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先生曰く、いま大きく分けて大東流は二つの方向へ別れてしまっているらしい。云わば「剛」と「柔」に。そして両方同時に伝える方がいなくなった、と仰る。文章では表現しがたいが、その両方を体験させていただいたのでその言葉がよくわかる。剛と柔、両方使えて大東流合気柔術なのだ。 剣で例えるなら、一刀流と新陰流。どちらかしか使えない、使わない・・・ということだ。先生はどちらも使い分けることができる。話はそれるがその剣術の構えは全く異なる。お話を聞いた印象では、新陰流は茶道や禅宗、能にもつながるようだ。「無足」というのもそことつながっている。 話はかわって、大東流の一教から三教を教えていただいたが、合気道のそれとはかなり異なる。痛みがない。合気道が関節に技をかけているのに対して、大東流では骨に伝えているので、痛みはないが自由が奪われるのだ。合気道がいまのカタチになったのが、あえてそうしたのか、間違って伝わったからそうなったのかは分からない。合気道は合気道としていいと思うが、大東流のソレの方が効率的と言ったらいいのか何と言っていいか・・・?先生曰く、「合気道は動くので作用点がつかみにくいでしょうね」。大東流では自分が「動く必要がない」のだ。いや、動いてはいるが、円運動する必要がないというべきか。 話は広がり、なぜ「二刀流」があるか、という解説も面白かった。一方の剣で相手の剣を制し、相手の自由を奪って、もう一方の剣でとどめをさすため、とのこと。その日は、木製の模擬短刀を使って体験させていただいたが、刀が触れた瞬間に体を崩されてしまう。つばぜり合いにならない。だから昔の武士は刀を合わせたくなかったはず、という話だった。まさに真剣勝負となり、命を投げ出すしかないわけだ。小説などで剣の達人同士が間合いをとったまま動けなくなるというのも頷ける。力量の浅い方が相手に斬りかかっていく。あるいは天然理心流のように相手を見切ったら傲然と斬りかかっていく・・・となるのだ。 先生の身体を使った講義はどこまでも広がっていく。非常に刺激的な一日であった。
2012年03月27日
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本物の「合気上げ」はとんでもない。ほんの一瞬で釣り上げられる。うそのようだった。身体が自分のものではなく、人のものになる。自由が奪われる。大東流がゆっくり動くのは、速く動く必要がないからなのだ。何しろ接触した瞬間に相手が無抵抗になってしまうのだから。「合気下げ」もとんでもない。真下に落とされる。自由がきかない。頭の中が???でいっぱいになる。傍目には先生は腕を動かしているだけでどこにも緊張がみられない。筋力を使ったら「合気」にはならないからだ。 話はかわって、空手の「突き」。当たった瞬間から力を伝える・・・というのも驚きであった。先生が握るでもない、ふわりとした状態の拳を腹部にくっつけた。「ここから力を伝達します」軽く突かれただけなのに、体が数メートル飛ばされた!実験なのでもちろん打点に痛みはない。「いまの技で打撃を加えると脇腹であれば肋骨が全部折れます」そして最も驚いたのは、同じように腹部に軽く触れた状態から、「さっきは後方へ抜けるように力を伝えましたが、頭に抜けるように使うこともできます」というや、腹部に来た圧力が本当に脳天に抜けていく感覚があったのだ!腹部に当てて脳震盪を与えるのである。 よくカンフー映画などのワイヤーアクションで人が吹っ飛ぶシーンがあるが、あれは本当に武術が使える人ならそうなるということなのだ。先生は中国拳法から何から何まで現存する武術全般に心得がある様子。それは「起こり」を知るため、とのこと。相手が動き出す前に「起こり」を見切るために全てを習ったという話だ。 隙があるとかないとか、そういう次元ではない人と出逢ったのは生まれて初めてだ。甲野先生のときも感動したが、技を受けた感覚としては次元が違った。合気道開祖の植芝先生や塩田剛三先生が使っていた技そのままを体験した感動は尽きることがない。
2012年03月26日
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大東流合気柔術の先生の講習会が名古屋であった。横浜を拠点にされている方で、ある雑誌に取り上げられたのをたまたま目にして、HPを訪ねたら偶然にも講習会があるのを知って即座に申し込んだのだ。主に「合気」を体験させていただけるということだった。正直なところ、合気道を7年も稽古しながら、その「合気」については不明なままであった。年に一度くらい、稽古中にそれらしいことが「起こる」ことはあったが、それは偶然、合気できてしまったということが今日分かったのだ。 よく動画などで、触れた相手が動けなくなるものがあるが、実体験するまでは半信半疑である。だが、今日体験してしまった。身体の自由がまるできかない。大東流の動画などで、ゆっくり相手を取り押さえるシーンなどヤラセに見えるものが真実であった衝撃。まだ興奮が冷めない。そして自分の手首に、「とられた」感覚が残っている。 じつに理路整然と、どうしてそうなるかというタネあかしを惜しげもなく披露していただけた。まるで整体の話を聞いているようでもある。人体構造に照らして技を解説されると、もう納得するしかない。かといって、自分がすぐモノにできるわけではない。「手の内」をつくるのに早くて10年はかかるでしょう、と言われた。しかし、このタネあかしを知ることによって、それぞれ自分なりに研究していけば、少しでもそれに近づき、似たようなことができるようになるでしょう、と仰る。 相手との「つながり」は1ミリのズレでもダメでしょう、とのこと。その1ミリ以内の作用点を先生は瞬時に捉えているのだ。もう、「すごい・・・」としか言葉が出ない。こちらが速く打ち込んだら、それこそ簡単にとられてしまう。逆に、わざと脱力してふわりと手のひらを上にした状態のところへ、先生が指を這わせると、たちまち身体のバランスを崩される。力を入れれば、簡単に崩され自由を奪われるし、完全にリラックスしてみても自由を奪われる。何をしても太刀打ちできない・・・というわけだ。 人生初体験、武術の真実を目の当たりにした記念日となった。
2012年03月25日
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去年、震災暴落で試し買いした東映アニメーションが噴き上げた。いま思えば一年間もっとも安心して保有できた銘柄である。一年以内に決済するという自分のルールを破って保有を続けたが、大台にのったことで売却。 東映アニメーション 1493円 → 2040円 × 200株約37%の上昇を得られたので投資効率から見て上出来だ。そして今月の初めての6桁利益である。ありがたい。 市場では予想外の展開が続いている。為替主導から先物主導へ移ってきたかにみえる。オプション動向も注視しながら相場の行方を見守りたい。 2012年度 投資口座残高推移 +29,1%
2012年03月24日
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娘の小学校の卒業式が昨日あった。じつに淡々と男子も女子も涙ひとつなく校舎から卒業していった。親御さん方も笑顔で見守る、という空気感の中で式は終了した。 印象に残ったのは、在校生たち、とくに低学年の子どもたちが約二時間の間おとなしく参列していたことか。卒業生を送る歌も伸びやかな声が素晴らしかった。娘もこれまでの五年間同じようにシャンとして6年生を送り出していたのだろうか。 在校生に見送られて出てきた娘と校庭で記念撮影をし、昼食を一緒に食べに行った。「お父さん、執事みたい」見慣れないスーツ姿に、ドラマの登場人物を重ね合わせたのだろう。 とうとう「小学生の親」から卒業した記念の一日であった。
2012年03月20日
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昨年から新聞をほとんど読まなくなった。入ってくるニュースはインターネットで得られる世界経済と相場ニュースのみ。株式投資をしてるのに何故?と思われるかもしれない。ところが、新聞を読まなくなった昨年から劇的に投資成績が上がったのだ。 以前なら、ある特定の銘柄に関連した「良いニュース」が出ると、それに居着いてしまって、株価が下落しはじめると、「そんなはずはない」「おかしい」と、あたかも市場が間違っているかのように自分の正当性を主張したくなっていた。その逆も然り。しかし、株価は自分が決めるものではなく、市場が決めるものなのだ。 良いニュース、悪いニュース、それぞれ様々なタイミングで流れる。それらをいちいち情報収集・分析するよりも、大多数の投資家がそれらのニュースをどう判断したか、それによってどんな行動を起こすか、だけに集中している。 武術用語で言うなら、「後先を取る」のだ。相手の出方を見てから自分の行動(反応)を決める。 したがって、極論を言えば、自分が「ニュース」を知る必要はないし、知らないことによって(そんなはずない)などという「居着き」がなくなる。 まるで武道のことを書いているようだ。おもしろい。自分のしていることは全て同じなのだ。
2012年03月14日
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日本を未曽有の大震災が襲った日からちょうど一年が経過した。あの衝撃は記憶にまだ新しい。平穏な日々に感謝である。 今年も株式市場という畑から得た収穫を天に感謝して、その一部を寄付した。「あしなが育英会」津波で親を失った子どもたちのわずかでも支えになれば。 我が子もどこかで誰かに助けてもらってるかもしれない。そのお返しの意味もこめて。
2012年03月11日
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今日は息子の中学卒業式であった。ついこの間、小学校を卒業したばかりなのに。。。早すぎる。式の間、息子はイイ顔をしていた。女子がさめざめと泣いている一方、男子はみなサッパリした顔をしてるのが印象的であった。その中でも我が息子は晴れ晴れとした笑顔をみせていた。まだ第一志望の公立高校の受験がこれからで、進路もはっきりしていないのに。「飛び立つ!」という表情をしている。それが彼らしさだ。見てるこちらまで前途洋洋な感じがしてしまう。 さぁ、次は娘の小学校卒業式がひかえている。
2012年03月08日
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今月初利確。試し買いのみで放置した銘柄である。 ゼビオ 1750円 → 2005円 × 200株もっとまとめ買いしておけばよかったが、たとえわずかでも利益が積み上がるのは嬉しい。 今週はいい形で「調整」となるかもしれない。この間に空売りが増加すれば、さらなる一段高の可能性も出てくる。自分の手口としては粛々と下落銘柄を拾い集めている一方、空売り銘柄も物色中。今月が勝負だ。 2012年度 投資口座残高推移 +24,6%
2012年03月05日
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杖取りを稽古する機会が増えた。主に「受け」による杖突きを捌いての投げ技。道場長は丁寧に教えてくださるが、学ぶこちら側に残念ながら受け取る力量がない。一通りのカタチはできても、まるで身についていない感じがする。カタチだけ、なのだ。「杖」にとらわれ過ぎなのかもしれない。 そして、杖の稽古を始めたからこそ感じるのかもしれないが、刀術を基礎から学ぶ必要があるように思えてきた。東京には多くの流派があり、一つ入門したい流派というか先生がいらっしゃる。 だが、この東海地方には見つからない。本物の刀術を学べる場所がこの地方にもあるのかもしれないが、見つからない、出逢わない、のは自分の武運のなさというものだろうか。あるいは、「縁」は引き寄せるものだろうか?
2012年03月02日
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やったーっ!!!光回線がつながった!予定よりも早く工事が完了したのだ。本当にたすかる~。ADSLが不通になって20日。随分、不安な日々であった。株取引においては「羽をもがれた鳥」状態だった。これでやっと目が開く。 その株式市場はいつしか危険水域に達している。言うなれば「黄信号」か?いかなる対応が適切か。悩みどころだ。すでに試し売りは始めているが、これを積み重ねていっていいものかどうか?しかし、依然としてブル姿勢は維持。含み損は含み益へと姿を変えたが集中力を要する場面だ。できれば「黄信号」のまま一ヶ月くらい進んでほしいところである。
2012年03月01日
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