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図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・表紙の絵に日本人潜水士が描かれているところなど、いかにもオーストラリア出身者のお話である。そして、中に描かれた絵にディアスポラの不安感が表れているのも・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。とにかくSFチックな絵は大使のツボなので、その絵に引きこまれるわけです。【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・ショーン・タン公式サイトを見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話この本の次のくだりは、子供向け絵本にそぐわないのだが・・・やはり大人向け絵本なのかも?<備えあれば>よりp76 一家に一基、大陸間弾道ミサイルが配備されるご時世になったというのに、みんな不思議なくらいにそのことに無頓着だ。 はじめにミサイルはランダムに支給された。当時はそれはもう大騒ぎだった。知り合いの誰かの家に政府から通知が届いたかと思うと、翌週トラックがやってきて、ミサイルを置いていくのだ。だが、やがて角ごとの家に設置が義務づけられることになり、それが一軒おきになり、今ではもう、庭の物置や洗濯ロープの横にミサイルがないほうが目立つくらいだ。 私たちは何のためにそれがあるのか、すくなくとも大まかなところは理解している。私たちは、年々高マリユク危機的ナ状況カラ我々ノ暮ラシヲ守ル必用があるのである。そして私たち一人ひとりが国家ノ安全ヲ維持スルタメニ協力スル(武器保管施設の負担を軽減するという形で)義務があるのであり、何より、そのことによって祖国ノタメニ応分ノ役割ヲ果タシテイルという実感を味わうことができるのだった。 協力といっても、いたってささやかなものだ。毎月第一日曜日に庭のミサイルを洗い、ワックスがけをし、横っちょからゲージ棒を引き抜いてオイルの量をチェックする。二年に一度、ペンキ缶の入った段ボールが玄関先に置かれると、そろそろミサイルについている錆を落とし、メタリックシルバーのペンキを塗りなおす時期なのだと思い出す。ショーン・タン公式サイトで、気になる絵を集めてみました。ショーン・タン公式サイトより'He was saying the same sentence over and over, ending with "tasoo-ke-te, tasoo ke-te."'ところで、この絵本の最終ページです。この絵と図書館カードは、だまし絵のような細密印刷になっています。こういう装丁がええでぇ♪
2015.03.31
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「アート」でしょうか。<市立図書館>・東京ブラックアウト・カラー版 北斎・本は、これから<大学図書館>・ガロ曼陀羅・一生ものの木の家具と器・『千と千尋の神隠し』を読む40の目図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【東京ブラックアウト】若杉冽著、講談社、2014年刊<商品説明>より大ベストセラー『原発ホワイトアウト』を凌ぐディテールと迫力!! キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル、最新作! 「原発再稼働」が既定路線のように進む日本……しかし、その裏には真っ黒な陰謀が渦巻いていた! いったん「原発再稼働」を認めれば、「発送電分離」は不可能となる……そのカラクリを暴いていくと驚愕の真実にぶち当たった……そう、「原発再稼働」で殺されるのは、大都市の住民だったのだ!! 自分の家族の命と財産を守るため、全日本人必読の書!<読む前の大使寸評>キャリア官僚がクビ覚悟で執筆したようだが、クビになっても生きてゆけるという大胆さがいいですね♪<図書館予約:(1/07予約、3/18受取り>rakuten東京ブラックアウト東京ブラックアウト2byドングリ【カラー版 北斎】大久保純一著、岩波書店、2012年刊<「BOOK」データベース>より「画狂人」と称した葛飾北斎(一七六〇~一八四九)は、生涯自らの到達点に満足することなく、画業に専心し、多彩な作品を遺した。初期の役者絵から、美人画、摺物、読本挿絵、絵手本(北斎漫画)、風景画、花鳥画、そして晩年の肉筆画まで、傑作・代表作六九点を収録し、その画業を江戸絵画史の中に位置づけながら、読み解く。<読む前の大使寸評>北斎を描くアニメ映画百日紅~Miss HOKUSAI~が近日公開されるし、この際、北斎をきわめておくか、と思いたったわけです。ところで、図書館でこの本を借りるのは2度目であることが、後でわかったのです(イカン、イカン)rakutenカラー版 北斎カラー版 北斎byドングリ【本は、これから】池澤夏樹編、岩波書店、2010年刊<「BOOK」データベース>よりグーテンベルク革命から五世紀。電子の端末が膨大なコンテンツから美しい「ページ」を開くこの時代、あなたにとって「本」とはいったい何か。それはいかに変貌するのか。書店・古書店・図書館・取次・装丁・編集、そして練達の書き手・読み手の位置から、鋭いアンテナの持ち主たちが応える-本の過去と未来を俯瞰する三七のエッセイ。<読む前の大使寸評>図書館でこの新書を手にしたが・・・そうそうたる文筆家たちが、電子書籍に対する不信感を述べているのです。おお わが意を得たりということで、この本を借りたのです(笑)ところで、図書館でこの本を借りるのは2度目であることが、後でわかったのです(イカン、イカン)rakuten本は、これから本は、これからbyドングリ【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会編、PHP研究所、1991年刊<「BOOK」データベース>より創刊号(1964年9月)から318号(1991年6月)までの全表紙をカラー写真で収録。『ガロ』掲載全作品を作家別に網羅。約30年におよぶ『ガロ』の歴史と変遷。まるごとオリジナル書き下ろし。【目次】第1章 モーゼルの勝ちゃん/第2章 『ガロ』白書/第3章 カムイたちの贈り物/第4章 異色作家の殿堂/第5章 広がる表現形態/第6章 憧れの『ガロ』/第7章 『ガロ』という名の登竜門/第8章 エディトリアル・アドベンチャー/第9章 マンガ界の新陳代謝/第10章 面白主義以降のバラエティな面々/第11章 新時代の『ガロ』<大使寸評>この本が刊行された1991年には、長井勝一さんが青林堂会長として在籍していたようです。それにしても・・・そうそうたるアーティストの書き下ろしでこの本が成り立っているのは、『ガロ』が与えたインパクト、そして長井さんの人徳の成せるものなんでしょうね♪rakutenガロ曼陀羅ガロ曼陀羅byドングリ【一生ものの木の家具と器】西川栄明著、誠文堂新光社 、2013年刊<「BOOK」データベース>より木を素材にした家具や器などの様々な作品や、それらを生み出す作り手を紹介。東海・北陸地方に在住しながら全国的に活躍する、木工作家、木漆工藝家、木彫刻師、ギター製作者などの作品への思い、人となり、ものづくりの考え方などを紹介。<読む前の大使寸評>いろんな形、木目の木工品のカラー写真が大使のツボにヒットしたわけです。更に言えば、木の肌フェチなので塗りは透明系でないといけないわけです。rakuten『一生ものの木の家具と器『一生ものの木の家具と器byドングリ【『千と千尋の神隠し』を読む40の目】ムック、キネマ旬報社、2001年刊<「MARC」データベース>より宮崎駿4年ぶりの監督作品「千と千尋の神隠し」。その世界観やストーリーをわかりやすく紹介。立花隆、養老孟司などのインタビュー、寄稿、対談を収録するほか、宮崎駿とスタジオジブリ作品のデータを掲載。<読む前の大使寸評>宮崎監督の作品では、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』が双璧だと思うわけで…ちょっと古い本だけど借りた次第です。作画&映像技術考というアプローチもあったりで、なかなか多角的なムックです。amazon『千と千尋の神隠し』を読む40の目『千と千尋の神隠し』を読む40の目byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き92
2015.03.30
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「グレート・ビューティー 追憶のローマ」と「ウィークエンドはパリで 」であり、館主の設けたテーマは「古の都で人々は……」となっていました。毎度のことながら、館主のセンスには感心しているのですが・・・・今回のテーマは大使に言わせたら「古都で人生と向きあう」または「初老向け映画」になるんですけどね♪ただ、一本目のローマなんたらの映画は、まったく観るに耐えない代物であり、これがアカデミー外国語映画賞なんだって…スノッブで堕落した授賞だと思うけど。【グレート・ビューティー 追憶のローマ】パオロ・ソレンティーノ監督、2013年、伊、仏制作、H27.3.27観賞<Movie Walker作品情報>よりセレブ界の狂騒に飽き飽きした初老のジャーナリストが、ある女性の死をきっかけにローマの街を歩きながら人生の価値について考える様を描き、第86回アカデミー賞および第71回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞、多くの映画祭を席巻したドラマ。監督は、政治家の暗黒面を描いた「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」で第61回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞、ショーン・ペン扮するかつてのロックスターが亡父の探していた人物を追うロードムービー「きっと ここが帰る場所」で広く注目を集めたパオロ・ソレンティーノ。<大使寸評>初老のジャーナリストが難渋な持論を開陳しているが・・・上映時間が141分と、冗長で、これがアカデミー外国語映画賞なんだって?スノッブで堕落した授賞だと思うけど、しかし、こういう授賞もあるということは、世界は広くて多様であるということなんだろう。Movie Walkerグレート・ビューティー 追憶のローマ【ウィークエンドはパリで】ロジャー・ミッチェル 監督、2013年、英制作、H27.3.27観賞<Movie Walker作品情報>より結婚30年を迎え、新婚旅行先のパリを再び訪れた夫婦が、互いに対する不満をぶつけあいながら、改めて夫婦の絆を確かめ合う姿を描いたドラマ。出演は「クラウド アトラス」のジム・ブロードベント、「アバウト・タイム 愛おしい時間について」のリンゼイ・ダンカン、「グランド・ブダペスト・ホテル」のジェフ・ゴールドブラム。<大使寸評>クビになる危機にひんした老大学教授が、ヤケ半分で妻を伴いパリを再訪した。高級レストランで食い逃げを企てたり、成り行きで目をむく最高級ホテルに泊まるというようなラテン的なノリがあるわけで・・・・イギリス人を、見直した次第です。ところで、ジム・ブロードベントという役者だが・・・『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で首相の夫役だったそうで、けっこう有名な役者のようですね。Movie Walkerウィークエンドはパリで久々に観るに耐えない代物に出遭って、半分くらい寝ていたが・・・・2本立て館のいいところは、観るに耐えない一本があっても、もう一本は素晴らしいことが、確率的、実証的にいえてるところでしょうね♪ともあれ、英仏伊の初老事情が垣間見えて・・・今回の「初老向け二本立て映画」は総じて、納得できるものでした♪パルシネマ上映スケジュール
2015.03.29
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図書館で『ガロ曼陀羅』という本を手にしたが・・・おお コレだ♪ この本だ♪この種のやや古い本を見つけるには、図書館で手当たり次第に探すのが(結果的に)良かったわけです。この本で、南伸坊・元編集長の昔話を見てみましょう。<『ガロ』の頃>よりp186~188 高校卒業した頃から、つげさんの大ファンになってね、図書館に『ガロ』のバックナンバーがおいてあって、つげさんのものは全部さかのぼって読んだなァ、1年後くらいかなつげさんの臨時増刊が出たんで、勿論すぐそれを買ってね、気のあった友達に見せて自慢した。 それでも、まだ『ガロ』の定期購読者になったワケじゃないの、まァ金がなかったっていうのもあるのかな。結局ひょんなことから、『ガロ』の編集に入っちゃったんだけど、いわゆる熱心な読者の、熱心な入社希望者の人に、なんか後ろめたいって気持ありましたね。 裏口入社みたいな感じなんですよ、当時、1973年だったかな、デザイン会社やめて失業保険もらってたんだけど、美学校の赤瀬川原平クラスの沢井君が、原平さんの紹介で入社してた。で、沢井君の仕事ぶりひやかしにネ、時々あそびにいったりしてたんですよ。 仕事中に行ってさ、雑談したりしても、全然なんていうか、居心地いいところでね、長井さんも話しかけてきてくれたし、返品くると、一生懸命手伝ったりしてさ、オヤジが早く死んじゃったから、なんか長井さんのことをオヤジみたいに思ってたかもしれない。大体の場合は、反抗する方向にいくんだけど妙に「気に入られたい」みたいなところがあったんだと思いますね。 で、長井さんがさ、 「南君ブラブラしてるようだけど、仕事は見つかるのか、予定がないなら明日からウチで働きなよ」って言ってくれてね、で、決まりなの。後で聞いたらさ、入社試験やるとかいうと、ドッと集まったらしいんだよね。で、『ガロ』が編集募集するのを待っている人がかなりいたらしいんだ。それが、ロクに読者でもないのがイキナリだからね、なんか悪いなァとか思ってましたね。 入社前は殊勝なもんだったんだけど、入っちゃったら、不良社員でさ、家内工業みたいな家族みたいなもんだから、遅刻ってのはマズイんだ。それに勝手に領分以外の仕事に手出すしね、妙なところに凝って、なんだか一生懸命仕事ふやしたりしてる。 仕事がおもしろくてしようがないんだ。長井さんは「やる気のあるヤツにやりたいようにさせる」っていう、東洋的親分方式の人だからさ、バッといきなり新人にまかしちゃう。(中略) 持込原稿の応対は、見よう見まねで、長井さんと同じようにするんだけど、長井さんの大胆さみたいなのは、生来のものだと思うね。ボクなんか、なまじ自分で絵描いたりするから、そういうコダワリで狭く見ちゃう。「絵なんか、描いていれば上手になる」って、長井さんは、才能の見極めっていうか、見出し方っていうのがボクなんかより、ズッと、頭柔らかいと思いましたね。 ボクなんか、『ガロ』やめてから「南さんに原稿つきかえされた」とかよく言われましたよ。その人が、ちゃんと後で売れた人なんだ。見る眼、ぜんぜんないですね。ボクは。ガロイストという言葉があるのだが、膨大な数のガロイストのリストがこの本の最終ページに載っています。それから、この本の編者は『ガロ』史編纂委員会となっていることから、ガロイストの数の多さが知れるのではないでしょうか。【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会編、PHP研究所、1991年刊<「BOOK」データベース>より創刊号(1964年9月)から318号(1991年6月)までの全表紙をカラー写真で収録。『ガロ』掲載全作品を作家別に網羅。約30年におよぶ『ガロ』の歴史と変遷。まるごとオリジナル書き下ろし。【目次】第1章 モーゼルの勝ちゃん/第2章 『ガロ』白書/第3章 カムイたちの贈り物/第4章 異色作家の殿堂/第5章 広がる表現形態/第6章 憧れの『ガロ』/第7章 『ガロ』という名の登竜門/第8章 エディトリアル・アドベンチャー/第9章 マンガ界の新陳代謝/第10章 面白主義以降のバラエティな面々/第11章 新時代の『ガロ』<大使寸評>この本が刊行された1991年には、長井勝一さんが青林堂会長として在籍していたようです。それにしても・・・そうそうたるアーティストの書き下ろしでこの本が成り立っているのは、『ガロ』が与えたインパクト、そして長井さんの人徳の成せるものなんでしょうね♪rakutenガロ曼陀羅この記事も『ガロ』がつなぐ輪に収めるものとします。ガロ曼陀羅1ガロ曼陀羅2wikipediaガロ (雑誌)
2015.03.28
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秘密基地とかツリーハウスをつくることが、子供時代からの夢なんですが・・・ここ数年間、図書館でその種の本を借りて読んできたわけです。これらを並べてみると、いずれも二見書房の「愉しい住まいシリーズ」だったんです。なかなか、楽しいシリーズではないか♪・ツリーハウスをつくる(2005年)・夢の棲み家(2010年)・かわいい隠れ家(2012年)【ツリーハウスをつくる】ピーター ネルソン著、二見書房、2005年刊<「BOOK」データベース>より「木の上の家」は夢じゃない。ツリーハウスが身近になった。森の中だけでなく、街のど真ん中にも建てられる。アメリカ、ヨーロッパ、日本…世界のツリーハウスを探訪。樹上で暮らす愉しみ。 <大使寸評>ツリーハウスが作りたい大使であるが・・・・誰かその場所と大木を提供してくれないものか、と夢想するのである。Amazonツリーハウスをつくるツリーハウスをつくるbyドングリ若手建築家の「夢の棲み家」にかける遊び心や柔軟性がええでぇ♪【夢の棲み家】黒崎敏著、二見書房、2010年刊<「BOOK」データベース>よりいま世界で注目される若手建築家たちの傑作をご覧あれ。【目次)海外篇(島の牧場(アイスランド)/ブリキの家(南アフリカ共和国)/ローリング・ハット(アメリカ) ほか)/日本篇(現代版・縦穴式住居(広島県)/田園の棲み家(広島県)/モザイクの家(東京都) ほか)/森の棲み家(櫓の家(フランス)/木のティールーム(ドイツ)/森の隠れ家(ドイツ) ほか<大使寸評>先日『大人が作る秘密基地』という本を読んだが、その路線を継いで借りたのです。とにかく、見て楽しくなる本でおます♪こんなんも、ありなのか♪メキシコの一軒rakuten夢の棲み家夢の棲み家byドングリ『夢の棲み家』に出ていた「廊の家」をネットで見つけたので、観てみましょう。TNAより【かわいい隠れ家】ミミ・ザイガー著、二見書房、2012年刊<商品説明>より世界中の面白い小屋の傑作を集めた写真集。自分で造れそうな小屋から、一流建築家の名作まで、隠れ家として欲しくなる素敵な家34軒を収録。<読む前の大使寸評>家に関する自由な発想がなんとも楽しい♪自然の中に人間の巣をつくるというコンセプトが、ええでぇ。rakutenかわいい隠れ家『かわいい隠れ家』に出ていたふたつの隠れ家を、観てみましょう。
2015.03.27
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。だいたい、3~4ヶ月待つのもいいかという気の長い辛抱を強いられるけど・・・図書館から「貸出し準備OK」のメールが届くと嬉しいわけです♪これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)・だから日本はズレている(12/08予約済み)・日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う(12/15予約済み)・キャプテンサンダーボルト(1/07予約済み)・工作舎物語(2/11予約済み)・イスラム国(2/25予約済み)・恋するソマリア(3/3予約済み)・文体の科学(3/14予約済み)・台湾の歓び(3/15予約済み)<予約候補>・英国一家 日本を食べる・夜また夜の深い夜・21世紀の資本・ダイオウイカは知らないでしょう・絵巻物による日本常民生活絵引・経済と人間の旅・サラバ!・原色 木材加工面がわかる樹種事典<予約取消し>・反日プロパガンダの近現代史(2/05に購入済み)・地方消滅(待ってられないんで、買う予定)・ジェフ・ベゾス 果てなき野望・中空構造日本の深層(神戸市は収蔵無し)<予約分受取>・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/7受取)・日本語に生まれて(12/09予約、12/16受取)・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約、12/16受取)・驚きの介護民俗学(12/23予約、12/28受取)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約、2/06受取)・本屋さんで待ち合わせ(2/17予約、2/22受取)・ノー・シューズ(9/9予約、2/25受取)・佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人(3/8予約、3/13受取)・東京ブラックアウト(1/07予約、3/18受取)【 奇跡の2億年史】ピーター・クレイン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長崎の出島が悠久の命をつないだ!ヒトの役に立ち、敬われてきたからこそ、この愛すべき樹木がたどったあまりに数奇な運命!2億年近く生き延びたあとに絶滅寸前になったイチョウは、人間の手で東アジアから息を吹き返した。その壮大な歴史を、科学と文化から描く名著。<読む前の大使寸評>人類の過去の記憶、過去のDNAに寄り添うようなイチョウがええなぁ♪銀杏をいただくときは、そのあたりに感謝していただきましょう。<図書館予約:(12/03予約済み)>rakutenイチョウ 奇跡の2億年史イチョウ 奇跡の2億年史byいとうせいこう【だから日本はズレている】古市憲寿著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりリーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。【目次】「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる<読む前の大使寸評>斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・あかんのやろな~。<図書館予約:(12/08予約済み)>rakutenだから日本はズレているだから日本はズレているby斎藤環【日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う】鈴置高史著、日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベースより>4月のオバマ訪韓で迫られた「踏み絵」を振り切り、7月の習近平訪韓で“ルビコン河”を渡り始めた韓国。激変必至のアジア地図、日本はいかに進むべきか。米中の対立激化、北朝鮮の変節、ロシアの影ー。一気に流動化する世界の「これから」を読み解く。<読む前の大使寸評>良質な鳥瞰図のような視点と、グローバルで政治的な視点と併せ持って考えることが肝要ではないでしょうか。つまり、激高しやすい彼の地の民と同じ土俵で論争するよりも、論争は脇に置いて、民間交流に徹するわけです。<図書館予約順位:7(12/15予約済み)>rakuten日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う【キャプテンサンダーボルト】阿部和重, 伊坂幸太郎著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界を救うために、二人は走る。東京大空襲の夜、東北の蔵王に墜落したB29。公開中止になった幻の映画。迫りくる冷酷非情な破壊者。すべての謎に答えが出たとき、カウントダウンがはじまった。二人でしか辿りつけなかった到達点。前代未聞の完全合作。<読む前の大使寸評>売れっ子作家2人による合作ということで気になるわけです。サスペンス仕立てなので、それなりに面白そうである。エキサイトニュース阿部和重と伊坂幸太郎の合作で『キャプテンサンダーボルト』が抜群におもしろいに、合作のウラ話が載っています。<図書館予約順位:110?(1/07予約済み、神戸市は入荷待ち)>rakutenキャプテンサンダーボルト【工作舎物語】臼田捷治著、 左右社、2014年刊<「BOOK」データベース>より70年代の黎明に工作舎という編集宇宙を学ぶ。才能を呼び集める才能とは?クリエイター列伝、屈指のノンフィクション!<読む前の大使寸評>編集者松岡正剛が給料を度外視して打ちこんだ工作舎とは、どんなだったのか♪この本は、図書館に借り出し予約しようと思うのだ。<図書館予約順位:6(2/11予約済み)>rakuten工作舎物語【イスラム国】(文字数制限により省略、全文はここ)【恋するソマリア】(文字数制限により省略、全文はここ)【文体の科学】(文字数制限により省略、全文はここ)【台湾の歓び】(文字数制限により省略、全文はここ)【英国一家 日本を食べる】(文字数制限により省略、全文はここ)【夜また夜の深い夜】(文字数制限により省略、全文はここ)【21世紀の資本】(文字数制限により省略、全文はここ)【ダイオウイカは知らないでしょう 】(文字数制限により省略、全文はここ)【絵巻物による日本常民生活絵引】(文字数制限により省略、全文はここ)図書館予約の軌跡15図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム上記の<予約候補>であるが、今後は神戸市の予約サイトの「予約カート」に入れて待機することにしよう。
2015.03.26
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図書館で『一生ものの木の家具と器』という本を手にしたが・・・・いろんな形、木目の木工品のカラー写真が大使のツボにヒットしたわけです。更に言えば木の肌フェチなので、塗りは透明系でないといけないわけです。日本の各地方別に刊行されているシリーズとのことで、この本は東海・北陸編になっています。【一生ものの木の家具と器】西川栄明著、誠文堂新光社 、2013年刊<「BOOK」データベース>より木を素材にした家具や器などの様々な作品や、それらを生み出す作り手を紹介。東海・北陸地方に在住しながら全国的に活躍する、木工作家、木漆工藝家、木彫刻師、ギター製作者などの作品への思い、人となり、ものづくりの考え方などを紹介。<読む前の大使寸評>いろんな形、木目の木工品のカラー写真が大使のツボにヒットしたわけです。更に言えば、木の肌フェチなので塗りは透明系でないといけないわけです。rakuten『一生ものの木の家具と器この本で紹介された25人の木工家のうちで・・・木の肌に拘わる河村寿昌さんを見てみましょう。<河村寿昌>よりp124~125【所蔵する木は200種以上。あらゆる木の表情を挽きながら描きだす、弁当屋から転身した異色の木工家】 ずらっと並べられた、ふた付きの挽き物小箱。大きさ、形、色合いがすべて異なる。特定された用途はない。手に取った人が使いたいようにすればいい。材には、国産のクワ、沖縄のウバメガシのほか、ブラジル産のパープルハート、アフリカ産のピンクアイボリーなどのめずらしい木が用いられている。様々な木目や色合いを眺めているだけで楽しくなってくる。 「ピアスや指輪を入れておくのにちょうどいいというお客さんもいれば、野点の際に1回限りの抹茶を入れる方もいらっしゃいます」と話すのは、小箱の製作者で異色の木工家ともいえる河村寿昌さんだ。 どこが異色なのか。まず、34歳からこの道へ入ったことが挙げられる。30代で独立する作り手は数多いが、元々、木工やデザインに興味があって、家具メーカーでの就業や美大で勉強をしてきた人たちがほとんどだ。 河村さんの場合は、木工だけではなく、アート、工芸の類とは全く別の世界にいた。16年間営んできた弁当屋からの転身だった。 工芸や「つくる」という行為に対する意識がまっさらな状態から今の仕事を始めた。固定観念のなさが、作品づくりに際していい方向に働いているのではないだろうか。 二つ目は、自ら自認する「下手くそ」。インタビュー中、何度この言葉を聞いたことだろう。謙遜の域を超えていた。ただし、この「下手くそ」の気持ちから、今までだれも手掛けてこなかった作品が生まれてきたと思われる。 三つ目は木の在庫の豊富さ。なんと200種類以上の樹種の材を所有している。個人の木工家では、日本一の樹種保有数だろう。木材業者でも、これだけの種類をそろえているところはめったにない。この豊富な樹種の在庫が、河村作品のベースになっているともいえる。素材集めは、挽物轆轤研修所で学び始めた頃からの将来を見据えた活動だった。ところで・・・著者、出版社つながりでアマゾンを覗いていたら、こんな本が見つかったのです。大使のツボがうずくような本なので、図書館予約を試みてみます♪【原色 木材加工面がわかる樹種事典】河村寿昌×西川栄明著、誠文堂新光社 、2014年刊<「BOOK」データベース>より色、匂い、硬さ、木目、加工時の感触などを、作り手や木材関係者の経験を踏まえながら、わかりやすく解説。235種の木材の加工曲面が比較できる樹種事典。 【著者】河村寿昌:1968年、愛知県生まれ。挽き物の木工家。石川県挽物轆轤技術研修所で、轆轤(ろくろ)技術や漆について学んだ後に独立。修業時代から木材の収集を始め、現在、250種余りの木材を所有。それらの材を用いて小箱や器などを製作し、ギャラリーや百貨店などで個展やグループ展を行っている。<読む前の大使寸評>追って記入amazon原色 木材加工面がわかる樹種事典eコマースなら木工作家:河村寿昌がええでぇ♪、宣伝料はもらってないけど。
2015.03.26
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図書館で『『千と千尋の神隠し』を読む40の目』という本を手にしたが・・・インタビューや対談のメンバーが、立花隆、養老孟司、岩井俊二、山田洋次、大林宣彦、他と豪華なんで借りたわけです。山田洋次監督の対談を見てみましょう。<巻頭対談2:山田洋次×高山由紀子>よりp41~42<具象化された現代社会の問題>山田:カオナシなんて、面白いですねえ。高山:セットというんでしょうか、あのお湯屋さんのイメージはすごいですね。小金井公園にある「江戸東京たてもの園」に触発されたみたいですね。あそこには私もたまに行くんです。私が行ったって宮崎さんのようなイメージは浮かびません(笑)。もうこのイメージにはビックリです。山田:湯屋の造形もすごいけども、そこにいろんな変チクリンな神様が集まってきて、一種のヘルスセンターになっている(笑)、そういうシチュエーション、状況設定が意表を突きますね。実写でなぜ、あのような質の高いイマジネーションが創り出せないのかと思います。アニメが上か実写が上かという比較ではなくてね。宮崎さんのイマジネーションに負けないものをわれわれは実写で作っていかなくてはいけない。それにしてもなんという豊かな才能かと、ほとほと感じ入ってしまうということです。Q:宮崎さんの造形だと思いますが、たくさん出てくる土俗的な神様にはどんな感想を持ちますか高山:日本の地方には田の神様とかカマドの神様とかが具象化されていますね。山田:一種のアミニズム、すべての自然や物に神が宿っているわけですね。建物にも道にも海にも山にも神は宿っていて、日本人はやたらと拝むんだ。その神様たちが賑やかに登場する。 日本の多神教的神様はヨーロッパの神と違って絶対の存在でなく、滑稽なところもあるわけですからね。愛すべき神がいるんでしょうね。Q:カオナシが象徴的ですね高山:カオナシが「さびしい」と言うのがいいですよね。カオナシが際限なく食べているところの絵は綺麗ですね。美しかった。山田:今日のぼくたち日本人はカオナシのように貪欲に食べているんじゃないでしょうか。もう食べたくないと言うと無理やり突っ込まれる(笑)。もっと食え、もっと食え。醜く膨れ上がっているのがいまの日本人ではないか、というコンセプトでしょうね、このカオナシは。 不安で、自分が見えなくて、アイデンティティーがなくてね。お金を出せば誰でも喜んで受け取るんだという拝金主義もあらわに見えています。高山:そういうリアルな問題が、このように具象化されるというのが面白いですね。山田:キャラクターは絵で表現されていると同時に動いているわけでしょ。作者たちはいつも動くイメージを持っている。たとえばあのオクサレ様、このては宮崎的世界によく出てきますが、次々と現れては消えていくイメージね。宮崎さん、好きなんだな、あの動きがね。高山:ドロドロと体が溶けるようなイメージですね。(中略)Q:重いテーマを持っているんですが、多彩なキャラクターが描きだす映画の楽しさは相変わらず宮崎さんの世界ですね山田:「ハンニバル」にも豚が出てきたけど、宮崎さんの豚はあんな嫌らしいものとは違うもの。高山:そう、楽しいんですよ。大人が見て楽しいんじゃないですか。山田:ちょっと心配になるんですよ。こんなに大人が楽しいんじゃ子供はそれほど楽しくないんじゃないかと(笑)。エピソードがみんな納得がいくんですね。子供たちにも腑に落ちるところがありますよ。高山:あっという間に時間が過ぎますね。これはもう決して子供だけのものではない作品ですね。山田:「A・I」を見たんですけど、1時間半あたりからもう尻が痛くてね。時計が気になってしようがなかった。「パール・ハーバー」なんてもっと退屈に違いない、なにしろ3時間だというから。徳間康快さんが生きていたら、ぶちかますんじゃないかしら。「A・I」や「パール・ハーバー」なんてアメリカ映画は見なくてよろしい。この日本映画を見ろ!とね(笑)。僕はその声を支援したいです。 いつまでもハリウッド映画にいい顔されてたまるものかとね。この映画を見なさいと強調したいです。高山:日本人として自信が持てるかもしれないですね、この映画によって。山田:アニメーションだっていうのが悔しいけれども(笑)。山田監督はハリウッド映画をこころよく思ってないようですね♪・・・・反米の大使にとって心強い同類を見つけて嬉しくなるのです。今年のセンバツの行進曲はアナ雪だし、ディズニー・アニメの蹂躙に、尾羽うちからしたように見える日本アニメ業界であるが・・・宮崎駿さんを継ぐアニメーターは現れるんだろうか?【『千と千尋の神隠し』を読む40の目】ムック、キネマ旬報社、2001年刊<「MARC」データベース>より宮崎駿4年ぶりの監督作品「千と千尋の神隠し」。その世界観やストーリーをわかりやすく紹介。立花隆、養老孟司などのインタビュー、寄稿、対談を収録するほか、宮崎駿とスタジオジブリ作品のデータを掲載。<読む前の大使寸評>宮崎監督の作品では、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』が双璧だと思うわけで…ちょっと古い本だけど借りた次第です。作画&映像技術考というアプローチもあったりで、なかなか多角的なムックです。amazon『千と千尋の神隠し』を読む40の目この本も宮崎駿の世界に収める予定とします。『千と千尋の神隠し』を読む40の目(その1)
2015.03.25
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図書館で『ガロ曼陀羅』という本を手にしたが・・・おお コレだ♪ この本だ♪この種のやや古い本を見つけるには、図書館で手当たり次第に探すのが(結果的に)良かったわけです。そうそうたる著名人が、ガロについて語っているが、個人的に気になる人の分を紹介します。まず、佐々木マキさんから<フィクサーながい:佐々木マキ>よりp26~27 ぼくのマンガが初めて『ガロ』に載ったのは1966年、ぼくが20歳の頃だから、もう四半世紀も前のことになる。自分の描いたものが印刷されるというのは、何とも実に快感です。すっかりおもしろくなって、せっせとマンガを描いては『ガロ』に投稿していた。 その翌年、二度も落ちているので、もうどうでもいいや、という気持ちで受験した美術大学に、三度目で合格してしまった。ところが、おもしろくないんだね、その学校。 ぼくはハタチのオトナだけど、まわりは18かそこらのお嬢ちゃん、お坊っちゃんばかりで、ウォーホールも、ジャスパー・ジョーンズも知らない、何だろ、こいつらと思いました。 金もなかったしね。看板描きや家庭教師のアルバイトやって、その合間にマンガを描く。ガッコへ行ってる暇なんてなかった。 まあ、それで、学費滞納・出席不良・マンガを描いている―という理由で、2年生で抹籍処分にされたんですけど。 学校は放り出されるし、すでに同棲している女性はいるしで、こいつは何とかしなくちゃと思って、長井さんに、とにかく上京したいんですけど、と打診したところ、いいとも、出ておいでよ、という返事で、おまけに長井さんは、ぼくのために『朝日ジャーナル』連載の話までまとめてくれた。 半分しろうとが、いきなり週刊誌の連載だからね、苦しかった。バルザックの小説に「人生には1年生の行く教室なんてないのよ。誰だって最初からいちばん難しいことをやらされるんだわ」という科白があったと思うけど、まさにそれだった。 でもいい経験になった。それ以後、いくらしんどい条件の仕事が来ても、あの時の苦しさを考えたら、こんなの物の数じゃないと思って、何とか切り抜けられるもの。 あれは1970年の秋だったかな、岡山大学の学園祭に『ガロ』御一同様として招かれたことがある。長井さん、上野昴志さん、勝又進さん、林静一さんたちと一緒に岡山へ行った。行ったけれども、講演するわけでも、何かをやってみせるわけでもない、ひたすら飲んで騒ぐだけという結構な御招待だった。 その帰路、京都に立ち寄って、長井さんに連れられて行った所というのが、ぼくが美大で教わった秋野不矩先生の御子息のお宅だった。それが縁となって、のちに秋野先生の紹介で、ぼくは福音館から絵本を出すことになる。本当に、どこでどうなるのか判らないね。 こう振り返ってみると、初めて『ガロ』に投稿した時、おもしろいので続けて描くように励ましてくれたのを含めて、長井さんは、ぼくの重大な転機に、三度大きく絡んでることがよく判る。ぼくが長井さんをひそかにフィクサーと呼ぶ所以です。次に四方田犬彦の佐々木マキ論みたいなものを紹介します。<『ガロ』の最初にして最年少読者の自画像:四方田犬彦>より244~246 おそらく長井さんの方でも、12歳の子供が千円札を手に、こんな生意気な口をききながらやって来るとは、予想されていなかったと思います。お金を払って1冊ほどのバックナンバーを包んでもらっていると、ほら、これが今日出たばかりの新しい号だから、1冊おまけだよといわれ、白地に青の表紙の『水木しげる特集号』をタダでもらってしまいました。 帰りの神保町の交差点はもうすっかり暗くなっていました。渋谷行きの都電が来ず、ひどく心細い気持ちでした。都電のターミナル駅だったのでいろいろな系統の電車が通過するのですが、なかなかお目当てに出合わないわけです。ようやく乗った電車の薄暗い車輌のなかで、ぼくは手にした紙包みを破いて、『ガロ』を読みはじめました。下馬町の家に戻るまでとうてい待ちきれなかったのです。その結果、包みはボロボロに破れ、12冊の本をほとんど抱えるようにしてぼくは帰宅しました。 (中略) 68年だったと思いますが、佐々木マキと林静一があいついでデビュウしました。年齢的にははるかに年少だったのですが、これはぼくが最初に同時代のアート、というよりアートの同時代性を自覚した瞬間だったと思います。「アグマと息子と食えない魂」という林静一の処女作を読んで、木版画のような線の太さとブラックユーモアの寓話に強い印象を受けました。それが次の「巨大な魚」では細い線に変り、因襲に満ちた田舎町での人間の業という主題に挑むわけで、ぼくはしばらく彼の一挙一動に振り舞わされっぱなしでした。 佐々木マキはというと、当時は難解だという評が圧倒的だったと思います。60年代とはまだ人々が物事の深層に隠れ潜んでいる意味とやらの探求に多忙であり、難解であることが価値の微であった時代でした。もっとも佐々木マキ本人としては、解釈すべき晦渋な意味など何もない、ある種のニヒリスティックなノンサンスが主眼であったわけです。 このノンサンスは時代の雰囲気でもあったわけですが、文学言語が到達するまでには70年代を待たなければならなかったと思いますね。エドワード・リアとかルイス・キャロルがそれなりに紹介され、読まれるようになったとき、はじめて人は佐々木マキの正しさが理解できたわけです。 ぼくが書いた文章でもっとも最初に活字になったのは、何を隠そう、68年の『ガロ』に投稿した佐々木マキ論です。どうしてだか忘れてしまいましたが、矢野武徳という筆名を用いました。状況は逼迫している、もはや躊躇は許されない、というまるでアジビラみたいな口調のものです。今回のために久しぶりに読み直してみましたが、16歳の自分がいったい何を書いていたのか、今では文意が掴めなくなっていました。ガロイストという言葉があるのだが、膨大な数のガロイストのリストがこの本の最終ページに載っています。それから、この本の編者は『ガロ』史編纂委員会となっていることから、ガロイストの数の多さが知れるのではないでしょうか。【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会編、PHP研究所、1991年刊<「BOOK」データベース>より創刊号(1964年9月)から318号(1991年6月)までの全表紙をカラー写真で収録。『ガロ』掲載全作品を作家別に網羅。約30年におよぶ『ガロ』の歴史と変遷。まるごとオリジナル書き下ろし。【目次】第1章 モーゼルの勝ちゃん/第2章 『ガロ』白書/第3章 カムイたちの贈り物/第4章 異色作家の殿堂/第5章 広がる表現形態/第6章 憧れの『ガロ』/第7章 『ガロ』という名の登竜門/第8章 エディトリアル・アドベンチャー/第9章 マンガ界の新陳代謝/第10章 面白主義以降のバラエティな面々/第11章 新時代の『ガロ』<大使寸評>この本が刊行された1991年には、長井勝一さんが青林堂会長として在籍していたようです。それにしても・・・そうそうたるアーティストの書き下ろしでこの本が成り立っているのは、『ガロ』が与えたインパクト、そして長井さんの人徳の成せるものなんでしょうね♪rakutenガロ曼陀羅wikipediaガロ (雑誌)
2015.03.24
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北斎を描くアニメ映画『百日紅~Miss HOKUSAI~』が近日公開されるし、この際、北斎をきわめておくか、と思いたったわけです。ということで、北斎についていろいろ集めてみます。・百日紅~Miss HOKUSAI~・カラー版 北斎・北斎漫画を読む・フェルメールの青、北斎の青・版画のジャポニスム・足利行道山くものかけはし甲州石班沢【百日紅~Miss HOKUSAI~】原恵一監督、2015年制作<movie.walker作品情報>より江戸時代に当時の風俗をとらえ、庶民から愛された“浮世絵”。浮世絵に生涯を捧げ、3万点を超える作品を発表した浮世絵師・葛飾北斎とその娘・お栄と、江戸に生きる人々との交流を描いた、杉浦日向子の同名漫画を『カラフル』の原恵一監督がアニメーション映画化した人間ドラマ。主人公・お栄役で杏が長編アニメ作品の声優に初挑戦。<観る前の大使寸評>アナ雪と比べると、やや大人向けのアニメーション映画であり、アナ雪のように大ヒットするか疑問だが・・・・でも、杉浦日向子さんの原作を作品化するところが、クールではないか♪movie.walker百日紅~Miss HOKUSAI~百日紅~Miss HOKUSAI~公式サイト【カラー版 北斎】大久保純一著、岩波書店、2012年刊<「BOOK」データベース>より「画狂人」と称した葛飾北斎(一七六〇~一八四九)は、生涯自らの到達点に満足することなく、画業に専心し、多彩な作品を遺した。初期の役者絵から、美人画、摺物、読本挿絵、絵手本(北斎漫画)、風景画、花鳥画、そして晩年の肉筆画まで、傑作・代表作六九点を収録し、その画業を江戸絵画史の中に位置づけながら、読み解く。<大使寸評>北斎を描くアニメ映画百日紅~Miss HOKUSAI~が近日公開されるし、この際、北斎をきわめておくか、と思いたったわけです。ところで、図書館でこの本を借りるのは2度目であることが、後でわかったのです(イカン、イカン)rakutenカラー版 北斎カラー版 北斎byドングリ【北斎漫画を読む】有泉豊明著、 里文出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より知るほどに面白い!江戸の話題作。マンガ(漫画)の名付け親、北斎が残した傑作に迫る。<大使寸評>北斎といえば『富岳三十六景』の知名度が高いが、『北斎漫画』も当時の江戸で人気を博したそうです。庶民の生活、好み、滑稽などを描いた画の数は膨大です。この本では目ぼしいものを取り上げて、楽しい読み物に仕立てています。Amazon北斎漫画を読む福岡伸一著『やわらかな生命』という本から「フェルメールの青、北斎の青」を紹介します。<フェルメールの青、北斎の青>よりp148~150 そんな青が人の心を捉えることをフェルメールは正確に気付いていた。彼は、故郷デルフトの高く澄んだ青空の光を描き出すため、スマルトを使った。スマルトとは細かく砕かれたガラスの透明な粉末である。『デルフト眺望』。デルフト眺望 しかしながら、かのフェルメールですらどうしてもかなわぬ夢があった。それは青を、青が本来、この世界のうちに存在しているように描くこと。つまり青色を、水の中に、あるいは空気の中に分散し、かつ、溶かしこんで、連続したグラディエーションをもった自然な濃度勾配として表現すること。 スマルトもラピスラズリも鉱物の粗い粒子だった。スマルトはコバルト、ラピスラズリはアルミニウムとシリカの結晶。鉱物粒子は溶かすことも伸ばすこともできない。油でといてキャンバスの上に貼りつけることしかかなわなかった。 青を遠ざけ、青を近づけること。青を揺らし、青をにじませ、青で勾配とうねりを作り出すこと。そのためには実に百年以上の時間が必要だった。 これがフェルメールの青と北斎の青とのあいだにもあるものである。 ベロ藍、またの名をプルシアンブルー。北斎が選んだ青は、鉄イオンの錯体(フェロシアン化第二鉄)だった。この類まれな物質は、スマルトのコバルト、ラピスラズリのアルミニウムと同様、金属原子の結晶がもたらす青の系譜を継ぐものである。しかしベロ藍は、スマルトやラピスラズリよりずっと細かい粒子であり、極めてなめらかに水の中に分散させることができた。北斎はこの青を見逃さなかった。 フェルメールのはたせぬ夢をついに実現した画家。それが葛飾北斎だった。止まっていたフェルメール・ブルーを、世界ではじめて動かしてみせたのである。【版画のジャポニスム】コルタ・アイヴス著、木魂社、1988年刊<内容説明>より事実上、19世紀後半のフランスにおけるすべての画家は、浮世絵の思想を蒙ったのである。画家の想像力を解放し、世俗的な主題に光をあてた運動としてのフランス印象派と後期印象派に対する考察を進めていくと、19世紀のフランスの版画家と浮世絵師との深い関係が明らかになる。浮世絵師もまた彼らより一世紀早く、同じ目標に向かって苦闘していたのである。<読む前の大使寸評>ロートレックのポスターには、浮世絵のテイストが顕著であり、ゴッホは浮世絵を模写したりしていますね。また、村上隆の提唱するスーパーフラットの原型が当時のジャポニスムにも感じられます。言ってみれば、当時は第一次「クールジャパン」のような感があるのです。aishoren版画のジャポニスム『熱闘!日本美術史』という本の中で、辻惟雄、村上隆のお二人が北斎の「足利行道山くものかけはし」を題材にしてバトルを繰り広げていました。<絵合せ17番・村上春樹ほか:辻惟雄>よりp118~119 ずいぶん長い間、文芸書の類から遠ざかっている。が、村上春樹だけは例外だ。 『ノルウェイの森』を読んだのが最初で、それから『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』…。ほかに何を読んだか忘れたが、これだけ読めば、私も、世界中にゴマンといる村上春樹ファンの一人といってもよいだろう。(中略) 以前一度、ほんのちらりと、氏を見かけたことがある。たしかな記憶ではないが、1995年、『ねじまき鳥クロニクル』が出て評判になったころ、場所は京都の国際日本文化研究センター。ちなみに氏がリスペクトする故河合隼雄氏は、以前同センターの所長だった。 大勢に囲まれた人気作家の姿をのぞき見て、この人は相手の顔を見ながら物をいうタイプではなさそうだ、と思った。考え事をしているのか、言葉を反芻しているのか、空想に浸っているのか、相手の話に受け答えしながら、心はここにあらず、に見えた。なぜか私はそのとき、野間宏のことを思い出した。戦後まもなく、ブリューゲルの絵からの連想を長々とつづって有名な『暗い絵』を書いた人。遥か以前、この人が「アカハタ」に頼まれて、展覧会場で私の友人の画家にインタビューしていた、そのときの顔が浮かんだのである。相手に質問しながら、一方で自身の心の中の誰かと絶えず対話している牛のような顔つき。“風のように自由”な村上の文体と、限りなく重い野間の文体とは、あまりにもかけ離れすぎている。二人を連想のまな板にのせる私のやり方は、ただの素人の思い付きかもしれない。だが両者の間には、たしかに共通するものがあると私は思う。それは、文章がイメージを喚起する力の強さ、とでもいうべきか。2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆
2015.03.23
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<台湾、ひまわりの芽は> 元台湾総統府秘書長・邱義仁さんがインタビューで「突然のマグマ噴出、下地に市民の蓄積、民主主義で連携を」と説いているので、紹介します。香港の「雨傘運動」はポシャッたが、台湾のひまわりの芽は育っているようです♪なお、インタビュアーは、大使一押しの吉岡圭子委員となっています。(邱義仁さんへのインタビューを3/17デジタル朝日から転記しました) 台湾の学生たちが日本の国会にあたる立法院を占拠した「ひまわり学生運動」から、まもなく1年。市民社会や中台関係に何をもたらしたのだろう。いまは野党の民進党・陳水扁政権を支えた総統府秘書長を務めた邱義仁(チウイーレン)さんは、戒厳令下で結党を進めた民主活動家でもあった。ひまわりは…Q:1年前、「ひまわり学生運動」はなぜ、起きたのでしょう。A:まず、台湾人であるという認識(アイデンティティー)の高まりと、国民党・馬英九政権の『親中』路線との衝突があります。政治大学選挙研究センター(台湾)によると昨年、自分は台湾人だと考える人は6割、中国人でもあり台湾人でもあると考える人は3割でした。10年前は後者が5割近く、前者は4割程度だった。ちなみに20年前には4人に1人が中国人だと考えていましたが、いまは4%足らず。台湾に住み、その土地や社会に愛着を感じる人が増えているのです。 一方で、2008年からの馬政権は中国との間で経済を中心に20を超える協定を結び、閣僚会談を実現するなど政治的にも中国に傾斜しました。でも巨大な経済の中国に近づいて暮らしがよくなったかといえば、庶民は実感していない。むしろ不動産価格や物価は上がっているのに給料は上がらない。格差も広がった。中国に工場も移転している。しわ寄せを強く受けるのは若者です。Q:そこへ、30秒の強行採決。A:多数の議席を持つ与党の国民党が、非民主的な手続きを取ろうとした。これに学生たちの怒りが爆発したのです。不透明な政策決定過程を『黒箱(ブラックボックス)』と批判して民主主義の危機を訴え、多くの共感を得た。学生への差し入れや座りこみに参加する市民もいた。Q:いくら非暴力とはいえ、立法院の占拠には「不法行為」という批判もあったと思いますが。A:彼らは自分の利益のためにやっているわけではないし、そもそも中台間の協定は市民の多くが利害関係者になる。中国への傾斜で民主的な社会が損なわれるのではないか、という懸念も多くの人が感じていた。Q:協定の締結を急ぎ、統一への道筋作りをめざす習近平政権も衝撃を受けていたようです。A:旧ソ連の崩壊にせよ、中東で民主化を求めた『アラブの春』にせよ、若者の情熱が盛り上がるときは突然なんです。物事が起きてから後付けで背景を説明できても、予測はできない。社会にたまったマグマがなんらかの動きで噴出する。今回はそれが『30秒採決』だったのです。Q:学生たちの運動は穏健で、外国メディアへの通訳、医療、通信手段の確保、議場の管理など突然の占拠にもかかわらず周到でした。A:ネットやスマホを使った動員や宣伝はいまの時代の特徴ですが、台湾には市民運動の蓄積があります。私も加わった民主化を勝ち取る闘いを経て、さまざまなテーマで運動が起きています。土地収用や原発への反対、ハンセン病や同性愛などの人権問題……。一昨年には中国と関係の深い企業が台湾メディアを買収しようとし、学生たちの反対で頓挫した。成功したものばかりではないが、市民社会の経験として着実に蓄積しています。Q:台湾の地に「ひまわり」は突然咲いたわけではない、と。A:そうです。たとえば『ひまわり』の学生たちを教える教員は、戒厳令解除後の民主化を求めた学生運動『野百合運動』の世代です。彼らの影響もあるはずです。Q:昨年11月の統一地方選の投票率は67%で、国民党が大敗しました。若者が立候補したり、選挙運動に加わったりしていましたね。「ひまわり」の種が芽をだしはじめた?A:若者の投票率はあがりました。でもその数字自体は特に高くない。総統選は8割近いのですから。台湾はまだまだ若い新興民主主義社会です。戒厳令の解除と民主化が1980年代後半、総統の初の直接選挙は96年。20年もたっていません。政治は変わらないと嘆くより、与えられた権利を有効に使いたいし、使わなければならない課題がある。中国との関係に限らず、議論すべき生活にかかわる身近な問題が山積みです。Q:「ひまわり」のその後は。A:問題を提起するより、解決するほうが難しいものです。中国との関係が絡むとさらに難しくなる。学生たちは民主的な社会の危機や、権力・資本による生活の圧迫を前面に出し、特定の政党色は出そうとしなかった。彼らのなかに意見の違いもあるでしょうし、出さないことで幅広く支持を得たともいえる。ただ、批判だけでは世の中は動かない。運動を継続するには組織化が必須です。Q:政党を立ち上げた学生もいるそうですね。A:組織を動かすには、きれいごとではすまない。政治資金や権力の配分を含めて『政治』をしていかねばなりません。その闘争で私も大いに傷つき、政権を離れてからは農業を4年余りしていた。トマトやカボチャを作った。(起訴されたり、無罪になったりして)体がくたびれなければ、眠ることもできなかった。Q:「ひまわり」の学生たちと同じ年齢のころ、政治家になろうと考えていたのですか。A:大学で哲学を学んでいた私は政治に興味はなかったが、国民党独裁への不満と若者特有の好奇心から民主化運動を手伝い始めた。当時は言論に自由がなく、黒塗りの米ニューズウィーク誌が売られていた。公務員や弁護士になるにも、大陸からやってきた人たちと、私のような台湾出身者の間では差別があった。民進党の結党は86年ですが、政党をつくる動きはそれまで何度も押さえ込まれ、投獄を覚悟でやっていました。Q:高成長を続けていた台湾は、なぜ民主化へ動いたのでしょうか。A:成長によって生まれた中産階級が、自分の利益を守ろうと権利意識を高めたのです。民主化への動きは時間の長短だけで、他の道はない。Q:中国は経済発展を遂げたいまも、言論の自由や政治活動を厳しく制限しています。A:中国にも民主を求める人たちはいるでしょう。逮捕されるか、それがいやだから心に秘めているか、国外に出るか。はっきり見えないかもしれませんが、中国社会は経済成長を経て変わっていくし、人々の意識も変わりつつある。日本はアジアの民主化された大国です。中国にせよ、台湾にせよ、民主的な価値を尊重する人々を応援してほしい。Q:2月に北海道大学であったセミナーで、興味深い光景がありました。「ひまわり」のリーダーの一人である陳為廷さんと、香港で行政長官の民主的選出を求めて金融街を占拠した「雨傘運動」の学生幹部が話していました。陳さんは香港に入ろうとして当局に空港で追い返されたそうですが、日本で会えたのです。A:台湾は、香港の運動に高い関心を寄せています。香港の学生たちの要求はかなわなくても、国際社会が香港に関心を持ち続けるようになれば、大きな成果です。中国は世界の目を意識せざるを得ないからです。 グローバル化が進んで接点が多くなると、逆にそれぞれのナショナリズムがぶつかりあう。これは自然なことです。しかし、民主主義によって育まれる多様な言論は、長期的にみれば過激なナショナリズムを抑えることもできるはず。日本は自らのためにも、中国の民主をめぐる問題に強く関心を持ってほしい。民主主義もグローバルな力でこそ街角に届くのです。 *邱義仁:1950年台湾・台南生まれ。台湾大学哲学科卒、米シカゴ大学政治学修士。3月末までの1年間、北海道大学公共政策大学院客員研究員。■「対大陸」若者の模索、香港でも 香港中文大学准教授・沈旭暉さん 香港の「雨傘運動」に参加した若い世代や、彼らに共感した人々にとって、最大で唯一ともいえる成果は何か。それは、中国大陸の人々とは異なる価値観を持っている、という「香港人であること(アイデンティティー)」を確認しあったことでしょう。独立や分離に言及しているわけではないし、表面上は何も得られなかったように見えるかもしれない。それでも、若い世代の心に永遠に残っていくと思います。 北京の中央政府は、運動を鎮圧するにあたって、大規模な流血事件になることを避けていました。英米など国際社会に干渉されるスキを与えてしまうからです。逆にそれさえなければ、中国との外交・経済関係を重視する各国は干渉しない、という自信を持っているともいえるでしょう。もともと中央政府は、香港のメディアや法律家、文化人などの意識を変えたいと考えていましたから、管理がさらに強まるのではないか、と懸念しています。 台湾の「ひまわり運動」についていえば、台湾人は自らの議会を動かすことで事態を変えられる。一国二制度下にある香港とは決定的に違います。一方で共通点もあります。中国経済の影響力から逃れられなくなっていることと、それにもかかわらず中国人というアイデンティティーを持つ若者が減っていることです。 北京が言論統制やNGOなど市民活動に対する抑圧を強めれば、香港や台湾の若者の心は離れていく。ネット上では双方の若者たちが運動を支持しあい、情報を交換していました。台湾の人々は香港の運動に注目していたことでしょう。昨年11月、台湾の統一地方選で中国寄りとみられた与党が大敗したのも、香港の問題も影響したのかもしれません。 雨傘運動は、中国大陸とどう向き合うか、香港社会に対立を残しました。若者は変革を望みますが、どの社会でも安定を最優先に考える人が多いのは当然です。大陸との関係が固まるまで、この先10年ほどは、規模や形は違っても似たような運動が起きると思います。混乱は続くとみています。 *沈旭暉:1978年生まれ。専門は政治学・国際関係学。著書に「摩擦と協力の米中関係」「中国と世界」(ともに共著)など。<取材を終えて> 陳政権時代には権謀術数にたけた「黒幕」とも呼ばれた邱さんが、闘争に挫折し、農業生活を経て札幌にいる――。青年時代は民主化運動に身を投じていた老練な政治家の目に映る「ひまわり」を聞いてみたかった。政治の表舞台から退いたとはいえ、民進党の視点での発言ではあるが、台湾の「若い民主主義」の激流にもまれてきた静かな迫力があった。 邱さんの学生時代と異なり、高度経済成長をともに遂げた東アジア。その先にある社会の閉塞感もまた、共有している。日本を含めて次の世代には、アイデンティティーを踏まえながら、自らと異なる誰かと交わり、理解しあう想像力が根付くことを願う。(編集委員・吉岡桂子)台湾、ひまわりの芽は邱義仁2015.3.17
2015.03.22
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図書館で『カラー版 北斎』という新書を手にしたが・・・北斎を描くアニメ映画百日紅~Miss HOKUSAI~が近日公開されるし、この際、北斎をきわめておくか、と思いたったわけです。【カラー版 北斎】大久保純一著、岩波書店、2012年刊<「BOOK」データベース>より「画狂人」と称した葛飾北斎(一七六〇~一八四九)は、生涯自らの到達点に満足することなく、画業に専心し、多彩な作品を遺した。初期の役者絵から、美人画、摺物、読本挿絵、絵手本(北斎漫画)、風景画、花鳥画、そして晩年の肉筆画まで、傑作・代表作六九点を収録し、その画業を江戸絵画史の中に位置づけながら、読み解く。<大使寸評>北斎を描くアニメ映画百日紅~Miss HOKUSAI~が近日公開されるし、この際、北斎をきわめておくか、と思いたったわけです。ところで、図書館でこの本を借りるのは2度目であることが、後でわかったのです(イカン、イカン)rakutenカラー版 北斎この本から、大使にとって気になるベロ藍の濃淡のあたりを、ピンポイントで紹介します。<ベロ藍の効果>よりp126~128 まず表現という観点から見たときに注目すべきことは、名所絵におけるベロ藍、すなわちプルシアン・ブルーという、当時江戸でようやく使われ始めた舶来の化学顔料の効果を証明したことである。甲州石班沢 藍摺の団扇絵を模してほとんどベロ藍の濃淡のみで摺りだした「甲州石班沢」(図)や「武陽佃島」など、《富岳36景》中の藍摺10枚は、従来の植物性の藍色にはない鮮烈な色感で人々を驚かせ、この顔料が名所絵で大きな色面を占める空や水面を摺り出すのに効果的であることを、他の浮世絵師たちにも気づかせた。 ベロ藍で空や水を摺り出したとき、従来の植物性の藍にはない深い色合いでもって、空の遠さや水の深さといった風景の「」が表現できることを実証したのである。 空間の奥行きは、風景画にとってきわめて重要な要素のひとつである。西洋で生まれた透視図法が、18世紀の前期に中国を経由して日本に流入した。奥村政信ら当時の浮世絵師たちはそれを見よう見まねで真似て、空間の奥行きを強調した「浮絵」を制作し、18世紀後期には歌川豊春により浮絵における透視図法の消化がいっそう進められた。 18世紀末頃には鳥居清長や喜田川歌麿らの美人画の背景にも、奥行き深い風景表現が当たり前のように描き込まれるようになるなど、本格的な風景画登場への道筋が着実に整備されてきていた。 前章で述べたような、銅版画の技法を摂取した北斎の洋風風景画の諸作も、そうした流れの上に位置し、さらに掉さすものであった。そこに、この新しい顔料の登場が加わり、風景表現の可能性はいっきに拡大したのである。 藍摺10枚の中から、具体的な例を見てみよう。北斎らしい幾何学的構図をとる「甲州石班沢」(図)には、透視図法による空間の奥行き表現は見出せず、近景の巌上の漁師と遠景の富士の稜線が対置されるだけの単純な構成である。 近景の巌と遠景の富士を隔てている空間に流れる幾條もの水と風の線が、画面の手前から奥へ向かって濃い藍から次第に薄くなり、ついには富士の山肌のごく淡い青と一体になるように摺られている。このように藍の濃淡で奥行きを表現することで、画面空間がたいへん深いものに感じられるのである。福岡伸一著『やわらかな生命』という本にフェルメールの青、北斎の青という章があり、その中にもベロ藍が出てきます。デルフト眺望 青を遠ざけ、青を近づけること。青を揺らし、青をにじませ、青で勾配とうねりを作り出すこと。そのためには実に百年以上の時間が必要だった。 これがフェルメールの青と北斎の青とのあいだにもあるものである。 ベロ藍、またの名をプルシアンブルー。北斎が選んだ青は、鉄イオンの錯体(フェロシアン化第二鉄)だった。この類まれな物質は、スマルトのコバルト、ラピスラズリのアルミニウムと同様、金属原子の結晶がもたらす青の系譜を継ぐものである。しかしベロ藍は、スマルトやラピスラズリよりずっと細かい粒子であり、極めてなめらかに水の中に分散させることができた。北斎はこの青を見逃さなかった。 フェルメールのはたせぬ夢をついに実現した画家。それが葛飾北斎だった。止まっていたフェルメール・ブルーを、世界ではじめて動かしてみせたのである。ところで・・・植物染料としての藍については日本の藍 ジャパン・ブルー が、ええでぇ♪
2015.03.21
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図書館で『西山夘三とその時代』という地味な表紙の本を手にしたが・・・西山夘三といえば日本の住まいを民俗学的な視点で踏査した学者、2DKなどアパートの間取りに関わってきた建築家というのが、大使の認識である。とにかく、建築に関して守備範囲が圧倒的に広い人でしたね。この本は画像や写真を多用して、西山夘三の人となり、業績をわかりやすく述べるとともに、記念碑のように顕彰しています。【西山夘三とその時代】西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、2000年刊<目次>より第1部 西山夘三と日本のすまい 20世紀・すまいのアーカイブスプロローグ西山夘三・人と仕事自分の生涯を対象にした著作から日本のすまい第2部 文書所蔵資料解題文庫所蔵資料の概要文庫所蔵資料をめぐって西山夘三・業績一覧西山夘三・年譜第3部 文庫活動の紹介文庫活動の足跡特定営利活動法人NPOの設立文庫資料の利用方法参考資料<大使寸評>西山夘三といえば・・・日本の住まいを民俗学的な視点で踏査した学者、2DKという間取りに関わってきた建築家というのが、大使の認識である。とにかく、守備範囲が圧倒的に広い人でしたね。ところで、西山さんは1967年のNHK連続ドラマ「ケンチとすみれ」のモデルなんだそうだが・・・このドラマはほとんど見ていなかったので、コメントしようもないのです。hamonika西山夘三とその時代この本から、個人的に興味をひく部分を紹介します。アパートに住むことが、庶民の夢だった頃がありましたね。<アパートの登場>よりp56 アパートとは、二戸以上の「住戸」(一世帯の居住者が独立してすむ居住単位)が同一の建物の中にある集合住宅建築をさしている。 木造住宅を主としてきた日本では、階を積み重ねて住宅をあつめるということは、従来あまりみられなかった。しかし、都市という限られた地域に人間が密集して住まねばならない状態になると居住空間を上下に重ねた家があらわれてくる。 わが国でも、すでに明治43(1910)年に鉄筋コンクリート6階建ての三井同族アパート、長崎・端島(通称軍艦島)には英国人グラバーの設計で大正7(1918)年に建てられている。 不特定多数の市民向けの賃貸住宅として最初に建てられたのは、明治43年の「上野倶楽部」(木造5階建て)である。日本で最初のアメリカ風「本格的」なアパートメントハウスが東京神田・御茶ノ水の「文化アパートメント」(1925年)で、大正の人々に文化とアパートを強くアピールしたであろう。 関東大震災のあと、義捐金を基金として設立された同潤会は、木造住宅7000戸、鉄筋コンクリートアパート1000戸(最終的には約2500戸完成)の建設を計画した。1920年から30年にかけて、青山、渋谷(代官山)などのアパート群が建てられた。西山は、太平洋戦争がはじまる前後3年間ほど、結婚直後から子どもが二人できるまで、代官山アパートの2階、2K型住宅に住んだ。プレハブ住宅が出始めの頃は、いかにも安普請という感じであったが・・・今では大手建売メーカーが日本の建売を牽引しているわけで、その様変わりが興味深いのです。<プレハブ>よりp62プレハブ 先進国でこんなにプレハブ住宅が発達した国はない。しかもプレハブメーカーは巨大なハウスメーカーとなり、とてもプレハブには見えないプレハブ、ハウジングセンターという展示場と豪華カタログとテレビCMで夢を売る日本独特の商売となった。阪神・淡路大震災でプレハブが強かったことがそれに輪をかけている。 当初の工業化住宅、部品の規格化などのプレハブの特徴よりも、商品化に重点がおかれ、間取り、デザインなどの自由化、多様化が進んだ。 今やプレハブがデザインもリードして在来工法を引っ張っている。神戸ではまるでプレハブのように見える在来工法も多い。「小さいおうち」という映画に戦前の女中が描かれていたが、この作品は女中と雇い主のプライバシーがテーマだったとも言えるわけです。以下の「戦前中流住宅」に、プライバシーの説明が見られます。<戦前中流住宅>よりp76 資本主義の発展とともに、官吏、ホワイトカラー、知識人など中流階層も台頭してくる。彼等の手本になるのは上流階級の暮らしであったが、そこまでは手が届かない。そこで、玄関脇の応接間だけを洋室にする和洋折衷が流行った。 また、多くの中流家庭では女中が住み込んでいた。家庭内の動線はややこしいものになる。そこで中廊下が普及した。しかし、通り抜け部屋は減ったが依然として部屋の間仕切りはフスマであり、使用人と家族は分離しても、家族の中にはプライバシーや個室の考え方はなく、家父長的秩序が支配し、集中就寝が一般的だった。 中には、女中よりも過密な就寝となるケースもあった。 空港近くの、カプセルホテルが外国人客にとってクールなんだそうだが・・・この発想の原点がドヤ・簡易旅館なんでしょう。<ドヤ・簡易旅館>よりp99 ドヤとは宿をひっくり返したスラングであるが語感がいかにもドヤらしい。法的には簡易宿所と言い、旅館の一種とされている。しかし、ドヤ以外に住まいをもたない人々にとっては住まいに他ならない。ねぐらずまいの一種である。 その日の稼ぎによってたちまち文字通りのホームレスになってしまう人々に供給され、知恵をしぼって=限界まで切り詰めて商売となっている。 もともと木賃宿は、江戸時代の街道筋にある村にはどこでも見られたもので、貧しい旅人の宿であった。しかし、明治時代に東京で「木賃宿」と呼んでいたものは、その日稼ぎの下層市民が住居としていたものである。今日ドヤ=簡易旅館に受け継がれている。代表的なものは、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎のドヤ街であろう。 大阪の釜ヶ崎は、明示の頃、住吉街道沿いに市街地がスラムから押し出された貧民と南部農村からの出稼ぎの貧民が住み着いたところ。1960年の人口は約3.5万人。日雇い労働者が6~7割を占める。経済成長の波に乗って、資本の要求する建設、運輸・港湾などの下請け・単身・自由労働者の集積地・貯水池となってきたのである。この本の表紙に「すまい・まちづくり文庫」と名がついているが、文庫といってもB4版の大型本である。文庫とは、収蔵庫という本来の意味のようですね。ウィキペディアで西山夘三の足跡、nDKモデルあたりを見てみましょう。wikipedia西山夘三より 1947年には『これからのすまい』を出版。庶民の生活実態を詳細に調査し、庶民が意図的・慣習的に住宅内で食事の場所と寝る場所を区分している生活実態を明らかにした。西山はこれを「食寝分離」とし、この住み方の法則を後の住宅計画において応用していった。 第二次世界大戦後、東京大学の吉武泰水や鈴木成文等によって食寝分離論に基づく間取りが公営住宅の標準設計「51C型」に採用され、またその後の日本住宅公団に影響を与え、今日まで引き継がれているnDKの間取り(いわゆる「nDKモデル」)を産んだと言われる。公団が開発した大阪府の香里団地の基本計画は西山の研究室で作成されたものであった。 また、日本万国博覧会でも総合計画を手がけ、戦後雑誌『新建築』で「新日本の住宅建築」特集号を執筆し、「大阪復興計画」、「新しき国土建設」では大都市否定論を否定して巨大都市や山岳都市など、居住密度の向上を提唱、「イエポリス」など京都(25階建の超高層住宅)、奈良の都市計画にも提言を行った。 京都市電の存続運動をおこなった「京都の市電をまもる会」の会長も務めていた。 1960年の都市デザイン会議において、構想計画の観念規定を提示。
2015.03.20
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「アート」でしょうか。<市立図書館>・佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人・米中軍事同盟が始まる・発酵する夜<大学図書館>・映画美術から学ぶ「世界」のつくり方・かわいい隠れ家・西山夘三とその時代図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人】佐々木マキ著、 河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりあるときはアヴァンギャルドなマンガ家。またあるときはキュートな絵本作家。そしてまたあるときはクールなイラストレーター…。はたして、その正体は!?作家のこれまでの軌跡を一望する、決定版「佐々木マキ入門」<大使寸評>この本はモノクロームの漫画編とカラーの絵本編と2分される構成となっています。佐々木マキを知っている人は、絵本作家、漫画作家のどちらとして捉えているのか?…大使の場合は、「シュールな線描画が素晴らしい漫画作家」となるのです。この本も佐々木マキの世界に収めるものとします。<図書館予約:(3/8予約、3/13受取)>rakuten佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人byドングリ【米中軍事同盟が始まる】日高義樹著、PHP研究所、2010年刊<「BOOK」データベース>より「G2」は経済分野にとどまらない!在日米軍が空洞化し始めたいま、日本は何をするべきか-。ワシントン情報から読み解く最新国際情勢。【目次】第1章 米中軍事同盟は、いつ始まるか/第2章 アメリカはいつまで日本を守るのか/第3章 アフガニスタンで負ければ印パ核戦争が始まる/第4章 イランの核装備で日本に石油が来なくなる/第5章 アルカイダとアメリカの核の戦いが始まる/第6章 アメリカはいつも間違っている<読む前の大使寸評>追って記入rakuten米中軍事同盟が始まる【発酵する夜】小泉武夫著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より荒俣宏とは「世界一臭い缶詰」を開けながら、椎名誠とは上海でビールを飲みながら......「食の冒険家」小泉教授が、東海林さだお、日高敏隆、立川談志、杉浦日向子、村上信夫、高橋昇、南伸坊、嵐山光三郎ら、食にうるさい10人と、日本のうまみの原点「発酵」の薀蓄談義。臭くてうまい肴をつまみに、お酒とともに豪快愉快な対談がグイグイと進む!<読む前の大使寸評>著者が対談した食にうるさい10人というのが、すごいメンバーたちですね♪Amazon発酵する夜発酵する夜1byドングリ【映画美術から学ぶ「世界」のつくり方】フィオヌラ・ハリガン著、フィルムアート社、2015年刊<「BOOK」データベース>より現代を代表する傑作映画を、美術デザインの視点から解き明かす!あの名作映画の“未公開”セットデザイン画、コンセプト・アートワーク、傑作写真を多数掲載!<読む前の大使寸評>現役プロダクションデザイナー21人が登場するが、日本からただひとり種田陽平が紹介されています。rakuten映画美術から学ぶ「世界」のつくり方プロダクションデザイナーとは、何やねん?byドングリ【かわいい隠れ家】ミミ・ザイガー著、二見書房、2012年刊<商品説明>より世界中の面白い小屋の傑作を集めた写真集。自分で造れそうな小屋から、一流建築家の名作まで、隠れ家として欲しくなる素敵な家34軒を収録。<読む前の大使寸評>家に関する自由な発想がなんとも楽しい♪自然の中に人間の巣をつくるというコンセプトが、ええでぇ。rakutenかわいい隠れ家【西山夘三とその時代】西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、2000年刊<目次>より第1部 西山夘三と日本のすまい 20世紀・すまいのアーカイブスプロローグ西山夘三・人と仕事自分の生涯を対象にした著作から日本のすまい第2部 文書所蔵資料解題文庫所蔵資料の概要文庫所蔵資料をめぐって西山夘三・業績一覧西山夘三・年譜第3部 文庫活動の紹介文庫活動の足跡特定営利活動法人NPOの設立文庫資料の利用方法参考資料<読む前の大使寸評>画像や写真が多いので、西山夘三の人となり、業績がわかりやすく述べられています。この本は表紙に文庫と名がついているが、B4版の大型本である。文庫とは、収蔵庫という本来の意味のようです。ところで、西山さんは1967年のNHK連続ドラマ「ケンチとすみれ」のモデルなんだそうだが・・・このドラマはほとんど見ていなかったので、コメントしようもないのです。hamonika西山夘三とその時代西山夘三とその時代byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き91
2015.03.19
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先日、テレビ放映で『小さいおうち』を観たのだが・・・戦前には女中という雇用慣行が成り立っていたが、その訳は何だろうと思っていたのです。その回答が、『西山夘三とその時代』という本の中にズバリあったので、紹介します。以下の「戦前中流住宅」に、プライバシーの説明が見られます。それにしても、あまり広くもない戦前中流住宅には、女中部屋という間取りがあることに…驚きます。<戦前中流住宅>よりp76 資本主義の発展とともに、官吏、ホワイトカラー、知識人など中流階層も台頭してくる。彼等の手本になるのは上流階級の暮らしであったが、そこまでは手が届かない。そこで、玄関脇の応接間だけを洋室にする和洋折衷が流行った。 また、多くの中流家庭では女中が住み込んでいた。家庭内の動線はややこしいものになる。そこで中廊下が普及した。しかし、通り抜け部屋は減ったが依然として部屋の間仕切りはフスマであり、使用人と家族は分離しても、家族の中にはプライバシーや個室の考え方はなく、家父長的秩序が支配し、集中就寝が一般的だった。 中には、女中よりも過密な就寝となるケースもあった。「小さなおうち」という映画に戦前の女中が描かれていたが、この作品は女中と雇い主のプライバシーがテーマだったとも言えるわけです。また、雇い主に対するたったひとつの背信を抱えて、その女中は戦後を生き抜き生涯を終えたのです。彼女の生き方を定めたのは、女中という雇用環境と戦争という時代背景があったわけで・・・彼女にとっては結婚なんて、まさに時局が整っていなかったと言うべきでしょうか。【小さいおうち】山田洋次監督、2013年制作、2015年3月1日テレビで鑑賞<movie.walker解説>より第143回直木賞に輝いた中島京子の同名ベストセラー小説を、名匠・山田洋次監督が映画化したミステリアスなドラマ。とある一家で起きた恋愛事件の行方を見守った1人の女中。60年後、彼女がつづったノートを手にした青年によってその出来事が紐解かれていくさまが描かれる。女中を黒木華、一家の若奥様を松たか子が演じる。<大使寸評>雇い主に対するたったひとつの背信を抱えて、その女中は生涯を終えたのです。彼女の生き方を定めたのは、女中という雇用環境と戦争という時代背景があったわけで・・・結婚するには、社会的環境が整っていなかったと言うべきか?movie.walker小さいおうち昨今では、できちゃった婚が流行っているほど、経済的状況は芳しくないが・・・女中というシステムをうまく活用した戦前は、ある意味で、評価できるのではないか?♪おっと映画評としては、これでは支離滅裂な結論ではないか(笑)時局に反するような雇い主に対する、ただ一度の背信であったが…その裏に嫉妬心があったことが、哀しいですね。
2015.03.18
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杉浦日向子さんの『百日紅』がアニメーション映画として近日公開されるそうです♪とにかく新聞紙面で、四面ブチ抜きの広告というものを初めて見て、ビックリしたのです。アナ雪と比べると、やや大人向けのアニメーション映画であり、アナ雪のように大ヒットするか疑問だが・・・・でも、杉浦日向子さんの原作を作品化するところが、クールではないか♪例の如く、観る前に予告フォームを作ってみました。【百日紅~Miss HOKUSAI~】原恵一監督、2015年制作<movie.walker作品情報>より江戸時代に当時の風俗をとらえ、庶民から愛された“浮世絵”。浮世絵に生涯を捧げ、3万点を超える作品を発表した浮世絵師・葛飾北斎とその娘・お栄と、江戸に生きる人々との交流を描いた、杉浦日向子の同名漫画を『カラフル』の原恵一監督がアニメーション映画化した人間ドラマ。主人公・お栄役で杏が長編アニメ作品の声優に初挑戦。<観る前の大使寸評>アナ雪と比べると、やや大人向けのアニメーション映画であり、アナ雪のように大ヒットするか疑問だが・・・・でも、杉浦日向子さんの原作を作品化するところが、クールではないか♪movie.walker百日紅~Miss HOKUSAI~百日紅~Miss HOKUSAI~公式サイト<杉浦日向子が描くお栄>アゴ(アゴというのは北斎が娘のお栄を呼ぶときのあだ名です)を、時に「化け十」と実も蓋もなく呼ぶ北斎である。この漫画には、父と娘の浮世離れした生活が描かれるが・・・・いい味出ています♪お栄をアゴと呼ぶのは、芸術家の不器用な愛情表現と言えなくもないのですが、北斎は娘の画力を案外と買っているのです。アゴお栄には、杉浦日向子自身が投影されているようですが・・・・やや物憂げな顔とうらはらに、一晩で龍の絵を描ききるというガムシャラなところがある・・・やはり、芸術家肌なんですね♪
2015.03.17
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図書館で借りた『発酵する夜』をしばらくほったらかしにしていて、いま読んでいるのだが・・・小泉武夫さんの学問的バックグラウンドの奥深さに驚くわけです。小泉さんと今はなき杉浦日向子さんの対談の一部です。鎖国時代の日本はパラダイスみたいなものだったけど、アングロサクソンの蒸気船がその夢をぶち壊してくれましたね。<江戸に学んで楽々21世紀>よりp136~138杉浦:今の世の中は「若さ」と「速さ」と「強さ」にしか価値を置いていないから、老人の立場がなくて、みんな実年齢より若ぶって見せる。せっかく60歳から夢のパスポートを手に入れられるというのに・・・・。なんというか、今の人は幼いんですね。自主性がない。小泉:自分を見誤っているところがあります。杉浦:世間で流行っているから、地位の高い人が薦めているからいいんだろうということで、自分はどのへんにいるのかなということばかり気にしている。偏差値的です。そして何か都合の悪いことがあると、責任転嫁する。 江戸の人たちは自分の第六感を信じていましたし、嘘か本当かを聞き分ける能力があった。嘘を鵜呑みにしていたら明日からの生活がなくなってしまうわけですから、人の言葉の言葉尻までしっかり聞き取り、裏の裏まで読み取りました。情報に踊らされないんです。今は食べることひとつとっても、自分が何を食べたいのか、何を飲みたいのか、自分の味覚とか五感をしていないんですよね。小泉:江戸人と現代人の違い。それが食文化が衰退する根源です。杉浦:自分の健康さえ責任を持てない。たとえば健康診断なんていうのは、趣味的なものであって、あってもなくてもいいものだと私は思います。小泉:私もそれに大賛成。杉浦:病気になるには、それなりの積み重ねがあっただろうし、それはそれとして受け入れたほうがいい。いまは、健康のためなら死んでもいいみたいな人が多いじゃないですか(笑)。でも、自分に責任を持って、いつ死んでもいいというような毎日を積み重ねるのが大人でしょう。つまり生きているのと死んでいるのとが、フィフティフィフティで一緒なんです。裏表。小泉:いいことを言うね。うふふふ。杉浦:現代人は腹をくくってないという感じがします。小泉:命をかけていないというか。杉浦:江戸の人はきっぱりしている分、自分の一生に責任を持っていました。それにものすごく個人主義で、お上に何も期待していないんです。「三日法度」って言って、幕府が何を発令しても聞いちゃいないですよ。自分たちで勝手にやっていますから。 お上なんか関係ないから、俺っちは楽しくやろうぜ、という世界なんです。「お上がやってくれない」と文句を言うのは、近代化以降の庶民です。小泉:そういう江戸時代の庶民の姿は、なかなか正しく伝わっていないですね。みんな江戸文化を誤解すると同時に、軽く見ているんじゃないかしら。杉浦:だいたい英語の片言がわかっても、古文書を読める人はいないじゃないですか。百年前の日本の文字が読めないというのは由々しきことです。たった百年ですよ。 版木というのは活字と一緒ですから、すぐに覚えられる。やれば中学の三年間で全部読めます。でもやらない。 小泉:教育ですね。日本は、いかに自分の国がすばらしいかということを教えず、歴史と言えば大陸から何が渡来したとか大化改新がどうのこうのとかいうことばかり。今、日本人が変なところにきちゃったのは、この5、60年で日本文化を見誤ったからじゃないかしら。 その話が出たからお話ししますけれど、21世紀に入って、非常に大きな四つの問題があるんです。環境問題、エネルギー問題、人間の健康問題、それから食糧問題。ところがこの四つを、江戸人は全部解決していたんです。杉浦:そうですね。リサイクルもエコロジーも全部です。健康によい旬のものだけを食べるとか、添加物なしとか当たり前ですよね、農薬もないしね(笑)。日本がもし150年間鎖国のままでいたら、エコロジー、リサイクルで世界のトップランナー、みんなが視察に来たっでしょうね。小泉:そういう意味からして、江戸学は21世紀へ一歩踏み出したこれからのバイブルになる。何も科学の知識のない世界で科学をつくった江戸人の生活様式を振り返るべきです。杉浦:自給自足していたし。なぜ江戸は300年間も平和状態で存在しつづけたのか。しかも百万人もが暮らす非常に人口密度が高い都市で、様々な文化を育みながらやっていたんですからね。小泉:これはどこの文明国にもないことです。杉浦:上下水道完備で、ものすごく清潔で完全リサイクル。もちろんゴミ問題は多少ありましたけど。小泉:畑に堆肥をバーッとまいて野菜を育てて。葉っぱにくっついているサナダ虫の卵が口に入れば、お腹の中で飼う(笑)。これが江戸時代は健康のもとだったんです。杉浦:ダイエットにもなる(笑)。発酵食品もそうですが、すべてが共生なんです。雑菌ともうまく付き合っていく。持ちつ持たれつです。もちろん人間関係もそうです。だいたい江戸時代は、家賃だって「ある時払いの催促なし」ですから。小泉:出世払いの世界ですね。杉浦:さらに表通りに面していない所に住んでいる商人は納税の義務さえないんです。大家が払う。楽チンですよ。貧しいほど楽なんです。だから出世しようという気持ちにならないし、あんまり働かない(笑)。給料が上がらなくても、食うに困らなければ今のままでいいやって。小泉:ラテン的ですなぁ。【発酵する夜】小泉武夫著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より荒俣宏とは「世界一臭い缶詰」を開けながら、椎名誠とは上海でビールを飲みながら......「食の冒険家」小泉教授が、東海林さだお、日高敏隆、立川談志、杉浦日向子、村上信夫、高橋昇、南伸坊、嵐山光三郎ら、食にうるさい10人と、日本のうまみの原点「発酵」の薀蓄談義。臭くてうまい肴をつまみに、お酒とともに豪快愉快な対談がグイグイと進む!<読む前の大使寸評>著者が対談した食にうるさい10人というのが、すごい♪Amazon発酵する夜ところで新聞広告によれば・・・杉浦日向子さんの『百日紅』がアニメーション映画として近日公開されるそうです♪とにかく四面ブチ抜きの広告というものを初めて見て、ビックリしたのです。
2015.03.16
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図書館で借りた『発酵する夜』をしばらくほったらかしにしていて、いま読んでいるのだが・・・小泉武夫さんの学問的バックグラウンドの奥深さに驚くわけです。小泉さんと南伸坊さんの対談の一部です。バカばっか言ってるわけでないことが見てとれるわけで・・・・この本の学問的な面が表れていて、圧巻でおま♪<35億年の力>よりp186~188南:エート、そもそも発酵って何なんでしょうか。小泉:うーん、いきなりお勉強モードですね。それは、僕の中公新書の『発酵』という本を読めば660円でわかってしまうんですけど(笑)。要するに、微生物がなにか作用して起こることはすべて発酵なんです。それが人間にとって有益となることについてはすべて。 ですから、実は酒やら納豆やら味噌やらという人間の口から入る発酵というのは、日本の発酵産業の17%にしかすぎない。あとの83%はなにかというと、その大きな部分を占めるのが医薬品です。抗生物質、抗ガン剤、抗エイズ剤など、発酵の薬がどんどん出てきています。 それから化学製品の分野、アミノ酸もビタミンもホルモンもみんな発酵です。 あとは酵素、これは微生物がつくりだすタンパク質で、ものを分解したり合成したりするんですが、消化酵素とか汚れを落とす酵素とかいろいろな酵素があります。南:汚れを落とすと言えば、先生の本の中で、色をなくしてしまう微生物を見つけられたという話があって、これはおもしろいなぁと思ったんです。小泉:そうなんです。色が消えるというのは、専門的に言うとアゾリダクターゼという脱色酵素があって、その酵素は、最初偶然にネズミの肝臓の細胞の中から見つかったんです。 それでわれわれは、そんな高等動物にあるのだから、これは微生物の中にもこの酵素を持っているものがいるだろうということで、探したんですよ。ところが、何千という微生物を探しても、ない。 そしたら、やっぱり最後はウンコです。全国の猟友会の人たちに頼んで、日本全国の山のありとあらゆる野生生物のウンコを拾ってきてもらった。猿もいればイノシシも、熊もカモシカも、カンムリワシまで、北海道から沖縄まで全部集めた。 そうしたらなんと、秋田県の八幡平のクヌギ林にいたキジのウンコの中に、色を消してしまう酵素を持つ微生物がいたんです。探し出すのに5年くらいかかりました。南:その脱色酵素って、どういうふうにして色を消しちゃうんですか?小泉:なぜかというと、色というのは発色団という構造を持っていて、そこには必ず二重結合を持っている。その酵素は発色の二重結合のところだけをスパッと切ってしまうんです。だから色が消える。南:その酵素は、何だってそれを切ろうとするんですか。何か本人にとっていいことがあるわけですか。小泉:鋭い質問ですね。それはどうしてかというと、数億年遡らないと結論は出てこないと思います。ただ、切るというのはアクションですから、アクションを起こすとエネルギーが出ますね。そのエネルギーで彼らは生きているわけです。 ものをくっつけたり、切ったりするエネルギーで微生物は生きている。だから生きるためには働かなければいけない、そのために、色を消してしまうやつもいるというわけです。南:ちょん切るということによって自分にとって何かいいことがあるから、ということだけなんですね。本人は別に色を消そうとしているわけじゃない。小泉:そういうことです。だから、そのために脱臭するやつもいれば、色を濃くする微生物もいます。南:でも、なんでネズミの肝臓の中に色を消す酵素がいたんでしょう。どういう研究で出てきたんですか。小泉:ネズミは雑食でいろんなものを食いますから、色素のあるものをたくさん食っているわけです。たとえばある絵をかじっている。すると色素が入る。それを分解すれば、結局その過程でエネルギーになるわけでしょう。 ネズミの体の中にも何兆という微生物がいますから、その微生物の中には、よし、この色素を分解してエネルギーを取ってやろうというやつも当然いるはずだと思うんですね。 ある微生物がネズミが捕食した色素を何年、何百年にもわたって摂取して、まあ一つの遺伝子のサイクルはだいたい百年ぐらいでしょうか。その間に色を分解すれば俺たちエネルギーを取れるぞということで、おそらくその色素を分解する性質を持った酵素をつくりだしたんじゃないか。そこに分解されるものがあって、よし、あれを分解したら俺は生きられるぞ、と涎を垂らす微生物がそこにいれば、新しく酵素をつくってしまうわけです。南:すごい順応力っていうか、進化ですね。小泉:人間で言うと進化ということになりますが、そういうのを適応酵素と言います。だから彼ら微生物は思考能力はないけれど、無意識のうちにターゲットを持っているわけです。南:無意識のうちに、ってのが不思議ですね。小泉:でも、事実は全くわかりません。なにしろ、地球ができて46億年、微生物が出てきたのは35億年前です。微生物は地球に存在した最初の生命体です。で、哺乳類がやっと1億5千年前にあらわれ、人間なんかはやっと400万年前に、こそこそ出てきたわけですから。 それ以前にダーッと微生物の世界が広がっていたわけで、色を消してしまう酵素がどこで出てきたのか、なんで出てきたのか、われわれには全くわからないのです。ただ、もし色を消してしまう微生物を人間が今つくろうとしたら、日本の総国家予算をかけたって、そんなものはできません。【発酵する夜】小泉武夫著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より荒俣宏とは「世界一臭い缶詰」を開けながら、椎名誠とは上海でビールを飲みながら......「食の冒険家」小泉教授が、東海林さだお、日高敏隆、立川談志、杉浦日向子、村上信夫、高橋昇、南伸坊、嵐山光三郎ら、食にうるさい10人と、日本のうまみの原点「発酵」の薀蓄談義。臭くてうまい肴をつまみに、お酒とともに豪快愉快な対談がグイグイと進む!<読む前の大使寸評>著者が対談した食にうるさい10人というのが、すごい♪Amazon発酵する夜
2015.03.16
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プロダクションデザイナーとは、何やねん?図書館で『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方』という本を手にしたが・・・どうも美術監督のことを、プロダクションデザイナーと言うようですね。この本の「はじめに」に、プロダクションデザイナーの意味、意義が述べられています。<はじめに>よりp5 映画美術のデザインは、映画の出来栄えにとりわけ多大な影響があるにも拘わらず、そしてそれが最上級の仕事であったとしても、一般に十分理解されているとはいえない。 プロダクションデザイナーは、観客が映画に没入できるようにその映画の作品世界を創造する。そしてプロダクションデザイナーの努力がすべてうまく機能すると、私たちは映像化された作品を見たときに、それを「現実」として受け入れる。映画とは、リアルな再現性を持つ表現媒体なのだ。 観客はスクリーンを通じてさまざまな事実、たとえばそれを錆びついたごまかしのテクニックであったとしても、それらの要素を結合し、映画のなかにリアリティを認識する。 その映画的なリアリティは、プロダクションデザイナーと、彼らを中心とする美術チームの共同作業によって成し遂げられている。種田陽平のページを見てみましょう。<種田陽平>よりp225~226 国によって映画産業の実情はさまざまだが、映画言語や映画美術言語は世界共通である。映画のための絵、図面、装飾、小道具は見るだけでたちまち理解することができる。 私は美術大学で油絵科を専攻したのだが、それは画家になろうと思ったからだ。映画を見るときは、その一瞬一瞬をまるで本の中に描かれた挿絵のように私は捉える。つまり、映画美術とは、古典絵画や宗教絵画に描かれたような一場面を現実の空間につくりあげることが仕事だと考えている。絵画的な発想を映画に盛り込むところに、油絵科出身であることが生かされていると思う。 スタジオのセットを初めて経験したのは、寺山修司監督の1920年代の上海を舞台にした日仏合作映画『上海異人娼館チャイナ・ドール』(81)だった。 私は当時20歳の美大生で、舞台美術家で本作の美術を担当した合田佐和子の絵画助手を務めた。この作品は合作で、しかも国際都市である上海を舞台に設定してあったことから、必然的にさまざまな人種の人間が入り混じり、たくさんの言語が飛び交じっていた。 プロダクションデザイナーとなってからは、日本はもとより、中国、台湾、米国などで映画に参加してきた。タランティーノ監督の『キル・ビル』(03)や北京を舞台にしたキアヌ・リーブス監督『キアヌ・リーブス ファイティング・タイガー』(13)など、母国語である日本語の通じない外国の監督と仕事するときは当然、言葉の壁に突き当たる。その言葉の壁がときには映画美術の仕事に都合よく働くこともある。(中略) 私は一人の監督の変らぬ世界観を共有し生み出しながら、その監督の下でずっと働き続ける職人タイプのプロダクションデザイナーではないと自分は考えている。さまざまなジャンルの仕事に挑戦して自分のものにしたい、変化し続けたい、成長し続けたいと強く願っている。 日本の映画美術のシステムは50年代の黄金時代、たとえば黒澤明監督、小津安二郎監督、溝口賢二監督たちの時代に完成し、アメリカやヨーロッパとも異なる独自にオーガナイズされたシステムを保ち続けている。撮影所のシステムに組み込まれた日本の美術の仕事はきめ細かく、丁寧で、スケジュール管理も実にしっかりしている。日本のシステムは日本国内で有効だが、世界とのギャップがある特殊なシステムであることは間違いない。私が海外作品で仕事するときは、その国のシステムに適応しながら、日本独自の繊細さを生かすようにしている。【映画美術から学ぶ「世界」のつくり方】フィオヌラ・ハリガン著、フィルムアート社、2015年刊<「BOOK」データベース>より現代を代表する傑作映画を、美術デザインの視点から解き明かす!あの名作映画の“未公開”セットデザイン画、コンセプト・アートワーク、傑作写真を多数掲載!<読む前の大使寸評>現役プロダクションデザイナー21人が登場するが、日本からただひとり種田陽平が紹介されています。rakuten映画美術から学ぶ「世界」のつくり方この本も種田陽平の世界に収めるものとします。
2015.03.15
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『佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人』を図書館に予約していたが・・・5日後にゲットできたのです。ラッキー♪図書館に出向いて、借りていた『うみべのまち』を返し、都合よくこの本をゲットするなど・・・個人的には佐々木マキのミニブームになっているのです。この本から初期のマンガのあたりを紹介します。<マンガの実験>よりp22~23 「天国でみる夢」を発表以降、マキさんは作品を追うごとにその実験性を深めていきます。この1960年代末~70年代初頭はちょうど前衛マンガの黄金期にあたり、つげ義春「ねじ式」(1968年)や林静一「赤色エレジー」(1970年~)などの実験的な作品たちが次々と「ガロ」誌上に登場しては世間を騒がせていました。 その前衛的なスタイルは、熱狂的な支持と同じだけの反発も生み出し、ときに「難解マンガ」というレッテルを貼られて揶揄されることもあったと言います。 たとえば、「ガロ」1968年9月増刊号に発表された「うみべのまち」という作品は、冒頭で青年のシルエットが「うみべのまちで ぼくらはなかよしだった」という謎めいたセリフを発しながら、まるでオーケストラの指揮をするようなポーズで有刺鉄線の前にたたずむシーンからはじまります。 たしかに、読みこもうと思えばそこにいくらでも難解な哲学的メッセージや深遠な芸術的意図を見出せそうです。しかし、いったんその世界に浸るようにして読み進めていくと、どこかで「難解」とも「深遠」ともほど遠い、とてもシンプルな心地よさが感じられます。天国でみる夢うみべのまち佐々木マキを知っている人は、絵本作家、漫画作家のどちらとして捉えているのか?…大使の場合は、「シュールな線描画が素晴らしい漫画作家」となるのです。この本はモノクロームの漫画編とカラーの絵本編と2分される構成となっています。【佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人】佐々木マキ著、 河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりあるときはアヴァンギャルドなマンガ家。またあるときはキュートな絵本作家。そしてまたあるときはクールなイラストレーター…。はたして、その正体は!?作家のこれまでの軌跡を一望する、決定版「佐々木マキ入門」<大使寸評>この本はモノクロームの漫画編とカラーの絵本編と2分される構成となっています。佐々木マキを知っている人は、絵本作家、漫画作家のどちらとして捉えているのか?…大使の場合は、「シュールな線描画が素晴らしい漫画作家」となるのです。この本も佐々木マキの世界に収めるものとします。<図書館予約:(3/8予約、3/13受取)>rakuten佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人
2015.03.14
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図書館で借りた『うみべのまち』を読んでいるいるのだが・・・この漫画には、手塚治虫がブチきれた!? というエピソードがあるそうです。手塚治虫と佐々木マキでは、目指すところが違うというか水とアブラであり、手塚治虫がブチきれるのもわかるような気がします(笑)エキサイトレビューで、香山哲さんの『うみべのまち』レビューを見てみましょう。「あの連載をすぐにやめろ!」手塚治虫がブチきれた!? 佐々木マキの前衛実験漫画『うみべのまち』より 僕は気が向くと漫画を描く仕事を手伝ったり自分で真似してみたりするのだけれど、だいたい僕が住んでいるのは「祝!アニメ化!」とか「萌え!」とか一切無いほうの漫画家ワールドだ。 そんな世界において、ゲゲゲの水木しげる並みに誰でも知っていて、その影響を受けていない作家を見つける方が難しいような大作家の一人に、佐々木マキというのがいる。この人の漫画は、どちらかというと何かを表現する人に愛されがちだが、今日は是非広く紹介したいと思う。 村上春樹の表紙や挿絵、絵本作品でも有名な佐々木マキは、60年代から活躍した漫画家で、編集・印刷・出版といった類を熟知したような、新しい表現を大量に漫画に持ち込んだ革新家だった。その画面にはいつの時代ともどこの国のものとも判らないような物も多く、読む者・見る者の精神を大いに刺激してくれる。 この作家の漫画作品は長らく入手困難になっていた物が少なくなかったのだけれど、このたび太田出版という出版社から、単行本味収録作品も加えた約400ページの本が出た。それが『うみべのまち 佐々木マキのマンガ1967-81』だ。題名が示すとおり、67年から81年にかけての作品が収録されている。 佐々木マキの漫画は実験的なものが多く、フキダシの中に絵が入ったり、図だけのコマが続いたり、中世ヨーロッパの書物の挿絵みたいな絵だけで描いたり、そんなのは当たり前のように行われ、コピペやコラージュ、スタンプ使用などの描画手法も平気で使いまくる。 内容もシュールやナンセンス、旅行記風からSF風に思えるものまで何でもあり。その前衛具合には、あの手塚治虫が「あれは狂ってる」「あの連載をすぐにやめろ、載せるべきではない」などと表明するぐらいだ(本書あとがきにも記述あり)。 当時の手塚治虫はとっくに確固たる地位を築いて、「漫画の神様」と呼ばれるようになってからも随分たった頃。アニメでも大成功したあとだ。あの神様はどちらかというと新しい神様に負けるのが絶えず不安だったところもあるので、佐々木マキの実験精神にもおそれを抱いていたのかもしれない。 『カムイ伝』のような超大作が『ガロ』で連載されると『火の鳥』で対抗し、水木しげるが妖怪漫画でヒットすると『どろろ』で対抗していた神様。佐々木マキも『ガロ』でその自由奔放な発想をスパークさせていたので、手塚治虫の嫉妬にも見える攻撃のターゲットになったのだ。 佐々木マキの描くキャラクターに「ムッシュムニエル」という、ヤギのセールスマンみたいな魔術師がいる。… こいつがウロウロするストーリーの漫画や絵本の世界は幻覚的で、ゲームをやる人に対してはいつも「『MOTHER2』の狂った摩天楼・ムーンサイドみたいな世界」だと僕は説明している(糸井重里も村上春樹と一緒に本を書いたり『ガロ』に関わっていたぐらいなので佐々木マキは決して嫌いじゃないでしょう)。 一切ホラーでもグロテスクでもないのに、僕は5歳ぐらいの頃、何度かムッシュムニエルが怖くてトイレに行けなかった頃があるぐらいだ。画風は杉浦茂や『フリッツ・ザ・キャット』で有名なロバート・クラムのような作家を思わせるものが多い。どちらも知らない人がいるかもしれないけど、ピンと来た人は是非見てみて欲しい。(香山哲)確かにコピペやコラージュが多いが、横尾忠則の作品よりマンガチックで奔放である。・・・多分に、杉浦茂のマンガの影響を受けているのかもしれないですね。『うみべのまち』の「あとがき」に佐々木マキさんの本意が語られています。すなわち・・・明るくてアナーキーで、呑気でナンセンスな、かわいらしいマンガを描いてみたいと思ったそうです。 私は神戸の下町の、貧民細民あまたおわします地区に生まれ育ったので、私の家も、クツがないとか給食費を持っていけないとか、雨漏りがひどいとか米びつが時々カラになるといった程度には貧乏であった。 保証金なしの貸本屋というのは、戦後神戸から始まったそうで、私の子供時分には、どの町内にも二軒ずつくらいあって、それぞれ盛況であった。 私は特に杉浦茂のマンガが大好きだった。杉浦先生はいわゆる貸本マンガ家ではなかったが、貸本屋は一般少年誌も貸していたし、ふろくの別冊マンガも四、五冊タコ糸で綴じて、一冊の貸本として扱っていた。 また近所の子供たちは、それぞれの家にある雑誌を持ち寄って、それら総てを回し読みしたので、「少年画報」も「少年」も、「おもしろブック」も「漫画王」「冒険王」も、「少年クラブ」も「漫画少年」も、見ることができたのである。中には自分の提供分として、妹や姉の「少女クラブ」、「りぼん」や「少女」、「女学生の友」、はては「ジュニアそれいゆ」などを出すものもいて、おかげで私は上田としこや今村洋子のマンガ、藤井千秋や日向房子のさし絵などを懐かしく思い出すことができる。 しかし、とりわけしあわせな時間は、何といっても杉浦氏の未読のマンガとぽんち揚げなどの菓子が目の前にあって、その二つを味わうべく、日にやけた畳に腹這いになる時であった。その時だけは厭なことも辛いこともみんな忘れて、体の中を春風が吹くような、しあわせな気分に浸れるのだった。現実逃避。マンガはまさに避難場所だった。中学生になるとか資本屋の小説と近所の映画館が私のシェルターになった。 十歳の時から色々なアルバイトをしてきたが、マンガを投稿して原稿料を貰うというアルバイトにめぐりあったのは、まことに幸運というほかない。1966年のこと、私の兄がどこからか、「ガロ」を創刊号から最新号までひと抱え借りてきたので、私もつげ義春のマンガを楽しみに見ていたら、「ガロ」では投稿作品を募集していたのである。マンガを描いて金を貰う。これなら人に会わずにすむし、時間の融通がきいて真夜中でもできる。 初めての投稿が「ガロ」に掲載された時、現金書留の封筒にメモがはいっていて、おそろしく下手な字で、貴君のマンガは面白いのでこれからも描いて送るように、と書いてあった。この筆蹟の主こそ青林堂社長、長井勝一であった。私はこの紙片を残しておかなかったことを後悔している。長井さんにはずいぶん世話になった。「朝日ジャーナル」が初めてマンガを連載するという時に、私を推薦してくれたのも長井さんだった。 私のマンガについて言えば、初めは普通の風刺マンガを描いていたが、そのうち、コマとコマが因果関係や時間の流れを表わすのではなく、詩の中でコトバとコトバが響き合うように、コマとコマが響き合う、そんなマンガが描けないものかと思うようになった。その試みの第一作が「天国で見る夢」である。「朝日ジャーナル」は私に自由で実験的なマンガを望んでいた。私もその期待に応えていたら、マンガの神様と呼ばれていた人の逆鱗に触れたのである。神様は綜合雑誌に一文を寄せて、私のことを「狂人である」と断じ、「朝日ジャーナルは狂人の作品を載せてはならない。ただちに連載を中止すべきである」と主張したのだった。興味のある方は1969年夏頃の「文藝春秋」だったと思うが、そちらを参照されたい。 もしもマンガを描くことのみで生計を立てている者をプロのマンガ家と呼ぶのなら、私がプロであったのは、わずか十箇月に過ぎない。「ガロ」はすでに稿料の出ない雑誌として知られていた。 また私は、神様の怒りに触れなくても、これ以上前衛的実験的なスタイルでマンガを続けていくための材料もアイデアも、もはや持ち合わせていなかった。私は気が済んだというか、自分なりの実験は一応おしまいにして、さて次に何がやりたいのか自身にたずねたら、それは1950年代の杉浦茂に戻りたい、ということだった。 すなわち、明るくてアナーキーで、呑気でナンセンスな、かわいらしいマンガを描いてみたいと思ったのだ。しかし私の場合、そういうものを発表する場所はどこにもありはしなかった。 仕方なく、私はずるずるとイラストレーションや絵本の方面へ、生活の資を得る場を求めて移動したのである。アナザー・タウン、アナザー・ジョブ。 それでも私は時折、マンガを描きたい衝動を抑えられなくなるのである。それで〈絵本〉のフリをシテ『たわごと師たち』とか『怪盗スパンコール』といった児童マンガを描いてみるのだが、ほとんど売れないまま、たちまち絶版になるのだった。 昨年つまり2010年、神保町の書店が私の絵本の原画展をやってくれたとき、会場のアンケート用紙に、中学二年生(の多分女性)が「中一の夏、おしいれのガロ1969年2月号が見つかり、先生のマンガを読んだところ、しょーげきを受けました。なぜなら、自分が思っていたマンガらしいマンガだったからです」と書いてくれた。 このマンガは「かなしい まっくす」のことだろう。私は少なくともこの子にとっては今でもマンガ家である。ちなみに私の税金申告書の職業欄は1969年から現在まで〈マンガ家〉のままである。佐々木マキ作品の一部は佐々木マキの世界に収めています。
2015.03.13
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・台湾の歓び・オカザキ・ジャーナルなお朝日新聞デジタルのサービスが向上したせいか、書評欄は掲載日に見られるようになっています。(たまに、遅れることもあるけど)***************************************************************台湾の歓びより<自由を最大限与えてくれた土地:原武史(明治学院大学教授・政治思想史)> 還暦になったとき、四方田犬彦は一つの決断をした。大学を辞め、日本から、いや国家そのものからしばらく離れることである。そして向かったのは、日本や米国や中国が正式の国交を結ぼうとせず、国家として認めていない台湾という地域であった。 もちろん、完全なフリーになったわけではない。台湾の大学や研究所で映画史を講義する客員教授という肩書はついていた。しかし、永遠の旅人と呼ぶべき著者の足は勝手に動き出し、滞在していた台北や台南の市街を歩き回る。あるいは自転車に乗り、徒歩では行けないところまでくまなく回ってしまう。還暦を過ぎてなお少しも衰えない知力と体力と好奇心に、ただただ圧倒される。 このような著者の本領が最も発揮されているのが、第二部の「黒い女神を求めて」である。海の女神で、航海の守護神でもある媽祖(マーツ)をまつる廟が台湾に多いばかりか、媽祖が民衆にあつく信仰されていることに気づいた著者は、毎年春に台湾中部の大甲から新港まで、媽祖像を乗せた大轎(みこし)とともに人々が巡礼の旅を行う進香という儀礼に参加した。 数日間ほとんど不眠不休のまま歩き続けるなかで見えてきたのは、世俗的な時空から離脱し、個人性が棄却された恍惚感のなかで、あたかも媽祖と一体になったかのような境地であった。 媽祖信仰は、台湾ばかりか中国大陸や沖縄、九州などにも広く分布している。ここには東アジアの民俗の「地下水脈」が流れているという鋭い直感が、旺盛な行動へと駆り立てる原動力になっているように思われた。 四方田犬彦は群れない。学界の権威にもボスにもなりはしない。その徹底した生き方が、本書の伸びやかな文章を支えている。『台湾の歓び』の「歓び」とは、何よりもこうした自由を最大限与えてくれた土地に対してこそ向けられた言葉なのだろう。 ◇四方田犬彦著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より数多くの民族と言語を抱えながら、きわめて実験的な文学や、洗練された映画を産み出してやまない台湾。その文化・社会とはどのようなものか。台北、台南を拠点に街を歩き、詩人、映画人らと対話を重ね、夜を徹した媽祖巡礼へ参加し、その尽きせぬ魅力について縦横に語る。長期滞在を機に書き下ろす、初の台湾紀行。<読む前の大使寸評>還暦を過ぎた四方田犬彦は、台湾という土地で、どのようなフィールドワークを見せてくれるのだろうか♪?・・・興味深いのです。<図書館予約:未>rakuten台湾の歓びオカザキ・ジャーナルより<この時代を射貫く空気感の塊:水無田気流(詩人・社会学者)> 河川敷で殺害された中学生のやりきれないニュースを聞き、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』(1994年)を思った。 表層と内実のずれ、一見平穏な日常に潜む過酷な現実……それらを、岡崎はウィリアム・ギブスンの詩の一節を引き、「平坦な戦場」と呼んだ。あれから約20年経ち、漫画の中で放置されていた隠喩のような死体は、現実の中学生の悪夢となった。96年、日本社会にいよいよバブル後の低迷感が浸透した時期に事故で活動を休止した岡崎は、今の日本をどのようにながめているのだろうか……。 この2冊は、「戦場」に至る岡崎の、貴重な道程である。『オカザキ・ジャーナル』は、91年から92年までのエッセイ、ならびに宗教人類学者・植島啓司との刺激的な化学反応を見せる往復通信を収録。 80年代を「“解体と終焉、それに対する期待と待機”の時代」と呼び、「『平成』と『90年代』という解体と終焉にさえ見はなされた時代にどっこいそれでも私たちは生きています」と語る。 鍵は「どっこいそれでも」にあり、と。海の向こうの戦争と、日常のピンチ、資本主義やメディア、旅行や買い物を並置していく岡崎の言葉。時代固有のものたちが、やがて時代を穿(うが)ち、突き立ってくる。 『レアリティーズ』は、初期の未完成作品など、荒削りだがその分奇妙に鋭く時代をスライスしていく作品集。 切られてちぎれて跳ねていくのは、性、愛、音楽、映画、文学、暴力……色とりどり。インディーズバンドのデモテープのように低密度な絵柄から繰り出される現実への接近戦は、軽くて薄くてせつなくて、でも爆発力は十分。女の子たちの堕落の果てに待つ有終の美を、せつなく魅惑的に、そして残酷に描く視点は、ずっと通底していたのだと確信する。やがて結実した「岡崎京子」を知る人も知らない人も、この時代を射貫く空気感の塊に触れてほしい。 ◇オカザキ・ジャーナル:岡崎京子著、平凡社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりオカザキ史上“伝説の”二大連載エッセイ、初の単行本化!「週刊オカザキ・ジャーナル」(『朝日ジャーナル』1991~92年)に加え、宗教人類学者・植島啓司との往復通信「コトバのカタログ」(『広告批評』92~93年)を完全収録。軽くて甘くて少しだけせつないオカザキの真髄と、私たちの、いま。<読む前の大使寸評>時代を射貫く空気感の塊ねぇ・・・・岡崎京子のマンガを読んだわけではないが、この賛辞を読んで、興味がわくのです。<図書館予約:未>rakutenオカザキ・ジャーナル**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から62
2015.03.12
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朝日の夕刊コラム(勝手に関西遺産)は古くから続いているが・・・意識して読んだり、スクラップをはじめたのは、2012年頃からである。それ以前の連載分は、大使にとっては伝説の領域であったが。ネットでアーカイブ記事を見つけたので紹介します。2014.12.10(勝手に関西遺産)おおきに10年! そこには魂があるより おもろうてなんぼの精神でやってきました「勝手に関西遺産」。2004年11月にスタートして、はや10年。とりあげた「遺産」は約500件にのぼります。関西遺産魂って何やねん。初代執筆陣のひとりでライターの島崎今日子さんに寄せていただきました。島崎今日子さん ◇■なんぼでもあるんちゃう? 島崎今日子さん 大阪から東京に移り住んで17年になるが、疲れたときは、新宿か京橋にある「美々卯」に飛び込むのが習慣になっている。あの透き通ったうどんの出汁(だし)に癒やされに行くのだ。何しろこっちにきてびっくりしたのは、関西人なら誰もが口にすることではあるが、うどんのお出汁。東京のうどん出汁はからくて、うどんも、かやくの蒲鉾もネギもみーんな醤油色に染まっているからとても飲めたものではない。 東京下町ッ子の友人にその話をすると、「だって、江戸っ子はうどんの出汁なんて飲まないものッ。そのほうが身体にいいんだよ」と言い返してきた。ムムムッ。確かに塩分の多いうどん出汁は、栄養士の健康指導でも「飲まずに残しましょう」ということになりがち。しかし、透明なお出汁の中にうどんの白とネギの緑が映える関西のうどんは見た目もおいしくて、カツオと昆布の匂いがさらに食欲に訴えかけて、お出汁を残すなんて、そんなもったいないッ。 そう言えば、亡くなったやしきたかじんがテレビで紹介して、一気に人気が出た「旭ポンズ」は、「そのまま飲めるポンズ」である。引っ越したばかりの頃は東京では手に入らなかったので、大阪から送ってもらっていたが、ここ数年は東京でもこだわりのあるスーパーで置いてあったりする。といってもまだまだ希少価値があり、ちょっとしたお礼や手土産に「旭ポンズ」を持っていくと、ものすごく喜ばれる。「ポンズって飲めたのね」と感激していた某作家は、「これって、大阪の神髄だよね」と言ってくれた。 つまり素晴らしくおいしい上に、どんな料理にも合い、それを一滴残さずに味わえるというところが、いかにも大阪だと言うのであった。確かに、質の追求ともったいない精神が相反することのない匠の技の結晶。なんて関西文化遺産なんだろう。 旭新聞、いや違った、朝日新聞大阪本社の夕刊で10年続いた「関西文化遺産」の数々は、前記のような、書き手の思い入れと愛情がつまったものばかりである。神社仏閣から劇場、店舗、看板、食べもの、言葉や、習慣、個人に至るまでジャンルは多岐にわたり、商品名もバンバン登場して、いずれも関西ならではの関西人精神が反映されている。言い換えれば、他の土地の人が欲しがるか欲しがらないかにまったく関係なく、「他にはないもの」。 それにしても、この欄が10年も続くとは。「関西にはまだまだこんなもんがありますよ」という大阪朝日の関西への偏愛、いや粘着質なこだわり、いやプライドこそが関西遺産そのものではないかと、私は思うのである。おおきに!「勝手に関西遺産」10年勝手に関西遺産1
2015.03.11
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大使は思い出したように、湊山温泉に通っているのだが・・・・銭湯もええやんけ♪ということで、「勝手に関西遺産」のアーカイブを遡っていたら次の記事がヒットしました。2012.10.18【10月10日 銭湯の日】どっぷり人情につかるより 10月10日は「1010(セントウ)」=「銭湯の日」。1965年に全国約2万3千軒あった銭湯は、今は5千軒を割った。逆風の中で営業を続ける銭湯には、その土地独特の風呂文化が息づいている。出版社を経営する神戸の銭湯マニア・松本康治さん(49)のガイドで、身も心も温まる「関西系」の銭湯を紹介しよう。 大阪市阿倍野区にある25年創業「天明湯」の営業時間は1日2時間半。大半はのれんを下ろし、マニアから「都会の秘湯」と呼ばれる。 「4年前に主人が病気で倒れ、1人でやらなくてはならないので」と田中キヨ子さん(69)。夫を看つつ風呂を掃除し、釜に薪をくべ湯を沸かし、番台に上がる。「古くからのお客さんと話をするのが楽しくて。赤字を出さない範囲で続けます」 浴場に入ると、壁に天女と富士山を描いたタイルのモザイク画が目に入る。松本さんによると、これが「関西系」。東京ではもっぱらペンキ絵だ。のれんの長さも東京の40~50センチに対し、関西では1メートル以上と派手めだ。 湯船は御影石製。石材の産地の神戸・六甲に近い阪神間に多い。大阪市生野区の「源ケ橋温泉」は湯船だけでなく、浴室の床まで御影石製。37年建築で国の登録有形文化財になっている。 六甲から少し遠い京都になるとタイル張りになるが、贅を尽くした銭湯が少なくない。京都市北区の「船岡温泉」も登録有形文化財。壁面を飾るタイルと欄間の彫刻は、23年に料理旅館として創業した当時のものだ。同市伏見区の「宝湯」は31年に建てた洋風建築。市選定の「京都を彩る建物や庭園」の一つだ。 神戸市東灘区には阪神大震災を乗り越えた「ときわ湯」がある。全壊したが、敷地内にあった立体駐車場の鉄骨を利用して仮設店舗を建て、地震から2カ月半後に再開した。同じ神戸で被災した松本さんも浸かった。「あのときほどお風呂のありがたみを感じたことはない」。今も仮設のまま営業している。「震災を忘れないための遺産です」 兵庫県姫路市には常連客の熱意で廃業を思いとどまった「白浜温泉」がある。昨春、地区唯一の銭湯の風呂釜に亀裂が入った。経営者の山本裕子さん(59)は1日でも長く営業しようと、亀裂が広がらないよう時間をかけて湯を沸かした。それを知った松本さんは銭湯ファンにSOSを発信し、集まったボランティア30人が傷んだ浴場のタイルを張り替えた。2月下旬に風呂釜を新調しリニューアルオープンした。 人情の厚さも、「関西系」の特徴の一つである。(長谷川千尋) ◇メモ:公衆浴場業生活衛生同業組合によると、現存の銭湯は大阪府に638、京都府167、兵庫県149。銭湯情報は松本さんのサイト「関西の激渋銭湯」に詳しい。(2012年10月時点)関西の激渋銭湯【神戸市】を見てみると、ドングリ国内で最寄の銭湯は笠松湯(兵庫区)あるいは浜添湯(長田区)あたりになります。関西の激渋銭湯関西の激渋銭湯【神戸市】神戸の銭湯【兵庫区】勝手に関西遺産 フォトギャラリー
2015.03.10
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図書館で『世にも奇妙なマラソン大会』を手にしたが・・・サハラ・マラソンといえば、大使のツボが二つもかぶるわけで見過ごせないのです。その二つのツボとは、すなわちマラソンと砂漠となります♪高野さんの本は『謎の独立国家マリランド』を読んだし、先日、近著『恋するソマリア』を図書館に借出し予約したりと・・・私的には、ミニブームの感があるのです。【世にも奇妙なマラソン大会】高野秀行著、本の雑誌社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりサハラ砂漠でマラソン!?ある深夜、ネットでサハラ・マラソンなるサイトを見つけた著者。酔った勢いで主催者に参加希望のメールを送ったところ、あっさりと参加を認める返信がきた。開催まではたった二週間あまり。15キロ以上は走ったこともないランニング初心者の闘いがいま始まる―。表題作のほか、「謎のペルシア商人」など著者の“間違う力”が炸裂する超絶ノンフィクション作品集。<大使寸評>探検部で鍛えた著者の破天荒なパーソナリティが、ええでぇ♪高野さんは、初のフルマラソンを砂漠の地で完走したそうです。両足痙攣を騙し騙しで、5時間40分で走りきったそうだが・・・基礎体力があったうえで、根性が並ではなかったのでしょうね。高野さんの本は『謎の独立国家ソマリランド』を読んだし、先日、近著『恋するソマリア』を図書館に借出し予約したりと・・・私的には、ミニブームの感があるのです。Amazon世にも奇妙なマラソン大会破天荒な高野さんは、自分を評して「間違う力」があると言っています。ムム 赤瀬川さんの「老人力」以上に過激な発想である。そのあたりについて「はじめに」で述べられているので、見てみましょう。<はじめに>よりp4~5 私には「間違う力」があると言われる。本当にそれは「力」なのか、それとも馬鹿にされているだけなのかはよくわからない。 でも自分自身、「ああ、間違えちまった・・・」と認識することは度々ある。特に深夜とか酒に酔っているときとか、見知らぬ人とつい話が盛り上がってしまったときなどに多い。 もちろんそのときは間違っているとは思わない。「すごいことを発見してしまった!」「俺は超ラッキー!」「このチャンスを逃がす手はない!」などと興奮している。その興奮は話が具体的に進むにつれ、「何か変だ・・・」「これは失敗だったかも・・・」に変化し、しまいには「ひえー、ダメじゃん!」「やばい!」「大失敗!」に変る。 不思議なことに、「大失敗!」と気づいた時点でも、たいていはまだ引き返せる状況にある。なのに、いつも絶対に引き返さない。「まあ、乗りかかった船だし」と間違った船に乗りつづけてしまう。やりかけたことを途中でやめる機能が私にはついていないらしいのだ。やめるどころか、ますます勢いよく間違った方向に突っ込んでいく。 すでに間違っていると知っていながらその行為をつづけることは何か「任務」に似た陶酔をもたらすのだ。負け戦にあえて挑む高揚感にも似ている。 といっても、実は任務でもなんでもないからそこに意味はない。意味もないまま突っ走ってしまう。敬愛する作家・宮田珠己は「ときどき意味もなくずんずん歩く」という本を書いたが、そのタイトルを借りれば、「ときどき意味もなくずんずん走る」とでもなろうか。 本書にはそのように間違えた事例が三つ掲載されている。ド素人なのにいきなりサハラ砂漠でのフルマラソンに挑戦するはめになった「世にも奇妙なマラソン大会」、バスで知り合ったおじさんに誘われるがままについていき、のっぴきならない状況に陥った「ブルガリアの岩と薔薇」、そしてインド入国を目指して行った迷走劇「名前変更物語」である。いずれも純粋なノンフィクションだ、 もう一つ、アジア・アフリカで私が体験した不思議な話を集めた奇譚集「謎のペルシャ商人―アジア・アフリカ奇譚集」を収録した。こちらは私はふつうなのだが、世界のほうが「間違っている」感じがする。だが間違っている(あるいは「ずれている」)のは同じなので、他の三篇を合わせて読んでも違和感はないはずだ。以前読んだ『謎の独立国家ソマリランド』です。【謎の独立国家ソマリランド】高野秀行著、本の雑誌社、2013年刊<カスタマーレビュー>よりルポルタージュといってもいいし、探検記といってもよい。冒険・政治経済・安全保障・国際問題・民族問題・海賊問題などさまざまなテーマが詰め込まれ、500ページほどの本がすいすい読める。<大使寸評>高野さんは、エミレーツ航空の飛び立つ直前に、在日ソマリランド人を訪ねて現地でのツテを教えてもらったが、ここに高野氏の嗅覚と幸運が表れていると思うのです。死と隣り合わせの取材を楽しんでいるようだが・・・伊達に探検部に籍を置いていたわけでもないようですね♪この本は文化人類学の薀蓄もはさみながら、かなりスピーディに展開していくが・・・高野さんのやや楽天的な人柄が表れていて、ええでぇ♪<図書館予約順番:33(9/02予約、11/6受取)>Amazon謎の独立国家ソマリランド謎の独立国家ソマリランドbyドングリ
2015.03.09
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「ちょっと古本」でしょうか。<市立図書館>・うみべのまち・世にも奇妙なマラソン大会・グランド・フィナーレ・発酵する夜・行為と妄想<大学図書館>・蔵書点検のため閉館中図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【うみべのまち】佐々木マキ著、太田出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より漫画本のためか、データなし。<読む前の大使寸評>久々に、中央図書館まで遠出したところ、この本を見つけたのです。手にとると重量感のあるハードカバー製本で、定価2850円なりの豪華さに感激した次第です。この本では、吹き出し付きの作品と吹き出しなしの作品が収められているけど、どちらもええわけです。モノクロの絵を見ているだけでも鑑賞にたえられるわけで…線描画の達人と言うべきなんでしょうね♪rakutenうみべのまち【世にも奇妙なマラソン大会】高野秀行著、本の雑誌社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりサハラ砂漠でマラソン!?ある深夜、ネットでサハラ・マラソンなるサイトを見つけた著者。酔った勢いで主催者に参加希望のメールを送ったところ、あっさりと参加を認める返信がきた。開催まではたった二週間あまり。15キロ以上は走ったこともないランニング初心者の闘いがいま始まる―。表題作のほか、「謎のペルシア商人」など著者の“間違う力”が炸裂する超絶ノンフィクション作品集。<読む前の大使寸評>探検部で鍛えた著者の破天荒なパーソナリティが、ええでぇ♪高野さんの本は『謎の独立国家ソマリランド』を読んだし、先日、近著『恋するソマリア』を図書館に借出し予約したりと・・・私的には、ミニブームの感があるのです。Amazon世にも奇妙なマラソン大会世にも奇妙なマラソン大会byドングリ【グランド・フィナーレ】阿部和重著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>より「神町」そして、ふたたび…。土地の因縁がつなぐ物語。終わりという名のはじまり。表題作「グランド・フィナーレ」ほか三篇を収録。第132回芥川賞受賞作。【目次】グランド・フィナーレ/馬小屋の乙女/新宿ヨドバシカメラ/20世紀<大使寸評>父親の資格を剥奪され、身包み剥がれて路上に放り出された主人公であるが・・・・怖い世の中になったものだ。冒頭あたりで、DVの加害者に嵌められた主人公という展開があり、うまくキャッチされるわけです。(掴みのうまい構成である)rakutenグランド・フィナーレ【発酵する夜】小泉武夫著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より荒俣宏とは「世界一臭い缶詰」を開けながら、椎名誠とは上海でビールを飲みながら......「食の冒険家」小泉教授が、東海林さだお、日高敏隆、立川談志、杉浦日向子、村上信夫、高橋昇、南伸坊、嵐山光三郎ら、食にうるさい10人と、日本のうまみの原点「発酵」の薀蓄談義。臭くてうまい肴をつまみに、お酒とともに豪快愉快な対談がグイグイと進む!<読む前の大使寸評>著者が対談した食にうるさい10人というのが、すごいメンバーたちですね♪Amazon発酵する夜【行為と妄想】梅棹忠夫著、日本経済新聞社、1997年刊<「MARC」データベース>よりわたしは思索を主とする書斎人ではなく、身をもって行動する"行為人"であった。日本経済新聞連載「私の履歴書」をもとに大幅に加筆、70数年の半生を克明に綴った自伝。<読む前の大使寸評>梅棹さんの半生を綴った自伝とのことで、借りた次第です。この本では、民博の設立とか、晩年の世界体験あたりが興味深いのです。Amazon行為と妄想行為と妄想byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き90
2015.03.08
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図書館で『行為と妄想』というやや難しいタイトルの本を手にしたが…梅棹さんの半生を綴った自伝とのことで、借りた次第です。この本では、文明論の成立経過、民博の設立とか、世界体験あたりが興味深いのです。極力、漢字を使用しないで平易な語り口で論じているが・・・・これが梅棹さんの文体なんでしょうね。【行為と妄想】梅棹忠夫著、日本経済新聞社、1997年刊<「MARC」データベース>よりわたしは思索を主とする書斎人ではなく、身をもって行動する"行為人"であった。日本経済新聞連載「私の履歴書」をもとに大幅に加筆、70数年の半生を克明に綴った自伝。<読む前の大使寸評>梅棹さんの半生を綴った自伝とのことで、借りた次第です。この本では、文明論の成立経過、民博の設立とか、世界体験あたりが興味深いのです。Amazon行為と妄想「文明の生態史観」という文明論の成立経過が本人によって語られています。<文明の生態史観>よりp91~239 わたしはカーブルでドイツ系アメリカ人F・シュルマン博士とE・ランダウアー氏に出あった。かれらはヨーロッパからフォルクスワーゲンで陸路アフガニスタンまでやってきていたのである。ほかの隊員たちとわかれてひとりぼっちになっていたわたしは、かれらにさそわれるまま、そのフォルクスワーゲンにのりこんで、三人でいっしょに旅行することになった。 カーブルからハイバル峠をこえて、パキスタンにはいり、パンジャブ平原を横ぎってインドのニューデリーに達した。それからいわゆる大幹線道路をはしって、ベナーレスをへてカルカッタにいたった。さらにヒマラヤをみるためにカリンポンの町までいった。 わたしは日本までの航空券をもっていたので、飛行機で日本にかえった。シュルマン氏とランダウアー氏はカルカッタでフォルクスワーゲンを売りはらい、船で日本まできた。そして京都のわたしの家にも立ちよってくれた。 このアフガニスタンにつづくインド亜大陸の横断旅行は、わたしに鮮烈な印象をあたえた。イスラーム文明とヒンドゥー文明というふたつの巨大文明に接して、世界の構造に関する見かたはすっかりかわった。ここはヨーロッパでもなく、アジアでもなかった。西洋でもなく、東洋でもなかった。わたしは「中洋」を発見したのである。 戦争中の中国における2年間の経験とかさねあわせて見たとき、わたしはおなじくアジアにありながら、日本文明がそれらの諸文明とあまりにも異質なことを実感した。これらの文明にくらべたら、日本文明とヨーロッパ文明とはきわめて同質的なものといえる。歴史的にみても中世以来、軍事封建制を経験し、革命をへて近代社会になったという点でも、日本と西ヨーロッパ諸国とは、はなはだよく似ている。わたしはこの両者を文明における平行現象ととらえたのである。そして、このような現象のよってきたる原因は、ユーラシア大陸全体の生態学的構造にあるという理論をかんがえた。ユーラシアをななめにはしる大乾燥地帯から出撃してくる遊牧民の暴力を、大陸の両端にある西ヨーロッパと日本は回避することができたのである。 帰国後、旧世界における諸文明の関係とそのなかにおける日本文明の位置づけについて、わたしはひとつの論文をかいて『中央公論』の1957年2月号に発表した。「文明の生態史観序説」がそれである。 このカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊への参加は、わたしの生涯におおきな転機をもたらした。「文明の生態史観」などという、地球的規模での文明論をかんがえるようになった。この旅行によって、わたしは比較文明論の目をひらかれたのであった。これ以後、わたしの思想はひたすらその展開をはかることになる。 この旅行でわたしの病気は完全になおった。乾燥地帯の生活が転地療法になったのであろう。わたしは心身ともに精気をとりもどした。晩年になってからの中国や西域の再訪が語られています。<ひさかたぶりの中国>よりp238~239 終戦直後の2年間をわたしは中国大陸でくらした。1946年5月にひきあげてからは、中国はわたしの視野からきえた。1949年には革命が成功して、中華人民共和国が成立した。それ以後の新中国の変転ぶりは、新聞の報道でその概略を承知していた。しかし、文化大革命の全期間を通じて、わたしは中国大陸に興味をうしなっていた。もう一度足をふみいれてフィールド・ワークをする見込みがなかったからである。 ところが文化大革命が終息すると、中国側が日本の民族学者の一行をうけいれるという。こうして1979年に日中文化交流協会からの派遣による日本民族学者訪中代表団が組織されて、中国におもむいた。わたしとしては、ひさかたぶりの中国訪問であった。 行先については、こちらの希望をきくという。わたしは雲南、貴州、四川を希望した。雲南では昆明から白族の大理、納西族の麗江までゆきたいといった。北京までいくと、それらの訪問地はすべて許可されていた。北京の社会科学院から西蔵学のトウ英齢氏と通訳がくわわった。11月なかばにわたしたちは昆明にゆき、そこからマイクロバスで大理、麗江におもむいた。昆明からは歴史研究所の候方岳氏が同行された。候氏は白髪の老紳士であるが、革命の闘士で将軍の称号をもっていた。 麗江は戦後外国人をうけいれるのは、はじめてだという。わたしたちはおおいに歓迎された。ひさしぶりに見る中国の農村は、人民公社や生産大隊などと、制度はすっかりあたらしいものになっていたが、社会の本質的な部分はほとんどかわっていないとわたしにはおもえた。 雲南から貴州省の苗族の村にゆき、ここでも村びとたちの大歓迎をうけた。さらに四川省の成都にとんだ。30年ぶりの中国はわたしを刺激して、ふたたび興味と関心をかきたてるのだった。<感傷旅行>よりp240~241 1980年には西北辺境の新疆ウイグル自治区をたずねた。ウルムチまでとび、トルファンや交河城址などを見物した。ウルムチの賓館の窓からは正面にボゴタ峰がみえた。バスでボゴタ峰の中腹にある天池という湖までゆき、またウズベク族の村をおとずれた。 あくる1981年には内蒙古自治区へいった。そのとき北京で旧友の愛新覚羅連〇と再開した。かれは金姓を名のっていたが、清朝の皇族粛親王家の嫡流である。わたしとは大学時代からの友人で、戦争中も親交をかさねていた。さきにのべたように、張家口から内モンゴルのかれの粛親王府牧場までいっしょに行ったことがある。35年間も音信不通だったのだが、連絡がついたのである。ふたりとも年をとって顔かたちはかわっていたはずだが、空港の待合室でガラスごしに一目みたときに、おたがいがわかった。 この年には黄河中流の包頭までいった。途中、張家口の駅におりた。わたしたちが住んでいた家はどうなっているか見にゆきたかったが、張家口は軍事拠点らしく、市内にはいることはゆるされていなかった。 フフホトから草原にあがり、モンゴル高原のさわやかな空気をすいこんだ。草原の宿舎はモンゴル・ゲルだった。もちろん観光用に開発されたものだが、わたしのモンゴルへの郷愁を満足させるにじゅうぶんだった。わたしは家畜の名まえや牧草の名まえなど、ながいあいだわすれていたモンゴル語の単語を一度にどっとおもいだした。この旅行は、まさにわたしにとっては30数年ぶりの感傷旅行だった。草原のかえりには山西省の大同にゆき、雲コウの石仏をみた。 1982年には、もう一度新疆ウイグル自治区をおとずれている。このときはウルムチからさらに西のカシュガルにとんだ。そしてジープでパミール山群の奥ふかくまでいった。ムズターグ・アタ峰とコングール峰のちょうどまんなかあたりにカラクリ湖がある。その湖畔にテントをはった。コングール峰は氷河にかこまれた峰みねのあいだから頭をのぞかせているだけだったが、ムズターグ・アタは、わたしどもの目のまえに膨大な山容をさらけだしていた。それはすばらしいながめだった。 新疆ウイグル自治区はトルコ系のウイグル族が主体で、トルファンやカシュガルなどはまったくウイグルの町である。このパミールの山ふところに住んでいる人たちはキルギス族だった。モンゴル族とおなじような円形のテントでくらしていた。
2015.03.07
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だいたい、儲けというインセンティブが働かない規制というものは、遵守しないのが漢族の行動パターンであったが・・・・昨今の大気汚染に対しては、さすがに人民も中国政府も危機感が大きいようです。全人代前に流されたPM2.5「告発ドキュメンタリー」に、中国が沸騰しています。2015.3.3全中国を震撼させたPM2.5「告発ドキュメンタリー」より 春節(旧正月)のさなかの2月28日、突然、中国のPM2.5(微小粒子状物質)問題を告発するドキュメンタリー映像『穹頂之下(天空のもとで)』が中国の主要ニュースサイトなどで公表され、2日間で1億回を超えるとも言われる桁違いの再生回数を記録し、春節気分を吹き飛ばして中国全土を震撼させた。政府機関や大企業の実名も挙げながら中国の大気汚染問題を批判している内容で、中国の言論界は「快挙」の声で埋め尽くされた。<制作費2000万円は自己負担> 本来は3月3日の開催を控えた「両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)」の話題で一色になるはずの中国で13億人の関心を独占した形になったが、その理由は、内容もさることながら、ドキュメンタリーを発表したのが、元中央電視台(CCTV)の人気女性キャスターでベストセラー作家でもある柴静氏(39)だったこともある。 中国の環境保護部長(環境大臣)に就任したばかりの陳吉寧氏はさっそく柴静氏に感謝のメッセージを携帯メールで送ったとも言われる。ところが、3月1日夜までに当局から各メディアやニュースサイトなどに、このドキュメンタリーに関する内容を削除するよう指示があったという情報が流れた。実際、2日昼の時点で一部のサイトからは論評やドキュメンタリーへのリンクが姿を消しているが、まだ残しているサイトも多い。 この作品で柴静氏は「PM2.5とは何か」「なぜ大気汚染は起きるのか」「我々はどうすればいいか」という3つの問題点をクリアに指摘し、現地取材や専門家へのインタビューによって、それぞれの問題の所在を明らかにしていく。<3つの「問題」と「誤解」> PM2.5について「この2年ほどの問題である」「子供は適応できる」「中国北部で主に起きている問題」という3つの誤解があると指摘。石油化学大企業の野放図な対応を許さず、環境保護部門が正しく法律や規制を執行し、1人1人の「公民」は問題を発見したら通報し、環境保護につながるエネルギー消費行動を取るべきだと提言している。 柴静氏のドキュメンタリーに対し、賞賛の声が響き渡った。多くの知識人、文化人、メディア人がその勇気と作品のクオリティの高さを誉め称えた。一部の党・政府系のメディアやウェブも当初は好意的に紹介した。 一方で、当局から「暗黙」の了解を得ているはずだとの観測も流れたが、その後、作品の「排除」が通達されたことが本当なら、柴静氏は「個人の動機」で行動した可能性が高い。それでも、元CCTVキャスターだっただけあって、映像のなかでは、中国ではタブーである体制批判や実名批判は控え、許されるギリギリの線は見極めて作っていたことがうかがえる。しかし、公開後のあまりの反響の大きさが、かえって当局を予想以上に機敏に行動させてしまったのかもしれない。日本経済新聞が英フィナンシャル・タイムズ紙を引用して、この問題を取り上げています。2015/3/5[FT]中国全人代、注目すべき4つのポイント より 異常に活発な政府インターネット検閲が映像公開を許したという事実と映像公開のタイミングは、中国政府の意図的な対策だった可能性がある。ひどい環境問題を片付けることを狙った緊急措置への政治的支持を取り付けるためだ。 だが、3月2日には、ドキュメンタリーはまだ視聴できたものの、中国の宣伝部がこの映像に関するオンライン上の議論を抑え始めたという報告が出ていた。 間近に迫った国会の派手なショーで、新たな環境政策にハイライトが当てられると思っておいたほうがいいだろう。中国のエネルギー資源としては、石炭の比重が大きいわけだが・・・石炭火力の脱硫設備など日本から援助の手をさし伸べているのは、日中関係改善の切り札になるのでしょう。
2015.03.06
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・文体の科学・外交ドキュメント歴史認識なお朝日新聞デジタルのサービスが向上したせいか、書評欄は掲載日に見られるようになっています。(たまに、遅れることもあるけど)***************************************************************文体の科学より<文章の生態系に肉薄する野心作:佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論) > 大学浪人時に通っていた予備校の国語の先生が、こんなことを言っていた。単語と単語の関係についての規則、つまり文法は、だいぶ体系化されているが、文と文の関係についての規則は、まだほとんど手つかずだ。これを明確に考えることが、読解力を高めることに他ならない、と。目から鱗がバリバリと落ちた。 本書は、この問題に肉薄した野心作である。法律、科学論文、辞書、批評、小説など、さまざまなジャンルの文体を取り上げ、ばっさばっさと解剖していく。厳密に比較考量するというより、文体を肴(さかな)にして、文章によるコミュニケーションのあり方を自由に論じるエッセイ風論稿といった趣である。あなたが本好き、文章好きであれば、著者の博識と、インターネットを駆使する技術の華麗さに誘われ、文体の海で快適に遊ぶことができよう。 辞書と法律文書と科学論文が、いずれも、書かれている内容の普遍性を担保するために主語を明確にしない文体を採用しているという指摘も興味深い。一見なんのつながりもない文章たちが、実は知識の生態系の中でよく似た位置を占めていることが、こんなところに表れている。 また、文章のスタイルだけでなく、媒体である書物や携帯端末の形とか、そこに配置されている文章のレイアウトなども考察の対象にしていて、目を引く。文章についての文体論と、テキスト・レイアウトについてのデザイン論とを融合しようという、果敢で華麗なる挑戦。 雑誌などの誌面の写真は、もう少し大きくしてほしかった(字が読めない)。そのほか、個々の話題に対する掘り下げをもっと読みたい気もするし、対象の広がりという点でも、カタログや取り扱い説明書なども含めてほしかったとも思う。だが、これはあくまでも「序説」なのだ。文体の科学はまだ緒に就いたばかりだ。今後の発展に期待しよう。 ◇文体の科学:山本貴光著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長短、配置、読む速度…目的と媒体が、最適な文体を自ら選びとった。古代ギリシアの哲学対話から、聖書、法律、数式、広告、批評、小説、ツイッターまで。理と知と情が綾なす言葉と人との関係を徹底解読する。<読む前の大使寸評>『文体の科学』という書名が、かなりふざけた感じがするので・・・・書評だけでも読んでみようと思ったわけです。・・・わりと、広く浅い感じで読みやすそうである。なんといっても書名に座布団3枚♪冗談はさておいて、主語を明確にしない文体に評者も注目しています。内容の普遍性を担保するために、主語を明確にしないのか・・・・これなんか反米の大使としては、言語学的ナショナリズムがうずくわけです♪<図書館予約:未>rakuten文体の科学外交ドキュメント歴史認識より<将来語る前に顧みるべき過去:吉岡桂子(本社編集委員) > 本書は、歴史教科書、靖国神社の参拝や従軍慰安婦、河野談話や村山談話などの「歴史問題」について、日本外交の視点から、政策の決定過程をたどる。 1980年代以降の中国や韓国との関係を中心に振り返り、共有できる議論の土台を作ろうとしている。 首相の名前を冠にした「談話」も、本人の熱意に牽引されてはいるが、個人の心情の表現ではない。「村山談話」の経緯からは、政治家や官僚など多くの意見から練り上げられていることが分かる。ただ、「対外関係における言葉の重みを政策に活かした」成功例とはいえ、国会で審議もせず、国家の見解として国際的に大きな影響力を持ちえてしまう危うさも感じる。 戦後70年にあわせて安倍晋三首相が出す「安倍談話」に注目が集まる。「歴史認識」は外交の利害調整でもあるだけに、片方の完勝は難しいと指摘する。提言は書き込まれていないものの、将来を語る前に顧みるべき過去が記録されている。 ◇外交ドキュメント歴史認識:服部龍二著、岩波書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より歴史教科書、靖国参拝、慰安婦問題と河野談話、村山談話…様々な思いが絡み合う歴史認識。そこには、関係悪化と修復を繰り返す日本外交の複雑な歩みが存在した。日本はこの問題といかに向き合い、中国や韓国とどのように交渉してきたのか。その過程を丹念にたどり、日本の立脚点を模索する。<読む前の大使寸評>この本も吉岡桂子委員の書評ということで、選んでみたのです(とにかく、外れなしです)安倍首相が出す「安倍談話」に衆目が集まっているが・・・その前に読んでおくと、安部さんの危険性がより明らかにわかるのではないか?♪著者の服部龍二さんを知らなかったが、『日中国交正常化』で第11回大佛次郎論壇賞を受賞した人とのことなので、この本はかなり期待できるのではないか。<図書館予約:未>rakuten外交ドキュメント?歴史認識**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から61
2015.03.05
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福岡伸一著『やわらかな生命』という本を図書館で借りているが・・・福岡ハカセが、高知の沢田マンションの寛容性を評価しています♪普段、理路整然とした福岡ハカセと沢田マンションのルーズさがなかなか結びつかないが、なるほど寛容性という褒め方があるのか。以前の日記でもふれたが、とにかく、「日本の九龍城」とも呼ばれる沢田マンションを、訪ねてみたいわけです。香港の旅行雑誌に沢田マンションが掲載されたとのこと。<日本のガウディ>よりp163~165 高知に出かけた。福岡さんならきっと興味を持ってくれる場所があるのでご案内しましょう。知人がそういうので行ってみることにする。 到着したのは、町はずれの白く大きな建物。不思議な雰囲気。5階建てでかなり奥まで広がっていて、入り口から全容は見通せない。前面に斜めのスロープがついていて上階に伸びている。一見、ショッピングセンターの駐車場風だが、もちろん駐車場ではない。目立つのは塔。四角い箱型のタワーが上空に向かって屹立しており、一番上は西洋のお城の城壁のような凹凸の冠模様が施されている。ここだけ見ると、これまた高速道路出入り口などによくある安っぽいラブホみたいだが、もちろんそうでもない。タワーには立派な文字が。「沢田マンション」。そう、これはマンションなのだ。 しかしもちろん通り一遍のマンションではない。40年ほどまえから、建築家でも建設業でもない、ある家族(沢田さん)が独力独学で付け足し付け足ししながら作り続けてきたセルフビルド建築。そのユニークな構造や不規則な増改築の様子から、九龍城とか軍艦島とも呼ばれている。福岡ハカセは思った。日本のガウディは高知にいたんだと。 マンションの住人、岡本明子さんが案内してくれた。ちょうど彼は一階に新しいギャラリーを作ろうと廃材などを使って工事の最中だった。岡本さん自身、ここに住みついたアーティストでもある。針あな写真機の仕組みで窓の外の様子を部屋の壁に映し出す。あるいはさびた街灯の柱に街の光景を映し出す。それを写真に撮影する。すると景色は、ざらざらの、あるいはつぶつぶの表面の上にふわりと載って、なぜか懐かしい雰囲気を帯びる。針あな写真機は、色彩を濃くし、辺縁を暗くするので、いつか夢でみた風景のように映る。針あな写真機を駆使する芸術家。ああ、日本のフェルメールもまた高知にいたのだ。 一階にはギャラリーの他、喫茶店、アロマセラピーの店など店舗が並んでいたが、どれもなぜか無人だった。住人経営で今は居室に戻っている時間帯らしい。われわれはスロープを登って二階へ行く。なんだか場末の飲み屋街に迷い込んだような雑然とした雰囲気。自転車やバケツやプランターなどがごちゃごちゃ置かれている。その通路沿いの小さな間口に扉が並ぶ。その扉が各住居。ところどころに抜け道があり、裏の通路とつながっている。二つとして同じ間取りがない。そんな迷路のような階層が緩やかにつながっている。 最上階に大家である沢田さんの家。なんと屋上の半分は畑になっていて農作物が収穫できる。その向こうは池。釣りもできるとのこと。一方、地下には駐車場まである(高知で初めての地下駐車場だそうな)。車を出し入れするには相当の運転テクニックがいりそうだ。 ここに子どもからお年寄りまでさまざまな人たちが70世帯ほど住みついている。2011年の原発事故で避難してきた人もいるという。家賃は広さによって3万から5万。引きこもって過ごすこともできるし、路地の広場につどって語らうこともできる。空き部屋を見せてもらったがちゃんとバスとトイレつき。福岡ハカセの学生時代の下宿よりずっといい。 設計ではなく、その時その時の用不用に応じて発生的にかたちづくられる。可変的で柔軟。一方で、雑然として不定形。東京のマンションなら絶対に許されないようなルーズさとレイジーさがここにはある。そしてそれを内包しうる寛容性がある。 これって極めて生命的なありかたではないか。前節で、1960年代、日本の建築家が目指したメタボリズム運動の勃興と衰退を話題にしたが、ほんとうのメタボリズム=新陳代謝する建築はこんなところにあったのだ。高知、おそるべし。【やわらかな生命】福岡伸一著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より生命を構成するパーツには重複性があり、可変性がある。余剰があり、融通無碍で、遊びがある。生命の特性はその自由度にこそあるのだー芸術と科学をつなぐ深く、色鮮やかな本質。珠玉のエッセイ集。<読む前の大使寸評>週刊文春に連載したエッセイを集めただけという安易な編集ではあるが・・・福岡伸一さんの科学的なエッセイは、ええでぇ♪rakutenやわらかな生命
2015.03.04
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N-BOX購入とともに、我が家で初めてカーナビ運用が始まったが・・・・昨今のカーナビの機能には驚くわけです。コースを設定したら、曲がり角の手前で3回、音声で指示が出るのです。つまり、700m手前、300m手前と曲がり角の直前であるが・・・それぞれが適切であり、カーナビご苦労♪と毎回、ご機嫌麗しくなるわけです。曲がり角直前の誤差なんかは、体感的には5mほどであり・・・GPS精度の素晴らしさを感じるわけでおま♪また、カーナビには通信機能もあるそうだが、まだ試していないのでこれからお勉強です♪インターナビ・リンクよりたとえよく知っている道でも、何通りかのルートの中から「より早く正確に着くルート」がどれなのかを特定するのは困難です。でも、インターナビならそれを見きわめて案内することが可能です。その秘密は、インターナビ装着車だけが利用できる、「インターナビ交通情報」。目的地に到着するまでの道で、「現在起きている渋滞」だけでなく「通過する頃に起こりそうな渋滞」までかなり正確に予想できる充実した交通情報です。突発的な渋滞にも対応し、適切にルートを変更します。だから、「より早く正確に着くルート」を案内できるのです。ところで、福岡伸一著『やわらかな生命』という本を図書館で借りているが・・・GPS機能にふれた箇所があったので、紹介します。<私はどこにいる?>よりp38~40 人気のない山や荒野で道に迷ったとき、地図だけは持っているとして、自分が地図上のどの地点に立っているのか、つまり現在地Xは、どのような情報があれば確定できるだろうか。 同じ地図上で目印となるA地点とB地点からの距離が、それぞれakm、bKmということが判明すればよい。Aを中心にした半径aの円、Bを中心にした半径bの円、この二つの円が交わる地点に私はいる。でも困ったことに、二つの円が交わる点は、二点ある。このどちらに私がいるのかを確定するには、もうひとつの情報が必要だ。第三の定点Cからの距離ckm。これがわかれば自分の現在地がわかる。これを定位=ポジショニングという。 今や、携帯電話やカーナビとして位置情報を教えてくれるGPS(グローバル・ポジショニング・システム)は、基本的にこの幾何学を応用している。GPSはもともと米国によって軍事目的で開発され、少し前までは民生用にはわざと正確度が下げられていたが、今では、完全に民間に開放された。原理は次のようなものだ。 A,B,Cはそれぞれ地球を回っている人工衛星。そこからの距離は、それぞれa,b,ckm。衛星は上空を飛んでいるので、3次元で考えなければならない。それゆえ、半径a,b,cの球体を想定することになる。A,Bを中心とする二つの球面が交わるのは円、この円周上で、Cからckm離れている地点は二箇所ある。ただし、この二箇所のうち一箇所は、地球上にあり、もう一箇所は、人工衛星A,B,Cの外側の宇宙空間にあるので、理論上は、三機の人工衛星から情報を受け取れば、自分の位置を特定できることになる。 では、人工衛星からの距離はどうすれば割り出すことができるだろうか。ある時刻に人工衛星Aから発せられた電波が、私の地点Xで何秒後に受信できるかがわかればよい。電波の直進速度は、光速と同じ、1秒間に29万9792.458km。これに秒数をかければ人工衛星Aと現在地Xとの距離、akmがわかる。 問題は、時計がぴったり合っているか。人工衛星と私の電波受信機(携帯電話やカーナビ)が同じ時刻を刻んでいないことには計算が成り立たない。しかし実際のところ、人工衛星が使っている精度の高い時計と携帯電話の時計機能では誤差がある。だから、理論上では三機で足りる情報をさらに複数の人工衛星から得て、時計の校正と誤差の補正を行って測位している。日本の上空には常時、数個から十個程度の衛星が飛び交っているという。 すでに、携帯電話のGPS機能を駆使した登山が行われている。面白いのは、たとえ携帯電話の圏外であっても、GPS信号は天空からやってくるので受信できる、ということ。地図ソフトと測位の結果をその上に表示できるアプリさえ入れておけば、どんな山奥でも定位できる。便利な時代になったものである。もちろん、携帯電話の電池が切れてしまうと万事休すだが。 逆に今では、山で道に迷うのを防ぐためではなく、ちゃんと道をたどったかどうかを証明する上で、人工衛星が使われるようにまでなった。GPSによって自分の位置を確認しつつ、今度は、自分の位置情報を通信衛星に送り、その場所に存在することを知らせる。【やわらかな生命】福岡伸一著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より生命を構成するパーツには重複性があり、可変性がある。余剰があり、融通無碍で、遊びがある。生命の特性はその自由度にこそあるのだー芸術と科学をつなぐ深く、色鮮やかな本質。珠玉のエッセイ集。<読む前の大使寸評>週刊文春に連載したエッセイを集めただけという安易な編集ではあるが・・・福岡伸一さんの科学的なエッセイは、ええでぇ♪rakutenやわらかな生命
2015.03.03
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国内で軽自動車を製造する会社が四つ(OEM生産を含むと七つ)もありしのぎを削っているが、国外から見ればガラパゴスそのものである。でも、ガソリン専焼で燃費37.0KM/Lという燃費合戦、インドでも売れる小型車技術であれば・・・・胸を張って「ガラ軽」と自称すればいいのだろう。2年前のネット記事にN-BOXの雄姿とか、新興国戦略を見つけたのです。2013.7.21自動車各社、ガラ軽でアジア、アフリカ狙うより 日本の自動車各社が軽自動車技術を生かした新興国戦略の構築に動き出した。先行するスズキとダイハツ工業に続き、トヨタ自動車がダイハツとの連携を打ち出す一方、ホンダはアジアへの展開を検討。三菱自動車工業はアフリカ市場に関心を示している。 国内だけに通用する「ガラ軽」規格をどう新興国に適応させるか、部品調達をどう強化するか、など課題は山積みだが、海外販売拡大の決め手として各社の動きが加速しそうだ。 新興国戦略として、すでにトヨタとダイハツはインドネシアで協業を進めている。ダイハツが軽自動車「ミライース」の技術を生かして開発した低価格車「アイラ」を完成。トヨタにOEM(相手先ブランドによる生産)供給し、インドネシア政府が決定しているエコカー政策に合致するモデルとして両社で売り出す。米自動車業界から見ると非関税障壁のように立ちはだかる軽自動車規格であるが・・・悔しかったら、規格に準じて売れる車を作ればいいだけの話である。ここで、軽自動車規格の昔話をひとつ♪昭和30年代、軽自動車の出現もけっこうインパクトがありましたね。『日本の産業遺産300選』という本からスバル360を紹介します。<スバル360>よりp104~105<軽自動車出現の背景> 軽自動車という呼称と世界で最小の自動車規格が、車輌法のなかに設定されたのは昭和24年7月のことである。この当時、自動車業界でこれに注目する者はいなかった。この規格に該当する商品が、二輪車を除いては存在しなかったからである。エンジンの気筒容積(排気量)が360cc以下と定めれれた規格で、果たして実用に耐える四輪自動車が作れるものかどうか、仮りに商品化したとしてその市場の創出が可能かどうか、自動車業界の思惑はそれを疑問視する方向に傾いていた。つまりは海のものとも山のものとも予見のつかぬまま、軽自動車規格は車輌法のなかにのみ生きつづけた。 だがそれは乗用車部門に新規参入をもくろむ当時の二、三輪車メーカーに対して、製品企画の具体的ヒントを与える作用をした。人にも時代にも、そして産業の動向にも転機がある。昭和30年5月18日付で通産省案『国民車構想』が新聞にスクープの形で報道された。通産省はその昔商工省の名で発足以来、一貫して自動車工業の確立を自動車行政の基本理念としてきた。自動車工業の確立は乗用車を抜きにしては考えられない。そこで、ではどうしたら乗用車工業を育成できるのか、の検討を詰める過程に国民車の構想が浮かび上がったものであった。折りから日本は『戦後は終わった』を合言葉に、経済、社会、文化などあらゆる面で脱戦後現象が見られるようになり、新しい発想に基づく変革と進歩の気運が大河の流れにも似る進行を始めていた。<スバル360誕生> 昭和30年12月9日、富士重工(株)の伊勢崎製作所で四輪車計画懇談会が開かれた。情勢の推移を見守りつづけた同社の乗用車計画が頃合いよしと企画日程にのぼり、この日の懇談会となったものである。この席上で論議を詰めた結果、乗用車部門に新規参入する同社の製品は、1.既存メーカーのモデルと車格の面で競合しないこと、2.作りやすい構造、3.売りやすい(安価)もの、の三項目が基本コンセプトとして合意された。 こうしてこれらの条件を満たす軽規格乗用車の試作計画が公式に採用され、その開発記号は『K-10』と決定された。このモデルが3年後にデビューするスバル360にほかならない。 K-10計画はエンジンは三鷹製作所、シャシとボディは伊勢崎製作所の分担で進行した。この計画期間における開発上の主な課題は1.作りやすさと車輌の軽量化、2.大人四人に十分な室内スペースの確保、3.快適な乗り心地の実現、の三つであった。 百瀬普六をチーフとした開発スタッフは新製品創造の意気に燃え、夜を日についで作業を進めた。翌31年3月早くも第一次計画案が仕上げられ、それを骨子として試作計画書が作成された。この計画書に基いて試作作業が開始され、32年4月、試作1号車が完成する。かくて昭和33年3月3日、K-10すなわちスバル360は報道関係者を集め、正式に発表(5月発売)された。軽規格乗用車としては日本最初の量産モデルの誕生である。 技術的完成度の高さ、特に乗り心地の良さは発表会に立ち会った玄人筋の絶賛を博した。その巧は明治期以来この年まで不毛のままに経過した大衆モータリーゼーションの進行に火を点じたことにある。この後、ハイトワゴンの詳細な比較表をエクセルで作るので、請うご期待♪(いつまで待つのか)たいがいのこだわり商品は、事前に比較表を作って検討するのが大使のパターンであったが…今回のは衝動買いだったので、順序が逆転した次第です。軽自動車購入後の事後比較1軽自動車購入後の事後比較2軽自動車購入後の事後比較3軽自動車購入後の事後比較4軽自動車購入後の事後比較5ホンダ N-BOXの自動車カタログ・価格比較N-BOXの性能Honda Cars明舞 学園南店
2015.03.03
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福岡伸一著『やわらかな生命』という本を図書館で借りているが・・・理系の福岡ハカセはアートについても関心が深く、アートにまつわるエッセイがええわけです。とにかく、青色やベロ藍(プルシアンブルー)に惹かれる福岡ハカセのテイストがええでぇ♪<フェルメールの青、北斎の青>よりp148~150 長野県小布施に旅した。この地は晩年の葛飾北斎が何度も訪れた場所として知られている。福岡ハカセは今、とても北斎に興味があるのだ。それにはこんなわけがある。 2012年は、フェルメールに明け暮れた1年だった。銀座にフェルメール・センターを作って、現存するフェルメールの全作品をリ・クリエイトという方法で再現し、一堂に展示した。リ・クリエイトとは、色ヒストグラム解析、デジタル修復技術、紫外線プリントなど現代の画像・印刷テクノロジーを使って、美術作品をそっくり再現すること。複製といってしまえば複製なのだが、フェルメールの全人生を自在に追体験できる。美術の楽しみ方の新しい提案でもあった。 そんなリ・クリエイトの視点を、こんどは日本の美術史に向けてみることにした。はたしてフェルメールの衣鉢を継ぐ者はこの国に存在するのかと。候補者はたちどころに見つかった。それが葛飾北斎だった。 フェルメールと北斎をつなぐ線は何か。それはブルーであると思う。青は不思議な色である。空の青、海の青。青は自然の中のあらゆるところに見ることができる。そして大気にせよ、水にせよ、いずれももっとも生命に直結した重要な色である。太古の海の中で、はじめて光を感じることができた単細胞生物は、空と水を通して届いた青い色として、それを感受したはずだ。しかし青い色を、空や水の中から取り出してくることはできない。青はいつも遠い色だった。 そんな青が人の心を捉えることをフェルメールは正確に気付いていた。彼は、故郷デルフトの高く澄んだ青空の光を描き出すため、スマルトを使った。スマルトとは細かく砕かれたガラスの透明な粉末である。『デルフト眺望』。デルフト眺望 あるいはフェルメールは、ターバンの鮮やかな青を描き出すために、ラピスラズリを使った。ラピスラズリは当時はアフガニスタンにしか産出しない貴重な青い宝石で、金よりも高価だった。フェルメールは惜しげもなくラピスラズリを使って、不思議なまなざしを投げかける『真珠の耳飾りの少女』を描いた。 しかしながら、かのフェルメールですらどうしてもかなわぬ夢があった。それは青を、青が本来、この世界のうちに存在しているように描くこと。つまり青色を、水の中に、あるいは空気の中に分散し、かつ、溶かしこんで、連続したグラディエーションをもった自然な濃度勾配として表現すること。 スマルトもラピスラズリも鉱物の粗い粒子だった。スマルトはコバルト、ラピスラズリはアルミニウムとシリカの結晶。鉱物粒子は溶かすことも伸ばすこともできない。油でといてキャンバスの上に貼りつけることしかかなわなかった。 青を遠ざけ、青を近づけること。青を揺らし、青をにじませ、青で勾配とうねりを作り出すこと。そのためには実に百年以上の時間が必要だった。 これがフェルメールの青と北斎の青とのあいだにもあるものである。 ベロ藍、またの名をプルシアンブルー。北斎が選んだ青は、鉄イオンの錯体(フェロシアン化第二鉄)だった。この類まれな物質は、スマルトのコバルト、ラピスラズリのアルミニウムと同様、金属原子の結晶がもたらす青の系譜を継ぐものである。しかしベロ藍は、スマルトやラピスラズリよりずっと細かい粒子であり、極めてなめらかに水の中に分散させることができた。北斎はこの青を見逃さなかった。 フェルメールのはたせぬ夢をついに実現した画家。それが葛飾北斎だった。止まっていたフェルメール・ブルーを、世界ではじめて動かしてみせたのである。藍は大使のツボでもあるわけです。で、ベロ藍という名前が気になってウィキペディアで調べたのですが・・・・ベルリン藍がなまってベロ藍と呼ばれたそうで、植物染料の藍とは無関係のようです。 【やわらかな生命】福岡伸一著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より生命を構成するパーツには重複性があり、可変性がある。余剰があり、融通無碍で、遊びがある。生命の特性はその自由度にこそあるのだー芸術と科学をつなぐ深く、色鮮やかな本質。珠玉のエッセイ集。<読む前の大使寸評>週刊文春に連載したエッセイを集めただけという安易な編集ではあるが・・・福岡伸一さんの科学的なエッセイは、ええでぇ♪rakutenやわらかな生命
2015.03.02
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パッシブソーラーハウスを建てたうえで、そのハウスの20年にわたる実証などを語るという、わりと地味な本ではあるが・・・採光、自然通風に着目した半地下の住居など、大使のツボにヒットするわけです。ツボというのは「自然と共生する住居」といいましょうか♪【住まいの中の自然】 小玉祐一郎著、丸善、2008年刊<「BOOK」データベース>より環境との共生が叫ばれる今日、建築におけるエコロジカルな発想の原点に帰り、太陽や風といったポテンシャルを活かしながら在来エネルギーへの依存を減らし、自然との交感が可能な住宅、自然を楽しむ住居を考えます。<大使寸評>パッシブソーラーハウスを建てたうえで、そのハウスの20年にわたる実証などを語るという、わりと地味な本ではあるが・・・採光、自然通風に着目した半地下の住居など、大使のツボにヒットするわけです。ツボというのは「自然と共生する住居」といいましょうか♪rakuten住まいの中の自然大地に埋もれた住居といえば、早い話、原始的な縦穴住居のイメージに近いものであるが・・・最もラディカルなものは屋根部分が草原状となった住居である。フンデルトヴァッサーの覆土屋根なんか、ええでぇ♪フンデルトヴァッサーの覆土屋根この本で、そのあたりを見てみましょう。<大地に埋もれた住まい>よりp70~71 大地の特性を活用した住居は古くから世界の各地に見られます。極寒地や砂漠地方に多い理由は、なんといっても地上の大気の影響から逃れられること、つまり過酷な気候のインパクトをやわらげることにあります。 構造的に堅固であることはもとより、地中の熱的な安定性に加えてすぐれた機密性・保温性が確保されやすいからです。たいていの原始住居が、縦穴住居か横穴住居であるのもこのような防御的な特性のためでしょう。 一方、地下であることによって生ずる問題には、第一に地中からの水の浸透、第二に湿気や結露があります。とりわけわが国のように、地下水位の高い地域や湿気の多いところでは建築技術が進歩するほど大地を離れ、高床式になってきたという経緯があります。技術がさらに進んだ今日に至って、ようやくもう一度地下住居の利点を見直すことが可能になったといえるかもしれませんが、解決すべき課題はなお山積しています。 ゆるやかな起伏がどこまでも続くカンサスの、大平原の大地のひだに埋めこまれるように散在している半地下住居は、地上と地下の双方の特徴をうまくひきだすことに成功しています。このようなつくり方はフロンティア時代からのものですが、南側には広い開口部を設けて積極的に日射をとりいれ、北側は半地下にして風を除け、熱の損失を防ぐというように、パッシブソーラーのコンセプトそのものです。 このような住宅のよさを平地でも実現する一つの方法が、覆土住宅(バームハウス)です。建物をつくったあとでそのまわりに盛土し、屋根の上にも土をおいて芝生や潅木が植えられます。防水や排水も容易で、建設後十年も経つと全体が緑で覆われ、まるで周囲の環境に溶けこんでしまったようにみえます。 省エネルギー住宅として、パッシブソーラーハウスとして、あるいはエコロジーハウスとして、世界各地でポピュラーになってきました。半地下の住居といえば、サポーズデザインオフィスの作品がええでぇ♪サポーズデザインオフィスより
2015.03.01
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