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アポロ11号の発射では、地球の重力の影響を受けない大気圏に到達するために使った燃料は全行程の95%に上っていたという。たかだか10分間くらいのことだ。アポロ11号は70万キロに及ぶ宇宙の旅をしたが、そのためのエネルギーはわずかに5%程度のものであったという。いかに最初の重力の影響から解き放されるかが、このミッションの最大の仕事であったかが分かる。プロ野球の選手でも、アマチュアでの実績は横において、二軍で寝食を忘れるくらい猛練習を重ねて、ワンランクもツーランクも成長していかないと、一軍の舞台に立つことはできないと言われる。森田理論学習と実践も同じではなかろうか。最初に取り組み始めるときが肝心だと思う。私たちのころは、今のように薬物療法や精神療法も少なかった。カウンセリングもポピラーなものではなかった。神経症を克服するのは森田しかないというような状態だった。自助グループの生活の発見会に入会して、毎月集談会に参加して、みんなで励まし合いながら必死だった。初心者の人で森田学習を目指す人はとりあえず1年間は真剣に取り組んでみてほしい。必ず成果が出ると思う。しかも神経症が克服できるだけではなく、これから先の生きる指針も手に入れることができる。ここがポイントであると考えている。私は今思い出してみるといいといわれることは何でも手を出した。まず集談会には毎回出席した。それ以外にも土曜読書会という体験交流にも1年間は毎週出席していた。そこでは実践課題の取り組み方が問題にされていたので、それに真剣に取り組んでいた。体験発表、忘年会、新年会などの企画なども行った。世話役も頼まれたことは引き受けた。図書係、幹事、代表幹事、支部委員などである。オンライン学習会のインストラクターは今でも続けている。他の集談会への派遣講師も頼まれればすべて引き受けてきた。集談会後の懇親会、野外学習会、一泊学習会、支部研修会もほとんど参加した。東京である全国総会も5回くらい参加した。心の健康セミナーも近くであるものはほぼ参加した。森田関係の図書もほとんど目を通した。DVDなどの視聴覚教材もほとんど視聴した。その他、まだまだここに書ききれないくらいの経験をさせてもらった。これらが森田理論をより深く学ぶきっかけとなった。そして普段では得られない貴重な仲間との出会いがあった。それも全国各地の人との交流へと広がってきた。森田なしでは私の人生は語ることができないのです。これも最初の学習への取り組み方で、その後の展開は大きく変わってくるのではないかと思っているのです。
2019.08.13
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サッカーのテレビ放映を見ていると、常に観客席のようなところからフィールド全体を映し出しています。選手と同じ目線で選手のドリブルなどの個人技をとらえているのではありません。鳥のように上からフィールド全体を見ていると、素人でも相手防御の手薄なところが比較的よく分かります。実際にプレーしている選手よりも、素人の方がどこにパスを出せば相手のディフェンスを突破できるのかすぐに分かります。今のサッカーはドリブルなどの個人技よりも、相手の防御の一瞬のスキをついたところに、素早く絶妙のパスを出すことができるかどうかにかかっているのです。そういう視点で見ていると、この先の状況判断が的確で、絶妙なパスを出す選手は素晴らしいということになるのです。変化の予想ができて、実際に対応できる選手です。サッカー観戦を面白くするためには。上からフィールド全体を見ることにあるのです。巨大迷路にしても中で出口を探しているうちは右往左往しています。ところが丘にあがって、上から見ると突破口はすぐに分かりますね。現在カーナビを取り付けている車は大変多いと思います。これだと、初めての土地でも比較的簡単に目的地に到達できます。これは宇宙衛星からの情報をキャッチして、自分の現在地と進むべき方向を把握して走行しているからこそ可能なのです。今ではバックでの車庫入れもカーナビが的確な指示を出してくれます。こうしてみると鳥のように空から全体像を見ることはとても重要なのがよく分かります。森の中に入って個々の木を細かく見ていくことは、外から森全体を見た後に観察すればよいのです。また森に迷いそうになれば、すぐにドローンなどで自分の現在地を鳥瞰すれば、パニックに陥るようなことはありません。森全体のアウトラインを上から見れる状態にあることが極めて大切なのです。私は森田理論学習も森田理論の全体像を学習しておくことが欠かせないと考えています。全体が分かれば、自分の努力方向がはっきりします。自分の抱えている問題点もよく分かります。自分の現在の立ち位置もよく分かります。私は森田理論の全体のスキームが分かるようになって、森田理論の学習をすることが楽しくなってきました。芋づる式に理解が深まるようになったからです。森田理論の全体像は4本の大きな柱から成り立っていると考えています。この考え方は10年以上も変化はありません。不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、事実本位の生活態度の養成です。森田理論の学習にあたっては、これらの相互の関係を理解することが欠かせません。相互関係を頭に入れたうえで、次に4本柱を深耕して学習していけばよいのです。これがしっかりと理解できれば、自分の現在地が分かります。欠けている部分も分かります。これから力を入れてゆけばよい方向も分かります。家でいえば家の骨組みができた状態です。筋交いも入れましたので柱が倒壊することはありません。ここまでくれば、あとは屋根を取り付けたり、壁をぬったりすることになります。そして家電や家具を入れ、キッチン、トイレ、バスなどが完備して来れば、人が住むことが可能になります。森田理論の全体像の学習のことは、もうすでに何回も投稿しています。関心のある方は検索してみてください。
2019.08.07
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町工場の岡野雅行さんは、仕事が減ってきたら、技術、営業、人脈、情報、発想をすぐに見直せ。何かが欠けているはずだといわれる。惰性で仕事をしていないか、技術革新をしているか、新たな人脈を築く努力をしているか。取引先を満足させているか・・・。考えて気づいたらすぐに行動に移すことが肝心だ。実際優れた技術者であるとともに、リーダーシップのある経営者でもあるのだ。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKベストセラーズ 17ページより引用)私もこの5つの視点から森田理論の学習を振り返ってみることにした。技術・・・岡野さんは、絶えず技術革新する気持ちが大切であるといわれる。私の場合は生涯学習として森田理論を研究している。毎日少しずつ学習を続けていきたい。生活や世の中の出来事、人間関係、子育て、環境問題などは森田理論の立場から考えるようにしたい。それから森田理論学習で目の前の霧が一挙に晴れたのは、「森田理論全体像」を見通すことができるようになったのが大きかったと思っている。これからも学習していればいろいろと気付きが増えてくるに違いない。営業・・・これは森田理論の魅力を多くの人に紹介していくことだと思う。こんな宝の山のような人の役に立つ考え方は、神経症でなくても、世界中の人に分かりやすく紹介していきたい。そのために、集談会に参加すること、またこのブログとホームページ「森田理論学習のすすめ方」を活用していく。できれば将来は英語版も作りたい。人脈・・・森田理論学習を通じて縁を得た人は大事にしたい。学習仲間はきらりと光るものを持っておられる人が多い。そういう人とお話でできることはうれしいことである。そういう人たちからどれほどの刺激をもらってきたことか。感謝にたえない。そのためにはこれからも集談会、支部研修会、心の健康セミナーに積極的に参加していく。情報・・・森田関係の動きは、生活の発見会、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団、森田療法学会、その他の森田関係のホーページやブログから得ている。新刊本、心の健康セミナー、you tube動画、DVDなどの情報はできるだけ集めて積極的に利用していきたい。またつかんだ情報は学習仲間にも流していきたい。発想・・・気づき、発見、アイデア、工夫、改善などは、精神が緊張状態にあって初めて生まれてくるものだと思っている。行動しないで「何か楽しいことはないかな」などと考えていると、精神は弛緩状態に陥ってくる。そのような状態では、新しい発想力は、ほとんど生まれないと思っている。豊かな発想力は、「努力即幸福」の源になるものである。そのためには「無所住心」の態度で、広くアンテナを広げて生活していきたい。
2019.08.06
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NPO法人生活の発見会のホームページのご案内です。この団体は神経症で悩む人たちの自助組織です。神経症で悩む人たちが月1回全国各地にある学習会に集まり、森田理論学習や交流会を行っています。全国に約110カ所。約2000名を超える会員がいます。また、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団、森田療法学会と連携をとりながら活動を続けています。会員になると月刊誌生活の発見誌が送られてきます。その他各種学習会への参加が可能となります。「新版 森田理論学習の要点」という森田のエッセンスを集めた冊子も発行しています。このホームページでは、生活の発見会の活動内容がよく分かります。この会の歴史。運営指針。毎月どこで学習会があるのか。入会するにはどうすればよいのか。全国の協力医や協力臨床心理士も分かります。森田療法の基本的な考え方や取り組み方。克服者の体験談。基準型学習会やオンライン学習会の案内もあります。森田関係の図書やDVD、関連情報も分かります。初心者の方は、発見会の利用方法の中に「初心者のみなさんへー森田理論の学び方ー」という冊子(13ページ)がありますのでプリントアウトしてご覧ください。
2019.08.03
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公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団のホームページを紹介しておきたい。森田理論学習をするうえでとても参考になるからである。尚財団は大阪市北区曾根崎にある。財団の設立者は、森田理論によって胃腸神経症を克服された方である。一般の人に向けてのメニューとしては・電話相談・面談・・・臨床心理士の先生の無料のカウンセリングがある。予約制です。・心の健康セミナー・・・全国各地で行われている市民公開講座の案内がある。・図書室・・・財団には森田療法に関するあらゆる本がそろえてある。視聴覚教材もある。その他精神医学分野の図書も含めると3300点。専門相談員もおかれている。・ビデオ・動画・・・財団が制作したビデオの紹介がある。著名な森田療法家の講話がすぐに見れる。また神経症を克服した人の体験談もみれる。これらはyou tubeに収録されている。・会員制の体験フォーラム(掲示板)も行っている。・メンタルニュース・・・森田療法の説明をコンパクトにまとめられている。・神経症についての詳しい説明がある。症状別になっている。・神経症の自己診断チェックシートがある。・克服体験記も豊富に用意されている。・森田関係の図書の紹介がある。・全国の森田療法関係の医療機関の紹介もある。この他研究者、森田療法家向けのメニューも別途用意されている。私のお気に入りは、ビデオと動画である。販売されているビデオはほとんど購入して視聴した。大変内容が良かった。個人で購入するのは大変だが集談会の視聴覚教材として会で購入した。いまは動画を視聴している。これは森田理論の専門の先生が心の健康セミナーなどで講話されたものをコンパクトにまとめられているものだ。人数でいうと20名ぐらいの人が出ている。時間は短いもので3分。長いのは20分ぐらいのものもある。それから神経症を克服した人がその過程を詳しく説明してくれている。これもとても参考になった。ネット環境があれば森田の学習会でも使える。学習会をバリエーション豊かにするために役立つ。私たちが利用している公共施設では、wi-Hiのサービスがある。パソコンを持参すれば、手軽に利用できる。ぜひ財団のホームページを覗いてみられることをお勧めしたい。
2019.08.02
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佐藤富雄さんは、男の場合、幸・不幸を決定するポイントは「能力」だといわれる。ここでいう「能力」とは、何も、頭がいいとか、知能指数が高いとか、そういうことではないのです。自分だけが持っている自信とでもいったらいいでしょうか。例えば、パチンコをやらせたら負けない自信があるとか、釣りかけてはまかせろとか、コンピーターなら一日触っていても飽きない・・・など。何でもいいのです。要は、自分が「能力がある」と思いこむことが大事だということです。周りは誰もが認めなくても、本人だけがそう思っている。これがだいたい成功している人のパターン、ものごとをうまくやっていく人の発想なのです。女性の場合は、男性とは少し違います。男性は能力ですが、自分が「いい女である」と思いこむことが重要です。思い違いでも、勘違いでも、まわりが誰もそう思わなくても、自分自身が、「私はいい女だ」と思い続けていることが幸せを呼ぶのです。(運命は「口ぐせ」で決まる 佐藤富雄 22ページより引用)少し極論かもしれませんが、私は一理あると思います。ただし、この2つは男性、女性に限らず、人間である限り両方兼ね備えていることがポイントだと思います。というのは、この二つは森田理論が目指している人間像そのものだからです。男性の場合は、課題や目標、夢や希望に向かって情熱的に取り組んでいる状態です。努力即幸福、生の欲望の発揮に邁進している姿です。意識が内向化して、悲観、否定して神経症で苦しむことは少なくなります。最低限日常茶飯事、子育てなどは手を抜くことなく、真剣に取り組むことが大切になります。私の座右の銘である「凡事徹底」ということです。女性の場合は、いかなる状況、状態であっても、あるがままの自分を認めて受け入れるということです。自分に寄り添うことができる人です。自分自身を愛し続けることができる人です。これは容姿だけではないのです。丸ごとの自分をいとおしむということです。「かくあるべし」で自分を嫌ったり、否定することがありません。そういう人は他人に対しても、先入観や決めつけで否定的に裁くようなことがありません。事実、現実、現状を踏まえて、そこから目線を一歩前に向けて、行動を起こすことができる人です。こんな人と付き合いたいものです。自分も他人も幸せを引き寄せると思います。この2つの指針は、森田理論の根幹にかかわるものです。これを人生の指針として、しっかりと認識して、生活している人は素晴らしいと思います。このブログは、この2つの点に焦点を絞って、手を変え品を変えて説明しているようなものです。一人でも二人でもそのことに気づいてもらいたいと思っています。
2019.07.09
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私は仲間5人で老人ホームや地域のイベントで、昔懐かしいチンドンミュージックを披露している。この度、大阪ラプソティ、河内おとこ節、アリランプラストラジの3曲を演奏曲に加えることになった。私はアルトサックスを担当している。楽譜が渡されると、全員が家で個人練習をする。その成果を全体練習で改善して完璧に仕上げるのだ。小節ごとに区切って、問題がないかどうかを確認していく。グループの中に音感の優れた人がいる。まあ音楽の先生のような人だ。その人が全体の仕上がり具合を調整してくれる。間違って解釈しているところはすぐに指摘される。テンポ、リズム、休止符、入り方の間違いはすぐに分かるようだ。難しい指使いで何度やってもうまくいかないところは、楽譜を書き換えることもある。先生に加えて、演奏仲間からのアドバイスもある。これも貴重である。私の場合、音感の能力がないので、個人練習の段階では間違いに気づくことがない。自分勝手な演奏で、一応演奏できるようになると「できた」と言って一人で満足している。しかしそんな状態で人前で演奏すれば恥をかくだけだ。他人に客観的な目で出来栄えを判断してもらって、問題がない状態に持っていく必要がある。お墨付きを思えれば、疑心暗鬼になることはなくなる。あとは、数多く練習して、楽譜がなくても暗譜で、指先が正確に演奏できるまでに高めていくだけだ。このやり方が、演奏技術を高める最短の道であることはよく分かっている。これは森田理論を理解して実践する場合も同じことが言えるのではないか。例えば、森田理論を長く学習しているのに、パチンコ三昧の人がいる。外食三昧の人もいる。過保護、過干渉、放任の子育てをしている人もいる。ネットゲームにはまって夜更かしをしている人もいる。日常茶飯事にはほとんど手を付けない人もいる。そして、「かくあるべし」を自分にも他人にも押し付けている人もいる。不安が抜けきらない。生きづらさがなくならないという人もいる。そういう生活にどっぷりは待っていると、井の中の蛙のようなもので、自分ではそれが当たり前だと錯覚してしまう。そういう生活でよいのか悪いのかの判断能力は働かなくなっている。そういう人は、まず他人の前で普段の生活ぶりを具体的に詳しく報告することだ。生きづらさを解消して、人生観を確立したいならば、これが肝心である。集談会の先輩会員の中には、森田理論を掘り下げて学習して、実際の生活に応用している人がいる。そういう人の考え方を聞いてみることだ。反発しないで素直な気持ちで聴くことだ。本人が気づいている以上に、そういう生活の問題点や弊害について十分な説明をしてくれるだろう。それがきっかけとなって、自分の生活を見直して、森田的な生活に転換することができる可能性がある。私の場合を振り返ってみれば、神経症で苦しいばかりの時、集談会の中で、愚直に森田に取り組んでいる人との出会いがあった。その人の側に陣取り、自分の生活ぶりを包み隠さずに話していた。するといろんなアドバイスをいただくことができた。励ましもいただいた。また、森田実践の見本が目の前にあるので、どん欲に自分の生活に取り入れていった。それが、神経症の克服と森田的人生観の獲得に結びついたのである。今何となくもやもやしている人は、自分の生活ぶりを赤裸々に告白して、森田を極めた人の見解を素直に聞いてみることをお勧めしたい。
2019.07.03
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落合博満さんは、野球の指導者は、選手の置かれている状況を踏まえて指導することが大切だといわれる。まず1年目の選手。安易に「否定」の言葉を使ってはいけない。アマチュアでの実力が認められてドラフトで指名された選手たちだ。プライドも意地も持っている。そんな選手に指導者が「お前のやり方は違う。こうやらなくてはいけない」と一方的に否定してしまうと混乱する。そこで1年間だけは、自主性に任せて、選手の方からアドバイスを求めてきた場合に、その選手の実力を評価しながら指導する。その時大切なのは「褒める」「評価」してあげることだ。とにかくいいところを見つけ出して褒める。「ここがいけない」というのではなく、「ここがすばらしいね。それならここも同じようにしてみたらどうか」という言い方をする。次に、2年から3年に入っても結果が出ていない選手。ある程度練習を積み重ねているのに結果が出ていないというのは、どこかに原因があるということだ。その原因を指導者は事前によく分析しておく。本人もいろいろと打開策を考えているはずだから、それを尊重しながら、指導者として正しい練習法を教えてやらなければならない。こうした選手には、自信をつけさせることも必要だ。密にコミュニケーションをとって「俺は指導者から見放されてはいない」と感じさせることも必要だ。さて、指導者の力量が最も求められるのは、中堅クラス、6年7年と経験を積んでも目が出てこない選手に対してだろう。このままでは先がない選手だ。こういう選手には指導者主導でいく。完璧に洗脳させていくしかない。指導者のノウハウを徹底的に叩き込むしかない。(コーチング 落合博満 ダイヤモンド社 24ページより要旨引用)私はこれを参考にして、森田理論を学習し身につけるための援助について考えてみた。先輩会員は、初心者の神経症についてどんな状態なのかを把握することに専念する。注意すべきことは、相手の話を真剣に聞かないで、すぐに森田的なアドバイスを始めることだ。相手との信頼関係ができていないうちに、持論を展開することは百害あって一利なしだと思う。相手の話を否定しないで、しっかりと聞いてあげることが何よりも大切だ。今までそんな経験はあまりなかったわけですから、これだけでも精神的に落ちつくことができる。集談会に初めてやってくる人は、なんとか神経症を治したいという気持ちが強い。そのために今までどんなことに取り組んできたのか聞いてみる。薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法か。あるいは他の方法か。その結果はどうだったのか。森田療法を知ったきっかけは何か。森田についてどの程度の知識を持っているのか。うつなどの精神疾患がある場合は生活の発見会の協力医の紹介をする。その上で森田療法適応者かどうかの自己診断テストを受けてもらう。これを初参加者に渡すことが大切である。その結果を教えてもらう。森田適応者の場合は、集談会に継続して参加することを勧める。できれば半年から1年は続けて参加してほしいものだ。1回か2回ですぐに見切りをつけてしまうのは実にもったいないことなのだ。そして会員になって「生活の発見」誌をよく読むことが神経症の克服に結びつくことを伝える。そういう段階を通過して、初めて森田学習の出発点に立つことができる。それから本格的に森田理論学習に取り組んでいくのだ。森田理論は分かりやすく理論化されている。安心して先輩会員からその神髄について学んでいかれるとよいと思う。そうすれば、神経症は自助組織の中で乗り越えることができる。また神経質者としての人生観も合わせて獲得できると思う。
2019.06.19
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落合博満さんは、コーチングとは、経験や実績を兼ね備えた元名選手の指導者が、いかに選手を教育するかという一方通行的なものではないといわれている。愛情をもって選手を育てようとする指導者と必死になって学んで成長しようとする意欲に満ち溢れた選手とのハーモーニーであるといわれている。現実はコーチが自分の存在感を示すために、選手の気持ちがわからないまま、一方的に自分の野球理論を押し付けている場合が多い。また、選手のほうは、必死で努力精進していない、あるいはするつもりがない選手が、コーチに手っ取り早くテクニックだけを教えてくれという傾向の人もいる。こういう関係では90パーセントの選手は、早晩プロの世界から去っていく。(コーチング 落合博満 ダイヤモンド社 24ページより要旨引用)落合さんは鋭いことを言いますね。これは森田理論学習に取り組む場合も同じことが言えます。私たちの森田理論を学ぶ自助組織「生活の発見会」には、先輩会員と初心者が混在している。この人たちがどのように交流して、お互いに成長していけばよいのか、落合さんはそのヒントを提示してくれている。「何とか神経症を克服したい。この生きづらさを森田理論学習によって解消したい」これは初めて生活の発見会の集談会に参加した人の共通の願いだと思う。それに対して私たち先輩会員は、神経症を森田理論の学習によってある程度は克服した。また神経質性格の活かし方や、この先どういう姿勢で生きていけばよいのかという指針も得ることができた。ここまで来れば、退会して自由に生きていく道もあったのだが、さらに森田理論を掘り下げて学習したい。また発見会で知り合った人たちと温かい交流を継続したい。また神経症に苦しんでいる人たちの手助けになるのならばと思って継続して参加している。そんな状況の中で、先輩会員は初心者に対してどのようなスタンスで接触したらよいのであろうか。私が一番心がけているのは、最初から森田理論を相手に押しつけないことである。最初から森田の核心部分を説明することは差し控える。安心感や信頼関係を築くことを第一に考えている。そこで、最初は自己紹介や体験交流などで相手にいろいろと自由に話をしてもらう。受容と共感の気持ちで包み込んであげる。傾聴に徹してただひたすら相手の話を受け止めることである。会の仕組みや活動指針、集談会のプログラムや内容、他の参加者の状況、集談会に参加するときの事前の準備などはよく説明している。そんな気持ちで受け入れているが、続けて参加される人は本当に少ない。残念だがこれが事実だ。どうしてこんなことになるのか。それは自分の症状や悩みを解決するために、森田療法が自分に合うのか、数多くの選択肢のうちから判断された結果だと思う。つまり様子見で参加される人が多いということだ。現在神経症の克服には薬物療法、カウンセリング、認知行動療法、森田療法、その他精神療法などさまざまな解決策がある。森田よりも他の療法がよい。あるいは森田療法にはあまり期待が持てないと判断されたのだと思う。その中からどの療法を選択するのかは相手の自由である。しかし他の療法は、症状が和らぎ、なんとか社会復帰できるようになると治療は終了となる。いわゆる対症療法が主力である。そのため容易に神経症が再発する。また社会適応、人間関係、生きづらさは依然として解消されない。薬物療法や多くの精神療法では、神経質性格者の人生観の確立までは責任を負ってはくれない。森田理論学習は、まさにそこまで踏み込んだ精神療法である。そのことは、よく伝えるようにしている。生きづらさを解消したい、人間関係を基本を学びたいというのであれば、森田理論が一番役に立つと思いますと伝える。それらを解決したいと思われたとき、いつでも私たちは、万全の体制で受け入れますよ。今日の出会いを大切にして、森田療法のことは頭の片隅に入れておくと後で役に立ちますよと伝えている。その後は機が熟するまで、いつまでもじっと待っている。すると、たまにまた戻ってくる人がいる。落合さんが言われるような、先輩会員と初心者のハーモニーは、再度森田療法に目を向けられた時に、はじめて可能になるのだと思う。その時は森田の核心部分について、説明していくことになる。そういう人が、もっともっと増えてくることを念願している。それまではこのブログや「森田理論学習のすすめ方」というホームページで情報の発信を継続していきたいと考えている。
2019.06.16
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このDVDは「心の健康セミナー」で行われた講話を紹介したものです。「心の健康セミナー」は主に一般市民向けなので、その内容はとても分かりやすい。また森田理論に詳しい講師の方々が講話をされています。一つ一つの講話はそんなに長くないので、学習ツールとして使いやすい。このDVDは2枚1セットで2000円です。(税金と送料は別途)内容の割にはとても安価です。私はNPO法人生活の発見会から入手しました。森田療法の基礎的な内容を知りたい人にはとても役に立つと思いましたのでご紹介します。以下にその講話内容、講師、時間配分を紹介しますので、個人、あるいは集談会などで学習する場合の参考にしてください。企画制作は、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団です。Disk11-1 森田療法入門講座 35分 中村敬先生1-2 森田正馬の神経質概念とは 26分 岩木久満子先生1-3 入院森田療法について 22分 中村敬先生1-4 外来森田療法について 29分 岩木久満子先生1-5 強迫性障害に対する森田療法について 40分 久保田幹子先生Disk22-1 社交不安障害(対人恐怖症)の森田療法 39分 中村敬先生2-2 森田療法の社会不安症への治療法 9分 星野良一先生2-3 不安・うつから回復する手立てとは 20分 中村敬先生2-4 うつに対する森田療法 9分 館野歩先生2-5 パニックに対する森田療法 8分 館野歩先生2-6 不安・こだわりに縛られた生活から自由な生き方へ 46分 久保田幹子先生この中で、集談会の理論学習として最適と思われるものは、1-1、1-2、2-6です。これらは森田理論の基礎的な部分を丁寧に分かりやすく説明されている。事前に幹事や世話人の人が視聴して、レジメなどを用意するほうがよいでしょう。その後、疑問点や感想を出し合って学習してください。その他は、入院・外来森田療法に関心のある方、強迫行為、社会不安障害、うつ病、パニック障害などを抱えておられる方が個別に視聴されることをお勧めいたします。
2019.06.02
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最近の生活の発見誌には、「お悩み相談」というのがあります。例えば「自分に自信が持てず、今後の進路で悩んでいます」「職場の中で雑談ができず、つまらない人と思われているのではと苦痛を感じます」どんな時にそのようなことを感じるのが、具体的に説明があります。集談会でよく出るような悩みです。これに対してベテラン会員の人の回答が続いています。皆さんそれぞれに見事な回答をされています。私のこの記事の読み方は少し変わっています。私はすぐに回答は読みません。まず悩み相談の内容について、分かる範囲で理解しようとします。その上で、私の学習経験や森田的な体験をもとにして、私ならこの人にどういう共感や受容を持てるだろうかと考えます。それを文章にします。そこで終わる場合もあります。さらに、こうしてみたらという提案が浮かんだ場合は、それも文章にしてみます。これが、このブログの投稿原稿になることもあります。次に、ベテランの人の回答を読みます。すると、私の回答とベテランの人の回答は話の視点が大きく違うことに気づくことがあります。それはそうです。その人とは、神経症の克服過程、学習の経験年数や深度、森田理論の活用方法が違うわけですから、当然そこから出る答えは違うはずです。これでよいのだと思います。相談者にとってはいろんな回答を聞いて、一つでも琴線に触れるものがあればよいのです。紙上の体験交流のようなものになるのです。ここで回答をすぐに読むと、ベテランの人がかかれた解答だけに「たしかにそうだな」と納得します。それ以上には考えようとしません。素通りして、記憶には残りません。これはもったいないことです。私はこのブログの話のきっかけ作りのため、本をよく読みます。読みっぱなしということはほとんどしません。ほとんどの本はネタ集めのために読んでいるのです。森田的な琴線に触れるものを求めているのです。本を読むときは、付箋を使います。気になる箇所には付箋をつけておきます。読み終わると、付箋の箇所を中心にまた読み返します。それからその部分を、ページ数とともに抜き書きしていきます。その中から、投稿に使えそうな部分を多少時間をかけて、自分の考えを組み合わせて思索していくのです。そして投稿原稿を作成していくのです。この段階で投稿にいたらないものもたくさんあります。でも森田的な視点から、一応は自分なりに考えてみたということが重要なのではないかと思っています。とるに足らないようなことでも、それを6年も7年も続けていれば、仲間と森田理論の学習をしているときに、質問されれば、すぐにある程度自分の意見を述べることができるようになりました。以前と比べると雲泥の差です。自分が成長できていると実感できることはとてもうれしいことです。皆様にも、この方法をお勧めしたいと思います。
2019.04.17
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相田みつをさんによると、道元禅師は次のように言われているそうです。「仏道は必ず行によって證入をすべきこと」と。これは「仏道は行によって悟れ」 「仏道を学ぶものは、行から入れ」ということです。つまり、仏道を学ぶ者にとっていちばん大事な事は「行」だ、ということです。仏教の言葉の片言を頭で覚えても、そんなものはなんにもならん、ということです。それはそうですよね。相撲の知識をいくら覚えても相撲はとれませんからね。相撲取りにとっていちばん大事な事は理屈抜きの稽古です。つまり「ぶつかり稽古」と言われる「行」ですね。「行」が先、理屈は後。これは全てのスポーツ、すべての稽古ごとに言えますね。その「行」は誰がするのか。答えは至極単純明快。いつでもどこでも、今、ここ、の自分自身です。「そうか、そんなことか、分かった」というのではダメ。「さあ、それではお前自身はどうか」指は人に向けてはいけません。自分のヘソに向けるのです。人差し指を他人に向けると、無責任な世間話か、人の批評に終わってしまいます。仏法とか仏道というものは、いつでも、どこでも、人差し指を自分のヘソに向けて、 「さあ、そこで自分ならばどう動く」と自分自身に問いかけ、自分から主体的に行動をしていくことだと私は思っています。そこで自分自身に指を向けてみると、私の場合はいちばん大事な「行」をやっておりません。厳しい「行」の体験もなく、仏教や禅の言葉の片言を、知識として頭で覚え、 禅の臭いをぷんぷんとふりまいて禅者のふりをする中途半端な人間のことを「野狐禅」と言います。そしてまた、仏教について、専門的な学問も知識もないのに、人に仏教を解くことを「不浄説法」といいます。「野狐禅」も「不浄説法」も、亡き師、武井老師から常に厳しくつ戒められてきたことです。(いちずに一本道 いちずに一ッ事 相田みつを 佼成出版社 3ページより引用)これは仏教や禅の理論や知識ばかりを求めて努力する態度は、間違いだといわれています。そのような方向ばかりの人は、「野狐禅」「不浄説法」につながる。実行、実践、行動から入るのが正しいといわれています。森田正馬先生の入院療法では、まさにそうでしたね。日常生活の中で、森田的生活態度を身をもって悟らせるというやり方でした。入院生にとっては、なぜそうするほうが良いのかというまとまった森田理論の講義を受けたわけではない。それは、退院後森田先生の著書や形外会に参加することで、後付で学習していったのである。現在、ほとんどの場合、森田理論学習から入りますね。入院森田療法、外来森田療法以外には「行」から入るということはありません。そういう意味では、逆になっています。それは間違い、見当違いかというと、そうでもないと思います。理論から入って実行、実践、行動に入っても何ら差し支えありません。ここで注意したいことは、森田理論を先に学んでしまうと、森田的な生き方が分かったようなつもりになってしまうということです。そういう人は私の周りにもたくさんいます。その人の普段の生活ぶりを、見たり聞いたりしているとすぐに分かります。森田理論を生活の中に取り入れて活用している様子があまり感じられない人です。森田理論の学習と行動実践は車の両輪であるといわれています。学習面が名人の域に達しても、行動実践面への応用が乏しければ、車輪は観念的になり、空回りをしてしまいます。その状態は、理論を知っているだけに、森田理論を学習する前よりも悪化してくると思います。理論の車輪と行動実践の車輪は常に同じ大きさを保つことが不可欠です。理論の車輪が大きくなれば、行動実践も大きな車輪に付け替えなければ問題が出てくるということを忘れてはなりません。バランス、調和を心がけていくということです。この考え方は、森田理論の目のつけどころの一つです。
2019.04.09
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作家で精神科医の帚木蓬生氏は高知での講演会の中で、森田療法には3つの側面があると紹介された。1つは、社会復帰医学。絶対臥褥から生活訓練期まで、神経症の方を社会復帰させるという側面。第2番目は、予防医学の側面。日ごろの生活において神経症にならないようにしていく道しるべを森田療法は持っている。3番目は健康科学の面。これが素晴らしい。健康科学ですから、普通の人たちが普通の日常の中で、健康に生きていく、その道しるべを森田療法は持っている。これは帚木蓬生氏の恩師である九州大学の中尾教授が言われていたことだそうだ。帚木蓬生氏は、 3番目の指摘をもとにして、 「森田正馬の15の提言」という本を書き上げたと言われている。1番目ですが、現在は入院森田療法というのはほとんど行われていない。森田療法の主力はほとんど外来森田療法である。それも薬物療法と併用されている例が多い。私は神経症を克服するだけなら、別に森田療法にこだわらなくても構わないと思っている。現在主なものだけでも30ぐらいの精神療法が存在する。代表的なものは認知行動療法である。その他に、カウンセリングも盛んである。神経症の人がアリ地獄の底から這い出す為だったら、森田療法は選択肢の1つに入れてもよいが、幅広い選択肢の中から自分に合った療法を探しだしたほうがよいと思っている。しかも認知行動療法は保険適用となっている。森田療法理論の真骨頂は、帚木蓬生氏が2番目と3番目に挙げられているところにあると思っている。神経質性格を持った人は、神経症に陥りやすいという側面がある。それは心配性である。不安に敏感である。注意や意識が自己内省に向かいやすい。こだわりやすい。などの特徴があるからである。不安にとらわれると、精神的にとても苦しくなる。適応不安を起こして、生きづらさを抱えることになる。そうならないために、神経質性格を持った人は、森田療法理論を学習しておくことが有効である。神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、欲望と不安、行動の原則、生の欲望の発揮、 「かくあるべし」の弊害、思想の矛盾の打破、事実本位の生き方などは必須である。これは神経症を予防するための学習である。その上で、私はせっかく森田療法理論を学習するのならば、森田によって、自分の人生観を確立してもらいたいと思っている。現在は人生80年とも90年とも言われる時代である。森田療法理論は、味わいのある人生を送るためのヒントをたくさん与えてくれている。私の知り合いにも森田理論学習によって、すばらしい人生を送っている人がたくさんおられます。森田理論にはそういう内容が間違いなく存在しているわけですから、是非とも多くの人に森田的な生き方を身に付けていただきたいと思っております。そのための援助は、先輩会員がいくらでも相談に乗ってくれるはずです。
2019.04.05
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カウンセリングで何よりも重要な事は、実際にどうするかを決めるのは、相談に来たその人だということです。クライアントはカウンセラーの前で悩みを打ち明けるだけで随分気持ちが楽になります。クライアントは話すことで、まず心を軽くし、直面している問題を整理し、どんな解決方法はあり得るか、または、そんなものは無いのかを考え、自分の生き方を振り返り、反省して実行できるものは実行に移す、そんな作業をするわけです。その作業を側面から手伝うのがカウンセラーという人の役目なのです。ところが、人から相談されるので、つい自分は偉い人間だと思ってしまうのか、カウンセラーの中には、相談に来た人に自説を押し付け、聞こうとしないで文句を言う者もいるのです。またクライアントの中には、自分で悩みや問題の解決などを一切しないで、最初から「何でも教えて。先生の言った通り、何でもしますから」という態度を取っている人も少なくない。 「最後は自分で決めることですよ。家に帰ってよく考えなさい」などと言われると、もの足りなさそうに反発する人もいる。 (アダルトチルドレンの心理学 荒木創造 日本文芸社 250ページより引用)森田理論学習を行っている集談会には、神経症で苦しんでいる人が数多く参加される。このカウンセリングの話は、私たちが注意しなければならない問題を提起している。集談会に初めて参加した人は、とても緊張している。だからまず、緊張感を取り除いてあげることが必要だ。初めて来られた人には、笑顔で一言声をかけてあげることが必要だ。笑顔で温かく迎えてあげることが大切だ。「よく来られましたね。この会はホームページで見つけられたのですか」などと声をかけてあげる。誰も対応しないで、そのまま放置されていると不安になってくると思う。また何回も参加している人が親しそうに会話をしているのを見て、不安をあおることもある。集談会は始まる冒頭には、この会の運営方針や指針について伝えることも必要である。自分の自己紹介は、初めて来られた方に配慮して、自分が神経症で苦しんでいたときのことを話してあげる。初めて来られた人は、自己紹介は最後にしてもらう。自己紹介カードを見て分かる範囲で自己紹介をしてもらう。体験交流ではそれを元にして、さらに話してもらう。ここではできるだけ多く、自己開示をしてもらう。ただし無理強いしてはいけない。そのためには、ここでの話は決して誰も口外しないことを説明する。他の参加者は初めて参加した人の話に真剣に耳を傾ける。ここでは性急にアドバイスをしてはいけない。受容と共感の気持ちで聴くことに専念をする。参加者の前で自分の悩みを話すだけで随分気持ちが楽になるのだと言うことを忘れてはならない。次に、初めて参加された人は、森田療法理論が本当に自分の悩みを解決してくれるものであるかどうかが気になる。今まで薬物療法やカウンセリング、認知行動療法などの精神療法を受けられた人も多い。神経症克服のために、どのやり方が自分に合っているのかを見極めに来られているのだと思う。その1つの方法として、森田療法理論の学習会に参加されたということである。ですから、様子見で参加されている人が多いという認識を持っておくことが必要である。それで1回参加しただけで来なくなってしまう人が多いのだ。こういう状況の中で、私たちはその人たちにどのような対応をすればよいのか。続けて参加してもらいたいために、性急に森田理論の内容を説明をすることがある。あるいは森田療法理論を使ったアドバイスを行うことがある。これらは、最初のうちは差し控えた方が良いと思う。相手にとっては押しつけがましく聞こえるかもしれない。すべての人に森田療法が適用できるわけではないという気持ちを持っておくことは大切だ。1回だけで終わってしまう人は、森田療法理論には縁がなかったと諦めるしかない。森田療法理論が自分に合っているのか、合っていないのかを決めるのは、相手自身である。そのための判断材料を提供してあげるのが私たちの役目ではなかろうか。自助組織の仕組みと役割の説明。森田の参考図書の紹介。外来森田療法を行っている精神科医の紹介。森田療法を取り入れている臨床心理士の紹介。心の健康セミナーの紹介。などなど。最初から森田理論を説明するのではなく、外堀から埋めていく方法である。こうすれば、他の精神療法と比較検討することができるのではなかろうか。その上でどの精神療法を選択するのか、あるいはどれとどれを組み合わせて取り組んだらよいのかは、相手に一任するのがベストなのではなかろうか。その中で森田療法理論の特色が相手に伝われば十分なのではないかと思う。
2019.01.25
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生活の発見誌の11月号に基準型学習会に参加した人の話があった。この学習会は生活の発見会が発行している「新版 森田理論学習の要点」 の単元に沿って学習するのである。学習期間には日記指導もある。この学習会に参加すると森田理論のエッセンスがあらかた分かるようになっている。この学習機会に参加した人は、終了後次の3つの気づきを得たという。1 、人の感情は自然現象であるから、湧いてくる感情に対し自分に責任はない、何を感じても、自分を責めないでよい。森田理論を十分に学習している人は、皆さんよくご存知の事だが、この話を初めて聞いた人はびっくりする。なにしろ自分に湧き上がってくる感情は、自由自在にコントロール可能だと思っていたのだから、正反対の考えなのだ。このことが理解できれば、感情に対する取り扱い方が変化してくる。不安や恐怖は台風などの自然現象と一緒なのであるから、通り過ぎるのをじっと待つしかない。そうすれば不安や恐怖は自然に収まりがつくようになっている。台風が来た時の柳の木のような心境であればよいということだ。間違っても松の大木のように、正面から受け止めて格闘してはならない。2 、人間の性格には多面性があってよい。この方は、他人から「明るくて優しくしっかり者」と評価されていた。ところが、自分では、 「自分はそんな人間ではない。そう見えるのは自分が仮面を被っているからなのだ」と思い、自分を責めておられた。しかし、講師の方から、 「明るいと言われるのはそれもあなたの一面であるのです。全然違うと思うのは、自己否定感が強く、暗い面に意識が行きがちだからです」と言われて、はっと気づいたそうです。人には色々な面があってよいということが、それまでの自分にはわからなかったのです。私は神経質性格には、プラス面もあれば、マイナス面もあると思っています。神経症で苦しんでいるときは、マイナス面ばかりに注意を向けています。森田理論を学習して、神経質性格のプラス面の理解ができれば、自己肯定感が生まれてくるのではないかと考えています。3 、強い不安の反対側には必ず前向きな欲求があるということです。これは「欲望と不安」の単元を学習すればよく理解できるようになります。神経症で苦しんでいる人は、不安や恐怖を取り除くことばかりにエネルギーを費やしています。また、「どうすることもできない」とあきらめてしまえば、逃避するようになります。精神交互作用によって神経症が固着してしまうのです。この悪循環を断ち切るためには、生の欲望の発揮に視線を移すことがとても大切です。そして、将来的には生の欲望の発揮と不安のバランスを維持しながら生活するようになれば、将来に展望が開く生き方ができるようになります。
2018.12.08
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2018年8月で生活の発見誌は700号を迎えた。700号といえば約60年である。これはすごいことだ。普通は90ページぐらいだが、今月号は記念号で134ページもあった。最初に詩が紹介されていた。ほっとする内容だった。発見会の会員になり、集談会の仲間と交流できることを心から喜ぶことができるようになった。今月号は特別寄稿が4本もあり、そのどの記事も素晴らしい内容だった。特に生活の発見会や機関誌の歴史の記事について、とても深い感銘を受けた。実際に、困難な歴史とともに苦労された体験は、胸が詰まる思いであった。執筆して頂いた先生方には、感謝申し上げたい気持ちである。生活の発見誌は、小さなことにとらわれやすい神経質性格を持っている人にとっては福音となる。神経症に陥った人が症状克服の体験談を語っている。また、心配性のために小さなことにとらわれ生きづらさを抱えている人にとっては、神経質性格者の生き方を教えてくれている。私は、この特集号を読んで、森田療法理論は、日本人が開発した素晴らしい精神療法であり、未来永劫我々の子孫に語りついでいかなければならないと意を新たにした。不幸にしてまだ生活の発見誌を読まれたことがない方もおられるかもしれない。内容が分からないから、自分に合うのか合わないのかわからない人もおられるのかもしれない。集談会に参加すれば、ほとんどの人が持っておられるので、いちど借りて読まれてみたらどうかと思う。ここで、私の生活の発見誌の活かし方を投稿してみたい。生活の発見誌は月末に届く。私は届くとすぐに読んでしまう。琴線に触れたところはマーカーで印をつけたり、付箋を貼りつける。私の場合は、読んだらすぐ終りと片付けたりはしない。それでは宝の持ち腐れだと思っている。まず、次の集談会で印象に残った記事を1つだけ選ぶようにしている。それを私なりの意見を付けて、集談会に参加する。すると、自己紹介の中でも使えるし、体験交流の中でも紹介することができる。よほど気に入った記事は、みんなで読み合わせって議論することもできる。また、琴線に触れた箇所は、自分の今までの森田理論学習で得た知識と突き合わせをしてみる。それが、このブログの投稿記事となるのである。ただ、引用するだけではなく、自分の考えを付け加えることによって、森田理論はどんどん深まっていく。以前は、古いバックナンバーはほとんど読まなくなるし、補完場所も困るようになった。なにしろ積み重ねるだけでも2メーター以上になったのだ。そこで、気に入った記事は全てハサミで切り離した。その後は処分した。それをそれぞれの項目別に分けて、時間はかかったが、すべてを整理した。これで活用の幅が格段に広がった。自分にぴったり寄り添う記事は苦しい時にとても役に立った。また、オンライン学習会や講師で派遣に行く時の講話内容を作る時にも役に立った。長い会員の中には、発見誌は取るだけでほとんど読まない人もいるようだ。私からしてみると本当にもったいないことだと思う。発見誌をとことん活用することに取り組む事は、森田理論の「物の性を尽くす」実践である。無いものを求めるのではなく、あるものを発見して、それを活用し尽くすというのが森田である。この一点に集中して取り組むことによって、神経症を治すことができる。さらに、神経症特有の慢性的鬱状態から脱却して、人間として生きていることを喜ぶことができるようになる。やることが無くて退屈だという人はぜひ取り組んでいただきたいものだ。
2018.09.07
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世界保健機関(WHO)が 、インターネットゲームをやりすぎて生活や健康に支障をきたす病気として「ゲーム障害」を認定した。最近はスマートフォンの急激な普及により、ネットゲームに依存する人が急激に増加しているという。厚生労働省の調査では、ネット依存が強く疑われる中高生は全国で約52万人と推計されている。その大半がオンラインゲーム依存症とみられている。今後さらに増加が見込まれる。皆さんの中にも、自分自身や家族、知り合いなどでネットゲームにはまっている人がいるかもしれない。大人でも囲碁、将棋、麻雀などのゲームにはまり、パソコンに張り付いている人がいる。これは、ギャンブル依存症、アルコール依存症、薬物依存症、セックス依存症によく似ている。普段の生活でストレスや生きづらさを抱えている人にとっては、そのはけ口としてネットゲームは役に立っている。最初はどんなものだろうと思いながら、恐る恐る手を出してみた。意外に面白い。次第にのめり込んでいくのである。その結果、最悪の場合、深夜遅くまで、あるいは明け方までゲームにのめりこむようになる。時間を無駄遣いするとともに、睡眠不足によって、勉強や仕事に多大な影響を与える。家族の人間関係も悪化してくる。また、有料のゲームにのめり込んでいると、高額な費用を支払わなければならなくなる。ネットゲーム依存症になってしまうと、やめたいと思っても、弾みがついてやめるにやめられない心理状態に追い込まれてしまう。これは精神交互作用によって神経症が固着する過程と同じである。ゲームをしたい欲求を抑えることができず、日常生活よりもゲームを優先するようになる。神経症の場合は、不安を取り除くことばかり考えて、勉強や仕事、日常生活がおろそかになる。頭の中では、ゲームのことを考えることが中心になっている。神経症の場合は、自分の気になる症状1点に絞って格闘している。そしてどちらの場合も、もがけばもがくほどアリ地獄の底に落ち込んだようなものである。頭のなかの快楽神経が麻痺しており、ここから、自分ひとりで抜け出す事はとても難しいと言わざるを得ない。精神科にかかり、カウンセリングを受け、自助組織などに参加して、外部の人の助けを必要とする。ここで依存症で神経症に陥っている人の陶冶について考えてみよう。薬物療法、様々な精神療法、カウンセリング、自助組織がある。その一つとして入院あるいは外来森田療法と自助組織による森田療法理論の学習と実践がある。その程度に応じて、適宜その人に合った治療方法を選択することになる。基本的には勉強や仕事が曲がりなりにも維持できていれば、森田理論の学習をお勧めしたいと思っている。その際自助組織に参加しながら取り組むことが欠かせない。そのことがある程度歯止めになる。森田理論は神経症を克服できるのみならず、神経質性格を持った人の確固たる生き方を教えてくれる。私も一時期パチンコ依存に陥ったが、みんなの励ましで抜けだすことができた。森田理論学習は、このブログで紹介しているように、その期間を約3年で一サイクルとみている。最初の1年は森田理論の基礎編の学習である。 2年目は「森田理論全体像」を中心とした応用編の学習である。そして3年目はそれらの学習の上に立って、森田理論の体験学習である。3年は長いと思われるかもしれないが、人生90年と言われる時代では、取り組んでみる価値は高いのではないか。神経質性格を持ち、ゲーム依存症の人は森田理論の学習と実践は有効であると考える。
2018.07.26
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今日は「認識の誤りの修正手法」について見て行こう。認識の誤りにはどんなものがあるでしょうか。一例を書き出してみましょう。・こんな神経症で苦しんでいるのは自分ひとりである。自分の症状が1番重い。・神経症がなくなれば、人生はバラ色に変わってくるはずだ。だから神経症をなくすることに全エネルギーを投入した方がよい。・他人は神経症で苦しんでいる自分を見て、重大な関心を寄せている。軽蔑し、毛嫌いし、迷惑がっている。・ミスや失敗をすると、すぐに「自分の人生はもう終わったも同然だ」などと大袈裟に考える習性がある。・自分に1つでも弱みや欠点があると、自分の全人格を否定する。生きている価値や資格がないと考える。・自分の欠点を過大に取り扱い、他人の欠点は大したことはないと過小評価する。・データの裏付けもないのに、自分勝手に悲観的、否定的な結論ばかりを出す。・一旦先入観や思い込みを持つと、事実を確認するということ怠り、端から決めつけてしまう。・ 0か100か、白か黒か、といった二分法的思考をしいる。この友人は自分にとって役に立つか、そうでないのか、どちらかに決めつける。役にたつと思えばべったりとひっつき、そうでないと思うとまったく寄り付かなくなる。・ 「失敗してはいけない」 「すべての人に受け入れられなければならない」 「間違いや失敗は決してあってはならないことだ」などというかくあるべし的な考え方をする。これらをまとめてみると1 、色眼鏡をかけてみている。1部分だけを見て、全体を判断している。先入観や思い込みが強い。2 、物事をマイナス面しか見ていない。物事にはプラス面や前向きな面もあります。例えば、テストで良い点を取ったのに、 「そんなことはたいしたことではない」といってまったく評価しない。3 、物事をすぐに大袈裟に飛躍させている。小さな失敗にもかかわらず、自分の人生を左右してしまうような大問題に発展させてしまう。4 、つい悪いことを予想してしまう。何の根拠もないのに、他人は自分を嫌っているはずだと判断する。やる前から悪い結果が出る事を予想している。これらの「認識の誤り」が、自分を苦しめ、他人を巻き込んで他人に迷惑をかけているのです。事実を客観的によく観察して、どこまでも事実を確認する態度を養成する必要があります。そのために、自分自身に次のように問い掛けてみましょう。1 、その考え方は具体的ですか。抽象的な思考に陥ってはいませんか。2 、実際に事実を確かめましたか。人からの又聞きで対応していませんか。3 、客観的に見て、妥当性がありますか。論理的で整合性がとれていますか。4 、先入観は入っていませんか。決めつけをしていませんか。5 、両面観で、マイナス面だけではなく、プラス面も見ていますか。「認識の誤り」は、自分ひとりで修正する方法もありますが、自分自身ではなかなか気がつきません。第三者から見ればすぐ分かることでも、長年にわたって自分に染み込んだ考え方の癖というものは、自分では自覚できないのです。ですから、 「認識の誤り」を修正していこうとすれば、第三者の力を借りた方が効率的です。友人、配偶者、師、集談会の仲間、カウンセラーなどの力を借りて修正していくのです。「私の考え方、物の見方はどこかおかしいのでしょうか」と謙虚な気持ちで聞いてみることです。グループで「認識の誤り」を学習する場合は、次のように行います。1 、まず具体的な出来事を出します。2、その時自分の物の見方、感じ方、考え方の癖についてありのままに発表します。3 、参加者全員で別の見方、別の感じ方、別の考え方を出し合います。4 、自分のものの見方や考え方が偏っていることを自覚していくことが大切です。
2018.07.03
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伊丹仁朗医師が開発された「生きがい療法」には5つの基本方針がある。ガン患者や難病疾患の人が、この方針に従って、行動・実践することを心がけるのである。1 、自分が自分の主治医のつもりで病気や困難の解決に取り組む。生活習慣病などになった場合、本人が病気の成り立ちを理解して、食べ物、運動、禁酒、禁煙とか、ストレスを減らす等問題ある生活習慣を自ら改善していかないと病気はよくならない。ましてガンのような治すことが難しい病気の場合は、そのような強い心構えで取り組むことが大切である。2 .今日1日の生きる目標に打ち込んで生きる。ガンは放っておくと常に少しずつ大きくなる。 1日の猶予もない。だから今日一日を建設的な前向きの生活に打ち込むことで、少しでも免疫中枢(間脳)を活発化してガンと戦う必要がある。したがって、 1日も手を抜いてはいけない。勝負は今日1日である、というように考えてほしい。体の調子が悪くても、あるいは、たとえベッドに寝ていても、できることはある。気分が大義なら大義のままに、今日1日する必要のあること、この目標に向けて一生懸命作業に取り組む。3 .人のためになることを実践する。「自分の病気のことで頭がいっぱいで、人のためになる事どころじゃありません」と言われるのだが、人のためにすることが、一見回り道のように見えて、実は生きがいを手に入れる近道である。生きがいを持つことが免疫力を高めていく。この自然治癒力がガンを退治するのである。4.不安・恐怖と共存する訓練に取り組む。ガンとか死ということが非常に恐ろしい、という自分の気持ちを事実として認める。怖い気持ちをなくそうという無駄な努力をすると、ますます怖ろしくなるという心理学的な特徴がある。だから、恐ろしいのは当たり前なんだ、というこの気持ちを認める。そうすると、心理学的に非常に面白い。不思議な現象が起きる。今まで持っていた不安とか恐れとかいうものが軽くなるのである。その結果闘病しやすくなり、闘病をより快適にすることができる。5 .もしもの場合の準備だけはしておく。なんとか長生きしたい、死にたくないと思っても、いずれ誰にも死は訪れる。死を「嫌々ながら受け入れる」誰でも死ぬのを喜んで受け入れる人はいない。事実だから仕方がないということでもある。そして生きている限り、できるかぎり、建設的に有意義に生きることが大切である。その際、死後残された人のために迷惑をかけないような準備をしておく。(生きがい療法でガンに克つ 伊丹仁朗 講談社 146頁より要旨引用)神経症者も、この5つの指針に学び、神経症克服のための行動・実践をしていくことが大切である。1では、森田理論学習によって神経症とは何か。自分の神経症の成り立ちを理解する。神経質性格の特徴を学ぶ。感情の法則など神経症の乗り越えるための森田療法理論をしっかりと学ぶ。これはこのブログで説明しているように基礎編と応用編がある。順序よく学んでいくことが効率的である。特に応用編の「森田理論全体像」の学習は大事である。理論を学んだ後は、自分の場合はどうであったのか付き合わせてみることも必要である。2では、症状があるととてもつらいが、不安、恐怖、違和感、不快感を持ったまま、目の前のやるべき日常生活や仕事などに積極的に取り込んでいく。最初はイヤイヤ仕方なしにボツボツでもよい。どうしても行動に入れない場合は、実践課題を作って取り組む。それができるようになると、気のついたことメモに書きとめて一つ一つ片付けていく。そうすれば次第に弾みがついてくるはずである。実践・行動なくして神経症は克服できない。3では、人に役立つこと見つけて実践に移す。人に役立つ事を絶えず見つけて取り組む。それはは小さければ小さいほどよい。数多くこなすことである。そうすれば注意が外向きになり、他人から感謝され、自己中心性が打破される。4では、不安、恐怖、違和感、不快感は、強い欲望があるから発生したものであるということを理解する。また人間が生存するために、不安などはなくてはならないものであるということを理解する。つまり、欲望や不安は車のアクセルとブレーキの関係にあることを理解する。不安を持ったまま、目の前の仕事や日常茶飯事に取り組むことを目標にしていく。それができるようになると、一つの大きな能力を獲得したことになる。5では、不安に学んで、対策を立てておけば、将来の思わぬ災難から逃れることができる。例えば、不慮の事故に備えて生命保険に入っておく。巨大地震、津波に備えて家具を固定したり、耐震化構造にしておく。自動車保険に入っておく。等々 、いくらでもある。これらに対しては、見て見ぬふりをしていてはならない。不安に学んで、積極的に手をだすべきである。それが自分と家族の安全を守る。我々神経質者は森田理論を学ぶ場合、あまりにも理論にとらわれて、肝心の森田理論を生活面に応用していくという面がすっぽりと抜け落ちていることがある。こういう状態は、神経症が治るのではなく、むしろ神経症を強化する方向に働くのである。大変危険である。生きがい療法の5つの指針から学ぶ事は人それぞれに違うかもしれない。でも、実践なくして森田理論学習はないということを肝に銘じておく必要がある。
2018.05.14
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次郎物語を書いた下村胡人は、 「人を教育することは不可能に近い。自分が自分を教育する自己教育に始まって、自己教育に終わる」ということを言われている。これについて、私の感想を投稿してみたい。子供に対して親がきちんとした躾を行う。学校教育で人類が蓄えてきた基本的な知識を子供たちに教える。さらに社会教育で、人として生きるとはどういうことか、あるいは社会の仕組みなどを教える。また植物や動物が大きく成長するように、子供たちに対して食物を与え、運動させて、体を大きくすべく育てていく。これらは、 最初のうちは親や他人が介入して、教育することが必要である。しかし、それだけでは不十分で決して本物にはならない。最初は他者から刺激を与えてもらうことが大事であるが、ある程度の段階に進めば、後は自らの実践や体験によって自分を成長させていく必要がある。そのように弾みがついていくことが重要だ。守離破という言葉があるが、最初の段階では、親や先生や先輩たちから基礎的なことを教えてもらう。その次の段階では、その教えを実際に自分の心身を使って試してみる。最終段階では、それらを基礎としつつ、自分独自の新たな道を模索し開拓していく。森田理論学習もまさにその通りであると思う。現在の森田理論学習の実際を見ていると、全国に優秀な森田療法家がおられる。その人たちの講演を耳にする機会も「心の健康セミナー」などを通じて増えている。その他森田先生、高良先生を始めとする多くの方々が、優れた森田関係書籍を残されている。このように学習材料は豊富に用意されている。しかし、森田理論見たり聞いたりするだけで、もう全てがわかったような気になって、そこから先に進まない人もおられるようだ。知識過多の状態である。森田理論は車の両輪があって初めて効果を発揮する。1つは森田療法理論の学習と理解である。もう一つは、森田理論の生活面への活用である。この両方がバランスがとれていて、前進しているということが肝心なのだ。仮に理論の車輪ばかりを大きくすると、もう片方の小さい車輪をを起点にして、理論の車輪が空回りしてくる。これでは観念的になってますます神経症を強めてしまう。理論の車輪が小さい時は、森田理論の応用や体験の車輪も小さくてよいのだ。肝心な事は、その2つの車輪が空回りすることなく、少しずつでも前進しているということだ。そしてステップアップしてその車輪を大きく付け替えていくようにすれば、森田理論は大いに役に立つ。決して理論学習だけが先走りしてはならないのである。その方法は、一人で行なうよりは、生活の発見会などの自助組織に所属して、刺激を受けながら、お互いに助け合って進めていくことが確実な成果につながると思われる。
2018.04.14
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北西憲二先生は、外来森田療法の中に日記療法を取り入れておられる。日記療法は、他者と対することで引き起こされる感情を恐れ、傷つきやすく、過剰に自分を守ってしまうために、周囲には自己愛的とみなされる人に最適な治療方法だと言われる。神経症で苦しむ人は、観念的で行動力に欠けている。その気づきを促すために、毎日夕方に仕事やプライベート、生活の中で実践したこと日記に書いてもらう。従来の日記療法では、日常生活でどんな行動したのかを中心に書いてもらっていました。北西先生が行っておられる日記療法では、 「何を感じたか」について自由に書くことを勧めておられる。主体的に自分の感情を見つめ、味わい、それを書き留め、その日記を通して治療者と対話していく。日記を通して自分の感情をありのままに受け止め、消化し、自分自身への理解を深めていくことが、自分らしさを見つけていくことにつながる。日記療法の効果について5点ほど挙げられておられる。1 、日記を通した緩やかな形で治療者がつながっていることで、患者の生活世界における問題解決の共同者として、悩む人を支えやすくなります。2 、患者にとっては、自分の感情を客観化し、それを包み込み、待つことができるようになります。3 、面接ではなかなか内面を率直に表現できないという患者にとって、日記は率直な自己開示の場となります。4 、治療者にとっても率直な自己開示の場になります。それが悩む人との人間的な交流を可能にするのです。5 、自分の経験を書く作業は、回復に向かって自分を物語ることともいえます。回復を自らのストーリーとして語ること・書く事は、患者の自己理解を深め、症状の再発を防止するために重要です。(はじめての森田療法 北西憲二 講談社 150ページから157ページより引用)生活の発見会の森田理論学習の中に、基準型学習会やオンライン学習会があります。基準型学習会は日記指導も含まれています。ここでは主に日常生活や仕事など、実際に実践したこと書いてもらいます。沸き起こってきた感情については日記には書きません。これは神経症で悩んでいる人は、もともと沸き起こってきた感情を問題にして、不安や悩みを深めているので問題にしないようにしているのです。それよりも、目の前の日常茶飯事や仕事などに目を向けて実践や行動を賦活させるように仕向けているのです。そういう癖をつけることが森田療法の眼目となっています。オンライン学習会では、少し違います。実践や行動以外にも、不安や恐怖、違和感や不快感などの感情についても書き込んでもらいます。日常生活や仕事の中で、どんな感情が沸き起こってきたのか赤裸々に書き込んでもらっています。それに対して、沸き起こってきた感情は極めて自然なもので、忌避し、回避しなくてもよいものだ。そのまま向き合い、とことんまで味わい尽くすことがよいのだということ書き込んでゆきます。こちらの方が北西先生が取り入れられている日記療法に近いかもしれません。ともあれ、日記療法は森田療法の方法の1つですから、できれば希望者がおられれば、可能な限り集談会で取り入れてみることも有効です。あるいは基準型学習会などに参加して経験してみるとよいと思います。オンライン学習会は参加すること自体が日記指導を受けているようなものです。
2018.03.22
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せっかく集談会に参加しても、1回だけで来なくなってしまう人が後を絶たない。これはいかに様子見で来ている人が多いかということである。これはある程度やむを得ないことだと思う。しかし、中には神経症を克服するために、森田理論が合っているのではないかと思われる人もいる。そういう人も、来くなってしまうとしたら、幹事や世話人、ベテラン会員の責任は大きいと思わざるを得ない。どういう態度で、新しく来た人に対応したらよいのだろうか。まず、初めて参加した人には、 「よく来られましたね。集談会はなんでお知りになりましたか」と話しかける。そして、集談会が始まる前に、自分のところの 「集談会へのご案内」を渡して読んでもらう。集談会が始まると、「生活の発見」誌という月刊の機関紙があることを伝え、その中にある「発見会の活動指針」を読み上げる。続いて、各人の自己紹介が始まる。顔見知りの人ばかりの時は、 1カ月の生活を反省して問題点や課題、耳よりな話や嬉しかった実践などを話している。 1人でも初参加の人がおられれば、それは中止して、自分が神経症のどん底であえいでいた時の話をする。初めて参加した人は、どんな話をしていいのかわからない人もいるので、なるべく最後に発表項目のリストを渡してそれに沿って自己紹介をしてもらう。集談会の中では少人数に分かれて体験交流があるが、ここでは自分の症状について思う存分喋ってもらう。我々は聞きっぱなしである。基本的には聞かれない限りは、森田的なアドバイスはしない。それよりは集談会、生活の発見会の活動内容、心の健康セミナー、オンライン学習会、全国の森田療法施設、生活の発見会の協力医などの話をする。ここでの目的は、集談会というところは、自分にとって「心の安全基地」になるのではないかと感じてもらうことである。これは集談会に定着している人が、一枚岩になって取り組む必要がある。そんな状態で2回、 3回と続けて参加してくれる人は、集談会に定着する可能性が強くなってくる。3回目が過ぎた頃から、生活の発見会に入会すると森田の理論学習を進める上で最大の学習ツールとなる「生活の発見」誌が毎月送られてくること伝える。そして入会案内書を渡す。その他、発見会のホームページやこのブログについても説明する。そして、森田理論の本を読むこと勧める。まだ1冊も読んでいなければ、例えば、高良武久先生の「森田療法のすすめ」 、北西憲二先生の「実践森田療法」などはどうかと勧める。また、生活の発見会が出している 「新版森田理論学習の要点」を買って読んでもらう。それを補足するテキストとして、私の作った「これで納得、実践森田理論学習」の基礎編のテキストを渡す。それから、毎月実践課題を挙げていただき、その結果を次月の集談会で発表するようにしてもらう。その繰り返しで、 1年位を基礎編の学習と自分の立てた実践課題に取り組んでもらう。可能であれば、日記指導を希望する人がおられれば、対応してあげる。森田理論は約3年で十分理解できるし、一旦自分のものにすれば、一生の宝物になることを説明する。1年目の締めくくりとして、体験発表をしてもらう。体験発表のわからない人には、 「まとめの仕方」(2017年2月号の生活の発見誌)の項目を用意しているので、それに沿ってまとめてもらう。ここまでくれば、 2年目からは「森田理論全体像」を中心とした、応用編の学習に進んでもらう。そして3年目からは、今まで学んだ森田理論の中から、自分の取り組むべき課題を2つぐらい選んでいただく。あとは、それに基づいた実践を集談会で発表して、みんなに刺激を与えるとともに、みんなからアドバイスをいただきながらさらに深化させる。こういう方向で、集談会に定着している人が、一枚岩になって、 3年未満の参加者に対して、暖かく見守っていくという共通認識を持っておくことが何よりも大切である。絶対にこの通りにする必要はないが、多くの人に森田学習が継続できるように支援したいものである。
2018.02.10
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元プロ野球選手の江川卓さんの話です。キャッチャーには大きく分けて、次の2つのタイプに分けることができると思います。1 、ピッチャーの良さを引き出して相手を打ちとるタイプ2 、相手の弱点を徹底的に突いて打ちとるタイプ1の代表的なキャッチャーは元西武ライオンズの伊藤勤選手を挙げておられます。西武に在籍していた頃の松坂選手は、ストレートとスライダーを中心に投球を組み立てていました。本人が1番プライドを持っていたのは、 Max 156キロの速球です。ところが、伊藤選手と組む前はスライダーの比率が多く、思うような成績は残せませんでした。キャッチャーが伊藤選手に変わると、配球がストレート中心に変わってきました。それだけではなく、伊藤選手は松坂選手を乗せるのがうまいし、気持ちよく投げさせることもできました。それで、獅子奮迅の活躍につながっていったのです。2の代表的なキャッチャーとして、元ヤクルトの古田敦也捕手を挙げておられます。古田選手は対戦するバッターの弱点を徹底的に研究して、弱点を突いていくというサインを出します。「頼むから俺の構えたところに投げてくれ」という捕手主導型のリードします。師匠が野村克也監督ですから、その影響を受けているのでしょう。コントロールが良くて、指示されたところにきちんと投げられれば打ちとる確率が高くなります。ところが、ピッチャーがその要求にきちんと答えることができないと痛打されることが多くなります。下手をするとそういうピッチャーは1軍では通用しないという烙印を押されてしまいます。ただ、その後古田捕手はピンポイントの要求を変化させました。例えば、 1995年のオリックスとの日本シリーズでイチローとの対戦がありました。古田捕手は、高めのストレートを効果的に使ってイチローを封じました。その時高めのストレートは外角が効果的と言われながら、実際は真ん中のあたりにきていました。これでいいのです。もし古田捕手が外角高めのピンポイントを要求したら、ピッチャーは萎縮して球を置きにきたでしょう。それがプレッシャーとなって高低のコントロールミスが続出していたかもしれません。 (マウンドの心理学 江川卓 廣済堂文庫 159ページより引用)この話は、集談会で先輩会員が初心者に森田理論を説明する時にも参考になると思います。神経質性格の人が、神経症を克服し、さらに神経質性格を活かした人生観を獲得するにはどうすればよいのか。まず、集談会に参加して、森田理論を始めたことを評価して温かく迎えてあげることが必要です。最初のうちは、傾聴、受容、共感を前面に打ち出した対応が必要です。集談会は居心地のいい場所だ、続けて参加してみたいという「心の完全基地」を作ってあげることが必要です。その段階を過ぎると、ただ参加するだけではなく、何らかの役割を分担して担ってもらうことも必要です。これがキャッチャーの1の役割に当たるものだと思います。相手のやっていることがみんなの役に立っているということを評価してあげることが大切です。相手の存在を認めてあげることにつながります。この段階では、性急に森田理論を詰め込まなくてもよい時期です。次の段階になると、本格的に森田理論学習に取り組んでいくことになります。まずは基礎的な学習です。神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の法則、認識の誤りなどの学習です。基礎的な学習が終わった後は、自分を振り返って体験発表をすることが大切です。基礎的な学習が終わった後は、応用編の学習に入ります。これは私が提唱している、「森田理論の全体像」の理解から始めるとよいと思います。ここでは主に4つの大きな柱の深耕とその関連性について学習していきます。生の欲望の発揮、欲望と不安の関係・不安との格闘、 「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、事実本位・物事本位の生活態度の養成です。その後、神経症が治るとはどういうことか、森田理論のキーワードの学習などに取り組みます。これらのステップを踏んでいくと、いよいよ離陸の時を迎えます。森田理論を実際に仕事や日常生活にどんどん応用していくのです。その際これはと思うもの1つか2つに特化して実践することが有効です。たとえば、「ものそのものになりきる」「物の姓を尽くす」「一人一芸を磨く」などです。そして自分の体験を、新たに森田理論学習を始めた人に伝えていく役割も担うとよいでしょう。最初は相手に寄り添い、相手の存在を認めてあげる。信頼関係ができれば、適切に森田理論の理解につながるように導いてあげることが重要だと思います。
2018.02.01
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私の住んでいる所では時々「紙芝居祭り」がある。いろんなところから、多くの人が集まってくる。同好の仲間は多いのである。地域の民話やアンパンマンなどの漫画、広島カープの苦難の歴史などを漫画化している。今は音響効果も入れてとても派手になってきている。滑舌は無声映画の弁士並みである。紙芝居も絵も綺麗だし、話の組み立てもとてもよくできている。私は時々「紙芝居祭り」に呼ばれて、 日本昔話や広島カープの応援歌をアルトサックスで演奏する。あるいは、子供向けにアンパンマンのマーチや昔懐かしい金色夜叉の曲を演奏したりすることもある。広島カープの紙芝居は、資金難で樽募金をした苦難の歴史などを面白おかしく紹介している。悲願の初優勝を果たした時の紙芝居は見ている人たちの涙を誘う。「紙芝居祭り」に参加していて思ったのだが、「森田療法誕生秘話」「人間森田正馬の一生」などを紙芝居にして、心の健康セミナーなどで上演するというのはどうだろうか。一般の人に森田に興味を持ってもらうための有効なツールになるかもしれない。あるいはYouTubeにアップする。森田療法の認知度は高まるのではないだろうか。そのためには、紙芝居を15枚から20枚ぐらい作らないといけない。専門家に聞いてみたところ、紙芝居の絵は大きさにもよるが、最低でも1枚1万円だそうだ。それを虫のいい話だが、格安で作ってくれる人はいないだろうか。そのためにはまずはストーリーを考えなくてはならない。先生のエピソードを森田理論と絡めて紹介するのも面白そうだ。森田先生の一生を紹介する紙芝居はどんなストーリーがいよいだろうか。次のようなエピソードはぜひ紹介したいものだ。・近くの寺で地獄・極楽の絵画を見てから、死の恐怖を意識して悪夢を見るようになった。・ 13歳の頃、頭痛で悩まされた。 15歳の時、心臓が悪いと病院に通院していた。のちに不安神経症と分かった。・ 18歳の時、脚気にかかる。 20歳の時、腸チフスにかかる。また、心悸亢進発作を起こしている。・ 23歳の時、坐骨神経痛のため、鍼灸、温泉転地治療法をしたが治らなかった。後に神経性のものであったと分かった。・ 25歳の時、東京帝国大学の医学部に入学した。この年、大学の医師の診察を受け、 「神経衰弱兼脚気」の診察を受け、治療を続けたが一向に良くならなかった。田舎からの仕送りが途絶え、やぶれかぶれになって進級試験に取り組んだところ、進級できたばかりか症状そのものもよくなった。この体験が森田療法誕生のきっかけとなった。・ 29歳の時医師免許を取得している。この年に右肺尖に硬結が発見された。これが後年、彼の命を奪う肺結核の兆候であった。・ 1919年45歳の時、巣鴨病院永松看護長が神経衰弱で悩んでいたの自宅に引き取り軽快させた。この年は森田療法確立の年とされている。これ以降、神経症患者を自宅に入院させ治療するようになった。・ 46歳の時、血便があり、発熱が続き、しばらくお粥しか食べられなかった。痩せて本人も家族も死を予感した。・ 50歳の時、血痰を見た。肺結核が進行していた。・ 51歳の時喀血。肺結核静養の為、高知に帰郷している。・ 52歳の時、 肋膜炎で2か月間病気療養している。・ 56歳の時、一人息子の正一郎君が肺結核で死亡。・ 57歳の時、喘息が悪化する。階段を登ることもできなくなる。・ 61歳の時、妻久亥さん脳溢血で死亡。・ 63歳の時、赤痢を発症。・ 64歳の時、母亀女死亡。森田正馬先生肺炎にて逝去。病気ばかりではなく、入院患者とのやり取りのほうが面白いかもしれない。どなたか絵の上手な人はおられないだろうか。
2018.01.31
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森田先生のお話です。神経質は早いのは、 16、 17歳から発病して、 20、 24歳くらいで、煩悶を切り抜けることができたら、1番都合がよいかもしれぬ。白隠禅師なども、神経衰弱の最も激しかった時は、 20歳を少し過ぎた時でもあったろうか。お釈迦様は、 16 、 17歳から煩悶し、 29歳で山に入り、 35歳で切り抜けたのであります。30歳あまりで発病するのは、神経質が足りない。また発病して、 20年も30年も経って、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このままに、どうかこうか、日を暮らした方がよい、という気持ちになってしまう。これに関連して、井上常七さんは、せいぜい3年くらいでよいと思う。あまり短いのもまたいけないと言われている。(森田全集第五巻 183頁より引用)30歳あまりで発病するのはいけないと言われているが、その当時の状況を加味しないといけないと思う。当時入院森田療法を受けている人は、ほとんどの人が10代後半から20代の人であった。30代以上で入院森田療法に取り組む人は少なかったのである。当時の平均寿命も60歳までであった。現代は平均寿命は90歳位までに伸びており、そういう年齢の縛りはないと思う。インターネットなどで探して、森田理論は価値がありそうだと思った時が学習を始まる時である。その際、3年くらいの期間で短期集中型で取り組むことは大いにお勧めしたい。時代の変化が激しい時代に、森田理論が理解できて生活に応用でき、人生の煩悶がとれてくるのに10年以上もかかるようだと、新たに学習する人がいなくなると思う。私は神経質者にとって、森田理論が素晴らしい内容を含んでいると感じ始めたのは、20年も過ぎてからであった。それまではなんども森田理論学習から手を引こうとしていた。でも生活の発見会に所属し、集談会で色々世話役を持っていたため、手を引くことができなかったのである。特に集談会の参加者が5人未満のときは、集談会に参加する意義を見失っていた。理論学習もマンネリ化しておりおもしろくない。唯一楽しかったのは会が終わった後の飲み会であった。イヤイヤ世話役を続けていたことが、その後大きく花開き、実を結ぶとはその当時は考えもしなかった。その後、一つの集談会活動から、多くの集談会活動に関わるようになった。派遣講師で他の集談会に参加したり、支部の活動に参加したり、全国レベルの活動に参加し始めたのである。すると、生活の発見会は今まで見えてこなかったが、素晴らしい人材の宝庫であることに気がついた。満天の夜空にきら星のように輝く人材がそこらじゅうに存在しておられたのである。こんな経験は今までなかった。普段は口もきけないような人たちでも、集談会活動の中では自由自在に交流できた。これは岡田尊司氏が言われている「心の完全基地」作りにあたるものであると思う。「心の安全基地」を持っていると、少々の荒波にでもなんとか立ち向かっていける。その後、私は森田理論の学習の仕方に問題があると気がついた。これを改善して、森田理論学習はすればするほど面白いと言えるものを作りたかった。そして自分なりに「森田理論の全体像」の理論化に取り組み始めた。これも7年ぐらい試行錯誤を繰り返したが、最終的には納得ができるものが出来上がった。その内容についてはこのブログで何度も投稿してきた。これこそ私が求めていた森田理論の理論化だった。そのプログラムに沿って学習をしていくと、約3年間という期間で「森田という学校」を卒業できることがわかった。あらゆる機会をとらえて、声を大にして説明をしているが、まだまだ認知度が低い。でもこれはとても役に立つという考え方が変わることがないので、自分のライフワークとしてか取り組みたいと思っているのである。今や私のように、 20年も失意のうちに森田理論にしがみついている時代ではなくなった。約3年間という期間で森田理論の真髄をつかみ、後は森田理論を実際の生活場面で縦横無尽に活用していけばよいのである。嘘だと思われる人が多いと思うが、これは紛れもない真実なのだ。そうなればあなたの人生は前途洋々たるものになるはずである。そのための足がかりとなる投稿をこれからも続けてゆきたい。
2018.01.28
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森田先生は森田療法に取り組むにあたって、強情でも盲従でもだめだといわれている。強情というのは、森田先生が指導すれば、すぐにそれに取り組んでみると言うのではなく、家に帰って考えてみると言う。そういう人は森田先生が神経症の治療の分野ではすぐれた医師であるということを忘れている。私が指示したことは、納得はできないなと思いながらも、いやいやながらでも手をつけてみることが大切である。頭の中で納得して決心するとか、自信がついてから取り組むという態度はダメだと言われている。たとえば神経症が治らなければ論文が書けないと考えてズボラをしている人がいる。そういう人に私は次のように言う。ただ自分の机の上に原稿用紙とペンと参考書などを並べて、静かに、退屈しながら、それと、にらめっこをしていればよい。その時間は、 1日に、10分なり30分なり短い時間で、何回でもよいから、なるべく度々 、机の前に座ればよい。そして三行でも、落書きし、また参考書手当たり次第、開いたところでたらめに読んでいればよい。その有様を1週間なり、 2週間なり忍耐して続ければよい。その全体の意味から言えば、てきても出来なくても、いやでも応でも、しなければならない事は、ともかくもするということに帰着する。その時に、勇気とか自信とか言うものの、付け焼き刃をしてはいけない。私の言う通りにすれば、たちのよい人は、 2日目から、はや書く気になる。遅い人でも1週間もすれば、自然に調子に乗ってくる。ただ、その初めの皮切りの間は、少々苦しいというまでのことである。それを「こんなに頭が悪くてはできるはずがない」と短絡的に考えて手をつけない人のこと強情というのである。先生の仰に従って行き着くところまでやってみようと言うのが、 「まかせる」とか「従順」と言うのである。盲従と言うのは、森田先生の言われたこと万能の神様のように信じて、馬車馬のように突進する態度のことである。森田先生は入院されていた水谷さんに、皆がいる前で、そこで三回ぐるぐる回ってお辞儀をしなさいと言われた。水谷さんは森田先生の言われる通りに行動した。まわりにいるひとたちがクスクスと笑った。森田先生は、だから君はダメなんだと言われた。普通の人はみんながいるのでそんな犬のようなマネはちょっと出来かねますと言って断る。君のような態度では、 「我」というものが全く出ていない。私の言うことを金科玉条のように信じて盲従していては、感じが出てこないのである。感じが出てきて感じが高まり、関心や気づき、発見やアイデアが浮かんでくることが大事なのである。言われたことを言われたなりにするというのは、「おつかい根性」の行動であって、神経症が治る方向とは程遠い。(森田全集第5巻 266から268ページより要旨引用)森田先生は、自分が指示した事は、 「これは果たしてどうかな」と感じながらも、一応先生の言うことだからと思って試しに試みてみるという姿勢が大切である。反発ばかりして少しも実行しないという態度はダメだといわれている。実行して、神経質性格の活かし方を身に着けていくのが修養である。次に取り組むにあたっては、物そのものになって一心不乱に取り組んでみることだ。そこに興味や気づき、新たな発見が生まれてくるということが大切なのだと言われている。感じが全く発生しない実践は、神経症が治るのではなく、益々神経症が強化されてしまうということを言われているのだと思う。
2018.01.16
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高良武久先生は、部分にこだわって、全体の調和を破ること問題視されている。沢庵和尚の文章に、 「たとえ1本の木に向うて、そのうちの赤き葉ひとつを見ておれば、残りの葉は見えぬなり。葉ひとつに目をかけずして、 1本の木に何心なく打ち向かい候えば 、数多くの葉残らず見え候。葉一つに心を取られ候わば、残りの葉は見えず、一つに心を止めねば、 百千の葉みな見え申し候。これを得心したる人は千手千眼の観音にて候」と言われている。部分的なことに重点を置くと、生活全体の調和が破れることを知らなければならない。不潔恐怖で手を洗うことに専念する人は、手以外のところがかえって不潔になる。不完全恐怖の人が仕事をする場合は、心残りをなくするやり方とか、仕事をするための予備操作に時を費やすので、仕事そのものがはかどらない。種々の強迫行為の人の態度がそれである。病気恐怖の人が衛生のとりこになって、全体の活動をにぶらしているのは、すべて部分的なものにとらわれていることに他ならない。いろいろな思案工夫が細くなるほど、ますます本道を遠ざかっていくのは、初めの一歩のちがいが到達点では千里の差を生じるようなものである。私たちは友人の顔を見た瞬間、すぐにこれは山田くんの顔であると認知するのは、顔の各部分、つまり眼、眉、英、口、耳、髪などを分析して、さらにそれを総合して山田君であると決定するのではない。第一印象で、ただちに全体を把握して山田君であると認めているのである。いちいち眼、鼻などを分析するだけでは、全体がはっきりせず、山田君のようでもあり、川野くんのようでもあるということになろう。言葉で言うのは難しいが、 「第一印象」 「初一念」のような作用は全体的なもので、我々の日常の行動は大体それに従って生活全体を保っている。言葉に拘泥しないで、文字に含まれた全体の気分を感得してもらいたい。(森田療法のすすめ 高良武久 白揚社 133ページより引用)私がこの話を聞いて感じることは、森田理論学習の進め方のことである。森田理論には、あるがまま、事実唯真、純な心などの独特なキーワードがたくさん出てくる。一般的には、その意味を正確に掴もうとする学習が中心となっている。私もそのような方向で20年間学習をしてきた。この方向は高良武久先生が言われている、木の葉っぱを一つ一つ観察していくような学習ではないだろうか。このような手法では、森田のキーワードの意味についてはよくわかるようにはなるが、実際には身近に自分の生活の中で応用することは難しいのではないかと考える。森田は特殊用語を正確に説明できるようになっただけでは、あまり意味はないのである。実際、私の場合、そのとおりであった。そんな時、ディズニィランドに行った人から、施設のご案内図を見て目当てのアトラクションを探すのだという話を聞いた。私は、森田理論学習に欠けているものは、この施設のご案内にあたるものだと気づいた。しだいに森田理論の全体の枠組みはどうなっているのだろうかという方面に関心が移っていった。そして試行錯誤の末に作り上げたのが、「森田理論の全体像」であった。全体像を理解して、森田のキーワードを学習することは大きな意味があることに気づいた。これは大きく分けて4つの柱から成り立っている。その内容はすでに何回も投稿している。私は「やじろべい」とともに、これを大きく図示して机の上に張り出している。森田理論学習をするときは、いつも今どこの学習をしているのか確認している。地図で今から行く目的地を確認しているようなものだ。これを見ていると、自分の学習場所がはっきりする。4つの柱の相互の関連性が分かる。またどこの学習が不足しているのかが分かる。それから、神経症を治すための3つの道が一目瞭然である。森田を生活に応用していくにあたり、どこに重点を置けばよいのか、目標が立てやすい。注意点としては、森田全体像の学習にあたっては、その前に1年ぐらいかけて、森田理論の基礎的学習をしておくことが大切であることが分かった。このようなステップを踏むことで、短期間で森田理論が効率よく理解できると考えている。あとは実際に森田を仕事や生活に応用して、集談会でその情報を交換して、膨らませてゆけばよいと考えている。
2018.01.14
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皆さんあけましておめでとうございます。健やかな新年をお迎えのことと思います。いつもこのブログを読んでいただいてありがとうございます。いつも温かく寛容な態度で見守っていただき言葉もありません。またコメントやメール等で励まし続けていただいた方にはこの場を借りて感謝申し上げます。最初は5年間限定で、森田の魅力を紹介しようと思って始めました。5年間で10万人ぐらいのアクセスがあればと考えておりました。実際には1年目総アクセス3万人でした。2年目8万人になりました。3年目198,000人でした。4年目423,000人でした。そして昨年末は724,000人でした。この1年間は延べ300,000人の方がアクセスしてくださいました。森田理論にはそれだけ多くの人を引き付ける魅力を内包しているのだと思います。このブログが多くの人に読まれるようになった時、森田の認知度は少しは高まるのかもしれません。高良武久先生が10年間一つのことに取り組んでいけば、その道のエキスパートになれると言われています。その目標が達成できれば、他人の思惑は気にならなくなるといわれていました。対人恐怖症の私にとってはとても魅力的な話です。それを確認する意味でも、あと5年は続けてみたいと考えています。投稿原稿を準備する中で、私自身もびっくりするくらい森田理論を深めることができました。今では「この道より我を活かす道なし。この道を愚直に進む」という心境になりました。今後どんな方面に森田理論が花開いていくのか、どんな自分に変身できるのか、楽しみでもあります。私にはこのブログを続けていく事以外にも、「森田理論の全体像」をベースにしたネットの掲示板を活用した学習会を始めてみたいという夢があります。また今までの投稿原稿を整理して、「森田理論の日常生活への応用」という新たなテキストを書いてみたいとも考えております。これらの夢の実現に向けて、今年1年気持ちも新たに取り組んでゆく所存です。読者の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
2018.01.01
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自動車はハンドル操作によって2つの前輪が左右に動きます。つまり、前輪は人間の意思の自由があるということです。後ろ側にある2つの後輪は人間の意思の自由は働きません。前輪が動く方向に従って動くだけです。これを森田理論に応用して考えてみたいと思います。自動車の前輪にあたるものは、まず行動・実践です。そして森田理論の学習をすることです。この2つは人間の意思の自由が働きます。自動車の後輪にあたるものは、 1つには、不安、恐怖、不快感、違和感などです。もう一つは、自分の望んでいる思いとは異なる目の前の事実、現実です。この2つは人間の意思の自由はありません。自然現象と同じですから、どんなに理不尽なのであっても、基本的にはそれに従うことしかできません。神経症で苦しんでいる人の場合は、ハンドルを前輪駆動から、後輪駆動に切り替えているようなものです。あるいはハンドル操作を後輪に直結しているようなものです。実際にはどう考えてもそのようなことで、自動車が正常に動くはずがありません。しかし観念の世界では実際に起こっていることなのです。これでは行動・実践がおろそかになり、森田理論学習の理解も不十分になります。それに引き換え、不安、恐怖、不快感、違和感などに対しては積極的に無きものにしようとしている。あるいは逃げまくっている。さらに強力な「かくあるべし」を持って事実や現実を否定している。自己否定や他人否定で苦しんでいる。自動車の前輪のタイヤがパンクした時、JAFに依頼すれば、パンクした前輪のタイヤを外します。そこに応急的に予備のタイヤをつけかえる事はしません。そのタイヤは今まで付いていたタイヤとは比べ物にならないほど幅の狭いものです。そこで、後輪のタイヤを外してパンクした前輪に取り付けます。予備のタイヤは外した後輪の代用として取り付けます。前輪駆動の自動車では、前輪に重量の大半がかかっているので、その方が安定性がよいわけです。それほど前輪の働きというのは重要なのです。森田理論学習を続けている人も、このことをよく振り返ってみることが必要です。行動・実践と森田理論学習は人間の意思の自由が効きます。生の欲望に沿った行動・実践はできているだろうか。基礎的な森田理論学習、応用編として「森田理論全体像」から森田理論を深めていけているだろうか。もし不十分でしたら、エネルギーはまさにここに投入すべきではないでしょうか。その2つで日常生活を牽引していくことが理にかなっています。不安、恐怖、不快感、違和感などは基本的に受け入れていくしかありません。理不尽な事実や現実も受け入れていくしかありません。いつも事実や現実を正しく認識して、そこから出発するという生活態度を養成していくことが大切です。神経症の克服は、自動車の前輪と後輪に見立てて考えてみると、とても分かりやすくなると思います。
2017.12.28
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たくさんの人から資料の依頼がありました。ありがとうございました。急いでメール送信をしておりますが、土、日ですべてメール送信しますので、すぐに届かない方は今しばらくお待ちください。尚代金はいくらかといわれる方がおられましたが、メール送信ですので無料です。尚今回お送りするのは、テキスト「新版 これで納得! 実践的森田理論学習」の中の第5章から第10章の部分です。図解はエクセル。他はワードで作成しています。A4で約40ページです。森田理論全体像の図解第5章 森田理論全体像とその説明第6章 生の欲望の発揮第7章 欲望と不安の関係第8章 「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり第9章 事実本位・物事本位の生活態度を養う第10章 森田理論のキーワードなおこのテキストは研修会や依頼された方に、200部程度は配布しておりますので、すでにお持ちの方はダブることになりますので、ご了解願います。
2017.12.08
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精神科医の市川光洋医師は、森田療法を始めるにあたって、あらかじめ患者と相談して入院期間を決めると言われている。そうすると、患者さんは、 「 2ヶ月経ったら退院できる。それまでに治すぞ」と強い意志を持って治療に望むことができる。1回1回が真剣勝負になるそうだ。これは治療するほうも真剣になる。例えば「10回でやりましょう」と言っちゃった手前、なんとか治さなくてはいけない。そういう覚悟ができる。入院期間を決めて、一生懸命に治療に専念する事はそれなりに成果がある。(生活の発見誌 2017年11月号 54ページより引用)これはプロ野球の世界でもあり得ることだ。高校生が入団したときは、体も細いし、技術も未熟だ。そういう人が、1軍で活躍している選手を見ると、体つきも違うし、スピードや技術も雲泥の差がある。自分は果たしてプロ野球の世界に入って間違いなかったのだろうかと戸惑うことがあるという。プロの選手は入団した時が新たな出発点である。そこから基礎体力をつけ、俊敏性や技術を身につけて、レベルアップを図っていかないといけない。高校野球で甲子園で活躍した時がピークだったと言う選手はプロの世界ではすぐに淘汰されてしまう。普通のレベルの選手が競争を勝ち抜いて2軍から1軍に上がる。そして、 1軍でもレギュラーの座を獲得することは容易なことではない。広島カープで今は引退をしているが、レギュラーを張っていた人の講演を聞いた。その人は、高校ではピッチャーをしていたが、プロに入ってからは野手の道を選んだ。入団した当初は、レベルの差があまりにも大きく、プロの世界で飯を食っていくことは不可能だと思ったそうだ。その人は3年で1軍に上がれなかったらもうプロの世界から去ろうと決めていたという。そしてくる日もくる日も、持久走やバッティング、守備練習に励んだという。そうこうしているうちに筋力がついて、プロの体つきになっていったという。 その人が言うには2軍も1軍もそんなに極端な力の差はないという。しかし、全くないことはない。その間にあるちょっとした僅差がその後の野球人生の明暗をくっきりと分けるという。1軍の選手と2軍の選手ではまるっきり年俸が違う。2軍選手はサラリーマンより低いことがある。また、 1軍の選手でもレギュラーと控えの選手では、年俸をはじめとして、何かにつけて雲泥の差がある。バッティング練習もレギュラークラスが最優先である。その地位にたどり着くには、猛練習を積み重ねて、技術面では一皮向けて1ランク上のレベルに這い上がる必要がある。そして運も味方につけて、何回か与えられたチャンスに、ある程度の成果でもって答えを出さなければならない。1ランク上のレベルに上がっているからといっても、必ずしも成果が出るとは限らない。しかし、 1ランク上のレベルに上がっていない人は、絶対に首脳陣に目を引くような成果は出せないという。努力してレベルアップしていない選手に神様は応援してくれない。そうなるために、最初の3年間は疲れて寝る以外は、野球のことしか考えてもいなかった。実際に寝食を忘れるぐらいに野球に打ち込んでいた。酒を飲んだり、車を乗り回して遊んだり、旅行したり、女の子とデートしたいとは思ったことがあるが、そんな時間もなかったという。目の前の当面のライバル選手を追い越すことだけを考えていたという。一心不乱に頑張って、結果を出して、首脳陣に認められたからこそレギュラーになれた。一旦レギラーになると、少々成績が落ちる期間があっても(スランプ)すぐに2軍に落とされることはなかったという。1軍でそれなりの成果を出し続けていると、大きな怪我をしない限り、その後の生活は安泰だったという。レギュラーを取るには、ある期間死にもの狂いになって殻を突き抜けることが欠かせない。この人の講話を聴いての私の感想である。森田理論学習もある程度の期間を決めての集中学習が有効であると思う。その間は気持ちの上では寝食を忘れるくらいに本気で取り組んでもらいたいものだ。そうしたステップアップする期間を作った方が、自分のものになると思う。その期間を、私は約3年と思っている。3年が長いという人がいるかもしれないが、今までがんじがらめに自分を縛っているものから解放されるとしたら、まだ短い方である。1年目は森田の基礎的学習である。神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の法則、認識の誤りなどの学習である。一通り終わったら、自分の場合に当てはめて見て「まとめ」を行うことが大切である。そして集談会の場で体験発表を行い、先輩や参加者からアドバイスをもらう。この作業を繰り返して2回以上行うことが大切である。2年目に入ると、森田理論全体の枠組みを学習することから始める。森田理論全体像の学習である。これは私が作り上げたものをそのまま学習すればよい。このブログで何回も繰り返しているように、森田理論には 4本の大きな柱がある。その柱の1つ1つを深耕しながら学習していく。そしてもう一つ大事なことは、その4つの柱の相互の関連性を学習することである。そして森田のキーワードを聞いたとき、森田全体像のどこらあたりに当たるのかピンとくるようになるとよいと思う。神経症が治るという3段階もすぐに分かるようになる。3年目に入ると、今まで学んだ森田理論学習をもとにして、実生活での応用面を探っていく。これも奥の深い話ですが、とりあえず「生の欲望の発揮」から取り組むとよいと思う。これらは、本を読んで1人で取り組んでいくことは至難である。プロ野球で言えば、コーチにあたる人が集談会にはたくさんいる。その人たちの助けを借りながら取り組んでいくことが重要である。そして何より大事なことは、この3年間は寝食を忘れるくらいに取り組んでみることである。この期間一心不乱に森田理論学習に取り組んでいけば、その後神経症で生活が滞るというような事はなくなると思うのである。さらに、苦悩や葛藤がかなり軽減できるので、とても生きやすくなるのである。何度も言うようだが、短期集中型の学習が有効だと思う。集談会に参加していればいつかは森田的な生き方が身につくだろうと思っていては、当てが外れることが多いと思う。実際私は対人恐怖症と縁が切れたのは20年経過した頃だった。こんなしんどい思いは皆さんにはしてほしくないのである。
2017.11.27
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集談会に参加すると、プログラムの中に必ず森田理論学習がある。初めて集談会に参加する人が、例えば、 「純な心」の学習するのは問題はないだろうか。初めて参加する人は、いろんなタイプの人がいる。精神科の医師に集談会を勧められたから来てみたという人。自分でインターネットや森田関係の図書を見て、参加してみたという人。共通しているのは、今現在神経症に陥って、何とか治したいという気持ちが強い。中には、森田理論について、よく学習している人もいるが、こういっては失礼だが、ほとんどの人は浅学である。そういう人が、いきなり森田の特殊用語である「純な心」などの学習する場合がある。どの程度理解されているのか気になる。普通の学習には順序というものがある。私は「純な心」の学習をする前に、森田の基礎的な学習が欠かせないと考えている。神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の原則、認識の誤りなどである。これらの学習を、 1年ぐらいかけてじっくりと学習した方がよいと考える。これらの学習が終わったら、自分の場合にあてはめて、振り返ってまとめてみることである。そして集談会の場で、体験発表してみることも大切なことである。2年目に入ると、基礎編の学習を土台にして、いよいよ応用編の学習に入る。応用編の学習は、まず森田理論のスキーム(枠組み)を理解することから始める。これを私は、 「森田理論の全体像」と名付けている。このブログで何度も説明している。これは図示されている。「森田理論全体像」は、ディズニーランドに行ったときの施設のご案内図のようなものである。これを見ると、どこにどんなアトラクションがあるのか一目瞭然である。私の長い学習経験から、森田理論の鳥瞰図は絶対に不可欠であるという結論に達している。このことが頭に入っていないと、森田の知識は増えるが、混乱を招くばかりであると思っている。「森田理論の全体像」を、あらかじめしっかりと頭に入れた上で、その骨子となっている4つの大きな柱の学習に移っていく。4つの大きな柱は次のようなものである。・生の欲望の発揮とは!・不安の肥大化と神経症の発症について・ 「かくあるべし」に固執する考え方・生き方の誤りについて・事実本位・物事本位の生活態度の養成について一口に言ってしまえばこうゆうことだ。簡単なことだ。これを見つけるまでに試行錯誤しながら、約20年もかかってしまった。簡単だが中身は深い内容を含んでいる。枠組みが理解できたら、それぞれの柱を掘り下げて学習する。さらにこの4つの大きな柱は、相互に密接な関係を持っているので、その関連性もよく学習していく必要がある。そして最後に、森田理論独特の特殊用語の学習で補強していく。これは家の骨組みができた後に壁を塗るようなものである。全体像が分かっていると、神経症が治るということはどういうことかがよく分かる。次に自分が今どこの場所の学習をしているのかよくわかる。さらに、自分がどのあたりの学習が不足しているのか、あるいはどのあたりの森田実践をする必要があるのかよく分かるようになる。つまり森田理論学習がとても的確で効率的になる。ちなみに「純な心」の学習は、「事実本位・物事本位の生活態度の養成」の学習の中に出てくる。このように、順序だてて学習を積み重ねていけば、戸惑う事はないと思うのである。「純な心」という学習は、森田理論の中では大きな意味を持っている。このテーマの学習なくして事実本位の生活態度を身に着けることは難しいと考えている。ところが、初心者に対して、唐突に「純な心」というテーマを持ち出されては、混乱するばかりで、中には森田理論学習を早々にあきらめてしまう人も出てくる。しかし現実問題として集談会では、縦横無尽に学習テーマが変わる。学習経験の長い人も短い人も同じテーマの学習をするので、どだい順序立てて学習することは難しい。そこで私は、順次だてて学習するためのテキストの必要性を感じた。既存の本でテキストになりそうなものを探したが、帯に短したすきに長しで適当なものがなかった。そこで1年かけて森田理論の基礎篇と応用編を合体したテキストを作った。「新版 これで納得! 実践的森田理論学習」である。ちなみにこのテキストは13章まである。A4版で約100ページのテキストである。製本はしていない。ワードで作成しているだけである。でも現物やメールですでに100人以上の人に届けた。このテキストで、初心者の人は、まずは基礎編の学習をして欲しい。それが終わった人は、随時応用編の学習に進むようにするとよいと思う。さらにこのテキストに沿ってさらに自分なりに膨らませて学習してほしい。急造テキストなので、完全なものではないのでいくらでも改訂してもらって結構である。自分独自のテキストを作るぐらいな気持ちで学習してほしい。このテキストには各単元の最後に課題を設けているのでまとめてみてほしい。できれば集談会などで相互学習するとより理解が深まるだろう。実際にこのテキストを使って連続学習している集談会もあった。そして効率よく森田理論を学習し、森田理論の概略を理解し、神経症を克服するとともに、これから先の人生に役立ててもらいたいと考えている。私は闇夜に鉄砲を放つような学習ではいつまでも獲物をしとめることはできないと考えている。きちんと順序立てた学習によって約3年間で森田理論をものにしてもらいたい。そして早く日常生活の中で森田理論を応用した生活に移ってほしいのである。
2017.10.10
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森田理論を学習するために役立つ本を紹介してみたい。入門書・ 「実践森田療法」 北西憲二 講談社この本は初心者が森田理論を学習するにあたって最適だと思う。この本の最後には神経症の自己診断チェック表が付いている。・ 「神経症を治す」 中村敬 保険同人社薬物療法、神経症周辺の精神病、神経症者に対する家族や職場の対応などの記載がある。・「森田式精神健康法」 長谷川洋三 三笠書房この本に出会って森田療法に関心を持ったという人が多い。長谷川洋三氏は森田療法を全国に普及させた人です。・ 「森田正馬が語る森田療法」 「流れと動きの森田療法」 岩田真理 白揚社2冊とも、森田療法の真髄についてとても分かりやすく書いてある。エピソードが満載である。特に「純な心」について的確な説明がある。最初の本には、森田先生の詳しい年表が載っている。本格的に森田理論を学ぶには、森田正馬先生の原著をお勧めする。・ 「森田正馬全集 第5巻」 白揚社 形外会という森田理論勉強会の記録である。大変読みやすい。・ 「神経衰弱と強迫観念の根治法」 「神経質の本態と療法」少し難しいが森田理論を深めるために必須である。その他の本で、特に私がおすすめするのは次のようなものである。・「生の欲望」 森田正馬 水谷啓二編 白揚社この本には、森田先生のエピソードが満載である。・ 「強迫神経症の世界に生きて」 明念倫子 白揚社強迫行為を伴う強迫神経症の成り立ちと克服の仕方が明快に説明されている。・ 「神経症の時代」 渡辺利夫 TBSブルタニカ渡辺氏はこの本で開高健賞をとられた。森田理論について的確で奥深いところを説明されている。・ 「森田正馬癒しの人生」 岸見勇美 春萌社森田先生の写真が多く載っている。森田療法成立の過程がよくわかる。・ 「愛着障害」 「愛着障害の克服」 岡田尊司 光文社新書岡田氏は森田療法家ではないが、私たちが神経症に陥った親と子の関係について鋭く指摘されている。また、そこからの脱出についてくわしく述べられている。岡田氏は数多くの本を上梓されている。すべての本が、神経症克服にとって役に立つ本である。・ 「怖くて動けないがなくなる本」他多数 石原加受子 すばる舎対人恐怖症の人には役立つ本である。石原さんの本は、70冊以上が販売されている。石原さんは「他人中心」の生き方から、「自分中心」の生き方にチェンジすることが必要であると言われている。それはどの本にも一貫している。人間関係における不安と欲望の折り合いの付け方だと思う。そういう意味では実践的である。・「状況」が人を動かす 藤田英夫 毎日新聞社経営の本ですが、人を動かしていくのは状況、現実、事実だと指摘されている。事実の特徴、付き合い方について大変参考になる本である。以上独断と偏見で紹介しました。関心のある本を何度も繰り返してお読みください。
2017.09.11
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私の症状は対人恐怖症でした。人の思惑が気になって、仕事が手につかなくなったり、ミスや失敗を人目に付かないように隠していました。いつも逃げまくっていたのです。森田理論学習のおかげで、そういう事はなくなりました。嫌だと思いながらも、仕事から逃げるようなことはしないし、ミスや失敗も正直に告白できるようになりました。人の思惑が気になるという自分の性格は変える事はできませんでしたが、そのためにやるべき事から逃げることはほとんどなくなりました。これをもって私は対人恐怖症は克服できたのではないかと思っております。他の人にもそう宣言しています。しかし、振り返ってみると、ここまで来るのに20年の歳月を要しました。どうしてそんなに時間がかかったのか。それは森田理論の学習の方法が、手当たり次第でつまみ食いのようなものであったと反省をしております。森田の特殊用語についての理解は深まりましたが、心の中はいつも重苦しかったのです。よく遊園地などに、巨大迷路というのがありますが、その迷路の中に入り込んで、右往左往していつまでも出口を見つけられないようなものでした。もしここで、巨大迷路を空の上から写真撮影して、迷路の構造内容がわかる設計図のようなものがあったら、比較的楽に迷路から抜け出すことができたのではないと思いつきました。そのように思いついてから、森田理論全体の内容を一目で見渡すことができる鳥瞰図を作ることに挑戦することにしました。そして何年もの試行錯誤の末に作り上げることができたのです。これは今や私の貴重な宝物となりました。森田理論学習の折にはいつも傍らにおいて、それと照らし合わせながら学習しております。私はこれを、「森田理論全体像」と名付けております。私が考えるには、森田理論は大きな4つの柱から成り立っているように思います。・生の欲望の発揮・不安、恐怖、不快感、違和感などの感情との関わり方、欲望と不安の関係・理想主義や完璧主義などに固執する考え方・生き方の誤り、いわゆる「かくあるべし」的思考・事実本位・物事本位の生活態度の養成この4本の柱を図式化したものが「森田理論全体像」の内容です。内容は過去の投稿をご覧ください。この4本の柱は相互にとても強い関連性を持っています。従って「森田理論全体像」の学習にあたっては、それぞれの項目についてより深耕していくと同時に、相互の関連性についても、力を入れて学習していくことが重要になります。さて、森田理論の学習にあたっては、基礎的な学習はもちろん大切です。神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、行動の原則、治るとはどういうことかなどについては、「森田理論全体像」を学習する前にあらかじめよく学習しておく必要があります。「森田理論全体像」の学習は、基礎的学習の次のステップの「応用編」という位置づけです。基礎的な学習を終えた後、早速この「森田理論全体像」の学習に取り掛かることが肝心だと思います。そして、「森田理論全体像」の学習が終わった後は、森田特殊用語の学習で補強するとよいでしょう。それは、骨組みができた家に壁を塗るようなものです。より理解が深まります。先にも言いましたように、「森田理論全体像」は、このブログでも何回も取り上げています。多少修正は加えていますが、その基本的な考え方は全く同じです。「森田理論全体像」を理解していると、どういうメリットがあるのか。・神経症が治るという過程がよくわかります。ちなみに神経症が治る過程は2種類あります。一つだけで満足することなく、2つに手を付けることで、神経症とは縁が切れます。それどころか、これから先の確固たる人生観を確立することができます。・自分が今学習している場所がよくわかります。森田理論には難しい言葉がよく出てきます。純な心、精神交互作用、無所住心、事実唯真、精神拮抗作用、不即不離、唯我独尊、努力即幸福、物の性を尽くすなどです。これらの学習をする時、森田理論全体のどの部分に当たるのかをあらかじめ分かって学習するので、学習効果が飛躍的に高まります。・これから先の自分の努力目標を明確に意識することができるようになります。この学習を私の参加している集談会で何度か行ってきました。反省点があります。今現在症状の真っ只中にあり、苦しんでいる人にとっては理解が難しいようです。それよりは手っ取り早く自分の症状を治したいという気持ちが強いのです。もっとも効果があるのは、何年も森田理論学習を続けてきたにもかかわらず、もうひとつすっきりしない。何か問題が起きると、すぐにとらわれて落ち込んでしまう。断片的な森田特殊用語は理解しており、人に説明できるが、森田を生活の中に活かしきれていない人。そんな人にこの「森田理論全体像」の学習は、とても大きな効果をもたらしています。これはちょうど、東京ディズニーランドに行く時に、施設のご案内を持っているようなものです。あらかじめ自分の行きたいアトラクションが分かっているので、すぐに直行することができます。基礎的な学習を終了された後は、このブログで紹介している「森田理論全体像」を理解していただきたいと思います。私は20年かけて、やっと、森田理論をものにしましたが、皆さんにはそんな無駄なことはしてほしくないのです。少なくとも3年という期間でものにしていただきたいと思っております。生涯にわたって役立つ森田理論を、中途半端な学習で済ませていることは実にもったいないと思います。神経質性格の方は、確実に自分のものにしてもらいたいのです。そのためには、学習の中に、「森田理論全体像」を組み入れることが必須であると考えています。
2017.09.03
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森田理論を学習するために「森田正馬全集第五巻」 (白揚社)をぜひお勧めしたい。この本は生活の発見会でいうところの集談会の記録のようなものである。その名前を形外会といった。入院生や元入院生を自宅に呼んで主に森田先生が話をされている。形外会は昭和4年12月1日から始まり、森田先生が亡くなられる1年前の昭和12年4月25日まで計66回開催されている。ほぼ1ヶ月に1回行われていたが、森田先生の健康上の理由などにより飛び飛びになることもあった。テープレコーダーもない時期になぜこのような記録が残されていたのか。この第5巻の責任編集者である青木薫久先生に聞いたところ、これはある人が速記をして、それを見て後に森田先生が加筆、訂正されたものであるという。すごく手間暇がかかっている貴重な本なのである。どうしてこの本を推薦するかというと、決して森田理論を小難しく説明されている訳ではない。身近な生活の場面をとらえて、森田理論からわかりやすく解説を加えられている本なのである。具体例や身近な生活の話から始まっているので、とても読みやすい。しかも、他の本を読まなくても森田理論のほぼ全貌が説明されているのである。参考になる話が次から次へと出てくる。これらを自分の生活に応用していくと、神経症は治るだけではなく、神経質性格者としてのこれから先の人生の方針が明確になる。欠点としては、この本には分厚い表紙が付いており、持ち運びに大変不便である。ページ数は実に774ページにものぼる。そこで私は、表紙を取り去り、この本を3分割にした。約250ページぐらいにした。真ん中に穴をあけて紐を通した。そうすると、持ち運びが容易になり、本を読む回数が格段に増えた。次にこの本は少々高い。確か8000円を超えていたと思う。 Amazon.comや古本屋でたまに安く売られていることがあるが、その本の価値を知っている人がすぐに買うので安く買うことが困難である。ちなみに私は古本屋で半額で売られていたので、すぐに買って集談会で欲しがっていた人に原価で分けてあげた。この本は白揚社では絶版にすることはないという。他の全集は単行本などとして出版されているものもあるが、第5巻はこれだけだ。次に、この本の読み方であるが、あまりにも膨大で、購入したのはよいが、ほとんど読んでいないという人もいる。そういう人にオススメしたいことがある。生活の発見会が出している、 「現代に生きる森田正馬の言葉」という本がある。この本には1と2がある。この本の内容は「森田正馬全集第5巻」からの抜粋が多い。抜粋したページ箇所が載っている。この本を持っていなければ、集談会で聞いて誰かに貸してもらうとよい。この本をみて、 「森田正馬全集第5巻」の該当箇所にマーカーで印をつけていくのである。ついでに記載ページも書いておくと後で役立つ。あと、内容のポイントを書いておく。その数が相当数あるので、あらかじめ重要なポイントがおおむね分かった上で読むことができるようになる。このような準備をしておくと、俄然読んでみたいという意欲が高まってくる。それなら分厚い全集を読まないで、その本だけを読めば森田理論が身に付くのではないかという人がいるが、私はそれは少し問題だと思っている。変な話だが、プロ野球観戦を球場に足を運んでみるのと、テレビで観戦する程度の違いがあると思う。それはどういう話の成り行きでこういう話を森田先生が出しているのかということが全集を見るとよく分かるのである。だから、 「現代に生きる森田正馬の言葉」という本は、この全集を読むための羅針盤のようなものである、と思っていたほうがよいと思う。次に生活の発見誌には、この全集第5巻からの引用がとても多い。引用があったときは、全集第5巻を開いて前後の部分を読んでいくとよいと思う。私はこの本を読むときは、このブログで説明している「森田理論全体像」のどの部分の説明なのかを念頭におきながら読むことにしている。森田理論を闇雲に学習するのではなく、森田理論の全体のスキームを分かった上で学習することが重要であると思っている。また、森田先生の話は前に言われたことと、今の話は矛盾するのではないか、と思うようなことがある。そんな時は、今話されていることで森田先生が我々に何を伝えようとしているのかという風に考えると、頭が混乱することがない。さらに森田理論の核心部分に触れることができるように思う。つまり読みっぱなしにするのではなく、自分の場合に当てはめて森田先生と対話するような気持ちで読むことが必要なのだ。最後にこの本を読んで、それぞれの感じたことを集談会の場で話し合うことでさらに効果的になる。全集第5巻の読書会なるものは、そのような学習を積み重ねているのである。
2017.08.13
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形外会の記録にこんな話がある。松本さんが森田先生に質問した。森田先生が「絶えずハラハラしているようであれば、神経症がよくなる」と言われた事は、自分は1人で自分の部屋にいるときには、その必要はないのではないか。松本さんは、仕事をしているような時はハラハラしていてもよいが、家にいるときはリラックスして精神が弛緩状態になっても構わないのではないか、といわれているのだ。これに答えて森田先生は次のように言われている。松本君の質問の仕方は、自分をハラハラさせなければならない、自分をかくあらなければならぬと、人為的に作為しようとするものである。ハラハラというのは、あれもしなければならない、これもしたいという欲望の高まることであって、これがために自分の異常に対して、ひとつひとつこだわっていられなくなり、そこに欲望と恐怖との調和ができて、神経質の症状がなくなるのである。ちょっと考えると、忙しくて気が紛れる、という風に解釈されるようであるけれども、決してそれだけでは無い。ここの療法で、その症状だけは、単に苦痛もしくは恐怖そのものになりきることによって、治すことができるけれども、これが根治するのに、さらに欲望と恐怖との調和を体得することが必要であります。 (森田全集第五巻 112ページより引用)このやり取りを私なりに考えてみた。松本さんは、神経症を治すためには仕事を見つけて、いつも精神状態を緊張させておくということは大切だということはわかりました。だから糸車を回しつづけるハツカネズミのように、日中は動き回ればいいですね。でも日中動き回っていると、夕方には心身ともに疲れてきます。そんな時は緊張状態から解放してあげて、心身を休ませてあげる必要があるのではないですか。それだけ聞けばもっともな理屈のように思えてくる。しかしこのような論法で森田理論に議論を吹っかけていけば、なかなか話が噛み合っていかない。議論を噛み合わせようとすると、どうすればいいのだろうか。それは森田先生が形外会に集まった人に対して何を伝えようとしているのかを考えることだと思う。森田先生は、神経症を治すためには、神経を四方八方に張り巡らせて、 「無所住心」の生活態度の養成が極めて大切であると言われている。神経症に陥った人は、自分の気になる症状、一点に神経を集中させている。一点に集中された注意や意識が、周囲にまんべんなく分散されるようになると、症状だけに関わっておられなくなる。すると、精神交互作用が働かなくなってくる。神経症がアリ地獄のそこに落ち込んで、固着してしまうということを防ぐことができる。観念上の悪循環、行動の悪循環を断ち切ることができるのである。反対に、生活のほうは張り合いが出てきて、観念上の悪循環がなくなり、行動の良循環が始まるのである。松本さんは、頭の中で、 1日中緊張状態で生活していると心身ともにおかしくなってしまうのではないか、と考えられたのであろう。森田理論を学習していると、言葉尻にとらわれて、ああでもない、こうでもないと議論する方向に向かうことがある。こういう時は、森田先生が手を変え品を変えて何を我々に伝えたいのだろう、という原点に戻って考えてみる必要があると思う。我々は森田理論から神経症からの解放、神経質性格者としての生き方を学びたいのであって、森田先生の言われていることが、正しいとか間違っているとかの判定をしているわけではない。
2017.08.07
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宮大工で伝説の棟梁として、法隆寺や薬師寺の改修にあたられた西岡常一さんという方がおられる。その方が自分の子供たちに話していた言葉が残されている。森田理論に通じることなので紹介してみたい。子供たちに本を読めということをよく言われていましたが、 1番大事な事は「残すな」ということです。「そういう考え方があるんだな」と覚えておくのはよいが、 「こうでなければならない」という事は本には書いてない。本に教えられたらいけない。つまり本の中に書いてあることにとらわれるな。捨てなさいということだ。「知識は豊富に持っておく必要がある。ただし知識人になってはならない」ものの考え方や見方とかの知識は必要だけれども、それに縛られてたり、自分が勉強して持っている知識を絶対だという考えは持ったらいかんということです。「いったんは頭に叩き込んで知る。そして最終的にはそれを捨ててしまえ」「学問ほど人間を毒するものはない。学問に縛られたら、それ以上の人間の成長もない。ただし、無知はバカと一緒だ。知った上で捨てなさい」実際に西岡さんも独学であらゆる事を学んでいた。最新工業大事典、世界美術全集、法華経大講座などたくさんの本が書棚に並んでいた。自分の専門分野だけではなしに、雑学まで幅広く学んでおられた。そして自分の知らない事は、 師と言われる先生のところに出向いて教えを乞うた。疑問に思った事は貪欲に勉強するという探究心が旺盛であった。それらは全て、法隆寺や薬師寺の改修工事につながるものであった。「文化財の修理とか保存は、学者さんとのお付き合いが非常に多い。それには建築の歴史的な流れは言うに及ばず、仏教伝来から今日に至る仏教史も教養として身に付けていなければならない。そうでないと、設計委員会などで先生方と議論が対峙した時に、相手を説得することはできない」喧嘩をして勝つのが本意では無いけれども、自分なりの考えをプレゼンできるだけの知識と論理的な背景をきちんと持っておくことが重要なのだ。子供の教育にあたって1番重視していたのは、頭の中で観念的に理解するよりも、手足を使って体で覚えるということだった。例えば、子供にカンナがけをさせた。 一回だけは自分が削って見せてくれた。「最初はこれで削ってな、次はこれで削ってな、仕上げはこれでするねんやで」そこまで説明するとどこかへ行ってしまう。1時間か2時間して帰ってきて、削った面をひっくり返してみて、四隅を抑えてみろという。ガタガタと動くと、板が吸い付いて離れないぐらいに削り直せという。そしてまたどこかに行ってしまう。西岡さんは、手取り足取り教えないことが教育だと言っていた。とにかく自分で考えろ。弟子たちにも、実際にこまごまと教えるということはなかった。技を盗め、自分で工夫し、考えろ、ということだった。(宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み 、日本経済新聞社 、 222ページより引用)これを森田理論の学習にあたってどのように活かして行ったらよいのだろうか。まずは、森田理論を学習したらそれを使って実践・行動してみるということが大事なのではないだろうか。森田理論には特殊用語がいろいろと出てくる。生の欲望、思想の矛盾、純な心、事実唯真など色々とある。その言葉の意味を納得ができるまで理解しようとする態度は立派であるが、必ずしも深く理解している人が森田の達人になるわけではない。むしろ森田理論の学習が不十分であっても、森田的な実践・行動がそれなりに行なわれている方が森田の達人に近づく可能性がある。まだまだ心もとないかもしれないが、その方が目の前に大きな可能性が開けているのである。実践・行動が伴わないで森田理論を捏ね回すことが生きがいになっている人は、ますます混迷の度を深めてしまう。森田の達人の域に達しているかどうかを見分けるコツは、その人の普段の生活ぶりにある。それを確かめるには、その人の家に出向いて、その人が普段どのような生活をしているのか見れば一目瞭然である。森田理論をよく学び、それを生活の場に活用し、自分の血肉化していく作業を行っているかどうかが成否の境目である。森田理論の体得にはそういう気持ちで取り組みたいものだ。
2017.06.26
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森田療法を積極的に支援している団体がある。公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団である。元ニチイの副社長、岡本常男氏が、森田療法で胃腸神経症を克服した経験から設立された財団である。財団では、一般市民向けに全国各地で「心の健康セミナー」を開催されている。すばるクリニック主催の岡山での開催はすでに9回目を迎え、今回の講師は青木薫久先生だった。今までも、伊丹仁朗先生、宇佐晋一先生、比嘉千賀先生、北西憲二先生などの講話を拝聴することができた。その他財団では、メンタルヘルス図書室で図書の貸し出しなどをされている。電話・面接相談。臨床心理士による無料カウンセリングも行われている。無料の会員制掲示板も運営されている。これは「インターネット相談室・体験フォーラム」と言われている。2016年3月末では2,773人の会員がおられる。ここに登録できる方は、神経症に悩む人、または森田療法で神経症克服した人のみを対象としている。相互扶助によるアドバイスが日々活発に行われている。男女の比率では若干女性の方が多い。年齢は30代から40代は多い。約65%を占めている。職業別では会社員は33%と最も多い。このフォーラムの特徴は参加資格を厳格にしていることである。心の問題に対して真摯に話し合い、相談し、アドバイスしあえる環境を提供している。遊び半分や批判、中傷を目的として入会するような人を極力排除するために、今現在心の問題で悩んでいる人、もしくは克服した人のみが入会できるよう細心の注意を払っている。体験フォーラムの会員は、悩みの内容から4つのグループに分かれている。普通神経症、不安神経症、強迫神経症、その他(うつ病など)です。対人恐怖症や強迫行為で悩んでいる人たちは、強迫神経症のグループに入ります。その他のグループは、うつ病、躁うつ病、抑うつ神経症、離人症、燃え尽き症候群などが入ります。体験フォーラムは、個人会員への単なる批判や中傷、あるいは個人の営業行為にあたるような投稿を防ぐために、発言内容の事前チェック制度(モニターシステム)を採用している。これは会員が発言した内容を掲示板に直接反映させずに、管理者がその内容を事前に確認する仕組みです。その内容に問題がなければ掲示板に反映させている。発言内容が掲示板に反映されるまでに、若干のタイムラグがあるのですが、不真面目な書き込みや個人的な勧誘、アピールなどを事前に排除でき、場合によってはそのような行為を続ける会員は利用停止にすることもできるので、安心して掲示板を活用することができます。その他、体験フォーラムは、森田療法の中心拠点である東京慈恵会医科大学の精神神経科のご協力のもと、月一回、会員向けにアドバイスを掲載しています。その他、年に数回を目安に、会員同士が直接集まって勉強会をしたり、意見交換、親睦を図るオフ会も実施しています。自分の住んでいる県に生活の発見会の集談会がない。あるいは交通の便が悪く、年に数回しか集談会に参加できないなど、さまざまな理由で森田の理論学習や体験交流ができない方は役に立つかもしれない。(メンタルヘルス岡本記念財団 メンタルニュースno. 34より転載)
2017.04.28
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私は森田理論学習を30年以上続けてきた。最初は対人恐怖症を治すために学んできた。最近は幅広い人たちとの交流があり、人との付き合いは面白いと思うようになった。人との交流が、この世の一番の楽しみではないかと思っている。さて、学習が20年過ぎた頃から森田理論は神経症治療という役割は、森田理論全体から見るとほんの1部ではないかと思うようになった。森田理論の本来の大きな役割は、神経質性格を持った人が、どのように生きていったらよいのかを教えてくれるものではないかと思うようになった。不安と欲望の相互関係、生の欲望の発揮、 「かくあるべし」を少なくして事実本位・物事本位の生活態度を身につける事はとても意味のある生き方を手に入れることになると思う。神経症になり森田と出会うことがなかったら、悶々とした人生を送ることになっていただろう。ただ最近思う事は、人生を実りあるものにするためには、森田理論学習だけに特化するだけでは難しいのではないかと思うようになった。というのは、神経症を引き起こしたり、生きづらさを抱える大きな原因は、直接的には両親の子供の育て方にあるのではないかと思うようになった。愛着障害や親からの自立などという問題は、子供を持った親が、適切に子育てをすることで回避できるのではないか。親たちが先人たちが蓄えた子育ての学習をする。親同士情報を交換し合うことによってかなりの部分解決するのではないかと思うようになった。子育ては高校や大学の教育の中で取り上げてもよいような重要な内容を含んでいる。子育て以外にもう一つ学習することがあると思う。それは、今の世の中は1部の拝金主義者たちの欲望が暴走して、平凡につつましく生きている人たちのささやかな幸せを破壊しているのではないかと思うようになった。その人たちが、金儲けをするために、心豊かに家族仲良く暮らしている人たちの生活を破壊しているのではないか。今の世界は1パーセントの超富裕層と99%の貧困層に分解している。この実態に対して事実を知ろうとしないで、無知であることは、自分たちを不幸にしていく。コマーシャルを流して無制限な消費欲求を喚起したり、政府とグルになって、食料、教育、医療や介護、軍事などの分野で民営化を図り、収奪を繰り返している巨大な投資会社と多国籍企業が存在している。このような強欲な資本主義の担い手たちによって、我々一般庶民の生活は徐々に破壊されていく。気が付いた時はもう手の施しようのない状態に追い込まれている。これは今のアメリカの一般の国民の生活ぶりを見れば一目瞭然である。同盟国としての日本もこの流れに巻き込まれていくことはほぼ間違いがない。だから、実りある人生、味わいのある人生を送りたいと思うなら、森田理論だけですべてがうまくいくというような単純な問題ではなくなっている。森田理論学習に加えて、子供の育て方や教育、強欲な資本主義の担い手たちから我々の生活を立て直して、いかに守っていくのかを考えていく必要がある。この3つの項目について、関心のある人たちが集まり、学習運動を全国に展開していく必要がある。あるいは、ネットを使って関心のある人たちが議論をしていく場が必要なのではないか。私のブログでは、今まで森田理論学習や子供の育て方や教育について色々と投稿してきた。これからはもっと幅を広げて、我々の生活を根底から根こそぎ破壊しようとする強欲な資本主義の仕組みや担い手たちのことも注意深く観察して随時投稿をして行きたいと思う。以上3つの視点から、いろいろと問題提起をしてゆきたい。試行錯誤状態の投稿ですので、内容に誤りや偏見、見落としている点があることもあるだろう。その場合は、具体的に指摘していただくようにお願いします。
2017.03.11
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今日は森田療法と森田理論学習の違いについて述べてみたい。私たちは普段何気なく森田療法という言葉を使っている。しかし厳密に言うと森田療法は、日常生活が滞っている神経症の人に対して行う医療行為を意味する。医療行為は主に精神科医によって行われる。医療行為は医師免許を持った人以外はできない。以前水谷先生が亡くなられた後、長谷川先生が生活の発見会を引き継がれた時、生活の発見会活動は森田理論の学習運動であると明言された。生活の発見会は医療行為は行わないのが鉄則である。だから学習活動の中に治療者としての医師はいない。また現代の神経症は森田先生のころのような純粋森田療法適応者は少ない。うつを抱えたり、躁うつ病、統合失調症、発達障害、引きこもりの人も多い。生活の発見会は神経症で悩んできた者同士が助け合い、体験を共有化して神経症を乗り越えようとする学習活動である。このことは生活の発見誌の1月号で、北西先生も言われている。「治る治らない」は症状であり、そこは医療従事者の領域です。自助グループである発見会は、 「成長モデル」を担うべきだと思います。私も基本的にはその通りだと思います。森田療法は言うまでもなく神経症治療の1つである。神経症治療ということを考えてみると、まず薬物療法がある。その他、心理療法としては、まず認知行動療法がある。その他、精神分析、カウンセリング、論理療法、交流分析、家族療法、内観療法、ピア・カウンセリング、サイコドラマ、意味療法、ヘルスカウンセリングを始めとして 30種類ぐらいある。その中の1つとして森田療法があるということである。昔森田先生が森田療法を開発された頃と比べると、その手法は格段に増えている。相対的に治療としての森田療法の役割は減少しているのである。その役割が全くなくなっている訳ではない。ただ森田療法は神経症治療の万能薬とは言えなくなっているのである。次に森田理論学習よって、神経質性格の持ち主で、不安にとらわれやすかったり、生きづらさを抱えて適用不安に陥いりやすい人が、その打開策を見つけることができる。これは薬物療法や他の心理療法にない大きな特徴である。神経症に陥っている人が、森田理論を学習することによって神経症を克服することは事実ではある。その数はそんなに多くはないし、むしろ専門医に任せたり、あるいは他の精神療法との関連で取り組む方が効率的であるかもしれない。だから神経症治療としての森田理論学習に過度の期待を寄せるのは考えものであると思う。神経症の蟻地獄から地上に這い出ることは幅広い選択肢の中から選ばれたら良いと思う。その中で森田理論を選ばれるのであれば、いくらでも協力はできると思う。でも私が声を大にして強調したいのは、神経症の蟻地獄からはい出したとしても、社会に適応していくことは依然として茨の道なのである。そこで大いに役に立ってくれるのは、森田理論の中の人間観なのである。特に、欲望と不安の関係、生の欲望の発揮、欲望の暴走の制御、自然に服従し境遇に従順に生きる生き方などを理解して、森田的な生活に変化して来れば、すごく実りある味わい深い人生を送ることができる。森田先生がもし仮に現代の時代に生きておられたなら、医師として森田療法をさらに発展させられているだろう。それとともに、時代が抱えた社会問題、人間軽視の経済活動、環境の破壊、人間関係のあり方などについて積極的に自論を展開されているだろうと思われる。むしろそちらのほうに軸足を移しておられるかもしれない。したがって、厳密に言えば森田療法と森田理論学習は、よく似ているが水と油のような関係にある。他に適当な言葉がないので森田療法という言葉を、私たちは普段何気なく使っているが、頭の中ではきちんと整理しておく必要があると思う。
2017.02.28
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将棋の米長邦雄九段の弟子に、伊藤能さんという人がいた。この方はプロ棋士になれる四段への道のりは遠かった。奨励会に入ってから実に17年、 3段になってから7年という長年の歳月が流れていた。そして伊藤さんは30歳を迎えた。今年駄目だったらプロで飯を食っていくという夢は諦めなければならないところまで追い詰められた。当時は31歳が挑戦権を得られるギリギリの年齢だったのである。師匠の米長さんは伊藤さんに次のように言った。「このままでは、お前はダメになる。しかし、私はどうしても、お前に四段に上がってもらいたい。人間の脳みそには、変わりはないのだから、お前だって必ず上がれる。みんな死に物狂いで必死にやっている。お前もやっている。問題は勝利の女神が微笑むかどうか、それだけだ。これまでお前には女神が微笑まなかった。それだけのことだ」実力的には問題ないのだが、運命に見放されているのか、最後の詰めの段階でいつも苦杯をなめている。そう前置きして、私は彼にひとつの指示をした。「対局のたびに、その前日でも翌日でも、お父さんの墓参りに行ってくれ」伊藤さんの父親は、彼が20歳の時に他界した。「雨が降っても、風が吹いても月2回の対局日の前後の墓参り、それだけは欠かさずやってくれ。そうすれば必ず上がれるはずだ」これは理屈では無い。 40年近く勝ち負けの世界で生きてきた私の信念、ほとんど信仰に近い勝負哲学である。こうして伊藤さんは最後の三段リーグへと臨んだ。そんなある日、若手棋士何人かと一緒に伊藤が私の家に来た時のことだ。茶菓子を取りに台所へ行くと女房が私に小声で言った。「伊藤さんによく似た人がきていますけど、どなた?世の中にはよく似た人がいるものですね」 誰だろうと思って居間に戻ってみると、伊藤本人はいるが、どう見てもよく似た人はいない。あとでよく聞いてみると、伊藤を別人と見間違っていたのだ。「歳格好はそっくりだったが、目の表情と身体から発散するものがまるで違う。だから別人だと思った」というのである。確かに彼の目は輝いていた。時々自宅で開く研究会に若手の有望棋士たちが集まるが、タイトル戦に登場するような若手棋士は皆目がきれいだ。これは例外はなく、共通してキラキラと輝いた目をしているのである。伊藤の目がそうなっていた。そして、体全体から醸し出される雰囲気、オーラというのだろうか、そういうものが全く別人のソレになっていたのだ。その年度伊藤さんは、プロ棋士である四段に昇格した。伊藤さんは若くして亡くなったが、それでもその後六段まで昇格しておられる。ところが米長九段が、伊藤さんに会ってみると驚いたことに、昨日までのへの輝きは半分になっていた。 1週間後に将棋連盟であったときには、完全に昔の伊藤さんの目に戻っていた。そのことを本人に言ってみたが、まったく自覚はなかった。三段リーグを戦っていた、 4月から9月の半年間、伊藤さんは崖っぷちに立たされていた。そうなって初めて、自分の能力をフルに活用した。だが目が輝いていたのだが、半年しか続かなかった。生きてきた30年の人生のうち、その半年間だけフル回転し、奇跡的なことを引き起こしたのだった。天才と凡人の違いは、この奇跡的な期間の長短、持続性にあるのではないだろうか。勝利の女神は、フル回転の気配に極めて敏感なのである。(運を育てる 米長邦雄 クレスト社 149ページから引用)この話は森田理論学習に取り組んでいる我々にも参考になる話である。森田理論を自分のものにするためには、ある一定期間寝食を忘れるくらいに、のめりこむ時期を持つことが大きな意味を持つ。私の体験で言うと20年、30年当たりさわらずの学習を続けているよりも、1年でも集中して取り組んだ方がはるかに得るものが多かった。実は私は入会して20年間はほとんど森田理論の意味が分からなかったのである。もちろん森田理論のキーワードは何回も学習してそれなりに分かっていたが、自分の生活とはかけ離れたところで理解していたにすぎない。学習のための学習を続けていたにすぎない。森田理論の学習は20年も続けたが、森田的な生活に変化していなかったのである。私が転機となったのは、試行錯誤の末に「森田理論全体像」を自ら作りだしてからであった。これはこのブログですでに紹介しているものである。今までバラバラに理解していた森田理論が、一つの筋の通った理論として理解出来始めたのである。鷹などの鳥が、空から地上全体を見渡して広く獲物を見つけているようなものだった。私は森田理論学習の中で大きな発見をしたのである。一旦掴んでしまうと、一生涯の宝物となった。一旦掴んでしまうと、こんな簡単なことがなぜわからなかったのだろうと思うこともある。森田理論全体像は4本の柱からなっている。生の欲望、生の欲望と不安の関係、認識の誤り、その中でもとりわけ「かくあるべし」の弊害、事実本位・物事本位の養成である。これらが相互に密接に関連性をもっているのであった。これを発見してからは、いろんな人から、いろんな話を聞いた時に、今森田理論全体像のどこらあたりの話をされているのかすぐに分かるようになった。また自分の問題点や課題がよく分かるようになり、努力目標の方向性がはっきりと分かるようになった。この時、私は今までとは違った地点にランプアップしているのだとしみじみと感じることができた。これは野球界で言うと次のようなことだ。野球の選手で二軍にずっとくすぶっていて、一軍に上がれない選手がいる。片や、その選手と実力面ではあまり違わないのに、割合はやく一軍に上がって、しっかりと1軍に定着する選手もいる。どこが違うのか。早く1軍にあたる選手は、もともと能力も実力もあって、2軍に甘んじている選手とは異質なのであろうか。あるいはコーチや監督に対してアピールがうまいのだろうか。それらが全くないとはいえないかもしれない。だが、一番大きいのは、ある時期に寝食を忘れるくらいに野球にのめり込んでいるかどうかであると思う。ドラフトにかかるような選手は素質、能力、実力はアマとは違って、もともとある選手であると思う。その段階からいかに早く1段階、2段階上のステップに上がりきるかどうかの違いのような気がする。広島カープで言えば、菊池、丸、鈴木選手は入団したときは並みの選手であったが、猛練習の末に1軍選手になった。プロで活躍する選手は、入団してから一皮剥けた選手である。プロに入ったときは出発点で、入団してから猛練習によってレベルアップした選手である。これらの選手は、今後怪我でもしない限り5年から10年、あるいはそれ以上にわたってレギュラーが約束された選手となった。そういう意味で、森田理論はしっかりした芯の通った理論として整備されており、後は1年から3年程度はしゃにむに学習に取り組んでいく覚悟があるかどうか。そこが重要である。そうすれば、人間として一回り大きな人間になることができて、さらに今後の一生にかけての宝物を手にすることは間違いのないことだと思う。私は森田理論を自分のものにしようと思えば、ある一定時期森田理論学習にのめり込むことが必要であると思う。
2017.02.26
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2011年に75歳で亡くなった立川談志師匠の弟子である立川談春の著「赤めだか」(扶桑社) に、立川談志師匠が弟子を育てるときの言葉が残っています。 「あのな坊や。お前は狸を演じようとして芝居をしている。それは間違っていない。正しい考え方なんだ。だが、君はメロディーで語ることができていない。不完全なんだ。それで動き、仕草で演じようとすると、わかりやすく云えば芝居をしようとすると、俺が見ると、見るに堪えないものが出来上がってしまう。形ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、分かるか?難しすぎるか。結論を言えば、型を作るには稽古しかないんだ」 成長するためには、形ができていることが必要で、そのためには稽古しかない、という主張なのですが、その型とは先人達から伝承される知識と応用技術のことを指します。そして先人たちの知識と応用技術を受け継ぐためには、まずそのすべてを教えられる通りに覚えることです。 逆に考えれば、成長を阻害する要因は、未熟な頭で先人たちの知識と応用技術にケチをつける。不用と決めつけたりして、すべてを受け入れないことにあります。 ところが、表面的な個性が格好良いと思われるようになった現代では、自分の意見を表に出すことをよしとする風潮が強いように感じます。立川談志師匠は、まさしくそのような考え方を戒めているのです。 (理不尽な評価に怒りを感じたら読む本 藤本篤志 ダイヤモンド社 183頁より引用) 武道に「守・離・破」という言葉があるが、この事と同じことを言われているのだと思う。 つまり武道では、最初は師匠の技を真似して身につける。技が身についたら、自分の独自のもの付け加えてみる。そして最終的には師匠とは違った自分のオリジナリティを開拓していく。 これは森田理論学習に即して考えるとどういうことか。 私たちは神経質性格を持ち、神経症で苦しんできたわけですが、そういう人たちが社会に適応していくためには、独りよがりの生き方を打ち出していくより、まずは森田理論を学習していく。それも謙虚な気持ちで徹底的に学習していく。その際、最初に森田理論の基礎知識を学んでいく。神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、認識の誤りなどである。 その次に、私が提唱している「森田理論全体像」を頭に叩きこんでいく。次にその中で述べている森田理論の4本柱を深耕していく。ある程度学習が進んだら、いったん森田理論学習から離れてみる。つまり学習したことを生活面に応用していくことに専念する。森田理論を様々に応用していく。あるいは森田理論をもとにして神経質者の生き方・生きがいについて考えてみる。世の中の様々な問題点について森田理論の視点から考え直してみる。そのように展開するほうがよいように思います。 森田理論学習は、より深く学習することは必要ですが、ある程度学習が進んだ後は、思い切って学習一辺倒から離れてみることも重要になるのではないでしょうか。
2017.01.20
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森田理論の学習会で「あの人は神経症が治っている人、治っていない人」と選別する人がいる。では何をもって「治った人」と判断しているのだろうか。森田理論に精通している人を見て判断しておられる場合がある。これはまずいと思う。私は「治った人」と言うよりは、「症状に振り回されなくなった人」「楽に生きていけるようになった人」「森田理論を身につけた人」等と言ういい方が好きである。そもそも仕事や生活に目が向けられるようになっても、不安や不快なことはたくさんでてくる。そんな時はやはりイライラして右往左往してしまう。振り回されて仕事や日常生活が全く滞ってしまうことは確かに少なくなる。それでも抱えきれなってパニックになることはよくあるのだ。「治っている人、治っていない人」と選別する人は、もう一つ困ったことがある。そういう人は、神経症で苦しんでいる人を見て、その人を自分の力で救ってあげようとする気持ちがとても強くなってくるのだ。私は救ってあげる人、あなた方は救われる人にはっきりと分離している。救ってあげる立場に立っていると思っている人は、相手のことをよく見ていない。というよりは見えなくなってしまう。それよりも自分の掴んできた森田理論を説明することに力が入り過ぎてしまう。森田理論はこんな理論だ。だからあなたはこのようにしなさい。こうすれば神経症は克服できるというような話が中心になる。しかしその思いは相手になかなか伝わらない。それは信頼関係ができていない。相手の悩みに寄り添っていない。相手の話を聞いていないから当然のことである。これは自分の立ち位置が、上から下目線になっているからではないのか。相互学習とは程遠い。そういう上下の人間関係の中での森田理論学習は、馬を水飲み場までは連れていけるかもしれないが、馬は決して水を飲もうとしないようなものだ。相手が引いてしまうのだ。こうなると森田理論は素晴らしい理論なのに宝の持ち腐れになってしまう。それはとても残念なことである。でも森田先生の入院療法はそういうやり方だったのではないかという疑問が残る。森田先生が強力なリーダーシップを発揮されて、神経症を治していかれたのではないか。だから同じやり方は今でも通用するのではないか。森田先生の入院療法は一般社会から40日程度は社会から隔離されて行われていた。また一週間の臥褥があった。入院中は森田先生や奥さんたちが、一日中注意深く入院生を見ておられた。そして入院中には、症状には手をつけないで、日常生活に丁寧に取り組むことを徹底して指導されていた。意識や注意の向き方が内向きから外向きに変わることを目標にしておられた。感情が動き出し、高まっていくことを身につけさせておられた。体得が中心だったのである。それらが身につけば完治として退院させておられた。系統立てて森田理論の学習はされていなかった。座学ではなく体得療法だったのだ。「神経質の本態と療法」で述べられているような森田理論を講義形式で解説されていたわけではない。それらは退院後に参加された形外会や数多くの出版物であった。先に体得があって、理論は後付けになっていたのだ。最初から森田理論の注入することは、入院生を益々観念的にさせるばかりだということを森田先生はよく分かっておられたのだろう。我々の相互学習はこの点が大きく違う。この点をよく自覚しておく必要がある。先に森田理論学習で理論を頭に叩き込んでいるのだ。それで神経症を克服できるかのように思ってしまうのだ。これは大きな錯覚だと思う。ここは大きな問題だと思う。森田は体得、実践が欠かせない。理論と行動はよく車の両輪にたとえられる。同じ大きさの車輪の場合は前進することができる。理論の車輪がバカでかいとどうなるか。行動と言う車輪を起点にして理論という車輪が空回りすることになってしまう。そうなると元々あった神経症は以前よりも増悪させる役割を果たしてしまう。自分を救うための森田理論が、自分を苦しめてしまうと言う皮肉な結果になってしまうのだ。森田理論の学習会で「神経症が治っている人、治っていない人」と選別することは、理論学習の偏重に拍車をかけるものであって、本来の森田の取り組み方とは違うのではないかと思う。
2017.01.03
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私がよく見るホームページをご紹介します。・まず「Web森田療法図書館」です。森田療法に関する資料、本、ホームページなどほとんどすべて網羅されています。ここまで調べ上げるのは大変だったろうと思います。・「対人関係療法」これは精神科医水島広子さんが主宰されています。・命を考える・命の情報サイト「生きるアシスト.com」 いろんな自助グループを紹介されています。・「認定NPO法人ワンデーポート」 ギャンブル依存症の人に役立ちます。・「幼児教育ぽーたるさいと」 子供の問題をいろいろ取り扱っています。・「中高年のためのライフプランセミナー」中高年の生きがい、人間関係などを取り扱っています。
2016.12.07
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先日の森田理論学習は、学習の要点から「森田療法の人間観」だった。まずここを読み合せた。そして分からない点や感想を出し合って議論を深めてゆきたいと思っていた。ところが16名もの参加者がありながら、質問、感想、意見はほとんど出なかった。とくかくむずかしいというか、ストーリー性がないというか議論を深める糸口が見つからない。それではこれで理論学習を終わりますということでいいのだろうか。この学習の要点を学習の中心に据えて毎年繰り返しておられる集談会も多いのではないかと思う。そういう集談会では何も問題はないのだろうか。この単元を担当している人から自分なりの体験を踏まえた話を付け加えて問題提起をして、要点を膨らませていくべきなのかもしれない。これらの話は批判も多いだろうが、独断と偏見を交えて提案してみたい。もし私が学習の要点を作るとすると、学習の基礎編と応用編を分けたいと思う。基礎編1、 神経症とは何か、神経症の成り立ちについて2、 森田理論学習が役立つ人、神経症の診断項目について3、 今現在苦しみのどん底にある人への提言4、 基礎的学習「神経質の性格特徴」5、 基礎的学習「感情の法則」6、 基礎的学習「認識の誤り」応用編7、 森田理論の全体像の概要説明8、 生の欲望の発揮とは9、 欲望と不安の関係性について10、 「かくあるべし」の発生と苦悩の始まりについて11、 事実本位・物事本位の生活態度の養成について12、 治るとはどういうことか13、 「まとめ」の仕方について(付録)森田理論学習でよく使われる言葉の解説このような項目で、要点が作られていると、連続性が出てくると思う。連続性があるということは森田理論が真の意味で理論化されているということだと思う。私たちが学習したいと思っているのは、理論化されている森田理論である。これなら毎年繰り返して学習すれば確実に力がついてくると確信している。「あるがまま」と「純な心」は11での学習項目となる。「森田療法の人間観」もほとんど11で学ぶ学習内容である。その内容を仮に私が作るとすると、大幅に改定して、下記のようにしたい。・まず前提として、事実にはコントロールできるものとできないものがある。できるものはコントロールしなければならない。だがほとんどは事実を受け入れ、服従するものが多いということをしっかり認識する。・次に出来事や感情の事実から目をそむけないでよく見る。徹底して観察する。・事実はできるだけ具体的に、詳細に、赤裸々に取り扱う。・事実をよいとか悪いとかの価値判断をしない。事実を事実としてそのままに認識する。・事実は必ず両面観、多面観で見るようにする。・事実は4つに分類してみる。①不安や恐怖などの感情②自分の性格や風貌、ミスや失敗③他人の仕打ち、他人の性格や風貌、ミスや失敗④自然災害や経済変動など・つぎに常に感じから出発する。森田理論でいう「純な心」の体得実践の説明。・「私メッセージ」の体得と実践の説明。以上が「かくあるべし」という思想の矛盾を抱えている人の取り組むべき課題であると考える。事実を受け入れる。事実に服従する生き方を「あるがまま」というが、我々の目指す方向はまさにそのような方向であると思う。森田療法の人間観というのはそういう生き方のことをいうのではなかろうか。
2016.09.13
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生活の発見会の集談会では「傾聴、共感、受容」ということがよく言われる。そういう気持ちがないと相互学習は成り立たない。特にネットを使った学習会では、相手と1回も顔を合わせないで文章だけでやりとりをする。面と向かっては自己開示ができないという人には、たしかに取り組みやすいという面がある。しかし大きな落とし穴もある。1回でも顔を合わせていれば、気に障ることを言われてもすぐに反発をしないケースもある。ところが、面識が全くないと、少し気に入らない書き込みをされると、ものすごい剣幕で反発される人もでてくる。言いたい放題で逆に相手を誹謗中傷することにもなる。だから、よほど注意して、当たり障りのない、自分の感情を少し抑えた書き込みをしないとすぐに対立関係になる。中にはせっかく学習意欲に燃えて取り組んでみたものの、その後いつまでも心の傷を抱えてしまうことにもなる。しこりとなり、トラウマとなって、相手を憎み続けることになる。ネットを使って学習する場合は、事前に1回は会っておく。あるいは顔写真は公開しておく。あるいはスカイプなどを一部取り入れてみる等の工夫をする必要があると考えています。その上で、今日は「共感的受容」について考えてみたい。たとえば、ある人が集談会でこんな相談を持ちかけた。私の会社の上司は、いつも私のもう一人の同僚ばかりと親しく雑談をしている。私には冗談を言うことはなく、話をするときは注意や叱責されるときです。私はその対応に大変憤りを感じています。こんな相談を受けたとき、あなたならどう対応されますか。「かわいそうにね。気持ちはよく分かるわ。上司がエコひいきしているのね。エコひいきは絶対に許せないと思うのは当然よ。そんなの上司としては失格ね。私も以前そんな経験があった。イライラして、いつか上司をぶん殴ってやりたいと思っていた。そのためにうつになったら責任をとらせてやると思っていたよ」こんな対応をしてもらうと、話を受け止めてもらって、同情してもらい気が楽になるかもしれません。でもそれだけの事です。解決への糸口は見つかりません。同じ傷をなめ合っているだけの事です。その程度の効果しかありません。こういうのは「同情」といいます。「同情」中心の対応をしていると、集談会への参加者は減少してくると思います。「同情」と「共感」は似ていて非なるものです。それでは「同情」を一歩超えた、「共感」というのはどういう対応を言うのでしょうか。「その上司はあなたの同僚と和気あいあいと冗談を言い合いながら楽しそうに仕事をしているのですね。あなたにはめったに冗談をいって親しく話しかけてくることは全然ないのですね。話しかけてくるときは仕事のミスや仕事の遅れを指摘したりする時だけなんですね。そんな状況がずっと続いているようですね。そんな対応に対して、あなたはものすごく腹が立ったり、イライラしたりされているのですね。あるいは嫉妬したり、一人のけものにされて、不安になっているのでしょうか。そしてますます上司との対話がうまくいかなくなって、どう接していいのか分からなくなってしまっておられる感じでしょうか。今ではその上司や同僚に嫉妬したり、腹立たしさばかりがどんどん膨れ上がってきている」これは相手に同情しているのではありません。まず相手に寄り添って話をよく聞いてあげています。そして相手のイライラの状況や不安な感情について繰返して相手に確認しています。そしてそこから相手がもっと悩みや感情についてより深く話してくれるように発展しているのです。次に今のあなたの状況と感情を「私はこういうふうに理解しましたが間違いありませんか」と確認しているのです。すぐに自分の意見や対処法を話すこととは大きく違います。たとえば相談者がこんな話をします。「そうなんです。私も同僚みたいに上司と会話がしてみたいとは思っているんです。でも私はそんな機転のきいた話はできないからどうにもならないんですよ。だから毎日職場では疎外されていてつらいんですよ」・・・・。このように「共感」というのは、まず相手の今抱えている悩みに寄り添うことが大切です。次にその時の状況や湧き起っている感情をお互いに確認し合う。共通認識を深めていく。相手はそこで感じたことや思いついたことをさらに話して、会話が深まっていく。そういう会話を続けているうちに、次第にもつれた糸がほぐれるように、解決の糸口を相談者自らが見つけ出せるようになれば集談会に参加された意味が大いに出てくるのです。そういう意味で、今の体験交流をふり返ってみると、そういう会話が少ない。あまり相手のことを分かっていない段階で、性急にアドバイスなどをしすぎることがあると思います。
2016.09.03
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伊藤忠商事を大きく育てた人に瀬島龍三氏という人がいる。その人の言葉は森田理論に通じるところがある。1、 目先の現象だけを追いかけてはいけない。大事なのは大枠を掴むこと。変化を読むことが大切である。さらに思考の三原則について述べている。まず、目先にとらわれず、長い目で見ること。次に、物事の一面だけを見ないで、できるだけ多面的に全面的に観察する。さらに、枝葉末節にこだわるのではなく根本的に考察する。2、 激動の時代とは何が起こるか分からない時代のことで、予測されるのは変化のみである。そういう時は、先入観は絶対にもってはならない。本来人間というものは、いつも事実を楽観的にか、悲観的にか、偏って見がちだが、どちらかというと、楽観的に考える習性が強いから、その習性をよく考えて、自分の希望的観測はきちんと整理しておかねばならない。チャーチルも「人間は事実を見なければならない。事実が人間を見ているからだ」と言っている。3、 本来知識などというのは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られるもので、それだけでは、人間の信念とか、行動力にはならない。何が大切かというと見識である。次に私の感想である。まず1点目である。森田の学習は基礎編の学習が一通り終わったら、森田理論の全体像の学習から始めるべきであると提案してきた。森田には大切なキーワードがたくさん出てきます。例えば、感じを高める。無所住心、純な心、あるがまま、事実唯真、自然に服従、境遇に柔順なれ、変化に対応、精神拮抗作用、不即不離、事実本位、物事本位、唯我独尊、物の性を尽くす、努力即幸福などである。これらを手あたりしだい学習していくというのは感心しない。事実私もそういう学習方法をとってきたが、20年間森田のことがよく分からなかった。雲をつかむようなものだった。そこで私なりに森田理論全体像を模索してきた。その過程では絶えず修正をしてきた。試行錯誤の連続だった。今では森田理論には大きな4つの柱があると思っている。それから急速に森田がよく分かるようになりました。中身としては、生の欲望の発揮、不安と欲望の関係、認識の誤り、その中でも「かくあるべし」的思考の誤り、事実本位・物事本位の態度の養成などである。これらは単独で深耕して学習すると同時に、相互の関連性の学習を積み重ねることがとても大切である。これはエベレストに登るときに地図を見て登山ルートを確定するようなものである。さらにシェルパーの助言を得て初めて登頂にアタックできるようなものである。次に2点目である。「かくあるべし」押し通そうとしないで、「かくある」事実を受け入れて、服従していくことである。さらに変化の波に抵抗しないでうまく乗っていくことである。これはサーフィンの波乗りに似ている。波に抵抗してはうまくゆかない。波に逆らわないで波にのっていく態度になると、爽快な気持ちを味わうことができる。3点目である。ここでは感じから出発するということを提案したい。好き嫌いという感じから出発すれば間違いがない。感じを大切にしていると、気付き、思いつき、発見、アイデア等がでてくる。すると感情が高まり、こうしたいという欲望などがでてくる。それに手をつけていけば、さらに意欲が高まっていく。生きるということはなにも難しく考えることはない。感じを発生させて、感じを高めていくことだと理解しておきたい。それが最終的に生きがいにまで発展していくのである。
2016.08.03
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シンクロナイズド・スイミング監督の井村雅代さん曰く。私、高校生にこう言うんです。(手で三角形を作りながら)今、三角でしょ。「これ、私がマルって言ったら、「マル」って覚えなさい」って。「三角ですって主張するんじゃないの。他人の言った言葉にはまれって言うんです。「一度、人の言葉に100%騙されてその気持ちになりなさい」「これを私がマルだって教えたら「これがマルだ」と覚えなさい。「これがペケや」って教えたら、「マルやのに」って思わないで「これはペケだ」って覚えなさい」って。そんな時がなかったら、あかんねん。自分のことばかり言うんじゃないの」シンクロナイズド・スイミングでは、選手が水上にあげた足の角度が自分の思っている角度と違っていることがよくあります。選手が30度だと思っていても、実際には15度だったということはよくあります。その時に自己主張を繰り返していては、決してうまくはならない。メダルには程遠くなるばかりだ。自分を捨てて、監督やコーチに従うという姿勢が上達のコツです。これは森田理論学習にもそっくりそのまま言えることです。森田先生は森田理論に対していくら疑いを持っていてもかまわない。私の言うことに盲従しているよりは、かえって反発心を持っているぐらいの方がよい。でもそれを態度に表してのらりくらりしているようでは全く進歩することはない。疑いながらも森田先生の指導を信頼して、その通り真剣に取り組んでみる。この姿勢が大切なのである。森田先生は神経症を治すために一生懸命になっておられる。実績も残しておられる。悪い方向に誘導されることはない。こういう場合は、いったん自己主張を抑えて、森田先生にすがってみる。約40日の入院中は指導通りに真剣に取り組んでみる。「守離破」という言葉がある。剣の道でも最初は師範の技を自分のものにするために、自己主張は抑えて取り組む。師匠の言われるままを素直に受け入れて、模倣して真似て技術を身につけていく。この期間は長くて苦しい時期である。そのうち師匠と同じくらいの技術を身につける。この段階で初めて独立して師匠から離れる。そしてその先は自分の編み出した技術を加味して師匠を乗り越えて新しい境地を切り開いていく。これが守離破の「破」にあたる。最初から「離」や「破」を求めるのは全く持って順序が違う。最初は素直な気持ちで「守」に専念することが大切である。こう言う流れに乗るためには、最初はどうしても自分を捨てて、素直に教えを請うということが必要なのである。「そうは言われましても、その考え方、指導方法は違うと思います」とコーチや師匠に自己主張を繰り返していては、師匠も教える気がしなくなる。この手の言動は集談会でも時々お目にかかる。それではあなたの勝手にしてくださいと、匙を投げられてしまう。それではお互いに不幸になってしまう。得るものはなくなり、集談会に見切りをつけて去って行ってしまう。残るのは悶々とした、今までと変わらないつらい生活に逆戻りである。森田理論学習も苦々しく思うことがあっても、その不快感を抱えたまま、素直になれる人が神経症を克服し、「森田の達人」への道へと近づいていく。
2016.08.01
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2016年6月16日に「まとめ」のしかたについて投稿した。この連休を利用して、実際に私の場合に当てはめて考えてみた。内容が6月16日の項目とは少し違っているので再度投稿してみようと思う。なおこの内容は生活の発見誌の学習会シリーズ「まとめ」のしかたに掲載予定である。詳しい内容は掲載された時に読んでみてください。「まとめ」の利点は、森田理論に沿って自分を客観的に分析できます。それを集談会などで体験発表をするといろんな感想やアドバイスがもらえます。「まとめ」は自分が森田理論を体得して飛躍するためには、どうしても通らなければならない関門のようなものです。こんな有意義な体験ができるのは、集談会に参加して学習している人に与えられた特権だと思います。次の項目を参考にして各自ご自分のまとめをしてみてください。なお「まとめ」は一回したら終わりというのではなく、節目、節目で行うことが大切です。1、 自分の現在あるいは過去にとらわれていた症状について書いてみましょう。その症状は、自分の生活にどのように支障をきたしていましたか。あるいは症状によってどのような生きづらさを抱えていますか。2、 視点を変えて自分が望んでいる「生の欲望」はなんであるのかを考えてみましょう。3、 神経症に陥っている人は不安、恐怖、違和感を目の敵にして、取り除こうと格闘しています。あるいは気分本位になって逃避しています。その誤った努力方向をまとめてみましょう。4、 次に精神交互作用を断ちきるために、森田理論学習で学んだこと、自分が個別に取り組んでみたこと。その結果どのように変化してきたのかまとめてみてください。5、 認識の誤りについて、自分の陥りやすい認識の誤りについてまとめてみてください。その中でも最大の認識の誤りは、「かくあるべし」です。ご自分の「かくあるべし」はどんなものがありますか。「かくあるべし」が神経症の苦悩の発生と生き方にどんな影響を与えていたと思われますか。森田理論学習の中で分かったことなどをまとめてみてください。自分の陥りやすい認識の誤りは分析しておいた方がよさそうです。たとえば次のような傾向はないかどうかということです。・神経症で苦しんでいるのは自分ぐらいのものだ。普通の人はいつも楽しそうだ。・症状さえ取り去ることができれば、私の人生はバラ色になるはずだ。・人は自分の欠点、ミス、失敗を見てバカにしているはずだ。絶対に見逃してはくれない。人に批判されるようになると生きてはいけない。・頭で納得しないで軽率に行動すると、必ず失敗をして笑い者になると思う。・白か黒、ゼロか100というように、物事はどちらかにはっきり決めてしまわないとイライラする。程よい加減というものはないと思う。バランスをとるとか考えたこともない。・細部のことばかり気になり、全体を見ることをしない。視野狭窄に陥ってしまう。・本来の「生の欲望の発揮」を目指さないで、症状や不安をとることばかりに心血を注ぐ。そうしないと自分の明るい未来はやってこない。・一つでも欠点があると、自分は生きている価値や資格がないのではないかと思う。とるに足らないことが、すぐに人生の大きな問題に発展してしまう。本人はそのことに気がつかない。・物事をいつも悲観的、否定的に見てしまう。両面を見て判断するということをしない。・物事を実際に確かめることをしないで、今までの経験や先入観で決めつけてしまう。・完全、完璧という理想に凝り固まっていて、その通りにならないと我慢できない。・雑事は自分のする事ではない。もっと意味のあること、クリエイティブな創作活動をするべきである。・自分にはいいところは一つもない。欠点をすべて修正して人並みにしたい。・感情のおもむくままに行動し、好きなこと、やりたいことを自由にやれるようになりたい。・いつも変化に合わせて自分を変えていくよりも、固定して動かないことが一番安心できる。6、 森田では「かくあるべし」から脱却するのは、事実に反抗しないで、事実を受け入れることだといわれています。森田理論学習で気のついたこと、発見したことをまとめてみてください。そして現在事実本位・物事本位の生活実践がどの程度できているのかもまとめてみてください。7、 最後に、自分の神経症の回復は次の3つの視点に照らしてどのような段階にあるのかをまとめてみましょう。a、精神交互作用の悪循環は打破できていますか。b、思想の矛盾(事実や現実を頭で考えた理想に近づけようとする態度のこと)の打破はできていますか。c、「生の欲望」に沿った生き方をめざしていますか。
2016.07.19
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このブログは5年間という期間限定で始めた。あと1年と6カ月である。そのあとの展開をそろそろ考える時期に入った。このブログは5年でおそらく50万アクセスぐらいになるだろうと思う。その後100万アクセスを目指す道もある。対人恐怖や社会不安障害、強迫神経症の人の個別カウンセリングの道もある。今はネットやスカイプなどがあるので可能性はあるかもしれない。心理学の学習は続けているが、実際開業のノウハウは全く暗中模索である。それともう一つは、ネットを使った学習会の実施である。生活の発見会で「オンライン学習会」に4回インストラクターとして参加してきた。ある程度雰囲気はつかめている。最近は無料の掲示板があるので、経費をかけずにこの掲示版を利用する手がある。レクチャーはメールで送る。それを読んで、課題について投稿してもらう。インストラクターはその投稿に対して感想やアドバイスを行う。受講者も他の人の投稿を見て自分の考えを書き込んで議論を深めていく。私の目指している学習は、純粋に森田理論を系統立てて学習し、今後森田理論学習の道筋をつけてもらうことにある。最初は3名から5名ぐらいで始めてみるのはどうかと思っている。対象者は、森田理論学習の学習経験者、当面の神経症の泥沼から這い出てきた人、森田理論をさらに深めてみたい人、森田理論を生活の中に活かしてみたいと思っている人など。期間は10週連続、約3カ月を想定している。進め方の注意点として、症状は一旦横に置いておくこと。ひとつの単元は木曜日に始まり水曜日に終わる。水曜日に次の週のテーマのレクチャをメール送信する。レクチャごとに課題を設定する。受講生は課題に対して自分の体験を織り込んで書き込みを入れるその他疑問点、意見等の書き込みもしてもらう。他の書き込みに対して最低2人に返事を出すこと。傾聴、受容、共感の基本姿勢のもとで、森田理論学習の深耕に力を入れる。目標としては森田理論学習を深め、確固たるものにする。自分のこれからの実践目標の方向性を見つけ出すこと。カリキュラムについては次のように考えている。ここでは学習経験者を対象としているので、森田理論基礎編は割愛している。基礎編の学習と仲間作りの目標のためには、生活の発見会が年2回行っている「オンライン学習会」に譲りたい。ここはどちらかといえば「ステップアップ・オンライン学習会」である。1、 ガイダンス、自己紹介2、 森田理論全体像の学習 略図の概要説明3、 生の欲望の発揮生の欲望の発揮とは生の欲望の発揮と不安、恐怖との関係精神交互作用を断ち切る4、 生の欲望と不安の関係5、 認識の誤りと「かくあるべし」の発生と苦悩の発生認識の誤り、認知の誤りの学習かくあるべしとは「かくあるべし」の発生のメカニズムかくあるべし人間の特徴かくあるべしと苦悩の始まり6、 事実本位、物事本位について事実本位、物事本位とは事実を観察する事実をありのままに認識する事実を受け入れる4つの事実と対応について7、 森田理論のキーワード感じを高める、無所住心、純な心、あるがまま、事実唯真、精神拮抗作用、不即不離物の性を尽くす、唯我独尊、努力即幸福など8、 森田理論を生活に取り入れるための手順9、 森田理論を使って自分の課題や悩みを考える10、 各自「まとめ」を行う以上の3つを平行的に行うことも考えられる。この方向が現実的かと思う。多くの人に相談しながら、森田理論学習のの普及をライフワークとして取り組んでゆきたい。
2016.06.17
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