全30件 (30件中 1-30件目)
1
ゴールデン・ウィーク・・・と言っても自営業者の私には関係ありません。前職もレンタル店舗の運営会社でしたから、逆に書き入れ時で休みではありませんでした。 人込みで大勢の人の中でレジャーというのもあまり好きではないので逆に仕事をしているほうがいいかなんて言っていますが、本心はこんなまとまったお休みもほしいものです。 昨日は往診があって金沢の街を歩いて往診先にまで行きましたが、気付いたのは外人の人たちの姿がとても多くなったこと。十年くらい前まではこんなに多くの外人の方たちの姿を見ることはありませんでした。 金沢にはオーケストラ・アンサンブル金沢という交響楽団があります。外国人の演奏者の方も多く在籍されています。国際色が豊かな町になりつつあるということなのだろうと思います。 金沢町屋という江戸時代からの町屋という形態の家屋の保存が進んでいますが、そういう町屋に住み永住されている外国人の方も京都と同じく金沢にも居られます。そういう方達はきっと前世で日本人としてこの土地に住んでいたことでもあるのでしょう。
2010年04月30日
コメント(2)
私の好きなテレビ番組の一つです。いつも観るわけではなくて、好きな画家や芸術家の回だけを選んで観ています。 前回は「円空」の回でした。それもまだ途中までしか観ていません。録画してあったものを途中まで観ました。 円空仏は面白いです。木の中にあった仏様がそのまま彫り出されたように見えます。全部の仏様がしゃべっている感じがします。普通の一般的な仏像たちは黙っているか、特別な言葉でしか話さない感じですが、円空仏は本当に普通の言葉で普通のことを語りかけてくるような気がします。 ただの木切れとしか思えないような仏様もあります。でも、何か「命」を宿している感じがあって大切にされているのが円空仏の特徴かもしれません。円空という仏師の目には様々な「命」が見えたのだろうと思います。 命が見える・・・とても大切なこと。唐突だけど、今流行の「ツイッター」とか言うのも何だか「命」が見えます。そのときの、その人の「命」の光。それがネットの中に見えます。現代の円空仏はネットの中に泡粒のように描き出されているのかもしれないとフト思います。
2010年04月29日
コメント(4)
彼女の霊視を始めると「剣」が視えました。古い時代の朝鮮の国に住んでいた男の人のようです。「百済」?そんな国名も視えました。彼はその国の王族の近衛兵の隊長のような役目を担っていた人のようでした。 日本で言う剣術のようなものに没頭していて、日本で言うなら剣術家か剣客というところでしょう。そして、仕えていた王族の一人が日本に朝鮮通信使として行くことになり供として付き従って来日しました。 そして、日本の剣術家と知り合い傾倒して日本に帰化してしまいました。日本で「剣」の道を邁進したわけです。日本で剣を鍛えて作ってもらったりもしていました。日本刀の美しさに魅せられた部分もあつたようです。日本で伴侶も娶り、日本の土になっていきました。 こういう方達が意外と多くいたように感じられました。この女性は母親として息子さんといっしょに来院されたのですが、息子さんの方の前世はその百済の王族の方で何と彼も日本に帰化していました。お二人共に日本が気に入ったのでしょう。そして現世では親子として日本で生きておられる・・・面白いものです。
2010年04月28日
コメント(0)
テレビにしても、映画にしても、漫画にしても、小説にしてもそれは全て虚構の世界です。事実を基にしたドキュメンタリーの作品であったとしてもそのメディアに焼直された時点で一部虚構の世界に所属してしまうような感じもあります。 それでは「霊界」というのも虚構の世界かと言うと・・・それは微妙です。主観と客観という捉え方の問題もありますが、現実世界に影響を与えるというかシンクロしていく部分が人の思い込みや思い違いであるかもしれないという部分を考慮しても、完全に虚構の世界であるとは言えない部分もあるのは確かです。 人の存在の根幹に関わるところが含まれているからなのかもしれません。 「曼荼羅」などというものにしても、単なる絵柄でありながら全世界を表していると信じられているわけですから、それは私にとって真実の世界とも感じられるものです。歴史の中の名僧たちにとっても曼荼羅は世界の真実の一つの姿として捉えられてきたものだと思います。 人は人の望むもののみを虚構から実存の世界へと引き上げるのでしょうか?私は極端な考えかもしれませんが、そうかもしれないと考えている部分もあります。 この実存の世界のほとんどは、自然界も含めて、人というものが望んだものが形となって現れているものなのかもしれないと思います。人の潜在意識の持つ強大なエネルギーというのは凄いものだという事を私は知っています。 人の望むことも望まないことも、この虚構ではない世界ではいろいろと起きています。しかし、それも含めて人の望んでいることのみが起きているのがこの世界の真の姿ではないかと考えてしまいます。 虚構の世界が描かれている・・それは設計図のように何枚も何枚も試し書きがされているということなのかもしれません。現実の世界が人の思いで成り立っているのだとしたら・・・。だから、霊界なんていうのは人の思いの真の姿が垣間見えているものなのだとしたら・・・。
2010年04月27日
コメント(2)
私が勝手に師匠と思っているのですが、(面識はあるし一度は直接教えは受けているのですが・・、後は遠藤先生の奥様に指導を受けました。)遠藤喨及先生は現在「タオ療法」という名前でHPを開設されておられるようです。 遠藤先生の指圧は日本の経絡指圧の祖である増永静人先生直系の素晴らしい技法で、先生はもう技法・心法ともに完成された領域に達しておられます。 私も一度はその療法を究めたいと願ったのですが・・・。何と言うか習い究めるには大きな障害があり、つまりはどっぷりと遠藤先生の世界に浸らないとダメというところがあって、何もかも投げ捨てて「先生一途」に学ばないと全然ダメな修行なのです。 ご本人はそういうつもりはないのでしょうが、僧侶の資格もお持ちでミュージシャンでバイリンガルで、しかも人の経絡が実際に見えてしまうという天才ですから、半端な信奉ぶりではダメなのです。そうそう合氣柔術の習得者でもあります。 私はそういう、例えは悪いのですが、新興宗教に入信するような熱い部分を心に持つというのが大の苦手で、そんな習い方を出来ない人間なのです。実際、遠藤先生は本の中でも書いておられたと思いますが、「何も考えないで師の言うとおりにする」という心構えがなければタオ指圧は習得できないとおっしゃっています。 常に心のどこかで反発心や疑問を持つことが当たり前になってしまっている私の「我」はタオ指圧を学びきる自信がありません。 心を変える・・・遠藤先生もそういう事が大事だと考えられたようで精神修養の教室まで開設されているようですが、私の年老いて固くなってしまった心は縁が無いようです。 私の修行は独行道(そんなカッコイイものか・・・)になっていくようです。
2010年04月26日
コメント(2)
自分の名前をネットで検索してみました。同じ名前の方がおられました。どうも耳鼻咽喉科のお医者様らしいです。何だか嬉しくなってしまいました。申し訳ない気もします。同姓同名の自分が民間療術家などをやっていて、ご迷惑だろうなぁなんて・・・でも多分私の事など知りもしないでしょうし関係ないでしょう。 母に聞くと私の家系には指圧を家業にしていた人もおられたらしく、母方には寺僧をされている家があり、父方は芸術家というか写真と木版画作家だった伯父がいます。 私の現在の職業は「産土の神」を訪ねたときに「母の役に立つ」ために選ばれたもの・・・という託宣があり、孝行の為だったということがわかっています。母への孝行のためでも何でもこういう道に導かれたことをありがたく思っています。 そして、同姓同名の方も医療の道に携わっておられることがわかり、何となく安心をしたような気持ちです。
2010年04月25日
コメント(4)
人は甘やかされるとダメになります。患者さんの状況を見て、私は途中から放り出してしまいます。最後の最後まで丁寧に至れり尽くせりの施療をしてしまうと身体も心も甘えてしまうからと思っています。 施療の途中で一割か二割ほどは痛い部分や弱っている部分を残して止めてしまうことにしています。後は自分で治しなさいと心の中で身体と魂に言ってやります。そうすると身体の自然治癒の力が少しずつ働きだします。それの邪魔をしていた「邪気」や「ストレス」は取り除いてあります。 あまりに自分の身体のことを無視して働きすぎたりしている人の場合も、体は「休みたい」という信号を出してきます。それは私が身体に代わって伝えてあげます。自分の身体がそういう意味でマヒしていることに気付かないでいる人もいます。 甘やかさないのは施療家が考えることです。ご本人は身体を適度に甘やかすことも考えてあげてほしいものです。何十年も付き合っていく身体のことを時にはじっくりと考えてあげてやってほしいものです。ただし、どういう風に大切にするかということは難しい部分もありますから、お医者さんなり私たちのような施療家なりに聞いて自分の身体の甘やかし方というものは掴んでおいてほしいものです。
2010年04月24日
コメント(4)
どうも人の身体には「霊的な魂」と「血の魂」が宿っているらしい。 「霊的な魂」はその人の霊的な本質を表していて、転生してきた情報の中でも魂の成長に関わるようなものが大半を占めているもののようです。 「血の魂」はその人の血筋に関わる肉体的な、遺伝的な本質を示していて現実世界を支配する情報であるらしい。 難しくてややこしくて複雑な関係性があるようなので、私もまだ全部を理解できたわけではありませんが、人の魂というのがとても精妙なバランスと構造を持っていることだけは確かなようです。 これまでの人々の魂の構造は単純で溶け合って一つのものとして存在してきましたが、人の進化によって「霊的な魂」の分化が進んできたようです。あまり上手でない分化をしてしまうと、いろいろな不都合が起きるようです。 魂の進化の過渡期と言っていいのかもしれません。まだまだ私にはよくわかりません。もっと勉強していきたいと思います。霊界は時々アドバイスをくれているようなのですが・・・。
2010年04月23日
コメント(4)
全く尾籠な話ですが、大切な話。毎朝決まった時間におトイレに行きます。きちんと排泄をすませて、自分の便の様子なども観察します。 以前勤めていた会社の同僚が会社を辞めて弁当チェーンに再就職したと思ったら半年くらいで亡くなってしまいました。大腸ガンだったそうです。ショックでした。 大腸というのはとても大切な臓器です。この臓器が弱ると周囲にある大腰筋というインナーマッスルが弱って背筋などに負担がかかり、腰痛の原因になつたりします。「冷え」が溜まりやすいのもこの臓器です。 大腸の様子は便の様子を観察することでいろいろとわかります。だから自分のおトイレの時間は大切な観察タイムでもあります。 便秘などで悩んでおられる方もおられます。快食快便は健康の基本だと思います。例え便意が無くても毎朝決まった時間にはおトイレに入る習慣をつけたほうがいいと思います。 私はささやかな習慣ですが、ヤクルトを毎日飲み、機会があればヨーグルトを食べます。そのお陰かどうかわかりませんが、身体に余分な脂分などを摂取すると自然と下痢の状態となって排泄されてしまうようになりました。下痢は怖いものではありません。発熱などを伴わなければ安心して排泄してしまえばいいと思っています。 お釈迦様もお腹が弱くて苦しまれたそうです。お腹は大切にしていきましょう。
2010年04月22日
コメント(2)
天狗になる・・・というのは高慢になって鼻持ちなら無い態度の人間になるということを表す言葉ですが、本来は僧侶が修行の道を励みすぎて増上慢になり、天狗道という悪鬼の道に陥ることを言ったらしいです。 悟りを開くために山岳修行などを繰り返して人よりもかけ離れた能力が身についたりすると「自分は人よりも優れた存在だ。」なんて思い込んでしまうことがよくあったということです。 元から人に秀でた才能を持つ者ほど陥りやすい落とし穴ですから、それに対する訓戒の教えも多々あったはずなのでしょうが、それでも天狗になる僧侶はいたのでしょう。 先日視た前世の僧侶も天狗道に陥りかけていました。しかし、幼馴染で同じ寺院で庫裏で修行をしていた人の命がけの説得で、天狗道に落ち込んでしまうのを救われました。その幼馴染の僧侶の今世の方もいっしょに来られていたのですが、今世では逆にその方が助けてもらっているような風に視えました。 ソウルメイト同士なのかもしれません。お互いに助けたり助けられたりを繰り返しているのですね。人というのは決して独りではないということなのだと思います。
2010年04月21日
コメント(4)
自分にアドバイスするなら、どんな内容になるのだろうと守護霊様に聞いてみた。そしたら「お前のことは知らん。もっと他人のために尽くせ。」と言われました。何て薄情な守護霊様なんだろうと思います。 多分、自分のことを心配するなんて百年早い。というようなことなのだろうと思います。もしくは、他人様が自分自身の鏡でもあるのだから来てくださる人達を観察していけば、その中に自分自身の至らない姿も視えるはずだから、そこで悟りなさいということなのだろうと思います。 昔から人にアドバイスすることはよくありましたが、自分自身がアドバイスを貰うということは極端に少なかった。誰も真剣に私のことを心配なんかしてくれていないのではないかとひねくれかけたこともありましたが、そうではなくてこういう生き方なんだと何となくわかってきたのもあります。 他人の生き様の中に自分の姿があって、それを必ず自分の生き方の反省材料として使っている自分がいるので、これは自給自足できる魂を持っているのだろうと何となく悟ったように思います。 人にアドバイスを貰わなくても、人の生き方を見ていれば自分の中の直すべき点は多々見えてくるものです。「人の振り見て我振り直せ」というのが私の生き方の元なのかもしれません。 もっと真剣に他人の生き方を見ていこうと思っています。
2010年04月20日
コメント(2)
母親と「人は死んだらどうなるのだろう」なんていう話をしていました。私の母は女性にしては珍しく(女性の皆さんすみません)哲学的な話が大好きな人なので、時々こんな話をします。 人を生かしている「生命力」というようなものが一体どんなシステムになっていて、どんなものなのか誰にもまだわかっていない・・・なんていうことや、宇宙の大きさやその何億年という年月に比べたら人の一生なんてどんなに一瞬のことなのかなんていうことなどをつらつらと話し合っていました。 母は私から前世の話とかいろいろ聞いているのですが、それでもまだ人は死んだらどうなるのかは全く判らないと思っているようです。私の母の姉はとても現実主義の快楽主義の人なのですが、先日「死ぬのが怖い」と母に愚痴って、母をあきれさせていました。伯母はもう85歳なのですが、元気でピンピンしています。私の母は死ぬことは全く怖くないと常日頃から言っている人です。十分に生きたと感じているそうで、後は私に迷惑をかけないように老後を過ごしていくことに専念しているのだそうで、親心というのは限りなくありがたいものです。 生きることが楽しいから死にたくないという伯母。十分に生きたと思うから生に対する執着を離れた母。その感じている死後の世界観というのは全く違うようです。
2010年04月19日
コメント(2)
彼の霊視を始めると少し太った感じの女性がお酒を飲んでいるのが視得ました。 場所は相撲部屋です。時代は江戸時代。お相撲取りの方たちの世話をしつつ自分も大酒を飲み、かつ大食いをしていました。 事情がわかってくるとタニマチ(お相撲さんのパトロン)の娘さんで、その縁で相撲部屋の世話係に就職した女性だったようです。ご本人が相当のおでぶちゃんだったのと、またひどい大酒のみだったので嫁にも行けず、こういう場所を与えられて生活していたようです。 でも、ご本人はとても円満な性格で家事万端もそつなくこなし、唯一大酒のみという欠点があるだけの女性だったようです。だから、お相撲さんたちにも可愛がられ、彼女も幸せに暮らしていたようです。 彼女が守護霊でいるせいか現世の彼も大酒飲みのようです。でも、「酒」は彼にとっては必需品。無ければ生きている意味が無いくらいのもの。しょうがないですね。その円満な性格で幸せに長生きしていただきたいものです。
2010年04月18日
コメント(0)
霊視の中でアマツバメを視ました。決して地面には降りない鳥。交尾さえも飛翔中に行うと言う鳥。 滝の裏側の断崖に巣をつくり、大空を翔けていました。 私の好きな鳥です。 それを見上げている飛鳥時代くらいの文官の青年。彼も大空高く飛びたいと願っているようでした。爽やかな一瞬のヴィジョン。 旅立ちと飛躍の予感に満ちていました。
2010年04月17日
コメント(2)
春本番で桜も満開だと言うのに寒い日々が続いています。風も強いし、外出するときは冬の衣服がまだ必要です。 そう言えば先日の中国の地震ですが、起きたときに私はどうもその地震を感知したようです。予知ではなくて起きた瞬間の中国の人達の体感を感じていたのかもしれません。その後の余震も何度か感じました。中国のこの青海州とかいう土地と北陸はシンクロ率が高いのかもしれません。 地震の恐怖・・・恐ろしいものです。世界の全てが不安定になる感覚はとんでもないものですね。まだ生き埋めになっている人達もいるようです。経済発展が著しい中国の政府が早急に救助の本腰を入れてくれることを願うのみです。 この強い寒さ、地震に遭われた当地の人達をも襲っていないか心配です。
2010年04月16日
コメント(4)
北國新聞という地方紙に作家の村松友視さんがこういう題のエッセイを書かれていました。 影笛というのは金沢のお座敷で芸妓さんを上げて遊んでいる際に、月の光に障子に影を映させて、芸妓が吹く横笛を聴くという「遊び」の一種だったそうで。 現在もそのような笛の音の楽しみ方が金沢の御茶屋さんで行われていて、ただ今のその様式は幾つもの座敷でお客さんが遊んでいると、その座敷に連なる暗い廊下の一隅で笛の名手である女性が突然、笛を奏で始める・・・するとそれぞれの座敷は部屋の照明を少し落とす・・・そして暗い中で幽かに聞こえてくる笛の音に耳を澄ます・・・そして客達は幽玄の世界を楽しむ・・・そういう笛の楽しみ方をしているのだそうです。 村松さんはその笛を「影笛」ではなく「闇笛」と名付けられたそうで、何気なく言ったその名称をその笛の名手の女性も「ほやねぇ・・」とさり気なく受けてそのまま芸の名前にしてしまわれたそうで・・・。 大人の遊びという世界が金沢の芸の世界にはまだ残っている・・・いつか私もそんな笛の音を聴いて見たいものだと思ってしまいました。
2010年04月15日
コメント(2)
その方の霊視を始めると、目の前に石碑というか大きな墓のようなものが視えてきました。 江戸。芝の増上寺。そんな情報も重なって視えてきました。彼はそこで執事僧のような中間管理職のような立場の僧侶として忙しく働いていたようです。 数字に明るく交渉術に長けた人だったので、このような巨大な寺院では重用されたようです。信者の人達の寄進の受付や催事の手配、境内や境内外の所場の取りまとめなど色々な仕事をこなしていたようです。 でも、彼の心に「仏の道」を求めるものが残っていたのは間違いないことで、五十歳になったときに彼は布教のために東北から蝦夷地へと旅立ちます。衆生済度の気持ちが彼の心に根強くあったのだと思います。 人を仏の道で救いたいという強い希求の思い、これは僧侶なら誰にでもあるものです。それが彼を蝦夷地にまで導きました。江戸の巨大寺院にいれば一生安楽に暮らせただろうと思えるのですが・・・。
2010年04月14日
コメント(2)
TBS系列で放映している「世界遺産」という番組も私の好きなTV番組の一つです。四月になってナレーションが深津絵里さんに変わりました。声がちょっと可愛過ぎると思うのは私だけでしょうか? 先日の放送でダヴィンチの「最後の晩餐」の修復の物語が描かれていました。基本の青の顔料の上にきらめくラピスラズリの青が塗り重ねられていて、しかも紅色の顔料も少し混ぜられていることで輝きが増すように工夫されていた・・・そんなダヴィンチの技巧が化学分析と繊細な修復過程で明らかにされていったようです。 しかもユダの衣服を描いた青にはラピスラズリが使われていなかった・・・ただ、それまでに描かれた他の「最後の晩餐」の絵ではテーブルの反対側にいたユダがテーブルの同じ側に描かれていた・・・ダヴィンチはユダをどう見ていたのだろうか? 聖者たちの中にいたただ一人の「普通の人」と見て、そして普通の人がそれほど愚かなものだろうか?とも思っていたようん気がしました。ユダに表されている「人の愚かさ」さえもキリストは必ず救おうとするし、現に救ったではないか!・・・そうダヴィンチは言っているような気がしました。 煌びやかな「青」に包まれた聖者たちの中で一人だけ「くすんだ青」に沈んでいたユダの姿はキリスト教信者の人達にどんな風に見えていたのでしょうか?
2010年04月13日
コメント(2)
お客さんに「どんな風に霊視ってしておられるのですか?どんな風に視えるのですか?」とよく聞かれます。霊視にも色々あって、普通に霊能者と呼ばれている方たちは視覚的に視えるのだろうと思います。これは自身ではコントロール出来ないので、「他律的」霊視と呼んでいいのかもしれません。だから、こういう方たちは日常生活に苦痛を伴ったり霊障が起きたりと大変辛い生活を送っておられる方がおられます。 私の場合は治療に「氣」というものを介在させるようになってから、「氣」という目に見えないエネルギーの中に含まれている「情報」を読み取れるようになり、そこに「過去世」の情報だったり「霊界」と呼ばれる世界の情報だったりがあって、治療時に自分の意思でそれを視ているわけで「自律的」霊視と呼んでいいのかもしれません。 だから、スイッチのオンオフが出来るので普段は感度を鈍らせておくことが出来るので生活には支障が出ることはありません。ただし、「他律的」霊能者の方たちのような細部まできちんと見抜くような完璧な霊視ではない場合があります。 「他律的」霊視の場合はきっと波長の合う人だったり場所だったりすればどんな場合でも視えてしまうのだろうと思いますが、逆に波長の合わない人や「守られている」人や場所では視えないのかもしれません。 それが私の場合は波長が合わなくても「視る」必要に迫られることがありますから、ぼんやりと霧の向こうの景色を視るような霊視になる場合もあるのだろうと思います。これはこれで中々大変なのです。 それにしても「視させていただいている」という認識はあります。苦しんでいるかもしれない人の魂を少しでも楽に出来れば、私の霊視は少しはお役に立っているということなのでしょう。
2010年04月12日
コメント(2)
昨日の休日は母と二人でドライブに行ってきました。富山県の高岡市という町にある「雨晴海岸(あまばらしかいがん)」という景勝地が目的地の一つでした。 金沢からは車で一時間ちょっとで到着しました。ここの醍醐味は海岸の奇岩越しに見える立山連峰の雄姿です。富山湾はとても深い湾で水深が深くて天然の生簀のような海です。そして、富山平野を隔てて二千メートル級の峰峰が白い雪を頂いてそびえています。 海のバックに巨大な衝立(ついたて)のような山岳群が見えます。昨日は天気も素晴らしく良くて、逆に良すぎてハレーションが起きたようになってくっきりと見える山々ではなかったのですが、海は穏やかで見惚れてしまいました。 景勝地には源義経の伝説の神社のようなものもあり、電車の線路を歩いてわたって海岸に下りる途中にその神社というか小高い岩の塊がありました。 このあたりの砂浜は白砂青松の美しい砂浜で海水浴地としても有名です。この地には人々の「憩いの気」というものが充満していました。鋭い神気というものが感じられる土地ではありませんでした。 その後、母とは飛騨の高山までドライブし飛騨牛の美味しい昼食を食べて高山市内をブラブラ散策して帰ってきました。それにしても東海北陸自動車道は長い十キロ以上のトンネルもあり、トンネルが多すぎますね。高山まで二時間かからずに行けるのは便利なんだけれど、ドライブには向かない道路ですね。
2010年04月11日
コメント(0)
運命を乗り切るには「強い意志」が必要なのだそうです。これは霊界からのメッセージ。普通の人達は運命に翻弄されるままなのですが、時々自らの運命をねじ伏せるかのように切り開いていく人がおられます。 こういう人は「強い意思」で運命の波を泳ぎきってしまうのだろうと思います。運命には逆らえない・・・なんて決して思わず初志貫徹というか自分の決めた道を歩きとおしてしまうわけです。並大抵の努力では出来ないことですが、それでもやり遂げる人もおられる訳です。 少なくとも自分の不幸にめそめそと嘆いているだけでは何も物事は好転しないわけで、駄目で元々と頑張ってみると意外と扉が開いたりする場合もあることを何度か私も経験しています。しかし、これを他の人にこうだったから貴方もやりなさいとは中々言えないものです。 自分の運命は自分で切り開くしかないわけですが、その時にどれだけ強い信念を持っていられるかで成功の勝率は決まってくるようです。心が折れさえしなければ何とかなるものです。自分を大木のようには考えず、なよなよとした勁草と思っていたほうが強い運命の風に負けずに花を咲かせることも出来るだろうと・・・なんとなく思います。
2010年04月10日
コメント(4)
霊視をしていてもとても良く鮮明に視えるときと、ぼんやりと途中までしか視えないときとかがあって、これは波長が合う合わないというのかなと思っています。 以前、素直な性格の方は視えやすいなんてことを書いたことがありましたが、そういう条件だけではなくて私の魂の波長と合う合わないということも霊視の内容を左右しているのだうと考えるようになりました。 とても深いところまで視えたり、魂のルーツだと思えるような前世の姿が鮮明に視える場合は波長が合っているのだろうと考えられます。しかも、この「波長が合う」というのは現世の人格的な合う合わないではないようで、霊的な波長というのはその人の好悪とは関係ないようなので・・・これはなかなか重い問題のようです。 この人とは「気」が合うなぁ・・という場合、この人とは「気」が合わない苦手だ・・・という場合、こういう場合と霊的な波長というのは全く別物だということです。 だから、霊的なお荷物をわけのわからない時期や条件でもらってしまったりするのかなと思います。現世の人格とはある程度無関係なところで霊的な性質というのは決定しているようです。 もしかしたら離婚とかが増えているのはこういうことと関係があるのでしょうか?
2010年04月09日
コメント(2)
徳川家康という人は本当に凄い人だったなぁと思います。織田信長も豊臣秀吉も凄い人ではあったけれど、人と人が殺しあう戦乱の時代を終わらせてしまったというのは、本当に凄いことだと思います。 人と人が憎しみ合って憎悪の連鎖が続いていく中で、それを「道義」という人が守らなくてはならない「道」の思想で恒久平和を実現してしまった。それは、力で押さえつけてしまうだけでは必ず崩れてしまうものをわかっていて、民衆の中にあった「戦はもうごめんだ。」という強い思いを汲み取って平和共存の仕組みを社会に浸透させていった徳川家康の人間力のようなものなのだろうと思います。 歴史の勉強の中では、大名の鉢植え政策や士農工商の身分制度などによって無理やり平和な世の中を作ってしまったように考えられていますが、そんなものよりもその当時のあらゆる人の中にあった「もう戦で身内が殺されるのは勘弁してくれ。」という気持ちが家康を後押ししたのだろうし、家康自身が判っていたのだろうと思います。 為政者が本当にすべきことは民衆の中にある幸せを求める心というものを汲み取り、実現していくことなのだろうと思います。そういうことを実現する力というのはさまざまな人の心の中にあるもので、それをつなぎ合わせていくことが出来れば、家康のように何百年と続く平和で文化的な社会というものが実現するのかもしれません。
2010年04月08日
コメント(2)
石川ミリオンスターズというのは金沢を本拠地とするBCリーグのセミプロ野球チームというような球団です。ボランテイアというような形で当院では選手のマッサージを低価格で請け負っています。 昨日はお二人内野手の選手が施療に来られました。彼らは当院がスピリチュアルなところということは知らないで来られています。それで霊視などするつもりはなかったのですが、お一人の選手の方がとても霊力が強い方だったのでつい少し心の中の悩みに関することをお話してしまいました。 きっととても戸惑っておられただろうと思います。でも野球選手にとって霊感というのはきっと「直観力」として作用するのでプレーする上で役に立つ部分もあるのだろうなぁと思います。彼はそういうプレースタイルに今、疑問を持ってしまっているようでした。新しい監督さんが彼と同じタイプなのに、監督になったばかりということもあって「理論派」に変身しようと努力しておられるようで、それに感化されて迷ってしまわれたようです。 あくまで私の想像というか霊視の中でのお話なのでその通りなのかどうかはわかりません。だけど、スポーツ選手にとっても霊能力というのはこういう形で存在しているんだなぁと感じたことでした。
2010年04月07日
コメント(2)
健康のために散歩を時々しています。近くの犀川の川べりを三十分ほど歩いてきたりします。 先日は川べりの桜がつぼみをつけていて、中州には雉やヨシキリ、チュウサギ、カルガモ、モズなどの野鳥がいてバードウォッチャーとしては春の野鳥観察を楽しんでしまいました。 鳥達が子作りに入り、草花は花を芽吹かせ、川の水も温み始めます。人の営みも新しいステージがそこかしこに見えて、楽しい季節のように思います。 神様たちも霊視させていただくと皆さん踊っておられます。くるくるとくるくると春の舞を踊っておられるのでしょうか。神様の衣が翻って春の風が起きているようです。
2010年04月06日
コメント(2)
のような私です。何故だか気になる本や漫画や映画を見ているとその内容に関わる前世を持った方が来院される。自分の気分のはずなのに、どこからその気分がやってくるのかもわからず、浸っているとそんな気分が来院された患者さんの気分に繋がっていたりします。 私の気持ちや興味が自分の心ではなくて霊界の意向で動いているようで、多少気分が悪いです。気持ちよくしてくれればいいのに・・・などと思っているときっとバチが当たるのだろうと思いますが(笑)。 人の生死も何かに動かされているのだろうなぁと思います。だったら病気になっても元気でいてもそんなことに拘泥しないで、のびのびと生きていけたらいいのですが、なかなか人間そこまで悟って生きていけるものではありません。ああでもない、こうでもないと雑事に振り回されて生き難い世の中を廻り続ける独楽のようにヨロヨロと転がっていくわけです。 あちらの方に聞くと、春には春の風が吹く、夏には夏の風が吹く、風に逆らって生きるもよし、風に流されて生きるもよし、風の香りを感じるくらいに余裕を持って生きるが良し・・・だそうです。 霊界の風・・・どんな香りがするのやら。
2010年04月05日
コメント(2)
この病気が蔓延するイギリスで生きていた修道僧の方の前世を視ました。もちろん治療というか看護に当たっていた姿ですが、あまりに多くの「死」を見続けたことで心がマヒしていたようです。 特に幼い子供たちが亡くなっていく姿が耐えられなかったようです。身体が黒ずんで亡くなっていくので「黒死病」と言われていたわけですが、ネズミが感染源だなどとは当時は全くわからないわけで、悪魔の仕業としか思えなかっただろうと思います。 これは魂のトラウマに成りかねない前世の記憶です。お話することで、対処してもらわなくてはなりません。今世では女性として生まれてこられてきているのでなおさらです。話し方を考えないと・・・。
2010年04月04日
コメント(2)
私は優しそうに見えて、なかなか人を許さないところがあります。自分でも意外なほど人を許す部分と許さない部分があります。 例えば暴力団に所属していた人間が「更生しました。今は経験を生かしてセミナー講師をしています。」なんていう人に出くわすと「何~!!そんなもの許せるか!信じられない!!」と思ってしまいます。超人気がある講師の方でしたが、私はそんな人間の言うことは一言も信じられないと思ってしまいました。 何故なのだろうと思います。小学生のころにいじめられ続けていたせいかもしれません。子供の残忍さというものが骨身にしみてわかっているからかもしれません。人間の本性というのはとても「身勝手」なものなのだと感じているからかもしれません。 罪を犯す人間にもいろんなタイプがあるかと思いますが、要するに心が弱いか強すぎるかなのだろうと思います。心の弱さから犯罪を犯す人間は許せるのかもしれません。あくまでも私だけの話です。心が強すぎて罪を犯す人間が本能的に私は識別できると勝手に思っています。そして、そういう人間を許せないと思ってしまうのかもしれません。 心の強すぎる人間というのは場合によっては「英雄」になったり現代社会では「社長」や「ボス」になっています。そういう人間を私は許せないのかもしれません。それは私の心の弱い部分がしていることなのだろうと思います。全くこれは私の本性の「身勝手」な部分が行っていることなのだろうと思います。
2010年04月03日
コメント(4)
いつもの視覚障害のおばあちゃんの家に往診に行って、帰りのバスを待っているとそばの小さな公園で白木蓮の木に花が二つ三つ咲いていて、ほのかな香りを漂わせていました。 少し立っていると歩いてきた外国人の中年のご夫婦が、たぶん観光の方だろうと思いますが、地図を差し出して「この場所は地図のこの場所でいいのですか?」と聞いてこられました。おぉ、聞き取れるなぁと自分の語学力に感心しつつ(実は彼らがわかりやすく発音してくれていたのですが・・・)「そうですね。この場所はここです。あちらにある橋がこの地図のここに描かれている橋ですよ。」と伝えました。「ありがとう」と言って去っていく彼らを見送って少し経ち、「あれ、橋の名前が違っていたかな?」と気付き、追いかけて行って呼び止めもう一度地図を確認して間違いないようだったので、「間違いないですね。」とお教えしました。 再度駆け寄ったときに奥さんのほうが笑いながら何か私に話しかけようとしたのですが、ご主人のほうが「黙りなさい。この方の邪魔をしてはいけない。」とおっしゃっていたのが、とても印象的でした。それでもご夫婦仲はとてもよさそうでした。 そして、いつも思うのですが外国人の観光客の方達はよく歩きます。多分、バスやタクシーは使いづらいのでしょうが、それにしても日本人の何倍も歩いて観光されているように思います。 木蓮の花の香り、ご夫婦の静かな信頼感、心地よい午後の出来事でした。
2010年04月02日
コメント(4)
昨日の休日はまたまた福井へ行ってきました。というのも先月福井の越前市へボルガライスを食べに行ったのですが、帰りに一乗谷朝倉氏遺跡に寄りたいと家内から言われていたのに出来なかったのと、ボルガライスの元祖のお店や発祥のお店なんていうのもまだ他に数店あって、食べ比べてみたいという気持ちもあったからなのです。 金沢から高速で一時間半ほどで福井市郊外の一乗谷へ。ここは最近ソフトバンクのTVCMで有名になった土地です。私は時代小説が好きで、しかも加賀の前田家の剣術師範だった富田家の中条流というものが、この一乗谷で生まれたということもあり大変興味があった土地でもありました。 着いてみて思ったのですが、ここは相当のパワースポットです。朝倉氏というのは戦国時代に京都の将軍家に次ぐくらいの繁栄を極めた氏族なのですが、この一乗谷は交通の要衝ということ以上に周囲の「氣」が集まってきている場所です。 館跡や住居跡が発掘されて復元されたりして綺麗に整備されているのですが、各家々の井戸だけがきちんと石組みから復元されて残っていてすべての家に井戸がひとつずつあったことがわかります。 周囲を取り囲んだ山々が穏やかな「氣」を発していてそれが谷の中央に緩やかに運ばれてきているのがわかりました。ここは凄いところかもしれません。こんなに心を穏やかにしてくれる所を私は今まで見たことがありませんでした。 そして新たなボルガライスを食べに越前市のほうへ移動。「ジャムハウス」というお店で食べてきました。先日のお店よりもボリュームがあり、味も私の好みにあっていました。平日の昼間だからなのかお客さんが私たちだけというのが気になりました。もっとお客さんが来てもおかしくないように思うのですか・・・。
2010年04月01日
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1