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安倍政権の閣僚が今年も靖国神社を参拝したことに対する国内外の反応について、21日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 終戦71周年の8月15日。侵略戦争を美化する靖国神社への参拝から、安倍政権の暴走ぶりと、世界から孤立する姿が浮き彫りになっています。<田中倫夫記者> 靖国神社は、日本の侵略戦争を「アジア解放」の「正義の戦争」だと美化・正当化する宣伝拠点の役割を果たしています。その靖国神社に現職閣僚が参拝したり、玉串(たまぐし)料を奉納したりすることは、侵略戦争を美化する歴史観を肯定することになります。しかし・・・ 安倍晋三首相は靖国参拝を見送ったものの、4年連続で玉串料を奉納しました。15日には、高市早苗総務相と丸川珠代五輪担当相の2閣僚が参拝。「外交問題になるべきではない」(高市氏)、「平和を守るために」(丸川氏)などと記者団に述べました。山本有二農水相は6日、今村雅弘復興相は11日にそれぞれ参拝しました。 侵略戦争を美化・肯定する安倍首相をはじめ閣僚の姿勢は、国際的な批判を受けています。 防衛相就任直後の会見で、「(参拝は)心の問題」だと靖国参拝を否定しなかった稲田朋美氏。日中戦争から第2次世界大戦に至る戦争についても「侵略か、侵略でないかというのは、評価の問題で一概に言えない」とのべ、侵略戦争と認めない姿勢を示しました。 米国務省は今村復興相が参拝した時点で 「歴史的事実を尊重することが重要だ」と慎重対応を求めました。 韓国外務省は15日、 「侵略戦争を美化する靖国神社に供物を奉納し、参拝を強行したことに深い憂慮と遺憾の意を示す」とのコメン卜を発表。中国外務省も「日本側に侵略の歴史を直視し深く反省するよう改めて厳しく促す」と要求しました。 このようななか、初当選以来毎年欠かさず靖国神社を参拝していた稲田防衛相はアフリカ・ジブヂの海賊対策の自衛隊拠点を訪問(13~16日)し参拝を見送りました。 自民党の古賀誠元幹事長も「いま靖国神社をお参りされるのがいいのかどうか。『心の問題』を超えた、平和を願う政治家として大事なことだろう。お参りいただかない方がよい」(14日放送のTBSの番組「時事放談」)と求めていました。 15日、終戦記念日の街頭演説に立った日本共産党の小池晃書記局長は、安倍首相が靖国神社に玉串料を奉納したことについて「侵略戦争を肯定、美化する(同神社と同じ)立場に首相自身が立つことを内外に示すことになる。絶対に許されない」と批判。「海外で戦争する国」づくりを止めるため、「立場の違いを超えて力を合わせ、憲法を守り、生かす政治を実現しましょう」と呼びかけました。2016年8月21日 「しんぶん赤旗」日曜版 5ページ「靖国参拝、米さえ苦言」から引用 靖国参拝は心の問題だ、というのは囂々たる批判の中参拝を強行した小泉元首相が、国会で追及されたときに思いついて発言した言葉で、一般論として正しい考えのようにも見えますが、実際にはその場しのぎの方便にすぎなかったことは、首相を辞めた後、ご本人は参拝していないという事実が証明しているといえます。 上の記事に登場する政治家も「心の問題」と言えば納得してもらえると勘違いしているようですが、古賀誠氏のように肉親が戦死して祀られている人なら純粋に「心の問題」として追悼のために参拝するのは当然ですが、稲田朋美や丸川珠代らの「心の問題」というのは、侵略戦争の反省をせず、あれは正義の戦争だったと主張する勢力にアピールして政治家としての存在感を示すための「戦死者の政治利用」であり、死者への冒涜であると言って過言ではありません。こういう邪な心を持つ人物を議員として選ぶのはいかがなものかと思います。
2016年08月31日
国士舘大学教授の鈴木江理子氏は、日本は将来人口が減少するから、それでも現在の社会システムを維持していくには移民の受け入れが不可欠であるので、そのためにも外国人を排除するようなヘイトスピーチは根絶するべきであるとして、次のように述べています; 外国人が抱える問題に現場で取り組んできた立場から、ヘイトスピーチ対策法が非正規(不法)滞在者を枠外に置いたことは残念です。 とはいえ、自分たちに向けられた暴言と闘ってきた在日コリアンらは、法律の成立を大きな一歩ととらえています。日本政府は従来、「立法措置を検討しなければならないほどではない」として、問題に正面から向き合おうとしなかったのですから。これを機会に政府や自治体は、外国人と共に生きる社会に向けた政策を急ぐべきです。 ヘイトスピーチの根底にある差別の問題を考えるとき、大切なのは教育です。対策法は、国や自治体に、不当な差別的言動を解消するための教育活動を求めています。 最近の学生はインターネットで情報を集めます。韓国、中国、在日コリアンなどに関し根拠のないデマを信じ込んでいる学生が少なからずいます。歴史教育はもちろん、人権尊重の大切さ、差別は許されないということをきちんと教えるべきです。どの課程や教科でいかに教えるか。文部科学省や教育委員会は、現場の教員や弁護士、差別を受けた当事者らの意見も採り入れ、法律を実効あるものにしてほしい。市民、なかでも教員、公務員、警察官らの研修も必要です。 グローバル化が進み、・国内の外国人が増えています。非正規雇用が拡大し格差が広がるなか、「生活や社会が悪化しているのは外国人のせいだ」と思い込む人も出てくるかもしれません。先進国では、排外主義が勢いを増しているようです。外国人犯罪を過剰に報道し不安をあおるメディアにも責任があります。 日本は少子高齢化で人口が減っていきます。持続可能な社会をつくるためには、定住型外国人、すなわち移民の受け入れを検討せざるを得ない。そのとき、国民が外国人に対してネガティブな考えや差別意識を持っていては、建設的な議論が進まず、摩擦や衝突が生じる可能性もあります。意識を変えるには、息の長い働きかけが必要です。 日本は、植民地支配をした朝鮮半島からはもちろん、戦後も中国残留の日本人や家族、インドシナ難民、日系ブラジル人らを受け入れてきました。しかし、様々な制度の壁や差別からそうした人々の能力を十分、発揮させることができず、貧困に追い込んだ例も少なくありません。失敗を繰り返してはなりません。 外国人の受け入れには、日本語学習や就労支援、子どもの教育などの基盤整備が欠かせません。現在の技能実習生のように単身者を低コストで受け入れ、人手不足をしのぐやり方は問題の先送りに過ぎません。ヘイトスピーチ対策は手始めでしかない。包括的な外国人政策が必要です。(聞き手・桜井泉)<すずき・えりこ:国士舘大学教授> 65年生まれ。社会学。外国人労働者・移民政策に詳しい。編著書に「東日本大震災と外国人移住者たち」。2016年8月11日 朝日新聞朝刊 12版 11ページ「耕論-差別意識変える教育を」から引用 この記事が指摘するように、政府や自治体は、外国人と共に生きる社会に向けた政策を急ぐべきです。学生に限らず、昨今の若者はインターネットでまき散らされる韓国、中国、在日コリアンなどに関する根拠のないデマを信じ込んでいるケースが多いですから、大阪市の条例のようにインターネット上の表現に対する対応も検討するべきと思います。ちなみに、鈴木先生も「米軍は出て行け」もヘイトスピーチだなどという「脱線」はしてません。
2016年08月30日
ヘイトスピーチ対策法が成立して2か月たった8月11日の朝日新聞に、ルポライターの安田浩一氏が次のように状況分析を書いている; ヘイトスピーチ対策法が6月に施行された直後、神奈川県川崎市でのヘイトデモが、中止されました。デモに反対するカウンターと呼ばれる市民が路上で抗議し、警察も主催者を説得しました。対策法ができる前の警察は、ヘイトデモの実施を優先させ、カウンターの人たちをためらいなく力ずくで排除していた。対応は明らかに変わりました。 対策法をふまえ、肇察庁が都道府県贅に対しヘイトスピーチにかかわる違法行為に厳正に対処するよう通達を出した影響は小さくないでしょう。法施行後、全国的にデモの数も減っています。もっとも、警察の対応は地域でばらつきがあり、まだ試行錯誤しているように見えます。 対策法自体に問題があることを、指摘しなければなりません。法律は「不当な差別的言動は許されない」と宣言しますが、ヘイトスピーチに関し「違法」「禁止する」とは明記していません。 また、適用の対象を「適法に居住する在日外国人とその子孫」に限定しています。不法滞在状態になった外国人労働者や難民申請者も現実にはいるが、条文からは対象に含まれないように読めます。アイヌ民族や沖縄の人たちへの差別的な言動にも目を向けるべきですし、ネット上の書き込みも野放しのままです。 法律に罰則規定を入れるかどうかは慎重に判断しなければなりませんが、この法律ではやはり不十分で、包括的な人種差別禁止法が必要です。 これまで、北海道から沖縄までヘイトスピーチの現場に数え切れないほど足を運んできました。在日コリアンが、路上で暴言を浴び、ぼうぜんとしている姿を見て、深刻な被害の存在に気づきました。 「表現を仕事にする者が、ヘイトスピーチを規制する、などと軽々しく主張すべきではない。市民社会の力で対抗すべきだ」と言う弁護士もいます。でも私たちマジョリティーが、マイノリティーに「これも表現の自由。目を閉じて耳をふさいで、少し我慢して」というのは横暴です。被害者は「存在を否定され、本当に殺される」と、恐怖におびえています。 差別の言葉やデマが街で堂々と叫ばれると、「この程度なら言っても構わない」と人々の感覚をまひさせる。「在日には特権がある」というデマを少なくない人たちが信じてしまう。ヘイトスピーチは人間や社会を壊すのです。 先月の東京都知事選では外国人排斥を訴える候補が、悪質なヘイトスピーチをまき散らしました。公職選挙法で選挙の自由が保障されており、有効な対策を打ち出せないという課題も出てきました。 対策法を最大限生かし、改善もしていかねばなりません。地域の実情に応じて条例制定も検討すべきでしょう。(聞き手・横井泉)<やすだ こういち:ルポライター> 64年生まれ。外国人労働者問題などを取材してきた。著書に「ネットと愛国」「ヘイトスピーチ」など。ルポライター2016年8月11日 朝日新聞朝刊 12版 11ページ 「耕論-デモ対処まだ試行錯誤」から引用 今までは在特会を守ってカウンターを排除することだけを考えていた警察が、在特会を説得してデモを止めさせるようになったのは、大きな進歩といえます。地域によって警察の対応にばらつきがあるとは言うものの、私たちは在日には特権があるとか、「米軍は出て行け」もヘイトスピーチだなどという馬鹿げたデマにだまされない知性を身につける必要があると思います。
2016年08月29日
天皇制に反対する運動の現状について、ジャーナリストの中嶋啓明氏は7月22日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 7月13日、天皇明仁(あきひと)が「生前退位」の意向を示していたとのニュースが流れた。権力は常に意表を突いてくると感心した。 Xデー(代替わり)が現実的に視野に入ってきた中、7月2日に催された討論集会「どうなる!? どうする!? 天皇制と反天皇制運動」を聞きに行った。 昭和天皇裕仁(ひろひと)の時代のXデー状況に抗するため結成され、以来、30年にわたって活動を続けている反天皇制運動連絡会(反天連)が主催し、「明仁、美智子天皇夫妻は、リベラル派をも味方につけるほどの強力な天皇制を作り上げた」との現状認識を基調に据えて集会は企画された。集会では、近現代史研究者で『「国民の天皇論」の系譜 象徴天皇制への道』などの著作がある伊藤晃と立川自衛隊監視テント村の井上森、反天連の天野恵一の3氏から問題提起を受け、天皇制の現状や今後の再編像などについて討論が行なわれた。 伊藤さんは「戦後、裕仁、明仁の2代の天皇は、戦死者の慰霊という行為を通じて、民衆の平和志向と日米同盟の下での”平和”を折り合わせるための”努力”を続けてきたが、近年、特に安倍政権の積極的平和主義とその下での歴史修正主義や領土ナショナリズム、排外主義の顕在化が、明仁の努力を行き詰まらせている。改憲が現実化する戦後国家の新段階に対応して、象徴天皇が模索する新たな国民一体のイデオロギーに、民衆の側はどう対抗するのか」と問題提起した。 井上さんは「SEALDs(シールズ)の台頭などに見えるのは、自己批判を否定した『戦後民主主義日本』の再評価であり、『戦後民主主義批判(戦後批判)』の忘却だ。一方で、戦後批判の側も、中国の『反日』デモなど東アジアの民衆運動に十分に応答できていない。天皇代替わりの過程で、弾圧による民衆運動の分断が何度でも狙われるだろう。それに対する反弾圧の運動は、東アジアの民主化運動に連なっているとの感覚を大事に、戦後民主主義との緊張関係を保ちつつ対話と交流を続け、戦後批判への道を追求していきたい」と話した。 天野さんは、政府、メディアが一体となって服喪と自粛を強制した裕仁Xデー前後の状況を振り返り、「象徴天皇制体験の思想的総括」の必要性を強調。当時の戦後民主主義の”旗手”たちが一様に、即位時の明仁の”護憲”発言を称揚した事実に触れ、「『民主主義に天皇制はいらない』とのスローガンが、大変な社会的抑圧に抗する自然な声として全国各地で掲げられた。今後、各地、各現場での当時の体験を突き合わせ、象徴天皇制と対決する民主主義を紡いでいく作業が大切だ」と訴えた。 討論を受けて私は後日、大手マスコミの社会部で、裕仁Xデー時の報道に関わった、ある記者に話を開いた。社会部で唯一反天皇制運動を取材した彼は当時、被差別者や在日、ハンセン病者ら「まつろわぬ人々」の声を拾って記事にしたが、それらは、大量の裕仁賛美の記事に埋もれたという。そうした経験から彼は「まず、報道の総量を減らす方途を考えるべきだ」と指摘。その上で、明仁Xデーに向け、「左派、リベラルまでが、安倍政治への対抗軸として明仁、美智子を持ち上げる今の状況は非常に問題だ。安倍政権に限らず、その時々の政策を是認して権威付け、政権を補完するのが天皇制の存在意義で、明仁らの”護憲”発言など欺瞞(ぎまん)としか言いようがない。イラク派兵時の発言など、参戦国家化を追認してきた明仁らの言動を一つひとつ批判的に検証することがジャーナリズムの責務だ」と強調した。なかじま ひろあき・「人権と報道・連絡会」会員。2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 48ページ「裕仁Xデー報道の総括を」から引用 今上天皇は戦後、アメリカ人の家庭教師から英会話と民主主義について学んだので、民主主義については安倍首相よりも造詣が深いのではないかと推量されます。東京都の教育委員になった棋士の米長邦雄が「日本中の学校に日の丸を掲揚させるのが自分の仕事だと思ってます」などと軽率な発言をしたところ、天皇から「できるだけ強制ではないことが望ましい」とお説教されたりして、天皇の「株」が一気に上昇したものでした。元々米長氏は右翼思想の持ち主であったわけではなく、教育についてもそれなりの見識を持った人物ではあったのですが、調子に乗ると愚かなことを口走るというのが欠点だったのかもしれません。それにしても、天皇制に反対するグループはこれからどのようにして指示を広げていくのか、動向が注目されます。
2016年08月28日
ジャーナリストの林信吾氏は、イギリスのEU離脱を決めた国民投票と日本の憲法改正を決める国民投票の共通点について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; かなりの程度まで予想されていたことではあるが、先の参院選において、自民党を中心とする改憲勢力が3分の2の議席を占めた。 今こそ、去る6月23日に英国で行なわれた、EU(欧州連合)からの離脱を決めた国民投票に、あらためて注目すべきではないだろうか。 言うまでもなく、わが国でも改憲の発議から国民投票へ、という動きになることが、現実味を帯びてきたからである。 なにより、離脱決定後の英国の混乱ぶりを見るにつけ、後悔先に立たず、とはこのことだ、との思いを強くするのであり、近い将来、改憲の是非を問う国民投票があったような場合には、断じて英国の轍(てつ)を踏んではならぬ。 まず、離脱派のスローガンは、「国家を我らの手に取り戻せ」であったが、ここで早くも、「日本を取り戻す」という安倍内閣のスローガンを連想した読者も、決して少なくないであろう。そう。両者の発想は、実はかなり似通っているのだ。 そもそもEUとはなにかと言えば、端的に、二度の大戦を経験したヨーロッパ大陸諸国が、戦争の恐怖から永久に解放されたいと願い、国家の主権を制限し、国境を有名無実化する「国境なき国家連合」を目指したというものである。 これに対して英国には、冷戦時代でこそ、西欧諸国がひとつにまとまることに意義があったが、今さら通貨や国境の管理権までEU委員会という官僚機構に譲り渡すべきではない、と言って憚らない政治家が多い。 事の当否を論ずる前に、占領軍に押しつけられたものだから、という理由で、まずは改憲ありきの議論を展開する人たちと、どこか似通って見えるのである。 始末の悪いことに、どちらも自分たちを真の愛国者だと信じて疑わない、という共通点もある。 さらに言えば、EUから離脱すれば、分担金を福祉に回せるとか、離脱派の主張は嘘八百と言って差し支えないようなものであったことが、今になって次々と暴露されている。◆投票率の縛りは国難 こうしたことを受けて、ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授は、「投票率が70%だった現実を踏まえると、有権者のわずか36%が離脱キャンペーンに乗せられたに過ぎない」「英国のEU離脱について、ハードルはより高くあるべきだった」 と主張する(『週刊東洋経済』7月9日号より抜粋)。 たしかに日本でも、憲法改正をめぐる国民投票については、投票率の縛りをかけておくべきではないか、との議論はある。 仮に、昨今の国政選挙並みに、投票率が50%そこそこであったなら、有権者の25%程度の賛成でも「改憲派が多数」となってしまうからだ。 しかし、著名な憲法学者である石川健治・東京大学教授は、こう語る。「投票を義務化している国もありますが、日本はそうではない。純粋に権利ですからね。権利を行使しなかった者は黙って結果を受け容れる。そういう制度設計になっている以上、あらかじめ投票率の縛りをかけるのは、ちょっと無理でしょう」 今はなき菅原文太氏は、「政治の役割は二つある。ひとつは国民を飢えさせないこと。もうひとつは、戦争をしないこと」 と喝破した。 有権者の役割も二つあるのではないだろうか。 ひとつは、政治家の嘘に乗せられないこと。もうひとつは、自分の権利を国家に売り渡さないことだ。 しかも消息筋によれば、官邸は今後「9条は変えない。戦争はしない」と強調しつつ「震災を想定しての」緊急事態条項を通そうとする可能性がある。まずは改憲の既成事実を作りたいのだろう。はやし しんご・作家、ジャーナリスト。2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 26ページ「自分の権利を国家に売り渡すな」から引用 イギリスのEU離脱は歴史の進歩という観点からみて「是」なのか「否」なのか、素人にはなかなか判断が難しいところであるが、林氏のように「国家連合を組織することによって国境をなくすことが歴史の進歩である」という明確な価値観を持っている人の目には、いろいろと見えてくるものがあり、EU離脱を主張する政治家は「国家を取り戻す」と言い、憲法改正を主張する日本の政治家は「日本を取り戻す」と主張している。そう言われてみれば、確かにこれは偶然の一致というにはあまりにも一致しすぎており、政治家の嘘に乗せられてはならないという「警鐘」は耳を傾ける価値があると思います。日本を取り戻すなどと言うと、まるで今は奪われているとでも言いたげですが、私たちの日本は誰にも奪われてはいません。安倍氏が取り戻したいのは戦争に負けて解散させられた軍隊なのであって、その本音を隠すために「日本を・・・」と言っているに過ぎない。そういう嘘に私たちは乗せられてはならないと思います。
2016年08月27日
映画監督の森達也氏は、今回の参議院選挙の結果について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 開票結果は予想通り。だから衝撃はない。ただしゴールは近い。それは実感している。ゴールとは何か。敗戦から70年にわたって持続してきた国の形を、根本的に変えるゴールだ。一度変えれば戻らない。そのほうが楽だからだ。普通の国だからだ。 投票直前、米国でまた銃乱射事件が起きて、警官5人が射殺された。多くの人は銃社会を批判する。全米ライフル協会が主張する「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」に共感する日本人はほとんどいないはずだ。 でもこれは世界的なスタンダードでもある。軍隊の存在理由だ。 この国はその常識へのアンチテーゼを提示した。戦争から縁を切れない人類に対して、唯一の道を選択して実践した。ただし怖い。だって隣近所はすべて銃を持っている。いわばやせ我慢だ。でも銃社会を本気で根絶しようと思うのなら、誰かが率先して銃を捨てなくてはならない。歯を食いしばりながらやせ我慢を続けてきたこの国を、僕は誇りに思ってきた。他に誇れることなどほとんどないけれど、これだけは胸を張れると思ってきた。 その理念が崩れる。いやもう崩れかけている。 ゴールの直前に一つだけ願う。メディアの再生だ。米国のメディアは支持する政党や候補者を明確に示して応援する。そのうえで権力を監視する。でも日本のメディアは、中立公正や不偏不党を理由に、政治的立場を明確には示さない。しかも委縮しやすい。権力監視が機能しない。選挙報道はその典型だ。だから選挙後の今になって、改憲の可能性はなどとようやく口にしている。誰もがわかっていたことなのに。 まだゴールには達していない。だから期待する。いや本音を書く。すがる。最後の土壇場の瀬戸際に、メディアの意地を見せてほしい。<映画監督、作家>2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 22ページ「ゴールの直前に一つだけ願う」から引用 米国のメディアは支持する政党や候補者を明確に示して堂々と応援するというのは、さすがに民主主義の国だと思います。かたや日本ときた日には、法律に「中立公正」などと書き込んで、政府が何か理不尽なことを言うとすぐに萎縮する、これでは本来のジャーナリズムの使命を果たせません。もっとも、米国と違って日本のメディアはその昔、中国や東南アジアを侵略する日本軍にくっついて行き、あわよくば発行部数を伸ばしてもうけようとした過去があり、そういう姿勢を反省して辞職した新聞記者はたった一人、残りの全員は「家族を食わせるため」と称してそのまま残って今の大新聞があるというわけで、戦争責任の反省の不徹底が、今日の社会に影を落としていると言えるのではないでしょうか。
2016年08月26日
リベラルな発言で注目を集めるブロードキャスターの茂木健一郎氏は、安倍政権が進めようとする改憲論議について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 参議院選挙の結果、憲法改正が具体的な日程に上りそうな機運になってきた。選挙中はほとんど論議されていなかったので、改憲まで「マンデート」(委任された権限)に入っているかは甚だ疑問だが、これまでのやり方、またこの国の曖昧(あいまい)な性格を考えると、おそらく、改憲の議論が進むものと思われる。 一般論として、憲法の条文を時代に合わせて変えていくこと自体は必ずしも悪いことではない。問題は、その方向性である。同性婚など多様性を認めること、格差の是正、教育を受ける権利のさらなる保障など、価値ある改正ならば良いが、時計の針を逆に進めるようなことでは、改悪にしかならず、何よりも本当の国益に反する。 世界のさまざまな場所で、古い国家主義が復活しているように見えるが、これは、グローバル化という歴史的必然に対する一種の反動だろう。その意味では一時的な現象にすぎない。その証拠に、どの国でも、変化の方向を注意深く見ると、徐々に、世界に開かれた経済、文化、社会の方向にシフトしている。それが繁栄の唯一の道だからだ 日本の政治だけが後退して、英国のEU離脱(Brexit)ならぬ、「日本脱出」(Jexit)にならないことを望む。すでに、日本の国際的な地位の低下から、東京に支局を置かない国際的なメディア企業も増えてきていると聞く。さらに、国が閉じた後ろ向きのかたちになったら、投資先、働き場所としての日本に魅力を感じない人が増えかねない。 訪日観光客の増加で喜んでいる場合ではないと思う。問題は、日本が、世界の文化、学問、イノベーションのハブとして機能し続けるかである。Jexitを避けるためにも、日本が世界に開かれた、現代的な人権を大切にする国であり続けることを、強く望む。<もぎ・けんいち 脳科学者、作家、ブロードキャスター。>2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 22ページ「『日本脱出』を避けるために。」から引用 この記事が述べるように、一般論として、憲法の条文を時代に合わせて変えていくこと自体は必ずしも悪いことではないという意見には、私も賛成で、やがて日本の民主主義が成長すれば過去の遺物としての天皇制は廃止して共和制に移行するのが論理の帰結であり、そのときには憲法改正が当然必要になります。また、長い目で見て人類が国境というものを決めて互いに武器をもって対峙するというあり方は、過去の歴史に鑑みて改められるべきもので、武器を捨て戦争を放棄を実現するには、誰かがその先頭に立ってそれを実行しなければならない、そういう名誉ある地位を宣言したわが国憲法を、日本政府は実現するべきであって、自民党の改憲案は、その地位を捨てて、元の武装した普通の国家になろうとするもですから、これは「改正案」ではなく「改悪」であるとする上の記事は正論を述べていると思います。ただ、上の記事では「憲法改正がJexitにならないように、とも書かれており、茂木氏が自民党改憲草案のどの辺にJexitの危険性が潜んでいると考えたのか、ちょっと疑問に思います。
2016年08月25日
憲法学者の木村草太氏は、改憲勢力が議席の3分の2を超えたとされる今回の参院選の結果について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 参議院選挙の結果、自民・公明・おおさか維新など「改憲勢力」が改憲発議に必要な3分の2の議席を得た、と騒がれている。確かに、この三党は改憲論議を拒否していない。しかし、具体的にどこをどう改憲するのかについて主張は全く一致していない。 自民党は2012年に改憲草案を発表し、9条改正や緊急事態条項の創設などを提案している。自民党はこれを「叩き台」に議論すると繰り返すが、公明党もおおさか維新も9条改正に反対している。緊急事態条項にも慎重ないし反対である。さらに、自民党議員の中でさえ、国民の義務規定を増やす自民党改憲草案に疑問を呈する人も多い。当然、選挙戦では、自民党草案をぜひ実現しようという声を上げたりはしなかった。自民党マニュフェストでは、合区解消のため、投票価値の平等の例外規定導入が提案されていたが、おおさか維新の松井代表は、7月6日の記者会見で反対の意思を示している。 他方、公明党は、従来、現行憲法を維持したまま、環境権などの新たな人権規定を加えようと提案してきた。しかし、今回のマニフェストにこの主張は見られない。環境権は、開発行為や原発再稼働の差止の根拠に使われるため、自公政権の政策に好ましくないと判断したのだろう。 おおさか維新はマニフェストで、教育無償化・道州制・憲法裁判所の設置のための改憲を提案している。しかし、それらの大部分は、法律で実現可能であるにもかかわらず、法制化されていない。過半数で成立する法律が作れないのに、憲法改正が実現できるとも思えない。現に、自民党や公明党は、この提案に賛同していない。 以上をまとめると、今回の選挙では、改憲論議は拒否しないものの、9条改正や自民党草案については、むしろダメだという国民の意思が確認されたと言えるだろう。<きむら・そうた 首都大学東京教授、憲法学専攻>2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 16ページ「『9条改正はダメ』が確認された」から引用 自民党の改憲草案は、明治以来の天皇を政治権力の頂点に置いた政治体制を脱皮して民主主義体制になったわが国を、再び戦前の体制に戻そうとする意図が透けて見えるもので、党内にも疑問視する声があるというのも頷けるというものです。それに比べるとおおさか維新のマニュフェストに示された改憲案は、自民党の草案とはまったく逆向きで、現在の憲法を更に発展させたいという意志が伝わってきます。しかし、具体的な提案内容は、木村氏が指摘するように、憲法改正までしなくても法律を制定することで実行可能というのですから、もし真剣にやろうと思うのであれば、すぐさま立法化に向けた行動を起こすべきものではないかと思います。
2016年08月24日
70年代に人気漫画「あしたのジョー」で一世を風靡した漫画家のちばてつや氏は、昨今の日本の情勢について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; ここ数日、ネズミ科の「レミング」という小動物のことが思い起こされる。数年ごとに大発生して海に向かって集団移動し、謎の集団自殺をする。 参議院選を終えたばかりの日本を、こんな風に比喩するのは少し穏やかではないけれど、振り返ってみれば、特定秘密保護法が制定され、これまで認められてこなかったはずの集団的自衛権は容認されることになった。 そしていよいよ、緊急事態条項にとどまらず、憲法の改正までが、くっきりと現実味を帯びてきた。この日本という国のかたちそのものを、大きく変えてしまうようなこれらのことが、国民の理解を充分に得ることなく、議論を深めることもなく次々と決まって行く有り様が、立ち止まることを忘れ、その先にある冷たい海へひた走る「レミング」を思わせるのだ。 私たちはただ無邪気に、冷え込んでいる景気を少しでも回復してほしいな、税金を正しく公平に使ってほしいな、程度の意識で政治家を選んでいたはずなのに、いざ選挙が終わった国会ではいつも、頼んでもいない物騒な議題が蠢(うごめ)きだすのだ。 今回の参議院選挙は、一度巻き込まれたらもう二度とそこから抜け出すことができない大きな渦の縁にさしかかっている私たちが、少し立ち止まって、この国のこれからのことを、しっかり考えることができる最後のチャンスではないか、と思っていたので、衆議院でも圧倒的多数である、与党側の圧勝という今回の選挙結果は、正直意外だった。 さながら、視野が極端に狭くなるほど、猛スピードで進んでいるそのまっただ中で、ブレーキが完全に壊れてしまったような、何とも言いようのない不安を感じるのは・・・私だけだろうか。(漫画家)2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 18ページ「レミングにならないよう願う」から引用 先の大戦で日本が敗れたとき、ちばてつや氏はまだ子どもで親に連れられて中国から引き揚げてきたとのことですから、人一倍戦争には反対だという気持ちが強いであろうことは容易に察しがつきます。安倍政権になってからの選挙では、選挙戦の最中には一切語られなかった秘密保護法、集団的自衛権などがまかり通ってしまったことを思えば、今度は憲法改正かと心配になるのも無理はありません。議会の議席が3分の2を超えると憲法改正の発議が可能になることを知ってる有権者が17%しかいなかったという調査結果は、正直意外だった。
2016年08月23日
麻生財務大臣の問題発言について、7月22日の「週刊金曜日」の投書は、次のように厳しく批判している; 報道によると、麻生太郎副総理兼財務相が小樽市の会で「90歳になって老後が心配とか、わけのわからないことを言っている人がテレビにでていたけど、いつまで生きている積りだよと思いながら観ていた」と述べたとのことです。「せこい」と批判された前都知事の舛添要一さんより、だいぶ危ない政治家のようです。このとき、聴衆から批判の声がなかったのでしょうか。 これも失言ではなく、本心でしょう。このことから私たちは、現政権の政策を育てる畑には市民にとっての猛毒が高濃度で含有されていることを読み取らなければばなりません。 競走馬のなかには引退後、牧場で安らかな余生を与えられるものもいます。現政権は国内の高齢者を”競走馬以下”に位置づけようとしているのです。働けなくなった老人は早く死ねという発言ですから、こう言うしかありません。 ここには、人間を利用価値でしか評価できない貧しい人間性が見えます。それを隠そうともしない「確信」が見て取れます。 人間を「手段ではなく、目的として位置づけよ」とは、近代思想を確立したカントの言葉でした。麻生さんは、こうした近代思想を受け入れられないようです。 封建社会の領主の眼で”民草(たみくさ)”を見下ろしておられるのでしょう。冷酷な領主を連想してしまいました。失礼にして蛇足ながら、「いつまで政治家やるつもりなんだよ」。2016年7月22日 「週刊金曜日」1097号 62ページ「投書-麻生副総理の発言 冷たい領主を連想」から引用 麻生大臣の「いつまで生きてる積もりだよ」という発言は重大です。マスコミは発言の責任を追及するべきです。だいぶ前にも、当時の石原都知事が障がい者施設を視察した後で「ああいう人には人格というものがあるんだろうか」などと、言葉を大切にする小説家にあるまじき暴言を吐いたことがありましたが、あの時世論があの暴言を放置したから、その後の数年間に石原発言を是とする空気が醸成されて、ついには重度の障害者を19人も殺害して反省もしない人間を生み出している。このような前例に照らしても、麻生発言は重大な責任問題として追及するべきです。
2016年08月22日
先月の参議院選挙の結果について、政治学者の白井聡氏は7月22日の「週刊金曜日」に、注目すべきコメントを発表している; 今回私にとって最も印象深かった点は、有権者の無知である。「本当の争点は改憲」というアピールを野党も私を含む専門家も、選挙期間中に繰り返したが、それは浸透しなかった。『高知新聞』の調査が明らかにしたのは、改憲発議を可能にする「3分の2」の意味を理解していたのは、わずか17%。同様の調査を『神奈川新聞』も行なったところ、7割弱が理解していなかった。自民党改憲草案を読んだことのある人は当然もっと少ない。そして、これまた当然のことながら、投票率は低迷したままにとどまった。 これらのことが何を意味するか。森達也氏が「棄権していい。へたに投票しないでくれ」と題して、「『憲法を守りたい』と『自民党支持』がなんとなくイコールになってしまっているレベルなら投票しないほうがいい」との主張を述べ(『週刊プレイボーイ』2016年6月27日発売号)物議を醸しているが、この主張は全くの正論だ。今回の選挙で自民党を支持することとは自民党主導の改憲に賛成することである、という自明の理を理解していないほど盲目な有権者が大多数なのである。はっきり言えば、こんな状態で普通選挙が行なわれていることの方がよほど奇妙である。 したがって、リベラル・左派の「投票率が上がれば、自公政権を葬れる」という観念は、捨て去る必要がある。有権者が右に述べた状態にある限り、投票率が上がったところで、結果はむしろ悪くなる可能性が高い。この現実からどんな戦略を立てるか。自民党は18歳への選挙権年齢の引き下げをこうした現実を見透して実行したのであり、権利拡大などに彼らは何の興味もない。求められるのは、自民党のリアリズムよりももっとリアルな戦略の発明である。<しらい・さとし 政治学者、京都精華大学人文学部専任講師>2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 18ページ「争点設定以前の問題」から引用 こういう記事を引用すると、当ブログの常連さんからは「上から目線だ」とか「有権者を馬鹿にしている」といったようなコメントが予想されるが、実際に有権者が馬鹿にされても仕方がないような状況であるという事実は、高知新聞や神奈川新聞の調査の結果が示しているのであって、白井氏の発言に批判されるべき落ち度があるわけではありません。自民党は戦後の早い時期から党の綱領に「憲法改正」を書き入れていたとは言え、実際には選挙前に不用意に「改憲発言」をする度に得票数を大きく減らすという痛い経験を何度も重ねた結果、選挙のマニュフェストには目立たないように注意しながら「憲法改正」とは書くものの、選挙期間中は改憲には一切言及しないという狡賢い戦略をとって今日に至っている。ちょっと見たところでは、野党に比べて自民党議員がそんなに頭脳明晰で優秀であるとは、とても見えないが、しかし選挙の結果はすべてなのだから、野党議員の一層の奮起を期待したい。ちなみに、白井氏は、上の発言からも明らかなように、自民党は論外としても野党に対してもしっかり批判をしており、彼は「サヨク」ではないことは自明である。
2016年08月21日
上智大学教授の中野晃一氏は、憲法改正に反対する理由について、7月22日の「週刊金曜日」で次のように述べている; 改憲発議の可能性が現実味を帯びたことによって、非立憲的な解釈改憲や違憲立法への反対で一致してきた立憲勢力が、「立憲的な改憲」ならよい、むしろ議論の土俵に来るべきだ、という声に乗せられて分断される危険性が出てきた。当面の改憲論議は、復古色が随所ににじみ出る自民党の非立憲的な改憲草案ではなく、おおさか維新のような、一見立憲的な案が中心となるだろう。改憲派の狙いが、民進党を揺さぶり「代案」を出せ、と改憲を前提としたムードをつくり、護憲論を守旧派として孤立させることだからである。 しかし、護憲がそのままで意味をなすのに対して、改憲は意味不明な立場である。手術をしないことに理由はいらない。それに対して、手術をしたいと言うのに、どこをなぜ手術する必要があるのか、具体的なものがないからこれから探す、というのは異常だからである。どこでもいいから手術してくれ、あるいは憲法を民法に置き換えて、どこでもいいから民法を変えさせてくれ、という人がいれば、それは変態である。 むろん、もともと改憲とは9条改憲を意味していた。ところが9条への支持が高く、困難であることから、とにかく前例をつくろうという「お試し手術」論が登場した。また野党であるうちにさらに右傾化した自民党は、9条のみならずほとんどすべての条文を変えてフランケンシュタインみたいにモンスターをわが手でつくりたいというところまできてしまった。かくして手術フェチが政界に跋扈(ぱつこ)するようになった。しかし、手術は時間的にも体力的にも負担が重く、思わぬ副作用や事故も起こりえる。必要もない手術の口実をみんなで探す理由などまったくない。個々人の自由で尊厳ある暮らしを実現するという喫緊の課題に取り組むことこそ、必要のない改憲への「代案」にほかならない。なかの こういち:上智大学教授(政治学)。2016年7月22日 「週刊金曜日」1097号 20ページ「手術(改憲)の口実を探す理由はない」から引用 この記事が指摘するように、もともと「改憲」と言えば9条を変えるという意味であったが、自民党にとっては残念なことに国民の9条に対する支持はことのほか高く、さすがの自民党も直接「9条改憲」を主張するのは墓穴を掘ることになると察知して、緊急事態条項などという「からめ手」からの「改憲」を言い出したものである。しかし、これもまた、それが無いために国民生活に支障をきたすというようなものではないため、何故そんな「改憲」が必要なのか、適切な説明ができず、自らを意味不明な立場にしてしまっている。私たちは「代案を出せ」などという馬鹿げた提案は無視し、憲法を擁護していくべきである。
2016年08月20日
日本社会の沖縄に対する「差別」について、ジャーナリストの安田浩一氏は7月26日の沖縄タイムスに、次のように書いている; 今年6月、ヘイトスピーチ対策法が施行された。罰則なしの理念法である。保護対象が「適正に居住する本邦外出身者」とされるなど問題点も少なくない。とはいえ、わずか数年前まで「我が国には探刻な差別は存在しない」というのが政府の公式見解であったことを考えれば、差別の存在を認め、それが不当であると断じたのだから、一歩前進であると私は考えている。恐怖によって沈黙を強いられているヘイトスピーチの被害当事者のためにも、そして社会への分断を食い止めるためにも、法的整備は必要だった。 ところで、同法が国会で審議されているときから、ネットを中心に奇妙な言説が目立つようになった。 「米軍出ていけ」はヘイトスピーチ-。 実際、ヘイトスピーチ問題を取材している私のもとへもどう喝めいた”問い合わせ”が相次いだ。「沖縄の米軍差別をどう考えるのか」「辺野古の基地反対運動もヘイト認定でいいんだな?」。それ以前から「首相を呼び捨てで批判するのもヘイトスピーチ」といった的外れな物言いも存在したが(そのような書き方をした全国紙もある)、同法成立が必至となるや、ネット上では新基地建設反対運動も「取り締まりの対象」といった書き込みが急増したのである。 無知と無理解というよりは、ヘイトスピーチの発信者たちによる、恣意(しい)的な曲解と勝手な解釈であるう。これに煽られたのか、それともさらに煽りたかったのか、同法が「米国軍人に対する排除的発言が対象」と自身のSNSに書き込んだ自民党衆院議員もいた。 そもそもヘイトスピーチとは、乱暴な言葉、不快な言葉を意味するものではない。人種、属族、国籍、性などのマイノリティーに対して向けられる差別的言動、それを用いた扇動や攻撃を指すものだ。ヘイトスピーチを構成するうえで重要なファクトは言葉遣いではなく、抗弁不可能な属性、そして不均衡・不平等な社会的力関係である。 これに関しては、同法の国会審議において、幾度も確認されたことだった。法案の発議者である参院法務委員会委員の西田昌司議員(自民党)は私の取材に対し、「米軍基地への抗議は憲法で認められた政治的言論の一つ。同法の対象であるわけがない」と明確に答えた。 結局、基地反対運動とヘイトスピーチを無理やりに結び付けようとする動きには、基地問題で政府を手こずらせる「わがままな沖縄を叩きたい-といった意図が見え隠れする。基地反対派住民を「基地外」と椰輸した神奈川県議も同様だ。 そう、問題とすべきはむしろ沖縄へ向けられたヘイトである。 うるま市在住の女性が米軍属に殺害された事件でも、ネット上には被害者を愚弄し、沖縄を嘲笑するかのような書き込みがあふれた。 「事件を基地問題に絡めるな」「人権派が喜んでいる」。ナチスのカギ十字旗を掲げて「外国人追放」のデモを行うことで知られる極右団体の代表も、この事件では、あたかも女性の側に非があるかのような持論をプログに掲載した。ツイッターで「米軍基地絡みだと大騒ぎになる」「米軍が撤退したら何が起きるか自明だ」などと発信した元国会議員もいる。これら自称「愛国者」たちは、簡単に沖縄を見捨てる。外国の軍隊を守るべきロジックを必死で探す。なんと薄っぺらで底の洩い「愛国」」か。 1年前には人気作家の沖縄蔑視発言が話題となったが、この手の話を拾い上げればきりがない。「沖縄は基地で食っている」「沖縄の新聞が県民を洗脳している」「沖縄は自分勝手」「ゆすりの名人」-。 不均衡で不平等な本土との力関係の中で「弾よけ」の役割を強いられてきた沖縄は、まだ足りないとばかりに、理不尽を押し付けられている。差別と偏見の弾を撃ち込まれている。しかも、そうした状況を肯定する素材としてのデマが次々と生み出されていく。 歴史を振り返ってみれば、外国籍住民へのヘイトスピーチ同様、沖縄差別も決して目新しいものではない。日本社会は沖縄を蔑み、時代に合わせて差別のリニューアルを童ねてきた。アパートの家主が掲げた「朝鮮人、琉球人お断り」の貼り紙が、いま、「日本から出ていけ」といった罵声や横断幕に取って代わっただけだ。 「沖縄は甘えるな」といった声もあるが、冗談じゃない。倒錯している。沖縄に甘えてきたのは本土の側だ。見下しているからこそ、カで押し切ればなんとかなるのだと思い込んでいる。実際、そうやって強引に歯車を動かすことで、沖縄の時間を支配してきた。辺野古で、高江で、沖縄の民意はことごとく無視されている。 私はこれまで、ヘイトスピーチの”主体”を取材することが多かった。だが、被害の実情を見続けているうちに、加害者分析に時間をかける必要を感じなくなった。差別する側のカタルシスや娯楽のためにマイノリティーや沖縄が存在するわけではない。 これ以上、社会を壊すな。そう言い続けていくしかない。差別や偏見の向こう側にあるのは戦争と殺りくだ。歴史がそれを証明しているではないか。(ジャーナリスト)2016年7月26日 沖縄タイムズ 9ページ「偏見生むデマ 次々と」から引用 この記事は、「ヘイトスピーチとは何か」を考える上で大変役に立つと思います。「朝鮮人は出て行け」というのは明らかなヘイトスピーチですが、「米軍は出て行け」はヘイトスピーチではない。かつて当ブログで私が説明しても、常連さんの大部分は「出て行け」と言ってるからには「米軍は出て行け」もヘイトスピーチだと言い張ってました。しかし、上の記事が説明するとおり「乱暴な言葉、不快な言葉を使っていればヘイトスピーチ」という考えは間違いであって、「米軍は出て行け」は憲法に保障された政治的言論の一つであると、ヘイトスピーチ対処法の発議者である自民党の先生が明言しているのであって、いくら「そんな話は承服できない」としても、まあ素直に認めるしかないのではないでしょうか。
2016年08月19日
在日をバッシングしてきた差別主義者勢力は、その攻撃の矛先を沖縄県民に向けている、とジャーナリストの安田浩一氏が7月25日の沖縄タイムスに書いている; 国会で成立した特定の人種や民族への差別をあおるヘイトスピーチ(差別扇動表現)の対策法(ヘイトスピーチ法)が今年6月、施行された。同法成立を受け、沖縄をめぐるヘイトスピーチの現状や課題について、ジャーナリストの安田浩一氏に寄稿してもらった。 ◇ ◇ 旭日(きょくじつ)旗や日章旗を手にしたデモ隊が街頭を練り歩く。聞くに堪えない罵声が飛び交う。 「死ね、殺せ」「首を吊れ」「日本から出ていけ」 憎悪の矛先を向けられるのは、在日コリアンをはじめとする外国籍住民だ。 こうした”ヘイトデモ”は10年ほど前から外国籍住民の集住地域を中心に、各地で見られるようになった。 へらへら笑いながら「おーい、売春婦」などと沿道の女性をからかう姿からは、右翼や保守といった文脈は浮かんでこない。古参の民族派活動家は私の取材に対し「あれは日本の面汚し」だと吐き捨てるように言ったが、当然だろう。ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別者集団だ。 「本当に殺されるかもしれない」。在日コリアンの女性は、脅えた表情で私にそう訴えた。デモ隊から「朝鮮半島に帰れ」と罵声を浴びせられながら、じっと耐えている男性もいた。彼はデモ隊が通り過ぎた後、こぶしを地面に叩(たた)きつけながら泣きじゃくった。 ヘイトデモの隊列は、地域に、人々の心に、大きな傷跡を残していく。参加者たちはデモを終えれば居酒屋で乾杯し、差別ネタで笑い転げ、「来週もがんばろう」と気勢を上げて、それぞれの生活圏に帰っていく。まるで週末の草野球にでも参加しているような感覚なのだろう。社会にとって大事なものを壊しているのだという自覚などない。 多くはネット掲示板などで外国人排斥の書き込みに忙しい者たちだ。それだけでは飽き足らず、いつしか街頭に飛び出してきた。高校生から年金生活者まで世代もさまざま、女性の数も少なくない。 なぜ、そんな醜悪なデモを繰り返すのか。半ばケンカ腰で取材する私に対し、ヘイトデモ常連の男性は吐き捨てるように答えた。 「日本は日本人のための国じゃないか。奪われたものを取り返したいと思っているだけだ」 彼だけじゃない。私が取材した多くの者が、この「奪われた感」を訴えた。外国人に土地を奪われ、福祉も奪われ、正しい歴史認識も奪われ、治安を乱され、揚げ句に領土も奪われ、そのうえメディアや行政をコントロールされている-つまり、世の中に存在する納得しがたい不可解なもの、いわばブラックボックスを紐解(ひもと)くカギとして、在日コリアンなど外国籍住民の存在が都合よく利用されているだけだ。 彼ら彼女らに憎悪を植え付けるのは、ネットで流布される怪しげな情報だけではない。執拗(しつよう)に近隣圏の脅威を煽るメディアがあり、特定の民族を貶める書籍が流通する。テレビのバラエティー番組で、ヘイトデモに理解を示す”識者”もいた。憎悪の種が社会にばらまかれる。そして人々は差別を”学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく。 憎悪と不寛容の空気は、さらに新たな「敵」を生み出していった。国への補償を求める公害病患者や、震災被害で家を失い、仮設住宅で暮らす人々、生活保護受給者などに、「反日」「売国奴」といったレッテルが貼られる。私はこの数年間、そうした現場ばかりを見てきた。 そればかりではない。差別主義者、排外主義者にとって、沖縄もまた「敵」として認知されるようになった。 私の網膜には、あの日の光景が焼き付いている。2013年1月、沖縄の市町村長や県議たちが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進を行ったときのことだ。日章旗を手にして沿道に陣取った集団が、沖縄のデモ隊に向けて「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」と、あらん限りの罵声をぶつけた。彼ら彼女らは、日ごろから外国人排斥運動に参加している者たちだった。 沖縄の人間を小ばかにしたように打ち振られる日章旗を見ながら、沖縄もまた、差別と排他の気分に満ちた醜悪な攻撃にさらされている現実に愕然(がくぜん)とした。 「戦後70年近くにして沖縄がたどり着いた地平がこれなのか」 デモ参加者の1人は悔しさをにじませた表情で話した。 外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄パッシングは地続きだった。 実は、銀座の沿適から罵声を飛ばしていた者たちの一部は、その前年、辺野古にも出向いている。新基地建設反対派のテントに踏み込み、「日本から出ていけ」「ふざけんじゃねえよ」などと拡声器を使って悪罵の限りを叩きつけた。しかもこれを「愛国運動」などと称しているのだから呆(あき)れるばかりだ。地域を破壊し、分断し、人々の心を傷つけているだけじゃないか。 このような”沖縄へイト”は、いま、社会の中でさらに勢いを増している。2016年7月25日 沖縄タイムス 10ページ「差別主義者のはけ口に」から引用 差別主義者の主張とは「外国人に土地を奪われ、福祉も奪われ、正しい歴史認識も奪われ、治安を乱され、揚げ句に領土も奪われ、そのうえメディアや行政をコントロールされている」とのことである。しかし、土地を奪われたと思ったら裁判にでも訴えればいい。また、「福祉が奪われる」とは何を言ってるのか、福祉のサービスを受けたいのであれば行政の窓口に行けばいいのであって、在日はOKだが日本人はダメなどという役所が存在するわけありません。その上、正しい歴史認識を、在日の人たちがどこへ持って行ったというのか、まったく意味不明です。我々国民から正しい歴史認識を奪おうとしているのは、戦没者追悼集会で挨拶しても「反省と加害に言及しない」安倍首相なのではないでしょうか。さらに、治安を乱されているというのは全くの虚構であり、年々警察の努力によって犯罪の発生率は減少の一途であることは再認識が必要です。
2016年08月18日
3日前から引用している「蓮池透・辛淑玉」対談は、国をまたいで生きる人のリアルについて、次のように述べています;(前半省略)辛 私は2002年の小泉訪朝と日朝平壌宣言に、ものすごく大きな希望と夢を持ちました。だけど、その後実際に訪れたのは地獄でした。それは私の友人も一緒で、あれは、日本で生きていくということが希望から絶望に変わっていく瞬間だったんです。蓮池 相当なショックだったとおっしゃる方が多いですね。自分の祖国が拉致なんてしないと信じていたけど、蓋を開けてみたら本当だった。その痛い傷に塩を塗り込むようなことを、私が煽動してやってしまっていたのかもしれません。辛 拉致を実行した人たちをきちんと処罰することが大事なのであって、足もとにいる在日を、同じ朝鮮人だからということで叩くことは間違っている。あの当時、私の講演先に青いリボンをした人たちが来て、私が話をしているあいだ、ずっとコールしていたことがあります。「らーち」、「らーち」って、一時間半ですよ。会場にいた人たち、みんな凍りついていました。そのときに思ったのは、この人たちは拉致を使って楽しんでいるんだろうなってことです。拉致された被害者の思いはこの人たちには関係がない。被害を受けた当事者ではない人たちが、快楽のために拉致を利用して攻撃をするんです。蓮池 そういうことはありますね。北に強硬な姿勢で経済制裁などを叫ぶ資格があるとすれば、被害を受けた当事者の弟たちでしょう。でも、彼らはそんなこと一言も言わないですよ。意味がないということをわかっているし、はっきりとは言わないけれど、経済制裁をして苦しむのは普通の市民だという思いもあるのだと思います。辛 小泉訪朝後の暴風の中で、私はアジアプレスの石丸次郎さんと一緒に記者会見をやったんです。在日に対する暴行を止めてほしいと。その時、今でも覚えていますけど、「辛さん、今まで何をやっていたんですか」と話者の一人に言われたんです。自分への脅迫や嫌がらせを受け止めながら、あっちこっちで上がる悲鳴のケアに駆けずり回っていたんですよ。記者会見に出てくれるよう、在日の名前の知れた人たちや、自分の知っている人たちに声をかけました。そのとき、女の友人たちは、皆が本当に口を揃えてはっきりと言った。「怖くて出られない。いま出たら殺されるかもしれない」って。男の有名人は、「他に誰に声かけているの」って聞いてきて、この人とこの人と・・・と言うと、「じゃあ僕が出なくてもいいね」って。こんなときに朝鮮人の大人が出ていかずにどうするんだという絶望感。・・・でも、みんな本当に怖かったんです。唯一出てくれたのが(作家の)金石範さんと友人のルポライター。それと、日本の大学教授とキリスト教の活動家。その時、日本の先生が泣きながら、「日本人はどうして朝鮮人をいじめるんだ」と言われたんです。だけど、その場に百数十人も記者やジャーナリストが来ていたのに、一社も一行も取り上げてくれなかった。蓮池 拉致問題で在日の皆さんを攻撃するのは、八つ当たりとしか言いようがない。まったく関係ないですから。朝鮮学校に通っている生徒たちへの嫌がらせも、補助金を止めるというのも、これは何なんだろう、何がそうせるんだろうと考えてしまいます。ヘイト・スピーチというのは愚かさの極みだと思うけれど、その中で在日コリアンの人たちに対して、「帰れ」とよく言いますよね。そう言う前に、なぜそういう人たちが日本にいるのかを考えてみろ、と私は言いたくなります。なぜ日本で生活しているのかを勉強しろと・・・。やっていることは憂さ晴らしにすぎません。辛 変な言い方だけど、蓮池さんが「弟を返せ」と言うのを聞いた時、私も一緒に「私の親族を返せ」と言いたかった。だけど、口が裂けても言えなかった。だから蓮池さんがうらやましかったんです。薄地さんは、明るい、陽の当たるところにいて、何にも臆することなく「弟を返せ」と言っていた。私もそう言いたかった。本当にそう言いたかった。 だけど、私がそれを言えば、北朝鮮に渡った親族は殺されると思った。直接手を下されなくても、配給を減らされるとか、生きていくことがより困難になると思った。その時、日本は絶対に私たちの側にはついてくれない。北朝鮮を批判すれば同胞からも叩かれる。いま思えば、もっと早く北朝鮮難民が出てきてくれていれば、金で解決できる方法があるとわかったのに・・・。でも、そんな知恵もなかったから、ひたすら我慢して、朝から晩まで働いて、北朝鮮にいる身内に物を送る。送ったうちの何分の一しか届かないけれど・・・。 だから私は、あなたがうらやましかった。私も吠えたかった。でも、できなかった。そうやって、被害者が分断されたような気がするのね。 私たちは、拉致ということに対して正面から向き合うことができなかった。それは、それを言っている人たちがあまりにも私たちを叩いたから。そして、被害者の悲しみを共有できなかった。 拉致の問題をめぐって不幸なことだと思うのは、本当に問題を解決したいと思っている人が、私の目にはあなた以外に映らないことです。当事者が拉致問題の解決を求めるのは絶対的に当然です。だけど、当事者以外で目に映るのは、上も下も右も左も、拉致問題を利用している人たちばかり。 まだ北朝鮮が事件を認める前に、私も何回も聞かれました。まるで踏み絵のように、「拉致はあるのか」と。私はそのたびに、「在日に聞くなよ」と答えました。加害者に聞け、と。これは、「朝鮮半島と日本が戦争になったらどちらにつくか」という質問と同じです。私たちはどっちについても殺されるんです。それは拉致被害を受けた人たちも同じ。これが国をまたいで生きた人たちのリアルです。蓮池 ポジティブに考えれば、私は、在日の人たちにしても、弟たちにしても、そういう存在こそ、国をまたぐ架け橋になれるのではないかと思っています。辛 そう。ポジティブに変えていかなければいけない。私たちはそういう社会を作らなければいけないと・・・。蓮池 本当にそうですね。辛 あなたに会えて、語り合えて、同じ空間を共有できて本当に良かった。--今日は長時間にわたってありがとうございました。司会・構成 熊谷伸一郎(本誌編集部)、中山永基(岩波新書編集部)▼編集部より:今年4月中旬、辛淑玉さんと蓮池透さんは3回にわたり12時間以上、小社で対話の時間を持ちました。本稿はそのうち初回の一部を整理したものです。対話の全内容は近日、小社より刊行予定です。 対談の終わりのほうで辛淑玉氏が言っているように、拉致問題に関しては被害の当事者以外では、あの青いリボンをつけた人たちというのは、拉致問題を解決するよりは「朝鮮叩き」に利用するのが目的という魂胆が見え見えで、実に不愉快です。拉致問題の解決のためには、先ず以て国交の正常化に真摯に取り組む姿勢を打ち出す必要があると思います。
2016年08月17日
一昨日から引用している「世界」6月号の「蓮池透・辛淑玉」対談は、拉致問題解決の方向性について、次のように語っています;(前半省略)辛 日本語教育のためだけなら在日朝鮮人でもよさそうですけど。蓮池 私も、そう思って弟に聞いたんです。すると、在日の人たちは何かしら北朝鮮本国の人と関係があるので、どこかで情報が洩れてしまうと。そういう関係のない日本人を使わなければいけないということだったようです。辛 私は、なぜ工作に在日朝鮮人を使わなかったのかと考えたとき、北朝鮮は在日という存在を危ういものとして見ていたのだろうと思うのです。北朝鮮が在日を見下していたことは、「帰国」した在日に与えられた「成分」でよくわかります。北朝鮮にとって、在日はただ食らい尽くすだけの対象であって、そこには南も北もが共通して抱いている在日への差別意識があったと思います。確かなことは、北朝鮮は在日朝鮮人のことを同胞として信じていなかったこと。それは韓国も同じです。スパイ事件をでっち上げて、在日の若者を使いまくって殺した。 1959年以降、多くの在日朝鮮人が北に渡りました。その中には叔父や祖父など私の親族もいました。そして、北に到着した瞬間から、労働力もお金も知識も、あらゆるものが吸い上げられていった。そして最後は捨てられる。でも、私の周りを見ていて思うんですが、それでも最後にすがるのは国家なんです。日本でつらいことがあっても、日本の社会で差別があっても、最後には祖国がある・・・と。だけど、それは幻想なんです。幻想なんだけど、それをうまく利用することで北も南も在日コリアンをしゃぶりつくしていった。私は、教育のために「日本人」が拉致されたと聞いたとき、そう痛感したんです。 北の方針が変わった時に、蓮池さんたちが殺されずにすんだのは何故なんでしょうか。蓮池 それは、弟が現地で築いた人間関係だと思います。辛 人間的な信頼関係を彼らは築いた。それは想像を絶する命がけの努力だったでしょうね。蓮池 そうだと思います。現地の指導員と呼ばれている人たちと信頼関係を醸成することで弟は助かった。それでも金賢姫が捕まった時とか、ソ連崩壊や食糧難の時など、命の危険を感じたことは何回もあったと聞いています。アメリカが北朝鮮を核攻撃する、戦争前夜だと言われた時もありましたが、拉致被害者はもともと「いてはならない存在」です。隠すためなのか、住居(「招待所」)の周囲の塀がどんどん高くなったこともあったといいますし、いずれ収容所送りと言われたこともあったそうです。横田めぐみさんが脱走して捕まった時も、なんとかお願いして、連帯責任として科せられようとした重い罰を逃れたといいます。だから、弟は自分では言いませんが、そういう依頼ができるほどには北朝鮮側の指導員との信頼関係を築いたのだと思います。辛 北では人間関係によって生と死が分かれる。北に渡った在日朝鮮人にも、現地でのコネクションが弱いために命を絶たれていく人たちがいる。まして拉致された日本人が人間関係を築いて生き延びることは、私たちには想像できない苦労だったでしょう。私の親族は次々に死んでいきました。国家を素朴に信じていた者のほうが壊れ方は激しい。最初から醒めていたもう一人の叔父のほうが、少し長く生き延びました。蓮池 救出しようという運動の中で「北を倒せ!」と言う人がたくさんいて、当初は私たちもその影響を受けたのですが、冷静に考えれば、北の今の政権が倒れる時には、そこで拉致された被害者が「消される」可能性は少なくない。拉致された日本人は、いてはならない存在なのだから。だから北を倒せば帰ってくるというのは、素朴な幻想にすぎない。でも、その幻想をいまだに声高に言っている人がたくさんいるんですよね。それが私には信じられませんね。辛 楽しいんだと思います。「北朝鮮を叩き漬して拉致被害者を救え!」と大声で言うことが。でも、そのミサイルが届く先にはひょっとしたら私の親戚が、拉致された被害者やその子どもたちが、まだ生きているかもしれない。そう考えたら、私には言えないですね。蓮池 本当に取り返すことを考えるのであれば、勇ましいことを言うんじゃなくて、向こうのことを分析して戦略を考えなければいけない。経済制裁をするのであれば、それによって北朝鮮側にどんなインセンティブが働いて、「じゃあ返そうか」となるのか、、そこを考えるべきなんです。「対話と圧力」と言いながら、実際にやっているのは経済制裁だけです。辛 その経済制裁も、万景峰号で北朝鮮に物資を送ることを止めることぐらい。それも、北朝鮮に渡った身内のために苦しい中から支援をし続けている在日へのいじめですよ。蓮池 独自制裁といっても在日朝鮮人の方や朝鮮総連の幹部をいじめて鬱憤晴らしをしているようなもので、国内向けのアピールとしか感じられない。私は、制裁は厳しくやっても、一般市民には影響が及ばないよう配慮すべきだ、という中国の言い分は正しいと思います。独自制裁をしても北朝鮮はルートは切らないだろうと言っている政府関係者がいましたが、そんなことはありえない。北朝鮮は日本が独自制裁を発動したら拉致問題調査を中止する、調査委員会を解体すると言っていたのですから。そして扉は閉じてしまった。それでも「あらゆる手段で・・・」と相変わらず言っている。辛 小泉首相はダイレクトに訪朝した。あれは正しいやり方だったと思います。韓国の金大中大統領も同じで、テーブルにつくことが最初の一歩ですよ。安倍さんも行けばいいんです。日本の最高責任者を自認しているのなら。蓮池 30回以上北朝鮮に行き、ナンバー2の金永高氏とも面識がある参議院議員のアント二一才猪木さんから、先日、国会で質問するということで連絡がきて、事前に会ってお話ししたんですが、繕局、質問時間が短いので、安倍さんのだらだらした答弁で終わってしまいました。 猪木さんは、「私はスポーツ外交で北に何度も行き、チャンネルがある。『あらゆる手段』と言うなら私のスポーツ外交を使う気持ちはあるか」と質問したのですが、安倍さんは「二元外交はいかがなものか」と言うだけで、まともに取り上げない。「緯済制裁以外の手段は何か」と質問したら、「イランにしろリビアにしろすごい効果があった」と、経済制裁の効果しか言わない。経済制裁以外のことで何をやっているのかと質問しているのに。また「粒致担当大臣、今度一緒に訪朝しないか」との誘いに、加藤大臣は「今はその時期ではない」と拒否した。官僚の作文なのでしょうが、そんな回答で終わってしまった。それで安倍さんは「日本側は扉を閉じていない」。日韓関係や日中関係でも同じで、日本側は常にドアを開いている、というだけ。気に入らないのは、アジア諸国に対してものすごく上から目線なんです。辛 安倍さんたちは、朝鮮や中国を侮蔑してきたことを絶対に後悔したくないんですね。蓮池 おかしいですよね。拉致問題で言えば、何より、その「解決」とは何を指しているのかを定義しろということです。政府認定の17名全員が帰ってくることなのか、それとも別の何かなのか。そこをはっきりさせて、「拉致問題の解決が最優先」というのならそれを実行して、そのあとは段階的に進む方法を取るべきでしょう。日本はまだ北に対して過去の清算、植民地支配の清算をしていないわけです。語弊はあるかもしれませんが、私は、過去の清算と拉致問題の解決を行動対行動の原則でセットで実行するしかないと思います。(後半省略)「世界」2016年6月号 48ページ 「なぜ在日ではなかったのか」から一部を引用 この対談で、蓮池氏は経済制裁を何のためにやるのかという本質について述べています。現在の安倍政権の制裁では、朝鮮政府にさしたる打撃にはなっておらず、単に民間人を困らせているだけで、日本国内向けのパフォーマンスにすぎない。こんな政策はいつまで続けても何の成果も生まないことでしょう。そうではなくて、どのような手段が朝鮮政府にインセンティブを感じさせるのか、具体的に検討した上での「制裁」であるべきです。また、そういう回りくどい方法を考えるよりは、やはり同じテーブルについて直接話し合うほうが話が早いのであって、これまでの14年間、何度も話し合いをしては決裂を繰り返してきた経験を踏まえて、過去の話し合いが何故だめだったのか、検討した上で、話し合いを前進させるべきです。過去の話し合いは全て相手に非があった、こっちは何も悪くないという態度では何も解決しないことは、過去の14年間が教えてくれています。
2016年08月16日
安倍政治の本質について、きのう引用した「世界」6月号の「蓮池透・辛淑玉」対談では、次のように語られている;<昨日のつづき>辛 安倍さんは拉致問題で政治的に名前を売った人だと思いますが、実際、どれぐらい積極的だったのですか。蓮池 あまり印象にありません。特に2002年の小泉訪朝前、家族会でいくら運動しても先が見えない、一番つらい時期に安倍さんを見た記憶はありません。その後、安倍さんが政権をとった時には、私たちも何かしてくれるのではないかと期待したのですが、すぐ政権を放ったらかして辞めてしまった。その時、私はこの人はだめだと思いました。辛 給食当番を辞めるようにやめちゃった。蓮池 安倍さんは退路を断たない人です。逃げ道をつくる。「私の任期中にみなさんが必ず抱きしめ合えるようにする」とは繰り返し言います。しかし、自分は一生懸命やった、扉も開けているけど、向こうが入ってこなかったんだと。「みなさんもご存知の通り、ああいう国でしょ」と逃げる。その間に北はミサイルを発射したり、核実験をしたり・・・。これで安保法制も憲法改正も必要だという主張の後ろ盾になる。辛 あのナイスフォローを見ていると、まるで安倍さんと北朝鮮はつるんでいるのではないかと思ってしまうぐらい。いつもいいタイミングで見事な援護射撃が飛んで来る。世襲三世同士ってどこかで気持ちが通じているのかもしれない。蓮池 これでは同じことの繰り返しです。制裁をして、少し動きがあって、膠着して、核実験があり、ミサイルが飛んで、また制裁をして・・・。そのたびに三、四年が経っていく。このまま拉致問題が解決をしないままのほうがいいと思っている人が少なからずいるんだろうと思うこともあります。辛 解決しないことによって利益を得る人がいるのだと思います。蓮池さんの著書の中に、国家賠償請求訴訟を起こす覚悟もあるということを蓮池さんが言った時、安倍さんが「蓮池さん、国の不作為を立証するのは大変ですよ」と言ったことが書かれていますね。これは本当に安倍という人物をよく表している。蓮池 あれは忘れられませんね。辛 このセリフに彼の本質が出ていますね。いつも、俺は偉いんだぁ、と人を見下して、やってあげているんだという態度。「下々の者」なんかがいくら逆らっても無駄だよと。きっと、安倍さんにとって拉致被害者は自分を偉大に見せるための「道具」であって、道具が口答えするなんて許せないのでしょう。彼は拉致被害者の人数も知らないのではないですか。蓮池 そうかもしれませんね。(2014年5月、拉致被害者の再調査などに合意した) ストックホルム合意のことをオスロ合意と言い間違えていましたから。辛 安倍さんて、ポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も知らないし、保育所を保健所と言い間違えるし、「TPP断固反対とは一度も言ったことがない」と堂々と言えちゃうし、蓮池さんの本も読んでないのに、書いてあるのはウソだといい、問いつめられるとキレる。私が議員なら、「いますぐバッジ外せよ!」と怒鳴るけどね。<後半省略>「世界」2016年6月号 44ページ 「拉致問題にとりくまない政治」から一部を引用 昔の常識的な政治家は、自分の立場を考慮しつつも新聞記者や一般人に対して、「上から目線」にならないように、言葉を選んで丁寧に話したものでしたが、安倍さんの場合はどうも言葉の端々に「オレを誰だと思ってるんだ」という本音が垣間見られるようなところがあって、その上、やってることはさしたる成果も上がらず、たまに言葉を取り違えるというのでは、やはり上記のような批判は免れません。
2016年08月15日
『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を刊行した蓮池透氏と人材育成コンサルタントの辛淑玉氏の対談が、月刊誌「世界」6月号に掲載されているが、対談の冒頭、2人は次のように述べている;編集部 連池さんは著書の中で、拉致問題が政治利用されてきたこと、その典型が安倍首相であることなどを厳しく指摘されていますが、こうした批判が今年1月、国会でも取り上げられました。民主党(当時)議員の質問に対して安倍首相は、質問そのものが「北朝鮮の思うつぼ」であって「そういう工作が今までもあったというのは事実」などと「反論」しました。蓮池 私は単なる安倍さん叩きのために話しているのではありません。小泉訪朝からもう14年です。さらに、私が弟と会えなかった期間は24年間ですが、その半分以上の期間が過ぎてしまいました。このところは新しい動きもなく、報道も沈黙しています。2012年、小泉訪朝から10年目のときは「節目の年」ということで報道が増えたのですが、記者の人に「10年ということにどういう意味があるのか」と聞いてみたんです。「9年目には何かやったのか、来年も報道するのか」と。そうしたら、「わかりません」と・・・。やはり11年目、12年目には取材もない。安倍首相も政治家も「あらゆる手段で拉致被害者を取り戻す」と繰り返すけれど、じゃあ実質的に意味のあることをどれだけやっているのか。そういう思いであの本を書きました。私が発言しているもう一つの理由は、弟は、まだ帰ってきていない人たちの存在を背負って暮らしているんですね。肉体的には解放されたけど、精神的にはまだ自由になっていない。そんな状態を私は見ていられないですね。辛 弟さんの本(『拉致と決断』新潮文庫)を読んだ時、弟さんは日本でも自分の本当に思っていることを語れないのだな、と思いました。蓮池 そうです。私も弟は非常に抑制的に振る舞っていると思います。弟は、まだ帰ってこない人のことを背負い、自分が何かを言えばそれが北朝鮮に伝わって、「帰した人間がああいうことを言っている」となってはいけない、そういうことをいつも考えて生きている。だから『拉致と決断』でも、北朝鮮でよく知っているはずの個人名や組織名を一切出していません。暴露してしまったら、ほかの被害者の人たちが帰ってこられないからです。そういう問題も早く払拭してあげたいんです。でも、そのためには、拉致問題を解決してもらうしかない。辛 当時の苦しみとともに、行間から、「北でも人が生きているんだ」というメッセージが伝わってきました。しかも、日本の読者が理解できるように書いている。弟さんは、お兄さんの今回の本について何かおっしゃっていましたか。蓮池 一言だけ、「事前に相談があってもよかったんじゃない?」とは言っていました(笑)。辛 そっか、そうだよね(笑)。蓮池 それは今年の正月のことですが、その後、国会で安倍首相とのやりとりになった時も電話がかかってきて、「俺は援護しないよ」と言っていました。弟も大変です。講演などで弟の話を聞きに来た人の中には、私と弟の区別がつかない人もいる(笑)。それで責められるのだそうです。「あれは兄のことです」と言っていればいいと思うのだけど、弟は「兄がお騒がせしております」と謝っている。辛 兄弟愛だ。蓮池 でも、本のことは国会では話題になりましたが、それほど騒がれていないと思いますよ。マスコミはまったく報じません。萎縮してしまっているのか、テレビ局は「本の表紙を画面に映せない」、大手新聞は「タイトルを紙面に書けない」と言っていました。辛 お上には逆らわない、見て見ぬふりをする。日本も北朝鮮も卑怯は変わらないけれど、闘えるのに闘わない自己規制は日本特有の病理かもしれない。蓮池 要するに先送りです。一月の国会質問以来、安倍さんは拉致の”ら”の字も口にしない。「世界」2016年6月号 42ページ「拉致問題にとりくまない政治」から一部を引用 安部首相は当時の小泉首相が訪朝したときに随行し、拉致被害者の帰国に際してはあたかも自分が連れ帰ったかのようにテレビにもたびたび顔を出して、あたかも拉致問題専門家のような勢いだったのに、実際に政権の座についてからは、ただ制裁を強化するだけで、拉致問題の解決は遠のく一方です。拉致問題被害者とその家族が何を考えているか、蓮池氏の発言には耳を傾ける価値があります。そして、この対談からも、日本のテレビや新聞が自由にものを言えない事態になりつつあることが分かります。
2016年08月14日
昨日引用した下嶋氏のインタビュー記事の続きは、戦時下の日本で新聞社は何を考えていたのか、実態を明らかにしている; 取材ノートには当時のマニラ新聞社の状況を伝える証言がある。「戦況は不利だとみな分かっていた。そうでないと記者は務まらんよ」。冷笑気味に語ったのは、堀尾氏の同僚だった男性だ。「偉い人たちは日本に逃げることばかり考え、浮足立っていた。検閲も必要ない。みな心得ていたからね」と振り返った。 「そんな認識で『勝った、勝った』と、うその大本営発表を流していたのか」と問うた下嶋さんに、男性は「われわれは文化工作隊員だよ。日本が不利になることを書けるわけがない」と吐き捨てるように言ったという。 別の男性記者は30枚超の長文の手紙を下嶋さんに送った。「お国のためにと思い詰め、ペン一本で兵隊の士気を高めるお役に立てばと・・・。進んで従軍を希望した」と思いを記した。 毎日新聞の追悼集によると、フィリピンで戦死した日本人記者は堀尾氏を含め50人に上る。44年には「神風特別攻撃隊」がルソン島に編成された。男性は隊員の遺書を十数回預かり、酒を飲ませ見送ったとし、「紙一重で生きのびて心苦しい」と悔いていた。 中国やインドネシアに従軍した101歳のジャーナリスト、むのたけじさんは敗戦の日、「戦争責任を取る」と新聞社を辞めたが、同僚はついてこなかった。下嶋さんは「人間は弱い。また戦争が訪れてもきっと、多くの記者は時代のせいにして、沈黙してしまうのではないか」と危ぶむ。 安保関連法では、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊に、武装集団に襲われた国連要員らを救出する「駆け付け警護」の任務を新たに認めた。内戦が激しさを増す南スーダンへの派遣部隊に適用が検討されている。 「自衛隊員が命を落としたとして、その時にもマスメディアは『お国のために死んだ』と英雄扱いするのだろうか」。下嶋さんは警告し、こう続ける。「伯父が生きていればきっと、戦死者を英霊として利用する時代にするなと言うだろう。記者だけじゃない。今を生きる一人一人が、目の前のささやかな平和を手放さないという努力をしていかなくてはならないと思う」◆軍部と一体化した新聞 1931年の満州事変以降、軍の支持に走った新聞は民衆の熱狂を受けて一時部数を伸ばしたが、日中戦争を経て報道の自由を奪われていった。41年の太平洋戦争開戦後は検閲で、写真や見出しに至るまで当局の指導が徹底された。 発行禁止や差し止めなど言論を統制する規制は、新聞紙法をはじめ、新聞紙等掲載制限令、国防保安法などがあり、開戦後は30近くに達した。新聞は戦況悪化後も優勢であるかのように伝える虚偽の「大本営発表」を載せ、空襲被害も検閲で表現を抑えられた。 「太平洋戦争と新聞」の著書がある前坂俊之・静岡県立大名誉教授によると、「マニラ新聞社」のような「占領地新聞」は軍の要綱に基づき、42年秋以降、フィリピンやインドネシアなど8カ国で創刊し、敗戦までの2年余りに52種類が発行された。 占領地の新聞社は軍部に接収され、朝日、毎日、読売の3社と、通信社と地方紙の連合が分担し、各地で経営を委託した。邦人を含む現地の住民向けに「大東亜戦争」の正当性を広め、皇室への忠誠や同化を進める狙いがあった。 前坂氏は「新聞は戦争協力により経営を安定させ、占領地新聞は南方進出という経営戦略でもあった。短期間で終わった占領地新聞の実態はあまり知られていないが、その役割を読み解くことで、軍部と一体化して真実を報じなかった新聞の責任や、占領先の文化を否定し、同化を強制した実態を知ることができる」と研究の重要性を説いた。<デスクメモ> 30年近く、記者をしてきて痛感するのは権力の怖さよりも、読者(民衆)の怖さである。読者あっての一般紙だ。乏しい経験からだが、多数派読者の熱情と正反対の内容を書くのは本当にしんどい。弾圧以上に孤立にどう耐えるのか。戦時下の記者たちもそう自問したのではないか。(牧)2016年7月17日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「『お国のため』繰り返すな」から引用 従軍記者といえば、戦後生まれの我々の認識ではベトナム戦争のときに米軍や南ベトナム民族解放戦線に従軍した朝日の本多勝一記者のように、あくまでもジャーナリストとして軍隊と行動を共にする記者をイメージするが、先の十五年戦争に派遣された新聞記者にはジャーナリストとしての自覚は無く、軍の命令で編成された「文化工作隊」なのであって、したがって「真実の報道」などという意識も皆無で、ただただ日本軍の作戦が有利になるように行動するのみであった。こういうことを、当のジャーナリストはなかなか明言しないできているが、これははっきりさせるべきである。また、戦前の新聞社は新聞紙法などで弾圧されたなどと、被害者ぶった表現も、これまた問題であって、そういう法律はあるにはあったとしても、当時の新聞社は日本軍の勢力拡大に乗じて新聞社の経営も拡大していこうという「野望」があったのであり、「真実の報道」よりも「金儲け」を優先していたという重大な事実を、我々は認識するべきである。敗戦までの2年間に52種類の新聞を発行したというのも、これまた莫大な資金を必要とする事業であり、どこからどういうカネが流れてそのような事業が可能であったのか、どのような企業や人物が暗躍したのか、詳細を明らかにするべきだ。
2016年08月13日
軍の命令で戦時中にフィリピンに派遣された新聞記者を伯父にもつ作家の下嶋哲朗氏は、伯父が残した資料を調べた上で、7月17日の東京新聞インタビューに次のように応えている; 強い政権の下で、日本のマスメディアは物を言わなくなっているのではないか!。ノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(75)はそんな危機感から、太平洋戦争のフィリピン戦で死亡した新聞記者の伯父の記録を読み返している。「伯父は悲劇の人であると同時に、人を滅ぼす戦争の悪に『沈黙』で加担した加害者でもあった。伯父を通じ、戦時記者が置かれていた立場と現在を考えてみたい」と語る。(安藤恭子) 下嶋さんの書斎にあるセピア色の一通の手紙。1944年12月14日、毎日新聞からフィリピンの「マニラ新聞社」に出向していた伯父の堀尾浩一氏が母親に宛てて書いたものだ。現地の検閲を避けたのか、会社の航空機を使い、人を介して届けたとみられ、封筒には差出人の名もない。 この時期、南方のレイテ島には米軍が上陸し、堀尾氏のいるマニラに攻撃が迫っていた。手紙では毎晩の敵機の襲来や、米や肉の不足、せっけんなどの生活用品の高騰など窮乏ぶりを率直に伝え、「戦争ですから仕方がありません。充分(じゅうぷん)働いてお国のために盡(つく)すといふ構へが一切」と記し、文末で母の無事を祈った。 下嶋さんは「職場では禁じられていた米国や豪州のラジオが入り、伯父は絶望的な戦況を知っていたはず。遺書のつもりだったと思う」と読み解く。 堀尾氏が軍命でフィリピンに向かったのは、太平洋戦争が開戦した翌年の42年秋。東大で英文学を学び、来日した喜劇俳優、チャプリンの通訳も務めた。マニラでは英字紙「トリビューン」を担当した。 堀尾氏がどんな記事を書いていたかは分からない。ただ当時の同僚によると、東京からの電話や「大本営発表」を伝える日本の短波放送、現地取材などを基に記事を構成し、堀尾氏の班が英訳していたという。 45年2月、米軍はマニラに突入。堀尾氏は「日本軍機が救出に来る」という情報を信じ、同僚らと最北のツゲガラオへと逃れただずが、待てども救援機は来ず、飢えと暑さに苦しんだ。 ジャングルを南下中、マラリアにかかり「僕に構うな」と小屋に一人残った。数日後、捜索に来た別の記者が堀尾氏の骨が散乱する無残な光景を見た。「動物に食べられたのだろう」と下嶋さん。同年7月、享年39歳だった。 堀尾氏は「もの静かな紳士」との評判で、政治家を志していた。新婚の妻を残してマニラに赴任した。ともに過ごしたのは4カ月ほど。「若い者から先に日本へ帰せ」と、後輩を優先させたという話も聞いた。 下嶋さんは「善良な人であり、戦争が生んだ多くの悲劇の一人だったと思う。でも事実に沈黙し、活字で読者をだまし、最後は野たれ死んだ。戦時記者になってしまったら、もう手遅れなんだ」と言う。 日本の侵攻前、フィリピンは準主権国家で、宗主国の米国から将来の独立が約束されていた。フィリピン戦で日本軍や軍属約52万人が死亡したが、現地住民の犠牲者はその倍以上の111万人に上る。 「多くの民衆を戦争に巻き込んだ責任は伯父にもあるのでは」と考えた下嶋さんは、30年ほど前、その思いに触れたいと20人超の関係者に取材した。下嶋哲朗(しもじま・てつろう)さん: ノンフィクション作家。家族で沖縄に移住後、沖縄戦下の読谷村のチビチリガマ(洞窟)で起きた住民の集団自決を解明するなど、沖縄にちなんだ作品が多い。米国生まれの日系2世の捕虜虐殺事件の真相に迫った「アメリカ国家反逆罪」{1993年)で講談社ノンフィクション賞を受賞。41年、長野県上田市生まれ。2016年7月17日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ「沈黙のメディアに危機感」から引用 軍の命令で私企業である新聞社の記者が海外に仕事に出かけるというのは、現代の社会に暮らす我々にはあまりピン来ない話で、今なら政府や自衛隊の要人が海外に出かける場合はマスコミの記者は先回りして、要人が現地に到着してそれからどうしたか、事細かに報道する体制になっており、これからは昔のような自国に都合の良い記事ばかり書くということはないだろうと思います。しかし、戦前も現代も、マスコミが自由にものを言わなくなるのは問題であり、「選挙報道は面倒くさいから少なめに」という傾向も、我々としては「黄色信号点灯」という危機感をもって対処していくべきと思います。
2016年08月12日
陣野俊史著「テロルの伝説 桐山襲烈伝」(河出書房新社・3132円)について、評論家の平井玄氏が7月17日の東京新聞に、次のような書評を書いている; かつて桐山襲(かさね)という作家がいた。8冊の小説を書いて24年前に42歳で死んだ。と、まずは紋切り型で言おう。彼の文学的な格闘を描いた評伝だ。力作である。 1949年に東京の阿佐谷で生まれる。68年に早稲田大学に入り「全共闘運動」を体験する。その後「公務員として働きながら、夜、爆弾のような小説を書く」と陣野は記している。 83年に「パルチザン伝説」を文芸誌に発表。侵略戦争で財を成した大企業を連続的に爆破した「東アジア反日武装戦線」を素材にした作品だ。ところが、「週刊新潮」の記事に煽(あお)られた右の人々が「不敬」と騒ぎ出す。これに桐山を含む複数の人たちが密(ひそ)やかに立ち向かう「文芸の闘争」を著者が追体験するところから本書は始まる。 83年から92年まで、もう手に入りにくい一冊一冊、すべての小説を解題として紹介し、それぞれに小論を付ける。残された作家のノートまで克明に読み込んだ。桐山が心から「憎んだ」であろうバブルな80年代を「文の軌跡」として、12歳年下の陣野が踏破した。この500ページ近い厚さがそのまま注いだ熱量の証しだ。 桐山の作品世界は「1968年の街頭に始まり、72年の山岳に終わる僕たちの時代の叙事詩」(小説の一節)というだけではない。どの小説にも必ず「穴」が開いている。そこからオキナワへ、さらに南方熊楠の民俗学、山谷の闘い、大逆事件に絡んで石川啄木や難波大助の傍らへ、そして永山則夫の孤独へと潜り抜ける多重世界だった。 つい昨日とも、既に四半世紀が過ぎたとも思う。当時はPCもスマホもない。桐山は手書きだったという。陣野の書きぶりを通して、そのペンに込めた小説の意志が伝わってくる。 抒情(じょじょう)を拒否する者こそ最もよく人の心を謳(うた)う-。評者には長い間、桐山襲を読むことが辛(つら)かった。苛烈にして美しすぎる「叙事詩」。この評伝はその「辛さ」の中身を教えてくれる。(評者平井玄=評論家) じんの・としふみ1961年生まれ。文芸評論家。著書『戦争へ、文学へ』など。2016年7月17日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-時代と闘う小説家の意志」から引用 この本は大変魅力に富んでいるが、値段が高いしページ数が多いから、高いお金を払っても最後まで読み通せるかどうか、判断しかねるので、買うべきか見送るべきか、悩ましい。しかし、ここで見過ごしてしまうと一生お目にかかることが無くなるような気がするので、多分買うと思います。
2016年08月11日
イギリスのEU離脱は賢明な判断だったのか、愚かな選択だったのか、素人にはなかなか理解できない事例であったが、同志社大学教授の浜矩子氏は、この問題について7月17日の東京新聞に、比較的分かりやすい解説を書いている; この間、「プレグジツト」(Brexit)についてたくさんの取材を頂戴した。ご存じ、英国の欧州連合(EU)離脱問題である。懸命に対応しているうち、連想言葉が1つ頭に浮かんだ。それは”Brexodus”だ。「ブレクゾダス」と読んでいただきたい。 この連想言葉をもって考えたいのは、英国のEU離脱が英国からの企業や人々の脱出につながるかというテーマだ。”exodus”は脱出の意だ。旧約聖書中の「出エジプト記」の原題が”exodus”である。当時のイスラエルの民はエジプト配下にあった。彼らの大脱出物語が「出エジプト記」だ。 ブレグジツトは、ギリシャの脱ユーロ圏すなわち「グレグジツト」が取り沙汰される中で生まれた言葉だ。どっちも、誰が最初に使いだしたか分からない。だが、「ブレクゾダス」は、筆者が知る限り、筆者の発明だ。知的所有権を確立しておく必要ありか? それはともかく、ブレグジツトがブレクゾダスをもたらすか否かは一重にブレグジツト後の英国の対応いかんだ。そして、それを規定するのが何のためのブレグジツトだったかという問題である。彼らは開放を求めてEUからの離脱を選んだのか。閉鎖のための選択だったのか。 実をいえば、プレグジツトについて筆者はいささか複雑な思いを抱いている。離脱という選択は正しかったと思う。だが、この正しい選択は、果たして正しい判断に基づくものだったか。そこに、どうも一抹の不安が残った。 少し時間が経過する中で、不安の要因がかなりはっきり整理できてきた。要するに今回の離脱派の中には、二種類の離脱支持者が混在していたのである。名づければ、かたや「従来型良識的離脱派」。そして、かたや、「にわか型発作的離脱派」である。前者は、開放を求めてブレグジツトを選んだ。後者は、閉鎖願望にしたがってブレグジツトを叫んだ。 従来型良識的離脱派は、統合欧州がどんどん窮屈な均一化の世界になっていくことに懐疑の念を深めていた。海洋国である英国は、常にその内なる多様性と包摂性を誇りとしてきた。相異なる者たちが、相異なったまま、お互いを受け入れ合う。それができる経済社会の開放性に、英国らしさを見いだしてきた。 島国だからこそ開放的でなければ生きていけない。おおらかで融通無碍(むげ)でなければ、安泰ではいられない。そう確信する従来型のEU懐疑派には大陸欧州的「お仕着せワンサイズ」の秩序が、何としてもしっくりこない。世界に向かって常に開かれた英国を復権させたい。それが彼らの思いだ。 一方の「にわか型発作的離脱派」は、日頃の不満や不安をEUにぶつけた。犯人捜し型離脱派だ。押し寄せる移民に職を奪われる。彼らが英国の社会保障制度にただ乗りするのは、我慢ならない。いわば英国版ドナルド・トランプ信奉者たちだ。2つの離脱派のどちらが主導権を握るか。それで、プレグジツト後の展開が決まる。 ここで、日本に思いが及ぶ。「強い日本を取り戻す」ことばかりに政治が固執すれば、日本は共生のグローバル時代からジャバジットの道をたどる。そうなってしまったら、筆者はジャバゾダスを考えなければならない。問題は行く先だ。流浪の民にはなりたくないが・・・。(同志社大教授)2016年7月17日 東京新聞朝刊 4ページ「時代を読む-プレグジットの次に来るもの」から引用 EU離脱とは移民に開かれていた扉を閉じることだとばかり考えると、今回のイギリス人の投票行動を正しく理解することができないということのようです。「離脱」に一票を投じた人々の中には「移民のシャットアウト」を目的にした人たちとは別の、もっと世界に扉を開いて開放的にするべきだという正反対の「意志」を持つ人々がいる、そこを見落とすと「イギリス人は何を考えているのか?」という疑問に取り付かれるわけです。しかし、この先イギリスが正しい進路を辿るかどうかは、「従来型良識的離脱派」と「にわか型発作的離脱派」の、どちらが主導権を握るかにかかっているので、油断はできません。
2016年08月10日
先月の参議院選挙の結果について、法政大学教授の竹田茂夫氏は、7月14日の東京新聞コラムに次のように書いている; 参院選の結果を受けた論評でケッサクだったのは、ある大手紙政治部長の「4回の選挙で支持されたアべノミクスへの批判をやめて協力すべきだ」との発言だった。 ここには幾重もの思い違いがある。選挙結果は定冠詞つきの民意、「大文字の国民」の意思表示ではない。選挙民の意思という母集団が定義可能としても、選挙結果とはひずみのある統計量であり、棄権や死票に表れた要求や願望を忖度(そんたく)することは政治家の責務だ。 なぜ消去法の政権支持が、そのままアべノミクス賛同になるのか。欧州連合(EU)離脱を後悔する英国民のように投票者の意思そのものが不確定な場合もある。 安倍政権の新旧「三本の矢」は実行可能ではない。黒田日銀の失敗、円高・株安への転換、賃金・消費・設備投資の低迷などは、大型財政出動や泥縄式の再分配政策(給付金ばらまき、最低賃金引き上げなど)では挽回できない。TPP推進は米国内の政治状況で、原発維持路線は司法の差し止め命令や現地の反対で雲行きが怪しい。 規制緩和や労働の構造改革で成長できるという話も根拠薄弱だ。先進国に共通の利潤機会の枯渇や、日本で深刻な人口減少・労働力不足は潜在成長率を供給面からいや応なく引き下げる。「アべノミノクスへの代案がない」という決まり文句は成長幻想を前提としているのだ。(法政大教授)2016年7月14日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-選挙とアベノミクス」から引用 選挙を有利にするために消費税増税を見送り、選挙が終われば大型財政出動というのでは、財政規律を損なうその場しのぎの政権運営で、将来に禍根を残すものと言わざるを得ません。過去には規制緩和策が一時的に景気を浮揚させたこともあったかも知れませんが、今では大型店舗が全国津々浦々に進出して地元の小売店は軒並みシャッターをおろし、労働の構造改革と称して派遣社員枠を広げた結果、将来の保障を失った労働者の消費活動は冷え込む一方です。これからの経済政策は、一発勝負で景気浮揚を狙うなどという博打のような志向をやめて、経済成長を当てにした政策からの転換が求められていると思います。
2016年08月09日
看護師でエッセイストの宮子あずさ氏は、先月の参議院選挙投票日翌日の東京新聞朝刊コラムに、次のようなコメントを掲載した; 参議院議員選挙の結果は、序盤から報道された予想通り、自民党と公明党の与党が勝利。この残念な結果を覚悟しつつ、迎えた選挙戦終盤、脳科学者茂木健一郎氏のブログに大変励まされた。 タイトルは「『やっぱり、自民党しかない』の背後にある、変わらない日本、変われない日本」。民主主義を機能させるには政権交代が必須であり、政治家が「交代して、与党の立場と、野党の立場を経験することで、違った風景が見える。政治家としての資質が向上する」と述べている。 政治家の劣化が言われて久しい。選挙中、安倍総理から何度も発せられた「気をつけよう、甘い言葉と民進党」の決まり文句に支持者が熱狂する姿はその象徴に見えた。 選挙期間中、2004年放映の『時事放談」が再放送された。中曽根康弘氏と土井たか子氏が改憲、護憲の立場から憲法について意見を戦わせた。知的な討議だった。 この後、一度は政権交代があったものの、これが失敗と断じられたことで、有権者からは政権交代がさらに視野から遠のいた感がある。この状況が続く限り、政治家は劣化し続けてしまう。そして有権者も。 やはり、政権交代を諦めてはいけない。私が野党に望むのは、まず知的な態度である。与党に対し論理的な反論ができない野党議員が歯がゆくてならない。過去の失敗を挙げ連ねられても決然とし、同じ土俵に乗らないで。浮足立たず、論理的な力をつけてほしいと願う。(看護師)2016年7月11日 東京新聞朝刊 11版 7ページ「本音のコラム-政権交代諦めずに」から引用 参議院選挙は政権交代に直結するものではないが、次の総選挙への「のろし」として効果的なサインを出す機会だったのであり、日本の民主主義の発展という立場からも、今回の参院選の結果は極めて残念な結果と言えます。野党議員には、レベルの低い与党議員と同じ土俵には乗らず、もっと理論武装して自公政権の先を行く展望を有権者に示してほしいと思います。
2016年08月08日
先月の参議院選挙の結果について、フリーアナウンサーの吉田照美氏は7月22日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 日本のことは、立派なエラい人たちがきちんと導いてくれて、ジャーナリズムがそれを監視していて、僕らは自由にバカなことをやっていても、社会はそれでいい方向に行くんだ、とある種の錯覚をしていた頃がありました。 今回の参院選では有権者の約半数が投票しなかった。無関心は問題ですが、無関心にさせているメディアの責任も大きい。もっと大いに報じなければならなかったのに、それを怠った結果だと思います。「3分の2」の意味すら理解していなかった人が約8割、自民党の改憲草案についても知らない人が圧倒的だといいます。それも選挙後に明らかになった。順序が逆でしょう。NHKにいたっては、選挙前日のニュースの終わりに「明日(7月10日)は」と言ったので、参院選のことかと思ったら「納豆の日」のことだった。 デーブ・スペクターさんがツイッターで「選挙終わってから候補や政党や支援団体のことを特番で見せられてもどうしろと言うんですか?(後略)」とつぶやき、それに茂木健一郎さんが賛同していましたが、まったくその通りだと思う。今回の選挙はこの一言につきます。 テレビも新聞も、今後、”罪滅ぼし”に自民党の改憲草案について、自民党がどんな憲法を望み、どんな国にしようとしているのか、きちんと報じるべきです。 そもそも安保関連法は憲法違反。憲法尊重擁護義務がある国会議員がそれに違反する形で強行採決して成立させたものです。その自覚もないまま今度は改憲しようとする。対案を出せとも言っていますが、対案は「日本国憲法」です。 日本は政治の話をすると「空気が悪くなる」雰囲気があるけど政治は僕たちの生活そのものです。それがいつしか、政治と生活は違う、と”洗脳”されてしまった。 安倍さんにとってはラジオはメディアじゃないようですが、気づいた時には時すでにおそし、とならないよう、やられるだけではおもしろくないですから、僕も微力ながら言えるだけのことは言っていきたいと思っています。(談)<よしだ てるみ:フリーアナウンサー>2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 23ページ「選挙前日を『納豆の日』で終えたNHK」から引用 この記事が訴えるように、有権者の約半数が選挙に無関心というのは問題で、このような状態を放置し、日本の政治状況を人々に周知することを怠ったメディアの責任は重大です。それも、うっかり放置したのであれば、今後は気をつけるという「言い訳」もあり得ますが、現在の状況は安倍政権のメディアへの姿勢、取り分け高市大臣の「停波」発言が大きな圧力となってメディアを萎縮させ、選挙前に政治的公平性だの中立性だのに神経を使うよりは、無難な報道でお茶を濁すという態度が、有権者を「3分の2」の意味も分からないような状況にしてしまっている。世の中には、報道関係者が被害者や被災者の迷惑を顧みないような取材態度を指して、マスコミを「外道」呼ばわりする人もいますが、それを私は無視していいとは言いませんが、高市発言に神経を使って、肝心の情報を有権者に伝える作業を怠っている問題のほうが、次元が異なるとは言え、より重大であると思います。
2016年08月07日
天皇が生前退位を言い出したという問題について、雑誌編集長の篠田博之氏は、7月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; わかりにくいとしか言いようがないのが7月13日夜に始まった「天皇陛下生前退位の意向」報道だ。NHKの夜7時のニュースを皮切りに大量報道がなされ、生前退位がもう決まったかのように誤解している人も多い。でも、いまだに宮内庁は否定したままだ。 週刊誌も各誌特集を組んでいる。でも相反する見立てが披露されていたりと百家争鳴状態だ。例えば『女性自身』8月2日号では皇室担当記者がこう証言している。「安倍首相は、陛下が望まれる皇室典範の改正を、自らの”野望”である憲法改正への”追い風にしよう”と考えているように見えます」 しかし『サンデー毎日』7月31日号でノンフィクション作家の保阪正康氏はこう書いている。「日本国憲法の理念が危機にひんしている現在の状況に対して、今上天皇が不安感をお持ちになり、何らかの形で異議申し立てを表明なさったとしても不思議ではありません」「生前退位のご意思は、改憲の潮流に対して今上天皇が起こされた『たった一人の反乱』ということになります」 そもそも「退位の意向」が具体的に、誰にどんな形で示され、それがなぜこういう報道になったのか。背後の事情についても見方はさまざまだ。『週刊ポスト』8月5日号では皇室ジャーナリストの山下晋司氏がこう述べている。「宮内庁サイドが”公式には発表できないが、なんとかして陛下のお気持ちを伝えたい”と考え、NHKに報道させるかたちになった可能性はある」 近々天皇陛下自らが何らかの説明を行うのではとの指摘も多い。『週刊朝日』7月29日号で皇室担当記者がこう語っている。「すでに、陛下の文書の内容も大筋は固まっているとの情報もあります。あとは公表の時期。早ければ8月とも言われています」 こうした状況について『アエラ』7月25日号で作家の佐藤優氏がこうコメントしている。「天皇制という国家の民主的統制の根幹にかかわる重要なテーマについて、情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きいと思います」。同感だ。 この間題、これからどうなるのか。(月刊『創』編集長・篠田博之)2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「週刊誌を読む-宮内庁否定のまま百家争鳴」から引用 この問題が報道された当初は、どのニュース番組でも一連の宮内庁からのリーク情報を披露した挙げ句「尚、宮内庁報道官は『陛下がそのようなご発言をなさったという事実はありません』とコメントしました」と言うものだから、視聴者は「なんのこっちゃ」という印象を持つのであり、この記事のように「わかりにくい」という状況になっているものと思われます。そして、宮内庁が一連の報道の中でいちいち「陛下はそのような発言はしていない」と断りを入れるのは、現在の憲法と皇室典範には「生前退位」に関する規定がないため、状況によっては今上天皇が「自分は生前退位したいから、そのように法律を整備しろ」と行政府に指示を出す、いわゆる「政治介入」ととられることを警戒している、そのために世論を煙に巻く「作戦」に出ているということだと思います。そういう観点から、佐藤優氏が言うように「情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きい」と言えます。
2016年08月06日
選挙が終わるやいなや、民意を無視した政治を始めた安倍政権を、法政大学教授の山口二郎氏は、7月24日の東京新聞コラムで次のように批判している; フランスの思想家、ルソーは代議政治を批判して次のように書いた。 「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなやイギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」 今、安倍政権はルソーが批判したイギリスの権力者と同じことをしている。参議院選挙が終わるや否や、沖縄県北部の高江で米軍へリパッド(ヘリコプター離着陸帯)の工事を開始した。反対する住民に警察は暴力を加えている。さらに、政府は翁長雄志知事を相手取って、辺野古埋め立て承認取り消しについて違法確認の訴訟を起こした。 沖縄県民の意思は度重なる選挙で明らかになっている。この参院選でも、現職の沖縄担当大臣を大差で落選させた。しかし、安倍首相にとって、沖縄県民は日本国の主権者には含まれておらず、県民が投じた票は子供銀行のおもちゃのお金のごとき紙切れなのだろう。 本土に住む我々にとって、これは人ごとではない。国民の一部を主権者扱いしないという権力者の倣慢(ごうまん)と差別を許せば、次は他の地域、他の集団の人々が同じように主権者から除外されることになる。国政選挙の結果をここまで無視されたら、沖縄以外に住む国民も、民主主義を蹂躙(じゅうりん)されたことに対して、ふざけるなと声をあげなければならない。(法政大教授)2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-自由という錯覚」から引用 革命前のフランスで活躍したルソーの代議政治批判は、実際に当時のイギリスの政治状況がその通りであったわけだから、当然の批判であった。しかし、その後の欧米や日本では、その代議政治の欠点を「民意を尊重する」という手法でカバーしながら、今日の民主主義の政治を確立したのであったが、昨今の安倍政治は、その欠点を克服する手法をかなぐり捨てて、選挙で勝てば何をしようと勝手、という18世紀のイギリスのレベルに落ち込んでいる。ちょっとくらい株価が上がったからといって、こういうレベルの低い政治家に政権を担当させておくのは国家的損失であることを、私たちは自覚するべきだ。
2016年08月05日
イギリスのEU離脱やトルコのクーデター未遂など、世界が揺れ動いている中の参議院選挙で、自民党を勝たせたのは間違いだったというような見解を、東京大学教授の宇野重視氏が、7月24日の東京新聞に書いている; 2016年は、あるいは民主主義にとって大きな転換点となる一年となるかもしれない。 英国が欧州連合(EU)離脱を決定した国民投票は、その最たるものであろう。国の大きな運命を決する判断を、扇動的キャンペーンの下、しかも一回限りの投票に委ねてよいものなのか。将来を決めるにあたって必要な情報や、長期的な視野をどのようにして確保するのか。民主主義にとっての最重要課題である。 メキシコ国境に壁を建設し、イスラム教徒の入国禁止を公然と主張するドナルド・トランプ氏が米大統領選で共和党の候補に指名されたのも、民主主義の危うさを感じさせる要因となっている。グローバル化によって格差が拡大するなか、どうしても政治的判断は分極化しがちである。候補者たちが、極論を口にすることで人気を博そうとする誘因に、どのようにして歯止めをかけるか。合意形成は難しくなるばかりである。 フランスのテロや、トルコにおけるクーデター未遂を含め、民主主義が内憂外患の時代を迎えるなか、日本の民主主義の現状はどうなのか。民主主義をより柔軟に、より適切に使いこなしていると言えるのだろうか。 与党が改選過半数をはるかに上回る圧勝に終わった参院選を見る限り、日本の民主主義は「奇妙な判断停止」の状態にあるように思われてならない。なるほど、日本政治は極端な左右の分極化は免れているのかもしれない。現政権の継続を選んだという意味では、日本の世論は極論への誘因を退け、慎重な現状維持を選択したとも言える。 とはいえ、多くの世論調査からうかがわれるように、与党に対する熱狂的支持が見られたわけではない。むしろ野党が十分な選択肢を示すことができず、「他に選びようがなかった」というのが実情であろう。 消費税率を10%に上げるのを再延期し、早々に与野党間の対立がなくなってしまったのも議論の盛り上がりをそいだし、少子高齢化と地域社会の衰退に対する有効な対抗策について積極的な論争がなかったのも残念であった。これからの十年が日本社会にとって死活的に重要なだけに、「消極的な現状維持」を選んでしまった代償は大きい。 何より不満が残るのが憲法論議である。たしかに「改憲勢力」が3分の2を超えたのは歴史的な事実であろう。もはや憲法改正はタブーではなく、政治的議論の対象となっていくのは間違いない。 しかし、それではどのように憲法を変えていくかについてはまったく不明であり、実のある議論はなされなかった。「改憲勢力」といっても、各党の考えは大きく異なり、同床異夢というほかない。これだけ内容の乏しい選挙で、憲法改正へのハードルが下がるのは無残である。 その意味では、今回の参院選を見る限り、日本の民主主義は「賢明な現状維持」を選んだというより、嵐の世界のただ中で「奇妙な判断停止」に陥ったと言うべきであろう。これもまた「民主主義の危機」である。 日本社会の課題が明らかである以上、「判断停止」を続けてはならない。「民主主義の危機」を脱出するためには、議論を続けるべきである。選挙の後こそが肝心である。(東大教授)2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版S 4ページ「奇妙な判断停止」から引用 この記事の冒頭では、イギリスの国民投票が扇動的キャンペーンの下で行われたことを問題視しているが、これは「EU離脱」の選択が誤りであったという考えに基づいていると思われます。人類の未来は、国境を取り払って人々が自由に行き来できるようにするのが理想で、イギリスの選択はそういう理想に背を向けるものだということです。イギリス政府はもっと時間をかけて、離脱派を説得する努力をするべきだったというわけです。その一方で、参議院選挙は自民党の圧勝だったにも関わらず、日本国民のこの選択は間違いだったということのようです。選挙が終わった後の世論調査では、自民党が勝って議席が3分の2を超えると「憲法改正」への道を開くことになるということを、有権者の8割が認識していなかったとの報道もあり、テレビ局にそれとなく圧力をかけ、選挙報道を極力短くさせて有権者の関心をなるべく薄めて、中身の無いアベノミクスを宣伝して票を集め、終わってから「改憲」を言い出す。自民党はうまく国民をペテンにかけることに成功したと言えそうです。
2016年08月04日
今年は日中文化交流協会設立から60年めの年にあたり、交流協会会長の黒井千次氏は7月24日の東京新聞インタビューに応えて、次のように述べています; 日本と中国の関係を文学や絵画、音楽といった文化の交流で深めようと設立された「日本中国文化交流協会」が今年、設立60年を迎えた。日中関係を巡っては、中国の海洋進出や歴史認識の問題を抱え、必ずしも順風満帆とはいえない。協会の会長で、作家の黒井千次さん(84)に、文化交流の意義や日中関係の課題について聞いた。(編集委員・五味洋治)-文化交流の意義は。 「日本にとって、中国は単にアジアの国の一つというだけではなく、特別な存在だ。日本の歴史年表を見ると、海外との交流は中国との交流を意味している時代さえあった。特に、日本で当たり前に使われている漢字は中国から伝えられたもので、つながりは深い。もう二つには近代の日中関係がある。明治の日清戦争、昭和の日中戦争という不幸な歴史を経験した。こうした歴史を克服するためにも文化交流は大きな意味を持つ」-黒井さん自身の中国とのつながりは。 「1983年に故・水上勉さん(作家)から『日本作家代表団』の一員として中国に行ってみないか、と誘われたことがきっかけ。私自身、魯迅(中国の作家)の作品に感銘を受けた一人だ。当時、文化大革命は終わっていたが、ホテルの従業員も表情が鋭く、日本人というだけで、ピリピリした雰囲気だった」-沖縄県・尖闇諸島の問題で交流が中断したこともある。 「2012年だった。予定していた交流事業の半数近くが中止や延期になってしまった。中国側からは『われわれは日本に行きにくいが、ぜひ、来てほしい』と呼び掛けがあり、行ってみると、以前と同様、熱烈に歓迎されたそうだ。国と国との関係は難しくても、本質は人と人との交流なのだと実感した」-文化交流も政治に左右されている。 「政治と文化の関係は、昔から議論されてきた。『穏やかに、仲良く』だけで関係を続けることもできるが、(文化交流も)もう一歩、奥というか、底の部分で交流しなければ、本物の関係にならないのではないかと感じている」-安倍政権は中国にはっきりものを言う姿勢だ。日中関係の現状をどう見るか。 「日中の関係が困難な状況になった時に、力になるのは人間関係だと思う。でも、いま(政治レベルでは)そういう関係が失われているのではないか。いろいろな面で(関係が)硬直し、狭くなってしまっている気がする」-大学生の交流に期待をかけているそうだが。 「昨年、中国側が50人の日本の大学生を中国に招待してくれた。日本国内の移動費用まで持ってくれた。帰国後、学生たちは会員制交流サイト(SNS)で、メッセージのやりとりをしていると聞く。今年は倍の百人が訪中する予定だ。日中が全面的に分かり合うのは無理としても、若い世代が中心になって、時間をかけ、少しずつ進んでいけばいいと思う」<日中文化交流協会> 1956年3月「文学・芸術、学術、報道、スポーツなど広い分野での交流を推進し、両国人民の友好と文化交流を進める」との目的で設立された民間団体。毎年、相互訪問を続ける。作家の井上靖氏や辻井喬氏が会長を務め、2014年に黒井氏が就任。11年から一般財団法人。 くろい・せんじ 1932年東京生まれ。東大卒業後、会社勤務を経て文筆活動に。「走る家族」「春の道標」など著作多数。芥川賞などの文学賞の選考委員としても活躍した。2014年から日本芸術院長。2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版S 3ページ「本物の交流 若者に期待」から引用 黒井氏が指摘するように、日本と中国は歴史的にも文化的にも、他の欧米諸国とは比較にならないほど密接な関係がある国で、これからの日本を考える上でも中国との関係は特に大切にしていく必要があると思います。表に示された60年間の動きで特に印象深いのは、小泉首相の靖国参拝で交流が中断したことです。あの小泉首相の靖国参拝は、財界からも「やめてほしい」という声が出たほどで、それでも参拝を継続したのは何のためだったのか、まったくつまらない時間を無駄に費やしたものだと思います。元々政治家としての小泉純一郎氏は、靖国に祀られた英霊を顕彰するなどという右翼思想をもった政治家ではなかったし、あれは正しい戦争だったなどという国粋主義思想をもつ人でもありませんでした。結局、マスコミに批判されて止めたとか、中国に批判されて止めたというのでは格好がつかないという、子どもっぽい「意地」だったのではないかと思います。小泉氏よりは遙かに国粋主義思想に近いと思われる安倍晋三氏ですら、政治的配慮から参拝を思いとどまって、それで支持率が低下するわけでもなく、何の問題もなく世の中が廻っていることを思えば、あの参拝はまったく愚行であったと言えるのではないでしょうか。
2016年08月03日
先月開催された「ジャーナリズムのあり方を考える」シンポジウムについて、7月24日の東京新聞は、次のように報道している; ジャーナリズムのあり方を考えるシンポジウムが23日、東京都千代田区の専修大神田校舎であった。ゲスト出演した東海テレビ放送(名古屋市)プロデューサーの阿武野勝彦さん(57)は「(政権側への)忖度は隅々まで行き渡り、無考(むかんが)えの自主規制もある」と危機感を訴えた。 3月まで報道番組のアンカーを務めた岸井成格(しげただ)さんら5人が発言した。高市早苗総務相は、政治的公平性を欠いたと判断した放送局に対し「電波停止」を命じる可能性に言及したが、岸井さんは「政権に都合が悪い情報は全て偏向報道になってしまう」と批判。参院選の報道を振り返り「公平を意識するあまり『めんどくさい』という考えがテレビにできた。(参院選の)放映時間が短くなり、争点が隠れてしまった」と指摘した。 阿武野さんは「自主規制の枠を打ち破っていきたい」と意気込みを語った。日本ペンクラブ会長で作家の浅田次郎さんは「空気に染まらないように、踏みとどまらなければならない」とメディアの奮起を促した。 シンポジウムは日本ペンクラブと専修大文学部が共催し、400人が集まった。2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版S 30ページ「考えなしの自主規制ある」から引用 安倍政権は報道機関を弾圧したわけではありませんが、高市総務相は「放送法第4条を根拠として停波を命じる事態が、将来にわたって無いとは言えない」と、回りくどい表現をして、あまり興味の無い人にはなんでもない発言だったかも知れませんが、テレビ局に勤務する人たちにとっては、これはかなり大きな圧力として作用しています。その結果、岸井成格氏が指摘するように各テレビ局は参議院選挙の報道を少なくし、争点を隠すことに貢献し、結果として自民党圧勝をもたらした、これこそが安倍政権が狙った作戦だったと言えます。このような不当な事態を改善するには、高市発言の撤回を求めるか、さもなければ国連特別報告者がいうように、放送法第4条の削除を求めていくべきと思います。
2016年08月02日
当ブログ7月27日の欄に、週刊朝日臨時増刊号のデイビッド・ケイ氏の「日本のメディアは忖度せず、連帯して安倍政権と戦え」という記事を引用したところ、Pulfield@LogOut さんからは、次のようなコメントをいただきました;タイトル:マスコミの正義って誰が証明し担保するんでしょ? >日本のメディアは忖度せず、連帯して安倍政権と戦え-----まるでマスコミ=正義、安倍政権=悪の権化と言ってますねぇ…そのマスコミの正義って誰が証明し担保するんでしょうね?その「我こそ正義」って思い上がり、傲慢さこそがマスコミへの不信を拡大してることにマスコミが気付かない限り、彼らが真のジャーナリズムとなる事は無いでしょうね。○思い上がりの例その1 AP通信東京支局の記者・影山優理さん「私達記者は正義。がんばる」に対する反応 http://togetter.com/li/941887○思い上がりの例その2 朝日新聞欧州特派員記者、警察の「被害者遺族から匿名の要望有り」に対して「被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなる」と批判 https://twitter.com/shiho_watanabe/status/758178708859527168当ブログ7月27日のコメント欄から引用先ず最初は、タイトル、>タイトル:マスコミの正義って誰が証明し担保するんでしょ? 私が思うに、マスコミは報道機関ですから、その報道機関に対し「こいつらは本当に正義なのか? 悪ではないのか?」という問題の立て方がおかしいと思います。報道機関で働く記者たちは朝日新聞でも産経新聞でも、それぞれの記者が「これは報道する価値がある」と考えて、取材し裏を取り記事として印刷するのであって、そういう活動に対し、「これは正義か? 悪か?」という設問は、あまり意味がないと思います。ただし、報道も人間のすることですから、時には間違いが起きることもあり、誤報として関係者が責任を取らされることもありますが、それは「正義ではない証拠」というわけではなく、不幸にして起きた不祥事というものでしょう。ただ、どんな報道に対しても、私たちは盲目的に信じるのではなく、常にメディアリテラシーに注意を払うべきなのであって、誰かが証明して担保してくれてるから安心して信用できるなどというものではないことは言うまでもありません。>まるでマスコミ=正義、安倍政権=悪の権化と言ってますねぇ…政治権力は放置すると腐敗するというのは、古今東西の人類が経験してきたことであって、そのためにマスコミによる権力監視が重要であるというのは、日本だけではなく欧米の常識です。その上、総務大臣が番組内容によっては電波を止める、などという暴言を吐いて首相がそれを是認するのですから、報道を抑圧しようという安倍政権の姿勢は明白であり、国連特別報告者が、民主主義を守るためにはマスコミは安倍政権と戦うべきだと発言するのは当然と思います。その他、思い上がりとか傲慢とか、いろいろ指摘していますが、何万何千といる報道関係者の中には、能力や感性など様々な人たちがいるのですから、中にはとんでもない失敗をする人もいるのは、致し方のないところであって、そういう点だけを取り上げて、「これがマスコミの本質だ」というような言い回しは、必ずしも本質を言い当てているとは言えないのではないか。結局、この「マスコミの正義云々」という議論は、個々の警察官の不祥事を指して「警察の正義って誰が証明し担保するんでしょう?」と言ってるようなものではないかと思います。
2016年08月01日
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