を皮相的に観察するしかなかったこの世代は、それぞれの尺度で日本を測った。日本を民主主義が理想的に発展した国してのみ認識する政治的偏重もあったし、経済大国としてのみ把握する経済一辺倒の見解が生まれたかと思えば思えば、あるいは、日本という国はまあまあの国でしかないのに、韓国はなぜ過去の束縛から脱皮できず、被害意識にのみとらわれているのかというような評価も、間断なく生まれた。 朝鮮日報が、83年に「克日の道」シリーズをはじめたとき、克日という表現について多くの論議があったという事実一つからだけでも、今日の韓国社会に内在する日本に対する意識の幅がいかに広いかを知ることができる。 ある人は、「日本が何であるからといって、日本を克服することを民族意識定立の一命題にしなければならないのか」と抗議したし、また他の見解は、克日という表現自体が日本への劣等意識を表すものだと主張した。日本を知ろうとすること自体を白眼視し、それを拒否する考え方もなくはなかった。一言でいって、日本は韓国人の意識を今も正面切って悩ませつづける怪物でもあった。 このような状況は、朝鮮日報をして、日本はわれわれにとってどのような国であり、どのような意味をもつ国であるかを探り当てる必要性を、いっそう切実に感じさせるものであった。この本の視点は歴史・政治・経済・生活・伝統など多岐にわたるが、一例として美意識に関する記事を見てみましょう。p246~248 <柳宗悦批判:金両基> 1919年の3・1独立運動に対する日本政府の弾圧に、即時、筆をもって強く抗議した柳宗悦は、韓国の民衆工芸をとおして民芸論という民衆芸術論を確立し、韓民族を非常に愛した日本人であった。韓国美の特徴を「白と線」だと説いた、そのひとである。 宗悦は、「挑戦の美はすべて悲哀の美だ」という美論を展開し、その美論が50余年間、定説のごとく通用してきた。1983年、宗悦のその美論を批判する論が、韓国でも話題を集めている。時期遅れの感はあるが、歓迎したい。 じつは70年代のはじめ、私は日本で柳宗悦の韓国美論について批判を展開し、朝日新聞の紙上で数年間論争を続けた。それを、世間では白の論争とよんでいる。 宗悦の悲哀の美論を、わたしは過去の日本の植民地歴史観に汚染された美学であり、宗悦の誤認であると批判した。白の論争をとおして、韓国の美を悲哀の美だと説いた宗悦の定説は、日本からその姿を消していった。少なくとも、マスコミでは使われなくなった。それとは反対に、私が主張した韓民族の楽天性と飛翔が注視されている。 ところで、白の論争での私の主張と相通じる芸術論が、十余年後の今年、韓国内でも話題にのぼっているが、遅きに過ぎると指摘せざるをえない。 民族芸術論を確立する作業は、たいへん急を要するということは、二言を待たない。ところが、その作業は宗悦の悲哀を美論を黙殺したり無視しては、不可能なことである。その点から、時期が遅きに過ぎたと指摘しておきたいのだ。 天才的な美学者であった宗悦が、工芸と同じ程度に、韓国の民衆のなかに深く入っていったならば、そうした誤認は絶対に起こらなかったにちがいない。宗悦の鋭い目も、結局は、わが民族芸術を表層的に観察したにすぎない、ということになる。それは、外国文化を鑑賞したり観察するときなど、必ず起こってくる問題である。韓国人もしばしば、日本文化を表層的に観察して、それをあたかも真理のごとく誤認することが少なくない。おたがいにその点を深刻に反省しなければならない。 韓国と日本の文化には、似たところが世界のどの国よりも多いだろう。しかし、類似性が濃いからといって、それが必ずしも共通点になるとは限らない。同じ素材でつくっても、異色なものに仕上がるのが、民族的な特徴といえるのではなかろうか。 日本のお新香も韓国のキムチも、同じく白菜を素材にした漬け物である。同じ素材の白菜を用いた漬け物なのに、漬けあがったキムチとお新香は、あまりにも対照的だ。こうした例は、たんにキムチとお新香にかぎらず、文化、芸術、政治、経済でもしばしば見受ける。 文化や芸術などで誤認や錯覚が生じても、時間的な余裕があり、生命や民族の存在に直結するようなことは非常に稀である。が、政治や経済の面では、瞬間的にたいへん大きな問題に発展する憂いがある。 韓日間に不協和音が生じるたびに、両国のリーダーたちがもう少し、おたがいに相手国の民族心理や思考方式を理解していたならば、もう少し睦まじい交流が生まれるであろうに、という想いにかられる。
2015.12.21
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図書館で『「シェア」の思想』という本を見かけたが・・・・年金も先細り、お先真っ暗なニッポンにおいて、「シェア」という思想が目下のところ大使の関心事なんですね。…ということで、即、借りた次第です。【「シェア」の思想】門脇耕三,西沢大良,他著、LIXIL出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より21世紀のマーケット・トレンド「シェア」。「シェア」の思想によって近代的「愛」「制度」「空間」が変容するとき建築・都市はどのような姿で立ち現われるだろう。キーワードは、自由恋愛/近代家族/同性パートナーシップ/ノームコア/Gゼロ/データ駆動型政治/新型スラム/貧困の共有/住民投票/ワークショップ/小さな経済/ポスト・ポスト構造主義/換喩としての建築/ジャンクスペース/都市のプライバティゼーション/Starchitectから多中心的ネットワークへ/空間からエレメントへ… <読む前の大使寸評>年金も先細り、お先真っ暗なニッポンにおいて、「シェア」という思想が目下のところ大使の関心事なんですね。Amazon「シェア」の思想この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。シェアの役割とか目的について、この本の序章から見てみましょう。「都市の縮小」と「家族の多様化」いう現象が語られているのが、興味深いのです。 <システム型社会の機能不全を回復させる「シェア」:門脇耕三>p17~19 近代化とともに多数の機能モジュールへと分解され、あたかも精密な機械であるかのようにデザインされた都市は、現在、その姿をより有機的なものへと改め、「機械」のイメージをゆるやかに脱しつつあるように見える。 精密な機械は、精密であるがゆえ、状況に変化が生じると機能不全を起こす。日本の社会状況の変化とは、1970年以降の脱工業化の進展と、2010年前後にはじまる人口減少であったわけであるが、特に後者は、現代社会に深刻な影響を及ぼしている。 社会の縮小は、「部品」を縮小させるものでもあり、部品のあいだに隙間ができてしまった機械は、むなしく空転するしかないからだ。そこで都市の「部品」には、あらためて複数の役割が与えられ、そこに新しいネットワークが上書きされることによって、空転は阻止されようとする。複数の役割を担わされた部品は、したがって多数の主体によって利用されることとなるのであるが、このような動きを、本書では「シェア」という概念で捉えてみることとしたい。 多数の主体で都市の部品をシェアする動きは、あるいは、単一的な機能モジュールから、より有機的な機能複合体への再組織化を促進させる、触媒のようなものとして捉えることもできるだろう。 また、このような機能の複合化は、その組み合わせのバリエーションに応じて、部品そのものと、その利用主体の姿をも多様なものへと改める。たとえば、居住の都心回帰や、郊外における就業拠点の増加は、男親は仕事に出かけ、女親は家事や育児に専念するという、かつての典型的な核家族以外の家族の許容にもつながるものである。反対に、共働きや単親世帯の増加に象徴されるような家族の多様化が、都心や郊外の再編を促していると考えることもできる。 したがって、現在の日本で台頭しつつある「シェア」は、どちらかといえばボトムアップ的に生じている動きであると見ることができるだろう。家族の多様化は、個々人の生活の自立志向の高まり、女性の経済的独立、結婚モラトリアム化の進展などが複合的に作用してもたらされたものであると考えられるが、しかし長らく核家族を標準的な家族としてきた日本の社会システムは、この変化にいまだ対応しきれておらず、その社会システムの不完全さを補うため、単身者や単親世帯の一種のセルフェイドとして生まれた暮らし方が、シェアハウスなどに見られる「住まいのシェア」であると理解することができるのである。 また、そのようにして生まれた「住まいのシェア」は、現在のところ、その器を中古の戸建て住宅に求めることが主流であるが、「シェアハウス」という戸建て住宅の新たな利用法が、法制度が規定する建物の用途区分との齟齬をきたしていることからもわかるように。「シェア」はトップダウン的に定められた既存の制度となじみにくい側面ももっている。「住まいのシェア」に対して既存の制度(特に行政など)は、後追いで制度設計せざるを得ないのであるが・・・役人の感度は鈍いからな~。シェアハウスに8年ほど住んでいるphaさんの提言を見てみましょう。 <一軒の家で完結させる必要はない:pha>p273~274 シェアハウスは少しずつ増えているけどまだまだそこまで一般的じゃなくて、個人でシェアハウスを始めようとしても、「家族以外の人間が共同で住むのはなんか不安で・・・」という大家さんが多くて、家を借りるときに苦労するのが現状ではある。 だけど、世の中で一般的な暮らしのかたちが「一つの家に、一人で暮らすか家族で暮らすか」の二通りしかないのはちょっと不自由だと思う。「半年ずつ二軒の家に住む」とか「家族以外の人と一緒に住む」とか「複数人で複数軒を使う」とか、もっといろんなやり方があっていいはずだ。 僕もはもう8年ほどシェアハウスを運営しながら住んでいるんだけど、その理由は先にも挙げた金銭的なものと、あとは「一人暮らしは寂しくてつまらない」と強く思っているからだ。やっぱり日常的に会話をしたり一緒にテレビを見たりできる相手がいるのはいいことだ。 「シェアハウスだとプライベートがないんじゃないか」とよく言われるけれど、そうでもない。自分の個室があればそのなかではプライバシーは保たれる。人に会いたくなったらリビングに出て行けばいいし、こもりたくなったら自室に戻ればいい。シェアハウスではリビングが公共的な共有スペースとして設置されていて、お客さんを呼んだりとか泊めたりとか、たまに宴会を開いたりとかが自分の部屋を使わなくてもできるのが便利だと思う。 そんなふうな「他人とゆるく繋がる暮らし」についてもっと考えていくと、別に一軒の家である必要もないな、と思う。アパートやマンションで隣同士に住むのでもいい。古いアパートを丸ごと借りて、一室一室に知り合いを住まわせて、一室だけみんなの共同のリビングとして使う、みたいなのができたら楽しそうだなーとか考えたりする。 同じ建物じゃなくてもよくて、気軽に顔を合わせられるような近所に知り合い同士で固まって住んで、シェアハウスのリビングのようにゆるく集まれる溜まり場(行きつけの店とか)があればそれでいいのかもしれない。 家のもっている住機能は別に一軒の家のなかだけで完結させる必用はない。すぐ近くに銭湯があれば家に風呂はなくてもいいんじゃないか。読書をしたり仕事をしたりするには家よりカフェのほうが落ちついたりもする。phaさんはシェアハウス「ギークハウスプロジェクト」の発起人とのこと・・・・ボトムアップのボトムからの提言は、面白いでぇ♪でも昨今のブラック企業志向のニッポンでは、シェアするくらいで対抗策を試みても、既存システムやお役人たちは、極楽トンボを決め込んでいるだけではないだろうか。(からきし役人嫌いでは、あかんやろ。)phaの日記「シェア」の思想1ところで、今日は三田ハーフマラソンの日です。練習不足のままで出走するのですが・・・それなりの結果が予想されます(笑)中国のシェアリングエコノミーがネットに出ているが・・・中国の規模とスピードはすごいの一言やでぇ。2015.12.21Uber、爆発的成長の中国で始まった「交通革命」より「シェアリングエコノミー」と呼ばれる新たな経済活動が、世界規模で猛威を振るい、タクシーやホテルなどの既存産業に衝撃を与えている。日経ビジネス12月21日号の特集「世界の常識 日本を急襲 シェアリングエコノミー」では、その新潮流の最前線と、“後進国ニッポン”のギャップを描いた。 シェアリングエコノミーは、個人の遊休資産や時間を他人のために活用し利益を得るという従来にないビジネスモデル。市場規模は2025年までに3350億ドル(約41兆円)に膨らむという試算もあり、個人と客をつなぐプラットフォームの肥大化が止まらない。 その最右翼が、自家用車の相乗りサービス「ライドシェア」を手掛ける「Uber(ウーバー)」。世界360都市以上で展開し、乗客を運ぶ回数は月間1億回以上となった。運営する米ウーバーテクノロジーズの時価総額は上場前にもかかわらず約8兆円に迫り、勢いは衰える気配を見せない。 そのウーバーの爆発的な成長を支えているのが、中国市場。中国はシェアリングエコノミーの先進国で、ウーバーも既に中国21都市で展開。世界のウーバーの乗降数に占める中国の割合は、3割を超えるまでに成長した。連載初回では、ウーバーが今年9月、世界に先駆けて中国・成都で開始した次なる成長の源泉を追う。 ***************************************************************************** 中国の上海から東京とは逆方向に飛行機で飛ぶこと3時間半。東京と同じくらい離れた成都空港に降り立ち、タクシー乗り場にいくと、おびただしい数の車が次々と客を乗せていた。上海の空港に引けをとらない規模だ。 人口は1400万人まで膨れ、都市部だけで800万人以上が暮らすと言われる成都市。経済と法で「省」と同じ自主権が与えられており、フォーブス誌の「今後10年で世界で最も成長する都市ランキング」で1位に選ばれただけあって、目覚ましい経済発展を見せつけている。 中心部に入るとその豊かさが鮮明に目に飛び込んでくる。巨大なショッピングモールにオフィスビル。銀座かニューヨークかと見紛うほどの高級ブランドの路面店が並び、次々と人が吸い込まれていく。 夕方になると決まって中心部は渋滞で動かなくなり、空港にあんなにいたタクシーも捕まらない。成都市内のタクシー台数は約1万2000台とされるが、ラッシュアワーの中心部で拾うのは至難の業だ。 その穴を、自家用車の乗合いサービス「ライドシェア」を手掛ける世界最大手、「Uber(ウーバー)」が埋めていた。ウーバードライバー■世界最大のライドシェア市場で激突 成都で登録しているドライバーの数は、既に77万人もいるというから驚きだ。恐ろしい規模だが、ウーバー成都のゼネラル・マネジャーを務める方寅氏は、「成都は中国の中でもウーバーが最も成長している都市。日々増え続けているので、数字にあまり意味はない」と言い放つ。 この成都で今、「交通革命」と呼ぶにふさわしい画期的な取り組みが進んでいることは、あまり知られていない。
2015.12.20
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「地域」でしょうか♪<市立図書館>・利己的な遺伝子・街の本屋が「カア!」と啼く<大学図書館>・「シェア」の思想・絵本とイラストレーション・歴史と文化の町並み事典図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【利己的な遺伝子】リチャード・ドーキンス著、紀伊国屋書店、2006年刊<「BOOK」データベース>より「なぜ世の中から争いがなくならないのか」「なぜ男は浮気をするのか」-本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、雌雄の争い、攻撃やなわばり行動などが、なぜ進化したかを説き明かす。この謎解きに当り、著者は、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から快刀乱麻、明快な解答を与える。初刷30年目を記念し、ドーキンス自身による序文などを追加した版の全訳。【目次】人はなぜいるのか/自己複製子/不滅のコイル/遺伝子機械/攻撃ー安定性と利己的機械/遺伝子道/家族計画/世代間の争い/雄と雌の争い/ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう/ミームー新登場の自己複製子/気のいい奴が一番になる/遺伝子の長い腕<読む前の大使寸評>待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪<図書館予約:(12/05予約、12/18受取)>rakuten利己的な遺伝子【街の本屋が「カア!」と啼く】川辺佳展著、幻堂出版、2002年刊<「MARC」データベース>より「なんか事業をやらないか」という父親のひとことをきっかけに本屋経営を思い立った著者の、はじめの失敗から理想の本屋をめざした店作り、地域の人々との交流などを描いた奮闘記。巻末に小説も付す。<読む前の大使寸評>この本屋さんが、我がドングリ国にあったわけで・・・・個人的ではあるが、超ディープな興味があるわけです。Amazon街の本屋が「カア!」と啼く【「シェア」の思想】門脇耕三,西沢大良,他著、LIXIL出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より21世紀のマーケット・トレンド「シェア」。「シェア」の思想によって近代的「愛」「制度」「空間」が変容するとき建築・都市はどのような姿で立ち現われるだろう。キーワードは、自由恋愛/近代家族/同性パートナーシップ/ノームコア/Gゼロ/データ駆動型政治/新型スラム/貧困の共有/住民投票/ワークショップ/小さな経済/ポスト・ポスト構造主義/換喩としての建築/ジャンクスペース/都市のプライバティゼーション/Starchitectから多中心的ネットワークへ/空間からエレメントへ… <読む前の大使寸評>年金も先細り、お先真っ暗なニッポンにおいて、「シェア」という思想が目下のところ大使の関心事なんですね。Amazon「シェア」の思想「シェア」の思想byドングリ【絵本とイラストレーション】今井良朗×藤本朝巳著、武蔵野美術大学出版局、2014年刊<「BOOK」データベース>よりいま“わかる”ことだけが重要ではない。いつか“わかる”こともある。18―19世紀の貴重な挿絵からいま人気の絵本まで126作品250画像を収録。絵本を理解し絵本を創るための本。【目次】1 イラストレーション/2 絵本と物語/3 絵本の表現/4 絵本の構成/5 絵本の制作/6 絵本の構造/7 資料編<読む前の大使寸評>絵本とイラストレーションといえば・・・二つとも、大使のツボでんがな♪rakuten絵本とイラストレーション【歴史と文化の町並み事典】文化庁編、中央公論美術出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より妻篭宿(長野県)、白川村(岐阜県)、川越(埼玉県)-文化庁選定の歴史を活かした109地区を完全網羅!城下町、宿場町、山村集落など全109地区の歴史や風土を丁寧に紹介。各保存地区の景観を伝えるカラー写真を豊富に掲載。巻末に制度や用語の解説、年表など伝建地区に関する資料を収録。<読む前の大使寸評>この本で取り上げた町並みで、ドングリ国に近い順では、神戸市北野町、大津市坂本、京都市産寧坂、南丹市美山町、近江八幡市あたりになるが、興味深いのです。rakuten歴史と文化の町並み事典*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き127
2015.12.19
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図書館で『「シェア」の思想』という本を見かけたが・・・・年金も先細り、お先真っ暗なニッポンにおいて、「シェア」という思想が目下のところ大使の関心事なんですね。…ということで、即、借りた次第です。【「シェア」の思想】門脇耕三,西沢大良,他著、LIXIL出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より21世紀のマーケット・トレンド「シェア」。「シェア」の思想によって近代的「愛」「制度」「空間」が変容するとき建築・都市はどのような姿で立ち現われるだろう。キーワードは、自由恋愛/近代家族/同性パートナーシップ/ノームコア/Gゼロ/データ駆動型政治/新型スラム/貧困の共有/住民投票/ワークショップ/小さな経済/ポスト・ポスト構造主義/換喩としての建築/ジャンクスペース/都市のプライバティゼーション/Starchitectから多中心的ネットワークへ/空間からエレメントへ… <読む前の大使寸評>年金も先細り、お先真っ暗なニッポンにおいて、「シェア」という思想が目下のところ大使の関心事なんですね。Amazon「シェア」の思想「地域社会をシェアするミクロな政治」と題するインタビューを見てみましょう。東大・国際哲学研究センターの国分さんに門脇さんがインタビューするスタイルです。 <国家と公共>p149~151門脇:政治の文脈に乗ってこないような制度というのは、誰がどうつくるべきなんでしょうか。カー・シェアリングのように国や自治体が直接関与できないような制度は民間がカバーするわけですが、本質的にそれは同質性をもった人たちの問題であり、そういう意味では「公共的」と言える問題ですよね。国分:それについては、普遍的な答えはない気がしますが、やはりどれだけ問題に気づくことができるかがカギかなと思います。 いま徳島県発の「とくし丸」という移動スーパーが大成功を収めていて、テレビでも特集されるなど注目されています。 「とくし丸」は、近所にスーパーなどの買い物先がなくなって買い物に困っている、いわば「買い物難民」の高齢者に大好評なんだそうです。「とくし丸」を始められたメンバーのひとり、村上稔さんと知り合いということもあって、先日、実際に徳島まで見に行ってきたんですが、素晴らしい試みだと思いました。しかもビジネスとして成功しているので、全国から「うちでもやりたい」という話がきている。東京でも新宿で一台走っています。 「とくし丸」の成功の秘密については、ぜひ村上さんのご著書『買い物難民を救え―移動スーパーとくし丸の挑戦』(緑風出版、2014)を読んでいただきたいんですが、「とくし丸」もまた、買い物難民の存在という問題に、新しい制度を設計することで対応した例だと言えると思います。 「とくし丸」が画期的だったのは、仕入れをやめたことなんですね。地元のスーパーと契約して、そこから商品を預り、軽トラックで地域を回って売り、余った商品はまたスーパーに戻す。だから、スーパーの売り上げにも貢献するし、仕入れをしないので商品が余ることを心配する必要もない。 移動スーパーの必要性をわかっていた人はいたようなんですが、この制度を思いつかなかった。また、公的機関も買い物難民の問題は理解していて、問題解決のための試みに補助金を出すというようなこともやっているらしいんですが、補助金でやると、補助金がなくなったら終わってしまうわけです。やはりビジネスとして成り立つことはとても大切で、村上さんたちもその点を重視してやっています。 もちろん国家が担当すべき公共的領域というのがあって、たとえば教育や福祉はそうですね。でも、同じ公共的領域といっても、国家の方が向いているものとそうでないものがあると思います。いまは国家という装置はなにに向いているのか、その制度としての役割はなんなのかを考えるべきではないでしょうか。門脇:そのときのサービスの範囲というのは、どのように決まるのでしょうか。たとえば「国家」は空間的な広がりをもっているわけですよね。国分:空間の問題もあるし、メンバーシップの問題もありますね。国民以外はサービスを受けられないのかどうかという問題ですね。メンバーシップというのは非常にやっかいで、社会経済的なイデオロギーに強い影響を受けます。ちょっと極端な例を挙げると、ナチスを生みだしたワイマール期のドイツは、非常に進んだ福祉国家だったんですが、それゆえに財政破綻に陥ったんです。すると全員に給付はできない。そこでどういう発想が生まれるかというと、「こいつは給付されるに値する人間か」という考えがでてくる。障害者やユダヤ人の殺害にはこうした経済・財政的な背景もありました。 いまの日本も同じようなことになっています。社会全体のパイが小さくなっているから、たとえ国民の資格を有していていようとも、労働できないのならば生活保護などを与えるべきではないというとんでもない思想を政治家が平気で口にするようになっている。どういう社会経済的状況が、どういうメンバーシップ制限を生みだしているのかを見極めないと、サービスの範囲についての議論は難しいと思いますね。 <社会のなかの緩いつながり>p152~153門脇:では、以上を踏まえて、地域社会とはどうあるべきかという点について、お聞かせいただけますか。国分:緩いつながりをどう維持するかというのがポイントではないでしょうか。たとえば僕は保育園という制度にたいへん強い関心をもっていますが、保育園は親が毎日迎えに行くので、親同士が顔を合わせることになる。自分の子ども以外の子どもにも会う。先生にも会う。そのなかで緩いつながりをつくることができるんですね。 人間関係というのはそれこそ自発的なもののように思われていると思いますが、実際には、保育園が親同士の緩いつながりをつくりだすように、いろんな制度によって担保されているんですね。たとえば、これは制度ではなくて建築の話ですが、昔の日本家屋にあった軒先は、半分公的、半分私的な空間で、これが道行く人との交流を生みだしていたと聞きます。そういったアーキテクチャが地域社会の人間関係のきっかけを生みだしていた。別にいま軒先を新たにつくりだす必要はないと思いますが、それに変わるアーキテクチャを設計することはできますね。門脇:最近、建築に関わる人たちもそのことに気がついてきて、空間には行動の仕方を規定する治具のような側面もあるので、そういう空間装置によって特定の行動が緩く発生しやすくなる。 縁側がそうですし、軒先もそうかもしれない。つまり、逆に言えば、物理的な建物には人間の行為や、その痕跡のようなものが付着しているのだと。そういう議論が起こり始めているのです。で、そうすると建築家はいきなり縁側をつくったりする(笑)。いま日本の現代建築では縁側がアツいんですよ。国分:縁側をどうするかはともかくとして、緩いつながりを形成できる建築物や街や制度は必要だと思いますよ。そのときに肝心なのはデザイン的な「遊び」をつくることではないかと思います。ゾーニングによって区分けされた近代都市やあらかじめ用途が決められた建築空間にはない「遊び」を、どのように設計に反映させられるかが重要になってくる気がします。西田さんによって「シェア」の位置付けが語られているが、なによりも、西田さんの辛口で鋭い現状認識が、ええでぇ♪p216~220 <「シェアなき社会」の経路依存性:西田亮介> 現代日本は「シェア」を前提としない社会である。伝統的共同体としてのコミュニティが解体し、かといってNPOのような人為的結社の役割は限定的で、それらに代わる人々が拠って立つつながり(たとえば、インターネット公共圏?)が一般化したというわけでもないという三重の意味において、「シェアなき社会」である。だが、だからといって、直ちにその社会形態が批判されるべきでもない。現在とは異なった社会的条件にあったなかで選びとってきた文脈に目を向けてみるべきであろう。 あらためて簡潔に振り返ると、このような社会像は、明治以降の日本の近代化過程と第二次世界大戦からの復興という昭和の日本が繁栄を目指したことに起因する。そのなかでも経済的豊かさという点では、まさに昭和の終わりと時期を同じくして達成に至った。すでに経済的繁栄がピークアウトし、1960年代には把握されていた少子高齢化はまともな政策的対応がないままに現在に至り、将来の人口減少は避けては通れなくなっている。昭和における、日本の近代化のプロジェクトはそれなりに成功を遂げたが、次の局面に向けた展望は、少なくとも国民の間では共有されないままである。 「シェア」もその新しい展望のひとつかもしれないが、ここではまずなぜ「シェアなき社会」を選択してきたかという過程を、紙幅の関係もあり暫定的に問いなおすことにしたい。 ひとつの問題系は、日本における経済的繁栄と、社会関係資本整備のプライオリティの不透明さにある。かつて、「『不自由』な日本の地方―消費社会化は民主主義の敵か」という原稿を書いたことがある。そこで導入したのは、「消費の民主化」という概念であった。 建築や、また社会批評などでも、「ショッピングモールや大型複合施設による地域経済圏の破壊」ということが言われる。だが、従来都市部に足を運ばなければ得られなかった消費の機会と選択肢が地方にまで至ったという観点に立つならば、ショッピングモールや大型複合施設は、端的に地域住民のニーズに応えたのではないか。地域経済圏の破壊というのは、商工事業者の視点であって、生活者の眼差しではなかった。 つい近年まで(おそらくは1990年代に至るまで)、生活者は、なにより私的な生活世界の拡充を願い続け、政治経済もその実現を最優先に走り続けてきたのである。いうまでもなく、焦土と化した日本社会の再生であり、東京と大都市圏、そして工場地帯に資源を集中投資して復興を果たし、その果実がこのような「消費の民主化」として結実したという見方である。 「消費の民主化」の一方で、地方には「地方運営の後進性」が残されている。日本の地方自治は脆弱かつ不透明である。たしかに日本国憲法は第8章で地方自治に言及している。(文字数制限により省略、全文はここ)
2015.12.19
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本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。【トウ小平】エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊<商品説明>より トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル<読む前の大使寸評>エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪hontoトウ小平この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めたのです。トウ小平と言えば、なんといっても改革開放であるが・・・それが今では功罪半ばというか、諸悪の根源になった感があります。そのあたりを、見てみましょう。p164~168■革命よりも改革 ヴォーゲル:トウ小平は非常にうまいことを考えていたんですね。毛沢東のいちばん根本的なことは、新しいことを実験しtみよう。これこそが毛沢東の精神だと。そういう言い方は、非常に、うまいな。私も、新しい実験をやるなかで、毛沢東と違ったことをやってみる。毛沢東が生きていたら、きっとそれを許すだろう。これはうまい。 トウ小平は長年、毛沢東と一緒に暮らしていた。いまの立場を守るために、毛沢東は私のやり方を批判しないよ、と言う。こういう言い方は、ほんとにうまいな。 橋爪:それはほんとに、ほかのひとには真似のできない、すばらしいやり方です。 ヴォーゲル:私もそう思います。 橋爪:天才的だと思うんです。 ただ、改革開放を中国共産党の基本政策にすることで、中国共産党の性質が変わったと思います。 共産党はもともと、プロレタリア国際主義に立脚し、世界の労働者人民を解放するものです。天安門にも、「世界人民大団結万歳」とスローガンが掲げてあります。中ソ論争のあとも、中国は、第三世界や非同盟諸国や抑圧されている人民のリーダーで、革命を継続するんだっていう、ロマン主義の側面があった。 いっぽう改革開放は、中国の発展戦略の問題なんです。だからそこで、インターナショナリズムからナショナリズムに、大きく方向が、変わったと思います。■社会主義の初級段階 ヴォーゲル:だけど、外国に向かっては、中国はしばらく、まだ革命をやる、みたいなことを言っていたのです。トウ小平自身は、革命よりも、安定した経済の発展を、重視する姿勢に変わっていたのですけれども。 ボクは、シンガポールのリー・クワンユーと話したとき、こう教わった。これはすごく大事な点だと思うのですが、リー・クワンユーは、中国に革命の宣伝をしてもらっては困る、とトウ小平に文句を言った。東南アジアとうまくやりたいなら、そういうことはやめなさいと。当時は中国から東南アジアに、革命を宣伝するラジオ放送が流されていたんです。すると、トウ小平は、まあ1,2年ぐらいかかるけれども、考えてみましょう、という答えだった。1,2年たったら、ラジオ放送はぴたりとストップした。 ですからリー・クワンユーは、大変な変化だとわかったというんです。 橋爪:はいはい。 ヴォーゲル:そういう変化はどういうふうに、おこなわれるか。いろいろ準備があって、大変なのです。 トウ小平は、実際に、労働者や農民を守るためにやる、と言う。大躍進や文化大革命は、ほんとに農民と労働者のためだったかと言えば、そういうわけじゃなかった。共産党とその指導者たちは、労働者や農民から、かなり離れていた。それが、毛沢東の時代の、実際だった。だけど大義名分はまだ、プロレタリアですね。労働者階級、農民階級のためにやると。そういう看板は残しておいて、実際には違うことをやる。 あとになって、趙紫陽は87年に、「社会主義の初級段階」という言い方をした。うまいけれども、まあ、嘘だ。初級段階なら、そのあと社会主義の国になる、という意味でしょう。実は、そんなこととっくにやめているのに、言葉でそう言いつくろっている。 国を実際、指導するのにね、これまでの考えを続ける、毛沢東の考えを続ける、と言うのは、有効なのです。これまでの理想を全然やめたと、言うのはちょっとまずい。ただ実際には、ほんとうに変わっていった。 橋爪:なるほど。■共産党は永遠か ヴォーゲル:ある友だちが聞くんです。50年あと、中国共産党はまだあるかどうか。ボクの想像ですが、たぶん、トウ小平も、将来のことを考えたと思うんですね。 トウ小平はそもそも、何のために戦ったか。ボク自身の解釈は、共産党よりも、国のためである。そう私は思うんですね。彼の、国のためによかれと思う政策で、共産党が変わってもかまわない。もっと民主主義でやっても、中国のためにそれが必用なことなら、かまわないという考え方だと思うんです。 共産党とほかの党があって、選挙があっても、トウ小平は反対しない。共産党の代わりにほかの党、たとえば社会党が、政権を担当しても、20年、30年あとなら許したっていい。それがトウ小平の考え方だと思うな。 トウ小平は、それを頭のなかで考えた。でも、それを絶対に言わない。でも、あれだけ合理的で実践的な彼の考え方からすると、そういう結論になるだろうと、思うんです。 橋爪:私もそう思うんですけど、しかしまあそれは、だいぶ先の話である。 そんなふうに柔軟に、中国の将来を考えることのできたひとが、次の章でみるように、天安門事件にぶつかってしまったのは、まことに不運なことだと思います。 ヴォーゲル:そうそう。天安門事件から江沢民の登用までを見てみましょう。さすがのトウ小平も見立てを間違ったようですね。p214~218■流血の天安門 橋爪:さて、結局、6月3日から6月4日にかけて、いちど引き返した軍隊が、今度は武装して15万人で戻ってきた。学生たちは天安門から追い出されてしまい、流血の事件になった。これには、外国は大変ショックを受けて、アメリカをはじめ多くの国々が、中国と少し交流をストップしよう、抗議をしようと制裁を決めた。こうして、2,3年、交流が停滞したと思います。 ヴォーゲル:われわれ外国人だけでなくて、学生も、大きなショックを受けました。そういうことをするか。政府がひとを殺すのかと。流血の惨事になるとは、思わなかったのですね。当時の学生にいろいろ話を聞いても、自国の軍隊、解放軍の兵士が、首都の真ん中で、人を殺すとは思わなかった、と言っていました。 橋爪:それは大変なショックだったと思います。 そのころ私は、日本にいる中国人留学生に友人が多かったのですが、みな一様にショックを受け、将来を悩んでいました。 その傷跡が癒えたのかどうか。中国はその後も、経済が発展して国が大きくなっていきました。人びとは、日本流に言うと政経分離なのでしょうか、経済が発展しても、政治については何も発言しないでおこうという、あきらめみたいなものが定着したかなと思います。 ヴォーゲル:ある学生は、民主主義の国が欲しくても、いまのところ何もしないほうがいい。なにかしても、完全に失敗に終わるだろう。自分の仕事や将来に、専念しているほうがいい、と言いました。そういう反応が一般的でしたね。■民主から愛国へ ヴォーゲル:トウ小平の目から見ると、国は少し落ち着いた。それは、一時的なものかもしれないけれども、成功だとは思いますね。 橋爪:それは私も、認めるんです。そのあと似たような、あるいはもっと大規模な、事件はほとんど起こってなくて、20年以上安定しているわけですから・・・・。 ヴォーゲル:そうですね。 橋爪:ただし、ニヒリズムというべきか、自分さえよければいい、というような態度が蔓延することになったのではないか。 五四運動このかた、中国の学生は、自分個人のことはさて置いて、中国のため、人民のため、祖国のため、全力で尽くし、努力していくんだという、そういうひとが沢山出てきていたのに、いなくなってしまった。 ヴォーゲル:そういう面もありますね、おっしゃる通り。 もうひとつは外国の制裁。民主化の運動に参加していた学生も、外国に反対する気持ちがあったんですね、愛国主義の心情があって、政府はそれをうまく使った。外国の制裁はダメだと。いま経済的に苦しいのは外国のせいだと。政府のその、愛国主義の宣伝は、多少、成功したんですね。 橋爪:なるほど。 ヴォーゲル:たとえば、オリンピック。オーストラリアで開くか、北京で開くか。学生はもちろん、北京でやってほしい。で、政府の宣伝のやり方は、外国の圧力は民主主義がないとかいろいろな理由をつけて、オーストラリアにしましょうとなっていると。中国の学生は政府の宣伝で、われわれのオリンピックができないのは、外国のせいでけしからん、と。 橋爪:うーん、なるほど。80年代は、中国と日本のお互いに対する感情が非常によかった時代でした。日本には中国ファンが大勢いて、中国語を勉強しようとか、ブームだったんです。 でも90年代になってから、それが急に冷え込んで行った。中国側では、江沢民の「反日教育」なども始まって、いまお話のあった方向に、誘導が進んでいきました。■江沢民の抜擢 橋爪:江沢民の名前が出ましたので、天安門事件をきっかけとする、政治の変化についてうかがいたいと思います。 (文字数制限により省略、全文はここ)『トウ小平』1『トウ小平』2
2015.12.18
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本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。【トウ小平】エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊<商品説明>より トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル<読む前の大使寸評>エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪hontoトウ小平この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。トウ小平と言えば、なんといっても改革開放であるが・・・それが今では功罪半ばというか、諸悪の根源になった感があります。そのあたりを、見てみましょう。p154~160 改革開放で、中国は驚異的な経済成長を30年あまりも続けることになるが、それは農村から火がついた。1977年、安キ省の第一書記となった万里は、請負制を柱とする実験プランっをまとめ、トウ小平は支持した。実験はうまく行ったが、三中全会は農業の脱集団化をまだ認めていなかった。万里は胡耀那に支援を求め、トウ小平は1980年9月に家族請負制に許可を与えた。農民はやる気を出し、77年に3億トンだった穀物生産量は84年には4億トンを上回った。収穫を市場で売って利益を上げる「万元戸」が続出し、かつての人民公社を土台にする「郷鎮企業」が急成長した。 80年代の成長を牽引したのは、深センなど沿海地方に設けられた経済特区だった。深センのある広東省は、工業の後進地だったが、香港と隣接する地の利を活かし、1980年から85年まで第一書記をつとめた任仲夷の指導のもと、外資を導入して急速に発展した。トウ小平の「先富論」は、経済特区の追い風になった。 80年代の急速な経済成長はときに加熱をうみ、インフレがひどくなった。経済運営をめぐって、積極派と均衡派の論争もうまれた。国営企業や計画経済も存続したうえでの市場の発展は、格差やひずみや腐敗をもたらした。急速に流入する海外からの情報は、人びとを戸惑わせた。こうした熱気と混乱が、1989年6月4日の天安門事件を引き起こしたのである。■改革開放とネップ 橋爪:改革開放というものなんですけれども、これも世界史上、たいへんユニークな現象で、中国にしか起こってないような気がします。 ヴォーゲル:どういう意味で? 橋爪:まず、中国共産党という共産党政権があって、共産党の指導のもと、資本主義経済に近いようなことを政策として行っている。これは、類例がないのではないか。 ヴォーゲル:いや、ボクはそうは思わない。 橋爪:あ、そうですか。 ヴォーゲル:ソ連に、ネップ(新経済政策)というのがあったじゃないですか。1920年代ですね。共産党政権のもと、資本主義経済みたいなことをやった。その通りだと思うんですね。 海外の資金を必用としたし、海外の商人も来てよいし、市場経済も少し試みた。改革開放に似ている。共産党の指導部のなかには、そういう政策を続けてもいい、と思ったひともいたのです。1920年代、スターリンが社会主義の制度をつくる前のことでした。 橋爪:それは『トウ小平』(本編)に書いてあって、なるほどと思いました。 マルクスレーニン主義の古い教科書には、社会主義計画経済と資本主義市場経済は、敵対する関係のものだと書いてある。それを勉強したので、トウ小平の改革開放が、実にユニークに見えたんです。■類似の試み 橋爪:新経済政策以外に、改革開放にあたるものはあるでしょうか。 ヴォーゲル:ポーランドとか東ドイツとか、東ヨーロッパには、似たような試みがあったと言いますね。ポーランドは、ソ連よりも、市場経済が少し長く続いたと、聞いたことがある。それから、ユーゴスラビアの実験もあったかなあ、と。 橋爪:ただ、いずれにしろ、中国の改革開放は、規模も大きいし、影響も大きいし、比較にならないくらい巨大な、歴史的出来事だと思うんです。 ヴォーゲル:そう、おっしゃる通り。 橋爪:で、トウ小平がいなければ、これは、出来なかったかもしれない。 ヴォーゲル:私もそう思いますね。 まあやっても、あれほど成功する可能性はなかったでしょう。 橋爪:ですよねえ。(中略)■毛沢東の功罪 橋爪:毛沢東が生きているあいだは、こんなことは絶対にできなかった? ヴォーゲル:と思いますね。 だけど、60年代の初めごろ、多少そういう道を進もうか、という気配はあった。それから、アメリカとの関係を改善してから、72年にニクソンの協力で、多少、市場経済の要素が加速される可能性もあったかもしれないですね。 橋爪:中国の人々は、毛沢東の革命的ロマン主義の理想に共感して、文化大革命では、ずいぶん努力したと思うんです。 ヴォーゲル:そうそうそう。 橋爪:で、人海戦術でいろんなことをやって、若者たちは田舎に送られて(上山下郷)、大勢の同僚が批判されて、それで10年経ってみて、これはなんだっていうふうに思って、革命的ロマン主義と距離をとるようになったんだと思います。 ヴォーゲル:そうそうそう。 橋爪:ちょうどそこに、トウ小平が出てきて、新しい政策を進めてくれそうだと。華国鋒はどうかと言えば、毛沢東べったりに見えてしまう。やってることは新しそうだけど、言ってることはべったりだ。 ヴォーゲル:うーん、だけど、華国鋒もときどき、経済の発達が必要とか、言うのですがね。ま、毛沢東が長生きして、いろいろなことを言ってしまったのです。ですから華国鋒は、自分のやりたいことを遠慮して、毛沢東の言葉から、使えるところを切り貼りするというやり方をした。 トウ小平ほどできなくても、毛沢東の言葉をうまく使えば、もう少し変わる可能性もあったんですね。『トウ小平』1
2015.12.18
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<ヨーロッパの装飾と文様>図書館で『ヨーロッパの装飾と文様』という本を手にしたのだが・・・・カラー画像満載で、コスパも良~し、お買い得かも♪冗談はさておいて、様式と伝播を語るあたりが・・・・格調高いし、悠久のロマンを感じるわけでおます♪【ヨーロッパの装飾と文様】海野弘著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>より豊かな「形」が織りなす、装飾の花園へ。古代文明からゴシック、ロココ、アール・ヌーヴォー、アール・デコなど、18の様式における装飾・文様の歴史と構造、74のモチーフを詳しく解説。<読む前の大使寸評>ほぼ全ページにカラー画像満載で、コスパも良~し、お買い得かも♪rakutenヨーロッパの装飾と文様アラベスク(唐草模様)やエンジェル(飛天)はシルクロードを経て日本まで伝播したようだが・・・そこに悠久のロマンを感じるわけでおます♪この本で伝播に言及したあたりを見てみましょう。<装飾の様式と伝播>よりp19~20 装飾は、世界中でばらばらに発生したとしても、やがて出会い、共通の視覚言語となり、世界中をめぐってゆく。 装飾は人類の誕生から現在にいたるまでの長い歴史を旅してきた。ここで、装飾と美術史の関係を考えてみよう。装飾史は美術史に属しており、両者は別々ではない。という大きな領域の一部が装飾史だといえるだろう。しかし逆に、装飾史は、とめどなく広大な分野で、美術史がその一部だともいえるのだ。なぜなら、私たちの知っている美術史というものはせいぜい、エジプト、ギリシャなどの古代文明以降のものなのに、装飾史はその何万年も前からはじまっているのだ。 いわゆるは、個人のアーティストの面から見られている。それに対して装飾史の大部分は、無名の人々の共同制作によってつくられている。さらに大事なことは、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は、彼だけの表現であり、一国的であるが、装飾美術の多くは世界中に伝えられ、その文様はくりかえし再生され、だれにでも新しくつくり直すことを許しているのだ。だからこそ、ギリシャで生まれた唐草文は、いつの時代、どこの国でも、自分たちのものとして描かれ、織り出されてゆくのである。 装飾史のキーワードはとである。装飾は共通の視覚言語となり、時代様式をつくる。というのは19世紀に出発した美術史で重視されるようになった概念で、人間が時代によって変化していくという歴史観を示している。によって時代を大きく区切り、その時代特有のスタイル(様式)をとらえようとする。 この方法は、集合的な共同制作をあつかう装飾史に向いており、個人史的な美術史ではんかなか難しかった。リーグルの『美術様式論』が装飾史であったことは、それを示している。 しかしやがて、装飾史の影響を受け、美術史もによる歴史を研究し、、、といった様式概念が発見されてくる。 というのは、時代を読むための大きなパターンである。私たちは装飾様式を知ることで、その時代の輪郭をとらえ、その時代を見ることができる。が読めると、装飾はさらに面白く楽しいものとなる。なぜなら、は装飾のことばであり、それを知ると装飾と話せるようになるのだ。 の変化という時間軸をたどる一方で、という空間的な移動も旅してみなければならない。装飾のもう一つの魅力である。 は、ハンディング・ダウン(手渡し)と訳してみたが、コミュニケーションとも訳せる。装飾は、異文化の間のコミュニケーションをつくり出すのだ。が語りかけるように、東と西の文明は装飾美術を介してコミュニケートする。 ペルシャ絨毯は、ラクダと馬によって中国へ運ばれ、日本にも伝えられる。それに織りだされた唐草文というパターンは、アジアの果てに達して、再び花を咲かせるのだ。ところで、現代の模様や、売れ筋の壁紙がWALPAで見られます。WALPAよりさらにこの本を読み進めてみましょう。p208~209<装飾文様の展開>より唐草文様 装飾文様はパターンとしてとり出されるが、そこで終わるのではなく、あらためて現実のものへ応用され、生きた形となる。単純で平面的な形は物の表面の複雑な曲面の上を流れ、なんと見事な音楽を奏でることだろうか。 文様の形と意味を知っていると、私たちのまわりのさまざまな事物のあらわれ、風景は無限に楽しいものとなってくる。たとえば街を歩き、電車に乗ったりすることでさえ、装飾文様の森の中をさまよっていく楽しさを与えてくれるのだ。 土の道からアスファルトの道路に出る。ちがったマチエール(素材)に変わる。両脇の塀はレンガヤコンクリート・ブロックを積んだ格子文になっている。道路上には太い帯状の黄色い縞が描かれている。そして落ち葉が散り敷いて、不思議な、風がレイアウトした植物文が見えてくる。このように、装飾文様は固定された視線によってのみ見られるのではなく、その上を歩いていくようなダイナミックな見方によって、さらにその魅力は増すのだ。 装飾文様は形としてとり出すことができる。たとえば、その型紙さえあれば、どこにでも運んでいくことができる。それだからこそ、それは世界中に旅をしていく。 装飾文様が、と深く結びついていることを、唐草文様や迷路文様はよく示している。これらの文様は、文様と私たちの体の動きの密接な関係を考えさせてくれる。もしかしたら文様は、真夏の夜に踊る妖精たちのダンスの軌跡なのではないだろうか。 文様を一つのダンスとして、ダイナミックにとらえたいという視点から、この本はつくられている。この記事もアートの伝播あれこれに収めておきます。
2015.12.17
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<キムチチゲを作ってみるか>図書館で『赤く熱く豪快にキムチ料理』を手にしたが・・・大使は、時としてキムチチゲに対する禁断症状が出るほどなので、即、借りたのです。キムチチゲの家庭的なものを、この本のレシピで見てみましょう。p8【豚肉と豆腐のキムチチゲ】 酸味の出た白菜キムチと漬け汁を使います。キムチは火の通したてのシャキシャキしたものも美味しいですが、本場韓国ではむしろ、1時間ほど柔らかく煮込んでコクを出したものが好まれるそうです。<材料(4人分>・酸味の出た白菜キムチ 200g・豚薄切り肉(ロース、バラ肉など)200g・豆腐 1/2丁・長ネギ 1/2本・ニラ 1/2束・春菊 1/2束・えのきだけ 1袋・生の赤唐辛子2本・キムチの漬け汁 約100cc・サラダ油 小さじ2・塩 少々・水 4カップ<手順>1. キムチと豚肉は長さ3~4cmに切る。2. 豆腐は厚さ7mmにして3~4cm角に切る。長ネギは斜め切りにする。3. えのきだけは石づきを取って、ほぐす。春菊は食べよい大きさに、ニラは長さ5cmに切る。4. 鍋にサラダ油を入れて火にかけ、豚肉を入れて色が変わるくらい炒めたら、キムチを加えてさらに炒める。5. 水とキムチの漬け汁を加え、煮立ったら、中火に落としてキムチが柔らかくなるまで煮込む。6. 豆腐、長ネギ、えのきだけ、ニラ、斜め薄切りした赤唐辛子、春菊を入れ、ひと煮立ちしたら塩で味を調えてでき上がり。レシピを書き写していたら・・・猛然とやる気になった大使である。キムチチゲを作ってみるか♪【赤く熱く豪快にキムチ料理】ゆうエ-ジェンシ- 編、成美堂出版、2000年刊<「BOOK」データベース>より本書では在日韓国・朝鮮人の方々の協力も得て、専門家向けではなく、日本の家庭で手軽に作れるという点からレシピを構成しました。もちろんチヂミ、チャプチェ、ピビンバなどの代表的な料理をはじめ、メニューは盛りだくさん。とくに身体の芯から温まるようなチゲ(鍋物)を豊富に集めました。鍋物の季節の新たなメニューとしてぜひ食卓に登場させてみてください。身体の底から元気が湧いてくるような、そしておいしいものを食べる喜びに満たされるような料理の数々をどうぞ。【目次】1 チゲ(鍋物)とスープ/2 飯、粥、麺、粉/3 肉・魚・野菜のおかず/4 焼き肉/5 いろいろなキムチの漬け方<読む前の大使寸評>時としてキムチチゲに対する禁断症状が出るのです。韓国に出張時、韓国スタッフに連れられて入った安食堂で飽きるほど食べたキムチチゲであるが・・・今ではそれが懐かしいのです。rakuten赤く熱く豪快にキムチ料理
2015.12.16
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図書館に借出し予約していた村上龍の『オールド・テロリスト』をゲットしたのです。村上龍の長編小説を読むのは『歌うクジラ』以来ではなかろうか…楽しみやでぇ♪この本は5ヶ月待たされたわけで、神戸市の図書館ではよくある待機期間です。【オールド・テロリスト】村上龍著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より「年寄りの冷や水とはよく言ったものだ。年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない。年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ」怒れる老人たち、粛々と暴走す。<読む前の大使寸評>村上龍の長編小説を読むのは『歌うクジラ』以来ではなかろうか…楽しみやでぇ♪この本は5ヶ月待たされたわけで、神戸市の図書館ではよくある待機期間です。<図書館予約:(7/21予約、12/13受取)>rakutenオールド・テロリスト前半で、お話が加速するあたりを見てみましょう。p87~89「(前略) そういった分散型の組織は、仮にテロがどこかのタイミングで発覚しても組織的な被害が最小で済みますね。全体が壊滅することがないのです。それに、たとえば実行直前に警備状況から判断して攻撃対象をとっさに変えるような柔軟性があるのでテロ対策がとりづらいんです。そういった先端的なシステムは、そのあと、アメリカ陸軍やグローバル企業の組織に応用されていくわけです。 現代の戦争はほとんどが市街戦なんですね。第二次大戦後期にロシアの大平原で戦われた数千台の戦車戦とか、もはやあり得ないんですね。市街戦は近くに非戦闘員の市民がいるので、分隊とか小隊レベルでの現場での判断が重要になるわけです。だから分隊や小隊という小グループのリーダーは、戦術をとっさに変更できる能力が求められます。典型的なアメーバ型組織ですね。 あと、企業でも、たとえばある世界的な消費財メーカーがあるとしますね。シャンプーを製造しているとします。するとアジアのインドと中国では微妙に髪質が違うので、シャンプーの成分や香料を変えるんですね。その場合、現地法人に決定権があるわけです。数年前まで絶大な売り上げを誇ったユニクロでも、各店舗の店長の仕入れや商品レイアウトが任されていました」 缶ビール一本でこんなに人が変わるのかというくらい、マツノ君は身振り手振りを交えてよく喋った。爆弾の運搬というところでは、実際にデスクの上の鉛筆削りを大切そうに抱え椅子から立ち上がって数歩歩いたり、自爆テロの実行犯のくだりでは、両手でハンドルを握る恰好をして天を仰ぎ小声でアッラー・アクバルと言った。だが、アル・カイーダタイプの組織と、マイクロフィルムに収められていた稚拙な絵がどう関係するのだろうか。「たとえ普通の上手な絵でも、誰が描いた絵か、ぼくたちは、確かにわからないです。でも、仲間内だったらどうですかね。わかるじゃないですか。このタッチは誰だとか、人の顔の描き方とかで、あいつが描いたんだなって、仲間だったらをかりますよね。アル・カイーダ、実は、やってます。攻撃目標の略図とか、特別な起爆装置とか、手書きの画像が必要なときに、子どもが描くような絵柄にしたことがあったんですね」 要するに、分散型のアメーバのような組織では、誰の計画か特定できないように、わざとひどく稚拙な絵を使うということがあるということだった。「セキグチさん、イメージしてくださいよ。大久保でしたっけ、将棋道場がある、それと駒込のカラオケ教室っですか。似たような場所が東京都内や近郊にいくつもあるって、学生服のじいさんが言ったわけでしょう?そこにじいさんたちが集まっているわけでしょう。その中に別の顔を持つ連中が潜んでいるはずだと、セキグチさんは考えているわけですよね。その中の誰かがテロを計画し、NHK西玄関の見取り図を描いて、マイクロフィルムや他の媒体で実行グループに送る必用があるわけですよね。普通に図や絵を描けば、たとえば、これは駒込のキニシスギオだと特定されるじゃないですか。でも幼稚園児のような絵柄にすれば誰が立案したのかわからないです」 情報の送り先は実行グループだけではなく複数あるはずだとマツノ君は言った。(後略)主人公の関口は、謎めいたアキヅキ・メンタル・クリニックに取材するのです。p143~154 アキヅキは、淡々とそんな話をする。天下国家について語るときの気負いというか、大仰なところが微塵もない。「簡単なんだよ。福島第一の事故は、津波が原因ではなく、古くなっていかれかけてた冷却系の配管が大地震で壊れたのだという指摘があるのは知っているだろう。配管が古くなっているのは、冷却系だけじゃないんだよ。原子炉と直接につながる配管だって、大半はふるくなっている。それが割れたり外れたり、ひびが入るだけでも、どうなるか。想像できるか。それに、タービンだって、かなり古い。タービンからの蒸気だが、副水器に回せなくなったらどうなると思う?副水器がつまったりしても冷却はもうアウトだし、循環ポンプが故障してもアウトだし、冷却系の配管が破断したら、あとはもう、カタストロフまで一直線だ。まだある。日本各地に、使用済み核燃料棒を貯蔵したプールがあるらしい。だいたい数千本単位で貯蔵されていた、当然、冷却し続けなければいけない。数千本の核燃料棒といえば、だいたい原子炉十基分の燃料体だそうだ。しかしだね、それらは原子炉と違って、格納容器も頑丈な防御壁もない。周囲は単に薄いコンクリートの壁で覆ってあるだけだから、たかだか数百度の熱で崩壊する。海外のメディアが指摘するのは、そこで何かが起こったらどうするのかということだ。危ない奴がダイナマイトを数本放り投げるとどうなる?ドッカーン。核燃料棒がばらまかれる。君に聞こう。これが、焼け野原でないなら、いったい何なんだ」(文字数制限により省略、全文はここ) アキヅキの言うとおりだった。おれが、推測や憶測を交えて勝手に言葉を組み合わせてしまっただけだ。アキヅキは、勝新太郎や高倉健が出演する予定だったという映画企画の説明で、彼らがテロリストと戦うというストーリーを話し、そのときだけ、テロという言葉を使った。しかも、それは映画の中の話なのだ。もうだめだ、と思った。とんでもない失敗ばかりだ。このクリニックに来てすでに2時間以上経っているが、肝心なことは何一つわかっていない。(中略) 映画、と聞いて、突然おれは思い出した。何が引っかかっていたのか、わかった。アキヅキは、本当の秘密を語ると言っておれを緊張させ、実は昔役者の端くれだったなどと、下らないことを話しはじめた。おれは、またしても話をはぐらされたとがっかりしたのだが、そのあと、演劇の時代はとっくに終わっていて、今は映画しかないのだと、そういうことを言った。だが、問題はそのあとだ。映画館だ、そう言った。今でも歌舞伎町の映画館に行く。「意味、わかるよね。歌舞伎町の映画館ですよ。歌舞伎町の、映画館ね」この後、歌舞伎町の映画館で800人超の被害者の出たテロ事件が起きるのだが…現在より数年だけ近未来のニッポンを描く村上ワールドは、かなりリアルである。怒りという感情を持続しているのは、もはやオールド・テロリストしかいないのか?村上龍の危険な挑発とでも言うんでしょうね。とにかく、村上龍の高感度が実感されるわけです。
2015.12.16
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・オールド・テロリスト・ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ・赤く熱く豪快にキムチ料理<大学図書館>・ネットが生んだ文化図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【オールド・テロリスト】村上龍著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より「年寄りの冷や水とはよく言ったものだ。年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない。年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ」怒れる老人たち、粛々と暴走す。<読む前の大使寸評>村上龍の長編小説を読むのは『歌うクジラ』以来ではなかろうか…楽しみやでぇ♪この本は5ヶ月待たされたわけで、神戸市の図書館ではよくある待機期間です。<図書館予約:(7/21予約、12/13受取)>rakutenオールド・テロリスト【ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ】ジョン・ル・カレ著、早川書房、2012年刊<「BOOK」データベース>より英国情報部“サーカス”の中枢に潜むソ連の二重スパイを探せ。引退生活から呼び戻された元情報部員スマイリーは、困難な任務を託された。二重スパイはかつての仇敵、ソ連情報部のカーラが操っているという。スマイリーは膨大な記録を調べ、関係者の証言を集めて核心に迫る。やがて明かされる裏切者の正体は?スマイリーとカーラの宿命の対決を描き、スパイ小説の頂点を極めた三部作の第一弾。著者の序文を付した新訳版。<読む前の大使寸評>ジョン・ル・カレの小説が読みたいということで、図書館サイトで検索したら、ゲッ、新訳版は副本7冊とも貸出中だったので、旧訳版(副本2、予約なし)を予約したのです、即OKでした。<図書館予約:(12/01予約、12/06受取、借出し延長予定)>rakutenティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ【赤く熱く豪快にキムチ料理】ゆうエ-ジェンシ- 編、成美堂出版、2000年刊<「BOOK」データベース>より本書では在日韓国・朝鮮人の方々の協力も得て、専門家向けではなく、日本の家庭で手軽に作れるという点からレシピを構成しました。もちろんチヂミ、チャプチェ、ピビンバなどの代表的な料理をはじめ、メニューは盛りだくさん。とくに身体の芯から温まるようなチゲ(鍋物)を豊富に集めました。鍋物の季節の新たなメニューとしてぜひ食卓に登場させてみてください。身体の底から元気が湧いてくるような、そしておいしいものを食べる喜びに満たされるような料理の数々をどうぞ。【目次】1 チゲ(鍋物)とスープ/2 飯、粥、麺、粉/3 肉・魚・野菜のおかず/4 焼き肉/5 いろいろなキムチの漬け方<読む前の大使寸評>時としてキムチチゲに対する禁断症状が出るのです。rakuten赤く熱く豪快にキムチ料理キムチチゲを作ってみるかbyドングリ【ネットが生んだ文化】川上量生, 伊藤穣一etc.著、KADOKAWA、2014年刊<「BOOK」データベース>よりこれからの日本を支配するネット住民の行動原理とは?非リア・コピー・炎上・嫌儲の4キーワードを理解せよ。【目次】第1部 日本のネット文化と精神風土(ネットがつくった文化圏/日本のネットカルチャー史/ネットの言論空間形成)/第2部 ネット文化を支配する原理(リア充対非リアの不毛な戦い/炎上の構造ー100年後も1000年後も、どこかで誰かが燃えている/祭りと血祭りー炎上の社会学/日本文化にみるコピペのルール/リア充/非リア充の構造)<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、炎上、2ちゃんねる、コピー文化、ブログ論壇、等々、気になる言葉が頻出しているわけで・・・物見高い大使の気を引いたのです。この本は「角川インターネット講座」シリーズ全15巻の1冊で、これまで3冊ほど刊行されているようです。rakutenネットが生んだ文化ネットが生んだ文化3byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き126
2015.12.15
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本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。【トウ小平】エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊<商品説明>より トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル<読む前の大使寸評>エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪hontoトウ小平p138~140 ■指導者の交替 ヴォーゲル:どうしてあの事件が起こったかというと、毛沢東は、林彪に対して、ますます心配を募らせていたんです。林彪がどんどん権力を持っていって、ついには毛沢東を追い出す可能性もあるのではないかと。 林彪と毛沢東の矛盾・衝突が、ありうると毛沢東が危惧したことが原因だというのがボクの解釈なんです。 橋爪:なるほどね。そのロジックはもう、中国の政治始まって以来の伝統的なもので、皇帝と皇太子とか、トップとナンバーツーとか、必ず対立し、殺し合いになる。 中国共産党の歴史のなかでも、トップとナンバーツーって、何回も対立している。高崗も劉少奇もそうだし、それから、胡耀邦と趙紫陽が、ダメになったのもそうだし… ヴォーゲル:そう。 橋爪:ずうっと、あると思います。 ヴォーゲル:だから周恩来は、ナンバーツーになりたくないんですね。 橋爪:と『トウ小平』(本編)に書いてあって、なるほどと思いました。 ヴォーゲル:と共に、ボクは、共産党だけではなくて、現在の指導者と将来の指導者の矛盾というか、難しさもあると思うのです。 われわれ民主主義の制度では、選挙で、何月何日に後継者になると決める。それでも、あいまいなところがありますね。難しい。たとえば私が現在の指導者として、後継者のあるひとに少し心配するところがあって、なんと言うか、食い違いがある。私はこうやりなさいと思い、彼はちょっと違った意見である。私は少し不安になりますね。彼はちょっと違ったやり方で、困るなあ、私は引退してから大丈夫かなあと。 韓国をみてみると、現在の後継者が、引退した権力者を、みな刑務所に送り込むでしょう。こういうことでいいのか。 習近平のもとでも、周永康は、政治局常務委員だったんですが、そういうひとでも、退職してから、失脚して、あんなにひどい目にあう。これは大変なことです。現職のひとは、退職してからのことが心配になるわけですね。 ですから、左派の内部のちょっとした違いという要素もあるし、ナンバーツーの要素もあるし、現在の後継者の難しさもあるし、と言えると私は思うのです。(追って記入予定)
2015.12.14
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図書館で『ネットが生んだ文化』という本を手にしたのです。パラパラとめくると、炎上、2ちゃんねる、コピー文化、ブログ論壇、等々、気になる言葉が頻出しているわけで・・・物見高い大使の気を引いたのです。【ネットが生んだ文化】川上量生, 伊藤穣一etc.著、KADOKAWA、2014年刊<「BOOK」データベース>よりこれからの日本を支配するネット住民の行動原理とは?非リア・コピー・炎上・嫌儲の4キーワードを理解せよ。【目次】第1部 日本のネット文化と精神風土(ネットがつくった文化圏/日本のネットカルチャー史/ネットの言論空間形成)/第2部 ネット文化を支配する原理(リア充対非リアの不毛な戦い/炎上の構造ー100年後も1000年後も、どこかで誰かが燃えている/祭りと血祭りー炎上の社会学/日本文化にみるコピペのルール/リア充/非リア充の構造)<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、炎上、2ちゃんねる、コピー文化、ブログ論壇、等々、気になる言葉が頻出しているわけで・・・物見高い大使の気を引いたのです。この本は「角川インターネット講座」シリーズ全15巻の1冊で、これまで3冊ほど刊行されているようです。rakutenネットが生んだ文化この本は読みどころが多いので(その2)として読み進めています。大使はツイッターはやるけど、フェイスブックはやらないので、日経のネット記事を紹介するときは不便なんですね。このSNS嫌いはなぜなのか?という個人的観点で見てみましょう。<ブログからSNSへ:佐々木俊尚>よりp96~100■ブログメディアの停滞 とはいえ、この世代間対立とネットvsマスメディアの対立軸の先に、革命や対決がやってきたわけではなかった。この背景要因は多々あるが、ネットというテクノロジーの側面から見れば、ブログ媒体の普及が停滞したということが大きいと考えている。 2005年ごろから普及をし始めたブログは2007年ごろには大きな論壇空間を形成したが、残念なことにはほぼ同時に停滞をはじめる。SNSや携帯電話サービスがブログを上回る速度で普及しはじめたからである。 2007年の段階で、SNS市場で当時先行していたミクシィは利用者数が1400万人。また当時はゲーム中心ではなく、あくまでもSNSだったDeNAのモバゲータウンは、若者を中心に会員数が700万人以上に達していた。インターーネットの調査会社ネットレイティングが2006年に発表した「データクロニクル2006・ファクトシート」によれば、パソコンを使ったインターネット利用者のうち20代の比率は2000年以降下がり続けており、2006年には全世代の11.9%にまで下落していたことが指摘され、ネットの利用度が比較的低いと考えられていた50代の11.8%と肩を並べていた。このファクトシートで、ネットレイティングスの荻原雅之社長(当時)は、以下のようなコメントを加えている。「若い世代で先行していたウェブ利用は、この6年間で着実に中高年齢層に普及しています。また、同時に女性にも普及している様子が見て取れます。一方で、20歳代の比率が減少しているのは、ウェブ利用が全世代にわたり一般化したことによるものですが、携帯電話端末の機能やサービスが劇的に向上し、ECやSNSなどの携帯電話による利用増も要因と考えられます」 つまり自己表現のメディアが、ブログからSNSや携帯電話へと移り変わっていったのがこの時期に起きた。加えて2ちゃんねるの高齢化もはじまっていた。当時、日本広告主協会Web広告研究会が発表した「消費者メディア調査」によれば、2ちゃんねるの主な利用者層は35~49歳の人たちであり、この層が利用者全体の38.3%を占めていることが指摘された。■リアルな社会構成に近づくネット空間 団塊ジュニア世代もだんだんと年を重ね、2000年代後半に入ってくると30代なかばに達してくる。そしてその後に続いてきた1980年代生まれ以降の若者たちは、2ちゃんねるやブログではなく、SNSや携帯電話へと表現メディアを変えていく。そういう転換が起きた。まさに時代は変わる、である。 このころから2ちゃんねるを使う層、「はてな」などでブログを書く層、SNSを使う層、携帯電話中心の層、などさまざまなレイヤーにより重層的にネット空間が構成されるようになっていく。きわめて複雑で全容は把握しにくい。 しかしそれはいってみれば、リアルな社会の構成へとネットの空間が近づいてきたということであり、リアルの複雑さがネットにもち込まれたということでもあったのだろう。90年代終わりごろ、2ちゃんねるぐらいしか言論空間がなかった牧歌的な時代はもはや「遠くになりにけり」となったのだ。■ネット集合知と衆愚 この時期に起きたもうひとつの興味深い現象として、日本のネット言論空間の最大のオピニオンリーダーで、ベストセラー『ウェブ進化論』の著者だった梅田望夫氏が、ネットへの失望を表明して、事実上言論から撤退してしまったという事件がある。 起きたのは2008年11月のことだ。きっかけは梅田氏が自身のブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」に、作家水村早苗氏の『日本語が亡びるとき』という本を好意的に紹介したことだった。 同書はグローバル時代に入って普遍後としての英語の重要性が高まり、インドやシンガポールなどのように自国語と英語を二重言語として使いこなす国が増えていくことを予測して、日本語の将来が暗いということを書いたものだった。これに対して梅田氏は「この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う」と書いたのだが、このブログ記事には批判が多かった。梅田氏が役員を務めるはてなのサービス「はてなブックマーク」では次のようなコメントが見られた。「滅びるんじゃなくて、それ生き物だから…」「一部の限られたエリートしか情報を残せなかった昔とは違い、今は個々人全てがデータの発言元。それが全て英語に置き換わるなどとは思えないのだけれど」「いわゆる『ナントカかぶれ』のなれの果て、かな。とりあえず本の紹介としては最低の文章。浅すぎて読む気が失せる」「書評としてひどい。なんでこんなに中身のない書評がブクマされているのかと思ったらウメダモチオだった」 これに対して梅田氏は翌日、ツイッターでこうコメントした。「はてな取締役である立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不能だ」 これではてなブックマークは大騒ぎになり、炎上状態になった。「バカだからどうだというのだろう。『知的』なユーザー以外ははてブを使うなと言いたいのだろうか」「知らない奴はがたがた言うなという奴はガラスの塔にでも引きこもっていればいい」 これは日本のネットにおける集合知についての、根深い問題を浮き彫りにした。 梅田氏は、本を読んでいないことによる無知から生じる定見の無さを「バカ」と読んだようだが、しかし無知ではなく、自分と異なるイデオロギーや世界観、永久に交わらない論説をもっている人間を「」と見なしてしまう可能性も十分ある。そう考えれば、ネットの世界で所在のよくわからない第三者を「」呼ばわりするのはきわめて危険な行為といえた。 そのようなネット空間の成り立ちを前提として考えると、自分の文章が適切に理解されないのは、相手の質が低いからとは限らない。相手の所属している圏域を書き手の側がどう考慮し、どこまでターゲティングできるのかという、そういう度量の大きさの問題になってくる。書き手がターゲティングしてくれない圏域の読者からは、常に「理解できない」「文章がひどい」「間違っている」という非難が巻き起こるのだ。 そうした非難が起きるのは、彼らがバカだからではなく、彼らをターゲティングしなかった書き手の側に問題がある。ネットの空間はそこまでフラットなのだ。梅田望夫という著名な言論人が炎上にさらされて、その後は著作を断っているという事実に驚きますね。佐々木さんはブログ論壇をフラットな空間と穏やかに評しているが・・・ブログが吐く匿名で無責任な批判など、便所の落書きと大差ないわけで、まともに応対すべき相手ではないのです。(とはいえ、ネット住民としては炎上は怖いのだが)ところで、ミクシィが登場したときも、なにか嫌な気がしたものだが・・・ツイッターのオープンさは良いけれど、SNSの囲い込みが嫌いなわけでおます。だいたい、ケイタイ持たない主義の大使が、何を言っても虚しいのだが(笑)ネットが生んだ文化(その1)
2015.12.13
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図書館で『ネットが生んだ文化』という本を手にしたのです。パラパラとめくると、炎上、2ちゃんねる、コピー文化、ブログ論壇、等々、気になる言葉が頻出しているわけで・・・物見高い大使の気を引いたのです。【ネットが生んだ文化】川上量生, 伊藤穣一etc.著、KADOKAWA、2014年刊<「BOOK」データベース>よりこれからの日本を支配するネット住民の行動原理とは?非リア・コピー・炎上・嫌儲の4キーワードを理解せよ。【目次】第1部 日本のネット文化と精神風土(ネットがつくった文化圏/日本のネットカルチャー史/ネットの言論空間形成)/第2部 ネット文化を支配する原理(リア充対非リアの不毛な戦い/炎上の構造ー100年後も1000年後も、どこかで誰かが燃えている/祭りと血祭りー炎上の社会学/日本文化にみるコピペのルール/リア充/非リア充の構造)<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、炎上、2ちゃんねる、コピー文化、ブログ論壇、等々、気になる言葉が頻出しているわけで・・・物見高い大使の気を引いたのです。この本は「角川インターネット講座」シリーズ全15巻の1冊で、これまで3冊ほど刊行されているようです。rakutenネットが生んだ文化これまで、「リア充」という言葉を知らなかったが、ネット流行語大賞2007の21位の流行語だったようです(遅れていたのか)<ネット民を知る上で重要な「リア充」という概念:川上量生>よりp15~19■ニート問題と非リア ネット民は、「リア充」なるものを憎悪するという掟がなぜかある。これは明らかにネット原住民から発生した文化である。なぜネット原住民が「リア充」を憎むんかというと、自分たちが「リア充」から排除され、仲間はずれにされたという思いをもっているからだ。つまりネット原住民自身は「リア充」ではない。ネット原住民とは「リア充」と対になる言葉の「非リア」である。 ネット文化を理解するには、まず「リア充」と「非リア」がどういった存在であるのかを理解する必要がある、「リア充」とは友達や彼女がいたりして現実での人間関係が充実しているひとたちのことを指す。「非リア」とはそうではないひちたちのことだ。 「非リア」たるネット原住民が、なぜ現実社会を離れていちはやくネット新大陸に移住してきたか?それは、現実社会に居場所がなかったからに他ならない。つまり、初期のネットとは人間関係の構築が不得手だった人々=「非リア」が現実社会から逃げ出してさまよったあげくに見いだした安息の場所、約束の土地だったのだ。(中略) 2ちゃんねる発の言葉に「敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼りない」とネット民を評したものがある。この言葉は、極めてうまくネット民の特徴を表している。 典型的なネット民は、世の中への恨みという負のエネルギーを潜在的にもっていて攻撃対象への怒りという一時的な負の方向での連帯を生む。しかしながら、コミュニケーション能力や社会性が欠けているため、仲間同士の助け合いなどは苦手である。 また、彼らが憎むものには一定の共通項があり、自分たちを排除した現実社会の象徴になるものに対しては牙をむきやすい。たとえばリア充やいじめをしていた人間に対しての憎悪はとても強い。 一方で、コンピューターやゲーム、アニメ、ライトノベルといった「オタク」コンテンツを好むという共通項をもつ。家にこもってひとりで楽しむコンテンツにはまっているのは、現実社会に居場所がないからこそだ。 「非リア」でオタクコンテンツを好むという性質をもつネット原住民たちが大量に生まれた背景には、日本独特の事情が存在する。いわゆるニート問題である。 通常、ニート、若年失業者の問題は社会不安の引金になる。だが、日本のニート問題は社会不安にはつながりにくい。なぜなら、彼らが親に寄生しているからだ。そういう豊かな日本の経済力に寄生するニートが、ネット原住民の大きな供給源となっているのだ。 他の国ではニートのような失業者はネットにつながる経済力ももてないことが多いが、日本においてはニートもネットにつなげられる。ネットにつながった彼らはとにかくヒマであるから、一日中、ネットにアクセスしているのである。 こういうヒマをもてあましたネットユーザーは通常のネットユーザーよりもネットにおける存在感が桁外れに大きいのは当たり前だ。そんな人たちが現在のネット文化を産みだすのに決定的に大きな役割を果たしたのである。■世界的に広がる非リア文化 こうした非リアたちが生み出すネット文化自体は、実は世界的な広がりを見せてもいる。例えば韓国は日本と非常に近い状況にある。アメリカでも、2ちゃんねるに数年遅れて日本のオタク文化を継承した「4chan」という画像掲示板サービスが登場して成功している。 ネットはテレビに続く貧者のメディアになるともいわれており、日本に限らず世界的にもネットにつなげられるニート層というのは増えているのだろう。ネット原住民はもはや日本だけのものではないのである。 そして日本のオタク文化は国境を越えて、ネット原住民たちには相性がいいようなのだ。日本のアニメが海外のテレビ局で放送されなくなって久しいが、年々、盛況となっていくフランスのジャパンエキスポをはじめとして、日本のオタク文化を好きな海外のファンは増え続けているといわれる。 彼らはインターネット経由で日本のオタク文化を摂取しているのだ。フランスのジャパンエキスポや米国のアニメエキスポなどの様子はニコニコ生放送でも中継されているが、そこでカメラに映し出される海外のオタクたちの雰囲気や振る舞いは、見た目は外国人ななのにかかわらず驚くほど日本のオタクたちに似ている。思わず日本の視聴者でも「海外のおまえら」と評したコメントを書く人が続出するくらいだ。 ちなみに、さきほど紹介した米国版2ちゃんねるともいえる「4chan」のサービスを立ち上げた「moot」は、米国のひろゆき*的な人物で、見た目もまさにオタクそのものだ。(中略) そして「クールジャパン」というものも、結局のところ「非リア」に受けるコンテンツの分野は、非リア先進国である日本が得意なだけであるというように解釈できる。そうすると世界にニートや非リアが植えるのであれば、今後の日本のコンテンツ文化の未来もまた明るいといえるのではないだろうか。(*:西村博之氏、2ちゃんねるの開設者)…ムムム、家にこもって「オタク」コンテンツを好むというあたりは、大使にも当てはまるではないか(笑)ちなみに、ネット流行語大賞2015は、”五郎丸”だそうです。 『ガジェット通信ネット流行語大賞2015』決定!より
2015.12.12
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神戸市の図書館3ヶ所と大学の図書館、合わせて4ヶ所の図書館を・・・大使は気分次第で日々巡っておるわけです。だいたい1ヶ所で4冊前後の本を手当たり次第で借りているので、今まで借りた本の数は膨大な数になるのです。で、この手当たり次第というのは非常に非効率なわけなんだが・・・なに、暇な有閑老人にとって、効率というものがあまり意味をなさないのですね(笑)たくさんの本を読んでいると、果たして何か意味のあるクリエイティブなものが生まれるだろうか?・・・まあ、楽しければそれだけでもいいのですが(笑)*************************************************************<図書館の利用者模様>図書館4ヶ所を巡ると以下の景色が見えてくるのです。■郊外の図書館のケースわりと込んでいて、かなり有効活用されているようです。多い人種は次のとおり1.子連れのお母さん、絵本を10冊ほど抱えている。2.図書館に熟達したジジ、ババ連中■繁華街の図書館のケース図書館で眠る若者とか、ややホームレス風の人の割合が郊外より増えている。■大学の図書館のケースだいたい閑散としているわけで、若者の読書離れが表れているのかも。*************************************************************<図書館の問題点>出版文化の維持とか、住民ニーズを考えると・・・図書館が新刊本を多数購入する副本とか、新刊購入を1年間猶予とかの問題が発生するようです。そのあたりが「貸し出しの1年猶予」も、我慢できるんだけどに出ています。また、図書館に対する辛口批評が『図書館利用の達人』に見られます。*************************************************************<図書館の活用サイト、読書サイト>大使が個人的に活用しているサイトです。図書館を利用する場合には、以下のサイトで事前に情報を得た上で、図書館では手当たり次第に探すわけです。・図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム・図書館予約の軌跡・図書館大好き・朝日デジタルの書評から・読書術・書評のインデックス・原作が先か、映画が先か
2015.12.11
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図書館で『魔がさす年頃』という本を手にしたのです。魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪【魔がさす年頃】嵐山光三郎著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より著者の人生、いつも「つい魔がさしたとき」が次のステップになった。「不良定年」その後の人生全開的日々実録。【目次】序章 魔がさす年頃/第1章 魔がさす気配/第2章 いらいら/第3章 自律神経出張中/第4章 蝉時雨<読む前の大使寸評>魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪rakuten魔がさす年頃この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めました。嵐山さんが魔がさしたように、下り坂人生を語っています。体力の衰えに、寄る年波を感じる大使だが、やはりアホでも歳をとるのか。<魔のペンだこ>よりp218~220 同年代の友人が死ぬたびに「つぎは自分の番だ」と腹をくくるが、そのいっぽう、自分は思いのほか体力があるんじゃないか、とうぬぼれて、不摂生をする。そのうち頼りにしていた主治医も死んでしまった。 年に1回、赤瀬川原平氏や南伸坊氏、藤森照信氏、松田哲夫氏らと一緒にがんの検診を受けている。最長老の赤瀬川氏は75歳で、「ここまできたら、あと何年いきるか、が勝負だ」といっている。長老の赤瀬川さんにそう宣言されると、こちらも99歳まで生きるつもりになって、人間の強欲というものに際限がないことに気づいた。 70歳になる坂が大変だぞ、と御教示してくれたのが山藤章二氏で、なるほど70歳はきつい。50歳で自分をもてあまして不良中年となり、60歳で還暦に仰天して女にちやほやされる日々をすごし、下り坂人生をずるずると下りていくうちに70歳になった。70歳の自分など信じられないが、信じなくても70歳なのだから仕方がない。 年寄りは「まだ若い!」といったり、「これからが青春だ!」と宣言したがるけれど、昔からそういうのが嫌いだった。ものわかりのいいジジイにはなりたくないし、老骨をひきずって走る市民ランナーも苦手で、じゃあ死にたいのかと訊かれれば、もうちょっと、といって、ここまできた。 おまえはいくつまで働く気があるんだ、と友人に訊かれ「75歳」と答えたら、友人も「おれも75歳まで」といった。75歳をすぎたら、いっさい仕事をせず、ダラダラと生きていく。 版元と約束したまま手つかずになっている本が数冊あり、これは有り難いことだが、いざやろうと思っても、これがなかなか進まない。70坂なのだな、と妙に納得して近所の居酒屋で酒を飲んでいたら、女主人が、 「あら、嵐山さんの指」 といって中指をさした。 「ペンだこが小さくなりましたね」 いわれるまで気がつかなかったが、右手の中指にあったそらまめみたいなペンだこがへっていた。3Bの鉛筆を使った手書きで、筆圧が強いから、ペンだこが目立っていた。編集者のころより鉛筆書きで、それを50年つづけた結果こうなった。 ペンだこが小さくなったのは、そのぶん執筆量が減ったのである。気になってカッターで削っていたペンだこが自然消滅しようとしている。(中略) 老母ヨシ子さんが95歳でユーラユラと生きている。こちらはヨシ子さんの葬式をとりしきる約束をしており、それをすまさなければ死ねないのである。S君が「母親が生きているうちは、つぎに死ぬのは自分だという覚悟ができないんだよ。両親が亡くなると、いつ死んでもいいと思うようになる」といった。そのためヨシ子さんは長生きしているのかもしれない。最後に「あとがき」を見てみましょう。<あとがき 今が一番!>よりp227~229 この30年間、世の中、不景気になったり、会社がつぶれかかったり、頭はハゲるし、体力は衰えるし、自転車は盗まれるし、前歯はカケるし、チャージしたばかりのSuicaは落とすし、といいことばかりではありません。だけど、どれほど時代や状況が悪化しようが「だからなんにもしたくない」と思ったことは一度もありません。時代は時代、状況は状況であって、いろいろ文句をつけたくなるが、時代、状況あっての人間です。 状況なくして自由はないし、自由なくして遊びもないのです。 私は坂崎重盛氏とつきあって30年になり、この本も坂崎氏の企画によるものです。坂崎氏は私と互恵関係にある二枚腰の強豪で、二人で出版社(蘭亭社)を作った仲ですが、いつも「いまが一番だな」と言ってきた。そうです。いつだって「今が一番!」なのです。 坂崎氏は版元を経営しながら、自分でも本をたくさん書いている。坂崎氏と私に共通するのは古書耽溺で、飯を食うように古書を読む。しかしミミヅク学者みたいに書斎にうずくまって、世をすねているわけではありません。 本に淫しつつも、地球の辺境を巡り歩き、自転車で芭蕉の『奥の細道』を旅したり、陽の高いうちから浅草のうらぶれた居酒屋で煮こみをアテにホッピーなど飲みつつ、「いまが一番だなあ」と言いつづけてきました。 これは自分を力づけようとしているわけではなく、しんからそう思う。そうやっているうち、どこかから魔がさしてくるのを待っているのです。ふと魔がさすのは、こちらの精神と体力が充実しているときがいい。体調不良のときは、せっかく魔がさしたのに、それに気がつかず、やりすごしてしまう。もったいないことです。 魔がさすのは、女と遊ぼうとかギャンブルをしようとか、だけではなく、古本で確認したことの実地調査や、変幻自在の珍企画であったりします。坂崎氏と嵐山は、南米秘境流浪から、中国ドロボー市偵察、非実用型ジャックナイフ収集、世界のナンチャッテブランドの調査と分析、ピンのピンの寿司屋巡礼。 おたがい自宅へ帰らず連絡不能、火宅同然、暴飲暴食、乱買乱読、場末探訪、深夜徘徊、名句量産、色紙乱作とかなり多くの遊びを体験してきて、二人ともそれらをせっせと本に書きました。 気がつけば、なんのことはない、遊びでももとはとっている。そういう遊びをやってきたのが「今が一番」という自覚です。時代なんて、いつも不安定ですから、そのなかで「今が一番」と確信しなければいけない。 という次第で嵐山は70歳となり、坂崎氏も数ヶ月で70歳になるはずです。やっと70歳になれました。昔から「早く70ジジイになって70代の快楽的生活をしたい」と念じておりましたので、「花の70代」の幕があきました。「今が一番!」です。今日から始まる「100分de名著・徒然草」 より『魔がさす年頃』 1
2015.12.10
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・フォトアーカイブ 昭和の公団住宅・福沢諭吉の朝鮮***************************************************************【フォトアーカイブ 昭和の公団住宅】フォトアーカイブ 昭和の公団住宅より<郷愁とともに黄金時代を伝える:原武史(明治学院大学教授・政治思想史)> 戦後の慢性的な住宅不足を解消すべく、高度成長の始まりとともに華々しく登場したものの、低成長へと移行した1970年代には住宅不足が解消され、早くも使命を終えてしまった集合住宅。それが公団住宅、いわゆる団地である。団地の黄金時代は、20年間も続かなかったわけだ。 本書は、その時代に首都圏の団地で撮られた貴重な写真を集めたものである。画一的な住棟が並ぶ団地独特の風景をバックに遊ぶ子供たちや母親たちの表情は、思いのほか生き生きとしている。同じ集合住宅でも、ややもすれば隣人すら誰かわからない現在の民間マンションとは異なり、団地全体が一つの地域共同体となっていたことが、いや応なしに伝わってくる。 団地に40年以上住んだ私にとって、郷愁を誘わずにはおかない写真集である。いや、ただ郷愁に浸るだけでなく、二度と戻ることのない団地の黄金時代を後の世代にきちんと伝えてゆく上でも、必須の一冊となるに違いない。 ◇長谷田一平著、星雲社、2015年刊<「BOOK」データベース>より戦後70年、日本住宅公団(現UR)発足60年。ネガフイルム3669本 約13万点をチェック。高島平、ひばりが丘、高根台、常盤平、善行、浜見平、尾山台、武里、取手井野など首都圏143団地から328点を厳選掲載。【目次】(「BOOK」データベースより)第1部 フォトアーカイブ 昭和40~60年代(トピックス/サークル/運動会/夏祭り/日々好日/往時)/第2部 フォトアーカイブ 昭和30年代(KEY新聞の紙面から)/第3部 資料編(昭和の公団住宅/住宅公団からURまでの変遷と今後の方向性)<読む前の大使寸評>団地の黄金時代は20年間も続かなかったのか・・・2DKという言葉を耳にタコができるほど慣れ親しんできた団塊世代であるが、我々団塊はスクラップ&ビルトの短期的視野しか持ち合わせていなかったと言わざるを得ないようです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakutenフォトアーカイブ 昭和の公団住宅【福沢諭吉の朝鮮】福沢諭吉の朝鮮より<「義侠心」から揺れ動いた脱亜論:柄谷行人(哲学者)> 福沢諭吉は「脱亜論」(1885年)で、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と書いた。それまで福沢は、朝鮮の改革を目指し、西洋列強に抗して日本を盟主とするアジア同盟を構築することを唱えていたが、それを否定したのである。 彼がそう書いたのは、朝鮮に起こった甲申政変(1884年)、つまり、親日派の金玉均らがソウルで日本公使と結んでおこしたクーデターが失敗した後である。そこで、「脱亜論」を福沢の敗北宣言と見なす考えが定説となった。ただ、それ以後、福沢が日本の帝国主義的な方向を肯定したという批判と、福沢を擁護しその可能性を見いだそうとする論が争われてきた。 しかし、著者の考えでは、「脱亜論」をふくめて、福沢の論文とされているのは「時事新報」の論説であり、刻々と変化する状況に対応して書かれたものだ。「脱亜論」が同時代で注目されなかったのもそのためである。本書は、朝鮮近代史の状況を見直すことによって、福沢の考えを再検討するものである。 著者の結論はつぎのようなものだ。福沢は洋学者として、もともと「脱亜論」の立場であった。朝鮮についても無知・無関心であった。彼が急に関心を抱くようになったのは、1880年に初めて朝鮮人と出会い、翌年、慶応義塾に留学生を受け入れてからだ。 彼の朝鮮への関心は「義侠心」からである。すなわち、理論的というより心情的であった。彼は自分の年来の理論に反して、アジア主義を唱えたのである。ゆえに、「脱亜論」を唱えたのは、彼の学生や親友が朝鮮政府によって虐殺されたということへの憤激から来るものだった。たとえば、彼が書いた社説「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」という激越な言い方も、そこから来ている。 著者は、現在の状況が日清戦争前後の状況と類似すると見ている。私も同感である。 ◇月脚達彦著、講談社、2015年刊<「BOOK」データベース>より「転向者」福沢の思想/情念、「アジア主義」の本質的矛盾、挫折する「リベラルな帝国主義」…。『時事新報』での言説と朝鮮開化派との個人的関係から、真実の福沢諭吉像と現代日本の東アジア関係との連続性を提示する。【目次】序章 福沢諭吉の朝鮮論をどう読むか(福沢諭吉の朝鮮との出会い/福沢の「アジア盟主論」/「アジア主義」の成立と福沢諭吉/社説「脱亜論」の内容/「状況的発言」としての社説「脱亜論」/本書の目的と構成)/第1章 「朝鮮改造論」から「脱亜論」へ(壬午軍乱以前の朝鮮「独立」論/壬午軍乱と朝鮮「独立」論の変容/「朝鮮改造論」の再展開とその放棄)/第2章 ロシアの脅威と「朝鮮改造論」の放棄(イギリスの巨文島占領と「朝鮮改造論」の放棄/巨文島事件による中国評価の転換/沈黙期の朝鮮関係社説)/第3章 「世界文明の立場」からの「朝鮮改造論」(朝鮮開化派の動向と金玉均の暗殺/日清戦争時の「朝鮮改造論」/甲午改革と「朝鮮改造論」の展開)/終章 福沢諭吉の挫折としての朝鮮問題(『福翁自伝』における朝鮮/「義侠心」と「文明主義」の破綻/「義侠心」と「脱亜」の行方)<読む前の大使寸評>朴クネ大統領が登場した頃から、歴史認識でかしましい日韓関係であるが・・・歴史認識と言うなら、福沢諭吉のあたりに遡って歴史を見てみたいと思うのである。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten福沢諭吉の朝鮮**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から80
2015.12.09
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図書館で『魔がさす年頃』という本を手にしたのです。魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪【魔がさす年頃】嵐山光三郎著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より著者の人生、いつも「つい魔がさしたとき」が次のステップになった。「不良定年」その後の人生全開的日々実録。【目次】序章 魔がさす年頃/第1章 魔がさす気配/第2章 いらいら/第3章 自律神経出張中/第4章 蝉時雨<読む前の大使寸評>魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪rakuten魔がさす年頃日中文化交流協会委員でもある嵐山さんは、同協会の招待で中国を巡ったそうです。招待旅行だから、ハメも外れず、魔がさすようなことはなかったようですが。<中国高速鉄道に乗る>よりp87~91 黒龍江省のハルピン駅から高速鉄道で吉林省の長春へ向かった。8両編成の車輌で、どうみても日本の東北新幹線である。時刻表では9時15分発となっていたが、いつのまにか9時5分発に変更となっていた。 中国の新幹線はセッコウ省温州での衝突・脱線事故のあと、ダイヤ改正があった。転覆事故をおこさぬかと不安だったが、中国では自動車で移動するときのほうがずっとこわい。二等席(72元=約900円)でも座り心地がいい。 臨席の客が座席を向かいあわせにしてトランプのゲームをはじめた。全車輌に響きわたるほど、やたら声が大きい。 ただでさえ声が大きい中国人が、怒鳴りあってトランプに興じている。 中国の特急列車には軟座席(一等)と硬座席(二等)があり、昔は硬座席には鶏や家鴨を積み込んだ客がいて、木製の床は痰でぬるぬるしていた。予約席をとっておいてもそこには別の客が座っていて動かないし、地獄の行進であった。それに比べると雲泥の差である。 列車は広大なトウモロコシ畑のなかを走っていく。ただし時速140~160キロで思っていたより遅い。列車の性能は時速250キロ以上出るはずなのに、スピードをあげない。 どうして遅いのかと中国人の通訳にきくと、 「温州の事故以来、安全運転を心がけています」 とのことであった。 「あの事故はもう解決ずみです。あとは前進あるのみです」 が中国側の認識である。イケイケドンドンの国だから、40人が犠牲となり、大破した車輌の残骸を地中に埋めてから掘りおこしても、どうということはないらしい。中国人にしてみれば、あの程度の事故で騒ぐ日本人が理解できない。中国には「潜規則」という不文律があって、法治国家のシステムは通用しにくいのである。 ゆっくり走る高速鉄道はなんとものどかで、二時間かけて、長春駅に到着した。 長春は旧満州の首都(新京)であった。市街地には満州時代の遺構がそこらじゅうにある。ただし中国は満州という言葉を許しがたく、偽満州という。 旧関東軍司令部は白壁に黒い屋根瓦がつき、天守閣を設けた城郭建築で、日本式にいえば城である。いまは中国共産党吉林省委員会になっている。 国会議事堂を模した偽満州国国務院は吉林大学基礎医学院で、入り口には中国共産党の活動を支援したカナダ人医師ノーマン・ベチューンの像が立っている。正面玄関よりは奥へは入れなかった。建築した当時は国務院の地下道があり、長春駅や関東軍司令部とつながっていた。 新民大街をはさんで国務院の向かい側にある偽満州国軍事部は、緑色の瑠璃瓦の三角屋根で、吉林大学医学部の第一臨床医学院。和漢折衷の丸屋根の偽満州国司法部(司法府)は吉林大学新民校区。偽満州国経済部(財政府)は吉林大学第三医院。 吉林大学は学生数8万人、教師・事務員が4万人で計12万人という。案内してくれた対外友好協会の通訳も吉林大学の卒業生だった。 あらゆる建築が偽満州で赤旗がひるがえっている。きわめつきは偽満皇宮博物院で、ラストエンペラー溥儀の仮宮殿である。溥儀は1932年から1945年までをここですごした。 日満議定書が調印された勤民楼の机、清国皇帝の位牌を祀る奉先殿、関東軍参謀の執務室、アヘン吸引室、映画『ラストエンペラー』に登場した同徳殿のホールなどがあり、中国人の観光客で賑わっていた。満州という地名を別の名称に変えればいいとも思うが、あえて旧名称の上に偽をつけて旧名を残すところが中国式である。 溥儀は3歳で清朝宣統帝に即位し6歳で退位したが26歳で満州国執政となり、28歳で満州国皇帝となった。39歳(1945年)のとき、ソ連軍に捕らえられハバロフスク郊外に収容された。1946年の東京裁判に検察側証人として出廷し、44歳で中国に引き渡され、特赦を受けて61歳の生涯を終えた。最後は政治協商会議全国委員に選出され、その思想改造の過程が写真とパネルで展示してある。 長春の史跡を廻ると、いかに関東軍の侵攻が無謀なものであったかがわかる仕掛けになっている。満州を開拓して移住するなんて、無茶なことをしたものだ。偽満州の大荒野へ行けば、この地を占領する計画をよくもまあ思いついたものだ、と実感でわかる。 宿泊は金安大飯店で、夕食は御香苑で火鍋料理になった。北京に本店があり、長春は分店である。マトン、ホウレン草、キャベツ、シイタケ、ハルサメなどの火鍋だが、この店のコーンスープの旨さに仰天した。採りたてのトウモロコシを蒸してスープにしたものだが、コーンが新鮮で、香りが抜群にいい。 今回の旅で一番心に沁みたのがこのスープで、スープというよりジュースに近い。店員は、ガラスのコップを乱暴にドスンと置く中国式だが、味は淡白ですずやか。塩味はなく、ほのかに甘い。朝採りしたトウモロコシ自身の甘みがある。トウモロコシのシーズンだけの純正スープ。これは日本や香港の高級中国店では味わえない逸品である。五杯もおかわりして、 「どうやって作るのか」 と店員にきくと、「それは企業秘密です」とかわされてしまった。 大使の鬼門とも言えるスティーブ・ジョブズについて、嵐山さんが論じているので見てみましょう。<ジョブズは魔がさして成功した>よりp180~184 きれいごとのお題目を唱えているだけでは人はついてこないし、新時代にあった商品は開発できない。この世は平等ではなく、不条理の連続で、失敗をくり返しつつ生きていくしかない。ジョブズの不逞なる方法は正札通りに受けとって真似をすると火傷する、という印象をもった。俗っぽくて訳知りでないのがジョブズ流である。 名古屋の星野書店で、ジョブズ格言集を買って、帰りの新幹線で読むと、日めくりカレンダーのような格言がつぎつぎと出てきた。「一つの仕事を成しとげるためには他の人生を捨てよ」とか、「何をするのではなく、何をしないのかが大切だ」とか、うろ覚えだが、「死に近づきつつあると知れば、やりたいことができる」など人間が生きていく上での覚悟がつぎつぎと出てくる。実用本に見せかけた魔がさす本という気配があった。ジョブズ本を読んだ日本人は「どこからか魔がさす」自分を求めたのである。しかし、魔にさされた人間が、その毒をどのように処理するかは難しい。なぜなら魔がさしたとき、それを受容するには体力と精神力が必要だからである。 若いころから魔にさされて、魔にさされても生きのびる鍛錬がなければ、たちまち死んでしまう。魔にさされることは死と隣りあわせであることを覚悟しなければならない。 ジョブズの頭から離れなかったのは「死」で、人はだれでも死から逃れることはできない。ジョブズはいろんなアイデアを開発しつつも無常の風に吹かれている。49歳で膵臓ガンの手術を受けてからは、死の意識がいっそう深まった。 ジョブズの本を読みながら、「おや、これはどこかで読んだことがあるぞ」と気がついた。それは吉田兼好の『徒然草』である。 兼好という人はジョブズより約670年前の人で、堀川大臣家の家司(事務と秘書をかねた仕事)をしていた。博学であった兼好は、堀川家の娘基子を母にもつ後二条天皇の子、邦良親王の家庭教師をしていた。 『徒然草』は、邦良親王が立派な天皇となるためのテキストとして書かれた、と私は考えている。『徒然草』の最初が君主論であるのはそのためである。しかし邦良親王は27歳で亡くなり、兼好は失業してしまった。山里に隠棲する世捨て人となり、『徒然草』は君主論としての役割を終え、随筆集という形に変わっていく。 兼好にも魔がさして、ドロップアウトして、現実の世を捨てた。それが世捨て人である。しかし、兼好が捨てたのは現実の世ではなく、俗世界のわずらわしさであった。頭を丸めて法師のなりをしているが、来世のことなどいささかも信じていない。「一事をなそうと思ったら他のことはあきらめよ」「最善手を目ざすな、最悪手を避けよ」「自分からのドロップアウトはできない」「珍しきを求めて異説を好まず」「失敗の罠とはなにか」「趣向を弄さず、シンプルなものがすぐれている」と説いた。 これらは、すべてジョブズの信条と重なっている。ジョブズは仏教徒で禅を修業していたから、英訳された『徒然草』を読んでいたのではないだろうか。 兼好は脱俗を目ざすほど世間へ目がいってしまう人で、兼好が生まれたころ蒙古襲来という大事件がおきた。蒙古が日本を攻めてきて、かろうじて撃退したものの、鎌倉幕府は、その後の対処にゆきづまっていた。貴族も僧侶も政権をねらって暗躍し、異類異形の山伏が暴れまわり、京の町は焼かれて、戦乱につぐ戦乱であった。それまでの価値観が崩れていった。 人里離れた山にいても、そういった現実から目をそらすことはできない。 俗世間のなかにいると、目の前の事件に惑うばかりで、人と争い、あるときは恨み、損得のことを考えると果てしがない。そういった自分の欲や野望がわかるから、兼好は世捨て人となったのだが、そうといっても世捨て人として逃げきることもできない。兼好の魅力は、そのあまりに人間的な葛藤と矛盾にある。 この気分は現代の組織社会に生きるわれわれと共通し、ことに組織の第一線に立って仕事をしている人に限って「山奥に籠もって価値を見つめよう」と思う。第一線のビジネスマンが、ある日突然それをやって周囲を驚かすのは魔がさしたのである。うまくいくかどうかはわからぬが、魔がさして、自分を解体しようとする。(中略) 『徒然草』はつねにわが傍らにあり、魔をさしこむ「危険な書」であった。『徒然草』のなかに書かれている内容がバラバラなのは、兼好が自己を解体しつづけた人だったからだ。つまり、悟っていない。悟りつつも、その悟りを捨ててしまう。その矛盾が、生きていくことなのである。ジョブズに触発されて読み返すと、新しい発見がある。 で、兼好の野生にあと押しされて、『転ばぬ先の 転んだ後の「徒然草」の知恵』(集英社)という、やたらと長いタイトルの本を書いた。嵐山さんの『徒然草』に関する薀蓄には深いものがあるのだが・・・NHKの『100分de名著・徒然草』のコメンテーターを務めたほどなので、まあ、第一人者の部類なんでしょうね♪今日から始まる「100分de名著・徒然草」 より
2015.12.09
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「異国」でしょうか♪<大学図書館>・サラバ!(下)・ヨーロッパの装飾と文様<市立図書館>・李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集・ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ・魔がさす年頃・文芸春秋7月号図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【サラバ!(下)】西加奈子著、小学館、2014年刊<「BOOK」データベース>より父の出家。母の再婚。サトラコヲモンサマ解体後、世間の耳目を集めてしまった姉の問題行動。大人になった歩にも、異変は起こり続けた。甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。お前は、いったい、誰なんだ。<読む前の大使寸評>新興宗教の出現と解体といえば、オウム真理教や高橋和己の『邪宗門』を彷彿とするわけで・・・興味深いのです。rakutenサラバ!(下)【ヨーロッパの装飾と文様】海野弘著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>より豊かな「形」が織りなす、装飾の花園へ。古代文明からゴシック、ロココ、アール・ヌーヴォー、アール・デコなど、18の様式における装飾・文様の歴史と構造、74のモチーフを詳しく解説。<読む前の大使寸評>ほぼ全ページにカラー画像満載で、コスパも良~し、お買い得かも♪rakutenヨーロッパの装飾と文様【李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集】梶山季之著、インパクト出版会、2002年刊<「BOOK」データベース>より梶山季之が生まれ育った「ふるさと」植民地下朝鮮を描く作品群。【目次】族譜/李朝残影/性欲のある風景/霓のなか/米軍進駐/闇船/京城・昭和十一年/さらば京城/木槿の花咲く頃/族譜(広島文学版)/エッセイ(韓国の“声なき声”を推理する/朴大統領下の第二のふるさと/京城(ソウル)よ わが魂(ソウル)/魂の街 ソウル)<読む前の大使寸評>最近まで、梶山季之といえばエロ&サスペンス?の作家だと思っていたが、朝鮮からの引き揚げ者で、朝鮮に関して数多くの作品を残していることを知ったわけです。大使にとって土地勘もあり思い出の多い朝鮮なので、これから読んでみようと思うのです。<図書館予約:(11/28再予約、12/04受取)>rakuten李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集byドングリ【ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ】ジョン・ル・カレ著、早川書房、2012年刊<「BOOK」データベース>より英国情報部“サーカス”の中枢に潜むソ連の二重スパイを探せ。引退生活から呼び戻された元情報部員スマイリーは、困難な任務を託された。二重スパイはかつての仇敵、ソ連情報部のカーラが操っているという。スマイリーは膨大な記録を調べ、関係者の証言を集めて核心に迫る。やがて明かされる裏切者の正体は?スマイリーとカーラの宿命の対決を描き、スパイ小説の頂点を極めた三部作の第一弾。著者の序文を付した新訳版。<読む前の大使寸評>ジョン・ル・カレの小説が読みたいということで、図書館サイトで検索したら、ゲッ、新訳版は副本7冊とも貸出中だったので、旧訳版(副本2、予約なし)を予約したのです、即OKでした。<図書館予約:(12/01予約、12/06受取)>rakutenティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ【魔がさす年頃】嵐山光三郎著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より著者の人生、いつも「つい魔がさしたとき」が次のステップになった。「不良定年」その後の人生全開的日々実録。【目次】序章 魔がさす年頃/第1章 魔がさす気配/第2章 いらいら/第3章 自律神経出張中/第4章 蝉時雨<読む前の大使寸評>図書館でこの本を手にしたが・・・魔がさしたというべきか(笑)rakuten魔がさす年頃魔がさす年頃byドングリ【文芸春秋7月号】雑誌、文芸春秋社、2015年刊<商品説明>より[大特集 外国から見た日本の実力]太平洋戦争の敗戦から70年。先進国となった日本と日本人は、果たして世界の人々の目にどのように写っているのでしょうか。平和国家? エコノミックアニマル? それとも東洋の不思議の国? アジア諸国の歴史教科書での描かれ方や、著名な外国人による日本論、海外で活躍する日本人の実感など、さまざまな視点で「世界の中の日本」を探っていきます。 <読む前の大使寸評>原則として、雑誌は図書館で読み、借ることにしようと思っているわけです。借りられるのは発刊1ヵ月後からだけど、最新号借出しは我慢、我慢やで。Amazon文芸春秋7月号文芸春秋7月号byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き125
2015.12.08
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<『職業としての小説家』3>大学図書館で『職業としての小説家』をみっけ♪、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でみっけ、借出し)>rakuten職業としての小説家この本は読みどころ満載なんで、さらに(その3)として読み進めています。村上さんは長距離ランナーでもあるわけで、持続力の何たるかをよく知っているようです。そのあたりが語られている箇所を見てみましょう。p166~172<どこまでも個人的でフィジカルな営み>より 孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くと言うのは―とくに長い小説を書いている場合は―実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そのものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わなくてはならない荷物です。 僕はその手の作業に関してはかなり我慢強い性格だと自分でも思っていますが、それでもときどきうんざりして、いやになってしまうことがあります。しかし巡り来る日々を一日また一日と、まるで煉瓦職人が煉瓦を積むみたいに、辛抱強く丁寧に積み重ねていくことによって、やがてある時点で「ああそうなんだ、なんといっても自分は作家なのだ」という実感を手にすることになります。そしてそういう実感を「善きもの」「祝賀するべきもの」として受け止めるようになります。(中略) そういう作業を我慢強くこつこつと続けていくためには何が必要か? 言うまでもなく持続力です。 机に向かって意識を集中するのは三日が限度、というのではとても小説家にはなれません。三日あれば短篇小説は書けるだろう、とおっしゃる方がおられるかもしれません。たしかにそのとおりです。三日あれば短篇小説一本くらいは書けちゃうかもしれえません。でも三日かけて短篇小説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんチャラにして、新たに体勢を整えて、また三日かけて次の短篇小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではありません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょう。短篇小説を専門とする人だって、職業作家として生活していくからには、流れの繋がりがある程度なくてはなりません。 長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、短篇小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になります。 それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか? それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです―基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。 もちろんこれはあくまで僕の個人的な、そして経験的な意見にすぎません。普遍性みたいなものはないかもしれません。しかし僕はここでそもそも個人として話をしているわけですから、僕の意見はどうしたって個人的・経験的なものになってしまいます。異なった意見もあるとは思いますが、それは違う人の口から聞いてくだし。僕はあくまで僕自身の意見を述べさせていただきます。普遍性があるかないかは、あなたが決めてください。 世間の多くの人々はどうやら、作家の仕事は机の前に座って字を書くくらいのことだから、体力なんて関係ないだろう、コンピューターのキーボードを叩くだけの(あるいは紙にペンを走らせるだけの)指の力があればそれで十分ではないか、と考えておられるようです。作家というのはそもそも不健康で反社会的、反俗的な存在なんだから、健康維持やフィットネスなんてお呼びじゃああるまい、という考え方も世の中には根強く残っています。そしてその言い分は僕にもある程度理解できます。そういうのはステレオタイプな作家イメージだと、簡単に一蹴することはできないだろうと思います。 しかし実際に自分でやってみれば、おそらくおわかりになると思うのですが、毎日5時間か6時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に(もちろん蜜柑箱の上の四百字詰原稿用紙の前だって、ちっともかまわないわけですが)一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要です。若い時期には、それもそんなにむずかしいことではないかもしれません。20代、30代…、そういう時期には生命力が身体にみなぎっていますし、肉体も酷使されることに対して不満を言い立てません。若いというのは実に素晴らしいことです。しかしごく一般的に申し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は減退していきます。筋肉は衰え、余分な贅肉が身体に付着していきます。「筋肉は落ちやすく、贅肉はつきやすい」というのが僕らの身体にとっての、ひとつの悲痛なテーゼになります。そしてそのような減退をカバーするには、体力維持のためのコンスタントな人為的努力が欠かせないものになってきます。(中略) 僕は専業作家になってからランニングを始め(走り始めたのは『羊をめぐる冒険』を書いていたときからです)、それから30年以上にわたって、ほぼ毎日1時間程度ランニングをすることを、あるいは泳ぐことを生活習慣としてきました。たぶん身体が頑丈にできていたのでしょう。 そのあいだ体調を大きく崩したこともなく、足腰を痛めたこともなく、ほぼブランクなしに、日々走り続けることができました。1年に一度はフル・マラソンを走り、トライアスロンにも出場するようになりました。 よく毎日ちゃんと走れますね、よほど意志が強いんですね、と感心されることもありますが、僕に言わせれば、毎日通勤電車で会社に通っておられる普通のサラリーマンの方が、体力的にはよほど大変です。ラッシュアワーの電車に1時間乗ることに比べたら、好きなときに1時間外を走るくらい何でもないことです。とくに意志が強いわけでもありません。僕は走ることが好きだし、ただ自分の性格に合ったことを習慣的に続けているだけです。いくら意志が強くても、性格に合わないことを30年も続けられるわけがありません。 そしてそのような生活を積み重ねていくことによって、僕の作家としての能力は少しずつ高まってきたし、創造力はより強固な、安定したものになってきたんじゃないかと、常日頃感じていました。客観的な数値を示して「ほら、こんなに」と説明することはできませんが、自然な手応えとして、実感として、そういうものが僕の中にあったわけです。おっと、村上さんはほぼ毎日1時間も走っているのか・・・晴走雨読の大使にとって、村上さんのいう持続力の意味はよくわかるのです。『職業としての小説家』1『職業としての小説家』2
2015.12.07
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大学図書館で『職業としての小説家』をみっけ♪、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でみっけ、借出し)>rakuten職業としての小説家この本は読みどころ満載なんで、さらに(その2)として読み進めています。どこから読んでも面白いし充実しているのだが・・・小説家の世界を概観するということで、冒頭のあたりを見てみましょう。p9~12<小説家は寛容な人種なのか> 小説について語ります、というと最初から話の間口が広くなりすぎてしまいそうなので、まず小説家というものについて語ります。その方が具体的だし、目にも見えるし、比較的話が進めやすいのではないかと思います。 僕が見るところをごく率直に言わせていただきますと、小説家の多くは―もちろんすべてではありませんが―円満な人格と公正な視野を持ち合わせているとは言いがたい人々です。また見たところ、あまり大きな声では言えませんが、称賛の対象にはなりにくい特殊な性向や、奇妙な生活習慣や行動様式を有している人々も、少なからずおられるようです。 そして僕も含めてたいていの作家は(だいたい92パーセントくらいじゃないかと僕は踏んでいるのですが)、それを実際に口に出すか出さないかは別にして、「自分がやっていること、書いているものがいちばん正しい。特別な例外は別にして、他の作家は多かれ少なかれみんな間違っている」と考え、そのような考えに従って日々の生活を送っています。こうした人々を友人や隣人として持ちたいと望む人は、ごく控えめに表現して、それほど数多くないのではないでしょうか。 作家同士が篤い友情を結ぶという話をときどき耳にしますが、僕はそういう話を聞くと、だいたい眉に唾をつけます。そういうこともあるいはあるのかもしれないけど、本当に親密な関係はそんなに長くは続かないんじゃないかと。 作家というのは基本的にエゴイスティックな人間だし、やはりプライドやライバル意識の強い人が多い。作家同士を隣り合わせると、うまくいく場合より、うまくいかない場合の方がずっと多いです。僕自身、何度かそういう経験をしています。 有名な例ですが、1922年にパリのあるディナー・パーティーで、マルセル・プルーストとジェームズ・ジョイスが同席したことがあります。でも二人はすぐ近くにいたにもかかわらず、最後までほとんどひとことも口をきかなかった。まわりの人々は、20世紀を代表する二人の大作家がどんな話をするんだろうと、固唾を呑んで見守っていたのですが、きれいに空振りに終わってしまいました。お互い自負心のようなものが強かったのでしょうね。よくある話です。 しかしそれにもかかわらず、職業領域における排他性ということに関していえば―簡単に言えば「縄張り」意識についていえばということですが―小説家くらい広い心を持ち、寛容さを発揮する人種はほかにちょっといないのではないかという気がします。そしてそれは小説家が共通して持っている、どちらかといえば数少ない美点のひとつではあるまいかと、僕は常々考えています。 もう少しわかりやすく具体的に説明しましょう。 仮にある小説家が歌がうまくて、歌手としてデビューしたとします。あるいは絵心があって、画家として作品を発表し始めたとします。その作家はまず間違いなく、行く先々で少なからぬ抵抗を受け、また揶揄嘲笑の類を浴びせられることになるでしょう。「調子にのって場違いなことをして」とか「素人芸で、それだけの技術も才能もないのに」みたいなことをきっと世間で言われるでしょうし、専門の歌手や画家からは冷たくあしらわれることになりそうです。ひょっとしたら意地悪くらいされるかもしれません。少なくとも先々で「やあやあ、よく来たね」みたいな温かい歓迎を受けることはほとんどないはずです。もしあったとしてもそれはきわめて限定された場所における、きわめて限定されたかたちのものになることでしょう。 僕は自分の小説を書く傍ら、これまで30年ばかり積極的に英米文学の翻訳をしてきましたが、最初の頃は(あるいは今でもまだそうなのかもしれませんが)けっこう風当たりがきつかったみたいです。「翻訳というのは素人が手を出すような簡単なものじゃない」とか「作家の翻訳なんてはた迷惑な道楽だ」みたいなことをあちこちで言われたみたいです。 また『アンダーグラウンド』という本を書いたときは、ノンフィクションを専門とする作家たちからおおむね厳しい批判をうけました。「ノンフィクションのルールを知らない」とか「安っぽいお涙頂戴だ」とか「お手軽な旦那芸だ」等々さまざまな批判を受けました。僕はいわゆるジャンル的「ノンフィクション」ではなく、あくまで自分なりに考える文字通りの「非フィクション」というか、要するに「フィクションではない」を書いたつもりだったのですが、結果的にどうやら「ノンフィクション」という「聖域」の番をしている虎たちの尻尾を踏んづけてしまったようでした。そんなものが存在するなんて考えたこともなかったので、最初のうちはずいぶん面食らったものですが。 かくのごとく、なにごとによらず専門外のことに手を出すと、その分野を専門とする人々からはまず良い顔をされません。白血球が体内の異物を排除しようとするかのように、そのアクセスをはねつけようとします。それでもめげずにしつこくやっていれば、そのうちにだんだん「まあしょうがないな」という感じで黙認され、同席を許されてはくるみみたいですが、少なくとも最初のうちはずいぶん風当たりがきつい。 「その分野」が狭ければ狭いほど、専門的であればあるほど、そして権威的であればあるほど、人々のプライドや排他性も強く、そこで受ける抵抗も大きくなるようです。…なんか自慢話のようでもあり、丁寧で実直な報告のようでもあるが…村上さんが何でもできてしまうのが良くなかったようですね(笑)『職業としての小説家』1
2015.12.07
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図書館で『文芸春秋7月号』を手にしたのだが・・・・大型企画「外国から見た驚異の国ニッポン」が気になって借りた次第です。原則として、雑誌は図書館で読み、借ることにしようと思っているわけです。借りられるのは発刊1ヵ月後からだけど、最新号借出しは我慢、我慢やで。【文芸春秋7月号】雑誌、文芸春秋社、2005年刊<商品説明>より[大特集 外国から見た日本の実力]太平洋戦争の敗戦から70年。先進国となった日本と日本人は、果たして世界の人々の目にどのように写っているのでしょうか。平和国家? エコノミックアニマル? それとも東洋の不思議の国? アジア諸国の歴史教科書での描かれ方や、著名な外国人による日本論、海外で活躍する日本人の実感など、さまざまな視点で「世界の中の日本」を探っていきます。 <読む前の大使寸評>原則として、雑誌は図書館で読み、借ることにしようと思っているわけです。借りられるのは発刊1ヵ月後からだけど、最新号借出しは我慢、我慢やで。Amazon文芸春秋7月号この雑誌には「この人の月間日記」という連載企画があるようで、7月号は浅井リョウでした。新人作家の実態にふれる日記が面白そう♪p395~397【4月24日】 単行本だと通算十冊目となる新刊『武道館』が発売された。デビュー5周年、10冊目。キャリアを振り返るには早すぎるかもしれないが、やはり、どこか感慨深いものがある。 この作品は、私の代表作になるような予感がしている。これから作家生活十周年、二十周年を迎えたとき(迎えられるよう頑張らねば…)『武道館』という名の旗は、過ぎ去った平成27年を主張するように、そこにしっかりと根を張ってくれているような気がするのだ。 『桐島、部活やめるってよ』でスクールカーストを、『何者』で就活とSNSを書いたと言われた。朝井リョウは現代に沿って物語を描く作家だと言われた。私は、それが嫌だった。「自分の中にあるものではなく、自分の外にあるものをつまみ食うように小説を書いている」と言われているような気がしたからだ。 だが私は、『武道館』でアイドル文化とアイドルを取り巻く消費者の変遷を書いた。そして今後控えている作品のテーマも、現代特有の現象に根差しているものが多い。『武道館』を描き終えたいま、私はやっと、自分がいま、どういう作家であるのか分かった気がする。秒単位で変わりゆく現代の中で、自分が何を考えているのか。 それを言葉にしたくて、伝えたくて、小説を書いているのだ。時代の流れとともに何かをつまみ食っているわけではなく、早々と次の時代へ流されてしまう前に、その一瞬を生きていた証を残すべく、何かを削り取るようにして小説を書いているのだ。現代に沿って物語を描く作家というのは、自分が思っていたよりも悪いことではないのかもしれない。 金曜ということで、今週もラジオの生放送である。聴取率を測る大切な週に、【『武道館』発売スペシャル】をさせてもらえるのだ。リスナープレゼント用に、今週も5冊、カバンに『武道館』を忍ばせている。こんな重みを2週続けて感じられるなんて、私は幸せだ。【4月25日】 ひたすら『武道館』の反響をサーチしていたら、あっというまに夕方になってしまった。 本を作る作業をしている最中、周りには、診方しかいない。連載の雑誌担当者、校閲の方、挿絵の方。皆、ありがたい感想をくださる。そして単行本化に向けて伴走してくださる担当者、営業担当の方、宣伝担当の方。インタビューに来て下さるライターさん、カメラマンの方、ゲラをあっというまに読んでしまったと話してくださる。 みんなみんな、味方なのだ。それはとても嬉しいことなのだが、作家の精神はこの期間にあっという間にシャブ浸けにされてしまう。 発売された瞬間、昨日までじゃんじゃん打ち放題だったシャブはあっという間に取り上げられる。「この小説は社会の何かを変えますよ」と曖昧な言葉でごまかされていた物語の市場価値が、実売数や返本率などであっという間に数値化される。この運動をこれまで9冊分繰り返してきたので、もうさすがに自分は慣れているだろうと思っていた。 だけど止まらない。あと30分で家を出なければならない約束がsるのに、感想サーチが止まらない。ただこれは、褒めてくれている感想を見つけることで新たな快楽を得たいというよりも、早く自分の市場価値を現実的なレベルまで下げたいためである。 味方しかいないあいだに蓄積した勘違いを、「つまらなかった」の一言で一掃してほしいのだ。 だが、本当に「つまらなかった」という感想を見つけると、動けなくなるくらい、落ち込みもする。こんな自分が本当に面倒くさい。【4月28日】 この二日間は、たくさんの同業者にお会いした。ざっと名前だけ挙げても、中山七里さん(実はそれなりに多い岐阜県出身作家仲間でもあるのだ!池井戸潤さん、沖方丁さん、奥田英朗さん、中村航さん等も岐阜出身である。他に特にレジャーがない場所にいると、人間は小説を書き始めるのかもしれない)、下村敦史さん、葉真中顕さん、島本理生さん、佐藤友哉さん、角田光代さん、とんでもないラインアップである。 私が鼻ちょうちんを膨らませながらアンパンを食べていた実家生活時代に「これが小説家ってやつか~」と思っていた人も多くいた。そんな人たちに立て続けにお会いすることもある現実の生活を、私は心のどこかで、いつか終わる日々だと思っている。異国への留学中というか、これが自分の日常なわけではない、という思いが根強くある。角田光代さんと「低血糖なんですか?ってことは、空腹時に発汗と震えが…わあ、僕も同じです!それってあれらしいですよ…」などと話しながらも、その瞬間を「実はおじいちゃんには小説家時代というものがあってね」とまだ見ぬ孫らしき誰かに向かって振り返っている自分の姿が、はっきりと思い浮かんでいるのだ。【5月5日】 数日前、「王様のブランチ」(TBS)から、『武道館』を紹介したいと連絡をいただいた。この番組のブックコーナーへの出演は、本(特に文芸)を上梓する者が最も掴みたいチャンスのひとつだろう。私は二つ返事で出演を快諾した。ゴールデンウィークに遠出をするタイプでなくてよかったと心から思った。 テレビでのインタビューは、とても難しい。質問者、回答者の息が合わないと、回答者の言いたいことが伝わらないまま終わってしまうこともあるし、何より紙媒体では可能な修正ができない。カメラがすぐそばにある、これが何百万人の目に触れる、という独特の緊張感も相まって、自分が何を話しているのかわからなくなったりもする。 とても理解のあるスタッフの方々が、うまく話せない私を色々と補足してくださったおかげで、とりあえず収録はうまくいったと思う。だが、せっかくいただいたチャンスをもっと上手に活かせたのではないか、という後悔は、後から後から襲ってくる。少し暗い気持ちで帰路につくと、作家の西加奈子さんから、『武道館』を読んだよ、というメールが届いていた。お忙しいだろうに、作品で伝えたかったメッセージをきちんと受け止めたうえでの感想を、長い文章で綴ってくれていた。 インタビューでうまくいかなくても、伝えたいことは伝わるはずなのだ。私の憂鬱などいつも、たった一通のメールで晴れるほどのものなのである。西さんへの返信を打ち込みながら、いつもより少し早足で、大好きなファミレスを目指した。…あと日記は、故郷での初のサイン会とか続くのであるが、長くなるので切り上げます。出版社が、文学賞受賞者をおみこしに乗せて売り出すパターンですね。受賞者のほうも、出版社が準備した乗物に乗って、観客に笑顔で演じるという…大変なご様子でんな(笑)
2015.12.06
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図書館に予約していた『李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集』をようやくゲットしたのです。最近まで、梶山季之といえばエロ&サスペンス?の作家だと思っていたが、朝鮮からの引き揚げ者で、朝鮮に関して数多くの作品を残していることを知ったわけです。大使にとって土地勘もあり思い出の多い朝鮮なので、これから読んでみようと思うのです。【李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集】梶山季之著、インパクト出版会、2002年刊<「BOOK」データベース>より梶山季之が生まれ育った「ふるさと」植民地下朝鮮を描く作品群。【目次】族譜/李朝残影/性欲のある風景/霓のなか/米軍進駐/闇船/京城・昭和十一年/さらば京城/木槿の花咲く頃/族譜(広島文学版)/エッセイ(韓国の“声なき声”を推理する/朴大統領下の第二のふるさと/京城(ソウル)よ わが魂(ソウル)/魂の街 ソウル)<読む前の大使寸評>最近まで、梶山季之といえばエロ&サスペンス?の作家だと思っていたが、朝鮮からの引き揚げ者で、朝鮮に関して数多くの作品を残していることを知ったわけです。大使にとって土地勘もあり思い出の多い朝鮮なので、これから読んでみようと思うのです。<図書館予約:(11/28再予約、12/04受取)>rakuten李朝残影 : 梶山季之朝鮮小説集梶山季之と朝鮮の関係を、解説から見てみましょう。p319~323<解説:川村湊>より 梶山季之は、1930年(昭和5年)1月2日に、朝鮮の京城(現ソウル特別市)で生まれた。父・梶山勇一は、当時朝鮮総督府の土木関係の技術官僚(技官)であり、母のノブヨとの間には三男一女がいた。季之はその次男で、兄・久司と妹・宏子と、彼よりも早くなくなった弟がいた。両親は、広島県佐伯郡地御前村出身であり、朝鮮から引き揚げた後は、季之も一時そこに住んだことがあった。 父・勇一は、早稲田専門部を出た後、台湾、朝鮮の総督府の役人となり、朝鮮では京城府庁に土木技術者として勤めていた。実直で、真面目な人間だった。いわゆる高級官僚ではないが、朝鮮では上層階級の収入を得ていた。母・ノブヨはハワイのオアフ島に日系移民の一世の子として生まれ、9歳の時に地御前村の親戚のところに養女としてもらわれてきた。 地御前村は、明治時代初期からアメリカやブラジルへの移民村として知られ、父親、母親ともに、移民や植民に深く関わった土地柄、血筋であったといえる。 1936年、南大門公立国民学校(小学校)に入学した。京城の南大門近くにあった名門小学校で、総督府の役人の子弟、裁判官、鉄道官舎に住む日本人の上層階層の子供たちが多く通っていた学校だった。後に広島高等師範学校の校門前で再会した坂田稔は南大門小学校の1年から6年までの同級生だった。3年後輩に五木寛之がいた。 1938年に、一家は京城府城東区新堂町349番地に家を新築して、引き揚げるまでそこに住んだ。京城近郊のいわゆる新興の高級住宅地だったが、引っ越し当初は「伊藤」という隣家と梶山家と、日本人の家二軒だけの、淋しいところだったという。 後に「闇船」を書いた時に、その舞台を「新堂町の山を切り開いた」桜ヶ丘という、ほぼ自宅そのままの場所にしたのは、京城において彼にとってもっとも土地勘があった場所だったからだろう。敗戦後、日本人の家が略奪などの被害にあったのは「闇船」に書かれた通りだが、梶山家は平生から近所の朝鮮人と親交があり、襲われることを免れたという。 1943年、京城中学に入学した。(中略) 1945年にいったん閉鎖された後も、翌年に6年制の「ソウル中学・高校」として韓国人の学校として再開され、同地に位置していた。梶山季之が入学した当時は、教師も生徒もほとんど日本人であり、名門校といえる学校だった。 1944年、学徒動員により、仁川陸軍造兵廠で、99式歩兵銃の製造に携わる。梶山季之には、軍隊体験はなく、日本の軍国主義と直接的な接点はないが、この学徒動員による擬似的な「軍隊体験」は、上司や先輩による目下の者に対する暴力制裁の横行する、ファナチックで、非合理的な日本的な精神主義に対する嫌悪感と批判をもたらしたようだ。 この学徒動員の日々、および敗戦の日のことは、「性欲のある風景」に反映されていると考えられ、敗戦からアメリカ軍の進駐、引き揚げの体験については、その一部が「米軍進駐」や「闇船」のなかに描かれていると思われる。 1945年11月7日、一家は新堂町桜ヶ丘の家から出て、日本への引き揚げを開始する。(中略) 1945年8月15日に、同じ京城近郊、しかも割合と近くである日本人の新興住宅地に往十里にあった銀行社宅で、16歳の日野啓三少年は、トウモロコシに似たコウリャンの葉が風に吹かれてカサカサと乾いた音を立てるのを聞きながら、「この世界には隙間があり、歴史には裂け目のあることを」感じていた。平壌で、8.15の敗戦を迎えた五木寛之や、旧満州国でその日を過ごした安部公房なども、故郷喪失と故国崩壊の深甚な虚脱感、崩壊感覚に見舞われた。 喪失、絶望、虚脱、崩壊こそが、彼らの文学の依拠すべき「文学のふるさと」にほかならなかった。そこでは、体験や経験の事実そのものが、不確かな虚構のものとして出現してこざるをえない。 風景や人間関係が、ある日、ある時点から一変する。そうした体験を経た人間が、素朴なリアリズムによって世界を描写するよりも、むしろ事実と虚構の境界が曖昧となった。観念や言語によって構築する作品世界を目指すのではないだろうか。 植民地生まれ、植民地育ちの埴谷雄高、安部公房、日野啓三など(そして、少し毛色は変わっているが、五木寛之や梶山季之にも)の文学者に共通するのは、事実や現実よりも、夢や幻想を生きることの糧とするようなフィクションに対する、むしろ「大いなる信頼」なのである。ソウル郊外のブチョン(豊川)市にファンタジックスタジオという映画セット公園があるのだが・・・公園内の日本風街路が、郷愁をそそるのです(大使の場合)この記事も韓国あれこれに収めておきます。
2015.12.06
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大学図書館で『職業としての小説家』をみっけ♪、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でみっけ、借出し)>rakuten職業としての小説家村上さんの文体の秘密や『風の歌を聴け』の誕生エピソードが、あっけらかんと語られています。p45~49<小説家になった頃> とはいえ「感じたこと、頭に浮かんだことを好きに自由に書く」というのは、口で言うほど簡単なことではありません。とくにこれまで小説を書いた経験のない人間にとっては、まさに至難の業です。発想を根本から転換するために、僕は原稿用紙と万年筆をとりあえず放棄することにしました。万年筆と原稿用紙が目の前にあると、どうしても姿勢が「文学的」になってしまいます。 そのかわりに押し入れにしまっていたオリベッティの英文タイプライターを持ち出しました。それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです。とにかく何でもいいから「普通じゃないこと」をやってみようと。 もちろん僕の英語の作文能力なんて、たかがしれたものです。限られた数の単語を使って、限られた数の構文で文章を書くしかありません。センテンスも当然短いものになります。頭の中にどれほど複雑な思いをたっぷり抱いていても、そのままの形ではとても表現できません。内容をできるだけシンプルな言葉で言い換え、意図をわかりやすくパラフレーズし、描写から余分な贅肉を削ぎ落とし、全体をコンパクトな形態にして、制限のある容れ物に入れる段取りをつけていくしかありません。ずいぶん無骨な文章になってしまいます。でもそうやって苦労しながら文章を書き進めているうちに、だんだんそこに僕なりの文章のリズムみたいなものが生まれてきました。 僕は小さいときからずっと、日本生まれの日本人として日本語を使って生きてきたので、僕というシステムの中には日本語のいろんな言葉やいろんな表現が、コンテンツとしてぎっしり詰まっています。だから自分の中にある感情なり情景なりを文章化しようとすると、そういうコンテンツが忙しく行き来をして、システムの中でクラッシュを起こしてしまうことがあります。 ところが外国語で文章を書こうとすると、言葉や表現が限られるぶん、そういうことがありません。そして僕がそのときに発見したのは、たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持って行き方によって、感情表現・意思表現はけっこううまくできるものなのだということでした。要するに「何もむずかしい言葉を並べなくてもいいんだ」「人を感心させるような表現をしなくてもいいんだ」ということです。 ずっとあとになってからですが、アゴタ・クリストフという作家が、同じような効果を持つ文体を用いて、いくつかの優れた小説を書いていることを、僕は発見しました。彼女はハンガリー人ですが、1956年のハンガリー動乱のときにスイスに亡命し、そこで半ばやむなくフランス語で小説を書き始めました。 ハンガリー語で小説を書いていては、とても生活ができなかったからです。フランス語は彼女にとっては後天的に学んだ外国語です。しかし彼女は外国語を創作に用いることによって、彼女自身の新しい文体を生み出すことに成功しました。 短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れのない的確な描写。それでいて、何かとても大事なことが書かれることなく、あえて奥に隠されているような謎めいた雰囲気。僕はあとになって彼女の小説を始めて読んだとき、そこに何かしら懐かしいものを感じたことを、よく覚えています。もちろん作品の傾向はずいぶん違いますが。 とにかくそういう外国語で書く効果の面白さを「発見」し、自分なりに文章を書くリズムを身につけると、僕は英文タイプライターをまた押入れに戻し、もう一度原稿用紙と万年筆を引っ張り出しました。そして机に向かって、英語で書き上げた一章ぶんくらいの文章を、日本語に「翻訳」していきました。 翻訳といっても、がちがちの直訳ではなく、どちらかといえば自由な「移植」に近いものです。するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。それは僕自身の独自の文体でもあります。僕が自分の手で見つけた文体です。そのときに「なるほどね、こういう風に日本語を書けばいいんだ」と思いました。まさに目から鱗が落ちる、ということです。 ときどき「おまえの翻訳調だ」と言われることがあります。翻訳調というのが正確にどういうことなのか、もうひとつよくわからないのですが、それはある意味ではあたっているし、ある意味でははっずれていると思います。最初の一章分を現実に日本語に「翻訳した」という字義通りの意味においては、その指摘に一理あるような気もしますが、それはあくまで実践的なプロセスの問題に過ぎません。 僕がそこで目指したのはむしろ、余分な修飾を排した「ニュートラルな」、動きの良い文体を得ることでした。僕が求めたのは「日本語制を薄めた日本語」の文章を書くことではなく、いわゆる「小説言語」「純文学体制」みたいなものからできるだけ遠ざかったところにある日本語を用いて、自分自身のナチュラルなヴォイスでもって小説を「語る」ことだったのです。そのためには捨て身になる必要がありました。極言すればそのときの僕にとって、日本語とはただの機能的なツールに過ぎなかったということになるかもしれません。 それを日本語に対する侮辱ととる人も、中にはいるかもしれません。実際にそういう批判を受けたこともあります。しかし言語というものはもともとタフなものです。長い歴史に裏付けられた強靭な力を有しています。誰にどんな風に荒っぽく扱われようと、その自立性が損なわれるようなことはまずありません。 言語の持つ可能性を思いつく限りの方法で試してみることは、その有効性の幅をあたう限り押し広げていくことは、すべての作家に与えられた固有の権利なのです。そういう冒険心がなければ、新しいものは何も生まれません。僕にとっての日本語は今でも、ある意味ではツールであり続けています。そしてそのツール性を深く追求していくことは、いくぶん大げさにいえば、日本語の再生に繋がっていくはずだと信じています。 とにかく僕はそうやって新しく獲得した文体を使って、既に書き上げていた「あまり面白くない」小説を、頭から尻尾までそっくり書き直しました。小説の筋そのものはだいたい同じです。でも表現方法はまったく違います。読んだ印象もぜんぜん違います。それが今ある『風の歌を聴け』という作品です。この記事も村上春樹アンソロジーに収めておきます。
2015.12.05
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図書館で『日本の文脈』という本を手にしたのです。内田先生と中沢新一の対談ってか・・・なかなか知的な組合せやおまへんか♪【日本の文脈】内田樹×中沢新一著、角川書、2012年刊<「BOOK」データベース>より『日本辺境論』の内田樹と、『日本の大転換』の中沢新一。野生の思想家がタッグを組み、いま、この国に必要なことを語り合った渾身の対談集。【目次】プロローグ これからは農業の時代だ!/第1章 これからの日本にほんとうに必要なもの/第2章 教育も農業も贈与である/第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの/第4章 戦争するか結婚するか/第5章 贈与する人が未来をつくる/第6章 東洋の学びは正解よりも成熟をめざす/第7章 世界は神話的に構成されているー東日本大震災と福島原発事故のあとで<読む前の大使寸評>内田先生と中沢新一の対談ってか・・・なかなか知的な組合せやおまへんか♪rakuten日本の文脈対談の一部を見てみましょう。<インターフェイス上の知性>よりp154~156中沢:日本とユダヤで共通性はあるんだけど、日本人の書くものや思考法の中には、ユダヤ的知性のような強さはないでしょう。たとえば僕がもっとも日本的な書き方だと思うのは本居宣長とか、明治時代だと柳田国男なんですが、どういう文章かというとエッセイなんですよね。 事実が次々に列挙されていって、結論は出るのかというと出てこない。けれども読んでいると何かモアーンとした実体が浮かび上がってくるというかたちになっている。本居の書き方を見ても、「情緒」「もののあわれ」というのが湧き上がってくるように書いている。 それを日本では「随筆」という言い方をするわけだけど、日本人の思考方法を効果的に発揮して、なおかつ世界的に通用する書き方というのは、なかなかないんですよね。自分でも感じるんです、こういう書き方だとヨーロッパ人が見たら完全にエッセイだなって。内田:学術論文だとはみなされないでしょうね。でも、僕も調子のいいときに書いたものって、誰が読んでも学術論文じゃない。中沢:頭の調子が悪いときに書くと。内田:学術論文になる(笑)。頭が不調だから仕方なくデータや資料をたくさん集めて示して、単純に「こういうことを説明しますよ」と言って、「はい、しました」というふうに書くと学術的な文章になる。だけど、調子がいいときというのは、スタートラインから飛び出したら、とんでもない方向に暴走してしまう。自分でコントロールできないでしょ。中沢:日本人の思考方法は、論理的な構造体をつくり上げないで、いきなり走り出していく感じ。内田:走りながらクルマをつくっていくような。中沢:以前、梅原猛さん、吉本隆明さんと『日本人は思想したか』(新潮文庫)という鼎談集をつくったことがありましたが、日本人は思想したかというと、たしかに思想はしたんですが、ヨーロッパのような堂々とした構築物はできていない。吉本さんいわく、日本人は堅固な構築物をつくるように、思想を哲学として表現することをしなかった。じゃあどうしたかというと、日本人は思想を能楽や茶道、華道といった芸道として表現した、と。 芸道というのは、論理的な構築物がつくれないような場所で何かをつくってるんですね。それはどういう場所かというと、生と死の境界上、インターフェイス上です。そのインターフェイスを理論化しようとすると、必ず柔らかいところを壊してしまうから、うまく理論化ができない。 インターフェイスをつくっている空間は、言語的な論理が通用しないつくりをしています。そこを無理やり理論化したり合理化しようとすると、インターフェイス自体を壊してしまう。『荘子』の「混沌」の話と同じですよ。混沌には目鼻がなかったんですが、かわいそうだと言って目鼻をつけたとたん、死んでしまったという話。ヨーロッパ型の哲学を見ていると、インターフェイスのこっち側で論理的にしっかりしたものをつくっておいて、向こう側に攻め込むというやり方をとるんですけど、日本人の場合は、インターフェイス上にずっといるもんだから、つくれないんです。 両方に足をかけているので、論理性のしっかりしたものをつくりそうになると、いやいや、こっちのほうもあるよって死者からの呼びかけがあるので、そちらも取り入れなきゃいけない。それでものすごく不思議な構造体をつくり上げてるんだと思うんですね。 小林秀雄の評論などを見ても、作品を批評とするよりも、自分自身がインターフェイス上で芸能として批評行為をやっている。そこらへんが、ユダヤ人がつくり上げる高速で走る自動車のような知的構造物と、日本人がつくるものとの本質的な違いがあるように思うんですね。 そこで、これから日本人はどうすべきかっていうことなんですけど。内田:一気に結論に飛びますね。ところで、myブログを読み返してみると、この本のことを『日本の文脈』として半年前に書いていたことが判明しました。モノ忘れが増えてきて、イカン、イカン。
2015.12.04
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図書館で『闘魂硫黄島』という本を手にしたが・・・いわば、中堅の軍事官僚が体験した参謀本部や硫黄島の防衛方針が綴られているわけで・・・戦記オタクの大使にとって興味深いのです。【闘魂硫黄島】堀江芳孝著、光人社、2005年刊<「BOOK」データベース>より日米四万二千の死傷者を出して、砂浜を鮮血にそめた太平洋戦争最大の激戦場・硫黄島ーなぜ日本軍は東京の玄関先で孤立無援の死闘を展開したのか。そして硫黄島の攻防戦が世界的に有名になった理由はなにかー守備計画に参画して、飛行場を海に沈めることを主張した異色参謀が貴重な資料と体験で描く感動作。<読む前の大使寸評>いわば、中堅の軍事官僚が体験した参謀本部や硫黄島の防衛方針が綴られているわけで・・・戦記オタクの大使にとって興味深いのです。rakuten闘魂硫黄島44年の春に、これだけ兵站の崩壊が見えていたら、終戦工作を始めるのが参謀本部の役割だろうが!・・・バカタレどもが!<1944年春の陸海軍中央部の対潜対策>p33~34 誰かが日本の財産から見て、毎晩四国の島ぐらいが沈んで行くことになるねと言っていたのを記憶している。 保有船舶が580万トンあれば長期戦に堪えるなどという昔物語はすでにどこへやら、軍隊船に対するよりも石油船団、ボーキサイト船団および鉄鉱石船団に護衛の重点を国策上おかなければならないという、人道上まことに嘆かわしい状況に立ちいたった。 陸軍はやっきとなって海上護衛問題を御前会議に持ち込むという非常手段に出たり、陸軍機の海上護衛を強化して鈴木宗作中将を団長とする大本営海上護衛視察団(江口海軍中佐と私が海上護衛総司令部より加わった)を沖縄-台湾-フィリピン-ボルネオ方面に派遣したり、鐘紡に潜水油送船の試作を命ずるといったてんやわんやの騒ぎとなった。 九時に私の報告を聞くや荒尾大佐はすぐに東条総長に報告し、東条大将は電話で嶋田軍令部総長を呼び出し、前夜の沈没船舶に対する護衛問答が始まるのであった。 東条大将は、海上護衛は全般戦争の鍵であるとして実に身体をすり減らして働いた。また海軍内には東条の鞄持ちなどと悪口をいう者が多数いたが、嶋田大将の協力ぶりもみごとであった。陸海軍中央部の不安と苦悩ははなはだしく、私から見ると、貧乏家の親爺(東条)がねじり鉢まきで親戚の重患者(現地軍)の所にかわいい娘(船)を看病に送ろうとするが、女房(嶋田)の懐はからっぽで汽車賃も出ない。 そこで狼の群がる夜の魔道に泣きながら娘を出す。途中まではドラ息子の長男(連合艦隊)について行けといっても自分の用事で手が離せない。そこで孝心深い病身の二男(海上護衛総隊)が病床をたって玄関先まで見送るが、娘も二男もともに狼の餌食となるという風に見えて仕方がなかった。戦闘の約半年前に、非情で英雄的な洞穴作戦が決定されたようです。<水際作戦か洞穴作戦か>p108~111 8月11日午後1時、海軍から浦部参謀、市丸少将、間瀬中佐、赤田大尉がきて、参謀室が会議場となった。陸軍からは兵団長、堀参謀長、西川参謀、吉田参謀と私が出席した。 浦部参謀は海軍中央部の意向であると前置きして、「海軍で兵器資材全部を輸送するから陸軍から兵力を出し、第一飛行場の周囲にトーチカを何重にも作ってほしい。兵器は25ミリ機銃。数は約300個。第一飛行場以外には敵の上陸地は見当たらないから、ここに敵が上陸できなければ難攻不落となる」という説であった。 浦部中佐は陸軍歩兵学校学生の過程を修了し、海軍きっての陸戦通であるとのことで実に好感の持てる紳士であった。 私はただちにこれに反撃を加えた。 「サイパンでもグアムでも、海岸砲が何分間の生命を保ち得たか承りたい。タラワの海岸トーチカがどれだけの効果があったか教えてほしい。ペリリュウ島が長持ちした理由をご存じですか。穴の中に隠れて狙撃したからですよ。他に手はないのです。何百機という飛行機と何百門という艦砲に主面きって対抗しようなんて話になりませんよ。今までの戦訓からそれを教えているではないですか。まして25ミリ機銃あたりをトーチカに入れて敵の艦砲射撃に対抗することは、児戯に類することである。40センチの主砲でトーチカそのものがふっ飛んでしまいますよ。 敵を揚げないとか水際撃滅とかはでなことをして、この硫黄島が何日もちますか。陸海軍三位一体の敵に陸兵だけで戦闘するんですよ。もし海軍にそれだけの資材と兵器があるあらば摺鉢山と元山の方、つまり飛行場の両側に洞穴を作ることに用いてほしいです」 私は非常に興奮してこういいきった。 兵団長は「堀江参謀の意見に同意します」と決断を下した。 浦部参謀は内地の情勢その他を語り、熱烈火を吐く語気で兵団長の翻意を懇請した。特に「海軍裨益の堀江参謀の反撃を受けるとは意外でありました」と笑った。 私は「サイパン、サイパン、グアムとペリリュウの戦訓を知らなかったとしたら、双手をげて賛成したでしょう。今となっては私の良心が許しません」といって断じて折れなかった。 やがて参謀室で早い夕食となり、浦部参謀と私とは個人的に大変親しくなったが、その夕はこのトーチカ論争は物別れとなった。浦部参謀は今晩ゆっくり考え直してほしいと私の肩を叩いて引き揚げて行った。 翌12日朝早く、兵団長は参謀室の前に現れた。 「堀江参謀、トーチカの件は戦術的には君のいうとおりだが、海軍が持ってくれるという兵器資材、特にダイナマイトとセメントは馬鹿にならんぞ。機銃だって300挺もあれば大変なものだ。そこでどうだ。半分を海軍の説どおり使用し、残りをこっちで使うという条件にしたらどうだろう」 という。 「閣下がこのチャンスを政治的に利用されるなら結構だと思います」 と私は答えた。 海軍に電話するや、浦部参謀と市丸少将が自動車でとんできた。参謀室が再び会議室となった。赤田大尉を除けばメンバーは昨日と同じであった。 兵団長は「トーチカ作りは陸軍がやるのですから提供者のご希望にそって半分、あと半分は陸軍の使用にまかせるという折衷案でいかがでしょうか」と切り出した。 浦部参謀と市丸少将は軽く頭を下げた。一言も発するものはない。しばらくして、浦部参謀が昨日約300個と申しましたが必ず300個以上むしろ350個分お届けするように帰って処置致しますといった。兵団長と私と浦部参謀はお互いに顔を見合わせニコリとしたが、誰か発言しそうなものだと腹のさぐり合いのような時間があり、一同お茶を飲み、煙草に火をつける者も出た。 兵団長だったか私だったか、とにかくどちらかがこう提案した。 「海上輸送を含む提供者は海軍。飛行場の南海岸と西海岸に合計して165個のトーチカを作る。他の兵器資材は陸軍で使用する。毎日陸軍は1千名の作業員を出す。吉田参謀が築城指導に当たる」 一言も発する者なくこの提案は受理され、トーチカ論争は終止符を打った。実際には原少佐の指揮する歩兵第145連隊第1大隊を主力とする千名前後のものが半年かかって135個まで作ったそうである。著者が語る思い出の人を見てみましょう。p231~234<市丸海軍少将> 海兵第41期とのことであるから、陸軍の第26期に相当するわけである。海軍が生んだ名パイロットで、未亡人の話では海軍予科練習生の設立委員長をし、初代部長として5ヵ年追浜にいたらしい。生前は詩、和歌、俳句を趣味としていた。少将は寡黙謹厳といったタイプで、陸海軍の会議においても特別の場合以外発言せず、最後にイエスかノーだけを返答した。 数回少将の司令部を私は訪れたが、参謀たちに話をさせて本人は余り口をきかない。そうかといって決して無愛想ではない。もともと木更津からの出先の航空隊で名パイロットの司令官であるのに。一機の飛行機もなく地上戦闘に従わなければならない心中はどんなものであったろうか。しかも第27航空戦隊そのものの兵力はごく少数で、防空隊と警戒隊と設営隊が主力であった。 陸海軍の兵力配備の会議に当たり、私が各地区隊に海軍を平等に分配して地区隊長の指揮下に入れるのが良策であると発言したときは、いつも黙っている少将が、「海軍には海軍の習慣があり、死なばもろともの見地から、玉名山から南波止場付近にまとめて戦闘させて下さい」と発言した。この発言にはきわめて鋭い人間愛がこもっており、私は沈黙し、兵団長はこれを了承したので海軍主力は南地区隊と東地区隊の中間地区に集結することになった。 電報によれば3月16日、少将は幕僚を連れて北地区の兵団長の洞穴に合流し、総攻撃に参加した。生還者の話では、3月17日、少将は兵団長以下と離ればなれになり、陸軍師団通信隊の軍曹と二人になって手榴弾を持って南海岸の米軍トラックの中に入って行き、その後、残存海軍部隊を洞穴内に集めてさらに抵抗を続けたという。少将の最後はそれ以上は分からない。<陸戦参謀、赤田海軍少佐> 8月、私が硫黄島に行き海軍司令部で初めて会ったのだが、テキパキとした攻撃精神に燃えた青年で、当時大尉であった。 中学校の教練や海軍兵学校仕込みの陸戦では、物になりませんから教えて下さいと積極的に質問してきた。私が軍艦の戦闘を基礎にした戦術思想は陸戦と違いますからね、というと彼は「そこなんですよ」といって真剣に陸戦に取り組もうとしていた。 私が「海軍は陸軍と違って金持ちで非常に多くの兵器を持っている。これをどう使うかがあなたの存在価値を左右するものであり、硫黄島の持久度と戦果に影響するところが大きいと思います」というと「そこなんですよ」といって身体を乗り出して顔色に決意を示していた。岡崎参謀とは仲はよかったが、考え方と態度は対照的であった。「海軍が持っている対空砲のうち百門だけでも陸軍にまわせば対地用として大いに役立つと思うのですが」と私がいったら、「それはしかし」としばらく息をつき、「ずいぶん変わった考えをお持ちなんですね」といっていた。 浦部参謀と私が激論を交わしたときは彼は一言も発しなかったが、後で「陸軍の考え方は海軍とはまるっきり違うのには驚きました」といっていた。私は彼に非常に好感を持ち、何か弟を持ったような親しみを覚えた。 3月16日、市丸少将と一緒に兵団長の洞穴に合流するまで生きていたことは明らかであるが、その後のことは分からない。栗林忠道中将といい、市丸少将、赤田少佐といい・・・貧乏くじを引いたようなしんがり戦に殉じたわけであるが・・・問題は、終戦工作のできない参謀本部のお偉方にあったと言われていますね。著者の堀江参謀は栗林忠道中将とともに硫黄島の守備計画を立てたそうで、戦後は、在日米空軍に勤務し、米海兵隊終身名誉会員だったという異色な人のようです。
2015.12.04
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<図書館大好き125>今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか、やっぱり♪<市立図書館>・闘魂硫黄島・西荻窪キネマ銀光座・日本の文脈・シェール革命再検証<大学図書館>・職業としての小説家図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【闘魂硫黄島】堀江芳孝著、光人社、2005年刊<「BOOK」データベース>より日米四万二千の死傷者を出して、砂浜を鮮血にそめた太平洋戦争最大の激戦場・硫黄島ーなぜ日本軍は東京の玄関先で孤立無援の死闘を展開したのか。そして硫黄島の攻防戦が世界的に有名になった理由はなにかー守備計画に参画して、飛行場を海に沈めることを主張した異色参謀が貴重な資料と体験で描く感動作。<読む前の大使寸評>いわば、中堅の軍事官僚が体験した参謀本部や硫黄島の防衛方針が綴られているわけで・・・戦記オタクの大使にとって興味深いのです。rakuten闘魂硫黄島闘魂硫黄島byドングリ【西荻窪キネマ銀光座】角田光代×三好銀著、実業之日本社、2003年刊<「BOOK」データベース>より繁華街からほんの少し離れた、なんの変哲もないちいさな町、あくまでたとえばの話、東京の西荻窪あたりに、古い映画館がある―。心の中で、ときおりそっと思い返すような大切な映画たちを、角田光代のエッセイと三好銀のオリジナルコミックでご紹介します。 <読む前の大使寸評>映画にちなむエッセイとコミックのコラボってか・・・装丁もきれいであり、企画の勝利とでもいうんでしょうね。エッセイとコミックの内容が同じではなくて、付かず離れずの関係がええでぇ♪Amazon西荻窪キネマ銀光座【日本の文脈】内田樹×中沢新一著、角川書、2012年刊<「BOOK」データベース>より『日本辺境論』の内田樹と、『日本の大転換』の中沢新一。野生の思想家がタッグを組み、いま、この国に必要なことを語り合った渾身の対談集。【目次】プロローグ これからは農業の時代だ!/第1章 これからの日本にほんとうに必要なもの/第2章 教育も農業も贈与である/第3章 日本人にあってユダヤ人にないもの/第4章 戦争するか結婚するか/第5章 贈与する人が未来をつくる/第6章 東洋の学びは正解よりも成熟をめざす/第7章 世界は神話的に構成されているー東日本大震災と福島原発事故のあとで<読む前の大使寸評>内田先生と中沢新一の対談ってか・・・なかなか知的な組合せやおまへんか♪rakuten日本の文脈『日本の文脈』2byドングリ【シェール革命再検証】小山堅著、エネルギーフォーラム、2015年刊<「BOOK」データベース>より「革命」の真の意味は何か?専門家集団がその真実を解き明かす!<読む前の大使寸評>シェール革命がTTPや日本に及ぼす影響を知りたいわけです。それからサウジの石油戦略との関係も要注意なわけで。<図書館予約:(11/09予約、11/27受取)>rakutenシェール革命再検証シェール革命再検証byドングリ【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ♪、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でみっけ♪)>rakuten職業としての小説家職業としての小説家byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き124
2015.12.03
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先日、NHK番組でバイナリー発電を観たが、刺激的であった。…で、その番組の記憶からネット情報を探してみました。【バイナリー発電の原理】セ氏100度未満の熱源を使って、沸点の低い媒体を蒸発させてタービン発電機を動かす発電システム。■バイナリー発電の熱源:セ氏100度未満の太陽熱、地熱、温泉蒸気、海水温度、工場排熱etc.■バイナリー発電の熱媒体:沸点の低い代替フロン、アンモニア、アンモニア含有水etc.なお、バイオマス燃焼(木材チップ、竹チップ)、下水汚泥燃焼、ゴミ焼却による蒸気発電は、厳密にはバイナリー発電とは言わないようだが、沸点の低い媒体を使えばグレーとなるようだ。【ネット情報】2012.09.24バイナリー発電普及へ動き/小型化や再生エネ複合より セ氏100度未満の工場排水や地熱などを使って、沸点の低い媒体を蒸発させてタービン発電機を動かすバイナリー発電の普及に向けた動きが加速している。JFEエンジニアリングがバイナリー発電を含む地熱発電の事業化に向け、調査・検討を進めているほか、神戸製鋼所やIHIは小型のバイナリー発電装置の商品化にめどを付けている。 また、東芝など3者は、再生可能エネルギーと組み合わせたハイブリッド(複合)技術の開発に着手した。いずれも、これまで未利用だった低位熱からエネルギーを回収し、有効利用できるため、省エネとともに再生可能エネルギーから発電する創エネに適用できるという。 JFEエンジニアリングは、熱水を利用したバイナリー発電を含む地熱発電の事業化に向け、現在、福島市土湯温泉町と岩手県八幡平市の2カ所で調査・検討を進めている。土湯は、東日本大震災の被災地の復興・再生支援の一環で、温泉の全電力需給をまかなえる規模の発電事業を目標にしている。八幡平は、市のほか日本重化学工業、地熱エンジニアリングと共同で調査、2015年に出力7000kW級の発電設備を使った送電開始を目指している。 海外では、25年までに地熱発電量を現状の10倍に拡大する方針を打ち出しているインドネシアで地熱発電プロジェクト参画を目指している。 神戸製鋼所は、100-130度の蒸気で120kW級の発電が可能な蒸気熱源バイナリー発電システムを今期中に発売する。また、今春、大分県由布市の温泉旅館から受注した、国内で初めて出力100kW以下の小型バイナリー発電システムを地熱・温泉発電に実利用する機器を13年3月末までに納入、設置を終え、稼働を始める予定だ。 IHIは、発電した電力を商用電源に接続可能な系統連係機能を持った、送電端最大出力20kWのパッケージタイプの小型バイナリー発電装置を開発し、70?90度程度の温水から発電できることを確認、商品化にめどを付けた。発電に必要な温水量が少なくて済み、これまで、工場などで分散して排出し、熱エネルギーの回収が難しいとされてきた100度未満の温水を、集約せずに少量のまま発電に使うことができる。来期の販売開始を目指している。 東芝と神戸製鋼所、慶應義塾大学の3者は、風力、太陽熱、バイオマスを熱エネルギー源として組み合わせ、沸点の低い媒体を加熱、蒸発させて蒸気でタービンを回すバイナリー発電技術の開発に着手した。気象条件などによって発電出力の変動が大きく、送電網に対する影響が大きい再生可能エネルギーの電力を安定なものにするとともに、温水を供給する。15年3月末まで、兵庫県淡路島で実証試験する。 東芝は、このほか、中国の清華大学と地熱バイナリー発電用媒体の開発に着手する。【バイナリー発電業界の実績】バイナリー発電業界のうち、海洋温度差発電が最もポテンシャルが高いように思うのだが、ゼネシスの業績を見てみましょう。ゼネシス:実績紹介より海洋温度差発電実証プラント(沖縄県久米島町)海洋温度差発電とは、海の表層部の温かい海水(約25℃~30℃)を温熱源として利用する発電システムです。■発電コスト比較<海洋温度差発電>1MW級 (実証機) : 40~60円/kWh10MW級 (商業化開始) : 15~25円/kWh50MW級 (完全商業化) : 8~13円/kWh<その他(2010年実績)>原子力 :8.9円/kWh以上 石炭火力(新政策シナリオ) :9.5円/kWh LNG火力(新政策シナリオ) :10.7円/kWh 風力(陸上) :9.9~17.3円/kWh 風力(洋上着床式) :9.4~23.1円/kWh 太陽光(住宅用) :33.4~38.3円/kWh 【小規模のバイナリー発電】太陽熱、バイオマスを熱エネルギー源として組み合わせ、沸点の低い媒体を加熱、蒸発させてタービンを回す小規模のバイナリー発電は地域興に有力なはずであるが、政治的選択肢としては力不足なのか?冷凍機を組み合わせたバイオマス熱利用の事例がバイオマスの新しい熱利用方法に見られるが、これらの地域が、日本におけるバイオマス利用先進地となっているようです。吸収式冷凍機の仕組み
2015.12.02
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・電気は誰のものか・大英帝国の親日派***************************************************************【電気は誰のものか】電気は誰のものかより<巻き込む魔性の力、夢と理想の裏面史:佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論) > 電気はあって当たり前。今の日本なら誰もがそう思う。そして電力事業者は、そういう社会を目立たないところで支える役回りを演じている。だが、事態はもっと複雑で生々しいものだということを、田中聡は気づかせてくれる。 電力事業者は地味にインフラを担っているだけの存在ではなかった。20世紀になって電気が日本で「当たり前」になる前は、電気を通してやるから言うことをきけとばかりに威張って庶民を見下し、やくざまがいの闘争と恫喝を繰り返していたのである。 考えてみれば当然のことだ。売り手市場であれば供給側が主導権を握る。まして、電気は近代化のシンボルである。村に煌々とともる電灯は新時代の息吹を感じさせる憧れであり、羨望の的であった。 わが村がそうなれるかどうかは、すべて電力会社が電気を通してくれるかどうかにかかっている。そんな状況だから、富山県では電力供給を公営化しようとする自治体と電力会社との血みどろの「電灯争議」が続き、長野県では村民みんなの取り決めを抜け駆けしてひとり電灯をつけた家が焼き討ちにあう。電気は、共同体を分断し、人々を争いに巻き込んでいく。魔性の力(フォース)。 電灯が普及し始めたころ、それは羨望の的である一方で、得たいの知れない、怪しげなものでもあった。原子力も、同じ両義性をもつ。日本の社会が「核」をどのようにイメージし、受け入れ、そこに「夢」を見てきたのか、中尾麻伊香は史料を駆使し、柔軟な発想力と鋭い共感力を全開にして、社会の深層を掘り起こしてくれた。 ラジウム温泉や、仁科芳雄らが開発を進めていたサイクロトロンなど、「核」の周辺には、近代科学技術へのあこがれと伝統文化への回帰、双方のベクトルが常に絡み合って複雑に共存している。日本と日本人にとって、「核」は理想の社会を実現する魔法の道具だったのだ。そして、科学者とマスメディアと一般大衆が三位一体となって、その「原子力ユートピア」のイメージを作りあげてきたのである。 一方で、詩人の萩原朔太郎がその向こうに病や恐怖を見て取っていたように、「核」の負の側面を感じ取る「原子力ディストピア」も、並行して存在していたのではないかと思われる。戦後の原発反対運動もその系譜につながるのかもしれない。このあたりは、もう少し分析してほしかった。 こうしてみると、福島原発事故は、電気と「核」、それぞれが日本の社会に溜めてきた澱を噴出させてしまったようである。戦後の経済成長による封印を解いてしまったのかもしれない。歴史を知ることの重要さを、改めて教えてくれる二冊である。 ◇田中聡著、晶文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より長野県の赤穂村は村をあげて村営の発電所を作ろうと夢みたが、電力会社に拒まれる。怒った村人が反対派の家を焼き討ちにしたとして捕らえられた赤穂騒擾事件。全国各地に吹き荒れた電気料金値下げをめぐる電灯争議。漏電火災への恐怖をあおる広報合戦…電気事業黎明期にさまざまに発生した電気の事件簿。電気を制するものは、社会も制する?名士に壮士にならず者、電気事業黎明期に暗躍した男たちの興亡史。【目次】序 電気は盗めるか/第1章 電灯つけるがなぜ悪い?-赤穂村の騒乱/第2章 初点灯という事件/第3章 何が帝国議事堂を燃やしたのか/第4章 東西対決と電気椅子/第5章 電灯争議/第6章 仁義なき電力戦争/終章 再点灯の物語<読む前の大使寸評>来年4月から電力契約自由化が始まるし、原発稼動ゼロでも乗り切ってきたニッポンの電力、望まれるエネルギーミックスなど・・・電力の現状を知りたいのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten電気は誰のものか【大英帝国の親日派】大英帝国の親日派―なぜ開戦は避けられなかったかより 見落とされがちだが、1941年の日米開戦はもちろん日英開戦でもあった。かつて同盟関係にあった日英が、同盟解消後わずか20年足らずで戦端を開く。歴史研究者ならずとも、副題と同じ疑問をいだくだろう。 本書は、チャーチルや開戦時の駐日大使クレーギーのほか、重光葵、吉田茂の日本人2人を含む14人に焦点を当て、おもに1930年代の日本が英国からどう見えていたのかを解析していく。日本を敵(ドイツ)側へ追いやるのか、とどめるために宥和するのか。米国の支持を得るにはどうするか。国益をかけた交渉は、知恵の輪のように複雑に絡まり、解けない。一触即発の時代の外交官・政治家の軌跡を追うことができる。 ◇アントニー・ベスト著、中央公論新社、2015年刊<商品説明>よりかつて日英同盟で結ばれていた日本とイギリスは、なぜ対立を深め、第二次大戦で戦火を交えることになったのか。対独戦に苦しみながら、なぜイギリスは日本との戦争に踏み切ったのか。駐英大使として交渉を続けた重光葵はどこで読み誤ったのか。 イギリス側史料の詳細な検証から、双方の思惑やすれ違い、情勢分析とその誤りが如実に浮かび上がる。果たして、イギリスの意思を正確に捉えることができていたら、日本外交は異なるものとなっていただろうか。日英関係史の第一人者が開戦前夜の日英外交に新たな光を当てる。<読む前の大使寸評>イギリスから見た日米開戦という視点が興味深いのです。そういえば、開戦早々にマレー沖海戦で、望外のような英戦艦2隻の轟沈がありましたね。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten大英帝国の親日派**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から79
2015.12.01
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