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スキャンダルがあろうが不正事件が起ころうが何のその、順風満帆で快進撃を続ける安部政権の「危うさ」について、18日の東京新聞は次のように書いている; ときの政権が支持者らの要望に応える形で、政策を打ち出すことは当然と言えば当然だ。しかし、そこでも「公」に尽くすという建前が必須条件だった。 だが、現政権にその建前は希薄だ。低年金の高齢者に3万円を配る一回きりの臨時給付金。年金のあり方の本質的な議論からは程遠い唐突な税金投入には「選挙目当てのばらまき」との批判が続出している。 「そんな公金の使い方を誰が許したのか」。国際基督教大の千葉真教授(政治思想)は「安倍政権は選挙で勝ったんだから、何でもできるという全能的な感覚で公金も扱っている」と批判する。「少なくとも従来の自民党はもっと権力を抑制的に使ってきた」 京都精華大の白井聡専任講師(政治学)も「安倍首相には、公私の区別がもともとない。首相だけではない。2世、3世ばかりの政治家や官僚たちも、国家を自分たちの『私物』だと思い込んでいる」と話す。 この間、民主主義が急速に軽視されてきた。白井講師は「高度成長期など経済がうまくいっていた時代は国民も気づきにくかったのだろうが、経済が破綻に近づき、日本の権力中枢の専制的体質という地金が出てきた。こんな政権にモラルを期待するのは不毛。国民にも権力を私物化する政治家をごっそり入れ替える覚悟が必要だ」と訴える。 放送に詳しいジャーナリストの坂本衛氏も「政権は明らかに図に乗っている」と憤りを隠さない。放送内容が「政治的公平」に欠ければ、電波停止もあり得るとした高市早苗総務相の発言も、こうした姿勢の延長線上にあるとみる。 政権が電波停止をちらつかせて、自らに批判的な放送をけん制するのは今に始まったことではないが、坂本氏は「高市氏に限らず、そもそも政治家もテレビ局自身も放送法を理解していない」と批判する。 「放送法は、戦前の大本営発表への反省から生まれた。一条に掲げる『不偏不党』は、政府の見解にだけ偏ってはいけないと戒めるものであり、表現の自由を縛るために持ち出すのは全くの間違いだ」 同じく1条3項には「健全な民主主義の発達に資する」と明記されている。「テレビは放送法を盾に闘わなければならない。政権が民主主義を否定するならば『政権打倒』と言っても構わない」と語り、条文の誤読のまん延を憂慮する。 本来、監視される政権側が逆に国民やメディアを監視し、縛ろうとする主客転倒ぶりは、自民党の改憲草案にもつながっている。 神戸学院大の上脇博之教授(憲法)は「安倍首相は自民党改憲草案の先取りをしている」とみる。国家権力が好き勝手できないように縛るのが近代憲法のエッセンスだが、改憲草案では「公共の福祉」をすべて削り、「公益及び公の秩序」に書き換えている。基本的人権を公権力によって制限する中身と言ってよい。 ただ、ネット上で選挙分析をしているブロガーの座間宮ガレイ氏は「安倍政権はメディアコントロールにたけている。甘利明・前経済再生相が金銭疑惑で辞任しても、実質賃金が下がり続け、アべノミクスの失敗が明らかであっても、支持率は下がるどころか微増傾向にある」と指摘する。 その意味では、国民自身が監視され、縛られることに慣らされ始めているのかもしれない。前出の千葉教授は「国民を支配しようとする憲法改正の動きはこれまでもあった。その都度、国民が声を上げて政治の暴走を辛うじて食い止めてきた。『積極的平和主義』のような言葉にだまされず、本質を見抜かねば」と、主権者の自覚を促した。<デスクメモ> 原発事故の責任が「想定外」の一言で不問に付されたように、政府は年金が減額される事態になってもきっと「想定外」で片付けるのだろう。年金は重要だが、もっと大切なのは生命、つまり戦争だ。またも「想定外」で、私たちの命が扱われかねない。だって前例があるではないか。その延長線上が現在だ。(牧)2016年2月18日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「政権 危うい『全能感覚』」から引用 この記事に登場する有識者の皆さんは、いずれも安倍政権のデタラメさに憤っていますが、一般国民の意識はそれほどでもなく、これはやはり、民主主義に対する意識に大きな格差が存在することを意味しているのではないかと、思います。この記事で坂本衛氏が発言しているように、もし私たちの社会に独裁政権が表れたときは、新聞も放送も一致して国民に「政権打倒」を呼びかけるのが使命なのですから、現在の時点で、総務大臣に放送番組を検閲する権限を持たせてはいけません。
2016年02月29日
株価を維持するために年金基金を株の相場に投入するのは公私混同であると、18日の東京新聞が安倍政権を批判している; 頼んでもいないのに「ちょっと増やしてやる」と人のおカネを持ち出し、「ごめん、すっちゃったかも」と頭をかきかき戻ってくる・・・。不良息子の行状の話ではない。私たちの年金と政府の現実だ。似たような出来事が多すぎて感覚が麻痺(まひ)してしまったのか、騒動すら起きない。だが、年金のみならず、現政権の際だった特徴は公の財産や取り決めを私物化する点にある。誰が主権者なのか。(沢田千秋、中山洋子) 日経平均株価の乱高下が続いている。17日の終値は1万5836円。昨年12月30日の終値は1万9033円だった。この相場に、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は年金積立金を20兆円も投入している。 約135兆円の年金を運用するGPIFは2014年10月、資産構成割合を変更し、株式運用割合を拡大した。特に国内株は12%から25%へ広げ、昨年9月には国内株の割合が21・35%に達した。これに呼応するように日経平均株価も上がった。15年6月には2万円台を突破した。 経済ジャーナリストの磯山友華氏は「GPIFの資産構成割合変更から昨年の前半まで、国内株式市場で売買の6、7割を占める海外投資家の売り越しが続く中、信託銀行だけが買い続けていた。GPIFの委託とみられ、株価上昇に相当寄与した。PKO(株価維持策)による官製市場の印象だった」と振り返る。 現政権にとり、株価上昇は経済運営成功の象徴であり、それは政権支持率に直結する。政権支持率が高くなくては、待望の改憲までたどり着けない。だからこそ、その演出のために国民の「虎の子」である年金まで相場に投入してきた。 07年の第一次政権で発覚した「消えた年金」問題で、安倍首相は「最後の一人に至るまで(中略)お支払いしていく」と明言。それから9年。今月15日の衆院予算委では、逆に「想定の利益が出ないことになれば、当然支払いに影響する」と、年金支給額の減額の可能性に言及した。 磯山氏は「参院選に向けて、株価を上げるのが安倍内閣の最重要課題。市場がある程度落ち着けば、再びGPIFの買い出動があるかもしれない」とみる。 しかし、そうした個人、あるいは一党の政治的野望のために、私たちの将来設計を支える公共の財産を投機されてはかなわない。だが、実はこれまでも現政権ではこうした「公私混同」が横行してきている。 原発立地自治体に国が支給する「電源立地地域対策交付金」の見直しもそのひとつだ。福島原発事故後、政府は停止中の原発に一律の「みなし稼働率81%」を設定、交付金を算定してきた。だが、16年度からはこれを最大68%に抑える算定方法を導入した。 どういうことか。再稼働に同意しない限り、立地自治体が財政的に行き詰まるように、国が暗黙の圧力を加えたに等しい。自治体の意思など二の次なのだ。 これは米軍の新基地建設で揺れる沖縄県名護市で、移設に反対する市の頭越しに、政府が周辺三地区に直接、補助金を交付しようとする姿勢にも通じる。 沖縄県知事が行った辺野古埋め立て承認取り消しに対し、国の出先である沖縄防衛局が「私人」を装い、行政不服審査を申し立てたことも公私の混同だ。2016年2月18日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ「『公私混同』の公金投入」から引用 広範な国民から「憲法改正の声」が上がってきているのであれば、自民党はその国民の期待に応えて国会に憲法改正の発議を行うことができるのであるが、現在までのところ、そのような声は存在しないので、安倍首相のみが「憲法改正を争点にする」などと言ってみても誰も無関心である。そこで安倍さんが考えた作戦は、「憲法改正」で人目を引くよりも「自民党に任せれば景気がよくなる」という幻想を振りまいて支持率を獲得することである。選挙にさえ勝てれば、後は何をやろうとこっちの勝手というのが安倍さんの手法であるから、何がなんでも株価だけは維持していけば、憲法改正ができるという算段である。そんなことに我々の年金が使われてしまうのは甚だ迷惑な話だ。何年か経って安倍さんが引退した頃に、遂に年金基金が底をついて「どうしてこんなことに・・・」と国民が気がついて「2015年から16年にかけて、当時の政権が年金基金を株に投入したからだ」なんて言ってみっても後の祭りである。そうならないように、安倍政権は早めに終わらせるべきだ。
2016年02月28日
日韓両国政府が慰安婦問題を外交上の障壁にすることは避けようという合意をした矢先に、日本政府が相変わらず「慰安婦を軍や官憲が強制連行した証拠はない」などと発言を続けることを、韓国政府が批判したと、18日の東京新聞が報道している; 【ソウル=上野実輝彦】韓国外務省は17日、日本政府が従軍慰安婦問題について「軍や官憲による強制連行を確認できる資料は見つかっていない」と国連の女性差別撤廃委員会に説明したことに対し、「昨年末の日韓合意の精神を毀損(きそん)させる言動は慎むべきだ」と苦言を呈した。 韓国外務省は、日本政府の説明に対する具体的な言及は避けつつ「慰安婦動員の強制性は国際社会で判断された歴史的事実だ。(1993年の)河野洋平官房長官談話でも明白に認定している」と指摘。「被害者の名誉と尊厳を回復し傷を癒やしていくという立場を、行動で示すよう求める」と表明した。 一方、聯合ニュースは「強制連行の証拠はないと断定するなら、真実を隠しているという批判は避けられない」と指摘。「強制性の否定には、女性の人権侵害という問題の本質をぼかす意図があるのではないか」と疑問を呈した。2016年2月18日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「国連委説明に反発『強制 歴史的事実』」 韓国外務省が指摘するとおり、旧日本軍の慰安所の設置、運営は日本軍が行ったもので、そこに動員された慰安婦は、本人の意に反して強制的に働かせられたものであることは河野談話が発表された時点で日本政府も認めていた史実であり、だからこそ、今日の安倍政権も「河野談話を継承」しているわけである。そのような状況の中で、わざわざ「証拠はない」と発言するのは、狡獪で卑怯なやり方だ。じゃあ慰安婦問題を否定するのかと追求されると「いや、河野談話は継承している」と、逃げ道を用意しておいて、「でも、軍や官憲が強制連行をやったという証拠はない」と、自分たちが言ってるのはあくまでも「強制連行」のことであって、慰安婦問題全体を否定するわけではないという見苦しい言い訳を用意している。安倍政権がこういう言動を繰り返すのは、理屈では否定できなくても、日本軍や日本政府の責任を軽く見せる印象操作を目的としているもので、こんなことを繰り返していては国際社会の信用を失うばかりである。
2016年02月27日
大逆事件はわが国最大のえん罪事件であるが、その事件の首謀者として処刑された幸徳秋水を堂々と弁護した徳冨蘆花の直筆の嘆願書の展示を見学した法政大学教授の山口二郎氏は、14日の東京新聞コラムに次のように書いている; 先週、熊本に行った折、徳富蘇峰(とくとみそほう)、蘆花(ろか)兄弟の資料を展示した記念館を見学した。そこで、蘆花が大逆事件の際に、幸徳秋水などの被告人の助命を明治天皇に向けて訴えた嘆願書の直筆原稿を読み、深い感動を覚えた。その中で蘆花は、幸徳たちは放火や殺人を犯した犯罪者ではなく、日ごろ世の中のために考え、行動した志士であると弁護した。立場や思想は違っても、国や人民のために真剣に行動する者に対する敬意が原稿にあふれていた。 人間誰しも批判、攻撃を受ければいい気持ちはしない。しかし、こと権力者の場合、そうした自己愛は捨ててもらわなければならない。権力はしばしば腐敗、暴走するものであり、人民の生命や自由を脅かす。だから批判を受けることは権力者の宿命である。また、真摯(しんし)な批判を聞くことは、為政者が軌道修正を図り、統治を成功させるために有益でもある。 高市早苗総務相が、テレビが不公平な報道をした時には、電波の停止を命じることもあると繰り返し発言した。公平、不公平は誰がいかにして判断するのか。一連の発言には、権力に逆らう報道を威嚇するという意図が見え透いている。 メディアはこんな脅しに屈してはならない。明治憲法下でさえ、蘆花は大逆事件の被告を擁護した。今の憲法は、自由を保障しているのだ。(法政大教授)2016年2月14日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-蘆花の嘆願書」から引用 この記事が示すように、権力というものは腐敗しやすく、また暴走しやすいものであるから、常に国民の監視と批判が必要で、それに耐えられない者はその仕事に不適格というものである。したがって、テレビも新聞も政府批判は当たり前のことなのであって、その批判が「公平か不公平か」を政府が自分で判断するとなれば、これは明らかに「不偏不党」の原則に反する。したがって、高市大臣の言い分は法の主旨に照らして間違いなのであって、テレビ局を威嚇する目的で持論を繰り返したものと思われる。
2016年02月26日
新聞が調査したところでは、一昨年に新たに不登校となった小中学生の割合が過去最高だったとのことで、文部科学省も「不登校の未然防止」の対策を検討することになったという報道に対し、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏は、安易な数値による判断とそれに基づいた対策が、かえって児童生徒を不幸にする危険があると、14日の東京新聞コラムで、次のように主張している; ある新聞社の独自分析で、2014年度に新たに不登校になった「新規不登校」の小中学生の全生徒に占める割合が、過去最高だと報道された。6万5807人が新規不登校であり、一日180人の小中学生が新たに学校に行かなくなった計算だという。専門家は「未然防止」の必要性を指摘し、文部科学省もそのための支援策を検討中とされる。 「新しく不登校になる子どもが増えているから、それを未然に防がねば」というのはわかりやすい。だが、ちょっと待ってほしい。 確認したいのは「全体として不登校が増えている」わけではないことである。学校基本調査によれば、不登校になる中学生の割合は、2000年代以降はずっと2%台後半で、多少の揺れを含みつつ一定に推移している。14年度も他の年度と比べて必ずしも高くない。それを踏まえれば「新しく不登校になる子どもの割合の増加」は「不登校のままでいる子どもの割合の減少」と関わっている。実際に、中学校において「前年度から継続して不登校であった生徒」の不登校生徒全体に占める割合は減ってきており、02年度に54・7%だったのが一四年度には49・6%になっている(文科省「問題行動調査」)。 ここから読み取るべきは「不登校が増えている」という「量」の変化ではなく、それが子どもにとって、より「入りやすく離れやすい」一般的な道になりつつある、という「質」の変化ではないか。 不登校の状況が「悪化」したという数値データは、人びとの注目を集めやすい。長期欠席の出現率を歴史的に見とおせば、1970年代半ばから四半世紀ものあいだ、学校に行かない子どもは一貫して増えてきた。教育問題に関心のある年長の方なら、90年代ごろまで毎年、「不登校の数・割合が、また過去最悪を更新した」とセンセーショナルに報道されていたのをご記憶ではないだろうか。不登校は、それを通じて人びとが独自の教育批判を展開する「ネタ」になってきた面がある。 だが、これを繰り返してはならない。重要なのは、現在不登校の状態にある子どもや、不登校の経験を持っている若者の現実を踏まえ、当事者の利益を考えることである。今回のデータに対し「新規不登校の増加」と必要以上に反応し、性急な「未然防止策」が取られれば、当事者の不利益につながることもある。たとえば、いじめ被害者が自らを守るために学校から撤退する場合や、さまざまな負荷を抱えて学校に行くことが困難になっている場合など「未然防止」によって、新たに不登校になるハードルを上げるよりも「さらりと休める」ことが本人にとっては重要なときもある。 繰り返すが、上記のデータからは「不登校がより多くの子どもにとって義務教育のどこかで経験する一つの道になっている」という現実が見てとれる。そうであれば、不登校になる子どもを減らすよりも「不登校になっても本人が不利益を被らない環境」をつくることの方がより重要ではないか。 学校に行かなくても、フリースクールや自宅で勉強できる。不登校の自己を否定することなく他者とつながる「居場所」を持てる。本人のペースで学校や職場に移行できる。重要なのはそれらであって、数字を減らすことではない。(関西学院大学准教授)2016年2月14日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-不登校 未然防止よりも・・・」から引用 貴戸氏の指摘はもっともである。本来であれば、児童生徒はいじめ被害から身を守るために、必要ならいつでも学校を休んでいいのだという共通の認識をもつべきであって、不登校になった生徒が後々社会的不利益を被らないようなシステムを作ってあげるのが社会の役目というものである。「少々のいじめにあっても我慢して学校に行く」ような対策を考えるというのは本末転倒だ。
2016年02月25日
新潟県では県知事が原発の再稼働について慎重な姿勢を示す一方で、地元の経済界は再稼働することによる経済的な波及効果が期待できるという意見が上がっているらしいが、新潟大学と新潟日報の共同研究によると、過去40年間の事実として原発の立地地区が他の地区よりも景気が良かったなどということは無かったことが明らかになったと、14日の東京新聞が報道している; 東京電力柏崎刈羽原発が地元・新潟県柏崎市の産業に与えた影響について、新潟日報社は原発建設前の1975年から直近まで約40年間の各種統計データを集計し、新潟大学経済学部の藤堂史明准教授(43)と共同で分析した結果、立地による経済効果は限定的だったことが分かった。原発の建設期に地元の建設業が一時的に総生産を伸ばしたものの、基幹産業である製造業のほか、サービス業、卸売・小売業への波及効果はデータ上、見えなかった。 東電が再稼働を目指す柏崎刈羽6、7号機は原子力規制委員会による審査が最終段階に入っている。経済界などからは、原発が立地地域に及ぼす経済効果を強調し、再稼働を求める声が上がっている。だが、今回の分析結果は、そうした「経済効果説」に疑問符を突きつけた形だ。 県統計などを使い、柏崎市の市内総生産額(89年までは純生産額)や製造品出荷額等などの75年から直近までの推移をまとめ、分析した。全国の推移や、柏崎と人口がほぼ同規模の新潟県三条、新発田の両市の推移と比較して検討した。 柏崎を支える製造業の総生産額=グラフ参照=を見ると、原発建設期の70~80年代は上昇傾向にあるが、原発が全基完成したのと同じ97年から大きく落ち込んだ。製造品出荷額等の推移もほぼ同様の傾向だった。 ただ、製造業が盛んな三条も柏崎に似た推移を示していた。さらに、全国の出荷額等の動きも柏崎にそっくりで、原発立地の効果が柏崎の製造業に及んだ形跡は見られなかった。 サービス業と卸売・小売業の総生産額も新発田、三条とほぼ同じ推移をしており、原発立地によって柏崎だけが特別伸びた様子はうかがえない。建設業だけが原発建設期に三条、新発田よりも総生産額を大きく伸ばしており、一時的な効果はあったとみられる。【 市内総生産(純生産)と製造品出荷額等 】市内総生産は、1年間に市内の各産業の生産活動で生み出された価値を推計し、金額で示したもの。そこから設備機器などの資産価値の目減り分を考慮し、除いた額が純生産。製造品出荷額等は、1年間に工場などでつくられた製品の出荷額や、他社製品を加工した賃料などの合計金額。2016年2月14日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「原発経済効果は限定的」から引用 この記事が示すように、原発を稼働すると町全体が景気よくなるなどというのは根も葉もない噂に過ぎず、そのようなデマに騙されて原発を再稼働するのは、国民の平和に暮らす権利を損ねるというものである。新潟県の泉田知事は福島の原発事故の後、一貫して事故の原因をはっきりさせ責任を明らかにした上でなければ、再稼働はするべきではないと言っており、これは正論である。安倍政権は、原子力規制委員会の審査は世界一厳しいもので、これに合格すれば安全は保障されると言っているが、当の規制委員会委員長は、技術的に基準に適合しているかどうかを判断しているだけであって、適合していれば安全を保障できるというものではないと、明確に否定しているのであるから、県民の命を預かる泉田知事の主張は当然と言える。
2016年02月24日
在日朝鮮人韓国人に対するヘイトスピーチの動画を公開していた「ニコニコ動画」が、法務省の要請を受けてこれを削除したと、14日の東京新聞が報道している; 在日朝鮮人に対する差別的言動などのヘイトスピーチ(憎悪表現)の動画がインターネット上で公開されているのは人権侵害に当たるとして、法務省が複数のサイト管理者に削除を要請し、一部が応じていたことが、関係者への取材で分かった。ヘイトスピーチによる人権侵害を抑止するための法務省の措置が、動画削除につながった初のケース。 法務省は昨年12月「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の元代表にヘイトスピーチをしないよう勧告するなど、抑止の取り組みを強めている。今回は被害者側の申し立てに基づく要請で、勧告と同様に強制力はない。 関係者によると、問題となった動画は2009年11月、東京都小平市の朝鮮大学校の校門前で在特会メンバーが「朝鮮人を日本からたたき出せ」と大声を出している内容など。動画配信サイト「ニコニコ動画」などを通じて公開されていた。 法務省は名誉毀損(きそん)やプライバシーの侵害があると判断した動画や書き込みについて、プロバイダーなどに発信者情報の開示や削除を求めており、この動画も削除を要請。13日までにニコニコ動画を含む複数のサイトが「人格権侵害」などの理由で削除した。◆人権侵害一定の歯止め-国主導常態化には警鐘 法務省の要請に応じ、複数のサイトがヘイトスピーチの動画を削除したことは、差別的発言の拡散への一定の歯止めになると見込まれる。だが、削除要請の具体的基準は示されておらず、行き過ぎた対応が表現の自由の制限につながらないよう、慎重な対応を求める声もある。 ブログや会員制交流サイト(SNS)の普及に伴い、インターネット上での人権侵害を訴える声は増加している。2014年に法務省が被害の申し立てを受けたのは過去最高の1429件に上り、10年間で約7倍となった。 法務省によると、14年にプロバイダーやサイト管理者に書き込みなどの削除要請をしたのは152件。中学生を「死ね」と中傷する動画が掲載されたケースでは、投稿サイトの管理者に学校側が削除依頼しても応じてもらえなかったが、その後法務省が要請し、削除につながった。 同省幹部は「申し立ての件数はどんどん増えているが、侵害の認定が難しかったり、管理者とのやりとりに時間がかかったりすることも少なくない」と対応の難しさを打ち明けた。 ヘイトスピーチの動画削除について、ネット問題に詳しい落合洋司弁護士は「自分で解決できない被害者を救済するために今回のような対応は必要だが、行き過ぎると表現の自由への介入になる。節度を持ち、控えめに行使していくことが求められる」と指摘する。 青山学院大の大石泰彦教授(メディア倫理)は「昨今のヘイトスピーチの状況を見れば、今回の対応はやむを得ない」としつつ、「被害者が特定できなくても関連団体が差し止め訴訟を起こせるなど、新たな制度をつくるべきだ。公権力が主導してネット空間が浄化されるスタイルが根付くのは危険で検閲性も高く、どのような言葉が入れば削除要請をするかなど、基準を明確化する必要がある」と話している。2016年2月14日 東京新聞朝刊 12版 31ページ「ヘイトスピーチ動画 削除」から引用 このたびの法務省の要請でヘイトスピーチの動画が削除されたことは、私たちの社会の人権意識を向上させるという意味で喜ばしいことです。ただ、専門家が危惧するように、明確な基準もなしに法務省官僚の判断に依存するのは、危ない橋を渡るような危険性を伴いますから、可及的速やかにヘイトスピーチの基準を定めた法律の整備が必要です。大阪市の条例などを参考にして議員立法をするのが良いと思います。
2016年02月23日
気に入らない放送をしたときは電波を止めると暴言を吐いた高市総務大臣に対し、「放送を語る会」と「日本ジャーナリスト会議」は連名で、大臣の辞任を求める声明を発表しました;高市総務大臣の「電波停止」発言に厳重に抗議し、大臣の辞任を要求する2016年2月12日放 送 を 語 る 会日本ジャーナリスト会議 2月8日と9日、高市早苗総務大臣は、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法第4条違反を理由に、電波法第76条に基づいて電波停止を命じる可能性を表明した。「国論を二分する問題について一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを繰り返す放送」など、さまざまな条件・留保をつけての答弁であるが、この主張の核心は、権力が放送における言論、報道の内容を審査し、その内容によって行政処分ができるというものである。憲法が保障する言論・表現の自由にたいする許しがたい攻撃だと言わなければならない。 このような主張を持つ人物が、放送を所管する総務大臣の職にあることを到底認めることができない。高市大臣は速やかに職を辞すべきである。 高市大臣は、電波停止処分は放送法第4条の「政治的に公平であること」に違反する場合だとする。しかし、多くのメディア法学者が一致して主張するように、この規定は放送事業者が自律的に実現すべき性格の倫理規定である。 放送法は、放送事業者に不偏不党を保障し、表現の自由を確保することを目的に掲げている。特定の政治的勢力の不当な介入を排除する趣旨であり、それを保障するため放送法は第3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」としているのである。 このような精神をもつ放送法が、「政治的に公正であるかどうか」を行政の判断に委ね、処分を認めるはずがない。 もし高市大臣が主張するような停波処分が可能であるとすれば、その判断に時の総務大臣の主義、思想が反映することは避けられない。 仮に高市大臣が判断するとした場合、氏はかつて「原発事故で死んだ人はひとりもいない」と発言して批判をあび、ネオナチ団体代表とツーショットの写真が話題となり、また日中戦争を自衛のための戦争だとして、その侵略性を否定したと伝えられたこともある政治家である。このような政治家が放送内容を「公平であるかどうか」判定することになる。 時の大臣が、放送法第4条を根拠に電波停止の行政処分ができる、などという主張がいかに危険なことかは明らかである。 政府の行為や政策が批判すべきものである場合、放送による報道が批判的な色彩を強めることは自然である。今回の高市大臣の発言は、安保法への批判の高まりを意識して、そうした報道を牽制する意図があると評されても否定できないであろう。 高市大臣の発言を安倍首相も菅官房長官も擁護した。このことは現政権がテレビ報道に対し高圧的、抑圧的であることを改めて示した。 我々は、このような総務大臣と政権の、憲法を無視し、放送法の精神に反する発言に厳重に抗議し、高市大臣の辞任を強く求めるものである。 この声明文は論旨が明快で、何が問題かよく分かる文章です。多くの有識者が説明しているように、放送法第4条は放送事業者が目指すべき目標を示したものであって、この条文を根拠に行政が監視の目を光らせるというものではありません。「政治的に公正であるかどうか」を判断するのが政府であったり、総務大臣であったのでは、論理に矛盾が生じます。政治の世界は、政府与党と野党という対立構造になっており、この関係を報道する番組が公正かどうかを、政府与党だけが判断するのであれば、これは明らかに不公正な判断にならざるを得ません。もともと放送法は「不偏不党の報道」のために制定されたものですから、これがいつの間にか、どの放送局も政府をヨイショする番組だらけになったのでは本末転倒です。高市大臣が持論を変えないのであれば、これは辞任していただくしかないと思います。
2016年02月22日
千葉県の建設会社が都市再生機構(∪R)から補償金をもらうために、UR設立に関与したことで影響力がある甘利元大臣の事務所に斡旋を依頼し現金を渡したという事件について、甘利議員をあっせん利得処罰法で起訴できるかどうか、4日の東京新聞は次のように書いている; 甘利明前経済再生担当相による金銭授受問題。辞任理由は不届き者の秘書が政治献金を私的流用し、その監督責任を取るといった趣旨だった。だが、おかしくないか。政治家が企業の要望を聞き、その名前で得た報酬(献金)を世間では「賄賂」と見なす。そうした癒着をはがすため、政党助成法も施行されたはずだ。企業献金が生き残っている現在、これでは二重取り以外の何物でもない。(木村留美、榊原崇仁) 「甘利氏本人の疑惑が晴れたという認識か」。4日の衆儲予算委員会で、共産党の志位和夫委員長は安倍首相にそう質問した。首相はこれまで通り、「(甘利氏は)詳細に説明された」「口利きに関与していないということ」と淡々と受け流した。 先月28日の甘利氏の辞任会見によると、同氏は2013年11月と14年2月に大臣室などで計100万円、当時の秘書も13年8月に500万円を千葉県の建設会社側から受け取った。 この建設会社は都市再生機構(∪R)との間で道路工事をめぐるトラブルがあり、13年8月に∪Rが約2億2千万円の補償金を支払う契約が成立した。 甘利氏は自身や秘書が受け取った600万円のうち、300万円は政治資金収支報告書に記載し、残りは秘書が私的に使ったと説明。秘書の私的流用と、その金額の収支報告書への不記載のみを問題としている。 だが、告発した建設会社の総務担当者は、共同通信の取材に「∪Rとの補償交渉を有利に進めるため、口利きしてもらった謝礼や経費」と述べている。実際、甘利事務所は∪Rや中央省庁に問い合わせた。その見返りとしての現金は一般常識に照らせば、広義の意味で「賄賂」ではないか。 だが、刑事事件に発展するか否かは微妙だ。適用が想定されるのは、政治家や秘書の口利き行為を制限する「あっせん利得処罰法」だ。条文には「(国会議員の)権限に基づく影響力を行使した」とあるが、具体的には国会での質問などが考えられる。ただ、国会議員や秘書に同法を適用したケースはいまだない。 東京地検特捜部の元検事で弁護士の堀田力氏は「今回のケースは典型的な仲介のように思える。これで立件できないなら、国民が納得しない」と語る。 ちなみに甘利氏と∪Rは浅からぬ縁があった。安倍政権は31年1月、全閣僚による行政改革推進本部を設け、∪Rを含めた独立行政法人の改革に着手。同年12月に、独法改革の基本方針を閣議決定した。 国土交通省の天下り先になってきた∪Rの民営化は民主党政権以前から、論議になってきた。基本方針では、高額賃貸住宅運営の民間委託や関係会社の半減などが盛り込まれた。 基本方針の閣議決定には甘利氏も関与しており、同氏も∪Rの今後を左右する強い影響力を持っていたと目することもできる。 ただ、こうした背景があっせん利得処罰法の適用を後押しするかといえば、議論は分かれそうだ。 堀田氏は「(あっせん利得処罰法での)起訴の先例がないから、放置するということでいいのか。条文の文言に不備があるのなら、それを改めるための立法が必要だ」と強調した。<デスクメモ> 甘利さんは「やせ我慢の美学」で辞任したという。我慢はカネを出されたときにすべきだ。「いい人とだけ付き合っていたら、選挙に落ちる」とも。悪い人の口利きをしてほしくて一票を投じた人はいないだろう。それなら勝たない方がよい。むしろ、心配なのはこんな陳腐な釈明がまかり通る社会の現状だ。(牧)2016年2月4日 東京新聞朝刊 26ページ「企業献金は広義の賄賂?」から引用 甘利さんは、不祥事を起こしたのは秘書だけれど、責任は自分が取るなどと、まるで他人事のようなことを言って大臣を辞任したのであるが、あっせん利得処罰法が適用されれば、大臣どころか議員辞職である。状況証拠では誰が見ても「クロ」なのだから、こうなったからには甘利氏は、潔白を主張するなら堂々と法廷で主張するべきである。
2016年02月21日
最近日銀が始めた「マイナス金利」について、法政大学教授の竹田茂夫氏は、4日の東京新聞コラムに次のように書いている; 2000年前後に日銀はデフレ克服のためゼロ金利や量的緩和の非伝統的金融政策をとり始めた。米国や欧州の中央銀行も後を迫ったが、これは中銀の役割の転換につながった。従来、その役割は物価安定や金融危機対応に限定されていた。株価や為替相場は権限外でもあった。 今や中銀は自己破壊衝動(バブルやデフレ)に突き動かされる市場経済を基盤で維持する重責を担わされ、何でもありの状況だ。すでに量的緩和は財政ファイナンス(国債引き受け)と化し、金融政策と財政は一体化している。円安と株高という黒田日銀の「成功」が、日銀現執行部を政治任用した安倍政権を支えるという構図だ。 だが、日銀は人口減少とグローバル化という内憂外患には無力だ。実際、インフレ期待で消費や投資を喚起するというもくろみは完全に失敗。円安と株高で輸出増と消費増は生じなかった。年初来の株価乱高下はマイナス金利でも沈静化できない。さらに、マイナス金利にも民間銀行の現金保有コストによる下限があり、無限には引き下げられない。 この先はどうか。金融抑圧(資本・金利・銀行の規制)を強めつつ、年金基金と示し合わせて株価維持操作を行ったり、ヘリコプター・マネーという究極の手段もある。途中で市場と国民の信頼を使い果たすかもしれない。(法政大教授)2016年2月4日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-マイナス金利」から引用 日銀総裁に黒田氏が就任してから、金融の量的緩和を実行して円安を誘導し株価も高騰したのであったが、それでも景気は回復しなかった。そこで日銀はゼロ金利からマイナス金利へと突き進むのであるが、そんなことをしても景気が良くなるわけがないことは素人にも分かる。人々の雇用が安定して収入に余裕が出て来なければ、誰も新製品を買おうとか、旅行に出かけようなどと考えるわけがない。大企業を減税で優遇すれば、余ったカネを設備投資や賃金のベースアップに回すだろうというのは、何の根拠も無い作り話に過ぎず、労働者の賃金は毎年減少しているのが現実である。規制緩和をやれば景気が良くなるという話も、過去にはそういう現象があったのかも知れないが、今となっては、大型バスの運転経験のないドライバーも規制が無くなったので運転をさせられて、その結果、前途ある若者が何十人も事故死することになっている。この先はどうなるか。年金基金を使って株価維持を図るなどというのは、年金の支払いのためにプールしたカネをこれ以上減らされてはかなわないから、止めてもらいたい。やはりこの、資本主義経済というのは、放っておけば自己破壊衝動に突き動かされてバブルになったりデフレになったりするもののようだから、これを資本家や投資家の勝手にさせないで、民主的規制をかける方向へ転換しないことには将来がなくなるのではないかと思います。
2016年02月20日
なんとか憲法を改正を実現して手柄を誇示したい安倍首相は、96条から始めるとか大規模災害やテロに対応できるように緊急事態条項を憲法に加えるとか、いろいろ手を変え品を変えてアドバルーンを上げてきたが、いずれも国民から無反応であったため、今度はいきなり「本丸」である9条の改訂に言及したが、そのご都合主義ぶりを、4日の東京新聞社説が次のように批判している; 戦力不保持を規定した憲法9条2項の改正は、自民党結党以来の党是なのであろう。しかし、憲法学者の「自衛隊違憲論」を引き合いに出して改正の必要性を主張するのは、ご都合主義ではないか。 衆院予算委員会はきのう、安倍晋三首相と全閣僚が出席して、基本的質疑が行われ、2016年度予算案に関する実質審議が始まった。金銭授受問題が報じられた甘利明前経済再生担当相の閣僚辞任で、数日遅れのスタートだ。 首相が、稲田朋美自民党政調会長との質疑で言及したのが、9条2項改正論である。 9条は1項で戦争放棄、2項で戦力不保持を定めている。にもかかわらず自衛隊が存在しており、「現実に合わなくなっている9条2項をこのままにしておくことこそが立憲主義の空洞化だ」というのが稲田氏の指摘だ。 これに対し、首相は「7割の憲法学者が、自衛隊に対し憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだという考え方もある」と、9条2項改正の必要性を訴えた。 ちょっと待ってほしい。 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法をめぐり、多くの憲法学者らが憲法違反として反対の声を上げたにもかかわらず成立を強行したのは、当の安倍政権ではなかったのか。 自衛隊は、日本が外国から急迫不正な侵害を受ける際、それを阻止するための必要最小限度の実力を保持する組織であり、戦力には該当しないというのが、自民党が長年、政権を担ってきた歴代内閣の見解である。 自衛隊を違憲とする意見があるのは確かだが、国会での議論の積み重ねを通じて定着した政府見解には、それなりの重みがある。 安倍政権が憲法学者の自衛隊違憲論を理由に9条2項の改正を主張するのなら、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定や安保関連法についても、憲法違反とする憲法学者の意見を受け入れて撤回、廃止すべきではないのか。 都合のいいときには憲法学者の意見を利用し、悪いときには無視する。これをご都合主義と言わずして何と言う。それこそ国民が憲法で権力を律する立憲主義を蔑(ないがし)ろにする行為ではないか。 憲法改正には国民の幅広い支持が必要だ。9条2項を改正しなければ国民の平穏な暮らしが脅かされるほどの緊急性が今あるのか。1955年の結党以来の党是だとはいえ、憲法改正自体が目的化していると危惧せざるを得ない。2016年2月4日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-首相9条発言 ご都合主義の改憲論だ」から引用 もともと民主主義の国においては、法律の制定も憲法の改正も国民がそれを望んだときに、国民の声を基に政治家が行動を起こすものであるが、現在の日本で、今の憲法では我々国民の生活が立ちゆかないから憲法を改正してほしい、という声は皆無である。だから、安倍さんは口を開くたびに「憲法改正は自民党立党以来の悲願」だから実現したいと、国民の希望をくんで「憲法改正」をするのではなく、「自民党の希望」だから改正したいと言っている、これがそもそもの間違いの始まりである。長年自民党に投票してきた国民でも、憲法改正をやってもらいたいから投票してきたのではないのであって、党の綱領には「憲法改正」と書いてはあるが、それをやるのは今ではないと思って安心して投票してきているのであって、安倍さんは現実の支持者の気持ちを理解する必要がある。
2016年02月19日
軍産複合体が演出する「テロの脅威」を利用して憲法9条を形骸化しようとする安倍政権の暴走を、我々はどのように阻止するべきか、谷口論文は次のように述べている;(昨日の続き)◆全体主義は忍び足でやって来る -新しい土俵内でいかに平和国家日本を保つか ▼民主選拳で政権を得たヒトラーのナチ党 2015年春先に亡くなった名古屋に住む叔母が、最後となった電話の会話で「また戦争が起こるような気がする」とポツリと洩らした。久しぶりに電藷をかけたのは、叔母がその正月に90歳になる直前のことだった。驚いて、どうしてそんなことを言うのかと尋ねると、「だって戦争(太平洋戦争)前と世の中の雰囲気がそっくりだもの」とまたポツリと言った。幼少期から私を可愛がってくれた叔母はロ数の少ない人で、人の悪口や噂話など決してしない堅実な人柄だっただけに、これを聞いて思わずドキッとした。日本だけでない。20年余り前、「アンネの日記」の書かれたオランダのナチ占領時代を取材した時、強制収容所の生還者の証言や第二次大戦開戦前の新聞によって窺い知った当時の雰囲気が、今の欧州とよく似ているのだ。1930年代にもベルリンなどでテロ事件が発生したりし、台頭したナチが着々とドイツ社会を制圧し戦争の準備を進めているのに、気の抜けたような危機感のない雰囲気が欧州諸国の社会全体に漂っていたようだ。ナチの時代はテロ事件の騒ぎの中で、忍び足でやって来たのだった。 NATOの基本ドクトリンとなった「ハルメル報告」をまとめたベルギーのハルメル(仏語読みアルメル)元首相に冷戦終結直後会った時、80代後半という高齢に拘らず矍鑠(かくしゃく)として第二次大戦時代を回顧し、 「最も忘れてならないのはナチが民主選挙で選ばれ政権を掌握したことだ。暴力で軍事政権を樹立したわけではない」と、民主主義に潜む脆さを警告した。テロ事件後、フランスの「国民戦線」をはじめとして、今後欧州諸国で極右政党の勢力伸長は止め難い。極右・保守政党は「テロの脅威」を錦の御旗に掲げて、平和や融和の尊重や市民の各種の自由・知る権利などの大戦の反省から築いた「戦後レジーム」をことあるごとに押えつけていこうとしている。 ▼国際コンソーシアム型秩序の土俵で活路を求める 中国は米主導の対IS有志国連合に入らず、台湾の参加を静観した。日本が「コンソーシアム型」の土俵外で我が道を行くのは今後一層困難になろう。そうとすればコンソーシアムに参加する際の「契約内容」の事前審査とその契約の履行を継続監視する体制が、日本の国会を中心に必要となる。このようなチェックは一切抜きで、安倍政権は対IS有志国連合にすでに参加している。当面はテロ勢力への資金源を絶つ部門に参加を限った限定参加だが、安保法発効に伴い軍事作戦の後方支援にも拡大される。何よりも安保法と特定秘密保獲法の全面廃止が必要だ。現実に難しいなら、さまざまなコンソーシアムへの日本の参加の「契約内容」の吟味と参加後の活動内容監視の準備と情報入手と分析力が鍵となる。それを良識ある政党や報遺機関を中心に育てておく必要がある。情報と知識がなければ人権、国民の利益や国益に対する不適正な活動の追及はできない。 ▼真の脅威はテロでなく、暴走するコンソーシアム型国際秩序 小文冒頭に見たような意図的なマスコミやソーシャルメディア総動員の世論形成、それに追い風を受けた政府の暴走をいかに食い止めるか。その意味で欧州の難民、テロの問題は日本にとり対岸の火事ではない。「見えない世界戦争」は欧州だけでなく、世界全体を知らぬ間に巻き込み始めている。極言すれば本当の脅威はテロではない。脅威は、コンソーシアム型秩序とその背後に見え隠れする国際規模で勢いを増す軍産複合体に対し、「国際社会」の良職の制御の効かない状態が現実化しつつあることだ。頼みの国連のカは1961年、行動するハマーショルド事務総長の謎の飛行機墜落による死を機に急速に萎縮した。 今後は、安保法成立の強引な動きに危機意識を懐(いだ)き立ち上がった市民の行動にかかっている。良識ある政党は、眠っている多くの情報を発掘・活用する仕組みをつくり上げるべきだ。優れた情報と知識は、政府の暴走を止める最大の武器である。さらに中国、朝鮮半島の軍事脅威ばかり煽る政府を叱り、東アジアの信頼醸成措置の仕組みを一日も早くつくり上げ、相互の兵力削減により軍備管理・緊張緩和に取り組まねばならない。そうした良識ある、思い切った行動が現在の暴走政治を止め、平和大国・日本ならではの「この国のかたち」と道を維持・発展させていく最大の原動力だ。岩波書店「世界」2016年2月号 「見えない世界戦争に巻き込まれた欧州」から一部を引用 対IS有志国連合については、日本がこれに参加するには、本来安倍内閣は国会に諮るべきであったが、これを省略して勝手に参加したのは危険な「暴走」の兆しである。国民は、今後の対策として、良識ある政党を中心に情報を集め、政府が有志国連合と交わした契約内容を精査し、その活動がわが国憲法を逸脱していないかどうか、厳しく監視していく必要がある。そのためにも、この夏に予定されている参院選では、できるだけ多くの自民党候補を落選させて与党を少数派に追い込み、衆参ねじれ状態を作り出す必要がある。良識ある政党の躍進に期待したい。
2016年02月18日
アメリカとソ連が互いに核ミサイルを持って対峙したときは、どちらかがそのスイッチを押したら双方が生きていけなくなるという状態だったから、うっかり戦闘を開始するわけにも行かず、だから「冷戦」と言われたのであったが、その冷戦時代は終わり、現代はテロリストが、ブルジョアの居住する大都市でテロ活動をする時代になり、これを「動的脅威」と言うらしい。谷口論文は、次のように解説している;(昨日の続き)◆静的な脅威から動的な脅威、静的な秩序から動的な秩序へ -コンソーシアム型秩序と対IS有志国連合 ▼変幻自在の国際秩序 冷戦終結から4半世紀が経った。冷戦時代の静的な脅威(挑戦)から動的な脅威(挑戦)に変質したとよく言われる。2012年2月2日の衆議院予算委員会で田中直紀防衛相に対し、自民党政権下で防衛相だった石破茂議員が、「どこに、どの様なものを、何のために、どれだけ、いつまでに、ということを陸海空きちんと説明ができるように持っておく。それが動的防衛カなんじゃないんですか」と諭した。だが実は「動的」というのは石破氏の理解をはるかに超える斬新な意味合いをもっている。それは喩えれば、グーグル検索で言葉を入れたとたん、瞬間に答えの画面が変わっていくような状況--。臨機応変な対応が、新しい安全保障の世界でも求められている。脅威(挑戦)が静的から動的に変質したのに伴い、国際秩序も静的から動的に変質した。冷戦時代の静的な同盟に変わって、「コンソーシアム型秩序」あるいは「コンソーシアム型国際協力」が、その受け皿になろうとしている。 コンソーシアムはビジネスの世界でよく使われる用語だが、軍事や人道援助の領域にもこのコンソーシアムの形態が持ち込まれるようになった。例を拳げれば、国連安保理決議に基づいてアフガニスタンに展開したISAF、同じくソマリア沖海賊対策がある。2014年9月、ウェールズNATO首脳会議と並行したパートナー国を加えた拡大会議で生まれた対IS有志国連会は、さらに進化した仕組みだ。 ▼見たことがない戦争と平和の仕組み 上記のコンソーシアム型国際協力の具体例として、対IS有志国連合に焦点を絞る。同連合は国連安保理決議に基づかず、国連憲章第51条の個別・集団自衛権に依る米国主導の軍事作戦組織だ。いくつかの注目すべき点を挙げると(1)各自が最も都会のよい形で参加する「協力安保」のコンセプトを一層徹底して採用。軍事作戦だが戦闘爆撃機で実際にIS側の攻撃作戦に加わる国、後方支援だけの国、ISの軍資金源を絶つ分野のみに参加する国などアラカルトの形態をとる。この融通性から参か約60カ国の大所帯となった。(2)日本はこれまで軍資金源を絶つ経済部門など非軍事な形の参加だったが、安保法成立で後方支援参加が可能となる。(3)ISの地域が広いばかりか、欧州などへ出戻りのテロリストの存在も含めると、戦争地域は世界規模に広がり得る。(4)敵がISとその不特定の協力者ということならば作戦は果てがない-などが挙げられる。また参加の度合いや参加する部門により指揮・管制・連絡へのアクセスを差別化するITシステムが存在するはずだ。有志諸国は例えばワシントンに集まらないでもバーチャルな連絡体制・会合によって常時、「連合軍」の一員として「見えない世界戦争」に参戦していることになる。 こうした新しい戦争の仕組みはアフガニスタンという限定地域で、ISAFとアルカイーダ及びタリバン掃討軍(OEF、永続する自由作戦)両作戦を一体化させる形で試された。その司令官だった米軍のアレン退役将軍が米国務省文民代表とともに対IS有志国連合のトップを務めているのは示唆的である。 安保法制を事実上取りまとめたといわれる兼原信克官房副長官補が外務省の後輩に、安保法制はホテルニューオータニ方式だと説明したという文章をどこかで読んだ。同ホテルに一階から入って歩いているうちに、いつの間にか二階になっている、という類の話で安保法制もそのようなカラクリだとの説明だったと記憶する。実は対IS有志国連合もそのようなシームレスな性格をもったコンソーシアムなのだ。ISを攻撃・殲滅するはずだった有志国連合は、やがて破壊し尽くされたシリアやイラクの復興開発のコンソーシアムへと変幻自在に変貌していくだろう。(後半省略)岩波書店「世界」2016年2月号 「見えない世界戦争に巻き込まれた欧州」から一部を引用 いずれにしても、タリバンや「イスラム国」は武器を消費させて利益を上げたい軍産複合体が仕組んだものなのだから、日本には関係も責任もない話で、よしんば国際支援を求められても、せいぜい「軍資金源を絶つ経済部門」での協力で十分なのであって、わざわざ後方支援に自衛隊を派遣して自衛隊員の生命を危険にさらす必要は、どこにもない。安倍晋三の名を歴史に残すために自衛隊員を犠牲にしていいわけがない。戦争法は出来るだけ早く廃止するべきだ。
2016年02月17日
昨日引用した「世界」2月号の谷口長世論文の続きは、テロ集団「イスラム国」がどのようにして勢力を拡大したか、安倍首相が言うところの「戦後レジームからの脱却」とは何を意味しているのか、次のように述べている;(昨日の続き) ▼テレビの向こう側の戦場と茶の間をつないだテロ組織 「イスラム国」過激集団(以下、ISと略)について一点のみ記す。ISがマスコミに大々的に登場以来、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールなど湾岸諸国が軍資金をはじめ様々な支援をしているとの報道や専門家の指摘が欧州、特にドイツで行われた。支援しているのはこれらの国の民間の有志やグループであり、政府ではないという。だがこれらの国の政府がそれを厳しく取り締まれないはずはない。皮肉にもサウジやアラブ首長国など湾岸諸国は現在、米国主導の対IS有志国連合の軍事力行使の中核だ。さらにサウジ政府は主にイスラム圏34力国対IS軍事同盟を主導すると言い出した。米欧政府は、これらの国からのIS支援を長期間、見逃していたのだ。もっと問題なのは、「平和の旗手」のはずのスウェーデンを含め米欧諸国が世界の兵器輸入で横綱級のサウジアラビアはじめ、これらの湾岸諸国に大量に兵器を輸出してきたことだ。国連安保理常任理事国の中国もロシアも非難は免れないが、米欧の場合、これらの湾岸諸国がシリアなどの紛争地帯へ兵器を再輸出する恐れが100パーセントあるのを承知での輸出だった。 だが11月13日を機に、一斉に米欧のマスコミや政治家はこれらの湾岸諸国を名指し、これらの国に存在するIS支援の民間グループに対する批判を始めた。欧州議会の保守グループ共同議長であるドイツの議員になぜもっと早く湾岸諸国にIS支援取り締まりを要求しなかったかを間うと、「航空機とかの輸出先だったので……」と正直に経済後先を認めた。つまり欧米は自らテロのタネを蒔き、大きく育ったISにより今度は自らに脅威を創り出してしまったことになる。そして兵器を売るだけ売った後、非難し始めたのだ。 ▼軍産複会体グローバル化と日本 ISに流れると知りつつ、なぜ湾岸諸国へ大量の兵器を輸出し続けたのか。そしてなぜ湾岸諸国からのIS支援を長らく見過ごしたのか。それは貿易分野を含む、広義の国際規模の軍産複合体が形成され、良識に基づく「国際社会」の広義の文民統制が効かなくなっている前兆ではないのか。対IS有志連合は、正体の定まらぬ敵軍に挑む、約60カ国の連合軍だ。11月13日は、欧州の、この「見えない世界戦争」への参戦日に他ならない。そしてこの欧州の運命は、安保法制を強引につくり、対IS有志連合にも参加している日本の近未来を暗示している。◆仏米の危険な関係-外交大国フランスの消滅 それにしても、あのドゴール時代の誇り高い外交大国フランスはどこへ行ったのか。冷戦時代、東西に分断されたドイツを尻目に、米国とソ連の力関係を巧みに利用し英国と競い外交大国ぶりをほしいままにしたフランス。2003年のイラク攻撃の際も、適切な国連安保理決議なしで武力行使に動こうとするプッシュ米政権に抵抗し、ラムズフェルド米国防長官に「古い欧州!」となじられるや、「米国防長官こそ老人ホームに入るべきだ」(仏国防省首脳)とやり返した。そのフランスがすっかり骨抜きになってしまった。 米仏接近の下地は、2001年項から米仏両政府の肝いりで始まった米仏防衛産業協力の交流で築かれ始めた。海外でもアフリカの最大のフランス軍拠点だったジブチに米軍が基地を設け、それ以降のアフリカにおける米仏共同作戦展開拠点が誕生した。ジブチには海上自衛隊初の海外基地があることを特記しておく。 一方、米国が事実上の盟主であるNATOの統合軍事機構にフランスが復帰した。見返りにNATO全体の再編の総司令官に仏軍トップが歴代就任することになり、米仏の軍事関係は一層緊密化した。仏英の空軍主導のリビア攻撃作戦でも、米国は両国を諌(いさ)めるふりを装いながら、実際には攻撃開始から10日間、圧倒的な空爆でカダフィ体制政府軍を破壊し尽くし、表舞台の英仏両軍に花を持たせた。 米仏の接近は、防衛産業部門で著しい。例えば、NATO全域の対空防衛システムを担うのはフランスの宇宙航空軍事産業タレース社と米国軍事産業レイション社のコンソーシアムだ。軍事産業は従来、国との一体性が非常に緊密で、一種の国策会社的性格が強い産業部門だった。特に大国の場合に顕著だった。だがグローバル化の今日、この「国策」志向の垣根が低くなった。やがて庇(ひさし)を貸した日本企業が母屋をとられるケースも出よう。テロの脅威も、ドゴール時代のフランスの消失も、そして安倍首相が性急に造成した安保法制も、こうした流れで捉え直すことにより真相がより鮮明に見え始めるはずだ。◆平和ドイツの弧独 米欧軍産複合体の胎動 ▼メルケルの苦悩&「欧州戦後レジーム」の破壊 フランスとドイツの二人三脚でEUは動く-。 仏独がピタりと息を合わせてEUを引っ張って来た。そのフランスが今や、米国に擦り寄ってしまった。ドイツは第二次大戦後、ナチ時代の苦い教訓から、安倍政権のような暴走政治を封じる法制や仕組みを幾重にも整えた。例えば市民権保護の様々な法律、憲法裁判所、そして連邦議会による政府の外交・安保政策に対する厳しい監視の権限だ。国連安保理決議に基づきアマガニスタンに展開した国際治安支援軍(ISAF)参加が第二次大戦後、初のドイツ部隊の外国派兵となった。同派遣承認に先だって、ドイツ連邦議会は慎重な審議の末、非紛争地帯ての非戦闘活動に限る厳しい制約を付けた。数年前のリビア攻撃作戦でも英、仏などと異なり攻撃作戦には不参加で、人道支援段階になって初めて参加した。このように米国、英国、フランスの積極路線に土俵の端まで追い詰められながらも一線を画くし、辛ろうじて「戦後レジーム」を維持してきた平和ドイツだった。 米国主導の対IS有志連合でもこの路線は変えず、安保法制のなかった日本のように消極的参加を続けていた。「しかし圧倒的な長期の支持を固め、これまでユーロ危機も巧みに乗り切ったメルケル首相は、難民攻勢という伏兵にとうとう押し切られた」(EU筋)。さらに殺到した難民にISのメンバーが混じっていたことがパリ同時多発テロ事件捜査の課程でクローズアップされた。 ドイツ連邦議会はパリ事件後、対IS有志連合への非戦闘任務に限定した作戦機派遣等を決め、フランスや英国の徹底した参戦に半歩近づいた。条件付きながらも戦闘機の外国での軍事作戦派遣に対する議会承認は押し寄せる難民とパり・テロ事件抜きには、あり得なかったはずだ。「パリのテロ事件は、対IS有志国連合へのドイツ軍事力参加の法的根拠にならない」というドイツの法曹会の反対の声は、連日連夜流れたパリ事件関連ニュースやブリュッセルの厳戒体制のニュースに打ち砕かれてしまった。「日本はどうなるだろう。いつまで戦後レジームを持ちこたえることができるかな」。日本の安保政策に造詣の深いドイツ政府高官が苦笑いしながら問い掛けた。(後半省略)岩波書店「世界」2016年2月号 「見えない世界戦争に巻き込まれた欧州」から一部を引用 この論文が指摘するように、シリアや「イスラム国」の今日の混乱は、武器を売りたい軍産複合体が仕掛けたもので、軍産複合体に支配されたアメリカやヨーロッパ諸国の政府は、今日の混乱を予見できたにも関わらず、事前に防止策を講じることはできなかった。これは明らかな「文民統制の崩壊」であると考えるべきではないでしょうか。安倍首相が言う「戦後レジームからの脱却」とは、日本の企業も上記のような欧米の流れに乗せて、利益を得させようとするもので、わが国憲法の精神に反します。このような観点からも、野党は安倍内閣打倒の論陣を張るべきです。
2016年02月16日
去年の秋に起きたイスラム過激派のパリの同時多発テロについて、私たちはどう理解するべきか、ドイツ在住のジャーナリスト、谷口長世氏は月刊誌「世界」2月号に寄稿して、次のように述べている;◆「対テロ戦争は姿を変えた恐怖政治だよ」 しんと静寂に包まれた中で電話が鳴った。聞き覚えのない声だ。私の知人から電話番号を教えられたという東京のテレビ局の人で、のっけから「大変ですね。大丈夫ですか」と切り出した。「大丈夫、と言いますと・…‥」と訊き返す私。「ブリュッセル市内を警戒中の戦車とかですね、機関銃を持った兵隊とか、民家を急襲している映像が盛んにテレビで流れていますよ。モーレンベーク地区がテロリストの巣窟なんだそうですね」。そこでこの人物にモーレンベークで朝に眺めてきたばかりの情景をそのまま話すことにした。 モーレンベーク区は首相官邸の裏手にある拙宅を出て、最寄りの地下鉄駅から四つ目、「フランドル伯爵」駅で降り、外へ出ると区役所前の広場だ。これが区の中心である。地下鉄なら十分足らずだが、政府の命令で地下鉄駅入ロにシャッターが下りている。タクシーを拾った。運転手さんはモロッコ出身で、パリ事件以来、世界各地からマスコミが殺到し、モーレンベーク・ツアーが運転手仲間の笑い話になっていると言う。 「ブリュッセルの国際新幹線駅や空港に外国から続々と到着し、タクシーに乗るとモーレンべークと行き先を舎げる。怖がって車内から写真を撮りまくって一度も外に出ないで帰った記者もいました」 広場に着くと「戦闘ゾーン」と世界中に報じられた街は何のことはない。いつもと変わらぬ賑わいで精肉店や柿やトマトやネギをこぼれるように店先に並べた八百屋、路地には百円ショップに似た雑骨店が軒を連ねている。行き交う人の大半はモロッコ系移民やその二世、三世だ。東欧、パキスタン、アフリカ諸国など他の外国出身者の姿もまじる。出稼ぎ、移民、亡命者、そして恐らくは不法滞在者もいるだろう-。貧しいながら互いに譲り合い日々の暮らしを営んでいる。そんな雰囲気の街だ。 喫茶店でミント茶を飲んだ。大型のコップに熱湯を注ぎ、生のミントの葉を茎ごと突っ込んだ武骨なお茶。何やら隣席でモロッコ系の著者たちがスマホを観て笑い声を立てている。覗き込むとフランスのテレビ局のモーレンベーク特派員実況中継だった。警察が立ち入り禁止のテープを張り渡した道路を背景に悲壮な面持の女性レポーターが今にもテロリストとの戦闘が始まりそうな緊張を報じている最中だった。その「戦闘ゾーン」まがいのテープを張り渡した道路は、喫茶店と日と鼻の先にある。若者たらは立ち入り禁止の進路の問題の家屋はすでに空っぽだという。その現場から今にも銃撃戦が始まりそうにリポートしている。スマホの画面には市内繁華街を固める兵士たちや装甲車、テロリスト容疑者の潜伏先急襲の映像が、レポートと会わせ繰り返し流れる。画面に映る緊迫の実況中継車のモーレンべークと、ミント茶を飲んで眺めるモーレンベークがまったく別の街のようだ。その滑稽さを若者たちは笑っていたのである。その一人が「パリからやって来て、シリアよりもモーレンベークを空爆するべきだ、とレポートしたフランスのテレビ局の花形記者もいたよ」と呆れ顔をした。 ブリュッセル市内中心に見ると、繁華街の目立つ場所に物々しい軍隊の車両が停車し、兵隊たちがガチャガチャ戦闘用の銃器を提げ哨戒中だった。それをテレビ局のクルーが撮影している。兵士の半分くらいが顎から目の下まで黒い布で覆っているのも無気味だった。これまでいろいろな戦場や軍事演習を訪れたが、特殊部隊でもない普通の兵士が顔を隠すのは見たことがなく、隠す意味が分からなかった。ショッピングセンターの表通りを兵士たちが物々しく警備していたが裏通りの出入ロには警備はなく、人々は由由に出入りしていた。道を買い物袋を扱げ、とぼとぼ歩いてきたベルギー人老婦人がすれ違った兵士たちを見遣り、私と目が会うと、「政府はわたしたちを怖がらせようとしているのですよ」と、ため息をついた。 この一言で、7年余り前に亡くなったNATO記者の長老フレデリック・ボナールの言葉を思い出した。彼はノルマンディー上陸作戦に加わり、大戦後は英軍を中佐で退役しNATOを経て独立し、NATO専門誌を編集発行した。歴代のNATO事務総長や米欧の防衛産業界首脳たちと親しい、いわば米欧軍産複合体の申し子だった。彼の死の直前だった。NATO事務総長主催の記者新年会の後、道すがら足元も危ういフレデリックに肩を貸すと中身が空の麦わらのように軽いのに、はっとした。思わず「ねえ、結局、9・11(米同時多発テロ)は何だったんだろう」と長年躊躇(ためら)っていた質問をした。すると、立ち止まったフレデリックは少し考え、思い切ったように厳しい目を見開き、「対テロ戦争というのは、姿を変えた恐怖政治だよ」と噛み締めるように答えた。これが彼と交わした最後の会話となった。軍隊と防衛産業界の裏表を知り尽くした彼の言葉の真意が、7年以上経ち、買い物袋を扱げた老婦人のため息でようやく掴めた。◆造られる紛争・危機・脅威 ▼無理が通り、道理が引っ込んだリビア攻撃 「テロ」と「難民」を混ぜ合わせて考えることにする。最初にリビアについて考える。ブリュッセルの難民受け入れ支援民間機関の法律相談員シャルルは、アフリカ出身でベルギーに留学し、法律を修め国籍を取得した努力家だ。その彼がフランス・英国主導の有志国連合によるリビアのカダフィ大佐体制攻撃前、こんな質問をした。 「君はベルギーでモロッコやチュニジア、それにコンゴ共和国なんかから来た人を、多分たくさん知っているでしょう。ところでリビア人は何人知っていますか」 一人も知らないと答えると、どうしてだか分かるかと重ねて尋ねた。答えに窮していると、 「それはね、リビア人がベルギーにほとんどいないからですよ。ベルギーに来る必要がないからです。カダフィは独裁者に違いないが、国民はそれなりに暮らしていける。わざわざ身の危険を冒し、言語も風習も違い、人種差別・偏見の根強い欧州に渡って来る必要はないからですよ」と言った。そして、 「この攻撃は民主化どころかリビアの人々に破滅的な結果を招くでしょう」 シャルルの悲観的な予言は不幸にも当った。米国が攻撃開始の最初の10日間、圧倒的な空爆でカダフィ体制の軍事力を破壊し尽くし、フランス・英国の主導する有志国連合は同体制を駆逐し反カダフィ勢力を勝利に導いた。だが、その後の民衆の悲惨な状況はご存じだろう。そして欧州を巻き込む難民問題が深刻化すると、「難民が押し寄せる主因の一つはリビアのような破綻した国家のせいだ」と、西欧の政治家やマスコミはリビアの破綻をなじり始めた。破綻させたのは自らの無計画な空爆だとはおくびにも出さない。 シャルルのような在野の一法律顧問が明確に見通せたことを、豊富なインテリジェンスをもつ主要諸国の指導者たちが予想できないはずがない。予想できたに拘らず体制を圧倒的軍事力で破壊し、国家破綻を招き、結果的に多数の難民やテロ勢力を増殖させた。リビア攻撃の大義は市民の保護のはずだった。だが逆に破滅的な結果を招いた。自分たちが破綻させておいて、その破滅的結果をリビアのせいにする。今度はバリ同時多発テロについて、以下の驚くべきお話をしよう。 ▼予測済みだったテロのDデー 事実は小説より奇なり-。そういう表現があるが、11月13日パリ同時多発テロの前触れともいえる昨夏の単発のテロ未遂事件は、情報当局のほぼ予想通り起きた。以下は、事件発生の半月以上前に欧州主要国のインテリジェンス筋から知った直接情報だ。それによると、(1)8月24日に、場所は特定できないが欧州のどこかで重大な事件の発生が想定されている、(2)欧州諸国はグローバルな動きの一環としてすべてを戦争に仕立て上げる方向に収欽(しゅうれん)しつつある、という。 果たして、「24日」が私の聴き違いだったのか、インテリジェンスの誤差、あるいは犯行計画の修正のせいか、8月21日、つまり3日の誤差で世界中に報道されたテロ未遂事件が起きた。それはアムステルダム発、ブリュッセル経由のパリ行き国際新幹線車内のことで、列車がフランス領土に入った頃、発生した。同事件は日本でも大きく報遺された。そこで、8月24日のテロ予測が私のような記者に漏れるとすれば、主要国情報機関は当然もっと凄いインテリジェンスをもっているはずだ、と思った。二番目の情報、つまり「戦争に仕立てる方向」の意味は、パリ同時多発テロ発生直後のオランド仏大統領の言葉を聴いた時悟った。 仏大統領の「我々は戦争をしている。これは戦争行為だ」との宣言は、紛れもなくフランスの安保政策の劇的な転向表明だった。2001年9月11日以来、フランスは終始一貫してドイツとともに「テロリズムとの戦い」をEUの政策に掲げ、米国の「対テロ戦争」に一線を画して来た。2008年暮れ、EU軍事委員会議長(当時。南仏統合幕僚長)バントゥジエ将軍は会見で「欧州は決して『対テロ戦争』に与(くみ)したことなどない。常に『テロリズムとの戦い』の立場を貫いている」と明言した。つまり「対テロ戦争」は軍が主体、「テロリズムとの戦い」はあくまでも市民警察が主役。似て非なる概念というのだ。その抵抗の旗頭だったフランスの大統領が一夜にしてコロリと「対テロ戦争」に転向した。11月13日はフランスの「テロリズムとの戦い」路線が米国の「対テロ戦争」の軍門に降った夜となった。 パリ事件直後の16、17両日、EU外相・国防相理事会がブリュッセルで開かれた。終了後の記者会見で、オランド大統領に倣(なら)ってEU全体も「テロリズムとの戦い」と「対テロ戦争」を同一視するのかと尋ねた。EU外相理事会の議長はしどろもどろでコンセンサスに至らなかったことをほのめかした。主にドイツが抵抗したのである。(後半省略)岩波書店「世界」2016年2月号 「見えない世界戦争に巻き込まれた欧州」から一部を引用 アメリカの9・11直後のブッシュ大統領が「これは戦争だ」と言ったときも、何か芝居がかったセリフで、なんだか幼いことを言う人だなぁという印象だったが、オランド大統領のときも同じような違和感を感じたものであった。パリから遠く離れた日本で暮らしていると、遠い場所でおきた事件だから、差し迫った危険を感じるわけではないが、オランド大統領のあの一言は、「対テロ戦争」とは一線を画してきたフランスが軍産複合体の軍門に降ったことを象徴していたとは驚きである。
2016年02月15日
首相が憲法改正の意向を大きな声で唱えることは許しても、一般国民がそれに対する意見を表明することは許されない日本人社会の偏ったあり方について、法政大学教授の山口二郎氏は、7日の東京新聞コラムに次のように書いている; 国会論戦では、安倍晋三首相が憲法改正に前のめりの姿勢を明らかにしている。特に、与党質問に答えて9条の改正に言及した。株価の下落や閣僚の不祥事があっても支持率は上昇し、自分は何をやっても国民に支持されるという全能感に浸っての言動だろう。 首相が憲法論議を呼び掛けている一方で、世の中では憲法論議を抑圧する動きもある。9条擁護のデモを詠んだ俳句が公民館の広報誌に掲載されないとか、9条擁護のロゴが入ったシャツを着て外を歩いていたら警察官に行き先を尋ねられたとか、首相の反対方向で憲法を論じることについては何かと邪魔が入る。しかもその邪魔をするのば行政の末端である。憲法を守れと主張することは政治的だというのが、行政が憲法論議を排除する理由である。 政治的であって何が悪い。そもそも憲法を政治争点にしたのは行政の長である安倍首相であり、人々はそれに対して自分の意見を表明しているだけである。普通の市民が政治的に行動することを抑圧することは、為政者だけに政治的に行動する特権を独占させることを意味する。 憲法は個人の自由の領域を権力の干渉から守る壁である。為政者がその壁に穴をあけようという時、われわれは私的な生活を守るために政治に関わらなければならない。今はその時期である。(法政大教授)2016年2月7日 東京新聞朝刊 12版 25ページ「本音のコラム-憲法論議の政治性」から引用 憲法9条を擁護する俳句が公民館の広報誌に掲載拒否されたのは、埼玉県の自治体だったが、同じ埼玉県では「9条の会」に市の施設を使わせないように、市が直接管理することにするとか、護憲運動に対しては行政から何かと「妨害工作」が行われている一方で、首相は白昼堂々と国会で「改憲」を訴え、全国の新聞テレビがこれを大々的に宣伝する、これは明らかに不公平である。しかも、心あるキャスターが少しでも政府批判めいた発言をすると、「公正中立」のルールに反すると文句をつける。こういう状態では憲法について、フェアな議論ができませんから、改憲論議は時期尚早であるというほかありません。
2016年02月14日
米国レーガン政権で商務省審議官として日米貿易交渉に当たったクライド・プレストウィッツ氏が、昨年秋に出版した「日本復興」という本について、ジャーナリストの木村太郎氏は、7日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「君子豹変(くんしひょうへん)す」とは、こういうことを言うのだろうか? 米国で「日本たたき」の急先鋒(きゅうせんぽう)と考えられていた米経済戦略研究所長クライド・プレストウィッツ氏の新著「Japan Restored(日本復興)」を読んでこの表現を連想した。 ■「称賛」氏に豹変? この本は昨年11月に米国で出版されるとワシントン・ポスト紙などで取り上げられたので早速電子版で読んでみたのだが、「日本たたき」氏が「日本称賛」氏に豹変したかのようだったからだ。 この本の記述は西暦2050年の日本の様子から始まる。このとき日本の総人口は1億5千万人、経済成長率は4・5%で国内総生産(GDP)は中国を抜き米国にも追いついて世界一になりつつある。医療技術で世界をリードし、ITやロボット、航空機産業でも他を寄せ付けず、21世紀は「日本の世紀」になっているとプレストウィッツ氏は予言している。 そのきっかけになったのが今年16年で、アべノミクスも行き詰まり経済が低迷する中でソニーが韓国のサムスン電子に吸収合併される。 外交的にも近隣諸国との関係がギクシャクして、尖閣諸島問題をめぐって中国と武力衝突の危機が訪れるが、米国は軍事費削減から日本駐在の米軍も引き揚げてしまう。■婦人問題から着手 内外に行き詰まった状況を打開するために「国家活性化特別委員会」が組織される。興味あるのは、この特別委がまず取り組んだのが婦人問題で、婦人の社会参加と育児奨励を推し進めた結果、医師の75%、CEO(最高経営責任者)の35%を女性が占め、その一方で出生率は2・3に増え少子高齢化を脱却しているとする。 次に特別委が取り組んだのが英語の普及というのも意外だったが、英語教育の改善と企業の英語環境の整備で日本人のほとんどがバイリンガル(二言語話者)になり、経済だけでなく政治的にも国際化に大きく寄与するとしている。 そのほか特別委は、産業政策やエネルギー政策などにも新しい発想に基づく提言を行い、これが功を奏して日本の経済、産業が世界をリードするというのだ。 プレストウィッツ氏といえば、日本は官僚とビジネスが手を組んだ独占的経済システムの異質な国であるという考えを持ち、レーガン政権の商務省審議官として日米貿易交渉で日本側を悩ませたことで知られた。■指摘に一考の価値 そのプレストウィッツ氏のこの「豹変」ぶりだが、よく読むと同氏は必ずしも日本を称賛しているわけではなく、今の日本が抱える解決すべき問題を指摘したものともいえる。 その解決策について、プレストウィッツ氏の指摘が全て正しいとはいえないが、日本の近未来を考察する上で一読に値するもののように思える。(木村太郎、ジャーナリスト)2016年2月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「太郎の国際通信-日本が復活するための手引」から引用 ソニーがサムスンに吸収合併されるとか、尖閣諸島問題で日中間に武力衝突の危機が訪れても米軍は知らん顔して引き上げてしまうとか、日本人の神経を逆なでするような書き出しで始まる物語は、人々の興味を誘うあざといやり方のように思います。しかし、2050年に日本の人口が1億5千万人になるという想定は、いかがでしょうか。これからTPPが発効して日本人が必要とする食料の8割が海外からの輸入に頼ることになれば、天候不順で不作の年は輸入量激減ということもあり得るし、産業政策やエネルギー政策に新しい発想を導入したからといって、地方の限界集落やゴーストタウンのようになってしまっているシャッター街が再び活況を帯びるなどとうてい考えられません。その上、プレストウィッツ氏は、「日本が、官僚とビジネスが手を組んだ独占的経済システムの異質な国」だなどと言ったそうであるが、アメリカの場合は「手を組む」どころか、独占資本に政府が完全に乗っ取られた状態になっていることを考えれば、偉そうなことを言える義理ではないはずだ。
2016年02月13日
安倍晋三首相は、かつて自派の下関市長の再選のために暴力団「工藤会」を使って対立候補への誹謗中傷をやらせ、首尾良く仲間の市長を再選させることに成功しました。ところが、そのとき「工藤会」に約束した500万円の支払いを300万円に値切ったため、アタマにきた暴力団は安倍氏の自宅に火焔瓶を投げ込むという事件に及び、犯人は逮捕されて裁判にかけられ、その法廷で安倍氏の事務所と暴力団の関係が世間の知るところとなってしまいました。その詳細を、フリーライターの山口祐二郎氏が「週刊金曜日」2月5日号に、次のようにリポートしています; 近年、警察の暴力団に対する弾圧は異常なレベルに達している。昨年から分裂騒動に見舞われる山口組は言わずもがなだが、とりわけ、特定危険指定暴力団にまで指定されている福岡県北九州市小倉北区に総本部を置く暴力団「工藤会」に対する警察の弾圧は、私には過剰としか思えない。 2015年6月、警察庁の金高雅仁(かねだかまさひと)長官は東京都内で開かれた記者会見で、工藤会対策についてこう言い放った。「組織のトップを死刑や無期懲役にもっていき、二度と組に戻れない状態をつくり、恐怖による内部支配を崩していこうという戦略だ。徹底した捜査を遂げるということで臨んでいる」 勇ましい発言だが、この工藤会、実は安倍晋三首相とのただならぬ関係が指摘された組織である。◆安倍後援会事務所と安倍宅に火炎瓶 2000年、山口県下関市にある安倍晋三の実家と後援会事務所に、工藤会組員が火炎瓶を投げ込むという衝撃的な事件が起きた。被告となった工藤会関係者らはのちの裁判で、火炎瓶を投げ込むに至った経緯をこと細かく暴露している。判決文を読めば安倍首相および安倍事務所の所業は”クロ”であることがわかるだろう。 判決文の「犯罪事実」には淡々とこう記されている。<被告人Aは、指定暴力団D組長、同Bは、同Aと親交を結ぶ者、同Cは、上記D組副組長であるが、被告人3名は、E及びFと共謀の上、同Bが恨みを抱いていた衆議院議員Gの後援会事務所あるいはG方に火炎ぴんを投げ入れてこれらに放火しようと企て、平成12年6月14日午前3時13分ころ、山口県下関市a町b丁目d番2号付近路上において、ガソリンを注入したビールぴん2本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎ぴん2本にそれぞれ点火した上……(後略)> 判決文のいう「衆議院議員G」が安倍晋三のことである。「被告人A」が工藤会組長、「被告人B」が小山佐市(当時、会社社長・ブローカーで裏社会と太いパイプがある人物)、「W」が佐伯仲之(当時、安倍晋三の秘書、のちに下関市議)、「E及びF」は当時の工藤会組員である。 判決文は事件に至るまでの経緯をこう記す。<被告人BがG議員に対し、怨恨を持つに至った経緯(中略)自己の経営するSの資金繰りが苦しかった被告人Bは、G議員の地元秘書でかねてから交際していたWに対し、平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し、300万円の提供を受けた> さらにこの判決文には、G議員側から頼まれて下関市長選でX候補を当遺させないよう活動したのに、G議員(安倍晋三)の秘書にハメられて、警察に逮捕されたと「被告人B」小山佐市が話していたことが出てくる。 やや複雑だが、事件の概略はこういうことだ。 工藤会関係者・小山佐市と、安倍晋三の秘書・佐伯伸之は昵懇(じっこん)の仲であった。1999年の下関市長選で、安倍事務所は安倍と近い現職の江島潔市長(現参議院議員)を再選させるべく、対立候補の古賀敬章氏を誹藷中傷する”業務”を工藤会に依頼した。依頼したのは佐伯であり、依頼を受けたのは小山である。約束した報酬額は500万円だった。工藤会はこの”業務”を貫徹し、江島氏は再選を果たす。しかし安倍事務所から支払われたのは300万円だけで、残り200万円は支払われなかったため、安倍事務所に火炎瓶が投げ込まれた!。 事務所や自宅に火炎瓶を投げ込むなど、もちろん犯罪行為だ。しかし工藤会側からすれば、頼まれた”業務”を完遂したのにもかかわらず、安倍事務所側は約束を反故にした。約束していた報酬額が支払われなかったとすれば、怒るのも当然といえる。 本誌は安倍晋三事務所に質問書を送り、判決文の内容に間違いはないか、事実だとすれば、暴力団に”業務”を依頼したことを現在どう考えているのか見解を問うた。しかし安倍事務所から誠意ある回答はなかった。事務所員は「担当者に質問内容は伝わっている」と説明したが、期限をすぎても返事はなかった。工藤会との間に後ろめたいものが何もなければ、そう説明すれば済む話ではないか。◆都合悪くなれば切るのか 1月28日には安倍内閣の重要閣僚である甘利明経済再生相が金銭スキャンダルで辞任した。このスキャンダルでも告発者が元右翼団体に所属していたなどと政府を擁護したいメディアが書き立てているが、そうであるなら、安倍晋三事務所が暴力団を利用していた事実はどう評価されようか。ここでも安倍は甘利のように「秘書がやった」で済ますつもりか。 私は暴力団の味方はしない。しかし、2010年から各地で施行されはじめた暴力団排除条例は、日本国憲法が定める基本的人権の尊重を無視している、と言わざるをえない。部屋も借りられない、銀行口座もつくれない。それでこの社会でどうやって生きていけというのか。現在の日本は、暴力団員であるというだけで人間扱いしない国になってしまった。 福岡県警のホームページには、目を疑う写真が掲載されている。安倍晋三が、福岡県の中洲暴力団追放パレードに参加し、「暴力団を利用しないぞ!!中洲を笑顔と夢がある街にするぞ!!」と訴えて歩いているのだ。この人は安倍事務所がかつて工藤会を利用した事実をどう考えているのだろうか。 この国の総理大臣がこれでは、警察庁が推し進めている暴力団排除条例の説得力はゼロである。安倍晋三は本当に「暴力団を利用しない」と主張するのなら、自身の過去を国民に説明すべきである。 暴力団を裁くのであれば、暴力団を利用してきた者や団体も同時に裁くべきだ。利用するだけ利用し、暴力団との関係が問題とされる時代に変わると関係を絶ち切り、まるで何もなかったかのように振る舞うのは卑怯きわまりない行為である。◆安倍晋三首相は辞任せよ 昨年国会で大揉めとなった安保法制をはじめとし、特定秘密保護法、マイナンバー制度、軽減税率導入など、安倍政権は国民が求めたものではなく、米国や与党公明党の声を重視した施策を一つひとつ断行してきた。国民の批判の声を無視しながら。 安倍晋三は工藤会との関係まで無視するつもりか。堂々と言うべきである。政治家にとって一番大切なことは、在野の民に対して潔白であることだろう。いつまで民を欺くつもりか。 いまだにメディアは事件の検証をやらない。判決文が眠ったままでいるのなら、ここで表に出し、安倍晋三という総理の資質を問わねばならない。工藤会を利用した人間が一国の総理大臣であるのはおかしい。暴力団を利用してきた総理を国民は望んではいない。速やかに辞職するべきである。(文中一部敬称略)<やまぐち ゆうじろう・フリーライター>2016年2月5日 「週刊金曜日」1074号 14ページ「暴力団『工藤会』を利用し、自宅に火炎瓶を投げ込まれた安倍晋三首相の過去」から引用 しかし、いくら厳しい選挙戦だからといって、暴力団を使って相手候補を誹謗中傷するというのは、いかがなものでしょうか。こういうことをする人物がわが国の首相に相応しい資質を持っていると言えるでしょうか。その上、いくら相手が暴力団だからといって、一度約束したことを履行しないというのも問題で、誰も知らないと思って「暴力団追放」のパレードの先頭にたって歩く神経は尋常ではありません。安倍首相は、この問題について正式な記者会見を開いて、どう思っているのか国民に説明する責任があると思います。「週刊文春」も芸能人のスキャンダルを追いかけるヒマに、こういう問題も徹底追求するべきではないでしょうか。
2016年02月12日
拉致問題をうまく利用して最大限のスタンドプレーを行い首相の座を手に入れた安倍晋三を、1月22日の「週刊金曜日」は、次のように批判している;「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」元副代表の蓮池透(はすいけとおる)氏が出版した『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)が、話題になっている。 1月12日に開かれた衆議院予算委員会では、民主党の緒方林太郎(おがたりんたろう)議員が同書を取り上げ、「今まで拉致問題はこれでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は実は安倍首相によるものである」という一節を読み上げて、「首相は拉致を使ってのし上がった男でしょうか」と質した。 これに対し、安倍首相は声を荒げて「ここで私の名誉を傷つけようとしている。極めて私は不愉快ですよ」と反論したが、同じパターンが以前もあった。2006年10月11日の参議院予算委員会で、民主党の森ゆうこ議員(当時)が、同年発売された『週刊現代』10月21日号掲載の、「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」という表題の記事を取り上げたのだ。 この記事は、中国朝鮮族の実業家で、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が他国と交渉する際の「大物ロビイスト」とされた崔秀鎮(チェスジン)氏のインタビュー。崔氏は安倍首相から北朝鮮との秘密交渉を依頼されたというが、そこで首相について「単に政治的パフォーマンスとして拉致問題及び北朝鮮問題を利用しているにすぎないのです」と述べている。 森議員が「この記事の事実関係」を質しただけで、首相は「一々コメントするつもりはまったくありません。事実、食い物にしてきたということをこの委員会で言うのは失礼じゃありませんか」と、興奮した口調で発言している。 今回、蓮池氏が同書で首相の「ウソ」として取り上げている主な点は、以下の二つだ。(1)2002年9月に小泉純一郎首相(当時)が訪朝した際、官房副長官として同行した安倍氏が、「『拉致問題で金正日(キムジョンイル)から謝罪と経緯の報告がなければ共同宣言に調印せずに席を立つべき』と自分が(注=小泉首相に)進言した」。(2)蓮池氏の実弟の薫氏が同年10月に「一時帰国」した際、安倍氏が「帰国した被害者5人を、北朝鮮に戻さないように体を張って必死に止めた」というもの。◆首相の拉致問題の「政治利用」 蓮池氏は同書で(1)について、「席を立つべき」という方針は安倍氏が言い出したのではなく、当時の政府の共通認識だった。(2)については、安倍氏は北朝鮮に戻ることに当初反対しておらず、5人の帰国を引き止めたのは蓮池氏自身だったと指摘。 だが安倍首相は、緒方議員が「蓮池氏がウソをついているのか」と迫ったが、「(自説が)違っていたら国会議員を辞める」と反論した。 これについて、拉致問題が安倍首相や右派によって「政治利用」されてきた経過を追った『ルポ拉致と人々』(岩波書店)の著者で、今回の蓮池氏の近刊にも著者との対談が掲載されているジャーナリストの青木理(あおきおさむ)氏は、「おおむね、蓮池氏の指摘が正しい」と断言する。特に(1)については、小泉政権時代の田中均(たなかひとし)元外務審議官のインタビューで裏付けを取っており、「安倍首相だけが一人、独自の主張をしていたのではない」と述べる。 また青木氏は、「首相は副官房長官当時、周囲の”番記者”にベラベラと拉致に関する情報を話していました。拉致問題を最大の跳躍台にして駆け上がり、首相の座まで射止めたのは間違いない」と指摘。さらに、「実際首相がやったことは蓮池氏も指摘するように『北の脅威』を煽って制裁を強化するだけで、問題解決のために何もしてはいない」と述べる。 蓮池氏もツイッターで安倍首相の答弁に対し、「私は決して嘘は書いていません」と断言しているが、確かなのは首相はこれまで、さまざまな事実無根の発言を繰り返してきたという事実だ。福島第一原発事故後の汚染水流出について「アンダーコントロールにある」だの、日本軍「慰安婦」問題は「『朝日新聞の誤報から始まった」だのと、上げればキリがない。首相が拉致問題についての言動を批判されると感情的になるのも、本人のやましさのためではないのか。<成澤宗男・編集部>2016年1月22日 「週刊金曜日」1072号 5ページ「暴露された安倍首相の『ウソ』」から引用 小泉首相(当時)に随行して訪朝した安倍議員は、その後ことあるごとに拉致問題でテレビに採り上げられ、傍目に見ても、この人は拉致問題で手柄を上げて出世するつもりなのだなということは分かっておりました。その安倍氏が遂に首相に就任したのだから、当然のこととして安倍氏は、これまで以上に拉致問題解決のために努力するだろうと、私も思っておりましたが、どういうわけか、その後一向に事態は進展せず、政府がやることと言ったら、制裁を強めたり弱めたり、それ以外は何もしていないように見えてましたが、まさか、救出されて感謝しているはずの人物からも批判されるような実態であったとは、まさに「青天の霹靂」です。無策を指摘された安倍首相は「(自説が)違っていたら国会議員を辞める」と断言したそうですが、これは複数の証言があるのですから、安倍さんは潔く議員辞職するべきです。
2016年02月11日
昨年秋に、政府や自民党が放送局の幹部を呼びつけて事情聴取したことについて、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、政府与党の違法な行為を批判する意見書を公表しました。この意見書の意義について、12月6日の「しんぶん赤旗」は次のような解説記事を掲載しました; 「政府・自民党は個々の放送番組に政治介入してはならない」。BPO(放送倫理・番組向上機構)が11月6日、このような見解を含む意見書を表明しました。この意義について、元BPO統括調査役の藤田文知さんに寄稿してもらいました。 BPOとは、NHKと民放がつくる第三者機関です。公権力の介入を避け、番組・放送を検証して、放送界の自律を促すために存在しています。この日発表された意見書は、昨年5月放送したNHKの「クローズアップ現代」に対し、「過剰な演出があった」と指摘。「放送内容に重大な放送倫理違反があった」と結論付けました。 意見書はまた、この間題で高市早苗総務相がNHKを厳重注意したことや自民党の調査会がNHK幹部を呼んで説明させたことを厳しく批判しました。BPOは発足以来12年になりますが、政府や自民党に真っ向から異議を唱えたのは初めてです。◆放送局にも注文 政府や自民党は時として、意にそぐわない内容が放送されたとき、「放送法違反だ」と声をあげます。今年4月、NHKが自民党の調査会に呼ばれたとき、テレビ朝日の関係者も呼ばれました。これは、「報道ステーション」のコメンテーターの政権批判にかかわるもので、いずれも個々の番組に対してのクレームです。 政府・自民党は放送を批判する根拠として「放送法4条」をあげています。この条項には「政治的公平」「報道の事実をまげない」などが盛り込まれています。それに対し、意見書は「4条は放送事業者が自らを律する『倫理規範』であり、総務大臣が個々の番組に介入する根拠ではない」と反論しています。 要するに放送法は、知る権利や表現の自由の確保のために放送を役立てることを目的としており、政府・与党が個々の番姐に文句をつけるためのものではない、という意味です。 重大な警告をしたBPOの意見書に政府・自民党が猛反発しています。菅義偉官房長官は「放送法の解釈を誤解している」と言います。しかし戦前の放送が政府の介入と統制で国策推進機関と化し、国民を戦争へかりたてたことへの反省から放送法が生まれた経緯を見れば、どちらが”誤解”しているかは明らかでしょう。 見逃せないのは、メディアの反応です。BPOのニュースを報じた6日のテレビ朝日の「報道ステーション」は、NHK番組の倫理違反だけを伝え、BPOが自民党と政府批判をしたことには、一言も触れませんでした。いつもの「報道ステーション」なら「政府介入批判」は、ニュースの重点に置いたはずです。無言の政府・自民党の圧力を局側が忖度(そんたく)したのではないかと勘繰ってしまいます。 意見書が発表された翌且付の新聞は、「産経」「読売」が「NHKに重大な倫理違反」を見出しに取ったのに対し、「朝日」「毎日」「東京」は「政府与党の番組介入は許されない」を見出しに取りました。 政権与党のメディアへの介入は、それがテレビであろうと、何であろうと、すべてのジャーナリズム、すべての言論にかかわる根源的な問題です。BPOの意見書は、放送局側にも「干渉や圧力に対する毅然(きぜん)とした姿勢と矜恃(きょうじ)を堅持できなければ、放送の自由も自律も侵食され、やがては失われる。これは歴史の教訓でもある」と注文をつけています。 総務省はこれまでBPOの自律性を尊重し、個々の番組の介入を控えてきました。ところが、安倍政権になってから放送内容に対する干渉が増えています。政府自民党は、BPOの意見書の趣旨を受け入れ、メディアへの介入をやめるべきです。(ふじた・ふみとも=元BPO統括調査役)◆報道への政府・自民党の動き2014年11月18日 安倍胃三首相が「NEWS23」に生出演。街の声に「(局が)選んでいる」と非難20日 衆院選を前に自民党がNHKと在京民放テレビキー局に選挙報道の公平中立を求める文書26日 自民党がテレビ朝日の「報道ステーション」に公平申立を求める文書2015年3月27日 「報道ステーション」で元官僚の古賀茂明さんが「官邸の皆さんにバッシングを受けてきた」と発言30日 菅義偉官房長官が古賀発言を「事実無根。放送法という法律がある。テレビ局がどのような対応をするか、しばらく見守りたい」と発言4月9日 NHKが「クローズアップ現代」のやらせ指摘を受けて設置した調査委が中間報告。「取材が不十分」と同日番絹で謝罪17日 自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の関係者を呼び、事情聴取。聴取後、川崎二郎会長が「政府は停波の権限まである」と発言。BPOについても「お手盛り」と批判28日 NHKが調査報告書を公表。高市早苗総務相が「クロ現」について文書による厳重注意6月25日 自民党文化芸術懇話会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などの発言2015年12月6日 「しんぶん赤旗」日曜版 11ページ「政府・自民党の放送介入を批判-BPO意見書の意義」から引用 つい最近も、高市総務相は政府の気に入らない放送については放送法を根拠にして、最悪の場合「停波」もあり得るという見解を示しましたが、これは放送法の意味をまったく誤解しているか、悪用しようという意思の表明であって、現行憲法下では許されないことです。この記事が指摘するように、放送法は、知る権利や表現の自由の確保のために放送を役立てることを目的としているのであって、放送内容をコントロールする手段に使うのは邪道というものでしょう。憲法が保障する「言論・報道の自由」を無視する発言をした高市早苗の責任は重大です。野党もマスコミもこの問題を軽視しないで、議員辞職させるまで徹底的に責任を追及するべきです。それを怠れば、この国もやがては、かつてヒトラーがのし上がったドイツのような羽目になる危険性が大きいと言わざるを得ません。
2016年02月10日
川崎市では差別主義の団体がヘイトスピーチのデモを行ったが、市民がカウンターの行動に立ち上がり、デモが在日の人たちの居住区に進むことを阻止したと、1日の東京新聞が報道している; 在日コリアンらへのヘイトスピーチ{差別扇動表現)のデモが31日、川崎市川崎区内であり、これに反対する市民らが抗議活動を行った。ヘイトスピーチを根絶するために団結して立ち上がり、「差別に反対」と大声で訴えた。(横井武昭) ヘイトスピーチが市内で行われたのは12回目。今回は、市内外の市民団体で1月中旬に結成した「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が反対運動を呼び掛け、約500人が駆けつけた。 同区の富士見公園で始まったヘイトスピーチに対し、市民らは公園を囲むように集結。各団体の代表者らが「差別は絶対に許さない。皆さん仲良くしましょう」と抗議の演説をした。 JR川崎駅付近まで歩いて約一時間半続いたヘイトデモには、沿道からプラカードや横断幕を掲げて「差別はやめろ」「川崎守れ」と声を上げ続けた。在日コリアンが多く住む桜本地域の近くにデモが来ると、路上に座り込むなどして同地域への進行を阻んだ。 終了後、在日の母親を持つ中学1年の男子生徒(13)は「差別はやめろと言ったのにデモの人には通じず、すごく悲しい」と語った。ネットワークの結成を呼び掛けた社会福祉法人「青丘社」の三浦知人事務局長は「今日を第一歩に、ヘイトスピーチ根絶への歩みを確かなものにしたい」と力を込めた。2016年2月1日 東京新聞朝刊 22ページ「差別から川崎守れ」から引用 ヘイトスピーチの主張は社会的弱者の人権を侵害する暴力的な言動で、これは明らかに公共の福祉に反する行為ですから、本来はこういう行動を取り締まる法令が必要です。日本では民主主義が始まってまだ70年と歴史が浅いため、これらの法整備が立ち後れているのは残念なことですが、大阪市では既にヘイトスピーチを禁止する条例を制定しました。川崎市も可及的速やかに、必要な法整備をすることが望まれます。伝聞によれば、当地では差別主義団体がヘイトスピーチのデモ計画をウェブに公表したことを受けて、市民団体が「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」を立ち上げたときの結成集会には、市内のボランティア団体やその他の市民団体、労働組合等が集まり、社民党、共産党、公明党、その他のグループからも市会議員が出席して挨拶したとのことで、私たちの社会の未来を照らす希望の光だと思います。
2016年02月09日
最近の新聞記事について、日本総合研究所勤務の池本美香氏は1月20日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「東京新聞にダメ出し会議 まとめ編」(17日32面)では、9回にわたるダメ出し会議で読者から受けた提言や注文について、その後の進展状況を記者が〇、△、×で自己評価。他人を批判するのは得意だが、自分が批判されることには慣れていない新聞記者が、読者の声を聞こうとする姿勢に好感が持てた。 なぜ新聞を読むのか。「試験に出るから」「社会人として、社会の動きを知っていないと恥ずかしいから」など、一方的な情報収集の手段と考えられる傾向が強まっているように感じる。ダメ出し会議では「子どもに新聞作らせたら?」「読者がもっと参加できたら」「投書欄充実させるのも手」「見出しで内容もっと詳しく」など、読者とともに作る新聞が念頭に置かれている。そのためには「分かりやすく」も強く期待されていることがうかがえる。 投稿欄には重要な指摘が多い。「『開かずの踏切』改善を」(19日5面ミラー)は、前の駅に到着もしていない電車のために踏切が閉めっぱなしで、25分も足止めされたことを伝えた。投稿をもとに記者も取材し、事態の改善につなげることこそ、新聞の存在意義ではないかと思う。 先日の雪では駅ホームへの入場制限で、改札口から一時間以上一人も入場させないことに、外国人と思われる乗客が「一人も入れないのはおかしいよ」と駅員に詰め寄る場面に遭遇した。これに対し「他の方もお待ちなのでお待ちください」との返答。一個人の苦情は無力だ。納得のいく説明をせず多くの人をひたすら待たせることは許されるのか。こうした些細(ささい)なこともぜひ追及してほしい。 「退屈なニュース番組」という高校生の投稿も鋭い指摘だった(20日5面ミラー)。米国のニュース番組ではアナウンサーとゲストの熱いディスカッションを楽しめ、自分の意見を確立させることもできるという。日本のニュース番組は、社説「キャスター降板 何が起きているのか」(21日)で、「自由闊達(かったつ)であるべき放送ジャーナリズムの衰退」が懸念されている状況。公平中立ばかりでは、自分の意見を確立する手助けにはならない。ニュース番組がそのような状況であればなおさら、新聞は記者も、読者も、有識者も、自由にものを言える場であってほしい。 皆が意見を言えるようにするには、情報をわかりやすく伝えることが重要。英政府発行の書類には、平易な英語を使っている旨が記載されていた。専門用語の多用などで読む気をなくし、意見や批判が出なくなることを避けるねらいだ。自分の意見を持ち、自由闊達に議論できる人を育てるため、子ども向けの分かりやすい新聞の刊行も検討いただきたい。(日本総合研究所主任研究員)2016年1月20日 東京新聞朝刊 5ページ「新聞を読んで-新開の存在意義」から引用 この記事が指摘するように、テレビやラジオの番組はいちいち「公平中立」など気にしないで、様々な立場から多様な意見を自由に採り上げるべきであって、一日なり一週間なりの放送全体をみて「公平中立」に配慮すればいいのだと思います。そのようにして、視聴者は色々な立場の意見に接して、自らの意見を確立することが可能になるのだと思います。
2016年02月08日
テレビで政府を批判するような発言をしたニュースキャスターが次々と番組を降ろされることになった放送界について、1月21日の東京新聞社説は、次のように論評している; NHKや民放のニュース番組で著名なキャスターらが相次いで降板すると報道されている。安全保障関連法案について厳しい立場だった人もいる。放送の世界でいったい何が起きているのだろうか。 テレビ朝日「報道ステーション」のメーンキャスターを務める古舘伊知郎さんが降板する。同じ3月末にはTBSの「NEWS23」のアンカー岸井成格(しげただ)さんも…。NHKの「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんの降板も検討されている。 相次ぐ降板報道が、さまざまな臆測を呼んでいる。政権に批判的だったからではという風評もある。確かに古舘さんは記者会見の場でも「キャスターは反権力の側面がある」と語った。岸井さんは安全保障関連法案に対して「廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と発言したこともある。国谷さんは集団的自衛権の問題で、菅義偉官房長官に鋭い質問を浴びせたことがある。まさか三人の降板が権力からの圧力や自制の結果ではないことを祈る。 しかし、著名なキャスターの降板は、放送界が政治報道に萎縮しているのではないかという印象を与えることは間違いなかろう。 そもそもNHK会長人事が「首相のお友達を据えた」と言われた。一昨年末の衆院選のときは、自民党が在京各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を出したし、昨年にも任意にせよテレビ朝日とNHKの幹部から事情聴取している。権力の動きもまた目立っているからだ。 政治報道の番組はストレートなニュースが中心で、「解説や評論が減った」という声もある。「政治そのものが扱われなくなった」という声も聞かれる。事実ならば、自由闊達(かったつ)であるべき放送ジャーナリズムの衰退である。 もし政権の意向を忖度(そんたく)したり、報道内容を自粛したりしているならば、放送による表現の自由を定めた放送法の理念にもとる。 同法一条の「不偏不党」の言葉の意味は、言い換えれば「自立」か「独立」である。それを保障するのは公権力の側である。 「政治的に公平」という言葉も、自由であるからこそ、自律的に公平さを保ってほしいという倫理規定にほかならない。権力から離れ、自らの掲げた理想を目指し、自らの理性に従って権力を監視するのである。 テレビが政治的に元気でないと、この国の民主主義も元気に育たない。2016年1月21日 東京新聞TOKYO Web 「【社説】キャスター降板 何が起きているのか」から引用 毎年3月は年度末だから、新年度から新しいスタートを切るために古い番組の出演者を交代させるというのはよくあることだが、最近のように政府与党が露骨に報道機関に圧力をかけていて、しかも交代する人物が政府批判を口にしたことがあるとなると、これは、誰がどう見ても放送局側が政府与党の意向を忖度した結果であると考えるのは当然だ。もし、少しでも実際に与党から「介入」があったのであれば、これは重大な事件として報道するべきであるが、さすがの安部政権もそこまでドジなことはしていないのかもしれないが、放送局の幹部が自民党に呼び出されて説明に出かけるなどということも、放送法に照らしていかがなものか、もっと新聞は追求するべきであった。
2016年02月07日
海外で生活した経験があるように思われる高校生が、1月20日の東京新聞に投書して、日本のテレビのニュース番組を次のように批判している; 日本のニュース番組はつまらない。 夕方、ニュースの時間になり、テレビをつけると、どの番組もグルメリポートやトレンドの紹介ばかり。テレビ局はそれらの話題の方が人々の関心を引き、視聴率が上がると思っているのかもしれないが、それは間違いだと思う。 世界情勢や事件などのニュースを見ると、司会者がものすごく簡単に状況を説明し、現場にいるリポーターが同じことを繰り返し、最後にコメンテーターから10秒ほどコメントをもらって終わる、という具合だ。 こんな見せ方だったら、どんな内容でも見たいとは思わない。 だから、私はいつも、CNNという米国のニュース専門放送局の番組に切り替える。そして、これがまたおもしろい!! 日本の番組と同じニュースを取り上げていても、こっちは、まるでスポーツ観戦をしているようにハラハラさせられる。CNNでは、ニュースの分野の精通者を招き、アナウンサーとディスカッションをする。20分くらい続く話し合いの中では、お互いに意見を譲らず、両者が顔を真っ赤にしてまで反論し合い、時間が終了したと言われても話し続けるため、口げんかをしているみたいだ。 しかし、この熱血的な話し合いを見ることで、楽しめる一方、自分の意見を確立させることもできる。日本のニュース番組も、批判とか評判を気にせずに、アグレッシブにニュースに向き合い意見を共有してほしい。 そうしたら、絶対に見るのになあ。2016年1月20日 東京新聞朝刊 5ページ「ミラー-退屈なニュース番組」から引用 この投書は、短い文章ながら物事の本質を突いているような気がします。どんな重大事件が起きても、アナウンサーが手短に説明して現場のリポーターが同じ事を繰り返し、最後にコメンテーターが一言コメントするだけという番組では、視聴者はあまりものを考えず、自動的に「はい、次」と意識を切り替えるだけで、終わってしまう。そうではなくて、ニュース番組の中で十分な時間を割いて、大の大人が真剣に議論する様子を見れば、視聴者も自ずと「どっちの主張に正当性があるか」考える機会を得ることになり、自分なりの意見を確立するチャンスになるのではないでしょうか。 しかしまた、その一方では、こういうおとなしいニュース番組にも目を光らせて、気に入らない放送をすると責任者を呼びつける与党というものも、いかがなものかと思います。
2016年02月06日
考古学者で愛知県立大教授の丸山裕美子氏は、7世紀頃に朝鮮半島から戦乱を逃れて日本列島にやってきた渡来人について、1月30日の朝日新聞に次のように書いている;◆古代の移民・難民 海外を中心に移民や難民のニュースが流れない日はない。日本は、といえば、先日法務省が発表した速報値によると、昨年、難民認定申請を行った人は7586人、認定されたのはわずか27人である。 現在とは時代背景が全く異なるが、7、8世紀の日本は多くの難民を受け入れていた。660年に滅亡した百済(くだら)や、668年に滅亡した高句麗(こうくり)から、2千人をはるかに超える人々が海を越えて移住してきたからである。 正史である『日本書紀』や『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、百済の王族や貴族らはその知識や技術で官僚に登用されたし、それ以外に、近江国(今の滋賀県)に400人とか700人、東国に2千人もの百済人が集団移住し、農業に従事していた。摂津国には百済郡(今の大阪市の一部)が、武蔵国には高麗郡(こまぐん、今の埼玉県日高市ほか)が置かれたが、後者は今からちょうど1300年前の716年に1799人の高句麗人が移住して建てた郡だった。 さて、正史からは、科学展術の分野で重用された百済人・高句麗人や、官僚として活躍した百済王(くだらのこにきし)さん(もと百済王の子孫)や楽浪(さざなみ)さん(百済系)、高麗(こま)さん(高句麗系)などが知られるが、正倉院文書からは、8世紀の写経所で働く難民の子孫の姿がみえてくる。 正倉院文書の中心は、写経所の労務管理のための事務帳簿である。働く人々の作業記録や給与支払いの書類が多くあって、写経する経師らの氏(うじ)名がわかるのだが、そのなかには正史でおなじみの氏族とは異なる、より多彩な姓(せい)が認められる。 例えば、余(よ)さんや高(こう)さん。余は百済の王族の姓で、高は高句麗の王族の姓である。鬼室(きしつ)さんや難(なん)さんもいる。鬼室は、百済復興を計画した武将・鬼室福信(ふくしん)の一族であろうし、難も百済の姓である。 王(おう)、荊(けい)、辛(しん)、楊(よう)などの一字の姓の人々もそうかもしれない。ちょっと変わった姓として、既母辛(きもしん)さん、答他(とうた)さん、達沙(たつさ)さんがある。既母辛は「支母末(きもま)」という百済系の姓の可能性が高く、答他は百済、達沙は高句麗にみられる姓である。 試みに、745年の写経所で働いていた経師41人の構成をみてみよう。達沙さん1人、鬼室さん1人、難さん1人、既母辛さん2人と明らかな百済・高句麗からの難民の子孫が5人含まれる。王さんや楊さんら5人もおそらくそうであろう。他に陽胡(やこ)さんや忍海(おしぬみ)さんなど6世紀以前の移民の子孫も5人ほど見える。つまり4~5人に1人は百済・高句麗からの難民の子孫であり、3人に1人は難民・移民の子孫だったということになる。 彼らは鬼室や王など姓は本国のものをそのまま使っているが、個人の名は小東人(おあずまひと)とか広万呂(ひろまろ)とあって、すっかり日本風である。日本生まれの二世、三世であるのだろう。 写経所で働く経師らは、「試字(しじ)」という文字を美しく書けるかどうかの試験を受けて、採用された。彼らは泊まり込みで働き、一緒にご飯を食べて、共同生活を送っていた。並んだ机の隣は同じ経師で、同じように足をしびれさせつつ、毎日ひたすら文字を写していたのである。(愛知県立大教授)2016年1月30日 朝日新聞朝刊 e7ページ「丸山裕美子の表裏の歴史学-隣の机は鬼室さん」から引用 この当時の日本は大陸の漢字文化を吸収するために多大な労力を費やしていた様子がよく分かる面白い記事です。また、朝鮮半島から渡ってきた人々がその仕事に大きく貢献してくれたことも、なかなか愉快な話です。国籍に関わらず、この頃の人々の努力の結果、今日の私たちの文化的な生活があるわけで、これからも私たちは様々な近隣諸国の人々との交流から、新しい文化を創造していくことでしょう。
2016年02月05日
近頃の学校行事について、法政大学教授の山口二郎氏は1月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 自分の子どもはすでに大きくなったので、最近の学校でどんなことが起こっているのか、よく知らなかった。 多くの学校では運動会の呼び物として巨大な組み体操をするそうだ。事故も頻発し、大けがをする生徒が後を絶たない。小学校では十歳の子が「半分の成人式」と称し、それまでの成長過程を振り返り、親に感謝するイベントをするという。 前者については当然、危険だからやめるべきだという批判がある。後者についても、成育歴を人前で披歴したくないような家庭環境の子どもを傷つけるとの批判がある。 だが、文部科学省や教育委員会が指導するでもなく、親や教師が感動するという理由で、学校に定着しているようだ。学校が本当の教育の場なら、傷つく子どもに配慮して、感動したい多数派が我慢すべきだろう。 先週書いた感謝と同じく、当節、感動も安っぽく使われ、本来の意味を失っている。今の大人たちは子どもの心身に傷を残してまで感動したいのか。大人たちが言う感動は単なる自己中心主義であり、子どもをダシにした自己愛の追求である。 学校行事に表れている感動の追求は、大人の幼稚化の象徴である。感動や感謝を安売りする風潮が、幼稚な自己中心主義者である安倍晋三首相を支持する気分とつながっているという話をいずれ詳しく書いてみたい。(法政大教授)2016年1月24日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-感動の安売り」から引用 私も小学校や中学校で「組み体操」なるものをやった経験があるが、我々のころは今のような贅沢な食事ではなかった割に、体は頑健だったのか、組み体操が崩れて怪我人が出るという経験はなかった。考えてみれば、組み体操というものは、「早く走る」でもなければ「高く飛ぶ」わけでもなく、格闘技ではないから「より強く」にも当てはまらないのだから、これが果たしてスポーツなのか、という疑問も出てくるわけである。いくら感動のためとは言え、怪我のリスクを冒してまでやるほどのものではないのだから、これは教育委員会が「子どもをダシにした感動の追求はやめろ!」と、親と教員を指導するべきだ。
2016年02月04日
経済学者で同志社大学教授の浜矩子氏は、1月24日の東京新聞コラムで、安倍首相の品のない施政方針演説を次のように批判している; 1月22日、安倍総理大臣の施政方針演説が行われた。その「はじめに」の部分で、安倍首相は次のように言っている。「批判だけに明け暮れ、対案を示さず、後は『どうにかなる』。そういう態度は、国民に対して誠に無責任であります」 のっけからの野党批判である。今回の施政方針演説で、安倍氏は「挑戦」という言葉に強いこだわりを示している。だが、こんな調子でいきなり相手方に悪口をぶつけたのでは、挑戦ではなくて挑発だ。 さらにご丁寧なことには、「おわりに」の中でも、「ただ反対と唱える。政策の違いを棚上げする。それでは、国民への責任は果たせません」と言っている。 総理は、よほど批判されることがお嫌いらしい。それが強く印象づけられた。誰も批判されていい気持ちはしない。だが、国会というのは、そんな私情を前面に出す場所ではない。政府与党の代表者として国会論戦に臨む者は、批判に耐えることが仕事だ。 まさしく、施政方針を打ち出し、それに関する精査と判定を受ける。それが政府与党というものの位置づけだ。対する野党は、なにはともあれ、批判することが仕事だ。むしろ、いきなり対案を出したのでは、問題の焦点は国民の前に明確にならない。ここを間違えてはいけないと思う。 国会論戦の場において、政府与党は、まな板の上の鯉(こい)であることに甘んじなければいけない。野党は、鯉の品質を見定める役割を担っている。この鯉は、国民という名のお客さまたちに召し上がって頂くに値するか。召し上がって頂いて大丈夫か。食中毒の恐れはないか。そもそも、この鯉は本当に鯉か。鯉の振りをした鰯(いわし)だったりしないだろうか。 こうして、まな板の上に載せられた魚を徹底的に吟味する。それが野党側の基本的な機能だ。別の魚をまな板の上に持ち出して、こっちの方が新鮮だと主張するのが、彼らの役回りではない。 そんな競い合いを繰り広げられても、お客さんの方は困惑するばかりだ。その場でどっちかの鯉を選べるなら、まだいい。だが、そうは問屋が卸さない。次の選挙の時まで、鯉の選び替えはお預けだ。当面は、政府与党側が持ち出して来た鯉が、どうしても、献立の基礎になる。だからこそ、その鯉の特性あるいは毒性などを、もう一組の専門家たちに吟味してもらう必要がある。 ちなみに、イギリス議会で野党の位置づけにある政党は、「影の内閣」を組成する。その中で影の閣僚役を与えられた政治家は、基本的にあら探しをその本務としている。与党側閣僚の一挙手一投足に、まさしく影のように寄り添って、その言動をウォッチする。いつでも、批判すべきをキチンと批判できるように、あくまでもしつこくつきまとっていくのである。 むろん、場合によっては対案も出す。だが、それが第一義的な仕事ではない。決して振り払うことができない影と化して、相手を追い込んで行くのである。その意味で、日本の民主党が内部組織として構築している「次の内閣」は、少々、野党たるものの役割を誤解しているかもしれない。一刻も早く次の内閣になりたいのは解(わか)る。だが、野党としての責任を全うするには、やはり、手ごわい影としての位置づけをもっと意識すべきだ。 いずれにせよ、まな板の上の鯉となる覚悟無き者に、内閣総理大臣の役割は不向きだ。(同志社大教授)2016年1月24日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「俎上の鯉に挑発は禁物」から引用 対案も出さずにただ「反対」だけを言うのは無責任だというのは、自民党と社会党の時代の終わり頃に、自民党が落ち目になり始めたときに言い出されたと記憶している。それ以前の自民党は、官僚の全面的な協力を得て作成する政策案に自信をもっており、野党の鋭い批判にも堂々と反論していたものだった。しかし、だんだん落ち目になって力が拮抗し始めると、議論に自信を持てなくなったのか、手っ取り早く審議を打ち切りたかったのか、「反対するなら対案を出せ」などと言うようになったわけである。国会の審議で対案を出すというのは、取りあえず大筋では政府与党が示した方向性に賛成して詳細な部分に野党案を織り込む程度のことになるのであって、これでは野党の敗北である。闘う野党は、与党案の矛盾点を徹底追求して、その法案が本当に必要な政策案なのかどうか、徹底審議して不要なものは廃案にする、これがまともな戦い方である。過去には、このようにして闘った結果、何度も何度もしつこく再提出された「靖国神社国家護持法案」が二度と国会に出されなくなったという成果を勝ち取っている。現代の野党も、このような過去に学び、しっかり闘って、自民党から政権を奪取してもらいたい。内閣総理大臣には不向きな人物が就任している今がチャンスである。
2016年02月03日
1月中旬の新聞記事について、作家の赤川次郎氏は24日の東京新聞に次のような感想を書いている; 「ヤクザの世界は後ろを向いているんです。義理とか仁義とかいいますが、本音は先へ進むのが怖いだけなんですよ」 自作を引用するのば気がひけるが、今から38年前の作品「セーラー服と機関銃」の一節である。ヒロインの女子高生組長を支えるヤクザのセリブだ。30歳だった私は、戦中世代の「昔は良かった」という言葉に、多分にイライラしていた。昔の価値観にしがみついている連中をブッ飛ばしてやりたい! 女子高生の機関銃の一撃には、そんな思いがこめられていた。 あれから38年。世界は、冷戦構造の終結からソ連崩壊、東西ドイツの統一、民族紛争と内戦、イスラム世界の分裂と相克…とダイナミックに動いてきた。 そんな中、日本はいまだに70年前の戦争は「侵略ではなかった」などと言い続けている。歴史認識については日本は、世界の中で誠に変わった国になってしまった。 1月16日の「こちら特報部」が取り上げた「日本の美懇談会」の記事。天照大神(あまてらすおおみかみ)の話から歌舞伎の「血の遺伝子」、「宣教師の派遣」・・・。ここまで来たか! 戦争だけでなく、美意識まで押し付けられてはかなわない。歌舞伎の世界の遺伝子に感動したらしい串田(和美)さん、中川右介(ゆうすけ)著「歌舞伎 家と血と芸」を読んでください。ずっと血統がつながっている歌舞伎役者などほとんどいないことが分かりますよ。 私はNHKの「COOL JAPAN」を見ていると恥ずかしくなる。「日本はすばらしい」と、出演者の外国人たちに無理やり言わせて悦に入っている司会者の姿に、「謙譲の美徳」という「クール」はどこへ行った?と言いたくなる。 慰安婦問題で日韓合意したとたん「慰安婦は売春婦だった」発言の自民党桜田(義孝)議員(1月14日夕刊1面)。これで相手が納得するはずがない。問われているのは本気かどうか、なのである。 一方、安倍首相は「日本は裕福な国」だと発言しているそうだ(1月19日2面)。学校給食だけが一日のまともな食事という貧困児童を知らないのか? 東京新聞が連載した「新貧乏物語・悲しき奨学金」はみごとなルポ。奨学金返済のために風俗で働く女子大生。サラリーマン家庭の収入は減り続け、大学の学費は上がり続ける。学生支援機構の職員が、厳しい取り立てをするのがつらいと嘆く。このどこが「裕福な国」?そういう耳に痛い指摘をするテレビキャスターは古舘伊知郎さんも国谷裕子さんも降板する見込みだ。 何らかの圧力がなかったとは考えられない。「心貧しくクールな(寒い)国、日本」・・・。(作家)2016年1月24日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-『クール』な国、日本」から引用 天照大神とか天孫降臨とか、若い人たちには馴染みのない言葉かも知れませんが、昔の日本では小学校の歴史教科書に書かれていたもので、これを学習しない日本人はいないという状況でした。その上、天照大神は皇室の祖先であるとか、天皇は現人神だとか、だから日本民族は他の民族よりも優秀なので、日本民族が他の民族を支配する、そういう世界をこれから作るのだということを盛んに学校教育を通して国民に教え込んだ、その結果があの戦争だったということです。70年前に、その戦争に敗れてた結果、政府も国民も反省し、天皇も「自分は神様ではない」と「人間宣言」をしたことは有名です。それが70年後、政府が関係する有識者会議で公然と「天照大神」や「天孫降臨」が語られ始めたことは、わが国の未来に立ちふさがる大きな暗雲であると言っていいのではないでしょうか。
2016年02月02日
共産党の小池議員が厚生労働省が調査した資料を基に「格差拡大で生活に困窮する国民が増えている」と指摘したところ、安倍首相は総務省の資料を示して「日本は貧困ではない」と反論したと、19日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相は18日の参院予算委員会で、小池晃氏(共産)が経済的な格差が広がって困窮する人が増えていると指摘したのに対し、「日本が貧困かと言えば、決してそんなことはない」と反論した。(我那覇圭) 厚生労働省の国民生活基礎調査では標準的世帯の年間の可処分所得の半分(約122万円)未満で暮らす人の割合を示す「相対的貧困率」は2012年で16・1%。18歳未満の子どもに限ると16・3%に上る。同じ調査手法を採る経済協力開発機構(OECD)の加盟国を貧困率の高い順にみると34力国中6位だ。 これを基に小池氏は「日本が世界有数の貧困大国になった認識はあるか」と追及。首相は、調査手法や対象者が違う総務省の09年全国消費実態調査(相対的貧困率10・1%)を持ち出して「OECD平均より低い」と指摘。その上で、一人当たりの国内総生産(GDP)が高いことなどを挙げ「日本は世界の標準でみてかなり裕福な国だ」と述べた。 福島瑞穂氏(社民)は子どもの貧困について質問。塩崎恭久厚労相はひとり親らを対象に、児童扶養手当や保育園の無償化を拡充する施策を16年度予算案などに盛り込んだと説明。「相対的貧困率だけで日本の状況を判断するのはいかがか」と強調した。 ひとり親家庭は増加傾向にあり、母子世帯では就業率が8割を超えているのに非正規が多い美め、平均年収は181万円にとどまっている。 首都大学東京の岡部卓教授(社会福祉学)は「子どもの貧困は広がり、深刻さは増している。それを認識してもらわないと実効性のある施策にならない」と指摘した。2016年1月19日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「首相『日本は裕福な国』」から引用 統計資料に対してはこちらも統計資料で、という安倍首相の対応が適切であるかどうかは別にしても、「最近生活困窮者が増えているのは問題ではないか」という小池議員の質問に「よそにはもっと貧乏な国があるから、日本はまだ裕福だ」という回答は、やはり国民の立場からはあまり評価できるものではないと思います。統計の数字がどうであっても、格差が拡大して貧困世帯が増えているというのは現実であって、この現実を的確に捉えているのはどちらの統計なのか、という観点が大切ではないでしょうか。
2016年02月01日
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