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さ~て、大晦日だ!白状しちゃおうか?先月当たりに、秘密の大きなプロジェクトに取り掛かってると書いたの覚えていらっしゃいますか。それは、これです↓ 「日本経済新聞社は日本経済新聞出版社と共催で、2008年の第2回「日経小説大賞」の候補作品を募集します。物語性が豊かで、時代性、社会性、娯楽性を兼ね備えた300枚以上600枚以下の優れた作品に大賞を贈ります」↑このコンテストに移民の「菊」の小説を応募してみようと思ってるのです。題名は最終的に変えます。そういう事もあって、全部はブログでお見せ出来ません。当選者は只一人です。プロ・アマ問わない、千人近い応募者がいるのでしょうから当選しない確率大ですが、当たって砕けろ!ダメモト精神で原稿を送ってみます。入選しなかったら、電子本にしますので、それまでお待ち下さいね。只今、二十八章(アリゾナの砂漠での強制収容所の話し)を書いてますから、そのあと戦争が終わってカリフォルニアに帰ってきますが、一からやり直し。やがて菊の気転で億万長者になって終わりますが、最後の最後まで何が起こるか分からないドキドキ物語です。全部書き終わったら、規定にそって、縦書き、縦40字、30行にアレンジをしなおしです。締め切りが1月31日なのでね、ブログは出来る時に入れますのでご了承ください。皆様、心で応援してくださいね。では、よい新年をお迎え下さい。
2007.12.30
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残念だけど当然ね、パリスParis losing out on big chunk of Hilton richesパリス、莫大なヒルトン財閥の相続は殆どないかもGrandpa Barron Hilton plans to donate 97 percent of his fortune to charityおじいさんのバロン・ヒルトン氏は全財産の97パーセントをチャリティーに寄付する計画であるupdated 12:53 p.m. PT, Wed., Dec. 26, 2007ロイターNEW YORK - Hotel heiress Paris Hilton’s potential inheritance dramatically diminished after her grandfather Barron Hilton announced plans on Wednesday to donate 97 percent of his $2.3 billion fortune to charity.ニューヨーク:ホテル王のバロン・ヒルトンが財産($2.3ビリオン)の97%をチャリティーに寄付する予定だと水曜日に発表した事により相続者である孫のパリス・ヒルトンの相続可能性は大幅に消え去った(後略)ロイター発の長い記事を省略すると、パリスの祖父バロンは、彼女の日頃の行動を見て、「ヒルトン家に恥じをかかせるような事ばかりしているから、相続を期待するなよ」と言うわけなんですが、記事を読み進めると、バロンも自分の父親でホテルの元祖コンラッドから同じ様なことされてるのですね。私の著書「エッ!もうアメリカに40年!」をお読みになった方はご存知ですが、私は、1964年にハワイのヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジのフロントに勤務していた時に、コンラッドやバロンにも直接会ったことがあります。また、同書に出てくる、私の親友タミー(今年亡くなりました)の母親がコンラッドと友達だったので、タミーもヒルトン家にはちょくちょく出入りしていたのですが、バロンも可なりの遊びほうけている、という理由で、お父さんのコンラッドは、やはりバロンに殆ど何も残さなかったのです。後に、バロンは法廷で闘って可なり取り戻したのですけどね。それからは、心を入れ替えてホテルの仕事に励むようになったのですが、さて、パリスも心を入れ替えるでしょうかね。何れにせよ、ゼロから自分の力で富を築き上げたアメリカの富豪の中にはこういうケースが沢山あるのです。前にも、世界で二番目の長者、ウォレン・バフェットの話しを書きましたよね。ちなみにホテル王のコンラッド・ヒルトンは1944年にアフリカの赤貧の子供達(特に脳障害や身障者)の教育や安全な飲料水の設備を助けるためのチャリティー団体を作り、財産のほぼ全額を寄付したのです。バロンも、その団体に残すと発表したのです。
2007.12.29
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結局は12人もう、慣れっこになってる私でも今回は最後まで笑いっぱなし。「残念だけど、イリナは24、25をかけて24時間勤務だから来られない」と、先ず息子が言いました。嫁さんはインターンで、ロスの大学病院に勤務しています。「あら~、残念ね。ま、感謝祭は一緒だったからいいか。じゃ、今年は7人だ」 私は7人分のテーフルをセットして、24日のブログに載せました。(アメリカは23日)すると、24日に、最所は来ないはずだった前夫が電話してきました。「○○(新しい彼女)が25日に出勤だそうだから、僕も来ても良いか?」「どうぞ、どうぞ」 私はまた、テーブル・セットを8人に変更。すると、グレッグが帰宅。「インゲルもジョーもボブもくるってさ」「え?」 テーブルは10人までなら、なんとかオッケーですが、11人になると無理なので、折りたたみのテーブルを追加。電話が鳴ります。「ヒロコ~。怒らないでね。信じられないと思うけど、僕、サプライズ招待が出来ちゃって、○○ホテルのディナーに呼ばれちゃったから、これない。ごめんね」と、ジョーがドタキャン。それで、テーブルセットを1人前どけました。 クリスマスの当日になりました。又、電話。「マム。イリナから電話があってね、大学病院、今日は早引きしたから来れるんだって、だからジュン(私の娘)と一緒に来るって」と言うじゃないですか。イリナは、インターンの一年間を、ロス近辺に住む娘の家から通っているので、この一年は遠距離結婚なんです。「あら~、そりゃ嬉しい」と、また、私は一人ぶん足します。すると、又、電話。「あの~。○○のお母さんがぐあいが悪くなったのと、○○は休みで出勤しなくてよいらしいから、彼女も連れてきて良いかな?」と、前夫からです。「きゃはははは!なんだ~こりゃ~。どうぞどうぞ」 私は、また一人分付け足しながら、『まるで、マンガ!』と、最初からのテーブルセットから今に至るまでを、足したり引いたり、チャカチャカと動く私を、フィルムの撒き戻しを見てるように想像して、本当に大声で笑ってしまったのです。誰もいない家で、サンタの帽子を被り一人でゲラゲラ笑いながらテーブルセットをしてる女を想像出来ます?↑グレッグのお姉さんも早めにきて、手伝ってくれました。ノーメークの私です。 これだから、私はいつも大目に食べ物を用意するのです。↑アペタイザー↑バフェー式。。。ま、これだけじゃないですよ。写真撮るの忘れました。
2007.12.27
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ヨット・ハーバーのライトアップ今日はクリスマス・イブです。昨夜、マイミクのKazueさんとご主人がラグナ・ビーチにみえたので、ニューポートビーチのヨットクラブのライトアップにご案内しました。残念ながら、ボート・パレードは先週で終わってしまったのですが、湾の周りの超豪邸が、きれいにライト・アップしてあって、毎年、大勢の人が見にきます。見ようと思ったら、数時間かかるほどの距離あって、観覧船まででているのです。この家々には、個人の桟橋がついていて、ヨット、クルーザーなどを停泊しておけ、自分の家から、直接ヨットに乗れるようになってます。まだ、バディー・イブセン氏の生存中、(姑と、ミセス・イブセンが友達だったので)義母の友達が日本から見えた時に、通訳に言った事があります。バディー・イブセンは、ベバリー・ヒル・ビリーという、テレビ・シリーズで、おじいさん役をやった俳優です。ミクシィには、動画も入れてありますからご覧下さい、この家の規模がわかりますよ。さて、いまから、グレッグの両親にギフトを届けに行ってきます。http://www.jacquielawson.com/viewcard.asp?code=1353664514154&source=jl999↑動画のカードです。
2007.12.25
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X‘mas今年はお世話になりました。来年もよろしく。玄関のリース・この鳥は、人が近づくとさえずります。今年は家族と、日本からブログ友達のカップルがお見えになります。
2007.12.24
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愛に包まれた指先★クリスマスのショッピング、昨日終えました。今日はギフト・ラップ。昨夜はグレッグのお姉さんの家のディナーに呼ばれました。彼女のデコレーションすばらしいのですが、デジカメをわすれました。★クリスマスになると思い出す母の指先の詩です。人生で一番思い出深い贈り物だったのです。忘れもしない、あのフューシャピンクの手袋還暦を越えた今でも、編み目のパターンまでハッキリと目に浮かぶ。戦後、物質難の時代に、自分のセーターをほどいて色を染め直し、竹の編み棒で、夜通し編み続けた母は、もういない。戦争をはさんでいたので、私と弟や妹との歳は、かなり離れていた。子供たちが寝ている間に、こっそりと、母が炬燵の中で編んでいたのを私だけ知っていた。でも、いつも寝た振りをしていた。素早く動く母の指先を、薄目で眺めてる内に本当に寝てしまった。クリスチャンでもなかったのに、ハイカラ趣味の母は、クリスマスには必ず子供達にプレゼントをくれた。明け方、まだ闇の中で、ソーッと両手で枕元をなぞり、畳の上のひんやりとした物が、指先に接した時の、胸のときめき。弟の手袋は、グリーンなのに「女の子みたいで、やだ」といった。この時まで、母は彼の色盲に気がつかなかった。まだヨチヨチ歩きだった妹のは、五本の指でないミトンだった。冬の朝、子供達の指先は、母の愛に包まれていた。
2007.12.22
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高校時代に、母と『人種差別』について、討論しあった事がありますが、その時に、私自身が信じていた事が現実になっています。「いつか、世界中の人々が交じり合ったら、人種差別ってなくなると思うなあ。だから、私は絶対に白人と結婚するってきめたのよ」と、言ったのです。「夢見たいな理想的な話しだけど、それは子供の考えね。そんなことは湖のなかに、一滴血を流すようなものよ」と、母が言いました。 昨日のブログに、日本語学校の子供達が舞台で「さくら」を歌うシーンを書きましたが、あの前篇最終編を載せた日の午後、ピアノの生徒が来た時、はからずも、新しいピアノの練習曲の本の第一ページが「さくら」だったので、そのシンクロニシティーにびっくりしました。しかも、二人の生徒が同じページだったのです。その数日前にも、ミクシイの「さくら」さんから小包が届いて、胸をときめかせながら開けたら、数々の贈り物と一緒に美しい「さくら」のカードが入っていたのです。これは偶然か、必然か分かりませんが一瞬驚きました。 小説をお読みになっていた方はお分かりでしょうが、一世紀前からのカリフォルニアの様子を書き綴っている私には、感無量の出来事でした。 考えても見てください。大勢のの移民達が、この地にやって来てから、日本人の私がこのアメリカという大地で、自由にピアノや日本語を教えられる時代になっているのです。一世達のご苦労があったからこそ今このように楽になっているので、その方々の感謝の心は忘れません。 私が始めてこの土地で教え出した35年前は生徒は全員白人だったのですが、それでさえ徐々に変わってきていて、最近の生徒の中には韓国、中国、フィリピン、インド、黒人、タイ、メキシコ、ベトナム、ペルー、日系三世の生徒もいました。 散歩をする時にも、いろんな人種と顔をあわせます。郵便局員などは、大半アジア系なんです。今の家を買った時から、13年目になりますが、やはり、ご近所は国際色豊かになってきたし、私とグレッグのように、ミックス・カップルが可なり増えてきてきて、色んな人種が仲良く暮らしているようです。 亡くなった母には、悪いけど、私の理想の世界に、意外に早く近づきつつあります。 時の流れを感じないではいられません。
2007.12.21
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十三章・前篇の終わり ついにパーティーの日が来た。午後の五時に開催する予定のパーティーだったが、日本人の招待客は「何か手伝わせて下さい」と、興奮して午前中から集まって来て、三時頃には大太鼓やら、小太鼓を積んだトラックや馬車までやって来た。中には、そろいの浴衣で来たグループもいて、盆踊りの練習をしていたり、日本語学校の子供達も、朋子の指揮で折り鶴をあちこちに飾りをつけたり、舞台でお遊戯の練習などをしていて、パーティーが始まる前からパーティーのようであった。 故郷を後にして「地の果て」にやって来た人々にしてみれば、この集まりは里帰りの次くらいに嬉しかったに違いない。菊はこの予想外の出来事に胸をときめかせ、同時に、このイベントでますます朋子の日本語学校は忙しくなるに違いない、そこを中心として将来も色んな日本の行事が広がって行くだろうと想像した。「何か、皆さん興奮気味ねえ。キクさん、ちょっと~チェリーを見て!あそこで盆踊りの真似してるわ」と、朋子が言った。「うふふ。一人前に踊ってるつもりなのね。二人の坊主たちも、走り回って・・・・・・ああ、危ない!」と、菊は舞台に上り下りしてるアンディーやブライアンやケンジや、名前も知らない子供達の追いかけっこを見て胸を弾ませていた。「移民の皆さんは、働いてお金をためることにばかりで、今までこうやって楽しむ事もなかったんじゃあないかしらね」と、朋子が言った。「私は場所があったのだから、もっと早くに気付いていればよかったなあ」と菊が答えた。「あなたは、富雄さんの分もがんばっていたから、それどころじゃなかったわ」 ビッグ・ハウスの葡萄のパッキング場は、収穫時には大勢の季節労働者がすわって、葡萄を箱に詰める作業をする場所で、百人でも座れるピクニック・テーブルが並んでいたので、食べものはその部屋に用意された。テーブルの上には、煮物、握り飯、海苔巻き、稲荷寿司や漬物は勿論のこと、マリアが用意したメキシカン・フードや、青木夫妻が持って来た茹で上がったとうもろこしの湯気がたっていた。開会時間が近づくにつれ、イタリアン・フードもフランス・パンやチーズも並べられ、まさにインターナショナル・フード・センターと化した。酒造元もワインを沢山寄付してくれたので、それも飲み放題であった。 山野の司会で紹介され舞台に登った菊は、並居る人々を見て感無量であった。「胸が一杯で、なにを言ったらよいのかわかりませんが。まず本日は遠い所からいらしてくださった皆様に、亡くなった主人に代わってお礼を申し上げます」 ここで拍手が起こった。菊は無意識にヨネを探していたが、みつからなかった。「主人、トミーこと平岡富雄は、明治三十二年(1900年)に大志を抱いて日本から一人で海を渡って来ました。英語を覚えるために先ずハウス・ボーイをしながらカレッジに通い、そこで紹介された方のワイナリーの従業員になり、そこから通訳を兼ねた移民の職業斡旋業などを経て念願の自分のヴィンヤードを手に入れました。そして皆様の中にも大事な方を亡くされた方がいらっしゃると思いますが、ご存知のように、主人も1918年に世界中に猛威をふるったスペイン風邪の犠牲者の一人となり、この土地で短い一生に幕をとじました」 その時、一台の大きな乗用車がビンヤードに入って来て、大人や子供達がぞろぞろ降りた。「残された子供三人を抱えて、女手一つでこのヴィンヤードを今日まで何とかやってこられましたのも、ここにいらっしゃる皆様の暖かいご支援の賜物と心より感謝いたします」と、深々とお辞儀をした。 拍手の中で頭を上げると、先ほどの車から降りた一行の中にヨネと信吾を見つけて、菊がニッコリと微笑んで手を振ったので大勢の観客が後ろを振り向いた。「皆様の中には、アメリカで富を築いて、故郷に戻られる計画の方もいらっしゃるでしょう。しかし主人の夢は、この個人を尊重してくれる国、自由に意見ものべられる国、どのような生まれでも努力次第で企業や政治のリーダーともなりえる国で独立心旺盛の子供達を育てることでした。その主人の夢を叶えるためにも、これから学校に行き出す子供を育てるに当たって、ヴィンヤードの経営との両立はとうてい不可能である事に気付きましたので、この季節をもちまして手放す決心を致しました。最後になりましたが、ここにおられる山野ご夫妻は良きにつけ、悪しきにつけ私の家族全員をずっと守り続けて下さいました恩人です。皆様も山野日本語学校の前途を暖かい目でお守りくださるよう、心よりお願い申し上げます。長いこと本当にありがとうございました!」 拍手と口笛が暫く飛び交う中で深々と頭を下げながら『見てる?これ皆あなたが撒いた種よ。素晴らしいじゃない!』と菊は心の中で富雄に語りかけていた。菊が舞台から降りると山野の司会とカルロスの通訳でメキシカンのマリアチ・グループが舞台に楽器と共に上って来た。 トランペット、ギターやバイオリンでマリアチがラテンの曲を奏でる中を、菊はヨネに近づいて行った。ヨネも信吾もきちんとした身なりで見違えるほど立派であった。「ま~、よくいらっしゃいましたねヨネさん。信吾君も大きくなっちゃって~」と菊は信吾と握手をした。「キクさんどうもすみません、こんなに大勢になっちゃって。あの人達が車で一緒に来てくれたもんで」と、ヨネが指差すほうを見ると。三人の男の子に囲まれた婦人が大きなお腹で立っていた。家族の服装といい、車といい、成功者であることは一目瞭然であった。「大谷さん、覚えてます?」とヨネが言い終わる前に菊の方が、「きゃ~、大谷さん!お久し振りです。お元気ですか」と話しかけていた。「本当にお久し振りですねえ。見て!四人も出来ちゃったのですよ。一人、あの流感で亡くしたけど、また次のが生まれるのよ。じっとしてる閑なんてないの。ヨネさんから、ご主人の事聞きました、お気の毒にねえ。あんなに良い人を亡くされてさぞかしご無念だったでしょう・・・あ、失礼!これが私の主人です」 ミセス大谷が後ろを向くと、先ほどから終始にこやかな笑顔で立っていた恰幅のよい男性がお辞儀をした。二人共菊と同じくらいの背丈であった。船の中では、大谷は殆ど横になりっ切りで話す機会もなかったが、なかなか陽気で華やかな人だと菊は思った。「その節は、ワイフが船の中でお世話になったそうで、お礼を言います。いや~、シンゴが息子の一人と同い年ですが、なかなか頭の良い子で、息子に色々教えてくれてます。そうだな?シンゴ?」と、ミスター大谷は信吾の頭を撫ぜた。「大谷さんが、家族のようにしてくれて、やっと信吾にも人間並みの生活をさせてやれるようになりました。ありがたいことです」と、ヨネが言った。 心なしか、菊の目にはヨネの態度も顔つきも穏やかに見えたし、信吾もなかなかハンサムであった。「キクさん、家の農場のアスパラガスを沢山持ってきたので、台所の方で誰かに茹でてもらえるかしら?」と言うと、一番上の子が持ってた籠を突き出した。「わ~、こんなに沢山。どうもありがとうございます。じゃ、どうぞ舞台でも見ていて下さい。いろいろやるみたいですから」 ビッグ・ハウスでは、ミセス小川、青木やマリア達がボランティアーと一緒に食べものを用意するので、台所とパッキング場を忙しそうに往復していた。舞台からは、誰かがアコーデオンでイタリアの民謡を歌ってるのが聞こえていた。「すみませ~ん。こんなにアスパラをいただいちゃった。悪いけど、誰かこれ茹でてくれますか~」と、差し出した菊のバスケットを見て、マリアが喜んだ。「お~。これは凄い!私がやります。茹でて、バターと塩で食べると最高よ」と、早速かかえて行った。「さ~くら~。さ~くら~。やよい~のそ~ら~は~」 菊が、台所のあちこちを点検していると、見物人がシーンとして子供達の合唱が聞こえて来た。菊は勿論のこと、台所にいた日本人も全員ビッグ・ハウスから舞台を見に飛び出て行った。 舞台の上で、行儀良く整列した日本語学校の生徒全員が、朋子の指揮で一生懸命に歌ってい、チェリーまでがアンディーと手をつないで皆をキョロキョロ見ながら、意味が分からずとも口を動かしていた。集まった日本人達の中には、それぞれの思いを心に深く秘め、感無量になって涙を拭いている人も大勢いた。理由はともあれ、皆、遠い故郷を後にしてこの大陸にやって来たのである。出身地がどこであれ、日本人の心が一つになった一瞬であった。合唱が終わった時、人々の拍手が爆発した。 折から大きな太陽が沈みだし、空は真っ赤になっていた。菊は初めてこのヴィンヤードに着いた日を思い浮かべていた。怒涛のような七年は、瞬く間に過ぎ去ったようでもあり、一人の人間が一生かかっても経験しないような長い人生のようでもあった。 舞台では、その後も、詩吟やら、三味線の伴奏て民謡があったり、フランスのフォークダンスやらが続き、やがて山野が食べものの用意が出来た事を知らせると、群衆はビッグ・ハウスに移動して行った。 人々が食べものに舌鼓をうち、ほろ酔いかげんになった頃には星が輝き出し、舞台の周りのちょうちんに火がともされ、用意してあった、たいまつにも火が放たれた。舞台には大小の太鼓が並らび、フィナーレの太鼓が天まで届くような力強さで響き渡った。『さ~て、また新しい人生が始まるのだ!』菊は先程からその太鼓の音を富雄も聞いているのを感じていた。★ながらく、ご愛読ありがとうございました。これで、前篇の終了です。後編は執筆中ですが、また、彼女の新しい人生が始ります。菊はサン・フランシスコのドレメに二年通い洋裁教師の免除を手にして昔の町に戻り、普通の家を借りてリビングルームを改造し平岡ファッションスクールを経営しますが1939年の(世界大不況)株の大暴落で金繰りに窮した白人の大家が家賃の法外な値上げをするので、その学校を手放し、南カリフォルニアに越します。(こういういさぎよさは気持ちが良いほどです)5エーカー付きの大きな家を借りて、また農業を始め成功し、米国籍のアンディーが18になった時にその土地を買います。(普通の人は躊躇するのですが、菊はチャンスをのがしません)チェリーが歯科医の学校をあと二ヶ月で卒業できる所で第二次世界戦が始まり強制収容所に護送されます。。。さて、それから、それから、又悲劇が沢山まってます。でも菊は決して諦めなかったのです。 私は、この物語のために30冊近い参考書を読み、数ヶ月図書館に通い詰めで新聞、雑誌の記録も読みました。菊は成功したケースですが、挫折した人、戦死した人、人種差別問題に悩んだ人、親子の国籍の違いで悩む人も大勢いたわけで、そういう人を、菊の知り合いとして織り込んで見ました。因みに菊一家のほかは全員、私の架空の人物です。
2007.12.20
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十三章・その1 富雄を亡くしてから早二年の月日が流れ、アンディーが六歳、ブライアンが四歳、そしてチェリーが二歳であった。この地方に日本の移民が増えると共に、朋子の日本語学校もどんどん盛んになって行った。 山野夫婦は学習に日本の文化も取り入れ、正月には餅つき、節分には豆まき、三月には雛祭り、そして端午の節句には鯉のぼりなどを作ったりして、子供のいない日本人達も招いて大きな行事をするようになったため、日系社会の注目を浴び出し、本気で正式な日本語学校を設立してビンヤードから独立しようと計画を たてていた。山野がそういう行事で忙しい時には、菊は山野の仕事は勿論の事、重い葡萄の配達、肥料の注文やらお得意先巡りをやらなければならず、配達はカルロスなしには出来なかった。上の二人は日中は朋子の学校においてもらい、チェリーはマリアに面倒見てもらっていたが、仕事が終われば、どんなにくたびれていても子育てと家事を怠るわけにはいかず、菊は父親と母親の二役をこなしているようなものだった。いくら若く健康だとは言え、これは菊にとっても可なり体がこたえた。 青木夫婦は、半年前に自分達の八百屋を始めると言って、ヴィンヤードから独立して行ったが、カリフォルニア州では、外国人土地法のために自分達の土地を買うことも畑を借りる事も禁じられていたので「いつか、上の子の名義で土地を買うまで」と言って、自分たちの借家の庭やヴィンヤードの一部で野菜を育てさせてもらい、安く仕入れて小売商を始めたのだった。 カルロスは相変わらず車の設備やら配達、トラクターの運転をしていたが、彼らの夢はいつか二人でメキシカン・レストランと車の修理会社を経営する事であり、菊がビンヤードを止める時が来たら、親族が大勢いるロス・アンゼルスに引越すつもりでいた。 小川夫婦も、ケンジが小学校一年になり、末娘のリエも歩き始めたので、青木夫婦のように、小さくても自分たちの一軒家を借りようと思っていた。彼らの夢は、食料品から雑貨まで扱う小さな日本のジェネラル・ストアーを持つことであった。 青木夫婦が去って行った半年ほど前から、菊は本能的にビンヤードの仕事を止める時期が近づいて来たと感じていた。アンディーも九月から一年生になる事だし、子供達に良い教育を与えたかった富雄の夢を叶える為には、もっと母親の集中した愛が必要であると菊は気付いた。それには、朝暗いうちから日が沈むまで働かなければならないようなヴィンヤードの仕事を継続するのは無理であった。幸い貯えは充分あったし、ヴィンヤードを処分すればもっと入るから、何年かは働かずに済む。菊は出来るだけ子供のそばにいてやれる事をずっと考えていた。そして朋子を見ている内に、家にいながら収入のある教師になるのはどうだろうかと思い、そこに焦点をしぼった。『何を教えたら良いだろう?日本の着物など着る人もめっきり少なくなっている。お茶やお花などをやるような余裕のある移民はいない。そうだ!皆洋服を着るようになっているから、洋裁を教えるのはどうだろう?先ず洋裁学校に通って教師の免除をとるのだ』と決心した。 菊はそう決めるとすぐ行動に移した。山野夫婦は、菊にとって家族のようなものであったから菊の考えも一番最初に知らせた。「キクさん、皆それぞれ落ち着き先もあるようだからグッド・タイミングかもしれないね」「そう、良い考えだわ。あなたが病気にでもなったら大変な事だもの。かげながら私もキクさんが三人の子供を抱えて、今やってる事を続けるのはちょっと無理が出てきそうだと思ってたのよ」 山野も朋子も菊の考えに賛成してくれた。他の従業員達も青木夫婦がやめた頃から、この日が来るのを薄々感ずいていたので、菊がヴィンヤードを閉めるという発表をした時に、皆「寂しくなる」とは言ったが、誰も驚かなかった。菊は、又生まれ変わる時期が来た事を悟った。* 菊は最後を飾って、盛大なパーティーをしようと思った。富雄の血と汗の結晶を大勢で祝いたかった。富雄と触れ合った従業員、得意先の人々はもとより、パートの人々も友達も知り合いも全員来て貰いたかった。 菊は山野夫妻が、学校で大きなイベントなどを手がけるのに慣れていたので、彼らにこのイベントの音頭をとってくれるように頼んだ。「一夫さんにまとめ役をやってもらいましょうね」と朋子が言うまでもなく菊は大賛成であった。「最高のチョイス!よろしくお願いします。カルロスやマリア達にもメキシコの民謡とか踊りが出来る人を探してもらうように頼んでみる、季節労働者の中にもいると思うから」と菊が興奮した口調で話すと、朋子がもっと良いアイディアを提供した。「ほら、キクさん外回りするじゃない?ワイナリーの中にはイタリア人やフランス人もいるのでしょう?それぞれにお国自慢の披露してもらうってのはどうかしら?」「そうね。きゃ~、素敵!」 二人は、小娘になったようにはしゃいで計画を始めた。イタリア系の得意先もフランス系の得意先も、そう言うイベントは初めてで素晴らしいと言って喜んでくれた。「まるでインターナショナル・パーティーじゃないか!」「その日が待ち遠しい。家族つれて参加します」と、皆口を揃えて返答した。そして最終的には、クライエントも、いっそうのこと参加者がそれぞれの国の食べものを持ち寄ろうじゃないかと言い出した。 それからの数ヶ月、菊はヴィンヤードを手放す手続きで忙しく、山野夫妻はパーティーの計画に日夜奔走していた。小川夫婦は借家を探し始め、カルロスやマリア達も、ロス・アンゼルスに引っ越す仕度にとりかかっていた。朋子は日本語学校で工作の時間に、そのさよならパーティーのイベントを取り入れ、生徒達に折り紙を折らせたり、日本の歌を教えたり、お遊戯を教えたりもした。日本の雑貨屋も紙提灯を卸の値段で売ってくれたり、そのうちに、ニュースが日系社会に広がって行って、ビンヤードに関係のない人までが手伝いに来た。器用な男性達はステージまで作り、可なり大掛かりになって益々エネルギーが高まり、祭りでもやるように大勢の人が、当日を待ちわびていた。 パーティーの数週間前に、菊にとって飛び上がる程うれしい事があった。それはヨネからの手紙であった。 菊は、二年前にヨネが来た時、正式な従業員にならないかと勧めたのだが、「今まで人を頼ったり、悪いことは人のせいにしたりしていたけど、キクさんを見て、自分も出来る所までやってみたい気持ちになりました」と言って、収穫期が終わった時に、ヨネはまた信吾をつれて他に流れて行った。今、ヴィンヤードを閉めるに当たって考えてみたら、その方が結果的には良かったと思った。時々手紙で連絡をしてほしいという菊の願いに、ヨネは仮名が少し書ける程度で英語の住所はとても無理だと言うので、菊は自分宛の住所を書いた封筒数枚と「信吾君に何か買ってあげてください」といくばくかの金をヨネに渡しておいたのだが、それっきり音信不通になっていたから、その封筒を開ける時には胸がドキドキした。キクサン イマフタリハサクラメントにイマスオオタにサンののウジョウデアスパラガスヲツンデイマスヤットオオタにサンにサイカ イシマシタシンゴハゲンキデスサヨナラ ヨネ 句読点のない片仮名と平仮名が並んでいて、最所は理解に苦しんだが、読み返す内に(今、二人はサクラメントにいます。大谷さんの農場でアスパラガスを摘んでいます。やっと、大谷さんに再会しました。信吾は元気です)と言う意味が分かり、踊りたくなるほど嬉しかった。 大谷さんの誰かに書いてもらったらしく住所がかいてあったので、菊は即座に大谷と加藤ヨネ宛にも「宿泊は心配しないように」と書いてパーテイーの招待状を送った。★昨日の一刻千金は、一攫千金の間違いでした。教えてくださった方ありがとうございました。また、今後も、誤字、誤文がありましたら、教えて下さい。
2007.12.19
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十二章 ヨネが打ち明けた話は、菊にとって奇異荒唐且つ悲惨な出来事であった。 明治維新を境に、封建制度に終止符が打たれた日本では、多くの小作人達が自作農になれる時代に入ったのだが、ヨネの実家もその波にのって自作農家になっていた。二十歳の時に、やはりそういう農家の息子と結婚をし加藤ヨネとなって三年間、夫の金造と暮らしたが二人には子供が出来なかった。金造は農業が嫌いな上に見栄っ張りで、一刻千金ばかりを夢見て、いつもいやいや働いていたので両親も手を焼いていた。ある日、金造がどこから聞いて来たのかヨネにこんな話をした。「米国のカリフォルニアという所では、金塊がザクザク出てるそうだ。道端にも、川にも金塊が落ちてるというから、凄いじゃないか。良い給金で労働者を探してるそうだ。こりゃ、行かない手はないよ。二人で数年働けば長者になって故郷に錦を飾れるぞ!」と、金造は興奮していた。「そんな、夢みたいな話を信じるんですか。地の果ての言葉も通じない国なんぞに行きたくありません」とヨネが答えると、じゃ先に一人で行って呼び寄せてやると言った。金造の父親も、「そんな話しは江戸時代の事だと聞いたよ。金塊がそうそう残ってるもんか。言葉も話せないで、地の果てでどうしようってんだ。今の日本なら、一生懸命に働ければ、食いっぱぐれはないし二十年もすれば家の一軒も持てるようになるんだよ。幸せは金だけじゃないんだよ」と言ったが金造は聞き入れなかった。「日本人は何百年も鎖国で、自分の国しか知らん。おとっつあん、俺、冒険ってのをして見たいんだ。一か八かやってみたいんだよ。どうせ百姓をやるならカリフォルニアとかいう所でやってみたい。良い給金払ってくれると言うから、五、六年で家を買うくらいの金をもって帰るよ」と言って、移民してしまった。 数年音沙汰もなく、ヨネも家族も、もう死んでしまったのだろうと思っていた頃、ヨネは金造から「働いた金を元にあちこちで大稼ぎをしていて、車や家を買った、もうすぐ金物屋の物件も手に入る予定だからすぐ渡航しろ」という威勢のよい手紙を受け取った。金造もヨネもあまり字の読み書きが出来なかったから、人に書いてもらったのだろう。ヨネもその手紙を村の寺子屋の先生に読んでもらったので、この話しは村中に広がってしまった。 この数年間、金造はもう帰らないものと決めていたヨネは他の男とねんごろになっていたが、義両親も見て見ない振りをしていた。ところが身籠ってしまったらしいので、慌てたヨネは行きたくもないアメリカに渡ることに同意してしまったと言うのである。「身籠ってた事はあたしだけの秘密だったんですよ。目立たない内に行けば、夫も自分の子だと思うだろうって考えてね。だから、船でキクさんと知り合った頃は身籠っていた訳ですよ。でも、悪いことは出来ないですね、ちゃんと罰が待ち受けてましたよ」と、ヨネはお茶をすすりながら続けた。「見栄っ張りの夫は、私に印象付けようとしたんでしょう、高級車で船着場に迎に来たんですよ。私もてっきり、こりゃ本当に成功してるんだと有頂天になりました。でもね、家という所に着いて見たら掘っ立て小屋じゃないですか!しかも借家」と、ヨネは興奮していた。「あ~、じゃ、やっぱり私達のボロのトラックとすれ違った時に見た高級車の中の女の人はヨネさんだったんですね」「それが、キクさん聞いてください。あの車も人から借りた物だったんですよ。あきれちゃうじゃないですか」「でも、そんな車を持ってる人と友達だったんですよね」と菊が聞いた。「まあ、最初は本当に金を貯めたらしいんですよ。でも、そのうちに悪い仲間にそそのかされて、賭博を始めたんですねえ。きっと運が良かったんでしょう。手紙にあった、あっちこっちで稼いでるってのは、博打のことだったんですね。実際には小さな金物屋を始めるくらいは持っていたらしいんですがね、欲が出たんでしょう、私に手紙をくれた後で全部すってしまったそうです。ばかばかしい!」と、ヨネは吐き捨てるように言った。 菊は「あら~」としか答えようがなかった。「でね、顔を見るのもいやだったけど、生まれて来る子のこともあって毎日、毎日一緒に寝ましたよ。私が冷たく当たり散らすもんで夫は飲んだくれになってね、二人で働いても、もう食べるのにやっと。結局、長男は死産でした。それから次男坊と信吾が生まれちゃって、日本に帰りたくても金はないし、そのうちに私も自暴自棄になって飲み出して、もうどん底生活!」と、ヨネが苦々しい顔をした。「ヨネさん、つらいでしょう?もうその位でいいですよ」と菊がなだめたがヨネには聞こえなかったらしい。「でもね、次男坊や夫が逝ってしまった後に、これは全て私のせいだって気付いたんです。自己嫌悪に陥って何度も死んでしまおうと思いましたけどね、信吾の顔を見たらとてもじゃないけど出来ませんでした。ま、そういう訳で、信吾が私の命なんです。この子の為に日雇いでも良いから一生懸命生きる事にしたんです」 まるで重荷を背中から降ろしたように、ヨネは、そう言い終わると、ふぅ~っと大きなため息をつき、エプロンで顔の汗と涙をぬぐって我に返った顔をした。長いこと、この重荷を背負っていたからか、日雇いのせいか三十代だというのに、額にはしわが沢山出来ていて、白髪もちらほら見えていた。 菊は、それ以上聞かなくても大体想像ができた。きっと、ヨネは金造の夢をそのまま保ちたくてミセス・小川にも大袈裟に話したのであろうと察した。菊は『人間は夢がなくては駄目だ』という富雄の声が聞こえたように感じ、もしかしてヨネの生き甲斐は信吾だけではなく、この金造の話を実現する事も含まれているのではないかと思った。「キクさん、こんないやな話しを最後まで聞いてくれてありがとう。ああ、もう一つ、忘れないうちに。あたしね、船の中での態度を謝りたかったんです。本当に悪いことしました。いえね、キクさんの旦那さんがあまりにも良い人だったもんで、嫉妬してたんですよ。本当に良い方を亡くされてどんなにか辛かったでしょう。許して下さい、この通りです」と、ヨネは合掌するように手を合わせて懇願し、信吾を抱き上げて季節労務者たちが一時的に寝泊りするビッグ・ハウスのロフトに帰って行った。 その晩、菊はいつもより増して富雄を恋しく思い、チェリーに乳を含ませながら又、わんわんと泣いた。そして、どういう訳か、菊が泣く度にチェリーが声を出して笑うので、いつの間にか泣き止んでいた。 菊はチェリーの長い指をもてあそんでいる内に、ハッと、ニュー・ホープ号の中で見た夢を思い出した。あの時に見た女の赤ん坊は、チェリーではなかっただろうか。葡萄棚の下で眩暈を起こした時、とっさに掴んだ蔓のおかげで、ドサンと引っくり返らずにすんだのを覚えていた。そして気付いたら、同じ蔓の反対側を握って富雄が引っくり返っていた記憶が蘇った。『そうか、私は富雄さんが残してくれた、ビンヤードのお陰で経済的にも行き詰ることがなかったのだ。倒れた富雄さんが消えたのも、女の子が笑っていた意味も、今分かった』と、思った。 菊は、チェリーが声をだして笑った時に富雄の手が肩に触れたような気がして後ろを振り返ったが、勿論そこには誰もいなかった。
2007.12.18
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十一章★アメリカでは昨夜と翌朝ですが、日本時間では、今日2度目の更新ですから、十章もお見逃しなく! ヴィンヤードに再び葡萄の収穫期が巡り来て、季節労働者を雇う仕事が始まった。カルロスやマリアにとって、この季節は楽しいものであった。何故なら、大勢のメキシカンも面接にやって来たからだった。菊は富雄のようにスペイン語が話せなかったから、このバイリンガルの二人にメキシカン労働者を選択する役目を与え、更にその人達のスーパーバイザーにもなってもらった。 ある日、日本人の季節労働者の中に、見覚えのある女を見つけたが、山野がその選択係だったので菊は通りがかりにちらりと見ただけだった。その女は四歳くらいの男の子と一緒であったが、夫はいないようであった。白髪まじりで、どこか人を疑う目付きであったが菊の顔を見ないようにしている気がしたので、その夜山野に聞いてみた。「山野さん、面接に来ていた人の中に四歳くらいの男の子を連れた女性がいたけど、新しい人ですか」「ああ、あの生意気な口をきくやつか・・・ええと」そう言うと、山野は、煙草の煙に目を細めて手帳を開いた。「ヨネ・・・カトウ ヨネ。三十二歳で、息子の名前は信吾。何故?」鼻から煙を出しながら聞いた。「カトウ、カトウ、どこかで会った事があるんだけど。どこだっけなあ? あ!思いだした。移民船の同室者だ!」 それにしても何という変わりようだろう、もう少しで見逃すところだった。菊はそう思ったが、それ以上は何も言わなかった。「何?キャビンで来たって言うのか?ほぅ~。じゃあ、その頃は経済的に余裕があったんだな? キャビンで来れる人間が一体どうして季節労働者になんかなっちまったんだろう」と、山野は白人がそうするように、両手を広げて肩をすぼめた。白人のことを毛嫌いしているくせに、会話のあちこちに英語を入れたり、そういうジェスチャーを取り入れている山野に矛盾を感じたが菊は黙っていた。 どんな理由であれ、もし加藤が正体を隠したいのなら、自分で名乗り出すまでは余計なことは言うまいと菊は思い、山野があれこれ聞きたがったが、「人違いかもしれない」と、口を濁しておいた。しかし懐かしかったし、気になったので、暫くしてそれとなくミセス小川にも聞いてみた。彼女なら、誰のことでもすぐ聞き出すのを知っていたからである。「ああ、あの人ね。あんまり人気ないよ、ウン」 ミセス小川は収穫後に二人目の子供が生まれることになっていたので、ふだんでも小太りの体がもっとふくよかになっていて、何となく滑稽に見えた。「そう?」「加藤さんはフレズノとかいう所で旦那が大きな金物屋をやっていて、豪邸に住んでいたっていってるよ。だけど、あのインフルエンザで死んじゃったんだって、ウン。だから、可哀想なことは、可哀想なんだけどね」 菊は、一瞬富雄を思い出して胸が痛んだが、同時に加藤の変わりようの理由が分かったような気がした。暫く富雄の思い出に浸っていたが、ミセス小川がまだ喋り続けていたので、菊は質問をしておいて答えを聞いてない自分を恥じた。「そいでね、自慢話ば~っかでね、どでかい家に住んで女王みたいな暮らしをしてたなんていうの聞くと、いやくなるよ。キクさんの家より大きくて、電話だって、洗濯機だって何でも揃ってたって言ってたよ。旦那は、大きな自家用車であちこち旅に連れてって行っただことの・・・だけどさ、なんか、理屈にあわないんだよね。だって、そうでしょう?そんなに大きな金物屋をやってたなら、何でそれを引き継がなかったわけ?その商売や家を売ったって、良い金になったと思うよ~」 黙っていたら、ミセス小川はもっと話しただろうが、菊はそれ以上聞く必要を感じなかった。「なるほどね、どうもありがとう」「でも、何故?」というミセス小川の質問に、「私も外回りで忙しくて、まだ、あって話す暇がないから」と言って、他の仕事場に歩いて行った。 ミセス小川と話した数日後、アンディーが昼休みに汚れた顔をした男の子を家に連れてきた。加藤の息子の信吾だった。信吾は家に入るとビックリしたような顔で、家中をキョロキョロ眺めていた。蓄膿症なのか、風邪を引いているのか、信吾は数分ごとに、ズルズルと鼻を吸い込んでいたので、菊がちり紙を差し出すと、「いらない」と言うように首を振ってシャツの腕で鼻を拭いていた。「でっかい家だね!」と信吾が言ったが、アンディーはそれには答えず、「僕の部屋に行こう」と、信吾の腕を引っ張って自分の部屋に行った。 部屋に入ると、信吾はすぐさまロッキング・ホースを見つけたのでまたがって、ギーコギーコと前後にこいだが昼寝中のブライアンを見て、アンディーが人差し指を口にあてて「シィー」と言った。そして、ゲームを抱えてリビングルームに戻って来た。信吾はアンディーのゲームより、リビング・ルームにあるラジオやら蓄音機に興味を見せて落ち着かなかった。「アンディー!お昼を食べなさい。信吾君はお昼すませたの?」と聞いたが、信吾は蓄音機をあらゆる角度から見ていて、「ノ~」と菊を見ずに英語で答えた。「アンディーと一緒に食べる?」と菊は聞いたのだが、信吾は不思議な顔で菊を見返しただけで返事をしなかった。菊は、きっと、今まで人から食事に誘われたこと等なかったのかもしれないと察した。「沢山あるから、ここにいらっしゃい。食べながらでも聞こえるように、ラジオをつけてあげるからね」と、菊は信吾を椅子に座らせた。 信吾は椅子を珍しそうに眺め、テーブルや椅子を手で触ってから座ったが、アンディーはもう食べていた。信吾はフライド・チキンや、色とりどりのサラダ、じゃがいも、レモネードやクッキーなどに目を丸くしてい、一つ一つこわごわそうに口に入れていたが、音のするラジオが気になってちょくちょく振り向いていた。食事が終わった頃は、慣れてきたのか少し落ち着いて来て、「これは何?」と蓄音機を指した。「これは蓄音機、これはラジオ。ねえ、ゲームをしよう!」とアンディーが促したが、信吾は家具や電話や冷蔵庫を見るほうが楽しいらしかった。 その時、誰かが玄関のドアをノックした。ドアを開けると、そこには野良着に麦わら帽子の加藤が菊の顔を見ないように立っていた。「すみません、息子が来てませんか?」と加藤が聞いた。「加藤さん、お久し振りですね。私の事覚えていません?」「覚えてます」 加藤は顔をちょっと上げて菊を見たが、目は信吾を探していた。「息子がご迷惑をおかけして、すみません。信吾!ここにおいで!お昼の時間だよ、ずっと探していたんだから!」と、リビング・ルームに向かって怒鳴ったが信吾は完全に無視していた。「あ、お昼ならもうアンディーと一緒に済ませましたよ。まだ沢山ありますから、加藤さんも私と一緒に食べませんか」と、菊は加藤も招きいれた。 最初は気まずそうにしていたが、信吾が一向に来ようとしないので加藤は、「それでは、数分だけ」と言って帽子をとって靴を脱いで上がってきた。「その前に手を洗わせてもらえますか」と言って、手を洗ってから遠慮深く椅子に座った。「何年振りでしょうかね。信吾君なかなかよい息子さんですね」と菊は先ず無難な話題から始めた。「ええ、四歳になります。おかげさまで、良い子です。もう一人の子はあのスペイン風邪で亡くしました」と、加藤は菊の顔を見ないで言った。「まあ、そうですか、辛かったですね。あのインフルエンザは年齢も関係なく男も女も金持ちも貧乏な人も、大勢の人に悲しみと苦しみを与えましたね。私も主人を亡くしました」「小川さんからそう聞きました。ご愁傷様でした」と、加藤がお辞儀をした。「大したもんじゃないですが、これどうぞ食べてください。じゃ、ご主人も犠牲者になられたのですか」菊が食事を勧めながら聞くと、「あの~丁度、時期的にその頃だったもんで皆にはそうだと言ってあるけど、平岡さんなら信用出来ると思うので・・・聞いてくれますか」 加藤は、言い辛そうにちょっとためらっていた。「なんでしょう?私でよかったら、聞かせてください。あのね、ついでですがキクって呼んで下さい」と、菊が答えると加藤はほっとして続けた。「じゃ、私の事もヨネって呼んでください」と、加藤はレモネードをちょっと飲んで続けた。「実は、主人はあの伝染病が始まるちょっと前に、酒の飲みすぎで死んだんです。秘密にしておきたかったんですがね、秘密って、なんか、こう、私一人の心の中にしまっておくと爆発しちゃいそうで怖くなって、誰かに打ちあけたかった」「そうでしたか、大丈夫、他言はしませんから」「すみません。あ~少し楽になった」と加藤は、ため息をついた。「夫を亡くすって、どんなに辛いかわかりますよ」「平岡さんの、あ、キクさんのご主人は良い人だったし、こんな大きなヴィンヤードを残されて、もっと辛かったでしょうね。それから・・・私が面接に来た日、キクさんを見て一瞬どうしようかと思ったんですが、生きる為に、信吾の為にも背に腹は代えられず・・・挨拶するのが遅れてすみません。あまりにも恥ずかしかったもんで」と、加藤は本当に申し訳ないと言うように頭を下げた。「いえ、いいんですよ。私もね、加藤さんだなって気付いたんだけど、きっと何かの理由で知られたくないのだと思って、そちらから見えるまで待っていたんです。信吾君のおかげで、やっと再会できましたね。さ、仕事に戻る前にどうぞ」と、菊はもう一度昼食を勧めたが、加藤はレモネードだけで充分だと遠慮したので、菊は夕食分になるだけを箱に入れて帰りがけに持たせた。 この事があってから、菊はアンディーと信吾を遊ばせたいからと言う理由をつけて時々、加藤親子を昼食に招いた。その内に、加藤も打ち解けて過去を話すようになった。
2007.12.17
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十章 富雄が予知した通り菊は女の子を出産し、生前に富雄が選んであったチェリー・ちえこと名付けた。1918年の桜の花の季節で、アンディーが四歳、ブライアンが二歳であった。朋子が二人を預かってくれていたし、ミセス小川と青木チームは、もうベテランであったから、出産も手際よく終わらせた。「トミーさんにそっくりだね~」と、ミセス小川が言うと、「いや~、キクさんにそっくりだよ」とミセス青木が言った。「じゃ、両方に似てるってわけじゃん!あはははは!」 チェリーはピンクの肌に大きな目で赤ん坊にしては可なり長い指をしていた。三人目ともなると、菊も赤ん坊の扱いに慣れたもので落ち着いた母親ぶりを見せていた。又、アンディーやブライアンの時のように、二時間毎に起きては乳を飲みたがって菊を寝かせてくれなかったのと違って、チェリーは最初から良く寝てくれたし、朋子が良くアンディーとブライアンの世話をしてくれていたので菊も夜はたっぷり休む事が出来た。 そんなある晩、上の子達が寝静まった後、菊がロッキング・チェアーに座って無心に乳を吸う赤子を見ていたのだが、急に乳房から口を離したチェリーが「くぅ~」と言ってニッコリ笑った。「あれ、もういいの?」と、チェリーの頬をつつくと、チェリーの目が何かを追い掛けているようだった。「チェリーちゃん?何を見てるんでしゅか?ママも眠いから、もういらないならしまっちゃうわよ」 菊がブラウスのボタンをしめようとすると、又チェリーが「くぅ~」と言ってニッコリしたが、目は菊でなく空間を見詰めていた。その途端に菊は、富雄を感じた。「富雄さん!」 菊が口に手を当てて叫んだ。突然チェリーの頬に落ちた大粒の涙にチェリーが一瞬びくっと痙攣した。今まで気丈に頑張って来た緊張感が一度にほぐれ、菊の涙は堰を切ったように溢れ出て、その内に「クックック」と嗚咽と共に、しゃくりあげていた。富雄の死後、経営者の妻として葬式を済ませ、ヴィンヤードを潰すまい、アンディーやブライアンに寂しい思いをさせまいと、がむしゃらに働き、出産をし、今の今まで富雄の死を心から悲しんでなかった事に気付いたのかもしれなかった。菊はチェリーを抱きしめて、もうこれ以上涙が出なくなるまで「わあ、わあ」と泣き続けた。『キク、良く頑張ったね。チェリーは僕の思った通りだった。山野や朋子さんは君達にとって救い主だね、大事にしてあげてくれ』と言う富雄の声を菊は聞いたような気がした。「富雄さん、どこにいるの?」菊はチェリーに見えるのだから、自分にも見えるだろうと周りを見回したが見えなかった。『僕は菊の中だって言っただろう?』と言う声を聞いて、菊が又、しっかりと目を閉じると、富雄が菊の肩越しにチェリーを覗いてにこにこしているのを感じたのだった。 しっかり泣いた翌日、菊は本能的にまた新しい人生が始まったと思った。* あの日から、菊は色々考えていた。ある晩、山野夫妻を夕食に招いた時に菊が口を開いた。「私考えてる事があるのですが、聞いてくれます?」「どうしたの?そんなに真剣な顔をして」と朋子が先ず聞いた。 山野も、ワイングラスに付けた口を一瞬離して真剣な顔をした。「いえ、悪い事じゃないのですけど」と、先ず言って続けた。「朋子さん、日本では小学校の先生をやっていたでしょう?あなたのお蔭で、アンディーも日本語が読めるようになってるのを見て、昔の寺子屋式に、小さな日本語学校を開いて見たらどうかと思って。小川さんやら、青木さんの子供達も生徒になれるし、他の日本人にも当たってみたらどうだろうと思って」「あ~、びっくりした。俺はとっさに、キクさんがヴィンヤードを止めるって言い出すのかと思ったよ」と、山野が笑顔に戻って、ワインをがぶりと飲んだ。「まさか!」と、菊もワインを一口飲んだ。「そりゃ~、グッド・アイディアだなあ」と、山野が言うと、「でも、場所が」と朋子が心配した。「ほら、林さんが日本に帰ってから、あのアパートが空でしょう?だから、当座はあそこにしたらどうだろう?もっと、生徒が増えるようになったら又考えればいいんじゃない?」と菊が言った。「さすがキクさんだ!そこまで考えていたんだね。ありがとう」と、山野が嬉しそうに言った。「お礼を言うのは、私の方ですよ。貴方たちなしでは、ヴィンヤードも出産も無理だったもの。本当に感謝のし続けです」と、菊は頭を下げた。 山野も、ゆくゆくは独立する事を考えていたので、これは降って湧いたようなアイディアであった。そして、真剣にいつかは日本語学校を経営するのも悪くはないと思い始めた。 菊は早速、外回りをする度に子持ちの日本人に声をかけ始めた。移民のほぼ全員が日本では学校など行きたくても行けなかった人達だったので、この案には飛びついて来た。そう言う訳で生徒は最初から十二人もいた。当時の日当は男性一人当たり1ドル25セント、女性80セント前後であったから、月謝は一人80セントと定めた。月に10ドル弱の収入であったが、これはパートとしては大金であった。数ヶ月貯金をすれば、電気ミシンや電気掃除機まで買える金額であった。朋子には一年分貯金をして、菊のように洗濯機を買う夢が出来た。 日本語学校の噂は、あっという間に日本人の移民の間に広まって数ヵ月後には生徒が二十人にもなってしまったので、山野はヴィンヤードの外に家を一軒借りて、そこを正式に日本語学校とした。★砂漠は風が吹くと肌を切るような寒さでしたが、空気がきれいで、星空がいつもぎろぎろしています。さっき、帰宅しました。
2007.12.17
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九章・その2 富雄はハウス・ボーイ時代にクリスチャンになっていた関係で、普段教会などに行かなかったが、葬式はキリスト教会で行われた。当日、日本人はもとより、仕事関係で大勢の白人も列席し、それぞれに富雄の人柄を褒め称え、惜しい人を亡くしたと言う弔辞を述べた。 中には、「ビジネスの事で困ったらいつでも相談に来なさい」と、菊に名詞を渡す人もいた。女性達は「出産を控えて、何と言うことでしょう。これから大変でしょうが、どうぞ頑張ってください」と言うような意味の慰めの言葉をかけてくれたが、菊は上の空で聞いていた。 しかしこの日、菊にとって忘れられない出来事があった。それはカルロスの運転するトラックで、従業員全員に混じってラモナを抱いたマリアが参加したことであった。まだ、菊がアメリカに来て最初の日に会った時のような陽気さには戻っていなかったが、狂った様子はもうなかった。彼女もやっと、この苦しみは彼女一人のものではないと気付いたからであろうと菊は察した。 このインフルエンザでは、両親を一度に亡くした為に孤児も一時に増えたのである。マリアは、菊を見ながら、『こんなに小さな女性が、遠い国からやって来て、もうじき生まれる子供と三人これから一人で育てなければならないと言うのに、気丈に頭をもたげて頑張っているのだ、夫のいる私に出来ないことはない』と思っていた。 葬式は簡単で、ごく短いものであった。何故なら順番を待っている家族が後を絶たなかったからである。噂によれば、死人が出ても棺桶を作る人さえ病気にかかって死んで行くので葬儀屋も死体の山に途方にくれ、一つの棺桶に二人とか、ひどい場合は、家族が自分達で穴を掘って、死体をそのまま土に埋めなければならならなかったと言う。葬式をしようにも、神父も足りないと言うのである。 菊は富雄の葬式が滞りなく終わったことに感謝をした。* ヴィンヤードでは、皆寂しさと同時に経営者のいなくなった未来を心配している様子も隠しきれなかった。菊がどう出るか、誰にも分からなかったし、山野は富雄の片腕だったとは言っても法的な持ち主ではなく、例えその後を引き継ぐ貯えがあったとしても、1913年に出来た外国人土地法のために購入する事が出来なかったのである。元々、アメリカのそういう所を苦々しく思っていた山野は、ますますアナキスト的考えに陥って行った。 実際問題として、菊はこれから出産をするわけであるし、当座はしのげるが事業だけでなく子供の将来をも考えねばならず、富雄の死を悲しんで泣いている場合ではなかった。 日本にいる菊の両親からは、「キクはまだ若いのだから、一郎と二郎は日本で自分達が育てるからすぐよこしなさい。そしてキクは生まれる子供と一緒に再婚しなさい」と言う手紙が来ていた。 アメリカのビジネス仲間からも、「三人の子持ちで、女手でやっていくのは無理であるから、我々に売らないか」と言う話しも再三入ってきた。 菊にとっては以外なことに、一番理解があると思っていた日本人社会が一番強く攻撃してきた。「ヴィンヤードの仕事は女のやるものじゃないよ。再婚して家庭の主婦となって子育てをするほうが子供にも、あんたにも一番幸せだと思うよ」「悪い事は言わない、女手一人じゃ、出来ませんよキクさん」「今までは、平岡さんと一緒だったから菊さんも色々出来たんでしょうが、一人じゃ無理じゃないでしょうか」と言う類のものであった。 日に日に富雄に似てくるアンディーを見ながら、菊は、日夜考え通した。『上の二人を日本へ送れだと?富雄さんの形見をどうして送られるものか!再婚しろだと? 富雄さんの代わりになれる人なんかいるもんか!』 菊にとっては、たった五年の結婚だったが、人生で一番充実且つ女として成長した期間だと思っていた。富雄は菊にとって夫だけではなく、自転車や車の運転も教えてくれた友達でもあり、英語やアメリカの文化を教えてくれた先生でもある。また菊が白人に対しても怖気づくことの無い自信も植え付けてくれた精神的なメンターでもあった。富雄に代わる人などいるものか、と思っていた。『ここで、私達の愛が始まって花を咲かせたんだ。どうして手放せようか。時と共に変わるだろうが、焦ってはいけない。今はここにいるのだ。』 * 富雄の葬儀を終えて数週間後に、ミセス林が菊に話しがあると言って家までやって来た。「ま、どうぞ入って下さい。今お茶をいれますから」と菊はリビング・ルームに招き入れた。「あ、すみません。あのねキクさん、私色々考えたんですよ」と、ミセス林が、日本茶を飲みながらしみじみと話した。「お互いにつらい思いをしましたね」夫を亡くした同士であるから、菊はミセス林の辛さが身に沁みて分かった。「トミーさんやキクさんには、お世話になりましたが、私、他の人のように子供もいないことだし、主人のいなくなったアメリカに一人で残りたくないので、日本に帰ることに決めました」と言った。「そうですか。よくよくお考えになった事でしょう」と、菊は頷いた。 林は十年もアメリカにいるが英語は殆ど話せなかったし、菊や青木や小川達のように家族があるわけではないから、その気持ちは良く理解できた。「まだ、両親も健在ですしね。この十年に貯えたお金で日本だったら、小さな家の一軒も買えて結構楽に暮らせると思うから、小さな店でも開きますよ。やっぱり古里が恋しいしねえ」「お里は茨城でしたっけ?」「ええ、そうです。貧乏で苦労し続けた両親を温泉にでも連れてってやろうと思ってます」「うんうん。これからはうんと親孝行が出来ますね」 ミセス林の帰国が近付いた時、菊は従業員を全員家に招いて送別会をし、出発の日も大きなお腹をかかえて山野の運転で港まで送って行き手続きも全部すませてやった。「キクさんは英語が達者でいいですねえ。山野さん、キクさん本当に何から何までお世話になりました。感謝します。もう会うことも無いでしょうが、キクさん安産を祈ってますよ」と言って、ミセス林は船の上の人となった。* 幸い山野夫妻が残ってくれる事もあって、従業員もミセス林以外はやめなかったし、得意先も今まで通りにビジネスを続けてくれる様子であったから、菊は富雄の夢に向かって生きようと決意した。そして、富雄がまるで、こうなる事を予知していたように真剣に一人前の、独立心の強い女に育て上げてくれた事に菊は今更ながら心から感謝をした。 葡萄は人間共の悲劇を無視してどんどん育った。菊は今まで以上に働かなければならず、めそめそしている閑などなかった。山野は外回りが嫌いであったから、菊が富雄の後をそっくりそのまま継いだため、菊は益々英語が上達して行った。山野はいつかは別の仕事に移ろうと思っていたが、今ここで辞めても他に行くあてもなかったから世の情勢が変わるのを待機することにした。 マリアも、段々元の陽気さを取り戻し、アンディーとブライアンをまるでホゼとフリオの身代わりのように可愛がるようになった。そして、次の年に生まれた男の子には、富雄のニックネームをとってトミーと名づけた。★内緒で教えてあげます。7月3日のブログに、菊のモデルとなる人の孫(私の友達)が写ってます。ご主人は歯科医です。★明日は砂漠の家に一泊してきますので、ちょいと長めの章をいれました。
2007.12.15
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九章・その1 菊は放心状態で、事実と幻想の間を行ったり来たりしていた。最後ま で握っていた富雄の手がハラリと落ちても、また寝たのだろうくらいの 感覚で涙も出なかった。 「キク、良い人ってどうして早く逝ってしまうんだろう?」と言う富雄 の声が菊に聞こえてきた。 「さあ、何故でしょうね。何故か教えて下さい」と、菊は富雄の頭を撫 ぜながらつぶやいた。 「えっ!」と、山野が真っ赤な目で聞き返して、朋子も泣きはらした顔 で心配げに菊を見た。 一瞬、ハッと眠りからさめたように菊が二人を振り返った。 「ああ、あのね、主人がサン・フランシスコでハウス・ボーイをしていた 先の奥さんと一番したのお子さんが、あの大地震で亡くなった話しをし てくれた時にそう言ったのを思い出して・・・・・・ね、そうですよ ね、富雄さん」 涙も出さずに、まるで生きてる富雄に話しかけるような菊のそぶりに、 山野夫婦は顔を見合わせた。 「キクさん、看病疲れでしょうから、暫く休んでいたらどうかしら?」 と、朋子が、いたたまれなくなって菊の肩にそっと手を置いた時にアン ディーが聞いた。 「ママ、パパどうしたの?」 「あのね、パパは永遠におねんねすることになったの」と、うっすらと 微笑んだ。 「永遠ってなに?」 「いつまでも、いつまでも、なが~いってこと」 「明日くらいまで?」 「ううん、もっと」 「じゃ、僕の誕生日まで?」 「もっと、もっと」 「じゃ、クリスマスまで?」 「もっと、なが~いの。パパにグッナイを言いなさい」 山野も朋子も、菊は富雄の死に気付いてるらしいのが分かってほっと した。 アンディーが富雄の耳元で何かささやいていた。そして、ブライアン は「ナイ、ナイ。パパ ナイナイ」と、言って富雄のほっぺたにキスを した。 「一夫さん、私つらくて、もうこれ以上見ていられない。子供達を家に 連れて行きますからね」 朋子は山野にささやいて立ち上がった。 「さ、アンディー、ブライアン叔母ちゃんの家でご飯食べようね」と朋 子が二人の手をとった。菊はまだ富雄の冷たくなった手を握っていた。 「キクさん、俺、もう暫くいてあげようか」と山野が聞いた。 「あ!いえ、どうぞ暫く二人だけにして置いてください。子供達、ご面 倒おかけしますが、よろしく」と、軽くお辞儀をした。 二人切りになると、柱時計の音が、コチコチコチと急に大きく聞こえ て来た。 「ずるいわよ、富雄さん。こんなに早く私を置いてきぼりにして。私ま だ二十三歳よ、まだまだあなたの助けが必要なんだから・・・・・・ね ぇ。何とか言って」 菊は、富雄の胸倉を揺さぶって、返るはずのない答えを待っていた。 まだ、死の意味が分からない子供達の明るい声が外から聞こえてきた。 『私は、今どこ?何してるの?何か、空っぽだなあ。前にどこかで、同 じような経験したなあ。どこでだっけ?え~と、え~と』 菊は一生懸命に記憶を辿っていた。 コチコチコチ・・・・・・菊に時の感覚は全くなかった。 『どこだっけ、富雄さん?あ~思い出した、五年前に乗った船の上だ。 あの船の名前はなんだっけ?・・・・・・ニュー・ホープ、そうだっけ ね。ニューは新しい、ホープは希望、あ、「新しい希望」かぁ。今、そ の意味がわかった。私の日本での人生が終わって生まれ変わったっけ。 で、今富雄さんとの人生がここで終わってしまって、ホープレス(希望 無し)になっちゃったじゃないの。又生まれ変わるわけ?ここから何処行ったら良いの?』 菊は天井の方から空っぽの自分をみている不思議な感覚に陥っていた。 ベットの横に椅子をピッタリと寄せ、黒っぽいロング・スカートにピン クのセーターを羽織って、富雄の手を胸元に当てている自分を見てい た。 感情もなく、只ぼぅ~っと眺めていた。 コチコチコチ・・・・・・ 突然、菊は黄金色の光が富雄の体を駆け抜け、胸に当てていた富雄の 手を通り抜けて菊の体内に入り込んだのを見たと思った。同時に富雄の 声を聞いた。 「見ただろう?今僕はキクの中に僕のエネルギーを注ぎ込んだんだよ。 僕はいつもキクの中にいるからね、僕に逢いたくなったらいつでも目を 閉じて自分の心の中を見なさい。一人じゃないからね」 菊は、きょろきょろと声がする方を探した。 「違うよ、外側じゃないよ。キクの心の中って言っただろう?」 「私には、富雄さんの空っぽの体の横にある、空っぽの私の体から黄金 の光が輝いているのだけしか見えません。どうやったら、富雄さんが見 えるのですか」 「あのね、キクは自分の体に戻らなければ僕が見えないんだよ。僕はも う、あの体には戻れない。次の段階に行かなければならないんだ」 「じゃ、私も一緒に行く。連れてって!」 「まだ駄目だ」 「どうして?」 「やる事が沢山残ってるじゃないか。ほら、子供達に良い教育を与え て、和式の家を建てる僕の夢、覚えてないかい?キクの中には女の子が 宿っている。その子はキクを最後まで見守ってくれるだろう。早く自分 の体に戻りなさい」 そう言い終わると富雄は消え去り、その途端に菊は自分の体に戻って いた。 *
2007.12.14
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八章・その2 菊は夢を見ていた。 どうやら、富雄と二人で灼熱の砂漠を水を求めて歩き回っているようで、はるか彼方の池を目指して一生懸命に歩くのだが、この辺だと思うと池が消えてしまうのである。二時間くらいさまよっていた時、ついに湧き水のあるところを見つけた。富雄が跪いて飲もうとすると急に、ずるずると沈み始めた。「キク!動くな!近寄るな!クイックサンド(流砂)だ!助けようとすれば、僕と一緒に沈む。キクは子供達を育てる仕事が残っている!」と叫んだ。 菊は助けようにも、ロープも棒も持っていなかったので洋服を脱いで片端を富雄に投げた。「富雄さん、ほら、これにつかまって!」「妊娠してるのだよ、そんなことしたら赤ん坊と君の命も危ないじゃないか。もう、どうしようもないのだ。キク、過去五年間は僕の人生で最高だった!ありがとう」 そう叫ぶと、富雄はクイックサンドに飲み込まれて跡形もなくなっていた。 感情的になって、うめきながら目が覚めると隣りに寝ていた富雄が火のように熱かった。菊は飛び起きて、台所から氷嚢をもってきてあてがい、冷やしたタオルで体中を拭いた。富雄は瞬間目をあけた。「ごめんなさいね、でも物凄い熱!」と、菊が言うと。富雄はちょっと、頭痛がすると言ったが、又寝てしまった。 菊は徹夜で体を拭いてやっていたが、日が昇るころには、つい寝てしまい、アンディーが起こしに来るまで気づかなかった。アンディーの声で富雄も目を覚まし、何か言いたげだったが顔をしかめて、アンディーの頭を撫ぜながら、薄っすらと微笑んで頷いた。富雄は喉に激痛を感ずると言った。「パパは、病気だからね。そっとして置きましょう」と、台所に連れて行って子供達の朝食を用意し、山野の家に行った。「すみません。朋子さん、どうやら今度は主人の番みたいなので、悪いけど暫く子供達の面倒を見ていてくれる?」「あらら、もう大丈夫だと思ったのに。それはいけないわね。勿論よ!治るまで、家で預かったっていいわよ」「助かります。ありがとう」 富雄の高熱は解熱剤でも下がらず、激しい咳に悩まされ出した。医者に電話をしても、ツーツーと言うむなしい音ばかりである。富雄の状態は悪化し続け、どうやら肺炎を起こしたらしく呼吸困難になって来たので、菊は気がきではなかった。 やっと、三日目に朋子に頼んであった電話が通じたというので、藁にもすがる思いで受話器をとると、健康な医者は溢れる患者にかかり切りだが、看護婦も医者も次々に亡くなって行くので往診などはとんでもない、という事実を知らされただけであった。「お気の毒ですが、病院の廊下も玄関の出入り口も横たわった患者で身動きがとれない状態なんです。お祈りするくらいしか出来ませんね。ソーリー」と言って、切られてしまった。 必死の思いで山野にも病院探しに走り回ってもらったが、どこに行っても同じ状態だとの報告に、菊は富雄の手を握り締め祈るのみであった。「新聞の報道は大袈裟でないようです。本当に、もうどの病院も手当てのしようがないようで、看護婦も疲れきっていて医者も匙をなげだしているようでした」山野の声が、菊の頭の中で何度も何度も繰り返していた。 富雄は一向によくなる様子を見せず、八日目に家族全員と山野夫婦に見守られて、実にあっけなく三十六年の短い人生の幕をとじてしまった。(注:1918年のスペイン風邪は、全世界に猛威をふるい前代未聞の5千万人と言う死者を出した)★このところはモデルのKさんの話しと全く同じにしてあります。★私もピアノを教えるので、生徒と肩をならべてベンチにすわりますから毎年 予防注射を受けますが、今年はまだなので、今日行ってきます。この更新が 忘れていたのを思い出させてくれました。皆様も是非予防注射を受けてくださ いまた、このスペイン風邪ににたような、エヴィアン風邪が流行ると予想され てます。 英語で、Epidemicエピデミックというと、伝染病となりますが、 Pandemicパンでミック というと、地球上にはびこって、もう、手に負えない伝染病といういみです。 Panという字がつくのは、巨大といういみです。★昨夜はマイミクのFLと日本食レストランで夕食をしてきましたが、本名をわ すれてホテルに電話をかけるわけにも行かずに、かといって、彼女は携帯にも でないのでこまりましたが、幸いあちらから電話がきました。ブログはよいの ですが、本名を忘れやすいですね。あはははは!
2007.12.13
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八章・その1 朋子がインフルエンザにかかった。どうやら、収穫時に臨時に雇う季 節労働者からうつされたらしい。彼らは、寝袋と最小限の必需品をかか えて仕事から仕事へ移り歩く人々である。続いて朋子を看病していた山 野が倒れたので、菊は二人の子供をかかえていたが、山野夫妻を出来る だけ手伝った。 「トモおばちゃんと、カズおじちゃん達は病気だからね、家の中で留守 番してなさい。来ちゃだめよ」 ビッグ・ハウスでもマリアと二人の息子達が高熱とひどい咳を患って、 カルロスは一人で末娘のラモナの世話と、三人の看病でオロオロしてい た。その内にミスター林がかかり、佐野という馬を扱う独身男が倒れ た。小川夫妻も寝込み、青木の子供達も鼻をずるずるさせ、咳をコン コンしていて誰も彼もが看病で忙しく、ヴィンヤードの運営は事実上 停止したようなものだった。 収穫時であったから、パッキングなど早くしないと葡萄も腐ってしま う。富雄は半分以下に減った労働力で自分自身も狂ったように動き回っ たが追いつかなかった。今の所、アンディーが水鼻をたらしてる程度で 平岡家は大丈夫であったが、富雄は妊娠してる菊のことを一番心配して いた。 「危険な時期が去るまで、なるべく三人とも他の人とコンタクトを取ら ないように、家にいなくちゃだめだよ」と言ったが、菊は、 「妊娠してる時は、普通の人より免疫があるんだそうです」などと言っ て、山野夫妻の看病をやめなかった。 数週間過ぎた時、酒造会社の得意先のミスター・ヘイズが亡くなった と聞いて、富雄は信じられなかった。 「そんな、馬鹿な!まだ、四十代でぴんぴんしていたのに」 まるで、見えない悪魔にでもさらわれるように、次々と健康な人々が 姿を消して行った。ラジオや新聞では、このインフルエンザはもうカリ フォルニアだけでなく、世界中に広がって何百万人という死者が続出し ていると報道していた。 そして、ついに富雄のヴィンヤードにもその悪魔は現れ、先ずカル ロスの息子、フリオとホゼの命を奪った。マリアは自分の流感と闘いな がら息子達を亡くしたショックで、長いこと床から起き上がれず、やっ と治ったと思ったら、あの陽気な顔から笑いが消えてしまい、カルロス がラモナをそばに連れて行っても、自分の娘だと気づかないで、ぼう~ っと焦点のない目で遠くを見詰めていた。 「トミー、マリアがあんなで、わしはラモナの面倒見なきゃならない し、じゃまだと思うから、他に行きますよ」と、カルロスが日本の習慣 を真似てラモナを背中におんぶしながら悲しげに言った。 「カルロス、僕だって息子が二人いるんだよ。二人を亡くしたら、やっ ぱりマリアのように腑抜けになるだろうよ。カルロスがいなくなった ら、車直す人がいないじゃないか。僕はどうするんだい?やめちゃ駄目 だよ絶対に」そう言って富雄がカルロスを抱きしめた時、カルロスは号 泣した。 マリア抜きでのフリオとホゼの簡単な葬式が終わるか終わらないかの 内に、今度はヴィンヤードを始めて一番最初に雇ったミスター・林が亡 くなった。 「ミスター・ヘイズ、フリオ、ホゼ、ミスター・林、皆ついこの前まで ピンピンしていたのに、一週間のうちに・・・・・・何という事だろ う!」 ヴィンヤードではミスター林が最初の大人の犠牲者であったので、 富雄はこの流感のスケールの大きさに途方にくれた。この十年間に一度 も病気をした事が無い健康な人であったから、なおさらショックであっ た。 言うまでもなく、ミセス林は動転していた。 「あんた達、私らは中の悪い夫婦だと思っていたんでしょうけどね、あ りゃ表向きだけだったんだよ。二人になりゃ、結構好きあっていて話し もしたんだよ・・・・・・馬鹿だねえ、あたしは。もっと優しくしてや りゃ~よかった」と、 流れる涙を拭きもせずにミセス小川と青木に言った。 「分かってたさ」と、ミセス小川も涙ながらに頷いた。 富雄はこの上、山野に逝かれてしまったらどうしようと心配していた が、幸い朋子と山野はようやく全治した。佐野も咳を残して立ち上がれ るところまで来たのでヴィンヤードは危険な峠は越えたように見えた。 『比較的被害が少なくてよかった、これで大丈夫だろう』と、富雄は 大きくため息を付いた。 ある晩、外回りから帰宅した富雄はいつもそうするように、息子達の 部屋に寝顔を見届けに行き二人のほっぺたにキスをして出て来た。なる べく家族そろって夕食をしたが、仕事の都合で富雄が遅くなった夜は、 菊は子供達だけ先に食べさせた。 インフルエンザ事件で、お互いに気の休まる時がなかったので、夕食 後久々にリビング・ルームで、二人だけでゆっくりくつろぐことにし た。 「今度の流感はスペイン風邪と言うそうだ。もう国中で何百万人と言う 大勢の死者を出しているんだと。でね、病院も診療所も重病人で入りき らないほど満員らしいよ。医者も看護婦も二十四時間働き詰めでね、大 勢の患者は、やっとのことで遠い道をやって来ても受付で追い返される んだそうだ。最悪だね」 「だから、カルロスも、林さんもドクターに来てもらえなかったのです ね」と、菊は哀しげにいった。 「キク、僕達は運が良かったね。カルロス、マリアや林さん達になんと 慰めていいか分からないよ。可哀想なんてもんじゃないもんね。もし アンディーやブライアンが死んだら、僕どうなるだろう?特にキクに死 なれたら・・・・・・」 「あたしだって!」 暫く、会話が途絶えた。 「キク、ここに座ってみて」と、富雄が膝を指していったので、菊は横 すわりをした。 富雄はまず、ぎゅっと抱きしめ、耳を菊のお腹に当てた。 「今度は女の子だね、きっと」と富雄が言った。 「どうして分かるの?」 「勘だよ、勘。この子は、きっとキクのように美人になるぞ」 そう言うと今度は菊のスカートをめくって腹の肌にじかに耳をつけた。 その時、菊は富雄がちょっと熱っぽい感じがした。 「富雄さん、熱があるみたいよ。体温計もってくるから待ってて」 「そう?何だか首がちょっとこりこり、こってる感じだけどさあ、毎日 重い葡萄の箱をいくつも持ち上げたからだろう?」と、富雄が首を左右 に動かしていた。 「あ、微熱程度だ。大丈夫だとおもうけど、この恐ろしい流感の事だか ら、大事を取って早く寝たらどうかしら?」 今夜は、富雄はやけに楽しそうであった。ヴィンヤードでの流感は 一応峠を越したから安心してるのだろうと菊は思っていた。 「僕ね、晩婚だったけど本当にキクと一緒になったことに感謝してるん だよ。二人の息子も授かったし、もうじき三人目も生まれるし さ・・・・・・いつか、もっとでかい家を建ててやるからな。どうせな ら和風の家を建てよう!」 「うれしい!」 「子供達にも、最高の教育をしてやろうね」 「私達に出来なかった分ね」 「うん。でさ、あと、五、六年したら家族で里帰りをしようと思うん だ。今度は一等室でだぞ~」 「夢みたい」 菊は、何かに憑かれたように取り止めも無く話し続ける富雄が不思議 であったが、近頃、流感騒ぎでくつろぐ閑がなかったからだろうと思っ た。 「富雄さん、明日も早いのだから今夜はこの辺にして寝ましょうよ。寝 る前に充分マッサージしてあげる」と、富雄を寝室に促した。 お腹の突き出た体で、菊が頭からつま先までゆっくりとマッサージを してやると「う~ん、良い気持ちだ」と、富雄は幸せそうな声を出して いたが、そのうちにすぅすぅと寝息を立て始めたので、菊は毛布をそっ とかけ後片付けをしに台所に戻った。食器を洗いながら、先ほど富雄が 言ったことを思い出し、和風の家や里帰りを想像して幸せな気分に浸っ ていた。台所が綺麗になったのを見届け、電気を消して、富雄の横に滑 り込んだ。 ★今夜は、マイミクのFLさんが、フロリダからやってくるので、 再会をたのしみにしてます。 ★大きなプロジェクトの一つとして、グレッグがティーシャツのデザインも、サイド・ビジネスではじめ、一つだけ、もう、画廊にだしましたよ。来月からは、ほかのアーチストとチームになって、もっとためしてみるようです。
2007.12.12
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七章 ブライアンは健康優良児であった。アンディーが、ちょくちょく風邪 をひいたり、お腹を壊したりしてもブライアンはピンピンしていた。そ の上、めったな事では泣かない子でもあった。アンディーが本を読んだ り、絵を描いたり、工作をしたり静かにしてるほうを好むのに対して、 ブライアンはボール投げやら、三輪車にのったり、走ったり体を動かす 遊びのほうを好んだ。そしてお兄ちゃんを慕って、どこにでも付いて行 きたがり、両親の言う事よりアンディーの言う事をよく聞いた。 アンディーが四歳になると、日本語の絵本でも英語の絵本でもすらす らよめるようになっていたので、ブライアンはよくアンディーの横にち ょこんと座って絵本を読んでもらっていたが、菊がクッキーを焼くたび に二人は朋子の家にそれを持って行き、物語を読んでもらうのを楽しみ にしていた。アンディーは「桃太郎」の話しが特に好きで、会話を丸暗 記するまで何度もせがんだ。朋子が、腰に袋をぶら下げて、その中にク ッキーを入れ、アンディーが犬になり、ブライアンが猿になって、 「お腰につけた、きびだんご、一つ下さい」と言うと、朋子が一つ摘ん で渡す、そのゲームが楽しくて仕方がなかったからだった。 アンディーが朋子の桃太郎に、お行儀よく次の会話を待ってるのに対 して、ブライアンは椅子の後ろから桃太郎に飛びかかるほうが楽しいら しかった。そして、富雄が迎えにくるとブライアンは富雄にも飛び掛っ て行ったが、富雄にくすぐられてキャッキャと喜びの悲鳴をあげた。 「なんだ~、本当に猿みたいなやつだなあ」 「ま~、何とやんちゃなこと」と、朋子は笑い、 「お前は、力持ちになって、いつか皆を守ってくれるようになるんだよ な~。そうだろう?ブライアン?」と、富雄が軽々と抱き上げた。 * 大正七年(1918年)、菊と朋子は同時にみごもっていた。出産予定 日もたいして違わなかったのでミセス小川が、 「こりゃ~、あたしゃ~正式に産婆の看板を掲げた方がいいかなあ」 と、冗談を言った程であった。しかし、運悪く、朋子は三ヶ月目に流産 してしまった。 「慣れない畑仕事なんかさせた俺が悪かった」と山野が謝ったが、朋子 はそれほど悲しまなかった。 「皆さん畑仕事やっていて、何ともないのですから色んな理由があるん でしょうから、一夫さんの責任じゃありませんよ」と慰めた。 世の中は、Anti-Saloon Leagueアンチ・サルーン・リーグ(注:アル コール類を扱う事業に反対する団体)と、Woman’s Christian Temperance Unionウーマンス・クリスチャン・テンペランス・ユニオン (注:クリスチャンの女性団体)が合併して、「アルコール依存症は民 を苦しめる元である。酒は人民を貧乏のどん底におとしいれる悪の種で ある。アルコールを追放しよう」と言うスローガンを掲げたデモを全国 的に広め出していた。そのような運動にもかかわらず、ヴィンヤードは 栄えて行ったのだが、禁酒運動の噂のために、酒造会社が反対に今の内 に大量生産と保存をしようと急いだ可能性は充分にある。ともあれ、世 の中が騒々しい最中でも、富雄のヴィンヤードは今までにない忙しさと なった。 「この分では、あと十年でヴィンヤード業から引退できるかもしれな い」と富雄が言った時、菊には信じられなかった。何故なら、富雄は三 十六歳の若さだったからである。十年後だとしても、富雄は四十六歳で あり、引退という言葉に当てはまる年ではなかった。 この頃になると、菊の英語は可なり流暢になり、ヴィンヤード・ビジ ネスの事も知り尽くしていた。富雄は、まるで何かを予知するかのごと く、菊を一人前にしようと外回りに連れ出し、得意先の酒造会社の経営 者にも合わせていたので皆顔馴染みになっていた。菊は、自転車の時も そうであったように、日本人初の女性として自動車の運転免許までとっ たのである。その出来事は日本人社会でも、驚かれ、すぐ噂になった。 当時白人社会でも女性運転手は珍しかったから、日本女性なら、まして おやである。 「あの人は男勝りの事をやるような人には見えないから不思議なんだよ ね」と、人々は語り合った。 日本では正式な学問も受けてなかった菊に、アメリカの文化を教えよ うと、富雄は、暇さえあれば美術館や劇場に連れ出したりもしたので、 菊は恐るべき速さで独立心旺盛な女性になって行ったが、小川、青木、 小林達は、相変わらず何時までも日本語ばかりであった。 富雄は大人の寛大な目で、菊の成長を眺めていた。山野と二人で出張 する時でもヴィンヤードを任すことが出来るほどになってくれた菊に、 文句を言うどころか大満足であった。菊にとっても、子供たちの面倒を 見てくれる朋子がいたからそういう事が出来たので、いつも朋子には感 謝をしていた。 「ねえ、キク。不思議だとは思わないかい?」と、富雄がある夕食の テーブルで言った。 「何が?」 「ミセス林達は、キクよりずっと前からアメリカに来てるのに、英語も 進歩しないし、アメリカの文化に交わろうともしないだろ?」 「ううん、それはチャンスを与えられなかったからだと思う。つまり、 私は富雄さんが色々な所に連れ出してくれるし、英語を教えてくれるで しょう?あの人達だって、同じ立場だったら進歩してるのじゃないし ら。旦那さんたちも英語を話せないもん」と菊は微笑んだ。 「なるほどね、そう言う見方もあるか。でも、本人の努力は?好奇心 は?」と、富雄に問われても、菊は答えが見付からなかった。 「そうなると、持って生まれたものなのかしら。育っていく段階での刺 激とかも必要じゃない?」 「つまり、キクは彼らも回りの刺激があったら、やる気になるって思う んだね」 「ええ。でも移民たちの次の世代はどうなって行くのだろう?親があま り好奇心が無い場合は、子供達もそうなるかしら?」 「そこなんだよ。やはり後天性のせいばかりでもないだろ?」 「そう、確かに私でも同じ言葉や習慣を理解する人達に囲まれてるほう が安心だけど、先天的な好奇心は人一倍あるみたい」 「ただ、その安心感にどっぷりと浸かって一生を暮らすか、そこから飛 び出て大きく羽ばたくかで人生は変わると思うよ。だからといって、け して僕は母国の文化を捨てろというのではないよ」 「分かってます」 このような会話が出来るようになった菊を、富雄は喜んでいた。 『五年間で随分大人になったもんだ。母親になると、こうも変わるもの なのか。これなら、アメリカの社会で一人になっても大丈夫だろう』 と、菊の事を頼もしく思った。
2007.12.11
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六章・その2 臨月に入った菊は、重労働はさけていたが葡萄の出来具合くらいは見 て歩けるので、運動の為にもアンディーと一緒に畑に出ていた。つばの 広い麦藁帽子を被っていても汗が出る日であった。葡萄棚の下は日陰に なっていて、ござを敷いてアンディーを遊ばせたりしていたが、そうい うある日、ござの上から立ち上がった途端に眩暈がして倒れてしまっ た。とっさに蔓に掴まったので、どさんとは倒れなかったが、かたい、 青い葡萄がパラパラと落ちて来た。 「アンディー、誰が呼んで来てちょうだい」と言うと、アンディーがよ ちよちと駆け出して、ミセス青木を連れてきた。 「キクさん、大丈夫?」 「ちょっと、眩暈がしたけど大丈夫。陣痛がはじまっちゃったみたい」 と、菊は、歯を食いしばっていた。 「ちょっと、車で来てもらうから待っててね。アンディー、おばちゃん と一緒に行こう!」と、アンディーを抱えてビッグ・ハウスから山野と トラックで戻って来てくれ、無事に家に戻った。富雄は外回りに出てい た。 * 真夏の猛暑の中で生まれたブライアン・二郎は、アンディーより重く、 全体に大き目だったのにもかかわらず、菊にとっては、軽い出産であっ た。 「あれ~、ラッキ~!また男の子だよ~。父ちゃんとあたしらは、また 女だったのにぃ」とミセス青木が汗を前掛けで拭きながら言った。 扇風機がフル・スピードで回っているにもかかわらず、やけに暑い日で あった。 「これだけゃ~、男か女か生まれるまでは判んないもんね、ウン。父ち ゃんとあたしらは、毎晩がんばってるけどさ、まだ一人しか授かんない もん。もう、父ちゃん、種がなくなっちゃたのかなあ。あははは!」 ミセス小川がブライアンに産湯をつかわせながら、大声で笑ったので 赤子はびっくりして元気良くたらいのお湯を蹴飛ばし、ミセス小川の前 掛けをびしょぬれにした。 「ひゃ~、元気の良い子だねぇ~」と、また笑った。 ミセス小川は、マリアの三人目のラモナの出産も手伝ったし、ミセス 青木の二人目の娘、エミの出産も手伝ったからもう産婆顔負けのベテラ ンであった。 「ひぇ~、それにしても、今年の夏は暑いね~。まいっちまう」と、ミ セス小川が言った時、菊は新しく買ってもらったアイス・ボックスを思 い出した。 「あ、そうだアイス・ボックスに氷があるから、それを割って何か冷た いものでも自由に飲んでちょうだい」 「いいね~。アイス・ボックスがあると便利だね~」と言うミセス青木 の声が台所から聞こえて来た。 「買ってもらったばかりで、まだ慣れないもんで、あるのも忘れてたっ け」と菊が笑った。 ミセス青木が台所から氷を水に浮かべたコップを三つ持って来た。 「あ~、ひやっこくて美味しい~。今回は速かったね~、キクさん」 と、ミセス小川が氷水をおいしそうに飲みながら言った。 「おかげさまで、安産でした。ありがとうございます。畑で働いたり、 自転車に乗ったりしていたから、足腰がしっかりしていたんでしょう ね」 「トミーさん、また男の子だって喜ぶよ、ウン。青木さん、もう一杯く んない?」 「あ、あたしのを飲んでください」と、菊がまだ手をつけてないコップ を渡すと、 「悪いネェ~」と、ミセス小川は悪びれずにそれも飲んだ。 ミセス小川と青木が、朋子の家に知らせて帰って行ったので、入れ替 わりにアンディーと朋子が入ってきた。アンディーは、不思議そうな顔 で菊と赤ん坊を見ていた。 「キクさんおめでとう!でかしたわね。また男の子ね」と、朋子が言っ た。 「トモさん、アンディーのお守りをしてくれてありがとう。今回は安産 だったから、あっという間」 「で、名前は?」 「ブライアン」 「ほら、アンディー、お兄ちゃんになったんだよ。ブライアンのほっぺ に、チュして御覧なさい」と、朋子に促されて、アンディーはブライア ンを覗き込んだが、キスはしなかった。 「アンディー、ママのところにおいで」と菊に呼ばれたので、朋子と繋 いでいた手を離して、菊の横に走りよった。菊は右腕を出してアンディ ーを抱きしめてキスをした。 「お利口さんにしてた?偉かったねえ。パパが来るまで、またトモおば ちゃんの家で待っていてくれる?ママ、ちょっと草臥れちゃったから、 またお昼寝するから」と言うと、聞き分けよくコックリと頷いて、ま た、朋子と出て行った。 皆が出て行くと、疲れがどっと出て朦朧とする頭で、今日の出来事を考 えていた。『前に、暑い日にどこかで、引っくり返ったことあるなあ。 あ、そうだ船の中で見た夢だ。でも、生まれたのは男の子だし。あれは 只の夢だったんだ・・・・・・』と思っているうちに寝てしまった。 ★物語の回転は、このようにしないと、菊が100歳になるうちに私自身あきちゃうからです。つまり、ときどきその様子とか、考えとかにフォーカスしても、次の人生の大事なイベントに速くとばせてます。 ★一昨日も、昨日も、一日遠くまで出かけてました。今日は、家のそうじです。
2007.12.10
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六章・その1 あっという間に忙しい年が過ぎて、菊は二番目の子を身ごもっていた。 富雄は 今の家では狭いので、赤ん坊が生まれるまでに間に合うように 、寝室が三部屋ある家を、すぐ隣りに建て始めた。今度は手洗いも家の 中に設計し、井戸からポンプで吸い上げる水道も取り付けるように計画 をしたので、可なりモダンで使いやすい家になる。菊は建築の進み具合 が楽しく、毎日うきうきと待っていた。 富雄達の生活に刺激されて、山野もついに結婚することになったので、 富雄は今の家を山野と、東京からやってくる花嫁に譲る事を約束してい た。山野は父からの便りで、 「親友の娘がまだ独身で、なかなか良い娘だが貰い手がないから、お前 にどうかと思うのだが」と言うのを読んだ時、昔その子とよく遊んだ記 憶が蘇った。 「朋子って言って、たしか俺より四つくらい下だったと思うが、とにか く頭の切れる子でね、よく将棋をやったのだが、いつも負かされたのを 覚えてるよ」 ある日、山野が富雄に写真を見せながら言った。 「ほ~う、なかなかナイス・ルッキングじゃないか」 「何でも、色黒で背が高くて教養がありすぎるからって事で、日本じゃ 煙ったがられて嫁の貰い手がないらしいよ」 「じゃ、お前にぴったりじゃないか。いつも結婚するなら、おさんどん じゃなくて友達みたいな相手がほしいって言ってただろう?」 「ま~な」と、山野は煙草の煙を鼻から出しながら答えた。 「ただ家にいるのかい?」 「いいや、師範学校をでて小学校の教師をしてるそうだ」 「政治の話しでも、哲学でも、歴史でも何でも通ずる女なんてめったに いないよって言ったけど、彼女なら御の字じゃないのか」と、富雄が言 った。 「まあ、本人も三十に近づいて来て、もう結婚など諦めていたらしいか ら親父同士で乗り気になったらしい」 「じゃ、お前は乗り気ではないのか」 「そんな事ないよ。じゃなかったら、結婚なんかするもんか」 「そりゃそうだよな」 * 菊の出産二月前に新築中の家が完成し、引越しが済んで数週間した頃山 野の花嫁がやって来た。 朋子は、どちらかと言うと、すらりと背が高く日本人離れをした面持ち であった。富雄や菊が、何よりも気に入ったのは「売れ残りの教師」と 言う印象から程遠く、優しい物腰の女性であることだった。言葉遣いか ら身のこなしまで可なり洗練された朋子を見た従業員達は、東京から来 た年配の先生だという事で、最初の日は怖気づいて菊に見せたような親 しみ方は見せなかったが、それでも時と共に先生に対する尊敬の目で朋 子を見るようになった。 山野も、狭いアパートでなく一軒家で新婦を向かえて満足であった。 平岡家と隣同士だったこともあって、朋子はよくアンディーの子守りを 買って出たが、教師の腕を発揮して日本語を教えたりしてくれたので、 アンディーは絵本などを読むようになった。二家族で夕食をしたりもす ることも頻繁になって、生活にも張りが出てきた。 「ビッグ・ハウスの風呂もいいが、やっぱり自宅の風呂って良いもんだ なあ」と、山野が、ある日しみじみ言った。 「トモさんの手料理もいいもんだろう?」 「そりゃ~良いさ。自分達の好みに合わせられるもんなあ」 「キクも隣りに話し相手が出来て、心強くなったって言ってるよ」 「そうか、良かった」 「トモさんのお蔭で、アンディーもイロハが読めるようになったみたい だって、キクが喜んでるよ」 「お~!もう読んでるのか、はえ~な~」 富雄と山野は、よく仕事が終わるとワインを片手に朋子が日本から持っ てきた将棋を指しながら、世論などを語り合った。 山野も英語が堪能であったが、発音はいつまでも日本式であった為に、 時々アメリカ人に「もう一度いって下さい」と聞かれることがあって、 ちょくちょく自尊心を傷つけられていた。そういう事もあって、ヴィン ヤードの外交は全部富雄に任せていた。しかし、それが又二人の英語の 差をつけて行った。 男達が将棋をしている間に、菊は、朋子にパンの作り方やらメキシカン 料理などを教えたり、朋子から編み物を教わったりして、四人は段々家 族のようになって行った。 ★国際リサイクル・クラブのコミュにChachaさんからのチキンスープの書き込みがありますよ。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=25893880&comm_id=2811312 ★ついでに、空き瓶リサイクル・シンフォニーも、空き瓶のトピに入れました。
2007.12.09
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五章 夜中に菊の陣痛が始まったが、冷静人間の手本のような富雄が、急に パニック状態になり「誰か手伝いを呼んでくる」と言った。菊のほうが 落ち着いていて、「もう少し後で大丈夫」と言ったが、富雄は気が気で はなく、一晩中起きていた。まだ日が昇る前で外は寒かったが、「間隔 が短くなったから、それじゃお願いします」と菊が言い終わる前に、も う富雄はすっ飛んで行き、ミセス小川と青木をトラックに乗せて帰って きた。 二人は早速、台所で湯を沸かしたり、清潔なタオルを積み重ねたり、た らいを用意したり仕度にかかっていた。次々に沸かす湯で家の中の窓ガ ラスが曇ってきた頃、羊水が流れ出した。 「トミーさん!応接間の方に行って待ってて下さいよ。ほら、じゃまだ から」 先ほどからウロウロしていた富雄はミセス小川に叱られてソファーに腰 掛けて本を読み始めたものの、菊がうめく度に自分も歯を食いしばり拳 を握り、目は同じ文章を行ったり来たりして内容など全く頭に入らなか った。富雄は本をテーブルに放り投げて外に出てタバコを立て続けに吸 った。 夜空の星が、段々うすれて地平線が明るくなり始め、やっと半分くらい 日が昇った頃、富雄は家の中から猫の鳴き声のようなものが聞こえて来 たと思った。 「トミーさん!男の子ですよ!おめでとうございます!でももう少し待 っていて下さいね。綺麗に片付けてからまた知らせますから」と、ミセ ス青木が叫んで、又家の中に消えた。 「は~い、入って良いですよ」と、ミセス青木が再び顔を出した時は、 もう日は昇り切っていた。富雄は慌てて吸いかけのタバコを足で揉み消 し、家に駆け込んだ。 「トミーさん!靴!」とミセス青木から注意されて、床の上で脱いだ。 ピンク色の赤ん坊が、疲れきった菊の横に寝ていた。 「キク!よくやった!ありがとう」と、富雄が菊の頭をそっと撫ぜなが ら囁くと、菊はうっすらと笑顔を作って頷いた。 「小川さん、青木さん。何とお礼を言ったら良いだろう?君達がいなか ったらどうして良いか分からなかった。ありがとう、心から感謝しま す」と、富雄が深く頭を下げてお礼を言うと、富雄と菊を二人にして、 ミセス小川と青木はそっと台所の方に行った。 「不思議だなあ、キクの顔が急に大きく見えるよ」と、富雄は赤ん坊の ほっぺたを突付きながら言った。 「抱いてみる?」 「いや、後でいい。本当に良くがんばったね。疲れただろうから寝なさ い。僕は二人を送って来るから」と接吻をして出て行った。 これがアンドリュー・一郎の誕生であった。 * アンドリューは、通称アンディーとよばれ、全ての面で成長の早い子だ った。先ず歯が生えたのも早かったし、十ヶ月にして歩き出し、片言で 話しだした。マリアやカルロスがスペイン語で話しかけて、菊は日本 語、富雄が英語で話しかけるのだが、一歳半になると日本語だけでな く、英語やスペイン語も一応理解してるようだった。 富雄は良い父親で、時間が許す限りアンディーと遊んだり、一緒に風呂 にはいったりした。風呂場から富雄とアンディーが英語で童謡を歌う声 が聞こえてくる時など、菊は幸せの絶頂にいた。バイ・リンガルに育て ようと、菊は日本の子守唄を歌ったり、童話の本を読み富雄は英語の本 をよんだが、 面白いもので時と共にアンディーは二ヶ国語を自然に使 い分けるようになっていた。 ★今日は、ランキャスター美術館のショーが終わったので、250キロの道を作品をとりにいってきます。
2007.12.08
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四章・その3 とある岸壁に来ると、富雄はトラックを停めた。ずっと下の砂浜には 、ロング・ドレスに幅の広い帽子を被った若い女性や、日傘をもった婦 人たちが、優雅に散歩をしていた。子供達が波打ち際で、犬と戯れてい たり、ボール投げをしたり、誰かが絵を描いたりしているのどかな光景 であった。 「あの岩を見てごらん。あれはシール・ロックと言ってシールの休憩所 みたいなところだ」と、指差した方をみると、なにか芋のような動物が うごめきあっていた。 「シールって何ですか」 「えっと、アシカって言ってね、海の犬みたいなもんだ。犬みたいに吠 えるし、人間にもなついて曲芸なんかもするよ」 「わぁ~面白そう」 「あの大きな建物はクリフ・ハウスといって、有名人や富豪やお偉いさ んたちの集まる場所だ」と、富雄がお城のような建物を指していった。 「すご~い」 「最初はフランス人が経営していたんだがね、何年か前のクリスマスに 全焼したから又違う人が建て直したんだが又燃えちゃって、今度で三度 目だ・・・・・・さて、腹へったなあ、日本人町に飯くいに行こうか。 遅くならないうちに買い物もしなければならないし」 トラックは海岸沿いからまた街中に入り、ポスト通りとサッター通りの 辺にある小さな日本人町に向かった。「はやし食堂」という暖簾をかけ た店の前を通り過ぎた時、菊がクスクスと笑った。 「何がおかしいの?」 「林さんの旦那さんが、自分の経営してる食堂だって、この食堂の前で 写した写真を日本に送ったんですって」 「ああ、その話しか。じゃ、奥さんだって美人の妹の写真を送ったって のも聞いただろう?良い勝負さ。でもね、僕はあの二人は結構愛し合っ てると睨んでるよ。だからね、僕もキクの写真みたとき、こんな別嬪さ んとは怪しい、何とか小町とかの写真でも送ってきたんじゃないかって 思って、自分の目で確かめる為にも日本に行ったってわけさ」と、にた りと笑うと、 「からかわないで!」と、菊が膨れっ面のふりをした。 久々の寿司は、例えようもないほど美味しかったが、菊がまだ食べ足り ないと言ったので大笑いになった。 「おい、おい、大丈夫かい?」 「だって、二人分ですから」とお腹をさすりながら菊は答えた。 富雄が、ほしい日本食品をいくらでも買って良いと言ってくれたので、 菊は有頂天になってあれこれ買いだめをした。 次に赤ん坊用のクリブや箪笥、ロッキング・チェアーなどを買いトラッ クの後ろに積んで家路を急いだ。サン・フランシスコの旅は菊にとっ て、アメリカに来て最高に満足で忘れられない日となった。 * 「サン・フランシスコいかったでしょう? ふんでもって、あたしが言っ たケーブル・カーも見たぁ~?」と、ミセス小川が聞いた。 「見た見た。ファーン・ヒルって所、凄かった。見たこともないよう な、高~い、大きな建物とか、豪邸とかあったっけ。女の人が車を運転 してたんで、びっくりしちゃった。なんて勇気のある人だって、思っ た」と、菊は興奮して答えた。 「うんうん」 「ねえ、アシカって見たことある?岩の上に怠けものそうに、ごろごろ としていたっけ」 「見たことない」とミセス小川が頭を振って「あんた、見たことあ る?」と、ミセス青木に聞いた。 「ないよ~。どっちにしたってさ、父ちゃんとあたしは日本人町に直接 行って帰って来るくらいだからさあ。サン・フランシスコの町中見てな いよ」 ミセス青木の背中では、マリがあどけない顔で眠っていた。 「キクさん、あたしらは先ずお宅のように金もないしさ、自由になる車 もないじゃん?ウン、そいから英語だって出来ない。アメリカの礼儀っ つうのも知らないからね、みんな何かこう~冷たい目で見るしさあ。白 人さん達の中に行くの怖いわけ~。ウン、だからそう言う人達の行く店 なんかも入れないんだよね、分かるでしょう?日本人に囲まれてないと 安心しないわけ。ね、青木さん?」 「そそ。白人は、皆えばってて、あたし達を間抜けか汚い者でも見るよ うな態度だからね、よう好かん。まぁ、この子達が大きくなったらあっ ちこっち案内してくれるだろうから、それまで気長に待つよ」と、ミセ ス青木が言った。 菊は、『富雄の言ったのはこういう事なんだな。自分達に自信がないの を白人のせいにするんだな』と考えていた。 「キクさんは、ラッキーだよ。トミーさんはもう白人のように英語が出 来て白人の友達もいっぱいいるじゃん。あたしたちがそうなるのは何年 先の事かねぇ。もしかしたら一生ならないかも」 ミセス小川は、「なれないかも」ではなく「ならないかも」と言った。 その晩、菊はお腹の中で盛んに動いる胎児をさすりながら、初めて両親 に手紙を書いた。そして、時の経つ速さに驚いていた。
2007.12.07
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四章・その2 ミセス小川のケンジが歩き出し、ミセス青木の娘マリには前歯が二本は えた。林夫妻は、相変わらず口喧嘩が絶えずいつまでも子供が出来なか った。日本人に囲まれていたせいか、カルロスとマリアの息子達、フリ オとホゼは日本語と英語をスペイン語に混ぜて使っていた。よくケンジ と遊んでいたから、菊はケンジもきっとスペイン語をはなすようになる だろうと思っていた。 ある朝、菊は急に気分が悪くて起きられなかった。 「顔色悪いなあ、どうしたの?」と、富雄が心配げに覗き込んだ。 「ちょっと、近頃よく吐き気がして」 「え?近頃って、今朝が始めてではないの?医者に連れて行こうか」 と、菊の背中をさすりながら聞いた。 「まだ分からないのですけど、赤ちゃんが出来たのかもしれません」 青白い顔で言った菊の言葉に、富雄は有頂天になった。 「そうかぁ~!坊主が産まれるか!」 「え?まだ、男か女か分からないんですけど」 富雄が勝手に男の子だと決めてしまったことが、おかしかったが菊は声 を出さずに笑った。 「女でも男でも良い。僕はもうじき三十一になるからなあキク。あまり 年取らないうちに家族を作っておきたかった。今日は大事をとって、気 分が良くなるまで寝てなさい、オッケー?」 富雄に限らず、アメリカに住んでいるうちに皆、日本語に時々英語を混 ぜて話すようになるのだが、時と共に菊も段々にたような話し振りにな って行った。 「一時的ですから、良くなったら直ぐ行きますから」 「いや、今日は休んでいなさい・・・・・・そうだ! 悪阻が過ぎたら赤 ん坊用の家具とか、必需品を買いに、にサン・フランシスコに連れてっ てやる」 そう言うと、富雄は口笛を吹きながら家を出ていったが、「車の鍵を忘 れた」と言って戻ってきたかと思うと、また「財布を忘れた」と戻って きたので、菊はおかしくなってクスクスと笑っていた。ミセス小川や青 木達から、男は赤ん坊が出来たといってもたいして興奮もしないと聞い ていたからだった。 幸い悪阻は長く続かなかったので、富雄より数時間おくれて自転車でビ ッグハウスに行ったのだが、従業員達はもう知っていて、口々に「おめ でとう」と言った。 ******** 初めて行ったサン・フランシスコの町は、菊にとって全てが御伽噺のよ うな経験であった。今までの人生で見たことも無いようなものばかりで 溢れていて、『足が地につかないというのは、こういう事だろう』と思 っていた。いわゆる、「お登りさん」の心境である。 富雄は買い物の前に、菊をあちこち見せてやりたかった。街は高級車で あふれ、綺麗に着飾った人々が上等な店の並ぶ道を行き来していた。菊 が女性が車を運転しているのを見てたまげたり、豪華な馬車や電車が通 り過ぎるたびに、歓喜の声をあげるのを見て、富雄自身も嬉しくてしょ うがなかった。 「これが、ケーブル・カーと言うものだよ」 「わ~、ミセス小川の言ったとおり。あんな急な坂!すべって来たらど うなるんでしょう。怖そう!」と菊は首を縮めた。 「ここが、高層建築で有名なマーケット・ストリートとオファレル・ス トリートだよ」 「ストリートって?」 「何とか通りとかいう、通りのこと、つまりマーケット通り」 「こんなに高い建物見たことがありません。どうやって登るのでしょ う?」 「エレベーターといって、ボタン押すと、すーっと上下する箱があるん だ」と、富雄が説明しても菊にはピンと来なかった。 「上のほうは、怖いでしょうね」 「あはははは!良い景色だぞ」 次に富雄は、菊をディ・ヤング美術館の前まで連れて行った。入場は無 料であったが、時間の都合で中には入らなかった。菊にとって、一番シ ョックであったのは、大勢の人が出入りする正面玄関に堂々と立ってい た全裸の石像を見た時だった。広島の農家に育った娘である、無理も無 い。例え都会に育った人間にせよ、当時の日本から違う文化の国に来れ ば最初は驚く事ばかりだった筈である。 富雄はサン・フランシスコ湾が見渡せる素晴らしい眺めの場所に来た 時、トラックを降りた。 「エンゼル・アイランド、覚えているだろう?あそこだよ」 「初めてアメリカの地を踏んだ所ですから、忘れませんが、ここから見 ると随分小さな島ですね」 菊は、初めて着いた日のことを思い出していたが、富雄は島よりはるか 彼方を見つめるような目つきで無言になった。暫くすると、富雄が静か な口調で語り出した。 「今から七年前の朝の事だった。(注:1906年)この辺に大地震が あってね、何百人と言う死者と、何十万という被害者を出したんだ。僕 はその三年前にハウス・ボーイをやめてサン・フランシスコの郊外の ヴィンヤードで働いていた頃だ。ここから可なり離れた場所だったが、 建物が激しく揺れた。僕は鉄のベッドの下にもぐり込んで命に別状はな かったが、部屋は家具や壁の物が落ちてメチャメチャになった」 菊は、突然の話しに何と言って良いか分からず富雄の顔を黙って見上げ た。 「僕の住んでた辺でも、とっさの事に慌てて外に逃げ出して建物の下敷 きになって死んだ人り怪我した人もいたが、トンプソン家も瓦礫の山と なってしまったんだ。地震の後の発火で町中が火の海と化したんだ」 「で、トンプソンさん達は、ご無事でしたか」と、菊は富雄の背中に手 をまわして聞いた。 「家族も従業員も殆ど逃げ出したと思ったが、ミセス・トンプソンが一 番下の赤ん坊の部屋に行って抱え出てきた所に、真っ赤に焼けて落ちて きた天井の下敷きになって・・・・・・亡くなってしまったそう だ・・・・・・良い人だったのにな~」と言って、富雄は空を見上げ た。 涙がすぅ~っと頬を伝わったのを菊は見たが、見ぬ振りをして無言で富 雄の背中をさすった。 「ミスター・トンプソンは、心痛で可なり鬱になって、結局は家族全部 つれてサン・フランシスコを引き揚げ故郷のニューヨークに引っ越して いったそうだ」と言って、富雄は大きくため息をついた。 「その後、ミスター・トンプソンと連絡はついたのですか」 「何度か試みたが、今だになしのつぶてだ。きっと思い出に繋がる人と は全て手を切りたかったのだろう。余程つらかったんだろうと思うよ」 菊はこっくりと頷いた。 「残念だなぁ。キクに合わせたかったなぁ。いい人達だった よ・・・・・・良い人達って、何故早く逝ってしまうんだろう?」 富雄はそういって、タバコに火をつけて続けた。 「あのな、キク。人々を表向きだけで判断しちゃ駄目だよ」 「はい」 「それから、人の噂や社会の意見だけを信じちゃ駄目だよ。日本の移民 は皆、白人は人種偏見がひどいから信じるなとか、気をつけろって言っ てるけど、それだって自分次第だからね。そういう概念で対応すると相 手も構えるんだよ。犬だってそうだろ?こっちが恐れると、ぴ~んと来 るんだよ。無論人間にも犬にも狂ったのがいるが」 「富雄さんは人種偏見にあったこと無いのですか」 「さあ、あったんだろうけど、感じなかったね。つまり、それだって本 人の取り方しだいだと思うよ。例えばね、僕はミセス・トンプソンとか 子供達が、何度も発音を直してれるととっても嬉しかったんだけど、も う一人の日本人の学生はバカにしてるってとっちゃったんだよなあ。 で、結局やめちゃったもんね。それじゃ進歩しないじゃないか。人間が 成功するしないは、そういう所でも差がつくと思うよ」 「確かにそうですね」 「注意されたり、客に文句をいわれたら、ありがたいと思って直す事だ ね」 菊は、これは心しておこうと思った。 「さて、折角ここまで来たから、海岸沿いも見せようかな。又いつ来れ るかわからないもんね、じゃ、レッツ・ゴー!」と、富雄は明るく言っ て、菊のお尻をパンとたたいた。 富雄のトラックは、古くて埃だらけでサンフ・ランシスコの街中でも目 立ったが菊は一向に気にしなかった。こんな素晴らしい経験を与えても らっただけで胸が一杯であった。もう家族に今日の事を報告したくてウ ズウズし、特に兄の慶介には全部みせたかった。この頃になると、菊は もう殆どいつも洋服であった。慣れるとなかなか動きやすいし、お腹が 可なり大きくなっても目立たなくて便利だと思っていた。
2007.12.06
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四章・その1 収穫の秋が近付き、ヴィンヤードは忙しくなってきた。経営者の妻と して、あらゆる分野を知らなければならない菊だったが、もう大体の仕 事の内容が分かってきた。常時従業員が必要な理由は、富雄が葡萄だけ でなく野菜もつくらせて、ほぼ自給自作であったことや、畑を耕したり 葡萄を運ぶ馬の世話をする人も必要だったのである。移民のばあい、独 身男より家族もちの方が永く働いてくれると考えた富雄は、従業員の奥 さん達にも収入があるように上手く考えていた。恐らく、富雄自身この 果てしもない大陸で寂しくならないように小さい日本村を作りたかった のかもしれない。つまり、自由のある共同生活みたいなものであった。 菊は十代の頭の柔らかさで、西洋式の生活に慣れるのも驚くほど早く、 その上努力家だったから、みるみる英語も上達して来たので富雄は喜ん だ。 富雄の仕事は主に会計やら、銀行、配達、外回りに忙しく、ヴィンヤー ドは山野一夫と菊にまかされていた。山野は良きマネージャーであり、 働き者でもあり、富雄の留守を任されていたくらいの実力の持っていた から、菊も知らないことはどんどん教わった。 この季節に入ると、菊と富雄は朝ごはん後は一日別行動であったが、 夫婦の絆は時と共に強くなって行った。富雄が仕事で遅くなったりする 時など、菊は帰りが待ち遠しくて、通り過ぎる車の度に飛び上がって窓 から覗き、玄関が開くと、まるで何日も会わなかったように抱きついて 歓迎した。富雄も、どんなに遅くなっても美味しい夕食を作って起きて いてくれる菊が愛しくて仕方がなかった。菊自身も朝からの重労働でく たびれている筈なのだが、風呂に入れば背中を流したり、マッサージま でしてくれる事にとても感激した。 富雄は、遠い昔に自分の母も父に同じことをしていたのを思いだした が、若くして白人社会のレディース・ファーストを見ていたので、菊に 対しても同じようにマッサージをした。菊は最初は恐縮していたが、そ の内にだんだん富雄の親切を楽しむようになった。富雄も今までのよう に、仕事の得意先でゆっくりする事もなく、商談が終わり次第にすっ飛 んで家に帰るようになったので、 「トミーも変わったもんだ。ちょっと前までは、一緒に一杯飲んでいっ たものなのに。よっぽど素晴らしい奥さんなんだな。ごちそうさま」 と、関係者達に揶揄されたりもした。 「結婚が、こんなに楽しいものならば十年くらい早くしていればよかっ たね」と、富雄が言ったとき、 「でも、十年前だったら私はまだ、七歳ですけど!」と言って二人で笑 い転げた。 * 得意先のワイナリー(ワイン醸造会社)は日本語が通じないクライエン トばかりなので、富雄は時間の許す限り菊に英語を教え、菊も勉強を怠 らなかった。菊は何事にも興味を見せ、新しい事にチャレンジしたがる 性格であったが、ある日突然自転車に乗りたくなった。 「富雄さん、私自転車がほしいのですが」と聞いてみた。 「ほう、自転車ね」 「そうしたら、富雄さんが忙しい時は、一人で家からビッグ・ハウスま で往復できるし。ヴィンヤードもまんべんなく見て回れます」 「いいだろう。まず山野のを借りて練習してごらん」と、富雄が言っ た。 菊は早速練習を始め、何度も引っくり返っては膝を擦りむいたりして いたが、一週のうちに上手に乗れるようになったので、富雄が自転車を 買ってくれた。急に羽が生えたように自由になったような気分で菊は有 頂天になって、ヴィンヤードの中を走り回った。 菊の好奇心は、洋服や食べものにも広がって行き、一年もしないうちに パンとかタコス、肉までが好きになり、マリアから教わったキャセロー ルやら、手作りのパンなどが食卓に並ぶようになって、富雄を驚かせ た。船の中にいた時から、富雄は菊があまり苦労をしないでアメリカの 生活に溶け込めるだろうとは思っていたが、その順応の早さに内心舌を まいていた。 「富雄さん、私、白状することがあるんです」 「ん?何だろう」 「あのね、肉を食べるとマリアや白人みたいに腕とか足に毛が生えるか も知れないと思って内緒で時々調べていたんです。でも、他の日本人も 肉を食べてるのに大丈夫だから、やっと安心したの」 これを聞いた富雄は噴出したが、急に真顔になった。 「いや、まだ分からんぞ」と富雄は声を低くし「広島からの女性に限っ て生えるそうだ・・・・・・道理で、近頃せなかがフワフワしてると思 っていた。気をつけたほうがいいぞ」と、言ったので菊は鏡のある風呂 場に走って行った。 「富雄さんの、うそつき!」という、声が聞こえたので、富雄は口に手 を当てて笑いをこらえていたが、菊を見た途端に爆笑してしまった。 「いじわる!いじわる!」という菊から逃げるように富雄は家の中を駆 け回った。 「目も青くなってきたなあ~」 「あほ~、また~、からかう」 二人は、子供のように追いかけっこをしていたが、菊に掴まった途端に 富雄は菊を軽々と抱き上げてそのまま寝室に連れて行った。二人の抱擁 を月の明かりが影絵のように映し出していた。
2007.12.05
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「日本の菊・三章」その・2 パッキング・ルームと呼ばれる大きな部屋には、長いテーブルとベンチ がいくつか並んでいて、収穫の季節になるとここに何百もの箱が積まれ て、季節労働者たちが出荷用の葡萄を箱に詰めるのだと言う。ワイン酒 造会社に配達する葡萄は、別に綺麗に詰めることはないので別の倉庫が ある。先ほどから気づいていた甘い香りは、きっともう何年もの間に染 み込んだ葡萄の匂いであろうと菊は思った。 事務所と呼ばれる部屋は、外からも入れるようになっていて、半分は農 機具がおいてあり、裸電球のしたに書類の引き出しや富雄と一夫のデス クが二つあるだけであった。その隣りには、収穫した葡萄を収納したり 計ったりする部屋がある。 そして、その隣りの角に大きな台所と食堂があり、女性が四人で料理か ら片付けから当番でやっていた。マリアが当番の時はメキシコ料理をす るので、日本人の間でも、メキシコ料理はかなり人気があるということ だった。釜戸の火でこの部屋が一番暖かかったから、寒い季節は、皆こ こに集まった。 次に富雄が菊に見せたのは、外に面して台所の横にある日本式の風呂場 だった。特別上等でもなかったが、遠く母国を離れている人々にとって 一日の疲れをほぐすのに、この大きな風呂場は天国であった。台所が女 性の仕事なら、風呂場は男性が当番で水汲みから薪をくべるのから、洗 うのから全部やった。 ビッグ・ハウスには、その他にもロフトと言って傾斜の急な階段を上が った所に簡単な壁でしきった大きな部屋が二つあって男性用と女性用に 分かれてい、季節労働者たちが自分達の寝袋なり寝具を持って来て無料 で寝られる場所になっていた。ビッグ・ハウスからちょっと離れた所に は、夫婦、家族用の長屋があって、そこは少しだが家賃を払うことにな っていた。移民たちの目的は、できるだけ早くお金を貯めて自分達の夢 をかなえることであったし、富雄自身、謙虚な小さな家に住んでいたの で家賃を払うことに文句を言う人は一人もいなかった。 ミセス小川と青木は赤ん坊を背負ったまま台所仕事をしていたが、マリ アの子供達はまだ寝ているとのことだった。人々が家族のように和気あ いあいと暮らしているのが菊には感じられ、これはひとえに富雄の人柄 の賜物であろうと思った。 「で、キクさん。あ、キクさんって呼んでもいい?」と、少し小太りの ミセス小川が菜っ葉を切りながら静岡弁で聞いた。十ヶ月になるという ケンジは、ミセス小川の背中でまだぐっすりと寝ていた。 「もちろん。私がここでは、一番年下みたいですし」 「ありがと。そいでキクさんアメリカの第一印象は、どう?」 「何か、見るもの全部が大きく、広々と感じますね。と言っても、つい たばかりですけどエンゼル・アイランドから見たサン・フランシスコに は、大きな建物が沢山見えました。外人さんなんか巨人みたいだし。で も、ここには日本人が大勢いるのでホットしました」 「いつかトミーさんにサン・フランシスコに連れてってもらうといい よ。もうび~っくりするから。ケーブル・カーって、チンチン電車みた いなのが、急な坂を上り下りしてさぁ、おっかないよ~。でも、すごい 綺麗な町だよ、それは認める。ウン。そいでね、萩原さんとかいう人 が、ずっと前に作ったっていう大きな日本庭園がある。まぁ、ふんとう の日本庭園ってわけにはいかないけどさぁ、結構雰囲気でてるよ、ウ ン」 ミセス小川は、自分でウン、ウンと相槌うちながら静岡弁で続けた。 「そこいくとさぁ、白人だけでなくて、中国人、メキシコ人、黒人、日 本人、もういろ~んな人種をみるよ。ウン」 「トミーさんは仕事で、時々サン・フランシスコに行くから、わりに近 いうちにいけるかもしれませんよ」と、ミセス青木が大きな味噌汁の鍋 をかきまぜながら言った。 その時、ミセス小川の背中の赤ん坊が泣いた。 「あ、起きちゃった。ちょっとケンジに乳のまさなきゃ」と、紐を解い たので、菊が代わって野菜をきざんだ。ミセス小川は話し好きで、一つ の質問にもけして短く答えず、乳を含ませながらも話し続けた。あまり 教養もなく、シンプルだが世話好きで良い性格のようであった。 「小川さんは、ここ何年くらいですか」と菊がきいた。 「もうじき二年かな?あたしが、ここに来たときは青木さんと林さん夫 婦は、もういたから。最初っからいたんじゃないかな、そうでしょう林 さん?」 丁度その時に台所に入ってきたミセス林の方を向いてきいた。 「父ちゃんが一番さきだと思うよ。で、写真結婚であたしが一年後に来 たわけ。まったく、日本にいりゃ~よかったよ」と、ミセス林が皮肉っ ぽく答えた。 「ほ~ら、又始まった」とミセス小川が菊に囁くように言うと「今、何 か言った?」とミセス林が小川に向かってギョロリと睨んだ。 「な~んにも言わないよ」とミセス小川が肩をすぼめて、舌をだした。 ミセス林は痩せていて、口数の少ない夫より背が高かった。 「キクさん聞いてくださいよ。父ちゃんは嘘つきだったんだから。サ ン・フランシスコで食堂を経営してるって言ってね、林っていう名前の 食堂の前で写した写真を送ってきたからね、こっちゃあ本気にして結婚 を承諾したわけ。と~んでもない冗談だったのよ」ミセス林は、そう言 うとバケツをかかえて、また台所から出て行った。 「気にしないでね、キクさん。あの人はいつもあんな風だからね。ウ ン。旦那は十歳年上だけど、おとなしいもんで、もういつも奥さんにい じめられてるよ。アメリカじゃあ、奥さんがえばる事をヘンペックって 言うらしいよ。でもね、根は良い人なんだ。でもさ、良くいうよ。自分 だって器量よしの妹の写真を送ったんだってさ。お互いにばかしあっ て、いい勝負さ」と、ミセス小川がいったので、ミセス青木も相槌をう ちながら笑った。 菊は富雄は自分より十二も年上だという事は言わずに、 「マリアさんはどこ?」と、聞いた。 もう、朝日が昇って、あたりが明るくなっていた。 「ああ、林さんと二人で野菜畑でしょう。ビンヤードの一ヶ所を畑にし てあってね、ここで食べる野菜を全部つくってるさ。でね、残った野菜 は自由に売って皆で分け合って良いってトミーさんが言ったもんで、ト ミーさんが材木買って父ちゃん達が道路わきに掘っ立て小屋を建ててく れて、そこで当番きめて、野菜とか、葡萄とか、他の果物とか売ってん の」ミセス小川は、Vの発音が出来ないらしく、ヴィンヤードといわな いで、ビンヤードと言った。 「トミーさんは良い人ですよ。主人達は従業員ですけどね、あたしたち ゃおまけに住んでるようなもんでしょう?だから、野菜とか果物を売っ たお金を小遣いにしていいって言ってくれるんですよ。助かりますよ ~」と、ミセス青木が言った。 「キクさん、野菜の大きさに驚くよ。茄子もきゅうりもバケモンみたい に、こ~んなにでかいから。お!ケンジは満腹だな。もう寝ちゃった」 ミセス小川は両手でその大きさを見せてくれたが、このおしゃべりさん のおかげで、菊は一日目にして大体ヴィンヤードの様子がわかったよう な気がした。
2007.12.04
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「日本の菊・三章」その1★プロローグは8月17日から数日載せました 二章はデジブックサイトの「出版予告」の一番したから読んで下さい。三章「もう少しゆっくり寝ていていいよ」 菊は夢のなかでそう聞いたと思った。「出かけなければならない。昼頃には帰ってくる」 静かな声が耳元で囁いたが、菊は実家の夢を見ているようだった。『へんだなあ、父さんはけして私を起こしに来た事がないのに。母さんの声でもないし』と、うっすらと目を開けると不思議な男が笑っていた。はっと目が覚めてから、そこが自分の育った家ではなく、不思議な男は自分の夫であり、自分は今アメリカにいるのだと思い出すまでに一分くらいかかった。「あ!すみません。私も一緒に行きたいです」と、菊は飛び起きて、迅速に用意してあった仕事着に着替えた。「いいよ、そんなに慌てなくても。もう少し寝てたらいいのに」「いえ、でも」と言って、台所に顔を洗いに言った。 言葉もわからないこの土地で、一人ぼっちになるのはまだ不安であった。外はまだ暗く、四月といえども空気は冷たかったので菊はジャケットを羽織った。 富雄は、菊をもう少し寝かせておいてやりたい気持ちもある反面、やはり新妻と一緒に仕事場に向かう嬉しさは隠し切れなかった。富雄はこれでほしい物の全てが揃った気がして、とても満足であった。今まで頑張った甲斐があって、ビジネスも自分の家も手に入れ、信用できる友達、良い従業員達にも恵まれていた。そして何よりも期待以上に良い嫁、もう何もかも上手く行ってるようで、有頂天になって口笛を吹き始めた。菊の聞いた事のないメロディーであった。 菊は、バックミラーに写る霧のようにもうもうと見える土埃を見ていた。トラックのヘッド・ライトはでこぼこの道を照らしている。「あ!また兎だ!」「ちょっとまって。ほら、あれがスカンクだよ」 富雄はトラックのスピードをゆるめて、黒い背中に白い縞のある動物を指した。「スカンク?」「そう、イタチのなかまかな?あのふさふさした尻尾を持ち上げたら、要注意!もう死にそうに臭いオナラをするんだ。敵を近づけないためなんだよ」「そういえば、さっきから何か臭ってると思ってました」「そうだろう?オナラしなくても、結構臭いからね」と言って笑った。「さ~て、これが、皆がビッグ・ハウスとよんでいる建物だ。ビッグというのは大きい、ハウスは家で、つまり大きな家」 家から数分行ったところにある大きな建物の前で富雄はトラックを停めたので、『家から歩いてもたいした距離ではない』と菊は思った。埃だらけの車が何台か並んでいて、もう仕事にかかる前らしく男が見たこともない車にエンジンをかけていた。菊は、何人かの人がその建物の中で忙しそうにいったり来たりしているのを見た。「ブエノス ディアス セニョール!ウェルカム バック!」 背の低いこげ茶色の肌の男がその車から飛びおりて、富雄と握手をした。男は日本語でないのが不思議なほど菊の村の誰かに似ていた。「ブエノス ディアス カルロス。ミ エスポサ、キク」と富雄が菊のほうを振り向き「これは、カルロス。メキシコ人でね、とっても働き者なんだ。車や機械を直すのが上手い男でね、このトラックも修理したばかりだからエンジンを試しているんだろう。今ね、スペイン語でキクを紹介したんだよ」と言った。 菊は何と言って良いか分からなかったので、お辞儀をした。「ビエン・ベニード・シニョーラ」と、被っていた麦藁帽子を右手ではずして、胸の前で両手に持ち、菊を賛美するようにちょっと左に首をかしげて眺め、数秒おいて、富雄のほうを向き、「ケ・ボニータ ムヘール、シニョール トミー!」と言った。カルロスの手は体全体に比べて可なり大きい感じだった。言葉は通じなくとも、いかに実直な男であるか菊にも分かった。「カルロスが、ようこそって。キクのこと、美しいってさ。ついでだけど、僕はこの辺ではトミーで通ってんだ。そのほうが皆も呼びやすいらしい。ハウス・ボーイ時代にトンプソン夫婦がそう呼び出した時からトミーなんだよ」と言いながら、富雄は菊を建物のなかに促した。 たばこをくわえた山野が先ず目ざとく二人を見つけた。「おはよう!おい、皆。これがトミーさんの奥さんだ!」と、大声でいったので、何人かが、あちこちの部屋から出てきて興味深そうに菊を見た。菊は、皆の視線を一度に感じて少し恥ずかしかった。 その内女性が四人いて、三人はお辞儀をしたから、すぐ日本人だと分かった。富雄は山野にしゃべらせておいて、ただニコニコしていた。山野が一人一人紹介する度に菊は「よろしく」と、お辞儀をした。経営者の奥さんだということで、皆、最初はなんとなく菊に一目置いてるところがあった。山野がミセス小川を紹介した時、「オオ、忘れる所だった。昨日は夕食の仕度や風呂を沸かしておいてくれてありがとう。久し振りの風呂でさぁ、どんなに嬉しかったか。床も綺麗になってたからね、僕も久々に靴を脱いであがったよ。嫁さんが来たから、これからは日本式だ!」と、富雄がいったので、菊も続いて御礼を言った。ミセス小川は「いえ、何でもありませんよ」と、気にしないで下さいと言って手を振った。 最後に紹介されたのは、カルロスの妻のマリアであった。生まれつき人なつこくて陽気らしく、菊はマリアの口から英語かスペイン語が出てくるとばかり思っていたのだが、「オハイオ・ゴゼマス。はじめました。わたしは なまえ マリアです」と言ってピョコンとおじぎをしたので、菊は思わず口に手をあてて笑ってしまった。このとっさのマリアの行動が、皆の緊張感をほぐし室内は笑いで一杯になった。マリアも嬉しそうに笑って、抱きついて菊のほほにキスをしたのだが、女性だという事もあって菊も笑い続けていた。「マリアは、もう毎日、毎日練習してたんですよ」とミセス小川がいったので、菊は心が温まった。
2007.12.04
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すんまへん!★ブログ、書きたいことは次々に出てくるし、面白い写真もあるのですが、大きなプロジェクトがあるので、これからブログの更新が可なり不定期になります。パソコンの前には最低朝2時間、夜2時間いるので、書き込んでくださったら、ご返信はします。★こまったことに、どうしても自分のウェブ・サイトにアクセスできないので。「日本の菊」ブログにのせようか皆様の意見を聞かせてください今日はグレッグが、ブログの友達に見せてあげろ、というので、ドラゴン・フルーツの写真を撮りました。サボテンの実です。Terreさん、我が家のは白です。お匙で、すくって食べました。ほんのり甘かったです。
2007.12.02
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エスペランザさんから★このご感想文は、数ヶ月前にいただいたのですが、私が義両親を7年間介護した体験を小説風に書いた「愛の功績」というデジブックへのもので、タイミングをみて、いつかブログに載せようととってあったのです。たまたま昨日のブログに関連しているようなので、ここに載せさせていただく事にしました。サイトには、無料の「立ち読みコーナー」もあります。下のブログ(カッコ)の中は、私が付け足したものです。「愛の功績」を読んで "Man's main concern is not to gain pleasure or to avoid painbut rather to see a meaning in his life." Viktor Frankl 「愛の功績」は、老人介護の問題を通じて人としてどう生きるか、意義ある人生を生き続けるために他の人に対して何ができるかを示唆してくれます。 介護の経験のない私は想像するしかないのですが、(作者の)7年間は介護に加えて離婚もあり本当にたいへんだったと思います。簡潔な文章から見えてきたのは、本文にあるように「長男の嫁として夫の両親の面倒をみるのは当然のこと」というヒロコさん自身の考えもありますが、(アメリカにはない)そういう社会的慣習や文化や人種を超えて、辛い状況でも敬意と愛を忘れないヒロコさんの姿です。ヒロコさんのブログや他の著書でも同様ですが,ここではもっと強く切実に彼女の在り方、生き方が感じられます。ヒロコさんは人が生きるうえで大事なことは何かを本当に分かっていて、且つそれを実行している人だと思いました。 義父のビルさんと死後の世界や生まれ変わりについてお酒を飲みながら語る場面は人と人、魂と魂が触れ合うシーンで、人種や文化や年齢を超えて語り合う2人に特に感動しました。また、自分が漠然と感じていた死生観がわかりやすく表現されていてなんだか勇気づけられました。 エスペランザhttp://www.falcondigitalbook.com/↑私のデジブック・サイトです。どうぞよろしく★ミクシィの国際リサイクル・クラブに新しい書き込みがありましたよ。それから、トピックの古いのでも、書き込みコメントに写真なども張り付いていますので、時々覗いて見てください。ゆきんこさんの、着物をスーツにしたのなどは、もう、素晴らしいです。新しい書き込みは、はるさんの、ティッシュ・カバーです。http://mixi.jp/view_community.pl?id=2811312
2007.12.01
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