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最近の日本で起きている出来事について、法政大学教授の山口二郎氏は22日の東京新聞コラムに次のように書いている; オリンピック招致を巡る不正資金疑惑は、日本という国が底なしに腐食していることを物語る。東京招致への最大の障害は、福島第一原発事故による放射能汚染への外国の懸念だった。 この問題を覆い隠す粉飾工作として、安倍首相の「アンダーコントロール」発言とコンサルタントへの資金提供は結びつく。表における虚言、裏での買収工作。絵に描いたような腐敗である。 人口減少と財政赤字の日本が世界的な宴を催して経済の浮揚を図り、人心を明るくしようとしても、宴の準備に体力を使い果たし、宴を楽しむどころではない。後には、巨額の請求書が待ち構えている。仮設競技会場の整備費は当初試算の4倍の3000億円に膨らむという新聞報道もあった。 こんな腐食した国で、安倍首相が全能の権力者のごとくふるまうのは滑稽である。彼が行政府のみならず、立法府の長だと自称したのは、議会の多数派の親玉として法も自分の意のままに作り替えられると言いたかったのだろう。しかし、自分の都合の悪いルールは無視してもよいというおごりこそが、日本の腐食の根源である。 政府が粉飾をすれば、日本を代表する企業でも検査データのねつ造やら不正経理が横行する。日本が文明の崩壊に向け、急坂を転がり落ち始めたという危機感を私たちは持たなければならない。(法政大教授)2016年5月22日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-文明の終わり?」から引用 エンブレムの疑惑や聖火台の位置や、さまざまな「話題」を提供した東京五輪招致の問題は、ついにフランスの警察が贈収賄の疑いで捜査を開始する事態となり、慌てた招致委員会の責任者が「不正なカネの支払いではなく、正当なコンサルタント料の支払いだった」と説明したのであったが、しかし、その支払先はすでに解散してしまっている。正に絵に描いたような「表では虚言、裏では買収工作」ではないのか。マスコミと世間の目が、これ以上この問題に集中しないように、テレビは毎日桝添知事が、家族旅行に行った先でも都庁の幹部と会議をしてたとか、政治資金で趣味の絵画を購入したなどというくだらないニュースの「報道」に明け暮れている。そして、政府がこんな調子だと企業も、不正経理で傾きかけた東芝とか、クルマの性能試験を誤魔化した三菱自動車、岩盤に届かない短い杭のせいで傾き欠けているマンションとか、やっぱりこれは「急坂を転がり落ち始めている」のではないでしょうか。
2016年05月31日
東京の街のカフェでは、経営者が「辺野古基地建設反対!」のチラシを店頭に張ったら、通行人が「政治的なチラシを店頭に張るのはけしからん」とクレームをしてきたというご時世ですが、その一方では、大学の学生・教職員が「政治の話をしよう」と組織を立ち上げたと、22日の東京新聞が報道している; 改憲の動きや安全保障関連法を懸念する首都圏の大学の教職員や学生のグループが、勉強会や講演会の情報を共有・周知していくためのネットワークを立ち上げた。当面、夏の参院選に向けて世論の盛り上げに一役買う考えだ。(宮尾幹成、横山大輔) きっかけは4月、明治大の学生や教職員、卒業生らでつくる「安保法に反対するオール明治の会」が、俳人の金子兜太さんを招いて開いたイベントに際し、他大学の有志グループに後援を呼び掛けたこと。以後、さまざまなイベントを多くの人に知ってもらうために協力しようと「安保法制と憲法を考える首都圏大学・市民有志連絡会(仮称)」を立ち上げた。 現段階で早稲田、慶応、明治、青山、立教、法政など31大学の有志グループと「九条の会」など5団体が参加。大学は教職員グループが多い。インターネット交流サイト「フェイスブック」で各グループが関係するイベントの日時、場所、講師をまとめて掲載している。 明治大で20日夜にあった映画上映会も連絡会のサイトで紹介され、約70人が参加。脱原発デモの記録映画を鑑賞した後、安保法や憲法などについて意見交換した。 明大2年の臼田頼さん(19)は「改憲で自衛隊を軍に変えたりするなら、警戒すべき話だ」などど指摘した。上映会の企画にかかわった明大3年の柏原孝俊さん(22)は「選挙権が18歳以上に広がったこともあり、日常的に政治について話し合える雰囲気をつくりたかった」と話している。 連絡会事務局の黒田兼一・明大教授(経営学)は各大学が連携した取り組みについて「立憲主義、平和主義、民主主義を守るための戦後最大の闘いでもある」と説明している。2016年5月22日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「政治の話をしよう」から引用 圧倒的な組織票を誇る自民党と公明党に勝利するためには、野党は無党派層の票を獲得するほかありません。政治的中立だの公正だのを過剰に要求する世間の雰囲気に抗して、敢えて「政治の話を」して、自公政治の問題点を訴えていくことは大変重要なことと思います。
2016年05月30日
過激な発言で人気を集め、事実上の共和党大統領候補の座を手にしたトランプ氏に関連して、ソウル大学教授の朴吉吉熙氏は22日の東京新聞コラムに次のように書いている; 米大統領選でトランプ氏が共和党候補の指名を事実上獲得して以来、彼が打ち出す極端な政策が現実となるのではという危惧が広まっている。たとえば(1)メキシコとの問に大きな壁を造って米国の労働市場を保護する(2)韓国と日本は米軍駐留費用を十分に払うか、核武装もひとつの手段である(3)アジアの問題はアジア人が解決すべきだ-など米国の利益に固執するような極端な主張に対し、将来、米国が孤立主義に陥るのではないかと心配する声が増えている。 最終的にトランプ氏が大統領になるかは別として、トランプ現象は残ると専門家たちは口を合わせる。それは彼の主張が単にトランプ氏個人の見解ではなく、米国でこれまで比較的表に出てこなかった白人中心主義の本音が代弁されているからであろう。SNSなどネットを通して見ず知らずの仲でも意気投合できる時代であるからこそ可能なことかもしれない。 トランプ現象が起きている根底には、米国にもグローバル化の波に置き去りにされた中間層の衰退があるのではないか。中間層は経済成長の実りを最も享受し、社会の公平な感覚と豊かな包容力の基盤となる。民主主義のコアの部分が中間層であるというのは、彼らが社会の安定を維持する核心的な階層だからであろう。それが揺れている。 グローバル化した世界経済が低迷する中、貧富の格差は縮小するどころか拡大している。少なくとも、成長する世界的企業の収益が一般市民にまで分配されない現象が世界の多くの国で見られる。米国も例外ではない。米国東西両海岸地域のように世界的事業を展開している地域を除けば、内陸部などではヒスパニック系およびアジア系移民の増加が自分たちの安定した生活を揺るがし、自分たちの利益を奪う原因だと考える人たちもいる。だからこそ国境に壁を造り、米国の力を保つべきだという主張に賛成するのであろう。 トランプ氏は偉大な米国の再建を宣言しているが、偏狭な主張は世界各国で、米国撤退論や孤立主義論を拡張させる可能性が高い。偉大な米国の再建どころか、その名に傷がつくことは明らかだ。自国のことしか考えられない指導者に、世界は同調しないだろう。もしトランプ大統領が実現したとしても、比較的早い段階で良識的な米国の集団知性が働き、筋の通った政策を立案すると思われる。 しかし、実際にこのような現象が世界に広がりつつある。フィリピンでも大衆をあおる政治家が大統領になり、他国でもポピュリストの扇動は終わらない。移民や難民、外国人居住者を批判や犠牲の対象にして自己中心主義を高め、社会的違和感をつくり出す政治家の登場は多くの国で見られる現象である。日本も例外ではない。右寄りのグループが排外主義を掲げ、ヘイトスピーチにまで広がっているのがその例である。 グローバル経済の中で中間層が恩恵を受けていないことは事実であっても、社会の底辺で働く外国人のせいではない。今より活気ある社会をつくり、誇りある国づくりを目指すべきだという主張には賛成である。しかし、自国の誇りや自国民中心主義だけを優先し、他国の誇りや社会的弱者の苦しみを無視する言動は慎むべきである。私がトランプ氏の主張とヘイトスピーチに賛成しない理由である。(ソウル大学国際大学院教授)2016年5月22日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-拡散するトランプ現象」から引用 私はドナルド・トランプ氏が大きな勘違いをしているか、世の中の仕組みを全く理解していないと思います。彼の言うことを聞いていると、アメリカは日本や韓国を始め世界のあちこちに軍隊を駐留させて、膨大な費用を支払って世界平和に貢献しているが、そのせいで国内の経済が斜陽になっている、だからもうそんなボランティアみたいな活動はやめて、日本も韓国も自国防衛は自分でやらせるべきで、どうしても米軍駐留を希望するなら対価を要求するべきだ、と言っているように聞こえます。彼がこんなことを言ってるのは、多分、彼はアメリカの伝統的な資本家階級の出身ではなく、社会の底辺からたたき上げて、たまたまのラッキーに助けられて偶然大金持ちになったという身の上だからだと思います。アメリカが世界の各地に軍隊を駐留しているのは、駐留先の国々の防衛などというのは、単なるうわべのお世辞に過ぎず、本音はアメリカ資本の活動の場を確保することです。だから、アメリカは世界のあちこちで民族派や社会主義志向の政権が誕生すると、CIAと米軍を使ってそういう政権を潰し、傀儡政権を誕生させて、それでアメリカ資本が収益を上げる場を作り出す、こういうことをアメリカは建国以来営々とやってきているのであって、そういうカラクリを理解しない輩がいきなり妙なことを唱えて世界中から米軍を撤退させれば、アメリカの資本家階級は実に困ったことになってしまいます。そういう意味の危機感を共和党本部は持っていて、そのうちこういう泡沫候補は消えるだろうと踏んでいたのに、これがまたとんでもない見込み違いで、大統領候補になる可能性が一段と強くなったのは、皮肉な話です。アメリカのみならず、世界の経済がなかなかうまく行かないのは、政府が労働者の権利を守ろうとせず、企業を優遇するような政策をとっているから、一般消費者の購買力が減退してしまっているからであり、これは資本主義経済の宿命というべきものでしょう。政府が大資本に乗っ取られてしまえば、労働者の働きで生まれた利益はすべて企業に吸収され、中間層が下層に落ち込み、社会は疲弊します。これを克服するには、「革命」とは言わないまでも、日本共産党が言うような「経済活動への民主的規制」が必要だと思います。
2016年05月29日
ヘイトスピーチ対策法案が参議院で可決された後、福島みずほ議員は自らのブログに、可決したヘイトスピーチ対策法について次のように書いています;(前半省略)与党案には、ひとつの大きな欠陥があると考えました。一番大きな問題点は、適法居住者に対するヘイトスピーチを対象にしている、それが問題です。適法居住している外国人に対するヘイトスピーチは問題であるけれども、適法居住しない外国人に対するヘイトスピーチは、除外をされていることです。これについては、付帯決議がついたりしています。しかし、将来この条文は改正すべきだという思いを込めて賛成をしませんでした。私は、弁護士の時に、様々な外国人のケースを担当してきました。とりわけオーバーステイとされる人々、資格外ビサで働く人、難民認定をしている人々、人身売買で日本に来て連れてこられ、逃げ出した女性たちなどたくさんの外国人の人に会ってきました。外国人に対する差別は様々ですが、いわゆる不法滞在とされることで、立場が極めて弱くなり、人権侵害が極めて起きやすくなっていくことも見てきました。ヘイトスピーチは、適法居住外国人に対しても、適法でなく居住している外国人に対してもおきます。適法でなく居住している外国人に対しては、まさに本国に帰れとなるわけです。適法居住外国人かどうかと言う問題の立て方が問題であり、そして適法の人たちだけをヘイトスピーチ規制の対象にすることそのものが問題だと思います。(後半省略)http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-3012.html「福島みずほのどきどき日記」から一部を引用 規制の対象が「適法居住者に対するヘイトスピーチ」だけで、不適法居住者に対するヘイトスピーチは対象外としているのは、福島議員が指摘するとおり、「欠陥」であり近い将来改善されるべきと思います。刑事事件を起こした犯人であっても、その人権は尊重されなければならないのですから、困難な事情を抱えて「不法滞在」となった人々の人権は、なおさら手厚い保護が必要と思います。いずれにしても、これまでの日本政府は、在日の人々と「在特会」に対して「中立」の立場をとっていたのですが、今回の法律が成立したことによって「在特会のヘイトスピーチは許さない」という立場を明確にしたわけですから、全国の警察も法律の主旨をよく理解して在特会を取り締まってほしいと思います。
2016年05月28日
ヘイトスピーチ法案が参議院で可決する見通しとなった12日の東京新聞は、次のように報道しました; 特定の人種や民族への差別をあおるヘイトスピーチを根絶するため、国や自治体に教育や啓発活動の充実を求める与党提出法案が12日、参院法務委員会で全会一致で可決した。本会議での採決を経て衆院に送られ、今国会で成立する見通し。憲法が保障する表現の自由を侵害する恐れがあるとして、禁止規定や罰則はない。 法案は、保護対象を適法に日本に居住する日本以外の出身者や子孫とし「差別意識を助長する目的で、公然と生命や身体、名誉、財産に危害を加える旨を告知する」ことや「著しく侮蔑する」ことを不当な差別的言動と定義。国や自治体には相談体制の整備や、教育、啓発活動の充実を求めた。(共同)2016年5月12日 東京新聞Web 「ヘイトスピーチ法案成立へ 参院で可決、国に啓発求める」から引用 その後、この法案は衆議院でも可決され、正式な法律になりました。上の記事から読み取れる「ヘイトスピーチの定義」は、「適法に日本に居住する日本以外の出身者や子孫に対し『差別意識を助長する目的で、公然と生命や身体、名誉、財産に危害を加える旨を告知する』ことや『著しく侮蔑する』こと」となっているようです。そうすると、米軍基地反対運動のデモ隊が「米軍は出て行け!」とシュプレヒコールをあげたとしても、これは米軍を差別する目的の言動ではありませんから、これはヘイトスピーチには該当しないということになります。ま、当たり前のことですが、この辺がよく分かっていない人たちも結構いるようですので、押さえておきたいポイントです。
2016年05月27日
昨年秋に憲法違反の安保法を強行採決するときの特別委員会では、今までなかったような異常な対応があったことを参院事務局が証言したと、18日の東京新聞が報道している; 参院事務局トップの中村剛事務総長は17日の参院予算委員会で、安全保障関連法を採決した昨年9月17日の特別委員会の議事運営や議事録の掲載のあり方に関し、地方公聴会の報告がないまま採決したことなど他に例のない対応が計4点あることを指摘した。安保法採決の異例さがあらためて浮き彫りになった。 特別委の野党理事を務めていた民進党の福山哲郎幹事長代理の質問に答えた。 当日の特別委は、審議が休憩した後に再開したことを意味する「速記開始」が宣言されず、与野党議員が入り乱れ議場が混乱した状態で採決が行われ、安保法が「可決」されたことになっている。後日公開された議事録では、委員長の発言は「聴取不能」とし、本文ではない補足掲載の部分に「速記開始」や「可決」、安保法の付帯決議を行ったことが追記された。 福山氏は、地方公聴会の報告を省いた採決のほか、「速記開始」の追記、動議提出者を明示しない付帯決議、報告を省いた地方公聴会の議事録掲載について、過去に例があるか聞いた。中村氏はいずれも「昨年9月17日の特別委の1例のみ」と答えた。 福山氏は「事実をねじ曲げる議事録はやり直すべきだ」と、安倍晋三首相(自民党総裁)に修正を党に指示するよう求めた。首相は「委員会が誇りを持って独自に決めたことだ」と取り合わなかった。(清水俊介)2016年5月18日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「昨年の安保法採決時『前例ない』対応4点」から引用 地方公聴会の報告をしないで採決に入るとか、そもそも採決のための委員会の開始宣言もしておらず、委員長の発言も「聴取不能」だったのだから、何を審議したのかも明らかではないのに議事録だけは、あたかも正常な委員会であったように書き直すというのは、これは誰がどう見ても「改ざん」というほかありません。このようにしてでっち上げられた法律は、一度廃止して、審議をやり直すのが当然の対応というものではないでしょうか。
2016年05月26日
家族の食事に政治資金を流用したなどというレベルの低いスキャンダルに明け暮れるマスコミを揶揄するかのような「物語」を、文芸評論家の斎藤美奈子氏が、18日の東京新聞コラムに書いている; ある日、側近を呼んで黒幕はいった。「あいつは目障りだ。今のうちに潰(つぶ)したほうがいい」 標的にされたのはI知事だった。Iは東京五輪招致でそれなりの働きをしたが、招致活動が終わればもう用はない。 2013年11月、国会は特定秘密保護法の審議のヤマ場を迎えていた。Iの一件は国民の目を国会からそらすのにも役立つだろう。Iは医療法人からの資金提供疑惑で追い込まれ、辞任した。 次のM知事は、党を割って出た要注意人物だった。が、先々を考えて党はMを支援し、当選させてやったのである。 ところが、Mも勝手な振る舞いが目立ちはじめた。14年7月、韓国を訪問したMはP大統領と会談し、16年3月、新宿区の都所有地を韓国大学校増設に充てるといいだした。黒幕はいった。「あいつも邪魔だな」 5月、Mは政治資金の使途が明るみに出て窮地に立たされた。パナマ文書や五輪招致の裏金問題は二番手、三番手の話題に降格した。仮にMが辞任し、7月の参院選と知事選が重なれば、知事選候補者を巡る報道一色になって国政選挙はかすむだろう。投票率は落ち、与党が大勝し、そして次の知事の席には・・・。 国立競技場、エンブレム、2人の知事、裏金疑惑。ああ、呪われた東京五輪! ちなみに黒幕の正体は誰も知らない。(この物語はフィクションです)(文芸評論家)2016年5月18日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-呪われた五輪」から引用 「呪われた五輪」というからには、「黒幕」が世界に向けて言い放った「アンダーコントロール」という「大嘘」も織り交ぜてほしかったと思います。マスコミが都知事の政治資金流用などというせこいスキャンダルで騒いでいる間に、安倍政権は「取り調べの可視化」と称して検察・警察に都合の良い動画だけを法廷に出せるような法律を成立させ、市民に対する盗聴もやりたい放題という具合に改悪してしまいました。このまま安倍政権が継続すれば、私たちの民主主義は風前の灯火です。
2016年05月25日
80代の女性が「嫁」という言葉に対する違和感について、18日の東京新聞投書欄に次のように書いています; 4日暮らし面に「嫁から嫁へ受け継ぐ味」という見出しで、愛知県設楽町の伝統食・五平餅が紹介された。私は「嫁」という字が見出しで大きく躍っていることに違和感を持った。 「嫁」は、戦後あまり使われなくなった語である。憲法24条で「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦は等しい権利を有する」と規定されて、結婚は家のためにするのではないという考え方が憲法で保障されたからだ。 結婚式場でも「○○家」という表示がなくなった。憲法24条は「家長制度」に泣いた戦前の女性には福音と言える規定だった。それが最近は「嫁が、嫁が」と言う男性タレントが出現するなど一般に使われるようになった。また、戦前に戻らぬよう心したい。2016年5月18日 東京新聞朝刊 11版 4ページ「発言-戦前思い出す『嫁』に違和感」から引用 80代と言えば戦前体制の下で幼少期を過ごし、戦後になって新しい憲法の下、世の中がどのように変わったか身をもって体験した世代であり、私は戦後に生まれた者ですが、この投書には少なからず共感を覚えます。「嫁」という言葉は、「嫁にやる」とか「嫁をもらう」というように、まるで猫の子をやったりもらったりするようなニュアンスで、女性の人権を軽くみる戦前の思考様式そのもので、現代では「嫁姑問題」を表現するときにのみ用いられる言葉だと思っております。戦後70年たっても、年配の人々の中には昔風に「嫁」などと言う人もいなかったわけではありませんが、私と同じ年代の人たちはあまり使わなかったと思います。ところが、ここ10年くらい前からか、テレビに出る若いタレントのみなさんが、わざと「嫁」という言葉を使って粋がっている様子には強い嫌悪感を感じます。バラエティ番組といえども出演者には節度をもって行動してほしいものです。なお、この投書では「結婚式場でも○○家という表示はなくなった」と書いてますが、私の見聞きした範囲では、どの結婚式場も葬儀場も○○家という表示をしているように思います。しかし、これれは別に昔風の「家長制度イデオロギー」の復活を意味しているわけではなく、単に「丁重な雰囲気」を演出する目的でやっていることのように思います。
2016年05月24日
国民が安倍首相の非立憲的政治手法に冷ややかであることについて、法政大学教授の山口二郎氏は、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 憲法記念日の前後から、各紙で憲法関係の記事が増えたが、その中でも「立憲対非立憲」という言葉が目立つようになった。今の日本で問われるのは具体的な政策以前の、政治の土台である。 利害や立場を超えて共有すべき政治の基本的なルールが何かを確認することこそ課題である。多数者、為政者といえども従わなければならないルールが存在するという考えこそが立憲思想である。 基本的人権が尊重され、民主政治の基本的なルールが確保されていれば、政府が誤った政策をとった場合には市民の反対と野党の努力によって、誤りを是正することができる。 しかし、権力がメディアを規制したり、学問を抑圧したりすれば、政治の誤りを誤りとして認識すること自体が困難になり、国民はいつまでも圧政に支配されることとなる。だからこそ、増長した非立憲の権力は、自らの失敗を客観的に検証するメディアや学問を目の敵にしてきたのである。 幸い、各紙の世論調査では、憲法、特に9条の改正に反対する人の割合が目に見えて増加している。これは、安倍晋三首相の非立憲的な手法が国民の危機感を呼び覚ましたと解釈するしかない。立憲政治を守るために、この危機感が世論調査への回答だけでなく、参議院選挙における投票にも表れることを願っている。(法政大教授)2016年5月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-立憲VS非立憲」から引用 世の中には「民主主義は多数決だ」と思い込んでいる人々もいるが、これは民主主義の本質を表現したものではなく、話し合いがつかず時間切れで決めなければならないときにやむを得ず「多数決」を用いるという話である。しかも、多数決で決める場合は少数派の不利益を救済する処置にも配慮が必要と、この点にこそ民主主義の本質があると言える。また、多数派と言えども人間であり、ときには誤りをおかすこともあるから、その場合に誤りを是正するのは市民と野党の努力であり、彼らの行動を保障するのが民主主義のルールである。私たちが、このように立憲主義について改めて学ぶことになったきっかけが安倍政権の暴走によるとは、皮肉な話である。
2016年05月23日
原発の建設計画を住民パワーで阻止したという輝かしい歴史を持つ新潟県の住民は、この度建設反対の住民投票から20年という節目に、記念行事を計画していると、18日の東京新聞が報道している; 旧巻町(現在の新潟市西蒲区)の東北電力巻原発建設を巡り、「反対」が多数を占めた住民投票から8月で20年となるのを機に、住民有志ら5人が、写真や新聞記事などで当時を振り返る催しを計画している。メンバーは「一つの区切りとして、住民投票という民主主義の原点が巻町にあったことを後世に伝えたい」と話す。 催しは郷土史家の斉藤文夫さん(83)らが企画。7月31日~8月21日、西蒲区岩室温泉の観光施設「いわむろや」で開かれる。8月7、14の両日には同区福井の旧庄屋佐藤家で、これからの巻地域を考えるシンポジウムなども予定されている。 展示されるのは、原発計画が明らかになった1969年から96年の住民投票までの間に、斉藤さん自らが撮影した写真や新潟日報の記事など。建設予定地だった角海浜の住民が離村する様子や原発反対の住民が議場で座り込みをした写真など約150点を紹介し、建設推進派と反対派双方が作ったチラシも展示する。 斉藤さんは「もう10年先だと、われわれが年齢的に見ても厳しく、後世に伝えることはできない。20年の節目として原発建設計画でまちが揺れた状況を写真や記事から感じ取ってほしい」と話している。<巻原発建設計画> 東北電力が1971年に計画を正式発表した。国の電源開発基本計画に組み込まれ、同社は建設予定地約205万平方メートルのうち約96%を買収した。だが、95年の住民による自主管理の住民投票では「建設反対」が「賛成」を大きく上回った。96年の条例に基づく住民投票(投票率88.3%)でも「建設賛成」の7904票に対し、「反対」は1万2478票に上った。99年には当時の町長が炉心予定地に近い町有地を「民意尊重派」の住民に売却した。これに異を唱えた原発推進の町民らが住民訴訟を起こしたが2003年に最高裁で退けられ、同社は計画を撤回した。2016年5月18日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「『原発ノー』足跡後世に」から引用 原発反対派は自主管理の住民投票でも条例に基づく住民投票でも勝利し、町長選挙でも反対派町長を当選させてなお、政府の後押しを受けた大企業の圧力に負けそうだったところ、危ういところで町長が炉心予定地だった町有地を「民意尊重派」の住民に売却するという「はなれ技」を使って、ようやく建設計画を撃退したという感動的な歴史の足跡と言えるもので、新潟市民のみならず全国民が、民主主義とはこうして守るものだという原点としての巻町の歴史に学ぶべきと思います。※ お断り ※私の手違いにより、23日の「日記」を先に書き込み、22日の「日記」を後から書き込むことになりました。ご不便をかけますが、ご了承下さい。
2016年05月22日
政治家の演説の決まり文句について、同志社大学教授の浜矩子氏は、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 世の中では、ゴールデンウイークが終盤にさしかかっている。その中で、筆者は、指折り数えるのが恐ろしいくらいの締め切り群団と格闘している。全くの身から出たさびだから、文句はいえない。だが、気分は黄金ではなく鉛。 それはともかく、締め切りとのバトルの中であれこれ調べていて、あることに気づいた。日本の政治家たちが演説などを行う際、「国家国民」あるいは「国家、国民」という言い方をする。 まずは、安倍晋三総理大臣についてみよう。安倍内閣が発足して以来の首相年頭所感、所信表明演説、そして施政方針演説の3文書を調べた。その中に、上記の表現が3回登場する。次の通りだ。 「国家国民のために再び我が身を捧(ささ)げんとする私の決意・・・」(2013年1月、所信表明)。「公務員には、・・・国家国民のため能動的に行動することが求められています」(同10月、所信表明)。「全ては国家、国民のため、・・・」(同2月、施政方針)。 こうした一連の言い方が、どうしても引っかかる。なぜ、「国家国民」なのか。どうして、国が先に来るのか。民主主義体制下において、国家は国民に奉仕するためにある。国民を差し置いて、国家を先にもって来るのは、国家の仕組みである政府の責任者として、認識がお門違いなのではないか。 ひょっとして、これは安倍内閣に固有の認識と表現なのか。そう勢い込んで、さらに調べてみた。 ところが、この推理は間違っていた。過去の歴代内閣の下でも、総理大臣の発言の中に「国家国民」の言い方が登場している。政党の別を問わない。民主党政権下の各種首相発言の中にも、これが出て来る。してみると、これは公式文書における確立した用法なのだろう。 さて、こういうことでいいのか。公式文書に関する言葉の使い方には、それなりの背景があるはずだ。国際的な一定の共通認識も形成されているだろう。それはそれで受け止めるとして、それでも、やっぱり「国家国民」には疑念が残る。 国民無くして、国家無しだ。国民国家を英語でいえば、”nation state”である。nationとしてのまとまりを持つ人々によって、stateが構成される。世界に、”stateless nation”と呼ばれる人々は存在する。国家無き民だ。国家無き民は悲しくもあるが、ダイナミックでもある。例えば、華僑などはそのダイナミズムの筆頭格の代表者たちだろう。 絶対に存在してはならないのが、”nationless state”だ。民無き国家。民に奉仕しない国家。民を踏みにじることで存立する国家。そのような国家による揉欄(じゅうりん)から、国民を解放する。その方向に向かって、国々の歴史は前進して来たはずである。 今、我々はこの歴史的歩みの最前線に位置しているはずだ。それなのに、なぜ「国家国民」というのか。国々の経済規模を測る尺度に、「国民所得」という概念がある。これを集計するための道具として「国民経済計算」の体系が用意されている。これも英語でいえば、”System of National Accounts”である。決して”System of State Accounts”ではない。「国家所得」とか、「国家経済」などという言い方はない。こんなネーミングが定着する日が来てはならない。(同志社大教授)2016年5月8日 東京新聞朝刊 12版 4ページ 「国民無くして、国家無し」とは、まったくその通りで、わが国の主権者は国民なのだから当然である。しかし、戦前はこれが逆さまで、この国は畏れ多くも天皇陛下様が統治しており、国民はこの有り難い国家を守るために命を捨てる覚悟を求められ、抵抗するものには容赦のない鉄拳制裁が下される国柄であった。そのような社会にあって演説する政治家は、誰もが競って自分こそが国家に命を捧げる覚悟で仕事をする人間であることをアピールする目的で「国家国民のために」と声を張り上げたわけである。戦争に負けて、世の中の仕組みが変わり、国民が主権者になったにも関わらず、未だに政治家が「国家国民・・・」という言い方をするのは、昔風の言い回しで自分の演説にハクをつけるつもりでいるのではないかと思います。その演説を聞く聴衆のほうも、いちいち言葉の端々にまで神経を使うこともなく暢気に聞いてきたのかも知れませんが、今後は少しずつ「国民主権」の国柄に相応しい演説に変えていってほしいと思います。
2016年05月21日
デマとウソとデタラメが氾濫するインターネットの情報に対し、少しでも実情を周知していこうと有識者が活動を始めた、と8日の東京新聞が報道している; 「辺野古(へのこ)に基地を造らないと中国が攻めてくる」「沖縄の経済は基地に依存している」-。沖縄県の米軍基地問題に関する誤解がインターネット上にまん延しているとして、沖縄国際大の佐藤学教授ら有志9人が反論のための小冊子を作り、ネットでの公開も始めた。 「基地」や「海兵隊」「中国」「沖縄経済・財政」など8テーマ、計56の設問に答える形。米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設で沖縄の基地負担は軽減されるとの見方には「沖縄の中で基地を動かしても、日本全国に占める米軍集中の割合は変わらない」と指摘した。 辺野古に米海兵隊の代替施設を造らないと沖縄が中国の軍事力の脅威にさらされるとの説に対しては「海兵隊が沖縄にいるかどうかは中国の軍事戦略にほとんど影響ない」と否定した。 沖縄経済の基地依存への反証として、県民総所得に占める基地関連収入の割合は沖縄本土復帰時の1972年の15.5%から最近は約5%に減少しているデータを紹介している。 内容は特設のサイト(http://okidemaproject.blogspot.jp)で公開。小冊子の申し込みもできる。2016年5月8日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「『辺野古』への誤解 反論します」から引用 「それってどうなの? 沖縄の基地の話。」は、政治・経済・安全保障のそれぞれの専門家が正確なデーターを基に、分かりやすく説明しているので、本当の沖縄の姿を理解する上で大変役に立つと思います。
2016年05月20日
憲法9条の空洞化に向けて着々と歩を進める安倍政権に関連して、法政大学教授の山口二郎氏は、1日の東京新聞コラムで昨今の世相を次のように批判している; 日本がすぐに戦争をするとは思わないが、安保法制や特定秘密保護法は日本を戦争のできる国に変えた。そのことは地震という緊急事態に際してあらわになっている。 戦争のできる国では政府は国民をだまし、真実を国民の目から覆い隠す。メディアが真実を伝えないように統制する。 九州中部の地震を契機に、現在日本で唯一稼働中の鹿児島県の川内原発の安全性に対する不安が高まっている。しかし、政府は安全審査をクリアしたという一点張りである。NHKに至っては地震の発生地点、震度を示す九州の地図から、鹿児島県だけを消し去って地震情報を伝えていた。敗戦を隠蔽(いんぺい)した昔の大本営と同じ発想である。 また、戦争のできる国では、権力者やそれにつながるイヤな男たちがやたらと威張り散らし、他人に口出しをする。 服装がモンペや国民服に戻ることはないが、生き方については、もうろくした一部のじいさんやばあさんが女性に早く結婚しろとか、子供をつくれと説教を垂れる。世の中の仕組みの不備を批判したら、そんな人間は外国に出て行けと怒る。 戦争のできる国の抑圧や画一化は進行しているのである。それをはね返すには、憲法の原理を思い起こし、戦争のできる国をつくった張本人たちを選挙で落とさなければならない。それこそ主権者としての義務である。(法政大教授)2016年5月1日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-戦争のできる国」から引用 戦争のできる国では政府は国民をだまし、真実を国民の目から覆い隠すというのは、私たち日本人が歴史上体験した教訓であり、真実を伝えなかったメディアの筆頭にNHKをあげることができる。戦後はその経験に学んで、報道機関としての使命を自覚し国家権力の介入を排除するという姿勢に転じたのは評価に値したのであったが、その後国家権力は戦前よりも巧妙な手法でNHKに介入しており、安倍政権に至ってはそれまで全会一致で承認していた会長人事を、与党だけの賛成で恣意的に決めて「政府が右というものを左と報道するわけにはいかない」と言わせることに成功し、熊本県で大きな地震が起きても隣接する鹿児島県の川内原発の位置は敢えて表示しないなどという情報操作が可能になっており、戦争のできる体制は出来上がりつつあると言っても過言ではない。しかし、そういう路線を支持するのは国民の中の一部勢力に過ぎず、過去の経験を尊重する人々も少なからず存在するので、わが国もまだまだ捨てたものではない。
2016年05月19日
戦後民主主義を崩壊させていく安倍政権の手口について、メディア法研究者の服部孝章氏は1日の東京新聞で次のように述べている; 高市早苗総務相が今年2月の国会で、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法に違反する行為を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及した。 安倍普三首相は2014年7月、憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしている。高市総務相の発言は、これから改憲勢力が国会の3分の2以上の議席を確保して、憲法を変えるための前段として、テレビ局に向けられたものだと思っている。 首相は、この閣議決定の年の11月に衆院を解散した。その前日に自民党は在京テレビ各局に「選挙時期に公平中立な報道」を文書で要求。出演者の発言回数、時間、街頭インタビューの人選に至るまで「公平公正」を求めた。 当時、テレビ各局は、自民党の筆頭副幹事長が差出人となっているこの文書を渡された事実を報道しなかった。新聞が報道したのは一週間後だった。この対応は、テレビ局が自民党の思惑に乗ってしまったといえる。この文書は、政権が放送を自分たちのものにしていこうという意味で、大きな第一歩だった。この場合、テレビ局の沈黙は改憲への露払いであり、自らの未来をも縛るものだ。 高市総務相は、国会で電波停止を命じる基準の一つとして「放送が公益を害し将来に向けて阻止が必要」を挙げているが、公益って誰が判断するのか。明らかに人によって違う。「再発防止」も挙げているが、そういう時のために放送倫理・番組向上機構(BPO)が第三者機関としてできたのではないか。今、そのBPOさえ法的機関にしてしまえという考え方がある。 放送局は電波という公的資源を独占排他的に使っている免許事業者。市民全体からの負託を受けている以上、沈黙を恥じ、言うべきことは発言していくべきだ。 はっとり・たかあき 1950年生まれ。立教大名誉教授。専門はメディア情報法。ジャーナリズムと法の問題を研究している。2016年5月1日 東京新聞朝刊 12版S 1ページ「政権に『沈黙』未来を縛る」から引用 2014年の衆院選の前に自民党がテレビ各局に「公平中立な報道」を文書で求めたときは、「選挙中」という「言い訳」を用意して、こういう文書をテレビ局に出した場合、当のテレビ局が一斉に反発することも自民党としては折り込み済みだったかも知れないが、やって見るとどの局もそれほど強気ではないことがわかったので、次の段階として、高市大臣が「一般論」として「公益を害したと大臣が思った場合は停波」と発言して、さらに憲法を無視する方向に踏み出したものと考えられる。アベノミクスの裏で、こういうことをやっているという点に、国民は注目するべきだ。
2016年05月18日
自民党の推薦で何度か国会で意見を述べたことがある早稲田大学教授の長谷部恭男氏は、野党共闘の動きについて4月17日の「しんぶん赤旗」のインタビューに次のように応えている; 3月29日施行の安保法制=戦争法。安倍政権が同法を強行して半年たちますが、廃止を求める世論と運動は「野党は共闘」の声とともに発展しています。昨年、衆院憲法審査会で「(安保法制は)憲法違反」と発言した早稲田大学の長谷部恭男教授(憲法)に安保法制や明文改憲などについて聞きました。<神田晴雄記者> <戦争法廃止を求める市民の運動は勢いをましています> 日本には予想以上に立憲主義者がいました。抗議デモに参加した人たちだけでなく、自民党支持者や法制は必要だという人たちの間でも”憲法は政治権力を縛るものだ”という立憲主義の認識が広まりました。安倍政権のやり方があまりに乱暴だからです。 <安倍政権は2014年7月、集団的自衛権行使容認を「閣議決定」し、これにもとづき戦争法を昨年9月、強行しました> 安倍政権以前の政府は、憲法9条のもとであっても、日本への武力攻撃に対処するための必要最小限の武力行使、実力の保有は認められるとしてきました。みなさんの立場とは違うかもしれませんが、私もこの解釈は常識にかなうものだと考えています。 しかし集団的自衛権は、日本への武力攻撃に対処する個別的自衛権とは異なります。日本が攻撃されていなくても、他国が攻撃を加えられたときに、日本が武力を行使して対処する権利です。歴代政府も9条のもとでは認められない、それを認めるためには憲法の改正が必要だとしてきました。◆乱暴な安倍政権 安倍政権は、歴代政府が長年とってきたこの憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使に踏み出しました。従来の政府見解の論理の枠内では説明がつかない、乱暴きわまりない主張です。 しかも政府与党内で、自衛隊はホルムズ海峡まで行けるという人もいれば行けないという人もいる。いかようにも解釈が可能です。 今回の政府の行動は、単なる憲法違反ではありません。立憲主義の破壊です。政治権力を拘束すべき憲法の意味内容を、政権の地位にある人々の判断で変更できるとなれば、立憲主義は根底から破壊されてしまいます。 <野党5党党首が、安保法制廃止・「閣議決定」撤回を共通目標に国政選挙で協力することなどで合意しました> 違憲の安保法制は廃止し、「閣議決定」も撤回すべきです。破壊された立憲主義を元にもどすには政権を代えるしかありません。 まずは夏の参院選です。改選定数1人の選挙区で与党に対抗するには、野党が力を合わせなければいけない。野党共闘の動きは評価しています。 共産党は野党の共同をリードする姿勢を見せている。1人区でかなりの人が立候補を取り下げるという志位さん(和夫・共産党委員長)の決断は、野党共闘にとっていいことだと思います。2016年4月3日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページ「立憲主義回復へ 政権交代が必要」から引用 わが国の憲法9条は再軍備を禁止したもので、戦後まもなくは「いかなる武力も保持してはならない」という解釈がまかり通っていた時期もありましたが、その後は自国を守るための実力を持つことまで否定したものではないという解釈が出て、それでも憲法9条の範囲内であるというコンセンサスで、戦後の政治は行われてきました。集団的自衛権の行使は憲法違反になるとされてきたにも関わらず、安倍内閣は独断で集団的自衛権の行使も違憲ではないと勝手に決めたのは、長い間の自民党政権で「やってはならない」とされてきたことを「やってしまった」わけで、これはあたかも、「言ってはならない」とされてきたことをズバズバ言って、それでも人気が衰えないアメリカのトランプ氏のようなもので、今にして思うと、日本はアメリカの「トランプ現象」を先取りしていたのだったかと思えます。かくなる上は、さらにアメリカを先取りして、トランプ大統領が誕生するころには日本は安倍政権を倒して次の政権を誕生させるべきです。
2016年05月17日
『沖縄は「不正義」を問う』(高文研)を出版した琉球新報社論説副委員長、普久原均(ふくはらひとし)氏(51)は、4月24日の東京新聞のインタビューに応えて、次のように述べている; 熊本地震の支援で、米軍は初めて、事故の危険が指摘される新型輸送機オスプレイを使った。「災害支援で実績をつくり、抵抗感を薄れさせる。そんな米軍と日本政府の思惑があると思う」と淡々と分析する。 政府の言い分を垂れ流さず、徹底的に住民側に立つ論調で知られる沖縄の地元紙「琉球新報」。2014~15年に掲載された社説を一冊にまとめた。 「沖縄では常識でも、本土で知られていないことがあまりに多い。もどかしい」と話す。執筆した論説委員11人を代表して「だからこそ、この本を本土のみなさんに読んでほしくて」と語る。 基地問題が解決しない背景には沖縄県外での「無知」がある。この本を読むと、知っているようで知らなかった事実が次々と出てくる。 作家の百田尚樹氏は米軍普天間飛行場を「もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になると人が住みだした」と語ったが、滑走路付近は戦前、宜野湾村役場があった集落の中心部だった。 今回の高校教科書検定では、帝国書院の「新現代社会」が、米軍がいることで「地元経済がうるおっている」と記述。その後、「経済効果がある」と言い換えたが、沖縄経済の基地依存度はわずか5・4%(2012年度)。むしろ返還後の跡地は商業地となって経済効果を上げており、基地は経済発展の阻害要因になっている。「なぜこれで検定を通るのか。沖縄は基地依存だと教科書で刷り込むのは、悪意としか思えない」 普天間飛行場の辺野古移設は「今の福島県で原発を新設するようなもの」という。先日、移設をめぐる訴訟で、国側は和解を受け入れた。ところがわずか3日後、国は再び、移設を進めるための「是正指示」を沖縄県知事に出した。「和解は完全なポーズ。むしろ政府は戦闘態勢をより明確にしてきました」 信号無視の米兵の車に中学生がひき殺されても「太陽がまぶしかった」と言えば無罪になる。ここは法治国家なのか。最低限の人権は-。そんな怒りと悲しみが、全体を通底している。 安倍政権に逆らう者はすべて「反日」というかのような風潮が広がる今、沖縄の問題は、本土に住んでいるわたしたちを取り巻く社会の真の姿を見せる。「全国民が問われている」という言葉が突き刺さる。(出田阿生)『沖縄は「不正義」を問う』高文研・1728円。2016年4月24日 東京新聞朝刊 8ページ「書く人-本土の人は真実知って」から引用 この記事が示唆するように、沖縄の困難な事態について本土の人間の無知と無関心は、この問題の解決の上で大きな障害になっている。沖縄に駐留する米海兵隊については、アジアに緊急事態が発生したときに海兵隊を輸送する艦船は、平時は岩国基地に停泊しており、一旦緊急事態が発生すると、岩国を出発した艦船が沖縄に立ち寄って海兵隊を乗せて目的地に赴く。したがって、海兵隊は沖縄にいなければならない理由はないのであって、岩国にいてもいいしグアム島にいても、岩国基地からアジアの目的地にいくのに不便になることはなにもない。また、百田某がいうような「危険な基地の周りに住民が集まってきた」というのは、まったくのデマで、人々が平和に居住していたところに米軍がやってきて銃とブルドーザーで土地を強奪したのが真相である。そのようにして奪われた土地を返してくれと要求するのに、代わりの土地を差し出せなどというのは居直り強盗のようなものだ。私たちは『沖縄は「不正義」を問う』を読んで沖縄の歴史を理解し、支援の声を上げていきたい。
2016年05月16日
日本総合研究所の池本美香氏は、最近の新聞報道について、4月24日の東京新聞に次のように書いている; 女性が参政権を初めて行使した衆院選から70年を迎えた4月10日、1面トップで報じられたのは「女性議員比率なお156位」だった。経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国で最下位、韓国の111位も大きく下回る。 ほかにも女性と政治に関する記事が多く、考えさせられた。議員割合が低いだけでなく、衆院選の投票率は、1969年以降女性の方が高かったが、2009年以降は男性の方が高いという(8日特報面)。9日7面ではウルグアイ前大統領ムヒカ氏の講演詳報で「政治の放棄は少数者の支配を許すことにつながる」とあったが、政治から遠ざかっている女性こそ耳を傾けるべき言葉に思えた。 なぜ女性の政治参加が海外にこれほど後れをとっているのかについて、分析があったのもよかった(10日13面)。クオータ制によって女性議員比率が上がってきたことは知っていたが、立候補の際に必要となる供託金が衆・参選挙区では300万円と、世界一高額であるとは知らなかった。韓国は135万円、イギリスは8万円、調べてみたらアメリカ、フランス、ドイツには供託金制度がないそうだ。 漠然と政治に期待できないと感じていたが、政治家が悪いというより、選ぶ仕組みが悪いのかもしれない。保育所問題や安保法施行などに対して、デモなどで行動する女性が増えている。立候補や投票という政治参加のハードルを下げれば、女性が参加し政治が変わる可能性がある。 子どもに関して、さまざまな問題があることも気になった。子どもがいる世帯の所得格差の小ささが41カ国中34位で、アメリカや韓国より格差が大きいとは驚いた(14日6面)。小児科学会の推計では、虐待で死亡した子どもの数は国の集計の3倍にのぼり、多くの虐待死が見逃されている可能性があるという(8日夕刊1面)。 10日特報面では、15~34歳の自殺死亡率が先進7カ国で最悪の水準でありながら、自殺予防教育の義務化が見送られたことを知った。20年ほど前にニュージーランドを訪問した際、子どもの権利の実現を目的に国が設置した機関で、子どもの自殺予防が課題だと熱く語られたことを思い出す。数が少なく、声が小さい問題は後回しになりがちだからこそ子どもに焦点を当てて丁寧に検討すべきだ。 組み体操で頭蓋骨骨折の重傷を負った児童が、組み体操廃止の決定に「やっと安心」(2日夕刊9面)とあった。6日の投書「学校は勉強したり、友人をつくることが大切で、軍隊やサーカスではないのだ」に共感した。ムヒカ氏の言葉にもあったが、これからも「何が大切か」を考えさせる記事を期待したい。(日本総合研究所主任研究員)2016年4月24日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-大切なことを伝える」から引用 泡沫候補の乱立を防ぐためには、少々の高額供託金もやむを得ないと思っておりましたが、世界一高額とは知りませんでした。アメリカ、フランス、ドイツはゼロとは、つくづく「大人の国」なんだなぁと思います。また、「政治家が悪いというより、選ぶ仕組みが悪い」というのは、うなずけます。全有権者数の4分の1の得票で3分の2の議席が獲得できるという制度は、やはりおかしいですから、元の中選挙区制に戻すべきだと思います。組み体操を廃止する学校が増えてきたのは朗報というべきです。そもそも学校は学校保健安全法によって児童生徒の安全確保を義務づけられているのですから、大けがのリスクが伴う運動会の競技を、そのまま放置しておくべきではないと思います。
2016年05月15日
憲法をテーマにした映画を完成させた監督の松井久子氏について、4月24日の東京新聞は次のような記事を掲載している; 憲法を題材としたドキュメンタリー映画「不思議なク二の憲法」が完成し、東京・渋谷で5月21日から公開される。高校生や主婦、政治家、学者ら24人が登場し、自らの体験を踏まえた憲法への思いを語る。改憲が焦点となる参院選を今夏に控え、監督の松井久子さん(69)は「憲法論議が政治主導で進められるのではなく、主権者の国民の間で広がるきっかけとなれば」と願う。(安藤恭子) スクリーンに大きく映し出される国会議事堂。「政府は集団的自衛権の行使容認に突き進み、数の力で強行採決。総理は悲願の憲法改正を成就したいという」。こんな警告のテロップから映画は始まる。 「憲法の主人公は私たち国民で、権力の暴走を止めるのも私たちのはず。国のかたちが変わろうとしているのに、無関心で危機感のない人たちが多い日本は、やっぱり不思議なクニ」。松井さんはタイトルの意味を説明する。 松井さんは東京都江東区出身。早稲田大文学部を卒業後、雑誌のライターや俳優のマネジャー業を経て、テレビの番組制作会社を設立し、多くのテレビドラマを手がけた。映画の初監督作品は1998年公開の「ユキエ」で、国際結婚の夫婦の愛と老いを描いた。 その後、フェミニズムを扱ったドキュメンタリーや、認知症がテーマの「折り梅」など社会派映画を制作し、今回が5作目。「憲法は政治的なテーマではなく、生活に根差しているもの。この社会に生きる一人として向き合いたい」と昨年5月3日の護憲集会から撮影をスタートした。 国会前の安全保障法制反対デモなどにも足を運び印象的な人に出演を交渉。札幌市では昨年6月、「戦争したくなくてふるえる」との印象的なフレーズで安保反対デモを呼びかけた当時19歳の高塚愛鳥(まお)さんを取材した。「お嬢さんが一人で声を上げるっていうのは、ネットが普及した今だからできる自由な運動。かって体験した大学闘争を思い、新鮮に映った」 作家の瀬戸内寂聴さんは、中国で幼い娘と敗戦を迎えて「殺される」とおびえた体験から「戦争は誰も幸せにならない」と訴える。国民主権をうたう憲法の誕生には「涙が出た。戦争で死んだ人たちに魂があれば、どれだけ喜んだか」。 自民党憲法改正推進本部長を務めた船田元氏は「日本を守る他国がやられそうになった場合、助けに行くという憲法解釈はぎりぎりのところ」と改憲の必要性を説く。議席を失っていた2012年に公表された党憲法改正草案には「国防軍という言葉はマイナス。国民投票に耐えられない」と不満を漏らす。 9条だけでなく、沖縄の基地問題や男女の平等、若者の政治参加など、憲法をめぐる問題を平易に伝えている。 映画は最後、「あなたはどんな未来を選択しますか」と問い掛ける。松井さん自身はどうか。 「憲法の前文には、私たちが目指すべき生きる姿勢が書いてある。私自身は9条の理想を守りたいし、個人の自由を保障している他の条文も大切に思う。映画をきっかけに、一人一人が自分ごととして憲法を考え、違う意見の人とも対話を広げてほしい」 映画は5~6月、渋谷や横浜、名古屋で公開されるほか、参加者10人以上の自主上映会へのDVD貸し出しも行う(劇場公開中の地域を除く)。詳しくば「不思議なク二の憲法」の公式サイト(http:\\fushigina.jp)へ。2016年4月24日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ「映画で語る24人の思い」から引用 憲法は権力を縛るものですから、その憲法を変えようという声が「縛られる」立場の政治家から出てきたということは、まるで、刑法で取り締まられる立場の泥棒たちが「今の刑法ではやってられないから、変更しよう」と声を上げているようなものです。したがって、自民党の改憲案には賛成できない、これが常識的な判断というものでしょう。松井監督が言うように、国民はもっともっと改憲論に注意を払うべきだと思います。また、上の記事の中でも、瀬戸内寂聴さんのコメントは心にしみます。先の十五年戦争では、政府の命令で多くの国民が戦争に動員されて命を落としました。今の憲法は、国が国民に戦争にいくように命令することを禁止しているわけで、そういう憲法を制定した私たちの考えを天国の戦没者は賞賛していると思います。
2016年05月14日
突然起きた熊本地震に対する安倍政権の対応について、法政大学教授の山口二郎氏は、4月24日の東京新聞コラムで次のように批判している; 九州中部の地震には心が痛むばかりである。それにしても、安倍政権は何をしているのかと、怒りや疑問がわいてくる。 安倍晋三首相がすぐに現地に行かなかったことを責めるつもりはない。東京で的確な指示を出すのが首相の仕事である。しかし、被災者の救援こそ政府の最優先課題であるという決意を明らかにすることは、首相たる者の務めである。野党が地震対策に専念してもらいたいとして審議を求めなかったのに、TPP関連法案の審議を行わせ、さらにこの国会での成立を断念した。首相は何をしたいのかわからない。 的外れの発言や判断は他にもある。菅義偉官房長官は、発生直後から憲法改正で緊急事態条項を整備することが必要であると述べた。中谷元・防衛相は米軍のオスプレイによる支援を受け入れた。自衛隊のヘリコプターがフル稼働しており、輸送力が不足しているわはではない。オスプレイ来援は、日米の軍事協力の緊密化を国民にアピールするための政治的な策略である。 巨大な災害に直面すると、国民もメディアも政府の対応を批判することをためらう気分になりやすい。安倍政権のやり口は、惨事に便乗し地震を奇貨として、地震対策とは全く別の政治的意図を実現させようとしている。惨事便乗の政治は将来自由や民主主義の破壊という惨事をもたらすことになる。(法政大教授)2016年4月24日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-惨事便乗の政治」から引用 熊本地震が起きた直後は、野党は政府が地震対策に専念すべきと考えてあえて国会審議は要求しなかったのに、安倍首相の判断はその逆で、このどさくさに紛れて採決するつもりで無理矢理審議を進めたものの、さすがに取り巻きの中から「選挙前に強行採決はまずい」との声が出たらしく、採決は先送りにして慌てて「地震対策に専念」に方針を切り替えたところを、山口教授は批判しているわけである。こういう素人目にも魂胆が見透かされるような言動をする人物はそろそろ退場していただいて、もう少し思慮分別のある人材を首相に選ぶべきだ。
2016年05月13日
ソウル大学教授の朴吉吉熙(パクチョルヒ)氏は、核兵器開発を続ける朝鮮に対する国際社会の対応について、4月17日の東京新聞に次のように寄稿している; 1月6日の核実験以降、北朝鮮は軍事的挑発を続けている。米韓の合同軍事演習に対抗することを口実にしているが、実際の目的は核とミサイルの能力を高め周辺国を圧迫することにあることは明らかだ。専門家たちは、4月13日の韓国総選挙から5月に予定されている朝鮮労働党の第7回党大会まで挑発を続ける可能性が高いとみている。国連をはじめとする国際社会の制裁にもかかわらず、北朝鮮の行動に変化の兆しはない。 北朝鮮に対する対応を見ながら、ふと米国が1980年代末から90年代初めまで主張していた「対日修正主義」を想起した。当時米国は日本の市場開放のために相当の圧力をかけていた。「外圧」といわれた市場開放を求める圧力の陰には、修正主義者が唱えた「日本異質論」という独特な日本観が存在した。日本は米国と異なり、日本自らが主導して改革を推進する可能性が低いため、外からの圧力によって日本の変化を誘引すべきだという孝え方だ。 脈絡は全く違うが、今世界が北朝鮮に向ける視線は、当時の米国の「対日修正主義者」の視線に似たような感じを受ける。まず、北朝鮮は他の国々とは全く違うと認識されている。ある専門家は北朝鮮は共産主義でも社会主義でもなく、独特な外交安全保障観と支配理念に基づいたスルタン主義政権だと断言する。北朝鮮は他のあらゆる国家とも比較しがたい異質な体制を維持しているという解釈だ。北朝鮮は彼らだけが理解する信念と観点から世界を見る「われわれとは違う」体制の国であるとみているのだ。その体質ゆえ、自ら改革することは困難であり、指導者の見解が変わるか、指導者そのものが交代しない限り北朝鮮において意味ある変化を期待するのは無理だという判断になる。 こうした認識は、外からの圧力と制裁をもって北朝鮮の変化を誘導するしかないという論理につながる。国際社会の圧力は北朝鮮の変化を引き出すための前提条件でもあり、これなしに北新鮮が他国に対し理性的な行動に出る可能性は低いとみられている。 北朝鮮に対する修正主義的見解は対北強硬論の論拠であり、今では主流の考え方である。中国をはじめ多くの国々が北朝鮮に軍事的挑発を中止し、朝鮮半島の平和のために対話に応じるべきだという忠告を繰り返している。それにもかかわらず、北朝鮮は核実験やミサイル発射を続けているからだ。国際社会の我慢も限界に達し、北朝鮮をかばい続けてきた中国でさえ制裁に賛同する流れをつくったのは他でもない北朝鮮である。現時点では少なくとも北朝鮮の間違った行動に罰則を与えることに反対する国はない。 もちろん、これらは制裁のための制裁であってはならない。制裁は北朝鮮の国際社会への挑戦に対するペナルティーであり、北朝鮮を対話の場に引き戻すことを目標としたものでなければならない。制裁措置が長引くか否かは北朝鮮次第であろう。北朝鮮が核やミサイルの開発を続ける限り、修正主義的主張は消えないからだ。また対話が再開されたとしても、これが対話のための対話となってはいけない。北朝鮮の非核化のための対話でなければ、核の既成事実化につながるからだ。北朝鮮の非核化は東アジア安定の要である。(ソウル大学国際大学院教授)2016年4月17日 東京新聞朝刊 4ページ「時代を読む-国際社会は対北『修正主義』」から引用 ソウル大学の朴吉吉熙先生は、日韓関係に関する記事ではいかにも学者らしい冷徹な理性に貫かれた文章を書くので、当ブログもこれまで何度も引用しているのであるが、どうもテーマが半島の南北問題になると、急に論調が怪しくなるような気がします。この記事では、朝鮮が国際社会の批判にも関わらず核兵器開発をやめないのは、核兵器を保有することによって周辺国を圧迫しようという目的があるからだと簡単に決めつけているが、これは私は大いに疑問だと思います。朝鮮のような国土の狭い国は、本当は周辺諸国との経済交流などを通じて平和に繁栄することを希望しているはずです。しかし、現実に朝鮮がそういう道に進むことを妨害しているのは、アメリカの敵視政策です。そのアメリカの経済力が頼りの日本は当然、アメリカの子分として朝鮮を敵視し、未だに国交を開いていない。かつては盟友であった中国も、近年はアメリカとの深い経済的な結びつきが出来てしまったため、朝鮮には冷淡になっている。その上、上の記事では朝鮮が言うところの「米韓合同軍事演習」などは口実だと言ってるが、私はそうではなく、あれは朝鮮政府の本音に違いないと思います。米韓合同軍事演習は、名称こそ「演習」ですが、実際は朝鮮政府側に1ミリの隙でもあれば、米軍も韓国軍も一挙に平壌を空爆し朝鮮全土を軍事制圧することを目論んでいるとみるのが正解というものです。したがって、演習の期間中は、米韓軍の戦闘機が国境線に接近するたびに朝鮮側も戦闘機をスクランブル発進させて国境防衛をしなければならない。その戦闘機の燃料代が朝鮮政府の台所事情を大きく圧迫しており、これを一気にはね返すには核兵器による「どう喝」意外にないと考えるのは自然なことと思います。かつて日本の軍隊が満州事変を起こしたときも、当時の日本軍は「中国側が先に発砲した」と言いましたが、実はしかけたのは日本軍だったことが後になってから判明しています。トンキン湾事件のときも、米軍は北ベトナムが先に発砲したから応戦したなどと発表したのでしたが、これも後になって、実は米軍が仕掛けたものだったことが判明しています。侵略者の手口はいつの時代も同じで、アメリカはあわよくば朝鮮でも実行しようと狙っているとみて間違いないでしょう。もし米韓合同軍事演習が純粋に「演習」を目的としているのであれば、朝鮮政府に負担をかけないように、南太平洋の赤道の向こう側にでも行ってやればいいのであって、わざわざ朝鮮との国境付近で「演習」をやるのは、朝鮮侵略という邪悪な目的をもっている証拠です。※お断り 当ブログでは、朴吉吉熙先生のお名前を漢字4文字で表示しておりますが、これはソフトウェアの問題で本当のお名前を表示することができず、便宜的に表示したもので、本当は「吉吉」は一文字です。
2016年05月12日
インパクト出版会から刊行された『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』について、フリーライターの山城紀子(やましろのりこ)氏は8日の「週刊金曜日」に、次のように書評を書いている; 沖縄には「慰安婦」に関連する3つの碑がある。不法滞在者になった元「従軍慰安婦」に対して、1975年、入国管理局が在留特別許可を出したとする新聞報道で存在が知られることになったぺボンギさん(91年死去)。97年、彼女が「慰安所」生活を送った渡嘉敷(とかしき)にアリランの碑が建った。また「慰安婦」被害者に対する碑文を刻んだ「恨(はん)の碑」が読谷村(よみたんそん)に。そして、宮古島にも「慰安婦」を見た住民の提案を機に2008年、「慰安婦のための碑」(「アリランの碑」とアジア太平洋戦争期に「慰安婦」とされた女性たちの12カ国の言語で碑文を刻んだ碑「女たちへ」)が建てられた。 2月半ば、宮古島を訪ねた。本書に登場する与那覇博敏(よなはひろとし)さん(82歳)に初めてお会いした。子どもの頃、「慰安婦」にされた女性たちに会った人である。「坊や、坊や」と与那覇さんを呼んだ女性たちの話をしてくれた。与那覇さんの家の前を通ってツガガー(宮古の方言で井戸)で洗濯をするため行ったり来たりを繰り返していたという。クース(唐辛子)をあげて喜ばれたこと、軍主催の演芸会の時に女性たちが歌った「アリラン」の歌を覚えたこと、大人になって女性たちが宮古にいたことの意味を知ったことなどを語ってくれた。自宅そばの大きな石は、彼女たちが洗濯の行き帰りにいつも休んでいた石である。 著者は与那覇さんと会った時の様子を本書の第9章で描いている。「彼は何もない野原の中の『慰安婦』が休んだ場所にぽつんと大きな石を置き、その周りの小さな花たちに水やりをしていた。『慰安婦』たちを記憶にとどめようとしていたのである」。まさにその石が「アリランの碑」である。 日常の暮らしの場が戦場となり、住民の4人に1人が犠牲になった沖縄では、長いこと沖縄戦の記憶が沈黙の中にあった。生存者や体験者が文字や言葉で伝えるようになったのは沖縄戦から「33回忌」を経た70年代後半からである。「性暴力」や「性被害」について語りあうのはさらに時間を必要とした。ジェンダーの視点から社会や歴史を問い直し、議論を積み重ねた90年代に入ってからである。 44年3月に第32軍が創設されてから沖縄戦が始まるまでの1年間に、のベ145か所の慰安所が作られたことがわかっている。日本軍が配備された場所には必ずといっていいほど慰安所が設置され、日本軍の移動に伴って慰安所もまた移動した。 本書は韓国の若い女性の学者が10年以上にわたって韓国、東京、沖縄を行き来しながら「沖縄戦」と「慰安所」を中心に聞き取り調査をしてまとめた学術書である。「陣中日誌」や市町村誌を読み込み、沖縄戦や慰安所に関する論文や書籍に目を通すなど、気の遠くなるような労に挑み、一冊の本として刊行されたことに大きな拍手を送りたい。 住民の見た「慰安所」の記憶にこだわり続けた視点が生きている。文字を追いながら「慰安婦」にされた戦場の中の女性たちのさまざまな姿を想起させられる。兵隊と共に命がけで戦場を逃げ惑う姿、「朝鮮ピー(性器)」と蔑まれる様子、戦闘が激しくなってからは補助看護婦として働かされていたことも記憶されている。 戦時下、そして軍隊との関わりで女や子どもに何が起こるか、「慰安婦」に出会った人たちの証言は普遍的な意味を持つ。5兆円という過去最大の防衛費予算が組まれ、安保関連法が施行されてしまった今だからこそ、手にしてほしい一冊である。2016年4月8日 「週刊金曜日」1083号 50ページ「住民の見た『慰安所』の記憶にこだわり続けた視点」から引用 慰安婦問題に関する学術分野の研究は日々進歩しており、具体的な事実が次々と明らかになっているにも関わらず、日本政府の認識は河野談話を発表した時点で政府が確認した史料のみであり、その後も政府機関が保管している史料の中なら新たな史実がでてきても目を向けようとしていません。しかし、そのような姿勢では国際社会の趨勢について行けなくなりますから、やがては河野談話よりも踏み込んだ「談話」を発表しなければならない事態が到来することでしょう。その時までに、私たちは歴史と率直に向き合う能力をもった政府を用意したいものでございます。
2016年05月11日
昨年9月に安倍政権が戦争法案を強行採決して可決したとき、法政大学名誉教授の須藤春夫氏は、次のような一文を、9月27日の「しんぶん赤旗」コラムに書きました; 安倍政権は、国民の強い反対を押し切って戦争法案を強行可決しました。国民が戦争法案に強い疑問を抱いた背景には、国会中継を含むテレビを通じた情報提供がありました。 野党議員が法案の違憲性や立法事実をただすのに、まともな答弁をしない安倍晋三首相の不誠実な姿。自衛隊内部文書を明らかにした共産党議員の追及に、担当大臣は何度も立ち往生しました。後方支援問題では、ドイツ連邦軍がアフガニスタン戦争に参加して兵士55人(自殺を含む)の死者を出もた事実や、国会周辺や全国各地で沸き起こる市民の反対運動を伝える番組もありました。 戦争法案の問題点や国民の動向が、中継や海外取材を含んだ調査報道、有識者の解説などをまじえた映像情報によって、具体的に伝わわたといえます。 ただし、ニュース番組で国民の知る権利に応えようとしたのは、テレビ朝日系「報道ステーション」、TBS系「NEWS23」「報道特集」などにとどまりました。朝日新聞(15日付)によると、安倍首相が2015年に出演した主な番組は、NHKとフジテレビ、日本テレビの系列に限られ、テレ朝とTBS系列への出演はゼロでした。 首相は戦争法案を一方的に宣伝できるテレビ局を選別していたのです。政権側のメディアを分断する戦略に迎合し、政権監視を放棄したテレビ局が際立ったのも見逃せません。 NHKの戦争法案報道は、政府寄りで反対運動をほとんど無視する姿勢が国民から厳しい批判を受け、渋谷のNHK放送センターや各地のNHK放送局が抗議のデモに包囲される事態になりました。放送の自主・自律の堅持は公共放送の生命線と明示するNHKは、その精神に立ち返るべきです。 テレビは戦争法制の違憲性を追及し続け、廃止に向けた問題提起が求められます。(すどう・はるお=法政大学名誉教授)2015年9月27日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-テレビは政権監視を」から引用 安倍政権が戦争法案を強行採決しようとした日の前後数日間、国会周辺は多くの国民の抗議デモに取り囲まれました。国民が強い疑問を持ったのは、テレビが国会中継を通じて安倍首相の不誠実な態度を国民に周知したからであると指摘しています。また、記事の末尾では憲法違反の法律については、廃止に向けた問題提起をテレビがしていくべきだとも述べています。しかし、番組の中で「戦争法制反対を言い続けるべきだ」と発言したキャスターは番組を降板させられるなど、事態は民主主義を後退させる方向に動き出していますから、テレビは更に国民に危機を訴える必要があると思います。
2016年05月10日
ドラマや小説に描かれる警察像と現実の警察との乖離について、作家の赤川次郎氏は4月17日の東京新聞に、次のように書いている; テレビをつければ、相変わらず刑事ドラマの花盛りである。人気ドラマの「相棒」を始め「捜査一課長」なる、そのものズバリのタイトルも。「科捜研の女」とか「女検事」を始め2時間もののサスペンスドラマのシリーズを入れたら、一体「警察関係」のドラマはいくつあるのか見当もつかない。 小説の世界でも同様、警察小説は大流行で、「正義の味方」の刑事オンパレード。しかし、果たして現実の警察の姿はどうなのか。 「警官に首絞められた」(4月8日「こちら特報部」)には、ヘイトスピーチに抗議しようとした女性の首を警備の警察官が絞めた事件が取り上げられている。はっきりと写真が残っているので、警察側も「故意ではなかった」としながらも認めざるを得なかった。国家公安委員長が謝罪したが、河野太郎氏でなかったら、果たして謝罪したかどうか。 もともとヘイトスピーチのデモの警備に関しては、海外メディアの駐在員からも「明らかにへイトスピーチ側を守っている」との指摘があった。ヘイトスピーチがいかに理不尽で、国際常識に反するものかは4月7日の「こちら特報部」にも詳しいが、自民公明が提出予定のヘイトスピーチ対策法には罰則がないだけでなく、禁止、違法化の規定すらない。これで世界に向かって「日本は人権を尊重している」と言えるのか。 テレビのサスペンス物では、犯人の告白はなぜかいつも海岸の崖の上ということになっている。あれがテレビ制作者の「日本の民主主義は崖っぷちだ」という思いのあらわれだったら大したものだが・・・。 NHKの良心とも言うべき「クローズアップ現代」は国谷キャスターが降板。「クローズアップ現代+(プラス)」になって、1回目が「野球賭博」で「選手独占告白」では民放のワイドショーと少しも変わらない。「山口組」や「中国経済」など硬派の話題もあるが、ゲストの選び方には「当たりさわりのなさ」が覗(のぞ)いている。今のところは「クローズアップ現代-(マイナス)」と言った方がいい。 ただ、ここで「保育園での死亡事故」が取り上げられた直後、同様の子供の死亡が相次いだ。昼寝中うつぶせになっての窒息死が、多いというが、原因が保育士不足にあるのは明らかだ。まず保育士の給与を大幅に上げて、専門性を持った保育士を育成しなければ、問題は解決しない。 そんなことは子供にも分かる理屈なのに、政府は保育園の定員をふやし、待機児童を減らすという。子供の事故死は減らなくても、選挙対策になればいいのか。 今、民主主義までもが、「窒息」させられようとしている。(作家)2016年4月17日 東京新聞朝刊 5ページ「新聞を読んで-正義の警察像は崖っぷち」から引用 ヘイトスピーチは人権を侵害する行為ですから、「言論表現の自由」で保護される権利ではあり得ず、犯罪として取り締まりの対象とされるべきです。したがって、国会や都議会などは大阪市を見習って、早急にヘイトスピーチ規制の法令を施行するべきで、行政がそういう方針を示してはじめて現場の警察官も「人権」について学習し、ヘイトスピーチに対する正しい対処の仕方を習得するものと思われます。また、この記事の後半では保育園問題に言及してますが、この記事が指摘するように、問題は保育士の待遇であり、20年くらい前に株式会社の保育園事業への参入を認めた時点から始まった問題です。子どもの出生率低下が「問題」であるなら、国は昔のように保育士を公務員として優遇するくらいの思い切った待遇改善をする必要があります。それを、保育園の建物すら増やさず子どもの定員を増やして誤魔化そうなどとするのでは、怒った母親がキレテ「日本死ね」と叫びたくなるのも理解できるというものです。
2016年05月09日
3月に新宿でヘイトスピーチのデモがあったとき、これに抗議して集まった一般市民に警察が暴力を振るって怪我を負わせるという事件があり、国会で責任を問われた警察のトップが謝罪する一幕がありました。この事件と、ヘイトスピーチ規制法の見通しについて、有田芳生参議院議員は「週刊金曜日」のインタビューに応えて次のように述べています; 3月27日に東京・新宿であったヘイトスピーチ(差別扇動表現)デモに抗議していた市民が、現場の警察官に首を絞められケガを負った。現場を目撃した有田芳生参議院議員(民進)は4月5日の参議院法務委員会で追及、警察組織のトップである河野太郎国家公安委員長が「警備の行き過ぎ」を射罪した。有田議員に事件の背景と対策法(反ヘイト去)案成立の見通しを聞く。 - 4月5日の法務委員会で資料を配付されました。写真の1枚はデモに抗議していた女性が首を絞められています。質問前にご本人から話を伺(うかが)ったそうですね。身長148センチの小柄な女性です(左の写真)。別の場所では違う女性が警棒で首のところを押さえられています。有田 別の警察官は、抗議していた人を排除しようとしてコンクリートに投げ捨て、ケガをさせました。ある女性は、頚椎捻挫(けいついねんざ)や後頭部打撲(だぼく)の診断書が出ています。救急車で搬送された女性もいます。これは、特別公務員暴行陵虐(りょうぎゃく)罪(刑法195条)で、7年以下の懲役または禁固に処されるべき行為だと私は思います。 この人たちはヘイト・デモを止めようとして道路に寝そべった。このいわゆるシットインは、米国の公民権運動でもインドの独立運動でも行なわれた非暴力、無抵抗の抗議行動です。 沖縄・辺野古(へのこ)でもそうですが、安倍晋三政権の素顔として、ヘイト・デモの現場でも国家権力の暴力が剥(む)き出しになっています。 新宿署は前からひどいんですよ。3月27日の警備を指揮したのは警視庁の公安総務から2月22日付で新宿署の警備課長になったSという警部です。つまり公安的手法で国家権力の末端が暴力を振るったのです。◆河野国家公安委員長が謝罪 - シットインは道交法には違反していますが、ヘイト・デモを通すために警察官が暴力を振るっていい理由にはなりません。河野太郎国家公安委員長は「警察の警備に行き過ぎた点があったとしたら、それは誠に申し訳ない」と謝罪しました。「としたら」という仮定になっていますが、これは官僚答弁独特の言い回しで、暴力行為を認めたわけですね。有田 野党が提出した法案の審議に、国家公安委員長が出席するのはきわめて異例のことです。しかも河野委員長は謝罪した。写真や動画など明確な証拠があるからです。自民党の西田昌司(にしだしょうじ)参議院議員も、警察を厳しく批判しています。ヘイト・スピーチを許さないという点では、与野党は一致しているのです。 河野委員長は、「ヘイトスピーチを伴うデモについては、あらゆる法令の適用をしっかり視野に入れて厳正に対処するように警察を指導」するとも発言しました。 - 河野委員長は信頼できますか。有田 油断はできません。私たちは監視を怠らず、警察の暴走に歯止めをかけなければなりません。 -ただ、「ヘイト・スピーチも表現の自由だ」という間違った認識がいまだにまかり通っています。有田 京都朝鮮第一初級学校(当時)の前で行なわれた口汚い街宣行動は、「人種差別撤廃条約が禁じる人種差別」「表現の自由の範囲を超えている」とした判決が最高裁で確定しています。当時の現場には警察官がいたのに何もしませんでした。警察官教育が重要なのです。デモの違法性を理解すれば、カウンターに対する”過剰警備”は減ってゆくはずです。そのためにもヘイト・スピーチを禁止する法律が必要です。現に条例ができた大阪市では、カウンターに対する大阪府警の態度が少しずつ変化しています。舛添要一(ますぞえよういち)都政も水面下で条例を検討しているようです。◆抗議呼びかけた『神奈川新聞』 - メディアの報道姿勢も重要ですね。『神奈川新聞』(1月31日)は、川崎で計画されているヘイト・デモに対して、抗議に参加するよう呼びかけました。<絶望以上の希望を見せるのだ。社会を壊す害悪としてヘイトスピーチを非難する。レイシストの居場所などないのだと二重、三重の人垣をつくり、拒絶の意思を示す、悪罵(あくば)で社会の公正がゆがめられたなら、倍なる声で押し戻す>有田 一方で首をかしげたくなる報道もあります。一例ですが、『朝日新聞デジタル』(3月6日)は東京・銀座でのヘイトに対する抗議活動をこう報じました。<日の丸を掲げたデモ隊は「朝鮮学校をぶっ潰せ」「(中国人らへの)国費留学制度廃止」などと訴えて銀座の大通りを行進。これに対して抗議する市民らは「銀座の街はヘイトスピーチを許さない」「人種差別反対」などと書いたプラカードを掲げて沿道に立った。双方合わせて数百人規模の人々が集まり、一部で言い争う場面もあった> 大新聞の特に政治部の記者がヘイト(差別)の問題点についてまだまだ理解していません。あのとき銀座には差別側は50人もいなかったが、カウンター側は何百人もいましたよ。それを一緒にして「数百人」と書いたのでは意味がないのです。かつての新大久保でもカウンター側がどんどん増えていきました。”中立”を装って、その重要な事実を書かない記事に意味はありません。 - これほどヘイト・スピーチが増えたのはなぜですか。有田 出口が見えない不況や格差の拡大など不安が広がるなかで、より弱い立場を攻撃することで鬱憤(うっぷん)を晴らしたいという人間の歪(ゆが)みがありますね。 ただ、注目すべきは安倍政権との親和性です。「在日特権を許さない市民の会」(在停会)ができた2006年は第一次安倍政権下です。また、第二次安倍政権成立後の13年から再び全国でヘイト・デモが活発になっています。安倍さんは「ヘイト・デモは美しい日本を損なう」などと公的には言っていますが、彼のフェイスブックの書き込みを見ると、ヘイト・スピーチであふれています。安倍政権支持者のなかに典型的な差別主義者がいることは否定できない事実であって、政権の暗黙の了解のもとで、堂々とヘイト・スピーチを撒き散らしてきたわけです。◆反ヘイト法の成立は全会一致を目指す - 反ヘイト法の成立見込みはいかがでしょうか。有田 われわれ野党は、人種差別撤廃を実現させるための全般的な法案を出しています。一方、自公の与党は4月8日、ヘイト・スピーチ禁止に特化した法案を参議院に出しました。与野党でより良い内容にすりあわせ、全会一致で成立させるのが私たちの責任であると思います。サミットを控え、さらには東京オリンピックやパラリンピックがあるわけですから・・・。 - ただ、与党案にはヘイト・スピーチの禁止規定がありませんね。有田 与党案はヘイト・スピーチを許さないと前文で規定していますが、私たちは本則に禁止規定を入れなくてはならないと考えています。また、与党案は「死ね」「殺せ」「出て行け」など危害を加える恐れがある言葉をヘイト・スピーチと規定していますが、これでは「ゴキブリ」などの著しい侮蔑語(ぶべつご)は使いたい放題となります。また、認定されていない難民やアイヌ民族も、法で守るべき対象から抜け落ちています。 ヘイト・スピーチはとんでもない、との認識で与野党は一致しています。1カ月かけて実効性がある法律にしなくてはなりません。 - 会期末が6月1日ですから今国会で成立させるわけですか。有田 はい。5月半ばまでには成立させたいですね。聞き手・まとめ 伊田浩之(編集部)2016年4月15日 「週刊金曜日」 1084号 14ページ「カウンター女性の首を警察官が絞めたのは特別公務員暴行陵虐罪だ!」から引用 わが国は世界でも屈指の経済大国ですから、人権尊重の面でもその地位に相応しい法律を備えて人種差別などの事態に適切に対処できるようにするべきです。一足先にヘイトスピーチ規制条例を制定した大阪市では、現場の警察官の理解も進み、カウンターの市民に対する過剰な警備行動も減少する傾向にあるというのは大変結構なことで、東京や神奈川も大阪市に習って必要な条例を整備するべきです。また、国会でもヘイトスピーチは規制するべきとの意見で与野党の合意はできているとのことですので、有田議員をはじめとする人権派議員の活躍に期待したいと思います。
2016年05月08日
TBSテレビが新手の右翼団体に脅迫されて抗議の声明を出したことについて、4月13日の朝日新聞は次のような社説を掲載した; TBSテレビが先週、「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」と題するコメントを発表した。 この団体は、「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」というグループだ。TBSの報道が放送法に反すると主張し、スポンサーへの「国民的な注意喚起運動」を準備するとしている。 TBSのコメントは、次のような要旨を表明している。 「多様な意見を紹介し、権力をチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りをしている」 「スポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦である」 放送法の目的は、表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に役立てることにある。コメントは、その趣旨にもかなった妥当な見解である。 声明を出した団体は、昨秋からTBS批判を続けている。安保関連法制の報道時間を独自に計り、法制への反対部分が長かったとして政治的公平性を欠くと主張している。 しかし、政権が進める法制を検証し、疑問や問題点を指摘するのは報道機関の使命だ。とりわけ安保法のように国民の関心が強い問題について、政権の主張と異なる様々な意見や批判を丁寧に報じるのは当然だ。 テレビ局への圧力という問題をめぐっては、昨年6月、自民党議員の勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などとの発言があった。政治権力による威圧であり、論外の発想だ。 一方、視聴者が言論で番組を批判するのは自由だ。テレビ局は謙虚に耳を傾けなくてはいけない。だが、この団体は、放送法を一方的に解釈して組織的に働きかけようとしている。 TBSの「誠意ある回答」がなければ、「違法報道による社会的な負の影響」への「加担」を防ぐ提言書をスポンサーに送ると通告。ネットでボランティアを募り、企業の対応によっては「さらに必要な行動をとる」とも予告する。これは見過ごせない圧力である。 番組を批判する方法は様々あり、放送倫理・番組向上機構(BPO)も機能している。にもかかわらず、放送局の収入源を揺さぶって報道姿勢を変えさせようというのでは、まっとうな言論活動とはいえない。 もし自律した放送局が公正な報道と権力監視を続けられなくなれば、被害者は国民だ。「知る権利」を担う重い責務を、メディアは改めて確認したい。2016年4月13日 朝日新聞デジタル 「社説 TBS批判 まっとうな言論活動か」から引用 「放送法遵守を求める視聴者の会」という団体名は、あたかも市民団体であるかのような装いではあるが、放送法に記載された倫理規定を逆手にとって言論・報道の自由を奪おうという主旨であるから、これは明らかに民主主義に敵対する団体である。このような団体を野放しにしておいては、やがて被害は国民に及ぶから、この度の件を一回限りの社説で終わらせずに、警察が暴力団を監視するように、マスコミ各社はこの団体を監視する必要があるのではないだろうか。
2016年05月07日
世界の富裕層の租税回避の資料が明るみに出たことに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は、4月10日の東京新聞コラムに次のように書いている; パナマの法律事務所から出てきた租税回避の資料が、世界を震撼(しんかん)させている。すでにアイスランドの首相は税金逃れの責任を取って辞任を表明し、ロシア、中国、イギリスなどの首脳も蓄財の疑惑が指摘されている。日本の企業や富裕層の関連についても、少しずつ情報が出ている。 不思議なのは、NHKをはじめとする日本のメディアが、外国首脳のスキャンダルとして、さらに中国などにおける報道管制に言及するのに、日本の企業や金持ちの関与を問題視していないことである。 編集者の井上伸氏が日銀の統計を分析した結果、租税回避地として有名なケイマン諸島だけでも、日本企業の投資残高は60兆円を超えていることが明らかになっている。租税回避地に逃げていった利益に通常の税金をかければ、10兆円単位の税収が生まれる。 安倍首相は日本を世界で最も企業の活動しやすい国にすると宣言している。企業による富の創出が、賃金分配や納税によって国全体に還元されるなら、それも結構だ。 しかし、企業は富を租税回避地に移転するばかりだ。財務官僚や政治家が税収増のためには消費税率を引き上げるしかないと言い張るのは、こうした企業のエゴに降伏しているからなのか。 パナマ文書の解析で、日本のメディアの覚悟が問われることとなる。(法政大教授)2016年4月10日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-パナマ文書」から引用 ケイマン諸島に送金された日本企業のカネだけでも60兆円というのは、大きな問題である。企業からの広告料収入で成り立っている民間報道機関には、この問題は追及しにくいと思われるから、こういう問題こそNHKの独壇場として、徹底追及するべきである。しかし、現在のNHK会長は民間企業出身であるため、NHKの現場が会長の友人知人の脱税問題を追及し出せば、会長がストップをかけるのは目に見えている。こういう観点からも、籾井氏はNHK会長の職には向かない人物であることは明らかだ。経営委員会は早急に会長人事を再検討するべきだ。また、日本のメディアは、パナマ文書について中国政府が報道管制をしいていると書いているそうだが、自分自身はパナマ文書に書かれた日本人関連の情報を報道する気があるのかどうか、まず自分の態度を明らかにするべきだ。
2016年05月06日
朝鮮政府が核実験を行ったことへの報復として、何の関係もない日本の朝鮮学校への補助金を再検討するように各自治体に通知した文部科学省の政策の結果、国内の朝鮮学校は経済的な困難に直面していると、10日の東京新聞が報道している; 補助金支給再検討を文部科学相が自治体に通知するなど、朝鮮学校への締め付けが強まっている。「子どもには何の罪もない」「納税者としての権利がある」。教員や保護者が反発する中、神奈川朝鮮中高級学校(横浜市)では5日、新入生48人が入学式に臨んだ。 式のあった体育館横の校舎は、老朽化のため廊下には水がたまり、ひび割れた窓ガラスも。教員の給料は2カ月分が支払われていない。学校によると、運営は県の補助金と授業科、寄付で賄うが、補助金が減ったことが運営に影を落としている。 神奈川県は県内5校の朝鮮学校に年間計約6千万円の運営補助金を出していたが、北朝鮮の3回目の核実験を受け、2013年度に支出をやめた。代わりに「国際情勢や政治情勢に左右されず子どもを守る」(県私学振興課)ため、14年度から保護者に学費補助金を出す方法に切り替えた。それでも「なぜ北朝鮮の学校を補助するのか」との苦情が寄せられるという。 学校は、学費補助金に合わせて授業料を値上げしたが、従来の運営補助金の額には届かない。金鐘元(キムジョンウォ)校長は「われわれ在日朝鮮人も納税者であり県民だ。補助金は権利のはず」と話す。入学式に出席した保護者の男性会社員(46)も「政治がどうあろうが子どもに罪はない。他の外国人学校や私学と同じ水準で扱われるべきだ」と憤る。 1月の4回目の核実験などを受け、馳浩文科相は3月、「北朝鮮と密接な関係にある在日本朝鮮人総連合会(朝鮮機運)が影響を及ぼしている」として、朝鮮学校のある28都道府県に、妥当性を検討するよう通知した。 文科省によると、14年度時点で全国の朝鮮学校は68校。18道府県、113市区町が計約3億7千万円の補助金を支給し、現在、名古屋市などが停止や減額を検討中だ。 朝鮮学校を支援する佐野通夫・こども教育宝仙大教授は「補助金カットや高校無償化除外は国連の人権諸機関が懸念を示している。教育基本法も人種や信条による教育上の差別を禁じており、許されない」と指摘した。2016年4月10日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「朝鮮学校締め付け強まる」から引用 朝鮮学校の生徒は日本で生まれて卒業後も日本で働いて生活していく人々であるから、私たちの社会の一員である。また、その父母は現に日本国内で働いて税金も納めているのであるから、れっきとした日本人社会の一員であるから、日本政府や地方自治体の政策に対しても一市民としての権利をもっている。しかも、日本で働いて生活している限りにおいては、朝鮮政府の政策に影響力を及ぼすことは不可能なのであるから、安倍政権が、朝鮮が核実験やミサイル発射をするたびに在日朝鮮人に圧力をかけるのは、まったくの筋違いで破廉恥なやり方だ。安倍政権はわが国の政治史に大きな汚点を作っていると言える。やがて数十年後には、この破廉恥なやり方を謝罪するときが来るに違いない。
2016年05月05日
昨日の欄に引用した民進党・岡田代表と法政大学・山口教授の対談は、後半で自民党政治の憂うべき現状について、次のように述べている;◆開かれた政府を目指し、わかりやすい対立軸を山口 安倍政権が報道の自由を脅かしている点も、危機感を感じます。これは政権が強権体質であることの現れですね。岡田 既存のメデイァは腰砕けになっているのではないでしょうか。インタビューを受けて事実を話しても、意図的に活字にしません。そしていま、政権批判の発言をしてきたキャスターやコメンテーターが次々と降板している。これらは偶然の一致とは思えません。 しかしこういう時だからこそ、メディアは政治へのチェック機能を果たすべきなのです。一方で政治は批判を謙虚に受け止め、事実関係はゆがめてはいけません。でもいまの官邸は出来レースを行なっている。会見での質問にしても、決められた大手メディアが事前に通告した質問しかしない。これをメディアは不満に思わないのでしょうか。批判が出てこないなんて、大問題です。山口 安倍政権になって、日本の社会が息苦しい、閉ざされたものになった感があります。閉じた政府対開かれた政府、上からの政治か下からの政治か、こうしたわかりやすい対立軸をつくってほしいですね。 ところで、消費税アップを先送りさせるため、解散を打つという観測がありますが・・・。岡田 財政再建のために消費税は重要です。我々も政権を担当していた時は、ぼろぼろになりながらやりました。 かりに政府が消費税増税を先送りするのなら、きちんと説明すべきです。安倍首相は1年半後の増税実施を断言して14年の衆議院解散・総選挙を行なった。これは国民との約束で、きちんとした理由がなく、また先送りするのなら、総辞職すべき話です。山口 しかし財政再建のための増税なら、「生活が第一」が後ろに引っこんでしまったとみられるのではないでしょうか。岡田 今の生活だけではなく、将来の生活も大事です。それを無視して現在の利益だけを述べるのは、ポピュリズム以外のなにものでもありません。私は前回に代表になった時も、消費税増税に取り組んできました。あの時は郵政民営化選挙で、いきなり解散が打たれ、中断せざるをえませんでした。民主党は議席数では負けましたが、獲得した票数は多かったんですよ。◆将来のために教育や保育に重点的に尽力山口 民主党が唱えた「人への投資」は現在と将来をつなぐ政策です。若い世代や子どもなど、現在の人への投資は将来の社会を強くしますから。岡田 日本は天然資源が少ない国で、将来のためには人に投資すべきなのです。だから重点的に教育や保育に力を入れるべきと言っている。 民主党政権下で行なった高校授業料無償化は、中退者の数を減少させました。子ども手当は経済的支援になりました。ただ、経済的支援だけでなく、施設・環境整備も必要です。両輪が動いてこそ、子どもの教育・保育を充実させることができるのです。 これは格差社会の解消にもつながります。ぶ厚い中間層を生み出して、再度日本の元気を取り戻さなくてはいけません。山口 しかし現状は悲惨なものです。政調会長の山尾志桜里(やまおしおり)さんが「保育園落ちた日本死ね」のプログを2月29日の衆院予算委員会で取り上げ、話題になりました。そう言いたくなる若いお母さんの気持ちが表れていますが、政府与党はどれだけそれをくみ取っているのか……。岡田 そもそも妊娠した瞬間から子どもを預ける保育園を探さなければならず、見つからなければ仕事を辞めなければならないという現状で、はたして女性が輝くことができるのでしょうか。 政府も与党もその現状をしっかりと受け止めるべきなのに、安倍首相の答弁はひどいものでした。与党からの野次も情けない。まったく母親の気持ちがないがしろにされています。山口 弱者の意見が届かないというのが、いまの政権の特徴なのでしょうか。東日本大震災から5年たちましたが、あれほど大きな被害があったにもかかわらず、風化の印象です。原発事故被災者への支援も減少し、復興ではハコモノが優先され、人への支援が置き去りにされています。 そんな現状をなんとかしてほしいという悲痛な声が上がっているものの、官邸にはほとんど届いていません。いまこそ野党がまとまって、この声をすくいあげていただきたい。岡田 まずは4月の衆議院補選、7月の参議院選挙でしっかりと結果を出したいと思います。そして次の衆院選で政権を奪還し、国民の期待に応える政治を目指します。2016年4月8日 「週刊金曜日」 1083号 10ページ「アベノミクスの間違いを正し安心して暮らせる社会をつくる」から一部を引用 岡田代表が新聞記者のインタビューを受けて話しても、特定の言葉が意図的に活字にならないことがあるというのは、メディアの深刻な現状を示唆している。首相官邸の記者会見の不公正さは、フリーの記者からは度々指摘されているところであるが、同じ問題が野党の政治家の目にもはっきり見えているのであれば、あまり遅くない時期に改善に向けた話し合いを始めるべきである。自民党の一党独裁を避けて、わが国の民主主義を健全に発展させるには、野党の勢力拡大が必須であり、そのような観点から山口教授も民進党をサポートしているものと思われるが、北海道の衆議院補欠選挙は議席争いに破れはしたものの、野党側は事前の予測を上回る善戦であった。今後は夏の参院選に向けて、野党側に結集した勢いをどのように議席に結びつけるか、より具体的な戦術を山口教授のアドバイスを得て、構築していくべきである。
2016年05月04日
維新の党を合併して野党結集の第一歩を踏み出した民進党の岡田代表は、法政大学教授の山口二郎氏と8日の「週刊金曜日」で対談し、次のように語っている;山口 民進党結成、野党結集の第一歩ですね。ともかく頑張ってほしい。民主党の時と比べて、何が一番変わったのでしょうか。岡田 民主党と維新の党が一緒になったので、民進党はそれぞれの良いところを持ち寄ってバージョンアップを果たしたいと思っています。 たとえば維新の党の改革の精神ですね。改革へ取り組む姿勢はかっての民主党にもあったのですが、政権与党を経験して弱まってしまったのは否めません。だからもう一度、維新の党から改革の精神を吹き込んでもらうことで、かつての改革政党としての前向きさを取り戻したいと思います。山口 その場合、改革というのは、具体的に何が一番大きなテーマになるのでしょうか。岡田 具体的には行政改革もあれば規制改革もある。現状に満足せずにより良い社会をつくっていこうという、変革を求める姿勢が大事だと思います。◆普通の民の力を引き出す政治を山口 民主党政権時にも、一括交付金や地方分権、人に対する投資など、さまざまな改革が行なわれました。しかし2012年に下野して以降はその成果に対する誇りがあまりみられません。私はこれが不満なんですが、これについてはどう思われますか。岡田 民主党政権時の成果について、党内でもいろんな意見があります。「われわれにはこんな業績がある」と事実を主張しようとしても、世間で素直に受け止められるとは限りません。誇りを口にすると、かえって批判を生みかねない。だから言い過ぎないようにしないといけません。バランスが大事ですね。山口 だが大きな功績もあります。たとえば昨年の安保法制ですが、「市民が主役」という民主党の理念が引き継がれ、国民の不満を野党が受け止めて、大きな動きにつながりました。これを野党の党首としてどう見てましたか。岡田 「市民が主役」というスローガンは旧民主党のもので、1998年に新民主党を結党した時に変わっているんですね。そのことは一応踏まえたうえで、考え方としては市民であれ国民であれ、我々はこれに寄り添っていく。その発想は変わっていません。 昨年の安保法制では、SEALDs(シールズ)やママの会、それだけではなく多くの一般の人が動いた意味は小さくはありません。 そもそも民の力はものすごく大きいのです。というのも、国民はとてもよく考えているからです。普通の人が地域のこと、国のこと、国際社会のこと、将来のことなど、本当に真剣に考え、話し合っている。そうした事実を私は政治家となってから開催した何千回という座談会で身をもって体験してきました。これは日本の強みですよ。そしてそれらを引き出すのが政治や政党の役割です。◆立憲主義を安倍首相自身が理解していない山口 そういう意味で今回の野党再編は、これまでのような政党や政治家の生き残り策としての新党結成とは違う意味があるのではないかと期待しています。 ところで参議院選挙が7月に予定されており、衆議院の解散・総選挙による衆参ダブル選挙もあるのではないかとささやかれています。岡田代表としては選挙で何を訴えたいと思っていますか。岡田 いま日本は時代の分岐点にあるということです。安倍政権の下で日本憲法の根幹が変えられようとしており、立憲主義が揺らいでいます。すなわち戦後70年間積み上げてきた海外派兵の禁止や専守防衛といった根本原則が政府の説明なしで変えられようとしているのです。 もっとも集団的自衛権は国際法では認められているものですが、実際にこれを行使すれば、もう歯止めがきかなくなります。安倍政権は70年前の反省を顧みず、憲法を根底から揺るがせようとしている。安倍晋三首相が立憲主義を理解していないから、こういうことができるのです。 経済についても、認識が間違っています。ただ経済規模を大きくすれば国民が豊かになるわけではありません。再分配なき経済対策は貧富の差の拡大を助長させ、二極化が進みます。問題は中間層の所得水準が落ちていることです。これでは一部の富裕層はますます豊かになりますが、国力全体が落ちてしまいます。山口 民主党を応援してきた私としては、その説明に違和感はありません。民進党は安全保障と経済という二つのポイントを訴えて、安倍政権に対峠(たいじ)すべきです。 まだ民主党政権だった2012年9月、まさに自民党総裁選で安倍晋三氏が総裁に当選した日ですが、私は岡田さんにインタビューしたことがありました。その時、岡田さんは「安倍自民党が相手だと、民主党は戦いやすい」と答えています。安倍氏は偏ったナショナリストだから、まともな国民は支持しないだろうということでした。 しかし安倍内閣は発足以来支持率が高止まるなど、予想以上に手ごわいですよね。この人気の高さは何が原因だと思いますか。岡田 ひとつは経済ですね。民主党政権が発足した時、我々が前政権から引き継いだのはリーマン・ショックに打ちのめされた日本経済でした。東日本大震災にも遭遇しました。いずれもなんとか乗り切りましたが、国民にとって苦しい思い出しかありません。 一方で安倍政権になって、円安になり株価が上がった。しかし3年3カ月たち、民主党政権と同じくらいの時間が経過したなかで、多くの国民は生活が相変わらず苦しく、景気回復を実感できていません。実際に輸出量は増えていないし、為替は国内の金融政策だけで動かせるものではありません。すなわちアベノミクスの破綻(はたん)が明らかになってきたのです。 国際関係についても、ほころびが見えてきました。たとえば12年の自民党総裁選で、安倍さんは「尖閣諸島に港を造る」と言っていましたが、中国を刺激したものの、実際には着手していません。日韓関係でも、ナショナリズムをいたずらに煽っただけでした。もっとも安倍さんは総理に就任して以降は、過激な発言を封印していますけど。山口 安倍政権は一歩ずつ戦争への道を進んでいるように思えます。PKOについても、駆けつけ警護として武器を使用せざるをえなくなるでしょう。国会で大いに議論していただきたいですね。岡田 安保関連法案は膨大な量を一括審議しました。だからPKOについても、日本がやれることについて十分に議論されていません。自衛隊が戦闘に巻き込まれる可能性も否定できません。さすがに選挙を控えてこれはまずいと思ったのか、政府は南スーダンでの自衛隊の駆けつけ警護実施を先送りしました。しかし参院選の後にすぐやるでしょう。(後半省略)2016年4月8日 「週刊金曜日」 1083号 10ページ「アベノミクスの間違いを正し安心して暮らせる社会をつくる」から一部を引用 安倍自民党が相手だと民主党は戦いやすいという発言は私も記憶があります。安倍さんは偏ったナショナリストだから、良識ある国民は支持しないだろうという発想は果たしてどうかと疑問を感じたものでしたが、結果的には、偏っていようが極右であろうが、経済さえうまくいくなら政治思想は不問にするということのようですが、その経済も実はうまくいっていないということになれば、これはやはり考え直す時期に来ているということだと思います。また、当ブログ常連コメンテーターの大部分のみなさんは、民主党政権の強力なサポーターだった山口教授を諸悪の根源であるかのように罵倒しますが、上の記事にみるような充実した対話を読めば、やがて民進党による「よりよい政権の誕生」も現実的になってくるのではないかと思います。
2016年05月03日
憲法擁護義務を負う首相が白昼堂々と憲法改正を口にすることに疑問を呈する記事が、6日の東京新聞に掲載された;国会審議で、腑に落ちないことがある。憲法改正をめぐる安倍晋三首相の答弁だ。 自民党にとって現行憲法の自立的改正は結党以来の党是だ。すでに二次にわたり改正草案もまとめている。安倍氏が党総裁である以止、改正を目指すのは当然だろう。 国会でも「現行憲法の基本的考え方を維持することを前提に、必要な改正は行うべきだと考えている」と、堂々と答弁している。 しかし、安倍氏は首相でもあり、大臣としで憲法擁護の義務を負う。にもかかわらず、首相の立場でなぜ、擁護義務とは相いれない改正論を展開できるのか。擁護義務を定めた憲法に反すると厳しく批判されて当然だ。 この際、首相=総理と、党総裁とを分けたらどうだろうか。「総・総分離」である。 安倍氏が改正に専念したいなら、首相を辞めて党総裁として陣頭指揮を執ればいい。国会議員にも大臣同様、憲法擁護の義務はあるが、改正の発議権は国会にあるので、首相でない方が自由に発言できるのではないか。 首相として国民の負託に応える道を選ぶなら、憲法改正など口にせず、現行憲法に忠実に従って職務に専念すべきだろう。改正の仕事は別の党総裁に委ねればいい。 総・総分離は自民党内でたびたび浮上する政治の知恵だ。「憲政の常道」に反するとの批判はあろうが、首相が憲法擁護義務を蔑(ないがし)ろにするよりはましである。(豊田洋一)2016年4月6日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「私説 論説室から-総・総分離のズスメ」から引用 この記事は正論を述べている。憲法擁護を義務づけられている役職の者が、当然のように憲法改正を口走るのは、あまりに不謹慎というものである。一政党として憲法改正も視野にあるというのであれば、それはそういう専門の部門を設けて担当させればよいのであって、与党として政権を担当する者は本来の職務に専念してはじめて、誠実な勤務態度と言える。
2016年05月02日
官庁からネタをもらうのをやめ、調査報道で紙面をつくるという東京新聞の方針について、「新聞報道のあり方委員会」は次のような議論を交わしている; -今年から東京新聞は「読者とともに」の6文字を一面の題字の下に掲げている。本紙の報道姿勢についてご意見を。 魚住 菅沼局長が3月18日朝刊一面で「あの日々から、私たちは明確な意思を持って新聞をつくっています」と書いた。その通り東日本大震災が起きた「3・11」以来、東京新聞は明確な意思をもって紙面をつくっている。それまでのように官庁からネタをもらってつくる紙面をやめ、調査報道で紙面をつくってきたと理解している。 つまり東京新聞は新聞業界の運命を左右するような大規模な実験をやっている。毎日が勝負だ。しかし、各記者がちゃんと分かっているのかと言いたくなる紙面も時々ある。緩みが紙面に出てきたら終わりなので、気を付けてほしい。読者応答室の「応答室だより」が本質を突いた文章で楽しみにしている。東京新聞の肝だ。これからも大事にしてほしい。 吉田 3月5日朝刊「考える広場」の記事には戸惑った。福島第一原発事故による放射線被害の現状について3人の論者にインタビューしていたが、放射線の影響が科学的に大丈夫と考える方と、逆に危ないという方、福島に住んでいる方の話をまとめて投げられても、読者はどう考えればいいのか。 デー夕と生活実感が矛盾しているということだろうが、取材した記者がどう思ったか聞きたくなった。矛盾した現実は丁寧に伝えてほしいが、時には記者の生の声、感覚で書き切った方が分かりやすい。 田中 「読者とともに」という6文字は、どんな紙面にしたいのか分かりにくい。いろいろな読者がいるのだから。価値観を共有できるキーワード、たとえば「声なき声を聞く」「読者の近くに」「心に刺さる新聞」ならイメージできる。 見やすさと読みやすさも気にしてほしい。数字は表にするとか、文章に数字を入れないとか試みてほしい。記者が何を書きたいのか分からない記事もある。記者が本当に書きたい記事なら、おのずと分かりやすくなり心にも刺さる。 木村 テレビで仕事する立場からすると、新聞がうらやましい。テレビのニュースが低迷している理由は分刻みで出る視聴率のせいだ。コマーシャルを挟むタイミングとか、小手先の競争ばかりしている。 新聞は定期購読者がいて、少しぐらい脱線しても読者は逃げない。安定した経営基盤でニュースを伝える新聞が、読者におもねったら終わり。むしろ読者にどんどん挑戦していく紙面をつくったほうが新聞も活性化するし、結果的に読者に喜ばれる。分刻みの視聴率に左右されないメディアなのだから、ぜひ好きなようにやってほしい。 菅沼 3・11以降、読者が知りたがっているのは、お上の発表ではなく、本当のこと。当局の発表に依存せずに、自分たちの伝えなければならないことを独自取材で掘り下げるよう言い続けている。5年がたち進化していると思うが、まだまだと思うのもある。読者の支持を励みに、信頼される新聞をつくりたい。実験の失敗は許されない。戦争中のような「大本営発表」の報道になったら終わり。新聞の原点、本来の使命に忠実になれるよう取材・編集態勢をしっかり構築していきたい。 深田 3・11は本当に緊張した。あの緊張を思い起こすため、5年前の一面に掲載した評論「原発に頼らない国へ」を2月8日の社説に再掲載した。自分たちの変わらない意思を読者に伝える意味もあった。当時、読者からはたくさんの反響が届いた。繰り返すが、読者の知る権利を行使します、という意識を再確認したい。論説は「権力に厳しく、人に優しく」、権力を監視し、弱者の目線をもつということです。2016年4月6日 東京新聞朝刊 11ページ「『心に刺さる』記事を」から引用 福島第一原発の事故による放射線被害について、我々はどう考えるべきなのか、これは大変難しい問題です。政府は原発事故で汚染された地域の放射線の安全基準を、それまでの倍以上の値に偏向して、一通り除染作業を終えた地域に、以前よりも測定線量が多くても安全だと言って近々避難生活にたいする補償を打ち切る方針ですが、本当に安全かどうか、10日や一ヶ月で結果が分かるものでもないため、不安は残ります。 また、この記事で東京新聞の担当者は「権力に厳しく、人に優しく」やっていきたいと述べており、私は大いに期待したと思いますが、当ブログのコメンテーターの中には、「権力に厳しいヤツはサヨクだ」などとワケの分からないことを言い出す人もいるようで、この際、こういう記事をよく読んで誤解を解いてほしいものだと思います。
2016年05月01日
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