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山本太郎議員、「皇室政治利用」で処分も=参院、1日に対応協議山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡したことに関し、与野党からは31日、皇室の政治利用に相当するなどとして、山本議員への批判が相次いだ。山本議員の処分を求める声も上がっており、参院議院運営委員会は11月1日午前に理事会を開き、対応を協議する。山本議員の行動について、自民党の脇雅史参院幹事長は取材に対し「国会議員としてあるまじき行為で、相当の処分が必要だ」と強調。公明党の石井啓一政調会長は衆院議員会館で記者団に「皇室の政治利用になりかねない問題だ」と指摘した。民主党の大畠章宏幹事長も記者会見で、「国会議員だから何をしてもいいということではない」と苦言を呈した。参院事務局によると、国会外での議員の言動を理由に懲罰動議が提出された例はないが、参院規則は「議院の体面を汚し」た場合も処分の対象としている。山本氏の問題を取り上げる議運理事会では、厳しい対応を求める意見が出る可能性がある。---何となく、田中正造が足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴状を渡そうと試みた古事に習ったのかな、という気がします。もっとも、明治憲法下はいざ知らず、現在においては天皇に何か政治的な決定権があるわけではありません。それなのに「直訴状」を渡したって、何がどうなるわけでもないだろうと思います。そういう観点では、あまり意味のある行動ではないな、と思います。手紙の趣旨は「原発事故の収束にあたる労働者が劣悪な環境で作業している現状を知ってほしかった」ということだそうで、それだけの内容なら、天皇だって当然知っているはずで、その点でも意味ある行動とは思えません。ただ、政治利用、というのはどうなんでしょうか。何かを要求する内容ならそういわれても仕方がないでしょうが、単に「知ってほしい」という趣旨の手紙を渡すことが政治利用なのでしょうか。そうだとすると、そもそも国会議員という地位にある人間が「園遊会」で天皇と話をすること(それをマスコミが報じること)自体が、既に政治利用と言えるのではないかと思えます。まさか、園遊会に招待された国会議員が山本太郎一人のわけがないですよね。だから、政治的利用を云々するなら、園遊会に政治家を招待することや、マスコミがそれを報じること自体をやめてしまえばいいのにって私などは思ってしまいます。天皇に殴りかかったとか罵声を浴びせたとか、渡した手紙に剃刀が仕込んであったとか、そういう話だったらとんでもありませんが、単に手紙を渡したというだけで(手紙の内容が誹謗中傷的だった、というなら別ですが)、理事会で対応を協議するような、そんなおおごとなんでしょうかね。国会でもっと時間をかけなければならない重要な課題はいっぱいあるように思うのですが。こんなことで懲罰動議、なんてことになったら、そっちのほうが問題です。まあ、いくら何でも除名などということにはならないだろうけど(そんなことをやったら、民主主義の自殺です)
2013.10.31
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脱原発新党「作る気ない」小泉元首相、社民袖に小泉純一郎元首相は29日、東京都内で社民党の吉田党首と会談した。吉田氏が脱原発での連携を要請したところ、小泉氏は「それぞれの党が脱原発に向けて努力すべきだ。自分も主張を続けていく」と話すにとどめた。脱原発を結集軸とした新党結成については「新党を作る気はない」と否定した。会談後、吉田氏が記者団に明らかにした。社民党は小泉政権が進めた構造改革路線を批判してきただけに、党内には「小泉氏の人気にあやかった動きだが、脱原発以外の政策は全然違う」との冷ややかな見方もある。小泉氏の次男の小泉進次郎復興政務官は29日、国会内で記者団に「父が誰と会うかはコントロールできない。家族も色々だ」と語った。ーーー社民党と小泉といえば、かつては不倶戴天の敵同士でした。小泉政権下のいつの選挙の時だったか、社民党の選挙CMで、「本当に恐ろしい者は、最初は人気者の顔をしてやってくる」というようなフレーズを、当時の土井たか子党首のナレーションで製作したところ、テレビ局から放送を拒否されるという事態がありました。「最初は人気者の顔をして」というのは、明らかに、当時高い支持率を誇った小泉純一郎その人のことを指していることが明らかだったからでしょう。それから時代が変わって、何と社民党と小泉が連携を模索するような時代になるとは、思いもしませんでした。読売新聞の見出しには、 袖にとあり、新党を作る気はない、と言ったと書かれています。この記事だけを読んだら、社民党側から新党結成を持ちかけられて拒否されたように読めます。そのため、「いくら脱原発で一致するからって、あの小泉と新党結成とは社民党も節操なさすぎでは、と思ったけれど、他のソースを見ると、社民党側からそんなことを持ちかけたわけではなく、小泉の側が先に、予防線を張るように、新党を作る気はないと言っただけのようです。それぞれの党が努力すべきだ、というのは、そのとおりでしょう。すでに政界を引退している元首相が今から新党結成なんてことはなかなか考えにくいし、極小政党になっても孤塁を守り続けている社民党が、小泉と一緒に新党ということも、まず考えにくい。それに、脱原発以外の政策が全く違う社民党と小泉が同じ党に結集してもうまく行くはずはありません。しかし逆に、他の政策では水と油でも、脱原発だけは一致するなら、その一点についてのみ共闘することはできるはずです。また、それもできないようでは、強大な原発ムラを相手に脱原発の実現など覚束ない。私自身、選挙の度に、投票の半分近くを社民党に投じている「半分支持者」という立場として、「あの」小泉にあえて会談を申し入れた社民党の判断にも、それに応じた小泉の姿勢にも、敬意を表したいと思います。こうやって公然と会談を持つこと自体が、ひとつの連携であることは間違いないでしょう。そういえば、共産党も引退した自民党の元議員を機関紙に登場させたことがありました。しかし、小泉を紙面に登場させることまではできないのかな、それとも、水面下で打診して拒否されたのか。
2013.10.30
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首相動静報道「知る権利超えているのでは」 自民・小池氏、見直しに言及自民党の小池百合子元防衛相は28日の衆院国家安全保障特別委員会で、首相の1日の行動を報道する「首相動静」について「国民の『知る権利』(の範囲)を超えているのではないか」と述べ、見直すべきだとの認識を示した。機密を漏らした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法案をめぐり、国によって秘密の範囲が拡大解釈され情報統制が強まる懸念が出ているだけに、発言は波紋を呼ぶ可能性がある。政府側の答弁はなかった。小池氏は、諸外国は動静を基に首相の動向をチェックしていると指摘し「知る権利もあるが、何を知り、何を伝えてはいけないかを精査してほしい」と強調した。---秘密保護法案を巡る問題に関して、「知る権利」を条文に書き加えることで政府は法案成立を目指しています。ところが、その肝心の「知る権利」について、防衛大臣という地位にあった与党の政治家がこんなことを言っている。政権が「それは知る権利を超えている」などと理屈をつけて、「知る権利」の範囲を恣意的に制限できるなら、「知る権利」などまったくの空文でしかありません。私は、日本国の最高権力者である首相がどこで誰と会った、という動静は、報じられるべきだし、知る価値があると思っています。「諸外国は動静を基に首相の動向をチェックしていると指摘」したそうです。まあ、そりゃそうでしょうが、その何が問題なのか私には分かりません。日本国内で日本人に向けて報じられていることが、外国に知られるのは当然でしょうし、知られて困るんでしょうか。たとえば、日曜日の毎日新聞に掲載された首相の動静(その前日土曜日の動き)は、以下のとおりです。(面倒なので、地名は省略しました)午前9時57分公邸から防衛省。自衛隊殉職隊員追悼式に参列し追悼の辞、献花。11時1分公邸。20分衛藤晟一首相補佐官。56分ホテルオークラ。日本料理「山里」でタクシン元タイ首相と会食。衛藤氏同席。午後1時7分公邸。9分谷川栄一首相補佐官。2時47分ホテル「グランドハイアット東京」。「NAGOMIスパアンドフィットネス」で運動。6時33分ホテルグランドパレス。宴会場「白樺の間」で「長州友の会」の懇親会。8時5分私邸。会った相手にが無名の市民の場合は名前までは出ないし、会ったことを知られたくない場合は、あの手この手でカモフラージュするので、やはり相手の名は出ない。もちろん、そこを頑張って突き止めるのはマスコミの自由です。個別具体的な疑惑が何かある場合でなければ、そこまではやらないでしょうが、調べる自由はある。そこを、法律を振りかざして報道制限をするようなことになったら、もはや言論の自由は死んだようなものです。話は変わりますが、報道によれば、米国はドイツの首相の携帯電話を盗聴していたそうで、ドイツ側は米国政府を非難しています。でも、盗聴されていたのはドイツの首相だけなんでしょうか。遡れば、太平洋戦争直前の時期(もちろん、その当時日米は敵対していた)米国は日本大使館の発する公電をみんな盗聴して、暗号も解読して内容が筒抜けになっていたのはよく知られているとおりです。では、日本が米国の属国、いや同盟国になった戦後は?元CIA職員スノーデンの暴露した情報によれば、米国の諜報機関は38カ国の大使館とEU本部を盗聴しており、日本大使館も盗聴の対象に入っていたと報じられています。また1995年には日米自動車交渉で、橋本通産相ら日本代表団の通話がCIAに盗聴されて筒抜けになっていたことが、後に報道されています。日本大使館も盗聴していた米国家安全保障局でも、日本政府はその件でドイツのように米国の諜報機関の行動を非難しようとはしません。属国だから宗主国には逆らえないからなのか、自分自身も似たことをやっているから他人のことは批判できないのか、どうなんでしょうね。いずれにしても、です。情報機関は盗聴までやって外国の首脳の動向を探っているというのに、新聞に報道される首相の動向が諸外国にチェックされることに、今更神経を尖らせて、何になるのでしょうか。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
2013.10.29
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昨日の記事に書いたように、この週末は3日連続で演奏でした。非常に楽しかったぬ反面、体力的にはきつかったです。そして、金曜土曜は台風の接近で天気が非常に悪く、昨日は台風が去ったため一変して快晴になりました。そのせい、かどうかは分かりませんが、笛のピッチに苦労しました。こんなに振り回されたのは初めてかもしれない。私が現在メインで使っている笛は、↓この写真の上のケーナと下のケーナの2本です。(真ん中の、高緑色のケーナは使っていません)上のケーナは木製でピッチが高め、下のケーナは竹製でピッチは低めです。上のケーナはとても肉厚で、下のケーナは比較的肉厚が薄い。どちらも3オクターブの音程には問題あり(3オクターブのピッチがピタリと決まっているケーナなんて、見たことないけど)音量は、竹のケーナはかなり出ます。木のケーナは猛烈に出ます。こちらの写真は吹き口部分です。肉厚の差が分かるでしょうか。肉厚のあるケーナは、多少吹きにくいのと、音を出すのにパワーを要します。私は現在3つのグループで演奏しています。「キラ・ウィルカ」「ティエラ・クリオージャ」「エストレージャ・アンディーナ」の3グループです。で、この3グループの音程を低いほうから高いほうに順番に並べると、今書いたとおりになります。「キラ・ウィルカ」は音程が非常に低いので、竹のケーナを使っています「ティエラ・クリオージャ」は、木のケーナを使ったり竹のケーナを使ったりです「エストレージャ・アンディーナ」は音程高めで、木のケーナを使っていますフルートやリコーダーのように頭部管が独立していて、抜き差しで音程調整ができればいいのですが、できないので、その時々でピッチの合うケーナを選ぶことになります。音程高め低めと言っても、結局のところ管楽器の相方のケーナのピッチ次第、ということです。弦楽器の調律はどうとでもなりますから。ちなみに、サンポーニャの場合は、その度に米粒を管に入れて音程を調整するので、楽器を変える必要はありません。で、金曜夜、台風近づく中での「エストレージャ・アンディーナ」の演奏は、いつもより音程が高めだった。いつもは、このグループでは木製のケーナと決めていますが、この日は木のケーナにするか竹のケーナにするか、だいぶ迷いました。結局木のケーナにしましたが。サンポーニャも、いつもは米粒をかなりの量投入するのに、この日はちょっと米粒を入れるだけで、充分な音程まで上がったし。一方、昨日一昨日と2日続けて演奏した「ティエラ・クリオージャ」は、笛の相方が何度か変わっています。最初の相方ケロヨン氏、その後の牛のおねーさん(本来は太鼓担当、太鼓の皮が牛皮なので、うちの子に「牛のおねーさん」と呼ばれていた)、いずれもケーナのピッチは低めだったので、私は竹のケーナを使っていました。ところが、今回新たなケーナ奏者、みっちゃん氏をお迎えしたところ(20年も前からの知り合いなのに、一緒に演奏するのは初めてなのでした)、彼女のケーナはやや高め。練習の度に、竹のケーナの方がピッチがあう時と木のケーナの方がピッチがあう時がありました。土曜日は、まだ台風接近中で天気が悪く、竹のケーナの方がピッチが合ったので、こちらを使いました。ところが、日曜になると状況が一変。晴天で気温も低かったせいでしょう。午前中の屋外演奏で「コンドルは飛んでいく」の前奏を吹き始めた瞬間、強い向かい風が来たら、とんでもなく低いピッチになってしまいました。何しろ、室内だけで音出しをしてていたので、外で音を出した途端に、あまりのピッチの下がり方に仰天。どうにもならず、イントロが終わった瞬間ケーナを音程高目の方に持ち替えました。これは屋外演奏です。しかし、午後になって屋内での演奏になると、室内は屋外より気温も湿度も高くなったためでしょうか、いつの間にか笛のピッチも上がっていたようです。ま、ケーナに関してはそんなに音程が高くなったわけでもありませんし、3オクターブは音程が低いくらいです※。※3オクターブの音程が低いのは、気温も湿度も関係なく、いつでもそうです。だから、指穴の一部をちょっとだけ空けて音程上げるのですが、速いフレーズだとそんな芸当も困難。音程が明らかにあがりすぎてしまったのはフルート。実は今回1曲だけフルートの曲を入れたのですが(メキシコの「シエリート・リンド」)、音程があまりに上がってしまい、ちょっと聞き苦しい。しかも、それに吹いているときは気がつかなくて、後で音源を聞いて気がついたという情けない状態。音程をどうやって上げようかと、そればかり四苦八苦していたら、いつの間にか上がり過ぎだったようで。そういえば、もともとフルートを吹き始めたころはいつも音程が上がりすぎて苦労していたことを、すっかり失念していました。フルートでは、ケーナやサンポーニャと違って、音程が低すぎて困った経験など一度もないのでした。それにしても、笛の音程って、本当に難しいです。サンポーニャにしても、いくら米粒で調整しても、唇の位置次第で音程が変わるので、正確な音程はしょせん無理なのです。結局は、気温が湿度がといっても、やっぱり一番問題なのは自分の吹き方、ということになりそうです。
2013.10.28
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金土日と3日間連続で演奏してきました。金曜夜、台風が近づく中、「エストレージャ・アンディーナ」というグループで、とあるパーティー(の、ようなもの。詳細は省略)に招待されて演奏してきました。ただ、録音はしたのですが、話し声などが多くて、あまりうまく取れなかったので、2週間ほど前に練習したときの音源から。曲は「メスティソの大地」Tierra Mestiza メキシコのロス・フォルクロリスタスというグループの曲です。そして、土日は、何度か告知したとおり、中野区新井地域センターのまつりで演奏してきました。例年は日曜1日だけの参加なのですが、今年に限って土日2日続けての演奏。サンポーニャを吹きすぎて、下唇の下が擦り切れそうでヒリヒリしています。今日の演奏から、屋内での演奏と屋外での演奏を1曲ずつ。どちらも踊りつきです。ラ・ボリビアーナ(ボリビアの娘)とタイトルが付いていますが、アルゼンチンの曲です。クエッカという舞曲で、1番は歌、2番はケーナ、踊りは2番から入っています。本当は男女のペアで踊りますが、踊り手の人材不足(?)により女性2人のペアでの踊りになっています。もう1曲は、実はフォークダンスサークルと沖縄エイサーのみなさんが踊りに加わってくれました。この曲、私は今回の演奏で初めて知りましたが、フォークダンスの世界では知られている曲らしいです。ボリビアのトナーダです。YouTubeで検索する限り、同じひとつの音源で踊っている映像しか見つかりません。おまけ、昨日の大妻中野中学校・高等学校吹奏楽部の演奏より、「あまちゃん」のテーマ曲です。(私自身の演奏ではないので、そのうち削除するかもしれません。)80人の大編成での演奏です。もう一組、中野で活動するアーサー・シンフォニック・ウィンズ・トーキョーという吹奏楽団も演奏しました。こちらは更に上手かったのですが、録音しそびれてしまいました。それにしても、同じ場所で吹奏楽とフォルクローレをやると、吹奏楽に比べたらフォルクローレって実に単純な音楽だということを感じます。もちろん、単純な音楽としいうのは劣った音楽という意味ではありません。良し悪しはまた別の問題です。単純な音楽故のよさがあると思っているからこそ、私はずっとフォルクローレをやっているんですけど、吹奏楽は吹奏楽で、やはりフォルクローレとは違った良さがある。
2013.10.27
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秘密保護法案の「適性評価制度」 一般国民の「プライバシー」を侵害するか?この秋の臨時国会で、政府が成立を目指す「特定秘密保護法案」。外交や防衛、スパイ活動やテロ活動の防止など、主に安全保障に関する情報の保護が目的で、情報漏えいの罰則強化や、そのような情報を扱う人物への「適性評価」の実施といった内容が盛り込まれている。(中略)「特定秘密保護法案の柱の一つが、適性評価制度です。この制度は、特定秘密を取り扱わせる国家公務員等の適性を評価する制度です。対象者は、国家公務員や都道府県警察職員のほか、国との契約関係にある民間会社や大学、研究機関職員などです」どのようなことを調査して、評価をおこなうのだろうか。「まず、特定有害活動やテロ活動に関する事項が調査されます。特定有害活動とは、外国の利益を計る目的で、我が国の安全保障に支障を与える恐れがあるものを取得したり、大量破壊兵器とその運搬手段に関わるものの輸出入を行ったりする活動のこととされています。さらに、犯罪歴や薬物乱用歴、精神疾患歴、飲酒癖、借金情報などが調べられます」このような事項について、評価対象者の知人をはじめとする関係者に質問したり、公務所や公私の団体に照会するといった方法で、調査をするのだという。つまり、調査対象は、適性評価の対象者だけではないのだ。「調査対象となるのは、評価対象者だけではなく、その同居人や配偶者、父母・子・兄弟姉妹・配偶者の父母とその子と広範囲に及びます。たとえ親族関係がなくても、同居している恋人や内縁の配偶者は調査対象となります。このような人たちの氏名や生年月日、国籍が、国家の手で調べられることになるのです」(以下略)---特定秘密保護法案の問題点については、これまで何度か知る権利の侵害という側面から取り上げてきましたが、この法案の問題点はそのことだけではないようです。秘密情報を取り扱うものに対して、適性評価という名の身辺調査をやる、と言うのです。実際の法案は、以下のような条文になっています。第十二条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価(以下「適性評価」という。)を実施するものとする。 (略)2 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする。 一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)二 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項三 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項四 薬物の濫用及び影響に関する事項五 精神疾患に関する事項六 飲酒についての節度に関する事項七 信用状態その他の経済的な状況に関する事項 ---秘密を取り扱う本人だけではないし、犯罪歴やテロリズムとの関係だけでもないのです。飲酒の節度だの信用状態だのという、明らかにプライバシーに属する部分を、本人ばかりでなく父母・子・親兄弟・配偶者(事実婚も含む)・配偶者の父母・子・その他の同居人。つまり一族郎党全員を調べるというわけです。対象になるのは、「特定秘密」の取扱いに従事する人全般で、国家公務員ばかりでなく、一部地方公務員や民間企業の従業員(たとえば軍需産業の関係者とか)まで含まれるようです。その人数は、国家公務員だけで64000人(外務省・防衛賞・警察庁)と政府は言っているそうです。地方公務員・民間企業まで含めるとどのくらいなのでしょうか。10万人くらいでしょうか。しかも、前述のように本人だけではない。独身の一人っ子だとしても、本人と両親の3人。既婚者で子どもがいれば、1人の対象者に対して、夫婦それぞれの両親、本人の兄弟、子ども・・・・・・調査対象が10人を超えることすら珍しくはないでしょう。ということは、調査対象は数十万人ということになります。政府がここまで誰も彼も手当たり次第に一般国民のプライバシーを握る、そんな権限を持って良いはずがないと私は思います。だいたい、数十万人もの身辺調査にはどれだけの費用がかかるのか。挙句の果てに、その身辺調査のデータが流出したりしたらどうするのか。それこそ、身辺調査(適性評価)に従事する者の身辺調査が必要だ、ということになります。身辺調査結果が特定秘密に含まれているのかどうかは知りませんけど。こんな制度がとおってしまえば、それこそ歯止めなく監視社会への道が開かれてしまうことになりそうです。
2013.10.25
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現役の霞ヶ関のキャリア官僚が書いたという「原発ホワイトアウト」を読みました。非常に面白く、かつ恐ろしい内容でした。もちろんこれは小説なのですが、原子力ムラが何を考え、何をやってきたか、これからもやっていこうとしているか、実に分かりやすい。ただ、幸か不幸かこういう小説が世に出てしまった以上、さすがにまったく同じ策、同じ経過で再稼動に持っていくことはやりにくいでしょうね。原発ムラに羞恥心というものがあれば、ですが。自民党の中では数少ない脱原発派の河野太郎によると、霞ヶ関では「きっと官僚が書いたに違いないと、犯人探しまで始まっている」のだそうです。原発:「建て替え」明記検討 政府、依存を継続政府・自民党は23日、中長期の原子力政策として、既存の原発の敷地内で旧炉を新しい炉に更新する「リプレース(建て替え)」を打ち出す検討を始めた。年内にまとめる政府のエネルギー基本計画に明記する方向で調整する。安倍政権は規制基準をクリアした原発の再稼働を進める構えで、将来も一定の原発比率を保つ方針を明確にする狙い。しかし東京電力福島第1原発事故の収束が難航するなか、原発依存の継続と受け取れる表現には強い反発が見込まれ、調整の難航は必至だ。基本計画では、原発を含めたエネルギー構成の「ベストミックス」に言及し、原発を重要・基幹電源と改めて位置づける案も浮上している。一方、既存の国内原発の敷地内で炉を増やす「増設」の表現も検討するが、実現の可能性が乏しいため慎重論は強い。全く別の立地で行う「新規建設」は、「事故以降、住民の理解が得られる見通しがない」(自民党幹部)として記述を避ける方向だ。安倍晋三首相は今後の原子力比率を引き下げるとしつつ、原発再稼働は「世界で最も厳しい安全基準で判断する」としている。だが国内で多くの原発が停止する中、原発の寿命を40年とした場合、更新や新増設をしなければ、停止中の原発を含めて2049年には原発がゼロになる計算だ。このため政府・自民党内には、原発の新規立地よりも従来の原発立地を活用する方針を基本計画で示し、「安全性・発電容量で勝る炉に建て替える」と訴えれば世論の批判をかわせる、との見方が出ている。それでも国民の原発不信を考慮し、将来の原発比率は明示しない。政府・自民党や財界では安倍政権の成長戦略も踏まえ、「日本経済の維持には一定の原発が必要だ」との意見が強い。同党の原発推進派でつくる電力安定供給推進議連(会長・細田博之幹事長代行)は、エネルギー基本計画への提言を12月初旬に提出する方針。議連幹部は「リプレースや新増設は考えないといけない」と述べ、計画策定を担う経済産業省・資源エネルギー庁を後押しした。ただ原発の維持にあたっては放射性廃棄物の最終処分場がないなどの課題も解消されていない。このため安倍首相は今後の原発再稼働の見通しや、世論の動向も見ながら方向性を最終判断する考えだ。---今更ながら、安倍政権は、原発依存から脱却しようという考えはこれっぽっちもなく、世論のほとぼりが醒めたら、また原発推進を継続する気たっぷりなわけです。結局のところは、震災の被害から何も学ばず、今までどおりの原発政策をそのまま続けたい、ということです。各電力会社が原発の再稼動に躍起になっているのは、既に建ってしまっている原発があるからです。原発の建設費は非常に高価です。火力発電のコストの大半は燃料代ですが、原発は施設の建設費がコストの大きな割合を占めます。だから、各電力会社は既に投じてしまった建設費を回収すべく、何とか原発を再稼動したいわけです。再稼動への賛否はともかくとして、そのそろばん勘定は理解できます。しかし、今から更に新しい原発を建設する、というそろばん勘定は、私には理解できません。「日本経済の維持には一定の電力が必要」なのは事実ですが、その発電手段が原子力であらねばならぬ必然性などないのです。そもそも、引用記事にも指摘されていますが、放射性廃棄物の最終処分場はまだ決まっていません。最終処分場が決まっていないということは、使用済み核燃料の持って行き先がない、ということです。現在、六ヶ所村の中間貯蔵施設はすでに使用済み核燃料でほぼ満杯であり、かろうじて空きがあるのは、各原発の核燃料貯蔵プールなのだそうです。それも、震災前の稼働率で原発を運転し続ければ、あと6年で満杯になるそうですが。各原発の燃料貯蔵プールが満杯になれば、原子炉内の使用済み核燃料を取り出すことができなくなり、新しい燃料棒を入れることもできなくなり、否応なく原発は運転不能になります。冷静に考えて、あと6年以内に最終処分場が稼動するでしょうか。「絶対に稼動しない」と断定して間違いないでしょう。場所を決めることだけなら、不可能ではないでしょうが、施設を建設して稼動するのに6年以内など、どう考えても不可能です。(幸か不幸か、今は原発が動いていないため、新たな使用済み核燃料は発生せず、満杯になる時期は先送りされていますが)ということは、政府がいくら原発推進の旗を降ろうが、新しい原発を建設しようが、最終処分が決まらない限りは近いうちに必ず原発が維持できなくなるときが来ます。安倍政権は、そういうことについて何も検討していないのでしょうか。世論さえ騙せば何とかなると思っているのでしょうか。そうなのでしょうね。
2013.10.24
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以前にも一度告知しましたが中野区新井区民活動センター「あらいまつり」10月26日(土)午後1時30分頃10月27日(日)午前11時過ぎ(屋外・雨天中止)/午後3時半前後(屋内)場所 中野区新井区民活動センター西武新宿線沼袋駅から徒歩10分・JR中野駅から徒歩15分出演 ティエラ・クリオージャまつりの詳細は、こちらのホームページを参照。26日「土曜コンサート・吹奏楽団がやってくる」 (13:00~)新井和太鼓クラブ (13:30~)中南米音楽愛好会Tiera Criolla&桃園フォークダンスサークル (14:30~)アーサー・シンフォニック・ウィンズ・トーキョー (15:00~)大妻中野中学校・高等学校吹奏楽部27日「音楽祭」 11時頃屋外での演奏(雨天中止・時間は目安です) 3時過ぎから屋内での演奏 演奏時間は、それぞれ20分程度ずつの予定台風の動向が気になるところですが、本州直撃は避けられそうなので、中止と言うことは多分ないでしょう。
2013.10.24
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「家族制度を守れるのか」 婚外子相続の民法改正、自民から慎重論噴出結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子と同等とするため政府が臨時国会での成立を目指している民法改正案に対し、自民党内で「家族制度を守れるのか」との慎重論が噴出している。与党内では公明党が改正に前向きだが、今後、自民党内の反発が強まれば来年の通常国会に先送りされる可能性もある。「民法上の法律婚と自己矛盾し、結婚制度を否定する話になる。私は政府の人間だが、おかしいと思う」西川京子文部科学副大臣は23日の党法務部会で、9月の最高裁決定に基づいた民法改正案に反対した。若手議員からも異論が相次いだ。「親が亡くなった途端に、親の面倒を見ていない(事実婚の)子供が遺産相続に現れることがあるが、許されるのか」「自民党は昨年の衆院選で『日本や家族の絆を取り戻す』と訴えて勝利した。家族制度を促す価値観をつくるのが立法府の仕事だ」弁護士出身の柴山昌彦前総務副大臣も「戸籍や住民票の実務で混乱が生じる可能性が否めない。最高裁決定は尊重しなければいけないが、いかに家族制度を守るかパッケージで議論しなければいけない」と指摘した。党内で慎重論が強いのには理由がある。法律婚と事実婚の法的な格差をなくせば国民の結婚観や家族観に誤った影響を与えかねず、事実婚が増え、家族制度が崩壊しかねないという懸念が拭えないからだ。最高裁決定が婚外子の相続差別を違憲とした理由に「社会動向や家族形態の多様化」を挙げたことにも、「根拠が曖昧だ」との批判がある。それでも政府高官は23日、「最高裁決定を受けた法改正だからやるしかない」と語り、あくまでも臨時国会で民法改正案を成立させる意向を示した。公明党の石井啓一政調会長も「速やかに法的措置を取るべきだ。自民党は検討作業を急いでほしい」と早期改正を求めた。自民党法務部会は近く民法改正案の法案審査に入る予定だが、大塚拓法務部会長は23日、記者団に対し「(党内了承の)見通しは分からない」と語った。婚外子相続に関する最高裁決定 最高裁大法廷は9月、結婚していない男女間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定を「違憲」と判断した。理由に「社会動向や家族形態の多様化、国民意識の変化」などを挙げた。---この民法改正案は、婚外子の遺産相続を結婚した夫婦の子の半分とする民法の規定について、最高裁が9月に違憲判決を出したことを受けてのことです。このときの違憲判決に対するネット上の反応については、記事を書いたことがあります。婚外子差別違憲判決ネトウヨの脊髄反射的な反応の低レベルぶりに呆れていたら、自民党の国会議員連中もまた、ネトウヨと同レベルの脊髄反射をしているというのです。ま、もはや自民党の国会議員などネトウヨとほぼ同化していると考えれば不思議なことではないのかもしれませんが、何というか暗澹たる気分になります。「家族制度を守れるのか」だそうですが、婚外子をもうけることが家族制度の破壊だとすれば、婚外子をもうけてしまった時点でそうなっているはずです。それから何十年か経って、父親が亡くなったときに遺産相続の配分がどうなる、という時点に至ってから、家族制度が守れるもなにもないでしょう。「民法上の法律婚と自己矛盾し、結婚制度を否定する話になる。」というのも、まったく理解できない言い分です。法律婚とどこが矛盾し、どこが結婚制度を否定しているのでしょうか。子どもについてはともかく、「妻」に関しては法律上の妻には遺産の半分の相続権がありますが、婚外子の母親である女性の相続権はゼロです※。その点については違憲判決が出たことはないし、もちろん法改正も行われません。※法律上の妻との間に子どもが1人、不倫相手との間に子どもが1人という例で考えると、遺産相続割合は今まで 妻1/2、嫡子1/3、婚外子1/6↓改正後 妻1/2、嫡子・婚外子とも1/4ということになります。「親が亡くなった途端に、親の面倒を見ていない(事実婚の)子供が遺産相続に現れることがあるが、許されるのか」これについても、先の記事で指摘しましたが、嫡子であっても、親の面倒など見ない子どもはいくらでもいて、それなのに親が亡くなった途端に遺産相続に現れる、なんて例は掃いて捨てるほどあります。親の面倒を見た子どもと、何も面倒を見なかった子どもで相続権が対等なのか、なんてトラブルはいくらでもある。でも、法律上相続権は対等。これは仕方がないことです。嫡子同士であっても、親の面倒を見た貢献度別に相続権に差をつけるような法改正をするんですか?それなら、上記のような言い分も説得力を持ちますが、そのような改正が行われる予定はないし、現実的に無理です。そうである以上は、「現にそういう子どもに相続を許す制度になっているのに、今更何いっているの?」と言うしかありません。なお、嫡子と婚外子の関係は、様々なパターンがあります。9月に違憲判決が出た例は、父親は法律上の妻との結婚生活は破綻して、実際には不倫相手の女性と同居していた。だから、親の面倒を見ていたのも婚外子の側で、嫡子の側は親の面倒を見ていなかったようです。現実問題として、夫がよそで婚外子を作り、認知までしてしまったら(認知しなければ婚外子に相続権は発生しない)、元の妻との関係はまず破綻するでしょうし、そのまま離婚に至る例が大半でしょう。したがって、婚外子と嫡子で相続争いが生じる場合、上記のような例はかなり多いものと思います。一昔前の名士のように、父親が亡くなったら、突然「妾の子だ」という人物が現れて、などという事例は、婚外子の中でも多数派ではないだろうとおもいます。嫡子から見て「赤の他人」に遺産を横取りされた、と見えるような事例は、現行の規定の元でも多々起こりうることです。たとえば離婚後あるいは配偶者の死後に再婚した場合、再婚相手には当然相続権が生じますから、最初の妻との間の子から見れば、赤の他人に遺産をかっさらわれたようにしか見えないでしょう。実際、そういう種類のトラブルを耳にすることはありますね。悪女が後妻に入って遺産を横取りした、みたいな。でも、だからって、「再婚相手には相続権を認めない」なんて相続制度にできますか?できるわけがありません。同じく、前述のように、親の面倒を見た程度で相続権に差を付ける相続制度だってできるわけがないのです。結局、どうやったって相続権で不利になって憤慨する人は出てくるし、それは仕方のないことです。すべての当事者がいつも納得できるような相続制度なんて、存在しない。であれば、次善の策は機械的に公平にすることしかありません。それにしても、違憲法令審査権がある最高裁から「違憲だ」という判決が出ているのに、それに従わないとしたら、国会が自ら憲法を破るのと同じことになります。法治国家たることを自ら放棄しようと、民法改正に反対する議員たちは思っている、ということなんでしょうか。「法律婚と事実婚の法的な格差をなくせば国民の結婚観や家族観に誤った影響を与えかねず、事実婚が増え、家族制度が崩壊しかねないという懸念が拭えない」というのは、いかにも産経的論法だなと思いますね。不倫が増えることは確かに好ましくはありませんが、事実婚が増えることは、何か問題があるのでしょうか。ひとつだけ確実なことは、事実婚を排斥するような態度を国が取り続ける限り、日本が少子化を脱することはない、ということです。結婚する男女が減っているもに、結婚した夫婦のあいだだけしか子どもが生まれないとしたら、論理的にいって当然そうなります。ま、子どもが増えなくてよいのなら、それでもいいでしょうがね。
2013.10.23
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ヘイトスピーチの在特会「いいこともした」竹田恒泰氏発言に抗議文 読売テレビ「そこまで言って委員会」20日放送の読売テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、竹田恒泰氏が在日特権を許さない市民の会(在特会)を「いいこともした」などと擁護したとして、NPO法人「コリアNGOセンター」(大阪市)が22日、「事実に反し、在日コリアンへの偏見を助長する」との抗議文を読売テレビに提出した。抗議文によると、番組では出演者が、ヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返し朝鮮学校の授業を妨害したとして在特会に街宣禁止や賠償を命じた7日の京都地裁判決の感想を述べ合った。竹田氏は在特会が「在日の特権を明らかにした」「在日が通名を日本名に変えて経歴を消し、犯罪ができるということを表現した」などと発言した。読売テレビ側は「詳細に抗議内容を検討している」と回答。竹田氏は旧皇族の竹田家に生まれ、保守派の論客として知られる。---「在日の特権」なんてものは「在特会」の妄想であって、日本国籍を持つ日本人より優遇されるような特権など何もありません。特別永住者の資格を持つもの(韓国・朝鮮籍が多いが、中国・台湾籍もいる)が、その他の在留資格、永住者や定住者、日本人の配偶者などよりも若干与えられている権利が大きい傾向はありますが、日本人より優遇されているわけではないのです。そんな人もうらやむような特権があるくらいなら、だれも韓国・朝鮮籍から日本国籍に帰化などしないはずですが、現実には多くの人が帰化しており、在日韓国・朝鮮人の人数は急減しています。それは、在日韓国・朝鮮人であるより日本国籍であるほうが、日本で生きていくうえではるかにメリットがある、ということです。いわば、日本人にこそ特権がある(それは当然のことであって批判すべきことではないにしても)からこそ、みんな日本人になりたいわけです。「在日が通名を日本名に変えて経歴を消し、犯罪ができる」というのは、意味がわかりませんが、通名を変えることができる、という意味でしょうか。確かに通名を変えることはできますが、その変更履歴はすべて役所の住基システムに登録されています。通名が、在日韓国・朝鮮人だけにある(それ以外の国籍の外国人にはない)特権だ、と思っている人がいるようですが、それも事実無根です。通名は、どんな国籍の外国人でも登録することができます。実際、日本人と結婚している外国人で、通名を使っている人は韓国・朝鮮籍以外にもいます。日本人と結婚している外国人の場合、配偶者の姓で通名を名乗っている例はまれではありません。ただ、通名の登録には、その通名が社会的に通用していることを証明する挙証資料が必要なので、それまで通名を使っていなかった外国人が、ある日突然通名を登録、というのは難しいことは事実です。でも、それは当然の話でしょう。ネット上の話では、何でも通名を32回変えた人がいるそうですが、それが事実かどうかはいささか怪しい。通名を複数回変えた人がいること自体は事実ですが、おおむね、通名をAからBに変えて、数年後にまたAに戻した、というような変更です。ひょっとしたら、それをABABABAと何回も繰り返す人がいるのかもしれません。あとは、女性の場合結婚と同時に通名を相手の姓に合わせて変える例が多いでしょう。不幸にして離婚した場合は、元の姓に戻す例が多いでしょう。再婚すれば再び・・・・・・ということで、結婚歴が何回もあれば、その分だけ通名の変更歴もある、という人は当然いるでしょう。でも、それは当然の話ですよね。日本人でも、もっぱら女性の場合結婚離婚によって性が何度も変わる人はいるし、もっと怪しい例としては、養子縁組によって姓をコロコロ変える人はいます。こちらは、通名ではなく本名の話ですが。いずれにしても、事実無根の「特権」なるものを挙げて、在特会というならず者集団が「よいことをした」などとテレビで放送するのは、あまりに問題があると綿多死も思います。※明らかに、日本人よりも法的・制度的に優遇されている外国人は、在日韓国・朝鮮人ではなく、在日米軍の将兵と軍属です。大使館員もそうですが、これは相互主義で日本の在外公館職員も外国で同じ扱いを受けています。→本物の「在日特権」はこれだ
2013.10.22
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核不使用声明:「いかなる状況でも」明記 日本署名へ国連総会第1委員会(軍縮)で、日本が初めて署名する意向を表明した核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明の内容が17日、判明した。毎日新聞が入手した声明の最終案では「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことが、人類存続の利益になる」と明言。米国の核抑止力を損なうとして、これまで同様の声明で日本が署名を見送る理由としてきた文言が盛り込まれている。声明案では、日本が署名を見送ってきた過去の同様の声明にはなかった「核軍縮に向けたすべてのアプローチと取り組みを支持する」とする文言が盛り込まれた。米国の核抑止力に頼りつつ、段階的な核廃絶を目指す日本だけでなく、多くの国の支持を集めやすい内容になっている。この部分を含め、修正の結果、全体的に核抑止力を否定しない内容になったとして、日本も署名する方針に転換したとみられる。国連外交筋によると、80カ国以上が署名する意向を表明。18日か週明けの21日、声明案を起草したニュージーランドの代表が第1委員会で発表する。声明案では、核兵器は「人類の存続、環境、社会経済の発展、将来の世代の健康に重大な影響を与える」と指摘。こうした非人道性は「核兵器が最初に使用された瞬間から明らかになった」として、広島・長崎への原爆投下を想起させる表現になっている。また、核兵器の非人道性は長い間、核軍縮・不拡散問題の「核心ではなかった」が、現在では「地球規模の課題として確立された」と指摘。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議以降、さまざまな国際会議で取り上げられていることに触れ、核廃絶への新たな潮流になったことを強調している。さらに、核兵器の再使用を防ぐ唯一の手立ては「核全廃」のみで、世界から核兵器の脅威を取り除くことは「我々が将来の世代に対して負っている責任」と訴えている。同じような共同声明は昨年5月のNPT再検討会議準備委員会以降、3回発表され、日本はいずれも署名をしてこなかったが、岸田文雄外相が今月11日、今回の声明に署名することを発表した。---当初、これまで日本政府がこだわっていた「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことが、人類存続の利益になる」という文面がなくなったので署名に応じることになったように報道されていましたが、実際は削除されていないそうです。が、何はともあれ日本政府がこの共同声明に署名することになったのは喜ばしいことです。安倍政権の政治姿勢には全面的に反対ですが、この件に関してだけは支持したいと思います。ちなみに、共同声明の要旨は以下のとおりだそうです。我々は核軍縮に向けたすべてのアプローチと取り組みが、核兵器の破滅的影響に関する認識の上に立つことを固く支持する。人類の存続のためにこそ、いかなる状況下でも核兵器は二度と使われてはならない。事故であろうと、誤算であろうと、意図的なものであろうと、核兵器の爆発がもたらす破滅的な影響に適切に対処することはできない。大量破壊兵器の脅威を排除するためにあらゆる努力が払われなければならない。核兵器が再び使われないことを保障する唯一の方法は全廃だけだ。核兵器の使用、保有数や保有国数の増加を防ぎ、核拡散防止条約の目的実現と普遍化を通じた核軍縮の達成に向けた責任は、すべての国が負うものだ。我々は、国際社会が赤十字国際委員会や国際人道組織と共に、核兵器がもたらす破滅的な人道上の影響に対処すべく決意を新たにしたことを歓迎する。我々が責任を全うするにあたり、この問題に関する認識を高める上で、市民社会は政府と協調して果たす極めて重要な役割を担っている。我々は、協力してこの問題に取り組み、世界から核兵器の脅威を取り除く義務を、未来の世代のためにも負っている。---ごく当たり前の内容であり、これに署名を拒むのは、被爆国の態度としてどうなのか、と私は思います。ところで、日本政府が歴代、この種の核廃絶を目指す署名を拒否してきたのは、米国の核の傘に安全保障を依存してきたからだ、と言われます。でも、本当にそうなのでしょうか。「核の傘」という論理は、ほぼ幻想に属する安全保障策だと私は思います。核の傘というのは、日本が米国の核抑止力の庇護下にある、という考え方です。それは突き詰めて言えば、日本が核を保有する某国から攻撃を受けた場合、米国が日本のために核で反撃してくれる、という理論です。でも、本当にそんなことがあり得るのでしょうか。私はあり得ないと思います。米国が某国に対して核攻撃をかければ、その某国は確実に米国に対して核で反撃をかけることになるからです。もちろん、米国を射程に収めるミサイルがあれば、ですが。日本でもイギリスでもドイツでも、どこの国でもいいけれど、米国にとっていかに大事な同盟国だとしても、外国です。外国を守るために、自分の国、自分の国民の頭上に核ミサイルの雨が降ってくるという事態が容認できますか?米国が対外戦争でもっとも多くの死者を出したのは、第二次大戦の40万人です。大都市に10発も核爆弾が降ってくるだけで、それをはるかに超える死者が出ることは確実です。広島の原爆は16ktの爆発力で10万人以上亡くなっているんだから、今日の200ktクラスの核兵器なら、1発だけでも死者は第二次大戦を超えるでしょう。そんなリスクを犯してまで、自国をではなく外国を守るために核兵器を使う、なんてことがあり得るはずがない、と私は思います。
2013.10.21
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先週、私が甲斐駒ヶ岳に登っているちょうどその頃、福島県川俣町では、日本最大のフォルクローレのイベント「コスキン・エン・ハポン」が開催されていました。私は、1992年から2000年まで9年間と、一昨年と去年、合計11回このイベントに参加しています。2000年を最後に長らくこのイベントからはご無沙汰していたのですが、一昨年は、震災と原発のことがあって、こういう時こそコスキンを応援しなくては、と思い、私自身は演奏しなかったのですが、見学のためだけに参加してしまいました。昨年は、私に声をかけていただいたグループ(広島のカスティージョ・デ・ロス・アンデス)があり12年ぶりにコスキンの舞台を踏みました。(私の担当はギターでしたが)今年も、声をかけていただいたら一も二もなく参加したところですが、このグループが今年はコスキンには参加しない、とのことだったので、私も今年は山登りに行ってしまったわけです。↓一昨年2011年のコスキン・エン・ハポンの演奏(前述のとおり、私の演奏ではありません)ところで、この「コスキン・エン・ハポン」の第1回が開催されたのは、1975年のことです。フォルクローレ関係者(ま、かなり狭い世界の話ではあります)の間では、「第一次フォルクローレブーム」と言われた時代です。かの「コンドルは飛んでいく」をサイモンとガーファンクルがカバーして流行らせた直後の時代のことです。だから、来年が40回目ということになります。(私が初めて参加したのが18回目だから、時の流れを感じます)実は、「コンドルは飛んでいく」が日本に紹介されたのは、サイモンとガーファンクルが初めてではありません。アルゼンチンのギタリスト、エドゥアルド・ファルーのアルバムに、確か「鷲は飛び行く」というようなタイトルで収められていたと、何かの資料(濱田滋郎氏の著作だと思う)で読んだ記憶があります。おそらく1960年代のことでしょう。1960年代から70年代初めにかけて、ファルーは何度か来日公演を行ったことがあります。※この記事を書くために何気なく調べていて、エドゥアルド・ファルーが今年8月に亡くなったことを知りました。享年90歳、随分長生きされました。1960年代から70年代初め頃は、日本でアルゼンチンの音楽が結構人気があったようです。もっぱら人気があったのはタンゴですが、それに付随して、アルゼンチンのフォルクローレも日本によく紹介されていました。エドゥアルド・ファルー、それにアルゼンチン・フォルクローレ界の生き神とも言うべきアタウアルパ・ユパンキ(1992年死去)も、1964年から76年まで4回来日公演を行っています。ケーナやサンポーニャ、チャランゴといった楽器が日本に最初に紹介されたのも、だからアルゼンチン経由でした。たとえば、サイモンとガーファンクルの「コンドル」の元になったのは、アルゼンチンの「ロス・インカス」というグループの演奏です。ただし、ケーナやサンポーニャ、チャランゴといった楽器がアルゼンチンで人気があるかというと、必ずしもそうではありません。アンデスのフォルクローレの本場はボリビアであり、平均的なアルゼンチン人から見れば「よそ者の楽器」です。ただ、見た目のインパクトで言うと、ギターとボンボ(太鼓)だけで演奏する伝統的なスタイルのアルゼンチンのフォルクローレより、ケーナやサンポーニャなど見た目に風変わりな楽器を使うアンデスの音楽の方が、少なくともアルゼンチン国外では受けがいい。特に日本人にはそうです。だから、ギター一本で弾いたファルーの「コンドル」は一般にはそれほど知られなかったのでしょう。私自身にしても、現在はアンデスのフォルクローレもアルゼンチンのフォルクローレも、どちらも好きだし、どちらも演奏していますけど、フォルクローレを知って最初のうちは、買ってきたレコードにケーナが入っていないと、何となくがっかりしたものです。先に「コスキン・エン・ハポン」のことを書きましたが、このイベントの元になったのは、アルゼンチンのコスキン市で1961年以来行われているコスキン・フォルクローレ・フェスデイバルです。日本のコスキン・フェスティバルはアマチュア音楽家の祭典ですが、アルゼンチンのそれは、開催期間1週間、毎日ゴールデンタイムに2時間全国ネットでテレビ放送されるという巨大イベント、もちろんプロの音楽家の祭典です。音楽祭への出場権そのものが狭き門の上に、テレビ放送される時間帯の出演枠に誰が出るか、放送時間帯枠の一番最後の時間帯(テレビ放送としてのトリを誰が勤めるか)を巡って、日本の紅白歌合戦並みに毎年熾烈な争いがあると聞きます。で、この音楽祭で、ケーナやサンポーニャを使う、いわゆるアンデス系の音楽が演奏されることは、皆無ではないけれど、多くはありません。↓アルゼンチンのコスキン音楽祭のオープニングです。演奏者やアレンジは毎年変わりますが、この歌が毎年使われます。この年のアレンジでは、イントロとエンディングに少しだけアンデスの楽器が使われていますが、あくまでもごく一部だけです。それに対して、日本の「コスキン・エン・ハポン」はほぼ真逆で、まず9割以上がアンデススタイルの演奏です。ケーナもサンポーニャもチャランゴも使わないという、アルゼンチンスタイルの演奏は、まあ全体の1割くらいでしょう。前述のように、日本のコスキンはアマチュアの祭典ですから、演奏の腕前は千差万別です。ケーナ教室の発表会といったおもむきの演奏も結構な割合を占めます。では、何でそういった楽器が本場のボリビアではなくアルゼンチンから世界に発信されたかと言うと、その時代(1960年代から70年代)のボリビアは貧しく政情不安で頻繁にクーデターがあり、音楽を海外に発信する力など、なきに等しかったからでしょう。↓アルゼンチン経由で入ってきたアンデススタイルのフォルクローレの代表例です。ウルバンバというグループの演奏で、左端でチャランゴを弾いているいるのがホルヘ・ミルチベルグ、サイモンとガーファンクルの「コンドル」のバックでもチャランゴを引いていた人物です。ボリビアのフォルクローレがアルゼンチン経由ではなく、直接日本に入ってくるようになったのは1980年代に入ってからのことです。特にインパクトがあったのは、おそらくカルカスというグループだと思います。↓80年代末頃のカルカスの来日公演の映像です。このグループは現在も活動していますが、最近はエレキベースとドラムが加わり、この当時とは編成が少し変わっています。メンバーも半分くらい変わっている。同じケーナやサンポーニャを使っていても、アルゼンチン経由のアンデス・フォルクローレとは雰囲気が違います。なんといっても、線の太さが違う。風の音色のようなか細い音をケーナの音だと思っていた時代、この太い音色は衝撃的でした。ただし、じゃあアルゼンチン経由のアンデス音楽はダメかと言うと、そうでもない。私は、これはこれで捨てがたいと思っています。とはいえ、1980年代以降、日本のフォルクローレ界はボリビア音楽に席巻され、アルゼンチン系はかすんでしまいました。私も、自分の演奏の出発点は明らかにボリビアの音楽です。私は節操がないので、フォルクローレと名がつけば、ボリビアでもチリでもペルーでもアルゼンチンでも、何でも演奏しますし、過去にはアルゼンチンのフォルクローレ舞踊の伴奏を専門にするグループに加わっていたこともあるのですが、一番得意で応用が利くのがボリビアの音楽であることは否定できません。演奏技量そのものが、ギターより管楽器の方が上、ということもありますけどね。ところで、YouTubeでフォルクローレを検索すると、かなりの頻度で日本人の演奏に行き当たります。そう書いている私自身がYouTubeに演奏をかなりアップしているので、人のことは言えませんが、YouTubeを見る限り、本場ボリビアとその周辺以外で、フォルクローレの演奏人口がもっとも多いのは、ひょっとすると日本じゃないかという気がします。音楽市場としてはたぶん違います。フランスをはじめとしてヨーロッパ諸国では、昔からラテンアメリカの多くの音楽家が活躍していましたし、現在でもそうです。だから、「フォルクローレを聞く人口」は、日本よりヨーロッパや米国のほうが多いだろうと思います。が、演奏人口に限定すると、ひょっとしたら・・・・・・、ちゃんと検証していないので、確たることは言えませんけど。
2013.10.20
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秘密保護法最終案を了承 公明党がPT会合 「知る権利」「報道の自由」明記公明党は18日、機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案に関するプロジェクトチーム(PT)で最終的な法案を了承した。同党の修正要求を踏まえ、国民の「知る権利」や「報道・取材の自由」への配慮が明記された。公明党は22日の政調全体会議で党内手続きを終える。政府は25日に閣議決定し、国会へ提出する。今国会で成立する可能性が強まっている。PTでは礒崎陽輔首相補佐官が公明党の求めた閣議の議事録作成と公開を義務付ける公文書管理法改正に関し「時期は言えないが、政府内部の調整をして前向きに検討したい」と説明した。特定秘密保護法案は、漏えいすると国の安全保障に著しく支障を与える恐れがある情報を特定秘密に指定し、流出した公務員らに最高10年の懲役刑を科す。取材活動は原則として罰則の対象外とすることも規定した。漏えいを禁じる「特定秘密」の指定や解除について有識者会議で統一的な運用基準を定める。---秘密保護法についての問題は、以前にも記事を書いたことがありますが、慎重姿勢を見せていた公明党が「知る権利」「報道の自由」明記と引き換えに態度を変えてしまったようです。まあ、公明党を信用したことなど一度もありませんけど、やはり案の定信用ならない党だなということです。秘密保護法の問題については以前の記事に書いたとおりですが、「取材の自由」「知る権利」が明記されれば問題点はなくなるのでしょうか。そんなことはありません。マスコミ側の取材行為は「原則として」処罰の対象にならないけれど、取材対象の側(情報を出す側)は処罰の対象なんだから、いくら「取材は自由」と言ったって、半分しか自由ではないわけです。たとえて言えば、「お前はこの家を好きに調べる自由がある、鍵をこじ開けても文句は言わない、好きに調べなさい」と言って、部屋に絶対こじ開けられない鍵をかけてしまうようなものです。そりゃ、こじ開けても処罰はされないかもしれないけど、こじ開けられないじゃないか、ということです。しかも、取材についても、すべてが自由というわけではなく、「取材行為は法令違反または著しく不当な方法でない限り」という条件が付されています。法令違反は当然としても、「著しく不当な方法」とは何でしょうか。その定義は示されておらず、恣意的な解釈の余地が残されています。本質的に、「知る権利」「報道の自由」と秘密保護というのは矛盾です。その矛盾をつなぎ合わせて法律を作ったところで、結局は政府が本音で狙っているほうが優先され、タテマエ、あるいはアリバイとして付け加えられた条文は空文化していくことになるでしょう。したがって、知る権利、報道の自由を守るために必要なことは、こんな法律は作らない、ということに尽きると私は思います。
2013.10.19
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一眼レフで撮影した甲斐駒の写真ができました。それに、今更ですが、8月の谷川岳の写真も合わせて。まず谷川岳。今ひとつ天気がよくなかったため、風景写真では良いものがほとんどなく、花の写真を何点かのみです。山頂付近の花です。ツリガネニンジンこれも山頂付近です。何の花だろうといろいろ調べたのですが、多分ミヤマアキノキリンソウのようです。ヤマハハコ。一見するとウスユキソウに似ており、実際ウスユキソウに近縁な仲間(どちらもキク科)ですが、私はこの花を初めて意識したのは、十数年前、南アルプスのある山小屋のトイレの裏なのです。そのため、私の意識の中では、この花のイメージがどうもトイレと重なってしまう。そういえば、この写真は谷川岳ですが、甲斐駒に登った際も、北沢峠のテント場に咲いていました。10月も半ばというのに、まだ咲いているとは驚きました。が、それもやっぱりトイレからそんなに離れていなかった(笑)西黒尾根です。---で、続いて今月12日・13日の甲斐駒ヶ岳の写真です。ただ、今回甲斐駒では大きなミスを犯しまして、一眼レフのレンズに汚れがついていたのです。(多分手の脂)そのため、一部の写真はそれがちょっと目立ちます。その点はご容赦を。仙丈岳です。駒津峰の手前あたりからの撮影です、駒津峰から甲斐駒。甲斐駒が一番迫力のある場所です。同じく駒津峰から甲斐駒山頂方向のアップです。駒津峰から山頂に向かう巻き道コースより。尾根道は、やはりかなりでこぼこしています。(次回、何年後か分からないですが、風がなければ尾根道にアタックしてみようかな)鳳凰三山と、その後方に富士山。これは、多分山頂から撮った写真です。この山の組み合わせは、個人的にはすごく気に入ってしまい、場所を変えながら何枚も撮ってしまいました。これも鳳凰三山と富士山、下山中の撮影です。これも同じ。鳳凰三山と富士山、それに手前には摩利支天です。仙水峠から見上げた甲斐駒ヶ岳。ここからだと、本峰より摩利支天の方が迫力がある。南アルプススーパー林道から仙丈岳を撮影しました。
2013.10.18
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<特集ワイド>認知症事故と損害賠償 介護現場に衝撃の判決◇認知症老人が列車にはねられ死亡→地裁が遺族に720万円支払い命令◇「行動を一瞬も目を離さず監視することなど不可能」…遺族から怒りの声「ある判決」が介護の現場に衝撃を広げている。91歳(当時)の認知症の男性が線路内に入り、列車にはねられて死亡した事故。裁判所は遺族に対し「注意義務を怠った」として、鉄道会社に720万円を支払うよう命じた。認知症の老人は閉じ込めておけというのか--介護関係者からはそんな怒りの声すら聞こえてくる。(以下略)---記事が非常に長いので、概要のみの引用とします。認知症で要介護4の老人が、家族が目を離した一瞬の隙に家から出て行って、JR東海の線路に入り込み、電車にはねられたという事故が2007年12月に起こりました。この事故についてJR東海が遺族に損害賠償を求めて提訴し、何と720万円の支払いを命じる判決が出された、というのです。この男性を介護していたのは、当時85歳の妻、そして介護のために横浜から近所に引っ越してきた息子(現在63歳、ということは当時57歳でしょうか)だそうです。実際には、当時85歳の妻だって、介護が必要な状態に近かったはずです。当時57歳の息子は、その時点では年金をもらえる年齢ではなく、横浜から移り住んでくるにあたっては、仕事は辞めたのか休職したのか転職したのか、あるいはフリーの仕事だったのか、そのあたりの事情は定かではありませんが、そうとうの犠牲、経済的なマイナスと引き換えに引っ越してきたことは間違いないでしょう。その状況で、判決は介護していた妻に「まどろんで目をつむり、夫から目を離していた」と過失による賠償責任を認めた。長男については「法定監督義務者や代理監督者に準ずる」と位置付け、民間施設やホームヘルパーを利用しなかったと指摘して賠償を命じた。のだそうです。85歳の妻が夫から一瞬目を離したことが過失だというのです。どう考えても、人間の能力を超えたことを要求しているとしか思えません。そして「民間施設やホームヘルパーを利用しなかった」ことも過失だというのです。民間施設とは、何のことでしょうか。たとえば特別養護老人ホーム(特養)でしょうか。しかし、残念ながら特養の入所は何年待ちです。比較的すぐに入れる老人保健施設(老健)は、原則として6か月しか入所できません。今は、サービス付高齢者住宅(2007年当時は高齢者専用賃貸住宅と呼ばれていた)というものもあり、最近は次々と建設されているので待ち時間も少ないですが、特養や老健よりは費用がかかり、また2007年当時はまだそれほど多くは存在しなかったはずです。それにも増して、徘徊癖のある認知症の人は、入所施設からは敬遠されがちです。まさしく、こういう事件が起こることがあり得るからです。この男性を何らかの入所施設に入れようと考えていたとしても、実際に入所させることは非常に困難だったであろうことは容易に推測できます。あるいは、デイケアなど日中過ごす通所施設の利用を言っているのでしょうか。しかし、それも結局は日中だけのことですし、施設から出て行ってしまうリスクは変わりません。ホームヘルパーを利用しなかったことが過失だ、ということは、逆にいえばホームヘルパーを利用していればこういう事件が防げた、ということになります。当然、そんなことはあり得ません。最重度の要介護5の認定で、目いっぱいの訪問介護を受けられたとしても、1日2~3時間程度です。24時間のうち2~3時間だけヘルパーの目があることで、この種の事故が防げるはずがないのは明らかです。もちろん、こういう状況の人を家庭だけで面倒を見るのは非常に困難で、そのままでは介護者の生活は、肉体的にも精神的にも経済的にも破壊されます。だから、ヘルパーや通所施設は利用すべきだったとは思いますが、それによってこういう事故がなくなるわけではありません。入所施設の申し込みもすべきだったと思いますが、そう決意したとしても、実際に入所できるまでには時間がかかります。だから、こんな事態になってこんな判決を食らうのなら、それを避けるには、徘徊老人は殺してしまうか座敷牢でも作って閉じ込めておくしかない、ということになつてしまいます。もちろん、そんなことをすれば、別種の犯罪行為ということになります※。あるいは、息子の立場で考えれば、介護になど関わらない、知らぬ存ぜぬで関係を絶つのが、こういう事態で賠償責任が降りかかってこないもっとも現実的な対応、ということになります。※もっとも、座敷牢はともかく、結局のところ何らかの形で行動の自由を制約する以外には、解決策はないわけで。入所施設だって結局は出入り口を閉鎖する、という形でしか対応はできないのですが。さすがに、高裁ではこの判決は覆る、と思いたいのですが、はたしてどうなるのでしょうか。
2013.10.16
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米上院、合意へ詰め=デフォルト回避、政府機関再開で-下院は依然不透明米上院の与野党幹部は14日、債務上限問題と政府機関再開に関する協議を続行、合意に向け詰めの作業に入った。複数の米メディアが伝えた。債務上限が引き上げられれば、米国はデフォルト(債務不履行)を回避できる。ただ、下院を主導する野党共和党が上院の合意案を受け入れるかは依然不透明だ。---米国の政府閉鎖については以前の記事で触れましたが、政府閉鎖に続いて、今度は債務不履行の期限が迫ってきています。当面のタイムリミットは17日(日本時間だと18日でしょうか)とか。あと2日しかないじゃないですか!記事によれば上院では妥協が成立しそうですが、下院では分からない、とのこと。同じ共和党が上院では首を縦に振り、下院では横に振るとしたら不思議な話ですが、いずれにしても、下院は共和党が多数を占めているため、下院で妥協が成立しないと話は先に進まないようです。ただ、実際にはデフォルトという最悪の事態に陥る手前で解決できるだろうと見られているようです。外国為替でも、特にドル安になっていないところを見ると、今の時点では、本当にデフォルトが起こるとは思われていないんだろうなと思います。世界の基軸通貨である米ドルが債務不履行などという事態に陥ったら、、いくらそれが政争の結果であって実際の支払い能力はあるといったって、ただ事では済まないことは間違いありません。米国がみずから、ドルの世界経済支配を揺るがすような自爆行為を行うはずがないのは確かです。でも、世の中には案外、あまり合理的ではない判断によって道を踏み外してしまう人が少なくありません。権力の中枢にいるものですら、そのような誤謬とは無縁ではないようです。そういう意味では、デフォルト回避という最善の策がちゃんと成立するかどうか、一抹の不安がなくはない。一連の騒動の主役は、ティーパーティーという保守系団体だそうですが、どうもこの連中は在特会の米国版じゃないか、と思えるほど、短絡的ですから、合理的判断を下すかどうかがよく分かりません。万が一デフォルトという事態に陥るとどういうことになるのか、もちろん、償還期間が来た国債が返済できなくなる(もちろん、恒久的ではなく、政争の結果として一時的に、ではあるけれど)わけですが、その影響がどうなるのかは、どうもよく分かりません。政府閉鎖は過去に何度か前例がありましたが、米ドルのデフォルトなどという事態は前例がないからです。とにかく、タダでは済まない事態なので、なんとしてもそれだけは回避して欲しいと思います。
2013.10.15
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昨日の記事に少し書きましたが、職場の先輩から15000円で譲り受けたテントが、そろそろ限界に近づいてきました。私が入手して以降だけで、12年間、25泊使っています。それ以前に職場の先輩がどのくらい使っていたかは知りませんけど、譲り受けた時点でフライには擦り傷があるなど、それなりに使用感があったので、少なくとも3~4年は使っていたんじゃないかなあ。ビニール系の材質が使われている素材は経年劣化が起こります。テント山行用の大型ザックは、1998年に購入し、14年間使い続けましたが、最後の2年くらいは内側のビニールコーティングが経年劣化でべとべとになり、中に入れた荷物が汚れるようになり、ついに昨年ゴールデンウィークを最後に買い換えました。やはり1997~8年に購入した小型ザック(といっても、見た目よりずっと荷物がたくさん入る、山登りより、普段の外出や家族旅行などによく使う)も、内側のコーティングが経年劣化しています。ただ、こちらは単純にコーティングがボロボロになってはがれているだけで、ベトベトではないので、そのまま使っています。それに対して、1988年に購入した一番最初のザック(当時は山登りはしておらず、もともと海外旅行用に購入した)は、25年経過してまだ使えています。内側にビニールコーティングがされていないので、経年劣化がないようです。そのかわり、防水性は劣りますけど。で、私のテントも、本体は問題ありませんが、フライが経年劣化で変質して、コーティングされている裏地がベトベトになりつつあります。目下のところは、水洗いすれば収まる程度ですが、まあ時間の問題でしょう。テントの本体です。先日、どこかの誰かに「テント広げて」とせがまれて、室内でテントを張る羽目になりました。その、どこかの誰かがテント内にいますけど(笑)本体の上からフライを張った状態です。見て分かるとおりエスパースという一番ありふれたメーカーのテントです。どこのテン場に行っても、必ず同じメーカーで同じ色のテントが見当たります。北アルプスの涸沢などはテントのレンタルがあるのですが、貸し出しているテントがみんなエスパース製なんです。だから、これと同じ緑色のテントがあっちにものこっちにも林立している。どれが自分のテントか、迷子になりそうです。---ゴアテックスなど透湿防水素材(湿気は通すが液体の水は通さない)が登場する以前の登山用のテントは、必ず本体とフライシートの二重構造でした。本体はナイロン製で、防水性皆無です。何故本体を防水にしないかといえば、ゴアテックス登場以前の素材は、水を通さない=湿気を通さない、ですから、本体を防水にしたら、中が蒸し風呂になります。それどころか、水を通さない=空気も通さない、でもあるので、下手すれば中で窒息死・・・・・・。そこで、防水性のないナイロン生地の本体と、防水性のフライシートの二重構造で、空気と湿気を通し、水は通さない仕組みになっているわけです。私のテントも、ゴアテックス性ではない旧世代のものです。ただ、土砂降りの雨や、1日中降り続く雨だと、雨水の重さでフライがテント本体に張り付いてしまいます。そうなると、フライが張り付いた面は、テント内側が結露し、結局テント内も濡れてしまう。だから、大雨のときはテントの中はどうしても濡れてしまい、快適とは言いがたい状態になります。一方、ゴアテックス素材のテントは、湿気を通して水は通さないので、本体だけで防水性を持たせることができます。ただ、実際にはフライがないと出入り口を開けると雨が入ってしまうので、フライを併用することが多いようですが。昨日北沢峠のテン場で観察した限りは、フライシートなしのテントも多かったです。全体の3~4割くらいがフライなしだったかな。もっとも、この三連休は晴天の予報だったで、雨は降らないと思ってフライを張らなかった、というだけの人もいるかもしれませんが。ともかく、そう遠からず私のテントは買い替えの必要がありそうです。今のテントは、前述のとおり職場で15000円で譲ってもらった中古です。次も誰かテントを譲ってくれるひとが・・・・・・いるわけないので、新品を買うことになるでしょう。そうすると、ソロテントだと本体で5万円くらい、フライが1万数千円程度、合計6~7万円くらいになりそうです。結構高価だなあ、どうしようかな。もともと、私は山登りを始めて最初の7~8年はずっと小屋(営業山小屋)泊まりでした。その後、このテントを入手して以降はテント山行が多くなりました。ただ、持っているシュラフが厳冬期用ではないので、12月から3月までの期間は、単独でテント山行をしたことはありません。単独でなければ、厳冬期の八ヶ岳でテントを張ったことはありますが、やっぱり暖かくはなかった。それ以外の季節は、だいたいテントですか。雪の時期でもゴールデンウィークならテントで問題ありません。山登りにテントがいいか山小屋利用がいいか、というのは、なかなか難しい問題です。山小屋のメリットは、何といっても荷物が軽くて済むこと。荷物が軽いというのは山では重要。そして、自炊しなくていいので楽です。もっとも、山で自炊するのはそれはそれで楽しいのですが。なんといっても恒久的な建造物なので、結露がどうという心配はなく、基本的には快適です。ただし、ゴールデンウィークとか海の日の連休、お盆、秋の連休など登山者が集中する時期は、あまり快適ではありません。デメリットは、長い目で見ればテントよりお金がかかること。1泊8000円から9000円くらいします。ただ、テントのように最初に購入費用はかからず、行く度に払えばよい。そして、営業期間に左右されます。一方テントのメリットは、食事時間や出発時間、到着時間を縛られないこと、長い目で見ればお金がかからないこと(ただし、前述のとおり購入費用は高額で、それ以外にも更にシュラフ、シュラフカバー、炊事用具なども必要です)。また、荷物が重いので体力的にはキツイです。また、山小屋に比べればどうしても快適とは言いがたい(狭いし)。ただし、登山者が集中する時期に限れば、1畳に2人3人で雑魚寝するピーク時の山小屋よりはよほど快適です。山小屋の営業期間にも左右されませんが、ただ、主要な山にはキャンプ指定地が定められているので、好きな場所に泊まる、というわけには行きません。ま、登山者の少ない山域や、樹林帯など遠方から見えないところなら、指定地でなくてもまあ・・・・・・(以下省略)。ま、基本的には重い荷物を担ぐ体力があればテント、それが無理なら小屋泊まりのほうがいいかな、というところです。もっとも、昨日紹介した北沢峠とか、上高地の小梨平のように、バスの終点から徒歩10分で着けるキャンプ指定地もあり、そういうところをうまく利用すれば、重い荷物はほとんど担がずにテント山行が可能です。キャンプ指定地のない、つまり全山幕営禁止の山もあります。私の知る限りでは、富士山、木曽御嶽山、南アルプスの仙丈岳(仙丈岳は、20年前にはキャンプ指定地があったが、いつの間にか幕営禁止になった)が幕営禁止です。だから、これらの山に登る場合は日帰りか山小屋利用になります。仙丈岳にかんしては、登山口の北沢峠にテント場がありますが。ただし、キャンプ指定地は原則的に無雪期、あるいは山小屋の営業期間に設定されるものです。富士山が幕営禁止というのは山小屋が営業している夏季の話で、積雪期はテントを張って冬山訓練をする人、山岳団体はいくらでもいます。なお、北海道の山には、避難小屋や自炊、寝具持参前提の無料の山小屋はありますが、本州のように食事を提供する営業山小屋は、ほぼ皆無に近いようです。だから、北海道の山は、ふもとの宿から日帰りで登るのでなければ、テントか、少なくともシュラフと炊事道具を担いでの登山が前提になります。まあ、一度テント山行の味を覚えてしまうと、なかなかやめられません。だから、結局近いうちに新しいテントを買うことになるでしょう、多分。
2013.10.14
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金曜の夜から2泊2日でまた山に行ってきました。行き先は南アルプス最北端の山、甲斐駒ヶ岳です。甲斐駒ヶ岳に登るのは2回目ですが、前回登ったのは1998年、15年前のことです。南アルプス自体、前回登ったのが2007年(仙丈岳)なので、6年ぶりになります。今回は、事前に何一つ予約を取らずに出発しました。行き先を直前まで迷ったこと、金曜の夜に出るか土曜の朝出るか直前まで迷ったためです。夜行で南アルプス北部に行くときは、昔は急行「アルプス」、その廃止後は快速「ムーンライト信州」を使っていたのですが、ムーンライト信州は、全席指定で、連休直前はすぐに満席になってしまいます。急行アルプスは自由席があったので、必ず乗れたのですが。と、書いているうちに思い出しました。15年前甲斐駒ヶ岳に登ったときは、急行アルプスが超満員で、デッキで立ちっぱなし。誰か酔っ払いがコップ酒をこぼして、デッキが酒まみれになってしまい、床に座ることさえできないまま甲斐駒に登ったのでした。思えば若かった・・・・・・。(こういう、どうでもいいことはよく覚えているのです)さて、そういうわけで、今回は特急「かいじ」の最終列車を使いました。新宿夜11時発で、甲府着が0時40分。甲府でひと寝入りして、広河原行の始発バスが朝4時20分発でも広河原着が6時20分。甲府のバスターミナルには、既に寝ている人が多数。私もテントマットを広げて眠りにつきました。このやり方は正解でした。列車よりバスより、地面の上のほうが楽に眠れる。で、広河原で北沢峠行きのバスに乗り換えて、7時過ぎに北沢峠に到着。バスの終点から徒歩10分くらいのところにテント場があるというおいしい立地なので、テント山行なのに、重い荷物を担いで山に登る必要がほとんどありません※。※ただし、テント場がここと、そこから徒歩30分ほどの仙水小屋前の2箇所しかなく、それより標高の高い場所にテント場がないので、山頂付近でテントが張れません。テント場には既にかなりの数のテントがありました。金曜の晩から、すでにかなりの人が幕営していたようです。空いている場所にさっさとテントを張って、8時過ぎに甲斐駒に向けて出発しました。往路は北沢峠から双児山を越えるコースです。双児山(2642m)近く、森林限界を超えてすぐのところで、甲斐駒が姿を見せたのでさっそく撮影。正面には、仙丈岳(3033m)の雄姿が。ただ、こうやって見ると、森林限界付近(2500m前後)より上の紅葉は、完全に終わっています。駒津峰(2740m)に着きました。ここから見る甲斐駒の姿は迫力があります。左側が主峰、右端が支峰の摩利支天。駒津峰までは特にどうということのない登山道なのですが、何としたことか、まったくなんでもないところで私は足を滑らせて転倒、腰と左腕をうってしまいました。腰はともかく、左腕は青あざになってしまった(しかも、1日経ったら、その青あざが結構でかい)。ま、歩くのに支障はないですが。見てのとおりの快晴ですが、風が滅茶苦茶強い。冬場の季節風みたいな強さの風です。冬は晴れても烈風というのは普通ですが、無雪期でもこんな晴天でこんな烈風があるんですね。駒津峰から先は、岩場の急降下と急上昇の連続です。15年前に登ったときのことは、断片的な記憶しかないですが、こんなにアップダウンが激しかったかなあ。運命の分かれ道(笑)ここで、登山道は山頂まで尾根筋の直登コースと、山腹を迂回する巻き道に分かれます。直登コースは岩場の連続。登山地図では登山道が点線になっているので、バリエーションルート扱いです。直登コースの核心部は、登りはじめて数メートルのところにある岩だと聞いていました。(この写真だと、ちょっと分かりにくいです)で、そこは一応超えたのですが、その先は、やっぱり垂直(下から見上げるとそう見える)な岩場の連続なのです。何が核心部だ、この先もずーっと核心部じゃないか・・・・・・というわけで、そこから引き返して巻き道にまわりました。先ほど転倒して青アザを作っていたことも、心理的に影響したてかな。それと、風が非常に強かったことも。こんなところで転倒したら、青あざで済むはずもないですから。私は未練がましく、その核心部を、行こうか戻ろうかと2往復してしまった。巻き道も、砂地の急斜面で、結構滑りやすい。ただ、ここなら転倒してもアザと擦り傷くらいで済みそうだ。というわけで、山頂に到着しました。北沢峠を8時に出発して、山頂到着が12時。重い荷物はテントに残して、日帰り装備で登ったのに、意外に時間がかかりました。どうも、「いつものペース」と比べて遅い、すぐに息が上がるなあ」という気はしていたのですが、原因は定かではありません。ともかく、山頂からの景色は素晴らしいのひとことです。手前は早川尾根、その先の顕著なピークが北岳、その右奥が間ノ岳、更に南アルプスの主稜線が続きます。鳳凰三山(地蔵岳・観音岳・薬師岳)と、その奥は言わずと知れた世界遺産の山です。しかし、風は相変わらず強烈です。砂が舞い上がって、あっという間にiPADminiが砂まみれに。例によってケーナを持っていったのですが、山頂は人が多い上に、この砂嵐ではケーナを吹くどころではありませんでした。山頂には40分以上いて、1時少し前に下山を始めました。途中、支峰の摩利支天に寄ってみました。鳳凰三山といい、摩利支天といい、仏教に関連する山名が多い山域です。駒津峰まで引き返すさ、そこから先は仙水峠に向けて下山。これがまた、結構急斜面で、そろそろかなり疲労してきました。15年前のおぼろげな記憶で、双児山ルートのほうが斜度がきつく、仙水峠ルートのほうが楽だったように思っていたのですが、どうもまったくの記憶違いだったことに気がつきました。仙水峠の紅葉を期待していたのですが、残念ながらここも紅葉はほぼ終わっていました。テントに戻ってきたのは4時20分頃。で、今朝は昨日に引き続いて快晴です。最初は、今日はアサヨ峰に行こうかとも考えていたのですが、脚力がベストの状態ではない中でアサヨ峰を往復はきついので、北沢峠から広河原まで下るだけにしました。行きはバスを使いましたが、帰りは徒歩。どうも、この区間を歩く人はほとんどいないようで、すれ違った登山者はほとんどいませんでした。しかし、紅葉はこの区間が一番見ごろで、ここを歩かないのはもったいない。これは、北沢峠からすぐの場所です。途中、北沢峠と両俣の分岐付近で、ケーナを吹きました。30分くらいの間、1台だけバスが通りましたが、それ以外は通る車もなく、歩行者は1人もいない。紅葉真っ盛りの峡谷を独り占めして、ケーナを存分に吹きまくってきました。音量の大きなケーナを持っていったので、渓谷の対岸で音が跳ね返り、驚くほど音が響くのです。更に下っていくと、仙丈岳が見える場所もありました。だいぶ広河原に近づいた場所で、このあたりだと紅葉の見ごろはあと少し先、というところでしょうか。広河原に着きました。日差しが強くてiPadの画面がよく見えないままシャッターを切っているので、画面が傾いています。ファインダーがないカメラでは、晴天の屋外での撮影は限界があります。広河原10時20分発のバスで甲府着が12時20分頃、東京の自宅に帰ってきたのは3時過ぎでした。2日間とも快晴で、気持ちとよく歩くことができました。例によって一眼レフでも撮影していますので、後日そちらの写真もアップします。それにしても、テントのフライシートは朝方は夜露がびっしり。それが霜になって凍り付いていましたが、周囲の他のテントを見ると、夜露で濡れているテントなんてないのです。みんなゴアテックスのテントを使っているな、そして、私のテントはそろそろ限界かな。フライの裏地が経年劣化していて、べたつくのです。職場の先輩から15000円で譲ってもらって12年、25泊、もう買い替え時と思うのですが、新しいテントを買って、元が取れるまで使えるのか、というところが、いささか躊躇してしまうところではあります。何しろ新品のテントは一人用でも約5万円、フライも1万円以上(ゴアのテントならフライなしでもいけるかもしれないけど)。元を取るためには、何泊使わなければならないんだ??と考えたのですが、山小屋は1泊2食付で8000円から9000円、テント場使用料はたいてい1張1泊500円、食費がせいぜい1000円以下と考えると、約6万円のテントでも、10泊もすれば元が取れるのか。今のペースなら4~5年で元が取れる、かな。さて、どうしよう。
2013.10.13
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18歳少女、首切られ死亡=殺人未遂容疑で21歳男逮捕-当日相談も・警視庁8日午後4時50分ごろ、東京都三鷹市井の頭の路上で、若い女性が首から血を流して倒れているのを通行人が見つけ110番した。女性はすぐ近くに住む私立高校3年(18)で、首などに刃物による切り傷があり、搬送先の病院で約2時間後に死亡が確認された。警視庁は事件の約1時間半後、現場から逃げた男によく似た住所・職業不詳の容疑者(21)を市内で発見。「やったことは間違いない」と鈴木さん襲撃を認めたため、殺人未遂容疑で逮捕した。同庁は三鷹署に捜査本部を設置し、容疑を殺人に切り替えて詳しく調べる。 警視庁によると、被害者は8日午前、両親と三鷹署を訪れ「(容疑者に)待ち伏せされている」とストーカー被害を相談。署員は警告のため、同容疑者の携帯電話に3回電話をかけたが、つながらなかったという。同庁は署の対応に問題がなかったかも調べる。被害者は首の右側などを切られており、自宅の敷地内で襲われた後、助けを求めようと路上に出たところで倒れたとみられる。「助けて」という悲鳴を聞いた通行人が、制服姿で路上に倒れている鈴木さんを発見し、通報した。検視の結果、死因は首や腹部を切られたり刺されたりしたことによる失血死とみられる。---旧聞に属するかもしれませんが、痛ましい事件が起きてしまいました。警察の対応が万全だったか、ということが注目されているようです。過去に、ストーカー関連の関連に関して、警察の対応にはかなり問題があった例もあります。今回も、問題はあったでしょうが、相談から事件に至るまでの所要時間が短すぎた、という面もありそうに思います。以前にあった桶川や逗子のストーカー殺人事件では、明らかに警察の失態があったわけですが、今回はそこまでの落ち度があったのかどうかは分かりません。いずれにしても、殺人にまで至るような事例、要するに犯人が極度に異常な心理に陥っている状態では、犯罪を阻止するのはかなり難しいように思います。数日とか1週間くらいなら、警察が被害者の身辺警護を行うことも可能でしょうが、まさかその状態を何ヶ月も続けることはできないでしょう。何しろ、凶行に及ぼうとする側は、自分の好きな時間をいつでも選べるのに対して、守る側は常時防御体制を固めていなければならない。これはなかなか困難なことです。確か、何らかの犯罪行為でいったん逮捕され、服役して出所したとたんに再度の犯行に及んでストーカー相手を殺した、という事例もあったように記憶しています。そんな執念で何ヶ月、あるいは何年もつけ狙われ続けたら、とても防ぎきれるものではありません。殺人を防ぎえたとしても、いつ殺されるか、という生活を何ヶ月も何年も続けたら、被害者側の神経が保たない。いずれにしても、こういう犯罪行為を犯すような人というのは、基本的にまともじゃない。そういう、まともじゃない人にあってしまったら、早々に逃げるしか手がなさそうです。Wikipediaの「ストーカー」の項目によると、ストーキングを行う者の心理は5つに分類できるそうです。精神病系精神病によって抱く恋愛妄想、関係妄想によってストーキングを行う。現実には自分と無関係の、スターに付き纏うようなタイプが多い。警察庁の統計によれば、ストーカーに占める精神障害者の割合は、0.5%である[1]。パラノイド系妄想によりストーキングを行うが、妄想の部分以外は正常で、話すことは論理的で、行動は緻密であることが多い。現実の恋愛関係の挫折による付き纏い行為もあるが、現実には自身と無関係の相手に付き纏うタイプが多い[6]。ボーダーライン系(境界人格障害)性格は外交的・社交的で、「『孤独を避けるための気違いじみた努力』が特徴」[9]で、病気ではなく、人格の成熟が未熟で、自己中心的で、他人・相手の立場になってみてものを考えることが出来ないタイプで、このタイプの人は精神医学の専門家でない人が想像するよりも世の中に多いという。人間関係は濃く[9]、相手を支配しようとするところに特徴があるという。ナルシスト系(自己愛性人格障害)自信・自負心が強く、拒絶した相手にストーキングするものが多く、行動的な分類からは『挫折愛タイプ』に属するものが多い。現実の人間関係は深い。サイコパス系(反社会的人格障害)被愛妄想を持つ(相手が自分を好きであると信じる)のではなく、自分の感情・欲望を相手の感情と無関係に一方的に押し付けるタイプで、性欲を満たすための道具として相手を支配するものが多い。「凶悪・冷血な犯罪者」「典型的な犯罪者」というイメージが特徴で、人間関係は強引で、「相手に『取り憑く』能力を持っている」ことが特徴であるという。福島章の『新版 ストーカーの心理学』(2002年)によれば、すべてのタイプのなかで、男女を問わずストーキングを受けた者が最も困難に陥れられるタイプは、ボーダーライン型であるという。---うーーーん、何というか、私は、こういう人たちと出会う確率の比較的高い仕事をしているので、実は結構他人事ではない。私生活だったら絶対にお近づきになりたくないタイプの性格の持ち主だって、仕事ではこちらから逃げ出すわけには行かないのです。Wikipediaの記述によれば、意外に精神病系(狭義の)のストーカー犯罪は少ないようです。もっとも、人格障害というのは広い意味では精神疾患のようなものともいえますが。確かに、狭義の精神疾患、たとえば統合失調とか妄想系の人などは、ひとことで言って「面倒くさい」例が多いけど、暴力を振るいそう、という意味で危険な人が多いかと言うと、必ずしもそうではありません。もちろん、中にはそういう人もいますけど、多くはない。それに比べると、人格障害系の方が、危険な匂いのする人が多い、というのは体感的に私も思います。暴力は振るわなくても、1ミリグラムでも気に入らないことがあると、怒鳴るしか表現の仕方を知らないような人がいます。ある意味で不幸な人だなとは思うのですが、実際目の前で怒鳴り始めると、「かわいそう」という気にはあまり、いやまったくなれません。私も聖人君子ではないのでね。そういう人と応対すると、やはり神経を消耗します。そんな人に四六時中つきまとわれたら、たとえ殺害という結果でなくとも、心身ヘトヘトになってしまいます。仕事ではなく私生活だったら、こういう人と会ってしまったら、とにかく逃げる(避ける)しかありません。とはいえ、最初からそういう性格の持ち主ということが明らかに分かるとは限らないところが難しいところです。話は変わりますが、今回の事件の被害者について、ある野球選手が「自業自得」とネットで発言して、非難を浴びたそうです。何でも、この被害者の、ある種の画像がネット上にばらまかれたことに関しての発言らしいですが、そもそもばら撒いた当事者が今回の殺人犯のようです。2人の間に何があったかは知らないし、知りたいとも思いません。何があったにしても、殺されることを「自業自得」と言い放てるほどの非が、この被害者にあったと思えないということだけは疑いの余地はない。恋は人を盲目にさせるけど、どんな恋もいつかは醒めます。大の大人だって相手の性格を見誤ることはあります。まして高校生が、相手の性格を見誤って、ろくでもない男と付き合ってしまったことを非難してもはじまらないのです。子どもの頃から大人並みの分別がもてる人間が、どこにいるのか、って話です。とはいえ、私も子どもを持つ親なので、非難するとかしないとかということよりは、わが子がこういう事態に巻き込まれる事態だけは、なんとしても避けたい。いや、私自身もそうですけど、子どもは特にね。
2013.10.11
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機動戦闘車を公開=2016年に部隊配備-防衛省防衛省は9日、2016年度に部隊配備される機動戦闘車を、相模原市の陸上装備研究所で公開した。戦車と比べて機動性が高く、航空機で空輸できるのが特徴で、離島防衛や原発など重要施設の防護に活用する。全長8.45メートル、幅2.98メートルで、最高時速100キロ。105ミリ砲や重機関銃などを備えた8輪車タイプで、空自の次期輸送機C2での輸送が可能という。 開発費は179億円。センサーなど一部の部品を除きすべて国産で、同省技術研究本部が08年度から開発を進めていた。今後2年間運用試験を行い、16年度から部隊配備する予定。---こちらが、その機動戦闘車だそうです。機動戦闘車と言っていますが、要するにキャタピラではなくゴムタイヤで走る戦車です。何をもって「機動性が高い」というのか分かりませんが、舗装道路上の走行速度は確かにタイヤのほうが速いし、車体が軽いので空輸も可能というメリットもありますが、ヘリでは運べないし、不整地での走行性能はキャタピラのほうが上です。主砲は105mm砲で、現在退役中の74式戦車と同じ砲のようです。90式戦車などの120mm砲よりは威力が劣ります。重さが26トンということは、主力戦車(たとえば前述の74式戦車は38トン、90式戦車は50トン)より大幅に軽い。何を削ったかと言えば、もちろん装甲でしょう。つまり、一昔前に「軽戦車」と呼ばれていた戦闘車両と似た位置づけ、ということになるでしょうか。主砲の威力が劣って、装甲も薄いんだから、この機動戦闘車と通常の戦車(主力戦闘戦車)が撃ちあったら、機動戦闘車に勝ち目はありません。ま、もちろん敵戦車と正面から戦車戦を繰り広げる目的で開発した車両ではないのでしょうが。ひとことで言えば、空輸で急送する兵士に、とりあえず戦車のような機動火力をつける、程度のものです。それにしても、記事にある「離島防衛や原発など重要施設の防護に活用」という目的に、105mm戦車砲なんて必要なのでしょうか。そのような場面で、戦車同士が戦う場面は想定しがたいし(そもそも、戦車同士の戦いでは、前述のとおり機動戦闘車は勝ち目がない)どうしてもいるというなら、既存の戦車や装甲戦闘車で充分でしょう。仮に、「どうしても必要」だとしても、では何両必要なんでしょう。200両も300両もいるはずがない。数十両もあれば充分でしょうし、そもそも後述の防衛大綱により、その程度しか製造できない。その程度の数ならわざわざ国内で開発しなくても、外国から同様のコンセプトの車両を輸入すればいいじゃないですか。類似のゴムタイヤ式の軽量戦車は、米仏伊などで開発されています。だいたい、ついこの間、自衛隊はこんな新型戦車を開発したばかりです。10式戦車、つまり2010年に制式化されたばかりです。こちらは何両生産する予定なんでしょうね。今の時代に日本国内で主力戦闘戦車が活躍するような事態は起こるとは思えません。防衛省や財政当局だって、そう考えているから自衛隊の戦車数は大幅に削減されることが決まっているのです。冷戦末期には、確か自衛隊の戦車は1000両以上あったと記憶していますが、現在の防衛大綱では400両まで減らされます。当然です、というか、もっと減らすべきと思いますけどね。日本の国土で戦車が大活躍する事態、というのは住民がキャタピラに踏みにじられる事態に他なりません。昨日の記事に書いたように、日本の人口密度はとても高いのです。現在主力の90式戦車は340両作られていますから、400両という防衛大綱の上限まで、残り枠は60両しかない。いったい何両つくるつもりで、2種類もの新型戦車を開発したんだろうか。しかし、考えてみると、陸上自衛隊はこんな感じに、何でもかんでも国産開発して少量生産、その結果としてとてつもなく高い単価の兵器ばかりを開発してばかりいるようです。たとえば89式装甲戦闘車旧ソ連の機甲部隊との戦車戦を思い描いて(多分)開発されたこの車両が制式採用された年、冷戦は終結して無用の長物化し、68両で生産終了。87式自走高射機関砲高価すぎて、50両ほどしか生産されず。74式自走105mm榴弾砲翌年に制式採用された75式自走155mm榴弾砲の方が性能がよかったため、20両で製造終了99式自走155mm榴弾砲零戦終了後の時代に野戦重砲を新規開発とは、時代錯誤としか思えないのですが、現在生産中です。これまでの生産数は100両ほど。OH1観測ヘリコプター高価なため34機で生産終了AH64D戦闘ヘリコプターこれは国内開発ではなく、米国で開発された機体のライセンス生産ですが、ライセンス元のボーイングで生産終了したために部品供給が絶たれ、13機で生産終了。この件は、製造メーカーが防衛省を裁判に訴える事態になっています。9mm機関けん銃(サブマシンガン)陸上自衛隊での調達数たった270丁足らず(他に海上自衛隊と航空自衛隊用の生産も行われていますが)。銃器としては驚異的な希少品でしょう。結局、陸上自衛隊は、あれもほしいこれもほしい、となんでも欲しがって、しかもあれも国産これも国産と、国内生産にこだわり、その結果が上記のような少量生産の山だったわけです。その悪癖を、どうも現在でも引きずっているようにしか思えません。
2013.10.10
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小泉元首相が脱原発を主張し始めた、という話は、少し前に当ブログでもちょっと触れたことがあります。うそから出たまこと私は、小泉政権の郵政民営化をはじめとする政策をまったく評価しません。しかし、それはそれ、これはこれです。小泉元首相が脱原発を言い始めたことは、よい意味での驚きであり、その主張に関する限りは全面的に賛同します。だからと言って、それ以外の政策も評価するつもりは絶対ありませんが。しかし、その小泉元首相の「見識を疑う」と社説で難癖をつけた新聞があります。言わずと知れた産経・・・・・・では、ないんですね、今回は。産経とともに原発推進の旗を振り続ける読売新聞です。小泉元首相発言 「原発ゼロ」掲げる見識を疑う(10月8日付・読売社説)首相経験者として、見識を欠く発言である。原子力政策をこれ以上混乱させてはならない。小泉元首相が講演で、「原子力発電に依存しない、自然を資源にした循環型社会」の実現を唱え、政府に対し、「原発ゼロ」の方針を掲げるよう求めた。東日本大震災を機に自らの考えを変えたという。小泉氏の発言は、政府・自民党の方針と異なる。政界を引退したとはいえ、看過できない。安倍首相は、安全性が確認された原発は再稼働させ、民主党政権の「原発ゼロ」路線を見直す意向だ。自民党も原発再稼働の推進を選挙公約に盛り込んだ。小泉氏は原発の代替策について「知恵ある人が必ず出してくれる」と語るが、あまりに楽観的であり、無責任に過ぎよう。現在、火力発電で原発を代替している結果、燃料の輸入費が増え、電気料金は上昇を続けている。このままでは、家計や経済活動に与える影響が大きい。火力発電は、二酸化炭素(CO2)を多く排出し、地球温暖化が進む大きな要因である。太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーは、天候に左右されるなど弱点があり、主要電源になる展望は見えていない。原子力、火力を主力にバランスの取れた電源構成を目指す必要がある。「原発ゼロ」が政策になれば、福島第一原発の廃炉などに必要な技術者も確保できまい。小泉氏は、「原発ゼロ」の理由として、原発から生じる放射性廃棄物の扱い方を疑問視し、「核のごみ処分場のあてもないのに、原発を進める方がよほど無責任ではないか」と主張した。使用済み核燃料や、それを処理した際に出る放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している。専門家は地盤の安定した地層に埋めれば、安全に処分できると説明している。日本を含め各国がこの方法の採用を決めており、フィンランドでは建設も始まった。放射能は、時間を経ると減り、1000年で99・95%が消滅する。有害性が消えない水銀など重金属の廃棄物とは事情が違う。問題は、廃棄物を埋める最終処分場を確保できないことだ。政府と電力業界は候補地を募ってきたが、自治体や住民の理解を得る努力がなお足りない。処分場の確保に道筋が付かないのは、政治の怠慢も一因と言える。首相だった小泉氏にも責任の一端があろう。処分場選定を巡る議論を進めるべきである。---私には、どうもこういう社説を堂々と掲げる読売新聞の見識のほうが、疑うに足るものだと思えます。「小泉氏の発言は、政府・自民党の方針と異なる。政界を引退したとはいえ、看過できない。」のだそうですが、引退して、すでに議員ですらない元政治家が、現役時代に所属していた党派の方針と違うことを主張したからといって、いったい何が問題なのか私には理解できません。読売新聞は、退職した自社の元社員にまで自紙の社論に異を唱えさせないつもりですか?「小泉氏は原発の代替策について「知恵ある人が必ず出してくれる」と語るが、あまりに楽観的であり、無責任に過ぎよう。」ともありますが、私の目には、一度起きた大事故は再び起こる可能性がある、という事実に目を閉ざす読売新聞のほうが、「あまりに楽観的であり、無責任に過ぎよう。」と思います。それに、私は小泉元首相の発言を全部分析しているわけではないのですが、小泉は原発の再稼動にすべて反対と言っているのでしょうか。確認したわけではないのですが、おそらくそうではないだろうと思います。中長期的に原発依存から脱却する、というスタンスではなかろうかと推測しています。「太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーは、天候に左右されるなど弱点があり、主要電源になる展望は見えていない。」とありますが、再生可能エネルギーはその二つだけではありません。天候に左右されない地熱発電や小規模水力(ダムをつくらない水力発電)の潜在力も相当あると見られています。それに、50年前60年前に、原子力が主要電源になる展望など開けていたのでしょうか。結局は研究開発にどれだけの資金を投入するか、に尽きるんじゃないでしょうか。「原発ゼロが政策になれば、福島第一原発の廃炉などに必要な技術者も確保できまい。」とありますが、廃炉に膨大な作業が必要ということは、そこに雇用がある、ということです。事故ではなく運転終了した原発ですら、廃炉には20年以上かかります。事故を起こした原発の廃炉にどれだけの時間がかかるかは、検討もつかない。それだけの長期間雇用が見込まれる以上、そこで働きたい人も必ずいるでしょう。「使用済み核燃料や、それを処理した際に出る放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している。」地層処分というのは、果たして技術的に決着していると言えるのか。日本は、ヨーロッパやアメリカ大陸のように固い岩盤の国ではないのです。そこで数千年数万年の安全をいかに保つのか、そんなことに技術的な保障などあるわけがない。「放射能は、時間を経ると減り、1000年で99.95%が消滅する。」という言葉もあります。それだけ読むと、1000年経てばもう安全という印象ですが、実際のところは違います。資源エネルギー庁の放射性廃棄物対策室のホームページによれば、ガラス固化された直後の放射線量は、毎時1500シーベルト、表面に人間が触れていれば、20秒で致死率100%という数字です。それが1000年経って0.05%つまり2000分の1まで減っても、放射線量はまだ毎時750ミリシーベルトです。そこに人間が張り付いたら、9時間ほどで死亡率100%です。まだまだ非常に危険な存在と言うしかないでしょう。「問題は、廃棄物を埋める最終処分場を確保できないことだ。政府と電力業界は候補地を募ってきたが、自治体や住民の理解を得る努力がなお足りない。処分場の確保に道筋が付かないのは、政治の怠慢も一因と言える。」はたしてそうでしょうか。世界中で、最終処分場の場所が決定している国は、社説中に名前の出ているフィンランドただ1国だけです。米国は、ネバダ州の砂漠のど真ん中にあるユッカマウンテンにいったん決めましたが、後に白紙撤回されました。参考までに、最終処分場を決定したフィンランドの人口密度は1平方キロあたり16人、米国の人口密度は31人です。日本は338人。桁ひとつ違うのです。人口密度だけの問題ではなく、日本は地盤がはるかに軟弱で雨が多く、火山だらけで地震の来ない場所がほとんどない。およそ危険物を長期保存するのに不向きなこの国土に、最終処分適地があるわけがないのです。適地があるわけもないところで最終処分場を決めなければならないという無理難題が解決しないのは「自治体や住民の理解を得る努力がなお足りない」からだというのです。毒を飲んでくれる人が手を上げてくれないのは、手を上げさせるための「理解を得る努力が足りない」というわけです。馬っ鹿じなかろうか、と思いますね。
2013.10.09
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JR横浜線踏切事故:学ぶべきものは/神奈川横浜市緑区の踏切で、倒れていた男性(74)を助けようとした会社員女性(40)が電車にひかれて亡くなった事故で、安倍晋三首相は「勇気をたたえる」として書状を贈ることを決めた。県と横浜市も知事と市長の名で「感謝状」を贈るという。弔意を示すことはあり得るだろう。しかし、命が失われた事故を美談にすることで、大切なものが見落とされるのではないか-。そう感じている人もいる。書状を贈る理由について、菅義偉官房長官は語った。「勇気ある行動をたたえる」「他人にあまり関心を払わない風潮の中で、自らの生命の危険を顧みずに救出に当たった行為を国民とともに胸に刻みたい」。そして、「総理もぜひたたえたいという話をされていた」。(中略)ある鉄道会社の男性社員は危惧を抱く。「今回の行動が正義なのだということになれば、同じような事故が起こる可能性もあるのでは」鉄道各社は「人の立ち入りを見つけたら、非常ボタンを押してほしい」と口をそろえる。「社員であってもまずは電車を止めるための行動を取る。『どうして助けないんだ』と思うかもしれないが」。電車を止め、あるいは少しでも速度を落とすことで衝突によるダメージを減らすことができるからだ。線路内にいる人を助けようとするより、非常ボタンを押す方が早くできる。だが、男性は「今はそういうことを口にすれば、ひどい人と言われそうなタイミング。美談としてエスカレートしていくのが怖い」とも感じる。「『線路に入らないで』とは言えても『人を助けないで』とは言えない。危険だから助けに入ることは絶対に禁止、と伝えていくしかない」(中略)■「美談」のあとで事故現場から車で数分の団地に、その表札は見当たらなかった。01年1月、JR山手線新大久保駅のホームから転落した男性を助けようと、居合わせた韓国人留学生とカメラマンが線路に飛び降りた。救助は間に合わず、3人とも死亡した。カメラマン(当時47)=は母親と、この団地で暮らしていた。事故後、勇気ある行動をたたえようと国や市の関係者が相次いで訪れ、賜杯や顕彰状を手渡していった。母親は無言で説明を聞き、深々と頭を下げた。「息子を静かに弔ってあげたい。本当はそっとしておいてほしい」。同じ団地に住む女性(72)は母親がそう漏らすのを聞いた。女性は続く言葉が忘れられない。「美談であろうが何であろうが、息子が死んでしまったことに変わりはない」事故から数年後、一人自室で息を引き取っていた母親が近隣住民らによって発見された、という。(以下略)---この事故をめぐる報道には、私も漠然とした違和感を感じていました。あえて、誤解を恐れずら書けば、この女性の行動について、正直手放しで褒める気には、私はなれないのです。もちろん、この女性に非がある話では一切ありませんし、意図は立派です。しかし結果はどうでしょうか。「よかったね」とは少なくとも言えない。記事の中で匿名の鉄道社員が言うように、こういう事態に遭遇した場合、まず非常ボタンを押すべきであり、線路に下りての救護活動は、よほど特殊な状況でもない限り、通常は行うべきではないと私は思います。報道によれば、この女性は父親と一緒に車に乗っていたところ、転落を目撃して、父親の制止も聞かずに車から飛び出していって、転落者を助けようとして電車にはねられたそうです。私も、子どもをもつ親ですから、最初に報道を目にしたとき、どうしても親の気持ちを考えてしまうのです。無念、なんてものじゃないと思いますよ。はっきり言います、私がこの親の立場でその場に居合わせたとしたら、子どもを殴ってでも制止ます。もちろん、結果を知っているからそう言うのであって、実際にその場で制止できたかどうかは分かりませんが、気持ちとしてはそうです。何があったって、親より先に子どもに死んでほしくはありません。死んで美談を残すより、百万枚の感謝状をもらうより、生きていてくれたほうが、何万倍よいか知れません。こういう気持ちは、わがままなのでしょうか。親としては当然だと私は思うのですが。記事によれば、新大久保駅の転落事故の犠牲者の母親も、「美談であろうが何であろうが、息子が死んでしまったことに変わりはない」と漏らしたとか。そりゃそうだよな、と思います。多分、今回の事故の父親だって、本当は時計の針を巻き戻すことができるなら、「殴ってでも制止する」と思っているのではないでしょうか。少なくとも、娘の死を泣き叫んで嘆きたいんじゃないでしょうか。泣いて泣いて、いくら泣いても足りないくらいに泣きたいんじゃないでしょうか。私はそう確信しています。しかし、美談に祭り上げられてしまっては、人前で泣くことすら憚られてしまいます。亡くなった人は、帰ってきません。せめて、悲しいことは存分に悲しむ自由くらいは、遺族に保障しても良いんじゃないかって私は思うのです。そういえば、新大久保の事故では、転落者は泥酔者でした。今回は自殺願望者のようです。泥酔者、自殺願望者は死んだって構わない、というわけではありません。救出のために手は尽くすべきでしょう。が、そのために別の人間が命を落とすというのは(まして、転落者は74歳、そのために命を落とした女性は40歳です)、どうしても割り切れないものを感じてしまうのです。本人は、救出した相手の年齢や、転落の理由など知るよしもなかったかもしれませんけどね。引用記事にあるように、弔意を表すことはあってしかるべきですが、美談として感謝状ということになると、どうも違うのではないか、という気がしてならないのです。
2013.10.08
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「ヘイトスピーチ」は人種差別 地裁が在特会に禁止命令京都朝鮮第一初級学校(現・京都朝鮮初級学校)を運営する京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と会員ら9人を相手取り、学校周辺での街宣活動の禁止や計3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が7日、京都地裁であった。橋詰均裁判長は、街宣活動について「著しく侮辱的、差別的で人種差別に該当し、名誉を毀損(きそん)する」として計約1226万円の賠償を命じた。また、同学校の移転後の新校舎付近で、新たな街宣活動を差し止める異例の判断も示した。判決によると、在特会の会員らは2009年12月~10年3月、京都市南区にあった第一初級学校周辺で、「犯罪者に教育された子ども」「朝鮮半島へ帰れ」などと3回にわたり演説した。判決は、この演説内容が日本も加盟する人種差別撤廃条約に照らして「人種差別」にあたると判断。「在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える差別的発言」として名誉毀損の成立を認定。公益目的は認められず違法だと結論付け、「発言は事実に基づいた公正な論評」とする在特会側の反論を退けた。(以下略)ーーー「当然の判決」と言うしかありません。ただ、日本の裁判所は保守的ですから、「当然の判決」が出るかどうか、一抹の不安も感じていました。彼らの行動は、「街宣」などというレベルではなく、話の内容、言葉遣いや口の聞き方、そのすべてが暴力団員がインネン付けているのと何も変わらりません。さすがに裁判所もこのような「言論の自由」を保護することはできないと判断したのでしょう。私自身が在特会の連中を目撃した際には、上記の新聞記事に引用されている言葉がかわいく思えるくらいのひどい発言を繰り返していました。その時は、確か差別問題を巡る集会の会場に、在特会の連中と「主権回復を目指す会」※の連中が押し寄せてきたのでした。「主権回復を目指す会」の西村修平が、施設の運営者にたいして、多分「何故このような『反日団体』に施設を貸し出すのか」とでもねじ込んでいたのでしょう。施設内で大声で喚き散らして、つまみ出されて行ったことを覚えています。※主権回復を目指す会は、西村修平を中心とする、在特会とよく似たヘイトスピーチ系極右団体で、この当時は在特会と常に共同歩調をとっていました。しかし、その後両団体は喧嘩別れをしています。それ以外では、反原発関係の集会で遭遇したことが多いですが、ここでも、「犯罪者を生きたまま原子炉に叩き込め」などと、愚にもつかないことを口汚く罵っていました。ただ、デモの途中で遭遇しても、すぐ通り過ぎてしまうので、あまり長い時間彼らの生態を観察することもできません。いや、観察したいとも思わないけれど。反原発集会へのカウンター集会は、「人種差別」ということにはならないですが、どう考えても常軌を逸しています。「街宣」というのは、通常は自分たちの主張を多くの人に聞いてもらい、賛同者を増やしたい、という意図に基づいて行われるものです。選挙の際の党名や候補者名の連呼だけの街宣に、どれだけの意味があるのかは分かりませんけれど、名前を覚えてもらう意味で、まったく無効な手段でもないのでしょう。それに対して、在特会の街宣は、主義主張の賛同者を増やすという目的とは思えません。いくら彼らでも、ヤクザと見間違えるようなトーンでがなり立てて、人々の共感を得られるとは、さすがに考えていないでしょう。かれらの街宣は、一つには自分たちの漠然とした不満のはけ口を探しているということ、そしてもう一つは、反対勢力の言論の自由を威圧しようという意図であることは明白だと私は思います。そのような言葉の暴力を、言論の自由とは認め難いと思いますし、裁判所の判断も私と同じであるようです。話は変わりますが、松江市の教育委員会が「はだしのゲン」を学校図書館で閲覧制限しようとした問題で、松江市教育委員会に執拗な要求を行ったのは、この裁判でも被告になっている西村斉だそうです。ヘイトスピーチ:差別か表現の自由か 街宣訴訟7日判決故中沢啓治さんが自らの体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限で注目された松江市教委事務室に昨年5月1日、今回の裁判の被告の一人で元在特会幹部の西村斉氏(44)の姿があった。学校図書館からの撤去を求めた当時松江市在住の男性の申し入れに同行した西村氏は、旧日本軍の行為を描く場面などについて「子どもへの精神的テロだ」などと抗議した。「学校の図書については指導しない」とする職員と、西村氏らの間で押し問答が35分ほど続き、その映像がインターネットで流された。対応した市教委幹部は「面談には非常に圧力を感じた。職員を非難する電話が2週間ほど鳴りやまず、業務に支障が出た。ほとんどは県外からだった」と振り返った。ーーーこんな不当要求に屈してしまった松江市の対応は大問題ですが、それにしても、この連中の威圧ぶりも相当なものだったんだろうな、と思います。
2013.10.07
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フォルクローレの楽器は、メンテナンスフリーなので、あるいは私が勝手にメンテナンスフリーということにしているので、演奏した後もほとんど手入れをしたことがありません。がしかし、ケーナやサンポーニャは管楽器なので、唾液がついたり、口の脂がついたりして、それなりに汚れる・・・・・・はずです。いや、弦楽器だって汚れるのですが、どちらかというとやっぱり管楽器のほうが汚れます。自分の唾液による汚れは、それほどは気にならないものですが、それでも限界というものがあります。15年くらい前に、福島県川俣の「コスキン・エン・ハポン」で、一日中サンポーニャの練習をしていたら、ふと気がついたら唇の下が擦りむけていて、サンポーニャが血まみれになっていたことがありました。さすがに、こうなると掃除しないとそのあと使いにくいです(そのとき使っていたサンポーニャは、もう引退しましたが)写真では良く分かりませんが、吹き口の汚れは、そろそろ何とかすべきときかな、と。で、バラしてみました。サンポーニャは、ひとつの管がひとつの音を出す、パンパイプと呼ばれる仲間の笛です。で「ドミソ」の列と「レファラ」の列の2列に束ねられています。通常は、その2列を段違いに縛り合わせているのですが、まずそれを切り離します。まずは、サンカ(標準サイズより1オクターブ下の楽器)から。汚れもさることながら、縛っている糸が緩みきっています。いや、実はそのことは分かっていたんですけどね。完全に組み直さないといけないようです。完全にバラバラにしました。ところで、何だか、一番右端の管が光っているように見えませんか?実は、数ヶ月前に、うちの子が私のサンポーニャの上に転倒して、管をぐしゃぐしゃに割ってしまったのです。割れた管は一番高い音と一番低い音の2本で、一番高い音は予備の管に交換しましたが、一番低いほうは、とりあえずセロテープで補修してそのまま使っています。割れた管の修理が一番手っ取り早く、なおかつ確実で、また後で修正が容易な手段がセロテープなのです。見た目が光ってしまう点だけが欠点ですが。頑固な脂汚れは、やすりで落とす!これが一番確実です。吹き口以外も汚れているんですが、そのあたりはよほど酷く汚れているところ以外は妥協しました。再び組み直します。私は、毛糸でサンポーニャを組んでいます。本当は、タコ糸の方が耐久性はあるのでしょうが。足で糸を引っ張りながら、横木に巻きつけていきます。裏側(奏者側)は十字に交差するように巻きます。反対側は交差させません。これだけだと左右がスカスカで、管が簡単に抜け落ちてしまうので、次は左右に巻きます。2回か3回ぐるぐると回して、縛れば完成です。続いて、もう一列もバラバラにしました。ボリビア・ラパスのWALATAという工房で2001年に買ってきたものです。当時はそれほど評価の高い工房ではなく、購入したサンポーニャの値段も1000円そこそこでしたが、軽く吹いてもバリバリとよく鳴る、とても音の出しやすいサンポーニャで、気に入っています。音程が若干高めなのが欠点ですが、吹き方でカバーできるレベル。続いて、マルタ(一番標準的な音域のサンポーニャ)です。これも、2001年にボリビアで買ってきたものです。ケーナ奏者エディ・リマの店で、日本円にして2500円くらいの値段でした。ボリビアの物価水準では、かなり高価です。本当にエディ・リマ本人が作ったかどうかは知りませんけど(いや、九分九厘下請けの他メーカーの製作でしょう)、とてもいい音が出るので、お気に入りです。ま、店員のおねーさんが若くて美人だったから買ってしまった、という面もあるかも。しかし、プロがしっかり作っただけあって、12年使っていても、糸がほとんど緩まないのです。私が組むと、3~4年で糸がゆるゆるになってしまいます。とうとう、糸が緩む前にすり切れてしまいまた。なので、やはりバラバラにして、糸をかえるしかありません。このサンポーニャは、WALATAとは逆に音程が低めです。米粒を入れて音程を上げて使います。音程の低いサンポーニャは、詰め物でどうとでも調整できるのです。逆に、高い音程を下げることは、吹き方で調整する以外はむつかしい。だから、大抵のサンポーニャは、安全を見て低目に調律されています。汚れていますねえ。白い糸から黒い糸に変わってしまいました。完成。3段目の半音管の列は、普段あまり使わないので、汚れもほとんどありません。糸もすり切れていないので、張り替える必要もなし。1・2段目が黒い糸で3段目だけ白い糸で、ちょっと不統一になってしまいました。(そのためだけに糸を張り替えるのも面倒で)半音管列に1本だけ色合いが違う管がありますが、これは元の管が割れたため交換したせいです。これはまた別のサンポーニャ。私と一緒に演奏しているチャランゴ奏者のいしのさんが、2004年にボリビアに行ったとき、おみやげにいただいたものです。これは、糸は緩んでいないし、切れてもいないので、分解せずに吹き口だけヤスリで清掃しました。サンポーニャの組み方は、明確な決まりがあるわけではないのですが、たいていは、奏者側から見て右側が低音、左側が高音になるように組んでいます。ただ、ピアノでもギターでも、世の中のたいていの楽器は、左が低音、右が高音になっているので、日本で演奏する人の中には、左右反転させて組み直す人もいるようです。私は、左高音右低音の配置のままで吹いていますけど。4組のサンポーニャのメンテナンス終了。右側2組がサンカ、左側2組がマルタ。普段の演奏でメインで使っているのは、真ん中の2組(エディ・リマのマルタとWALATA工房のサンカ)。しかし、家で練習するときは、残りの2組も適宜使っています。右端のサンカが一番古くて、1992年頃から、20年以上使っています。あとは、2001年以降に入手したものです。予備管の山。何本あるか、正確に数えたことはありませんが、多分これで3組くらいはサンポーニャが作れるはず。これは、楽器未満の民芸品レベルのサンポーニャを買い集めてきては、バラバラにしたものです。もちろん、音程もちゃんとしていない楽器をバラしたものですから、使うにあたっては調律しなおす必要があります。日本でも、「チチカカ」という民芸品店で、民芸品レベルのサンポーニャが1組1500円くらいで売っていたから、何組かまとめ買いしたことがありました。サンポーニャは、材質がアシ(日本のアシよりは硬いとは言え)なので、踏みつけるようなトラブルでなくても、よく割れます。亀裂が1〜2本ならセロテープで補修しますが、それ以上グチャグチャにわれたら、交換するしかありません。だから、予備管が必要になるわけです。
2013.10.06
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米政府、17年ぶり閉鎖 予算不成立、職員数十万人待機米政府機関の一部閉鎖が1日、17年ぶりに始まった。オバマ政権が進める医療保険制度をめぐる与野党の対立が続き、1日からの新年度の暫定予算案で折り合えなかった。観光地の国立公園などが閉鎖されるほか、数十万人の政府職員が自宅待機などに追い込まれる見込みだ。前回の政府閉鎖は、クリントン政権時代の1996年1月までの21日間だった。与党・民主党が多数を占める上院は9月30日夜、下院が可決した2014会計年度(2013年10月~14年9月)の米連邦政府の暫定予算の再修正案を否決した。オバマ政権の看板政策「オバマケア」(医療保険改革法)の一部を来年1月から1年間延期する内容が含まれており、事実上のオバマケアの「骨抜き」だった。---予算が成立しないから政府を閉めてしまう、というのもすごい話です。しかも、この政府閉鎖という事態は、過去40年間で17回もの前例があるそうです。何故政府閉鎖に至るかといえば、直接的には米国の法律では予算が不足した場合は緊急のもの以外は政府を閉鎖しなければならない、と定められているからです。で、何故予算が成立しないかといえば、上院が与党(民主党)多数、下院が野党(共和党)多数というねじれ国会になっているからです。上院と下院が異なる予算案を議決してしまい、折り合いが付かないため予算が成立しない。日本でもこの間までねじれ国会でしたが、日本の場合は衆議院の優越が規定されており、首班指名、予算案、条約承認の3つに関しては、衆参の議決が異なる場合は衆議院の議決が優先されます。現に、今年の予算成立時は、参議院は民主党が多数だったので、安倍政権の予算案は参議院で否決されていますが、衆院の優越という規定によって成立しています。予算の成立時期も、今年度は5月15日でした(その間、暫定予算は成立しているが)。日本の場合は予算成立が新年度に食い込んだからと言って、直ちに政府閉鎖にはなりません。もちろん、物理的に予算(資金)がなくなってしまえば、政府の運営が不可能になってしまいますが、そんな事態が起こったことはありません。ただ、予算は衆院の議決=国会の議決ですが、赤字国債発行のための特例公債法案は参議院で否決されると衆議院の2/3で再可決しなければ不成立になります。去年、民主党政権のときに特例公債法案が否決されそうになったことはありました。もし否決された場合は、歳入が年度途中で枯渇してしまい、政府を維持できなくなる可能性はあります。いずれにしても、予算に関して上下両院の権限に優劣が付けられていないこと、予算が年度内に成立しないと、すぐに政府閉鎖に追い込まれることは、米国の政治制度の欠陥じゃなかろうか、と思います。で、対立の根源はオバマケア(医療保険制度改革)に共和党が強硬に反対していることにあるようです。オバマケアは、成立に当たって相当骨抜きにされているにもかかわらず、それでも共和党は絶対反対のようです。オバマケアについては、以前に記事を書いたことがあります。米国の医療制度改革国民皆保険という、先進諸国では当たり前の制度を導入することに、これほど激しく反対し、政府閉鎖という事態すら厭わない人たちの考えというのは、私にはほとんど理解不能です。
2013.10.05
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高収入なのに「低貯金」な人の共通点年収が700万円以上あるにもかかわらず、貯金が100万円以下の人(以下、低貯金)は、「具体的な目標がないからお金が貯まらない」とよく言う。実際、低貯金の500人中42%がそう答えているが、「具体的な目標があるにもかかわらず、お金が貯まらない」についても3割の人がYESと回答している。「家の頭金がなかなか貯まらないので、43歳のときに35年ローンで購入。繰り上げ返済を頑張るつもりでしたが、思うようにいきません」(低貯金・45歳・通信)また、低貯金の人の過半数が「お金は貯めるものではなく使う物だと思っている」のに対し、年収700万円以上で貯金600万円以上の高貯金な人の割合は500人中25%にすぎなかった。さらに、「将来の安心感や余裕よりも、今、居心地のいい環境や満足度の高い物などを手に入れたい」(低貯金41%・高貯金20%)も2倍の差がついた。「一生懸命働いて、その分楽しく使う主義。今を楽しまなくてどうするの?」(低貯金・35歳・商社)といった意見に代表されるように、低貯金の人は、「収入が上がると、生活水準も上げてきた」が過半数を超えているのだ。「身の丈に合った生活をしているつもりなのに、なぜか月末はカツカツ」(低貯金・37歳・金融)とは、まさにその結果だろう。(以下略)---私は、自分の年収や貯金の額をここで公開する気はないけれど、まあ少なくとも貯金が100万円以上はあります。そこだけは、公開していい(笑)。もちろん、人それぞれ、お金の使い方もそれぞれで、一概には言えません。我が家は車を持っていません。車の有無は、家計にかなり大きな影響があるだろうと思います。もちろん、住宅費の影響もあるし、子どもの人数も影響が大きいでしょう。(うちは一人っ子)ただ、それらのことを総合して考えても、年収700万円以上あって貯金が100万円以下というのは、いくら何でもどうかと思います。独身ならそれでも構わないですが、家族がいてそれは、ちょっと無責任ではなかろうかと思ってしまうのです。低所得・不安定雇用で貯蓄が少ない人は大いに同情の余地があるけれど、高収入なのに貯蓄がありません、という人には、なかなか同情の余地が少ない。先に車の有無や住宅費の差が大きいと書きましたけど、 そこのところも含めて、収入に応じた生活というものがあるはずです。「家の頭金がたまらないので、43歳で35年ローンでマイホームを購入」なんてのは、私には無謀を 通り越して、自爆 としか思えません。いくらの家で月々の返済がいくらなのか知りませんが、完済は78歳ということになる。年金しか収入がなくなったら、払い切れるわけがないじゃないか、と、私などは思ってしまうのです。日々お金を使ってしまうというのはまだ、いざとなれば 出費を減らすことが不可能ではありませんが、借金と固定費はどうにもなえいません。私自身は、別に貯金が趣味というわけではないし、ほしいものを何としても我慢して、というわけでもないけれど、かといって「お金を使うことが楽しい」と思ったことはないです。たとえば山登りでも音楽でも家族旅行でも、より多くのお金を使うほうが楽しい、とは思わないのです。一度、相棒の実家と一緒に、都内のある高級ホテルに泊まったことがあります。子どもが1歳か2歳の時でしたが、そのとき、何とも言えず居心地の悪さを感じたものです。私は、根が、肝っ玉の小さい中流小市民なので、そのホテルは、自分にとってどうも身の丈があっていない感じが強かったのです。一つには、和室と洋室という違い(そのほてるは洋室だったけど、やはり、和室の方が落ち着く)もあったでしょうが。私は、旅行は好きですが、どうも身の丈以上の豪華な宿は、快適ではないのだな、と痛感してしまいました。人間にはいろいろなタイプがあるから、どういう価値観がよい、ということはないけれど、お金があればあるだけ使うとか、ひたすら使わずに貯金が趣味とか、そういう両極端の価値観は、わたしはちょっとついていけない。いや、価値観は人それぞれでいいのです、破綻しないで生活できるならば。それで破綻を来たして周囲に迷惑をかけることは、やめてくれと思ってしまうのです。
2013.10.04
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福島第2原発廃炉に理解 衆院審査で経産相表明茂木敏充経産相は30日、東京電力福島第1原発の汚染水問題をめぐる衆院経済産業委員会の閉会中審査で、福島第2原発について「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」と述べ、県や県議会が「県民の総意」(佐藤雄平知事)として求める廃炉に理解を示した。安倍晋三首相は9月19日に福島第1原発5、6号機の廃炉を東電に要請したが、福島第2原発については経産省資源エネルギー庁の担当者が同25日の県議会全員協議会で「事業者(東電)が判断する」と答弁、大きく後退した印象が県内に広がっていた。---安倍首相が福島第一原発の5号機・6号機の廃炉を東電に要請したことは、驚きでした。原発維持に前のめりになっている安倍政権がそれを言い出すとは予想していなんかったので。もちろん、いい意味での驚きです。安倍政権の政治姿勢に私は全面反対ですが、この決断に限っては評価したい。それに続いて、福島第二原発についても、廃炉という言葉が出始めているようです。まだ、観測気球を上げているだけで、正式決定でも何でもありませんが、そういう観測気球を上げ始めたというだけでも、好ましい前兆ではあります。もっとも、安倍政権は脱原発を進める気などは毛頭なく、福島以外の原発は再稼動する気満々なのでしょうが。それにしても、何故急に福島第一・第二原発の廃炉に言及し始めたのでしょうか。ひとつには、先の参院選で、福島の自民党が福島の原発派全廃という、自民党中央とは違う政策を掲げ、自民党中央としてもそれを配慮せざるを得ないという判断があるのでしょう。そしてもうひとつは、例の汚染水問題かな、という気がします。安倍は「状況はコントロールしている」「問題ない」と大見得を切ってしまったわけですが、実際にはコントロールできていないし、問題は大有りであることが、大きな批判を浴びています。当ブログでも批判記事を書きました。で、安倍首相としては、「コントロールできている」「問題ない」発言に真実味を持たせるために、目に見える変化を必要としたのではないかな、と。これは私の推測に過ぎませんけど。もしこの推測が当たっているとしたら、「コントロールできている」といううそから、福島のすべての原発が廃炉、という正しい結論が出てきたわけで、瓢箪から駒というか、うそから出たまことというか、ともかく「結果オーライ」な状況に至った、と見ることもできます。もっとも、全廃するのが福島の原発だけ、他は動かす、特に「もんじゅ」や浜岡原発も動かす、というのでは、全面的に賞賛する気にはなれませんが。ところで、自民党の(元)政治家では、こんな人の動向も出てきています。小泉元首相が「脱原発」主張=安倍政権に決断促す小泉純一郎元首相は1日、名古屋市で講演し、日本のエネルギー政策について「私は原発ゼロを主張している。(原発事故を引き起こした)東日本大震災をチャンスと捉えるべきだ。原発ゼロの循環型社会をつくる契機となる」と述べ、「脱原発」を訴えた。小泉氏は「原発ほど費用がかかるものはない。事故を起こしたら影響は計り知れない。廃炉も40~50年かかる」と指摘。「原発をゼロにしても日本は十分やっていける。早い方がいい」と、安倍政権に脱原発の早期決断を促した。---何がどうなって、こういう認識に至ったのかは知りませんが、これもまた良い意味での驚きです。この記事に書かれている文面を見る限りは、小泉元首相の主張には全面賛同です。もちろん、だからと言って小泉政権の行った「業績」には、まったく賛同しませんが。今これを言うなら、首相のときにやってくれよ、という気もしますけど、小泉も震災を気に原発への視線が一変したのでしょうから、それ以前に脱原発を訴えていなかったことを批判しても、仕方がないのかもしれません。
2013.10.01
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