全62件 (62件中 1-50件目)
今日松島へ来た目的は紅蓮屋さんを訪問することでした。2年少し前(1月)来たとき、紅蓮尼のお墓の周りに梅が差うころまた来てくださいと言われたのです。ところが、私はそれを忘れていたのですが、友達がそれを覚えていてくれたのでした。それで今回の訪問が実現しました。お墓には白と紅梅が咲いていて(ちょっと盛りを過ぎていました)、前とは全く違った感じでした。お煎餅屋さん夫妻といろいろと楽しい話をすることができました。話の中で、紅蓮尼についての文献が残っているのかと聞いたら、そこには何もないということでした。何回か火事に遭って、昔の煎餅作りの道具もないそうです。でも、江戸時代の女流作家(只野真葛)が「昔話」と「かほるはちす」という文を書いているということを聞きました。そして、驚くことに、200年ぐらい前、真葛さんは中新田(なかにいだ;U社の工場があるところ)の知行(土地の支配者)のお嫁さんだったらしいのです。だから、私は中新田のそばの古川へこれから行くので、ちょっと聞いてみましょうと言って別れたのでした。
2005年03月31日
コメント(0)
カキは貝のカキです。松島のいいカキ、ネギ、キノコと油少々の温かい汁に手打ちのそば(宮城産)をつけて食べるものでした。カキもそばも美味しかったです。そば湯もよく、最後に汁の中に残った2、3本のそばの味も最高でした。このそば屋さんは宮城県松島の「そば処和楽」(022-354-2564)です。場所は、東北本線松島駅から約5分のところにあります。ご主人は、自分で考えて、判断、行動できる人です。やる気も十分です。このカキせいろそばはご主人がいろいろと工夫された結果です。ここはホテル(ホテルニュー和楽)でもあり、夜、食事しながらと食事後、ご主人の楽しい、勉強になるお話も聞けました。すぐ隣はカキ屋さんなので、10月から3月は新鮮な生ガキも食べられます。私は、ご主人のご好意で、朝、最高の打ち立てのそばと生ガキ(シーズン最後の)をご馳走になりました。私は何も知らないで、他の用事で松島へ来たのに、このような、いい経験ができるのです。本当に運がいいと思いました。私は、これから、秋田県の本荘市へ行くので、そこの石碾(びき)屋さんというおそば屋にこちらを紹介しようと思います。なんだか、友達の輪が広がっていくような気がして、いい気分になっています。
2005年03月31日
コメント(2)
古事記によると、いろいろなものは神様が「作った」というより、そう「なった」のだそうです。また、神様は、外国の神様とは違って、全知全能ではなく、尋常(よのつね)でない、優れたもの、良いのも、悪いのも、賢いのも、あやしいのもいるらしいのです。鳥、獣、木、草、海、山でもいいらしいです。自分をとりまくあらゆるものを見たり、触れたり、恐れたり、恩恵を受けたりする感じようとでも言うのでしょうか。(前の紹介した、本居宣長に関する本から受けた印象)「自然の山川草木、沼湖や河海、あるいは天然の気象や天変地異と神々の振る舞いとは境目も見えず溶け合って、動植物の世界と人々の営みが交じり合い、助け合ってきた。」山の中をはっきりした目的もなく歩き回って、いい気持ちになって、時々、見つけた山菜を採っていると、上の記述が理解できるような気がします。山菜を無理に探しているわけでもなく、目に付いたものを少しだけいただくのは本当に楽しいものです。私は、こういうとき、なにか日本的なものを感じます。また、山の中を歩いていて、偶然出会った人が、親切に、山菜のことや、ある場所を教えてくれたことも何回もありました。秋など、山へ行って、私には全く分からないキノコを教えてくれ、一緒に採らせてもらったこともあります。林の中を歩いていて、いろいろな山の幸に出会うと、文字通り幸せを感じます(幸は「山や海でとれた食べ物のこと」)。古語辞典にも「狩で獲物が多いこと」だそうです。山の中の木や草(たまには動物とも)とふれ合い、いい空気を吸って、周りの景色を楽しんでいると、いやなことは忘れてしまいます。その上、美味しいワラビとかコシアブラなどを見つけると、私は有頂天になってしまいます。こういうとき、私ははっきり何を採ろうと思っていないことが多いのです。それなのに、ちょうどうまい具合に美味しいものと出会ってしまうのです。研究について、いい考えが浮かぶこともあります。そう言えば、私の研究のやり方も、私の山菜取りのやり方とかなり似たところがあります。いろいろなことをあれやこれやとやっているうちに、少しずつまとまってくるのです。目的とか計画は相当いいかげんで、なんとなく結果が出てしまうということが多いみたいです。なお、昨日だか紹介した「山川草木悉有仏性」(さんせんそうもくしつうぶっしょう)というのは天台宗の教えの中にあるらしいです。インドの仏教では生けとし生けるものというのは動物だけのことだったらしいので、上の言葉は仏教を日本の神の考え方に合わせたものだと思います。それとも中国?(分かりません。)つづく
2005年03月30日
コメント(1)
夕べから、今朝方までに、断続的に、2冊の本に目を通しました。堀場雅夫:「イヤならやめろ!」、日本経済新聞社、(1995)。中村修二:「Wild Dream 反逆、戦い そして語ろう」、ビジネス社、(2002)。どちらも、新しいことに積極的に挑戦し、やる気(集中力、粘り)をもって、成功した人達の書いたもので、共感するところが多く(私には同じようにはできませんが)、とても勉強になりました。堀場氏の本で記憶に残ったこと1.社是 おもしろおかしく2.従順な社員の落とし穴 理解できなければ徹底的に聞け。反対なら代案をだせ。中途半端はサボタージュと一緒だ。3.トイレの中の閃き 毎日の努力の積み重ね以外に勝利の女神はほほえまない。中村氏の本では1.彼が勤めていた会社の社長の新事業の始め方 外見から良否が分からないものはやらない。品質が計器で測定できるものをやろう。→蛍光体(これが中村氏の青色発光ダイオードにつながる)2.「何かが自然に見えてくる。」 人一倍苦労して、一から十まで、自分で、手を動かし、目や耳を動かし、体を動かし、頭を働かせていれば、自分の方向性が必ず見えてくる。3.良否の評価手段を持ち、これまでの経験からの自分の「カン」(上記による)により、たった2,3人以下で、上記社長の支持のもとに、青色発光ができることを示してしまったらしいのです。どちらも大したもんだ!脱帽です。
2005年03月30日
コメント(0)
我が家の唯一の植木である、ゆすらうめが咲き始めました。これは神奈川の私の祖母の家の庭にあったものを30年以上前に分けてもらったものなのです。祖母の家のは枯れてしまい、こちらのを何年か前持って行って飢えてきました。あまり大事にはしていないのですが、毎年花が咲いて、かわいい実もなります。毎年ありがたく食べさせてもらっています。つづく
2005年03月29日
コメント(0)
国語学者の大野晋先生の本に、辞書を「読む」のが面白いと書いてあったと思います。ずい分変なことが面白いなというのが私の感想でしたが、夜中に私も辞書を「読んで」いたのでした。「幸福」、「幸」、「幸せ」、「やる気」、「元気」、「集中力」、「さいわい」、「ありがたい」、「運」、「縁」、「ツキ」、「味」、「うまい」、「感謝」、「誠実」、「正直」、「執念」、「道徳」、「楽しむ」、「一所懸命」、「運命」、「美味しい」、「神」、「仏」、「知恵」、「考える」、「思う」、「宗教」などの言葉の意味を読んだのでした。これらを読んだことによって、これまで私が勉強してきたことがまとまってきたような気がしてきました。つづく
2005年03月29日
コメント(0)
この間、秋田の友達Sさんと会って、運、苦労とか幸福について話したこと、Sさんに勧められて中沢新一氏の本を読もうとしたこと(河合隼雄氏との対談を選びました)、本居宣長先生(昔の人は宣長翁と呼んでいたみたいです)の「宇比山踏」を読んでいること、梅原猛先生 の本(母ごころ仏ごころ)を読んだこと、研究の勧め方(問題解決の手法)や山菜採りについて、考えたことによって、これまで自分が研究したり、学んだりしたことが、なんとなく全てまとまるような気がしてきました。私達がいろいろな問題を解決するというのは、私達の生活そのものではないですか。私達は、生きている間、常に、新しいことを勉強したり、何らかの問題に遭遇し、解決しようとしているのです。従って、ある意味では、私は人間の生き方について、主として科学技術的な面からではありますが、これまで、いろいろと考えてきたのです。つづく
2005年03月29日
コメント(0)
「さんせんそうもくしつうぶっしょう」と読むのだそうで、「生きとし生けるものには皆平等の命が宿っていて、皆仏になれる。」という意味で、それが仏教の考え方だそうです。(昔の日本で、自然のいろいろなものを神様だと考えていたのと同じことだと思います。)昨日読んだ本梅原猛:「母ごころ仏ごころ」、小学館、(2004)。に書いてあります。これはとてもいい本です。人間だけ特別で、他のものを犠牲にして、いい思いをしていいなんて、とんでもないことだ書いてあります。本当にそうだと思います。このように思うようになれたのは、私が秋田で山菜採りの勉強をしたおかげかもしれません。私は今謙虚な状態にあるらしく、心からそう思います。考えることができるのは人間だけだなんていうのは真っ赤な嘘だと思います。自分で考えて、判断、行動できない人間が沢山います。国民が苦労して納めた税金を湯水のごとく無駄なことに使ってしまうお役人も沢山います。ちょっとしたことも考えないで、馬鹿なミスをして、社会に大きな損害を生じさせてしまう人もいます。美しい自然をどんどん破壊し、役に立たない保養施設を作ったり、住民が欲しくもない道路を作らせたりして、多分全く悪いと思っていないのです。一般の人達も、贅沢になり、もったいないことを沢山やっています。まだ使える自動車を買い替えたり、歩けるのに自動車で行ったり、子供が欲しいとも言わないのにいろいろなものを買ってやったり、食べ物だって沢山無駄にしています。研究だってそうです。税金を沢山注ぎ込んで、高価な無駄な実験装置を作るのに、ごく少数の口のうまい研究者が使ってしまい、本当に研究のできる人のところへお金が行かないということが沢山あるのではないかと思います。国が赤字だなんて言いながら、平気でいくらでも無駄遣いしているのです。人間に食べられてしまう動物や植物のことも少しは考えてもらいたいです。話がメチャクチャになってきましたので、この辺で止めますが、相当むかむかしてきました。なお、今日は雨で、我が家の太陽電池の発電量はたったの1kWhでした。つづく
2005年03月28日
コメント(0)

秋田(本荘)へ行っていたとき、何しに来たかと聞かれたとき、冗談に、「山菜の研究に来ました。」と答えて、かなりの人達が信じてしまったようです。それほど山菜にはまってしまったのです。私は、ほぼ、毎日、昼食時間には、おにぎりを持って、大学のそばの山や林の中を歩き回っていました。初めはワラビもゼンマイも分からなかったのに、1,2ヶ月の間に、友達もでき、山菜について、周りの人と話し合えるようになっていました。山菜の見分け方、探し方、美味しいものの見分け方、処理の仕方、調理法、食べ方などを大勢の人達に教わるとともに、自分でもいろいろ実際に体験しました。ちょうど1年間いたので、ほぼ四季の山菜に触れることができました。秋田の人達は自然を大切にしていました。必要以上には採らないこと、ゼンマイは少なくとも2本は残しておくこと、タラノメを全部採ってしまわないこと、などを教わりました。栗だって、胡桃だって、銀杏だって、梅だって、柿だって、無駄にしていません。自分の土地のものでも、山のものでもちゃんと食べています。特に、都会の人達には、このような生活態度や考え方を見習ってもらいたいものです。都会でなくても、埼玉の我が家の近所では、夏みかん、金柑、柿、梅、野菜類など、庭にあっても、食べていないものが沢山見られます。山菜の採り方についてまとめたのが次の図面です。ホームページの方にも関連記事があります。 つづく
2005年03月28日
コメント(0)
もうすぐ3才になる孫のあーちゃんはこれを実行しているみたいです。ものすごい元気で、何をやっても楽しんでくれ、かならず「ありがとう」が言えるのです。上記の三つのことは、今年の初め、秋田の友達と、今年の合言葉にしたことなのです。でも、あーちゃんは相当いたずらでもあり、悪いこともします。油断していると、大人でも負けてしまいます。また、状況を読むのがうまく、あまり調子がいいので、私が「ちょうしよしこちゃん!」と呼んだら、「はい!」と答えました。今日、我が家の太陽電池は14kWh発電しました。
2005年03月27日
コメント(0)
と言っても、環境を保護しろと言っているのではありません。何かを作るとき、なるべく自然界に存在するもの、自然にできてしまうものを利用しようと言っているだけです。現在、新しい機能を持つ材料を作ろうとする研究がとても多く(ナノテクノロジーなど)、興味深い結果も沢山出ていますが、私はどちらかというと、非常に「保守的」なのです。今あるもの、今使っている作り方などをもっとよく理解し、もっと細かい、精密が制御ができるようにしたり、新しい特性を可能にするような製法を考え出したりすべきだと思っています。「菜の花」だって自然のものが最高です。トマトだって、キュウリだって、温室のものでは満足できません。自然の中で育った自然のものが一番美味しいのです。いろいろな技術により、似たようなものはできます。冬だって、甘いトマトができて、買っている人が沢山います。でも、夏の、あの香りや味ではないのです。秋田の私の友達の1人は自分の畑で野菜を作っています。その人は、冬はトマトは食べませんとはっきり言っています。いろいろな製品に使う物質だって、自然界にあるものは安定なのです。珍しい、新しい材料を作ることができても、それが毎回同じようにできなかったり、使っているうちに変質してしまったりする心配があるのです。それから、作るときの費用だって馬鹿になりません。また、あまり凄いものができてしまうと、人間では使いこなせません。人間そのものは昔からあまり進歩していないのです。原子力の利用についていろいろ議論されていますが、人間は火だってまだ制御できないのです。火事で毎日尊い命が失われています。江戸時代の瓦版に火に気をつけなければいけないことが書いてあるのを読んだことがありますが、今だってそのまま一般の人達に読んでもらいたいような記事でした。世の中には悪人もいるのです。しかも頭がいいのです。ですから、いいものができると、かならず悪用されてしまい、あった方がいいのか、なかった方がいいのか分からなくなってしまいます。今のままの富や知識を分け合って、世界中の人間が仲良く暮らせれば、全員がなんとか生きていくことができるぐらいにならないのでしょうか。それとも、殺し合いや貧困がないと、人口が増加し、公害も増えて、かえって地球は滅亡に向かってしまうのでしょうか。
2005年03月27日
コメント(0)
研究(問題解決)において、大事な可能性を最初に除外してしまうと、どんなに頑張っても、解決ができなく(正確には非常に難しく)なります。実験をやっていて、その可能性に気づくことができればいいのですが、気づかないこともしばしばあります。夕べ、夜中に、夢で、夕食に食べた「菜の花」の味を思い出して、そう思いました。調理は、単にさっとゆでただけですが、そこいらで売っている、栽培の「菜の花」では、料理の名人がどんなに頑張っても、あの味は出せないと思います。ですから、料理人が野生の「菜の花」を使ってみようと思う(あるいは味を知っている)とか、今使っている「菜の花」よりもっと美味しいものがあるはずだ(あるかもしれないと)思わないとだめなのです。面白いことに、一番美味しい「菜の花」は川原で只で採ることができたのです。私は、このことを思いついて、さらに幸せな気分になりました。自然に感謝、感謝です。この間、秋田からいただいた山わさびだって同じことです。あの味と香りは、料理の腕だけでは作ることができないと思います。こちらも自然と私の女神様に感謝、感謝です。
2005年03月27日
コメント(0)
今日は埼玉の春の香りと味を楽しみました。秋田のときと負けないくらい、うっとりとしました。川越市の川原へ行って、野生の「菜の花」を採ってきました!正確には、アブラナ科系の花芽です。からし菜が結構混じっています。これを食べてしまうと、スーパーで売っている菜の花の味がないように感じられます。相当苦いです。漬物にするとひりひりしているのもあります。今ちょうどつぼみが付き始めていて、一番美味しいときです。漬物も美味しいし、ゆでただけでも、炒めても、スープでも、スパゲッティーでも、美味しいです。今夜が楽しみ!まず、さっとゆでた、緑の美しいもの(花はまだ見えません)をマヨネーズで食べました。香り、味、特に苦味は私達をうっとりとさせてくれました。よい純米酒(これは千葉の純自然のものだそうです)とぴったり合いました。それに、菜の花ご飯(シラス、細かく刻んだ菜の花、炒った金ゴマ)でした。それらとアジの干物でした。質素ですが、贅沢に感じられました。この間、フランス料理屋さんで出た菜の花ソースは、この「菜の花」と比べると、雲泥の差です。やはり、食べ物はよい素材ですね。このように美味しいものを食べて、また幸せを感じました。このような味に出会えるというのは運がいいと思います。スーパーで売っている菜の花ばかり食べていたら、菜の花とはそういう味だと思い込んでしまいます。本当の意味の良い悪いも分かりません。もっと違う味が可能だということが分からないのです。即ち、本当の意味の味の判定ができないのです。このようなことは研究でもあります。新しい製品を開発しようと思っても、その良し悪しが分からなければ、良いものはできません。一応機能だけは果たしているが特に良くないものしかできないか、その製品として出せる最高の状態を出せるかどうかにより、売れ行きは変わってしまうでしょう。これは作る人が製品の良し悪しをきちんと評価できるかどうかによるのです。だからこそ、きちんとした評価法をまず確立することが大事なのです。一つ例をあげましょう。2年ぐらい前、あるお煎餅屋さんで出している、お煎餅とミックスナッツを混ぜた賞品で、マカデミヤナッツが臭かったので、店に言ったことがありました。そうしたら、会社から丁重な手紙をもらい、代わりの品も沢山送ってもらいました。手紙によると、製品を検査する人がいて、その人が食べてみて、出していいかどうかの判定をしているのだそうなのです。さて、送ってもらった製品、10袋のマカデミヤナッツ(作りたてのものだそうです)を試してみたら、3袋のマカデミヤナッツは古い匂いがしていました。即ち、私が古いと感じるものを、検査した人は大丈夫だと判断していたのです。
2005年03月26日
コメント(0)
今朝の東京新聞の「サタデー発言」の欄に、林さんという若い雑誌編集者が雑誌編集という仕事の苦労について書いています。実際には、「正直」だけではだめで、「誠実さ」というのが大事だと書いています。本当にそうです。私は正直になろうと日頃努力しているのですが、時々、相手から顰蹙を買ったり、相手を傷つけてしまったりします。結局は、相手の気持ちを思いやる心配りが足りないということです。辞書によると、「誠実」というのは、まごころがある様子。まじめ。「まごころ」とは、相手を思う、いつわりのない本当の気持ちです。私は、どうも会社にいた頃より誠実ではなくなったのかもしれません。その頃と比べると、思ったことをどんどん言ってしまいますし、自分だけの判断で行動もしてしまいます。しかし、友達も増えて、前よりずいぶん楽しく暮らしています。なにしろ、前よりずっとおしゃべりになり、勝手なことも言うので、思いやりの欠けた言葉を発してしまう可能性はずっと高くなっています。自分が楽しくなった分、他の人を楽しくなくさせている可能性もなきにしもあらずです。でも、最近の自分について、少し反省しています。相手も私も楽しくなるように努力しなければならないのですが、私はあまり細かい配慮をするのが嫌いなので、自分だけがよければいいように振舞っているかもしれません。私は、研究の進め方(問題解決の手法)についていろいろ考えていて、そのとき、理屈だけで考えるのなら、正直だけでいいと思いますが、他の人の助けを借りるなら、「誠実さ」ということがとても重要になると思います。
2005年03月26日
コメント(0)
2年前の1月に松島を訪れたとき、お菓子(紅蓮煎餅)屋さんのご主人に「今度は梅が咲く頃来て下さい。」と言われたのでした。ここのお店のすぐそばに、700年ぐらい前に、このお煎餅を焼き始めたという、紅蓮尼のお墓があり、そこの梅の花のことだったのです。今度東北へ行く目的の一つは、この梅を見ることです。31日に行く予定です。今日の埼玉はとても寒く、まだ梅も咲いています。果たして、松島の梅を見ることができるでしょうか。
2005年03月25日
コメント(0)
この言葉には驚いてしまいました!もうすぐ3才になる子が言ったのです。考えていたこと自体は小さなことでしたが、とにかく、自分で考えて判断をしたのは確かだったので、私は賞賛の言葉を贈ってしまいました。(ここに書けないような悪いことも沢山していますが。)ここのところ、いい年をした大人が、どう考えても自分で考えていないような行動をとっているところを見かけることが多いのです。「自分で考える」というのは、「問題解決」のためにもっとも大事なことの一つだと思います。大人も昔は子供だったのです。小さいときの方が「自分で考えて、判断、行動」できたのでしょうか。今の教育の目的の一つは、これをできるようにすることだと思います。しかし、今の教育は逆の効果をもたらしているのでしょうか。学力の低下も心配かもしれませんが、これはもっと心配なことです。同じことしかできない、言われたことしかできない人間を作っているのでしょうか。なんでもマニュアルにしようとする人も沢山います。おおこわ、おおこわ!今日の我が家の太陽電池の発電量は13kwhでした。
2005年03月25日
コメント(2)
秋田の女神の誘いに負けてしまいました。月末から松島、川渡温泉を経て、秋田へ行くことにしました。秋田の会社や学校の人達や大勢の友達に会うつもりです。うまく行けば、まだバッケ(フキノトウ)が残っているかもしれません。本荘の方はもう合併で、本荘由利市になっているのかもしれません。いろいろな人に声をかけたので、予定がどんどん詰まっています。今度は秋田市まで足を伸ばそうと思います。一昨日も母と話していたのですが、私は東北と相性がいいようなのです。生まれは神奈川なのですが、東北へ行くと、ゆったりした気分になれるのです。なぜだか分かりません。秋田弁もちっとも覚えられないのですが、大勢の友達がいて、故郷へ帰ったような気分にしてくれます。つづく
2005年03月25日
コメント(0)
この頃、偉い先生方が横文字を沢山使って書いたり話したりするのを見るといい印象を受けません。また、研究者たちの多くが論文を英語で書かなければいけないと思っているのも快く思っていません。かなり多くの国語学者が書いた、昔の文学の解説の分かりにくさに腹が立ったりもしています。昔は、国語も、古文も、漢文も、習字も嫌いだったのに、どうなってしまったのでしょうか。この頃は国語辞書や古語辞典を開いたりすることもあるのです。今、本居宣長先生の「宇比山踏」という本を昔の書体で読んでいます。200年も前のものなのに、意外と理解できるのです。現代の国語学者も少しは見習ってもらいたいものです。近代では、橋本進吉:「古代国語の音韻について」、岩波文庫、(1980)。(1937年の講演を文にしたもの)はとても分かりやすいです。この人は当時も東大の有名な国語の先生でありますが、昔の日本語の発音や仮名についての説明を読んでとても勉強になりました。国語学者にもこういう人もいるのだと驚きました。つづく
2005年03月24日
コメント(0)
本当になんでもよく食べる子です。私と一緒に「美味しいねえ。」と言いながら、いろいろなものを食べるのはとても楽しいのですが、ちょっと心配にもなりました。子供が欲しいというものを何でもやってしまうのはよくないと私が思っているからです。さらに、私が食べようと思っているものまで、油断していると、食べられてしまうからです。昨日もブドウを5粒食べていいと言って与えたのですが、あっという間に自分の分は食べてしまい、女房の分をじっと見ているのです。女房は甘甘なので、また二つぐらいやってしまうのです。母親の分だって食べかねないのです。私は女房と娘とアーちゃんに厳重注意をしたのですが、よく伝わったかどうか分かりません。昨日、東京の母の様子を見に行って、このことを母に話したら、母が入院していて、父が私のところにいたときに、同じようなことを母に言いつけていたそうです。結婚式の引き出物の食べ物を私の3人の娘が争って食べてしまったというのです。このようなとき、私は、割と、皆が平等になるように気をつけてはいたのですが、父への配慮が足りなかったのでしょう。父はそれを快く思っていなかったのです。その場では何も言わずに、母に言っていたのです。(私の父にはそういうところがあって、同じ頃、一緒に外で食事をしたとき、私が払うというのに、皆にご馳走したい、とか言って払ってしまい、後になって、母に、「俺が皆の分まで払わされた。」と言っていたらしいです。)私の母はかなりまずしい家で育ったので、父親と祖父は美味しいものを食べていても、子供達はもらえなかったそうです。父親達が運良く残しでもしたら、ありがたく、子供達で少しずつ分け合って食べていたのだそうです。父親が出張し、サンドイッチのお土産があっても、子供が5,6人もいたので、一人で一切れももらえなかったそうです。このように我慢をするというのは結構大事なことだと思います。研究をしていたころ、ある実験装置がどうしても欲しかったのに、でも買ってもらえず、私が苦労し、夢中になって探し、廃棄直前のものを、うまくタダで手に入れてしまったことがありました。私はこの装置を最大限に利用し、大事に使い、会社のいろいろな問題解決の役にも立て、ついに、20年以上の私の研究の原動力にもなったのです。(一つの装置をこれだけ長い間使い続けるというのはかなり珍しいことです。)一方、会社の新しい研究所ができたときに買った、もっと高価な、似たような装置は、担当者にとっては、自分が欲しいとも言わないのに与えられてしまったものでした。彼は、装置の管理だけはしたのですが、自分の研究にそれを本気になって使おうともせず、結局はあまり役に立たない状態になってしまったのでした。ところで、まだ、秋田の春の味と香りを楽しませてもらっています。あのバッケ(フキノトウ)味噌(生のバッケを使ったもの)は、サンマの塩焼きにも、目玉焼きにもよく合います!んめえ!つづく
2005年03月24日
コメント(0)
あーちゃん(もうちょっとで3才の私の孫)はこれを実行しています。昨日、スーパーへ行ったら、新しいお茶の宣伝をしていました。そして、一本買うと輪投げをやらせてくれ、うまく棒にかけると賞品がもらえるのです。あーちゃんは輪投げなどは分からないのですが、大きい子が投げて、「はずれ」など言われて、残念賞をもらうのを見ていました。「あーちゃんもやってみる?」と聞くと、始めは「いや」と言っていたのですが、10分ぐらい経ったら、やってみたそうになってきたのです。お茶を売っているところへ戻ると、お姉さんが「やってみない?」と言って、まず残念賞をくれてしまったのです。しかし、子供を良く知っているみたいで、あまりしつこく無理強いをしなかったのです。私が「やったら?」と言ったら、「うん」というではないですか。そして、お姉さんから輪をもらったのですが、どうするのか分かりません。床に線が引いてあって、小さい子は前の方から投げられるようにしてあるようでした。私が的の棒を触って、「ここに輪をかればいいんだよ。」と言ったら、やっとやるべきことが分かったようだったのですが、線を越えて歩いてきて、輪をそばから投げて棒にかけてしまったのです。ワハハハハハ!やさしいお姉さんがそれでもOKにしてくれて、結局賞品をもらってしまいました。うちの他の孫だったら、多分輪投げをやらなかったでしょう。あーちゃんはやることもよく分からないのに、輪投げに挑戦して、商品をもらってしまったのでした。ということで、昨日は私はこの子をベタほめにしたのですが、今日用事から戻ってきたら、わたしのウクレレを踏んづけて壊してしまっていました。そこで、今日は「叱った」のでした。しかし、まだ、どのくらい悪いことをしたのかどうかよく分かっていないのかもしれません。本当は、母親がよく見ていなかったのが悪いのですが。つづく
2005年03月23日
コメント(0)
昨日の二人の先生の話は、私には難しすぎます。やはり、本居宣長先生の「初山踏(うひやまふみ)」をよく勉強することにしましょう。上の表題の「宇比」というのは「初(うひ)」を変体仮名の元の漢字でかいたものです。この題は、初めて学問を始めるという意味ですが、この本の中身は、先生が30年以上にわたる「古事記」等の研究をどのようにしたかを説明したものなのです。学問を始めるものにとって大事なこと(即ち問題解決のために大事なこと)が沢山書いてあります。私はこれを影印本(本居先生の書いたものを版木にしたものから作った昔の本の写真)で読んでいます。そもそも古事記は漢字で書かれているのですが、漢文そのものではなく、当時の日本語(国語)の発音を表すのに漢字を使っているのです。ところが、その読み方が平安時代の頃にはもうよく分からなくなってしまったのです。それを江戸時代になって、当時のいろいろな本を研究することにより、表音文字としての漢字(→変体仮名)の読み方と古事記の解釈を先生が30年もかけて行ったのです。この本を簡単にまとめれば、なるべく大きな目標(古事記の解読)を掲げて、目標(山の頂上)へ向けて、一歩一歩登っていかなければならないということです。私が特に気に入ったのは、この先生が日本語を第一としたからです。当時は、今、なんにでも英語を使おうとするように、漢文とか儒学が尊ばれていたのです。しかし、本居先生は漢学に対して国学なんて言うのさえおかしいというのです。日本の学問なら、ただ、学問と言えばいいのだというのです。日本以外のものを漢学とか蘭学と言えばいいと主張したのです。そして、古事記、日本書紀や万葉集の解読に長い年月をただひたすらにこつこつと費やしたのです。今日の我が家の太陽電池の発電量はたった1kWhでした(雨)。つづく
2005年03月23日
コメント(0)
河合隼雄氏と中沢新一氏の対話を、上記の題にした本を読んだのですが、結局、よく分かりませんでした。そのきっかけは、この間、一緒に食事をしていたときに、秋田の友人が、「幸福」というのは明治時代の造語だと教えてくれたことでした。そして、中沢新一氏の本を読んでみたらと勧められたのでした。初め、「こうふく」を「降伏」と聞いてしまった私でしたが、この本には「降伏」です。仏教の話かと思ったら、癒し、心理療法、インディアンの神話、宗教と科学、善悪を超える倫理とか、夢理論などについて、博学らしい二人が、西洋の人の名前や言葉を沢山出して、話し合う対談集みたいなものでした。唯一、私が理解できたと思ったのは、カウンセリング(心理療法?)では「根本の態度は、要するに何も分からないというところから出発する。」という河合氏の言葉でした。また、人間って、「偉い人」(「倫理的」な人)でも、結構悪だったり、女(男)たらしだったりするという例?で紹介されていた本までさっと読んでしまいました。芹沢光治良:「巴里に死す」、新潮文庫、(1954)。瀬戸内晴美:「死せる湖」、文春文庫、(1975)。これらの本には、「幸福」とは何かということが論じられていたとは思いましたが。結局、仏教についての勉強はこのくらいにしておこうと思いました。もう1回統計学に戻って、「確率」の意味と使い方についてじっくり考えてみたいと思いました。私の目的は、研究の進め方(問題解決の考え方)です。結局、人間(具体的には私)がどのように考えてきたか(頭を使ってきたか)を理解したいのです。秋田の友達と食事をしていたとき、普通は苦労をことによって、普通ではできないようなことが可能になったりするのですが、あまり苦労しなくても(運が良ければ)、うまく行ってしまうこともあるという話になったのです。そして、ツキの話から「幸福」の話になったのでした。つづく
2005年03月22日
コメント(0)
ハーバード大学長によると、物理学などの世界で活躍している女性が少ないのは「素質」の問題だとか。ロレアル・ユネスコ女性科学者賞受賞の米沢富美子先生によると、女性の特性は「直感と忍耐」だとか。私は、今、男か女だけということで共同研究者を決めろと言われたら、女性を取ります。ここ数年の私の出会った人達を見ていると、女性の方が上です。どうしてでしょう。慣習に拘らない人が多いです。仕事が綿密で間違いが少ないです。おかしいところとか、新しいところによく気がついてくれます。男性の方が思い込みが強いようにも感じています。そして、意外と弱いのです。ちょっと何か言うと、めげたりするのです。我が家の太陽電池は一昨日ついに15kWh発電しました(今までで最高)。今日は14kWhでした。つづく
2005年03月21日
コメント(0)
「ブッダの夢」(河合隼雄、中沢新一)という本はなんだかよく分からない本です。でも、なんとなく「全部」(いい加減に)読んで、今、なんとなく考えています。「言葉」とか、「幸福」とか、「知恵」とかについて考えているのです。そもそも、私は「運」がいいとか、「つき」について考えていて、この間、秋田の友達と話していたのです。そうしたら、彼女が「幸福」というのは明治時代の造語で、元来の日本語にはなかったと言ったのです。それが発端で、仏教のことを少し勉強した方がいいと勧められ、中沢新一という人の名前を教えられたのです。私は統計学の勉強をしていて、神様のことを考えるようになったので、宗教って、いずれ勉強することになるのかな、とぼんやりと思っていました。上記の本の中で、中沢氏は、彼が仏教徒だと思う、ジャック・ラカンという人の本に書いてあったというのです。「人間はたしかに言葉の世界の虜になってしまって、ものすごく不幸な状態で生きなければならないけれど、幸福な瞬間もありうる。」ということを言おうとしていると言うのです。?????また、「仏教は普通に言うところの宗教ではない。それは言ってみれば知恵なのである。」「禅は自力ではないんだ。悟りというのは、雛が卵の中から、親鳥が外からつついて殻が割れるようなものだ。」(前にこの日記で、私が「そったく」という言葉を説明したと思います。)(下記参照)なんだかよく分からない、すっきりしない状態に私は今います。私は、「言葉」に関しては、前向きに捉えたいです。「楽しいと口に出して言うと3倍楽しくなる。」これです。
2005年03月21日
コメント(0)
夕べは、フキノトウと椎茸は天ぷらで、フキノトウの本来の(私流ではない)フキ味噌(女房作)、フキノトウの佃煮(塩辛く煮たもの)なども楽しんだのでした。こういうものを食べていると、外で、高いお金を払って何かを食べても、あまり美味しく感じないのです。贅沢になってしまいました。でも、たまに食べるからこそ、ありがたみが分かるのかもしれません。私の女神様に感謝、感謝です!つづく
2005年03月21日
コメント(0)
今朝は、山ワサビ漬けとフキ味噌のほかに、椎茸のバター焼きもありました。これがまた美味しくて、感動しました。昼がまた凄かったのです。山ワサビを全部使わず根をかなり残しておいたのでした。近くのスーパーででき立ての握り寿司(これがそこいらのおすし屋さんのより美味しいのです)を買ってきて、それに自分ですった山ワサビ(山ワサビはトロロみたいにねばねばになります)をたっぷりとつけて食べたのでした。うっとりとするような味でした。次々と秋田の春の味を楽しんでいます!!こういうときになると、私の頭はとてもよく働くのです(謙虚ではありませんが)。
2005年03月20日
コメント(0)
ここで開かれた国際会議で私を驚かせたのは、アメリカの若い研究者の「貪欲さ」というのでしょうか、「自分のやっていることをできるだけ多くの人に宣伝し、自分が正しいことを認めさせたい」という態度でした。とにかく、早口で、よくしゃべるのです。講演時間を守らない人もいるし、他の人の講演の質問のついでに自説を長々と主張しようとしたりする人もいるのです。そして、悔しいことに、日本にいるのに使う言葉は英語(この会議の公用語)なのです。私は、司会をしていて、もっとゆっくりしゃべろとか、もう講演時間は過ぎたぞとか、質問だけしてくれ、とか注意するので大忙しでした。ところで、この会議は私の専門とは違うことが主題だったのですが、私の研究も主題と密接な関係があるということで、主催した先生が私を仲間に入れてくださったのでした。しかし、私の話すことが出席者にどのくらい分かってもらえるか心配で、直前まで必死で準備をしたのを覚えています。私が話をしたら、結構質問もあり、なんとか終わったのですが、講演後、一番前に座って、盛んにメモを取っていた初老の人が私のところへ来て、さらに、いろいろ質問してくれたのでした。この人はA教授と言って、アメリカで、この分野で有名な先生だったのです。その熱心さと、偉ぶるところがない態度に感心してしまいました。そして、かなりの時間にわたって、私の研究について話すことができました。その合間に、私も、先生の教科書で勉強したこと、私にしては珍しく本を全部読んだことや、それが今(その当時)の研究に役立っていることも話しました。その後も、この先生はいつも一番前に座って、熱心に他の人の講演も聞いていました。このように研究が好きで謙虚だからこそ、あのような教科書を書けるのだとつくづく思いました。そう言えば、私が大学院でお世話になった先生も、その名門大学で25年も教授を続けてきた人なのに、私から見たら、ほぼ対等に扱ってくださり、最後には一緒に仕事ができて学ぶところがあったと言ってもらいました。勿論私はもっと学ぶところが多くて、もっとお礼も言いましたが。このように、私は、これまで、いい先生にいろいろなところで出会い(かなり押しかけ)、教えていただいているのです。本当に幸せだと思います。
2005年03月20日
コメント(0)
群馬県の谷川岳の麓にある温泉です。末娘のおごりでここに一泊しました。お湯はきれい(透明)で、ほんのちょっとアルカリ性でとても気持ちがよかったです。料理もなかなかよかったです。生ものの鮮度や暖かいものの出し方にも細かい注意が払われていました。実は、偶然なのですが、私がこの旅館へ来るのは2度目なのです。ほぼ20年前に、ここで、ある国際会議が開かれて、私も出席していたのです。会議の委員の先生がこの旅館の親戚だったのです。前に来たといっても、その後、何回も改築等があったそうで、一つを除いて、まったく昔のことを思い出せませんでした。昔の面影が残っていたのは、ここの水晶湯というお風呂でした。中が青っぽいタイルの、広い浴槽で、直ぐ下を流れる利根川の見える温泉でした。このお風呂に昼間たった一人で、2,3回のんびりと入ったのです。すなわち会議をさぼってです。会議は確か11月にあって、雪が降ってきたのでした。私は雪が降ると、腰の調子が悪くなるので、温泉に何度かお世話になったのでした。旅館でも、20年前を知る人は少なくなっていましたが、フロントにいた課長さんがその頃のことを覚えていて、ひとっきり思い出話をすることができました。しかし、旅館の親戚の先生も2年前に亡くなられ、私を呼んで下さった主催者の先生も数年前に亡くなっています。私は発表もし、司会までやらされて、しゃべりすぎる発表者を止めるのに苦労したことを思い出しました。その頃と比べると、旅館は見違えるほど立派になり、お風呂も10種類ぐらいもありました。露天風呂は遠慮しましたが、その他のものには全部入り、旅館を出るときには腰も痛くありませんでした。近くのスキー場へ行くと、まだ雪が沢山残っていて、もしかしたらと思っていたフキノトウは全くありませんでした。孫のアーちゃんをひとっきり橇で遊ばせてから帰ってきました。帰りの自動車でまた腰が重くなりましたが、途中寄った道の駅で、新鮮なセリとネギを見つけて、昼食には地粉のうどんとそばを食べてきました(かなり美味しい)。とても楽しかったです。感謝、感謝。
2005年03月19日
コメント(0)
今年になって、母はあまり調子がよくなかったのですが、暖かい日が出てきて、少しずつよくなってきたようです。自分の体の少しよくなったら、お墓参りのことを心配し始めたのでした。私は、生きている人間の方を優先して、余裕ができたらお墓参りは行くと言っていました。しかし、自分だけでは行けない母は、心配で、お彼岸の前はいいけれど、後になっていくのはよくないなど、電話したときに言うのです。我が家のお墓は横浜も南の方にあって、行くときはほぼ1日仕事になってしまいます。私はまだ少し喉や腰が痛いなど言っていたのですが、夕べ美味しいものを食べたら、元気が出てきたみたいで、今朝早く起きたら、調子がそれほど悪くないようでした。しかし、靴下を履くときに、腰にちょっとビリビリと来たので、風呂に入って暖めてから、行く決心をしました。ちょっと寒かったですが、早く出たので、午後割と早く家に帰ってくることができました。私は信心深い方ではないのですが、お墓参りを済ませ、なんだかいい気分になって帰ってきました。
2005年03月19日
コメント(0)
今日、水上温泉から帰ってきたら、秋田の春が宅急便で届いていたのです!少し前、群馬県の道の駅でフキノトウを見て、女房が買いたいと言ったのですが、私はだめだと言いました。また、その前には、水上のスキー場へ行って、フキノトウを探したのですが、まったく見つかりませんでした。フキノトウ(秋田ではバッケ)に関しては私は「通」なのです。関東平野のはほとんど私には美味しくないのです。山へ行くと美味しいものに出会うことがありますが。秋田のを食べてから、私は関東のものはあまり食べなくなりました(山のは別)。私はバッケがことのほか好きなのです。その苦味と香りには、食べながらうっとりとしてしまいます。どうして私の望みが分かったのでしょう!そのバッケが宅急便の箱の中からまず出てきたのです。それでまず興奮していたら、山ワサビまで出てくるではありませんか。山ワサビも私の大好物で、秋田へ行って、最初の朝食に、山ワサビ漬け(花も葉も茎も根も刻んでだし汁に漬けたもの)を食べて、こんなに美味しいものがあるのかと感心したのでした。ついこの間は、夢にまで出てきました。バッケも山ワサビも新鮮で、とりあえずバッケの一部は生のままでバッケ味噌を作りました。そして、生ワサビは根をある程度残して(お刺身かそばに使おうと思って)、後は刻んでワサビ漬けを作りました。やはり、神様には私の好きなものが分かっていました!箱に入っていたのはそれだけでなく、新鮮ないい卵その他も入っていました。女房が早速ご飯を炊いて、運よく、家に来ていた末娘と孫のアーちゃんとともに、秋田の美味しいものをいただいたのでした。卵かけご飯、バッケ味噌、山ワサビ漬けと家にあったアボカード、本当に美味しかったです!おいひい!と言ったらいいでしょうか。この間から、私は東京でかなりいいと言われるフランス料理を食べていますが、こちらの方がずっと上です。また、これらとアボカードとの相性もすばらしくよかったです。これは新しい発見です!ありがとうございました!!
2005年03月18日
コメント(4)
ルパンみたいな悪人はものすごく頭がいいではないですか。脱税だって頭がよくないとできません。確定申告をしてつくづくそう思いました。まあ、私など脱税するほど稼いでいないのですから仕方ありませんが。
2005年03月17日
コメント(0)
今日は娘(アーちゃんの母親)のおごりで温泉です。かわいそうなことに旦那は仕事なのです。とても忙しくて、休日も満足に休めないのだそうです。彼にはちょっと申し訳ないのですが、好意を受けることにしました。アーちゃんは2才(もうすぐ3才)です。この子と一緒にいると楽しくなります。食べるものはなんでも「美味しいねえ!」と食べてくれるし、遊ぶときも、とても楽しそうに遊んでくれます。まだ数を数えるのも大変みたいですが、多い少ないとかはよく分かります。自分が損をしないような行動が取れます。学校の算数の成績はあまりよくないかもしれませんが、この子は大丈夫です。この子のいうことがまた面白いのです。言葉の意味が分かっているのかどうか分からないのですが、ちょうどいいときに、いいことを言うのです。この間、女房は、アーちゃんに「ちゃんとかくにんしたの?」と言われてしまいました。娘も何かを言い聞かせようとしたら、「アーちゃんはなっとくしていないよ!」と言ったそうです。一番面白かったのが、一週間ほど前、女房と娘とアーちゃんがお腹を空かせて帰ってきて、ご飯が始まったら、アーちゃんは物凄い勢いで出されたものを全部食べてしまったのです。用意をしていたので少し遅れた女房もかなり勢いよく食べ始めました。そうしたら、アーちゃんが「おばあちゃん、よくたべるねえ。」と言いました。もう私など笑い転げるほどでした。今日はまた何を言うか楽しみです。また、やられないように頑張らなければなりません。油断しているとやられてしまいます。
2005年03月17日
コメント(2)
「お前は中学校を卒業したのか?」と、私の親友の英語をけなして、彼から長年恨まれています。しかし、考えてみたら、そういう私は中学校を卒業していないのです。そう言えば、幼稚園だって、不登校のまま、うやむやになってしまっています。でも、高校と大学は「堂々と」卒業しています。こういうこともありました。2年前、ある先生のおかげで、1年間秋田のある大学にお世話になっていました。とてもいい人なのですが、時間を守らないのが欠点なのでした。あるとき、その先生と一緒に出かける約束をしていたのに、先生が来ないのです。私が部屋へ行くと、ゆうゆうと自分の「仕事」をしているではありませんか。行く先のところとも約束しているので、私は、「早くしないとおいていってしまうよ!」と怒鳴ったのでした。その先生があわてて支度をして、一緒に出かけたのですが、私は自動車も運転免許ももっていないので、その先生の車に乗せていってもらうことになっていたのでした。ワハハハハハア!先生も私の剣幕にあわててしまって、そのことに気がつかなかったみたいです。今までの日記を読まれていれば分かると思いますが、人には厳しく、自分にはやさしい私です。でも、評論家の先生方の多くも私に負けていないのではありませんか。(開き直るのも私の特技です。)ホリエモンさんが日本放送をどうすべきだとかいろいろ文句を大勢で言っていますが、一番考えているのはホリエモンさんなのです。彼は命を懸けてやっているのです。私は、正直なところ、テレビのニュース番組で、何人かの人達が並んで座っていて、ニュースについて物知り顔でいちいち意見を言うのを聞くのは嫌いです。つづく
2005年03月17日
コメント(0)
この間、私の研究で、自然現象は嘘をつかない、なんて、偉そうなことを書いてしまいました。それに関し、大事なことをどなたかから指摘されるのではないかと思っていたのです。まず、本当に嘘をつかないと、私には証明できません。そう信じているだけです。もっと大事なことは、自然が嘘をつかなくても、その現象を観察し、解釈して、他の人に伝えるのは人間(私の研究なら私)なのです。ですから、人間(私)が嘘をつく可能性は十分にあるのです。実際に、こういうことを示したいと思って、実験を始めると、偏見が入ってしまうのです。公平に判断したいと思っても、どっちかというと、自分に都合の良いデータを取ろうとしてしまうのです。ですから、そのとき出たデータだけからは、ある結論に到達できたとしても、その後、もし、研究を続けたら、違う結論になる可能性はあるのです。前にも書いたと思いますが、自分の、約20年にわたる研究をまとめようとしたとき、つじつまが合わなくなって苦労したことがあります。結局、新しい実験を考え出して、正しい解釈に修正したのでした。このようなことがあるので、解釈や結論はともかくとして、少なくとも、データだけでも再現性があり、信用のできるものにしたいですね。
2005年03月16日
コメント(0)
少し、イザさんのおかげです。日本語の勉強?にもなりました。この間、私は「逆境」という言葉があるのは確信していたのに、日記に「逆境」と書こうとすると、単語が出てこないし、辞書でも出てこないのです。しかし、イザさんからの書き込みで「ちゃんと辞書にありましたよ。」と言われ、すぐ後、私が「さいわい」という言葉を古語辞典で見つけようとしているときに、遅まきながら、やっと気づいたのでした。私は、辞書で「ギャクキョウ」のところを探していたのでした。「ギャッキョウ」のところを見なければいけなかったのです。今朝そのことを女房に言ったら、「当たり前よ。誰だってギャッキョウって読むわよ。」と言うのです。「でも、発音はそれでいいとして、僕が先生をしていて、子供が仮名ふりの試験で、ギャクキョウと書いてきたら、丸をつける。」と言ったら、女房が怒り出し、「変な日本人」などと言うし、私もいろいろと言い返してしまったのでした。ハハハハハハハ!因みに、「さいわい」は「さいはひ」のところを見なければ出てきません。これは別件ですが、今、「幸福」という言葉について勉強しています。この間会った秋田の友達に教わっています。
2005年03月16日
コメント(2)
「初めて作る」という意味で「創」と書きますが、なぜでしょうか。「絆創膏」にもあるように「創」とはキズのことなのです。私は、新しいことを始めるときに、まず、目標になることをいろいろな要素に切り刻んでから、一つのものにまとめる方法を考えますので、「創」が物を作ることの一面であってもいいなと思っています。昨日目を通した本、竹中平蔵:「「強い日本」の創り方」(経済・社会 大改革の海図)、PHP研究所、(2001)。の題名の、「創り方」というのは、日本にはいろいろな改革が必要だという意味で、文字通り、いい言葉の使い方だなと思いました。これは、「政策ビジョン21」というテレビ番組で議論されたことをまとめたものだそうで、大事なこと(今でも必要だと思う;いろいろ変えなければならないこと)がたくさん書いてあります。この本は定価1400円ですが、私は100円で買いました。あまり売れなかったのでしょうか。私も賛成するようなことがいくつか書いてあります。☆まずいろいろやってみよう。☆何かをやると宣言する。☆期間を区切ろう。☆限られた期間であるほど、知恵を絞って、真剣に考える。つづく
2005年03月15日
コメント(0)
「しがい」と言っても、「死骸」ではなく、「し甲斐」です。私の、秋田の友達も、あまり苦労しなかったとは言っていますが、元気いっぱいで働きながら、研鑽を重ねて、めでたく修士になれ、進学まで果たしたのですから、苦労していないはずはありません。目標が達成できたのでうれしさの方が強いのかもしれませんし、この人は、普通の人の苦労を「苦労」と感じないで、頑張れる人だと思います。「苦労」も、し甲斐のある「苦労」でした。こういう「苦労」なら、「楽しさ」も沢山含まれていると思います。新しいことを始めるときは、辛くて苦労が多くても、そのうちに仕事に面白みや楽しさを感じるようになってくるものです。そして、元気に仕事をやり遂げれば、初めの苦労などけろっと忘れてしまうかもしれません。そして、その間、助けてくれた人達に感謝できれば満点です。正に、「元気」、「楽しむ」に「感謝」です。しかし、一般には、報われない苦労の方が多いかもしれません。私の場合(自然科学の関係した研究)、一番苦労したのは、特に途中段階で、やっていることが良いか悪いかの判断(チェック機能)ができないときでした。この状態では、自分のやっていることが良いのか悪いのか分からないのです。進む方向が分からないのです。神様が見ていれば、右往左往している、酔っ払いが歩いているみたいに見えるかもしれません。こういう苦労で悩まされたおかげで、私は研究をするとき、最初のかなりの長い期間を良悪の判断ができるかどうかということの検討に使うのです。これが「まんずやってみれ!」なのです。とにかく、いろいろなことをやってみるのです。うまく行かないときの解析が特に役に立ちます。いろいろな不良品を調べることから、どうしたら良さそうだということが分かることもあります。このような過程の中から、所望のものを作るために、途中段階で、どうあるべきかということを考えるのです。これが、上記のチェック機能につながるのです。私の場合、相手はのとんどの場合、自然現象ですから、比較的に「楽」だったのでしょう(自然はウソをつきません)。人間がからむと、ウソをついたり、考えが変わったなどということで、非常に大変になるかもしれません。(いや、私一人でも、私が私にウソをついていたということが何回かありました。)私がやろうとしたことは、ある製品を作りたいとき、その生産工程の途中段階で、その特性を左右する、重要な要因を見つけて、それをその段階で測定できるようにする、ということができるようにすることです。それができれば、途中段階で、それまでやってきたことの良悪が分かるので、開発がとても早くなるのです。つづく
2005年03月15日
コメント(0)
昨日一緒に食事をした、私の友達は、働きながら、放送大学の修士になったのですが、ちっとも苦労しなかったと言うのです。と言うより、結構楽しかったと言うのです。これには、私は驚きました。確かに苦労しているうちに、楽しくなるということはあります。でも、うまく行かなくて、悩んでいるときなど、やはり楽しいとは言えないと思います。私との違いは、この人のやる気でしょうか、積極性でしょうか。また、どの仕事でもきちんとやろうとするところでしょうか。また、人のために骨身を惜しまず働いてくれる人です。いずれにしろ、大したものです。私は心からおめでとうと言いました。でも、私のような凡人の場合は全く別です。自分を自ら追い詰めて苦労しないと何もできません。ホントに本気で真剣にはなかなかなれません。逃げ道を作ったり、人のせいにしてしまいます。他の人を頼りにしてもだめなのです。最後は自分がやるしかないのです。
2005年03月14日
コメント(0)
我が家の今日の太陽電池の発電量は7kWhまでしか行きませんでした。朝は天気がとてもよかったのですが、昼ごろは雪が降ってしまい(東京)、午後は日がほとんど出ていませんでした。昼は、私の好きな、秋田の友達とフランス料理を楽しみました。かなり評判のいいお店で、気持ちよく食べ、楽しい時間を過ごせたのですが、今ひとつという感じが残りました。ワインもカルパッチョも美味しかったのですが、魚が出てきたとき、魚の「匂い」がしたのです。古い魚の匂いではないのですが、「魚の匂い」なのです。(秋田の市民市場へ行くと、魚屋さんが沢山あるのですが、「魚の匂い」はしません。)また、「菜の花ソース」に苦味があると言われたのですが、私には分かりませんでした。(私の友達のそば屋さんによると、私の好みの苦味というのは普通の人のそれの数倍もあるらしいのです。)食後のチ-ズケーキの皮と言うのですか、クラストと言うのですか、それがかなりコツコツしていました。(レストランの方すみません。私はフランス料理など数えるほどしか食べたこともなく、料理も全くできません。)ここの料理は、私には、繊細すぎるというか、懲りすぎなのでしょうか。私は、トロロご飯といいイワシの丸干しなどの方が好きです。だからでしょうか、秋田へ行って、山菜に夢中になってしまいました。自分で採って、いくらか料理までして、「日本の味」を楽しんだのでした。炊き立てのアキタコマチに自分で作ったワサビ漬け(根も茎も花も入っている春の味)でもあれば、他に要りません。バッケ(フキノトウ)味噌でも、自分でアク抜きした、新鮮なワラビでもいいです。でも、考えてみたら、上記の丸干しも日本のものではない確率が高いです。だから、私が日本料理が好きと言っているのではないと思います。新鮮ないい素材を使った、あまり細かく手を加えない料理が好きと言った方が正しいと思います。アメリカだって、ある片田舎でご馳走になった、手作りのスープとか、黒人街の中華料理屋さんの炒飯など、印象に残っている料理が沢山あります。田舎のある料理屋さんの、アイスクリームが乗った、青リンゴのアップルパイなど一生忘れないでしょう。勿論、日本のいい羊羹だって負けないくらい好きですが。くるみゆべしも美味しいですね。手打ちそばだって。いくらでも出てきます。
2005年03月13日
コメント(0)
今日は秋田の友達のお祝いで、新宿で食事をしました。おしゃべりが二人揃ったので、相当にぎやかで楽しい食事ができました。何よりも、この人にとって、全てがうまく行っているようで、とてもうれしかったです。食事中に外を見ると、雪が降っているではないですか。今日は温度は低かったのですが、家を出たときは晴れていました。春はこれだから分からないのですね。昔4月になって雪が降ったこともありましたね。
2005年03月13日
コメント(0)
今日の東京新聞の運勢は、「豆腐も煮ればしまるという。もっと苦労して事を成就せよ。」でした。私は自分でも苦労が足りないと思っています。この間、「苦労」の反対の意味の、「ヘーサラバーサラ」という言葉を使って、これは「ぬらりくらり」のことだと書いたら、イザさんから、京都では「のらりくらり」だというご指摘を受けました。私にはどっちでもいいみたいなので、辞書を見たら、両方ありました。そんなときに、十偏(返)舎一九の「初登山手習方帖(しょとうざんてならいじょう)という本(200年ぐらい前の漫画;黄表紙)を読んでいたら、「のらくら」という言葉が使われていました。これは「のらりくらり」や「ぬらりくらり」と同じ意味の言葉です。もう一つ驚いたのが、「初登山」というのが、本居宣長(もとおりのりなが)先生の「初山踏(ういやまふみ)」と同じ、「学問を始める」という意味だったのです。当時、江戸では、寺子屋が沢山できていて、子供の勉強嫌いとか、登校拒否などがすでに問題になっていたようです。本居先生のものは、子供の初めてのもの(読み書きそろばん)ではなく、もう少し難しい学問の話です。でも、なるべく大きな目標を立てて、目標(山の頂上)に向けて一歩一歩登っていくという点では全く同じです。一見一所懸命に歩いていても、頂上に向かっていなければ何もならないのです。つづく
2005年03月13日
コメント(0)
検査のとき、ある先生に言われたことがあります。「正直な話、胃腸以外の検査については、やってもあまり効果がないかもしれません。」これ本当かもしれません。統計学的に、検診の効果の有無をしっかりと判断してもらいたいです。つづく
2005年03月12日
コメント(0)
この間、近所のスーパーの前に献血の自動車が止まっていたので、一瞬しようかなと思ったのですが、あまり体調がいいとは言えず、もう年も取っているということで、結局献血はしませんでした。しかし、今朝の東京新聞によると、1980年から1996年の間に英国と(あるいは?)フランスに1日以上滞在した人の献血は禁止されているのだそうです。これは、昨日書いた、狂牛病の発生が日本で確認されたからです。この人は1990年に英国に24日間滞在し、ハンバーガーを食べていたのだそうです。私はこの期間にちょうど1日ロンドンに滞在しているのです。牛肉は食べていませんが、献血はできないことになります。上記の条件に当てはまる人は数十万人にも上るとのことですが、もう献血してしまった人はどうなるのでしょうか。献血してなくても、検査か何かされるのでしょうか。牛海綿状脳症(BSE)検査の場合と同じように、病気が見つかる確率は低いと思いますが、この病気になった人が1人確認されたのは確かです。上記のBSE検査には何か影響を与えているのでしょうか。私自身のことを言えば、私はまったく心配していません(交通事故に遭う確率の方がずっと高いと思います)。しかし、正直な、公平な立場で、安全性の確率の検討をしてもらいたいものです。
2005年03月12日
コメント(0)
世の中に3種類のウソがあって、そのうちの一つが「統計のウソ」である、と言ったのは、Disraeliという昔の英国の首相だったと思います。さっき、東京新聞夕刊の、牛海綿状脳症(BSE)検査対象から生後20ヶ月以下の牛を除外しようという政府案に記事を見て思い出しました。生後20ヶ月以下の牛に感染牛が含まれる可能性は年間2頭以下、感染牛を見逃す確率は最大でも0.056頭(?)、枝肉洗浄などで汚染物質は千分の一程度にまで削減できるとか、いろいろな推定を根拠にしているのです。統計学というのは客観性のある学問みたいですが、本当は逆なのです。使う人が好きなようにデータを操作して、自分に都合がいいような数字を出すことができるのです。一つ、例を挙げてみましょう。ある人がサイコロで1が出る確率がいくらだと言ったとしましょう。私は、目の数は当然6つあると思ってしまうのですが、その人は1から8まで出るサイコロの場合の確率を言っているのかもしれません(ちょっと極端な例ですが)。確率は必ず何か条件が付いています。この条件によって、値はいくらでも変わってしまいます。1以上とか0以下にはなりませんが。正解は「分かりません。」だと思います。前に全頭検査をしなければとしたことについても、同じようなことが言えます。実際に存在するデ-タ、その中で使ったデータ、計算手法、計算した確率(や量)の具体的な意味、使った仮定(条件;これがとても大事)、計算の信頼性などをはっきりさせて議論してもらいたいものです。こういうときにこそ、統計学の先生に出てきてもらいたいです。そして、公平な立場で上記推定を行ってもらいたいです。5,6年前、東大でお会いいただいた、私が尊敬する、松原望先生にでもお出ましいただいたらと思うのです。
2005年03月11日
コメント(0)
これは赤ちゃんの離乳食に使うような、お米の粉で作った、白い、うす甘い、短冊形あるいは丸型のお煎餅です。本荘(秋田)ではなぜかこれを「おこうれん」と言うのです。字に書くと、「紅蓮」です。これには悲しい由来があるのです。700年以上前、松島(宮城)の人と象潟(秋田)の人が伊勢だか京で知り合って、それぞれの子供同士を結婚させようと言う約束をしたのです。そして、象潟の娘さんが約束通り、松島へ行くと、相手の男性は病気で亡くなっていたのです。しかし、娘は象潟へ帰らず、松島の2人の親に仕えて、2人が亡くなると、瑞巌寺の尼さんになり、紅蓮尼という名前になり、この煎餅を焼いて、暮らしの糧にしていたのです。それがもとで、ここにお煎餅屋さんができて、この煎餅を焼いて、売り続けてきたのです。この話を、江戸時代に松島を訪れた旅行家(歴史家)(ちょっと名前を忘れました;下記参照)が聞いて、これを秋田(象潟(きさかた))に伝えたのでした。このようなことで、松島と象潟は夫婦(めおと)町の関係にあります。それから、象潟から秋田の地方でもこのお煎餅を作るようになったのです。しかし、秋田の方では、これを作る人がだんだん減ってしまって、今では本荘市の金原さんというお煎餅屋さんだけで作っています。私はこのお煎餅が好きで、私の孫達も皆これを食べてきました。今でも本荘へ行くと買ってきます。なぜ、このことを書き始めたかというと、紅蓮尼は象潟へ帰ることなく、ここで亡くなりました。松島のこうれん煎餅屋さんの近くに紅蓮尼のお墓があって、ここの梅の花が咲くころにまた来てくださいと煎餅屋のご主人に言われたことを思い出したのです。なお、こうれん煎餅を象潟へ伝えた人は菅江真澄(すがえますみ)でした。つづく
2005年03月11日
コメント(0)
北国の友達には申し訳ありませんが、こちら(埼玉)は確実に春です。今日は雨で、少し寒いですが、2,3日前など、桜が咲いてもおかしくないような暖かさでした。私は、去年暮れ、ちょっと忙しかったり、食いしん坊で、キノコに当たってしまったりして、万全の体調ではありませんでした。そのせいと少し風邪気味だったためか、2月は馬鹿に寒気に悩まされてしまいました。そして、沢山食べると気持悪くなるのです。そして、私が相談に乗っている人のことで私が勝手にやきもきしてしまったこともありました。しかし、全部乗り越えたようで、やる気十分の状態になりました。あまり躁(元気)状態で、なんでも言うので、女房には嫌がられています。私の問題解決研究所もほぼ2年になり、今年は、私の手法を文にする作業に採りかからなければと思うようになりました。また、積極的に宣伝はしていないのですが、相談がボチボチ来ます。昨日、外を歩いたら、木々の芽はふくらんできていて、柳など全体的に少し緑色っぽく見えました。梅も満開のものが何本か見られました。京都の梅宮(うめのみや)の梅も見ごろらしいです。わが梅宮神社には特に梅がないようでした。そこの神主さんは確か梅林さんという苗字で、その人の親戚の梅林さんの家の周りには梅が沢山あります。さっき春だ!なんて書いてしまいましたが(午前中は1回雨が止んでいたのです)、午後になって、雨が本気で降り始めて、朝より寒くなってきました。また、暖房を入れてしまいました。ということで、太陽電池の発電量はゼロです。でも、明日、いや、明後日は、秋田から出てくる友達とお祝いです。その人が万難を排して見事に目標を達成したのです。お昼はフランス料理です。私も初めてのところなので、楽しみです。暖かければ、少し散歩でもできるかもしれません。(しかし、彼女は車人間で、歩くのは駄目なのでした。いや、無理に歩かせてしまいましょうか。)つづく
2005年03月11日
コメント(2)
この神社は近所(埼玉県狭山市)の小さい神社ですが、平安時代からある、京都の梅宮神社(京都市右京区の梅宮大社?酒造りと安産の神様)から分社したものだそうです。こちらのも安産の神様で、甘酒祭りというお祭りがあります。そして、毎年当番でお酒を造ります。私が1月にお参りし、100円のお賽銭で沢山のこと(正確には11件)をお願いしたのです(私自身のことはなし)。そうしたら、11件中9件もうまく行ってしまったのです。今日行って、お礼してきました。まだ、後の2件だってうまく行く可能性があります。それにしても、今年はいい年かもしれません。
2005年03月10日
コメント(0)
こちら(埼玉)は意外とフキノトウ(バッケ)が出てくるのが遅いのです。2月の終わりから3月の始めにやっと見られるようになりました。(秋田では2月の10日ぐらいに見つけました。)でも、ほとんどのものは、秋田で食べていたものと比べると味も香りも悪いのです。唯一、お隣のは、山のもの(美味しい)だとのことで、この間、たった二つでしたがいただいて、私流のフキ味噌を作って楽しませてもらいました。今日は10個以上いただいたので、今晩、女房に天ぷらにしてもらいます。さっき、秋田の純米酒を飲みながら、天ぷらを食べました。美味しかったのですが、正直なところ、秋田で食べたものとやはり少し違っていました。でも、春の香りを楽しむことができました。因みに、一番美味しかったのはニンジンの天ぷらでした。やはり、どちらも秋田へ行かないと、本物の味を楽しめないのかもしれません。同じものでも、食べたり、飲んだりする場所で、味が違ってしまうのでしょうか。今日は最初曇りで、午後は薄曇りだったので、発電量は5kWhしか行きませんでした。
2005年03月10日
コメント(0)
「出会った」と言っても、本当にあったわけではありません。ある本を読んで、こういう人がいるということを知ったのです。藤井康男:「創造的遊び人間のすすめ」、PHP文庫、(1988)。昨日は、東京の母の様子を見に行った往復(片道2時間はかかります)に、この本を読みました。かなりいい加減な気持で読んでいたのですが、1ヶ所に引きつけられてしまいました。このように書いてあったのです。「私はいろいろなことに手を出す人間である。・・・私は自分を追い込んで、やらざるを得なくしてしまう。例えば、人と約束したり、予定を立てたら、それを崩さない。つまり、性格の弱さを逆用して、多くのことに手を出し、これまで50年という人生を割りと濃密なスケジュールで楽しんできた。それも自分を常に逆境(辞書にない;私の読み間違いかもしれません。苦境?)に置くことにしてきたからだ。」この人はこの本を書いた当時、龍角散という会社の社長さんで、遊び感覚の重要性を書こうとした本だと思って読んでいたのですが、上記の部分を読んで、すっかり感心してしまいました。約束や予定をきちんと守るというところです。また、「楽しんでいた」とういところもよかったです。上記のことが本当なら、私が模範としたいような人です。本物のプロは、私と違い、自分に対して、どこかきちんとして厳しいところを持っているのです。私は、へーサラバーサラしていて(2月28日の私の日記参照;ぬらりくらりしているという意味です)、自分に甘い、ずるい人間ですから、論文を書くと言っても、いつまでに書くと言っていないのです。こういうところに、偉い人とそうでない人との差が出てしまうのですね。楽しんできたという点では、私も仕事をかなり楽しんできましたが。ああ、この間の、整体師の人が約束通りに、医療費の領収書を用意してくれなかった件で、まだ、私は少し怒っていたのです。そこで、夕べ、女房によく聞いてみたら、8日までにもらえると女房が思っていただけだったのだそうです。また、少し喧嘩をしてしまいました。約束と言えば、昔、うちの猫、トラを飼い始めたとき、上の2人の娘は、最後まで面倒を見ると約束をしたのです。ところが、2人とも結婚をして、トラを見放してしまったのです。ときどき、養育費を払えと言うのですが、まだ、ほとんどもらっていません。今日は2人の誕生日なので、これを言ってやらなければと思っています。また、いやがられるお父さんをやらなければなりません。人のことをいろいろ批判する私ですが、論文の、はっきりした筋がなかなか頭の中でまとまってこないのです。書きたいことは、私の頭の中にも、今までの日記のどこかにほとんど入っているはずです。ところが、それらを整理し、一つのお話にするとなると、これは大仕事です。私が会社をやめる前に書いた論文は、20年以上の間の、別々で、さまざまな研究を一つの話にまとめたもので、まとめられたのが不思議なくらいでした。今度のは、もっと広い範囲の研究、その他の仕事、趣味、つまり、私の人生全てをまとめるようなものです。だから、話もまだ終わっていないのです。でも、終わるときまで待ったら、書けませんので、今頃から、まとめに入っておこうという考えなのです。題は「私の問題解決の手法と考え方」ということにしようかなと思っています。研究の話が多くなりますが、問題解決は頭だけではできないのです。そこで、その要因を「頭の要因」と「気(心)の要因」と分けてみたのですが、今一つすっきりしません。「左脳的要因」と「右脳的要因}は?こんな風に、頭の中や、紙の上や、パソコンで、いろいろ考えていて、結論が出てきていないのです。
2005年03月10日
コメント(4)
ここのところ、ホリエモンさんが「想定内」と連発してくれて、なんだかうれしいです。というのは、これまで、なにか不祥事が起きると、そこの会社や組織のお偉いさんが出てきて、いつも「想定外のこと」が起きてしまったと言い訳しているからです。今日は想定外に暖かく、桜が咲いていてもおかしくない陽気でした。私は東京の母の様子を見に行ってきました。実は2月はずっと母の調子が悪く、私も風邪気味で、行って移す恐れもあって、心配ばかりしていました。母は、首が痛く、歩くのも大変なので、病院で見てもらいたいと言っていたのです。しかし、私は、この、いつもより厳しい寒さの影響が大きく、3月になって暖かくなったら、快方に向かうのではないかと見ていました。そして、病院へ行くと、行って診てもらうことによる疲れ、病院でカゼをもらってくる心配、私のカゼを移す心配、整形外科では分からないという答えしか出てこないであろうという予測などで、私はあまり積極的ではありませんでした。しかし、ありがたいことに、10日ばかり前、介護サービスの看護師さんがなるべく空いている時間を見て付き添って行ってくださることになりました。結局、原因はよく分からないということだったのですが、母は診てもらったら安心したらしく、また、陽気も昨日から急に暖かになったので、今日は前より元気でした。「想定内」のカゼも引かず、本当によかったです。今日の昼食は、近所のレストランへ行きました。そして、出たものを全部平らげたので、私はうれしくなってしまいました。帰りには、近所のスーパーへ行って、食料品を一緒に買って母のところに戻りました。もう少ししたら、近所のマッサージへ行って、少しずつ、血の循環をよくし、体のこわばりを直してもらうようにさせたいと思っています。ところで、私の研究では、「想定外」というのは「ない」のです。というのは、最初に、「予想外のこと」が起きるという可能性をいつも予想して、新しい研究を始めているからなのです。むしろ、予想外のことが起きてもらいたいのです。だから、「まんず、やってみれ!」なのです。これは、失敗の可能性を前もって知っておくというより、新しい結果を出すためのヒントを得たいからなのです。私の頭では、普通の人が考えないようなことは考えつけません。普通の人が考えるようなことでも見逃していますから。でも、実際にいろいろなこと(特に馬鹿なこと)をやってみると、思ってもいなかったことが起きてくれることがあるのです!つづく
2005年03月09日
コメント(2)
全62件 (62件中 1-50件目)


