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きょうはプールに行こうとして、家を出る前に‘あること’を思い出しました。3の倍数の月の最後の週はクラス(レッスン)がないはずだということを・・・。どういうことかと言うと、すべてのコースが終日「自由遊泳コース」になるのです。 それで、急拠、きょうのメインを「10000M」1本にすることにしました。 意識したわけではないのですが、今年は1月も2月も、月の最後にプールに行った日は「10000M」を泳いでいます。きょうも3月最後の日なので、3か月続けて最終日に「10000M」を泳ぐことになりました。 アップを泳いで、わずかに遅めのペースで「10000M」をスタートしました。3月末とは思えないほどの寒の戻りで、どうもここ数日、調子がいまいちなのです。。。 とはいえ、普通に体が動いたので、無理をしないペースで‘200往復’を目指しました。 最初の3000Mのラップは、気持ち遅めでした。‘夢’は‘3時間以内’で泳ぎ切ることです。そのためには、後半バテることも考えると、最初の3000Mを53分程度で折り返さなければなりません。先月末は「10000M」のベストが出て、あと30秒足らずで‘3時間切り’ができるタイムでした。でも、きょうはやはり先月末ほどは調子がよくありませんでした。 次の3000M(120往復め)は、最初の3000Mのほぼ2倍のタイムで折り返しました。ペースが落ちていない代わりに、‘3時間切り’は絶対に不可能なタイムになりました。 そして、いつもここからが‘山’です。きょうも7000Mあたりから若干苦しくなりましたが、今まで10回ほど「10000M」を泳いだ中では、いちばんましな‘しんどさ’でした。でも、さすがにその次の3000M(180往復め)まではペースが落ちました。 残り1000Mは、ペースが上げられるときと、逆に‘へばって’しまってペースが崩壊するときがあります。きょうは前者でした!・・・といっても、知れてますけど。。。(^-^;) 結局、今年になってから3度泳いだ「10000M」としては、いちばん遅いタイムになりました。それでも、去年に比べると、まずまずのタイムでした。・・・月に1回でも泳いでおくと、少しは慣れていくのかなぁ。。。 「10000M」を泳ぎ終わった後は、情けないのですが、いつも小1時間動けません。。。(^-^;)力を振り絞って、「50M」を1分15秒ほどかけて泳ぎましたが、それで止まってしまいました。。。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・コンビ:10000M」「イージー:50M×8」「ダウン:1000M」 ・・・トータル:12000M きょうはできるだけキックを強く打たないで、腕だけで泳ぐようにしました。結果として心臓への負担が少なくなったのか、自分で認識する限り、脈もそれほど上がらなかったし、息も荒くなりませんでした。海で超長距離を泳ぐ場合のことを考えると、こういう泳ぎかたを練習すべきなのかもしれません。 ダウンを泳ぐ前にプールの中で少しストレッチをしていたら、わずかにいた人が偶然みんな上がって、ほんの一時、プール室内に私と監視員しかいない状態になりました。‘し~ん’と静まり返った状態が落ち着きませんでした。(^-^;)数分後に1人、また1人と入って来ましたが。。。 十分に休憩した後、ダウンを泳いでトータルで12000Mにしました。これだけなら今までも何度か泳いでいるのですが、これ以上はどうしても泳ぐ気になれません。。。泳げたとしても、このぐらいでやめておいたほうがよさそうです。毎度のことながら、プールから上がれないんです・・・。(^-^;)しかたなく端のコースに移動して、ステップから上がりました。 3日前の日記にアリーナの新しいゴーグル「Q-CHAKU」の使用感を書きましたが、きょうも着用してみました。まだ慣れたとは言えませんが、頭に回すベルトの部分は本当に緩めで、目の周りの部分だけ指でしっかり押さえると、「10000M」を泳いでいる間もまったく水は入って来ませんでした。装着のしかたが緩いせいか、ターンの際に何度か目尻から水が入って来そうになりましたが、シリコンの形状のために‘阻止’されました。しばらく使ってみて、この夏、OWSに参加するのであれば、今までのゴーグルと使用感を比較してみて、どちらを使うか、決めようと思います。
2010年03月31日
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きょうは「神戸市立博物館」に行って、「トリノ・エジプト展-イタリアが愛した美の遺産-」を見ました。 トリノはイタリア北部の都市で、エジプトとどう関係があるのかと思いましたが、そこにエジプトの出土品を展示のメインにした博物館があるのです。今回はその博物館の所蔵品展というわけです。 この博物館もいつもはそんなに人がいないのに、今回は平日にもかかわらず、かなり混雑していました。臨時のコイン・ロッカーが設置されていることからもそのあたりのことがわかります。 展示は「1.トリノ・エジプト博物館」という、博物館の紹介からでした。 パピルスに描かれた文字や人の姿を見て、思い出したことがありました。思い起こせば、中学3年のときの美術の先生がエジプト絵画について専門用語を交えて理屈を延々と説明したことがありました。クラスメイトは退屈そうにしていましたが、私はそれまでの美術の授業でいちばん目を輝かせて聞き入っていました。「絵画にこんな理屈があるんだ」という驚きで、メモして帰ったことはすべて丸暗記しました。「試験に出るだろう」と思っていたのですが、1問も出ずにがっかりしましたが(笑)、「絵画理論」を知るきっかけになった出来事でした。ただ、その後、そのときに聞いた用語を本やネットで調べてみるのですが、まったく見つかりません。私の覚え間違いだったのか、よほど専門的なことばなのか、未だによくわかりません。今はエジプト美術にはほとんど強い興味はなくなってっしまったので、どうでもよくなってしまいました。。。・・・と書いていて、ひさしぶりに検索してみたら、わずかながらヒットしました!(・・・よほど専門的な用語のようです。美術大学の講義要項の文章が引っかかっている。。。こんなのを中学生相手に‘講義’した先生って・・・。) 習ったとおり、人物の絵はすべて横顔です。正面から見たところや、斜めから見たところはまったくありません。 ほかには、「体毛は頭髪を含めて抜くか剃るのが習慣だった」ということで、毛抜きのほか、かつらが展示されていました。 ヒエログリフもありました。うちにはヒエログリフの練習帳があるのですが、まったく‘練習’していません。。。‘あんな’画数の多い文字、覚える気になれない・・・。非漢字圏の人たちで漢字を覚えられる人をちょっと尊敬する気になりました。(ちなみに、ヒエログリフは「表音文字」です。) 「2.彫像ギャラリー」は、名前の通り彫像が中心でした。 1枚の板に‘同じような’絵らしきものがかいてあっても、上半分は‘絵’、下半分は‘文字’だったりします。覚えれば判別できるのでしょうが、やはり象形の文字は私はどうも好きになれません。(もちろん、漢字を含めて) エジプトでは死者を‘燃やす’習慣はないので、埋葬のために石棺が発達しました。 「3.祈りの軌跡」は、ステラと呼ばれる石碑が展示されていました。このあたりまで来ると、だんだん集中力がなくなってきました。よく知らない国の‘死’を中心とした文化が楽しいとは思えないのです。行けども行けども、棺やひいてはミイラ、また、死者の埋葬品などが続いてうんざりでした。 『死者の書』があり、内容は結局は閻魔大王の裁判と同じことですね。 「4.死者の旅立ち」はミイラの作りかたとミイラの実物の展示でした。私は死んでもミイラにしてもらうつもりはないので、異なる文化の死者の‘送りかた’を見たという程度でした。 棺も石から木に変わっていったということです。 最後は「5.再生の扉」で、この考えかたが仏教やキリスト教とは異なる部分でしょうか。太陽とナイル川を取り上げ、前者は毎日必ず東から出て西に沈む、後者は毎年同じ時期に干ばつと洪水を繰り返す、そして、どちらも人間に恵みをもたらすという共通点があるという考えから思想も発展したというものです。人は死んでも、それは西に沈んだ太陽と同じで、いつか必ず再び生き返ると信じたわけですね。死んだら別の世界に行くと考えている仏教とは異なっています。 ミイラは心臓だけ残し、それ以外の臓器は取り出し、脳は鼻から掻き出すというのは少しショッキングでした。腐らせないためにはしかたのないことなんでしょうが・・・。 混雑と、‘死’を中心とした展示で憔悴気味で、1時間半で見終わりました。いつもと違って、早く外に出たい気持ちで博物館を後にしました。 ほかの人はこの展覧会で何を楽しんでいるのだろうかと思いながら帰りました。
2010年03月30日
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リビングのドア・ノブ(レバー)が折れたことは、3月15日の日記に書きました。ノブがないと、ドアを閉めることはできても、開けることはできません。幸い、リビング・ルームはキッチンの横にも引き戸のドアがあるので、そこから出入りしています。 取り替え部材を扱っている「ハーモネートショッピングクラブ」に即日ネットから注文したのですが、以前の様子を彷彿とさせる、‘非常に悠長な’やり取りになっています。 まず、代金の支払い方法が、「銀行口座からの引き落とし」です。私はこのショップは何度か利用していて、既に「引き落としの手続き」は完了しているはずです。少なくとも2006年10月に注文した壁面収納システム「フルクス(FLUQS)」のときには口座からの引き落としで支払いました。 この「口座引き落とし」、まず、商品を注文後に必要な書類が送られて来て、それに記入して「ハーモネートショッピングクラブ」宛てに送り返します。そして、そこから銀行に回り、照合し、間違いがなければ、商品の確保・発送の手続きに移るという、ただでさえ‘非常に悠長な’流れです。 今回は、注文してようやく4日後に「口座引き落とし手続き」の書類が送られて来ました。普通のショップなら、商品自体が届いています。過去に手続きが完了しているにもかかわらず、再度「手続き」をするための書類が送られてきたということは、前の書類やデータを紛失したということでしょうか。それについても問い合わせをしたのですが、「再手続き」書類発送後、きょうで8日経ちますが、まだ商品は送られて来ません。連絡も何もありません。今どき、これほどまで顧客の管理ができない企業はそうはないでしょう。また、発送もすべての対応も、稀に見る遅さです。前回も2週間待ってしびれを切らして連絡したら、その翌々日に何事もなかったかのように商品が届きました。(“そば屋の出前”以下) さらに、組立家具だったのに説明書はなし。また、商品に構造上の不具合があったので連絡したら、ショップは製造メーカーに勝手に私のアドレスを渡したようで、その製造メーカーから構造の非を認めるメールが届きました。いらいらしていた上に、見も知らぬメーカーからいきなりメールが届いて、非常に不気味でした。 今回もたかが1つの商品を確認・発送するのに、どれだけ時間がかかっているのでしょう。銀行の口座番号の登録情報を紛失したのは間違いないでしょう。 それに、ドア・ノブ(レバー)を注文して来るということの‘状況’が想像できないんでしょうか。ノブがなければ、ドアは開けられません。そんな住んでいる者の不自由を想像することすらできないのだろうと思います。 思い起こせば、建てた家はこのセキスイの系列のメーカーなのですが、家を建てるときに正式に契約を交わし、納期を確認して工事が始まったわけですが、あるときに「来週の×曜日は内装が入るので、立ち会ってください」と言われて、しかたなく仕事を休んで待機していたのですが、すっぽかされたことが2度もありました。 さらに、最終引き渡しが1か月半ほど遅れて、その間は工事が続いている家の中の完成している部屋でしかたなく生活していたということもありました。 「工場で構造体のほとんどを作って運んで来るだけなので、現場工事は単純であっという間に完成します」といううたい文句でしたが、作業をする人が来ないのでは、完成は近づきません。最後の最後にトイレの壁紙がきれいに張られて完成したのは、正式な予定より3か月近くもあとでした。それも、壁紙を張る前に「先に『引き渡し』の書類に捺印してください」と懇願されて、書類のほうが先に出来上がったという状態でした。 親会社がそんな調子だから、部品販売を担当している子会社の‘仕事の熱意’と‘処理能力’は想像できるのかもしれません。 今回は顧客情報紛失で代金引き落としに時間がかかっているようだし、前回は「フルクス」の件で振り回され、顧客情報を勝手にショップからメーカーに流されました。今後、家を建て替えることがあっても、「セキスイ」系列のハウスメーカーはやめようと思います。あまりにも親会社も子会社も顧客管理がいい加減だし、納期が守られないし、これでまた注文したら、「この客は遅れることに慣れているようだ」と思われそうで、‘御免’です。今住んでいる家を何とか‘死ぬ’まで持たせようと思います。
2010年03月29日
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4日前に雨と寒さの中、‘強行軍’でプールに行ったのが悪かったのか、翌日から微妙に頭が痛くなりました。。。それと、何でもいいから強制的な‘目標’(大会参加など)がないと、どうも意識して泳ごうという気が起きません。。。 そんなこんなで、きょうは脚が重かったのですが(^-^;)、インターバル的に泳いでおく日なので、プールに行きました。 アップを始めてもやる気が起きなかったので、あとでクロールを泳ぐときに少しでも気分的に楽しくなればと思い、平泳ぎの長距離をのんびり泳ぐことにしました。日曜の午後はプールはがらがらで、‘あり得ない’ぐらいゆっくり泳いでいるのを監視のインストラクターに見られるのが恥ずかしく感じられました。。。 「800M」のつもりで出たのですが、一向にクロールで泳ぎたくならないので、そのまま「1500M」を泳ぐことにしました。スピードさえどうでもよければ、平泳ぎも「1500M」はたぶんいつでも泳げるようになりました。 イージーを挟んで、クロールの「3000M」のコンビを始めましたが、始めからあり得ないぐらい力が入りません。泳ぎ始めて間もなく両隣りに認識できる顔が入って来ました。「調子のいいときなら負けないんだけどなぁ・・・」と思いつつ、私と似たような泳力の人に挟まれる格好になりました。 片方の隣は先日、同じコースで泳いだ若い男の人です。50M単位でしか泳がないのですが、私の長距離のラップよりわずかに遅いんです。でも、きょうは‘始め’は負けました。 2000Mを過ぎたあたりから少し無理にペースを上げて、‘負けない’ようにしました。(^-^;)いつもの泳ぎとは違って、見た目には短距離のような泳ぎ(=回転が速い)になりました。 「ワースト・タイムが出るかも・・・」と思っていたのですが、‘おかげ’で平均的なタイムで泳ぎ終われました。(cd:cz) あとは適当に泳いで、気持ち短めのトータル距離で終わりにしました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「平泳ぎ・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:3000M」「イージー:50M×6」「ダウン:800M」 ・・・トータル:6500M きょうは、年明けに知ったアリーナの新しいゴーグルを使ってみました。「Q-CHAKU」という名前の商品です。・・・もう少しカッコいいネーミングにできなかったんだろうか。。。(笑) この2~3年、私は超長距離(「3000M」以上)を泳ぐようになって、また、トータルでもそれまでの1.5~2倍ほどの距離を泳ぐようになって、目の周りのゴーグルの跡が気になるようになりました。歳を取るにつれて‘跡’は取れにくくなります。(^-^;)1回プールに行ったら、合計で3時間程度、「10000M」を泳ぐ日などは4時間程度ゴーグルをしていることになります。 それで、できるだけゴーグルは緩くしたいのですが、そうすると当然、水が入りやすくなってしまいます。緩く着用してもずれにくく、長時間の使用でも痛くならないといううたい文句のゴーグルに興味を持ったというわけです。(飛び込んでもずれにくいというのは、私は室内大会には参加しないのでわかりません。) ネットで扱っているショップがなかなか見つからなかったのですが、先日見つけたので注文して、きのう届きました。それを早速着用したのです。 目の周りに当たるシリコンの部分の形状が特殊と言えば特殊です。でも、むしろ(試合用ではない)一般のゴーグルに比べると、接する面積は狭いような感じで、それなりにのめり込みます。(^-^;) きょう使ってみて、確かに非常に緩く着用しても水は入って来ませんでしたが、跡形はむしろ今までより‘しっかり’付きました。きょうは「6000M」や「10000M」を泳いでいないので、1時間以上の連続の着用感はわかりませんが、「3000M」での使い心地は今までの普通のゴーグルと変わりはありませんでした。・・・う~ん、思っていたような効果はなかったなぁ。。。 それと、間もなく公式試合では履けなくなるラバー素材の水着ですが、私はこれも何着か持っています。それをその日の気分や泳ぐメニューによって履くのですが、その履きにくさには未だに閉口しています。毎回履くときに脚のどこかを擦り剥くような水着って、やっぱりおかしいと思う。。。(一流選手にとっては別問題でしょうけど・・・) そして、履いていないときより履いているときのほうが体が細いって、やっぱり体にいいわけないよなぁ。。。 スポーツ・ウェア(用品)も当然、日々進化しているのはわかるんですが、試合でもないときに、特に私のように長時間プールにいるような者にとっては、最先端のウェアはむしろ体に悪いと思います。ちなみに、新素材の水着は今までのサイズでは履けなくなってしまったので、ワンランク大きいサイズを着用しています。それでも、‘気分が悪くなるほど’きついです。。。 どの競技会がどの程度水着を限定してくるのかわかりませんが、現段階では私はまだ1枚も基準を満たした水着を持っていません。買い直すの、また金がかかるよなぁ。。。
2010年03月28日
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続いて、向かいにある「京都国立近代美術館」に行きました。 「京都国立近代美術館」は、行くときは結構続けて行くのですが、行かないときは間があきます。今回はずいぶんひさしぶりになりました。・・・調べてみると、約2年半ぶり。。。 そして、今年は年間スケジュールを調べてみると、見てみたいと思う展覧会がいくつかあり、また、「友の会(年間パスポート)」が「国立国際美術館」と共通で、こちらもいくつか気になる展覧会があるので、初めて「友の会」に入りました。・・・ということで、今年は何回か訪れることになりそうです。 今は、いわゆる「拡大常設展」らしきものをやっているということで、おととし(2008年)暮れの「国立国際美術館」や毎年春先にやっている「和歌山県立近代美術館」の同様の企画展がなかなか楽しいと感じているので、最近は「拡大常設展」を楽しみにしています。ただ、先月の「高松市立美術館」のように‘外して’しまうことも出てきました。。。 きょうは天気予報が外れて、「晴れ」のはずがみぞれのような冷たい小雨がずっと降っていました。もちろん、私は傘を持っていたので、困りませんでしたが。。。(笑) ここ数日の突然の寒さのぶり返しのせいか、桜の花はまだ2分程度しか開いていませんでした。川沿いの木が桜なのですが、まだまだという感じです。 展覧会のほうは、結論から言ってしまうと、‘ほぼまったくわかりませんでした’。。。というのは、それほど有名ではない(と思う)アーティストの作品が中心で、解説が一切なく、図録にさえ文章が載っていなかったからです。展示室のソファの上に見本として置いてある図録も、今回は役に立ちませんでした。展示目録もないし、せっかくの「見る気」が若干削がれました。。。 一応特別展と言いながら、入館料が850円ということで、いまいち力の入れようがないのかもしれません。その証拠に(?)、この展覧会はきのうから始まっているのに、私が帰るときに、職員が入口に「ごあいさつ」を貼っていました。 現代美術は見ていく順路のわからなさも演出の1つなのか、みんな右往左往していました。 デュシャンのオブジェの数々は何度もあちらこちらの美術展で見ているし、その次の部屋の高嶺格の連続した写真作品はわけがわからず(・・・小説のようになっている?)、やなぎみわの『Fortunetelling』もフルで「国立国際美術館」の「液晶絵画 Still/Motion」展で見たし、「これ!」というのがありませんでした。 宮島達男の『Monism/Dualism』は無数に並んだ数字が9から1にカウント・ダウンしていくものですが、「0」は表示されません。そして、「L」「h」「E」が表示されるものがあるのですが、なぜ数字に混じってアルファベットのこの3文字だけが出てくるのか、数分眺めていました。これは気が付きました。「6」→「8」→「L」→「9」→「5」→「h」→「E」→「2」→「1」の繰り返しなのですが、どうでしょうか。 トーマス・シュトゥルートの写真作品はまったくわかりませんでした。美術館の中で絵を見ている人を撮影したものですが、言いたいことは何なのでしょうか。。。 森村泰昌の作品も数点ありました。私はすっかりこの人のファンになってしまいました。(^-^;)写真と言ってもいろいろな技法があり、ほどよくパロディーを含めた作品には思わず表情が緩んでしまいます。 クシシュトフ・ヴィディチコの『もし不審な物を見かけたら』は、4面のビデオ作品なのですが、どれもすりガラス越しの人物の行動を写しています。内容はわかりませんでしたが、私はここで非常に珍しいものを体験しました。 照明に“スポット・ライト”があるのは誰でも知っていると思いますが、スピーカーに“スポット・スピーカー”があるのはほとんど知られていないと思います。この作品の音響にはそれが用いられていたのです。1つの画面にステレオ音響装置として2つのスピーカーがあるので、4面で合計8つのスピーカーがあります。ただ、画面に合わせた専用のスピーカの真下に行かないと音は聞こえません。それに気づいてから私は何度も4つのスクリーンの前を行ったり来たりしました。“スポット・スピーカー”は「筑波万博」(だったかな?)以来、2度めの体験でした。 澤田知子の証明写真の作品や、やなぎみわのエレベーターガールの作品も、飽きました。(笑) 笠原恵美子の‘色見本’を並べただけに見える作品の前では10分ほど粘りました。色の下に書いてある単語は必ずしも色の名前ではないんですね。それに気付いくまでしばらくかかりましたが、それ以上のことはわかりませんでした。 ウィリアム・ケントリッジのビデオ作品、マックス・エルンストの駄作だと思う『怒れる人々』、赤瀬川原平の紙幣の作品などを適当に見ながら先へ進みました。 最後には、宮島達男の『カウンター・ヴォイス-那智の滝より-』というビデオ作品がありました。8人が洗面器に顔を付け、息をするためにときどき顔を上げます。そして、10から1までカウントしたら、再び水に顔を付けるという動作をひたすら繰り返すという‘ナンセンス’作品です。でも、よく見てみると、8人は‘ただの人’ではなさそうです。私はやなぎみわと横尾忠則の2人しか知りませんでしたが、おそらくほかの6人も著名人なのではないでしょうか。 解説のない現代美術はほとんど理解できません。それでも、私なりに1時間40分を館内で過ごしました。何かの役に立つことがあるかどうかいぶかりながらも、図録は買いました。 図録の前書きまでが‘アート’しているのか、一部にふざけた表現が見られます。図録でありながら一切の解説がなく、前書きに「所蔵作品目録VIII」を兼ねる、と書いてあります。要するに、この図録が豪華な展示目録程度の位置づけなのでしょう。このあたりまで許容できて楽しめるようでないと、現代美術にはついて行けないのかもしれません。・・・私は少し危ない領域かも。。。 何を見たのかの実感が持てないまま、とぼとぼと駅まで歩いて、電車の中ではうとうとして帰りました。
2010年03月26日
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きょうは京都市内の美術展を2つ‘はしご’して来ました。 メインは「京都国立近代美術館」の展覧会だったのですが、‘ついで’に「京都市美術館」のコレクション展も見ることにしました。向かい合って建ってるって、こういうときに便利ですね。(・・・行く気のない展覧会まで見てしまう、という経営側の観点で) 展覧会の名前は「-花から花へ-交感のかたち」ですが、意味がよくわかりません。(^-^;)もう1つ言うと、むしろ前回の「儚きもの」のほうが見たかったのですが、都合がうまく合いませんでした。。。 今回の展示目録は、「ごあいさつ」と各コーナーのはじめにあるパネルに書いてある文章がそのまま掲載された6ページある立派なもので、代表的な作品もモノクロで載っていました。 まず、「1.花のエチュード」でした。私が日本画を見るようになって困ったことの1つにタイトルの意味がわからないというのがありました。これは数をこなしていくうちにだんだんと解決されていきましたが、それでも未だに意味がわからないものに出くわします。そんなときは英訳のタイトルを見るとわかることがあります。今回も日本語と英語の両方を見て、ようやく意味がわかるものがいくつかありました。 幸野楳嶺と森川曽文の合作の6曲2双の大作『花鳥昆虫図貼交屏風』は、飛んでいる鳥や休んでいる鳥が描かれたものでしたが、どこを誰が描いたか、まったく区別できませんでした。上村松園は幸野楳嶺に付いていた時期があったわけですが、どうしてこの世界を継がなかったのでしょう。幸野楳嶺のここまで癖のない花鳥画は初めて見ました。 次は「2.花のありか」でした。「江戸時代、田能村竹田は京に人物に見るべきものがないと言った」そうで、時代によって、また、地域によって、流行があったことがわかります。 菊池 8曲1双『春の文・霜の朝』『枕草子』の第一段の通りの世界が描かれていました。古典の文章も少しずつ忘れていっているので、たまにはこういう作品を見て、思い起こすのもいいものです。続いては「3.花に願いを」「近代でも従来の約束事や故事来歴で推し量れない画家のメッセージ」以前に見たことのある竹内栖鳳の『散華』がありました。全体を占める独特の青が印象的で、空を舞う天女はどこかアングルの描く女性と共通するような感じを受けます。何度見ても、テーマ自体も、描きかたも、色づかいも、私が知ってる栖鳳のタッチとは異なり、仏画らしく特徴を抑えた軸絵でした。「4.花はどこへ行った」下絵と本画の違いこういう展示も何度か見てきました。下絵を描きながらいろいろと手を加えて「これでよし」と思ったものを本画にするはずですが、下絵と本画が同じという作品は見たことがありません。そして、素人目に見ても、確かに下絵より本画のほうが物の配置や大きさなどがいいように思います。 冨田渓山の『伝書鳩』は、下絵と本画が別の作品かと思うほど、いろいろなものが違っていました。「5.花によるヴァリエーション」で、現代の作品あれこれでした。 福田平八郎の『閑庭待春』は、画面全体としては平面的ながらも、鳥は細かく描写され、アクセントが付けられているように感じました。 隣の石崎光瑶の『春律』は3度めですが、すばらしい作品だと思います。左右の隻に描かれた鳥の配置と背景の見事な金色が、配色も構図もきれいにまとまっています。 次の部屋は工芸作品が中心で、よくわかりませんでした。「6.」「7.」「8.花のあした」「花は1年サイクルで人生を繰り返す」という見かたをして、「人間はそんな一生を何度も見ながら生きる」のだと書いてありました。なるほどそういう考えかたもできるかもしれません。 ただ、展示してあった作品は知らない作家のものばかりで、‘現代的すぎて’、感銘を受けたものはありませんでした。コレクション展で展示作品数も多くはなかったので、1時間足らずで見終わりました。 (完成まであと少しです。。。)
2010年03月26日
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きのうからまた真冬に戻ったような寒さで、また、きのうの夜から冷たい雨が降り続いていることもあり、きょうはプールに行くのをやめようかと思いました。でも、せっかくまずまずの調子が続いているのだからと思って、フードの付いている撥水のウィンド・ブレーカーの上下を着て、自転車で飛んで行きました。・・・この寒さの中、歩いては行く気がしなかったんで。。。(^-^;) なぜかここのところわずかに人が多くなっているプールですが、きょうも今までよりは人がいました。それでも、はじめは1コース占有ができました。 きのうの日帰りの名古屋の疲れもあってか、あいかわらずアップはどうしようもなく調子が出ませんでした。そして、きょうも覇気がなかったので(^-^;)、‘距離は稼げて楽な’メニューをということで、プルとコンビで「3000M」ずつ泳ごうと思っていました。 体は慣れているので、プルの調子は悪くありませんでしたが、どうも気分的に乗りません。。。ちょうど1500Mのターンのときに、泳いでいるコースに若い男の人が入って来ました。顔は認識できたのですが、どんな泳ぎをする人かが思い出せませんでした。しばらく泳いでいて、50M単位で泳いでいて、私より少し速いことがわかりました。 これで‘いつも’のパターンです。(^-^;)距離は関係なく、私とほぼ同じ速さの人が同じコースや隣のコースにいると、つい頑張ってしまいます。きょうも気持ちペースを上げました。 そんなこんなで、結局、後半はペースが上がって、「3000M」が終わってみると、平均的なタイムでした。(ct:vp)・・・むしろもう少しいいタイムかと思ったんですが。。。 そのあとはコンビで「3000M」のつもりでしたが、妙に疲れてしまい、「1500M」に変更しました。キックがある分、腕は楽だし、当然速いはずなんですが、「1500M」以上になると、プルだけとコンビとでほとんどタイム差がなくなります。きょうは終わってみると、さっきのプルの「3000M」のタイムの半分よりも遅くなっていました。。。(vp:dq)・・・あり得ない。。。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・プル:3000M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「ダウン:800M」 ・・・トータル:6500M きょうは買い物にも行きたかったので、予定より少なめのトータル距離になってしまいましたが、これで上がりました。 帰るときは雨は小ぶりになっていましたが、寒さは増していて、凍えそうなほどでした。
2010年03月24日
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「松坂屋」を出て、地下鉄から名鉄に乗り入れている路線で、「豊田市」まで行きました。続いて、「豊田市美術館」に行きます。 普通、月曜日が祝日なら臨時に開館して、その代わりに翌日の火曜日は休館にするところが多いのですが、ここは違っていて、ちゃんと開いていました。 ただ、駅よりは思ったより遠く、また、美術館が小高い丘の上にあり、正面が反対側ということもあって、敷地に入ってからエントランスに行くまでに結構時間がかかりました。 全体が見えて、ため息が出ました。‘立派すぎ’ます。。。維持費を想像しただけで、税金の使いかたを間違っていることがわかるほどの規模でした。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月23日
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きょうは名古屋市と豊田市で美術展を1つずつ見て来ました。 まず、名古屋・栄の「松坂屋」に行って、レストラン・フロアーで食事しました。さすがと言うのか、高い。。。(^-^;)きしめんが食べたかったのですが、ないようだったので、普通のうどんにしました。 食事が終わった後、フロアーを2つ下りて、「松坂屋美術館」に入りました。 まず、エントランスの広さに驚きました。コイン・ロッカーもあるし、天井も高いし、さすが「松坂屋」だけのことはあります。横浜の「そごう美術館」や「大丸ミュージアムKOBE」を明らかに凌いでいました。 さて、展覧会は「文化勲章受章-近代日本美術の精華-」と題して、今までに芸術の分野で「文化勲章」を受賞した87人全員の作品を1点ずつ展示しています。(3人だけ2点展示)「文化勲章」を受章していないからすばらしくないということは言えませんが、「文化勲章」を受章しているということは‘すばらしさ’の目安になります。私のように芸術に才能がない者にとっては、「これぐらいのものは見ておくべきだ」という指標のような役割を果たしています。 同じような企画の展覧会は、去年(2009年)の3月に「古川美術館」で「文化勲章の画家たち」、4月に「明石市立文化博物館」で「~文化勲章受章の巨匠38人による~日本画-描かれた日本の心-」という展覧会を見ました。どちらもいい展覧会でしたが、作品が日本画のみでした。今回の「近代日本画の精華」は、日本画のほか、洋画・版画、彫塑、工芸、書・篆刻の5つの分野の作家と作品が網羅されていることが違います。文化勲章は、これまでに日本画38人、洋画・版画20人、彫塑8人、工芸15人、書・展刻6人の合計87人が受賞しています。 会場は「洋画・版画」から始まりました。 1937年(昭和12年)の「第1回文化勲章」の洋画部門で岡田三郎助と藤島武二の2人が同時受賞しています。日本画の部門で横山大観と竹内栖鳳が受賞していることは前から知っていたのですが、洋画のほうは疎くなっていました。つまり、この年は4人の画家が受賞していたんですね。 岡田三郎助が山本芳翠、藤島武二が百武兼行に指示したり影響を受けたりしたということで、個人的にはその芳翠や兼行のほうに興味を感じました。山本芳翠の代表作『浦島図』は偶然、去年2度も見ることができましたが、百武兼行の絵は未だにお目にかかれていません。 梅原龍三郎のフォービスム的な絵、ボナールのようなタッチの坂本繁二郎の作品、筆で描いたとは思えないほど薄塗りの岡鹿之助の油彩、その逆でこれでもかというほど厚塗りの林武など、多様な作品が所狭しと並んでいました。 小磯良平の絵も、外国人を描いていても日本人が描いたことがわかります。 いろいろなアイデンティティーが見られました。 「工芸」のコーナーは、よくわかりません。焼き物が大きく「陶器」と「磁器」に分けられるというのが未だに自信が持てません。また、形は完璧に左右対称がいいのか、少し歪んでいるぐらいのほうがいいのか、といったことがさっぱりわかりません。機械で狂いなく文様を施したように見えるのが、実は職人1人の手で細かく付けられた模様だということを知ると、その腕(技巧)に感心します。 私が純粋に素晴らしさを感じるのは平櫛田中を置いてほかなりません。この人の真面目な作品への取り組みは、誰にも負けないと思います。木で掘った人物像が着ている服の模様の細かさは誰も描けないのいではないでしょうか。 焼き物は歪んだものと完璧に整ったものとの両極端に位置する作品が多いよう思われました。 「書・篆刻」は、字のうまさと別に、とくにかな文字は紙面全体の配置が重要な要素です。どの部分に書くか、どこを大胆に開けておくか。。。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月23日
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きょうは神戸の「香雪美術館」へ行って、「堀文子~いつくしむ命~」展を見ました。存命で作品を発表し続けている日本画家です。 私は作品はほとんど知りませんでしたが、何点か見かけた作品は奇をてらった感じではなく、上村淳之の作品などと同様、現代的なセンスを盛り込みながらも‘まともな’日本画だと思っていました。 祝日の月曜ということで、この美術館に結構な数の人が入っているのは初めて見ました。 この美術館はコイン・ロッカーもないし、(たぶん)荷物も預かってくれないし、落ち着いて鑑賞できないのが残念です。 堀文子は1918年に東京に生まれ、上村松篁らが創設メンバーだった「創造美術・新制作協会」日本画部(後の「創画会」)などで活躍し、1952年には上村松園賞を受賞しています。(その後、「創画会」は離脱) いつもある1階の常設展示の石像は今回はありませんでした。(ないのは初めて見た。。。) 1階には雑誌『サライ』に連載された「命といふもの」の挿絵がずらっと並んでいました。どの画家でもそうですが、挿絵用の絵は水彩のように淡く、日本画とも洋画とも言えそうな感じです。 また、図鑑の絵のようなタッチのものもあれば、カンディンスキーの抽象画を彷彿とさせる画風のものもあり、あとのほうに書いてあったのですが、画風を決めずにそのときそのときに描きたいように描いた、というのがここでも感じられました。 それと、今回非常に気になったのは、ところどころに掲げられている画家本人のことばでした。この画家本人のことばには、感銘を受けることが多いのですが、作品が気に入った画家でも必ずしも言動には賛同できない場合もあります。 絵が並んだ途中にキャプションがあって、「(東京で)もう歩ける子を何食わぬ顔でベビーカーに乗せて押す親。(中略)必死で働く大人の町(=東京)にベビーカーなどもってのほかだ」と書かれていて、この人がいかに現代の都会の親子の光景が嫌いなのかが伝わって来ました。子どもはいなかったのでしょうか。それとも、子どもはいて、自分で言うように‘突き放した’ように厳しく育てたのでしょうか。 2階に行くと、数点の本画が見えましたが、作品の数の少なさは想像以上でした。 1950年代の作品は油彩で描くようなタッチで、ありきたりの感じが漂って、個性も魅力も感じられませんでした。ここには「これを描いてはいけないとか、ここに青い色を塗ってはいけないとか、他人からとやかく言われることなく、絵は自分の思う通りに描ける」という画家本人のことばがありました。これが伝統的な日本画の雰囲気を感じさせない要因でしょうか。 それと、今回の展示作品はすべて紙本で、1点も絹本のものがありませんでした。これも本人の意向でしょうか。あるいは、絹本に描く技術のようなものがなかったのでしょうか。 1960年代の作品は、試行錯誤の時代だったようで、並んでいる3点を見て、今度はエルンストの絵のようだと思いました。そして、どう見ても、デカルコマニーを用いているように感じたのですが、解説にはまさにそのことが書いてありました。日本画にデカルコマニーを用いる画家はほとんどいないと思います。悪く言うと、エルンストの‘亜流’のように見えました。・・・シュールレアリズムの作品として見たら面白いのですが。。。 風景画は外国の街角を描いたものや想像で描いたもので、統一性がなく、1点1点を見て行くうちにその画家の世界や、場合によっては人生にまで引きずり込まれるのとは違って、隣の絵同士を交互に見て、「ずいぶん違うよなぁ・・・」ぐらいにしか感じられませんでした。 壷に生けてある花も、知らない(=見たことがない)ものが多く、実際にある花なのか、もしかしたら想像で描いた花なのか、わかりませんでした。 全体を見回してみて感じたのは、色が非常に鮮やかだということです。広い意味での原色が限界一歩手前まで強く使われていて、むしろ「何が描いてあるか」より印象に残るほどでした。 展示作品数が少なかったので、45分で見終わりました。 正直に言って期待したような作品群ではなく、物足りなさを感じつつ、美術館を出ました。
2010年03月22日
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月曜日が祝日の場合、その前日の日曜日は多少の無理ができるので、普段の日曜日とは違う感覚です。「サザエさん症候群」ということばがありますが、やっぱり日曜の夜になると、気分が重くなります。月曜日が休みだと、それがないのがうれしいです。 きのう出かけたときに、いつも車は多くない道路が珍しく渋滞していたのも、3連休ということに関係があったのだろうと思います。きょうはいつもと変わらない状態でしたが。。。 午前中は黄砂がすごかったですが、午後には急に見通しがよくなって、私もスポーツ・クラブに飛んで行きました。(笑) 3日前にプルの「10000M」などというとんでもないことをしたので(^-^;)、さすがにまだ筋肉痛が残っていましたが、水泳の長距離系の運動はとりあえず何をやっても慣れたようです。 ・・・再度、独り言。。。(^-^;)「‘10km’歩け」と言われても、絶対に無理です。それが泳ぐのであれば、腕だけでできてしまったことに我ながらちょっと感心しています。懸垂はおろか、腕立て伏せもまともには‘1回’もできない体なのに。。。(謎) きょうは、‘定番’で泳ぎました。‘定番’とは、プルとコンビで「3000M」ずつです。ただ、きょうはわずかに‘おまけ’で、はじめにキックで「50M」を4本だけ泳ぎました。 プールに着いたときは、日曜の午後にしては珍しくそこそこ人がいましたが、「速く長く」のコースが1つあいていたので、わずかに遠慮気味にそこに入りました。アップのときは、50Mに70秒ぐらいかけて肩をほぐすので。。。 アップの後は予定通り、キックの「50M」を4本。ただ、いつもより4秒ほども時間がかかってしまいました。。。 そのあとは、まずプルで「3000M」。キックのあとのプルは気分的に楽です。結構調子よく泳げたと思ったのですが、ごく平均的なタイムでした。(ct:tt)・・・それにしても、「10000M」に比べると、「3000M」の短いこと。。。 休憩を挟んで、次はコンビで「3000M」です。どうも脚を動かすということは想像以上にエネルギーを使うというか、心臓に負担をかけるようで、前回、プルで「10000M」泳いだときは脈が上がったという実感はなかったのに、コンビで長距離を泳ぐと、たいてい脈の上昇を‘意識’します。きょうも途中で明らかに脈が速くなっているのを感じました。(・・・もちろん少しでも苦しくなったら止まります。) 肩はよく回ったものの、いまいち水に乗れなかった感じで、泳ぎ終わってタイムを見ると、さっきのプルより‘1秒’速いだけでした。。。 ・・・う~ん、距離が長くなればなるほど、プルだけとコンビの差が縮まる。。。それと、プルだけのほうが心臓の負担が少ない。。。 OWSでも、プル・ブイを挟んで泳ぎたくなりました。(笑) ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・キック:50M×4、1分30秒サークル」「イージー:50M×4」「クロール・プル:3000M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:3000M」「イージー:50M×6」「ダウン:1000M」 ・・・トータル:8600M あとは、長めにダウンを泳いで、‘可もなく不可もなく’きょうの予定が終わりました。 プルとコンビの間で休憩しているときに、5分ほどプール内に2人しかいない状態になりました。その後は、これまたいつもと同じで、再び人が増えて、1コースに2人ずつぐらいになりました。ときどき見かける顔も、明日が休みなので、いつもより頑張っているように見えました。(笑)
2010年03月21日
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続いて、歩いて15分ほどのところにある「大阪歴史博物館」に行きました。 私はこの博物館は初めてです。あるのは知っていましたが、今まで特に興味のある展覧会をしていなかったし、博物館の常設展はどこも似たような感じなので、今回、「聖地チベット・ポタラ宮と天空の至宝」という特別展をしていると知って、仏教の源流を見るのもいいかもしれないと思ってやって来ました。 思ったよりはずっと大きく、「NHK放送センター」と並んでいて、きょうはイベントをしていたらしく、前にはドラマで使った巨大な仏像の頭が置いてありました。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。)
2010年03月20日
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きょうは大阪の本町から森ノ宮の間にあるミュージアムを2つ見て来ました。 最初は、「堺筋本町」駅近くにある「大阪企業家ミュージアム」に行きました。ちょっとしたミュージアムは調べればいくらで見つかります。ここもそのうちの1つで、見つけたときに「気が向いたら行ってみよう」と思っていました。「大阪商工会議所」が経営しているミュージアムのようです。その地下にあります。 小さそうだったので、「時間はかからないだろう」と思っていたのですが、思わぬ方式のミュージアムで最低1時間かかります。 ちゃんとコイン・ロッカーがあって、そこに荷物を入れて身軽になると、「音声ガイド」を貸してくれます。これは入館料に含まれています。 はじめの部屋がハイビジョン・シアターになっていて、15分ほどのイントロダクション(プロローグ)を見ます。 そのあと、おおよそ時代別・ジャンル別に大阪にゆかりのある起業家を、音声ガイドの案内に従ってパネルとわずかの展示物を見て行くのです。この音声ガイドに収録されている案内が40分ほどあります。興味のないジャンルを飛ばせば時間は短縮できますが、土曜日の午後でもがらがらだったので、入って数分で出て行くと、申し訳ない気がすると思います。(笑) 最初のビデオは、大阪が「天下の台所」と呼ばれ、かつて産業都市としていかにすごかったかから始まり、(微妙に違いますが、)「大阪復興を目指しましょう」というような締めくくりになっていました。損害保険や先物取引の発祥の地が大阪であるとか、淀屋橋や心斎橋が人名に由来するといったことは知りませんでした。 「第1ブロック」は「近代産業都市大阪の誕生-産業の基盤づくり-」で、繊維産業からは東洋紡、カネボウ、ユニチカ、商社では伊藤忠、丸紅、日商岩井、金融では野村證券、りそな、日本生命などが、その創業者を中心にパネルで簡単に紹介されていました。 「第2ブロック」は「大衆社会の形成-消費社会の幕開け-」で、「水の都から煙の都への変貌」ということで、ゼネコンの大林組、竹中工務店、製薬・化学で武田、塩野義、森下仁丹、鉄道で阪急、阪神、京阪、南海、近鉄、重工業でクボタ、ヤンマー、日立造船などの名前が並んでいました。 大衆化ということで、少しずつ社会が豊かになるにつれて、ホッチキスやクレヨン、レジスターなどが出てきて、ミズノ、コクヨ、イトーキ、象印、ミノルタなどが、代表的な製品とともに紹介されていました。レジャーやショッピング関係では、吉本興業、松竹、高島屋、大丸などに続き、食関係ではサントリー、グリコ、ハウス食品、アサヒビール、新聞では朝日、毎日、産経などが名を連ねていました。サントリーの「赤玉ポートワイン」の例のポスターも展示されていました。グリコが‘グリコーゲン’から、アサヒビールが‘日出ずる国で作られたビール’という発想で付けられた名前だということも初めて知りました。 「第3ブロック」は「豊かな時代の形成-復興から繁栄へ-」で、戦後の起業家の紹介でした。エネルギーで関西電力と大阪ガス、住宅では大和ハウスと積水ハウス、家電ではパナソニック、三洋電機、シャープ、流通ではダイエー、マイカル、イズミヤ、千趣会、食文化では日清食品、日本ハムなどが並んでいました。 わずかにある実物が興味をそそりました。シャープ(旧早川電機)の電卓(登録商標)は重さが25kgで当時の価格が自動車と同じ53万5000円だったとか、パナソニック(旧松下電器産業)の2股ソケットは、当時はソケットの数に応じて電気代が決められていたところからの発想だったというのも初めて知ったし、三洋電機の洗濯機を覗きこんで、底ではなく側面に撹拌部があるのを見て、「そう言えば、昔はこうだったなぁ・・・」と、知らない時代とぎりぎり知っている時代(^-^;)の物を見て、感激しました。 単純な展示としてはまずまず楽しめて、2度繰り返してガイドを聞いたところもあるので、1時間15分もかかってしまいました。展示物を説明とともにすべて見て行ったら、3時間でも足りないと思います。 出口でアンケートに答えると、必ず何かがもらえるということで、簡単に書いて、受付に持って行きました。すると、「三角くじを引いてください」と言われたので、箱の中から1枚取って出しました。「消しゴム」と書いてあったらしく、‘巨大’な消しゴムをくれました。ノック式になってる・・・? 続いて、「大阪歴史博物館」に行きました。
2010年03月20日
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きのう、険しくないとはいえ、一応、山頂にある寺まで往復で3時間歩いた(登り下りした)ためか、脚がいつもとはまったく違う疲れかたをしていました。 きょうは数日前からプールに行くつもりにしていたのですが、いつものメニューでは‘しんどい’だろうと思いました。 脚に慣れない疲れが出ているときは、プールで軽くキックの練習をすると軽減されることが多いのですが、きょうはちょっと事情があって、トータルでたくさん泳ぎたいと思ったので、いちかばちか、プルだけで「10000M」を泳いでみようと思いました。(^-^;) コンビで泳いでも‘3時間10分’ぐらいかかるので、それよりは時間がかかるのは明らかです。でも、一方で、距離が長くなればなるほど、コンビとプルだけのタイム差が縮まっていくので、案外そんなに違わないタイムで泳げるかもしれないという気もしました。 何時からどのコースで何をやるかをよく調べて、一切何もプログラムに使用しないコースを陣取りました。そして、ゆっくりしていて混雑してきたり、帰るのが遅くなったりするのも嫌なので、いつもはアップで600M泳ぐところを半分の300Mにして、プル・ブイを脚に挟んでスタートしました。 アップが短かったので、最初は肩の回りが若干硬かったのですが、逆に、十二分に余力があったので、結構快調に飛ばせました。 途中で何回か人が入って来たのですが、お互いにどういう泳ぎをするかわかっている人だったので、泳ぎ(タイム)に影響することなく泳ぎ続けられました。 私よりあとから入って来た人は、当然、私より早く上がって行きました。(笑)毎度、「あの人、どれだけ泳ぐんだろう・・・」みたいな視線を感じつつ、黙々と泳ぎました。 「3000M」はあっという間です。タイムを見ると、やや飛ばし過ぎかなと思いましたが、そのままのペースで次の3000Mを目指しました。 途中で、アルバイトのインストラクターが休憩時間を利用して、練習に入って来ました。この人もときどきかち合うので、また、一応私は客だし(笑)、コースは何度も譲ってくれました。 そして、こういう人がいると、‘頑張って’しまいます。(^-^;)本当は、「10000M」を泳ぎ切ることを最優先に考えたかったのですが、ついオーバーペース気味で泳いでしまいます。幸い、きょうは私の体は持ち堪えました。(笑) 「6000M」のターンも思っていたよりはあっという間に来ました。 問題はこのあとです。きょうもやはり7000Mあたりから肩が疲れてきて、プルやプッシュがわずかに空回りし始めました。でも、そのとき、隣のコースに私よりわずかに遅い人が入って来て、長距離を泳ぎ始めました。それで、ここでもつい頑張ってしまいました。(笑) 8000Mあたりで疲れのピークを感じたあとは、何とか持ち堪え、目標の「10000M」を泳ぎ切ることができました! きょうはよほど調子がよかったのか、コンビの「10000M」の平均的なタイムと同じでした。(3:09:24)3時間10分が切れて満足です。(・・・目標が低いと言わないでください。。。(^-^;)) プル・ブイを挟んだ状態で3時間以上止まらないって、我ながら変わったことをしたなぁ・・・と思っています。(^-^;)プルは「3000M」が最高だったので、一気にその3倍以上が泳げたことになります。 「10000M」は、去年の5月に初めて挑戦して、7500Mでギブ・アップしたことは強く記憶に残っています。「3000M」は苦労せずに泳げるのに、「10000M」はまったく別のものだと実感させられる出来事でした。それが、今回はプルでいきなり泳げて、少しは「超長距離」の泳力が付いてきたのかな。。。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):300M」「クロール・プル:10000M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:400M(イージー)」「イージー:50M×4」「ダウン:1000M」 ・・・トータル:12200M コンビで「10000M」を泳いだ後よりは‘へばりかた’がましな気がしましたが、さすがに余計なことはしたくなりませんでした。 50M単位でゆっくりと泳いで脈を落ち着かせ、その後、少しは脚も動かしたほうが体全体の血の巡りがよくなるだろうと考えて、「400M」を流して泳いで、最後はダウンで「1000M」泳いで、トータルで12200Mになりました。1回に泳いだ距離としては、何度かある12000Mをわずかとはいえ更新しました。(^-^;) きょうはキックの練習をしなかったし、メインがプルだけの泳ぎだったので、脚の疲れはいまいちすっきりしていません。。。
2010年03月18日
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続いて、「西国三十三所」の「第十一番札所・醍醐寺」へ行きました。 「醍醐寺」といっても、実際は「下醍醐」と「上醍醐」に別れていて、別と思ったほうがいいかもしれません。それぞれのゾーンは離れていて、入山料(伽藍拝観料)はそれぞれに600円必要です。今は「下醍醐」の「三宝院」と「霊宝館」(公開は春期と秋期のみ)が公開されていて、それぞれに600円かかります。共通券があって、わずかには割引になりますが(2つで1000円、3つで1500円)、「霊宝館」の中の「仏像棟」はさらに別に200円が必要です。従って、「下醍醐」だけでもすべて見ようと思うと、1700円も払わなければなりません。 「上醍醐」は別に入山料(600円)が必要なので、‘フル・コース’で参拝すると、2300円かかります。 「西国三十三所」の霊場巡りと割り切れば、「上醍醐」だけの参拝にして、「女人堂」の隣の建物で600円払って入山し、「上醍醐」まで登ればいいと思います。さらに(‘スタンプ・ラリー’ぐらいに)割り切れば、今は本来の「西国三十三所」の「第十一番札所」である「准胝堂」は火災で焼失したために、朱印は麓の「女人堂」で書いてもらえるので、時間的にも‘節約’できます。これなら朱印代しかかかりません。 私は「三宝院」と「下醍醐」の境内(伽藍)はパスし、「霊宝館」と「仏像棟」、「上醍醐」の境内を回りました。(合計1400円) 1つ結論のようなことから書くと、私はこの3つで4時間弱かかりました。「下醍醐」の境内に入っていたら、全部で5時間ぐらいかかると思います。従って、「下醍醐」と「上醍醐」のすべてをのんびり回ろうと思うと、正午前には「総門」に着いていなければならないことになります。 地下鉄「醍醐」駅から10分ほど歩くと、まず、駐車場の横を通ります。そのまま先に進むと、「総門」に着きます。 一礼してくぐりました。 左手には「三宝院」が広がっていて、右手には通路があります。その通路の角に道標が立っています。 通路の手前には土産物屋や休憩所があります。反対側には「霊宝館」があります。 上に書いたように、「三宝院」に600円、「霊宝館」も600円が必要です。両方だと1000円です。それも、敷地に入るだけで料金を払わなければいけません。「霊宝館」の隣に「仏像棟」があり、別に200円必要です。 私はまず、「霊宝館」に行きました。入って正面に「霊宝館」、右奥に「仏像棟」があり、その間にある大きいしだれ桜がちょうど満開を迎えていました。 「仏像棟」は広くはなく、寺の所蔵の仏像などを集めてある場所でした。 「霊宝館」は立派な建物で、ちょっとした博物館といった感じです。内部の撮影はもちろん禁止で、中から窓越しに屋外の風景を撮るのも禁止されていました。・・・何でも「金」、撮影は完全な屋外しか禁止、という法度だらけの寺でした。 「総門」からまっすぐ行ったところに「仁王門」がありました。 「下醍醐」の伽藍を見て回る場合は、ここで600円を払います。私は今回はパスしました。 有料ゾーンの右脇に道があって、そこを進んで行くと、「下醍醐」の出口に合流します。出口専用なので、「上醍醐」から降りたあとで「下醍醐」を見ようと思っても、「仁王門」のほうまで戻らなければいけません。 鳥居があって、ここから先が「上醍醐」と考えたらいいようです。 「西国三十三所」の「第十一番札所」の「女人堂」はここをくぐったところにあります。 内陣は見えていますが、今は開帳の時期ではないので、本尊のある厨子の扉は閉まっていました。「納経札」を納めて、手を合わせました。 ■第十一番札所 深雪山「醍醐寺(上醍醐)」 本尊:准胝観音菩薩 宗派:真言宗醍醐派 開祖:理源大師聖宝 創建:貞観16年(874年) 御詠歌:逆縁も もらさで救う 願(がん)なれば 准胝堂は たのもしきかな 「女人堂」の隣に「納経所」があるので、朱印を書いてもらいました。 「上醍醐」に進むにはここで「入山料」(600円)を払う必要があります。 登山の始まりです。(笑)こんな感じの道で、完全に山登りという感じです。 「西国三十三所」以外の寺も含めて、いわゆる“難所”と言われるところにいくつか行きましたが、この程度の道は普通ではないでしょうか。これが通勤・通学で毎日通らなければならないのなら嫌ですが、距離があるだけで大変な道だとは思いませんでした。特に今回の道はずっとところどころに蛍光灯の外灯があったし、行き(登り)は地元の中学生と思われる体操服姿の男の子たち(陸上部?)が走って登って行きました。また、上からは70歳近い男の人がトレッキングといった感じで、走って降りて来るのにすれ違いました。慣れれば、‘走って’登れる程度ということですよね。走って登るのは無理としても、これぐらいの道は息を切らさずに歩けるようになりたいと思いました。(・・・妙に悔しかった、ということです。(笑)) 「女人堂」の横からスタートして、10分すると、秀吉が花見をした櫓の跡に着きました。 そこから7分で、「不動滝」に着きます。いちばん奥の上に「不動明王」の石像が立っていました。 ここに道標が立っていて、「准胝堂1.1km・30分、三宝院1.7km・33分」と書いてありました。「総門」をくぐってから、半分は過ぎたことになります。 その後もひたすら登山道を歩いて行きます。 さらに黙々と20分歩いて、寺務所「上醍醐」の社務所の前に着きました。その左側の道を少し行くと、「醍醐水」が見えます。この寺の名前の由来になっている水ですね。 その奥あたりが本来の「西国三十三所」の札所である「准胝堂」のあった区域のはずですが、2008年8月に落雷が原因と思われる火災で焼失し、今はその一帯が立ち入り禁止になっていました。。。「清滝宮拝殿」も大規模な修復中で、ほとんど覆われていて、何も見えませんでした。 しかたがないので、先に進みました。 国宝の「薬師堂」がありました。 「薬師堂」の下にほぼ正方形の区画があるのですが、これは「経蔵跡」だそうです。 「薬師堂」からさらに先を登って行くと、石段を登りきったところに「鐘楼」がありました。 そこから左側に進むと、「五大堂」がありました。五大明王が祭られているお堂です。ここの五大明王は、不動、金剛夜叉、降三世、軍荼利、大威徳の5尊でした。真言宗だからですね。 不動明王を中心とした5体が、お堂の外からよく見えていました。 「鐘楼」まで戻り、今度は右側へ進んで行きました。 内部にあった仏像などはすべて「霊宝館」に移されているということですが、中を覗くと、開祖の理源大師と思われる座像が見えていました。 重要文化財の「如意輪堂」が斜面にせり出すような恰好で建っていました。 いちばん奥に「開山堂」がありました。ここは上がることもできませんでした。 「入山料」の600円は何のための料金か、よくわかりませんでした。「准胝堂」一帯は立ち入り禁止で近づくこともできず、「薬師堂」は空っぽで、「如意輪堂」と「開山堂」は建物を見ることができるだけです。かろうじて「五大堂」のみ中に入れて、五大明王像が見られますが、「入山料」は事実上、「准胝堂」再建のための寄付金のような感じでしょうか。 帰りは下りだけなので、楽に歩けました。 そんなに大変ではなかったと思いながらも、帰りの電車の中ではうとうとしてしまいました。(^-^;)
2010年03月17日
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きょうはまず、「大丸ミュージアムKYOTO」に行って、そのあと、伏見の「醍醐寺」を参拝して来ました。 「大丸ミュージアムKYOTO」ではきょうから「アートアクアリウム展~京都・金魚の舞~」をやっています。木村英智という人がプロデュースした金魚を入れた金魚鉢をLEDと思われる色の付いた照明で現代風に照らすというものです。 私は「大丸ミュージアムKYOTO」は初めてだったのですが、チケットを提示する場所の奥にコイン・ロッカーがありました。 「きれいだ」と言えば、もちろん赤や黄や青などの原色に染まったような水の中を様々な金魚が泳いでいるので、そう感じます。 作品はいろいろな形をした水槽だけでなく、金魚と照明も併せて1つのアートとなっているのだと思います。そのため、生きている金魚までが‘生物’だという意識が薄れ、動画か動くオブジェを見ているような錯覚を覚えます。 水槽ごとに種類や大きさまで完璧に管理された金魚たちはプラスチックの藻の間を行ったり来たりするだけで、完全に自由を奪われた展示物になっていました。 金魚は横から見たほうが美しく見える種類と上から覗いたほうが美しく見えるとがあり、それぞれの特徴を生かした水槽(金魚鉢)が工夫を凝らして空間を彩っていました。 ただ、『アンドンリウム』や『ビョウブリウム』といった、日本古来の行灯や屏風を意識した形の水槽が、金魚が生き物であることを忘れればきれいだと思うのですが、イルカのショーや猿の芸が「動物虐待」だと言われる昨今、水槽に入れられている藻などの植物まで一切が人工物である中、強烈なまでに不自然な照明を当てられた金魚は‘虐待’に当たらないのだろうかと思いました。 気分的に落ち着かないまま会場の最後のほうへ進むと、わずかに作者の油彩が展示されていました。デフォルメされたかなり不気味な金魚の絵ばかりでした。 ちょうど30分で会場を出ました。 ところで、古い話になりますが、2008年の6月の日記に‘制覇’したい「シリーズの場所」というのを書きました。その中に、5つある「大丸ミュージアム」(「東京」「京都」「梅田」「心斎橋」「神戸」)のうち、京都だけが行けていないと書いたのですが、きょう行ったので、これで5つすべて‘制覇’したことになります。(^-^;) このあとは、地下鉄で「醍醐」まで行き、「西国三十三所」の「醍醐寺(上醍醐)」を参拝しました。
2010年03月17日
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今、住んでいる家を建てて、早14年。。。中の散らかり具合は置いておいて(^-^;)、とても丁寧に扱ってきたつもりなのに、やはりそれなりの劣化が感じられるようになってきました。「40年は建て替え不要」といううたい文句だったと思うので、死ぬまで持ってほしいと思っています。 建てて9年半で大々的な補修をして、外壁をすべて塗り直し、1層だった屋根は2層にしました。1層だったときは、雨が強く降ると、2階の部屋にはいられないぐらいぱらぱらという音が伝わっていたのですが、今は土砂降りでもまったく音は聞こえません。冷暖房の効率もいいし、これは結構な額を奮発しただけのことはあると思いました。 壁の色は、当初は白だったのですが、せっかく全面的に塗り直すのだからということで、うぐいす色にしました。これは‘不正解’でした。なんか重苦しい感じだし、薄汚れたようにも見えます。まあでも、奥まった所に建っていて、道からはほとんど見えないので、どうでもいいと言えばどうでもいいです。(笑) 外はこうやって1度補修したのですが、中はぜんぜんいじっていません。調度品(と言うほどいいものはないんですが)はほとんど新築のときに買い直したものだったので、当時は入れ物(=家)も中身(=調度品、家具)もぴかぴかできれいでした。 逆に、10年経った頃から、いろいろな物の調子が悪くなっていきました。電気製品でも、速いものは3年ぐらいで故障しました。 安いものだと構わないのですが、値の張るものは簡単に買い替えができません。アルカリイオン整水器やジャーポットなどは最も早く‘お迎え’が来ました。石油ファンヒータも今使っているのは3台めだし、ガス・ファンヒーターも2台めです。 昨年からドアホンが言うことを聞かなくなり、ついに取り替えたことは先日の日記に書きました。未だに使いこなせません。。。(^-^;) 先日は、使用していたホットカーペットがいきなり‘冷たく’なって、それきりになりました。 4日前は、リビングのドアをノブを持って開けたら、そのあとも手に何かを握った状態だったので、一瞬、「何が手に残っているんだろう・・・」と思って見たら、ノブが折れていました。(^-^;)ドアノブって金属製だと思っていたのですが、プラスチックだったんですねぇ。。。(少なくともうちのは。)家のメーカーの補修部材カタログを見ると、ちゃんと載っていて、5000円近くもします。。。しかも、「5~6年ごとに取り替えてください」と書いてあります。ドアノブが家全体でいくつあるのか考えたら気が重くなってしまいましたが、今、リビングのメインのドアは中から開けることはできなくて不便です。。。キッチン横のサブ・ドアから出入りしています。 ホットカーペットは6月中旬まで必要なので(^-^;)、この時期、ちょうど在庫処分セールしていたものを購入しました。 ドアノブはセールするはずがないので、送料別で高いものを買わないといけません。 今、いちばん恐れているのは、ビルトインの食器洗い機です。・・・今発売されている機種は、うちのキッチンに合うサイズのものがあるのだろうか。。。 自分では「きれいな家だ」と思っていますが、距離を置いて考えると、築14年の完全な‘おんぼろ’住宅ですよね。。。 次にどこにどんな‘ガタ’が来るのかわかりませんが、できる限り大切に住んでいきたいと思っています。
2010年03月15日
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3日連続で美術展を見て回って、特に、おとといときのうは欲張って東京と川崎で合計6つ見たので、移動の疲れと併せて、脚の感覚がなくなってしまいました。。。 立っているのも大儀なぐらい(^-^;)脚に‘来ていた’のですが、「こういうときは水泳頼み!」と思って、プールに行きました。 前回、ひさしぶりにプルの「3000M」を泳いで気持ちよかったので、これはきょうもするつもりでした。これだけでは距離的に物足りないので、ほかに何をしようかと考えて、‘脚のため’に、これまたひさしぶりに「キック」をすることにしました。 ビート板を持つのがひさしぶりになりましたが、4本だけにしたので、何とか今までのペースで泳げました。 念のため、イージーを挟んで・・・。(^-^;) プルのダッシュ!・・・これは落ちました。。。‘かつて’の「800M」の50Mのラップと同じになってしまいました。。。 再度、イージー。(^-^;) 最後はコンビ。今までより10秒も休憩を長くしたのに、‘40秒’を切るのがやっとでした。。。これでは短距離の練習になっていませんが、どうしようもありません。。。 ちょっと長めに休憩して、ようやく‘お楽しみ’の「3000M」のプルです。泳ぎ始めてよく肩が回ったので、前回並みのタイムで泳げると思って、気分よく泳いだのですが、結果は前回より1分以上も遅くなりました。(ct:tz)短距離のメニューが前半にあると、後半の長距離のタイムはだいたい落ちます。。。 再度、長めに休憩して、最後のメニューのつもりで「1500M」のコンビを。これも調子よく泳げたと思ったのですが、結果は‘ばてばて’。。。泳ぎ終わった後でペース・クロックを見て、「2分ほどずれてるんじゃないの?」と思うほどの惨憺たるタイムでした。 これで終わりのつもりだったのですが、気分的に満足できるものがなかったので、わずかにダッシュをしてみることにしました。と言っても、もう「50M」でも‘しんどい’と思ったので、距離は「25M」に。(^-^;)これだと、ターンがないので楽です。それに、うまく行けば、ブレスもなしです。結果的には、ノーブレは無理でしたが、水面をアメンボのような感覚で泳げました。・・・ブレスはほとんどせず、キックもごくわずかに打つだけで、泡を極力立てない泳ぎです。役に立つのかと言われたら、何の役に立たないと思いますが。。。(^-^;) 最後は長めのダウンを泳いで上がりました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・キック:50M×4、1分30秒サークル」「イージー:50M×2」「クロール・プル:50M×4、1分15秒サークル」「イージー:50M×2」「クロール・コンビ:50M×4、1分10秒サークル」「イージー:50M×6」「クロール・プル:3000M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:25M×6(適当に休憩)」「イージー:50M×5」「ダウン:900M」 ・・・トータル:8000M 同じ筋肉でも、瞬発力的な使いかたをした場合と、持久力的な使いかたをした場合では、疲れかたや筋肉痛が出るまでの時間が異なります。今回はわずかとはいえ、ひさしぶりに短距離系の練習をしたので、いつどんな疲れ(痛み)が襲ってくるか、楽しみ半分不安半分です。(^-^;) でも、立っていられないような‘嫌’な痛みは感じなくなり、全身の‘爽やか’な疲れに変わりました。
2010年03月14日
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→日記のスペース、および、順序の確保用です。→内容は後日アップしますので、しばらくお待ちください。m( _ _ )m
2010年03月13日
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次へ移動する前に、「子ども図書館」に寄って、昼ごはんを食べました。まだ11時だったために、よく空いていて、落ち着いて食べることができました。 上野駅に戻って、東京メトロで「赤坂見附」駅に行きました。 歩いて数分の「ホテル・ニューオータニ」へ行きます。目的地はその中の7階にある美術館です。そこへ行くためには、ホテルのエントランスを通ってエレベーターに乗らなければいけません。これが妙に緊張するんですよね。(^-^;) 7階で降りたら、「ニューオータニ美術館」のエントランスがすぐ見えているんですが、ここはコイン・ロッカーのような‘貧乏くさい’ものは当然ありません。荷物から解放されて展示作品を見たければ、反対側のレセプションに行って、クロークで預かってもらうしかありません。気が引けたのですが、預かってもらいました。(^-^;) きょうから「安田靫彦-花を愛でる心-」という展覧会が始まっています。何度も書いてきましたが、安田靫彦は私の最も好きな日本画家の1人です。去年(2009年)の2月には「茨城県立近代美術館」まで「安田靫彦展」を見に行きました。また、「滋賀県立近代美術館」は代表作を数点持っているので、何度か行って、『卑弥呼』や『額田王』などは‘穴があくほど’見つめました。 今回の展覧会は、「安田靫彦-歴史画誕生の軌跡-」と題して「川崎市市民ミュージアム」でも展覧会が開かれていて、‘併せて1つ’という感じになっています。私は当然、このあと「川崎市市民ミュージアム」へも足を運びました。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月13日
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きょうはまず「東京国立博物館」に行きました。 特別展で「長谷川等伯」展をしていて、そちらのほうはすごい人だったようですが、私は江戸時代の絵画には‘身震い’しないことが自分でわかってきたので、いつものように「本館」のほうに行き、所蔵品を見て回りました。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月13日
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きょう最後は、「山種美術館」から歩いて15分ほどのところにある「東京都写真美術館」へ行きました。駅からはやや中途半端な場所になると思いますが、ちょっとしたショッピング・センターがあって、その一角に「東京都写真美術館」が入っています。 きのうから「森村泰昌・なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術-」という、森村泰昌のここ数年の新作を集めた展覧会が始まっています。 この展覧会、これから1年かけて日本4か所を巡回し、最後は来年(2011年)の1月に「兵庫県立美術館」に来るのですが、待てませんでした。(^-^;) 私は「写真」には興味がありません。ただ、例外的にやなぎみわと森村泰昌には興味がありました。 やなぎみわは「エレベーター・ガール」のシリーズを初めて見たときに、自分で写真の裏がわかって、それ以来、「引っかかってたまるか!」(笑)という意識で作品を見るようになりました。ただ、去年の「やなぎみわ・婆々娘々(ポーポーニャンニャン)!」展を見て、関心が高まったというよりはむしろ興味が引いてしまいました。。。 一方、森村泰昌は「液晶絵画」展で虜になってしまいました。あのときは、不気味に妖艶な(笑)「真珠の首飾りの少女」を見て衝撃を受けたわけですが、その後、写真の作品をあちらこちらで見て、‘見なければよかった’的な‘後味のよさ’(←変な言いかたですが、ミスタイプではありません)が快感になりました。おそらく本人も、まじめには取り組みつつも、笑いを求める要素を入れているのだと思います。やなぎは100%まじめさだけだと思います。 やなぎみわと森村泰昌の大きい違いは2つあると思います。1つは、やなぎは自分が被写体にならないのに対して、森村は逆に必ず被写体が自分自身です。もう1つは、やなぎは完ぺきなメークを施すのに対して、森村はメークの跡を残します。そのためか、やなぎの作品はどことなく機械的で冷たい感じがしますが、森村の作品は人間味を感じます。やなぎのメークがハリウッド的だとすると、森村は2昔前の東映といった感じです。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月12日
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続いて、地下鉄で「恵比寿」へ移動して、「山種美術館」へ行きました。 「山種美術館」は2009年の9月に移転しています。今回の場所になってからは初めて行きました。 (・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月12日
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きょうと明日は、東京と川崎の展覧会を見て回ります。1年ちょっとぶりの関東旅行になりました。 今回は、神戸空港から飛行機で羽田へ行きました。早めにフライトが予約できると、新幹線で行くよりトータルの交通費が安くなるからです。合計でかかる時間は変わりませんね。。。 4年前に関西国際空港からドイツに行ったときに、右側の窓の席を取って、これが大正解でした。旅先での出来事よりも飛行機の窓から見えた眺めがいちばん印象に残っているぐらいです。(笑) それで、今回は前から3列めの右側の窓の席を予約しました。翼がまったく見えない席に座ったのはたぶん初めてです。 飛行機は神戸空港を予定どおりに離陸し、東に向かって上昇しました。 「東に飛んで行くのか・・・」と残念に思っていると、飛行機は右に急旋回しました。そして、そのまま180°旋回して、瀬戸内海上を西に進み始めました。窓から下を覗くと、飛び立った神戸空港が見えていました。飛行機はそのまま西へ進み、須磨海岸、アジュール舞子、明石海峡大橋、加古川と順に見えていました。 「おお、理想的な眺め~!」と喜んでいました。(笑) 飛行機はさらに西へ進み、姫路城らしきものが見えてきました。と同時に、「東京へ行くのに、どこまで西へ進むのだろう」と思いました。すると、姫路城を軸にするかのように、右に急旋回を始めました。再び180°旋回して、今度は遠くに家島諸島が見えました。 「あっ、去年、‘あの島’から‘あの島’へ泳いで渡ったんだ!」と感慨に浸りました。(^-^) でも、新幹線の駅で2つ分も反対側に向かって飛ぶんですね。元の所に戻ることを考えると、4駅分も無駄な飛行をしたことになります。おかげで、‘期待’の眺めが見られましたが。(笑) その後はどこを飛んでいるのかわからなくなったので、目を閉じて、うとうとしました。 「そろそろ羽田だろう」と思って目を開けると、陸から延びる巨大な橋が目に入りました。先を見ると、独特の形で‘途切れて’います。「まさか『海ほたる』?」と思って、飛行機が橋と平行に飛んで行くのを見ていて、確信しました。 さらに進むと、会場にぽつんと巨大なオブジェのようなものがありました。「風の塔」が目の前を横切って行きました。 大変楽しいフライトでした。(笑) さて、前置きが長くなりましたが(^-^;)、羽田に着いて「京急」の駅に向かい、前回と同じく「羽得(はねとく)きっぷ」を使って、品川のほうに向かいました。(以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月12日
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続いて、隣の「和歌山県立博物館」に行きました。 (以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月11日
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きのうまでの冷たい雨はあがり、なんとか青空が望めるような空になったので、きょうは和歌山の2つの展覧会を見て来ました。 去年(2009年)の3月17日の日記の書き出しは「きょうは、和歌山の美術館と博物館に行って来ました」で、終わりに「来年も同様の“コレクション全館展示”があれば、ぜひ訪れたいと思います」と書きましたが、この組み合わせは3年連続になりました。毎年3月の“恒例行事”になりつつあります。(^-^;) おととしはJR「和歌山」駅から歩きました。30分ちょっとかかった上に、少し道に迷って、美術館に着いたときに、疲れが出ていました。(^-^;) 去年は「和歌山」駅からバスで行きました。何回見ても理解できないバスの系統図とにらめっこするのに疲れたし、本数が少ないバスのために行き帰りの時刻を美術館・博物館の中で気にするのは落ち着きませんでした。 今年は、「和歌山市」駅から歩いて行きました。これなら歩いて15分ほどです。・・・どうして今までこの方法に気が付かなかったんだろう。。。 まず、「和歌山県立近代美術館」に入りました。今は、“拡大コレクション展”として「美術百科『ここはどこ』の巻」という展覧会をしています。 「名古屋市美術館」や「神戸市立博物館」の“拡大コレクション”は楽しめたのに、4日前に行った「高松市美術館」の“拡大コレクション”展があまりにも「・・・」だったので、今回、ここでリセットしたいと思いました。 (以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)
2010年03月11日
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大会に出るために泳がなければならないという意識があると、プールに向かう脚が重くなる一方で、まったく何も具体的な目標がないと、どうも士気が高まりません。(^-^;)この2か月ほどは、‘まったり気味’で泳いでいる気がしています。 「夏にはまた士気が高まるのだろうか・・・」と思いつつ、今年はもう‘気分の悪くなる’ような大会には参加する気はないので、また早めに情報収集をしないといけないと思います。 おとといから真冬に戻ったような寒さと強い風のせいで、どうも脚がプールに向きません。それで、しばらくしていなかったメニューで‘楽’なものを・・・と考えて、プルだけの「3000M」を今年になってまだ1度も泳いでいないことに気が付いて、距離稼ぎにもなるし(^-^;)、きょうはコンビを少なめにしようと思って、プールに行きました。 アップが終わって、まず、最近何とか定着している平泳ぎの中距離を泳ぎました。きょうはちょっと頑張って「400M」。平泳ぎはタイムは見ません、気分が落ち込むので。。。。(^-^;) 体がほぐれたところで、予定のプルの「3000M」をスタートしました。きょうは計画的に準備をして(笑)、ハーフ・スパッツではない太もも剥き出しの水着を履いて行きました。ハーフ・スパッツは泳いでいるうちにプル・ブイがどんどんずれて行くんです。 途中、1回もプル・ブイのずれを直すことなく、泳ぎ続けられました。そして、2000Mを過ぎた頃に‘ふう~っ’と体が軽くなり、いくらでも肩が回せるようになりました。「脳内麻薬」が出たことがわかりました。その後は最後まで快適に泳げました。 きょうは1500Mのラップを見たのですが、前半の1500Mより後半の1500Mのほうが50秒も速かったというあたりに、後半の体の軽さが象徴されています。そして、帰ってからメモを見たのですが、たぶん、プルの「3000M」としてはベスト・タイムが出たと思います。(cd:vz)・・・平均的なコンビの「3000M」と同じタイムだもんあなぁ。。。 そのあとは休憩を挟んで、コンビで「1500M」を泳ぎました。 まあ、疲れたということがあったにせよ、タイムはプルだけの「3000M」の後半の1500Mより時間がかかってしまいました。。。あいかわらずプルのほうが実感として楽だし、力の入れかたに無駄が少ないように思いました。 当然、キックはあったほうが速いはずですが、超長距離になると、むしろエネルギーを使ってしまって、体全体が重くなってしまうんでしょうか。。。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「平泳ぎ・コンビ:400M」「イージー:50M×4」「クロール・プル:3000M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「ダウン:700M」 ・・・トータル:7000M きょうは冬(のような寒さの日)としてはひさしぶりにプルが終わったあとで、体が火照っていました。最近、クロール系は何をやっても、発汗しなかったので、心地よく感じられました。 でも、何だかんだ言っても、ぜんぜん‘余計なこと’(横泳ぎとか潜行とか)をしたくならないということは、結構、泳ぎ疲れているのかもしれないと思いました。(^-^;)
2010年03月10日
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きょうは数日前とは打って変わって寒い1日でした。今年ほど寒暖の差が大きい2~3月は記憶にありません。 きょうは家にいて、近所のホームセンターへ買い物に行ったときに見かけた花の苗を少し買って帰って、庭の草むしりをしました。例年なら冬に草むしりはしないのですが、今年は暖かい日が数日続いたときに雑草が芽を出したようで、一旦発芽すると、寒くても成長しますよね。そう言えば、あちらこちらでひまわりの芽も出ていました。暖かかった日に‘初夏’を感じたのかな・・・? 1年のうち、3月と8月は花が少ない時期で、何か適当なものがないか、考えたりさがしたりして、3月は結構安いものが見つかりました。パンジーとストックは定番として、ガーデン・シクラメンやネメシア、カレンジュラ、ムラサキハナナ、アメリカンブルー、イオノプシジュームなどです。イオノプシジュームは3年前の暮れに買って植えた苗が、宿根とこぼれ種で毎年花を咲かせています。カレンジュラはうんざりです。。。(^-^;)ムラサキハナナも青虫にたかられたし。。。 きょうは、4年前(2006年)の初夏に1度だけ買ったことがある「デルフィニウム」の苗を見つけたので、買って来ました。ラベルを見ると、花期は3月から6月なんですね。道理で4年前は買ってすぐに枯れたわけだ。。。今回のはまだつぼみもありません。 ところで、父の‘領域’では、低木がいくつか花を咲かせています。 2月から3月にかけては、2か所に植えてある木瓜(ぼけ)の鮮やかな赤い花がきれいです。でも、あまりにも丈が低いんですよね。。。 梅は紅梅、白梅ともにほぼ散りました。サクランボはまだつぼみも見えていません。 似たような感じですが、これは何の花だかわかるでしょうか。 きょうの日記のタイトルを見たらわかってしまいますが(笑)、アーモンドの花です。なぜか父は好きなようで、以前も育てていたんですが、3年ほど前に急に弱って枯れてしまいました。それで、去年、新しい苗を買って来て、今は鉢で育てています。・・・まあ、実はならないんですけどねぇ。。。サクランボもわずかにできた実は、「明日にでも取ろう」と思っていたら、その日に鳥に食べられてしまいます。鳥も食べごろを知っていて、絶対に逃しません。(笑) こうやって3月は小ぶりながら何種類かの花が楽しめるようになりました。あとは、ひまわりが終わってからギボウシ(・・・うちのは8月下旬に咲きます)が咲くまでの1か月ほどの間に見られる、何か適当な花がないかなあ・・・と思っています。
2010年03月08日
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きょうは前回から‘中(なか)4日’あけての水泳でした。ここ2年ほどは、1回にやや‘バカみたい’に泳いでいるので(^-^;)、2日続けてはもちろん、1日ぐらい置いても‘泳調’は十分に回復しません。さすがに5日ぶりだと調子はいいだろうと思って、プールに行きました。 急に寒さが戻った小雨の降る日曜日の午後、人は多くはないだろうとは思ったのですが、プールを覗くと、8コースに2人しかいませんでした。・・・これじゃあ、儲かっていないよなぁ。。。 端から2番めのコースに入りましたが、しばらく両隣りのコースは空いていました。 いつものアップが終わって、まず、軽めの平泳ぎ。きょうはあとでクロールで「6000M」を泳ぐつもりだったので、平泳ぎは「200M」だけにしました。あいかわらず調子の出ない泳ぎでした。 続いて、少しひさしぶりのクロールのプルの「800M」。今、「800M」は「中距離」という感覚になっているので、以前の感覚がつかめなくなっています。 そして、プルの練習もときどきしておかないと、やっぱり苦手になってしまいます。なんとかペースは出せたと思いますが、かなり疲れてしまいました。。。タイムはごく普通でした。(dt:ch) 休憩を挟んで、ちょうど1か月ぶりになる「6000M」をスタートしました。・・・「6000M」って、きょうで3回めなんですが。。。(^-^;) 「3000M」では物足りない、「10000M」は‘しんどい’・・・というときに、これから「6000M」という“種目”を設定しておきます。(笑)本当に私にとっては「10000M」は最後に信じられないぐらいの‘バテ’が来ます。「6000M」なら、なんとか大丈夫な距離です。 きょうも、「3000M」の2倍のタイム、プラス2分程度で戻りたいと思いました。 3000Mのターンのときにペース・クロックを見ると、「3000M」の平均的なタイムより1分程度遅いタイムでした。予定どおりです。(笑) 自分では、「10000M」を覗いては“後半型”だと思っているので、残りの3000Mは前半の3000Mより若干上げたいと思いました。でも、きょうは“脳内麻薬”が出た感じは得られませんでした。。。 特に苦もなく「6000M」を泳ぎ終わって、タイムを見ると、前半の3000Mの2倍より遅くなっていました。。。・・・う~ん、がっかり。。。前回、タイムをばらしているので(笑)、きょうも書いておきます。‘1時間45分36秒’でした。つまり、前回(‘1時間45分52秒’)とほとんど同じです。・・・本当は‘1時間45分’を切りたかったんだけどなぁ。。。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「平泳ぎ・コンビ:200M」「イージー:50M×6」「クロール・プル:800M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:6000M」「イージー:50M×6」「ダウン:500M」 ・・・トータル:9000M きょうは「6000M」を泳いでいるときに、両隣りのコースとも2人ずつ入ってきました。私よりあとから入って、みんな私が泳ぎ終わる前に帰ってしまったようですが。。。(^-^;) アップをしているときや、「6000M」を泳ぎ始めたときは、おそらくそれまで人が少なかったのだと思いますが、水がきれいに澄んでいて、四隅がすべて見通せました。そして、25M泳いでターンすると、両隣りのコースに人がいないために、自分の泳いで来た跡が船のスクリューのあとのように残っていて、そこを向きを逆に進んで行きました。水もきれいだったし、自分の「轍(わだち)」とでも言うべき波を掻き分けて進んで行くのは、何となく気持ちよく感じられました。 このプールとあと半年余りで‘お別れ’かと思い、休憩しているときは、窓や照明の数を数えてみました。(^-^;)本当に名残惜しい気がします。。。
2010年03月07日
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琴平電鉄に乗って、「高松築港」駅に戻りました。そして、歩いて10分ちょっとのところにある「高松市美術館」に行きました。 ここは「愛知県美術館」などと同様で、独立した1つの建物ではなく、複合ビルの中にありました。 今は、「コレクション+(プラス)」という拡大常設展をしています。おととし「国立国際美術館」と「和歌山県立近代美術館」で見た拡大常設展が結構楽しめたので、それ以降、全館を使って所蔵作品を展示する展覧会はよく行くようになりました。 (以下、執筆中です。しばらくお待ちください。)
2010年03月05日
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きょうは香川県高松市をうろうろ(?)してきました。 やや‘強行軍’的なスケジュールでしたが、最初に「法然寺」へ行ってお参りをし、そのあと、「高松市美術館」へ行きました。 「法然寺」は名前が示すとおり法然上人ゆかりの寺で、「法然上人二十五霊場」の「第二番霊場」です。 まず、琴平電鉄で「高松築港」駅から「仏生山(ぶっしょうざん)」駅まで行きました。そこから徒歩17分程度で「法然寺」の前あたりに着きました。 この寺、うわさどおり、どこから入るのかがわかりにくいのです。要は、道路の脇の土の道から分け入るのですが、普通は看板の1枚でも立っていると思うのですが・・・。 墓地のようなところに入るとすぐに、現在建築中の「五重塔」の足場が視界に入ります。その隣が「仁王門」なので、そこを目指してじぐざぐに進みました。 残念ながら、工事関係の車が「仁王門」の前に入口を塞ぐように並んで止まっていたので、「仁王門」の正面からの写真が撮れませんでした。 私はこの寺の配置は珍しいと思いました。各堂宇がほぼ横一列に並んでいて、それぞれの正面にこれも一列に別の門がありました。 実は、帰ったあとで境内の案内図を見て、「総門」と「黒門」が別にあったことを知りました。。。(^-^;)「仁王門」の反対側にあった小さい門が「黒門」で、「十王堂」を経て、その先に「総門」があるようです。(・・・電車の駅から歩いて行くと、「総門」がいちばん遠くにあることになります。) ■法然上人二十五霊場・第二番 仏生山「法然寺」 本尊:阿弥陀如来 宗派:浄土宗 開祖:法然上人 創建:寛文8年(1668年) 御詠歌:おぼつかな たれか言ひけん 小松とは 雲をささふる たかまつの枝 この寺は、法然上人が75歳のときに四国に流されて住んでいた生福寺の遺跡で、それを松平頼重(徳川家康の孫)が復興したものです。 「仁王門」の向かって右側に、2つの門が並んで建っています。 「涅槃堂門」(「涅槃堂」は「三仏堂」の別名)です。奥に「三仏堂門」(「涅槃堂」)があります。 その隣に「本堂門」がありました。奥に「本堂」があります。 実際には、「三仏堂」の裏の通路から境内に入り、「三仏堂」をぐるっと回って「三仏堂門」を中から外に出る形でくぐり、一旦「仁王門」を見てから、「本堂門」の前に進む格好になりました。 ここで一礼して、「本堂」の前に進みました。 本来ならまず「本堂」のお参りをすべきなのですが、右手に「参拝受付」があって、どうも落ち着かないので、先に「朱印」を書いてもらうことにしました。 受付は「本堂」から直角に「書院」が続いていて、その手前にあります。 中に入っても誰もいないので、ベルを鳴らしました。しばらくして女の人が出て来たので、「朱印」を頼み、また、有料の「三仏堂(涅槃堂)」の拝観料(350円)を併せて払いました。このとき、「お接待」としてたん切り飴をくれました。また、ガリ版刷りの寺のパンフレットも渡されました。 「書院」と「本堂」と、さらにその先にある「納骨堂」までは無料ですが、渡り廊下で続いている最後の「三仏堂」だけは有料です。そして、「三仏堂」だけは撮影禁止でした。でも、「書院」から入って「本堂」まで行くのは、少し気が引けると思います。350円払って、‘堂々と’「三仏堂」まで行ったほうが気が楽なような気がします。(笑) 一旦外に出て、「書院」から入り直しました。「書院」の正面です。 靴を脱いで上がって、障子が閉めてある部屋があるので、‘恐る恐る’障子を開けました。祭壇にはセメントのような感じの白さの仏像が3体並んでいました。そして、それが見るまでもなく‘骨仏’であることがわかりました。 骨仏は天王寺の「一心寺」で見たことがあります。でも、「一心寺」ではお堂の外からしか見られないので、間近で見る‘人の骨を砕いて作った仏像’が近くにあり、そして、その空間に私しかいないのがちょっと不気味でした。(^-^;) 次の角の部屋は「宝物庫」でしたが、昔の瓦や巻物がわずかに展示されているだけでした。 小さい日本庭園を格子のすき間から見て、渡り廊下を歩いて、「本堂」に入りました。 広々としたお堂で、中央には立派な祭壇がありました。 祭壇の向かって左側には「法然上人座像」と「親鸞聖人座像」が並んでいました。 また、祭壇の右側には「善導大師座像」がありました。(画像が小さくなってしまいました。) 「本堂」を出て、さらに奥へ進むと、「納骨堂」があります。ここは扉を開けて、軽く驚きました。骨仏が3体安置されていたのですが、実際の人と同じ大きさで、手の届くところにあったのです。それと、香とは少し違う、嗅いだ記憶のないにおいが漂っていました。ここでも私1人でした。 これは「阿弥陀如来座像」です。 「納骨堂」の次が最後の堂宇で「三仏堂(涅槃堂)」です。ここは撮影禁止だったので、内部の画像はありません。 中央に部屋が1つあるのですが、周りは廊下になっていて、四隅には四天王像が、また、その間には歴代の住職の座像が並んでいました。 中央の部屋には、祭壇と言っていいのか、正面に涅槃像が横たわり、その周りにおびただしい数の羅漢と動物の像が並んでいました。後方には阿弥陀座像が3体、前には如意輪観音かと思われる仏像が同じく3体ありました。羅漢は10体あり、脇の動物は犬、豚、猿、山羊、うさぎ、鳩、雉、蛇など、種も様々でした。左右の奥には天像や神像、右側には阿修羅座像と何かの菩薩像、さらに、天井の右上には来迎の様子までが彫刻で表わされていました。この様子はぜひ写真に撮りたいと思うほどの異質な空間でした。 部屋に入ることはできたので、正面に座り、しばらくどこを見るともなく見入っていました。 このあとは、通って来た通路を通って「書院」まで戻り、外に出ました。 この時点で12時半近くになっていたので、評判の「讃岐うどん屋」に入りました。メニューも結構豊富にありましたが、私は「海鮮天うどん」を注文しました。 出てきたのは、えびの天ぷら2尾に、大きいホタテ貝とイカの天ぷらが載った立派なうどんで、それが580円という良心的な価格でした。 うどん屋を出て、今度は「仁王門」からまっすぐ進んでいくことにしました。この通路はずっと「男坂」と呼ばれる結構険しい石段になっています。 まず、「二尊堂」に着きます。中に「阿弥陀如来像」と「釈迦如来像」が安置されていました。 続いて、「鐘楼門」をくぐります。 最後に「来迎堂」に着きます。 「来迎堂」の中は薄暗くてほとんど見えませんでしたが、宇治の「平等院鳳凰堂」のように、衆生来迎の様子が再現されているようでした。格子の目のすき間から、かろうじて中央の阿弥陀三尊かと思われる像だけが撮れました。 このあとは石段を下りて、「仁王門」まで戻りました。 思ったより広い境内で、これで「総門」のほうには行っていませんが、うどんを食べた時間を含めて、ちょうど2時間境内にいたことになります。 入って来たときと同じ通路をたどって(・・・墓地の中を通るのでわかりにくい)、琴平電鉄の駅のほうに向かって歩き出しました。 このあとは、「高松市美術館」に行きました。
2010年03月05日
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「誓願寺」を後にして、歩いて10分足らずで「高島屋・京都店」に着きました。 ここの「グランドホール」できょうから「生誕110周年記念・山本丘人展-魂の叙事詩」という展覧会をしています。 山本丘人(きゅうじん)は1900年生まれということで、私が最も好きな画家の1人である上村松篁より2年早く生まれています。その上村松篁とは1948年に「創造美術」というグループをいっしょに立ち上げています。2人はまったく同じ時代に同じ日本画家として‘仲良く’活躍したわけですが、画風はまったく異なるように思います。 上村松篁の絵は比較的純粋な日本画ですが、山本丘人の絵は斬新な印象を受けます。松篁の絵が好きな私にとっては、丘人の作品は決して好きにはなれない画風でした。 でも、おととしから関西と関東で行われている近現代の日本画家の個別の展覧会をいくつか見ていて、気になる1人にはなっていました。(注:私がこの2年で特別展を見た日本画家・・・東山魁夷、横山大観、上村松篁、上村淳之、千住博、川合玉堂、石崎光瑤、田渕俊夫、安田靫彦、松岡映丘、竹内栖鳳、正井和行、橋本関雪、小野竹喬、菊池契月、小倉遊亀) 「京都高島屋・グランドホール」はコイン・ロッカーが設置されるので、快適です。 会場は「第一期.1921年~1950年」から始まりました。学生時代から評価を得るまでの時代です。 多くの高名な画家と異なるのは、はじめに挫折があったことです。私の知っている画家の多くが、若いころから信じられないような才能でもって絵を描いていたのとは違いました。 努力の末に作品が第2席になった頃に描いた作品は、日本画らしい輪郭線のしっかりした絵で、いかにも絹本が似つかわしい感じの落ち着きのある絵でした。 実は、私はこの人の作品は風景画しか知りませんでした。初期の人物画を初めて見て、いい意味で特徴がない(くせがない)と思いました。 会場には、大下絵と本画が何点も並べて展示されていましたが、これは見ごたえがありました。画家がどのように構図を考え、そして最終的にどのように完成したかを見比べるのが、おもしろく感じられました。 「第二期.1951年~1966年」は、風景画に独自の様式がみられるようになった時期です。 会場の解説にもあったのですが、「西洋画からのリアリズム」を取り入れたのだろうと思わせる作品がいくつかありました。 『海巌』は、山の描きかたが油彩のタッチで、山の凹凸の描きかたが「日本画のフォービズム」とでもいうような感じでした。 6曲1隻の大作『雲のある山河』は、筆遣いが荒々しく、現実の風景がデフォルメされていました。 『岸壁』などは曲線がなく、ほぼ直線だけを組み合わせて、山とそこを流れる川と滝を描いていました。色づかいと併せて、どことなくベルナール・ビュッフェの作品のように見えました。 最後は「第三期.1967年~1984年」で、晩年の作品群でした。2歳年下の上村松篁より7年早く文化勲章を受章したということは、松篁よりは評価が高かったということでしょうか。 どの画家にもよくあることですが、若いころの作風が一部復活していました。一方で、人物の顔が描かれない、幻想的な作品が出てくるなど、さらに新しい特徴が見られました。 『濤と華』は、波の間に牡丹の花やつぼみが‘飛んでいる’絵でした。 風景画にぽつりと小さく人や犬を配置したものもあり、それが現実性を示すアクセントのような働きをしているように感じられました。 会場の解説には褒め言葉が書いてありましたが、晩年の『銀色の歳月』に描かれた老人は、さすがに筆の衰えが感じられ、円熟味を醸し出しているというよりは、作品自体が洋画の「素朴派」のようなタッチになっているように思いました。 画室を再現した展示もあり、そこには師の松岡映丘の小ぶりの作品も‘飾って’ありました。 会場をゆっくり見て回って、1時間ちょっとでした。人も多くなく、展示のしかたにも工夫があって、また、思ったより山本丘人の作品がよかったこともあって、いい展覧会だと思いました。デパートの特設会場としては、やはり「大丸ミュージアムKOBE」とここがお気に入りです。この展覧会は、このあと、茨城県五浦と東京日本橋に巡回するようです。
2010年03月04日
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きょうは京都・四条河原町へ行って、「誓願寺(せいがんじ)」を参拝し、そのあと、「京都高島屋」で「山本丘人展」を見ました。 ここのところ天気予報には裏切られてばかりだったので、きょうは「雨が強くなるでしょう」という予報を聞いてもたじろがずに(笑)、あきらめモードで出かけました。 まず、「誓願寺」に行きました。幸い雨は降っておらず、‘いいほう’に天気予報は外れていました。 「誓願寺」は「法然上人二十五霊場」の「第二十番霊場」になっています。阪急の「河原町」駅から徒歩5分、京阪「三条」駅から10分と、とても交通の便のいい寺です。 ガイドブックや地図で調べた範囲では、繁華街の路地裏にあるように思っていたのですが、商店街のアーケードの横でした。それも若者向けの店舗が並ぶ通りで、すぐ横にある「山門」にカメラを向けるのがためらわれました。待つこと数分で人の流れが一瞬途切れました。(^-^;) 門の外から「本堂」がすぐ見え、さらに開け放たれた「本堂」の奥の阿弥陀如来座像まで、商店街のアーケード下から見通せました。・・・すごい立地だなぁ。。。 境内に入るとすぐ左手に手水舎があり、数歩で「本堂」に上がる階段です。 これほど「本堂」に上がりやすい寺もなかなかないと思います。 この寺は明治時代のはじめに町の整備のために7割以上の土地を没収され、「本堂」も何度も火災に遭い、現在の本堂は(言ってしまえば味気ない)‘鉄筋コンクリート’の建物で、昭和39年(1964年)に建てられたものだそうです。面している通りの「新京極」という地名は、平安時代に寺町を「東京極」と言っていたのに対して、明治の初めに言うようになったということです。 ■法然上人二十五霊場・第二十番 (山号なし)「誓願寺」 本尊:阿弥陀如来 宗派:浄土宗西山深草派 開祖:天智帝勅願 創建:天智帝の御宇(660年) 御詠歌:極楽は はるけきほどと 聞きしかど つとめて至る ところなりけり 荷物を隅に置いて、念珠を取り出して、祭壇の前に立ちました。畳の部屋なのですが、賽銭箱が大きすぎて(笑)、座ると本尊像が見えなくなってしまうと思ったからです。 脇にいろいろなチラシが置いてあったので、いくつか手に取りました。この寺のパンフレットもありました。 左を向くと、仕切られた小部屋があり、そこに女の人がいました。それまで私は気が付いていませんでした。(^-^;) 目が合ったので、パンフレットを取るのを一旦やめ、「納経帖」を取り出して、「朱印」を書いてもらいました。(「本堂」内の写真は許可を得て撮影しました。・・・というか、自由なようです。) この寺は「新西国三十三所」の「第十五番札所」にもなっていて、祭壇の向かって右奥にその本尊の「十一面観音立像」がありました。 反対側(祭壇の左側)には、3体の座像がありました。この寺は「浄土宗西山深草派」の総本山だということですが、中央にはその教えの基となる西山上人(法然上人の弟子)の像がありました。 「本堂」を出ようとして、「山門」から見て左側に「鐘堂」がありましたが、コンクリートの土台の上に立っていて、隣の家が丸見でした。(ということで、画像はありません。(笑)) 反対側には「扇塚」があり、また、見えにくいですが、石碑には「円光大師二十五霊場第二十番」と書いてありました。 この寺の縁起がもととなった『誓願寺』という能の曲があるのは初めて知りました。 大変狭い境内で、見るところもない感じですが、気軽に「本堂」に上がれて、立派な「阿弥陀如来座像」の前に立てる、開かれたお寺という印象でした。 「法然上人二十五霊場納経帖」も売っていました。 このあとは、歩いて数分の「高島屋」京都店に行って、「山本丘人展」を見ました。雨は傘を差そうかどうしようかという、ぱらぱらとした程度の降りかたでした。どうやら天気予報は‘また’外れたようです。(笑)
2010年03月04日
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2月は好きなことができる日に出かけ歩きすぎて、疲れ気味になってしまいました。(^-^;)3日前は、予定していなかったのに、プールでいきなり「10000M」を泳ぎ、‘幸か不幸か’ベスト・タイムが出ました。 「幸か不幸か」というのは、距離だけでもすごいし(・・・自分で言うか(笑))、数回しか泳いだことのない種目(?)とはいえ、今までのベストを5分近くも縮めたので、やっぱり疲れてしまいました。(^-^;)細かく言うと、自覚はほとんどなかったのですが、きょうプールに行って、泳ぎ始めてから、泳ぐために使う筋肉がずきずきしたのです。。。 アップのあと、平泳ぎの「400M」を泳いでみましたが、脚が思ったように動かず、ペースも上がらない状態でへとへと・・・。肩が発熱したのは気持ちよかったのですが、疲れはさらに増したような感じになりました。 きょうはそのあとは「3000M」を泳いで終わりにするつもりだったのですが、そのつもりで泳ぎ始めて、自分のペースがほとんど実感できませんでした。調子よく泳げていると言えばそんな感じだし、力を入れている割には遅い感じもするし、3日前の泳ぎの疲れと、きのうの‘お出かけ’で合計何時間電車の中にいたのかがわからないほど電車に乗っていた‘だるさ’も出てきたようで、とてもプールを60往復できそうにない気がしました。かなり本気で「400M」で止まろうと思ったのですが、タイムを見ると、ましなペースで泳げていることがわかったので、せめて「800M」にしたいと思い、頑張って続けました。 「800M」が終わるときも「もうやめよう・・・」と思ったのですが、同様にタイムがひどくなかったので、「1500M」を目指して泳ぎ続けました。 「1500M」は泳げたのですが、結果的にそれでバテてしまいました。。。 タイムもやや遅めでした。調子のいいときなら、プルだけでこれより速く泳げています。 「『1500M』で止まったのはたぶんひさしぶりなだぁ・・・」と思いつつ、残りはどうしようかと考えて、もう1本「1500M」を泳ぐことにしました。ただ、1本めよりはタイムが落ちるのは間違いないとは思いましたが。。。 2本めもまったく同じ感じで、自分で自分の調子がわかりませんでした。泳ぎ終わってみれば、1本めより1分ちょっと遅くなっていました。完全に「プル」でのタイムでした。 1本めの調子が上がらないときから考えていたのですが、これもちょっとした“バーン・アウト”かもしれません。(^-^;)「何にバーン・アウトしたのか」と言うと、「10000M」のベスト・タイムが出たことです。。。 ‘上’の人から見たら、「はぁ?」という感じだと思いますが、去年の今頃はまだ「10000M」など泳いだことがなくて、5月に初挑戦してリタイアして、その後、3時間半近くかかるものの、何とか泳げるようになって、OWSの「10km」に挑んだりした過程は自分ではちょっとした“思い出”になっています。(^-^;) それがあとちょっとで‘3時間’が切れるタイムで泳げたことで、ものすごい充足感を感じているのだと思います。 ということで、もしかしたら、半年前の9月と同じで、しばらく泳ぎの調子が出ない状態になるのかもしれません。・・・まあ、そのへんは素人なので。。。(笑) ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・平泳ぎ:400M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「クロール・コンビ:1500M」「イージー:50M×6」「ダウン:1100M」 ・・・トータル:6000M プールでいろいろ考えながら泳いで、また、きょうは調子が出なかったこともあって、あまりすっきりした感じがありませんでした。 トータル距離をこの程度にしておくと、プールから上がるときにへとへとになっていないのでいいのですが、一方で「泳ぎ足りない・・・」という気持ちもあって、これはこれでジレンマです。。。
2010年03月02日
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きょうは岡山県津山市の「誕生寺」を参拝して来ました。「法然上人二十五霊場」の「第一番」札所で、名前のとおり、法然上人が生まれた地の寺です。 JRに「誕生寺」という駅があるほど地元では有名な寺のようですが、私は去年まで知りませんでした。(^-^;) 「誕生寺」駅は津山線の途中(?)にあります。「岡山」駅からだと普通ディーゼル・カーで約60分、「津山」駅からだと約20分です。私は行きは姫路から姫新線を乗り継いで、「津山」駅から下りました。 天気予報では、「きょうは夜から雨で、気温は4月上旬並みまで上がるでしょう」と言っていたのですが、「佐用(さよ)」駅(・・・兵庫県の西端)を超えてしばらくすると、雨が降り始めました。。。岡山は雨が少ないことで有名で、「晴れの国」と呼ばれています。(^-^;)・・・またも寺参りの日に、天気予報を‘外して’、雨を降らせてしまった。。。 「誕生寺」駅は無人駅で、運転手に切符を見せてディーゼル・カーを降りました。 寺までは、‘方向さえ間違えなければ’、単純な道で歩いて12分程度で着きます。駅に「寺まで徒歩10分」と書いてありましたが、ちょっときついです。普通はこういうときは、多めに書くと思うんですが。(笑) 寺と反対の側にしか改札がなく、駅のすぐ南に踏切があるので渡りたくなるのですが、‘罠にはまって’はいけません。(笑)北側へ線路沿いに進み、広い道路と合流しそうになる手前で、ガードをくぐります。ガードをくぐると、突き当たりに寺の山門らしきものが見えました。 途中に「南無阿弥陀仏」と書いてある、大きいモニュメントのようなものが目に入りました。 (以下、執筆中です。しばらくお待ちください。m( _ _ )m )
2010年03月01日
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