全31件 (31件中 1-31件目)
1
子どもの貧困とその対策について、東京工業大学教授の弓山達也氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 6月18日から25日までの6回連載の「新貧乏物語-子どもたちのSOS」が、読み応えがあった。「重い虫歯20本 治療なく溶け・・・」(18日)、「『パン買ってください』売り歩き」(19日)、「教材費800円『払って』言えない」(21日)など、折しも連載の最中に高額な海外出張費や公費の私的利用等で辞任に追い込まれた都知事が無念の表情で見上げる同じ空の下で、かかる賀因があるのかと思うとがくぜんとするばかりである。 むろん貧しさば子どもたちの責任ではない。そして親たちの多くも離婚や病気や子どもの障害など、運命に翻弄(ほんろう)されて生きている。パン1個、給食のない時は1日2食の生活。こうした壮絶な生活もさることながら、子どもたちが貧しさゆえに地域でも学校でも、そして家庭でも孤立せざるをえないことに胸が締め付けられる。家庭環境が違いすぎて話題についていけない、いじめや孤独、欠席気味、学習の遅れ、その先に容易に予想される更なる貧困の連鎖を何とか断ち切りたい。 今月より本欄を担当させていただくので少し自己紹介になるが、現在、大学院生と安藤泰至編『「いのちの思想」を掘り起こす』をヒントに、「いのちの思想」を体現したり、表明したりした人物を1人取り上げて毎週報告会をしている。 教員の私がとりあげたのは1958年に出版されてベストセラーになった当時10歳の少女の日記『にあんちゃん』である。作者の安本末子は在日韓国人で、両親は他界、長兄は炭鉱労働者、長姉は奉公で、次兄(にあんちゃん)と小学校に通っている。傘がなかったり、教材が調達できなかったりで学校に行けないエピソードは本連載そのままである。 しかし、決定的に違うのは誕生会に呼んでくれる級友や教材をそっと工面してくれる教師や身寄りのない子らをサポートする近隣住民の存在である。そして、末子はその中で子どもを亡くした母親や自分より貧しく差別されている親子に対して、いたわりとおもいやりの心を育んでいく。信頼やネットワークが社会の効率性を高めるというソーシャルキャピタル論が議論されて久しいが、共苦共感の助け合いの世界がここにはある。 「新貧乏物語」の連載後半では、少しだけ光が見えてくる。それは中学校の入学式で友達をつくろうと勇気をもって話しかける女の子(22日)や夢を語り始め高校進学を決めた男の子(25日)の姿である。 この子たちが自らの力で自分の未来を切り開いていけることを信じ、そしてそれを最大限支援できる社会体制を作ることが我々の使命であると決意したい。(東工大教授)2016年7月3日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「新聞を読んで-貧困の中の一筋の光守れ」から引用 この記事で弓山氏が言及しているベストセラー「にあんちゃん」は、私も子どものころ映画を見た記憶があります。私のおぼろげな記憶では、NHKラジオでも連続ラジオドラマで放送していたような気がします。主題歌の歌詞に「青いなすの花」という文言があったような気がしますが、何かの思い違いかも知れません。記録によれば、この映画はその後文部大臣賞を受賞したとのことで、在日は国民健康保険に加入できないというような差別的な政策が存在する一方で、生活が困窮する在日の人たちへの救済策が各自治体で実施され始めた頃と思います。このような歴史を知らない者が、在日に特権があるなどと言い出すのは、実に嘆かわしいことです。
2016年07月31日
この度の参議院選挙の結果について、経済ジャーナリストの萩原博子氏は22日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 2016年参院選の結果を見ると、一人区では、東北と沖縄が安倍政権にノーを突きつけたかたちとなりました。 たしかに与党大勝でしたが、震災後の復興が進まない東北や、基地問題で揺れる沖縄には、現政権への不満が鬱積(うっせき)している状況が今回の選挙の票から読み取れます。「アベノミクスは是か非か」といえば、東北や沖縄では明らかに「非」。けれど、どちらも、今の日本では「弱者」です。こうした「弱者」の声に耳を傾けないのも、今の日本の政治です。 けれど、それでいいのでしょうか。弱者が増えれば、その声は大きくなります。イギリスでEU分断に投票したのは、EUの経済的恩恵を受ける勝ち組の都会の人たちではなく、移民によって仕事を奪われた地方の人たちでした。 アメリカ大統領選でヒラリーの民主党代表の前に最後まで大きな壁として立ちふさがったのは、社会主義者と言われるサンダースであり、それを熱烈に支持したのは、格差に怯える若者たちでした。 確かに、与党は今回の選挙で大勝しました。けれど、ノーと言った弱者を忘れてはいけない。 しかも、今回の選挙は「アベノミクス選挙」ということで、与党は憲法改正にはあえて触れない姿勢を取ってきました。自民党はマニフェストの最後に小さな字で10行ほどしか憲法改正については記していません。公明党に至っては、マニフェストではひと言も触れていません。 ところが、選挙が終わるやいなや、話は「改憲」一色になっています。日程まで、取りざたされています。これは、さすがにおかしいのではないでしょうか。アベノミクスでごまかされ、なんだか、だまし討ちにあった気がするのは、私だけではないはず。もっと、謙虚な政治を望みたいと思います。<おぎわら ひろこ>経済ジャーナリスト。2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 14ページ「アベノミクスは、隠れ蓑!?」から引用 「アベノミクスは隠れ蓑」という表現は、なかなか味のある言い方です。大企業は大儲けをして中小企業は経営難に苦しみ、富裕層と貧困層の格差はますます拡大しているのに、世間の認識は「大企業が繁栄しているのだから、アベノミクスは大成功」、選挙戦では改憲の「か」の字も言わず、マニュフェストの一番後ろに少しばかり書いてはあっても、そんなものは誰も読みはしません。公明党の党首に至っては「改憲問題は争点ではない」と明言してましたからね。それで投票日が過ぎた瞬間に「具体的な改憲論議を・・・」と言い出すのでは、だまし討ちにあった気にさせられるのも無理はありません。
2016年07月30日
テレビの人気者だった大橋巨泉の遺言について、雑誌編集長の篠田博之氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている;(前半省略) さて話題転換。『週刊朝日』の臨時増刊号として発売された『朝日ジャーナル』が話題になっている。かつてリベラル派を代表する週刊誌だった『朝日ジャーナル』は、1992年に休刊になって以降、何度か臨時増刊として復刊されているが、今回は今までになく新鮮だ。社会の座標軸が大きく右に振れ、リベラル派の危機が叫ばれている時代状況のせいだろう。 巻頭には「新多事争論」と題して、かつて『朝日ジャーナル』編集長だった筑紫哲也さんにならった一文が掲げられている。筑紫さんはリベラル派の象徴のような人だった。記事中で久米宏さんや池上彰さんが今のメディアの状況について語っている内容も面白い。 田原総一朗さんとの対談で、花田紀凱『月刊Hanada』編集長が「こんな時代だからこそ、月刊の『朝日ジャーナル』として復刊すればいいじゃないですか」と言っている。同感だ。朝日新聞出版はぜひ月刊でよいから『朝日ジャーナル』を本格復刊してほしい。 最後に紹介したいのは『週刊現代』7月9日号の大橋巨泉さんのコラム「今週の遺言」最終回だ。がんの病状が悪化して「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と書いた後に巨泉さんはこう記している。「このままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」。自ら遺言と言う言葉に胸が熱くなった。(月刊『創』編集長・篠田博之)2016年7月3日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「週刊誌を読む-リベラル派の危機に会心作」から引用 大橋巨泉氏の遺言に、私たちは耳を傾けるべきです。これまで歴代の日本の首相は多少なりとも立憲主義に関するまともな知識をもっていたから、憲法に定められた首相の義務についても十分認識し、改憲問題については極めて抑制的に振る舞ってきましたが、安倍氏の場合はハナから「立憲主義なんて、絶対王政の時代の言葉」などとトンチンカンなことを言うくらいで、国家と憲法の関係も正しく認識しているかどうか、極めて疑問です。世間では、トランプが大統領になったらどうなるか心配などと言われてますが、それを先取りしたのが日本の安倍政権なのですから、次の総選挙では安倍を叩き落とす算段を考えるべきです。
2016年07月29日
権利行使の自由がままならない一方で、責任や義務が増大していきそうな日本の若者について、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏は、3日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「子ども」とはどのような存在だろう? そう聞かれれば「幼くかわいい」「学校に通う」「未熟なので責任が免除される」など、ぜまざまな事柄が思い浮かぶだろう。「大人」はその反対だ。成熟した心身を持ち、教育を終え、仕事や家庭を持って社会的な責任を果たす。そんなイメージだろうか。 だが子どもと大人の境目は、実際にはとても曖昧だ。法制度的な面だけを見ても、「ここまでは子ども、ここからは大人」という境界ははっきりしない。たとえば、刑事責任が問われるようになる年齢は14歳。労働は15歳から。結婚は、女性は16歳、男性は18歳から可能になる。18歳になると運転免許や「アダルト」が解禁される。同時に児童福祉法の「児童」ではなくなり、買春禁止対象から外れる。20歳は民法上の「成年」とされ、これ以降お酒やたばこが許される。そして少年法が適用されなくなり、罪を犯せば実名で報道されるようになる。 今年から18歳・19歳の人びとが選挙で1票を投じうるようになった。これまで選挙権は、民法上の成年に伴う大人としての権利だった。「選挙権と成人式はセット」と考える年長世代には、不思議な感じがするかもしれない。 ところで、大人になるとは、この国の一人前の構成員と見なされることであり、権利と義務の両面が伴う。そしてこの権利と義務のバランスシートは、過去20年で子ども・若者にとって不利になったといえる。 たとえば2000年、少年法が定める刑事責任年齢が16歳から14歳に引き下げられた。他は変わらないまま、責任だけが強化されたわけだ。また、1990年代半ば以降に進行した若者雇用の劣化は「仕事に就き自分の家族を持つ」という当たり前の自由な大人への扉を「狭き門」にしてしまった。それを後押ししたのは経済界と政治だ。つまり、大人としての責任は早いうちから課され、大人の自由の方は獲得できる可能性が狭められてきたといえる。それを思えば、18歳選挙権は若者の権利・自由を拡大することであり、望ましい方向性である。ひとりでも多くの若者に行使してほしい。 一方で、その意義は、限定的だ。今回増える18歳・19歳の有権者は約243万人で全体の2・3%。生活を改善する政治的手段が若者に与えられたとはいえない。権利と義務のバランスシートのマイナスが解消されたとか、ましてやプラスに転じたわけではないのだ。 危惧されるのは、このような限定的な権利と引き換えに、今後若者に対して「国家に貢献する義務」が求められる危険性だ。 国民国家の歴史を見れば、参政権は徴兵の義務とセットで与えられてきた。18歳選挙権と引き換えに、若者を国家の兵力として動員しようとする議論が今後、出てこないとも限らない。 だから今、確認しておく必要がある。現代の若者の権利と義務のバランスシートは、まだまだ実質的に権利が少ないほうに傾いたままだ。選挙権付与を根拠に「義務も増やすべきだ」とするのば不当である。 そして、当然のことだが、教育機会の平等や雇用・生活保障の整備など、若者世代の利益を実現していく責任が、年長世代にもあり続けることは言うまでもない。(関西学院大学准教授)2016年7月3日 東京新聞朝刊 11版S 4ページ「時代を読む-若者の権利は充足されたか」から引用 学校を卒業したら就職してお金を貯めて自分の家族を持つという当たり前の自由が、経済界の要請で労働基準法を骨抜きにするという自民党政治の結果、叶わぬ夢となりつつあるのは重大な問題です。自民党政権は、それでも足りないとばかりに、労働者派遣法をさらに改悪して、一定数の労働者を生涯派遣社員として働かざるを得ないような状況にしています。民主主義の国においてこのような状態を是認してよいわけがありません。こういう状況を改善していくためには、子どものときから、我々は生まれながらにして「権利」をもっているのだという教育が必要です。就職を目前にした高校生や大学生には、「労働者の権利」についても、詳細に学習させて明確な権利意識を確立させることが、やがてこの国の労働者の生活を豊かにし、活発な消費活動を引き起こし、経済の繁栄につながるという「大局観」が大切と思います。
2016年07月28日
一度は安倍政権によって訪日を拒否された国連特別報告者のデービッド・ケイ氏は、その後春になって訪日・調査を実現しました。その調査結果と今後の日本の課題について、ケイ氏は「週刊朝日」のインタビューに応えて、次のように述べています;「表現の自由」に関する国連特別報告者として今春、訪日したデービッド・ケイ氏(米国)が独占インタビューに応じた。9日間の滞在で政府関係者、ジャーナリストらを調査し、「日本では報道の独立性が重大な脅威に直面している」との暫定報告書をまとめたケイ氏が語った警告とは-。 - 来日中、放送法第4条にある、番組の政治的公平性を理由に放送局の「電波停止」に言及した高市早苗総務相との面会は実現しませんでした。テレビ局はどう抵抗すべきですか。”政治的中立”という意味を、政府は未だに定義していませんが、報道が中立でないと政府が判断した場合、停波を命じる権限があると主張しています。これはメディアが政府に対し、会社として感じる圧力に他なりません。会社が自己防衛の必要性を感じ、その会社で働く記者へと波及し、一線を越えないように注意しろという”忖度(そんたく)”のメッセージがあらゆる形で送られます。政府による規制で報道が一極集中型になってしまうことは、大きな課題です。 - 報告書で「放送法第4条を廃止して独立した機関に委ねるべきだ」と記していますが、具体的にどんな機関を思い描いていますか? 政府から独立した規制委員会です。委員は政府、民間などのステークホルダー(利害関係者)から指名されるとしても無党派で、政治的な問題ではなく技術面の問題を主に検証するといった組織にするべきです。米国のFCC(連邦通信委員会)もモデルとしてはふさわしいです。PCCは5人の委員のうち3人以上は同じ政党から選出してはいけないという条件などがあるからです。公的機能でもあるので、政府はある程度関与しなければなりませんが、政府だけでなく、多様な社会的機関が参加する仕組みができればいい。日本は政府に規制権限が偏りすぎています。 - 秘密保護法は多くの国にありますが、日本の記者はどうやって対処すればいいでしょうか? 国家機密は深刻な問題です。リベラルな民主的国家であれば、安全保障や重要なインフラに関する機密情報へのアクセスに問題はつきものです。どの政府も当然、国家機密を保護する一方で、法律で秘密指定を明確にしなければなりません。しかし、日本の法律は、その区別をはっきりしていないことが問題です。もう一点は米国も同じですが、国家機密を漏洩すると厳しい罰則が科せられること。罰則が、すでにジャーナリストを萎縮させています。記者が秘密保護法に抵触したら、仕事を失う危険性もあります。日本の特定秘密保護法では、報道・取材の自由に十分に配慮すると記されているが、この書き方では、私がジャーナリスト側の弁護士だとしたら、特定の情報収集には関わらないようにアドバイスするでしょうね。ジャーナリストが保護される範囲が必ずしも明確ではないですから。政府の独断で秘密の定義が変わるのではなく、市民の情報アクセス権を侵害しない第三者機関を監視機関とする必要があります。 - 日本には国会・官庁などで取材活動する大手メディア各社の記者が親睦、または共同会見などの取材に便利なように組織した「記者クラブ」という任意組織があります。その制度にも問題があると報告書にありますが、米ホワイトハウスにも記者クラブに似た報道協会があります。 ホワイトハウスにも報道協会はありますが、違いがあります。それは、ホワイトハウスの報道協会は日本の記者クラブ制度ほど閉鎖的ではないこと。限られた報道機関にだけしか情報提供しないというより、むしろ誰にでも情報提供することを前提にしています。記者には協会以外にも、政府関係者に通じる窓口が複数あります。米国の報道協会は、ジャーナリストを支援する情報アクセス権を提唱するためにあるので構造が大きく違います。一方、日本の制度は閣僚や大手メディア企業の既得権益のためにアクセス権を限定しています。ホワイトハウス報道協会では逆で、新しいメディアやフリーランスに対してオープンにすべきだと言っています。日本ではフリーランスや新しいメディアが記者クラブにアクセスするのは困難を極めます。ホワイトハウス報道協会のホームページでは、ある程度の透明性が担保されています。昨年だったか、もっとアクセス対象を広げるために、ホワイトハウス記者会見の運営の仕方を見直すべきだと要求したこともあります。◆記者の終身雇用問題は構造問題 - 日本のジャーナリストは連帯すべきだと訴えていますが、何が必要ですか? ジャーナリストによる機関で、ジャーナリストだけでなく、ジャーナリズムやアクセス権のための支援体制です。権利のために支え合い、仲間のために提言する仕組みが必要です。今は、ジャーナリスト間での仲間意識が感じられません。朝日新聞の例からもわかるように、政府から厳しく批判されたり間違えたりすると(ジャーナリストでも間違えることはあります)、他社から激しい攻撃に遭います。国によっては、ジャーナリストが一丸となって報道の仕方を見直したり、報道規制や抑圧に抗議する委員会があります。こうして連帯したら、政府は、放送法を盾に電波停止をちらつかせるようなことができなくなるでしょう。 - 安倍政権は民主主義国家なのになぜ、記者を抑圧したり報道の自由を侵害しようとするのでしょう。 どんな政治家でも政府でも、国民に向けてのメッセージは管理するものです。自分の政府に対して調査してほしいなんて言う政治家はいませんからね。その意味では、日本政府の態度は至極当然です。しかし、民主主義社会では、メディアは国民のための政府の監視役であるはずです。政府を懐疑的に見る必要があり、調査対象と捉えるべきです。メディアの仕事は市民に情報提供することですが、ときに政府の思惑と対立することもあります。だからこそジャーナリストには、政府規制や圧力に抵抗できるような法律や体制が必要なんです。日本のメディアの組織構造に問題があるので、市民の知る権利のために調査報道したり、職務を全うしたいと思っていても、うまく実現できないようです。 - その構造の問題とはどのようなものですか? 日本の記者の多くは、大手メディア企業の従業員として入社します。その会社で10年、調査報道をしてきた記者でもある日、営業、人事部に異動になることもあります。これが会社を優先するインセンティブなので、ジャーナリストの流動性はあまりありません。日本の記者は終身雇用制が基本で、ひとつの会社に非常に長く勤めます。欧米では記者が頻繁に転職します。会社とのつながりが強いというのも、ジャーナリストが自分の意見を発信しづらかったり、自分で判断しづらい大きな原因でしょう。大手メディアは給料が高いこともあわせて、必要以上に社内で波風を立てたくないという強いインセンティブにもなっているようです。その一方で日本は最近、ネットメディアが活気にあふれています。多くの人は大手メディアがタブー視し、報じない情報をネットで得ていると思います。<デービッド・ケイ> 米カリフォルニア大学アーバイン校教授で国際人権法や国際人道法が専門。国連の特別報告者は大学教授や弁護士ら専門家が任命され、北朝鮮やイラン、ミャンマーなど特定の国や、子どもの人身売買など特定のテーマをめぐる人権状況について調査にあたる2016年7月7日 週刊朝日臨時増刊号「朝日ジャーナル」 34ページ「日本のメディアは忖度せず、連帯して安倍政権と戦え」から引用 一連の記者の質問の中で最後から2番目の質問は、見方によってはかなり間抜けな質問にも見えます。「日本は民主主義の国なのだから、そういう国の政府が記者を抑圧したりするわけがないのに、どうして安倍政権は抑圧するのでしょうか?」などと、子どものようなことを言われれば、大の大人がイラッとするのは当然と思いますが、そこは国連特別報告者は冷静に大人の対応をしてくれて「いや、政治家というものはどんな国でもメッセージの管理はしたがるものなのであって、一般的には安倍政権だけがおかしいというわけではない」と説明しています。但し、特定秘密保護法のようにジャーナリストを処罰するような規定を置くのは行き過ぎであること、ジャーナリストが政府の圧力や規制をはねのけて戦えるような法律の整備が必要であることなど、今後の日本政治の課題が浮き彫りになっていると言えます。それにしても、政府を監視し批判するのが記者の仕事と言いながら、その新聞社のトップがたまに首相と酒を呑んだりメシを食ったりしていたのでは、その下の記者に政府批判の記事を書けと言っても中々難しいのではないでしょうか。やはり、社長たるもの、自社の記者が記事を書きやすいように行動を自重する必要があると思います。
2016年07月27日
昨日の日記に引用した記事について、ジャーナリストのむのたけじ氏は、15日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 6月18日付けの『朝日新聞に朝刊に許しがたい記事を見つけました。子どもは大人の従者とみて導くか、独立した権利の主体とみるか、このふたつの「こども」観の対立が各地で起こっているとのことです。大人の従者とみて導く考えは、「自分で稼いで食べているわけでもない子供に下手に『権利』なんて覚えさせちや駄目よ。ろくな大人にならないわ」と日本会議政策委員の百地章・日本人学教授か監修した冊子にある言葉に代表されるようです。 まず、それに対する反論のひとつは、従者として育てることを望む人たちは、結局国家に従う人を育てたいと思っているからだ。日本はかつて、子どもだけでなく、国民全体を従者としました。すなわち、昭和22年現行憲法が施行されるまでの大日本帝国憲法では、今国民と呼ばれている人を臣民と呼んでいました。臣民とは「けらい」、従者です。その結果どうなったか? 一部の人々の暴走をとめられず、皆さんご存じの通り、国民全体の生活をどん底にした無条件降伏を受け入れることになったのです。国家に従うだけの人間に育てることは国を破滅させることにつながります。その反省でいろいろな国民の権利が保障されたのではありませんか。 それでは、「権利」ばかりを主張することが悪いというなら、どう対処すればよいか。答えは簡単です。権利を主張するには義務も果たさなければならないことを一緒に教えることです。権利と義務は一対になっているのです。そのことを理解してはじめて一人前の人間になれるのではありませんか。 反論のふたつ目、子どもは従者とみる人には心を開いてくれないです。わたしが94歳の時、当時行なわれていたゆとり教育の御陰で、14歳の中学生と交わることができました。そのとき、子どもたちと私には80歳という隔たりがあるのに、なぜかそれを感じさせない付き合いになった。それで、あるときに私が「君たちは私をムノクンと同級生みたいに呼びそうだね」と言った。男の中学生が応答した。「ぼくは大人に心を開いたことはない。むのさんに会って初めてのことを経験した。親は、自分は親でお前は子どもだと言った。先生は、私は教師でお前は生徒だと言う。近所の大人は、おれたちは大人でお前らはガキだと言う。大人たちの声はいつも上から下へ斜めに走ってきた。むのさんに会ったら両方の声が同じ高さで行き交う。だから安心して自分をさらけ出してものを言っているのです」と。相手と本気で付き合いたいなら、おなじ目線が必要です。子どもは一人の人格を持った独立した人間とみて付き合い、導くべきです。 この幼い子の問題は、この連載の6回目でも述べましたが、90歳代半ばを越えてから考え始めたことです。そこで、幼い子もまた人類を構成する大事なひとつのかたまりで、それが人類の根幹であると結論した。 そして、生死を考えなければならない状態を経験して「いのち」をいっそう深めて考えたとき、幼い「いのち」を壊すことは、人類のすべてを壊すことになるとの思いを強めています。だから、このことは、人類は生きものとしてやってはならないこと、やらせてはならないことのひとつだという思いをいっそう強めています。 人間の「いのち」は区別されないはずです。その重さ、軽さはないのです。その「いのち」のすべてが責任と誇りをもつことがたいせつです。誇りとは、人類が73億人いてもあなたはあなた一人しかいないのです。これほど貴重なものはないはずです。この誇りと、それに伴う責任を感ずることは、人間が生きる時に一番大切になることと思いを強めています。 7月10日には、その多くはまだ経済的に自立していない18歳19歳の若い人々がはじめて投票する参議院選挙が行なわれました。今や、経済的に自立あるなしにかかわらず、国のあり方を決めることに参加する時代なのです。2016年7月15日 「週刊金曜日」 1096号 56ページ「話の特集 - たいまつ・子どもは人類の根幹」から引用 むのたけじ氏は戦前は朝日新聞の従軍記者として活動し、敗戦時に責任をとって朝日を辞職したジャーナリストで、戦争責任については大変厳しく反省したジャーナリストの一人だと思います。それだけに、「子どもは黙って親の言いなりになればいいのだという発想は、国の言いなりになる国民を育てる」という洞察には鋭いものがあるように思います。
2016年07月26日
右翼団体「日本会議」と関係が深い日本大学教授・百地章氏が監修した漫画「女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」には、登場人物が「子どもに下手に権利なんて覚えさせちゃダメ」などと発言するシーンがあると、6月18日の朝日新聞が報道している; 「自分で稼いで食べているわけでもない子供に下手に『権利』なんて覚えさせちゃ駄目よ! ろくな大人にならないわ」 日本会議政策委員の百地章・日本大学教授が監修した冊子「女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」には、47歳の主婦が、こんなふうに叫ぶ場面がある。 大人の従者とみて導くか。独立した権利の主体とみるか――。二つの「こども」観の対立が各地で起こっている。 東京都日野市の元市議の渡辺眞(ただし)氏は2006年ごろ、日本会議の地方議員ネットワークで呼びかけ、自発的に「子供権利条例に反対する全国地方議員の会」を結成。地方議員50人以上が加わり、情報交換した。 渡辺氏が危機感をもったきっかけは、「子どもの権利」で著名な大学教授が、同市に講演に来たことだった。「子供にも当然権利があると思うが、子供権利条例がいう『ありのままの権利』や『意見を尊重される権利』などは、子供の未熟な欲望を拡大してしまう」と感じた。■「自然発生的」な反対運動 激しい反対運動で、権利条例が11年に頓挫した広島市。運動の中心になったのは、「『広島市子ども条例』制定に反対し子供を守る教師と保護者の会」だ。日本会議広島を連絡先の一つとしているが、PTA連合会のOB会や教員団体など20団体以上が名を連ね、署名活動などをした。この会の代表は、元全国高校PTA連合会長で、一般財団法人「日本教育再生機構」理事の女性だ。 日本教育再生機構の理事長八木秀次氏は当時、「危ない!『子どもの権利条例』」と題した冊子やDVDを作成。反対運動の参考資料になった。だが、憲法24条の改正なども訴え、日本会議の主張と近い八木氏も、「日本会議の役員ではなく、講演や原稿の執筆を依頼している」(日本会議)だけだという。 広島市では、権利条例を推進する集会に参加して危機感をもった数人が、喫茶店などで集まったのを機に、議員への働きかけを始め、反対する会の結成につながった。会の代表だった元全国高校PTA連合会長の女性はこう振り返る。「日本会議が中心になったわけでもない。様々な立場の人たちが、自然発生的に集まってきた」 こうした反対運動について、日本会議は「地方議員の独自の動きに協力したことはあるかもしれないが、中央から指示したことはない。草の根の動きは把握しきれない」とする。■「子供」か「こども」か こんな動きもある。 13年6月、文部科学省と文化庁は、「子供」と「子ども」が混在していた公文書の表記を、「子供」にするよう周知徹底した。 この前月、日本会議国会議員懇談会副会長の下村博文・前文科相に、「子ども」を「子供」か「こども」に統一するよう求める要望書が手渡された。朝日新聞が情報公開請求で入手した要望書には、漢字と仮名の交ぜ書きは「国語破壊」「文化破壊」につながる――とある。 要望書を出した団体名や個人名は非開示だった。 文化庁国語課によると、申し入れ後、ルールを調べるように下村氏から指示があり、「子供」が原則だとして周知したという。下村氏は取材に応じなかった。 「子供」は「供」の語例として常用漢字表に載っているが、国語課は「『子供』の『供』には従者の意味があるという教育評論家の説が広がり、『子ども』が使われるようになっていたのではないか」という。 3月には、日本会議国会議員懇談会の衆院議員が、国会で教科書の中の交ぜ書きについて質問し、子どもの「ども」の根拠について尋ねていた。 一連の動きについて日本会議は、「まったく関与していない」としている。 日本会議の考え方に近い人たちが緩やかに連携し、各地で多様な運動を広げている。2016年6月18日 朝日新聞デジタル 「『子どもの権利』拡大認めず 日本会議から広がる運動」から引用 日本政府が国際社会に促されてようやく「子どもの権利」条約を批准したというのに、現場の親や教員が「子どもに権利を教えるな」と言うなど、あきれ果てた民度というものではないでしょうか。子どもの権利を認めると「子どもの未熟な欲望を拡大する」というのは、そう思っている大人の「教育観」が未熟なのであって、こういう「未熟な大人」にどう自覚を促すか、政府の新たな課題と言えそうです。
2016年07月25日
子安宣邦著『「大正」を読み直す』(藤原書店・3240円)について、ルポライターの鎌田慧氏が、6月12日の東京新聞に次のように書評を書いている; 大正デモクラシーといえば、評者などは、字義通りに、大正元(1912)年、大逆事件直後の大杉栄、荒畑寒村が創刊した「近代思想」を想(おも)い起こす。この雑誌は、いち早く文化運動から大衆運動の再構築を図り、言論弾圧をかいくぐっていた。 もちろん、その前後の足尾銅山暴動、米騒動、八幡製鉄所大罷業などの大衆運動の勃興が背景にあったのだが、本書が明治38(1905)年の最初の民衆騒擾(そうじょう)「日比谷焼き打ち事件」から書き起こされているのは、「マルチチュード」(協同的な多種多様な層)を評価しているからだ。大正期に活躍した6人の思想家や運動家を扱い、現在に残る痕跡が考察されている。 幸徳秋水を巻き込んだ大逆事件は国家権力による「直接行動論」とその提唱者の肉体抹殺であるばかりでなく、「正当性」を主張する日本の社会主義者による思想的抹殺でもあると言う。 「<民の力>を本質的に排除した<議会制民主主義>への道は、すでに『大正デモクラシ一』そのものが辿(たど)っていった道ではなかったのか」というのが著者のモチーフであり、戦前から戦後まで続く「昭和全体主義」を生みだした「大正」の検証作業である。 この極めて論争的な本でもっとも力がはいっているのが、津田左右吉の『神代史の研究』の分析である。この時代に古事記と日本書紀によって構築された「神代史」を、完全な虚構と断じて解体し、ナショナリズムの根を断った。和辻哲郎の『日本古代文化』は、その偶像をまたもや再興させようとした営みである、と指摘する。 大川周明の資本主義の危機を精神的統一による「アジア的原理」で革新しようとする思想は、満州国高官・岸信介に受けつがれ、「アジアの盟主」たらんとする欲望となって破綻する。 立論のあら筋を紹介すると、論証の丁寧さの魅力が削(そ)がれるが、大正から現在に至るまで秘(ひそ)かに連結するナショナリズム復活の根拠が示されている。(評者鎌田慧=ルポライター) こやす・のぶくに 1933年生まれ。思想史家。著書『日本近代思想批判』など。2016年6月12日 東京新聞朝刊 9ページ「ナショナリズム復活の根」から引用 津田左右吉という学者は勇気のある人で、万世一系の天皇が統治すると定められた明治憲法の下、歴史学の立場から「古事記や日本書紀に書かれた神話は作り話であり、天皇が天照大神の子孫であるというのはウソだ」という内容の本を出版して、不敬罪で起訴され禁固3ヶ月・執行猶予2年の判決を受けた。大正デモクラシーといっても、政府は国民に天皇は神様だと言いふらし皇居遙拝などをさせていた時代だから、津田の主張は「公の秩序に反する」と政府が主張し、学問の自由は認められなかった。自民党の改憲草案にはまたしても、「公の秩序に反する」場合は国民の権利は制限できるという内容の文言が書かれていることは重大な問題であり、「公の秩序」と「公共の福祉」は同じ意味だなどというデタラメを看過すべきではない。
2016年07月24日
岩波新書「憲法と政治」を書いた学習院大学教授の青井末帆氏は、6月19日の「しんぶん赤旗」インタビューに応えて、次のように述べている; 憲法は権力を縛るものという立憲主義を踏みにじる安保法制(戦争法)。これに反対する論陣を張ってきた憲法学者の一人、青井末帆・学習院大学教授が『憲法と政治』を出しました。法律や政府解釈が憲法の枠を超えようとしている事態を列挙し、安保法制廃止が待ったなしの課題であると説きます。<神田晴雄記者> 「限界に達しているということをあえて白日のもとにさらして、直視しなくてはいけないと問題提起をしました」 平和主義を貫くために日本国憲法が政治を縛ってきたタガが、あちこちで外されようとしている現実を、本書は第三章「限界に達している」で警告します。-たとえばPKO(国連平和維持活動)。 「PKOというと日本では中立でいいことをしているというイメージが強いと思いますが、この間に変わってしまっていることを十分に知ることが大切です」 昨年の戦争法強行で「改正」されたPKO法により、難民保護のため反政府武装勢力との戦闘も法律上可能とされました。 「任務を最大限に付与された場合、国際法上は紛争の一方の当事者になるということです。内戦の片方に加担することにほかなりません」 安倍内閣が参院選挙をにらんで今は様子見状態の、南スーダンへの自衛隊派遣がその現実的危険としてあげられます。-たとえば共産党の小池晃書記局長(参院議員)が国会で暴露した統合幕僚監部の内部資料(昨年8月)。戦争法案成立を前提に、すでに昨年5月の時点で部隊の編成計画までつくっていることが明らかになりました。 「小池議員が『軍部の独走だ』と批判したのは当然です。そもそも安保法制は、自衛隊と米軍の一体的な協力の在り方と役割分担の大枠を示した昨年の日米新ガイドラインを実現するものです。その安保法制を前提にした動きを自衛隊がしていたわけです。これはもう、アメリカの欲していることを、自分たちもアメリカの戦略の一部であるかのように、それを履行するのが当然だという感覚としかいいようがありません」 「日本において安全保障政策は単なる政策の問題ではなく、憲法問題と不可分です。憲法と違う回路で決まったことが内閣、国会という国内秩序の中に入ってきて、法律という形で決まる。こんなことが繰り返されてきました。恐ろしいことです」-戦争法を廃止すれば「限界」状態は元に戻すことができると断言します。 「まず元に戻して憲法のほころびを直していかなくてはいけない」◆共産党に真剣さ-そのためにさしせまった参議院選挙で、「安保法制=戦争法を廃止し、立憲主義を取り戻す」という国民的大義で結束する野党共闘に期待しています。 「野党共闘はもっと難しいと思っていました。共産党の大幅譲歩が可能にした部分が大きいですね。あそこまで本気とは思いませんでした。本当に真剣なんだと、伝わりました」 「憲法学との出会いは、故奥平康弘教授の講義がきっかけです。表現の自由って何だろうと考えさせられました。『どうなんですかね』『面白いね』って、面白がる方でした」-本書は大学が春休み中の短期間に書き上げました。 「これまで文民統制とかいろいろ論文を書いてきましたから。でも意法学者が忙しいのはまともな時代じゃないといわれます(笑)」あおい・みほ=1973年生まれ。国際基督教大学卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。専門は憲法学。立憲デモクラシーの会呼びかけ人。著書に『国家安全保障基本法批判』『憲法を守るのは誰が』など2016年6月19日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「憲法と違う回路で進む恐ろしさ」から引用 「憲法と違う回路で決まったことが内閣、国会という国内秩序の中に入ってきて、法律という形」になるとは、要するに「米軍の要求」という意味です。憲法の規定では許されないことでも、米軍の要求であれば実行する日本政府の姿勢は大いに疑問です。東西冷戦が厳しかった70年前であれば、いきなり一切の軍備を否定されて、安全保障上に不安があるという考え方もあったかも知れませんが、しかし、実際の所この70年間、わが国の安全保障を全うするために米軍や自衛隊の武力を必要としたケースは只の一度もなかったのですから、今後はこれまでの平和外交路線に一層の自信をもって、米軍基地の撤退と自衛隊の装備縮小の方向に舵を切るべきです。そのようにして初めて、日本は国家としての主権を取り戻すことができると思います。
2016年07月23日
参議院選挙直前にイギリスがEU離脱を決めたために、経済が混乱し日本も円高・株安の激震に見舞われました。これを、安倍政権は天災地変であって政権には責任が無いかのように「こういう時こそ政治の安定が重要」などと言ってましたが、もし安倍政権が堅実な経済政策を実施していれば、少々の国際情勢の変化でここまで大きな衝撃を受けることもなかったのであって、このような影響が出たのはアベノミクスのせいであり安倍政権の責任であると、3日の「しんぶん赤旗」コラムが論評している; 英国のEU離脱は、世界に衝撃を与えました。「円安・株高頼み」の安倍政権・与党は「こういう時こそ政治の安定が重要。民進覚や共産党に勝たせるわけにはいかない」(安倍晋三首相)と、市場混乱の責任回避に躍起です。 自民党は、リーマンショック(2008年)の時、震源地の米国以上に株価暴落で混乱した教訓から何も学んでいません。今回も「円急騰、株大暴落」に慌てふためいています。 共産覚の志位相夫委員長が指摘するように、「これはアベノミクスが日本経済を大変もろくしてしまった結果」です。「金融頼み・投機マネー頼みの経済政策から、内需主導、家計を応援する経済政策に転換してこそ、本当の意味で強い経済をつくれるのです」。(6月26日名古屋・京都での訴え) 英EU離脱の意味をしっかり押さえておくことが大事です。「グローバリズムかナショナリズムか」(「日経」25日付)のような二項対立の視点では単純すぎます。同じ「日経」でも説得力あるのは、英フィナンシャル・タイムズ「FT」のフィリップ・スティーブンズ氏によるコラム「瀬戸際の自由民主主義」(26日付)です。 そこでは、「この10年ほどの間、グローバル化の進展によってもたらされた果実はひどく偏った形で分配される一方、大企業の間では租税回避の動きが広まった」と指摘しています。特に世界的な金融危機以降、「富の配分を巡る不公平感は増幅された」と。 「納税者のお金で大手金融機関を救済したため、各国政府は市場が抱えていた問題を政治の場に持ち込んでしまった」といい、こう結びます。「もし今、危機に直画している自由民主主義を救いたいのなら、資本主義を改革しなければならない」 報道の役割は、世界のできごとを相互連関の中でとらえ、本質を見極めること。今のような時こそ真価を発揮したいものです。(あぺ・ひろし=新聞ジャーナリスト)2016年7月3日 「しんぶん赤旗」 35ページ「メディアをよむ-単純すぎるEU離脱報道」から引用 イギリス国民がEU離脱を選択したのはグローバル化の進展によって富の配分を巡る不公平感が増幅されたことが原因であるという説明は、理路整然としており説得力があります。また、EUがこういう問題を克服するためには、資本主義の改革が必要だという指摘も、日頃から日本共産党が主張する「経済活動の民主的規制」と共通しており、普遍性をもつ考え方であることが分かります。
2016年07月22日
沖縄に駐留する米海兵隊が新兵にどのような教育を施しているのか、資料を入手して公表したジャーナリストのジョン・ミッチェル氏は、6月12日の「しんぶん赤旗」で、沖縄を差別する米軍と日本政府を痛烈に批判している; 米軍関係者による事件、事故が後を絶たない沖縄。在沖米海兵隊が県民蔑視の新兵研修をしていることが大きな問題になっています。情報公開請求でこの研修資料を入手した英国人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェルさん(41)に聞きました。<坂口明記者> 私は1月中旬、沖縄の文化と歴史についての在沖米海兵隊の新兵研修資料を請求しました。これに対して在沖米軍は研修用スライド資料のほか、沖縄に関するクイズと簡単な日本語会話集を送ってきました。 研修資料は、沖縄にやってきた新兵や家族が海兵隊から受け取る唯一の公式情報です。新兵の多くは18~19歳で、沖縄は初めて訪れる外国です。だから、この研修の影響は極めて大きい。 在沖縄米軍トップのニコルソン4軍調整官(米海兵隊中将)が5月28日に記者会見しました。そこでも資料を否定しませんでした。このことは資料が今も義務的研修で使われていることを示していると思います。 資料には(1)重要情報を省略する(2)事実の重大性を過小評価する(3)まるっきりのウソ-などの問題点があります。 情報の省略では例えば、1950年代の「銃剣とブルドーザー」による米軍基地建設のための強制的な土地接収について説明していません。米軍犯罪や環境汚染など多くの重要情報を省略しています。 ウソは例えば「多くの県民にとって、軍用地料による収入が所得の唯一の源泉となっている」としていることです。よく「沖縄の経済のためにも基地は必要だ」といわれますが、実際には基地関連は沖縄経済全体の5%しか占めていません。 新兵にウソを教えるのは、自国民である隊員を裏切ることであり、本当に間違っています。 沖縄のような小さな島に32もの軍事施設があることは軍事的にも正当化できません。「すべての卵を同じカゴに入れるな」という英語のことわざがありますが、あまりに多くの基地が集中すると標的にされてしまいます。 道義的にも正当化できません。ほとんどの県民は辺野古新基地建設に反対です。日米両政府は沖縄の民主主義を破壊しています。米国が沖縄に暴力を持ち込んでいます。 資料にあるような沖縄県民に対する侮蔑的な態度は、「基地反対デモ参加者は外部から金をもらっている」などの一連の米高官の発言と共通しています。日本政府は、この資料を誰が書いたが調査すべきでしょう。 ジャーナリストは番犬です。ジャーナリズムの核心は、権力を握る人々による権力の乱用を暴露することです。だから沖縄で米軍が行っている犯罪を暴露することが大事だと考えています。 日本本土のジャーナリズムは沖縄の現実を知らせることができていません。その意味で沖縄での抑圧には本土のジャーナリズムも一定の責任があると思います。<ジョン・ミッチェル>1974年英ウェールズ生まれ。著書に『追跡・沖縄の枯れ葉剤』(高文研)2016年6月12日 「しんぶん赤旗」日曜版 33ページ「在沖米海兵隊 沖縄蔑視の新兵研修」から引用 この記事が興味深いのは、ミッチェル氏が「ウソである」と指摘している事柄が、実は当ブログコメンテーター諸氏のコメントにも、これまで度々散見された点です。やはり、私たちは何がウソで何が本当なのか、よく吟味する必要があります。また、日本政府は「基地反対デモ参加者は外部から金をもらっている」などというデタラメについては、正式な外交ルートを通じて米国政府に、こういうデタラメを書いたのは誰なのか調査を依頼するべきだと思います。
2016年07月21日
6月5日の東京新聞は、わが国憲法の特長と自民党改憲草案がこれをどのように改悪するものであるかという点について、次のように解説している;憲法第21条(1)集会、結社(けっしゃ)及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲(けんえつ)は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 日本国憲法が保障する多くの人権の中で特に根源的で、民主主義社会に不可欠な権利が、この条文で定める表現の自由です。 権力批判につながり得る表現の自由は、国家権力にとって目障りなものです。旧憲法は言論の自由を「法律ノ範囲内」という条件つきで認めていました。この結果、治安維持法などに基づいて反政府的な言論や反戦運動が取り締まられることになったのです。 このため現行憲法は、国家権力からの自由を強く意識し、表現の自由を無条件に認めました。新しい人権の一つ「知る権利」も、表現の自由に含まれるという解釈があります。 最近、国が表現の自由を軽視するかのような出来事が相次いでいます。 例えば2014年12月施行の特定秘密保護法。政府が指定した「特定秘密」を漏らした公務員や、その情報に迫った市民らを処罰できる法律で、「知る権利」を脅かす懸念があります。今年2月には、高市早苗総務相が、政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に電波停止を命じる可能性に言及しました。 4月にこうした現状を調査した国連の特別報告者は報道の独立性が重大な脅威に直面しているなどと警告しています。 自民党の改憲草案は「知る権利」を追加する半面、表現の自由に関し「公益及び公の秩序を害すること」を目的とした活動や結社は認めないとする規定を新設しました。草案のQ&Aは「内心の自由を社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然」と説明しています。 何が「公益及び公の秩序を害すること」にあたるのかは曖昧です。反戦や脱原発を訴えるデモが、規制の対象にされないとも限りません。国民を萎縮させ、権力を批判する表現が抑えられるようでは、健全な国とは言えません。 ◇◆自民草案では「公益」害す目的除外 自民党改憲草案の関連表記 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。◆安倍政権と表現の自由を巡る最近の主な出来事2014年11月◆自民党が、公正な衆院選報道を求める文書を在京テレビ各局に送付12月◆特定秘密保護法が施行2015年 4月◆自民党がNHKとテレビ朝旧幹部を呼び、番組内容について事情聴取 6月◆自民党若手議員の勉強会で「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などの発言が続出 12月◆国連の「表現の自由」担当デービッドケイ氏が日本で予定していた調査が、日本政府の要請で延期2016年 2月◆高市早苗総務相が国会答弁で、政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局への電波停止に言及 4月◆ケイ氏が暫定調査結果を公表し、報道の独立性が重大な脅威に直面していると警告2016年6月5日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「いま読む日本国憲法-権力批判の自由 保障」から引用 この記事が明確に述べているように、わが国憲法は国民の「表現の自由」については無条件に「自由である」ことを認めているのであって、我々国民が「表現の自由」を行使することによって政府が如何なる不利益を被ったとしても、政府はこれを権力をもって禁止したり弾圧してはならない。このように規定しているのが私たちの憲法です。唯一「表現の自由」が規制されるケースは、ある市民の「表現の自由」行使が他の市民の権利を侵害する場合であり、ヘイトスピーチなどはこのケースに相当するので法律によって規制する根拠となるものです。ところが、自民党の改憲草案は「表現の自由は認めるが、公の秩序を乱すことを目的とした『表現』は自由に発表することを認めない」という意味になっている。これは、うっかり読めば「それは当たり前だろう」と思いがちで、自民党の狙いもそこにあり、うっかりした市民を騙そうとしている。「表現の自由」を規制する条件は「公共の福祉」に限られるのであって、「公の秩序」だのその他の文言を条件にしてしまえば、それを口実に政府権力はいつでも「それは公の秩序に反する」と難癖をつけて、市民の「表現の自由」を抹殺することが可能になります。私たちの祖先は、戦前の憲法下でそういう体験をしたのであり、その反省に立って今日の憲法を、私たちの手に残しました。そのようにして残された宝物を、うっかり自民党の改憲草案に騙されて手放してしまうのは、我々の祖先の努力を「無」にしてしまう罪深い所業と言えます。したがって、自民党が提起する「改憲」の話には断固反対していくのが、私たちの正しい道というものです。
2016年07月20日
4日発売のマンガ週刊誌『ビッグコミックスピリッツ』に日本国憲法全文が付録でついていると、2日の「しんぶん赤旗」が報道している; 青年コミック誌『ビッグコミックスピリッツ』32号(4日発売、小学館)は、付録に憲法の全文のとじ込み冊子『日本国憲法』をつけます。同誌編集部では「憲法公布から70年の節目、参院選では憲法改正が争点の一つとして取り上げられており、日本を考えるきっかけとして憲法を読んでみてほしい」と話しています。 冊子はA5判全44ページ。憲法の条文とイラストを交互に掲載しており、イラストは同誌に連載漫画を描いている柏木ハルコ氏、吉田戦車氏ら13人が「日本の情景」をテーマに描き下ろしています。 坪内崇編集長は、「18歳選挙権が実施されることもあり、若い世代を中心に幅広く読者に読んでみてほしい。政治的な意図はない」と話しています。2016年7月2日 「しんぶん赤旗」 14ページ「青年コミック誌『スピリッツ』 付録に憲法全文」から引用 私は普段マンガを読まないので、そんな付録がついた週刊誌が発売になるなどつゆ知らず、古新聞の中にこの記事を見つけたのは参院選の後の11日で、すぐに近所のコンビニに行っても、既に次号発売となっており、小学館のバックナンバー係にメールを出したところ「他のバックナンバーは豊富にございますが、32号だけは完売でございますので、よろしくお願いします」という返事でした。多くのマンガファンの手元に日本国憲法全文が届いたのは、大変良かったと思います。
2016年07月19日
作家の姜信子氏は、玄武岩&パイチャゼ・スヴェトラナ著「サハリン残留」(高文研刊)への書評を、6月5日の東京新聞に次のように書いている; ときに人はみずからは動かずとも、不意に頭越しに動く国境線によって、望まぬ越境を生きることがある。勝手極まる国境線に翻弄(ほんろう)されながら生き抜こうとする者たちの中から、やがて、国境線を踏み越え、国家の枠を横断する生のありかたを形作る者が現れる。それは近代国民国家の落とし子であると同時に、近代国民国家をじわじわと揺さぶる存在でもある。本書が描き出しているのは、そんな人々の生きる姿。日本・韓国・ロシアにまたがる生活空間を、それぞれに選び取った形で生きる十の家族の物語である。 そもそものことの起こりは敗戦を境に植民地帝国日本が一気に収縮したこと。日本領樺太がロシア領サハリンへと変ずる過程で、多くの人々が日本の外へとはじきだされた。植民地もろとも放り出された朝鮮人はもちろんのこと、朝鮮人と結婚した日本人女性やその子たちも打ち捨てられた。国家はその手で辺境の不可視の領域に追いやった者こそを真っ先に捨てたのだ。その歴史的・社会的・政治的背景については本書の解説に詳しい。 国家とは本質的に民を守らない。弱き者声なき者ほど守られない。それを思い知った民が生き抜こうとすれば、生きるということ自体がおのずと越境にもなろう、国家への異議申し立てにもなろう。ひそやかにしたたかに生きる者たちの声、この一冊から溢(あふ)れいずる。聴くべし。(評者:姜信子=作家)<著者紹介>ヒョン・ムアン 北海道大准教授。Paichadze Svetlana 北海道大研究員。2016年6月5日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-強く生きる人々の声」から引用 「国家とは本質的に民を守らない」という言葉は、正鵠を射ていると言えます。サハリンに限らず、敗戦時の満州(現在の中国東北部)でも、沖縄でも国家は国民を守ることを放棄した事実を、私たちは忘れてはなりません。国には、そういう後ろめたさがあるから、今さらのように「愛国心教育」だのと言うのではないでしょうか。慰安婦問題と同様に、中国に置き去りにした人々やサハリンに置き去りにされた人々への救済措置などは未解決のままになっており、戦後70年を過ぎてもなお日本政府の戦争責任は果たされたとは言いがたい状況です。
2016年07月18日
日本テレビの南京大虐殺を描いたドキュメンタリー番組が、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を獲得したことについて、2日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 放送界に政権への「何度(そんたく)」の空気が伝わるなか、困難なテーマに果敢に挑んだドキュメンタリー番組の数々があります。歴史や戦争、差別・・・。制作スタッフが番組に込めた熱い思いに迫るシリーズ「放送の現場から」を始めます。第1回は日本テレビ「NNNドキュメント’15 シリーズ戦後70年『南京事件兵士たちの遺言』」です。 「南京事件」。1937年12月、日本軍が中国・南京攻略戦と占領時に、中国軍民に対して行った虐殺事件です。右派勢力が「虐殺はなかった」「中国のデマ」と激しく攻撃する題材を、日本テレビが「戦後70年シリ-ズ」の一つとして放送したのは、昨年10月4日でした。 「視聴者からどんな意見が来るのか、正直構えていました」と清水潔チーフディレクター(58)。しかし、続々と寄せられた感想は、「今こそ必要なすばらしい番組」(57歳男性)、「制作者の方の意気込みと気迫が伝わってきて目が離せませんでした」(47歳女性)・・・。9割以上が肯定的だったと言います。 ● ● 各局が戦後70年の企画に取り組む中、清水さんが「南京」をあえて選んだのは、「日本は”被害”の面だけを訴えていていいのか」という思いでした。「自虐史観だと言う人もいますが、近隣諸国への加害者的な部分を描かなければ、放送の公共性や公平性は保てない。南京事件を調査報道の手法で放送しようとスタートしました」 清水さんは、入念な下調べを重ねました。南京事件関連の書籍を「家の床が沈むほど」買い込み、自費で南京へ事前取材。「『虐殺はなかった』というのは無理」だとの結論に達します。では、どれぐらいの規模だったのか、計画性はあったのか-。福島県の歴史研究家・小野撃一氏が収集した31冊の『陣中日記』に注目します。 「捕虜セシ支那兵ノ一部五千名ヲ・・・機関銃ヲモッテ射殺ス」。日記には、射殺後に銃剣で刺し、石油で焼いて揚子江(長江)に流した模様が生々しくつづられています。捕虜を川沿いに半円に囲んで射殺した場面が措かれたスケッチは、CGを使って再現しました。 「77年前の事件を証明するのは困難ですが、一つでも間違うと、『なかった』ことにされてしまう」と清水さん。31冊の記述に矛盾はないかを全部すり合わせ、部隊の行動なども現地取材を含め裏付けを徹底しました。「僕ら報道の人間は、事実は何かを懸命に探すのが仕事。100取材したとして放送できたのは1ぐらいでしょうか」 ● ● 番組は「日本人は多くの命を奪ったという一面も忘れてはなりません」というナレーションで終わります。清水さんらスタッフが、視聴者に一番問いかけたい言葉でもありました。「もし、広島の平和記念資料館でアメリカ人が『原爆投下はなかった』と言ったら、私たちはどう思うでしょうか。歴史の事実を踏まえたうえで未来を考える、それこそが国益だし、この国を守ることだと僕は思います」(佐藤研二)(随時掲載)▲南京事件にかかわった兵士が記した『陣中日記』を緻密に検証。1937年12月16、17の両日を中心に、虐殺の実態を明らかにします。第53回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、放送人グランプリ2016準グランプリはじめ、放送各賞を受賞。番組は動画配信サービス「Hulu(フールー)」で配信中。2016年7月2日 「しんぶん赤旗」 14ページ「放送の現場から-南京事件兵士たちの遺言」から引用 日本テレビといえば、読売新聞の系列で辛坊治郎がキャスターを勤めるような政府・自民党をヨイショする番組ばかり放送していると思ったら、中にはこういう骨のある番組を作るスタッフもいたとは驚きです。他の雑誌の取材に対し、政策スタッフは「忖度のソの字もないような番組を作りたいと常日頃考えていた」と、なかなか頼もしい発言をしてます。戦争といえば、広島・長崎の原爆のことばかりでは、まるで日本は単なる被害者であるかのような論調になるから、加害の事実もしっかり国民として認識しなければなりません。そういうことを国民に訴えて初めて放送の公共性や公平性を保つことができるという発言は大変重要です。私が思うに、安倍首相や高市大臣、日本会議の諸君にしてみれば、これは明らかな「偏向番組だ」ということになるのではないか、その辺に大変興味を感じます。
2016年07月17日
法政大学教授の山口二郎氏は、市民の政治力について、6月12日の東京新聞コラムに次のように書いている; 参議院選挙の投票日まで、1カ月を切った。 世論調査では内閣支持率、自民党支持率はともに安定しており、民進党はいたって不人気である。野党は大都市の複数区や此例区で苦戦することが予想されており、改憲勢力で3分の2を超えるという事態も起こりうる。 この苦境を乗り越えるためにも、最近の日本社会における市民の力の高まりを確認したい。一人区の野党統一の実現は、安保法制成立後も多くの市民が憲法の擁護と野党の協力を訴え続けたおかげである。 今までの日本政治では、有権者は政党が示したメニューのなかから候補者を選ぶだけの受け身の存在であった。しかし、今回は自らメニューを作ることに加わった。これは画期的な出来事である。 また、先の国会でヘイトスピーチ規制法が成立し、川崎市で計画された差別主義者のデモが中止に追い込まれた。この時、多くの市民が現場に集まり、道路にシットインを行った。警察は市民を規制するのではなく、差別主義者にデモの中止を求めた。市民の圧力が警察の対応を変えた。 もちろん、この参院選で改憲の動きと戦うことは急務である。ただし、私たちは日本における市民の力の高まりについて、楽観と自信を持つことができる。 必ず最後に市民は勝つ。(法政大教授)2016年6月12日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-市民の力」から引用 参議院の一人区における野党の共闘は、共産党と組むことで民進党の保守票が逃げるとか野合だとか、いろいろ否定的なことを言われながらも、告示までに全一人区で共闘態勢を実現したのは成果であった。この共闘がなければ32議席のうち30は自民党が楽勝できるはずであったが、11議席を野党で占めることに成功した価値は大きい。また、川崎市では警察が一旦許可したデモを直前になって、警察が説得して中止させている。これは明らかに市民の政治力が警察を動かした事例である。同じ日にデモが実施された渋谷区でも、今後カウンターの人数が増えれば警視庁も神奈川県警と同じ対応をせざるを得ないと考えられる。市民の力は、まだまだ自民党の組織力に比べて非力ではあるが、これを着実に育てていくのが我々市民の課題である。
2016年07月16日
作家の赤川次郎氏は、「言葉」を軽んじる安倍政権を次のように批判している; 湯水のごとく税金を投入してサミットの宴(うたげ)は終わった。 たった2日間しか使わなかった海外メディアのための国際メディアセンターに30億円もの費用がかけられ、しかも後に何の利用もせず取り壊すというので話題になっているが、動員された警察官の数も半端ではない。東京都内もいたる所に警官が立っていて、その光景は不気味だった。警官ってこんなにいたのか、と驚いた。まさかパートを雇ったわけじゃないだろうが。その人件費まで含めたら、いったいどれだけのお金をかけたのか、気が遠くなる。 しかも、結局のところサミットは安倍首相の消費増税延期の口実と、オバマ大統領の広島訪問に並び立つパフォーマンスに利用されただけだ。その実態は海外メディアに見透かされ、批判されている(5月31日「こちら特報部」)。各国の首脳を集めておいて、国内での人気取りに利用するのがグローバル化なのか? 相変らず日本のジャーナリズムの反応は鈍い。「報道の自由ランキング」で70何位だかまで下ったというニュースに、あるテレビキャスターが文句をつけた。「政権を批判しただけで投獄される国が日本より上に来ている」というのだ。しかしまさに、批判しても投獄も暗殺もされないのに、批判できない、その姿勢こそがランキングを下げているのだ。 6月2日夕刊1面では、オバマ大統領が広島での演説原稿に直前まで手を入れていたと報じていた。言葉の内容はともかく、欧米の政治家はいかに「言葉」が自分たちの死命を制するか、よく知っている。たった一つの失言で政治生命を絶たれることもある。 このコラムの第一回で、私は安倍政権ほど「言葉」を軽んじた政権はない、と書いた。最後になる今回も、また同じ文章で終わらなければならない。福島第一原発の状況を「コントロールされている」と広言した安倍首相は、消費増税の延期を「アべノミクスの失敗」とは認めず「新しい判断」と表現した。これが通じるなら政治家の辞書に「約束」の文字はないことになる。 沖縄で若い女性が殺された事件を、サミット直前の「最悪のタイミング」だと言った政治家も辞職に値するが、翁長知事が求めたオバマ大統領との面談を冷たくはねつけた安倍首相も同類だ。 若い世代に言っておきたい。未来は変えられるのだ。原発事故の放射能で、生まれた土地に住めなくなるなんていやだ! 戦争に行かされて、人を殺すのも殺されるのもいやだ! 体をこわすほど働いても普通の生活ができないなんていやだ! 既得権にあぐらをかいている大人たちへ「NO!」を突きつけてあわてさせる。痛快じゃないか。さあ始めよう。(作家)2016年6月12日 東京新聞朝刊 5ページ「新聞を読んで-未来は変えられる」から引用 この記事は参議院選挙の一ヶ月前に書かれたもので、現政権を倒して政治に変革を求ようという勢力を勇気づけるために書かれたと解釈することも出来るが、選挙の結果は筆者の希望したようにはならなかった。しかし、ここに述べられた「政権批判」の一つ一つは正鵠を射たものであるから、次の選挙でも政権批判に有効である。今回の選挙から18歳と19歳の人々にも選挙権が与えられ「どれくらいの人数が投票所に来るか、予測は難しい」などと、さも新たに選挙権を手にした若者が大挙して投票に来るかのような発言をする人もいたが、ふたを開けてみれば、若年層の投票率が他の層よりも飛び抜けて高いなどということはなく、甚だ拍子抜けであった。「18歳からの参政権」政策を推進してきた人たちは、この事実をどう受け止めているのか、興味深い。
2016年07月15日
エッセイストの酒井順子氏は、6月12日の東京新聞読書欄に、「ヤンキー」にまつわる本を3冊紹介している; 「だいたいの 事件はイオンで 起きている」 「地区行事 一枚噛(か)んだら 逃げられない」 「家建てる 前に噂(うわさ)が 流れてる」・・・等々、日本の田舎のそこはかとない可笑(おか)しみと怖さがぎゅっと詰まっている(1)TV Bros.編集部編『イナカ川柳-農作業しなくてよいはウソだった』(文芸春秋1296円)。高齢化、同調圧力の強さ、国道沿いの大規模店舗群・・・といった、「地方創生」的観点からは見えてこないリアリティーが迫ってきます。そして、 「マイルドじゃ なくてただただ どヤンキー」 という川柳が伝えるのは、ヤンキーのリアル。マイルドでないヤンキーも、いる所にはいるのです。 マイルドヤンキーとは、(2)原田曜平『ヤンキー経済』(幻冬舎新書・842円)に詳しい概念。不良性はそれほどではないけれど、地元意識等の保守的傾向が強い若者層を示します。上昇意欲は低め、仲間や家族が大好き・・・といった感じでしょうか。どヤンキーのように大人に抵抗することなく、おとなしくイオンにたむろするという彼らの消費行動を、本書は解きます。 元々は「北部アメリカ人」を示す言葉である「ヤンキー」、日本ではなぜか、昔で言う「ツッパリ」を表す言葉として定着しました。が、今のアメリカでは、日本語で言うところの「ヤンキー」的性質の人がおおいに目立っていて、それがドナルド・トランプ氏です。 (3)町山智浩『トランプがローリングストーンズでやってきた』(文芸春秋・1080円)は、アメリカ在住の著者が、アメリカのさまざまな珍現象、珍人物のことを紹介する書。アメリカの振れ幅の広さを痛感するとともに、アメリカが日本の先行指標だとするならば、「日本もいずれこうなるのか?」と、不穏な気持ちに。 ここではトランプ氏の過激な言動も取り上げられていますが、そんな彼の姿を「ヤンキー」と思って見ると、説明がつく気が。その変わった髪形も、衣服の末端など一部を極端に肥大させることを好むヤンキーのそれと共通していますし、排他的な地元第一主義、極端な言動を好むところも、ヤンキー的ではありませんか。 してみると日本語の「ヤンキー」が示す意味も、実はそう的外れではなかったのかもしれません。「ヤンキー」が大統領になることが現実味を増しているアメリカという国が、世界の中心なのだか世界のイナカなのだか、わからなくなってきました。酒井順子(さかい・じゆんこ) エッセイスト。最近、地元密着型になってきた。・・・ヤンキ-化?2016年6月12日 東京新聞朝刊 8ページ「3冊の本-ヤンキーは、どこにでも」から引用 元々は「北部アメリカ人」を示す言葉であった「ヤンキー」が、なぜか日本では「ツッパリ」を表す言葉として定着し、地元意識と保守的傾向が強い若者を指す言葉となり、現在ではアメリカの大統領候補にも同じ性格を見いだすことが出来るという、中々面白い記事です。
2016年07月14日
政府に批判的な発言をしたテレビのキャスターが次々の番組を降板したこの春、はたして何が問題なのか、元放送記者の藤田文知氏は、5月29日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いている; 憲法記念日、東京の改憲反対の集会には5万人、改憲賛成の集会には1100人(いずれも主催者発表)が参加しました。規模にこれだけ差があるのに、どのテレビも2つの集会をほぼ同じ秒数で放送しました。 2日夜の「クローズアップ現代+」(NHK)は、護憲、改憲双方の動きを紹介した密着ルポ「わたしたちと憲法」を放送しましたが、ここでもどちらからも文句をつけられないように中身はバランスをとっていました。 一方、在京の新聞(3日付社説)で、護憲色が強かったのは、「朝日」「毎日」「東京」。改憲を主張したのは、「読売」「日経」「産経」でした。全国のブロック・地方紙の社説は、ほとんどの新聞が改憲に批判的でした。しかし、テレビでは、護憲、改憲のどちらかに比重を置いた放送は見当たりませんでした。 安倍政権になってから政府与党は、テレビ局に対して圧力をかけているのではないかといわれてきました。「朝日」は、4月20日付から同29日付で、テレビ局のキャスター7人のインタビュー記事を掲載。NHKの河野憲治さんも日本テレビの村尾信尚さんも「ニユース現場で権力からの圧力など感じたことは一切ない」と答えています。3月末で辞めたテレビ朝日の古館伊知郎さんも「直接、政府与党から圧力を受けたことはない」と。 どうもよくわかりません。疑問に答えてくれたのは、BS朝日(7日放送)で日本のメディアを語った「ニューヨーク・タイムズ」東京特派員ジョナサン・ソープルさんでした。ソープルさんは「日本のメディアの特性は『空気』だ。日本の権力者が作った『空気』はどこの国よりも強い。ただし、この『空気』はジャーナリストにとって非常に良くない」と分析しました。要するにテレビ局は権力側から直接言われなくても、この「空気」を感じることによって、時に過度に忖度(そんたく)するという意味なのです。(ふじた・ふみとも元放送記者)2016年5月29日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-権力者が作った『空気』」から引用 この記事は「しんぶん赤旗」に掲載されたにしては、少なからずピントがズレた文章になっているような印象を受けます。少なくとも日本は、秘密警察が暗躍するわけではありませんから、いくら政府批判をしたからといっても、キャスター個人に政府から直接圧力がかかるなどということは、あり得ないでしょう。番組を降りるにしても、キャスター個人がテレビ局に「辞表」を出したという事例はありませんから、キャスター交代はテレビ局が組織として決定したわけで、テレビ局にどのような圧力があったのかという検証が必要です。そして、テレビ局も実際に政府の圧力はないと言ってるのですから、直接の圧力は無かったと、外形上は言えるわけです。しかし、当事者の証言だけで「事足りる」と話を終わるわけには行きません。報道されている事実として、総選挙の前に自民党幹部がテレビ各局に「公正・公平な報道を」という文書を配って廻った、高市大臣が「(自分の判断で)偏向した放送を繰り返す場合は停波もあり得る」と発言した、このような事実が、ニューヨーク・タイムズの記者が指摘する「空気」を作り出したことは否定できません。このような「事実」を元に、政府・与党の言動の是非を検証する、そういう仕事を「しんぶん赤旗」に期待したいと思います。
2016年07月13日
戦時中に日本軍慰安婦にされた中国人女性の証言をまとめた映画の公開が始まった本年5月に、「しんぶん赤旗」は次のような紹介記事を掲載した; 中国で日本軍「慰安婦」の被害女性を撮り続けてきた映画監督の班忠義さんが『太陽がほしい-「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録』を出版しました。同名のドキュメンタリー映画のシナリオを中心にまとめたものです。被害女性に寄り添う思いとは-。<本吉頁希記者> 班さんが中国人「慰安婦」被害者の存在を初めて知ったのは1992年12月でした。きっかけは「日本の戦後補償に関する国際公聴会」(東京)に、中国山西省から参加していた万愛花さん(2013年死去)との出会いでした。 万さんは10代で日本軍に拉致され、ヤオトン(横穴式住居)に監禁されました。拷問と性暴力を繰り返し受け、背中や骨盤を骨折。体が変形し、身長が20センチほど縮む被害を受けました。戦後、絶望し、殺虫剤を飲んで自殺を図ったこともあります。 「私は日本軍のせいで家も何もかも失った。うらみを聞いてもらうため日本に来た」 万さんは公聴会でこう訴えた直後、失神し、演壇に倒れました。 班さんはこの光景に「圧迫された女性の姿」を見た思いでした。当時、日本に留学していた班さんは、万さんと出会った衝撃が忘れられませんでした。95年8月、真相を調べるため山西省の省都・太原に住む万さんに会いに行きました。 それから約20年間、斑さんは毎年のように万さんや他の被害女性を訪ね、聞き取り調査や医療費支援などをしてきました。その数80余人に上ります。 映画「太陽がほしい」には7人の被害女性が登場します。班さんは「多くの女性が恐怖の情景と被害の瞬間を鮮明に語る一方、時期や場所など客観的な情報は不鮮明だった」と振り返ります。 劉面換さん(12年死去)は銃床で左肩を強打され、日本軍の拠点に運行されました。劉さんは当時についてこう証言しました。 「真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られた。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった」 班さんはいいます。 「『太陽がほしい』というタイトルには、苦しい監禁状態のなかで発した『太陽の光を浴びたい』という劉さんの心の叫びと、日本政府を相手に裁判をたたかった『正義を取り戻す光がほしい』という万さんの心情がある」◆正しい歴史認識 13年夏、斑さんが危篤の万さんを見舞うと、万さんはうっすらと目を聞け、班さんに消え入るような声で話しました。 「(日本政府は)罪を認め、頭を下げて賠償をするべきです。・・・何といっても真理がほしい」 被害者の願いは、日本が加害の事実を明確に認めることです。ところが13年、当時の橋下徹大阪市長が「慰安婦制度は必要」と暴言を吐きました。翌年には過去の「慰安婦」報道の一部を取り消した朝日新聞を攻撃し、歴史を偽造する動きが起きました。 「歴史を覆すことは新たな犯罪」と危惧した班さん。20年かけて撮りためた400時間に及ぶ証言を1本の映画にすることを決意し、製作支援を日本の市民に呼びかけました。映画は15年夏に完成し、現在800人近くが賛同。上映会は全国に広がっています。 映画で日本軍の元兵士も証言しています。登場する被害女性は全員亡く在りました。 班さんは「当時の話に触れるたび、手が震えるほどの恐怖に襲われるおばあさんもいた。多くが健康被害を訴えていた。映画を通して事実を明らかにし、若い人たちが正しい歴史認識をもつ手助けになれば」と話します。 ◇ 自主上映の問い合わせ=「ドキュメンタリー映画会・人間の手」電話080(9374)1294各地の上映予定▼5月15日=ニ松江市市民活動センター。監督トークあり。主催=アムネスティ・インターナショナル松江グループ▼20日=東京・牛込箪笥地域センター。監督トーク。主催=上映実行委員会▼21日ニ=つくばイノベーションプラザ。監督トーク。主催=実行番員会▼6月11日=北九州市生涯学習総合センター。監督トーク。主催=日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州▼9月10日=盛岡市プラザおでって。主催=岩手からアジアを考える会▼詳しくは human-hands.comはん・ちゅうぎ=ドキュメンタリー映画監督。1958年、中国・撫順市生まれ。『曽おばさんの海』(朝日新聞出版)で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賀受贅。監督作品に「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」「亡命」2016年5月15日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「中国人『慰安婦』の苦しみ撮り続け20年」から引用 この度の映画を作成した班忠義氏は、戦争が終わって13年後に生まれた人で、たまたま日本に留学中に、東京で慰安婦被害にあった女性が訴える姿を見て、証言を記録する映画を撮ることになったとのことで、92年と言えば韓国の金学順氏が実名で名乗り出た頃ですから、金氏の勇気ある行動がなかったら、慰安婦問題に関する一切の記憶がうやむやの内に消滅してしまったかも知れません。そういう意味では、金学順氏の功績は大きいと言えます。また、日本政府も河野談話で国際社会に約束したように、慰安婦問題のような人権問題を二度と繰り返すことのないように、教育を通じて過去の事実を子孫に継承する努力に取り組むべきです。この度の班忠義氏の映画も、教材の一つとして大変価値のある映画です。
2016年07月12日
文芸評論家で東京大学教授の沼野充義氏は、ロシア革命の10年前に没したチェーホフの研究家としても知られますが、5月15日の「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて次のように述べています; 文芸評論家で東京大学教授の沼野充義さんが『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』を出しました。ロシア、東欧文学研究の第一人者がいまなぜチェーホフを選んだのか。そして、現代日本をどうみているのか。<金子徹記者> ロシアの作家・チェーホフ(1860~1904)。「かもめ」「三人姉妹」「楼の園」などの戯曲や珠玉の短編小説が現代でも人気です。400ページ近い本書は、作家の人となりと作品の魅力、謎めいた思想に迫ります。◆真夜中にも灯 「ドストエフスキーに比べると、チェーホフは薄味です。チェーホフの魅力はおとなにならないと分からない。壮大なビジョンを示すドストエフスキーと比べ、チェーホフは、情熱がないとか無思想だといわれることもある。でも、よく読めば実は情熱もあるし思想もあるんです」 身長182センチ。41歳で女優と結婚するも、仕事の都合で離れて暮らし、愛の手紙を連打。生涯に書いた手紙の総数は6000通。短編小説を1年で100本書いたことも。若くして不治の病にかかりながら医者としても働いて・・・。 「異常な生産性ですね。写真のイメージから色恋とは無縁な人とみられがちですが、誤解です。実際はもてて色恋をよく分かっていた。勤勉でエネルギッシュな作家でした」 副題「七分の絶望と三分の希望」は、チェーホフ文学の立ち位置を暗示。 「現代の日本も世界もむちゃくちゃになりつつあり、まともな人なら絶望したくなる状況です。しかし、それでも”三分の希望”はきっとある。チェーホフは、晩年になるほどペシミスティック(悲観的)になりますが、100%ではない。暗い真夜中だけど、遠くに灯(ともしぴ)が早える、遠いけれど、ちゃんとある、そんな希望を描きました。難病にかかりながら、これだけのものを書き続けるのは、希望がなければできません」 ノンポリ(無思想)とみられがちですが。 「必ずしもそうではありません。政治的な発言を避ける生き方をしたので、ノンポリに早えますが、政治的意識は非常に高かった。ゴーリキー(社会主義者の作家)を擁護したり、社会的活動もいろいろしています。本心の見えにくい人ですが、社会に対する真剣な責任感は常にある。その言説全体が、良質なアイロニー(皮肉)を失った全体主義的な社会への解毒剤になっています」 スラブ文学研究者、翻訳家、教育者で、新聞では文芸時評も。 「浮気な人間なんで(笑い)、好きな作家はいろいろです。文学は、おもしろいものを好きなように読めばいい。ひとりの作家に集中していれば、もう少し立派な学者になれたかもしれませんが(笑い)。たとえるなら、ドストエフスキーは巨木で、チェーホフはキノコ。巨木は偉いが、好きなのはキノコです」◆「反知性主義」 昨年、文部科学省が国立大学に人文系学部の廃止・改組を要求。 「政界、財界の必要に応じた社会的要請のなかで、必要のない学問は切る。確かに私がチェーホフを研究したって財界は潤わない(笑い)。政界、財界に、うるさいことをいう人文系は、いらない? あからさまな反知性主義です」 安保法制に反対する学者の会などに名を連ねます。 「ロシアの言論統制はすごいですが、NHKを見ても分かるように、日本もひどい状態です。マスコミが自立性をもって、どれだけ権力を批判する自由が確保できるかが焦点です。知識人の役割も、権力者に批判的なスタンスをとることだと思います」ぬまの・みつよし=1954年東京生まれ。『屋根の上のバイリンガル』『徹夜の塊-亡命文学論』『徹夜の塊-ユートピア文学論』、訳書にスタニスワフ・レム『ソラリス』『新訳 チェーホフ短篇集』ほか多数2016年5月15日 「しんぶん赤旗」日曜版 11ページ「権力者への批判は知識人の役割」から引用 教育という最も知的な分野を担当する文部科学省が、国立大学に「君が代を歌え」とか「人文系学部は統廃合しろ」とか、10年前の文部科学大臣が聞いたらびっくりするような指示を次々と繰り出して「反知性主義」の最先端を暴走する姿は、まるでブラックジョークというものではないでしょうか。日本はいつからこういう変な国になってしまったのか、嘆かわしいかぎりです。
2016年07月11日
東京新聞の「本音のコラム」で人気を博している文芸評論家の斎藤美奈子氏は、5月15日の「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて、次のように発言してる; 文芸評論家の斎藤美奈子さんが『名作うしろ読み プレミアム』を出しました。時事的コラムも人気のマルチな書き手は、いまの社会をどうみているのか。<金子徹記者> 『名作うしろ読み プレミアム』は、新聞連載のコラムをまとめたもの。『鬼平犯科帳』から『ライ麦畑でつかまえて』まで、世界の名作137冊の結末の一文を引用し、名作の名作たるゆえんに後ろから迫ります。 「結末だけでなく、もちろん全部読みましたよ(笑い)。大事なところを読み落として結末を読み誤る可能性がありますから」 『白雪姫』などのおとぎばなしや『華氏451度』などのSFまで幅広い名作を紹介。 「最初は日本の近代文学を中心に始めた連載でした。1年で終わる予定が終わらずに、長引いていくうちネタ切れになる。そこで、時代小説や海外のものにまで広げました。テレビドラマになった作品の原作を改めて読むと、テレビではキャラクター設定を分かりやすいものに変えてあったとか、いろいろ発見がありました」 締めくくりは、マルクス、エングルス著『共産党宣言』。「最後はこれだ、と決めていました。『万国のプロレタリア団結せよ!』という文章は、世界一有名な結末でしょ」 大学時代は経済学部に在籍していました。 「『資本論』や初期のマルクスも読みました。『共産党宣言』は、理屈っぽくなく、アジビラのようで分かりやすい。ブラック企業で働いている人は、読んだ方がいいですね。ひどい職場でもがまんしちゃうとか、自分が悪いんだとか思ってしまうのは、自分たちが声をあげ、社会を変えるという選択肢があることを知らないからだと思います。ソ連崩壊後、マルクスは古いという人もいましたが、いま読むと、いいんですよ。『そうか、文句を言っていいんだ』ということがよく分かる。こういう発想が、いまこそ必要になっていると思います」 文芸評論家として、すべての文章を批評の対象としています。 「新聞でもインターネット上でも、文字情報は”文の芸”として読める。文学も、いまの社会にこの作品がどう受け止められているのか、というところに興味があります」 昨年秋に出した時事的コラム集のタイトルは『ニッポン沈没』。 「東日本大震災をはさんだ時期に連載したものをまとめたので、激震前夜、震災、原発事故に安倍首相復活と続きました。もう、この流れでいくと、『ニッボン沈没』だと」 大震災以前から、原発の危険性を指摘。 「スリーマイル島(アメリカ)の原発事故が1979年でチェルノブイリ(旧ソ連)の原発事故が86年ですから、私の80年代はずっと原発事故という感じでした。出身が新潟で、巻原発建設計画反対の運動も間近にみていました。原発について考えないで、おとなになることができるのだろうか、というぐらいでした。普通に考えたら、原発の再稼働なんてとんでもない。それなのに現実には、原発で恩恵を受けている人たちの思惑を優先した政治がおこなわれています。これだけの原発事故を起こして海外に原発を売りにいくなんて、どう考えてもおかしい」◆”トンデモ・モード” 安倍政権は、”トンデモ・モード”が高いと言います。 「2011年以降、原発と憲法・安保と沖縄が三大テーマでしょう。いまの政治はこの3つをひとつにまとめてごまかそうとし、変な方向に推し進めている感じです。本当はいまの政府のやろうとしている方向とは別の方向に大きく舵(かじ)を切らないといけないのに。アメリカ大統領選の候補者選びでトランプ氏が話題になっていますが、ひとの心配をしている場合じゃない。安倍政権のトンデモ度だってかなり高い。震災にしても原発事故にしても、実際にはなにひとつ片付いていないのに。私たち、東京オリンピックなんかで浮かれてていいの?」 このままでは、日本は「沈没」? 「実はあんまり絶望はしていません。私は安倍政権が復活したとき、本当に絶望しました。あまりにものすごく絶望したから、この先はもう絶望しないようにと思ったんです。『じゃあ、どうすればいいの』、と考えるようにしました。日本共産党の野党共闘の提案には、思いきったことをしたと驚きました。私は無党派ですが、選挙で共産党がのぴればうれしいし、とにかく安倍政権をこのままにさせてはおけない。私もできることを考え、声を出していきたい」 書評にコラムにと締め切りが毎月20本-。 「いつも薄氷を踏むようです。やばい、やばいと明日のことまでしか考えられず、昨日のことはすっかり忘れます(笑い)。いつも本を探していて、借金取りに追われている気分です(笑い)」さいとう・みなこ=1956年新潟県生まれ。94年、評論『妊娠小説』でデビュー。2002年、『文章読本さん江』で小林秀雄賃。『文壇アイドル論』『誤読日記』『たまには、時事ネタ』『名作うしろ読み』ほか2016年5月15日 「しんぶん赤旗」日曜版 3ページ「マルクスは今読むといいんですよ。『文句言っていいんだ』とよくわかる」から引用 ブラック企業で悩む若者には「共産党宣言」の一読を勧めるというのは、よいアドバイスです。「経営者には絶対服従」などという間違った先入観を取り除き、労働者の権利を自覚する上で役に立つと思います。また、社会に出て問題にぶつかってから読むのではなく、学校教育においても、労働者の権利や労働法の規定について、詳しく学習する必要があり、道徳教育の教科化などよりも「労働法の学習」の教科化を考えるべきです。将来経営者になるという生徒であっても、「労務管理はどうあるべきか」を習得することは意味があると思います。また、この記事で斎藤氏は「共産党が伸びれば嬉しい」と発言してますが、こういう発言をする人は、かつて私がサラリーマンをしていた時も、同じ職場に複数いました。客先に納品する製品を運ぶトラックの助手席に同乗しているとき、運転しながらたまたま選挙の話になったりして「テレビ討論なんか見ていても、共産党の言ってることが一番まともだよ」と、あれは私が共産党支持であることを知ってて言ったふうではなかったので、世の中が進歩すれば、自由にものを考える人が増えていくんだなぁと思ったものでした。
2016年07月10日
選挙戦まっただ中、3日の「しんぶん赤旗」は野党4党の統一候補応援で沖縄入りした「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎共同代表の演説を紹介している; 那覇市内で1日開かれた参院選沖縄選挙区の「イハ洋一必勝大演説会」で生活の党の小沢一郎共同代表が行った演説(要旨)を紹介します。 沖縄県民の力でこの選挙を勝ち抜き、何としてもイハ洋一さんを国会に送っていただきたい。イハさんは野党4党の統一候補です。したがって、4党代表が集って、訴えているわけです。とくに、(日本共産党の)志位和夫委員長と並ぶのは、たしか今日で5回目です。 私の支援者は俗にいう保守系ばかりです。1回や2回はいいけど、なぜ志位委員長と5回も6回もやるのか、という人もいます。私はそうした人たちにいうのです。では、いまの安倍内閣を続けていいのか、と。そうすると、いや、それは困る、絶対に代えてほしいという答えです。それならば、安倍内閣を退陣させよう。同じ思いの人が力をあわせて選挙をたたかうことに何の問題があるのか。 政治は生活です。政治は国民の命と暮らしを守る。それが使命であり責任です。安倍内閣はこの使命を忘れ、強権的な政治を実行しています。何としても私たち野党4党は、この選挙で勝利して安倍内閣を退陣に追い込まないといけない。 安倍政権は辺野古のきれいな海を土砂で埋め立てて強権的に墓地をつくろうとしています。なぜ、辺野古に墓地をつくらないといけないのか。 私は日米同盟を否定するものではありませんが、同盟とは対等な2国間の関係でならなければならない。今のように、アメリカのいうとおり、唯々諾々と進めるというのは同盟関係ではありません。 今回の選挙、32の1人区で統一候補ができたのは、沖縄県民のみなさんの先導的な行動もありますが、いちばんの理由は、志位委員長が安倍政権を倒すため、野党統一候補を1人に絞るために原則を変えたことです。 共産党は今まで、全選挙区で候補者をたてていた。それを引っ込めてでも安倍政権に勝つんだ、こういう決断をしてくれた。私は、これを本当に大きく評価しています。今までの原則を変えることは、並大抵の決意ではありません。 本当に国民の暮らしと命を守る政治をつくるため、何としても野党4党、心を一つにして勝ちぬかないといけない。2016年7月3日 「しんぶん赤旗」 2ページ「生活の党 小沢一郎共同代表の演説(要旨)」から引用 野党の共闘体制に脅威を感じた安倍首相は、しきりに「野党4党は野合だ」と批判してましたが、「野合」と言えば9条改憲の自民党と「平和」を看板にする公明党の連立政権のほうが、言葉の本来の意味で「野合」なのであって、己の足下を見ずに他者を批判する態度には失笑を禁じ得ません。そこへ行くと、この度の野党4党の連携は、日頃のそれぞれの主張は一旦引っ込めて、「安倍内閣の暴走を止める」という一点で協力するという優れた戦術を実施できた野党4党の努力は評価に値すると思います。後は、野党のこのような努力に呼応する力量、政治的センスが有権者側にあるかどうか、だと思います。
2016年07月09日
人間誰しも、悪い話を聞くよりは良い話を聞くほうが気分がいいのは当たり前で、安倍首相の選挙応援演説なども、アベノミクスで私たちの生活はこんなにも良くなったかのような気分にさせられますが、しかし、ふと気がついてみると「そうかな?」と首をかしげたくなるのは私だけではないだろうと思います。経済評論家の植草一秀氏は、7月1日の「週刊金曜日」で、安倍演説に含まれる「ウソ」を次のように列挙しています;ウソ(1)有効求人倍率は24年ぶりの高い水準となっています。それも、都会だけの現象ではありません。就業地別で見れば、北海道から沖縄まで47都道府県全て1倍を超えました。これは史上初めての出来事であります。本当は(1)第二次安倍政権発足直後の2013年1月と2016年4月を比較すると、有効求人数は201万人から251万人に増えているが、有効求職者数は239万人から187万人と20%も減少。求職者の数が減ったから、数字上、有効求人倍率が上昇しただけ。しかもこの3年と3カ月で、ハローワークを通じて就職できたのは、2万9000件減少。うち正社員に関しては就職件数が約9000件減少し、有効求人倍率も16年4月で0.85倍だ。正規雇用は、求職者を下回る求人数しかない。ウソ(2)リーマンショック以来、減少の一途をたどっていた正規雇用は昨年、8年ぶりに増加に転じ、26万人増えました。本当は(2)2015年末の正規雇用者は、3307万人。14年末は3281万人だから、26万人増えている。だが、民主党政権晴代の2010年末から比較すると68万人も減少。第二次安倍政権発足の12年末と比較しても、23万人の減少だ。逆に、生涯賃金が正規雇用の3分の1という低賃金の非正規雇用が、12年末から15年末まで172万人も増加している。ウソ(3)政権交代前から中小企業の倒産も3割減少しています。ここまで倒産が減ったのは、25年ぶりのことであります。本当は(3)意図的に、倒産と見なされない経営悪化等による休廃業数を除外。中小企業数は2012年から2年間で、実に4万4000社も減少している。ウソ(4)所得アップについても、連合の調査によれば、中小企業も含めて、一昨年、昨年に続き、今年の春も3年連続で、今世紀に入って最も高い水準の賃上げを実現することができました。今世紀に入って最も高い水準であります。それを実現することができたのです。本当は(4)連合の春闘回答は、4700組合に限定。しかも、連合が集計した16年の平均賃上げ率は2%で、昨年よりも低い水準だ。加えて実質賃金指数は2011年度から15年度まで5年も連続して減少し続け、今や1990年度以来最低の水準にまで落ち込んでいる。しかも2012年から14年にかけて年収200万円以下のワーキングプアは49.2万人も増大し、勤労者の貧困化をさらに進めている。ウソ(5)3年間のアベノミクスによって、国・地方を合わせて税収は21兆円増えました。(消費税率引き上げの)2年半の延期によって、その間にアベノミクスをもう一段加速する。本当は(5)21兆円増大というが、そこには首相が2014年4月に強行した8%消費税率引き上げによる9兆円の増加分を含んでいる。自身が消費税率を上げれば、税収が増大するのは当然だ。しかもこの数字は、2008年のリーマンショックと11年の東日本大震災によって税収が異常に落ち込んだ12年の78兆7000億円と、16年度の99兆5000億円の比較にすぎない。リーマンショック前の07年度は95兆3000億円だが、16年度の税収は消費税の引き上げ分を差し引くとそれ以下になる。「加速」どころか、減退だ。2016年7月1日 「週刊金曜日」1094号 14ページ「資料編-息を吐くようにつく安倍晋三首相のウソの数々」から引用 有効求人倍率が24年ぶりの高水準などと、さも自分の手柄のような言い方をして、実は求職人口が減ったからだっとは、あまりにもお粗末な、国民を馬鹿にした話です。私たちはこういうデタラメに騙されてはならないと思いますが、どうも昨今の有権者の反応はさっぱりで、こういう安倍首相のデタラメぶりに腹を立てる人はあまりいないらしく、選挙に行こうという熱意も冷め切っており、テレビカメラが街でインタビューしても「支持政党ですか? まあ、自民党ですね」「アベノミクスの恩恵はありましたか?」「いや、まだですけど、そのうちあるんじゃないんですか」などと、極めて無関心です。投票率が5割を切れば、組織票を誇る自民党が単独過半数の可能性があるとは、「自分たちの国のことは自分たちで決める」というイギリス国民とは真逆の「難しいことはお上にお任せ」という国民性をなんとかしなければ、このままではじり貧です。
2016年07月08日
沖縄の戦没者追悼式に出席した安倍首相と翁長沖縄県知事を比較して、ノンフィクションライターの渡瀬夏彦氏は、1日の「週刊金曜日」に次のように書いている;「沖縄全戦没者追悼式」(6月23日目)の式典会場には行かない。この国の首相によるうわべだけの哀悼の言葉を、同じ場にいて聞くのが精神的苦痛以外の何ものでもないからである。 式典で黙とうを捧げる正午には、「魂魄(こんぱく)の塔」の前か、付近の海辺で合掌する。隣接する広場での国際反戦集会にも参加しやすい。 魂魄の塔は、沖縄戦後その一帯に散乱していた無数の身元不明の遺骨を一カ所に集めて納骨した、最初の供養塔である。 その場で祈るとき、「加害者」としてのヤマトウンチュの罪も、きちんと思い起こすことができる。◆深刻な認識の差 しかし一方では、地元紙の公式サイトの録画配信で、沖縄県知事の平和宣言と来賓としての首相の挨拶などを必ずチェックする。 そうして今年も、沖縄県と日本政府の問の、深刻な認識の差を認めざるを得なかった。 翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言の中で、先頃の凶悪事件(元海兵隊員による女性会社員殺害遺棄事件)に触れ、国土面積の0・6%の沖縄に米軍専用施設の74%という広大な米軍基地が押し付けられている現実とを関連付けて語り、強い憤りを示した。はたして沖縄県民には「日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義」が保障されているのかと疑念を呈し、日米地位協定の抜本的見直しの要求や、辺野古新基地建設反対を改めて明言し、さらには「海兵隊の削減」という文言も平和宣言の中に初めて盛り込んだ。これは、間違いなく5月26日の県議会全会一致決議や6月19日の県民大会でのアピールを受け止めてのことである。 他方、安倍晋三首相はどうだったろうか。辺野古問題には一切触れず、日米地位協定についても、「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行なうことで合意し、現在、米国との詰めの交渉を行なっている」などと「焼け石に水」にさえならぬ小手先の交渉を、もったいぶって述べた。沖縄県民の心の痛みを、これっぽっちも理解しようとしていない。 式典に参加し、国際反戦集会に立ち寄った糸数慶子参議院議員もこう言う。「本当は、首相の軽い言葉を聞きたくないんですが・・・、追悼の気持ちを表すために出席しました。翁長知事は、しっかりと日米地位協定の抜本改定を訴えて大きな拍手を浴び、首粕への拍手はまばらでした」 翁長知事就任後のこの1年半の出来事が、脳裡を駆け巡る。 安倍首相や菅義偉(すがよしひで)官房長官は、2014年12月の翁長知事誕生後の就任の挨拶(あいさつ)さえ、約半年も拒絶した。知事と政府首脳の初会談が実現したのは、15年4月から5月。 実際に会談が実現してみると、政治家としての言葉の重み、説得力の「差」が露(あら)わになった。地方の首長である翁長氏のほうが、中央政府のトップの安倍氏らよりも、政治家として遥かに「格上」に見えたのだ。 それは先の「戦争体験」をどのように噛みしめて政治に臨んでいるか、その違いからくる存在感の差ではないかとわたしは思う。 沖縄の多くの人々が無理やり体験させられた凄惨極まリない沖縄戦。その痛み、苦しみ、悲しみ、憤り、やるせなさ。あるいは生き延びてしまったことの罪悪感。こんな思いは二度と本当にしたくない、という切実な願い、心底平和を求めてやまない祈りの強さ。それが沖縄の民意の背景にあり、翁長知事は、それを背負ってマツリゴトに臨んでいる。 しかし安倍首相や菅官房長官らには、人の「痛み」に対する想像力が足りない。いつでも口だけは「県民の皆さんの気持ちに寄り添って基地負担軽減に取り組む」などと言うのだが、あらゆる選挙で明確に示してきた「辺野古新基地は許さない」という県民の思いさえ、一顧だにせず、踏みにじる。 この国の政府は、沖縄の人々から強烈に懲らしめを受ける日が来る。そう思えてならない。わたせ なつひこ・ノンフィクションライター。2016年7月1日 「週刊金曜日」1094号 29ページ「政府が沖縄に懲らしめられる日が来る」から引用 沖縄県は面積でも人口でも日本の中でそんなに大きな比率を占めるわけではありませんが、先の大戦を終了させるための時間稼ぎで沖縄県民に多大な犠牲を強いたという歴史は重要視されるべきです。それどころか、戦後の安全保障のためと称して米軍基地の74%を押しつけているという事態も、補助金を出して解消できる問題では無いということを、政府は理解する必要があります。沖縄の人々が日本政府を懲らしめに立ち上がる前に、政府は沖縄県と誠意をもって話し合いを始めるべきです。
2016年07月07日
ユーチューブに投稿された「憲法改正誓いの儀式」と題された動画が波紋を広げている。短時間の動画で、安倍首相や稲田政調会長、長瀬甚遠元法務大臣、城内実外務副大臣、衛藤晟一内閣総理大臣補佐官等が壇上に並んで写っており、安倍首相以外の人物は次々と発言しており、長瀬甚遠氏は「自民党の改憲草案に『国民主権、基本的人権、 平和主義』などというものが書かれてあるのは極めて遺憾で、この三つは無くさなければ、本当の自主憲法とは言えない」と本音を吐露している。衛藤晟一氏に至っては「尖閣諸島を軍事利用しよう」などと言っている。何時、どこで開かれた会合だったのかは不明であるが、政府与党の要にいる人物がこのような憲法を蔑ろにする発言をするのは、極めて不適切というものであり、参議院選挙を前に、自民党というのは一皮むけば、こういう政党なのだということをよく考えるべきだと思います。動画は、下記のURLから閲覧できます。 https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
2016年07月06日
年老いた妻の介護に疲れた夫が起こした殺人未遂事件について、6月26日の東京新聞は、次のように報道した; 埼玉県警西入間署は25日、介護中の妻を殺害しようとしたとして、殺人未遂の疑いで、埼玉県坂戸市浅羽、無職○○○○容疑者(87)を逮捕した。妻の○○さん(85)は搬送先の病院で死亡が確認され、署は殺人容疑に切り替えて調べる。 逮捕容疑では、同日午前零時40分ごろ、自宅一階の寝室で、○○さんの鼻や口を手で押さえるなどして、殺害しようとしたとされる。調べに同容疑者は「妻を殺そうとしたのは間違いない。10年ぐらい介護し、疲れたのでやってしまった」と容疑を認めているという。 署によると、同容疑者は「妻の首を絞めて殺した」と自ら110番。駆け付けた署員が介護用ベッドの上であおむけに倒れている○○さんを発見した。夫妻は2人暮らしで、自宅敷地内の別棟に長男家族が住んでいる。 ○○さんは約10年前から体力が衰えて歩行が難しくなり、同容疑者が主に介護に当たっていた。○○さんは4月から同県鶴ケ島市内の老人保健施設に入所していたが今月上旬、自宅に戻っていた。2016年6月26日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「殺人未遂容疑で87歳の夫を逮捕」から引用。尚、文中の加害者被害者の氏名は引用者の判断で伏せ字とした。 この記事が示すような、介護に疲れた人が引き起こす不幸な事件は時折ニュースとして伝えられます。その一方で、行政から我々に伝えられる「介護の心得」は「自助、互助、共助、公助」となっており、最も優先されるのは「自助」、自発的に生活課題を解決すること、となっています。そう言われるとどうしても、自分の妻のことは自分で面倒見なくては、という思考回路に閉じ込められて、上の記事のような悲劇に行くつくことになるのではないかと思います。十分な経済力があって、大家族で生活できるような立場の人々であれば「自助」を最優先で快適な生活を送ることは可能かも知れませんが、上の記事に見るような、同じ敷地内に息子夫婦が別棟に住む、といった程度の「経済力」では、とても満足な「自助」は難しいのであって、私たちは、もっと「公助」の門戸を広げるべきだと思います。乳幼児の保育と高齢者の介護は社会が担う、そういう社会を、私たちは目指すべきだと思います。
2016年07月05日
EU離脱を選択したイギリスの国民投票を、私たちはどう受け止めるべきか、法政大学教授の山口二郎氏は、6月26日の東京新聞コラムに次のように書いている; 英国の国民投票は、EU離脱を求めた。キャメロン首相は辞任を表明し、経済には大混乱が起きているが、これも国民の意思として重く受け止めざるを得ない。 EUという自分たちのあずかり知らぬ遠い機関で物事が決まることへの不満は、民主主義において健全な感情である。経済的合理性よりも、国家レベルでの決定への参加を重視した投票結果について、非合理的と非難することもできない。自分たちで決めたいという意欲と、寛容な社会や国際協調をどう両立させるかという困難な問いに民主政治は悩まなければならない。 日本では、各紙の世論調査が参院選における自民党の好調を伝えている。環太平洋連携協定(TPP)に現れているように、安倍政権は、グローバル化を推進している。日本の民意は、英国とは逆に自ら決めることを放棄し、今の政府与党に決めてもらうことを求めているように思える。 この選挙で与党に絶対的多数を与えれば、経済政策だけではなく、憲法についても重大な決定を行う力を付与することになる。しかも、安倍首相は憲法をどうするか、言を左右にし、明確な説明をしていない。 自分たちのあずかり知らぬところで物事を勝手に決めてもうっては困るという感情を持って、選挙の行方を注視し、意思表示をしていきたい。(法政大教授)2016年6月26日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-民主主義の苦悩」から引用 イギリスの国民投票の結果が世界中に大きな衝撃として受け止められた原因は、「離脱」という選択が経済合理性に反するもので、まさか賢明なるイギリス国民がそのような不合理な選択をするはずがないという期待が、大多数の人々にあったからではないかと、私は思います。その期待が裏切られたのだから、衝撃となったのは当然でしょう。そう思ってその後の様子を見ると、どのメディアもイギリスが愚かな選択をしたせいで、政治も経済も大混乱だというような論調になっていて、そういう雰囲気に私は少なからず違和感を感じましたが、そこへいくと、さすがに政治学者の山口先生は、今回の投票結果が「国家レベルでの決定への参加を重視した投票結果」であると前向きに評価している点が、中々鋭いと思います。
2016年07月04日
まさかの「EU離脱」を選択したイギリスの国民投票について、6月26日の東京新聞は、次のように書いている; 欧州連合(EU)からの離脱を決めた英国の国民投票では、残留を志向した都市部や中上流階級に対し、失業率の高い労働者階級が離脱に投じた傾向が浮かぶ。残留が多かったスコットランドでは、英国からの独立の動きが再び出ている。「分断された英国」の構図があらわになった。(ロンドン・小嶋麻友美)■公然と反旗 6割が残留を示したロンドンでは24日、市民が「英国からのロンドン独立」を求める請願をインターネット上で始めた。25日昼(日本時間25日夜)時点で署名は10万人を超えた。多様な人種が交ざり合って働き、経済が好調で、大陸欧州との自由貿易の恩恵を受ける首都は、英国が選んだ選択に公然と反旗を翻す。 だが、イングランドの他の地域はほとんどが離脱の意思を示した。全国382カ所の開票所で最も離脱の割合が高かった中部ボストンでは75%を超えた。 2011年の人口調査によると、ボストンでは中東欧などEU域内からの移民が13%に上り、学校には移民の子どもが急増。単身の移民らがお金を出し合って共同でマンションを借りるなど住宅需要の増加に伴い家賃相場も上昇し、以前からの住民を苦しめている。■効果的フレーズ 上院議員アシュクロフト卿が23日、投票した約12000人に行った調査では、社会階層による投票の差が明らかになった。専門職や企業役員など上位2グループでは57%が残留票を投じたが、下層に行くほど離脱が増え、下位2グループでは離脱票が64%を占める。BBC放送の分析でも、大卒者の人口が少ない上位30地域のうち28地域で、離脱が残留を上回っていた。 離脱が多かった投票区では、投票率が総じて高かった。ストラスクライド大のジョン・カーティス教授ば、「EUから実権を取り戻す」という離脱派の強いフレーズが、社会の下層に追いやられた人々に効果的に響いた点を指摘する。 「離脱派は増えすぎた移民の解決策を示し、有権者は、EUを離脱すれば移民が減ると考えた。これに対し残留派が提示したのは、問題解決策ではなく『残留すれば経済危機は避けられる』というもので、残留で経済がより良くなると説得できなかった」■高まる緊張 スコットランドは62%が残留を支持し、あらためてイングランドとの違いが際立った。スタージョン行政府首相は英国からの独立を問う2度目の住民投票を準備する方針を示し、25日には「EUにおけるスコットランドの地位を守るため、早急にEUと協議を始める」と述べた。 スタージョン氏は独立に向け積極的だが、アバディーン大のマイケル・キーテイング教授は、国民投票の結果が、一般のスコットランド人の独立意欲を後押しするものではないと指摘。ただ「英国の対欧州政策がスコットランド行政府の考えと大きく異なっても、スコットランドは何もできないとなれば、意に反して英国にとどまることで、再び緊張が高まってくるだろう」との見方を示した。2016年6月26日 東京新聞朝刊 11版S 2ページ「地域、階級差くっきり-英国民投票」から引用 この記事もやはり「残留」に投票したのは高学歴で都市部に住む人々で、労働者は下層にいくほど「離脱」に投票した傾向があることを示唆している。EUに残留して有利になるのは大企業経営者と極一部のエリートサラリーマンのみで、一般の労働者は低賃金に甘んじるほかなく、その上移民が流入して失業率も上がるとなれば「離脱」を選択したくなるのも無理はありません。もしイギリス政府がEU加盟によって潤う企業に課税を強化して、その分を低所得層の生活支援に充てるというような政策を行って、経営者だけではなく労働者層にもEU加盟の「メリット」を実感できるような施策を実施していれば、このような結果にはならなかったと言えるのではないでしょうか。似たようなことは、日本にも言えます。アベノミクスの成果で有効求人倍率が改善したなどと言ってますが、アベノミクスの恩恵を享受しているのは大企業と一部のエリートサラリーマンだけで、大部分の労働者は「派遣労働者」に転落しつつありますから、イギリスと似たような「火種」を日本も抱えていると言えます。
2016年07月03日
イギリスがEUからの離脱を選択した朝の東京新聞コラムは、次のように書いている; 足を高々と上げながら歩く男がそのまま、崖から転落していく。米雑誌「ニューヨーカー」の最新号の表紙にそんな不思議なイラストが描かれていた。もちろんEU離脱を選択した英国の国民投票への皮肉である。 うまい題材で、この崖から平然と落ちていく男は、英国のコメディー集団モンティ・パイソンによる有名なスケッチ(ギャグ)の「バカ歩き省」の官僚。EU離脱の選択を気付かぬまま死に向かう歩き方とこき下ろしている。 もっとも、EU離脱を支持する人びとには、この種の皮肉や警告もまったく効果がなかったのは確かだ。今回の投票結果を残留派による「プロジェクト・フィアー」(恐怖作戦)の失敗とする分析が英メディアなどに出ている。 EUから離脱すればGDPは降下し失業率は悪化する。英国は貧乏になる。日本人が聞いても震える警告だが、離脱派にはそれが怖くない。 なぜならその恐怖は自分たちの生活を顧みることのなかったエリートという敵の宣伝にしか聞こえぬから信じるはずがない。異なる意見への不信。敵意。英国の分裂はそこまで悪化していたか。離脱派には移民に職を奪われるという恐怖の方が排外的であろうと現実的に聞こえてしまう。 さて、「バカ歩き」の行進は欧州全土や米国へ。日本? 互いに聞く耳持たぬ意見対立という意味ならばとうに始まっているか。脅しではなく。2016年6月26日 東京新聞朝刊 11版S 1ページ「筆洗」から引用 米雑誌「ニューヨーカー」をはじめ、多くのメディアはイギリスのEU離脱を「愚かな選択」と考えているらしい。EUを離脱すると大企業が商売をやりにくくなるのだから、大企業から見ればこれは明らかに「愚かな選択」ということになるが、労働者階級の立場から見ると、残留派の「離脱するとイギリスは貧乏になる」という脅しはまったく効果を発揮しない。それというのも、既にこれ以下はないという貧乏に達しているからで、だから「自分たちの苦境は移民に仕事を取られているせいだから、離脱したほうがいい」という発想に容易に同意できるのであろう。結局、今までEUに加盟してメリットがあったのは1%の富裕層のみで、99%の労働者階級には何のメリットもなかったのであるから(その割には国民投票は接戦だったが)、今回の国民投票が「バカ歩き」などと揶揄されるような愚かな投票行動だったとは言えないと思います。
2016年07月02日
イギリスがEU離脱の是非を問う国民投票を一ヶ月後にひかえた5月22日の「しんぶん赤旗」は、このような問題が持ち上がった背景について、次のように述べている; イギリスが欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票を6月23日に行います。昨年5月の総選挙で勝った保守党が、国民投票実施を公約に掲げていました。国際通貨基金(IMF)は4月の世界経済見通しで、イギリスのEU離脱は「既存の貿易関係を混乱」させ、「世界レベルで深刻なダメージをもたらす」と警告しました。 保守党のキャメロン首相はEU残留派ですが、国民投票を公約した第一の理由は、国内で強まる離脱論に対応せざるを得なくなったことです。 イギリスは米国やカナダなど英語圏諸国との関係が密接で、ほかの欧州諸国とは違う伝統を持っています。1973年にイギリスがEUの前身の欧州共同体(EC)に加盟した時も、是非を問う国民投票を実施しました。統一通貨ユーロにも参加していません。 2008年以降、世界的危機が深まる中、ユーロ非参加国にも負担を求めるなど、EUの強引な危機対策に不満が高まっていました。 第二に、国際金融センターのロンドンを抱える金融立国として、その機能をさらに強めるために資本・貿易取引の自由化を進めたいということです。そのため、保守党はEUの金融規制強化などに反対しています。 第三に移民・難民問題です。移民受け入れのあおりで社会保障が削減され、生活がさらに苦しくなるという国民の声が広がり始めています。 残留、離脱の世論は伯仲、国民投票の結果は不透明です。離脱派の主な主張は(1)EUの政治的結合強化に反対(2)離脱でイギリスの主権回復(3)規制緩和で競争力を上げる(4)移民問題などの自主的解決-など。一方、残留派の主な主張は(1)EUの単一市場の利点を生かし、雇用・所得を拡大する(2)離脱すればポンド下落、金融市場混乱、経済の大幅悪化を招く(3)離脱しなくてもEUの規制強化を拒否できる制度を確立すればよいなどです。 「労働者のために機能していない」と、EUに批判的な労働党のコービン党首も「変革はEUの中にとどまってこそ達成できる」と残留を主張しています。しかし、保守党・労働党内、官界や金融界でも意貝が割れています。産業界では、主として大企業は残留派ですが、意見は統一されていません。 この間題の背景にはEUが抱える矛盾があります。EU域内の南北格差の拡大、ドイツの支配力の強まり、官僚的統制、税金で銀行救済の一方で庶民には消費税増税など緊縮政策の押し付け、民主主義の危機-。これらの問題に各国民の不安と怒りが広がっています。 それは同時に資本主義のあり方にかかわる問題でもあります。日米欧の資本主義諸国では、異常な金融緩和政策や財政出動でも景気は回復せず、雇用の悪化、貧困と格差の拡大が続き、将来展望が見えない中で国民の不満が高まっています。その一つとして、イギリスではEU離脱問題が浮かび上がっているのです。 今宮謙二(いまみや・けんじ 中央大学名誉教授)2016年5月22日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済これって何?-英国のEU離脱問題」から引用 この記事が出た約一ヶ月後、実際に国民投票が行われた直後は、テレビの解説が「開票の結果は地方が先に出るから、初めのうちは離脱派が優勢に見えるが、都市部は残留派が強いから開票作業が終了する頃には残留派が有利という状況になるでしょう」などと暢気なことを言っていたのだったが、結局はこの予想は外れて、まさかの「離脱派勝利」となったのであった。 この記事では、このような国民投票をやることになった理由は、国内に強まる離脱論に対応せざるを得なくなったからと、上品な表現をしてますが、離脱派勝利が決まった朝の日本テレビの番組に出演した読売新聞の橋本解説委員は、キャメロン首相が政権維持のために「EU離脱」を主張する独立党の協力ほしさに国民投票の実施を約束したのが原因なのだから、キャメロン氏は実に罪深い政治家だと批判していたのが、大変印象的でした。
2016年07月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1