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ある大学の学生が集団的自衛権の議論に関して「こういう大学に通う僕が戦場にかりだされることはない」とつぶやいたことが、様々な議論を読んでいる。なるほど、戦争というものはこうして起こり広がっていくのか…と妙に納得してしまう発言である。http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki2594/10794881.html米国でベトナムに介入したとき、そしてアフガンやイランに介入したときも、そうした政策を決定し、支持した人々やその御子息はたぶん「こういう大学」に通っていて、「戦場にかりだされること」など考えもしなかったのだろう。そして今の日本でだって集団的自衛権に賛成している人々で御自身やその御子息が戦場に行くという事態をリアルに想像している人は少ないのではないか。実際にさきの大戦でも、まず貧しい青年達から戦場に駆り出され、「こういう大学」も含めて学徒の出陣はおくれた。ただ、戦争が激烈さを増してくると、戦場と無縁だったという人はほとんどいなかった。なにかの本で高等文官試験合格者について書かれた資料をみたが、そうした当時のスーパーエリートの青年の中にも「戦死」というのがちらほらといて驚いた。もちろん現在御存命の某大物政治家のように安全なところにいた人も多かっただろうし、一般の青年に比べれば「戦死」者の比率ははるかに低かったのだろうが。「こういう大学に通う僕が戦場にかりだされることはない」とつぶやいている人に聞いてみたい。自分が戦場に行く可能性がないからと行って、「他人を戦場にかりだす」ような政策に賛同するのは正しいことなのだろうか。この正しいことというのは道徳的な善悪という意味だけではない。思考の方策として現実にかなうものなのかどうかということである。多くの人を悲劇に導く誤りは、その多くの人が「自分には関係ない」と思っているうちに忍び入ってくるものだ。ユダヤ人の弾圧をはじめたとき私はユダヤ人ではないので自分には関係ないと思っていたという比喩は有名である。徴兵制は現憲法ではどうみても無理なのだが、「解釈改憲」が閣議決定で自由にできるとなればわからない。それに、無作為に選ばれた人間に「遺体写真」をみせたり「死刑判決や冤罪事件に関与する精神的負担」を強いる裁判員制は既に導入されている。*特攻隊員の遺書を人類の「記憶遺産」として申請する動きがあるという。遺書は多くの人を感動させるものだと思うし、記憶しつづける必要があるという意見ももっともだと思うが、一つ忘れてはならないことがある。それはあの時代には検閲があったということである。今我々が読むことのできる遺書以外に検閲には通らない、そして通るはずもないと諦めて書かれなかった多くの遺書があるのではないか。そしてその検閲を行なったのは大日本帝国である。現在の日本とこの大日本帝国との関係はどうなっているのだろうか。子供の頃は大日本帝国を否定して生まれ変わったものが平和日本であると思っていた。だから大日本帝国の悪行をいくら言ったところで、それは現在の日本や日本人を「おとしめる」ものでは別にないし、それと現在の平和日本は違うのだからと堂々としていればよいと思っていた。ところが最近はどうもそうではないようだ。南京虐殺の否定など、過去に公職にある人がこんな発言をしたら、すぐに辞任となったような発言がおおっぴらになされている。ナチの戦犯がごく最近逮捕されたというニュースがあったが、日本でそうした追及をやっているという話はきいたことがない。ナチに協力した軍国主義政権のあったハンガリーではそうした時代の拷問や虐殺資料を展示した博物館(恐怖の館)があるが、日本で特高の拷問や虐殺資料を展示した博物館はあるのだろうか。そしてなにより第二次世界大戦前の日本、ナチスドイツの同盟国の軍国主義日本がどんな国であったか、そうしたことを考えている人がどれほどいるのだろうか。「日本をとりもどす」というのことが、そんな時代の日本を取り戻すというのだったら、ごめんこうむりたい。当時の珍曲「万歳ヒットラーユーゲント」という歌を下記でみることができる。燦たり、輝く ハーケン クロイツ…で始まる歌詞は北原白秋作詞ある。http://gunka.sakura.ne.jp/mil/banzai.htm
2014年06月29日
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日本のワールドカップが終わった。職場でも周囲でも大いに盛り上がり、おかげで2戦目の日の通勤電車はすいていたような気がしたが、自分はそれほど熱心に見ていたわけではない。ただ、とびとびに見ただけでも、日本チームよりも相手チームの方が走っても速く、蹴っても強く、明らかに体力が上のようだった。スポーツにまったく造詣もないので、「そう見えた」だけなのかもしれないのだが。サッカーが世界的に人気があるのは単純な競技でルールもわかりやすいからだろう。それだけに技術とか作戦よりも、基礎体力の占める比率が高いのかもしれない。オリンピックの短距離走で日本選手が席巻するなんてことが考えられないように、日本がワールドカップを席巻するなんていう事態は未来永劫ないのではないのかしら。それなのに、監督を批判したり、くやしがったりする報道はすごく変だ。実力があり、勝つ可能性があってこその悔しさであり批判ではないか。*どうせサッカーはお祭りであり、楽しみの種だ。だから新しい監督を再びすえ、おおいにまた持ち上げて報道すればよい。誰も傷つくわけでもないし、どこにも被害がでるわけでもない。アジア枠が現状どおりでさえあれば次回も出場できる可能性は高いだろう。こんどこそ日本サッカーが奇跡を起こす…こんな大本営発表を信じるのもスポーツや娯楽の世界でならよい。
2014年06月27日
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子供の頃「不幸の手紙」というのを受け取ったことがある。「一週間以内に5人に同じ手紙を出さないと不幸になる」というもので、「カナダのウィル大使は出さないで3年後に死亡した」ということが書いてあった。老人だったら3年後に死んでも不思議ではないのじゃないかとかなんでそんなことが知られたのだろうとか子供心にも変に思ったが、やはり気になる。そこで食事時に親にその手紙をみせたら父が言った。「一週間で5人に皆がだしたらどうなる。二週間で25人、3週間で…と計算すると11週間で日本の人口を超える。ということはほとんどの人がこの手紙を出していないんだろう。今頃は人がどんどん死んでなきゃおかしいね。」たしかにそうだ。非合理な話でも人は不幸の脅しには弱い。とくに迷信深い人でなくとも、縁起物をゴミに出したりする人はいないし、おみくじや占いでも凶がでると気持ち悪い。縁起ものを送りつけ、料金を請求する悪徳商法があると言うが、これもこうした人の弱さにつけこむものだろう。順風満帆のときにはこんなものを気にしなくとも、なにか悩みを抱えている時、問題がある時にはこんなものにもひっかかりやすい。そして騙されれば泣きっ面に蜂である。人の欲につけこむのは騙されるのもどうかと思うが、こんな人の弱さにつけこむやり方は大問題ではないか。
2014年06月25日
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子供の頃、こんなことがあった。ある子がピンクの下敷きをもってきた。するとその隣の子が、それをみて「い~けないんだ、いけないんだ」と節をつけて囃し始める。そうなると、水面に波が広がるように他の子を声をそろえて囃す。何がいけないんだかはそうなると問題ではない。一斉に囃したてるということが重要なのである。都議会の「セクハラやじ」騒動をみて、そんな想い出がよみがえってきた。*新聞もテレビもワイドショーもいっせいに「い~けないんだ、いけないんだ」と囃しているが、これってそんなにいけないのだろうか。美人都議に「お嫁にいけばいいのに」といったところで、別に傷つくとは思わない。都議会でなく、普通の会社で普通のOLにおじさん上司がいったところで、それほど気にする発言ではないのではないか。もちろんよい気分はしないだろうし、不適切といえば不適切なのだが、こんなのを大ニュースにするのはちょっとおかしいんじゃない?このやじを「人格否定」というのなら、マスコミがよくやっていた「サメの脳味噌」だとか「漢字もよめないマンガ脳」なんていう罵倒は人格否定ではないのだろうか。それにまた、マスコミが集中攻撃していた女性政治家についての記事はなんだったのだろう。*マスコミは日ごろ政治家に対して思いっきり人格攻撃をやっているし、ゴーストライターや実験捏造などの疑惑があるとはいえ、犯罪を行なったわけでもない一般人に対してもバッシング報道をしている。中には「お嫁に行かないの」発言どころではない、セクハラ報道もあった。そんなマスコミが都議会のやじをとりあげて「人格否定」だのなんのと批判するのはこっけいきわまりない。もともと著名人が多い国会とは違い、都議や区議ともなると目立ってなんぼ、名前をうってなんぼという世界でもある。今回の件ではやじをいわれた方も言った方も大いに名前をうったのではないか。
2014年06月23日
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銀河英雄伝説を読み終えた。ライトノベルなので読了なんていう大層なものではなく、通勤時間や休憩時間を2ヶ月ちょい楽しめたことに感謝感謝。それにしても、「時が移り所変わっても人類の営みにはなんらかわりない」(アニメのオープニングのフレーズ)といっても、遠未来の政治的対立が民主主義対王政というのは変わりなさすぎではないのか。だいたい、王政を代表する一方の主人公ラインハルト自身が「余の子供に能力がないのなら、能力のあるものが変わればよい」と、血統相続を否定するようなことを言っている。そういえばこのラインハルトももともとは貧乏貴族の出身で実力で前王朝を倒し、門閥貴族を打ち破って、銀河に覇をとなえるという話になっている。となるとこの民主主義対王政というのは、凡人の多数意思による政治か、英明な少数の人物による即断即決の政治かという対立になる。民主主義を報じている自由惑星同盟では扇動政治家が大きな支持を得、主人公ヤンは時には政府上層部ににらまれもする。一方の銀河帝国は政治にも軍事にも天才的な手腕をふるうもう一人の主人公ラインハルトの下で、着々と改革を実行し、公平で効率的な社会が築かれていく。本当に民主主義はそれほどよいものなのか…。読み方は人によってさまざまであるが、やはり民主主義は王政にまさるというのが、この小説のテーマのように思う。「主従ではなく友を作る思想が民主主義だ」と小説の中で、ある人物は語る。人が友となるためには、対等であり、平等でなくてはならない。民主主義の根底には、「平等」という理念があって、それこそが人類が今までの歴史の中で血をもって勝ち得た理念であろう。ただ、これを本当にありがたがっている人がどれほどいるのだろうとため息をつきたくなることもある。※くりかえすが、民主主義は凡人の多数意思でものごとを決していく政治システムだ。それなのに、その民主主義の担い手である人々の中にも、自分たちではなく「優秀な人」におまかせして政策の根幹を決めてほしいと考える人が少なからずいるように思う。しばらく前、テレビなどがある政治家を異様にもちあげたことがあった。毎朝彼の「勇姿」を映し、ささいなことでも、たいした発言のように報じ、スキャンダルへの対処でさえ「みごとな危機管理能力」ともちあげる。作られたブームが去った今となっては「彼は日本の救世主かもしれない」なんて報じた週刊誌があったことすら恥ずかしい。そんな「優秀な人が現れてなんとかしてくれるかもしれない」というおまかせ民主主義も退嬰的だが、「議員も身を切れ」というフレーズのもとに踊って、議員定数削減の合唱に参加するのも愚の骨頂だ。小選挙区議員を削るのならわかるが、今、削減の議論になっているのは比例区である。民意をもっとも敏感に反映する比例代表の議員を削るというのは、参政権の効力をそれだけ減殺するということである。自らの票の価値を減する「改革」に投票以外に政治に参加する機会のない庶民が賛同する。まさに奇怪としかいいようがない。※銀河英雄伝説は小説とともに、何話かもアニメも見た。アニメもできがよく、特に主要登場人物については、ちょっとこれ以外のイメージは思い浮かばない。中には小説よりもアニメでより強烈な印象を残す人物もいる。その一人が銀河帝国軍務尚書のオーベルシュタイン。冷ややかな声が謎めいたマキャべリストというイメージにぴったりである。再アニメ化という話もあるようなのだが、この声優に匹敵するような人がいるのかしら。
2014年06月22日
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うろ覚えでもネット時代のありがたさ、すぐに出典らしきものにぶつかる。何かの本で読んで「言い得て妙」と記憶に残った言葉であるが、出典はどうやら渡辺昇一氏らしい。その言葉とは…男は鉄、女は金。いろいろな解釈ができるが、鉄は良質のものは鋼鉄としてはかりしれない価値を生むが、くず鉄となると存在価値はほとんどない。むしろマイナスになることもある。これに対して金は良質のものはたとえようもなく貴重だが、くず金もそれなりに価値はある。男は鉄のようなもので女は金のようなものだ。女性蔑視ともとれるし、男性蔑視ともとれる言葉であるが、真理の一片は含んでいる。http://www5a.biglobe.ne.jp/~busei/meiku33.htm*たしかに世の中をみると鋼鉄のように時代を切り開く大きな役割をする人物は男性に多い。もちろん女性にも優秀で実績を残していく人もいるが、数は少ない。そしてまた一方で、どうしようもない犯罪者とか「人間のくず」のようなのも圧倒的に男性で、こちらの方も女性は少ない。まさに有用な鋼鉄もあれば、存在しない方がよいクズ鉄もあるというわけである。女性の場合は最上位層で自力で活躍しているという人は少ないが、下位層をみると男性よりもなんとかなっているようにみえるのはひが目だろうか。別に風俗とかそんな世界に話をもっていかなくても、今の世の中、ハードルの低い職業というのは、圧倒的に女性向けのものが多い。客商売、特に食品を扱うような仕事は、汚らしい中年男性は敬遠される。介護や保育の仕事でも、使う側、サービスを利用する側からすると女性の方が好まれるだろう。それかあらぬか、昨今では男性の方が失業率が高く、「男性不況」という言葉もあるという。ロスジェネの先頭が既に40代になり、男性の失業や不安定雇用の問題はますます深刻になっていくのではないのだろうか。*男は鉄、女は金。最上等で使いでのある金に鋼鉄のような働きをさせることも重要なのだろうけど、クズ鉄を作らないこと、銑鉄、鋼鉄、釘に鉄板と、それぞれの鉄に応じた役割を果たさせることも、重要だと思う。クズ鉄は消えてなくなるわけではない。ほっておくと社会をその赤錆でしだいに浸食してしまう。
2014年06月19日
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それを出されると反論のできない葵の印籠のような言葉がある。女性の能力活用というのもその一つではないのだろうか。それかあらぬか現総理も集団的自衛権とならんで、この言葉をよく使うようだ。例えば、要職に女性を据えると政権の人気取りになるという。マスコミが好意的に書くと言う意味で「人気取り」にはなるのだろうけど、それが一般の支持とどう関係があるのか、どうもよくわからない。普通の人にとっては雲の上にすわるのが男だろうが女だろうが、どうでもよい。まあ、性別にかかわりなく、優秀な人がそれなりのポストにつくことには誰も反対はしないのだが。そんな要職とは別に、警察官とか他の公務員分野などで、積極的に女性を採用しようというのはどうなのだろうか。あたりまえだが、女性を採用すれば、その分締め出される男がいるということだ。就職の厳しさは男性も女性も変わらない。いや、昨今では「男性不況」なんていう言葉もあるくらい、就職については男性の方が深刻だという。女性を登用するのはよいが、男性の就職を厳しくしないでほしいものである。
2014年06月17日
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ときどき訪問するブログに秀逸な記事が掲載されていた。題して「サラリーマンに生きがいなんかない」。http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-2636.htmlー引用開始ーそもそもあなたは何でこの仕事をやってる・選んだのでしょうか。簡単に言えば、「それにしかなれなかった」からですよね。本当は、弁護士や医者や野球選手や歌手や大学教授...は大学時代に諦めたけど、マスコミや教職...は無理なので、都銀…もウチの大学じゃ体育会だけ、あれも駄目これも駄目で、そんな感じで「挫折の結果」選んだんですよね、きっと。だったらつまらないのが当たり前じゃないですか。ー終了ーたしかに世の中の真実の多くは実もふたもない。ただこうした実もふたもない現実から目をそらせて、「誰もが生きがいを見つけることができる」というような言説が跋扈しているために、多くの人が不満をもつのではないか。今のような厳しい時代にはさすがに減ったが、日本が繁栄していていた頃には、「どっかに自分をもっと生かす場があるのではないか」という幻想(妄想)にとりつかれて、職場をやめていった人を何人か知っている。そう…仕事は基本つまらなく、忍耐と神経すりへらしの連続だ。そしてまた人間はバカなもので、そのつまらない仕事をさらにつまらなくするような例もある。狭い檻に飼われている鼠が互いをかみあうように、いわずもがなの悪口をいうような人のことだ。わざと人の嫌がるようなことを言ってなにが面白いのだろうかと不思議に思うが、そういうものを面白いと思う人も確かにいる。そういえば、ある人からこんなことを聞かれた。もし、人生をやりなおせるとしたら何歳からやりなおしたい?難しい質問だ。今までにそれなりに努力してきたけど、その努力をもししなかったらもっと辛い境遇になっていたかもしれない。若い時期に戻れるのはよいが、正直、ああいう努力をもう一度やりたいとは思わない。かといって「何かになる」ためには、いくら努力してもだめで、生まれ直さなければならないのだし…。
2014年06月16日
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銀河英雄伝説をもうすぐ読み終える。あらためて思うがこれがSFといえるのだろうか。そもそもSFの定義とはなんなのだろうか。遠未来を背景にして、宇宙での戦争をテーマにしているという意味ではSFなのだが、空想科学小説というには、その「科学」の部分はほとんどない。その意味ではSFのサイエンスをヒストリーに変えて架空歴史小説とした方がぴったりするように思う。もっとも、このSFの分野自体が、実は科学的な設定など期待されておらず、空想的、非現実的な設定のものをすべてひっくるめていうおおざっぱなジャンルなのかもしれない。そうだとすると、SFの中に空想科学小説や架空歴史小説があり、魔女や妖精など古来から伝わる物語世界に類似したものを特化して「ファンタジー」とよぶ。「銀河英雄伝説」には様々な星系がでてくるが、異世界の描写はまったくなく、唯一それらしいものは地球(といっても遠未来)のヒマラヤ山脈の描写である。異星人や異星の動植物の描写もなく、人々の日常生活も今日と変わらないとなると、作者の描きたかったのは、仮想歴史の中の英雄たちの人間ドラマということなのだろう。そしてまた、宇宙が舞台というと、すぐに異星人や異星の動植物を考えるのも、逆に頭が固いのかもしれない。生命の生存に適する惑星があったとしても、そこに生命があるとは限らない。生命に適した惑星も宇宙には希有の存在だが、そうした中に生命が発生するというのはもっと希有なことなのかもしれない。だとしたら、遠未来に人類が生存可能ないくつかの惑星をみつけ、入植したとしても、そこには人間と人間が持ち込んだ動植物以外は存在しないということもあるだろう。*銀河英雄伝説については、三国志やその他の歴史上の英雄物語を遠未来の仮想歴史におきかえたものというのが、もっともぴったりする。この分野に属するものも、時期の前後はわからないが、他にもあったように思う。「三国志」のアニメ(横山光輝原作のものではない)を以前テレビでみたが、それは実際の三国志とは似ても似つかないSF冒険小説のようなものになっていた。また、子供向けのマンガでやはり三国志を宇宙戦争に置き換えたものもあった。三国志でなくても、荒野の七人を宇宙におきかえたものもあったし、そういう意味ではSFというのはなんでもござれの分野なのだろう。銀河英雄伝説はこうした分野の傑作だと思うし、底流に、民主主義とは何か、国家とは何かという問いかけを置くことで、単なる若向けエンターテインメントから一歩抜けている。この銀河英雄伝説はアニメもできていて、こちらの方もかなりの傑作である。紅茶が好きになった。二人称に卿を使うようになった。こんな症状がみられる人が周囲にいたら、その人は銀河英雄伝説中毒かもしれない。
2014年06月15日
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たまに見るサイトに発言小町というのがある。主に男女間の様々な悩みが本音でつづられていて面白い。その発言小町で最近こんな記事をみつけた。題は「切実、知的な女性がいない」…。http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0103/285353.htm投稿者は34歳の男性。博士課程をでた公務員で働き始めて間もないらしい。公務員の世界ってよくわからないが、34歳で職歴が浅く、そして大学院なんてのをみると、上級職採用ということなのだろうか。本人の意識はともかくとして、高学歴が好条件での就職の保障になどならない昨今の世相をみると、この人も、ニート寸前で拾われたようにしか見えない。でも、この人の結婚相手に求める条件が凄い。まず、自分の年齢を考えると20代後半が許容範囲で、ルックスは可愛い系よりも美人系だって。美人の最低基準がどこかはよくわからないけど、最初から20代後半までの美人ときめてかかると、それだけで難しいだろうなあと思う。さらに、料理は少なくとも御自身より上手いとなると、さらにハードルが高くなる。そして、自分の収入は自分の趣味になるべく使いたいので、結婚後も仕事を辞めないことだって。ようするに、20代後半までの美人で、うまい料理を作って、仕事も続けて金を持ってきてくれることが、この方の結婚相手に求める条件なのだそうだ。そんな「つう」みたいな女房なんているわけないじゃん。ましてや、「自分は博士号を持っているため、相手の女性と会話する際にも最低限やり取りが成り立つようなレベルの知的水準をどうしても求めてしまいます。」となると、ますます無理という感じがする。まず、そういう知的女性は往々にして自分の生活くらいは自分ででき、依存心もないので、「公務員」という肩書にもそれほど魅力を感じない。第二に、知的女性からみれば、自分は博士号をもっているから高知能だなんて思う人は、おそらくそんなに賢そうにみえない。この人が伴侶をみつけるのはかなり難しいだろうな。*かつては夫が妻を養うのが当たり前、男はバカな女の方を好むなんてことがよくいわれた。それもどうかと思うのだが、ただ、周囲にも「バカじゃ困るけど嫁さんはオレを尊敬してくれる程度じゃなきゃいやだね」という人はけっこういたように思う。時代は変わり、男女平等意識がここまで浸透してくると、上記の投稿者のような人も増えているのだろう。身勝手な条件のように思うけど、なんのことはない、ずっと昔から女性が結婚相手の男性に求めていた条件だって似たようなものだった。一生生活の面倒をみてほしい、収入は何万以上じゃなきゃいや。学歴は最低でも何大卒とか…。昔は、女性が一人で生きていくのは難しく、たいていの男性は夫婦と幼児がぎりぎり暮らす程度の収入は得ることができた。今の時代はそうではない。そして男も女も結婚相手に求める条件は高い。これでは結婚件数が減っていくのも仕方ないと思う。それになにより、こんな時代、子供がまともに育つ保障などはない。功なり名とげた老人が無職の子供や孫に殺されるような事件だってある。
2014年06月13日
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ずっと昔読んだ小説にこんなのがあった。とある高校の写真部で1年生の少女のとった写真がコンクールで入選する。実はその写真は盗作で、昼にとった写真のはずが夜にしか開かない花が写っていた。なぜ少女はそんな盗作をしたのか。実は彼女は才能豊かでハンサムな部長に激しく憧れていて、彼の関心をひきたくて、そんな盗作をしでかしたのだった。とまあ、こんな筋書きだったかと思う。最近、マスコミが話題にしている科学界のニュースも、もし、発端が全くの虚偽や捏造だったのだとしたら、その心理は上記のような話に近いのかもしれない。もちろん真相はわからないのだけれども。ただ、たとえ意図的な捏造だったとしても、それは犯罪ではないし、世間の誰にも損害を与えたというわけではない。行なったことは論文の発表だけである。そうであるならば、その責任は科学の世界でだけで負えばよい。それ以上に世間的にバッシングされるいわれはないし、一部報道などは人権侵害というものであろう。科学の世界に縁がなく、そんな論文を見ても読むこともできない小生としては、彼女の研究に一片の真実があり、彼女の言葉のように「研究が誰かの役に立つ」ということを願っているのだけれども。*遠隔操作事件のこともあり、書こうか書くまいが迷うのだが、札幌のガスボンベ爆発事件では容疑者の主婦が再逮捕されたという。彼女をこれ以上拘束していったいどんな「新証拠」を得ると言うのだろうか。長期間の監禁で心身ともにまいった容疑者が自白することを期待しているとしか思えない。長期の身柄拘束による自白偏重の調査は海外からも中世なみと批判されているのだが、その反省はまったくないらしい。札幌では家にガスボンベを置くなどは普通のことだし、近所に住んでいれば防犯カメラに写ることだってあるだろう。ニュースでみるかぎり、この事件は誤認逮捕の可能性が高いように思えてならない。
2014年06月12日
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銀河英雄伝説も残すところあと一巻となった。SFというよりも仮想歴史小説といった方がよいだろう。人類があちこちの惑星に入植した遠未来の物語だが、これは設定にすぎず、えがかれているのは権力闘争であり、恋であり、戦いである。その戦いも、設定が三次元であるだけで、基本は軍艦や騎馬部隊を使った古代からの戦とかわりない。登場人物も好漢あり卑劣漢あり廉直の士あり…でいずれも既視感がある。そんな中で唯一等身大に描かれているのが、ヤンではないか。天才軍師という設定でそこは等身大などではないが、他の点ではもともと歴史学者志望で、年金暮らしが夢というあたり、こうした歴史もの好き読者の自画像に近い。賢明な専制君主による独裁か、衆愚政治かというのが、この物語の大きなテーマであるが、それは衆愚政治の方がましだろう。どんな賢明な人でも「人」という範疇からは逃れられない。素晴らしく頭のよい人、優秀な人というのにも出会ったことはあるが、そういう人とて決して完璧ではない。ただ賢明な専制君主の独裁と衆愚政治というものはそんなに違うのだろうか。逆説的だが、衆愚が「賢明な独裁者」を求めてしまうということもあるのではないか。難しいことはよくわからないが、素晴らしい人を指導者に選べばきっと問題が解決する…そんな幻想で政治が動いてしまうことだってある。
2014年06月11日
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半素人のアイドルグループの人気投票をマスコミが「国民的行事」と持ち上げていることに対する違和感を書く。投票と言ってもCDを買うのと引き換えであるので、実態は新手の販売戦略であろう。こうしたことを報道すること自体、一種の宣伝になるので、少なくともNHKは報道をひかえるべきではないか。メンバーの少女たちの当落報道に大騒ぎしても、儲かるところは一つだけである。それにまたこうした商法についても疑問がある。親の反対を押し切って芸能界をめざしますなんていう話は昔はよくあったが、昨今では子供の芸能界入りを夢見る親も多い。グループのメンバーの親の中にはCDを大量購入している人もいるのではないか。好きでやっているとはいえ、販売戦略としては邪道なのではないか。それにしても…と思う。なぜこうした素人芸がうけるのだろうか。歌だけではなく、お笑いの世界でも素人ばかりがもてはやされる。それほどメジャーではなくとも、昨今では声優とか御当地アイドルをおいかけている人も多い。そうしたファンにいわせると、歌でも踊りでもあまりうますぎると「スペックが高く、まぶしすぎて応援できない」のだそうだ。身近で手が届きそうだから応援するというのは、あのアイドルグループが「会いにいけるアイドル」ということで売り出したのとよく似ている。そうした声優やアイドルのチケットはそれほど高価というわけではないのだが、会場にはたいていグッズも売っていてそれには長蛇の列ができる。バッジやTシャツもよい値段で売るのだが、歌ごとにふる旗とかタオルも原価の何倍で売る。ファンは歌にあわせてペンライトだけでなく、そうした旗やタオルを振って、それをしないと「ものすごい疎外感」を感じるのだと言う。昔から日本では芸能人でスターであることは期待しても、高度な歌唱力や演技力は期待しないのではないか。例えば、本当に長いこと人気を持続している大もの女優という人もいるが、ファンは彼女の演技力ではなく、清純で知的な世代の偶像としてのスター性をかっているようにみえる。だから彼女の映画を見る人は、それぞれの役に「扮している」彼女をみるのであって、演技している彼女をみるのではない。開拓農民の役をやっても、生活に苦闘する母親をやっても、彼女は常に美しく輝いていなければならない。映画としては嘘っぽくつまらなくなると思うがファンにとってはそれでよいのだろう。
2014年06月10日
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報道では維新の分裂などの政局をとりあげ、野党再編だとかなんとかいっている。ただ思うに維新、みんな、唯など第三極ともてはやすところは、本当に野党という名に値するものなのだろうか。単に当選したい、次の選挙も勝ちたい…そのために「風」がふいているところをあっちにいったりこっちにいったりしているだけのようにしか見えない。その意味では民主党も同じだろう。労働組合をバックにした議員ならともかく、それ以外の議員は自民からでられれば喜んで乗っただろうが、民主党からでれば当選できたから民主党に入ったというだけではないか。行動力がある、優秀な人達だ、何かやってくれそうだ、という期待だけなら、200%うらぎられる。民主党による政権交代に期待していた向きも多かったが、民主党がふたをあけてみたら劣化した自民党でしかなかったことは記憶にあたらしい。世の中の変化ははげしく今日のような社会は100年以上も前のどんな賢者も予想しえなかっただろう。生まれとか血統とかそういったもので人生が決まるということはずっと少なくなった。逆にいえば「よい生まれ」はよい人生を歩むための保障にはほとんどならない。生産手段をみても、大きな工場で大勢の労働者が固定的に働くという形も少なくなった。別の言い方をすれば、工員の熟練というものの価値もそれだけ落ちている。国際化もすすみ、国内で労働者が働かなくなれば、海外から調達することも可能だ。ただ、その一方、100年以上前の賢者が予想していなかったことがある。それは普通選挙が当然のものとなり、国政についてはどんな金持ちも貧乏人も、ともに同じ一票を有する社会となったことである。
2014年06月09日
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厚木市の男児餓死事件はいたましい限りである。母親が出ていった後、他の女性と生活を始めた父親が5歳の男児を家に閉じ込め、男児は遺体となって数年後に発見されたという事件である。態様からすると大坂の二児餓死事件と酷似している。親としては最初は子供が気にならないというわけではなかったのだろう。ただ、生活の困難などにより、そうした負担がある閾値を超えると、問題に蓋をし、「なかったこと」にしてしまいたい。なぜ子供を閉じ込めたかについてはいろいろに解釈できるのだが、児童の遺棄が表に出ることで非難されるのを怖れたのだろう。ましてや子供が餓死してしまっては、犯罪を隠蔽したいという通常の犯罪者心理が働く。*親が子を思い、子が親を慕うのは人間ならず、どんな動物にもみられる。無力な幼児は親に頼るしか生きる途がないのだから当然である。その親から見捨てられて、一人で死んでいった幼児の恐怖や苦しさは想像を超えるものだったろう。大阪二児餓死事件も同様である。ただ、厚木の事件と大阪の事件を比べると報道ぶりに大きな差がある。厚木の事件では母親は警察の聴取を受け、DVが原因で家を出たという事情も知られている。これに対して大阪の事件のときには子供の父親についての報道は、記憶にあるかぎりない。母親と離婚したとはいえ、子供にとっては父親である。子供とは会っていたのかとか、養育費は送付していたのか、とか悲惨な事件のことを考えると気になるところである。大阪の事件では両親は離婚し、厚木の事件では母親が家を出た。大阪の事件の父親についての報道と厚木の事件の母親についての報道との差は法的に離婚しているか否かによる差なのであろうか。おそらくそうではないと思う。父親であるか母親であるか、それによる差異が大きいのではないか。一人で子供を育てていた母親が他の男とつきあって子供を遺棄した場合には、とんでもない女だということになる。これに対し、父親になると、男だから妻が逃げた後他に女ができるのは仕方ない、それより母親はなにやっていたんだ、男に子供を押しつけて逃げるなんて無責任な女だと、こう思う人が多いのではないか。意識するしないは別にして、そしてよいとか悪いとかは別にして、当事者が男か女かによって、事件を見る目に無意識にバイアスがかかるのは否定できないのではないか。でも、世間の人のバイアスはともかく、厚木の事件で父親に大阪の事件に比べて不均衡な寛刑が科されたり、母親にまで刑事責任が問われるような展開になったりしたら、これはもう法の下の不平等だとしか思えない。大阪の二児餓死事件では母親に重刑が科される一方、父親に関しては刑事責任どころか報道もほとんどされなかったのだから。**子供芸能人グループのCD販売戦略としか思えない「総選挙」をいかにも国民的関心事であるかのように大報道するマスコミには疑問を感じてならない。それも民放ならともかく、NHKまで報道するなんて…どうなっちゃっているのだろう。こんなことをやっているからマスコミへの信頼はなくなっていくのではないのだろうか。
2014年06月08日
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総理の発言の中で、ボランティアを救出するために集団的自衛権が必要であるということをきいて非常に違和感をもった。イラクで三人の邦人が人質になったときの政府の対応はなんだったのだろうか。もしあの時点で、日本軍なるものが普通に存在していたとしても、政府が彼ら3人を救出するために動くことなど2000%ありえないだろう。戦場には普通の民間人はいかない、そこに行くのはボランティア、だからボランティア救出…という発想なのだろうが、こんな議論のうさんくささはイラクの人質事件を思い起こしただけですぐにわかる。*そしてまたいいにくいことだが、社会の側にもそうしたボランティアを救出するために国軍を動かすという発想はないのではないか。イラクで三人が人質になった時、大変なバッシングが起こった。実は、自分もこの日記でもバッシングととれることを書いた。渡航禁止勧告を無視しての遭難なのに、家族の居丈高な態度に違和感を感じたこと。武装勢力の要求文書が「日本の皆さんの力でイラクから撤退させてください」といったいかにも戦後民主主義的な文章で中東の武装集団の発想とは思えなかったこと。人質になったボランティアの男女の「自分は他人がやらないすごいことをやっている」みたいな雰囲気がはなについたこと。まあ、そんなところが理由だし、今でもあの人質事件には不可解な感をいだいている。自分の意思で危険地にあえて行ったボランティア救出のために自分の夫や子供を危険にさらすという発想は政治家はともかく、社会の側には存在しない。*イラクのボランティアは別にしても、海外で危難にあったときに政府は国民を守らない。今までもそうだしこれからもきっとそうだろう。中国で大規模な反日デモが起き、留学生の中にかなり危険なめにあった人がでたときも、外装は中国ではなく、デモの発端となった日本人学生を「無知」と非難した。発端は日本人学生の寸劇でそれが「中国人を侮辱」ととられたものであった。集団的自衛権を考えるとき、過去において国家が、国民、富や権力とは無縁の国民が海外で危難にあったとき、何をしたかということも思い出してみる必要があるように思う。
2014年06月06日
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世の中にはよく学歴を口にする人がいる。オレは大学に行っていないから、オレは何大学しかでていないから…と。そういうのをきくと正直いやになる。というのはそういうことを言う人に限って、卒業後の研さんなど全くやっていそうもないからだ。英語だって?そんなのできるわけないじゃん。パソコン、あ、だめだめ、オレって機械とか弱いから。そして仕事以外で読むものと言えばスポーツ新聞、見るものと言えばテレビだけ。それでいながらオレが会社で左遷されたのは何大学しかでていないからだなんて、よくいうよである。*高学歴の人が皆そうだとはいわないけど、高学歴の人は概して社会に出てからも向上心の強い人が多い。業務に関連した勉強もよくやるし、直接に関係のない英語やパソコンなどの学習にも意欲がある。そういう人はもともとそうしたことが好きなのだろう。ある会社の幹部からこんな話を聞いたことがある。「Aさんをオレの部署にと言われたが、断ったよ。あいつは文章が書けないからねえ。」そのAさんはよく知っている人だ。彼は望む部署に行けなかったのを大学のせいにしていたようだけど、それは違う。普通の仕事では頭のよい悪いは文章力にでる。頭の悪さが分かるのも文章、頭の良さが分かるのも文章である。ただ文章力は数学などと違い日々の努力も重要だ。Aさんの私生活を知っているわけではないけど、そんな努力をしているようにはとてもみえない。*なお学歴といったが、世の中には様々な事情で大学に行かなかったような人がいる。身近にも、高卒だが、知的向上心が強く、職場でもよく勉強している人がいる。そしてその人は自分が大学に行かなかった事情などは一言も言わない。いわゆる「貧乏自慢」とは縁のない人である。その人のことは心から尊敬しているし、これからもよき友人であってほしいと願っている。
2014年06月05日
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一部の夕刊紙が報じている人材派遣会社と政界、官界との癒着疑惑…一般のマスコミが報じないのはなぜなのだろうか。それにしてもいつも思うのだが「人材派遣」という名称、あれはやめた方がよい。だって派遣業が通訳なんかに限定されていた頃ならいざ知らず、いまどき、派遣する方も、そしてされる方も「人材」だなんて思っていない。正確には奴隷派遣口入屋、奴隷派遣ピンはね業とかいった方が実態にあっている。http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/228.html*ところで、ツイッターでこんなのがあった。https://twitter.com/sennanminsho/status/458815511258603520「増税しました。解雇自由にします。残業代無くします。年金減らします。生活保護は締め付けます。配偶者控除無くします。共働きしてください。子供は産んで下さい。保育所はそんなに増やしません。保育士の待遇は改善しません。代わりに法人税は下げます。」すげーな、安倍ちゃんこれで内閣支持率が報道によると高いのが不思議。まあ、他に選択肢がないと思っている人が多いのだろう。民主党政権はあまりにも無残だったし、他の政党も現政権のストッパーとなりそうにはみえない。そういえばよく駅前である政党の議員が演説している。「日本を戦争の出来る国にしてはならないのです~」それよりも日本が就職できない国、日本が食えない国になって、必死にもがいている人々が大勢いる。
2014年06月04日
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「男はつらいよ」の寅さんのきめぜりふは「それをいっちゃあおしまいよ」だった。世の中には「それをいっちゃあおしまいよ」というものがあるし、そういう場合に「それ」をいうのは野暮というものだろう。宗教についての下記のような見解も、「それをいっちゃあおしまいよ」の「それ」なのではないか。ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれるが、多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる…のだという。http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/d98d918e5d88268170723925baf86407それはそうなのかもしれないし、本当は皆そう思っているのかもしれないけど、そんなことってわざわざ言わなくてもいいのではないか。人生はままならぬものであり、世の中には不条理なことが多々ある。宗教が存在するのは、それが「真実」であるというよりも、そういうものが人間にとって必要だからではないか。それにまた、宗教を人智を超えたもの(それを神とよぶかどうかはともかくとして)に対する崇拝の念だとすれば、その崇拝の対象となるような「人智を超えたもの」が存在しないといいきるのも、一種の傲慢のように思う。*PC遠隔操作事件で「真犯人」を名乗るメールがきたという。単なるいたずらなのだろうか、それとも本当に真犯人が別にいるのだろうか。さっぱりわかりません。
2014年06月02日
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北朝鮮が拉致事件再調査に同意という記事が何日か前の新聞の一面に掲載されていた。拉致被害者家族と被害者の娘とのモンゴルでの面会にはじまって、最近、ふたたびこの関連のニュースが多くなっているようにも思う。それにしても、再調査というのは具体的に誰がどのようにやるのであろうか。ああいう密室体制の国家で再調査といっても意味がないように思う。また、これは文字通りの「調査」と解するものではなく、なんらかの動きがあるということを意味すると見ることもできる。そうなると拉致事件とは別の終戦前後に行方不明となった日本人についての調査が入っているのもうなづける。戦後の引揚の途中で消息を絶った人も多いし、なかには北朝鮮に痕跡のある人もいるであろう。また、シベリア抑留でも虚弱な者は北朝鮮に送られたという話もきいたことがある。拉致被害者ではなく、こうした行方不明者の情報や遺骨遺品等の提供と言うことも「調査結果」としてはある。*北朝鮮の究極の目的は日本と国交を締結し、どこぞの政治家が約束した「戦後補償」なるものをひきだすことだろう。核保有国を自認している国が一方で体制崩壊の危機がいわれるほど経済的に困窮している。中国の脅威もいろいろといわれるが、こちらの脅威も大きいように思う。忘れている人も多いのかもしれないけど、コイズミ訪朝のときは北朝鮮との国交締結も視野にいれていた。外務省にはそうした指向の官僚もいたし、彼は拉致被害者の北への帰国を強硬に主張していた。拉致被害者5人も当初の扱いは「一時帰国」であり、5人は北朝鮮で幸福に暮らしていたとマスコミではさかんに報道されていた。そして被害者の帰国後すぐに行なわれた重油支援、コメ支援。風向きが変わったのは被害者が永住帰国を決めてからのように思う。
2014年06月01日
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