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佐々木さんが生まれ育った神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?図書館で借り出し予約して、約5ヶ月・・・それにしても長く待たされた本でした♪【ノー・シューズ】佐々木マキ著、亜紀書房、2014年刊<「BOOK」データベースより>マンガ家デビューから『やっぱりおおかみ』などの絵本創作の背景や『ガロ』で出会った人々との交流までを綴った書き下ろしエッセイ「ノー・シューズ」。神戸の下町で過ごした幼少期を描いたエッセイ「ぼくのスクラップ・スクリーン」。珠玉のエッセイと共に不思議な1コママンガの連作「スカラマンガ」も収録!<読む前の大使寸評>佐々木さんが生まれ育った神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?<図書館予約:(9/09予約、2/25受取>rakutenノー・シューズ佐々木さんが生まれ育った新長田を語っているが、その街は阪神淡路大震災で様変わりしています。新長田は大使が通勤で通った街でもあり、大震災前の佇まいがなつかしいのです。<まち>よりp111~113 大阪から下り快速に乗る。尼崎、西宮を過ぎて、芦屋川を渡れば間もなく神戸市なのだが、六甲山の斜面に沿った屈託ない家並みを見ても、ぼくには何の関係もない。 灘を過ぎ、脇浜の煙が見えて、三宮。そこから大小色とりどりのビル群が元町、神戸と続いて、急に殺風景な感じの兵庫で、各停に乗り換えて次の駅、新長田。 ここが、ぼくが生まれて育った街だ。1950年代に戻ろう。大雑把に言うと、駅の北は煙突の林立する工業地帯、南はごちゃごちゃした商業地だった。ぼくの家は駅のずっと南にあった。 家のすぐそばに六間道という商店街があった。いつも人通りが多く繁昌していたが、ことに年の瀬には買物客で、夏の宵にはそぞろ歩きの人でとても賑わった。 井上靖の短篇に、この六間道でちょっとしたカオの目玉のお竜というズベ公が、やはり不良少女の主人公と長田神社で決闘するという話があったが、似たようなことは実際にあったかも知れない。やくざ者やチンピラも多かった。その小説を読んだ時、この作家は絹の道から六間道まで知っている、と感心したものだ。 六間道には芝居小屋があった。近所に何となくぶらぶらしている若い衆がいて、よく連れて行ってくれた。夜遅く銭湯へ行くと、役者たちが舞台化粧のまま、ぞろぞろとはいってきたりした。この小屋はその後、舞台裏から浮浪者の白骨死体が出てきたため、げんが悪いと改装して、三本立ての映画館になった。昭和20年代の終わり頃のことだ。 朝鮮人の多い街で、街中に朝鮮人はいたし、川の両側には貧しい朝鮮人の密集地域が幾つかあった。 差別や確執は当然あったが、絵に描いたような単純な形ではない。朝鮮人の間にも―出身地の違いや、貧富による―感情的な対立や差別があったし、朝鮮人日本人ひっくるめての貧富の差別、住んでいる地域による差別もあって、世の中しんどい仕組みになっていた。 また、小学校の塀に寄りかかるようにして並ぶバラック塀は、奄美大島出身者の居住地だったし、鹿児島県出身者ばかりが住んでいる路地もあった。彼らはそれぞれ、アマミ、カゴシマと呼ばれて特別視されていた。 ぼくは朝鮮人の子供を避けなかったが、何もぼくに平等博愛の精神があったからではない。彼らを避けていたら、遊び友達の半分以上を失うことになるからだ。それに、実際彼らとは結構うまが合っていた。 その代わりに(というのも変だが)ぼくは家の裏に越して来た鹿児島の子をいじめた。平等博愛の精神なんてなかったのだ。初めのうちはメンチャ(メンコ)やラムネ(ビー玉)をして仲良くやっているのだが、決まって途中から、ぼくがいびりだすのだ。聞き取りにくい言葉を喋る、鈍感で卑屈で、図々しい相手(と、その時は思った)にいらいらして、泣き出すまで容赦しなかった。悪いことをしたと思う。マンガ雑誌「ガロ」との関わりが語られています。当時の大使は、「ガロ」を見たかもしれないが、気に留めるほどではなかったのです。<ガロ>よりp149~151 「ガロ」という奇妙な名前のマンガ雑誌を、私が初めて手にしたのは1966年のことだった。創刊号から最新号までの20冊ほどを、まとめて誰かから借りたのだ。 目当てはもちろん白土三平の『カムイ伝』である。私はそれより少し前に三洋社版の『忍者武芸帳』全巻を通読して、その迫力とおもしろさに圧倒されたばかりだった。 毎号百ページ掲載の『カムイ伝』はなるほど凄かったが、残りのページに載っているさまざまなマンガが、これまた非常におもしろかった。 水木しげるという人のマンガを初めて見たが、とぼけた不思議な味わいの作品を描く人だと思った。 つげ義春の作品とも久し振りに対面した。貸本屋以来お目にかかっていなかったので。 滝田ゆうという人のマンガも初めて見たが、とても好きになった。独特の線描と、ギャグとオチ。うまい落語を聞くような気分。 それにしても、この一見野暮ったくて貧乏くさい(そして、かなりいい加減な)「ガロ」という雑誌が、その時の私にはどんなに新鮮で魅力的に見えたことだろう。ちょうど、身なりやマナーにはまるで無頓着だが、とびっきり自由で風通しのよい精神を持った放浪児に出会ったように。 私は毎月「ガロ」を買って読むようになったが、それだけでは飽き足らなくなり、その年の夏、短い風刺マンガを描いて投稿した。私の投稿は採用され、その年の11月号に掲載された。 天にも登る気持ちとは、この時のことを言うのだろう。 原稿料2千円のはいった現金封筒には、メモ用紙を破りとったような紙切れに、恐ろしく下手な字で「アナタノ漫画ハ面白イノデ コレカラモ送ッテ下サイ」と書かれたものが同封されていた。私はこれを書いた人が青林堂社長にして「ガロ」編集長の長井勝一氏とは夢にも思わず、なぜかの書いたものと思い込んでいた。 マンガを描くことに私が熱中し出したのは、それからである。人の運命はこんなふうにして狂っていく。それにしても赤瀬川原平といい、佐々木マキといい、『ガロ』には本当に異能の持ち主がいたんですね。なお、佐々木マキの作品については「『ガロ』を見ずに過ごしてきた」に載せています。佐々木さんの通学ルートは、大使の通勤ルートでもあったので懐かしいのです。10年ほどの時間差はあるが、ニアミスしていたようです。<うんが>よりp157~159 ぼくが通っていた高校は兵庫運河の南にあった。通学のコースは幾つかあったが、吉田町回りの市電だけは厭だった。 その市電は和田岬の三菱重工へ通う連中で満員で、おれたちは三菱で働いているんだぞ、そこら辺の吹けば飛ぶような町工場へ行ってるような連中とはわけが違うんだという意識が、彼らのちょっとした物言いや態度の端々に表れていて、たとえ15分でもこの連中に揉まれているのは、実に不快だった。貧しい俗物ども。 いきおい松原回りの市電に乗ることになる。中ノ島で降りて橋を渡り、運河に沿って歩いて行く。(中略)川西英「運河」 運河の岸にはさまざまな倉庫や木材置場が並んでいる。冬は水の上を渡ってくる風が冷たい。 スズメや時にはハトが、荷揚げの際にこぼれた穀類に群がっている。小さなクレーンが軋み、人夫たちが猫車を押している。 洗濯物をかざしたダルマ船の上で犬が啼いている。水に浮かんだ夥しい木材の上を、長い柄の鳶口を手にした男が跳びはねている。木材を区別したり移動させたりの仕事だろうが、ここから見ていると、大の男が退屈しきって無意味な跳躍をしているとしか見えない。 高校の周りも工場が多かった。屋上から、運河一帯そして兵庫駅のほうを眺めていると、どうでもいいや、という気分になった。何がどうでもいいのかその時も今も説明できないけれど。雨の日には油脂工場が臭い、乾いた日には肥料工場が臭った。 ビートルズは強烈だった。もうずっと以前から心の中にあったものが、やっと突破孔を見出したような感じだった。見えなかったものが見えたようで、荒々しく優しい気持ちになれた。
2015.02.28
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この『本屋さんで待ち合わせ』という本は図書館に予約していたのだが、予約5日後にゲットしたものです。ラッキー♪読み始めてまず、わりと男性的な文体に驚くのです。文体もさることながら、三浦しをんの本に対する関心が我ら団塊の世代とかぶるわけで・・・まるで、オッサンやんけ♪(親近感がわくのです)【本屋さんで待ち合わせ】三浦しをん著、大和書房、2012年刊<「BOOK」データベース>より口を開けば、本と漫画の話ばかり。2012年度本屋大賞に輝く著者が本と本を愛するすべてのひとに捧げる、三浦しをんの書評とそのほか。<大使寸評>読み始めてまず、わりと男性的な文体に驚くのです。文体もさることながら、三浦しをんの本に対する関心が我ら団塊の世代とかぶるわけで・・・まるで、オッサンやんけ♪(親近感がわくのです)<図書館予約:(2/17予約、2/22受取)>Amazon本屋さんで待ち合わせオッサン好みのあたりを見てみましょう。<読むと猛然と腹が減る>よりp20~21 1人で食事をするときは、たいていなにかを読みながら食べる。そして私はたいてい、家でも外でも1人で飯を済ます。必然的にほとんどいつも、食事は読書とセットである。 このごろでは、片手でページをめくりやすいことを基準に、外食時のメニューを選ぶようになった。フォークとナイフを使うような洋食は駄目だ。和食も、茶碗やらお椀を頻繁に、箸を持たぬほうの手で持ち替えねばならないから避ける。結局、酒のつまみと酒ばかり口に入れることになる。「本を読みやすい」ことを第一に食事のメニューを決めるのと同じく、「食事時にふさわしい内容の本」を吟味するのも、またなかなか難しい。 登場人物がつらすぎる目に遭ってたりすると、「呑気に食べててすみません」という気分になっていけない。また、性描写が濃厚すぎると、食事そっちのけで読みふけってしまう。悲しすぎず、生々しすぎぬものが、食事時には向くようだ。 今日は昭和の喜劇役者・古川録波の『ロッパの悲食記』(ちくま文庫)を読んだ。これは食事時の本として最適であった。とにかくロッパ氏が食べる食べる。 戦時時の日記を読むと、おおかたのひとが満たされぬ食欲を嘆いているものだが、こんなにも食欲を訴え、さらにその食欲を満たすためになりふりかまわず邁進してるひとははじめてだ。情熱という言葉ではなまぬるいほどの食欲。おいしいご飯をブラックホールのごとく無尽蔵に吸いつくす強靭な胃袋。 「またすごい質量を食べてるー!」と読んでいておかしいのだが、同時に少しの哀しみもある。「悲食記」とは言いえて妙で、食事のことばっかり考えてる(ように見受けられる)ロッパ氏は、いくら食べても腹が減ってしまう生き物の哀しみと不毛に、無謀にして悲愴な戦いを挑んでいるかのようだ。 崇高さと威厳を感じさせるロッパ氏の食への飽くなき要求に触発され、私も食事時でもないのに猛然と腹が減り、困ってしまった。深夜についに耐えきれなくなり、コンビニのたらこスパゲティーを食べる。499キロカロリー也。嗚呼。今では街宣車のヘイトスピーチに曝されているようだが、オオクボの定点観測が興味深いのです。<『オオクボ 都市の力』>よりp117~118 新宿区大久保は、なんの変哲もない商店街と住宅街だった。ところが20年弱のあいだに、活気ある一大多国籍街に変貌した。 なぜ大久保は短期間で変化し、現在も変化しつづけるパワーを秘めているのか。本書は、ひとつの町を定点観測した記録だ。 私が大久保にたまに遊びにいっていたのは十年ほどまえで、当時からハングルの看板が多いなとは思っていたが、現在では「韓流ブーム」によって、おばさまたちも買物や食事に訪れるらしい。(2015年現在、韓流ブームは下火のようだ) もちろん韓国ばかりではなく、中国・台湾・タイ・ミャンマーなど、各国の料理屋さんが出店し、人種も国籍も宗教もちがう人々が「共生」している。 大久保は新宿の繁華街から徒歩圏内だ。家賃の安い、古いアパートもたくさんあった。そのため、歌舞伎町で働く外国人や留学生が自然に集まるようになり、大久保の多国籍化がはじまったらしい。また、そもそも大久保は江戸時代のはじめに、主君の江戸移住に伴い、よそから引っ越してきた下級武士の町として成立した。大久保は最初から「移民」の町だったし、住民の出入りが激しい「都市の周縁部」の町だった。その土壌が、適度に個人主義で、「異質なもの」の流入を拒まない気風を育てたようだ。 生活習慣のちがいによるトラブルも皆無ではないが、それはどこの町であっても、隣人がだれであっても、起こり得ることだ。以前から住んでいた日本人も、いまや隣人が外国人であるのを「当たり前」と受け止めるようになった。 たくましい「生活」の魅力と発展の形が大久保にはある。町をつくるのは「都市計画」などではなく、そこに住む人間のパワーにほかならないのだと。本書に掲載された多数の写真がものがたっている。どの店の看板も装飾過剰気味です!眺めるだけでワクワクする。東京観光の際には、ぜひ大久保にも行ってみよう。そう思わされる本だ。この記事も三浦しをんの世界に収めるものとします。
2015.02.27
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。で、今後は「図書館予約の軌跡」としてフォローすることにしたのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)・だから日本はズレている(12/08予約済み)・日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う(12/15予約済み)・キャプテンサンダーボルト(1/07予約済み)・東京ブラックアウト(1/07予約済み)・工作舎物語(2/11予約済み)・イスラム国(2/25予約済み)<予約候補>・絵巻物による日本常民生活絵引・中空構造日本の深層・夜また夜の深い夜・21世紀の資本・安倍晋三と翼賛文化人20人を斬る・ダイオウイカは知らないでしょう・33年後のなんとなく、クリスタル・英国一家 日本を食べる・経済と人間の旅<予約取消し>・反日プロパガンダの近現代史(2/05に購入済み)・地方消滅(待ってられないんで、買う予定)・ジェフ・ベゾス 果てなき野望<予約分受取>・これを語りて日本人を戦慄せしめよ(11/17予約、11/23受取)・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/7受取)・日本語に生まれて(12/09予約、12/16受取)・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約、12/16受取)・驚きの介護民俗学(12/23予約、12/28受取)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約、2/06受取)・本屋さんで待ち合わせ(2/17予約、2/22受取)・ノー・シューズ(9/9予約、2/25受取)【イチョウ 奇跡の2億年史】ピーター・クレイン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長崎の出島が悠久の命をつないだ!ヒトの役に立ち、敬われてきたからこそ、この愛すべき樹木がたどったあまりに数奇な運命!2億年近く生き延びたあとに絶滅寸前になったイチョウは、人間の手で東アジアから息を吹き返した。その壮大な歴史を、科学と文化から描く名著。<読む前の大使寸評>人類の過去の記憶、過去のDNAに寄り添うようなイチョウがええなぁ♪銀杏をいただくときは、そのあたりに感謝していただきましょう。<図書館予約:(12/03予約済み)>rakutenイチョウ 奇跡の2億年史イチョウ 奇跡の2億年史byいとうせいこう【だから日本はズレている】古市憲寿著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりリーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。【目次】「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる<読む前の大使寸評>斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・あかんのやろな~。<図書館予約:(12/08予約済み)>rakutenだから日本はズレている【日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う】鈴置高史著、日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベースより>4月のオバマ訪韓で迫られた「踏み絵」を振り切り、7月の習近平訪韓で“ルビコン河”を渡り始めた韓国。激変必至のアジア地図、日本はいかに進むべきか。米中の対立激化、北朝鮮の変節、ロシアの影ー。一気に流動化する世界の「これから」を読み解く。<読む前の大使寸評>良質な鳥瞰図のような視点と、グローバルで政治的な視点と併せ持って考えることが肝要ではないでしょうか。つまり、激高しやすい彼の地の民と同じ土俵で論争するよりも、論争は脇に置いて、民間交流に徹するわけです。<図書館予約順位:7(12/15予約済み)>rakuten日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う【キャプテンサンダーボルト】阿部和重, 伊坂幸太郎著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界を救うために、二人は走る。東京大空襲の夜、東北の蔵王に墜落したB29。公開中止になった幻の映画。迫りくる冷酷非情な破壊者。すべての謎に答えが出たとき、カウントダウンがはじまった。二人でしか辿りつけなかった到達点。前代未聞の完全合作。<読む前の大使寸評>売れっ子作家2人による合作ということで気になるわけです。サスペンス仕立てなので、それなりに面白そうである。エキサイトニュース阿部和重と伊坂幸太郎の合作で『キャプテンサンダーボルト』が抜群におもしろいに、合作のウラ話が載っています。<図書館予約順位:110?(1/07予約済み、神戸市は入荷待ち)>rakutenキャプテンサンダーボルト【東京ブラックアウト】若杉冽著、講談社、2014年刊<商品説明>より大ベストセラー『原発ホワイトアウト』を凌ぐディテールと迫力!! キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル、最新作! 「原発再稼働」が既定路線のように進む日本……しかし、その裏には真っ黒な陰謀が渦巻いていた! いったん「原発再稼働」を認めれば、「発送電分離」は不可能となる……そのカラクリを暴いていくと驚愕の真実にぶち当たった……そう、「原発再稼働」で殺されるのは、大都市の住民だったのだ!! 自分の家族の命と財産を守るため、全日本人必読の書!<読む前の大使寸評>キャリア官僚がクビ覚悟で執筆したようだが、クビになっても生きてゆけるという大胆さがいいですね♪<図書館予約順位:6(1/07予約済み、神戸市は入荷待ち)>rakuten東京ブラックアウト【工作舎物語】臼田捷治著、 左右社、2014年刊<「BOOK」データベース>より70年代の黎明に工作舎という編集宇宙を学ぶ。才能を呼び集める才能とは?クリエイター列伝、屈指のノンフィクション!【目次】第1章 松岡正剛ーなにもかも分けない方法/第2章 戸田ツトムー小さな声だからこそ遠くまで届く/第3章(芦澤泰偉ー遅いという文句は出ない/工藤強勝ー報酬はタブーの世界/山口信博ー間違えるのも能力/松田行正ー密度がとにかく濃い/羽良多平吉ー最後までなじめなかった)/第4章 森本常美ー夢を見ていたよう/第5章 祖父江慎ーおどろきしまくりの日々<読む前の大使寸評>編集者松岡正剛が給料を度外視して打ちこんだ工作舎とは、どんなだったのか♪この本は、図書館に借り出し予約しようと思うのだ。<図書館予約順位:6(2/11予約済み)>rakuten工作舎物語【イスラム国】ロレッタ ナポリオーニ著、文藝春秋、2015年刊(文字数制限により省略、全文はここ)【絵巻物による日本常民生活絵引】澁沢敬三著、平凡社、新版1984年刊(文字数制限により省略、全文はここ)【中空構造日本の深層】河合隼雄著、 中央公論新社、1999年刊(文字数制限により省略、全文はここ)【夜また夜の深い夜】桐野夏生著、幻冬舎、2014年刊(文字数制限により省略、全文はここ)【21世紀の資本】トマ・ピケティ, 山形浩生著、みすず書房、2014年刊(文字数制限により省略、全文はここ)【ダイオウイカは知らないでしょう 】西加奈子著、マガジンハウス、2010年刊(文字数制限により省略、全文はここ)図書館予約の軌跡13図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム『朝日デジタルの書評から』で取り上げた新刊を神戸市の図書館で検索しても無い場合が多いのだが、新刊本の場合は、神戸市の予約サイトで「入荷待ち」と表示されて予約受付が始まるようです。
2015.02.26
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NHKドラマ『限界集落株式会社』に有機栽培もちきびの話が出てきますね。このドラマではモチトウモロコシのことを「もちきび」と称しているが・・・キビ団子に使う穀物も「もちきび」と呼ばれています。ネットで「もちきび」を探してみたら、以下ヒットしました。もちきび:田中米穀店より 古代中国でもちきびは「黄米」と言い、最高級の主食とされていました。白米と比べて食物繊維約3倍、カルシウム約2倍、マグネシウム約4倍、鉄分約3倍、カリウム約2倍です。 良質のたんぱく質、ビタミンB群、鉄分、ミネラル、食物繊維が多いにも関わらず低カロリー。 熱を加えても黄色が鮮やかで華やか。サラダのドレッシングに入れると色がきれいですし、スープやグラタンに入れると、とろみがついてやさしい味になります。ほんのり甘いので、炊いてきなこや黒みつをかけるとりっぱなおやつになりますよ。なんで、もちきびなのか・・・先日も『続・照葉樹林文化』からモチ種穀物を引用したように、とにかく、モチが好きなんですよ♪<照葉樹林文化とモチ種穀物:上山春平>よりp8~10 今でこそ、照葉樹林文化の分布する地域においては、イネが主穀の地位を占めているが、それは平地の水田農耕が普及するようになってからの話である。それ以前、山地の焼畑農耕が支配的であったころには、ミレット(雑穀)が主穀であり、イネはオカボとして、ミレットのひとつとしてのあつかいをうけてにすぎなかった。 その段階で、今日のイネにあたる主役の地位を占めていたのは、おそらくアワであったにちがいない。アワは、キビやシコクビエなどと共に、照葉樹林文化がサバンナ農耕文化から取り入れた作物であった。しかし、照葉樹林文化は、サバンナ農耕文化には存在しなかったモチアワをつくり、モチキビをつくった。 照葉樹林文化はモチアワやモチキビだけでなく、モチゴメやモチトウモロコシなど、穀物のモチ種をしきりにつくりだした。この事実は、中尾さんの指摘があったにもかかわらず、従来ほとんど注目されなかったのだが、それは、おそらく、世界の農耕文化における照葉樹林文化の独自な存在が確認されていなかったからにほかなるまい。 照葉樹林文化というカテゴリーを設定する私たちにとっては、モチ種穀物の創出という現象が、照葉樹林文化にとってはまことに根の深い特徴のように思われる。つまり、それは、照葉樹林文化の農耕以前の段階における食生活の習慣に根ざしているのではないかと考えられるのである。 もっと具体的にいえば、そういう古い段階で、モチのような粘性の感触を好む味覚体系が定着し、そうした味覚体系によって、穀物のモチ種を作物化するような方向が促進されたのではあるまいか、と考えられるのである。 農耕以前の照葉樹林文化の段階といえば、たとえば、日本の縄文時代あたりがほぼそれに当るとみてよいのだが、そういう段階の食料のなかで、粘性の感触を好む習慣を定着させるようなものといえば、ドングリなどの堅果類やクズ・ワラビなどの根茎類がある。それらをくだいたり水晒しをしたりしてデンプンを取り、それを熱湯にそそぐと、カタクリ粉に熱湯をそそいだのと同じようなネチネチした感じになる。またマムシグサ(テンナンショウ)のような野生のイモ類をゆでてウスでついた場合も、同様なねばっこい感じになる。 このように、野生の堅果類や根茎類などからデンプンをとり、それを加熱して食べるという食料加工技術(調理法)は、農耕以前の段階における照葉樹林文化において、きわめて重要な役割りをはたしていたように思われる。そこでは、おそらく、材料が豊富に得られたであろうから、栽培化の方向はあまり進まなかったが、加工技術の面は、日本の縄文時代の土器や石器などから推測してみても、かなり高度な発達をとげていたにちがいない。 そうした加工技術が、特定の味覚体系をつくりあげ、そうした味覚体系が、作物品種の選別に大きく影響を及ぼしたのではあるまいか。私たちは、照葉樹林文化におけるモチ種穀物の創出の背景をこのように考えてみた。モチトウモロコシの「もちきび」がもちとうもろこしを産地直送!:浦田農園に出ています。
2015.02.25
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最近流行っている漫画が、あまり面白くないのだ・・・それは単に我がテイストが時流に遅れているだけかもしれないな~。それに反して、杉浦日向子のテイストがますます貴重なものに思えるのだ。本当に惜しい人を亡くしたものだ。・・・ということで、杉浦日向子についてあれこれ集めてみます。・大江戸観光・娘を化十(ばけじゅう)と呼ぶ・東京という夢 YASUJIと杉浦日向子・いしかわじゅんの『百物語』評・コメディーお江戸でござる********************************************************************* <大江戸観光>この本のあちこちに、SF映画のうんちくが出てくるように・・・日向子さんは、けっこうSF映画が好きだったようです。だいたい、時代考証という点では、歴史小説もSF映画も似ているもんね。【大江戸観光】杉浦日向子著、筑摩書房、1994年刊<「BOOK」データベースより>ちょっと江戸を散歩してみませんか。理屈や趣味やウンチクにとらわれるよりも、はとバスにでも乗った気分で出かけてみましょう。名ガイドが、明るく案内する浮世絵、歌舞伎、戯作、怪談、珍奇なものたち…遠い昔の江戸の街が、ホラ、こんなに身近で、愉快なワンダーランドだったなんて…。タイムマシンに乗って、別天地へようこそ。 <大使寸評>漫画作家としても秀逸で、独特な拘りが良かったですね。惜しい人を亡くしたものだ。Amazon大江戸観光日向子さんは、けっこうSF映画が好きだったことが、次のエッセイに出ています。<江戸のディレッタント>よりp100~103「なんで江戸がすきなんですか?」と聞かれると、いつもうまい答がみつかりません。 たとえば南極とかガラパゴス諸島に行ってみたいというのと同質で、皇帝ペンギンの群れの中にボーゼンと佇んでみたいとか、イグアナと戯れてみたいとか思うのと同じように、江戸時代へ行ってバクゼンと数日間暮らしてみたい、できれば毎年ひと月は江戸時代に住みたいという感覚なのです。 ただ決定的な違いは、現実化が不可能という点ですが、それでもファルコン号でハンソロとランデヴーを楽しみたいというのとも違います。それは、「足下の過去」だからであります。 とはいえ、ミーハー的心情に少しの隔たりもない事はコックリ認めます。「もし~だったら」というifあそびをしたいと思います。 江戸時代に住むのなら、どんなニンゲンが良いか。迷うことなく大店の若旦那です。しかもタダの若旦那ではなく、謹厳実直な弟に家業を譲り、財産を半分こして風雅な地に若隠居をするという念の入れようです。 滝亭鯉丈描くところの『花暦八笑人』の左次さんがソレです(八笑人は落語「」のモトになった戯作で、講談社文庫で手軽に読めます。ゼヒおためしを)。アア左次さんになりたいと日夜願っております。 要は江戸のディレッタントにあこがれているのです。江戸のディレッタントは3種に分けられます。つまりであります。 といえば、趣味人の最高峰であり、皆が目指すところであります。 というのは、その登頂に失敗し、しかもソウナンに気付かず、本人は征服した気になっているのが特徴です。この人達は遊女にふられたり、イロイロばかにされたりする訳ですが、ソコハカとなく哀愁ただよう愛すべき人々です。 はいうまでもなくダサイ人です。が田舎っぽいとは別に未熟である事もいいます。ウブな息子は後者の野暮であり、つまり成長株といえます。通人の予備軍もこの野暮中にあるのですが、野暮は野暮のままでも、かわいいとか純だとかいわれて、意外と遊女にもててしまったりするのです。 野暮には通人への可能性が残されていますが、半可通は通人になありえない存在です。野暮→半可通→通人という図式は成り立たず、半可通は別種の固体といえます。半可通の哀愁というのは、どうやらそのへんにあるようです。 さて、とは何でしょうか。「あの人は粋だね、通だね」とは未だにいいます。通と粋は同義のようです。 さっそく名著『「いき」の構造』を岩波文庫で読む。なんだかわからない。で『「いき」の構造を読む』という朝日選書を読む。一向にわからない。 ソコはソコ、江戸時代人の美意識なんだと納得して、自分が見て、通だな粋だなと思う身だしなみ、着こなしを図解し、「あなたもなれる江戸の色男」を立案いたします。********************************************************************* <娘を化十(ばけじゅう)と呼ぶ>東京なんて、仕事でもないかぎり、あんな成り上りの街は敬して近づかないのがいちばんと思う大使であるが・・・・東京で会う人のてまえ口には出さないけど、実は密かに東下りと思っているのです。でも、杉浦日向子が描きだす江戸は話は別です。杉浦日向子の漫画『百日紅』を図書館で借りたけど、これが大当たりでした。NHKの「コメディーお江戸でござる」のコメンテーターとして、その膨大な時代考証を披露していたときは、その博識にただ唖然としたが、彼女の漫画を手にしたのは初めてでした。人三化七(にんさんばけひち)とは、まずい女を表す非情な形容なんですが・・・・・・アゴ(アゴというのは北斎が娘のお栄を呼ぶときのあだ名です)を、時に「化け十」と実も蓋もなく呼ぶ北斎である。この漫画には、父と娘の浮世離れした生活が描かれるが・・・・いい味出ています♪お栄をアゴと呼ぶのは、芸術家の不器用な愛情表現と言えなくもないのですが、北斎は娘の画力を案外と買っているのです。アゴお栄には、杉浦日向子自身が投影されているようですが・・・・やや物憂げな顔とうらはらに、一晩で龍の絵を描ききるというガムシャラなところがある・・・やはり、芸術家肌なんですね♪杉浦日向子は見てきたように江戸のイメージを構築するクリエーターでしたが、上方に住む大使としても・・・・・東京は好きになれないが、日向子ワールドのお江戸が好きなんです。杉浦日向子『百日紅』ところで、日向子さんはリドリースコットを高くかっていたようですが、時代考証に拘る日向子さんならではでしたね。「エイリアン」がショックだったのは、宇宙船が、油まみれで汚れ、あたかも東名高速を地ひびきをたてて走る輸送トラックのようなリアリティだったからです。リドリー・スコットは、だから、エライ。「ブレード・ランナー」も、未来都市のごちゃごちゃが、ヒドク、リアルでスゴかったです。荒唐無稽な「レイダース」がオモシロイのも、小道具やセットが限りなく本物っぽいからなのです。『大江戸観光』p65*********************************************************************【東京という夢 YASUJIと杉浦日向子】より井上安治の絵7年前46歳で惜しまれながら世を去った漫画家・杉浦日向子。「百日紅」、「百物語」など江戸を見てきたように描き、その土地の地霊に深く共振し、数々の忘れがたい名作を残した。その杉浦がとりわけ傾倒した浮世絵師が、明治初期に活躍した井上安治であった。安治は25年という短い生涯の間に、百数十枚の江戸名所絵を残した。〈浅草橋夕景〉〈蛎殻町川岸の図〉・・・・・・隅田川沿いの暮れゆく町のゆったりしたたたずまい、静まりかえったたそがれが小さな画面の中に奇跡のように描かれている。1988年に出版された漫画「YASUJI 東京」で、杉浦は切々と安治への思いを語り、安治の版画絵を透かしてその向こう側に明治の東京を、さらにそのずっと昔の武蔵野の原野を幻視した。杉浦は思う「東京はいつでも原野に戻る用意があるように思われる」江戸のたび重なる大火、明治以来の近代化、大震災と東京大空襲と焼け跡からの復興。********************************************************************* <いしかわじゅんの『百物語』評>「漫画の時間」から『百物語』のいしかわじゅん評を紹介します。【本当に怖いもの】「漫画の時間:いしかわじゅん」p275~276より さあて、今回はなにを紹介しようか、と思って、各種単行本が山積みになっている仕事場を見回したら、杉浦日向子が目についた。 彼女をご存じだろうか。時々テレビにも出ているので、きっと顔くらいは見たことがあるだろう。世間では美人ということになっているが、まあそのへんは、趣味の問題もあるので、ここで深くは追求しないが。いや、ぼくはもちろん、なかなか可愛いと思っているのである。 彼女の本職は、時代考証家だ。それと同時に、漫画家でもある。時代考証家のほうは、彼女がどのくらい偉いのか全然わからないが、漫画のほうは、断言できる。 杉浦日向子は、面白い。そして、怖い。『百物語』というのが、今回ご紹介する漫画だ。これは、ほんとに面白い。出版元が新潮社なのが、ちょっとネックではある。いや、別に新潮社の社風に問題があるという意味ではない。ただここは、漫画をあまり出していない。活字の山が中心だ。だから、漫画を売るノウハウがあまりない。実はぼくも、『約束の地・憂国』という単行本を、ここから出したのだが、残念なことにさほど売れなかった。でもまあ、その代わり、きちんとしたいいい本を作ってくれたので、いいのである。彼女の本も、たぶんそこそこは売れているとは思うが、その面白さを考えれば、ベストセラーリストに登場してもいいところである。もったいないのである。 (文字数制限により省略、全文はここ)********************************************************************* <コメディーお江戸でござる>東京嫌いの大使も、このコメディーの江戸情緒にはわりと惹かれていたんです♪(文字数制限により省略、全文はここ)杉浦日向子さんの本
2015.02.24
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朝日デジタルに吉岡桂子(本社編集委員)の書評というコラムがあるので、大使は常々チェックして、図書館予約に利用したりしているわけです。とにかく、中国関連の書籍についてはチャイナウォッチャーでもある吉岡委員のチェックが必須になります(笑)で、大使の日記でとりあげた書評を並べてみます。・プーチンはアジアをめざす・重層的地域としてのアジア・出使日記の時代・敗戦とハリウッド・満蒙―日露中の「最前線」・死者たちの七日間・ナショナリズム入門*****************************************************************************プーチンはアジアをめざすより<図書館予約:未>朝日デジタルの書評から61*****************************************************************************重層的地域としてのアジアより<図書館予約:未>朝日デジタルの書評から56*****************************************************************************日韓歴史認識問題とは何かより<図書館予約:神戸市は収蔵なし>朝日デジタルの書評から55*****************************************************************************敗戦とハリウッドより<図書館予約:11/14予約、2/06受取>朝日デジタルの書評から53アメリカの占領政策byドングリ*****************************************************************************満蒙―日露中の「最前線」より<図書館予約:未>朝日デジタルの書評から50*****************************************************************************死者たちの七日間より<図書館予約:未>朝日デジタルの書評から48*****************************************************************************ナショナリズム入門より<図書館予約:(9/11予約、10/15受取)>朝日デジタルの書評から45ナショナリズム入門byドングリ
2015.02.23
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・プーチンはアジアをめざす・経済と人間の旅なお朝日新聞デジタルのサービスが向上したせいか、書評欄は掲載日に見られるようになっています。(たまに、遅れることもあるけど)***************************************************************プーチンはアジアをめざすより<中国の存在の大きさ浮かぶ:吉岡桂子(本社編集委員) > ベテランのロシア専門家が豊富な蓄積から自在に見立てを展開した新書。かたや、30代の研究者が博士論文をもとに分析を積み上げた初めての単著。両書に共通するキーワードは、アジアだ。 冷戦終結後も、大国の地位に執着するロシア。米国の覇権を牽制しつつ、台頭する隣国、中国には過度な依存を避けようと腐心する。世界の経済成長の中心にあり、中国の潜在的な脅威にともに向き合うアジアの国々との関係は重要度が増している。日本も、その方程式のなかにある。クリミア併合など「ウクライナ危機」に伴う欧米からの制裁が、ロシアを東方へとさらに押し出す。 こうした現況を、下斗米氏は「脱欧入亜」と表現する。前半は、ロシアの視点で見たウクライナ問題を中心に描く。書名でもある第5章「プーチンはアジアをめざす」で、アジア太平洋経済協力会議(APEC)のウラジオストク開催に象徴されるシベリア・極東地域の開発強化と、その背景にある中国の存在を浮かびあがらせる。続く最終章で国際政治の均衡の変化を指摘し、日本にはロシアとの関係深化を説く。 いっぽう、加藤氏は、ロシアが東南アジア諸国連合(ASEAN)とのつながりやAPECへの加盟、北朝鮮の核問題をめぐる6者協議といったアジアの多国間の枠組みを利用し、「地域からの政治的・経済的な孤立を克服」しようと動いてきた姿をみる。米国を重要な構成員とする、面として広がるアジアとのかかわりを丁寧に追う。そして、これからも対外強硬路線は捨てないものの、対話と政策を表明する場を確保するために「多国間主義」は維持すると見通す。 いずれも、ロシアの対中外交を特別にとりあげた仕立てではない。にもかかわらず、中国の存在の大きさを読後に残す。視点を変えて中国を考えるきっかけにもなる。 ◇ 下斗米伸夫著、NHK出版、2014年刊<「BOOK」データベース>よりウクライナ危機が生んだのは、冷戦以来とも言われる深刻な米ロ対立であった。国際政治はなぜここまで緊迫化してしまったのか?日本が取るべき道はどこにあるのか?すべてのカギを握るのは、プーチンが舵を取る「脱欧入亜」戦略である。クレムリン内外に通じる著者が、日ロ関係を含む国際政治の大変動を展望する一冊。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ本だから、外れはないだろう。いずれにしても、ロシアにとって対中戦略が死活的に大きいようです。<図書館予約:未>rakutenプーチンはアジアをめざす経済と人間の旅より<効率より人を重んじた思想家:水野和夫(日本大学教授・経済学) > 宇沢弘文は経済学者の枠には収まらない。思想家と呼んだほうがふさわしい。ある時宇沢は「本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然」とし、そして確信する。「経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない」 米国の主流派が「人間疎外の経済学の必然的な帰結」となったのは「平等、公正といった社会的、人間的な含意をもつ概念は無視され、効率という経済的なもののみが、形式論理のわく組みの中で論じられてきた」からである。 人間疎外の萌芽は66年、マクナマラ米国防長官が議会公聴会で「もっとも効率的な、経済的な手段によってベトナム戦争を行ってきた」と証言したときにあり、著者は「ことばに言いつくせない衝撃を受けた」。 遡れば32年にライオネル・ロビンズが「経済学者は、目的の正当性について語る資格はない」と考えた時にすでにその予兆があった。 その後の経済学の発展は、著者が71年に書いた新古典派経済学に疑問を投げかける論文や、ジョーン・ロビンソンの「経済学の第二の危機」講演での警告を無視し、「ケインズ以前の新古典派理論の復活」の形を取っていった。 著者は90年夏、ローマ法王からの手紙をうけとり、翌年の新たな「レールム・ノヴァルム」(革命)のテーマとして「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を提案し、採用された。直後にソ連が崩壊、今、格差を問題視するピケティの『21世紀の資本』が世界的ベストセラーとなって顕在化している。まさに宇沢の慧眼が証明されたのである。 評者の臆測では、スウェーデン王立科学アカデミーは、たとえ受賞させたくても、混沌とする時代を憂いリベラルアーツや倫理学を重要視する宇沢には、ノーベル経済学賞を贈れなかっただろう。思想賞があれば別だが。 ◇宇沢弘文著、 日本経済新聞出版社、2014年刊<商品説明>より行動する知識人の唯一の自伝。「私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった」--。2014年9月に亡くなった行動する経済学者、宇沢弘文氏。2002年3月に日本経済新聞に連載したものの、長く入手困難だった唯一の自伝「私の履歴書」が初めて単行本になりました。<読む前の大使寸評>水野和夫さんが選んだ経済学著作だから、外れはないだろう。宇沢弘文氏唯一の自伝ということなので、読むしかないでしょうね。<図書館予約:未>rakuten経済と人間の旅**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から60
2015.02.23
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子どもの貧困率が諸外国中ワースト1位との統計がある日本であるが、国連新統計では、一人あたりの資本では日本が世界一だって?♪・・・ということで、豊かさの尺度を考えてみます。先ず、子どもの貧困率を見てみましょう。wikipedia子どもの貧困率より<経済協力開発機構公表> 2008年10月に「Growing Unequal Income Distribution and Poverty in OECD Countriesで子どもの相対的貧困率を公表。 2005年の日本の子どもの相対的貧困率は14%であった。世界的には、より母親が働いている国では子どもの貧困率が低く「労働は貧困を減らす」というデータも同報告書には掲載されている。 2005年の日本の母親の就業率は52.7%で、24か国中の平均を下回っている。日本ではひとり親の相対的貧困率が高く、無職では60%で30か国中ワースト12位と中位であり、有業のひとり親の相対的貧困率については58%で諸外国中ワースト1位だった。 2012年1月27日公表の2008年現在データでは、ひとり親無職の相対的貧困率は52.5%で、有業では54.6%と働いているほうが貧困率が高くなっている。このため、ケネディ駐日アメリカ合衆国大使(第29代)からは「日本は、仕事をすることが貧困率を下げることにならない唯一の国」と評されている。 <母子家庭の就労> あわせて、母子家庭の貧困について内閣府は、「税制・社会保障制度の影響による就業調整の影響もあり,女性は,相対的に低収入で不安定な非正規雇用につきやすい就業構造がある。 さらに,このような若い時期からの働き方の積み重ねの結果として女性の年金水準等は低く,高齢期の経済的基盤が弱いという問題もある」とし、また、多くが母子家庭であるひとり親世帯の貧困率をみると、有業者であっても貧困率が高いという日本特有の状況があるとして、「この背景には,育児等との両立等の理由により,選べる職種が臨時・パート等非正規雇用が多くなりがちであることが影響していると考えられ,母子家庭の就労率は85%と高いにもかかわらず,約7割が年間就労収入200万円未満という状況がある(平成17年)」と 内閣府男女共同参画局 男女共同参画白書平成22年版で分析している。次に、文芸春秋のwebページで「国連新統計」を見てみましょう。これが日本の実力だ資本 国連調査で「世界一の豊かさ」より 日本は世界で一番豊かな国である――。こう述べると、自信喪失のただなかにある多くの日本人は「空元気はやめてくれ」と言いたくなるかもしれない。長期デフレを克服できず、GDPでは中国に抜かれ、人口減で衰退の道を進むほかない。そんな日本像が蔓延しているからだ。 しかし、それは誤解である。GDP中心主義、すなわち経済成長率が豊かさを計る唯一の基準だという誤った認識に基づいているからだ。日本のように成熟した経済先進国が、大幅な経済成長を続けられるはずがないし、それを目指す必要もない。 実は、今、一国の豊かさについて、新しい考え方が、欧米各国に浸透しつつある。それは経済活動の規模(GDP)を前の年に比べてどれだけ大きくしたか(経済成長率)ではなく、国民の福利厚生度がどれだけ高い水準にあるか、将来にわたってその水準を維持し、さらに高めてゆく能力があるかを判断の基準にするものだ。 すでにEUでは、2020年に向けての長期戦略で、GDPという言葉を使っていない。その代わりに眼目となっているのは、若者の学力向上や、貧困者数削減など五項目についての具体的な数値目標である。米国でも2010年度の予算教書では、母子家庭数、銃による死亡者件数、高校中退者数などの推移を「社会的な諸指標」として、それらの数値改善を政策課題として重視している。 そして、こうした動きのさきがけとなったのは、2009年に米コロンビア大学のスティグリッツ教授が主査となってまとめた、新しい経済指標である。この報告書は『暮らしの質を測る』(金融財政事情研究会)として邦訳もされているが、これに基づき、2012年、国連が主要20国を対象として、新しい経済統計(以下、国連新統計)を発表した。 この国連新統計では、(1)国民の頭脳力である人的資本、(2)ヒトが生産した資本、(3)国民の信頼関係である社会関係資本、(4)農業や鉱物資源を中心とした天然資本の四つの資本(この四資本については後に詳しく述べる)に着目し、これこそが、その国の国民の生活の豊かさと、経済の持続性を表すものだとしている。この四資本のうち、数値化の難しい社会関係資本を除く三資本の資本残高を計算した結果(2008年の統計データを使用)、日本は国全体ではアメリカに次いで2位、一人あたりでは43万5千ドル(2000年米ドル換算)となり、2位米国の38万6千ドルを13%も上回って、ダントツの1位となったのだ。国連新統計では、一人あたりの資本では日本が世界一だって?♪・・・そんな実感はないのだが、たぶんこの国連新統計には何らかのファクターが抜けているんだろう。そうでないなら、子どもの貧困率で日本がワースト1となることが説明できないではないか。豊かさの尺度は、統計の作り方でこのようにも違うわけで、政治宣伝で悪用されるんでしょうね・・・要注意なんだろう。安部さんは、相対的貧困率を知らないと漏らしていたが、(私も含めて)勉強不足なんだろう。なお、webページ「国連新統計」は、先日買った『日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)』の冒頭あたりで見られます。【日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)】ムック、文芸春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より新刊雑誌のデータは出版社データしかないようです。<大使寸評>多分、編集部の方針は各分野の第一人者に聞き取りインタビューか、枚数限定のダイジェスト記事を依頼したんだと思うけど・・・その記事アイテムと人選が巧みであり、また食いついてしまったのです。なんか、文春編集部の狙い撃ちに遇っているな~。bunshun日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)
2015.02.22
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ピケティさんも、戦後70年は経済的に見れば特異な時代であったと言っているように・・・日中関係も、地政学的に見れば戦後70年は特異な時代だったのかも知れません。つまり、その間に日米が眠れる獅子を起こしたのではないか。もっと具体的に言えば・・・日清戦争あたりの日本の振る舞いや、魯迅の文学が中国人の中華思想を刺激して、ナショナリズムやコンプレックスに火を点けてしまったようです。でも、数千年の歴史的スパンで見れば、中華の台頭は不思議でもないのかもしれませんね。鄭和の大航海以降、海洋への進出を封印していた中国が、昨今では狂ったように、太平洋の覇権を狙っています。日本やアメリカにとっては、この異常なほどの軍拡にはお手上げとなるわけで・・・あとできることは、中国共産党の自滅を待つだけのようです(笑)中華の台頭あたりについて、『武士の家計簿』の著者・磯田道史さんは次のように述べています。(『日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)』より)p113~114<人口と経済力からみる「中国」との関係>p113~114 日本の凄さは、近世以降の約400年で、経済=一人当たりDGPで、中国に追い付き追い越してしまったことです。江戸期ではほぼ均衡していた日中の力関係が、明治になると、あっという間にその地位をひっくり返してしまった。それまで数千年のアジアの歴史で、異民族が中国を支配することはあっても、大陸の外の国がアジアでトップになったことなどなかった。近代日本は空前絶後の成功を収めたことになります。 さらに戦後、1970年前後に、日本は一人当たりDGPだけでなくDGPそのもので中国を凌駕します。それから2010年にDGP世界二位の座を中国に明け渡すまで、およそ40年間、日本は人口十倍の中国よりも強大な経済を作り上げました。それが近代、そして現代に至る日本人の自信の根底にあったことは否定できないでしょう。さらに言えば、黒船、敗戦の二度にわたるショック体験を、経済的な成功で埋め合わせた、と考えることもできる。磯田さんの警鐘はさらに続きます。<日本列島と母語を手離す?>p115~116 日本が決定的に中国に負けた、と感じたとき、おそらく、日本人は変らざるを得なくなります。 具体的な契機として考えられるのは、ひとつは一人当たりのDGPでも中国の後塵を拝することになったとき。そして、もうひとつは、軍事的な脅威。たとえば尖閣諸島などで中国の侵略に対し、反発できない状況に立ち至ったときでしょう。 私は可能性が高いのは、前者だと思います。 いま日本が直面しているのは、グローバル化した経済システムです。そこではカネもモノも動く。それどころか工場も職場も、そして人までも激しい流動にさらされていくでしょう。中国の台頭は経済的に強大な引力を持った隣国の出現です。そこに人口減という、日本全体の収縮が重なってしまう。そのときに何が起きるのか。磯田さんは、歴史的に地政学的に中国を語っているが・・・昨今の習近平指導部の対日姿勢については巨龍の目撃者に見てみましょう。【日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)】ムック、文芸春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より新刊雑誌のデータは出版社データしかないようです。<大使寸評>多分、編集部の方針は各分野の第一人者に聞き取りインタビューか、枚数限定のダイジェスト記事を依頼したんだと思うけど・・・その記事アイテムと人選が巧みであり、また食いついてしまったのです。なんか、文春編集部の狙い撃ちに遇っているな~。bunshun日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)
2015.02.21
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日本」でしょうか。<市立図書館>・やわらかな生命・とんとん拍子・沈黙より軽い言葉を発するなかれ・誰よりも狙われた男<大学図書館>・日本の藍 ジャパン・ブルー・思わず使ってしまうおバカな日本語図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)なお、『誰よりも狙われた男』は、ネットで借出しを延長したものです。*************************************************************【やわらかな生命】福岡伸一著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より生命を構成するパーツには重複性があり、可変性がある。余剰があり、融通無碍で、遊びがある。生命の特性はその自由度にこそあるのだー芸術と科学をつなぐ深く、色鮮やかな本質。珠玉のエッセイ集。<読む前の大使寸評>週刊文春に連載したエッセイを集めただけという安易な編集ではあるが・・・福岡伸一さんの科学的なエッセイは、ええでぇ♪rakutenやわらかな生命【とんとん拍子】荻野アンナ著、清流出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より旅先での失敗数知れず、パソコンに日々翻弄され、横浜・野毛の町内大道芸大会でレット・バトラーを大熱演!慶大助教授にして芥川賞作家荻野アンナさんの抱腹絶倒のエッセイ集。<読む前の大使寸評>いろんな掲載誌から、著者のエッセイを拾い集めて単行本にした編集者の労はいかばかりか。大胆・豪放・軽妙・洒脱なエッセイが期待できそうでおま♪rakutenとんとん拍子【沈黙より軽い言葉を発するなかれ】 柳美里著、創出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より第1部 3.11以後の表現と表現者(震災と向き合うための「詩」の解体(和合亮一)/原発事故と「閉鎖的共同性」(岸田秀)/3.11後の「日常」と「非日常」(岩井俊二)/作品に描かれた「性」と「死」(山本直樹))/第2部 ノンフィクションとフィクションの間(フィクションだからこそ本当のことを(原一男)/死者に向けて書くということ(佐藤優)/テレビ界の閉塞と女性キャスター(今野勉)/書くという仕事と演じるという仕事(寺島しのぶ))<大使寸評>対談した映画人やジャーナリストたちと核心を突いて話す柳美里さんであるが・・・その幅広い知見と、過激とさえ思える洞察に驚きました。被災地つながりで知った岩井俊二の全作品(30作くらい)を観たそうだが、過激な人なんでしょう(笑)また、佐藤優氏との対談は、お二人ともメディア・バッシングを受けたということでマッチメイクされたようだが・・・自著『オンエア』でテレビ界の閉塞を描いて、きっちりとお返しするなど、感度良好というか、過激な人である。柳さんの『命』が戦後初の発禁本となる判決を受けたように、することなすことがいちいちお役所の疳に障るのは、柳さんがお役所の偽善や落ち度を突いているからでしょう。福島県の被災地など、常に核心の現場にたち現れる柳さんの、その素晴らしい感度が、ええでぇ♪なお、この本は、『創』の篠田博之編集長の編集方針により刊行されたようです。rakuten沈黙より軽い言葉を発するなかれ沈黙より軽い言葉を発するなかれbyドングリ【誰よりも狙われた男】ジョン・ル・カレ著、 早川書房、2013年刊<「BOOK」データベース>よりドイツのハンブルクにやって来た痩せすぎの若者イッサ。体じゅうに傷跡があり、密入国していた彼を救おうと、弁護士のアナベルは銀行経営者ブルーに接触する。だが、イッサは過激派として国際指名手配されていたのだ。練達のスパイ、バッハマンの率いるチームが、イッサに迫る。そして、命懸けでイッサを救おうとするアナベルと、彼女に魅かれるブルーは、暗闘に巻きこまれていく…スパイ小説の巨匠が描く苛烈な諜報戦。<読む前の大使寸評>現実の世界ではイスラム国が仕掛ける諜報戦が熾烈であるが・・・スパイ小説の巨匠が描く諜報戦とは、どんなものか。ハンブルグに侵入したイスラムのテロリストをドイツの諜報機関が追うという設定が、今起きているテロ事件に似ているわけで・・・・現実より先行していたトレンディ・ドラマともいえるのです。rakuten村誰よりも狙われた男【日本の藍 ジャパン・ブルー】吉岡幸雄著、宮帯出版社、1997年刊<「BOOK」データベース>より紺絣の着物や藍絞りの浴衣、筒描きの祝風呂敷など、藍染めの衣料はつい先頃まで、私たちの暮らしにいつでも身近に溢れていたものでした。かつて諸外国から日本を訪れた人々は、この藍のいろを「ジャパン・ブルー(日本の青)」と呼んで賞賛しました。染めを重ねることによって、藍の呈色は、白に近い気品ある薄青から、黒と見紛うばかりの濃い藍色まで、それぞれに美しい色相が得られます。今に伝わる古の染織品の数々を見ると、日本人ほどこうした藍の豊富な色相を生かしきった民族はない、との思いを強く感じます。<読む前の大使寸評>ほぼ全ページがカラー写真なので、きれいな本になっています。rakuten日本の藍 ジャパン・ブルー日本の藍 ジャパン・ブルーbyドングリ【思わず使ってしまうおバカな日本語】深澤真紀著、祥伝社、2007年刊<「BOOK」データベース>より初対面なのに、「私って、コーヒー飲めない人じゃないですか」。料理番組で、「じゃがいもの皮をむいてあげてください」。仕事では、「○○社さんとは、いいお仕事をさせていただいてます」。普通に使っている言葉もあれば、人が使っているのを聞いて、ひっかかる物言いもあるでしょう。よく言われるように言葉は生き物であり、ある言い方、言葉が流行る裏側には、その時代、時代の「日本人のメンタリティ」が隠されています。言葉は世につれ、世は言葉につれ-。第一線の編集者、コラムニストとして、「日本語の最前線」に居続ける著者が、気になる日本語とそこに隠された時代の心理を読み解く、「日本語の精神分析」とも言える、画期的な論考。<読む前の大使寸評>若者の会話を聞いていて、ン?と違和感を持つことが増えたが・・・・この本では、それらを「おバカ語」と名づけています。我が意を得たりと思ったわけです。著者は「おバカ語」を、さらに次の三つに分けています(すごーい)。「自分大好き語」、「幼稚丁寧語」、「実感後」。rakuten思わず使ってしまうおバカな日本語思わず使ってしまうおバカな日本語byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き88
2015.02.20
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先日(1/10)観たNHKスペシャル『ニッポン"空き家列島"の衝撃』が気になっているのです。ふるさとに、売ることも貸すこともできず、それでいて税金を払うだけの実家を抱えて・・・・番組の出演者や観客ともに、皆それぞれ「空き家問題」を抱えているほど、身近な問題なんですね。我々、団塊の世代は仕事を求めて都会に出て都会に住みついたが・・・裏を返せば、全国で団塊の実家は空き家となっているわけです。戦後の住宅政策は、現在の人口減少局面や少子高齢化を想定していないわけで・・・・今となっては、この様な空き家問題が全国一斉に拡大するのではないか。nippon.comというサイトで、この問題を見てみましょう。2014.09.24深刻化する日本の「空き家」問題―その背景と解決策より<戦後の住宅政策 一貫して上昇を続ける「空き家」率> 2013年の日本の空き家数は820万戸、空き家率は13.5%と過去最高を記録した。多くの国では空き家率は経済状態によって上下に変動するが、日本の場合、戦後一貫して上昇し続けてきた。この背景には、住宅建設を促進してきた戦後の住宅政策がある。 戦後の住宅不足、その後の高度成長期の人口増加に対応するため、日本では持ち家取得が奨励された。住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)が低利融資を行い、住宅ローン減税の仕組みも設けられた。大量に新築住宅が供給される中、住宅の質の確保は不十分となっていった。それでも高度成長期には地価は右肩上がりの上昇を続け、建物の価値はなくても土地の価値は十分残るため、人々にとって早期に住宅を取得することが有利であった。90年代以降は、住宅建設が景気対策の色彩を強め、住宅ローン減税は大幅に拡充されていった。 こうして戦後は質の高くない住宅が供給され、それを使い捨てていくこと(25~30年程度の短期間で建て替え)が一般的となったが、これは住宅建設の需要が途切れないという点で、供給業者にとっても都合が良かった。こうした過程で、日本でも戦前にはあった、良い住宅を造って必要な手入れを行いながら長く使っていくという考え方が失われていった。 この結果として、欧米では新築と中古を合わせた全住宅取引のうち、中古の割合が70~90%程度を占めるのに対し、日本ではその比率は10%台半ばという極めて低い状態となった。新築比率が高い要因としては、しばしば日本人の新築志向が指摘されるが、こうした志向は、戦後の住宅政策の中から生まれてきたと考えるのが妥当である。人口減少で裏目に出た住宅取得促進制度 こうして次々と新築住宅が供給されたが、現在の日本は人口減少局面に入っており、地方や都市部でも特に条件の悪い地域ほど、空き家が目立つようになってきた。家族形態の変化も空き家増加に拍車をかけた。戦後は核家族化が進展し、親の死亡や高齢者向け施設への転居などで空き家になっても、子どもはそれを引き継がなくなった。 親の家を引き継がないのであれば、買い手や借り手を探すべきであるが、戦後の住宅は建築された時点の質が高くなかった上、その後の手入れも十分行われてきたわけではないため、中古住宅として価値を持たない住宅が大半である。 売却や賃貸化が難しい空き家ならば、取り壊すべきである。しかし、日本の税制では、土地に対する固定資産税は、住宅が建っていた方が更地の場合の6分の1で済む。しかも、税の軽減措置は老朽化して危険な状態になった住宅でも適用されるため、税負担増を避けるためには、どんなに古い住宅でも残しておいた方が有利である。住宅を建てた場合に税を軽減する仕組みは、住宅が足りない時代には住宅取得を促進する効果を持ったが、住宅が余っている現在では、危険な状態の住宅でも撤去せず残しておくという効果を生じさせている。 このように日本では、住宅取得を促す仕組みが人口減少局面に入って裏目に出ている。空き家が増加する現在でも、年間80万戸ほどの住宅が新築されており、2013年度は消費税率引き上げ前の駆け込み需要で、99万戸もの住宅が新築された。日本の住宅市場は、空き家が増加する一方、新築住宅が造られ続けるという特異な状況に陥っている。<空き家の撤去と利活用の促進策> 空き家対策としては、倒壊寸前になるなど危険なものについては速やかに撤去していくこと、また、まだ使えるものについては利活用を促していくことが必要になる。 空き家撤去については、空き家所有者に適正管理を義務付け、従わない場合には罰則を課したり強制取り壊しを行うとする自治体が増えている。危険な空き家の自主撤去を促すため、撤去費を補助する自治体もある。固定資産税は、危険な状態になった住宅では税軽減を止める自治体も出てきた。こうした取り組みを推進する法律も準備されている。 利活用の促進については、地方の自治体を中心に「空き家バンク」を設ける例が増えている。ウェブサイトに情報を掲載して需給マッチングを行うとともに、改修費補助などを実施している。田舎暮らしを志向する若者やリタイア層、手に職を持っていて仕事場を探している層、農業を始めたいという層などが空き家バンクを利用するケースが増えている。我が町では、ぼうぼつ新築住宅工事が見られるようになったが、どうしても新築志向があるようです。中古住宅を購入するより、中古住宅を取り壊してでも新築に拘る日本人の新築志向はどうして生まれたのか?上記サイトでは次のような説明があります。【戦後は質の高くない住宅が供給され、それを使い捨てていくことが一般的となったが、これは住宅建設の需要が途切れないという点で、供給業者にとっても都合が良かった。 欧米では新築と中古を合わせた全住宅取引のうち、中古の割合が70~90%程度を占めるのに対し、日本ではその比率は10%台半ばという極めて低い状態となった。新築比率が高い要因としては、しばしば日本人の新築志向が指摘されるが、こうした志向は、戦後の住宅政策の中から生まれてきたと考えるのが妥当である。】昨今の低成長時代に、住宅に関してこんな贅沢な新築志向が許されていいんだろうか?日本人はもったいない精神が強いはずなのに、住宅に関しては政府主導のスクラップ&ビルド政策がミスリードしていたのかも知れませんね。空き家救済業というのが、新聞に載っています。これはけっこう需要がありそうですね♪2015.02.16空き家救済業さまざま ビジネスに広がりより 空き家をめぐるビジネスが広がりをみせている。警備会社や不動産会社が管理を代行するほか、独自に改装することを認めて賃貸する大家も。高齢化や人口減少で都市部でも空き家が増えるなか、地域の安全を守ることにもつながる取り組みだ。■劣化が心配…見回りを代行 千葉県御宿町の住宅街。一軒の空き家に警備大手「綜合警備保障(ALSOK)」の警備員が入っていく。窓と雨戸を開けて換気し、台所や浴室の蛇口から水を出す。チェックリストを見ながら「異状なし」と確認した。 同社は2012年から空き家巡回サービスを手がけている。遠方に住むなど管理が難しい所有者に代わって見回りをし、写真や報告書をメールで送る。侵入者の警報装置をつけるといった基本料金は月5千円で、換気や通水で屋内をチェックするのには1回5千円という設定だ。 空き家は横浜市の会社員男性(48)が所有する。12年に住んでいた両親が亡くなり、男性も海外赴任が決まったため、2年前からサービスを利用する。将来の売却を検討しており、「誰も住まず家が劣化するのを遅らせたかった」という。 利用者は1月現在、全国で1千人を超え、対象物件は1都3県が約半数。同社企画課の内城大輔さんによると、新規契約は事業開始当初の3倍のペース。契約者の6割は「親が亡くなった」「親が施設に入った」など居住する高齢者が不在になったケースだ。 総務省によると13年10月現在、空き家は全国で820万戸と08年より60万戸増えた。東京都でも75万戸から約7万戸増えた。政府は15年度の税制改正大綱に空き家対策を盛り込んだ。空き家が立つ土地の固定資産税について、現行制度では最大で6分の1に減らす優遇措置があるが、適切に管理されていない空き家は優遇措置からはずす方針だ。 空き家が放置されると不審者侵入や放火、倒壊など安全面の問題が生じ、周辺の資産価値も下がることがある。全国警備業協会の担当者は「ここ10年で空き家の警備や巡回を手がけるサービスが広がった」と話す。 空き家を売るか、貸すか、管理するかという視点で相談に乗るのが、不動産仲介会社「東急リバブル」だ。それぞれの費用や収入を試算する無料診断を昨年8月に始めた。首都圏だけで約200件の問い合わせがあり、約20件を診断。売却や賃貸につながった。同社戦略企画課の小林浩さんは「信頼関係を築き、将来売却の際に仲介につなげたい」と話す。空き家列島の衝撃1
2015.02.19
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図書館で『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』を手にしたが・・・柳美里さんの対談相手が、映画人やジャーナリストたち、層層たるメンバーであることに驚いたわけです。【沈黙より軽い言葉を発するなかれ】 柳美里著、創出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より第1部 3.11以後の表現と表現者(震災と向き合うための「詩」の解体(和合亮一)/原発事故と「閉鎖的共同性」(岸田秀)/3.11後の「日常」と「非日常」(岩井俊二)/作品に描かれた「性」と「死」(山本直樹))/第2部 ノンフィクションとフィクションの間(フィクションだからこそ本当のことを(原一男)/死者に向けて書くということ(佐藤優)/テレビ界の閉塞と女性キャスター(今野勉)/書くという仕事と演じるという仕事(寺島しのぶ))<大使寸評>対談した映画人やジャーナリストたちと核心を突いて話す柳美里さんであるが・・・その幅広い知見と、過激とさえ思える洞察に驚きました。被災地つながりで知った岩井俊二の全作品(30作くらい)を観たそうだが、過激な人なんでしょう(笑)また、佐藤優氏との対談は、お二人ともメディア・バッシングを受けたということでマッチメイクされたようだが・・・自著『オンエア』でテレビ界の閉塞を描いて、きっちりとお返しするなど、感度良好というか、過激な人である。柳さんの『命』が戦後初の発禁本となる判決を受けたように、することなすことがいちいちお役所の疳に障るのは、柳さんがお役所の偽善や落ち度を突いているからでしょう。福島県の被災地など、常に核心の現場にたち現れる柳さんの、その素晴らしい感度が、ええでぇ♪なお、この本は、『創』の篠田博之編集長の編集方針により刊行されたようです。rakuten沈黙より軽い言葉を発するなかれテレビマンユニオン取締役の今野勉さんとの対談です。<テレビは本来、起爆力のあるメディアのはずなのに・・・>よりp187~192柳:テレビ局に所属している人たちよりは、映像プロダクションや、多くの女子アナが所属するマネージメント会社の人たちの方が野心的でしたね。テレビ局の人たちは、自分の外にある目的に奉仕する無意味さに気づいて、自分の立ち位置を迷っている人が多いような気がしました。今野:この『オンエア』という小説の中で描かれているテレビ関係の男が、みんな影が薄いのは、そのせいかなと僕は思っていますけどね。柳:今野さんが入社した頃のテレビ界と比べると、様変わりしているわけですよね?今野:僕が入った頃は、みんなやっぱり生き方が相当刺激的でしたよね。そういう人に僕はずいぶん影響を受けた。 例えば僕に道しるべを示してくれたのは、大森直道という、横浜事件で拷問を受けた人ですけど、その後の人生をテレビの世界でどうやって生きているのかという、その壮絶さがね。こっちも何だか生き方に、ちょっと居住まいを正さざるを得ないような、そういう人たちがテレビ局の先輩にけっこういたんですよね。柳:潜在的には、とても起爆力があるメディアだと思うんですよ。映画や芝居は、観るという意思を持って劇場に出掛けなければならない。テレビというのは、ニュースでもドラマでもドキュメンタリーでも、家の内部にボンボン投げ込むわけですからね。それこそ、15秒のCMでも、すごく危険で、爆弾みたいなものだと思うんです。今野:まさしくそれをやれるのがテレビなんですね。一時、インターネットが出始めた時に、テレビは一方通行で独裁的だと。それで、テレビで一生懸命、相互コミュニケーションをしようとしたありしたんだけど、でも本当はそんなものをテレビが目指したってしょうがないと思うんです。 インターネットというのは知っている範囲の人間と付き合って、知っている範囲の情報を検索するというメディアです。つまり検索するためには、自分がある程度知っていなければいけない。考えてもいなかった情報に接する機会というのはめったにないですよね。自分が考えてもいなかった情報、未知の世界と、突然出遭えるというのは、テレビだけでしょ。柳:出遭い頭ですものね、一種のテロですよ。テレビの前にある家族や恋人や友人という人間関係にまで手を伸ばすわけですからね。インターネットを家族全員で覗き込むという図は想像できませんもの。今野:そのことに自信を持って、テレビが自覚を持ってそういう番組をつくり出せば、本当は永遠に魅力があるわけですよ。柳:インターネットを横目で見過ぎなんじゃないでしょうか?今野:それとね、視聴率を気にするせいか、視聴者のニーズに合わせるという最悪のことをやっているでしょ。視聴者のニーズに合わせたら、視聴者サイズのものしか出せないじゃないですか。プロのやることは何かといったら、視聴者のニーズが何かを知っていてもいいけれど、それを超える想像力、イマジネーションがあってこそだと思うのです。 柳さんも本の中で、アナウンサーの素質は何かといえば、想像力と感受性だと書いているけれど、ディレクターだって、全く同じなんです。それに気がつきさえすれば、そんなに閉塞感をおぼえなくてもいいんですよ。でも、どうも視聴者に合わせよう合わせようとするから、ますます下降スパイラルに落ち込んでいく。柳:以前よりも視聴率という縛りが強くなっているということですか?今野:つまりね、企業って成長しようとするじゃないですか。テレビは時間を売っているわけでしょ。でも、どうあがいたって24時間しか売れないから、時間当たり単価を高めようとするのです。その単価は、その時間あたりに何人の視聴者が見ているかというだけでしか測れない。結局、視聴率を上げるしかない。それで成長しようとする。 だけどそれは番組という商品のことを考えていなくて、商品がそれでつまらなくなったら、結局、見られなくなっちゃうでしょ。「テレビ離れ」とよく言われるのは、何を見てもある一定の人のニーズに合わせてつくられているから、多様性がなくなっちゃった。だから、BSとかCSとかに見る人が流れていく。あるいは映画とか劇場とか、外に流れているんです。(中略)今野:この小説は、彼女だけじゃなくて、藤崎あゆみもそうだし、水沢千広もそうだし、ある種、女性が再起していくというか、そういう物語ですよね。男たちはほとんどダメになっていくのに、女たちはスキャンダルに遭ったりしても、再生の道を歩んでいく。それがすごく印象に残りましたね。柳:やはり今、これだけ閉塞的というか、行き止まり感があるじゃないですか。自殺者も3万人を超えている。高い壁のような危機が目の前に迫っている人に、がんばれば壁を乗り越えられる、何度も体当たりすれば壁を崩せるかもしれない、と励ましの言葉をかけるのは酷というか、それはもう脅迫ですよね。高い壁で行き止まりになったらUターンして別の道を探せば良いのだということを、私は書きたかったんだと思います。
2015.02.18
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若者の会話を聞いていて、ン?と違和感を持つことが増えたが・・・・この本では、それらを「おバカ語」と名づけています。図書館でこの本を手にした時、我が意を得たりと思ったわけです♪【思わず使ってしまうおバカな日本語】深澤真紀著、祥伝社、2007年刊<「BOOK」データベース>より初対面なのに、「私って、コーヒー飲めない人じゃないですか」。料理番組で、「じゃがいもの皮をむいてあげてください」。仕事では、「○○社さんとは、いいお仕事をさせていただいてます」。普通に使っている言葉もあれば、人が使っているのを聞いて、ひっかかる物言いもあるでしょう。よく言われるように言葉は生き物であり、ある言い方、言葉が流行る裏側には、その時代、時代の「日本人のメンタリティ」が隠されています。言葉は世につれ、世は言葉につれ-。第一線の編集者、コラムニストとして、「日本語の最前線」に居続ける著者が、気になる日本語とそこに隠された時代の心理を読み解く、「日本語の精神分析」とも言える、画期的な論考。<読む前の大使寸評>若者の会話を聞いていて、ン?と違和感を持つことが増えたが・・・・この本では、それらを「おバカ語」と名づけています。我が意を得たりと思ったわけです。著者は「おバカ語」を、さらに次の三つに分けています(すごーい)。「自分大好き語」、「幼稚丁寧語」、「実感後」。rakuten思わず使ってしまうおバカな日本語「自分大好き語」の意味深な使用例をひとつ。<「じゃないですか」を使う人は、「簡単そう」に見える>よりp26~28 「じゃないですか」を使うとモテるもう一つの理由には、秘密を共有している感覚をうまくつくりだしていることがあります。 たとえば、 「あなただから言うんですけど・・・、私ってさびしがり屋じゃないですか」 と言われたら、ちょっとドキッとしますよね。 しかし、実際には秘密でもなんでもなくて、こういう人たちは、はじめて出会い、もう二度と出会わないであろうタクシーの運転手にさえ「私ってさびしがり屋じゃないですか」と言ってしまうくらい脇が甘いものなのです。 そしてその脇の甘さも含めて、モテるものなのです。 なぜなら、自己開示する人は、なんだか「簡単そう」な感じがするからです。これは恋愛本にある「隙」と通じるものです。モテたいと思うなら「簡単そう」と思わせるのが、いちばん「簡単」です。 プライドが高い人は、たとえ本当はさみしがり屋でも「私ってさびしがり屋じゃないですか」とは言いません。そして、プライドが高い人はそうそう簡単に恋には落ちません。恋に落ちる前にいろいろ考え込んでしまうからです。 たとえば告白されても1ヵ月くらい悩んでしまうので、その間に相手の気が変ってしまう、などということがあるわけです。1ヵ月悩んだ末に「この間の返事だけど、よく考えておつき合いします」と返事したら、「あ、返事くれないからオレもう別の子とつき合ってるんだよね」ということになってしまうのが、いまの時代です。 男女を問わず「簡単そう」なほうがモテるのです。「実感語」については大使もよく使っているわけです。その使用例をひとつ。<すごく便利な「ビミョー」と「フツー」>よりp73~74 また、実感語で便利に使えるのが「ビミョー」と「フツー」。 実感語としてのビミョーは、物事を否定するときに使われる言葉なのですが、言われた相手が、否定された印象を感じにくいという点で使いやすい言葉です。 たとえば、 「この新製品のアイス、ビミョー」 というときはおいしくないという意味ですし、 「あいつの彼女、ビミョー」 というときはかわいくないという意味ですが、「この新製品のアイス、おいしくない」「あいつの彼女、かわいくない」と言ってしまうと身もフタもないところが、ビミョーによってかなり救われます。 「はっきり否定を伝えたくない」という日本人の心情にあった実感語ですから、ビミョーは若者だけでなく、広い世代にもっと広まっていくと思います。 もう一方のフツーは、ちょっとした否定だったり、さして肯定しないときに使います。 日頃から、斜に構えた言説が多い大使にとっては「ビミョー」なんかは便利であり、必需品のような言葉なので・・・規制されると困るわけです。最後に結論めいたあたりを、一つ。<大人の「業界語」は、子どもの「うんこ語」>よりp184~186 むしろ、若者の使う乱れた日本語よりも、大人たちの使う業界語のほうが、なんだか気持ちの悪い日本語だったりします。代理店語で紹介した「〇〇社さんとは、よくお仕事させていただいています」などは、美しい日本語とは言いがたいものです。 しかしこういった気持ちの悪いおバカ語は、口にしているうちにヘンな快楽が生まれてくるのです。それは子どもが「うんこ」や「ちんこ」という、大人に叱られる言葉を喜んで口にするのとあまりかわらないのかもしれません。 このように口にするだけでテンションが上がり、快楽が生まれるような言葉はとても強い力をもち、広がっていくものです。 流行語も同じような構造でしょう。 またおバカ語の楽しさは、それを口にすることで、その言葉が通用する世界に入れたと思えることにもあります。 これは、知らない国へ行った時に、現地の人が片言の日本語で「オイシイ?」と聞いてくれ、こちらも片言で「ボーノ!」や「ハオチー!」などと返事をして、「おお 通じている」といううれしさと同じようなものです。 その世界でしか通じない言葉を覚える楽しさ、通じる楽しさというのは、外国旅行の醍醐味の一つです。 これと同じことが日本語のなかにもある、ということなのです。「おバカな日本語も、ええやんけ♪」・・・と、なんだかミイラ取りがミイラになるような感じがするわけです。(ダメじゃん)でも、基本的には若者の語り口には、違和感を覚える大使である。
2015.02.17
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海外で、ジャパンと言えば漆器を意味するし、ジャパン・ブルーと言えば、日本の藍染めを意味するように・・・最近、とみに日本の文化が評価されているのは、我がことのように嬉しいのだ♪図書館で『日本の藍 ジャパン・ブルー』を借りたのは・・・このところの大使にとって、「藍」がミニ・ブームになっているからでおま♪【日本の藍 ジャパン・ブルー】吉岡幸雄著、宮帯出版社、1997年刊<「BOOK」データベース>より紺絣の着物や藍絞りの浴衣、筒描きの祝風呂敷など、藍染めの衣料はつい先頃まで、私たちの暮らしにいつでも身近に溢れていたものでした。かつて諸外国から日本を訪れた人々は、この藍のいろを「ジャパン・ブルー(日本の青)」と呼んで賞賛しました。染めを重ねることによって、藍の呈色は、白に近い気品ある薄青から、黒と見紛うばかりの濃い藍色まで、それぞれに美しい色相が得られます。今に伝わる古の染織品の数々を見ると、日本人ほどこうした藍の豊富な色相を生かしきった民族はない、との思いを強く感じます。<読む前の大使寸評>ほぼ全ページがカラー写真なので、きれいな本になっています。海外で、ジャパンと言えば漆器を意味するし、ジャパン・ブルーと言えば、日本の藍染めを意味するように・・・最近、とみに日本の文化が評価されているのは、我がことのように嬉しいのだ♪rakuten日本の藍 ジャパン・ブルーこの本の冒頭で著者は、藍の豊富な色相について次のようにたたえています。<ジャパン・ブルー>よりp4~5 紺絣の着物や藍絞りの浴衣、筒描きの祝風呂敷など、藍染めの衣料はつい先頃まで、私たちの暮らしにいつでも身近に溢れていたものでした。かつて諸外国から日本を訪れた人々は、この藍のいろを「ジャパン・ブルー(日本の青)」と呼んで称賛しました。 この言葉を最初に提唱したのは、明治8年に日本政府の招きを受けて来日した英国人化学者アトキンソンでした。彼は「日本においては藍を染料となし、これを使用するの糧極めて大なり・・・全国到るところ、青色衣裳の非ざるなき」と述べています。 明治23年に日本へ渡ったラフカディオ・ハーンにとっても、この国は「大気全体が、心もち青味を帯びて異常なほど澄み渡っている」「青い屋根の下の家も小さく、青い暖簾をさげた店も小さく、青い着物を着て笑っている人も小さいのだった」という。神秘なブルーに満ちた国でした。 藍染めは、日本に限らず古来より世界中で行われているものです。世界に共通の、「藍」という名の染料植物があるわけではなく、藍色(青色)の色素を持つさまざまな植物が、各々の気候風土に応じて用いられてきました。 日本ではタデ科の1年草「蓼藍」が、藍色を染める草となります。絹などの動物性繊維にも、麻や木綿など植物性繊維にもよく染着し、退色し難く、藍で濃く染めた布や紙は虫除け、蛇除けの効果があるとされます。大切な経典を藍で染めたり、野良着などに多く藍染めが用いられたのは、この性質があるためです。 染めを重ねることによって、藍の呈色は、白に近い気品のある薄青から、黒と見紛うばかりの濃い藍色まで、それぞれに美しい色相が得られます。今に伝わるいにしえの染織品の数々を見ると、日本人ほどこうした藍の豊富な色相を生かしきった民族はない、との思いを強く感じずにいられません。 さらに日本の人々は、藍の生み出す多くの色相に伝統的な名称を付けて分類し、愛してきました。藍甕に一、二度浸けた程度の極く薄い青という意味の「甕覗き」から水浅葱、浅葱、薄ハナダ、薄藍、ハナダ、納戸、藍、紺、カチ色、濃紺等など。 けれどこうした豊かな色の文化は、科学染料の導入や急激な生活環境の変化のもとに、私たちの周りからいつか姿を消してしまいました。ハーンが謳った「異常なほど青く澄んだ大気」も、遠い昔の話です。今では目にすることも稀な藍染の布たちですが、青と白の永遠の美をたたえて懐かしく、私たちを魅了してやみません。藍染めについても中国伝来のようだが、そのあたりについて見てみましょう。<世界の藍染布>よりp46~48 数千年の昔から現代に至るまで、世界にはどのような藍の布があったのだろうか。私たちが現在目のあたりにできる古代から近代にいたるまでの、代表的な裂を思いつくままに列記してみると次のようになる。(中国) 中国では、古代シルクロードの発掘品のなかに藍で染色されたものがいくつも見られる。オーレル・スタインが発掘した敦厚出土の藍地草花文様の夾ケチ、アスターナ出土の菱つなぎ文の蝋ケチ染、織物では我が国の大谷探検隊が発掘した半月に文字文様の裂などがその代表的なものといえようか。 宋、明などの時代になると、日本に将来された、いわゆる名物裂のなかに美しい裂がいくつも見られ、藍地に金糸で織られた大内桐金襴などがとりわけ印象に残るものであろう。清朝に入ると、いわゆる官服は繊細な絹地に綴と刺繍で文様を表した豪華なもので、そのなかに見られる藍は澄んだ空のような色相が特徴的である。 中国においてはこのような中央の権力者のための染織品だけでなく、庶民的な型染、印花布なども忘れてはならないものであるし、南の貴州省、雲南省、そしてラオス、タイなどへとつながる苗族系の人びとは、自ら製織した麻に細かいペンに蝋を付けて細かな幾何学文様を描き、藍染したものをスカートなどに着用している。ヴェトナムの苗族(藍布の源流より) インドネシアは数千からなる島によって形成されている国家で、それぞれの地域で伝統的な染織品が作られている。気候的にも藍はインド藍、ナンバンコマツナギなど熱帯性のものが用いられている。バティックの名で知られるジャワ更紗などは現在は合成藍を使っているが、東部の島々では現在も、家々の近くに生成する天然の藍を刈り取り、その葉を沈殿させて利用している。 インドネシアの藍の布をあげればきりがないほどである。前述のジャワ更紗、スンバ島、チモール島の絣、スラウェシ島トラジャ族の蝋ケツで藍一色の幡などがその代表的なものといえよう。コレクション展示「中国・雲南の絞り藍染め ─ 大理ペー族の村から」大使が幼少の頃には、田舎町のなかにも紺屋町という町名が残っていて、まだ数軒が紺屋を営業していたくらいなので、全国には膨大な数の紺屋があったのでしょうね。絣と絞りについて見てみましょう。<絣(かすり)>よりp160 経糸や緯糸を部分的に防染して白く染め残すなど、意識的に染め分けた糸を機にかけて文様を織り出す絣の技法は、インドで生まれ、南方諸島を経て、14,5世紀頃に沖縄に伝えられたという。 古くは大使間道とよばれる絹絣が奈良の法隆寺や東大寺に伝わるが、それらは中国からもたらされたものであり、わが国で織られ、広く親しまれた麻や木綿の絣は、沖縄に伝わった絣技法が全国的に広まったものといわれる。18世紀の終わりの頃である。 沖縄から貢納布として薩摩へ運ばれた絣は、やがて薩摩と交易のあった麻織物の産地、越後へももたらされ、彼の地で織り始められた麻絣は大和や近江などへも広まっていった。またあまり時を経ずして久留米や伊予でも木綿絣が織られるようになり、紺屋の普及もあって藍染の紺絣はまたたくまに全国に浸透していった。 木綿絣は、普段着や仕事着として老若男女の別なく用いられ、また風呂敷、蒲団表などに仕立てられるなど、庶民の日常生活には欠かせないものであった。藍絣の画像絞りの技法の数の多さに驚くのだが・・・文化伝播の終焉の地とも言えるニッポンで、その文化が凝縮されたのでしょうか♪<絞り>よりp180 布の一部をつまんで括る、縫って引き締める、芯に巻きつけて括るなど、ごく単純に見える防染技法を駆使して、数えきれないほどの文様を生み出す絞り染め。正倉院に伝来する染織品にもコウケチとよばれる絹の絞りがあるが、技法の種類は十種に満たないほどで、現在見られるような多種多彩な技法を見るのは、江戸時代中期、木綿と藍染の普及以降のことである。 17世紀の初め頃、名古屋の有松村で街道をゆく人々に売り出された「括り染」は爆発的な人気を呼び、木綿の大産地三河地方を控えた有松、鳴海両村では、さらに意匠を凝らし、技法を競い合ってまたたくまに木綿絞りの一大産地として名を馳せるようになった。主な技法には、次のようなものがある。 ・つまむ、括る:三浦絞り、疋田絞り、蜘蛛絞り ・縫い締める:平縫い絞り、折り縫い絞り、養老絞り、白蔭絞り ・芯を入れる:帽子絞り藍絞りの画像
2015.02.16
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2015年2月1日時点で<ベスト経済書>の1位となっているこの本は、図書館で予約するよりは、買って読むべき本なんでしょうね。・・・と、遅ればせながら買って読んでいるんですが、目からウロコが落ちることしきりです。【資本主義の終焉と歴史の危機】水野和夫著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より 資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。世界史上、極めて稀な長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」だ。他の先進国でも日本化は進み、近代を支えてきた資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしている。 16世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」。世界経済だけでなく、国民国家をも解体させる大転換期に我々は立っている。 500年ぶりのこの大転換期に日本がなすべきことは?異常な利子率の低下という「負の条件」をプラスに転換し、新たなシステムを構築するための画期的な書!<読む前の大使寸評>2015年2月1日時点で<ベスト経済書>の1位となっているが、2015年1月時点で第15刷となっています。この種の経済書としては異例の売れ行きなんだろう。rakuten資本主義の終焉と歴史の危機1980年代から現在までの世界経済を、この本でおさらいしてみましょう。「アメリカ投資銀行株式会社」の成立過程などが述べられています。<新自由主義と金融帝国化との結合>よりp28~35 しかし、アメリカの金融帝国化は、決して中間層を豊かにすることはなく、むしろ格差拡大を推し進めてきました。この金融市場の拡大を後押ししたのが、新自由主義だったからです。 新自由主義とは、政府よりも市場のほうが正しい資本配分ができるという市場原理主義の考え方であり、アメリカでは1980年代のロナルド・レーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」に始まって、民主党政権のクリントン大統領、21世紀のブッシュ大統領に引き継がれてきました。 資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増やしますから、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていくのは当然です。これはつまり、中間層のための成長を放棄することにほかなりません。 レーガン政権は新自由主義の政策とともに、ソビエトに対しては軍拡競争を展開します。それが一因となって、1991年にはソビエトが崩壊し、計画経済を実施していた東側諸国が資本主義の世界市場に取り込まれ、新たなマーケットが一気に広がりました。 とはいえ、アメリカが「電子・金融空間」をつくり始めた1980年代は、まだ国際資本の完全移動性は実現していませんでしたから、そのときは、大きな利益を獲得することができず、アメリカ経済は激しく落ち込み、経常収支赤字と財政赤字が一気に膨らんでいきました。 しかし、国際資本の移動の自由が確保され、1995年に就任したロバート・ルービン財務長官が「強いドル」に政策転換すると、アメリカは経常収支の赤字額を上回る資金を世界中から集めて、それを世界へと再配分していくようになりました。この「マネー集中一括管理システム」により、アメリカは「アメリカ投資銀行株式会社」となり、金融帝国となったのです。 その後、1999年に銀行業務と証券業務の兼業を認める金融サービス近代化法を成立させたことで、金融帝国のシステムも完備されました。同法は、1933年銀行法(グラス・スティーガル法)以来、原則禁止とされていた銀行業務と証券業務の兼業を認めることで、マネー創出のメカニズムを根本的に変えてしまったのです。(中略) マネーが銀行の信用創造機能によってつくられるときの主役は労働者であり、商業銀行です。家計が消費を我慢して所得のなかからなるべく多くを貯蓄することによって、銀行による多くの貸し出しが可能になるからです。 ところが、金融・資本市場でマネーをつくろうとすれば、主役は商業銀行ではなく、レバレッジを大きくかけられる投資銀行となります。こうして、貯蓄行為をおこなう家計は「地理的・物的空間」から主役の座を降り、その座を「電子・金融空間」において、巨額の資金をボタンひとつで、国境を自由に超えて動かすことができる資本家に譲り渡したのです。(中略) しかし、こうしてでき上がったアメリカ金融帝国も、2008年に起きた9.15のリーマン・ショックで崩壊しました。自己資本の40倍、60倍で投資をしていたら、金融機関がレバレッジの重さで自壊してしまったというのがリーマン・ショックの顛末です。 そしてリーマン・ショックが誘引となってEUの巨大金融機関はアメリカの大手投資銀行以上に大きな痛手を被り、全地球をカバーしていた「電子・金融空間」も縮小に転じたのです。フロンティアが見つからないので火星を目指すアメリカは、次に述べられる資本主義の性癖によるものだからだろうか?・・・と思ったりする(笑)。しかし、この本が2014年3月に刊行された後、民主主義が退潮している様は著者の予測どおりですね。<「資本のための資本主義」が民主主義を破壊する>よりp42~44 資本主義は「周辺」の存在が不可欠なのですから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必用があります。それが、アメリカで言えば、サブプライム層であり、日本で言えば、非正規社員であり、EUで言えばギリシャやキプロスなのです。21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライム・ローン問題、ギリシャ危機、日本の非正規社員問題はコインの裏と表なのです。 こうした国境の内側で格差を広げることも厭わない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになります。民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないからです。 民主主義を機能させるには情報の公開性を原則としなければなりません。中世までは知は神が独占していましたが、近代では個々人が主役となったことで、ある特定の人が情報を独占することは許されなくなりました。国家も情報を独占することは許されないのです。そういった意味でスノーデン事件はおそらく21世紀の大問題に発展すると思います。 情報は誰のものか、という議論は、中世から近代への移行期だった「長い16世紀」においてラテン語を独占していたローマ・カトリックと俗語(独語や英語)でしか情報を伝えられないプロテスタントのたたかいだったのです。結果はもちろん、プロテスタントの勝利に終わったのですが、情報を独占する側が常に敗者となるのが歴史の教訓です。この観点からみてもスノーデン事件が問いかけているのは民主国家の危機なのです。著者はオバマ大統領の輸出倍増計画は挫折すると予測しています。経済オンチの大使としては、金融帝国の退潮はとりあえず朗報なんですが、どうでしょうか?♪<オバマの輸出倍増計画は挫折する>よりp46~48 超低金利の時代に入ったアメリカは、世界の「成長教」の教祖でいる限り、もはやバブルを繰り返す金融帝国としてしか生き残ることはできません。 おそらく、オバマ大統領が2010年から掲げてきた輸出倍増計画も挫折に終わるでしょう。 オバマ大統領自身は、「地理的・物的空間」を建て直そうとしているのでしょうが、貿易構造を見ても、貿易赤字は増えていて、製造業復活の兆しは見られません。 すでに20世紀前半に、かのシュミットが20世紀を「技術の時代」だと特徴づけ、その技術進歩数は魔術と同じだと指摘しています。たしかに20世紀に先進国は技術革新によって成長を遂げ、豊かになったのですが、2008年の9.15(リーマン・ショック)や2011年の3.11(福一事故)で、金融工学や原子力工学も結局は人類にとって制御できない技術だったことがわかりました。 技術革新で成長するというのは、21世紀の時代には幻想にすぎないのです。 その一方で、アメリカのサービス収支は黒字が増えています。このサービス収支の黒字を支えているのは、金融収支やライセンス料ですから、現在の貿易構造を見る限り、アメリカにとってはドル安よりもドル高のほうが利潤をあげることができるのです。 だとすると、かつてのルービン財務長官時代のように、強いドル政策のもとで、世界中から資本を集めて新興国に投資をしてリターンを得るしかない。アメリカが製造業で復活をすることは、どだい無理なのです。 グローバリゼーションによって新興国が台頭してきている以上、新興国で消費されるものは新興国で生産せざるをえない。そうでないと新興国の雇用が増えず、また経済のパイが拡大しないとなれば、新興国の政治体制が危うくなるからです。 したがって、先進国が輸出主導で成長するという状況は現代では考えられません。自国通貨安定策によって、輸出を増加できるのは、先進国のパワーで途上国をある程度押さえつけるような仕組み、つまり資源を安く買い叩くことができる交易条件があった1970年代までの話です。 その意味では、オバマ大統領の輸出倍増計画も旧システムの強化策にすぎません。没落していく中間層に対して配慮している点には共感しますが、先進国が直面している構造デフレの根本的な解決にはなりえないのです。
2015.02.15
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モノクローム線描に対する偏愛があるわけで・・・・漫画、イラスト、挿絵などから、線描画の達人たちを集めてみます。・ビアズリー怪奇幻想名品集・マンガと絵本・人生画力対決・メビウスの世界・ベン・シャーン・小村雪岱の版画がええでぇ<ビアズリー怪奇幻想名品集>図書館で『ビアズリー怪奇幻想名品集』という本を借りたが、ほとんど全頁がモノクロームの線描画であり・・・大使にとってはいわば大人の絵本になっているのです♪この本の解説にあわせて、その絵の一部を紹介します。『アーサー王の死』挿絵(1893)『サロメ』挿絵(1894)『スチューディオ』付録(1895)【ビアズリー怪奇幻想名品集】オーブリー・ヴィンセント・ビアズリ, 富田章著、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】ビアズリーの生涯/1 初期作品と『アーサー王の死』/2 『サロメ』の衝撃/3 『イエロー・ブック』から『サヴォイ』へ/4 円熟の時代から終焉へ/ビアズリー芸術の特質<大使寸評>晩年のモノクローム線描の独創性、完成度は鬼気迫るものがあるが・・・・現代のイラストレーターを凌駕するような独創性に驚くわけです。25歳で夭折していたのか・・・死を予感していたのだろうか。図書館でこの本を借りた半日後に、原田マハの書評を見つけたので、参照ください。rakutenビアズリー怪奇幻想名品集ビアズリーの画像<マンガと絵本>『世界マンガ大系(ユリイカ 増刊号)』という本をアマゾンで購入し、読んでいるところだが、ええでぇ♪・・・「漫画と絵本」について述べられたヵ所があったので紹介します。大使好みの漫画作家としては、松本大洋、佐々木マキ、メビウスあたりになるわけだけど・・・いずれの作家もストーリーもさることながら、絵だけ見ていても楽しいわけですね。ついては、これらの作家の画像をネットで見つけたので紹介します。いずれも絵、線にこだわりがあり・・・ええでぇ♪松本大洋佐々木マキメビウス【世界マンガ大系(ユリイカ 増刊号)】ムック、青土社 、2013年刊<内容紹介より>マンガという形態はどこまで拡張されるのか、そもそも「マンガ」という形式はどのように定義されるのか。 近年のグラフィックノベルやBDの翻訳紹介はめざましく、質量ともに勢いを増し、日本のマンガは「Manga」と称され、海外のランキング上位に飛び出すことももはや珍しくない。 自生続ける「マンガ」を軸に、海外マンガ(グラフィック・ノベル、BDなど)の最前線を追う。 <大使寸評>2013年3月時点のBD紹介はピークと言えるほど、充実している。本の表紙に表れているように、メビウス亡き後はフランソワ・スクイテンあたりがBDを牽引しているようです。(この本は2014.2.28アマゾンで発注し翌日入手した。アマゾンの動きはさすがに快適である)amazon世界マンガ大系(ユリイカ増刊号) <人生画力対決> BOOK OFFに「鉄コン筋クリート」のシリーズが置いてあり、1冊300円と超お買い得であったので・・・・シリーズその1を買い求めたのです。お話も面白いが、その1コマ1コマの絵がすばらしいので、行きつ戻りつ反芻しながら見ている大使です。こんな鑑賞に堪えられるのは・・・・漫画でもあり、絵画でもあるような松本大洋の画力に負うところが大きいのでしょう鉄コン筋クリート竹光侍だんだんと下手になる画風と評される西原理恵子が、開き直って「人生画力対決」というイベントを企てています。あまつさえ、単行本も出したということなので・・・・シリーズその1を買い求めたのです。人生画力対決予想していたとは言え、鉄コン筋クリートの画力との落差に愕然とします(笑)(これが、美大を出た者の画力なんだろうか?)ま~ 下手さを商売にする西原の度胸と商魂に脱帽するしかないのでしょう。西原理恵子の人生画力対決<メビウスの世界>最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ (松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。Moebius.fr公式サイトメビウスって誰?Moebius met sa patte sur“Télérama”! <ベン・シャーン> 「芸術新潮」最新号にベン・シャーン特集が載っていました。社会派の画家とでも言う変ったジャンルの画家であるが、作品はいけてるわけでまさに・・・・クロスメディア・アーティストである。反米の大使であっても、アメリカ絵画は別であり、粟津潔が強烈な影響を受けたそうだから、実力は推して知るべしなんでしょう。ベン・シャーンの回顧展が国内4ヵ所巡回で開催されているが、残念、阪神地区はすどおりです。ベン・シャーン クロスメディア・アーティストよりアメリカの画家ベン・シャーン(1898-1969)は、二つの世界大戦を経てめまぐるしく、しかも大きな変化を遂げた20世紀社会を見つめ続けた画家でした。コヴノ(現在のリトアニアのカウナス)からのユダヤ人移民であったシャーンは、数多くの社会の不正義に厳しく迫るとともに、人々の怒りや哀しみ、痛み、そして喜びに深い共感をよせました。彼の引く、ためらいを含んだような表情豊かな線には、そうした思いが重なっています。シャーンが亡くなって40年が過ぎた今を生きる私たちにとっても、それは充分に魅力的です。そしてさらに、3.11東日本大震災を経験した私たちには、新たな眼でシャーンの作品を見つめるチャンスを与えられたのではないかと考えています。この展覧会は、約20年ぶりの大規模なベン・シャーンの回顧展であり、絵画・版画・ポスター・素描など約130点に加えて、日本であまり紹介されていなかったシャーン撮影の写真を、オリジナル50点と200点を超えるデジタルイメージなどによりご紹介します。2011年12月から2012年7月まで、国内4ヵ所を巡回します。開催期間:神奈川県立近代美術館 葉山 2011年12月 3日~2012年 1月29日 名古屋市美術館 2012年 2月11日~2012年 3月25日 岡山県立美術館 2012年 4月 8日~2012年 5月20日 福島県立美術館 2012年 6月 3日~2012年 7月16日ベン・シャーンの画像<小村雪岱の版画がええでぇ>図書館で『版画芸術 #146』という雑誌を借りたが、特集している小村雪岱の版画がええでぇ♪<白黒の線描に息づく江戸情緒> 雪岱は、大正11(1922)年から新聞や文芸雑誌の連載小説の挿絵を手がけている。里見頓が、『時事新報』に「多情佛心」を連載する際に、鏡花を通じて知己を得た雪岱を推したことがきっかけとなった。その後、雪岱は数多くの新聞挿絵を描くが、挿絵画家としての人気を不動のものとしたのは、なんといっても邦枝寛二の「おせん」、「お傳地獄」であった。(文字数制限により省略、全文はここ)
2015.02.14
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深夜にNHK『ネクストワールド』を観たのだが・・・・ロボット工学が進み、さながら「ベイマックス」のような世界が描かれていました。この番組の見所から、以下のとおり感想をしたためました。・自動設計、自動建設・火星へ移住・イーロン・マスクCEO・ウェアラブル・ロボット・アンドロイドに恋するネクストワールド 私たちの未来:第5回、人間のフロンティアはどこまで広がるのかより 新たなテクノロジーが、私たちの生活をどのように変えていくのかを探ってきた、シリーズ「ネクストワールド 私たちの未来」。 最終回は、人間の「フロンティア」がどこまで広がるのかに迫る。2045年、爆発的に増える人口を吸収し続ける「都市」では、ビルの高層化に拍車がかかっている。すでに高さ1600メートルのビルの開発すら可能になっているという。そして、宇宙移住の道も開かれようとしている。熱い視線を集めているのが「火星」への到達だ。既に今、アメリカ、ヨーロッパ、インドが合計7機の探査機を送り込み、未来の居住地候補として、観測合戦が繰り広げられている。さらに、火星に人を送るというプロジェクトも始動している。人類は未来、どこに到達し、どこに新天地を見いだすのか。 近未来ドラマでは、これまでの主人公が勢ぞろいし、超高層ビルの完成式に集結する。そこで彼らの運命を揺さぶる、ある抽選が行われた。それは火星移住者を募る抽選だった・・・。*******************************************************************<自動設計、自動建設>現在でも1600メートルのビルの開発すら可能になっていると、大手ゼネコンの人がインタビューで語っていました。それも自動設計、自動建設なんだそうです。多少のハッタリがあるにしても・・・ゼネコンのポテンシャルに驚いたのです。*******************************************************************<火星へ移住>火星へ移住について、米宇宙ベンチャーの計画を紹介していた。こういう突拍子もない計画は、伝統的にアメリカ人が得意としているが・・・・i-Phonのように商売への繋ぎ方もうまいので、日本の産業界は要注意なんでしょうね。*******************************************************************<テスラ・モーターズのイーロン・マスクCEO>テスラ・モーターズのイーロン・マスクCEOの記事がネットに出ているが・・・日本人とは異質のこの開拓者精神が、バカにできないのかも?2015/02/09EVと宇宙で革命起こす、地球の危機克服に執念より 「火星に8万人が移住できるコロニーを建設する」「世界中のクルマをEVにする」。普通ならそんな発言をする経営者は、「クレイジー」「できもしないことを言う夢想家」として片づけられるだけだろう。だが、この男の場合は違う。イーロン・マスク(43歳)。米電気自動車(EV)ベンチャーのテスラ・モーターズと米宇宙ベンチャーのスペースXの2社のCEO(最高経営責任者)を兼ねる。 途方もない目標を掲げながら、達成に向けた実績を着実に積み重ねてきた。テスラでは、EVの高級セダン「モデルS」を2012年に発売。今や、受注に生産が追い付かない状況が続く。2015年には米国で新型車を投入し、EVの生産能力を年間10万台に引き上げる計画だ。「Model S」「モデルSの狙いは革命的な製品であること。かつてEVは、スピードが遅く、見栄えは良くなく、航続距離は短くて、性能も低いというイメージでした。そんな認識をことごとく破壊して、EVは世界最高のクルマであることを見せつけたい」 宇宙産業でもマスクが率いるスペースXは台風の目になっている。主力ロケットの「ファルコン9」の打ち上げに連続して成功。マスク自身が設計を指揮する無人宇宙船の「ドラゴン」も民間初の国際宇宙ステーションへの貨物輸送に成功した。2014年9月にはドラゴンの有人飛行に向けた米航空宇宙局(NASA)との大型契約も獲得している。*******************************************************************<ウェアラブル・ロボット>グーグルのメガネ装着の頭脳アシスト端末というのも、ちょっとやり過ぎの感があるけど・・・脳内埋めこみチップとか遺伝子操作による体質改造まで目指すことは、悪魔のような発明なのか?大いなる改造なのか?・・・・ウェアラブル端末やパワーアシスト器具は米軍の軍事技術から生まれているが・・・生きるか死ぬかという軍事技術には、もともと箍は無いので・・・倫理観のない技術である。だいたいドーピングの誘惑に一番駆られやすいのがアングロサクソンであり、もともと開拓精神が旺盛で、節操の無い民族である。このあたりの発想が、百姓根性でナイーブな日本人と違うようです。先頃あった、米軍主催のロボットコンテストに、ポテンシャルの高い日本の大学だけが応募しなかったようですね。大使はこのニュースが忘れがたいのだが、『ネクストワールド』を観て思うのである。平和憲法が根づいた日本人のナイーブさ(倫理観)だけが、アメリカの暴走を防ぐ切り札になるのだろう♪、と。日本ロボットはどこへによれば、六本木に米軍のスパイ機関が駐留していて、公然と日本のロボット技術を漁っているそうです。スパイ天国のような日本であるが、札束に目がくらまないよう注意しましょうね。自衛隊もロボット開発に乗り出したようだが、米軍のような攻撃優先の戦略には、憲法に則り一線を隔する必用があるはずです。*******************************************************************<アンドロイドに恋する>番組案内役のオジンが若い女性型のアンドロイドを同伴していたが・・・若い女性型のアンドロイドといえば、ちょっと古いSF映画『ブレードランナー』のレイチェルには敵わないのだ♪アンチ・エイジングのところで、脳だけ生きているという極限状況に言及していたが・・・このテーマではすでに、村上龍が『歌うクジラ』で描いていますね。
2015.02.13
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『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を読んでいたが・・・・三浦しをん著『神去なあなあ日常』のテイストには、柳田民俗学の素養がひそんでいると、はたと思い当たったわけです。つまり、民俗学はアートの源泉のようなものではないか♪ということです。【神去なあなあ日常】三浦しをん著、徳間書店 、2009年刊<「BOOK」データベースより>美人の産地・神去村でチェーンソー片手に山仕事。先輩の鉄拳、ダニやヒルの襲来。しかも村には秘密があって…!?林業っておもしれ~!高校卒業と同時に平野勇気が放り込まれたのは三重県の山奥にある神去村。林業に従事し、自然を相手に生きてきた人々に出会う。<読む前の大使寸評>就活作家:三浦しをんは林業をどう描くか?大いに興味がわくが・・・林業に就職というのは、言うは易しであり、無責任に誘うわけにいかない現実があるはずです。古くから林業をフォローしている大使の目はごまかせないのだ(笑)rakuten神去なあなあ日常『歴史の中で語られてこなかったこと』の、読んでいた箇所を紹介します。<大きな歴史の転換期と「歴史小説」>よりp20~22網野:『もののけ姫』もその一例ですが、このごろ文学や映像の世界が、民俗学や歴史学の研究成果をもとに新たなイメージを作り出すことが盛んに行われるようになってきましたね。 最近読む機会があった三島賞の候補にもなった飯嶋和一さんの『神無き月十番目の夜』(河出書房新社)もその一例かもしれません。宮田:江戸初期に、現在の茨城県にあった兵農分離がなされて間もない村が、徳川に反抗したことから一村全滅させられてしまった。網野:中世の自治的な村の伝統が、幕藩体制を作ろうとする徳川氏の力に押し流されてしまうということでしょうが、水戸藩の正史からも完全に消し去られた事件を掘り起こし、歴史小説に仕上げています。宮田:タイトルの「神無き月十番目の夜」は、十月十日のことですが、民俗学では「十日夜」といって、収穫祭をメインにする興味深い行事が行われます。網野:著者もそういうことを知っているのでしょう。私が歴史学の影響に気がついたのは、最初にアジールとしての山林が出てきたことです。宮田:地蔵森といいましたか? 郷には村の決め事をする聖なる場所が必ずある。網野:その聖地に統一政権が土足で入り込んでくるわけです。宮田:この本の時代設定はいつでしたか?網野:それが面白いことに、『もののけ姫』とほぼ重なるんですね。亡くなった隆慶一郎さんも戦国時代から統一政権が成立するころの作品の時代を設定しています。宮田:その時代は、大きな歴史の転換期だったわけです。網野:隆さんは戦国時代まで「表の世界」で生きていたものが、「裏の世界」に押し込められていく過程を取り上げようとしています。確かに、戦国時代から江戸時代に移り変わる時期は、非常に大きな変化がありました。いろいろな形で社会の表面に生きていた自由が、江戸時代の社会の中では「裏の世界、陰の世界」に生きるようになっています。宮田:『神無き月…』の舞台となった郷村は、農民と武士の身分的な堺がはっきりしない世界だった。網野:隆慶一郎さんの場合は遊郭を舞台にしていて、「苦界」としてではなくて、「公界」の生き残った世界と考えるわけです。宮田:この時代は、民俗学から見ても興味深い。戦国末期から近世の初期にかけて、山人たちがどんどん里へ下りてくる。九州・宮崎の椎葉の山民も、だんだん下に下りてきて平地民になっていく。一方で逆に、平地民も山へ入っていく時期でもある。たとえば、戦国時代に戦いに破れた者たちが落ち延びて、山奥へ入っていくという「隠れ里」伝説が生まれてくる。山にいる者が里に下りてきて、里の者が山に入るといった人的交流のいちばんの要になってくる部分に都市が生まれる。 たとえば妖怪の世界も、中世末に新しい妖怪が出てくる。小松和彦さんが指摘しているように「付喪神」がその代表ですね。道具を作る木地屋職人たちが山から里へ下りてきて、需要に応えて新製品を作る。すると古い道具はいらなくなり、煤払いのときにみんな捨てられてしまう。その結果、都会では古道具が累々と道端に転がり、その古道具が怒って妖怪になり人々に復讐を始める。それが付喪神なわけです。まさにその時期が中世の末期にあたる。ところで…日本における柳田民俗学の突出する存在感が、世界標準から見ると独特に映るようです。世界標準では民俗学はフォークロアと訳されることもあるそうで、歴史学より文学に近いとの認識もあるようです。そして、とかく学者肌、お役人風がただよう柳田の人柄を嫌う人たちがいるそうです。お役人生活が長かった柳田さんの振る舞いを責めるのは、酷なのかも知れませんね。それよりも…民話の喜怒哀楽に着目した柳田さんの著作は、フォークロアとして読むのが幸せな読み方なんでしょう。『歴史の中で語られてこなかったこと』の著者・網野善彦さんは、柳田民俗学については、意識こそするが信奉する気はなさそうです。つまり「付かず離れず、和して同ぜず」というスタンスのようだが・・・それがいいのでは(笑)歴史の中で語られてこなかったこと1歴史の中で語られてこなかったこと2歴史の中で語られてこなかったこと3
2015.02.12
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図書館で『古本・貸本・気になる本』を手にしたが・・・リタイヤして暇な大使であるが・・・古本屋という商売もいいなァ、と思わないでもない。でも、たぶん売上げは絶望的ではないだろうか?という興味があるので、この本を借りたのです。【古本・貸本・気になる本】出久根達郎著、河出書房新社、2004年刊<「BOOK」データベース>より古本、貸本、新刊本…、さまざまな気になる本と人をめぐる、エピソードに満ちた最新エッセイ集。【目次】1 貸本屋の女主人(本の時代の終末/予期せぬ出会い/文壇の気風 ほか)/2 古書のぬくとい街(岩波新書、私の薦めるこの一冊/本とあらば何でも見たい/組み立て付録 ほか)/3 浮世離れの古本屋(開かずの間-車谷長吉『白痴群』/連鎖の楽しさ-岩田宏『渡り歩き』/書物殺しの犯人-佐野真一『だれが「本」を殺すのか』 ほか)<読む前の大使寸評>リタイヤして暇な大使であるが・・・古本屋という商売もいいなァ、と思わないでもない。でも、たぶん売上げは絶望的ではないだろうか?ということが興味深いのです。rakuten古本・貸本・気になる本絶望的な財務状況は、古本・貸本・気になる本1で紹介したので、その後読んだ箇所を追加して紹介します。おお 出久根達郎さんは、携帯電話もパソコンも持っていないのか・・・今どきユニークな人ではないか♪(携帯を持たない主義の大使に通じるものがあるなァ)<本とあらば何でも見たい>よりp130~135 私は携帯電話を、持たない。ワープロを、使わない。パソコンを、操作しない。 これらが嫌いなのでなく、無くても不自由でないからである。機械オンチだから、面倒だ、という理由もある。人に倣うのは、潔ぎよしとしない、という根性曲がりの性格もある。 いずれ、近々、パソコンを備えなければ、生活できない世になるだろう。パソコンに無縁の私でさえ、その予感を持つ。何しろわが古書業界が、「日本の古本屋」なるホームページを開いているのだ。最も保守的な商売と見られている古書店が、早々とインターネット取引をしている。 私よりカミさんが、パソコンが無いとどうしようもない、と言いだした。詳しい説明はインターネットで、という注意書きが多く、説明書の請求もそちらに、とあって、メールアドレスしか出ていない。電話番号も住所も記されていない広告が多い、と言う。 かくしてカミさんは、パソコンを購入した。わが家の「IT革命」である。 パソコン操作説明書を開いた私は、頭がクラクラした。耳慣れない言葉の連続である。「カーソル」だの、「クリック」だの、「ダウンロード」だの、どうして日本語を遣ってくれないのだろう。パソコンに反発する人の大多数が、この特殊用語にアレルギーを起こすのではあるまいか。 カミさんは説明書を片手に、うなりながら格闘していた。腹下りのような機械音が、終日、響いていた。1週間ほどして、何と、どうにか操ってしまったのである。「電子文庫書店が開業したわよ」カミさんが、画面を見ながら言った。「パブリ、というの」「電子文庫って、何だい?」「パソコンで読む本よ。見てみる?」「見る、見る」 本とあらば、目がない。何だって、見たい。「9月1日に開店したばかりのようよ」 カミさんが「電子文庫パブリ」を呼び出した。アドレスは、 www.paburi.com である。ピポピポピポ、と確認中の信号音が鳴る。 やがて、画面に、次のような文字が、現れた。『出版社8社が共同で運営する「電子文庫パブリ」にご来店いただき、ありがとうございます』「ご来店が、泣かせるわねえ」カミさんが喜んだ。「電子文庫を販売するわけだから、書店に違いない。ご来場じゃ変だろう」『毎週金曜日に、タイトルを追加してまいります。どうぞご期待下さい』 赤い文字で、『海外在住の方のご入会手続きは現在準備中です。準備ができたらパブリニュースにてご案内します。いましばらくお待ちください』「入会しないと電子文庫は買えないんだ」「そりゃそうでしょう。無料ではないんですから」「入会手続きは、どうすればいいんだ?」「その前に、そもそも電子文庫とは何か、を見てみましょう」 カミさんが、画面を次に送った。手慣れたもので、昨日今日覚えたと思えない。「これだな。つまり文庫の理念だ。『本に永遠の命を吹き込みたい』か。いいねえ」(中略) さて、その後、読んでみた電子文庫の感想だが、一冊読了するのは疲れる。机に向かって読む姿勢のせいだろうか。これは勉強であって、くつろいで小説を読む姿勢ではない。色川氏の名文が、紙と違って薄っぺらに感じられる。読んでいて何となく空しい。指の感触や匂いが無いからだろう。読書は目だけで読むのではない、電子文庫を読むと、よくわかる。しかしそう感じる私は、紙の本で育ったせいだからだろう、ということも、わかるのである。このような形の本もあってよい、と思う。しかし古本屋の商売には結びつかないな、とそれだけが寂しい。出久根さんの生い立ちや、お父さんの思い出が語られています。しんみりとするなァ♪<縄打つや>よりp149~150 私は中学を卒業すると上京し、古本屋の住み込み店員になったので、父親と、しみじみ話を交わしたことがない。たまに帰省しても、当りさわりのない世間話をするだけで、男親とむすこというものは、どうしようもない。照れくさいのである。もともと親父は無口で、用事以外のことをしゃべらない。何を考えているのか、余人にはつかめないところがある。 たとえば戦争前、まがりなりにも小さな印刷業を営んでいた父は、戦後は全く働くことをやめてしまった。仕事が無かったわけではないのに、一歩も家から出なくなった。何をしていたかというと、新聞雑誌の読者作品欄に、俳句や短歌やコントや標語などを投稿していた。毎日、30通ほど応募していた。 たまに、入選する。わずかの賞金が送られてくる。その賞金で、家族4人を養おうと考えたのである。賞品のシャープペンシルや、タオルなどは、近所の人に買ってもらっていた。なぜこんな無謀ななりわいを思いついたのか、わからない。 いつか聞いてみようと思いつつ、果たせなかった。親を責めるようで、言いだしづらかったのである。 私は親父がどのような子供時代を送り、結婚前は何をしていたのか、全く知らない。知らなくても別にどうということもなかったが、今年、新聞や雑誌で「21世紀の幕開け」という語を目にした時、新世紀に対する感慨より、親父が生きていれば百寿の祝いなのだと思い、百歳だったはずの人間の精神形成を知りたい衝動にかられたのである。親父は1901年、明治34年の1月2日に生まれたのだ。20世紀の申し子のような男である。その男が1945年を堺に、世捨てびと同然の生活を送る。何がきっかけで、そのような精神の大衆化が生じたのか、むすことしては大いに興味が湧いた、というわけである。 私は親父の遺品の草稿やノートを持ち出してきて、読み始めた。財産も借金も残さなかったが、「作品」だけはダンボール箱に五つも残した。応募した作品の控えである。 俳句も、結構ある。あるが、どれも良くない。しかし読んでいくうちに、作品の優劣はどうでもよくなった。父の内面が見えて、その方が面白かったのである。 「縄打つや作家志望も遠き過去」へえ、そんな野望があったのか、と思う。「母の日や遠き子の文いち早く」これは私のことだろう。「〇ひとつ背なに止まらせ子は戻る」これも私だ。「蟷螂に猫の一撃決まったり」そういう秋の日もあったな、と思う。 私は父が自ら取捨選択せず、すべての句を残してくれたことをしあわせに思う。人はどうあれ、私は一句一句読むことで、父を見、父を感じ、父と対話することができるのである。父は私が生まれてから、投稿し始めた。むすこに読ませたくて作りだしたのかも知れぬ、という気が、近頃はしないでもない。柳田国男や民俗学が語られているが・・・出久根さんの引出しの多さは、職業柄からなんでしょうか♪<柳田を「遊ぶ」>よりp46~49 私が民俗学に興味を抱いたきっかけは、出久根というわが姓のいわれを問われたことだった。まことに妙な名字である。明治になって、おのおの姓を付けることになり、ご先祖さまも頭をひねったらしい。先祖が自分で考えたのか、人に付けてもらったのか、わからない。それにしても、ずいぶん奇抜な姓である。 意味を考えてみたことは、なかった。しかし、姓はデタラメな文字の組み合わせではない。それぞれに、何らかのいわれがある。 姓氏家系大辞典を開いたが、出久根という項はあるけど、説明がない。 そのうち、クネという言葉に、ヒントがありそうに思われてきた。クネは、私のいなかで垣根をいう。私のいなかだけで称するのか、と思ったら、そうではない。埼玉県でもそう言うし、関西の方面でも同じ呼称である。 私の家の垣根が出っ張っていたので、デクネを姓にしたのだろう。ご先祖が自ら命名したというより、村の有力者に頼んだのかもしれない。自分ではいくら何でも、こんな突拍子もない姓は作るまい。 それにしても、クネという言葉が、全国至るところに散らばっている事実に驚いた。方言から、民俗学の面白さに誘われたのである。 その関係の本を、手当たり次第に読んだが、もっとも興味をそそられたのが南方熊楠で、不可思議な魅力にとりつかれたのが折口信夫だった。南方の論文は全篇これエロ話で、いや論文に限らぬ。彼の書簡もエッセイも、十行に一回は、その手の話題が出る。少しもいやらしくないのが、南方の人徳で、いやらしいも何も、この人のエロは、すべて学術に裏打ちされたエロである。高級なエロなのである。学問の下地がないと、全く意味がわからない。 一、二篇読んで投げだしたのは、柳田国男である。難解というより、あんまり面白くない。文章も回りくどくて、何だか偉そうなのである。つまりは当方に素養が無いせいなのだが、偉ぶっているという感じだけは、どうしても払拭できなかった。 (中略) 宮崎氏が『柳田国男トレッキング』(編集工房ノア)という著書で、明らかにした。 柳田邸に日参し始めた時に、いきなり、「キミ、勉強が足りませんね」と「威圧的で激越な口調」のパンチを食らった。 以来、若き日の著者は何度も「歯ぎしりするゴマメ」となる。昭和32年12月から、翌年3月まで、口述は行われ、神戸新聞に連載された。その日から40数年、かつての「ゴマメ」は、「毎日のように『定本柳田国男集』36巻を開いては、コバンイタダキ(印魚・小判鮫)よろしく巨鯨のおこぼれを頂戴する遊びを楽しんでいる」 その「遊び」の一端を紹介したのが、本書というわけである。いかにも遊びらしいのは、著者の分身が「田作」(すなわちゴマメである)と「印魚」に扮し、二人の掛け合い漫才で、話を進めていく趣向であること。駄ジャレあり、お色気あり、南方熊楠ばりの高級エロあり、実に面白い。『故郷七十年』の口述の思い出を語りながら、実は柳田民俗学の面白さを、わかりやすく解説しているわけである。
2015.02.11
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図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という本を手にしたのだが・・・先日読んだ『無縁・公界・楽』の網野善彦さんと宮田さんの対談ではないか♪冒頭の対談テーマが「映画『もののけ姫』をめぐって」となっていて・・・『無縁・公界・楽』よりは、読みやすそうなので借りたわけです。【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦, 宮田登著、 洋泉社、2012年刊<「BOOK」データベース>より歴史民俗的な視点で日本列島の歴史を遡っていくと、養蚕と織物の世界では女性が、未来を予見する民俗行事では子供たちが重要な役割を担っていた。さらに、社会の調整役としての「老人力」が、陰から歴史を動かしていたのだ。彼女、彼らの存在抜きには、もう歴史を語ることができない。歴史学と民俗学の泰斗が語り尽くした目からウロコの歴史世界。<読む前の大使寸評>冒頭の対談テーマが「映画『もののけ姫』をめぐって」となっていて・・・これが図書館で借りる決め手になりました。なお、借りたのは2001年刊の旧版です。rakuten歴史の中で語られてこなかったこと百姓のなかにも商人や職人が居たことなどについて、歴史の中で語られてこなかったこと1で紹介したので、その後読んだ箇所を追加して紹介します。柳田民俗学、民具学、日本常民文化研究所と歴史学の関係、そして歴史学のあり方が語られています。<「もの」を無視した民俗学>よりp153~156宮田:民具学という言い方をしているんでしょうが、その前の柳田国男とか折口信夫とか渋沢敬三といった草創期の人々の当時の問題意識の持ち方が、後世の個別分散化の方向につながったように思えます。たとえば柳田国男のやらないことを押さえようというのが渋沢さんや折口さんにもありますし、柳田さん自身が、あれは折口さんがやっている、渋沢さんがやっているという言い方で避けているんですね。それはやむを得ないことだと思うんですが・・・。 柳田民俗学の中で漁業の研究は、もっぱら不浄とか浄という観念の、農民にないものを漁民が持っていて、具体的には漁村では、出産のときの女の人の穢れの期間が農村よりもはるかに長いということがある。そして漁民の日常生活の生業形態、労働の危険性がもたらす不安感とそれに対応する神の関係が、農民の信仰とは違ったタイプであるとする漁民の精神構造の研究が先行してくる。 そこでは網野さんのおっしゃるとおり、技術的な問題はたぶん足りないでしょうが、桜田勝徳さんとか亀山慶一さんらが精神史と技術史の両方の接点をいこうと考え仕事をしています。こうした面からいうと、渋沢さんの、たとえば『塩俗問答』は、日本人の塩を使う民俗における浄めの観念と関わるんです。 塩を売り歩く行商の生態的な面もあると思いますが、こうした問題が研究されたことはすぐれて柳田民俗学的な視点が用意されていたことを示しています。 民具学というと、要するに道具を集めてくるという誤解が先行してしまって、文化財保存的な意味にのみとらわれがちです。ものを分類して保存するということは、博物館のいちばん基礎的な仕事に関わっているんだということになっている。しかしたとえば猟(漁)をする行為は、漁業の漁と狩猟の猟に関わる。そこで山と海が文化的につながるというかたちでとらえてくる。海側に漂着した人間が、平地を飛びこして山に入っていくと、どのような生活を作っていくかということとか、神観念の平地民との違いも問題になる。 ここには壮大な文化交流史が生まれてくる。そういうことを渋沢さんは考えていたのではないか? あるいは宮本さんはこうしたかたちでどんどん領域を拡げていったのではないかと思うんですが、どうでしょうか。それはもちろん歴史学的なアプローチがなくてはできない仕事です。 日本常民文化研究所が折り目を迎えたとするならば、若い世代を今後吸収していくような方向を持つかどうかに関わるはあずです。 民俗学がものを無視したがために、祖霊信仰説で頭打ちになって動きが鈍ってしまった。民具を中心に民俗を構成する視点から日本の歴史全体を体系化できるということを、既成の民俗学や歴史学を批判されながら主張されるのが、網野さんではないかと思うんです。どうも野次馬的な言い方で恐縮ですが。網野:そんな資格も力量も私なんかには全然ないですよ。しかし先ほど職人集団の問題が民具に関係して出てくると言ったんですが、日本常民文化研究所に多少とも関わっているかぎり、民具学に対して歴史学がどう対応したらいいかは、やはり考えざるを得ないですね。 最近、歴史学もようやく絵巻を資料として本気であつかうようになってきましたが、この分野はやはり渋沢さんの着眼で、日本常民文化研究所の人たちが戦前から研究してきたわけで、それが『絵巻物による日本常民生活絵引』(平凡社)として結実しているんです。この仕事に見られるような渋沢さんや宮本さんの視野の広さで、今後歴史学も民具学も考えていかねばならないことはいうまでもない。まだまだ研究すべき余地はたくさんあるのですが、歴史学の本来の史料である文献でなにができるのか、ということですね。 実は河岡武春さんから最近「中世史はどうやって民具学に協力していただけるのでしょうか?」と聞かれましてね。さて困ったと考えてみたんです。 ただ、まったく手がかりがないというわけでもない。中世文書の中に、時々、罪を犯した武士や百姓の家が差し押さえられたとき、あるいは不法に家財が奪い去られたときに、追捕注文とか雑物注文とかいう財産目録が作られるんです。余りたくさんは残っていないんですが、それには庶民の家財の中で、大切だと見られているものはすべて書きあげられるわけです。それを集めて並べてみたらどうかと思ってやってみたんですが、これはそれなりの意味がありそうです。 まず、武具、弓矢、刀が出てくる。この程度の武具を、庶民はみんな持っていますね。つまり武装できるわけです。それから犂や鍬、斧のような道具、それから帷や小袖、小袖には布小袖とか縫小袖、絹小袖などがあるんです。このへんも民具の研究と関係が出てきそうですね。つくも神という神様までいる日本は八百万の神の国なんでしょうね。今後の民俗学や民具学が、どうあるべきかについて語られています。<民俗学と民具学の「不幸」>よりp157~158網野:最近、宮田さんは柳田民俗学の批判的発展という観点から、都市民俗を取り上げておられますが(『都市民俗論の課題』未来社)、民具と職人の問題とも関連してくると思うので、ご自身の最近の構想や今後の民俗学がどうあるべきかについてのお考えをお聞きしたいのですが・・・。宮田:今おっしゃった道具の問題で、最近、小松和彦さんが付喪神という妖怪を取り上げている。つまり道具の化け物ですね。それを室町時代のデータで説明しているんです。民俗学の例からも道具にともなう霊的なものがあって、妖怪になってあちこちに出現する例があるんです。家の中の器材はお膳とかお椀が多いんですが、それが踊りだすというのは特別な霊力が働いたことになる。柳田さんは、膳椀を作った職人は山の民で、彼らが農民の日常の場に入ってきた。そして朱塗りのお膳や椀が家の宝になる。椀貸し伝説を背景に持った木地屋の力が背景にあることを指摘している。 山人の作ったものが里に入ってくると、里の人間はそれらに対して畏怖感を持つ。道具そのものに対して霊的なものを感ずれば、それを家財として文献に残しておかなくてはならないということになる。そこで記録に残すわけです。無用なものは捨ててしまうわけですが、道具が保存されると、それにともなって器物の霊力が妖怪となり、つくも神という名称を持つわけです。これはものと人間の精神史を考えるうえで重要なデータだと思われます。 問題が民俗学と民具学の共通の話題となって出てくるわけです。柳田民俗学と民具学は、組織が別であったと因縁がそのまま今でも続いていてはよくないわけですよ。それが解消されていくような研究課題が設定されなければならない。ものを知らない民俗学と、カミを抜きにした民具学という割り切り方でいくのは、そもそも不幸だと思います。そういった方向がなくなっていく可能性はあるのではないか。若い世代も生まれつつあるという気がするわけですがどうでしょう。河岡さんや網野さんがもっとラッパを吹かれるといいのでは(笑)・・・。南方熊楠や民博が出てくるあたりを見てみましょう。南方熊楠を最初に見出した渋沢さんが、偉かったようです♪<博物館構想>よりp225~228宮田:もうひとつ、渋沢自身はもう少し突っ込んで、たとえば博物館構想を持っているんです。延喜式博物館、野外博物館とか・・・。一部は国立民族学博物館につながるわけですが、民博だって、渋沢さんの、ああいう文化史的な背景を生かしている博物館とはいえないですね。歴史性は無視されている。網野:民博は成功した方でしょう。渋沢さんは、自分の集めた蔵書や資料を決して自分で抱え込もうとはしなかったんですね。それを種にしてあとは国や自治体でやれというやり方で一貫してきたのだと思いますよ。民博もそれでできたのではないかと思います。文部省史料館、今の国文学研究資料館も、渋沢さんの蔵書が種になっている。水産庁の水産資料館も同様なんですね。(文字数制限により省略、全文はここ)柳田民俗学、民博、宮本常一、南方熊楠など、大使のツボを突いていて、読みどころの多い本なのですが・・・・このあたりできりあげます。ついでに、先日読んだ網野さんの名著『無縁・公界・楽』の読書フォームを付けておきます。【無縁・公界・楽】網野善彦著、平凡社、増補版1996年刊<「MARC」データベース>より近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的な名著。<読む前の大使寸評>無縁・公界・楽という三つのキーワードが、何やら断定的であり・・・・気になるわけです。<図書館予約:(11/29予約、12/07受取)>Amazon無縁・公界・楽無縁・公界・楽byドングリ
2015.02.10
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図書館で予約していた『敗戦とハリウッド』という本を受け取り、パラパラめくってみると・・・ゲッ!堅い感じの完璧な論文スタイルである。本を手にしないで予約すると、よくあるパターン(外れ)だが、即返すのも悪いので持ち帰って読むことにしたのです。占領政策あるいはプロパガンダという観点で、アメリカが行ったイラク戦争とアフガニスタン侵攻の戦後処理を見ると、まあ見事な失敗である。一方で太平洋戦争後の日本占領は、敗戦国の国民から見ても成功例と言わざるを得ないのです。中東の場合、イスラム教、部族社会という困難さはあったにしても、この占領結果の違いは何だろうと思うわけです。日本社会の分析に関しては、ルース・ベネディクトの『菊と刀』が秀逸であったが・・・占領後の日本統治に関しては、用意周到な文化政策、プロパガンダが効を奏したようですね。・・・そういう見方で、この本を読み進めます。【敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建】北村洋著、名古屋大学出版会、2014年刊<「BOOK」データベース>より占領政策の一環としてハリウッド映画を利用したGHQと、その到来を歓迎して映画館へと押し寄せた日本人。両者の関係を多面的な交渉のプロセスと捉え、検閲・配給・宣伝をめぐる様々な試行錯誤から、ファン文化の形成まで、熱狂と葛藤に満ちた占領の文化史を描き出す。<読む前の大使寸評>この歳になって、やっとハリウッド映画の呪縛から開放されたというか・・・ハリウッド映画の劣化に気づいた大使である。思えば・・・アメリカン・ニュー・シネマの頃は素晴らしい作品が溢れていたが・・・アメリカ映画をこよなく愛でる下地は、大使がまだ物心つく前から周到に準備されていたようですね。アメリカの占領政策を知りたいと思う今日この頃である。<図書館予約:(11/14予約、2/06受取)>rakuten敗戦とハリウッド 占領下日本の文化再建この本の冒頭に、アメリカの文化的な占領政策が簡明に説明されています。物心ついた頃に、ジョン・ウェインの『駅馬車』や『硫黄島の砂』を観た大使であるが・・・まさにこの政策にのっていたようですね。<はじめに>よりp2~3 本書では、戦後の日本再建においてハリウッドの果たした政治的・社会的・文化的役割を考察していく。そのため、アメリカ政府、軍、映画産業の公式文書、メモランダム、議事録、私信などを検証しながら、ハリウッドとアメリカの外交・占領政策の関係を明らかにする。また、アメリカ映画が日本人に与えた影響についても検討したいと思う。そのため、日本で流通した新聞、チラシ、プログラム、ポスター、さらには関係者へのインタビューを通じて、人々がいかにしてハリウッドと接し、それを解釈したかを検討したい。 以下、本書の立ち位置を簡単に説明しておこう。まず、筆者は「外交政策」研究への貢献を目指している。本書で具体的に論じるアメリカによる日本の「占領」は、過去数十年にわたり多くの歴史家によって検討されてきたが、長らくその根幹にあったのは「占領」をアメリカの「政策」として理解することであった。多くの資料の発掘と綿密な読解に基いたこの分野の研究の多くは、GHQ/SCAPの複雑な組織構造を解き明かし、日本に対する非軍事化・民主化政策を形成・遂行する過程、および「逆コース」にともなう産業と経済の回復を優先する展開に光を当てた。 近年の研究は、こうした政治・経済政策などから「社会」へと視野を広げ、民族、人種、ジェンダー、文化などの視点から「占領」のポリティクスを再考し、ことに被支配者たる日本人の占領体験を包括的に見つめ始めた。その中で際立つのはジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』である。ピューリッツアー賞をはじめとする一連の栄誉を獲得したこの著作は、占領政策が日本に与えた影響を分析するにあたり、敗北に打ちひしがれた日本人が、いかにして戦争という「過去」とアメリカによる占領という「現在」と向き合ったかを精緻に綴っている。ダワーは「占領」を単にアメリカによる「上から」の一方的な介入と見なすことを拒み、「日本人」の生き様を、政治家から小説家、「パンパン」、農民、子供に至るまで、「万華鏡的」な描写によって克明に―「上から」も「下から」も―描き出している。 本書でもダワーのように占領期を「上下」両方から検証しようと思う。そのために、終戦後の日米関係を「共有の場」という枠組みで考えてみたい。ここでハリウッドに的を絞るのは、それが日米をつなぐ媒介として特殊な役割を担ったからである。「占領」という制約的な政治状況のなか、アメリカ映画産業は海外の私企業として例外的に商業活動を許可され、「政策」と「社会」の架け橋として機能した。つまり、終戦後のハリウッドは、アメリカ政府の「選ばれし装置」として機能したのである。その中で、アメリカの映画会社は「夢の工場」の魅惑を日本に輸出すると同時に、「啓蒙キャンペーン」と呼ばれた営為を展開し、スクリーン内外の活動を通して日本全国にアメリカの存在を見せつけていく。終戦後のハリウッド映画の躍進ぶりを見てみましょう。(まるで、今のアナ雪の躍進を見るようである)<おわりに>よりp208~209 1952年6月24日、『硫黄島の砂』(1949年)が日本で初公開された。リパブリック社が製作したこの作品は、ジョン・ウェイン演じるストライカー軍曹の指揮の下、タラワと硫黄島におけるアメリカ海兵隊の戦いぶりを劇的に描いた。その中で、無骨で勇敢なストライカーは、部隊の一部から反感を買いながらも仲間の信望を得ていく。そして硫黄島の擂鉢山での死闘の後、アメリカ軍は星条旗を掲げるが、その直前にストライカーは日本の兵士に狙撃され、仲間に見守られながら静かに息を引き取る。 この映画は1949年に製作されていたが、日本人の気持ちを逆撫でするのではないかという心配から、GHQ/SCAPの下では公開されなかった。しかしセントラル社が解体すると、リパブリック社は米軍やアメリカ大使館と即座に打ち合わせを行い、公開の準備を進めた。日本向けのプリントからは「ジャップ」や「ニップ」といった差別用語が入念に取りのぞかれ、反響を確かめるために日本の興行者、メディア、硫黄島からの復員兵を招いて試写会が催された。 宣伝に際してリパブリック社は、アメリカの愛国心を標榜する言説を排除し、「極力ハリウッド式ヒロイズムの謳歌を避け」た映画として広く売り出した。結果は大成功だった。 ロードショー公開された日比谷劇場では大入りが続き、1週間の興行記録はたちまち塗り替えられた。『硫黄島の砂』は、その年の洋画の配給収入の二位に食い込むこととなる。 この一見意外とも思える『硫黄島の砂』の興行的成功には、いくつかの理由が考えられる。まずは、『駅馬車』や『スポイラーズ』で名を馳せたジョン・ウェインが主役を務めたということが挙げられる。また、戦後見られた軍歌の復活や戦記物への高い関心からも察せられるように、第二次世界大戦に対する関心が高まっていたことも推測できる。 戦争映画に関しては、もちろん『きけ、わだつみの声』(1950年)、『二十四の瞳』(1954年)、『人間の条件』(1959~61年)などといった日本を描いた作品が多くの観客の共感を呼んだが、アメリカの戦争映画の人気も高まっていた。佐藤忠男は、その大きな理由を、日本軍が強敵として描かれている点にあるとみている。佐藤自身も、要所要所でアメリカ兵が「日本軍の強さに舌をまく」場面に「一種くすぐられるような快さで、私の胸にひびい」たと告白している。 日本における『硫黄島の砂』の成功はまた、占領期に再開したアメリカ映画の配給攻勢の成果を象徴する現象でもあり、以後のハリウッド映画に対する日本の観衆の熱意を暗示しているように思える。実際、終戦後に再開したアメリカの映画攻勢の効果には目を見張るものがあった。 実に6年半もの間、セントラル社はGHQ/SCAPとの協調関係を維持しつつ、組織的な商業活動を全国的に展開した。そしてアメリカ映画を単に「娯楽」としてではなく、「文化」と「啓蒙」の媒体として売り込み、観客の関心を誘った。そして多くの日本国民の「心」を掴んだのである。ムム アナ雪など最近のディズニーの躍進を苦々しく思っていた大使であるが・・・アメリカの文化的占領政策は現在まで連綿として続いていたのか(それは思い過ごしです)「啓蒙キャンペーン」とは、プロパガンダと同義であり(言い換えても間違いでない)・・・確かに啓蒙されたが、何かを誤魔化されてきたと思わないでもないのだ(それも思い過ごしです)。この著書は、朝日の吉岡記者の書評を読んで図書館に予約したのであるが、ちょっと専門的過ぎたようです。
2015.02.09
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朝日のコラム「波聞風問」にチャイナウォッチャーとも言える吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。ウォール街と聞くと心穏やかでいられないが、最近はそれに中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)とやらが加わってロンパリ状態でおます。2015.2.08くアジアの経済外交 日中、てんびんにかけるタイ>より 軍事クーデターで生まれたプラユット暫定政権が陣取るタイ首相府。宮殿のようなクリーム色の建物のわきの執務室に、経済政策を統括するプリディヤトーン副首相を訪ねた。首相の初訪日を、3日後に控えた今月5日のことだ。 「日本には、この鉄道路線の調査をお願いしたいと考えています」 赤い蝶ネクタイ姿のプリディヤトーン氏は、鉄道協力について説明を始めた。手元の地図には、経路を示す赤い線がひいてある。タイ南部のカンボジア国境からバンコクを通り、ミャンマー国境までを東西に結ぶ。その先には、タイが整備に力を入れるダウェー経済特区がある。 「南部経済回廊」に沿う路線は、アジアに生産拠点が点在する日本企業にもメリットがあるといわれる。「日本が希望すれば、ベトナムにまでだって延ばせます」 中国と共同開発するラオス国境からタイ湾へ南北に走る鉄道とあわせ最優先の路線と位置づける。中東からの資源を運ぶ手段を多様化したい中国にとっても、海に抜けるルートは悲願だ。 暫定政権は鉄道を共同開発する相手として、東西は日本、南北は中国と仕分けしたようだ。タイは前政権時代から、競い合うように高速鉄道を売り込む日中をてんびんにかけてきた。技術とお金を有利な条件で引き出すためだ。 「金利が高すぎる」。地元英字紙バンコク・ポストによると、タイ運輸副大臣は、中国と開発する路線に対する中国からの融資案を押し戻した。日本からは類似の事業に年1・5%で借りてきたのに、2~4%とは何ごとだ、と。しかも、設計、建設に加えて運行管理まで中国の技術の採用を求めているという。 タイに限らず、鉄道に限らず、日中それぞれにカードをちらつかせながら、似たようなかけひきが日々、繰り広げられているのだろう。 いっぽう、日本は民主や自由を重視する「価値観」を独裁国家・中国との差別化に使いつつ、米国などが距離をおく暫定政権の首相の来日を受け入れる。その「矛盾」の背景には、経済界の要請のみならず、中国とタイの距離を気にする側面があるはずだ。 「タイは日本とも中国とも良い関係です。あまりきかれたくない」。よどみなく経済政策を語っていたプリディヤトーン氏が、ちょっといらついたような、困ったような表情をした場面があった。 中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)について、しつこくたずねた時だ。否定的な日本に対して、タイなど東南アジアの国々は早々に加盟を決めている。 中国の台頭に向き合うアジア。あちこちで「てんびん」を揺らしながら、新たな均衡を探っている。中国依存を強める韓国は今後どう変わるのでしょうね?中韓同盟軍と対峙する日本という構図は見たくないのですが。2015.1.18く中韓急接近 済州島が映す異なる視座>より 韓国の「ハワイ」とも呼ばれる済州島。世界自然遺産の韓国最高峰、漢拏山(ハルラサン)のふもとに、高級チャイナタウンが姿を現しつつある。 「熱烈歓迎参観」。ハングルではなく、赤い漢字がおどる。中国の不動産大手「緑地集団」が手がけるマンション「漢拏山小鎮」。1戸約200平方メートルが、約9億ウォン(約9800万円)する。 「お客は中国人です」。ショールームの中国人社員は、明言する。微小粒子状物質PM2.5の数値を北京や上海と比べた広告で、環境の良さも強調している。2013年から400戸を売り出し、8戸を残すのみという。 島に住む翻訳家の男性(40)はこぼす。「高台の高級マンションから、中国人に見おろされている気分だ」。娯楽施設など周辺であいつぐ開発計画をめぐって、環境破壊を懸念する声もあがる。 韓国紙中央日報によれば、中国人が所有する済州島の土地面積は、14年6月までの4年半で約300倍に。外国人全体の43%を占め、国別では米日を抜いて首位。5億ウォン以上投資すれば永住権につながる居住権を得られる制度も、中国人をひきつける。ホテルや店舗への投資もさかんだ。 観光が重要な収入源の島で、外国人客の9割近くが中国人。中国語が飛び交う免税店のそばで、「罰金」を示す看板に目がとまった。 信号無視は2万ウォン、たんをはいたら3万ウォン、あたりかまわず大小便をしたら5万ウォン――。中国語と英語、ハングルで記されている。近くの店員は「中国人観光客を意識したものです。マナーが良くない人もいる。でも大事なお客様ですからね」。 中国経済が急減速したり、関係悪化で中国政府が観光や投資を抑えたりしたら、島はどうなるのか。人口約60万人の済州島は、複雑な思いを抱きながらも中国依存を強める韓国の「最前線」にみえる。 訪韓外国人の4割強が中国人で、14年も前年比4割増の勢い。中国からの直接投資(申告ベース)も2.5倍に膨らんだ。成長を輸出に委ねるなか、中国との貿易額は日米との合計を上回る。金融面でも、外貨預金に占める人民元の割合は11年の1%弱から3割に急増し、いまやドルに次ぐ存在である。 経済に歴史認識……。日本からみると怖いほどの韓国の中国への接近ぶりを、木村幹・神戸大学教授(朝鮮半島研究)は「現政権の志向ではなく、構造的なもの」と指摘する。安全保障面でも、韓国は米中関係を「共存」と認識しており、「対立」を軸に考える日本とは外交の前提となる国際環境が異なる、と。 視座を変えて相手が見ている風景を想像してみる。正否ではない。そこに、対話の糸口があるかもしれない。ここで以前のインタビュー記事を紹介します********************************************************************<吉岡桂子記者の渾身インタビュー記事>中華文明に関する吉岡桂子記者渾身のインタビュー記事を紹介します。・中国、権力と文学閻連科2015.2.06・政治化するナショナリズムワンチョン2014.11.15・中国、成長の罠香港大学教授2014.02.26・中国の「不動産バブル」大手不動産会社トップ2014.01.28・中国 国有企業の行方張維迎2013.11.07・中国と影の銀行張維迎2013.8.02朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。波聞風問一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事9>
2015.02.08
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カフカ賞受賞作家・閻連科(イエンリエンコー)さんがインタビューで「暗黒の現実直視し、隠された真実描く文学は国境を越える」と説いているので、紹介します。なお、インタビュアーは気鋭のチャイナ・ウォッチャーでもある吉岡桂子記者です。(閻連科(イエンリエンコー)さんへのインタビューを2/06デジタル朝日から転記しました) 中国で権力と向き合う作家がいる。アジアでは村上春樹さんに次いでフランツ・カフカ賞を受賞した閻連科さんだ。毛沢東や軍を侮辱したとして発禁処分を受けたり、貧困によるエイズウイルス感染を描いて販売が差し止められたり。それでも書き続ける理由は何か。国家が言論の自由を脅かすとき、文学にはどんな力があるのだろう。Q:昨秋、プラハであったフランツ・カフカ賞受賞の記念講演は、幼いころの飢えの記憶から切り出しました。1960年ごろの大躍進政策がもたらした大飢饉ですね。A:私の記憶は、樹皮やカオリンという粘土を食べてはいけないよ、という母の言葉とともに始まります。2、3歳でした。中国では自然災害と呼ばれていますが、明らかに政策によって3千万人が死んだのです。Q:その内幕を暴いた自著は発禁となっているのに、あえて、なぜ?A:私は自分の経験と記憶を重視する作家です。暗黒の歴史も現実も直視する立場をはっきりさせました。Q:貧しさゆえの売血で、エイズウイルスの感染が広がった河南省の村の話にも触れました。いまは重版できなくなっている本を執筆する際に取材で通った村ですね。A:講演は中国の主要な新聞や雑誌には載らなかったが、微信(中国版ライン)を通じてあっという間に広がりました。中国知識人の思想は携帯電話のなかでは解放されている。 中国人は改革開放政策で衣食が足りるようになり、いくばくかの小金も得ました。その成果は評価できますが、多くの代償を払いました。自然破壊は誰の目にも見えます。しかし、もっと大きな見えない代償は人間性の破壊です。Q:数千年かけて築いた感情や道徳の秩序、人間の尊厳の尺度が、解体、崩壊し、消え去ろうとしている、とまで講演では語っています。A:お金が全てにとってかわった。お年寄りが道に倒れていても助けようとしない。起き上がって『お前が倒した』と言いがかりをつけられ、お金をせびられると面倒だからですよ。倒れた人がみんな、そんなことをするわけではない。問題なのは、助けようとしない人の気持ちに中国人なら共感してしまうことです。 ささいなことかもしれないが、おそろしいことです。拝金主義が社会をゆがめていると分かっていてもお金という物差しを捨てられない。そして権力は枯れた花すら咲かす勢いです。北京でアジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれたとき、海外の賓客を迎えるにあたって汚れた空が青く変わったでしょう。Q:車や工場を規制しました。A:権力は空の色まで変えられる。これがいまの中国です。 ■ ■Q:文学に何ができるでしょうか。出版するには、当局の意向を意識して書かざるを得ないはずです。A:文学には世の中を変える力はありません。魯迅が100人いても、中国政府の政策文書ひとつさえ作れない。しかし、社会の問題に無関心ではいられません。改革開放で天と地が入れ替わったように変わった現実から逃げずに向き合い、どう描いていくか。私は、隠された真実や論理を感じ取り、描き出す手法を10年でも20年でも考えたいと思います。Q:新作の「炸裂志」は、閻さん自身がある地方都市の歴史を編纂するという架空の設定で、お金と権力にまみれた激動の30年をユーモアをまじえて描いていますね。架空だからこそ描けるものがある、と。A:あれも構想に十数年。書き始めれば、たいてい半年です。Q:天安門事件は作品に取り上げていませんね。民主化を求めた運動が弾圧され、知識人が政治から手をひいたことで、拝金主義が加速したように思います。米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した「国家が仕掛ける記憶喪失症」という評論で、中国政府が隠す歴史のひとつとして天安門事件に触れていましたが。A:書けないとか書きたくないじゃない。文学として価値ある物語が熟すまで待ちたい。私は当時、人民解放軍にいました。26年所属していただけに軍は何を考えていたのか、気になっています。本当のことが見えるか分かりませんが、暗黒に順応してしまわないように(作品を)中国の闇を照らす懐中電灯としたい。 ■ ■Q:2012年秋、日本政府による尖閣諸島国有化に反発する反日デモに連動して、北京の書店の一部から日本の本が消えました。村上春樹さんが領土問題であおられるナショナリズムを「安酒の酔いに似ている」と表現し、「魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない」と朝日新聞に寄稿しました。 これに対し、閻さんは米紙や雑誌アエラを通じて、返信のような文章を寄せましたね。「理性を!」と。A:あのとき中国の若い作家と一緒に日本を訪れ、日本の作家と交流する予定でしたが、直前に取り消されてしまった。中国では有名作家も知識人も、ある種、集団として沈黙を守った。知識人としての良識に背いた鈍感さが恥ずかしくなりました。Q:閻さんは「文化、文学が冷遇され消滅するとき、(国の)面積など何の意味がある」と訴えました。A:中国の作家には、政治問題に関心を持つべきではないという共通認識があります。自分を守れ、しゃべりすぎるな、と。先人が残した経験と教訓でもあります。でも、ひとりの知識人として、この問題に無関心でいいのか、と思ったのです。Q:東アジアではナショナリズムが共振し、いまでも「安酒」に酔っているように見えます。A:中国人は、中国政府を疑っているし、信用していない。むしろ軽蔑している面もあります。にもかかわらず中国政府が語る対日関係の歴史観を信じているように見えるのは、少し複雑な事情があります。まず、日本は中国と戦争をした相手です。国土にも心にも傷を残した。第二に、この反感の広がりを中国政府は許し、ときどき(統治に)利用している。第三に、日本の問題を使って自分の中にたまったあらゆる不満を吐き出そうとする人たちもいます。 しかし、中国の民族主義はゆっくりとだが、好転していると思う。Q:酔いがさめつつある?A:外交関係が悪化しようが、日本から中国へ来る人が減ろうが、日本へ行く人は増えています。しかもインターネットに楽しそうに感想を書きこんでいる。日本の人たちは礼儀正しい、親切だ、地下鉄は便利だ、風景はきれいだ、と。自分が触れた日本への感情を発信しています。 私たちが見逃してはならないのは、これほど中日関係が複雑なときに、民間が密接な関係を保っていることです。あなた方は政治をする、私たちは経済や文化で交流する、と分けて考えている。中国人はだんだん成熟してきています。Q:村上さんが塞がってしまうかもしれないと心配した心をつなぐ道は、開いていますか。A:村上作品を好きな人は、日本との間に何があろうと好きでいます。その意味で、彼の小説の意義は、小説そのものを超えている。文化や文学には、政治の対立を抑えたり和らげたりする役割があります。Q:日本を含めて海外の作家で影響を受けた人はだれですか。A:川端康成や三島由紀夫、安部公房は私だけでなく、中国の同世代の文学者に影響を与えています。川端のこまやかな女性の描き方、安部の奇抜な発想。そして大江健三郎の複雑な知識人的作品。徳田秋声を好んで読んだ時期もあります。 ガルシア・マルケスの『百年の孤独』も、中国文学に大きな変化をもたらしました。海賊版を含めれば、中国でどれだけ売れたか。私もとても好きです。農村を包む神秘性という共通点を感じるからです。 こうした作品は、世代を超えて読み継がれていく。日本と中国の間で、ともに読まれる文学が増えていくことは、人々が心をつなぎあわせる根っこになるでしょう。 *閻連科:1958年、中国・河南省の農村で生まれた。邦訳著書に「愉楽」「丁庄の夢」「人民に奉仕する」など。中国の老舎文学賞、魯迅文学賞受賞。<取材を終えて> 日本の著作が中国語に訳される機会は増えているが、その逆は多くない。中国における言論の自由の制限は、国境を超えて読まれる作品をうみだす力をそいでいる。そんななか、閻さんの作品は日本のほか、米、英、仏、独、スペイン、イタリア、イスラエル、韓国、ベトナムなど20以上の国・地域で出版されている。 閻さんは「想像を超えた非常に奇妙で不条理な事件が日々、起きる」中国を「文学の資源の宝庫」と言う。「複雑なことが現実」と受けとめ、二分化を避ける。発禁処分を受けた作品も、単純な批判や暴露ではない。闇も光も、歴史も今も、丸ごと抱えて歩む人の強さを感じた。(編集委員・吉岡桂子)フランツ・カフカ賞と魯迅文学賞を受賞した作家となると、シュールというか、ノーベル賞級の作家なのかもしれませんね♪中国で政府と折り合いをつけて生きていくことは、大変なんでしょうね。中国、権力と文学イエンリエンコー2015.2.06
2015.02.08
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昨日(6日)の新聞に「1月の新車販売」が載っていたが・・・おお N-BOXが堂々の2位となっているがな♪ 良く売れているようだが、大使もこの売れ行きに貢献したようである。(昨年12月は6位だったそうだが、なんで1月2位まで登りつめたのだろう)ちなみに、1月の首位は普通車のトヨタ・アクアとなっています。ところで、軽自動車の性能とコストパフォーマンスに着目したネット記事をみつけたので紹介します。2015/02/03170万円もする軽乗用車2台の価値は?より 前回のスズキ「アルト」に引き続き、2回続けて軽自動車を取り上げる。昨年末に軽自動車の新型車が相次いで発売されたこともあるが、なにしろ、2014年は日本で販売された自動車の中で、ついに軽自動車の比率が4割を超えた歴史的な年でもある。この連載も今回で19回目になるが、その中で軽自動車を取り上げたのは今回も含めてやっと4回目。国内での販売比率に比べたらまだまだ少ない。今後も軽自動車を取り上げることは増えるだろう。 前回取り上げたアルトは、価格が84万7800円からというリーズナブルな軽の代表格だったのに対して、今回は価格が170万円前後と、アルトのベースグレードの約2倍もする「高い軽」の実力と、その価値について考えてみたい。10年くらい前までは、クルマの価格とエンジンの大きさには大ざっぱな比例関係があったと思う。例えば1.3Lエンジン車なら130万円、1.5Lエンジン車だと150万円、2.0L車だと200万円、といった具合である。もちろん、当時でも排気量0.66Lの軽自動車は66万円というわけにはいかなかったが、売れ筋グレードで90~100万円というところだった。 ところが、今回取り上げるダイハツ工業「ムーヴ カスタム RS “ハイパーSA”」は166万8600円、ホンダの「N-BOX SLASH X」は165万円もする。ホンダ「フィットハイブリッド」のベースモデルの価格が168万1700円だから、これにほぼ匹敵し、ハイブリッドでないフィットの売れ筋グレードである「13G・Fパッケージ」の 142万円に比べれば20万円以上も高い。 もっともこれは「軽は安いクルマ」という筆者の感覚が古いのだろう。もはや国内販売の4割を占めるとなれば、安いクルマもあれば、高いクルマもあって当然である。むしろ、160万~170万円で装備も機能も充実したクルマが買えて、なおかつ維持費が安いとなれば、お買い得、という見方もできるだろう。<ボディ剛性高めたムーヴ> まずは、2014年12月に全面改良したムーヴから。ダイハツの軽自動車のベストセラーの座を2014年には背高ワゴンの「タント」に奪われたとはいえ、依然としてムーヴはダイハツの大黒柱だ。そのムーヴが今回の全面改良にあたって目指したのは「小型車と同等の基本性能」である。この特徴が最もよく表れているモデルとして、試乗車には新たに最上級グレードとして設定された「ハイパー」のターボエンジン搭載モデルを選んだ。 基本性能の向上で、ダイハツが注目したのが、乗員の頭部の動きである。全長が短く、幅も狭い軽自動車は、より長く、幅広い小型車に比べると、例えば道路の凹凸を乗り越えた際に、乗員は揺すられやすく、かつ揺れの収まりにも時間がかかっていた。これが乗員の疲労につながっていた。 今回のムーヴでは、軽自動車という制約の中で、乗員の頭部の揺れの大きさと、その収まり具合を小型車並みに抑えることを目指したとしている。このために、車体とサスペンションの両方を改良した。プラットフォームは先代で新開発しているので、今回は流用だが、フロントのサスペンションを取り付けるサブフレームや、リアのサスペンションの取り付け点を補強するなど、フロア周りの剛性を高めている。一方で、プラットフォームの上に載せるアッパーボディでは、サイドパネルを全面的に高張力鋼板(ハイテン)にしているのが特徴だ。サイドパネルというのは、車体側面の、ドア開口部の周囲やリアドアの後ろのパネルなどを一体化した外板のことで、通常は高張力鋼板ではない軟鋼板を使う。なぜ従来高張力鋼板を使わなかったかというと、2つの理由がある。1つは、高張力鋼板には成形が難しいという難点があることだ。サイドパネルは外観の意匠の一部であるため、デザイン性が重視される。このため、加工に制約のある高張力鋼板は採用しにくかったのである。<軽量化の発想を転換> もう1つの理由は、外板に高張力鋼板を採用しても、あまり軽量化につながらないとされてきたことだ。高張力鋼板は、通常の軟鋼板に対して、強度は向上するが剛性は変わらない。強度と剛性は何が違うのかと感じる読者もおられるだろうが、強度というのは通常、引っ張り破断強度を指す。つまり、鉄の板を両側に引っ張って、ちぎれさせる(破断させる)のにどれくらいの力がいるか、というのが引っ張り破断強度だ。 これに対して、剛性というのは変形しにくさを測る指標である。鉄の板を両側で支えて平置きにし、中央に上から荷重を加えた場合に、どのくらい力をかけたらどれくらい板が反るか、によって評価する。同じ力を加えた場合に、反る量が少ないほど、剛性が高い、ということになる。 前置きが長くなったが、外板は、手で押したときにあまりべこべこ変形すると安っぽい印象を与えるので、剛性を確保するために、ある程度の厚みが必要だ。高張力鋼板は、強度は上がっても剛性は上がらないのだから、高張力鋼板にしたからといって外板の厚みを減らすことはできない。高張力鋼板は通常、強度を上げて、その分、板厚を減らすことで軽量化する。厚みを減らせない外板では、高張力鋼板は軽量化につながらないと考えられてきたのはこのためだ。 これに対してダイハツは今回、従来は車体の強度・剛性部材として活用していなかったサイドパネルを、強度・剛性部材として活用するという発想転換をした。サイドパネルそのものは、高張力鋼板に代えても板厚は減らせないが、高張力鋼板にすることで強度が上がるので、これを車体の強度・剛性部材として使うことで、従来骨格の補強に使っていた部材を減らすことができて、結果的に軽量化につながったという。この、サイドパネルへの高張力鋼板の採用などで車体を約20kg軽量化したが、この軽量化分をプラットフォームの補強などに使うことで、商品性の向上につなげた。<「小型車並み」に偽りなし> 一方、サスペンションの改良では、ダンパーの改良によって、摩擦を減らして乗り心地を高め、同時に振動を減衰する性能を上げることで、揺れが速く収束するようにした。同時に、サスペンションを車体に取り付ける際に使う、ブシュと呼ぶゴム部品も改良して、ハンドルを切った時の車両の応答を速くしたという。運転者の意図通りにクルマが動くようにすることで、これも疲労の低減につながる。 ここまでは技術的な説明だが、ダイハツの意図はそのとおり製品の挙動に反映されているだろうか。結論からいうと、新型ムーヴの「小型車と同等の基本性能」といううたい文句は伊達ではないと思った。今回試乗したのは、先に触れたように新型ムーヴの最高級グレードである、カスタム RS “ハイパーSA”というグレード(2輪駆動仕様)である。ターボエンジンを搭載するスポーティグレードであるため、サスペンションのセッティングは硬めで、タイヤも標準グレードの14インチに対して、こちらは15インチを履く。 そのせいもあるのかもしれないが、乗り心地は非常にしっかりしている。ただし、決して不快ではない。凹凸を乗り越えたときのショックはきちんと丸められているし、シートクッションの硬さのセッティングが絶妙で、車体の振動が身体にはほとんど伝わってこないので快適性は高い。 しかも、サスペンションからの振動を受け止める車体から、剛性の高さが伝わってくる。大げさにいうと、ドイツの小型車の剛性感の高さを感じさせる仕上がりだ。1.3Lクラスの小型車と比べても遜色のない乗り心地といって差し支えない性能を実現していると感じた。(中略)<デザインが最高の付加価値> もう1台のN-BOX SLASHは、新しい車種とはいえ、中身は既に発売されているN-BOXそのものである。N-BOXは2011年11月にホンダの新世代軽自動車の第1弾として発売され、軽乗用車としては最大クラスの室内スペースなどが評価されて、シリーズで2012年度、2013年度と2年続けて最も販売台数の多い軽乗用車になった人気車種である。いわばホンダの軽自動車事業躍進の立役者だ。N-BOX SLASHは、このベストセラー車の高さを削って、スポーティなデザインにしたらどうなるか、というデザイナーの発想から生まれた商品だ。従って、新型ムーヴのような構造や機構上の新味はあまりなく、デザインが最大の付加価値というクルマである。ただ、この上から押しつぶしたような低いルーフや、後ろに向かって跳ね上がったリアウインドーの形状、窓枠に埋め込まれて一見2ドア車のように見せるリアドアのハンドル、短いボンネット形状などが、なんとも言えない愛嬌のあるたたずまいを醸し出している。(中略)正直に言って、試乗するまでは軽自動車に170万円以上も払う価値があるのか疑問に思わないでもなかったが、実際に試乗してみると、幅方向以外は、室内スペースは小型車よりむしろ広いし、走行性能も十分だし、デザインや質感はむしろ小型車をしのいでいる部分もある。しかも税金、保険、高速道路料金まで安いのだから、これは4割が軽自動車になるのもうなずけると感じた。どうしても定員が4人では足りない、あるいは軽ではどうしても荷物スペースが足りないという事情がなければ、軽でいい、いやむしろ軽がいい、と思う人はこれからも増えそうだ。結論としては、コストパフォーマンスは悪くないということですね♪・・・と納得した次第です。軽自動車のカスタム仕様車は、普通小型車より高価なことは、もはや巷の常識であり・・・つまり、軽自動車の価格は安いとは言えないようです。(安いのから高いのまで価格帯のはばが広がったということ)この後、各項目の詳細な比較表をエクセルで作るので、請うご期待♪(いつまで待つのか)たいがいのこだわり商品は、事前に比較表を作って検討するのが大使のパターンであったが…今回のは衝動買いだったので、順序が逆転した次第です。軽自動車購入後の事後比較1軽自動車購入後の事後比較2軽自動車購入後の事後比較3軽自動車購入後の事後比較4ホンダ N-BOXの自動車カタログ・価格比較
2015.02.07
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万国国際法学会会長レイン・ミュルレルソンさんがインタビューで「働かない国際法、背景に米一極支配」と説いているので、紹介します。やはり、アメリカの強引な価値観が中東全体に混乱をもたらしたようですね。(ミュルレルソンさんへのインタビューを2/05デジタル朝日から転記しました)中東では過激派組織「イスラム国」が暴力をむき出しにする。1年近く前、ロシアがクリミア半島併合に動いたウクライナでは東部での戦闘がまた激化している。「力」が横行する世界の現状をどう見るか。国際社会はどう対応すべきか。世界の秩序を律する役割を期待されるのが国際法だ。内外の代表的な研究者の意見を聞いた。■万国国際法学会会長、レイン・ミュルレルソンさん 《主権国家を基本にする国際社会の秩序を律して、紛争解決の枠組みとなる――。国際関係で国際法はそうした役割を求められている。旧ソ連生まれのミュルレルソン氏はゴルバチョフ元大統領の国際法顧問として、西側諸国との相互依存や協調に基づく「新思考外交」を支えた。》Q:世界各地で深刻な紛争や事件が続き、国際法がその役割を十分に果たせないでいる現状を、専門家としてどう見ますか。まず「イスラム国」については。A:中東のテロリストにより日本人も殺害されたことはすべての良心ある者、人類にとっての悲劇です。犠牲となられた方々に、私は深く哀悼の意を表します。 国際法との絡みで答えるならば、『内政不干渉』や『武力不行使』などの国際法の原則を無視し、自由とか民主主義をアフガニスタンやイラクにまでも武力で広げようとした米国の試みが、『イスラム国』のようなテロ組織を生んだ大きな要因だったといえるでしょう。自分たちとは別の世界に属するといえるこれらの国々に自分たちの価値観を植えつけることができる。そんな米国の単純素朴さが、中東全体に混乱をもたらしてしまったのです。Q:世界の多くの地域の人々に、自由や民主主義への志向や期待があることは事実ではないですか。A:確かに世界には、民主主義を拡大する余地、その民主的な達成を深化させる余地はあるでしょう。けれど、歴史は民主主義や市場経済の勝利に不可避的に向かうのだから、これを後押しするべきだという考え方には、大きな問題があります。 これまでの人類史を見る限り、いかなる社会、経済、政治システムも長期間そのままの姿を保ったものはない。民主主義が例外であるとは言えないと私は考えています。Q:そうはいっても、独裁体制による人権抑圧や大量破壊兵器開発などの脅威に、国際社会は何らかの形で対応せざるをえません。A:2011年に米英仏中心の多国籍軍の介入によってカダフィ体制が崩壊したリビアでは、その後過激派が台頭し、安定とはほど遠い。リビアでもフセイン体制崩壊後のイラクでも、これらの国の体制転換を唱えた人々がめざした状態は訪れていません。民主主義を急いで進展させようとする試みは、深刻な紛争や内戦などの大変動をつくり出しました。 米国という超大国が国際法を自分なりに解釈して行動する一極的世界の下では、国際法はよく機能できないということです。事態の改善のためには、米国とその伝統的な同盟国だけでなく、幅広い国際社会の合意形成が必要です。しかし、今の米国はまだ、こうした目的のために、どこの国であろうと平等な立場で合意をしたくはありません。 ■ ■《ソ連が崩壊した1991年、ミュルレルソン氏は父祖の地であるエストニアに戻り、第1外務次官として、欧米とロシアが勢力を競うバルト海沿岸で、独立して間もない国の外交の舵取りに当たった。その地政学的条件はウクライナと似ている。》Q:ロシアは昨年3月にクリミア半島を併合しました。「国際法に違反して、ウクライナとの国境の現状を力で変えた」と国際的にきびしく批判されています。A:ロシアは確かに国際法を破りました。プーチン大統領自身、クリミア併合を国際法違反であると間接的に認めたと受け取れる発言をしています。これまでプーチン氏は、コソボのセルビアからの独立について、『力による現状の変更で国際法違反』と主張してきました。Q:北大西洋条約機構(NATO)による99年のセルビア空爆で米欧がコソボ紛争に「力」で介入し、独立へと導いたというわけですね。A:そうです。それが今回、クリミア併合を語る際に『コソボでもそうだったように』と、併合を正当化する前例として使いました。米欧にできることならロシアにも同じことができるはずだという理屈です。 プーチン氏がこれほど攻撃的なのは、昨年2月にヤヌコビッチ政権の崩壊に至ったウクライナの政変の背景に、安全保障や経済の点でロシアに極めて重要な隣国の体制を転換しようとする米欧の狙いをみたからです。米国の上院議員や国務省高官たちが政権崩壊前、ウクライナの首都キエフで反政府派勢力を公然と後押ししました。これもまた国際法の『内政不干渉』の原則に抵触しかねない、大変に危険な傾向でした。 ありていに言ってしまえば米国にとってもロシアにとっても、重要なのは国際法の順守ではない。大国として、自分たちに有利な世界秩序を形成する争いにいかに勝つかが、何よりも重要なのです。ロシアにも米国にも自分の利益があり、その二つの利益がウクライナをめぐって衝突した。それがウクライナ危機の本質なのです。Q:大国が事実上国際法を侵犯して様々な紛争が起きている。そんな状況を少しでも変えていくためにはどうするべきでしょうか。A:米国とソ連が激しく争っていた冷戦時代、国際法は大変によく働いていたとはいえませんが、それでも米ソのお互いの牽制(けんせい)によって、いまよりも機能していました。既に述べたように、冷戦後に米国という超大国の行動へのチェック役がいなくなったことが国際法の機能を弱めました。注意すべきなのは、現在が、米国一極支配が次の段階に至る移行期であるという点です。 米国が、自らの求めるものを得るために世界で自由に力を行使することは次第にできなくなってきました。経済では中国が数年後には追いつくことができるでしょう。中国やロシアなどの新興大国の利益や立場を国際秩序に、もっと反映させていくことが必要だと思います。 米ドルが依然基軸通貨であるため、米国は他国にしわ寄せする形で有利な環境をつくれます。そこが中国などには不満なのです。国際社会をより安定させて国家間の不信や紛争の原因を減らすには、米国、欧州連合(EU)、中国、ロシア、日本、インド、ブラジルなど、世界の『極』になるべき国々が協力し合う体制をつくらねばなりません。 ■ ■Q:「極」として主張するプレーヤーが増えれば増えるほど、協力への合意形成は難しくなりませんか。A:たとえば環境など、多くの国が協力しやすい具体的な問題から、解決していくための努力を共に重ねることがまず必要でしょう。こうした努力もせず、国家間の意思疎通が十分とれずに『極』同士が勢力を競い合うままでは、『武力不行使』や『内政不干渉』といった国際法の基本原則が機能することはますます難しくなり、暴力の応酬もよりエスカレートしかねません。新しい時代に対応して、そんな危機感を持つことが国際社会にはもっと求められるのではないでしょうか。Q:「多極化に向かう新しい時代」という観点から、中東問題の解決策を提案してもらえますか。たとえばイランは『イスラム国』が敵視するシーア派の大国ですが。A:確かに中東では、力の中心、地域の大国としてイランが存在感を一層強めつつあります。イランは安定した国家であり、アラブの君主国よりはずっと民主的です。イラン抜きに中東の様々な問題を解決するのは非常に難しい。活用しないで良いはずがありません。 米国とロシアの関係は全体としては悪いけれども、イランの核開発問題に関する交渉ではロシアは米欧とよい協力を続けています。ロシアがイランに対して影響力を持っていることが、その背景にあります。やはりロシアが友好関係にあるシリアの化学兵器廃棄でも、米ロは協力できました。イラクの混乱収拾に向けても、ロシアと米欧はこのように協力することができるはずだし、しなくてはいけません。 徐々に、たとえ小さな一歩であっても、こうした協力を世界各地で拡大していくことが大切なのです。 *Rein Mullerson:1944年生まれ。エストニアのタリン大学教授。2013年から万国国際法学会会長。同学会は1904年に「国家間紛争の平和的解決への貢献」でノーベル平和賞を受賞している。■時代にあった国連改革こそ 人権教育啓発推進センター理事長・横田洋三さん 「イスラム国」は国際法上の国家ではない武装集団ですが、いまの国際法の下でも戦時国際法が適用されます。禁止された戦争犯罪を行った「イスラム国」の責任者は今後、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)で裁かれる可能性があります。 現状ではその責任者たちをすぐに逮捕し裁判にかけることはできないので、当面、影響力を低下させるための軍事的措置を国連の下でとる必要があります。安保理の「世界の平和への脅威」という決議の下に、有志連合や安保理が組織する平和活動による、何らかの強制行動による対応を進めるべきでしょう。 この議論はまだありませんが、今日の国際法体系から出てくるひとつの対応策だと考えます。その際にネックとなるのは、活動の中心となるべき米国の国内世論です。安保理ではロシアや中国が拒否権を行使すれば決議は通りませんが、そのために妥協することは、米国内では「外交の失敗」と受け止められてしまう。 イラク戦争のときもそうでした。本来は安保理決議の下で行動すべきだったのに、米国はそれを回避して一方的に軍事行動をとった。その結果大きな代償を支払うことになり、今日の中東の混乱、そして「イスラム国」の脅威というリスクを負うことになってしまったのです。 背景にあるのは、米国の支配力は落ちてきているのに、米国の一般国民が政府ほどにはその現実を認識していないギャップです。「自由と民主主義」を掲げ、米国を基準に世界をつくれば世界は平和になり繁栄するという楽観論がまだ支配的です。任期末まで指導力を維持し、歴史に名の残る大統領になりたいオバマ氏には国民の意識を変えたいけれども変えられないジレンマがあります。 いまの国際関係では、国連および国連を中心にした国際機構の働きを無視しては、もはや政治も経済も語れません。米国も国連秩序を前提にしないと動けなくなっています。 その国連は、今年創設70周年を迎えますが、国際社会の変化は大きく、時代にそぐわない部分が見えてきました。その典型が世界の平和に責任を負う安保理の構成や手続きです。最近の世界情勢は、政治経済の実態や国際社会の民意をより的確に反映する国連改革を求めています。 当面は、安保理常任理事国5大国の拒否権行使の制限や、拒否権を持たない常任理事国の枠の創設などの検討がなされるべきでしょう。(聞き手はいずれも機動特派員・大野正美)暴力、鎮めるためにレイン・ミュルレルソン2015.2.05
2015.02.06
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中原では、だましだまされの抗争の歴史が繰り返されて、血なまぐさいが・・一方で、照葉樹林帯では地形、植生が防壁となってわりと平和な歴史が続いたようです。照葉樹林文化という括りが好きな大使でんがな♪【続・照葉樹林文化】上山春平×佐々木高明×中尾佐助著、中央公論新社、1992年刊<商品説明より>古書につき、データなし<読む前の大使寸評>これまで照葉樹林文化という文言をよく使っていたが、出典のほうは読んでいなかったので・・・腰をすえて読もうと思ったのです。個人的には、アワ、ヒエ、ソバなどの雑穀や、モチ、ナットウなんかの分布、伝播に興味があるのです。rakuten続・照葉樹林文化モチにまつわる歴史、文化について見てみましょう。<モチと強飯>よりp64~67上山:稲作と照葉樹林文化についての新説が紹介されたところで、こんどはコメの食べ方の問題に移りましょうか。中尾:コメの食べ方のひとつにモチがある。モチはモチゴメを蒸したのを、キネでぺったんぺったんついてつくるわけですが、日本の王朝時代には、モチゴメを蒸した強飯が飯の標準だったようですね。 最近、京大の人文科学研究所の林巳奈夫さんが書かれた「漢代の飲食」という論文をよんだのですが、その中に、洛陽附近では、稲という字がモチゴメを意味していた、と書いています。ウルチ米は粳という字を使っていたということです。そうして漢代の主食はコシキで蒸して食べるのが標準だったと書いている。つまり強飯なんです。ラオスを中心とした地域では現在でも同じような食べ方をしている。そうすると日本の王朝時代のモチゴメの食べ方、それから漢代の黄河附近のコメの食べ方、現在ラオスの食べ方、この三つがぴしゃっと一致してくる。佐々木:日本でもコシキらしいものが弥生時代の遺跡からずいぶん出ていますね。中尾:いまのところ日本と中国とラオスという三つの地点を出してみたわけだけれども、つながったものとみていいと思うな。私は、これまでモチはシトギ系のものだというふうに書いてきたんだが、ここで説を改めたい。つまり、モチは強飯をウスでついただけで、強飯の系統で、シトギとは別系統と見たほうがいいのではないかと思う。(シトギとは、コメを一晩水に浸してからウスでついてドロドロのペースト状にしたもの) モチは、日本以外ではミャオ族の伝説にたくさん出てくる。そのモチは切りモチでなくてまるモチだ。ミャオのウスの形は日本と違っていて、扁平な舟みたいな形をしている。ミャオの話では、ウスをひっくり返して下に隠れて助かるというふうな話が出てくる。 それからもう一つ、語源の話だけれども、日本語の「モチ」というのは台湾と福建の「モチアイ」から出ているという説もある。(中略) 稲という字がモチであるという文字の考証はほかにもたくさんあり、『説文解字』(後漢100年ごろ)の解説などにも、モチであるとしています。周代には稲という字はしばしば用いられており、「稲人」という官職もありました。そのころの稲はモチだったということになります。 漢代になって、ウルチを意味する字があらわれてきますが、林巳奈夫さんの意見のように、そのころは稲、つまりモチイネを蒸して食べているのが普通だったと推定されます。佐々木:しかし、現在はウルチが主食になっているわけですから、モチからウルチへの転換はいつごろ起こったのですか。中尾:モチイネ常食から、ウルチイネ常食へと中国が転換したのは、後漢と隋のあいだの、ややこしい政治情勢をかさねていたあいだに起こったことと推定できそうです。陶弘景(AD452-536)は硬米をその時代の人が常食していると述べている。そのころにはウルチが主力になっていたようだ。隋の陽帝が大運河をつくり、華中のコメを大量に華北に運びはじめたときには、そのコメはもうウルチになっていたと考えられるのです。モチのお話をもうひとつ♪モチ種の雑穀がわりとたくさん有るんですね。モチムギまで有るそうです。<雑穀のモチ種>よりp74~75中尾:ところで、モチ種ということになると、イネ以外のモチ種が問題になってくる。佐々木:イネのモチ種というのは、ジャポニカ・ライスと同じように、照葉樹林帯に限られるわけですが、さらに重要なことは、この地帯ではさまざまな雑穀のモチ種が大量に栽培化されていることです。これは、照葉樹林文化のたいへん重要な特色だと思うのです。中尾:モチデンプンを持っている雑穀はすべて東アジアのもので、それ以外のところにはそいう品種がない。佐々木:通常の状態だと雑穀類の種子のなかにはモチデンプンはほとんど含まれていないのですが、たまたま突然変異でそういう粘性のデンプンを持った個体が出てくることがある。それを択び出して、一生懸命栽培して、品種というところまで育てあげる。モチ種が多いということは、この地域でこうした努力が古くから行われていたということですね。中尾:たとえば突然変異でトウモロコシのモチ種がアメリカで出ている。ところが、実用品種でモチトウモロコシができ上がったのは南シナの山間部、つまり照葉樹林帯の中だけだった。佐々木:モチ種というものは、ナチュラルに突然変異で出てきたものを、人間の側で品種にまで育て上げたということですから、そういう意味では、それはすべてカルチュラルな産物ですね。上山:これは照葉樹林文化のたいへん重要なメルクマールの一つですね。佐々木:モチイネだけじゃなくて、モチアワもあればモチキビもある。それからトウモロコシという16世紀以後に入ってきたものにまでモチ種をつくり上げている。中尾:コーリャンもそうです。佐々木:それからハトムギ。中尾:ハトムギは栽培種は全部モチ種です。しかしその野生種のジュズダマはウルチですね。それからもう一つオオムギがある。オオムギは日本や中国にははっきりモチムギというのがあるのですが、コムギ、ライムギ、エンバクなどにはモチ種はまったくありません。佐々木:ところが、照葉樹林帯をはずれると、モチ種がまったく見られなくなるのです。たとえば、ガンジス平原一帯のコメにはモチ種はありませんし、インド高原で広くつくられているモロコシなどの雑穀類もすべてウルチ種でモチ種ではない。つまり、穀物のモチ種は、アッサム・アラカン山地を堺にして、東側の照葉樹林帯にはわんさとあるのに対して、西側にはまったくない。これは照葉樹林文化の文化的セレクションのものすごさをよく示している。照葉樹林帯や日本の雑穀について見てみましょう。<照葉樹林帯の焼畑と雑穀>よりp94~97佐々木:ところで、照葉樹林帯の焼畑では、どんな作物をつくるのかということになりますと、雑穀類とイモ類があいちばん多いと思われます。インド高原の焼畑では、モロコシやトウジンビエ、その他の雑穀類などが多いのですが、アッサムから東の照葉樹林帯に入ると、断然多くなるのがアワです。あそこで作物が変るんですね。アワ、モロコシ、シコクビエ、ソバなどの雑穀類にサトイモやヤマイモなどのイモ類が組み合わされた作物構成になる。東南アジアの大陸部でも、南のほうの焼畑ではオカボが断然多いのですが、北の照葉樹林帯では、このように雑穀とイモが組み合わさった焼畑のタイプとなり、この型式の焼畑が、華南から江南の山地にまで達している。 これらの焼畑では、作物は2~3年間栽培するだけで、その後は休閑地になり、また別の新しい耕地が開かれる。休閑の期間は10年から15年ほどで、森林が回復すると、そこでまた焼畑が営まれるわけです。中尾:ネパールあたりのイネの栽培上限は1800メートルぐらいで、それから上はほとんどはトウモロコシやシコクビエになっていますね。ところがトウモロコシの渡来はきわめて新しい。その前はなにをつくっておったのだろうか。ソバについてはいくつかのいい伝えがあるけれど。 焼畑のあとにハンノキを植えますが、これは空中窒素の固定をやり、土地を肥やすんです。ヒマラヤからアッサムまでの焼畑は、ハンノキを使うというかなり高度な技術に達していた。台湾山地民もタイワンハンノキを使う。佐々木:ネパールなどは、焼畑をやりすぎたのか、焼畑から常畑への切り替えが早く進んでしまって、いまでは焼畑はほとんどなくなってますね。いま典型的な焼畑がよく残っているのはアッサム山地でしょう。 アッサムでは、第1年目にオカボをつくっている例が、かなりありますけれども、このオカボはそれほど古い焼畑作物かどうかは疑問です。普通は第1年目にオカボをつくって、そのまわりにタロイモヤトウモロコシなどを植え、第2年目にはアワはじめ、モロコシやシコクビエなどの雑穀類あるいはイモ類をつくるという焼畑が非常に多いようです。しかも、このばあい、儀礼の面では雑穀(とくにアワ)が大きな役割を占めていることが少なくないので、雑穀の栽培はかなり古いのではないか、と考えられています。 そのほか、たとえば、華南山地に住むヤオ族でも、同じような特色をもつ焼畑を営んでいますし、湖南省あたりの山地に住むミャオ族でもアワ、シコクビエ、ソバ、モロコシというような雑穀を中心に、それにマメやハトムギなどが加わった作物構成をもち、3、4年間耕作をつづける焼畑が非常に多いようですね。いまではシコクビエやハトムギなどはすっかりなくなっているんですけれども、古い記録をみるとシコクビエがかなり出てくるのです。上山:そのシコクビエというのは、なじみのない人が多いと思うのですが、どんな特徴をもっているんですか。佐々木:オヒシバとたいへんよく似ていて、粒が小さいですね。中尾:粒は小さいけれども、熟する途中の乳熟期に顕著にふくらんで大きくなる。そのときはうまそうに見えるね。佐々木:そこのところでスズメにやられる。スズメはアワやヒエよりも好きですよ。ぼくはシコクビエをアワやヒエと一緒に栽培してみたことがあるのですが、みんなスズメにやられてしまいました。日本でも北陸地方の焼畑でつい最近までつくっていました。
2015.02.05
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「対談」でしょうか。<市立図書館>・誰よりも狙われた男・おっとりと論じよう・古本・貸本・気になる本<大学図書館>・歴史の中で語られてこなかったこと・続・照葉樹林文化図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【誰よりも狙われた男】ジョン・ル・カレ著、 早川書房、2013年刊<「BOOK」データベース>よりドイツのハンブルクにやって来た痩せすぎの若者イッサ。体じゅうに傷跡があり、密入国していた彼を救おうと、弁護士のアナベルは銀行経営者ブルーに接触する。だが、イッサは過激派として国際指名手配されていたのだ。練達のスパイ、バッハマンの率いるチームが、イッサに迫る。そして、命懸けでイッサを救おうとするアナベルと、彼女に魅かれるブルーは、暗闘に巻きこまれていく…スパイ小説の巨匠が描く苛烈な諜報戦。<読む前の大使寸評>現実の世界ではイスラム国が仕掛ける諜報戦が熾烈であるが・・・スパイ小説の巨匠が描く諜報戦とは、どんなものか。rakuten村誰よりも狙われた男【おっとりと論じよう】 丸谷才一著、文藝春秋、2005年刊<「BOOK」データベース>より日本の美しさについて、文学、歴史、言葉について発見と刺激、そして味わいに満ちた対話集。【目次】咲く花、散る花に心をよせて-桜詞華集 桜うた千年(岡野弘彦・大岡信・丸谷才一)/ハムレットの「気分」と「先生」の淋しさ 夏目漱石と明治の精神(山崎正和・丸谷才一)/日本にはなぜ言葉による対話がないのだろう? 言葉は国の運命(井上ひさし・丸谷才一)/日本史の最も重大な年を望遠鏡と虫眼鏡で見る 「昭和20年」を語ろう(鳥居民・井上ひさし・丸谷才一)/あの花やかな襲名披露興行を寿いで 新しい勘三郎の時代(中村勘三郎・関容子・丸谷才一)/文学、風景、美術、藝能-あらゆるジャンルから選ぶ 日本美100(鹿島茂・三浦雅士・丸谷才一)<読む前の大使寸評>対談相手の顔ぶれが、ええなぁ♪三人の碩学が選ぶ「日本美100」が、この本のメインエベエントになるんでしょう♪rakutenおっとりと論じよう【古本・貸本・気になる本】出久根達郎著、河出書房新社、2004年刊<「BOOK」データベース>より古本、貸本、新刊本…、さまざまな気になる本と人をめぐる、エピソードに満ちた最新エッセイ集。【目次】1 貸本屋の女主人(本の時代の終末/予期せぬ出会い/文壇の気風 ほか)/2 古書のぬくとい街(岩波新書、私の薦めるこの一冊/本とあらば何でも見たい/組み立て付録 ほか)/3 浮世離れの古本屋(開かずの間-車谷長吉『白痴群』/連鎖の楽しさ-岩田宏『渡り歩き』/書物殺しの犯人-佐野真一『だれが「本」を殺すのか』 ほか)<読む前の大使寸評>直木賞作家にして、古書店主という著者であるが・・・書き手、売り手としてのさまざまなエピソードが、興味深いわけです。rakuten古本・貸本・気になる本古本・貸本・気になる本byドングリ【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦, 宮田登著、 洋泉社、2012年刊<「BOOK」データベース>より歴史民俗的な視点で日本列島の歴史を遡っていくと、養蚕と織物の世界では女性が、未来を予見する民俗行事では子供たちが重要な役割を担っていた。さらに、社会の調整役としての「老人力」が、陰から歴史を動かしていたのだ。彼女、彼らの存在抜きには、もう歴史を語ることができない。歴史学と民俗学の泰斗が語り尽くした目からウロコの歴史世界。<読む前の大使寸評>冒頭の対談テーマが「映画『もののけ姫』をめぐって」となっていて・・・これが図書館で借りる決め手になりました。なお、借りたのは2001年刊の旧版です。rakuten歴史の中で語られてこなかったこと歴史の中で語られてこなかったことbyドングリ【続・照葉樹林文化】上山春平著、中央公論新社、1992年刊<商品説明より>古書につき、データなし<読む前の大使寸評>これまで照葉樹林文化という文言をよく使っていたが、出典のほうは読んでいなかったので・・・腰をすえて読もうと思ったのです。個人的には、アワ、ヒエ、ソバなどの雑穀や、モチ、ナットウなんかの分布、伝播に興味があるのです。rakuten続・照葉樹林文化続・照葉樹林文化byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き87
2015.02.04
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図書館で『古本・貸本・気になる本』を手にしたが・・・リタイヤして暇な大使であるが・・・古本屋という商売もいいなァ、と思わないでもない。でも、たぶん売上げは絶望的ではないだろうか?という興味があるので、この本を借りたのです。【古本・貸本・気になる本】出久根達郎著、河出書房新社、2004年刊<「BOOK」データベース>より古本、貸本、新刊本…、さまざまな気になる本と人をめぐる、エピソードに満ちた最新エッセイ集。【目次】1 貸本屋の女主人(本の時代の終末/予期せぬ出会い/文壇の気風 ほか)/2 古書のぬくとい街(岩波新書、私の薦めるこの一冊/本とあらば何でも見たい/組み立て付録 ほか)/3 浮世離れの古本屋(開かずの間-車谷長吉『白痴群』/連鎖の楽しさ-岩田宏『渡り歩き』/書物殺しの犯人-佐野真一『だれが「本」を殺すのか』 ほか)<読む前の大使寸評>リタイヤして暇な大使であるが・・・古本屋という商売もいいなァ、と思わないでもない。でも、たぶん売上げは絶望的ではないだろうか?ということが興味深いのです。rakuten古本・貸本・気になる本古本屋という商売は儲からないと思うが・・・果たしてどれだけ苦しいのか?このあたりのウラ話が興味深いので、覗いてみたのです。<王様の生活>よりp66~68 会社勤めの男性の、あこがれの職業は何か。 何年か前、ある雑誌に出ていた記事である。何の仕事をしたいか、何の職業にたずさわりたいか、という設問で、答えはいくつかあったが、古本屋というのが比較的上位に出ているのを見て、苦笑した。 好きな本に囲まれて、本好きの客と本の話に興じ、1日を終わる。何と楽しそうな境涯だろうと、うらやましく思い、自分も古書店主になりたい。そう願った会社員のかたは、よほど本が好きな人だったのだろう。 古本屋という商売が、経済的にはどうなのか、恐らく考えてみたことはあるまい。考えたら、古本屋になりたい、という気は、起こらないだろう。 古本屋商売くらい、金と無縁な商売はない。 嘘だ、とお思いなら、中山信如著『古本屋おやじ』(ちくま文庫)を開いてみるとよろしい。どこを開いても、売上げのぐちばかり、以下の通りである。「本日より二週間、恒例の夏休み。ただし余裕があっての夏休みではなく、開けても売れないためのヤケ休みであるところが情けない」「八月分店売り額集計。半月のみの営業とはいえ、19820円。19万ではない、1万9千である」「店、売上ゼロ」「同じく売上ゼロ。どころか、なんと入場者そのものがゼロ」 店をやめた同業者と会う。「おあいそに、店をやめたらヒマができましたかって声をかけると、これがケッサク、かえってヒマでなくなったとのお答え。なるほど、店にいるときだけは、確実にヒマだったわけだからなァ」 むろん、古本屋の全部が、こんな「惨状」ではない。文章で発表しているからには、誇張もあるはずだ。でも、はたから見るよりも、楽でないことだけは確かである。 中山さんの、ある日の昼食。ケンチン汁で作ったオジヤの冷えたやつ、茶わん半杯。ニンニク入りカレー。おでん二品(大根半切れ、雁もどき1個)。ピクルス二切れ。「“判じもん”ではない。ここ、二、三日の残りものを寄せ集めた(略)古本屋は、こんなものを喰って頑張っているのだ」 同じく古本屋主人の内掘弘著『石神井書林目録』(晶文社)。 詩では飯が食えぬ、とこぼす老詩人が、詩歌専門に商う石神井書林主に、「君は貧乏詩人の詩集ばかり集めて、どうして食べていけるのか」と不思議そうに聞く。 「どうしてだろう。『なんとなく、じゃないですか』、そう答えると、『じゃあ、僕らと一緒だ』、嬉しそうに笑った」 嬉しそうに笑うというのが、泣かせるじゃありませんか。ウーン、慈善事業のようなつもりで営業する覚悟がいるのか・・・ヒヤカシでやる商売ではないようですね。
2015.02.03
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グラフィックデザイナーという職業があることさえ知らなかったが、この本を読むと・・・グラフィックデザイン、印刷、装丁などについて、黎明期から現在までの変化が部外者にもおぼろげに感じられる内容になっています。とにかく、コンピュータを活用したデジタル技術が革命的だったんでしょうね。【グラフィック文化を築いた13人】 アイデア編集部編、誠文堂新光社、2014年刊<商品説明より>2005~2012年に『アイデア』で特集し、数々の実績を残している13人のグラフィックデザイナーのインタビューをまとめた書籍。弊誌ならではの長時間におよぶインタビューにより、幼年期から学生時代、下積み時代、現在に至るまでのデザイナーとしての歩み、デザインに対する考え方などが語られている。デザインが大きく動いた時代に、いかにしてグラフィックデザイナーとして大成したのかだろうか。主な仕事のビジュアルも掲載し、言葉とビジュアルによって個人史をたどりながら、時代背景も伝わる構成に。グラフィックデザイナーを目ざす学生や若いデザイナーをはじめ、ものづくりに関わるすべての人に捧げる一冊。<読む前の大使寸評>この本がとりあげた13人の方々を1人も知らないし、グラフィックデザイナーとは何たるかも知らないが・・・ビジュアルという概念や本の装丁がからんでいるので、借りたわけです(良くわからないが)rakutenグラフィック文化を築いた13人初期のグラフィック文化のあたりについて、お二人の体験談を見てみましょう。■服部一成<デザイナーへの道>よりp36~38Q:もう、グラフィックデザイナーとかアートディレクターがどういう仕事なのかわかっていた?服部:いやいや。何にもわかんないです。全部一緒。いまでもよくわかってないですけど(笑)。まあ、とにかくイラストレーターじゃないんだなってのがわかった程度ですよ(笑)。なんか、とにかくカッコイイポスター作っている人たちだと。Q:80年代ニューウェーブ文化ど真ん中で、同じく盛り上がっていた音楽やファッションにものめり込んだりは?服部:いやぁ、それが僕のダサイところで、音楽もファッションもからっきしダメで(笑)。ただグラフィックは本当に好きだったんですね。グラフィックに憧れてる野球少年(笑)。練習が終わってから、予備校でデッサン描いてるんだから。井上さんやサイトウさんの仕事を、予備校の課題で真似してみたりね。 そんなこんなで一浪して芸大に入るんですけど、僕はグラフィックデザインに憧れて入ったのに、みんな絵を描いているんですよ。当時コンピュータがないというのもあるけど。なんでかっていうと、ひとつには日比野さんの影響ですよね。「日本グラフィック展」とかを通じて日比野克彦、タナカノリユキ、伊勢克也というような才能がばーっと出てきていたときで、その影響でみんな絵を描いていあのね。でも僕は絵なんか全然描きたくない、写真とか文字とか幾何学図形とかでグラフィックな何かを作りたいと思っていた。とはいってもできないんですよ。作品をかたちにできない、どうしていいのかわからない。モンセンの活字見本帳なんかはあるけど、どういうプロセスで作っていけばいいのかわからない。せいぜいシルクで刷るくらいなんですけど、でき上がりを想像して版を作ってみて、刷ってみたら全然予想と違ったり。いまと違ってモニターで試行錯誤して決まったら出力して・・・っていうことができない。ひとつひとつが時間もかかる。だから大学のときはほとんど作品的なものはないんです。ただ憧れだけがあって、何も作れない状況だった。けっこうフラストレーションは溜まっていましたね。ただね、その次期はグラフィックデザインに限らず絵画とか、建築とか、いっぱい見にいっていました。週末、銀座に出ていって、めぼしいギャラリーを全部見て回ったりとか。 大学では自分で「何か」を作りたい気持ちがすごくあるんだけど、作れない。作り方もよくわかんない。まあ、本当にやる気と行動力があれば、作れたはずなんでしょうけどね。頭ばかりが先走ってうまくできないまま4年間。とにかく大学を出て早く社会人になりたいなと思っていた。そうすればデザインバリバリできるはずだって思ったんですよね。■有山達也<デザインのベースがあるから柔軟になれる>よりp81~84有山:中垣デザイン事務所がデザイナーを募集していることは、大学内にある求人用の掲示板で知りました。当時、中垣事務所は『美術手帖』や『デザインの現場』を手がけていて、文字組みをちゃんとやっているところだなという印象がありました。広告にまったく興味がなかったわけではないのですが、デザインをやるならばまずは文字を組めるようになりたいと思っていたし、めったに見ることのない掲示板でたまたまその求人が目について。そういうタイミングもあるのかと思い、応募して入社しました。中垣:有山くんが中垣デザイン事務所に入った頃はいい時代でした。すべてが写植で、過去に作った指定紙と実物のコピーがファイリングされていたから、指定紙の必要な部分を写せば、過去に印字したものと同質な結果が得られた。その写す作業を繰り返すうちに指定の仕方が身についていくんです。有山:そうなんです。中垣さんの指定紙が見事で、バラ打ちではなく1枚の印画紙にきれいに組まれてくるのがとにかく美しいんです。あと、よく使う和文書体と欧文書体の組み合わせが20種類ほどあって、それぞれに合う書体や級数がわかる一覧表がありました。初めは書体のことも、どう組み合わせればいいのかもわからなかったので、一覧表通りに書体選びをしながら次第に慣れていきました。独立した後も参考にしていました。中垣:その一覧表を使ってタイポグラフィを覚えるからみんな比較的早くうまくなるし、お互いがタイポグラフィの基本でつながっていたので、スタッフが個々に単行本をデザインしても事務所のスタイルに統一されていた。有山くんとは平凡社や新宿書房などの単行本や、いまは幻の雑誌『FUKUOKA STYLE』を一緒にやってたね。有山:単行本は、「カバーやっていいよ」と言われて本文組は中垣さんがやって、外回りだけをやらせてもらいました。「おいしいところを自分がやってしまっていいのか? いや、やりたいやりたい!」という感じでやっていました。中垣:本文は僕がやったほうが早いし、合理的な組版ができるから。有山:『感覚変容のディアレクティク』は導入したばかりのMacで歯車のようなパターンを作って、出力したものを張り込んで版下にしたのを覚えています。中垣:有山くんは羽良多平吉さんが好きで繊細なタイポグラフィをやっていて、すごくうまかった。いまが下手だと言っているわけではないけれど(笑)、あの頃は最高の技術を要するようなタイポグラフィをやっていたわけ。神経がピリピリするような感じで極限までいったね。有山:当時はそれが面白くてかなり細かいことをしていました。羽良多さんのデザインを見て、書体、級数、字間などを分解していったのですが、必ずわからない書体にぶつかるんですよ。中垣:写植を勉強していたから、それを分析する力はあったよね。色彩は羽良多さんとは違ったけれど、タイポグラフィは相当まねていた。それがうちの事務所にいた最後の時期で、独立してしばらくは何をしているのか知らなくて、あるとき放浪から帰ってきたようにまったく別人になって現れた(笑)。自分とはまったく違うところを探り当てたのが面白いなと思って。有山くんは独立して、うちのやり方を全部捨てたよね(笑)。有山:捨ててないです(笑)。
2015.02.02
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本屋で『青春と読書:2月号』という月刊誌を手にしたが・・・無料の宣伝誌と思ったら定価90円とのこと、でもまあ、ほぼ無料である♪中をめくると・・・おお 高野秀行の巻頭インタビューが載っているではないか。それに、ノンフィクション関連の紹介が充実している。【青春と読書:2月号 】雑誌、集英社、2015年刊<目次>より【巻頭インタビュー】高野秀行謎めいた“絶世の美女(ソマリ人)”の日常に迫る【特集 第38回すばる文学賞対談】Part1 堀江敏幸×足立 陽 人類学から小説までの近くて遠い道のりPart2 江國香織×上村亮平 旅するように本を読む、小説を書く【インタビュー】新ライト文芸レーベル「集英社オレンジ文庫」創刊!<大使寸評>この月刊誌はノンフィクション関連の紹介が充実している。「集英社オレンジ文庫」という文庫を今月20日に創刊したんだそうで・・・集英社はエンタメに注力して棲み分けを計るようです。shueisha青春と読書:2月号この月刊誌の一部が、ネットで読めると書いてあったので、早速覗いてみたのです。謎めいた“絶世の美女(ソマリ人)”の日常に迫るより アフリカ大陸東端、通称「アフリカの角」に位置するソマリア(ソマリ世界)。20年以上無政府状態が続き、武装勢力や海賊が跋扈する危険エリアに飛び込んだ高野さんは、謎の宝庫・ソマリアに魅せられ、恋い焦がれ、秘境へと分け入っていきます。 台所から戦場まで──誰も知らなかったソマリ人の日常を命がけで見てきた見聞録『恋するソマリア』の刊行を機に、お話を伺いました。<海賊や内戦よりも謎のベールに包まれたもの>Q:「現代における数少ない『秘境』」であるソマリ世界。こんな世界があったのかと驚きました。 ソマリ世界って、玉ねぎみたいなんです。一皮剥くと、新たな皮が現れる。面白いことが次々と出てくるから、剥くのをやめられない。僕がソマリ世界に初めて足を踏み入れたのは2009年です。20年以上、無政府状態が続くソマリアに、民主主義を達成した「ソマリランド」という国があると知って半信半疑で旅立ちました。行ってみると果たして、ソマリランドは実在していた。それも、アフリカやアジアの平均以上の平和と安定を享受していたんです。これは凄いとびっくりして、独立の謎を解き明かしたのが、2013年に出した『謎の独立国家ソマリランド』です。Q:かつてのソマリアは現在、「ソマリランド」と、海賊が猛威をふるう「プントランド」と、イスラム過激派アル・シャバーブと暫定政府軍の戦闘が続く「南部ソマリア」の三地域に分かれているんですね。 先の本で書いたのは主にソマリランドについてで、他の地域、とりわけ南部ソマリアの風景を見ていないという思いがありました。それから取材ってどうしても、社会の構造や仕組みといった大枠を捉えるところから入るんです。で、その次は、中に入っていきたくなるんですね。今回の本ではソマリ人の日常や素の姿を書きたいと思いました。実はこの二つは、資料や情報がほとんどないんです。ある意味でソマリアの内戦や海賊よりも謎のベールに包まれている。ちなみにこの本は前作の続編ではないので、どちらからでも面白く読めると思います。Q:そうしてソマリ人のベールを剥ごうと迫る高野さん。ですが、一筋縄ではいきません。ソマリ人を美女にたとえ、彼女に「認められたい」と希(こいねが)う高野さんの「片想い」が、切なくもユーモラスに綴られています。 ソマリ人は僕にとって手の届かない絶世の美女であり、巨大な敵のような存在です。元来遊牧民の彼らの行動は「超速」で、目の前にあることにしか興味を持たない。誇り高い反面、冷徹なリアリストでもある。世の中を動かすのは所詮カネと武力であると理解していて、一冊や二冊の本が大勢に影響を及ぼすなどとゆめゆめ思っていないから、取材してもつれない。ただ、非常に論理的なので、一見、不可解な行動であっても、彼らなりの一貫した論理に基づいていることがわかってきました。Q:徐々に懐に入って、見えてきたんですね。 そうです。ソマリ人に限らず、相手の懐に入るために大事なのは一緒に何かをすることです。話を聞いているだけでは距離が縮まらないんですね。一番いいのは仕事。仕事って、綺麗ごとでは済まない局面が多々あるし、目的のために必然的に協力せざるをえない。丁々発止とやり合うことで見えてくるもの、築ける関係があります。高野さんの前作『謎の独立国家ソマリランド』のほうは図書館で借りて読んでいたのだが、実に面白かったのです。だから続編のようなこの『恋するソマリア』という本も期待できそうです♪ということで、くだんの読書フォームを作ってみました。【恋するソマリア】高野秀行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より台所から戦場まで!世界一危険なエリアの正体見たり!!アフリカ、ソマリ社会に夢中になった著者を待ち受けていたのは、手料理とロケット弾だった…。『謎の独立国家ソマリランド』の著者が贈る、前人未踏の片想い暴走ノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞第一作。<読む前の大使寸評>あれ?講談社ノンフィクション賞受賞作を集英社から刊行しているけど・・・そのあたりの仁義は、どうなっているんだろう?rakuten恋するソマリアついでに、『謎の独立国家ソマリランド』も紹介します。【謎の独立国家ソマリランド】高野秀行著、本の雑誌社、2013年刊<カスタマーレビュー>よりルポルタージュといってもいいし、探検記といってもよい。冒険・政治経済・安全保障・国際問題・民族問題・海賊問題などさまざまなテーマが詰め込まれ、500ページほどの本がすいすい読める。<大使寸評>高野さんは、エミレーツ航空の飛び立つ直前に、在日ソマリランド人を訪ねて現地でのツテを教えてもらったが、ここに高野氏の嗅覚と幸運が表れていると思うのです。死と隣り合わせの取材を楽しんでいるようだが・・・伊達に探検部に籍を置いていたわけでもないようですね♪この本は文化人類学の薀蓄もはさみながら、かなりスピーディに展開していくが・・・高野さんのやや楽天的な人柄が表れていて、ええでぇ♪<図書館予約順番:33(9/02予約、11/6受取)>Amazon謎の独立国家ソマリランド謎の独立国家ソマリランドbyドングリ
2015.02.01
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