2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全20件 (20件中 1-20件目)
1
・10、31、月 これはいよいよ怖ろしいことだ。 岩手一関の女子中学生が死亡したことは事実らしい。 校庭の放射能線量はかなり高かったようだ。 これが被曝による死亡となると(もしそうだとしても、おそらく必死で原因を隠蔽するだろうが)これからどんどん被害者は増えるにちがいない。 マスコミを見ても、どこの番組、新聞でもこの話題は取上げない。 若い命を奪ったその原因が、大人たちの失態からだとすればいたたまれない。 武田氏への議会を挙げてのバッシングは、そのうち彼の神経、職場、名誉を根こそぎ破壊することにならないだろうか。 意見を持つ専門家は、皆こうなることが怖くて声を顰めているにちがいない。 武田氏は原発を作って来た者として責任を感じているのだろうが、やはり心配になってしまう。 かと言って黙る訳にもいかないが。 我々庶民の立場で情報を伝えて、共に怒り、手段を提示してくれる専門家は今武田氏しかいない。 他の専門家はいったい何をしているのだ! 皆腰抜けばかりか! 武田氏と共に矢面に立とうという者が出てくれば、もっと世論も良い方向に動き始めるだろうに。 東北からのバッシングが強くなって行けば、武田氏一人では太刀打ち出来ないだろう。 ーーーーーー 岩手3題 ● 福島県に接している宮城県があまり汚染されなかったのに、岩手県の一関や平泉 が汚染されたので、そこに住んでいる人たちに注意して貰いたいと思ってテレビで発 言したら、ひどいバッシングを受けた。バッシング自体は仕方ないと思ったけれど、 東北の新聞は一斉に「武田はケシカラン」という論調を張ったことにはやや驚いた。 東北の新聞は東北の人の健康を心配していると思ったら、それより農作物の出荷を気 にしていたらしい。東北の汚染された農作物をすべて買い上げても、1年の原子力予 算の10分の1にも満たないのに(一年の原子力予算4500億円、それに対して東北の 野菜をすべて国が買い取ったら700億円/茶木の情報)、原子力予算を東北に引き出す ことと逆の方向に進んだことは残念なことだった。 一関の市長さんや議会からの抗議を受けた。立場からもその気持ちはわかるが、その 後、セシウムで汚染された一関のウシが出荷停止になったり、基準を大きく超える線 量が一関の中学校で見つかったりした。除染に国のお金を導入する方向ではなく、私 の発言が逆の方向(大したことはないから、なにもしなくても良い)に進んだことも 残念だった。 そんなこともあって、その後、岩手が何となく気になっているが、ここに3つの情報 を取り上げてみたい。それぞれ本来は岩手の人が郷土や子供たちを守るという意味で 重要で、かつなかなか難しい問題だ。 ●一関の高濃度放射線下の中学生の死亡 一関の中学校でかなり高い線量を出していた学校で、中学生が死亡したという情報が ある。まずはこの情報が事実かどうかがわからないし、一般的な病死は中学生にもあ るから、それが被曝に関係しているかもまだ判らない。 教育関係者、行政は「プライバシー」ということで事実自体を公表しない可能性があ るし、テレビや新聞も報道するかどうかは不明である。これがインフルエンザなら生 徒の名前はふせるだろうが、事実は必ず公表するべきだ。 でもことが被曝と関係しているので、怖がって報道しない可能性がある。もし本当に 中学生の死亡という事実があったら、何らかの手段で公表し、その原因についても被 曝とは無関係であることを示す方が良いだろう。中学校の名前も個人名も伏せること は十分にできるからだ。 ● 岩手の汚染状態について、斉藤さんが様々な視点からグラフを作っておられる。 このマップもその一つだが、早川先生と岩手大学の測定値をもとに福島原発からの放 射性物質が岩手の中でどのように拡散しているかについてのものである。 これを見ると、福島から岩手へは2つのルートが考えられること、北上川にそって北 上して盛岡まで達したことが判る。女川が独立に汚染されていることから、女川原発 からの放射性物質の漏洩についても注意が必要だろう。 ・・・・・・・・・ 人間が他の動物より断然、強いのは「知は力である」という原則があるからだ。情報 が正しく、細かいほど危険から逃れることができる。そのために私たちは公共放送、 民法、そして新聞や雑誌という社会システムを持っているのだが、今回の事故ではそ れが逆方向に働いたとも感じられる。また、私たちが多くの税金を払って仕事をして 貰っている役所はどうやら「特定利益団体の出先」になってしまったからだ。 そこで、ネットなどを活かして、今後も多くの人が情報を交換することが大切だろう 。 (平成23年10月28日) 武田邦彦
2011.10.31
コメント(0)
・10、30、日巨大な隕石が2700万年ごとに必ず落ちて来て(なぜ2700万年ごとなのかは分らないが)、もしくは氷河期が来てそれを乗り越えられずに人類は全滅する。すなわち今から1000万年後にはおそらく人類は死滅することが決まっているという。ちなみに、1000万年前を考えると、まだ人間の影も形もなかったほど気の遠くなる年月だが。でも死滅することが自然であり、次再生したときには更に強い生命体となっているとか。オゾン層が出来たころはCO2は95パーセントあり、今は0、04パーセント。それでも現代ではまだCO2を減らそうとしている。このままCO2を減らし続けると、それこそ地球上の生物はもっと早く全滅するかもしれないという。我々生物が反映し続けるにはCO2が必要なのだということ。それと生物はすべて絶滅を繰り返して強くなって来ているので、絶滅を救うことが不自然であり、それは人間の傲慢さから来る考え。また、人間は今でも原子爆弾と壊れる原発以外は、地球に悪いことはそんなにしていない。だから悲観的にばかりならず、もっと伸び伸びと反映を続ければいいのだと。すべてびっくりするような話だ。しかしこの間民放の番組で、南極にあるオゾン層に大きな穴が見付かり、強い紫外線と温暖化が危惧されていると報道していた。オゾン層の穴は移動するから、様々なところに影響が出ることだろうと。そしてそのオゾン層の穴は、一時人間が多く排出したフロンガスが原因なのだと。この話も本当なのだろうか。ただここではCO2が原因だとは一言も言わず、フロンガスの影響に限定していた。今はフロンガスの使用はどの国でも禁止となり、人間からの排出はなくなったが、空にあるフロンガスはそんなに簡単にはなくならないという話だ。これが本当だとすると、やはり人間は充分に地球を壊すようなことを行なっているではないか。一体何が本当なのだろうか。南極の氷が解け続ける映像は、今もNHKで放送し続けている。やはりこれは映像のトリックなのだろうか?それとも武田氏の見解が根本的におかしいのだろうか?「0度よりも暖かくならなければ氷は解ける訳がない」という武田氏の言い分は、正に納得できる話だ。南極が氷点下でなくなるなど、まさしく地球が死滅する時だ。ーーーーーーー人類が繁栄するのは自然や生物界に悪いことか?トキを絶滅から救うことはトキにとってとても残酷なことだと私は思い、小学館から「生物多様性のウソ」という本を2011年に出した。本当は「トキは逝ってくれ」という題名にするところだったが、刺激的ということでややおとなしい題になった。生物はその長い歴史の中で繁栄と絶滅を繰り返してきた。(このブログに貼り付けた図はクリックすると若干大きくなります。)この図からも判るように、5億5千万年前に誕生した多細胞生物は、古生代、中生代を経て現代に至っているけれど、誕生と絶滅を繰り返し、その間に生体の防御能力がついてきた。紫外線や放射線で言われるホルミシス効果も絶滅によって獲得してきた能力である。その時代時代には、その時代の環境にもっとも適応した生物が繁栄する。古生代なら三葉虫やアンモナイト、中生代の恐竜、そして新生代の人類などがそれに当たる。そしてその時代の支配的な動物が自らその競争力を放棄した例は無いと思われる。つまり、恐竜が繁栄していた頃、恐竜が「こんなに恐竜ばかりになったら自然を破壊する」とか、「俺たち以外の動物が絶滅するのは許せない」などと考えるはずもない。自然や生物界というのは競争力の強いものが繁栄するのを「良し」とするようにできている。そして三葉虫、アンモナイト、恐竜はすべて「繁栄しすぎて絶滅した」のではなく、古生代と中生代の間に起きた第氷河時代と隕石の落下によって滅びたと考えられている。「発展しすぎて滅びた」生物は見あたらない。私たち現代人も、前のネアンデルタール人が11万年続いた前の氷期を乗り越えられずに絶滅した結果として登場してきたのだ。最近、ある地域のサイの絶滅が話題になっている。サイは現代の哺乳動物の中でも比較的古い種で、その絶滅は時間の問題でもある。・・・・・・・・・「人間だけは他の生物と違う。人間には知性がある」と言うけれど、それは私たちが人間だからそう思うだけで、やはり多くの生物の中の一つだろう。このように考えるのはあまりにも傲慢な気がする。そうすると、人間が都市を造り、畑を耕し(里山)、動物を飼育するのは特に「悪い」ことではないのではないか。そして1300万年後の次の隕石が落下するときか、あるいは生物の活動の元であるCO2が2000万年後に無くなってしまうか、どちらかまで大いに繁栄したらどうだろうか?生物の絶滅が自然を破壊するという考えはあまりに浅薄なように感じられる。いずれにしても1000万年から2000万年ぐらいで人類は絶滅する可能性が高いのだから。ひさびさ、音声あり。(平成23年10月27日)武田邦彦
2011.10.30
コメント(0)
・10、28、金 この間一人で喫茶店でコーヒーを飲んでいると、横のテーブルで二人の紳士が初めましての挨拶を行い、ビジネスライクな口調で仕事の話を始めた。 内容を聞くともなく聞いていると、どうやら一人は大きな健康食品会社関係の営業部 長という感じの紳士と、定年後に奥さん一人を社員として、これまた健康食品の会社 を立ち上げて間もないという風の紳士だ。 会社を立ち上げた紳士はとにかくインパクトのある素材、例えばプロポリスなのか、 ロイヤルゼリーなのか、蜂の巣なのか、その他蜂蜜関係だけではなく様々な健康とし て人々が飛びつきそうな内容を模索して意見を求めていた。 でも二人の考察の最後はすべて「でもあれも結局あまり売上は伸びませんでしたからね」である。 話の内容を集約すると、彼らの興味はコスト、売上、インパクトである。 でもそこに一番大事な争点が欠落していると僕は思った。 例えば用いる蜂蜜ならそれが摂取する消費者の体に実際どのような効果があり、何を回復に導き、どのような症状の者がそれを必要とするのか。 今のこの国の商売には、その基本的な「誰かを良い方向に導いて、その代償をいただく」というごく当たり前な目的が「とにかく少しでも利益を多く獲て、会社を大きくしてサラリーを増やす」ということにすり替わってしまっているのではないか。 そうなると結果、消費者が何を必要とし、何を人々が信頼して長く愛用することになるかが見えなくなる。 よってその会社は結局長続きしない。 これがほとんどのパターンではと思えて来る。 だから蜂蜜を素材に健康食品を考案するなら、ビジネスマン自体が蜂蜜について知り尽くしていなくてはならないし、そして心から蜂蜜が人々を救う確信を持って販売に当たらなくてはならない。 もしそう思えないのなら、蜂蜜営業はただちに止めなくてはならない。 僕ならそう思うのだけれど、ビジネスの世界から見て間違っているのだろうか。 そしてその勘違いがすべての分野に当てはまるように思う。 この二人のビジネスのプロは、自分が売っているものに興味と自信を本当に持ってい るのだろうか、売上にしか興味がないとすれば、自分の人生を掛けたその仕事に空し さはないのだろうかと考え込んでその店を出た。 ーーーーー 「汚したものをかたづける法律がない」??? 「福島第一原発から約130km離れたある市に住む方が線量計で庭の土を計測したとこ ろ0.5マイクロシーベルトであったので、庭の汚染土を土嚢に詰め、引き取ってもら おうと東電に行った。」という記事がでていた。東電は「法律がないから引き取れな い」と答えた。 おそらく「他人の財産を汚した場合、汚した人は直ちに旧に復しなければならない」 ぐらいの法律は民法かなにかにあるはずだ。他人の服を汚した、他人に庭に汚い物を 投げた・・・などで注意された場合、「法律に決まっていない」とふんぞり返る人は 日本人だろうか? 法律以前の問題だし、東電は福島原発などの「放射性物質を扱え る土地」を多数持っているのだから、引き取ることはできる。 でも、不思議なことがある。まず一つは警察が駆けつけないことで、普通なら人の健 康を著しく損なう恐れのあるものを誰かが飛散させたら、とりあえず警察が来てロー プをはり、汚した人を連れてきてすぐに片付けさせるはずだ。犯人はハッキリしてい るのに警察は動かない。そして第二にNHKだ。 これまでNHKは「視聴者に支えられた放送局」として宣伝などとは関係なく、国民 に親しまれてきた。食品汚染問題、公害、女優の薬物使用など「社会の悪」と言われ るものは徹底的に報道してきた。たとえばトリ・インフルエンザが流行したときには 、大きなキャンペーンをやり、インフルエンザのトリが「一羽でも発見された県」を 真っ赤に塗りつぶしたマップを繰り返し示した。 その時、「この県では何万羽のトリがいますから、1羽ぐらいでは安全です」などと いう論理は使わなかった。多くの人はまだNHKに好意を持っていて「そのぐらいは 良い」と言っているが、それが子供を被曝させている。事故直後、NHKは福島原発 近辺から取材陣を総引き上げさせた上で「健康に影響がない」との放送をしたとされ る。一刻も早くこの時期の事実を公表すべきである。 ・・・・・・・・・ 法律ではアルファ線を含まないものがあると確認されていても、1平方メートルあた り4万ベクレルを超える場合や、1キログラムあたり1万ベクレルを超えれば、直ち に飛散した人が片付けなければならない。 東電が「汚染された土壌」を片付けないでも平気なのは大会社だからか?日本の憲法 で定められた法の下の平等は守られているのか? 政府、法曹界はこのことについて のコメントを発表するべきである。そして2度と再び、NHKは個人が汚いもの、毒 物、ウィルスをまき散らしても放送してはいけない。 (平成23年10月23日) 武田邦彦
2011.10.29
コメント(0)
・10、26、水 前回の日記で述べていた内容と、偶然合致する記事が発表された。 我々が最も気になる話だ。 まず太平洋側の魚に含まれるプルトニウム、ストロンチウムの恐ろしさから勉強しなくてはならない。 僕も詳しいことは知らないが、脊髄に入り白血病を引き起こす。 特に魚の骨を食べると危険であるということだ。 小魚は丸ごと食べることになるので、避けなくてはならない。 事故以後、僕は出きるだけ魚は食べないようにしている。 日本海側の魚であることが分ればいいがなかなか難しいし、日本海にしか生息しない魚を尋ねても誰も教えてくれない。 プルトニウムもストロンチウムも半減期が恐ろしく長いので、このままでは永久に魚料理は食べられないことになる。 下記の記事にもあるように、三重県でも東北の魚を引き取っているようだし、それはおそらく関西にも出回ることだろう。 漁業関係者どおしの熱い友情が、我々を病魔へと押し出す。 我々国民は、東電の起こした事故のしわ寄せを黙ってかぶるしかないのか! ーーーーーー サカナは食べられるか? 8月から10月にかけての太平洋側のサカナの汚染状態について整理をしてみたいと 思います。基本的には状況は変わっていません。結論としては、次のようになるよう です(太平洋岸の北海道から静岡まで)。 1)時々、大人でも食べてはいけないサカナが見られる(セシウム)。 2)おおよそ、子供は食べない方がよい(セシウム)。 3)ストロンチウム、プルトニウムのデータがほとんど無く、小魚を骨ごと食べるの は避けた方がよい。 4)汚染の数値はセシウムの値を2倍にするのがメヤス。 結局、東日本の太平洋側のサカナは買わない方がよいのですが、その理由は、1)暫 定基準値が高く設定されいるので、表示されていなければ1年5ミリの被曝になる可 能性がある、2)安全レベルの1キログラム40ベクレル以下のものもあるが、40 ベクレル以上のものも「安全」として売られているので区別がつかない、3)相変わ らず福島近辺の海からとれるサカナが汚染が高く、海の海流などでのセシウムの拡散 が遅いようだ、4)川魚、貝類、藻類も同じように危険、ということです。今年は買 うのをやめておいた方が良いでしょう。(川魚の汚染と水道の汚染のつじつまが合わ ずに、若干困っています。) ・・・・・・・・・ 1.8月のグリーンピースのデータ 8月のデータでは、アイナメ、メバル、サクラマスなどの主力魚が200から100 0ベクレル程度汚染されています。1年1ミリの被曝として、空間0.4ミリ、水0 .1ミリ、ホコリ0.1ミリ、食材0.4ミリと割り振ると、サカナは1キログラム 40ベクレルが限度になりますから、いずれもまったく食べることができないぐらい でした。 日本にいてグリーンピースのデータを使うのは残念ですが、私が最初にサカナの汚染 を調べたのもグリーンピースでした。今までグリーンピースの批判をしていましたが 、国がダメなときには「徹底的な反対派」がいることも大切ですね。 2.9月の水産庁のデータ 9月は8月と同じく福島近辺では50ベクレルから1700ベクレルぐらいになって いて、状態の変化はありませんでした。これを「放射性物質の移動」という意味では 海に流れた放射性物質を陸揚げしているということを意味しています。特に海に流れ たと考えらえられるストロンチウムやプルトニウムをサカナを媒介して陸に揚げてい ることも心配されます。 また水産庁の測定は信頼できると思いますが、肝心のストロンチウムとプルトニウム の値が出てこないので、その点で不誠実と思います。またサカナも一部が公開されて いるのか、全体から見て、ここで示したサカナが何%なのかも判らない発表のしかた です。 3.10月の水産庁データ 青森県から宮城県沖でとれたサカナは、タラ、カレイ、ブリなどの主力魚がおおよそ 10から40ベクレルぐらいで、「汚染されているが食べられる」というレベルにあ ります。もし、国が食材について1年0.4ミリシーベルトというまともな規制を引 いていたら、これらのサカナは堂々と「安全」というレッテルを貼って出荷されるで しょうが、なにしろ基準値が500ベクレルなどになっているので、これらのサカナ も紛れて危険になってしまいます。 茨城沖も10から50ベクレルぐらいでギリギリの状態が続いています。このような 状態は北海道の太平洋側から神奈川まで続いていて、静岡のデータはほとんど得られ ません。静岡のデータが見つからないのは、私の探し方が悪いのか、本当に測ってい ないのか判りません。静岡はお茶の時に「測定しない」という方針をとったので、そ の名残があるのかとも思っています。 またこれも伝聞ですが、三重県の漁業が「東北を助けるために、中部の人を被曝させ る」という方針を決めて東北の汚染されたサカナを優先的に引き取っているというこ ともあり、中部は若干、気持ちの悪いのです。 川魚はどうかというと福島などは汚染されていますが、100ベクレル程度の汚染が みられます。このデータは栃木県のアユですが、子供は絶対に止めた方が良いという 値です。これでも国の暫定基準値(1年5ミリ、セシウムだけ)の範囲に入るのがと ても残念です。 このような状態なので、「検出せず」のサカナも多いのですが、基準値が高いので、 やはり避けた方が良いと思います。総じて、水産の人にも順法精神と日本の子供を守 る日本の大人としてのプライドを求めます。 (平成23年10月25日) 武田邦彦
2011.10.26
コメント(0)
・10、25、火 津波で破壊された港が次々と復興し、漁業が再開されたという報道が朝のニュース番組で取上げられ、皆で「よかったよかった!」と喜んでいた。 しかしもちろんのこと、その海域の汚染状況など調べて漁業を再開する訳もなく、ストロンチウムなどを含んだ怖ろしい食材が更に出回るに違いない。 番組のスタジオで人々は笑顔で喜んでいるが、内心からそう思っているのだろうか? 漁師たちの中には、自分たちの仕事に確信が持てず悩む者はいないのだろうか? 農業も漁業ももう再開できないところがあるはずだ。 そういったところの人々は速やかに諦めて別の土地に移って仕事を始めるべきだし、そのために国は補償を行なうべきだ。 そのために、巨額な税金を投入することに誰も文句は言わないだろう(本来は東電がやることだが)。 海の正確な汚染検査、漁業禁止区域を指定するなど、政府が行なう訳ないが。 生活費が底を付く、将来の不安が迫るという状況の中で、国全体の人々の安全を重視できるかが、プロの食品流通関係者のプライドの問われる点だ。 ーーーーーー これからの生活の計画のために(1) 岩手県 2011年3月12日の原発の爆発から半年が経ち、今後の生活の計画を立てる時期 になりました。3月、4月に避難した人と事情で動けなかった人ですこし違いますが 、地区ごとに解説をしていきます。群馬大学の早川先生の地図を主として参考にしま す。 岩手の人もまた政府と東大教授の「虚偽」の犠牲になりました.おそらくは「遠くに 逃げろ」とか「距離の二乗に反比例する」という科学的な間違いを信じて、「もし、 放射線が来るとすると、宮城から徐々に岩手に来るだろう」と思っておられたのでし ょう。 しかし、汚染や被曝は「距離」ではありません。「死の灰」が飛んできてどこで落ち るかが問題なのです。もし、正しい知識を持っていたら、田畑にビニールを敷くとか 、気象庁と連携をとって危険な時には児童を待避させるなどの措置ができたはずです 。残念です。 岩手県一関に落ちた死の灰は、宮城県沖から牡鹿半島を通ったものと奥羽山脈にそっ て北上したものがあるようです。それが2回に渡っているのか、一緒なのかも今のと ころ明らかではありません。 さらに残念なのは盛岡です。一関から北上川を北上した死の灰は盛岡で落下しました 。 都市部は人間が住んでいますので、ビルがあったり周辺と温度が違ったりしていて死 の灰が落下しやすい傾向にあります。関東の柏市、東京の新宿などと同じです。 自治体・教育委員会単位で実施することは、1)一関付近の0.5マイクロシーベル トの場所は自治体がさらに詳細に測定し危険な箇所に標識をたて児童を被曝から守る こと、2)汚染地域にはできるだけ作物を植えないこと、植えた場合はベクレルを測 定すること、3)0.125マイクロ以上の場所は自治体が警戒区域にして、詳細な マップを作り市民の被曝を抑制してください、3)子供の給食は北海道などの汚染さ れていない食材を使ってください(子供と土地は郷土の宝です)です。 個人レベルでは、1)ホットスポットの面積が小さいので、できるだけその場所から 引っ越しをすること、2)買い物やレジャーに行く時には汚染されていない場所に行 くこと、3)付近で線量率の高いところを避けることができるようにマップを作るこ と、です。 法律的に言えば(放射線防護の法律。もし自治体の人で法律を知らない人は武田に聞 いてください)、0.5マイクロシーベルト以上のところはセシウムが4万ベクレル 以上ある危険性が高いので、直ちに東電に電話してください、法律では事業者に次の ような義務を課しています。 スポット的に汚染されても「法律を守り、冷静、科学的」に対応すれば被曝を最小限 に抑えることができます。児童は大人と違い、感度が3倍、被曝チャンス3倍で約1 0倍の被曝を受けます。岩手の方が一致協力して一関、平泉、奥州市、盛岡の子供た ちを助けることを願っています。 (私はまったく弁明する気はないのですが、関西のテレビでの私の発言を報じた東北 の新聞は、私の発言を正しく伝えてはいませんでした。私が知っている東北の人は口 が達者ではありませんが、誠実で粘り強い人ばかりです。私がなんとか子供の被曝を 減らそうとしていることを東北の新聞は伝えてください。間違いを報道して東北の人 の感情をたかぶらせ、その結果子供の被曝が増えるのは決して東北の人の希望ではな いと思うからです。一関の議会からも抗議が来ていますが、その根拠が「東北の新聞 にこう書いてあった」ということなので、もしできましたらもう一度、私のテレビを ご覧になって抗議をしていただければと存じます。) (平成23年10月15日) 武田邦彦
2011.10.25
コメント(0)
・10、24、月 今日合唱団の女性団員さん(おそらく60代半ば)と話していて「私たちの孫が大人にな ったころは、この世界はどうなっているのでしょうね」と溜息混じりに言われた。 放射能、核、温暖化。 そういったものたちが、いずれもっと刃を向いて迫ってくるときが来るのかもしれない。 今の大人たちの行動を見ていると、そう危惧しない訳にはいかない。 世界中の原発の危険(それは大概の場合隠ぺいされている)。 もしアメリカと中国が戦争でも始めたら、世界の危機へと問題は拡大する。 恐竜の時代は酷く温暖化が進んだ世界だったそうだ。 だからこそ恐竜たちは急速な拡大化を遂げた。 そしてその後には氷河期がやって来て彼らは死滅した。 今またそれと同じ道を繰り返そうとしているのではないか。 でもこればかりは自然の成せることだから、ちっぽけな人間の力ではどうすることもできない。 我々の孫の時代は、いったいどうなっているのだろう。 ーーーーーー 子供たちの運命は大人の判断で決まる・・・一関の中学生 岩手県一関市のこともたちの運命は、そこの大人たちの判断と決意で決まる。農作物 の販売に重きを置くか、子供たちの命を大切に思うかも含めてそこに住む大人の判断 だ。 一関の中学校(一関中、花泉中など)から毎時1マイクロシーベルトを超える放射線 量が測定された。すでに半減期の短いヨウ素131などが無くなっているから、4月 には10マイクロシーベルトを超えていたと考えられる。 校庭の庭のホコリを吸った中学生の子供たちはホコリによる内部被曝を1時間に10マ イクロシーベルト程度吸い込み、さらに給食の食材の基準もセシウムだけで1年5ミリ シーベルトだからヨウ素も含めると給食で1年10ミリに達する恐れがある。 つまり4月に一関市の中学生が被曝したのは1時間に空間が10マイクロ、土からなどの 誇りが10マイクロで20マイクロシーベルトである。それが徐々に減って、現在では 1時間あたり5マイクロぐらいになっているとすると、平均で1時間に12マイクロシ ーベルト程度になる。 7ヶ月は7ヶ月×30日×24時間=5040時間で、それに12マイクロシーベルトをか けると1年で60ミリシーベルト。それに食材がセシウムだけで5ミリだからヨウ素も 入れると10ミリぐらいになり、合計70ミリシーベルトに達する。児童の場合は50ミリ シーベルトを被曝した時点でヨウ素剤を服用させる必要がある。ガンの発症率は福島 県に移られた山下医師も100ミリで1000人に5人の発症が確定すると言われている。 チェルノブイリの事故の時、ヨウ素剤を飲まなかったソ連の子供たちから甲状腺ガン が数1000人出て、飲んだポーランドからはほとんど報告されていない。4月にヨウ素 剤を飲ませるか飲ませないかも一関の大人の責任だ。子供たちは大人を信じているが 、子供は大人の所有物だろうか? ・・・・・・・・・ この記事は、私がテレビで、汚染されているところの一例として岩手県・一関をあげ 、その後、市長さんや議会から抗議されたことを何か思ってのことではありません。 私は子供たちを被曝から守るということが目的で、私の名誉などはまったく関係があ りません。 ただ、宮城県があまり汚染されなかったので、その北にある一関の人がうっかりして 子供に被曝させてはいけないと思い、テレビで一関の名前を挙げたのです。政府が「 遠くに逃げろ」とウソをいったので、多くの人が放射線物質の汚染が「トビトビ」に なることに気がついていないからです。一関の中学生が被曝したのは残念です。 すでに手遅れになる可能性があります。まだ教育委員会は「部分的だから」とまだ東 電側にたって、言い訳をしていますが、言い訳をするより普通に計算して子供たちが どのぐらい被曝しているかをすぐ明らかにし、必要な対策をとって貰いたいと思いま す。その時に「校庭にいるときだけ」とか「給食は汚染されていない」とか、「内部 被曝はわからない」などと言わずに「危険サイド」にたって計算をしてあげて欲しい と思います。どんなにヘマをしても、それを認めて直ちに対策をとれば救われる子供 達がいます。 ・・・・・・・・・ 子供は大人を信じている。食材の暫定基準がセシウムだけで1年5ミリになっているこ と、自分たちの健康より農家の出荷を気にしていることなども知らない。ひたすら大 人が子供を守ってくれていると信じている。その純粋な心に今こそ大人は応じて貰い たい。一関の例は関東、東北のすべての学校に当てはまります。是非、参考にして子 供を守ってください。今、測定された線量はこれまで被曝した量の一部ですからそれ も誠実に計算してください。 (平成23年10月22日) (マイクルシーベルトとミリシーベルトが混乱していましたのを、読者の方に指摘さ れましたので、修正しました。「こっそり直した」などと言う人がいますが、できる だけその時点で正しい情報を書きたいと思っています。最新のものがもっとも正しい く、ほとんどのものは1日以内に修正するようにしています。ご指摘していただいた 読者の方に感謝申し上げます。皆さんと一緒によい情報を提供したいと思っています 。) 武田邦彦
2011.10.24
コメント(0)
・10、23、日 政府が情のある優しい言葉で、国民を丸め込もうとする動きは確かに見受けられる。 「思いやり予算」とか、自立支援法」など政府の狙いを情のあるキャッチフレーズで ごまかそうという訳だ。 「みんなの党」や「立ち上がれ日本」など、どうしてこんなばかばかしいネイミング をするのかと思っていたが、現代における心理作戦なのだろう。 このような情のあるキャッチフレーズの裏には、あばかれたくない爪が隠されていると思った方がいい。 「地球に優しい」という決まり言葉も、また非常に怪しい狙いが隠されているということも言える。 「CO2がオゾン層を破壊している」「CO2を増やしてはならない」というのがすべて嘘であることは、武田氏のブログを読むまで夢にも思わなかった。 京都議定書が、日本が中心となって行なう原発推進の「いざと言うときの言い訳」であることも。 国民が分らないことをいいことに平気で嘘の情報を流し、国民全員に危機感を持たせて火力発電を危惧させ、原発を地球に優しい救世主と思わせる。 万事この調子で行く訳で、リサイクルやゴミ焼却や税金の行方なんかについて嘘があればあるほど、武田氏のように嘘あばきに長けた人の本が売れに売れるということになる。 我々としては、この嘘あばきがすべて的を得ていることを祈るしかない。 ーーーーーーー 「優しい言葉」が子供を被曝させたか? 大臣が言った「痛みを分かち合う」といわれ、それにそって「東北の瓦礫で他県も汚 染しよう」と言うことになったのには私はビックリしました。もちろん東北の瓦礫が すべて汚染されているのではありません。日本は近代国家で汚染の測定もできるので すから、汚染されていない瓦礫は積極的に受け入れて協力すれば良いのですが、受け 入れの交渉は一切公開しない、それどころかどの市が受け入れるかも公表しないとい うのでは住民が不安になるのは当然で、国家の私物化とも言えるでしょう。 政府は「福島の人を助けよう」というかと思っていました。福島の人を助ける方法は 、{詳細なマップ作り、汚染していない食材を使った給食、除染そのもの、福島原発 5キロ以内を国家が買い取り、焼却設備・処理設備を作り、汚染されていない食材の 供給、疎開先の準備やお金の援助}ですから、国がやろうと思えば簡単なことです。 でも考え見ると、これも私たちの今までの「甘さ」が原因しているかも知れません。 環境を研究している時、どうしても「地球に優しい」という言葉になじむことができ ませんでした。しかし、結構、分別もあり知識もある人が盛んに「地球に優しく」な どと言う言葉を使われるので、いちいちクレームをつけていてもと思っていました。 たとえば、地球が誕生したときに、大気の95%はCO2で、少しのN2(窒素)が あったに過ぎませんし、気温は1000℃を超えていたと考えられています。 だから、現在のCO2=0.04%とか、気温=16℃ですから、もし地球が「昔に 戻りたい」と思っていたら、CO2はドンドンだして、もしそれで温暖化するなら地 球は喜ぶでしょう。環境の専門家でそんなことを百も承知の人が地球に優しくという 言葉を繰り返すのです。 そのうち、なんとなく「地球はCO2が少ない方が良いのだ」と錯覚して、さらに「 オゾン層はCO2が増えたから破壊された」という珍説まで登場しています。もとも とオゾン層ができた15億年ほど前は、CO2は現在と比較にならないほど高く、温 度もかなり高かったので、その当時にできたオゾン層がCO2が多くなると破壊され るなど現在の科学では考えられないのです。 「痛みを分かち合う」、「地球に優しく」、「ゴミも分ければ資源」など言葉をいい 加減に使っていると誤解が誤解を招きますが、この辺で「耳には心地よいが事実とは 違う表現」を止めるようにしたいものです。本来なら「言葉、用語」を大切にする新 聞やテレビまでもが新聞を読む人、テレビを聞く人に心地よさだけを考えて、日本語 をダメにしているように感じられます。 今度の痛い経験を活かして、環境の専門家からまずは「地球に優しい」という言葉を 使うのを止めて欲しいと思います。 (平成23年10月20日) 武田邦彦
2011.10.23
コメント(0)
・10、21、金 政府のやることはとにかく恐ろしく遅い訳だが、同じ費用をかけるのなら、どうしてもっと早く的確な処置ができないのか。 おそらくそこには、まともな学者の支持を仰いで作業に当たるという姿勢がないからではないか。 除染作業の計画を専門家の介入なしで行なっているとすれば、それは全く時間と費用の無駄使いだ。 専門家を原発対策や除染作業の作業計画に入れたくないのには、またそれなりの理由 があるからだろうが、自分たちの面子や利益を重んじている時ではないはずだ。 東芝の対応も全く頼りにならないみたいだ。 武田氏が言うように原発を全部東京に持って来たら、万全な体制が整えられるのでは。 ーーーーー これでは「除洗」と呼ぶべきではない 2011年10月18日、テレビや新聞は国が事故から7ヶ月たってやっと「除染」 というのを進めることになったことを報じていた。テレビでは5,6名の作業員が民 家らしきところ屋根を高圧水洗浄していた。 マスコミの一部はこれを「大規模除染、始まる」と報道していたが、まったく事実に 反する。計画では5年間で11万戸だから、1日わずか60軒、それも全国から土建 屋さんなどの応援を得てやるのではなく、市などが業者に委託したり、ボランティア を募ったりする。 本来、除染は雨の降る梅雨までに1万人規模で機械を使って除染し、その後、細かく 市街地や森林をするのが当然で、汚染されてから7ヶ月後から5年にわたって除染す るなど、すでに初期被曝を過ぎていて被曝を大幅に低減するという意味での「除染」 には入らない。 原発事故が起こってから日本の政府、自治体、大学教授などの「順法精神喪失」が目 立ち、それを国民も支持しているように見える。もともと放射性物質をこぼしたら法 律(規則などを含む)に書いてあるように「こぼした会社が直ちに片付ける」という ことであり、あまりにも当たり前だ。 人の苦しみを見て平気なのは東電ばかりではない。爆発した原子炉を作ったメーカー から大学に移った教授が「放射線を心配するから家庭不和になる」と言っていた。自 分たちが作った原発が爆発したのに、なんということか! そのメーカーは責任をと って重役退陣、従業員は総出で除染を行うべきだ。自分が関与した原発が爆発して多 くの人が苦しみを味わっているのにどういうことだろうか。だから除洗が片手間にな るのだ。 福島の子供たちが可哀想だ。今からでも遅くないから、除染の規模を大きくし、舗装 道路2ミリ、土5ミリを基準としてしみこんだ放射性物質を取り除き、福島の地を安 心して住めるようにするのは原発を推進した政府と国民の責任である。 東電以外の関係の会社も挙げて機械を調達し、人間を派遣して福島の除染に協力すべ きである。自分たちの装置で多くの人を苦しめておきながら、「心配するから不幸に なる」とは、何という原子力関係者なのだろうか。 世田谷、足立区など数マイクロシーベルトの放射線量が発見されると「東京だから」 ということで翌日には片付け、福島は1年近く掘っておくことになる計画では、この 際、政府を福島原発の傍の避難地域に移すしかない。またこの際、新しい原発を動か す場合には「消費地の近く」を原則にし、徐々に柏崎原発を東京へ移動することが必 要である。 (平成23年10月20日) 武田邦彦
2011.10.21
コメント(0)
・10、20、木昨日の夜に突然盲学校高等部の時の国語の先生からお電話いただき、当時二年下級生だった女性が突然亡くなったという知らせを受けた。その国語の先生も、下級生の女性も何十年と会っていない人々だ。それで僕の意識は急激にそのころに引き戻され、彼女と過ごした時間を思い出させた(彼女とは別に恋人関係にあった訳ではない)。僕が高校二年の夏に声楽を習い始めたのを見て、半年後ぐらいに彼女も同じ先生の下で声楽を習い始めたのだ。多分その若い男性の先生に憧れを持っていたのだろう。それで我々は、時々休日に一緒に先生の家までレッスンに行ったり、先生が出る演奏会に一緒に出かけたりした。そんな訳でいろんなことを話す機会もあって、学校外での付き合いが多くなった。遠い記憶を辿って、少しは彼女との会話を思い出すことができる。彼女は僕よりも随分視力があり、本や楽譜も少し顔を近づけて巧みに読んだ。そんなしぐさやしゃべり方も思い出すことができた。結局盲学校を出てから、一度も顔を合わす機会はなかった。家で倒れていたところを、家族が見つけたという。結婚して、おそらく子供も何人かいただろう。盲学校時代の後輩先輩を合わせて、これで訃報を聞くのは5人目ほどになる。もちろん皆まだ他界するには余りにも早すぎる歳だ。どうしても考えてしまうのが、目に障害を持って生まれて来る人々は、やはり肉体的にもどこか弱いのだろうか。いや、そんな風に考えてはいけないのかもしれない。でも僕が観察して来た統計によると、生まれながらの全盲の者は男女問わず皆背が低い。これは何故なのだろうか?見えないことが何故体の成長に関わって来るのか。となると、内臓の機能などにも何かの違いが出ておかしくないのかもしれない。もちろんこの後輩の女性はかなり良く見えた弱視であったからその話には該当しないかもしれないが、以前から興味ある視点であった。我々障害を抱えた者は、この世の様々な運と戦い、馴染み、受け入れて生きて行かねばならない。彼女の突然の死は、僕に様々な思い出と考察を齎した。僕の自論は、死んでも結構忙しいだろうということだ。あっちはあっちでやるべきことが山積で、安らかな眠りなどない。だから実は、生き続ける者を気にかけたり、化けて出たりしているような暇はないのだ。でも何十年住み続けた肉体は愛おしいだろう。まあ、あっちでも元気にやって欲しい!
2011.10.20
コメント(0)
・10、17、月 昨日の日記にも書いたが、武田氏のようなブログでの活動は、酷い攻撃と批判に苛ま れることになる。 そして何故公的な場所(テレビ、ラジオや雑誌、新聞など)で高名な専門家が武田氏を 罵倒するか。 まず一つは、誰かに雇われて書いている。 でも雇われているとしても、本当に今の日本をもとに戻したい、子供たちを守りたい と思っているプライドを持った専門家であれば、そんな誰かからの依頼には応じない だろう。 もう一つは「同業者の目だった行動が鼻に付く」といういわゆる「出る釘は打つ」で ある。 僕の周りにも、そのような釘打ちに命を掛ける人種が見受けられる。 男性でこのような趣味をお持ちの方はかなりたちが悪く、何故相手を攻撃するのかと いう理由がはっきりしないまま、必要に人格攻撃に心血を注ぐ。 そういう人を見かけると「生い立ちの過程で寂しい思いをされたのだろうな」と思う ことにしている。 武田氏のようにバラエティー番組に顔を出したりしていると、軽んじられることも多 いのではないか。 一体どのような利点があってバラエティーに出るのか分らないが(まさかミーハーと いう理由ではあるまい)、それが釘打ち専門家の仕事意欲を掻き立てるのだ。 音楽界の批評家も同様「日本の音楽界を少しでも良くしたい」という思いを持った人 と、ただ人格攻撃に近い罵倒で優越感に浸っている人があり、後者の者は何かが良い 方向に発展しようとする力を阻止する。 どこの世界にも存在する人種だが、周りがそれに翻弄されると、やはり良い方向に動 こうとする世の中を混乱させることになり、被曝者がどんどん多く出ることになるの だろう。 ーーーーーー 科学的な間違いに振り回されないように(2) 人格攻撃と信頼性 (読者の方からご心配をいただいているので) 原発事故については、いろいろな情報がネットを中心に発信されていますが、発信者 が「専門(この分類が難しいが)かどうか」より、そこに書かれたことが「まともで 真面目で前向き」かどうかが問題で、その発信内容で判別する方法を書きました。 原則としては、「そこに書かれたことの背景、歴史、経緯、根拠、データなどをしっ かり説明し、全体像を明らかにしながら述べているもの」はOK。相手の人格の批判 が中心だったり、相手の意図を憶測したり、言葉使いが普通には使わないほど汚なか ったり、そして文章があまりにも激しい・・・などは信用できないと言ってよいでし ょう。 たとえば、最近、私(武田)に関することで実例を挙げて説明します。 まず一つは、「私の郷里の山形では、舌先三寸で世の中を渡っていく口のうまい奴を “ベロ屋”と言います。これ以上ない軽薄な人間のことですが、よくテレビでしゃべ っている中部大学教授とやらのあなたを典型的なベロ屋だなと私は軽蔑して見ていま した。」というものがありました。書いたのは高名な人で、媒体は販売部数の大きな 全国的な週刊誌のコラムです。 私の記述のどこに問題があるかを書くのではなく、まずは私の人格攻撃から始まって いました。学問は難しいので私もたいした学問的業績は上げていませんが、一応、所 属する学会や大学から研究や教育を評価され、学術論文を出してきました。決して「 舌先三寸で世の中を渡っていこう」としたわけではありません。 ここで私が弁明しようと言うのではなく、なぜこの著者が私が人生で「舌先三寸で世 の中を渡ってきた」と判断したのか、そこを少しでも書いてくれればまだよかったと 思います。 書いた人が学力も知識もある立派な人、載っていたのが有名な週刊誌ですからビック リしましたが、このような人格攻撃が主体の場合は「怪しい」と思って良いでしょう 。あまり参考にしないようが良いと思います。人格攻撃をしたために書いてある内容 が信頼を失ったのではないかと思います。 また、別の有名な方ですが、「理科系の大学教授(一見すると専門家に見える)の肩 書きででたらめな話をしている武田邦彦氏は、あまりにもひどいので放置できない。 」というのもあり、ここではでたらめな話の反駁として「原発は核爆発しない」、「 1年1ミリには科学的な根拠がない」、「セシウム137は青酸カリより安全」とい うことが書いてありました。でも、いずれも科学的にはこの指摘は誤っていると考え られます。 まず「専門家かどうか」ですが、私は20年ほど原子力の仕事をして、20年ほど大 学教授、そして原子力関係の国の委員も長くやってきましたから、「専門家(定義が 難しいが)」ではないかと思います。 また科学的な指摘の誤りはこのブログにすでに書いてありますが、この方がなぜ誤っ たかというと、おそらくは人格攻撃を先にしたので、その後に筆が滑って論旨が乱れ たのでは無いかと思います。原発が核爆発するか、被曝と人体、それにセシウムの毒 性などはいずれも「科学」の問題ですから、私の肩書きとか性質かというのは本来、 関係が無いからです。 ・・・・・・・・・ 常識も学識もありテレビにもでるような知識人が、「ベロ屋」とか「理科系の大学教 授(一見すると専門家に見える)の肩書」というようなことを書いて良いのでしょう か? その人の「見識」とは「相手は相手が考えることがあり、それは必ずしも自分 とは一致しない」ということを知り、「学問」とは「私たちは何も知らない」という ことを知っていることです。 批判も良いのですが、論の中心はあくまで自分が考える正しい情報、正しい解釈を伝 えることで、特定の人を侮辱したり、回復せざること(性別、生まれ、履歴など)を 批判の対象にしてはいけないということも思い出してもらいたいと思います。 御用学者も困りますが、お二人とも評論の経験の豊富な文化人ですから、より紳士的 (武士的)になっていただくこと、多くの方の見本になるような論述を期待します。 私は自分の所属する組織(政府、自治体、NHKなど)の言動については批判させて いただき、個人の批判は特別に地位の高く決定権を持っている人以外は控えるように しています。 またこのような人格攻撃に対して、読者の方からご心配をいただきましたのでブログ で説明をしましたが、私は個人的にはあまり気にしていません。そして、現在は、い かにして子供を被曝から守るかがもっとも大切で、少しでも知恵があればその目的に 沿って行動するべきと思っています。ネットの多くが前向きな議論になれば、日本は 明るく、発展性のある社会になると思います。 (平成23年10月16日) 武田邦彦
2011.10.17
コメント(0)
・10、16、日 「汚染されたものは数100億円で建設ができる焼却炉を福島原発の近くに作り、そ こで処理するしか無いのです」とあるが、100億円かければ有効な焼却炉を建設する ことができるのだろうか? それなら何故もっと早く建設の話が出て来ないか、また武田氏も何故もっと早くその 提案に声を挙げなかったのか。 これからの死の灰の問題を考えると、100億円など安いはずだ。 焼却炉が出来るからこそ、皆除染作業をしなくてはという風潮になるのではないか。 しかし、このように量と濃度の錯覚を利用した政府、自治体の言い分に反論できるよ うにするには、専門家が庶民の側に立って、難しい専門知識を分りやすく教えてくれ ない限り、全く思いのままに瓦礫も処理することが出来てしまう。 武田氏のように毎日ブログで庶民の知識を補ってくれる専門家がもっと出て来ていい ものだと思うが、結局様々なところからの罵倒、攻撃、嫌がらせがいやで首を引っ込 めているというのがほとんどだろう。 ーーーーーー しっかり反論:瓦礫引き受け・・・量と濃度の錯覚 多くの自治体で瓦礫を引き受けることになり、心配が拡がっています。瓦礫を引き受 けるのは自分たちの住む場所が少しずつ汚染されていくことであり、必ず阻止しなけ ればなりません。でも、「瓦礫はあまり汚染されていないので大丈夫」と言われます から、その反論を以下に書きました。 1)「量が少ないから大丈夫」という説明について 福島原発から漏れた死の灰の量は80京ベクレル(公式発表)で、日本人一人あたり 約65億ベクレルになります。一方、セシウムは半減期が30年であり、ストロンチ ウムなどの放射性元素もありますから、ほぼ30年は被曝することを覚悟しておかな ければなりません。今、10歳の子供なら、40歳まで被曝します。 30年間というのは約1万日ですから、仮に毎日、死の灰を処理できたとしても、毎 日65万ベクレルの負担になります。人間は1日約1キログラムの食材、1キログラ ムの水をとりますので、この死の灰で汚染されたら1キロ30万ベクレルほどになり ます。食材の暫定基準値が500ベクレル程度であることを考えると、とんでもない ことになることが判ります。 実際には死の灰は毎日、消滅することはなく、蓄積していきますから「量が少ないか ら大丈夫」と言っていると、取り返しのつかないほど汚染されていくということです 。汚染されたものは数100億円で建設ができる焼却炉を福島原発の近くに作り、そ こで処理するしか無いのです。 2)「量」と「濃度」の錯覚に騙されないように 東京都のある区では「瓦礫の汚染度は低いので大丈夫です」と言い、たとえば1キロ グラムあたり4000ベクレルなどの基準を設けています。第一の問題点は、この数 値は焼却前です。焼却によって体積が10分の1になりますから、濃度は10倍にな り4万ベクレルとなります。4万ベクレルはセシウムの場合、法律で除去しなければ ならないレベルですから、もともと汚染されていない場所に「汚染物質を持ち込む」 という結果になり、法律(このブログに示してあります)としても違法行為になりま す。 第二の問題点は、1キログラム4000ベクレルというのは「濃度」ですが、その瓦 礫を1万トン受け入れますと400億ベクレルになり、受け入れるところの住民の数 が1万人とすると、一人あたり400万ベクレルを背負うことになります。これは上 の説明でも判るように大変な量です。 また、「1年1ミリシーベルト以下の被曝にしかならない」という説明もあるようで すが、被曝は足し算で、食材の暫定基準値だけでも1年5ミリですから、水、普通の 空間(例えば山形の場合は、0.125マイクロ×8760=約1ミリシーベルト) などを足しますと、子供たちが1年10ミリに近い被曝を受けることになります。 理由は不明ですが、自治体も専門家も常に「被曝は足し算」を忘れています。この足 し算は、1)瓦礫、水、食材、空間、土煙などからの被曝をすべてを足す、2)風で 流れてきた汚染、食材が運び込まれた汚染、自動車のタイヤについてきた汚染、瓦礫 を運び込んだ汚染・・・などを足す、の2つの足し算です。 「少しでも自分の土地に住む子供の被曝を減らしてあげよう」と思ったら、心配です から必ず足し算をするはずです。 (平成23年10月16日) 武田邦彦
2011.10.16
コメント(0)
・10、14、金下記の武田氏の記事の最後に「災いを転じて福となす」という言葉がありますが、福となすには災いを正面から受け止め、前向きに改善をして行くことです」とある。全くその通りだ。災いを正面から受け止める勇気と、不屈の精神を持つ力を得たいものだ。今日もNSK混声合唱団の運営委員会があり、今後の活動について話し合った。そこで僕は、会の活動を根底から引っくり返すような提案をした。今後の行く末としては、全くの賭けだ。しかし恐れて守りに入るより、むちゃでも攻撃に転じたい。そしてそれが失敗に終わった時、その失敗と敗北と正面から向き合い、次に向けて福と転じる能力を身に付けたい。思えば、僕の今までの人生は敗北の繰り返しだった。しかし、それをその都度僕なりに自分だけの杖に変えて歩いて来れたように思う。杖は何度でも折れるし、その都度絶望に苛まれるが、そんな時にもまた絶望と正面から向き合う勇気を手にいれなくてはならないのだろう。やれやれ、ご苦労さんなことである。ーーーーーーーマップの大切さ東京の世田谷で起きた事件は「汚染マップ」の大切さ、放射性物質の管理の大切さをしめしました。福島原発事故からすでに半年、奥の人が放射線に敏感になっているのですし、また放射線の高いところが散在することも事実です。それに1時間3マイクロシーベルト程度の線量が観測されたのですから、私も含め多くの人が「ドキッ」としたのも当然でしょう。この事件の詳細はこれから少しずつ明らかになるでしょうけれど、私たちの教訓としては、このぐらいではビックリしないように現実を把握することと思います。今回の「発見」が偶然だったことを考えると、まだ東京で高い放射線の地点があっても見つかっていない可能性もあるということで測定の精度を上げる必要があることを示しています。・・・・・・・・・・群馬大学の早川先生は2011年4月中旬から継続的に岩手から静岡にいたる地域で放射線量を測定、それを地図にして公表してこられました。私も早川先生のデータを見ながら解説を加えてきましたが、このご努力で多くの人が被曝から逃れることができました。このグラフは9月11日に先生が発表された第4版ですが、実に詳細でわかりやすく、「国民栄誉賞」にも相当するもので、さらに学問の成果としてとても素晴らしいと思います。もし、このような地図が東京にもあったら、その時点で今回のことも発見され、また福島からの放射性物質の高いところも見つかっているでしょう。それに対して文科省が9月18日に発表した土壌汚染のマップもそれなりに評価はできます。でも、やはり発表の時期が被曝した後で遅いこと、地図の仕上がりと精度が悪いこと、そして県境を意識して必要な場所が測定されていないことなど、早川先生のマップに比べると数段落ちることは一目でわかります。文科省ばかりではなく、東京都や各自治体はさらに細かく線量を測定し、より安全に国民が生活するような基盤の整備が必要でしょう。もう一つ、この2つのマップを比べて見て判ることは「学問の自由」の大切さです。もし、日本国憲法が学問の自由を保証していなければ早川先生は国の強い原発報道の規制に中で、マップを発表することができなかったでしょう。それは結果的に国民の被曝を増やしたと考えられます。また、早川先生のマップでは、岩手県一関市、盛岡市や新潟県魚沼の汚染が示されていますが、政府の発表なら自治体の反撃などがあり、この段階では発表が難しく、また発表できなかったかも知れません(文科省の地図では含まれていません)。時の政府がさまざまな理由で情報を隠匿するのは歴史的にも多いのです。アメリカの例ではイラクに大量破壊兵器があるという情報は必ずしも正確ではなかったのですが、その情報をテコにしてイラクに攻め込みました。アメリカは比較的報道の自由や学問の自由が尊重されていますが、それでも政府の強力な情報操作には敗れることがあるのです。今回の原発事故で政府の情報操作が著しく、それにマスメディアが追従してしまったことは日本の報道にとっても大きな汚点になりましたが、学問の自由が保証されていたことで早川先生のようにご立派な学者の活動が国民を救ったのです。「災いを転じて福となす」という言葉がありますが、福となすには災いを正面から受け止め、前向きに改善をして行くことです。(平成23年10月12日)武田邦彦
2011.10.14
コメント(0)
・10,13、木 原発事故から日が経てば経つほど我々は油断して来るし、諦めて来る。 そして事態は少しずつ良くなって来ているものと勝手に勘違いし始める。 だが、もちろん現実はいっそう悪くなっているようだ。 道路や公園の放射能物質も、結局国や自治体や東電は全く除染作業を行なわないし、隅や草木に溜まった死の灰は風や雨でいろんなところに散らばって行く。 関西もホットスポットをよく測ってみると、今やきっと高い値が出るはずだ。 そして食材はどんどん混ぜられ、しのばされ、小さな産地表示でデパチカに並ぶ。 これから、いよいよ気を付けなくてはならないということだ。 ーーーーーー 世田谷の高線量率と福島の新米(緊急) 哀しい事実と、国や自治体のウソがまだ続いています。 もともと、原発事故というのは「原子炉からの放射線で被曝する」のではなく「自分 の身の周りに飛んできた死の灰」によって被曝するのですから、「距離には関係が少 ない」と覚えた方が被曝を減らせます。 それを、事故が起こった直後、政府、NHK、東大教授の連合軍が「遠くに逃げろ、 距離の二乗に反比例する」、「直ちに健康に影響がない」と科学的に間違ったことを 言ったので、多くの人が「余計な被曝」をしました。またかつては言論が自由だった ので「死の灰」と呼んでいた放射性物質を「言葉狩り」が流行しているので使えずに 綺麗な言葉を使ったために分かりにくく、これも「余計な被曝」につながりました。 ・・・・・・・・ 世田谷で1時間あたり2.7ミリシーベルトが観測されましたが、道路の脇の藪の傍 で、当然、死の灰の性質からいって予想されることです。毒物が飛散した場合、「ど こに毒物があるか」というスタンスで毒物の多いところを探して、そこを警戒するの に、「できるだけ事故を小さく見せたい」ということで公園の真ん中など意味のない ところを測定していたのです。 だれでもわかるように「毒物が飛散した」というと道路の真ん中や公園の広場を調べ るのではなく、丹念に「どこに行ったか?」を調べるのですが、今までは「なさそう なところ」を測るというとんでもないことをやっていたのです。 さらに、1年は1日が24時間、1年が365日ですから、それをかけて8760時 間ですから、今回の汚染は1年24ミリに相当します。しかし世田谷区は5000時 間ぐらいで計算し「年間14ミリシーベルトだから20ミリより少ない」と説明して います。国の言い分としては「そこに24時間いないから」と言いますが、その人は 残りの時間は「放射線が全くないところ」にいるのでしょうか? そこはどこでしょ うか? このトリックは禁手です。もし1日14時間とするなら、後の10時間をどこでどの ように過ごすかを決めて、そこでの被曝を計算に入れなければならないのです。つま り「被曝側の立場」に立つことが安全の基礎中の基礎です。世田谷区の人のうちもっ とも被曝を受ける人を決めて、その人を基準にすることはできないので、普通は「2 4時間」とするのです。 この事件の教訓は、「細かくマップを作れば危険なところを避けることができる」と いうことですから、早速、東京の人は高性能の線量計を使って付近をくまなく測り、 マップで被曝から子供の健康を守りましょう。国、自治体、専門家、NHKはまった く頼りになりません。被曝させるのに一所懸命ですから。災いを転じて福となすため には、測定すること、自治体やNHKを排除することがポイントです。 ・・・・・・・・・ 福島の新米を買うことができなくなりました。それは「二本松のお米が400ベクレ ルていど汚れている」からではありません。「ベクレル表示せずに販売する」からで す。国の暫定基準である500ベクレルというのは1年間に5ミリシーベルト程度の 被曝になりますから、労災適応ギリギリということです。明らかなダブルスタンダー ドですから、子供たちに福島のお米を食べさせることはできません。 残念です。もし福島の新米を出荷するときに福島が「ベクレル表示をする」と決めて くれれば、安心して買うことができたのですが、「ベクレル表示をせず、食べる人を 被曝させます」という宣言ではとうてい、信用することができないからです。 福島県が「1年100ミリまで大丈夫」という違法学者を雇用した理由が少しずつわ かってきました。それは福島の人が決めることですから良いのですが、福島のお米を 絶対に他県に出さないでください。法を守ることは国民の大切な義務です。 ある道路を走っていて制限速度が60キロなのに「おれは運転がうまいから100キ ロでも大丈夫だ」などというのは誠意ある大人とは言えません。 最近、食材はますますひどい状態になってきました。無理矢理、関東、福島の野菜を 食べさせるために、汚染されていない各地の野菜を出荷しないように圧力がかかって います。こんなことが起こるなんて、自由で明るい国、日本とは思えないですね。 (平成23年10月13日) 武田邦彦
2011.10.13
コメント(0)
・10、10、月 「ショーウィンドウに並べた商品にきちんとディスクの説明を付け、その商品を使用 する社会の意向を聞く」理論としてはそれで科学が敵になることは防げるし、科学者 の責任も回避される。 しかし人々は、何を利用して、どうやって大儲けできるかとしか考えていない。 すなわち「倫理の黄金律」などどこにもない。 結局「健全な精神の育成」が出来ないところに、倫理の黄金律もなければ正しい商売 も存在しない。 町のスーパーが消費者側に立ち、汚染されていない食材を苦労して仕入れ、少々値が 張っても、倫理の黄金律の下誠実な商売をする。 消費者もまた生活に負担となっても、汚染された安い食材を横目に、スーパーの提供 する安全なものを皆が買う。 汚染された安い食材を売る店はやがて潰れ、これではだめだとどこのスーパーも汚染 されていないもの、もしくはベクレル表示されたものを店頭に並べ始め、子供たちは 安心して食事をする。 これが消費者の倫理の黄金律だろうが、それもまた関西には何処にもない。 倫理を持ったスーパーは店をたたむしかない。 となると、ショーウィンドウに商品を並べる前に、科学者の責任でそこに並べるか並 べないかを判断せねばならない。 そこまで空疎な国民が多いということであり、誰かが面倒を見なければどんどん自己 破壊していくということだ。 ということで、科学者の責任は回避できないと思う。 ーーーーーー 科学の進歩と人間シリーズ(5) ここまで、近代社会になってからの科学技術の進歩と寿命や快適な人生、そして科学 技術は進歩して良いのかということに対して具体的な問題を取り上げて考えてきまし た。その結果、科学技術の進歩自体は良いが、時折、「倫理の黄金律」を深く考えて 社会が合理的に科学技術の成果や医療を選択していかなければならないことがわかり ました。 つまり、科学技術に関しては学者、医療に関しては医師、食材の流通に 関してはスーパーなどの当事者が独自に判断したり、政府や業界と手を結んで力を持 つのではなく、それを受ける方(社会、患者、食べる人)の希望が主体にならないと いけないということが理解されます。 原爆を作っていいかは頭上に原爆を落とさ れる人の方に諾否を聞く、タバコを吸うかどうかはタバコを吸っている人と副流煙の 被害をうける方から、そして放射性物質で汚れたものを売って良いかどうかはそれを 食べる人から、希望を聞かないといけないということです。 そうすると、比較的簡 単に、原爆やダメだ、タバコは煙が他人に行かないように吸う、放射性物質が入って いないものは売らない・・・ということになるでしょう。 つまり、科学技術が進み すぎたといわれる問題は科学技術にあるのではなく、その作品を受け取る社会が、受 け取る人の希望を聞かなかったというところにあると考えられます。 たとえば、2 011年の原発の問題は原子力関係者がその作品をショーウィンドウに飾ったあと、 その説明に「原発は電気を起こすのに適切な発電装置の一つです。ただ、人類が作っ た原発の中で震度6で壊れなかった原発はまだありません。また日本では震度6の地 震が1年に1回以上きます。また原発が運転中には広島原爆の1000倍程度の放射 性物質を含み、仮に爆発すると100年以上、付近には住むことができません」と書 かなかったことにあります。 このように書いたときに日本社会が原発を選択するか どうか、それはその国に住んでいる人が決めることです。もちろん、被曝はある市町 村だけの問題ではありませんから、どこかの市町村に「危険手当(20年で税も入れ て800億円ぐらい)を出したり、やらせメールをして公聴会を開いたりする必要は ありません。 また原発事故の被曝では文科省大臣が「東電がヘマしたので、福島の 子供に1年20ミリシーベルトの被曝をさせることにしました。これは1年400回 の胸のレントゲンに相当します。それでも保護者の方は1年20ミリでよろしいでし ょうか?」と言わなければなりませんでした。 少し前のことになりますが、リサイ クルでは「ゴミは分別すれば資源」と言われました。これも「ゴミを分別したら、そ れを資源として使う人はいますか。分別費用も運搬費用もからこれまで使っていたゴ ミ処理費を差し引いたものはお引き取りになるときにいただきます。一例としてプラ スチックでは1キログラムあたり200円ぐらいになります」と言えば、一部のもの を除いて誰も賛成しなかったでしょう。また食品リサイクルでは、「食品リサイクル という名前はついていますが、食品をリサイクルできる訳ではなく、食品の中の10 00分の1ぐらいの無機物を中心としてリサイクルすることです。従って、ほとんど リサイクルはできません」とショーウィンドウに示しておく必要があったのです。 またダイオキシンは「ダイオキシンは特定の動物実験で猛毒である可能性が示されま した。まだ人間への影響は不明ですので、人間にとって毒物かどうかの結果がでるま で、とりあえず仮に「予防原則」で厳しく規制します。データの解析が終わったら報 告します」とするべきで、ダイオキシンの場合には研究の結果、毒性が弱かったので すから、規制は解除しなければなりません。 温暖化は「温暖化するかどうかは学問 的に意見が分かれています。しかし、日本は海に囲まれていますから温暖化の影響は ほとんどありません。またCO2はあまりにすくないので徐々に増やしていく必要が あります」と書くべきでした。 つまり、科学技術の作品をショーウィンドウに飾っ て、正直に説明をすれば科学技術は人間社会に悪いことはしないと言えます。しかし 、ウソをつく人が多い場合には結果的に科学技術の作品が社会に悪影響を与えること が生じるということです。 つまり、科学技術や医療の成果を活かすためには「相手 の希望を聞くこと」、「正直に説明すること」がいかに大切かが判ります。(平成23 年10月9日) 武田邦彦
2011.10.10
コメント(0)
・10、9、日音声で武田氏が語っているのは、長い教員生活を経験して来て、試験で点数を付けて合格と落第を決めることが、本当に優れた人材を発掘することになるのかという疑問を抱き続けていたという話題。140キロの球を投げることのできる松坂のような投手と、いくら頑張っても70キロしか投げられない女性の投手が120キロが合格点の試験を一緒に受ける。プロを目指すことのできる松坂は余裕のあまりサボり、本来の実力を見つけることができぬままとなり、将来子供たちに野球を教えることを目的に試験を受ける女性は不合格となり自信をなくし、夢破れて野球自体を諦める。それが「試験」というもののリスクだと。全く異なる実力と目的を持ってその世界に望む人たちを、一律の試験で裁くことが本当に優れた人材を発掘し、育てることになるのかと。以前にもこの日記で述べたことだが、僕がドイツのケルンという町に住んでいたころ、ケルンユニバースィティーに通う外国人の学生たちのための寮に居たことがある。ほとんどがドイツ人以外の若者と、ほんの少しの遠方から来ているドイツ人が入寮していた。日本人も数人いて、その中の男性6人で飲み会をしたことがある。彼らは東大、京大、早稲田、明治などから奨学金を受けて留学しているエリートばかりだった。その場は飲み会とは名ばかりの、知識のひけらかし合いのピリピリした空気の漂う学界のような数時間だった。彼らの話す内容を聞いていて、その偏った人間性、極めて自分本位な思考、180度間違ったプライドがすぐ見て取れた。彼らはおそらく20代半ばとなって(日本で大学まで、更には大学院まで卒業して来ているから)女性と一度も付き合ったことはないだろうし、恋もしたことはあるまいと思えた。他人を思いやるとか、誰かを守るとか、誠実な仕事をするなどとは程遠いところにいて、とにかく机の前だけで自分の能力を高めて来た。そこにはいつも自分という相手しかいなかったのだ。そんな彼らが、行く行くは学者、国家官僚、最先端のドクター、政治家などになって日本国をリードして行くのだ。そう思うと、皆の横で静かにビールを飲みながら、僕は背筋がヒヤリとしたことを覚えている。「優れた頭脳」というものだけが、良い国をリードするという考え方が間違いであることに、いいかげんに気付かねばならない。「高卒や中卒が、有名大学卒業者よりも優れた能力を持っているという例はいくらでもある」と武田氏は言う。彼の言う能力とは、紙の上の試験結果だけではなく、その育まれた人間性を指すのだと思う。そのような人材が、今のこの国のトップに最も欠けているものだ。ーーーーーー【深く考える】教育問題(試験と合格)教育問題の3回目は、「なぜ、先生は成績をつけるのか?」という本質問題に入りたいと思います。大学では「なぜ、学生に「単位を撮らなければならない」と指導するのか?」ということや、「なぜ、落第させる必要があるのか?」ということです。当たり前のように思いますが、教育と人格問題など、結構、奥が深いのです。音声が主体です。(平成23年10月6日)「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.224-(7:27).mp3」をダウンロード「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.225-(8:15).mp3」をダウンロード武田邦彦
2011.10.09
コメント(0)
・10、9、日 青酸カリよりも1000倍強い毒性を持つセシウムと考えると身の毛が弥立つ。 それが東北、関東にばら撒かれ、今もなお風に乗って全国に拡散され、食物は混ぜら れてこれも全国にばら撒かれている。 さてこういう政府のやり方にいつまで目を光らせ、文句を言い続け、あれは食べない 、あれは飲まないと頑張り続けなくてはならないか。 セシウムの半減期は30年。 政府が発表をせず隠し続けるプルトニウム、ストロンチウムの半減期は2億5千万年。 日本に住む人々は(もちろんこれから生まれて来る人も含め)、今からそれだけの間放射能と格闘せねばならない。 人間が原子力を弄るということは、それだけの背負いきれない問題なのだ。 それでもまだ原発を継続すると言うか! 途方もない年月を前にして、いっそう諦めてしまおうと国民が腹をくくるのを政府はじっと待っている。 特に「人の噂も75日/喉元過ぎれば熱さ忘れる」が日本人の得意技だから、国はそれを 知っているのだ。 半年しか経っていない今も、すでにその傾向は見える。 ーーーーーーー 毒を飲ませず、毒を除いて植えることを求めたい 事故も起こすべきではありませんでしたが、起こってしまったことは受け入れざるを 得ません。でもその被害を最小限にすることは私たちの責務です。 相変わらず東電は事故後に退任した社長に2億円の退職金を出し、ヨウ素131やセ シウム137といった猛毒をまいた人の家の掃除にも来ないという状態です。政府も 6ヶ月を経て福島の除染にまったく人手を出していません。東電は解散、政府は転覆 しなければならないでしょう。 セシウム137の経口致死量は人間で0.1ミリグラム(計算上)、犬を使った動物 実験では0,4ミリグラムという値が報告されています。私たちが知っている毒物の 中で猛毒とされているでも致死量は200ミリグラム(人体、経口)ですから、50 0倍から2000倍、つまりおおよそ3桁(1000倍)も強い毒性を持ちます。 そのセシウム137を福島などに蒔いた会社の社長が、それを綺麗にせず、なぜ2億 円の退職金をもらえるのでしょうか? 今、彼はどこにいるのでしょうか? 日本は まったく平衡感覚を失ったように見えます。 さらに、猛毒の物質が東電によって田畑にまかれているのにそのまま稲を植えたり、 道路にまかれているのに除染をしなかったり、青酸カリより強い毒物が入った野菜を 売ったり、どうしたのでしょうか? どうも「セシウムは猛毒」ということが頭に入 らないとしか思えません。 (お医者さんに:1年1ミリの被曝限度には異論があるお医者さんが多いのですが、 セシウム137の経口毒性は動物実験もあり、計算もでき、これらの毒性を示したの は医師などを含む研究者であることも理解し、それらのデータと調和した発言を求め ます。) さらに「汚染された野菜を食べないとはどういうことか!」とお母さんを怒鳴った人 、「ベクレルを測定しない花火は打ち上げろ!」と言った人は、もう一度、次のよう に怒鳴って欲しい。「青酸カリを飲め!」、「青酸カリを花火と一緒に空にぶちまけ ろ!」 そういえばいくら抜け殻になっていても、自分が何を言っているのかを気が つくでしょう。 ・・・・・・ 【福島、東北の方へはじめて呼びかけます】 福島の人も辛いでしょうけれど、自分たちが被害者であることに気がつき、他の日本 人を傷つけるのではなく、ともに力を合わせて政府と東電に3月10日以前の生活を 取り戻すように言動を統一することを希望します。私が「青酸カリを田畑に蒔いたよ うなものだから、それを除いてから作物を植えるべきだ」と発言したことに対して、 「そんなこと言うな!」というご批判が多かったのですが、やはり厳しい事実をかく しても、事態の改善は遅れるのではないでしょうか。大人が事実を知ることを拒否す ると、その被害は子供に及びます。 同じく私が「東北の野菜は食べないように」という発言も福島を中心に一関や郡山な どから強いご批判がありましたが、汚染された食材を出荷するということは、「青酸 カリより強い毒物がついている野菜を我が子に食べさせなければならない」という親 を作るということであり、親御さんの気持ちを少しでも理解してあげてください。 もし、「東北」というくくりが問題なら、「ベクレル表示」か「セシウムのマイクロ グラム表示」をしてください。そうすれば「東北」という括りは無くなります(農水 省は「細かい産地区分をするな」という趣旨の通達を出していることも多くの人が知 っています。それに従っているということになると被害者が被害者を苦しめることに なります。) 今回の甲状腺異常の10人の子供は被曝が原因では無い可能性もありますが、私たち が被害者どうして非難し合ったり、除染しないで安全な生活を送ろうとしたり、時に は挫折したくなる気のゆるみに対する警告と受け取った方が良いと私は思います。政 府やマスコミは子供の甲状腺に異常が見られたことの報道を控えるか、「10人は被 曝が原因とは限らない」という理由にもならない(万が一でも子供を被曝させないと いう気持ちのない)ことのキャンペーンを打ってくるでしょうけれど、それに誤魔化 されないようにしたいと思います。) (平成23年10月5日) 武田邦彦
2011.10.09
コメント(0)
・10、8、土 子供たちの甲状腺にすでに症状が出て来たことは驚いた。 僅か半年のことだ。 それだけ多量の被曝をしているということだろうが、目に見える証拠が出て来て初めて慌てる憐れな大人がいるのだろう。 もしくは、これが今回の事故が原因ではないという証明に躍起になるものが出て来る 。 3,12事故が原因であろうが違おうが、目に見えない死の灰が我々を何十年前から襲っ ていることがおそらくの原因なのだ。 大人たちに病を背負わされる子供たちに、いったいどう向き合えばいいのか。 今回の事故で放出した放射能物質の量は、770億テラベクレルだという。 我々には想像もつかない、気が遠くなるような数値だ。 何も起こらないはずがない。 悲しいことだが、これからおそらくどんどん子供たち(胎児から20歳ぐらいまでの人 を指す)の甲状腺の症状は増えて行くだろう。 外部被曝だけではなく、チェルノブイリの時と同様牛乳がその大きな原因になってい るのではないか。 牛乳の危険は、もちろん東北や関東だけではない。 全国的に、汚染されていない牛乳と混ぜられている。 これもチェルノブイリの時に水面下で行なわれたやり方と同じだ。 日本人は実に様々なことを外国から学ぶ。 我々が普段の生活の中で、少しでも手を打てることがあるはずだ。 自分たちの周りに子供がいるかいないかではなく、この国に住む大人として、すべて の子供たちの心配をし、邪魔臭がらず自分たちの心がけから少しずつでも変えて行く ことが、日本に住む大人の責任だ。 まず、皆でモンスターになることからだ! ーーーーーーー 【緊急】 発言記録を残そう!! 事実をそのまま見てください。可哀想に福島の子供たちに甲状腺の異常が認められた のですが、これまで「直ちに健康に影響がない」、「この市の線量なら大丈夫」、「 野菜を食べても安全」、「給食は食べなければならない」、「瓦礫や花火の搬入に反 対する奴はケシカラン!」、「私は医師だが1年100ミリまで大丈夫」・・・など と言った人があれほど多いのに、まだ誰一人として甲状腺異常の診断結果について「 そんなことはウソだ。子供は健康だ!」という反論をしていません。 黙っています。「安全だ」と言い続け、危険を回避しようと努力する親御さんを批判 し、給食を無理矢理食べさせて子供を被曝させ、そして目の前に健康不安や患者さん がでると黙っている。そんな人たちを許すことはできません。そんな人で子供たちを 病気にすることはできません。 断固、「被曝は大丈夫」と言った人がいたら、即座にそれを記録し、テレビ、新聞、 ブログなどの発言記録を保管し、可能な限り糾弾しなければならない。子供は声を上 げない。大人が声を上げ行動しなければ子供は声を上げずにベッドに行く。 東京都に運ぶ瓦礫を阻止できなければ、また被曝を拡大する。福島の除染が遅れれば それだけ子供の被曝が増える。911デモで不当に逮捕されたのがフランス人だった ことは日本人として残念だ。私たちはもう「抜け殻」になったのか? ・・・・・・・・・ 個人で生活を守ろう。政府、自治体、医師、学校・・・そんなところは何の責任もと らない。 だから、できるだけ1年1ミリを守り、どうしてもダメでも1年5ミリの範囲に入る ようにしたいと思います。1年1ミリなら3月11日以前と同じですから、人間とし て受け入れることができます。とにかく被曝を少しでも減らして2度と甲状腺異常の 子供たちを出してはいけないと思います。 新米はしばらく様子を見ること、肉は外国産を買うこと、魚は量を減らし、買うなら 日本海側に限定し、外国の加工食品などを積極的に使い、日本の牛乳は一切飲まず、 東北、関東の食材でベクレル表示のないものは避け、家の除染をもう一度して、自治 体に地域の除染を厳しく要求し、被曝を1年1ミリ以内にするように心を強くしよう !原発の設計変更、それに被曝と人体の関係が判るまで、原発は中止しなければなら ない。 ビクビクして生活するより、やるだけのことをやって、後で「ああ、よかった。無事 に済んだ」と笑うようにしたい。 (平成23年10月5日) 武田邦彦
2011.10.08
コメント(0)
・10、7、金 人間の寿命はどんどん伸び、今や日本でも100歳を超える人は全国で47,756人にもなる という。 その理由としては、もちろんめざましい医学の発達、栄養不足がなくなった、それに今 100歳を迎えた人は、幼少期に添加物も放射能物質もない良いものを食べていた。 よって我々が老いたときに、今の100歳の方々と同じ条件であるとは言えない。 だが、明治時代と比べたときには、確実に寿命は三倍以上になっている。 にも関わらず「昔はよかった」と今を卑下する。 おそらく、寿命の長さイコール幸せではないのだ。 人の情、誇り、節度、正しいプライド、そういったものへの憧れがそう言わせるのかも しれない。 例えば本の中に出てくる明治、大正時代の大阪の町の夜は、街角にガス灯がともり、 男性は羽織袴、女性は着物と下駄で日本橋の通りを散策し、牛鍋屋に入ったり、銭湯 の帰りに氷屋でミルクセーキを注文したりする。 商人は自信と誠実さを持った商売を心がけ、地方では畑から抜いたばかりの大根で鍋 を囲む。 もちろんその時代に生きてみれば、今からでは考えもつかない問題があるのだろうが 、今我々が憧れる美しい日本がそこにあったように感じてしまう。 そこには大気汚染も、添加物も、放射能も、温暖化もない。 「この正体を暴かないと『見方であるべき科学技術』は容易に敵に変身してしまいま す」 その正体は、やはり人間という動物特有の金銭欲、自己顕示欲のつむぎ出す結果であ ろう。 ーーーーーーー 科学の進歩と人間シリーズ(2) 平均年齢は2倍、3倍となり、夜も自由な時間になり、さらに効率もあがりました。 100年前と比べて人生は何倍かになったのです。 それでもなお「科学が発達しすぎている」、「薬害で苦しんでいる」、そして「原発 なんかやらなくても良い」、「昔の方が良かった」と考える人がおおいのはなぜでし ょうか? 人生が8倍になり生活が楽になったのに、なぜ、昔の方が良いのでしょう か? もちろん、多くの人が考えることは、情報が正しければ理由があります。 第一に何事も「長所と欠点」があり、科学の欠点をおろそかにしたこと、第二に「人 間は慣れてしまえばありがたみを忘れる」ので科学が提供してくれることを忘れがち になること、そして最後に「本当はどんな生活でも幸福感にはあまり差がない」とい うことでしょう。そのそれぞれを考えながら、現代というものを科学の目から見てみ ましょう。 どんなものにも長所と欠点があるように科学にも良い点と悪い点があります。良い 点としてはたとえば「麻酔をかけて手術をする」ということです。かつて麻酔のない 時にはどんなに痛くても手術しなければなりませんでした。それは気を失うような痛 さだったでしょう。 でも、科学が発達すると麻酔が発達して痛みを感じることなく手術や処置を受ける ことができるようになりました。 でも、同時に原爆のようなものができて、何の罪もない子供を大量に殺戮したりしま した。科学にも長所と欠点があることぐらいは中学生なら理解できるでしょう。そし て人間にはしてはいけないことがあるということも「法律」や「倫理」というのがあ るのですから、これも当たり前のことです。 だれが考えても、「戦争をして人殺しをしてはいけない」とか、「原爆を作って一度 に10万人を殺してはいけない」というのは当たり前のことです。でも、人間の頭は 「屁理屈」を考えることができる名人でもあるのです。 たとえば、今、世界には人類を500回ぐらい皆殺しにすることができるだけの核 兵器があります。なにしろ世界の人を全部、500回も殺すことは考えられないこと です。しかし、それが現在の世界の現実であることを考えると、このことは理科系の 「科学」の問題ではなく、文化系の「政治、倫理、人生観」の課題であることが判り ます。 人類を500回も殺すことができる核兵器をもつのが「もっとも良いことだ」とい う理屈があります。まったく考えられない理屈です。人類を1億人殺害するのでもあ ってはいけないことなのに、500回殺す兵器を持つことが「最善のことだ」という ことになるのですから・・・ その理屈とは「ものすごく核兵器を持っていると、相手がびびって戦争を仕掛けてこ ない」という論理で、これを「抑止力」と言う難しい言葉を使います。実に変な理屈 ですが、何しろ原爆を作って軍隊をもつのはとても「儲かること」ですから、なんと しても屁理屈を作って核兵器を大量に持とうとするのが人間というものです。 「抑止力」という考えを創り出したのはアメリカやヨーロッパの人たちです。彼らは 「自分たちを正当化する論理を組み立てる名手」で、どんなことでも正当化すること ができます。そしてその理屈は精密で隙がないので、なかなか論理的に攻めることが できないのです。日本でもいわゆる「外国かぶれ」の人に多いのは彼らの論理に陶酔 してしまうからです。でも、普通に考えれば「人類を皆殺しにする兵器など要らない 」というのは明らかなのです。 なぜ、「抑止力」という変な論理で納得するのか、それこそが2011年の福島原発 事故の原因でもあり、薬害などで苦しむ人の憎っくき敵でもあるのです。この正体を 暴かないと「見方であるべき科学技術」は容易に敵に変身してしまいます。 (平成23年10月5日) 武田邦彦
2011.10.07
コメント(0)
・10、4、火 僕のCDが先日毎日新聞の「私の三枚」に選ばれ批評を受けたことで、トーンマイスターとメールの交換をした際「おめでとう!今度はレコード芸術に取上げられたらいいですね」と返事が返って来た。 「レコード芸術」とは何か知らなかったが、昔から有名な雑誌のようだ。 それがついこの間またトーンマイスターからメールをいただき、その雑誌の10月号で我々のCDが選ばれ、三人の批評家から紹介されていることの報告を受けた。 この批評は概ねお褒めの内容だが、良く読んでみると意味のよく分らない部分もある。 だがたくさんの新規に発売されるCDの中から選ばれた三枚(声楽部門)に入ったということは、おそらくとても喜ばしいことなのだろう。 内容を下記に記すが、本屋で立ち読みしていただいても嬉しい。 ーーーーーー [喜多尾道冬] ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ヴォルフ、シュトラウスからなるドイツリ ートのアルバムだが、シューベルトの選曲がとてもめずらしい。 《リーゼンコッペの山頂で》など演奏・録音される機会はまずないが、ここでは山頂 に立ってあたりを睥睨し、心の大きく広がる感動がストレートに伝わってくる。 おなじさわやかな空気感はヴォルフの〈ある旅路で〉にも感じとれる。シュトラウス の〈セレナード〉でもエロティシズムに代わるすっきりした清潔さが好ましい。 歌曲というと詩と音楽の巧みな織りなしを求められるものの、メロディを主体とし て言葉をつけたりという例も多いなか、この演奏はテキストがまず先にあり、音楽は 言葉に付随するというめずらしい姿勢から出発している。 そのため折目正しく楷書風に進行する。ところどころ歌を失って散文化する箇所も見 られるが、ヴォルフの〈じゃあな〉でのテキストの風刺とユーモアの味わいは音楽と ともにみごと図にあたり、テキストの意味内容が一貫して的確に伝わってどの曲もさ わやかな印象を残す。とは言っても、ここぞという箇所―リストの歌曲など―ではス ケールの大きな弧を描くことも忘れていない。 名伴奏ピアニスト、スペンサーがつけているのも聴きものだ。どんなこまかな音符も クリスタルな明晰さを失わず、またスケール大きく、歌い手の楷書風の歌いぶりにぴ たりと合せる技量はさすがというほかない。 [堀内 修] 『ある旅路で』というタイトルのもと、べートーヴェン、シューベルト、リスト、ヴ ォルフ、そしてR・シュトラウスの歌曲、合わせて16曲が歌われている。歌っている のは関西を拠点にするテノールの茶木敏行で、チャールズ・スペンサーがピアノ伴奏 している。2010年の録音だ。 あの歌この歌で、頭声を混えたとても美しい高音が聴ける。このテノールの資質は 最初のベートーヴェンから、はっきりわかる。 また、リスト《ペトラルカのソネット》からは、オペラでは《魔笛》のタミーノなど を歌ったというが、重いワーグナーだっていけるかもしれない、と思えるくらいの声 が聴ける。 それでも、劇的な力はここでは後ろに回っている。ヴォルフ《春に》などはいくつ かの歌では、感情の動きや音楽的な起伏よりも、なだらかな情景描写に傾いている。 それはそれでひとつの表現だし、オペラでなく歌曲なのだから、、十分ではあるだろ う。それなのに感情の動きや起伏を気にしてしまうのは、きっとピアノのせいだろう 。何しろスペンサーのピアノときたら、実に雄弁で、歌を支え、からみ合い、時にリ ードする。パーソンズの再来のよう。あるいは巧みな役割分担なのかもしれない。 シューベルトも悪くないが、穏やかなシュトラウス、そしてヴォルフの〈じゃあな 〉(なるほど!な訳)も面白かった。 [石田善之]録音評 滋賀県、ガリバーホールでのセッション録音である。多すぎず、少なすぎずのほどよ いホール・トーンを交え、ピアノとの距離感もごく自然に聴かせる。 声は中央にしっかりと定位するが、モノーラル的に固まることもなく、声の表情同様 に実に柔軟な響き感も交え、広がりは聴かせるが時間差成分による空間はやや小さめ 。
2011.10.04
コメント(0)
・10、2、日 我々放射能に対する知識のない庶民が最低覚えておいた方がいいことがある。 それが正に下記の武田氏の記事だ。 これから国のベクレルの表示があった場合、それに含まれるトリックに惑わされないようにするためだ。 ●ベクレルの値はいずれも1キログラムあたりで、この数値を100で割るとおおよそ1年間のミリシーベルトの内部被曝になります。つまり20ベクレルなら0.2ミ リシーベルト、100ベクレルなら1ミリシーベルトです。 ●{1平方メートルあたりのベクレル}÷2500が100に近づいたら警戒し、1000を超えたら直ちに標識をたてて人の出入りを禁止する必要があります。 いつもややこしくて頭がこんがらがっていたことだが、ベクレルをシーベルトに置き換える方法(1年シーベルトを守る計算のため)、ベクレルが1キログラムと1平方メートルで表示されることがまちまちであるから結局値が分らない。 この記事でようやく頭を整理することができた。 我々が煩く言い続ければ、いつの日か国や自治体もすべてのものにベクレル表示をし ない訳にいかなくなる。 しかし次に行なわれるのがベクレルの偽装とごまかしであろう。 どうせ庶民は分らないからと言って、ベクレルをグラムと平方メートルで混乱させたり、時々シーベルトで表示したりして諦めさせる方向に持って行くにちがいない 。 実際現在国が発表している魚貝類のベクレル表示はセシウムしか出していない。 それで「ちゃんと値を発表してますよ」ということだ。 ようそはすぐに半減期を迎えるから今はもう無視するとしても、最も怖ろしいプルトニウムとストロンチウムの値は発表できないのだ。 とくに関西の者などがそういった話題に無頓着である理由は、科学的、医学的にそれらの物質が我々の体にどのような影響を及ぼすかを知らないからではないか。 そこから勉強を始める必要がある。 今度はこのテーマで武田氏から記事が発表されることを期待する。 ーーーーーーー 魚介類と土の汚染・・・どのぐらいか? 魚の汚染を見ていますが、5月まではヨウ素が中心、それ以後はヨウ素の半減期が短 いので、セシウムの汚染が進んでいます。やはり魚は「どこの魚、なんの魚」という のは必ずしも一律に言えないようです。そこで、6月以後で「20ベクレルを超える 値が観測された魚と100ベクレルを超えるかなりの汚染が見られた魚」の二つをリ ストアップしてみました。 【100ベクレルを超えた魚など】 カタクチイワシ、マダラ、ヒラメ、カレイ(マコガレイ)、アラメ、アイナメ、シラ ス、アナゴ、ミズダコ、イカ、アワビ、イワナ、(特に1000以上)ヤマメ、ウグ イ、アユ、ホッキガイ、ムラサキウニ 【20ベクレルを超えた魚など】 サバ、サンマ、スズキ、シラス、イワガキ、ウグイ、ニジマス、ウナギ、 (4月5月に汚染されていた魚) サバ(マサバ、ゴマサバ)、イワシ(カタクチイワシ)、アイナメ、シラウオ、 特に高い(たとえば1000ベクレル以上)のもの ワカメ、コンブ、コウナゴ、イカナゴ、 【20ベクレルを超えた魚など】 アナゴ、カレイ、チョウセンハマグリ、アサリ、ナマコ、シジミヤマトシジミ)、 地域は北海道の太平洋側、青森の太平洋側、岩手、宮城、福島、茨城、神奈川、静岡 です。 ベクレルの値はいずれも1キログラムあたりで、この数値を100で割るとおおよそ 1年間のミリシーベルトの内部被曝になります。つまり20ベクレルなら0.2ミリ シーベルト、100ベクレルなら1ミリシーベルトです。私の計算方法ですから(こ のブログに解説をしてあります)、他の食材の汚染も考慮しています。 【結論】 魚屋さんの店頭や、ニュースで毎日のように報道されない場合は、上記の魚は食べな い方が良いでしょう。国の暫定基準は食材だけ、セシウムだけ出5ミリシーベルトで すから、それに空間からや土ホコリを考えるとかなり高くなってしまうからです。 ・・・・・・・・・ 笠間市の土の汚染について、以下のような情報を寄せていただきました。笠間市以外 の茨城県の土壌汚染も公開されています。笠間市の結果について「どのぐらいの量か 」を考えたいとおもいます。他の地域でも参考になります。 「笠間市はセシウム134とセシウム137の合算で 45000ベクレル/とな っています。この数字をどう考えるべきでしょうか? 県内においても非常に高い数値です。でも、ほとんどの住民はこの数字を重くみない でしょう。」 ・・・・・・・・・ (注)計算の前提として、この値が「1平方メートルあたりであって、1キログラム あたりではない」ことを確認する必要があります。空間線量から見ると低いので、お 手数ですがどのような方法で測定したかを市に問い合わせてください。 法律(国の規則なども含む)では、セシウム(134や137)は1グラムあたり1 000ベクレル以上になると「放射性物質」になって普通の人は取り扱えないように なっています。 笠間市の場合、1平方メートルあたりですから、これをグラムに直す必要がありまう が、汚染1年目なのでチェルノブイリの経験(20年で20センチの深さに到達)に よると平均して地表から5ミリ(0.5センチ)になっています。 従って、1平方メートル=10000平方センチですから、これに深さ0.5センチ をかけると5000立方センチ=約2500グラム(表土の平均比重は0.5ぐらい だから)になります。 観測された45000ベクレルを2500グラムで割りますと、1グラムあたり18 ベクレルで放射性物質には当たらないことになります。一安心です。 でも、この結果は考えさせられます。まず第一には、つまり日常生活では「自分の住 む周りに「放射性物質かどうか?」と考えるようなものはまったく存在しません。ま た、土壌を採取して重量を量り、ベクレルを測定するので、「グラムあたり」になる のですが、測定方法がハッキリしないという点があります。 第二には、自治体が測定結果を出すのは進歩なのですが、その結果を法律に照らして 安心できるかどうかを数値を示して説明することがいります。これができないのは、 福島原発事故以来「安全だ」と言っているのが法律違反の数値ですから、本来、法律 をまもる立場の自治体としては恥ずかしくて口に出せないのでしょう(前に言ったこ とと矛盾するのでそれを追及されるからというのが本当と思いますが)。 ・・・・・・・・・ 今後、どこかで土壌の汚染がでたら、 {1平方メートルあたりのベクレル}÷2500 が100に近づいたら警戒し、1000を超えたら直ちに標識をたてて人の出入りを 禁止する必要があります。また1キログラムあたりで数値が出ている場合は、セシウ ムの場合、134と137を合算した量が1000を超えると、放射性物質ですから 、100ぐらいから要警戒です。 (平成23年9月29日) 武田邦彦
2011.10.02
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1

![]()
