全30件 (30件中 1-30件目)
1

今日は、熊本の食べ物を紹介するTシャツのプリント画像用のため「いきなりだんご」を作ってみました。 十年以上も前になるでしょうか熊本市内の上通り入り口では、夜もオバちゃんが、饅頭や、この「いきなりだんご」を売っていました。その、オバちゃんに「いきなりってどういう意味ですか?」と尋ねたところ、「手軽、簡単という意味かな」と返ってきました。 そうです、この「いきなりだんご」は簡単にできるのです。 ・材料 小豆餡、サツマイモ、小麦粉(薄力粉)、水 小豆餡を作り(市販のものでもOK)、サツマイモの皮を剥き、1センチくらいの厚さ に切る。皮は小麦粉を水を入れて、よくこねて30分くらいおく。 30分くらい置いた、こねたものを麺棒でのばして餃子の皮のように丸くする。 その皮で、サツマイモと小豆餡を包んで蒸し器で20分くらい蒸して出来上がり。 私は、この「いきなりだんご」の美味しさは小豆餡もだが、いかに旨いサツマイモを使うかが決め手ではないかと勝手に思っている。冷めたら、電子レンジで温めて食べることをお薦めします。
2008.05.31

熊本を代表する食べ物は、馬刺し、ひともじぐるぐる、いきなり団子、大平燕、そして忘れてはならない辛子レンコン。 その辛子レンコンを昨夜作ってみたが、チャレンジした中では一番のいい出来ではないだろうか。 辛子レンコンの作り方については昨年開かれた料理教室にも参加し、その後、何度か挑戦したのだがなかなかうまく行かなかった。油で揚げると詰めた辛子が穴から外に飛び出していたのである。 レンコンの茹でかたが一つのポイントで茹で過ぎない、シャキッとした歯ごたえが残るくらいに茹でる。辛子を詰めたあと一晩置いて寝かせると教室で習った。 そのとおりにしてもうまく行かなかった。でも今回は辛子が外に飛び出すことはなかった。 辛子を詰めたレンコンは冷蔵庫で一晩寝かせた。冷たくなったレンコンは収縮したのか中の辛子が外に少し押し出されていた。その辛子をナイフできれいに取り、すぐに油で揚げずに常温の状態でしばらく置いておいた。 常温に戻した、それがどうもよかったらしい。辛子は飛び出さなかった。 今回の辛子レンコン作りの目的は食べることもであるが、手作りTシャツのプリント用として画像が欲しかったのである。よくできている市販の辛子レンコンの画像ではない、失敗しかけた画像が。 ところで出来具合はレンコンのシャキッと感はあったが、中の辛子が辛すぎて涙が出そうなくらいで家族からの評判は芳しくなかった。
2008.05.29

おたふく豆を塩茹でして皮を剥く。鍋に180CCの水とマギーブイヨン2個、黒胡椒少々を入れて煮立ててスープを作る。やや濃い目である。 スープが冷めたら塩茹でしていた、おたふく豆をスープに漬け込み冷蔵庫で一晩置く。 スープから、おたふく豆を引き上げ、グリルで焼いて焦げ目をつける。焦げ目がついたらフライパンで温めては冷ます、それを何度か繰り返して、おたふく豆をカリカリの状態にする。 ビールにぴったりの肴と思うのだが、禁酒の身。とても残念である。酒を絶ち、23日目の夜を迎えている。
2008.05.29
昨日、通勤バスの中で女子高校生が二人掛けの椅子にバッグを通路側に置き、奥に一人で座っていた。私はスミマセンと言ってバッグをどけてもらって座ろうとしたがブスっとした態度で緩慢な動きですぐにバッグをどけようとはしなかった。そうこうしているうちに違う席の人が立って降車口へと向かい席が空いた。そこへ私は座った。 時々、見かける光景だが二人掛けの椅子の場合、車内が混んできたらバッグとか手荷物は自分の膝の上に置く、このちょっとしたマナーを守ることがなぜできないのか。 勝手に決めツけてはいけないかも知れないが、親の躾けができていないのだと思う。 公共の場でマナーを守ることを知らないで社会人になったらどうなるのだろう。 もう一つは、昼休みに某銀行のATMの前に並ぶ。30歳代と思われる女性がATMをいろいろと操作していた。そこに携帯へ電話がかかってきた。携帯に出る。 ATMの操作の手が鈍くなる。私が待っていることを知らないのか。いや、鏡でわかる筈だ。時間がどんどん経っていく。 「ちょっと待って、ATMを操作しているので終わるから」の一言を電話の相手に言ってATMの操作を終わるという、待っている人への気遣いがなぜできないのか。 誰にでも、いろいろな場面、場所で持っていなければならないマナーというものがあるということを教えられた二つのできごとであった。
2008.05.28

4月の半ばにポットに種を蒔いて苗づくりから始めた落花生。今、こんな状態である。 苗の数は全部で87本。順調にいけば収穫できるのは10月以降となりそうだが、問題は獣が土をほじって実を食べないかということである。 殻を剥いて塩を入れたフライパンでじっくりと炒めて冷ましたカリカリのピーナツ、そして塩茹でと頭の中で楽しみが広がる。果たして思いどおりにいくものだろうか・・・・
2008.05.27

昨夜の私の料理、我が家の夕食の一品です。おた福豆という、そら豆より一回り大きい豆と海老のあんかけです。おた福豆は実家の近くに住む姉夫婦が実家の畑で栽培しているものです。 おた福豆の鮮やかな薄緑色を出すために下茹でしています。鰹、昆布だしに、薄口醤油、みりんを加え、火をとおしていた海老と豆をいれて、水で溶かした片栗粉でとろみをつけた簡単料理です。 海老のピンクの色と、おた福豆の萌黄色(この色も萌黄色と表現していいのかな?)が食欲をそそります。 ちょっと、とろみが足らなかったようです。
2008.05.26
昨日の九州地方はやや激しい雨でしたが、今朝は曇り空の中、鳥たちの囀りが聴こえてきます。 今日は実家へ帰省。目的は梅、柿、栗を植えている畑の草刈。落花生とゴボウの移植。そしてスイカ、トマト、きゅうり、ナス、枝豆の手入れです。 もう一つ、垣根の剪定も待っていますが、日帰りでは無理だろうと思っています。 実家へ着いたら、真っ先に亡き父の仏壇に手を合わせるべきなのですが、足は野菜を植えている畑へと向かってしまいます。 「昔は野菜づくりをしようとする気配もなかったのに、ちょっとする気になってきたか」と、草葉の陰から父が笑って見ているかも知れません。
2008.05.25

私のバスでの通勤経路3ルートの一つである子飼(こかい)経由を利用すると白川公園の横に見えるこの建物は熊本北警察署である。とても変わっている。 全面ガラス張りで▽の形をしている。残念ながら、熊本北警察署に用事がないので建物の中に入ったことがない。 室内の状態、室内からみた外の風景に興味があるのだが、警察署に見学をさせて下さいと行く勇気もないので願いが叶うことはないだろう。 熊本北警察署の建物についての詳細はこちらをどうぞ→熊本北警察署
2008.05.24

藤の花を逆さにしたような花。西洋昇り藤という言葉がぴったりかも知れない。 ルピナスの花の色はいろいろとある。左側奥の黄色い花は春菊。支柱はトマトときゅうりの支柱である。 この花は実家の畑に咲いているものだが、すぐ上の姉が育てている。近くに住む、その上の姉もこの花を育てるのに夢中である。姉妹でルピナスブームと言ったところだろうか。 「一度に全てを咲かせられたら凄いのに」と言うと、それは難しいという。夜、この花を下からライトアップしたら幻想的な光景が見られるのではないかと思っている。
2008.05.22

昨日、職場のある女性の足元に大きな袋が置かれていた。その袋にはたくさんのペットボトルのキャップが入っていた。 袋を持ってみるとズッシリと重い。10数キロはあるだろうか。 ペットボトルキャップはリサイクル業者に売り、その代金はワクチンの購入資金に当てられるという。その後のキャップは建設現場で利用されるらしい。 このキャップ集めは、入社3年目の女性社員が中心となり始められたもので、それを知った各職場の皆々が協力。職場で飲んだペットボトルのキャップはもちろん、我が家から職場へ持ってくる人もいた。私も妻に趣旨を伝えて集めてもらった。 皆の思いが、キャップのもの凄い量となり、ワクチンがどなたかのために役立つと思えば嬉しいかぎりである。
2008.05.21

退社し、外に出ると街の賑やかさが私に「もう帰るの、今日は早いね」と、声をかけているような気がしたが、お酒も飲めないため真っ直ぐ帰宅。 今夜は所用でカミさんも居ず、長男からは夕食は要らないとメールが入る。 二男と二人だけの夕食、何を作ろうかと思いを巡らす。実家の畑から、そら豆を持ち帰っていたことを思い出した。 そこで思いついたのが、そら豆たっぷりのグラタン。新タマネギをオリーブオイルでじっくり炒め、生鮭、ハム、シメジも加えてさらに炒める。 そこにたっぷりの自家製そら豆(塩茹で)をホワイトソースとともに混ぜ、チーズをのせてオーブンで焼く。 7時半過ぎから料理にとりかかり、食べ終えたのは9時前と遅い食事となった。
2008.05.20

新茶が美味しい季節となりました。何とも言えぬ新茶の香り、入れたてのお茶の色も美味しさを引き立たせてくれます。 私は薄いお茶は嫌いで、湯呑みの底が見えないくらいの濃いお茶しか頂きません。 甘いもの、特に羊羹を食べて、やや渋みのあるお茶を飲む、それは至福のひと時でもあります。 さて、お茶は飲めても禁酒から早や2週間が経ちました。22歳頃からお酒を飲み始めて、2週間という期間、一滴も酒類を飲まなかったことはなかったかと思います。 2週間後の解禁でビールが、そして焼酎が旨いと思わなくなってしまうのではないかと変な心配をしています。 このまま、アルコールを絶つということはなさそうですが、体調がものすごく良くなった今日この頃です。
2008.05.20

朝6時、畑から野菜を収穫する。一昨日の実家での朝食である。種を蒔き、苗を植え、育てたきた喜びと新鮮さを口にする。 サラダ菜、絹さや・そら豆(塩茹で)、セロリ(薄切りで水に晒している)、廿日大根。熊本の自宅ではこうはいかない。スーパーで買ってくる野菜は口にするまで相当の時間が経過している。新鮮さはどこへやら、仕方がないことである。
2008.05.19

4月に種を蒔いた枝豆が順調に育っています。でも、何本かは芽が出たばかりのところを何者かに食べられてしまいました。何者かは多分、野鳥です。 左側の小さな列は廿日大根。枝豆の奥はトウモロコシが10本。右側は食べ切れなかったサラダ菜の残骸。 中央の枝豆のすぐ隣の空いているところにも枝豆の種を蒔いている。 今、飲酒はドクターストップがかかっており厳禁です。この枝豆、6月の下旬には食べられるのではないかと思っています。 その頃には禁酒も解禁!この枝豆で良く冷えたビールを飲む。楽しみが先にまた一つ待っています。えっ-!飲むことしか考えていないですって、そうかも知れません。
2008.05.18

夕暮れ時の自宅近くのスーパーの駐車場、「やきとり」と描かれた赤提灯をぶら下げた車が、いい香りと煙りをそこらじゅうに撒き散らして焼き鳥を売りに来ている。いい香りと煙りを撒き散らしているのは、ご夫婦と思われるお二人である。 もう数年前からの光景だが、ここの焼き鳥を買ったのは一、二度あるだろうか。殆ど利用しない焼き鳥の屋台でも、その車が来ない日が二日も続くとちょっと心配になる。 ご夫婦のどちらかが体調でも崩されたのではないかと。焼き鳥を買うこともないので「二日間お休みされたのはなぜですか?」と、尋ねることはない。 ひょっとしたらお二人の単なる休日かも知れないが、いつもの光景がないと妙に気になる私である。 このように、自分に直接関係がない、ちょっと気がかりなことに、しばしば出くわすときがある。その気がかりなことが明らかになることは、あまりない。
2008.05.15
私のブログにコメントを送って下さる方々は、アカネさん、シナさん、matsuさん、つ~やんさん、角打ち大好きさん、pirania-おさん、Yukoさん、後押し君さん、一見紳士風さん。以前はJudyさんからも頂いていた。その中で遠方にいらっしゃるにも関わらずお会いできたのがアカネさんとJudyさん。ブログが縁でお会いできたことがとても不思議で、以前から知人のような錯覚の中で会話ができたことを嬉しく思った次第です。 ほかの方々はどういうお方かブログであるいは私の周囲にいらっしゃる方なので存じていますが、近頃、とら坊さん、ひまわりさんという方からコメントを頂いた。 あの方なぁ、どのようなお方かなぁと想像してみますが、果たして当たっているかは解りません。 コメントを頂く、そしてコメントの内容ももちろんですが、コメントを下さる方々を想像してみる、是もブログの一つの楽しみなのです。
2008.05.15

連休で帰省し収穫、持ち帰っていた廿日大根。そこで、廿日大根で大根おろしを作ってみたらどんな色になるのだろうかとやってみた。 ごらんのとおりである。15個近くを摩りおろして、この量である。 ところで、ずいぶん前に頂いた緑色の首をした大根のおろし。 この緑色の大根おろし、そして普通の白い大根おろし。そして廿日大根。三つを揃えて三色大根おろしというのはどうだろう。でも、時期的に三つとも同じときに収穫できるかである。廿日大根さえできれば大丈夫だろう。 三つの色合いを活かした料理も研究してみると面白いかも知れない。 ところで、久しぶりの出勤は、足元がややふらつき気味であった。貧血のせいだろうか。まだ、以前の元気に戻るには少し時間がかかるようである。 医師からの指示は ・タバコ、飲酒は一ヶ月間厳禁(タバコは吸わないので関係なし) ・風呂の長湯は避ける であったが、禁酒の一ヶ月間は堪える。 今回の下血騒動、身体のためには災い転じて福と成ればいいのだが・・・・・・
2008.05.14

今度の大腸憩室の炎症は激しい出血を伴ったが、腹痛は全くなかった。腹痛がなかった理由については医師へまだ尋ねていない。 腹痛を伴ったら七転八倒でたまらなかったかも知れない。 病室ではビーフリード500とバスグロス500の点滴。二日目には是を2本ずつ。退屈凌ぎに本を読む。東野圭吾の「片想い」、600ページを超える長編だが、一気に読んでしまった。でも、料理の本にも目がいってしまう。 辰巳芳子さんの「新たまねぎのスープ」のレシピに目が入った。退院したばかりだが、お腹にもいいだろうということで昨夕早速作ってみた。 サラダ玉葱を冷たいブイヨンのスープに梅干の種、昆布、オリーブ油、塩少々を加えたものでコトコトと煮込む。タマネギの柔らかさとスープの味がいい。 大腸を傷めても、料理はやっぱりやめられない。
2008.05.13

真っ白なご飯と梅干。たった二日間の絶食であったが、そのあとはお粥でした。真っ白な普通のご飯が食べられる、普段の暮らしに戻れたことを嬉しく思っています。 まだ、足元にややふらつきが残るが今日どうにか退院することができました。コメントやメール、電話を頂きありがとうございました。 今度の入院はいろいろと振り返させてもらういい機会ともなりました。家庭、仕事、食生活、趣味(農作業、料理、お酒ほか)、そして今後のこと。じっくりと読書することもできました。 今回の入院、いい方に捉えるならば、日常の暮らしをもう少し考えて生きてはどうかとの天からの贈り物だったのかも知れません。 ところで、今回の入院は次のような症状でした。よろしかったらクリックしてみてください。→ 憩室の炎症 驚きました、大腸に「休憩室」下2文字の憩いの部屋(室)があるとは。今回はここの悪さによるようですが、怖いのは再発です。一晩中の下血、もうこりごりです。 さて、明日からは身体も心も入れ替えて?仕事に励むこととします。
2008.05.12
暫く入院することになりました。今、入院準備のため一旦帰宅しています。今日の大腸ファイバーの検査結果でわかったことは大腸の窪みのようなところが炎症を起こし、腸壁に穴が開く寸前で大量の下血に至ったということです。 数日間、絶食のための入院ですが、暴飲暴食という言葉が頭をよぎります。 体重も数キロ減りました。血圧も、今、正常値です。こんなことでいい数値となってはいけないのですが・・・・
2008.05.08
昨日、病院の中央処置室のベッドに寝かされ点滴を受けた。ベッドはカーテンで仕切られ、点滴を受ける私がそこに横たわっていることを処置室に入ってくる患者さんは知らない。 点滴は2時間、ポタリポタリと落ちる液を見ていると、患者と看護師さんの会話が聞こえてきた。どうも注射を打ってもらいにきている様子だった。 「この前の巾着よく出来ていましたね」 「えー、若い頃、洋裁学校に行っていましてね」 「そうでしたか、どおりで綺麗にできていると思いました」 「でも、結核にかかりまして洋裁の道を断念したんです。でも、私は運が よかったですよ、私より半年前の結核の患者さんはほとんど亡くなって いますから」 「そうでしたか」(以下、略) 患者と看護師、何度も病院を訪れお互いに顔見知りなのだろうが、患者も何かを話したい、それを逃さず、話題に入って患者と会話を交わす。注射を打つ間のたったの数分であるが、患者さんの心も安らぐひと時ではないだろうか。 点滴を入れる刺さった針が腕に鈍痛を感じさせ重くなってきた。でも、数組の患者と看護士の会話は、その人の日常、優しさ、楽しみをベッドに横たわっていた私に伝えて癒してくれた。小さな幸せに出会った気分であった。 小さな幸せはどこにでも転がっている。
2008.05.08
小さな水玉が10センチ置きぐらいに規則正しく並び、周囲は黄色い画像であった。昨夜、何度もトイレに立ったが、そのときの光景である。 腹痛はなかったが、布団からやっと立ち上がるとフラフラの状態、トイレでは激しい下血(真っ赤な血)。(フラフラだったのは出血のための貧血であったと思っている) 下痢止めの薬を飲んだがすぐには止まらず、朦朧とした中でひよっとしたら、このまま昏睡状態に陥ってしまうのではないかと思った。 今朝、どうにか目が覚めた。きつかったけれども、目が覚めたことがなぜか嬉しかった。 さて、病院では、何日の何時頃に症状が出たのか、何を食べたのか質問された。病院では車椅子に乗せられて腹部レントゲン、血液検査へと向かう。血液検査の結果、血圧が通常140-90だったものが、110-70へとなり、ヘモグロビンの数値は前回14.4であったものが10.4となっていることを知らされた。ヘモグロビンの数値の減り方が異常であるという。 ということで、悪い病気の前兆なのか、良性のものなのか、さらに明日、CT、内視鏡(胃カメラ、大腸ファイバー)の3点セットの検査を受けることになった。 さて、今回の下血の原因については全く心あたりがないが、実家へ帰省した際に、山菜の天ぷらを食べた。その一つは自生している小さな豆。是は私一人食べて、ほかには誰も食べていない。私自身も過去に、この豆を鞘ごと食べたことはなかった。この豆は幼い頃、茹でて実だけを食べていた記憶がある。 この豆のことを医師に説明してもわかってはもらえなかった。その豆の存在自体をご存知ないかと思えば無理はない。天ぷらは高温で揚げているため、豆の鞘の成分そのものに出血をさせる作用を持つ成分が含まれていなければ出血はしない。このことも理由としては乏しいかも知れない。 それにしても、今回ばかりは、生まれてこの方、一番の苦しさだったかも知れない。 点滴を打ち、帰宅したのは2時、水で喉を潤す。この水はうまかった。点滴で肉体的には水分が補給されたのだろうが、昨夜から白湯を湯のみ半分ほどを口にした喉はカラカラに渇いていた。水で喉を潤し、ヨーグルトを食べて2時間ほど熟睡、どうにか元の元気が出た。
2008.05.07
昼間は農作業をバリバリやってどうもないのに、ここのところ身体に異変が。その異変とは、朝、起きたときに目まいがしてフラフラの状態なのです。 この症状は1日の朝からで今朝まで毎日続いています。 二日酔いとは違う、初めて体験したフラフラ感です。でも、昼はどうもないのです。 ということで、明日は病院へ検査を受けに行こうと思っています。なぜ、絶食かというのは腹痛は伴わないけれども、お腹の調子が悪いのです。 悪い病気じゃないといいのだが・・・・・・・
2008.05.06
長男は10連休が今日で終わり。連休中の間はどこで遊びほうけていたのか、夕食を我が家でとったのは数日であった。 さて、私はというと、今日は、また、野菜の手入れのため実家へ日帰りで帰省。落花生の苗、スイカの苗を植えるためである。時間があれば垣根の剪定をしようかと思っている。 まだ、一昨日の筋肉痛が治まっていないが今日も好天に恵まれ農作業日和である。今年の連休は、ほんとに好天に恵まれた。行楽地も賑わったことだろう。 ところで、ETC利用車両の高速道路の半額割引を受けるため、9時までにインターチェンジに入らなければならない。ということで失礼いたします。
2008.05.06

食べ物で季節感を味わう。その一つグリーンピースご飯。レシピどおりに作ってどうにかうまくできた。グリーンピースの仄かな香りから春を頂く。 グリーンピースご飯のほかは塩鮭、石蕗、絹さや、卵焼き、廿日大根、わらびとワカメの味噌汁です。
2008.05.05
昨日は帰省先の実家で5時半に起床、以下、次のような一日となりました。・6時~7時 野菜の苗(トマト、きゅうり、なす、ししとう)への水やり、耕運機で耕したあと の畑の草の後片づけ・7時~8時 朝食・8時~10時 野菜の苗の支柱立て・10時~12時 庭の芝生刈り&片付け・12時~13時半 昼食&休憩(TV=新婚さんいらっしゃい)・13時半~14時 かぼちゃの苗の移植・14時半~15時 チューリップの手入れ&サラダ玉葱の最後の収穫・15時~16時 スイカ、きゅうり、茄子の苗植え(さらに買ってきたもの)・16時~17時 アピオス(ほど芋)&枝豆の手入れ、九条ネギの種蒔き、廿日大根・絹さや・ グリーンピースの収穫、そら豆の芯止め(芯を止めることで実を大きくさせる 効果あり?)・17時~18時 畑の土手の草刈&溝の掃除・18時半 実家を出発・20時10分 自宅到着 ということで身体のあちこちが筋肉痛でたまりません。明日は、また、植える時間がなかったスイカ(6本)と落花生の苗を植えるために帰省します。 実家へずーっと泊まって農作業を片付けてしまえばよかったのですが、熊本での所用で一旦、帰宅することになってしまいました。 昨夜、疲れきった身体を癒してくれたのは一杯のビールでした。汗を思い切りかいて飲むビールは格別です。こんなときのビールは銘柄は関係なく何でも美味しいと思います。 ところで、今朝の朝食は炊きたてのグリーンピースご飯にしようと思っています。春を身体に感じさせる一品、うまく炊けるかな。
2008.05.04

今日から暦どおりに4連休という人もいれば仕事という方もいらっしゃることだろう。我が家でのんびりする人、行楽地や旅行に出かける人、読書を楽しむ人など様々であろう。私の場合は、今日一人で実家へ帰省し、思い切り野菜づくりを楽しもうと思っている。 先週、帰省できなかったので野菜たちがどのようになっているのか気がかりである。ところで、自宅マンションのベランダで落花生の種を蒔いていたが、ようやく芽を出してくれた。これも、連休中に移植しようかと思っている。 やっと芽が出た落花生。連休中に移植できるといいのだが・・・ 実家での夕食のメニューは山菜の「天ぷら」もいいなと思っている。タラの芽、石蕗、三つ葉芹、よもぎの自然が作り出した人の手が加えられていない素材を頂く。食材費ゼロ、そして新鮮な山菜たちが私の帰省を待っている?
2008.05.03
仕事先のビルの玄関を出てすぐ交差点の横断歩道の前に立つ。左へ行けばバス停で真っ直ぐ帰宅。正面へ向かえば飲み屋街。どちらへ足を運ぼうかと私の二つの人格が闘いを始める。 ほとんど真っ直ぐ帰宅の方が、正面へ向かう方にすぐに打ちのめされてしまう。ということで、ついつい街の灯りの下で一杯ひっかけていくことになる。 格別の不満が妻や子供たちにあるわけではない、また家庭不和というわけでもないのになぜか真っ直ぐに帰宅したくないのである。 このような夕暮れ時を迎えるようになったのは数年前からである。職場以外の人との出会いや仕事と関係のない話を欲しているのかも知れない。それとも、ただただ人恋しいのかも知れない。まっすぐ帰ることがなぜか寂しいのである。 そんな寂しさを紛らす日が数日続くと妻が不機嫌になる。ある朝、携帯を見ると一通のメールが入っていた。妻からで「私のどこに不満があるの」と。不満はない、だから返信はしない。 私は街の灯りの下で寂しさを紛らし、一方の妻は私への不満を増幅させているようである。それでも、完全に治癒することはないだろう、私の「直接帰宅拒否症」という症状は・・・・・・。
2008.05.02
今、春の日差しの中で先生が小中学生の児童生徒のいる家庭を訪問する、いわゆる家庭訪問の時期らしい。 小学校低学年のお子さんを持つお母さんと家庭訪問のことが話題となった。その時のやりとりである。「家庭訪問の時期らしいけど、いろいろと気を使うんですか」「ええ、そりゃたいへんですよ、家の中が散らかっているものだから片付けが」「いつもの状態を見せればいいじゃないですか」「そういうわけに行きませんよ。1階にある物を2階へ上げたりして隠すんですよ、そして家の外の草取りもしたり大変です」「それは大変、家庭訪問の前に疲れちゃうんじゃないんですか」 また、もう一人のお母さんは家庭訪問の前に障子張りをしたと教えてくれた。 誰でも整理整頓、綺麗に掃除が行き届いたところにお出で頂きたいというのが本音であろう。納得のいくところである。 ところで、私が小学校の頃の家庭訪問のとき、母が片付けを懸命にやっていたという記憶はあまりない。現代のように、家の中に物がなかったから散らかることがなかったのではないかと思っている。 今から40年以上も前の家庭訪問は、お酒が好きな先生には「飲みなっせ」と言って、お酒を出していた。先生は何軒も訪問するうち酔っ払ってしまい、最後の家を訪問する頃には真っ直ぐ歩けなくなり、リヤカーで先生を運んだという凄い話を聞いたことがある。 そんなことがあっても、当時は何の問題ともならなかった。小さな学校だったせいもあるが、先生と生徒、先生と保護者の三者同士の一体感が、ものすごくあったように思う。 私が小学6年の頃、父はPTA会長をしていた。我が家への家庭訪問の日、担任の先生が帰ったあと、なぜか教頭と給食の先生(女性)が訪ねてきた。教頭は酔いつぶれ、給食の先生は帰る足がなくなり、我が家へ泊まることになった。 翌日は我が家から学校へ出勤。大らかといえば大らか、今では考えられない、すごい時代だったなと懐かしく振り返っている。
2008.05.02
先月、日本酒を楽しむ会で同じテーブルになり知り合いとなった方が、蕎麦屋を開くということで開店お祝いの招待状を頂いた。でも、都合で伺うことができず、昨晩、仕事帰りに寄ってみた。 瓶ビールで喉を潤していると、大将が「山菜の天ぷらでもあげまっしょか、今日は小国(おぐに=阿蘇の北方に位置する熊本県小国町のこと)から、こしあぶらが届いとるけん、うまかですばい」と、熊本弁で話かけてきた。「その、こしあぶらって何ですか」と尋ねると「まあ、食べてみなっせ」と返ってきた。暫くして出てきた天ぷらは、筍、タラの芽、こしあぶらであった。 初めて口にした「こしあぶら」は、とても香りがよかった。タラの芽よりいい香りである。いい香りを言葉にして表現するのは難しい。 残念なことに昨日はカメラを持って行っていなかった。揚げ立ての、こしあぶらの画像がないのが残念である。こしあぶらをネットで検索すると「山菜の女王」と書かれていた。 黒川温泉で有名な南小国町には姪が嫁いでいるが、姪の口から、この「こしあぶら」のことは聞いたことがない。 「こしあぶら」を紹介しているホームページはこちらです。 → こしあぶら
2008.05.01
全30件 (30件中 1-30件目)
1


