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「試合」というと、レスリングを始めとして、格闘技を通じての経験がほとんど。体育館やホール、室内で開催されるものばかり。いい試合、勝った試合のときには、いつも不思議な感覚がありました。この空間内であれば、今日はなんでも自由になる感。どんな強い相手にも負ける気がしませんでした。個人競技とはいえ、一緒に練習してきた仲間がそこにいて、お互いにセコンドについたり、ウォーミングアップの手伝いをしたり。観客席から応援してくれる家族や友達もいる。対戦相手にも同じように仲間も友達もいて、全部含めた一体感。きっと自分を、全体の中の一部として感じることができていたのでしょう。自分が全体なのだから、もう無敵。逆に、せっかくいい試合をしていたのに、なぜか急に全体から分断されたとき。対戦相手さえ見えず、痛い、きつい、しんどいと、自分のことばかりが気にかかる。3歳くらいの頃でしょうか。お風呂で髪を洗ってもらうときに、頭にお湯をかけられるのが怖くてしかたがありませんでした。お湯が頭からジャバーッ。目も鼻も口も耳もふさがれる、ほんの一瞬。この世界に自分しかいないんじゃないか、と迫る取り残され感が、ほんとに怖かった。シャンプーハットが手放せませんでした。一度だけ、屋外のリングで試合をしたことがあります。青空シャンプーハットの下は広すぎて、自分がどこかにとけちゃった感が。相手に蹴られて、我に返る。とけた中からなんか出てきたけど、遅かった。シャンプーハットも、体育館ハットも、青空ハットも、かぶりこなして卒業して。踏み出した一歩は、地にも天にも、シャンプーハット銀河にも届くのです。
2013年09月27日
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初めて何かに挑戦したときのことって、覚えていますか?受験、試合、発表会、告白etc. いろいろありますよね。男なら小さい頃、近所の川を飛び越えるとか、登り棒の上まで登り切るとか。向こう岸まで距離が届かずドボンッとはまったし、上まで登って横棒に座ったはいいけれど、足がすくんで降りられなくなりました。プロレスラー、ミル・マスカラスの弟、ドス・カラス(青い覆面がそう)が好きでした。試合が終わると、リングを囲むトップロープを鉄棒の前回りのように使って、リングの端に片手逆立ちのように手を付き、体を半回転させながら飛び降り、さっそうと退場していきます。中学校周りに張ってあったフェンスで真似をしていました。さらには、ドス・カラスが半回転なら、こっちは一回転だ! と、真っ縦に。最初は何度も失敗して尻もちをついたり、勢いがつきすぎ、前のめりに顔から地面に突っ込んだりして、見ていた友達に笑われましたが、恥ずかしいとは思わなかった。川に落ちたときは恥ずかしかったのです。登り棒ではさらに。この違いは何でしょうか。向こう岸を見て、ただがむしゃらにGO! のときは、向こう岸とつながっていなかった気がします。着地したあとのイメージがないから、岸の手前の空中で時間が一瞬止まり、直後にドボンッ。登り棒もそう。木に登って降りられなくなった猫みたいなもの?ドス・カラスを超える退場シーンをイメージしていると、笑っているはずの友達が、頭の中では、リングサイドで大きな拍手を送ってくれている観客に。失敗して恥ずかしいと思うくらいの気持ちなら、本気ではないのかもしれません。あ、でも、猫には猫の本気があるはず。猫時間の進み方があって、降りる方法を、ゆっくり考えているのかも。人時間の感覚で心配するのは、余計なおせっかいかもしれません。木の上で、枝にひっかかったままぐったりしている猫って、見たことないし。「せっかく助けてやったのに、手をひっかきやがって〜っ」は、人の勝手な勘違い。「じゃまするニャ!」って言われているのかも。なぜか、猫フォローに入ってしまいました。キャット・ウーマン。 ミシェル・ファイファー版もアン・ハサウェイ版もかっこよくて、どちらも大好きです。まとめようとして、逆にとっちらかってしまった感が……これも初挑戦(?)ということで。
2013年09月20日
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買ってきたばかりの真新しい本。ベッドの中で読みながら寝入ってしまい、床に落として角が曲がったりするのはショック。本はできるだけきれいなままにしておきたいため、気になったところに線を引くのも苦手です。かわりに、大きめのポストイットを表紙に貼り、例えば「110ページの8行目」なら「P.110 L.8」と、略してメモすることにしています。メモには書名も。横着して書かないでいると、いつの間にかはがれ落ちたときに、どの本に貼ってあったのか分からなくなるのです。見当をつけて照らし合わせてみても、「ん? こんなところが気になったはずは……」と、なかなかもとの本に貼り戻せません。P.110 L.8のあとに、思いついたことを一言でも書き込んでいると、あ、あの本だ!とすぐに思い出せます。ただ、走り書きすぎると読めない上に、もとの本も見つからないまま、モヤモヤが倍に。そんなモヤモヤを脱出するコツのひとつは、「歩く」こと。読めない走り書きのことをボーッと考えながらテクテク……そのうち「あっ!」と思い出せたり、全然違うけれど、よいアイデアを思いついたり。なぜか、メモもうまく貼り戻せたりします。映画「風立ちぬ」では主人公と親友が、研修先のドイツでのある夜、将来について、二人で延々とタバコを吸いながらモヤモヤしたあと、「歩こう!」と、コートの襟を立て、宿舎の外へ出かけていきました。75歳女性のお客様。この夏の猛暑で、ウォーキングの習慣が途絶えてしまいました。動きたくない、食べたくないを続けているうちに、体調や気持ちの低下に危機感を感じ、秋に入って再び歩き始めたそうです。歩きながらよい考えがひらめいたり、気持ちや体調が回復することを、人は本能的に知っているようですね。メモには読了日も。何年か後に本棚から手にとった一冊を、メモをたどって読み返してみると、当時気になったはずの言葉が、それほどではなくなっていました。はがれ落ちるのではなく、もう必要なくなって、自分の手ではがすにはよい季節。素敵な秋を過ごしましょう。
2013年09月13日
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新しく買ってきたばかりの服を、ちょっとした不注意で汚したり破ったりしてしまったら、誰だってショック。けれど、心配しすぎるあまり、初めから買わない、アウトレット物ばかり買う、せっかく新品を買っても大事にしまっておいてめったに着ない、なんて選択ばかりしていたら息がつまります。のびのび動けないですよね。服の役目のひとつは、人に着られて喜ばれるため。しまわれっぱなしは嫌なはず。精一杯大事にしていても、予想もつかないような出来事が起こってシミがついたり、どこかにひっかけ、破ってしまうこともあります。買ったばかりの白衣にコーヒーこぼして、慌てて部分洗いしたり。気に入って、まだ何度か着ただけのダウンジャケットに、かついだアーミーバッグの金具の角で、穴を開けてしまったり。疲れて机に足を上げて休もうとしたら、隣のスチールラックのネジに、おろしたての靴下をひっかけて破ったりも(行儀の悪いことするからですが)。「ああっ、あのときあんなことしなきゃよかった」と、しばらくは落ち込むけれど、受け入れ、立ち直って、もう一着買ってきた同じ服を着るとき、持ち主は強くなれます。そんな経験をさせてくれるために、初代はあえて、辛い役目を買って出てくれたのかもしれませんよね。破れた服から受け継いだ意志まで、一緒に纏っているような力強さ。経験は、いずれ誰かの役に立ちます。去年の秋。お気に入りの上着を出先に忘れて失くし、へこんでいると、施術中、話して下さったお客様。体からも、がっかり感が伝わってきます。「大事にしていた物を失くしたときって、実は自分に降りかかりそうな災いを、そいつが一緒に持ち去ってくれたんですって」以前、大切な指輪を失くした均整の先輩から聞いて感動した話を伝えると、「かなりテンション復活しました!」と喜ばれました。体にもみるみる張りが出てきました。最初は、気心知れた友達にしか打ち明けられなかった失敗談も、自分の中で整理がついて、みんなに気軽に話せるようになったら、きっと誰かの役に立ちます。まだ整理のついていない経験、たくさんあるのでは? なんてツッコミはなしで。整理をつけつつ、当ブログがたくさんの人のお役に立てるよう、これからも精進します。
2013年09月06日
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