全30件 (30件中 1-30件目)
1

今日は、キッズプラザのイベント「サンドペインティングを体験」に参加した。アニメーション作成の一環だが、普通の日は、背景の絵の上にキャラクターを置き、それを少しずつ動かして駒撮りし、最後に連続して見せるのに対し、今日のは、砂の上に絵を書き、少しずつその絵を変えて行くというもの。世界的にも有名なフェレン・カーコ氏の「サンドペインティング」は独自の技法でクラシック音楽と合わせたアニメーションとして高く評価されている。氏の作品はNTT西日本のコマーシャルに使われていて、当社のホームページ又は、カーコ氏のホームページで見ることができる。 http://www.ntt-west.co.jp/news/0408/040810.html http://www.cakostudio.hu/images/sand/sand.html体験会では、最初にアニメーション作家石川茜さんが、実際にサンドペインティングを実演し、次に子供たちがそれを真似てやって見た。一人が3コマずつ作り、続きを他の子が作るという方法である。次にそれぞれ1台のパソコンの前に行き、今度は片栗粉で30コマのアニメーションを作ることに挑戦した。30分~1時間で全員の作品が出来あがり、最後に皆の作品の鑑賞会を行った。子供の想像力は豊富で、いい作品ができた。感想としては、サンドペインティングは絵が描きやすいが、片栗粉は書きにくい感じがした。砂ではうまく濃淡も出るが、片栗粉では出にくい。下記は、子供がサンドペインティングをしているところ(上)とアニメーションの一コマ(下)。今日、活動日でもないのに、サンドペインティングを体験しに行くのは、私だけだと思っていたら、Yさん、Tさん、Iさんも来ているのでびっくりした。スタッフのFさんのご主人にも会った。午後は、義母を車椅子で散歩に連れ出す。さつき、ツツジ、花水木、藤、オガタマ、シャリンバイほかの花がきれいに咲いていた。オガタマというのは、甘いいい香りのする花だ。さつき咲き 母に見せむと 車椅子
2005.04.30
コメント(0)

今日からちまたでは、ゴールデンウィークだそうだ。万年日曜日の私には関係のないこと。午前中は、折句「ちまき」を考え、下記15句をすずらん会HPに投稿した。 ち ま き 遅延して 増すスピードで 急カーブ 超速で 曲がり切れずに 凶惨事 血の気引く 魔がさす運転 客憐れ 着駅に 間に合うことを 気にし過ぎ 致命的 まさかの惨事 危機管理 中国の 間違い教育 気にかかる 中国に 町村外相 気合負け 着々と 曲がりなりにも 期は熟し 中日に 負けて阪神 気が滅入る 長期戦 まだ阪神に 希望あり 珍現象 また最下位の 巨人軍 縮こまり まだ打てないか 清原君 中ジョッキ まず一杯と 気勢上げ チューリップ 真っ赤に咲いて きれいだな 千鳥淵 満開桜 競い合い画像は、大川端の桜に実をつけ始めたサクランボ。あと10日ほどすればもう少し赤く大きくなる。食べて食べられないことはないがあまり甘くはない。サクランボはすべての桜の木にできるわけではない。やはり雄とか雌とかあるのだろうか。枝の中 ポツリと赤き 桜の実
2005.04.29
コメント(1)

今日は、午前中は、関西ぱずる会の会誌の索引作り、デジカメ写真の整理(焼増し枚数の調査)などを行った。午後は、大阪くらしの今昔館で開催されている「中国の歴史都市写真展」を見に行った。写真家京極寛氏の写真を中心に、中国の都市や住居の様子が紹介されていた。中国では、長い歴史と多彩な気候風土、多様な民族により、各地でさまざまな住いや暮らしの文化が培われてきた。今回の展示会では、5つの特徴ある都市の住居が写真と図で紹介されていた。日本のようにどこへ行っても同じような住居・建物とは違い、これら5つだけでもそれぞれが特徴的である。さすが広い国、多民族の国であると実感した写真展であった。1.北京、西安の四合院住宅 中庭(院子)を中心に回りを4つの棟が取り囲む住宅。北京のものが一般的。2.江南古鎮=水郷鎮の住宅 住居の一方が水路に接し、三合院となっている。 江南地方は湖沼が多く、水路が巡り、蘇州は東洋のベニスと言われる。3.雲南省西北部=少数民族の住居 (麗江、大理) ナーシー族の住む 麗江古城は海抜2400Mの高原に広がる古都。世界遺産登録 4.安徽省南部の徽州民居 世界遺産登録の名山である黄山があるところ。 民居は、南側入口に開口部があるだけで四方は壁。2階天井に明り取りがある。5.江南地方(上海や天津など)の里弄住宅(集合住宅) 2階~3階建ての長屋形式の赤レンガの連続住宅。南風(みなみ)吹く 中国歴史 都市写真
2005.04.28
コメント(0)

今日は、大阪城早朝探鳥会に参加した。1月から参加しているので今日で4回目である。1~3月は、冬鳥、特に水鳥を観察することができたが、今回は一転して、夏鳥、特に山鳥を見ることができた。今日見ること(あるいは声を聞くこと)ができた鳥は全部で18種。ダイサギ、キジバト、コゲラ、ツバメ、ヒヨドリ、コルリ、クロツグミ、シロハラ、センダイムシクイ、キビタキ、オオルリ、ヤマガラ、シジュウカラ、アオジ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラスキビタキは高い木の上にいた。鳴声がとてもきれいだ。ヤマガラも鈴のような声できれい。クロツグミは地面に降りて来たのを見た。黄色いくちばしと黒い背、まだらの腹が印象的だ。シジュウカラは、高いポールのてっぺんに停まっていた。シロハラは地面に降りていた。ダイサギは大空をゆうゆうと飛んでいた。オオルリは白い腹に青い背中がきれいな鳥だ。センダイムシクイは小さな鳥だが鳴声がいい。ツルチヨギミ(鶴千代君)と聞こえると言われているそうだ。外堀には、水鳥の姿はなかった。皆、北へ帰ってしまったのだ。大瑠璃の 大阪城を 背にし鳴く探鳥会を終えてから、キッズプラザのシフトに入った。今日は、午前中はたくさんの団体のお客さんで大忙しだったが、午後2時以降は、親子連れだけで静かになった。今日は、普通のパソコンゲームのほか、こいのぼり作り、アニメ作りなどをした。指導員は小林さん、一緒に活動したインタープリタは、新人の久保さんと中上さん。みんないい人だ。PIPClubの説明をし、入会していただいた。
2005.04.27
コメント(2)

今日は、午前中は、昨日の句会のまとめの作業を行った。午後は、高島屋で開催されている「岡倉天心と日本美術院展」に行った。近代日本美術のパイオニア岡倉天心が、明治31年(1898年)に創設した日本美術院、その100余年の歴史を辿る作品を一堂に展示したものであった。原則として1人1点に絞られた作品は約80余点、いずれも大作・力作で素晴らしいものだった。殆どが故人の作品であったが、最後に現理事10人の作品も展示されていた。作品は、下記のように分けられて展示されていた。第一期日本美術院 洋画の影響を受け、朦朧体(輪郭を書かないこと)を提唱尾形月耕、寺崎広業、小堀鞆音、西郷孤月、下村観山、菱田春草、橋本雅邦、横山大観鑑画会、共進会時代 フェノロサが、絵の三要素として、線、色彩、明暗を主張。狩野芳崖、川端玉章、今尾景年、渡辺省亭、富岡永洗、山元春挙、梶田半古、川合玉堂、上村松園、竹内栖鳳、鈴木清方、池田蕉園、池田輝方昭和9年、日本美術院が再興される。 横山大観、木村武山、荒井寛方、今村紫光、安田靭彦、小林古径、前田青邨、山村耕花、橋本静水、小川芋銭、筆谷等観、冨田渓仙戦後に活躍した画家冨取風堂、奥村土牛、小松均、小倉遊亀、小谷津任牛、中村貞以、北野恒富、速水御舟、小茂田青樹、郷倉千靭、真道黎明、堅山南風、北沢映月、岩橋英遠、酒井三良、田中青坪院展図録の表紙絵となった画家 月岡栄豊、守屋多可志、森田鉱平、長谷川青澄、荘司福、菊川多首、吉田善彦、樋笠数慶、島田訥郎、塩出英雄、中島多茂津、羽石光志、中島靖之、 現在の理事 今野忠一(1915-)、平山郁夫(1930-)、福王寺法林(1920-)、郷倉和子(1914-)、松尾敏男(1926-)、鎌倉秀雄(1930-)、後藤純男(1930-)、福井爽人(1937-)、下田義寛(1940-)、片岡球子(1905-)画伯描く 朦朧美女の 薄暑かな
2005.04.26
コメント(0)

今日は午後から句会の日、午前中は投句用5句の選定を行った。今回も、句の数は沢山作ったのだが、どれを選ぶかを迷った。あまり会心の作はなく、かと言って捨てるに捨て切れずというものばかりだから。句会では、5句のうち、先生から2句選ばれたのを含め4句が選ばれた。1句はだれからも選ばれず選外だった。先生に選ばれたのは、次の句。 豪快に 炮烙を割る 壬生狂言 真直ぐに 生きる信念 松の芯上記以外で仲間に選ばれたのは、次の句。 菜種梅雨 明日は晴れよと 旅支度 春日傘 二つ並んで 立ち話選ばれなかったのは、次の句。 押さるるに 任せ桜の 通り抜け下は、壬生狂言の炮烙割りの写真 http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/saijiki/sjE860C30ACA21B2C249256D9100021586 より豪快に 炮烙を割る 壬生狂言
2005.04.25
コメント(0)

今日は、午前中は、報道2001、日曜美術館、日本再発見・蘭の舘などを見て、午後は、大阪市立美術館で開催されている「大唐王朝 女性の美」展へ行った。天王寺公園は、色とりどりの花が咲き乱れ、大変きれいであった。公園内は家族連れなどで賑わっていたが、美術館へ行く人は少なかった。あまり宣伝されていないからかも知れない。「女性の美」とは何を見せてもらえるのかわからなかったが、とにかく入場した。今回の特別展の会場は、1階の南側だけで、展示品の数も少なかった。それでも、10室ある各部屋に観覧者は数人しかいなかった。観覧はゆっくり見たが、30分くらいしかかからなかった。唐は7世紀から10世紀にわたって中国に君臨した大帝国。女性皇帝である武則天(則天武后)や、楊貴妃など「王朝を動かす女性たち」が活躍したのがこの時代。このような中で、色鮮やかで優雅な服装や新しい髪型、精巧な装飾など女性を取り巻く様々な文化が開花した。このファッションは日本にも伝わり天平美人のモデルになったのだ・・・とパンフレットには唱ってある。 入場して初めて知ったのだが、今回の展示は、山西省や峡西省などの墳墓から出土した棺や副葬品のうち、俑と称される人形を中心にしたものである。俑のほか、実際に用いていた化粧道具や家事道具のミニチュアも副葬されていて、それも展示されていた。当時の人は、死後再生を信じていたのだ。石棺には仕女の絵の彫刻がなされ、墓室の壁には仕女の絵が描かれていた。その衣装や装身具も多種多彩である。俑は生前の死者の姿を写したものと考えられ、唐三彩の技法で鮮やかに着色されている。騎馬に乗っている騎馬俑も多い。楽器を持った演奏俑もある。これらの俑や副葬品(髪飾り、簪、櫛、毛抜き、鋏、匙、印鑑、盒、水差し、盤、壷、香炉、盃、鏡など)により、当時の宮廷生活が大変豪華なものであったことが想像できる。俑も初期には高さ20-30センチくらいであったが、後期には70センチくらいの大きなものも作られている。中国の兵馬俑は有名で何度か見たことはあったが、時代が下り、唐の時代にこんなに豊かな表情をした唐美人の俑が作られていたことは知らなかった。北館一階、二階の常設展も見て、ちょうど1時間ほどで美術館を出た。帰りはいつものように恵沢園に立ち寄ったが、今日は、水鳥の姿も小鳥の姿も見ることはできなかった。行く春や 唐代美女の 俑に酔ひ
2005.04.24
コメント(0)

今日は、神戸の兵庫県立美術館で開催されている「ドレスデン国立美術館展」を見に行った。ドレスデンは、ドイツの東部にあるザクセン州の州都で人口50万人の町。戦前は、美術・音楽・工業の発達したドイツで最も美しい町であったが、1945年2月の空襲で町は破壊され人口の1割を失う被害を受けた。戦後は、旧東ドイツとなり町も復興しつつあったが、1987年の統一後、急速に復旧・整備が進められたそうだ。ドレスデンには、絵画館・博物館・陶磁器館・数学物理サロンなど12の美術館があり、今回の展覧会は、そこから200点が展示されるもの。春昼や ドレスデン展 賑はひぬ土曜日のためか、人出はかなり多かった。展示は7部に分かれている。呼び物は、フェルメールやレンブラントの絵であったが、入ったとたん、第1部の入口に置かれた巨大凹面鏡に驚かされた。実は、第1章は、美術収集室の紹介であるが、王のコレクションは広範囲で、美術以外にも科学機器や道具類にも亘っていたのだ。集光鏡、四分儀、天球儀、地球儀、日時計、望遠鏡、人形時計、人体解剖図、立体工芸品など実用品兼芸術品といえるような品々が展示されていた。第2章は、オスマントルコとの関連。ここでは、16世紀に、トルコの影響を受けた美術品が展示されていた。短刀、剣、鎧、メダル、水差し、天幕、陶器人形、馬装具、騎馬行列の絵など。第3章は、イタリア芸術への憧憬。ザクセンの王は、イタリア芸術に憧れ、絵を購入したり芸術家をドレスデンに招聘したりした。ヴェネツィア絵画を確立したティツィアーノ、カプリッチョ、マルコ・リッチ、カナレット、ベロットなどの絵が展示されていた。ティツィアーノの「白いドレスの女性」は見事。他は風景画が多いが概して暗い感じがする。しかし、ベロットの描くドレスデンの風景は大作であるが、明るくかつ細密である。他に、王がミラノのメテリーノに作らせた龍型装飾水晶杯は、水晶加工芸術の粋とも言えるものであったし、フィレンツェのラヴォーリに作らせた貴石モザイク装飾箱も見事なものであった。第4章は、フランスとの関連。18世紀、フランスがルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿文化がドレスデンにも取り入れられた。この時代の王はアウグスト強王。展示物の圧巻は、強王のダイアモンドコレクション。こんなに大きいダイアをこんなにたくさん1度に見たのは初めてである。勲章、剣の柄、肩章、ボタン、留め具など12点。視線を変えるとそれぞれの輝きががいろいろな色に変わる。現代のような高級なカット技術がなかった頃の作品(ローズカット)がこれなので、今の技術でカットするとどんなに素晴らしい輝きになることか。大きいものは3万カラット以上。数百のダイアが使われている。他の展示物は、飾り鞍、礼服、数々のメダル、台座、銃・ピストル、騎馬像、彫刻、絵画、豪華本など。豪華本は、ヴェルサイユの迷宮、ルイ14世伝、ルイ15世戴冠式、図案集、植物史、数学論など。第5章は、マイセン磁器と東アジア。すなわち、中国・日本の磁器をを真似たマイセン磁器の発展。展示はよくあるパターンであるが、中国または日本(有田)の焼物とマイセンの焼物を並べたもの。水瓶、杯、急須、碗、文瓶、皿、人形、蛙など10数組が対比されていた。中には、殆ど変わらずどちらがマイセンか分からないものもある。皿などはマイセンの方が白がきれいである。ちなみにマイセンはドレスデンの近くの町である。この頃特許権法や著作権法があればたちまち権利侵害として国際問題となっていたことであろう。焼物だけでなく、漆器や家具(椅子、時計、長持など)の意匠なども真似されたものがある。しかし、日本や中国の技術や芸術がヨーロッパより進んでいたということが認められたことは結構なことである。第6章は、オランダとの関係。お待たせ、レンブラントやフェルメールの絵に出会えるところ。初めにレンブラントの「ガニュメテスの誘拐」の絵が目に飛び込む。鷲が子供をさらう絵柄。今回来日のための絵の洗浄によって、左下に泣き喚く母親の姿が描かれていたことが発見された作品。ここには、その他、ブリンク、バッケル、ダウ、コーニンク、ポールテル、ブラーメル、エークハウト、デンナ、ディートリヒなどのオランダ絵画が展示されていたあと、次の部屋に待望の1枚、フェルメールの「窓辺で手紙を読む少女」の絵が展示されていた。光を巧みに表現した技巧には感心させられる。部屋に1点だけなのでゆっくり見ることができ3分くらい眺めていた。最後の第7章は、ドイツのロマン主義絵画の傑作。先駆けは17世紀の風景画家ロイスダール。その他、ティーレ、ツィンク、クレンゲル、フリートリヒ、カールス、エーメ、ダール、ギレ、ハインリヒ、リヒター、ルンゲなどの風景画が展示されていた。油絵というのは、平面画ではなく立体画だということが良く分かった。波や木の枝など、絵の具が盛りあがっているので、目を動かすとを波や枝が動くのである。最後に、ドレスデンの町の歴史と12の美術館群の紹介ビデオ(現地作成)を映していた。ドイツの一つの町であるが、芸術的に日本の京都に匹敵する町であると思った。この町を空爆した戦争が憎く思えた。コレクション展では 安井仲治の写真、常設展では小磯良平、金山平三の作品を見た。鈴木清二の「雲と牛」の絵もあった。赤くどぎつい雲と堂々とした牛の姿の対比は雄大さを感じさせる絵である。この展覧会は、5月22日まで兵庫県立美術館で開催後、6月28日から東京の国立西洋美術館で開催される予定。展覧会の詳しい情報は、下記、日経新聞のHPで見られる。http://www.dresden-ex.jp/
2005.04.23
コメント(0)

今日は、ほとんど家にいて、特段何もせずに過ごした.午前は、新幹線の予約をしに行った。前月の同日から予約ができることを知っていたので、9時半頃に行ったら10時まで待って欲しいと言われた。前月同日の10時からだということは、初めて知った。その他、写真の注文、散髪など。家では、パソコンのファイルの整理や、日経パソコンの拾い読みをした。世の中、ポイントカードはやり。行き付けの散髪屋でも、ポイントカードをくれた。10回たまると無料になるらしい。その他、個人カルテのようなものも作られていて、いつどんな髪型にしたかを記録するようになっているのだそうだ。こちらは、あまり管理されたくないのだが・・・胡蝶蘭 創りし人の 情偲び
2005.04.22
コメント(0)

今日は、午後、大阪国際会議場で開催されている「'05日本書芸院役員展、山本發次郎コレクション展」を見に行った。国際会議場の3階大ホールが狭く感じるくらい膨大な量の作品群にまず圧倒された。会場の4分の3くらいを占めるのが、日本を代表する書家(日本書芸院の役員)293人の作品展示。漢字、かな、てん刻、調和体の4部門に亘り、最高水準の書が見られるのだから、量とともに質も最高。24人の書家による「超大作魁星作家コーナー」では、高い天井まで届くような大きな作品が並び迫力満点であった。字はすべて、活字が付けられていたので、見比べながら鑑賞することができた。残り4分の1のスペースが、特別展観の「山本發次郎コレクション展」。大阪の実業家山本氏が収集した江戸時代の墨蹟580点の中から、白隠、寂厳、慈雲、明月、仙崖、良寛の作品70点が展示されている。6人それぞれ文字に特徴があり味わいがある。特に、白隠、明月、仙崖の作品は、書とともに絵も一緒に書かれていてその絵にも趣がある。書道展 入口飾る 百合の花帰りに梅田に立ちより、ヨドバシカメラで双眼鏡、紀伊国屋で俳句の本を買った。
2005.04.21
コメント(0)

今日もマンションの庭に咲く花の紹介。カリンの木が数本植えられていて、4月始めころからピンクの可愛い花を咲かせている。先日、他のブログでも見かけたが、私も上げておく。さりげなく かりんの花の 咲きにけり今日は、雨模様なので、昼間は外出しなかった。デジカメ写真の修正と整理などをした。
2005.04.20
コメント(0)

マンションの庭には、今、春の花が次々と咲き始めている。山桜、ユキヤナギが終わり、紅枝垂れが満開、コブシ、ライラック、カリン、ドウダンツツジ、ツツジ、キリシマ、サツキ、ヒイラギ南天、などが見ごろである。草花もシバザクラ、ハナニラ、サンザシ、サイネリアなどたくさんの種類の花が咲いている。花の名は、分からなくても大抵は名札があってそれで知ることができるが、名札のないものもある。昔は、名前など知ろうとは思わなかったが、俳句を始め、自然を観察するようになってから、分からないものも名前を知りたいと思うようになった。そういうときは、花の形、葉の形などを覚えておいて、図鑑で調べると大抵はわかる。鳥や木や草などの名前も同じである。どうしてもわからないときは、写真に撮っておいて、博学の友達に聞くことにしている。このブログ日記でお尋ねしたこともある。いつも、すぐに教えてもらえるので、感謝している。今日の花は、ライラック。北海道ではあちこちで見かけるが、大阪では珍しいと思う。重さうな 房持ち上げし ライラック
2005.04.19
コメント(2)

今日は、一日中外出せず、パソコン、ビデオ、俳句などで過ごした。屋外の画像がないので、先日(15日)郵趣サロンの1リーフ展に出展した「桁分割可切手4方陣」を紹介する。12から27の数を使った4方陣。方陣の定和(縦、横、斜めの4数和)は78になる。各数を10位の数と1位の数に分けても、方陣は成立する。10位の数の4数和は6、1位の数の4数和は18になる。各数を、切手で置き換えたものが、左側のリーフである。春惜しむ 切手方陣 趣を凝らし夜は、BS2で、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を見た。子供の頃、原作は読んだはずであったが、ほとんど忘れていて、全く初めて見る感じがした。童話というより、大人にも考えさせられる、内容の深いアニメであった。
2005.04.18
コメント(0)

今日は、Yさんと京都府立植物園へ行った。初夏を思わせるような暑い日であった。京都駅から地下鉄に乗り、北山で降り、地上に出るとそこが植物園の北入口である。始めに「陶板名画の庭」に入った。8点の名画が陶板で複製されて壁を飾ってある。その8点は、1.モネの睡蓮2.鳥羽僧正の鳥獣人物戯画3.張択端の清明上河図4.スーラのラ島の日曜日の午後5.ダビンチの最後の晩餐6.ミケランジェロの最後の審判7.ルノアールのテラスにて8.ゴッホの糸杉と星の道1.4.5.6.は原寸大、2.3.7.8は2倍に拡大されたものである。この陶板名画は、1990年の大阪鶴見花博のとき、ダイコク電機が展示したのを、私は見たことがあるが、その後、新たに制作されたものを加えて、京都府に寄贈されたものだ。地上から地下に掘り下げられた大壁面に掲げられている絵を、螺旋階段を降りながら鑑賞するようになっている。特に、最後の審判の大画面は素晴らしく、圧倒される。絵の人物の説明を見ながらじっくりと鑑賞した。「陶板名画の庭」を30分ほど見て、京都府立植物園に入った。右手に桜の花が集まって咲いているところがある。園内には珍種・奇種を合わせ約70種500本の桜があるとのことだが、この一帯に殆どの種が集められているようだ。昨日、桜の通り抜けで見かけた名前の桜も沢山ある。だた、造幣局の桜と比べるとみんな小振りで、密植され過ぎている感じであった。桜の種類の多さや見事さは、造幣局に及ばないが、こじんまりと鑑賞できるのが取り得であろう。春の汗 植物園を 撮り歩き 桜を堪能した後は、園内の散策。いろいろな花が咲いている。ソメイヨシノはほとんど葉桜になりかけているが、枝垂桜は満開であった。チューリップは満開のもの、これからのものなど混じっていて華やかだ。木の花では、さつき、やまつつじ、椿など。いろいろな木の芽、若葉もきれい。草花も、桜草、芝桜、ラッパ水仙などたくさん。まだ咲いていないバラ園のそばを通り、楠の木の並木を抜け、左に入ると、植物園会館。そこでは、しゃくなげ展が行われていた。立派な鉢植えの花を鑑賞した。2階の喫茶で休憩後、今度は、温室に向った。温室では、珍しい植物をたくさん見ることができた。例えば、ピンクのパイナップル、翡翠色のパイナップルの花、ババナ、幹から直接実がなるブドウ、カカオなど。園内には、随所に彫刻が置かれていた。探していたキューピッドの彫刻は見つからなかった。帰りは、北大路側に出て、満開の枝垂桜を見ながら、鴨川の岸に出た。岸に座って休息しながら川面を見ていたら、セグロセキレイを見つけた。どんな種類かはわからないが留鳥となったカモもいた。しばらく休息した後、地下鉄で京都に出て帰阪した。ちなみに、入場料は、名画の庭が100円、植物園が200円、温室が200円であるが、60歳以上の者は、証明さえできれば、だれでも無料である。もちろん私も無料で見せてもらった。
2005.04.17
コメント(2)

今日は、午後から、造幣局の桜の通り抜けに行った。お天気に恵まれ土曜日とあって大変な人出であった。花は、丁度見ごろで、いろいろな種類の美しい桜を心ゆくまで堪能した。この4、5年は、毎年この通り抜けに来ているが、今日の桜の状態は、これまでで一番よかった。まず、咲き終わった桜がほとんどない。しおれかけの桜もない。蕾のまだ残る木もあるが、花の咲いていない木はない。このようなことは初めてだ。いつも、割き終わった木と、まだ咲いていない木が同居するので、全部の桜の咲いているところを見ることはできなかったのだ。今日は、それができた。寒さで開花が遅れていたのが、暖かさで一気に咲いたのだろう。人出もすごかった。いつも、ゆっくり写真を撮りながら歩いて30~40分もあれば見終わるのに、今日は、1時間以上かかった。前半は道が広いが後半は狭いので、正に押し合いへし合いである。どの花も今が一番の見ごろなので、デジカメや携帯で写真を撮る人も多い。誰が撮ってもきれいに撮れそう。私もたくさん写真を撮ったが、2枚だけ紹介する。一枚は、通り抜け会場の混雑状況。一枚は、今年の花である「紅華」押されるに 任せ 桜の通り抜け造幣局では、毎年、一種を選び、今年の花として紹介している。今年の花「紅華」は、濃い紅色の花が密生して咲き、その咲き方が華やかであることから名づけられたもので、花弁数は30~40枚である。通り抜けは、19日まで、あと3日だけ。まだ行かれていない方は、明日是非行くようお勧めする。夜は、キッズプラザの会議があり、出席した。出席者は21名だった。新インタープリター、新指導員、新スタッフの自己紹介、クラフトの実習などがあった。
2005.04.16
コメント(0)

今日は、午前中は切手の整理、写真の整理などを行い、午後は、切手収集の会「郵趣サロン」に参加した。その後、高島屋で開催されている「瀬戸陶芸の精華展」を見に行った。郵趣サロンは、始めに年度始めの総会があり、世話役が交代した。私も8人の世話人の一人になった。菅氏と一緒にリーフ展やコレクション拝見、オークションなどの世話をすることになる。今日は、一年間の表彰も行われた。私は、皆勤賞と最多出展賞と受けた。また、今日は1リーフ展の日で、18人が出展した。投票の結果、票の多い順に、8票、6票、5票、5票、4票と票が割れ、私は4票で5位だった。優秀作は、酉の字の切手を集めたもの、2位は、愛知万博の初日印カバーであった。切手の盆まわしでは、珍しい切手をいくつか購入した。サロンが終わって、「瀬戸陶芸の精華展」へ行った。有田・伊万里には行ったことはあるが、瀬戸にはまだ行ったことがない。この展覧会を見て、日本の陶芸のルーツが瀬戸であることがよくわかった。展示会は時代順に、1.瀬戸陶芸の始まり 2.瀬戸陶芸の多様化 3.世界の瀬戸陶芸へ 4.新たな挑戦 の4部に分かれていて分かりやすかった。第1部は、5世紀から室町まで。瀬戸は昔から、陶土と赤松(燃料)が取れた。加藤四郎左衛門景正が中国で陶器作りを学んで帰り陶祖となる。この頃の焼き物を古瀬戸という。釉薬は灰、緑、黄。第2部は、桃山、江戸時代。茶の湯の普及により、黄瀬戸、黒瀬戸、志野、織部など特徴のある陶器が生れる。加藤民吉が、有田から技術を持ち帰り、磁器も焼かれるようになる。当初は磁器を新製焼と言った。始めは青が多かったが、次第に、いろいろな色が出せるようになる。蒔絵風の四段重は見事であった。大きなものも作られるようになり、加藤杢左衛門の対の大花瓶(高さ92センチ)花鳥図花瓶もすごいものであった。第3部は、明治時代。万博を通じて日本の陶芸が世界に知られ、世界の陶磁器も日本に入るようになりその影響を受ける。本日の目玉作品はこの部屋に多い.1点1点、説明を読みながらその素晴らしさに圧倒される。特に見事なのは、川本桝吉、川本半助らの作品。この頃の絵付けは瀬戸以外のところでなされたものも多いそうだ。ガラス状の土で花などの形を作り陶器の上に置いて行く「盛り上げ」という技法も考案され、オールドノリタケの看板となった。第4部は、大正以降。新たな挑戦の時代として、創作陶芸が盛んに起こった。図案も組織的に研究され、職人から陶芸作家が生れてくる。この部屋は、実用陶器というより、陶芸による美の造形というべき斬新な作品が展示されていた。日野厚、大江文象、加藤唐九郎、川本五郎、加藤土師萌などがその作家。春うらら じっくりと観る 瀬戸陶器
2005.04.15
コメント(0)

今日は、明日の郵趣サロンに発表する1リーフ作品「桁分割可方陣」を作成した。他の時間は、1週間前に届いた日経パソコンを読んで過ごした.4月から新しい企画が始まったようで、興味ある記事が多く、ほとんど全ページに目を通した。特に、マウスの変わりに使うキー操作(ショートカットキー)の使い方は、知っている積りであったが、知らないことも多くびっくりした。・Windowsキー+D すべての窓を最小化してデスクトップを見せる。・Ctl+Tab 別のウィンドウに切り替わる (エクセル、ワードなど作業中)・フォルダー内で頭文字を押せばそのファイルのところにジャンプする。・フォルダー内で、バックスペースを押せば上の階層へ移動、または戻ることができる。・ファイルを選択してDeleteキーを押すとごみ箱へ入る。・アプリケーションキーを押すと、右クリックと同じメニューが出る。・エクセルで、Ctr+1を押すと、セルの書式設定が出来る。今日は、天気がよく花粉に飛散が多いので、殆ど外出しなかった。マンションのベランダから見える新桜橋の新設工事が新たな工程に入ったようで、外観が変わった。橋工事 花の咲き散り 気にかけず新桜宮橋のことについて、下記サイトから、要点を抜粋する。 http://www.osaka-kokudou.com/2005_03m/0319.html施主は、近畿地方整備局 大阪国道事務所、上部工事は、川田・駒井特定建設工事共同企業体。以下はその工事担当者からラジオ大阪が取材したもの。(2005.3.19放送) ●二つの桜宮橋 国道1号の大川にかかる桜宮橋、通称・銀橋として親しまれている。今の橋に並ぶように、大川の上流側に新しい橋をが建設される。これは、国道1号線桜宮橋の前後が4車線しかなく、慢性的な渋滞が発生しているため、東野田交差点から東天満交差点までの約700mを6車線に拡大する事業として行われているもの。今の桜宮橋をそのまま残し、西行き専用の道として、新しい橋は東行き専用の道として使われる。桜宮橋は大阪市の都市計画事業の一環として、昭和5年に完成したもので、約80年の歴史がある。 ●新桜宮橋について 新桜宮橋は桜宮橋と同じアーチ形式になる。今より橋長が長くなり、スレンダーなアーチ橋で、長さは150m、河川防災上から今の橋より約40m長くなる。この場合、一般的な橋の設計を行うと、銀橋より一回り大きなアーチ型となり、現在の銀橋の景観との調和を図ることができない。このため新桜宮橋の設計ではアーチの高さを揃え、橋桁の部材寸法についても、最新の技術により細くスレンダーな構造として調和を図られている。さらに、アーチと桁を結ぶ吊材についても、鋼材からワイヤーにして新しい橋を通して今の銀橋が見えるようにするなど、現在の銀橋の景観を生かしていけるように工夫されている。デザインは市民からの意見を参考にして、有識者からなる新桜宮橋デザイン検討委員会によって決まった。この委員会メンバーには、建築家の安藤忠雄氏も入っている。市民からの意見では、約4分の3が、今の銀橋と同じ型がいいと答えていることを踏まえ、アーチ橋にすることになった。 ●誰もが快適に通れる橋 新しい橋が架かれば、道路全体の幅が22mから40mになる。これに伴い、車線数が4車線から6車線に広がり、中央分離帯もできるので、安全で走りやすい道路になる。次に歩道の幅も4mから8mに広がる。また橋の下にある桜宮公園との接続は階段からスロープになるので、車椅子の方も利用できるようになる。上部工事は昨年10月に着手された。 ●橋の基本構造 全長227m、二種類の橋梁形式となっている。一つは大川をひとまたぎする部分で、長さ150mのアーチ橋。この橋桁の重さ約2500トンを造幣局側の橋台と公園内の橋脚で支えている。なお、橋台、橋脚にかかる荷重をしっかりとした地盤で支えるため、橋台、橋脚の下には、長さ約30mの基礎杭が打ってある。もう一つの形式は、桜宮公園の上を通過する部分が長さ77mの2径間連続箱桁橋。桁の形状が四角い箱の形をしていることから、箱桁橋と呼ばれている。こちらの橋桁の重さは約600トン、橋台と2つの橋脚で支える構造となっている。現在の工事は、アーチ橋の部分を進めているが、今年の年末頃には箱桁の架設工事も着手される予定。 ●橋の建設工程 本来の位置で作業すると、今の桜宮橋に近すぎて接触してしまうため、北に2mほどずれた場所で、また本来より高い位置で作業は行われている。まずクレーンが陸の上からだけでは届かないため、橋の横に乗り入れさせるための桟橋が必要となる。それには桟橋を支える基礎が必要なので、まず川の中に杭基礎(くいきそ)という直径70cmの杭を川底深くに打ち込み、そこに長さ60mほどある桟橋がかけられた。また、杭基礎は本物の橋を支えるための仮の柱にもなる。そこで川の中に合計16本杭を打ち込み、基礎が造られた。次に仮桟橋と工事桁の設置が行われた。工事桁は、上流側と下流側に、それぞれ細長い桁を架けられる。続いて、補剛桁(ほこうげた)と床組(ゆかぐみ)を設置された。補剛桁は橋桁本体の両サイドに当たる部分で、工事桁の上に乗せるような形になる。床組は、補剛桁の内側に格子状に造っていくもので、この上に床版を乗せると道になる。いわば、本物の橋桁の骨組みである。ここに鉄板を仮に乗せ、クレーンが入れるようにする。これを「桁上覆工(ふっこう)設備」という。そしてアーチリブベントが設置される。これは、アーチを支えるための仮の柱のことで、上流側と下流側に各8本ずつ橋桁に建てられた。これを支えにして、アーチリブを造っていく。先程説明した橋桁の補剛桁や床組も、アーチリブも、短い部材を取り敢えずボルトで仮止めしてつなげてあるだけだ。それが、現場で溶接されて正式につながる。また、一部はハイテンションボルトという強烈に締めつけることのできるボルトで固定される。溶接が済むと、仮に付けられていたものが次々と撤去される。それが終われば橋の骨組みを造る面では、ほぼ完成なので、工事桁や杭基礎なども撤去される。そして橋が本来の位置に移動される。それを「横取り」、そして「桁降下」という作業で行われる。これで橋の骨組みは終了だ。別の工事になるが、この骨組みの上に、床版(しょうばん)工事といって、コンクリートの床を張る工事が行われ、その上にアスファルトで道路が造られる。この工事は、橋の前後の国道1号の拡幅工事とあわせて行われる予定。橋の骨組み工事は、平成18年の3月が終了予定だが、橋の完成は、平成18年度末が目標とされている。
2005.04.14
コメント(0)

今日は、キッズプラザでの活動日であった。新学期が始まったばかりのため、団体のお客さんはなかった。そのため午前中はほとんどがら空きであったが、午後は親子づれのお客さんでまあまあの賑わいとなった。今日は、子供たちに鯉のぼりを作ってもらった。キッドピクスを使って、鯉に色を塗り、切りぬいて貼り合わせるだけだが、結構きれいに仕上がるので、好評であった。竿はストローである。もちろん持ち帰りできる。今日は空いていたので、一人一つに限定せず、数希望があれば数個作ってもらった。写真は上から、1.子供に色を塗ってもらう。2.はさみで切り糊で貼る。3.完成。塗り絵して 子等手作りの 鯉幟
2005.04.13
コメント(0)

今日は、ほとんど1日中外出せず、昨日の句会のまとめなどをした。3日連続して外出し、花粉を吸い込んだためだ。花粉を吸わない日を作って、アレルギーへの免疫抗体を休ませてやらなければならない。それに、雨もようなので、外出しても面白くないと思ったからだ。句会のまとめのことについては、3月29日の日記に書いた通りしんどい作業だが、いろいろなことを知りいい勉強になる。例えば、 ・じじばばとは、春蘭の異名であること。 ・ぼたん寺とは乙訓寺のことであること。長谷寺かと思っていた。 ・大鳴門橋の下に渦潮を見るための「渦の道」というものがあること。 ・遠足は春の季語、まむしは夏の季語、燈篭は秋の季語であること。 ・地べたに腰を下ろした形が、んの字に似ていること。 ・椿の花は散らないで落ちるものであること。など。今日の写真は、外出しなかったので、室内のもので済ませる。写真はもう一つの胡蝶蘭。手をかけし オンリーワンの 胡蝶蘭
2005.04.12
コメント(0)

今日は午後から句会の日、午前中は投句用5句の選定を行った。今回は、句の数は沢山作ったのだが、どれを選ぶかを迷った。あまり会心の作はなく、かと言って捨てるに捨て切れずというものばかりだから。それでも、句会では、5句のうち、先生から3句も選ばれた。仲間からは2句しか選ばれたなかったのに。1句はだれからも選ばれず選外だった。これは、少し言葉使いに難があった。先生に選ばれたのは、次の句。 大川に 上り下りの 花見船 宇治橋の 下を通れる 花筏 真面目屋の 真面目顔なる 四月馬鹿上記以外で仲間に選ばれたのは、次の句。 遠足の 声の弾けて 通り過ぎ選ばれなかったのは、次の句。 待ち兼ねし 大川端の 初桜なお、私は、別に、 見せ合ひて 弁当開く 遠足児という句を作っていたが、投句しなかった。ところが、仲間の同じような句、 遠足の 子ら弁当を 見せ合うてが先生に選ばれた。 もし、両方出ていたら、先生はどちらを選んだであろうか。桜はもう散り掛けであるが、写真は、源八橋から見た満開時の大川沿いの桜。大きな建物は帝国ホテル、OAPタワーなど。左寄り遠くに新桜の宮橋工事のクレーンと大阪城が見える。待ち兼ねし 大川端の 花盛り
2005.04.11
コメント(0)

今日は、ある会のメンバーで宇治へ花見に行った。前日まで、雨が心配されたお天気であったが、予想外の好天で、花も満開、申し分のない花見日和であった。宇治橋西詰に、11時、参加予定全員が集合。参加者は、4歳の子も含め9名。辺りの桜を見ながら、平等院表参道を抜け、昼食場所を見つけるため、中の島(橘島+塔の島)へ移動する。塔の島には13重の塔がある。宇治橋の 下を通れる 花筏見事な枝垂れ桜が目に入る。宇治川枝垂れというそうだ。人出はかなりあるものの、嵐山や円山公園など京都市内の桜名所にくらべ、大混雑というほどでもない、ちょうどよい賑わいである。静かに花を見られるという状況である。これは、中の島内に出店などがまったくないこともそのように感じさせるのかも知れない。各自持参のシートを敷き、弁当を開く。食後に宇治名物の茶団子のデザートの差入れもある。食後は、各自の近況報告。10年ぶりの再会の人もいる。近況報告のあと、男女のペアを決め、自然観察ゲーム。これは、当日見つけた動物・植物を各10個書き、何人がその名を書いたかによって、点を与えるもの。制限時間は2時間。植物は沢山見つけられたが、動物は案外少なかった。中の島を回って、フリースペース宇治日和という喫茶店で休憩を取る。宇治川に面していて眺めもよく、店内の雰囲気もよい。各自、アイスクリームや飲み物を注文。ここで、自然観察ゲームの採点を行った結果、4組の点数は、66、61、57、46点。優勝チームに賞品を贈られる。ちなみに私のペアは残念ながら2位。ちなみに、動物は、犬、猫、鳩、雀、烏、ヒヨドリ、蝿、蜂、蝶、蜘蛛、蟻、金魚、人などが見られ、植物は、桜、雪柳、松、椿、つつじ、木蓮、山吹、レンギョウ、もみじ、かえで、楠、杉、ヒイラギ南天、笹、茶、たんぽぽ、カーネーションほか多数種が見られた。その後、世界遺産登録・国宝の建物である宇治上神社(日本最古の神社建築)を見て、再び橘島を通って、平等院表参道に戻る。お茶屋や土産もの店が並んでいて、各自土産を買う。お茶を買いに入った店で、お茶と羊羹の接待を受ける。こうして、楽しい花見会は終わり、来年の再会を期して解散、京阪組、JR組に分かれて帰路に着いた。一時、雲が出て今にも降りそうになったことがあったが、結局雨は一滴も降らなかった。むしろ、日差しが強く暑いほどの陽気であった。花粉も相当量飛散していたようで、帰宅後、鼻詰まりがひどく鼻水がとまらない。マスクで写真に写っているOさんも、大丈夫だっただろうか。
2005.04.10
コメント(0)

今日は、プライベートのゴルフコンペに行った。参加者は12名。雲一つない青空、寒くも暑くもない気温、絶好のお天気に恵まれ、満開の桜を見ながらのプレーは快適そのものであった。スコアの方は、散々だったが、ハンデに助けられて、ネットでは3位となり自分でも驚いた。今日は、ゴルフ場で一日中、桜を楽しんだのはもちろんだが、コースのあちこちには、桜のほか、ユキヤナギ、レンギョウなども沢山植えられていて、これもなかなかきれいである。OB区域には土筆やワラビも出ていた。ゴルフ場への行き帰りにもあちこちできれいな桜や桃の花を見ることができ、正に「お花見ゴルフ」の一日であった。一年のうちで、一番いいゴルフ日だといえよう.しかし、花粉の飛散は非常に多かったようで、プレー中も鼻水とくしゃみに悩まされたが帰宅後、ますますひどくなった。スコアより 花を楽しむ コンペかな
2005.04.09
コメント(0)

今日は、一日中、在宅で、いろいろな写真、アルバムなど整理をした。写真に日付やタイトルなどを書いたラベルを貼るために、ワードでラベル作りをしていたところ、いつの間にか、メニューにファイルの見だしがなくなっているのに気がついた。普通なら一番左は、ファイル(F)となっているはずなのに、図のように、一番左は、編集(E)となっている。どこかに隠れているのかと、あちこちを探したが出てこない。パソコンの 不調になりぬ 春の塵ファイルメニューがないと、不便である。1.保存のアイコンをクリックすると、上書き保存されてしまう。 「名前をつけて保存」ができない。2.「ページ設定」ができない。3.印刷のアイコンをクリックすると、無条件にプリントを始める。 プロパティによるプリントの設定ができない。ファイルメニューそのものが壊れたらしく、「Alt+F」のキー操作でも何も出てこない。ヘルプメニューから、「アプリケーションの自動修復」をクリックすると、Office2000のCD-Rを入れるように要求され、読みこみが始まり、修復が行われているように思われたが、インストール後再起動して、ワードを立ち上げて見ると、前と同じでやはりファイルメニューがない。あ~ア、どうなってしまったんだろう。大ショック!!!今後は、文書を作るのに、ワードは使わず、エクセル一本で行かなければならない。どなたか、同じようなトラブルを経験され、救済方法をご存知の方はいませんかァ~
2005.04.08
コメント(4)

今日は、午前中は、北野病院に行き、眼科の診察と肝臓のエコー検査を受けた。眼科は、6か月前にレーザー治療して網膜剥離の経過を見るものであったが、順調に治癒したとのこと。肝臓のエコー検査は、定期的に受けているもので、特に異常はないとのことで、どちらも安心した。午後は、心斎橋大丸で開催している「M.C.エッシャー展」に行った。エッシャーは「視覚の魔術師」と言われ、そのだまし絵風の絵は、数学的、パズル的なので私は大好きである。展覧会は何度も見ているが、それでも、エッシャー展と聞けば見に行かざるを得ない。今回の作品は、ハウステンボス美術館の収蔵品の中から150点を紹介したもの。もちろん、ハウステンボスには2回行っているので、作品も見ているはずである。日本最大のエッシャーコレクションといえば、甲賀正次のコレクションだが、ハウステンボスのはそれに次ぐものだろう。第1回の甲賀コレクション展は、1987年に阪急百貨店で開催され、その時、甲賀コレクション全作品が掲載されたカタログを購入した。ハウステンボスのものは、甲賀のものとダブルものも沢山あるが、甲賀にないものも沢山ある。今日の、展示は、4部に分かれていた。1.青少年~学生時代(1898~1922)2.イタリア時代(1923~1935)3.独自の世界(1936~1953)4.無限への挑戦(1954~1972)エッシャーらしいだまし絵風の絵に変わるのは3.からだが、ハウステンボスのコレクションには、1.2.の時代の作品も多く、エッシャーの違った側面を見た感じであった。1.2.を多く展示する展覧会は、珍しいと思う。写真は、チケット(左)と絵葉書エッシャーの 不思議な世界 春の夢デジカメの電池を入れるふたの爪が折れたので、修理に出した。爪の部品代2100円、技術料5200円それに消費税がかかり計7660円を請求された。無理な開け閉めはしていない積りだが、長く使うと爪も折れるのだそうだ。ちなみにこのデジカメは購入後4年である。それにしても、買い換えた方が安いかもしれないほどの修理費だ。特に技術料は高い。
2005.04.07
コメント(0)
今日は、朝、昨日の花見ハイキングの日記を書いたあと、大山崎山荘美術館で開催されている「蘭の館、大山崎山荘展」を見に行った。JR山崎駅に着くと、辺りには桜や桃の花が咲いていて閑静な佇まいの町だ。大山崎山荘へは、急な坂を10分ほど登ると到着する。山崎の合戦で名高い天王山の中腹である。大山崎山荘は、実業家加賀正太郎氏(ニッカウィスキー創始者の一人)の別荘として大正時代に建てられた。昭和29年に氏が66歳で没すると、山荘は人手に渡り、荒れ果てていたのを、平成になってアサヒビールの当時の社長樋口広太郎氏が修復整備に乗りだし、「大山崎山荘美術館」として平成8年に開館したもの。私は、昨年2月、友人から紹介されて行って以来、二度目の訪問である。建物が庭、廻りの風景と一体になった感じのするきれいな美術館である。今回の美術展に、蘭の館と題されている通り、この大山崎山荘が日本の蘭栽培のメッカであったそうである。英国留学中に蘭に深い感銘を受けた加賀が、帰国後、山崎の地で蘭栽培を始め、一時は1千余種1万鉢を育てていたという。蘭に魅せられ、その美を後世に残そうとして作成を考えたのが、今回展示される「蘭花譜」という画集。この画集は、原画を池田瑞月が描き、104枚が木版画に作られ、300部限定で、昭和21年にの自費出版されたが、それには、涙ぐましい努力があったそうだ。制作は、昭和7年に始まる。加賀の希望は「蘭を実物そのままに写す」ことであった。版木は何度も試作され、何度も刷り直された。校正図には、ここをぼかす、ここをもっと濃くなどの細かい書き込みが多数入っていることでそれがわかる。しかし、戦火が激しくなると次第に画材の調達が思うようにならなくなる。版木も紙も手に入らない。育てている蘭の温室用の燃料もこと欠くようになり、蘭の数も減らさざるを得ない。戦時中は戦争一色で、蘭の花の絵の出版など出来る状態ではなく、やがて終戦となる。戦後となっても、物資は手に入らないが、早く出版を実現したい加賀は、21年、満を持して未完のまま300部の限定出版を行った。きちんと製本されたものではなく104枚がばらばらの状態のものであったが、こうして「蘭花譜」は誕生した。そして蘭の温室のため、多くの版木は役目を終えて燃料となった。蘭の数は少なくなってはいたが、それでもいくらかは育てていたのである。加賀が作り出した蘭の数々は現在では現物はなくなってしまったが、「蘭花譜」に描かれたものは花の姿を後世に残すことができた。蘭とは関係ないが、昭和20年の5月頃、山荘に軍がやって来て、「米軍の本土上陸に備え、山荘に戦車を置き砲台を作るので了承せよ」と言って来た事があるそうだ。「それだけは止めて欲しい」と言うと、「貴様!」と言って死ぬかと思われるほど殴られたそうだ。結局、設置が間に合わないまま終戦となったからよかったが・・・今回の「蘭の館」展は、こうしたことを蘭愛好家に知ってもらうべく開かれたもので、「蘭花譜」の版画、約50点が展示されていた。他に本物の蘭が約60鉢展示されていたが、実物の蘭より、版画の蘭の方がより迫力が感じられた。蘭は、昔は美術品に匹敵するほどの値段で取引されたほど高価なものであったが、栽培技術の発達により安価で美しい蘭が手に入るようになった。現在、蘭の生産の世界一は、台湾で特に高雄で多く栽培されているそうだ。そして、日本はアメリカに次いで世界第2位の蘭消費国だそうだ。日本の蘭愛好者は1000万人と言われている。蘭は見るだけで幸せを感じる、そして蘭は世話に報いてくれる、蘭愛好者の一人として、この展覧会を見ることができたのは、大きな喜びであった。蘭花譜に 偲ぶ山崎 花の山なお、大山崎山荘美術館は、安藤忠雄設計の新館で、モネの絵5点を常時展示しているほか、バーナード・リーチ、河井寛次郎、浜田庄次の陶器作品も適宜入替展示している。2階のテラスからは、木津、宇治、桂の3川合流地点を見晴らしながら、喫茶を楽しむことができ、山荘の庭も見ることができる。庭には、桜の植えられていて、今日も、数組の花見客が訪れていた。大きなハクモクレンの木が印象的であった。山崎の地は、天王山付近に見所も多く、今のシーズンがハイキングなどにも一番よいとき。この週末には、桜も満開となるので、まだ行かれてない方は、蘭の館展を兼ねて出かけられることをお勧めする。蘭の館展は、10日まで。「蘭の町」については、下記サイトを参照されたい。 http://oyamazaki.kyoto-fsci.or.jp/rannomachi.htmlまた、大山崎山荘美術館のホームページURLは下記の通り。 http://www.asahibeer-oyamazaki.com/また、NHK総合テレビでは、4月24日(日)午前10:05~10:59 に、「失われた蘭の楽園~京都・版画集「蘭花譜」ものがたり~」と題する番組が放映されるので、大山崎山荘美術館へ行かれた方も行かれなかった方も、蘭に興味のある方は、是非ご覧下さい。
2005.04.06
コメント(2)

今日は、キッズPIPClub有志による花見ハイキング。午前10時に、大阪歴史博物館前ホールに集合。定刻までに集合したのは、男性5名、女子3名の8名。PIPは女性が多く、いつもウーマンパワーに圧倒されている男性軍だが、今日は、数で女性を上回るので、男性リードの一日になりそうだ。しばらく待ったがもう来る者はないだろうと決め出発。今日の企画立案はS氏。氏から、大まかな行程は、大阪城→毛馬・桜の宮公園→毛馬の閘門→城北公園→千林というコースで、総距離約15キロくらいを歩くことを知らされる。氏はこのコースを前日、下調べのため歩いたそうで、2日連続の長距離歩行となる。天気予報によると、今日は降水確率ゼロ、日中は暖かくなるとのことで、皆の服装も軽装だ。上町筋を渡り、まずは大手門から大阪城へ。遠足の子等をあちこちで見かける。西の丸庭園入り口を通るが、まだ2分咲きの桜に入場料350円を出すのは気が進まず、そのまま通過する。内堀を渡る桜門をくぐると、畳36畳の大きさの石のある石垣が目に入る。桜門のあたりから堀の周囲に植えられている桜は満開になれば見事なのだが、今日はまだちらほら咲きだ。天守閣を見上げながら進む。ここにも大勢の人が来ている。大阪城の左にエレベーター用の建物が取って付けたよう設置されているのが目に付くが、デザインを全く考えていないのが見苦しい。もっとお城と調和するような外観にすべきである。お役所仕事とは言え、たった一つの大阪観光の目玉がこんなことでは、世界の人に恥ずかしい。なんとかならないものかと思う。西側の展望台から大阪市街を眺めたあと、天守閣の後ろに廻り、淀君、秀頼自刃の地を見て、極楽橋を渡り堀の外に出る。極楽橋のたもとで、揚琴と二胡の演奏をしていた中国人がいて、美しい調べにしばし聞きほれる。揚琴の生演奏は始めて聴いたが、本当にきれいな音がする。もっと聴いていたかったが、他のメンバーにはぐれないよう、後ろ髪を引かれながらその場を後にする。11時、内堀に沿って、京橋口の方に歩く。堀にはまだ帰らないカモが残っていて、珍しくカワウの姿も見られた。追手門学院の前に出て、大阪橋(歩道橋)を渡り、地下トンネルで京阪線をくぐり、大川端に出る。左手に川崎橋が見えるが渡らないで、川岸沿いに上流へ歩く。大阪市長公館の前を通り過ぎると、藤田邸跡公園の入り口があり、入場する(無料)。池、東屋、築山などがあり、椿、梅、アセビなどいろいろな花が咲いている。11時半、再び大川畔に出て、新桜の宮橋の建設工事現場を見ながら現在の桜の宮橋を渡る。大川右岸に下りて、上流の方へ歩く。このあたりは、オフィスビルと帝国ホテル、マンションが一体となった地域で、OAP(大阪アメニティパーク)と呼ばれている。OAPビルの38階が展望台として無料開放されていたので上がり、南、東、北の窓から大阪の町を見下ろす。これから行く、毛馬の閘門や城北公園の場所を確認したあと、地面に戻る。帝国ホテル前の道を、シモクレン、ヨウコウサクラなどの花や、宴会の花見客を見ながら、源八橋の方に進む。橋の手前に、森林管理局の展示館があり、「木工手作り展」が行われていたので見に入る。間伐材を使った木工材や製品が安い値段で売られていた。12時、源八橋を渡ると、JR桜の宮駅のすぐそばに出る。Yさんが所要ありここで別れることになった。半日でもお付き合いしてもらってありがとう。女性軍の平均年令が一挙に下がる。しかし、ますます女性の数が少なくなり、女性争奪合戦が激しさを増す。運よく、ローソンがあり何人か入ってビールを買う。ビールは全行程が終わってから飲むのが最高と、昼のビールは敢えて飲まないという人もいる。食事場所を探しながら、今度は大川左岸沿いを上流へ向って歩く。食事まで我慢できず、歩きながらビールを飲む者もいる。平日なのに、あちこちで桜の下にシートを広げ、グループが宴を開いている光景を目にする。都島橋を過ぎ、林真須美も入っているという拘置所のそばを通る。拘置所の付近には差入れ屋が店を並べている。大阪市水道発祥の地の碑も目にした。12時半、飛翔橋を通り過ぎたあたりで、川を見ながら食事。各自、手作り弁当、愛妻弁当、コンビ二弁当などさまざま。少し汗ばんだ身体に吹く風は心地よい。ビールを飲んだあとは、このまま、ここで一日過ごす方がいいかなと考えるが、幹事氏の「それじゃそろそろ行きましょう」の声に、現実に戻る。13時、運河にかかる春風橋を渡り、さらに毛馬橋の下をくぐれば、毛馬の閘門が見えて来る。閘門の近くで魚釣りをしている人が沢山いる。信じがたいが子鮎が釣れるのだそうだ。毛馬の閘門では、ちょうど船が淀川から大川に入ってくるところを見ることができた。淀川の方が水位が高いので、水位調整のため設けられているのが閘門である。船はすでに調整路に入っている。まず、大川側の水門が開き、調整路の水が大川に流れ込む。調整路の水位が下がり、水門が一番上まで持ち上がるとロックされ、その下を船が次々と大川に入ってくる。調整路には、8隻もの船がが入っていたようだ。船はいずれも、土砂運搬船だ。船が入るのを見た後、閘門の屋上にある公開地に入り、説明文を読む。きれいな花壇が作られていて、モンキチョウが飛んでいた。淀川提に出て、昔の毛馬の閘門跡を見る。ここには、淀川改修の碑や、大阪城の残念石もある。1910年に建設された閘門は煉瓦作りのきれいな造形だったようだが、1983年、老朽化と能力増強のため現在のものに建替えられたそうだ。当時の淀川の状況に思いを馳せながら、旧施設を見る。14時、城北公園へ向け出発。毛馬といえば俳人与謝蕪村の名が思い浮かぶが、土手に、その蕪村生誕の地の句碑を見つける。句は「春風や 堤長うして 家遠し」と読める。この辺りに蕪村の生家があったらしい。だだし、与謝というのはここの地名ではなく、後年過ごした丹後の地名だそうだ。淀川の河川敷の散歩は実に気持ちがいい。あちこちに簡易トイレが置かれているのは便利だ。草の上に寝転ぶと気持ちいい。ヒバリの声も聞こえる。水辺には、葦の枯れ地が続いている。タンポポがあちこちに咲いているが、幸い西洋タンポポではないらしい。しばらく行くと、赤川の鉄橋の下を通る。今は貨物用の線路だが走っているのを見かけることは少ない。片町線鴫野駅と東海道線吹田駅とをつないでいる。このあたりから、淀川の面白い自然の造形である「わんど」が目立つ。魚つりをしている人が多い。淀堤 蒲公英探し ハイキングやがて、正面に斜張形の美しい、菅原城北大橋が見えて来る。遠くから見ると1色だった橋柱は、青から白のグラデュエーションになっている。このことに気づいたのは、メンバー切っての美術家Iさん。右の土手の緩やかなスロープを登っていくと自然に城北公園に着く。公園内は、レンギョウ、ユキヤナギ、コブシの花が満開なので、サクラは二分咲きでも、十分に花に囲まれている気分になる。自然石のベンチに腰を下ろしてしばし休憩をとる。15時、幹事氏曰く。今日の最終目的地はここであるが、帰りは公園前から、梅田行きのバスがある。20分ほど歩けば、地下鉄千林大宮、30分ほど歩けば、京阪千林駅がある。でも解散する前にどこかで一杯やりますか、との提案に全員賛成。そこで、城北公園から千林方面へ歩くことに。物色しながら旭通りを過ぎ、千林商店街を通って地下鉄千林大宮を過ぎる。時間が早いので、まだ飲み屋は開いていない。喫茶店ならあるが物足りない。京阪千林の近くになってやっとお好み焼屋を見つける。15時半になっていた。「風の街」という店だ。まずは、中ジョッキを注文。アテはお好み焼の小を取る。ジョッキが来て乾杯。一口目のうまいこと!! お好み焼は、自分でこねた方がうまいと店の人の手を借りずにこねる者もいる。やはりよくこねる方が空気が沢山入って軟らかくなりうまいらしい。アルコールが廻り疲れた身体が癒される感じだ。万歩計所持者は2万歩を超えたと言っている。よく歩いたもんだ。これで、温泉が付いていたら最高なのだが・・・ともあれ、今日は、ほんとにいい天気に恵まれた。ここでM氏の口から名言がはかれた。「そりゃ、雨の人が来なかったからやん」・・・・んで、雨の人ってだ~れ? 16時半、解散、京阪組と地下鉄組に分かれて帰途に着く。桜こそ咲き揃っていなかったが、いろいろな花、鳥、虫、自然が楽しめ、大阪も見捨てたものではないとの思いを深くした。すばらしい天気、すばらしい仲間に恵まれて、気持ちよい一日を過ごすことができた。幹事さん、ありがとう。遠くから参加されたAさんはじめ、参加された皆さん、お疲れさま。
2005.04.05
コメント(1)

今日は、午前中は、花粉症の診察・治療のため、耳鼻科の医院へ行った。ひどい時と比べると症状は軽くなったが、まだ、花粉の飛散は続いているので安心はできない。帰りに郵便局に寄って、先月25日に発売になった「愛知万博」の記念切手を買おうとしたが、売り切れとのこと、もう1軒の郵便局にも行ったが、やはし売り切れ。最近の記念切手は、発売から数か月経っても残っているのが普通で、発売後10日ほどで売り切れたことはここ10数年間なかったことである。これは、大阪だけの現象であろうか。大阪人には、大阪万博の記憶が強く残っているので、愛知万博にも興味を持った人が多いのではないかと思われる。午後は、天気がよくなったので、外出は控え、選抜野球の決勝戦を観ながら、俳句の宿題を考えたりしながら過ごした。OAPでは、桜の期間中(~4月19日まで)桜展望台として、OAPタワーの38階を無料開放しているが、そこから大川を見下ろす眺めは抜群。まだ、桜が咲き切っていないが、満開ともなると、川の両側は、ピンクのベルトに変わる。今日は、OAPタワーの38階から見た、新桜の宮橋の建設状況を紹介する。1か月ほど前に新しい橋の大まかな形が出来たが、そこから外観はほとんど変わっていない。もちろん毎日クレーンが動いていて工事が進んでいることは確かだ。どうも、橋の概形のように見えるのは、実際には足場のようで、本当の橋は、その足場を使って下部の方の組立工事をしているらしい。ちなみに、建設完了は、来年3月の予定。写真は、橋の現在の姿。画面左が上流で、源八橋、毛馬の閘門方面、右が下流で天満橋、中之島方向。現在の橋の上流側(左側)に建設中のものが新桜の宮橋。大川に 上り下りの 花見舟
2005.04.04
コメント(0)

今日は、午前中は、報道2001、日曜美術館、サンデープロジェクトなどを見て過ごした。昼のニュースで大阪の桜の開花宣言が出たことを知り、午後からまた、大川沿いを散歩した。今日は、雨模様のため、花粉の飛散は少ないとの予報だったので、安心して外出した。天気予報は外れて、いい天気であった。朝から雨は一滴も降らない。外へ出ると大川沿いは、大勢の花見の人で賑わっている。あちこちで、花見の宴会も始まっている。肝心の花は、今日が開花日とは思えないほど、沢山花をつけている。八分咲きくらいの木も何本かある。一輪も花をつけていない木はほとんどない。平均して一分咲きくらいであろうか。それにしても、昨日から一日で、こんなに開くとは驚きだ。満を持していた蕾が、暖かさで一気に爆発したようだ。この調子なた、2・3日中には、満開になるかも知れない。もう少し早く開いていたら昨日・今日の土・日はもっと賑わったことであろう。大川では、観光船の行き来も賑やかになって来た。私は、5日(大阪)と10日(宇治)に計画されている花見会に参加する予定。写真は、よく咲いて桜を選んでその下で宴を張っている十数人のグループ。源八橋西詰上から写す。 初桜 大川端の 賑はへりそれにしても、今年の桜の開花宣言は遅かった。特に大阪が遅かった。和歌山は29日に開花したのに、それより5日も遅れ、京都、奈良よりも1日遅れた。大川沿いの桜の中には、31日時点で5輪以上花をつけていた木がかなりあり、その後、1日、2日と増えていったのに、なぜか、大阪城の標準木の蕾だけが固かったようだ。
2005.04.03
コメント(0)

今日も、花粉を恐れ、殆ど外出しなかった。午前中は、折句「花見」を考えたり、胡蝶蘭、シクラメンなどの写真を撮ったりした。折句「はなみ」の拙作。 はかどらぬ 難題多き 民営化 破綻まで 内部の不正 見ない振り 廃棄物 内緒がばれた 三菱マ 阪神は 情けないやら 惨めやら 南風(はえ)と言ふ 南方からの 南風胡蝶蘭は、2種類。花の色はどちらも白だが、中の蘂(しべ)が赤と黄の2種だ。赤の方は、全部咲き切ったが、黄の方は、まだ1株目が7輪咲いたところで、2株目は1輪も咲いていない。シクラメンは、昨年12月始めに買ったのが、4か月咲き続けている。写真は、蘂が黄の胡蝶蘭。観るほどに 自然の不思議 胡蝶蘭午後は、少し散歩して桜の開花状況を見てみた。半分くらいの木に数輪の花が開いている。中には、数10輪開いている木もある。それでも、大阪城の標準木は、5輪以上の花を付けていないようで、今日も、開花宣言はされなかった。
2005.04.02
コメント(0)

今日は、午前中は、パソコンでメールやパズル関係の雑用を片付けた。午後は、心斎橋大丸で開催されている「ロートレック展」を見に行った。ロートレックの絵はこれまでも何度も見ているが、殆どは、完成されたポスターであった。今回の展覧会は、ポスターのための下絵や画集のための絵などロートレックの全体像が見られてよかった。線で輪郭を描いたり、対象を簡略化するのは、浮世絵の影響を受けているそうだ。モンマルトルのダンスホール=ムーラン・ルージュのポスターをはじめ、踊り子や歌手の絵を沢山描いている。ポスターは石版画で多色刷りなので、同じ作品が何枚もあり、仕上げる途中の刷り色の抜けた絵も残っているのが面白いと思った。ロートレックは36歳で亡くなったが、残した版画は約400点、ポスターは30点である。そのポスターのほぼすべてを含む120点の作品をこの展覧会で見ることができた。会場出口で、絵葉書を3枚買った。この展覧会は、4月4日まで開催されている。マフラーを 無造作に巻く 歌手を描く今日も、大阪の桜は開花しなかったらしい。外出中は、あまり目も痒く感じなかったが、帰宅してから、急に鼻水が出始めた。まだ、花粉に油断はできない。
2005.04.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1


