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問題解決の要因は、大きく分けて2つあると思います。1つは「技術の要因」(前に「頭の要因」と言いました)とでも言ったらいいのでしょうか。頭で考えられること、理屈に合い、論理的で、実際に、言葉で言い表せること、実行できること、などです。[理論を実際に応用する(ものをとりあつかう)手段やしかた・・三省堂国語辞典]もう1つは、「心の要因」(前に「気の要因」と言いました)と言いましょうか。感じるはたらきの、いちばんもとになっていると考えられるもの(三省堂国語辞典)です。感情や感性です。欲、喜び、楽しさ、面白さ、やる気、集中力、根性などです。はっきり書けるのは、前者の要因です。頭で問題解決法を理解しても、実際にはできない場合が多いのです。実際にできるかどうかは、後者の要因の影響がとても大きいのです。こちらの方が大事かもしれません。論文「私の問題解決の考え方」では、主に「技術の要因」について説明しますが、私の体験で、「心の要因」について感じたり、学んだことも書く予定です。
2005年05月31日
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私は自分で作ったカスピ海ヨーグルトをほぼ毎日食べています。前は、でき方に、季節によるばらつきが大きかったのですが、全電化になって、新しい電子レンジオーブンで研究したおかげで、ほぼ同じ品質(最高のときよりは落ちますが)のものができるようになりました。これにビタミンCと果物を入れて食べています。果物はバナナのことが多いです。ないときには苺ジャムなどを入れます。私が今のところ比較的健康な原因の1つは、このヨーグルトかもしれません。つづく
2005年05月31日
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論文「私の問題解決の考え方」の第2章です。まず、考えることは1.目標(解決すべき問題)は何か?2.何をやるか?です。例1 料理の味付けちょっと味見してみたら、塩気が足りませんでした。ではということで、塩を少々足しました。「塩気が足りない」というのが、解決すべき問題で、「塩を足した」というのがやったことです。こんなことなら、私達が毎日やっていることです。あまり頭を使わずに、ごく自動的にやっていることです。では、この問題を解決するあなたが、地球のことも、日本のことも全く知らない「宇宙人」だったら、どうでしょう。日本人がどういうものが美味しいということもしらないし、調味料に塩というものがあることも知らないのです。この場合、目標は「普通の日本人が美味しいという味にする」ことです(日本に来ているとしましょう)。しかし、あなたはそれが分からないので、まずそれを学ばなければいけません。いろいろなものを食べて、どういう味が「美味しい」のかということを覚えなければなりません。それが分かったからと言って、まだやることは分からないのです。料理に使う材料のことも分からないのです。いろいろな材料がどんな味で、料理するとどんな味にになるのかを知らなければなりません。また、料理のやり方だって、いろいろな可能性があります。いろいろな材料を使って、いろいろな方法で料理してみても、材料の中に「塩」が含まれていなかったら、多分、目標は達成できないでしょう。いずれにしろ、相当頭を使って、手間をかけなければいけません(自分1人で解決する場合)。最適解(一番いい答え)は、この場合、言葉は通じているようなので、誰かに聞いて教えてもらうことですが。こういうときに、人間に、「基本的な考え方」というのがあるのだろうか、ということを私は考えてみたのです。勿論、宇宙人ではなく、人間について考えてみました。日常の、ほとんど自動的に処理できる問題なら心配しなくてもいいのですが、新しい問題で、かなりよく考えないと答えが出ないような場合です。例1の宇宙人の場合とか、私が研究で、今まで経験したことのない、新しい問題に取り組もうとしたときなどについてです。
2005年05月31日
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今日、3才の孫のアーちゃんがピーっピーと言いながら、なにかやっていました。よく見たら、スーパーのレジで、バーコードの入力をしているところでした。そして、最後に、はい、820円です、などと言っていたのです。そう言えば、現在、計算ができなくてもレジ係りは務まりそうですね。少し前は、一つ一つの値段を打ち込まなければいけませんでした。それで、合計とお釣りまで計算してくれました。その前は、レジに打ち込んで、合計は出てきましたが、お釣りは自分で計算しなければなりませんでした。そして、さらにその前は、八百屋さんなどへ行くと、払う額も、お釣りも、全部、おかみさんが暗算で合計あるいは引き算していました。このように、私達は、頭を使わなくても生きていけるようになってきている?のでしょうか。[それとも、もっと大事な(あるいは、もっとつまらないこと)、頭を使うべきところがあるのでしょうか。]ところで、今日は雨でしたが、太陽電池の発電量は1kWhありました。
2005年05月30日
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最初にお断りしておきたいのは、この題は「<私の>基本的な考え方」であるということです。この論文の題名も「私の問題解決の考え方」なのです。ですから、「私はそう思わない。私はこう考えている」というような意見が出るのは当然だと思いますし、いいことだと思います。そういうことを知らせていただいたらもっといいです。元々、本というのは、基本的には、一方通行のものです。読んでいて、疑問が出たら質問して、答えてもらい、また読むというようなわけには行きません。勿論、著者に質問したり、反論したりはできることはできますが、しない人の方が多いでしょう。でも、読者は読みながら、ここは全く分からないとか、そうは思わないとか、こうした方がいいだろうとか、このように書いたら分かりやすいだろうとか、いろいろ思っているはずです。この論文では、そういうこと(質問したり、意見を述べること)ができるのです。その気にさえなれば。私が論文を書いている途中(書きながら発表していますから)でも、また、書き終わってから(これは何年先になるか不明)でも、私が生きている限り、質問していただいて結構ですし、していただきたいのです。私は、「質問する」と「討論する」ということはとても大事なことだと思っています。何かについて考えるときに、これら2つのことは、「考える」とき、大きな助けになります。さて、「基本的な考え方」ですが、私は、自分の経験から、「ある」と思います。問題はいろいろ違っていて、自分では意識していないかもしれませんが、解決のための考え方には共通性があるというのが私の結論です。そして、それを意識している方が問題解決のために有利に働くと考えます。
2005年05月30日
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この人の直木賞受賞作 「理由」、朝日新聞社、(1999)。をさっと(いつものごとく)読みました。約1年間、毎日新聞に書いていたことをまとめて、単行本にしたのだそうです。よくまとまっていると思いました。こういう小説というのは、話が最初決めてあるのでしょうか。それとも、書いている間に、どんどん変わっていくのでしょうか。私は、日記に自分の考えをいろいろ書いて、それらをまとめて、1つの論文にまとめようとしています。私の考えがいろいろな方向へ行ってしまうので、1つの結論に達することができるかどうか自信ありませんが、とにかく「まんずやってみれ!」で、文を書き始めました。一方、今回読んだ小説で、1つですが、大事なことに気づきました。「殺人事件の後など、ある人が何かを言うと、他の人がそれを聞いて、正しいかどうか分からないのに、言いふらしたり、自分で好きなように解釈した話がどんどん広まって行ってしまったりするのです。」というようなことが小説の中に書いてありました。これと同じようなことが研究の世界でもかなり多いのです。その道の権威と思われているような人が論文に書いたことが、その正誤が確かめられないままに、その結論だけが他の人達の論文にどんどん引用されてしまうのです。そうすると、研究者達(特に少し分野の違う)は、証拠をきちんと確かめないで、その結論が真実だと思い込んでしまうのです。こうなってしまうと、後になって、これが誤りだと分かっても、その訂正が非常に難しくなってしまいます。私の解説論文(1:論文第1章の参考文献参照)の中にもそのような例が示されています。この論文の中では「その道の権威」の人を、証拠を挙げて相当批判しています。しかし、いまだに、それが世の中で理解されたとは言えません。でも、私は、発表した雑誌の編集長と副編集長に大変感謝しています。その道の権威が自分の国の研究者なのに、私に好きなだけ批判させてくれ、さらに、私の論文を理解しやすくするために、いろいろ助言までしてくれたのでした。私はこの論文を本当は日本語で書きたかったのです。しかし、この論文が日本で発行されるものだったら、多分、このような批判の部分は日の目を見なかったでしょう。編集者から、偉い先生の批判は遠慮してくれないか(外人だったら大丈夫?)というような依頼がきたのではないかと思います。学問の世界でも、変な常識や事実が沢山あるのです。偉い「学者」の先生が何かを言ったからといって、鵜呑みにしないでください。質問してください。分からないことは分からないと言ってください。
2005年05月29日
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ものすごい匂い(臭み)です。にんにくも負けるほどです。北海道の野生のものらしいです。多分、塩漬けしたものを細かく刻んだだけです。でも、温かいご飯(ひとめぼれ)と良く合うこと、最高でした。ひり辛さもかなりありました。んめえ!もう1種は、お湯を1回かけて、塩漬けしたもののようでした(少し甘め)。これもなかなかよかったです。つづく
2005年05月29日
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目次と第1章を 論文「私の問題解決の考え方」(1)というところに載せました。まだ、これから、直すことが多いと思いますが、「まんずやってみれ!」ということで、ここまで書いてみました。ご意見ください。以下は、第1章で、前回から追加した部分です。読んだからと言って、問題が解決するわけではありません。私が書いていることが、少しでも、皆さんが問題に遭遇したとき、自分で考える助けになればいいと思っています。でも、本当は、もう一つ、大きな理由があります。心配があるのです。私は、会社では研究がほとんどでしたが、会社を出てから、いろいろな職業の、いろいろな人達と付き合ったり、相談に乗ったりしています。最近、私達日本人がだんだん「馬鹿に」なっているのではないかと思わせるような、いろいろなことに気づくのです。「考える」能力がなくなったというのではなく、大事なことについて、ちゃんと考えなくなってしまったような心配があるのです。世の中が豊かで便利になって、いろいろなことを考えなくても生きていけるようになったからでしょうか。人間、物や情報が増えて、前より複雑な世の中になり、考えることが多すぎるようになってしまったからでしょうか。以下は、いろいろな仕事で、問題解決がうまく行かないようなとき考えることです。 なんとなく無意識にいろいろなことをやっていないでしょうか? 注意力が足らず馬鹿な間違いをしたりしていないでしょうか? 楽に生きられればいいと思うだけで仕事をしていないでしょうか? 自分でじっくり考えるのがいやになっていませんか? 言われた通りにやるのが一番楽だと思っていませんか? 失敗するようなことには挑戦したくないと思っていませんか? 言われたことを鵜呑みにしてしまうことがありませんか? 分らないとき質問できますか? 何かに感動できなくなっていませんか? 仕事が楽しいですか? 仕事に集中できますか? 元気とかやる気が不足していると思いませんか? 活発な討論ができますか? 職場の雰囲気が暗くありませんか? 本気になれますか? 好奇心がなくなってきたと思いませんか? 今日はこれをやったとか、これが分かったとかいうような興奮がありますか? 忙しく働いているのに、自分は何をやっているのだろうと思ったことはありませんか?こういうときには、「自分で考える」クセをつけることです。そして、どうせ考えるなら、大事なことを、役に立つように。この論文を読みながら、一緒に考えてみませんか。そして、「基本的な考え方」を、今自分が抱えている問題に応用してみませんか。いや、自分はこうするのだということを見つけてもらってもいいです。無料です。つづく
2005年05月29日
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女房の姉夫婦には、この間、高級フランス料理をご馳走になりました。今日、たまたま姉夫婦が夕方家へ来たいと言うのです。女房も直前まで用事があったので、外でご馳走をと思ったのですが、なかなかないのです。私の知っている手打ちそば屋さんは今日は休みだし、私は最近あまり重いものは食べないようにしているのです。そこで思い出したのが、あるラーメン屋さんです。ここの石焼五目やきそばがかなり行けるのです。そして、他のものも割りと消化しやすいのです。そこで、ここでよかったら、ご馳走すると女房に言わせたら、OKということで、ここで一緒に夕食を食べました。他に、鳥のから揚げ、豚の角煮、レバニラ炒め、餃子と野菜スープを取ったら、そんなに悪くなかったです。私は食べるのを少なめにしたので、お腹への負担も軽くできました。家へ帰ってきてから、ジャスミン茶、グレープフルーツとオレンジを食後に出しました。私達にはかなりいい夕食でした。普段高級なところへ行っている2人はどう思ったのでしょうか(まずそうには見えませんでしたが)。ところで、今日は、別の人から、北海道の行者ニンニク(貴重な山菜)の塩漬けをいただきました。これがなかなか美味しいのです。匂いも相当ありました。今年は本当に運のいい年です。私は、去年きのこ(白シメジ)に当たって(?)から、何かを食べ過ぎないようにしようと誓ったのです。だから、家でも気をつけていますし、ご馳走になるときも、量が多そうなときは断る(あるいは残すと言う)ことにしています。
2005年05月28日
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2.問題解決の基本的な考え方こんなのあるのでしょうか。人生いろいろ、人間いろいろ、問題いろいろです。しかし、基本的な考え方はあると思います。意識していないかもしれませんが。今日の太陽電池の発電量は11kWhでした。つづく
2005年05月28日
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目標「美味しいものの作り方」「まんずやってみれ!」→電子レンジオーブンでいろいろ試す。「チェック機能」→私の舌「解析法」→まだなし、結局、試行錯誤問題解決の基本的な考え方を使っています。美味しさを楽しんでいます。食べることは生きがいです。だから、この課題は非常に重要です。アスパラガスのために、特製のソースを作りました。酢味噌、辛子マヨネーズです。ところが、今ひとつ合わないのです。そうしたら、今朝のオムレツにそれが合うのです!正に、転禍為福です。私の、会社の理工学研究でも、私の一番大事な仕事は、このような、転禍為福から生まれたのです。これも、「面白い」ことです。料理も、理工学も似たような基本的考え方で研究できそうです。つづく
2005年05月28日
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一応、第1章を書いたので、第2章の構成を考えていたら、第1章で強調すべきことを忘れていたことに気がつきました。それは、このままでは、「日本中、栄養過多で馬鹿な人間でいっぱいになる。」ということです。ここ数年、つくづく、世の中が裕福で便利になると、人間が頭や体を使わなくなると感じています。 自分で考えて行動できない。 言われたことしかできない。 それも、馬鹿なミスを犯しながら。 良悪の判断ができない。 子供を教育できない。 大事な食べ物を無駄にしている。 お役所はでれでれ仕事して税金を無駄にしている。 大事な税金は、そういうところにつけこんだ業者に吸い取られている。 研究者は、役に立つかどうか全く分からないような研究に税金を浪費している。 失敗するのが恐い。 無意識に生きている。 すぐそばへ行くにも自動車を使う。 外で遊ぶ子供の数が少なくなった。 テレビゲームやテレビを見ることが多い。 読書時間が減っている。 注意力が足らなくなっている。 長時間苦労できない。 仕事を楽しめない。 便利なものに頼りすぎる。 楽ができればいいと思っている。 なんとなく生きている。 子供が年齢とともに馬鹿になっている。 学校で「考えないということ」を教わる。 便利な新しい技術の悪い副産物→馬鹿を作る 自称「学者」は碌なことをやっていないことが多い。 自称「科学者」、「専門家」も似たようなもの。 疑わない。 質問しない。 考えなかったものは皆「偶発」?? 「学者」が難しいことを言うと信じてしまう。 など、いろいろ思いつきます。「自分で考えて、判断、行動する」クセがつけば、こういう問題がかなり改善されるはずなのです。「この論文をなぜ書くのか」というところがまだ不足していました。もう1回第1章を直したものを以下に載せます。1. はじめに人生は問題解決の連続です。問題解決には苦労も多いですが、かなり面白いものです。逆に、問題のない人生はつまらないのです。問題がなくて、楽ばかりしていると、太るばかりです。目の前に現れてくる問題を次々解決して、元気で、楽しく、感謝して生きて行きたいではないですか。 この「論文」は、ハウツー(HOW TO)ものでも、ノウハウ(KNOWHOW)ものでもありません。どこの学会に出しても受理されないかもしれませんが、論文です。これは、理由をあげて自分の意見を述べた文章でもあるし、研究の結果をまとめた文章でもあるのです(三省堂国語辞典)。これは、私の、長年の理工学研究で、各種問題解決に関し、気がついた「面白い」ことについて、いろいろと考えを巡らせ、まとめたものです。読んだからと言って、問題が解決するわけではありません。私が書いていることが、少しでも、皆さんが問題に遭遇したとき、自分で考える助けになればいいと思っています。でも、本当は、もう一つ、大きな理由があります。私は、会社では研究がほとんどでしたが、会社を出てから、いろいろな職業の、いろいろな人達と付き合ったり、相談に乗ったりしています。最近、私達日本人がだんだん「馬鹿に」なっているのではないかと思わせるような、いろいろなことに気づくのです。「考える」能力がなくなったというのではなく、大事なことについて、ちゃんと考えなくなってしまったような心配があるのです。世の中が豊かで便利になって、いろいろなことを考えなくても生きていけるようになったのでしょうか。人間、物や情報が増えて、前より複雑な世の中になり、考えることが多すぎるようになってしまったのでしょうか。以下は、いろいろな仕事で、問題解決がうまく行かないようなとき考えることです。 なんとなく無意識にいろいろなことをやっていないでしょうか? 注意力が足らず馬鹿な間違いをしたりしていないでしょうか? 楽に生きられればいいと思っていないでしょうか? 自分でじっくり考えるのがいやになっていませんか? 言われた通りにやるのが一番楽だと思っていませんか? 失敗するようなことには挑戦したくないと思っていませんか? 言われたことを鵜呑みにしてしまうことがありませんか? 分らないとき質問できますか? 何かに感動できなくなっていませんか? 仕事が楽しいですか? 仕事に集中できますか? 元気とかやる気が不足していると思いませんか? 活発な討論ができますか? 職場の雰囲気が暗くありませんか? 本気になれますか? 好奇心がなくなってきたと思いませんか? 今日はこれをやったとか、これが分かったとかいうような興奮がありますか? 忙しく働いているのに、自分は何をやっているのだろうと思ったことはありませんか?この論文では、理工学の研究だけでなく、日常私達が出会う、いろいろな種類の問題解決のやりかたについて考えます。これは、ここ約7年間の、私の研究(問題解決について考えたり、経験したこと)の結果をまとめたものです。一方。これは、私の人生(各種問題解決あり)の3分の2以上の期間に、どのような考え方で、いろいろな問題を解決してきたかを一つの話にまとめたものでもあります。私は、長い間(30年以上)、ある会社の研究所に勤めていて、半導体関係の材料の研究をしていました。ほぼ10年前、数十の私の研究論文を一つの解説論文1)にまとめる機会をいただいたのがきっかけで、研究の進め方について、意識して考えるようになりました。その論文を書きながら気づいたのは、「自分の、かなり多くの、いろいろな対象の違う研究でも、それらを進めるときの考え方がよく似ていた」ということです。私は、これが「面白い」と思ったのです。そう思って、自分のやってきたことを振り返ってみたら、さらに面白いことに、研究以外の問題にも似たような考え方を使っていたのです。そして、それまで、そのことをあまり意識していなかったのです。これも面白いではないですか。ということは、もしかしたら、子供の時だって、同じ考え方をしていたのかもしれません。また、私の人生を、「問題解決の基本的な考え方が同じ」という共通点で、一つの話にまとめられるかもしれません。(しかし、残念ながら、小さいときの、自分の頭の使い方についての記憶は全くないのです。いや、私は、高校2年までは、本気になって、何かをやらなければとか、重要な問題を解決しなければとか、というような事態に接していなかったのです。それで、上記のように、「人生の3分の2より多い期間」になったのです。)しかし、こういうことが「面白い」と思うのは私だけで、多くの人には、あまり面白くないことかもしれません。(実は、私の場合、こういうことがよくあるのです。2年ちょっと前の本荘(今は秋田県由利本荘市)でも、寒いのに、私1人が美味しいバッケ(フキノトウ)を探すのに夢中になっていたところを、友達に、「なんでこんなことが面白いのか分からない」と言われました。)皆さんは、これを読んで、「ああそうですか。」、「・・・」、「そんなの当たり前よ。」、「だからどうって言うの?」、「人間が同じなら考え方も同じよ。」、「本当に?」、「同じ人間だって、問題によって、いろいろ考え方を変えるのではないの?」、「それは、問題と人によるのです。」など、いろいろ反応されると思います(はじめの2つが多いです)。その反応について、どうこう言うことはないのですが、この「面白いこと」を意識するようになってから、私自身の問題解決の成功率が確かに上がったような気がするのです。しかし、問題点はまだ沢山あります。物だけが相手ならいいのですが、特に人間の「考え方」とか「行動」が関係している場合は分からないところが多いです。この論文の、話の進め方をまず述べましょう。なお、ここ2年あまり、秋田の人達との楽しい付き合いが増えたので、秋田弁がときどき出てきます。第2章では、私が見つけた、研究を進めるときの基本的な考え方を説明します。私の理工学的研究を振り返ってみて、様々な研究(問題解決)の間に共通点を見つけて、さらに、その他の、人生の問題解決においても、同じ共通な部分を見出したのです。この部分は、口で言え、文に書くことができる部分です。と言うか、私の頭で整理できる部分です。この部分をまとめて、「問題解決の基本的な考え方」としました。まず、理解できる、なるべく大きな目標を持つことまんず、やってみれ!んでねば、やる気も出てこねえ! いろいろ試して、解決のために苦労する、経験する 知る勇気を持つ 問題点を洗い出す頭を使う(要因の解析) 問題の理解(問題の構造は?) チェック機能を考える(やっていることの良悪の判断) なぜ悪いか調べられるか?(解析手法)どうすべきかの判断と行動(洞察力)後は、倦まず怠らず、こつこつと続けることたゆまぬ努力により、答えが「ほがらほがら」(朝日が出てくるように)と出てきて、「えがった、えがった!」ということになるのです。第3章では、「問題解決」というか、「考える」ことの理論みたいなこと、確率論(統計学)に触れます。あまり難しいことは書きたくないし、ほとんど独学なので、正しく伝えられるかも自信がないのですが、知っていた方がいい、とても大事なことが含まれていると感じたからです。世の中には分らないことが多いのです。神様(全知全能の;神様にもいろいろあるらしいです)でもない限り、分らないことだらけです。その度合いを数学的に言い表そうとしたのが確率論(統計学)なのです。(どの要因が問題解決にもっとも効いているかとか、問題解決できそうか、とか、数字にしなくても、確率論を私達は無意識に使っているのです。)第4章、「私の経験してきた問題解決」で、上記の基本的考え方を具体例で説明します。これらの基本的考え方は、問題解決にとって、私が大事だと思うことなのですが、これを読めば問題が解決するという保証は全くありません。私の問題解決研究所では、これまで、いろいろな問題の相談を受けてきました。私は、馬鹿の一つ覚えで、上に示したような基本的考え方で助言をするのですが、効果がないことも多いのです。一方、予想以上に効果が出てしまうこともあります。反省してみると、相談に来る人がいろいろ違うのです。困っているという点では同じですが、「元気、やる気とか勇気」など、気の持ち方が大きく異なっているのです。要因は様々あるのですが、初めのうち感じたのが上記の3点だったので、「気の要因」と名づけようと思ったのですが、まだ、よく分らないので、命名は保留にしてあります。これらの、なかなか言い表しにくく、実行しにくい、大事なことについて、第5章の、「うまくいかないとき」と第6章の「その気になればできる!」で、考えてみたいと思います。この部分は、論文を書きながらまとめていくつもりです。つづく
2005年05月27日
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アスパラガスをいただきました!オーブントースターでさっと焼いたり、電子レンジでちょっと加熱して、塩だけか、マヨネーズで最高!ちょうど、NHKテレビ「試してがってん」でアスパラガスのことをやっていました。なんと、ユリ科なのだそうです。そう言えば、山のアスパラガスと言われている、シオデもユリ科です。秋田ではショデッコと言っていました。美味しく食べるためには、立てて保存するのが味噌だそうです。トウモロコシや枝豆も確かそうです。イタリアではにアスパラガスを立てたままゆでる鍋まであるのだそうです。つづく
2005年05月27日
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2.問題解決の基本的な考え方が題名です。この章が最初の難関です。いろいろ考えた結果、ここでは、結論の一部を先に書いてしまうことにしました。本当は、私の「研究?」生活の最後の方になって気づいて、まとめたことなのですが。私の経験を長々と説明してから、結論を述べるような書き方では、理工学の研究に特に興味のない人達を退屈させてしまいそうです。実際には、そんなに難しいことはやっていないのですが、私がやってきた、いろいろな研究の背景とか用語とか、結論に直接関係ないことの説明が煩わしいものになってしまいそうだからです。つづく
2005年05月26日
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私の使い方は相当めちゃくちゃです。自分が何をやったかさえ意識していないのです。ですから、いい加減や間違ったなことを書いて「登録」、「OK」、「発信」ボタンを押してしまったり、アドレス帳の隣の人にメールを出してしまったりして、笑われることがしばしばあります。でも、何をやったかが分からないことの方が多いです。それで、不思議なのですが、これで私は何回も救われているのです。昨日も、株の注文のことを書きました(原因不明)が、これまで、日記に人の悪口を書いたとき、何回か登録できなかったことがあるのです。これは神様のおかげでしょうか。私は、自分のことは棚に上げておいて、人の批判を平気でするのです。我が家では、皆そういうところがあるから割と平気なのですが、外部に対してこれをやると、顰蹙を買ってしまうことがあります。我が家では、何か言われたら、直ぐに、相手の悪いところを言って切り返さなければ負けてしまうのです。この間、私の「可愛い孫」のアーちゃん(3才)に驚かされてしまいました。女房と娘がなんかでぐずぐずしていたので、私が昼食のチャーハンを作ってしまったのです。そうしたら、アーちゃんが「そのときおばあちゃんは何をしていたの?」と言ったのです。さすがの女房も目を白黒させて何も言えませんでした。そこで、私が「じゃあ、アーちゃんは何をしていたの?」と言ったのでした。アーちゃんの名誉のために、答えは言いませんが、彼女は正直に言いました。アハハハハ!その後、2人で留守番をして、私が本を見ていたら、「本なんて読んでるときじゃないよ!」って言われてしまいました。「これはお仕事」と言ったのですが、おかしくて、大笑いしてしまいました。アハハハハ!もう一度。
2005年05月26日
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この間書き始めた、論文「問題解決の考え方」(まだこの題で行くか決まっていないのですが)の第1章が書けそうなのです!?でも、書いてもまた書き直すかもしれません。というのは、上記の「問題解決の考え方」の研究はまだやっている最中だからなのです。論文を書くことも、「どのようにこの論文をまとめるか?」という課題を解決する試みで、これも研究なのです。そう言えば、「アコーディオンを弾けるようになる」という課題もありました。毎日が問題解決です。以下が、論文「私の問題解決の考え方」の第1章です。1. はじめに人生は問題解決の連続です。問題解決には苦労も多いですが、かなり面白いものです。逆に、問題のない人生はつまらないのです。問題がなくて、楽ばかりしていると、太るばかりです。目の前に現れてくる問題を次々解決して、元気で、楽しく、感謝して生きて行きたいではないですか。 この「論文」は、ハウツー(HOW TO)ものでも、ノウハウ(KNOWHOW)ものでもありません。どこの学会に出しても受理されないかもしれませんが、論文です。これは、理由をあげて自分の意見を述べた文章でもあるし、研究の結果をまとめた文章でもあるのです(三省堂国語辞典)。読んだからと言って、問題が解決するわけではありません。私が書いていることが、少しでも、皆さんが問題に遭遇したとき、自分で考える助けになればいいと思っています。でも、本当は、私の気がついた「面白い」ことをここにまとめて、いろいろと考えを巡らせてみたいだけなのです。これは、ここ約7年間の、私の研究(考えたり、経験したこと)の結果をまとめたものです。一方。これは、私の人生(各種問題解決あり)の3分の2以上の期間に、どのような考え方で、いろいろな問題を解決してきたかを一つの話にまとめたものでもあります。私は、長い間(30年以上)、ある会社の研究所に勤めていて、半導体関係の材料の研究をしていました。ほぼ10年前、数十の私の研究論文を一つの解説論文1)にまとめる機会をいただいたのがきっかけで、研究の進め方について、意識して考えるようになりました。その論文を書きながら気づいたのは、「自分の、かなり多くの、いろいろな対象の違う研究でも、それらを進めるときの考え方がよく似ていた」ということです。私は、これが「面白い」と思ったのです。そう思って、自分のやってきたことを振り返ってみたら、さらに面白いことに、研究以外の問題にも似たような考え方を使っていたのです。そして、それまで、そのことをあまり意識していなかったのです。これも面白いではないですか。ということは、もしかしたら、子供の時だって、同じ考え方をしていたのかもしれません。また、私の人生を、「問題解決の基本的な考え方が同じ」という共通点で、一つの話にまとめられるかもしれません。(しかし、残念ながら、小さいときの、自分の頭の使い方についての記憶は全くないのです。いや、私は、高校2年までは、本気になって、何かをやらなければとか、重要な問題を解決しなければとか、というような事態に接していなかったのです。それで、上記のように、「人生の3分の2より多い期間」になったのです。)しかし、こういうことが「面白い」と思うのは私だけで、多くの人には、あまり面白くないことかもしれません。(実は、私の場合、こういうことがよくあるのです。2年ちょっと前の本荘(今は秋田県由利本荘市)でも、寒いのに、私1人が美味しいバッケ(フキノトウ)を探すのに夢中になっていたところを、友達に、「なんでこんなことが面白いのか分からない」と言われました。)皆さんは、これを読んで、「ああそうですか。」、「・・・」、「そんなの当たり前よ。」、「だからどうって言うの?」、「人間が同じなら考え方も同じよ。」、「本当に?」、「同じ人間だって、問題によって、いろいろ考え方を変えるのではないの?」、「それは、問題と人によるのです。」など、いろいろ反応されると思います(はじめの2つが多いです)。その反応について、どうこう言うことはないのですが、この「面白いこと」を意識するようになってから、私自身の問題解決の成功率が確かに上がったような気がするのです。しかし、問題点はまだ沢山あります。物だけが相手ならいいのですが、特に人間の「考え方」とか「行動」が関係している場合は分からないところが多いです。この論文の、話の進め方をまず述べましょう。なお、ここ2年あまり、秋田の人達との楽しい付き合いが増えたので、秋田弁がときどき出てきます。第2章では、私が見つけた、研究を進めるときの基本的な考え方を説明します。私の理工学的研究を振り返ってみて、様々な研究(問題解決)の間に共通点を見つけて、さらに、その他の、人生の問題解決においても、同じ共通な部分を見出したのです。この部分は、口で言え、文に書くことができる部分です。と言うか、私の頭で整理できる部分です。この部分をまとめて、「問題解決の基本的な考え方」としました。まず、理解できる、なるべく大きな目標を持つことまんず、やってみれ!んでねば、やる気も出てこねえ! いろいろ試して、解決のために苦労する、経験する 知る勇気を持つ 問題点を洗い出す頭を使う(要因の解析) 問題の理解(問題の構造は?) チェック機能を考える(やっていることの良悪の判断) なぜ悪いか調べられるか?(解析手法)どうすべきかの判断と行動(洞察力)後は、倦まず怠らず、こつこつと続けることたゆまぬ努力により、答えが「ほがらほがら」(朝日が出てくるように)と出てきて「えがった、えがった!」ということになるのです。第3章では、「問題解決」というか、「考える」ことの理論みたいなこと、確率論(統計学)に触れます。あまり難しいことは書きたくないし、ほとんど独学なので、正しく伝えられるかも自信がないのですが、知っていた方がいい、とても大事なことが含まれていると感じたからです。世の中には分らないことが多いのです。神様(全知全能の;神様にもいろいろあるらしいです)でもない限り、分らないことだらけです。その度合いを数学的に言い表そうとしたのが確率論(統計学)なのです。(どの要因が問題解決にもっとも効いているかとか、問題解決できそうか、とか、数字にしなくても、確率論を私達は無意識に使っているのです。)第4章、「私の経験してきた問題解決」で、上記の基本的考え方を具体例で説明します。これらの基本的考え方は、問題解決にとって、私が大事だと思うことなのですが、これを読めば問題が解決するという保証は全くありません。私の問題解決研究所では、これまで、いろいろな問題の相談を受けてきました。私は、馬鹿の一つ覚えで、上に示したような基本的考え方で助言をするのですが、効果がないことも多いのです。一方、予想以上に効果が出てしまうこともあります。反省してみると、相談に来る人がいろいろ違うのです。困っているという点では同じですが、「元気、やる気とか勇気」など、気の持ち方が大きく異なっているのです。要因は様々あるのですが、初めのうち感じたのが上記の3点だったので、「気の要因」と名づけようと思ったのですが、まだ、よく分らないので、命名は保留にしてあります。これらの、なかなか言い表しにくく、実行しにくい、大事なことについて、第5章の、「うまくいかないとき」と第6章の「その気になればできる!」で、考えてみたいと思います。この部分は、論文を書きながらまとめていくつもりです。そして、第7章で、まとめます。「まとめ」理解できる大きな目標をまんずやってみれ!んでねばやる気も出てこねえ自分で考えて、判断、行動倦まず怠らず前進楽しく、元気と感謝の心で皆さんはどう思いますか?つづく
2005年05月26日
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と思ったら、もう一つのポカで救われた?わが問題解決研究所では株の研究もやっています。自分で銘柄を選んで、本当に株を買って(少しずつですが)、それらの株価の動きを見ているのです。株価を決める要因を知ろうとしているのですが、なかなかよく分かりません。何日か前、ある会社の株を買おうとネットで注文したのです。株価が260円ぐらいだったので、255円になったら買うという注文です。昨日の夕刊で255円になっていたので、買えたと思ったのですが、今朝になったら、ちゃんと注文していないことが分かったのです。私のパソコン操作ミス?(よくやるのです)で買えませんでした。しかし、今朝の新聞で分かったのですが、昨日株価が253円まで一回下がっていたのでした。だから、ミスのおかげで2円損をしたと思わないで済んだのでした。と書いたと思った次の日の朝の新聞を見たら、前日242円まで下がっていたのです。危うく、なんと13円(一株当たり)損するところだったのです!こんなふうに、まぬけなことを沢山やっていますが、全体としては損をしていません。いや、まぬけだから、損をしないでいられるのかもしれません。でも、研究の方はまだめちゃくちゃで、株価が底をついたと思って買ったら、さらに下がって、売る機会も失ってしまったようなものもまだ持っています(勉強しています)。少しでも立ち直ってもらおうと、会社に手紙を書いたり、批判したりしてきました。今のところ、予測など全くできません。博打と同じようなものなのでしょうか。それでも、経済について、前より勉強すようになったので、それでよしということにしておきましょう。出張のときには、必ず、日本経済新聞を買って、よく読むようにしています。よく分かるわけではありませんが。話は変わりますが、近所を歩いていて、収穫されていない農作物を見ると、頭にきます。収穫しても、高く売れないのかもしれませんが、食べられるものを無駄にしているのです。今日も、苺をそのままに放置しているところを見て、ぷんぷんしていたら、道に新しい鉛筆が2本落ちているではありませんか。私は最近鉛筆を全く使っていませんが、そのままにしておくのは勿体ないと思って、拾ってきました。今けずったところです。秋田へ行くと、山の栗とか胡桃とかを無駄にしないで、ちゃんと食べています。我が家の近くでは、庭の夏みかん、金柑、柿などを食べないでそのままにしておく家がところどころにあります。また、食べられる野菜が捨てられていることもあります。我が家では庭はほとんどありませんが、唯一の庭木、うすらうめ(梅桃)の実は食べたり、焼酎漬けにしています。鳥にも残しておきます。太陽熱は少々ですが電気に換えて使っています。今日は16kWh発電しました。つづく
2005年05月25日
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昨日は、ホタテご飯、サヤエンドウの炒め物と野菜スープが本当に美味しかったです。ホタテと言っても、生ではなく、乾燥したものでした。ヒトメボレを使った炊き込みご飯は最高、それから、ホタテの残りに、残り野菜(ネギ、ニンジン、山芋)、新タマネギと新キャベツの実沢山のスープも絶妙の味でした。さらに、新鮮なサヤエンドウの歯ざわりと味、香りに感動しました。んめえ!今年は幸せな年です。つづく
2005年05月25日
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東京新聞の、私の今日の運勢は「将来のことを知ろうと思えば、過去のことをよく考えよ。開運間近」だそうです。開運間近かもしれないし、そうでないかもしれません。しかし、過去のことをよく考えるというのは大事なことです。ところが、私の記憶力というのはあまり当てにならないのです。しかし、経験してきたことというのはどこかに残っているはずです。そして、今の私を形作っているのです。でも、私には、相当でれでれしていたというか、無為の時間が多いのです。今になって考えてみると、そういうときに、やることさえ分かっていれば、いくつかの研究ができたかもしれないのです。研究をまとめるときにも、ああじゃない、こうじゃないと、いろいろ考えて、時間を無駄にしているのです。結果は、多分、時間がないときに、追い詰められて書いたものとあまり変わらないでしょう。私は、そもそも、まとめることが嫌いで、また、書くこともあまり好きではありませんでした。それでも、ここのところ、ホームページに日記を書くようになってから、それが少し変わってきたのかもしれません。自分の考えをきちんと書くということが大事であるような気がしてきたのです。今、これまで私がやってきたことをまとめようとしています。まとめながら、やってきたことの意味をよく考えたいです。特に、「無為」の部分について考えたいのですが、そのとき何をやっていたか、あまりはっきり覚えていないのです。つづく
2005年05月25日
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「ほがらほがらと道見えゆくを」とは、本居宣長翁(宇比山踏)の言葉の一部です。学ぶためには、倦まず怠らず、何回も何回もよく読むと(分かるところを)、「夜が明けて日が出てくるように、さっと全部が分かるようになる」ということです。さっき、お金儲けの雑誌、「ビジネスインテリジェンス」を開いたら、岡本吏郎:本当の「お金の話」、5月号(2005)に、「創発」という言葉が出ていました。これは、「一つのことを淡々と努力している(単純に続けている)と、急に何かができるようになる」ということだそうです。私達の研究でも全く同じことが言われているのです。私の言葉では、初めは全くどうしていいか分からなくても、諦めないで一所懸命続けていると、ジッグソーパズルができてくるみたいに、あるとき急にでき始めるのです。つづく
2005年05月24日
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「あなたは右手の指で自分の鼻をつまめますか?」と言われて、自分の鼻をつまむと、今度は、「それをどのようにやったらできるかを詳細に言い表すことができますか?」と聞かれます。以上のことは、「暗黙知」ということを説明するときの例として使われます。英語で書くと、tacit knowledge で、言葉では言い表しにくい知識のことです。仕事にマニュアルがあっても、その通りにやっても不十分な部分があるのです。最初書いた、自分の鼻をつまむ、というのは、生まれたばかりのときにはできなかったことです。しかし、それが練習によりできるようになり、今は無意識にやっているのです。ここからは私が考えていることです。問題解決だって、なにか「基本的な考え方」があってもいいと思います(大ざっぱなマニュアルみたいなもの)。しかし、実際には、自分が生まれてからこれまで学んできて、「無意識」にできるようになっている「考え方」とか「気の持ち方」が沢山あるのです。今「無意識」と書きましたが、実際には、無意識と意識の中間状態とか、無意識の中に意識を混ぜるとかいう「考え方」があると思うのです。「無意識」と言っても、自分で意識しないで鼻を触っている場合もあるし、自分の頭では鼻をつまもうと思っているのですが、その動作が「自動的にできる」という意味の「無意識」もあるのです。大人でも、生まれてから、一度も自分の鼻をつまんでいなかったら、そのために何と何をどのような順でやらければいけないかは全く分からないのです。きちんと意識して、鼻をつまむために必要な、一つ一つの細かい動作をまず会得しなければならないのです。また、無意識で鼻をつまめても、鼻のどこかが痛いから触るなどというときは、意識してそこを触っているのです。「問題解決」(「考える」ということ)も同じようなことではないでしょうか。私達は意識して問題を解決していると思っているかもしれませんが、実際には、意識も無意識も自動的にうまく入り混じって、解決が進んでいるのでしょう。つづく
2005年05月24日
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「まだ、仏教の勉強をしているんですか?」と言われるかもしれません。実は、古田紹欽:「仏教とはなにか」、社会思想社、(1963)。をさっと「読んだ」(ページをぺらぺらめくった)のですが、ほとんど分かりませんでした。ただ一ヶ所、目に留まったところは、「仏教の研究には2つのやり方があります。一つは、頭で整理するやり方であり、もう一つは体で経験するやり方であります。」でした。これって、もしかしたら、私が、いろいろ考えていたことと関係があるのではないでしょうか。科学の研究でも、目的とか、やることとかが頭で分かっていても、いざやろうとするとできません。やる気とか根気が出ないとだめなのです。そして、これは、頭で覚えることではなくて、「体」で覚えることなのでしょうか。私は、問題解決の要因を、一度、「頭の要因」と「気の要因」とに分けてみました。でも、「頭の要因」と「体の要因」というのはどうでしょうか。上記の本の他に、河合隼雄:「日本人の心」という本も「読みました」が、こちらはもっと分からなくて、結局、図書館に返してしまいました。なお、「仏教とは何か」は私の本ですが、まだ、理解できないのです。今日の太陽電池の発電量は9kWhでした。
2005年05月23日
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最近、男性は女性に敵わないとつくづく思います。ゴルフの宮里藍選手の活躍には目を見張るものがあります。才能は勿論あるのでしょうが、あの度胸、落ち着きと根性はどこから出てくるのでしょうか。会社にいた頃から女性の強さを感じていました。女性は科学者には向かない、などと言った偉い先生もいますが、私はそんなことは全くないと思います。私の付き合った(研究でですよ)女性は皆優秀でした。元気で、好奇心があり、質問もよくしました。皆私より注意力もあるし、よく気がつき、器用で、素早いのです。ちょっとやり方を教えれば、私が実験するより早く、ミスも私より少ないのです。また、頭も柔らかで、偉い先生がなんと言ったとか、会社の上司のことなどあまり気にしない人が多かったです。私が相当ひどいことを言ってもいじけないし、いろいろ知恵を出して、どんどん仕事を進めてくれました。ある女性は、会社に入って2年ぐらいで、非常に発想が良く、この人に期待をかけていたのですが、この人は家具デザイナーになりたいとか言って、さっさと辞めてしまいました。男ではこの勇気はないでしょう。最近は少しずつは変わってきたと思いますが、まだ日本の社会では、女性が男性に比べ不利な点が多いと思います。それでも、めげずに、やって行けるというのは、やる気、根気、執念などで勝っているからでしょう。男として、負けないように、頑張らなくてはなりません。90才ぐらいピンピンしている女性も沢山います。この間、ここで紹介した、近所の知恵者のおばあさんも83才です。全くボケていませんし、私はいろいろ教えてもらいました。考えてみたら、私の母は86才で、去年手首を折ってしまい、もう先は長くないなどと言っていますが、暖かくなったら、少しずつ、元気を取り戻してきたようです。この間、外で昼食を一緒にとりました。とんかつ屋さんへ入って、私が並ロースで半ライスと言ったら、母は上にしようと言うのです。そうしたら、面白いことに、ご主人が「上でも、肉が大きいだけで、味は同じですよ。」と言ってくれたのです。こういう正直な人もいるのです。並ロースが来たら、結構大きく、母もこのくらいならと満足してくれました。どうなるかと見ていたら、母は全部平らげてしまいました。私と同じだけ食べたということです。これでは、まだまだ、大丈夫だと思いました。私達としては、母が東京のマンションに1人で住んでいるので心配なのですが、正直なところ、同居すると、うまく行きそうにないのです(理由は前にいろいろ書いたと思います)。私よりボケてなく、口がとても達者なのです。当分の間、このままの状態で行くのが一番良さそうです。
2005年05月23日
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夕べは、掘り立ての、埼玉の新ジャガを楽しみました。信じられないくらい美味しい!高級料理屋へ行っても食べられない!電子レンジで火を通し、地中海の塩を付けただけで食べました。この他に、一緒に食べた、新しいネギ、豆腐と豚ばら肉を煮たものも結構な味でした。炊き立てのヒトメボレのご飯とともに、初夏の味を楽し婿とができ、幸せな気分になりました。こういうものを食べていると、外でお金を払って食べるのがいやになります。特に、「高級」(私にとって)な店へ行くと、損した気分になります。昨日は、女房の姉が来て、帰りに旦那さんが迎えに来ると言うのです。そして、一緒に食事をしようと誘われたのですが、私は仕事に熱中していたので、辞退し、結果的に美味しいものを食べることができたのです。この旦那さんはこっちの方へゴルフでいつも来ているので、美味しい(多分、高級で、高い)場所をよく知っているのです。一方、私は安いところ専門なのです。どこかの餃子とか、石焼やきそばとか、カキフライとか、回転寿司のイワシとかで満足しているのです。後、家でいろいろ工夫して作るものが意外と美味しいのです。全電化の調理器を最大限に利用したいという執念と美味しいものが食べたいという強い気持が強いからでしょうか。
2005年05月23日
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私は気が変わりやすいのです。見るたびに変えたくなります。前のも変えてありますが、今日、論文の第1章を書き始めたので、目次も同じ日に再掲することにしました。目次も文もこれから変わっていくと思いますが、今日が「論文執筆開始の日」です。これまで、絵を書いたり[そう言えば、これまで、私が講演のときに使ってきた絵(漫画みたいなもので、少しずつ紹介してきたもの)も論文で使う予定です]、言葉を書いたり、いろいろ落書きみたいなことしてきました。それらの結果を、今、やっと、私は文にし始めました。私自身の研究についてのまとめはできる状態になっているのですが、大事なところ(そして、これは言葉にしにくいところが多いのです)がまだ論理的にうまくまとめられないのです。これは、書きながら、いろいろな人の意見を聞きながら、また、文献も読みながら、まとめて行きます。とりあえず、「まずやってみれ!」で、今日出発しました。「私の問題解決の考え方」目次1.はじめに 人生は問題解決 問題解決は苦労も多いが面白い 問題のない人生はつまらない 問題を次々に解決しよう! 元気で、楽しく、感謝して生きよう! ハウツーものではない! 皆さんが自分で考える助けになりたい 本当は「面白い」と思ったことを文にしたい 発端・・私の研究の解説論文をまとめる 違う研究でも、考え方は同じだった!面白い! 研究以外の問題でも考え方は同じ! 問題解決の基本的な考え方がある 意識して応用しよう!2.基本的な考え方 まずやってみれ! 目的を具体的に理解 いろいろ試してみる 真実を知る勇気 問題点の洗い出し 苦労しよう 要因の解析 問題の構造は? やっていることの良悪の判断(チェック機能) なぜ悪いか調べられるか?(解析手法) それから実際の解決に着手 結局は、自分で考えて、判断、行動できるか 最初は分かりそうなところを念入りに 難しいところは必死になってから 意識して応用しよう3.確率論(統計学)を理解しておく 確率とは何か? 知識の度合い 信念の度合い 知らないということを知ることは知ることである 問題に関係した確率を定義する試み 可能性の洗い出し 可能性の見積もり 問題意識の有無 新しく得られた知識(証拠)により確率は変わる 確率には必ず条件が付く 将来を予測する 過去を推定する 式にしなくてもいい 計算しなくてもいい いろいろなことを想定しておくだけでもいい 洞察力を助けてくれる 問題を図で表してみる もっとも重要な要因を予測する 大事でないことはなるべく考えない 苦労して得た答えでも正しくないかもしれない4.私の体験例 無意識の時期 入学試験等 卒業論文等 半意識の時期(会社での半導体関係研究の初期から中期) 半導体製造の各種問題解決 基本的考え方を意識した 研究成果の総まとめ 解説論文の執筆 変体仮名の読み方の研究 山菜採りの研究 研究指導の研究 編曲の研究 手打ちそばの研究 料理の研究 文の書き方の研究 その他の問題解決5.うまく行かないとき 悔しがらない 怒れない いじけてしまう やる気がない 夢中になれない 楽しくない 言われたことしかできない 集中できない すぐ諦めてしまう 洞察力、勘が働かない 自分で考えられない 的外れなことをやってしまう6.その気になればできる! 本気になる やる気を出す 勝負師になる 自分を追い込む 新しい研究には素人の方がいい 鵜呑みにしない 自分でやってみる 言われないこともやってみる 直ぐに投げ出さない 技を磨く 頭を使う 相談する 類推する 失敗は考えない 面白いところを探す 倦まず怠らずの努力で、答えは「ほがらほがら」と 7.まとめ まんずやってみれ!んでねばやる気も出てこねえ。 自分で考えて、判断、行動する 結局、大きな目標、それへ向かって、倦まず怠らず前進 楽しく、元気と感謝の心で 皆さんはどう考えますか?
2005年05月22日
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テレビで「題名のない音楽会」をやっています。イギリスのRussell Watson という歌手が出ています。全くの独学らしいです。オーケストラとピアノの伴奏がついていましたが、気の合った人のピアノ伴奏ぐらいで、歌だけをもっと聴きたいと思いました。また、お客が歌に加わる場所が抜けていた(聞こえなかった?)のがちょっと気になりました。聴きながら、私の論文の書き方を考えました。無理にうまく書こうとするのはやめよう。あまりうまく書くと、人を惑わしてしまうかもしれない。素直に自分の思っていることを書こう。しかし、理解してもらうよう、最大限の努力をしよう。それで、第1章「はじめに」を書き始めました。論文「私の問題解決の考え方」1. はじめに 人生は問題解決の連続です。問題解決には苦労も多いですが、かなり面白いものです。逆に、問題のない人生はつまらないのです。問題がなくて、楽ばかりしていると、太るばかりです。目の前に現れてくる問題を次々解決して、元気で、楽しく、感謝して生きて行きたいではないですか。 この「論文」はハウツーものではありません。読んだから問題が解決するわけではありません。私が書いていることが、少しでも、皆さんが、問題に遭遇したとき、自分で考える助けになればいいと思っています。でも、本当は、私が気がついた「面白い」ことをここにまとめたいだけです。 これは、ここ約7年間の私の研究の結果をまとめたものです。一方。これは、私の人生(各種問題解決あり)の3分の2以上の部分の間に、どのような考え方で、いろいろな問題を解決してきたかを一つの話にまとめたものです。 私は、長い間、ある会社の研究所に勤めていて、半導体関係の材料の研究をしていました。ほぼ10年前、数十の私の研究論文を一つの解説論文1)にまとめる機会をいただいたのです。そのとき気づいたのは、「自分の、かなり多くの、いろいろな対象の違う研究でも、それらを進めるときの考え方がよく似ていた」ということです。私は、これが「面白い」と思ったのです。そう思って、自分のやってきたことを振り返ってみたら、さらに面白いことに、研究以外の問題にも似たような考え方を使っていたのです。そして、それまで、そのことをあまり意識していなかったのです。これも面白いではないですか。しかし、面白いのは私だけで、多くの人には、あまり面白くないことかもしれません。(実は、私の場合、こういうことがよくあるのです。2年ちょっと前の本荘(今は秋田県由利本荘市)でも、寒いのに、私1人が美味しいバッケ(フキノトウ)を探すのに夢中になり、友達に、なんでこんなことが面白いのか分からないと言われました。)皆さんは、これを読んで、「ああそうですか。」、「・・・」、「そんなの当たり前よ。」、「だからどうって言うの?」、「人間が同じなら考え方も同じよ。」、「本当に?」、「同じ人間だって、問題によって、いろいろ考え方を変えるのではないの?」、「それは、問題と人によるのです。」など、いろいろ反応されると思います(はじめの2つが多いです)。その反応について、どうこう言うことはないのですが、この面白いことを意識するようになってから、私自身の問題解決の成功率が確かに上がったような気がするのです。今日の太陽電池の発電量は9kWhでした。
2005年05月22日
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大したもんだ!梅原猛:「古代幻視」、文芸春秋、(1993)。の一部をさっと読んで、先生の「幻視」が正しいのかなと思ってしまったのです。柿本人麻呂のことなど、ずい分細かいところまで「推理」?「想像」し、上手に説明してある(ことよし)のです。でも、ちょっと待てよ。私は、常々、人に「鵜呑みはだめよ」と言っています。さらに、思い出しました。「言巧みにして、ものの理非をかしこくいいまわし・・・弁舌よくかしこく物をいいまわす人の言うは、人のなびきやすきものなる・・」と、本居宣長翁が「こと(言)よき」を説明しています(「宇比山踏」(廿二から廿三))。明快古語辞典(三省堂)によると、「言よし」:ことばが巧みだ。口がじょうずだ。柿本人麻呂についての正解は、「そうであるかもしれないが、そうでないかもしれない」だと思います。先生は、本の初めの方に、「私は科学的な方法で、仮説が正しいかどうかの結論を出す(得られた証拠全てに矛盾がない仮説を取る)」とのことですが、そもそも証拠が足りなくて、どこまで信じられるかどうかが分からなければ、得られた結論の信用性も低いのです。先生もそれをご存知だと思います。私は、結論は、先生がいろいろ読んだり、話を聞いたり、見た結果から感じたこと(勘)だと思います。「幻視」です。ものすごい想像力だと感心するばかりです。それはそれでいいのですが、私が恐いと思うのは、読んだ人がそれが正しいと思い込んでしまうことです。250年ぐらい前の賀茂真淵の、柿本人麻呂の説だって同じことです。理工学の研究でもそうなのですが、偉い先生が何かを言う(書く)と、その結論だけが引用されてしまうのです。そうすると、それがあたかも疑いない真実であるかのように信じられてしまうことがよくあるのです。結論だけが一人歩きしてしまうのです(「それを鵜呑みにする研究者達によって歩かされる」と言った方が正しい)。桐野夏生さんは、内容は自分が調べたことを参考にして、自分が作ったことだと明言しています(「ファイアーボール・ブルース」)。そして、読者も、真実でなくて、こういうことが起きたら面白いと思って読むのでしょう。世の中には、「偉い先生」が言ったということで、それだけで、それに惑わされてしまう人々が多いのです。
2005年05月22日
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「問題解決の考え方」について論文を書くと宣言したものの、分かりやすく書けるかどうか、まだ自信がありません。つづく
2005年05月21日
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おかげで、論文の目次ができ始めました。「私の問題解決の考え方」1.はじめに ハウツーものではない! 皆さんが自分で考える助けになりたい 人生は問題解決 問題解決は苦労も多いが面白い 問題のない人生はつまらない 問題を次々に解決しよう! 元気で、楽しく、感謝して生きよう! 発端・・私の研究の解説論文をまとめる 違う研究でも、考え方は同じだった!面白い! 研究以外の問題でも考え方は同じ! 問題解決の基本的な考え方がある 意識して応用しよう!2.基本的な考え方 まずやってみれ! 目的を具体的に理解 いろいろ試してみる 問題点の洗い出し 要因の解析 問題の構造は? やっていることの良悪の判断(チェック機能) なぜ悪いか調べられるか?(解析手法) それから実際の解決に着手 結局は、自分で考えて、判断、行動できるか 意識して応用しよう3.確率論(統計学)を理解しておく 確率とは何か? 知識の度合い 信念の度合い 知らないということを知ることは知ることである 問題に関係した確率を定義する試み 可能性の洗い出し 可能性の見積もり 問題意識の有無 新しく得られた知識(証拠)により確率は変わる 確率には必ず条件が付く 将来を予測する 過去を推定する 式にしなくてもいい 計算しなくてもいい いろいろなことを想定しておくだけでもいい 洞察力を助けてくれる 問題を図で表してみる もっとも重要な要因を予測する 大事でないことはなるべく考えない 苦労して得た答えでも正しくないかもしれない4.私の体験例 無意識の時期 入学試験等 卒業論文等 半意識の時期(会社での半導体関係研究の初期から中期) 半導体製造の各種問題解決 基本的考え方を意識した 研究成果の総まとめ 解説論文の執筆 変体仮名の読み方の研究 山菜採りの研究 研究指導の研究 編曲の研究 手打ちそばの研究 料理の研究 文の書き方の研究 その他の問題解決5.うまく行かないとき やる気がない 夢中になれない 楽しくない 言われたことしかできない 集中できない すぐ諦めてしまう 洞察力、勘が働かない 自分で考えられない 的外れなことをやってしまう6.その気になればできる! 新しい研究には素人の方がいい 鵜呑みにしない 自分でやってみる 直ぐに投げ出さない 技を磨く 頭を使う 相談する 類推する 失敗は考えない 面白いところを探す 答えは「ほがらほがら」と 7.まとめ まんずやってみれ!んでねばやる気も出てこねえ。 自分で考えて、判断、行動する 結局、大きな目標、それへ向かって、倦まず怠らず前進 楽しく、元気と感謝の心で 皆さんはどう考えますか? これから、これに加えたり、修正したりしていきます。
2005年05月21日
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今回、「私の問題解決の考え方」を論文としてまとめようとしたら、どうしてだか分かりませんが、今、哲学だの宗教のことを勉強しているのです。統計学の勉強をしたときも、確率の定義について深く考え始めると、哲学や宗教が関係してきました。これは、「考える」ということを突き詰めるのは哲学だということでしょうか。三省堂国語辞典によると。哲学とは「理性の力で、ものごとの根本原理を考える学問」のことです。そして、この世界には分からないことが沢山あり、そのより所が宗教ということになるのでしょうか。別冊太陽の「梅原猛の世界」を読むと、面白いことに、ここのところ私が調べたり、考えてきたことや人が載っているではありませんか。「日本は外国と違うのか」、「日本の仏教の特異性」、「日本の神」、「古事記」、本居宣長、菅江真澄、河合隼雄、「なんでも楽しむ」、「好奇心」、「自分で考える」、「本にまとめる能力」、「想像力」、「本にまとめる力」などです。この人の想像力には感心しました。正しいかどうかは分かりませんが。しかし、自分で見て、感じたことを思考の源泉にして、大変な量の本をまとめたということはとても人間業とは考えられません。大したもんだ!
2005年05月20日
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「梅原猛先生は、実際に、自分が何を感じ、何を見たかという実感を源泉とし、自分で考えることを哲学の中心に置いておられる」というのは、別刊太陽の中の対談での、河合雅雄氏の言葉です。全くその通りだと思います。理工学の研究者も見習うべきです。他の人がやったことや言ったことをそのままやるのではなく、自分で考えたことを実験し、観察したことや感じたことを基に、さらに自分の考えを進めるのです。自分で実際にいろいろ試し、苦労するというのが一番大事なことだと思います。それから、何回も実験をやって、装置と仲良しになることです。そして、安定な状態で測定したり、物を作ったりできるようにすることです。そのうちに、不思議なことに、こうだったら良いとか悪いとかが分かってくるのです。今日は今までとは見方を変えて、悪い方から、研究のやり方を考えてみましょう。研究がうまく行かない理由として考えられることは、1.研究を成功させたいと本当に思っていない(例えば、できるだけ楽をして給料をもらいたい)。2.指示されたことしかできない(それさえも難しい)。3.問題や課題を見つけられない。4.自分で考えて、判断、行動できない。5.問題を掘り下げられない。6.言われたことを疑わない。7.確認もしないし、納得しないことをやっている。8.なんとなく忙しく働いている。9.できないと人や状況のせいにする。10.馬鹿な間違いが多い。11.同じことを何回もできない。12.すぐ諦める、執念、根性がない。13.義務感、使命感がない。14.人に相談できない。15.仕事を楽しめない。16.元気も勇気もない。17.できなくてもどうにかなると思っている(切迫感なし)。18.素早く行動に移せない・19.失敗を生かせない。20.質問できない。21.自分の考えがない。22.怒れない。23.苦しんだことがない。24.一つのことにある期間集中できない。25.質問できない。26.どうしてもこの研究を成功させたいという気にならない。27.目的が本当に理解できていない。28.やったことの良し悪しの判断ができないまま実験を続けている。29.失敗を責められることを恐れている。30.想像力、推理力がない。31.注意力(気づく力)がない。32.疑問を持たない。33.研究をまとめる力がない。34.洞察力がない。35.勘が働かない。36.解析力がない。などです。これらのことを「自分の論文執筆」という問題に当てはめてみると、問題解決の考え方についての、論理的な部分はまとめられそうなのですが、情緒的というか、人間の感性とか、気の持ち方、物事に対する考え方などが関係している部分については、どういう項目に分けたらいいのかも、どのように説明したらいいのかも、よく分からないのです。今日の太陽電池の発電量は8kWhしか行きませんでした。(午後曇り)
2005年05月20日
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この人は哲学者で、偉い先生です。でも、私に言わせれば、怪物みたいな人です(大村はま先生についてもこの言葉を使いました)。別冊太陽「梅原猛の世界」、平凡社、(2005)。を一部読んで、そう思いました。この人の本(「仏ごころ母ごころ」?)で、私は仏教のことが少し分かったような気になりました。そうしたら、この間の東京新聞の記事での、先生のJR西日本への怒り(批判)の文を読んで、この人は結構気性が激しいところもあるのだと感心していました。今回の別冊太陽の対談の中で、先生が中曽根首相(当時)に直訴し、国際日本文化研究センター開設したときの苦労をこのように語っています。「僕も・・・修羅場が好きなんだよ。修羅場が出てくると非常に元気になる。センターでも、ものすごく辛かったけど俺1人で修羅場を頑張ったんや。河合(隼雄)さんと埴原(和郎)さん(2人とも部下でもない人)が僕の両腕みたいな活動をしてくれたんやけど、センターができたとき、その2人が、出来るとは思わなかった、と言ったのはショックやったなあ。みんな出来ると思って手伝ってくれとったと思うとったからな。何で手伝ったかって言うと、梅原さんがあんまり一所懸命やっているから手伝った、って。・・やりだしたら異様な情熱が僕にあって、どうしてもこれはやらなくちゃならんという、そういう一種の使命感みたいな。・・1年半くらいは東京で1人暮らし。初めての単身赴任でした。・・まあ、楽しかったな。・・・」この人は大した人です。人徳でしょうか。また。著作の数もものすごいのです。やはり、書くというのは大事なことですね。本居宣長翁が研究した古事記についても詳しいのです。日本全国いろいろなところへ調査に行って(アイヌのことまで)、日本人の思想、神や仏について理解し、説明しようとしています。この本を見ながら、私も頑張らなくては、まだこれからだ、と思うようになりました。同じようなことは逆立ちしても出来ませんが、やる気と元気をもらいました。
2005年05月20日
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この人は女性の作家で、この人の作品は私をかなり惹きつけるのです。ここ2,3日で2冊の、この人の本を読みました。「ファイアーボール・ブルース」と「柔らかな頬」です。前者は女子プロレスの世界を扱った話で、後者は、直木賞作品で、幼児失踪事件に関する話でした。この人の小説は手に汗を握るようなものではないのですが、登場する人々の描写が興味深いのです。それぞれ、そんなにぱっとしないのですが、いいところもあって、皆結構頑張って生きているのです。後者の話では、結局、何も手がかりが得られないまま、母親を除いて皆諦めてしまうのです。しかし、ただ1人、不治の病で、死期が迫った元刑事が、調査を手伝い始めるのです。その過程を読むと、「問題解決」に関係があると感じられる場所がところどころにあったのです。そして、なんとなく、それらのところをもう一度読みたくなってしまったのでした。
2005年05月19日
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「私の問題解決の考え方」という「論文」を書き始めています。しかし、これは、誰かに仕事として頼まれたことでもないし、これで自分が儲けようとか、有名になろうとか思っていることでもありません。だから、できる限り楽しみながら、この論文を完成させたいです。本居宣長翁によると、儒学や仏教の道は、仰山にことの善悪是非を問題にすることとのことで、それに対して、日本の神の道というのは、のどやかに、おおらかで、上品で優雅なのだそうです。学問のやり方はどうであっても、「年月長く、倦まず怠らず、励み努むるぞ肝要」なのだそうです。研究にも当てはまるような気がします。才能がなくても、遅く始めても、暇がなくても、諦めて止めてしまわなければ大丈夫だとのことです。ありがたい言葉ではないですか。私の大勢の友達と文通したり、会って話したり、沢山の本を読んだりしながら、あまり慌てないで、この論文をまとめていくつもりです。ゆっくりと、一歩一歩頂上(目的)に向かって登っていきます。「問題解決」について考えることを楽しみながら。今日の太陽電池の発電量は12kWhでした。
2005年05月19日
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3年前だったか、会社へ行かなくなってから、私は古いものを少しずつ捨てています。本や研究のデータなどもかなり捨てています。しかし、捨てた後、それらが急に必要になることもあるのです。簡単に捨てない方がいいような気になってきました。特に、ここのところ、捨てようかなと思って、30年以上も前に買った本を取り出し、ぺらぺらめくって見たら、自分が今考えていることに関係したことがいろいろ書いてあるではありませんか。「日本のこころ」、「星の王子様」、「仏教とはなにか」(古田紹欽)、「日本文学の古典」(西郷信綱他)、「奥の細道」の参考書などです。長い間、開きもしなかった本に、自分が言ってきたこと、言いたいと思うこと、参考になることなどが書いてあるのです。これは何かの「因縁」でしょうか。私が、いつか役に立つように、買っていたのでしょうか。いずれの本も、買ったときには、あまり熱心に読んでいないのです。ところが、今になってみると、大事なことが書いてあることに気づいたのです。そこで、気づいたのですが、今度書こうとしている「論文」というのは、ジグソーパズルみたいなもので、これまで、私が経験してきたこと、の一つ一つの部分(ピース)が、全部、「問題解決の考え方」という共通点でつながっているのかなと思いました。
2005年05月19日
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私は会社へ入ってから、どうも「国粋主義者」になってしまったみたいです。周りの人達が英語をあまり使うのに反発して、無理に日本語を使うようにしたのです。ですから、最初の頃は、「シリコン」のことを「珪素」と言っては、周りの人に笑われていました。また、私は、東京と大阪のような大都市以外は、どこへ行っても、大体楽しんできました。やはり、風土が私に合っているのでしょうか。特に、山菜が好きになってからは、東北が好きになりました。温泉も好きです。山の中を1人で歩き回り、山菜を見つけたときなど、本当に幸せを感じます。つづく
2005年05月18日
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一昨日は私の嫌いな東京へ行って、昨日は、半日、3才のアーちゃん(私の孫)の子守でした。母親である、私の娘に用事があったのです。かなり甘ったれで、母親から離れるのをいやがるのですが、今回はお土産を買ってくるということで納得させたらしいです。子供相手のときは一時も油断できません。特に、この子は相当「賢い」ので、ボーっとしていると、なんでも好きなようにされてしまいます。お菓子とか、ジュースとか、どこにあるのかまで知っていて、上手に要求して、もらってしまうのです(私はそうはさせまいと頑張りましたが)。遊んだ後、おもちゃなどをなかなか片付けないし、いたずらもいろいろやります。2時間ぐらい家の中で遊んだのですが、こっちがまいってしまい、これから、公園へ行くということで、散らかした部屋の中を全部片付けさせました。よほど公園へ行きたかったのでしょうか、それとも、私が少し恐かったのでしょうか、なんとか片づけをして、公園まで、15分ぐらいでしょうか、歩きました。この子は外で遊ぶのが大好きなので、公園のブランコや滑り台で思いっきり遊ばせてきました。1時間以上遊んで、家に帰ろうと言うと、いやだというのです。しかし、帰りに、お店に寄って、「ウマイ棒」を買ってあげると言ったら、大喜びで、帰ると言いました。途中の店で、好きな種類を選ばせて、10円渡して、レジでお金を払っておいで、と言うと、始めてだったらしく、大層喜んで、一人で買うことができたのです。領収書をもらって、「ありがとうございました。」と言って、得意になって出てきました。「パパにあげるんだ!」など言っていたのに、家に帰ってきたら、結局食べてしまいました。そして、行く前に我慢させておいたジュースを一緒に飲んでいると、やっと娘が帰ってきました。この子は女の子ですが、私の孫の中では一番強そうです。相当悪いことをし、叱っても、いじけません。納得しないと、なかなか言うことを聞きません。好きなことにはかなり集中力があります。根性もあります。欲しいものがあると、手に入れるまで、なかなかあきらめません。両親はこの子の好きなようにされている感じです。つづく
2005年05月18日
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西洋の人の研究のやり方と日本人のそれと違うところがあるのでしょうか。私は、基本的には、人間の頭の使い方は、どこの国の人でも同じであると思っています。しかし、ここのところ、ちょっと、もう1回、考え直しています。それは、下記の2冊の本を読んでいるからです。岡潔:「日本のこころ」、講談社、(1971)。河合隼雄:「河合隼雄著作集 日本人の心 8」、岩波書店、(1994)。それから、私自身が、自分の研究において、あんまり論理的でなく、ぼんやりとしたやり方(情緒的と言ったらいいのでしょうか)をすることがあるので、日本人である私のやり方が西洋人の考え方ともしかしたら違うのかなと言う気がちょっとしないのでもないのです。私自身としては、もっと論理的になった方が研究の効率が上がると考え、統計学(確率論)的手法の勉強をしたのでした。なお、今日の太陽電池の発電量は8kWhでした。
2005年05月18日
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文化、習慣、言葉等の違いからか、日本が外国と違う点がよく議論されるように思われます。日本人の中にも、国内では威張っているような人がアメリカへ行くと馬鹿にぺこぺこしたりすることがあります。また、東南アジアへなど行くと、急に、自分が偉いような態度をとる人もいます。また、テレビなどを見ていると、評論家達が、外国の例を挙げて、日本の批判をしていることがよくあります。私は国籍や人種のより人間の知能などがそんなに違うことは」ないと思っています。また、日本人が外国人より優秀だとも劣っているとも思っていません。そして、国として、日本は平和で裕福で、他の多くの国より恵まれていて、私は日本で暮らせて良かったと思っています。私がいやだと思うのは、まだ多くの人達がアメリカの方が日本より上だと思っていることなのです。もっと日本を大事に思ってもらいたちです。200年前にも、本居宣長翁が日本は漢学、儒学を国学より大事にしていると嘆いています。この風潮はその前からもずっと続いていると思いますので、もう千年以上も日本は「他所の国の文化」を自分の国のものより大事にしていた?という傾向があるのかもしれません。つづく
2005年05月17日
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この間から勉強している、本居宣長翁の「宇比山踏」に漢学や儒学(外国の学問)ではなく、国学(日本の学問)をやるべきだと書いてありました。これを読んで、私が会社に入った頃のことを思い出しました。会社の人達を見ると、アメリカのものの方が日本のものより良いと思っているようなのです(アメリカ偏重)。アメリカの研究論文を一所懸命読んで、真似をしたり、論文も英語で書かなければいけないと言ったり、アメリカからお客さんが来ると馬鹿にぺこぺこして、英語で話そうとしたりするのです。普段、話すときにも、英語の言葉がよく使われるのです。ちゃんとした日本語があるのに、英語を使うのです。私は、こういうことに大きな反発を感じました。さらに、私は、相当天邪鬼(あまのじゃく)なので、なるべく日本語を大事にするように心がけてきました。ですから、英語の論文は、会社のために必要だとか、先方から依頼されたときには書きましたが、自分の意志で書くときには日本語で書くようにしてきました。ということで、私は上司、先輩や同僚から、少し顰蹙(ひんしゅく)を買ったり、少し変人だと見られたりしていました。今回の論文「問題解決の考え方」(仮題)は日本語で書きます。この間、イザッチさんから「母語でお願いします。」と言われて、とてもうれしかったです。「母語」とは生まれ育ったところで自然に覚えた言葉です。私の母語は日本語だと考えているのですが、厳密に言えば、私の母語は100%日本語ではありません。しかし、これまでの勉強と辞書の力を借り、私の日本語の最大限の実力を出して書こうと思っています。つづく
2005年05月17日
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去年の10月から、我が家では屋根に太陽電池を付けています。今日は、朝から快晴で、ついに、一日で17kWh発電しました。しかし、私は、昼間は東京へ行っていたので、途中の状況をみることはできませんでした。これだけ発電しても、あまりお金にはなりませんので、私が生きている間に元を取るのはほとんど不可能です。しかし、この間も書いたように、全電化したことで、新しい電化製品をもっと有効に使い、生活をより楽しんで「元を取る」ように心がけています。
2005年05月16日
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私の母は86才で東京に1人で住んでいます。この頃、「もう体が弱ってきた。足腰がぐらぐらしている。」など言うことが多くなり、先週もあまり調子がよくなかったのです。一つには、ここのところ、温度が低くて、私も腰や背中が少し痛いのです。ところが、今朝私が母の家に着くと、なんだか、いつもよりシャンとしているのです。そして、台所にはビニールシートが敷いてありました。母は少し興奮気味で、「今日は台所の水を止めてくれと言われていたのに、急に、台所の工事だということで、工事する人が4人も来てしまって、うんと怒ってやったわ。」と言うのです。なんでも、前もって、台所で水を使わないように、という通知が来たのですが、母が確認したら、水を使わなければいいだけで、部屋の中に入ってきて工事はしないと責任者が言ったのだそうです。ところが、当日、今日になったら、部屋の中で工事をするというので、母が怒って、厳重に抗議をしたのです。母が話した「責任者」も4人の中にいたらしく、先方は平謝りだったらしく、それでも、母は家にいたので、工事はやってもらうことになったのです。母は、「こういうときにはみんな一緒に言ってやった方がいい。」など言って、結構元気に見えました。人間、弱っていても、怒ると元気になるのかもしれません。そう言えば、私も、2月に、私が少し風邪気味で熱が出そうになったとき、私の相談相手のことで、私がちょっと怒ってしまったときがありました。このときも、私はかなり元気になってしまい、結局、熱は出ないで済んでしまいました。また、仕事でも、人間は、怒ると、実力以上の力が出せることもあります。私は口が相当悪いので、私の後輩の仕事についてかなりひどいことを言っていました。そういうとき、いじけて駄目になってしまう人もいましたが、相手が私の言ったことに反発して、いい仕事ができたということも何回かありました。つづく
2005年05月16日
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私は、会社で研究をやっていたためか、やることがしばしば変わりました。そのとき、いつも、最初は、面倒くさいとか、面白くなさそうだとか、あまり乗り気でないことがほとんどでした。しかし、給料をもらっているので、仕方なく、「まんずやってみれ!」(そのときはまだ秋田弁ではありませんでしたが)ということで、しぶしぶ新しい仕事を始めたものでした。ところが、意外と、面白いところが見つかってしまうのです。そうすると、結構夢中になってしまい、まもなくかなり楽しんで仕事していることが多かったです。途中で脱線してしまうこともあり、それが新しい研究の芽になったこともありました。さらに、研究が終わっても、止められないで続けていることもありました。特に、工場からの不良の相談などは、ほとんど、そのような状態でした。工場は当面の問題が解決すれば、それでお終いなのですが、私の方は、そうは行きません。原因などを、自分が納得するまで、調べたくなり、それが楽しみでもありました。こういうことを繰り返しているうちに、無意識なのですが、自分の研究というのが決まってきたようです。そして、途切れ途切れでも、そのことについて、ずっと研究を続けてきたようで(やっているときには、あまり意識していなかったのです)、数年前、それを論文としてまとめることができました。今は、私のやってきたことに関して、このときよりもっと大きな共通性を見つけたと思うようになり、さらに楽しくなりました。つまり、問題解決という見方からは、全ての私の研究、研究以外のいろいろな問題解決の考え方が似ていることが分かったのです。このことを文にしてまとめるのは大変な仕事になりそうですが、やっと、やってみるぞという気になったところです。しかし、私は文を書いたり、パソコンを使うことがあまり好きでないので、これらを楽しくできないものかと、思案中です。
2005年05月16日
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問題解決で、まず分かっていないと駄目なことです。例えば、中学校で何を教えなければならないかということを考えてみましょう。良い高校に入れるようにすること学力テストで良い成績が取れるようにするとか、いろいろやりたいことはあると思います。でも、この間、100才近くで亡くなった(現役で)、中学校の国語の先生、大村はま先生は確かこう言っておられました。「社会(大人の世界)でちゃんと生きて行けるような日本語が使えるように育てる」(私もこれが正しい課題だと思います(教える義務がある)。)という目標です、そのために、単元授業という、自分で一つ一つ考えた授業をされました。子供達が自ら積極的になって調査したり、学ばなければならない、という、厳しいけれど、子供1人1人のことを考えた、心のこもった授業を長年続け、成果をあげてこられました。文部科学省はこのことを認識しているのでしょうか。
2005年05月15日
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昼ごろ、女房が、私に、「立」と「風」を並べたらなんと読むの?と聞いたのです。私は答えられませんでした。どこかで見た覚えはあるのですが、思い出せないのです。(このように、私は、前より字は読めなくなっているし、もっと感じるのは、字を書けなくなっていることです。)その後、今日は珍しく昼寝をしました。そして、思い出したのでした。「さっそう」だと。辞書を見ると、ありました。「颯爽」でした。五体字類を見ると、「颯」はサツともソウとも読むのです。またハヤテとも読むのだそうです。このように、私達は少しずつ毎日自分の頭や体が使えなくなっているのではないでしょうか。世の中が便利になり、自分の手で書いたり、自分の手でで操作したり、自分の頭や体を使って、考えたり、探したり、動かなくてもよくなっているのです。つづく
2005年05月15日
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これが、問題解決のための第一歩だと私は思っています。問題は、製品開発、不良解析、山菜採り、古文書解読、入学試験、楽器演奏、編曲、料理、面白い現象の発見など、いくらでもあります。私は、これら全ての問題に対して応用できる「基本的な考え方」があると信じています。その中で、もっとも強調したいのが、「まんずやってみれ!」です。これを他の人に言うようになったのが本荘(秋田県)でだったので、秋田弁になったのです。問題にぶつかったら、やるべきことを考えて、できるだけ早く解決に着手しましょう。一ヶ所だけを深く突っ込もうとするのではなく、全体的に、いろいろとやってみるのです。そして、どうなるのかを見てみましょう。全く駄目なものとか、可能性がありそうだとか、いろいろな結果が出てきます。いろいろやったり、調べたり、試したりし、人に相談したり、うまく行かないで苦労したりしているうちに、問題ややるべきことがだんだんはっきりしてくるのです。1.本当の課題はなにか。2.問題となる要因はどれか。3.良悪の判定(やったことが問題解決にとって良いことか悪いことか)。4.悪いというのはどういうことで、どうしたら良くできるか。などです。例えば、「自動焼き芋製造機」を作るという目標があったとします。いろいろな芋を使って、いろいろな方法で焼くことができます。だから、誰だって急に機械を最初から作り始めないでしょう。まず、自分でいろいろな芋を使い、焼いてみて、焼く方法を考えるでしょう。そのとき、焼き方が良いか悪いかの判定が最も大事なのです。要は、美味しいかまずいかの判定ができるかどうかなのです。それを判定できる検査装置があれば、そこで良い味と判定されたものの中身も分析できるようになるでしょう。即ち、「その味を作り出せる」可能性が出てくるのです(試行錯誤ではなくて)。芋の成分とか、焼き方をどういう風にしたらいいかという方向性が次第に分かってきて、美味しい焼き芋が作れるようになるでしょう。ここでは、機械のことを言いましたが、人間だけでも、その人の味覚の進歩(発達)とか、頭の使い方で、上記のような作業を多分やっているのです。いろいろ試しているうちに、お客さんに好まれる味が分かってきて、どの芋が良いとか、どういう焼き方が良いとかが判断できるようになってくるのです。そして、最適な方法に向かって行くことができるのです。ここで一番大事なのが良悪(美味しいかどうか)の判断です。これができないうちは、商売になるような焼き芋はできないでしょう。なお、上で、味の判定できる機械なんて言いましたが、それを作るのは非常に難しいと思います。現段階では、味の分かる人がやるしかないでしょう。
2005年05月15日
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「私の問題解決の考え方」を論文にしようとしています。当初、統計学的手法を基礎として、私のいろいろな材料科学研究の進め方をまとめようと考えていました。しかし、この検討を進めながら、他の人の研究の相談に乗ったり、指導をするときに、私のやり方を応用してもらおうとすると、なかなかうまく行かないことが分かってきました。逆に、科学研究以外の、私達が日常遭遇する、いろいろな問題にも、この考え方が応用できることも分かってきました(入学試験、山菜採り、古文書解読、料理等)。うまく行くかどうかというのは、簡単に言うと、誰がやるかということが極めて重要なのです。その人の意欲、集中力とか継続力などによって、結果が全く違ってしまうのです。私の言う通りにやっていると言って、まだ何もできない人がいるかと思うと、ちょっとの間に、こっちも驚くような成果を出してしまった人もいるのです。結論から言うと、上記「考え方」は、各種問題に応用でき、それなりに正しいと思うのですが、そのための条件がはっきり定義できていないのです。そして、もしかしたら、これらの条件の方が大事である可能性さえあるのです。それらを具体的な手順のような形で表現するのはとても難しいので、まず、論文を書き始めて見ることにしました。今回は、論文をまとめるのに、自分の「考え方」を応用します。但し、その結論はまだはっきり言葉で表現できるかどうか分からないのです。私の「考え方」の最初は「まずやってみれ!」ですので、その検討を行いながら、答えを探っていこうと考えています。これからも問題解決研究所での仕事もあると思いますので、そちらでも、経験を積めるはずです。即ち、とりあえず、論文を書くのと研究(これまで分かった「考え方」以外の要因を探す)とを同時進行させて行きます。私の考えていることや悩みをその都度お知らせしますので、皆様のご意見も聞きたいです。勿論、私がまとめることが皆様のお役に立てばうれしいのですが、皆様が私と一緒に自分で考えられるということの方が大事だと思います。なんとなくですが、結論は、基本的には、「自分で考えて、判断、行動できる」ようにするということになるのではないかと思います(後、上記の意欲、集中力、継続力とか)。しかし、具体的に、どうすればいいのでしょうか。結局は、幼児教育ではないでしょうか。と言うより、子供に変な育て方や教育をしないことだと思います。今日の太陽電池の発電量は7kWhでした。
2005年05月14日
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2,3日前TBSでスポーツ新聞の記事の盗用をしていたということをテレビで言っていました。これを聞いて、ちょっと心配になった私でした。「星の王子様」をちょっと見たら、「大人はかつて子供だった」とか、日記で私が大人の研究者について書いたと思われることがちらちらと見えてしまったのです。ちょっと恐くなって、急いで本を閉じてしまいました。これって、盗用なのでしょうか。何十年も前に読んだことでも、私の頭の中のどこかに残っていて、今になって、私が思いついたように日記に書いている可能性があります。これまで、本や新聞で読んだことを日記で書くときには、出所を示すように心がけてはきましたが、そのことを何回も話したりしていると、自分の考えだと思い込んでしまうかもしれません。なお、「大人」の研究者は、「星の王子様」を読むといいかもしれません。いろいろ反省すべき点が書かれています。つづく
2005年05月14日
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ということが佐賀大水沼俊美教授の調査で分かったそうです(今日の東京新聞夕刊)。「やはりそうだったか」と私は思いました。私は、昔から、若い女性と食事をするのが好きだったのです。なぜかと言うと、彼女らの方が食事を楽しんでくれたのです。男どもの方が、ご馳走しても、美味しいのだか美味しくないのだか分からないようなことが多かったのです。うれしくなって、記事を読むと、教授は「一番味覚の鋭い若い女性に人気のある店は美味しい店と思って間違いない。」と話しているそうですが、実際に分かったのは、甘味、塩味、酸味と苦味を認知する感度(どのくらい薄味でも分かるか)のことだったのです。美味しいかどうかが分かるのと、微量の4つの味を認知する能力とは同じなのでしょうか。これは相当大事なところだと思います。私の論文でも、問題の一つとして、料理を取り上げますが、作った料理の美味しさをどう判定するか(チェック機能)というのが問題になります。そのとき、上記の4つの味が分かれば、美味しいまずいが分かるのでしょうか。これを検査(測定)する装置を作ることができるのでしょうか。私には、これだけでは不足というか、美味しさとは違うものだと思います。私の場合、結局、主として、私と女房が美味しいと思うかどうかで判定することになると思います。
2005年05月13日
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2日前私が作ったカレーが馬鹿に美味しかったのです!鳥のウイィングスティック(骨付き)を使った、タイ風?カレーです。カレーペーストの袋に作り方が書いてはあったのですが、全く無視して作ったのです。鳥とタマネギとショウガを炒め、トマト缶を入れ、ココナッツミルクを足してぐつぐつ煮ただけです。肉が煮えてから、カレーペーストを加え、かき混ぜました。この時点で、鍋は満杯で、後ジャガイモを入れたかったのですが、入りません。そこで、私はジャガイモを別に電子レンジで加熱しました。一方、ちょうど、娘が来ていたので、小さい鍋にカレーを分けて、ジャガイモを両方のカレーに分けて加えて、出来上がりました。それを、我が家でも、娘のところでも、感動して食べたのでした。2日後それがもっと美味しくなったような気がしました。めちゃくちゃに、ものすごい速さで作った、いいかげんなものでも、こんなになるのです。使った素材とペーストが良かったのでしょう。調味料はなにも加えませんでした(水は缶をゆすいたものだけ)。ご飯はヒトメボレでした。今日の太陽電池の発電量は4kWhでした。
2005年05月13日
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