わたしのこだわりブログ(仮)

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2019年07月30日
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カテゴリ: 歴史の旅
星 ラストBack numberに香辛料トレードのリンク先追加しました。


今回は「アジアと欧州を結ぶ交易路 2​」の続きです。

​​もし、アレクサンドロス王が早死にしなければ、彼はアラビア半島を一周し、エジプト、カルダゴ、ローマを攻め西回りでギリシャに戻ると言う計画があったらしい。
※  アレクサンドロス3世、アレクサンダー大王(Alexander the Great)(BC356年~BC323年6月10日 )

​BC324年、バビロンに戻ったアレクサンドロス王はフェニキアで建造した船を解体し、ユーフラテス川沿いに建設した港に船を運ぶと、同時に何千と言う水夫やこぎ手を集めていた と言う。
まずはペルシャ湾岸と近くの島々を植民地にし、最終的にはアラビア半島を手にすれば、紅海の航路が思いのままになる・・と、考えたのだろう。

当然、そこに大きな経済的目的があった。 それは 地中海からインドを結ぶ交易ラインの確保。 ​​
彼はダレイオス1世がすでにトライしていた 紅海からナイルを経由して地中海に至る航路を含みペルシャ湾岸の地形などの調査隊を3度にわたり派遣していた。

しかし、BC323年6月、準備も整い、自身のアラビアへの遠征直前に病に倒れて急死したのである。しょんぼり

星彼の死と共にその計画は頓挫(とんざ)するが、 結果的には彼が計画していたコースが海のシルクロードとして、後に確立され た。
そしてそれこそが 古代オリエントとギリシアの文化融合と言う文化革命、「ヘレニズム(Hellenism)」を起こしたのである。

※ ヘレニズム(Hellenism)とは、アレクサンドロスの死(紀元前323年)から北エジプトに植民したプトレマイオス朝の滅亡(紀元前30年)までの約300年間を指すらしいが、文化融合の観点から見れば、それらはそのまま帝政ローマに引き継がれている。

因みにアレクサンドロス王の代理として北エジプトに赴任したプトレマイオスは、アレクサンドロス王と同年のマケドニア時代からの幼なじみである。
※ 後でまた触れるが、プトレマイオス朝の位置は海のシルクロードにはかかせない要所の一つになっている。​

少し間が開いたのでバックナンバーのリンク先を載せておきます。先に読んでほしいかも・・ぽっ
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 1 砂漠のベドウィンと海のベドウィン
リンク​ ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 2 アレクサンドロス王とペルセポリス


アジアと欧州を結ぶ交易路​ 3  海のシルクロード

古代ガラス​
アレクサンドロス亡き後の​陸路、そして紅海経由の海路の誕生​​​
アクスム王国(Mangiśta Aksum)の役割
香油 ミルラ(Myrrh)と​フランキンセンス(frankincense)​​

古代ガラス​

宝石として造られたガラス玉のネックレス(宝石よりも価値があったかも・・)
最古のガラスの誕生は起源前3500年に遡る と言われているが、起源の年代も場所も実は未だはっきり特定はされていない。

エジプトかメソポタミアかと論争があり、 最近の起源説としてメソポタミア起源説が有力 になっている。

ローマン・グラス(Roman Glass)は以前ベルギーのブリュッセルのところで取り上げた事があります。
「サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)」
リンク ​ サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)

そこでは ローマ時代に造られたガラス( 紀元前1世紀から5世紀に造られた製法のガラス製品 )として紹介しているにすぎませんが、広義には、ヘレニズムの時代から帝政ローマ時代に交易により欧州にもたらされたガラス製品全般をさしていた のです。

下も同じくテヘランのガラスと陶器の博物館から「型吹き成型」のビン
人面文小瓶 おそらくシリア出土1~2世紀頃のもの

なぜ人の顔を模しているのかわかりませんが、テヘランのガラス博物館には結構あります。
皇帝などへの献上品でしょうか? 香油ビン(Perfume bottle)かな?

その昔、ガラス製造に欠かせない天然ソーダを商う商人の船がペールス川で釜土の準備をしていて偶然発見した? などと言う伝説もありますが、 天然ソーダを商う商人こそがフェニキア人 です。

​ガラス自体の交易は古くからあったと思われるが、BC1世紀中頃? 「 宙吹き成型」からの「型吹き成型」のガラス製法の発見はガラス革命を起こしたようだ。

下は BC2頃の香油ビン​(Perfume bottle)   おそらくサイズは5~6cm程度 携帯用?

シリア・レバノンなど地中海沿岸のパレスチナ地方。かつてアレクサンドロス王率いるマケドニア軍が進軍して最初に勢力下に置いたフェニキア人の街があった沿岸地帯。
そこはガラスの産地だった場所。
※ アレクサンドロス王が消滅させたフェニキア人の最大の都市テュロス(Tyros)の街も含まれている。


同じくテヘランのガラスと陶器の博物館から 年代不明だが紀元前の物と思われる​

星玉虫色に輝くシリアで生まれたガラス器。

​ルイス・コンフォート・ティファニー (Louis Comfort Tiffany)(1848年~1933年) はこのガラスの色に深い感銘を受けてファブリル・グラス(Favrile glass)の再現? 開発に成功する。​
1894年の特許取得後、1896年に生産が開始。玉虫色に輝く ファブリル・グラスはティファニー商会の代名詞となる。

ガラス器は、紀元前からローマ時代を通して宝石に値する価値のある交易品の一つ だったのは間違いない。
しかし、技術革新でガラス造りが簡易になり始めるとその価値は下がり始める。それはガラスの透明度に比例している。 透明になるほど簡単に作れるので安価になって行く のである。

星 ローマ帝政期の1世紀~3世紀、ローマン・グラスは、ローマ市民のポピュラーな実用品となり市民の生活の中にも浸透していく。

因みに日本に伝来して正倉院にあるササン朝の切子グラスは6~7世紀頃と思われる。
つまり、 後々ガラスはローマ帝国のみならずササン朝ペルシアの主要な交易品として東西に広まって行く のである。

アレクサンドロス王の遠征路(赤)に加え、おおよその海路(青)の調査路を入れてみました。

ピンクの西の端がマケドニア、左上の星がローマ、右の星がバビロン(Babylōn)。
上は現在の衛星写真に加筆したが、アレクサンドロスの時代、シリア一帯はもっと緑が多かったらしい。砂漠化が進んでいるのである。
※ バビロンはBC5~6世紀にはオリエント有数の都市として栄えた伝説の都。アレクサンドロスがペルシャ王になった一時、帝都になったが以降衰退して消えて行く。

冒頭紹介した通り、 インダス川以西を手にしたアレクサンドロスは、最終的にはアラビア半島も手中にし、紅海の航路を自由にしてからナイル経由でアレキサンドリアから地中海に出るルートを開拓する予 定であったと思われる。
それは 東のインド、アジア圏と西のヨーロッパを結ぶ経済網の構築



​​​ アレクサンドロス亡き後の陸路、そして紅海経由の海路の誕生
​アレクサンドロスの死後、帝国は大きくセレウコス朝とプトレマイオス朝に分かれる。​

アレクサンドロスの ​​後継者、ディアドコイ(Διάδοχοι)となった部下らがメソポタミア(イラク)地方からにシリア、アナトリア、イランなどにまたがる広大な領域を支配して セレウコス朝 をおこすと 陸路の交易路 は彼らが掌握​​ する。​​

海の交易路 は、アラビア海湾岸を沿ってアラビア半島南端(イエメン共和国の港湾都市アデン(Aden)を経由して紅海に入るルート であるが、やはり 後継者、 ディアドコイ(Διάδοχοι)である ​アレキサンドリアに首都をおく プトレマイオス朝(​ BC306年~BC30年) と​ 紅海に沿岸に位置する中継ぎ貿易で繁栄した アクスム王国(Mangiśta Aksum) による所が大きい
※ アクスム王国は、紀元前5世紀頃から紀元後1世紀までに繁栄した中継ぎ交易国と思われていたが、実はここには重要な交易品が存在していた。

実際、 BC5世紀頃には紅海の交易路はすでに存在していたとされる
なぜならアクスム王国(Mangiśta Aksum)の主要輸出品は、エジプトにとって貴重な輸入品であったし、一部はフェニキア人に買われ、オリエントや西欧にも流れたのである。
※ 地中海へはナイル経由かテュロスに出るルートであったと思われる。​

ウィキメディアからかりました。
​ピンクの円がプトレマイオス朝の位置。​

アクスム王国(Mangiśta Aksum)は、かつてのエチオピア、今のイエメンにあたる場所に存在していた小さな国
で、ソロモン王とシバの女王の子孫と公言する王の統治下にありBC5世紀~AD11世紀まで存在していた。

星現在はスエズ運河(Suez Canal)ができて地中海と紅海を結んでいるが、かつては、テュロスにしてもナイルルートにしても 一部陸路を行かねばならなかったが、 BC5世紀~AD11世紀にかけては紅海を通過してエジプトを通るローマ・インドルートの海上交易路がその必要性からメインとなりインドやアラブとの交易が盛んになった のである。

下図は交易路​ 1で紹介したシクロード地図の中東部を拡大

ピンクの円・アクスム王国​があった所  紫の円・・プトレマイオス朝​があった所


アクスム王国(Mangiśta Aksum)の役割
後々交易路は販路を増やして行くのであるが、この地図で気づいた事がある。
アラビア半島下とソマリア沿岸の航路は、まさに乳香(にゅうこう)や没薬(もつやく)の産地をめぐるコース。

アクスム王国の存在はただの中継ぎ貿易港ではなく、 アクスム王国に集積された物品は、交易品としてエジプトのみならず、西洋諸国に販売されていった非常に貴重なエッセンシャル・オイル(Essential Oil)の原料だった のである。​

​​​​​​​ 香油 ミルラ(Myrrh)と​フランキンセンス(frankincense)​​
ミルラ(Myrrh)の和名は没薬(もつやく) 。樹脂のオイルであり、今はEssential Oilとして知られている。
実は紀元前の 古代エジプト時代から「黄金に匹敵する」非常に重要な品​​ であった。
殺菌作用を持ち、鎮静薬、鎮痛薬としても使用される。



古代エジプトでは、太陽神ラーへの儀式で利用され、 強い殺菌性からミイラを作る時の防腐剤に利用されてきた のだ。
没薬樹はスーダン、ソマリア、南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生していたのでまさに・・である。
星また没薬(もつやく)は 聖書の中でも貴重品として登場 している。 東方の三博士(マギ)らがイエス・キリストに贈った3つの品の一つに入っている
※ もう一つ、やはりアクスム王国からの輸出品である乳香(にゅうこう)も含まれている。

以前、2013年12月「マギ(magi)の正体」の所でマギの名前は贈り物から与えられていると紹介した事があるが、 壮年の賢者がバルタザール(乳香)で、老人の賢者がカスパール(没薬)である。
リンク ​ マギ(magi)の正体 ​​​

フランキンセンス(frankincense)。和名は乳香(にゅうこう) 。樹脂のオイル樹木。
これらもオマーン、イエメンなどのアラビア半島南部、ソマリア、エチオピア、ケニア、エジプトなどの東アフリカ、インドに自生。
こちらもまた宗教行事には欠かせない香油



先ほど触れたが、 フランキンセンスもまたキリスト誕生祝いのマギからのプレゼントの一つ。

また 古代エジプトではすでに紀元前4000年前から利用されていた香
神にささげられる貴重な香としてエジプトから、そしそてユダヤ人にも伝わり珍重されてきたのである。

確かに、 キリストへの贈り物は、もともとシバの女王がソロモン王に贈った贈り物からなぞられている ので納得である。シバの女王の国はかつてのイエメン。彼女の国の特産品の香油だったのだ。​​​

紅海ルートはこの香を運ぶ為に存在していたと言っても過言ではないだろう。

​​
星ところで、 大航海時代は、香辛料
 (spice) を求める為に始まったと思われているが そもそもはスパイスでなく、 エッセンシャルオイル(Essential oils) 、すなわち聖務で必要となる香油を求めたのだろうと思われる 。スパイスは結果論だろう。


下図は紅海のあたりを拡大。
​​

​​ 紅海沿岸で荷を積んだアラブの商人により地中海沿岸まで運ばれ、そこで取引 されていた。
しかし、彼らはそれらが どこからもたらされた品かを企業秘密にしていた

下は1世紀頃の交易ルート図です
​​

​​ 陸路を赤、 海路を黄色 にしました。

紅海ルートを加えた、 アレクサンドロス以降の新たな海のルートでは、アラブやインドとの中継ぎ貿易を活発化 させていく。

海洋に転じる頃の主要な交易品は香辛料他、黒檀(こくたん)、絹、上質の織物などがあるそうだが、セイロンやジャワの茶葉の他、インドのゴルコンダ産のダイヤや象牙なども取引商品に加わった ようだ。

​特に南で採れるコショウや香辛料には重きが置かれ「香りの道」とも呼ばれるよに・・​。
とは言え「 香りの道」の香りは香辛料の香ではなく、​​
エッセンシャルオイル(Essential oils) の事だったのだと改めて思う


それにしてもミルラ(没薬)と​フランキンセンス(乳香)の存在に気付けなかったらアクスム王国を見誤っていた所でした。ぽっ海の交易ルートも陸にちなんで「海のシルクロード」と呼ばれていますが、こちらは「香りのロード」とした方が良いのかもしれません。

アジアと欧州を結ぶ交易路
次回リンク  アジアと欧州を結ぶ交易路​ 4 シナイ半島と聖書のパレスチナ
香辛料については別の回で詳しく書いてます。
リンク  ​ アジアと欧州を結ぶ交易路 18 香辛料トレード(trade)の歴史


Back number
​リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路 22 太陽の沈まぬ国の攻防
リンク ​ 大航海時代の静物画
リンク ​ 焼物史​ ​土器から青磁まで
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路 21 東洋の白い金(磁器)
リンク 
アジアと欧州を結ぶ交易路 20 パナマ運河(Panama Canal)
リンク  マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路 19 新大陸の文明とコンキスタドール(Conquistador)
リンク ​ コロンブスとアメリゴベスプッチの新世界(New world)
リンク ​ 新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs)
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路 18 香辛料トレード(trade)の歴史
リンク 
アジアと欧州を結ぶ交易路​ 17 大航海時代の帆船とジェノバの商人
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 16 イザベラ女王とコロンブス
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 15 大航海時代の道を開いたポルトガル
リンク ​ 海洋共和国番外 ガレー船(galley)と海賊と海戦
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 14 海洋共和国 3 法王庁海軍率いる共和国軍vsイスラム海賊
リンク  ​ 聖人と異端と殉教と殉教者記念堂サン・ピエトロ大聖堂
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 13 海洋共和国 2 ヴェネツィア(Venezia)
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 12 海洋共和国 1(Ragusa & Genoa​​)
リンク ​
アジアと欧州を結ぶ交易路​ 11 ローマ帝国の終焉とイスラム海賊
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 10 ローマ帝国を衰退させたパンデミック
リンク  ​ ローマ帝国とキリスト教の伝播 (キリスト教とは)
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 9 帝政ローマの交易
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 8 市民権とローマ帝国の制海権
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 7 都市国家ローマ の成立ち+カンパニア地方
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 6 コインの登場と港湾都市エフェソス
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 5 ソグド人の交易路(Silk Road)​
リンク  ​ クムラン洞窟と死海文書 & マサダ要塞(要塞)
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 4 シナイ半島と聖書のパレスチナ
    アジアと欧州を結ぶ交易路​ 3  海のシルクロード
リンク ​
アジアと欧州を結ぶ交易路​ 2 アレクサンドロス王とペルセポリス
リンク ​ アジアと欧州を結ぶ交易路​ 1 砂漠のベドウィンと海のベドウィン






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Last updated  2024年10月18日 03時13分28秒
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