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☆「おも雀」サイト 昨日の日記で話題にした「おも雀」を懐かしんで、書き込み募集して「優秀作品」を毎月表彰してるHPを発見しました。「復活!面雀」http://amsoft.hp.infoseek.co.jp/ 「面雀」っていうのね。リアルでやったほうが面白いと思うのですが、ちょっとヒマつぶしにでも皆さんチャレンジしてみてはどうでしょ?ヘンテコな言葉ができると笑えますぜ(ププッ)。ちなみに、これをやってた深夜番組は「松本人志のひとりごっつ」という名前だということも判明。思えば、「ダウンタウンのごっつエエ感じ」という番組の特番が、ヤクルト優勝のせいで急遽延期になり、怒ったダウンタウン(特に松ちゃん)が、フジテレビに中指立てるような発言して、同局と不仲になって番組も終わってしまったのですねー。「ごっつエエ感じ」の台本は松ちゃんが作ってたのが多くて、笑いのツボが自分に合ってたので残念だったんだけど、ヤクルト優勝のほうが嬉しかったので、ダウンタウンには泣いてもらいました(ってオレが決めたのと違うがな)。☆タップダンス一人旅・・・ジャパンカップ やはり日本のウマに有利な結果に終わりましたな>ジャパンカップ 重馬場は苦手といいつつ荒れた去年の中山のターフを逃げ粘ったタップダンスシチーが、雨で渋った府中の長い直線を逃げ切ってしまいました。 前日のJCダートで、2着3着のウマから流して、1着のウマを外して大魚を逃がした私は、今回は堅実に有力馬を中心にしてたのですが、またしても大失敗。 タップダンスシチーはそれにしても今年の充実度は凄いです。有馬を勝つようだと、年度代表馬になる可能性もありますね。 それにしても、ペリエ騎手は、ことジャパンカップに限っていうと、ジャングルポケットで勝った一昨年を除いては、やや精細を欠いている感がありますな。 ただ、有馬で復活の可能性もあり、ヒシミラクル、ザッツザプレンディ、ネオユニヴァースも交えて、年度代表馬争いは最後まで予断を許さない予感。☆イラク・ティクリットにて日本人外交官2名死亡 フセイン・元大統領の地元らしい。そんなところに駐留したりしていたというのも不運だけど、テロに襲われて死んでしまったことに対して、誰がどう責任とってくれるのだろう?お悔やみを云われても死んだ命は戻ってこない。また派遣された人たちが、「お前の骨はオレが拾ってやる。家族の補償も国がする。お前と俺たち日本政府は一心同体だ。地獄で遭おうぜベイビー!!」と、小泉首相などと「兄弟の契り」を結んで出て行ったとも思えない(もしそういうのやってて、納得ずくで行ってるなら別だけど)。日本の国の政治家たちが信じられないのは、そういう「義侠心」を感じられないっていうところのような気がするよ。
November 30, 2003
少し前、ダウンタウンの松ちゃんが出てた、フジ系の深夜番組があって、そこで松ちゃんと仲のいい吉本の芸人(ホンコン、板尾、山崎、などなど)と「卓」を囲んでやってた「おも雀」というのがあったんたけど、覚えてるヒトいるかなー??麻雀とちょっと違うんだけど、要は、卓を囲む4人が、いろんな言葉が書かれている「牌」を2つ組み合わせて、面白い名詞を作って披露し、一番面白いヤツが得点を与えられる、みたいなルールの遊びなんだけど。たとえば、いろんな単語が書いてある「牌」があるんだけど、「勝ち」「酢」「セクシー」「ジャズ」「飯」「一夜漬け」「放置」「日系」「銀行」「ロボット」etc...などなど、いろんな、バラバラの言葉があるのね。これらを一巡目で引いたあと、二巡目は、すべての牌を見ておのおの順番に選ぶことができる。で、二つの牌に書いてある単語を組み合わせて、面白い(ワケわかんないけど笑える)言葉を作って、4人で比べっこして、一番笑えるヤツを4人で協議して、「ここは板尾の勝ちね」などと決めて、得点をあげるのね。たとえば、「酢」のあとの言葉が「飯」だと「酢飯」でそのままでひねりがないんだけど、これが「酢ジャズ」だとしたら、「なんじゃこりゃ、ワケわからん、でもおもろい、アッハッハ」となるとかね。結構面白かったんだけど、知らない間にこの番組は終わってしまって、タイトルもよく覚えてないんだけど、この「おも雀」だけは記憶していて、どこかでやってみたいものだ、と思っていたりします。正月の遊びに使えそうに気もするんだけどねー。誰か、この遊びについて覚えている方がいたら、語り合いましょう(笑)。
November 29, 2003
我が愛するモンテディオ山形の新監督に、鈴木淳氏が内定した模様です。鈴木淳新監督のプロフィールはよく知らず、以前の会社に似たような名前の社員がいたので、その男の顔をイメージしてややゲンメツしていたのですが(笑)、さにあらず。フジタ工業などなどで選手をやったあと、ブランメル仙台、ソニー仙台でコーチを務めつつ、U-22とか、U-17、U-14などなど、ユースやジュニアユースのコーチとか監督も歴任してきたそうで、指導実績は長い人のようで。とりわけ東北に造詣の深そうな監督さんなのが魅力的な点ではありますな。チームにも早く溶け込んで、新しい山形のサッカースタイルを作ってくれるとうれしいですけど。。。。。。って、ブランメルつーたら、天敵のベガルタじゃん!!という程度のことで、わしらはあんまり目くじら立てたりしないのデス。まあ、就任いきなり凄い実績を作るほどのカリスマ性があるかというと、なんともいえないですが、はてさてどうなることやら。柱谷監督の1年目の求心力は凄かったからねー。比べちゃいけないと思いつつ、つい比べちゃいたくなるヤジウマ的神経をくすぐるのでありますねー。ファンにとっての監督交代ってなそんなもんかなと。つーか、来年こそはホームゲームの応援に行きたいもんだなや。ただ、夏はメチャ暑いし、秋冬はメチャ寒いので、時期は選ぶ必要はありそうですが。さーて、来週末は、ベアーズもいよいよ納会。で、ボチボチ年賀状のシーズンでもあり、いろいろスタンバイすべきことが出てまいりましたですねー。実家もどっか埼玉のどこぞに引っ越すらしい。なら板橋の家はワシにくれー、といいたいところだが、そうもいかないらしい(泣)。って、その前に家のPCが、何やらアンチウィルスでも即駆除できないウィルスに感染しているらしいので、ちと厄介。今日中になんとかせねば(汗)。なんかいろいろあって、めんどくさいというか目からウロコが落ちる日々というか、ここ最近は落ち着かないですなー。というわけで、今日の日記も話がしっちゃかめっちゃかです。
November 28, 2003
香山リカさんっていう、精神科医のセンセが最近、本とかテレビなんかを通じて「プチ・ナショナリズム」という言葉を使い出してるようで。少し前からけっこう話題になってますね。耳にしたことのある人も多いのではないかと思います。要は、こういうことみたい。これまで「日の丸・君が代法」なんていうヘンテコな法律を国会が決めちゃったりして、これに反対の意志表示をしていた人も多くて、そのひとつの大きな例が、とある学校での卒業式ボイコットだったりした。で、そこの学生いわく「卒業式だので君が代聞く(唄わされる)のはヤだから出たくない」といったこと。ところが、日本がサッカーが強くなって、国際試合なんかも数多く開催されるようになってきてから、ちょっと異変が起きたみたいなのね。サッカーに限らず、国際試合の前には国歌が流れるワケですよ。だけど特に露出度が高かったのはサッカーだったからね、たぶんサッカーが発端だと思う。それに対して、選手たちは声に出して唄ったりするわけね。国を代表してやってるわけだから、これはある意味当たり前。問題は、それを聞いてたギャラリーの若者たちが、それに迎合しだした。サッカーという競技性もあると思うけど、選手を応援するってことは日本代表と一緒に戦う、ってことで、サッカーの試合での「君が代」は、かの「ウルトラス」たちはじめ、代表を応援する若者の間で違和感なくなってきちゃったのね。んでもって、ワールドカップが日本で開催されるにあたっては、代表の試合を見に行った若者たちは、自分がヒデだとかオノシンジ、イナモトにでもなったようなつもりで、声を嗄らせて君が代を唄った。結果、その後「君が代」は、日本の国歌として再び安住の地を得るどころか、皆が喜んで唄う歌になったんだとさ、めでたしめでたし。・・・といった流れに対して、香山氏は危機感を覚えておられるらしい。いわく「戦時中の大日本帝国でのナショナリズムほどではないにせよ、無意識のうちに、若者のトレンドを通じてナショナリズムの浸透が進んでしまってきそうな気配がある」と。詳しく読んでないのでこの話、よくわからないんだけど。まあ確かに、今までさんざん「君が代なんて反対!!」なんてワイワイ云ってたのに手のひら返したように態度変えやがってこの若造どもは!! みたいな感じはするですなー。「ガキどもはあまりに流行に乗せられやすすぎる」ということは云えると思う。あとそれを自覚してないということも。けどそれ以外については、個人的には、それほどのことでもないような気がするんだけど、皆様はこの「プチ・ナショナリズム」について、どう思われますか。その名のとおり、「プチ」で終わっちゃうような、ある意味、スポーツの国際試合に限定されたものに止まってしまうような気がするんだけど。祝祭日には日の丸掲げて、日頃毎朝君が代歌って、諸外国に敵愾心を抱きつつとち狂っていくみたいな若者の姿は、私には到底想像できませんが。どーなんでしょうね、香山先生。あるいは「プチ」で終わってるところが気に食わないっていうことが云いたいのでしょうか。もっと徹底的に、サッカーだけに止めてるんじゃないわよ!! とお思いなんですかねえ。日本が他の、自国に武力を持つ国々に比べて「平和ボケ」しているのに、サッカーごときでなーにを色めきたってるんじゃい!! などと思われても仕方ないかもしれないけど。。。どうも論旨が自分でもよくわからないんです(ポリポリ)。最後に、またまたチョー個人的な考えというか思いというかを述べますというと、こいつらがドイツの「ネオナチ」みたいなモンに変貌するかというと、今のところは「ならない」と思う。だけど、この集団に、いざなんらかの「ムーヴメント」と称した思想なりイデオロギーを吹き込もうと企んだ場合、ヒジョーに簡単に吹き込みやすい土壌にはなっているようにも見える。逆にいえば、「モロい個体が集まってできた、個々が確固たる主体性を持たない、甚だ心もとない集団」であるということ。だから、この集団の責任者格の人間だとか、選手(これはありえないことではあるけど)みたいな、オピニオンリーダー的立場のヤツが、なんか理路整然とした恐ろしいことを「カッコよく」吹き込めば、たちまち彼らは恐ろしい集団になりうる可能性は十分ある、ってことでもある。だって仲間のあいつもこいつもみんな首を縦に振ってるし、カリスマである「ヤツ」もああ云ってるし、カッコいいし、っていうだけの条件が揃えば、怖いものはさしあたって何にもないじゃん、家族? カンケーねえよ、オレにはもっと大事な「仲間」がいるんだぜえ!!・・・ってな思考に陥りがちだよね。今の若者の集団って。若者に限らないか。「気の若い奴ら」に言い換えるか(笑)。せめて「陥りがち」だってことぐらいは自覚してくれといいたい。それと「操られやすい」ってことも自覚できてたら大丈夫かな。あとの文字は全部無視していいから。これはサッカーファンにとどまらない。他にもいるのだ。たとえばイノキ氏がそういう(どういう?)恐ろしげな思想だとか企みを持って観衆をも操る人でないことを祈りたいところだけど、まさか違うよね(笑)。
November 26, 2003
なんだかここのところ、釈然としないテーマ。「プロスポーツ選手」もしくは「プロアスリート」。先週の高橋尚子の「2位」(「惨敗」と書かないよ)について、ここ1週間のマスコミの辛らつさは、ある程度予想していたこととはいえ、なんかレースへの評価について、深い思慮もなしに淡々と冷たいものばかりだったように思ったので、もう一度蒸し返す(しつこいねー)。シドニーオリンピックを見事に勝って、そのあと「プロになる」って宣言した頃の高橋は、なんでプロ宣言したんだっけ?オリンピックでメダル取るためだったっけ?違ってたような気がするんだけど、オレの記憶違いだったかな?確か「マラソンを走ることが楽しいっていうことを皆さんに知ってもらって、マラソン走ったり、見たりする人が日本中に増えてくれること」だったような気がするんだけど。スポーツ選手が「プロ」になる条件っていろいろあると思うんだけど、大きく分けると、①観客動員②賞金獲得③コマーシャル効果④スポーツ種目の指導、振興あたりに分かれるのだろうか。これらが相互に重なる場合もあれば、時期を経て入れ替わることもあるのだろう。これら①~④に「メダル獲得」が加わったのはいつからだろうか。思うに、オリンピックでアメリカがプロの参入を提唱し、はじめはバスケットボールの「ドリームチーム」を結成したことに端を発し、やがてそれは陸上競技など幅広い種目に波及していったという経緯がある。IOC会長にサマランチが就任して以来続いてきた、商業主義の、観客動員にハイレベルの選手を集めるやり方がオリンピックに浸透していったのは、スタンドの盛り上がりという意味での貢献度は大きかったし、各開催地の経済効果をももたらすものではあった。さっきの「プロ化」の意味という話でいうと①に当たるのか。けれど、それは同時に、選手たちの肉体面、精神面へのリスクもそれまで以上に大きく膨らますものでもあったのだ。今日本で開催されているバレーボールもプロ化が各国で進んでいるようだけれど、元・ロス五輪のアメリカ代表エースで、その後、かつての日本リーグ・ダイエーに入ったハイマン選手が、試合中に突然死した事故。知らない人や忘れちゃった人も多いんだろうな。また、サッカーのカメルーン代表、フォエ選手が今年のフェド杯準決勝で急死した。これは、この前の大分での親善試合の前に追悼セレモニーをやったから覚えている人も多いだろう。今のトップレベルのマラソンも、そういう命に関わるリスクといつしか背中合わせのレベルにまできてしまった。命まで落とさないとしても致命傷に近い障害を負いかねないといったレベルにまで。かつては市民ランナーレベルに留まっていた女子マラソンまでが。重すぎるように感じる。茶の間とコート、ピッチ、レースコースとのギャップがいかに物凄いかということを認識しないと、的確な目で競技を見る感覚が麻痺する。いや、麻痺せずにはいられないほど、世界のトップスポーツレベルは上昇しており、それに「プロ化」が拍車をかけているのは紛れもない事実なのだ。高橋って、上の①~④でいくと、③と④を目的に「プロ宣言」したんだと思っていた。だから、仮にアテネの切符を取れないとしてもそれでいいんじゃないかな、とも。もう偉業は達成しているのだから、それで十分でしょう。他にも強い選手は沢山いて、国内の競争が激しくなってきていて、レベルもどんどん上がっている。そこでわざわざ前回の選考レースの結果が選考基準に満たない場合、またもっと好成績の選手が出てきた場合、無理に推す必要もないと思うし、再度無理にトライさせることが本人の意志に反する場合、出る必要はないのだ。またさらに云えば、それを理由に「プロをやめる」必要もなく、堂々とプロでいればいいのだ。もっとも、こないだ負けたことだけでスポンサーとおぼしき企業の代表者の方が降りるというのであれば、別のスポンサーを探せばいいし、それもいなければ辞めちまえばいい。それでなくとも、彼女が他の日本国籍のどのアスリートにも勝る厳しいトレーニングを積んで、ただでさえ非凡な素質をさらに磨きに磨き抜いた、研ぎ澄まされた身体能力とポテンシャルを持つ選手であることを見抜けないスポンサーなど、こちらから辞退してアメリカやオーストラリア等のスポーツ先進国へでも行けばいい。それか国内初の賞金選手になるとかね。テニス、ゴルフ、公営ギャンブル等多くのそういうアスリートはいるわけだし。もし本人がそれを望むならばだけど。だけど、マラソンって、そんなにしてまで過酷に走らなきゃいけないってものではないはずで、個人的究極的希望をいえば、高橋選手にはもっと牧歌的な立場で、地方の市民マラソンとか、ときにはホノルルマラソンだとか、あちこちの、もっとのびのびできるような大会に招待されて、ゲスト出演料もらって参加者と交流しながら、のんびりニコニコ走って欲しい気がする。そういう「プロ」であってはいけないのだろうか。また彼女が先鞭を切る形でそういう「プロランナー」がもっと出てくれないものか。話がマラソンに偏ってしまったけれど、オリンピックで、または世界選手権で、ワールドカップで、メダルを獲得することに拘泥した挙句、アスリートたちが、本人の意志に反して、その犠牲となってしまうようなスポーツイベントを、「平和の祭典」などと私は呼びたくない。また仮にそういう犠牲を誤って出してしまったあとで、そのことを美化したり、「美しく散った」などと称して時間の経過とともに風化してしまおうとするマスコミを、そしてそれに納得してしまう社会を、私は許したくない。
November 25, 2003
以下、「あるヒト」というか「あるモノ」がこんなこと考えて昨日まで生きてきたんではないかいなー、みたいな話。さてコイツは誰でしょう?-------------------------------------------------------なんつーかー、はっきりいって今までチョームカついてたからまとめてぶっちゃけるけどー。去年なんてさー、夏のクソ暑い中、いきなり強そうなオッサンどもの混じった競走に出させられてさー。こう見えても、アタシ帰国子女だしいー、パパはエリートなんだからね。でママはココットなんだからね(プチ松鶴家千とせ風語呂合わせ、みたいなー)。そこらの小娘と一緒にしないでよね。とかっていきなり突っ張っちゃったのがいけなかったのかしら。。。「出る杭は打たれる」ということわざを、まだ当時のアタシは知らなかったのよね(注・知ってたら逆にコワい)。でもって、その夏のレースは軽くやっつけてやったわよ。そしたら人間ってバカっていうか、たちまちアタシに注目しだしちゃってさー。「世界のレースに出せる逸材」だとかなんとかいってたけど、そんなの全部走ってから云えっつーのよねー。で、女の子同士の競走は、全くメじゃなかったわねー。あんなのガキのカケッコよ。楽勝楽勝。そんでもって、去年のおしまいのグランプリレース、なによアレ。人間たちはアタシのことをあのメンバーの中でNo.1みたいなこと云っちゃって、まあブイブイ云わせてるつもりないんだけど、なんかモノが違うみたいなこと云われて、メチャ強そうなオトナのオスたちの混じった中でアタシに勝てっていわれても、こう見えてもお嬢様なんだから、デリカシーのない扱いされても困っちゃうのよねえ。アタシとコンビ組んだ「ユタカ」ってオトコは、アタシたちを滅多に乱暴に扱ったりしないんだけど、走り出しちゃったウマに対して優しすぎるところがあって、あと背が少し大きいので、目方が重いのね。だからときどき、暴れ者に振り落とされちゃったり、実績はあるのに非力なヤツにまたがったりして失敗することもときどきあった。ユタカは、走り出しちゃった私のスピードをうまく制御できなくて、ペース配分に失敗しちゃった。だってみんなスタートがどヘタでノロマなんですもの。そのままスピード出しすぎちゃったら、最後は脚がバタバタになって、みんながスタートから飛ばすときはそれでも余裕で勝てたのに、あのときだけはダメだったわねえ。で、マラソンランナーみたいなオッサンウマと、クリスエスとかいうラストの猛ダッシュがメチャ上手なウマが勝っちゃって、俄然そっちに話題が飛んでいっちゃった。人間たちって勝手なもので、たった一回、それもあんな強いヤツらとの勝負に負けただけで、いきなり「将来に不安」とか云われてさ、今年の夏までほったらかしなのよー。ユタカったら、春先までは、砂の上では無敵の「ゴールドアリュール」だとか、新しく入ってきた「アドマイヤグルーヴ」とかいう小娘に夢中で、アタシなんか完全にほったらかし。「放置プレイ」なんてイヤイヤ。もうワガママいわないから、アタシにも仕事ちょーだい(泣)。というアタシの乙女の祈りが通じたのか、夏の終わりに一回出たら、なんとあのアドグルよか格下のハルカとかいう小娘に負けて、その次の毎日なんとかいうレースでは、アタシの天才的なスタートの良さとスピードが災いして、みんなアタシを先頭に走らせて最後に抜き去るというズルい作戦に出たのよ。みんな男のクセに、ホントに許せないわ!!そしたら、今までのようなチヤホヤした雰囲気がアタシの周りに全くしなくなった。お嬢様に対しての態度じゃなくって、「繁殖前に復活できるかどーかの瀬戸際にいるメスの古馬」扱いよ。失礼しちゃう!!まあ、あのアドグルちゃんの同期のコの中で、福島の1Rあたりで走ってるのもいるから、そいつらよか大分マシだわねー。で、昨日。いちおう今までの輝かしい実績と素質を認められて、アタシは一番人気になった。・・・と思ってたけど、なんか他のウマのヒソヒソ話を聞いてたら、この人気は、アタシに対してというより「先週アドグルで久しぶりのG1を勝ったユタカに運が戻ってきたから」みたいな云い方じゃないのー!! つまりアタシの実力の評価じゃないってこと?もうアタマにきた、絶対に勝つための競走をして、アタシの力で勝ってやるー(ブヒヒーン)!!-------------------------------------------------------と、ヤツが思ったかどうかは知りませんが、結果は2着でございました。武豊の好騎乗が光ったのは確かではありますが、マイルの強豪がひしめき、全馬が重賞勝ちの経験を持つという、きわめて難解かつ激戦が予想される中、勝ち馬のデュランダルにはマイルのキャリアで及ばなかったとはいえ、慣れない距離でのこれだけ大きなレースにも対応できてしまうこの馬の力には、やはり超一流と呼ぶに相応しいものを感じました。ご紹介が遅くなりました。昨日の京都競馬11R・マイルチャンピオンシップ(G1)2着に入った、ファインモーションのことでございます。上の「独り言」みたいなのは、ウマはここまで考えられるわけもありませんから、あくまで想像の世界ってことで。
November 24, 2003
最近、「早朝覚醒」が風邪の症状にかぶさって、午前3時頃セキとともに目が覚めて「ガラガラガラ」ってうがいをして「はーはーはーゲホゴホ」といっては鼻とノドの痛みを気にしているうちに夜が明けて、そのまま半分うつらうつらしているうちに1日がスタートしてしまう日々が続いていました。こないだは通勤電車に乗り込んで、座席でそのまま眠り込んでしまった挙句、気づいたら終点の、なにやらものすごく遠い駅についてから駅員さんに起こされて、駅員室でしばらく休ませてもらってから会社へおっとり刀で戻ったら昼になってたりして、あまりにみっともない理由だったので、「いやあ実は父の具合が良くなくて病院へ・・・」などと取ってつけたように父のせいにしてしまうといった体たらく。だもんで、週末はせっかくの好天に恵まれ行楽日和だというのに、惰眠をむさぼっております。「惰眠」ではあるけれど、肉体にとってはすこぶる睡眠が必要であったようで、ここのところずっと悩まされてきた頭痛、発熱、ノドの痛みなどは殆ど影を潜め、昨日久々にやったジョギングでヒザがメチャ痛かったのが、昼まで眠ってたらほぼ完治した。睡眠についやしてしまう時間も、ことビジネスや学業においては「ムダ」という声も聞こえてきがちで、レジャーに使う時間もムダにしちゃうじゃん、とかいわれてしまうことが多いですが、「必要な時間だけ眠る」ということが、とりあえず今の自分には大事みたいね。水木しげるの「カランコロン漂泊記」(小学館文庫)って本の中で、戦時中の水木氏の戦地での生活とか思いについて書き綴った話が載ってるんだけど、この人は、ラバウルかどこかで爆撃を受けて片腕(左だったか?)を失っているのね。その大ケガで、現地で病院もないだろうから、どこか安静にできる場所へ運ばれたあと、何日も死んだように眠り続けていたという。ケガの痛みとか苦しみで眠れない人も多いと思うけど、とにかく水木氏は、「誰よりもよく眠ることだけはできた」らしくて、そのおかげでやがて体力を回復して助かった、と云っている。この人は、そもそもあまり「好戦的」ではないというか、塹壕掘ったり、銃剣をうまく操ったり、といったことは得意ではなかった、つまり「優秀な兵隊さんではなかった」そうなのだけど、この「睡眠力」(っていうのか?)、それとゴハン食べる「食力」(「くいりき」と読みます)は人並みはずれていたらしく、物資があったときのメシだけはしっかり食っていたらしい。たぶん、生きて帰国してから家族に会うことや、やりたいこと(漫画を書くこと)っていうのを、いつも夢見て戦地でも生きていたんだろうけれど、そのために生き抜くための力として、この食事と睡眠を「とれるときにしっかりとれる」ってことは大事なことなんだろうな、とふと思う。かつては自分も、それはできたように思うんだけど、それは自主的にそうなったってことじゃなくて、体育会だとか職場での「強制的圧力」によってそうさせられてきた、みたいな気がする。その反動とも云いきれないけど、自然体になろうと意識的にそれを行動に重ね合わせたとき、全然できてないのに気がついた。心身を病んでから気づく、というのもプロセスとしては好ましてとはいえないのだけれど、それでも死ぬまで気づかないよりはましだとは思う。ちょっとずつ、改善していこうと思います。とりあえず、呑み会でついつい調子に乗ってしまうと自分の中の制御装置が誤作動を起こすので、それを制御するところからかな。それで、挙げ句の果てに翌日もそれを引きずって呑んでしまう、という行動パターンをなんとか止めないととんでもないことになるからな(爆)。
November 23, 2003
いやーなにやら平穏なる3連休(かどうか不明)のようなので、朝が起きられないのをいいことにダラダラ寝てたらたちまち半日が過ぎていってしまひました。これから歯を少し治してもらってから、ブーラブーラと図書館の本の読み漁りとか、散歩兼ジョギングとか、好き勝手な午後を過ごそうと思います。少々寒いのが辛いけどまあいいか。そりでは。---------------------------------------------------「マイルチャンピオンシップ・予想」なんか上の内容だけではあまりにあまりだったので、非常に難解といわれる明日のレースを大予想。◎ 13 ミレニアムバイオ (四位)○ 9 ロサード (角田)▲ 11 デュランダル (池添)× 17 テレグノシス (勝浦)◎については、当日までのローテーション、距離・コース適性、持ちタイム、重賞実績等、文句なく今回のV候補。○は、すいません個人的好みです。m(_ _)m でも平坦で長い京都の直線で、自慢の末脚をバクハツさせて欲しい。▲は、スプリンターズステークスの勝ち馬。マイルも得意。×は、本来◎に匹敵する地力を持つ馬だと思うけど、ローテーションがやや不安。今回1番人気と思われる18番・武豊のファインモーションは、思い切って切りました。来るわけないじゃん、というのが結論。来ちゃったら潔く諦めましょう。
November 22, 2003
今「バカの壁」(養老孟司著、新潮新書)という本を読んでいます。ベストセラーの本を「面白い」と思って読むのは、自分にとっては珍しいことなんだけど、ちょうど今、自分の思考レベルにマッチしている、ということでしょうか。また、よく自分の日記にありがちなことなんだけど、読みかけの段階で感想を述べて、読み終わったあともう一度感想を述べるとビミョーに受け止め方が違ったりすることが間々あります。読み始めたばかりなので、またそんなこともあるだろうと思うのであらかじめご了承ください。本のスタートで、いきなり養老さんが教える医大の講義での具体的ケースが出てくるんだけど、その人たちが「バカ」というわけでもないようなので、念のため。講義の中で、ある夫妻の妊娠から出産にいたるまでのドキュメンタリー番組VTRを学生に見せたところ、学生の反応が男女間で著しく違っていたというのですね。男子は、概して「今まで勉強で習ってきたことなのでたいして新しい感動とか気づきはなかった」といった反応だったらしい。これに対して、女子が示した反応の多くが「出産のときの実際のことが見えて、とても参考になった」というようなものだったというのです。つまり、男は自分のおなかを痛めて子どもを産むわけではないので、つわりだとか陣痛がどんなものなのか、なんて一生わからないわけですもんね。性転換でもして、いざ子ども産むようなことになったりしたら話は別かもしれないけれど、確率的にはまずほぼない。対して、女は、このVTRで見たことは、実際に自分にとってもこれは起こりうることであるという認識の下で見ている。結果としてそれが「自分に関係あることかどうか」によって、関心度の差として顕著に現れてきたわけで。人それぞれ、関心を持つテーマとか、実生活に直面しているテーマは様々に異なっていて、各々がいろんな情報を、いろんな目で見て解釈しているんだろうな、と思います。その中で、自分に関係ある(将来関係をもつであろう事も含む)ことには、ものすごく敏感であったりパッと機敏に反応するでしょうし、関係ないことに対しては素通りしてしまう、見落としてしまう、といったことが多いのでしょうね。この本読み終えたら、また第二弾の感想でも書くことにしましょう。で、いったんこの話はおいといて、話は横道にそれるんだけど。今年は阪神タイガースが強くて、星野仙一監督が一躍日本中の脚光を浴びましたけど、たとえばこの人のことに対する評価、なんてのも、千差万別といっていいのかな、なんて思います。普遍的に同じ評価なんてありえない。タイガースファンの目、アンチ・タイガースファンの目、チームスタッフの目、選手の目、野球に興味のない人の目・・・。けど、それっていうのも、本人と直接関わってない人からしたら「真実の評価」じゃないっていうのも確かですよね。よく「この人が上司だったらいいなと思う人ベスト10」に星野さんは登場して、上位ランクされてるけど、それはTVとか新聞雑誌といった、メディアというフィルターを通して彼を見てるからでしょ。実際仮に「明日から星野仙一さんがウチの営業部長になります」っていわれたら、オレは、意気に感じてさらに仕事に励むか、反発するか、ビビって胃潰瘍で休むか、わからない。何日か、机並べて一緒に仕事やってみて、だんだんその人のいいところとか悪いところとか、「人となり」なり「自分との相性」なりが見えてくるわけですから。要するに、そんなこと、想像の世界だけで「現実にありえない」わけだから、好き勝手に「この人が上司だったらいいな~」なんて云えるわけで。でもって、またまた話はさらに横道へ。よく、政治家が今年は「マニフェスト」という、今までよりはより「精度を高く」した(と思われる)公約を掲げたけど、それだって、具体的に細かくブレイクダウンしてった場合、国民にとって不都合だったり見落としなんていっぱいあるわけで。結局は「スローガン」でしかないわけで、スローガンなんてそもそもそういうものでしかないと思うんだけど、「絶対やり遂げます」って吠えて、それを何年かかけて「絶対」やるのなんて無理だよね。その何年かのあとに、当初の社会背景と何年か後の社会背景は違うわけで、同じことがまかりとおらなくなってるかもしれない。つーかまかりとおらない可能性のほうが高いわけだよね。マニフェスト掲げた当時と全く同じだったとしたら。だから、それを「公約違反」だとかいう理屈も、あまり適切ではないような気がする。本当にこれをやるというなら、年次とか年2回、4回に分けてとかで評価すべきなんだろうけど、それやるべき責任を負ってるのは国民の筈ですよね。それを認識しないまま進めちゃうと、再び議員さんの政策だの公約の評価は、政党とか行政が勝手に進めちゃって、それに文句なんて云えない。それじゃ「マニフェストやれやれ」って騒いだ意味がない。「今の政治はなってない」っていうのなら、それを具体的に評価できるアクションをとってみてからそういうこといったほうがいいかもしれない。だからニュースとか新聞を追いかけて、自分なりの、自分の生活に関連づけて政策評価をしてみる、ってのも大事なことだし、やらない人は「コイズミ政権がダメだからオレたちの生活はぜんぜんよくならない」だのって、口先だけで中身のない文句だけ云ってるヤツってことになるんだよな。「学歴がないから」とかそういうことは関係ない。誰でもできる仕組みにしようとしているわけだから。・・・って、なんか話の骨子がずれてきたような気がするけど、そうそう固定観念ね。その言葉のとおり「固定」したままだと、変化に対応できずに、ちんぷんかんぷんになる怖れがありそうですね。ある意味「ものごとも人の思考も常に変化するものなんだ」って頭を持っておいたほうが、ヘタに信念貫くより楽かもしれません。それでも、思考の根っこの部分はそうそう変わったりしないものだし、変化するからといって、さして複雑に考えなくても、大きく変わることなく、答えも見えてくることでしょうし。・・・って、んー、もう少し頭を整理してから日記にしたほうがよかったような。話が四散してしまいました。m(_ _)m
November 21, 2003
今日はちょっと「お堅い&せちがらい」系のお話。まあ、このホームページをはじめてからこのかた、何かとネガティヴな書き方を続けてきた「本業」であるリサーチの仕事についてであるが、とりあえず取り組む目標が見えてきたりすると、完全に肯定できこそしないものの、それなりの「面白さ」はあるもので、クライエントのオーダーなり方針がはっきりせずモヤモヤしていた期間が長かった分、少しずつだけどテンションは上がってきたように感じます。私たちのお仕事というのは、大手のメーカーさんなんかが、中央官庁に何かを売り込もうと考えるに当たって、直接それを欲しているかどうか、だとか、政府調達への動きだとか予算みたいなことを、彼らが直接出向くと「売り込み」と悟られるのが嫌なので、代わりに得体の知れないチビ会社のウチが官庁に出向いて下調べをしてきて、調査の対価をいただく、という仕事。テーマはメーカー別、扱う商品の種類別でいろいろ。対象が、とある商品に対するエンドユーザーではなくて、「お上」というか中央官庁で、よくマスコミがここのところずっと酷評を述べ続けている政府の行政機関、まあ要するに「お役所の親玉」なのですが、まあここに巣食うというか棲息するというか(あ、またまたネガティヴな表現になりつつあるな)、えーと、お仕事をしている人たちは、今まで「中小企業」という畑でしか働いたことのない私にとっては、まるで異次元空間で、最近変わりつつあるというけれど、話す言葉もよくわからん、で「イミダス」だの辞書だのをいつも机に置いといて、主たる作業である官僚へのインタビュー(ヒアリング)のあと、云ってる言葉の意味を調べたりするのです。そこまでたどり着けたらまだ御の字なのですけどね。中央官庁などというところは、そもそも我々一般ピープルが出入りしているような場所(市役所、警察、消防署、地方○○局、地方○○事務所といった事務手続きや届出をするところ)ではない、むしろそれらの「普通出入りするお役所をとりまとめる、お城の本丸」なので、せいぜいマスコミの人を除けば、それこそ「普通の役所の人」が届出の最終的な提出とか陳情に訪れるだとか、あとは、官庁に対してモノを販売している業者、建設業者、ぐらいの人がチョコチョコ出向くような場所なのです。電話さえ本来はばかられるような場所でもあったりするわけでして。なので、電話対応ひとつにしてもムカつくことが多い。よく「タテ割り行政」なんていう言葉があるでしょう。中央官庁の官僚さんは、云ってみれば一人一人が担当する仕事がバラバラで、「この件はこの人、あの件はあの人」って、組織の中でも完全に担当が分けられているので、その担当の人にたどりつくまでに物凄く時間がかかる。とある事項を調べることになって、はじめて電話をかけようとするとき、「えーとこういうことで話を聞きたいのですが」と代表電話番号に電話すると、フロントからとりあえず「広報」に電話をまわされて、そこで、「その担当は○○局に『かけなおしてください』」という返事。そのまま回してくれればよいものを、といいたいのをグッとこらえ、もう一度代表にかけなおし、「○○局の窓口の課をお願いします」と云って電話を転送してもらい、用件を話すと、そこの人に「うーん、たぶんそれは××課に聞けばわかると思います」と云われ、再び転送。そこでさっきとおんなじことを話すと、「えーと、その担当は、私ではないので、ちょっとお待ちください」とか云われ、電話が保留されたあとで、ようやく担当部署へ電話が転送される。「はい、なんでしょう」って云われ、何度目かの「用件」を伝えると、「あいにく担当が今会議中なのでかけ直していただけますか?」で、プツッ(ツー、ツー、ツー=電話の音)。ひどいときには転送のプロセスで全く違う担当に回されることがあります。この間、所要時間にして実に10~15分。で、彼らも「行政サービス」を直接やる人たちではないので、いやむしろ「地方の下々の者どもにやらせてそれを監督するのが我々の本分」とでも思っているらしく、いかに丁重におうかがいを立てても、オレたちを「対等の人間」とは断じて思っていない。なぜなら、自分は「国家公務員Ⅰ種」を取るために東大、京大、一ツ橋、だのなんだのの法学部かどっかで勉強して優秀なる成績で卒業したあと、中央官僚としてのエリート研修を経て配属された、「国民の中の一番かしこい人種」だという自負があるからでありますねー。大体そんなのばっかり多いものだから、サービス精神だの「ホスピタリティ」なんざあかけらもなくて、あとはそれぞれの人となりというか、人格に委ねるしかないのですねー。中央官庁に、どこの馬の骨ともわからぬ零細企業の調査員が聞きたいことを聞きに行く、つーことはですねー、そういうのをガマンというか、仕方ないことなので受け入れる、ということからはじめなければなりません。で、これまで毎年そんなことばかりやってて、かつては依頼もあったのですが、最近はインターネットでそういう情報は閲覧できるようになってきたので、依頼が減ってきた。依頼受ける側とすれば、インターネットで「予習」やって、それでも官庁のプレスリリース資料はそのまま読んでもワケわかんないから、わかんない部分を印つけといて電話で質問する、つーので仕事くれるかと思いきや、クライエントもそんな調査にわざわざ外注かける必要なかろう、という。で、ジリジリと年々売り上げが下がってきて、依頼も減ってきて、新しいノウハウの研鑽も今までがそんなこんなで常にゴタゴタしてきたからちっともはかどらないから別のことで儲けようなんてできない。社員はやがて歳をとっていき所帯を持ち子どもも出来たりするとお金が必要だけど、会社はやせ細る一方、で、社員も去年だけで半減。というワケだったのですね。・・・なんだけど、その数少ない「官庁ゲリラリサーチ」の仕事がようやく本格スタートして、それに対しての対価はいただけることになった。せめてそれはやり遂げよう、ってなことで今ようやくテンション上げて、苦手だけど電話かけまくりの霞ヶ関走り回りまくりのエリート官僚捕まえまくり聞きまくり、の日々がもうしばらく続くわけなのです。
November 20, 2003
たとえばよく、「北野武の本」とかを読んで、感化されてる人とかがいて、それはそれでいいんだけど、それが全てだと思っちゃわれてしまうと、あのテの「書きたい放題の書き手」は困ってしまうのではないのかなあ、と心配になったりします。オレらの学生時代、いたんだよなあ。「たけし教」みたいなファン。学校の先生の云うことなんか聞かないで、「ビートたけしのオールナイトニッポン」が学校の授業みたいになってるヤツ。かくいう自分も「染まりそう」になったことはあるけど、「好き」のレベルに止まったのは幸いであった。アタマ悪いというか、判断力低かったからね。今よりずっと。今がいいってわけでもないけど、比較級で考えた場合。だって、云っちゃ悪いけど、あの人自体ロクな生き方してない時期もあるわけで、仕事サボって、それをマンションにお化けが出るせいにしたり、浮気して、それがバレてキレた手下が出版社に暴力振るって警察沙汰になったり、飲酒運転で事故って死に損なって、九死に一生を得たものの、顔がものすごくひんまがって、整形したり。それだけやってるにもかかわらず、あれだけの支持を得られるのは本人の人徳とか、才能がもたらすカリスマ性だったりするんだろうなあ。映画監督としても大活躍しちゃうし。たぶん人間の根っこの部分がしっかりした人なんだろうと思う。それでね。自分の好きこのみで、「好きなタレント、作家、アーティスト、思想家、経営者」を選ぶのは個人の権利なんだけど、その対象となる人が絶対だとかいうことは、彼(彼女)が人間である限りありえないのですよ。あらかじめそのへんの線引きができず、好きになった人に100点満点あげちゃうから、とある欠点を見て幻滅したり、見て見ぬふりしたり、下手すると欠点もまた美化してしまったりして、その人と同じ方向を常に向こうとするだろう。これはもしかすると、悪いたとえになっちゃうけど、カルト教団的意識に等しい方向に陥ってる、と自分に危機感持ったほうがいいのでは・・・と、私は思ったりしています。冒頭の話に戻っちゃうけど、北野武さんが尊敬すべき功績残してきた人物であることと、彼が昔ワルさやったことってのは、別モノの話と考えたほうがいいと思うのね。うーん、そのへんの切り分けは難しいような気がするんだけど、好き嫌いの問題と、やった事実の問題は区別したほうがいいんじゃないかな、基本的には。「それでもオレはたけしはトータルで好きだなあ」って思われたら、たけしは幸せだろうね(笑)。例外はあるだろうけどね。それまで尊敬していた人から、とんでもない暴力とか詐欺とか、それにあった被害者にとったら、なかなか許せないだろうと思うけど。。。それほどのことでない場合、逆にたとえば、ごく親しい人がなんかヘンテコリンなことを、ネットだのメールかなんかのどこかで書いてるのを目にしただけで、「そいつのすべてが大嫌い」になっちゃう、っていうのは、人間関係に対する考えが浅すぎるのではないかなあ、なんて思っちゃうのであります。この話のオチは、こんなこと書いてる自分というのは、そもそも作家さんでもなんでもなくて、さらに甚だ信用のおけない、好き勝手なこと書いてる者の最たる一人だから、あんまり同調されると責任持てない日記だよん、ということなのね(笑)。極端な話、ネットでしか会話しない人にとっては、ヤーなことばっか書いてたら「ヤーな奴」でしか終わらないわけだから、言葉には気をつけなきゃいけないとは思うけど。
November 19, 2003
タナカマキコ議員が、民主党と組むようなニュースが出ておったね。そうなると、民主党側は当然のごとく、自民へのオブジェクションに彼女を使うだろうことが予想されるので、国会での答弁が盛り上がったりしそうで、国会中継の視聴率が上がったり、それをきっかけに、国政に関心を持つ国民が増えるなどのメリットは期待できるかもしれない。反面、彼女は議員としての活動がまたまた忙しくなりそうだし、どーせどこの畑に行ったところで、行く先々で誰かとぶつかるに決まってる。平民上がりのカン代表とは価値観の相違でぶつかるだろうし、オザパンとのあつれきも当然あるだろうね。民主党内での「女版・刃傷松の廊下」が再び起きてしまうのは時間の問題。それが早いか遅いか、だけである。せめてキョセンさんよりかははやくオンリして欲しくないものだ。かわいそうなのは、彼女につく秘書さんというか、マキコさん本人から見たら「付き人」みたいなモンとしか思ってないだろうけど、同じ人間に対してなんであそこまでエバれるのか、前々からだけどちょっと品格を疑うよね。タナカカクエイという、良くも悪くも、豊臣秀吉みたいな「なりあがり総理」の娘だから、エラくなってからの下の者への気配りができない。ある意味貧しいココロの持ち主、かもしれない(今度は違うかもしれないから断言はしないでおく)。僕は、おべんちゃらとかが根っからできないヒトなので、口先だけでお世辞やらお追従をいうと、すぐバレる。だから「秘書」だの「付き人」には向いてなくて、茶坊主としての出世はできない。つーかそもそもそーいうことはしたくなかったので、できなくてよかった、って感じである。軽蔑していっているわけではないデス。中には上手いヒトがいるので、ある意味尊敬する。接待も上手い。ガマン強く、しっかりバカのふりができる。「ジジ転がし」みたいなヒト。自分がそのへんのガマンがきかない分、羨望=ひねくれた見方になっておるのかもしれない。ときにはそういう資質が必要なときもあるのかもしれないし、それができなかった、ということが自分の人生でうまくいかないことが少なくなかった要因のひとつなのかもしれない。カンケイないけど、そんなこと考えてたら、昔の話を思い出した。最初の会社を辞めて、しばらく「プー」をやっていた。当初転職先が決まっていて、「やったー」と思っていたら、配属先の部署が突如閉鎖されてしまったのだ。で、仕方ないから片っ端から就職情報誌をめくって、履歴書書きまくりの面接受けまくり、ときに「季節編集者」みたいなのでもなんでも、とにかく扶持を得られるものなら何でも飛びつこうとしてもがいていた。そんな中、正社員の採用があまりに厳しくて「デイリーan」というバイト募集の雑誌も読んでたのだ。するとそこに、「タレントOさんのマネージャー募集」というのがあった。Oさんというのは、今でいうところの「元レースクイーン系セクシーアイドル」のハシリみたいな存在で、スタイルとかルックスはいいんだけど、性格的にはバラドルに向いてそうなのと、どうも年齢詐称の疑いがあり、歳も僕より少し上だった、という面白かなしい女性タレントだった。もとよりそんな「付き人」系の仕事だけは向かない性分の自分は、そんなのハナっからムシして、結局そのあと地獄のセールスマン生活に入ることになった。で、何ヶ月かを過ごしているうちに、その兵隊のごとき仕事も自分の中では羽振りがすっかり悪くなってしまい、またぞろ転職を考え始めようとしてて、その頃また「デイリーan」をパラパラ見てたりしてたのね。そしたら、また載ってたのだ。「タレントOさんのマネージャー募集」の記事!!だいぶ期間も経過していたし、まさかマネージャー抜きで生活してたとは思えないので、やめちゃったのかなー。でもさ、そーゆー系のタレントって、取り巻きのオタクみたいなのがいて、垂涎応募の嵐みたいな展開かと思ったら、そうでもないのだろうか。実際にやってみたら、チョーワガママだとか、酒乱だとか、女王様だったとかで、さしものオタクも退散だったのだろうか。それにしてもなんで「デイリーan」でばかり募集かけてるんだろう・・・???などと、当時は面白半分に想像を膨らませては楽しんでいたのだけれど、真相はいまだに明らかではない。
November 18, 2003
“ego-strength”というスペルでよかったのだったかしらん。「自我の強さ」とか、そんな言葉です。よく「エゴイズム」とか、悪い意味で使う日本語英語が多かったりするんだけれど、ego=「自我」のこと。ドイツ語では「エス」(=es?)とか云ったりするようで、心理学研究の盛んなドイツでは原文が「エス」で、それを直訳した本では「エス」で、アメリカ人が書いた本では「エゴ」だったりするなどごちゃごちゃうるさいロックンロールバンドさぁー(by RCサクセション)、じゃなくて、分かり難いこともしばしばあるが、今回は「エゴ」で行きやしょう(あーノッケからややこしい)。この「エゴ・ストレングス」にまつわる昨日今日の題材をば。無論人のことね。☆キューちゃん きゅうりのキューちゃんではなくて、マラソンの高橋尚子選手のことです。 昨日の東京国際女子マラソンの日、馬券を買いに行った水道橋駅周辺は、ちょうどマラソンコースの、復路でいうと30km手前、そこからほどなくしてダラダラと長ーいのぼリ坂があるのです。 そこで「足が止まった」とレース後、キューちゃんは語りました。 潔し! 負けてもニコニコして、ファンに頭を下げる姿は立派だった。「プロアスリート」っていう立場から考えると、これは賛否両論あるでしょう。けどオレは彼女を支持します。 野球とかサッカーとは訳が違うのです。陸上の、特にマラソンつーのはね。30km過ぎて、脚に「ここでスパートしよう」なんて感覚が残ってること自体が信じられないわけでさ。 別に、自分がマラソン走った経験あるからそれをひけらかしてるんじゃないよ。でもね、あれだけの距離をだよ。一般道をクルマで40分以上かかる道のりを、フツーの人のダッシュするぐらいの速さで走りきるっつーのは、並大抵のことではないんでさ。 「死んだつもりで走れ」なんてよう云わんよ。 たぶんキューちゃんのことだから、角の「京たこ」を見て急に腹が減って、タコ焼き食いたくなって走れなくなったに違いないよ。ちょうどあのへんが、筋肉のグリコーゲンが枯渇する瞬間の地点だからね。 ・・・って、前置きが長くなっちゃったけど、彼女の「プロ」条件には、カメラ露出の高さが条件とされているわけで、それこそ1億国民の前にわが身をさらけ出して、面と向かっていなきゃいけないんで、ただでさえキツいマラソン走るのに、プレッシャーすごいわで、見返りがなくて外圧だけ受け続けた円谷さんなんてそれに耐えられずに自殺しちゃったぐらいなんだ。 それに比べて、「みんなの前で走れることが嬉しい」なんてウソでも面と向かって国民に云ってくれるキューちゃんの心意気は嬉しいじゃないか。レースには勝ち負けがあるのは当たり前で、にもかかわらず国内外通じて何年間も負けたことなくて、しかも久々の敗戦でさえ、世界的にも有名な国際レースで、一流どころが100人以上出てる中での2着だぜ。 オレは昨日見て、成績はおいといたとしても、彼女はやっぱり強い女性だと思ったね。☆クリニカル・スタディ 今日から「クリニカル・スタディ」って、カウンセラーの学校の卒業生(同期)に対して半年間、学校側で研修会の機会を設けてくれている。 今までの学生気分とは違って、自分らもいっぱしの「セラピスト」として、そのスキルを得るために、実地研修を受ける場のようなもの。「公認実習」。 今日は、自分の気持ちは、はっきり云って「ヌルかった」(笑)。オリエンテーションで終始することもないだろうと思ってはいたけど、15分ぐらい説明のあと、いきなり早速「じゃあ今日はあとは何やろうか」という話になって。 で、「カウンセリング受けたい」っていう人がいて、講師の先生から受けたいって人と、同期の誰かから受けたいって人がいて、「じゃあ僕がやります」って、オレと同級生だったKさんが果敢にセラピスト役を買って出た。 教室には40人近くの人がいて、その前で自分のカウンセリングを見られ、講師から指導を受けるのだ。 ウチの学校では、スーパーヴィジョンといって、個別で自分のカウンセリング実施のケースを個別に先輩セラピストから指導を受けるシステムがあるが、今年から「オープン・スーパーヴィジョン」といって、皆の前で、自分のケースをテープやビデオで披露し、講師の指導を皆の前で受ける、というのをはじめ、月1回、多数のOB、学生が来る。 今日のはいわば「生オープン・スーパーヴィジョン」みたいなもの。その場で評価・指導される。 スーパーヴィジョンで、誉められることはめったにない。 だけど、自分のやり方をどう修正すべきか、が非常によく見えるのだ。 案の定、Kさんのカウンセリングは厳しい評価を受けた。 だけど、すごく彼自身にとってはプラスになった筈であるな、と思った。 つまり彼は、今日を境に昨日より「エゴ・ストレングス」が倍増した。ハートにターボエンジンを搭載したのに違いないのだ。 何より自分のヌルい気持ちが恥ずかしかった。で、後ろのほうで隠れていた。 いつか同じ経験をしたり、スーパーヴィジョンを受けるように気持ちをどんどん切り替えていきたいと思う、自分にとっても今日は貴重な日になりました。
November 17, 2003
☆枕(1) 本題に入る前に世間話。 女子バレーボールの日本は、今のあれで上出来上出来。あとは負けた相手の対策がどの程度までできるかにかかっている。 「最終予選」なるものが来年あるらしいけれど、中国はじめ、今回で五輪出場決めたチームは出てこないとしても、まだ今回勝ちぬけられなかった中にイタリアもキューバもポーランドもいて、韓国も次は勝ちにくるから、まだまだ日本にとっては厳しい戦いの日々が続く。 今回は、お約束の「ワールドカップ」だったからな。 「バボちゃん」がいなければガチャピン・ムックが出てきそうなほどの、ミーハー感漂う大会。別にいいけど、なんで毎年日本でやるのにワールドカップなのだ? 「ジャパンカップ」「ニッポンカップ」だったらわかるのだが。☆枕(2) ヤマカツリリーというウマが今日「エリザベス女王杯」に出走しますが、展開次第では台頭しそうなんだけど、今回は難しいのではないかなあ、という、とっても取捨が難しい逃げ馬なのだ。 前回の古馬牝馬による「府中牝馬S」で、去年のオークス馬スマイルトゥモローが、前半1000m56秒台の超ハイペース逃げを打って、今回も逃げ宣言をしているため、前のほうでレースを作るタイプの馬にはどうしても不利な上がり勝負のケイバになりがち。ならばラストで直線の切れ味とか、末脚の落ちない差し、追い込み系のウマ有利の「しまいのかかるレース」になる。で、ヤッパ武グルーヴか幸スティルの一騎打ち? ・・・というのが大方の見方なんだけど、もしスマイルトゥモローが「ため逃げ」した場合、ペースが緩やかになると、2番手ぐらいにつけるヤマカツリリーが粘る展開も十分あるのだ。 過去にも、同じ冠名のヤマカツスズランというのがおって、逃げ粘って2着に来た。こいつらの共通点は、ステイヤー血統の混じった逃げ馬であるということ。こういうタイプを甘く見て結果泣きを見た本命馬のいかに多かったことか。 去年の有馬記念もそんな感じだったもんね。Sクリスエスの驚異の差し脚がなければマラソン逃げ馬・タップダンスの逃げ切り勝ちだったと思う。 もっとも、最近はハイペース逃げの展開が復活してきたので、やっぱりアテにはならないけれどね。 ちなみに私の◎は1枠1番のアナマリー(って全然違うやんけ)。☆本題(1) 最近、見知らぬ人に道を聞かれたり話しかけられることがめっきり少なくなった。 今まで、思わぬときに道を聞かれたり話しかけられることが多かったから、意識するようになって逆に「実際そうでもなかった」と気づいたのか。それとも自分で知らず知らず「身構える」ようになっちゃって、「見知らぬ相談者」を遠ざけているのではあるまいか。もし後者だとしたらイカンイカン、と焦る気持ちになってしまう。 明日から、「クリニカルスタディ」というカウンセリングの研修会がはじまる。 すでに自分たちはカウンセラーとなるための課程を卒業して、自分たちなりに相談を受けたり心理臨床を施すケースを持ってもよいとされている。にもかかわらず、今の今までそんな自分をほったらかしてきた。 忙しいせいにしたくないけれど、忙しさを言い訳にしてモラトリアムを作ってきたような気もする。 もっとも、それ以前に「私はカウンセリングできます」って周りに宣言してないからなあ。これも、今からいきなり実践段階に入ることに対して勇気がない、ってことなのかもしれない。 慌てて動き出す意味もないと思うけど、完全に逃避してない自分を確認する必要はある。 そのひとつに、「最近人に道を~」ってのが思い浮かんだ次第。☆本題(2) 恵まれぬものほど「足る」を知りうる、ことの話。 自分のかつての愛読書に「橋のない川」というのがあった。 これは、昔から問題となっている「部落差別社会からの開放」をテーマとしてきた、同社会を生き抜き、見つめ続けてきた住井すゑさんの遺作(文庫本にして全7巻で絶筆)。 これを見て思ったことがひとつある。 物語の中で被差別者とされてきた部落の人たちのほうが、そうでない「普通の人たち」より、自由・平等・平和に対して正しい道をずっとよく考えていて、聡明である、ということ。 フツーの人は、被差別者から見れば「差別する側の者」なのだ。自分も含めてそうカテゴライズできるかもしれない。 こいつらの、自由・平等・平和に対する意識の、なんと無頓着にして不明なことよ、と、強く感じた。 マリー・アントワネットの「パンがないならケーキを食べれば?」発言に近い。いやほぼ等しい。人の苦しみを知らないことは愚かなことなのだ。 高齢者や障害者の身辺の不自由さ(ハンディキャップ)を知らないこと、病気の人の苦しみを知らないこと。 わからないのは当然だ。自分が同じ境遇になっていないのだから。だけど、「不自由であること」「苦しんでいること」に注意を向けることができるかできないかというだけで、その人それぞれの、あるいはその人たちの身の周りのコミュニティの質は、全く違うものになると思う。ハンディ者、病人に注意を向けられない社会は「愚かな社会」だと思う。おばあちゃんが、電車で席を譲ると、ものすごく申し訳なさそうにして、何度もアタマを下げる、っていうのは不自然だよ。おばあちゃんは、人生の先輩で、もっと尊敬されて堂々と生きていていいはずなんだから。白い杖の人が、強がって一人歩きを続けて階段でつまずいてコケた。強がらなくていいんだよ。「階段降りるのが大変なので誰か手伝って」っていう権利があるんだから。
November 16, 2003
こんどはPCが風邪をひいてしまったみたいでなんか重かったりすぐ落ちちゃったりしてるのぢゃ(コンピュータウイルスでわありませぬ。念のため)。レスなどなどは明日、ですなとりあえず。m(_ _)m
November 15, 2003
明日の午前中に野球の練習やるんで、土曜日の午前中にそんなに走り回るの久しぶりぶりブリ大根!! なんで日記は今日はお休みでーす。電話嫌い、かつノドが痛いのに電話かけまくりの仕事したので声がガラガラです。それでは皆様よいしうまつを♪エリザベス女王杯、私は1番と6番がプンプンにおうんだけど、やっぱりスティルインラブorアドグルで決まりなのか、さーどっちだろう?
November 14, 2003
・・・つーわけで、昨日は週刊Pと週刊Gのことを長々と書いちゃったから、そんな雑誌ばっかり読んでるわけでもある今日この頃、ちと趣向を変えて「ブルータス」という雑誌を「久々に」読んだ。この雑誌、昔興味本位に読んでみたときは、男性向けファッション雑誌というか、トレンド特集みたいな記事が多かったように思ったが、最近は「トレーニングでカッコイイカラダを作ろう」といった、なんとなく「日常生活の中でオレらでもできるフィットネスライフ」みたいな記事がメインになってきた。電車の中吊り広告などでも以前からときどき目についていたので、気にはなってたけれど、昔読んであまり面白く感じられなかった先入観から「フン」と目をそらしてきたところがあったのだ。今回は、ホントにたまたま「駅売店に立ったら目の前にあった」から手に取ってみてしまい、そーなると買わないわけにもいかず、買ってしまった、というわけ。450円(高っ)。編集者は、今どうなのかわからないけど、あの、シーナ軍団の「ひ弱なドレイ2号のサワダ」こと沢田和彦氏がこの雑誌を担当していたらしい。ひととおりページをめくってみたが、なんとなく「ランナーズ」に近い内容に様変わりしていた。ドレイのサワダがそういう雑誌のコンセプトを打ち出したのかどうかは知らないけど、まあ「ブルータス」といいサワダ氏といい、様変わりしたものである。その中でひときわ目をひいたのが、競輪の松本整選手の特集コラムだった。競輪好きということもあるけれど、45歳という、アスリートとしては高齢にあって、去年は特別競輪(今はG1というのか)2つを獲得し、暮れのグランプリでも3着に食い込んだ。無論、フロックでそんな好成績を続けられているわけではない。競輪は、数ある公営ギャンブル競技の中でも、自分の身体、とくに脚力だけで勝負する、車券を買うおっちゃんの自堕落さとあまりに裏腹な、ハードなスポーツでもあるのだ(競馬、オート、競艇もそれぞれ体力使うと思うけどね。競輪はちと身体使うレベルが違うのねん。競馬、オート、競艇ファンの皆しゃん今回だけはごめんちゃい)。松本選手は、若手から中堅どころの強豪ひしめくトップレベルの中で、今なおでっかいタイトルを競える体力を保つための肉体作りをしている、それはどんなものなんだろうと思って、熟読してみた。なんと、彼は自己資金でフィットネスジムを経営し、自らそこでトレーニングを続けていたのだ。またスポーツ生理学を学ぶべく、その年齢にして順天堂大学の大学院で学んでいるという。いやー恐れ入った。そこまで徹底してトレーニングしていたとは!! 好成績の秘密だったのだね。ある意味「無謀」のようにも見えるけど、これは正しいカネの使い方だと思った。貯めた賞金を、自分の肉体のための投資に充てていたのだ。松本選手を、今のトレーニングのモチベーションに駆り立てるきっかけとなったのは、ほかならぬ中野浩一選手だったそうだ。松本選手が若い頃の競輪界は、選手という地位にあぐらをかいてる選手が多かったらしい。レースを前にした選手がタバコふかしながら将棋指してて、「さーて次かー?」なんてノンビリとスタンバイはじめてバンクに出ていく先輩がザラだったという。アスリート意識の強い松本は疑問を抱いていた。そんな中、同じ意識を持つ選手と出会う。それが4歳年上の中野浩一だったというのである。何度か、中野と一緒に練習やトレーニングに同行して、明らかな力の差を感じたという。絶対的に自分と違うのが筋肉の量だった。それを補うために、松本は自らジムに通いはじめたのだが、民間のジムは、ムキムキのボディビルジムか、初心者向けでサービス優先のフィットネスクラブ、どちらも競輪の資質向上にはやや物足りないものだった。やがて競輪学校が出来てから、競輪の資質を高めるためのトレーニングができるようになったが、やがてそれは若い選手たちに譲る必要がある。それで一念発起して、「自分用のジム」を作ったのだという。「三本ローラー」という、今や競輪選手が当然のごとく練習に使用する、自転車を上に乗せてゴロゴロ漕ぐ練習も、松本が若いころは「タイヤが擦り減るからもったいない」といって殆ど使われなかったのだという。それを変えたのが中野浩一だった。やはり一時代を築いた選手の意識というのは違うものだ。その他書いていると枚挙にいとまがないけれど、一流アスリートのレベルを保つために、いやさらに上を目指すまでの意欲を持って、松本選手は自分を研鑽しつづけていたんだなあ、と改めて思った。よくスポーツには「ピーク」という言葉があって、幼少期でピークを迎えると、あとは下り坂に向かうという話を聞く。例えば、日本でいえば水泳とか、女子の体操など。松本整は、ピークを伸ばす努力をしている。自分は、スポーツに限らずあらゆるところで「ピーク」にはほど遠いところにいると、自分では思う。だから比較の対象にはならないだろうけれど、衰えを知らない力の背景というものとはどんなものかと、少し興味を抱いて、覗き見してみたいと、ふと思った次第。
November 13, 2003
☆怒りのアフガンあまりにも無神経というか、ムカつく記事があったので、取り上げるでございます。---------------------------------------------------アフガニスタンで活動するNGO(非政府組織)ペシャワール会(福岡市)が今月2日、アフガニスタン東部で潅漑(かんがい)用水路の工事中、米軍とみられる攻撃ヘリコプターから機銃掃射を受けていたことが、わかった。現地代表の医師中村哲さん(57)によると、現地スタッフらとダイナマイトで岩盤を崩している最中だった。けが人はなかった。中村さんは「発破がゲリラの攻撃と誤認されたのかもしれないが、作業は毎日続けており、米軍も分かっていたはずだ」と話す。 (アサヒ・コム http://www.asahi.com/international/update/1112/012.html )--------------------------------------------------「誤爆」で謝れば済む問題ではありません。良かれと思って進めてきたNGO活動で用いたダイナマイトの私用を、あろうことか爆弾テロか何かと間違えたのでしょうか。でもアフガンの本国にも許可を得て作業してたっていうしね。アメリカの軍事的攻撃の延長により、無意味に人命を奪うようなことがあれば、ブッシュ大統領の再選には全面的に賛成できないな、と思ってしまった次第です。☆エロ戦争週刊Pと週刊Gの「エログラビア戦争」はいまだとどまるところを知らず、ちょっと最近は駅売店で買うのもはばかられてきちゃったりしている今日この頃。とくに、「新体操選手のヌード」というのはいつまで続くのか。そろそろヌードはやめて、どこかVシネマとか深夜番組とかで使ってあげるということで、おしまいにしてあげたほうがよいのでは? それとも本人がヌードが好きなのだろうか? それならそれでいいけど。とかいってるうちに、こんどは「サーカス女王ヌード」とかいうのが出てきた。なんだよそのアヤシげな企画はよー。「サーカス」つーたら、オレらガキの頃は、「悪い子にしてるとサーカスに売っちゃうぞ!!」と脅されて育ったものだが、サーカスに売られたあげく、ヌードにされちゃうのか!?・・・とにかくよくわからないけど、週刊誌はヌードがないと勝負できない、というのもナサケない。あのさー、心理学を学んでいる者のハシクレとして云わせてもらうけど、アダルトヴィデオに出演した女性の自殺未遂とか、その後の人生における社会不適合って、ケースとして少なくないんだぞ。人前で、本来は愛する人の前でだけ見せるべきような「恥態」を、全国の男の人の前でさらすんだぞ。その精神的苦痛はオレらの想像を絶するものかもしれないのだ。「苦界」という言葉があるくらいなんだから。人前でセックスこそしないにせよ、ハダカは皆に見られたくない、っつーのが人間の本来の心理なのではあるまいか? 週刊誌の一冊売れるかどうかで、人の心に傷をつける行為を許したくないぞ。などとエラソーなことを云いながらも、前に挙げた2種類の週刊誌はたまに買うオレ(笑)。二律背反だあー。マジメ記事、バラエティ記事、エッチ記事のバランスがちょうど自分の脳みそにマッチしているからなあ。このへんの配合は、スポーツ新聞とかテレビのワイドショーではなかなかマネできないのだ。ただその中のエッチの部分が何か知らんが一人歩きしちゃってるのだねー。「週刊T」とか「週刊J」に匹敵しそーになっておる。
November 12, 2003
まずは、ワタシがかねがねから「ズルさのホームラン王」もしくは「政界のコウモリ男」と称してムネオよりアサハラ ショウコウより忌み嫌ってきたクマガイヒロシが落選した。こういうことってあるのだねー。ズルさを駆使して生き残るかと思ってたら。「マニフェスト」で難しい横文字でも並べたらシラけたとか、そういう理由だとちょっとヘタうちましたな。民主党が意外に善戦したらしい。今回は「マニフェストこそ絵に描いたモチ」と国民が判断して自民党の圧勝と思いきや、自民党自体もモタついているのが苦戦の原因か。なんとも「戦国時代」の様相を呈してきた政界。来年の参議院選挙は、今回の各党議員の公約の達成度が問われるだけに、大変な正念場の選挙となりそうである。・・・といいつつなんだかよくわからなかった今回の選挙であったが、結局、党首のクマガイ氏が落選した「保守新党」は自民党に吸収されてしまい、自民・公明の連立政権誕生、という結末に終わった。野に下ったマキコ議員はトップ当選を果たしたらしい。やはり地元では断然にウケがよいのね。で、またまた国会で今度は「ツッコミ」側に回っていろいろかき回そうというのだろうかね。結構国会中継の視聴率向上には貢献するかもしれん。いやあ、面白いっちゃあ面白いんだろうけれど、「経済財政対策」の課題の対象になる、割合大きな企業~100人規模で資本金1億以上の中小企業なんかにとっちゃあ、笑って見ていられない、つーのがあるわな。とくにゼネコンの下請け企業さんとか関連企業とか、そのへんの人たち。まだぜんぜん片付いてない道路公団の問題とか、動向を見て一喜一憂、ってとこだろ。粉飾決算やら何やらの「善悪」はともかく、仕事が回せなくなったりした日にゃあ、一家食い倒れの土木建設会社なんてのも出てくるわけで、石原大臣を恨む奴らも絶対出てくるわな。その道の労働者たちがツルハシ持って梅島あたりから石原邸に殴りこみ、なんて一幕もあるかもしれない。そのへん、今まで仕切ってた親玉的存在のヤミの世界のドン、ってのが昔はいたもんで、「まあまあオメーらそういきり立ってねーで、コイツでパーッとやって水に流してくれやあ」なんて、ウラでそういう不満分子をなだめるようなこともできただろうが、「マルボウ禁止」の法律ができて、こないだも別の業主の仕切り屋の某組がしょっぴかれちまった。今回は割合、一触即発、ってこともありえないとはいえない。結構思った以上に物騒なニッポンなのだ。けど、明日は明日のカゼが吹く。オイラのカゼは少し症状が治まってきた模様。また明日もとりあえずもうちょっと元気出して頑張るベし。
November 11, 2003
あまりに「ダメダメ」を連発してしまったためか、このダメさ加減は今日にまで影響してしまいました。おそるべし、ことだま!!知らず知らず自分に「ダメだー」という暗示を与えていたものと思われます。そういえば、常日頃から「バカ」「バカ」と呼び呼ばれ続ける人たちはホントにそうなるらしい、というのを聞いたことがある。その逆の、プラス効果というのは、昔から云われ続けているしねえ。「ピグマリオン効果」とかね。リンクさせていただいてるaiccoさんの日記タイトルは「Happy」がついている。これはいいことかも。言葉に出してることでマジで幸せになるのはいいことなのだ。「あーいー気持ちだー」と云って眠りにつくと、寝起きが良いのって知ってます?これ自己暗示の一種で、ホントにそうなるのでビックリしたんだけど、最近忘れとった(笑)。なので、今日はちょっとあんまり気分よく終えられなかった一日なのだけど、このあと「あーいー気持ち」と声に出して眠りにつこうと思います。
November 10, 2003
以下、随時刊行の予定。ダメダメの一日は、空もどんよりと曇って、いかにも「ダメだー」という空気を、あたり一面にかもし出していた。今日は、自他ともに認める「ダメな一日」を過ごすための「ダメダメプラン」を立てていたのだが、さすがにダメな日だけあって、計算はずれの3時半に目が覚めてしまったのであーる。ダメ人間のオレは、朝のニュース番組を担当したり、新聞を配ったり、お豆腐を作ったり、築地で新鮮な魚を仕入れるといった、早朝からマジメに働く職業とは縁がないため、再びダ眠に入って行った結果、次に目が覚めたのは、これまたなんともダメなことに10時だったのであーる。とはいえ、今までもっとダメダメ人間だった頃は、このまま12時まで寝てしまうというチョイスをしてしまうところだったのだが、今日は大切な「ダメダメな日」を過ごすとココロに決めた日でもあったため、オレは「あーダメだダメだ」とブツクサ云いながら、布団をたたんで、キッチンの「ダメダメトースター」に、食パンを入れて「3分間」のタイマーを回した。そして、賞味期限不明の「メグミルク」と、買って3週間ほど経過したみかんを取り出した。だが、さすがにダメダメトースターだけあって、パンはたちまち黒こげになってしまい、表面を削ったトーストをメインとした「ダメダメ朝食」を、オレはすばやく摂取しつつ、このあとのダメダメ日をどう過ごそうかと考えた。さて、今日は衆議院、トウゼンチンアルゼンチン共和国杯、ファンタジーステークス、などなどの投票日。ダメダメ有権者のオレは、衆議院議員はだーれも投票したくなかったし、どの政党にも期待してなかったので、投票したけど何にも書かなかった。で、裁判官の罷免投票みたいなのもあったけど、ダメダメ人間のオレは新聞に載ってたその投票に関する記事を一切読んでいなかったため、これまた白紙投票。そのかわり、トウゼンチンアルゼンチン共和国杯とファンタジーステークスはしっかり投票した。うち、ファンタジーステークスは単勝だけ当たったけど、ずいぶん人気のあるウマだったらしいので大した配当にはならず。なんだかとっても寒い一日だったので、ダメダメジョギングを30分ほど行ったが、トウゼンチンアルゼンチン共和国杯の距離(2500m)ほどしか走れなかった。ホントはダメダメ日にふさわしく、1日ダメダメ的盛り場で時間を潰そうとも考えたのだが、昼から酒とか呑むとアタマが痛くなっちゃうので、やめておいたのねん。というわけで、あんまり面白くない1日ではあったが、ダメダメ日なのでそれはいたし方ないのであーる(読み返してみてもマジちっとも面白くねーな)。つーことで、そろそろおしまい。選挙の速報なども、ダメダメな脳みそでは何も感銘を受ける出来事は起こりそうにないし、ダメダメでない人たちにとっても、きっとそうに違いないだろうから、結果を聞かずに眠ってしまうことにする。もしまかり間違って民主党が政権取ったりしたとき、クマガイヒロシのヤツがどんな態度をとるか、ぐらいしか面白いことなんてないし、その公算も薄いし、その程度の小ネタしか楽しめない選挙は、やっぱりダメダメなのだ。
November 9, 2003
そうこうしているうちに体調もよくなってしまい、明日はれんしうじあいの予定だったのだが、どうやらメンツが揃わなくて中止らしい。天気もかんばしくないらしいのだけど。つーわけで、明日は久しぶりに、仕事もベンキョーも何もかも考えないで、一人になってプラプラと俳諧するのであーる。たぶん来週以降、そういうことは当分できないだろうという想定のもと、たぶん首都圏の「どっか、ダメ人間の巣窟」に身を潜めつつ、ダメダメ感を満喫しよーと思います(^^)。あー幸せなのねん♪だけど、その前にセンキョに行かないとダメなのねん。ヘボセンキョだけに、さっさと行くに限るのだ。P.S.「ワールドカップバレー」のスポンサー、三菱電機の「チョイエネ乾燥」の洗濯機のCMに出てくる(菊池桃子が出てくるヤツね)、狭いベッドの上でバック宙やってる小僧の運動神経は、なかなか侮れません。
November 8, 2003
どうもアタマが痛くて熱も出てきたので、会社を休んでしまいました(またかよ! みたいな)。こんなことばかり繰り返して、今まで殆ど使わなかった有給休暇を物凄いピッチで消化しており、ヤバいのは事実なのだが、1年前の今日は、私の輝かしくも情けない「入院記念日」だったのねん。あのときは心身ともに荒んでサイアクの状況、どん底のドンドコドン状態だったので、周りの環境もことさら悪く見えたりしたのだが、今は当時の「周りの環境」を悪く捉えることにあまり拘泥しないことにしているから、そんなにストレスたまっていない。けれど、「働かざるもの食うべからず」で、生産性のない自分が徐々に飢えていくのは確実であるから、とりあえずきっちり健康を保たないとなあ。こんなにサボりまくるヤツを働かせて、確実に食い扶持を確保させてくれる職場なんて、ない。あるとすれば自営業もしくは自由業。・・・って、簡単にはいかないだろうけど、ぼちぼち真剣に考えないといかん。カウンセリングと並行してなんとかやってく方法。フツーは、こんなにヤル気と生産性のない人間は、人件費に苦しむ今の会社では「クビ」であるからして。それはそうと、最近愛読してる「モーニング」で、「昆虫探偵」というヘンなマンガが始まった。このヒトは、昆虫と話ができるという特技を生かして、人間と昆虫から依頼を受けるんだけど、その報酬として、オオクワガタ(なぜかものすごく高価な昆虫)の現物をもらうか、またはオオクワガタの居場所を、依頼者の虫から教えてもらって捕まえて、ペットショップに売って生活している。そういう「ヘンな職業で生きてるヒトの話」ってのは面白いね。よく「○○のプロ」とかいうけれど、ホントにプロのヒトもおるからね。「ラーメン食いのプロ」つったら、超大盛りラーメン食って賞金もらうかタダにしてもらって生活するヒトとか、「評論家」としてグルメ雑誌にコラム書いて生活するヒトとかなのかな。「痴漢のプロ」ってのは、どーも犯罪のにほひが強くするため、好ましいプロとはいえませんな。でもどこぞからニーズがあればナリワイにはなるのだろう。ウチの野球チームに「観戦屋さん」というヒトがいるけど、あのヒトの職業は観戦なのかなあ(笑)。でも中にはサッカーのサポーターが昂じてすっかり生活成り立ってしまうお人もいるそーだから、のめりこみようによってはできないことではないかもね。って、アホな話をしているうちに熱でアタマがポーッとしてきたので、このへんで。
November 7, 2003
つーか、引越ししなくても済んだワケですわ。ある社員の方の肝いりで、追い出されずに済んだ、つー感じですわ。で、借りてるフロアを1Fだけにして、あとは机だの過去の資料で要らないモノの処分に1日追われておった。うわー、こんなモンまでとっとくの? みたいのや、へぇー、オレらこんなことまで調べてたんだー、みたいのがところどころ見つかったりしたんだけど、そんなの振り返ってるバヤイではない!! ヘタすりゃ明日税務署が来て差し押さえのシールペタペタやりにくるトコだったのだから。んーと、週明け早々、「退職」の意を表明しておく必要性がでてきた感じです。今の会社には恩義はかんじております。だけど受けたダメージはそれ以上だった、つーことなのだ。それを率直に伝えたいと思います。あとはそれをどう彼らが受け止めるかですけど、引きとめてくれるだけでもあり難いような話でもあるわな、ある意味。さてと、いろいろ思案のしどころの週末でございます。
November 6, 2003
☆なんだなんだ?「女子十二天坊」って、「モー娘。」を変形したヤツのことなの? 最近芸能ネタにも疎いのでよくわからにゃい。ちなみに、最近騒がれてる「有栖川宮事件」は、江戸時代に徳川吉宗のご落胤と名乗って処刑された「天一坊事件」の話に似てるなあ。☆ダイエー・小久保選手のことなんか球団から正式な話がこないうちに巨人側と本人の記者会見みたいなのがあって、ファンが納得できてないぞ。オレなんか、あろうことか、ナベツネにギワクを抱いてしまったではないか(爆)。おサムライというか、浄瑠璃の美男子みたいな顔した井口選手も抜けるとなると、心細いやんけ。松中はヒザを痛めてるし、バルデスなんていつダメになるかわかんないトコあるし、日本一もあっという間に崩壊か?まあ、無償でトレードするなら、巨人から江藤を貰えよな。「中軸打たせてやるかわりに年俸安くてもガマンしろ!!」とか云ってさ。☆東三四郎興行の数の割に苦しい実情のプロレス界。どの団体も厳しいらしい。カラダ使うのに、メシ食えなきゃ辛いわな。総合格闘技やらK-1なんてのが流行ってしまって、その人気の陰に隠れてしまいつつある感もあるのだが、東スポなんか見てるとワクワクするけどねー。高山とか安田のインタビューなんて読んでると、暴言そのもので、ハッタリかまし合いで、なんかしあい前から「早く見てみたい」って思ったりするもんな。ボクシングもそういうトコあるんだけど、人気の総合格闘技だのK-1はいたって清廉潔白のサワヤカ試合が多い。もっとダーティな演出が欲しいんだけどなー。サップもいつの間にか「いいヒト」になってるしさー。で、三四郎なんだけど、プロレス団体を作るために、今なぜか探偵をやってます(笑)。だけどせっかく稼いだお金でカミさんが通販の高い買い物するのでなかなか貯金がたまらない模様です。詳しくは「イブニング」にて。☆マキコさん性懲りもなく、街頭演説で自民党の議員の悪口をまくし立てているらしいね。治らないものなのかなあ。このヒトのことを主役にした、精神分析の本を読んだけど、もしかしたら少しこのヒトは、病気ではないにせよ、気質の部分で何か問題があるのかもしれない。なんせサラブレットだからねー。今の閣僚なんて「目白にいた頃の私の下僕」とかいう目で見ているキライがある。当選するかどうかしらないけど、もし当選するようなら、どの道ロクな国会にはならないってことだね。☆小さなウソ最近、オトナになって自分が成長したことってなんだろう、と振り返ってみたりするのだが、割合すぐに思いつくことがある。「ウソをつくのが少し上手になった」ってこと。情けないが、仕事やら人づき合いの中で、どうしてもウソをつかなければならないときはある。ストレートだけ投げて通用しない中小企業の営業活動。で、ちょっとだけ門戸をこじ開けるために、許される範囲の「ウソ」をつく。あと、遊びでも日常会話でも「話のネタ」って、ちょっぴりデフォルメしたりすることありませんか?あれも、細かいこというと「ウソ」に含まれるだろう。「ウソも方便」とはいうけれど、そういう数々の「ウソ」を出しちゃった場合、自覚がある。後ろめたさの有無は別として、そんなとき「あーウソ云ってるぞオレ」っていう自覚だけは持っておきたいものだ。他人に対してだけでなく自分にもね。無意識で「ウソ」ついてなんとも感じないという人もいるだろうな、って気がする。人それぞれでいいけれど、自分はそうありたくない、と、さすがに最近は思うのでありますね。
November 5, 2003
どうやら「仕事感覚」に戻れたなー。外回りのおかげだね。オフィスにじっとしていたらまたおかしくなってたかもしれませぬ。やっぱり自分はデスクワークには「決して向いてない」らしい。だから、デスクワークを強いる今の会社とは早晩サヨナラすることになるだろう。それはともかく、なんか、会社は「大家さん」から追い出されずに済んだらしく、ボスは機嫌が良かった。なんかビールの栓をプシプシ開けてる音が社長室から聞こえたけど、断固そういう席には参加しない主義なので、無視していた。忌野清志郎だと、ここで「なあボス、もっと給料上げてくれー」とスリスリすりよったりするところだろうが、さすがにそんな余裕はないだろうし、そーゆーノリが通用する男ではない。とりあえず、差し押さえペタペタ攻撃が今週末に敢行されるリスクは遠のいた(らしい)。これというのも、オイラたちが働いた売り上げが先月末に入金されたからだぞー。だのに、今日の午前中呼び出されて「ウチはこれっぽっちじゃあまだまだ赤字じゃ!!」とか云われて、ちとムカついたので、「知ってますよ、で、どうしたいんすか?」と云い返してやった。ボスは黙ってオレをにらみつけた。(ムムム。殴りかかってきたらどうしよう。その手を払って得意技のカニばさみから寝技に持ち込むべきか、黙って殴られてやるべきか、どっちが男前だろうか・・・)しばし沈黙の時間が流れたが、何事も起こらなかった。オレはムッとした表情を崩さずに自分の席に戻って、「すき屋」の「きんぴら牛丼弁当大盛」を食った。午後の外回りから帰ってきたら、なんかボスは幹部が囲んで午後ずっと会議をやってた。で、明日からオフィスのレイアウトを変えるらしい。ボスはDr.コパが好きらしく、風水に最近凝っている。その割にはツキがないようで、こないだはヘンな神主みたいなヤツが会社に来てボスの背中をペシペシ叩いて帰って行った。顔はピッコロ大魔王みたいな顔をしてるクセに、案外気の小さい男なのだ。で、一難去ってビールプシプシ。勝手にやってろよって感じである。細かいことはわからないけど、明日は明日の風が吹くからいいや。と思って、なるがままに任せることにした。
November 4, 2003
さあ今日から気持ちを入れ替えて勉強をはじめよう!!・・・と昨日は意気込んでみたものの、その前に、どうも前々から気になっていたものがありまして。引越し時から未開封のままのダンボール2箱。中身は本とか書類カンケイなんだけど、さすがにこれだけ放置したままだと、もはや読むべきものはなかろう、「BOOK-OFF」にでも出せれば御の字、と思い、これを機会に整理しておこう、ってことで、おずおずと開封。果たして、古本屋に出せそうな本は1冊もなかった(笑)。あまつさえ、手が痒くなってきた。南京虫がたかっておるのか。で、なぜか「聖書」が1冊。石の森正太郎のマンガが4冊。それと、心理学カンケイかどうかわからないけど、「人間関係」「ストレス」について書いてる本数冊。若い頃から結構ココロの支えを求めていたり、人間関係、ストレスなんぞを気に病んでたのね。フムフム。これらを残し、あとはヒモでくくってゴミ箱行きー。でおしまい。結構買ったっきり殆ど読んでない本が多い。大半が「企画書の書き方」「記憶力がおどろくほど身につく本」「プロジェクトの立て方」「損益計算書の読み方」といった、「ビジネス系ハウツー本」。なんで買ったんだっけ? そうそう、昔、会社を作ろうとかいう身の程知らずのことをたくらんでいたことがあったのだねー。バブリーだったねー。よく見ると、「PH×」という出版社の本が多かった。これらは今忌み嫌っている系の本を出してる出版社で、松○△之助さんの思想が染み付いてるので、今となってはS学会系の本に匹敵して読まない。つーか読みたくない。こいつらまとめてポイッ。あーすっきりした(^^)。ちなみに、昔、友達から借りっぱなしにしていた「シルバーバーチの霊訓」という本も、ダンボールに入っていた。これはさすがに「借りパク品」ということと、捨てるとコワいことが起こりそうなので保管しておくこととした(笑)。P.S.テレビ朝日系の「全国一斉IQテスト」疲れた。オレは110だった。ふぇー。
November 3, 2003
土日の、身入りのない(爆)、肉体的にはハードな2日間は終わりました。月曜日に野球の試合の予定、と思ってたのは勘違いで、来週と再来週の日曜日に続けてやる予定になってたそうで。てなわけで、再来週は土曜もちとベイスターズさんのれんしうにスパイとして紛れ込む可能性もあるので、まさしく「草野球三昧」。ベアーズがオフになった途端、イタバシの野球がマジモードに入りつつあるのでやんす。昨日はヒザが笑っていたが、今朝ほど無事完治の模様。で、明日はそういうわけで、カラダが開くのねん。明日は雨模様でもあるので、眠り続けようとも思うけど、久々に新宿・紀伊国屋書店にでも行って、心理学の本を買ってこようかなとおもっとります。なんかさすがにベンキョーしなさすぎなのが自覚できるので、明日は落ち着いて、買った本をパラパラ読みつつ、脳を少しずつサイコロジーモードに戻そうっと。いきなり入り込みすぎると拒否反応が起きるので、マガジンなども読みつつだけどねん(笑)。んで、さりげなくちょっとずつアタマを慣らしていき、テレビや世間話での心理学カンケイの話題に「ムフ、それ知ってる」などと余裕でフォローしたりする、などという小ざかしいことをたくらんでおります。ちなみに、J2、アメフト、天皇賞、ともに大破、でごじゃりました(T_T)。テンザンセイザ、見せ場を作ったのだが・・・。Sクリスエス、想像以上の強さ。秋3冠かよ。来年は海外行けよ、といいたいけど、行かずに今年で引退させそうな感じもするね。唯一の救いは、アメフトで、我が愛するハスキーズが、最終クオーターで今季初タッチダウンを決めた瞬間かな。
November 2, 2003
というわけで、許せるものもあるのだけれど、自分の好みで許せないものもあるのである。許せる、許せないの基準は、「オレも使うことがあるかどうか(爆)」「聞いてて感じる気分」という、きわめてワガママなものなので、まあ読んでるヒトは、「まーた勝手なこと云ってるよこのオッサンは」とでも思って軽く読み流してくだされ。先に「許せるほう」からパパパッと云っちゃうと、(1)「てゆーかー」(2)「~みたいなー」(3)「~とかありますけど」などなど。会話してて支障がないので無害。よくタモリがチェックしてるけど、さほど嫌ではないのにゃ。で、本題の「許せないほう」である。(1)「~じゃないですかー?」これ、一度目は許す。で、「んー、そうとも云い切れないと僕は思うけどなー、どう思う? 考えてみてもらえるかなー?」と返す。二度目。「~じゃないですかー?」て云うな、それ、キミの価値観だろ。と諭す。三度目。「そんなの個人の自由じゃないですかー?」で、バッテンパーンチ!!例外。古畑任三郎が、「んー奥さん、あなたさっき、『それは困ります』っておっしゃいましたねー。何か大切な秘密を隠していらっしゃるんじゃないですかー?」と、確認する場合。このとき「かー?」という語尾は上がる。若者どもの「じゃないですかー?」は断定形で、語尾が下がる。これ、大きく違うのねん♪ で、パーンチ!!(2)「○○うぉー」何云ってるかわからないと思いますが、たとえば、「わたしはー、昨日はー、寝坊したのでー、牛乳をー、・・・」というときの「をー」が、「うぉー」になってるのだ。これ、聞いてるとすんごい耳障りなのである。だが、実際に古語辞典など紐解いてみたり、日本語の起源などを調べてみると、「を」という文字は、その昔「うぉ=wo」と発音していたらしいのだ。ワープロのローマ字打ちもそうだしね。だからもしかしたら正しいのかもしれない。で、何が耳障りかというと、いちいち言葉を区切って、語尾を上げてしゃべるのが聞き苦しい、というのと、この言葉を使う輩が、カラオケ好きらしいことがわかったりしたからなのじゃ。カラオケで最近よく唄われる歌で、「あなたの愛をー♪」といった歌詞があって、確かスピードだとかアムロちゃんとか小柳ユキとかだと思うのだが、こやつらが「愛うぉー♪」と唄ってるのをTVで見ることがある。そのマネっ子をしてるうちに、日常会話にもそれが身についてしまったように受け取れる。まあ、若い女の子に多いパターンかもしれないですな。こういう言葉を発するヤツらは、私のいないところでこれらの言葉を使ってもらう分にはよいが、私との会話で何度もそういうことを口に出そうものなら、容赦なくいじめます(爆)。
November 1, 2003
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