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・9、30、金学者というものは、実にいろんなことに興味を持つものである。そしてそれらを自分なりに深く洞察しデータを作成しようとする。例えばたばこが横にいる他の人に害があるかというデータをひねり出すことは、本来そう簡単なことではないと思うが、とにかくデータと答えを出さないと話が出来ない。様々なことに考察するという性格は僕もよく似たようなところがあると思う。ただ探求する粘りと、明晰な頭脳と知識が僕には欠如しているだけだ。ここでの議題は、男性の性欲が犯罪に結び付く原因であるようだ。しかし読んでももう一つ納得できない。個人的な答えを無理やり押し付けられているように感じてしまう。さてここで僕個人の見解を述べることになる。やれやれと思いながら読んで欲しい。男が女性をレイプし、そのまま殺してしまう。今まで一体何人の女性がそんな被害にあい死んでいったことだろう。こういったニュースを聞く度、僕はどうしようもない震えを身のうちに感じる。これを食欲と子孫が分離した状態とか、男性の脳が200万年前から妄想により五感による性欲が退化したせいであるように述べている。僕は「母親」これこそがその原因であると考える。男性にとって母親とは何にも増して大きな存在であり、母親から愛されなかった、憎みだけを含んだ虐待を受けたなどの経験を重ねると、母親への憎悪ではなく、自分と女性一般に対する憎悪が育って行く。これはどうしてなのかは分らない。母親を殺せばすむ話だが、矛先はそこには向きにくいようだ。何故なら、どれだけ自分が母親に虐げられようとも、その母親を愛しているからだろう。そして性欲と憎しみが一体化する瞬間がやって来る。恋しい母親と、愛されない憎い自分との錯綜だ。気が付けば見知らぬ女性をレイプし、そして抹殺している。女性の温もりと、それを消滅させることが彼には必要なのだろう。だから性欲と子孫が分裂などはしていない。結論を述べれば、母親という女性が、罪なき女性の生きる権利を無慈悲に奪っているということにもなる。このような狂気な男たちは年々増えていると思われる。物質社会、欲を顧みない生活が狂った母親を育て、生まれる無垢な子供を狂気な男と作り上げる。父親がいくらバカでも、母親から愛を感じて育てばきちっとした男が出来上がるだろう。ーーーーー男性の性欲とはなにか1男性の性欲をよく理解しておくのは、日常的な生活でもとても大切なことです。よく、独身の女性を襲って、その女性を殺すという悲惨なことが起こりますが、こんな不思議なことはありません。たとえば、「食欲は何のためにあるの?」と聞くと、「生きるためにはカロリー(エネルギー)が必要だから」とか「ものを食べなければ死んでしまうから」(同じ意味ですが)と答えるでしょう。ほとんど100人が100人、そう答えると思います。つまり「食欲」という欲望は「食べることが大切だから」に他なりません。同じように、「性欲は何のためにあるの?」と聞くと、「子孫を作るため」と答えるでしょう。なにしろ、生物は生殖細胞だけは次の世代に受け継がれますが、自分自身はそのうち、死んでしまいます。だから、「死なないうちに生殖細胞を残さないと」と思い、そのために性欲が必要です。というより、もう少し本質的に言うと、この地球に「命」というものが出来たとき、その命はすぐ死んで、また新しく命のないところから命を作らなければならなかったのですが、それではとても能率が悪いので、「体を作っている材料が劣化するまでに、新しい材料で体を作るしくみを持った生物」=「子供を作ることができる生物」が誕生したのです。私たちはその子孫なので、性欲は当然の欲望なのです。「子供を作るために性欲がある」のに、性欲の対象となった女性を殺してしまうという事件???・・・つまり「性欲と子孫」が切り離されたのが、「女性を襲って殺す」ということなのです。実に不思議です。このことを正しく、論理的に説明できる人はそれほど多くないようです。そして、それが悲惨な出来事にもつながっているように思うので、性欲について、すこし書いてみたくなったという訳です。男性の性欲についてよく理解すれば、もしかすると悲惨な事件のすこしは減るのではないかと期待ができます。・・・・・・・・・人間を除く、全ての生物は自分の体の材料が劣化するまでに、別の体(子供)を作るという方法を採っています。そして、オス・メスの区別のある生き物は、何の不安もなく、迷いもなく、異性を捜し、子供を作ります。内容は省略しますが、1.単性よりオスメスがあった方が子孫が優れる2.生殖の時に競争した方が子孫が優れるという傾向がありますので、高等な生物はオス・メスの区別があり、そして同姓はお互いに競争します。また、動物によっては子供の作り方、育て方は千差万別ですが、「異性を捜し、子供を作る」ということではまったく一致しているのです。ところが、人間だけはヘンテコになりました。ヘンテコになったのは200万年前ぐらいではないかとわたしは思います。それは、男性の脳が発達して、「幻想」を抱くようになったときに起こったのでしょう。それからさらに男性の脳は発達し、現代に生きている男性は「目の前の事実」と「頭の中に描いた幻想」の区別が付かなくなっています。・・・・・・・・・200万年前は狩猟の時代でしたから、男性は獲物を捕ろうといろいろと頭を巡らせました。そして、「自然」というのをジックリ観察すると、どうも「目で見たとおりではない」ということに気が付いたと思います。目の前にお団子があれば、普通ならそれを「お団子」と思うのですが、ひょっとすると違うかも知れないと思って、よくよく見ると「お団子に似た石ころ」だったりしたのでしょう。それをすこし現代風に言うと私がよく言うことですが、次のような例になります。毎朝、太陽は東から昇って西に沈む。何回見ても太陽が動いている。でも、事実は地球が動いている。それを知らないと人工衛星をあげることができない。・・・つまり、事実は目で見たことではなく、そこに「頭の知識」が入らないと「本当のこと」が判らず、本当のことが判らないと「失敗する」ということを経験し始めたのです。かくして男性は「幻想」、「妄想」を抱くようになります。「目で見たことは事実ではない」、「事実を知らないと狩りに失敗して、飢え死ぬ」と言うことですから、これは大変なことで、事実を知ろうと頭を働かせます。その結果、「正しい認識」と「間違った幻想」の二つが男性の頭に生じます。おそらく、その時に、男性から「本能」がかなり抜け落ちたと思われるのです。つまり本能とは、五感をそのまま信じるのですが、それはそもそも「五感」というのが生物に備わっている理由だからです。・・・・・・・・・味覚は「おいしいものは体に良い」というためにあります。もし、味覚が「体に悪いものを美味しいと思う」というのであれば、味覚がない動物の方が繁栄するからです。辛い物、甘い物、お酒、タバコ・・・だいたい、男性の好む物は健康にはろくな物はありません。焼き芋、大豆の湯葉料理、野菜の煮付け・・・女性は味覚と体に良いことが男性より一致しているようです。かつて、私は「男性がなぜ不健康なものを好むのか?」という謎に取り組み、その答えは「男性はもともと不要だから」という回答を得ていたのですが、どうも最近では「男性はもともと不要なのだが、それに加えて幻想を抱いているから」というように修正しています。だいたい、動物では女性10に対して、男性1ぐらいが良いので、男性の10人に9人は不要だからです。女性は一人が産む子供に限界がありますが、男性にはありません。これは性というものの性質がそうなっているので、「自然現象」です。男女差別ではありません。男性は10人に9人は死ななければならないので、戦争をしたがったり、健康にわるいものが美味しいと思うのは当然だと思ったからです。・・・・・・・・・でも、「食欲」より、「性欲」の方がさらに複雑
2011.09.30
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・9、27、火 今我々が最重要視するべきことは、子供たちをどうやって守るかではないか。 ここで言う子供たちとは、お母さんのお腹にいる赤ちゃんから20歳ぐらいまでの若者 を指す。 僕も地域でいろいろ個人的に人々の考えを探っているが、小さな子供を持つお父さん お母さんは、ほとんど放射能には全く無関心である。 周りを見渡しても、僕と話の合う人は一人も見付からない。 それに加えて、このまま行くと僕はモンスターとして見られるようになることだろう 。 もしくは怪しい信仰宗教の普及活動に熱心な信者のように見られる。 どうして皆ここまで政府を信じ、マスコミを信じ、邪魔くさいことを排除しようとする のか。 福島の農家がかわいそうで、風評を避けるためにはわが子を被曝させても良い。 先日年配の男性と話していて、子供たちの給食の危険性の話題を向けたが「自分たち の傍には小さな子供がいないので、実感がありませんな」と言われ唖然とした。 大人が子供を守るという当たり前の社会の意識は、一体どこに言ってしまったのだろ う。 「自分たちはいずれいなくなるから、後のことは知らん」ということか。 平和な時は皆綺麗ごとを並べ、本当に非常事態にならないと見えてこない人々の真実 があるのだ。 でも昔は居たはずだ。 無力であっても責任を備えた大人が。 ーーーーーーー うれしいニュース・・・頑張る食材関係者 「放射線なんて何でもないよ」と言えば粋(いき)に聞こえ、「子供の被曝を少しで も避けたい」というとモンスターと言われる昨今、この雰囲気はいわゆる日本の「空 気」であり、それは今までも作られ、多くの人が被害にあった歴史でもありました。 しかし、いつの世でも「普通のこと」をそっと片隅でやっている人たちも大勢おられ るのです。やがて「幻想としての空気」を作った人たちは人生を失い、普通のことを やり続けていた人が残るものです。かく言う私も多くの方からの励ましで元気を取り 戻し、確固たる信念を失わずに活動を続けていきたいと思います。読者の方からのう れしいニュースもあります。週の初めにあたって、改めて決意をしたいと思います。 ・・・・・・・・・うれしいニュース・・・・・・ 一つは東京の食材を扱っている方からのメール:「検査システムを構築したことによ り、国産原料(福島県産含む)の商品については その約85%については放射性物 質が不検出(約1Bq/kg未満 放射性ヨウ素とセシウムの合計)、検出は約15 %で、検出レベルは1から10Bq/kgです。現在はおおよそ、この水準で商品管理 をしています。」 すばらしいですね。そして本質を突いています。まったく汚染されていないもの85 %、10ベクレル以下のもの15%ですべてOKです。まったく心配のない食材を扱 うことはできるのです! 確かに福島と北関東は汚れましたし、除染が第一ですが、汚染されないように食材を 作り、若干汚染されているものでも10から20ベクレルをまもることができるでし ょう。 このような食材店こそ、昨年までも「消費者のために」という精神を持ち、今後も一 貫した人生を送られることでしょう。 ・・・・・・・・・ 次にお米を作っている宮城県の方からのメールです。 「4月よりホームページで土壌のベクレル公開をやっています。昨日は玄米の1回目 の検査データが出ましたので公開しました。検出下限値は0.6ベクレルです。もち ろん検出されました(134Csが1.2、137Csが2.0でした)。 0でない以上、安全ですとか、安心してとかはおしつけませんが、武田先生のおっし ゃる通り、数値を明確に示すことで、信頼と安心感が得られると考えています。皆さ ん野菜の数値は低くても公開しますが、米はビビッているようですね。数値が分かれ ば、自分はそれをどれくらい食べられるかとか計算できると思うのですけれど。もう 少したてばこういう動きももっと出てくるのではないかと思います。」 この方は推察するところ、福島原発の前から「安全なものを消費者に」というお考え で農業を続けられてきたようですが、今の流通の方もこのご立派な信念を少しでも学 んでいただきたいと思います。 ・・・・・・・・・ またかなり前のことですが、5月に2つの農業関係者からメールをいただきました。 一つは福島南部の酪農家、一つは福島北部の農家でした。 お二人とも「ゼッタイに汚染されたものは出さない。今はどうすればよいか、見当も つかないが出さない」というメールでした。それは大変なことと思いますが、食品で すから出荷するということは「子供が食べる」ということですから、農家の方の覚悟 のほどは頭が下がります。 ・・・・・・・・・ 私は今回のことで、表現はあまり良くないのですが「セミの抜け殻のような人」と「 人間としての心を持っている人」が見えたような気がします。たとえば、文科省が言 った「子供1年20ミリ(レントゲン400回)被曝させる」と決定したとき、それ が「万が一には安全」かも知れません。しかし、「万が一には安全かも知れない」と いう被曝を子供にさせるとき、心が痛まなかったのでしょうか? 確かに原子力発電を止めると電気や日本の経済が心配かも知れません(私はそうは思 っていませんが)。でも、日本は世界でもっとも「対外資産」を持っている国ですし 、「円高で困る」というほど他国から見ると安定した経済のもとにいます。 そんな豊かな日本の中で、なぜ子供を助けてやれないのか、少しでも安全な場所での びのびと生活をさせないのか? あのソ連ですら、事故の次の日にはバスで安全な場 所に連れて行き、さらに夏休みには林間学校を開いたのに、日本は1年1ミリから1 年20ミリにあげて逆方向に行きました。今でも福島は大人1ミリ、子供20ミリな のでしょうか? 実に情けないことです。 ・・・・・・・・・ 将来、なにも知らなかった子供が一人でもベッドに横たわってはいけない。その時の 親の苦しみを感じることができない「抜け殻」になった人は指導者という地位からか ら下がってもらいたいと思います。 (平成23年9月26日) 武田邦彦
2011.09.27
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・9、26、月昨日25日は「第2回NSK第九を歌う会」の本番であった。24日はホールで前日リハーサルを行い、京都や大阪から多くの参加者の方々が集まって下さった。車椅子や歩く事に不自由な皆様などは、京都から見えるにも三時間以上掛るとのことで、サポーターの皆様も含めその情熱に頭が下る。アクシデントなどもあり予定外の時間を必要としながらも、夕方にはリハーサル終了。皆さん解散して次の朝10時に集合。僕はもっと朝早く集合のため近くのホテルに宿泊。そのホテルがすごく古く、部屋はくの字型の変わった間取りで、ベッドは傾いて、枕は歪で一晩中熟睡できず、おまけに隣の宿泊客が朝5時に風呂に湯を張る音が壁越しにけたたましく響き、びっくりして目覚めてから眠れず、結局朝まで。運営委員は早くに集合して準備に掛かり、10時には皆さん元気に登場しゲネプロ開始。どうしてもゲネプロは2時間充分に掛かり、合唱団の皆さんは雛壇に立ったままで疲労する。いつものことだが、体調を崩す人もなく乗り切り昼休憩。開演時間となり、まず一部の「童謡メドレー:いつの日か」。障害を持った方々のための第五パートを添えてのNSK独自の演奏。皆さん積極的にしっかりとした歌唱で、客席からも大きな拍手が起こる。休憩後オーケストラと共にベートーヴェン第九。第一回の際はホールの音響が大きなネックとなり、我々の演奏全体が引き立たなかったという問題があったが、今回の奈良文化会館は古いが音響は良く、お客様にも充分演奏を楽しんでいただけたのではと思っている。6人の手話隊の演技も素晴らしく、それを見て第九の意味が初めて理解できたというお客様も。結果大成功に終わることができたが、細々とした反省点もあり、次に向かって改善すべき点を直視して行きたいと思っている。しかしともあれ、皆で一つの取り組みを成し遂げ、良い演奏(意味のある演奏)を目指し続けるという作業は素晴らしいものだ。
2011.09.26
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・9、23、金今日半年ぶりぐらいであべのの鍼灸印に出向く。例によってまた先生ご夫婦、患者三人を巻き込んでの放射能話題。その中で気になったことが、今の40歳から45歳ぐらいまでの限定された世代の女性に甲状腺の問題を抱えた人が多いという話が出た。患者さんの中でもその傾向が見られるし、そういえば僕のところに来られる生徒さんにも何人かそういう問題のある方がおられ、やはり全員40代前半だ。先生いわく、チェルノブイリの時の放射能物質の影響が考えられるというのだ。国は一切口を閉ざしたが、1985年の事故で日本にも相当な量の放射能が降ったらしい。今40過ぎの女性が丁度15・6歳。第二次性徴真っ只中で、男性よりもいろんな意味で体の様々な部分にダイナミックな変化を迎える若い女性にとって、とても危険なことであったと。これが事実だとすると、今被曝している若い人たちの数年後がとても心配である。被曝、除染、数値などという言葉に疲れ始めた人たちが「もうやめてくれ!」と叫びだしているらしいが(ほとんどが男性)、そこから目を反らすことは許されない。それが今の我々の置かれた現実なのだ。ーーーーーーー昔、憲兵・・・今、バッシング戦争前、突然、憲兵が訪れて有無を言わさず連行され、拷問にかけられたという話は多くありました。その話を聞くと戦後の日本は自由でいいなと思っていましたが、2011年の原発が起こってから、現代の憲兵は、マスコミや一般の人からのバッシングだなと感じます。憲兵とバッシングが似ているところは「非難される理由が不明」ということです。私のところに来るバッシングは、ほとんどが「バカ! 人の心が判っていない! 金儲けでやっているんだろう!」というもので、なにが問題なのかが判るメールはほとんどありません。また一関市長と私の件でも、多くの新聞やニュースにでましたが、私に取材があったのは3社だけでした。新聞などはすべて「憶測」で報道をしたようです。個人は力が弱いからということなのでしょうか?もしかすると現代のバッシングは憲兵よりひどいかも知れません。たとえばメールでは発信者が不明なのです。名前も住所もなにも判らない人からある時、突然、罵倒の嵐が来るのですから、社会ルールも礼儀も何もないという感じがします。私は強い信念がありますし、科学的に妥当なことしか発信していませんから、メールは参考にさせていただいていますが、信念や行動はビクともしません。しかし、社会には弱い人や、こころ優しい人もおられます。だから、ひどい言葉でやられるとおびえるのではないかと心配です。その意味では「憲兵的ネット社会」は、ネットという新しい情報手段が化け物のようになって私たちの社会を襲う可能性すらあるように思います。それに、「原発を守る」とか、「国の政策に従う」いう考え方には国や権力が見方についていますから、メールの中には「権力を使うぞ」という脅しまがいのものもあります。戦争で負けた日本は二度と再び、そんな暗い社会で暮らさないと決意したのですが、60年しか続かなかったようです。常に紳士的に、一人の市民として、相手に失礼の無いように、しっかりと自分の考えを述べるということが必要です。匿名は良いと思いますが、文章は日本人としての礼節を守ることが日本の文化を続けるためにも必要と思います。またある時に東大の教授が私を批判して「私は武田の本を読んでいないが、読まなくても判る。ケシカラン!」という本の批評をされたときには思わず吹き出してしまいましたが、それに似たことが最近、続いています。「武田の本もブログも読んだことはないが、ケシカラン!」と言われるので、なんとご返事をしてよいか迷ってしまいます。問答無用で切り捨てる、理由も言わずに逮捕されるという社会で大きな犠牲を出し、やっと明るい生活ができるようになったのに、マスコミや国民がそれを壊しにかかっていることが残念です。(平成23年9月22日)武田邦彦
2011.09.23
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・9、22、木今回の事故によって我々は何を明らかにし、直視し、そこから何が勉強できるか、それこそが大事であると考える。国内での原発事故のような、誰かに責任を問われるようなことが起こると、必ず見えて来る日本人の性質がある。ここを直視し、見直して行く姿勢を獲得したいものだ。これは政治的な分野だけではなく、我々の毎日の生活の中にも見受けられる傾向だろう。だから目に付くこと、また自分の言動から感じることをこれからも取上げていきたい。ここで武田氏によって述べられた「結局誰も何も考えていない」ということがその一つ。確かにそうかもしれない。国内の権威のある学者たちが、誰かが一年1ミリシーベルトだと言えばそう言い、誰かが100ミリシーベルトと言えば簡単に言い分を変える。政治家ももちろんそうで、自分の頭で考え、信念を持って口にする考えというのが欠如しているのだ。明治維新以後、今までの日本からしてそうだった。ヨーロッパやアメリカが言うこと、行なうことが最も正しいことであり、すべて二番煎じで真似をして安心して来た。その真似が本物よりも優れていたということもあったが、自分の頭で考えることが根っからの苦手なのだ。そして根深く残る白人コンプレックス。ヨーロッパやアメリカが手を出す産業や活動には、遅れまじと手を出さずにはいられない。事故の想定やその恐ろしさも全く眼中になく、事故が起こった時の対策も全く成されずにスタートした原発もその一つだろう。ーーーーーー心が二つに分かれている時代今、太平洋の魚介類がどのぐらい汚れているのか、コツコツとやっていますが、北海道から愛知県まで太平洋側の魚介類、藻類でやや小型のものはかなり汚染されています。ところで・・・3月12日を堺に、それまであれほど1年1ミリシーベルトを守れといっていた専門家が一斉に「被曝は大したことはない」と言い出したこと、それに衝撃を受けたのは私だけでは無いでしょう。また、科学者である私にとって見れば、実験結果、観測結果などの事実は、それまでの自分の考えをすべて捨て去らなければならないほど重要なことです。だから、2007年の柏崎刈羽原発の事故と、2011年の東通、福島第一、それに東海第二の事故、さらには福島第一3号機の爆発映像を見て、「原子力発電所は安全だ」などという科学者はいないはずです。それなのに、まだ日本原子力学会も、大学の原子力関係の研究者も、そして国の原子力関係者も、事故の前と同じような考えで研究をしています。なぜなのだろうか? 先回、「もしかしたら、日本人はなにも考えていないのではないか、自分の意見というのは無いのか?」ともおもいました。でも、日本人には他の民族にないすばらしい性質を持っていることも事実です。・・・・・・・・・日銀で活躍していたある友人が今から15年ほど前に私に次のような話をしてくれました。「1980年代に日本の銀行もサラ金のような個人向け・無担保の業務に乗り出そうかと検討したが、最終的には銀行のやることではないということでやらなかった。でもその後の状態を見ると日本ではサラ金が大成功した。そのもっとも大きな理由は日本人は「借りたものを返す」という世界でも珍しい民族だったからだ」つまり、多くの国では短期間にお金が足りないから借りるという場合、借りたお金を返さないのですが、日本人は必ず返すという特別な人たちだというのです。同じような話を同じ時期に聞いたことを思い出します。ある総合商社で長い間、資金回収を担当し、重役にまでなった人でしたが、この人は、「不思議なことに、海外のお金を回収するときに、相手の事務所が日本人の経営ならまず間違いなく資金は回収できた。でも不思議なことに、相手の事務所の経営者が外国人でも事務所に日本人が一人でもいれば回収は容易だった。本当に不思議だ」と言っておられました。私はこの二つのことを聞き、江戸時代のことを書いた本を思い出したのです。借金をした人が証文に、「もし金子(きんす)を返さない場合はお笑いになっても結構です」と書いているのです。「笑われる」ということは日本では「死ぬより辛い」と考えられていたと解説されていました。「恥を知る」というのが日本の文化の根源にあるのですが、それは遠くアフリカからユーラシア大陸を横断し、ついに太平洋を望む最後の土地にたどり着いた私たち日本人のルーツなのかも知れません。・・・・・・・・・そんなまじめな日本人、正直で誠実な日本人がなぜ、3月12日にころっと変わったり、科学者が事実を見ても原発を進めようとしたりしているのでしょうか? 福島原発事故で苦しんでいる多くの人は、実はこの矛盾を克服できないのではないかと思います。そういえば奇妙なことがあります。リサイクル運動以来、私は「環境研究家、環境運動家」と言われる方とのつきあいがあったのですが、日本が放射性物質でこれほど汚れているのにあまり動きが無いのです。特にセシウムはかなり測定されているものの、骨にたまって白血病になる可能性があるストロンチウムや、肺に入って肺がんを引き起こすとされるプルトニウムがほとんど測定されていないのに、あまり関心がないように見えます。環境研究家に怒られるかも知れませんが、彼らは「日本の環境」が心配だったのではなく、「環境の仕事」を失いたくなかっただけではないかとも思います。それは原子力科学者もそうで、彼らも「原子力」に興味があったのではなく、「原子力の仕事」を失いたくないので毎日、頑張っていたのではないか?と疑いたくなります。事故が起こったことは大変、不幸なことでしたが、悲惨な墜落事故を乗り越えて現代の安全な航空機があるように、科学的に見れば原子力利用のための大きな進歩をもたらす原因にもなるわけで、多くの課題が提供されてもいるのです。自分が言っていること、自分が書きたいことは、自分の魂の叫びなのか、それとも単にお金が欲しいからいっているのか?・・・これについて20世紀の初頭、マックス・ウェーバーという社会学者は冷たく言い放っています。「学問が生活の糧を得るためだけの職業としての学問になって久しい」(平成23年9月19日)「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.149-(9:07).mp3」をダウンロード[Photo。]武田邦彦
2011.09.22
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・9、20、火 鉢呂さんと枝野さんの交代で、僕も全く同じことを考えていた。 ターゲットにされ、蜂の巣にされる個人や企業は、周りの様々な思惑の中でつるし上げに合うのだろう。 皆ただその世界で人生ゲームを楽しんでいるだけのように見える。 誰かを利用し、誰かを業界から抹殺し、誰かと仲良くなったり、喧嘩したりして少しでも良い位置を確保しようとする。 人の集まるところ何処でも行なわれる猿山風景だが、力を合わせて船を前に進める団体のやるべき根源の課題は忘れられたままだ。 ーーーーー 巨悪は問われず??・・・判断力のないのは日本社会かマスコミ報道か? 鉢呂前経産大臣が記者会見とオフレコの場で新聞記者に不適切な発言があったとして 辞任した。確かに大臣としては不適切な発言といえないわけでもないが、問題となっ た「死の町」という表現は地元の人が「ゴーストタウン」と言ったことを私も聞いて いて、それを日本語で言っただけという感じもする。 良い言葉でなかったかも知れないが、その発言によって国民が直接的に被害を受けた というものではなく、この時期にもう少し言葉を選べばという注意を促す程度の失言 だったように思う。特に大臣が「死の町」と表現することによって、できるだけ早く 改善したいと思っていればむしろ被災者にとっては良いことかも知れない。 それに比べると、鉢呂さんの代わりに経産大臣になった枝野さんは官房長官時代、記 者会見などで繰り返し「(被曝しても)直ちに健康に影響はない」と繰り返したし、 保安院が「基準値の3355倍でも直ちに健康に影響はない」と繰り返したことにも注意 をしなかった。メルトダウンの件でも誠実ではなかった。 当時の内閣の説明の方は、ずいぶん多くの被害者を出した。政府が安全だというので 、そのまま飼料をやって汚染された牛肉ができたり、野菜もそのまま放置して栽培し たのでこれもかなり汚染された野菜が発生した。原発に近い地域の人たちに健康被害 がでる可能性が高く、少なくとも法律や国際勧告に大きく違反した。 鉢呂さんと枝野さんの人事、それに対するマスコミ報道の態度を見ると、鉢呂さんの 発言の原因を作った人が新任大臣になるのだから、日本社会が普通にものごとを考え ることすらできなくなったように見える。 また、これは小さいことだが「放射能をつける」という発言があったとされるオフレ コの場面では、もともと大臣が言った内容すらハッキリしない。発言の場所から遠く にいた記者は聞こえなかったのではないかとも言われている。 ・・・・・・・・・ 小さな食品会社が実質的には害を及ぼさない程度のヘマをしてもマスコミ報道は徹底 的に叩き、時にはつぶれてしまったり、一人の人生をダメにしてしまう。それに比べ て、原発事故ではマスコミ報道が極端に東電に甘い。 「なにが不適切か?」という判断でも、「弱い者の発言は不適切」、「広告などでお 金を貰ったら不適切でも問題にしない」というのでは、存在価値そのものがないので はないか。残念なことだが、もし日本がこれまでの文化「誠実、清貧、正直、判官贔 屓」などを捨てざるを得ないとしたら、ギスギスした「契約社会」に屈服しなければ ならないだろう。 (平成23年9月17日) 武田邦彦
2011.09.20
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・9、18、日 昨日掲載した内容で問題になった、たばこを巡る武田氏の記事を下記に引用する。 何度読み返してもやはり筋の通らない部分が感じられる。 そのことで自分自身の身に危険が及ぶことが争点ではなく、そのことで罪のない他人 にどれだけ迷惑が及ぶかが問題である。 自分の健康には自分で責任を持ち、他人に迷惑を掛けないことこそが大人ではないの か。 この文章からは、やはり武田氏が愛煙家であろうことが想像できる。 客観的関知からすべてのことを判断せねばならない科学者としては、その公平な目を 欠いた記事だ。 武田氏に言わせれば「喫煙しているものの近くにいるものがその悪影響を受けるとい うデーターはない」というだろうが、実際僕は喉と鼻と目が痛くなり、その臭いで怖 ろしく不快な気持ちになる。 僕にとって発癌性があるかどうかは証明できないが、すでに充分迷惑を掛けられてい る。 そういう意味ではたばここそが福島原発事故と同じ条件だ。 僕の周囲で、近頃初期アルコール中毒に陥ろうとしている人がいる。 たばこと同様、数時間以上アルコールなしでは我慢できなくなって来ているようだ。 さて、人は何故このような渦に知らず知らず引き込まれて行くのか。 そしてほとんどの場合後戻りはできない。 僕が観察する限り一つ目に、自分が生きる方向性を見失っている。 二つ目に、やるべきことがなく時間を持て余している生活である(働かなくとも生活 が営める)。 三つ目に、自分の人生が思っているように行かず不満を持っている。 四つ目に、宿命的に快楽主義である。 これらは人間的な弱さから生じることだが、ほとんどの場合男性に見られる症状だ。 よってDV、よっぱらい運転、殺人事件などに発展する場合もある。 僕としての結論は、他人に迷惑を掛ける限り飲酒によるDV、運転は10年以上の実刑 、喫煙はこの世から排斥すべきものだ。 ーーーーーーー 日本人が大人になるチャンス・・・タバコ増税 今度の大震災と原発事故は日本に大きな災厄をもたらしましたが、そのすべてが悪い ことだけではありません。大震災と原発事故を教訓にして子孫にすばらしい日本を残 すことはできます。そして私はその中心は「日本人が大人になるチャンスを与えてく れた」ということだと思うのです。 そこで、第一のテーマにもっとも反論が厳しい「タバコ」の問題を取り上げたいと思 います。この問題は感情的になりやすく、意見の対立が厳しく、議論をいやがる門前 払いが多いものなので、原発の安全性と似ています。だからあえて「日本再出発」の テーマとして最初に取り上げるのが適当だと思うからです。 ・・・・・・ ここでいう「大人」というのは、 1)義務教育を終え、20歳を過ぎ、仕事をして納税の義務を果たし、自らの判断で 国政を含めた選挙に投票する日本人、 2)自分と他人がそれぞれ独立した人格を持つ国民であり、社会的な手続きをとった 法に違反する行為をしない日本人、 3)自分でよく考えを巡らし、子供のためによりよい日本国土・文化を残し、子供の 仕事を作る日本人、 4)(できれば)他人の人格を尊重し、お互いに憲法に認められた自由を認め、他人 に過大な損害を与えない日本人、 5)(さらにできれば)日本の伝統的な徳・・・礼儀、恩義、誠実、正直などの徳目 をもった日本人、 としたいと思います。 ・・・・・・・・・ 「タバコが肺がんの原因の一つになる」というのは学問的にもほぼ確実なのですが、 ここで議論したいのは「だからといって、タバコを社会的に排斥すべきか」という問 題です。 健康を害するものはタバコだけではありません。同じような趣向品な酒もそうですし 、砂糖なら糖尿病、塩なら高血圧、脂肪なら肥満などがその典型的なものです。もし これらのものが「国民の健康を守る」ということのために政府や自治体、会社などが 乗り出して「個人の嗜好」の問題に制限を加えるとどうなるでしょう。 また人の行動も同じで、ハンググライダーは死亡率のもっとも多いスポーツと言われ ていますし、日常的に利用する車の運転も年間5000人も死者を出す危険なものです。 しかし、それらの行動も「追放」ということにはなっていません。 酒は20世紀前半にアメリカで禁酒法が施行され大きな社会的混乱を招きました。酒は 人間に楽しみを与えるものですが、その反面、暴力、酒乱、ケンカ、酔っぱらい運転 、家庭破壊、最後はアル中という立派な病気になるなど多くの社会的な問題をもたら します。 このような場合、社会はある面を制限します。たとえば「19歳以下の飲酒制限」や「 酔っぱらい運転を禁止」などです。でも、酒のすべてを追放するのは良くないという のが歴史的教訓です。アメリカで禁酒法が成立するとき、「個人が家で静かに酒を飲 むのことをなぜ社会的に禁止しなければならないのか? 他人に迷惑をかけないのに 社会に強制力があるのか?」という反論が強力でした。 現代の文明国家(反対は野蛮国家)では、良識のある個人はそれぞれが独立していて 、「自由を束縛してはいけない。束縛できるのは社会的にある一定以上の損害を与え るときに限られる」という強い原理原則があり、多くは憲法や法律で保証されていま す。 ・・・・・・・・・ タバコの場合、吸う理由は「個人の楽しみ」、あるいは「個人の精神の整理」、もし くはアイヌ文化では「戦争を避けるための道具」ということが言えます。つまりメリ ットもあります。 個人が静ずかに自宅で吸うのは同居人の同意があれば禁止することはできません。ま た、「タバコを吸うのは健康を害するから増税や追放」と同じように、ケーキの中の 砂糖の量を限定したり、塩鮭を普通の鮭より税金をかけたり、霜降りの肉を追放した りすることは許されないのです。 だから、ここまでの検討では「政府が健康を害するからといって、タバコの値段を上 げたり、自治体がタバコを追放するのは間違いである」ということは明白です。でも 、次回にもう少し深く考えてみたいと思います(音声あり)。 (平成23年9月6日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.128-(6:11).mp3」をダウンロード 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.129-(6:15).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2011.09.18
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・9、17、土 数日前の武田氏のブログに「たばこだけを批判するのはおかしい」と掲載したことで 、また多くの批判(たばこを容認するつもりか)が寄せられたようだ。 彼の言い分は「命の危険を論じるなら、飲酒やハンググライダーだって充分に命の危 険を伴う、何故たばこだけが社会で批判されるのか」ということだ。 彼自身が喫煙するかどうかは不明だが、夥しい批判が寄せられることを予想した上で の記事のようだ。 彼の記事を読めば、その言い分(ただたばこのことを社会の偏った考えとして例に出 しただけ)ということは理解できる。 しかしここには矛盾がある。 酒やハンググライダーはその人が進んでそれを行い、自ら命を縮めたり、亡くしたり する。 たばこも喫煙するものだけが病気になり死ぬのなら、それはその人の勝手だ。 しかし傍にいるものに大きな影響があるのだからこれは個人の自由とは片付けられな い。 飲酒だって飲酒運転で人をひくことだってあるし、誰かに暴力を奮うこともある訳だ から、飲酒、たばこは法律で禁止され、その上で静かに誰にも迷惑が及ばないところ で静かに一人で喫煙するのなら咎めないとするのがいいのではないか。 飲酒運転によって子供を亡くした親の苦しみを思えば、それぐらい当然ではないのか 。 しかしこの考えは昔アメリカで発案され、結局消えてしまった法律のようだ。 ーーーーーー 戦争後、もっとも大きな事件の映像 かつて、戦争で焼け野原になった東京の地に復員した兵士が、その光景に立ちすくん だという話をよく聞いたものです。日本人は戦争で本当にひどい目に遭ったのですが 、その後、奇跡と言われるほどの気力で立ち上がりました。 戦後の日本は朝鮮動乱を経て回復し、思想的には左右の厳しい対立はあったものの、 高度成長を遂げてJapan as No.1と言われるまでになったのです。 その間、地震で言えば東日本大震災、阪神淡路大震災があり、伊勢湾台風、諫早豪雨 などの自然災害の他、下山事件、浅間山荘事件、日航機墜落事故、ロッキード事件、 バブル崩壊などの政治・経済・社会の事故事件もありました。それでも、福島第一原 発、その中でも3号機の爆発ほど後の社会に巨大な影響を及ぼすと思うものは無いで しょう。 整然と並んでいる原子力発電所。すでにその時には1号機が爆発、さらには2号機の 内部も破壊していたのですが、それでもプルトニウムを含む燃料を使っていた3号機 の爆発はすさまじいものがありました。一瞬、建物の右(南側)に閃光が走り、轟音 とともに爆発、その噴煙は300メートルほどに達しました。 2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大 量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない 」という審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、こ の爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をした のです。 科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、そ れまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、 それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子 力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。 しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」 ということにあると思います。ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易セ ンタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビ は、この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。 本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の 移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」につい ても微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキ ャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてき たのです。 原発の爆発・・・ほとんどの人が「本当!?」とビックリする事態が起こっても、「 3号機でモヤが見えますね」という誤報を出して、この事実は歴史の中に封じ込めら れようとしています。日本のエネルギーの主力として進めてきた原発、広島原爆で世 界で唯一、大規模な被害と被曝を受けた日本人・・・それがこんな結果になったので す。 今からでも遅くはないので、私たちはアメリカの9.11よりも、この映像を繰り返 し報道し、目に焼き付け、そして日本のエネルギー政策と「社会的ウソと錯覚の発生 」について再出発を決意しなければならないでしょう。 (平成23年9月14日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.133-(6:09).mp3」をダウンロード [Photo。] 武田邦彦
2011.09.17
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・9.14.水 記事の最後に「二度と再びこのようなことを起こさないためには、やはり少し検討の 範囲を拡げて、その奥に潜む日本社会を考えなければならないと思う。」と武田氏は 締め括っている。 その奥に潜む日本社会とは「結局日本人は何も考えていないのではないか」という結 論があるらしい。 何も考えず、誰かが言っていることをそのまま口にしているだけだから、バブル以後 の政策はことごとく失敗していると(それは対外ヨーロッパやアメリカの真似)。 いや、果たしてそれだけだろうか。 これも僕の勝手な妄想だが、年金は元々保健のような感覚で始め、国民からお金を集 めてそれを様々な公開できない使い方に流用し、だらだらとやって来た。 いつかばれる前に帳尻を合わすつもりだったが、ますぞえ大臣の手入れで明るみに出 てしまった。 しかし世間では「ずさんな管理」ということで何とか逃げている。 何でもそうだが、例えば年金受け取り通知葉書も怖ろしく小さな字で大事な事項を記 載し、国民の手違いで年金を受け取らずにいる者が増えるのをじっと待っている。 その反面無くなっているお年寄りにずっと年金を払い続けていたという問題も出て来 ているが。 今回の東電の被災者への保証金の手続きでも、100枚にもなる書類を手渡し、よく熟 読したうえで60枚ほどの書類に書き込んで提出させ、その上一年に何度も書類を提出 させる。 お年寄りなど、その制度について行けず支給金を諦める者が増えるのを待っているよ うに見える。 すべてそのように小賢しいやり方でお金を浮かせ、何かしらの帳尻を合わせて行くや り方ではないか。 それが「奥に潜む日本社会」ならば、その体質から変えなければ国民はバカを見続け るだけだ。 ーーーーーー 【深く考える】主要政策・全滅の原因第一回 年金 「全滅」と言って良いかはわからないけれど、今から20年ほど前、バブルが崩壊し て「今後の日本をどうしていこうか」と言うことになった時期から、今まで日本の主 要政策は失敗が目立つ。 たとえば、「年金」である。軍人恩給などの特別なものは別にして国民の多くが年金 に加入できるようになったのは1960年代の初めだが、本格的に年金をあてにでき るようになったのは1990年になってからだが、その直後から「社会保険庁のずさ んな管理」が表面にでた。 なにしろ、人のお金を預かっているのに記帳は間違いだらけ、実に年金を納めている 日本人の大半に当たる5000万人とか、266万人などと膨大な年金に間違いがあ ったのだから、単なる個人の問題ではなく、政策自体の欠陥と言うことができるだろ う。この事件は、もともとヨーロッパの社会的制度「揺りかごから墓場まで」をまね て作ったと言われ、事実、その方面の専門家は何かというとヨーロッパの制度をテレ ビで解説していた。 しかし、現実に年金の問題が生じると、このような初歩的な問題がヨーロッパで起こ っていたのか、その歴史的な経験は日本で活かされたのか、それとも日本独自の現象 だったのかも解析されず、未だに「年金問題」を議論し「少子化対策によって年金問 題を解決する」という方向に進んでいる。 ヨーロッパをまねようというのではない。アメリカやヨーロッパが日本よりうまくや っているとは思えないのだが、社会保険庁があれほどの醜態をさらしたのはシステム 上の問題だったのか、それとも日本社会に存在することが原因しているのかぐらいの 研究が一般化しないと話にならないだろう。 これは現在の「原発再開問題」と類似している。地震地帯に原発を持っているのはア メリカの2基(アメリカ自体は100基以上)ぐらいなもので地震による原発の倒壊 は日本独自の問題であること、今まで世界で震度6以上の地震で破壊しなかった原発 はおそらく無いこと、それでも日本はヨーロッパなどで議論される安全確保の方法( ストレステストなど)で進もうとしていること、東日本の原発がすべて震度6で破壊 したのに同じ安全基準で泊原発や玄海原発を運転しようとしていること・・・など非 常に似ている。 私は年金については一市民として考えるぐらいだが、それでも、「子供を増やして年 金を安定させる」というためには、日本の人口を4億人レベルまで持って行かなけれ ばならず、それはこれまでの政策や環境問題と異なること、若い人の人口が多く年配 者が少ないといういわゆるピラミッド型の人口分布というのは「若い頃に死ぬ人が多 い」ということを意味していて、これも日本の政策との整合性がない。 また、年金を取り扱う社会保険庁は、そのトップの顔もわからないほどテレビに出て こなかったし、その後、どうなったのかもわからない状態で進んでいる。データを見 て、検討しなければならないことが多いのに、相変わらずマスコミは「一般の人」を コメンテーターに出し、ことの本質が分かりにくい。 今回の原発事故は、「地震地帯で原発を運転するときには、耐震技術とその運転方法 、避難方法を日本独自で作っておく必要がある」という政策上の問題であり、それは 失敗続きの日本の政策の一つとして考えるべきものと思う。原発問題を考えて、二度 と再びこのようなことを起こさないためには、やはり少し検討の範囲を拡げて、その 奥に潜む日本社会を考えなければならないと思う。 (平成23年9月13日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.132-(6:10).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2011.09.14
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・9、13、火 正に下記の武田氏の記事の内容を、僕も心より心配する。 しつこくこのブログで述べて来ていることだが、政府がマスコミを使って嘘を突き続 け、自分たちの思惑の通り国民を操る。 それが戦時中からずっと行なわれて来た。 これをプロパガンダというらしいが、この国の未来に背筋のひやりとするものを感じ る。 嘘の報道一つで国民を戦争に煽ったり、放射能垂れ流しを容認させたりすることだっ て出来てしまう。 まさかと皆思うかもしれないが、今の日本国民の言動を見ていると、非常に危ない連 鎖反応を起こす可能性が見て取れる。 武田氏が懸念するように、70年前と何も変わっていない。 今回の原発のことで浮き彫りになる様々なプロパガンダと、再び繰り返す可能性を匂 わす戦争への示唆は無関係ではないと僕は思う。 ーーーーーーー 世界の孤児・日本・・・その心を探る(1)温暖化 70年前に日本が大東亜戦争を始めたとき、国民のほとんどは戦争に賛成した。その 中でも「真実」を知って賛成した人もいるが、多くの国民は偏った報道によって事実 を知らず、戦争に突入したとされている。 当時、国民に事実を知らせなかったのはNHKや朝日新聞などだったが、「軍部が報 道統制を行い、それに屈服した」ということになっている。しかし、この言い訳も奇 妙だ。自らの職業が「事実を伝える」という報道に行ったのなら、「自己都合」、「 病気」などを理由にNHKや朝日新聞を去るか、逮捕されても良いから真実を報道す るかの選択をするべきだっただろう。 しかし、現実はアメリカやイギリスへの敵愾心を煽り、ドイツのヒットラーを神格化 して日本は戦争に突入して敗北した。もしかするとすべての事実が国民に知らされて いても、戦争になったかも知れないが、国の指導層が国民に事実を知らせなかったの だから、全責任は国の指導層にあった。 ・・・・・・・・・ 今、70年前の暗黒時代と同じようなことが行われている。言論が自由な日本だった が、現在の日本国内の情報統制は激しく、国民はほとんど事実を知らされていない。 その結果、日本は世界の孤児になりつつある。誤報を流し続けているNHKや朝日新 聞は誤報による国民の損害を購うことはできない。そしてもともとそんな役割を国民 は期待している訳ではない。 地球温暖化の誤報がその一つである。私は温暖化は良いことだと判断しているが、社 会に地球温暖化が危険であると考える人がいても良い。しかし、人を説得するのに「 ウソ」を言う必要はない。最近、台風による被害が大きかったので、また「温暖化」 が話題になってきたが、次のことを知っている日本人は少ない。 1)温暖化すると南極の氷は増える、 2)「ツバル」という珊瑚礁の島はまったく沈んでいない、 3)アルプスやヒマラヤの氷河は歴史的に変化していない、 4)日本は四方を海で囲まれているので「空気の温暖化」の影響を受けない、 5)もっともCO2を出し、大陸なので大きな被害が想定されるアメリカと中国がC O2削減をやっていない、 6)京都議定書を守り、実質的にCO2を削減しようとしているのは日本一カ国であ る。 機会があって、私がこのことを説明すると驚く人が多い。なぜ、NHKや朝日新聞は 誤報を続けたのだろうか? 良心的な人はウソをつかないから、このようなウソを良 心的についたということはないのは当然だ。良心的ではないとすると、利権、利得な どしか考えられない。巨大な報道機関ということを利用して、ウソを連発するとなる と戦前と変わらないように思う。 また、温暖化で何が起こるかということについても、最初の「海水面が上がる」がウ ソとわかると、次々と温暖化の影響を変えてきた。「マラリアが増える」、「台風が 増える」、「農作物が減産する」、「ブロイラーの生産量が減る」・・・一つ、否定 されると、また新たな影響を出してくるということが続いた。 NHKや朝日新聞を素朴に信じている人が可哀想だ。なにしろ英語で報道される外電 や基礎的データを見ないと真実がわからないようになってしまった。 ・・・・・・・・・ 世界の4%しかCO2を出さず、海洋国家で温暖化の影響を受けない日本が、「世界 の環境を守ろう!」と叫んで子供のように突き進んでいく姿に世界の人は日本人に対 して奇妙ささえ感じている。世界の政治はまだ「世界の環境」などという段階にはな く、「温暖化を唱えてアジア諸国の発展を押さえ込み、原子力を進めよう」などとい う作戦があるこはごく当然のことだからだ。 「原発事故で苦しむ福島の人を助けるのには、除染して被曝を減らして健康を守り、 産業の打撃を補償して助けるのが当たり前だが、除染はせず、補償金は出さず、ただ 福島の子供たちの被曝と、全国に放射線を拡げることで「子供を被曝させることによ って、痛みを分け合う」というのでは奇妙な民族と思われても仕方が無い。 地球温暖化騒動や最近の大震災と原発事故を見ると、残念ながらこの言葉を思い出す 。私たちは民主主義を信じ、事実を直視する大人になることはできないのだろうか? そんなことで次世代の子供を守ることができるのだろうか? (平成23年9月12日) 武田邦彦
2011.09.13
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・9、13、火 武田氏が流す緊急速報をお伝えする。 8月半ばぐらいから多量のよう素が観測されていて、福島原発から新しく漏れ出たものではないかと武田氏は書いていた。 しかしここに来て原発以外から漏れたものの可能性を述べている。 原発からのものではないとすると、余計に怖ろしい気がする。 これまで庶民によって放射能物質が測定されなかったから分っていなかっただけで、今までもずっと隠ぺいされて来たのではないかという疑念。 関西も大きく関わる危険な問題であるようだ。 もし中国の原発事故、それが黄砂によって運ばれてとなると目眩を覚える。 それが事実であったとしても我々にはどうすることもできない訳だが、新たな漏れに対しては考えなくてはならないかもしれない。 よう素の半減期は8日から1っカ月ぐらいだから、いざと言うときには旅行に出る準備ぐらいは必要かもしれない。 ーーーーーー 原子力事故関係の速報(速報2) ヨウ素、フランス、牛乳 8月に見られた急激なヨウ素などの放射性物質は、日本で広く東北から西日本まで見 られ、当初、排水などと思われていましたが、空間に広く観測されています。さらに 、放射性物質の種類が福島原発からのものではないとも考えられます。 可能性としては、医療用がありますが、もし医療用とすると膨大な量になり、「そん なに使っているのか?」ということで医療関係者が隠している可能性が出てきます。 福島原発以外のものとすると、中国の事故や黄砂などまったく別のものを考えなけれ ばならず、相当な検討が必要です。 幸い、現在のところそれほど高い値ではないので安心(すぐに避難するなどのレベル ではない)ですが、原因を突き止めておく必要があり、調査しています。(「それほ ど高い値ではない」というのは、普通なら大変なことですが、何しろ3月に80京ベ クレルという量が漏れているので、それから比べるとという意味です。) ヨウ素の件では読者の方に有用な情報を多くいただきました。たとえば、福岡の空間 のデータ、長崎の汚泥、医療用の総量、岩手や東京のヨウ素・・・などで、さらに専 門家の解析結果なども教えていただきました。ありがとうございました。 前にも書きましたように、このブログは正確を期しますが、それより「日本のお父さ ん」として、わかる範囲は少し情報があやふやでも早めに書き(お父さんが家庭で「 どうもこんな話もあるよ」というようなこと)、それから少しずつ正確にしていきた いと思っています。 私はまったく気にしませんが、ヨウ素の速報を書いて最初にきたメールが次のような ものでした。もっとひどい人格攻撃も受けていますので、慣れています。おそらく書 いた人は「ネットの書きかた」としてこのような書き方が「普通」のものと思ってお られるのでしょうが、時には「普通の生活の礼儀」を思い出して貰いたいと思うこと があります。以下のようなメールでは、事態は改善されず、子供の被曝を減らすこと にも役立たないからです。 「「あなたはバカですか?学者ですか? なぜ原発由来のものが、東京の下水にしか 出てないかを考えましたか? 空間線量は調べましたか?上水道の値は調べましたか ? 文章から見る限り、大衆週刊誌の記事をもって発言されているようですが。 学 者ならもう少しくらいご自分で調べてから、速報出してください。 なお、他の学者 さん達はほぼ大方の原因を掴んでおられますよ。」 マスコミが怪しい時代、ネットの情報はとても重要ですので、国民の財産と思えます が、それをダメにしているような気がして残念です。「ヨウ素は東京の下水にしか出 ていないので・・・」と前向きなご連絡でも同じではないかと思うのですが。 ・・・・・・・・・ また、フランスで各施設が火災を起こしましたが、まだ原因などハッキリわかってい ませんが、福島と同じような水素爆発などの可能性があります(つまり通常の工場の 爆発と類似していて、それが原子力施設だったということ)。ただ、核廃棄物の施設 なので原発のように「活動中のもの」ではないので、影響は小さいと思います。 ただ、この事故で地元消防が活動していることに注目する必要があります。原子力を まったく別のものとして扱い、社会の防災体制に入れていない日本は、福島で痛い目 にあいました。原発の防災体制を地元消防がやるようにならないと、事故の時の安全 性は改善されないと思います。 ・・・・・・・・・ 牛乳の汚染が少しずつ明らかになってきました。10ベクレル以下の汚染はあるよう で、中には数10ベクレルもあるのですが、これに対して給食などと関係する教育関 係者が相変わらず「大丈夫」と言っているのがとても気になります。それは「大丈夫 」なのではなく、子供の健康より「面倒だ」というのが先だっているからで、私は「 面倒だから子供が被曝しても、大丈夫と言っておこう」という人は教育界から去った 方が良いと思います。 幸いなことにまだ「この牛乳はダメ」というのは出てきませんがともかく注意が必要 です。4月から子供をもつ親が心配しているのに、牛乳メーカーがベクレルを表示し ないというのは異常です。今後も(放射線に限らず)不誠実な製造を続けるでしょう から、食生活を牛乳離れすることがもっとも大切です。 (平成23年9月13日) 武田邦彦
2011.09.13
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・9、12、月 10日辞任した鉢呂前経済産業大臣の問題の会見「死の町発言」や、記者に向かって 冗談を言う中で「放射能付けるぞ」発言など、波紋を生んで早辞任となった。 まあ発言自体はあまり適当ではないかもしれないが、彼の会見がVTRで流れて、彼 が悪意を持って述べたのではないことが見て取れる。 また「放射能付けるぞ」発言も、カメラの回っていない中の軽いシャレのつもりであ り、べつに誰かを愚弄するつもりではないはずだ。 にも関わらず被災地の人々は敏感に反応し、マスコミと一緒になって鉢呂前経済産業 大臣を避難する。 これは障害者を漢字で書くのをやめようとか、チビ黒さんぼや竹田の子守唄を禁止し ようというのと似ている。 苦難に苛まれている人たちに対して周りがピントはずれなところで敏感になって、結 局誰も何も言えなくなり、結果当事者たちと溝を深める。 注意すべき点は、それが悪意を持っての発言か、無神経ではあるが当事者たちのため を思っての中での失言かをよく見極めることではないか。 被災地を死の町にしたのは住人ではなく東電だ。 防護服に放射能を付けて被災地復興に当たらねばならないのも、住人ではなく東電の 責任だ。 鉢呂氏も復興活動に飛び回っていたと聞く。 元北海道の農協職員というところは少々ひっかかるが、それでも新内閣が立ち上がっ たらお決まりのようにやる野党と、金を貰っている記者の思惑にほいほい乗せられる 国民は紛れもない日本人だ。
2011.09.12
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・9、11、日 先日のテレビでの発言「東北の野菜は食べてはならない」に対する批判が、彼の勤める大学に多量に寄せられ、多くの人が迷惑を蒙っているということだ。 自分の周りのものに刃が向けられるのが一番応える。 連中はその辺もよく心得ている。 またそれだけではなく、様々なところで、多方面の人たちに激しい批判を受けている ようで、マスコミなどでも「1年1ミリシーベルト男」などとなじられ、それでも自 分の意思と論理を貫き通すことは誠に骨の折れる毎日だろう。 正しいことは正しい訳で、悪に屈することはとても楽な道だ。 そんな中、武田氏は二つの提言を即座に明らかにする必要があると訴える。 一つは、野菜を含む食材にすべてベクレル表示を儲けること。 それこそが農家を救う手立てだと。 東北の野菜の90パーセントは安全だと武田氏は言う。 後10パーセントのせいでひとくくりに否定されることになると。 正直なベクレル表示で風評被害は解消する。 次にICRPで定められた1年1ミリシーベルトの世界法律を我が国は守るのか、改定する のか。 改定するなら、その理由と見地を納得できるように説明すること。 「1年1ミリシーベルト以上でも大丈夫」という専門家や医師は、武田氏との対談を受け入れる。 それらに対しての早急の対応を待つと述べている。 現在我が国では、「1年20ミリシーベルト、50ミリシーベルト」などと場当たり的に 政府が率先して法律を破っている。 ーーーーーーーー 【提言】被曝量と健康・・・至急、やらなければならないこと 放射線の被曝と健康について、福島原発事故が起こって、急激に変化したことがあり ます。それは特に次が重要で、一刻の猶予もできません。 1.これまで「放射線被曝は少なければ少ないほどよい」とされ、専門家のみならず 日本の法律にも記載されていたことなのに、事故が起こったら、「少しぐらい被曝し ても良い」、「被曝した方が健康になる」という人が大勢、登場したことです。これ は人の健康に関係することですから、「意見が違っても良い」というほど簡単ではあ りません。至急、専門家の間で検討してください。できるだけ早く明確に声明を出し てください。 2.その時に、「これまでなぜ、被曝量は少ない方が良い」としておきながら、急に 変わったのかを多くの人が納得できる説明が必要です。今日からでも仮に「被曝は危 険では無い」と発言する人は医師でも、専門家でも、自治体でも、かならず「なぜ、 急に変わったのか」を示してからにするべきです(巻末に厚生労働省の電離放射線障 害防止規則の第1条を示しておきました。放射線に従事する人に対しても、国は常に 「少なければ少ないほど良い」というスタンスだったのです。 3.事故の前まで、1年1ミリシーベルトの限界を日本の法律は厳密に守っていまし た。それを事故が起こったからといって(政府の一部(文科省)が変更したからとい って)、なぜ急に20ミリとか50ミリを基準にして、学校運営、食品の暫定基準を 決めたのは、その理由を早期に説明するべきです。 4.1年1ミリシーベルトを日本の法律ではなく、ICRP(国際NPO)の単なる 勧告だと繰り返し報道してきたマスコミは、緊急に「1年1ミリは日本の法律だった 」と訂正するべきです。 5.「暫定基準値を下回っているから安全」と言っている人は、1年1ミリ以上にな るのに、なぜ「安全」なのかを明確にしなければなりません。基準を決める委員会の 議事録を見ると、1年に何ミリシーベルトまで大丈夫かということを法律に基づかず 、委員の個人的意見を述べていて、まったく違法な状態です。 6.もし、仮に1年1ミリを変更するなら、「理由、手続き」を明らかにしなければ なりません。このブログで4月頃、放射線防護の専門家に「変更するなら大至急、見 解を出してください」と要望しましたら、ある人から「意見がまとまらない」という 連絡が入りました。もし専門家の間で意見がまとまらないなら、1年1ミリの法律以 外のことをいうのは専門家、医師として不適切です。もし自説を述べるときでも「法 律は1年1ミリだが」と必ず言わなければなりません。自分の判断をそのまま言った り、自治体が独自に判断して被害者がでたら「傷害罪」ではないかと思います。 7.緊急をようするので7月はじめから2つの放送局と2つの出版社にお願いし、武 田との緊急対談を求めましたが、ほとんど全部の方に拒否されました。大切なことな ので、是非「1年1ミリ以上でも大丈夫だ」と公言している方は対談に応じてくださ い。 放射線と人体の関係が決定していないのに、原発を運転したのは実に大きな間違いで した。それは私も同罪で、そこの原発のもっとも大きな問題があるとは事故の前まで 気がつかなかったのです。 考えてみれば、1年1ミリということで原発を設計し、汚染の基準を設けていたので すから、それが原発事故で簡単に崩れ、私のように法律を解説するだけで「武田は危 険を煽っている」と言われるようでは、原発を運転するのは無理でしょう。 原発の事故では福島ばかりではなく柏崎刈羽の時もかなりの放射線が漏れていますし 、チェルノブイリ、スリーマイル島なども同じです。だから、原発の推進には「その 前提として、被曝は健康に良いのか悪いのか、どのぐらいまで大丈夫なのか」がわか っていることが当然の前提なのですから。 一般の人はこの現実をよく理解していただき、お子さんをお持ちの方などに「放射線 を浴びても大丈夫だ」などといい加減なことを言わず(子供の健康のことですから、 普通のこととは違います)、正しい態度で接してください。また専門家、医師の方は 一刻も早く、1年1ミリなのか、それを変更するのか、被曝は少ない方が良いという 従来の考えを捨てるのか、その理由はなにかを明確にし、国際的にも合意を得て、国 民に説明してください。 放射線被曝は日本だけで決めることができません。この国際化時代ですから、人の行 き来はどうしてもありますし、日本人と外人が被曝に関する感度が違うわけでもない のです。「日本人は我慢してくれるが、外人には通用しない」というのはダメです。 東京の広尾の「外人向けスーパ-」がすべての商品にベクレル表示をしていることは 、本当に日本の流通業の恥です。日本人ならまずは日本の子供を大切にしてください 。 (平成23年9月11日) 「2xxx-xxx-xxxxx_xxx-xxx-xxxxx.jpg」をダウンロード 「2xxx-xxx-xxxxx_xxx-xxx-xxxxx.jpg」をダウンロード 武田邦彦
2011.09.11
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・9、8、木 NHKのニュースで、下記のようなものが目に付いた。 「NHKニュース アポロ飛行士の足跡など撮影 アメリカの月探査機が、およそ40年前に月に着陸した「アポロ17号」などの着陸 地点を上空から撮影し、宇宙飛行士が歩いた跡など、月面での人類の足跡が鮮明な画 像で捉えられています。」 さてこの報道が何を意味するのか。 まず、40年前に残された足跡を、何故今になって報告されるのか。 足跡なら、どこに人類が着陸したか分るはずだから、今までも何度でも探査機が撮影 できたはずだ。 これは先日ロシアがロケット打ち上げに失敗したことと何か関係があるのかと思わせ る。 第2に、誰かが月の表面を歩いた足跡が40年後にそんなに鮮明に残っているものなの だろうか。 しかも月では重力は極めて少ないだろうし、地表が粘土か柔らかいセメントでもない 限り40年間足跡が残っているとは素人考えでは理解できない。 もし探査機を使ってそこに即席に付けた足跡だとしたら、余りにも幼稚で滑稽な話だ 。 また40年前に誰かが月に着陸したのなら、何故それ以後誰も行かなかったのか。 アメリカとロシアのロケットごっこの嘘の突き合いが、未だ続いていたとは全くお笑 いだ。 問題は、このような情報操作が日常的に、また世界的に行なわれていること。 日本のマスコミが真面目な顔をしてそれを国内に通達していること。 ようく目を見張り、常に騙されぬことを心がけていないと、まんまと食い物にされる こともあるだろう。 何もかも震災後に少しずつ気付いて来たことだ。
2011.09.10
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・9、9、金 武田氏がテレビの 番組で、子供の視聴者からの質問「東北の野菜は食べない方がい いのですか?」にあえて正直に答え、それが反響を呼んでいる。 「東北の野菜は食べてはならない」というようなことを結論的に述べたのだ。 もちろんマスコミは面白おかしく一部の発言しか取上げない。 しかしそう結論付けるまでにはいろんな説明があったはずだ。 一関市長がその発言に猛反発し、武田氏を訴えるかのような勢いだ。 さてこの問題は意見の分かれるところだろう。 テレビという媒体を通して、東北の野菜をひとくくりに否定した訳だから、それはも うすさまじい攻撃が来ることは覚悟の発言だったはずだ。 しかし僕は武田氏の発言を評価したいと思う。 武田氏も述べているように、東北の農家、政府が出荷する野菜にきっちりとベクレル を表示していれば「東北の野菜は食べてはならない」とひとくくりに否定することも ない訳だ。 子供に対してだけは真正面に応えたかったのだろう。 大人の責任として、大人の不始末として。 おそらく僕が彼の立場であっても、同じ対応をしたことだろうと思う。 例え番組を下ろされても、一関市長に訴えられようとも。 ここはとても大事な機会で、正しいことを述べているものが世間から評価されるべき であり、何が正しいかを皆で考える瞬間だ。 ーーーーーーー 少女は語らない・・・ 少女は語らない。その澄んだ目でお母さんの一挙手一投足を見つめている。からわら でつぶらな瞳の少年が通り過ぎる電車に夢中になる。 おじさんは怒鳴る! 何で汚染された野菜を出していけないのか! こんなに苦労し て作ったんだ! 我々の生活はどうでもよいのか! 少女は語らない。ただ黙々と出された給食を食べる。たとえ汚染された野菜でも、彼 女は大人を信じて放射性物質を体の中に入れる。 怒鳴ったおじさんは、知事と教育委員会に助けられ、汚染野菜を出荷し、給食の食材 として販売し、生計を立てた。政府と東電は知らぬ顔をし、マスコミはびびった。 語らなかった少女はやがて病の床につく。誰が語らなかった少女を助けることができ たのだろうか? (平成23年9月5日) 武田邦彦 ーーーーー なぜ、子供が被曝を心配するのか? あるテレビでお子さんが「東北の野菜を食べたらどうなるのか?」という趣旨の質問 がありました。 可哀想に、東電が放射性物質をまき散らさなければ子供はこんな心配をせずにのびの びと楽しく毎日を送っていたでしょう。これもなにも日本の大人の責任です。私はそ の子供にすまないとおもいました。 東電がヘマしたのも大人の責任です。それなら、子供には事故以前の被曝基準1年1ミ リシーベルトを守ってあげられなかったのでしょうか? 保安院は東電の事故の後、 東電の社員(もしくは下請け)の大人が1年1ミリシーベルト以上浴びたとして処分を しましたが、大人より感受性の高い子供を守って欲しいと思います。 今は情報の時代です。政府や自治体がいくら法律を隠そうとしても、隠し通せるもの ではありません。私が1年1ミリシーベルトというと「危険を煽る」と言う批判が来ま すが、低線量率被曝と病気の関係が医学者で合意できないので、社会的に1年1ミリシ ーベルトという約束をしているのです。東電がヘマしたから約束を反故にしてはいけ ないし、その被害を子供にかぶせるのは誰が考えても不適切です。 ・・・・・・・・・ 「東北」といっても広いので、安全な野菜もありますが、「東北」を「福島」と言い 換えても、福島でも汚染されていない野菜はあります。汚染されているかどうかは、 野菜のベクレルを測ってそれが表示されていないとわからないもので、地域、しかも 行政区でいうこと自体が間違いですが、それも大人の責任です。子供なら「東北」ぐ らいしかわからないでしょうし、外人ならそれが「日本」になるでしょう。 すくすく育つべき子供が被曝を心配しなければならないのも大人の責任、食材にベク レルを表示しないのも大人の判断、「東北産」、「福島産」などと行政区で区別して いるのも大人です。 そこで私は、「大人の不始末は大人で解消したい」と思い、子供からの質問には正面 から答えずに、大人に向かって(子供が心配しているから)「東北の野菜は出荷して はいけない」と言いました。もし食材にすべてベクレルが表示されていたら、「10 ベクレル以下なら大丈夫ですよ」と答えることができたのですが。 ・・・・・・ 子供は大人を信用しています。質問はしますが苦情を言うことはなく、国会前で座り 込みをすることもできません。出された給食が汚染されていても黙々とそれを食べま す。そんな立派な子供たちが安心して暮らせるよう、今でも「1年1ミリシーベルトを 超える被曝になる可能性がある食材(もちろん外部被曝などを足してですが)は出荷 しない」ということで大人が断固たる意志を示したいと思います。 そのためには、外部0.2、食材0.2ミリぐらいになることですから、個別の食材 はその20分の1、つまり0.01ミリ(食品の100分の1原理)程度にする必要があ るでしょう。今こそ、大人の決意に期待します。 (平成23年9月7日) 武田邦彦
2011.09.09
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・9、7、水 数人の生徒さんがヤマハ、タワレコなどに行って、僕のCDを目撃され、中には携帯 で写真を撮ってこられる方がおられる。 心斎橋のヤマハには、新しく発売されたCDを紹介するコーナーがあり、そこに手書 きのPR文を添えて展示してあるらしい。 何枚かは売れているようで、見も知らぬ方がお買い上げいただいているとすればとて も嬉しい。 後はHMVの様子をこっそり見てみたい。 さて、下記の武田氏の記事は、素人の我々が基礎知識の一つとして、是非頭に入れて おきたいことだ。 ーーーーーーー どの程度、放射線を怖がる必要があるか? 放射線防護は、法律で1年1ミリシーベルトが被曝限度とされていますから、その点で はすでに決まっているのですが、相変わらず政府は20ミリまでと言ったり、食品の暫 定基準値が高かったり、学者の方が「放射線は浴びても大丈夫」と発言したりしてい ますので、「どうしようか?」と思っておられる人が多いので、再度、「どの程度の 放射線を怖がる必要があるか」ということを説明しておきたいと思います。 【基礎知識】 基礎的には実に簡単です。 1.学問的には1年100ミリ以上の被曝と病気の関係しかわかっていない(低線量の健 康への影響は、医者の間で合意されていない)。 2.学問は研究中は研究者同士の合意はできず、ほぼわかったら合意できる状態にな る。 3.1年100ミリ以下は「わからない」のであって、「危険」か「安全」かもわからな い(医師同士で合意できない)。 4.そこで、1年100ミリから0ミリまで直線を引いた(このことを「***仮説」と 呼ぶこともあるが、学問的には仮説と呼べるものではなく、「わからないから直線を 引いた」にすぎない。「直線仮説」等というと議論したくなるが、もともと学問的な 根拠がないのだから議論しても意味がない)。 5.つまり、1年100ミリ以下はわからないのだから、「エイヤッ!」と直線を引いた だけ。人間にはわからないことがある。科学にも医学にもわからないことが多いこと を認める。 6.このような場合、国際的にもやり方が決まっていて、それが「予防原則」であり 、「取り返しのつかない損失」が予想される時には安全側をとることになっている。 7.「風邪を引く」のは「取り返しがつく」と判断され、「ガンになる」は「取り返 しがつかない」と分類される。近い将来にガンも「取り返しがつく」ことになると思 うが、今のところ、「取り返しがつかない」に分類されている。 8.そこで、1年1ミリについては、(推定で)3人の医師が「危ない」と言い、7人の 医師が「安全」というような状態だ。つまり1年1ミリ以上でも大丈夫だという医師の 方が多いが、危険だという医師(主にヨーロッパ)がおられるので、慎重を期して1 年1ミリに決めている。信念として被曝は危険としている医者もいるし、安全として いる医師もいる。また学問的によく考えて安全としている医師もいる。 9.国際的には1年5ミリ程度まで大丈夫ではないかという医師が多い。10ミリを超え ると危険な可能性があるという医師が増えてくる。 10.これらから国際的にあるいは日本の法律で、予防原則の思想に基づき、1年1ミ リと決まっている(社会的合意であって、医学的な合意ではない。それは医学者も知 っているが、医学的に合意できないのだから仕方が無い)。 【具体的な方法】 1.学者や医師は大いに議論して貰いたい。ただ、一般の人に自分の研究結果を伝え るときには「研究中であり、現在の社会的な合意とは違う」と言って欲しい。 2.学者や研究者は、学問が間違いを含むことを常に意識し、自分の間違いの可能性 について他人に損害を与えないように注意をする必要がある。 3.子供の健康に責任を持っていない人は、あまり論評しない方がよい。特に社会全 体に興味があり、個別の子供のことには関心の無い人はコメントを控えた方がよい。 子供が病気になっても責任を持てないから。 4.子供は放射線に対する感度が約3倍、被曝チャンス(地面に近く、運動などもす るし、給食で強制的に汚染食材を食べさせられたりするから)も約3倍で、合計10倍 だから、子供の1ミリは大人の10ミリに相当する。 5.子供とともにいて、「今日、ここにいて良いのか?」、「この食材を食べさせた ら良いのか?」と具体的に考えるお母さんの気持ちになって決めなければならない。 6.お母さんは「50%、ガンになる可能性がある」としたらゼッタイに避ける。「 10%(10分の1)、ガンになる可能性がある」でも普通は避ける。お母さんが100 分の1でも危険を回避してくれているので、日本の子供がすくすく育っていることを 多くの人が理解しなければならない。 7.お母さんは慎重派であり、だからこそ子供が元気に育っている。 おそらく1年5ミリ以上を浴びても90%以上は安全と思うが、それではお母さんは子 供を被曝から守るだろう。 8.胎児、若い女性なども子供と同じように考えた方が無難である。おそらく子供よ り3倍ぐらいは安全である。 9.若い男性もまだ感度が高く、一時不妊の可能性もあるので、女性の2倍ぐらいは 安全という感じである。 10.年取った男性はかなり安全である。ただ、子供や女性のことを親身で考え、「 今日、自分の孫とここにいて良いのか? 確率的には10%の危険性という時に孫は どうするか?」と具体的に考えること。 よくおわかりになったと思います。つまり「被曝は大丈夫」と言っているお医者さん がおられても、子供を守るお母さんは安心できないということと、被曝と健康障害の 関係は「誰でもガンになる」というのではなく、可能性が高いということから注意が 必要なのです。(特に重要で問い合わせも多いので音声もつけました) (平成23年9月5日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.124-(7:27).mp3」をダウンロード 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.125-(6:06).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2011.09.07
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・9、5、月 クリアランスレベルの一年1ミリシーベルトを守るということは、内部外部被爆合わせて1ミリシーベルトだから、食材から入る放射能物質はずっと少なくなくてはなら ない。 そうなると日本中の野菜、米、肉はすべてアウトになりかねない。 そうなると農協は困るし、農協が困ると政治家はもっと困る。 それで子供たちや若者の命を見捨てて利権を守る。 法律など知ったことか! 政府が法律だ! 世界の中のアメリカと同様自分が法律だし、誰もそれを咎めない。 咎めないようにちゃんと甘い汁を吸わせてあるのだ。 「嘘を突かないようにしましょう」「人に迷惑をかけないようにしましょう」「他人 の痛みが分かる人間になりましょう」と幼稚園と小学校で教えるが、大人が背中で実 践していないことを子供たちに押し付けることは不可能だ。 ーーーーーーー 東北のノート、トイレットペーパー、CDは買えるか? 日本は法治国家である。超法規的な殿様はいない。決まりは決まりである。 原子力発電所ができ、身の回りに「放射性物質」が溢れるのではないかと心配された ので、日本政府(我らの政府)は「クリアランス・レベル」というのを決めた。それ は最近のことである。 身の周りに放射性物質があるが「これぐらいなら汚染されていないとして良いだろう 」というのを原発からの廃棄物を基準にして決めた。それが「クリアランス・レベル 」であり、1年に0.01ミリシーベルト以下のものとされた。 この議論はかなり前からあって、私も原子力安全委員会の部会やアイソトープ協会の 会議で審議に加わったことがある。慎重に審議され、膨大なデータが提供され、その 結果、「0.01ミリ」となり、罰則は懲役1年である。 ・・・・・・・・・ 東北や関東の放射線は今、「1年20ミリ」になっている。クリアランス・レベルの200 0倍だから、そこで作られる食材、工業製品などはすべて「汚染された物」として取 り扱わなければならない。 ここで注意しなければならないのは、「被曝側」から言えば1年1ミリでこれは外部被 曝や内部被曝の全部を含む。それに対して「生産者側」から言えば1年0.01ミリ で、被曝側から見れば、製品を100ヶ買っても1ミリにならないという「100倍ルール 」が適応されていることだ。 いずれにしても、1年0.01ミリという廃棄物規制は日本政府がみずから決めたも のであり、それは当然、生産物にも適応される。つまり福島原発からでた放射性物質 は廃棄物だから、それに汚染された製品は「表面に廃棄物がついたもの」だからであ る。 被曝限度として国際的に定められている1年1ミリ(被曝側)を無視すれば輸出もでき ないし、観光客も来ない。それは外国人だけではなく、日本国内のものも同じである 。 ・・・・・・・・・ 日本は法治国家だから、東北や関東のノート、トイレットペーパー、CDは買わない 方がよい。製品の表面に「この製品は1年0.01ミリの被曝を下回っています」と 書いてあれば買うことができる。 事実、すでに大手の企業は外国に輸出する製品の汚染度を調べ、その結果をつけて輸 出しているところが多い。日本人だけは被曝させるというのでは、実業者として社会 的な責任を果たしていないと思う。 政府が法律に違反して基準を決めるというのはこういうことである。 (平成23年9月4日) 武田邦彦
2011.09.05
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・9、4、日 以前から疑問に思っていたことの一つに、ニューヨークの同時多発テロの報復のよう な形でアメリカ軍がイラクに乗り込み、フセイン大統領を拘束し、どうやらきちんと した裁判も行なわず闇から闇に葬り去ったのでは。 もしくは、取引の上どこかでまだ生きているか。 とにかくフセイン大統領の話は一瞬のうちに何処でも聞かなくなった。 もしくは僕が知らないだけなのかもしれないが。 そしてこれも明らかにはされないが、アメリカはイラクの膨大な資源を手中に収めた のでは。 当時小泉首相率いる日本はその片棒を担いだ。 同時多発テロが本当にフセインの指示によるものなのか?ビンラディン氏がその主犯 者であることも本当か? そして報道を信じるならば、ビンラディン氏もアメリカ軍の手で闇に葬られた。 フセインやビンラディンがどれだけの危険人物であるかは知らないが、これは立派な 殺人ではないのか。 我々が毎日乗る各私鉄の車内放送の「不信な荷物を見かけたときは触れず係員にお知 らせ下さい」というのも、外国からのテロの可能性を匂わせて「非常なテロリスト」 を意識に植えつける手段ではと思うこともある。 すべて資源を巡って行なわれる利権争い。 大体、日露戦争、大東亜戦争も実は資源争いだったという噂もある。 月着陸の大嘘を世界に発信するアメリカだ、資源を手に入れるためのこれぐらいの嘘 は平気だろうし、アメリカに追随する日本も同じ嘘をつき通すのは当然ということに なる。 原発が失敗に終わればなおさら、地下資源はどこまでも人間通しの殺し合いを助長す ることになるのかもしれない。 「民主主義、法治国家」など、実はどこにもないのだ。 ーーーーーーーー リビア情勢・・・日本は植民地主義から離れられるか? リビアを長い間、指導してきたカダフィ大佐が「民主勢力」によってその地位を追わ れようとしている。日本の論調はフセイン大統領やビルマ政権の問題の時のように「 独裁政権は悪」、「欧米は正義」という先入観の中にいる。 しかし、リビアに軍事介入をしたフランスをはじめとしたヨーロッパ勢は「良心に基 づいて他国を支援した」のではない。国際政治はそれほど甘いものではない。特にヨ ーロッパはかつての植民地時代の甘い汁をなんとか少しでも取り戻そうと躍起なので ある。 リビアには石油などの資源が豊富にあり、ヨーロッパとは地理的に地中海の向こうに あり、歴史的なつながりが強い。ローマがカルタゴを壊滅させ、エジプト王国を征服 して以来、ヨーロッパはアフリカを「植民地」と見ている。 今でもそれは変わらない。ただかつては露骨な軍事力で征服したのに対して、現代は 裏から工作し、支援し、利権を採るという形に変わっただけである。崩壊していく国 を餌にしようとハゲタカが襲っているだけだ。 第一、「内政に干渉してはいけない」という不文律が世界に定着しているのに、「民 主化支援」とか「大量破壊兵器の排除」などあらゆる理屈をつけて世界に飛び回って いるのはアメリカとヨーロッパの軍隊である。 ・・・・・・・・・ さて、日本はアジアの国としてアメリカヨーロッパの200年以上の植民地支配に苦し んだ国々と同一の歩調をとるべきだ。それは「他国には干渉しない」ということに尽 きる。この前、イラク戦争ではアメリカのウソ(イラクが大量破壊兵器を持っていて 、フセイン大統領はケシカランというウソ)に乗ってイラク戦争を支持し、ウソがば れても日本政府や知識人は判断ミス、あるいは国民に本当のことを知らせなかったこ とについて謝罪も説明もしていない。 明治時代に独立を果たした日本が、うっかり欧米の植民地主義に巻き込まれて大東亜 戦争を起こしたことについての「責任追及論」がこれほど強いのに、ことイラクやリ ビア・ビルマなどになると欧米側の植民地主義、覇権主義に賛同するというのはいか にも浅薄な考えだ。 この際、リビアについての報道、論評を「非植民地主義」のもとに行い、世界に日本 の正義を示すべきだろう。 (平成23年9月2日) 武田邦彦
2011.09.04
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・9、3、土 世のおじいちゃんおばあちゃんは、我が孫の健康を、彼らの未来を本当に心から心配 しているのかと思うことがある。 小さい赤ちゃんや幼児を持つ若いお母さんは確かに食事からの被爆の心配をしてい る。 しかし僕の周りのお孫さんを持つ人たち(僕の周りには山ほどおられる)から、お孫さんたちの被曝を心配しているという話を耳にしたことがない。 国の暫定規準値が一年20ミリシーベルトである限り、給食センターと自治体が「規準 値以下」と言っても、それは全く安心なことではないのだ。 まともな学者の訴えが煩いので、数ヶ月前に一瞬だけ一年1ミリシーベルトの規準値 を国が認めた。 だがそれは瞬く間に20ミリシーベルトにくつがえされ、そのことにほとんどだれも意 義を申し立てない。 先日母と妹と会い数日共に過ごしたが、母は10代の孫に食べさせる食材についても、 相変わらず全く無頓着であり、食卓を前に僕が「この魚は何処で取れたもの?」と尋 ねても鼻で笑うだけだ。 世のおじいちゃんおばあちゃんが「大丈夫」と言うのも、国の言うことを鵜呑みにし ているだけで、放射能の専門的な知識を素人なりに少しでも勉強したからではない。 いつになれば日本国民は、国とマスコミに騙されて死んで行くことを腹立たしく思え るようになるのだろう。 ーーーーーーー 北海道の魚は汚染されているか? 今の日本人の願いは北海道や九州、それに日本海側の魚が汚染されないことです。も し汚染が日本全体に拡がると、私たちは古来、長い間親しんできた「魚」を食べられ なくなるのです。 北海道は最近になって魚の汚染を発表し出しました(輸出する魚については日本人の 健康とは関係なく測定する必要がある)。ストロンチウムを測定していないなどまだ 問題はありますが、それでも目に触れるようになったこと評価したいとおもいます。 道民の健康に直接関係する情報をまだ生産者のことを考えて、自治体も積極的ではな く、北海道の新聞やテレビがまだ報道を控えているという問題もあり、このブログで その一部を紹介します(データは読者の方から提供され、私が抜き出して表にしたも のです)。 測定結果は汚染がひどいというわけではありません。これまで「北海道の魚は大丈夫 」としてきましたが、「少し注意する」というレベルです。 汚染の数値は「政府が決めた暫定基準値」より低いのですが、暫定基準値は1年5ミリ から20ミリに基づいているので、暫定基準値を使うこと自体が危険と言う奇妙な状態 になっています。 つまり、3月11日以前の考え方では、1キログラムあたり20ベクレル程度が限度です。 その点ではすでにタラやサバといった主要な魚が注意領域に入っています。 でもマダラやスケトウはその海に比較的じっとしている、いわゆる底魚なので、それ がかなりの汚染をしているというのは、北海道の近くの海まで福島の汚染物質が流れ ているか、あるいは餌になる魚などの問題なのか、汚染経路を急いで調べてみる必要 があるでしょう。 私たちとしては、今まで「北海道は大丈夫」としてきたのですが、「やや危険」とな りましたので、今後はベクレルの動きを慎重に見ていく必要がでてきた。今のところ 、買っても良いということです。 ・・・・・・ この問題はもう一つの課題を含んでいます。北海道庁も新聞やテレビも「政府が決め た暫定基準値」が北海道の道民にとって適切かどうかを住民の命を守る自治体や表現 の自由をもつマスコミとして判断し、その上で取り扱っていないということです。 単に「政府が安全と言ったから」と言っても、日本国内の法律に違反しているのです から、法律に違反している暫定基準でも、従来の法律で決まっていた値でも、どちら も採用することができるのです(自治体やマスコミが食材のベクレルからシーベルト への換算ができるということが前提ですが)。 この点でも、今回の震災で民主党政権は「非常時の法律」をまったく成立させること ができなかったり、被曝の限度を突然、あげたりしてほぼ無政府状態になっているの はとても問題です。 また福島県は生産者の補償問題で気合いをあげていますが、子供たちの被曝を減らさ ないと病気になってからの補償というのでは無策のそしりを受けるのも仕方が無いと 思うのです。 (平成23年9月2日) [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_17xxx-xxx-xxxxx。] 武田邦彦
2011.09.03
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・9、2、金昨日の日記で「第2回NSK第九を歌う会」のチケットお求め方法のことを掲載したが、電話番号とメールアドレスはやはりラクテンによって削除された。そこでフリーページの「第2回NSK第九を歌う会」の欄に内容を掲載したので、チケットお求めの方はそちらをご参照いただきたい。
2011.09.02
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・9、1、木 いよいよ9月に入り、25日の「第2回NSK第九を歌う会」演奏会も近付いて来た。 チケットはまだあるので、是非足をお運び下されば嬉しい。 この取り組みは、障害を持ったものと、健常者が共にゼロから苦難に立ち向かい、一 つの舞台を作ろうというものである。 団員総勢220人の中で、障害によっては全く声の出ない方、寝たきりに近い方もおら れるが、舞台の上でその音楽を感じ、心で共演することもまた演奏であると考える。 一部には源田俊一郎編曲の、童謡メドレー「いつの日か」、二部にはベートーヴェン 交響曲第九番を演奏する。 チケットお求めは~ TEL:xxx-xxx-xxxxx E-Mail:masaku??????@docomo.ne.jp(NSK運営委員会事務局)まで。 日時:2011年9月25日、15:00開演(14:00開場) 会場:奈良県文化会館国際ホール(近鉄奈良駅より徒歩5分)
2011.09.01
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・9、1、木 先日ある合唱団のピアニストが「この間毎日新聞に載ってましたね」と言った。 僕は何のことか分からずポカーンとしていると「知らないの?茶木さんのCDが今月の三枚に選ばれたんですよ」と言われ驚いた。 調べてみると、毎日新聞で毎月その月に発売された国内、国外のCDから、選者が三枚のCDを選んで紹介するというコーナーがあり、8月24日(水)の夕刊に掲載された 。 今月は、海外のオーケストラのもの二枚と共に僕のCDが選ばれたということで、短 い批評も掲載された。 ●私の三枚(クラシック)「 選者:礒山 雅 「ある旅路で」茶木敏行(テノール) チャールズ・スペンサー(ピアノ) 「ベートーヴェンからシュトラウスまでの歌曲集だが、詩を慈しむ姿勢が手に取るよ うに伝わって来るのが嬉しい。 渋い選曲も求道精神の証しだ。」 多くの今月発売のCDから僕のものに耳を傾け、選んでくれたことは大変嬉しい。 それに日本人の商品を面白くないと思っている意地悪な批評家などは(残念ながらほ とんどがそういう例だ)、スペンサー氏だけを褒めて、ろくに聴きもせずに批評を終 えるパターンがほとんどだが、おそらく全曲を通して視聴し、ライナーノートにも目 を通してくれたことが伺い知れる。 この記事を目にした全く知らない人が、もし聴いてくれるというような機会があれば とても嬉しいと願う。 昔から僕は批評家という人種が好きではない。 随分前になるが、いずみホールで開催したリサイタルに対してある年配の批評家が記 事を掲載して、かなりボロクソに書かれたことがある。 その文章から、本人はホールには足を運ばず、ホールの録音記録を入手して聴いて記 事を書いただろうと思われるふしがあった。 もしその批判も自分の耳で聴き「自分の意見としてはもっとこうであって欲しい」と いう希望的な批判なら好意的に受け取ることができる。 だがとにかくメジャーな演奏家以外の者はコケ下ろして「世の中甘くないぞ」を知ら しめるための批評なら、独りよがりの権力の振り回しだ。 それ以後演奏会時のマネージメントにも「僕のリサイタルには批評家は立ち入り禁止 にして下さい、招待状も出す必要はありません」と訴え「いや、茶木さんそれはちょ っとこちらとしても困ります」と言い合いになったこともある。 批評家とは一体この世に何のために存在し、何を良い方向に向上させるためにあるの かを考えさせられた。 しかし今回の礒山氏の記事からは「メジャーではないから」とか「日本人だから」と かいう蔑視を超えて純粋な耳で、目で作品に向き合ってくれているところが驚いた( 批判的な言い分がないからという訳ではなく)。 「求道精神」という一言も僕にとっては最高の労いの言葉だ。 彼のブログにも下記の書き込みを見つけた。 「茶木敏行というテノール歌手、ご存知でしょうか。言葉が生き物のようにすっと入 ってくるのに魅了され、聴き通しました。詩 を慈しむ姿勢が、手に取るように伝わって来るのです(目の不自由な方だそうです) 。ベートーヴェンからシュトラウスまで、というと定番のプログラムが思い浮かびま すが、そういう曲はほとんど含まれておらず、じつに渋い選曲。そこにも求道精神を 感じます。」
2011.09.01
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