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昨日の熱海での講演会(鍼灸専門学校OB会のイベント)は、幹事の羽生さんたちの尽力の甲斐あって、なかなか有意義なものになったようだった。オブザーバーとして参加させてもらった僕らにとっても、参考になる話を聞けてよかったと思う。特に、午後の清水哲さんの話は、障害を負ってからの彼の人生そのものを、あまり飾ることなく話をしてくれたので、その気持ちは我々にもよく伝わった(と思う)。たぶん知ってる人も多いと思うけど一応説明すると、彼はPL学園野球部で、巨人の桑田、清原の1年先輩。大阪府在住。3年の春、夏の甲子園で準優勝したあと、進学した同志社大学野球部の公式試合中にクロスプレーで首を骨折し、以後前進麻痺状態に陥る、という絶望の淵から這い上がり、そのときに支えとなった桑田、清原との交流を、口にペンを加えてしたためた本がベストセラーになって、その他作詞、電動車椅子に乗っての各地での講演活動など、今もなお忙しい日々を送っているスーパーマンなのである。僕は、結構こういう有名な人と接触して普通に話すことが苦手である。だから、実際に清水哲さんを大阪から呼び寄せたり、コンタクトを取ってしまう羽生さんのことも凄いと思う。清水さんは、ベアーズのことも応援してくれている。まあそれはさておき、講演の話題で、社会復帰を果たした清水さんの日常の話になった。車椅子に乗って外に出ると、会う人の目線が凄く気になって当初は辛かったという。これは車椅子生活の人の多くから聞くコメントである。辛い話だけど、清水さんは飾ることなくストレートに話す人みたいなので、聞いていても違和感がなくて面白かった。○ 子どもが握手を求めてきた。それに応じてやったら子どもが云った。「これで何かご利益あるやろか?」 ないっちゅーねん。無邪気ゆえの心無い言葉。○ メシを食いにレストランに行ったら、1階が駐車場で、階段で2階の店に入るようになってる店。入り口にインターフォンがあって「車椅子の人はココを押してください」とある。押したら店長の声で「今降ります」。で、降りてきたあと、電動車椅子が重くて運べない。それやったらはじめから云え。○ グルメガイドブックで有名な串揚げの店があった。店へ行ったら案の定大行列で並ばされた。店の人に「あとどれぐらいかかりますか?」と聞いたら1時間ぐらいかかるとの返事。仕方なく待って、ようやく店に入ったら、車椅子の入る隙間のない店だった。はじめに云え。今住んでいる町は、それでも「比較的」バリアフリー化の進んでいるところであるらしい。だけど、まだまだ不満は多いという。障害者の立場に本当に立った、本当のバリアフリー社会というのは、いつまで経っても日本にはできてこないようだ。辛さがわからないからだ。「ココロのバリアフリー」ができていない、と清水さんはいう。正にそのとおりだと思う。車椅子の人に出会って、困っていたら、当たり前に助けるとか。白い杖をついて歩いている人が電車に乗ってくれば席をゆずるとか。下車時皆で安全を見守るとか。手話で話しかけられて対応できなかったら筆談で対応するとか。ちょっと気を配るだけで全然違ってくるはずだ。そんなこと当たり前にやればよい。まだまだあるだろう。それは直接障害を負う人たちに「あとどうしたいか」を問えばよい。それでもっと話し合えばよい。我々は、困ってしまうと逃避してしまう傾向がある。日本人は悪い意味でもシャイだと思う。それで、束になって、遠巻きでヒソヒソ陰口を叩く。自分の身内にも障害を負ってたり、車椅子生活を送っていた者がいたから、そういう目に遭ってる人の気持ちが少しからずわかる。うつ病もそういう憂き目を見る立場だったりする。清水さんが今いてくれて、あちこちで話をしてくれたりすることは、障害を背負う人たち、また将来そうなる可能性が全くないとはいえないすべての人々に、そして社会に警鐘を鳴らしてくれているのだ。話の結びもそんな感じになった。「わざわざ」「やってくれ」なくてもよい。普通に互いが不自由ないように振舞おうと思えば、やることは決まっている。自分だけエラソーにいうつもりはない。「これからもっとそうしよう」と思っていることを述べているだけだ。
June 30, 2003
そうだったそうだった。かねてから、ベアーズのまとめ役であり整体治療院を営むHさんから、整体鍼治療を学んだ学校の学友会主催のセミナーで、ジュビロ磐田のトレーナーと、PL学園OBの清水哲さんを招いていたのに呼ばれていたのだった。Hさんは、学友会の幹事だそうなので、これらの「有名人」とも積極的にアプローチをされ、今回のセミナーへ彼らを招いたらしい。そのエネルギーには頭が下がる。特に清水哲さんは、ベアーズ発足前後にいろいろコンタクトをとったりして、ベアーズを応援してくれている人なので、一度直接お目にかかりたいと思っていたので楽しみである。体調がもっとベターな状態だったらよかったのだが・・・。今日の臨床研究は「家族療法」についてだったので出たかったが、体調かんばしからず、やむなくお休み。外に出るのも辛い感じ。今日でなんとか「完治」して、明日は晴れやかな気持ちで熱海へ向かいたいと思う。・・・つーことで、机に向かっているのも疲れてきたのでこのへんで。元気が残ってたら夜またPCを開いたりすることにしよっと。
June 28, 2003
カメルーン代表MFのマルクビビアン・フォエ選手が、コンフェデレーションカップ準決勝のコロンビア戦、試合中にバッタリ倒れて、そのまま亡くなったらしい。28歳とまだ若い選手。急性心不全とかそんな感じだったか。季節柄、人が具合わるくなったり死んだりするのが多いのが6月のようである。ウチのバーちゃんの命日も6月16日。名古屋章さんも死んじゃったし。音楽界でいえばよしだたくろうもガンで元チェッカーズのタカモクちゃんもガン。急に暑くなったり、細菌なんかの繁殖が盛んになる頃、というのもあるだろうし、ハイビーさんが云ってたように雨の季節特有の心身をさいなむ状況、というのもあるかもしれない。フォエ選手にはつつしんで哀悼の意をささげたい。サッカー、日本が負けたとたんに最後の行く末への関心を失ったみたいだけど、カメルーンとフランスが決勝に進んだようですぜ。TVでちっともやってないじゃねーか!!代表だけ応援する人が増える原因作ってるのはやっぱりマスコミだな。サッカーそのものの面白さを全然伝えようとしてない。これではJリーグの楽しさもわからんちんが増えて当然だ。イケメンのベッカムとイルハンだけ追いかけるの?デルピエロはちょっと濃すぎる?うるせーんだよ!!日本代表は、宮本と柳沢追っかけてあとはほったらかし?ぶぶぶぶぁーーーかぁーかぁーおまえら!!(以下略)
June 27, 2003
昨日から風邪をひいて、油断してたら中耳炎になってしまった。鼓膜が化膿してしまってくしゃみや咳をしたら痛いの何のって。内科に行って、「こりゃ耳鼻科だろ」といわれて、だけど耳鼻科は今日は休み。別の近所の病院の耳鼻科に回されて、とりあえず膿を抜いてもらい、薬をもらって帰ってきたら午後2時。やむを得ないとはいっても、ちと仕事を休みまくり、薬飲みまくりの今日この頃。帰りの道すがら、妙なシチュエーションで意外な者に出会う。さかのぼること今から10年以上前に、親子連れで車道を横断する姿が可愛いというので話題になったカルガモ。首から上が緑色のマガモよりちょっと小さめ、ウズラのような模様のカモである。もちろん野生の鳥。飼育されてるのがアイガモというヤツで、これは田んぼで稲の雑草とか虫を食ってくれるので放し飼いにする「アイガモ農法」などというのが話題になったりしてる。あとは食用。コイツが、コンクリートに覆われた道路脇の小さい広場にいた。ちょっとアンバランスな風景。公園のベンチといえば、ドバトをイメージしがちだけれど、なぜかカルガモ。近寄っても逃げない。むしろこっちへ向かってくる。頭に手を伸ばしたらいきなり指に食いつこうとした。どうやら近所で餌付けをしている人がいて、その恩恵にあやかっているものと見える。デジカメなど持ってたら、写真とってこに貼り付けたいところだったけど、それはまたの機会にしようっと。こう見えても、以前「日本野鳥の会」機関紙のライター募集に応募して最終面接で落っこちた経験のある私は、鳥についてはちとばかり詳しい。バードウォッチングなんて大仰なものはしないけど、割合近場の水辺とか、緑に囲まれている公園なんかに行っても、意外と野鳥というのはいるものなのね。なんでかっていうと、鳥は空を飛べるから。極端な話、皇居のお堀にいる白鳥だって「野鳥」でしょ(あるいはわざわざ連れてきたのかな 知ってる人教えてください)?エサがあって、さほどの外敵がいないところならば、鳥は棲みつくことができる。逃げたインコが大量繁殖して野鳥の生態を侵食している話を聞いたことがあるけれど、あれとてそもそもは「野鳥」だったわけで、カゴに入れられてたのが逃げた結果、思いのほか生命力が強くて増えちゃった、というわけ。で、カルガモの話に戻ると、近くを見たら、何やら作り物の池とも川ともつかぬような、小さな「人造小川」があった。公園景観のために作られたものらしい。そういうところにも、コイツらの餌場はあるんだな。とりあえず平和でさえあれば。その他、都会に住む野鳥といえば、カラスはちと困り者だけど、近所にもっとちゃんとした1、2級河川があるので、水辺の鳥はよく見かける。カルガモもそうだけど、マガモ、カリガネ、キンクロハジロといったガン・カモ類、カワウ、ユリカモメ、ハクセキレイ、タマシギなどなど。あとこれは水辺の鳥ではないけど、アカゲラというキツツキの一種を早朝の公園で見つけた。顔は美川憲一ではなかった(笑)。こういう鳥たちが棲みやすい、汚れていない環境が作れたらよいけれど、とりあえず彼らにとって、ウチの近所は住み心地がよいらしい。けどあまり汚染された水で育った魚なんか食わないで欲しいもんだな。カタロニア民謡『鳥の歌』は、同地方出身の名指揮者パブロ・カザルスによる1971年の「国連デー演奏会」のアンコール曲として有名になったんだそうですね(ある人のウケウリなんですけどね)。「カタロニアの鳥は平和を求めて“peace!peace!”と鳴く」んだとさ。上手いこと云うものです。
June 26, 2003
どうも日が長くて、夜、仕事が終わってから通っている火曜夜の学校で会う人たちとの挨拶も、「こんばんは」というより「こんにちは」といったほうがよい感じになってきた。去年の11月頭に入学してから、早くも全課程の4分の3を過ぎて、卒業試験のことに頭を悩ませたり、その先セラピストとして生きていくためのことを考えたりする人が、自分も含めてだけど多くなってきた。スタート時点で「落馬」している自分は、仮に今回卒業試験をパスできないとしてもやむなし、通ればラッキー、ぐらいの感覚で当初はのんびり構えていたのだけれど、それなりにきちんと日常を送れるようになってきた現在にあってはそうもいっておられないわけで。クラスメイトで、予備校講師をやっておられるSさんが、「卒業試験向け問題集」を作ってくれた。ありがたい限りである。こういう好意にはしっかり応えて、合格したいと思うわけだけれど、それ以降のことが少々気になるところでもあり、というかかなり気になっているところである。なにしろカウンセリング経験がなさ過ぎる。日常生活の中でカウンセリングめいた会話をする機会を極力見つけて会話を試みるが、どうしても「自分の意見、主張」が会話の中に出てしまうことが多すぎる。意外と自分が「おしゃべり」なことに気づいたりもする。今日のスクーリングでは、クラスを担任するA先生がクラスメイトをカウンセリングするところを皆で輪になって見た。かなり重い話題で、最初セラピスト役の先生とクライエント役のクラスメイトの間に距離感を感じたけれど、さすがにプロである。距離を保ったまま、クライエントが話しやすい環境を、相手のペースに合わせつつ築いていく。それで話の本筋をそれないように、都度軌道修正する。見ていて「さすが」と思った。世の中いろんな人がいて、自分もそのうちの一人だけれど、いろんなペースとかセンスを持っていて、それが各自の個性となって会話の中で言語となって現れる。セラピストはそれを都度受け入れて尊重し、その上で目的=契約(コントラクト)を遂行する。ときには軌道修正が必要であり、それを見過ごしているわけにはいかない。自分には、その集中力や観察力が著しく不足していると感じる今日この頃。どう実践していけばよいのか、思案のしどころだし、そこで今まで得てきた知識にどう当てはめるかについても考える必要がある。とにかく、「クライエントの言葉を正確に受け止める」というところから、もう一度スタート地点を振り返って、会話をしてみたいと思っている。「スーパーヴィジョン」という、カウンセリングのやり方に対する個別クリニックも、できる限り数をこなしたい。まがりなりにもプロを目指す者としては、これは先達のアドヴァイスが必要不可欠なことと考えている。てーか、まあその前にまずは卒業かな。これは9月末に控えている。ぼちぼち勉強も本格的集中的にやらねば。。。
June 25, 2003
サッカー・コンフェデレーションズカップ予選。日本は、コロンビアと対戦し、0-1で惜しくも破れ、予選敗退に終わった。たぶん今日付けの夕刊紙と、明日のスポーツ新聞で、いろんな「酷評」と受け取れるようなコメントがあちこちの評論家から寄せられることだろう。前日までは、ニュージーランド戦快勝、2戦目のフランス戦の大善戦と、かなり高い評価を受けて「予選突破へ向けていざ!」みたいなことを、各TV局のキャスターとかスポーツコメンテーターが叫んでいたような気がする。それが一転して、180度逆のことを云われる選手達も辛かろう(というふうに見える)けど、これらを述べなければいけないマスコミもまた辛いだろうと思う。昨年のワールドカップまで指揮を執っていたトルシエと、新監督に就任したジーコのやり方は、また好対照であるらしい。その違いってのは、私は素人なのでよく知らないのだけれど、TVなんかで聞くところによれば、トルシエが、どちらかといえば「オレがこいつらを世界の檜舞台に連れていってやる」的な、親分肌というかワンマンというか、指導者主体のやり方をとっていたのに対して、ジーコは選手自身の考え、独創性などを重視し、自主性を重んじる方法をとっているという。お国柄なのかキャラクターなのかはよく知らないけど。それだけに、「敗戦」ときちんと向き合わせ、反省点や課題、また今回の「良かった点」や、伸ばすべき長所などもあわせて考えさせる、という作業を、ジーコはきっとやるはずである。その中で、今後に向けての改善・改良を経て、よりクリエイティヴで魅力的なサッカーをやっていく基礎を固めていく段階なのだと思う。コンフェデレーションカップに出られた背景に、「2年前のアジアカップ制覇が評価され、今回はアジアのレベルアップを世界に証明する」という目的があったことはわかる。だけど、今回はまだ新チームスタート間もない時期。トルシエジャパンの最初の年、アメリカ大陸のチャンピオンを決める大会(名前忘れた・恥)になぜか日本が出場して、やはり予選敗退したとき、「独裁者」トルシエは激怒し、名波ら「岡田ジャパン」代表や、日本サッカー協会との確執など、波紋を呼んだ。彼は結果を残した反面、徹底して自分のルールに選手達を従わせ、「トルシエの申し子」として鍛え上げた。その結果、好成績を残した一方で、スポーツジャーナリストからは代表に対して「トルシエのコピーロボットみたいで面白くない」との評価を得ていたのも事実である。選手時代「神様」と呼ばれたジーコは、これから4年間、代表選手たちをどのように育てていくのだろう。トルシエが「キャプテンシー」すらも奪って育てた「私の選手達」はW杯のベスト16に進んだ。一方、中田英をして「キャプテンシー」を与えたジーコジャパンはどうなるのだろう。。。というわけで、ジーコジャパンには、まだまだ2006年までの行く末が与えられているのだ。マスコミには、代表が「勝った負けた」の結果だけで「凄い」だの「ダメだ」だのと烙印押すのは卒業すべし。またいちいちジーコの去就とか、そういう話まで持ち上げるのはどうかやめて欲しい。そういう軽薄さがサッカー界に対する視聴者をシラけさせることにそろそろ気づいたほうがよい(注:あくまで気づいてない方々へ)。サッカーファン、もしくはそれほどでもなくても今回の中継に興味を持って早朝からTVを見ていた視聴者の目は、そんなことで左右されないほど肥えていると思うぞ。そんなことをやるよりいっそ、代表とともに「負け」を味わい、その中身に向き合えるような演出にしていったほうがいい。そのほうが納得できるというものだ。「よくやったぞニッポン!」(byカビラ兄弟)みたいなのだけでも不満。もうちょい濃いーのがいいね。セリエAに行ってる選手が多いだけに、エスプレッソみたいなのがいい。あと、ベッカムに「様」をつけるのもいい加減やめとけっての。そんならザビエル頭の「ジダン様」のほうがよほど神々しいだろうがよ(笑)。ちなみにドイツ代表だったヤンカーは「男はつらいよ」の「御前様」に似ていた(爆)。
June 23, 2003
おそろしい夢を見た(べつに夏目漱石の『夢十夜』のパクリではありません)。近所に住んでて夜な夜な花火とか爆竹で遊んでメイワクかけてる悪ガキども(実在)が、突如殺人鬼となって通りすがりのサラリーマンやOLを、刃物やピストルで次々と殺戮するギャング団になって、街中を破壊しはじめるのだ。なんだかしらないけど、自分の友達とか知人が何人か殺されてて、タイヘンなことになってしまっているのであるのに、なぜか警察は犯人タイホとかそういうのを一切しようとしないのだ。そんでもって、夢というのは、えてして自分にとって都合の悪い展開へ流れていくもので、ご近所さんが、「ねえchang-weiさん、アンタ心理学勉強してるでしょ、あのコたちを説得してくれないかしら」とかいうことになってしまうのである。けど、いきなり無造作にそういうセッショー沙汰に関わるわけにもいかないから、警察に駆け込んで彼らと接触してくれるよう話したのだが、「いや、警察は事件現場を目撃したときはじめて動きます。証拠不十分で彼らと接触することはできない」とかなんとか理由をつけて相手にしてくれないのだ。夢の中でも警察はムカつく存在なのだ(プンプン)。「・・・んで、あの、えと」と私は云った。「今夜その少年たちと話をしようと試みる予定になってるのですけど、コワいから刑事さんについてきて欲しいのですが」「いやいや、それにはおよびません」と、蟹江敬三に似た刑事が云った。「話し合いの結果を報告してくれればそれで結構ですから」(って、何が「それにはおよびません」なのだ!? だけど夢だからしようがないのだ)というわけで、いよいよこの悪ガキどもの溜まり場に、一人で足を運ぶことになってしまったのだ(なんでそーなるのかわからないけど)。・・・とまあ、大体そういうところで夢は終わり。これが“to be contineued”とかそういう具合にならないことを祈るばかりである。
June 22, 2003
今日、我が「学びの舎」を主管するNPO法人が、東京都認定のNPOだったのが、内閣府認定のNPOになる運びとなったと、総会で発表された。4月、東北の盛岡に新しくカウンセラー養成校ができたのと、東京都以外の地域での協会理事の活躍が認められてのことである。よくわからないが、なにはともあれ、これで全国区に昇格した、っつーことで、まあいいことなのかもしれない。とにかく、背景環境がどうあろうと、自分は頑張っていくのみだ。
June 21, 2003
吉岡美穂のナイスバディ。。。じゃなくってぇー(汗)。「死」とか「殺人」に対する価値観を、セラピストは「いけない」というふうに思っていてはダメだといわれた。これはこれまで抱き続けてきた価値観の崩壊だなや。こういう勉強してきた人たちはもう「そんなのあたり前じゃないか、何今頃云ってるんだ」とか云うかもしれないなあ。だけど、私は、まだこれについては消化不良の真っ最中である。意識の中に持っていることによって、クライエントに「転移」するんだという。だろーな。日本人同士のカウンセリングでこういう話してたら、たとえいかに話は上手くできたとしたって、しぐさとか空気で、「やっぱりアナタも口ではわかったようなことを云ってるけど、私のことをわかってくれないんだー、ちくしょー、死んでやるー」とかいう、火に油を注ぐ結果を生みそうな気がしてならない。あーどうしよう。。。(><)「自分の身を死に至らしめること」とか「人を殺すこと」って、「いちばんやってはいけないこと」だと、常にココロの底では抱いてやっていこうとしていた。これは教育とかの上でも一番大事なこととして自分の子孫にも伝えていこうとしていた。それもダメだとしたら、やっぱり、「死にたい」「殺したい」思いを、まっさらな気持ちで受けとめてあげることしかないのか。できるだろうか。今の自分にはできそうもない。
June 20, 2003
いざ、うつつの世界に戻ってみると、今週はなんだかいろいろまだまだ難局が続くのだ。週明け、いきなりおやぢさんは再び手術になった。とうとう人工肛門になってしまったのだ。そんでもって、やっとメシが食えるようになる、と安心してたら、今度はストレスで胃が出血してるという。こんなさー、ちょっと医者行くの嫌がってた年寄り一人、なんでこんなに運命の神様だかなんだか知らないけど、いぢめるかねー。んでもって、なかなか仕事にいけないもんだから、オイラも職場で少々居心地悪かったりして、看病に来てた妹がそのうちぐずぐず言い出して「自分は安住の地がない」だの云ってさ。勝手に青春しちゃって、暴走して駆け落ち結婚したあとマンション買ったりした分際でさ。よくいうよ(こういうこと云ってる自分の心理状態を「茶色のスタンプ集め」してる、っていうのかな。自分も切れちゃったりしないようにしないと・・・)。「どうしてもガマンできなかったら、相談に乗るから」って云ったものの、たぶんそんな機会もないだろ。そういうの慰めてたら、ゆううつな気持ちが感染っちゃって、少しばかりやる気なくなっちゃって、今日ようやく元気を取り戻したってわけさ。これでもだいぶ立ち直りは早くなってると思う。サボりたきゃ賃金大幅ダウンしない範囲でサボっていい、どうせ下がってるんだから。って自分に教えてから、すごくラクになった。よーするに、ココロのカラダも健康が一番!ってことですな(安易なオチ)。
June 19, 2003
スコア的に圧倒された今回のゲームでありましたが、終盤で一矢報いたベアーズ。その攻撃経過については、ちょっと「去年までの俺たちとはちと違うぜ」というところを見せたと思ったりしております。自分も絡んだイニングだけに、記憶も鮮明だったりするわけなので、せっかくなので再現してみます。-------------------------------------------------------------0-13で迎えた6回の裏、ベアーズの攻撃。先頭打者・NORIさん。これまで毎試合、三振の山を築いてきたのでそのピッチングがクローズアップされているのけれど、実は毎試合2安打ずつ打っている「安打製造機」でもある。右方向への流し打ちが上手い。元野球部だけどそんなことはおくびにも出さない謙虚な男。ピッチングで苦しみながらもきっちり打つし、ときには盗塁も狙う。前の打席では果敢に三盗を試みたが失敗。まずはこのNORIさんがこの日2本目の安打をセンター前へきれいにはじき返し、無死一塁。続く太一さん、けいじさんは、期待を抱かせながらも、途中交代した吉橋投手の速球とカーブをうまく織り交ぜた投球に、惜しくも三振。二死一塁。次打者は私めでございました。スタメンの翼君と交代してこれが初打席。(自分の打席だけちと長くなります 笑)これまで2試合無安打(つーか去年からずっと無安打 笑)。思い入れは強いが常に空回りしてきたわけで。ただ、今年から眼鏡をかけるようになって視力矯正されたからか、球に眼はついてきており、三振は減っている。初球は真ん中直球をファウル。「タイミング合ってるよ!」と、サモちゃんの声が聞こえる。2球目は外角の球(カーブ?)を空振り。まだカーブ打ちは会得してない。これを勝負球にされると弱いなあ。だけどたぶん外角球を勝負球にしてくるのは間違いないと見た。3球目は外角低目へ1球外してきた。4球目。思い切り強震した球はバットを掠めてキャッチャーのミットへ・・・。と思いきや、キャッチャー、ボールを見失っている。捕られてたら三振になってしまう(汗)。と、ボールはポロリとレガースとミットの間からこぼれ落ちた。ラッキー。で、5球目。狙いどおり外角寄りにストレートが来た。この瞬間はバットにボールが当たってそれを振りぬいてから打球がセカンドの頭を越えるところまではっきり見えた。嬉しいライト前への初ヒット!NORIさんは三塁まで進んだ。二死一、三塁。野球は2アウトから。次の打者はRUMさん。その2球目に二塁へ盗塁。初球牽制のあと、モーションを盗んだ、というよりバッテリーは打者に集中することにしたのかも。送球は来なかった。二死二、三塁。そのあと、大きめにリードを取って牽制を誘い、ピッチャーをゆさぶろうとしたのが成功したのか(本人たちに聞いてないからよくわからないけど)、RUMさんフォアボール。二死満塁。次の打者はサモちゃん。2日前に右手の指を仕事でケガして先発から外れていた。だけど、彼は去年の首位打者。だけど今年は無安打。それだけに意地を見せたいところ。一転してチャンスは大きく膨らみ、この試合、ベアーズベンチのボルテージは最高潮に高まった。一気にホームを落とし入れようと、私はずっと「ラン&ヒット」の構えで相変わらず大きめリードを続け、投げるたびにダッシュの構えを見せるが、この打席にかかる時間が長かった。ウチが広島カープで、カープ応援団を呼んでいたなら、彼らはきっと両脚がパンパンにパンプアップしてしまうところだっただろう。サモちゃん、2ストライクからファウルで粘りまくり。クサい球は引っ掛け、ボール球は見送るという、強打者特有の粘り、それもこの打席だけは半端ではなかった。シャットアウトされるか、一矢報いるかの大事な大事な局面。そしてカウントは2-3になった。とにかく全走者、打ったら走る、の構え。そこからまたファウルの連続。二、三塁間をダッシュで10何往復したあと、ついに、サモちゃんが打った!打球は右中間を真っ二つに破る。NORIさんの背後まで来て2点目のホームを踏んだ。サモちゃんが相手守備に刺され二塁直前でタッチアウト、惜しくも3点目はならなかった。得点2-13。7回表のイージーゴーイングの攻撃は、監督代行の羽生さんが得意の「はぶボール」で打者4人に対し無得点に抑えた。速球に慣れた相手チームは、軟投派の羽生さんに幻惑されボールを強震して引っ掛けてしまったようだ。最後の攻撃も、九龍さん、まみさんの安打も出て追加点のチャンスは膨らんだのだが、力尽きたNORIさんが見逃し三振でゲームセット。試合は終わった。ホームベースを挟んでの礼。健闘を称えあう両チーム。「またお願いします」という声もあちこちで聞こえた。-------------------------------------------------------------どうです?物凄くいい試合に見えるでしょ(笑)?そう。得点だけは大敗だけど、ダレることなく最初から最後まで引き締まった、私にとっては「ナイスゲーム」だったのです。そう感じている人も少なくないはず。得点差にめげてはいけない。負けは悔しいが、我々は堂々と戦った。胸を張ろう!野球のゲームひとつ取っても、それぞれの人にとって沢山の「瞬間」があって、それはここに紹介したシーンだけじゃなくて、もっともっと沢山のシーンがそれぞれのメンバーの記憶に残って、そこでいろんな思いが交錯していたと思います。その中でのワンシーン、今回は幸運にも、私にとってずっと忘れ得ないだろう瞬間でありました。「感動の瞬間」とでもいいましょうか。そんな瞬間を求め続けて、自分は野球をやっているのかもしれません。
June 18, 2003
・・・って、これまでも休んでたじゃん、って感じですが、なんか肝臓が疲れたのかなんか知らんけど、疲れて疲れて。。。(呑みすぎと違うよ)「書こうと思ってたことがある」のに書きたくなくなった、つーのが正直なところです。明日に順延ということで。
June 17, 2003
昨日の試合。雨の予報が入ったというのもあって、遠方からの参加メンバーはやや腰がひけ、足が遠のいた。なんてったってわしらベアーズは、大阪、和歌山、岐阜、長野から参加表明があったわけで、どんなチームか、というと、インターネットで呼びかけによって集まったメンバーで構成されるわけなのだ。首都圏在住の人はともかく、遠方の場合、せっかく来たのに中止!ということも考えられたわけだからいたし方なし。にもかかわらず、和歌山からおおちゃん姉妹、岐阜からどらぐらさん、長野からマロちゃん(すべてHN。チームの登録名と普段の会話でもHNで呼んでいる、以下これで通します)が、なんとやってきたのでございます。で、なんと、ワタクシの日ごろの行いの良いおかげで、今回も雨は降らなかったわけでございます(むふ)。試合の相手は、横浜イージーゴーイング。昨年、炎天下の三ツ沢野球場で、最終回奇跡の逆転サヨナラ負け(5-6)を喫したインネンの相手。今回は雪辱を期して・・・、というか、まあ楽しくやって結果がついてくれば、ね。と思ったら、まあ向こうは去年から格段に強くなってたちまちわしらを追い越してしまっていたね。なんでも毎週練習試合をやってるそうで。かたや、せいぜいやって月1~2回という我がベアーズとは、ちとジャンルが違ってきたらしい。相手が「体育会系部活動」で、わしらは「エンジョイサークル活動」という歩みを重ねてゆっくり進んでおるから。だけど勝負は勝負だ、こっちだってゆっくりと着実に強くなってきておるのだ。いざ出陣じゃあ!尋常にかかれかかれ!でぇりゃあおおぅ!!(←おさむらいの掛け声のつもり)・・・ところが、前半で早くも10-0ぐらいの点差でリードを広げられた。そりゃそうだよ。ウチだって、ナンボなんでも、合同練習だってやるのタイヘンなんスからねえ。そのために全国各地から、はるばるやってきてくれる人もいて「おおよく来た良く来た」って感じで、まずは一期一会を大切にするチームなのだ。まあいってみれば、「ほとんど練習できない日本代表」みたいなもんなのね。それでも今年ここまで2戦無敗なことをほめてもらいたいぐらいなのだ。今回の監督の羽生さんは、10-0になっても泰然自若としていましたね。いやむしろ嬉しそうだった。だってさあ、こんな「草野球やりましょ」っていうだけの共通キーワードを求めて、はるばる和歌山と岐阜と長野から会いに来てるんだよ。嬉しくないわけないじゃん。勝ったとか負けたとか以上に羽生監督はうれしかったに違いない。野球が滅多にできない、岐阜から来たどらぐらさん、ライト前の当たりを取って、ファーストのMarco栗江さんへ。あと一歩で「ライトゴロ」という、珍プレーにしてファインプレーが成立するところでもあった。ピッチャーのNORIさんとキャッチャーの九龍さん(巨体)は、ここまでカンペキに試合を投げ抜いてきた黄金バッテリーだった。だけど、今回は打った相手チームを褒めねばなるまい。得点は2-13。だけど、ウチの2点は貴重な2アウトからの粘りによるもので、いちおうワシのライト前ヒットも含まれてるので自画自賛させてもらっちゃうけど、2アウト満塁で、仕事で指を故障しスタメンから外れたサモちゃん(巨体)が、カウント2-3のフルカウントから粘って粘って、10何球めかを打ったのが右中間をまっぷたつに破った、という、涙ちょちょ切れモノの得点だったのだ。結構本格派のピッチャー相手だったので、喜びもひとしおだったりするわけね。なんだかんだで、「ワシらもおのれらよりペースは遅いけどしっかり前進してるのよ♪」つーところを見せてあげたりして、明るく試合は終わりました。つーわけで、話はこれでおしまいなのだ。今日からまた皆、それぞれの日常へ帰って、また1ヶ月後に次の試合が待っている。遠方から参加のみなさん、本当にお疲れさま。おおちゃん姉妹とマロちゃんからはお菓子のオミヤゲをいただいて、疲れはかなりふっとびました。
June 16, 2003
やーまへ行こう 次ーのー日曜ー♪むーかしみたいーに雨ーがー♪ 降れば川ー底ーにー 沈む橋ー越えーてー♪胸ーまーである 草分けて♪ぐんぐん進む背中ーをー♪追いかけーて行ったー 見失わなーいーよーうーにー♪空は晴れーてー わーたったおーがーわー♪今はひーらーりー 飛ーび越えーられるー♪一緒に行こうーよー コクワーの実 まーたー取ーってね♪かーなりー たよーれーるーナビになーるよー♪一緒にねー いろんーなーはーなーしーしーよーうー♪晴れたらいいね 晴れたらいいね 晴れたらいいね♪・・・またまたJASRAC無許可で唄を載せてしまいましたが、亜星のとっつぁんはまだ気づいていないだろうからいいのだ(ウヒヒ)。ドリカムの『晴れたらいいね』。このヒトたちの唄は、「歌詞で泣かせよう」みたいな唄が多いため、基本的にあんまり好きではないナンバーが多い。「音楽は曲だろう!?」という考えのワシは、歌唱力とかインスツルメンタル重視で好き嫌いを決めてしまう。ドリカムはボーカルの女のヒトも上手だからいいとはいえ、ほかのヒトがカラオケなんぞで歌ってるのを聴くに堪えない唄が多いのだが、唯一気に入ったナンバーなので、かつ、明日は今シーズン第3戦なので、天気が晴れることを祈って・・・!!
June 14, 2003
PCに入っている過去の文書を整理していたら、懐かしいモノを発見。『ウルトラスの宴』といいまして、かつて『スポーツナビ』というウェブサイトで、掲示板上で「リレー小説」みたいな感じで4人の、地域も年齢も職業のバラバラなメンバーがこしらえた「未来版・サッカー小説(ちと違うか)」みたいなヘンな作品。『スポーツナビ』のコミュニティはすでに閉鎖されてしまって、かつての多彩なサービスを特徴とするサイトから、今はスポーツ情報提供メインの、ジャーナル色一本に絞った感じのサイトへと様変わりしてしまいました。んで、そこの掲示板にこの文書は眠ったままになる予定だったのですが、たまたまテキストに残しておいたのが幸い。なんか眠らせとくのももったいないし、このホームページのコンテンツ何にも作ってなかったので、この際だから「復元」させてみよっかな、ってな感じで発作的にページ作成開始してみた次第。これ、作ったのが2001年。日韓W杯の前の年なのね。んでもって、おいらは「うつ病」のピークの時期でもあったわけなんだけど、逆に仕事干されてた時期でもあった(笑)ので、仕事サボってこんなの作ってたわけですわ(恥)。実際にW杯はじまってないときに書いたものだから、現実とはかなりかけはなれた内容もあったりするわけなんだけど(てゆーかそもそも舞台そのものが現実ではないわけなんだけど)、なんか読み返してみると、恥ずかしい反面、4人の、よく知らないなりに各々の「サッカー好きさ加減」もかもし出されてて、割合いい感じになってたりもするので、出来上がったら読んでみてくださいませ。日々、途中までなら読むことはできるでございます。ただしヘンテコさ加減は許してちょんまげ、つーことで。。。
June 13, 2003
どうなってんだか。この地域は。先週、米・ブッシュ大統領の肝煎りで「手打ち」をしたばっかりかと思ったら、なんかいきなり週明けになってイスラエルの兵士が車の中で殺されて、そのあとイスラエルがパレスチナの民家に対して銃撃。ブッシュの顔は泥を塗られて泥パック状態??なのはいいけど、こういう流れは、ことをさらに泥沼の底へといざなうぞ。。。イデオロギーの違いが争いを生むのだろうか?はたまた、別の何かが彼らを陰から糸を引いているのか(死を確認されてないあのヒトとか、あのヒトとか。。。)。よくわからないけど、日常的に殺し合いとか暴力が続くパレスチナ地域では、民衆は血で血を洗う争いに慣れてしまっているのか?いや、そんな日々を嫌っていることは間違いない。ユダヤ人たちは世界中の各国に居住している。アメリカにも少なくない筈。彼らへの影響はないのだろうか?(関係ないのならいいが・・・)彼らは、祖国での惨事に対して、住む先々で嫌がらせを受けたりしていないだろうか?こと、アメリカあたりで、「せっかく俺たちの大統領が仲直りさせてやったのにテメーらのほうから裏切りやがってよ!このジュディが!」などという陰湿な迫害を受けていないだろうか。また、ユダヤ系の人たち自身はこのことをどう受け止めているのだろうか?和平を自ら断ち切ってしまったイスラエルとパレスチナ。もはや平和解決への望みは完全に閉ざされてしまったのだろうか?または一縷の望みはあるのだろうか?
June 12, 2003
荒川区の教育委員会が実施した区内小中学生向けの学力テストの結果と同時に実施した学習意識調査のアンケート結果を照合したところ、「学力のある子どものほうが、家族が自分に関心をもっていると感じている割合が高い」という傾向がみられたらしいです(2003.06.07.朝日新聞)。そんなもんかねえ・・・。一市区町村の結果に過ぎないので、「すべからくそのとおりである」とか、「親の愛を受けた子どもほど学力も向上する」みたいな「マーフィーの法則」として見るのは早計と思う。一人一人のご家庭に個別訪問して話を聞いたりしたほうがまだ信頼性は高い、というのも正しいとはいえないか。なぜなら、これは親の「過剰申告」とか「見得」で隠されることのない、子どもの自己申告による結果だから、もしある程度素直に書いてもらって出てきた結果だったら少し信憑性はあるかも。この結果は、学校別データを荒川区のHPにも掲載されているらしくて、結果見たさからかアクセス数が通常の4倍に膨らんだという。結果を見てそれを単純に一般の人たちが先入観の材料にしないことを願いたいものである。この試みは面白いと思うけど、お役所さんはおそらく、ここまでで調査を終えてしまうのだろう。これをさらに個々の生徒の家庭レベルまでスクリーニングするのは学校側の役目かもしれない。基礎データとして非常に貴重な材料ができたことは事実だから、ぜひ活用すべきだろう。また、荒川区に限らず、他の自治体でも同様の調査はぜひ実行すべきだ。それで、各地域間の結果の情報交換等をやって見るという試みも、教育改革の事前準備においては有効ではないだろうか。ただ、一概に、「親が子どもに愛情と関心をもって接すれば子どもの成績はアップしますよ」ともいいがたいでしょう。これは個人の気質とかパーソナリティなんかにも関係してくる話だし、どういう「愛情・関心」なのかもわかったもんじゃない。「トップとれなかったらケツバット100回だ」「トップとったらアレ(謎)を買ってあげるわよ♪」というのだって、広義には「愛情・関心」につながるからなあ。そんなにカンタンな公式が成り立つのなら、そもそも「スクールカウンセラーの配置」などと国が力をかける必要もないのだ。
June 11, 2003
母が「末期がんから回復した事例」の本だの、「アガリスクによって奇跡的にがんを治した人の事例」の本だのを2、3冊読んだらしい。あと、アガリスクを顆粒状にした健康補助食品というかサプリメントみたいなもののパンフレットを集め、「よいもの」があったら父に服用を勧めるつもりでいるらしい。けれど、それはもしかすると、母が「自分が施してやって気が済むこと」が目的なのではないのか。残酷な言い方をすれば「自己満足」ではないのだろうか。父は入院したまま1ヶ月近く胃に何も入れていない。いきなりサプリメントを口から服用することがプラスになりうるのか。また、病院の医療行為とは抵触しないのか。父は1ヶ月近く点滴オンリーの生活を続けている。で、正式な病気の状態について、現在研究中であるとのことで、その「結果の連絡」を待っている段階なのだが、当初の予定より1週間近く延期されたままである(これがそもそも一番問題と思うけど)。かなり母は気が動転し、かつ滅入っている様子だった。それも無理もないだろう。ここ数年の間に実の母を亡くし、去年息子の私が入院し、今度は夫である。「いいかげんにしてくれ」って感じである。冷静になるようにさとしても、「お前には私の気持ちなどわからないだろう」と逆上するばかりである。私の2人の実の妹も、かなり情緒不安定になっている。自分にできることは、こうした状況で、親兄弟が協力して、どうやって父を支え励ましていくことが最も必要かを考え、実践すること。そのために、これまでインプットしてきた知識を生かす機会もあるだろう。拙いものにすぎないけれど、何かできると信じよう。母のいうサプリメントについては、実は個人的にはあまり肯定的ではないのだけれど、というかむしろかえってよくないのではないかと想像するのだけれど、どうなのだろうか。「奇跡の食品」「魔法の食品」など、数千人のサンプルのうち、ほんの数名そういう結果が出たというだけのことである場合が多いし、副作用も考えられる(そういうリスクについては何一つわからない!!)。前回も同じ問題を書いて、またそれを蒸し返したくないけれど、蒸し返す(笑)。「わからない状態」を放置するこの病院の体質はなんとかならないのかねー。わからないことが不安を呼び、「もしかしたらとんでもない結果だったらどうしよう」などと過度の憶測をしたり、手探りでなんの手がかりもない改善策なんぞを焦って探したくなるのも無理からぬことではないのか。それでもなお「しっかりやってるから信じろ」というのは病院側の傲慢である。なにを「しっかりやっている」のか、きちんと「お前らのほうから」アタマを下げて説明に来い(怒)!!なんでこっちがアタマをさげて「お願いですから教えてください」と頼まなければ何も教えようとしないのだ!?と、怒っていてもらちはあかないので話を元へ戻す。年を取ればおのずと、病気の悪化も時間がかかるはずだろう。焦らずに時間をかけて、病気とつきあっていくのが最良と考えるのだけど、「奇跡を信じる気持ち」というのは、伴侶にしかわからない気持ちなのかもしれない。それは尊重する必要はある。その上で、時間をかけて、ゆっくりと、支えていくことぐらいしか、今の自分の拙い頭にはアイディアはないのだ。。。※「楽天広場」で、メンタルな苦しみを訴えるひとたちのやさしいお姉さんとしてHPやってこられたムーちゃんさんが、昨日、天に召されました。 直接的にネットでお話したことはありませんが、こちらにご訪問くださっていた、まどかさん、ちろりんさん、ハイビーさん達が「心友」と慕っていた人望の篤い女性だったとお聞きしています。 つつしんでご冥福をお祈りいたします。(-pq-)
June 10, 2003
土曜日の「実習」は、果たして自身の達成度、満足度は高かったかどうか疑問だが、対話に向かう自分の意識が以前とはっきり違うことは確認できた(まだ全然不完全だけど 苦笑)。今までは、相談者(クライエント役の人)の言葉を、そのまま聞き流しにしてしまっていたことが多々あったように思う。「それはどういう意味ですか?」という、より自分のイメージをクライエントのイメージと一致させるための努力を怠っていたと思う。それを気づかせてくれたのが、他ならぬ自分が受けているカウンセリングでのことであったのが一番大きい(このほかに、父の病状をはっきり説明しない医師の態度や、会社での上司や顧客からの指示伝達のいい加減さを反面教師としてみてきた、といったこともあったけどここでは話さないことにする)。たとえば。。。カウンセリングで、自分が「上司とのコミュニケーションが上手くいかずに困っているのを解決したい」という相談に対して、「具体的にどんなふうに『困っている』のか」と、「困っている内容」を箇条書きさせた。その中で、・上司に対して「負い目」を抱いているため強気に発言できない・上司に対して「位負け」を感じているというのをならべたところ、「この『負い目』と『位負け』とは何か?」まで、説明を求められた。まあ、今、自分の中では、これらを噛み砕いて説明する(説明を求める)ことは当たり前のことになりつつあるけど、一言でくくってまとめてしまっていることが、自分の身の回りに多い。それでは相手に伝わらないから、イメージを共有することはできない(=解決についてセラピストに相談に乗ってもらえない)。面と向かって何回も面談をして、そこまで細かく自分に向かい合うのは正直なところ、かなり面倒であったが、ここまでセッションすれば、おのずと自分なりに解決方法が見えてくるし、そこに気づかせるのが、カウンセリングの目的であったようにも思う。・「位負け」=地位の差、実績の差、プレゼン力の差・「負い目」=過去の借金、病気で仕事に穴をあけたこと、実績が上がらないことで、これらを今回は、「過去の『負い目』については時間の経過とともに自分を強く持つことで解消していく、また『位負け』についても、地位や実績は覆せない。今後実績を作るためのプランを積極的に行うなどでカバーしていけば、まだ挽回のチャンスは十分にある」という感じの話になった、そのあと、ちょっと「実績づくりのためのプラン」というところでつまづいているのだが、これは「慌てず少しずつ進めていく、これまでやってこなかった努力をするにはエネルギーが必要だから」ということで休止している。ここでのコミュニケーションを通じて、これまでの人生の中で、自分が「わからないまま納得したような顔で過ごしてきたこと」が「あまりにも多い」ことに気づいた。ここまでのテーマから大きく話が飛躍するが、たとえば、・「戦争反対」という理論について。・日本が進める改革路線の不透明感について。・不況に対して国が行う対策について。などのニュースソースを見て、ちょっとマジメに探せばかなり鮮明になる情報についても、丁寧に理解しようという姿勢を半ば放棄してきているように思える。ゆえに自分の中で具体化できない→言語化できない→反論できず、議論に参加できない→あきらめてブーたれる。というのがいかに多かったことか。あくまで例としてあげた上記の3つのこと。実はもう私たちレベルがマジメに考える必要性が高い事項である。たぶん周辺国では当然のごとく一般国民が考えているレベルのことだと思う。これをよくわからぬままにしないで、できる限りわかるよう、わかる人に質問を求めるなり、調べるなりして理解していこうと思う。政治家にどうこうして欲しい、という前に。なんかまた話がとりとめなくなってしまった。。。
June 9, 2003
最近、映画やドラマで、山本周五郎の小説が映像作品化されている。昔の作品はのぞいて、ここ2~3年の間上映、放映された主なものをあげただけでも、<映画>「雨上がる」(原題同)、「どら平太」(原題「町奉行日記」)、「海は見ていた」(原題「つゆのひぬ間」?確認中)、「かあちゃん」(原題同)<ドラマ>「さぶ」(原題同)、「柳橋慕情」(原題「柳橋物語」&「人情裏長屋」)、「五弁の椿」(原題同)、「幽霊貸します」(原題「幽霊貸屋」)などなど(他にもあったような・・・)。かねてより原作をこよなく愛している私としては、これだけ多様化してしまった今日の映像メディアの中で、ひときわ周五郎が注目され、作品が配給、視聴者の目にとまる機会が増えてくれることは、「基本的には」嬉しいことである。とかく忙しく、かつ目まぐるしい現代社会、同様にテレビや映画を見ても、手を変え品を変えしてスピーディにウケ狙いに走るメディアの中で、普遍的に「愛」「誠実」「真実」「まっすぐに生きること」の大切さを訴え続けてきている周五郎が愛される、という心理はなんとなくわかるような気もするが、提供者側も、一服の清涼剤的なものとして周五郎作品を扱っているのかもしれない。なぜさっき、「基本的には」などともったいつけた書き方をしているかというと、最近の映像作品すべてを見たわけではないので一緒くたに「こうだ」と断言するわけにはいかないのだが、原作に「脚本・演出」が独自の色や味付けをしてしまい、シンプルな「原作のよさ、面白さ」をかき消してしまっていることだ。これは、もしかすると他の作者の作品にもいえることかもしれないけれど、よくありますよね。たとえばアガサ・クリスティ作品が映画化されて、肝心のスリルあふれる部分がカットされてて不満だったりすることとか。先週金曜日からNHKではじまった「幽霊貸します」は、たまたまテレビつけてたら見つけたドラマだったのだけれど、原作は基本的に単純なギャグ小説で、周五郎が別のペンネームを使って「滑稽モノ」を書いていた時代の作品。ゆえに、もっと単純明快に、その楽しさ、面白さを追求してほしいのだが、妙に話の設定が複雑になっている。登場する幽霊の女がなぜ今化けて出てきたかとか、今から49日の間しかこの世にいられないとか、惚れた男の生まれ変わりを捜して彼に念仏となえてもらって成仏しなければいけないだとか、原作にはそんな話はぜんっぜん出てこねーっつーの!!そこまで「加工」しないとだめなのか、って思っちゃうよ。なんか「加工後」の話も自分の好みからは大きくかけはなれてしまったいたし。これから面白くなるのかどーかはわからないけど。せっかく周五郎の名作が今日の世に問われようとして作品化されたというのに、こういう「余計な脚本と演出」で、違うものにしないで欲しいよなあ。このドラマ、原作を読む限りでは1話完結もしくは前編・後編だけで十分なボリュームとストーリーなのね。なのに5話連続にして引っ張ろうとしている。こんな感情は、所詮自分のわがままなんだろうけどね。ワサビ醤油で食いたいマグロの刺身をカルパッチョ風にして欲しくない、みたいな心境とでもいえばよいのかな。つーわけで、ワタクシ、来週からはこのドラマ、見て見ぬふりを決め込むことにしてしまいましたとさ。
June 8, 2003
日本テレビ系列で放映の『THE世界仰天ニュース』という番組は、国内外の奇怪な事件をドラマ仕立てにして紹介する番組なのだけど、今週、アメリカの連続婦女殺害事件の犯人「ヒルサイドの絞殺魔」を取り上げていた。なんちって、これは以前から予告されてて知ってたのだけれど、私の通う学校の講師でセラピストのI先生が、犯人の演技指導をしたのだそうだ。この番組って、海外の映像を取り寄せて作った番組なのかと思ってたらそうでもないみたいだな。日本の、臨床心理カウンセラーを用いるというのもフシギと思われるかもしれないが、実はこの事件、心理学と密接な関連性のある事件なのです。この連続殺害事件の以前に、同じくアメリカで「ビリー・ミリガン殺害事件」という惨劇があったのだが、この事件で殺人の罪に問われていた容疑者が、精神鑑定の結果、「乖離性人格障害」(去年まで「精神分裂病」と呼ばれていた多重人格などを伴なう障害)で不起訴処分となった。この「ヒルサイドの絞殺魔」は、2人組の男なのだが、そのうち1人がこれを参考にして、自分の犯行が明るみになり連行された際、あたかも自分がこの「乖離性人格障害」であるかのごとく振る舞い、罪を逃れようとしたのだ。まあ、それにしてもとっ捕まる以前に14人もの、それも若い女性ばかりを狙って殺害を繰り返す、という大惨事をもたらしたこの事件。犯人の精神鑑定は、高度な精神鑑定の結果、正常と認められ、結果罪を自ら認め、共犯の男の正体を明かしたということで、死刑を免れたらしいのだが、そもそも人を殺してなんとも思わない、それどころか「殺し続けているうちにその快感が忘れられなくなってなおも殺人を繰り返した」と彼は自供したという。この犯人の、精神は正常といえるのだろうか? もし正常だとしても、モラルが異常であることは間違いない。こんなイカれた人間は二度と社会に復帰させるべきではない。折しも、日本では「有事関連3法案」が国会で可決され成立。これからどうなっていくのか、マスコミはもっときちんと国民に伝えて欲しい。戦争になると、これは極論だけど、今日紹介したような「殺人鬼」は一転して「英雄」になるような、そんなモラルがまかり通ってしまうやもしれぬ。まあもっとも2人がかりして若い娘しか殺せない腰抜けに「英雄」になる見込みは薄いけど。ちなみに、くだんのI先生は、犯人の目配せとか多重人格っぽいセリフあたりの指導をしたのかな。なんとなく「このへん指導入ってるのかな」というところがあったけど、あまりにもこれ見よがしにも見えたので、具体的に「ここだ」とか「I先生凄い!」とかいうのはやめとくぞ(笑)。たしかに声帯模写とか芝居が上手い人ではあるので、もしかしたら元そっち方面の出身なのかもしれないなあ。「よくやるよ」とだけいっておこうか(うひゃひゃ)。<いちおうほめ言葉
June 6, 2003
ちょっと精神的に不安定なので、今日は会社を休んでかかりつけの精神科医へクスリをもらいに行った。なかなかクスリなしの生活にシフトするまでにはいたらないだろうな。ちょっとここのところ精神的にもいろいろキツい時期でもあったし。でも、「キツかったらサボっちゃえばいい」という自分勝手なルールを作ってしまったので、肩の重荷は少し軽減されたような気がする。今日もそんなうちの一日。病院の近くにある書店で、ゲシュタルト療法のことをしたためたF.S.パールズの本を購入。グールディング夫妻の本が欲しかったのだが書店には置いてなかった。帰り道は、ジョギングしながら帰ることにした。特に動機はないのだけれど、たまたまリュックを背負って運動できるウェアを着ていたから。たまたまだけど、今日はめちゃくちゃ暑い。そんな日に限ってこういうことを思いついたりする。約45分で背中が汗だくになったのでジョギング終了。明日からは朝の日課にしようっと(日中は辛い)。家の近くの公園の野球場で、平日の昼間にも関わらず試合をやっていたので、しばしそれに見入る。まさに「仕事サボってラッキー」である。阪神タイガース風と西武ライオンズ風ユニフォームのチームの試合は、西武風の勝ち。試合が終わって、さあ帰ろうと思ったら、同じくバックネット裏で野球を見ていたおじいさんが、「もしもし・・・」と声をかけてきた。「あなたはT大学の方ですか?」「いえ、このへんに住んでるものです」T大学はおじいさんの母校なのだろうか?「ちょっと聞きたいんだけど、大リーグでサミー・ソーサがバットにコルクを入れてたそうですな・・・」なるほどなるほど。このニュースは確か朝の民放のニュースでも話題になってたな。個人的には、わたしは「コルク入りバット」だろうがなんだろうが、ソーサが打ったホームランの威厳が損なわれることはないと思っている。そんなこといってたら、王貞治の圧縮バットだって、マグワイアのドーピングだって問題にすべきだろう。そんなもの呑み込んで、「凄いホームラン」というものを目の当たりにできたファンは幸せだと思うし、それが彼のヴァリューだと思うのだ。そんなことをおじいさんに話した。おじいさんは云った。「つきつめれば、すべてモラル意識の問題でしょうな」と。このあとの話は、SARSの問題、日中関係の問題、WTOとWHOのあり方の問題、日本の構造改革の問題にまで飛躍した。物凄い飛躍である。花見の場所取りのケンカがもとで公共入札がもめた話を思い出したりしたけど、それほどでもないとはいえ、おじいさんの熱弁は続いた。オチは結局、「まー、あなたがた若い人は、野球でもやってホームラン狙うとか、そういうおおらかさでこれからの世の中を渡って行ってください」という、「野球オチ」だった。野球にはじまり、野球に終わる。おじいさんの熱いハートは、しかと受け止めた。次の試合はホームラン狙いで行こう(ってなんのこっちゃ)。なんだか、なんにもやってない割に妙に面白い日だった。とりあえず、明日は仕事にちゃんと行くのだ(笑)。
June 5, 2003
今、自律訓練法について学んでいる(つーても前回休んだから今回はじめてなんですけどね)。「お医者さんに相談したけど『異常なし』といわれた。だけど体調が悪い。もしかしたら精神的なものなのではないか。カウンセリング受けたい」というクライエントに対して、ときとして提供することができるかもしれない技術として勉強しているわけです。思うに、父が病に倒れて精神的にも参ってしまった、ということにも活用できないか、などと思ったりするわけで、そういう意味ではきちんと受講すべきであったのだが、いかんせん手術の結果待ちで落ち着かず、半ば心ここにあらずの日々を送っている小生としては、結局今日も、スクーリングに身が入らなかった。仕事もなんだかここ数日意識がちゅうぶらりんだし。現実にはもっとかけずり回りたいんだけど、組織の呪縛を突き破る勇気とパワーが、ちょっと半減してしまっている今日この頃。どうしたいんだか、自分でもよくわかんないよ・・・(泣)。
June 3, 2003
「スポ逃げ」の昨日、お天気は、晴れ男の面目を保って試合中はなんとか傘いらず。(^^)v三ツ沢球技場。いやーいいスタジアムだねー。スタッフも感じがいいし、アウェイの応援団にも優しいし。スコアは、ちょっと試合展開以上についてしまって、スコアだけ見れば我が山形圧勝!の0-4。前半20分過ぎの、横浜FCのファウル(FKで山形先制)で退場が出たのが大きかった。後半、ちょっとしたアクシデントっつーか、ハプニング発生。0-2とリードされたホーム・横浜FCのリトバルスキー監督が、審判の判定に激怒してスポーツドリングのボトルをピッチに放り投げるのが見えた。「・・・・・・」我が山形サポーター席も一瞬シーンと静まり返ったけど、すぐに、「何やってんだー」「退場!」「退場!」とか騒ぎ出す。私は複雑な気持ちになりましたねー。Jリーグ初年度のチャンピオンシップ1戦で、当時鹿島アントラーズの中心選手だったジーコが、フリーキックの判定を不服としてボールに唾を吐いたシーンがフラッシュバックのように頭をよぎった。リティといえば、スペインW杯のときのワールドチャンピオンチームの代表で、ジーコと同時代、Jリーグ草創期を盛り上げてきたジェフユナイテッド市原の中心選手。サッカーに限らないのかもしれないけれど、スポーツ界の天才的ヒーローたちは、ときとして、年甲斐もない、こういう「やんちゃなガキんちょ」に変身する瞬間がある。天才とやんちゃ小僧は表裏一体をなすものなのかな。マラドーナしかり、テニスのマッケンローしかり。ジョッキー・田原成貴もまたしかり。レッドカードを出されてからもなおもしつこく審判に絡んでいたリティ監督は、結局退場になってしまった。我が応援席からは歓声が上がっていたけれど、ちょっと一緒に喜ぶ気持ちにはならなかったね。自分は感傷的すぎるのだろうか。我々が、こうやって今日もJリーグを見てられる礎を築いてくれた男のちょっとした「羽目外し」を、いくら敵将とはいえ、この席の面々はいとおしさを感じえないのだろうか。それほどまでに勝負とは過酷なものなのだろうか。けど、もし負けてたらやっぱり違う感情抱くかもな(笑)。「ひっこめー」「ざまみろー」とか叫んでそうな気もする。あなたなーらどうするー♪(byいしだあゆみ)
June 2, 2003
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