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シリア:化学兵器使用疑惑 欧州「イラク」の苦い記憶 薄い根拠に世論厳しくシリアの化学兵器使用疑惑を巡り、英議会が軍事攻撃を容認する動議を否決したのは、国連安保理が認める以外の武力行使は「違法」だとする欧州の市民感覚に合致したものだ。イラク戦争を巡り分裂した欧州にとり、根拠が明白でない武力行使に対する疑問は強い。ドイツは29日、国連で化学兵器疑惑に対処するよう米露に働きかける仲介外交を開始。性急な武力行使に欧州を巻き込む米国のシナリオは根本的な見直しを迫られそうだ。欧州での報道によると、最新の世論調査では、限定的な空爆を想定した武力行使について英国で50%、フランスで59%、ドイツで58%が反対を表明。欧州では武力行使懐疑派が多数を占めるようになっている。厳しい世論を背景にイタリアなどが国連安保理決議がない作戦には参加しない方針を表明。武力行使を米英と準備中だったフランスのオランド大統領も29日に「政治的解決が必要だ」と、トーンダウンした。最も敏感なのは総選挙を9月22日に控えたドイツで、与野党とも武力介入への協力には慎重な姿勢を取った。メルケル首相は29日、野党の要求も入れてプーチン露大統領、オバマ米大統領に電話し、国連で政治解決をはかるよう求める仲介外交に乗り出した。独首相府によると、メルケル首相とプーチン大統領は、化学兵器使用疑惑に「国連で対応すべきだ」との点で一致。シリア内戦は「政治対話でしか解決できず、ジュネーブでの和平会議開催を目指す」ことで合意した。メルケル首相はオバマ大統領と電話で協議。化学兵器使用が「重大な国際法違反である」と確認したうえで、首相は大統領に「国連が責任を果たすべきだ」との考えを伝えた。オバマ米大統領は、武力行使の前提として「広範な国際連携」が必要だと述べていたが、英議会の否決やドイツの方針転換で欧州からの協力は簡単には得られなくなった。欧州で武力攻撃を急ぐことに反対する意見が強い背景には、安保理決議のないまま2003年に開戦したイラク戦争の経験がある。イラク戦争で欧州は賛成する英国や東欧諸国、反対する独仏などに分裂。独仏は米国に「古い欧州」と非難された。戦争の根拠となった米英情報機関による大量破壊兵器の情報が戦後にうそだとわかり、各国に深い傷を残した。その後、欧州連合(EU)の統合が進み「分裂」は消えたが、苦い記憶は深く刻まれている。---ちょうど10年前のイラク戦争では、記事にあるように、米国の主張した大量破壊兵器情報が後にウソと判明(実際には、開戦前から信憑性には極めて強い疑念があり、ほぼウソだろうと分かっていたことですが)、軍事介入によってフセイン政権は倒れたものの、その後長い混乱状態が続き、米軍も非常に多くの犠牲を出しています。それにもかかわらず、今回再び曖昧な証拠を根拠にして、今度はシリアに軍事介入しようというのです。今回は、米軍はイラク戦争の失敗を「反省」して、地上軍は送り込まず、空爆とミサイルによる攻撃のみで泥沼化を避けるつもりのようです。しかし、武力行使であることに違いはありません。多くの血が流されることになります。「精密誘導兵器」が、実はさほど精密ではなく、誤爆によって多くの民間人が巻き添えになることは、これまでの戦争の歴史から明らかです。叩かれた側は、当然一方的に叩かれたままで黙っていることはありません。何らかの形で反撃に出るでしょう。ミサイル攻撃や航空攻撃に対してシリアが道東の規模・レベルで反撃することは難しいでしょうが、別のやり方、つまり非正規戦によって反撃することになるでしょう。中東情勢が混乱することは、ほぼ確実です。そもそも、シリア政府軍が化学兵器を使用したというのが、どの程度正しいのか、現時点ではなんともいえません。米国は自信たっぷりに主張していますが、それをそのまま信じるには、イラク戦争時のウソの「大量破壊兵器疑惑」の存在が大きすぎるのです。数々の証拠から考えて、シリアで化学兵器が使われたこと自体は、どうやら事実のようです。ただ、問題はそれを使ったのは誰か、です。米国は、自信たっぷりに政府軍だと主張していますが、根拠薄弱だといわざるを得ません。イギリスでは、議会の反対多数で軍事介入を認める動議が否決されましたが、これは、政府軍が化学兵器を使用した根拠なるものが説得力を欠くものであったことが決定的だったようです。現在、シリアの内戦は政府軍側が優勢だとされています。優勢のシリア軍が、わざわざ国際的非難を浴びることが分かりきった化学兵器攻撃を行うのか。しかも、国連査察団が18日にシリアに入国して(当のシリア政府が受け入れた)21日に化学兵器を使用というのは、「残虐行為を見てください」と言わんばかりの、最悪のタイミングです。そう考えると、政府軍側が化学兵器を使うことで得られるメリットがあったとしても、デメリットのほうがはるかに大きいのではないかと考えられます。もちろん、何も考えずにただ強硬策に走るだけの短慮の主はどこの世界にもいますから、「政府側にメリットがないから絶対に政府軍が犯人ではない」とは断定できませんけれど、どうも蓋然性は低いように思えます。政府側が使ったのではないとすれば、反政府側が使った、ということになります。米国は、「反政府側に化学兵器はない」と断定しているようですが、本当にそうかどうかはなんともいえません。反政府側の自由シリア軍の母胎になったのが政府軍から離反した部隊であり、政府軍の化学兵器が反政府側に奪われている可能性は否定できないからです。更に、化学兵器は「貧者の核爆弾」などと呼ばれることもあり、製造もそんなに困難ではありません。何しろ、オウム心理教ですらサリンを作れたわけですから。また、政府軍が住民に対して数々の残虐行為を働いていることは事実ですが、それに関しては反政府軍も同罪で、それに関しては政府側反政府側いずれも悪、というのが現実です。救いようのない話ですが。何しろ、かのアルカイダ系のイスラム原理組織(スンニ派)が反政府勢力に加わっています。一方で政府軍にはシーア派の原理主義組織ヒズボラが加わっていますが。この状況で、曖昧な証拠から政府軍「だけ」が悪いと断定するのは(政府軍「も」悪いのは歴然たる事実とはいえ)あまりに無理がありすぎます。それにしても、イラク戦争のときもそうでしたが、今回も欧米の世論は介入反対かが多数を占めています。それによって、イラク戦争では旗振り役だったイギリスが、今回は参戦断念に追い込まれたわけですが、イラク戦争には反対を貫いたフランスが、今回は介入推進というのはどうしたことか、と思います。ドイツは一貫して参戦反対ですが。そして、米国です。オバマ大統領は、イラク戦争という失敗への反省から当選した人物だと私は思っているのですが、そのオバマが、イラク戦争と同じ轍を踏むのでしょうか。たった10年で、歴史が繰り返してしまうとしたら、救いようのない話です。
2013.08.31
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イプシロンはICBM? 韓国紙 突出した反日報道 国内からも疑問の声韓国紙の朝鮮日報は28日、打ち上げが中止された日本の新型ロケット「イプシロン」について、「大陸間弾道ミサイル(ICBM)への転用が可能だ」とし、日本のロケット開発が兵器化を視野に入れたものであるかのように伝えた。韓国メディアはここのところ日本の「軍国主義化」を強調、安倍晋三政権たたきを繰り返しているが、新型ロケットの開発目的まで歪曲(わいきょく)して伝える反日姿勢は突出しており、韓国内でも疑問の声が上がっている。朝鮮日報は打ち上げ中止を28日付1面で報じ、掲載写真について「ICBM転用可能な日本ロケット」などと表現した。別のページでは、「ICBMと同じ固体燃料を使っており、武器に転用できる」と“解説”している。この日の1面トップでは、小松一郎内閣法制局長官が朝日新聞に対し、集団的自衛権行使を「可能にする意思を示した」とする記事を掲載、日本の「軍国主義化」を印象付けるような作りとなっている。---例によって惨傾新聞の記事です。イブシロンが兵器化を前提に開発されているとは私も思わないけど、兵器への転用が可能であることは事実ですから、それは歪曲でも何でもありません。もともと、弾道ミサイルとロケットは、本質的にまったく同じものです。ロケットの先端に兵器を搭載すれば「弾道ミサイル」と呼ばれ、観測衛星や有人宇宙船などを搭載すれば「ロケット」と呼ばれるだけの話です。実際、米国の初期の人工衛星や有人宇宙船打ち上げに使われたロケットは、弾道ミサイルそのものを転用しています。北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際も、北朝鮮自身は「人工衛星打ち上げ」と主張していましたが、日本も含めて諸外国はミサイルだと断定していました。弾道ミサイルもロケットも同じものである以上、どちらの言い分も間違ってはいません。※※ただし、いずれにしても、「弾道ミサイル技術を使用した発射を実施しないよう要求する」という国連安保理の決議に反していることは確かです。ミサイルと呼ぼうが、ロケットと呼ぼうが、それが「弾道ミサイル技術を使用」したものであることは間違いありませんから。北朝鮮と違って、日本は国連安保理から「弾道ミサイル技術を使用した発射を実施しないよう要求する。」という決議を突きつけられているわけではないので、ロケットを打ち上げることに国際法上の問題はありません。しかし、(その意図がなかったとしても)潜在的には「弾道ミサイルに転用できうるもの」であることに違いはないし、そのことについて疑念の目で見られるのは、仕方がないと思うしかありません。実際、諸外国は、口に出して明言するかどうかはともかくとてして、日本を「核武装の意思を持ったら、技術的にはすぐに核武装できる国」(潜在的核保有国)だとみなしているはずです。
2013.08.29
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麻生財務相:防衛費増強は避けられず麻生太郎副総理兼財務相は27日、沖縄県の尖閣諸島問題に絡み「海上自衛隊で尖閣を守る意思を明確に伝える意味で、防衛費増強は避けて通れない」と述べ、2014年度予算で防衛予算を今年度より増額すべきだとの考えを示した。安倍政権は今年度の防衛予算を11年ぶりに増額している。横浜市内のホテルであった麻生派研修会での講演で語った。また麻生氏は、米国の国力について、国内総生産(GDP)などを根拠に、日米安全保障条約の締結当時よりも低下したとの認識を示した上で「米国に余裕がないならば、日本や北東アジアの平和と安定のために我々も応分の負担を余儀なくされている」と述べ、防衛力強化の必要性を強調。「その覚悟を国民に訴え続けてもらわなければならない」と出席した約30人の同派所属議員に呼び掛けた。---日本は、海上自衛隊と航空自衛隊に関しては、世界でも有数の(もちろん、米軍は別格として、ですが)規模と質を持っています。自衛隊を解散しろ、とは言いませんが、武力(防衛力)は必要最小限度であるべきだと私は思います。現在でも、質量ともに世界有数の海上自衛隊と航空自衛隊があるのに、更に防衛予算を増額するのだそうです。生活保護基準は引き下げ※、社会保障全般は圧縮するが、軍事費は引き上げるのだそうです。で、消費税は上げると。ある意味では分かりやすい話です。※私は、生活保護基準の引き下げそれ自体に関しては、是々非々の考えであり、必ずしも全面的に反対ではありません。ただ、そこで減らした分を財政再建にではなく防衛予算の増額に充てるというなら、それには反対です。麻生は、「米国の国力について、国内総生産などを根拠に、日米安全保障条約の締結当時よりも低下したとの認識を示した」そうです。その認識自体は誤りとは思いませんが、それを言うなら日本自身の国力だって、日米安保締結時はともかく、バブル絶頂期から見ればかなり低下しているでしょう。何といっても、財政赤字は20年前30年前に比べて極めて巨額です。そのことを知らない財務大臣でもなかろうと思うんですけどね。
2013.08.28
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以前の記事で取り上げた「はだしのゲン」をめぐる問題ですが、本家の松江市では閲覧制限をやめたそうで、まずは順当な判断(そもそも閲覧禁止にしたこと自体が異常な判断ではありますが)と言えます。ところが、それじゃ収まらない、収まりたくない連中も少なからずいるようです。維新・橋下氏、「はだしのゲン」で朝毎を批判 「教委の独立性否定」日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は27日、松江市教育委員会による漫画「はだしのゲン」の閲覧制限撤回に関連し、社説で「撤回」を求めた朝日新聞と毎日新聞を名指しし、「メディアが騒いで教委の決定を覆した。教委の独立性を完全に脅かした。独立性はいらないと言ったに等しい」と批判した。市役所で記者団に語った。教委側に対しても「だらしない。独立性を自ら放棄したようなもの。判断に自信があるなら、朝日新聞や毎日新聞に言われようが、『教育的判断だ』といえばいい」と苦言を呈した。教委の独立性に関する自らの見解については「完全独立性はよくない。民意をある程度反映させなければならない」と述べた。ーーー例によって例のごとく維新の会の橋下がしゃしゃり出てきたようですが、言っていることが、かなりあさっての方向を向いてしまっているようです。「教育委員会の独立」というのは、行政組織として、自治体の首長から独立している、という意味であって、外部から批判を受けない(批判を許さない)という意味ではない。そんなことは当たり前の話であって、いちいち説明する必要もないくらいでしょう。教育委員会の決定は無謬ではないし、不可侵でもない。誤った決定をすることだってあるだろうし、誤った決定に対して、内部からはともかく、外部から非難したり苦情をいうのは、それこそ言論の自由というものです。だいたい、教育委員会を批判することが「教育委員会の独立を否定」だと言うなら、橋下の「だらしない」という批判自体もまた、独立の否定でしょう。しかも、そう言っている同じ口で「完全独立はよくない、民意をある程度反映させなければ」って、まるっきり矛盾したことを言い出しており、もはや支離滅裂です。あえて翻訳するなら「朝日や毎日は憎いから、どんな理由をつけてでも批判してやるぞ」という意味にしか受け取れません。ところで、この問題に関して、例によって産経新聞は「はだしのゲン」攻撃にまっしぐらのようです。以前の記事のコメント欄で紹介したのは、【阿比留瑠比の極言御免】「はだしのゲン」はどんな本かですが、さらに8月24日の「産経抄」でも取り上げられています。要するに、「自虐史観」の左翼マンガだから学校から追放してしまえ、と、単純化すればそういうことです。それにしても同時代にジャンプでヒットした永井豪の「ハレンチ学園」は、ついぞ小学校の図書館に置かれなかったが、誰も言論抑圧とは言わなかった。ふだんは漫画を下に見ているのに、ゲンだけを特別扱いにする教師や新聞には、何か別の意図があると疑ってかかった方がいい。この言い分は笑った。「ハレンチ学園」は小学校の図書室に置かれなかったが、言論弾圧ではない(だから「はだしのゲン追放も言論弾圧ではない)というのです。「最初からない」状態と「あったものを取り上げる」状態は、同じではありません。どんな図書館でも、蔵書の選択はある程度任意であり、蔵書数を無限にできない以上は選ばれない本がある、これは当然のことであり、それを「言論弾圧」とは言いません。しかし、いったん蔵書としたもの、これまで誰もが自由に読めたものを閲覧禁止にするというのは、それとは意味合いが全く違います。その差も区別できないようでは、言論機関の名に値しないのではないかと私は思います。もっとも、今回の問題は単純な言論の自由だけの問題ではなく、子どもの教育上の妥当性という問題でもありますが。(以前の記事に書いたように、その面でも、歴史的事実を臭いものに蓋で隠すことが教育上妥当とは思えませんが)「普段漫画を下に見ているのに」というのも、何を根拠にそんなことを書いているのか、全く謎です。私が子どもの頃には、マンガを害悪視する風潮は確かにありましたが、現在は、そのような風潮を感じることは、少なくとも私はありません。朝日新聞は取っていないけど、毎日新聞の紙面から、「マンガを見下している」と感じたことはない。これは、むしろこのコラムの筆者の深層心理(自分自身がマンガを見下しているから、他の大人、他のマスコミもそうだと思い込んでいる)だとしたら、何となく腑に落ちるのですが。
2013.08.27
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交際相手いない若者、男性6割・女性5割2013年版の厚生労働白書案が26日、明らかになった。「若者」を個別テーマとして初めて取り上げ、少子化につながる若者の晩婚化や未婚率上昇について、「自力で『理想の相手』を見つけることの難しさも一因」などと分析しているのが特徴だ。白書は9月中旬に閣議で報告された後、厚労省が公表する予定だ。白書案は「若者の意識を探る」というサブタイトルで、結婚や出産・子育て、仕事に関する若者の意識などを分析した。結婚については、国立社会保障・人口問題研究所の調査(2010年)などで、〈1〉18~39歳の未婚者の9割弱が結婚願望を抱いている〈2〉異性の交際相手も友人もいない割合は男性で約6割、女性で約5割に上っている――との結果になったことなどを踏まえ、白書案で「結婚相手の候補となりうる交際相手がいる若者は限定的」と指摘した。ーーーなるほどね、別に結婚したくもない人を無理に結婚させる必要はないけれど、結婚願望を持っている人がその願望を成就しやすくすることは、必要かもしれません。18〜39歳の未婚者のうち、交際相手がいない割合が男性6割女性5割だそうですが、私自身18から結婚した34歳までの16年間で、交際相手がいた期間など1年半くらいしかありません(相棒との交際期間は4ヶ月、残りの1年数ヶ月は、まあ別の人ですけど)から、交際相手のいない期間が9割を超えていたわけですがそれでも、その場の勢いとタイミングで、サササっとことが進んじゃうこともあるわけです。記事中の表によれば、平均初婚年齢は、男性30.8歳、女性29.2歳だそうですが、私の実感としては、もっと上じゃなかろうか、という気がしないでもありません。私自身も相棒も、平均初婚年齢より少し(あるいはだいぶ)上の年齢で結婚しています。それに、私の周囲には結婚願望がないのか、諦めたのかはわかりませんが、独身で結婚の気配もない人が大勢います。私の兄弟もそう。9割が結婚願望を持っているとありますが、その願望がどの程度具体性を持っているのか、という問題があります。私自身も、結婚願望はありましたけど、あとから考えれば、全然本気じゃない結婚願望だったわけです。先に、願望を成就しやすくすることは必要と書きましたが、そうは言っても、本人が行動しなければ何をどうしようもないわけです。それに、具体的な策として、どんな手段があるのかは、正直言って思い浮かびません。一つには、不安定雇用の低所得では将来の見通しなんか立たないから、若者の雇用問題の解決が重要なキーポイントとなるでしょう。でも、それがすべてでもない気もします。結局、最終的には、なるようにしかならない、としか言いようがない気もします。とはいえ、仮にもう一回人生をやり直すとして、結婚しない人生と結婚する人生とどっちを選ぶかといえば、一瞬の逡巡もなく結婚する人生を選びます、私はね。もちろん、これは人によっても違うでしょうけど。
2013.08.26
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<秘密保全法案>公務員漏えい懲役10年 一気に厳罰化政府が秋の臨時国会に提出する秘密保全法案を巡り、特定の秘密を漏らした公務員や、不正な手段で公務員らから秘密を入手した人に対する罰則が、最高で懲役10年となることが分かった。現行の国家公務員法の守秘義務違反(最高で懲役1年)や自衛官らを対象にした自衛隊法の防衛秘密漏えい(最高で懲役5年)と比べ、一気に重罰化することになる。法案については国民の「知る権利」の侵害につながると懸念する声があり、国会審議で罰則の妥当性が議論になりそうだ。法案では、政府は(1)防衛(2)外交(3)公共の安全と秩序の維持--の3分野で「公になっていないもののうち特に秘匿を要するもの」を「特定秘密」に指定。この特定秘密を漏らした公務員や国と契約した業者の役職員は処罰される。公務員らをだましたりして特定秘密を入手した人についても、未遂や共謀、そそのかしも含めて処罰対象となる。2011年に民主党政権に提出された有識者会議の報告書は、自衛隊法の防衛秘密漏えいと同じく最高刑を「懲役5年とすることが考えられる」と記載。そのうえで、米国から供与された軍事情報の保護を定めたMDA秘密保護法の規定に合わせて「懲役10年とすることも考えられる」と両論を併記するにとどまった。このため、最高刑を懲役10年とする判断には、現行法の罰則とのバランスの観点からも慎重な検討を求める声が強い。中でも、特定秘密のうち警察・公安情報を指すとされる「公共の安全と秩序の維持」が、外交、防衛に関する秘密と同等に保護されるべき情報と言えるのか、専門家からも疑問視する声が出ている。園田寿・甲南大法科大学院教授(刑事法)は「そもそも、この法律により報道機関や取材を受ける公務員が萎縮し、表現の自由や国民の知る権利が後退しないか懸念される」と指摘。「懲役10年は現行のMDA秘密保護法に合わせて設定されたのだろうが、妥当性、正当性が十分検討されていない点も問題だ」と慎重な議論を求めた。諸外国では、米国が国防情報の漏えいに日本の懲役・禁錮にあたる最高10年の自由刑▽英国は防ちょう・防衛情報など5分野の機密を公務員が漏らした場合に最高で懲役2年▽フランスは公務員らによる国防上の秘密の漏えいに最高7年の自由刑を定めている。---防衛・外交・公共の安全と秩序の維持の3分野で「公になっていないもののうち特に秘匿を要するもの」を「特定秘密」に指定とのことですが、特に「公共の安全と秩序の維持」というのはものすごく曖昧で恣意的運用が可能な定義と言わざるを得ません。政府にとって知られたくない秘密をすっぱ抜かれたら、「機密漏洩だから逮捕」なんてことになったら、知る権利、言論の自由は致命的な打撃を受けることになります。しかも、最高刑が懲役10年とは、とんでもなく重い刑です。※現行法の国家公務員の守秘義務違反は最高懲役1年ですが、国家公務員は懲役刑(執行猶予がついても)になると失職しますし、懲戒免職になれば退職金もなし、年金も国民年金部分しか出なくなるので、事実上すべてを失うことになります。「報道機関や取材を受ける公務員が萎縮し、表現の自由や国民の知る権利が後退しないか懸念される」という、記事中の指摘は、まったくそのとおりだと思います。ざっと見たところ、案の定ネトウヨ系の連中はこの法案を支持する声が高いようですが、この法案が通ってしまった場合、たとえば尖閣諸島での漁船衝突事件の映像流出騒動の海上保安官などは、有罪で投獄される可能性が高いということになるでしょう。もっとも、ネトウヨが喜びそうな情報漏洩は不問、ネトウヨが怒りそうな情報漏洩だけ処罰、ってやり方もあり得ますけどね。何をもって「特定機密」とするかを政府がフリーハンドで決められるなら、そういう、法の下の平等を明後日の方向に投げ捨てるようなやり方だって通ってしまうことになりますから。安倍政権では、そのくらいのことをやりかねないな、という危惧を抱いてしまいます。
2013.08.25
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“壮大な誤解”韓国こそ「ドイツに学べ」ドイツのメルケル首相が最近、国内のダッハウにあるナチス時代のユダヤ人強制収容所跡を訪れ、犠牲者に頭を下げる写真が、韓国のマスコミで大々的に報道された。新聞はほとんどが1面トップだった。ドイツではよくあるシーンだが、韓国でのこの異様な関心はなぜか。ある新聞は頭を下げたメルケル首相の写真にわざわざ日本語で「安倍が見習うべき姿」という文章まで付けていた。つまり「ドイツはこんなに過去の歴史について謝罪と反省をしているぞ、それに比べ日本は…」という、日本非難のためのおなじみの「ドイツに学べ」論である。日本でも似たような議論をよく聞くが、はて。メルケル首相はナチスによるユダヤ民族虐殺現場で頭を下げているのだが、日本は過去、韓民族に対しナチスのようなことをしたのだろうか。韓国は日韓併合で日本の支配、統治を受け植民地になったが、第二次大戦で日本と戦ったわけではない。逆に日韓は一緒になって米国、中国など連合国と戦ったというのが実態だった。韓国のテレビインタビューで「日本人としてメルケル首相の写真をどう思うか?」と質問されたので「立派な姿です」と答え「ところで韓国ではしきりに日本に対し『ドイツに学べ』というが、では歴史的に韓国はナチス・ドイツ時代のどこに相当するのか。フランス? ポーランド? チェコ? それともユダヤ人…」と反問したところ、相手は絶句していた。ヨーロッパでナチスの植民地だった国はない。だからドイツの戦後処理に関し韓国が参考にすることは基本的にはないのだ。韓国には意図的な歴史の歪曲(わいきょく)がある。自らを日本やナチス・ドイツに対する戦勝国である連合国になぞらえ、日本を戦犯国といって非難するのがそうだ。しかし、靖国問題もそうだが、韓国は日本と戦争した敵国ではないため、いわゆるA級戦犯問題とは直接関係はない。極東裁判は日本の韓国支配を裁いたものではないし、植民地支配は戦争犯罪ではない。にもかかわらず韓国がA級戦犯を理由に靖国問題にこだわるのは“壮大な誤解”なのだ。ナチス・ドイツの歴史を振り返り、あえて韓国に相当するような国を探せばオーストリアかもしれない。ヒトラーの故郷でもあるオーストリアはナチス・ドイツに6年間、併合されその一州になった。ナチス・ドイツと一体だったため、戦後は連合国の米英仏ソによる分割占領後、中立化を条件に1955年、独立を回復した。韓国(朝鮮)が戦後、連合国の米ソに分割占領されたのと同じだ。興味深いのはオーストリアはナチス・ドイツとの過去の関係を国際社会に謝罪していることだ。これでいくと韓国は日本との過去を謝罪、反省しなければならないことになるが…。「ドイツに学べ」で思い出した。韓国と北朝鮮の間でまた南北離散家族再会の話が出ている。しかし、ドイツでは東西分断中も家族の相互訪問や手紙、贈り物の交換など自由な交流があり、結果的に1990年に統一が実現している。韓国と北朝鮮こそそうしたドイツにしっかり学び、南北交流をちゃんとやって早く統一してはどうか。そして少数派の東ドイツ出身のメルケル首相のように、統一コリアで北朝鮮出身の大統領が誕生するような姿を早く見せてほしい。---また例によって惨傾新聞、もとい産経新聞のお決まりのネトウヨ言説です。「日本はドイツに学べ」と言うとき、それは必ずしも韓国との関係のみを指すわけではなく、中国や東南アジア諸国との関係も含めて言っていることは明白だと思うのですが、この特派員は対韓国の関係だけで頭がいっぱいになっているようです。ところで、「韓国は~第二次大戦で日本と戦ったわけではない。」と言いますが、それはユダヤ人だって同じでしょう。ナチスドイツがユダヤ人を一方的に迫害、虐殺したのであって、両者が交戦状態にあったわけではありません。もちろん、個人として亡命して、あるいは地下活動でナチスと戦ったユダヤ人はいくらでもいるでしょうが、それは韓国・朝鮮人も同様です。「逆に日韓は一緒になって米国、中国など連合国と戦った」ともありますが、どう考えても「日韓は一緒になって戦った」というのは無理がある。ともに手を携えて戦ったわけではなく、独立を奪っておいて無理やり戦わせたのが実情です。それも、朝鮮半島で徴兵制が実施されたのは1944年のことで、それ以前は志願兵制はあったものの、採用枠は年間4~5000人程度ときわめて少数でした(日本陸軍の総兵力は、開戦時でも200万人以上)。つまり、敗戦目前の切迫した状況に至るまでは、軍部は、「日韓一緒に戦う」気なんか、全然なかったわけです。「ナチス・ドイツの歴史を振り返り、あえて韓国に相当するような国を探せばオーストリアかもしれない。」というのも、非常にこじつけ色の強い言い分です。日本人と韓国人(朝鮮人)は、いうまでもなく別民族であり、言語も違います。歴史的にも、1910年の日韓併合以前に両国が統一国家だったことはありません。しかし、ドイツとオーストリアは同一民族であり、母語も「ドイツ語」です。歴史的にも、神聖ローマ帝国の時代には同じ国でした。そもそも、ヒットラー自身が、出自はオーストリア人です。国籍をオーストリアからドイツに変更したのは、ミュンヘン一揆より後の1925年のことだそうです。とはいえ、もちろんドイツとオーストリアは対等に平和的に合併したわけではなく、ドイツの圧倒的武力を背景に、強制的に併合されたものであり、皮肉にもその経緯と、併合後のオーストリア人に対する二等国民的な差別待遇が、オーストリア人に「自分達がドイツ人ではなくオーストリア人であるという感情(アイデンティティ)を初めて抱くことになった」のだといいます。(wikipediaの「アンシュルス」の項目より)で、「ナチス・ドイツの歴史を振り返り、あえて韓国に相当するような国を探」した場合、もちろん、まったく同一の立場の国は存在しませんが、比較的似た立場の国は、チェコスロバキアではないでしょうか。第二次大戦の直前の1938年にはズデーテン地方が割譲され、39年にはチェコスロバキア自体がバラバラに解体されて消滅しました。ナチスドイツの武力による解体であったことは言うまでもありませんが、当時のチェコスロバキア大統領は、ドイツの恫喝に対して合併を受諾しているので、戦争にはなっていません。前年に割譲させられたズテーテン地方はドイツ系住民が多かった(だからドイツが割譲を要求した)のですが、チェコスロバキア全体としてみれば、明らかにドイツ人とは違う民族違う言語の国です。もちろん、日韓の関係とは違う部分もありますが、ナチスドイツの歴史で韓国に相当する国を探した場合、少なくともオーストリアよりはスロバキアのほうがよほど近い。あとは、ナチスドイツではありませんが、旧ソ連とバルト三国の関係も日韓併合時代に近いといえるでしょう。ナチスの戦争犯罪に加担したチェコスロバキア人だっていただろうし、スターリンの手先になったバルト三国の住民だっているでしょう。ドイツが占領したほかの国でもそういう協力者は存在し、ドイツ敗戦後に処罰された人もいます。しかし、だからと言ってチェコやスロバキアという国が全体としてナチスドイツの戦争犯罪の共同責任を負うとか、バルト三国が国全体としてスターリンの大粛清に共同責任を負う、などということは、あり得ません。まあ、実際のところ、世界のどこの国にも学ぶべきことはたくさんあります。日本がドイツに学ぶべきことも、オーストリアに学ぶべきことも、韓国がドイツに学ぶべきこともオーストリアに学ぶべきこともあるでしょう。逆にドイツが日本に学ぶべきこと、韓国に学ぶべきことだってあるでしょう。「ドイツでは東西分断中も家族の相互訪問や手紙、贈り物の交換など自由な交流があり、結果的に1990年に統一が実現している。韓国と北朝鮮こそそうしたドイツにしっかり学び~」というのは、前後の文脈を無視する限りは、この特派員の言い分にしては珍しく正論だと私も思います。問題は、「日本はドイツに学ぶ必要はない、韓国だけがドイツに学べ」とでも言いたげなその態度にあります。唯我独尊もここに極まり、という感じです。
2013.08.24
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夏休みがあと1日残っていたので、また山に行ってしまいました。今回は谷川岳です。実は今年の1月に頂上目前まで登ったことがあるので、「是非頂上まで」と思っていたのと、その時に、実は東京から日帰り可能である、という事実に気がついたため、今回一日の休みで再アタックしてきました。(再アタックと言っても、夏と冬では装備・技術的にほぼ別の山ですが)朝6時少し前に家を出て、8時前に上毛高原駅に到着。8時ちょうどにバスが出て、谷川岳ロープウェー着が8時50分過ぎ、ロープウェーで天神平に着いたのが9時10分頃。家から3時間ちょっとで標高1300メートルあまりの天神平に着いてしまうのです。新幹線とは便利なものです。ただ、予報では今日は天気がいいはずだったのですが、どうも今ひとつです。少し晴れ間はあるのですが、遠方の視界がありません。うーーん、残念ですが、仕方がないので、登りはじめました。昨日の晩は雨だったようで、朝のうちは地面はぬれていました。1時間くらい登ったところから、天神平を振り返ってみました。2つの山の鞍部にロープウェーの終点が見えます。頭上には厚い雲が。参考までに、撮影位置は少し違いますが、今年1月にも、同じ場所を撮った写真があります。夏山シーズンも終わりに近く、花もかなり少ないだろうと思っていたのですが、意外にまだまだ咲いていました。きれいな花には毒がある、トリカブトです。(トリカブトにも何種類かありますが、ヤマトリカブトでしょうか。)夏の終わり頃に花が咲きますから、ちょうど今が見ごろ、ということになります。以前に、富士山のトリカブトを紹介したことがありますが、その時は9月中旬でした。「天神のザンゲ岩」今年1月は、この岩まで登ったところで、吹雪と時間切れで引き返しました。実は、この岩から山頂までごくわずかの距離だったのです。この花も結構咲いていました。帰宅後に調べたのですが、キオンじゃないかと。先ほどの「ザンゲ岩」から「肩の小屋」という山小屋まで約10分、そして山小屋と山頂(トマノ耳)までは、100メートルあるかないか。しかし相変わらず曇りで視界は利きません。ただ、どんよりした曇りではなくなってきて、空は少し明るくなってきました。二つに分かれた山頂の南側、トマノ耳1963mに到着。しかし、視界はこのとおり。何も見えません。ガスが切れた瞬間にシャッターを押して、これが限界。続いて、北側のオキノ耳1977m、谷川岳の最高点です。こちらも山頂はガスの中。2つの山頂で都合1時間近く粘ったのですが、ガスは切れず、あきらめて下山にかかります。その前に、例によってケーナを吹きました。登ってきたルートを引き返せばあっという間なのですが、それじゃ面白くないし、まだ時間もあるので西黒尾根を下ることにしました。(最初からロープウェーも片道しか切符を買わなかった)しかし、これがかなりとんでもないルートでした。下りに使ったのは失敗だったかも。岩場の急降下急降下、鎖場鎖場鎖場の連続、いかにも滑りそうなツルンツルンの一枚岩が斜めに何メートルも続いているところは、思わず尻をつきながら下ってしまった。下山の分岐に、健脚者向初心者危険、みたいな注意看板がありましたけど、あんなすごいルートとは思わなかった。だいたいにおいて、私は鎖場でも鎖には手をかけずに歩くのですが、さすがにほぼ垂直の崖は、鎖に頼りました。日帰りで荷物が軽かったから何とかなりましたが、テントを担いでいたら相当厳しかっただろうなあ。それと、下山の頃は岩がほぼ乾いていたのも助かりました。でも、岩場で1回転倒しました(怪我はしていませんけど)。ただ、「落ちたら何百メートル」みたいな高度感のある場所はありませんでした。そして、景色はよかったです。天神平のロープウェーが隣の尾根に見えます。かの有名な一ノ倉沢は、この尾根の向こう側。谷川岳では約800人の遭難死者が出ています。チョモランマの遭難死者は合計210人。谷川岳は日本一どころか、世界一遭難死者の多い山として、ギネスブックにも載っていするそうですが、ほとんどは一ノ倉沢での遭難です。一般ルートで死者は出たことあるのかなあ。皆無ではないでしょうが、ごくわずかでしょう。私が下った西黒尾根だって、いくら急降下の断崖絶壁でも、あくまでも一般ルート。一ノ倉沢の岩登りとは世界が違います。で、このあたりから天気がよくなって、日差しが暑い。でも、やっぱり山頂一帯だけは雲の帽子をかぶっているんです。残念。そういえば、1月に来たときも同じような状態でした。12時半を少し過ぎた時間に下り始めて、登山口(ロープウェーの山麓駅)に着いたのが3時ちょうどなので、下山の所要時間は2時間半くらいということになります。登りよりはるかにきつかった。次に谷川岳に登るとき、西黒尾根を歩くとしたら、下りではなく登りに使おう。なお、フィルムの写真は、今回36枚撮りを使い切っていないので、アップはだいぶ先になると思います。それに、こういう天気で、花を除くとそんなにいい写真はないかも。
2013.08.22
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<福島第1原発>タンク漏水300トン 東電が推計値を発表東京電力福島第1原発の地上タンクから高濃度の放射性物質を含んだ汚染水が漏れた問題で、東電は20日、漏えい量は300トンに上るとの推計を発表した。タンクからの漏えい量としては過去最大で、漏れは続いている。汚染水の大半は土にしみこんだとみられる。東電は原因を調べる一方、敷地内にある同じタイプのタンク計約350基を緊急点検する方針を明らかにした。東電によると、漏れが見つかったのは、海から西約500メートルの場所に設置された、鋼製の板をボルトでつなぎ合わせた円筒型タンク(高さ11メートル、直径12メートル、使用容量1000トン)。上部から水位を計測したところ、約300トン分の水が減っていた。汚染水1リットル当たり8000万ベクレルが検出された。全体の放出量は約24兆ベクレルと推計され、先日海洋に流出した汚染地下水と同規模の放射性物質が、再び漏れたことになる。タンク内にあるのは、原子炉を冷却した汚染水から放射性セシウムを除去した水。タンクに一時貯留した後、62種類の放射性物質を取り除く能力を持つ浄化装置「アルプス」に移送する予定だった。漏れが見つかったタンクは、他の25基と同じ区画にある。漏えい防止用のコンクリート製のせきで囲み、さらに土のうの壁が外側を囲む構造。漏れた汚染水はせきを越え、土のうの壁の外にもしみ出した模様だ。せきにたまった汚染水の上の放射線量は、一般人の平常時の年間被ばく線量の100倍に当たる毎時100ミリシーベルト。土のうの壁の外側でも毎時90ミリシーベルト以上の高い放射線量が検出された。タンクから約20メートル離れた場所には、海につながる排水路があるが、排水路の水の放射性物質濃度は1リットル当たり130ベクレルと大幅に低く、東電は「現時点で海への流出はない」としている。東電は20日までにせき内部の汚染水約4トンを回収。今後、タンク内の水を別のタンクに移送するとともに、土のうの壁の補強や汚染土壌の除去などを急ぐ。一方、1日10トン程度が漏れていると考えられることから、300トンもの漏えいは1カ月近くにわたって続いていた可能性が高い。ーーー各マスコミの報道で、8000万ベクレルという数字が踊っていますが、これは1リットル当たりの数字で、それが300トンということは、漏れ出した総量は、引用記事にあるように、24兆ベクレルというわけです。数字が大きすぎて、まるで実感が湧きませんが、記事によれば漏れ出した汚染水の放射線量は毎時90〜100ミリシーベルト、とのこと。毎時100ミリシーベルトというのは、24時間そこにいれば2.4シーベルトになります。2シーベルトの被曝で死亡率5%、3シーベルトでは50%とされますから、いかにとんでもない数字かは分かるでしょう。ちなみに、漏れ出した汚染水から検出されるのは、ベータ線とのこと。β線を放出する放射性物質はストロンチウム90(半減期約28.8年)、炭素14(半減期5790年)などがあります。半減期がかなり長い。「今回の漏出は」海には流れ込んでいないとの報道ですが、それは別の言い方をすると原発周辺の地面に染み込んでいる、ということです。丸一日その上にいたら5%以上の確率で死ぬほど高濃度の汚染水が、たっぷりと染み込んでいるわけです。しかも、今回の漏洩は、まだ止まっていないというのです。漏水場所を調べるだけで命がけですからね。汚染水の漏出が報じられるのは初めてのことではありません。別報道によれば漏洩は過去4回あったようです。また、これとは別に、福島第一原発に流入してくる地下水が原発で放射能に汚染され、それが毎日300トン海に流れ込んでいる、という報道もあります。こちらは、汚染の程度は報じられていません。今回漏えいした汚染水ほど高濃度ではないのでしょうが、それにしても毎日300トンですから、塵も積もれば何とやらで、合計すればものすごい量の放射能が海に流れ込んでいるはずです。要は、未だに放射能の流出をまったくコントロールできていない、ということです。大気中への放射能の漏洩は、おおむね収まっているのかもしれませんが、水を介しての放射能の漏洩はまだ全然収まっていないわけです。原発周辺のモニタリングポストの、空間線量も、あまり減っていません。先週の数値で、毎時10マイクロシーベルトを超えるような数値(年間にして90ミリシーベルト)が、まだゴロゴロしています。事故から来月で2年半ですが、原子炉が吹っ飛ぶような事態が今から起こる危険はもはやない、というだけで、事態はまだ全然収拾していないし、収拾するメドもついていない、というのが現実でしょう。
2013.08.20
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氷河期繰り返す謎を解明 10万年周期、氷で地盤上下過去100万年の間、陸地を覆う氷(氷床)が拡大した寒冷な氷河期が約10万年の周期で繰り返しているのは、氷床の重さで下の地盤がゆっくりと上下するためだと、阿部彩子・東京大准教授らの研究チームが、氷床分布を計算するモデルを使って16日までに突き止めた。10万年周期の原因は、地球の公転軌道の変化などに伴う日射量の変化と関係があるとされてきたが、それだけでは説明できず、長年の謎だった。地球温暖化の予測にも役立つ成果という。成果は英科学誌ネイチャーに発表した。ーーーずっと以前に、地球温暖化の問題に絡み、縄文海進のことを書いたことがあります。氷河期には多くの水が陸上に氷河として固定されていたため、海岸線が今より最大で100メートル以上も低い位置にありました(一口に氷河時代と言っても、時期により寒さの程度が違い、従って海水面の高さも異なっていたが)。最終氷期の最寒冷期(訳2万年前)は、日本でいえば、北海道とサハリンはシベリアと陸続きだったし、瀬戸内海は干上がって、本州・四国・九州は一つの島になっていました。津軽海峡と対馬海峡は、おそらく陸地化しなかったと推定されていますが、海峡の広さはごく狭くなったはずです。シベリアとアラスカの間のベーリング海峡も干上がって、ベーリンジアと呼ばれる平原ができていたと考えられています。これらの氷河は、最終氷期が終わると、南極とグリーンランド、それに一部の山岳氷河を除きみんな溶けてしまいました。それまで巨大氷床といいう重量物が乗っかっていたカナダやスカンジナビアでは、重しが取れたため地面が急激に隆起しつつあります。一方、溶けた氷が流れ込んだ海はどうなったか。まず、大量の水が流れ込んだことで、海水面の高さが上がりました。しかし、それからしばらくすると、今度は海水面の高さが再び下がったのです。水の量が増して、海が重くなったので、海底が沈んだのです。氷が溶ければ水になって海に流れ込むのに要する時間より、軽くなった地面が隆起したり重くなった海底が沈み込むにははるかに多くの時間がかかる。その時間差のため、海水面がいったん上昇してから下がる、という経過をたどったわけです。最も海水面が高かった時期、日本では縄文時代だったので、「縄文海進」と呼ばれています。当然、ヨーロッパや北米北部など、巨大氷河が消滅した場所の近辺には、縄文海進は記録されていません。で、この記事によると、氷河が上に乗っかっている土地の隆起と沈降が、氷期の始まりと終わりと関係がある、というのです。引用した記事には、残念ながらそのメカニズムは説明されていません。我が家でとっている毎日新聞の紙面によれば、こういうことのようです。気温は低い土地ほど高く、高い山に登れば低くなります。北半球の中緯度地域では、概ね100メートル登ると気温が0.6度下がるとされます。氷期に氷河が発達して、その重みで土地が沈降すると、高さが低くなる=暖かくなるので氷河が溶ける、つまり氷期が終わる。そして、氷河が消滅すると今度は土地が隆起する=寒くなるので再び氷河が発達する、つまり間氷期が終わり次の氷期に入る。と、いうわけです。毎日新聞の記事によれば、隆起・沈降の量は1000メートルにも達するそうなので、気温は6度も下がる計算になります。なるほどねえ。でも、これだけで氷期と間氷期がすべてが説明できるわけではありません。この理論は氷河の拡大と縮小のメカニズムは説明できますが、氷河のない場所の気候変化は説明できまないからです。例えば、日本には、氷期の最寒冷期といえども、日本アルプスと日高山脈に、ごく小規模な氷河があったにすぎません。当然、日本では氷期に氷河の重さで地面が沈むことも、温暖化で地面が隆起することもなかった。だけど、その日本だって氷期には寒かった。これは花粉分析や植物化石によって明確に分かっていることです。現在よりおおむね5度か6度くらい気温が低かったと推定されています。高さにして1000メートル分です。とても、100メートルくらいの海水面変動で説明はできません。つまり、上記の新説は、氷河の拡大縮小の説明はできても氷期と間氷期の寒冷化・温暖化の説明はできないわけです。もっとも、氷期あるいは間氷期のはじまる引き金の一つ、ということならわかります。氷河が発達すれば、その冷気によって、氷河のない地域も冷やされる、ということはありそうですから。他の要素(例えばミランコヴィッチ・サイクル)との相乗効果、ということもあり得るでしょう。単独の条件ではなく、いくつもの条件の一つ、ということであれば、有力な説なのかもしれません。
2013.08.19
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<はだしのゲン>松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。(以下略)---要は、「市民の一部」から「間違った歴史認識を植え付ける」と言われ(つまり、右翼系の人たちということでしょうね)、その要求に屈した、ということです。旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴というのは、現実に戦争中その種の出来事があったわけです。「過激」と言うなら、戦争そのものが過激なのです。戦争とは、ひらたく言えば人と人の殺し合いです。「一人殺せば殺人鬼だが100人殺せば英雄だ」というのは、チャップリンの「殺人狂時代」の名台詞ですが、戦争というものの本質を見事に示しています。平時の常識と法律では決して許されないことがまかり通るのが戦争なのですから、戦争を正確に描写すれば、「過激」な表現になるのは当たり前のことです。私は、子どもの頃はいっぱしの愛国少年でした。その私に強烈なパンチを浴びせた本が渡辺清「戦艦武蔵の最後」菅野静子「戦火と死の島に生きる―太平洋戦・サイパン島全滅の記録」の2冊です。いずれも、過激というならこの上なく過激な描写が山ほど出てきます。爆風に吹き飛ばされて、腹から飛び出した腸を引きずって歩く水兵、傷口を蛆虫にたかられるサイパンの負傷兵、これ以上ないくらいのグロテスクな表現のオンパレードでしたが、でも、それが戦争の現実なのです。連合艦隊の元参謀などが書いた戦史に、そういう場面は出てきませんが、戦艦大和・武蔵といえども、爆弾や魚雷が当たれば穴があくのです。当然、その周囲にいる将兵はミンチになる。特に、甲板上に所狭しと並べられた高角砲や機関砲などは、分厚い装甲の外側ですから、爆弾どころか、機関銃程度でも蜂の巣になります。軍艦が好きで、ウォーターラインシリーズ(700分の1の軍艦のプラモデル)を何隻もつくっていた私ですが、その「かっこいい」軍艦に乗り組んでいた兵士たちの悲惨な末路は、前者の本を読んで初めて知りました。ちなみに、私は上記2冊の本を公立図書館の児童書コーナーで、小学校4年か5年のときに借りて読みました。小学校高学年の子どもにとって(まして中学生にとって)「過激」すぎる内容とは、まったく思わなかったし、今も思いません。上記の例は、日本兵が被害者(攻撃を受ける側)の立場にあったときの状況ですが、逆に日本軍が攻めているときには、アジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴という局面もあったわけです。※もちろん、これも歴然たる事実を事実として描き、それを小中学生が見ることには何の問題もない。「過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切」とは、小中学生を幼く見すぎでしょう。※実際には、日本軍が負けている局面でも、住民や捕虜に対する虐殺は少なからず起きていますけど。結局のところ、「過激」であることを理由に戦争の現実を子どもたちから隠すことは、戦争というものの本質に対して目くらましをすることになります。臭いものに蓋をして目を閉ざしていても、臭いものは確実にそこに存在するのです。戦争はそのように悲惨なものだという事実から、子どもたちを遠ざけることは、「臭いもの」の存在を何も解決しないどころか、むしはろそれを増殖させる可能性すらあるのではないでしょうか。
2013.08.18
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今日8月15日は、いうまでもなく太平洋戦争が終わった日です。太平洋戦争の死者は、日本だけで310万人、交戦相手の国々を含めれば2000万人を超えます。さらに、ヨーロッパ戦線も含めた第二次大戦全体では、5000万人を超えます。つまり、負けた枢軸国より、勝った連合国(と、その植民地)の方がはるかに多くの犠牲者を出しているのです。安倍首相の式辞…全国戦没者追悼式天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。御霊を悼んで平安を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目し、静かにこうべを垂れたいと思います。戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道をまい進してまいりました。今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。ーーー安倍の演説内容に、アジア諸国に与えた被害と謝罪について触れられていないと報じられています。確かに、この文面のどこを読んでも、戦った相手のことは触れられていませんし、反省という言葉もありません。戦争は自然現象ではありません。戦争で人が死ぬというのは、寿命とか病気や自然災害のような不可避な現象ではなく、本来避けられるはずのことです。とりわけ、太平洋戦争の日本は人命軽視の傾向が強く、避け得たはずの無用な犠牲(敵味方ともに)を出す結果になっています。戦争の集結が1ヶ月早いだけでも、広島、長崎の原爆やソ連の参戦など、数十万人は犠牲者が少なく済んだはずです。また、日本軍の「戦死者」の多くは、実際には餓死あるいは飢えに起因する病死(戦病死)です。勝てるはずのない無謀な戦争を始めたのは誰か、補給もままならぬ海の彼方の島々を占領し、軍を送り込んだ挙句に置き去りにして、飢え死にさせたのは誰か、そして、アジア諸国に、日本の数倍もの犠牲者を強いたのは誰か。当然、当時の日本政府及び日本軍です。しかし、安部首相はそこのところを直視することを避けてしまった。「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊」とありますが、が、なぜそうなったのか、安倍演説内容からはさっぱりわかりません。どんな失敗であれ、分析と反省のないところに再発防止はない、と私は思います。反省の言葉を式辞から消してしまうような姿勢では、「恒久平和」という言葉も疑わしく感じざるを得ません。何はともかく、日本が二度と戦争を行うことがないことを、そして世界からも戦争の惨禍がなくなることを祈念したいと思います。
2013.08.15
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NHKクルー、ペルーで襲撃される 出演者とマネジャーもペルーの首都リマ市郊外で、NHKが外部委託した撮影スタッフや番組出演者らが強盗に遭い、撮影機材などを奪われたことが13日、分かった。NHKによると、出演者らにけがはなかった。地元紙「ラ・レプブリカ」などによると、現地時間の10日午後2時半ごろ、番組スタッフらが同市の劇団スタジオで撮影中に、2人組の武装した強盗が銃を発射しながら、侵入。出演者らに銃口を向け、数発を威嚇射撃した。その後、犯人はカメラなどの機材を奪い、白のワゴン車で逃走。現場には番組関係者のほか、地元の子供たちや劇団関係者ら約20人がいたという。撮影カメラ2台、マイク、レンズなど撮影機材をすべて奪われた。劇団責任者はフェイスブックに、武装した犯人に殴られた被害者もいるとし、「このような事件が起きて本当に残念だ」などと書き込んでいる。NHKによると、番組は9月にBSプレミアムで放送予定だった。被害に遭ったのは計6人で、外部委託した会社所属のスタッフが4人、ほか2人は出演者とマネジャーという。地元警察に被害を届けた。NHKは番組出演者の氏名や性別を明らかにしていないが、地元メディアは出演者を俳優とし、15日間ペルーに滞在して取材中だったという。現場は、リマ市郊外のヴィラエルサルバドルで一部地域は治安が悪化している。---あーあ、という感じです。私は南米に3回行っていますが、ペルーは最初の1回(1989年10月)しか行ったことがありません。当時のペルーはアラン・ガルシア政権末期で、治安崩壊状態、財政も崩壊状態(年率数千パーセントのインフレ中)でした。そのとき私はペルー・ボリビア・チリの3カ国に行ったのですが、3か国中でもペルーがもっともヤバイ、というように体感しました。(あくまでも当時の時点では、です。経済指標的にはボリビアはペルーよりずっと貧しい国ですし、政情も不安定な時代がありました)その後は随分治安状態は回復したイメージでしたが、程度の差はあっても日本より数段治安が悪いことに違いはありません。私自身はリマには実質1日しか滞在しておらず、セントロ地区とミラフローレスの海岸沿いのあたりしか行っていないので、リマがどういうところかは、正直言って分からないんですけど、知る人に言わせればVilla el Salvador※というのは、非常に危険な地区のようです。普通は観光客が近づけるような場所ではないらしい。残念ながら、撮影スタッフの防犯体制に(場所の選び方も含めて)問題があった、ということにならざるを得ないでしょう。※記事中には「ヴィラ」と表記されていますが、スペイン語的により正しい表記はビリャ、ビヤ、あるいはビジャです。私自身は、llは、「ジャ」と発音することが多いかな。まあ、それにしても、銃が使われながらも、撮影機材が盗まれただけでけが人がいなかった(もちろん死者も)のは、不幸中の幸いではあります。機材はともかく、撮影したものは無事なんでしょうか。そして、盗まれた撮影機材は、今頃泥棒市場あたりに並んでいるのでしょうが、そう需要が多いとは思えないので、たいした金にはならないような。もっとも、撮影機材以外に現金なども盗まれているかもしれないけど。さすがに、保険には入っていたでしょうけどね。
2013.08.14
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従業員の悪ふざけ写真、投稿が止まらない ステーキ「ブロンコビリー」や「ミニストップ」でも2013年8月6日、ステーキレストラン「ブロンコビリー」はアルバイト従業員が店の冷蔵庫に体を入れてふざけている写真を公開した問題で、公式サイトに謝罪文書を出した。■笑顔で股間にバーコードリーダー問題となった写真は、自らブロンコビリーのアルバイト従業員だとする書き込みを行っていた男性が8月5日22時50分頃にツイッターで公開したもの。「バイトなう( ̄▽ ̄)残り10分(*^^*)」と書き、大型の冷蔵庫の中に寝そべり笑っている。同社は詳細を調査中だとして、店内の消毒や従業員の再教育のため、この日は当該店舗を休業にすると発表した。「当該従業員につきましては厳正な対応をいたす所存です」としている。またミニストップでは男性従業員がレジに座って足を開き、股間にバーコードリーダーをあてている笑顔の写真をツイッターに公開する事案が発生。ツイートが行われたのは7月19日で、同社によると男性従業員はすでに解雇されたという。レジは清掃、消毒した。こうした事案は7月18日、ローソンで従業員がアイス用ケースに寝転んだ写真をフェイスブックで公開したことが明るみに出たことをきっかけに連日続いている。ハンバーガーチェーンの「バーガーキング」ではパンの上に寝転ぶ写真、「丸源ラーメン」では冷凍のソーセージをくわえた写真をそれぞれ従業員がツイッターで公開し、企業が謝罪した。冷蔵庫に入る事案でも、弁当チェーン「ほっともっと」の男性店員が写真をツイッターにアップして、8月3日にほっともっとが謝罪したばかりだ。---降って湧いたような騒動ですが、商品の上に寝転がるとか、商品を口にくわえる、レジに座ってバーコードリーダーを股間に当てる、こういう行為は確かに正当化しようがありません。金を払う客の立場で、そういう商品を売りつけられるのはごめん蒙りたいです。ただし、では今まではそういう出来事がなかったのかといえば、おそらくあったでしょう。私は、ずっと昔、あるスーパーマーケットに勤めていましたが、その時耳にした(直接目撃したわけではない)話で、お店のバックヤードで、高いところにあった何かを取ろうとして、商品を踏み台にしてその上に乗っかっていた従業員が、その光景を本社の重役に目撃されて激怒を買ったことがある、という出来事がありました。商品を踏み台と言っても、むき出しの商品にのったわけではなく、商品の納められたダンボールにのったらしいのですが。ただ、知らぬが仏、というやつで、ツィッターやフェイスブックのなかった時代は、そういうことをやる人間がいても、それをわざわざ全世界に向かって公開する手段なんてないし、そんなことをしようと考える人もいなかったから、客の目に触れることもなかったわけです。それにしても、何でわざわざこんな行動を写真にとって公開するかね、と私にとっては不思議で仕方がありません。たまたま、それに関して参考になる記事がありました。飲食店、コンビニで相次ぐSNS炎上。彼らが”これはダメ”と感じない理由このところ、飲食店やコンビニエンスストアにおける従業員の問題行動がソーシャルネットワークサービス(SNS)の中で可視化され、いわゆる”炎上案件”として報道が相次いだ。アイスクリームの保存ケースに入ったり、食材の冷凍保存庫で口に食品を咥えるなどでの悪ふざけに対して、「顧客に販売する食材の上で寝そべるなど言語道断」「衛生管理の意識はあるのか」など、行動そのものへの怒りの声が挙がったのは周知の通りだ。しかし、一般的な社会常識からすると異常行動としか思えない炎上案件が相次いだことで、話題の中心は行動そのものに対する批判から「なぜ彼らは常識外の行動を写真に記録し、インターネットで公開するのか」という別の視点へと移行しつつあるように思う。なぜ彼らは問題行動の証拠をネットに自ら投稿し、アルバイトとはいえ職や信用を失う軽率な行動に走るのか。このテーマをトレースする中で見えてきたのが「新世代ネット民」とも言える、従来とは価値観が異なるインターネット利用者層の存在だ。これまでも、パソコン通信や初期のインターネット掲示板などにおける文字を中心としたコミュニケーションで形成されるネット社会への参加者、あるいはソーシャルネットワークを積極的に利用する利用者層など、現実社会側の視点から見ると特異に見えるひとたちを、ざっくり”ネット民”などと呼び、一般利用者と区別して語られることはあった。従来からのネット民はパソコン通信時代、インターネット時代などの、どの世代に属する者であれ「ネットによって知らない人たちとも繋がっている」ことを強く意識した行動を採る。ところが、新世代のネット民は自らがインターネットによって接続され、世界中と繋がっていることを意識した行動をしない。なぜなら、彼らは目の前にある道具(主にスマートフォン+インストールされたアプリ)を利用しているだけであり、周りからどのように見られているかなど考えたこともないからだ。たとえば、大手ハンバーガーチェーンの従業員が、床に大量に敷き詰めたバンズの上で寝そべる写真を投稿したのを見て、多くの人が”こんな写真をインターネットで公開したら非難が集まるのは当たり前なのになぜ?”という感想を漏らす。しかし、彼らは非難が集まるなどとは微塵にも考えていない。むしろ、仲間内で連絡取り合うために使い始めた道具で、仲間内で愉しくやっているだけなのに、なんで関係ない奴らが勝手に騒いでいるんだ。勝手にクビ突っ込んで勝手にRTしてんじゃないよ。と、彼らの方こそが被害者であると感じているのだ。”感じないひとたち”を理解するこうした新世代のネット民が持つ感覚を的確指摘したのが、24時間残念営業というブログを開設するMK2氏である。MK2氏は「「うちら」の世界」エントリーの中で下記のような仮説を立てている。彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。実際にはそれは、インターネットの仕組みの内部で動いているサービスなのだが、ここでSNSと「うちら」の結託が起こる。SNS=うちらとなるわけだ。なんとなくは「インターネット全体」という外部があることは知っていても、それが「うちら」に積極的に介入してくることは考えない。もしそれが容喙してきた場合、彼らの理屈に従えば「うちらなにも悪いことしてないのになに勝手に干渉してくんの」ということになる。ましてネットの場合、リアルとは違い「外部」は完全に可視範囲の外にある。おそらく彼らにしてみれば不意打ちの感覚が強いだろう。出典:24時間残念営業「うちら」の世界(以下略)---なるほどね、と思います。つまり、全世界に対して開かれたインターネット空間にものを書いているという認識がない、友達だけを相手にしている閉鎖空間のような勘違いをしている、ということでしょう。別ソースによれば、冒頭の例では、非難されたアルバイトが「しらねぇーやつが面白がって拡散とかいってリツイートしてんじゃねーよ」と書き込みしたために、騒動に更に拍車がかかったようです。感情レベルでは、このアルバイトの言い分も理解できなくはありません。政府要人や政治家の不正とかならともかく、市井の一市民の、非常識ではあるが、さほど重大とは思えない行動(少なくとも、刑事罰に問われるようなレベルではないでしょう) について、せっせと拡散して火に油を注ぐような行動に、私はどうも好感を抱けません。ただ、そうは言っても、そうやってせっせと不祥事の拡散に努める人たちが世の中には一定数存在する、という事実を否定することはできません。「しらねぇーやつが面白がって拡散とかいってリツイート」できるのがツィッターというものですし、インターネットというものです。それを止めることは、誰にもできません。嫌ならツィッターをやめるしかない。そういう意味では、「しらねぇーやつが面白がって~」というのは、まさしく馬鹿の発言そのものです。※フェイスブックの場合は、記事の公開範囲を限定できますが、ツィッターの場合はどうなんでしょう。私はツィッターはやっていないので、そのあたりの機能はよく知りません。それにしても、これだけ世の中でこういう騒動が報じられているのに、何だって類似の馬鹿げた行動が繰り返されるんでしょうね。そういう写真を公開すれば、どういう反動が待っているか、類似の例から分かりそうなものですが。そういう人はニュースも新聞も、ネット上のニュースサイトでさえ目を通さないのかも知れません。自分と友人の間だけの世界にこもっているのでしょうか。だとしたら、それはそれでやっぱり「馬鹿」としか言いようがありません。ただ、それとちょっと矛盾する話ですが、浅はかなアルバイトの浅はかな行動があったにしても、それで閉店というのはいささか過剰反応じゃないかという気もするのです。バイトの解雇は当然でしょうし、廃棄処分せざるを得なかった商品分の損害賠償請求くらいは分かります。だけど、閉店に伴う不利益分も損害賠償を、というのはちょっと過大請求では、という気がしないでもありません。現実には、請求金額がいくらだったとしても、クビになったアルバイトに支払い能力があるとは思えず、結局のところ、賠償金は入ってこないだろうと思いますけどね。
2013.08.13
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激烈な暑さですね。昨日は、最高気温が40度を超えた地点も、気象庁のサイトで確認する限り、館林40.1度、勝沼40.5度、甲府と高知県江川崎(四万十)40.7度の4箇所に及んでいます。東京の最高気温は37.4度でしたが、今朝の最低気温は30.9度、最低気温が30度以下にならないスーパー熱帯夜でした。(観測史上過去に一度だけ例がある)昨日は、午前中は家族で映画「風立ちぬ」をみてきたのですが、映画館の外でただ待っているだけで汗がダラダラ。しかし映画館内はエアコンが効きすぎなくらいで、冷え性とはまったく無縁の私でも寒く感じ(相棒は冷え性なので上着を持ち歩いているから問題なし)、映画館の内と外の気温差にクラクラしそうでした。普段はそれほどエアコンを使わない我が家も、この数日はエアコン使いまくり、今朝は朝までずっとエアコン稼動していました。昨日の朝は、それでも頑張って6kmほど走りましたが(その時間帯の気温は30度を少し超える程度だった)、昨晩と今朝はとても無理で、走っていません。昨日は、夜11時の時点でもまだ気温が32度台でしたから。昨日は、東京湾花火大会があって、子どもは「行きたい」と言っていたのですが、「この暑さの中でも?」と言ったら、さすがに「やっぱり行かない」と。そりゃそうですね。花火をやってい午後7時~8時頃の東京の気温は、34度から35度ほどありました。で、今日も東京の最高気温は37度という予報です。午前11時現在の気温は、昨日より0.6度ばかり高い。そして、明日も35度という予報。勘弁してくれ~~~~~、という感じですね。「背の高い高気圧」猛暑生む…高い気温続きそう気象庁によると、9日から10日にかけて日本列島を覆った太平洋高気圧は、地上付近から上空1万2000メートル以上にまで達した「背の高い高気圧」だった。高気圧の圏内では下降する空気の流れがあり、上空の空気が地表に近づくにつれて、押しつぶされる。空気は圧縮されると、密度が上がって温度が上がる性質があり、背の高い高気圧ほど強く圧縮されるため、地表の気温が上がりやすくなるという。また10日は高気圧付近の風も弱かったため、高気圧周辺の冷たい空気と混ざりにくく、気温が高い状態が保たれたとみられる。気象庁は、太平洋高気圧の勢力が強い状態がしばらく続くため、少なくとも今後1週間は、気温が高くなる日が多くなると予想している。---成層圏まで達する高気圧だそうです。熱い空気と冷たい空気がぶつかり合う(「大気の状態が不安定」といわれる状態)と、積乱雲が立って激しい雷雨になったりしますが、昨日今日は冷たい空気が近くにないので、大気の状態は安定し、ただただ暑くなる、というはなしです。あまりに暑いので、せめてこのブログだけでも涼しげな写真をアップしておきます。まあ、見たからと言って涼しくはならないかもしれませんが。八方尾根から白馬岳・2003年3月北アルプス・新穂高ロープウェー終点付近、2006年2月北アルプス・涸沢 2012年4月富士山・富士吉田口7合目あたり・2013年4月八ヶ岳・赤岳 2013年2月八ヶ岳・赤岳 2012年2月
2013.08.11
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橋下大阪市長、市立大学長選認めず 「選ぶのは市長」大阪市長から任命される同市立大学長が従来、大学の教職員による選挙結果に基づき選ばれていることについて、橋下徹大阪市長は9日、「ふざけたこと。そんなのは許さん。学長を選ぶのは市長であり、選考会議だ」と述べ、今秋にも想定される選挙を認めない考えを示した。市役所で記者団に語った。同大の定款では、学長は大学の選考会議からの申し出に基づき、市長が任命する。ただ、学長候補者は従来、大学の教職員による2回の投票を経て選び、その結果をもとに選考会議が候補者を市長に伝えていた。現在1期目の西沢良記学長は来年3月末で4年間の任期を終える。橋下氏は「(学長は)選考会議で選ぶが、選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。何の責任もない教職員にトップを選ぶ権限を与えたらどうなるのか。研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ」とも述べた。ーーー橋下が、またもすごいことを言っています。要約すれば、選挙に勝った自分がお好みの学長を送り込む、それが民主主義だ、という話になります。で、その理屈を進めて行けば、じゃあ国立大の学長は首相が全部決めるのが民主主義だ、ということになります。大学の自治というものを、真っ向から否定する理屈です。ところが、当人は「研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ」などと言っているそうで。ムチャクチャな言い分です。研究内容の自由が自治の重要な要素であることは当然として、人事を自分たちで決めることもまた自治の重要な要素でしょう。そもそも、大阪市というのも地方「自治体」の一つであるわけですが、「政策は自由ですが市長は政府が決めます」なんてことになったら、それはもはや自治体とは呼べない。そんなことは、ちょっと考えればわかること。いっそのこと、「大学の自治なんていらない」という理屈であれば、(賛成はしないけれど)まだしも論理的には整合性がある。しかし、「それが民主主義だ」というのは、言い換えれば「選挙に勝ったんだから何やってもいいだろう」ということです。ついこの間の参院選では、どうも維新の会は惨敗したような気がしないでもないのですが、大阪限定では依然として高い支持を得ているのは確かでしょう。それも、橋下の市長当選時ほどかどうかは分かりませんけど。でも、この理屈は、突き詰めて行けば「教授選考だって市長にやらせろ」とか「職員採用だって市長に選ばせろ」という話につながりかねません。そういう政治体系を、「猟官政治」というわけで。ラテンアメリカなんかに例が数多くあります。例えば、当選した途端に、自分の妹の夫(有名な日本企業の現地法人に長く勤務し、外交官の経験など皆無)を駐日大使にしたのが、フジモリ大統領。メキシコくらいの大国でも、大統領が変わると、突然大統領の親族やら同郷の幼馴染やらが、突然次々と国の省庁の局長に任命されたりして、更に、大統領の任期が終われば、彼らの地位も確実に失われるので、任期の終わりに近づくと、みんな職務はそっちのけで、ある者は次の仕事へのリクルート活動、ある者はせっせと蓄財、なんてことが、大統領が変わる度に繰り返されると言われます。橋下は、日本をそういう政治風土の国にしたい、ということなんでしょうかね。※もっとも、東京や大阪市などの大都市では公務員の採用は公正な試験で行われているけれど、田舎の方の小さな自治体では、果たしてどんな採用試験が行われているのか、いささか心許ないきがしないでもありません。首長の鶴の一声で職員採用が決まる、なんて自治体は、ないと信じたいですが、果たして・・・・・・。
2013.08.10
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昨日の立山の写真の続きに、日曜に登った八ヶ岳の西岳・編笠山の写真も現像できたので、それも加えてアップします。すべて一眼レフ+リバーサルフィルムの写真です。翌日、五色ヶ原から室堂平に引き返す道中にて。コバイケイソウのお花畑の向こうに黒部湖が見えます。途中で五色ヶ原を振り返ってみました。山荘がはっきり見えます。遠方の山が薬師岳。五色ヶ原の先。中央から右にかけてが前述の薬師岳、その左手のさらに遠方が黒部五郎岳。五色ヶ原からは、ザラ峠に向けて少し下って、ザラ峠からは長い登り、そしてアップダウンが続きます。向こうの山が立山。立山の向こうには剱岳も見えます。この山は、私は登らないだろうな。この夏も、死亡事故があったと記憶しています。室堂を越えて、更に標高差150mくらい下ると、雷鳥沢キャンプ場に付きます。この位置からの立山連峰の景色もすばらしい。雷鳥沢キャンプ場からの立山連峰全景。この日、ここにテントはだいたい60張くらいありました。いい天気に見えますが、実は雨が降った直後なんです。-----------さて、続いて上記の写真の1週間後、8月4日に登った八ヶ岳の西岳・編笠山の写真です。これも先日iPad miniの写真だけアップしましたが、今度はリバーサルフィルムの写真です。8月3日、富士見高原の宿の近くから編笠山を撮りました。このときは天気がよさそうだったのですが、翌日はどんよりと曇りだったことは先の記事に書いたとおりです。そのため、風景写真でいいものは少なく、もっぱら花の写真ばかりです。左の青い花は、キキョウ科で、先にiPad miniの撮影で紹介したホタルブクロに近縁な仲間です。チシマギキョウかイワギキョウかヒメシャジンか、正確な種の同定は私にはできません。右の黄色い花は、イワオトギリ。その間、岩の下からわずかに頭を出しているのはコケモモじゃないかと思います。ベニバナミネズオウで間違いないようです。シャッターの絞りが開放寄りだったので、被写界深度ん゛浅く、手前にはピントが合っていません。エーデルワイス、の仲間のミネウスユキソウ。ヨーロッパではエーデルワイスは絶滅寸前の幻の花ですが、現在日本の山にはゴロゴロ生えています。ヤマハハコ。ウスユキソウにちょっと似た感じの花です。どちらもキク科です。ここまで、いずれも西岳の山頂近辺での撮影です。こちらは編笠山からの撮影。西岳山頂は花満開なのに、編笠山山頂には花はほとんどありません。天気は少し回復したものの、遠方の視界はなく、権現岳が時々見えるだけ。その権現岳が雲間から姿を現した一瞬に撮影。あとは、去年と同じコースなので、去年の写真をご覧ください。
2013.08.09
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7月25日から27日にかけて立山に行ってきた際の、リバーサルフィルムの写真が完成しましたので、アップします。雄山山頂から御前沢雪渓。同じ場所で撮影したiPad miniの写真は↓ですガスの濃さが瞬間瞬間で変わるため、一眼レフの撮影時とiPad miniの撮影時で視界がかなり変わっていますが、そのことを別に考えても、やっぱりリバーサルフィルム+一眼レフのほうが色合いが深い感じがします。雄山の山頂神社です。同じく、iPadの写真は↓ですこちらは、逆にiPadの方が落ち着いた色合いかな一ノ越から少し先、富山大学の研究施設の建物付近から撮影した立山連峰です。個人的には、このあたりから見る立山が一番かっこいいかな、と思います。(iPadでは同じアングルの写真はありません)同じく富山大の研究施設付近から室堂平全景を撮影しました。↓はiPadからの写真。以下はリバーサルフィルムからの写真のみを紹介します。それにしても、iPad miniのあんなレンズでも、風景写真なら案外悪くない写真が撮れるものですね。さすがに、小さな花の写真などだと差が出ますけど。ハクサンシャクナゲ。ザラ峠から五色ヶ原への登りの途中で撮影しました。五色ヶ原につきました。アップダウン続きの山道の中で、ここだけは平坦な(完全に平坦ではないですが)台地状になっています。気持ちのいい湿原です。コバイケイソウが満開、その他チングルマやシナノキンバイなども咲いていました。五色ヶ原のコバイケソウ大群落。とにかくコバイケイソウがどこにいっても多く、他の花を圧倒していました。同じく五色ヶ原のコバイケイソウの群落です。やはり五色ヶ原で、チングルマの群落。五色ヶ原のキャンプ指定地からの夕方。五色ヶ原の山小屋とキャンプ指定地は、徒歩で10~15分くらい離れています。(山小屋のほうが標高が高い)キャンプ指定地には当然売店も何もないので、山小屋で幕営の申し込みをしたら、缶ビールを買ってもって行きました。冷蔵庫は周囲にいくらでもあるので(残雪と雪解け水)、よく冷えたビールが飲めました。続きは明日以降に。
2013.08.08
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※実は、操作を誤って元記事を削除してしまいました。バックアップから再度掲載します。【月刊正論】 亡国の「失言」バッシング狂騒曲そして保守政治は何も言えなくなる…(産経新聞政治部編集委員・阿比留瑠比 月刊正論9月号)政治家の武器は何といっても「言葉」である。政治家は言葉を駆使して国民に自らの政策や政治信条を訴え、理解と支持を広げなくてはならない。したがって、地位や影響力のある政治家が、自らの発言に十分気を配る必要があるのは言うまでもない。(中略) ここまでを前置きとし、これを前提に本題に入りたい。結論から述べれば、メディアの多くは「左派・リベラル」の政治家の失言には優しく忘れっぽい一方、「保守系」の政治家のそれはとことん追及する傾向がある。これは甚だ不公平であるが不思議でも何でもない。戦後ずっとメディアの主流が「左派・リベラル」で占められてきたのだから、むしろ当然のことである。そして、ずっとそんな偏向した「言論空間」の中に閉じ込められてきた国民の側にも、なんとなくリベラル系の失言を容認してしまう癖がついている気がする。最近でこそ、この偏りはほんの少しだけ是正されてきた。ただ、それでもやはり、大きな方向性は変わらない。リベラル派の場合…リベラル派で親中・親韓の政治家である鳩山由紀夫元首相は6月、北京市内で開かれたフォーラムでこんな発言をした。「(日本が降伏に当たって受諾した)ポツダム宣言の中で日本が守ることを約束したカイロ宣言は『盗んだものは返さなければならない』としており、中国側が(返還されるべき領土の中に尖閣諸島が)入ると考えるのも当然だ」元首相ともあろう者が、日本の領土・領海を狙う中国の侵略意図に同調したまさに超弩級の失言、いや暴言である。そもそも条約でもないカイロ宣言は「法的効果を持ち得ない」(外務省)というのが我が国の立場であり、鳩山氏の主張は全く筋が通らず、中国を利するだけだ。「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する」刑法81条「外患誘致」はこう定めている。その初の適用例が鳩山氏となってもおかしくないぐらいの無責任発言だったが、メディアの扱いは小さなものだった。あるいは百歩譲ってメディアにとっては、この万人が認める不世出の愚か者の言葉を大きく取り上げないことこそが良識の発露だったのかもしれない。だが、当時はまだ民主党籍のあった鳩山氏に対する民主党執行部の対応も生ぬるかった。海江田万里代表は記者団にこう述べた。「民主党の主張とは大きく異なる。首相を経験した立場もある。その立場をよくわきまえた発言をお願いしたい」また、細野豪志幹事長は談話を発表して「看過できない」「無責任な発言」などと批判し、「今後こうした国益を損なう発言がないよう厳重に申し入れる」と述べたが、2人とも鳩山氏の処分には一切言及しなかった。さらにメディアの側にも、こうした微温的な民主党の対応を厳しく指摘する姿勢はみられなかった。本来は「党籍剥奪」ぐらい求めてしかるべきだったろう。リベラル派で親中・親北朝鮮の政治家である野中広務元官房長官が、尖閣諸島をめぐって「領有権問題棚上げの日中合意があった」と発言した際も同様だ。これも国益に反した「妄言」と言えよう。野中氏によると、昭和47年9月の日中国交正常化から間もないころ、箱根で開かれた自民党田中派の研修会で、田中角栄首相(当時)がそう講演したそうである。だが、不特定多数の人が聞いた講演の中身が、今まで外部に一切出なかったという時点で不自然であり、眉唾ものだ。当時、「棚上げ合意」などなかったことは日中交渉や首脳会談に立ち会った外務省幹部らが証言しており、野中氏の発言は中国側の言い分を代弁したものにすぎない。この野中氏の発言を唯一の根拠にして、鳩山氏はその後、「棚上げ合意は歴史的事実だ」と言い出すに至る。親中派が中国に操られ、協力して日本の国益を損壊しているようにしか見えないが、やはりメディアは野中氏に優しかった。野中氏を積極的にテレビ番組に招き、言いたい放題語らせるテレビ局もあった。保守系の場合…それでは、保守系の政治家の「失言」はどう扱われるだろうか。自民党の高市早苗政調会長が6月に党兵庫県連の会合で、東電福島第1原発事故に関して次のように述べた際のことを思い起こしてほしい。「事故を起こした福島第1原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない」この発言に対し、与野党とメディアから一斉に批判が集中した。ーーー例によって例のごとく、ネトウヨ新聞のネトウヨ記者(いや、記者のふりした政治運動屋)阿比留瑠比がお約束どおりのことを書いています。この記者(もどきの政治運動屋)は、マスコミが左派・リベラル派の失言に甘くて、保守派の失言に厳しいと、そう信じているようです。私の見るところ、イデオロギーをもっとも露骨に前面に出す新聞は産経新聞であり(そのこと自体は必ずしも悪いことではない)、また、保守派にとことん甘く、左派・リベラル派にとことん厳しいマスコミの筆頭もまた産経新聞であるように思えるんですけどね。何しろ、2009年に自民党と一緒に「下野なう」するくらい、自民党との距離感がない新聞ですから。実際にはマスコミの大勢は、保守派の失言に厳しく左派リベラル派の失言に甘い、などということはまったくない。そうではなく、時の政権に対しては厳しく、政権の外にいるものに対しては甘い(というか、どうでもいい)という傾向は確かにあります。でも、それは当然の話でしょう。政権の中枢にいる者と野党の政治家、まして政界を離れた人間で、責任の重さが同等であるはずがない。実際のところ、民主党政権の時代には民主党の政治家、特に閣僚に対するバッシングは非常に厳しいものがありました。「法相は2つの言葉を覚えておけばいい」の柳田法相と、「放射能付けてやる」発言の鉢呂経産大臣は辞任に追い込まれました。失言とは違うけど、蓮舫議員の「2番じゃダメなんですか」も相当叩かれた。私の見るところ、鉢呂大臣の「失言」は、ほぼ事実無根だし、蓮舫の「2番じゃダメなんですか」という発言(質問)も、特に問題発言ではないと思うんですけどね。「2つの言葉を覚えておけば」発言は、確かにちょっと問題ですが。で、その時代に野党であって自民党の麻生や安倍は、マスコミから失言を叩かれたことがあるか?ないでしょう。今、安倍首相が靖国に参拝するかどうかが注目されています。しかし、安倍は前回首相を退陣して以降、毎年靖国神社に参拝していたようですが、それは新聞の片隅にべた記事で乗る程度の扱いです。自民党がまだ与党だった時代ですら、首相を辞任した一議員である安倍の参拝を大きく報じる新聞はなかった。当たり前の話です。阿比留瑠比は、鳩山由紀夫元首相や野中広務元官房長官の「失言」を追及しないマスコミはけしからんと思っているようですが、現時点で首相でも閣僚でもない、どころか議員ですらない一民間人の発言が、現役の閣僚や首相の発言と同列の重さであるはずがありません。「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する」刑法81条「外患誘致」はこう定めている。その初の適用例が鳩山氏となってもおかしくないいや、充分におかしいです。外患誘致という罪名を言論の自由を抑圧する手段として使おうとするような言説を、新聞記者ともあろう人間が行うとは・・・・・、いや、なんちゃって新聞記者の政治運動屋だから関係ないのか。で、私は鳩山の発言の中身自体には同意しません。しかし、野中広務の、尖閣諸島をめぐって領有権問題棚上げの日中合意があった、という発言については、そのとおりだと思う。産経新聞は(現在の日本政府も)棚上げ合意を何とかして「なかったこと」にしようと必死ですが、当時棚上げ合意があったことは秘密でもなんでもなく、そもそも当時の時点で広く報道されていたことです。以前の記事でも紹介したことがあります。棚上げ合意はあった (追記あり)この記事中で1979年5月31日読売新聞社説を紹介しましたが、そこには「尖閣諸島の領有権問題は、1972年の日中国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題となったが、いわゆる「触れないでおこう」方式で処理されてきた。つまり、日中両国とも領土主権を主張し、現実には論争が"存在"することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。」と書かれています。さらに、この記事を受けて、当ブログの常連Bill McCrearyさんが、この社説の前日(1979年5月30日)に行われた国会審議での園田外相の答弁について指摘しています。「わが方は歴史的、伝統的に日本固有の領土である、こういうことで、これは係争の事件ではない、こういう態度、中国の方は、いやそれは歴史的に見て中国の領土である、日本と中国の間の係争中の問題であるという差があるわけであります。そこで北京の友好条約締結のときに、トウ小平副主席と私との間で、私の方から話をしまして、尖閣列島に対するわが国の主張、立場を申し述べ、この前の漁船のような事件があっては困る、こういうことを言ったところ、向こうからは私の主張に反論なしに、この前のような事件は起こさない、何十年でもいまのままの状態でよろしい、こういうことで終わったわけです。その後中国のトウ小平副主席が日本に来られたときに、共同会見のときにたな上げだという言葉を初めて使われ、わが方は依然としてわが方の領土であることは明白であるといういきさつがあるわけでありますけれども、少なくとも日本と中国の友好関係の現状からしまして、この前のような、漁船団のような事件は起こさない、二十年でも三十年でもいまのままでよろしいということは、わが方から言えば現在有効支配しているわけでありますから、ことさらに中国を刺激するような行動、これ見よがしに有効支配を誇示するようなことをやれば、やはり中国は国でありますから、自分の国であると言っているわけでありますから、これに対して異論を出さざるを得ないであろう。そうでない状態が続くことを私は念願しております。 したがって尖閣列島についてはわが国の領土ではあるけれども、こういういきさつがあるから刺激しないように、付近の漁民または住民の避難のため、安全のためにやむを得ざるものをつくるならば構わぬけれども、やれ灯台をつくるとか何をつくるとか、これ見よがしに、これは日本のものだ、これでも中国は文句を言わぬか、これでも文句はないかというような態度は慎むべきであるということを終始一貫議論をしてきた経緯があるわけであります。」「棚上げ」という単語は使っていませんが、現状固定でお互いに事を荒立てないで解決は先送りする、つまり事実上棚上げ状態であることを、外務大臣が自ら国会答弁で認めているのですから、これは公然たる事実という以外にありません。現在の日本政府や産経新聞にとっては、なかったことにしたい歴史かもしれないけれど、歴然たる事実なんだから仕方がありませんし、その公然たる事実を指摘した野中広務の発言は、失言でも何でもないのです。※ただし、ここでいう棚上げとは、どちらが実効支配するか、という結論を棚上げしたわけではない点には留意が必要です。あくまでも、日本が実効支配している、という現状のままで解決を先送りする、という意味での棚上げですから、日本が実効支配している既成事実を放棄すべきだ、という話にはなりません。
2013.08.07
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ネット上のニュースサイトには記事が出ていませんが、今日8月6日の毎日新聞朝刊の3面によると、2003年以来毎日新聞が実施している国政選挙立候補者に対するアンケートで、「核兵器の保有を将来にわたって検討すべきではない」という回等が急減して、昨年の衆院選では当選者中61%、今回の参院選でも64%、「国際情勢によっては検討すべきだ」という回等が昨年の衆院選で29%、今回の参院選で28%に急増したそうです。それでもまだ全体としては「将来にわたって検討すべきではない」という回答のほうが多数派ではあるのですが、しかし自民党に限ると今回の参院選で「検討すべきではない」43%対「国際情勢によっては検討すべき」46%と、逆転してしまっているそうです。何と言うか、空恐ろしくなるような結果です。核兵器という大量破壊兵器の恐ろしさ、それが投下された場合の、被爆者の悲惨な状況について、日本は多くのことを体験してきているはずです。それにもかかわらず、「場合によっては核を持ちたい」と考える政治家が急増しているという恐ろしさ。政治家は一般社会から遊離した存在ではないので、一般社会全体に「核保有したっていいじゃん」という考えが、それだけ広がっている反映かもしれません。それはすなわち、戦後68年が経過して、戦争の痛み(原爆だけに限ったことでないけれど)が社会的に風化してしまった、ということでもあるのでしょう。私も、もはや非武装中立論者というわけではなく(現状の国際情勢のままで、非武装で国を維持していくのはかなり困難と思います)、最低限度の自衛隊の存在はやむを得ないだろうと思っているのですが、それにしても、強力な軍備(その最たるものが核兵器)があればあるほど安心だ、とは思いません。強力な軍備があればあるほど、敵対国もまた強力な軍備を求め、緊張関係が高まるばかりです。そういう行きかたのひとつの極致がイスラエルという国です。イスラエルは核を持ち(公式には認めていないけれど公然の秘密)、通常兵器においても極めて強力な軍備を持ち、4次にわたる中東戦争にも(最後は非常に苦戦したけれど)ともかく勝ち続けてきた。パレスチナ人に対しても高圧的な態度をとり続けています。でも、それでイスラエルという国の安全保障が安泰なのか、イスラエル人は日々枕を高くして寝られるのかというと、どう見てもそうは思えないのです。強力すぎる軍備で、安心を買うことはできないと思います。そのイスラエルは、核拡散防止条約には加盟していないので、核兵器を保有することは、一応は条約違反ではないことになっています。しかし、日本は違います。核拡散防止条約に入っていますから、日本が核を保有することは、国際条約違反です。それを脱退するということは、米国も含めた国際社会に対して、けんかを売る行為に他なりません。北朝鮮が世界中から浴びている非難を、今度は日本が受けることになる。そのことに対して、どれだけの覚悟があって核保有の検討などと考えているのかは知りませんが、何となく、床屋政談のレベルで「核保有したっていいじゃん」と言っているだけなんじゃなかろうか、という危惧を抱いてしまうのです。杞憂ならいいんですけれど、国会議員もいろいろな意味でレベルが落ちているのは確かですから。
2013.08.06
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前回立山に登ってから、まだ1週間しか経っていないのに、そして、まだリバーサルフィルムの写真も公開していないのに、もう次の山に登ってきました。と、言っても、実は今回は家族旅行の合間の山登りですけど。去年も同じところに行ったのですが、八ヶ岳山麓の富士見高原のペンションに宿泊し、相棒と子どもが乗馬しに行っている間に私は1人で山に登って来ました。去年も同じ宿に泊まり、そのときは編笠山に登ったので、今回はその隣の西岳に狙いを定めることにしました。宿の近くからの撮影です。右が編笠山、左が西岳です。編笠山は2524mで、ギリギリ森林限界を超えていますが、西岳は2398mと少し低く、山頂は森林限界を超えていません。ホタルブクロ。これは高山植物ではなく、宿泊したペンションのすぐ近く(といっても、海抜1200mくらいはある場所)で撮影しています。iPad miniの割にはうまく撮れたので。で、翌日(昨日)朝9時に宿を出て、徒歩10分か15分くらいで登山口へ。更に15分くらい歩いて、9時半過ぎに不動清水という水場へ。何だか、チョロチョロとしか水は流れていませんでしたが。予報では晴れのはずだったのに、天気はあまりよくありません。着替えなどは全てペンションに置いてきたので荷物が軽く、割合にハイペースで登れました。ずっと樹林帯なのですが、山頂の少し手前で樹林が切れて、視界が開け・・・・るはずですが。編笠山の山頂がガスに隠れて見えません。南側には南アルプスが見えるはずなのですが、雲に隠れて、そんなものは全然見えません。うーーーん。ただ、花はいっぱいあった。昨年登った編笠山は、花がまったくなかったので、あまり期待していなかったのですが、意外にも西岳の山頂付近は花がいっぱい。この面では編笠山より西岳のほうがいいかもしれない。図鑑で調べた限りは、ベニバナミネズオウ(ツツジの仲間)じゃないかと思うのですが、ネットで検索しても、西岳にベニバナミネズオウ(またはミネズオウ)が咲いている、という記述に行き当たりません。勘違いで他の花かなあ。iPad miniのレンズでは、こういう小さい花の細かいところはいまひとつなので、フィルムの現像を待たないと、何とも。(ただ、葉の様子は確かにツツジの仲間っぽいなあ)登っているうちに再び樹林帯に入るものの、すぐにまた開けた場所に出たと思ったら、それが山頂でした。到着時刻は11時30分過ぎ。宿を出たところから起算して、登り所要時間は約2時間半でした。山頂にも花が多くて、これはおそらくウスユキソウ。ヨーロッパのエーデルワイスの仲間です。ただ、やっぱり白い花は色が飛んでしまいます。待っているうちに、少しガスが薄くなってきました。何とか、編笠山の全景が見えました。しかし、それ以外の山は何も見えず。眼前に広がっているはずの南アルプスは、やっぱり雲の中。私が山頂に着いたときには、他の登山者がいたのですが、入れ替わりで彼らは先に向かってしまい、山頂は私1人!もちろんケーナを持っていったので、いっぱい吹きました。ところが、吹いているうちに後続の登山者が登ってきました。おっと、恥ずかしい。一応、目的の山には着いたのですが、体力的にはまだ余裕だし、昼飯を食べ終わってやっとお昼になったところです。ここで下ったら、2時前には下山してしまうので、予定を変更して編笠山経由で下山することにしました。西岳から編笠山手前の青年小屋までは、私の足で40分ほど。青年小屋から編笠山の山頂を望みます。冒頭に紹介した写真の反対側からの撮影で、北斜面になります。下半分はガレ場、上は樹林帯。登り20分くらいだったでしょうか。山頂に着きました。先ほどいた西岳の山頂。ここから編笠山まで、1時間と少しかかりました。ここから先は、去年も登ったところだし、去年のほうが天気も良くていい写真が撮れています。八ヶ岳・編笠山 (デジカメの写真)編笠山の写真 およびリバーサルフイルムの将来について (リバーサルフィルムの写真)一応今回の写真も最低限紹介します。権現岳。西岳の山頂にいたときより、天気は少しマシで、時々晴れ間も見えます。権現岳も最初はガスの中でしたが、待っているうちにかろうじて全容が姿を現しました。ただ、それより奥の八ヶ岳主峰、赤岳や横岳などはまったく見えません。もちろん、反対側の南アルプスも全然。南アルプスは、去年も見えませんでしたけど。山頂には20分ほどいて、下山にかかりました。富士見高原への下りは、山頂から森林限界まで、ずっとガレ場です。このゴロゴロした巨石の上を伝って降りていくのです。先ほどの青年小屋からの登りも同じような感じですが、当然のことながら登りより下りのほうが慎重さを要します。濡れていなければ特に危険な場所ではない(山でこの程度のガレ場はよくあります)のですが、家族旅行に来て大怪我なんかしたら、バカみたいですから、このあたりだけはゆっくりと降りました。でも、途中でしっかりとケーナを吹きましたけど。(編笠の山頂は人が多くて、ケーナを取り出し難かったので)ガレ場が終わると森林限界で、あとはゆったりした下りなので、一気に下ります。1時半ころ下山を始めて、途中でケーナを吹いたりしながらも、3時には標高1640mまで下ったので、1時間半で900m弱を下った計算になります。で、丁度3時ぴったりに1640mの標識のある林道に出たので、ここで大休止。ケーナとサンポーニャ(普通のサンポーニャはザックに詰めると割れてしまうので、塩ビ管サンポーニャを持って行った)を吹きまくりました。びっくりするくらい音が響いた。森の中なのに、エコーがかかってんじゃないかってくらい響いた。今回持っていったのは(最近いつも同じですが)木管のケーナです。太さはそれほどでもないですが、肉厚があって、結構重い。若干音程が高いので、現在参加している3つのグループのうち、1グループでしかこのケーナは使っていません。ボリビア竹のケーナ(音程は若干低い)のほうが吹きやすいし重さも軽いし、普段屋内で使う分には音量も充分なのですが、こういう場面では、この木管ケーナの音量は、すごいかもしれない。あ、でも塩ビ管サンポーニャもバリバリに音が出ていたから、材質の問題じゃないかな。しかし、ここで30分も笛を吹いていたので、結局宿に戻ったら4時を少し過ぎていました。(しかも、宿に帰ってからも更に笛を吹いてました)
2013.08.05
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法制局長官 解釈見直し派 小松駐仏大使、異例起用へ政府は二日、内閣法制局の山本庸幸長官(63)を退任させ、後任に小松一郎駐仏大使(62)を充てる方針を決めた。八日の閣議で正式決定する。小松氏は外務省出身で、安倍晋三首相が検討する集団的自衛権行使容認のための憲法解釈の見直しに前向きとされる。小松氏の起用は、集団的自衛権行使容認に向けた布石といえる。法制局長官の後任には、次長がそのまま昇格するのが慣例。小松氏は法制局の勤務経験はなく、異例の人事だ。小松氏は外務省国際法局長などを経て、二〇一一年九月から現職。第一次安倍内閣当時、米国に向かう可能性のあるミサイル迎撃など首相が有識者懇談会に諮問した集団的自衛権行使の「四類型」の立案にもかかわった。自民党の石破茂幹事長は二日の記者会見で、小松氏の起用に関し「国際法のみならず国内法の知見も十分だ。集団的自衛権を行使できるようにするというわが党の立場からすれば、極めてふさわしい人材を得た」と述べた。<内閣法制局長官> 「政府の憲法解釈の番人」と呼ばれる内閣法制局のトップで、法制面から内閣を直接補佐する。政府提出法案や政令案、条約案が憲法に違反していないかなどを審査。政府の憲法解釈を事実上担い、長官は政治家に代わって国会で答弁してきた。民主党政権は一時、政治主導の一環として内閣法制局長官が答弁できないようにしたが、その後復活させた。---このブログをご覧の方の多くには、今更説明の必要はないでしょうが、「集団的自衛権」とは、同盟を結ぶ他国に対して第三国が攻撃を仕掛けた場合、それを自国に対する攻撃とみなして反撃する権利のことを指しています。たとえば、北朝鮮が米国に対してだけミサイルを撃ったとすると、たとえ日本に対してはまったく攻撃を仕掛けていなくとも、日本に対しても攻撃をかけたものとみなして反撃する、というのが集団的自衛権の考え方です。現行憲法においては、集団的自衛権の行使は禁じられています。歴代自民党政権(民主党政権や細川内閣の時代も含めて)でも、集団的自衛権の行使は違憲、という政府の解釈は不変です。だから、日米安保条約は「片務的」だと言われることがあります。米国には日本を防衛する義務があるけど、日本には米国を防衛する義務はない、片側だけに義務があるから片務的だというわけです。しかし、日本は多くの基地を米軍に提供しています。「思いやり予算」までつけて。その在日米軍は、米国の世界戦略のために、日本防衛とはほとんど無関係に行動しています。つまり、実際には日本は米国の軍事行動に莫大な土地と資金を提供しているのです。ただ直接的に自衛隊の人員は提供しない、というだけです。ところが、安倍政権は憲法解釈を変えて、集団的自衛権を容認しようとしています。そうすると、どうなるか。「共同防衛」と言えば聞こえがいいけれど、実際には米国が行ってきた対外戦争で、防衛的なものなどそう多くはない。そのような米国がおこなう戦争に、日本も自衛隊を出せという話になる。後方支援じゃなく最前線の実戦部隊です。要するに、米軍の世界戦略のお先棒担ぎとして、自衛隊が出て行くことになる。当然戦死者も出る。日本を、そういう国にしようという話です。自衛隊が創設されて、政府が「自衛隊は憲法第9条に反しません」と言い始めて以降も、集団的自衛権に関しては、50年以上にわたって「憲法違反」と認めてきたのです。それを、安倍政権の考えひとつで「やっぱり合憲」と変えるのだというのです。そのために、法制局長官の首をすげ替えて、いうことを聞く人間を長官にするのだそうです。政治の都合で法律(憲法解釈)を捻じ曲げようというのですから、とんでもない話です。
2013.08.02
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麻生副首相がまたぞろ問題発言をやらかしています。で、またぞろ「ナチスを擁護するような趣旨じゃない」とか何とかと言っているようですが、果たしてそうでしょうか。麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。---いかに弁護したところで、「憲法の話は狂乱の中でやってほしくない」という前段があって「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。」という言葉に続いている以上、ナチスが静かにこっそりと憲法を変えた手口に学んで、日本の憲法改正も、狂騒の中ではなく静かにやったほうがよい、という趣旨以外には読み取れません。麻生の発言撤回コメントは7月29日の国家基本問題研究所月例研究会における私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。---と言っていますけど、元の文章は、ワイマール憲法がナチス憲法に変えられる経緯について、「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。~本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。」と言っています。撤回コメントが主張するような「喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例」とは、どう善意に解釈しても読み取ることは不可能です。麻生の「真意」がどこにあったのかなんてことは知るべくもありませんが、口から出た言葉に関しては、なんの誤解もしようがない。ナチスの手口に学んで、同じように静かに、誰も気づかないように憲法改正を実現させたほうが良い、という以外の解釈は不可能です。麻生の失言癖は今に始まったことではないですが、ナチスを弁護するような文脈は、国際的(対中韓だけでなく、むしろ対米、対欧関係で)に大問題を引き起こすことは、ちょっと考えれば分かることのはずなのに、相変わらず言葉を選ぶということができない政治家なんですね。
2013.08.01
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