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明治大学教授の西川伸一氏は、自民党の立党当時から現代に至るまでに、憲法改正問題がどのように扱われてきたか、18日の「週刊金曜日」コラムで次のように述べている; 安倍晋三首相は3月2日の参院予算委員会で、「自民党は立党当初から党是として意法改正を掲げている」と答弁した。昨年9月24日の記者会見でも、「改憲は党是なので次の参院選でも公約に掲げる」と述べている。 憲法改正を唱える椒拠に、立党以来の「党是」を持ち出している。だが、首相のこの主張は事実なのか。党の基本文書で確認する。 1955年11月15日の自民党立党時に、「立党宣言」「綱領」「党の性格」「党の使命」および「党の政綱」という五つの文書が採択された。「使命」と「政綱」に「現行憲法の自主的改正」が謳(うた)われた。つまり立党当初、最上位文書の綱領には憲法改正は盛り込まれなかった。 その後、綱領改定の気運は10年ごとの立党の区切りが近づくたびに党内で高まる。1965年1月制定の自由民主党基本憲章には、憲法改正への言及はない。1975年の立党20年に際しては、綱領・政綱の見直しが2回試みられた。一つは1974年11月に党綱領委員会がまとめた新綱領草案であり、もう一つは党政綱等改正起草委員会によって1975年11月に示された新政綱草案である。前者は憲法改正に触れていなかったため、改憲派からの異論が強く決定は見送られた。後者はその前文、に「国民の合意を得て現行憲法を再検討する」と入れた。改憲派は「再検討という表現では弱すぎる」と批判し、これも頓挫(とんざ)した。 立党30年に当たる1985年には、4月に党政綱等改正委員会が設置された。同委員会は10月に新政策綱領の原案を明らかにする。そこでは、「絶えず厳しく憲法を見直す努力を続ける」と記された。政綱にある「現行憲法の自主的改正」という表現は削られたのである。改憲派は猛反発し、新政策綱領でその文言が復活する。 1995年の立党40年のときは、前年発足の党基本問題調査会が党綱領などの見直しに着手する。憲法問題をめぐって護憲派・改憲派の問で激しい綱引きがなされた。その結果、1995年3月の党大会で決定した新宣言ではこうなった。「21世紀に向けた新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民と共に議論を進めていきます。」 ついに、「現行憲法の自主的改正」が党の公式文書から消えた。「党是」ではなくなったのである。 しかし、立党50年に至って扱いは逆転する。2004年9月に新理念・綱領に関する委員会がつくられた。当時の安倍晋三幹事長がその職を辞するまで委員長を務めた。そこで詰められた新綱領が、2005年11月の立党50年記念党大会で発表された。その第一項は「私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます」と誓っている。 ところで、自民党は立党からこれまで5種類の党史を刊行している。最新のものは、安倍総裁下で2006年に出された『自由民主党五十年史』である。同書で、立党時を記述した節は「憲法改正を党是に」と題されている。それ以前の4種類の党史にはなかったタイトルだ。安倍史観というべきか。 憲法改正をめぐっては激しい党内対立があった。なのに、憲法改正を立党当初からの「党是」と言い張るのは虚偽とまでは難じないが、神話に近い。あるいは、首相が忌み嫌う「レッテル貼り」だろう。にしかわ しんいち・明治大学教授2016年3月18日 「週刊金曜日」1080号 10ページ「西川伸一の政治時評-『改憲は党是』なのか? 違いますよ、安倍首相」から引用 私たちの目には、自民党といえばイコール憲法改正というイメージが定着していますが、実際には自民党の中にも、憲法は変えないほうがいいという良識派が存在して、改憲派を押さえ込むために努力していたというのは、大変貴重な情報です。多くの自民党支持者の中にも、経済政策の面から自民党を支持するが、憲法改正には必ずしも賛成ではないという有権者は多いのではないかと思います。そういう人たちとも連携して、改憲反対の声を大きくしていきたいものです。
2016年03月31日
元ワイドショー・プロデューサーの仲築間卓蔵氏は、放送法を根拠に偏向報道を行った放送局を「停波」処分できるとする高市総務相の発言の誤りについて、13日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 「放送」についての二つの集会に参加しました。一つは「政権べったり報道やめろ!NHK籾井会長NO! NHKは視聴者・市民の芦を聴け」(4日)です。前NHK経営委員長代行・上村達男早稲田大学教授と砂川浩慶立教大学准教授の講演、SEALsをはじめとする全国から駆けつけた11人のリレートーク。僕も、マスコミ9条の会の一員として「政治の流れを変えて言論・表現の自由を守ろう」と発言しました。 もう一つは、7日に開催された「12・6(秘密保護法強行採決)を忘れない6の日行動・安倍政権の『メディア規制』を許さない!」シンポジウムです。弁護士・海渡雄一、田島泰彦上智大学教授、新聞労連・新崎盛吾、民放労連・岩崎貞明の各氏が報告。いずれの会場も満杯です。高市早苗総務相の”電波停止”発言への波紋の大きさがうかがえます。 メディア当事者はどうか。5日の「報道特集」(TBS系)は、放送法を根拠にメディアを支配しようとしている高市総務相の誤りがどこにあるか、放送法の立法時(1950年)にさかのぼってひもときました。 当時の国会審議では、電波庁網島毅電波監理長官が、「政府は放送番組に対する検閲・監督等は一切行わない」と答弁。48年に逓信(ていしん)省が作成した放送法審議のための想定問答集「放送法質疑応答録案」では、放送内容に干渉してはならない理由が書かれていました。 「放送番組に政府が干渉すると、放送が政府の御用機関となり、・・・戦争中のような恐るべき結果を生ずる」と。立法の目的は、放送から政府の干渉を一切排除することだったのです。 戦後の放送の歴史は、戦前の国策放送への反省から出発しました。メディアが沈黙したら終わりです。味方につけるのは市民です。(なかつくま・たくぞう=元ワイドショー・プロデューサー)2016年3月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-権力に沈黙したら終わり」から引用 この記事が示すように、放送法は「言論・報道の自由」を守るために、放送内容に政府が干渉することのないようにとの目的で制定されたものです。また、政治活動というものは、様々な立場から多様な意見が存在するもので、その中の多数派が主体的に政策を実行すれば、当然他のグループから批判は出るのが普通ですから、そのような状況を報道するに当たって、その報道内容が「中立公正か、偏向しているか」を一方の当事者である政府に判断することはできません。したがって、総務相といえども報道内容を評価したり、偏向かどうかを判断することはできませんから、なおさら「偏向している場合は処分する」などということは「暴挙」以外の何ものでもありません。 ところが、世の中には権力におもねる輩というものがいて、「放送法第4条には、放送が政治的に公平であることと書いてあり、第174条には、この法律に違反した場合は放送業務停止を命ずることができる、と書いてあるから、偏向報道があった場合は電波を停止させられるのは当然だ」などという下手な三段論法を弄するものがおりますが、これは全くの詭弁です。放送法第4条は倫理規範であって、これを根拠に行政が放送事業者を処分することができないのは、上の記事からも明らかです。では、どのような場合に第174条で処分されるのか、それは放送法に定められている様々な(倫理規定以外の)規則、放送事業者は番組審議機関を設置しなければならないとか、真実でない事項の放送によって権利の侵害を受けたという訴えがあった場合は3ヶ月以内に調査を行って必要な場合は訂正放送をするというような規則に違反した場合は、このような問題は総務相が適切に判断できる事項であり、そういうケースに第174条が適用されるということです。しかし、放送内容には総務相は介入できない、これが常識というものでしょう。
2016年03月30日
自衛隊が市民運動を監視するのは違法であるという判決が確定し、国が原告に損害賠償金を支払うことになったと、13日の「しんぶん赤旗」が報道している; 陸上自衛隊情報保全隊が市民運動を監視したのは違法だとして、国に原告1人に対する損害賠償を命じた仙台高等裁判所の判決(2月2日)が確定しました。国が上告を断念したためです。判決確定の意義を原告弁護団事務局長の小野寺義象(よしかた)弁護士に聞きました。(宮城県・佐藤信之記者)◆「憲法13条侵害」を認定 自衛隊による憲法違反の人権侵害を正面から認めた画期的な勝利判決が確定しました。自衛隊が違法に国民を監視していることが、動かぬ事実になりました。 判決では、自衛隊が本来知り得ない実名や職業をひそかに遺跡調査していたことは、憲法13条(個人の尊重)で保障されたプライバシー権を侵害するとして、国に原告の男性1人に損害賠償として10万円を支払うよう命じました。 判決は、自衛隊の内部文書にあった「医療費負担増の凍結・見直し」「国民春闘」「年金改悪反対」などの街頭宣伝や「小林多喜二展」などの記載についても、情報収集の「必要性を認め難い」として、監視活動に歯止めをかけました。 私たちは、この勝利判決を力に、国に違法な監視行為をしてきたことの説明と謝罪、違法に収集された個人情報の抹消、監視活動の中止を強く求めていきます。中谷元・防衛相にも要請書を提出しました。安倍政権の「戦争法」を食い止めるたたかいにとっても大きな武器になると思っています。◆自己情報の権利確立を この判決は画期的ですが、人権保障からみて重大な弱点もあります。自衛隊が武力行使を任務とする権力機関であるという本質についての認識が欠如し、情報収集を容認していることです。 控訴審の最終段階で、原告が証拠書類として提出した「陸上自衛隊情報部隊の教範(教科書)」(日曜版編集部が情報公開請求で入手した陸上幕僚監部の教科書)には、自衛隊の情報部隊の究極の目的は、「作戦阻害勢力」を「無力化」することだとあります。 「無力化」とは、反対運動をなんらかの手段で抑圧することでしょう。憲法が定める「集会・結社・表現の自由」(憲法21条)の重大な侵害です。 一審判決は国などがどんな自己情報を集めているかを知り、不当に使われないように関与できる「自己情報コントロール権」を認めました。しかし、二審判決は「法的保護に値する権利としての成熱性を認め難い」と切り捨てるなど、人権保障の発展に逆行する判断をしています。年金情報の流出事件などで個人情報保護が問題にされるなか、自己情報コントロール権は認められるべきです。 これらの弱点があったため、仙台地方裁判所で勝利した4人が敗訴になりました。監視の差し止めも認められませんでした。最高裁で正さなければなりません。この4人を含む75人が2月15日、上告の手続きをしており、たたかいは最高裁に移ります。全国からの支援を引き続きお願いします。【自衛隊国民監視差し止め訴訟】 自衛隊イラク派遣に反対する市民運動を自衛隊が監視していたことが、日本共産党が公表(2007年6月)した陸上自衛隊情報保全隊の内部文書で発覚しました。監視された東北6県の住民が、監視の差し止めを求め訴えたものです。一審の仙台地裁は12年3月、原告5人に対する違法性を認めましたが、差し止め請求は却下。原告、国の双方が控訴しました。控訴審では、元情報保全隊長や情報保全室長の証人尋問を実現。16年2月2日、国に原告1人ついて賠償を命じる判決を下しました。2016年3月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ「自衛隊の違法な市民監視に待った」から引用 この裁判では、情報公開の制度が国民の人権を守るために大きな力を発揮したことが分かります。それにしても、自衛隊は国を守ると言いながら、実は自分たちの作戦を実行する上で行動を阻害する勢力が国民の中にもいるという発想を持っているということは、自衛隊が戦前の日本軍と同じ行動原理を持つことを示しています。司馬遼太郎が体験したところでは、彼は敗戦の直前に東北の内陸部に駐屯する陸軍にいて、太平洋岸に米軍が上陸しそうになったら、これに応戦するために戦車で海岸に移動すると上官に告げられたとき、「そうなれば、海岸付近の住民は大挙して逃げてくるはずだから、戦車の通行の妨げになるのではないでしょうか」と尋ねると「逃げてくる住民をひき殺してでも、戦車を海岸に移動することが優先だ」と言われ、「これが軍隊の本質だ、国民を守るなどというのは幻想に過ぎないと悟った」と書いている。自衛隊の活動によって国民の権利が侵害されることのないように、上告審でもしっかり闘ってほしいと思います。
2016年03月29日
世論調査でアベノミクスを評価しないとの回答が50%になったことについて、ジャーナリストの阿部裕氏は、6日の「しんぶん赤旗」コラムで、次のように述べている; アベノミクスを「評価しない」50%、「評価する」31%-。2月29日付「日経」の世論調査です。テレビ東京との合同調査。同様の調査で「評価しない」が5割に達したのは、昨年2月以降、初めてです。 来年4月の「消費税増税」についても「反対」(58%)が「賛成」(33%)を大幅に上回りました。日銀のマイナス金利を「評価しない」(53%)が「評価する」(23%)の倍以上という結果です。 この結果には、経営者や経済人、ビジネスマンなどが主な読者層の「日経」でさえ、「安倍政権の高い支持率の要因といわれた経済運営にも懐疑的な見方が広がっている」(同29日付)と指摘せざるをえません。 というのも、すでに先月半ばに発表されたGDP(国内総生産)は実質マイナス1・4%(昨年10~12月、年率換算)でした。 最大の要因は個人消費の落ち込み。GDPの約6割を占める個人消費は前期比0・8%減少しました。 この個人消費減少の最大の要因は実質賃金の減少。昨年の実質賃金は前年比0・9%減で4年連続のマイナスです。 「東京」(同19日付)は「内閣府は昨年末、日本の一人当たりのGDPが3万6230ドルで、経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国中20位だったと発表しており、楽観視できない」と指摘しています。 第2次安倍政権発足以来の経済運営がもはや大失敗したことはだれが見ても明らかです。雇用破壊、消費税増税、物価上昇・・・。「好循環」どころか、負のスパイラルからの出口が見えません。 しかし安倍晋三首相は国会で「ファンダメンタルズ(基礎的条件)は良好であり、その状況に変化があるとは認識していない」などと現実を直視しない答弁に終始。「”アベ経済”を許さない」-もはや、野党の選挙協力で政権交代するしか、経済苦境から脱出する道はないようです。(あべ・ひろし=新聞ジャーナリスト)2016年3月6日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-アベノミクスは大失敗」から引用 企業経営者や経済人が主な読者である日本経済新聞が、アベノミクスへの懐疑的な見方が広がっていることを認めたというのは、深刻な事態ではないかと思われます。財界の全面的なバックアップでやってきた自民党政権がだめなら、次の受け皿は野党です。労働組合や市民団体などの広範な支援組織の立ち上げが急務です。
2016年03月28日
高市大臣が、放送法第4条違反で放送免許を取り消すという事態が、自分の在任中にあるとは思わないが、将来にわたって絶対ないとは言えないと、暗に「放送法第4条を根拠に停波命令を出すことがある」と答弁した問題について、抗議するジャーナリストが記者会見を開いたと、6日の「しんぶん赤旗」が報道している; 高市早苗総務相が、「政治的公平」を理由として放送局に電波停止を命じる可能性に言及した問題で、テレビのキャスター、コメンテーター有志が2月29日、東京都内で抗議の記者会見をしました。 会見したのは、「NEWS23」(TBS系)アンカーの岸井成格(しげただ)氏、「報道特集」(TBS系)キャスターの金平茂紀氏、ジャーナリストの青木理(おさむ)氏、大谷昭宏氏、田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏の6人。呼びかけ人にはジャーナリストの田勢康弘氏も名前を連ねています。◆過剰な同調圧力 抗議アピールのタイトルは、「私たちは怒っている」。「放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない」と指摘。その上で、「所管大臣の『判断』で・・・行政処分が可能であるなどという認識は、『放送による表現の自由を確保すること』『放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること』をうたった放送法(第一条)の精神に著しく反する」と厳しく批判しています。 青木氏は、「黙ってはいられない、という思いでここに来た。このままではジャーナリズムの原則が根腐れしかねない」。大谷氏は、「週末、被災地に入っているが、メディア、特にNHKへの不信感はすごい」と。 岸井氏は、「『政治的公平』は権力側が判断することではない。権力側の言うことだけを流していれば、国民の知る権利を阻害することになる」と強調しました。 田原氏は「発言に全テレビ局が抗議すべきなのに、放送すらしていないところが多い。これでは政府側は図に乗る」とテレビ局の姿勢をただしました。 アピールは、「自主規制、付度(そんたく)、萎縮が放送現場の『内部から』拡(ひろ)がることになっては、危機は一層深刻である」と、現在のテレビ報道を取り巻く環境の「息苦しさ」についても述べています。記者会見では、それを裏付ける現場の声が紹介されました。 「気づけば争点となる政策課題を取り上げにくくなっている。街頭録音で政権と同じ考えを話してくれる人を何時闇でもかけて探し、放送している」とは、在京放送局の報道局若手社員。 金平氏は、「2015年の世界の報道の自由度ランキングでは、日本は61位。自主規制や過剰な同調圧力が、今ぐらいまん延していることはないんじゃないか。そこに風穴を開けたい」と言います。◆権力とたたかう 鳥越氏は、「これは政治権力とメディアとのたたかい。自民党といえどもここまで露骨にメディアをチェックし、けん制してきた政権はない。政権をチェックするはずのメディアが逆にチェックされている。(同じ思いの)人が手をつないで下から変えていくしかない。(現場から)反転攻勢を」と呼びかけました。2016年3月6日 「しんぶん赤旗」日曜版 2ページ「総務相『停波』発言に抗議」から引用 「言論・報道の自由」は、わが国憲法の保障するところであって、実際にラジオやテレビの放送内容に国家権力が介入することのないようにとの配慮から制定されたのが放送法です。権力の介入を排除するからには、自分たちで偏向報道のないように気をつけていくべきだという主旨の倫理規範が「第4条」なのであって、したがって、この「第4条」には当然のことながら罰則規定はありません。にも関わらず、この倫理規範を法規範であるかのように言いつのり、これを根拠に放送局を処分する権限があるかのように言うのは、明らかに報道に対するどう喝であり、これを許しておけば、わが国のすべての放送局は、某隣国のあの放送局のようになってしまうほかありません。総務相が倫理規範を根拠に放送局を処分する権限があると主張するのは、試合中のライトの選手がいきなり「私には審判を処分する権限がある」と言い出すようなものですから、こういう「選手」とその「チーム」には、次の選挙で我々国民が、相応の「処分」を下すべきだと思います。
2016年03月27日
自民党の稲田議員は、「サンデー毎日」の記事によって名誉を傷つけられたとして裁判に訴えたが、一審敗訴となったと11日の朝日新聞が報道している; 「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と近い関係にあるかのような記事で名誉を傷つけられたとして、稲田朋美・自民党政調会長(57)が週刊誌「サンデー毎日」の発行元だった毎日新聞社に慰謝料など550万円と謝罪記事の掲載を求めた訴訟の判決が11日、大阪地裁であった。小池明善裁判長は「論評の域を逸脱しない」と判断し、稲田氏の請求を棄却した。 同誌は2014年10月5日号で「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」と題する記事を掲載。稲田氏の資金管理団体に献金した人の中に在特会幹部とともに活動する人が8人いると指摘し、「在特会との近い距離が際立つ」などと書いた。判決は、この内容は真実で公益性もあると認定。表現も真実にもとづく論評であり、稲田氏への攻撃を意図したものと読み取ることはできない、と述べた。(阿部峻介)2016年3月11日 朝日新聞デジタル 自民党の稲田議員は本職が弁護士なのだから、少しまじめに勉強すれば、どういう裁判なら勝てるしどういう裁判は負けるとか、だいたい見通しがつくものではないかと思うのですが、稲田氏が関与した裁判は、南京大虐殺は無かったと主張する人物の弁護を担当したり、「百人斬り競争は虚構だ」と主張する者たちの弁護を担当したり、結果はことごとく敗訴になっている。そういう弁護士なのだから、世間では誰でも、稲田氏なら在特会と親密な関係にあるだろうことは容易に想像がつくのであって、「サンデー毎日」にそんなことを書いた記事が出たところで、今さら名誉毀損などあるわけがないのであって、原告敗訴は当然の判決であったと考えられます。 また、この度の判決は、与党の要職にある議員が在特会のような団体と親密な関係にあるという事実を報道することは公益に資するもので、議員のイメージを傷つけるから書いてはならないというわけにはいかない、と明確に言及している点が、大変良かったと思います。
2016年03月26日
若者の就職難が続く韓国では、貿易協会が日本に就職するように呼びかけていると、1日の産経新聞が報道している; 就職難にあえぐ韓国の若者の日本への就職を支援しよう-。韓国貿易協会は、深刻化する若者の就職難を受け、こんな方針を打ち出した。韓国・聯合ニュースが伝えた。 同協会は、すでに26日に日本の就職情報会社マイナビ、韓国の求人情報サイトのジョブコリアと業務協約を結び、ソウルで「日本就業成功戦略説明会」を開催。今後は日本での就職を希望する求職者に役立つ教育を行うほか、7月には日本企業を招き、採用博覧会を開催する予定という。 韓国統計庁によると、韓国の昨年の失業率は3.6%で、最近では2010年(3.7%)に次ぐ悪さだった。 特に若年層(15~29歳)の失業率は9.2%と、前年から0.2ポイント悪化し、1999年に統計の基準が変更されて以来の高さとなった。2016年3月1日 産経ニュース 「『韓国の若者よ、日本で就職しよう!』韓国協会が支援方針」から引用http://www.sankei.com/economy/news/160301/ecn1603010031-n1.html わが国は少子高齢化の影響からか、保育園を増やそうにも保育士が足りないとか高齢者介護もヘルパーの人材が不足とか、求人難が言われているところですので、労働力の不足という問題を抱えるわが国にとって、韓国から職を求めてやってくる若者には期待がかかります。古くからわが国は、大和朝廷の成立や律令国家の構築などの際に朝鮮半島からやってきた渡来人の貢献に助けられた経緯もあるわけで、これからも、朝鮮半島と日本列島の人的交流が極東アジアの繁栄に貢献するものと思います。
2016年03月25日
子どもの権利条約ネットワーク事務局長で東洋大学助教の林大介氏は、高校生でも18歳になれば選挙権を持つことになったことに関連して、6日の東京新聞コラムで次のように述べている; 18歳選挙権時代が始まった。高校生の校外での政治活動について学校への届け出を容認した文部科学省の意図を解説した「『校外での政治』届け出制容認」(2月3日、24面)、都道府県教育委員会などに届け出の有無を調査した「高校生の主権 規制」(21日、1面)は、高校生が政治活動を行うことを萎縮させる危険性について取り上げている。政治家、PTA、保護者らの高校生を取り巻く環境にいる大人が、高校生の政治活動をどう考えているのかも取り上げてほしい。政治教育や主権者教育は学校だけが担うのではない。社会全体が高校生の政治活動や政治教育に関心を持つよう働きかけることが大事で、文科省や教委を一方的に批判するだけでは不十分だ。 もちろん「高校生の声 私たちも主権者」(22日、1面)のように、高校生の声を取り上げることは意義がある。しかし「シールズ高校生版に対抗? 高校生未来会議 どんな組織」(10日、26面)はアンフェアな印象を受けた。私自身、この未来会議にゲスト参加したことがあるが、少なくとも記事にある「首相シンパの団体」「保守派の対抗策」とは感じていない。記事では遠方の参加者に交通費を支給していることを批判的と取れる形で取り上げているが私が所属している団体でも、イベントに参加する中学生や高校生への交通費負担を極力行うようにしている。資金的に厳しい高校生に負担を求めれば、高校生の政治活動を逆に萎縮させるのではないか。事務局団体がこの記事を批判しているのを読んだが、きちんとこの団体を取材したのか疑問を抱いた。(後半は省略)2016年3月6日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-社会全体で主権者教育を」から引用 高校生の政治活動を学校に届け出させるというのは、高校生を政治から遠ざけることになるので、選挙権を18歳に引き下げた意味がなくなります。選挙権を与えたからには、選挙権行使に伴う責任は当の高校生本人が負うものであって、学校や教委が口出しする問題ではないはずです。高校生の自主的な政治活動を阻害する「学校届け出制」はやるべきではないと思います。また、この記事が言及している「高校生未来会議」は、果たして「首相シンパの団体」なのか、それとも純粋に高校生の主権者教育を買って出たボランティア団体なのか、今後のなりゆきが注目されます。
2016年03月24日
先月21日に東京、大阪、仙台などで高校生のグループが安保関連法に反対するデモを行ったことについて、2月22日の東京新聞は、次のように報道した; 安全保障関連法に反対する高校生グループと、沖縄県名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設に反対する市民らが21日、それぞれ全国各地で抗議行動を繰り広げた。18歳以上への選挙権年齢引き下げを受け、高校生たちは「私たちも主権者だから声を上げます」と訴えた。 安保関連法に反対する高校生グループ「T-ns SOWL(ティーンズ・ソウル)」のデモは、東京・渋谷や大阪、仙台などであった。名古屋でも高校生がスピーチをした。 渋谷では中高生ら約5千人(主催者発表)が参加。都立高2年あいねさん(16)は先導する車の上から、高校生の校外での政治活動について学校への届け出制とするのを文部科学省が容認したことに言及。「小さな積み重ねがこの国の民主主義をつくっていくから、私は縛られずデモに行くし、政治について日々考えていく」と主張した。 西東京市から練馬区にかけて中高生が企画した「反戦パレード」もあった。安保法に反対する市民ら約百人が「子どもを守れ!」などと訴えながら、住宅街を練り歩いた。2016年2月22日 東京新聞朝刊 1ページ「高校生の声 『私たちも主権者。安保法反対』」から引用 70年代初めの全共闘運動が崩壊した後の約40年間、この国に学生運動がなかったのは少々異常な事態でしたが、政治が徐々に右傾化する中で、これではいけないと立ち上がる若者のグループが出てきたのは大変喜ばしいことです。先に立ち上がった者たちが、周りの若者に呼びかけて、政治に無関心ではいけないという意識を高めていってほしいと思います。
2016年03月23日
安倍政権がやっている政治とは、どのようなものであるか、法政大学教授の山口二郎氏は6日の東京新聞コラムに、次のように書いている; もうすぐ野球シーズンが始まる。日本野球界には、チームアべという史上最強といわれるチームが殴り込みをかけるそうだ。最強といっても、ダルビッシュのような好投手、イチローのような好打者をそろえているわけではない。 このチームの強さは、自分たちの都合の良いように審判を入れ替え、必要とあればルールまでもねじ曲げるところにある。われわれの常識では、アウトをアウト、セーフをセーフと判定するのが公平な審判のはずである。 しかし、チームアべは、ノーコンのアべ投手が投げる球をことごとくボールと判定すると、不公平な審判なのだと騒ぎだす。ライトを守るタカイチさんは、なぜか審判のライセンスを認定する審査機関の親玉でもあるそうだ。そんな彼女は、私に逆らう審判は不公平なので、ライセンスを剥奪(はくだつ)することもあると言い出した。最近の審判は意気地なしばかりで、モミーとかいう下品なオヤジは、アべ投手がストライクだと言い張る球を審判であるわれわれがボールと判定することはできないとまで言っている。 フェアはファウルでファウルはフェア。まさしくマクベスに出てくる魔女のささやきだ。ファウルとフェアの区別がつかなくなったマクベスは自滅の道をひた走った。マクベスの命運は、まさに日本球界の将来を暗示している。(法政大教授)2016年3月6日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-史上最強?チーム」から引用 このパロディは、いちいち思い当たる節があり、あの件はこういうことだったのかと「納得」もいくから面白い。しかし、現実の政治をこういう冗談みたいな調子でやられたのでは、いくら日本に余力があっても、そのうちだんだん民主主義がねじ曲げられて、気がついたときにはとんでもないことにもなりかねない。心ある市民のみなさんには、こういうことをやっていていいのか、よく考えてほしいものである。
2016年03月22日
安倍首相が憲法改正について積極的な発言をしていることを、6日の東京新聞は「首相の真意は分からない」などと、戸惑ったような報道をしている; 安倍晋三首相が改憲について具体的な発言を繰り返している。戦力の不保持と交戦権の否定を定めた憲法9条2項を変える必要性に言及し、集団的自衛権の全面容認や首相在任中の改憲を目指す可能性にまで踏み込んだ。与党からは、世論の割れる改憲に首相がこだわりすぎれば、夏の参院選にマイナスの影響を与えないかと懸念する声も出ている。(新開浩) 首相は1、2日の衆参両院の予算委員会で、改憲に相次ぎ言及した。1日は自民党が野党だった2012年にまとめた改憲草案が、9条2項を変え集団的自衛権を認める内容とする点について「国際法上持っている権利は行使できるとの考え方」と、改憲による行使容認の必要性を強調した。2日には改憲の時期について「私の在任中に成し遂げたい」と意欲を示した。 首相発言の背景については「参院選で勝負をかけるということ」「聞かれたから答えただけ」などと、さまざまな見方が出ている。自民党の谷垣禎一幹事長は4日の記者会見で「首相はいろんな野党の出方をかなり意識し球を投げている」と分析した。民主、維新、共産、社民、生活の5野党は参院選の候補者一本化など連携を模索しているが、改憲では温度差が大きい。首相は将来、野党の改憲勢力から協力を得ることも念頭に置き、当面の野党連携の分断を狙ったというのが谷垣氏の説明だ。 首相の真意は分からないが、国民に理解が広がっていない改憲を前面に出す姿勢には与党に異論がある。 自民党の山東昭子党紀委員長は4日の役員連絡会で「参院選前に不適切だ。マスコミや野党に首相が9条を変えたいと喧伝(けんでん)される」と指摘。伊達忠一参院幹事長も記者会見で「改憲は参院選の目玉ではない。経済から始まり、憲法は最後の付け足しだ」と、経済に重点を置いた政策論争への転換を促した。 自民党と連立を組む公明党の井上義久幹事長は記者会見で「参院選で改憲が争点になることは考えていない」と、けん制した。2016年3月6日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「首相改憲発言 具体的に」から引用 安倍晋三という政治家は多少ずるい計算をするという性質を持っているにしても、こと憲法改正については、彼は正直な気持ちを述べていると、私は思います。国民の間に憲法改正について理解が広がっていようといまいと、そんなことはどうでもよくて、とにかく「憲法改正をやったのはオレだ」と、歴史に名を残したい一心で、彼は行動しているのであって、その辺を私たちは正確に認識するべきで、東京新聞もこの重大な局面を正確に報道するべきです。山東議員は「首相が9条を変えたいと喧伝される」と心配しているらしいが、この議員は少しアタマがおかしいのではないでしょうか。9条を変えたいというのは、安倍首相の本心であることを、自民党員である山東議員が知らないわけがありません。しかし、選挙前にそういう発言は不適切だというのは、どういう理屈なのか、まったく疑問です。選挙前だからこそ、日頃考えている本音をとことん主張してもらって、有権者もその本音を聞いて、どの候補に入れるかを考えるべきです。
2016年03月21日
わが国最大の自動車メーカーであるトヨタは2年連続で大幅な黒字であるにも関わらず、今年のベースアップは昨年の半額になったとつい最近報道されましたが、企業が黒字でも労働者の収入増加につながらない事情について、労働運動総合研究所・顧問の牧野富夫氏は、2月14日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いている; 大企業は2年連続で史上最高の利益を更新し、内部留保はついに300兆円を突破しました。他方で賃金は実質減少、社会保障も改要され、消費税増税などで労働者・国民の暮らしは一段と苦しくなっています。今春闘での大幅なベースアップ(ベア)や労働条件の抜本改善は当然です。 にもかかわらず、財界・経団連は春闘方針(経営労働政策特別委員会報告、以下「報告」)で、なるべくベアを回避し、一時金や手当など今年だけの出費で済むよう、わずかな賃上げでお茶を濁す算段です。 「報告」はまた、「残業代ゼロ法案」の早期成立を政府に迫り、改悪労働者派遣法の企業による徹底利用も追求しています。さらに社会保障では「重点化・効率化など、制度改革の断行を強く求める」という言い回しで、実は制度改悪を政府に働きかけています。ここにいう「重点化・効率化」とは社会保障の「絞り込み・手抜き」にはかなりません。 なぜ骨までしゃぶるような財界の春闘方針になったのか。安倍晋三首相が日本を「世界で一番企業が活動しやすい国」にしたいと公言するなど、ほんらい財界・大企業の利潤極大化に向けた暴走を規制すべき立場にある政府が、財界との二人三脚で自身も暴走しているからです。自民党政権といえども、財界・大企業のために政治をやるなどと公言するような首相は前代未聞です。 「二人三脚」といってもリードの声は財界がかけています。それは安倍政権の「新3本の矢」が、経団連ビジョン「『豊かで活力ある日本』の再生」(15年1月)のコピーであることからも明らかです。榊原定征経団連会長は「報告」の序文で、「(新3本の矢は)経団連ビジョンで提示した、2030年までに目指すべき国家像と多くの面で一致しており、政・官・民が総力を結集して果敢に取り組んでいくことが望ましい」と満足げにのべています。 大幅賃上げは春闘の花。それを抑え込もうと経団連はあれこれ手を打っていますが、その「哲学」は「パイの理論」です。これは、賃金を上げるにはパイを大きくしなければならないとして、労使協調による「生産性向上」に労働者を誘い込むもの。その実、大きくしたパイは企業・資本がほとんど独占し、労働者にはボーナスや手当を少々増やす程度でごまかそうとする、搾取強化のエセ「理論」なのです。 こんな「パイの理論」も高度成長期には労働者に一定の真実味を感じさせました。というのも実際に2ケタの賃上げが続いたからです。しかし、それは経済成長の自動的な結果ではなく、労働組合がストライキを構えて果敢に企業・財界・政府とたたかい、もぎ取ったものです。 労働者がたたかわなければ賃金は大きく上がらない、ということです。反戦争法の国民的な運動などとも連帯してたたかいを強め、ぜひ大幅ベアほか春闘の諸要求を実現しましょう。<牧野富夫>(まきの・とみお 労働総研顧問)2016年2月14日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済これって何?-史上最高益でも賃上げ抑圧」から引用 安倍首相といえば、経団連との会談で「労働者の賃金を上げてほしい」などと発言して、「なるほど、デフレ脱却には国民全体の消費活動を活発化する必要があるから、首相も一生懸命なのだな」などと思わせたりしてのでしたが、実はあれは、只の人気取りのためにやったスタンドプレーに過ぎず、実際のところは、経団連から政府側に「残業代をゼロにする法律を早く作れ」とか「社会保障の企業負担をもっと減らせ」というような、不当な要求が突きつけられているのであって、国から政党助成金を受け取っておきながら、企業からも献金を受け取る、いわゆる「二重取り」をしている自民党としては、財界にはアタマが上がらない、そういう政党が与党の政府なのだから、労働者のための政治などできるわけがありません。やはり、労働者の生活が保障され、安心して消費にお金を回せる世の中にするには、国会の共産党の議席をもっともっと増やす必要があります。共産党の政権を作れれば一番ですが、そこまでやらなくても、共産党の議席が一定数になれば、アタマの回転が速い人材が多い政府や経団連は、国民の意志を素早く察知して必要な政策を進めてくれるはずです。
2016年03月20日
先月の安倍政権打倒に向けた野党合意について、弁護士の白神優理子氏は2月28日の「しんぶん赤旗」コラムで、次のように述べている; 民主、共産、維新、社民、生活の野党5党は19日の党首会談で、安保関連法(戦争法)廃止や集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を共通目標に、安倍政権打倒に向け国政選挙の選挙協力を合意しました。メディアはどう伝えたのか-。 22日の共産党の志位和夫委員長の記者会見をNHKは3回(ローカル含め)にわたり放送。「東京」23日付は1面で「野党共闘 反安保法公約が条件」と伝え、反響の大きさを示しました。 一方、「産経」(20日付)は「国の安全損なう『連帯』だ」「中国や北朝鮮の動向には目をつむり、早々と参院選向けのスローガンづくりに精を出している」と「脅威」をあおるだけで、合意の中身について言及せず。「読売」(20日付)も「野党 自民封じ最優先」の見出しで「消費増税や憲法改正への賛否など主要政策では立ち位置が大きく異なり、『野合』批判は免れそうもない」「『1強』自民への対抗策が見当たらないため」と論じます。 一部メディアが「野合」だと報じていることは大きな誤りです。憲法違反の戦争法が国民の声を無視し押し切られた今、私たちが直面するのは「再び戦争する国になるのか」「立憲主義をやめるのか」という国の土台の問題です。その一致点での共闘であり、決して「野合」などではありません。 民主党の枝野幸男幹事長は22日、「(5党は)立憲主義、民主主義、国民生活の危機感を共有できており、参院選の大きな争点だ」とのべました。しんぶん赤旗(20日付)は「主張」で「(5党合意は)安倍政権の暴走を止めたいと願う国民世論を受け止めたものです。立憲主義を取り戻す国民のたたかいの前進のための画期的な合意」と強調しています。 報道の原点は「権力監視」。現政権の憲法破壊に対する最も重大な「権力監視」を怠り、憲法を守れという国民や野党の努力をやゆするのでは報道機関として失格です。(しらが・ゆりこ=弁護士)2016年2月28日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-野党合意『野合』評の誤り」から引用 産経や読売が野党合意を「野合」だと揶揄するのは、それだけ自民党にとっては脅威だということを示している。実際にどの程度脅威なのかは定かではないにしても、このような野党の結束がある程度自民党にダメージを与えるのは確かことであろう。それにしても、本来の報道機関の役割は、与党の動向を周知するのは当然であるが、野党についても、憲法観や経済政策に差異のある野党が何故今回、このような「合意」を必要としたのか、それはどの程度有効と思われるか、そのような議論には踏み込まず、「野合」のレッテルを貼って終わりというのは、やはり報道機関としては失格である。
2016年03月19日
中谷防衛相がテレビ番組で憲法9条の改変に意欲を示したと、2月28日の東京新聞が報道している; 中谷元・防衛相は27日、テレビ東京番組の収録で将来的な憲法9条の改正に意欲を示した。「自衛隊の存在も意見が分かれる状態だ。国の安全保障の基本的なところは国民が分かりやすいように制定すべきだ」と述べ、自衛権の明記を求めた。 同時に「具体的な改正案は各政党で議論して提案すべきだ。時間をかけて丁寧に議論し、どうするかを決めるべき問題だ」とも強調した。 自民党の谷垣禎一幹事長はBS朝日番組で、9条改正について「変えた方がいいと思うが、今まで日本は一度も改憲したことがなく、いきなり難しい項目に取り組むのは無理だ」と慎重な姿勢を示した。 柴山昌彦首相補佐官は27日午前のテレビ朝日番組で、戦力不保持を定めた9条2項について「憲法学者にも自衛隊の存在がおかしいと述べる人がいるような条文は、分かりやすく改める必要がある」と述べた。 同日午後の埼玉県川越市での講演では、自衛隊と9条2項の関係について「国内では(政府解釈で)軍隊でないと言っても、海外では軍隊として扱われる。残念だが、国民をいわば欺いているのが実態だ」と述べた。2016年2月28日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「『自衛権明記を』9条改憲に意欲-テレビで防衛相」から引用 中谷防衛相は憲法改正について「時間をかけて丁寧に議論」するべきだと発言しているが、自民党は戦後の結党以来長い時間をかけて憲法改正を呼びかけてきており、すでに70年間も時間をかけてきたが、未だに衆議院で3分の2を超す議席を得ることができずにおり、この間、自民党は憲法改正や増税を議論するたびに得票数を減らすという経験をしており、こういう問題に関する議論には慎重だったのであるから、このような経緯から、国民の意向は明らかになったと判断するべきである。戦後70年間、幸いにして自衛隊は国防のために武器を持って活動するような機会は無かったのであるから、政府は平和国家としての路線に自信を持って、軍事部門は実情に合わせて縮小していくべきで、最終的には自衛隊は「災害救助隊」に改組するべきである。
2016年03月18日
米国コロンビア大教授のキャロル・グラック氏は、慰安婦問題に関する日韓両国政府の合意について、2月28日の東京新聞に次のように書いている; 昨年12月末の慰安婦問題をめぐる日韓両国の合意は、両政権の政治的な戦略に基づいたものだった。 事前に元慰安婦の声を十分に聞いたとは言えないし、安倍晋三首相は直接、元慰安婦に謝罪をしていない。首相はこれまで、演説などで女性の人権の大切さに言及しても慰安婦問題には直接触れない。女性の人権と慰安婦問題を分けて考えているのだろう。これも政治的な技法だ。 日韓両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を強調しても、これで終わると考えるのは無意味だ。記憶し、記憶されなければならないという市民らの動きは、政府間の合意に関係なく続いていくだろう。 今、戦争に関する共通の記憶が、世界的な文化となっている。欧州では1960年代になって、ナチスによるホロコーストの被害が裁判で証言された。90年代には韓国の元慰安婦が声を上げた。犠牲者が語ることで加害者も語り始め、戦争中に何が行われていたかが明らかになり、歴史の見方が大きく変わった。 政府が語る戦争物語から外れた人たちが、「記憶の権利」を主張するようになった。将来二度と繰り返さないために忘れてはならないということ、補償や謝罪を求めている。 過去を知る責任があるという考えが生まれている。過去は単なる過去ではない。現在の中にも「過去」があり、分けることはできない。こうした考え方が、慰安婦問題を知ることで、女性に対する性暴力をなくそうとの運動につながっている。私たちは、声を上げた元慰安婦たちに対して責任を負っている。 歴史を政治の道具にして、国民を操作しようとする指導者もいる。だからこそ私たちは、戦争に関する共通の記憶を持ち続けることが大切だ。米コロンビア大教授 キャロル・グラックさん 1941年生まれ。専門は日本近現代史。昨年、欧米の日本研究者らと「過去の過ちの偏見なき清算」を求める声明を発表。500人近くが賛同し、署名した。2016年2月28日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「戦争 記憶し続ける」から引用 この記事が述べているように、昨年暮れの日韓合意は慰安婦問題が解決したことを示したものではなく、この問題を日韓両国が協力して解決していこうという合意に達しただけである。これで慰安婦問題の被害者救済が実現するかどうかは、これからの課題である。そして、グラック教授の見立ててでは、うまくいく見込みはない。その理由の一つには、両国政府とも元慰安婦の訴えに十分に耳を傾けていないことを指摘しており、もっともなことだ。したがって、日韓両国の市民は、今後もこの問題から目をそらせてはならないし、戦争に関する共通の記憶を持ち続けることが大切であるということだ。
2016年03月17日
憲法学者で慶応大学名誉教授の小林節氏は、もともと保守の論客で、国家というものは自衛のための軍隊を保有するのは当然のことなのだから、憲法9条は改正するべきであるとの主張を繰り返してきた学者です。その主張には今も変更はありません。しかし、安倍政権の立憲主義を蔑ろにしたやり方は間違っているとの理由で、こういう内閣は打倒しなければならないと考えるに至り、現在は安倍政権打倒を全国各地の講演会で主張しており、2月28日の「しんぶん赤旗」では次のように語っています; 私はいま週に5回、各地で講演し、戦争法廃止と国民連合政府実現を訴えて歩いています。どこの会場でも立ち見が出て、最高の参加者数です。 正直言うと、野党の選挙協力が進まないことにいら立っていました。やっと今回、野党5党がそろって、選挙協力の協議を始めることになったことを高く評価したい。ただこれはゴールではなくスタートです。勝つチャンスが出ただけです。 いま、世論調査すると、第1党は「無党派」です。「無党派」の人たちは政治にしらけ、投票しても政治は変わらないと思っている。その人たちが「何かやれる」と思い、投票所に足を運べば勝てます。それには5野党が集まるだけではなく本当に一致協力しなければいけません。勝てるムードをつくらなくちゃだめです。私も知識人グループの一人として政権交代のための応援団として働きたいと思っています。 参院の定数1の選挙区での相手は強力な政権党です。野党が集まっただけで必ず勝てるわけではありません。ここで勝つには、第一に、野党がそれぞれ党利党略、個利個略に走らないことです。 第二に、魅力あるアピールと政策、魅力ある候補者を立てることです。 世論調査で安倍政権は相対的には支持されていますが、その政策には国民の過半数が疑問を持っています。ということは、代わりうる旗を立てれば、野党が政権を取れるということです。 くり返しますが、野党の結束が大切です。私もこの間、野党の選挙協力合意のため努力をしてきました。「共産党とはいっしょにやりたくない」という声もずいぶん聞きました。 私自身もこれまで”普通”の日本人の一人として「反共」という「常識」を共有していました。しかし、この間、戦争法の論戦の中で自分の心を整理してみると「反共常識」には一つの根拠もないと思うにいたりました。 「共産主義」という考え方は、弱肉強食の最悪の新自由主義にたいするカウンター(対抗)の原理、「共生」の経済原理として再評価できます。「革命政党」とよくレッテル貼りされますが、「革命」とは「急速な進歩」のことです。社会が良くなって悪いことはありません。「革命」によって既得権益を失う人たちが、悪いことのように言っているだけです。今回は、そういう偏見を一気に取り払うチャンスだと思います。 私は野党で「共産党アレルギー」をもっている議員と、それをテーマに公開討論したい。そうすればその方も心が整理されますよ。 今回、野党の選挙協力が合意できた背景には、安倍政治のひどさに対する国民の怒りと運動、共産党が燃えて努力したことがあると思います。私の「吸引力」も役に立てたのならうれしいことです。 いま共産党をのけ者にしたら、戦争法廃止も政権交代もあり得ませんよ。2016年2月28日「しんぶん赤旗」日曜版 6ページ「『反共』のりこえ野党結束を」から引用 安倍首相も小林教授も、憲法9条改正という考えでは一致しているのですが、何が異なるのか。それは、一言で言えば「教養があるか、無いか」という点ではないでしょうか。もっと詳しく言えば、民主主義に対する理解があるか、無いかということです。戦後の70年間に積み上げてきた憲法解釈を、一片の閣議決定で勝手に変更するのは、立憲主義を踏みにじる暴挙であるということに、一番敏感であるべき政治家の安倍晋三氏は無頓着で、憲法学者の小林氏は「それはルール違反だ」と言っている。安倍政権のような、民主主義を破壊する内閣が出現したときは、憲法9条改正問題について意見が正反対の者同士であっても、ここは一先ず憲法論争を「仮停止」にして、先ず民主主義を守る闘いに共同で立ち上がるべきだと小林先生は訴えているわけです。先生の訴えが、より多くの有権者に理解されるように望みます。
2016年03月16日
慰安婦問題について日韓両国政府が合意して約1か月ほどたった今年の1月末、2人の元慰安婦の女性が日本の市民団体の集会に参加するために来日し、記者会見にも応じました。そのときの様子を、2月7日の「しんぶん赤旗」が次のように報道しました; 「私たちの苦しみ、痛みを聞いて、考えてほしい」-。韓国の日本軍「慰安婦」被害者らが来日し、性奴隷とされた体験を証言しました。「慰安婦」問題をめぐる日韓両政府の合意から1カ月。被害者の思いは-。<本吉真希記者> 来日したのはソウル近郊の「ナヌム(分かち合い)の家」に暮らす李玉善(イ・オクソン)さん(88)と姜日出(カン・イルチュル)さん(87)。東京と大阪で開かれた記者会見や集会に出席しました。(1月26~31日) 2人はともに数えで16歳のとき、日本の植民地支配下にあった朝鮮から「満州」(中国東北部)に連行されました。 「『慰安婦』は兵士にモノとして投げ与えられた」と語る李さん。日本軍の慰安所で一日に40~50人の相手を強いられた日もあり、抵抗すると暴力を振るわれました。右手を見せながら「ここに刀で刺された傷がある。足にもある。慰安所は”死刑場”のようだった」と話します。 当時、日本軍は李さんらの目の前で、性こういを拒んだ14歳の少女を殺しました。「私たちは涙を隠し、耐えるしかなかった」と李さん。道端に捨てられた少女の遺体はのら犬に食べられ、遺骨も残らなかったといいます。 姜さんは「『慰安婦』は人間扱いされなかった。泣けばたたかれ、頭に傷が残るほどの暴力を振るわれた」と帽子を脱ぎ、何度も傷跡を指さしました。「安倍(晋三)首相は私たちの被害を明確に認めてほしい。私たちの前に来て、正しく謝罪するべきだ」と訴えました。◆問題の本質否定 安倍政権は今回の合意で「軍の関与」を認めました。しかし安倍首相は、その後の国会で「性奴隷といった事実はない」と答弁(1月18日、参院予算委員会)。女性たちが軍慰安所において、性奴隷状態に置かれたという「慰安婦」問題の本質を否定しています。 李さんは「慰安所はあまりにつらく、拒めば殴られ、殺された人もいる。自ら命を絶った娘もたくさんいる。それをうそだといわれることが、どれほど悔しくて腹が立つか」と怒りの涙を見せました。 2人に同行したナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は「被害者個人の人権と請求権の問題にもかかわらず、政府間で勝手に合意したことをハルモニ(おばあさん)たちは大変残念に思っている」と語り、こういいました。 「被害者たちが具体的に体験を語るのは、戦時下の性暴力が二度と起こらないようにするためです。だから『軍の関与』という漠然としたものでなく、日本軍が慰安所を設置して管理、統制し、女性たちに性こういを強要したという、人権をじゅうりんした問題であることを日本政府が公式に認め、謝罪してほしい。それがハルモニたちの願いです」◆合意に基づく真の解決を笠井、紙両議員が被害者と懇談 妻日出さんと李玉善さん、「ナヌムの家」の安倍権所長は、日本共産党の笠井亮衆院議員、紙智子参院議員と国会内で懇談しました(1月26日)。 姜さんらは、ナヌムの家をこれまでに3度訪問している笠井議員との再会を喜びました。笠井議員は、被害者や支援者らのたたかいが、今回の合意で安倍政権に「おわびと反省」「責任を痛感している」といわせたと敬意を表しました。 その上で、合意後も自民党議員による暴言や、これを放置する政府、合意が履行されてもいないのに「終止符を打った」(同22日、衆参両院本会議での施政方針演説)などとする安倍首相の言動を批判。「合意に基づき、加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要だ。安倍政権をこの立場に立たせるよう一層努力していきたい」と語りました。 また「被害者の名誉と尊厳が回復され、心の傷が癒やされてこそ真の解決になる」とし、安倍首相が直接出向いて謝罪し、納得を得ることが大事だと語ると、姜さんは「まさにそれが私が望んでいることです」と応じました。2016年2月7日 「しんぶん赤旗」日曜版 33ページ「私たちの苦しみ 聞いて」から引用 慰安婦問題解決の方向性について日韓両国政府が合意に達したことは喜ばしい前進であったと言えますが、これで問題が解決したわけではありませんから、日韓両国政府は合意に基づいた政策を速やかに実施して被害者救済に尽力するべきで、同じ過ちを二度と繰り返さないように、歴史教育を通じて子孫に語り継ぐことも大切であり、記事が指摘するように、最終的解決には、やはり安倍首相が「ナヌムの家」に出向いて、直接被害者の人々に謝罪する必要があると思います。※お断り 文中「性こうい」という言葉は、記事中は漢字3文字で記載されてますが、楽天ブログでは漢字3文字ではエラーになるので、引用者の判断でひらがな混じりの表現に変更しました。
2016年03月15日
粉飾決算という犯罪を犯していながら、経営者は誰一人法的責任を問われず、経営再建策としては「粉飾」の大本だった子会社ウェスチングハウスの事業とフラッシュメモリーを主力事業としていく。これまで業績を上げてきた医療機器部門は売却し、これを支えてきた優秀な社員は全員リストラ、という異常な事態となっている「東芝」について、2月7日の「しんぶん赤旗」コラムは、次のように論評しています; 日本を代表する総合電機メーカー、東芝の粉飾決算とリストラが大きな関心をよんでいます。長年にわたる利益の水増しを暴露された東芝が、その不正をきちんと正さないままに大規模な従業員のリストラ策を打ち出し、それによって不祥事の幕引きを図ろうとしているからです。 東芝は、いまだに粉飾決算の全容を明らかにしていません。昨年9月の修正決算で、2248億円もの粉飾をしていたと認めましたが、その後さらに大きな粉飾が暴かれたのです。10年前、東芝が相場の3倍以上の高値で買収したアメリカの子会社ウェスチングハウス(WH、原子力大手)が、赤字で約1600億円もの減損を出していたことを、東芝は隠していました。 東芝は、今後WHが高収益をあげるからと、連結決算に約3500億円の「のれん代」を計上してきました。当然それを減額しなければならないのに、今なお3400億円余の「のれん代」を計上し続けています。これは明らかに粉飾です。 粉飾決算は重大な犯罪です。 かつてカネボウが2000億円の粉飾をした時には、経営陣の逮捕や上場廃止のきびしい措置がとられました。しかし、はるかに大規模で悪質な東芝の粉飾に対しては、金融庁が課徴金を課しただけで、公的機関による捜査や取り締まりは行われていません。その背景として指摘されているのが、安倍政権と東芝との親密な関係です。 たとえば、粉飾で中心的な役割を果たした佐々木則夫元社長は、第2次安倍政権の発足とともに、経済財政諮問会議や産業競争力会議の民間議員に就任しています。経団連副会長にも納まって、首相とともに原発の輸出や再稼働を推進してきた人物です。 東芝の不正に厳正に対処しようとしない安倍政権は、粉飾をまともに反省しようとしない東芝経営陣とともに、日本の経済システムや企業経営に対する世界の信頼を、取り戻すことができないほど破壊しつつあります。 東芝のリストラ策は、スマートフォン用フラッシュメモリー事業と原子力事業の二つに経営資源を集中する、なかでも原発輸出に重点をおく、というものです。そのための事業資金を得るために、将来有望な事業も医療機器のような黒字事業も売ってしまう、優れた多数の社員も解雇してしまう、というのです。人員削減は1万600人としていますが、今後大きく膨れあがる可能性が高いと言わねばなりません。 しかし、これは、原発というリスクの高い事業に社運をかけた経営の失敗を、さらに大規模に繰り返そうという自滅的政策です。 安倍政権が強引に進めている原発推進政策に協力するために、経営を破綻させ、従業員の職を奪い、家族の生命を危険にさらす・・・。こんなリストラ策が許されてよいものでしょうか。 大木一訓(おおき・かずのり 日本福祉大学名誉教授)2016年2月7日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済これって何?-粉飾反省せず従業員犠牲に」から引用 アメリカでは企業として利益を出せないので売却するというウェスチングハウスを、相場の3倍のカネを積んで買収したのは不思議なことで、さらに買収後、見込み通りの利益が出せないからといって、その赤字を隠して決算したというのも不思議な話です。普通なら、赤字部門は事業を縮小して経費を節減し、赤字を極力圧縮する努力をするものでしょう。その上、粉飾がバレて経営再建が必要となったとき、普通なら赤字部門を整理して処分し、利益が出ている部門をさらに拡大強化するのが常道と思いますが、大赤字の元凶である原子力部門を中核にして再建していくというのは、上の記事が指摘するように、これは自滅への道を選択したということではないでしょうか。それにしても、総理大臣と個人的に親しい場合は、犯罪を犯しても何のお咎めも無しというのは、それでも日本は法治国家と言えるのでしょうか。
2016年03月14日
社会派作品を多く発表している東京芸術座は、本年1月の100回目の公演に「勲章の河-花岡事件」を上演しました。1月24日の「しんぶん赤旗」は、次のように紹介しています; 1959年の創立以来、「蟹工船」など社会派作品を多くつくってきた東京芸術座が今月、100回目の公演として「勲章の川-花岡事件」を15年ぶりに上演します。テーマは、敗戦直前に秋田県大館市で起きた中国人強制連行・虐殺事件。演出家と俳優が魅力を語ります。(大塚武治記者) 花岡事件は45年6月30日、花岡鉱山で、強制連行された中国人が鹿島組(現・鹿島建設)の奴隷的な労働に抗して一斉蜂起した事件です。しかし軍や警察に鎮圧され、暴行・拷問により7月だけで100人が死亡しました。これを含め、連行された986人中419人が亡くなりました。 物語は30年後の大館市で、高校教師が事件を授業で取り上げようとしたことから始まります。住民から「もうすんだことだ」と抗議が殺到し、校長は教師に授業中止を要請。騒ぎを面白がった一人の生徒が、夕食の場で父母に当時何をしたのかと尋ねます。なごやかな空気は一変-。(稽古風景;なごやかな食事時間が、事件の話がでて一変する) 父親役の手塚政雄さんは、「中国人の鎮圧には、警察や警防団だけでなく、住民も含めのベ2万4千人以上が動員されたそうです。私が演じるのは、事件に加担した苦悩を戦後もずっと抱えている役。難しいです」。 母親役の樋川人美さんは、「戦争がいかに市民に傷を負わせるかが伝わればと思います。この母は家庭の平和を一番に考えて夫を必死に守るけれど心の傷はぬぐえない。そんな母の強さと苦しみが出せたら」と話します。 戦争末期、政府は不足した労働力を補うため、中国人4万人を強制連行し、全国135カ所の炭鉱や河川工事の現場などで働かせました。花岡はその一つ。被害者は政府に、国家責任を明確にし、謝罪・賠償をするよう求めています。 演出の印南貞人さんは、「首相が改憲をロにし、自主規制の名で各地の公民館などで平和運動への攻撃・萎縮が起きていて、とても危機感があります。現状をストレートに問う芝居を今やらなければと思います」。 ◇ 81年初演。学校公演だけで500ステージ以上を重ねてきた劇団の代表作の一つです。 物語に希望を与えているのは、教師の勇気です。教師は、事件の授業が町民を傷つけることになるのではと悩みながらも、過去を語り継ごうとする住職たちに励まされ、授業をしていきます。 「終盤、先生は生徒に、なぜ授業をしたかを語ります。”それは君たちを信じるからだ。未来は君たちのものだからだ”と。負の歴史を見過ごして平和はつくれない。他人の痛み、世界の痛みをわがこととして考える人に育ってほしいと思います。先生の言葉は、私たちが演劇を続ける思いと重なります」(印南さん) 「テロや隣国との緊張が高まると、報復だ、攻撃だとなりがちです。でもそこで立ち止まり、憎しみは憎しみしか生まない、振り上げた手は誰に向けたものかと考えたい。見た人が自分を変革できるような芝居をつくりたい」(手塚さん)2016年1月24日 「しんぶん赤旗」日曜版 30ページ「鎮圧に加担 苦悩抱え生きる市民」から引用 70年前に日本の敗戦で終わった戦争とは、どのようなものであったか、後世の我々が実感をもって知る上で、上記の芝居は大変役に立つと思います。大陸から中国人を強制連行したこと自体が国家による犯罪であり、十分な食料も出さずに過酷な労働を強制したことも違法です。そういう戦争犯罪が戦後、どのように断罪されたのか、戦後70年経ってもまだ裁判で争っているとは、どういうことなのか、いろいろ考えさせられる記事です。
2016年03月13日
沖縄県知事の翁長雄志氏が、角川書店から出版した「戦う民意」について、翻訳家の池田香代子氏が、1月24日の「しんぶん赤旗」に次のように書評を書いています; この本からは、翁長雄志・沖縄県知事の、腹の底から響いてくるあの声の、訥々(とつとつ)とした語りが聞こえてくる。緊迫した政府との攻防を、胸打つ県民とのやりとりを、怒りを、よって立つ歴史と文化を、そして県民への誇りを、翁長さんが肉声で語っているのだ。難しいことばを使わない、力強くも抑えた文体は、翁長さんの人となりそのものだ。 翁長さんは、元は自民覚の政治家だ。だから、「辺野古新基地が唯一の解決策という考え方に日米両政府が固執すると、日米安保体制に大きな禍根を残す」という言い方をする。日米関係の破綻を心配しているのだ。一方で、「大きな禍根」という強い言葉で、沖縄の思いを一身に背負い、新基地のために海を明け渡さない、と断言する。 選挙戦の中で生まれた「イデオロギーよりアイデンティティー」というフレーズは、有名になった。じつは保守主義は、もとは国家とは一線を画す思想で、むしろ地域主義と相性がいい。ふるさとを守れ、が正統派の保守主義なのだ。そして、国家主義の傾向が強いと、少数のエリートが物事を決めがちだが、保守主義は当事者たちで決める手続きを重んじる。保守主義と民主主義は、本来、表裏一体で、保守主義の反対は国家主義なのだ。「沖縄の保守」を任じる翁長さんは、本来の意味での本物の保守主義者と言っていい。 司法がどう判断するか、基地問題が正念場を迎え、沖縄がこの国を大きく動かすことになるこの年、「これほどまでアメリカに従属したままでいいのでしょうか」と絞り出すように問いかけるこの本を繰り返しひもといて、国家とは何か、自問することになるだろう。(池田香代子・翻訳家)翁長雄志著「戦う民意」KADOKAWA刊 1400円おなが・たけし=50年生まれ。沖縄県知事。那覇市議、沖縄県議などを務め14年から現職2016年1月24日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「聞こえる沖縄県民への誇り」から引用 この記事はまた、なかなか興味深い記事です。政府の方針に楯突いている沖縄県知事の翁長氏は、もともとは自民党で保守の政治家であり、そもそも保守政治家とは翁長氏のようなタイプを指すとの指摘は重要だと思います。そこへいくと、安倍晋三氏などは自民党に所属しているから自分は保守だと思っているらしいのですが、それはとんだ勘違いで、彼の言動からは彼が単なる国家主義者に過ぎないことは容易に判断できます。これからの日本を委ねるのに、こういう人物でいいのかどうか、有権者は熟慮するべきです。
2016年03月12日
報道の自由を規制するかのような安倍政権のメディア対応について、元ワイドショープロデューサーの仲築問卓蔵氏は、1月24日の「しんぶん赤旗」コラムで次のように述べている; NHKの報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが3月いっぱいで交代します。1993年から始まったNHKの看板番組の一つ。4月からは「クローズアップ現代+(プラス)」として、「内容を一新」。”プロデューサーは上層部に国谷氏続投を求めたが、かなわなかった”(8日付「朝日」)といいます。 国谷氏で思い出すのは、集団的自衛権容認の「閣議決定」を受けた番組(2014年7月3日放送)です。ゲストは管義偉官房長官。 国谷氏は「国際的状況が変わったというだけで、憲法の解釈を変更してもいいのか」と国民の疑問を代弁しました。その後、『フライデー』(同年7月11日発売)が、官邸サイドがキャスターの質問内容についてクレームをつけたと報道。NHKの籾井勝人会長は否定しましたが、報道に抗議はしませんでした。 国谷氏のみならず「報道ステーシヨン」(テレビ朝日系)の古館伊知郎氏、「NEWS23」(TBS系)の岸井成格氏も、3月いっぱいで交代します。 いずれも自民党からクレームを受けた番組のキャスターです。総選挙を控えた14年11月18日、安倍晋三首相が「NEWS23」に生出演し、アベノミクスに批判的な街の声を意図的な編集だと非難。その2日後に自民党はNHKと在京民放キー局に「選挙報道の公平中立」を求める文書を送りました。それとは別に、「報道ステーション」には個別に「公平中立」を求める文書を出しています。 小林節・慶応大学名誉教授は、「”おまえはアウト”と言われると、ビクッとして萎縮する。そうやって発言内容を統制していく。検閲の一種。ナチス台頭のときのドイツの状態が日本で起きている。本気でたたかわなくてはいけない」(12月26日、民放九条の会)と。メディアの役目は権力の監視。報道統制とのたたかいは、立憲政治を取り戻すたたかいです。(なかつくま・たくぞう=元ワイドショープロデューサー)2016年1月24日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-報道統制とのたたかい」から引用 放送法に関わる高市大臣の発言を問題として取り上げると、民主党政権のときも同じ議論があったという「誤解」に基づくコメントが書き込まれるが、さすがに選挙前にテレビ各局に「公平中立」の報道を求める文書を送った問題については「民主党政権云々」というコメントはない。上の記事が指摘するようなメディアに対する常軌を逸したやり方は、自民党政権でも安倍政権以前にはなかったことで、安倍政権の異常さが明らかです。参院選は、このような政権に「ノー」を突きつけるまたとないチャンスですので、安倍内閣打倒に国民の力を結集するべきです。
2016年03月11日
海外では風力発電が盛んで、昨年一年間に新設された風力発電の発電能力は原発60基分に相当し、現実に風力発電の発電量は原発を追い越したと、2月21日の東京新聞が報道している; 世界の風力発電の発電能力が2015年末に14年末比17%増の4億3242万キロワットに達し、初めて原子力の発電能力を上回ったことが、業界団体の「世界風力エネルギー会議」(GWEC、本部ベルギー)などの統計データで明らかになった。 15年に新設された風力発電は6301万キロワットと過去最大で、原発約60基分に相当する。技術革新による発電コストの低下や信頼性向上を実現し、東京電力福島第一原発事故などで停滞する原発を一気に追い抜いた形だ。日本は発電能力、新設ともに20位前後で、出遅れが鮮明になった。 GWECは「風力発電は化石燃料からの脱却を主導している。世界で市場拡大の動きがあり、16年は、より多様な地域で導入が期待できる」としている。 「世界原子力協会」(WNA、本部英国)の調べによると、原子力の発電能力は16年1月1日時点で3億8255万キロワットとなり、風力が5五千万キロワット程度上回った。 国別の風力発電能力の上位5カ国は中国(1億4510万キロワット)、米国(7447万キロワット)、ドイツ(4495万キロワット)、インド(2509万キロワット)、スペイン(2303万キロワット)。日本は304万キロワットだった。 日本は25万キロワットで、前年の13万キロワットより増加したが、小規模にとどまっている。2016年2月21日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「風力発電能力 原発抜く」から引用 わが国の風力発電も、2014年の新設が13キロワット、2015年の新設が25万キロワットと2倍近い伸び率と胸を張りたいところであるが、米国や中国に肩を比べるほどの経済規模から言えば、あまりにも小規模で完全に出遅れてしまった。廃棄物処分の問題一つとっても、原発よりは風力のほうが国土の狭い日本には適しているのであるが、このまま原発推進でいけば、やがては放射能列島になってしまうのではないか。これ以上放射性廃棄物を増やさないためにも、原発は止めるべきだ。
2016年03月10日
どのような経緯から選挙権を「18歳から」にしたのか、私は寡聞にして知らないが、国が決めたことなのだから、それなりに合理的な理由があったはずである。そしていよいよ今年の夏には参院選があるということになってはじめて、せっかく選挙権を取得した高校生の活動を、今度は規制しようという話が持ち上がっているとは、甚だ理不尽である。学校の現場はどのようになっているか、2月21日の東京新聞は、次のように報道している; 高校生が1票を持つ。18歳選挙権はやわらかな新風のはずだが、学校現場では規制の議論が表面化している。文部科学省は、デモや集会参加など生徒の校外での政治活動について、学校への届け出制とすることを容認する姿勢も示している。新たな権利を教育に生かすすべはないのだろうか。(安藤恭子) ■反発する生徒 生徒がデモ参加の打ち合わせのため放課後、休日に「空き教室を使用したい」と言ったら使用させてもいいのか。校門を出たところでの政治活動は-。文科省が生徒指導関係者向けに作ったQ&A集には、規制を前提としているかのような「理論武装」が並ぶ。 「生徒を萎縮させるなんておかしい」。この中でデモなどの届け出制が容認されたことに、高校3年の中村涼弥さん(18)=東京都西東京市=は反発する。これまでも憲法集会に友達を誘ったりしたことで、進路室などに呼び出され「校内で政治の話をするな」と何度も説教されている。 21日には、中高生が同市から練馬区まで歩く「反戦パレード」を計画している。参加する同区の高校2年の男子生徒(17)は「ゲームやファッションの話題の中に政治があっていい。議論がなければ、投票に必要な情報も得られない」。 ■学校は及び腰 学校現場ではまだ、この課題に本腰を入れていない。ある都立高の副校長は「校外での政治活動については、とにかく都教委の指示に従う。都教委が学校で判断しろというならこれから考える」とする。 1969年に当時の文部省が出した通知は激しい大学闘争を背景に高校生の政治活動を禁じ、昨年廃止されるまで生き続けてきた。授業で安保法などの政治テーマを取り上げれば「偏向」とネットで名指しされる恐れもあり、教員も慎重にならざるを得ない。 埼玉の県立高の男性教諭(60)は「若者が政治に無関心になった責任は、教員にもある」と感じている。「規制ばかりして生徒の好奇心の芽を摘んでは、選挙権を与える意味がない」と、規制ありきの構えに懐疑的だが、現場はいじめなどの対応に追われ「面倒なので介入したくないのも、教員の本音」と明かす。 ■政治を身近に 自由の森学園高校(埼玉県)の菅間正道教諭(48)は7年前から、生徒たちに「政治家への手紙」を書かせている。国政選挙の候補者に「大学まで学費無償化」「軍事費削減」などのテーマをぶつけてきた。 生徒からは「政治を身近に感じられるようになった」という反応が多いが、中には誰からも返事をもらえなかった生徒もいる。管間さんは「高校生に政治に関心を持ってもらいたい、と真剣に考えてきた政治家がどれだけいるか」と問う。 安保法、消費税、奨学金、原発。政治は、高校生の未来につながる。「社会への不満や望みが、政治の原点。政治を教室に持ち込む試みをし、地域や家庭でも議論を重ねることで初めて、18歳選挙権が有効に使われるようになるのでは」◆文科省「理論武装」のQ&A集 文部科学省が作成した「Q&A集」の主な内容は次の通り。 Q 休日や放課後の政治活動の制限や禁止が必要となる教育上の支障が生じるケースとは。 A (1)部活動の利用が決まっている日に体育館で集会を開催 (2)放課後に校庭でマイクとスピーカーを使って演説会を行い、自習している他の生徒を妨げる-など。 Q 放課後や休日にデモ参加の打ち合わせで空き教室を利用したいと申し入れがあった場合、許可は適切か。 A デモ参加の打ち合わせは通常は政治活動などに該当すると考えられ、学校管理規則に沿って判断。 Q 校則などで「校内で選挙運動、政治活動、投票運動は禁止」と定めることは可能か。 A 学校教育の目的達成の観点から「校内では禁止する」と校則などで定め、生徒指導をすることは不当ではないと考えられる。 Q 放課後や休日の学校外での政治活動を届け出制とするのは可能か。 A 各学校で適切に判断する。届け出た者の個人的な政治的信条の是非を問うようなものにならないようにすることなどの配慮が必要。 Q 生徒が公選法などに違反していると考えられる場合、どう対応すべきか。停学や退学など懲戒処分としていいか。 A 警察などと適切に連携し、法の執行は関係機関に委ね、学校は必要な指導をする。懲戒処分にすること自体は、必要かつ合理的な範囲内で可能だが、基準をあらかじめ明確化することなどが必要。2016年2月21日 東京新聞朝刊 12版S 2ページ「高校生の校外活動 規制議論表面化」から引用 選挙権を取得して政治に関心を持った高校生に対して「しかし、政治活動はいけません」というのでは、「じゃあ、何のための選挙権なんだよ」と高校生は思うのではないでしょうか。活動をさせたくないのであれば、又は、学業に専念してほしいのであれば、最初から選挙権は20歳からにしておいていいのであって、わざわざ18歳にしたのは何のためだったのか、検証する必要があるのではないかと、私は思います。
2016年03月09日
わが国では1960年代から70年代の始めにかけて、多くの大学生が全共闘運動に結集し、その影響を受けてデモに参加する高校生も出始めた頃、当時の文部省は高校生の政治活動を禁止する通達を出して、政治運動の低年齢化を阻止したのでしたが、今年からは、18歳になった高校生は選挙権を持つことになったため、昔の通達をそのままにしては「選挙権はあるが、政治活動は禁止」という矛盾に直面するため、文科省は昨年10月、高校生の政治活動を禁止した69年通達を廃止しました。ところが、文部科学省の進歩的な政策転換とは裏腹に、各地方自治体の教育委員会は、高校生の自由な政治活動を認めない意向のようだと、2月21日の東京新聞が報道しています; 18歳以上への投票年齢引き下げに伴い、デモや集会参加など高校生の校外での政治活動が認められた。これを学校への届け出制とするかを、高校を所管する首都圏の7都県と4政令市の教育委員会に本紙が取材したところ、「導入しない」と明言したのは横浜、千葉両市だけで、他は「各学校に委ねる」など導入に余地を残した。届け出制は高校生の活動を萎縮させ政治参加の自由を損なうとして、高校生団体のほか、国会議員からも反対の声が出ている。(早川由紀美)=核心2面 文部科学省は昨年10月、高校生の政治活動を禁じた1969年の通知を廃止し校外での活動を容認。選挙期間中に特定候補を応援するなどの選挙運動は選挙権を持つ人、高校生なら18歳以上に限られるが、政治活動は年齢の制限はない。 政治活動の届け出制について、文科省は今年、生徒指導関係者向けに作成したQ&A集の中で、「必要かつ合理的な範囲内」で可能とする見解を示した。 本紙の取材に、届け出制を「導入しない」とした千葉市は、その理由を「高校生の校外での政治活動等は、家庭の理解の下、生徒が判断して行うもの」と説明。横浜市は「導入しない」ことを基本としつつ、学校の求めがあれば「その都度検討する」とした。 「各学校に委ねる」としたのは東京都と埼玉、千葉、茨城県の四教委だった。群馬県教委は「今後、必要に応じて検討する」と答え、担当者は「具体的な事例がないので今は決められない。今後、起こったできごとに応じて学校と相談する中で、選択肢として届け出制もある」と話した。 届け出制に対し、デモや勉強会などの活動をしている高校生団体「T-ns SOWL(ティーンズ・ソウル)」は「主権者として認められるべき自由と権利をないがしろにする」などとして、反対する声明をインターネット上などで公表している。 維新の党の初鹿明博衆院議員は1月、政府への質問主意書で、政治志向を学校に知られることで進学や就職に影響することを生徒が恐れ、政治活動の自由が萎縮すると指摘。憲法が保障する思想良心の自由などを損なうのではないかとただした。政府は「憲法の規定も踏まえ、各教育委員会等において適切に判断すべきだ」と答弁した。◆校外活動へ無言の圧力-五十嵐暁郎・立教大学名誉教授(日本政治論)の話 18歳選挙権をめぐっては、校内での学習内容は政治的中立性を強く求められ、学校現場は萎縮に萎縮を重ねている。そんな中で校外の活動を届け出制とすれば、高校生は無言の圧力と受け取ることもありうる。政治の能力の核となるのは主体性。それを伸ばすには自由が必要だ。2016年2月21日 東京新聞朝刊 12版S 1ページ「高校生の主権 規制」から引用 学校が生徒に「放課後にどこで何をしたか、届け出ろ」というのは、横暴というものでしょう。少なくとも、生徒が健全に成長し能力を伸ばすことを願うのであれば、生徒の自主性を尊重するのが教育者の態度というものです。そのような観点からも、千葉市教育委員会の見解は立派だと思います。私が高校生だったころは、男子生徒は坊主刈りにするというのが全国の「常識」だったものですが、そういう時代に比べると、近年はかなり近代化されたという印象を持ちますが、真の近代化にはまだ少し距離があるようです。
2016年03月08日
今年から18歳で選挙権を得ることになった件について、作家の赤川次郎氏は2月21日の東京新聞コラムに、次のように書いている; このコラムの第1回で、「高校生平和大使」の記事について書いた。ジュネーブの国連欧州本部で高校生たちが核廃絶を訴えるという内容だった。2月3日夕刊2面には包括的核実験禁止条約(CTBT)のシンポジウムがウィーンで開かれ、広島女学院の3年生が「核兵器なき世界は実現すると、子供たちに信じさせてください」と発言、大きな拍手を受けたと報じていた。この新聞らしい爽やかな記事だった。発言した女学生の感想も聞きたかったが。 私自身の高校生のころを振り返ると、公害問題や差別、実現されない正義、自由への抑圧などへの激しい怒りを常に抱えていた。今の高校生はどうなのだろう。 18歳以上が選挙権を持つことになったが、2月10日「こちら特報部」では「高校生未来会議」について取り上げていた。各政党が参加して公平な議論を、という趣旨のようで、結構なことだと思う。ただし、前提となるのは開催する方も参加する方も社会に対する問題意識を持っていることである。「なぜこうなのか」「どうしてこうできないのか」大人に疑問をぶつける機会でなければならない。 特に「原発再稼働」や「武器輸出」について自由に議論するには、企業からの協賛を受けるべきではないだろう。 大人の話を聞いて、「ものわかりのいい高校生」になることだけは、意識して拒まなければいけない。 国が与える「明るい未来」を信じた悲劇が戦時下の「満蒙(まんもう)開拓団」である。戦争中、国は「中国へ行けば楽園のような暮らしが待っている」と宣伝映画まで作って、大勢の日本人が中国へ渡ったが、そこは冬にはマイナス30度にもなる過酷な大地だった。しかもそこは中国人から奪った土地で、敗戦後、開拓団の人々は中国人や侵攻して来たソ連軍に襲われ、集団自決などの悲惨な運命を辿(たど)った。逃走するにも、先に逃げた軍部は、追跡を恐れて橋を破壊。大勢が川を渡ろうとして溺死した。軍隊は国民を守らないという歴史の真実がここにある。 しかし今、政治の未来は危うい。「閣僚発言広がる波紋」(2月10日2面)に並ぶ、高市総務相の「電波停止」発言、丸川環境相の除染目標値に「根拠なし」発言に加えて、「歯舞(はぽまい)」が読めない島尻沖縄北方相・・・。そして辞任した甘利経済再生担当相の「金銭授受」問題では、安倍首相の支持率が下がるかと思えば「辞め方が潔い」からと逆に支持率が上がったとか。 安倍首相が次の選挙に正面から改憲を打ち出したのは、今なら何をやっても大丈夫と思ったからだろう。 そんな政権が与える「バラ色の未来」を信じたら、どんな闇へと導かれるか、若い人々には冷静に見きわめる目を持ってほしい。2016年2月21日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-18歳選挙権の『未来』」から引用 昔は、義務教育が終わるとそのまま社会に出て働く人も多くいたが、最近は高校、大学と進学する率が上昇しているので、選挙年齢を引き下げるというのは、社会経験の観点からは逆行であるような印象も受ける。経験がないままに、社会のあり方を考えるには、上記の記事が指摘するように、いろいろと注意が必要だ。原発問題、武器輸出問題などを議論するには、企業のひも付きの集会などではダメなのであり、ましてや国家が吹聴するような「明るい未来」など信用すると、どういう目に遭ったか、我々の祖先の経験を正しく子孫に伝えるべきで、例えば「軍隊が国民を守る」などというのは虚構であることなどは、しっかり伝えていきたいものである。
2016年03月07日
ジャーナリストの木村太郎氏は、アメリカで人種差別を助長するような番組ばかり放送していた局に政府が放送免許を更新しなかったという実例に触れて、2月21日の東京新聞にユニークな議論を展開している; 高市早苗総務相の発言で注目を集めている放送法の「政治的公平原則」規定は必要なものなのだろうか? あえて刺激的なことを書いたが、放送に公平性は必要であっても、それを強制する法律が必要かどうかは別問題と思うからだ。■免許停止 米国の実例 実は米国にも同様の原則が連邦通信委員会(FCC)規則にあった。1949年に制定されたもので、公共の利益に関して意見の対立する問題については、対比する見解を放送しなければならないことを放送局の免許の条件とした。 この原則は「電波は希少なものであるから放送は中立、公平でなければならない」という考えに立ち、違反した放送局の免許を取り上げたこともあった。 公民権運動が盛んだった69年のことで、ミシシッピ州ジャクソンのテレビ局WLBTはNBCのネットワークに入っていたが、NBCが公民権運動家の話をネット放送すると「ただいま回線の故障中です」という断りを出して番組を中断した。 同局はほかにも黒人差別を助長する番組を放送したので、公民権運動団体が提訴し、米国控訴裁判所の指示でFCCが放送免許の更新申請を拒否したのだった。 しかし、その後ケーブルテレビの導入でチャンネル数が増加すると「電波の希少性」という「公平原則」の根拠が薄れてきた。■薄れた「電波の希少性」 84年7月米最高裁は「政府が放送の編集権に介入するのは、表現の自由を認めた憲法修正第一条に違反する」という判決を下した。 当時発足した公共放送に政府が補助金を出す以上は政治的な放送番組を禁止するという措置を不満として起こされた裁判だったが、判決は放送技術の発達で放送を規定する原則の根拠である「電波の希少性」が適合しなくなったとし、プレナン判事は次のような意見を添えている。 「公平の原則は言論を高めるよりは制限するものに他ならず、我々はこの問題を憲法上(表現の自由)の配慮から決定せざるを得なかった」 この判決をきっかけに「公平原則」見直し論が活発になり、レーガン政権下の87年、FCCはこの原則の適用を廃止。2011年にFCCの規則から最終的にその文言が削除された。■旗色鮮明にした放送局 その結果、テレビでは共和党寄りのFOXニュース、民主党寄りのMSNCとテレビ局が旗色を鮮明にして放送を行うようになった。これで、以前よりも問題の本質が分かりやすくなったように私には思える。 逆に「公平さ」を取り繕うとすると論点が曖昧になり、またこの原則があることで今回の議論のように公権力の介入する余地を与えるのではなかろうか。 ケーブルテレビだけでなくインターネット放送も日常的になった今、日本でも放送法の「政治的公平原則」を見直す議論をしても良いように思うのだが。(木村太郎、ジャーナリスト)2016年2月21日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「太郎の国際通信-政治的公平原則は必要か」から引用 アメリカで公民権運動の情報は流さないという偏った放送を行った局に対し、政府が放送免許を更新しなかったという処置は、民主主義の社会を円滑に運営するという観点から正しく機能した実例と言えるが、もしこれが、政府与党と野党の間で対立する問題について、野党側の情報ばかり放送する局に対し、政府が介入するとなると、これは明らかに「言論報道」への弾圧ということになります。つまり、公平の原則に拘りすぎると言論の自由が損なわれることになる。したがって、少々のバランスが崩れるとしても、だからと言って放送(つまり、言論の自由)を禁止するのは行き過ぎであると言えるわけで、高市大臣に停波の権限があるという見解は否定されるべきです。
2016年03月06日
世の中には、放送法第4条が「倫理規範」であるということが中々理解できない人がいるようであるが、立教大学准教授の砂川浩慶氏は、2月26日発売の「週刊金曜日」に、この問題について次のように書いている; 国会での「テレビ局が政治的公平に反する番組は停波が可能」との高市早苗総(たかいちさなえ)務大臣の発言が波紋を広げている。菅義偉(すがよしひで)官房長官、安倍晋三首相も「従来通りの見解」と擁護(ようご)したが、2月15日には、個別番組内容まで踏み込んだ、新たな政府統一見解まで出された。 一昨年の総選挙前の公平公正要請、昨年4月の自民党へのテレビ朝日・NHKの呼びつけ、6月の自民党「文化芸術懇話会」での”妄言(もうげん)”、特定の新聞・テレビにしか出演しない安倍首相のメディア対応、11月のBPO(放送倫理・番組向上機構)への批判と続く、安倍政権の露骨なテレビ規制の流れ。今回の高市発言でも「報道ステーション」や「NEWS23」では「表現の自由」との関係で、政府への言論への関与を戒める取り上げ方をしていたが、情報番組では「相次ぐ女性閣僚の問題発言」の一つとするなど、全体としての取り組みは弱かった(安倍チャンネルといわれるNHKはいわずもがな)。毅然(きぜん)たる対応を今こそ取らなければ、ますます安倍政権はメディアに踏み込んでくる。 今回問題となっている「政治的公平」を含む放送法第4条の「番組編集準則」が「倫理規範」にすぎないことは、1950年の放送法制定時から長年の議論で明白である。したがって、放送法には直接的な罰則規定がない。93年のテレビ朝日報道局長発言で、当時の放送行政局長が「最終的には郵政省(現総務省)が判断をする」と発言して以降、今回のような「4条違反は電波法76条による免許停止が可能」との見解が出てきたが、適用例はない。「倫理規範」と解釈されてきたのは、放送法が憲法21条「表現の自由」を具現化されて生まれた経緯があるからだ。戦前の大本営発表によって国民が冷静な判断を行なうことができず、敗戦にいたった反省を踏まえ、放送法は制定された。憲法の「表現の自由」は国民一人ひとりに与えられているものだ。国家権力と国民の間に立って「権力の監視」を行なうメディアの「表現の自由」が規制を受けると多様な情報が流れなくなり、国民の「表現の自由」も失われる。とくに政治情報はそうだ。したがって4条を根拠にメディア規制を行なえば、放送法自体が憲法違反となるのだ。 放送法を「規制」の観点から捉える安倍政権は「表現の自由」の大切さを軽視している。「安倍政権こそ表現の自由を重視している」といった安倍首相の発言の”軽さ”にその間題が如実に表れている。 このような国家とメディアと国民の関係について、メディアはもっと取り上げ、解説すべきではないか。折しも、2月21日に放送されたNHK「新・映像の世紀」では、20世紀後半の社会変革で「映像」が果たした役割をはっきりと示していた。NHKも含め、テレビ界に「表現の自由」の重要性を示す、番組を期待したい。このままでは戦前回帰が現実のものとなる。すなかわ ひろよし・立教大学准教授。2016年2月26日 「週刊金曜日」1077号 38ページ「メディアウオッチング-高市発言問題にみる安倍政権やメディアの『表現の自由』軽視」から引用 この記事が指摘するように、戦後になって放送法が制定された理由は、戦前のような偏向した報道をしてはならないという反省から、ということです。戦前は、新聞もラジオも、政府や軍部の意向を忖度して政府や軍部を批判する報道は皆無、前線から戻った兵士から「日本は不利」という話が漏れ伝わっても取り上げず、大本営発表のみをニュースとして報道した、そういう反省から、放送局は自律して活動するべきであるという主旨で放送法が制定されました。しかし、ここにきて高市大臣がいうように、政府が判断して「こういう報道はまずい」となったら「偏向している」との理由をつけて放送禁止にする、というのであれば、これは明らかに戦前回帰で、放送法の目的に反します。したがって、高市大臣は放送法の主旨をよく学んだ上で、失言を撤回するべきです。
2016年03月05日
テレビの報道が偏向しているなどと攻撃して、その根拠にデタラメなデーターをグラフ表示した広告を読売新聞に載せたペテン師・小川榮太郎について、ジャーナリストの山口政紀氏は、2月26日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 2月13日付『読売新開』朝刊に、《視聴者の目は、ごまかせない。ストップ!”テレビの全体主義”》と大書した1ページ意見広告が掲載された。広告を出したのは「放送法遵守を求める視聴者の会」。昨年11月にもTBS 「NEWS23」キャスターの岸井成格(きしいしげただ)氏を非難する広告を『読売岩産経新聞』に出した。 今回の標的は各局の主要な報道番組。広告はNHKと民放5社の計6番組について、特定秘密保護法案と安保法制の国会審議が終盤を迎えた5日間の「両論放送時間比較」を円グラフにして表示。全番組の賛否放送時間は、秘密保護法案では「反対」74%、安保法制では「反対」89%だったとし、《誰が国民の「知る権利」を守るの? TVの電波は独占状態!》と攻撃した。 個別の番組では、安保法制に関するニュースで、テレビ朝日「報道ステーション」が「反対」95%、「NEWS23」が「反対」93%だったとして、両番組を際立たせた。驚いたのはNHK「ニュースウオッチ9」も「反対」68%だったこと。籾井勝人(もみいかつと)会長も「そんなはずはない」とあわてたのではないか。 何を判断基準に、どういう調査をしたら、こんな数値になるのか。グラフには「日本平和学研究所調べ」と記されているが、調査方法は明示されていない。放送時間のうち、法案の説明部分(=安倍政権の主張)は「賛成」と数えず、法案賛否のコメントだけ集計したのか。法案の問題点をほとんど報じなかったNHKの「反対意見放送68%」はそれ以外に説明がつかない。 この「日本平和学研究所」は昨年10月に登記された一般社団法人で、代表理事は小川榮太郎(おがわえいたろう)氏。彼は「視聴者の会」の事務局長でもある。つまり、グラフのデータは、ほぼ自作自演。 では小川氏はどんな人物か。1967年生まれの文芸評論家で、主な著作は『約束の日-安倍晋三試論』(2012年、幻冬舎)、『国家の命運-安倍政権奇跡のドキュメント』(13年、同)。 彼は作家・小松成美(こまつなるみ)氏との対談(小松氏のプログに掲載)で、「3・11」直後、《次期首相は安倍晋三氏が適切であるという啓示が降り》、「安倍再登板運動」を開始、「創誠天志塾(そうせいてんしじゆく)」という私塾活動、SNSや著作を通じて《安倍さんの声がより多くの人に拡散するお手伝い》をしたと語っている。ちなみに創誠天志塾月例会の初回テーマは「僕は、安倍晋三を総理にする!」、特別ゲストは安倍昭恵氏だった。 その返礼か、昨年11月11日、東京都内で開かれた小川氏の新著出版を祝う会には、安倍首相本人が出席し、あいさつした。つまり、二人はそういう関係だ。 高市早苗(たかいちさなえ)総務大臣は2月8日、衆院予算委員会で「政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止もあり得る」旨答弁した。この質疑のきっかけになったのが、「視聴者の会」が昨年11月、岸井氏、TBS、鎗務省に送った「放送法4条の遵守」を求める公開質問状だ。そして、安倍首相は高市答弁を追認した。自身の親衛隊に放送番組を攻撃させ、国会で取り上げてテレビ局を萎縮(いしゅく)させるアベ式メディア支配工作?「視聴者の会」の意見広告費は、『読売』の2回分だけで推定約1億円。昨年11月に発足したばかりの会が、どうやってこんな巨額を調達したのだろう。 一方、『読売』は「視聴者の会」の実態を承知で広告を載せたのか。2月14日付『読売』社説は《放送局の自律と公正が基本だ》とし、高市発言を《言わずもがなではないか》と批判した。ならば、巨大な部数を持つ紙面に、「放送局の自律」を敵視する意見広告を載せるべきではない。やまぐち まさのり・「人権と報道・連絡会」世話人、ジャーナリスト。 高市大臣の停波発言を批判した読売新聞社説は大変立派であったが、社説でどんなに立派なことを言っても、やっていることがこれでは、やはり読売新聞の品格は疑われる。こういうことでは、やはり、大学入試を作る先生たちも、試験問題には、読売よりも朝日の記事を引用するほうが無難だと考えるわけだ。小川某というペテン師が去年の秋に、にわかに怪しげな研究所を立ち上げて1億円以上ものカネを積んで新聞広告を出した、そのカネはどこから出たのか、興味深い。自民党はメガバンクから巨額の融資を受けており、利払いも巨額であるが、その分は銀行から政治献金として受け取っているから負担はなく、そういうカネがこういうペテン師に流れる可能性も否定はできない。昔、ドイツの大資本はヒトラーのナチスに資金協力した過去があるが、現代日本のメガバンクも同じ道をたどろうとしているのではないか、検証が必要である。
2016年03月04日
千葉県柏市の教育委員会は、市内の小中学校に対し、組み体操禁止を通知することになったと、2月18日の東京新聞が報道している; 事故が相次いでいる運動会の「組み体操」をめぐり、千葉県相市教育委員会が2016年度から、市立小中学校での全面的禁止を検討していることが、市教委への取材で分かった。25日の教育委員会議で正式に決定、15年度中に全校に伝達する見通し。スポーツ庁の担当者は「全面的に禁止するのは聞いたことがない」としている。 市教委によると5日、同市の校長会から廃止を検討するよう要請があった。市立小中学校では15年度、組み体操の練習中にけがを負い、病院に搬送されたケースが約40件あった。 市教委の幹部は「団結力が深まるメリットがある一方、けがのリスクもある。その両面を判断して、市内の各校長が禁止を選んだ」と説明している。 組み体操をめぐっては、大阪市教委が「ビラミッド」と「塔(タワー)」の禁止を決定、さらに組み体操自体の禁止も検討している。千葉県松戸市教委も組み体操の廃止を含め、安全対策の見直しを進めている。◆被害生徒の母「良かった」 柏市教委が組み体操の全面的禁止を検討していることについて、組み体操の事故で重傷を負った同市立中学3年生の男子生徒(15)の母親(44)は17日、本紙の取材に「本当に良かった。同じような事故を防ぐことができる」と喜びの声を上げた。 男子生徒は昨年9月、体育祭の練習中に四つんばいに積み重なる5段「ピラミッド」の上部2段目から落下。約2・5メートルの高さから後方に落ちて、右太ももを地面に打ち付けて骨折。手術を受けて1カ月以上、入院した。本紙が昨年10月に事故を報じてから4カ月以上たった今も、足の装具は外れないという。取材当時、「落ちた時は死ぬかと思った。けがが続くなら組み体操はやめた方がいいと思う」と答えていた。 生徒は今も、右太ももから足首にかけて金属製の装具をつけて生活。走れず、体育も休み、完治のめどはたたない。受験生の生徒に代わり、母親はこう訴えた。「たった一度の組み体操の落下で、希望がくだかれる。この苦しみは当事者にしか分からない」。同じ中学に通う生徒の弟が、組み体操をやらずに済みそうなことが救いだという。2016年2月18日 東京新聞朝刊 12版 31ページ「柏市 組み体操全廃へ」から引用 柏市教育委員会が組み体操禁止の方針を決めたことは、全国の小中学生に取って朗報と言えます。団結力が深まるとか、達成感があるとか、いろいろ感動的な要素があるからと言って、命がけのパフォーマンスを全生徒に強要するのは、教育的見地から言っても、いかがなものかと思います。そのような観点から、柏市教育委員会の決定は英断であったと思います。ところが、この報道の2、3日後は、東京都教育委員会が、組み体操の実施に当たっては注意を呼びかけるが、禁止まではしないという決定をしたとの報道がありました。本来であれば、組み体操をやるかやらないか、各学校が自主的に判断して決めればよさそうなものですが、そこは横並び意識の強い日本人、お上の指示もないのに勝手なことをやって周りから奇異の目で見られるのは避けたい、などと言っていては児童生徒の健全な成長は望めないのではないかと危惧されます。
2016年03月03日
高文研から発売された新刊「沖縄は『不正義』を問う」について、18日の東京新聞は次のように紹介している; 「採るべき道は自明だろう。新知事も議員たちももう一度結集し、手を携えて、沖縄に犠牲を強要する『見て見ぬふり』の壁に穴をうがってほしい」。2014年12月16日の沖縄県紙琉球新報の社説はこう結ばれている。 米軍普天間飛行場の県内移設に反対し、翁長雄志知事を誕生させた「オール沖縄」の民意が、衆院選でも移設反対候補を全員当選させた際の社説だ。沖縄に犠牲を強要する「見て見ぬふり」の壁とは何か。 それは日米の両政府はもちろん、本土の人間、本土メディアのことだ。琉球新報は、この壁がもたらす不正義に苦しむ県民を励まし、歴史と民主主義、自治、民意をよりどころとして長年、告発を続けてきた。 琉球新報の社説をおさめた新刊「沖縄は『不正義』を問う-第二の”島ぐるみ闘争”の渦中から」=写真=が、高文研から発売された。14年1月から15年12月にかけて同紙に掲載された辺野古新基地問題をめぐる社説、論説委員らの特別評論を読むことができる。 「戦後70年間、沖縄はもう十分過ぎるほどこの国の安全保障に貢献してきた。これからは国民全体で安全保障の受益と負担を分かち合うのが筋だ」 「政府は沖縄の反対が極論であるかのように言うが、普天間飛行場をなくしたところで、国内の米軍専用基地の沖縄への集中度は73・8%から73・4%へ、わずか0・4ポイント下がるにすぎない。これが過大な要求だろうか」 辺野古新基地は日本政府だけがこだわる。オバマ米大統領も「唯一」とは言っていない。新基地が本当に唯一の選択肢なのか。社説や評論は情理を尽くして明快に「ノー」を説く。 今、翁長知事による辺野古押埋め立て承認の取り消しをめぐり、国と県が複数の裁判で争う。新刊には知事が陳述した意見書全文もおさめられている。本土の人間には必読の書だ。(特報部長・大場司)2016年2月18日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本土へ発信 不正義と闘う沖縄」から引用 本土の新聞が報道する沖縄は、選挙で誰が勝ったとか県民は基地反対でも政府は建設の意向であるという表面的な報道しかなされていないので、私たちは沖縄の本当の問題になかなか向き合うことができません。このたび出版された「沖縄は『不正義』を問う」は、本土の人間の情報不足を補うに余りあり、紹介する記事を読んだだけでも、例えば普天間基地を今すぐ廃止しても、日本国内に存在する米軍基地の0.4%が減るだけに過ぎず、日米安保体制には何の影響もないことが分かります。しかし、日本政府は普天間基地を辺野古に移転しないと安全保障政策に重大な問題が生ずるかのような言動に終始しているのは、有権者には隠したい別の理由が日本政府にあるからと推測されます。マスコミや国会の野党は、この問題をもっと掘り下げて追求するべきだと思います。
2016年03月02日
自分はテレビ報道の内容を規制する権限を持つなどという暴言を吐いた高市総務大臣の発言について、読売新聞も2月14日の社説で、次のように批判している; 放送局を巡る高市総務相の発言が、国会内外に波紋を広げている。 高市氏は、衆院予算委員会で、放送局が政治的に公平性を欠く報道を繰り返した場合、電波法に基づく電波停止を命じる可能性があるとの認識を示した。 民主党議員に「憲法9条改正に反対する見解を相当の時間にわたって放送しても停止になるのか」などと質問された際の答弁だ。 高市氏は「1回の番組ではあり得ないが、ずっと繰り返される時に、罰則規定を適用しないとまでは担保できない」と述べた。 野党からは「放送局の萎縮を招く」といった批判が相次いだ。与党内でも、「政府が統制を強めることには基本的に慎重であるべきだ」との声が上がっている。 総務相は放送免許の許認可権を持つなど、放送局に直接、権限を行使できる立場にある。 高市氏は「再発防止が十分でないなど極端な場合」と限定はしている。だが、今、放送局側に特段の動きがないのに、電波停止にまで踏み込んだのは、言わずもがなではないか。 福田内閣や菅内閣でも、電波停止命令の可能性に言及した国会答弁はあったが、これまで、放送番組の内容を巡り、停止命令が適用されたケースはない。 放送番組を制作する上で、憲法が保障する表現の自由は最大限、尊重されなければならない。 放送法は1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」とうたっている。 4条は、政治的に公平で、事実を曲げない報道を求めている。放送局は自律的に、公正かつ正確な番組作りに努める必要がある。 政府は、選挙中に特定の候補者を紹介したり、国論を二分する問題で一方の見解のみを取り上げたりする番組は、政治的な公平性を欠くとする統一見解を出した。 放送は公共財の電波を利用していることも忘れてはなるまい。 個々の番組の内容に問題がある場合には、NHKと日本民間放送連盟によって設立された第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が調査し、放送局に対する意見や勧告を公表している。 こうした自浄作用は、有効に機能していると言えよう。 政府関係者は放送内容に関し、安易な口出しを慎む。放送局も多角的な論点を視聴者に提供する。そうした取り組みを重ね、視聴者がニュースへの理解を深める番組を制作してもらいたい。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160213-OYT1T50141.html 日頃は安倍応援団の読売新聞も、さすがに民主主義の根幹に関わる高市大臣の暴言は看過できないと考えたらしい。この問題にまつわる種々のポイントもよく整理された、読みやすい文章である。この問題を取り上げると、常連のコメンテーターからは必ず「民主党政権下でもあったじゃないか」というコメントが書き込まれるが、それは福田政権下でもあったことで、しかもそれは特定の番組を取り上げて論じられたものではなかったという指摘は、議論を整理する上で当ブログの常連さんには有益な情報と思われる。また、放送番組を制作する上で最も大切なのは「表現の自由」であること、放送法第4条は放送局が自律的に「公平、公正」を心がけることを求めているのであって、政府に取り締まりを求めているものではないこと、などがよく分かります。また、BPOには放送局出身者が多くいるから、やってることは「お手盛り」だなどと誹謗する人もおりましたが、そのような事実はないのであって、第三者機関として有効に機能していると、読売新聞も評価しています。あの読売新聞に、こう書かれると、妙に説得力があります。
2016年03月01日
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