全103件 (103件中 1-50件目)
ちょっと自信過剰ですが。 結構楽しくやっているようです。私も結構楽しくやっていますが、私は、どっちかと言うと、後ろ向きでしょう。でも、好奇心はあります。いろいろな問題を解決するのも好きです。遊び心もあります。人と話をするのも好きです。つづく
2006年09月30日
コメント(0)
後ろ向きの方が楽だ、泣いたり、グチを言えばいいのだから、というトラックバックを優希さんからいただきました。一方、私は、最近、多くの人に、グチなし、前向き、感謝と言ってきました。しかし、私がこれらを実行しているかというと、そうでもありません。そうしたいとは思うのですが。そこで、このことについて、もう少し考えてみました。結論は、上記の題です。良いにしろ、悪いにしろ、自分の気持ちを正直に素直に表現するのが一番です。辛いときには辛いと言い、悲しいときには悲しいと言うべきです。難しい問題に出会ったときも同じです。私の場合、泣きはしませんが、グチは沢山言います。問題解決の自信がないことも多いです。これらのことを話すだけでなく、文にも書きます。このように、自分の感情を素直に表現することが、問題解決のための思考を助けてくれている(無意識の世界でかもしれませんが)と考えます。難しい問題をなんとか解決したい、諦めないというような気持ちも強めてくれるようです。
2006年09月30日
コメント(0)
犯罪や過失傷害事件などの後、加害者は平気で暮らしているのに、被害者が大変苦しんでいる例が沢山あります。加害者の人権は守られているのに、被害者の方はいつまでも助けてもらえないのです。このような理不尽を許してはいけません。次の本が昨日(29日)東京新聞夕刊に紹介されました。中嶋博行:「君を守りたい」、朝日新聞社、(2006)。これは、作家でもあり、弁護士でもある人が、学校でのいじめについて書いたもので、著者自身の被害者支援の経験から、いじめを「学校犯罪」と位置づけ、この問題を具体的、明快に説明して、もっと断固たる対応の必要性を力説している本だそうです。私は、この本を早速読むつもりです。
2006年09月30日
コメント(0)
前の日記で触れた、長い論文を書いていて、そう思いました。論文についてというより、やることについてです。考えの進め方についてもです。私は、長年、会社で研究の仕事をしてきました。いろいろな種類の問題解決を手がけてきました。研究中は意識していなかったのですが、全く違うと思っていたような問題同士にもつながりがあったのです。また、問題への対処の仕方についても、共通するところが多かったのです。つづく
2006年09月29日
コメント(0)
我が家のカスピ海ヨーグルトに、明日葉粉末、蜂蜜、ビタミンCカルシューム顆粒を混ぜたものです。ほんのり、抹茶のような香りがする、結構な味のヨーグルト(クリームの香り)でした。ここのところ、私の体の調子がよくなったのか(精神的なものでしょうか)、食べる物が美味しいのです。これから、私は、ジャガイモのグラタンを作ります。電子レンジで加熱したジャガイモをつぶし牛乳を加え、沖縄の塩と挽きたての黒胡椒を振って、とろけるチーズを乗せて焼きました。これがまた、んめえ!つづく
2006年09月29日
コメント(1)
第4章の書き方です。論文「私の問題解決の考え方」の第4章「私が手がけてきた問題解決」のです。この章では、第2章「私の問題解決の基本的な考え方」の証拠となる、私の研究等の問題解決の例を紹介します。約10年前に、私は、自分の研究の一部についての、かなり長い解説論文を発表しました。この論文を書いているときに、私の研究方法の「基本的考え方」に気づいたのでした。これを機に、自分が、自分の他の研究でも、どのような考え方研究を行ってきたかを振り返ってみました。そうすると、これらの研究でも、また、研究以外の問題解決の例でも、「基本的な考え方」が使われてきたことが分かったのです。この経緯を、なるべく自然の流れに従って、書いていくのがよさそうです。しかし、困ったことに、書きたいと思うことがどんどん増えていくのです。新しく気づいた、これまでの解決例はどこかで終わりになりますが、今考えている問題や、これから考える問題はまだ増えていくので、いつになっても終わらないという心配も無きにしも非ずです。つまり、あんまりのんびりしてもいられないということになりそうです。早く書くほど短くできるということです。でも、大事なことが後から出てくる可能性もあるので、ぬかりなくまとめたいです。とにかく、始めましょう。
2006年09月29日
コメント(0)
市販のホットケーキミックスに蕎麦粉を半分ほど加えて、薄くといて焼いたら、美味しいものができました。一緒に焼いたベーコン、簡単なサラダとウーロン茶で、結構な昼食でした。使った蕎麦粉は、とても安いもので、蕎麦掻きには今一なのですが、このように食べれば大丈夫です。
2006年09月28日
コメント(0)
何か起こらなければ。東北出張の前半の予定を決めました。しかし、今回は疲れ気味なので、要注意です。出かけるときは、ほぼ10日間、毎日いろいろな人達に会ったり、一緒に食事をしたりで、しゃべり疲れと食べ過ぎになってしまうのです。私は食べることが好きなので、食べ過ぎに特に注意が必要です。12日は新潟回りで、のんびりと、考えごとをしながら本荘へ向かう予定です。論文の第4章に書く内容についてまだ考えているのではないかと思います。
2006年09月28日
コメント(0)
を書いています。いつの日にか書き終わったら、私は、これを、自分の手で、本にしようと考えています。第1章 はじめに第2章 私の問題解決の基本的な考え方第3章 問題解決と確率・統計第4章 私が手がけてきた問題解決まで来ています。第4章の書き方を今考えています。問題をどのように分類し、説明しようか 問題を手がけた時期の順 会社の研究、趣味等、大学での研究、それ以前☆基本的なやり方に気づいた経緯、それからその他の問題解決についても説明する いくつかの諺に合う問題解決例による分類 など、いろいろ考えてみました。結局、☆印の、「基本的考え方」の気づきから、私の頭の中で、自分が、どのように自分の研究を振り返ってみたかを、なるべく自然の流れに従って、書いていくのがよさそうです。相当長くなりそうです。
2006年09月28日
コメント(0)
この章では、第2章「私の問題解決の基本的な考え方」の証拠となる、私の研究等の問題解決の例を紹介します。
2006年09月27日
コメント(0)
としましょうか。論文「私の問題解決の考え方」の第4章です。気の利いた題名を思いつけません。素直に内容をまとめると、こうなります。さて、どのように、話を進めましょうか。まず、どのように始めましょうか。何をどのような順序で説明しましょうか。一つのお話にできるでしょうか。まず、研究について書きましょうか。それから、研究以外の仕事での問題や、私の趣味で解決しようとした問題について書きましょうか。子供の頃のことも振り返ってみたいです。つづく
2006年09月27日
コメント(0)
卵巻きと辛い大根おろし、炊き立てのコシヒカリとコーンスープでした。
2006年09月27日
コメント(0)
午前中、出かけた頃から少しずつ雨が降り始めて、昼過ぎに帰ってきたときには、かなりの雨になっていました。そして、今、20時30分過ぎでも、雨が沢山降っています。午後は、寝転がって、昔の仮名混じり文の解読に挑戦しました。和泉式部の和歌集を、辞書も参考書もなしで読もうとしました。もっと古文の勉強をしておけばよかったとつくづく思いました。でも、読もうとしているうちに、少しずつですが、書いた人の書体に慣れ、いくらか読めるようになってきました。足腰も痛いです。
2006年09月26日
コメント(0)
第4章でやることです。題は何がいいでしょうか。 私の手がけた、いろいろな問題 私はどのような問題に挑戦してきたか 人生は問題解決 人生は問題の連続 問題解決は面白い 問題解決は生きること 問題解決が好き どうまとめましょうか。書くことも沢山ありますが、書く順についても、よく考えたいです。この論文を書こうと思ったときには、私の、会社での研究のことしか考えていませんでした。そして、そのきっかけは、研究をやっているときには気づかなかったのですが、対象が違う、いろいろな研究に対しての、私の考え方の基本の部分は同じだということが分かったときでした。しかし、まとめるうちに、問題解決と捉えれば、研究だけでなく、私の経験してきた、いろいろな問題も同じような考え方で対処してきたことが分かりました。そうなると、書くことが山のようにあるのです。何をどういう順序で書いたらいいのでしょうか。
2006年09月26日
コメント(0)
ここ一ヶ月あまり、母のところへ行ったり来たりで、落ち着きませんでした。ということで、前のように、食べることを楽しめませんでした。週末、母の様子を見に行って、順調なので一安心しました。そういうときだったので、夕べは、簡単な食事ではありましたが、「んめえ」と感じることができました。精米したての魚沼産コシヒカリ(去年の)の卵かけご飯、辛子明太子と韓国風味噌汁(アサリ、牛肉、豆腐、野蒜みたいなネギと、ゼンマイ)とキュウリの古ぬか漬けでした。女房と二人で、本当に味を楽しめました。明太子も、そんなに高価ではなかったそうですが、博多の、無着色のもので、近頃食べたものでは最高でした。つづく
2006年09月26日
コメント(0)
に決めました。なにも起こらなければ。私が泊まるペンションに電話したとき、この間、娘達もお世話になったお礼を言ったら、奥さんからの、「なにも、なにも。」という返事がとても懐かしく感じられました。いよいよ秋田へ行かれるのだという気分になりました。
2006年09月26日
コメント(0)
どうまとめましょうか。書くことも沢山ありますが、書く順についても、よく考えたいです。この論文を書こうと思ったときには、私の、会社での研究のことしか考えていませんでした。そして、そのきっかけは、研究をやっているときには気づかなかったのですが、対象が違う、いろいろな研究に対しての、私の考え方の基本の部分は同じだということが分かったときでした。しかし、まとめるうちに、問題解決と捉えれば、研究だけでなく、私の経験してきた、いろいろな問題も同じような考え方で対処してきたことが分かりました。
2006年09月25日
コメント(0)
論文「私の問題解決の考え方」の第3章「問題解決と確率・統計」のことです。フリーページの「私の問題解決の考え方(6)」に入れました。[最後に少し追加]と[最後に少し追加](つづき)の順に入れました。これから、次の章、第4章、に取りかかります。ここでは、第2,3章と対応させながら、私が体験した問題解決の事例を紹介します。題や内容の説明の仕方はまだ考え中です。
2006年09月25日
コメント(0)
<問題解決の確率> (07月14日)私が自分の問題を解決したいとき、問題は偶然解決されるのではありません。たまたま、誰かが助けけてくれるのでもありません、たまたま、運がついてくるのでもありません。何事も、原因があって、結果があるのです。私はこう考えるようにしています。私達が偶然だと思うようなことでも、実際は、偶然ではなく、私達には、制御できない、あるいは、分からないだけなのです。新しい問題にぶつかったとき、最初、解決の確率は低いかもしれません。しかし、私達が問題を解決したいという強い気持ちや努力によって、制御できなかったことができるようになり、分からなかったことも分かるようになってくるのです。私たち自身が、自分の意志で、この確率を大きくすることができるのです。<Re:問題解決の確率(07/14) > イザッチさん 最近の私が思うこと。やらずに後悔するより、やった方がいい。やらずにずっとあの時こうしていれば、とか、そういう後悔はしたくないな、と。やった結果が自分の思うようなものでなかったとしてもそれでもやらずにあれやこれや考えるよりはいいなって、思うんですよね。いろいろと頑張りたいと思いますし、根性無しですが、頑張りますv(^-^)v(☆いや、根性を持っていらっしゃいます。 結局は、「まんずやってみれ!」ですね。イワセイ) <今日はうれしい!> (0 7月17日) ひとっきり音信不通だった友達のイザさんから書き込みを沢山いただきました!(9つも!)。どうされたのか、少し心配していたのです。パソコンが壊れていたのと多忙が原因だったとのこと、無事のようでよかったです。< Re:今日はうれしい!(07/17) > イザッチさん いつもご心配をお掛けして、本当に申し訳ございません(^_^;)無事に生きておりました。ははは。最近自分は、本当に意気地がないなぁ~と思うことが多々あり。でも、強い意志で、それを乗り越えていきたいと、今、思ってます。今を嘆くより、今を良くしたい。そんな気持ちで勇気を振り絞っているところです(^^ゞ頑張りますv(^O^)v(☆イザさんなら、全く心配ありません。私の知っている、男の研究者にも、少しは、イザさんを真似してもらいたいものです。 イワセイ)イザッチさんの答そんなことないと思います。多分・・・。きっと皆さん素晴らしい方たちだと思います。こんな私よりは、絶対に。私の方も仕事で、研究者の方たちとお話したりすることがあるんですが、研究者の方たちって、本当にすごいですよね。いつも強い信念を感じます。人それぞれ、いろんな悩みなど抱えていたり、きっとみんなそれぞれが大変なんだろうなってふと思ったりするこの頃。頑張らねば~v(^○^)v((☆お互いに。 イワセイ)< くじ運は悪くても運はいい?> (07月20日) くじ運のことから、その他の運についても考えてみました。私は運がいいと思います。私は、かなり行き当たりばったりで、あまりはっきりした目標など持ったこともなく、金儲けしようとも、人を蹴落としてまで偉くなりたいと思ったこともありません。それなのに、かなり幸せな人生を送ってきています。さらに、不思議なことに、意図しないのに、これまで研究してきたことが、一生かけてやる仕事の一部になっているようなのです。<Re:くじ運は悪くても運はいい?(07/20) > イザッチさん それは、今までに何事も一生懸命されてきたからではないでしょうか(^-^)運も味方だったかもしれませんが、決してそれだけではなかったと思います。(☆いやいや、私は、どっちかと言うと、怠け者で、ぼおっとしているのが結構好きなのです。そんなに思っていただくのはありがたいですが。 イワセイ) <私が何かをできないと決めてしまえばできない > (07月28日) 「あなたができると思うのも正しい、あなたができないと思うのも正しい。」これは、ヘンリー・フォード(自動車の会社を作った人)の言葉だそうです。もっとも、できると思ってできないときもありますが、最初からできないと決めてしまえば、それはできないのです。多くのことは、やる気を出し、本気で立ち向かえば、できてしまうのです。私の場合、多くの場合、確実にできるとは思いません。しかし、できないとも思いません。どうなるかは分からないのです。だから、できないとは考えないのです。完全な解決にはならないかもしれないけれど、諦めないで、できる限りを尽くそうとは考えます。そして、解決に成功するとすれば、そのためには、私が必死になって頑張る必要があると考えるのです。この世の中、分からないことだらけで、私たちは毎日いろいろな問題に立ち向かわなければならないのです。それが人生とも言えます。問題があるから、面白いのかもしれません。何も問題がない状態になったら、生き生きと暮らせないのではないでしょうか。但し、宝くじで、一億円や二億円を当てたいというような問題では、初めから、うまく行かないと思った方がいいです(普通は)。この文は、昨日書き始めたのですが、途中で、既に、イザッチさんから、書き込みをいただいてしまいました。それがとても上手に表現された文で、私の言いたいことを的確に説明して下さっています。 <Re:私が何かをできないと決めてしまえばできない(07/28)> イザッチさん >最初からできないと決めてしまえば、それはできないのです。(イワセイ)本当にそうですよね。まずはやってみないと、どうしてそれが出来ないのかも分からないですもんね。「あ~、きっと出来ないな。じゃいいや」で、簡単に終われる状況ならいいですけど、仕事だとそういうのは許されないことが多いですよね。どうして出来ない?何が足りない?こうしてみたらどうだろう?それでダメなら、今度はこういう風にしてみればどうだろう?ハナから出来ないと諦めてしまって出来ないのと、いろいろ考えたり、試してみたりしてまだ出来ないのとでは、質が違うんですよね。いくら努力しても出来ないことってモチロンあると思うんですけど、やらなければイケないことなら、ハナから自分には出来ないと投げ出してしまってはダメですよね。何よりそんな状況で、放棄してしまうことが、私は気持ちが悪い。どうしてだろう?何で?何で?って、出来るまでずっと気になるし(^_^;)(お見事!何も付け足すところはございません!ありがとうございました。 イワセイ)< 子供の学力電子カルテ???> (07月19日) ある小中一貫校で、子供の数学学習のために取り入れているとのことです。一人一人の子供のどこが苦手だとか、間違え方だのをパソコンに記憶させておくのだそうです。これにより、個々の子供の進行度に合わせた指導を目指しているのだそうです。これはとても便利なもののように見えるのですが・・・・・・・便利になると、データの「記録」と「整理」にはいいのですが、人間が、調査結果について、パソコンを使う前に比べると、考えなくなってしまうというか、考える度合いが減ってしまうことがかなりあるのです。結果を簡単にパソコンに入れられると、それで安心してしまうのかもしれません。パソコンを使わないで、データを自分の手で書き込んだり、自分が表やグラフに結果をまとめるのは結構大変なのです。しかし、このような行動が、私達が考えるのを助けてくれてもいるのです。と言うか、こういう苦労をすると、私達がより沢山自分の頭を使えるのです。科学の分野の実験でも全く同じです。実験結果をパソコンに自動的に取り込めるようにし、結果の整理やまとめなどもある程度自動的にできるようにすると、データは沢山集めても、研究者が結果の解釈を十分行っていない、というようなことが起きるのです。苦労して実験をしたり、データをまとめたりするのが、私達に頭を使えるようにしてくれるのです。あまり便利にしない方がいいのです。 <Re:子供の学力電子カルテ???(07/19)> イザッチさん 確かに、結果が自動集計されたものって、「なるほど」と思うけれど、印象に残っていないような・・・「あれは、こんな結果だったっけ?」みたいな。(☆世の中、あまり便利にしすぎない方がいいのです。苦労しているときの方が頭の働きがいいのです。と言うか、働かせざるを得ないのです。イワセイ)
2006年09月25日
コメント(0)
論文「私の問題解決の考え方」の第3章をまとめる作業で、書くことがどんどん増えてしまい、困っていたとき、私の友達から、いいご意見をいただき、勇気付けられて、とにかく、ここいらで第3章を終わらせる決心ができました。そのやり取りを以下に紹介し、第3章を終わります。 <論文は、「私の」考え方> 06月30日 この論文は「私の考え方」を説明するものです。問題解決のやり方というのは、誰でもこの方法でやらなければというものではありません。また、人に言われたようにやって、うまく行くものでもありません。つまり、「問題解決のやり方」を客観的に説明するのは難しいのです。「確率」についても、似たようなことが言えるのです。問題あるいは分からないことをどう受け止めるかは、人によって大きく変わってしまうのです。でも、問題を解決するということは、どの考え方でも変わりません。考え方ややり方はどうでも、問題が解決できればいいのです。私の場合を考えると、いろいろな違った種類の問題の解決をしてきましたが、考え方の基になる問題の捉え方はあまり変わっていないことに、後になって、気づきました。そして、確率・統計を問題解決に利用するにも、この捉え方でよいことが分かりました。さらに、この捉え方が私に一番合っていると考えられるのです。この捉え方を以下説明します。一言で言えば、「因果」です。結果があれば、必ず原因がある、と考えることです。問題解決を結果とすれば、それを可能にするための、いろいろな原因(要因)があるのです。解決するのが私であり、解決したい気持ちが強ければ、「私」が問題解決を成功させるための重要な要因の一つであることは間違いありません。偶然はないのです。偶然に頼ってはいけないのです。どの問題でも、正直なところ、成功するかどうかは分かりません。しかし、失敗するのが決まっているわけではありません。成功する可能性もあるのです(確率はゼロではないのです)。成功すると仮定すれば、その成功に私が関わっていることは確かで、私の頑張りと努力が不可欠だと考えるのです。つまり、私が最善を尽くすことが、成功の確率を1(100%)に近づける、大きな要因だと考えるのです。このように考えて、本気で必死になれば、問題が解決できることが結構多いのです。一方、万が一、失敗したときでも、この失敗の体験から学べることは、精神的な面でも、研究能力(知恵の使い方)の面でも、非常に多く、私だけのことを考えれば、失敗した場合の方が、得るところは多いくらいです。初めから、駄目だと決めてしまったり、失敗して、運が悪かっただの、あの人に相談したのに、ちゃんと指導してくれなかっただのと考えるのは、もってのほかのことです。一般的には、自信持つことが大事だと言われています。しかし、私の場合、問題を解決しようとするとき、もっと自信を持ってやれと言われても、それができません。しかし、上記のように考えて、問題に向かうと、持てない自信を持とうとし、悩むより、ずっと気が楽です。成功への自分の寄与を重く見ることによって、より本気になり、責任感、やる気、集中力も出てくるようです。もっと大事なことは、自分が出会う、一つ一つの問題の解決が、自分の一生の仕事の一部分をなす、と認識することです。その時々では、自分では分からないかもしれませんが、そうなっているのです。私も、途中まで、それに気づきませんでしたが、会社へ入ってから私が解決できた問題を見ると、皆、なんらかのつながりがあって、一つの論文(話)にできる内容なのです。こういうことを、私は、後になって気づいたのですが、この気づきがもっと初期の段階であったら、もっといい仕事ができたのではないかと思います。一つの問題をなるべく大きな目で見るのは大事なことです(目の前のこととしてだけではなく)。< Re:論文は、「私の」考え方(06/30)> イザッチさん 行動を起こさず、努力もせずにうまい話なんてそうそうに転がっていませんよね~。何もせずにうまうまといい人生に転んでくれたら、それはそれでラッキー!!と思うんでしょうけど。私の人生の中では、まだそういううまい話には出会えないようで。だとすると、やはり自分が頑張るしかないんだなぁと。あぁ~、宝くじの一等賞とか当たってみたい~。買ったことないから、当たる確立0%ですけどね(^○^)買わなきゃ、当たらない。(でも、買って当たる確率は低いのです。超能力でもあって、この番号が当たりそうだなどと感じられれば別ですが、普通の人は損をするようになっているのです。ですから、私は買いません。 イワセイ)一方、自分が打ち込んでいる仕事などは、自分が頑張れば、それだけ成果を上げられる確率が高くなるのです。何かことを起こさないと、なんの結果も出ない。って、ことなんですよね~(^○^)ははは♪(それは確かです。 イワセイ)< 自信がなくてもいい!!> ( 07月02日) 6月30日の日記「論文は、「私の」考え方」の追加です。書いたことは、私にとっては本当のことで、自信がなかったのも確かです。それでも、一応研究者として、会社から給料をもらってきたのです。アハハハ。自信はあった方がいいのでしょうが、自信を持とうとし、ストレスを溜めるより、自信がなくても、自分の全力を仕事に注ぎ込んだ方がいいと考えています。私は、変な自信を持つより、現実をきちんと捉えて、目標に向かい、真剣に、最善の努力をしていくべきだと考えています。新しい事実が分かったら、その証拠を基に、自分で考えて、判断、行動することです。私が強い意志と集中力を持ってやらなくては誰がやるのか、という気持ち、それから、緊張感、責任感と前向きな努力と根性です。 <Re:自信がなくてもいい!!(07/02)> イザッチさん 現実をきちんと捉えるって、大切ですよね。今自分にできることは、なんなのかって。それでもやり出したら、自分が思っていたよりも結構頑張れたものが出来てることが多いと思います。(☆「やり出したら」というところが大事なのかなと思います。やりださないで終わってしまうこともありますね。 イワセイ)自分の持ってる力、プラスα努力などなど、大きいなぁ~って思いますね。(☆人間って、本当にやろうと思えば、信じられないくらい、いろいろなことができると思います。 イワセイ) <そろそろまとめるか> (07月04日) この章をです。これまでで、言いたいことは言い尽くしたと思います。ただ、書いているうちに、また新しいことを思いつく可能性はあります。そうかと言って、これまで書いてきたことを書き直すつもりはありません。この論文は、言わば、研究をしながら書いていますので、どんどん変わって行ってもおかしくありません。また、これは私の論文であり、自分の考え方を述べるものです。ですから、他の人の考え方と違っても仕方ありません。ただ、必要なのは、「自分で考えて、判断、行動する。」ということで、これは、誰にでも当てはまることです。読者の皆様には、私が言うようにやろうとするのではなく、自分で考えていただきたいのです。「この人は、こんなことを書いているけれど、私だったら、こうする。」というようにです。 <Re:そろそろまとめるか(07/04) > イザッチさん 「自分で考えて、判断、行動する。」って、なかなか出来ないようですね。助けちゃうのも良くない原因の一つなのかもしれませんが。よく仕事で、「これ、エラーが出ちゃうんですけど」みたいなことを言われると、イラっときちゃうんですよね。言葉足らずというか、「エラーが出るんですけれど、どうしたらいいんですか」、「エラーが出るんで、こうしたんですが、ダメみたいで、何か方法がありますか」ぐらい訊いてくれればまだしも、ハナから人に助けてもらおうとする態度。「これ、エラーが出ちゃうんですけど」って言われたら、「あぁ、そうなんだ。ふう~ん」で切り捨ててしまいたい(心狭すぎですか)。(☆この反応は最高!手取り足取り教えてあげるのはよくありません。研究の場合など、担当者にもっと「細かい」指導をとか言われることがありますが、しません(と言うか、自分でやってみないと分からない場合が多いです)。 イワセイ)そこで結局は、私がやってしまう。そういうのがダメだと思うんですけど。なかなか。そして、自己嫌悪に陥ってしまう私です。< 問題解決も結局は粘り> (07月05日) 絶対に諦めるな!転禍為福苦労するからこそ良い考えが出てくる勝負は最後まで分からない逆転もあるやるっきゃない自分が頑張るしかない人に頼るな人のせいにしない背水の陣根性だ食いついたら放さない執念だこんなことを書きながら、今日は貴重な一日を無駄にしてしまったようです。論文にもっと力を入れなければ! <Re:問題解決も結局は粘り(07/05) > イザッチさん 本当にその通りですよね。苦境に立たされた時、誰かが何とかしてくれるなんて大間違い。自分で頑張らなきゃ(自分自身に言ってます)。良くならない状況を周りの環境のせいにしない。冷静に考えれば、良くなるようにする自分の努力が足りない、自分がその努力を怠っている。そんなことに気付きます。今を嘆くより、やるべきことをやる。勇気を出して前に進む。今の自分に満足しない。今のままが楽だからと妥協しない。そんな気持ちを持ち続けたい、今日この頃。ちょっと前進しようとしているイザです。こんな素敵な日記を書かれながら、貴重な1日を無駄とは。今の私には、十分心に響きましたよ(^-^)v(☆ありがとうございます。文にうまくまとめられなくて、言葉を並べただけなのです。 イワセイ)
2006年09月25日
コメント(0)
脳の働きを良くするために有効なのだそうです。「奥の細道」とか「百人一首」などの文が薄く印刷されていて、鉛筆でなぞるのだそうです。子供が文字の練習をするときと同じことです。昨日の日記の、「手書き、縦書き」と関係あるのでしょうか。でも、こんなことにわざわざお金を使い、本を買うというのはもったいないような気がします。日記とか自分の文を書いた方がずっといいと思います。「大人用の」の計算練習の本もあるらしいです。大人用の塗り絵もあるそうです。世の中、どうなっているのでしょうか。つづく
2006年09月25日
コメント(0)
母の世話に行った頃から右半身が痛いのです。そこで、体操をしたり、女房に整体をやってもらったり、風呂に入ったり、膏薬を貼ったりしています。それから、私は右利きなので、ここのところ、意識して、左手あるいは体の左側を使うように心がけています。そうすることにより、体の左右の釣り合いが取れるようにしたいと思うのです。さらに、左側を意識するということは、右脳を働かせることにもなると考えられます。今のところ、ぎっくり腰の兆候はないのですが要注意です。左手を使うというのがいいのかもしれません(私は右手を延ばしたときなどにぎっくり腰になることがかなりあるので)。
2006年09月24日
コメント(2)
石川九楊さんという書道家がそう言っています。ワープロだと、入力や変換が、意識したことを文字にすることの邪魔になる。また、仮名は縦に続けて書くようになっているのに、横に一文字ずつ書くべきでない。ということらしいです。確かに、私は、ワープロより、手で書く方が、何かを考えるときには、いいように思えます。しかし、横書きです。縦書きの方が神経を使います。要は、どこまで容易に(書く作業に気を散らさないで)、考えたことを文字に書けるかということではないでしょうか。後、手を使うということが、書いた内容をよりはっきりと頭の中で意識できるような気がします。
2006年09月24日
コメント(0)
今朝涼しかったので思い出したのですが、秋田では、10月になれば、寒い日があるかもしれません。私は、10月に霰(あられ)が降って寒かったのを憶えています。11月には大雪でした。
2006年09月24日
コメント(0)
明け方、少し寒く感じました。5時ではまだ暗いです。日の出は5時半ぐらい?今、8時半過ぎ、日が出ていて、日中は暑くなるかもしれません。今日は、秋田へ行く日程を考えます。また、論文についても。
2006年09月24日
コメント(0)
夕方、一番下の娘が、孫のアーちゃんを連れて、来ました。この子は、幼稚園に入ってから、またずい分成長しました。話もとてもよく分かります。また、よく食べるのです。とても楽しい食事をして、今、まだ8時半過ぎなのに、眠くなってきました。しかし、まだ起きています。ピアノのCDを聴いているのです。小原孝さんのものです。
2006年09月23日
コメント(0)
秋田へ行く日です。その週の週末は本荘になるでしょう。今日、母のところへ行ったら、順調に回復しているので、大丈夫だと思いました。行くところや会う人の数が多いので、これから、日程の調整が大変になります。いや、その前に、秋田へ直接行くか、まず松島へ行ってからにするかを決めなければ。仙台へも、川渡温泉へも、酒田へも、亀田へも、由利原高原へも、矢島へも、秋田へも行きたい。紅葉は見られるでしょうか。鳥海山で?鳴子で?生ガキは? キリタンポは? キノコも、ミズも採りたい、食べたい。いや、この前、キノコに当たったのでした(買ったものでしたが。)。多分、食べすぎです。
2006年09月23日
コメント(0)
女房と一緒に、私の家と女房の実家のお墓(横浜と東京)へお参りしてきました。帰りには、母のところへも寄ってきました。朝6時過ぎに出て、途中ゆっくりと朝食を食べ、順調にお墓二つのお参りを済ませ、母と昼食を一緒に食べて、手伝いもしてきました。母も調子がよく、全てうまく行った一日でした。車も思ったより空いていて、割と早く帰ってくることができました。
2006年09月23日
コメント(0)
今朝、母が言うには、昨日のお医者さんの往診のときに、一度、MRI検査をしたらと言われたのだそうです。そして、私に一緒に行ってくれと言うのです。足腰が弱っている原因を知りたいのだそうです。母の今の体調では、病院へ行くのは無理ではないの?と言いました。母は、家の中の平らなところをやっとそろそろ歩けるようになったばかりで、階段の昇り降りもしていないのです(マンションですが、家の中に階段があるのです)。それをしなくてもよいように、家に出入りする、限られた人達に鍵を渡してあるのです。しかし、お医者さんが勧めるから行きたいと言うのです。お医者さんもお医者さんなら、母も母です。折角、ここまで良くなったのに、病院へ無理して行って、逆戻りするようなことは絶対させたくありません。午後、病院から電話があったので、このことを言い、来週まで考えさせてくれと言いました。母に電話をすると、無理だと思ったけれど、お医者さんがそういうので、「はい」と言ってしまったのだそうです。あきれてしまうとともに、来週、病院へ行くのはもう少し待ってもらうように頼むことにしました。このように、母の判断力は相当鈍っているのです。それから、お医者さんなどに何か言われると、「いい子」になって、すぐ「はい」と言ってしまうのです(私の言うことは聞きませんが)。ということで、今までは、母が言うように、母を助けようとしてきましたが、これからは、私が判断することに全部チェックしなければと思いました。そして、今日(次の日)、母のところへ行って、自分の体を第一に考え、自分が無理だと思ったら、お医者さんにはっきり言うのと、今度は失敗なしで回復してもらいたい、と「お説教」をしてきました。途中で駅弁を買って、昼食を一緒に食べてきました。かなりの食欲で食べて、かなり調子も良くなっているようでした。
2006年09月22日
コメント(0)
論文とは、「私の問題解決の考え方」です(フリーページ参照)。今、第3章がほぼ終わったところです。第2章「問題解決の基本的な考え方」では、私自身の研究での体験から、どのような考え方で研究を進めてきたかを明らかにしました。不思議なことに、いろいろな種類の研究を行ったのに、基本的な考え方は同じだったのです。さらに、私の人生での、研究以外の問題の解決においても、似たような考え方を使っていたのです。第3章「問題解決と確率・統計」は、私の確率・統計の勉強から学んだことから、問題解決に役立つことを選び出した結果をまとめたものです。そして、その結果も第2章の基本的な考え方を支持しています。と言うか、矛盾がありません。
2006年09月22日
コメント(0)
私のことです。昨日、私はカワセミを見たのに、写真を撮りませんでした。人には、肝心なときに写真を撮っていないとよく言われます。でも、私は、見るのと聞くことに神経を集中させたいたのです。いつも、このようなので、本当に撮りたいような写真は撮っていないことが多いのです。カワセミの代わりにはなりませんが、最近撮った写真をお見せしましょう。これはスベリヒユです。私は長い間この草を見てきたのですが、花が咲くのを見たことがありませんでした。10日ほど前、このような、黄色い、かわいい花が咲いているのを見つけました。
2006年09月22日
コメント(0)
さっき、カワセミを見たのです!この間、ラジオで、カワセミは雀ぐらいの大きさしかなく、鳴き声も小さく、あまりはっきりしないと言っていました(声も聞かせた)。私は、カワセミを写真でしか見たことがなく、もっと大きいと思っていたので、一度見たいなと、そのとき思いました。そして、一週間もしないうちに見てしまったのです。それも、近所の入間川の人工の「せせらぎ」で。本当に小さく、声もまさしくカワセミでした。これまで、なぜカワセミを「見なかった」のでしょう。一つには、もっともっと大きいと思っていたからです。それから、都会に近い、直ぐ近所で、木や草も比較的少ないところにいるとは夢にも思いませんでした。それから、カワセミを見たいという気持ちはほとんどありませんでした。それなのに、ちょっと見たいと思ったら、直ぐに、見ることができたのです!ここのところ、不思議なのです。物事がどうしてか私が思うようになるのです。これ、問題解決の参考になるかもしれません。つづく
2006年09月21日
コメント(0)
「まんずやってみれ!」そうしながら、いろいろな可能性を考える・・・・原因、やること、答、解決策、問題点、協力、・・・・・・話の筋道を考える・・・・・解決、現象の進み方、・・・・・問題解決には想像力の寄与が大きいのです。実践と想像力の結びつきです。つづく
2006年09月21日
コメント(0)
こういうことだったのか。「聴いてもらう」とは、私が、自分の言葉で、自分を表現することだったのです。当たり前のことですが。こうすることによって、自分のことを前よりよく知ることができるのです。無意識に考えていたことを意識の領域に移せるかもしれません。また、考えも進むのです。「読んでもらう」ということにも、同じような効果があります。最近、毎日、何かを書いています。それを大勢の方々の読んでいただくということで、その効果の恩恵を受けています。そして、これが私の仕事の一部にもなっています。つづく
2006年09月21日
コメント(0)
題は?私がどういう問題を解決してきたか?私が解決しようとした各種の問題私のいろいろな問題解決人生は問題解決私の仕事は問題解決私の人生は問題解決私が問題解決から学んだこと人生は問題解決の勉強問題解決が生きがい私の問題解決事例問題解決は一生の仕事目的(やること)は第2、第3章の証拠を示すこれらの章をさらに分かりやすくする話の筋は?問題の起きた順言いたいこと順問題に合った諺(漫画を使う)で分ける一つの話にならないか重要度(分かるか?)の順思いつくままに?気づいた順つづく
2006年09月20日
コメント(0)
もう秋ですね。今日、歩いていたら、かすかに匂ってきました。ほんのりと匂ってくるのはいいですね。でも、私は、匂いがあまり強いのは苦手です。
2006年09月20日
コメント(0)
この間、知人に、母の問題をどのように解決しようとしたかを話した(グチを言った)ら、その人がそれを「プロジェクト」と呼び、参考になったと言ってくださいました。ということで、論文の中では、上記の題で、どうなったかを紹介しようと考えています。母が転んでからやったことは、1.「まんずやってみれ!」とりあえず、私ができる限り母の世話をし、母の要介護度の再認定の審査を頼んでから、介護サービスの方へは、新しいサービスの計画を頼みました。母は、今いるところで治したいと言いましたが、母にも、私にも、かなり大変でした。そこで、ショートステイの可能性も少し考えました。ケアマネジャーさん、お医者さんや看護師さんと相談して、ヘルパーさんと看護師さんの訪問回数っを増やし、リハビリの先生にもお願いすることにしました。その間(かん)に認識し、考えて、決めたことは、☆母の足腰が弱っている。☆母が精神的にも弱っている。判断力が低下している。☆まだ生きようとする力はある。食欲がある。よくしゃべる。☆できる限り、一人で暮らしたいという母の意に沿うようにする。☆母にも、回りの人達にもやる気を出してもらうために、大げさに、目標を設定し、全員に協力してもらう。☆やることを決めたら、後は、それぞれ、担当の人達に任せる。☆母が動けなくなったら、自宅で世話をするのは極めて難しいと考えられる(誰が世話をしても)。☆次回このようなことが起きたときは、埼玉の病院あるいは施設へ入れることを考える。☆私が、母を世話してくれる人達と知り合いになるようにする。そして、感謝の気持ちを伝える。☆私の熱意と感謝の気持ちが全員に伝わるように心がける。☆母の緊張度を上げる(母は非常時に強くなる)ために、やさしくしたり、なだめたり、厳しくしたり、脅かしたり、お説教したりして、いろいろな角度から、母のやる気を出し、希望を持たせるようにする。☆母自身が変わったら楽になると思われるところが沢山あるが、変われない。☆母は前向きでなく、グチが多い。☆母にも少しずつ変わっていってもらうように仕向ける。☆整骨院の先生にも応援を頼む。☆私の娘達にも、母に写真を送ったり、電話したりさせる。☆母が玄関(マンションではあるが階段を下りる必要がある)に出なくてもいいようにする。☆毎日、誰かが母の様子を見るようにする。☆グチなし、感謝、前向きで行く(私)。☆他の人のことを毎日念ずる(私)。このようなことで、次の「プロジェクト」が始まったのでした。2.母回復プロジェクト目標:3ヶ月以内に、家の中を動き回り、普通の家事ができるようにする(週3回のヘルパーさんの助けあり)。関連者の皆さんの賛同を得て、今のところ順調に進んでいます。つづく
2006年09月20日
コメント(0)
脳卒中の患者などの場合、意識がまだはっきりしていないときでも、リハビリを始めた方がいいらしいのです。病気の進行さえ止まっておれば、無理しても、介助しながら、立たせたり、歩かせたり、しかも、毎日やらせた方がいいらしいです。患者にとっては苦しくて大変なことでしょうが、そうすると、驚くべき回復力を発揮するとのことです。問題解決でも同じだと思います。思いっきり苦労した方がいいのです。苦しめば苦しむだけ、私達は、自分が持っている能力を発揮できるのです。
2006年09月20日
コメント(0)
という表現がアメリカにあります。ある問題について、皆でできるかぎり考え、議論して、結論が出ないまま、夜遅くなったときなどに言う言葉です。「(今決めないで、)一晩寝てみよう。」(一晩結論を出すのを遅らせよう。)という意味です。これは、結論が分からないということもありますが、これまで考えたことや議論したことを頭の中に寝かせるという意味もあるのです。私達は、言葉にしたことを論理的に、理屈で考えている(言語的思考)ばかりではないのです。自分でははっきりと意識していないような考え方(非言語的)もあるのです。直感とか勘というのはその類のものです。つまり、できる限りの苦労と努力により、問題について、言語的思考を行ったら、後は、その他(非言語的)の思考器官に任せるということです。その結果、一晩寝た次の朝の結論がより正しいものになっている可能性が高いのです。これは、大勢で一つの問題を考えるときだけでなく、自分一人のときでも、このようにした方がいいのです。つづく
2006年09月20日
コメント(0)
この暑さなのに、昨日が休日であったことをすっかり忘れて、図書館へ行ったら休みでした。しかも、歩いて行ったのです。約30分も歩いて、大汗でした。しかし、時間と労力の無駄にはしませんでした。まず、ハンバーガー屋さんへ入り、紅茶(結構美味しい)を飲みながら、右脳と左脳のことを考えてきました。それから、同じ建物の中で古本市をやっていて、書道家の熊谷恒子さんのかな書道の本を見つけてしまいました。大喜びで、それを買って、帰りは、電車で帰ってきました。そして、風呂に入ったら、かなり快調になりました。
2006年09月19日
コメント(0)
論文「私の問題解決の考え方」(フリーページ参照)についてです。この間、第3章をほぼ書き終えて、後、読者の意見を追加し、終わる予定でした。しかし、その前に、母が転んでしまい、私はそちらの方へ時間を集中することになってしまいました。これは、私が論文の執筆を放り出したのではありません。やることの順序を少し変えただけです。母のことも問題解決であり、私の問題解決の手法を使って対処しています。これも、私の問題解決の事例の一つになるのです。ですから、今やっていることは、私の問題解決の研究の一部であり、これまで書いてきたことは、第4章(問題解決の事例)の一部になります。研究の一部として、同時に、カウンセリングや教育についての勉強も進めています。要するに、私がやっていることは、ほとんど全部、問題解決の研究とそのまとめ(論文)なのです。
2006年09月19日
コメント(0)
実は、8月に行きたいと心積もりしていたのです。まず、秋田の方が涼しいと思いました。しかし、秋田もずい分暑そうで、迷っているうちに、母が転んでしまいました。それから、まだワラビを採りたいと思っていたのです。自分の場所で、自分で採って、自分でアク抜きしたものが一番美味しいのです。8月なら、まだ、美味しいものが採れる可能性があります。勿論、友達も沢山待ってくれています。こちらはいつでも大丈夫ですが。さて、行く時期ですが、10月8日までは、いくつか用事があるので、その後になりそうです。うまくいけば、紅葉が見られるかもしれません。ミズ(山菜)もまだ採れるでしょう。
2006年09月19日
コメント(0)
今始まったリハビリの先生を決めるとき、母と一もめあったのです。母は、介護サービスの看護師さんの手配でリハビリをお願いしたいと言っていたのですが、母も交えた、ケアマネジャーさんとお医者さんと私の話し合い(看護師さんも了承済み)で、お医者さんから手配してもらうことになりました。しかし、母は、なぜか、看護師さんとの話に拘り続け、そんな話は聞いていないとか言って、ずっと、ぶすぶす文句を言っていました。ところが、お医者さんと一緒に来たリハビリの先生に会ったら、ころっと変わってしまいました。次の日になったら、けろっとして、やはりお医者さんにお願いしてよかったなど言っていたのです(私ならまだ意地を張って不機嫌を装うかもしれません)。こっちはあきれてしまいましたが、母が積極的にリハビリをやる気になっているので、これで良しということにしました。そして、実際に、母は、リハビリに励んで、少しずつ良くなっています。えがった、えがった。あはははは!
2006年09月18日
コメント(0)
車があります。お酒があります。人間がいます。お酒を飲みます。人間は間違えます。ズルもします。自動車の数も、人間の数も多いです。火事だって同じです。長い間、火を使っているのに、まだ火事を完全に防げないのです。こういう人間が放射能を利用するのはとても心配です。便利な世の中になると、人間は、さらに、不注意で、間抜けになる、そして、悪いことも考えつくのではないでしょうか。
2006年09月18日
コメント(0)
ほんのちょっとですが。先月、母が転んでから、いろいろなことで、母の、長年の拘り(習慣)を止めさせようと、叱咤激励してきましたが、なかなか変わらないのです。その一つが、電気器具のコードを、使っていないときには、コンセントから抜いておくことです。しかし、今回、電子レンジとオーブントースターだけは差し込み放しにしておくようになったのです!これについては、母の世話をしていて、私も足腰が痛いのに毎回差し込まなければならず(母がハイハイで行って抜いていたのです)、ついに切れて、怒鳴ってしまったのです。そうしたら、やっと差し込んだままにするようになってくれました。でも、他のものはまだ抜いています。まあ、これらは、自分で、差し込んだり、抜いたりしているので、私はなにも言わないことにしています。但し、抜いてくれと言われても、私はやらないことにしています。こんな風に、いろいろありましたが、周りの大勢の皆様の助けのお陰で、母は相当回復してきました。リハビリも言われた通りにやっているようです(こういうときには、先生の言うことを馬鹿に言うことをよく聞くのです)。この調子で行けば、目標達成の確率も、この間の私の見積もりの55%よりかなり高くなると考えられます(80%ぐらい)。母が調子に乗って無理をしたり、何か事故が起きたりしなければという条件付ですが。
2006年09月18日
コメント(0)
一昨日は上記の人達と久しぶりに会うことができました。と言っても、合計3人ですが、久しぶりに会え、楽しくて、参考になる話も聞けました。ゆづく
2006年09月17日
コメント(0)
考えてみると、非常に多くの数の私がいると思われますが、どのくらいか分かりません。でも、少なくとも二人いるのは確かのようです。右脳の私と左脳の私です。ここまで来て、テレビで「田園」(音楽)をやり始めたので、ちょっとお休みにしましょう。私の中には、非常に大ざっぱで、そのときの気分で行動する私がいます。一方、状況をきちんと把握し、論理的に考えてから、行動したいと思う私もいます。
2006年09月17日
コメント(0)
結論から言うと、どっちとも言えません。私は、どっちかと言うと、森より、木を見るような仕事をしていました。しかし、そのとき、木を調べるとき、どういう状態だったら、森全体が良くなるかということを常に頭においていました。良い製品を作るために、最近は、高度の分析技術が使われています。とても微細な部分や薄い層(1千万分の1cm程度)の分析もできますが、その結果と、製品(目に見える大きさ)として機能しているかどうか、ということと対応がなければなりません。この対応付けがなければ、いくら細かい部分を調べることができても役に立ちません。
2006年09月17日
コメント(0)
私は、わが国の教育に相当問題が多いと思っています。昨日、次の本を読みました。河合隼雄:「あなたの子どもだったころ」、講談社+α文庫、(1995)。この本は、河合氏と、10人の、何かをやり遂げたとでも言える人達との対談をまとめたものです。これらの人達の子ども時代の話を聞くと、皆、「いい子」というより、いわゆる「問題児」でした。不登校、虚言、盗み、家出、自殺、反抗、孤独、劣等性などです。河合氏は、創造的な資質を持っていると、子どものとき、とても苦労する、と言っています。対談に登場した人達は、とても苦労しても、成功したわけですが、日本の教育によって、放っておけば、咲けることのできた花の芽が摘まれてしまった例が多いのではないかと思うのです。学校は、画一的な人間を作るような教育をしているのです。皆、「いい子」にしようとしているのです。他の子と違う子、自分の考えを主張する子、反抗する子、はっきりとしたやりたいことがある子、他の子と同じことをやりたくない子、同じことができない子等は、いじめられたり、叱られたり、強制されたりして、とても苦労することになるのです。つづく
2006年09月17日
コメント(0)
母が転んでから1週間ぐらいの時点で、私の中のいろいろな自分が問題解決の確率を考えた結果を紹介しましょう。 母の回復について。母の回復の確率は、全く楽天的な私は100%、母が言うことを聞かなくて切れている私は30%、母がぐったりとしていやなことばかり言っているのを聞いている私は10%、母が天丼を平らげたのを見た私は60%、冷静に母の状態を観察した私は75%、と言った具合です。これらを平均すると55%です。回復の確率はかなりあるという判断になります。
2006年09月16日
コメント(0)
全103件 (103件中 1-50件目)