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先日の新潟県知事選挙は自民党有利の事前予想を裏切り、「再稼働反対」の野党候補が勝利しました。選挙戦はどのように戦われたのか、23日の東京新聞は次のように報道しています; 新潟県に25日、東京電力柏崎刈羽原発(柏崎市、刈羽村)の再稼働に反対する知事が誕生する。先の知事選で、共産、自由、社民3党の推薦を受けた米山隆一氏(49)が、自民、公明両党推薦の候補に約6万票差をつけて初当選した。新潟の有権者はなぜ、再稼働反対派を選んだのか。(山口哲人)「中央の押し付け」有権者から反発◆自分の問題 「知事選は再稼働の是非を問う『住民投票』の性格を帯び、県民が意思表明できる機会となった」。刈羽村の市民団体「原発反対刈羽村を守る会」メンバー武本和幸さん(66)はこう振り返った。 新潟県では過去2回、原発を巡る住民投票が行われた。1996年には東北電力が巻町(現・新潟市西浦区の一部)に計画していた巻原発の建設、2001年には柏崎刈羽原発へのプルサーマル導入の是非が問われた。いずれも反対派が勝利し、東北電と東電は計画の撤回に追い込まれた。 今回の知事選は、原発をめぐる「3度目の住民投票」という意味合いがあった。過去2回は原発が立地する町村だけが対象だったが、今回は県内すべての自治体の住民が対象。反対が上回った背景には東電福島第一原発事故があると、武本さんは指摘する。 コメどころの南魚沼市では、事故後の一時期、放射線量が急上昇した。福島県から避難してきた約3千人は、今も新潟県内で暮らす。「原発は自分の問題だと感じる人が増え、知事選の結果を左右した」 ■脱原発鮮明 党内に再稼働を容認する議員を抱える民進党が自主投票となり、皮肉にも米山氏は脱原発を鮮明にすることができた。「市民連合@新潟」の共同代表を務める佐々木寛・新潟国際情報大教授(政治学)は「米山陣営は遠慮なく再稼働反対を主張でき、無党派層に浸透できた」と分析する。 佐々木氏はこうも指摘する。「県民は原発を危険というだけでなく、中央の押し付けと感じた」 新潟県内に電力を供給するのは東北電力だ。柏崎刈羽原発は12年以降、運転を停止しているが、もし再稼働しても、電力は首都圏向けに提供される。東電が政府と二人三脚で再稼働を急ぐ姿は、中央の押し付けに映ったとみる。 ■戦略ミス 自公が推薦した前長岡市長の森民夫氏(67)の陣営は、中央との関係を前面に打ち出した。投票前日に、地元紙に出した選挙広告で「国から見放されない新潟県を!! 国との太いパイプをもつ新潟県を!!」と強調。森氏は街頭演説で「国とパイプがあるから(再稼働を巡っても)厳しいことも言える」と訴えた。 自民党の伊吹文明元衆院議長は投開票後の派閥会合で、知事選応援で新潟入りした際に、県民から言われた話を紹介した。「東京から来る偉い人(応援弁士)は中央とのパイプを話し、俺たちに入れないと損だという利益誘導みたいな印象を与え、非常に不愉快だと言われた。一般の人の99パーセントはこういう感覚なんだと気付いた」2016年10月23日 東京新聞朝刊 11版S 2ページ「原発 3度目の『住民投票』」から引用 今回の新潟県知事選挙は、泉田前知事の優れた判断力に負うところが大変大きいと思います。もし泉田氏が、新潟日報の攻撃は不当だなどと言って立候補して戦えば、選挙戦は「フェリー購入問題」に集中して、原発問題はかすんでいた可能性があります。いち早くその危険を察知して立候補を断念した泉田氏は、真に新潟県の将来を思った優れた政治家であると考えられます。米山新知事は、安易に原発の再稼働に同意してはなりません。柏崎刈羽原発から30キロメートル以内に住む住民の数を調べ、人数分の緊急避難用のバスを東京電力に準備させ、国には、いざと言うときの避難用のバス道路と避難用の住宅を建設させるという完璧な事故対策が完成した後であれば、再稼働も許容できるという、住民の健康最優先で臨むべきだと思います。福島では、事故は起きないという前提で、最悪の結果になりましたから、我々はこの失敗に学んで、「原発事故は必ず起きる」という前提で、起きても住民の被害を最小限に止めることが可能な対策を、しっかり施すべきです。
2016年10月31日
衆議院の憲法審査会では、与野党の代表が審議再開に向けて合意し、どのような議題について審議するのかを決めたにもかかわらず、その議題の中に「立憲主義」が含まれていることが、与党内で問題となり、与党代表が「立憲主義」を外してほしいという非常識な提案をしてきたため、審査会は今月の開催は不可能になったと23日の東京新聞が報道している; 衆院憲法審査会は月内の実質審議再開が困難になった。早ければ27日に行われるはずだったが、審査会の議題に「立憲主義」が含まれていることに与党内で異論が出て、議題の見直しを求めたからだ。与野党の筆頭幹事は議題についていったん合意していた。 衆院憲法審査会が昨年6月、「立憲主義」を議題に参考人質疑を行った際、自民党推薦を含む憲法学者3人全員が、当時審議中だった集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案を「違憲」と明言した。安保法の合憲性があらためて疑問視され、安倍政権の姿勢は立憲主義に反していると指摘された。 当時、与党は対応に追われ、与党筆頭幹事だった船田元・自民党憲法改正推進本部長は4カ月後に事実上更迭された。衆院憲法審査会は参考人質疑の一週間後に自由討論を行って以降、地方公聴会をのぞき実贅審議が1年4カ月以上にわたり開催されていない。 野党側は審議再開には、立憲主義を議題にした参考人質疑から始めるべきだと主張し、与党側も合意した。だがその後、当時の議論が「再現」されれば、政権に対する批判が高まりかねないとの声が自民、公明両党内から上がり、19日に議題を変えるように求めたため、野党側が反発。再開のめどが立たなくなった。2016年10月23日 東京新聞朝刊 11版S 3ページ「衆院憲法審 月内は困難」から引用 1年4か月前の憲法審が「立憲主義」の審議の途中で中断したのであるから、これを再開するには「立憲主義」から始めるのは当然のことです。しかしながら、安倍政権としては、戦前のような、立憲主義は形ばかりにして極右独裁政権にしたいというのが本音ですから、憲法審の自民党代表が世間の常識に沿って「立憲主義」から議論を再開しようとすれば、「ちょっと待て」と言い出すのは、「安倍政権の”常識”」からは、これまた「当然」ということになるわけで、自民党支持者を含めた有権者は、こういう内閣にいつまで政権を担当させておくのか、よくよく考える必要があるのではないかと思います。
2016年10月30日
人権意識が向上した現代においては、「土人」などという言葉は死語であって、もはや通用しないだろうと思っていたところに、若い警察官が軍事基地建設反対のデモ隊に向かって「土人」などと暴言を吐いた聞き、どういう「社会」がこういう差別用語を継承してきたのか、大いに疑問を感じた次第です。法政大学教授の山口二郎氏は、この事件に関連して23日の東京新聞コラムに次のように書いています; 沖縄県東村高江の米軍施設の建設に反対する人々に対して、警備に当たっている大阪府警の警察官が「土人」と暴言を吐いた。足尾鉱毒事件の際に、窮状を訴えるために東京へ向けて行進する谷中村民に対して、警官が「この土百姓」と怒鳴ったという話を思い出した。いつの時代にも、権力を守る側の役人は、権力に異議を申し立てる人民を見下し、侮蔑しているのだ。 義はどちらにあるのか。谷中村民も沖縄の人々も美しい土と森を破壊する政府権力に対して、それらを守れと言っているだけである。真に国を思っているのはどちらだという田中正造の憤りを今でも繰り返さなければならないとは情けない。 翁島沖縄県知事と沖縄県公安委員会にお願いしたい。警察法第60条によれば、他県警察は当該県公安委員会の援助要求があって初めて出動できる。他県警察が沖縄県民の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)している以上、沖縄県公安委員会は直ちに大阪府公安委員会に対する援助要求を撤回すべきである。また公安委員会が県民の尊厳を守らないなら、翁長知事は警察法41条2に基づいて公安委員を罷免すべきだとも思う。 私たちが主権者でありたいならば、「土人」発言を絶対に許してはならない。公権力を行使する側の倣慢(ごうまん)を放置していたら、我々の尊厳も否定されることになる。(法政大教授)2016年10月23日 11版S 25ページ「本音のコラム-お上の横暴」から引用 その後の報道によれば、大阪府警は「土人」という差別用語を発した警察官を懲戒処分にしたとのことですが、警察への世論の不信を未然に防ぐためには当然の対応だったと思います。また、上の記事が指摘するように、沖縄県民の人権を蹂躙するような他県警察への援助要請は、沖縄県公安委員会は撤回するべきです。警察学校では人権教育に力を入れてほしいと思います。
2016年10月29日
私たちの日本が、どのような国になるのが良いか、哲学者の内山節氏は23日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「強い国家」という言葉を用いるとき、「強い」とは何を意味している言葉なのだろうか。いまの政権にとっては、強い経済力や強い軍事力をもつ国家が、強い国家なのだろう。それは明治時代の国家が追い求めた道であり、この点ではいまもなお日本は明治からの延長線上にある。 だがそれが、本当に強さの基準になるのだろうか。たとえば戦前の日本をみれば、確かに日本は大きな経済力と軍事力を確立した。だがその帰結は、敗戦による国家の崩壊であり、壊滅的になった欺戦直後の社会であった。強い経済力と軍事力を追求した結果は、国家と社会の崩壊だったのである。とすると、それは「強い国家」ではなかったということになる。 「強い」とは、経済力や軍事力が指標になるものではない。そうではなく、持続するということなのである。 強い企業とは、持続性をもっている企業のことだ。日本には千年を超える持続を実現してきた企業が存在するが、長期にわたって風雪にたえられる体質をもっている企業は強い企業である。いっとき売り上げを伸ばし大企業化しても、たちまち経営危機を迎えるようでは、強い企業とはいえない。 持続的な友人関係のあることが強い友人であり、経済的な危機などに直面しても維持できる家族が強い家族であるように、持続できることが強さなのである。 とすると戦前の国家は、強い国家をつくることに失敗したということになる。わずか数十年で崩壊してしまう国家が、強い国家であるはずがない。 強い社会、強い国家をつくろうとするのなら、私たちは持続性のある社会、持続性のある国をつくらなければいけないのである。 このような視点に立つなら、現在の日本は強い経済力や軍事力をつくろうとして、持続性を後退させてしまっているといった方がいい。企業は利益を追求して非正規雇用をふやしてきたが、こうして生まれた格差社会が持続的な社会なのだろうか。環太平洋連携協定(TPP)によって農村社会や医療制度などが大きく損傷してしまったら、社会は持続性を後退させてしまうだろう。原発が社会の持続性に危機をもたらすことは、福島の経験が明らかにしたはずだ。持続のためには平和が必要であり、軍事力にたよらない世界をつくる構想力こそが、平和の持続にとっては必要なはずだ。 環境が破壊されたら、持続的な社会はつくれない。子育てが大変な社会が、持続的であるはずはない。結びつきのない社会が、持続的なのだろうか。強い社会や国をつくっていきたいのなら、持続を基準にして、これからのあり方を考えていくことが必要なのである。 いまの日本は、むしろ、弱い社会や弱い国家をつくる方向で動いているのではないだろうか。アべノミクスもそうなのだが、いっときの強い経済をつくろうとして、持続性のない経済をつくりだしてしまっている。強い軍事力に依存しようとして、持続的な平和を考える構想力を喪失させている。にもかかわらずこのような政治がまかり通るのは、明治以降の路線があたかも強い国家への道であったかのごとくとらえられているからであろう。戦前の日本は、持続性のない弱い国家をつくったのだということを、私たちほ認識しておかなければならない。(哲学者)2016年10月23日 東京新聞朝刊 11版S 4ページ「時代を読む-持続性のある国づくりを」から引用 この記事は、さすがに哲学者の論考らしく、読む者に新たな視点を提供している。考えてみれば、わが国は少子高齢化が問題だといわれている一方で、子育てに必要な保育園のような設備は不足で、非正規社員枠の増大で若者の所得は低く抑えられ、結婚して独立というような計画の実行が困難になりつつある。むかしは、保育園や高齢者施設、障がい者施設等は行政が運営するもので、そこで働く保育士、介護士といった人々は公務員であったが、小泉内閣の構造改革で民営化されてからは、待遇は悪化し、職務に誇りと責任感を持つ者は減少し、刑事事件を起こすような事態となっているのは問題である。安倍政権は、こういう問題に目を背け、大企業と自衛隊を強くすれば日本が強い国になると考えているようであるが、その「道」は71年前に一度破綻した「道」なのだ。今なお、明治以降の路線があたかも強い国家への道であったかのごとくとらえる人々が多いのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のような偏った小説を「史実」と取り違えている人々が多いからだと思われる。
2016年10月28日
小笠原博毅、山本敦久編著『反東京オリンピック宣言』(航思社 2200円十税 ISBN978-4-906738-20-5)について、ライターの武田砂鉄(たけださてつ)氏は、9月9日の「週刊金曜日」に次のように書評を書いている; リオ五輪の閉会式に発場した”安倍マリオ”を許容した人が多くいたことにはおったまげた。基本に立ち返りたい。選手が個々の鍛練の末にもぎとったメダル、そして勝敗の数々に、政治家連中の思惑を少しも染み渡らせるべきではない。あんなものは不要だ。 安倍にマリオ役を進言したのは東京五輪組織委員会の森喜朗会長。彼はリオ五輪の選手壮行会で「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と発言。五輪憲章には「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と記されている。真っ先に退場すべき老体が、折角のパフォーマンスにねじ込んだ喜劇。これを「ウケる」「ウケない」と評定する事自体、解せない。 何度でも繰り返そう。2013年夏、五輪招致を決める国際オリンピック委員会で、福島原発について「状況は、統御されています」(首相官邸HP)と虚言を吐いた安倍山首相。その直前、外国メディアから福島原発の影響を問われ「東京は安全」と言ってのけた日本オリンピック委員会の竹田恒和会長。いつの間にか東京五輪は復興の象徴として稼働し始めた。しつこく繰り返す。福島はコントロールされているだろうか。マリオに扮して土管から飛び出る前に、ドラえもんのタイムマシンに乗ってでもあの日に戻りたいと願う避難者の声を聞いたらどうか。 リオ五輪の余韻が好都合に東京五輪への期待に紐付けされていくこのタイミングで、改めて「開催を返上・中止せよ!!」と、研究者や活動家16名がこぞって申し立てたのが本書だ。編者の小笠原は言う。オリンピックを「なんだかんだ言っても『成功』」という結論に落ち着かせるのは、「手放し礼賛」派でも「困難を乗り越え頑張れ」派でもなく、「『どうせやるなら』派とでも言えるような人々」なのだ、と。その発芽を目の当たりにしたのが、安倍マリオを「ウケる」と許容した光景だったのか。 五輪のスポンサーとなるメディアはますます追及を弱めていく。招致に際しシンガポールのペーパーカンパニーに2・3億円支払った裏金疑惑、膨らむ運営費、それらを深追いしてくれない。野宿者は排除され、国立競技場近くの霞ヶ丘アパートからは住民が追い出された。行政側は「住宅を明け渡さないときは、本件住宅の明渡請求訴訟を提起します」との文面を送りつけたくせに、自発的に出ていったかのように伝える。 野宿者である小川てつオの論考「オリンピックと生活の闘い」は、繰り返し「自律」という言葉を使い「国策」を敬遠する。哲学者の鵜飼哲(うかいてつ)は、その「国策」を「愚民政策と棄民政策が一体となった究極の『スペクタクルの政治』」と因数分解する。 ふと思い出す。先日の参院選、東京都選挙区で当選した自民党・朝日健太郎の選挙演説をお台場で見かけた。教科書程度の知識すら頭に入っていない勉強中の彼は、集まった聴衆に「社会保障費は東京五輪を盛り上げることで賄う」といった珍奇な提言をしたのだが、多くの聴衆はあろうことか、領いているように見えた。「東京五輪」はこうして稚拙な話者のスペクタクルとしてパワフルに活用される。「どうせやるなら」は、いつの間にか「僕らにもできることはある」に成長する。その時には「『やらない』という選択肢を切り捨てることでしか成り立たない分厚い言説の束」が一丁前の顔をする。利権の肥大が個人を圧迫する、この上なく分かりやすい暴力を見過ごさない、真っ当な「反」が濃縮された一冊だ。2016年9月9日 「週刊金曜日」 50ページ「きんようぶんか-リオ五輪の余韻が好都合に利用される裏で起きている暴力」から引用 2020年のオリンピックは国も東京都もすっかり「やる気」になっているところに「返上・中止」論とは、と疑問に思う人も多いと思いますが、元はと言えば「福島の放射能はアンダーコントロールだ」という虚言をテコに招致したオリンピックなのだから、今からでも「返上・中止」は遅くはないという主張は十分成り立つと思います。「どうせやるなら成功させたい」という無責任で曖昧な態度が、政治家と建設業者に予算を湯水のように自由に使いまくる事態を許していると思います。
2016年10月27日
昨日引用した記事の続きは、市民団体である追悼碑を守る会が群馬県当局を提訴したことと、提訴の根拠について、次のように述べています; 県は更新不許可について、あくまで除幕式や追悼式で参加者が「碑文に謝罪の言葉がない」などと発言してきたことを「政治的」と判断した上での処分だとしているが、同時に「碑は存在自体が論争の対象となり、街宣活動、抗議活動など紛争の原因となつている」とも説明している。県はネット右翼の抗議に怖じ気づき「こんなものはなくしてしまえ」という気持ちが、どこかにあったのではないか。◆公園は意思を示す場所「抗議に屈して撤去だなんて。(県は)恥を知れと言いたい」 追悼碑を守る会事務局の矢中幸雄(やなかゆきお)さんは、碑の前で怒りをあらわにした。矢中さんをはじめ守る会のメンバーは14年11月13日、設置期間更新不許可処分の取消を求めて、群馬県を提訴している。訴訟代理人の下山順(しもやまじゅん)弁護士によると、原告の主張はまず、都市公園の効用についてだという。「都市公園法に2条2項に記された『都市公園の効用を全うするため』の施設には記念碑も該当していることから、公園内に追悼碑があること自体は法にのっとっています。そして群馬の森公園は『群馬の歴史、文化を県民に広く伝える機能』を持っていますが、この歴史には当然、旧日本軍がおかした負の歴史も含まれると考えられます」(下山弁護士) 憲法学の観点から見れば、公園は市民の表現の場所としての機能も持っているとも語る。確かに公園では集会やパフォーマンスが日常的に行なわれているし、東京の代々木公園などは、反原発をはじめとするデモの出発・解散地点となっている場所も存在する。「情報伝達手段を持たない市民にとって、公園や道路は主権者の意思を示すための重要な場所で『パブリック・フォーラム』と呼ばれます。ここが表現の場として使われる際は所有者の制約を受けざるを得ませんが、所有者は表現の自由の保障に可能な限り、配慮する必要があります」(同) そもそも追悼式は労務動員されて亡くなった朝鮮人を悼む目的のものであって、決して政治的な行事ではない。群馬県の判断の前提には、重大な事実誤認がある。更新不許可処分は表現の自由を過度に制約し、違憲ではないかと弁護団は主張している。 16年6月までに8回の口頭弁論が開かれ、裁判は現在も継続中だ。設置許可の更新を、原告は果たして勝ち取れるのか。「絶対勝ちますよ。だって県のやり方は理不尽だし、いきなり”死刑判決”をくだすというのは、常軌を逸していますから」 原告側の弁護団長で元参議院副議長の角田義一(つのだぎいち)弁護士は、胸を張りながら自信を見せた。 ちなみに追悼碑の群馬の森敷地内設置にあたっては、01年6月の県議会において、自民党議員も含めて全員賛成で決まっている。その際群馬県が碑文の原案に「群馬県内にも数千人の強制連行者が投入され多数の犠牲を生むにいたった」などの記述を問題視したため、設置者は県や外務省とも協議した上で現在の内容にしている。つまり県側は、碑が「政治的ではない」ことを認めているのだ。「何よりも追悼碑を県立公園内に残すことを一番に考えていますから、この2年間、碑の前で集会を自粛するなど譲歩を重ねてきたのに、『追悼式での発言に問題があったから即撤去しろ』というやり方はおかしい。パブリック・フォーラムと表現の自由の双方から見ても、県は憲法21条に違反していると思います」(角田氏) 福岡県飯塚市や奈艮県天理市などでも、市民団体が朝鮮人追悼碑を「反日的」だと攻撃している。それゆえ、この裁判は他の自治体にも影響を与えることになるだろう。そして公園とは誰のもので、何をする場所なのか。昨今ではヘイトスピーチデモの出発・解散地点にすらなっている公園という場所の存在意義を、問い直すものにもなるかもしれない。2016年9月9日 「週刊金曜日」 1103号 「ネット右翼の抗議で腰砕け?!群馬県のホンネ」から一部を引用 私も基本的に、群馬県は恥を知るべきだと思います。地元の過去の歴史を伝える追悼碑は、将来群馬県で暮らす人々に忘れてはならない史実を伝えるもので、当然残すべきものです。追悼碑を守る会が設置許可を更新しない県側を訴えたのは当然で、県側が「追悼碑があれば政治的発言を誘発することは避けられない」ということを立証できない限り、県側が敗訴することは避けられないのではないかと思います。批判された「政治的発言」は一回、あっただけで、批判を受けた後は、集会を自粛して、「守る会」は「政治的発言なしに追悼碑を守っていくことが可能である」ことを、事実をもって証明しているわけですから、この論理は強いと思います。結局、この裁判は「日の丸・君が代」裁判と似ています。学校の式典で、君が代斉唱時に起立しなかった教員に対し、給料カットとか懲戒解雇という処分はあまりにも重すぎて、かえって職権を乱用した違法な処分であるとして都教委が敗訴した裁判のようなもので、追悼碑の前では政治的発言をしないという約束が守られなかった場合は、せいぜい「次回からは気をつけて」と口頭で注意すれば済む話で、それを「追悼碑撤去」という話にしてしまうのは「違法」であると言えます。裁判所には公正は判断を期待したいものです。
2016年10月26日
戦時中に朝鮮半島から動員されて劣悪な条件下で重労働を強いられ命を落とした半島出身者のための慰霊碑を、群馬県当局が撤去しようとしている問題については、当ブログにも記事を引用したことがありましたが、その問題について、フリーライターの朴順梨(パク・スニ)氏が9月9日の「週刊金曜日」に次のように書いています; 群馬県高崎市にある群馬県立公園「群馬の森」は、約26ヘクタールの敷地にシラカシなどが生い茂る自然公園となっている。1970年に「明治百年記念事業」の一環として計画され、74年10月に設置されたが、戦時中は陸軍岩鼻(いわはな)火薬製造所として、ダイナマイトを製造していた跡地でもある。 その一角にひっそりと、「記憶反省 そして友好」と日本語とハングルで書かれた碑が佇んでいる。市民団体の「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(当時)により計画され2004年4月17日に建てられた、強制連行されて犠牲となった朝鮮人労働者を追悼するためのものだ。◆「政治的」を口実に 高崎市には大日本帝国陸軍の歩兵第15連隊が置かれ、群馬県内には、中島飛行機の各工場や吾妻(あがつま)郡中之条(なかのじょう)町の群馬鉄山(ぐんまてつざん)など、戦争を支えるための労働現場があちこちにあった。そこには朝鮮半島から動員され、物資に事欠き慢性的な飢餓状態の中で命を落とした者がいることが、周辺住民への聞き取り調査などでわかっている。そんな彼らの魂を悼む碑には、こう刻まれている。「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。 (略) ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する・・・」 毎年4月には碑の前で追悼式が行なわれ、現在の管理団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」のメンバーや県会議員、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)群馬県本部や韓国政府関係者などが参加。前橋市の群馬朝鮮初中級学校の生徒たちも、歌などを披露してきた。しかし14年7月22日、群馬県は設置期間(10年間)の更新を認めず、「すみやかに碑を撤去するように」と管理団体に通知してきた。 なぜ早急に撤去しろと群馬県は言い出したのか。その理由を「設置する際に『設置許可については、宗教的、政治的行事および管理を行なわないものとする』という条件を付していたのに、追悼式において政治的な発言があったから」としている。しかし12年頃から群馬県庁に、「なぜ県立公園に朝鮮人の碑があるのか」という抗議が届いてきたことも影響していると、管理団体は見ている。「日本女性の会 そよ風」をはじめ、いわゆる「行動する保守」を標榜する関係者が、12年5月頃から碑文を「反日的」だと、ブログで取り上げ始めた。そよ風は同年4月21日に開かれた追悼集会で朝鮮総聯の関係者が「日本政府の謝罪と賠償、朝・日国交正常化の一日も早い実現と東北アジアの平和のために草の根で活動していきたい」と述べたとする『朝鮮新報』の記事に触れ、「子供達のためにも看過することは出来ません。さっそく、群馬県庁に電話してみました」と書いている。また同年11月には在日特権を許さない市民の会関係者などとともに公園に来園して、高崎土木事務所職員との間にトラブルを起こしている。(後半省略)2016年9月9日 「週刊金曜日」 1103号 「ネット右翼の抗議で腰砕け?!群馬県のホンネ」から一部を引用 群馬県と言えば、かつては保守の大物政治家を続々と輩出した保守王国で、それだけにしっかりした政治風土が根付いているという印象でしたが、どうも最近は、「反日的」などという浅はかな言葉遣いのネット右翼のどう喝で右往左往するような小役人ばかりになってしまったのは、甚だ残念なことです。優れた歴史遺産を、もののわからないネット右翼ごときのクレームで撤去するなど、あってはならないことだと思います。
2016年10月25日
シカゴ大学名誉教授のノーマ・フィールド氏は、今年『日本プロレタリア文学選集』を出版しました。これが、アメリカの大学生にどのように受け入れられたか、9月18日の「しんぶん赤旗」のインタビュー記事は、次のように伝えています; 今年、アメリカで『日本プロレタリア文学選集』(シカゴ大学出版局)が出版されました。日本のプロレタリア文学が、英語圏で翻訳・紹介されるのは、83年ぶりです。共編者のノーマ・フィールド・シカゴ大学名誉教授に聞きました。<北村隆志記者>-刊行のきっかけは、共編者のヘザー・ボウ工ン・ストライクさんとの出会いだそうですね。 彼女は、2001年の博士論文でプロレタリア文学を取り上げていました。なぜかと聞いたら、「日本の近現代文学のなかで、一番面白い作品群だから」という、明快な答えでした。 日本の近代文学が描いたのは、主にエリート男性、インテリ男性の内面です。夏目漱石の『こころ』もそうです。これに対し、プロレタリア文学は、変革の目的をもって、現実を正確に理解し表現しようとしました。 人間らしい生き方から疎外されている事実に、目覚める人たちを描くのがプロレタリア文学の一典型です。小林多喜二の「同志田口の感傷」や佐多稲子の「祈祷(きとう)」など、私たちの『選集』にも多くの例があります。 貪因も抵抗もていねいに見ていくと、さまざまな色合いがあり、収録作品はそれぞれの境遇の個性を提供してくれます。◆児童文学に一章-プロレタリア児童文学にも一章を設けたのが目を引きます。 日本プロレタリア文学運動の始まりは、よく1921年の『種蒔く人』の創刊といわれますが、もう一つの「始まり」があったと言えなくもないと思うのです。 それは新潟県木崎の小作争議です。同盟休校の子どもたちのための適切な読み物がなかったので、応援の学生たちは自分たちで創作したんです。こうした子ども(新しい読者)のための適切な題材、形式、表現など、プロレタリア文学が直面した課題に、彼らはいち早く向き合っていました。 その後もプロレタリア児童文学には、プロレタリア文学と共通の問題が凝縮されています。-出版後、アメリカでの反響はいかがですか。 6月に京都で開催された「アジアにおけるアジア学会」で、カリフォルニア大学の教員が、「みんなあの本を授業で使っているのよ」と教えてくれました。 今春、ロッキー山脈に囲まれたモンタナ州立大学に授業で招かれた時、松田解子の「ある戦線」を教材にしました。学生たちは作品のテーマに敏感に反応し、自分たちが抱える問題と見事につないでくれました。戦争と雇用の関係、軍事化学産業の職場環境の有害性、ジェンダーとセクハラの問題などです。 この作品は、労働条件改善のたたかいが同時に侵略戦争への抵抗として描かれていますが、それも討論のテーマになりました。 また、翻訳者の一人がカナダの大学で行った授業では、学生たちは『選集』に刺激されて、巻物のミニコミやアジプロ(宣伝)のビラを制作しました。みずから「壁小説」(壁新聞のための短い小説)を書いた学生もいたそうです。◆なぜ書き続けた-本書の「序文」には「(ソ連などの失敗を理由に)日本プロレタリア文学の作家たちの苦闘と業績を抹殺するのは過ち」とあります。 日本のプロレタリア文学運動は最初からたいへんな弾圧にさらされました。身の危険だけでなく、伏せ字や削除によって、肝心の言葉すら読者に届かない場合もあるのに、なぜ作品を書き続けたのか。 彼ら彼女らは、文学だけで社会変革ができると思っていませんでしたが、同時に、文学抜きで可能だとも思っていませんでした。 社会的、つまり制度的抑圧は気付きにくいものです。自分の精神的、肉体的被害を認識し、ひとと共感し、手を結ぶこと以外に将来に向けての希望などありえません。 彼らにとって文学は最高に豊かな世界認識とコミュニケーションの手段だったのです。それらの小説は、現代のツイッターやフェイスブックにあたるかもしれません。双方を比べてみるのも有意義だと思います。<ノーマ・フィールド 1947年東京生まれ。日本文学専攻。著書に『天皇の逝く国で』『小林多喜二』ほか>2016年9月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「米国で『日本プロレタリア文学選集』出版」から引用 昔の小作争議のときは、都会の学生も闘争支援に駆けつけ同盟休校している子どもたち向けに物語を書いた。それがプロレタリア児童文学の始まりだったというエピソードは興味深く思います。そういう闘いの伝統は60年代までの農村には受け継がれていたと思います。東大全共闘が安田講堂に立てこもって機動隊と小競り合いした頃、ことの成り行きをテレビで見ていた農民の中には、学生たちがどこまで本気で闘っているのか、徹底抗戦で餓死者まで出るくらい真剣に闘うのならオレ達も米俵をかついで闘争支援に行くぞ、という農家もいましたが、時代はすでに権力側が圧倒的な物量を装備しており、これを実力闘争で克服するのは無理な状況になっていたため、戦術を転換せざるを得なかったのは時代の流れだったと思います。
2016年10月24日
東京新聞・中日新聞経済部編「人びとの戦後経済秘史」(岩波書店・2052円)について、ジャーナリストの池上彰氏は、9月4日の東京新聞に次のような書評を書いている; 多くの若者は、歴史を暗記科目だと誤解しています。複数の大学で現代史を教えている私の実感です。年号が頻出し、固有名詞が多数出てくるのですから、そう考えるのもやむをえません。 その若者たちにとって、水俣病や四日市の大気汚染など高度経済成長期に発生した日本の公害問題は、約50年前の出来事。完全に歴史上の出来事です。 しかし、もしあなたが、そのとき、チッソ水俣工場で働いていたら・・・、四日市の工場で働いていたら・・・。 あなたは何ができたでしょうか。周辺住民の健康と生活を守るために、工場の内実を告発できたでしょうか。それとも自分の生活を守るために沈黙を守ったでしょうか。こう考えると、公害問題は歴史ではなく、まさに現代の問題であり、私たちの生き方の問題なのです。 本書には、当時、大量の硫黄酸化物を排出していた企業で、会社を守ろうとした立場の人、告発に踏み切った人の双方の証言が出てきます。当時を知る人が次第に消えていこうとする現代、「いま取材しなければ、永遠に間に合わない」という焦りが取材班を突き動かしました。 人々の証言を聞いた取材班は、こう述懐します。 <戦争も公害も組織内部では多くの人が「おかしい」と思いながら破局に向け突き進んでしまった。福島の原発事故も同じ構図だ>(評者池上彰=ジャーナリスト)2016年9月4日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-今をどう生きるか 問う」から引用 戦争のときも公害のときも「これはおかしい」と思った人が大勢いたのに破局まで突き進んだという認識は、重要です。私たちは、原発の問題でも同じ轍を踏むべきではありません。さすがに「もんじゅはダメだ」という点には気がついて、ようやく止めることになったようですが、そもそも原発はダメなんだという所まで話をレベルアップするために、原発反対の声を広げていく必要があると思います。
2016年10月23日
国籍関係の専門家で、当ブログに一昨日昨日と引用した「週刊金曜日」のQ&A記事を監修した早稲田大学非常勤講師の遠藤正敬氏は、次のような一文を寄稿している; 蓮舫議員が不注意で二重国籍のままであったことを天下の大罪かのように攻撃する人々は、日本国籍の歴史を知っているのだろうか。 近代日本の国籍観念は実にユニークな性格をもっていた。「万世一系」の「現人神」天皇が「家長」として治める「家」が日本であり、すべて人民はこの日本という「家」に入ることで「天皇の赤子(せきし)」たる「臣民」として包摂(ほうせつ)された。1950年まで施行されていた旧国籍法では、この家族国家思想に基づき、外国人は日本人との婚嫡や義子縁組などによって日本の家に入れば「日本人」となった。この場合、自分の意思による国籍取得(帰化)ではないので二重国籍となることも許されていた。 また、旧国籍法では兵役義務を終えるまで男子の日本国籍離脱を禁止していた。このため、北米・南米の出生地主義を採る国で生まれた日本人移民2世は二重国籍になり、排日運動の標的にされた。 つまり、国籍単一の原則は遵守されてはいなかった。家族の国籍の一致や国家への奉仕が二重国籍の解消よりも優先されたのである。「日本人」を画定する血統主義の貫徹もなされていなかった。むしろ「日本人」の門戸は戦前の方が開放的であったといえる。 現在も血統主義といいながら、日本で発見された「棄児」は直ちに戸籍を与えられ、目が青い子や肌が褐色の子でも「日本人」とされる。その一方で「残留孤児」のように、元々「日本人」でありながら戦争の影響で戸籍を抹消され、戸籍を回復しようにも証拠資料がないために日本国籍を証明できず涙する人々もいる。 まさしく誰を「国民」とするかは国家のオポチュニズム(機会主義)で決まるのである。その結果、「民族」や「血統」は限りなく擬制に近づく。必要な時は「日本人」であり、不要な時は「日本人jでない。植民地支配において朝鮮人や台湾人が与えられた「日本国籍」はそのような意味であった。 国家が便宜的に扱う国籍を、なぜ個人が便宜的に扱ってはいけないのか。日本ではこうした問題提起すら波紋を呼びそうである。2016年10月7日 「週刊金曜日」 1107号 28ページ「国家の都合で決められてきた『国民』」から引用 この記事が指摘するように、この世に生まれた人間にとって「国籍」などというものは、その都度国家権力が便宜的に使ってきたものであるから、場合によっては国民の側も便宜的に扱っていけないわけがありません。そういう論理を否定する根拠がないから、国籍法も「努力規定」であって、罰則を設けるわけにはいかない。これが近代の価値観というものでしょう。わが国は国民主権の民主政治が始まって71年になったとは言え、まだまだ「国民は『お上』の意向に服従して生きるのが当然」という戦前の意識から脱却できない人々が、蓮舫議員の二重国籍問題を「天下の大罪」であるかのように言いつのっているのだと思います。
2016年10月22日
昨日の欄に引用した「二重国籍Q&A」記事の続きは、国籍に対する日本国の対応や国際社会の動向について、次のように解説しています;(昨日のつづき)Q4 二重国籍の人が外国の国籍から離脱することが努力義務だとすると、政府は離脱しない人に対してそれを促すような働きかけはしないのでしょうか?A4 二重国籍の人は、22歳になるまで(20歳に達した後に二重国籍になった場合は二重国籍になったときから2年以内)にどちらかの国籍を選択する必要があり、選択をしなかったときには法務大臣から国籍選択の催告を受け、場合によっては日本の国籍を失うことがあると国籍法は定めています。ただし、実際に催告されたという例はこれまで一度もありません。戸籍をみれば二重国籍であるかどうかはすぐに調べることができます。これをやらないのは、結局、個人に一方の国籍の離脱を強制することはできないという考えが日本政府にもあるからです。Q5 台湾人と結婚した福原愛選手は、日本と台湾の二重国籍になるんですか?A5 なりません。外国人との婚姻によって国籍が変わるという規定は日本・台湾どちらの国籍法にもありません。2人に子どもが生まれたら二重国籍になりますが、福原愛氏自身にはなんの変化もありません。日本の戸籍制度のもとでは、国際結婚しても、福原氏の新しい戸籍には江宏傑(シャンホンジェ)氏と婚姻した事実だけが載り、夫として江氏の名前が載ることはありません。日本の戸籍に載るのは日本国籍を持つ人に限定されるからです。逆に福原氏が江氏の戸籍に入ることもありません。台湾の戸籍も登録されるのは台湾人だけです。したがって「福原愛入籍」という表現は正しくないですね。Q6 そもそも二重国籍はなぜダメなのでしょうか? どんな問題があるのでしょうか?A6 一般的には国籍を持つ国との間で二重に権利義務が発生するということが問題とされています。権利としては参政権、国家公務員の就任権などです。義務でいえば兵役が挙げられます。それに、二つの国の国民となることによって、テロ行為やスパイ行為に利用される可能性があります。 また海外で危害にあったとき、どちらの国家がその人を保護するのかという外交保護権の衝突が生じるとされています。実際に衝突した例としては、1951年に起きたノッテボーム事件があります。リヒテンシュタインとグアテマラの二重国籍を有するノッテボームという人をめぐり外交保護権が衝突した事件です。このとき国際司法裁判所は、居住期間が長く、生活の本拠のある国が勝つという判決を出しました。つまり、国籍が二つあっても、定住地や勤務先がある国の国籍、すなわち実効的国籍が優先されるので、それによって多くの問題は解決します。Q7 グローバル化の進む現在、世界の国籍法はどのような傾向にあるのでしょうか? 世界で二重国籍を認める国が増えているって本当ですか?A7 人の国際移動が激増したことで、移民2世や海外定住者の子にも国籍を与えるように、単純な血統主義または出生地主義を採る国は少なくなっています。たとえば血統主義を原則としつつ適度に出生地主義を取り入れるというような「折衷主義」ですね。欧州や米国、カナダなどがそうです。ドイツは日本と同じ伝統的な血統主義でしたが、1999年に出生地主義を導入した国籍法に改正し、外国人の子でも、親の一方が合法的に8年以上定住しているなどの条件でドイツ国籍になるとしました。フランスも出生地主義を部分的に取り入れています。 米国、カナダ、ブラジルなどの出生地主義の国は血統主義に比べて二重国籍を生じやすいため、二重国籍を認めています。韓国も2011年から部分的に二重国籍を認めるようになりました。各国の関心は無国籍の防止にあり、二重国籍は容認する傾向にあります。 こうしたなかで日本は、二重国籍を認めず、国籍選択の強制をするわけです。そして、単純な血統主義を頑(かたく)なに維持しています。出生地主義を例外的に採用しているのは、親が不明の「棄児」の場合だけです。日本で生まれ、何十年も日本で暮らしても、親が日本人でなければ外国人なのです。 日本ももっと地縁を重視し、「折衷主義」へ転換していくべきではないでしょうか。多様な「日本人」が国を豊かにしていく時代です。作成/内原英聡、渡部睦美・編集部監修/遠藤正敬えんどう まさたか・早稲田大学、大阪国際大学などで非常勤講師。著書に『戸籍と国籍の近現代史 民族・血統・日本人』明石書店、2013年)など。2016年10月7日 「週刊金曜日」 1107号 26ページ「Q&Aでわかる! 二重国籍バッシングの誤解」から一部を引用 この記事を締めくくる最後の一文は、印象的です。元々日本列島には、シベリアから樺太を通って南下した民族と、朝鮮半島から移ってきた民族、東南アジアからフィリピン、台湾、沖縄諸島を北上した民族と、多様な人々が移り住んで豊かな文化を築いてきたわけですから、ここで門戸を閉じて少子高齢化に悩むよりは、オープンにして、多様な「日本人」を受け入れて豊かな国づくりを考えるべきだと思います。
2016年10月21日
民進党の代表選挙の直前に突然起きた蓮舫議員の二重国籍問題は、代表選挙が終わって蓮舫氏が代表に選出され、本人が「違法性はない」と発言して、それで騒ぎは消滅してしまいました。当ブログのコメントには「国籍法に違反している」との指摘もありましたが、そんなことを言うメディアは皆無、これは一体どういうことなのか、疑問を氷解させる記事が10月7日の「週刊金曜日」に掲載されました。記事は、次のように解説しています;Q1 出生地主義、血統主義って何ですか? 国籍の取得方法が国ごとに違うのはなぜでしょう?A1 国籍という考え方が朧気(おぼろげ)ながらまとまっていくのは中世と言われています。当時は封建時代なので、国王の私有物である領土があって、そこにいる人はすべて国王の領民という考え方でした。人は土地の従属物であるから、生まれた土地の国籍を付与されます。これが出生地主義となります。代表的なのは英国です。 それが近代になって、封建制を打倒するフランス革命が起きて変わりました。ナポレオン法典と呼ばれる最初の国籍法は、地縁よりも血縁を「国民」の要素として重視し、親の国籍を子が受け継ぐ血統主義を採用しました。血統主義にはもともと、反・封建制の思想があったのです。また、血縁を同じくする人間が国家を形成していくというローマ法の伝統が近代国民国家の理想として継承されました。血統主義はフランスをはじめ、ドイツ、イタリア、オーストリアなどのヨーロッパ大陸で広まっていきました。 片や出生地主義は英国のほか米国、カナダ、ブラジル、オーストラリアなどの移民を主体とした国で採用されていきます。外部から入ってきた人間で国民国家を形成するわけですから、地縁で統合するのが適切だったのです。 一方、アジアは血統主義の国がほとんどです。日本は、国民の要素となる人種の決定要因は血縁であるとの考えとともに、国家の基盤となる家族の国籍の一致を維持するため父系血統主義を明治期に採用しました。家族において父系の血を優先するのが当然と考えられたのです。そして「単一民族神話」が見出せますね。これが戦後も続き、1979年に成立した女性差別撤廃条約という”外圧”によって、1984年に日本はやっと父母両系血統主義に変わります。社会党(当時)の故・土井たか子氏をはじめとする国会議員の働きかけや、無国籍になっていた沖縄のアメラジアンの子どもたちを救済しようという運動も大きな要因になりました。Q2 二重国籍を有する人は、国会議員の資格がないのですか?A2 国会議員になるにあたって、二重国籍を持っていてはいけないという規定はありません。日本国籍であれば国会議員になることは問題ないのです。 今回の蓮舫氏の「党首資格格云々(うんぬん)」の話は、国会議員は主権国家のなかにあって国民の代表であり、ましてや党首となると場合によっては首相として政府の長になる可能性もあるだろうことから出てきたものです。そういう立場の人が別の国の国籍を持っていると、その国と内通し、国家機密を漏洩(そうえい)するなどの疑惑を招くということなのでしょう。 ですが、それも国籍についてだいぶ守旧的で硬直した思考にみえます。今や世界には多くの移民や難民が往来し、主権国家という概念は揺らいでいます。「内通」を懸念するような人は、単一の日本国籍であればその危険はないと考えるかもしれませんが、国籍はいったん取得したら「国民」として盤石の忠誠心を生み出す源泉というわけではありません。「日本人」でもルーツをたどれば、世界各地から来て”帰化”した人たちがいます。その人たちは国籍が日本でも、アイデンティティは祖国や故郷にあるかもしれません。逆に、重国籍の人は場合によっては複数の言語ができ、多文化に精通し、海外との広い人脈を持つ人間であったりします。まさに有益な「グローバル人材」になるのではないでしょうか。国会議員にそういう人がいるのは、外交上プラスの面もあると考えられます。二重国籍を”資源”ととらえる柔軟な視点がもっと根付いていいはずです。Q3 蓮舫氏はなぜ17歳のとき日本国籍を取得できたのですか? 重国籍の片方の国に、国籍の抹消を要請するのは義務ですか?A3 蓮舫氏は、父が台湾人、母が日本人です。彼女が生まれた時、日本の国籍法は父系血統主義だったので、彼女は台湾人となりました。国籍法は1984年に父母両系血統主義に改正され、85年1月1日に施行されました。蓮舫氏はこれを機に17歳のときに日本国籍の取得を届け出て、日本国籍を取得しました。この時点で二重国籍となります。 日本の国籍法では、二重国籍を持つ人は、外国の国籍を離脱するか、あるいは日本国籍の選択を宣言する届出をすると定められています。ただしこれは、罰則規定のない「努力義務」です。 しかし中華民国(台湾)の国籍法では、未成年者は中華民国の国籍を離脱することができないと定めています。20歳になった時点で、内政部という政府機関に国籍離脱の許可を申し立て、許可が下りれば国籍を離脱できます。当時17歳の蓮舫氏では、法的に離脱することはできなかったはずです。なので、今になって離脱の手続きが完了したということでしょう。 今回の件でもうひとつ考えておかなければいけないのは、日本政府は中華人民共和国が中国の唯一の代表政府であり、台湾はその一部であるという立場を否定していないということです。だから蓮舫氏をはじめ、メディアも「台湾国籍」ではなく「台湾籍」という言い方をしています。これに則り台湾が「国家」でないとすると、今回の「二重国籍」バッシングが前提から崩れます。自民党が沈黙しているのもこれが理由でしょう。バッシングする側も堂々と「台湾国籍」とは言えない。 また、もし蓮舫氏を中国国籍とみなせば、中国の国籍法は二重国籍を認めておらず、外国の国籍を取ったら自動的に中国の国籍を失うと定めています。そうすると、蓮舫氏はそもそも二重国籍ではなかったという話になります。(後半省略)2016年10月7日 「週刊金曜日」 1107号 26ページ「Q&Aでわかる! 二重国籍バッシングの誤解」から一部を引用 この記事が指摘するように、二重国籍を持つ政治家は外国の政府と内通して国家機密を漏洩する危険があるなどという発想は、安っぽいスパイ小説の発想であり「守旧的で硬直した思考」というほかありません。また、国籍法は「努力義務」を定めたものですから、本人がうっかりしていただけなのに、それを「違法だ」というのは、まるで「政府批判の番組は放送法第4条に違反している」と主張するのと同じ「暴論」というものであって、法的に問題はないという蓮舫氏の説明に誤りはないということのようです。また、その後の報道によると、蓮舫氏は台湾当局に申請して正式に台湾籍を離脱し、取得した離脱証明書を区役所に持って行ったが、区役所側は「我が国は台湾を正当な政府とは認めていない」との理由で受付を拒否されたとのことですから、結局あの騒ぎはなんだったのか、ということになるようです。
2016年10月20日
生活保護不正受給に対する過剰なバッシングや外国人へのヘイトスピーチ、貧困問題を取り上げる番組に出た女子高生へのバッシング、重度身体障害者殺害事件などには、共通する「心理」が働いていると、9月11日の東京新聞に、上智大学教授の三浦まリ氏が書いている; わたしたちの社会はいつから分断と攻撃に溢(あふ)れるようになったのだろうか。NHKのニュース番組が子どもの貧困問題を取り上げたところ、番組で自らの体験を語った高校生に対して、この生徒は「貧困ではない」という誹誘(ひぽう)中傷がインターネットで噴出した。こちら特報部(8月23日)では「炎上の異常」として、この事件を丁寧に追い、「相対的貧困」という概念への無理解と、過剰な自己責任論が騒動の背景にあると指摘する。 日本社会が貧困の存在にようやく気づくようになったのはリーマン・ショック後の2008年末に日比谷派遣村が生まれ、反貧困ネットワーク等の取り組みが知られるようになってからだろう。それから8年たった現在、無関心はむしろ攻撃へと転化してしまったようである。 自分が生きていく生活空間のなかで他者の貧困を目の当たりにすれば、私たちば手を差し伸べる。そうした倫理性をわたしたちの誰もが持っているはずだが、貧困が「捏造(ねつぞう)」されたものであるなら話は別になる。助けるべき「正しい」困窮者と、資格がないにもかかわらず助けてと叫ぶ「正しくない」困窮者とに分け、後者を激しく叩(たた)くのだ。こうしたヘイトの心理は生活保護バッシングにおいても、相模原障害者殺傷事件でも共通して見られる。だからこそ政治家の役割は、貧困問題を正しく理解し、ヘイトに毅然(きぜん)と闘うことにあるが、片山さつき議員はやらせ報道ではないかとNHKに問い合わせる旨をツイー卜したという。政治家がヘイトを煽(あお)り、社会の亀裂を利用する状況を社会の側が止めなくてはならない事態となっている。 東京新聞は貧困問題に迫る良記事が多いが、なぜそれでもなお相対的貧困への理解は深まらないのだろうか。「記者の眼」(9月6日)で木原育子記者が言うように、低所得者の投票率が低いことが貧困と政治の距離を広げている。同時に社会からの無関心を解決しなければ、その距離は縮まらないだろう。 だからこそ、無関心と闘う市井の人々の取り組みをもっと報道してほしい。「貧困高校生」報道問題を受けて若者グループのエキタスが8月27日に新宿で主催した貧困叩きに抗議するデモは記事にすべきだった。当事者が勇気を持って上げた声をわたしたちが聞くことができるのは、メディアが取り上げた時だからだ。 外国人との共生に関しては、池袋の公園での日中おしゃべり交流(8月12日)や埼玉県川口市の団地での共生の試み(8月22日)が希望を感じさせた。琉球新報を転載する「辺野古・高江リポート」も沖縄と本土との隙間を埋める貴重な情報源だ。裂けていく社会の綱目をつなぎ直す仕事を東京新聞には今後も期待したい。(上智大学法学部教授)2016年9月11日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-社会の分断つなぎ直す」から引用 他者の貧困を目の当たりにすれば救済の手を差し伸べるという倫理性を、私たちは見失ってはなりません。資格がないにもかかわらず「救済」を受けようとするケースには、行政や然るべき組織が適切に対処するべきであって、社会に不満をもつ勢力の「攻撃材料」にしてしまったのでは、セーフティネットの本来の意義も損なわれかねません。健全な社会を維持していくために、メディアは真摯に貧困問題を報道してほしいと思います。
2016年10月19日
貧困問題と投票率の関係について、東京新聞社会部の木原育子記者は、9月6日の同紙コラムに次のように書いている; 貧困に陥ると、夢や希望を持てないばかりか、さまざまな権利が知らないうちに奪われかねない。今夏の参院選と都知事選を取材し、選挙権もその一つだと感じた。貧困を個人の問題に閉じ込めず、皆が当事者意識を持って捉えるようにしたい。 格差を広げないために、政治は何ができるのか。 そんな問いの答えを求めて、私は参院選前の3カ月間、貧困家庭に無償で食料を配る「フードバンクかわさき」(川崎市)で同行取材を続けた。だが、食料を受け取る人々に、政治や選挙について尋ねても反応は鈍かった。難病で生活保護を受けている34歳の男性は「人さまに迷惑をかけているのに、権利を行使していいのか・・・」と消えそうな声でつぶやいた。 参院選後、主な配達先の川崎市内7区の今回の投票率と貧困の関係を調べて、がくぜんとした。投票率が最高の区は生活保護の受給率が最も低く、投票率が最低の区は受給率が最も高いという結果だったからだ。 偶然とは思えなかった。区ごとの投票率の差は約10ポイント。「一票」で思いを届けるべき人から政治はあまりに遠かった。低投票率は「政治への無関心」層を表すだけでなく、貧困層のSOSをも映し出していた。 フードバンクの利用者は本来、一番、政治を必要とする人々だ。低賃金の非正規雇用の人も多く、政府が進めた規制緩和に端を発していたり、社会保険料の引き上げで、さらに追い込まれていたりする人もいた。 しかし、疲れ果て、一票という意思表示をしない人々に、政治家は関心を向けようとはしない。ますます置いてきぼりにされる負の連鎖が起きている。 参院選後の都知事選で、私は小池百合子さんを担当し、方々の遊説を聞いたが、貧困対策が訴えの中心になることはなかった。短い選挙戦では、待機児童対策など有権者の関心の高い施策が論戦になりがちだ。 生活保護受給者の自立を促すシェルターに勤める女性は「そもそも投票所入場券が来ているかも怪しい」と指摘する。大量のマイナンバー通知カードが未達なのも「住まいを転々とし、身を潜めて生きざるをえない人たちのSOSかも」。 ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏は「貧困とは、潜在能力を実現する権利の剥奪」と述べている。 貧困と政治の距離を縮めていくために、私たちは何ができるのか。2つの選挙が続いた熱い夏は終わっても、宿題は残っている。(社会部)2016年9月6日 東京新聞朝刊 7ページ「記者の目-貧困と低投票率」から引用 生活保護不正受給に対する過剰なバッシングが、正規の受給者を萎縮させて卑屈な心境に追い込んでいるのは問題です。「人さまに迷惑をかけている」などと言わないで、日本国民としての権利を行使しているとの自覚をもって、行政が用意したセイフティネットの制度に素直に感謝できるような社会環境が必要と思います。
2016年10月18日
この夏に永眠したジャーナリストのむのたけじ氏について、ルポライターの鎌田慧氏は、8月23日の東京新聞コラムに次のように書いている; 今日、埼玉の斎場で、拙著『反骨のジャーナリスト』の最後の生存者、むのたけじさんのお骨をあげる。訃報は21日朝、同居している末っ子の大策さんからきた。 とっさに思い浮かんだのは5月3日、東京湾岸の有明防災公園。仮設舞台に車イスで登場、マイクを握った右手を振りまわしている雄姿だった。 「憲法9条が平和の武器だ」と語った。その大音声はマイクがなくとも、会場を埋めた5万のこころの隅々にまで届いているようだった。 その日は自宅のあるさいたま市から、大策さんが混雑を避け、車イスを押して電車でやってきた。帰りもだったから、無理をお願いしたわたしは不安だった。案の定、体調を崩されてお茶の水の病院に入院、回復することなく、他界された。 集会のあと、故郷秋田県横手市で、旧制中学の恩師、石坂洋次郎の没後30年の集いに出席するのを楽しみにしていた。石坂さんにはかわいがられた、とむのさんは少年のような笑顔になった。 「憲法を守れ」は5月3日大集会での101歳のアピールだった。敗戦を迎えたあと、大本営発表を記事にしていた自分を恥じ、朝日新聞を退社。帰郷してローカル紙「たいまつ」を創刊し、反戦を訴えつづけた。 9条破壊が叫ばれ、たいまつは一段と輝く。相手に負けない考えをつくれ。むのたけじの遺言である。(ルポライター)2016年8月23日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「101歳 反戦の遺言」から引用 作家の石坂洋次郎は、旧制横手中学に勤務する前に横手女学校に勤務したことがあり、私の伯母はその時の教え子で、戦後売れっ子の作家になってからも、教え子たちがクラス会の連絡をすると、気さくに出席してくれると喜んでいたものでした。旧制横手中学は、戦後県立横手高等学校となって、1966年から3年間、私もそこで学びました。当時の高校はたいてい部活で「社研」というのがあって、私の記憶も定かではありませんが、正式名は「社会科研究会」だったか、まさか「社会主義研究会」ではなかったと思いますが、私もそういうグループにいて、たまたま、むのたけじ氏が横手高校の近くに住んでいたので、放課後に裏山で開いたミーティングに参加していただいて、「生徒会の自治」みたいな話題で討論したような記憶があります。その時の雑談で、誰かが「文化祭に石坂洋次郎先生にきてもらって講演していただくのは、どうだろうか」という発言をしたとき、むの氏は「さあ、それはどうかな。横手の人たちは、小説を発表し始めてからの石坂先生には、あまり好意的じゃなかったからねぇ」と言ったのを、何故か私は記憶しております。それから2~30年たって、新聞に石坂洋次郎氏の訃報が新聞に出て「横手高校で記念講演中に倒れた」と書いてありました。それを読んで、私は何十年も前のむの氏の「さあ、それはどうかな」との発言を思い出し、そうか、石坂洋次郎氏は過去の恩讐を超えて、横手市民に何かを語ろうとしたんだなと思ったものでした。
2016年10月17日
昨日の欄に引用した東京新聞の記事の続きは、「騒動」が起きた原因について、次のように分析している; なぜこれほどの騒動になったのか。 NHK広報局は「放送内容に問題はないと考えている」と書面で回答した。 講演会を主催した神奈川県子ども家庭課の小島厚課長は「今どきの子どもは見た目は普通で、スマートフォンなども持っている。でもお金がなく食費を制限したり、部活の遠征にいけなかったりする。講演会は、そういう見えづらい貧困について、理解を深めようという目的だった。なぜこんなことになってしまったのか・・・」と落胆する。 元日本テレビディレクターの水島宏明・上智大教授(メディア論)は「NHKの報道に配慮に欠けた点があった」とみる。 貧困者の暮らしぶりを取材すると、大きなテレビを所有しているなど一見、経済的に余裕があるかのような印象を受けるケースが少なくないという。水島氏は「テレビは知人から譲り受けたり、中古品を安く購入したりしたのかもしれない。小さなものでも、現在はデジタル画像を拡大すれば、映り込んだものはたいてい特定される。制作者側は、視聴者から余計な批判を受けないよう、豪華そうに見えるものが映らないようにすべきだった」と指摘した上で、「脇が甘い報道で貧困者バッシングが起き、それで報道が萎縮し、取材される側も慎重になって、貧困が可視化されなくなることが最も問題だ」と懸念する。 山野良一・名寄市立大教授(社会保育論)は、公の場で貧困を語る高校生をNHKが紹介した点について「貧困は、今の日本ではとても恥ずかしいこととされている。自分自身の口で、子ども同士の間に不平等があると述べたのはとても勇気がいること」と評価。その傍ら、バッシングを招いたことには「社会的に弱い立場に置かれた人をいじめることで、自分の地位が上だとの錯覚に陥りたい人は多い。現在は生徒に対する人権侵害に近い状況になっている。番組制作にもう少し細かい気遣いがあってもよかった」と残念がる。 戸室健作・山形大准教授(社会政策論)は「そもそも相対的貧困に対する認識が間違っている」と嘆く。 所得が真ん中の人の半分に満たない人の割合を示すのが「相対的貧困率」。2012年時点の厚生労働省の調査では、相対的貧困層とされる年所得は122万円未満。これを下回る水準で暮らす18歳未満の子どもの割合は16・3%と、6人に1人に上る。14年には子どもの貧困対策推進法が施行され、国や自治体の取り組みも始まっている。にもかかわらず、今回のバッシングを見ると、貧困といえば、アフリカ諸国の飢餓状態などをイメージする人が一定数存在する。 戸室氏は「日本のような先進国では、途上国と異なり、最低水準の生活が保障され、教育や職業選択の自由などの恩恵を受けられる。これらは当然、貧困層にも保障されなければならないが、低所得のために十分享受できないのが相対的貧困状態だ」と説く。 貧困を自己責任と捉える向きには「低所得層の家庭に生まれた子どもは、他の子と同じように塾に通うことができないといった経済的制約を受ける。結果、低学力・低学歴となって安定した職業に就けず、次世代まで貧困を引き継いでしまう。これのどこが自己責任なのか」と反論する。 戸室氏は、バッシングに乗じた格好の片山氏も指弾する。生存権を定めた憲法25条の2項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」を引き、「貧困の解消は国の義務。片山氏の発言はこの条文に逆行しかねず、憲法違反に近い内容だ」。 戸室氏は、貧困な政治に目を向けるよう促す。 「恐らく、高校生を批判する人たちも低所得なのだろう。『自分たちは不平不満を言わずに努力して頑張っているのだから、おまえも不満を言うな』と反発し、憎悪しているとしか思えない。本来なら、彼らも高校生とともに、国に対して社会保障制度の充実を訴えるのが筋ではないか」<デスクメモ> ジャーナリストの安田浩一氏は、ネット上で匿名の陰に隠れ、集団で誰かを罰する行為を「ネット私刑(リンチ)」と名付けた。個人情報を暴かれた方はたまったものではない。誤った情報は確実に打ち消したい。ヘイトスピーチしかり、災害時のデマしかり。報道機関の役割は重要だ。(圭)2016年8月23日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「『相対的貧困』理解されず」から引用 問題になった番組を放送したNHKは、番組に問題はないと考えていると明言しており、暗に「視聴者の資質の問題だ」と言っているようで、確かにそうに違いないと私も思います。 大学教授の水島、戸室の両氏は、誤解を与えるような映像を流したNHKはワキが甘いと言ってますが、そう言ってNHKを批判するよりは、相対的貧困を理解できない低レベルの視聴者の意識向上のほうに努力を向けるべきではないかと思います。 最後に登場する戸室氏の発言は、なかなか適切で、こういう的外れなバッシングをする連中も、同じような経済的困難を抱えているのではないかとの推論は、当たっているだろうなと私も思います。また、この騒ぎに便乗して更にバッシングを煽ろうとした片山さつきは最悪で、国会議員の風上にもおけない。有権者は片山さつきの議員としての資質について、再度厳しく見直すべきだと思います。
2016年10月16日
今年の夏は、貧困問題を訴える高校生のテレビ番組がきっかけで、報道された高校生を中傷する騒ぎがあった。8月23日の東京新聞は、次のように報道した; NHKのニュース番組で子どもの貧困問題を取り上げたところ、番組内で自らの体験を語った高校生を巡り、インターネット上で「この生徒は貧困ではない」などと誹誘(ひぼう)中傷が噴出している。この高校生は、食うや食わずの生活ではないが、母子家庭で経済的に苦しく、進学を断念せざるを得ない状況に追い込まれている。「炎上」の背景には、貧困の実相を幅広くとらえる「相対的貧困」への無理解と、生活保護バッシングに通じる過剰な自己責任論がありそうだ。(白名正和、三沢典丈) 炎上中のNHK番組は、18日放送の「ニュース7」(午後7暗から同7時半)。リオデジャネイロ五輪の話題で盛り上がる中、子どもの貧困問題コーナーに4分20秒を割いた。 コーナーの冒頭、アナウンサーが「ひとり親世帯は半数以上が貧困状態にある」と説明した上で、高校3年の女子生徒に光を当てる。生徒は、アルバイトで家計を支える母親と2人暮らし。自宅に冷房はなく、夏は首に保冷剤をあててしのぐ。将来はデザイン系の仕事に就くのが夢だが、「経済的な壁に直面し、進学をあきらめざるをえない状況に追い込まれている」とのナレーションが付く。 生徒自身が貧困かもしれないと気付かされたきっかけが、パソコン用のキーボード。中学時代にパソコンの授業についていけなくなったものの家にパソコンがなく、母親がせめてキーボードの練習用にと、千円ほどで買ってくれたのだ。 生徒は、神奈川県が設置した「かながわ子どもの貧困対策会議」の部会に参加。18日に同会議が横浜市内で開いた講演会で登壇し、高校生や教員ら約100人を前に「あなたの当たり前は当たり前じゃない人がいる。子どもの貧困の現実を変えるために、まずこのことを知って」と訴えた。 来場者の「(貧困の実態を)初めて知り驚いた」「パソコンの授業でこんなつらい思いをしている人がいるとは、胸に突き刺さる」などの感想とともに、生徒による「将来的には子どもの貧困対策として何かが形として実現できれば」との言葉で締めくくられた。 放送直後からネットは荒れた。あおったのは、「生徒の自宅の映像に、1万数千円の高価な画材が映っていた」との匿名の「告発」。「クーラーみたいな物が映っていた」「部屋にアニメグッズがたくさんある。売ればパソコンぐらい買えたはず」などの書き込みが相次いだ。 矛先は「報道はやらせだ」とNHKに向けられる一方、生徒のものとみられるツイツターアカウントが「発見」され、日常生活の一部を暴露。「この生徒は貧困ではない」との誹誘中傷の根拠とされている。 果ては、自民党の片山さつき参院議員までが、ネット上の生徒へのバッシングを受けて「NHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」とツイッターで宣言。片山氏は、2010年にお笑い芸人の母親が生活保護を受給していた問題が起きた際、ブログで「厚労省の担当課長に調査を依頼しました」と、早々にやり玉に挙げた過去がある。 さすがに「やりすぎだ」との声も上がっている。片山氏にも「表面的な炎上に便乗」と猛反発が巻き起こっているが、騒動は収まっていない。2016年8月23日 東京新聞朝刊 11版S 「『貧困高校生』報道 炎上の異常」から引用 テレビ画面でチラッと見かけただけの映像から「今のは高価なアニメグッズだったんじゃないか」という空想だけで、すぐに「この高校生の貧困はウソで、番組はやらせじゃないのか」と騒ぎだし、これに国会議員までが便乗するという、なんともお粗末な光景です。こういう騒ぎに荷担した人たちと国会議員も、やはり反省する必要があるのではないでしょうか。
2016年10月15日
基地反対の民意を無視して建設を強行する安倍政権について、法政大学教授の山口二郎氏は、9月18日の東京新聞コラムに次のように書いている; 先週、ゼミの学生と一緒に沖縄に行った。名護市辺野古の新基地建設予定地にも行き、現地で長年反対運動をしてきた安次富浩さんに、これまでの運動について講義をしてもらった。辺野古に行く前には、米海兵隊の普天間飛行場(宜野湾市)を見た。あの基地をこのまま置いておくことは危険極まりない。だからといって、辺野古の海を埋め立てて巨大な基地を造ることと、普天間飛行場の存続の二者択一を沖縄に迫るというのは、問題のすり替えであり、不条理である。 16日、福岡高裁那覇支部は、前知事の埋め立て許可を翁長雄志現知事が取り消した処分について、違法だとして国側勝訴の判決を出した。およそ想像どおりの判決である。安倍政権は、東村高江のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)工事を強行し、辺野古も裁判が決着すれば力ずくで工事を進めるのだろう。民主主義の手続きを使って沖縄県民がどれだけ反対の意思表示をしても、おまえたちは無力だぞというのが政権のメッセージである。 辺野古には、戦いに勝つ方法は諦めないことだというスローガンがあった。インドの独立もアパルトヘイトの廃止も、支配者は、理を説いて抵抗する弱者に無力感を味わわせ、諦めさせようとした。同じことが沖縄で起こっている。諦めずに戦えば、理のない支配者は敗れる。(法政大教授)2016年9月18日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-諦めない」から引用 インドでも南アフリカでも、圧政に苦しめられた人々は諦めることなく闘って遂に勝利しました。沖縄の人々も諦めずに闘っていけるように、支援の声を広げていきたいと思います。
2016年10月14日
今年の夏は、安倍内閣の過半数の閣僚が深い関係をもつ右翼団体「日本会議」に関する出版が相次ぎました。8月28日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道しています; 憲法改定をめざす右派運動団体「日本会議」の実像に迫る著書の出版が相次いでいます。数年前までは国内メディアでもほとんど報道されてこなかった「日本会議」とは。政治との結びつきは・・。<田中倫夫記者> テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する、ジャーナリストの青木理氏が出したのは『日本会議の正体』(平凡社・800円)。第2次安倍内閣が発足以来、海外のメディアからも「国粋主義的かつ歴史修正的」(英エコノミスト)、「日本型ティーパーティー」(米CNN)、「1930年代の日本の帝国主義を擁護する強力な超国家主義団体」(仏ルモンド)と評される日本会議の姿を、取材と分析によって明らかにしようというものです。 インタビューに答えたのは、東京都議、杉並区議、新右翼団体元代表、神道政治連盟県本部長・・・。日本会議のルーツである宗教団体「生長の家」(現在は路線を変更)にまでさかのぽり調べます。 注目されるのは、首相以下20闇僚のうち16人が入会しているという、日本会議と一体の国会議員議連「日本会議国会議員懇談会」の存在。そのメンバーで第3次安倍再改造内閣の「目玉」とされる稲田朋美防衛相(取材当時は自民党政調会長)にもインタビューしています。 本書が問題にしているのは安倍内閣と日本会議の改憲に向けた「共振」ぶりです。「憲法改正1000万人署名運動」を掲げた日本会議系の改憲1万人大会に安倍首相が送ったビデオメッセージについて、「これほどあからさまに改憲を目指すと公言し、右派団体に向けて明確なメッセージを送った最高権力者は、戦後初めて」と警告します。 教科書問題に取り組む中で日本会議などの右派組織の研究を続けてきた俵義文氏が出したのが『日本会議の全貌-知られざる巨大組織の実態』(花伝社・1200円)です。日本会議や「国会議員懇談会」の設立の経緯などを論述しつつ、教育の国家統制、教育基本法改悪、教科書問題などとの関わりを深く探求しているのが特徴です。 巻末に「日本会議」「神道政治連盟」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などの国会議員議連の名簿が掲載されています。 戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏が出したのが『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書・760円)です。 歴史研究の立場から、人脈・阻織、戦前・戦中を手本とする価値観を分析し、日本会議と安倍政権が「改憲」へと傾斜する動機が、かつて日本を戦争へと突き進ませた国家神道を支柱とする戦前体制への回帰にあることを浮き彫りにします。 『週刊金曜日』成澤宗男氏が編著で出したのは『日本会議と神社本庁』(金曜日・1000円)です。宗教右派とナショナリズムの結びつきにスポットをあてています。 「神社と国家の関係はどう変化したか」「明治の天皇崇拝は神道の歴史では特殊」など、学者や神社宮司へのインタビューも興味深い。巻末に日本会議に関係する国会議員リストが付いています。 どの著書にも共通する関心は、日本会議の実像を見極めたいということです。著者の一人、青木理氏は話します。 「日本会議について幹部や国会議員ら多数に取材申し入れをしましたが、ことごとく拒絶されました。秘密主義というか、批判に対する極度の警戒意識を持っています。しかしそれは逆に彼らの弱点になるのではないか。これまでメディアがあまり役割を果たしてこなかったなかで、いま出版で次々と取り上げられるのは、国民がその正体を見極めたいと思っているからではないでしょうか」2016年8月28日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「『日本会議』ってなんだ?」から引用 戦争被害者がまだ多く生存していた60年代や70年代は、政治家が右翼団体と関係を持つことは、芸能人が暴力団と関係をもつような不祥事で、どの政治家も変なスキャンダルにならないように気を配ったものでしたが、そういう時代を知っている市民にとって、右翼の集会に現職の総理大臣が堂々とビデオメッセージを送るというのは、忌まわしい不祥事の印象を受けますが、それを問題として取り上げない報道機関にも問題があるのではないかと思います。政治家が靖国神社に参拝するというのも、かつての常識から言えば、あってはならないことで、当の政治家にもそういう自覚があるから、一人ではなかなか参拝する勇気(?)を出せない議員も、「みんなで参拝する議員の会」などという子どもじみた会を作って集団行動する始末で、あきれ果てた光景と言うほかありません。そういう世間の流れが行き着く先には何があるのか、見通しを持つために上の記事は役に立つと思います。
2016年10月13日
民進党の代表選挙の投票が行われる直前に、有力候補だった蓮舫氏は二重国籍だというので、マスコミが騒いだ問題について、法政大学教授の山□二郎氏は9月11日の東京新聞コラムに次のように書いている; 民進党代表選挙に関連して、蓮舫氏の「二重国籍」について、右派メディアやネットの一部が問題として取り上げている。なんとも陰鬱(いんうつ)な気分である。蓮舫氏は日本で生まれ育ち、日本国籍を取得し、以来日本人として公職で活動してきた。いまこんな差別がぶり返すのは、日本社会の劣化の表れである。 騒ぎ立てる人たちは、外国にもルーツがあることを問題にしているのか。民族の純血を追求するというのであれば、まさにナチスの発想である。そもそも純粋な日本人など、どこにいるのか。 日本列島にアジアの大陸や島々から人が流れてきて、日本人が形成された。加藤周一が『雑種文化』で述べている通り、日本の文化は、漢字、儒教、仏教、西欧近代文明など、さまざまな起源を持つ文化が混じり合って形成されたのである。日本の歴史や文化に誇りを持ちたいならば、そのような開放性と多元性こそが大切である。 加えて、近年は多様な背景を持つ人が日本社会を構成するようになった。つい最近のオリンピックでも、多様な選手が活躍する姿を日本中で喜んでいたではないか。オリンピックでメダルを取れば仲間だが、政府に対抗する者はいじめの対象だとでもいうのか。 蓮舫氏自身も民進党も、こんなくだらないいじめは許さないという態度をとってほしい。(法政大教授)2016年9月11日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-純粋な日本人」から引用 民進党は野党第一党だから、その代表ともなると次の総理大臣にもなり得る立場の人物なのであるから、そういう人が二重国籍というのは見逃すことのできない問題であるなどと、普段はリベラルな発言をする人まで、真顔でそんなことを言うのを聞くと、何が不満でそんなことを言うのか、不思議に思ったものでしたが、結局民進党の代表選挙は予定通りに実行されて、予想通りに蓮舫氏は代表に選出され、国会でも堂々と代表質問をしており、何の問題も生じてはおりません。「二重国籍」を問題視した人たちは、恥を知るべきです。
2016年10月12日
今から93年前に起きた関東大震災では、官憲が流したデマが原因で多数の朝鮮人・中国人が自警団・警察・軍などによって殺害されるという忌まわしい事件が起きました。中国人が多く犠牲になったのは、現在の東京都江東区大島町で、今では毎年追悼行事が行われており、今年も中国から犠牲者遺族が来日して行事に参加したと、9月11日の東京新聞が報道している; 1923(大正12)年の関東大震災直後、「家族を虐殺された」と訴える子孫らが、地震が起きた9月1日に合わせて中国から来日した。子孫たちは東京都内で追悼行事を行い、日本政府に対し、「軍や警察が関わった。政府として責任を認めるべきだ」などと主張している。(佐藤大) 関東大震災直後、軍や警察、自警団によって、多数の朝鮮人が殺害された。中国人の犠牲者もおり、日本弁護士連合会が2003年にまとめた調査結果によると、「中国人の虐殺被害者数」は「2百数十名を超え750名の範囲」だという。 調査結果によると、折江省温州市などから出稼ぎに来ていた中国人労働者が集まって暮らしていた大島町(現在の東京都江東区大島)で多くが犠牲となった。同胞の安否を案じて現地に向かった中国人共済団体「僑日共済会」の王希天会長も殺害されている。 1924年に外務大臣が中国駐在公使に宛てた「前内閣総理、外務、内務、司法、陸軍及大蔵各大臣決裁ノ上別紙ノ通り支那人傷害事件慰籍金20万円責任支出ノ件決定相成り」と記された文書があるという。関東大震災に関連した文書とされ、「殺害」「虐殺」などのくだりはないが、子孫を支援する田中宏・一橋大名誉教授(日本アジア関係史)は、政府が当時、賠償方針を持っていた「証拠」とみる。 今年5月、野党議員が「関東大震災時の朝鮮人、中国人等虐殺事件に関する質問主意書」を提出したが、政府は6月、「政府内にその事実関係を把握することができる記録が見当たらない(中略)お答えすることは困難」などとする答弁書を出した。 1970年代ごろから、研究者やジャーナリストが積極的に調査をするようになり、犠牲者の子孫に対する市民団体の支援も広がっていった。「遺族会」の代表は2013年から毎年、9月1日に合わせて訪日している。 遺族会は14年、外務省と文部科学省の担当者に会い、安倍普三首相宛ての要望書を提出した。政府の虐殺への関与を認めて謝罪して賠償することや記念碑の建立、虐殺について教科書に記すことなどを求めている。政府の回答はなく、昨年、督促状を提出したが、回答はなかった。今年は8人が、外務省を訪れたが、やはり回答はなかった。 8人は江東区大島を訪ねたほか、追悼のため墨田区の横網町公園を訪れた。公園内に置かれた中国の仏教徒から贈られた鐘の前で、祈りをささげた。 周江法さん(70)は「祖父とその兄弟3人が犠牲となった。4人の子どもを一気に失った曽祖母は悲しみで次の年に亡くなったと聞く。私の村の出身者は18人が犠牲となり、子どもがいた3人以外は跡継ぎも絶たれた。外務省の態度は責任逃れにしか見えない」と話した。 初来日した林倒さん(33)は「曽祖父を亡くした。日本は文明的で、日本人は教養があると思った。一般の日本人にはいいイメージを持ったが、政府の態度にはがっかりしている。93年が経過しているが、政府にこの史実を認めてほしい」と願う。 前出の田中一橋大名誉教授は「ヘイトスピーチが吹き荒れ、熊本地震では『朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた』というデマがネット上に流れた。現代で同じことが起きないとも限らない。過去をしっかり見つめるべきだ。遅まきながらでも、政府は子孫たちに誠意を示してほしい」と話している。2016年9月11日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ「関東大震災で中国人『虐殺』日本政府 責任認めて」から引用 この記事でも触れている「王希天殺害事件」については、ジャーナリストの田原洋氏が戦後何十年も経ってから調査を開始し、王希天を殺害した犯人を突き止め、本人との対話も収録した本が岩波現代文庫から出ている。当ブログでは2014年12月2日の欄に引用している。民間人の調査でも一冊の本にまとめられるくらいの事実であるから、膨大な史料をかかえる政府が、何も分からないはずはないのであって、遺族の要請に対しては誠意ある対応が望まれます。
2016年10月11日
岡田憲治著「デモクラシーは、仁義である」について、9月11日の東京新聞は次のような書評を掲載している; 近年、民主主義に対する不満と幻滅が世界中で広まっている。社会的閉塞(へいそく)感を手っ取り早く打破してくれそうな強いリーダー待望論や、効率性のために民主主義の価値や手続きを捨て去ってもよいとする安易な発想が、各国で独裁的な手法をとる政治家を生む一因となっている。 なかなか望むような結果が出ず、また決定に時間がかかる民主主義は非効率だといった批判に対して、政治学者の著者は民主主義を「これだけは外してはいけない」という仁義だと説く。 では、この民主主義という仁義から外れると世の中はどうなってしまうのか。著者は「全ては暴力が決する」やり方が横行し、民主主義が掃いて捨てられる政治体制が出来すると警鐘を鳴らす。暴力が支配する社会の行く末は、統治者の利害や嗜好(しこう)に個人の人生が左右され、自由な発言が許されない全体主義の政治だ。 人間が不完全な存在である以上、政治に最良を望むのは不可能である。だが、民主主義は意見の表明や知る権利といった、われわれが享受しているごく普通の生活を社会として破壊させない工夫であり、それは「最悪を避ける選択」なのだ。 人々を抑圧する最悪の政治体制をこの国に再び出現させないためにも、たとえ面倒な手続きでうまくいかないとしても、われわれは民主主義の政治を絶対に手放してはならないのである。(評者五野井郁夫=高千穂大教授)「デモクラシーは、仁義である」岡田憲治著(角川新書・864円)おかだ・けんじ 1962年生まれ。専修大教授。著書『働く大人の教養課程』など。2016年9月11日 東京新聞朝刊 11ページ「面倒?でも手放すな」から引用 民主主義に対する不満というのは、最近耳にする機会が多くなったような気がしますが、多くは民主主義に対する理解が不十分だったり曖昧だったりすることが原因のように思われます。上の記事が紹介するような本を読むことで、民主主義の本質についての理解がすすむものと思います。
2016年10月10日
本年8月に亡くなったジャーナリストのむのたけじ氏の最期について、ご子息の武野大策氏が、9月23日の「週刊金曜日」に次のように書いています; 父が緊急入院する前日の5月8日早朝『週刊金曜日』の最終回の題は「英語は今後も世界語か」でいくと、誇らしげに私に言いました。そのときの父の体調は不整脈が見られ、明らかにすぐれないときでしたから、「そんなことを考えないで、休んだら」と言って、その内容を聞くことをしませんでした。いつもだったら、その詳しい内容を聞いて、それに関する資料を集めて、相談しながら文章化して、この本誌の原稿が完成するのです。少しでも聞いておけば、父の考えをそのまま伝えられたのですが、残念ながら今回はそれをしていません。そこで、父はこの題に何を込めたかったのか、私なりに推量して終わりの方で伝えます。ここでは父のその後の様子を時間経過にそって続けます。 その翌日は定期検診の予約があった順天堂医院に診察に行き、そこで、肺炎が見つかり、そのまを緊急入院します。このときから6月9日までの様子は「たいまつ」の10回目に書いてありますので、そのあとのことを話します。生き返ったという6月9日のあと、順調に回復することはありませんでした。ふたたび体調が悪くなり、それに対応する処置をすると、また少し元気を取り戻しますが、すぐまた悪い状態になるといった繰り返しの中で、体力がどんどん落ちていきました。どこで最期をむかえるかが関係者の中で話題になります。父は母が亡くなった私の家を希望し、それで7月15日退院します。 私は父が6年ばかり住み続けた家に帰ることで、自分から治そうとする気力が強まることを期待し、訪問着護を頼みながら父を見ました。しかし、気力が戻る事はありませんでした。8月20日午後11時半過ぎ痰が絡んでいるようだったので、口を開け、スポンジが付いた棒で取ってあげたら、呼吸が楽になったように見え、私はホッとした。父も私の手を軽く握り、微笑んだ。それから少しして、呼吸がなくなり、脈もとれませんでしたので、かかりつけ医を呼びました。かかりつけ医はすぐに来て、診察し、8月21日零時20分老衰でなくなったことを私に告げました。 私は不思議なことにその言葉を落ちついて聞けました。それは父が2010年の冬から心不全を患っていて、発作を時々起こし、死ぬのではないかと思うことがたびたびあったからです。そもそも私が父の仕事を手伝うようになったのは、死んでもそれまでの努力がムダにならないようにするためでした。その思いは親子で共有できていました。死ぬ直前の8月17日も言い残しておくことがあるので、録音してくれと言いました。そこで、データレコーダのスイッチを入れたが、「日本の・・・」と言っただけでした。何を言いたかったのか今は分かりませんが、やはり日本の行く末を最後まで気にしていたことがうかがえます。 そこで、この題に父が込めたことの私の推量です。父と読み合わせがあるときは、父の問いかけに対応して気楽に書けました。しかし、それがないと思うと、筆が止まりがちです。責任をもって意見を言う難しさを感じますが、何とか前に進めます。 産業革命にいち早く成功して経済力を強めたイギリス、それを引き継いだアメリカと、英語を使うふたつの国がこの約200年間世界を閥歩してきた。だから、英語が世界語としての役割を担うようになったのでしょう。しかし、そろそろ交代しても良いのでは。それでは次に世界語になるのは、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語? いや日本語だってよいでしょう。 そこで日本語が世界語になるにはどうすればよいか。世界でたった一つの戦争放棄をうたった憲法9条を世界に広めることではないか。それが世界に定着すると、自然と日本人は尊敬され、みんなが日本語を使うようになります。そろそろ経済力がもの言う世界から平和力がもの言う世界にしてはいかがですかと父は思ったのでは・・・。2016年9月23日 「週刊金曜日」 1105号 「話の特集-英語は今後も世界語か」から引用 昔は、領土を広げて耕作地を増やせば食料が増産できて国も豊になるという発想で軍隊を使った時代があり、その後、経済活動の利益獲得のために市場を広げる手段として軍隊を使った時代がありました。そういう歴史を繰り返した挙げ句に、現代の人間は、武力でせめぎ合う愚かさを認識し、話し合いで円滑な経済活動を行う方がより効率的であることに気がついたと思います。当面はまだ、帝国主義支配への反動から、当分の間は世界のあちこちでテロ活動が発生する危険があるとは言うものの、世界の800カ所に軍事基地を置くアメリカが、その負担に耐えられなくなって「日本から軍事基地を引き揚げろ」と発言する大統領候補が出てきたのは、やがて将来は世界中から軍事基地がなくなる「兆候」だと思います。こういう世界へ向かう最先端にある日本国憲法第9条は、私たちはこのまま堅持していくべきと思います。
2016年10月09日
魚類生態写真家の新村安雄氏は、絶滅危惧種(?)と言われるミズガキについて、9月11日の東京新聞に、次のようなエッセイを寄稿している; 川辺のにぎわいが消え、暑かった夏も終わろうとしている。にぎわいといえば、川で遊ぶ子どもたちに勝るものはない。 魚類研究仲間たちと飲んでいる時だ。魚類研究家で日本中の河川を知る君塚芳輝さんが「どこそこの川には『ミズガキ』がいる」という話をされた。君塚さんは川で遊ぶ子どもをミズガキと名づけて、魚類など生き物と同じように記録していた。 長良川河口堰(せき)建設に反対する作家、写真家が参加した出版プロジェクト「長良川の一日」(1989年、山と渓谷社)。私は長良川に普通にいるミズガキを紹介する文章を書いた。しゃれのつもりで「ミズガキ(河川遊泳型児童)」と、絶滅危倶の生物として、分布や生態などを論文調に仕立て記述した。ミズガキが活字となった最初の例だ。 それから27年。夏ともなると各所で川遊び講習が開かれるようになったが、そこで生まれるのは「川ガキ」が多いようだ。 川ガキかミズガキか。どちらでも良いようなものだが、その区別点を挙げてみたい。 ミズガキはその川に固有のものだ。近くに住んでいて徒歩か、自転車で川にくる。持ち物はスクール水着とサンダル。水中メガネ、網やバケツなど採集道具を持っていることも。保護者はいないことが多く、自立した子どもらが、群れをつくって行動する。 川ガキは自動車で川にくる。水着はカラフルで、浮輪は必須だ。最近はライフジャケットの着用率が増加している。川岸に布製の休み場をつくり、家族で行動する。 川魚のアユで例えれば、ミズガキは天然。川ガキは養殖といえようか。 ミズガキの最初の記録地は長良川だが、当地では川で遊ぶ子どものことをミズガキとも川ガキとも呼んではいない。川に遊ぶ。それが当たり前の、子ども本来の姿なのだろう。(魚類生態写真家)2016年9月11日 東京新聞朝刊 9ページ「川に生きる-ミズガキと川ガキ」から引用 私も1950年代はミズガキでした。当時の東北の小学校にはプールなどというものは存在せず、近所の子どもたちは連れだって川に遊びに行きました。今も田舎に行けば、その川は流れてますが、環境は大きく変わり、何よりも水量が極端に減少したため、今はそこで遊ぶ子どもたちを見ることはありません。しかし、全国に目を転ずると、大きな河川の河原には家族連れで遊びにくる人々は多く、時代の移り変わりで浮き輪やライフジャケットを着用する「川ガキ」が増えてきたというのは、面白い観点だと思います。
2016年10月08日
一昨日の欄に引用した木野龍逸氏の記事の続きは、凍土壁が失敗だったとする根拠を、次のように説明しています; 一方、今年3月末に凍結が始まった凍土壁も、いまだ明確な効果が見えていない。東電は当初、凍土壁と「サブドレン」の運用により、地下水の建屋への流入量が1日あたり350立方メートルから150立方メートルに減少すると想定。護岸からの汲み上げ量は1日100立方メートルと想定されているから、汚染水全体の増加量は250立方メートルになるとした。 さらに東電は8月18日の検討会で、凍土壁は海側が約99%、山側が約91%が0度以下になっているとし、護岸への地下水流入量が減少するとの見方を示した。この効果により、今後は汚染水の汲み上げ量が1日70立方メートルになると数字を下げて予測した。 だが東電が公表している汚染水のデータでは、凍土壁が凍結を始めた4月以降の護岸付近からの汲み上げ量は1日あたり186立方メートル、想定の2倍以上になる。更田委員は「70立方メートルを(護岸からの汲み上げ量の)目安とするなら、効果が見られない」と指摘した。それに続いて、前出の橘高教授から「破綻しているのなら代替策が必要なのではないか」という意見も出た。◆やはり破綻した 汚染水全体の増加量は、今年1月から3月31日までは1日あたり約430立方メートル、4月1日から8月25日までは450立方メートルと、ほとんど変わっていない。他方、昨年の汚染水全体の増加量は1日あたり約500立方メートルだったので若干減少しているが、その要因が凍土壁なのか、それとも15年9月に始まった「サブドレン」の運用によるものなのかは判然としない。 さらに東電は、建屋への地下水流入量が従来は1日あたり200立方メートルだったが、この7月には170立方メートルになったとも説明。だが、7月は降雨量が前月比で8分の1程度だったため、減少の理由を凍土壁だけに求めるのは難がある。 検討会での議論を受け、『朝日新開』(デジタル阪)は8月18日付で、「福島第一の凍土壁、凍りきらず有識者『計画は破綻』」と報じたが、東電は8月19日にHPに反論を掲載。今後は「さらに効果が現れる」と主張した。 また、東電の社内分社で、事故後の廃炉・汚染水対策を担当する福島第一廃炉推進力ンパニーのプレジデント・増田尚宏氏も8月25日の会見で、「9月末には凍土壁の効果が確認できる」との見通しを示した。しかし東電は今のところ、目論見がはずれた場合の代替策を準備していない。会見で増田氏は「サブドレンがある」と説明しているが、以前から運用している対策を代替策というのは、筋が通らない。 繰り返すように東電は、11年中に汚染水を処理すると宣言していた。それがいまだに増え続け、処分の目処は立たない。しかも8月には、凍土壁の一部が溶ける事態も起きている。規制委の田中俊一委員長は海洋放出の必要性を唱えているが、東電は放出を否定する一方で、タンクを永久に作り続けるわけにもいかないとも認めている。 解決の糸口が見えない汚染水問題は、これからどうなるのか。新潟の柏崎刈羽原発の再稼働を狙いながら、事故処理もままならない東電の迷走は、まだ続きそうだ。<きの りゅういち・ライター。>2016年9月16日 「週刊金曜日」 1104号 31ページ「破綻した『凍土壁』による汚染水対策」から一部を引用 凍結を始めてはみたものの、一部凍結しない部分があり、そこは他の方法でふさいで、果たして当初予測したような効果が出るのかどうか、だいぶ心細い状況になるつつあります。これがもし、本当にダメだった場合はどうするのか、次の一手を考える必要があるのではないでしょうか。
2016年10月07日
関東学院大学名誉教授の足立昌勝氏は、自衛隊を海外に派遣し「駆けつけ警護」などの武力行使をさせることについて、9月23日の「週刊金曜日」で次のように述べています; 現在、この国は「戦争のできる普通の国」に向け、急ピッチで動いています。昨年9月に戦争法が成立しましたが、同年4月に同法の成立を前提とし、集団的自衛権の行使も含んだ日米新ガイドライン(防衛協力の指針)が再改定されています。法律ができる前に、すでに軍事態勢が確定している。憲法の法体系よりも、安保がすべて優先されているのです。 米国が狙っているのは、自衛隊を世界中のどこの戦場でも補完部隊として使うことであり、そのために近年、米国の演習場では米軍と自衛隊が一体化した激しい戦闘訓練が急ピッチで拡大しています。しかし憲法では交戦権が否定されており、こうした憲法を無視した大きな流れの中で、最終的に「戦死者が出る事態」が迫っています。 2012年12月に安倍晋三内閣が発足し、14年4月には武器輸出が事実上原則解禁され、同年12月には防衛秘密を主要対象にした特定秘密保護法が成立しました。次に日米新ガイドラインと戦争法が続き、今年6月には刑事訴訟法などいくつかの法律と一本化されて通信傍受法が改悪され、警察が事実上、全面的に盗聴ができるようになりました。 そして、最も警戒すべきなのは『朝日新聞』が8月26日付朝刊で報じた、共謀罪の臨時国会提出の動きです。犯罪に及んでいないにもかかわらず、犯罪を相談しただけで罪に問われる共謀罪は06年、一度提出された後に廃案になつていますが、今回は東京オリンピックを念頭に「テロ等組織犯罪準備罪」と名称を変えてはいるものの、内容は前回と変わってはいません。 しかも処罰の対象は重大犯罪に限定されず、600以上の犯罪が該当します。さらに、それらは通信傍受法の改悪で拡大された盗聴対象の犯罪とほほ重なっており、盗聴をさらに有効に実行するため、共謀罪をドッキングさせようとしているのは疑いありません。◆南スーダンに要注意 このように、軍事的動きが外に向かう際には必ず国内の治安態勢強化が伴うことは、戦前と同じパターンです。戦争に反対する勢力を潰し、国民を思想的に統制する。すでに中国との間の尖閣諸島をめぐる対立や、北朝鮮の核実験を口実に、外国からの「脅威論」が広まっています。それを安倍内閣は過度に煽り、「戦争のできる普通の国」にするための口実にしようとしていますが、安倍首相が当面、自衛隊の海外出動を狙っているのは、すでにジブチに海外基地が建設されているアフリカです。 国連安保理は8月12日、南スーダンの治安回復に向け、約4000人の増派部隊を国連平和維持活動(PKO)に投入する決議案を採択しましたが、現地では政府が崩壊し、自衛隊のPKO5原則のうち、基本的な (1)停戦合意が成立 (2)紛争当事国によるPKO実施の合意 という条件が壊れています。 しかも国連が南スーダンで仲介者ではなく武力行使の当事者になろうとしているのに、政府は11月にも陸自第5普通科連隊(青森市)を中心とする部隊をPKOで南スーダンに派遣し、さらに戦争法に基づく「駆け付け警護」などの新任務を初めて付与する予定です。 このままだと、「自衛隊の戦死者」が出かねません。そうした事態になったら、安倍内閣が政府専用機で戦死者を羽田空港に運び、そこで大がかりに「国のために殉じた自衛隊員」として扱うセレモニーを実施するでしょう。 各メディアも大々的に「美談」として報じ、国民に「戦死者が出る状態」に慣れさせる役割を演ずるはずです。その結果、一挙に「戦争のできる普通の国」を支える国民意識が固定化されかねません。当面は共謀罪の上程を許さず、南スーダンへの自衛隊派遣を阻止することが急務です。(談)<あだち まさかつ・関東学院大学名誉教授。>2016年9月23日 「週刊金曜日」 1105号 14ページ「すべては『自衛隊員の死』のために準備されている」から引用 戦前の日本政府は戦争を起こすに当たって、反対する勢力を潰し、国民を思想的に統制することに成功していました。思想的に統制するといっても、完全に国民を洗脳できたわけではなく、「こんな馬鹿げた戦争など始めやがって・・・」と心の中で呟く国民は大勢いたのですが、それをおいそれとは口に出せない社会的雰囲気を作り上げることに成功した、というわけです。さすがに安倍政権は、そこまでは出来てはいませんが、憲法学者の指摘を無視して集団的自衛権を行使可能と憲法解釈を変え、戦争法を強行採決しても、選挙のときはアベノミクスのことだけを言って、憲法や自衛隊派遣のことには触れないでおけば、それで票が集まって選挙に勝てるという体制を作り上げているのは、戦争を始められる体制作りに成功したといって過言ではありません。あとは、自衛隊に犠牲者が出たとき、メディアがどう報道するかが問題です。足立氏が言うように「お国のために尊い犠牲者」と美談として報道するのか、憲法違反の法律を施行したために出た犠牲者との観点から安倍政権の責任を追及できるのか、日本のメディアの実力が問われます。
2016年10月06日
ルポライターの木野龍逸氏は、事故を起こした東京電力・福島第一原発の絶望的な状況について、9月16日の「週刊金曜日」に次のように報告している;汚染水対策として、鳴り物入りで登場した凍土速水壁。だが、早くも役に立ちそうもない事実がさらけ出された。事故現場近くの汚水タンクも増える一方で、先が見えない。東京電力は、どうやって事故の収拾を図るつもりか。「凍土壁を採用した理由が、遮水能力が高いということと、現場での施工がやりやすいという二つ。その(1)が、破綻している」---。 この8月18日に開かれた原子力規制委員会の特定原子力施設監視・評価検討会(以下、検討会と略)で、外部有識者の首都人学東京大学院の橘高義典教授は、居並ぶ東京電力の担当者に向かってなかばたしなめるように言った。 2011年3月11日の福島第一原発事故直後の収束作業の中でも、喫緊の課題と言われ続けている汚染水問題への対応は、安倍晋三首相すら「場当たり的」と言うほど後手に回っている。現在は国費345億円を投人した凍上遮水壁(凍上壁)の凍結作業が進んでいるが、東電が予測していた効果とはほど遠い状況が続いている。 にもかかわらず東電は、データの一部だけを抜き出して「効果が出始めている」などと説明している。冒頭の橘高教授の発言は、そうした東電の姿勢に対する苛立ちが混じっていた。 事故発生直後には、海に高濃度の汚染水が流出していることが判明したにもかかわらず、東電は汚染水を貯蔵するタンクをすぐに発注しなかった。東電と政府はタービン建屋地下に大量に溜まっている汚染水の移送先を確保するため、別の建屋に溜まっていた比較的濃度が低い1万立方メートル以上の汚染水を、海に放出するという前代未聞の処置でその場をしのいだ。 同年7月になると東電と政府は、セシウム除去装置を稼働することで、年内に汚染水の「全体量を減少する」という目標を工程表に明記した。しかし東電はその2カ月後に、原子炉建屋に地下水が毎日400立方メートル流入して、汚染水を増やしていることを認めた。この時点で汚染水は増え続け、全体量を減らすことは困難になった。 政府は同年12月16日、「(汚染水対策の)目標が達成された」として、「事故収束宣言」をした。だがその「目標」は、「全体量の減少」から「建屋内の増加抑制」にすり変わっていた。政府も、問題を先送りしたのだ。◆「凍土壁は不要」 ところが13年7月には、汚染水の海洋流出が続いていることが判明。東電と政府の認識の甘さが表面化した。専門家からは「流出が続いている」という指摘があったが、東電は詳細な調査をしないまま流出を否定。このため東電への非難が高まり、政府は汚染水対策に税金を投入することを決定した。そこでまず手をつけたのが、凍土壁だった。 そもそも原子炉建屋に地下水が流れ込んでできる汚染水の流出を防ぐための遮水壁は、11年6月に計画が発表されるはずだった。政府が東電の本社に設置した「政府・東京電力統合対策室」は、汚染水の溜まっている建屋を遮水壁で収り囲み、地下水と隔離する計画を立案。同月14日には、東電が計画を発表する予定だった。しかし東電は費用がかさんで債務超過になるのを恐れ、発表直前に撤回。政府はそれを了承した。 それから2年後の13年4月、資源エネルギー庁は増え続ける汚染水に対処するため、「汚染水処理対策委員会」を設置。5月30日までに3回の会合を開き、凍土方式の遮水壁の採用を決めた。これはもともと東電の事業だったが、汚染水の海洋流出公表をはさみ税金による事業に変わっていった。 しかし凍土壁の構築は、当初から難航。福島第一原発事故現場の作業を監視する規制委の検討会の委員らは、原子炉建屋とタービン建屋を取り囲むように設置された「サブドレン」と呼ばれる地下水を汲み上げる井戸によって地下水流を減少させ、建屋への流人を減らすことができると考えていた。同時に、凍土壁によって建屋周辺の水位が下がると汚染水が建屋の外に出てくるのを懸念していた。規制委の更田豊志委員はたびたび、「凍土壁は不要ではないか」と発言している。このため凍上壁の工事認可には長い時間を要し、15年上期に凍結を開始するという計画は、結局1年遅れの16年3月末になった。 その間、汚染水の海洋流出を止めるため、東電は護岸部分に設置していた鉄製の遮水壁を15年10月末に閉合。遮水壁で行き場を失う汚染水は護岸付近で汲み上げて濃度を確認した後、海に放出する予定だった。 だが実際には汚染度が高く、タービン建屋に戻すしかなかった。その量は多い時には1日300立方メートルにもなり、汚染水全体の増加量は1日500立方メートルに増えた。海に出ている汚染水を止めると貯蔵しなければならず、さらに汚染水の量が増える結果になった。(後半省略)2016年9月16日「週刊金曜日」 1104号 30ページ「破綻した『凍土壁』による汚染水対策」から引用 一度は、経費がかかり過ぎて現実的ではないとして断念した「凍土壁」を、今度は国費を何百億円も投じてやってはみたものの、予想したような成果はでていない。これは明らかな失敗というものではないでしょうか。安倍首相も、オリンピックを招致する時点で「原発事故の汚染水はアンダー・コントロールだ」と発言してしまっているのに、4年後にまだ汚染水の海洋流出が続いていたら、どう弁明するつもりなのか。確かな見込みもないままに、多額の税金をつぎ込んでは失敗を繰り返す、この責任は一体誰が取るのだろうか。
2016年10月05日
『9条は幣原首相が提案』の新史料発見に関連して、ITジャーナリストの井上トシユキ氏は、8月21日の東京新聞コラムに次のように書いている; 71回目の終戦記念日を迎えたが、リオデジャネイロ五輪での日本勢のメダルラッシュの前に、例年よりいささか影が薄い。そうした中、あらためて戦後について考えさせられたのが、12日朝刊1面の「『9条は幣原首相が提案』マッカーサー、書簡に明記『押しつけ憲法』否定新史料」だ。仕事柄、事実をもとに思考せよとうるさく言われてきたが「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」との記述やマッカーサーの言う9条は「世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」ということが事実となれば、急ぐべきは「押しつけ史観」による改憲ではなく、非戦、反戦のイニシアチブを取るに値する国家的な成熟なのではないか。 天皇陛下が象徴天皇の在り方について、率直なお気持ちを述べられたことに関しても(9日朝刊「生前退位 強いお気持ち」など)、同様にわが国の成熟に思いをはせた。戦後教育を受け、象徴天皇制との語句は知っている。だが、私たち国民はきちんと「人間である天皇陛下」に向き合ってきたのかどうか。陛下がギリギリまで耐えてこられ、とうとう思いを明らかにされたのであろうことが伝わってきただけに、過剰にタブー視し、どこか人ごととしてきたことに、居心地の悪さのようなものを感じた。(後半省略)2016年8月21日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「新聞を読んで-社会悪追求、緩めずに」から引用 憲法9条を巡る幣原首相とマッカーサー元帥の対話は、人類の未来を見据えた高尚な議論で、それを敏感に感じ取っている井上氏の議論も理想的であるが、現実に政権を握っている現在の自民党は、単に自衛隊に武器を使った戦闘行為をやらせて、憲法改正のきっかけにしようという極めて世俗的なレベルの低い政治をやっている。「非戦、反戦のイニシアチブを取るに値する国づくり」などという理念は、安倍首相のアタマにはカケラも存在しないと思われるが、そういう現実を、井上氏はどう思うのか、詳しく聞ける機会があれば幸いである。
2016年10月04日
今年の夏は、改憲勢力が主張する「押しつけ憲法」論を否定する史料が発見された夏でもありました。8月12日の東京新聞は、次のように報道しています; 日本国憲法の成立過程で、戦争の放棄をうたった9条は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時、以下同じ)が連合国軍総司令部(GHQ)側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた。史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。今秋から各党による憲法論議が始まった場合、制定過程が議論される可能性がある。 (安藤美由紀、北條香子) 9条は、1946年1月24日に幣原首相とマッカーサーGHQ最高司令官が会談した結果生まれたとされるが、どちらが提案したかは両説がある。マッカーサーは米上院などで幣原首相の発案と証言しているが、「信用できない」とする識者もいる。 堀尾氏は57年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため58年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。高柳は「『9条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、幣原の発案と結論づけたとみられている。だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。 堀尾氏は国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。今年1月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、高柳は58年12月10日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。 マッカーサーから15日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいる。 9条1項の戦争放棄は諸外国の憲法にもみられる。しかし、2項の戦力不保持と交戦権の否認は世界に類を見ない斬新な規定として評価されてきた。堀尾氏が見つけたマッカーサーから高柳に宛てた別の手紙では「本条は(中略)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」とあり、堀尾氏は2項も含めて幣原の発案と推測する。 改憲を目指す安倍晋三首相は「(今の憲法は)極めて短期間にGHQによって作られた」などと強調してきた。堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話す。 <しではら・きじゅうろう> 1872~1951年。外交官から政界に転じ、大正から昭和初期にかけ外相を4度務めた。国際協調、軍縮路線で知られる。軍部独走を受けて政界を退いたが、終戦後の45年10月から半年余り首相に就き、現憲法の制定にかかわった。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201608/CK2016081202000116.html2016年8月12日 東京新聞:TOKYO Web 「『9条は幣原首相が提案』マッカーサー、書簡に明記 『押しつけ憲法』否定の新史料」から引用 今の憲法は極めて短期間にGHQによって作られたとは、安倍首相が何度も言ってきたことですが、いささか正確性に欠ける発言です。安倍氏が最も重要視する「9条」は、GHQもびっくりしたくらいで、幣原首相から提案されたものであれば、もはや「GHQによって作られた」説はデマに過ぎないもので、憲法改正の理由にはなり得ないと言わざるを得ません。もともと、どのようにして出来上がった憲法であっても、それが立派なもので、国民の生活に特段の支障もないということであれば、改正する理由は最初からない、というのが正論というものでしょう。
2016年10月03日
朝日新聞が吉田証言を報道したせいで、慰安婦問題に関する間違った情報が世界に広まったとか、米国グレンデール市の公園に慰安婦像を設置したために日本人子女がいじめにあったいるなどという「でたらめ」を、恥も外聞もなく裁判所に訴えた右派勢力は、次々と敗訴の憂き目にあっていると、9月16日の「週刊金曜日」が報道している; このところ、従軍「慰安婦」をめぐる訴訟や裁判で、右派側の連戦連敗が続いている。 東京地裁では7月28日、「朝日新聞を礼す国民会議」(議長・渡部昇一上智大学名誉教授)が、『朝日』に「慰安婦」報道で「国民の名誉が傷つけられた」と慰謝料などを求めていた訴訟が、「名誉段損に当たらない」と判断され、請求棄却に終わった。「国民会議」は訴えの理由に、『朝日』が以前掲載して2014年8月に撤回した故吉田清治氏の済州島で「慰安婦」を連行したとの「証言」が、「多くの海外メディアに紹介され、(『慰安婦』について)ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」と主張。だが吉田「証言」がそのように「拡散」した事実も、「慰安婦」問題の裏付け資料と見なされた事実もない。 右派が初歩的知識もなく思い込みだけで訴訟を起こしても、敗訴は当然だ。また、同「国民会議」代表呼びかけ人の藤岡信勝拓殖大学客員教授は7月26日発売の月刊誌『WiLL』9月号で、元「慰安婦」の名誉回復に取り組んでいる高木健一弁護士に「お詫び致します」との謝罪広告を掲載している。 理由は藤岡客員教授が同誌で13年、高木弁護士が「インドネシアを訪れ、地元紙に『元慰安婦は名乗り出て欲しい』という内容の広告を出した」などという、事実無根の中傷記事を掲載。これを訴えた同弁護士との問で今年6月、東京高裁で謝罪広告掲載と解決金支払いを条件に和解が成立したためだ。 また、以前から「慰安婦」問題が「『朝日』の捏造」などと主張している評論家の池田信夫氏も、自身のプログで高木弁護士を中傷。同弁護士に訴えられて今年7月に東京地裁で和解が成立し、同じブログで「『慰安婦を食い物にする高木健一弁護士』『ハイエナ弁護士』と記載したことは誤りでした」と、謝罪に追い込まれている。◆「捏造」は右派の体質 米国でも、「歴史の真実を求める世界連合会」なる団体と日系人が、カリフォルニア州グレンデール市内の公園に「慰安婦」像が設置されたことに対し、(1)連邦政府の外交権限を侵害している(2)現地の日系人がイジメにあっている-などとして同市に撤去を訴えていた裁判で、連邦高裁は8月4日、14年の一審判決に続き原告の訴えを棄却した。前述の藤岡客員教授も「連合会」の役員で、加瀬英明会長は右派団体・日本会議の代表委員だが、裁判では肝心の「イジメ」の事例を何も立証できなかった。 この「連合会」は「国民会議」同様、HPで「慰安婦」問題は韓国等が「自国に都合よく捏造された歴史を流布」した結果、生じたかのように宣伝。「従軍『慰安婦』は捏造」とのキャンペーンを続けているが、裁かれるべきは右派自身のこうした「捏造」体質だ。その最たるものが「慰安婦」問題の署名記事を2回しか書いておらず、吉田「証言」報道とも無縁の『朝日』の植村隆元記者を、「『慰安婦』問題の捏造記者」と執拗に攻撃し続けている例だろう。 特に『週刊文春』は14年1月、神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとることが内定していた植村元記者について、「”慰安婦担造”朝日新聞記者がお嬢さま女子大教授に」なる記事を掲載。同年8月には、当時非常勤講師を続けていた北星学園大学と関連づけて「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」と報じた。 これによって両大学には、植村元記者の雇用がらみで抗議・脅迫が殺到。同年9月には40代の男が、インターネット上に同元記者の長女を「超反日サラブレッド」とレッテルを貼り、顔写真と実名、高校名・学年まで掲載した。東京地裁は8月3日、長女が損害賠償を求めた裁判でこの男に対し、慰謝料など170万円の支払いを命じた。 植村元記者は現在、「捏造」と誹謗した西岡力・国際基督教大学教授や文芸春秋を東京地裁で、同じくジャーナリストの櫻井よしこ氏らを札幌地裁で名誉毀損で訴訟を起こし、それぞれ公判が進んでいる。右派の連続敗訴が今後の裁判に与える影響が、注目される。<成澤宗男・編集部>2016年9月16日 「週刊金曜日」 1104号 37ページ「右派が従軍『慰安婦』関連裁判で連続敗訴」から引用 朝日新聞が2年前に吉田証言の報道記事を取り消したとき、安倍首相は国会で「朝日新聞の誤報によって、世界中に間違った情報が伝えられ、多くの日本人が苦しんできた」と発言していましたが、あの首相発言もこれまた、事実無根であったということになります。今回の判決を待つまでもなく、国連人権委員会の報告書には「吉田証言については、日本国内に疑問視する見方もある」と明記されていたのですから、今回の判決は事実に即した妥当な判決だったと言えます。また、右派メディアから「慰安婦問題の火付け役」などと言われている植村元記者の問題も、これはまったくのデタラメで、慰安婦問題が発覚した当時は、朝日新聞以上に熱心に報道したのが「産経新聞」で、ソウルに記者を派遣して慰安婦被害者本人の取材記事などを掲載しておりました。私は植村元記者の講演で、その産経新聞の切り抜きを植村氏がプロジェクターで投影したのを見たことがあります。当時は、どの新聞も競って慰安婦問題を報道したのであって、朝日だけが特異な報道をしたわけではありません。やはり、こういう事実を無視してデタラメな主張をしても世間では通用しないということを、右派の諸君は学ぶべきだと思います。
2016年10月02日
今年も10月に突入したというのに、今さら8月の古新聞を持ち出すのは気が引けますが、やはりこの夏の記事として記憶に残す必要があるので引用します。8月14日の東京新聞コラムで、法政大学教授の山口二郎氏は次のように書いています; また、敗戦の日を迎える。 ポツダム宣言の受諾を決定するやいなや、当時の軍の指導者は戦争に関する膨大な量の文書を焼却させた。ポツダム宣言の受諾をためらい、原爆投下、ソ連参戦などの巨大な犠牲を招いたくらいに知性と責任感を欠いた軍の指導者だったが、それゆえに、自分たちにとって不都合な証拠は隠滅するという浅知恵を働かせたのだろう。 その意味で、日本の戦後は歴史の否定と記憶の消去から出発した。 戦争の歴史に関する解釈について、日本とアジア諸国が争う「歴史戦」という言葉も聞かれる。しかし、歴史を否定する日本が外国と歴史解釈を争うなど、おこがましい話である。 歴史の否定は、現在の日本の政治に対しても、さまざまな悪影響を及ぼしている。 東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故について、敗戦に匹敵する大きな転機だという議論もあったが、歴史の否定という態度は震災の後も引き継がれている。 原発再稼働は、その典型例である。事故の真相究明を放棄したまま、目先の金もうけのためだけに再稼働を急ぐ経営者、官僚、それにお墨付きを与える学者。これらの人種は書類を焼却した軍の指導者と同類である。 敗戦から時間がたてばたつほど、歴史が持つ政治的な重みは増していく。(法政大教授)2016年8月14日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-歴史の消去」から引用 この記事が指摘するように、一部の自民党議員とその支持勢力が「歴史戦」などと称して、自分たちに都合の良い歴史観を海外にアピールするのは、実におこがましい行為で、また日本人の面汚しでもあると思います。自国と相手国の実力の差に思い至らず、ポツダム宣言の受諾をためらい、原爆投下、ソ連参戦を招いた軍部指導層の責任は重大です。北方領土などはまだ解決していません。ところが、それと同じ失敗を原発問題でも繰り返そうとしている。これは、なんとかしなければならないのではないでしょうか。
2016年10月01日
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