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今年最後のヨガインストラクタークラス。 耳にしたことはあるけれど、スーリヤナマスカラを108回、目でみたことの煩悩、耳できいたことの煩悩、鼻で、口や舌で、からだで、心で感じ、とらわれたことをひとつひとつ受容し、手放すように、無心になって呼吸とからだを連動させた。 ひたすらにやっていると、もう数の感覚もなくなっていくのだけれど、心から汗をかく感覚のなかにいた時間。 この先生のクラスの後はいつも感じる、「ちいさなわたし」 ちっぽけなわたし。 こんなにちいさいのに、それでもとらわれることがある。 ちいさなわたしのとらわれているものなんて、この世界からしたらちりほどにもならない。 ははっと自分をわらい、ちいさくてもしっかり生き、この世界と調和されている。 それがヨガなのかな、と思う。
2012.12.31

どうしてもこれだけは。 書き留めなくてはいけないと。 高橋大輔は、世界のフィギュアースケーターとそのファンの間では、「フィギュアスケートの体現者」と呼ばれている。 ダイスケの素晴らしさは、演技を観ていただけたらすぐに理解できると思うが、わたしの母ですら「なんでダイスケが優勝じゃないの?」と聞いてくるほどだ。 彼の得意技はいろいろあるんだけど、たとえばその中のほんのひとつ、「行かないで」がある。 前に差し出された腕の指先までもその哀切が自然とこめられ、去ってしまった愛したひとの残像をリアルに描いてみせる。 ちなみにダイスケはカパなので、指も長くないし、爪もごろっとしている。 だけどうつくしいのだ。 ダイスケの「行かないで」に対抗できるのは、おそらくフィギュア界随一のフェロモン王であり、カンブレ(胸を前に突き出して顎と肩のラインをうつくしく見せるバレエの技)王のランビエールくらいだろう。 (ま、わたしはダイスケに杯をあげるけどね) 同じく哀切を表現するのに欠かせない、「顔撫で」 これを「首振り」と組み合わせたときのダイスケのファンの心臓の鼓動は最高値になる。 全日本での「道化師」の、最後のトリプルフリップジャンプが決まり、(次々とジャンプが決まってたのね〜、 いやぁ〜、もうぞくぞくが最高潮でしたよ〜〜〜)コレオシークエンスに入る直前の、この「顔撫で」&「首振り」の!!! ここを一番リピートしました、にゃはっ ダイスケは興奮してくると、ラストのステップシークエンスがだいたい早くなる。 バンクーバーのときも、明らかに早くて、あのザンパノの苦悩に満ちたすばらしいコレオが、あぁこれが音に完璧に合ってたらあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、なんて、映像を見返す度に思ってしまう。 この時のダイスケは、マラソンでいうところの「ゾーン」に入っていたのではないかくらいな集中だったから、音が合ってようとなかろうと、ひとつひとつのジャンプが決まる度、観る者はぐいぐいと魂をわしづかみにされてしまっていたけど。 愛憎の果てに妻に手をかけてしまった道化師の取り返せない、踏み込んではいけない世界を破ってしまった人間の狂おしい熱に、観る者はさらされたのだ。 あんな熱にさらされるというのは、フィギュアスケートを観ていて、一生に一度、あるかないかじゃないか。 ダイスケは、ザンパノで、ブルースで、そしてこの道化師で、世界を現すことの進化を、それを目にすることのできる幸福を、みせてくれた。 レフリーを務めた岡部さんという女性は、「審判じゃなかったらスタンディングオベーションをしていた」とおっしゃっていた。 (レフリーに関しては、 もうフィギュア問題の悪の原点になるつつあるけど) また、生きる勇気をもらってしまった。 ひとの真摯に何かに向かう努力は、他の誰かを勇気づけたりすることがある。 誰かの背をまっすぐにすることも、心が落ち着かなくなって、熱を出すこともある。 わたしたちは、影響しあっている。 この一年も、仕事を通じて、地域を通じて、友人、家族に、その姿を通して、生きる勇気をいただきました。 そのひとの中にある、愛を感じ、自分の中にあるそれと重ねてみたり、ひとりごとのようにつぶやいてみたり、修造のように熱く語り合ったり。 ひとつひとつの瞬間に、あなたの真摯さに、支えてくれたひとたちに、出会えたみなさんに、お世話になりました。 ありがとう。 来る年も、あなたの熱とわたしの熱を交換させてくださいね。 ありがとう。
2012.12.31

今週の日曜の昼下がりに、娘のクラスメートふたりがやってきて、木曜のお楽しみ会で披露する紙芝居をわいわいと作っていた。 紙芝居のタイトルは、「はげまる日記」! まるでトキワ荘みたいな楽しさで、その風景を撮ってお母さんたちにおすそわけして、「昭和チックなセンスがナイスだね!」なんて言葉を交わし合った。 ひとりの女の子は一部アレルギーを持っていたので、じゃがもちを作っておやつに食べてもらった。 「美味しい〜、 どうやって作るんですか、 お母さんに作ってもらおう」 そしてまたわいわいと賑やかに過ごしたこどもたち。 お楽しみ会の本番、紙芝居も成功し、「またこのメンバーで、はげまる日記の続きを 3学期のお楽しみ会にやりたいな」と、夜言っていた娘。 一緒に紙芝居を作ったお友達が、その日に天国へ旅立った。 ひとのいのちに限りがあるのは、いま生きていることが奇跡の連続で、生きているだけで、どれほど誰かの安心になり、勇気になり、くすぐったいような愛として響き、この世界をバランスさせていることのかを、ときに気づくためにあるのだろうか。 そうなのだろうか。 お友達の名前は、「1億分の1の、くもりのない、 どこまでも澄んだ清らかさ」 そんな意味にもなる。 彼女の瞳はいつも本当に澄んでいて、ちょっと潤んでいるようだった。 ご冥福をお祈りする、というのはどういうことだろう、と、ずっと感じている自分がいる。 わたしはいま、生きている、ということを、感じている。 ただ、ひたすらに生きるしかないことを、感じている。
2012.12.20
いま、とめどなく降り注ぐように、必要なメッセージが届き、それは、自分の希求にまっすぐにつながっていて、あらゆる瞬間にそのメッセージが通じ、わたしの中をひとつにする。 自分の呼吸を感じながら、感じるままに、ときにそっと何かに手を合わせて、瞬間を生きるだけ。 新月ですね。
2012.12.13

ひとの目には見えない、そのひとだけが越えようとするものがある。 そのひとの、身体と精神をどこまでも研ぎ続ける研鑽の日々、自分自身と向き合い、葛藤し、信じ、光を求める。 その本当の努力を感じることはないけれど、あなたの内側から生み出される光は、本当にうつくしくて、あなたの涙は、ひとの心をとかし、あなたの、それでも何かを越えようとする姿に、わたしたちも、それでも生きていこうと思う。 あなたが心から笑っていると、わたしたちも、本当にうれしい。 スケートの神様に、あなたたちの誰にも想像できないほどの努力に、本当に、ありがとう。 どれほどのひとが、どれほどの勇気をわけてもらったことか。 生き続けることの、勇気を。 おめでとう。 ありがとう。
2012.12.09
午前、5年生の娘の連合音楽会へ。 一度学芸会の聴いた歌と合奏。 兄のときの音楽会の合唱と演奏がとてもすばらしかったので、学芸会で聴いたときは「まぁ、こんなものかな」だったのが、本番の合唱の声のみずみずしい素直さに涙。 なんてすてきな子たちだろう。 いろいろあるけど、こんなに声をそろえることができる。 それだけでもう、まるなのだ。 娘はクラベスという打楽器で「ラ・バンバ」のリズム担当だったのだが、出かける前にしゃもじを持ちながら、「みるちゃん、とにかくノって踊るように演奏してね」とタコのごとく踊る母を静かな目で見過ごして行ったけど、緊張しつつも膝でなんとかリズムをとって、がんばってた。 あぁ、こどもの一生懸命さって、なんでこんなにみずみずしいんだろ! 胸がじーーーーーんとしつつ、仙川のcocociでクラニオセッションへ。 まぶだちマキさんからご縁をいただいた方。 日曜にマキさんのヨガクラスでお会いして、「あぁ、バイタリティのある方だ」と感じたら、「そんなことはなくて、自信はないし、すぐに諦めちゃう」と。 うーん、おかしいなぁ、そのギャップはなんだろう、と感じながらセッションスタート。 数年前にご病気から回復してから、股関節の痛みや、からだのむくみ、重み、首のこりなどが強くなり、疲労が重なるとさらにしんどくなるとのこと。 仙骨に触れ、骨盤の横隔膜をサンドイッチポジションに。 仙骨のエネルギーが、だんだんと広がりだし、ゆったり左右に動き出したり、早くなったり。 「腰のあたりがぽこぽこしています。 右のそけい部の外側が痛くなってきました」 股関節の痛みが特に日常から強く感じるそうなので、仙骨と右そけい部に手を添える。 痛みにフォーカスしてもらい、痛みを表現していただく。 そして呼吸を。 アレルギーを持っていて、鼻炎や咳で現れやすいとのこと。 右そけい部に触れ続けると、咳がたて続けに出る。 こらえないで咳をしたいときはしっかり出してくださいと声をかけ、右そけい部を感じる。 咳と右そけい部の痛みは、つながっている感覚をふたりで共有した。 胸の横隔膜。 胸郭のサンドイッチポジション。 舌骨のあたりにくると、咳もすっかり止み、システムが落ち着いてきた。 胸が弛み、呼吸もすっと入ってくるけれど、肋骨の膜にテンションがかかっている感じがした。 咳込むことがあるからか。 首、後頭骨、側頭骨、蝶形骨を緩め、前頭骨、目、し骨に触れる。 深く休息。 最後に足に触れて終了。 セッション後、フラワーエッセンスのボトルを作る。 からだに触れてみると、とてもバイタリティがあることがわかった。 「自信をもてない」というその方は、こうありたい、こうあるべきというイメージに遠い自分自身を「なんで?」と叱ってしまっていたそう。 自分に厳しく縛ってしまうことに、ロックウォーターを。 自信を回復するためにラーチを。 その他レメディを選択し、オリジナルボトルを作って終了。 やっぱりバイタリティがあるわ!と感じたことが、「(病気を患ったことで) あと何年こどもと過ごせるんだろう、 と考えたときに、ふっと、 いまの時代、90まで生きるひとだってたくさんいる、 わたしなんてまだ半分なんだって思ったときに、 まだこれからかもしれない、もしかしてまた反抗期が 来たりして!」 もう、なんてすてき。 とても、あなたらしくて、とてもすてき。 みずみずしい。 回復するちからは、ちゃんと備わっている。 まずはこれまで支えてきた身体と心を労って。 そして、きっとすぐにやってくるわ、反抗期!クラニオセッションにご興味ある方はお問い合わせくださいね。
2012.12.07
クラニオセッション。 30代前半の女性。 3度目のセッション。 仙骨と頸椎の触れていると、背中のやや下(内臓裏)辺りがずきずき痛みだす。 痛みにフォーカスしてもらい、呼吸を労うように入れてもらう。 痛みはやがて肝臓の裏に移動し、やがて肝臓そのものへ。 とっても痛いんですけど!! そこに感情はありますか?と尋ねると、「怒っています」と。 肝臓は特に怒りを溜め込みやすい場所。 肝臓をサンドイッチポジションで触れていると、「ちょっと、回るんですけど、ぐるぐる転がるように、 回ってます、ちょっと、気持ち悪い」 「ぐるぐる回っている感じがするんですね。 大丈夫。 あなたのからだはベッドに静かに横たわっていて、 実際には回っていないですからね。 いま、古い感情や痛みがぐるぐる回ることによって、 リリースされているのかもしれませんね」 「なにが回っているんですか」 「何でしょうね。 だけどあなたが抱えていた、 ぐるぐる目が回るような、混乱だとか・・・ それも労って、さよならしましょうか」 あ〜、回っていないけど回ってる〜 と苦笑いしながら、落ち着くのを待って、頭蓋骨のいくつかに触れて終了。 内側に抱えた痛みがリリースされるとき、パターンはなくて、それぞれの表現で現れる。 セラピストもクライアントも、それをただ認めて受け止めて、ただ見ている。 あ、クライアントさんは痛かったりもするけど・・・ ぐるぐる回ることもあるけれど、そういったものを体験していると、自分のからだは実に表現豊かに、実はアピールしてくれていたのだと感じられるようになれる。 痛みって、「いまの道はそれでいい?」という神さまからのサインなのかもしれない。 クラニオセイクラルセッション、ご興味のある方はこちらへ。
2012.12.01
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