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うえー、なんか仕事なんもしてないのに疲れた。>今週仕方ないとはいえ、遅刻・早退・中抜けの嵐。自分の心身に異常がないのがせめてもの救いであった。もしかしたらこういうときのために天の後押しがあったのかもしれない(?)。私は無宗教だけど、いちおう地元の土地の神様にはときどきお賽銭あげてるので、そのへんか功を奏したか(笑)。こういう週末は「スポーツ」に逃避するに限る。略して「スポ逃げ」(略さなくていいけど)。日本ダービーの前日の今日は『金鯱賞』ゲッチュー。明日はダービー。私のユメはザッツザプレンティ。んでもって、明日はモンテディオ山形を応援に三ツ沢へ。ちょっとつかの間の現実逃避でございます。
May 31, 2003
病院の看護婦から連絡が入った。父の主治医は多忙なので、今日の12時半から少しの時間しかとれないという。夕方がよかったのだがやむを得ない。で、おっとり刀で会社から病院へかけつけた。「…で、何が聞きたいの?」と医師が開口一番、私に向かって云った。あのなあ、癌患者の息子が手術後大雑把な説明しかうけられず、黙っていうこと聞いて納得するのが当たり前だとでも思っているのかよ、この医者は。「ですから、前回の手術の説明時、先生は手術の結果についてご説明いただけると約束いただいたはずですよね。でも当日は長時間の手術でお疲れだっただろうし、私たちも動揺していましたから落ち着いてお話を聞けなかったわけです。それで、今質問したいことがあるので教えてください」「ふーん、で、どんなことでしょう?」てな具合で、質疑応答は始まった。ここまでセッティングしなければ、話も聞けないままどうなっていくのか、なりゆきを見守るままだったのかもしれない。この医師は、察するにかなりつっけんどんでズバリ要点しか話さない。母に告知したとき、「これは癌だよ、だから転移もあると思ったほうがいい。それだけ!」で「告知」を終わらせてしまうような人だった。説明の中で、何度も専門用語が出てきた。そのたび「それはなんですか?」と質問する、というのを繰り返し、なんとか現在の状況が呑み込めた。切除後の転移の可能性、退院までの期間、またその間の治療やリハビリの方法、退院後の生活について、本人告知を医師にお願いできるかどうか、等々。入院はかなり長引きそうである。2ヶ月ぐらいになるのだろうか。告知は家族同伴で医師からしてもらうことにした。まだ当分先のことではあるが。最後に、「女の先生が仕事中にかけてた携帯電話は病院でかけても大丈夫なものなのですか?」と聞いたところ、「ああ、これは病院専用のもので、ペースメーカーつけてる人がいても安心な機械だよ。私たちは忙しいから、いつなんどきどこへ呼ばれるかもわからないから、絶対必要なものとして身につけているんだ。納得した?」とのことだった。「わかりました。なんせ私たちは何事のしろうとなもので、教えていただかなければ何がどうなのか皆目わからないんです。だからわからないことはまた教えてください」「ああ結構ですよ」てな感じで、結局ケンカにはならないで、質疑応答は終わった。所要時間10分少々。もしかしたら「自分が納得したい」という目的だけの時間だったのかもしれない。父にとって何のメリットがある時間でもなかったけど、少し病院側との距離が狭まったような気がした。>オレが(笑)これで医師が「インフォームド・コンセント」向上の意識を高めたとは、見た限りでは思えない。他人を変えることはおいそれとできないものだ。でも変えてもらわなくてはいけない。それには、こっちがしつこくアプローチを繰り返さないといけないのかな。なかなか一筋縄では意識改革は難しいらしい。
May 30, 2003
夜中に近くの公園に出て、暗闇に向かって、「バカヤロー!!」と、大声に出して叫んでみました。ここ数日間、何かと苛立つ要因が多くて、何事もロクに手につかないで、口から発する言葉は人に上手く伝えられなくて、モヤモヤが溜まっていました。「バカヤロー!!」と叫んだら、モヤモヤがびっくりして暗闇に逃げて行くのが見えたような気がしました。少しだけすっきりしました。近所の人には、ときどき夜中に聞こえる「バカヤロー!!」でご迷惑かけると思いますが、なんかアタマのおかしいヤツが一人いるらしい、とでも思って許してやってください。また、暗がりでエサを求めている猫ちゃんとか、あたたかくなって夜遊びしているお兄ちゃんお姉ちゃんたちとか、皆さんに向けて怒鳴っているわけでもありませんので、どうか逆切れして向かってこないでやってください。返り討ちに遭いますから。高校入ってから素手の勝負で負けたことないですから。
May 29, 2003
※18歳未満の方はあんまり読まないほうがいいかもです。手術室から執刀医が出てきた。台車で最初に運んで、我々が見たものは・・・。「肉塊」執刀医は疲労困憊していたのか、口を開かず、黙ってこの物体を指で指し示した。それが、今回の手術で、父の下腹部の患部から摘出されたものだと頭が理解するまでに数秒を要した。母と妹は絶句したまま顔をひきつらせたままだった。ややあって、主治医が重い口を開いた。「開腹するまでこんなになってたとはわからなかったよ。直腸が完全に塞がってた。このへん全部切り取らなかったらどうしようもなかった。。。」「時期は任せるけど」と医師は続けた。「ご主人には本当のことを伝えることが絶対必要だ」そのとおりだと思った。だけど、いつ伝えようか。父は身体中にいろんな器具を取り付けられ、まだ麻酔の解けない状態のまま集中治療室へ運ばれて行った。。。病名を知らなかった妹は、懸命に涙をこらえ、何かを噛み締めている。昔読んだ「トットチャンネル」という、黒柳徹子のエッセーがあって、その一節に「悲しいとき涙をこらえる方法は舌の先を噛むことだ」とあった。それをやっているのかもしれない。とにかく執刀医は体力を使い果たしたようで、言葉も大雑把で、我々に対する態度もとげとげしかった。昨日の今日になって、少し落ち着いただろうか。このあと、どうしていけばよいか。どうするのが父に対して最善の方法になるのか。自分と、親兄弟親戚に、これらをどう伝えて、どうしてもらうのがよいのか。時間があるのならば聞いてみよう。彼らは善後策を知るプロでもあるのだから。数年にわたり、父を苦しめた「肉塊」は、医師によって切除され、沈黙を保ったまま転がっている。映画の「エイリアン」みたく襲いかかってきたりしないけど、その姿形は「エイリアン」に勝るとも劣らないおどろおどろしさだった。この「悪魔」みたいな塊を取り去った、父の身体は、まだ麻酔が解けはじめながら、集中治療室で懸命に痛み苦しみと戦っている。
May 28, 2003
今日は、父の手術の日です。本人には告知していないが、どうやら癌に冒されているらしい。どの程度の悪化なのかはまだわからない。まあこういうことの検査というのは、えてして結果を聞くのが怖いという理由で、「オレは大丈夫だ!」などと虚勢を張りながら、ほったらかしにしておいたのが原因で取り返しのつかないことになる場合が多いけど、今回もその流れである。ヒトのこととやかく云えないけどね。自分も「ほったらかし派」だったから。だけど「病院検査コワイ病」と「ワーカーホリック」は克服(?)したのでまだ救いはあるね。あとは保険料払えるだけ今後ちゃんと稼いでいけるか、つーのがあるけれど。なんだかいろんな病院はじめ、医療機関に行く頻度が高い。自分が行くぶんには仕方ないけれど、とりわけ親族の見舞いとか手術に立ち会う日というのは、本人の術後の辛そうな顔を見るのが特に辛い。見舞われる側の気持ちはどうなんだろうか。あまりベタベタされるのはかえってウザいだろうし、「気の毒に」「かわいそう」とか同情されるのも気が滅入るのを助長する。普通にしていて、困ったときに的確に助けに入る、というのは、今自分の課題にしていることでもあるけれど、これが一番難しいことでもある。これを仕事として病院で働く看護士さんやお医者さんには頭が下がる。介護施設もしかり。介護ストレスとか看護ストレスというのもハンパじゃないと聞く。夜勤だと昼夜逆転しちゃうしな。けど、昨日手術の説明をしてくれた先生(女)はちょっとムカついた。ケイタイの電源入れたままにしてたし。「ああ今職場だからあとにして」とか、彼氏と話しでもしてたのか? このあと大学病院の彼氏と豪華ディナーでも食う約束か?ヒトを仕事中に呼びつけといて、1時間放置プレイだったし。もしかして私生活も放置プレイ好き? とか聞いちゃおうかと思ったりして。。。朝っぱらから失礼しました。m(_ _)mてなわけで、手術がどの程度の時間で終わるのか、また上手くいくのかどうかわからないけど、ちゃんとマジメにやって欲しいものだ。こっちだってマジメなんだから。医療不信→医療機関を避ける原因にもなるんだぞ。せめて手術中はケイタイ持ち込むのやめてくれ。頼む。
May 27, 2003
もしも自分の人生に点数つけるとするなら、おととしの自分は100点満点の0点。これ転落した結果。去年の自分は5点、今年の自分は10点、ってところだ。まだまだ上昇の余地があると思ってこんな採点をしてる。今はぜんぜんダメだけど、ダメなままになろうとは思ってない。またダメのままなら、ダメなりの生き方だってあると思っている。自分の人生、満点(何点満点かはいろいろ別だと思うけど)だと思っている人なんているのかな?早々に「自分は満点だ」「自分はもう浮上できない0点だ」と思っている人が、世の中多くないかな?そこで、自己評価で落ち込んで苦しんだり、何も求めなくなっていないかな?そこで慢心したり、人生ストップさせようとしてる人が増えてる原因になっていないかな?すべての人が、あなたのことを満点だとも、浮上できないほどダメな点数だなんて思ってやしないさ。だって、皆別々のモノサシをもっているし、それぞれのモノサシで図った点数なんてバラバラなんだからさ。いろんな人と交流して、いろんな人から点数をもらってみるといいんじゃないかな。そしたら、もっと「生きてみる価値」が見えてくると思うんだけどなあ。
May 26, 2003
今日の試合の結果す。寄合ベイカーズ 2-4 三ツ沢ベアーズ・・・つーことで、アウェイの我がベアーズ、2連勝でございます(^o^)v。このまま、残りの2試合も!!といきたいところですが、あとの2チームは、去年練習試合で負けた経験のあるチーム。雪辱と、勢いに乗って、あとチームとしての成長の証を見せたいところですが、どうなるのか!?・・・とにかく、「マジック2」だそーで。とにかく、今日の勝利を素直に喜びたいと思います。あと、個人的にはちょっと減量と走りこみが必要かなと。足元がかなりおぼつかなかった。自他共にそれは感じるところだったらしい。いやお恥ずかしい(ポッ)。
May 25, 2003
今日は、入院中受けられなかった単位を取得するため、半年遅れの受講で学校へ。1期あとに入学してきた「後輩」は、年齢、居住地ともそれぞれ様々、中には新潟や栃木、仙台から通って来ている人もいる。まるでベアーズみたいだ。それも毎週だから、それだけ交通費とか時間をかけて来るわけだし、学費だって結構安くはない。自分の場合は「事業のための投資」という意識で貯蓄をはたいているのだけど、それにしても大したものである。メンタルの問題意識が全国レベルで高まっている証拠なのか。それはそうと、毎回、スクーリングのたびに「講師を振り回す」ことを目的とした質問ととれるストロークを投げてくる人がいる。その都度、クラスには緊張感が走る。本人としては真剣に質問をなげかけているのだろうという気はするけれど、ある意味これは「ゲーム」でもあるわけで。こういう彼のような、疑問を積極的に投げかけるタイプは、たぶんコミュニケーション力もついて、カウンセラーとしても自信もってやっていくのだろうな、と、そういうコミュニケーションを心がけつつも不得手としてきた自分としては、うらやましさ半分、これに対する講師の先生がどう回答するのかについての興味半分、てな感じである。ちょっと今日の質問と、それに対するやりとりを聞いて「うーん」とうなってしまった。これはマイナスの意味で、である。理由は、テーマが「自殺」であったから。彼:「自分の存在を理論的に否定しており、自殺を考えている人がいるけれど、先生だったらどうしますか?」先生:「もし私が『自殺したいのならそれを肯定してもよい』という返事をしたら、あなたは彼に『自殺しろ』というのですか?」彼:「はい、そうしようとも考えています」これは、聞くに堪えなかった。やりとりが正確でないかもしれない点を許して欲しい。録音が切れてしまってたから。入学間もない身であろうから、仕方ないと思う。だけど、自分の友達の問題だろう。先生に責任転嫁しようとしかねない態度に腹が立った。それと、「どうしますか?」じゃない。「自分はこう思うけど、どうでしょうか?」というのが質問する者のマナーだろう。まして、自分はカウンセラーを目指すんだろう。問題をなげかけてくれて、我々にも考えるチャンスを分けてくれることには感謝する。だけど、今回のやりとりについては、上記のようなことで非常に芳しからざる感想を抱いた。個人的な意見をはさもうとも思ったけど、それこそ逆に「外野」だから、彼は先生と話をしたがっていたのであろうから、黙っていた。たぶん、カウンセラーの立場としては、「自殺しちゃダメだ、そんなこと絶対に考えちゃダメだ」などと真っ向から否定してはいけないのだろう。それまでも本人はいろんな人から同じこといわれ続けてきてるに違いないから、「また否定されちゃうのか」という気持ちが自殺意識を助長する危険性もある。これは先生もそう答えていた。だけど、死んじゃいけない、というのは、心の根底にいつも持っているべきだ。そのためにどう話をするかを考えるのが、カウンセラーたるものの務めであると思うのだ。たとえ別の話術で話をしようと、根本はそうだ。そう思えないヤツにカウンセラーになる資格はないとさえ思う。かくいう自分は、自殺しようと思ったことと、そうじゃなくて死にそうになったことがある。前者は完全に心の病気だ。過労自殺みたいな感じ。「死ねばラクになる」と思った。後者はそのあと、去年の入院。ここで「死んではいけない」ことを悟った。死ぬことは、自分の命を絶つこと。つまり一番大事な人の命を粗末にすること。まだ自分の子どもを設けていない段階でありながらこのことに気づけたのは、ある意味幸運でもあったと思う。今日のこの彼も、死にそうな体験をしたり、子どもができたりすればわかるのだろうか。なかなか大事なことほど「本当にきづく」のは大変なことなのかなあ。もしかすると。そんなわけで、今頃になって、ちょっと熱くなっちゃったってわけさ。あーあ、相変わらず反応のズブい我が脳みそ。
May 24, 2003
もともと、「ベイスターズ、シーレックス、などなどプロの試合見ててなんだか自分でもやってみたくなっちゃった」とか、「ガキの頃の、日が暮れるまで飽きずにボールを投げて、打って、駆けずり回っていた頃の思い出をもう一度」とか、「『オールド・ルーキー』を体感したい」などという理由で発足した(と思ったけどどうだったろ)、私たちの『三ツ沢ベアーズ』。去年から対外試合をはじめて、年の最後に初勝利。今年は、横浜周辺のわしらを含む計5チームでリーグ戦をはじめることになった。つーわけで、ベースは「野球」。その補助的トレーニングとか、チームの仲間内での集まりでテニスとかフットサルをやったりもする。とくに「専門の指導者」はいない。上手い者が初心者とかそれほど上手くない者に手ほどきをしてくれたりして、それなりに楽しく時間を過ごしたりしている。フットサルのときは、人数が足りず、経験者も殆どいなくてアップアップしてたら、ちょうど「サッカー部出身でボールが蹴りたくて仕方ない」という謎の2人組が登場し、急遽一緒にやった。メンバーの子どもたちが参加することもある。特に「年会費」とかも集めてない。ユニフォーム代とか、『ベアーズ』オリジナルワッペンぐらいかな。ただこれが高いのだ。3000円もする。ある意味これが「入会金」であり、「会員証」代わりといえるのかな。あとは打ち上げのときのオツリなんかを貯めておいて、野球用品等を購入するときなんかに使う。そんな程度。これ以上いろいろやってみるのも面白いけど、今の体制からさらになんかやるのはエネルギーが必要だ。ましてtoto助成金を申請してやるほどの活動計画はない。あくまで「生活にうるおいを与えてくれる」程度でいい、と当初から思ってたのだけれど、人によって温度差はあるようだ。地域スポーツクラブの関係者が集う『クラブネッツ』のMLを見てて、「わしらはこの人たちと同じ意識水準で物事を考えたり参加したりしていいのかな?」と思ってみたけど、微妙に違うようだ。まず決して「地域密着」じゃない。拠点がたまたま横浜だけど、いろんなところに住んでる人がいる。横浜のある神奈川のほか、宮城、山形、埼玉、東京、長野、岐阜、愛知、滋賀、大阪、和歌山、福岡と、いろんなところにメンバーがいる。インターネットで募ったチームならではだ。で、参加できる(したい)ときに参加できる。基本的に、それぞれのメンバーがどこで何をやろうと自由だ。だけど全体で集まるのは横浜、って感じ。そういう意味では、「地域スポーツクラブ」という定義からはそれるだろうな。だけど、そこで「疎外感」を感じる必要もないし、互いに参考にしたりされたりしていければいいけれど、最近ご無沙汰してしまってる。>クラブネッツ仲間に入れてくれるかどうかは不明。それはそうと、これからの進め方についてのアンケートを出したので、そろそろ締め切りたいのだけれど、あんまし集まってないので、大した結果にならなさそうだけど、まあいいか。んでもって、明後日はリーグ戦の2戦め。天気がよくなることを祈る。
May 23, 2003
日本の国技、大相撲は、孤軍奮闘する朝青龍さえもが、土俵上でのマナー違反を指摘され、なんだかマスコミによって「ごく潰し」扱いの方向に進んでいるような気がします。とはいったって、お年よりの方とか、外国から見に来るお客さんにとっての人気はまだまだ絶大だし、巡業などに訪れればお相撲さんは人気者。「お相撲さんにだっこされた子どもは丈夫な子に育つ」という迷信というかおまじないはいまだに残っているし、他の、日々存続の危機にあえぐスポーツ種目に比べたらまだまだ安泰にも見えるんだけどねー。「相撲」をつまらなくしているのは、日本相撲協会の努力不足か、というとそうとばかりもいえない。マスコミとのいろんな軋轢があって(八百長問題とか)、それを未解決のままほったらかしにしてたら、報復措置のように相撲をこき下ろす週刊誌がしつこく「相撲界の悪癖」を書きたてて、それを面白がって読む読者が、ワケわかんないまま振り回されてるうちに、他のサッカーとかアメリカ大リーグなど面白いネタが相撲を上回っちゃったため、おのずと相撲から離れて行った、というようにも思える。でも、最近生で相撲を見る機会が増えてきた自分としては、どうにも残念でならない。NFLのプレシーズンマッチが8月、東京ドームで行われる。そのチームは1月のスーパーボウルを制したチャンピオンチーム・パッカニアーズ。そのラインの選手達(前線でぶつかりあうポジション。ボブ・サップも元そういう選手だった)が、5月場所前に某相撲部屋にぶつかり稽古にきていたが、土俵の上ではことごとく跳ね返され、転がされていたらしい。もっとも、相撲とアメフトは全然違う競技だから、使う筋肉とか力を込める部分は違うんだろうけど。つまり、力士はそれだけ「強い」ってこと。力士たちは、単純に「でかくて太ってる」わけではないのだ。だけど、最近とみに「でかすぎ」てるような気もする。で、結果重すぎる体重を支えきれず足腰を痛めたり、激しすぎるぶつかり合いでケガしたりして休場が相次いだり、というのも、テレビで見ている大半のファンにはガッカリさせる材料だ。現在の幕内力士の平均体重は150kg余り。20年前の、輪島とか北の湖の全盛期の平均体重よりか20kg以上上回っているらしい。いろいろ、近代的トレーニングを取り入れたりして身体作りを図っているにもかかわらず、見た目「ただ太ってる」ように見える力士も多いのはなんとなくもったいない。中身は伴ってるのにね。もっと、彼らは食事のとり方を考えたほうがいいと思う。朝飯は必要だって。それ食わせないでぶっ倒れるまで稽古してからガーッとつめ込むからでかくなる。って理屈はわかるが、でかすぎちやってるんだから別の合理的な食事摂取の仕方をするべきだ。霧島とか、隆の里なんかはそういう研究してたんだから、もっと全体にそれを普及したほうがいいと思うがどうなのだろうか?生で見る相撲は本当に迫力ありますよ。見たことある人はわかると思うけど。「八百長」なんてやったらケガしちゃうよ。たとえあったとしたら、それはよほど強い、地力のある人で、力を抜いてもケガしない負け方ができる人、ってことになるけど、命がけの勝負でそんなことできるかよ。というのが基本的な考え方なんだけど、一方でそういうネタを面白がっていたりする自分もいる(笑)。やっぱり、協会は生観戦に来てもらう努力をもっとすべきだろうな。プロレスはそうして食いつないでいるところが殆ど。地上波のテレビでは見れなくなってきてるからね。たぶん「相撲こきおろし記事」など書いてるマスコミの人は、相撲に何かしらの恨みつらみを抱いている人に違いない。ペンでその報復をしてるのかもしれない。誰だかしらないけど。よーするに、相撲は面白くしようと思えばまだいくらでも面白くできるってこと。それもマスコミともっと仲良くできるかどうかがカギでしょうね。
May 22, 2003
昨日はよりによって6時~7時にかけ超どしゃぶりの、シャワー級の雨。天気予報を侮って折りたたみ傘を持ってこなかったワタクシは、見事に雨をかぶりまくってずぶぬれ、で、スクーリングのあと呑みに行ったりして帰宅したのが12時。で、PC見たり本など読んでるうちにうたた寝したのがまずかった。「バカは風邪ひかない」という諺があるため、最近バカ化している自分は大丈夫だと思ってたがさすがにそこまで侮られてはと、風邪のバイキンも怒ったらしい(笑)。で、午前中は寝て、午後は出社。役所に資料を取りに行く用事を済ませたところ。わしらは「産業スパイ」的な稼業を営む悪徳業者なので、あたかも役所の出入り業者とかプレス記者のごとく役所に入り込んでは勝手にその場で情報公開をおねだりしちゃう。それはそれでストレスが溜まる。だけどそういうニーズとかヴァリューしかないのね。>ワシら役所にいる人間が心なしか少なくなったような気がする。コイズミ様の「大・構造改革」の成果(?)なのだろうか。人員削減したのはいいけれど、その対応ぶりは変わらない。「担当者不在」で対応できないと、追い返された。一人でいろんなことできる「横刺しオールマイティー役人」はいないのか?そういう人たちは「なんとかかんとか本部」に行ってしまわれたのだろうか?まあいいや。それはそうと、こんな「しょうもない、しょうもない」と思ってやっている仕事なのに、やらないと落ち着かない。1日2日休んじゃうと、物凄くそのことが逆にストレスになったりして、そのために会社に出てきてるような感じもする。そこである社員とかクライアントとかお役人様とのストロークがプラスであれマイナスであれ、ないと「心が苦しくなる」のだ。これは仕事以外の、今通っている学校とか、野球チームでもよいのだけれど、とにかく日常的にストロークが発生するのは現職場でのことであり、それなしには生きてゆけない。これは働いて扶持を得るためだけに存在するわけではない、ということなのだなあ、と、なんとなく考えたりしてみた。それはそうと、今月まで我が部署での売上はゼロ。苦しい状況は続いているのは事実で、またまた給与が遅れて出たりすると、社内でブーイングが出てタイヘンなことになるだろうなあ。だけど、そういうことも、たとえストレス要因になろうと、また我々には必要なことなのだろうなあ。なんだか書いてる自分もよくわからない話になってきたぞ(^^;;)。
May 21, 2003
タイトルの意味は、要するに、まだ会社の中の自分の担当する請負仕事が始まらない、ということ。おそらく来週以降になる見通し。唯一人の「部下」というか「後輩」(意識的には、お互い「協力し合って仕事を遂行するパートナー」的意識で臨もうと考えている)は風邪で休み。それにしても風邪が流行っているなあ。何やら海外から伝染してきた悪性の疾病でないことを祈りたい。という話はさておき、そういうわけで「鬼のいぬ間に」日記を書いちゃおう、ということで。私の日記は、その日の出来事、というのが少ない傾向にあるようだ。今まで感じてきたこととか、日頃思うことが題材になっていることが多い。それをできるだけ現実の生活に結びつけて考えたいというのもあるけれど、ある意味「文章トレーニング」も兼ねている、というのもある。またまた前置きが長くなってしまった。土曜日に「カウンセラーは天職」みたいなことを書いて、「何を根拠に」というのをまだその後したためていなかった。なのでそれについて少し触れておきたい。まずこういうモチベーションをもたらした決定打は自身のうつ病発症と、それに前後して度重なる職場で見つづけた、同僚、上司のメンタルトラブル、そしてそれをおざなりにし続ける会社に対する怒りである。最後の、会社に対する怒りというのは、会社側にいわせれば「お門違い」という解釈もあるだろう。だけど、あまりに当人に対する扱いがお粗末であると思った。そして多くの同僚、上司が相次いで会社を去った。その原因を、会社は極めて自分達の都合のよい解釈で片付け、風化しようとした。たぶん自分の会社だけではないだろう。こういう風潮があるのは。こと中小企業、零細企業においては、経営者はじめ、組織を構成する従業員全員が、自分のことだけでも精一杯で、周りに配慮する余裕もないところが多いのに相違ない。だから、このままほったらかしにしておくと、「病んだ会社」が増えていく一方になる可能性がある。これが各家庭などにも影響を及ぼさないともいえない。サラリーマンにとって、仕事は日常生活の第一位に掲げるべきものだし、それを健全に営めないことは、生活そのものをトータルに不健全なものとしてしまいかねないと思うからだ。大企業には「産業医」がついていたり「産業カウンセラー」を雇う基盤があると聞く。だがそれは中小・零細企業にはあり得ないことだ。そんなところに働く人たちが圧倒的に多いのが今日の労働市場の現状だ。自分ははっきりいって「ダメ社員」であったし、今もなお「ダメ社員」であり続けている。それはそれでよし、と自分でも納得して受け入れることにした。けれど、社会に多数いる、ストレスをもとに「ダメじゃない社員」が「ダメ社員」の烙印を押される前に、自分で「ヤバい」と思った人が気軽に相談できるメンタル面でのセーフガード的な立場としての「カウンセラー」もしくは「セラピスト」という存在になりたいと、強く思うようになった。これは自分が経験し、見つめ続けて来たものも沢山、沢山ある。成功した例は少ない分、失敗したあとの苦痛や重責に潰された経験。そういったものを生かすべきだと考えた。だけどそれだけではダメだ。グチ聴きだけで、精神的に立ち直るためのサポートをするには相応の知識と技量が必要だ。だから、そのための専門知識とスキルを身につけんとしているのである。遡って、これ以前に動機づけがなかったか、と考えるに、それは身内にあった。親戚で、一家心中を図った家の子を養子としてひき取った家がある。今では実の親子同然に生活し、その子自身明るく暮らしているのだけれど、たぶん心の底に悲しみを追いやって生きているに違いないのである。その一家心中は、本人が物心ついて間もないときの出来事だったから。祖母が3年前に死んだ。その忌まわの際の病床で、祖母が彼女に息も絶え絶えに云った。「お前には、辛い過去がある。だけど、そのことに負けないで強く生きていかなければいけない」と。本人は号泣し、病室を走り出て行った。そのときは、「なぜあんなことをいうのか、本人が忘れようとして懸命に明るさを取り戻して生きているのに!」と腹が立ったものだが、今にしてようやくわかった。祖母のいうことが正しかったということを。実の親兄弟が自殺したという現実を受け止め、その苦しみと共に生きていく必要がある。それができてはじめて明るく生きられるのだということを。祖母は、生前からユング、フロイトを読んでいたのだ!自分にも、「お前は本が好きだから、将来読みたくなったら読みなさい」といわれ渡された心理学の本があったのを、今さらながら思い出した。この先、彼女が今悲しみを吐き出せずに生きていく道を選ぶのだとしたら、先々精神的に破綻が訪れることは十分考えられる。そのとき支えになってやれるのは、他ならぬ自分なのである。最後に、自分の実の妹は精神薄弱児として生まれた(次から次へといろいろあるのだ 笑)。現在は、障害者年金と、区が経営する、同じく精薄者の働く授産施設で細々と収入を得て生きているのだが、本人の、周囲の健常者に比較しての精神薄弱へのコンプレックスは並大抵のものではない。それが軽度のものであるだけに、なおさらである。山田洋二監督の『学校2』という映画に出てきた男の子とほぼ同レベルだ。できるなら普通に生きたい。だけど同じには生きられない。周りからは「バリアフリー」という名の差別待遇を受けていると思っている。うつ病とは似て非なるものだけれど、同じメンタルの苦しみを持つ者として、物凄く本人に共感しはじめているのが最近数年のことである。自分には、妹の精神障害を治すことはできない。だけど、障害とともに、自信を持って生きていくことを後押しすることぐらいはできるようになれると信じている。先日の話の「きっかけ、背景」とはおおよそこんなところである。長くなってきたので、このへんで筆を置く。
May 19, 2003
今日はなーんにもやんなかった。午前中まで眠って、午後、歩くがごときジョギング30分、やってから、公園の野球場でやってた草野球の試合をボーッと見ていた。入院中の父は、昨日の様子を見てると1日中点滴を打つ以外、何もやることがないそうで、メシも食わせてもらえないらしい。腸に「しゅよう」のようなものがあるようで、それが良性のものならよいけど、どの道手術はやるらしい。池波正太郎の本を見舞いに届けたけど、TVは見れるから、なんか視覚に訴えるモンしか当面は楽しみがなさそうだ。上手いチーム同士の試合が1つと、ヘタクソチーム同士の試合が1つ。でもどっちもなかなかおもしろかった。なんか中に入れてもらいたい衝動にかられたけれど、けっこう白熱してたし、大体そういう「飛び入り」は得意じゃないタイプなので自重。肝心の『ベアーズ』の試合は来週日曜である。天気がよくなるといいなあ。。。
May 18, 2003
改めて思ったりするのだけれど、今、自分が目指す「カウンセラー」もしくは「セラピスト」という職業は、なんか自分自身に課された天のお告げではないけど、天命だ、と思うようになりました。とかかくと、「あっ、とうとうコイツ、イっちゃった」とかいう声が聞こえてきそうなのだけど、いっとくけどイってはいないぞ(笑)。だけど、そう感じる背景はいくつかあって、それを全部書いてると疲れるので、今日はやめときます。なんか疲れてます。オヤジさんが入院しちゃいました。見舞いにいったけど、なんか元気なさそーでした。退院したら巨人戦見に行こう、相撲も見に行こう、と言っておきました。まあ、カウンセラーなりを「天職」みたいに云った背景やらなんやらについては、また折を見てその気になったら話しますわ。明日、とか約束できないかもしれないので。
May 17, 2003
なんかいろいろな思いが渦巻いている。先週、カウンセリングの養成機関で「卒業後の就職について」のアンケートを行ったり、また就職先についての情報誌のようなものが発行されたりしているのを見た。これらは受講生の間でたちまち売り切れたらしい。50部作っただけだそうなので当たり前か。なので早速増刷するとのこと。でもDPSなどの技術の進歩で、50冊程度の小部数でも出版できるのだなあ、などとヘンなことに感心したりして。出版ということにも興味があるので、そんな感想を持った。昨日のカウンセリング、なんか会社の中でやろうと考えてきたことについては機能の日記のとおり、少し疲れてきたので小休止してまたあらためてトライすることとし、自分の人生の中で、どうやって世良正則、じゃなくてセラピストになって世に出ていくべきか、といったことも話題にし、次回からはそれがメインテーマになる。どうやら方法は一つではない(当たり前だけど)し、決して社会的認知度の高い職業ではないね。日本では。「相談したけどなんにも解決しなかった」という声もよく聞く。たぶん、「きちんとクライエントの問題解決に貢献できるセラピスト」がまだ少ないのだろう、という気もする。心理療法は、フロイトの「精神分析療法」が有名だけど、時間とお金がかかる。なんといっても保険効かないし。だから一部のブルジョアジーのステイタスみたいな感じになっているとも聞く。主流になりつつあるのが「ブリーフセラピー」=「短期療法」だ。これも、一回ドドドっと説明受けて、本1冊読んだばかりだからまだピンとこない。もっと理解したり、ワークを重ねないと。短期といったって、数ヶ月はかかるし5~10回程度は来訪してもらうとのこと。あまり早く「治りました」なんていわれるのも却ってあやしいのだ。で、実際にデビューしたとして、結果「いい感じ」で終わったとしても、それが「好結果」とは断言できないだろうな、というのが難しいところである。むしろ「お前なんかに頼らなくても自分で治すからいいよ!」といって去られて結果よくなるケースもあるだろうし。難しいわ、凄く。自分が受けてるカウンセリングを通じて、確かに当初より自分の意識は変わったと思う。けど、疑問も少しある。まだ口に出して云ってないけど。勉強を兼ねて聞いてみたほうがいいかも。なんか「自分自身の都合のよいように解釈をするように意識づけをさせてもらってる」という気がする。もっとぶっちゃけていうと、「おだてられてるような気がする」という感覚が残るのだ。こういう感覚を持つ自分は、まだ自己解決ができていないのだろうな。「『都合のよいような解釈』って何?それは『都合のよいような解釈をしてはいけない』ってことにとらわれているのではないの?」と逆に突っ込まれたりするかも。「もっと楽に生きるためには必要なことです」とかね。もう少し心の中を整理しないとね。また、これ云ったら怒られるかもしれない(逆上されるかもしれないし「じゃあ他でカウンセリング受けなさい!」とか云われちゃうかもしれない)けど、「セラピストの先生から『逆転移』を受けてないか?」といったこと。先生がもし「具体的、現実的に物事を考えられ、それを言語化できる人=仕事ができる人」という「理想の人物像」(みたいなもの)をもっていて、それがおのずと自分の受けているカウンセリングの中でそういう流れになっているのかな?という風に思えなくもないといえば思えなくもない(ヘンな日本語だな)。だけど、一方で「セラピストの先生=講師」「クライエント(自分)=生徒」という関係でもあるので、そういう意味で考えると、これは正しい関係でもあるし、意識づけされていることは正しいことでもあるのだ。事実セラピストとなるためには必要なことだし。というわけで、ちょっとした疑問になって残っていることだけど、ほったらかしにしとくとせっかく受けつづけてきたカウンセリングなので納得しときたいので、やっぱり聞いておくことにしようっと。
May 16, 2003
今日は、勝手に「休む日」と決めて仕事をボイコットしました。昨日まで、自分の中であたため続けてきた仕事のプランとか、そのなかで自分が果たすべきこととか、そういったことを周辺にアウトプットしてみたら、思い描いてきたことと少し「ずれ」というか「乖離」を感じました。当たり前のことだよね。自分の世界に閉じこもって作ったストーリーなんて、所詮は自分だけのストーリーでしかなかったわけで、周りに対照したらそのとおりすんなりコトが運ぶわけなんてない。「ひとりマーケティング」みたいなことやって、勝算100%なんてことができる人は、それだけいろいろ、アウトプットの経験がモノを云ってるわけだから。まだまだその点では自分はヒヨッコ同然だと思う。とはいいながらも、これから自分が近未来に向けてやっていきたいことは、きちんと整理して、できればその理想に近い形で実現するような流れを作るのは自分で、そこに協力者が得られれば協力を得ながらやっていきたいと思うわけであります。今、自分がしたため、あたためているプランが3本。「会社のため」とか「世の中のため」とか、はじめは「他人のため」という大義名分をくっつけていたのだけれど、結局それらはすべて「自分のため」なのだと気づいた。だからこれらは自分のこととして紹介します。会社の資源と、その他自分の持つ人脈を使ってやってみようと考えているビジネスモデルが1つあります。どこまで可能なのかは、やってみないとわからない、現在は机上の空論です。でも「やってみる価値」は感じています。特許でもとろうか、とか思ってみたけど、それはどうも難しいらしい。すでに似たものを今年から特許化している例を見つけちゃった。これはショック小さくない。あと、自分および自社にはそれを製造ラインに乗せて商品化する力とノウハウを持っていない。でもできそうな会社をいくつか発見した。そこに出向いて見て、自分の考えをぶつけてみようと思う。すべてはそこからスタート。だけどいつからはじめるかは、実際今抱えている仕事も決して簡単なものではないから慎重に運ぶ必要がある。場合によっては、個人ではじめることになるかもしれない。たとえば「楽天」でのネット販売とか、個人商店的に展開するとか、草の根的に友人ルートで細々と展開するとか。実験とかモニタリングも必要だろう。何事もはじまりはカネと時間が必要だ。そのへんを今再度整理しています。それと、今やってるカウンセラー、セラピストとなるための勉強。自分は、これは独立して、地域や職域にいる人たちが気軽に相談に訪れてくれるようなものとして成就させたい。学校を卒業しただけではダメ。「ライセンス」はただの紙っぺらでしかないと思う。実践と、先輩のアドバイスを得て、それを何度も繰り返して、自信もってできる!という瞬間が訪れたら、開業に向けて動き出したい。それまでは、ある程度ボランタリーな活動を続けるべきだろう。できれば中小企業で、産業医とか企業内でカウンセラーを雇えない会社の人たちに自分を認知してもらうためのアクションをどうとるか、これを考えたい。自分の得意分野っていうのは、割とそういうところだと自分では思うので。それに付随して家族療法とか、その他いろんなケースに対しても勉強しないとね。最後に、これはだいぶ前からの自分の人生テーマであるが、「童話作家」になることである。書き溜めつつ野放図になっている「自分の中の作品」が結構ある。また頭の中に詰まっているものもいくつかある。今年からそれらをアウトプットしていろんなところに持ち込むことに決めた。思いついてからすでに20年近くの歳月が経過している。その間に得たネタは数え知れない。けどなんか「駄文」が多いので、それらの推敲や修正を加えることなくきており、文章力の研鑽が不足している。それを現在補いつつ、「賞」と名のつくところをはじめ、出版社などに持ち込んでみたい。事実を正確かつ劇的に伝えるノンフィクションとかレポート、コラムといったものより、いささか空想が許される作品が多い。「小説」もそうだけど、諸々のそれを見直してたら、自分のそれらは「童話」になるのだろうと思う。最後のは、少し人生の中のライフワーク的なものとなってしまうかもしれない。だけど、おじいさんになってからも、子どもに夢を与え続けるようなものが「作品」として作り出し続けられたらいいな、と思う。最終的には、セラピスト 兼 童話作家、というものになるのが、もろもろのプロセスを経て自分の目指す『夢』ということになるだろうか。
May 15, 2003
いやー、横綱がどっちも外国の力士で、大関陣はふがいない。相撲界は混沌としてきている。チケット売れ残りもひどいらしい。>平日けど、昨日の高見盛vs千代大海戦はオモロかったらしいね。勝ったのが高見盛なんだけど、あのヒト、いつも「勝つ」というか、土俵に上がるのホントはイヤなんじゃないか、とときどき思う。みるからに臆病そうな目。自信のなさを隠して、懸命に自分を奮いたたせるために上半身をバシバシ叩いて伸びをやる。そのしぐさがウケてしまい、一躍人気者になってしまった。だけど、そうこうしながらも部屋の指導者が良いのと努力家だったりするのとで、地力はある。土俵にあがるとき、いつもストレスフルな顔をしている。「勝っても負けてもいいから、早く終わってくれー」と顔で訴えている。だけど勝っちゃう。メンタマ丸くして自分でビックリしてる。千代大海は、昇進当時に話題になった「番長」あがりの大関。目つきも鋭い。そこいらの不良少年の頂点に君臨しそうな面構え。今場所は横綱昇進がかかっているから気合も入ってる。だから、昨日の対決は、「のびたvsジャイアン」みたいな対決だったので見たかったけど、見ることできずダイジェストだけ見た。高見盛がはたきこみで勝ち。で、勝った高見盛の顔に、嬉しさはなかった。いつになくビックリ仰天した顔をしていた。インタビューで「信じられません」とか云ってた。そりゃそうだ。ジャイアンには勝てない筈なのに勝ったのだから。この先、この高見盛は絶対大関とか横綱にはならないと思う。だけど、いつも強さとは違う意味で土俵を沸かせる「天然エンターティナー」であってくれると思う。寺尾みたいな。でもちょっと違うな。歴代でこんなヘンテコな力士はコイツだけだろう。こういうヤツがいてくれることは、ちょっと人気低迷気味の相撲界における数少ないポジティヴなトピックスである。
May 14, 2003
ゆらら55さんの掲示板でダベリングしていた話にちょっと絡めて。考えの発端は「いじめ問題」だった。クラスのいじめ。職場のいじめ。よそ者いじめは日本でもよくあること。要は「大勢で一人を集中攻撃してやっつける」場合が多いけど、中には「丸腰の者をナタでいたぶる」つまり、力の差が歴然としている相手をねじ伏せる行為もこれに含まれるかな。はじめに、自分のことを話す。子どもの頃、しばらく近所の家に預けられて育った自分は、他の子より幼稚園に入る時期が半年ほど遅れた。新しい環境と集団行動になかなか馴染めず、それがいじめに遭うきっかけとなった。当時「仮面ライダー命」だった自分は、仮面ライダーになって、いじめるヤツらを怪人「○○男」に見立てて、ライダーキックで倒す、ということを夢見ていた。その欲求が、園内で暴発した。塀に登って、ターゲットのいじめっ子に向かって「ライダーキック」をお見舞いしようとしたが相手が不意にそれをよけたため着地に失敗。にもかかわらず、そいつは泣きやがった。「男の子は泣かない」という禁止令を持って生きてきた自分は、周囲にいる園児と先生にとっては「加害者」に見えたに違いない。一瞬にして「○○くんをいじめた」逆賊となって、こっぴどく叱られ、園内で完全に孤立した。その後、「こんな幼稚園はやめてやる」といって脱走を試み、あえなく捕縛され、またもやこっぴどく叱られた。その後、小学校にあがってから、担任の先生に「ケンカはいけませんよ」といわれ、そもそもくたびれるのがきらいな自分は、わざわざ自分からケンカを仕掛けるということはしなくなった。だけど、そうはいっても腕白ざかりで元気な子どものこと。「いけませんよ」といわれたぐらいでケンカはやめるもんじゃない。なにかとケンカとか争いがたえないのは自然の摂理である。だけど自分はそうやって人とぶつかりあって、なおかつ先生という「強者」に威圧されるのがメンドくさくて、「なるべく」おとなしくしていた。全くなかったというわけではない。かかる火の粉は払わにゃならない。途中を省略するが、やがてこういう火の粉を払うには、身体を鍛える必要があるな、と感じ、いろいろトレーニングを重ねるうちに、とりあえず腕っぷしだけは学年で追随するものがいなくなるまでになっていた。そうすると、おのずと敵は牙をしまうようになっていった。やれやれ。けど、子ども時代に十分にケンカの痛みを噛み締めなかったことが果たしてよかったことなのかどうか、よくわからない。けれど。自分らがガキの頃には、「いじめ」、とくにクラスメイトが登校拒否を起こしたり、挙げ句自殺を試みるにいたるまでのいじめというのはなかった。たまにこっぴどいいじめっ子というのもいたけれど、一方でそれを抑えるガキ大将的存在もいて、おのずとその集団は、極度に悪化するにいたらなかった。なので、今日のニュースでやたらと話題になる「いじめによる生徒の自殺」というのはいささかショッキングである。それも、かなり頻繁にである。こういった現象は、果たして社会に出てからもよく目にしたし、自分もまた巻き込まれた。会社の総務に「キラー」と呼ばれる、いわゆる「つぼね」がおった。こやつは、私よか後に入ってきた中途入社社員なのだが、「社労士」なる、我がアホ会社においては神格化に値するほどの「銀バッジ」を持っており、ゆえにオノレの所属する部署を思うがままに牛耳っていた。とくにこのバッジの効力が生かされるものは「人事」に絡むものであるから、実質、彼女が陰で人事権を操っていたというウワサもあった。「キラー」に嫌がらせを受けて消された者、また彼女に悪い噂を流されいたたまれず退職した課長もいたと聞く。挙げ句、その白羽の矢が自分に立った。地主の息子のアホ社長のいうことに逆らった自分は、「キラー」の部署に異動させられた。「実刑判決」だ。ヤツははじめ、自分を味方に取り入れ、利用しようと肝を煎った。だけどなつかないと見るや、ガラリと態度を変えた。まあ異動の時点で辞めるハラは半分決まってたけど、極力そいつに「消された」とか周りに思われたくないから、「他にやりたいことがあるけど、それはこの会社ではできない(いちおう事実)」という理由で自己都合で辞めたけど、他にもそういう人は少なからず見かけたな。当時の自分は「キラー」に勝てるものを何も持ち合わせてなかったから。以上が自分の「いじめを受けた」プロセスというか体験。もう大分前の話だ。「いじめ」の背景、原因ってなんだろう、と考えていたのだ。学校では、ケンカはいけないという規制をたぶんますます強めていると思う。体罰もそうであるが。社会でも暴力は法で禁じられている(これは昔からか)。で、治安は強化され、ちょっとした街中でのケンカにも警官が割り込んでくる。法律やモラルは、やはりそういうものを禁じているのだろう。たぶん、このこと自体は「正しい」。私は暴力を肯定する立場でこんなことを云うのではない。ケンカや暴力を抑えつけることによって、かつては許された「闘争本能のはけ口」を、違う形で求めた結果が「いじめ」などといった行為につながっているのではなかろうか。「シカト」も同じだ。これらの共通点は「法によって裁かれる対象外のこと」として判断される場合が多いことだ。つまり、コソコソとできること、軋轢が少ないから「楽である」こと、などである。似たような、医学的症状に「アレルギー」がある。人間の身体には「抗体」というものがあって、細菌やウィルスに対して抵抗し、身体を守るための力を発揮してきた。だけど、医学の発展によりこれらの細菌やウィルスは予防薬が開発され、いつしか発病することが現代人の間ではなくなっていった。そうすると、力が余ってしまうのが、「抗体」だ。彼らは、現代人の身体の中で、この持て余す力を、細菌やウィルス以外の者にぶつけるようになってきた。日本ではスギ花粉。ダニやホコリ、その他食物など。だんだん対象物(アレルゲン)が増えてきている。あまりに現代の「いじめ」などの現象がこれに似ているので、私はこれを「心のアレルギー」と呼んでいる。ただこれをあまり公用すると「いじめられっ子=アレルゲン」と云ってるみたいに思われるので、もう少し適切に整理してから定義したほうがよいかもしれないが。この部類にあてはまることは子ども・大人社会を問わず、物凄く多いと思う。とくに子どもは大人を真似ると考えれば、元凶は大人である可能性が高い。それを解決せずしてなんの「教育改革」であるか!?で、解決方法はいろいろあるように思えるけど、どうなのか?闘争本能を満たすことで、上記のごとき「心のアレルギー」を抑えることのできる処方箋。スポーツとか、ゲームとか、ディベートとか。もっといろいろ考えられると思う。みんなでかんがえよう!!
May 13, 2003
西武ライオンズ・松坂大輔と、読売ジャイアンツ・上原浩ニの今年の明暗が、どうもくっきり分かれはじめてきているような気がする。二人とも、4年前に西武・巨人それぞれドラフト1位で入団。松坂は当初よりその豪腕は全国に轟き渡るところとなっており、開幕即戦力として注目されてきた。いわば「天才」。一方の上原は、「開幕は二軍から」という、長島監督の開幕スタメン構想からは外され、地味な境遇ながらも臆することなくノンビリムードで調整をしてきた。契約金10数億円を実家にプレゼントしたりと、若くして金銭面での派手さもハンパではなかった松坂に対して、上原については、小さい頃の親孝行の話とか、少ないおこづかいをコツコツためてグローブを買った話とか、高校時代は外野手で、浪人してまで大学で教員免許をとって学校の先生になるつもりだった話とか、地味なネタを前面的に出していた(これらの報道には少々うすっぺらさが感じられたような気もする。バカバカしいというか)。デビューも対照的。新人にして、それまでのエース西口を抑えて開幕投手になった松坂。一方、上原は7月頃からデビューさせるプランだったのが、その年の巨人は開幕ローテーションが大誤算、破綻をきたし、「しょうがないからちょっと早いけどためしに5回ばかり投げさせてみっか」的に堀内が使ってみた結果、カンペキに近いピッチングをした。以後、力任せの投球がときに空回りし、ときに激投という当たり外れの激しい松坂と、安定したピッチングで知らず知らずチームの柱になっていった上原、2人はともに最多勝と新人王を獲得。松坂16勝に対して上原19勝。オールスター戦でも対戦した結果は上原に軍配。シーズン終盤、当時スワローズのペタジーニとの勝負を避けて敬遠の指示を出され、涙するシーンは印象的だった。頑張りやの「優等生」的エースの誕生を感じさせた。プライヴェートも対照的で、松坂がシーズン中からゴシップでいろいろ週刊誌のネタにされるような行動を取りつづけ、球団幹部を辞職に追い込むまでのやんちゃぶりを発揮したのに対して、上原は、シーズンオフに「やっとマイカーを買えました」みたいな殊勝なことを云ったりとか、それぞれ結構好対照ながらも、ともにリーグを代表するエースとして成長を続けてきた。はずであった。その期待が、今年も続いていた筈なのだけれど…。上原が、昨シーズンオフからなんかちょっと変わり始めたように見える。チームメイトに対する態度が、なんか「らしくない」。明るい正確なのはわかるけど、先輩に対する態度とか、言動とか。チャラチャラとゴルフに昂じる表情とか。今まで手にしたことのない栄光を手にした男は免疫力がないのかなー、などと思ったりして。同じことを松坂がやっても「当たり前」に見えることで、気にしないぶんにはいいけれど、なんか「初心」を忘れてるような気がして見えたのは私だけだったのだろうか。翻って、大先輩・桑田が、終始一貫して「求道者」のごとくキャラクターを変えないのに対して見ても、上原は明らかに変わった。マイナス方向に。こんな薄っぺらな男だったっけ?って感じ。今シーズン。昨日、たまたま同じ日に松坂と上原は登板した。松坂が、より「凄み」を増した投球で1安打完封、4連勝を飾ったのに対し、上原は終盤8回、粘る中日打線につかまり、とうとう追いつかれた。TVに映ることの多い男だけになおさら目につくのが、「打ち込まれ、勝てず、焦る」表情。それなりにコンスタントに勝っているようだが、軽さが否めない今シーズンの上原。まだシーズン開幕間もないにもかかわらず、早くも「力の限界に達しつつある」ように見える。(オフに油断したんじゃねーのか!?)ということがいいたいのでもある。一方の松坂は、年々、いろいろ問題を指摘されつつも、着実に力を積み重ね、それを糧に「まだまだ行きそう」な雰囲気。去年はここからケガでシーズンを棒に振った。その分余裕があるのか。また、上原は昨年20勝をあげるなど、日本一に対する貢献度も高く、「使われすぎた」のか。その差なのか。自分にはそうは見えない。プロのくせに巨人ファンを前にしてそんな言い訳は許されないぞ。アンチGの自分としては、最強チーム・Gの大黒柱が崩壊することは有り難いことこの上ないのだけれど、一プロ野球ファンとしては、ここでGの腰が抜けてしまうことは好ましくない。第一倒し甲斐がないというものだ。そして、同年に入団した松坂と上原には、これから先もしのぎを削りあって欲しいということを願う者としては、両ライバルの片翼が折れてしまうことを怖れているのでもある。今は、もしくは今年は休んでてもいいから、必ずもう一度、初心の輝きを取り戻して、這い上がってこい、上原!今の時代に「ハングリー」は似合わない。だから、「巨人の星」みたいなことはやらなくてもいい。だけど、スポーツに対する真摯さと、そこから生まれるプロの技と力、ってモンはいつの時代も人の胸を必ずや打つのだ。松坂はそれを実践できていて、上原はできていない、というのが、今の両者の、極私的見解における比較なのだ。
May 12, 2003
カラダがついていけるキャパシティをオーバーしつつあるようである。>公私にわたる生活リズム普通の人は大丈夫なんだと思うんだよ。いやむしろ「軽い」と思えるぐらいのもんかもしれない。だけど、自分は人よりそのキャパシティが小さい。最近2年間、病気を境に小さくなった。>体力&精神力だから、睡眠最低6時間は摂らないと死ぬ。8時間とれれば健康に活動できる。神経を集中できる時間帯が、1週間単位で、健康なときはどれぐらいあっただろう。今はその頃の半分ぐらいに減ってるようだ。社会的には「役立たず」といわれるだろうし、「弱者」である。今まで「健常者」たらんと焦っていたような気がする。挙句「会社を救おう」みたいなことまで。だけど、そういう抵抗がニーズないらしいと先週末知った。結構キャパいっぱいいっぱいで張り切ってたんだけど。ふぃー、なんかこういうトコで切れちゃうのがここのところの「転落パターン」だったんだけど、そろそろここらで一息入れたい。「手を抜く勇気」を持とう。まったく、遊ぶこととか余暇を過ごすにも体力は使うから、大したことはできない。「つまらないヤツ」とかいってもいいけど、俺に聞こえないように云ってね。そーゆーのもヘコむ原因だからさ。。。
May 11, 2003
いや、やっぱり違う。医者にかかる件数が多すぎる。また服用している薬も。今かかっている医者は2箇所。精神科と内科。今日は歯科の定期健診。で、「歯石が完全にとれなかったのでもう一度来い」といわれた。で、自己負担が3割になったでしょ。>社保もし保険証持ってなかったりしたらエライことだった。現に保険証持てなかった時代があったもんね。20代の頃。あの頃は逆にカラダもココロもえらくタフだった。その反動が出てるのが今なのか。「そーりゃないぜぇー、ぜーにがたのとっつぁーん」だよ、全く。ストイックに生きてきて、何が悪いというのだ!!疲れたのでこのへんで。肝臓が薬のせいでマジ弱ってる。酒も完全にはやめられないしなー(今日は休肝日)。
May 10, 2003
楽天仲間で、ベアーズのメンバーでもある太一さんから話のヒントをもらったので、そこから話を膨らませてみようかと思います。10年近く前になりますが、私の会社と取引をしていた会社の、担当者の女性が挨拶に来ました。「短い間でしたがお世話になりました」って。退職の挨拶。「そうですか、これからどんなお仕事に就かれるのですか?」みたいな会話になって。「はい、4年後の長野オリンピックの準備のためのボランティアになって働きたいと思ってます」えっ!? と若僧の私は思った。こんなにでっかい会社にいて、生活も保証されてるのにわざわざボランティア?「そ、そうなんですか。○○さん、長野のご出身でしたっけ」「家、私はコッチ(東京)の生まれ育ちなんですよー」「あー、じゃあ、ご親戚でもいらっしゃるんですか?」「いえ、とりあえずアパート探します。そのうち、そういうボランティアを受け入れる寮みたいなのができればいいですけどね」うーむ…。若さのなせる発想とはいえ、同じく若僧でペーペー、かつ当時は仕事一筋の会社人間だった私は、「この人、無謀、というか、もしかしたら『ばか』じゃなかろーか」と思っていました。そののち、長野オリンピックが近づいて「トーチリレー」の募集をコカ・コーラなどが始めましたね。応募しようかな、でも仕事が忙しいしな、とか思ってたら、同僚から、「出たけりゃ応募しろよ、一生の思い出だぞ、オリンピックの聖火ランナーなんて」といわれ、「ああなるほど!」とか思いました。このとき、ほんの少しだけ、数年前のボランティアを目指した彼女の顔がチラつきました。でもまだ、わからなかった。>彼女の価値観で、同じくその年は、サッカーファン待望のフランスW杯でもありましたね。あのとき、「W杯フランスに見に行くから会社辞める」っていう若者が凄く多かった。このときも、「あーもったいない、生業に対する意識のなんと低いことよ、日本の未来は暗いね」とか、まだまだ保守的な私は思っていたりしていたわけで。それから、数年の歳月が流れました。仕事に対しての情熱の炎が燃え尽き、力尽きた感のあった私は、ココロを病みました。その支えになってくれたのが、数年前「バッカじゃないの」と云っていたスポーツ観戦へのモチベーションだったりしたのですね。草野球も始めました。そのつながりで、プロ野球も生で観戦しにいくようになった。「なんて楽しいんだろう」と思いました。去年の日韓のW杯なんて、行けるものなら見に行きたいとマジに思って残ったチケット探してネットサーフィンしてた。4年前、あれほどバカにしていたフランス行きの若者と同じ目線に、いつしか自分も変わってた。イソップ童話「アリとキリギリス」みたいなもんだ。仕事とスポーツを秤にかけたら、昔は圧倒的に「仕事>スポーツ」だった(注:競馬と競輪を除く・笑)。だけど、最近は「仕事<スポーツ」になりつつある。ある意味困ったものではあるのだけれど、でも今はそうであるのは確か。実際フトコロ具合やスケジュールとの相談で、ダメなときはダメなんだけど、「時間とカネと体力が続くのならばそのために使いたい」と思ってたりするのですね。さんざんバカにしといて、何を身勝手なこと云ってやがるかこのバカチンが!と、金八先生に怒られることはまちがいないでしょう(笑)。
May 9, 2003
どうも最近、いろんなことを考えて頭が錯綜しているので、書く内容というかテーマもバラバラでございます。今日はスポーツについて。外を歩く道すがら、霞ヶ関の文部科学省の建物に『toto(スポーツ振興くじ)』の垂れ幕が下がっていた。黄色いレンガ調の外壁の、クラシックな官舎と、「1等1億円」だのと書かれた垂れ幕が、なんともミスマッチである。この『toto』と『totoゴール』のTVCMも、なんだかこの事業の目的やコンセプトとの激しい乖離が感じられる。「1発当れば大もうけ」みたいなことを前面に出しているのは購買意欲の向上としては望ましいのかもしれないけれど、その先の、「国のスポーツ振興に対する補助金として使われる」ことがおちゃらけに隠れて見えなくなっている。「まずは買えよ」という意味か。だけど、一昔前の『もじもじ君』みたいな格好をした木梨ノリタケが「田園調布に家も建つ」ってさー、1等1億円で、toto&totoゴール両方当っても2億円でしょう。田園調布に家が建つには何回的中すればいいのかな???この「くじ」の主催者は、文部科学省管下の特殊法人「日本体育・学校健康センター」なるお堅い名前のところで、国立霞ヶ丘競技場の中にあるんだけど、それがこのCM作ってるのを想像するのもなんだかおかしな光景である。日本のスポーツ発展は、いろいろなところから、いろんな形でそれぞれの種目が派生してきたので、プロ・アマのカテゴライズとか、管理母体などがバラバラで一貫性がない。それゆえにミステリアス、という見方もあるけど、プロ野球に対して文部科学省が何かイニシアティブをとってるか、つーたらそんなことなくて、コミッショナーがぜんぜん別のところから出てきたりとか、プロレスはまた別だし、競馬とか公営ギャンブルなんかは、農林水産省と経済産業省が管理してたりとか、それぞれが別々にひとり歩きして、別々のところに資金を運用してたりする。海外の「スポーツ先進国」との比較をしてみると、競馬とか宝くじがスポーツ振興の財源となっている国も見受けられるし、ある程度一貫性が保たれているところも多いようだ。また独自に「スポーツ省」が文部省とは別に独立してやっている国が多い。これから、現在の形がどのような方向性で、発展したり変容をとげたりしていくのか、興味と不安はつきないのだけれど、基本、そして帰結点は、スポーツを見たりやったりする国民の欲求、喜び、夢に結びつくものであって欲しい。決してこれに参加することで万民のフトコロが潤うわけではないのだから。それに固執させることに重点を置くことは本末転倒である。もっと別の、totoを買ったことによる「喜び」が、ちゃんとあるのだということを、ぜひ見せて欲しいものだ。
May 8, 2003
いやいやいや、油断して夕べのスクーリングのあと呑み過ぎたら案の定、会社を遅刻してしまった。セラピストの仕事に遅刻は厳禁である。来訪者(クライエント)は切実な思いを抱いてやってきているのかもしれないのに、それを簡単に裏切る行為。それがために、クライエントとのラポールが築けないばかりでなく、最悪、失望のあまり命を断たれてしまうことだって考えられるのである。ゆえに、我が養成機関での遅刻は厳禁とされている。だから、この学校に通ったときは遅刻したことはない。それはいいのだ。問題は、会社の遅刻。最近とみに多い。自分が情けなく思えるほどやってる。2年前のうつ病のせいに、今さらしたくない。生活のリズムを規則正しく保てば、遅刻しなくても良いはずなのだ。2年前から、夜更かしできなくなった。ゆえに、夜更かししなくてもよい生活に切り換えようと努めている。はずなのに…。自分を顧みるのと同時に周囲を見てみると、確かに「さもありなん」という環境。フレックス的に平気で遅れてくるような空気になってる。一部、真面目に朝から仕事に取組んでる人もいるのに。極めつけは我々のボスで、彼は昼過ぎから出社して、夜中の3時まで会社にいる。で、タクシーで帰るらしい。ウチの会社には冷蔵庫があって、その中には所狭しと発泡酒の缶が詰め込まれている。会社の経費で買っているのだ!!途中、夜8時を回ると、ボスはそいつを何本か引っ張り出してグビグビとあおりはじめる。「プシュッ」という音が聞こえると、「あー、またはじまったな」とウンザリした気持ちになる。ちなみに昔はビールだった。会社のフトコロ事情が悪いので発泡酒に変えたらしい。そんなことを変えるんだったら、「買わない」という形に変えて欲しいと、心の底から思う。ボスの酒癖は悪い。いわゆるカラミ上戸である。以前は酒の肴に引っ張り込まれて、グチとイビリと説教の相手を2時間近くさせられる日が続いた。そんな酒はつくづく「苦しい」。今は、そういう席には「全く出られない」という口実ができた。ある意味疾病利得である。なので、諸々のボスへの提案や相談は、日中に行うに限る。「プシュッ」の音の前にすべてを片付けてしまう、という習慣は、ある意味仕事をスピーディーにしているともいえる。だけど、どうしても残業せざるを得ない日もあるのだ。なんてったって、10人やそこらのリサーチ会社である。人手が回らないのだ。そんな夜は、本当に憂鬱なわけだけど、極力それは避けるようにした。今後、自分の城を築いたら、今の職場環境を反面教師にしよう、と考えている。できれば今の会社ももとどおり、活気のあるものにリセットしたいのだけれど、そーゆー意味で、今の、そして今日の自分は本当にだらしないかった(深く反省)。
May 7, 2003
なんか、会社全体が「やる気なし」に見える。ボスは大風呂敷を広げているのだけれど、実現可能なことはわずか。だから、「実現可能かつ会社の業績向上効果がある方法」を模索中。だけど、ボスは基本的にそういうのは「好かん」。自分以外の者が手柄を立てるとか、抜本的に今までのやり方と異なる手法を断じて認めない性質。プレゼンは、今週中にはできる予定。だけど、ボスがそれを見てGoサインを出すか否かについては不透明。どういうアプローチ方法がよいのか、という「社内提案方法」にも悩ましい今日この頃。なんてったって誰も手をつけてない(ウラはとってある)、究極のニッチ分野の商売。だから、提携先企業に話を持ち込んでもすぐに動き出すかどうかはわかったもんじゃない。だけど、波及効果は「ある」と信じて、まずはまとめてみるべし。その次は来週また考えるとするかあ!ダメならまだ次の案を考えるだけさ!ちなみに「心系」とは全く無関係の話。おかげでちっとも勉強に身が入らないし、連休もそっちでアタマが一杯で手一杯。天皇賞もおおハズレ(泣)。なにやってんだかねえ・・・。
May 6, 2003
最近、日常会話をはじめ、テレビでの人の発言について、その裏に読み取れる心の声とか、表情、しぐさなんてのを、やたらと気にするようになってしまった。でも所詮テレビの番組なんて作り物ではあるので、そこから読めるものなんて少ないんだけど。せいぜい生バラエティで「噛んじゃった」人の表情とか、トーク番組で司会者から予想だにしない人に話を振られたゲストの動揺、てなところかな、「生の心理模様」が垣間見えるのは。逆に、作り物であるドラマで、脚本家が「この表情で、こうしゃべるように」と作ったシナリオなんかは、ある意味このドラマの作者の「心理」を覗く、という意味ではよいのかもね。土曜日のドラマ2本の各1シーンより。(1)「土曜ワイド劇場」かなんかのサスペンスドラマドラマのクライマックス。犯人の女性が、刑事(探偵?)と、自分の幼馴染の女友達(よくこういうドラマにありがちな設定)の前で自分の罪を自白し、そのいいわけに、自分の身の上の不幸をぶちまける。右手に刃物をかざしている(そんな感じだったかねー)。「あたしなんか、服役者の娘だからって、みんなに後ろ指さされて、親戚中の恥さらしだっていわれて生きてきた。そんなあたしの気持ちが、あなたたちなんかにわかってたまるもんですか!?」すると、それを聞いた女友達が、やさしくこういうのだ。「そうね。わからないかもね・・・。でもね。私、○子が恥さらしだなんて、そんなこと一回も思ったことなんてなかったよ。○子は、いつも辛い苦しい中で、弟と二人で、いつも明るく振舞ってるのを見て、わたし、ずっと、そんな○子を『えらいな』って思ってた・・・。今まで、本当に大変だったね。今回も、苦しんでたんだね。わたし、そんなこと少しも気がついてあげられなかった。」犯人の女性、刃物を手から落とし、泣き崩れる。刑事、手錠をかける。背後にパトカーのサイレンの音。(2)NHK朝の連続テレビ小説「こころ」今回のヒロインは、4月だというのにもう結婚してしまった!!で、旦那は、バツイチで中学生の女の子と幼稚園児の男の子を抱える仲村トオル扮するお医者さん。なので、つまりは「いろいろタイヘン」なわけ。娘は結構ビミョーな年頃で、かつ家事などきちんとこなすしっかり者。息子は、今まで姉が母親がわりになってきたのだけれど、きっぷのいいヒロインに好感を抱いており、お母さんが恋しい年頃でもある。けど、このヒロイン「こころ」は、フライト・アテンダント(スッチーというヤツですな)で仕事はハードであり、家事は実家にいたのでぜんぜんできない。で、なかなかこの長女とも心のすれ違いがあったりするのだけれど、まあなんとか結婚まではこぎつけた。そのあとで、新婚生活が思い切り所帯じみているわけでして、現実を見て焦るワケね。今まで母親なしでもやってこれた中にやってきた、「家事については無能な継母」は、「自分もちゃんとしたお母さんをやりたいから仕事やめたほうがいいのかな」「私も何か皆の役に立ちたい」などと思うようになる。これに対して夫は、「『ちゃんとしたお母さん』ってなんだ?」「今まで一所懸命やってきた仕事投げ出してしまうぐらいなら、はじめから結婚なんてしないほうがよかったんじゃないのか?」などという。※この続きは、寝坊した上、さっきまで外にいたので見てないのだ。なにやら、問いかけやら、共感といったことが、葛藤したり苦しんでいたりしている相手に対しての、一種のリフレイミングのように感じられるのは私だけだったでしょうか。まあもっとも、一介のそこいらのドラマごとき、そこまでの意図があってそんなシナリオが書かれているかどうかは不明だけどね。
May 5, 2003
日本では「頑張ってる」っていう態度も、評価につながるわけで。そーゆー意味ではヤンキース・松井は「頑張ってる」といえる。また打点も、ヤンキースのクリーンナップとしては大事な場面できちんと結果を出している。ホームランがでてないというけれど、それをいうなら、「ステロイド使用率85%のメジャーでHR王を狙うことなどはじめから難しいことはわかっている。そんな中で、日本のトップ打者としての長所をアピールするのが今年の彼の指命」だと私は思う。まだシーズンは長い。イチローは、過去2年の実績を買われているから、ことしの不振からチームが彼を引きずりおろすところまでいたっていない。それだけの結果、実績を残してきているからだ。野茂もしかり。今年は100勝をあげたって、それだけでも凄いけど、ちゃんと仕事してるんだからホント凄いよ。果たして松井は、今年の秋ごろ、どんな感じでシーズン終盤を迎えるのかな。長い目で見てあげたいけど、イヤでも日々の試合の情報は耳に入ってくるからな。
May 4, 2003
今週末を境に、執筆モノの応募と、会社の新事業プレゼンと、カウンセリングの勉強と、野球の次の試合に向けての準備。テーマはバラバラなれど、それぞれある程度明確なヴィジョンはあるので、ひとつひとつこなして行きたいと思います。結果、どれも上手くいく、とも思ってないし、次の手も考えようとしているところ。執筆など、よくもまあこれだけ毎月いろいろな応募窓口があるものだと感心してしまうよ。チャレンジしながら腕を磨こう、とようやく思いはじめてきた。でも今のところまだ「何かに採用された」ものはなし。壁は厚くハードルは高い。だけどあくなき野望の日々は続く。ベツにサラリーマン作家でいいもんね。でもある程度自分を追い込まなきゃいけない、つーのはある。でなきゃマジに取り組んでる人間にも失礼だし、自分にだってウソついてることになるし。プレゼンは、なんともいえない。もし会社が「ダメ」とか云ったら、悪いけど背信行為をとるかもしんない。つまりスピンアウト。独断で動いてしまうとかな。バレたらクビだけど、ただでさえ潰れそうな会社をクビになったところで同じことなのだ。カウンセリングの勉強については、今月は猛烈日程。もしかしたら養成所がセカンド・ホームタウンになるやもしれぬ。あ、あとね、「家出のドリッピー」を聴き始めた。コイツの芽が出始めるのはいつ頃からなのだろうな。。。
May 3, 2003
昨日が「メーデー」だなんて、認識してる人が世の中にどれほどいるのだろう?その昔(?)は「メーデー騒擾事件」なんてのが話題になってたようだけど。要するに「春闘」じゃないけど、労働組合の決起集会の日みたいな感じといったらよいか。正しい起源は忘れちゃった。知ってる人はカキコしてくださいませませ。なんか、10年以上前に、どっかの公園で、『カチューシャ』の合唱をやってるおっちゃんとおばちゃん軍団がいたのを見た記憶あり。子どもが遊んでるみたいな広場でだよ。誰に向かって唄ってるのか、「決起集会」の狙いもイマイチわからんかった。りーんごーのはなほころーびー♪かーわもーにかすみたつー♪きーみーなーきさーとーにーもー♪はるーはーしのびよりぬ♪きーみーなーきさーとーにーもー♪はるーはーしのびよりぬ ヘイ♪ってさ。誰かコサックダンスでも横で踊ってくれたらちょっと花束でも贈呈したくなっちゃう感じだったね。ナンセンスものは大好きなんです。お笑いの原点です(お笑いだったのかよ!!)。それはそうと、世の中それどころじゃない。バブルが弾けてこのかた、一向に経済が上向く気配がない。「メーデー」で組合が騒げるのは、「騒げば上がどうにかしてくれる」という、ある意味「甘え」があったからだじょ。今や、経営者もしくは株主たちは、自分たちの取り分すら元本割れして、給与とか配当を受けられずに何ヶ月もガマンしてる、そんな役員もいっぱいいるんだぞ。>中小企業なんて特に野党とか、アンチ巨人のプロ野球ファンの人(オレもそうだけど)へ。与党と巨人がなくなったら、国およびプロ野球は、当面「おしまい」なのだ。ナベツネのヤローはいまいましいことこの上ないけど、これは厳然とした事実なのだ。理想とか文句だけなら誰にでも云えるのだ。それを具体的にやるための構想をきちんと論じられて、現状を打破できる案を提示できないといけない。できる人はぜひ提示して欲しい。などというのは悲観論にもほどがあるけれど、とりあえず仕事がないのならGWはのんびり気分転換でもやって、あくせくするのをやめて、その次から力を取り戻して元気にやりましょ。。。
May 2, 2003
先だって日記に書いた、独立した友人と会った。そのまま飲みに行くところが、「ちょっと急なことで仕事が長引きそうだから先に行ってて」とのこと。約1時間後、合流。顔色が悪かった。「いやー、参ったよー」きけば、新たに事業拡大を図ろうとして契約直前まで行ってた商談が、部下のミスで破談になりそうだったとのこと。いやはや、とんだ日にアポとってしまったものだ。だけど、自分としては、セラピストとして生きていくための「実践経験の場」でもある。かといって、ナニができるわけでもないし、適当な言葉が浮かぶわけでもない。とにかく話をきいた。「うんうん」ときくしかなかった。それしか今の自分にはできなかった。。。当初、部下のことを「ぶん殴ってやりたいぐらいだ」と云ってた彼も、話をきいてるうちに、だんだん落ち着いてきた。最後、別れ際に「とにかくこれから会社に戻って、自分の気が済むまで改善策を考えてみるよ」と、疲れ気味の顔で云った。「頑張ってね」「おう、今度またゆっくり飲もうな、今日はせっかく来てくれたのにごめん」みたいな感じで別れたのが9時過ぎ。彼は今もデスクで改善策を考えているのだろうか。今の自分は何も役に立てないと思うけど、これからプロのカウンセラーになったら、何かの形で手助けのできる存在になれれば、と思った。
May 1, 2003
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