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古い時代の人達には現代人にはなかった力があつたのだろうと思います。 医学は今ほど発達していなかったけれど、人の身体の素晴らしい作られ方を本能的に理解していて、病気のときに身体のどこをどうすればいいとか、自然の草木のどんな成分を薬として用いればいいとかが本能的にわかっていたのではないかと思います。 目に見えないものの存在についても、現代人よりも敏感で人の「死」や「生」を魂のレベルで理解していたのではないかと思います。 昔の人は偉かった、と以前はよく言っていたような気がします。しかし最近はそんなことも言わなくなりました。祖先や年長者を敬う気持ちが少しずつ小さくなっているような気がします。 私達の身体はとても精妙に作られています。病気の警告のサインなどはとてもすばやく正確に出てくるようになっています。 自然のシステムというものも本当に精妙に出来ています。どうすれば自然とうまく共生していけるかというヒントは「里山」や味噌醤油の製造過程なんかを見ると本当はよくわかるはずなんです。 温故知新。意外と大切な事なのだと思います。
2010年09月30日
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昔の逸話です。ある偉いお坊様に何か掛け軸にする文字を書いてくださいとお願いしたら、「親死に子死に孫死に」と書かれたそうで書かれた人が何て縁起の悪い言葉を書くんだ!と怒ったら、「何を言うのだ。親が死んで次に子が死んで、孫が次に死ぬという順番通りの死に方こそが幸せなのだ。孫や子が親より先に死ぬことほど不幸なことはないのだぞ。」と叱ったそうで、確かにその通りだなぁと思いました。 また、人の死というものは必然で寿命で死んでいくのならそれは悲しいことではあるけれど、ある意味幸せなことなのかもしれないとも思いました。 「死」は永遠の別れであり、生きているものからすると辛いものですが、その命は子孫に受け継がれているものであり、また魂は永久不滅に輪廻転生し続けていくものなのだから、いつかまた別の世界で再会することもあるので、寂しいことも無いのかもしれないとも思います。 父が亡くなり、伯母が亡くなり、少しずつ心の基盤になってきたような存在が消えていきますが、記憶の中のその存在感は全く薄れることはなく、いつまでも心の中に生き続けていることは間違いないことです。
2010年09月29日
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霊視をしたら「水盤」という文字と水を張った器が視えました。 生け花に使う水盤かと思ったのですが、どうも神社にある手水舎のほうのような気がします。 身を清めて神様の前に出るための場所にある水を溜めてある場所ですが、古代にはそこで第一段階の「神託」を得ていたのではないかと思います。水面を鏡面のように見立てて、そこに映るものによってその日神様の前に進んで良いかどうか、神様のご機嫌を伺う意味も水盤にはあったような気がします。 この霊視は迷っていることがあるのなら、神意を伺うために社に来なさいという意味だったのではないかと思います。 霊界からのメッセージは回りくどいです。
2010年09月28日
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爆笑問題のテレビ番組に三年ぶりに出演していた占いの大家H女史。見事なまでの「自分知らず」振りに相変わらずだなぁと思ってしまいました。 地位やお金を持っていることをあそこまで堂々とひけらかしている姿はある意味哀れでした。多分、爆笑問題や番組のスタッフはそういうところが観えるのを判っていて番組を作っていたのだろうなぁと深読みしてしまいました。 自分がどれだけ凄い人間かを他人に知らしめることに全力で頑張っている姿は妄執の塊というように感じられました。ああいう人に恐れ入ってしまったり、興味を持って集まっていったりする人間が数多くいるという現実の空虚さにあきれてしまいました。 金持ちを尊敬するという人の気が知れないと思います。それなら、マザー・テレサやダライ・ラマはお金や地位を気にしていたか?現在も気にしているでしょうか? 私にはコツコツと地道に都会の片隅で部品のねじを汗水たらして作っている町工場の親父さんのほうが、H女史よりもとてつもなく立派に思うのですが・・・・。 彼女がもし、全財産を貧しい人や飢餓で苦しんでいる人達に寄付して無一文になって、それでまだ占いで人々を救いますとでも言ったら、私は彼女を認めてあげたいと思いますが、まずそんな事はありえないでしょう。 すみません。毒を吐いてしまいました。
2010年09月27日
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昨日、伯母が亡くなりました。87歳で肺がんでの死でした。長年連れ添って亡くなっている伯父が愛煙家だったので、その副流煙を吸い続けてきたせいだろうとのことでした。それでも一年前くらいまではとても元気だったので、やはり老齢による身体の衰えでガンが出てきたのだろと思います。 私の母と十歳近く離れていて、母にとっては母親ような存在の姉であり、私にとっても最も身近に感じられる親戚の人でした。 本人の希望で密葬のような家族葬のような小さな通夜とお葬式になりました。父親が亡くなったときよりも涙が多く出てしまって、帰りの車の中で家内にそう話したら、「お父さんのときは当事者だったから諸々忙しくて心に余裕がなかったからじやない?」と言われ、確かにそうかもしれないと納得しました。 納得しましたが、伯母は本当に身近な優しい身内だったので、悲しさはとても強くあります。私自身の母親の将来の姿も重ねて見ているのかも知れません。 母親には伯母が入院したときから、強く言っていました。「伯母さんが亡くなることをよく心に覚悟しておかないといけない。きっととても強いショックを受けるだろうから・・・」母は四姉妹の一番下なので、甘えん坊なところもあるので、この伯母をとても頼りにしていたのです。 通夜の席で霊視させてもらったら、伯母の魂のそばには三十年以上前に亡くなった彼女の娘の姿が視えました。そっと優しく伯母を支えていました。やっと二人は再会できたのです。娘を手放し傷つかせ、遂には自殺のような事故死のような死に追いやって、深い後悔と懺悔に包まれれていた伯母の魂も死によって救われたのかもしれないと思いました。 そこにはとても複雑な事情があり、伯母はとても美しい人でしたが、それ故に数奇な結婚離婚を繰り返した人だったのです。晩年は手放した実子の長男さんに引き取られて幸せな人生だったのですが。魂は結局深い愛によって救われるのだと思いました。
2010年09月26日
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彼女の霊視をすると「槍一筋」という男達の姿が視えてきました。つまり、彼らは戦国時代の武将たちで「智略」を使うタイプの武将ではなくて、戦場働き一辺倒の豪将タイプの力自慢の男達のようでした。 彼女の前世はそういう父親や兄弟たちを持った武家の娘と言った感じです。彼女はそういう「愚直」とも言える身内の男達のために陰に廻って頭を働かせて支えていたようです。こういう男達は一つのことしか一度に考えられないので、権謀術数渦巻く戦乱の世に生き残るにはこういう頭を使える女性の支えが欠かせなかったようです。 だから、今世の彼女も周りに集まってくる男性たちは「愚直」「実直」というタイプの人達ばかりで、彼女はまたこういう男達のために一生懸命頭を使ってあげている感じでした。 彼女自身そういうことは自覚しているようでした。そして、随分とそういうことで疲れているようでしたが、自分で自分を止めるわけにも行かず、また彼女は他人でも頼ってくれば「身内」のように感じてしまう優しさもあって、ますます「お荷物」は増えてくるようで・・・。 でも、いつか彼女にも「手助け」してくれる存在が出てくるので、それまでもう少し頑張ってもらうことになるようです。善意の人に神仏も手助けしてくれていくことでしょう。
2010年09月25日
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二度ほど霊視の中に出てきた存在が「山守」というお役目の人達です。 山の神様から委託されたというか、命ぜられたというか、人としてその山全体の保全をする仕事に就いている人達です。 山は霊山と呼ばれるように神霊が宿っています。自分で自分の身を守ることも出来ますが、そのためには人と争うというか周囲に住んでいる人々を傷つけることにもなりかねない。それもまぁ可哀想だから人の中でよい人間を選んで、自分の身(山全体)を守らせようと思ったんだか考えたんだかした山の主である神様がいたようです。 それとも自然と神託を得て、人が勝手にそう、し始めたのか。何しろ「山守」というお役目を持った人がいたようです。 そういう仕事を前世に持っていると今世でも「何かを守る」という立場になりやすい。守らなければならない人やモノが増えると、さすがに疲れもするだろうし、気苦労は絶えないということになる。 私のところで霊視させていただくと大抵は「少し休みなさい」とか「他人に任すところは任してしまいなさい」というメッセージが来ます。 責任感が強いと言っても、ほどほどにしないと身体を壊してしまってもっと周りに迷惑をかけてしまうことになりかねない。 「山守」は無理をしない。そう心がけてもらうようにしています。
2010年09月24日
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沈思黙考(ちんしもっこう)というのは私がよくするポーズかもしれません。時々、黙って考えていることがあるのですが、他人からすると休んでいるようにしか見えないだろうなぁと思います。 思い千里を奔る・・・とは言いますが、一瞬の思考でも考えていることは多岐にわたり、様々な思いが駆け巡ります。 座禅というのは無我の境地で何も考えてはいけない状態なのですが、人は沈思黙考する時間も必要で、そういうときに「無駄」と思えるような思考をしてみるのも大切だと思います。 百戦議論するということも勿論大切なことなのですが、人と話しているうちに考えがまとまるということも多々あることです。 秋は沈思黙考するのにいい時間かもしれません。
2010年09月23日
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昨晩はテレビでロンドンハーツという番組を観ていました。芸人さん達を女子アナウンサーが人気ランキングで選ぶというような企画で、芸人さん達が一喜一憂していました。 女子アナという職種の人達が人気でもてはやされていますが、私は以前から昔で言うと「芸者さん」のようなものかなぁ・・・と思って観ていました。 錦絵に描かれたりして人気商売で多くの人にもてはやされる立場の女性たちです。昔の芸者さんや花魁と呼ばれる高級遊女なんかと同じ立場なのかなぁと感じていました。今は昔のような男尊女卑の時代ではないですけれどね。 彼女達の背後には弁財天がよく視えます。後は諸々の神様が就いておられるようですが、お稲荷さんやら木花咲弥姫様やら蛇神様やら・・・。それでも弁才天の姿が一番多く視えるのはやっぱり彼女達自身が守護を願って参拝しているのかもしれません。 女優さん達の背後に視えるのが、蛇神様が多いのと同じように職種によって守護する神様の傾向があるのかもしれません。 それぞれの分野で一流になる人には強い神仏がついているようですが、そういうのはご本人の努力もあるのでしょうが、生まれつき神縁仏縁が強く深い人が恵まれていくのでしょうね。
2010年09月22日
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昨日は出張で小松市へ行っていました。招かれていたお家でふと外を見ると神社とうっそうとした鎮守の林が見えます。いつものごとく高い木の梢の頂を霊視してみると、神様が立っておられました。 男神、それも随分と気位の高そうな神様、しばらくすると頂に胡坐をかいて座り込んでおられました。 帰ってからネットで調べてみると住吉神社だということ。だとすると私とご縁のあるホンダワケ命(応神天皇)様のようでした。 この神様は私の産土の神であり、私の「親孝行」を監視している神様でもあります。この神様自体が神功皇后という救国の女帝を母に持ち、親孝行な息子だった人なのです。 この招かれたお家にも「母と息子」がおられます。それがこのお家に招かれたご縁の元にもなつているのですが、そうかこの神社の神様が呼ばれたご縁でもあったのだと得心した次第でした。 神様の結ぶ縁というのは、不思議なものです。
2010年09月21日
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いないと思えばいないし、いると思えばいる、ようなものです。人の心が生み出すものでもないし、自然界の精気が収束して生み出されたものでもないのかもしれません。 神社と呼ばれる施設に気配は感じますが、多くの人の「気」が集まってくると苦手なようでどこかにいなくなってしまうようです。 誰も寄り付かない小さな祠に強烈な神氣を感じることがあります。さすがに伊勢神宮や出雲大社には地の底深くや周囲の山々などに神気を感じましたが、それも古い時代に眠りに付いたような感じがありました。 神様が本当にいるなら・・・・本当はいるんですが、あまり人に関心を持っていない神様がほとんどですが、ごく少数人に親切な神様もいますし、その人と相性が抜群に良かったり、気まぐれで世話をしてくれる神様もおられるようです。 ただ神様の御心は広大無辺で、人には何を考えておられるのか推し量りかねるところがあります。 仏様は人に寄り添う存在なので、すぐ身近にいてくださいます。ただし、愛の心がないと交流は不可ですが。(上記の考えは全て私の独断と偏見ですので、ご了承ください。)
2010年09月20日
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この猛暑の疲れというのが皆さんの身体に大きな傷を残していっているようです。 暑さというのは「心」の経絡に響きますので、精神にも影響を与えて弱らせることにもなるのだろうと思います。 朝晩が涼しくなったので、身体のほうは少しずつ楽になりますが、それは身体にも心にも緩みを生み、そこから蓄積した疲れが沁み出すことになるかもしれません。 少し氣を引き締めて、食事にも注意して病後のように滋養のある消化のよい食べ物を食べるようにしたほうがいいかもしれません。 また、邪気や雑霊が近づく可能性も高いですから、霊的な守りもきちんとするべきだろうと思います。ご自身の守護神・守護仏に感謝の念を送っておきましょう。
2010年09月19日
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何となく呼ばれているような気がしている神社です。調べてみると私とご縁を持ってくださった天手力男命をお祭している社であり、その他の社の神々もご縁のある柱達なので、呼ばれても不思議ではないようです。 結局は私自身の心が決めることなのですが、私はきっと近々にこの神社に詣でることになると思います。神様が呼んで下さっているのですから、有難いことです。 戸隠蕎麦も食べてこよう。
2010年09月18日
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携帯に金沢市からメールが入っていて「洪水警報が午後九時に解除になりました。」とのこと。災害情報はメールで自動的に入信するように登録してあります。 人の心にも洪水警報が出ればいいのにと思います。気付かないうちに心の中に濁流が流れ込んできて、押し流されそうになっていることがあるものです。 緊急避難が出来るとしても、やはり警報が鳴り響いてくれないと対処できないだろうなぁと思います。 先日霊視させていただいた女性も心の中には洪水警報が鳴り響いていました。守護霊さんは近くの大きな石の上に登って濁流をやり過ごしなさいとアドバイスをしていました。その内に必ず上流から助け舟がやってくるからそれに乗って安全な場所へ逃げれますよ・・との事。 現実の世界ではご主人との揉め事で結婚生活の危機という状態らしいです。それでも、今何とか踏ん張って我慢して生活を維持してみようということになりました。助け舟が必ずやってくるということを信じて。 洪水警報解除ということになってほしいものです。
2010年09月17日
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霊視をしたら、足を引きずって歩いている女の子が視えて、しかも身体のどこかが不自由らしくて不都合を随分抱えているらしく、さらに霊的な力も持っているらしい感じがしました。 イタコ、もしくは「歩き巫女」のような立場の女性だったのだろうと判定して、施療後東北地方に旅行したことはないですか?と聞きました。このイタコのような女性の魂は彼女の前世ではなくて取り憑いているような感じだと思ったからです。 彼女の身体の不調は憑いているこの巫女の身体の不都合に類似した形になつていると思いました。それでも、イタコにしても歩き巫女にしても功徳を積んだ魂だから、そんなに障害にもならずにいつか離れるだろうと思っていました。 ところが、彼女の口から「沖縄に行った」という言葉が出てきたから大変。これで事態は急変です。 霊視判定ミス。沖縄の戦死者の魂。しかも「ユタ」の血筋の女性で身体に大怪我をして苦しんで亡くなった女性の魂が憑いていたようです。 こうなると、放っておくわけにはいきません。彼女にどんな霊障が起きてくるかわかりません。沖縄の戦没者の方達の魂は悲惨な状況で亡くなられている方が多いので、半端でない苦しみ悲しみを背負っておられます。 とりあえず「九字切り」で切り離し、その後を守護仏であるお不動さんに委ねました。彼女自身の魂が素直な優しいものだったので、離しやすく後遺症も出ないように視て取れました。 彼女から沖縄の言葉を聞かなかったら、大変なことになっていたことでした。
2010年09月16日
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最初に視えたのは小さな男の子の正座をした姿でした。何故そんなに小さく縮こまって暗い姿で座っているのだろうと思いました。場所はどこかの禅寺です。 段々状況が視えてくると、彼は「切腹」させられる形になっていたのです。小さな子供だから、切腹には形を崩さないために膝を畳んだ形で紐で縛ってあるのです。そして、もちろん彼は震えて怯えていました。 敗将の一族の男の子で、寺に押し込められて自害をさせられる寸前だったようです。 彼は命を救われました。その代わり出家して、その禅寺で一生を終えることになったようです。 彼の姿を視ていると霊界から言葉が伝わってきました。「父母の恩を忘れまじ」という言葉です。彼をひとり残して亡くなってしまった父親や母親の思いを忘れずに生きなさいということなのだろうと思いましたが、現世の転生した彼女にとっては今、追い詰められたような状況で孤立感がひどく心を痛めているような状況なのだろうと思います。 ただ、その中で「父母の恩を忘れないで」という言葉は、決して貴女は一人ではないよ、お父さんもお母さんもいつもそばで応援してくれているんだよ、それを忘れないで・・・という意味なのだろうと思います。 人は一人だという孤独に襲われることもあります。そんな時に普段は煩わしく思われているお父さんやお母さんの存在に思いをはせてみると、いつのまにか自分は一人ではないんだと納得できるのかもしれません。
2010年09月15日
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最近の霊視では、前世も視えるのですが、それよりもその人の魂の現況というものが生々しく視えることが多くなりました。 それは、その人の魂が苦しみ悩んでいる姿を露骨に視せてくれます。 そして、伝わるものが強すぎると私の身体にも同じような痛みを与えてくることがあります。 心のスイッチを切り替えて、バイパス回路を作って受け流すようにしていますが、なかなかスリリングな経験になります。 審神者(さにわ)としての私の資質が大きく試されているのかもしれません。より人の魂の求めているものに近づかなくてはならない時期が来ているのかもしれないと感じています。 人の魂の願うもの・・・それは平安なのでしょうか、戦争や争い事なのでしょうか、変化をひたすら求めている魂もあるのです。 神仏は「人の思うがままに」と伝えてくるのみです。
2010年09月14日
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フォッサマグナ・ミュージアムに隣接して長者ケ原遺跡というものとその考古館というものがあり見学してきました。 とても大きな縄文時代から長く続いた居住跡らしく、様々な土器が見つかっていました。 中に珠洲焼きという石川県の能登半島で作られた壺があり、これは船か陸路で運ばれてきたものなのか、製法が簡単なものなので伝承されてきたものなのかわかりませんが、こんなに離れた場所で珠洲焼きを見つけて嬉しくなりました。 珠洲焼きは大振りな壺で野焼きと言って焚き火の熾き(残り火)の中へ埋めて作るので炭で黒ずんだ壺になります。他の掘り出された土器類とは色も形も異様に違っていて突出していました。 能登の珠洲近辺の真脇遺跡も私には馴染み深い遺跡なのですが、そことこの新潟のヒスイ王国が繋がっていたのかと思うと感慨深いものがありました。
2010年09月13日
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昨日の休日。新潟県糸魚川市のフォッサマグナ・ミュージアムへ行ってきました。 もちろん娘が好きな「鉱物」関連の博物館です。私はヌナカワヒメノミコトという糸魚川辺りにおられた女神様に興味があったので、お互いの利害一致でのドライブでした。 金沢からは高速を使って二時間くらいで到着。 フォッサマグナというのは「線」ではなくて「大地溝帯」であってね静岡と糸魚川のラインと柏崎と千葉のラインにはさまれた大きな帯状の地域を現しているのだそうで、地下九千メートル辺りまでの地殻を指してそう呼ぶのだそうです。 日本列島が逆くの字に曲がっているのは、出来上がるときにこのフォッサマグナがあったせいで、扇の要のような部分にあたるために、様々な圧力や熱の変化が加えられて、また熱帯地方から珊瑚の化石帯なんかも移動してきて上に乗っている為に、化石やら変成岩やら様々なものが地殻から発見される日本でも珍しい地域になるのだそうです。 ミュージアムは確かにヒスイを中心とした様々な鉱物や化石が展示されていて、娘は大満足のようでミュージアム・ショップではヒスイの変形勾玉のネックレスを購入していました。娘は素人ながら、鉱物の目利きはなかなかのものです。 私のほうはヌナカワヒメノミコトがヒスイや蛇紋岩の石斧の製造・交易を中心にしてこの糸魚川から勢力を拡大していった姫巫女だったことに確信を持ちました。 霊的に言うと、日本の大地の折れ曲がった要の部分に位置する特殊なパワースポット地帯であるのがこの糸魚川周辺であり、出雲の大国主命との婚姻関連の逸話が意味するものは、この周辺の大地に眠る古い神々の力が日本の地主神のような立場になるのではないかと感じられました。出雲の神もこの女神の力がとても重要だと考えたのだろうと思います。 また、何度かこの地は訪れることになるだろうと感じました。
2010年09月12日
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最近、図書館の本にはまっています。毎回六冊~八冊くらいを借りてきて二週間かけてじっくりと読んでいます。 それにしても図書館の本はボロボロとは言わないけれど、随分とへたっています。一体何人の人の手を経てきたのだろうと思います。ページには汚れがあったり、お菓子のくずが挟まっていたり、時には少し破れていたりします。 こんなに愛されて本としては本望かもしれません。単行本というのは無駄に手厚い装丁がされていると、文庫本愛好家の私は思っていたのですが、これは図書館で多くの人に読んでもらうためのものだったのかもしれないと考え直しました。 分厚い紙の表紙と裏表紙に挟まれて、大切な内容の文章が守られている図書館の本。人々の目と頭を楽しませて、その一生を終えるのだろうと思います。モノにはそれぞれに生まれた役割があって、時と場所を得て役に立っているんだなぁと変な事に納得している私です。
2010年09月11日
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♪今日がダメなら明日があるさ 明日がダメなら明後日があるさ 明後日がダメなら明々後日があるさ どこまで行っても明日がある♪ ドンドンガバチョ ドン・ガバチョ♪ 落ち込んだときに唄います。元気が出てきます。 傷つきやすい心。誤解されて受け取られる言葉。通じない思い。 それでも明日は必ずやってきます。 明日を信じて生きていきます。
2010年09月10日
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目に見えない存在に守ってもらっている実感が常にあります。亡くなった祖父母やワンコたち、前世の魂の情報体たち、縁を結んだ神仏の方々・・・私がいつも感謝の念を送るたびに「受け取ったよ」という感覚が伝わってきます。 心の底で信じているものたちの確かな存在感は、現実の生活の中でも確かな証拠わ与えていってくれます。脱サラをして、素人同然のところからスタートしたのに、いつの間にか多くの師に恵まれて、日々の生活に困らないほどに収入を得ることも出来るようになりました。 家族にも大きな病気をしているものはなく、自分自身もそこそこに健康な日々を送らせてもらっています。子供の頃は大病をいくつか経験していますが、物心付いた頃からは入院した経験がありません。盲腸も健在。 きっと、私が何かのお役に立たなくなったら、病気になったり、貧乏になったりしてしまうのだろうと思っています。 何かの為に生かされているのだろうと思います。でなければ、こんなに守ってもらっているという実感があるはずがありません。 日々のさり気ない瞬間、瞬間に「ありがとう」とつぶやいている私がいます。本当にありがたいことです。
2010年09月09日
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昨晩はとても涼しい夜でした。久しぶりにクーラーをつけずに夜を過ごせました。 天気図を見ると台風は真っ直ぐ北陸の金沢目掛けて進んできています。 昨日は台風対策のために窓のすだれを丸めたり、排水口のゴミをチェックしたりしていました。近くを流れる犀川は氾濫したことのない優等生の河川ですが、最近の集中豪雨は異常ですから安心はできません。この川が氾濫したら金沢の中心街が浸水してしまうことになります。 太平洋高気圧の居座りを押しのける台風。そんなに巨大でもないくらいの台風ですが、地上にそんなに大きな被害を残さずに猛暑だけを拭い去っていってもらいたいものです。
2010年09月08日
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最近の妊娠事情の中で、逆子になるケースが多いようです。ある本を読んでいると逆子になるのは赤ちゃんがお母さんの身体のバランスが崩れているのを感じて「キモチイイ」体勢を取りたくなってなってしまうのだそうです。 それでは今のお母さん達の身体のバランスが崩れているというのはどういう事なのか?それは骨盤周りの筋肉のつき方が弱いということだろうと思います。昔の女性は今よりも肉体労働が多かったから、お尻周りの筋肉が半端なく付いていただろうと思います。 だから骨盤の状態が崩れるということも少なかったのだろうと思います。 また、身体の氣の流れにしても妊娠すると女性は子宮で物事を考え、感じるようになったものです。しかし現代の女性は妊娠しても「頭」の方にに氣が流れてしまい、子宮で感じることを放棄してしまっているように思います。そのために赤ちゃんはお母さんの氣を強く感じて頭を上に向けてしまうのではないかと考えられます。 女性が女性本来の生き方を忘れてはならない。そう逆子ちゃん達はいっているような気がします。
2010年09月07日
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少し智恵遅れで難病を患っている女性の霊視をしたら、霊視の前に涙が出てきて「この女性は菩薩様だ」という直感がありました。 彼女は生まれる前から他人の邪気や病気を自分自身に取り込んで、他人を楽にしてあげることが大好きで、生まれつきの病気を貰って生まれてきた人でした。生まれた後も他人の悪氣や邪気を取り込むことを進んでしてしまいます。 こういう方をどうすればいいのでしょうか。自分自身が望んで行っているのです。ご自身は無意識でされていることだし、納得をして(潜在意識で)されていることなので構わないのでしょうが、ご家族にすると見ていられない辛いことだと思います。 このような方は稀だとは思いますが、観世音菩薩の生まれ変わりなのだろうと思います。それが他人の目から見れば可哀想な障害を持つ一人の女性にしか見えません。私には光り輝く菩薩様に視えるのですが。 幸いな事に彼女をサポートしてくれる男性が現れる未来が少なくない確率で視えました。そうなってほしいと願わずに要られません。
2010年09月06日
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NHKの朝ドラで水木さんが妖怪「小豆洗い」を視ることが出来たというシーンが描かれていました。 私は妖怪を視るということは出来ないのですが、妖怪が視えるという人を霊視することで追体験しました。 あれは何と言うか、一種の孤立した魂でなければ視えないような気がします。寂しい状態じゃないと妖怪は視えないようです。 何故なんだろう?妖怪というのは自然界の精気のようなものが塊になって動き出したような存在なのですが、人の間に幸せに暮らしている魂には視ることが出来ないもののようです。 人が自然と親しく接するためにはやはり仙人のような「弧」というか「個」というような状態になっていないとダメなのかもしれません。 水木さんには魂の一部に「孤立」することを恐れない気持ちが根付いているような気がします。
2010年09月05日
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当院の療法を受けると「氣」の流れが良くなります。それはもちろん身体と心に良い作用をもたらすものですが、最近感じるのはそのことが別の作用ももたらしているらしいということです。 これはデメリットかもしれませんが、自然や人の「氣」というものに感じやすい体質に変化していくということ。それは、敏感になるということだから多少生きにくくなるということになるかもしれません。 しかし、それ以上に感じられるのは下世話な言い方ですが「出世する」ということです。職場や社会で認められて地位が上がったり、重く用いられるようになる傾向があるようです。 それは「氣」の流れというものに自然と乗りやすくなるためかもしれません。身体の中の「氣」の流れへの自覚が進むと、いつのまにか周囲の「氣」に同調して取り込む力が出てくるのかもしれません。 人の地位や立場、役割というのは自然と決まっているようですが、本当は「氣」というものを周囲が無意識に感じ取って決められているのかもしれません。何だか最近そんなことを感じるようになりました。
2010年09月04日
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失われていく命もあるけれど、それは必ず此の世につながりを残していきます。一瞬目には見えなくなるけれど、それだけに永遠に印を与えて心に残ります。 人は悲しみに囚われて、その印を見失いがちになりますが、新しい命が歩み始めていることにもいつか気付くものです。 例えて言うなら糸巻きの糸が全て解けてしまっても、糸はまだ糸巻きに繋がっていて、しばらくすればまた糸が巻かれ始めるようなものなのです。 私達はそんな糸巻きの様子を愛情をこめて見守っていけばいいのです。決して「命の糸」というものは途切れることはないと信じて。
2010年09月03日
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この年齢(53歳)になると子供の頃のことはとても懐かしい綺麗な夢の中の出来事のように思えるものです。 父親といっしょに大日川という加賀のほうの河川に鮎取りに行きました。流し網やチョンがけという傘の軸を改造した針のついた道具で水に潜ったりして魚をたくさん取りました。アブに食われるという痛い思いを始めてしたのもこのときでした。 水の心地よさ、鮎の独特の香り、魚を取る楽しさ、今も楽しい思い出です。その時は、捕りたての鮎を焼いて頭からかぶりついたはずです。美味しかった記憶が残っています。 子供の頃の味の記憶って鮮明で何でこんなにみずみずしいのでしょうか?きっと何でも始めてだったからですね。 今ではそんなに美味しいとは思えない「ふかし芋」も子供の頃はとても美味しかったものです。
2010年09月02日
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自分達が他人に影響を与えることを決して楽しんではいけない。目に見えないものの力を針小棒大に誇張して伝えてはいけない。 欲が生じたら霊的なものから身を引いてほしい。 例えば「レイキ」をしている人達。それが人の心を一時的にでも混乱させることになることをきちんと最初にわからせるように努力して欲しい。修行というのは楽しいことばかりではないということがわかっていますか? 霊能者のそばに来る人達は皆、魂に傷を負っているものです。優しく接してあげて、心の平安に導くようにしてあげなくてはなりません。自分の都合で「狐が憑いている」とか言って脅かすような安易な道へ流れてはいけないのです。 霊能を持つ者には低級霊も近づいてきます。そういう低級霊に限ってわかりやすい霊験を表して見せたりします。そういうところに溺れてしまうと自分自身がわからなくなっていくのだろうと思います。 人のために尽くすことが霊能に携わるものの義務です。よろしくお願いしたいものです。
2010年09月01日
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