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きょうは平日ながら休みだったので、スポーツ・クラブに行って泳ぐ予定にしていました。ただ、夜中から雨が降り出し、昼過ぎまで降っていたので、行く気が萎えていました。(^-^;)歩いて行くのが億劫で、自転車で飛んで行きたいのです。それと、今週は月曜から何となく体が重く、きのうは調子が戻っていたのですが、きょうは目覚めたときからどんよりした体調で、「行くの、やめようかな・・・」と思うほどでした。 でも、昼過ぎには雨が上がったので、自転車で行ける状況になりました。それで、ストレッチをして行くことにしました。 プールにはそこそこ人がいましたが、泳ぐのに特に支障はない状況でした。最近、平日のスポーツ・クラブは「老人クラブ」のようになっていると聞いたことがありますが、まさにそんな感じでした。(笑)「休館日以外に来ない日はない」という人も大勢いるようで、曜日にかかわらず見かける顔が‘たくさん’ありました。 いつものアップを終えて、ちょうど少しすいていたので、「6000M」を1本泳ぐことにしました。ただ、とにかく体が重かったので、スピードはあまり気にしないことにしました。 最近は泳ぎ始めにペースを抑えると、後半になって調子が上向くので、きょうもそれを心がけようと思っていたのですが、他にそこそこ泳げる人がいて、無意識に頑張ってしまいました。 2000Mを超えたあたりから体が少し動くようになり、問題なく3000Mまで泳げました。タイムを見ると、「3000M」の標準でした。(cd:zz)これがいいか、よくないかです・・・。このまま残りが泳げたら問題なしですが、普段のペースから考えると‘飛ばし過ぎ’です。でも、頑張ってみることにしました。 4000Mあたりがいちばん調子よく泳げたのもいつもどおりでした。でも、その少しあとに速い人が入って来ました。それで、一定のペースで泳ぐことができなくなり、前後の様子を伺いながら、わずかにスピードを上げたり、ターンの際に前を譲ったりしました。他の人もいたので、クロックを見る余裕がなくなりました。 無事に「6000M」を泳ぎ終わって、タイムを見ると、今年になってからではベストのタイムでした。(eq:tt)前半より後半のほうがわずかながらも時間がかかっていたことは、自分らしい泳ぎではなかったということで、やはり前半はもう少し抑えるべきだと思いました。それでも、帰ってから調べてみると、去年の1月末にきょうのタイムで泳げていたら、「6000M」の‘セカンド・ベスト’でした。去年は2月から4月にかけて、泳ぐたびにと言っていいほどタイムが上がり、きょうのタイムではベスト10に入るかどうかになりました。若いときから2月が泳ぎの調子がベストなのは変わっていません。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:100M×6」「ダウン:800M」 ・・・トータル:8000M 最後は速い人の後ろについてイージーを泳ぎ、休憩しながらストレッチをしました。 ダウンは500Mのつもりでしたが、時間があったことと、「ゆっくり長く」のコースがすいていたのとで、予定より300M長く泳いで、トータルでちょうど8000Mにしました。 距離的にもタイム的にもこれだけ泳いで、いつもほどは‘ぐったり’しませんでした。(^-^;)2月は去年と同じように、自転車を‘担いで’どこかに旅行に行きたいと思っています。また、3月には自転車を持って行かない旅行の計画を立てました。新幹線、飛行機、フェリーのすべてに乗る予定です。(笑) もう少しで仕事が大きく一段落するので、体調の管理には気を付けたいのですが、職場ではノロウィルスに感染したり、インフルエンザにかかったりで、‘隔離状態’で休んでいる人がいます。(汗)インフルエンザのほうはときどき「タミフル」を飲んでいるし、きょうのように長時間汗を掻く状態があると、体温が上がって、体内にウィルスがあっても弱まってくれると期待しているのですが、ノロウィルスのほうは防ぎようがありません・・・。
2014年01月30日
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きょうは神戸と芦屋の美術館の展覧会を1つずつ見ました。 まず、「神戸市立小磯記念美術館」に行きました。 ここでは「あなたが選ぶ小磯良平作品選」という展覧会をしています。これは、おととし、展示室前の通路に投票箱が置いてあって、壁にこの美術館の所蔵作品50枚のサムネイル写真が貼られていて、その中から「お気に入り」を選び、住所と名前を記入すれば、‘全員’に招待券を送るという企画をしていて行われたものです。私はその結果の展覧会を昨年度末にすると思っていたので、展覧会の案内もないし、当然招待券は届かないし、半ば諦めていました。・・・考えてみれば、投票から半年足らずでは無理ですよね。正直に書くと、私は去年はこの美術館のすべての展覧会に足を運んだので、両親の名前でも投票しておきました。(^-^;)しようと思えば、1回で何回も応募できましたが、それはやめておきました。展示室の出入口付近によく置いてあるアンケートと違って、ほとんどの客が‘必死’で壁に貼ってある候補を見て、名前と住所もしっかり書いていたようでした。(笑)両親にもちゃんと招待券は届き、「こんな機会でもないと見ないでしょ。もったいないから行きなさいよ」と、釘を差しておきました。「あんたのすることはありがた迷惑だけど・・・」と言われましたが。。。 さて、展覧会は3つある展示室で、「50位」から順に上位へ並べられていました。 ※以下、作品の展示順に(=順位に従って)コメントを書くので、これから訪れる予定にしていて、順位を知りたくない人は見ないほうがいいと思います。 まず、最初の展示室の入ってすぐのところに、同票で49位の作品が2点ありました。ちなみに票数は77で、作品は『人物』と『和装婦人』でした。作品の横にはその絵に投票した人のコメントが数点ずつ、その人の性別と年齢の代(例:50歳代)とともに掲示されていました。 この2点の人物像に続いて48位は静物画の『リュートとバイオリン』でした。 45位は風景画の『尼寺の廃寺』となっていて、いろいろなジャンルの絵を描いた小磯良平の作品は、それを見る人の好みもいろいろのようでした。 40位以降の作品は知らないものが多かったのですが、もしかしたら、私の好みではないために記憶にないのかもしれないと思いました。ちなみに、今回見ても、特に「いいなあ」と思ったものはありませんでした。 41位の『K夫人像』はよく展示されていて、妻を描いた作品として記憶に残っています。 38位の『南仏ロード・カーニュ』もよく展示されている作品で、デュフィのような画風が印象的です。 36位の『リュートを弾く婦人』は知らない作品で、この美術館の敷地内に移築されているアトリエの室内で脚を組んでリュートを演奏している女の人の絵でした。何となくフェルメールの作品を思い起こしました。 27位は人形の質感が見事に表されている『マヌキャン』でした。人間と、人間そっくりの形をした人形をしっかりと描き分けるのは難しいだろうと思うのです。投票した人のコメントにも「マネキンに魂が宿っていると感じる」というのがありましたが、同感です。・・・私はこれに投票したように思います。 次の展示室は25位からでした。 25位は151票で『しゃくやく』でした。小磯良平の花の絵というのは何となくイメージが湧きません。。。 23位は展示されているときには「解説シート」が置いてある『御影の風景』でした。この絵は、作品として感心したのではなく、特徴的なものが描かれているわけではないのに、どうしてスポット的な地名をタイトルに付けたのかという疑問を強く感じた作品です。でも、この絵が上位に入るということは、御影という場所を知っている人が多いのか、あるいは、タイトルに関係なく作品として多くの人が気に入ったのか、どちらか(あるいは、その両方)だということですね。投票した人のコメントに、「身近な風景でも切り方で外国の家に見えた」とか、「煙の形がくじらとイルカに見えた」といった、私には考え付かないようなものがありました。 同様に、(一気に飛びますが)10位の『神戸風景』も、高くはない山から海のほうを見下ろした感じの作品でしたが、具体的に神戸らしいものは見当たりませんでした。投票した人のコメントにも、「場所探しが楽しく思う」というのがありました。 9位はいつも最初の展示室の最初に展示されている『自画像』でした。私は実際より‘きりっ’とした表情に描いてあると思っていたのですが、「自信にあふれている」というコメントがありました。・・・なるほど、そういう表情かもしれないなぁ。。。 8位は『庭』、7位は『ブルターニュ・ソーゾン港』でこれもデュフィ風、6位は八千草薫を描いた『婦人像』、5位は通常のチケットに採用されている『和洋装の二人』、4位は『踊り子』、3位は『庭』、2位は『着物の女』でした。 1位は、実はまったく見当が付いていなかったのですが、結果を見て「なるほど」と思いました。2人の娘を描いた『二人の少女』でした。票数は767で、2位とは32票差でした。 最後の展示室は、「小磯良平線の世界」というテーマ展示で、素描と版画の作品が展示されていました。 仏像を描いた作品が3点ありましたが、油彩では見たことがないと思います。他は人物画と静物画、風景画でした。 今回の展覧会は多くが見たことがある作品で、また、見たことがない作品に気に入るものはなかったのですが、「人によって同じ画家の作品でも好みはずいぶん違うんだな」ということを感じることができました。この美術館の展覧会で45分で見終わったのは初めてではないかと思います。 このあとは、「芦屋市立美術博物館」に行きました。 (※これに続く日記は「2014年2月4日」のスペースに書きました。)
2014年01月29日
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去年(2013年)の11月の末に花壇の植物を冬物に植え替えて、「アネモネがきれいに咲いたら、画像を載せたい」と書いてから、なかなか花が咲きませんでした。この冬も厳しい寒さで、アネモネにとっては適温を下回っているのかもしれません。それでも、ようやく2週間ほど前からつぼみがいくつか見え始め、ようやく3つほどが咲きました。 ただ、ひまわりもそうですが、花が大きくて重いため、自分で支えきれず、‘頭’を大きく下げてしまうのです。このあたり、「植物って、バカだなぁ・・・」と思います。(笑)なんとか持ち堪えているのが1つだけあったので、写真に撮りました。 アネモネは3年前の冬に初めて買って植えたのですが、見た目が頼りなくて、一方で結構高いので、その後は意識しませんでした。でも、去年の11月にホーム・センターで八重のアネモネを見つけて、これなら見栄えがすると思って購入しました。同じ植物でも、一重と八重ではずいぶん感じが違います。ただ、花を自分で支え切れないというのも困ったものですが。。。 気温が低い状態が続いているので、パンジーもなかなか大きくなりません。 花壇全体の様子です。 庭全体としては、紅白の山茶花が合計で十数本植えてあるので、見ごろは過ぎましたが、まだ次々に花を咲かせて、冬の庭を彩ってくれています。 ところで、寒さが厳しい冬なのに、たぶんおととしのこぼれ種から発芽したひまわりがあって、それを父が自分の家の玄関脇に移植していたのですが、何とつぼみが膨らんできました! 「冬のひまわり」は6年前にも成長したことがあったのですが、2月に積もるほど雪が降ったあとで結局枯れてしまいました。今回は寒さがいちばん厳しい時期につぼみを付けました。ただし、丈は1メートルぐらいしかありません。 品種は咲いてみないとわかりませんが、もともと丈があまり高くならない品種だと思います。 ひまわりは毎年、夏の花壇の主役にしていますが、去年は種蒔きに失敗して、初めてひまわりのない花壇になってしまいました。真冬でも育つのは心強いですが、だったらどうして去年はうまく行かなかったのだろう・・・。蒔く時期が遅すぎたのだと思っていますが、かといって真夏より真冬のほうがましなんでしょうか。(笑) もし、ちゃんと開花したら、また画像とともに紹介したいと思います。
2014年01月28日
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去年の夏の終わりごろから、仕事がオフの日は、美術館・博物館に行くか、プールで飽きるほど泳ぐかという過ごしかたを続けて、さらに、年末年始も同様で、いつからか左足のボールを蹴るあたりが慢性的に痛くなり、太ももは左右ともしょっちゅう筋肉痛が起きています。脚に疲れが溜まっているのは間違いなく、一方で、寝るのが特別苦手なので、横になるだけでも憂鬱だったりします。。。 おとといは職場で、1人がノロウィルスに感染、別の1人はインフルエンザにかかったということで、休みでした。聞いただけで、私まで発病しそうでした。(^-^;)そして、相変わらず夜更かしをして、きのうは美術館・博物館の‘はしご’をする予定だったので、仕事の日と1時間しか違わない時刻に起きて、出掛けました。どの美術館・博物館も駅から遠く、合計すると、確実に1時間半以上歩きました。さらに、美術館や博物館の中ではずっと立ちっぱなしなので、きのうは6時間ほどは立った姿勢で過ごしたことになると思います。 きのう帰ってから、まさに立っていられないほどの脚全体のだるさに襲われ、‘さすが’の私も眠気を誘うために夜食を食べ(^-^;)、栄養剤を多めに服用して、いつもより2~3時間早く床に就きました。 朝、目が覚めると、きのうよりだるさはましになっていましたが、泳ぐ気が起きるほどは元気になっていませんでした。でも、前回泳いでからちょうど1週間が経っているし、疲れているものの、秋以降の悪くはない‘泳調’を維持したかったので、当然、きょうも泳ぎに行こうと思っていました。 ただ心配だったのは、足が動くかどうか。動いたとして、泳ぎ終わった後で、猛烈なだるさに襲われて、歩くのもままならなくなるのではないか、ということでした。 そこでふと考えたことは、「泳ぐときには垂直でなく、水平の姿勢になる。体勢としては立っているよりいい」、「泳ぐときに足で水を蹴ると言っても、‘超’長距離の場合、推進力としては5%を切っているだろう。ということは、8km泳いだとしても、脚での移動は400M程度だろう」ということでした。つまり、無理をしなければ、何もしないより泳いだほうが脚にはいいような気がしたのです。 のんびりと距離を泳ぎたいということで、きょうも、スポーツ・クラブにいつもより30分ほど早く行きました。着いたときは閑散としていました。それで、アップをしながら、最小限のストレッチをして、自分の調子を確かめました。「まあまあかなぁ・・・」という感じだったので、きょうも前半をしっかり抑えて泳ぐことを心がけました。 最初は楽なのは当然で、「6000M」泳ぐつもりのスピードを考えながら泳ぎ続けました。そして、4500Mぐらいまではなかなかの調子が出せたように思いました。ちなみに、3000Mのラップも、よくはないけれども、自分で意識しているタイムを少し上回っていました。 きょうは上半身はどこも痛くもだるくもならず、イメージ的にはうまく泳げたと思います。4500Mあたりでわずかに左肩が痛くなった程度でした。それで、タイムを見てみました。(ep:du)ごくありふれたタイムでした。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:100M×6」「ダウン:500M」 ・・・トータル:7700M 泳ぎ終わってしばらくすると、‘いつも’のように人が増え始めました。‘超’長距離を泳ぐためには、早めにプールに行くしかないようです。・・・本当は、ブランチ後、もうちょっとゆっくししてから行きたいのですが。。。 プールから上がるときも、家に帰ってからも、体調に変化は感じられず、とりあえず安心しました。数分でも歩くのは御免・・・という体調でも、泳ぐのなら大丈夫というのは、水泳の特異性を改めて感じさせました。
2014年01月26日
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きょう最後は、「姫路市立美術館」に行きました。 姫路市の公募展の作品を展示しています。入館は無料です。 この公募展の展覧会を見るのは初めてです。全国的な公募展は主なものは見ていると思います。(「院展」、「日展」、「国展」など) 今回見たのは、「第68回・姫路市美術展」でした。 まず、展示室の入口の前にオブジェがありました。 彫像の分野の4点でした。最近は、洋画と日本画の区別も一瞥しただけではわからないものが多くなりましたが、彫刻なのかオブジェなのかインスタレーションなのかの区別も難しいと思います。 展示されていた4作品のうちの3つが賞を取っていました。・・・取れなかった1つがかわいそう。。。 マチエールも発泡スチロールやダンボール紙など、伝統的な芸術作品には使われなかったものが使用されていました。 展示室に入って、まず、「洋画」から見て行くことにしました。 ‘昭和色’の漂う上田良二の『赤い自転車』は、廃墟の写真を見たときと似た感覚を抱きました。川辺に捨てられた自転車が倒れています。所有者がもう乗らなくなって捨てたのか、あるいは、誰かが盗んで乗って、ここで放棄したのかもしれません。自転車の近くには、その自転車より明らかに古い小船が接岸されています。自転車より古いにもかかわらず、こちらはまだ使われているようです。役に立ったときもあったはず。。。でも、要らなくなったら、捨ててしまい、特別な思い出がなければ、自分がいっしょに時を過ごしたものを忘れてしまうんですね。。。 田邊秀子の『レ・モ・ン』は一瞬何かと思いました。絵画は普通、実物より大きく描くことはあまりないと思います。あったとしても、人物を2メートルぐらいのキャンバスに描くぐらいで、100倍もの大きさで何かを描くことは珍しいと思います。それがここにありました。(笑)しかも、レモンと言えば、スライスして料理の飾りになるのが一般的だと思うのですが、ここでは手で裂いたような割れかたをしていました。 抽象画はわずかで、今は一応具象画が人気があるようです。 続いて、「書」を見ました。 漢詩が見たこともないような小さい文字で書かれた作品や、おそらく私が知らない文章を草書体や隷書体で書いたものばかりで、読める作品が1つもありませんでした。こういう場合は、余白の取りかたを鑑賞するといいと言われますが、行に関してはきっちり書いたものがほとんどで、それもできませんでした。 「工芸」は、蒔絵、陶磁器、染め、絞りの作品がありました。 磁器だと思いますが、山本貞弘の『天空の白』はちょっと気を惹いた作品でした。兵庫県朝来市にある「竹田城」を模してあるのだと思いますが、直方体をうまく利用した作品だと思いました。色は地味で、白と黒の濃淡のみでした。 奥は、「デザイン」でした。 デザインとは何を指すかですが、どうも「イラスト」のような感じでした。私は苦手な分野です。。。 そして、「日本画」。 上にも書いたようにマチエールが違うことの他に、油彩と分ける理由がわからなくなっています。 それから、以前に書きましたが、画面全体がオレンジ色っぽいものが多いと思いました。 1種類の花をメインとして取り上げた作品が5点。でも、梅や朝顔といった伝統的なものではなく、ゴーヤ、アケビ、エンドウ、コスモスといった植物で、ずいぶん現代的と捉えるか、そうでなければ、日本ではない国を思い起こしてしまいます。 特にこれと言って印象に残る作品はありませんでした。 最後は「写真」でした。 「姫路市文化国際交流財団賞」を取っていた吉田一雄の『天空の雪化粧』は、どうすれば山をこんな風に撮れるのかがわかりませんでしたが、奥に山、手前に「竹田城」らしき構造物が見えていて、その間と、いちばん手前は白くもやがかかっています。ヘリコプターをチャーターすれば撮れると思いますが、そうでなければ、近くに「天空」より高い山があるということだし、そして、それに登って撮ったということで、大変な手間がかかっている作品だと思いました。 「国展」の「写真部門」のような、「これは何か」がわからなかったり、「どうやって撮ったか」がわからないような作品はありませんでした。むしろ、ある意味、写真のいちばん典型的な使いかたである、「一瞬のチャンスを狙った」ものが多かったように思いました。 一般人の作品で、作者のコメントも一切ない展示だったので、理解できたとは思いませんが、それでも、50分かけてのんびり見ました。 きょうは、「旧・播磨国」内の2つの博物館と1つの美術館の展覧会を見ました。1日に3つはやはり疲れました。。。
2014年01月25日
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姫路に移動して、まず、「兵庫県立歴史博物館」に行きました。 ここでは、「旅に出よう-絵地図からはじまる物語-」という企画展をしています。もちろん今の地図の展示ではありませんが、古地図でもありません。‘ノスタルジー’を感じさせる程度に古い地図の展覧会です。 今回もそこそこ詳しいカラーの解説書をくれました。 まず、「待合室.描かれたたびの情景」から始まりました。「江戸時代後半、生活に徐々に余裕が生まれた当時の庶民の間で、旅への関心が高まったと考えられています。ここでは、屏風や絵巻に描かれた東海道のほか、浮世絵や絵巻などに描かれた各地の景勝など、江戸時代の旅の情景を紹介します」。 1840年の『日本俯瞰図』なるものがあって、まるで宇宙から地球を見て、日本をクローズ・アップしたような木版の地図(?)で、「空が飛べない時代に、よくこんなものが描けたなあ」と驚きました。 江戸時代に使った『道中笠』があり、地図として『東海道図会』が広げて展示してありました。「上巻」は江戸から浜松まで、下巻は舞阪から京までを描いており、草津、瀬田の橋、大津、山科、京あたりは確認できました。 江戸時代の6曲1双の『東海道図屏風』が2つあり、1つは右隻の右下が江戸で、左に進み、右上に移って富士山があり、そのまま左に進んで、左席の右上に続いていました。上部中央あたりに名古屋があり、右下に移って、彦根、左に進んで中央に御所があり、左下は大坂で終わっていました。つまり、右隻は‘Z’の右下から左上に進む格好で、左隻は裏返しの‘Z’の右上から左下に進む格好に描かれていました。もう1つは小ぶりで、右隻が裏返しの‘Z’を右上から左下に進み、左隻は‘Z’の書き順のとおりに進むように描かれていました。 ところで、いつもは左回りに展示されているのに、今回は右回りに展示されていて、横に長いものや屏風などは非常に見にくかったのが残念でした。 「1番線.江戸時代の道中図」「当時の道中図は、横長の紙に収まるように現実の地形を大胆にゆがめて表現されました。そこに街道や航路、宿場を描き、さらに、宿場間の距離や各種賃銭、沿道の名と旧跡など、旅に欠かせない情報も書き込まれており、地図としてだけでなく、旅のガイドブックとしての役割も果たしていました」。 1672年頃の『兵庫名所図巻』は、尼崎から明石までが描いてありました。 1850年の『大日本国順路明細記大成』は木版で、携帯用道中図の代表的なものだそうです。恐ろしく細かくいろいろなことが描かれていて、目的地を見つけるだけでも大変で、見つけても字が小さくて読めそうにないほどでした。 「2番線.お伊勢参りと庶民の旅」「移動の自由が保障されていない江戸時代の庶民にとって、旅のきっかけの多くは伊勢参りなどの巡礼のたびでした」。さらに、四国や西国などを巡礼する人や、都見物や温泉巡りなどをする人もいたそうです。 『旅行用心集』(1810)は一般的な注意のほかに、危険な生物への心構えなども載っていました。 『伊勢参宮名所図会』(1797)はモノクロでしたが、すごろくのような描きかたで、右下が伊勢、左上が京(都)という配置になっていました。 江戸時代後期の『西国巡礼案内絵図』は、当然のことながら西国の寺を歩いて回るための案内図でした。電車やバスを使っても、なかなか“満願”できない私(^-^;)には、まったくそうぞうもできない世界でした。。。 「3番線.ミニチュア・パノラマ・ワールド-近代の旅行案内-」「明治時代に鉄道や汽船など新たな交通機関が登場すると、旅人は安全かつ短期間で旅行することができるようになりました。絵地図作家の吉田初三郎は、鳥のような目線で地図を大胆に描き、交通路線を明瞭に示した彼独特の鳥瞰図を考案し、人気を博しました。1872年に『新橋~横浜』間に鉄道が開通し、大正時代末期には全国を覆う鉄道路線網を形成しました」。 『近畿を中心とせる名勝交通鳥瞰図』は、大坂・京都を中心に、右上は北海道が、左下は台湾がかすむように描かれていました。空から見ない限り、北海道から台湾までは見通せないはずで、発想がユニークなことに驚くと同時に、「見たことがないものをよく描けたなぁ・・・」と感心しました。 『瀬戸内海航路図会』、『別府温泉遊覧の志を里』、新聞の付録だったらしい『琵琶湖遊覧御案内』などの他、『播州鉄道』と『山陽鉄道』の沿線案内図がありました。どれも結構大きく、それでいて細かいので、展示ケースの中にあると、字が読めないものがたくさんありました。 時代は現代に近づき、『阪神急行電鉄沿線御案内』、『淡路鉄道沿線名所図会』といった鉄道会社発行のものがありました。廃止されることなく淡路島に鉄道が残っていたら、「明石海峡大橋」に鉄道が走っていたかもしれないと、残念に思います。 さらに、『関東震災全域鳥瞰図版』なるものがありました。関東大震災後の被害状況を地図にまとめたようなものでした。浅草寺や戸塚のあたりが燃えていました。「大阪朝日新聞」の付録だったそうです。 最後には、鳥瞰図の原画が3点(豊岡市、伊丹市、西宮市)ありましたが、細密な日本画そのものでした。 「4番線.おもちゃに見る旅の思い」「明治時代に新たに登場した汽船や汽車、駅などを、当時の人々は江戸時代から親しまれてきた絵すごろくや組上絵の題材として描くとともに、ブリキなどの新素材を用いて汽車や汽船などのゲームを製作しました」。 歌川広重が描いた『東海道五拾三次新坂道中雙六』の他は現代に近い時代のもので、紙を組み立てて作った駅や汽車などがありました。 「終着駅.多様化する現代の旅と絵地図」「現代社会は交通手段が多様化し、公共交通機関を利用しなくても旅が可能になりました。GPSナビゲーションなどが普及し、地図に頼らなくても目的地までの移動が容易になりました」。逆に、「旅情」というものはどんどん薄れていっていますよね。。。 ここは現代のイラストマップや立体地図が少し展示してあるだけでした。 結構楽しい展覧会で、一方で、‘地図のようなもの’が延々と並んでいるので、だんだんと食傷気味になったことも間違いないですが、1時間15分かかりました。地図や案内図を丁寧に見ていたら、この3倍ぐらいかかると思います。 このあとは、「姫路市立美術館」に行きました。
2014年01月25日
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きょうは、「旧・播磨国」内の展覧会を3つ見ました。 最近、ときどき神戸と姫路は何となく別の県にあるような気がします。(笑)それほど神戸(および、西宮、芦屋)市内の展覧会と姫路をはじめとする神戸より西の地域で行われる展覧会にそれぞれの特色が感じられます。(正確に言うと、神戸の西半分は‘播磨国’ですね。) まず、加古郡播磨町にある「兵庫県立考古博物館」に行きました。ここはちょうど1年前に初めて訪れて以来、すべての企画展と特別展を見ています。今回、足を運んだのが5回めになりました。 今は、「ひょうごの遺跡2014-調査研究速報-」という企画展をしています。 いつも企画展と特別展では撮影禁止ですが、今回はなぜかOKでした!それと、特別展ではないため、図録はありませんでしたが、無料の冊子がありました。 まず、「1.三釈迦山北麓(みしゃかやまほくろく)遺跡群」は、「丹波」の「篠山盆地西部に位置し、三釈迦山北麓の篠山川に面した緩やかな傾斜地や尾根上に立地しています。弥生時代から古墳時代にかけての集落や墓が見つかっています」という紹介があり、出土品が展示されていました。 出土品は土器のほか、耳環、玉類、鉄器などがありました。 土器は具体的には、須恵器の大きな甕、横瓶(よこへい)、杯、台付椀、堤瓶(ていへい)、高杯、器台などが展示されていました。 このコーナー全体の様子です。 「横瓶」というのは初めて‘見聞き’しました。上から見ると、楕円形になります。 また、「甑(こしき)」(・・・「こしき」で入力して変換されたのに驚き!)という、模様のない縄文土器に簡単な耳のようなものがついた土器もたぶん初めて見ました。 さらに、「平瓶」という‘し尿瓶’(^-^;)のような形の口の付いた土器も初めて見たと思います。 土師器と須恵器の場合は、器の「わん」は「碗」と書かずに「椀」という字を用いることも今回初めて知りました。焼物なのに「木篇」って、すごく違和感があります。。。 これらの他に、勾玉、管玉、鏃(やじり)、鍔(つば)などもありました。 続いては、「但馬」の国から「2.高柳ナベ遺跡」で、「八木川の南岸に面する山裾から段丘上の縄文時代から中世にかけての遺跡」の出土物でした。 ここでは、「大型の竪穴住居が見つかり、梯子や扉板、縄文後期の土坑が見つかっています」ということですが、「梯子といっても、一枚板を削って段をつけただけのもの」で、「土坑とは、人が意図的に作った穴のことで、墓穴、貯蔵穴、ゴミ捨て穴、粘土の採掘でできた穴など」のことを指すそうです。1つの場所から穴ができるほど粘土を取ったんですね。 「3.寺地古墳・寺地窯跡群」は、「八木川の尾根の先端部分に立地する、南北11メートルの楕円形墳です。開田によって墳丘は失われてしまいました」ということです。 須恵器の高杯(たかつき)は杯を載せる台だそうですが、メインであるはずの杯より大きさもデザインもずっと立派なのが面白いと思いました。須恵器の杯の他、「杯身」という蓋付きの杯がありました。 「4.小河江釜跡」、「5.宮ノ谷経塚」と続き、宮ノ谷経塚から出土した「土師器筒型容器」には蓋があって、何に使ったかわからないということでした。 「播磨」の国では、「6.神谷戒現行(こうだにかいげんぎょう)遺跡」は「揖保川の氾濫原の微高地上に立地する弥生時代中期、古墳時代後期、鎌倉時代初頭の遺跡」ということで、甕、壺、高杯、堤杯などが展示されていました。 「7.高松3号墳」は「加古川東岸の尾根上に築かれた古墳群の1基で、円墳」、また、「8.市之郷廃寺・市之郷遺跡」は「飛鳥時代に建立された市之郷廃寺」の跡からは、軒瓦、平瓦、丸瓦の他、鴟尾(しび)という城でいうとしゃちほこ(?)にあたる部分の残片がありました。 「9.長坂寺(ちょうはんじ)遺跡-邑美駅屋(おうみのうまや)」、「10.西神ニュータウンNo.62遺跡」の紹介もありました。 最後は、「摂津」でした。「11.津門大箇町(つとおおごちょう)遺跡」は、「明治13年(1880)に津門銅鐸が出土した旧津門村の東に位置する古墳時代中期のムラだと考えられます」、また、「12.塚口城跡」は「応永16年(1409)に創建されたと伝えられる塚口御坊」で、その跡から見つかった戦国時代の遺物の他、色付磁気の大皿の残欠、多くの陶磁器、べっ甲の簪(かんざし)も展示されていました。 他に、「13.大池ノ南遺跡」という「江戸時代の九鬼家三田藩陣屋から谷を挟んだ南側に広がる武家屋敷群の一角」からは、三田焼の赤絵付の小皿と角を取った正方形の政治の小皿が展示されていました。 展示室のほぼ中央には、「市之郷遺跡」の寺院廃絶後の梵鐘を鋳造した遺構の様子を再現した実物大の模型が置かれていました。 やはりなかなかマニアックな展示で、企画展示室に35分いましたが、他には誰もいませんでした。 ここの常設コーナーはこれまでに4回入っていますが、定期的にわずかに展示を変えるようなので、行ってみました。 特にこれといった変化はありませんでしたが、赤穂市の堂山遺跡から出土した『山陰型瓶形土器』という弥生時代後期の結構大きい壺がありましたが、何に使われたかよくわからないと書いてありました。 常設展示室には30分しかいませんでしたが、既に「音声ガイド」を借りて2周したので、新鮮味がなくなってしまいました。。。 このあとは、姫路に移動しました。
2014年01月25日
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今年になって半月ちょっと経ちました。年末年始は仕事は休みですが、したいこととしなければならないことが消化しきれないほどあって、場合によっては普段のウィーク・デーより疲れることがあります。毎晩の夜更かしも当たり前で、おとといなど、布団に入ったのはもう少しで夜明けを見るところでした。・・・冬(=夜明けが遅い)なのに。。。 きのうも寝たのは4時前で、どうしてこんなに寝るのに苦労するのか、自分で悲しくなります。。。寝るための1つの方法として、夜が更けたら、お腹を満杯にするというのがあります。(汗)でも、この方法はよく効きます。。。当然の結果として、今、‘これまでの人生’において体重が2番めに多い状態になっています。。。 職場は駅からそこそこ遠いし、美術館・博物館に行くのも極力駅から歩いて行くようにしているし、そして、何と言ってもプールで長距離を泳いでいるので、何とか「太い」と言われないラインでとどまっているのだと思います。(汗)・・・いやあ、本当に水泳と出会っていなかったら、今頃、重度の肥満かもしれない。。。 さて、きょうは6日ぶりの水泳になりました。いつもと同じで、日曜は昼下がりはすいていて、夕方以降は急に人が増えると思ったので、ブランチのあと、できるだけ早く行きました。 アップをしている間はがらがらでしたが、“虫の知らせ”が「早めにメインを始めたほうがいい」と言ったような気がしたので、いつもよりアップを100M短く切り上げました。 きょうも特に難しいことをする気にはなれなかったので、「6000M」を1本のつもりでスタートしました。ここのところはじめの1000M近くを抑えて泳ぐようにして、結果的になかなかのタイムで泳げているので、きょうもはじめはゆっくりと泳ぎました。でも、きょうはそのゆっくりのスピードでちょうどでした。 最初のタイム・チェックのポイントでクロックを見ると、あり得ないほど時間がかかっていました。自分で許せる最低のラインをわずかに超えていました。。。・・・この2週間ほど、仕事でいろいろあり、気分的にぐったりしていました。 「残り5000Mは頑張れるかな・・・」と思いつつ、わずかにスピードを上げました。きょうは腕や肩は言うことを聞いたものの、どうしても下半身が沈み気味で水の抵抗を受けていました。 3000Mになり、ターンの際にクロックを見ると、さすがに最初よりはましなペースになっていたようで、何とか許せる範囲でした。 「後半はそのままのスピードで泳げば平均的なタイムになるだろう」と思いつつ、黙々と泳ぎました。 4000Mを少し過ぎたあたりで、最もかち合いたくない2人組が入って来ました・・・。強引に自分たちのメニューをこなすし、ある人が「あの泳ぎかたは品がない」と言ったほど必要以上に波を立てるし、すれ違うときにちょっとした恐怖感があります。それと、ターンのあとも7メートルぐらいまでコースの端にずれないので、後ろを泳ぐときは10メートルぐらいは空けないとぶつかる可能性があるし。。。まあ、“虫の知らせ”が当たったということです。 いろんなことに気を使いながらも泳ぎ続けました。何とか‘120往復’を終え、タイムを見ると、極平凡なものでした。(ep:vz)少なくとも、今年になってからの‘最遅’でした。 イージーで泳ぐために、「ゆっくり長く」のほうに行くと、いつもよくかち合う私より速い人がいました。・・・‘隣’のコースが泳ぎにくいからねえ。。。 「速く長く」のコースは2人が自分たちのペースで泳いでいて、「ゆっくり長く」のほうは10人ぐらいが思い思いのペースで泳ぐという状態になっていました。私もその中に混じって、追い付きも追い付かれもしないようなペースでイージーを泳ぎました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):500M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:100M×5」「ダウン:700M」 ・・・トータル:7700M 最後は時間に余裕があったので、ダウンを長めに泳いで、トータル距離は前回と同じ‘7700M’にしました。 きょうも閉館間際は結構混んでいました。日曜の夕方って、翌日からのことが気になって、気が重くならないんでしょうか。。。・・・私が弱いだけなのかなぁ。。。
2014年01月19日
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きょうは、「阪急うめだ本店」のギャラリーで行われている「藤田美術館展」を見ました。この展覧会、会期がわずか6日しかありません。 「藤田美術館」というのは大阪市内にある個人美術館で、私は1度だけですが、2007年の10月に行ったことがあります。 大阪市の中心からすぐ近くで、JRの駅からも歩いて数分なのですが、それ以降行ったことがありません。今年は開館60周年ということで行われる展覧会らしく、ダイジェスト的な展示が見られるだろうと思って、梅田に行きました。 今回はちゃんと「展示目録」があり、しかも、2色刷りでした。 まず、茶道具がありました。 『御所丸黒刷毛茶碗・銘・緋袴』は17世紀のもので、地味な感じでした。でも、私にも‘正面’がわかる茶碗でした。 『大井戸茶碗・銘・蓬莱』は16世紀のもので、真上から見ると完全な円形で、歪みをよしとするデザインとは対極にある感じでした。 『砧青磁茶碗・銘・満月』は12~13世紀のもので、「鎬紋(しのぎもん)」という縦筋が外側にあり、覆いの部分には金を用いている豪華な茶碗でした。「砧(きぬた)」は美しい翡翠色をした青磁を指す分類名だということです。 他にも茶碗はありましたが、ほとんどが日本以外で作られたものでした。 『黄瀬戸根太香合・銘・面向』は私の好きな黄瀬戸の16~17世紀のもので、駒をひっくり返したような形でした。黄瀬戸の色が好きなんですよねぇ~。私が好きな花の1つに蝋梅(ろうばい)がありますが、好きな理由が共通しています。 その他、桃山時代の水指、江戸時代の茶入、16世紀のベトナム製の水指などがありました。 軸装の絵画も少しありました。 鎌倉時代の作の『虚空蔵菩薩像』は、空に浮かぶ円相の中の蓮台に坐った姿で描かれていました。 『金銅揚柳観音像』(隋時代)は銅で作って金メッキを施した像でしたが、軽く腰を突き出した格好は今の日本の仏像と同じでした。 尾形乾山の20枚組の『色絵絵替小皿』は、柳に鶯という、あまり見かけない組み合わせの花鳥画が描かれていました。 冷泉為恭の『彩色春子日秋松茸狩図』は、新年最初の子日(ねのひ)に野に出て小松を抜く行事と、秋のきのこ狩りがテーマになった双幅の絵画でした。縁起物の絵ですね。 藤原俊成の書、また、一休の左に梅、右に漢詩を書いた『松梅図』もありました。 狩野探幽の『十二ケ月図の内より正月』は、小皿なのに(?)歪んでいました。この歪みのよさがどうもわからないのですが、「型を用いて成型した皿に白土を塗って」、それに植物や鳥の絵が描いてありました。 明時代の『万暦染付双龍唐草文蓋物』は、蓋に龍の絵が描いてあるのですが、指が5本ありました。 展示作品数が少なく、かなり物足りない感じがしましたが、丁寧な解説が添えてあったので、わかりやすく見ることができました。 こんな感じの展覧会をまたしてほしいと思います。
2014年01月18日
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続いて、「神戸市立博物館」から歩いて5分ちょっとの「大丸」神戸店のほうに進み、「大丸ミュージアム」に行きました。 ここでは、「みんなのサザエさん展」をしています。実は、今回、エントランスをしっかりと確認したのですが、ゲートの上部には「イベントスペース」と書いてあって、「ミュージアム」からわざわざ(?)変えてありました。サザエさんは美術(アート)ではないからですね・・・?と言うか、最近、「大丸ミュージアム」は以前ほど展覧会をしなくなってしまったし、したとしても、今回のように芸術・美術とは関係のないものがほとんどで、残念に思っています。 今回の展覧会は、アニメのセル画の展示などはなく、完全に遊園地の出し物(アトラクションではない)といった感じのものばかりだったのに、会場内は1か所を除いて一切撮影禁止でした。 会場内に入ると、まず、アニメに出てくる人物紹介のパネルがありました。フネは静岡出身で5?歳、波平は54歳、サザエは24歳、マスオは早稲田大学出で28歳、カツオは11歳、ワカメは9歳、タラオは3歳、ネコのタマはネズミが苦手・・・だそうです。単純に考えて、サザエは20歳までに結婚して、21歳で出産しているんですね。一方のフネはワカメを40歳を過ぎてから生んでいます。サザエの早婚と、フネの超高齢出産のギャップが大きいですね。(笑)少し先に行ったところには、名前の由来も書いてありました。 テレビのアニメは昭和44(1969)年10月5日に始まったそうです。このときの第1回の放送『75点の天才』が、会場を出たところで繰り返し流されていました。ちゃんと見ましたが、人物の顔も今とはずいぶん違うし、今よりずっとドタバタ的な感じでした。 原作では磯野家の細かい設定が決められていないため、例えば2階があったりするので、アニメではそのあたりを適当に変えてあるということでした。しかも、最初はサザエは独身という設定だったそうです。 「サザエさんクイズ」がありました。「ノリスケとサザエは“いとこ”」だったんですねぇ。「タラちゃんとイクラちゃんの関係は“はとこ”」とか、「『あさひが丘』の隣の駅は『ゆうひが丘』と“『よるが丘』”」とか、「ノリスケは波平の“妹の息子”」ちょっとマニアック(?)な問題もありました。 磯野家の家の間取り模型もありました。「5DK」だったんですねぇ。それも、東京で平屋の一戸建て。(笑) 写真撮影は唯一、実物大で再現した磯野家の庭からお茶の間を見たところのみOKでした。家の中には等身大の人形が置いてありました。 最後のコーナーに、「花沢不動産」を模したチャリティーの土地購入のコーナーと、「プリクラ」がありましたが、「プリクラ」は長蛇の列ができていました。・・・もちろん、パス。(笑) 全体的には思ったより頼りなく、最後のアニメを見ても、40分程度で見終わりました。 半券を見せれば、同じフロアーのレストランでオレンジ・ジュースが無料で飲めるということで、夕食も大丸の中で済ませて帰りました。
2014年01月17日
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きょうは神戸の展覧会を2つ見ました。その2つのギャップがすごいのですが。。。(笑) まず、「神戸市立博物館」に行きました。 今は、「-英国最高の風景画家-ターナー展」をしています。展示されている作品はすべて「テート美術館」の作品です。 たびたび書いていることですが、私は絵画のジャンルとして風景画はどうも苦手です。今回の展覧会はターナー単独の作品展なので風景画がメインですが、「風景画展」ではなく、風景以外を描いたものも出品されているので、見ることにしました。ターナーは1775年生まれのイギリスの画家です。 「0.初期」では、ターナーは「歴史画が絵画の分野で最も位が高いとされていた時代に、風景画を幼い頃から描き、14歳でロイヤルアカデミーの美術学校への入学を許可された」という‘天才ぶり’の話から始まり、その頃の作品が少し展示されていました。 『パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝』は1972年のロイヤル・アカデミー出品作だそうですが、人物も描かれ、タイトルが示すように「歴史画」のようでした。水彩画でしたが、スケッチのようなラフさはなく、しっかりと描いた感じが伝わりました。 『風景の中でひざまずき、片腕をあげて天を仰ぐ男性裸体像の習作』はチョーク画でしたが、人物の雰囲気がブレークのようでした。イギリスの絵画がどこか大陸のヨーロッパの絵と違って感じる、言葉では言えない要素を感じました。 ターナーは「水彩画で画業を始めて、1790年代半ばから油彩画の制作にも着手した」そうです。 「1.『崇高』の追求」では、「見る者の心に畏怖の念を抱かせるような途方もないものに美を見出す価値観=『崇高』の概念がターナーの風画に対する取り組みに重要な影響を与えた」頃の作品が展示されていました。 展示されている作品はすべての章において、水彩画が多く、油彩が少ないのにはがっかり半分、ちょっとした驚き半分でした。 そんな中、『バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨』は、1798年にロイヤル・アカデミー展に出品された油彩の作品で、はやり水彩と比べると重厚な感じでした。 『グリゾン州の雪崩』は、「威厳、危機感などの自然現象の崇高の解釈が盛り込まれた」作品だと紹介されていました。雪の鋭さを描くためか、ヘラが多用されていました。 『エジプトの第十の災い:初子の虐殺』は、「風景画の中に歴史的場面を取り入れることで、歴史画より劣る分野とされてきた風景画の地位向上を果たそうとした」という意気込みが伝わってきました。ちょうど私のように、「風景画は歴史画より確実にワンランク劣る」と思っている者にとって、単純な風景画ではなき要素を盛り込むことで、少しでも目を向けさせようとする意志が感じられました。解説にも書いてあったのですが、純粋なターナーの作品というより、プッサンの様式を部分的に取り入れたような雰囲気の作品でした。 ここでも水彩画が続きましたが、他の画家と違って、水彩でも遠目に見ると、わずかながらも写真のように写実的でした。 「2.戦時下の牧歌的風景」は、「1802年、26歳でロイヤルアカデミーの正会員となり、泰平な日々の営みを感じさせる牧歌的な情景を描き、自らの作品の地位を確立しようと努力した」頃の作品が展示されていました。 『イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンス・リージェント(摂政王太子)の誕生日に』も純粋な風景画というわけではなく、くねった川べりに人々が集まり、そのうちの中心的な人物近辺にはスポット・ライトが当たっているような感じで明るく描かれていました。 「3.イタリア」は、「1819年にイタリアのヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ナポリを訪れ、7か月旅をした。1828年の2度目のイタリア旅行では、ローマにアトリエを構え、油彩画の制作に取り組んだ」頃の作品でした。 『ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ』は、「ラファエロを賞賛するとともに自らも技量を極めた名匠であることを世間に示すための作品」ということで、確かにラファエロが描かれていて、その周りにはラファエロの作品が‘転がって’いました。 「4.英国における新たな平和」では、「1815年にナポレオン戦争が終わり、1820年代はターナーにとってそれまでの業績が集成された時期となった。国王ジョージ4世から『トラファルガーの海戦』を主題とする大作の制作依頼を受けた」時代の作品が展示されていました。 『“トラファルガーの海戦”のための第二スケッチ』では、「ターナーは戦勝を謳歌するのではなく、人々が被る危機・混乱・犠牲を印象付ける場面を描いた。完成作の評価は芳しくなく、のちに宮殿から取り外され、以後、王室からターナーに制作依頼が来ることは二度となかった」そうですが、これは当然でしょう。ターナーは「描きたいものを描いた」ということになるのでしょう。 「5.ヨーロッパ大陸への旅行」では、「1815年にワーテルローの戦いが終わり、ヨーロッパに平和が訪れ、海外旅行がブームになる。ターナーも旅をしながらヨーロッパ中の風景を数多く描いた」という作品が展示されていました。 『ルーアンの帆船』は、見間違いようのないターナーらしい作品でした。大聖堂は霧にかすんでいるのか、輪郭さえ曖昧なほどぼんやり描かれていました。 どうもターナーはもともと水彩画が多い画家のようで、いい意味で水彩と油彩の違いが小さいように思いました。 『ハイデルベルク』は歴史画だそうで、フリードリッヒ5世とエリザベス夫人が描かれているそうです。 「6.ヴェネツィア」のコーナーでは、ターナーは「ヴェネツィアには3度訪れたことがあるが、初めて描いたのは初めての訪問から14年経った1840年」だそうで、その頃描いたヴェネツィアの絵が並んでいました。 『ヴェネツィア、嘆きの橋』などはまるでカナレットの作品のように、絵のタッチまでイタリア風に感じられました。 「7.色彩と雰囲気をめぐる実験」では、「『カラー・ビギニング』と呼ばれている色彩の画や帯を配置して描いた一連の習作を残している」ということで、それを含む水彩画が少し展示してありました。 『三つの海景』は、1つの画面に3つの海景が描き込まれているらしいのですが、単純な抽象画のようにしか見えませんでした。 「8.後期の海風景」になると、「批評家たちに『石鹸の泡と水漆喰』のようだと批判され、しきりに揶揄された」作品が展示されていました。 このコーナーの作品をざっと見回してみて、私にとっては最もターナーらしい作品だと思いました。 描かれているのは、一応、歴史的シーンのようですが、史実に忠実に描いたわけではなく、劇的な効果を演出してあるということでした。 例えば、『海の惨事(別名“難破した女囚船アンピトリテ号、強風の中で見捨てられた女性と子どもたち”)』では、当日はいい天気だったそうですが、荒れた海に変えて描き、見る者を惹き付けようとしているということでした。 最後のコーナー、「9.晩年の作品」では、まさに晩年の「生涯最後の20年は、曖昧さを増していく。作品は冷やかしと嘲笑にさらされていた」頃の作品が展示されていました。 『平和-水葬』は八角形のキャンバスに船から出ている煙だけでなく、船自体までが黒々と描かれていて、作品を見て「きれいな絵だ」とは感じられない仕上がりになっています。 『湖に沈む夕陽』になると、モネのような印象派っぽいタッチになり、描かれている物と物の境界がはっきりしなくなっています。 ターナーは多くの偉人から影響を受け、そして、後の画家たちに影響を与えたことがわかったような気がしました。 なお、受付に「子供のための鑑賞ガイド」があるので、もらうことを勧めます。代表的な作品が図版入りで、簡単に解説が添えられています。 全体で1時間20分かかって見ました。風景画が好きではない私としてはうんざりするほどパターンが決まっていなかったために、最後まで適度な集中力を持って見ることができました。ヨーロッパの絵画の中心ではないイギリスで、1人の画家が風景画の地位を向上させるためにさまざまな工夫をしながら作品を描いたとも取れる展覧会でした。でも、私にとってはやはり宗教画と歴史画を解説を読みながら鑑賞するのがいちばん楽しいと改めて感じさせる機会にもなりました。 このあとは、「大丸」神戸店の催しを見に行きました。
2014年01月17日
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きょうは年に半分は出勤させられる「月曜祝日」ですが、‘いいほうの半分’でした。(笑) 具体的な目標があるわけでもないのに、水泳に対する熱意のようなものはこの数年ずっと続いています。もちろん小さい波はあるので、「きょうは気分が乗らないな・・・」程度のことはたまにあります。 きょうは前回から中(なか)1日でプールに行きました。土日の午後はいつもがらがらなのですが、きょうは月曜だからか、その5倍ぐらいの人がいて、はじめはまともに泳げませんでした。 人が減るのを待ちながら、のんびりと長めのアップと、1回したストレッチをもう1回したりして、様子を見ました。きのう(実質、きょう)はまたすごい夜更かしをしたし、朝、目が覚めてしまったし、睡眠は十分とは言えず、その意味では体調は万全ではありませんでした。 アップで体が重かったので、きょうも距離だけ泳ぐつもりで、メインを「6000M」1本にしようと思いました。そして、前回、最初を抑え過ぎなぐらい抑えて泳いで、結果的にいいタイムだったので、「きょうも同じように泳げたらいいな」と思ってスタートしました。 前回と違って、きょうはコース内に絶えず誰かはいたので、完全に自分のペースで泳ぐわけにもいかず、様子を窺いながら泳ぎました。ときどきかち合う年配の人が入って来て、私の直後について来て、頑張れるところまで泳ぐ人もいたので、予定よりは速いペースでした。 それでも、特に問題なく‘60往復(=3000M)’が終わろうとしていました。これが‘泳調’の目安になるのですが、きょうは最低の目標を大きく上回っているばかりか、もう1つ上の目標(=最高の目標の1つ下(笑))も狙えるタイムでした。 きょうは泳いでいて、いつもとは違う感覚でした。中(なか)1日で泳ぐことはあまりないのですが、きょうはおとといの筋肉痛がありました。いつも泳ぎ終わって、当日の夜も、翌日も、泳ぎ過ぎで体がだるくなることはあっても、明らかな筋肉痛になることはありません。ところが、きのうどうもなかったのに、きょう、泳ぎ始めて筋肉痛を感じるということは、‘陸(おか)’の上での生活には水泳で使う筋肉はほとんど関係ないことを意味すると思いました。・・・本当に水泳って変わったスポーツですよねぇ。。。(笑) それと、いつも‘超’長距離を泳ぐと、左の脇が胸の横辺りと擦れて、軽い擦り傷のようになるのですが、きょうはそれがありませんでした。泳いでいて脇が擦れて痛くないのは楽です。(笑) 中(なか)1日で泳いで、おととい泳いだ筋肉の疲れはあるものの、脇の擦れがなく、すごく大げさに言うと、おとといの泳ぎがきょうのウォーミング・アップのようになっているような感じがしました。 いつものことながら4000Mあたりで疲れを感じるかどうかがポイントで、疲れを感じなければ、最後までだいたいいい調子で泳げます。きょうは何の問題もなく、そのあたりの距離を過ぎました。 またこれもいつものことで(笑)、5000Mあたりで急に左の肩が痛み始めました。でも、これもひどくない場合は、‘泳ぎながらの瞬間ストレッチ’で痛みを軽減する方法を心得ているので、きょうも乗り切ることができました。 無事に「6000M」を泳ぎ切ることができ、わずかに楽しみにしながらクロックを見ました。そして、2つの意味で驚きました。1つはほんのわずかながら期待以上のタイムで泳げたこと。(eq:cz)きょうのタイムで去年の今頃泳いでいたら、“セカンド・ベスト”になっていました。もう1つは、前半の3000Mと後半の3000Mが1秒も違わなかったことです。まるで機械で測ったように、前半と後半が同じタイムで泳げていました。これは自分の‘泳調’が自分で把握できていたことを意味します。 おとといに比べるとちょっと疲れましたが、きょうは満足の行く泳ぎができました! ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):800M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:100M×4」「ダウン:500M」 ・・・トータル:7700M 私が引き揚げるのと入れ替わりのタイミングで速い人が数人入って来て、‘事なき’を得ました。(笑) 最後はわずかに多めにイージーとダウンを泳いで、トータル7700Mになりました。8000Mにすることも考えたのですが、明日からまた仕事だし、いろいろ仕上げなければならないことも抱えているので、やめておきました。 去年は夏に参加予定だった2つのOWS大会が悪天候等の影響で両方中止になってしまって本当に落ち込みましたが、今年はそんなことにならないように願い、そして、元気に参加できるように考えながら泳ぎたいと思います。
2014年01月13日
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きょう最後は、「高島屋」京都店のグランドホールに行きました。 今は「安野光雅が描いた『御所の花展』」をしています。この画家の展覧会は、同じ会場でおととし(2012年)の3月に「安野光雅が描く洛中洛外展」を見ています。さらっとした水彩がメインの画家のようです。 今回はタイトルのとおり、皇居の庭にある植物を描いた作品展でした。「2011年1月から翌年4月にかけて御所を訪れ、草花を写生した」水彩画130点が展示されているということでした。 まず、「春」からで、「サクラのつぼみは希望という言葉を思わせる。レンゲも希望に似ている」という作家の言葉で始まりました。・・・春が最も苦手な季節で、サクラはその象徴のように感じている私には共感できない言葉です。。。 ミツマタのような感じの花が咲いているアカバナマンサクや、ユキヤナギ、フキノトウといった日本的なものがほとんどでしたが、ブルーベリーのようにヨーロッパのものもありました。 「ツクシが花だということはあまり認識しないな」とか、「マンサクの花って、黄色だったっけ?」などと‘怪しげ’な知識を反芻しながら作品を次々と見て行きました。 セツブンソウやアマナなどは名前も知らなかったし、コブシアケビやラッパズイセンのようにアケビやスイセンより細かい分類がされている植物もありました。 ほとんどの作品は鉛筆でスケッチしたものに色を付けたのではなく、水彩絵具を油絵具のように直接使って描いていました。 「春」は花を咲かせる植物が多いので、作品も延々と続いていました。 カタクリ、シャガ、ゼンマイ、サクラ、ヤマツツジ、エビネなど、知っている植物が多いのも春の花の特徴かもしれません。シャガは私の家にもあります。 作品は図鑑のように背景がなく植物だけのものと、庭のスケッチっぽいものがありました。 フジ、アヤメ、ヤマボウシ、カキツバタ・・・と見てきて、春の中でも早春から晩春へと順に進んでいることに気が付きました。この4つは5月以降に咲きますよね。 ずいぶん昔のテレビで、何のコマーシャルだったか、「あなたは植物の名前(花の名前、だったかな)をいくつ言えますか?」という台詞がありましたが、確かに100ぐらいは言えるようでありたいと思ったことがあります。今回の展覧会を見て、「展示されているうちのいくつを知っているだろう」という不安のような感覚もありました。 画家の名前は典型的な作風の作品を見れば、250人以上知っていて区別できる自信があります。でも、植物はいくつぐらい知っていて、そして、区別できるかと言われると、100は大丈夫だと思いますが、画家の数より少ないのは確実だと思います。(^-^;) 「春」の最後には、「エンプレスミチコ」、「プリンセスミチコ」といった皇室のバラの絵がありました。 「夏」のコーナーには、「田舎の城山へ上るリフトの上で、しばらくぶりに草いきれという言葉を思い出した」という作家の言葉がありましたが、私もそれを読んで「草いきれ」という言葉を思い出しました。都会に住んでいると感じることが少ないものかもしれません。でも、私は草いきれは好きではありません。。。 季節としてはいちばん‘楽しい’ときで、極端に暑くなければ、外で過ごすのに億劫にならないので、私は好きな季節です。海で泳ぐのは夏しかできません。 ノアザミ、ホタルブクロ、ハス、ヒマワリは知っている植物ですが、ミクリ、ガンピなどは聞いたこともありませんでした。ネムノキは名前は知っていましたが、どんな木かは知りませんでした。 サクラが苦手な春を象徴していて嫌いな一方、ヒマワリは夏を象徴する植物で大好きです。去年は初めて失敗してしまいましたが、毎年、巨大なヒマワリを手間隙かけて育てています。(^-^;)ただ、今回展示されていた「ヒマワリ」はひょろひょろのが3本で、実際にそんなヒマワリだったのを‘脚色’せずに描いたんでしょうね。 『白樺林』というタイトルのものがありましたが、庭に林があるというのは、さすが皇居ですね。 「オミナエシ」に蝶が止まっている絵で夏の終わりを感じて、「秋」へと続きました。 「秋」のコーナーでは、「ワレモコウは葉のある時期も好きだが、秋が深まると、葉はどこかへ行って、枯れた花だけがまだ付いている。そのころの惜別の感じが好きだ」と書いてあったのですが、知らない植物を‘ネタ’に話をされると理解できず、当然、同感だとは思うことができません。こういうときに常識レベルの‘知識’は必要だと認識します。 ノシラン、キキョウ、コルチカム、ススキ、ツユクサ、ラッキョウ(の花)、ヒガンバナ、ツワブキ、リンドウと続きましたが、秋は意外に庭に植えるものがなくて苦労した経験から、‘逆に’知っているものがほとんどでした。コルチカムやリンドウは1回だけですが育てたことがあるし、ヒガンバナは本当に秋分の日の2~3日前に開花するのには驚かされているし、ツワブキに至ってはつぼみができたときから咲き終わって綿帽子ができるまで、毎日、仕事に行くときと帰ったときに‘声を掛ける’ほどかわいいと思っている植物です。(^-^;) ツワブキに綿帽子ができると、12月です。 最後の「冬」のコーナーでは、「『雪が深くて大変でしょう』と私は負け惜しみで言った」という作家の言葉がありましたが、花をつける植物が少ないのは間違いありません。ちなみに、うちの庭はむしろ冬がいちばん賑やかで、たくさん植えてあるサザンカが咲き乱れるし、花壇ではパンジーが頑張ってくれます。そして、紅白の梅が咲くと、冬の終わりを感じます。 展示されている作品の数は圧倒的に少なくなり、ニホンスイセン、ロウバイ、クリスマスローズ、紅梅、白梅、フクジュソウなどがありました。フクジュソウは1度買って鉢に植えましたが、芽も出ずに枯れさせてしまいました。。。ロウバイはヒマワリ、サザンカと並んで、私の好きな花です。 最後は摘んだフキノトウでした。刻んで味噌汁に浮かべて飲むと、ものすごい苦味で「立春」を実感します。 「よくこれだけ描いたな」と思う展覧会でした。(笑)小難しさもない展覧会だったので、40分で一通り見終わりました。 きょうは内容はともかくあっさりした展覧会ばかり見ました。そろそろ‘こってりした’作品も見たくなってきたということで(^-^;)、次回はターナー展に足を運ぶ予定にしています。
2014年01月12日
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続いて、「京都文化博物館」の2階に下りて、「総合展示室」に行きました。 前半の京都の歴史関係は今回もパスして、後半の「羅城門の記憶-模型の楽しみ方3-」と「近代の京友禅」の2つのコーナーを見ました。 まず、「羅城門の記憶-模型の楽しみ方3-」で、「羅城門は平安京造営のころに朱雀大路南端(千本通と九条通の交わるところ)に造られ、約200年間ありました。10世紀後半に倒壊したあとは再建されませんでした」という基本的な紹介があり、そのすぐ近くに大型の再現模型がありました。 壁には古地図が展示されていて、「発掘による物的証拠がないため、規模は文献や絵巻から推測されています」という‘お断り’のような説明が付されていました。 展示されていた模型は実物の30分の1のサイズで、実物は幅約32メートル、奥行き約8メートル、高さ21メートルという巨大なもので、柱は朱色、屋根は緑に塗られていたということです。 模型は単純な再現模型ではなくて、後ろ半分は縦に切り取られた状態で、内部がわかるようになっていました。また、門の周りで働く人の様子も再現されていました。 能の『羅生門』で使用する「顰(しかみ)」の面も展示されていました。 次のコーナーは「近代の京友禅」でした。 江戸後期の『牡丹雉子図友禅染掛幅』は、雉のつがいと牡丹の花が描かれた軸装の作品でしたが、どう見ても筆で描いた‘絵’にしか見えない出来でした。表装は本画の部分のみならず風帯や回しの部分まですべてが1枚の裂(きれ)に描かれていました。・・・言われないとわからないレベルでした。 他に、明治以降の手描き友禅の下着類や振袖、帯などもありました。 中央のケースには、手描き友禅で使う道具類が工程の説明とともに展示されていました。 総合展示室には40分ほどいました。続いて、「京都高島屋」に行きました。
2014年01月12日
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きょうは京都市内の展覧会を‘はしご’しました。 まず、去年の春から展覧会があることを知って楽しみにしていた「京都文化博物館」の「生誕100年・佐藤太清展」を見ました。 佐藤太清(1913~2004)は文化勲章を受章した日本画家で、私は去年の2月に、自転車旅行で福知山市の「佐藤太清記念美術館」に行きましたが、美術館が小さかったのと、作品が大きかったのとで、作品がわずかしか展示されていなくて残念な思いをしました。その後、今年、佐藤太清の展覧会が開かれ、京都に年末年始に巡回して来ることを知って、心待ちにしていました。ただ、特別展でありながら、入館料が通常の500円というのは、逆に嫌な予感を起こさせました。 「第1章.模索の時代」では、「児玉希望塾に20歳のときに入門し、10年後の昭和18(1943)年に『かすみ網』で初めて新文展入選を果たす。さらに、その4年後、『清韻』で初の日展特選を果たす。『睡蓮』で2度目の特選を果たした」という、若くして才能を認められたことから紹介さていました。 その『かすみ網』がありました。いきなり何とも言えない作品でした。 まず、サイズが大きく、少し縦長の画面に、「花が咲いていない時期に写生に出て、かすみにかかったさまざまな死に瀕する鳥たち」を描いた作品に、言葉を失いました。花が咲いていたら「花鳥画」でも描こうと思っていたのだろうと思いますが、実際には網に足を取られて飛べずにもがく鳥たちの絵です。網には赤く色づいたもみじの葉が何枚か引っかかっており、季節は晩秋だとわかります。秋を描いた日本画というではなく、悲惨な印象を受けました。輪郭線はまったくなく、淡い油彩のような感じでした。 その1年前に描いた『漁村』は初期の入江波光のような画風で、横長の2枚組というのは屏風に仕立てる予定だったのでしょうか。『かすみ網』を描いたのと同じ画家の作品と思えないほど見た目は異なり、こちらはしっかりとした輪郭線で家々が描かれていました。また、色が全体的に淡く、水彩のような感じに思えました。でも、並んで建つ家々の柱が無理に傾けてあるあたり、‘今風’の要素もありました。 『清韻』もありました。巨大な画面を覆いつくすえんどうのつると数匹の蝶とアゲハ。葉は雨で濡れていて、花が咲いていたり、既に実がなっていたりで、緑の濃淡と白で模様を作った絨毯のようにも見えました。そこに飛んでいたり止まっていたりする蝶やアゲハがアクセントになっていました。 1956年の『樹(き)』になると、抽象的な画風に変わりました。画面のほぼ中央が池の水面で、上に描かれている大木の根の部分が水に映っているのがわかりました。必要以上に写実的に描かない、あるいは、枝葉末節は省くということでしょうか。 『立葵』は同じタイトルの上村松篁の作品と比べてみると面白いかもしれません。上村松篁の作品は立葵を上から下まですべてを描いています。それに対して、佐藤太清の作品は上部も下部も画面からはみ出しています。花の咲いている部分だけをズームアップしたような描きかたでした。 『初秋』は枯れたひまわり、『冬池』は枯れた蓮が描かれていて、本来、そのものがいちばん美しいときを描いてはいませんでした。 「第2章.生命のまなざし」では、「昭和40(1965)年の『潮騒』を機に、目にした光景に内在する崇高の世界に挑む」ということで、抽象から再び具象的な作風に戻りつつも、自然のエネルギーを作品に取り入れようとした作品が並んでいました。 その『潮騒(しおさい)』は、上部に切り立った岩の崖、画面のほとんどは荒れた海面が多くの色は使わずに描かれていました。このあたりの雰囲気は岩橋英遠の作品と共通するものを感じました。 『洪』は一瞬、画面の向きが間違っているのではないかと思いました。これは洪水で倒された泰山木を描いたものでした。葉には大きな我が止まっていました。日本画で蛾を見たのは、速水御舟、岩橋英遠に続いて3度めだと思います。 『燄(えん)』は野焼きの炎を描いたものだそうです。炎が速水御舟の『炎舞』とそっくりの感じで、平面的ながらも力強さを感じさせました。解説を読むと、「思うように描けず、絵巻の火の動きを模写してスケッチして描いた」のだそうで、隣には『地獄草子益田家本』と『伴大納言絵詞應天門炎上』の模写が展示されていました。迫る炎から慌てて逃れようと飛び立った雉が、少しかわいそうに見えました。 このコーナーの作品のタイトルは、漢字1字か2字の難しいものが多く、去年の9月に「高島屋」京都店の展覧会で見た杉山寧の作品のタイトルを思い起こしました。 「第3章.旅シリーズ、そして永遠の瞬間へ」では、「昭和55(1980)年に、旅先であった一期一会の光景を描いた連作『旅の朝』を発表し、この一連の作品群において“花鳥風景画”という独自の分野を確立した」ということで、風景の中に花鳥が描かれて作品が展示されていました。 去年、「佐藤太清記念美術館」に行ったときに‘複製画’しか見られなかった『雪つばき』がありました。これは横山大観が描く雪の積もった椿と似た感じの画風で、葉も花も半分は雪に覆われた椿の木の下に3羽のすずめが降り立ったシーンでした。場所は自宅の庭らしく、特に具体的な場所を記録したものではないようでした。 『旅の朝』は葉のない「梅もどき」に雪が積もり、その枝に「うそ」が数羽止まっている光景でした。これも‘適当などこか’に思いましたが、これは越後の宿の庭だそうです。 最も典型的に、ある場所と象徴的な鳥という組み合わせの作品として、『最果の旅』がありました。流氷の流れ着くオホーツク海と巨大な氷の塊の上にしっかりと爪を立てて遠くを見ている鷲の組み合わせは、日本の最北の地の冬を描いたものだとわかります。 章立てから外れて、最後に「佐藤太清の庭-輝ける生命へのまなざし-」というコーナーがありました。ここは一般の家庭で飾るのにちょうどいいサイズの作品が額装で展示されていました。 作品は生けた花がメインでしたが、写生したものではないようでした。 典型は『パンジー』で、生けてあるのは3色のパンジーなのですが、花瓶は「正倉院」にある瑠璃杯でした。佐藤太清は飾る花に合う器を考えて、それを頭の中で組み合わせて描いたようです。 唐三彩にキキョウを生けた『桔梗』、染付山水の白磁壺にボタンの組み合わせの『富貴花』、アラビア文字の書かれたペルシャの壺にバラが生けてある『薔薇』など、自由な発想で‘理想’を描いていました。 展示作品数が多くないので50分で見終わりました。最後まで集中して見られたのはいいのですが、やはり入館料をもう少し上げてもいいから、多くの作品を見たいと思いました。 一時期は抽象に移りかけたものの、終生、日本画を描き続けた画家だということがわかりました。ただ、正直なところ、期待したほどの感動はありませんでした。 このあとは、1つ下の階の総合展示を見ました。
2014年01月12日
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数日前から凍てつくような寒い日が続いています。おとといなどは風も強かったので大変でしたが、きょうは風はほとんどなく、気持ちいい晴れ間が空に広がっていました。 年明けのいろいろな疲れが溜まってきていて、またきょうは起きるときに「泳ぐの、しんどい・・・」と思うほどでした。(^-^;) 起きて、ブランチを食べて、プールに行く用意をしている間も、乗り気にはなりませんでした。 昼下がりにプールに着くと、閑散としていました。土曜日はひさしぶりだと思うのですが、寒さも原因の1つかもしれません。 アップを終えて、きょうも前回とまったく同じで、タイムを意識せずに「6000M」を泳ごうと思いました。 スタートしてしばらくは「こんなに上半身に力が入らないのは記憶にないな・・・」と思うほど、肩は回らず、腕は伸びず、下半身は沈み気味でした。いつもは調子がよくなくてももう少しはフォームやスピードを意識するのに、きょうは体が言うことを聞きませんでした。「まあ、いいや・・・」と思いながら、延々と泳ぎました。 自分で決めているタイムの最初のチェック・ポイントの距離でクロックを見ると、最低限のタイムよりはわずかに速く泳げていました。その後も「思ったよりはましだったから、きょうはこのペースでいいか・・・」と思いつつ泳ぎました。 1500Mを過ぎるあたりから、体が全体的にましに動くようになりました。特に、下半身の沈みがなくなりました。やはり下半身が沈み気味だと、正面から脚の前面に水を受けるからか、ブレーキがかかったような泳ぎだったのに、脚が水面まで浮かぶと、抵抗がなくなって、泳ぎやすくなりました。 2500Mぐらいになると、肩もよく回るようになりました。そして、結果的にはじめに力を入れずに泳いだ分、まったく疲れを感じずに泳げていました。 3000Mで止まる気はまったくなく、タイムもチェックしたら、ごく普通のタイムで泳げていました。「これだけ泳がないと調子が出ない体は、まさしく自分だ」などと思いながら、後半の3000Mを泳ぎました。最初に飛ばさないという“鉄則”を思い起こさせられました。 そして、問題なく‘120往復’ができ、タイムを見ると、平均よりわずかに速いぐらいのタイムでした。(es:tc)うれしかったのは、前半の3000Mより後半の3000Mのほうが数十秒とはいえ速かったことです。「後半型」だと吹聴しているのに、最近は前半でばてて、後半のほうがタイムが落ちることが多くなりました。 それと、きょうは泳ぎ終わっても、ぜんぜん息が荒くなっていませんでした。 イージーとダウンを泳ぎ終わって、トータル7500Mになりました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:50M×10」「ダウン:400M」 ・・・トータル:7500M いつもはこの内容でも、プールから上がるときは結構疲れているのに、きょうはそれがありませんでした。ダウンをもっと泳いで、トータルを8000Mにしようかとも思ったのですが、きょうは自分を言い聞かせてやめておきました。 家に帰ってからも、‘ぐだっ’とせずに、ごく普通に動けました。(笑) ほぼ完璧に前回と同じ内容で泳いで、前回はへとへと、きょうはどうもないというのは、ほかに原因があるのかもしれませんが、「6000M」の前半を結果として非常に抑えて泳いだことにあるような気がします。またプールに行ったときに同じことができる状況なら、同じような泳ぎをして「楽さ」を確かめてみたいと思います。
2014年01月11日
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「兵庫陶芸美術館」で特別展を見たあとは、帰りのバスの時刻まで30分ほどあったので、「テーマ展」のほうに行きました。 「テーマ展」のほうでは、「Flowers-田嶋悦子展」をしています。前回の特別展で訪れたとき(2013年11月)には、時間がなくなってしまい、「テーマ展」は見ずに帰りました。今回はちょうど時間が余り、そのときにしていた「テーマ展」をまだしていたので、併せて見ました。この展覧会については自分でうまくまとめられないので(^-^;)、美術館のサイト上の紹介文をそのまま掲載しておきます。 【以下、「兵庫陶芸美術館」展覧会サイトより】兵庫陶芸美術館では、国内外で活躍する著名な陶芸作家を招聘し、若き作り手たちに刺激を与えるとともに、幅広い人々により深く陶芸に親しんでいただくため、著名作家招聘事業「アーティスト・イン・タンバ」を実施しています。第8回となる今回は、1980年代、極彩色の釉薬を纏い、女性の身体や植物的イメージを伴う刺激的な作品で注目を集め、現在は、陶とガラスによる、植物のかたちをした「Cornucopia(コルヌコピア)」シリーズで広く知られている気鋭の作家・田嶋悦子氏(1959~ )をお迎えします。大学で陶芸を専攻していた田嶋氏は、アメリカ西海岸で興隆していた自由奔放でダイナミックな陶芸表現や、同時代のアートの動向に刺激を受けながら、1980年代を代表する若手女性作家の一人として活躍しました。1990年代に入り、それまで自己を表現するための手段でしかなかった陶芸について、改めて思考を巡らすうち、素材ならではの質感や、作品を取り巻く空間についての意識を深め、何よりフォルムの充実を求めるようになりました。その過程で出会ったのが、陶とは異なる性質を持ったガラスでした。白化粧のみを施した陶のパーツに、鋳込みによる半透明の色ガラスを組み合わせることで独自の融合を見せる作品は、豊穣を意味する「Cornucopia(コルヌコピア)」シリーズへと結実し、生命力を湛える美しい造形が、高い評価を受けました。近年、ガラスから色が消え、白化粧に変わって、目の覚めるような鮮やかな黄色が施されるようになり、いっそう力強い造形へと進化してきましたが、2012年、地面からすっと立ち上がった黄色い花々を空間いっぱいに群生させ、まさに花をモティーフとした作品「Flowers」を発表し、さらなる新境地を開きました。本展では、ガラス作家とのコラボレーションを試みた「Flowers」の新作を加え、新旧二つの「Flowers」によるインスタレーション展示を行います。また、「Cornucopia(コルヌコピア)」シリーズの近作も合わせて展示し、従来の陶芸の枠を超えて、自己から湧き出る膨大なエネルギーを表現し続けている田嶋氏のパワー溢れる造形世界に迫ります。 展示は大きい1部屋だけでした。 まず、『Cornucopia』のシリーズが並んでいました。作品は薄く濁った白と淡いパステルの1色だけを使ったパーツを組み合わせたような感じのものでした。半透明の緑、半透明の薄紫、半透明の青と、不透明の白の組み合わせで、一見して現代の作品であることはわかるのですが、それが何の形状なのか、そして、何でできているかは、瞬間的にはわかりませんでした。形状については、しばらく見ていると、「花」だということがわかりました。ただ、極端に単純化してあるので、見る角度によっては花には見えません。展覧会のタイトルが「Flowers」なのだから、当然、花をモチーフにした作品がメインに展示されているはずです。そして、素材は透明ではないために、ガラスのようなプラスチック(の類)のような感じで、確信は持てませんでした。「陶芸美術館」での展示なので、扱いとしては陶芸作品ということになるのでしょう。 先に進むと、作品の雰囲気が微妙に変わりました。使われている色が2色なのは変わりませんが、濁った白が無色透明になり、もう1つの色は不透明の黄色に固定されていました。実物の花とは程遠いリアル感でしたが、花の特徴をうまく活かした作品だと思いました。 奥には、吊り下げてはいないものの、インスタレーション的な作品がありました。 『Flowers 13』は、ガラス作家の上前功夫とのコラボレーション作品らしく、田嶋悦子が作った部分は釉薬がかかっていて焼物らしくできていました。花びらが3枚と、雌しべか雄しべが特別長くガラスで作られていました。『Flowers 12』は、花びらが4枚でした。花びらの部分の素材が何か、キャプションにも展示目録にも書かれていないので、わかりませんでした。 最後のコーナーは、打って変わって所蔵作品の「丹波焼」の壺が並んでいました。その壺は「山椒壺」というもので、いずれも17世紀のものでした。円柱状のものと六角柱状のものがあり、名前のとおり山椒を摘んでその実を入れておくためのもののようです。 「テーマ展」は15分で見終わり、ちょうどバスの時刻まで10分ほどになりました。ロッカー室(?)でチラシ類をあさって、バス乗り場に行きました。1日に数本しかないバスなのに、乗った客は私の他に2人だけでした。「もう少し便利なところにあれば、訪れやすいのに・・・」と思いました。
2014年01月07日
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きょうは兵庫県篠山市の「兵庫陶芸美術館」に行きました。この美術館は去年の2月に自転車旅行で寄ったのが最初で、その後、去年の11月の展覧会を見に訪れて、とても楽しめました。去年の展覧会“マイ・ベスト”に選んだほどです。 ただ、大きいネックがあって、交通の便があまりにも悪いのです。JRの運賃も安くないし、駅からバスは必須だし、金も時間もかかります。そして、そのバスが1日に数本しかないので、慎重に計画して行かないと、無駄になる時間が生じます。 今は、特別展のほうでは「新収蔵品展~美の再発見・兵庫のやきもの~」という展覧会をしています。タイトルの通り、兵庫県内で作られた焼物が新しく所蔵品に加わったものを中心に展示されていました。 「第1章.丹波」では、「丹波焼は、篠山市を中心に丹波市、三田市、西脇市で焼かれた陶器。日本六古窯の1つにも数えられ、古くは小野原焼とも呼ばれた」という説明(紹介)がありました。伝統的な焼物はまだまだ理解できず、陶器と磁器の見分けも怪しいのですが(^-^;)、姫路の「三木美術館」に行くと、半分は日本の焼物の展示で、しかも、詳しい解説が添えてあるので、‘ぼちぼち’勉強している感じです。でも、丹波焼きがこんなに伝統があり、有名なものだとは知りませんでした。 展示されているのは古いものが多く、例えば、1589年の壺がありました。「古い三耳・四耳壺は耳が取れているものが多く、形状がわからないものが多い」ということで、その取れた部分は発見されていないんですね。 室町時代のものの他に、「江戸時代(17世紀前半)になると、窖窯(あながま)から登窯(のぼりがま)へと転換し、近世丹波焼が成立する」ということで、このころのものはすべて耳が残っていました。 他に、太平鉢や灰落、徳利(赤土部)、油壺(赤土部)などがありましたが、「赤土部は近世丹波焼を象徴する塗土で、備前焼の影響を受け、17世紀前半に誕生した。江戸時代になり、鉄釉や灰釉の甕が出てくる。江戸時代のものは印銘が入るものが出てくる」という説明がありました。 江戸時代後期の栗皮釉の徳利があり、明るめの少し光沢なる茶色はまさに栗色で、見たことのない艶でしたが、「原材料は不明」だそうです。 また、江戸時代後期の『白地鉄絵流徳利』は、「白丹波」になるらしく、「白土に杉灰釉を混ぜた白色の化粧土を塗土した、白い器面の洒落た精品」だということでした。 「第2章.出石(いずし)と八鹿(ようか)」では、「出石焼は豊岡市で焼かれた陶磁器。現在の清楚な白磁は明治時代に始まる。江戸時代は絵付けが中心だった。1784年に創始され、1906年まで続いた」ということで、江戸時代と明治時代で作風がかなり変わるよだし、もう現在は行われていないんですね。 明治時代の『色絵鳥図花瓶』などは、焼物に日本画がそのまま描いてありました。好きな図柄です。 同じく明治の『色絵山水図筆筒』は、絵の部分が盛り上がって立体的になっていました。 近くには江戸時代の染付の花鉢や皿が並んでいましたが、確かに、同じ焼物には思えませんでした。 「八鹿焼は養父市で焼かれた陶器。1871年に始まった。製品には無釉陶器と施釉陶器両者があり、釉薬には灰釉、褐色・黒の鉄釉が見られる。また、白土の化粧掛けもある。昭和時代書記まで続いた」ということなので、これも現在は行われていないということですね。 『染付山水図手焙』は三つ脚に二つ耳で、中国っぽい形(デザイン)でした。 徳利や湯呑みより小さい急須があり、実用品なのだろうかと思いつつ見ていました。 耳の部分が猿の顔になっていて、舌を伸ばしたようなデザインの花瓶や、明治の後期の作品では実用ではなく、明らかに飾るための「釉下彩」の皿がありました。焼物が実用品から装飾品に幅を広げていったわけですね。 1902年には白磁のコーヒー碗セットが登場していました。 「第3章.三田・王地山、そして、東山・赤穂」では、「三田焼は三田市で焼かれた陶磁器。製品は青磁、染付、赤絵を中心に磁器から陶磁まで多岐にわたる。1799年に創業したと考えられているが、1944年に廃絶した」ということで、兵庫県内の焼物はあまり名前を聞かないのは、今残っていないものが多いことが要因のようです。 「特徴の1つである深みのある濃緑色が特徴」ということで、確かに独特の濃い緑色をした角鉢や角皿、風炉、筆筒などがありました。 小皿は、12枚や20枚がセットになっていたり、コーヒー碗のセットは5客ではなく6客でした。 「王地山焼は篠山市で焼かれた陶磁器。製品は青磁、染付が中心で、白磁、赤絵、交趾釉なども見られる。1869年に開窯した」という説明で終わっていたので、これは今でも続いているのでしょうか。 『赤絵金彩唐人物図花瓶』は伊万里焼のような感じで、赤が目立っていました。 「赤穂焼は赤穂市で焼かれた陶器。1848年に始まった」ということは、江戸時代も終わる頃に始まったわけですね。 風炉や香合、振出などがありました。 「東山焼は姫路市で焼かれた陶磁器。姫路焼とも言う。1822年に創始され、1884年頃まで続いた。製品は青磁染付を中心に磁器から陶器まで多岐に渡る」ということは、これも残っていないということになりますね。 『染付雲龍獅子文墩』は太鼓型の腰掛の形で、太鼓を立てて置いたような形状でした。上部の前に透かし彫りがあり、一見しただけでは何をするものか、わかりませんでした。 他には、鉢や花瓶などがあり、花瓶には絵付けをしたものもありました。 「第4章.明石、ミン平、しして、清風、与平」では、「明石焼は明石で焼かれた陶器。1622年の興りと伝えられるが詳細は不明。京焼の影響を大きく受けている。1965年廃絶。舞子焼は神戸市垂水区で焼かれた陶器。1780年~1801年に始まったとされ、大正時代まで続く」ということで、これも現在は残っていない焼物でした。(「みん平」の「ミン」は「王」篇に「民」) 黄瀬戸の色のような黄色い釉薬の花瓶があり、黄瀬戸の黄色が好きな私はしばらく見とれていました。 「ミン平焼は南あわじ市で焼かれた陶磁器。淡路焼ともいう。1833年頃開窯した」 ミン平の人形型の置物『色絵常盤御前形置物』は、『平家物語』から題材を取った、幼子を連れて雪の中を歩む常盤午前の姿を表したものでした。女性の着ているものの胸の部分に赤子が入っていて、細かい作品でした。 また、「ミン平の型押し成形の龍文皿が多く作られ、流通した」とのことです。 「京焼の名工の写しをはじめ、染付、三彩など、中国陶磁の写しを中心に多種多様。大正時代に焼物生産からタイル生産に転換して、現在に至る」ということなので、これはかろうじて現在に残っているわけですが、原型のままでなく、工業製品になってしまっているということになります。 展示してあった作品は、小皿類、角皿、小判皿という形の小皿、緑釉や浅黄釉の皿などで、確かに、龍の絵柄のものが多かったように思います。 兵庫各地の、廃絶したものも含めていろいろな焼物を見ました。特徴が少し感じられたものもありましたが、やはり今回だけで見分けが付くには到りませんでした。 知らないことが多かったので、解説を読みながら1時間40分かかりました。 帰りのバスの時刻が気になりましたが、このあとは「テーマ展示」を見ました。
2014年01月07日
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干支の古袱紗を取り上げる予定です。。。
2014年01月06日
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毎年、“初泳ぎ”は調子がよく、今年など特に「普段まったくしていないインターバル・メニューをしても、体がついて来る!」という喜びを感じたほどですが(^-^;)、きょうは目が覚めたときから体調が芳しくありませんでした。思い出してみると、この3年、その年の最初の泳ぐときは調子に問題がなかったのに、その後、一気に崩れています・・・。3年前と去年は肩を痛めたし、おととしは腰痛でした。さらに、去年は一旦よくなったあとで、2月に初めて手首の激痛に襲われました。。。 原因の1つには「寒さ」があると思います。どうしても暑いときよりは体が硬くなっているので、運動をすると、影響が出ます。でも、他に考えられる原因として、慣れない泳ぎをしたことと、美術館・博物館等へ出掛けすぎで、睡眠不足を含めて疲労が蓄積しているのだと思います。 今年も、おとといの展覧会を見た帰りは電車の中でずっと立ちっぱなしで、美術館で脚が棒のようになっている状態に追い討ちをかけました。きのうは遠出で、早朝起きで疲れが取れず、当然、美術館の中では立ったままなので、疲れが助長しました。寝不足に‘お出掛け疲れ’が重なり、そこへ‘泳ぎ過ぎ’が加わると、体が悲鳴を上げて当然かもしれません。。。 きょうも布団から出るときに、「きょうこそプール、やめようかな・・・」と思ったのですが、起きてからカレンダーとにらめっこしても、次の週末までどうしてもうまくプールに行ける日がありませんでした。それで、「軽めでいいから、とりあえずプールに行こう」と思い、ブランチを済ませました。栄養を補給して、コーヒーとたくさん飲んでもまったく体調は上向かず、きょうほど「寝ていたい・・・」と思うことはそうはないほどでした。 プールに行くと、やはり日曜の昼下がりは閑散としていました。でも、夕方になると、一気に「芋の子を洗う」状態になるのが普通なので、きょうはスピードを控えて、タイムは気にせずに「6000M」泳ごうと思いました。 でも、相変わらず体調と‘泳調’は一致せず、きょうは体調の割に水が軽く感じられました。 2500Mあたりまではコース内は3人で、お互いに前を譲ったり譲られたりで、問題なく泳げました。 でも、他人に気を使いながらの泳ぎで結局スピードを出してしまったので、そこで肩が重くなりました。止まるなら「3000M」しかないので迷いましたが、60往復が終わっても、そのまま泳ぎ続けました。 4500Mあたりから左手が少しだるくなり、‘空プッシュ’をするようになりました。「キリが悪いけど、100往復で止まろうか・・・」とも思いましたが、‘5000M’というキリが悪いところで止まるのは嫌だったので、あと20往復頑張ることにしました。ちょうどその頃からコースに1人、また1人と人が増え、無事に「6000M」を泳ぎ終わったときには5人になっていました。・そして、タイムを見ると、平均的なタイムよりわずかに速く泳げていました。(es:dh) タイムが速いのはいいことですが、明日からのことを考えると、少し心配にもなりました。・・・明日から仕事ですよねぇ。。。 最後は、きょうのトータルが7500Mになるように計算して、イージーとダウンを泳ぎました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):600M」「クロール・コンビ:6000M」「クロール・イージー:50M×8」「ダウン:500M」 ・・・トータル:7500M 帰ってから、大事を取って少し横になりました。疲れてはいるものの、眠気が襲って来ないのはどういうことでしょうか。。。 でも、“初泳ぎ”で8000M、きょう7500M泳いだので、早くも15km以上泳いだことになります。それはいいのですが、体調が崩れることがありませんように。。。
2014年01月05日
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続いて、「愛知県美術館」に行きました。 ここでは、「アイチのチカラ!」のいう展覧会をしています。 この展覧会は、拡大コレクション展だと思ったので見たいと思ったのですが、少し勘違いしている部分がありました。(^-^;)タイトルが示すように、愛知県ゆかりの作家限定のコレクション展でした。結果的に知らない作家が多く、期待したほどは楽しめなかったというのが正直な感想です。 「第1章.戦後愛知画壇の黎明」は、「第2次世界大戦後の愛知のアートシーンは、終戦翌年(1946年)の中部日本美術協会の結成に始まりました。(中略)同協会は翌年に第1回展を松坂屋百貨店で開き、1955年の第10回展まで活動を続けました。その後、名古屋第二紀回、中部春陽会、新制作中部グループ、中部院展グループなどが続々と設立されました」という説明で始まりました。 この美術館のコレクション展示は、巨匠を中心に見るのみで、地元ゆかりの作家はほとんど流して見てきたので、このコーナーに展示されている作品の制作者はほとんど知りませんでした。コレクション展で地元の作家をゆっくり見て、まずまず名前が覚えられたように思っているのは、「滋賀県立近代美術館」、「和歌山県立近代美術館」、「兵庫県立美術館」、「岡山県立美術館」ぐらいで、これらの美術館は地元の画家のコーナーがあります。それに比べると、「愛知県美術館」は訪れる回数も少ないし、やはり“地元”ではないので、特別な活躍をした作家以外は知らないのが実情です。 そんな中で、例えば、北川民次は数少ない知っている画家で、『砂の工場』という作品が展示されていましたが、わずかにレジェっぽい感じで、色は暗めの私が認識している画風とは異なった作品でした。 他は本当に知らない名前ばかりで、言ってしまえば、どこかの公募展を見ているような気がしないでもありませんでした。どこか巨匠に似たような作風が感じられるのです。ローランサンだとか、シケイロスだとか、ミロだとか・・・。 洋画に続いては日本画もありましたが、これも同様の状態でした。 朝見香城の『風神図』と『雷神図』は、江戸時代の画風と比べると‘軽め’で、安田靫彦や今村紫紅らの作品ほど‘今っぽく’ありませんでした。個人的には好みの作品でした。 「第2章.三芸術大学の開学」では、「1960年代後半に県内に3つの芸術大学が立て続けに開学しました」ということで、「愛知県立芸術大学」(1966年)、「名古屋造形芸術短期大学」(1967年)、「名古屋芸術大学」(1970年)の3つの大学関係者の作品が展示されていましたが、油彩は学長レベルでも知りませんでした。 「愛知県立芸術大学」の学長を務めた片岡珠子はさすがに知っていました。(笑)『面構・歌川国貞・柳亭種彦』という4曲1隻の巨大な屏風作品が展示されていましたが、「面構シリーズ」は雑な面が感じられて、どうも好きにはなれません。。。 小山硬が「愛知県立芸術大学」の教授だったことは知りませんでした。でも、この人の作品も、純粋な日本画とは言いにくく、メルヘンチックな作品が多いので、いまいち感動しません。今回は『天草』という作品が展示されていましたが、人物の輪郭線が1cm以上あり、人々の顔がこけしのようで、私にはよさが理解できませんでした。人々の後ろにはステンドグラスが見え、タイトルと併せて考えると、明らかに場所は教会だと思うのですが、人々は祈りをささげているものの、数珠を持って手を合わせていました。 「第3章.戦後愛知の日本画」では、「第2次世界敗戦後、日本画を芸術として一段劣ったものと見なす日本画第二芸術論や、日本画滅亡論までがとなえられるようになりました。そんな中、1948年『創造美術』、1949年『パンリアル美術協会』が設立され、他に、「院展」で田渕俊夫らが新風を吹き込みました」という説明がありました。「パンリアル展」は、ここ数年、欠かさず「京都市美術館」で見ているし、設立メンバーの作品は各地の美術館で目にします。 松村公嗣の『雲』は、タッチが洋風ながらもしっかりした輪郭線と、一目見ただけで日本画のマチエールが使われていることがわかる、馬3匹とそれに乗る3人の人物の絵でした。3人はそれぞれ2人が親子(祖父、父、息子)でしょうか。 田渕俊夫の『青木ケ原』は、白と緑のみで描かれた森の絵でした。この人は緑をメインに、あまり多くの色を使わずに仕上げた作品が多いですね。 ‘はちゃめちゃ’な日本画を制作する中村正義の『おねえちゃん』がありました。何と6曲1双の屏風でしたが、紙本金地着色にアクリル絵の具で描いた‘何人か’の女性の絵でした。はっきりと‘何人か’はわからないのです。ピカソのキュビスムに通じるような大胆なタッチで、人物はほぼ1色で描かれ、それも赤が多いという、現実とはかけ離れた描きかたでした。 星野真吾の『喪中の作品(昇天)』がありました。これもちらっと見ただけでは日本画には見えません。日本画のマチエールを用いながら、コラージュが併用されていました。 「第4章.戦後愛知の版画」は、タイトルの通りで、佃政道、鈴木幹二、磯見輝夫らの作品が並んでいました。写実的な具象作品から抽象まで様々でした。また、技法も、木版、シルクスクリーン、ドライポイント、エングレーヴィングなど、いろいろとありました。 「第5章.愛知のモダン&コンテンポラリー・アート」では、「1949年に始まった無審査出品制の展覧会『読売アンデパンダン展』や、1955年結成の『匹亞会』」などで活躍した作家が紹介されていました。 いかにも日本人が描いたという感じの抽象画が並んでいて、今見ると、最も‘恥ずかしい’作品かもしれません。「時代は繰り返す」というので、何十年か後にはまた逆に新鮮に感じられるときが来るのだろうと思います。 桑山忠明、荒川修作らの他、奈良美智の作品もありました。 これで「アイチのチカラ」は終わったようで、あとは通常のコレクション展示でした。 「展示室6」には、濱口直巳のインスタレーションがありました。 「20世紀の美術」のコーナーは、ピカソ、ヴュイヤール、ボナール、マルケ、デュフィ、マチス、ノルデなどの作品がありました。 この美術館の‘目玉’、クリムトの『人生は戦いなり(黄金の騎士)』がありました。油彩に金箔、テンペラで描かれているとは知りませんでした。 個人的に一番のお気に入りは、デルヴォーの『こだま』です。道路の遠近法と、イメージとして(?)描かれている道路上のヌードの女性の遠近が一致していない違和感が何とも言えず見ていて不安を感じさせます。 エルンストの『ポーランドの騎士』や、ミロ、クレー、ニコルソンの作品もありました。 最後の展示室は「熊谷守一の日本画・書」の展示でした。熊谷守一は油彩画で知られていると思いますが、日本画も結構あるようです。書では、『心月輪』、『蒼蝿』、『からす』、『かみさま』といった作品が展示されていたのですが、「『蒼蝿』は展覧会で売れ残るからあえて書く」作品だったそうです。・・・私もほしくないですねぇ。(笑) 日本画では、『寒山』と『拾得』が並んでいました。また、油彩で頻繁に描いた猫をモチーフにした『野良猫』がありました。「文化勲章」受賞が内定しながらも、「そんなものをもらったら、今以上に人が来るようになって困る」と言って辞退した守一にはぴったりのモチーフかもしれないと思いました。 以上、恐ろしく広い美術館なので、ざっと見ながらも、ちょうど2時間かかりました。 楽しめたとは言えませんが、知らない日本人の画家の作品に触れることができたという意味においては、よかったと思います。今後も同様の展覧会には足を運んで、有名ではなくても気に入る画家が見つかればうれしいと思います。
2014年01月04日
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きょうは日帰りで名古屋市内の展覧会を2つ見て来ました。 まず、ちょっとひさしぶりになる「古川美術館」に行きました。 今、ここではきのうから「富士山世界遺産登録記念展『麗しの日本』」という展覧会をしています。富士山が世界遺産に登録されてから、各地の美術館がそれぞれの趣向で富士山を取り上げた展覧会をしていますね。例えば、姫路の「三木美術館」で「世界文化遺産登録記念・三木美術館富士山コレクション」という小企画展を見たし、他の美術館でも富士山を描いた作品を持っているところはたいてい展示しているようです。 「2013年に日本の象徴とも言える富士山が世界遺産に登録されました。世界遺産の中でも自然を対象とした分類に富士は認定されるところ、驚くべきことに文化を象徴する文化遺産に登録されたのです。それは、まさに私たちにとって信仰としての対象、かつ、芸術の源泉である富士を世界が認めた瞬間でした」。なるほど、富士山は「自然遺産」に登録されたのではなく、「文化遺産」に登録されたわけで、そこには何らかの文化が含まれ、象徴されていることになります。 展示は、いくつかのテーマに分けられていました。 まず、「是非見てほしい日本の名勝」では、堂本印象の『寧楽(なら)』があり、池と鹿と五十塔が描かれていました。私が勘違いをしていなければ、「猿沢の池」と「興福寺」に鹿をいっしょに描いたものでしょう。日本最初の整った首都として、数々の寺があり、絶えず観光客が訪れているのが奈良ですね。 後藤純男の『秋色塔映』は、「当麻寺」の「東塔」を描いたものらしく、これも奈良の寺ですね。画面の右半分は真っ赤な紅葉に埋め尽くされ、中央に塔があり、その上空は澄み渡る青い空でした。 他にも、金閣寺、銀閣寺や、天橋立など、日本の古都を描いた作品がありました。 続いては「未来に伝えたい日本の文化」。ひいな遊び、舞妓、煎茶、葵祭など、個人の遊びから町を挙げての行事までが描かれていました。 上村松園の『月下踊の図』は、いわゆる人気のある画風とは異なるタイプの絵で、「大津絵」的な作品でした。「月下踊」とは「盆踊り」のことだそうで、2人の女性が松園の描く上品な女性とは違い、体を大きくくねらせ、激しく体を動かしているのがわかりました。 2階に上がると、「祝富士山世界遺産登録」のコーナーがありました。確かに、かつて日本と言えば、「フジヤマ、ゲイシャ」などと言われたほど、富士山だけは海外にも広く知られていたし、これほど多くの画家が好きなように描いた山もないでしょう。 横山大観は特に富士山を好んで描いたようですが、『霊峰不二』という作品がありました。大観はこのタイトルだけでも何点も富士山を描いていると思います。山頂のみが姿をのぞかせ、輪郭線でもってしっかり描かれていますが、後の部分は朦朧としています。ほとんどの部分が青い、個性ある姿でした。 福王寺法林の『朝富士』は、いわゆる「赤富士」でした。富士山が赤く染まって見えるのは、まず、雪に覆われていることが条件で、晴れた日の日の出でなければ見られないということです。麓は霞がかかっていました。 前田青邨の『東下り』になると、解説がないと、‘教養が試される’絵になります。『伊勢物語』の在原業平を描いたものだそうですが、画風があまり青邨らしく感じられませんでした。 竹内栖鳳の『富嶽』は青い山頂が見えるだけで、麓は霞んでいました。麓を霞ませるというのは、富士山の高さを表す1つの方法ですね。 再び、横山大観の6曲1双の作品で、『三保之富士・松原』というタイトルでした。今回の世界遺産登録で、富士山と併せて「三保の松原」も登録が認められるかどうかが心配されましたが、無事に登録され、こういう作品も一層味わいを持つことができるようになったのではないでしょうか。左隻に松原、右隻に富士山が配置されていました。 大画面でありながら、描かれているのは頂のみという簡潔さで、やはりそれが富士の高さを物語っているようでした。 岩橋英遠の『甲州富士』は、手前は低い山々が連なっていて、雲海が垂れ込めていました。他に見ない構図で、その山々の奥に富士が聳えていました。 他に、富士山が描かれた茶碗や、「富士釜」という、口が小さく、肩から胴にかけて裾が広がり、富士の姿に似せた形の釜が展示されていました。こういうところに、富士山型だの山ではなく、日本人の心や文化にまで入り込んでいることが窺えます。 大きくはない美術館なので、40分で見終わってしまいました。 でも、このあと行く「愛知県美術館」でしている展覧会が大変そうなので、このまま移動しました。
2014年01月04日
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きょう最後は、「京都市美術館」で行われている「第45回・日展(京都展)」を見ました。 「日展」は「第39回」から毎年欠かさず見ています。とにかく展示数が多い展覧会なので、‘普通’の展覧会のような見かたはできません。昨年までは、「日本画」、「洋画」、「彫刻」、「工芸美術」、「書」の5部門ごとの展示作品数が発表されていましたが、今年は‘全部で約600’という非常に大雑把な数しか発表されませんでした。「書」の部門のトラブルが関係しているのでしょうか。 今年も立ち止まらずにゆっくり歩きながら、一応すべての作品の前は通るようにして見ました。 まず、2階の「日本画」から見ました。この感想も毎年同じで、日本画と洋画の区別をする意味がわかりませんでした。もちろんマチエールが違うことはわかっています。 明るい色やパステル調の色彩の作品が多く、メルヘンチックな感じが漂ったものが多いのも例年通りでした。 2室めにあった濱田昇児の『黒部追憶』は、タッチを粗くした奥田元宋風で、濃さの異なる黄色・赤色の木々が秋を物語っていました。 5室めにあった中路融人の『御室の桜』は、「仁和寺」の塔と珍しい桜を描いたものだということでした。塔の手前に桜が咲き乱れているのですが、確かによく見てみると、枝が地上すぐのところから分かれていて、ヤマボウシのような樹形の桜でした。こちらは画面いっぱいに春の様子が漂っていました。 建物が描かれている作品は外国の風景ばかりで、一方、自然の風景を描いたものは日本のどこかがモチーフになっていました。 3室素通り状態で、「洋画」の展示室に行きました。「日本画」の最後と「洋画」の最初はパーティションで仕切ってあるだけでしたが、その境目で「日本画」と「洋画」があまりにも違和感なく続いていると感じたあたりに、やはり「日本画」と「洋画」の明らかな違いはなくなっているように思いました。 これも毎回思うことですが、画家はいかに自分のアイデンティティーを作るかということに苦労しているように思われました。 点描で描いた作品が2点、ハイパーレアリズム的な作品も2点あり、このあたりは‘その気’になれば、画風と画家の名前を覚えられそうです。 永田英右の『マリアの詩』は、卓上の静物を描いた、一見、単純な絵のように見えましたが、筆跡は一切残さず、西洋の伝統的な描きかたになっていました。そして、絵をよく見ると、意味深に感じられるものが並んでいました。マンドリン、楽譜、懐中時計、水仙の花、ろうそく、銀のグラス・・・。触覚、聴覚、視覚、嗅覚、味覚・・・、揃っていますね。そして、銀の壺や、光沢のある机の表面に、他のものが反射して映っていました。描かれているもの以上の意味がありそうでした。 中山忠彦の『アヴェ・マリア』の女性のモデルは、今年も夫人でした。 特選に選ばれていた渡邊裕公の『懐郷』はボールペンで描いた作品でした。ひたすらボールペンをキャンバスの上に走らせ、遠めに線が見えないようにして作品を仕上げるというのは、点描と共通するものを感じましたが、神経を使うと思います。絵自体は、背もたれのあるいす座った若い女性がモデルでした。 工芸は手の込みかたに感心しましたが、それ以上のことはわかりませんでした。技法は、人形、陶、鋳金、切金、染、鍍金、漆など、様々でした。 ここまで40分、続いて1階に下りました。 まず、「彫刻」の展示室に行きました。名前を覚えるには至りませんが、ごくわずかの作品で「これ、去年、似たような作風のものがあったな」と感じるものがあり、作風が記憶に残る作家も出てきました。 再び、「洋画」が2部屋続きましたが、特に気になるものはありませんでした。 最後は「書」になりました。 「書」の部門の最高顧問が新聞沙汰になる問題を起こしたためか、作品が展示してあるだけで、どの作品にも「読み下し文」が添えられていませんでした。大字は中国の詩、細字は日本の短歌あたりが中心のように見受けられました。 変体仮名は読めないもののほうが多く、あいにく知っている短歌を書いた作品はなかったようで、どれも完全に読むことはできませんでした。「調和体」の作品は本当にありませんね。。。 「書」はある意味において、「油彩」と対極にある芸術ですね。書は筆で1度線を引いたら終わり。それに対して、油彩は何度も何度も繰り返して色を上に塗っていきます。その意味では、「書」のほうが難しいという見かたもできると思いました。 ちょうど一回りし終わったときに、館内に「あと20分で閉館です」という放送が流れ始めました。結局、全体で60分でした。「日展」にかかる時間は年々短くなっています。一度、前に数分立ち尽くすような作品に出会ってみたいと思います。
2014年01月03日
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続いて、向かいの「京都市美術館」に行きました。 ここでは、「第45回・日展」とコレクション企画展「京の美・コレクションの美・明日への美」という展覧会をしています。 気分や疲れ具合で時間調整できる「日展」を後で見ることにして、まず、「京の美・コレクションの美・明日への美」のほうに入りました。 まず、ある意味、(大げさですが)ショックを受けたのは、最後のコーナーに掲げてあったパネルに書いてあったことでした。その「§3-2.『見る』ことを『プレゼンテーション』する作品」のところに書いてあった文章を書いておきます。 「収蔵品を『並べて見せる』という『常設展示』は、当館においては2000年からは単なる『名品展示』ではなく、見る側が何を見るのかを明確にした『テーマ展示』を行ってきた。今日まで14年間で57回の『テーマ展示』としてコレクション展を開催してきたことになる。特別展は民間活用ということから特別展開催激変の中にあって、図録こそ作成されないものの、『コレクション展』が当館の特別展を意味する時期が続いている」。「そうだったんだ」とこれを読むまで、長年、この美術館のコレクション展を見てきて気が付いていませんでした。同様のコンセプトは、岡山県の「笠岡市立竹喬美術館」がしていることは、極初期にわかっていました。また、「和歌山県立近代美術館」も同様だと、少し遅れて気が付いていました。それらと比べると、「京都市美術館」の「コレクション展」は少し方向が違っていて、「国立国際美術館」の「コレクション展」ほど‘ひどく’ないものの、どこか企画した側の‘自己満足的’な要素を感じていました。 「§1.博覧会・共進会時代の京都の美術と工芸」明治時代初期の博覧会を経て、明治14年に幸野楳嶺が銅牌、15年に森寛斎が銀牌を受賞し、以後、絵画が銀牌を受賞することになって、現在の美術館の原型ができていったようです。 8曲1双の菊池芳文の『春の夕・霜の夕』は、右隻は山桜とカラス、左隻は冬枯れの桜とツグミか何かの鳥という組み合わせになっていました。桜という共通のモチーフが、一方では花を咲かせ、もう一方では枯れた状態になっているということで、季節の違いを顕著にしているのかもしれないと思いました。 今尾景年の『芭蕉双鶴図』は6曲1双で、両端に芭蕉の葉、中央に鶏が配置された絵でした。 小野竹喬の双幅『南島四季のうち春秋』という軸装の作品は、‘左右が逆に展示されていました’が、頭の中で修正して考えて、左の軸に芽吹いた木々、右の軸に紅葉した木々が描かれていて、のどかな地方の季節を淡く表現していました。 「§2.大礼記念京都美術館誕生から京都市美術館へ-『収集』と『陳列』」「§2-1.巧拙美術館買い上げと寄贈」「大礼記念京都美術館」は『美術館買い上げ』を美術振興策の一助とした」。その後、著名な画家の作品が6点寄贈され、先に買い上げていた37点と寄贈されていた5点の作品と併せて、「本館所蔵品陳列」が行われた、ということです。 展示する作品は「借りるだけではなく、コレクションを持つべきだ」という考えがあったようですが、今とは反対に近いですよね。「国立新美術館」など、建物は非常に立派なのに、一切の所蔵品を持たない美術館として作られたので、当然、「コレクション展」はありません。 徳岡神泉の『麦』は3株の麦が植えられた絵でしたが、あまりにも整然と並んでいるのが、人んの手が加わった自然という感じがして、少し違和感がありました。麦の前にはマメ科の植物が花を付けた状態で転がっているのがアクセントになっているようでした。 中村大三郎の『ピアノ』、秋野不矩の『朝』、池田遙邨の『雨の大阪』といった日本画が並んでいました。『雨の大阪』は風の強い雨の日の「淀屋橋」を描いたものでしたっけ・・・?橋の端の階段を下りる女性が手に持っていた紙の束が飛ばされているのがかわいそうです。。。 油彩では、浅井忠、岡田三郎助、鹿子木猛郎、小磯良平らの作品がありました。 シュルレアリスムの作品もありました。小牧源太郎の『民族病理学(祈り)』はわずかにデ・キリコのようなダリのような感じが漂い、北脇昇の『眠られぬ夜のために』は何度見ても解釈が思いつかない作品でした。 日本画では、竹内栖鳳のシンプルな『雨』、池田遙邨の『南禅寺』がありました。『南禅寺』は、遠近法ではなく、立体地図を見ているような描きかたでした。 入江波光の『彼岸』は、竹内栖鳳の『散華』のような感じで、そこにシャバンヌの画風を取り入れたような絵でした透明の袈裟をまとった天女たちが船の上や空中を飛んでいる絵でした。 上村松園の『待月』、菊池契月の『赤童子』、堂本印象の『婦人』といった、この美術館の名品が並んでいました。 「§2-2.京都の近代から戦後美術の『収集』形成-戦後の美術がになったもの」と「2-3.戦後作家と京都ゆかりの作家の『発掘』-2000年以後の美術館の『収集』」の作品は、昭和から平成にかけての作品群でした。 作家も多くは知らない名前で、作品になると、知っているものはありませんでした。 星野真吾の『三猿C』や、三上誠の『作品64.X』といった、日本画なのに抽象の洋画のようなタイトルが付いたものがありました。 「§3.現代の美術館-『展示』から『プレゼンテーション』へ」「§3-1.版画・写真の可能性への『プレゼンテーション』」「新たな戦後美術の流れを受けて、美術が変わろうとした時代に美術館が果たす役割とは何か? 特に、編年的に『並べる』『見る』ことから、どのように『展示する』へ変革したかを考えてみたい」。 ここにやなぎみわの「エレベーター・ガール」の作品が2点ありました。正確にはエレベーターではなく、ムービング・ウォークの上に倒れこんだような格好の制服を着た女性たちです。今見ると、明らかに“やらせ”なのですが、数年前に初めて見たときは「こういう人たちって、仕事が終わったら、こんなに疲れるんだ・・・」と、‘一瞬’思いました。(笑) 最後の展示室は、作品の脇に「質問」のキャプションが貼ってあって、めくると答えが書いてありました。ただ、この答えも本当に正しいかどうかは‘疑問’でした。 「§3-2.『見る』ことを『プレゼンテーション』する作品」ここに「『常設展示』は、当館においては2000年からは単なる『名品展示』ではなく、見る側が何を見るかを明確にした『テーマ展示』を行ってきた」という、はじめに書いた文が掲げられていました。ただ、私としては、「和歌山県立近代美術館」の展示のしかたがいちばんわかりやすく、かつ、楽しめます。「京都市美術館」はテーマを決めて「見る側が何を見るか」を提示しきれていないと思うし、問いかけに対しての解説がほとんどないので、場合によっては作品を見る前よりわからないことだけが増えたように感じることもあります。 野田哲也、井田照一、森村泰昌らの、初めて接する人には難解な作品が並んでいました。 やはり、結局、展示を企画した側の意図が十分に理解できたとは言いがたい展示でした。 ちょうど1時間かかって一通りを見ました。 このあとは、「日展」の会場に行きました。
2014年01月03日
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例年、正月2日は“初美術鑑賞”、3日は“初泳ぎ”だったのですが、今年は7年連続で“初美術鑑賞”に訪れていた「西宮市大谷記念美術館」が空調設備改修のために長期休館中で、開いていません。それで、2日に開いていて、かつ、見たい展覧会をしている美術館か博物館をかなり調べたのですが、結局、見つかりませんでした。しかたなく“初美術鑑賞”を3日にして、その代わり2日から開いていたスポーツ・クラブにきのう行き、今年は先に“初泳ぎ”を済ませました。ただ、ちょっと頑張りすぎで、さすがにきょうはちょっと疲れが残っていました。(^-^;)でも、予定通りにこなしていかないと、見たい展覧会が見切れなくなるので、当然、きょうは予定していた美術館に行きました、それも2つも。。。(笑) まず、「京都国立近代美術館」に行きました。でも、これが失敗でした。。。 「皇室の名品-近代日本美術の粋-」という特別展を見に行ったのですが、正月明けの京都ということで、ものすごい人でした。向かいの「京都市美術館」では「日展」をしているし、歩いて数分のところには「平安神宮」があるので、初詣のついでに見るにはぴったりの展覧会という感じで、チケット売り場には行列ができていました。 コイン・ロッカーも案の定いっぱいで、しばらく空くのを待っていました。この美術館でロッカーの空きを待ったのは初めてだと思います。 会場には並ぶことなく入れましたが、展示作品の前はどこも人だかりができていました。 「第1章.宮殿装飾」では、「1888年に完成したが、1945年に消失した」という「明治宮殿」の内部を再現した展示室に、主に装飾品として用いられていたものが展示されていました。 『綴錦“春郊鷹狩・秋庭鑑楓図”』は豪華な錦織の壁掛けで、現在の「川島織物」が手掛けたものでした。京都の織物と言えば、「川島織物」と「龍村織物」を思い起こします。 『百鶴図花瓶』や『鳳凰高彫花盛器』は、銀に彫金という技法で作られていました。銀製品は時間が経つと色褪せてしまうのが残念ですが、どちらもきれいに輝いていました。 絵画では、山本春挙の『晴天鶴』という3幅対の作品がありました。中央が富士山で、向かって右の軸には松、左の軸には海の岩場が描かれていました。 「第2章.明治時代の美術工芸と博覧会」のコーナーは、明治になって「伝統的な日本画や工芸を制作する作家たちは、江戸以来の有力なパトロンを失うなど打撃をこうむ蒙り、その活動は賃貸してしまう。そこで、皇室は保守派の美術団体による展覧会で作品を積極的に買い上げたり、帝室技院制度を設けるなどして、彼らを擁護し、その制作活動を擁護した」と書いてありました。皇室が作品を買い上げていなければ、残らなかった伝統文化があったということに驚きました。 下村寒山の『光明皇后』は大きな軸装でしたが、肖像画として描かれたものではなく、侍従を従えてひざまずき、手を合わせるほぼ横向きの構図でした。 橋本雅邦の『龍虎図』は横長の額装で、右上に龍、左に虎がいて、にらみ合っているのですが、虎がいるところは波打つ岩場だったのですが、虎って海辺にはいませんよね?単に、構図や配置として適当だと考えたのでしょうか。 高村光雲の彫刻『矮鶏置物』という作品は、タイトルの通り、小ぶりの虎の姿をした置物でした。実物より小さいので、リアルに彫るのは難しかっただろうと思います。 他には、並河靖之の『七宝舞楽図花活』や、青磁に「鳳雲紋」の浮彫の花瓶や香炉もありました。 「第3章.皇室と官展」では、「1907年に我が国初の官展である『文展』が広く認知され、『文展』を主な活躍の舞台とするようになっていった。皇室の買い上げも自ずと文展出品作が中心となっていく」ということで、当時買い上げられたと思われる作品が展示されていました。 川合玉堂の『雨後』、山口蓬春の『三熊野の那智の御山』の他に、上村松園の3幅の軸装の『雪月花』がありました。「雪」と「月」は若い女性がそれぞれ雪と月を見ている姿で、「花」は幼い子どもが2人、散り始めた桜の花の枝を見上げているところでした。 「第4章.慶祝の美」は、「帝室技芸院や当時の代表的な美術家・工芸家たちによる近代日本の美術や工芸の作品」が展示されていました。 堂本印象の『霊峰飛鶴』は6曲1双の大作で、右隻には実物大と思われる鶴が、左隻の左端に雪を頂いた富士山があり、その手前には木々が生い茂る山が描かれていました。通常見かける富士山の絵とは少し異なったものでした。 前田青邨の『唐獅子』も6曲1双の大作で、獅子の輪郭線は20cmほどもありました。 高村光雲の『松樹鷹置物』もありました。 「第5章.皇室と日本美術院」では、「大観と寒山によって日本美術院の再興が図られたが、大観が1913年に突然文展の審査員を外された。同院に所属する画家たちは同院に対抗する形で院展を開催することとなった」ということで、大観たちが献上してきた作品が展示されていました。 横山大観の6曲1双の大作、『朝陽霊峰』がありました。富士山は左隻に描かれていて、右隻には他の山々と朝日が描かれていました。富士山はまばゆいほどに金色に輝いていました。 「第6章.御肖像と大礼」では、「皇室に納められている美術品は、宮殿や皇室の周囲を飾るためのものに限らず、大礼の折に開かれる宴『大饗の儀』で、大正度・昭和度に実際に使用された」作品と肖像画が展示されていました。 天皇即位の際に開かれた「大饗の儀」で実際に使用された今尾景年の『錦軟障』がありました。 銀製のボンボニエールが25個並んでいました。ボンボニエールは主に金平糖を入れるもののはずですが、それにしても小さく、一方で、非常に細かい細工が施してありました。 肖像画(油彩)では、高橋由一の『明治天皇御肖像』や、和田三造の『昭和天皇御肖像』、『香淳皇后御肖像』などがありました。どれも大変写実的でしたが、タッチは思ったより粗く、テレビ越しに見る‘写真のような’感じはありませんでした。 大変な人出で、端折って見たのですが、それでも1時間ちょっとかかりました。すべての作品を、また、気になる作品を落ち着いて見ることはできませんでした。でも、さすがに皇室だけあって、‘すごい’作品を所蔵しているということがわかりました。 落ち着いて作品を鑑賞するには、人気の展覧会は日にちや曜日を考えて行かなければいけないと思いました。 続いて、向かいの「京都市美術館」に行きました。
2014年01月03日
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このブログを開設して日記を書くようになってから、2007年からずっと1月2日は「西宮市大谷記念美術館」に行って、所蔵作品を使った企画展をのんびりと見てきました。でも、今年は、美術館が空調設備の工事のため、去年の9月末からずっと工事中で、次の展覧会は2月の下旬からになっているので、行きたくても行くことができません。7年連続で同じ過ごしかたをしてきた「1月2日」が、今年は違う過ごしかたをすることを余儀なくされました。ずっと前から各美術館の年末年始の開館状況と展示内容をチェックしていたのですが、まず、1月2日に開いている美術館自体がほとんどないし、開いていても見たい展覧会をしていません。それで、今年は2日にスポーツ・クラブに行って泳ぎ、3日、4日と連続で展覧会を見て、5日は再び水泳ということにしました。 1月2日にプールに行ったことはブログを開設する前にはなかった(はずな)ので、2日に“初泳ぎ”ということが初めてということになりました。 まず、きょうはスポーツ・クラブが営業していることはわかっていましたが、混み具合はまったく想像できませんでした。年末年始の休館から待ちわびたように人が来て混雑しているのか、あるいは、まだ完全な松の内でプールに行く気になどならないのか・・・。 行ってみると、実際は‘後者’でした。休館明けだし、人は少ないし、水がとてもきれいでした。 アップをして、きょうは年末年始の特別メニューをしようと思っていました。年末にクロールで「50M」を‘108本’泳いだのですが、きょうはもう少し頑張ろうと思いました。具体的には、プルとコンビで「50M」を60本ずつという内容です。数年前にしたことがあると思っていたのですが、帰ってから調べてみて、さがした範囲では見つかりませんでした。。。・・・逆に、キックが32本という信じられないのはあったのですが。。。 プル・ブイを脚に挟んで泳ぐのもひさしぶりになりました。でも、このほうがスピードは落ちるものの、疲れはコンビより少ないんですよね。脚を動かすエネルギーの多さを実感します。コンビの「50M」より1.5秒程度時間はかかりますが、息が上がり切ってしまわないので楽です。 多少腕がだるくなりましたが、無事に60本が終わりました。 きょうは途中に休憩もイージーも挟まずにコンビに移りました。休憩を挟んだほうが、再び調子が戻るのに時間がかかるからです。でも、さすがにだんだん左の肩が痛み始めたので、「‘108本’で止まろうかな・・・」と考えました。そうなると、予定より12往復(=600M)少なくなるので、当然、合計距離も少なくなるのが嫌でした。(^-^;) というのは、去年1年間に泳いだ合計の距離が‘581.8km’で、これが‘人生で2番めに多く’泳いだ記録になったのです。それで、今年もそこまでは行かなくていいから、最低の目標を‘365km’として、できれば、‘550km’ぐらい泳ぎたいと思うようになりました。 結局、最後の20本ほどはプルとまったく同じタイムがかかってしまって、練習の意味がない状態になってしまいましたが、とにかく私に忍耐力を付けてくれたのも水泳だと思いつつ、無事に合計で‘120本’を泳ぎました。 あとは、イージーを多めに泳いで、最後のダウンも頑張って(?)、結局、合計で8000M泳ぎました。 ---きょうのメニュー紹介(^-^;)--- 「アップ(トータル):700M」「クロール・プル:50M×60、1分サークル」「クロール・コンビ:50M×60、1分サークル」「クロール・イージー:50M×10」「ダウン:800M」 ・・・トータル:8000M 水泳に関しては、年末年始ともに問題なく終わりました。 明日からは展覧会鑑賞です。(^-^;)こちらは去年より‘絶対に’控えたいと思っています。
2014年01月02日
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元日は、例年、隣の両親の家に弟の家族もやって来て、いっしょに過ごします。 例年なら連絡なしで昼過ぎにやって来る弟の家族が、今年はきのう(大晦日)の夜にわざわざ両親の家に電話をかけてきて、「神戸のポートアイランドにある『花鳥園』に行くけど、大丈夫か?」と言ったらしいのです。遠出になるし、両親と私を含めて全員行くかどうかの確認を兼ねて聞いてきたようです。私は行ったことがないところなので、行きたいと思いましたが、弟の車に全員が乗ると、非常に狭苦しいのです。弟の子どもたちも大きくなってきたし。。。でも、結局、全員で行きました。 それで、きょうはまず、「神戸花鳥園」に行きました。「神戸空港」から飛行機に乗るときには、三宮駅からポートライナーに乗って、この花鳥園前を通り過ぎて行きます。 着くと、元日だというのに(元日だから?)、結構人がいました。 3時からバード・ショーがあるということで、それまで各自適当に鳥のケージを見ていました。私はふくろうのコーナーを丹念に見ました。 そのあとは、池にいるオシドリや鴨の仲間を見ました。本当にオシドリのオスはきれいな色をしていますね。 3時になる少し前に、ショーのコーナーに行きました。 30分ほどの間に、3種類の鳥の曲芸(?)を見ました。 舞台から観客席へと、羽の先が頭をかすめるくらい低く鳥があちらこちらに飛び回りました。 そのうちの1種、「オニオオハシ」です。・・・この写真はあとで枝に止まっているのを撮ったものです。 くちばしが重くないのかと思っていましたが、中はすかすかだそうです。 ショーを見たとは、他の鳥のコーナーを見て回って、最後にスイレンの池を見ました。温室状態になっているので、季節外れの花があちらこちらで咲いていました。 いちばん驚いたのは、近所の花屋やホームセンターなどで見かけるありふれた植物が、どれも巨大だったことです。温度や栄養状態などが理想に近い状態に保たれているからか、ポインセチアやゼラニウムなどはどれも3メートル近くあり、ポトスも恐ろしく高いところから吊るしてあって床近くまで届いていました。 「花鳥園」を出て、両親の家に戻る途中で、程よい規模の神社の前を通りかかったので、急拠、車を止め、そこで初詣をすることにしました。 その後、両親の家まで車を走らせ、トランプをしたりテレビを見たりして、夕食も食べました。 おせち料理は今年も大丸のです。(笑) 食後はケーキも食べて、おなかいっぱいになりました。 しばらくみんなでテレビを見て、弟たちは帰って行きました。 私は早速明日から、プールへ、美術館へと行く予定です。(^-^;) 今年もこのブログをよろしくお願いします。m( _ _ )m
2014年01月01日
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