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「令和」を誰が名付けたのかわからねど、誠にこの令和の時代に相応しい命名だと気が付いた。というのも、令の漢字を見ると、「今」という漢字から|(縦棒)が下がっているのがわかる。そこで、この令という漢字の由来を調べると、以下のようなサイトに出くわす。「令」は、上の三角形の屋根のようなピラミッドの下にひざまずく人の象形からできたらしい。「令」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)そして、この上の屋根のような三角形の由来を調べるために、「今」という漢字の由来をググると以下のような成り立ちがわかる。「今」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)今とは、漢字のなりたちからいえば、すっぽりと覆う形からきたらしい。この形どこか見覚えあるな?と思うオカルティストは多いだろう。なにやらフリーメーソンの万物を見通す目ではないのか?信じるも信じないも貴方次第?というわけではないが、この三角形は、人体のアストラル体、エーテル体、肉体、そして中央の目は、自我を表すのが、神秘学ではわかっている、つまり、人体の象徴図なんである。つまり、今という漢字のなりたちから、今という時間が、4つの人体の共存により創り出される、のがわかるわけなんである。だから、この三角形のバランスが崩れると、万物を見通す目が隠れて歪んでしまうわけなんである。つまり、今を生きていない、現を抜かすことになる。また、これは今を生きる、自我の「我(わたし)」から生まれるのがわかる。これがエヘイエ、アシェル、エヘイエである。これは短縮されて、YHVHの4文字になっているが、それぞれ、人体の自我、アストラル体、エーテル体、肉体を意味している。さて、「令」だが、令は、「今」の下に、跪く人を表している。4つの人体に対して、人間自身が、へりくだっているわけだが、これは三角形のバランスがとれた人体の状態について、へりくだる、尊敬しているわけで、上下関係をアベコベにしているわけで、最上のものが最下位になっているわけで、「実るほど頭が下がる稲穂かな」という諺を思い出させる。つまり、人体のバランスをとるには、各々がへりくだって謙虚さを大切にし、思いやりをもちなさい、という意味が隠されているようにみえるわけなんである。そして、最後に、「和」の漢字の由来である。この和は、令を更に強調しているのがわかる。左側の、「のぎへん」は、垂れた稲穂を象形し、右側は、「口」なので、お互いに、謙遜しながら、思いやりで会話し、調和しなさいという、成り立ちをもつらしい。また「口」を食物を入れるところ、とすれば、食に対して思いやりを持って、バランスよくとりいれなさい、という意味にもなる。「和」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)だから、「令和」は、日本人が調和と共存、バランスを大切にすべき時代なのが、漢字の由来からわかるわけなんである。しかも、「れいわ」とは、霊和でもあり、零和でもあるから、これまでの過去を水に流して、調和、共存し、バランスを回復する時代、とも読めるわけなんである。このように言葉の、漢字の由来を調べると、それができた当時の哲学が隠されているのがよくわかる。前回、言葉を動物に語らせることで、漫画の世界では、哲学になるのを紹介した。ムツゴロウさんは、動物の言葉がわかる、といわれたが、いまのところ、漫画の世界でしか、動物が人間の言葉を話すのが実現していないし、鳥は鳴き声で会話しているという研究報告もあるが、動物の翻訳者は実現していない。動物の仕草を通して、何を考えているか、推測するしかない。世界初「鳥の言葉を証明」 注目の研究者に聞く、動物たちは何をしゃべってる? 「人間中心の先入観から脱却して世界を見直すべし」 | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズしかし、前回スヌーピーの名言を紹介したように、犬が言葉を話せると哲学になる。恐らく、動物は、与えられた生を実感し、幸せに暮らしているようにみえる。というのも、大自然と調和して、生きているようにみえるからである。というのも、動物には、人間のようなエゴがないからである。だから、スヌーピーが現実の犬だとしたら、人間が、調教でもしない限りは、自分が犬であることさえも自覚しないだろう。スヌーピに迫る認知度の犬といえば、大谷選手の飼い犬のデコピンだろう。デコピンが大谷選手の調教で、始球式を投げたのは犬と人との会話の可能性を感じさせるものだった。いずれ、人間が再び、霊能力を獲得したら、人間がルシファーからエゴを与えられたように、動物にエゴを与えて、会話できるようになるだろう。そのような現実が、動物の家畜化である程度可能になっているのがわかる。シマウマは調教の困難な動物なので、家畜化しないらしい。そういう意味では、完全に集団化した動物に、エゴを与えるのは困難なのがわかる。犬が家畜化され、愛玩動物となったのは、野生の狼などの犬科の動物から、人間に敵対しない種族を交配させて、人間と仲良くする自我を教えてきたからといえるだろう。ペットの代表格とも言える犬と猫 人間との関わりの歴史を知ろう | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】 (homes.co.jp)人智学では、動物は、人間のような個人的な自我のエゴをもたずに、集合自我しかもたないので、常に、集合自我の命令により生きているので、人間のような個人的なカルマをもたずに、個人的な自我の輪廻転生もないとされている。だから、霊魂が異なるので、人間が動物に転生することはありえない、とされている。勿論、動物も種全体で、宇宙の愛を学んでいるので、種全体で、霊魂のままで変容しているようである。だから、新種が生まれて、天然記念物に指定された古種が滅亡していくのが集団で行われるわけなんである。人間の場合は、それが個人で行われているから、新人類やニーチェの超人思想として語られたわけである。勿論、動物でも、UMAのような存在が話題にもなっている。もっとも、ニーチェが説いた超人とは、人智学でいうところの、霊能力を再獲得し、霊人に到達した未来の人間の、アートマンである。未確認動物 - Wikipedia超人 - Wikipediaとにもかくにも、将来動物が話す時代がくるかどうかは人間次第だが、これまでも、動物が話す世界は、様々な漫画の世界で表現されてきたし、有名なのはドリトル先生だろうか? 日本では夏目漱石の「吾輩は猫である」だろうか? あのように動物が将来話すことはなさそうでもある。ドリトル先生シリーズ - Wikipedia吾輩は猫である - Wikipediaこのように小説やドラマの世界では、動物が擬人化され、話せるように、物語が展開していくが、人智学によれば、動物には自意識と呼ばれる覚醒意識が発達していないために、「わたし」という感覚が、つまりエゴがないから、話せないという。勿論、人間のように集団意識から孤立化し、自意識が開発されれば、話せるようにはなる。人間の場合、個人的な肉体をもつことで可能になった。しかし、この肉体のなかにいる、霊魂の状態は、「前世からのメッセージ」のマスターたちが説いているように、異常な状態で、霊界との交信が途絶えたからこそ、出来る芸当でもある。本来、霊界との交信、つまり愛の交流の下でいるからこそ、高い次元の愛を受け、人間の霊魂は幸福なわけで、その状態が、肉体の中に入ってしまい、個性を持つにつれて、無限の愛が、個人的な有限に限定され、エゴに移り変わるわけで、このような肉体の有限性の自己については、以前紹介したように、マスターたちは次のように説いている。肉体のなかにいるのが、異常なのです。霊魂のままが本来の自然なのです。また肉体に入るのは、未知の世界に入るのと同じです。それには、時間がかかるので、霊界で待たないといけない。霊界で待つうちに、再生されます。再生の世界があり、地の破壊の世界とは、また別の次元です。我々は皆、霊魂の存在なのです。肉体のなかにいる者もいれば、再生の時期にいる者もいます。そしてまた、他の者は、守護霊となっています。しかし、私たちは皆、そこに行くのです。私たちもまた守護霊だったのです。私たちが霊魂の、不滅の存在で、愛の無限のエネルギーの広大な海に常に存在しているのを思い出すのが、喜びと幸せの鍵です。地球と呼んでいる、この学校のもつ問題の一つは、私たちが肉体の存在ではなく、霊魂の存在だと思いだすのが困難なことです。この三次元世界の幻想や錯覚に常に惑わされています。おカネ、権力、名声、モノの所有や蓄積、快楽などは、非常に大切で、時には人生の目的であるとさえ、教え込まれています。また、幸せになるためには、他の人々から好かれ、尊敬されなければいけない、と教育され、一人でいるのは惨めだと。教え込まれてもいます。自分たちは皆、霊魂の存在だという真実に気づくと、価値観が大きく変わり、幸福で平和になれます。だから、霊魂の能力のみが、永続します。だから、幸福は、権力や名声からは得られず、愛からのみ得られます。幸福は、内から来るものであって、外から、あなたをどう扱おうが、来るものではないのです。だから、嫉妬は、霊魂に憎しみを生む毒薬なのです。前世を自然に思いだす人がそれほど多くないのは、肉体のなかでの学びが、憎しみを手放す、実地試験の一種だからです。霊的な、永続性のある、学びや知識が、深く確実に、肉体を超えて、霊魂に浸透するために、念には念を入れる必要があるのです。残虐な前世を思い出して、現世で同じような残虐行為の結果を避けるために、暴力を回避するのでは、完全にレッスンを学んだことにはなりません。暴力は間違っていると身をもって体験し、心の底から完全に理解したときにはじめて、暴力を回避すれば、本当に愛のレッスンを学んだことになるでしょう。だから、人間の霊魂は、肉体を使って、愛を語るべきなんである。だから、肉体で暴力をなし、憎しみを増すよりも、言葉で愛を語らないといけない。人間は言葉で愛の関係を構築すべきために、肉体に宿ったわけでもある。人間は組織的ではなく、個人的に愛を語るために、わざわざ肉体をもったわけなんである。そのために、人間は、潜在意識の上に覚醒意識をつくりだした。その時代が、ポストアトランティス時代で、特に悟性魂を発達させたのが、古代ギリシア時代からの哲学だったわけである。【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~ | Noos Eggs (cosmolifeology.com)この時代を経て、人間は肉体を感じる感受魂から、愛を語る悟性魂の覚醒意識が芽生え始めたと共に、霊魂が、次第に肉体に深く入りすぎるようになり、半神半人の状態が生まれ、肉体で愛を表現するやり方から、言葉で愛を表現するようになっていったと同時に、霊能力を失った。だから、いわば動物のように、以心伝心の身振り手振りで会話できたのが、言葉を必要とするようになってきたわけである。だから、古代ギリシア時代辺りから文字が生まれてきたわけである。勿論、動物も、鳥のオウムのように、人間が教えれば、鳥も人間が話すのを真似できるが、それは所詮、霊から、覚醒意識で話し鳴いているのではなく、一般的に動物の本能といわれている、潜在意識を表現しているにすぎない。だから、人間のような覚醒意識での記憶や知識ではなく、潜在意識から湧き上がるものを表現しているようである。だから、現代人も愛を語るのには、記憶と知識で語っているわけなんである。つまり、人間が愛を言葉で語る自由を得たと同時に、嘘をつけるようにもなった。そして、現代人には偽りの愛が話されるようになった。古代人は嘘がつけなかった。嘘や偽りを肉体で表現したら、肉体が、愛の偽りから、そのまま憎しみに変わり、破壊されるからである。だから、肉体には型が必要となったわけで、型に外れると、そのまま肉体を破壊することになるが、言葉では、嘘をついても、声が壊れるわけではない。音を伝える空気の振動が有限だからである。もし、エーテル体で、嘘を表現すると、忽ち、エーテル体が闇に染まり、流れが変わり、肉体が破壊されてしまう。それはいまでも、心のアストラル体が、ストレスを感じ、エーテルの流れを変えてしまうと、肉体に悪影響を及ぼし、間接的に病気になるのと同じである。だから、エーテル体が肉体を破壊する前に、肉体から霊魂が離れる必要がある。そして、いつまでも、過去に囚われたり、未来を充てにして、いまを生きないと、眠りが浅くなる。だから、いまを生きていないと、肉体を酷使して、始終痛めつけ、長生きできないのである。過去や未来に想いが偏ることなく、バランスよく、いまの現在を生きるのが、健康の秘訣で、仏教が説く中道でもある。「前世からのメッセージ」のマスターたちは次のように語っている。「いま」という、時を経験していないとき、つまり、過去に囚われ、未来を心配しているとき、あなたは、自分自身に、大きな心の痛みと悲しみをもたらしています。共存と調和―全てはバランスしないといけない。自然はバランスしている。動物たちは調和して暮らしている。人間だけがまだ平和に生きる事を学んでいない。人間は自らを滅ぼそうとし続けている。そこには調和もなければ、自らの行為に無責任で、何の配慮もない。人間の行為は、自然とはかけ離れてしまっている。自然はバランスしている。自然はエネルギーで生命を再生している。人間は自分だけでなく、他の人間をも破壊している。結局は、人間の破壊行為は、巡り巡って、自分や人類を破壊させてしまうだろう。人間がもし、嘘をつくことで、自分が破壊されるのを、理解できたなら、古代人のように嘘がつけなかっただろう。シュタイナーは、前世で嘘つきだった人が転生すると臆病者になると述べている。つまり、自分に自信がもてないので、始終、びくびくする人生を送るのだろう。すなわち、チキン野郎というわけなんである。嘘をつくと、自分が、破壊されるのを霊的に理解しているので、潜在意識のその想いが、覚醒意識には、恐怖感として現れて、弱虫になるのだろう。嘘をつく、といえば、先日、ネットフーテンをしていたら、以下のようなカウンセル動画に出くわした。非常に参考になるので紹介する。「縁を切った方がいい人、関わってはいけない人」のなかにも、嘘をつく人が入っていたので、人間として嘘をつく人とは付き合わない方がいいだろう。縁を切ったほうがいい人 関わってはいけない人 職場 友達 人間関係 テイカーに気を付けよう~臨床数15000回超の心理カウンセラー 竹内成彦 - YouTube上の動画をみればわかるのだが、要点を書くと、1.時間を奪う人、2.おカネを奪う人、3.すぐに怒る人、4.嘘をつく人(自分を守るために、他人を利用するために)、5.人の悪口ばかり言う人。とは、縁を切った方がいい、というわけなんである。いずれにしろ、この5点については、思いやりがない人と纏めることができる。思いやりがない人とは縁を切った方がよく、以前紹介した、お釈迦さんの付き合ってはいけない人とも共通している。ましてや高齢ともなると、人付き合いにはストレスが溜まるので、思いやりのない人とは付き合わないに越したことはない。鬼嫁などといったら、毎日地獄の日々であろう。思いやりのない人を、考えてみると、それはバランスの取れていない人ということがわかる。老子は、そのようなバランスのないのを戒めるために、「無為自然」が大切と説いたのは有名である。というのも、愛はバランス、調和、共存を成り立たせるエネルギーだからである。「無為自然」についてググると、以下のようなサイトに出くわすが、どれも唯物的に解釈しているきらいがあり、自然のバランスについては言及していない。無為自然の意味 (tao-academy.jp)roushi_soushi.pdf (pref.kanagawa.jp)オンラインジャーナル/投稿コーナー (pmaj.or.jp)3分でわかる!『老子』『荘子』 | 読破できない難解な本がわかる本 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)どれも、覚醒意識での知識で解釈しているから、老子の意味がわからないのである。そのなかでも「3分でわかる!…」は、有限の相対性までは言及しているが、潜在意識にまでは言及できていないから、カルマの法則や輪廻転生には至りもしない。老子はそもそも古代アトランティス時代の人で、エーテル世界での法則の話をしているのである。現代では気功の話で、「前世からのメッセージ」でも言及しているが、中国のチー、クィ、日本での気のことである。つまり、「無為自然」とは、物質界を超えたエーテルの世界の気の流れのバランスをみなさいという、霊能力のことなんである。物質だけをみていても、自然の営みはわからない。人間だって、肉体をみているだけでは、心がわからない。心だって、過去や未来に囚われていれば、そのバランスからなる、いまや現在を生きることはできないわけで、それでは、自分がなぜ今のような人生を生きているのか、さえもわからないままである、と説いているのである。唯物論で「自然のままに」と物質界の言葉で置き換えても、どの自然を指しているのか、第一原理と呼ばれる、素粒子の生成消滅のことなのか?はたまたその上の、化学的結合則なのか、動物界の動物の本能、天変地異の予知などを指すのか、はたまた人間が自然と親しむ関係のことなのか?の具体的な意味が通じていないのがわからないほど、現代人は無知なんである。だから、有り体にいえば、人間の潜在意識で感じる、自然霊のレベルでの営み、つまり愛のエネルギーによるバランス、調和や共存を目指しなさいと、つまり仏教の阿弥陀如来の他力本願や、カルマの法則や輪廻転生まで責任をもって熟考しなさい、と結局は同じなんである。人間だけが自然のバランスを考えずに、調和や共存を壊している、という批判なんである。それは人間関係も同じで、エーテルのバランスが大切なんだよと説いているわけなんである。よく勘違い解釈している唯物論者が、上のサイトの悪しき見本のようにいるが、老子も孔子も同じ人倫について大切だと説いているわけで、別に孔子の儒学と、老子の道教が対立しているわけではない。それこそ、バランスを失わせる見方である。何事も、バランス関係からなるわけで、簡単にいえばギブアンドテイクの関係を重視しなさいということなんである。叱れば褒めなさい、褒めたら叱りなさい、のバランスと同じである。そして、老子も孔子も、愛や慈悲を深め合いなさい、と説いている。というのも宇宙は、愛や慈悲を学ぶために、人間に与えられているわけだから、と説いているわけなんである。愛がなければ、調和や共存が成り立たないわけで、ただ無為自然などと難しくいわなくても、思いやりをもって接しなさい、というだけに尽きるのである。利害関係で自分だけ得をしようとか、自分だけ有利に立とうとか、そういう浅ましい、さかしらな欲望は、憎しみを蓄積するだけで、いずれその負債を返さないといけないので、そのような欲望や執着心を捨てなさい、というわけなんである。思いやりをもつために、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。 ★ ★ ★潜在意識のなかの欲望特に満たされなかった情熱、抑圧された情熱が、覚醒意識下の、潜在意識をかき回している。その具体的な例を挙げる。30歳の女性で、16歳のときに恋愛し、性欲をもつに至ったと、精神分析された患者が、もし、この性欲の虜になり、その欲望に夢中になっていたら、人倫を踏み外していただろう。彼女は教育の影響と、両親の説教の影響で、その性欲を抑圧した。それから14年が過ぎても、その欲望は潜在意識のなかで生きている。彼女は身分相応な結婚をし、日常の生活から、かつての欲望を忘れていたが、潜在意識ではなくなってはいない。覚醒意識は、霊魂のいとなみ全てを把握しているわけではなく、下層の、潜在意識に追いやっているだけである。その抑圧された潜在意識の欲望が、覚醒意識の表に現れてしまうと、外的には満足な生活をしていても、よくわからない厭世的な発作に苦しむようになる。このような欲望がときたまに顔を出すと、人生に嫌気がさして、苦しむようになり、神経質や神経衰弱を起こすようになる。現代人は精神分析学を医療に持ち込んで、心を治療しようとする。「表層意識では忘れてしまった、深層意識のなかの体験を明るみにして、適切なカウンセリングをして治療しないといけない。」と考えて、様々な質問をする。このような精神分析法で、ある程度の治癒効果がみつけられるが、完治は見込めない。また別の例を挙げる。35、もしくは40歳の男性に多い、倦怠感、優柔不断の悩みの、原因不明の病気で、このような場合にも、精神分析学で、深層意識を探ろうとする。すると、このような男性が、15、16.17歳頃に抱いていた人生プランが破綻し、別のプランに向かわざるを得なくなったのがわかる。このような男性の潜在意識のなかにも、破綻した人生プランが生きている。このような患者を精神分析で診断して、深層意識から、破綻したプランを取り出して、色々議論すれば、治癒に向かうと考えている。表層には上らない深層意識が沢山あり、表層は小さな円で、意識全体は、大きな円と考えられている。そして、表層意識は、氷山の一角で、隠れている氷山の、深層意識に、唯物論を当てはめようとしている。最近(恐らく1910年代)、ある神学者が、悪趣味な表現で「霊魂のなかの動物本能」の精神分析を提唱している。動物的な生活のなかの、血や肉や獣性から来る本能は、表層の覚醒意識に到達せずに、覚醒意識は、そのような動物的な本能を自己防御する、としている。(動物には個人的なエゴがないので、自分が何者であるかを把握できないので、自己表現できない)
2024年09月26日
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元旦に震災が襲った能登半島にまた天災が襲ったが、巷の与党の自民は何もできずに、こんなときに総理が外遊にふけ込んで大顰蹙を買っているらしい。裏金議員も処罰できない、自民の総裁選などで「現を抜かしている」場合でないと、天が警告しているのかもしれない。どの輩を総裁選で選ぼうが、増税で、国民の生活を破壊するしか能がないので、堂々巡りの無駄である。現代のような政治をいくらしようが、国民の生活が幸せになることはないばかりか、全体として益々不幸になるだけである。というのも、物質界には、フェルミ統計という物質占有の法則があり、特定の物質状態は共有できずに、一人のみが占有するしかできないからである。つまり、物質界では平等所有の原則が成り立たないからである。だから、幸福を外に求めると、それは束の間の幻想でしかないので、仏教や、ヒンズー教では、外界からの離脱の出家が説かれたわけなんである。フェルミ統計 | 天文学辞典 (astro-dic.jp)フェルミ・ディラック統計 [JSME Mechanical Engineering Dictionary]フェルミ分布関数 - Wikipedia極論をいえば、このフェルミ統計のせいで、物質界の状態が、電子の状態一つで決まる限り、それを所有する者は一人しか許されずに、その状態を外に幸福と求める限りは、唯物論に染まらずを得なくなるわけなんである。しかも物質は、生命体とは異なり、酸化し、風化し、自然と崩壊し、結局は無に帰してしまう。これが悪魔の罠なんである。だから、唯物論で、人間の生活を形作ろうとするほど、物質的な富の独占が進み、格差社会が拡がって、物欲を増す少数派と物欲に満たされない多数派へと、格差社会を拡大していくだけだからである。シュタイナーは、少数派の占有のために、多数派を唯物論に洗脳し、犠牲にする、催眠術的な心理工作が、古代からオカルトの世界で行われてきたのを、黒魔術と呼んで警告しているが、実際にシュタイナーも、この黒魔術の秘密結社に肉体を奪われたわけだが、それはいまもディスインフォメーション工作として有名で、米国の大統領選が、このようなジレンマに陥っている、のが明らかだろう。現代では、認知戦とも呼ばれているらしい。IPA NEWS Vol.67(2024年7月号) | IPAについて | IPA 独立行政法人 情報処理推進機構軍事研究家・小泉悠氏が「人の脳が戦場になる」解説 「信じない人」が狙われる<認知戦インタビュー詳報>:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)バックミンスターフラーによれば、この米国でのディスインフォメーション工作は、旧ソ連のロシアの米国でのスパイ活動からはじまったようである。以下のようにググれば、怪しい情報も含んで色々出てくるが、恐らく、全てはグルジェフからはじまっているように個人的には解釈している。旧ソ連「黒魔術暗殺部隊」の存在がCIA機密文書で発覚! 頭蓋骨破壊、病気誘発、超能力コピー…!ーオカルトニュースメディア トカナ (tocana.jp)ゲオルギイ・グルジエフ - Wikipediaピョートル・ウスペンスキー - Wikipediaナチスとチベットとグルジェフ (client.jp)このような都市伝説みたいな話の、恐らく、認知戦の源流がグルジェフにあるのだろうから、グルジェフに回帰すれば、認知戦が無意味であり、悪魔による人類の軛にあるのに人類は遅かれ早かれ気づくだろう。それは以下のサイトが明らかにしているようにもみえる。誰もが思い込みで動いているという衝撃 | 涅槃の書 (nehan.xyz)このサイトの内容からわかるように、人間は多種多様の思い込み、物質界への期待と憧れで動き、動かされているのだが、それはその人が自分で気づいて、理解するまで続けられるもので、他者からみればどうでもいいことなのである。つまり、グルジェフに語らせるならば、例えば、巷の、総裁選などは、人生から学べない人間の権力闘争の遊具で、ネズミが回し車で遊ぶ、のとなんらかわりがない、と答えるだろう。つまり、ほとんどの地球人は、この地球上で、眠ったままに、「現を抜かしている」のである。それはフェルミ統計のなかで、物質的幸福を外に求める、椅子取りゲームでしかないのである。だから、せめて、この誰かが占有する、このフェルミ統計ゲームから抜け出て、ボーズ統計、身近な例でいうなら、光のように、どの物質も万遍なく、照らし出し、価値観を共有する状態にまで、自分を創造していく必要がある。シュタイナーは、電子は光が凝縮した状態だと述べているが、だから、電子の凝縮状態を解放し、光に昇華させるのが、現代人の課題なんである。ボース統計 | 天文学辞典 (astro-dic.jp)ボース分布関数 - Wikipediaさて、前回紹介したように、現代人は唯物論に染まり、破壊知識しか持ち合わせていないので、その知識でみえるもの、外見のみを重視して、選出してしまうので、美映えのする、カリスマ性の、詐術性の、嘘で散りばめられた、誇大広告の、中身が空っぽの最悪の人物を選び出してしまうわけなんである。自らを破壊する存在を、選んでしまうのは、自分のなかに破壊を正当化する何ものかが眠っているからである。政治なんて、利害調整の面倒くさいものは誰かに任せればいい、という考えそのものが、破壊を正当化するものともいえるかもしれない。この他力本願の考えが破壊を正当化している、ともいえる。というのも、逆説的に言えば、面倒くさいことを自分でやることで、自分の能力が向上するからである。他力本願 - Wikipedia他力本願 | 仏教語豆事典 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) (hongwanji.or.jp)いま他力本願という言葉を使ったが、上のサイトによれば、本来の意味は違うらしく、「仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらき」を他力といい、その仏の力で行うことらしいので、少なくとも、自分の外にある力ではないから、本当の意味では、自分の内にある力で、自力ではないので、自分のなかに眠っている、慈悲の力であるのがわかる。だから、物理的にいえば、電子の力ではなく、光の力であるだろう。簡単に要約すると、つまり、自力とは、覚醒意識で解き明かした知識のことで、他力とは覚醒意識では解き明かせない、人間の内にある、心のなかの、仏の慈悲の力で、潜在意識のなかの叡智なのがわかる。早い話、他力本願とは、霊能力のことだろう。しかし、この霊能力は、霊能者でないと使えないので、目覚めていない一般人には何もできないので、他力とは、現代人には、何もできずに、他人任せにしてしまうので、本来の霊能力が、低俗化して、他人任せの意味になってしまったのだろう。しかし、いずれにしろ、現代人の大きな間違いは、そもそも幸福を外に求めてしまい、最悪の人物を選び出して、それに委ねてしまう選択が、低レベルな腐敗堕落の、政治を生み出しているわけなんである。政治家の中身ではなく、外見に囚われて選出してしまうから、最悪の人物を選び出して、天と地の間に境界をつくり、国境をつくり、同じ人類なのに、互いに論争、闘争、そして戦争をする羽目に陥ってしまうわけなんである。このような巷の混乱した出来事に付随して、末法の世特有の、仏教沙汰にしょっちゅう出くわす日々の海のなかで、ネットサーフィンはもはや死語となり、相変わらずの、ネットフーテンの寅さんの日々なのだが、棚からぼた餅というような、次のような面白い動画に出くわした。それは「仏教物語」や「ブッダの真実」という以下の動画である。仏教系の動画というと、創価が関わっているのではないかと一応心配にはなるが、「仏教ものがたり」は創価のようだが、こちらは表面上は違うみたいだが、どこでつながっているかは、自分で判断するしかなく、おカネをとられるかどうかが大体の目安なんだろうが、無料で、怪しい詐欺サイトでもないので、いまのところは問題ないようにみえる。仏教物語 - YouTubeブッダの真実 - YouTube日本では仏教のほとんどが、喜捨という形で、おカネをとっているので、お釈迦さんがそんなことを教えたはずはないので、末法の世でのニセモノである。だから、日本の仏教のほとんどはニセモノなので、ホンモノはほとんどないと思うしかないだろう。この点については、各自で判断するしかなく、それが修行の一環ともいえるかもしれない。そもそも、おカネがなくても、幸福な生活が送れるようになるのが、お釈迦さんの教えなので、坊主が信者からおカネをとって生活するのは堕落腐敗の末法なんである。坊主自らが、おカネがなくても暮らせる生活をしないと意味がない。というのも、おカネで生活をしても、霊能力を獲得できないからで、カネ頼みの生活では、誰しも、カネをこの世に残して死ぬわけで、カネがなくなって、あの世にいけば生活できなくなるからである。だから、逆説的にいえば、物質界に依存しない生き方をすれば、それがそのまま霊能力になるわけなんである。末法思想 - Wikipedia人智学からもわかるが、乞食のような外的に貧困な生活をしてはじめて、霊能力獲得修行の初歩段階の、根無し草の故郷喪失者となり、仏教では、托鉢という修行ともなっているが、昔の日本社会ならまだしも、現代社会ではカリユガの唯物論に洗脳されて、物質的生活が進んでしまったので、坊主だけで生計を立てるのは、あまりにも仏教徒には酷で、ひもじい生活もままならないので、何らかの仕事をしながら、質素倹約に努めることで、できるだけ、お釈迦さんの教えを守っていこうというのが、出家しない、乞食にならない、在家信者が生まれたというわけなんである。托鉢 - Wikipedia在家 - Wikipedia仏教は極論を廃し、常に中道を生きるのを説き、つまり、いまを生きるのを、大切にするので、霊能力がそれほど身につかない、在家信者も認められる現状ともなっているが、それではやはり本当の意味では修行にはならないので、できるだけ少しづつ、死に際しては、断捨離していくのが望ましいわけなんである。つまり、少しづつ、物質的生活を捨てて、精神的生活を完成していくわけで、あの世に旅立つ準備で、これが本当の終活といえるかもしれない。断捨離 - Wikipedia長々と余談を紹介してしまったが、先の動画「仏教物語」などをみて、改めて、お釈迦さんの教えが、「前世からのメッセージ」のマスターたちの教えと同じで、より詳しく説いているのが、わかったわけなんである。それは、幸福は内からくるのであって、外に求めても、一時的なもので、永遠ではない、ということと、いま生きているのを実感し、感謝するのが、幸福を感じる一歩である、ということである。そして、この、いま生きているという、感謝の力から、阿弥陀如来の、仏の慈悲の力が生じる、ということなのである。これが、現(うつつ)の正体で、現を抜かすとは、いまに生きずに、過去に囚われ、未来を充てにして生きることなんである。つまり、現を抜かすとは、いまを生きていない感覚、意識なのである。人間は日々に、理想や夢を求めがちだが、いまという現実を生きなくては、それらは幻想で、現実逃避でしかない。これらは結局は、執着心で、いまの自分の不満から出ていることで、自分を否定して、いまを生きていないせいにある。過去の成功や失敗が忘れられず、未来にそれを求めようとしても、いまを生きなければ、単なる執着心であって、自己を否定し続けるだけなんである。これは巷の総裁選の立候補者たちをみていてわかる。節制生活さえもできない面々が、指導者になっても、何が指導できるのか、果たして、聞いてみたいものである。口から出まかせで、理想論や夢を語っているが、現実は天変地異の連続で、その救済策さえも提案できずに、無責任に実行もしない。この国の現状すらも理解できていない。要するに、足るを知る、を知らないから、自分の能力を知らないから、いまを生きるのを怠り、執着心が生まれてしまうわけなんである。とりあえず、いまの自分の能力を認め、背伸びをしない堅実な、地道な生き方が、幸福への第一歩というわけなんである。孫子も兵法で語っているように、自分を知るのが大切なんである。彼を知り己を知れば百戦殆からず - Wikipediaいまの自分の現実を知る事からはじまるが、それはローマは一日にして成らず、という諺もあり、夢や理想を求めるには、まずは足元を見直し、毎日を感謝して生きる、その延長上にあるのを、自覚しないと、執着心に、誘惑に取り込まれてしまうわけなんである。お釈迦さんの仏教の教えでは、自分の日々の生活を見直すのがまずは、幸福への一歩というわけなのである。先に紹介した動画「仏教物語」では、いまの政治家を代表する人物を紹介していたので、以下に紹介する。「その人は性根が腐っています」ダヤーという人物の物語である。【激ヤバです】その人は性根が腐っています。ブッダの生き方 - YouTubeダヤーは、物質的な富を追求し、結局、その欲望に負け、欲望のために死んでしまう。まるで、現代の政治家そのものといえる。物質的な富を追求し、生命を失った元総理もいたよね。票稼ぎのために、統一教会と仲良くしていたようである。人生は、自分の学びのためにあるわけで、何を学んだのかも疑問だった人物である。さて、ダヤーのような不幸な人物を反面教師にして、自分の日々の生活を見直すのがまずは、幸福への一歩で、それは以前、スヌーピーの名言で紹介した、「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」というセリフを髣髴とさせるが、配られたカードが、正に自分の能力であって、自分なのだから、スヌーピは、こころないルーシーの差別発言の、「なんであなたは犬なのか?」の疑問に対して、犬である自分について、不満をもたない、自己否定しない、ウィットに富んだ返しをしているセリフなんである。人生がハッピーになる!スヌーピー名言集「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」|心に響く言葉・やる気が出る名言 (motivation-up.com)スヌーピ―の素晴らしいところは、他人と自分を比較しても、違うのは当たり前で、それが個性で、例えば、なぜ自分がドラマの主役ではないのか?という不満と同じで、この応えは、自己肯定をうまく表現している、更に、もっと良い答えは、「犬だってまんざらではないさ、素晴らしい匂いを嗅ぎ分け、生きられるからね」というセリフも考えられる。ともかくも、スヌーピは、主人公チャーリーブラウンの飼い犬の脇役でありながら、主人公を超える世界的人気を獲得している点で、スヌーピーがもし犬でなければ、多くの人に幸福を与えていなかったかもしれない。だから、「ねぇ、ルーシー? 僕が犬でなければ、この連載も終わってたかもしれないよ。チャーリーブラウンとルーシーだけの世界じゃ読者は満足しないよ」というセリフを続けて、返すべきだったのかもしれない。実際に、スヌーピの登場からピーナッツという漫画は人気になったようで、言葉をしゃべる犬は漫画の世界だが、スヌーピに限らず、ルーシーも時と場合により、次のような名言を残している。「わたしの人生よ、それを生きなきゃならないのはわたしよ!」「あなたのいけない所はね、自分を信じないことよ!自分の能力を信じてないのよ!」このように、ルーシーも名言を残しているのだが、ルーシーが語ると、キャラの性質上、読者には、あまり響いてこない。このルーシーのセリフを、スヌーピ―に語らせると、哲学的に聞こえるから不思議でもある。「自分は犬だ、犬として生きなければならない!」「君という人間のいけないところはね、自分を信じないで、自分の能力を信じないところだよ! 犬は犬の能力で生きるだけだからね」とスヌーピーの言葉に変換すれば、なぜか、犬に話されるほうが、言葉に説得力が増す感じがする。このピーナッツのなかの、スヌーピーというキャラは、ドラえもんにも通じるところがあるが、ドラえもんは、言葉ではなく、道具で叶えてしまうところがコメディなので、大きく異なる。このスヌーピーのような哲学を語る犬のモデルは、もしや、犬と呼ばれた古代ギリシアのディオゲネスではないか?と想ってもいる。このディオゲネスは、お笑い芸人の元祖とでもいえる存在で、とにかく、自らの境遇に不満など一切もたずに、幸福に暮らしている逸話が残っていて、あのプラトンと度々哲学的問答をして、「狂ったソクラテス」と評されているのが、非常に面白い。ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipediaかつて犬のような哲学者がいて、いまのスヌーピーになったと、個人的には信じているのだが、どんなに苦しい境遇でも、笑い飛ばして生きる、強い精神力は、以前紹介した、NHK朝ドラの、「おしん」にも通じる生き方でもある。まるで、前世からの自分の因縁を知っていたかのようでもある。カルマの法則と輪廻転生では、前世の自分の振る舞いが、現世の自分をつくるのだから、現在の境遇をつくったのは、正しく自分なんである。だから、文句を言ったり、過去に囚われ、未来を充てにして、いまを生きないのは、自分を生きないことで、自分への罰当たりでもある。自己否定を続けて、いまを生きないと、またいまの自分に将来も出くわし、更に自己否定を続けて、最後は、自分を失ってしまうわけなんである。ついには自分がわからなくなり、自分とは何だろうか? 自分は死んで無になったはずなので、無なのではないか? しかし、無なのに無でない感覚は何だろうか?と無の堂々巡りに陥るわけなんである。無の堂々巡りに陥らないように、というのも、地球人は、悪魔に支配されているからだが、だから、前回から続けて、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。 ★ ★ ★ゲーテのファウストから現代人は、唯物論という悪魔が与えた知識に従って、実際には、悪魔を地に招来しかねない最も重要な地位に、最悪の人間を選ぶ、という傾向に支配されている、というのは、現代にとって、苦い真実だが、現代の著しい権威信仰と朦朧とした日和見主義に陥らず、世論に左右されないなら、この苦い真実は、現代人にも認識されるだろう。19世紀の哲学者の見解によれば、世論は、私利私欲による排泄行為にすぎない。汚物まみれの下水源から吐き出された世論の影響を受けなければ、何が問題なのか洞察できるはずである。最悪の人物が、いわゆる世論によって崇拝の対象にされている。最悪の人物が選ばれている、のを洞察し、もっと徹底した人生観を育成しなければならない、のを明らかにしなくてはいけない。公職は、悪魔アーリマン、ゲーテのファウストから引用するなら、メフィストフェレスにより占められている。「ファウスト」のなかに、メフィストフェレスの職務の代行ぶりが描かれている。ファウストは、生涯の終わりになって、ようやくメフィストフェレスから解放される。ファウストは皇帝の宮殿にきて、以後の時代にとって、非常に重要な発明をする。彼は紙幣を発明する。それから、人工知能ホムンクルスにより、古代世界へと導かれる。ホムンクルスは、メフィストフェレスの支援により、出来上がったものである。それから、ファウストは軍司令官になり、戦争をする。その戦争を指導しているのはメフィストフェレスである。ファウストは最後になって、だんだんとメフィストフェレスから解放されていくのが、描かれている。ファウストは教授職をやめた後、官職に就かずに、世界を彷徨う。「メフィストフェレスが彼のそばにいて、悪の力を送り、今日の、人類の生活のなかに、作用させている」と言わねばならない。これが第1に注意すべき霊的な真実である。第2に注意すべき霊的な真実は、「カルマの法則から、人類の生活のなかに、作用するものを、人間の潜在意識のなかで、正しく認識するのは、非常に困難である」ということである。この潜在意識=無意識の、領域にも、自然科学は、発展して、「科学的」な精神分析を駆使して、到達しようとしている。しかし、自然科学の唯物的方法で、心魂のいとなみを考察するほど、著しい誤謬が生じる。学問の方向性が間違っているので、人間の心魂のいとなみを、唯物的に考察しようとするからである。人間の心魂のいとなみは、上層の、覚醒意識に現れるだけでなく、その下層の、潜在意識でも多く活動しており、その活動が、覚醒意識にも、波のように打ち寄せるのを、いまの学問も認めている。以前の霊的な考察で、潜在意識に存在する具体的な活動を挙げた。紙切れを燃やせば、煙が排気孔に押し寄せる。この紙切れのようなものが、覚醒意識の下の、奥底の潜在意識のなかに、多く沈んでいる。「心理学に取り組んでいる人のなかには、暗い潜在意識のなかの心魂の能力や、その能力の不足を、心魂のいとなみを説明するのに、持ち出して、用いないといけないと予感している」ともいえる。ただ、このような見解は、霊界を想定していないので、霊的な真実とは、アベコベの誤謬を主張することになるだろう。確かに、自然科学的な心理学の観点から、人間生活の発展を眺めることができる。心魂が、幸せ、不幸せ、嬉しい、苦しいと感じるのを、覚醒意識から無理に説明しようとしなくなっている。代わりに、心魂を、教育的に解明しようとしている。たとえば、日常の表象では、忘れられている、かつて体験した喜び、苦しみ、失望を、心魂のなかに探求しようとしている。忘れられているのは、消え去ったのではなく、潜在意識のなかで、グルグルとめぐっていると考えている。(現代人は、脳を電気回路として考え、感情が、この電気回路から起こるものと考えている)
2024年09月24日
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「前世」からのメッセージのマスターたちは、幸せに暮らしたい、と願うなら、暴力を手放さない、といけない、と教えている。暴力を手放せない人は、競争原理などを持ち出すが、輪廻転生とカルマの法則を知れば、それが、現世しか、物質界しかみない、虚構でしかない、のがわかり、カルマの法則から、勝てば、次には負け、負ければ、次は勝てるわけで、単なる順番でしかない、のがわかる。誰がいったかわからないが、勝ち負けは時の運、とよくいわれるが、カルマの法則からすれば、単なる順番にすぎないので、結局、自分がいま、勝ち負けのどちらかにいるだけにすぎないから、時の配慮にすぎないというのは、正に言い得て妙である。前世からのメッセージのマスターの言葉をかりれば、全ては学び、なのだから、驕ることなく、勝ちに学び、負けたときには、より詳細に学ぶ必要がある。だから、勝てばよい、という考えは邪道といえるだろう。なぜ勝てたのか、改めて考えてみないといけない。「勝ちに不思議の勝ちあり」は、プロ野球の故野村監督で有名だが、原典は、平戸藩主の松浦静山という。この不思議とはどういうことか、以下のサイトが解説している。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 | 独立メディア塾 (mediajuku.com)「私は、『勝つときには不思議の勝ちがある。しかし、負けるときには不思議の負けということはない』と客に言った。客は『なぜ不思議の勝ちと言うのか』と質問をしてきた。私は『本来の道を尊重し、武術を守って戦えば、たとえ気力が充実していなくても勝つことができる。このときの心の有り様を振り返ってみれば、不思議と考えずにはいられない』と返答した。そうすると客は、『どうして不思議の負けはないと言うのか』と質問してきた。私は『本来の道から外れ、武術を誤れば、負けるのは疑いのない事だから、そう言ったのだ』と答えた。客は恐れ入って平伏した」。この発言を要約すれば、道を尊重し、武術を守れば、勝つが、道から外れ、武術を誤れば、負ける、というようになるので、いかにも道理なのだが、更に、静山は、勝ったときの、心の有り様に言及し、それを不思議としているのが面白い。つまり、負けから学ぶのは当然で、その原因もわかるが、勝ちから学んでも、その原因がわからず、不思議としている。つまり、この不思議のなかにこそ、カルマの法則が隠されている。この発言を信じるなら、負けからは学べるが、勝ちから学ぶのが困難なのがわかる。そして、次のような疑問に出逢う。勝負から学ぶには、負けた方がいいのに、人が勝ちたいと思うのは、なぜなのか?勝負に勝てば嬉しいが、負けると悔しい、のはなぜなのか?負けるが勝ち、ともいわれるが、なぜ負けようとしないのか?このような疑問を考えてみる人が意外と少ないのに驚く。この世の価値観では、勝つことが尊い、とされ、当たり前とされている。それだけ暴力が正当化されているせいでもある。それでもググってみると、以下の理由を挙げているサイトがみつかった。競争の心理学(2)~「勝つ」と「負け」、「負け」が「勝つ」罪悪感の力学~ - カウンセリングサービス心理学講座 (counselingservice.jp)「なぜ勝ちたいのか」を分析する | 戯れ言 (ameblo.jp)負けると悔しいのはなぜ?将棋でその理由を4つ紹介!負けを認めることの利点も | なな夫のブログ (shogi-life.com)負けると悔しい理由1:想定した未来に裏切られるから負けると悔しい理由2:相手を責められないから負けると悔しい理由3:自分の弱さを認めることだから負けると悔しい理由4:人間は優越を求める生き物だから勝てば官軍負ければ賊軍、負ける悔しさを、心底味わったのは、この国の昭和世代の日本人だろう。いまだに、日本が米国の植民地と呼ばれるのは、太平洋戦争で負けて占領されたせい、ともいえるかもしれない。太平洋戦争では、国体護持のために、ポツダム宣言の無条件降伏を受け入れ、一時は占領され、連合国による、領土分割の危機もあったが、昭和天皇とマッカ―ザーの会談で、日本の要望は何とか受け入れられた形となって、後には、サンフランシスコ講和条約を、不参加の中国(国民党)、ソ連を除いた、連合国と締結している。その後に、二国間交渉などで、インド、台湾と講和し、またソ連と日ソ共同宣言、中国(共産党)と日中共同宣言を行って、現在の国際的な地位を獲得したのが、以下のサイトからわかる。終戦はどのように決まった?|NHK戦争を伝えるミュージアム 太平洋戦争をわかりやすく|NHK戦争証言アーカイブス日本国との平和条約 - Wikipediaいまだに、太平洋戦争は負けではないという人もいるが、いずれにしろ、学びを怠っているのは確かである。日清、日露でとにかく勝てたのに、2度の勝ちにも学ばなかったし、勝ちの後に負けがくるのは、勝負の時運なのに、学べなかったのは確かだろう。上に紹介したサイトの、負けると悔しい理由を、まさに地で言っているのがわかる。特に、自分の弱さ、欠点を認められないのが、いまの日本なのかもしれない。負けるが勝ち、という諺もある。この諺の意味をググると、「一時は相手に勝ちを譲り、しいて争わないのが、結局は勝利をもたらす」とあるが、意味になっていないのがわかる。この諺は、先の「勝ち負けは時運」の、恐らく、焼き増しだろう。つまり、カルマの法則をそのまま表現したもので、先に、負けて敗因を学べは、次に勝ったときに、より勝ちに学べる、という意味なのだろう。前世からのメッセージのマスターの説くように、全ては愛の学びのためなのだから、愛をより学ぼうとする精神が大切なのがわかる。負けたら悔しいのは、自分の奥底では、愛に乏しいと気づいたからである。愛の不足を感じたので、悔しいわけなんである。逆に、勝ったときに、学べないのは、謙虚に乏しく、愛に恵まれて、増長しているためだろう。だから、先の勝負師は、勝ちに不思議あり、と述べているのだろう。自分は愛に恵まれて、勝てたが、その愛が何なのか、わからないから、不思議なのである。静山は、「本来の道を尊重し、武術を守る」のが勝ちにつながると、述べているが、この道を尊重する心を見つけるのが困難だから、不思議なのである。シュタイナーの説く、カルマの法則と輪廻転生からみれば、この道を尊重する心こそ、前世から引き継がれた、霊魂の核となっている、自我を育成する、宇宙を巡る愛なのである。勝負の時運とは、この宇宙を巡る愛を尊重し、武術とは、自我の育成を、守ることなのである。負ければ、自我の育成に必要な、足らない要素がわかる。それは自分の弱点が明らかになるからである。しかし、勝った場合は、自分の弱点が現れないどころか、自我のどこか良かったのか、その成長を見究めるのが困難で、マザーテレサが説いたように、愛を込めたのはわかるが、あくまで無私の精神に則ったので、無私だから、私心がないので、自我の成長がわからないので、不思議なのである。有り体にいえば、神の愛に勝たせてもらったわけなんである。ここでも、勝利の、幸運の女神には後ろ髪がない、という諺が生きてくる。「通り過ぎてから慌てて捕まえようとしても、後ろ髪がないのでつかむことが出来ない。」というのは、勝利は時運で、勝った要因を掴むのは困難なのである。だから、勝利の法則などなく、勝った後は負ける宿命がついてまわる。だから、勝者も敗者も時の運なので、たまたま勝たせて頂いたのだから、敗者を差別してはダメで、宇宙に愛を巡らす、神に感謝しなさい、というわけなんである。前世からのメッセージの、マスターの説くように、全ては、愛の学びの過程にすぎないので、愛の指導者に感謝しなさい、というわけなんである。「前世からのメッセージ」では、勝負についての教訓を、スコアを気にし過ぎるゴルファーのカウンセルの例で紹介している。そのゴルファーは、スコアを気にするほど、スコアは悪くなっていったので、カウンセルを受けにきたという。カウンセルにより、ゴルファーは、エゴを置き去って、ゴルフコースと一体となったという。そして、ゴルフを人生に置き換え、理解し始めた。どんなスコアを出そうが、どんなプレーをしようが、ゴルフコースは、気にもとめない。ただ、プレーヤーに、楽しんでもらいたい、美しさと素晴らしさを感じてほしい。愛を感じてほしいと、望んでいる。このゴルファーは、ゴルフコースをつくっている自然霊の意図が理解できたようなのである。宇宙は、人間個人の勝負事などよりも、常に、宇宙が巡らせている愛を学んでほしい、と願っているのである。このゴルファーの心境を表わす句がある。それは、山岡鉄舟の、「晴れてよし、曇りてよし、富士の山、元の姿はかわりざりけり」、である。この意味は、晴れた富士山は素敵だが、曇った富士山もまたそれで格別である。富士山は、いつも変わらずに、愛を送っている、というのである。富士山は、いつみても素晴らしい、というわけである。つまり、鉄舟は、富士が霊山で、その愛を感じて、神に感謝している、のである。実際に、鉄舟は、禅の師匠にいわれ、富士山に何度も登頂していたらしい。鉄舟にとって富士山は、ゴルファーのゴルフコースだった。恐らく、富士山のなかに自然霊をみていたのかもしれない。禅の言葉:晴れて良し曇りても良し富士の山、元の姿は変らざりけり - Megurecaのブログ (hatenablog.com) カウンセルを受ける前の、このゴルファーのように、競争原理から抜け出せないでいると、宇宙を巡る愛を学べないので、人生の大半を無駄に過ごして、更なる憎しみを貯め込んでしまう。確かに、物質世界で永遠に生きようとするのなら、尾崎豊の歌詞のように、勝ち続けなければならないだろうが、きっと、いつかくる負けを認めないと、死を恐れ、死が無になる救いだと、歪んだ過ちに取り込まれてしまうかもしれない。そして、なによりも、宇宙を巡る愛について不感症になり果てて、キリストが近くを通り過ぎるのを、招き入れることなく、黙認する、永遠に彷徨えるユダヤ人のように、何度も同じ民族に転生しては同じ過ちを繰り返す人生を送るようになるだろう。永遠の彷徨えるユダヤ人をやめるためには、目に見える競争原理を捨て去る必要がある。そこで、前世からのメッセージの、マスターの言葉をかりる。「いま」という、時を経験していないとき、つまり、過去に囚われ、未来を心配しているとき、あなたは、自分自身に、大きな心の痛みと悲しみをもたらしています。かなり前に、塾講師の林先生で有名な、いつ学ぶのか、「いまでしょ」が、巷で流行った。過去や未来に思い悩んでいると、いま生きている、いま愛を学ぶのを怠ってしまう。「いま」この瞬間は、現世での人生の連続のなかにあるが、それは、前世で学びを怠って、持ち越した、自分の欠点で、自分が抱えた憎しみの負債でもある。いま、その憎しみを返さないで、いつ返せるのか? それが、「いまでしょ」の答えなんである。競争原理からくるプライドは置いておいて、とりあえず、いま、自分の欠点をみつめ、愛せるかどうかなんである。自分が抱えてきた憎しみを解放しなくてはいけない。それには、自分の欠点を生んでいる、暴力や憎しみを捨て去らないといけない。そこで、またマスターの言葉をかりる。カルマを返す前に、人の生命を取り上げる権利は、与えられていない。何人も生命を取り扱う権利はない。殺人者は、その罪を逃れ、生きながらえたとしても、必ず報いを受ける。死んで、次の転生のときに、その人生で苦しむことになる。殺人者は、次の転生で、不安に襲われ、永遠に、その罪が重いのを悟るまで、不安に襲われる。だから、殺人者に、平穏、平安が訪れることはない。殺人者の次の転生は、殺人が悪いものと身をもって体験するために、非常に苦難に満ちたものとなるだろう。自分が傷つけた全ての人々に対して、不正行為の償いをしなければならない。神のみが、殺人者を罰せられる。殺人者の人生を変えられるのは、神のみで、あなたたちは、神の愛から与えられた、いま自分の人生を、神の愛によって変えられるだけなのである。神の愛から、人生を変えるのは、あなた次第なのである。あなたが人生をどうするかは、あなたが、愛を学べるかどうかにかかっている。だから、生命の尊さを学ぶべきなのである。競争原理に翻弄されるのを、暴力や憎しみに身を委ねるのから、あなたの人生を、解放しなさい。このように、個人の人生においても、競争原理から、自らを解放し、前世まで探求しないと、現人生の幸福が実感できないのが明らかになる。前世からのメッセージのマスターたちが説く、幸福は内からくる、というのは、現人生から抜け出し、前世からの憎しみを、愛の行為で、「いま」という現世で、永遠に解消することだからである。個人の幸福でも困難なのに、ましてや集団となると更に困難なのを、そして、現在の民主主義の方向性が間違いなのを、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。 ★ ★ ★公職、官職人生の職業について、霊的に考察すると、職業を霊的に説明するのが困難なのがわかる。膨大な霊的背景の説明を要するからである。カルマの法則からくる運命の多くが、生活のなかに散りばめられているからである。そのような多くの要因を、探求し、人生の多様さを理解しなければ、霊的な考察がなりたたないからである。公職や官職といわれるものを、職業と取り違えてはならない。官職を職業とすると、混乱に陥るからである。官公庁で働く人間から、多様な外的の、物質的要因が、生活のなかに作用し、浸透してくる。そうすると、その悪影響を受けた、他の職業のカルマも影響を被るようになる。我々の時代は、ゆっくりと改革されているが、生活のなかの、ある社会的地位に就くのに、職業のカルマだけで決まるのではなく、今日多くの点で、身分、階級などのカルマが、職業のカルマに干渉しているのを、御存じだろう。あるグループのなかで、誰がどんな地位につくか、功名心、虚栄心、偏見その他の悪因が作用するのを御存じだろう。官職として、外から職業のカルマに作用する、これらの全ての悪因から、アーリマンの影響が、人間の生活の中に忍び寄ってきて、人間の活動のなかに、悪魔的要素の影響、憎しみを混ぜ込む。だから、大臣、議員などの地位についている人が、それを職業とする必要はなく、このような地位につくのに、何をしているかは、下世話な話なので、語る必要もない。とにかくも、そのような高い地位につくのは、融通が利かない官僚的人間でしかなく、多分に、融通自体も持ち合わせてはいない。確かに、物質界では、ダーウィン主義は正しいが、これを唯物的に解釈した、ヘッケルの弟子のオスカーヘルトヴィッヒが強く非難した、「最良のモノへの自然淘汰」のような生命の教えが現れたのが現代の特徴である。このような教えが現れた時代には、他の時代の生活に比べて、まさに最悪のモノが選び出される。厭世家のように、いまの時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出すのは無意味で愚の骨頂である。「最良のモノへの自然淘汰という教え」を現代人は自慢している。しかし、この教えを自慢する現代人は、唯物論という悪魔が与えた知識に従って、実際には、悪魔を地に招来しかねない最も重要な地位に、最悪の人間を選ぶという傾向に支配されているのに、気づかないでいる。(高次の宇宙人によれば、高次になるほど官職や公職はなくなると述べている。必要がないからである)
2024年09月19日
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ここのところ、シュタイナーの人智学の勉強は小休止で、夏休みの気分転換から、「前世からのメッセージ」の紹介を続けているが、そのなかの、マスターたちの話によれば、宇宙は無限のエネルギーの愛の海からなっていて、我々地球人は、いわば愛の海の中を泳いでいるわけで、泳ぎ方により、愛を感じたり、逆に憎しみを感じたりして、泳ぎ方をマスターしながら、愛を深める深海へと、より密度の濃い愛へと泳ぎ、憎しみを愛へと転換し、昇華し、進化している、といえるかもしれない。幸せに暮らしたい、と誰もが願うものだが、幸福についての、日本の世界ランキングは、先進国G7のなかでは最下位となっている。その理由は、以下のサイトによると、幸福のランキングが、「なぜ日本がそれほど高くないのか、次の理由を指摘できる。低成長時代にいるので生活の豊かさが感じられない、社会保障に代表される社会的支援の低迷、官僚や政治の世界における腐敗などが原因である。」日本人が「幸せ」を感じていない納得の理由…日本の幸福度は「G7の中で最下位」という「意外な現実」(橘木 俊詔) | 現代新書 | 講談社(1/2) (gendai.media)上のサイトによると、幸福度ランキングの高い北欧の特徴は、福祉国家で、「多額の税・社会保険料の負担を強いるが、国民は負担はしてもそれへの見返りが大きいと、政府を信頼している」ことが挙げられている。このサイト曰く、ランキング上位の国をみると、経済的な豊かさと自由度、もしくは、社会的支援や非腐敗度の評価が高いのがわかる。要約すれば、経済活動と政治活動が高い国が幸福度が高いのがわかる。このサイトで、面白いのは、ブータンのランキング低下を、わかりやすい例として挙げているところで、「物質的なことよりも、人々の精神的な結び付きが幸福であると考えられた。しかし、グローバル化と他国の情報の流入により、ブータンの人々は他の国の豊かさを知るところとなり、自分たちの貧困を認識してこのような低い評価になったのである。」というように、この例からもわかるように、幸福は、内からやってくるのがわかる。ブータンの場合、幸福度先進国と比べると、経済活動が低いのがわかる。以前より、紹介してきた「前世」からのメッセージ、のマスターたちの言葉を借りれば、経済活動が、人間の外への愛の活動であり、政治活動が、内への愛の活動といえるかもしれない。単純にいえば、物質的活動と、精神的活動に還元できる。この両輪が高い水準で働くと、幸福度が増すのがわかる。そして、日本は、この経済活動と政治活動の、両活動において、低迷しているのがわかり、それが少子高齢化を招いていると考えられる。また、このサイトによると、日本の幸福度が低いのを、詳細に成績票のように分析している。一位のノルウェーに比べて、所得や教育は、日本の方がわずかに高いのに、他の項目全てにおいて、低いので、総合ランクが23位となっているのがわかる。なお、2017年のデータのようなので、日本のデータは、現在はもっと下がっているかもしれない。このデータをみて、気づくのは、日本には、1位の項目がないことにある。逆に最下位の項目は、住宅環境、雇用、コミュニティ、環境、政治への参加、健康、人生への満足度、ワークライフバランスの、計8項目にわたり、しかも、政治への参加が著しく低い、のがわかる。要するに、政治に無関心なので、内への愛の活動に乏しい、のがわかる。換言すれば、社会全体を底辺から良くしよう、という意識に乏しい、のがわかる。これはブータンの、「家族のメンバー間の絆が強いことや、信仰心の篤いことが高い幸福感の源泉であった」と比較してもよくわかる。ブータンとの比較から、日本の幸福度が低迷しているのは、人間関係の絆が希薄になり、信仰心がなくなったことにある、というわけなんである。それが、政治への参加を著しく低下させ、政治家の腐敗を生みやすくさせ、官僚の暴走を許してしまう環境をつくっている、といえるかもしれない。このような現状を回復させるには、若者の力が必要で、若者が積極的に政治に参加すべきなのに、「自分さえ良ければいい」、という風潮が蔓延しているのか、政治を深く学ぼうとする気概に乏しく、無関心なのが、非常に残念でもある。若者のこの風潮を要約すると、逆境に脆く、無責任、無関心な態度を生んでいる、といえるかもしれない。このような昨今の風潮が、22年から、コロナの影響による不況もあって、これまで減少化傾向だった若者の犯罪率が増加に転じているのが、象徴的でもある。少年の刑法犯19年ぶり増加 2022年、窃盗や特殊詐欺 - 日本経済新聞 (nikkei.com)勿論、若者だけでなく、そのような環境をつくってきた、大人たちの無責任、無関心な態度にも問題があり、だからこそ、幸福度の低さを身をもって実感しているわけなんである。石川啄木ではないが、「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」の原因は、政治への参加に乏しい、のが、挙げられるわけなんである。とどのつまり、政治に無関心なせいで、政治家のレベルが低く、公的な意識の低い、政治家が汚職し、官僚が自分勝手に暴走するから、働いても、税金で掠め搾り取られ、生活が一向によくならないわけなんである。「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」…労働者の苦悩を感動的に歌った石川啄木。その生活は放蕩三昧、超自分勝手だった! | Precious.jp(プレシャス)幸福になりたければ、政治を良くしない、とダメなことが、先のサイトのデータからもわかり、裏金議員を処罰できない現在の政党に、何を期待しようが口から出まかせで、ポンコツに権力という刃物を持たせ、益々増税されるだけで、無駄というのがわかる。若者が政治に無関心なのと、そのような無責任な環境をつくってきた主に政治家を中心にした大人の責任は大で、そういうわけで、現状のままでいると、日本の幸福度ランキングが益々下降して、亡国論が持ち上がってくるのが馬鹿でもわかる。この現状について、インバウンドが好調ではないか、という反論があるかもしれないが、所詮、長期滞在ではなく、移住ではないので、特に税金徴収という意味で、現在の政治の弊害を感じないからといえる。もし、日本人並に税金を徴収されたら、インバウンド需要も低下するだろう。確かに、先のベターライフインデックスの表によると、所得の数値は、米国の約半分だが、他国と比べて、低いわけでもないのに、健康が著しく低く、しかもワークライフバランスが最下位なのが、幸福度を下げている要因といえる。また、この表から、日本は、豪州やオランダとほぼ似たような数値なのだが、大きな違いを比べると、豪州とは、環境、健康、政治への参加で著しく劣り、オランダとは、健康、ワークライフバランス、政治への参加で著しく劣り、幸福度を下げている、のがわかる。だから、この幸福度の項目別の数値からわかるのは、日本は、健康、政治への参加、ワークライフバランスが著しく低く、豪州は環境、政治への参加が高いために、幸福度が高く、オランダは、政治への参加はそこそこだが、ワークライフバランスが高いために、幸福度が高いのがわかる。つまり、幸福への特性を国別にまとめると、1位のノルウェーは、所得、政治への参加はそこそこだが、他の項目全てが高レベルなために、幸福度が高いのがわかる。3位の豪州は、環境と健康と政治への参加が高いため、幸福度が高く、8位の米国は、所得と健康が高いために、10位のオランダは、健康とワークライフバランスが高いために、幸福度がそこそこなのがわかり、日本は、どの数値も標準レベルでしかなく、特に健康と、ワークライフバランス、そして、政治への参加が著しく低いのが、幸福度が低い要因となっている。日本の健康とワークライフバランスが低いのは、恐らく、過労死という世界語にもなった、ブラック職場の弊害と考えられる。端的にいえば、日本の企業のほとんどが労働基準法違反であるのが、このデータからわかる。自分の働いた経験からもわかるが、定時であがれる職場はほとんどなく、しかも、定時であがるには、朝早い出勤や、事前の準備に追われ、家まで仕事を持ち越すのが大半なのが、日本のワークライフバランスの数値の低さを表している。なかには残業代を確保するために仕事を持ち越す人もいる。そのような人に全体が引きづられると、付き合い残業もでてきて、全体として定時ではあがれなくなる。このような傾向を、外国人からみれば、非効率といわれるわけで、しかも仕事が終わっても、帰宅せずに、飲み会などの付き合いがあるので、昭和世代はノミ二ケーションと呼んでいるが、ワークライフバランスが曖昧で、公私混同が生じやすい環境にある。それが、幸福度につながればまだしも、実際は、幸福度の低下になっているので、改善しないといけない。ワーク・ライフ・バランス - Wikipediaワークシェアリング - Wikipedia不幸で劣悪な職場環境の、日本とは対照的に、ワークライフバランスが進んでいるのは北欧で、ワークシェアリングが、オランダから生まれたことからもわかるが、そもそもは雇用の安定化から生まれた雇用形態だが、近年では、ワークライフバランスが幸福度に寄与していることからも、ワークシェアリングの導入が、ワークライフバランスを進ませるカギとなりつつあるだろう。ワークシェアリングとは?メリット・デメリットと国内外事例を紹介 | クイックの採用サロン (saiyo-salon.jp)日本の企業は、この面においても、北欧からは遥かに遅れているといえる。企業は生産能力を高めるだけではなく、幸福度も同時に高めないと、ブラック企業のような奴隷組織を生む、単なる虐待組織と化すだけなんである。エコノミックアニマルを世に生み出した、昭和の悪しき競争原理に基づいた利益追従だけの、ブラック企業からの脱皮が重要となるだろう。幸福を社員に与えられない企業は存在意義がない。輪廻転生から考えても、不幸を与えている経営者は死後にその分だけ地獄に堕ちて、来世は不幸な国に産まれ、奴隷のような労働をする宿命を背負うからである。このデータを重視して、日本の企業が、北欧のように、ワークライフバランスを高めれば、日本の健康の数値も向上するだろうが、健康について、更に、日本の医療を、北欧と比べると、世界ランキング12位にある。その詳細については、以下のサイトが参考になるので紹介する。《海外レポート》福祉先進国、北欧の医療と健康政策の実態 | 株式会社Sanko IB (sanko-ib.co.jp)まとめ1.日本と北欧諸国は異なった医療システムを採用しており、日本では気軽に専門医にかかることができ、医療機関の選択も自由だが、北欧諸国では気軽に専門医にかかることは難しい2.北欧諸国では気軽に専門医にかかれないが、病気を未然に防ぐための仕組みが充実しており、健康への意識が高く保たれている3.医療従事者の不足は日本と北欧諸国の共通の問題だが、AIの活用による医療行為の効率化や、労働環境の改善には期待が集まっている北欧と日本の医療の大きな違いは、日本では、コンビニのように、自由に、専門医にかかれる反面、軽症の場合、専門医の診察費のコスト高を招き、医療費の高騰につながる。極端な例を挙げるなら、救急車をタクシー代わりに使う、のもありえる。北欧ではトリアージされているので、あり得ない。ビジネスに応用したい「トリアージ」という考え方|ビジネスコラム | NTTファシリティーズ (ntt-f.co.jp)このような医療のコンビニ化、薬価コスト増大のために実際は、厚労官僚の苦肉の策で、薬局がコンビニ化しているわけだが、日本では社会保険料の高騰が問題になっているが、この主な問題が、医療費高騰で、医療行政の優先順位などが加味されていない冗長性にあるといえるかもしれない。軽症か重症かではなく、病院に来た順から診ていくために、結果的に非効率化を生んでしまう。しかも、北欧と比べて、予防医学が発達せずに、健康意識に乏しいために、ある程度の代替医療知識で、軽症なら自分で治してしまう姿勢がほぼ皆無と考えられ、自身がもつ生体防御で治そうとするのではなく、他力本願で、薬の処方を求めがちの傾向をもつので、医療費が高騰する傾向を生んでいるといえる。このような医療機関への過度の依存性とは逆に、行政をより効率的に、税金を少なくしていこうという、政治への参加意識に乏しい点が、先の幸福度の指標の、政治への参加の低さから伺える。政治に参加しようという意識が低いから、他力本願で、人任せにして、税金も高くなってしまうわけで、国民の監視が届かずに、政治家の汚職や、官僚の暴走を生みやすくしてしまうわけなんである。政治に無関心で、参加しないために、憲法の国民主権を利用できていないわけなんである。汚職政治家や官僚に騙されて、高い税金を振り込め詐欺されているのと同じ構図といえる。そして、詐欺にひっかかった、自分の不幸を嘆いているので、幸福度が低いわけなんである。そして一番の問題は、日本人のほとんどは、不幸なのに、政治に対して、幸福不感症になっているのに、自覚症状が全くない点なのである。現状を変えようと努力しないで、ただ無責任になっている。そして、政治に参加せずに、○○候補者に一択とか、自分で選択する権利も奪うような、余計なお世話で捲し立てる、怪しい団体の組織票に、監視すらせずに、無責任、無関心に、政治を委ねてしまっている。社会に生きているはずなのに、社会に参加せずに死んでいる。またまた愚痴になってしまったので、話を変えたい。さて、先日、TVで、前世を記憶している子どもの話をやっていたが、既にアクエリアスの水星紀になりつつあるのに、巷の世間は、なんと悠長で遅れているのだろうか、と少し呆れてしまったが、政治の低レベルさよりは遥かにマシかもしれない。前世を記憶する子どもについては、シュタイナーは約100年前に既に預言しているが、それは主に、前世で不慮の事故などで亡くなると、予定していたエーテル体の生命力が使われずに、余剰能力として、次の転生に持ち越され、そのエーテルの生命力をして、前世からの問題解決能力を継承するという。簡単に言えば、前世で不慮の事故死で、亡くなると、転生では、生命力が数倍に強化されるという。これは骨折した部位が、治癒すると、更に強化されるのと同じで、また、右利きのテニスプレーヤーの右手が太く強化されるのと同じ道理だという。TVで紹介された子どもの前世は、911テロの犠牲者で、そのエーテル体が強化されて転生に現れ、前世を思い出せるほど、潜在意識での感情記憶が強烈に残っていたためと考えられる。そのような前世を記憶する子どもが生まれてくることで、人類へのテロ行為の無意味さを伝えるためであるらしい。もし、このような子どもが、前世療法を知っていたら、機械的な効率を重視した現代社会では、不要な存在というか、足手まといの存在として、隠されながら生きている、他にも多くの前世を記憶する子どもたちが救われ、この世に過去の過ちの多くを伝えるために、広範囲に現れていただろう。その子どもは、スーパーなどに行ったときに、建物のどこに非常口と非常ベル、非常階段があるのか、必ず探し、まるで神経質かのように、母親に報告していたらしい。つまり、前世の911テロの教訓から、閉じ込められたビルからの避難を、常に想定していたわけである。また、前世からのメッセージの前世療法により、前世で窒息死で亡くなった場合、現世では、喘息の症状としてよく現れるという。恐らく、気管についての気道確保の、過度な神経質的な症状として現れるのかもしれない。これらは、前世でのトラウマによる、過度なエーテルの能力を持ち越しているわけで、このように前世でのトラウマに対する教訓から、現世への警告として、暴力や破壊、差別などの無意味さを世に伝えようとしているのがわかる。そこで、このテロ行為や、暴力や破壊、差別の無意味さを、前世からのメッセージの、マスターの言葉を借りて、紹介したい。この世に生まれる前に、あなたたちは、自分の欠点に気づく必要があります。もし、それを怠ると、次の人生に、その欠点を持ち越すことになります。自分で貯め込んだ悪癖は、肉体をもっているときにだけ、取り除けるのです。マスターたちが、代わりにやってくれるわけではありません。もし、あなたたちが、争いを選び、しかも、その癖を取り除こうとしなければ、それは次の転生に持ち越されます。しかし、自分で、その悪癖を取り除こうと決め、克服できれば、次の人生に持ち越されることはありません。換言すれば、人間は攻撃性を手放すために、肉体をもって、その痛みから学ぶために、この世に生まれてくるわけなんである。そして、あらゆる、差別、憎しみ、怒りなどの破壊行為や暴力を実地体験し、そのような悪癖を手放し、取り除く決意をするのである。再びマスターの言葉を借りる。肉体のなかにいるのが、異常なのです。霊魂のままが本来の自然なのです。また肉体に入るのは、未知の世界に入るのと同じです。それには、時間がかかるので、霊界で待たないといけない。霊界で待つうちに、再生されます。再生の世界があり、地の破壊の世界とは、また別の次元です。我々は皆、霊魂の存在なのです。肉体のなかにいる者もいれば、再生の時期にいる者もいます。そしてまた、他の者は、守護霊となっています。しかし、私たちは皆、そこに行くのです。私たちもまた守護霊だったのです。私たちが霊魂の、不滅の存在で、愛の無限のエネルギーの広大な海に常に存在しているのを思い出すのが、喜びと幸せの鍵です。地球と呼んでいる、この学校のもつ問題の一つは、私たちが肉体の存在ではなく、霊魂の存在だと思いだすのが困難なことです。この三次元世界の幻想や錯覚に常に惑わされています。そこでは、おカネ、権力、名声、モノの所有や蓄積、快楽などは、非常に大切で、時には人生の目的であるとさえ、教え込まれています。また、幸せになるためには、他の人々から好かれ、尊敬されなければいけない、と教育され、一人でいるのは惨めだと。教え込まれてもいます。自分たちは皆、霊魂の存在だという真実に気づくと、このような価値観が大きく変わり、幸福で平和になれます。だから、霊魂の能力のみが、永続します。だから、幸福は、権力や名声からは得られず、愛からのみ得られます。幸福は、内から来るものであって、外から、あなたをどう扱おうが、来るものではないのです。だから、嫉妬は、霊魂に憎しみを生む毒薬なのです。前世を自然に思いだす人がそれほど多くないのは、肉体のなかでの学びが、憎しみを手放す、実地試験の一種だからです。霊的な、永続性のある、学びや知識が、深く確実に、肉体を超えて、霊魂に浸透するために、念には念を入れる必要があるのです。残虐な前世を思い出して、現世で同じような残虐行為の結果を避けるために、暴力を回避するのでは、完全にレッスンを学んだことにはなりません。暴力は間違っていると身をもって体験し、心の底から完全に理解したときにはじめて、暴力を回避すれば、本当にレッスンを学んだことになるでしょう。つまり、前世がみれないのは、同じ過ちを繰り返さないためなんである。答えを知って問題を解くのと、答えを知らずに問題を解くのでは、霊魂の意味で、大きく異なるからである。今回はここまでにしたい。
2024年09月17日
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最近は、安いのもあるが、冷凍餃子と電子レンジ用のライスの、合計400円ぐらいの夕食で済ませている毎日から気づいたのだが、毎日食べても飽きない最強飯は、焼き餃子ではないか、と思う。お蔭で数年前はストレス太りの肥満ブタが、若い時のようになり、約10キロのダイエットにもなり、いいことづくめの日々なんである。これで、巷の、煩いハエのような総裁選の、不祥事を人気で誤魔化す、脱税私利私欲自民党が滅亡してくれれば最高である。ポエムだか、ヘナチョコ構文だか、知らねど、日本人なんだから、日本語くらいマトモに話せよ、と思うばかりである。日本もそろそろ真剣に亡国論を論じるべきである。餃子を食べて、日本人で良かったと思い、TVをつければ、国民生活を破壊した連中が騒いでいて、日本人でいるのが恥ずかしくなる。馬鹿な切り返しを絶賛するタレントは日本人を裏切り、いくらもらっているのかな?とか思うな。毎度紹介している「前世」からのメッセージにも、次のような教訓を載せている。一見、素晴らしく見える人には気をつけなさい。危険な人物は魅力的な装いをまとっているからです。ワクワクする、楽しい、刺激的な、危険な香りがする、劇的な人生を送っているような人たちです。こうした外見は、あなたの心の目を曇らせて、危険をみえなくし、カモフラージュしているのです。誘惑に負けずに、心の目で、相手を見据え、騙されないように、学ぶべきなのです。餃子にも劣る詐欺メールのような連中がこの国には盛り沢山だ!毎週欠かさずにみるBS番組、「ケンコバのほろ酔いビジホ泊」で、ケンコバ氏が、やっぱり餃子なんだよなぁ、と呟きながら食べていたのに、半端ない説得力を感じてしまった。禁酒しているので、ビールは飲まないが、餃子に白飯とビールは黄金のトリオの三角形というか、最強タッグだと思う。餃子の王将の餃子定食では、そこに中華スープとサラダが加わるので、完璧である。西洋には、赤ワインに、フォアグラ、フィレステーキのトリュフのせ、のロッシーニセットがあり、これも最強の組み合わせだが、特別な日にしか食べられないという贅沢な点で、庶民的ではなく、多くの日本人に幸せ感を与えてきた点で、やはり、餃子定食に軍配を上げたい。ロッシーニセット 2人前 【牧草牛フィレステーキとフォアグラのセット】 (themeatguy.jp)経済的にも、餃子定食はビールを頼んでも千円前後だろうし、ロッシーニセットは軽く6千円は超えてしまうし、ワインのチョイスによって、数万円にもなってしまう。贅沢な食事と言わざるを得ない。このような食事は格差社会の為せる業だろうし、最大多数の最大幸福を実現するには、やはり餃子定食が近道だろう。日本にくる外国人のほとんどが、和食を安くて美味いと感じているようだが、私は米国西海岸しか行ったことがないが、米国では美味い食事を食べたければ、カネを出すしかなく、カネを出せば、いくらでも美味しい食事が食べられるようである。その代わり、カネがないと、美味しくはないが、量は多いので、腹を満たすことはできる。ヨーロッパには行ったことがないが、旅行者に聞くと、あまり外食は発達していないらしく、冷たい食事が多く、とにかくポテトが多いという印象が残るという。シュタイナーは、欧州が第一次世界大戦に陥ったのは、ポテトばかりを食べ過ぎて、愚かになったせいだと、ジャガイモのせいにしている。シュタイナーによると、ジャガイモは炭水化物で、食べれば食べるほど食べたくなる麻薬のような食べ物で、ポテトばかり食べ過ぎて、バランスがとれなくなって、愚かになるというようなことを述べている。そのような話として、カウチポテト族が知られている。カウチポテト族 - Wikipediaさて、話は変わるが、以前、保江方程式で有名な保江氏を紹介したが、火星紀から水星紀に移り替わるにつれて、もともとは唯物論者だった人が、あの世や死後の世界や、宇宙人や天使のような霊界を認めるようになってきている。何より面白いのは、「前世」からのメッセージにも書かれているが、相対論で有名なアインシュタインが次のような発言をしていることである。人間は、宇宙全体の一部、それも時空に制限された一部にすぎない。人間は、自分と自分の考えや感情を、宇宙から切り離して、体験している。これは意識による、視覚を経た一種の錯覚である。この錯覚は、人間にとって牢獄であり、自分の欲望や、近親者だけの愛情へと制限してしまう。人間の任務は、思いやりの輪を広げ、この牢獄から自らを解放し、宇宙全ての生命体、全ての自然を抱擁することなのである。このような発言から、アインシュタインが、量子論に対して、神はサイコロを振り給わず、と言った意味が明らかになる。光量子説を提唱したのもアインシュタインで、時空と、質量をもつ粒子が同等だと、一般相対論の、時空による宇宙方程式を編み出したが、後に、考えを改めて、時空と粒子は同等でないと、叫んだという逸話も残っている。粒子を霊魂と考えれば、時空は、その入れ物にすぎず、粒子が時空を体験することが、時空から、粒子を解放し、粒子が宇宙へと拡大し、宇宙全てを抱擁していく、自我による自我のプロセス、回帰といえるかもしれない。本来、地球には国境がないのに、国境をつくるのは、人間の錯覚のせいなのである。外に向かって、宇宙の果てに到達すると、それを見ている自分の内に返ってくると、いわれている。だから、幸福は外に求めるのではなく、内からくるといわれている。だから、幸運の女神には前髪しかない、と言われる。先に挙げた保江氏の話によると、バチカンには、奇跡を判定する科学部門があり、科学者が雇われているという。その科学部門が、唯一の奇跡と判定したのが、マザーテレサだったという。「前世」からのメッセージによると、マザーテレサは次のように述べているという。もし、私たちが皆、黄金のルール、神は愛であり、神は、我々を、より偉大な行為の、愛し愛されるために、おつくりになった、のを理解できれば、神が我々一人一人を愛するように、我々も互いに愛するようになるでしょう。真の愛は、苦をも厭わない、無償の愛、愛を与えることなのです。大切なのは、愛をどれだけ与えるかではなく、与えるべきときに、どれだけ込めるか、なのです。ですから、祈りが必要なのです。祈りが実れば、信仰が深まり、信仰が成就すれば、愛となり、愛の行為は、奉仕となり、平和の行為となります。そして、この無償の愛、平和の行為が、黄金のルールを成就させるのです。神が我々一人一人のなかに幸運をもたらすように、我々も互いのなかに、幸運をもたらすように、愛し合いなさい。このマザーテレサの言葉から、幸運の女神には前髪しかない、の意味がわかる。愛を与えるべきときに、どれだけ込めるか、幸運とは、自分の内からやってくるので、前を向いて、相手を見つめ合い、愛するしかないのである。「前世」からのメッセージの、マスターの言葉を借りれば、次のようになる。誰か他の人の目をみつめるとき、そして、あなたを見つめ返している、その目を通じて、あなたの霊魂を見るとき、あなたの意識が、1つの上のレベルに達している、のがわかるだろう。このように、「前世」からのメッセージは、現代の聖書ともいえるべき内容が書かれている。シュタイナーは、火星紀から、水星紀の、まさに現代の移行期に、これまでとは異なる人類の愛が、霊的に深まり、霊魂は決して死なず、その証拠に、霊的な修行を通じて、過去世を思い出す人や、前世を忘れずに生まれてくる子どもが次第に増加していく、のを預言している。シュタイナーはまた、大天使ガブリエルの時代は、人間の脳を育成し、悟性から知性、現世の記憶を導く時代だったが、それが主に肉体の、他の3つの体(自我、アストラル体、エーテル体)との関わり方からくる気質を生み出し、そのため、その気質は、精神界から切り離され、ルシファーに依存するために、主に権威主義で、地上に固執しがちな、物質性に偏りがちな、男性的な傾向を帯びてきたが、現代の移行期により、ガブリエルと交代したミカエルの霊性の時代に次第に移り変わっていくことで、霊的で、直感的な、女性的で、中性的な、これまでとは異なる一段上の愛の時代へと転換していく、と述べている。このようなシュタイナーのメッセージを、「前世」からのメッセージのマスターの言葉を借りて示すと、以下のようになる。古来からの、多くの文化、仕来り、現代では、書籍、映画やTV番組が、男女間の越えがたい違いを強調しています。そのために両者の間には、深い溝があり、男女の考え方や行動の仕方も異なるものとなっています。そのため、男女は同じ世界で暮らしながらも、全く別々に世界をみています。各々の世界の見方に応じて、男性は、世界を愛するために、強く競争的に、攻撃的になろうと、男性ホルモンのテストステロンを分泌し、協調性を失わせ、自分のテリトリーと家族を、「所有」へと向かわせる傾向を帯びてきます。対照的に、女性は、世界から愛されたいために、感受性とコミュニケーションの能力を育てようと、女性ホルモンのエストロゲンやプロゲステロンを分泌し、攻撃ではなく、防御の方向へと向かわせる傾向を帯びてきます。 そのために、少年少女の、古来からの育成法や教育法が、その違いを強調化し、増幅させてしまい、男女を分離する生物学的な壁を益々分厚いものにしていきます。男の子は、社会でより競争的に攻撃的に自己主張するように奨励され、女の子は、受け身で、話し上手で協力的でありなさいと教えられます。社会のありとあらゆる組織や団体から、同じ人間に、男女異なる価値観が教え込まれるのです。同じ人間に、肉体の違いからくる違いを強調して、異なる価値観が、その障害として教え込まれるのです。肉体の違いを強調する時代は過ぎ去りつつあります。肉体から生じる、男らしく、女らしくの時代は過ぎ去りつつあり、男女を超えた、再び自然な、人間らしさに回帰する移行期にあるわけです。というのも霊魂に男女差はなく、両性具有なので、男にうまれるときもあれば、女に生まれるときもあるからです。それらは、多種多様の愛を、肉体から学ぶための、いわばツールにすぎないのです。それは男女の性 器の違いでしかありません。だから、全体として論争、闘争、戦争を生んでいる現代の攻撃的な風潮や傾向を変えていくなら、現代の男の子の教育を、受け身で、話し上手で協力的でありなさい、というような、女性らしさに変えていく必要があるでしょう。というのも、今日の世界は、大部分、男性によって引き起こされている暴力に呑み込まれているからです。つまり、独裁的な思考をもつ男性を若干去勢すべきなのです。独裁者は暴力に訴えないように、思想上、去勢の刑に処すべきでしょう。従来のヒーロー像は、現代の価値観では、野蛮で愚かなパワハラの悪役なのです。私たちは学び、成長するために、肉体をもつ時空にいます。愛、非暴力、慈愛、思いやり、信仰、希望、許し、理解、気づきなどの資質を学ぶために、肉体による制限を受けるのです。そして、その肉体による有限性による、恐怖、怒り、憎しみ、暴力、貧欲、プライド、欲望、利己主義、差別などの否定的な資質を捨てることを学ばなければなりません。私たちは、こうした課題を、人間関係を通じて学んでいくのです。障害が多いほど、多くを学べるのです。困難な人間関係や、多くの障害や、悲しみに満ちた人生ほど、霊魂の成長にとっては、大きなチャンスなのです。霊的な成長の促進のために、あなたは困難な人生を選択したのかもしれません。この世界には苦難と困難に加えて、愛と喜びとエクスタシーもあります。愛は知的なものではありません。私たちが気づかなくても、愛は絶えず私たちのなかに流れ込み、通り過ぎていくダイナミックなエネルギーです。私たちは、人生において、愛を与え、受け取るのを学ばないといけません。人との関わり合いのなかで、人々への奉仕のなかにこそ、全てを超えた愛のエネルギーを、本当に理解できるのです。自分の人生で、明らかにされることは、自分に関係する、重要な愛の学びです。人はそれぞれ、自分に関心をもち、自分を完全な存在、愛の理解者へと導いていく必要があります。私たち誰もが、学ぶべき課題を背負っています。そして、それを一つずつ、順番に学んでいく必要があります。その学びのなかで、完全になるために、何が必要で、何が不足しているのか、徐々に理解していくのです。自分自身を知りなさい。そうすれば、覚醒意識と潜在意識の間にある歪みに惑わされずに、はっきりと物事がみえてきます。瞑想と内観、囚われの無い観察、平穏な感覚、執着のない愛に満ちたやさしさ、愛に満ちた公平さに達するように、練習し、育成しなさい。自分の考え方や思い込みに気づきなさい。そして、それを鵜呑みにしているのに気づきなさい。誰かを型にはめたり、一般化して個性を失わせるとき、あなたは、その人の本性である、愛を見ずに、失わせているのです。「男は無神経で残酷だ」「女は神経質で感情的だ」などといった、昔ながらの誤った先入観は、現実を歪めてしまいます。体験は思い込みよりも、真実に近づくのに遥かに強力で、自らで体験すべきなのです。真の幸福は自分の内からやってきます。幸福は、外側の物事や他の人々に左右されません。あなたの、安心と幸福の感覚が、他の誰かの行動や態度に左右されるなら、それは、あなたが脆く、傷つき易い、感覚の持ち主なのを意味し、あなたの霊魂のなかに眠る、愛の力を、絶対に、他者に明け渡してはなりません。モノに執着しないようになりましょう。三次元の物質界では、私たちは、モノではなく、人との関係を通じて、愛を学ぶからです。どんなにモノを愛しても、この世を去る時に、モノはおいていかなければならないのは周知の事実です。あなたは真の安全となる、叡智や愛ではなく、偽りの、安全の影絵、錯覚を求めている。それは肉体とともに失われてしまう。おカネは中立的なもので、善も悪もありません。おカネで何をするのかが、人生に与えられた課題なのです。おカネで貧しい人に食料や衣服を与えることもできますし、利己的に、無駄に使うこともできます。その選択は、各個人の自由に委ねられていますが、いつかは、おカネの正しい使い方を、身をもって体験し、学ばなければならないのです。一回の人生のなかでも、無駄使いがわかるのです。おカネと安心は全く違うものです。安心は内からしかやってきません。安心は霊魂の能力に由来し、地上には存在しないからです。おカネは地上のもので、この世を去る時に、地上にかえさなくてはいけません。もし、人生において必要な学びがあるなら、一夜にして、奪われることもありえます。ホンモノの安心を理解するには、ニセモノは取り払わなければならないからです。安心のニセモノのおカネで、ホンモノの安心を買えないので、お金持ちは、永遠に安心を得られないので、死を恐れる。肉体の死が、おカネと共に奪われるのを、恐れるからである。だから、キリストは、お金持ちは、天国にはいけないと、述べているのである。そしてカエサルのものは、カエサルに返せと、つまり、肉体の死は、死に返しなさい、と説いているわけなんである。というも、霊魂は死なず、ただ、この世を去り行くだけにすぎなく、永遠に不滅の存在だからである。おカネに魂を売っている者は、死を恐れる。その死の背後に悪魔が隠れて潜み待っているからである。この国では、餃子を食べる庶民生活のほうが、巷の騒音を考えずに改革、改革と連呼するポエム構文野郎の裏金税金での地獄の料亭通いよりは、遥かに幸せな生活を送っているようにみえる、と宇宙人ジョーンズは、レポートしているはずだろう。今回はここまでにしたい。
2024年09月12日
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人智学では、現在の、宇宙の進化の、地球紀を、前半と後半に分け、それぞれ火星紀、水星紀と呼んでいる。そこで、火星紀と水星紀の転換期がいつなのか考えてみると、恐らく、宇宙人に対してのイメージが180度変わった、未知との遭遇か、ETが流行った頃と考えられる。未知との遭遇 - WikipediaE.T. - Wikipedia勿論、その後も宇宙人侵略モノはつくられるが、それまでのほとんどの作品がその類で、友好的な宇宙人モノは、このスピルバーグの2作品が代表で、それ以前は、宇宙人というより、「奥様は魔女」のように、魔女や黒魔術師や悪魔が、人間に敵対する非人間の、お馴染みの悪役になっていたようにみえる。ただし、「奥様は魔女」のサマンサは悪役ではないが。奥さまは魔女 (テレビドラマ) - Wikipedia人智学からいえば、悪魔は堕天使なので、いわば地球人の心を侵略する、魂を奪う、悪い宇宙人で、黒魔術師は、悪魔に魂を奪われた人間なので、友好的な宇宙人が描かれる作品は、キリストをどうとらえるかで異なるが、キリストを除いて、友好的な宇宙人の話は、ほとんどなかったわけなんである。このような宇宙人を悪のイメージで捉える、いわば戦いの火星紀を、地球人に与えたのは、神智学によると、第10番惑星人エックスジアンによる地球侵略によるもの、と考えられる。トートのエメラルドタブレットによれば、暗黒同胞団によるエックスジアンは、都市伝説では爬虫類型で、地球を現在の独裁者のように支配したが、シリウス、プレアデス、アンタレスの聖白色同胞団が、救世主を地球に遣わして、エックスジアンを、地球の核に閉じ込め、封印し、青色人に監視させた、という伝説が残っているという。シリウス アンタレス 金星 プレアデス星団 | お志事の備忘録とひとりごと (ameblo.jp)青色人から、ブルーブラッドのブリテン人が生まれたらしい。このブリテン人の伝説から、アーサー王伝説が生まれ、古代日本では、古事記のスサノオによるヤマタノオロチ伝説につながっているかもしれない。ヤマタノオロチとは、爬虫類型エックスジアンと考えられるからである。ブルー・ブラッド - Wikipediaブリトン人 - Wikipediaアーサー王伝説(アーサーオウデンセツ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)ヤマタノオロチ<ヤマタノオロチ伝説> - 編纂1300年を迎えた【古事記の神話】 (kankou-shimane.com)このような地球侵略の歴史から、当時はまだ現在の地球ではなく、人智学でいえば、地球と月が一緒になっていた月紀の地球だったが、聖白色同胞団の、地球人の救済により、エックスジアンは地中の核に封じ込められて、地球は月と分離したわけである。その月の分離の名残が、太平洋の海底に残っているという。奇想天外な都市伝説のような話なんで、ほとんど信じられないだろうが、いずれ人類が再び霊能力を獲得し、アカシャ(虚空)記録を読めるようになれば、明らかとなるだろう。というのも、そのような伝説が、地球に残っていることから、地球でのヒーロー像が生まれているからでもある。高次の宇宙人は、地球のこの従来のヒーロー像を改めるべき時に来ていると警告している。というのも、悪い宇宙人が、人間と同じ、物質体でいるならまだしも、人類同士で闘う意味がなく、ますます憎しみを増加させて、悪い宇宙人の罠にはまるだけだからである。悪い宇宙人は、人類に唯物論を与えて、悪い宇宙人が受肉できる物質体をつくらせようとしているからでもある。核兵器がそれである。悪い宇宙人は人間の憎しみに受肉し、支配するのである。それは従来のヒーロー像からもわかる。このヒーロー像は、人間の怒りを正当化し、人間に恐怖感を植え付け、罪悪感に誘導する。「前世」からのメッセージは、このヒーロー像が間違いだと指摘しているので、以下に抜粋紹介する。「メディアも、怒れる人々をヒーローとして映し出しています。ランボーはいつも怒り狂っています。彼が笑ったのを見たことがありません。ダーティハリーをはじめとして、警官、軍人他のアクションスターのほとんどが、怒りの泥沼にハマっています。「スタートレック」のカーク船長でさえ、四六時中怒っています。」自分たちの過ちから生まれた憎しみを、無責任に転嫁するため、仮想敵をつくりだし、憎しみの標的にして、悪役に仕立てあげ、レッテル貼りをして、同じ人類なのに、愛し合うことなく、怒りを正当化して、復讐心を受け付けるわけなんである。だから、支配欲旺盛な独裁者は、自分の失敗を棚にあげて、無関係な仮想敵に責任転嫁し、大衆に攻撃心を扇動し、怒り狂うヒーローを正当化し、恐怖心を大衆に植え付け、救世主を求める雰囲気を作り出すのである。そのようなつくられた救世主像が、偶像のニセモノであり、これが悪魔の策略であるのは、明らかだろう。従来の、この男性優位の戦いの時代の傾向、火星紀の特徴から、怒りのヒーロー像が正当化されたが、それらは人類のなかに憎しみを増やし、悪魔の支配を拡げるだけなんである。しかし、先の友好的な、高次の宇宙人の、スクリーンへの登場により、いまや火星紀の転換となる、水星紀がやってきている。従来の、怒りの火星のヒーロー像に代わり、怒りを手放す、水星のヒロイン像が求められるのではないだろうか? そのヒロイン像とは、例えば、「私、絶対失敗しないから」の女性外科医師のような強い女性では全くなく、その正反対の、常に弱者側にいて、ひたすら、虐めを耐え忍び、人間本来がもつ、愛の助け合いに希望を見い出す、おしんのような強かに生きるヒロイン像であるように思える。おしん - Wikipediaだからして、「前世」からのメッセージを読んでいて、水星紀のヒロインが、おしん、なのではないか?と思ったわけなんである。このように吾輩の日常は、「前世」からのメッセージを読みとくか、ネット界隈のフーテンの寅さんをやっている日々なのだが、シンクロ二シティというか、次のような面白い記事をみつけたので紹介する。人の意識は「死んだら終わり」じゃない…!? 最新研究でわかった「死後の感覚」「前世の記憶」をもつ人々の「驚くべき共通点」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースもし人間も「波動」の一種なら…ある科学者が「死は終わりではない」と考える「最新科学にもとづく根拠」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースある夏の日、「死んだはずの母」から着信が…肉親を失った人々に訪れる「あの世からのメッセージ」の正体(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース人の意識は「死んだら終わり」じゃない…!? 最新研究でわかった「死後の感覚」「前世の記憶」をもつ人々の「驚くべき共通点」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (gendai.media)シュタイナーは、約100年前に既に、カリユガの時代が終わると、次第に前世を覚えている子どもが生まれてくると、預言している。「前世」からのメッセージという本も、約20年前に出ているし、著書のブライアンワイスは、精神医学の医者で、元々は唯物論者だったのだが、催眠カウンセル中に、患者を通じて、マスターと呼んでいる、高次の知的生命体との交信に成功し、宇宙の仕組みについて、まとめたのが、この本である。この「前世」からのメッセージから、マスター、つまり高次の宇宙人、人智学でいう、天使たちの、人類への愛の指導が明らかになってくる。そこで、前回に続けて、マスターの愛の指導を抜粋し紹介する。前回は、カルマについてのマスターの愛の指導を紹介した。支払わなければいけない、憎しみの負債が、カルマで、だから、愛の使い方を間違えて、憎しみを増やさないように、自分の行動に責任をもたないといけない。カルマにより、憎しみを増やすのが悪い行為だと認識できるまで、自分が与えた憎しみを味わう人生を何度も送ることになる。だから、自分が与えた憎しみは必ず自分が味わうように返ってくる。カルマは、愛の償いである。自分が過去世で与えた憎しみを、現世の今生で味わい、怒らずに赦し、手放せるかどうかが、各個人の人生の課題なのである。だから、怒りに身を委ねてはならない。怒りを抑え、そのなかにかつての自分の行為をみれば、相手の気持ちが理解でき、自分の過去世が明らかになり、自分が何者なのかがわかる。だから、特定の宗教や人種に、次の転生で生まれてくるのに確実な方法は、その特定の宗教や人種を公然と差別し、憎しみを与えることなのである。憎しみは、差別した宗教や人種へと、未来へのタイムマシンとして、憎しみを手放すために、当人を運ぶ。時には、霊魂は、自分が最も忌み嫌う人物になることで、愛を学ぶ。このカルマの法則から、シュタイナーは、自分が前世で最も忌み嫌った憎しみの対象へと生まれ変わるので、「いかにして前世を認識するか」を書いて、自分が現世で最も忌み嫌う憎しみの対象が、自分の前世であるのを解き明かした。だから、端的にいえば、自分が嫌う人物が、自分の前世だったのである。だから、憎しみをもつのは、お門違いで、愛をもって赦さなければおかしいのである。だから、神様からすれば、「おいおい、冗談じゃないよ。お前がいま嫌って、怨んでいるのは、前世のお前だよ。」というわけなんである。嫌ったり、怨むのではなく、理解し、赦すことが、愛の学びで、いまの人生の自分に課された課題なんである。憎しみは心への暴行からはじまる。マスターと呼ばれる天使たちによると、実は、心への暴行は、幼い時からはじまっている。両親、社会、文化、宗教などの価値観を教え込まれ、天国から携えてきた叡智が抑圧されてしまう。無限大の可能性が、この世の教育により、有限なものへと抑圧されてしまう。三つ子の魂百まで、だったのが、現世の価値観から、半分の五十、もしくは三十へと抑圧されていく。この大人たちの価値観の押し付けや暴行に反抗すると、寄ってたかって、非難、侮辱などで脅かされ、仲間はずれ、無関心、身体的、精神的な虐待などが、容赦なく待ち受ける。独裁者が支配する社会では、独裁を認めさせるために、このような心への暴行が平然と行われている。この国では、令和になってようやく、コンプラが浸透し、独裁制に疑問が投げ掛かられてきた。地球人が支配欲を捨て去れば、再び自然は自然に循環するようになり、無限に創造する自然へと回帰するようになるだろう。老子は、この自然回帰を、無為自然と説いている。口がきけない赤ん坊は天使たちと交信している。やがて、言葉がわかるようになると、無限の能力を失って、前世の記憶も失われ、物質界へと適用するようになっていき、目に見える物質を求め、有限の能力へと抑圧されていく。「前世」からのメッセージの著者による催眠カウンセルで、赤ん坊のときへと誘導されると、赤ん坊が周囲の状況を超感覚的に捉えているのが明らかになるという。それは主に愛の強弱で捉えているという。人智学では、この赤ん坊の超感覚は、古代アトランティス人が持っていた霊能力に近いもので、いまの動物の直感と同じものと解き明かしている。「前世」からのメッセージでは、ユダヤ人の三歳の幼児が、古代エジプト人の前世を記憶していて、愛犬の死に際して、当時の犬のミイラの作り方、犬の死体に油のバターを塗って包帯でくるむ埋葬法、を行ったのを紹介している。恐らくこの幼児は、古代エジプト人のときに、ユダヤ人を差別したのかもしれないが、この書ではそこまで言及してないが、現世でユダヤ人になって生まれてきたのは、人種や宗教は、この世での偏った価値観からくるものだとわかる。人種や宗教だけでなく、外見などでも差別すると、差別した外見で、生まれてくるわけなんである。人種や宗教は、この世のなかでの、有限性のなかでのみ、成り立つ欠陥なのである。愛の欠陥故の差別なので、輪廻転生のカルマの法則で不足した愛の欠片の憎しみから、本来の、無限の愛を学ぶのである。あの世では、人種も宗教もなく、ただ愛の再生しかない。大抵の人間は、この世での偏った価値観で、優位に立った強者の論理で、判断し差別するから、次の転生では、劣等な弱者の立場で生まれてくるわけなんである。愛が不足するので、愛を再び補完するために、生まれ治す。だから、絶えず、自分を愛で満たすべきなのである。現世で生きると、常に愛は不足しがちなのである。だから、現世で、一番やりがちなのが金持ち目線で、貧困を差別することである。つまり貧困に生まれることは、前世で金持ちで、貧困を差別した可能性が高いわけなんである。だから、なぜ自分は金持ちに生まれなかったのかと問うなら、それは貧困を差別して、貧困を救わずに、いい気になっていた前世を送ったからである。現世で貧困をつくった原因は金持ちにあるので、来世で、自分がつくった貧困を味わう宿命の羽目になるのは、あくまで自己責任というわけなんである。だから、キリストは、金持ちは天国にはいけないよ、と述べたわけなんである。このように、本当の幸福とは、物質的富によるものではなく、つまり、外からくるものではなく、内から生まれるものであると、「前世」からのメッセージのマスターたちは説いている。そこで、マスターの教えの抜粋紹介を続ける。愛の学びには、いろいろなレベル、次元がある。肉体をもつことで学べる愛がある。痛みを感じないと学べない愛がある。肉体をもたなければ痛みはない。心の痛み、というが、それは肉体を持つが故の苦悩である。肉体をもたず、霊魂のままでいるときは、創造に限界がなく、再生しかない。肉体をもつとき、人間は痛みを感じ、傷つくのが可能となる。霊魂のときは、その感覚はなく、幸福感と安らぎの感覚しかない。だから、霊魂は再生のときで、そのときの交流は、この世とは全く異なる。肉体をもったときだけ、痛みを感じ、傷ついたり、失望したり、失恋したり、という愛のレッスンを受けるための、人間関係が体験できる。この貴重な愛の体験は、この世でしかできないものなのである。このように、宇宙はありとあらゆる存在が互いに愛しあえるように、時空や、あらゆる次元から、時間を進めている、といえるかもしれない。神から生まれて、神に回帰するように、キリストと共に、この世で死んで、生まれ変わり、聖霊の導きにより、神の子が神になるように、人類は祈るべきなのである。今回はここまでにしたい。
2024年09月10日
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フーテンの寅さんにどことなく憧れていたせいかもしれないが、いまはネット渡世の人生を送っているのだが、次のような「これが何にみえる?」という類の心理テストが、よく当たっているような気がするのは気のせいなのか、面白いので紹介したい。これが何に見える?あなたの「要領の良さ」がわかる心理テスト | TRILL【トリル】 (trilltrill.jp)この何にみえる?の心理テストは、自分のもつ心のなかの表象を、上手く描き出す自己暗示を利用しているようにもみえる。心のなかの表象とは、真言宗のマントラの梵語で、霊言といわれるものである。人智学でいえば、潜在意識の記憶で、感覚記憶、もしくは感受記憶と呼ばれている。信仰は、この感受記憶による。また、この世での経験からくる通常の覚醒意識での記憶は、悟性記憶、もしくは知識記憶と呼んでいる。だから、通常の、知識の記憶を学習しても、信仰心は生まれないから、唯物論は無神論なのである。サンスクリット - Wikipedia梵字とは?お墓で見かける理由 | お墓きわめびとの会 (ohakakiwame.jp)アーリア人 - Wikipedia人智学では、現代はアーリア文化期といわれ、アーリアの源流は、古代インド文化を意味する。古代インド人はヴァーダンダや、サンキヤ、ヨーガなどで、あの世と交信し、霊能力を身に着けていたが、やがて、古代ペルシャ、古代エジプト、古代ギリシアと人間が、夜から昼へと覚醒意識から外界への認識を獲得していくにつれて、潜在意識中での交信の霊能力を失い、霊語の梵語を読めなくなって、一部の秘儀参入者や霊能者だけしか読めず、使われなくなって、いわゆる専門用語となってしまい、それも完全に読み解けなくなって、古代ローマの暗黒時代に、太陽霊キリストが、直に人類に教えを説くために、降臨し、当時の世俗語で、聖書を書き換えたが、それもルシファーのカトリック教会によって唯物化されてしまい、中世のカリユガを得て、それを再び読み解く準備がはじまるのが、現代のアーリア文化期の課題なのであるらしい。早い話、古代インドには、古代アトランティス時代に読み解かれていた、宇宙の仕組みを説いたエーテル文化を記録した古代文書というか、いまでいう先の3つの古代インドの哲学があったのだが、それは聖書に記されたノアに引き継がれ、ノアは、寡婦の子マヌでもあり、ノアの箱舟とは、その哲学のことで、形として外に現れたものが、人間の肉体を意味するらしい。聖書に記されたキュビット云々の寸法は、人体の大きさを示したものらしい。このノアの箱舟は、ダビンチの人体図としても有名である。ウィトルウィウス的人体図 - Wikipediaだからして、古代インド文化は、内の心の文化で、次の古代ペルシャ文化は、外の肉体への文化、また次の古代エジプト文化は、内の心の文化で、また次の古代ギリシア文化は、外の肉体への文化、そして、我々の現代のアーリア文化では再び、古代インド文化と回帰するための、内の心の文化へと転換すべきなのだが、ようやくカリユガの時代が終わり、その浮上期に向かっているといえるのかもしれない。人智学の、この文化期の名付け方は、人類の精神の進化を基に、つまり霊魂の発展段階について、命名しているようで、だから、古代ギリシア時代の終わりから、現代までは、ほとんど完全に霊能力が失われ、人類の進化がほとんど停滞し、堕天使の配下にあるのを意味しているようである。端的にいえば、人類は堕天使によって、欲望につられて、地上へと誘拐されている状態にあるわけで、堕天使の配下にあるので、唯一神に従わなくてもよい、自由な時代ともいわれる。【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~ | Noos Eggs (cosmolifeology.com)しかし、霊魂の進化からいえば、古代インドから古代エジプトまでが感受魂(感覚魂)の開発期、古代ギリシアが、悟性魂の開発期、そして、我々のアーリア文化期が、意識魂の開発期と、宇宙の進化計画から預言されている。上に紹介した、ヌーソロジーは、上手く人智学を読み解いているので、参考になるので、抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆霊的世界は、言葉にできない世界です。その言葉にできない世界を、何とか言葉で表現しようとしたのが「哲学」です。シュタイナー宇宙論では、紀元前8世紀(B.C.747)以降から西暦15世紀までを「悟性魂の時代」と呼んでいます。西暦15世紀に悟性魂は成熟をみせ、その後「意識魂」と呼ばれる魂が成長をはじめます。意識魂は霊的世界から直感を受けとり、悟性魂によって思考してきた記憶とともに、永遠の真理を形成します。悟性魂は、まだ直感的に霊的世界とのつながりを持っている状態でしたが、この意識魂はダイレクトに霊的世界と接触しはじめます。さらに意識魂は、自我の成熟をもたらす役割を持っているため、悟性魂とタッグを組んで真の自我性を作り上げていきます。ヌーソロジーやシュタイナー思想で「霊性回帰には思考することが大切だよ」と学んできましたが、その理由も、悟性魂によって思考することで真の自我性が形成されるからなんですね。悟性魂によって記憶されてきた過去の輪廻における学びを、この意識魂によって本格的に霊性回帰へつなげていくという感じなのでしょう。意識魂は15世紀から成長をはじめ、西暦3,573年まで続くようです。この時代は第五(アーリア)文化期にあたり、この時代のことを「意識魂の時代」と呼びます。今まさに、私たちが生きている時代がこの「意識魂の時代」になります。そして15世紀からはじまった意識魂の時代は、三つの魂のうち、もっとも霊的進化に直結する「最後の魂」「魂の核」を育てる大切な時代となります。 ☆ ☆ ☆上述の解説のほうがわかりやすいので、上に紹介したサイトはおススメである。人智学をわかりやすく現代語に翻訳できている。この解説のように、最後の魂、魂の核が、人間の自我で、キリストが説いた神の子なのである。我々は、いま自分のなかの、この神の子を育てるために、自分の人生を生きて自分をつくりかえて、地球に生きながら、地球をつくりかえているわけなんである。だから、いま自分が何をするかで、明日の自分と、将来の地球の運命が決まり、つくられるのである。神の子を大切に育てないと、悪魔の子にもなってしまうわけなんである。人智学は、この神の子の育てかたを、カルマの法則と、輪廻転生から、解き明かしている。さて、人智学から解き明かされる、あの世には、国境など人種などもない。ただ愛をどれだけ学んでいるかの違いしかない。この世に転生したときだけ、多様な愛を学ぶために、ある国のある人種の肉体をもって生まれてくるだけである。だから、秘教では、肉体は、愛の教科書と説いている。愛の教科書を通じて、愛を深めないと、逆の憎しみに変わり、論争、闘争、戦争になってしまう。また愛の教科書を使って、人を差別したり、裁こうとすると、自分が憎しみにより裁かれる。だから、お釈迦さんは、肉体への執着心を解き放て、と説いている。肉体を比較したり、見せびらかすな、と説いてもいる。だから、出家とは、国や民族に拘るな、ということである。慈愛が足りているかどうかである。というのも、あの世には、国境や人種や民族などないからである。ただ、愛の強弱と、愛を深く学んでいるか、まだまだ浅いのか、の違いでしかない。愛の巡り合わせというか、先日、掃除をしていると、「前世」からのメッセージ、という本が出てきた。人智学を学び始めた前に出逢った本である。この本を読み返してみると、自我の内外の二元性を成立させるために輪廻転生がある、のに気づかされる。「前世」からのメッセージ | ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢訳 山川亜希子訳 | 書籍 | PHP研究所人智学では、輪廻転生を、おおまかに次のように解き明かしている。現世での外界での自我の経験が、次の転生のアストラル体=こころをつくり、アストラル体がこの人生で獲得したものが、次の転生で、エーテル体に表現され、エーテル体の傾向になり、次の転生で、この傾向から、物質体に現れ、物質体での行為が、次の転生で、自分の人生として、自分に帰ってくる。まとめると、現世での外界での自我=霊の経験 ↓ 次の転生でのアストラル体=魂 ↓ 次の次の転生でのエーテル体=幽体 ↓ 次の次の次の転生での物質体=肉体 ↓ 次の次の次の次の転生での自我への宿命⇒霊の経験だから、今生での自我の経験は、4回目の転生で、自分の人生となり、自我を発展させる課題として、宿命となって戻ってくる。いわば4年生の学校ともいえるので、地球大学というべきかもしれない。この4回の転生を繰り返し、自分をつくりかえ、自我を、宇宙の進化にあわせて発展させていく。だから、カルマの業は、巡り巡る輪廻転生なので、マニ車とも呼ばれている。このマニ車がいわばノアの箱舟である。そして、このノアの箱舟が、人智学でいう、人体の4つの体、肉体、エーテル体、アストラル体、自我のことでもある。マニ車は、その4つの体が、カルマの法則で、輪廻転生していくのを意味している。マニ車 - Wikipediaこのように人智学は、カルマの法則と輪廻転生を、概略的に解き明かしているが、先に紹介した「前世」からのメッセージ、という本には、肉体を持つ必要がないマスターと呼んでいる天使たちによる、具体的な教えが説かれている。非常に興味深いので、以下に抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆(この世での)我々の使命は学ぶことである。知ることによって、神に近づく。我々はほとんど何も知らない。知ることによって、我々は神に近づき、その後に、(あの世で)休息できる。それから、我々は人々を教え、助けるために、(この世に)戻ってくるこれはソクラテスの無知の知である。我々はこの地上にいる間に多くの段階を通過する。赤ん坊から、子ども、子どもから成人へ、そして成人から老人と、人体をつくりかえていく。そして、老人からもう一歩進んで、肉体を脱ぎ捨てて、霊界へと旅立つ。我々は、このような道を歩み、霊魂の成長を止めることはなく、成長し続ける。霊界に行っても成長や発展を続け、多様な段階を通過していく。霊界に行くとき、肉体は燃え尽きる。そして、再生(死後の人生の振り返り)の段階、学び(人生で自分が他者にした行為の反省)の段階、決断(欲界で欲望全てを捨てる)の段階を通過していく。そして、いつどこにどんな理由で、またこの世に転生するのか、あの世で、決断する(最後の審判)。ある者は、もうこの世には戻らないのを選択する。すなわち、他の霊魂の発展を助ける段階に進む。それらの霊(自我)は霊体のままである。ある者は他の者よりも生まれ変わるまでの期間が長い。これは全て、愛の学びと、不断の、奥深い、永遠の愛への成長のためである。我々の肉体は、この地上にいる間の乗り物なのである。永久に存在し続けるのは、我々の霊魂(自我)で、神から授かった生命、愛の灯、炎なのである。人間はこの三次元の世界にやってきて、いつそこを離れるのか、自分で選択する。この世に送られてきた目的を果たしたとき、我々は、自分を知る。そして、あの世で、霊魂を休息させ、活力を取り戻したあと、再び肉体に戻るかどうか、の選択が許される。霊界には7段階の世界がある(これについては以下のサイトを参照、分類は諸説ある。人智学では便宜上、天体の、月、水、金、火、木、土、太陽で示している)。我々は、この世に戻ってくる前に、この7つの階層を通過しないといけない。7つの階層の1つは次の転生を決める世界(最後の審判)である。そこで自分に相応しい転生の時が充ちるまで、待機し、休息する。その天国で、次の転生にどの資質をもっていくか、決定される。霊格の段階(魂のレベル・階層)一覧と霊格を上げるための公式とは? | ネオ仏法 (neo-buddhism.com)カルマと学び我々は、自分の間違えた愛の表現や不正の行為により、支払わねばならない、憎しみの負債を負っている。もし今生で、支払えない場合は、次の転生に持ち越していく。しかし、いつか支払わねばならないのは、それが憎しみだからである。憎しみを支払うことで、霊魂は愛に目覚め、我々は成長する。だから間違えや不正に伴った憎しみは、愛への糧となる。ある霊魂は、他の霊魂よりも成長が早い。もし堕天使に誘惑され、その負債を返すのを拒否すると、堕天使とともに、内省の世界(独房=地獄)に送られる。そこで、負債返却の相手が会いにくるまで、暮らすことになる。そして、負債相手と共に、同時期に物質界に戻れるときに、戻るのが許される。しかし、戻る時間は、自分たちで決めないといけない。また、負債を返すために何をすべきかも自分で決めないといけない。全ての約束を果たし、全ての負債を返すために、宇宙には、多種多様の人生が用意されている。今回はここまでにしたい。
2024年09月05日
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いまや死語となっているネットサーフィンをしていて、面白い記事をみつけた。それは、以下の、「生きているうちに一度は経験したほうがいいこと7選」である。生きているうちに一度は経験したほうがいいこと7選(えらせん) - エキスパート - Yahoo!ニュース1.海外旅行言葉も文化も違う場所に行くことは、自分の価値観を広げてくれます。地図で見ていた場所を実際に歩き、現地の人と交流することで、世界の広さを実感できますよね。また、日本の良さを再認識する機会にも。初めは不安かもしれませんが、その不安を乗り越えた先にある発見や感動は、きっと一生の思い出になります。2.大恋愛からの大失恋「恋は盲目」という言葉がありますが、周りが見えなくなるほどの恋愛したことありますか?恋に夢中になり、そして大きな失恋を経験することは、人間として成長する大切な経験です。立ち直れないほど辛いかもしれませんが、自分自身をより理解し、他人の気持ちに寄り添う力が養われます。この経験は、将来一生添い遂げたいと思う人との関係を築くために必要不可欠です。3.夢への無謀な挑戦「無理だ」と周りに言われるような大きな夢に挑戦することは、とてもワクワクすること。たとえ結果が思うようにならなくても、その過程で得られる経験、知識、人との出会いは、かけがえのないものになります。また、自分の限界を超えようとする中で、思わぬ才能を発見するかもしれません。限界を勝手に決めてやる前から諦めると、死ぬ前に後悔しますよ。4.感情が爆発する大喧嘩普段は抑えている感情を、一度くらい全て吐き出す経験もしておきましょう。本音をぶつけ合うことで、お互いをより深く理解し合えるかも。また、自分の本当の気持ちに気づくきっかけにもなります。ただし、相手を傷つけすぎないよう注意です。5.言い訳しようのない大失敗誰にも言い訳できないような大きな失敗をすることは、とても辛い経験です。でも、自分の非認め、謝罪し、そこから立ち直る過程は、人間としての深みを増してくれます。謙虚さや責任感を学び、また周りの人の温かさを感じることもあるはず。失敗から学ぶことで、より賢明な判断ができるようになります。6.心が震えるほどの真剣勝負スポーツの試合や仕事のプレゼンなど…。全力を尽くして何かに挑む経験は、一生ものです。勝っても負けても、その過程で得られる達成感や充実感は何物にも代えがたい。また、極限状態で発揮される自分の力を知ることで、自信にもつながります。7.目の前が真っ暗になる大挫折大きな挫折を経験すると、希望を失い絶望を味わうかもしれません。しかし、そこから立ち直る過程で成長できるもの。周りの人のサポートの大切さを知ったり、自分の新たな可能性に気づいたりすることもありますよね。挫折を乗り越えた経験は、今後困難に直面したときの大きな支えになります。 ☆ ☆ ☆自分の半世紀を越える人生を振り返ると、このサイトの7選は、ほぼ経験できた。海外旅行は米国西海岸旅行をしたし、大失恋といえるほどのものではないが、それなりの失恋は経験し、夢への無謀な挑戦は、いまも続けているし、大喧嘩は、職場のパワハラ上司としたこともあり、大失敗も、仕事でしたことがあり、左遷されたし、真剣勝負はギャンブルとして行っているし、大挫折は、人並みの左遷で味わった。これら7選をまとめると、いわば価値観を転換させ、生を実感させる経験といえるかもしれない。換言すれば、自己の成長の糧となる経験といえるだろう。死の一歩手前というか、従来の自己のなかの価値観に転換を迫る出来事といえるだろう。自分はモノではなく、生物なんだ、いま自分は生きているんだと、実感させてくれる体験でもある。この7選サイトはまだ他にもあり、面白いので、紹介したい。ネットサーフィンしていると、よく仕事に悩んでいる人のコメントに遭遇するが、以下の「仕事がデキる人から辞めていくヤバい職場7選」は参考になるかもしれない。仕事がデキる人から辞めていくヤバい職場7選(えらせん) - エキスパート - Yahoo!ニュース1.ムダな会議が多すぎる長時間の会議で疲れ果てて、肝心の仕事ができない...なんて経験ありませんか?デキる人ほど、時間の無駄遣いに敏感です。会議の目的を明確にして、効率的に進める工夫が必要かもしれません。2.どうでもいい派閥がある仕事の能力よりもどの派閥に属しているかで評価が変わるなんて、モチベーション下がりますよね。デキる人ほど、公平な評価を求めます。能力や成果で評価される環境じゃないと、優秀な人材はどんどん離れていってしまうんです。3.ポンコツから出世するコネや年功序列で昇進が決まるのは、デキる人にとっては耐えられません。「仕事ができるから」ってどんどん仕事を押し付けられるのに、努力が認められない環境ではモチベーションを保つのが難しいです。公平な評価システムがあることが大切です。4.給料は変わらず責任だけ増える責任が増えるのはキャリアアップの証。でも、それに見合った待遇がないのは問題です。デキる人ほど、自分の価値をよく理解しています。適切な評価と報酬がないと、より良い環境を求めて転職してしまうかもしれません。5.ミスに対して異常にうるさいもちろん、ミスは減らすべきです。でも、ミスを過度に責めると、チャレンジする気持ちがなくなってしまいます。デキる人ほど、新しいことに挑戦したいと思っています。ミスを恐れずチャレンジできる環境が大切です。6.プライベートにシワが寄りがち仕事とプライベートのバランスって大切ですよね。常に仕事のことで頭がいっぱいだと、新しいアイデアも生まれません。デキる人ほど、オフの時間を大切にします。ワークライフバランスが取れる環境が必要です。7.遅刻は許されないのに残業は当たり前これって、なんだか矛盾してませんか?時間にシビアなのはいいことですが、それなら定時で帰ることにも理解を示すべきです。デキる人ほど、効率よく仕事をこなします。残業が当たり前の環境では、その能力を十分に発揮できません。このような職場、特にポンコツがトップの部署も経験したが、このような職場の一番の問題は、自分が常に正しいというポンコツ独裁者が至る所にいるのが挙げられる。自分の発言が周囲にどう影響するのかさえも、考えられない馬鹿なんで、このような独裁者が権力を握ると、周囲の調整能力が問われ、お馬鹿な独裁者は、調整能力についても自分の意向がわずかに抑制されるので、邪魔なものと否定し、全体として調整能力が欠けてしまい、独裁者の独断で決まってしまうので、無駄な会議が増えて、独裁者の我儘に振り回されて、ブルシットジョブが蔓延し、仕事のデキる人は、馬鹿馬鹿しくて、職場を辞めてしまう。一番の問題は、ポンコツは自分をデキると思い込んでいるので、つまり周囲の環境が見渡せてないから、周囲の人間の長所と短所すら把握できないから、ポンコツなんである。私見だが、仕事がデキる人とは周囲の環境の細やかな違いが瞬時に把握デキる人で、なぜそうなったかが、理論的に探求できる人で、自分の欠点と、自分ができない部分をしっかりと把握している人のことなのである。常に問題点を把握して、どのような経緯で、どの人が対処するのか、常に観察できる人なのである。だから、予め問題点への先見力が磨かれるので、大事になる前に、小事で処理できる。問題が明るみになる前に事前に処理するので、後で騒いだりは決してしない。大事になって騒いで説教沙汰にするのがポンコツの為せる業で、このようなポンコツは無責任なので、他者に責任を擦り付けるのを得意とし、だから常に権力者の太鼓持ちをしているのだが、周囲はそのゴマすりを知っているので、嫌われ者なのである。逆に、この7選の反面をみれば、例えば、必要な会議しかやらない、派閥がない、ポンコツは干される、給料は成果や責任に見合い増える、ミスは指摘されるが、次の教訓として対処される、プライベートは尊重される、遅刻は予め理由を連絡し、残業は理由がない限り、できない、という感じになるかもしれないが、理想的な職場であるのがわかるだろう。このような職場について、前回、ブルシットジョブを紹介したが、このような無駄な仕事を行う職場をなくしていかないと、人類は人間関係を破壊して戦争に向かい、人災を多発させ、地球の環境を破壊して、天災を多発させていくのは自明の理だろう。現世で生きるためには、ある程度の経済力が必要で、生活を安定させるには仕事をしなければならないが、仕事は、自己開発や、自己発見の場も兼ねていることを教えてくれる記事でもある。つまり、これら2つの7選から、生きるとは、生物の使命といえるものかもしれない。生物の生きる目的とは何なのか?改めて考えさせる記事でもある。生物は生物から発生する、と生物の原則を示したのは、フランチェスコ・レディだが、現代の物質科学は、唯物論に洗脳されているために、物質から生物を生み出すために、自然発生説を実験により検証しようとしているのだから、もはや宗教よりも宗教らしい物質教といえる。フランチェスコ・レディ - Wikipedia物質科学ではアリストテレスの自然発生説を唯物論で曲解し、否定していながら、リン酸の物資から、生命を生み出そうと物質と格闘する姿は悪魔に唆され、哀れと言うほかはない。それもこれも、生命が、誕生から、死までの一回きりの存在と思い込んでいるからにすぎない。死んだら無になる、という思い込みの為せる業である。では物質的に、無とは何なのか、生命の研究のために、物質科学は答えを出さないとおかしい。生命の起源 - Wikipediaつまり、物質的に無とは、物質そのものの否定であり、物質科学による物質科学の否定で、それが物質科学の、死が無である、という見解にあるから、自己矛盾なんである。それゆえに、物質科学は、非物質なる物質を、例えば、物質波などを考案しようとしているのだから、非常に滑稽なんである。では、時空間は物質なのだろうか?という、これまた、死が無である、問題に遭遇する。時空間が物質でない、無なので、真空のエネルギーという概念を持ち出す。そうすると、死が無なために、無の真空のエネルギーから、生命が生まれると、物質的に考えるしかなくなる。要するに、物質とは正反対の、非物質性を物質で検証しようとしているわけで、死が無である、論理の堂々巡りをしているわけなんである。ダークエネルギー - Wikipedia真空のエネルギー | 天文学辞典 (astro-dic.jp)だから、物質科学は、悪魔により、地上の物質界を堂々巡りさせられている論理に、自ら陥っているわけなんである。というのも、物質科学では、エネルギーを物質に変換しないと検証できないからである。目にみえないもの、観測できないものは、無とするしかないからである。数学的には、無限大の、特異点を扱う羽目に陥るので、論理の堂々巡りに陥らないように、予め、観測データから、物質性を見積もり、担保しておく手法が、場の量子論の繰り込み理論である。繰り込み - Wikipedia繰り込み理論を、生命論に発展させると、リン酸物質の、DNAの遺伝子情報理論になるわけで、遺伝子という情報学を持ち出して、死が無になるのを回避して、親から子へと物質性がDNAにより受け継がれることで、無限大の死を回避しているわけなんである。そして、生命がエネルギーから生まれるのではなく、DNAによる遺伝性に帰して、巧みに非物質性に言及せずに誤魔化し、還元しているわけなんである。このように、物質科学では、死の無の論理の堂々巡り、いわゆる将棋の千日手にならないように、無に言及せずに、無を回避し、無をなきものにするわけなんである。このような死の無からもわかるが、物質科学からも、DNAを持ち出さずに、また別の事実、つまり生命が霊という無限大のエネルギーから生まれる、のが想定できるわけで、一回の誕生から死までの生命環に拘らなければ、生命が霊から無限大に生まれ、カルマと輪廻転生を繰り返すことが考えられるわけなんである。つまり、このような知性の行きつく先が、人智学が説いている、仏教でも説かれているが、霊的な真実なんである。DNAは、一回の生に拘るあまりに、親から子への遺伝として、死の無を回避するが、そのDNAの存在自体が、何世代もの生命が生まれては死んでまた生まれては死んでの繰り返しを、物質的に肯定し、つまり、カルマと輪廻転生を物証する、非物質的存在なのである。そして、その観測が、量子力学により補完されるわけなんである。恐らく、量子コンピュータが発展すれば、カルマと輪廻転生が、DNA変異により証明されるかもしれない。さて、現代科学が否定している、アリストテレスの自然発生説を、人智学により解き明かすと、それは、自我発生説なのがわかる。簡単にいえば、生命体は、自我により生まれるというもので、現代科学的にいうなら、「我ある」という自意識により、生命は生まれ、変化する、という意味になるだろう。この「我ある」から、エヘイエ、アシェル、エヘイエが、「我は我から生まれる」、という意味で、霊的真実を説いているのがわかる。つまり、我とは、神の意識であり、人間は、この神の、「我ある」意識から生まれたわけなんである。高次の宇宙人が、地球人に教えたいのが、この神の「我ある」意識で、この意識が無限大で、あらゆる能力をもち、不可能を可能にする自由を秘めている、最高位の生命体の徳目なのである。そして、地球人は、この最高位の徳目を、つまり、愛を用いて、地球を作り変える使命を帯びている、ということなんである。そして、この徳目は、お釈迦様がこの地に生まれた時に唱えた、「天上天下唯我独尊」でもある。宇宙は「我ある」意識の集合体からなっている、という真実なのである。我ある、というのを肯定するのが善意識で、我ある、のを否定するのが、悪意識である。悪魔は、人間に、肉体を与え、この「我ある」、意識を囲い込んで、制限している、のが、キリスト教が説く、原罪なんである。本来は、肉体がなくても、「我ある」意識は存在するのに、肉体しかみえないことで、「我ある」意識をなきものと、自らで否定しているわけなんである。死を無だと思い込んでいるので、太陽霊キリストが降臨して、「死は無」ではないと、死んで、弟子たちに、肉体を失ったが、「我ある」意識を通じて、再生してみせたわけなんである。そして、「我ある」意識を説きなさいと、弟子たちに命じて、新訳聖書が生まれたわけなんである。このように、人智学は、人生の謎への答えを解き明かしている。「我ある」の自意識を発展させ、互いの自意識を多様的に組み合わせ、バランスをとりながら、発展させるのが、人生の課題である。DNAは、我ある意識を記述し、いわば自分史を記録した媒体でしかない。自意識をどのように発展し、どのような能力を獲得するのかは、当人に委ねられている。善に活用すること、あるいはまた悪に陥ることも、当人の自由の意志に帰するのが、「我ある」意識の特徴でもある。だから、我々は皆、キリストが言ったように、神の子なのである。人間が神の子であるのは、今日、自分が為したことが、明日の自分をつくることからもわかる。なぜ、金持ちに生まれなかったのか、こんな親の子に生まれたくなかったとか、自分の親は選べないと、人生について、文句を言うのが、現代人には、もはや権利や言論の自由での習わしみたいになっているが、それらは、唯物論で人生を捉えてきたせいなのが、人智学の、人生への正答から明らかになる。人智学によれば、いまの自分の行為が、次の自分をつくるように、前世での自分の自由な選択が、現世での自分を巡る人間関係や環境をつくっている、というのである。つまり、なぜ、今の自分は自分なのか?という答えは、前世で、自分が、自分を選んだからである、というわけなんである。なぜ、自分は金持ちでないのか、それは前世で金持ちでないのを選択したからであり、つまり、前世で金持ちが嫌になったか、金銭に恵まれる生活に飽きた可能性が高いわけなんである。同様に、なぜ、いまの親が、親なのかは、前世で自分が、親友のなかから、来世で自分の親となるのを望み、選択したからなのである。前世がみえなくなったので、前世で自分が選択したのを忘れてしまい、文句をいっているだけなんである。だから、神様にしたら、お前が選んだくせに文句をいうのはお門違いで、自分に文句をいいなさい、というわけなんである。要するに、いまの自分の人生は、全て前世で自分で選択した結果なのである。だから、自分の人生に文句を言う奴は、自分がわかっていないポンコツなんである。俗にいう、自意識過剰のエゴイストなんである。日本語は、霊能者がつくったのかわからないが、非常にわかりやすくできているが、特に自業自得という、日本語は、カルマの法則の自業と、輪廻転生の自得を上手く表現している。つまり、自業自得の人生なんである。ということは、現世での選択と振る舞いの生き方が、来世の自分の人生をつくるわけなんである。だから、仏教では、善人になりたいなら、善行しなさい、と説くわけなんである。ただし口だけで唱えていても、来世では、善人にはなれない。言葉は、現世での一回の人生でしか通用しないからである。しかも、現世の言葉は、物質界を表現するのに適したものなので、言葉遣いから、来世の人生をつくることはできないが、その点で、日本語は、仏教の経典の、古代インドの霊的なサンスクリッド語などから派生しているようで、自業自得などが、霊的真実を加味されてつくられているようでもある。真言宗では、梵語のマントラがあり、日本語には、霊言として知られているが、それは霊言を話すことで、善行の代わりをなし、来世の善人に転生するのを願った言葉なのかもしれない。だから、京都のような仏教都市では、京言葉として、相手を建てることで、来世で自分を建てる、霊言による、建前が発達したのかもしれない。だから京言葉を使うには、ちょっとした心遣いの、相手の気持ちを察する霊能力を要するわけなんである。現代人は唯物論に洗脳されているので、この心遣いを嫌味と捉えてしまうのも致し方ないのかもしれない。実際に腹黒い俗物のような京都人もいるからかもね。仏教用語 (sanjobetsuin.or.jp)だから、仏教都市の京都人の模範となっているのが、善因善果、悪因悪果であるのが、人智学からも読み解けるわけなんである。ちなみに、東京は何の都市なのか、といえば、どうやら、明治神道都市であるようだ。東京の元は、厭離穢土の、徳川幕府の江戸城にあり、天海の道教由来の古神道にあるようで、京都から遷都して、実際は、帝の行幸という形だが、徳川政権の白の薬師寺系仏教から、道教の古神道からの明治帝による明治神道に代わったようである。明治帝が霊能者であったかどうかは定かではないが、宮内庁の一派から、そのような話が民間にも伝え漏れている。大正帝では、霊的に狂人の霊媒体質が生まれたので、同族婚をやめて、異族婚になったという噂もあるが、都市伝説の類であるようだ。この幕末の混乱の時代には、明治帝替え玉説もあり、フルベッキの写真なども、以前紹介したが、日ユ同祖論などと相まって、日本の国体を南北朝の古代から世界史的に研究しないとわからない。一説によれば、神道も仏教も、太陽信仰からきていて、太陽霊を日本語では、八百万の八幡と表現したようである。スペイン語で、八幡は、ヤハンとなり、ジャパンとなったようである。日本という国名は、陰陽師由来の道教の、陰と陽の二本(にほん)ともとれるし、日の本の、聖徳太子で有名な、太陽信仰にもとれるし、大和のやまとのヤハンが訛って、二ホンにあるとも多様な説があるが、前回紹介した、奈良タイムの、千年先を見通す、千里眼による政治を模範としていた事情や、神道の巫女からもわかるが、霊能力の養成国だったのがわかる。なによりも、帝をミカドと呼び、イスラエルの東征した十民族のガド族に由来するという都市伝説もあり、三種の神器説とともに有名だが、人智学によれば、現世での信仰心から、霊界を研究することが、次の転生で、霊能力を獲得する糧となると説いているので、この日本という国は、古来から霊能研究国家であったのは、疑いの余地もないだろう。千里眼 - Wikipediaだから、西郷南洲などは、大久保一蔵を、欧州病に罹った患者と呼んでいたようで、欧州洋行組がいないうちに、明治帝に奏上し共に国体を決めてしまおうと取り図ったが、大隈が告げ口して、慌てて帰国した大久保に権力を握られて、島津斉彬が掲げていたアジア連合構想が阻止されてしまい、ついには大久保‐伊藤に強請られ、明治帝にも裏切られ、下野してしまう構図は、アジア連合を阻む西洋の唯物論による軍事的な軛という、仲間を裏切り、西欧に自分を売り込む毒饅頭野郎がいる、現代の政局の構図にも反映しているといえるかもしれない。このようなユダのような、裏切り者は、キリストの最後の晩餐において、赦されて明らかになっているが、その名の通りの、彷徨えるユダヤ人としても有名で、仲間を裏切った罪から、永遠に逃れられないのは、明らかである。というのも、キリストは、ユダ当人の自由な意志を認め、赦したわけで、つまり悪魔に加担するのを赦したのだが、裏切りを赦したわけではないから、ユダは、永遠に転生し続けても天国にはいけない悪魔の手下になりさがるわけなんである。神を背くことは赦されるが、背いた罪からは、永遠に逃れられないのは、なによりも、自分をつくるのが、自分の選択であるのだから、自業自得なんである。裏切り者は罰せられはしないが、その罪から永遠に逃れることはできず、自分を永遠と裏切り続ける、天邪鬼となるわけである。だから、ユダはキリストを裏切り、後の転生でも、アウグスティヌスとなって、ローマ帝国を裏切り、常に裏切り続ける人生を送るわけなんである。人生をキリストを模範に生きるか、ユダのような裏切り者として生きるかは、あなた次第なのである。
2024年09月03日
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