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なんだか、ここのところ話題となっている「謎の白装束」。服装を怪しまれるあたり、いかにも「カルト教団」っぽいのだが、こいつらが「タマちゃんを見守る会」の母体だというのでがっかり。なんだか、他の動物愛護団体の名誉も毀損してるぞ。>こいつらはマジで「タマちゃん」を本気で守ってあげたいと思ったのかな。私はレイシストではないけど、こういう「ヘンなことにエネルギーを費やすヤツラ」が気持ち悪くて仕方ない。たとえば女子トイレ盗撮とか、ストーカーとか。目的がはっきりしないので、不安で仕方ない。タマちゃんが人間だったら、やっぱり気持ち悪がるだろうね。あるいは、「タマちゃんの正体=北朝鮮の工作員」だとしたらお手柄かもしれないけど、それでもなお、やっぱり「気持ち悪い」。キモい同士でいつまでもやっとれ。つまり、こーゆー不思議な輩はマスコミに登場しなくてもよい。シッシッ。・・・てなワケにもいかないのだろうな。>マスコミ戦争が落ち着いて、ネタに事欠いていて、「アイドルが脱いだ」とかいうネタも、「なーんだ、服脱いで水着になっただけじゃん」というのがバレて話題を呼ばなくなってるし。松井も打てなくなってきたし。小泉内閣はドサクサにまぎれて支持率がわずかに復活してたりするのであんましおもろくない。SARSネタも、そろそろ対処法が出てくるだろうけど、オモロネタではないだろう。こういうときは、「東スポ」をお手本にしたほうがいい。>新聞各社かの紙は、イラク戦争のまっただ中に、「オランウータンのフ○ラチオ写真」をトップ記事に持ってきた。こーゆー発想は、フツーの脳みそからは考えられない。これができるのは、東スポ編集部か、林家木久蔵師匠ぐらいのもんである。これには「あっぱれ」を差し上げたいと思う。だんだんなんの話なのかさっぱりわからなくなってきたのでこのへんで。
April 30, 2003
本日予定されていた、地区の草野球大会@河川敷は、参加メンバーが9人に満たないとのことで、あえなく棄権(不戦敗)となりました。体力的にはホッ。ですな。これ以上動けっつーのが酷な感じでもあったので。んでも、軽く身体は日々動かしていたい状態でもあったので近所をウォーキング風ジョギング(?)をしていたら、近くの高校で、野球の練習試合をしてたので、ついつい走るのを中断して見入ってしまいました。やっぱ野球好きなんやね。ヨソのチームが草野球やってるの発見しても、ついつい見入ってしまう。なかなか、高校の練習試合とか草野球だと、プロみたいな華麗なバッティングとか守備というのは見れないものです。まあ、ゴロやフライの処理あたりは無難にできてて、それは我らから見ても「大ファインプレー」だったりするんですけど、本人達にとっては当然なんだろね。そーゆーわけで、レベルとかランクづけってのは決められていくんだろうけれど。日本での野球の歴史は長い。サッカーも、日本に伝わった時期はそんなに変わらないんだけど、国民の間に定着してから今までの期間というのは、断然野球のほうが長いでしょう。ガキの頃の遊びも野球絡みのモンが一番多かったもんね。それだけに、ブラジルでいうサッカーみたいな感じの定着の仕方をしているスポーツが、日本では野球、という感じなのかなと思います。最近、本場のアメリカで「野球離れ」が顕著だという。理由は、離婚率の上昇に伴なう「父と子のキャッチボールの機会の減少→野球に対する家族(母子)レベルの関心低下」だというけれど・・・。ただ、別の価値観が生まれたのも見つけた。私の実家では、最近になって老父母が野球を見るようになった。私の子ども時代はそれほど高い興味を抱いていたわけでもなかったのだけれど。70過ぎの父と母が、巨人の勝ち負けに一喜一憂してるシーンが、ナイター中継のたびにあるという。。。母いわく「こんなに面白いものだとは思わなかった」。いろんな価値観があるものだ。またあってよいと思う。そういうニーズもあるのだから、市場価値が下がった、という見方は早計だし、ファンがいる限り存続、繁栄を考えてみてもよいのではないだろうか。一度、両親を連れてプロ野球観戦にでも行ってみようかな。イナカ者はどうしても巨人が好きだから、巨人戦になるのかな。込み合うからやだな。できれば神宮のヤクルト戦が望ましい。
April 29, 2003
オレはなー。他の皆が打ちあぐねていた、先発ピッチャーのアウトローの球をだなー、ミートしてたのよー。それだけだけどな。で、一塁線にややつまり気味ながらも「いい感じ」のトコロにボールが飛んだのよ。「流し打ち」の理想的な形、つーか、あのピッチャーの最大の武器を餌食にした「はず」だったのにー・・・。打球は、ファーストがちょっと真後ろに下がったまま、真上にかざしたグラブに収まってしまった。「おーー!!」「超ファインプレーだよ」などと、相手チームの間で盛り上がりがひとしきり。オレはよー、うーちくしょー。次の試合は相模台球場のレフトスタンドへ、美しい弧を描くアーチをお見舞いじゃー!!
April 28, 2003
神奈川県内でできた、新しい草野球チーム計5チームで構成される「YEBISUリーグ」の開幕戦が今日鶴見市内の野球場で行われ、ビーマーズvsベアーズの試合は、我がベアーズが4-1で勝利を治めました(ばんざーい!!)。まあ、剛球投手のNORIさんの猛力投による13奪三振が光りましたね。打線は決して皆好調というわけでもなかったのですが、機動力野球と、チャンスでの上位打線のタイムリーなど、トータルでのソツのなさでウチがあいてを上回ったという結果です。だけど、相手のビーマーズも足を使ってかき回す元気のある野球で、守備も個々の基本プレーはしっかりしていて、差はなかったと思います。ウチが少し先に活動をはじめた分、一日の長で勝った、という感じでしたね。次やったときは、もっともつれるだろうと思います。次の試合は5月下旬。なんとかこの勢いで次も突っ走りたいですし、自分自身ももっと「いいプレー」ができるようになりたいな。ライトを守ったけど、ちょっとスローイングに難あり。当面の憧れはヤクルトの稲葉君ですね。全力疾走だけマネしてみました(笑)。チームの皆さん、おめでとう、そしてありがとう、お疲れ様でした!!しばらく勝利の余韻に浸ってから、また次からもよろしくお願いします。BBSへのお返事はまた明日にさせていただきます(ごめんなさい)。
April 27, 2003
明日は朝選挙のあと、出版関係の展示会を見に行ってから、野球の試合。月曜日は、今年請負が内定してる仕事のプレゼンづくりを完了させて、火曜日は、もう1チームの野球の試合。水曜日はプレゼン準備。木曜日はプレゼンと、知己の友人と会社との顔つなぎ。・・・となっております。金曜日、ようやく精神科医に行って、クスリをゲットしないとヤバイ。なんだかなー。落ち着かない日々が続くよ。心身ともに。カネが会社に入らなきゃあ、入るための戦略は夢物語っぽい気がしないでもないのじゃ。ワシの夢物語はもちっと現実性に富んでおるのだが、ワシの会社の経営者は、社長である自分以外の者が猪口才な知恵を出すということに嫌悪感を抱いている、というアホバカ経営者なのじゃ。うひょひょ、覚えておれよ。数ヵ月後。下克上(または夜逃げ 爆)したるけえのぉ。。。
April 26, 2003
「すいませんおじさん」のワケこれは、私が昔ある時期同じ釜のメシを食った、とってもやさしい心を持ったおじさんをモチーフにした、ちょっと悲しいお話です。本人の名誉のために実名は伏せて、あえて「すいませんおじさん」とここでは呼ばせていただきます。「すいませんおじさん」の由来は、いつもいつも、会話の中に「すいません」が入ることからそう呼ばせてもらうのですが、とにかくいつも、まわりの皆に「すいませんすいません」とペコペコ頭を下げて回っていました。そこには、すいませんおじさんより若い、またはずっと幼いといってもいいぐらい年の離れた人もいたのだけれど、そんなことにおかまいなく、彼はいつでも誰にでも「すいませんすいません」とひたすら謝り続けていました。仲間になって間もないときって、誰でもコミュニケーションのとり方に失敗したり、息が合わなかったりすることがあるでしょう。そんなとき、相手が悪い場合もあるはずなのに、すいませんおじさんは、いつでも自分が進んで「すいませんすいません」と先に誤ってしまうのでした。そんなとき、相手は自分に非があるな、と思ったときでも知らず知らず「とんでもない、僕が悪かったんです」という言葉を言いそびれてしまうのでした。あるとき、すいませんおじさんよりずっと年下の女の子が、おじさんの失敗を諭して、「ねえ、どうしてそんなにいつも謝るんですか? 謝らなくていいから、次から気をつけてくれればいいんですから」と云ったところ、「はい、わかりました、すいません。あっ、いけね、また謝っちゃった、すいません」「もーいーですよ、キャハハハ!!」と、その女の子は大口を開けて笑いながら向こうへ行ってしまいました。「すいませんおじさんは、きっととってもいい人なんだね」といいながら、僕達のボス格の男の人も、つとめて彼が溶け込んでくれるように気を配っていたのですが、なかなか彼は溶け込むことを拒むかのように「すいません」を繰り返し続けるのでした。このつづきは、もし気が向いたらまた次回、書きたいと思います。
April 25, 2003
麻原彰晃の判決が、やっと下される。これまで、笑ってしまうほどの罪状の数々にかかった処理の時間と、本人の狂人じみた法廷での態度に四苦八苦した挙げ句、「ようやく」という印象。「思ったより早いな」との感も受ける。「ポア」という、彼の教義にかこつけたワガママの犠牲者の遺族達の思いはどんなだろう。江戸時代までだったら「遺恨晴れたり」となるかもしれないけど、現代にあっては、ただ空しいばかりだ。また、アムネスティのような人権保護団体は、この「国際的A級カルト教団」の悪名高き教祖への判決に対してどんなコメントを残すのだろうか。。。もはや「極刑」が覆らないことは誰の目にも明白だし、そう望む世論が大多数を占めるだろう。それがダメなら、グレートバリアリーフのサメの群れの中に吊るすか、伊豆の「バナナワニ園」にでも放り込む、ぐらいのことはされて当然だ、と思うのは私だけでしょうか?みんなもっと慈悲深いのかな?それとも、グルメの彼には、大分に連れて行って「毒無しのふぐ肝当て5択クイズ」にチャレンジしてもらうとか。。。バカ話はそれぐらいにして、彼の教えに従って、今残されている信者の団体「アレフ」は、これからの日本社会に存続しうるのか?そのへんがあいまいである。もし存続したいのであれば、今後の「破壊活動」と「布教」を禁ずるべきであり、また脱会希望者があればそれもまた快く認めることを、公に約束すべきである。そして、これまでの愚挙を、「もっときちんと謝罪しろ!!」これは、信者とその子孫の今後の人権を尊重するためにも必要な儀式であると考える。今のあいまいな状態のままでは、「アレフ」にいた、というだけで、その人の社会復帰は、孫ひまごの代まで難しいと思う。日本社会はそういう体質を持っている。かつての同和問題を例にとってみてもわかることである。「たまたまおばあちゃんがアレフにいたことがあるというレッテルのために進学も就職もできない」という社会であってはならない。麻原の犯した罪は、こういうところにまで傷跡を残しているのだ・・・。※昨日は東京地検での論告による「死刑求刑」でした。 正式な「判決」は来年3月頃ななる見通しとのことです。
April 24, 2003
やっぱり酒は好き!なので酒ネタにて。なんか「構造改革特区」なんてのが話題になってるでしょ。あれで、「特区」に選ばれた市町村とか地域の中では、要望に応じた規制緩和がなされるってことで、病院の株式会社化の話とかいろいろ話題になりましたよね。そんな、いろいろあった中で笑えたのが、自家製の酒を作ってもいい特区みたいなのもできる可能性があるとかなんとかいう話を朝日新聞の記者が紙面上で話してて、名づけて「どぶろく特区」だっての。なんか、都知事選で圧倒的最下位に終わったDr.中松候補が発明した「うでんわ」並に笑えるネーミングだよね。>どぶろく特区
April 23, 2003
なんか社会に出てから猛烈に努力を重ね、ついに社長になった旧友と電話した。ほかにも「独立した」という話は数件聞いている。ううむ。なんか、かつて同期だった人たちは軒並み出世しているらしい。その点私は、「のんびりいく」と当初から宣言してるうちにホントにノンビリコースをのったりと歩んでいる(笑)。ま、これもいたしかたなし。今慌てたところで向こう数年の話なのだからね。同じこと。。。
April 22, 2003
なんかくすぶってたらストレスたまってきたので、「復活」することにしますです。なんかひょんな発想から、面白そうなビジネスモデルが生まれたので、コイツを企画書にしたためて、具体化してみようかな、などという思いが湧いて出てきました(ラッキー)。内容はとりあえずヒミツってことで・・・。私の目標とするところはベツにあるので、これはほんの手なぐさみってことで。それはそうと、今週末は「東京ブックフェア」と、野球の試合と、その前夜祭(?)と、学校の臨床研究がブッキングしまくらちよこなのでどうしよう??仕事をどこかでパスしてブックフェアに行けばなんとかなるかな。。。会社さんゴメンナサイ。私のビッグプロジェクト成功のあかつきには損失を倍返しぐらいにしてあげるので、どうかカンベンしてちょんまげ。m(_ _)mなんか、生活のプライオリティが、学校>野球>仕事>☆※×▲という順番になってきてしまった。学校のほうは、そのうち「=仕事」に結びつけることを目論んでいるため、ある意味自分にとっては当然のことなんだけど、「野球>仕事」という意識ランキングが、一般社会の通年からするとちと「いただけない会社員」みたいな感じがしなくもない。まあ、今日のところはそんな感じだけど、日によっては入れ替わる可能性もあるのね。ちなみに「☆※×▲」は、「アレとソレとナニとドレソレ」の略である。詳しい記述は省略でございます。それにしても、自分のナリワイとすべきはカウンセラー、でマジでよいのかなあ。「そうなりたい」ながらもイマイチ具体的ヴィジョンが定まらない。だけど「そーゆーもののプロになりたい」のは変わりない。問題はどうやってなるかだ。日常的にそういう姿勢で会話をしようと試みるに、相手があえてそれを避けているように見えるのは、こっちが構えすぎるせいか。まあ、これまで「うつ」だの通院だのといっては仕事に穴あけまくりの人間との間に信頼は生まれないだろうな。なんか数年前の自分とは比較にならないほどの「だらしない男」に成り下がってしまった自分。この穴埋めには時間がかかるだろう。それも仕方ない。「その先」に、果たしてそういうものになれるのか、というのが目下の心配のタネではある。なんだかたまった話題をかき集めたら例のごとくとりとめがなくなってきたのでこれぐらいにしとこうなのだ。明日からもう少しまともな内容の日記にするのでこれからもよろしう。m(_ _)m
April 21, 2003
なんか週後半からおかしい。テンションが下がったまま全くもとにもどらない。薬のんでも、いやというほど眠っても。夜中に目がさめて朝まで眠れない。うたた寝してたら午後の2時。会社へはメールをおくって「ごまかしている」。ごまかしているわけじゃないけど、そんな感じがぬぐえない。従来仕事を請けていた取引先が外注を縮小した。よっていまだそこからの仕事はきてない。それを補うべき仕事を自分なりに考えて、さあスタート切ろうとしていた矢先に、頭が動かなくなった。何やってるんだろう。脳は焦ってるのに、足が外に向かって歩き出そうとしない。今日で頭を整理して、明日から再びスタートラインに向かえるだろうか。それができないと、他のことも手につかないような気がする。。。
April 20, 2003
※なんか大袈裟に書きすぎたので書き直します。 心配かけまくりだなこりゃ。今日よりしばらく、日記をお休みします。理由は、自身の身辺が思わしくなく、本分である仕事と勉強がおろそかになってしまってたこと、また、この間不適切なネット上の発言で他の皆様にご迷惑をおかけしたこと、などなど。「自分はうつ病だ、だからこそ、同じくメンタル面で苦しんでいる人たちのことをよりわかってあげられるカウンセラーになりたい」と思い、今までその勉強を続けてきました。だけど、今までの自分を振り返ると、「自分のいいたいこと、思うこと」の押しつけとか、「余計なことまでしゃべってしまう」といった、好ましくないことが数多く思い当たります(進歩なし)。また、ネット会話で解決し得ないことに対して首をつっこんで、あげく解決に結びつかないまま逆に相手の方を傷つけてしまったこともあったかと思います。これは、カウンセラーを目指す者としてあるまじき行為と深く反省しております。m(_ _)mまた、本業の仕事のほうが思うに任せない、というのもありましてなんやらかんやらと・・・。しばらくして、もうちょいカウンセラーマインドの醸成と仕事に集中して、目安がついてきたら、再びこちらの日記への書き込みを再開する所存です。まあ今月いっぱいは日記なしっつーことで。それまで、仕事と、自身がやりたい勉強、研鑽にを重ねるほうに注力したいと思います。別に二度と覗かないわけではないので、こんなこと改まって書く必要ないか。BBSへはこれまでどおり出没します(ま、息抜きも必要ってことで)。どうぞ引き続き、お気軽に書き込みしていってくださいませ。m(^^)m いつもどおりレスしますので。。。
April 10, 2003
楽天の圭子2003さん(台湾在住)からお見舞いのグリーティングカードをいただきました。どーもありがとうございました(^-^)。風邪はおかげさまでだいぶ良い按配でございます。台湾のほうも、なにやらよくない肺炎が流行っていて心配だけど、元気みたいなのでよかったです。そのうち行ってみたいとは思うけれど、今は身辺が安定していないので、まあそのうちぜひってことで・・・。台湾といえばプロ野球もあるんだっけな。そっちもぜひ見てみたいなあ。
April 9, 2003
3日前の日記について、ご意見をいただいた皆さん、ありがとうございました。現在のアメリカの世論の70%が「イラクへの武力行使支持」というのは、自由の国かつ情報先進国アメリカの中にありながら、自国の情報を支持せざるを得ない国民の背景がそのまま反映された結果で、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、非常に残念なことでもあると思います。また、2年前のアルカイーダの犯したテロ行為を引き金に、アメリカに真っ向から反旗を翻してきたイラクのイスラム圏煽動というのも、ここまでエスカレートしてしまうと取り返しのつかない状況にまできてしまっているようにも見え、仮にフセイン政権が終焉を迎えたとしても、その続きがまだまだあるように思えてなりません。それ以前に、ここまでの戦争の中で尊い命を失った人たちには、「どちら側の国民か」を問わず、哀悼の意をささげたいと思います。どうか早く、これ以上の犠牲を出さずに解決する方法を考えて欲しい。そのためにはアメリカ側とイラク側の首脳が、互いの敵意を捨てていったん歩み寄って、国連など第三者立会いのもとで話し合いの機会を持つべきだ。今からでもまだそれは可能と信じたい。3日前には、「大国における周辺の異国、小国への蔑視」についてふれました。これは世論にもたびたび影響をもたらし、それゆえの悲劇をも生んできた。けれど、文化の世界でこれを振り返ってみて、どうだったかというと、必ずしもそうとはいえないですよね。「エキゾチック」「エスニック」という言葉が流行した。たとえば、アメリカでもかつて「ヒッピー」なる人々がブームとなって、それはインドのサン・クリシュナ教かなにかの影響でもあったりした。それぞれ、異国文化に対して魅力を感じ、その感性によって生まれたもの。料理にせよデザインにせよ。3日前「バーバリアン」の話をしたけれど、それは今では「蔑視」というより「新たな民族性」の魅力として受け入れられているはず。イデオロギーなり宗教上の教理で決して相容れ得ない壁を、これらの文化はいとも簡単に乗り越えることができた。スポーツの世界では、たとえばサッカーでのセネガルやカメルーンといったアフリカ勢の活躍によって、アフリカの新しいスタイルのサッカーに対する魅力が世界に認められるにいたっている。政治の世界でこの壁が乗り越えられない背景ってなんだろう。あるネットラジオのDJさんが、はなはだ感情的な根拠にもとづいた話をしてたのを聴いておりましたが、彼に云わせると、アメリカが武力行使を強行した理由は「アメリカやイギリスはイスラム各国が怖いからだ」とのこと。単純な理屈でいえば、これは一理あるなと思いました。他の背景はさておき、この「怖い」という感覚は「畏怖」に言い換えられる、つまり「それなりに実力ありそうだから油断して放っておくことができない、その不気味さ、怖さ」。少し云いかえれば「実力を認めている」ということでもあり、それが「尊敬」に転換できていれば、こんな状況になりえはしなかったかもしれない、とも思ったりするのです。これはイラク側にもいえること。「アメリカのWASPが何事につけ独断専行して、その弊害を自分達が蒙って苦しんでいるかたわらでノホホンとデカイ面してるのが気に食わない、許せない」という感情が、多少言い分は違うものの、こういう感覚でアメリカを見ている者が多いはず。では、なぜアメリカがこれだけ豊かでいられるのか、その自国との違いの背景は何なのか、もう少し冷静に考えて欲しかった。もっとも、国の最高責任者がああいう人だから、そんなことを国民に考える余地を与えなかったのかもしれないけれど。政治的な立場で双方がもっと歩み寄って、両国に限らず周辺国に対しての安全をも保障するとか、これを機会に両国間の文化の違いなどについてもっともっと話し合うべきだ。それによって、価値観が食い違う部分も出てくるだろうし、エルサレムに対する見方も違ったりとか、そういう違いは出てくるだろう。だけど、とかくアメリカにおいては「思想の自由」が存在する。それはイスラムをも受け入れる度量をもっているはずで、現にモスレムを数多く国内に受け入れているじゃないか。これらのモスレムたちが、アメリカにいてフセインのやり方に対してどう思っているのかなど、説明できる人は出てきてホワイトハウスに情報発信すべきだ。そしてホワイトハウスもきちんとそれを受け止め、意見に耳を傾けるべきだ。今回「開戦」にいたるまでに、整理すべきこと、またやろうと思えばできることは、国連はもとより、アメリカ政府の中においてももっとたくさんあったはず。それをすっとばして、爆弾やミサイルをもすっとばした。互いの「情報戦」はたくさんだ。繰り返し云うけど、ここからは両国首脳のディスカッションの場を、国連が勇気を持ってセッティングし、実行に移すべきです。首都バグダッド破壊などというのは「史上最大の愚挙」だ。今の戦場は、世界4大文明発祥の地だ。そこに兵士を送りこんで地上戦を繰り広げる行為は、2年前のアルカイーダによるバーミヤン遺跡爆破に等しい、いやそれ以上にやってはいけないことだ。話がとりとめなくなってきたので、ここでのメッセージを整理する。「両国首脳が、互いの文化やイデオロギーの違いを前提としつつも、その違いに対し単に『畏怖』や『軽蔑』という意識でなく、それを『畏敬』『尊敬』に転換しつつ話しあう機会を設けて欲しい。それは、互いの持つ先入観を取り除いて、ほんの少し勇気を持てばできないことではない筈だ」イラクに発信できないことならば、これは米英からの歩み寄によって、国連を第三者立会いのもとに実現させるべきである、そしてこの話し合いの内容を、すべて正しく両国をはじめとする世界中の国民に向けて発信すべきである、と。
April 8, 2003
おととい、昨日と、酒の呑みすぎ&くだまき日記カキコをしてたのだが、どーやら昨日の日記は公安マークの対象になりかねないヤバネタだったので、これにてレス打ち切りとします(爆)。どーも、内容的な手加減さじ加減がうまく調整できないため、ともすれば過激な内容になりかねない。自分の書いた文字だけに、消すことは可能なのだけど、せっかくそれに割いた時間がもったいないので残しといて、「うひゃー」とか云いながらしばらく様子を見るべし。そのうち、街宣車の運転手さんからのキョーフカキコがきたら、慌てて削除するざます(^^;;)。それはそーと、今日は風邪をひいてしまって、仕事もお休み。こんなトコでウダウダ日記など書いてるバヤイではないのだけれど(寝てろっての)、懲りずに「スレスレネタ」で勝負することにする(<バカ丸出し)。風邪にこじつけたネタ。以前働いてた会社は、完全歩合のセールス会社。半年ぐらいでやめてしまったのだが、なんせ完全歩合につき、フツーのサラリーマンのように社保とかに安心して入れる環境ではサラサラなかった。つーか、入れる人もいたのだけれど、毎月安定した売り上げを上げられることが前提だから、交通費プラスアルファが支給されるだけの月が殆どの、私を含む「負け組」たちは、月々お金を払って保険証を作ったりするという、最低限のことすらままならず、かといってちょっと風邪などひいてそのまま実費で医者にかかろうものなら即アウト!になってしまうため、それに耐えうるようになのかどうかしらないけれど、必然的に「強いカラダ」になって、風邪などひかなかった。厳寒の最中、新宿地下道に一泊させてもらったり、真冬の河口湖駅の待合室で一夜を明かしたこともあるにも関わらず、風邪はひかなかった。今にしてみれば奇跡である。まあもっとも、カネがないから酒もタバコも買えず、粗食を超越というか、日々の食事は1食につきチキンラーメン4分の1、実家に物乞いをしながら命をつなぐようなことが続いたものだから、まあ「毒」を進んでカラダに注入するようなこともなかったわけだ。それでも、「これではカラダが持つまい」と思った上司が、無利子でお金を貸してくれたりということもあったが、そういう細かい話は省略する。当然、こういう会社は人の回転が速い。立ち食い蕎麦やじゃないけど、ちょっと齧ってすぐやめる。半年もガマンしてたのは長いほうだ。そういう会社は少なくないと思う。さて、その会社で、直属の上司にあたる人は、この過酷なセールスの世界で9ヶ月連続して月1000万円以上の売り上げを獲得し、完全実力主義の歩合制なので月収もハンパではなかった。そういう「勝ち組」の人たちは、やがて部下を引き連れて事業所を作って「のれん分け」していく、というのがこの世界の常(ある意味、「会社」というのは皆そうなわけだけど)、そんな中で自分も採用されたわけなのだけれど、どうも成績が芳しくなく、この上司は毎日苛立っており、ときに部下に対して、男女を問わず暴力を振るったり激しく恫喝したりしていた。だけど人間、そんなにテンションをいつまでも保てるわけでもない。ある時期、仕事の前とか休憩時間に、よく近くの薬局に買出しを命ぜられていたのだけれど、内容がいつも決まって「滋養強壮剤とせきどめ薬1本」。せきどめ薬と聞いて、「ああいつも喉を嗄らせて叫んだり怒鳴ったりしてるから、喉が痛いんだろうな」と、軽い気持ちで買出しに応じていたのだが、そのうち「毎日1本」というのに疑問を抱き始めた。わかる人はこのヘンでわかると思うので、詳しい話は省略するけど、よーするに、この咳止めは、今でいう「合法ドラッグ」的な効果をもたらす成分を含む薬だったのね。やっぱり、人間のパワーにも限度があって、その限度を超えてなおパワーを出し続けなければならない指導者は大変だったのだろうと思う。結局、半年ばかりいたこの会社からは逃げるように辞めてしまったし、借金を返済したあとは連絡を完全に絶ってしまった(やめてしばらくはトラウマが続いたりしたため、できれば思い出したくない。<じゃあ書くな!って感じですが…)ので、その後どうなったのかはわからない。ちなみにこの「せきどめ薬」は、その後、どの薬局に行っても店頭では見かけなくなってしまった。。。
April 7, 2003
まずはじめに、昨日の日記の訂正。「バーバリー」と「タタール」についての話について。「バーバリー」(もしくはバーバリアン)の語源は、ほぼ良いのだけど、イギリスで言われはじめたことかというと、そうじゃなかったかもしれない。また「タタール」は、神聖ローマ帝国を侵略してきたモンゴル帝国の軍隊を評して、ヨーロッパ全体でこう呼ばれるようになったようで、ギリシア語の「タルタロス」(だったかな???なんか「殺戮者」とか「破壊者」みたいな意味だったよーな)から来てたような・・・。「タルタルステーキ」とかとなんか関係があるような話もあったようななかったような・・・。まあ、いずれにせよ、大英帝国にはじまるものというより、ヨーロッパ人が当方の「野蛮人」に対してそういう云い方をしていた、ということであった。で、これに続く話として。さんざん他の国をあしざまに書いておいて、では日本はどうだったかといえば、これまたリッパに(??)、その「アホ的権力者による盲目的判断とか殺戮・侵略行為」はなされてきていたわけで。今やかまびすしいばかりとなっている南北朝鮮をはじめ、中国大陸に対してやってきたことはもはやここに記すまでもあるまい。さかのぼれば、天智天皇の時代から朝鮮征服への野望はあったり、秀吉もやってたし、明治維新の時代から第二次大戦まで、その、自らを「神の国」と称しての「驕りに満ちた行為」は幾たびも企てられ、繰り返されてきた。さらに国内においても、こと「天皇家」の錦の御旗の下で、国がやってきたことを全部書き出しているとキリがないので、ぱっと思いついたのを3つ並べてみる。(1)奥州征伐(蝦夷とか、東北など)(2)九州征伐(クマソなど)(3)部落差別、および取り潰し(1)(2)については、昨日記した中国のそれと中身がかなり等しいようなことだ。つまり、「東西の野蛮な国を平定して、日本を統一する」みたいなスタンス。ただ平和に暮らしている民に対して、「ヘンなヤツがいて、天皇陛下のいうことを聞かないから陛下のお気に召さない」とでも思ったのだろうか。一説には、桃太郎などの昔話の起源は「神皇正統記」だという話だ。(3)については、どんなことをやったかというと、ひどいんだよ。明治天皇が「巡幸」といって、全国を巡って回る慣習があった。その道に、ちょうど「部落」があったというのだ。すると、お上の役人は、「陛下のお通りになる道が穢れてしまうから、この部落のヤツらは速やかに住居を引き払うように。さもなくば、部落を焼き尽くす」という判断を下し、立ち退かなかったその部落を焼き尽くしてしまったというのだ。たかが、天皇の気まぐれ旅行のためにだよ。あきれてものもいえないよね。。。人の命を軽視して、何の天下統一か!!!「正史」ではこういうことは一切触れられていないに違いないだろうし、当時の新聞などでも、こんなこと書いたら大変なことになるだろうから、一様に口をつぐんできたんだろうな。何を根拠にこんなことしゃべってるかというと、住井すゑ作『橋のない川』からの引用なんだけど、この部分のくだりは読んでて物凄く腹が立った。だけど、こういうおろかなるお上に対して、差別されし立場の人たちは、「どうすれば自由平等な社会を作れるか」をこの頃から真剣に考え、幾時代かを経て、全国レベルで社会の変革を考える会議を作った。『水平社』だ。そこで話し合われる内容は、お上のアホさ加減とは比較にならないハイレベルなものだったようだ。少々左寄りではあったようだけれど。住井さんは、その行く末を90歳過ぎまで書き綴ってきたのだけれど、数年前鬼籍に入った。『橋のない川』は7巻で絶筆となった。とても残念だった。・・・とかね。いろいろこれまでの歴史的経緯の中で、「なんてアホなことやってんだか」ということの背景には、内外を問わず、権力者がその権力を間違った方向に向けがちになってしまうという心理傾向があるような気がするのね。これらは「犯罪心理」に近いもののような気もする。違うのは、こっちは「お墨つき」のことだけに、その形跡を消すか残すかという判断を、権力者にゆだねることができるということだ。だったら、汚点は当然「消そう」と思うわな(笑)。かくして、政権を持つ者の歴史は、日本では戦前までは汚点のないキレーな内容で続いてきたのだけれど、情報化の進できた現代はそうはいかないのだから、国の指導者は、もっともっと良い方向に頭を使わなければいけないのだ。とか書いてると、自分も消される危険がないとも云えないので、このへんでやめとくのだ。。。(^^;;)
April 6, 2003
ずっとずっと昔、中国は、世界的にもでっかい「王朝」が治める大国だった(今もでかいっちゃあでかいけどね)。その時代、当然TVもなければインターネットなんてものも当然ないし、飛行機みたいな、いっぺんに遠くに行ける乗り物もない。だから、中国の王様(皇帝)とか、彼にはべる人は、「わしらの国は世界で一番偉大で、周りの小国などは簡単に征伐できる」とか、「異国の民は皆化け物や野蛮人ばかりだ。わしらの国に住む者だけがまともな人間なのだ」とか、思ってたらしい。中国の古文書に「東夷、南蛮、西戎、北狄」という表現がある。これすべて、周辺国に住む者に対する差別用語である。「夷、蛮、戎、狄」は、「えびす=野蛮な者」とか、そんな意味である。たぶん、「こいつら野蛮だからやっつけるのが正義のためだ」という大義名分になったりしてるのかもしれない。「三国志」の最後のほうでも、この「南蛮」というのが出てくる。それで、主人公である蜀の諸葛孔明と戦を繰り広げるのだが、結果敗れて孔明にとっ捕まるこの「南蛮」の国王(酋長?)が、「バカ丸出し」のように描かれていたりする。「三国志」自体は大好きなんだけど、この部分だけいただけない。大国なるが故の驕り。次に、イギリスのお話。「バーバリー」という言葉がありますね。ブランドのことじゃなくて、地名というか地方というか。この語源は、イギリス人からみてここの人たちが、「バルバル、バルバル」としゃべっているように聞こえた、というトコから名づけられたと云われている(らしい)。「タタール」とかいう地名も似たようなことで名づけられたと云われている(らしい)。イギリスにはグリニッジ天文台というのがある。つまりイギリスが緯度の基点になってて、イギリスが世界の中心だということ。中世~近代にかけて、大航海時代とか、植民地支配をはじめてた頃のイギリス。もともとテメーらの王様だってリッパなヨソもので、もともとは海賊だったくせに、貴族だってやんの。笑わせるぜ。で、現代のアメリカ。他民族国家といいつつも、“WASP”というのがこの国の多数を占める民族ですよね。で、それ以外のものに対して、随分長い間辛い目にあわせ続けてきた。差別とか、貧困=仕事を与えないとかチャンスを潰すとか。で、国内ではあきたらず、世界に向けてこやつらの元首が、「オレ様たちが一番エラいのだ、小国の愚か者どもよ、オレ様たちに平伏せよ、しないヤツは叩き潰す」と、エラそうにのたまわってるわけよ。これだけ国際化とか情報化とかが進んでいる現代においてだよ。昔は「情報がないからわからなかった」で言い訳つくのに、今もってこういう思想が抜けない、アメリカの多数派民族たちの元首の愚かしさには、おそらくナベツネもかなわないね。アホのスケールもでかいぜ!!>アメリカさすが選挙の投票結果を確認したら負けてたのに大統領に当選されただけのことはあるぜ。>J.Bことほどかように、「権力」というものはその人々をして盲目たらしめ続ける、つー話。
April 5, 2003
なんかあちこちで野球が開催されて、いろんなところから悲喜こもごもの声が聞かれ、自分としても「もうはじまったのか」という気持ちと「やっとはじまったか」という思いとが気持ちの中で入り混じっている。草野球をはじめて、もはや野球は完全に自分の「身体の一部」になった。と同時に、いろんな意味でレベル差とか奥深さの違いなんてものを垣間見たりもしてるのも事実です。なんせガキの頃遊びとしてやって以来、去年物凄くひさしぶりにボール握った感触は、なんかまさしく「夢のつづき」って感じ。それがだんだん地に足がついてきて、ちゃんとした「野球場」で試合などやるようになって、ベース間の距離とか、外野の芝生の広さにまたまたびっくりして、身体が思うように動けてなくって、ようやく少しだけうごけるようになったような気もするのだけれど・・・。そんな中で、フツーにプレーできてる人をみると、凄いなあ、などと畏敬の念すら感じてしまうわけで。たとえ高校3年間とはいえ、甲子園などとは縁遠いとはいえ、本格的にやってたモンとそうでないモンの差とか、草野球ずっとやってたモンとそうでないモンの差とか。凄くでかく感じるのね。一緒にグラウンドの中にいると、それだけで。これを「一日の長」というのだろうか。だから、甲子園の試合なんか見てて、あそこで「大観衆の中で平気でプレーできてしまって試合になってしまうこと」がどれほど凄いか、なんて考えると、勝敗など度外視して尊敬してしまうのね。高校野球に対してはいろいろ批判の声もあったりするけど、自分なんかのずっとあとに生まれてきた、ヘタすりゃ平成生まれもいたりする高校生が、あんな凄いことやってるってことは、リスペクトに値するでしょう。さらに上を行く人たちがプロだったりするわけで、スタンドの期待を背負って、それに応えちゃうってことがどれほど凄いことか。けどそれが当たり前なんだもんね。これは自分でやるようになってよくわかった。てゆーかそういう目で見てなかったからことさらそうだ。大リーグでやってる日本人。「日本人はプレッシャーに弱い」とかねがね云われてきて、自分もその中の一人なんだけど、あの野茂とかイチローとか松井とか新庄とかって人たちの神経とかメンタルの中身は、自分とは随分違うのだろうな、と想像しちゃうよ。同じ日本人の血が流れてる、同じ人間なんだけど、「どーおしーてそーんなーにちーがうーのかー♪」などと歌いだしたくなってしまうわけね。ちなみに自分に向けては、「どーおしーてそーんなーにトーロいーのかー♪」と歌うわけね(苦笑)。
April 4, 2003
エッチネタではありませぬ(当たり前か)。小沢一郎・自由党党首が、「私(が首相)だったらアメリカを説得できたのに」みたいなことをしゃべったらしいですね。ホントかよ(このタカのツメ男)。なんだか小泉おろしがどんどん政界で進められようとしているみたいだけど、とりあえず慎太郎が出てくることはないだろうと思うけどどうなるか・・・(^^;;)。ドクター中松が当選することはまずありえないので、都知事続投ってことで、「構造改革は着々と進んでいる」と未だにいってる小泉首相。郵政公社発足以外に何があったのだろう、それでどうよくなったのだろう、というのを、ちゃんと説明できないと、今年で解散してしまうかも。。。で、後に誰が出てくるのでしょうね?与党にはあんまり期待できない面子が多いようだけどなあ・・・。自由党が与党になって、小沢が首相になるのはいつだろう。けどホンネがとうとう出てしまった。コイツは少なからず「デキル」反面「コワイ」人物。でもって、政権奪取願望も人一倍強い人物でもある。さて。。。
April 3, 2003
BBSの会話で「友情」というキーワードが出てきた。実は、前々から、自分自身どうもこの「友情」というものに対してしっくりした「答え」が見つからないつーか、「これって何?」みたいな感覚が続いていたわけでもあったので、ちょっと考えてみたいし、これを読んで下さった方にもご意見いただきたい、などと思ったりする次第です。以前務めていた会社に、かなり仕事のできるカリスマ的な上司がいて、いろいろ学ぶことも多かったのだけど、よくいる説教好きなタイプの人だったので、何かにつけ説教されていた。ある夜、その人と呑んでいて、ふと「おい、お前には『親友』はいるか?」と聞かれた。(ははあ、また説教ネタを探してやがるな・・・)と、草食動物的に危機を察知した私は、「はい、います」と答えた。それを聞いていたのかいなかったのか、「おい、大人になっても親友と呼べる友達が1人もいないヤツほど悲しいものはないんだぞ、お前も親友を作れ!」と、どっちみち説教されてしまったわけである。この人、トータルで見ると理路整然としていて、周りからも尊敬される、いわゆる「リッパな人」だったのだけれど、いささか話の展開が強引だったり、矛盾する点も多々あった。けど、反論するのもメンドくさいし、どなられるのもいやだったので、その場は「はあ・・・」とうなづいているしかなかったのである。まあ、この話はそれ以上伸ばしてもあまり魅力的な展開がなかったのでここまでにするが、ちょっとこの会話の中で気にかかる点が、「何をもって親友っていうのか?」「親友って、いなくちゃいけないモンなのか?」という2点だ。まず「何をもって親友というか?」という話。よく云われるのは「何でも腹を割って話し合えるのが親友」とか、「本当に困っているときに助けてくれるのが親友」とかいう。私の「親友」と思っている相手は、果たして親友なのかなあ。確かに、ものすごく長い間つきあいがあって、腹を割って話ができたりするさ。けど、「本当に困っているときに助けてくれる」かどうか?そういうときに「相談に乗ってくれたり、応援してくれたり」はするかもね。でも、これって「本当に困った経験」のない人の吐く正論のような気もしないでもないわけさ。「本当に困ったとき」は、親友といえども迷惑はかけたくない、と思うのが大人のつきあい方だと思う。恋人にしてもそうだ。「巻き込みたくない」というか。助けてくれるのは、助けることのプロだ。「親友」はプロではない。だから、たぶん一緒にドツボにはまるだけだろう。一緒にドツボにはめていいのは、「家族」だけだ。で、困った状況が解決してから、ネタにするとかね(笑)。こういう考え方って、アダルトチルドレンっぽい考え方かな?でさ、さっきの上司の人の話に戻ると、この人、親友かどうかはともかくとして、友人をしばしば裏切ったりしてるのだ。あと、この人のもう一つの口癖が、「友人のコネは最後まで出しちゃいけない」ということ。これも一見聞こえはいい。だけど云った尻から、彼は友人のコネ以外で実績を挙げてなかったりした時期もあったのだ。この人は真実を語りたかったのかが、かなり疑問である。もしかしたら、ふがいない自分を責めるために下っ端の私たちを鏡に見立てて自分に向かって怒鳴っていたのかもしれない。もしかしたら、そうこうして迷惑かけあっても壊れないのが「親友」との友情なのかもしれない。その点、もしかしたら自分には越えられていない壁が、自分の「親友」と思う人との間にあるのかもしれない。けど、基本路線的には「親しき仲にも礼儀あり」じゃないけど、「親友だからって、迷惑ぐらい顧みるべし」といいたいのでもある。で、2点めの「親友って、いなくちゃいけないモンなのか?」ということ。これはわからない。というかだんだんわからなくなってきた。「親友がいなくちゃいけない」という暗示にかかっちゃうと「いない」人は、そのことがものすごいコンプレックスになるでしょう。また同じ暗示にかかってる人で親友とおぼしき人がいる(と思い込んでる)人は、周りを見てことさら優越感に浸るでしょう。後者の「優越感人間」って、滑稽に見えません?この人、もし、「親友だと自分では思ってたのに、相手がそうは思ってなかったことがわかった」りすると、ものすごく落ち込むでしょう。あまりひどいと死にたくなっちゃうかもしれない。そう考えると、「親友がいないとしても、そんなにコンプレックスを感じなくてもいい」と思って、気楽にすごせたほうがいいような気もしたりします。最後に。今、ネットで会話につきあってくれてる方や、野球一緒にやってる人たち、果たしてお互い「友人」とか「親友」とか思っていてくれたり自分でも思ってるかというと、そうだと思えたり、そうじゃなかったりすることがあって、だけど、「こうしてて気分がいい」とか「こうしてて楽しい」と思えてるので、そんなことはどうでもよく思えたりしてるのね。だから、あえて「友人」と定義せず、「仲間」という半端な呼び方をさせていただきつつ、これからもよろしくお願いしたいと思ったりしておるわけでございます。長々とすみませんでしたね。m(-_-)m
April 2, 2003
野球のシーズン到来!ってことで、わしらと違って一流どころの野球人たちのネタ2本。1.松井、初打席タイムリー当初からこの人のことはあまり心配してなかった、というか、あえていうなら、超エリート集団のヤンキースで通用するのか、というのがちょっとだけ気になってたのだけど。いやー、なんのことはない。初戦でいきなり初打席でタイムリーヒット打ってるじゃん!野茂もイチローも凄いけど、プレッシャーつー意味では、松井に向けられてた視線ってのは、ちょっとケタが違ってたというか、別次元の高い注目が向けられていた。良くも悪くも。まだシーズン開幕戦ということで先は長いし、ホームランも打ってないのでそれまではいろいろ書かれるだろうけれど、マスコミのプレッシャーなどものともしていないんだろうな。これはイチローたちも同じだと思うけど。アンチの人たちの目には違ったふうに映ったかもしれないけど、彼のスケールの大きさはこれから発揮されるのだと思う。2.アン投手、ベスト4へ東洋大姫路高校のアン投手。花咲徳栄高校を破って、とうとうセンバツ準決勝へ進出。彼、1年の夏に甲子園に出てきて、そのときはベスト16まで行ったのだったかな。今年はキャプテンだ。1年生の頃から、ベトナム国籍の選手ってことで、色眼鏡で見る者も少なくなかったはず。まずはチームというか高校に馴染むだけでも大変なことなのに。自分がチームメイトだったら、やっぱりはじめは色眼鏡で見るだろうね。そこを乗り越えた精神力とか、熱意といったものが彼にキャプテンシーを植え付けたのだろうな、と解釈する。なんか、ここまできたら優勝して欲しい、という期待感もまた「差別」なのかな。いや、でも自分としては純粋に応援したい気持ちでいっぱいだよ。がんばれ、アン君!先に敗退した東北高校のダルビッシュ君もきっと応援しているよ・・・。
April 1, 2003
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