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展示物があまりにも多く、時間がなくなってきたため第4展示室以降は、次回訪問時に再度訪れることとし、「早足」で「眺めて」回ったのであった。テーマ「都市の風景」 法善寺横丁風景。小説や歌などで全国に広く知られている大阪の法善寺横丁の実物大模型、民俗的な歴史をもった都市の「盛り場」のひとつの姿を現しているのだった。十日戎縁起物。出店で売っている縁起物で「福箕(ふくみ)」と言うものとのこと。福を盛りだくさんに、掬うのです。(箕(み)とは、竹などで編んだ穀物をすくう用具。)テーマ「村里の民」。弥生時代から近年に至るまで、田を耕し、米をつくることが、日本の農村の基本であったのだ。人手のいる米づくりをするために、村人たちは協力し、助け合い、そこに自然ときまりがうまれたのだ。この村の人々の生活を展示しているのだ。鹿嶋様(かしまさま)。村の外から邪悪な霊や危険な人物が侵入するのを防ぐ祈りの姿とのこと。巨大な全身藁で作られた人形道祖神であった。秋田県の中でも中央、南部山間地域に集中てしる風習とのこと。テーマ「村里の民」の西物部集落復元模型。密集した家々が特徴的な近畿地方の村落風景。私が子供の頃の我が家の廻りの風景と同じであると懐かしく感じたのであった。最終バスに載るためにバス停に向かう。木々の隙間から『歴博』の文字が見えた。時間は16時30分。17時に閉館とのことであったがバスの最終は何故か16:38発。最近は地方の多くの都市に、歴史博物館や郷土資料館といった展示施設が増えているが、中には出土品や民具、農具などを整理不十分なまま、乱雑に並べたものとか、説明不足なのものも見うけられると聞く。しかしここは国立の施設だけあり、豊富な教授陣や学芸員、その他のスタッフをかかえていることもあり、展示の仕方や説明などに工夫が凝らされ、よく理解できたのであった。この施設は『例の仕分け』の対象にはならなかったのであろう。ゆっくり見れば1日でも見終わらないほど展示があり、日本歴史をふり返るには格好の場所であると感じながら次回の訪問を心に決めて、この博物館を後にした『アラカンオジサン』夫婦であった。
2010.05.31
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第2展示室は、『中世』。平安時代から安土桃山時代までの日本文化と生活を貴族や武士、庶民といった様々な階層の立場から探っています。テーマは:「王朝文化」「東国と西国」「大名と一揆」「民衆の生活と文化」「大航海時代のなかの日本」「印刷文化」で構成されていました。上から見た平安京。平安京の下辺にある東寺は、今も当時のままの位置にあるのです。京都の街並を復元した模型。今にも人物が動き出しそうでした。上空から見た鎌倉。鎌倉は、自然地形を利用した城塞都市で、一方が海岸、3方が山に囲まれ、稜線には切岸、主要道路の接点には切通しを設けて防御を固めたのだ。縦(南北)に走る広い道は若宮大路。さすが攻めにくい土地であることを今更ながら再認識したのであった。第3展示室は、『近世』江戸幕府の基盤を支えた農民の姿や村の情景、庶民のたくましく旺盛な情念と活躍の姿。また、世界的な巨大都市として繁栄した江戸の町を精密な模型で示していました。テーマは:「国際社会のなかの近世日本」「都市の時代」「ひとともののの流れ」「村から見える近代」の4テーマ。江戸橋広小路模型図、日本橋江戸橋周辺の家並みと日本橋川。江戸の街並み。細かいところまで信じられないほどよくできてました。一里塚の道標。江戸幕府が整備した街道の一里塚には道標があるが、これらのほとんどは私的に建てられたものがほとんどとは意外であった。江戸時代の旅籠の実物大セットも展示され、室内の模様も垣間見ることが出来るようになっていた。2階で働く女中の姿の影絵に感激。この時代の農村風景を描いた屏風 四季農耕図屏風。福岡秋月(あきづき)藩の御用絵師だった斉藤秋圃(しゅうほ)による、農村生活を描いた屏風絵とのこと。春夏秋冬の農作業や祭礼などの風景が細かく見事に描かれていたのであった。懐かしき日本の農村の原風景。
2010.05.30
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この土日は、親戚のある千葉県佐倉市まで足を伸ばしてきました。そして、「歴博」の愛称で親しまれている国立歴史民族博物館を妻と訪ねました。同館は、日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する我が国で唯一の国立の歴史博物館で、佐倉城跡の一角、約13万平方メートルの敷地に延べ床面積約3万5千平方メートルという壮大な規模を有して、原始・古代から近代に至るまでの歴史と日本人をテーマに、実物資料に加えて精密な複製品や模型などを展示しているのです。JR佐倉駅から循環バスに載り国立博物館入り口で下車。博物館の入り口。この坂を登り博物館に向かいました。途中坂道の右側に臼杵磨崖仏のなかで、最も有名な古園石仏大日如来像仏13体の中心を成している大日如来像のレプリカが展示されていました。10分ほどで博物館に到着。館内レストランさくらで赤米の昼食を済ませた後、玄関ホールでカウンターの人からチケットを買い展示室へ。大人420円。この歴博は、常設の6つの展示ゾーンと2つの企画展示室からなります。第1展示室(原始・古代)、第2展示室(中世)、第3展示室(近世)、第4展示室(民俗)、第5展示室(近代)、第6展示室(現代)。建物に入ってすぐわかりましたが、半端ではなくスケールが大きいです。そして、展示物の量もすごいのです。第1展示室は『原始・古代』日本列島に人類が登場した旧石器時代から、律令国家が成立した時代まで、5つのテーマを設けて日本文化の形成過程を展示していました。縄文土器の数々、大陸との交流を物語る弥生時代の金属器や古墳時代の遺物、神社祭祀の原点を示す沖ノ島の奉納品、平城宮の模型や正倉院文書などが見る者を原始・古代の世界へと導いてくれたのです。縄文中期の土器、日本各地から出土した多くの土器が展示されていました。青森県三内丸山遺跡の復元家屋。5500年前から4000年前までの約1500年間続いた大規模な村の跡のジオラマは圧巻であった。古代の前方後円墳。奈良・桜井市の箸塚古墳。日本で最も古い古墳で、卑弥呼の墓?と噂の古墳。平城京羅城門復元模型。約1300年前、奈良の平城京の入口にあった国内最大の門。左右には羅城がのびていて、京を訪れる外国人や国内各地の人々に都城の偉容を示すものだったという。羅城門は東西38m、南北20m、高さ24mくらいの規模とのこと。
2010.05.29
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我が家のキュウリもかなり大きくなってきました。先週は支柱を立て網をはりました。2列併せて12本の苗を植え付けました。ウリ科キュウリ属。原産地はヒマラヤ山系の南側。紀元前1000年ごろ、西アジアで栽培化され、そこから、広くヨーロッパや東アジアに広がったと言われています。そして、今や世界に400以上の品種が存在しているようです。 花の根本に5cm程の小さなキュウリが付いています。もう少し小さいうちに収獲したものが「花キュウリ」なのでしょうか。キュウリの花です。鼻を近づけると僅かに甘い香りのする黄色い花です。初収穫のキュウリ、やや短くメタボ気味ですが。採れたばかりのキュウリには薔薇のとげのようなイボがあり、素手で触ると痛いのです。このイボは鮮度が失われるにつれて硬さを失っていくため、このことからキュウリの鮮度を見分けるための目安にもなるとも言われているのです。イボの部分に雑菌などが付く恐れがあるため、近年ではイボの無い品種も開発されてこの苗も園芸店で売られていました。「もろきゅう」で初収穫を味わい楽しんだのです。そして今朝の富士山は見事な姿を見せてくれています。
2010.05.28
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我が農園のジャガイモが花をつけています。3月13日に種芋の植え付けを行ってから約70日になります。ジャガイモはナス科ですが、日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれたそうです。当時のジャカルタが「ジャガタラ」と呼ばれていたため、「ジャガタライモ」と呼ばれるようになり、呼び名が変化しジャガイモになったそうです。「馬鈴薯」(ばれいしょ)とも呼ばれていますが、「馬鈴薯」の由来は諸説があるようです。今年はキタアカリ、インカのめざめ、シャドークイーンの3種を栽培しています。【キタアカリ】キタアカリは有名な「男爵芋」を母に持ち、ビタミンCを多く含むジャガイモです。別名「黄金男爵」「栗じゃが」とも呼ばれ、男爵いもに似たホクホクした触感が特徴です。口当たりはしっとりなめらか舌触り、えぐ味がなく、さつまいもに似た良い香りがするのです。そして切った断面は食欲をそそる黄金色なのです。「キタアカリ」の花。色は淡いピンク色。【インカのめざめ】原産地は昨年旅行した南米アンデス。この地のジャガイモを日本向けに改良したもの。これもキタアカリ以上に驚くほど鮮やかな黄色と、コロコロと小粒な姿、キタアカリと同様に栗かサツマイモを思わせるホクホク感で、たいへん人気のある高級品なのです。インカのめざめの花、薄紫色のキレイな花です。ジャガイモの花の中では色の濃い方ではないでしょうか。【シャドークイーン】毎年、気に入って栽培しています。イモの形は長楕円。皮も中身も鮮やかな紫色のジャガイモなのです。今までの紫ジャガイモもよりも3倍のアントシアニンでを含むことと、調理後も鮮やかな色が落ちないところが良いのです。下の写真は昨年このジャガイモを収穫後に切って写したモノ。見事な紫色です。ポリフェノールアントシアニン、この成分が色をだしているとのこと。このポリフェノールアントシアニンは、ブルーベリーが有名で、抗酸化作用があり、目にやさしいとのことなのです。他のジャガイモはどれも似たような姿ですが、このジャガイモだけは茎が濃い赤紫、葉の形も明らかに違っていて、一目で区別ができるのです。花もちょっと妖しげな雰囲気。これから1ヶ月もすれば収獲出来ます。ジャガイモは植え付けから3ヶ月程度で収獲出来る極めて成長の早い作物なのです。我が家では肉ジャガや粉吹き芋、ポテトサラダ、ジャガバター、フライドポテト、コロッケ・・・などでこのジャガイモを楽しんでいます。もちろんカレー、シチュー、グラタン、味噌汁などの具にも利用しているのです。しかしながら、何にも増して、単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べるのが超最高と思っている『アラカンオジサン』なのです。
2010.05.27
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雨上がりの昨日早朝、空豆収穫のために養蜂場のある農園に向かいました。 実は空豆の収穫以外に目的があったのです。それは我が農園の前の林の道沿いに横たわっている枯れ木にキクラゲが生えているのを先週見つけたからです。キクラゲは、木に生えるクラゲのようなのでキクラゲ、中国では木耳、、、動物の耳に似ているからなのでしょうか。食用にされたという記録が残っているのは室町時代以後とのこと。見た目が気持ち悪い上、無味無臭なので人々から食材とは思われなかったようです。 こんな大きくなったキクラゲを発見したのは初めてなのです。適度な湿気があると、枯れた腐りかけた木の幹に生えるようです。今年はかなり群生していたので、これくらいの収穫にありつけたのです。自宅に持ち帰ったキクラゲは、昨日の夕飯時に妻が酢豚の具として調理してくれました。キクラゲ、タケノコ、タマネギ、ニンジン すべて我が農園とその近くの産物なのです。やや透明感がありそしてクラゲに似たコリコリとした歯ごたえのある天然産キクラゲを楽しんだのであった。
2010.05.26
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我が住む市の市制70周年記念のイベント『出張!開運なんでも鑑定団in湘南藤沢』の公開収録の観覧に妻と行ってきました。それにしても何故『in湘南藤沢』、『in藤沢』ではいけないのでしょうか。大和で開かれたときは『inやまと市』なのに。わざわざ『湘南』をつけなければならないほど藤沢市の知名度は低いのでしょうか?12時入場開始と言うことで早めの10時45分に現場に到着、整理券をもらう。番号は135番、この番方の順番に入場し前から詰めて席に座るとのこと。喫茶店で時間をつぶし、30分前の11:30から番号順に並び入場を待つ。もちろんステージは既に準備が完了。中央に鑑定品を置くテーブル、そして左の金屏風の前には3名の鑑定士の席が設けられていた。早めに行ったお陰で前から9番目の中央右の席を確保。ADであろうか、黒いユニフォームを着た女性がステージ上から、会場内の携帯電源切り、カメラのフラッシュ厳禁を何度も説明、そして拍手の練習、鑑定額の発表時のリアクションについても練習を行ったのであった。そしていよいよ本番開始、鑑定士は中島誠之助、安河内眞美、永井龍之介の3氏。中島誠之助氏は知る人ぞ知る日本の骨董商・古美術鑑定家。鑑定団の鑑定士としてレギュラー出演、決めセリフの「いい仕事してますね」。今回も収録の最後の方に参加者の一人にリップサービス。安河内眞美氏は掛け軸、屏風などの日本画系統の鑑定で中心的な役割を果たしている女性鑑定士。そして永井龍之介氏は、専門分野は現代洋画・日本画の鑑定士なのである。司会はいつもの松尾 伴内と新妻 さと子。放映日は8月3日ということで、それまでは出品のお宝や鑑定金額などの放映内容の具体的な説明や写真は御法度!!鑑定品を持ち込んだ出場者は6名、途中地元鵠沼に幼い頃住んでいたという鑑定士の中島誠之助氏がお宝の鑑定にステージ中央へ。 我が席の斜め後ろからは、幼なじみからの『誠之助先生 お帰りなさい』の歓迎の横断幕が。約1時間45分の観覧時間、出場者と司会者、鑑定士の間のトークもおもしろく、お宝の持ち主そして観客も一喜一憂のあっと言う間の時間であった。収録終了後の会場写真、外は雨のため足早に家路につく方が多かったのであった。8月3日のテレビ放映が今から楽しみな『アラカンオジサン』である。
2010.05.25
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先週末に我が趣味の農園の空豆の収穫を始めました。サヤのふちの色が濃くなり、サヤが下向きになったら収穫の適期なのです。西南アジアから北アフリカに原産する空豆は、8世紀頃の奈良時代にインドの僧により伝えられたとのこと。シルクロードを通り、遣唐使船により日本へもたらされた事を思うと空豆が何故か高貴なものに思えて来るのです。そして6000年以上前から地中海沿岸で食べられてきたといいますから、世界最古の栽培作物であるのかもしれません。ところでこの空豆はいろいろな名前を持っている豆なのです。同僚との飲み会で解ったのですが中国地方では夏豆、静岡から伊豆へかけては五月豆、関西の一部では大和豆、そして我が相模地方の一部では冬植えるから冬豆、房総では雪割豆、一寸豆と・・・・・・・・。その土地によって空豆の利用法と収穫期が違うからなのでしょう。 空豆は鮮度が落ちるのが早いので、なるべく収穫直後に茹でその日に食べるのがコツ。莢を割ると、ホワホワした赤ちゃんの産着のような、白い真綿?に包まれ、それが蚕(カイコ)のマユのように見えるため蚕豆とも呼ばれるのです。この空豆は3個の種子が行儀良く並んでいました。何か気持ちよさそうな空豆達ですが、食べるためにはこのBEDから出さなくてはならないのです。つやつやと、やや白い翡翠色?の清々しい緑は、初夏の風物詩、自然と食欲がそそられる色なのです。茹で立ての蚕豆に、パパッと塩を振る。冷めないうちに口にする。ああ今年も夏がやって来るなぁと感じる至福の瞬間なのです。若い新鮮な蚕豆は薄皮ごと食べられるのです。居酒屋などで頼むとカラ入れの器もセットで出てくるので、皮は食べられないことを前提の食べ物と考えられているのでしょうか。要は新鮮ではないことを自ら吐露しているのです。やはりビールなくしてこの空豆は存在出来ないと考えている『アラカンオジサン』なのです。『茹でて食べる場合には、サヤごとゆでた方が香りが高く旨み・甘味も濃くなる』との書き込みを発見。次回はやや手間がかかるが挑戦してみたい。莢から出してから茹でるのが昔からのやり方、よってこれが一番美味しいからこのやり方が伝わっているのだと主張する人も側にいるのではあるが・・・・。そうだ、若かりし頃エジプトへ旅行した折、空豆をすりつぶしてコロッケ風にしたターメイヤ?が夕食に出てきたことを思い出した。このターメイヤ、なんと言っても、鮮やかな緑色が目を引いたが、香草の香りが自分に今一であったのだが。そしてモロヘイヤスープも初めての経験であったことを懐かしく思い出しているのである。
2010.05.24
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昨日は蜂友のEさんが別の私用のため参加できないと言うことで単独内検となりました。 金曜日の朝、師匠のYさんから、通勤路の街路樹にミツバチが分蜂し蜂球を作っているとメールをいただきました。そして蜂球の場所が、木の上の方なため、西洋ミツバチか日本ミツバチか不明とのこと。我が養蜂場から直線距離にして300m程度の場所。もしや我がミツバチの分蜂かと半分覚悟し内検を行ったのでした。NJ1群は群勢は極めて大きかったのですが、2週間前から無王群になってしまったのでした。そして先週に同じく師匠のYさんから、変成王台を作らせるために女王のいるNJ2群から産卵直後の卵がある巣枠を1枚NJ1群に移動せよとのご指導を頂きこれを実施したのでした。女王蜂が居なくなった無王群が作る王台(女王蜂を育てる特別な巣房)を変成王台と呼ぶのです。そして今朝の内検で、移動した巣枠に変成王台が3個出来つつあることを発見したのでした。1個を壊し2個としました。この変成王台から新女王の誕生が待たれるのです。NJ2群は女王蜂が元気に産卵を続けています。蜜も順調に増えており、朝日に蜜が光っていました。NJ4群の女王蜂も交尾したのでしょうか、体が大きくなっていました。ロイヤルコート状態も確認できました。昨日の内検の結果、分蜂群は我がミツバチ達ではなさそうなことが確認できました。来週末は私用で出かけますので、内検は蜂友のEさんにお願いすることとなります。NJ1群の変成王台に産卵し、新女王の誕生が待たれるのです。
2010.05.23
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我が家の横の農園の隅に植えてあるミカンの木の花が咲き出しました。白いきれいな花が各枝にぽつぽつとついています。 他の植物等の花に比べ、花びらが肉厚なのが特徴です。プロのミカン農家はこの時期に摘蕾・摘果作業をするようです。ちなみに、摘蕾(てきらい)とは蕾(つぼみ)を取ってしまうことで、摘果(てっか)とは実が小さいうちに取ってしまうことを指してこう呼ぶのです。花がたくさんあるので、単純に今年は「豊作」と思いがちですが、実をつけられる量は樹の体力に依存するとのことで、花はほとんど実にならずに落ちてしまい、摘蕾・摘果作業をしないと小さい実ばかりになってしまうからなのです。 もちろん我が家のものは素人が育てているミカンですので、今年も摘果はやらないつもりです。白く可憐な花に顔を近づけてみると、甘く爽やかな香りがするのです。小さな花から醸し出される甘酸っぱい香りが好きなのです。そして我が家のミツバチ?がこの香りに誘われて蜜を集めに来ています。花の根本まで体を夢中に?突っ込んでいるのです。見ているとあまり開いていない花が好きなようです。蜜が多いのでしょうか?我がミツバチ?は賢いのです。
2010.05.22
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我が家の横の農園で栽培していたエシャレットを今朝収獲してみた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、日本でエシャレットの商品名で販売されているほとんどの物が、生食用に軟白栽培されたラッキョウとのこと。この一年物の早獲りラッキョウに「エシャレット」という商品名を命名したのは東京築地の青果卸業者。名付け親である青果卸業担当者は『「根ラッキョウ」の商品名では売れないと思ったのでお洒落な商品名を付けた』と語っているという。「エシャレット」が商品化された1955年頃はまだ日本で本物のエシャロットが一般的でなかったので問題はなかったが今となっては非常に紛らわしいと。日本では殆どの者がこれをフランス料理で使用される本物のエシャロットと混同している。同じネギ属の同属異種植物ではあるが、エシャロットとラッキョウでは見た目も味も違う。日本では、単に「エシャロット」というと、この根らっきょう(エシャレット)を指すことが多いので、本物がほしい場合は「ベルギー・エシャロット」などと表示されているものを選ぶのだと。 収獲した1株のエシャレット。1粒の種エシャレットから20個以上のエシャレットが収獲出来る歩留まりの良い野菜。掘りあげてみると、球は大きく生長していたのだ。球は下ぶくれの形状であるが、地上に出ているのは細い先端であり、太った下部は地中にあるのだ。掘り出す前の観察ではあまり肥大していないように見えたが。数も球の大きさも大いに満足。早速、朝食時に新鮮な味を楽しんだ。ちょっとピリリとするが、味噌をつけてかじるとうまいのである。カロリーはほとんど無いらしいが、食べると何だか血行が良くなり、血がサラサラと流れ出したような気がした『アラカンオジサン』である。そしてBEST MIXの甘い苺も楽しんだのであった。 今日は暑くなりそうだ。農園のビニトンの裾を上げて温度上昇を防止、そして苺にかけていたビニールの雨よけも外してきた。週末はミツバチの世話、トマト、キューリの支柱立て、草取り・・・・なんでも鑑定団の観覧と超多忙である。いざ出陣。
2010.05.21
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我が家の庭に植えてあるシャクヤクの花が咲きそろってきました。ボタン(牡丹)が「花王」と呼ばれるのに対し、シャクヤク(芍薬)は花の宰相、「花相」と呼ばれているのです。黄色の花は他の色の花に比べて早く咲き出しました。八重咲きの黄色が鮮やかです。中心部はマロンケーキを思い出させます。これも八重咲きの赤種。濃いピンクの花の中心は白く、2色で着飾っています。棚引くような白が見事です。薄いピンクの花はこれからが開花のピーク。そして純白の花は、奥ゆかしく未だ蕾、この週末の暑さで一気に開花しそうです。我が家の『立てば芍薬』から朝食の準備が出来たと、声がかかりましたので今日のブログはここまでとします。
2010.05.20
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東京電力(株)さんから5月分の『電気ご使用量のお知らせ)が届きました。期間は4/16~5/18の33日間の結果です。昼間: 18kwh朝晩:255kwh夜 :370kwh 合計643KWH 9,551円という結果となりました。今月分は電気暖房を使用しなくなったため、使用量も大きく下がりました。太陽光発電導入からの我が家の1日の電気使用量のパターンです。夜間はエコキュートの稼働により大きくなっていますが、相変わらず夜型生活が続いています。そして『余剰購入電力量のお知らせ』(京セラ 5.76kwh)です。売電電力量は33日間分とはいえ552kwhという素晴らしい結果です。過去最高のダントツ1位の26,496円です。昨年同月は同じく33日間で525kwhと本年比-27kwhでしたが金額は14,117円でした。今年は48円/kwhで売れましたのでこれが大きな要因で2倍弱の売電収入となりました。太陽光発電に関する総合イベント『PVJapann2010』の開催案内が届きました。太陽光発電の普及促進と産業発展をミッションとする日本唯一の業界団体 太陽光発電協会(JPEF)と電子デバイス製造装置&材料産業の国際工業会SEMIが共同主催する太陽光発電の総合イベントなのです。今年は時間を作り、是非行ってみたいと考えています。今日も我が家の屋根で頑張ってくれるパネル君の写真です。
2010.05.19
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昨夜は勤務終了後、同僚に誘われ近くの品川・御殿山レストランで開かれた『スエヒロ演芸場』で開かれた落語会に行ってきました。最初に落語2席を堪能した後、飲み放題食べ放題のディナー付きで4500円。この落語会は、このレストランの親会社の創業100周年行事の一環と。そして今回は2回目の落語会とのことであった。演者は『桂 才紫』さん、私が社会人となった昭和49年生まれの35才、中央大学卒業後直ちに桂 才賀師匠門下に入門したとのこと。現在は東京の寄席のほか、全国の落語会に出演中。近年はミュージカルにも出演し芸幅を広げている最中であるとの司会者の紹介後、いよいよ噺を。最初は『たぬき』。恩を受けた男のところに狸が現れ、借金を返すために5円札に化け借金取りに来た番頭の手に。番頭に訝しがられ、この札をぐるぐる回され目が回る狸、そして二つに折られ、懐に入れられ、背骨が折れちゃうじゃねぇかと悲鳴を上げる狸。最後にがま口を食い破って外へ出るときにふと目に付いたのが本物の5円札、土産に五円札三枚、持って来ちゃいました...と言う話。『たぬさい』と言う、狸がサイコロに化ける話は何度かテレビ放送で聴いたことがあったがこの話は初めて。場内は写真撮影禁止と言うことで才紫さんのブログに載っていた写真を借用させていただきました。小柄ながら声が通る将来有望な噺家。そして2席目は有名な『火焔太鼓』。商売下手の古道具屋が仕入れてきた古く汚い太鼓。この汚い太鼓にハタキをかけさせる間に出た太鼓の音に、近くを通っていた大名が大いに魅せられ屋敷へこの男を呼ぶ。元値の一分で売り払おうと武家屋敷に向かう古道具屋。屋敷に太鼓を持参し、殿様に見せると、何故か気に入ったらしく購入したいと。目利きの殿様によれば、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」。殿様のつけた値段はなんと300両。古道具屋は腰を抜かし、出された現金150両まで数えたところで泣きだす始末。300両をふところに興奮して家に飛んで帰るや、早速かみさんに50両ずつ懐から出し溜飲を下げる。かみさん、仰天して危うく気絶しそうになる。味をしめたこの男が、音がするものだから旨く行った、次は景気よく半鐘を仕入れようとかみさんに言うと、かみさんそれを押しとどめ、「半鐘? いけないよ、おジャンになるから」と言う落ちでしめくくられた噺。熱演、全力投球の2席であった。時間を忘れ大いに聞き入り楽しんだのであった。 その後は同僚3人で飲み放題、食べ放題のバイキングに挑戦。我々も全力投球で1.5時間程奮闘。その間の抽選会で、同僚のAさんは高級ワインと食事券5000円をGET、私は桂 才紫さんのサイン入り色紙が当たる。誘ってくれた同僚は遠慮したのか全くの外れであった。外れは次回来店時の生ビール無料券。大いに久しぶりの落語と料理を楽しみシャトルバスに乗り品川駅に。店の出口では、私服に着替えた桂 才紫さんが送りに立っていた。記念にツーショット写真を撮ってもらった。来週日曜日は『なんでも鑑定団』の公開放送を見に行く。才紫さんが『万里の道をひたすらに』更に技を磨き、将来は真打ちとして大いに活躍され、この色紙の鑑定価値が300両以上?にアップすることを期待している『アラカンオジサン』なのである。
2010.05.18
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昨日は我が農園で、高校時代のクラス仲間の飲み会を行いました。 ほとんど神奈川県内に住む友人ですが、千葉から駆けつけてくれた級友もいたのです。今回は旧友が日本でも超有名、世界的な大企業の新社長に就任したための祝賀会が目的でした。新社長も土曜日の夜に岡山から帰任し、疲れも見せずに参加してくれたのです。いつもはブルーシート上の宴会ですが、新社長就任でもあり、ブルーシートの上にゴザを敷き青空の下、自然の景色を楽しみながら、そしてミツバチの羽音をBGMに『お座敷』風の宴会になったのです。料亭『菜蜂』の特別室なのです。料理は会社の先輩が調達してくれた『松尾のジンギスカン』 5kg。野菜類はキャベツ以外は残念ながらスーパーで購入。まだ我が農園では植え付けたばかりの野菜なのです。味付け肉と一緒にアルミ鍋も付いていると言う至れり尽くせり。いつも我がクラスのマドンナが調理を一手に引き受けてくれます。このマドンナ無しではこの農園宴会は成り立たないのです。そして日本酒は我が親会社のこちらも新社長からの頂き物です。宮城県は石巻の銘酒。全国的にも有名な「日高見」の純米大吟醸酒なのです。香り、味わい、のどごしのキレは絶品でした。約4時間に亘る大宴会でしたが、今年還暦を迎えるとは思えないほど元気に語り合いあっと言う間の時間でした。この秋の再び我が農園での恒例の『芋煮会』での再会を約束して、皆 畦道を這いずるように、いや転び這いずりながら帰って行ったのですが・・・・・・・。
2010.05.17
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我が農園のソラマメもだいぶ大きくなり、順調に生育しています。実もだいぶ大きくなりました。1株に10~20個の実を付けています。下の写真はまだ実の先が天を向いています。和名の由来は、このさやが空に向かってつくため「空豆」なのです。中には下を向き出した実もあるのです。上を向いていたさやが下向きに垂れ下がってきたら、実が充実してきた証拠。そろそろ収穫です。さやの背筋が黒っぽくなって光沢が出始めます。早いと美味しくないし、最初は収穫の適期が難しいのです。ソラマメは採りたてを塩ゆでにして食べると味もまた格別。とびきり鮮度の良いものを食べられるのは、我が農園で育てる醍醐味なのです。「旨いのは3日」といわれるほど鮮度が落ちやすいのです。そして我が農園での収穫の時期を今か今かと待っている人が多いのです。
2010.05.16
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我が家の玄関先にはこの家の新築時に父が植えてくれた五葉松があります。 樹皮は黒みを帯び、枝は水平に出て、針状の葉が5枚ずつ束になってつくので五葉松と呼ばれているのです。毎年、ゴールデンウイークの間に全くの素人の我流ですが、みどり摘みを行っています。新芽の数を減らし芽を切り詰めることで枝間が短くなり樹姿が良くなるのです。五葉松は、徒長枝があまり出ないため、いつも丹精な姿で落ち着きがあるのです。また、葉がこんでいて、枝が水平に出る為、観賞価値の高い木と言われ、庭木として人気があるのです。葉を1本、1本手で摘み取り、また新芽も手で摘み取るか半分くらい残して摘み取らねばならず時間と根気のいる作業なのです。しかし昨年は機を逸してしまい、写真のごとく伸び放題となってしまいました。葉と葉との間には毛虫が巣を作っている場所もありました。松ぼっくりが出来てしまっている枝もあるのです。今年は、意を決して?義兄の友人で植木屋さんの手伝いをされていると聞くIさんにお願いしました。剪定後の写真です。枝全体がかなり浮き上がってしまっていますが、今回はかなりいらない枝を抜きさばいていただきした。今まで葉や枝が密集して間から空が見えませんでしたが、剪定の結果青空が垣間見えるようになったのです。 徐々に浮き上がった枝を押さえて、五葉松本来の美しさにした立てていきたいと思いますが、長年サボってしまっていたため、幹も太くなりままならなくなってしまっているのが現状です。今後も植木屋さんのお世話になって行かねばならないことを実感している『アラカンオジサン』なのです。
2010.05.15
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我が趣味の養蜂場そして我が家の庭のアイリスか綺麗な花を咲かせています。薄紫の『ジャーマンアイリス』。ジャーマンアイリスはヨーロッパで古くから栽培されている植物。たくさんの園芸品種が存在するのです。ドイツアヤメを元に数種類の種を掛け合わせた品種をジャーマンアイリスと呼ぶのです。草丈は1mを越しています。冬の寒さにも強く育てやすい植物で地面に近い場所に球根のような根茎を作りそれが伸びていってふえてきています。この時期に花茎を伸ばしてその先に3から4輪の花を咲かせているのです。そして我が家の庭には,一回り小振りの『ダッチアイリス』が青と黄色の鮮やかな花を咲かせています。 別名「オランダ文目(オランダあやめ)」とも呼ばれている品種です。アイリス (Iris) は、ギリシア語で虹を指すイリスを英語読みした言葉なのです。ジャーマンアイリスは根茎で増えていきますがこちらのダッチアイリスは球根なのです。どちらもアヤメ科の植物ですが、「アイリス」はヨーロッパ南部が原産の洋物、「アヤメ」は日本をはじめとするアジア北東部が原産の和物の総称なのです。鮮やかな黄色が日光を反射しています。青色の花弁の中央の黄色が見事です。黄色の部分から外側に向けて放射状に縞模様が入っているのです。これが『アヤメ』の特徴。カキツバタにはこの縞模様がないのです。「何れアヤメかカキツバタ」と言う言葉がありますが、この意味は、アヤメとカキツバタが見分けにくいように物の区別の付けがたい様子のことで、そこからいずれ劣らぬ美しさを例える意味にも使われているのです。この時期には、いろいろな花が争うように開花してくるので、毎日が非常に楽しみな花待ち人の『アラカンオジサン』なのです。
2010.05.14
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私の住む市の市制70周年記念事業の一環として、テレビ東京で好評放送中の「開運!なんでも鑑定団」の人気コーナー出張鑑定が開催(公開収録)されるのです。開催日は5月23日(日)、場所は市民会館大ホール。 お宝大募集の案内。折しも我が実家は改築のため古い家を取り壊すというので何か天井裏からお宝が出てこないかと楽しみにしていましたが、意に反して?何も出てきませんでした。よってお宝の応募は断念。観覧希望の往復はがきを4枚出しましたが、そのうち1枚が当たったのです。応募枚数5463通とのこと。市民会館大ホールの座席数は1380席とのことですので当選者はおおよそ1300名、650通(1通で2名)と予想されます。よって8.5倍の倍率にめでたく当選したのです。先日返信はがきが4枚届きました。左が落選のはがき、そして右側が当選のはがきです。落選は青色印刷、そして当選は赤色印刷なのでした。当日は12時開場との事。妻と早めに行き前の方の座席を確保し大いに楽しみたいと思っているのです。
2010.05.13
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先日 我が実家の竹藪に行き蕗を採ってきました。既にタケノコは大きく生長し、2m程の高さまで生長しているものもありました。その根本に多くの蕗が生えているのです。数少ない日本原産の野菜の一つ。平安時代から野菜として栽培されているのです。透き通った淡緑色の葉柄は独特の香りと苦味を持ち、さわやかな春を表現する食材なのです。春一番に出てくるフキのツボミがフキノトウです。今年もこのフキノトウも堪能しました。太そうなものを50本ほど収獲しました。葉を取り自宅に持ち帰りました。早速 妻が『キャラブキ』にしてくれました。キャラブキとは、蕗を伽羅色に煮付けた料理なのです。伽羅(きゃら)とは香の一種で、ベトナム、タイ等東南アジアが原産地のものです。昔、伽羅の上質なものは競い求められたといいます。 そんな伽羅にちなんだ黄色を帯びた褐色が伽羅色ということになります。塩分のことも考えてやや薄味に仕上げてくれました。蕗はアクが強く、この苦味がキャラブキの旨みで、ご飯やビールの肴に最高です!!。
2010.05.12
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我が家の庭の隅に植えてあるシュロ(棕櫚)の木が面白い形の花を今年も付けました。 幹の高さは4ートル前後、高い部分から手の平の形をした葉がたくさん伸びています。枝がなく麻のような毛むくじゃらの幹が特徴なのです。出張先の宮崎では多く見かけますが、この木は南の国から我が家に迷い込んでしまい途方に暮れているような木なのです。英語で棕櫚はpalm、 この語源はpalma(手の平)つまり、葉の形が手の平と似ていることに由来しているのです。木の上部から黄色の肉質の花を突き出して来ています。形がユニークでかつグロテスクで、どう見ても綺麗とは云い難いのです。この花が乾燥するとミイラのように収縮し茶色になり木に残るのです。雄花の拡大。まだ花は開花していない状態のものそして開花した小さな花も多く見えます。近寄って見ると小さな花の花序がさらにたくさんまとまって大きな房をつくっています。さらに近寄ってみると,2ミリくらいの丸い花です。先端に黄色や既に白くなっている葯(?)をつけているのが雄しべなのでしょうか。普通の植物繊維は水に触れると腐り易くなりますが、シュロの繊維それ自体の油分により耐水性があり、また非常に強く柔らかく、弾力性、耐久性に優れ、束子や箒の素材としてはもってこいの天然素材なのです。現在でも束子(タワシ)やシュロ箒として使われているのです。シュロは日本には二種類、和棕櫚(ワジュロ)と唐棕櫚(トウジュロ)が生育しているとのこと。見分け方は簡単で、団扇状の細かい切れ込みを有する葉の先が途中で折れ乱れてやや大型化するのがワジュロ、葉先までピンと筋が通って美しく、小振りで庭木や公園樹としてより重宝されるのがトウジュロです。よって我が家のものは間違いなく和棕櫚。私が幼い頃、亡き祖母はがシュロの葉を編んでハエ叩きとして利用していたことを思い出します。他にも、帽子、敷物、草履の裏、団扇、濁水の濾過材などにも昔は使われていたことを知っているのです。数年前中国を旅したときに、現地ガイドから中国ではこの若い花をタケノコのように食用にするとも聞きました。どんな味となるのでしょうか?しかしあまり挑戦したくない、そして本物のタケノコの旬の味を楽しんでいる『アラカンオジサン』なのです。
2010.05.11
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先日イチゴの雨除けに透明ビニールシートをかけてみました。イチゴは地面に実が触れているとかなりの確立でカビが生えます。更に雨に当たっても腐りやすくなってしまうのです。透明ビニールマルチを利用して苺の苗床に被せ、中央、両端を固定する方法です。最近の天気予報はかなり正確ですので、好天時は上の写真の如く中央にビニールマルチを束ねておき、雨の降りそうな時点で覆いをする原始的な方法です。天気が回復しても、被せたままですと中が蒸れてしまいますので注意が必要な方法です。こうしておけばイチゴの花へのミツバチの来訪も妨げることはありません。イチゴは江戸時代末期にオランダ人によって日本に持ちこまれたといわれています。「オランダイチゴ」と呼ばれるのはこのため。あのシーボルトも妻のタキと食べたと伝えられています。けれども、いちごの色が血の色を連想させたからでしょうか、当時はあまり普及しなかったようです。日本で本格的に導入されたのは、明治時代に入ってから。1960年代までは春に食べる季節の高級な果実でしたが、その後、品種改良や栽培方法の変化が進み、ほとんど一年中手に入るようになり、消費が飛躍的に急増したのです。英語のstrawberryという呼び名は、苗の周りに藁(straw)を敷くという栽培方法に由来するという説や、藁のように水を吸うところから名づけられたという説などがあります。私が子供の頃はイチゴの苗の周りに確かに藁を敷いていたのです。『イチゴ』の名前の由来は、野生の木イチゴが「魚(いお)の血のある子のごとし」といわれたことから、魚の[イ]、血の[チ]、子のごとしの[ゴ]をとってイチゴと呼ぶようになったと。また、1~5月に収穫されることから『イチゴ』といわれるようになった?という冗談のような説もあるとのこと。そして「苺」という漢字は、乳首のような実がなる、という意味合いからきているのです。初収穫したイチゴです。大きさは不揃いですが新鮮が最高の売りなのです。普通、イチゴ(苺)といえば、赤く膨らんでいる部分が実で表面にくっついているツブツブが種だと思っている人が多いようですがそれは間違いなのです。 あのツブツブは、じつはイチゴの果実、つまり実なのです。では、我々はいったいイチゴの何を食べているのか?といえば、実は「花托」なのです。 花托とは、それらの花葉を支えるところ。イチゴは、花が咲き終わると花托がふくらみ、赤く色づき、あの食べるところが花托なのです。つまり我々はイチゴの花が咲き終わった後に異常に肥大した花托を果実だと思って食べているのです。 では、イチゴの本当の種はどこにあるのかというと、それは他のリンゴや桃と同じように、果実の中にあるのです。リンゴや柿など多くの果物は外側に甘い実があって中心に種が。違うものもありますが、その中でも不思議な形をしているのが「イチゴ」。赤い実の周りにゴマのようなツブツブがついているのです。イチゴは果実と種の位置が逆で、外のツブツブが種で...と思ってる人が多いようですが、本当はこれも少し違うのです。分類上は外のツブツブの一つ一つは実の部分、つまりリンゴや柿1個に相当し、小さなツブツブのさらにその中心に種があるのです。しつこいですが、つまり果実であるあの小さいゴマのような、ツブツブの硬い皮をはぐとその中にちゃんと本当の種があるのです。このツブツブを切って断面の写真を撮りたかったのですが我が家にそのような微細精密器具はないのです。これから1週間程度がイチゴ収穫の最盛期。過熟してしまうと病気が発生しますので熟し始めたものはどんどん収獲しなければならないのです。通勤前の収獲が忙しい日々が始まりました。これも苺との『イチゴイチエ(一期一会)』なのです。失礼しました。(笑い)
2010.05.10
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連休前半のの4/30のミツバチ内検時にNJ1群の巣枠2枚に王台が出来ているのを発見。既に底は塞がっていたのでした。ミツバチの巣箱の中で蜜や蜂がいっぱいになって、これ以上増えると狭くて住めない状況になってくると、女王蜂は王台と呼ばれているこの特別な巣房に、新女王の候補の卵を産みつけるのです。4/30に撮影した王台の写真です。この王台を利用して『人工分蜂』に挑戦していたのです。人工分蜂とは群れの勢いを増した、分蜂しようとしている蜂群に対して、自然分蜂が起こる前に、先手を打って群れを分けて、新しいFAMILYを作る方法なのです。王台が1個ずつある巣枠2枚とその他の巣枠2枚を種蜂購入時に入っていた巣箱に移し元の巣箱の隣接し設置しておいたのです。昨日朝、この人工分蜂用の王台がどの様になっているか確認のため、内検を実施。王台のある巣枠はマーキングしておきましたのでその1枚を引き上げて見ました。何と既に底が丁寧に丸く水平に近い形で破られ、王台は空家状態となっていました。新女王誕生かと、この巣枠を綿密に観察しましたが新女王の姿は確認できませんでした。そしてもう一つの王台があった巣枠も観察しましたがこちらの王台も既に空家状態。しかしこちらの巣枠からも新女王は見つける事が出来ませんでした。こちらは何故か切り口が乱れています。何かあったのでしょうか? 2新女王の同時?誕生で内紛が起こり2匹とも死んでしまったのでしょうか・・・・と考えながらこの巣枠の裏側を確認してみると何と1匹の新女王を発見したのです。卵を産んだ日から、16日前後で新しい女王蜂の誕生するのです。残りの巣枠も確認しましたが女王は確認できませんでした。よって初めての挑戦であった『人工分蜂』の第1STEPをクリアした模様なのです。この新女王はもう一匹の新女王との戦いに勝ったのでしょうか?そしてこの新FAMILYの新女王蜂として早くも確固たる地位を築きつつあるようです。そしてこの新女王は未だ未交尾?なのでしょう。胴体もやや短いですが既に周囲の働き蜂達は新女王と認めているようでロイヤルコートを見せてくれました。女王蜂の周りで、女王蜂の方を向いて、円のようになっている囲んでいる働き蜂がいます。これがロイヤルコートと称する状態なのです。既に巣穴にお尻を突っ込んでいますが・・。順調に進めば、誕生後数日(3~5日程度)して、昼下がりに交尾飛行に出かけ、雄蜂と交尾して産卵を開始するはずです。新女王がうまく育って、交尾がうまくいって初めて増群ができたこと、よって『人工分蜂』の成功となるのですが。新しい10枚巣箱の新居にこのFAMLYを引っ越しさせました。これで我が趣味の養蜂場も4FAMILIES(NJ1、2,3,4)となりました。NJ1群は3段積ですが他は現状1段。 今後は定期的に内検を小忠実に実施し、自然分蜂の防止と病気の早期発見と対応、ダニ&スムシ対策を行いながら各FAMILYの群勢を更に高めていきたいと考えている『素人養蜂家』2年生なのです。
2010.05.09
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我が趣味の農園のスナップエンドウが収穫期を迎えています。エンドウにはサヤ(莢)を食べるサヤエンドウ、サヤの中の実を食べる実エンドウ(グリーンピース)、サヤと実を食べるスナップエンドウなどがあるのです。種類によって食べ方も違うのです。スナックエンドウ(他にスナップタイプエンドウ、スナックタイプエンドウなど)と呼ばれることがありますが、これは商品名として扱われており、農林水産省により名称が統一されスナップエンドウが正式な名称となったのです。花はマメ科らしい白い花を咲かせています。昨年11月3日に種蒔きし11月の終わりにこの畑に定植したものです。種まきが早すぎると、大きくなりすぎて冬に冷害を受けやすくなるから注意が必要なのです。さらに連作に弱い代表的な作物。同じ場所には5~6年作らないようにすることが良いのですが・・・。エンドウは酸性土壌が苦手、種まきの1週間くらい前に、苦土石灰をまいて耕しておくことが必要なのです。サヤが柔らかく、サヤと豆の両方を食べることが出来るのです。サヤは肉厚で甘みが強いが、メタボなサヤのものは硬いスジがあるのです。しかし、あらかじめスジを取り除くとサヤがバラバラになって中の豆がこぼれてしまうので、サヤがついたまま調理した上でスジごと食べています。採り立ての新鮮なものはスジはほとんど気にならないのです。早朝に収獲したスナップエンドウ、メタボ具合も最高なのです。そしてさっと塩茹ですると鮮やかな緑と甘みが楽しめビールのつまみに更に最高!!そして並んでで栽培してあるサヤエンドウ(赤花)です。こちらも草丈が1m50cmくらいまで生長しました。今年は黄色の粘着テープをぶら下げた効果が出てハモグリバエの被害も比較的少なく元気に成長したのです。サヤエンドウも豆とサヤを一緒に食べられますが、サヤエンドウは薄く、サヤだけを食べている感じです。市場にはキヌサヤエンドウ種が多く出回るため、キヌサヤをサヤエンドウの代名詞にすることが多いようです。地方によって色々な名前で呼ばれているようですが。成長が非常に早いのです。 スイトピーのような 花だけでも 可愛いらしいサヤエンドウの花なのです。
2010.05.08
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我が趣味の養蜂場の近くで凧揚げが行われていましたので自転車で見物に行ってみました。「うなり」が頭の上でブーンブーンと鳴っていたので気がついたのです。「うなり」とは丸竹や割り竹で作った弓矢の弓のようなものに籐(とう)をテープ状に裂いたものを張り、それを凧の上部に取り付け、籐が風で震える音を聞くというものなのです。昔は籐の代わりに鯨の髭を薄く裂いたもの、動物の皮なども使われたと記憶しています。子供の頃私が揚げた子供凧では平ゴムを弓に張って鳴らしたりしたのでした。日本の凧のルーツは千年以上も前に中国から伝えられたのだ。中国や韓国では昔から占い、宗教、戦具など様々な事に凧が使われていたと。例えば、中国の北宋時代に、度々盗賊による被害を受けていた地域で、占いの指示に従って全住民が凧揚げを行ったところ、他の地域は盗賊に襲われたが、凧揚げを行った地域は危険を回避することができたという言い伝えがあるとのこと。日本で凧が正月の遊びとなったのは江戸時代後期とのこと。和紙の普及と共に子供の遊びとして広まり、様々な種類が生まれたようだ。また浮世絵などを絵柄にした凧が人気を博したとのこと。昔から「立春の季に空に向くは養生の一つ」と言い、凧はそのようなまじない的要素を兼ね備えた、新年の遊びとして江戸の人々を始め全国で親しまれたとのことだ。日本の伝統的な凧揚げは、子供の成長を願うこともありこの時期の節句に合わせて行われることが多いのです。凧揚げの場所に行ってみると、何と我が幼なじみの同級生も凧揚げメンバーの一人であった。大きさは2畳ほどの相当の大凧。この時の風の強さになると、素人では一人では支えられないとのこと。では2人3人では、となると、これもまた未経験だと一人に力が集まったリして、これまた危険と。揚げ糸を扱う際は、手袋が必須。軍手よりは、皮の手袋がより安全。大凧が揚がるかは糸目付けで決まるといわれるほど大切とのこと。根気と時間をかけ25本の糸目を付けたと。色々幼なじみが教えてくれました。折りしも愛媛県で行われていた大凧揚げで、呼び物の「100畳大凧揚げ」の際に横12.5メートル、縦14.4メートルの大凧が風にあおられて露店を直撃し、観光客の女性1人が左手に軽傷を負ったとのニュース。更にテレビニュースによると、端午の節句を祝うため、江戸時代から続く恒例行事の「座間市大凧まつり」と「相模の大凧まつり」が4~5日、座間、相模原両市の相模川沿いの河川敷で行われ、2会場を合わせ約16万人以上の見物客でにぎわったとのこと。和紙と竹の骨の美しい調和で出来がった日本の伝統的な角凧、そしてこの凧揚げを末永く子供達に伝えて行って欲しいと想いながら暫くの間、青空を見つめ続けていた『アラカンオジサン』なのでした。
2010.05.07
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昨日5月5日は「端午の節句」。 畳表を交換した八畳間にある『床の間』に、妻が五月飾りの鎧飾りを飾りました。床の間とは床を一段高くして、置物・花瓶などを飾り、正面の壁に書画などを掛ける日本の伝統的な和室の装飾空間。この鎧飾りは長男の初節句のお祝いにと、妻の両親から戴いたもの。なんと25年以上前のもの、我が家のお宝です。今度の「なんでも鑑定団」に出せそうな逸品なのです。三曲一隻の黒漆の屏風、止まり木の上で羽根をやすめる一対の鷹の姿と老松が描かれている。この武将は誰であろうか、昔聞いた記憶があるが思い出せないのであるが。端午の節句の飾りはこの五月人形の内飾りと、鯉のぼりの外飾りと分けられるのだ。男の子の健康を願う内飾りに対して、外飾りの鯉のぽりは、滝をさかのぼる力強い鯉にあやかったもの。立身出世の例えにされ、立派におとなになるようにとの願いが込められているのだ。長男が小さい頃は、この外飾りの鯉のぼりも隣の畑で何年かに渡り揚げたのであるが強風により鯉が外れ飛ばされ道路に落ちてしまったり、急な雨での鯉のぼりの片付け作業を行ったことを懐かしく思い出したのである。先日家の近くを散歩していた折農家の庭に揚がっていた鯉のぼりである。最近ではこの様な大型の鯉のぼりが我が住む地域でも少なくなってきたのであるが。この鎧・兜は昔、武家社会の男子にとって非常に大切なもの。また、今日では男子の身を守るという意味をもっており、端午の節句に飾ることで、男の子の誕生を祝い、災いや病気にかからないように身を守ってほしいという願いがこめられているのである。インターネット情報によると「端午とは、五の端(はじ)」。端は先端の「たん」であり「はじめ」を意味し、午は「ご」と読むため「五」と置き換えられ、五月最初の午の日が端午の節句になったと。「端午の節句」は、女性が田植え前に厄払いを行う行事から始まったようだが、「3月3日」が女の子の節句と言われるため、強引に男の子の節句にされたような生い立ちとのこと。また、別名菖蒲(しょうぶ)の節句と言われるように、端午の節句では菖蒲を用いて、春から夏へと変わる時期を無事に乗り越えるためのお清めが行われていたと。武士の間では、菖蒲を尚武(しょうぶ:武道や軍事を尊む)に置き換えて、尚武の節句として祝うようになり、男の子の節句へと変わって行ったと。武家では男子のお祝いとして、甲冑(かちゅう)や刀などを飾り、勇ましく成長することを祈ったと。これがのちに形を変えて、武者人形飾りとなったと。 現在では「子供の日」として国民の祝日にもなっているのだ。そして今年は「菖蒲湯」に入るのを忘れてしまいました。夫婦共々,ある道程を少しずつ歩み始めていることを実感せざるを得ない『アラカンオジサン』なのです。
2010.05.06
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我が家の4月の太陽光発電(京セラ 5.76KW)実績です。発電量:568KWH 通算=12790KWH売電量:396KWH 通算=7859KWH使用電力:897KWH買電電力:715KWH です。 4月前半の花冷えによる悪天候及びその後の周期的な2日連続の日照時間減少が影響しました。 導入以来の月別発電実績です。青が2年目の現在ですが、昨年に比べて発電量の減少が確認できるのです。昨年の4月発電実績は過去最高の756KWHを記録したことが解ります。今月は昨年同月比75%という結果です。導入以来の売電金額実績(東京電力通知実績の為 半月分のずれあり)です。売電価格に関しては、昨年4月比115%です。もちろん昨年11月からの売電価格=48円KWH/日が大きく影響した結果なのです。 そして更に民主党のマニフェストに、「再生可能エネルギーによる発電量の全量を一定期間、一定価格で買い取る固定価格買い取り制度を導入」とあるのだ。ドイツ、スペインを始めとして、導入の成功モデルとなっているフィードインタリフ(FIT)である。太陽光発電の場合、これまで電力会社が「余剰電力」をボランタリーに買い取ってきた。その為 我が家には通常の電力メーターと余剰電力用の電力メーターとの、2つのメーターが設置されている。太陽光発電の電力をコントロールする、パワーコンディショナーも自家消費で余った分を電力会社の配電線側に送り出すように設計されている。全量買い取りに変更するためには、このシステムを全部変更しなければならないのだ。家庭用太陽光発電システムの設置件数はすでに膨大な数である。これを誰の負担でやろうしているのか現在の処はっきりしていないのではないだろうか。当然電力会社は費用負担に反対するのは明らか。それとも受益者負担?発生費用は?民主党さんはどうするつもりなのですか?このへんが大いに気になっている「家庭用太陽光発電所長」なのである。
2010.05.05
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5月に入り、染井吉野そして八重桜の花は散ってしまいましたが、我が家の近くの国道の街路樹の花水木が薄紅&白の花?をつけている。 実は花水木は花弁らしい花弁はないのである。花水木の4枚の花弁らしく見えるものは、じつはいくつもの花を包んでいる総包。これは6月のアジサイと同じ。花水木はミズキ科の植物。ミズキの名前は、樹液が多く、早春に切ると水が滴り落ちるからであるという。そのような性質であることからもわかるように、渓谷周辺などの水分条件の良い場所や渓谷斜面などに生育する木であるとのこと。花水木は大正初期に、東京市長がアメリカのワシントン市へ 桜を寄贈した返礼として、アメリカから贈られたと言う。 別名 「アメリカ山法師(やまぼうし)」。 アメリカから渡来したときに、日本の山法師に似ているのでとりあえずこの名前がつけられた、という経緯があるようだ。 英名では「dogwood」。花水木の皮を煎じて犬のノミ退治に使ったことからと。この命名はいかにも可哀想。日本にも『オオイヌノフグリ』と言う名の可憐な蒼い花があるがこれと同じでは。 この街路樹の花水木は特に艶やかな樹木では無く、普段は目立たないが、この時期と紅葉の時期には存在感を一気に感じさせてくれる木なのです。白い花のコブシやハクモクレンが既に終わって久しいですが、周囲の緑が濃くなってゆく中でこの花水木も真っ白に化粧して存在感を示しています。『ハナミズキ』は一青窈さんの、代表曲のひとつ。昨年この歌がアメリカ同時多発テロ事件発生時、ニューヨークにいた彼女の友人からのメールをきっかけに一週間ほどで書いた詞であったと知った事をブログに書いた記憶がある。そして今背中のBSテレビでは小椋 佳さんのコンサートが放映されている。そして彼の『くぐり抜けた花水木』も好きな歌である。私の大学時代に発売されたアルバム、そして購入したLP「道草」のなかに収められていた1曲であったと記憶している。この時期 何故かこの『小椋 佳』にはまっていたのだ。私が【ハナミズキ・花水木】という花の名前を知ったのは、もちろんこの歌が最初。今でこそ街路樹はじめ、あちこちで花水木の木は見られるが、当時はまだこんなにポピュラーな花木ではなかったのだ。そして昨年我が家の庭にもピンクの花水木を1本植えました。早く大きく成長し、この木の下をくぐり抜けたいものである。 【くぐりぬけた花水木】 作詞・作曲 小椋 佳その花の道を来る人の明るい顔の不思議さにくぐりぬけてみる花水木どことあてない旅先でそぞろ歩きの空と道囲みつくした花水木何故か君の事を何故か君の事を 考えてますあれ程疲れていた僕が何か夢でも見たようなまどろむ光の花水木立ちすくむ人の心には押し花にした思い出がよみがえり咲くか花水木何故か君のことを何故か君の事を 考えてます敷きつめた花のやさしさにこんな場所なら君を今直ぐにも呼びたい花水木何故か君のことを何故か君の事を 考えてますその花の道を来る人に明るい顔の不思議さにくぐり抜けてみた花水木そして若かりしあの頃 何故かこの歌で繰り返される歌詞『何故か君の事を 何故か君の事を 考えてます』に心惹かれたことを、そしてこの歌のこの部分のメロディーを懐かしく,そしてこの年になっても花水木の如く「瑞々しく」思い出している『アラカンオジサン』なのである。
2010.05.04
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昨日は妻が江ノ島に行き『生シラス』を購入してきました。シラス(白子)とは、カタクチイワシ・マイワシ・イカナゴ・ウナギ・アユなど、体に色素がない白い稚魚の総称。シラウオ(白魚)、シロウオ(素魚)とよく混同され、シロウオのことをシラスと呼ぶ地方もあると聞くが小魚の種類が異なる別物であるようだ。江ノ島の名物はたくさんあるが、その中でも有名なものにこのシラスがあげらるのです。このシラスを扱う店が境川沿いに店を構える浜野水産。場所は下記写真のAの地点。自家船 の湘南丸で獲ったシラスを提供しているこの浜野水産は江ノ島ではかなり有名。ただシラス漁は期間が限られている上にシラスが獲れるタイミングでしか船を出さないということもあり、その日に水揚げがあるかどうかは運次第なのである。妻が電話してみると『今日は豊漁ではないか』との電話に出た方の話により事前に予約していたのでした。江ノ電江ノ島駅から歩いてすぐの路地に隠れるように佇む海産物の名店なのです。一昨年?同行した時の店頭の写真である。昼前には妻は江ノ電の超混雑の中 戻り、鮮度抜群の生シラスを昼食として堪能したのである。子供達もこの味を求めて帰宅したのである。 今回は、生シラス丼ではなく透明な別皿で味わいました。プリッ、ツルッとした食感。微妙な甘さと磯の香りが口の中いっぱいに拡がったのでした。足が早いので 朝どれ生シラスは即TRYが原則。夜に なると・・・ 溶けてきてしまうのです。旬の物を 旬の時期に食べる事が出来たことに感謝、感謝です。 盛りつけし器の上で 透き通る 旬のシラスは 磯の香りを・・・・・・詠み人知らず
2010.05.03
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我が趣味の養蜂場の横に昨秋種蒔きした『クリムソンクローバー』が次々と赤い花を開かせている。ヨーロッパ原産の多年草であるが、日本では夏の暑さを越えられないため、1年草として扱われているようである。名前の如くクローバーの仲間で、日本には牧草として明治時代にやってきたとのこと。クローバーの中では大柄で、草丈50cm、花穂は5cmくらいにはなっているのだ。この花は別名「ストロベリーキャンドル」とも呼ばれている。正しくチョット長めのイチゴ。我が家のミツバチ達がこの長めのイチゴの蜜を吸いに集まっている。さらに別名もたくさんあるようだ。「ストロベリートーチ」、「ベニバナツメグサ・紅花詰草」、「レッドクローバー」、「スカーレットクローバー」などは、本名の「クリムソンクローバー」も含め、すべてが赤い花色や花の形状に由来した名前なのである。赤い花穂を炎に見立てた「赤炎」との和名もあるようだが、やはり「ストロベリーキャンドル」がいちばん似合う名前であるのだ。そしてこの花はクローバーの1種であるので本来は牛の食べ物なのであるが、人間様も食べることが出来るとのこと。葉や花を天ぷら、サラダ、酢の物、お浸し、みそ汁の具にするのがスタンダードであると。花は蜜があり、生食できると言う。美味しいと言うほどではないけれど甘いとのこと。はやりの言葉?で言えば「エディブルフラワー(edible flower)」。食べられる花なのだ。このedible flowerの横には黄色とピンクのedible flower「もってのほか」という菊の花が我が農園でも成長中である。 我が農園で咲くクリムソンクローバーも開花が更に進み、真っ赤な絨毯の上で我が蜜蜂たちが蜜を求めて戯れることを、赤い炎の如く大いに期待している『素人養蜂家』なのである。
2010.05.02
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昨日は早朝から蜂友のEさんがミツバチの内検に来園された。 群勢の最も高いNJ1群、先週3段積にしたが、更に群勢を高めていた。上段部の巣枠も上面は白い蜜蓋でかなりの広さで覆われていた。蜜絞りの次期がだんだん近づいているのだ。そして女王蜂のお色直しを。赤いマニュキュアを背中と羽に着けました。これで次回から女王蜂の存在を確認しやすいのです。そして巣枠に王台が出来ているのを発見。既に底は塞がっていた。王台とは、下の写真の中央の小粒の南京豆のようなもの。女王蜂を育てる為の特別な巣房なのです。この巣房の中には女王蜂を育てるための王乳(ローヤルゼリー)が入っているのです。その有用性とともに神秘性が語られるローヤルゼリーですが、その正体はといえば女王蜂が生涯にわたって食べる唯一無二の食物なのです。これがローヤルゼリーが「王乳」と呼ばれる所以なのです。同じ有精卵から孵化したミツバチの幼虫は、初期の3日間くらいは、どの幼虫にもこのローヤルゼリーが与えられます。その後は女王蜂となる幼虫のみがこのローヤルゼリーを与えられ、働き蜂となる幼虫たちは花粉とはちみつが混ぜられた餌で育てられます。王台とよばれる部屋でたっぷりローヤルゼリーだけを食べることによって、女王蜂は働き蜂にはないさまざまな特徴と能力を持つのです。たとえば体の大きさは働き蜂の約2~3倍となり、寿命も働き蜂の1ヶ月余りに対して、3~4年と30~40倍も長生きし、毎日約1000個以上の卵を産み続けることができるのです。同じメスのミツバチでありながら働き蜂には普通は産卵能力はなく、生命の営みというミツバチの社会を支える重要な能力は女王蜂のみに与えられるのです。この驚異的な生命力を支えている栄養の宝庫がローヤルゼリーです。ミツバチ世界は神秘そのものなのです。以前、この乳白色のクリーム状のローヤルゼリーを指先に乗せ舐めてみましたが、舌を刺すような酸味があり決して旨いものではなかったのです。王台が1個ずつある巣枠2枚とその他の巣枠2枚を種蜂購入時に入っていた巣箱に移しました。そしてこの巣箱を、本家?の巣枠の横の極力近い位置に設置しました。人工分蜂については初めての経験であり、先日我が師匠にメールで指導を仰ぎこの様なTRYが可能になったのです。うまく行けばあと10日前後で新女王蜂そしてNEW FAMILYの誕生となるのです。さてさてうまく行くのでしょうか?やや心配な『素人養蜂家』の新たなる挑戦なのです。
2010.05.01
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