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これまで、同じように「うつ」によって朝起きられない人たちの話を、いろいろ読ませていただいてきました。自分もまた、同様に「ゆううつな朝」を迎える日が、そうでない日を上回っています。予兆は昔からあったなあ。これは誰しもあることかもしれないけれど、仕事があるから朝飯の準備をして、食事をとって、準備万端、余裕で笑顔の朝!とはそう毎日あるものではない。とくに朝会議があったりして、前日までの業務報告をして叱られることを考えると布団から出るのがどうしてもおっくうになって、時間がものすごいスピードで過ぎてって、ギリギリになって慌てて着替えて摂るものもとりあえず飛び出していく、という日々。だけど、昔はそれしきのこと、気合で「エイヤッ」と布団を蹴飛ばして飛び起きるぐらいの元気はあったのだけれど・・・。肉体的「疲れ」なら、アリナミンやらハイチオールCの2粒もあれば跳ね返せていた。また、完全歩合制セールスの世界にいたときは、稼ぎがない月は健康保険料も納められない不安定な日々だったから、病気したらマジでヤバいと、身体が「病気をしない」ことを前提に、さまざまな病魔からシャットアウトできた(これだけは未だに不思議)。やがてそういう「ニッチもサッチもいかない状況」から這い上がって多少安定した暮らしを送れるようになってから、今のような状態に陥った。その意味では、「最悪の状況」は辛うじて免れているといってもいい。セールスマン時代に売れないことを苦に「うつ」にかかっていたら、本当に自殺をしてしまっていたかもしれない。ある意味「ヤワ」になっているのかもしれない。だけど、これまでのそういう積み重ねが「うつ」に起因していないかというと、そうとも言い切れないのも確かだ。ほかにも連日の徹夜であったり、ストレスの要因はいろいろあったけど、全部書いてたらキリがないので省略します。「うつ」でヤバい!と決定的に思わせたタイミングというのが、3つのことの重なりだった。一つは、自分の「会社起こし」挑戦に失敗したこと。二つめが、あるスポーツの大会で半ば「燃え尽き」を感じたこと。三つめが、今いる会社で自分が中心となって抱えていた割合でかいプロジェクトがニッチもサッチもいかなくなって、その責任を背負わされる羽目になったこと。そのときを「会社をやめる一つの大きな節目」と自分で勝手に決めつけて臨んでいたものだから、上手くいかなかったことが気分を滅入らせるものすごく大きな原因となってしまい、凹んだ気持ちが、とうとう元に戻らなくなってしまうことにつながってしまった。すべてが中途半端だったのかもしれない。だけど、すべてに自分は全力を傾けて臨んだつもりだった。結果、「すべてが上手くいかなかった」。もう今となってはずいぶん過去の話だ。直後、同年の従兄弟が死んだ。ますます凹みが凹んだままになった。動きたくなくなった。何日も何日も、引きこもりのような日々。布団をかぶったまま、今までみたくそれを跳ね飛ばす気合が出てこなくなった。それではじめて医者の扉を叩いた。最近思うようになった。「もしかしたらあのときのことが今の『本当のなりたい自分、なりたいもの』を見つけるきっかけになっているのかもしれない」。もしこのまま無事立ち直れたら、今度はそのことが自分の強みになる。「うつ」や「抑うつ」の辛さを肌で感じてわかっているカウンセラーなんて、きっとそんなにいない筈だ。理論的にはわかっていたとしても、その人の立場には立てない。「ゆううつ」→「抑うつ」の人が「うつ」になる前に、再び「朝の歓び」を味わえるように、これから自分が相談に乗る、一人でも多くの人がそうあってくれるようにアシストしたい。だけどその前に、自分自身がこの「朝の歓び」を味わうことができなきゃね(笑)。前に書いた日記と似たり寄ったりの話を長々と、読んでくれた皆さん、ごめんなさい。
February 28, 2003
早いものですねー>日々の経過は1ヶ月ほど経ったから、何かご挨拶を、とでも思いましたが、これといって上手い言葉が思い浮かびませぬ。こーゆーのが「本番に弱い」といわれるゆえんなんでしょうねえ・・・。まあ、皆様のおかげで、予想を上回るアクセスカウント数となり、お得意様も増えてきて、とても嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)mうーん、なんか書こうと思ってたような気がするけど・・・。ま、いっか。それは明日ということで(笑)。
February 27, 2003
楽天でのHPのことではありません(笑)。今、カウンセラーになるべく、日々、本読んで週1でスクーリング受けて、なおかつカウンセリングを受けてと、学習そのものについては充実した感はあるのだけど・・・。自分は「本当にこの仕事に就いてしかるべきなのか」という疑問というか、不安が湧いてきているのもまた事実なのでもあります。まだ、入院前の体力や精神力が完全に回復していなかったり、再三述べているとおり「うつ」完治ではないということもあるけれど、とにかく、外部の人との会話のあとの疲労感がひどい。営業とか接客やってた頃というのは、そんなことまるで感じなかったのだけれど、その頃の精神状態というかテンションの格差は天と地ほども感じる。もしかすると、とくに難しい「自分の弱さの分析」とか「精神的な話題」に触れているからなのかな。でも、基本的に自分はそういう話題は「好き」といっては失礼だけれど、関心の高い分野である(だからこういうことを勉強しようとしてるわけで)。もし今のままの精神状態で学校の課程を終えたとして、実際にカウンセリングの場に立ったとき、それで身を立てられるのかどうかという話になると、非常に不安である。毎日、何人もの人の話を聞いて、得た知識を駆使してそれをフィードバックして、それを繰り返して生計を立てるのって、そんな楽なことじゃないし。むしろ非常に苦しいのではないか。まずは現在の心身の状態がより改善してから考えるべきなのかもしれない。だけど、心配は心配。これが今後減っていくことを祈るばかりです。
February 26, 2003
北朝鮮の意図はなんだったのだ?実験なのか、威嚇なのか、はたまたマジで攻撃しようとしてたのか・・・?3番目のヤツだったら「クププ・・・」と笑ってしまいたくなります。そうです。「笑ってすませられる」段階で終わって欲しい。まったくさー、毎年毎年人生のこれからを考えて、なんか仕事で大事があるたびに退職願フトコロに忍ばせて会社に行きながら、フラフラフラフラあっち向いてこっち向いて、ようやく「これが天職だ」ってのが見つかったと思ってる矢先にぶっ倒れて入院して、ようやく復活してきたってのにさー。たのむよー。たのむから。これからの人生、自分で責任持てる、死んじゃおうなんて思ったりしない、強い人間になるからさー。こんな、ちっぽけな人間の夢、壊さないでくれー(>o
February 25, 2003
これまで2度、自分の通っている臨床心理カウンセラー養成機関と経営母体を同じくする「カウンセリングルーム」にてカウンセリングを受けております。「精神科医」と、私が現在カウンセリング(およびスクーリング)を受けているところの決定的な違い。それは、精神科医の場合は、問診表記入→問診→診断(結果がわかったものはすぐそれを回答)→治療(改善)方法の説明→薬の処方という流れであるのに対し、カウンセリングは、問題(悩み、苦しみ)について聞く→わからない部分についてさらに掘り下げて聞く(自己洞察・分析を促す)→聞いた内容(洞察・分析結果)を整理・確認する→問題に対してどうしたい(どうなりたい)のか、目的を聞く→「なりたい自分」になるための方法を一緒に考える(クライエント=相談に来た人にも考えさせる)→クライエントが自分で答えを出せるアシストをするという流れになっていますね。これは自分が今受けている例です。他にも方法はあると思いますが。大きく違うのが、この最後の「クライエントが自分で答えを出す」ようにさせる、という点で、そのための分析とか答えは、カウンセラーからは出しません。つまり自分で問題の本質や自己の内面ときちんと向き合わなくてはならない。最初はちょっと疲れます(笑)。というか、「ふだん使わない筋肉を使うので疲れる」という感じ。それが今の自分です。だけど、それを乗り越えないことには、カウンセリングを受けたことが無意味になってしまうし、逃げ回りつづけることにもなってしまう。それはいやだし、またそれを乗り越えられれば、明るい出口が見えると信じて、答えが出るまでカウンセリングを受けつづけようと思っています。そんな元気がまだあるのも、以前診断された「うつ病」がかなり改善され、勇気が出てきた段階だからかもしれない。もっと前の自分だったら、このカウンセリングが逆効果になって「中断」を申し出ているだろうと思います。たぶん簡単には答えはでないでしょうね。つまり回数重ねた分自腹は切らなきゃいけない(笑)。だけど、これで前向きに人生歩けるのであれば、私は「もったいない」とは思いません。これはあくまでそのときそのときの自分のフトコロ具合との相談になるので、これもまた相談してみるかどうするか、決めるのは自分自身になりますけどね。けど、今自分がカウンセリングを受けようと思った動機が、対価に見合う答えを自分自身で出したいと、今まさに思ったから、ということに他ならないからだ、ということだけ記しておきます。
February 24, 2003
昨日のカウンセリングだったのだけれど・・・。どーいうわけか、当日&翌日は、脳の疲労が激しいことこの上なし。やはり自分の中身・弱いトコを自分で見るとか知るとかいうことは、辛いというかパワーを使うことなのだろう。だけど、自分もこういう道を目指そうとしているので、疲れたからといって逃げるわけにはいかないのだ。なのでけふはこれで休むのだ(爆)。気持ちがネガなワケではないのが救い。だけど、今こんなことだと先々が心配である。いちいちカウンセリングの対応で疲れてたら仕事になんないじゃん(T_T)。
February 23, 2003
ここでいう「平和」とは、「戦争」「戦乱」に対しての平和です。日本は今週、たぶん結局はそうなるとは思いましたけど、アメリカの武力行使に賛成の姿勢を示しました。国連決議には日本の声は反映されないけど、「日本がこれに賛成した」ことは、世界中に知られるところとなっていることでしょうし、「ブッシュのいいなり」と思われても仕方のないことです。また、このままアメリカは国連非常任理事国にも合意のためのアクションをとるものと思われ・・・、嗚呼。無力感を感じるなー、と思う。もし戦争の流れに乗っていったとして、はじめ、日本は大丈夫なのかもしれない。だけどまず、イラクをはじめ、同国と同盟を結ぶパレスチナなどアラブ諸国およびその周辺国にいて、同じく平和を望む国、ごく一般の人たちが戦火にさらされる。それで、「すべて解決する」とアメリカは思っているのかもしれないが、遠からず、その報復行為が行われることも間違いない。戦争の傷口は、やがて世界中に広がるに違いありません。アメリカの属国と評価された日本も同じ。だけど、日本だけじゃない。日本は自分達のいる国だから当然わが身の上を案ずるのはもちろんだけど、国連加盟国はイラク攻撃への賛成・反対を問わず「同罪」と、イラクに同調するイスラム諸国、ひいては世界中のイスラム教徒の思いにまで発展するかもしれません。それは、まだどうなるかわかったものではないので、ここでいろいろ考えても仕方のないこと。だけど、どこの国にいようと、すべての国の多くの国民にとって「平和」は日々の生活の大前提であり、それを維持するためのモラルを形成してきて、またその中で、ちっぽけな1人1人の人生の設計図があって、夢・目標がある。私の身の周りの人たちだって、等しくそうであり、まだ戦争が大々的にはじまっていない現在、人生設計・夢・目標を持つ権利は与えられている。それが、戦争によって、ズタズタに壊されるのです。「平気で人を殺せる人」は平和な世の中では凶悪犯罪者だけれど、戦争の中では英雄になれてしまう。また、心優しく人と接し、慰めてあげられる思いやりのある人は、戦争の中では腰抜けの役立たずにされてしまうかもしれない。価値観がこうして倒錯するのを平気で見ていられるだろうか。また見ていてよいのだろうか。「反戦デモ」を今さらやろうというのではありません。だけど、マクロでものを判断しようとするあまり、ミクロの、1人1人の、同じ地球で同じ時間を共有する地球の仲間を、自分の思惑から簡単に葬ろうとする大国のプロパガンダと、それに抗う力を持てないわが国の首脳に、少なからず怒りと失望を感じています。ダメかもしれませんが、機会があるのならば、この文書を首相官邸に投げ、納得のいく説明・回答を要求したく思っています。平和的解決方法を得ようとすることが、幾十、幾百億の民の、儚い夢と希望をつなぐことに結びつくのか、よく考えて判断して欲しかった。
February 22, 2003
今日は2週に1度の通院日。ですが、今日から担当の先生が変わります。「状態が安定してきたので」というのが理由のようですが、先生が変わるのはやはり不安がないといったらウソになる。まあ、もはや「死ぬまい」とは思いますが、どう変わるのか、「あとは大丈夫」と云われるのか、ここでカウンセリングを受けることになるのか、行ってみないとわからないけどとにかく行ってみるしかない。これまでの先生は「今死ぬなんて犬死です」と云ってくれた人。非常に感謝に堪えないわけですが、久しくお世話になってきたので、淋しいというかなんというか、直ってしまって「もうこなくていい」といわれるのがベストなんだけど、複雑な心境ではございます。クスリについても、肝臓が疲れるからできれば減らしたいけど、なければ不安だし、といった迷いあり。そのへんは明日の日記にて。そういえば明日は学校併設のカウンセリングルームでカウンセリングを受ける日でもあった。10日を経てだいぶ心境は変化している。それに対してどんな対応をしてくれるのか。参考にしたいのなら、自分のことをも客観視しないといけないから、こっちはこっちで難しいなあー…。→つーわけで、医者に行ったけど、今までとなんらやってもらうことは変更なしだった。「その後調子はどうですか」「はい、だいぶ気分的にもよくなったような気がします」「ほー、そうですか」「ですが、まだ仕事から帰ると疲労感が元気な頃に比べると残るので、完全には治ってないのかな、と思います」「夜はちゃんと眠れてますか」「はい、おかげさまで」「じゃあ、今までどおり、2週間分クスリを出しときましょう」「はい、ありがとうございます」「どうぞおだいじに」以上。変化といえば、今まで担当の医師は別の病院に移ったみたいです。元々非常勤であちこち回っておられるのだとか。変わって、担当医の曜日別予定表の中に、新たに「M沢」という名前が…。むむむ…。かの有名なM沢S男先生のことだろうか??
February 21, 2003
なんか知らんが誕生日になってて、オマケに500アクセスオーバーしとる!!・・・まあ、自分でアクセスして他行って戻ってきたらそれもカウントされてたりするためもありますが、ペースメチャ速いサイトですなー(^^;;)。とにかく、皆様ありがとうございます。m(_ _)m同じ誕生日の著名人は、スポーツ界ではナガシマさんとイノキさん。お2人が私の歳には、すでにもっと大それた存在として世の中を明るくしたり動かしたりしていた。それに比べたら、はるかにノロマな自分は、ノロマを自覚しつつ当面は安全走行の予定。それは前置きとしまして、最近、むかーし読んだ小説とか本などのことを思い出し、「あれ、あんな内容だったっけ」と思いつつなかなかそれを確かめることができなかった。今、そう感じているのが、遠藤周作氏の『沈黙』と『死海のほとり』。なぜにかというと、彼、クリスチャンでもあったのだけれど、この両作品の中では、イエス・キリストの奇跡を否定というか、別の解釈をしているのが凄く印象に残っていて、彼の描くイエスこそが、もしかしたら「名カウンセラー」だったんじゃないか、と、最近ふと思ったことなのです。『沈黙』では、徳川時代に入って「キリシタン狩り」のはげしくなった肥前の国(だったっけ)で布教活動をしていた宣教師・ヴァリャーノ神父が、自分についてきた信者の迫害・背信により囚われ、「踏み絵」を迫られる。自分が踏み絵をしない限り、自分についてきた信者は次々と彼の目の前で処刑されていく中、彼は何度となくイエス・キリストに問いかけるのだけど、イエスは常に「沈黙」を続けるのだ。最後、踏み絵に応じる決意をしたヴァリャーノの心の中に、イエスが「それでいい」と微笑みかけ、彼を罪悪感から解放する、といった話ではなかったかな。『死海のほとり』は、作者がイエス・キリストの足跡をたどって、その生誕地からイエスが生活してきたというガリラヤの町などをめぐりつつ、さまざまに考えをめぐらせる、という私小説(?)。その中で、「イエスは奇跡を起こさなかったのではないか」ということがいくたびとなく記されていたと思う。私はクリスチャンではないけど『聖書』は読んだ。『新訳聖書』がキリスト教の教典なわけであるけれど、そこでイエスは、たとえばハンセン氏病患者の手に触れてたちどころにそれを治してしまったり、飢えた人々の前で、数少ないパンや魚といった食料を何倍にも増やして人々に与えたり、といった「奇跡」を繰り返し、ゆえに人は彼を信奉し、あがめたてまつる。だけど、『死海のほとり』での遠藤氏の解釈は、イエスはそんなことしなかったという。ただ、街中に座って、彼に悩みをうちあける人の話を聞いてあげた、それによって救いを得た人がいて、やがてイエスの周りに人が集まるようになったのだと。『聖書』がすべて真実を語っているとは思えない、とかいったら世の中のキリスト教の人たちから袋叩きにされるかもしれないけれど、遠藤氏の解釈(本当にこんなんだったか怪しい)は、まんざら的をはずしていないように思うのです。この年齢(何歳かはヒミツです 笑)になって、いま一度、とくに『死海のほとり』は読み直してみたい。なんといっても、これ読んだの高校生、大学生の頃だから。あっ、そんなに昔でもないか(<しらじらしい)。というわけで、今日は『イノキ祭り』が、何かしらどこかしらで行われると思うので、皆さん、今日も元気に参りましょう!それでは特別ゲストの春一番さん、よろしくお願いします。「イーチ、ニー、サーン、ダァー!!」
February 20, 2003
うわっ、操作間違えて日記消しちゃった!!ゴメンナサイ・・・。テキストも保存してないので、振り返って書き直し。ただし要点のみ。ってことで・・・。m(_ _)m前日の学校での後半の授業は、当初「実習」だったのですが、クラスメイトの要望で、急遽、センセと受講生の方とによる「カウンセリング・デモ」になったのでした。自分は、どよーびに自分が受けてるカウンセリングのことで頭がいっぱいだったので、「実習」は、また今回もアカン・・・とココロの中で嘆いていたのですが、それが助かった(ラッキー♪)のと、実際に、巧みに、しかもわかりやすく話を展開していくプロの話術&相談者役の受講生さんの勇気に感謝感激でした。自分の悩みを、20人近い人の前で話すのは勇気がいると思うし、センセイだって、全員が納得して、よくわかるような話し方ができるなんて、凄すぎる・・・。自分もああなれるのかな、と、ちょっとそれがすんごく心配でございます。といった話と、翌朝の新聞&ニュースで、韓国の地下鉄事故が発生したので大騒ぎ、犯人さんは重い病気にかかっていて、動機が自殺っぽいんだけど、そりはあかんでー。とまあ、こんな話でしたでせうか?ホントすんません。以後操作に気をつけるでございます。
February 19, 2003
貴乃花。彼を「偉大な横綱」と云っても差し支えないでしょう。いわば「大相撲界に生まれ育ってその中で相撲人気を担ってきた人物」なわけで。優勝22回、という記録も、いまどきの大型力士が多い中、さほど体格にも恵まれず、手抜きもせず、全力で戦い抜いてきた結果としては自慢できる成績である筈。入門当時、彼は父親である元・大関貴乃花に「憧れて、お父さんのように強くなりたくて」相撲界に入った、という。もしそれがホンネであれば、入門~入幕にいたるまでの彼の精神は、「強くなりたい」、つまり“want”だったのだろうと思います。無論、周囲のマスコミは彼を色眼鏡で見て、他の力士とは別の扱いをしてきたわけで、はじめから「お兄ちゃん」若乃花ともども「ワカタカブーム」が起きるぐらいですから、それに対するプレッシャーとかストレスは抜きにしたとしても。それがやがて、「勝たなきゃいけない」=“should”に変わってきた時期が必ずあった筈で、ましてや大関、横綱に上がる頃には“全面的should”になっていたに違いない。普通の精神力の人間だったら。彼を称して「孤高の横綱」と呼ぶスポーツライターがいました。貴乃花は、TVや新聞のインタビューや記者会見の席で、いつでも「コトバを選んで」話していました。陰で「口下手」といわれつつ、「いってはいけないこと」を幼い頃から両親を見て学んでいたのかもしれないし、入門後も常に、すでに「親」とは呼べない「親方夫妻」に云われつづけてきたのかもしれない。千代の富士や小錦などが気さくに話すのとはあまりにも対照的だった。だから、引退までの1年間あまりのケガとの戦い、いやもう少し前の、「花田家崩壊」とか云われてきた時期も、彼はホンネをマスコミに漏らすことはなかった。いや漏らすことは「できなかった」でしょう。だから余計、ストレスを発散することができずそれを自分の中にしまいこんで生きてきたのでしょう。まあこれは彼と話をしたことがないから想像の域を出ませんけど。彼が、普通のプロ・スポーツアスリートであるならば、専属のトレーナーに加えて、メンタル面をケアする人材が必要であったはず。それは家族でもよいし、友人でもよいし、プロの方(医師・カウンセラー)でもよい。もし、(家庭も親類縁者も派手な存在であるがゆえに)そういう人が「まったくいなかった」のだとしたら、彼は「超人」である。いやもしかしたら「お兄ちゃん」がそういう存在だったのかもしれませんね。だけど、花田勝氏は先に角界を去ってから、かなり忙しかったことを考えると、結局は貴乃花は孤独に自分を見つめ、自分と戦う時間が長く、そして色濃く続いたのだろうな、と思います。だから、初場所はそういう意味で、私は彼が「早く開放されて欲しい」と願って見ておりました。力士は昔から「神の使い」とされてきました。だけど、彼(貴乃花)の立場は「最上級の神の使い」かもしれないけれど、中身は同じ人間なのです。それを思うと、貴乃花のこの力士生活15年間余りの時間の大半は、彼の出世が早かった分、まさしく「長い苦難の時代」だっただろうと思わざるを得ないのです。
February 18, 2003
今日はかなり元気な自分に戻って参りました。madoka0705さん、日記リンクしていただきありがとうございます。今、会社のPCから日記を書いております。それで、最近思うに、新聞、テレビなどのマスコミで、「うつ病」の話題はかなり目につくようになってきましたが、実態としては「うつ病」と、それに類似した「抑うつ症」とがあって、それぞれ対処法が異なること、また相談する相手も違うことについてはあまり触れられていません。朝日新聞土曜日のコラム『こころ元気ですか』は、精神科医の高橋祥友先生のコラムですが、先週(15日)は、私のような男性の「うつ病」について触れていた。「早い段階で専門の精神科医に相談することを考えていただきたい」というのが結び。これに限らず、メディアはいつも、同様の結び方をしており、読者で危機感を持つ人は精神科医を優先することになるでしょう。「うつ病」は、医療行為、つまり医師による薬剤投与が不可欠。ではカウンセリングによっても治癒可能である「抑うつ症」との見分けはどうなっているのか。今学んでいるカウンセラー養成機関でも以前質問したことがあるのですが、そのときは、「カウンセリングの結果『うつ病』と判明した場合は関係、コネクションのある精神科医に紹介(リファー)する、またその逆もありうる」とのことでした。でも、はじめから医師ではないカウンセラーに相談に赴くケースはどの程度あるのか、というと、たぶん日本の場合、欧米と比較してはるかに少ないといわざるを得ないでしょうね。カウンセリングに対しての社会的認知度は、日本では残念ながらまだまだ低いと思います。また、医療とカウンセリングとのカテゴライズの明確化が、仮になされているとしても、みんな知らない。一方で、精神的トラブル(「うつ」か「抑うつ」を問わず)の発生が増加していることは間違いない。その「受け皿」として、「まずは精神科医へ行こう」と皆思うようになることでしょう。それで、診断の結果、「抑うつ」と判明した場合、精神科医からカウンセラーに「リファー」されるケース、というか実態がよくわからない。別に「食いっぱぐれるのが怖い」とかそういう意味ではなくて、精神科医が、「抑うつ」も「うつ」と診断して同じ処方をしていないか、というと、それは私にもよくわからないです。日本に「臨床経験豊富な心理カウンセラー」がまだ数少ない、という背景があるのかもしれませんし、精神科医(もしくは心療内科など)の中で、カウンセリングも兼ねてやっている方もおられるだろうから、専門のカウンセラーのほうの普及が遅れているような気がしてならないのでもあります。再度機会を設けて、現在通う学校でもそれは確認してみたいと思います。
February 17, 2003
凹んだ気持ちが元に戻るまで、こんなに時間を食うとは思いませんでした。けど、少しずつですけど、自分の内面にある問題点と向き合う気持ちになってきたかもしれない。もう少し時間が欲しいかもしれないけど、できるかもしれない。今日もう1日だけ、執行猶予をもらおう。カウンセリングだけで「うつ病」を改善することは、やはりできないというのを認識した。もしそれをやるとしたら、クライエントはおろかカウンセラーもものすごい苦しみを味わうことになる。(私は、うつ病の相談は今回カウンセラーさんに対してしてないけれど、たぶん出口が見えない結果になるに違いない)だけど、「抑うつ症」の場合はカウンセラーの力を得て治癒できるという。自分は「抑うつ症」ではないから、どうやってそれを改善していくのかについて、とても興味はある。
February 16, 2003
1日じっとおとなしくしてたら、今日は午前中でなんとか「動く気力」が出てきた。少し復活とみてもいいかなあ・・・?それにしても、せっかくポジティヴな方向を向きつつあったのだけれど、一瞬「ふりだしに戻る」になりかけたのはあぶないところでござった。体験したカウンセリングの内容に「うつ」のことは含めなかった。だけど、カウンセリングで何を解決したいのか、自分でもよく見えなくなってきた。たぶん、次回は論点が別の形になってるかもしれません。だけど、こんなワケわかんないみたいな相談に、ちゃんと一緒になって問題に向き合ってくれたセラピストさん、ありがとうございます。てゆーか自分もそういうふうに、「まずは相談者に対峙できる」ようになりたいと思ったりします。その前に、頭が活力復活しないと・・・。
February 15, 2003
自分なりに「元気になった」と過剰に意識していろいろチャレンジしてみた結果、脳が疲労状態。何もできない。日記はお休みいたします。m(_ _)m仕事のほうも今日は放棄してしまった。1日じっとしてれば元気を取り戻せると思うけど・・・。
February 14, 2003
一昨年春に「うつ病」と診断され、以後現在にいたるまで「抗うつ剤」なるものを日々服用しています。ようやく最近、改善の兆しが見えはじめ、何かに挑戦してみる「意欲」が湧いてきた、という感じです。きっかけ(につながる要因)は身内の不幸その他いろいろあったと思うのですが、仕事でのトラブルでの蓄積が大きかったように思います。医師は「3ヶ月は仕事を休め」といいました。だけど、現実問題そんなことが許される環境なんてありっこない。「それならやめちまえ!」と云われるに決まっている。2週間ほど自宅にこもったあと、会社へ出ていく結果に。暫時、仕事の負担を軽くしてもらっていたけれど、それほど悠長に構えていられる環境ではなかった。会社の面子で「うつ病」について正しく理解している者も殆どいないに等しい状況でもありました。「気合が足りないからだ」「怠け病」などと周りからいわれ続けました。そんな環境に身をおいて、いくら薬を服用したとしてもそれが改善されるわけがない。仕事をやめるにしたところで、やめるのにはそれ相応のエネルギーが必要。そんなパワーは当時の自分にはなかった。かつての自分からは信じられないほど「やる気が湧かない」「気迫がない」「やるべきことがノロい」・・・。皮肉にも、別の病気で倒れ、入院することになったのが昨年の11月でした。その間、「この際だから会社のことは忘れて入院治癒に専念しよう」と割り切りました。だってジタバタしてもどうしょうもないですから(笑)。この間の、ある意味「休息」が、どうやら効果的だったようで、発病前の元気が、少しずつですが戻りつつある状態です。人知れず「うつ」に悩む人は自分ばかりではないでしょう。もっと深刻な状況で、本当に真剣に「死」を選ぼうとしてしまう人もいるかもしれない。自分は、そんな人の状況を「理解してあげられる」者になりたい。今学んでいる心理の勉強の課程で「うつ病」と「抑うつ症」という、似て非なるものがあることを知りました。私は、医師ではないから「うつ病」は直せないし、「抑うつ症」も「直してあげる」ことはできないでしょう。だけど、彼らが「改善していくためのお手伝い」はできるかもしれない。そんな存在になりたい。…そのためにまだ学ばなければならないことはたくさんたくさんあります。
February 13, 2003
今朝の日経産業新聞の記事より(なんか最近情報源に偏りあり)。伊藤忠商事グループの人材紹介・派遣会社、キャプラン(東京・港)は3月、企業の採用・研修向けにインターネットを使った人材評価サービスを始める。(中略)顧客は各社ごとの専用サイトで利用する試験を設定。受験者は交付されたIDとパスワードでサイトに接続、決められた期間内に試験を受ける仕組み。回答は自動的に分析され、顧客はネット上で評価結果を閲覧できるほか、自社のコンピュータに情報を落とし込むことができる。ネットで提供するのは、心理学者などと開発した適性や行動様式判定のほか、学力や英語力、市場価値判定などの試験。行動様式では、平常時に加えストレス時の対応を「競争志向」「融和志向」などの4類型に分類してグラフで表示、長所短所などの分析結果を文字情報で提供する。(後略)要するに、会社の労務管理とか人材の育成管理に、インターネットを用いたASPサービスを当てはめるサービス、というわけだ。以前、どこの会社か忘れたけど、やはり新入社員研修向けに「営業などの仕事に必要な精神力を育成するソフト」を開発したという会社の記事が某新聞に載っていた。そこではストレスなどによる「うつ」だったか「抑うつ」を防止するための思考のトレーニングみたいなコンテンツが盛り込まれていたようなのを読んだ記憶があったなー。自分がストレスを受けやすい性質の人間なので、話題に対しては興味は高い。だけど、これらの商品、サービスに対して肯定的な目で見ることができない(あからさまに否定もできないけれど)。まず「機械に養われる」「機械に精神を鍛えられる」というのに抵抗がある。でもヒトそれぞれの悩みはPCのソフトで改善できるかぁー??できたらすごいことであるというか、できないと思うけど、どうなのだろうか。少なくとも、今日の記事に紹介されているのは、「会社でのこと」に対しての管理であり、人生は会社オンリーでなく、ストレス要因はその外部にもあることは周知の事実なのである。それと会社の中でのことが組み合わさって、フクザツな悩み苦しみになるのではないのか。紹介されている「人材評価サービス」は、新たな試みとしては非常に評価したいと思うが、自分が会社の所有者であったり人事部長であったりした場合は、ちょっとサービスの「お試し期間」を要求したくなってしまうところである。
February 12, 2003
はじめて、フットサルなるものにチャレンジ。ぜんぜんボールが足についていかない。そもそも子どもの頃からリフティングも満足にできなかった自分だけれど、4試合こなしたうち、初戦で反撃のノロシとなる1ゴール決めたので、まあまあ満足でございます。今日はそういうわけで全身に疲労が溜まっているので、明日に障ってはタイヘン(なんせキーを打つのも辛い)なのでこのへんにて。でも、疲労を除けば楽しい時間(3時間もだけど!!)でございました。
February 11, 2003
某コミック誌で、『新・野球狂の詩』というのが連載されている。原作はいわずとしれた水島新司大先生(?)であります。これ、結構子どもの頃読んでたマンガなんだけど、ビミョーに各登場人物ともに歳を重ねている。てゆーか、水原勇気と岩田鉄五郎がいまだに試合で登板してるではないの!ちょっとやりすぎである。おそらく、水島先生は、同じくいまだ現役の『あぶさん』もそうだけど、岩田とか水原と自分を重ね合わせているに違いない。去年なんて、松井相手に140km/hのストレート投げてんだぜ>岩田鉄五郎。かたや『あぶさん』じゃあ、景浦安武と息子の景虎(近鉄・投手)を激突させてるし、また『ドカベン・プロ野球編』じゃあ、山田太郎たちの同期だけでオールスター戦を独占させたりとかね(笑)。…といちゃもんつけつつ、しっかりチェックしてしまう僕は、たぶん水島新司の世界が好きなんだろうと思う。「できれば風化して欲しくない…」みたいな気持ちが、心のどこかにあるのかも。だけど、客観的評価を述べさせてもらえば、「そこまで引っ張るのはおかしい」。だって、70過ぎで松井に対決できるわけがない。岩田と水原(たぶん50近く)と景浦(50代後半)はさっさとマスターズリーグに行くべし(笑)。いやならゲームをひとりで作って遊ぶか、新しいヒーローのマンガを描くかどっちかにしなさい。でも未だに神宮外苑の野球場で草野球やってるというのはエラいですけどね。夢と現実をごっちゃにしちゃあいけません。
February 10, 2003
僕たちの「ベアーズ」が、同じく横浜周辺のほかの4チームとリーグ戦をやることになりました。今年の4月から夏、秋にかけて、各チーム4試合ずつの組み合わせが決定したわけで。最低4試合と、その順位にあわせて、最後にトーナメント形式の試合をドドンとやって、打ち上げ。なんだか、ウマヘタなチームが揃っているらしいので、どこが強いのか皆目見当もつかないけれど、人数だけならベアーズにかなうチームはありません。なんてったって、全国津々浦々から50人弱でございます。まあ、優勝できればもちろん嬉しいですけど、それだけ野球に夢中になる時間が作れるというのがなにより嬉しい。草野球は、今の自分にとって物凄く大切なもの。なんつーか今まで「きっかけ」がなかったもので、できるようになった反動が思いっきりでている。ちなみにベアーズ発足の一番はじめのきっかけは、僕が「いいだしっぺ」さんに、「オールド・ルーキー」の原作本を紹介したことからはじまったのですね。その証拠として、はじめこの「いいだしっぺ」さんは、チーム名をベアーズじゃなくて「デビルレイズ」にしようとしてた、という裏話もあるのです。まあほかにもきっかけはあるのですけれど、それだけ、この「いいだしっぺ」さんの琴線を、「オールド・ルーキー」が刺激したわけで。この話が映画になっちゃってるっていうのだから、面白いねえ。一人ウケだけど、本当に面白い。>この展開
February 9, 2003
かつて、「前々から気合を入れて準備していたスポーツイベント」と、仕事の佳境が不思議と時期的に重なってしまうことが多いのです。それで、仕事の結果が悪くて凹むのと、スポーツで燃え尽きてしまうのと、「自覚症状」というか原因がどっちかわからないまま「うつ状態」っぽかったり「抑うつ」っぽかったりしたことが・・・。よくわからないのでございます(読んでる方もよくわからなかったりして・・・)。
February 8, 2003
立ち上げからこのかた、知らず知らずのうちに10日も経ってしまったでございます。この際なので、オープンなホームページにして、皆様のご来訪および足跡残しをお待ち申し上げたいと思いますので、どうぞお気軽に、掲示板に書き込んでって下さい。ってゆーか、自分から皆様のところへ書き込んでったほうがいいみたいですね…。それはそうと、ここのところ時間の経過がオソロシく速い。もうすぐ、我がベアーズの合同練習が始まる。こっちも、あと10日余り。昨年暮れから、右腕が不調である。すんごく不安である。シャドウピッチングなどしてみるけれど、なんだか感覚がない。素振りをしても同じ。ときどき脱力感が右肩にある。ハンドグリップ(握力強化器具)がときどき握れないときがある。不安だらけ。気分は、初場所の貴乃花状態です。たぶん結果も同様でしょう。まあそんなにハリキリテンションの年頃でもないのだから、少しずついくしかないですね。気持ちはもう「芝生のグラウンドの上」なんだけどね(笑)。
February 7, 2003
約束どおり、おとといの「カウンセリング実習」のふりかえりをば。対話の内容は省略させていただきます。要は、頭が「マニュアル依存型」になってしまい、コチンコチンに固まってしまって、対話全体を通じて、そこから出られなくなってしまっていたのでありました。それまで目を通しつづけてきたテキストであったり、レクチャーで教わったキーワード。これらを、きちんと頭の引き出しに入れておいて、適宜アウトプットできるようならまだ救いがあったのだけれど、その「引き出し」の中がシッシャカメッチャカになっているのが現在の私の脳みその中身の状態。要するに、「アドリブとか『遊び』ができない」ガチガチ状態。※ 同じ学校の方以外の方のために補足しますと、「カウンセリング」で、相談を受けた場合の話を聞く「聞き方」、話題の展開、対応の方法などをレクチャーで教わって、それを「実際に各自受講生同士でやってみよう」という実習を現在やっているのです。もともとアドリブは得意じゃないのに加え、さらに教わったノウハウを「記憶にインプットしきれてない」状態。……ということを、逆に意識しすぎてしまったのですね。あと付け加えるならば、それでもなお「ちゃんと対応しなくちゃ」という意識過剰で力みすぎてしまった、というのもあるし、一方で、「練習なんだから…」という甘えが全くなかったか、というとそれも確かにあった。というわけで、自分の「本番のプレッシャーへの弱さ」を露呈してしまった。あまりこんなことばっかり書いてると「露悪癖」みたいなのでこれぐらいにしておきます。ヘコみつつ、MSNのニュースを読んでいたら、中島らもが麻薬所持でタイホされてしまったとか。で、今教わっている精神的な話に結びつけてみると、彼は「そううつ病」を病んでおり、アルコール依存症でもある。ドラッグ関係に対しても、合法ドラッグなるものには肯定的な文章をしたためたり、暗に「マリファナだって大丈夫な国もある、タバコよりよほど害はない」といったことも書いていた。こういう人が著名人になって人目につく存在になってくると、どうしてもストレスやプレッシャーが募って、こういうものに依存してしまいがちになるのだろうか。太宰治の『人間失格』は、著者の自叙伝的小説だけれど、その本人を投影した「主人公」の大庭葉蔵もまた、晩年は過度のアルコール中毒と薬物中毒に冒された。「自分はことしで27歳になります。白髪も増えて、人からは70過ぎのおじいさんのようにいわれます。」といったような言葉で締めくくられているこの小説。小此木啓吾著『甘えの構造』(だったかな)では、太宰のこの作品に対し「作中で自己を正当化している」といったことを論じていたなー。今の学校に入ってから「師匠」に進められて読んでいる小此木氏の著書には、中毒ではないけれど、いろんな「困った人」が出てきて、「自分にあてはまる部分」も決して少なくない。逆にいえば、自分の中の「困ったところ」はそれなりにいろいろあるわけで、これを足し算して「自分はものすごく困ったヤツだ」とは思わないようにしようと思う。また、これに似たタイプの人がいても「コイツはあのタイプだ」などと、色眼鏡で見るのはやめようと思う。これらの各種の「困ったタイプ」は、自分も含め、社会全体にごく自然に存在しうる人たちばかりだと思うからだ。これから、今の失敗をバネに、ついに晴れてカウンセラーになったあかつきには、「自分はこういう困ったところがありまして…」と相談されても、「ああ、私もそういうところはありますよ」と、口には出さなくとも、「大丈夫」と受け止められるようになりたい。…のだけれど、今のところ、その域には到底達していないな(トホホ)。
February 6, 2003
昨日の反省については明日に順延。わたしはモラトリアム人間か、はたまたシゾイド人間か。小此木先生は「両方だ」というに違いない。それはおいといてー。(- -)//おとといの日記で書いた「いくつかのTV局に宛てて送ってみた」というメールはどんな内容かというのを、カミングアウトします。ご感想、ご意見、ご指摘、ご批判、お叱りのコメント等ございましたら承りますので書き込んでってください。さらに、「こういうドラマをつくるのにはこういう手順が必要なんだよ」などといった寛大なご指導をいただける方、大歓迎でございます。<<メールの内容>>はじめまして。私は、東京都に住む会社員です。御局の各番組、いつも楽しく拝見させていただいております。メールにていきなり突拍子もないご相談で恐縮です。先日、友人との雑談の中で、ふとしたきっかけで盛り上がった会話がありまして、その「実現性」や、仮に実現させるにはどうしたらよいか、などということを伺いたいと思いお便り申し上げた次第です。私たちは「大川興業」さんの江頭2:50さんのファンです。彼の、荒唐無稽ともいうべきパフォーマンスにはいつも驚かされ、笑い転げておりますが、その演技といいますか、芸に対する真摯な姿勢には頭が下がる思いでおります。そこで、「彼を主人公にしたドラマを見たい」という話になりました。友人との会話の中で持ち上がったストーリーはおよそ以下のようなものです。* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 『ストーカー冤罪(仮題)』主人公A(江頭)は、昔から不器用ゆえの不遇な青春を送ってきた。たとえば、高校時代に悪友に誘われ、本人の意志とは裏腹に万引きに加担し、共犯者として補導され停学となったり、その後、これまた自分の意志とは関係なく、仲間がやる「親父狩り」のメンバーに加わっていたのを取り押さえられたり。それらが積もり積もってとうとう学校を退学処分となる。自暴自棄となったAは、街なかでケンカ騒ぎを起こして逮捕され、少年院送りとなってしまう。社会復帰の後も彼への風当たりは強く、いろんなアルバイトを転々とするが常に色眼鏡で見られ、長続きしない。今はとある町の精肉店で働いている。そんなAに対して、「ストーカー疑惑」が持ち上がった。「同じ男性に帰り道につきまとわれ、襲われそうな危機感に弱っている」というストーカー被害に悩む女性B子。彼女は、日頃よく見かけるAを「見かけだけで」ストーカーと決めつけ、真っ先に白羽の矢を向けた。かくして、「被害」を訴えるB子が依頼した探偵Cが、たまたま彼女の家の近所を通りかかったAを取り押さえ、詰問する。けれど、本人には全く身に覚えのないことであるし、たまたま家が近所にあったり、偶然何度かすれ違ったりしていただけ。Aは無実を主張するが、探偵Cは疑惑の目をゆるめず、逆に彼を恫喝して開放する。Aはしばし失望するが、やがて自ら疑惑を晴らすべく、「真犯人探し」をはじめることにした。そしてついに、B子をストーキングしている「真犯人」の正体をつきとめる。一方、Aを恫喝した探偵Cは、Aの保護司だったDと出会う。Aが一番信頼し、保護観察後もなお、よき相談相手でもあったDは、Aの「やり場のない怒り」による相談を受け、彼の無実を晴らすため立ち上がったのだ。DはAに「自分がお前の潔白を証明するからそれまでおとなしくしていろ」と説得する。Aはその場で首を縦に振るのだが、すでに頭の中は「犯人探し」で頭がいっぱいだったのだ。かくして保護司のDからの訴えに動かされ、警察の協力も得て、改めてAの働く精肉店に調査の足を向けた探偵Cは、職場でのAの真面目な勤務態度や、過去の「過ち」を真摯に反省し、償おうとしていること、さらに被害女性B子の証言(被害日時の状況その他)の矛盾から、Aのアリバイ、無実を確認し、自らの浅はかさを深く反省する。そして、それをB子に伝えようと彼女に連絡をとり、自宅へ向かおうとしていたちょうどそのとき、事件は起きた…。「真のストーカー」がB子に襲いかかる。ストーカーの正体はB子と同じ職場の同僚の男、Eだった。そこへ割り込んできたのが、Eを尾行してきたA。B子を守るために素手でなりふり構わずEに組み付き、B子に逃げるよう促す。悲鳴をあげながら逃げ出すB子。そこへ刑事とともに探偵C、保護司Dが駆けつける。だが…。Aは、もみ合いの中で、Eが持っていたナイフで左胸を突かれて死んでいた。Eはその場で殺人とストーカー容疑の現行犯で刑事に取り押さえられる。「あの人は、私を守ってくれたんです」と嗚咽交じりに話すB子。だが、なにもかも遅すぎた。横たわるAの表情は、勘違いによるストーカーのレッテルを外してもらえた安堵の顔になっていた。 <完>* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * …とまあ、ざっとこんなストーリーなのですが、いかがでしょうか?おそらく単発の1~2時間ドラマ程度の長さになろうかと思います。ご検討に値する内容でしょうか?このような話を具現化するにあたって、TV局様の番組制作まで至るには、どのような手順を踏めばよいのか、視聴者である私どもには皆目見当がつかず、とりあえず、御局へご相談する次第です。(以下略)……と、こんな感じで送ってみたわけですけど、未だレスは来ません。当たり前といっちゃあ当たり前か。スポンサーつきとか、超有名プロデューサーとか監督さんとのコネでもないと、一介の視聴者の声なんて届かないんでしょうねえ。他の、とある若い衆に読んでもらったところ、「主役がエガちゃんというのはちょっと…」という感想を貰いました。だけど自分的には「江頭だからこそ演じられる役どころ!」と思ったのですがいかがでしょうか? 今回は「ドラマ化」を見据えてのアイディアだけど、ちゃんとした小説とかシナリオ仕立てにして、別の方法で売り込んでみたほうがよいのかなあ。それ相応の時間はかかりそうであるヨ。自分の中でもまだプライオリティ低いし。ちなみに、私の夢は「○○メンタルクリニック」経営のかたわら、子どもから大人まで、幅広い年代層の心を癒す童話作家になるということでございます。これ、明らかに「童話」じゃないわな(笑)。
February 5, 2003
タイトルとは無関係に前置き。日経新聞のスポーツ欄(なぜかこんな新聞でもスポーツ欄は読むのだ)で、柔道の元日本代表の植村コーチ(だったかな)の書いたコラムがあった。彼いわく、「世界の柔道が変わりつつあり、大型化も進む中で、日本の柔道もそれに合わせていくべきではないかと、目からウロコの落ちる思いだった」云々かんぬん。ロシアには「サンボ」なる格闘技があって、寝技中心。また、レスリングの影響からか、柔道の決まり手のひとつである「もろ手刈り」なる、両足をとるタックルのような技を仕掛ける選手が多い。日本選手も、これに対応できないと、世界を制するのは困難な時代になってきている、といったようなこと。うーん・・・。私が思うに、柔道は柔道のあるべき形というか姿があると思うのだ。勝敗優先の、邪道ともいうべきレスリングまがいの柔道は、個人的な好みをいわせてもらうと「嫌い」である。寝技はともかく、柔道の立ち技は「背負い」「内股」「払い腰」「袖釣り込み腰」「支え釣り込み足」であるべきだ。相撲の国際化への心配、プロレスが総合格闘技に人気を奪われることへの心配などなど、多々不安材料がある中で、いきなりはっきりとした自分の考えを見つけ出させてもらったのは、はからずも柔道であった(なんかヘンな言葉遣いだな)。我々の知っている柔道の型に当てはまらないものは「レスリング」など、他の種目にはっきりカテゴライズすべきだ。でもって、「サンボ」なんかも正式なオリンピック種目にして、そっちに適した人材を育成して欲しい。なぜかこれに限っては、目が保守的になってしまっているのが我ながら不思議である。前置きが長くなってしまった。今日の「カウンセリング実習」。今回はセラピスト役としての実習だった。またまた自分としては「大失敗」。自分を見失い、それを取り戻そうと焦るばかりで、クライエント役の方の相談に対して、きちんと答えを導き出す以前に、話を整理したり、フォローをするゆとりさえなくなっていった。嗚呼サイテーです。今週も、お相手の方、ホントーにふがいなくてごめんなさい。m(_ _)m ホントのカウンセリングだったら、きっと絶望させていたことでしょう。せめてギャグのひとつも出す余裕があれば双方リラックスできたのでしょうね・・・。後ろを振り返るばかりではイカンので、とりあえず寝てしまって、また明日続きの反省を。それではお休みなさい・・・(--)。。○ZZZ
February 4, 2003
某サイト(ここではない)で、ネット会話していた話が盛り上がって、「ドラマを企画しよう!」という話にまで発展した。このいきさつが奇妙奇天烈である。そもそも、この某サイトで、会員が自由に作れるアンケート機能があるのだけれど、その中に「究極の選択」アンケートなるものがあって、「会社の同僚として、R.OさんとE.Nさんのどっちがいい?」というものだった。これがまた、この手のアンケートの中でもまれに見る「激戦」となっていたのだ。どっちも、いわゆる「汚れ」的芸人というか、まあ少なくとも「女性が選ぶ・抱かれたくない芸能人ベスト10」の上位にランクインされている(と思われる)2人。このうちE.Nへの投票がことのほか多かったのだ。ある日、このアンケートを作った人から「名刺」(コミュニティサイトの会員同士のメールみたいなもの)がきて、このE.Nの話で盛り上がっているうちに、「じゃあE.Nを主役にしたドラマ構想を考えてみたから意見を聞かせて」と、その人が云ったのだ。で、面白そうだったので、「企画してみれば」「よーし」みたいな話になった。だけど、ドラマとか映像作品って、どういう仕組みで作られているのか、業界のことにさっぱり疎い私は、あろうことか某全国ネット局にメールでこの構想を投げてしまったのだ。ちと無謀であったか。だけどやってみないと、どういうものなのかはわからない。ついでにE.Nの所属するO興業のHPのゲストブックにも同じ趣旨を書き込んだ。果たしてどんな反応がくるのか、または無視されるのか。でも、ケチョンケチョンでもいいのだ。まだ他のアプローチ方法は考え中だから。だけど、話がノリノリになってしまった場合は、「ミイラ取りがミイラになる」ということにもならないとはいいきれない(笑)。その第一弾が、僕らの「ベアーズ」だったりするわけで(笑)。それにしても、この不景気の時代に、ただの一銭の得にもならない話でこれだけ盛り上がるっていうのも面白いよなー。インターネット特有の『ヴァーチャル性』ゆえの妄想が勇気を呼ぶのかなあ。なにはともあれ、面白い数日間だった。
February 3, 2003
NASAスペースシャトル・コロンビア号墜落。これは全世界に衝撃を与えているとともに、アメリカに暗い影をもたらすニュースでもあった。くしくも、これより少し時をさかのぼって、昨年暮れに、日本の宇宙開発事業団が、H2ロケットの打ち上げに成功した。宇宙への夢というのは、まだ自分にとっても未知の領域であるので、以下に述べることは事実として正しくないのかもしれないことをご了承願いたい。NASAの今回のスペースシャトルの乗組員7名の生存の可能性は、おそらくゼロ%だろう。遺族の想いたるやいかなるものか。だが、本人たちは、常にこのようなリスクに対する自分へ問いかけ、葛藤と闘い続けてきた筈である。つまり「宇宙で死ぬことへの覚悟ができている」ということだ。それができていない者は乗組員としてはおろか、NASAに足を踏み入れることもできない。こんなことを考えたのは、これも偶然、現在の朝ドラ『満天(まんてん)』をときどき見て、宇宙への想いを自分なりにはせていた、ということもある。それも、以前より強く。このドラマ、ヒロインの「満天」が、女性宇宙飛行士を夢見て奮闘する姿を描いたものだが、NHKや宇宙開発事業団の協力などによって、過去から現在にいたるまでの宇宙への挑戦の経緯を、わかりやすく視聴者に説明してくれており、ストーリーはともかく、夢を感じさせてくれるドラマなのでなかなか気に入っている。日本人初の宇宙飛行士の毛利衛さんも特別出演してるし。例のごとく、地元の人には「ニセ方言」への批判が強いようではあるけれど。これまでの打ち上げで、日本人数名がスペースシャトルの乗組員として宇宙を体験している。それは凄いことであると漠然と思ってはいたけれど、より現実味を感じさせてくれているのは、このドラマがあるからに他ならない。<ミーハーだなあ・・・いらぬ心配かもしれないのだけれど、今回の事故によって、このドラマに対する影響が心配ではある。NASAからのなんらかの規制がNHKに対してあるかもしれない、ということもあるし、宇宙への挑戦に対して、やはり恐怖を抱く視聴者がいるだろうからだ。私の記憶が正しければ、以前、発射後間もなく爆発し打ち上げに失敗したスペースシャトルの名前もやはり「コロンビア」だったような気がする・・・。
February 2, 2003
そんな大袈裟なテーマではないけれど、最近、ここのHPに限らずインターネットとかメールをよく使う。個人的には、「文字によるメッセージ伝達」の限界を感じはじめている今日この頃でありますが、皆様はどうでしょうか。「一番良いのは、直接会うことです。その次に良いのは、電話です」とかなんとかいったようなCMが、かつてNTTにあったように記憶している。「メール」とか「BBS」は、その次にランクされるべきものだろう。昔は、「手紙」とか「電報」というのも重要な通信ツールであったけれど、これらは今や年賀状、暑中見舞いといった「季節モノ」であったりとか、またはオフィシャルな場面での、法律にのっとった書類であったりとかDMであったりとか、そういう手続き的なもの、という印象が強い。これらも今やペーパーレス化が進んでいるから、そのうち殆どなくなってしまう可能性もなきにしもあらず。うーん、どうも話がすぐ横道にそれてしまうので元にもどしましょう。メールとかBBSでの会話って、それなりに意志伝達につながる場合もあるけれど、電話や直接合って会話する場合と比較すれば、意志伝達力は甚だ弱いと思う。にもかかわらず、これらの「会話ツール」は利用がどんどん伸びている。統計的にも、個人的にも。なぜか??これは「いつでもどこからでも情報を伝えられる」こと、このメリットが甚大であるということの証明であろう。このメリットを生かせるのならば、この傾向はよいことだと思う。だけど、最近よくわからない現象がこれに付帯してきているように思う。さっき云った「メールのデメリット」である「意志伝達力の弱さ」を逆手にとって(なのかどうかわからないけど)、微妙なことを伝えてくる人々がいたりするのだ。とくに謎のセールス!!あと、会った当日はおとなしく本音をセーブしておいて、翌日思いっきり本音をぶつけてくる「メール逆上型タイプ」の人が周りに結構いたりする。たぶん書いてるうちに本人はノッてきてしまい、あれもこれも書き足していくうちに思い切り「おもいのたけ」をぶちまけてしまうのでしょう。これの落とし穴は、メールの受け手が、こういったメールの文言を真に受けて、「決裂」に結びついてしまうというリスクなのである。現に、そういうケースに去年は何度も出くわした。オフィシャルな場でも、プライベートな場でも。「なぜ会って話しあって意志の確認をしないのか」と聞きたくなってしまうところだが、そうした時間はロスだと考えてしまうようだ。私は彼らが会話による解決を面倒くさがっているように思えてならないのだけれど、お互い忙しい社会人なのだから仕方ない、と思うことにした。長くなってきたので、そろそろ結びに入りたい。今回、このHPの掲示板を、通っている学校のクラスメイトに開放しようと思い立った。理由は、上に述べたようなデメリットは承知の上で、「もっと皆と会話をしたい」という単純な理由にほかならない。学校は週1回、仕事のあとの夜2時間だけだ。レクチャーなり実習が終わったあとは、夜9時を回ってしまので、そのあとゆっくり話をする暇もない。質問とか相談をゆっくりしようにも、それは優先度が下がってしまうことなのである。また各自それぞれの生活もあるし翌日の仕事もある。学費は決して低廉ではない。それでコミュニケーションが不足してしまうのはあまりにも勿体無い。それを少しでも補えればと思った。次回の授業の際、このことを告知する予定。で、賛同が得られれば、その日からここのBBSは、私のいるクラスでの会話が中心になると思うので、他の皆様、どうがご理解のほどをお願いします。m(_ _)m
February 1, 2003
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