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お客様に「先生はあまりしゃべらないですね。人に興味とか無かったりして・・・」とか言われてしまいました。男のお客様なんですが。 そうかな?自問してしまいます。余計な事はしゃべりたくないのは事実です。それと施療中は身体を流れる「氣」の状態を探ったり、霊的な情報を分析したりしていて忙しくて、しゃべっている余裕がありません。 簡略に必要な事だけをわかりやすく伝えることが大切だとは思っています。おしゃべりで時間をつぶすなんていう芸当は出来ません。これは社交的な人間ではないと言う事なのか?お世辞というものも言いたくないと思っています。 人に興味が無い・・・ということは無いです。でも、人に興味があったとしても会話でその人を捉えようとは思いません。最近は「氣」を読むことが多くなったので、表面上や外見からくる「その人情報」には何の意味も無いということがわかってきてしまって、ますます興味を満足させるのに「会話」というものが必要なくなってきました。 言葉というものも一種の「欲」なのだと感じます。知識欲の一種なのだと思います。そして「知識」というもの、「知」というものに真実を明らかにする何の力も無いように思えてなりません。ちょっと語弊があり、誤解を生じかねない言い方ですが、「知」ではなく「感」に「道」を求める行く末を感じています。全く私の独断と偏見です。 言葉を交わすのではなく、感じあってお互いを分かり合えるようになりたいものです。
2010年10月31日
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夕焼け小焼けの赤とんぼ♪という唄がありますが、赤とんぼは春に生まれて、暑い夏の間は標高の高い山の上で過ごしているのだそうです。 暑さが嫌いなトンボなんですね。私も赤とんぼのように暑い夏は山の上で過ごしたいものです。 トンボやクモは仏様に近い存在のような気がします。そしてチョウチョは神様に近い存在のような気がします。 虫の中にも霊的な分別があるのかな?人にも仏縁の深い方と神縁の深い方がおられますからね。神と仏を区別するのもどうかなと思いますが、確かに仏様の霊的な雰囲気と神様の霊的な雰囲気は違うように感じます。 虫にもそんな感じが・・・。ゴキちゃんは悪魔的な雰囲気を感じますね。
2010年10月30日
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北國新聞という地方紙に水橋さんというテレビの脚本家の女性が月に一度くらいにエッセイを書かれています。北陸の出身の方で今は中央で活躍されている方です。 先日のエッセイで彼女が小さいご自分の娘さんに不運を嘆くことは無いというお話をしていたという体験談が載っていました。つまり簡略に言うと、彼女が言って聞かせたお話というのはラスベガスのカジノで大もうけした人はその後で皆、悲惨な目にあっているということでした。 「運の振り幅」というものがあって、大きな幸運に恵まれれば必ずその逆の振りがあって大きな悪運にも恵まれてしまうという教訓だったようです。 当たり前のことなのかもしれませんが、私は改めてなるほどなぁ・・と思ってしまいました。私の人生には大きな幸運というような大きな出来事は全くありませんでしたが、それによって大きな不運・悪運というものからも逃れられているのかもしれません。宝くじの一等が当たったとしても、大切な家族が病気になったり死んだりしたら絶対に嫌ですものね。 小さな不運と小さな幸運が交互に訪れている私の人生は幸せなのかもしれないと、単純な私は思ってしまいました。
2010年10月29日
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白山が白くなりました。冬が降りてきたようです。北海道では積雪がすごくなっているとか。 山川草木に宿る神々も冬支度を始められているようです。我が家の観葉植物たちも室内に避難しました。 ヒヨドリ達が冬に特有の甲高いキューーィキューーイという声で鳴いているのを聞きました。 JAの販売所でも赤く実った柿が沢山並べられていました。 田の神の眠る姿も視ました。刈り取られた稲の株の間に静かに寝そべっておられました。春の田起こしまでお休みになるようです。 熊は山の神のお使いです。今年は人里までお出ましになることが多かったですが、それは山の神の機嫌の悪さの表れなのかもしれません。 インフルエンザは疫の神の仕業ですが、少しずつ患者が出てきているようです。昨日予防接種をしました。 冬は夏と違って神々の出現範囲が狭く占められています。それだけ視え易くもあるのですが、だから冬が好きなのかもしれません。
2010年10月28日
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の季節がやってきました。北陸では多分、石油ストーブが主流です。炬燵と石油ストーブで暖を取るのが湿度の高い北陸の冬には最適なのだろうと思います。 電気ストーブやエアコンを使うのは私自身あまり好きではありません。稼動音のほとんどしない石油ストーブがほんほんと燃えているのを見るのが好きです。 最近、リビングのほうは広いのでガスストーブのファンヒーターを使っています。熱量が大きいので広い部屋もすぐに暖まり、最近のガスファンヒーターは暖かくなれば熱量を抑えてくれるので便利です。 ただし三年に一度くらいはメーカーのメンテナンスに来てもらって内部の掃除をしてもらわないといけないようで、それが面倒と言えば面倒ですが。 石油ストーブも入れる灯油を買いに月に一度くらいはホームセンターへ行かなくてはなりません。これが面倒と言えば面倒ですが、北陸の冬には石油ストーブは欠かせません。我が家には合計すると七台も石油ストーブがあります。
2010年10月27日
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ブログに載せるお話はある程度厳選しているようなところがあります。お客様のプライベートを書かないと意味がわかりにくいような霊視の内容は書けませんし、出てくる方があまりに有名な方だったりすると二の足を踏んでしまう場合もあります。 また、霊界からこれは公表しないで欲しいという意思が伝わってくる場合もあります。 陰徳ということがありますが、公にしないことが大切な場合もあるのです。 大体、霊視の内容が伝えられるご本人のためだけのものという場合もあります。多くの人に伝えることで何かの「気付き」になってくれるかなと思う場合には載せることもあります。 例えば大まかなお話ですが、ある日突然仲が良かったご夫婦のご主人のほうが「お前とはいっしょに暮らしたくない。」と言い出して別居状態になってしまったことがありました。それがまた突然病気が治ったように仲良く元通りのご夫婦に戻り、そのご主人が私の元に施療に来られて霊視してみたら、焼き殺された「狐」の姿がその霊的な背後に視えていました。 ぞっとしたものです。狐の仕業とわかったこともそうですが、その狐を焼き殺したものが何だったのか?このご夫婦の奥様のほうは別居状態になってから、何度も当院に来られて相談をしていたのですが、私の霊視ではご主人に憑いた狐は視えませんでした。 こういうお話も実はご主人のお仕事や奥様の様子や家庭環境をお話しないと正確には理解していただくことが難しいお話です。またむやみに聞いた方を怖がらせてしまう結果にもなりかねません。 私の独断と偏見になるのかもしれませんが、霊視については厳選して書いていきたいと思っています。
2010年10月25日
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健康のためにワンコを連れて散歩によく行きます。近くの川原の道を三十分ほど歩きます。 うちのワンコはポメラニアンのメスなのですが、性格がきつくて自転車を全て敵だと思っているらしく走ってくると自転車に吠え掛かります。そのために自転車が来るたびに抱きかかえなければならず、大変忙しい散歩になります。 散歩の後半になると疲れてきて吼えなくなるので、やっとのんびりと散歩を楽しめます。 最近は川で鮎釣りをしている人が多く、川原の芝生ではゲートボールをしているお年寄りの方達が大勢いたりします。 カワセミがいたり、常連のセキレイやカルガモ、カイツブリやコガモといった珍しい鳥もいたりします。川の上流には薬師岳や遠くに白山の山稜も見えたりします。あの山が白く輝く季節がもうすぐやってきます。今年の冬は雪が多いのでしょうか?心配しています。 川の散歩道の最後は犀川神社という氏神様にご挨拶して帰ってくる日々です。
2010年10月24日
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最近、霊視するとご先祖霊の姿が先に視えることが多くなりました。言いたいことや伝えたいことがあるご先祖様が待ち構えていて、先に出てきます。 そのまま視ていると、伝えたいことを伝え終わってもグズグズと居座られるので、過去世の姿の視える段階へ力技で進んでしまいますが、この変化は何なのだろうと考えています。 何だか霊界のほうで、少し私の噂が広がって実用的な仲介者として活用されるようにでもなったのかしら?と思ってしまいます。 ちょっと面倒くさいです(笑)。
2010年10月23日
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戸隠神社へ参拝に行かれた方の霊視をしていたら、その神の姿を視ました。アメノタヂカラオノミコトという神様だと思うのですが、鬼神のようなお姿で身体全体がキュービック(正四面体)で出来ているように視えました。 神様のお姿というのは、滅多にはっきり視えるものではないので珍しくてマジマジと視てしまいました。 そして、この神様は「悪い流れを止める」のが得意だという事もわかりました。つまり、悪い「気の流れ」「人の流れ」「お金の流れ」「モノの流れ」そういうものを止めてしまう力があられるようです。 現在とてつもなく人気があって日曜祝日だと沢山の人でごった返しているということですが、現代社会においてこの神様の力の特徴は確かに貴重かもしれません。参拝される方達が皆、この神様の力の性質に気付いているわけではないとは思いますが・・・。
2010年10月22日
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今の住居に移る前に住んでいた町は春日町と言い、近くに小坂神社という春日大社の末社がありました。この家は母方の実家近くでもあり、子供の頃から祭礼があると母の実家に呼ばれて泊まって遊んだものです。 懐かしい土地であり、旧の北國街道という古い土地でもありました。ふと小坂神社という親しみ深いその中規模ほどの大きさの神社の由来を調べてみると、私の守護神である経津主命も祭られていました。 小さいころから慣れ親しんだ神社は、大きくなって調べてみれば私の守護神のおられる神社だったわけです。こういう事があると自分のルーツの確認になり、神仏の加護というものを信じられる気持ちになります。 卯辰山という丘陵に上がっていく坂道の曲がりくねった途中にある小高い場所にある神社です。参拝すると可愛がってくれた祖母と祖父の顔が目に浮かび、懐かしい雰囲気に包まれた感覚があります。どんな人にもこういうような陰から見守るような神々が就いていてくださるのかもしれません。 有難いことです。
2010年10月21日
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私の背後におられる神仏の中でも弥勒菩薩はとても遠い場所に居られる仏です。 私も一種の畏怖の感情を持って見つめてしまう仏様です。何故か人類の滅亡とか、絶滅のときに姿を現される仏様のように感じています。 人は人類が絶滅するときにも自分一人は救って欲しいと願うものなのでしょうか?魂の救済というのは人にとってどのような価値を持つものなのでしょうか? 弥勒菩薩に問いかけると沈黙だけが返ってきます。だけども「絶望」というのでないようです。未来に続く道だけは残してくれるように、この仏様は言っているように思います。
2010年10月20日
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ふと、自分の背後を霊視してみたらざわざわと沢山の神仏やらご先祖霊やらが居られて驚きました。 自分の三十歳以降くらいの人生を振り返って、何だかいいところへいいところへと押し動かされてきたなぁ、有難いなぁと思いつつぼーっとしていたのですが、ふと後ろを霊視したらわさわさと居られるので驚いてしまいました。 私が気付いたのに気付かれるとさーーっと散っていかれました。 自分が沢山の「命」によって生かされているということは、よくわかっています。どんな人も多くの「命」によって生かされています。 「命」というのは目に見える存在だけではなく、形の無い存在も含めて言います。人の中にある「命」だってここに取り出して見せろと言われて出来る人は誰もいません。 他の生き物の命を頂いて生きている人という存在にどれだけの価値があるのでしょうか? 動物たちは食物連鎖の中にいて、他の命を実感して生きているのかもしれません。 先日のテレビで日本海の海底には「ギンエソ」という小魚が何兆匹もいて、それが日本海の魚介類を養っているという情報を知りました。たった一種の小魚が日本海の命全てを支えているのだというのです。 命の不思議さ。自分が生かされているという事も大きな不思議ですね。
2010年10月19日
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私の家は父が気の小さい人だったので、車の免許を取れず、ずっと車のない生活が私が免許を取るまで続きました。 どこへ行くにもバスか電車、近い所なら歩きか自転車です。父は原付の免許だけは取れたのでスーパーカブに乗っていましたが。車が無いのが当たり前だったので、それを不便とは感じませんでした。世間全体も今ほど「車社会」というものでもなかったので、買い物や何やかやで小さな地域に集中していました。 父はバイクで先に行き、母と私と弟は自転車でのんびりと目的地へ向かったものです。これはこれで何となく牧歌的で楽しい日々だったです。 しかし、車の免許を取って自家用車というものが自宅にあるようになると苦労しました。何しろ車というものに全くの初心者ですから、ひどい中古車をつかまされたり、メンテナンスの仕方も判らず扱いに困りました。 十年ほど乗ってやっと車の扱いやどんな車が良い車なのか見分けられるようになり、世間は全くの「車社会」になっていました。地方都市では郊外に大型のシヨッピングセンターが乱立し、中心地域の大型駐車場の無い店舗地域は空洞化し、誰もが車に頼らざるを得ない社会が構築されてきています。 金沢は私鉄バスが一社とJRバスしかなく、タクシーは過密状態ですが、中心地域の旧市街などで生活される独居老人の方達などはどうやってこれから生活していかれるのだろうと思います。 子供の頃の車の無い生活・・・これを今の地方都市でしようとするならば相当の不便があるだろうと思うのですが・・・。
2010年10月18日
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前世を霊視していると意外と多くの中国人だった前世を持っている方が多いことに気付きます。 日本人と中国人は意外と霊的には地続きのように繋がっているのかもしれません。逆に韓国や北朝鮮の前世を持っている方はとても少ないです。今までに数えるほどしか視ていません。ということは日本人の霊的な地層というのは朝鮮半島を飛び越えて直接中国大陸と繋がっているのかもしれません。 中国の方達の合理的な、また大陸的な性格は日本人のひとつ前の段階の魂の性質なのかもしれないと独断と偏見で考えてしまいます。あの割り切った性格から、日本人のあいまいでファジーな性格が進化して作られてきているように思えてしまいます。 ただ中国人の前世を持つ方達に共通しているのは合理的な考え方をする所を性格の中に持っておられることなので、中々強い性質として魂の中にその前世の記憶は残っているようです。 中国人も日本人も移民として外国へ多く出て行きました。ただ、中国人のほうが望郷の念が強いように思います。日系の方達というのは、移民先の国に溶け込む率が高いように思います。もちろん日本の方の望郷の念も強いのでしょうが、「諦観」というような潔さのようなものを日本人の魂は持っているように思います。 逆に言うと日本人は弱くて周囲に馴染む事で生きようとし、中国人はどこに行ってもその周りに中国を持って行ってしまう強さがあるのかもしれません。
2010年10月17日
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私と同業の女性なのですが、霊視をすると必ずこの「十六夜の月待つ姫」の姿が視えます。 十六夜の月が雲から出てくるのを松ノ木の根元で十二単の着物を着て佇んでいる姿がいつも視えます。 彼女は何かを待つ運命なのではないかと思っていました。待つことで幸せを得るのかもしれません。 そばに立つ松の木がかがり火に変わって視えたこともありました。 海の波しぶきが近くに感じられたこともありました。彼女の待っている場所が海の近くの岩場に変わって視えたこともありました。 とても簡単に霊視が出来るので、とても霊的な因縁が強い方なのだろうと思います。彼女の待つ努力がいつか報われることを願って止みません。
2010年10月16日
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ビデオレンタル店の店長をしていたときにアルバイトの人達を数多く雇い、教育し使っていました。カラオケ店のスーパーバイザーをしていたときも、自分なりの教育システムを作り、使って部下の人達を指導し使っていました。 要するに判ったことは、自分で働くよりも他人を使うことのほうがしんどいということです。 人は仕事を与えられて働くよりも自分で仕事を作り出して働くほうがイキイキとして働くし、こちらもいつしょにいて楽しくなります。そういう労働環境を作り出せればいいのだけれど、こちらも上に上司がいたりすると中々そういう労働環境は維持していくのが難しいものです。 「現場は仲良しクラブじゃないんだ!」なんてよく叱られたものです。 アルバイトの中には不正を働くものもいたりして、信用はしても信頼はするななんていうことも考えたりしたものです。 お金を多く稼ごうと考えれば他人を雇って店舗を大きくすればいいのでしょうが、そういうのはもうこりごりです。 人を信じられなくなった・・・そういうわけではないのですが、人が人の上に立ってものを言うなんていうのはとてもくだらないこと・・・そういうわけです。
2010年10月15日
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今年の夏の猛暑は日本列島の上空を走っている偏西風のコースが大きく蛇行して太平洋高気圧を日本上空に停滞させてしまったのが、大きな原因らしい。 「風」の異変。大気の異常というものが地上に大きな災いをもたらしていったということなのかもしれません。 そして十月の本当は爽やかな気候のはずなのですが、どうも今の気候、温度、湿度の雰囲気が気に入らない。何だか嫌な気候の感じがします。夏の暑さを身体がまだ覚えていて、本来なら肌寒く感じる低温を心地よく感じてしまうのが気味が悪いです。 秋の爽やかさを喜べばいいはずなのに、熊が沢山人里に降りて来て事件を起こしているのも何だか不安を駆り立てます。 こういうさりげない異常というものは、微妙に世間全体を変化させていくものです。気をつけて、気を引き締めて生きていかないと人の心と身体に大きな変化を与えかねないような気がします。 心の底の「肝」のような部分に力を入れなおそうと思っています。
2010年10月14日
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半年ぶりに復活しました。初回は築地界隈でした。海を埋め立てて築いた土地だから築地という名前になったとの事。 金沢という土地は元々は浄土真宗の金沢御坊という宗教拠点から発生して、発展してきた土地で、昔は兼六園の近くの石浦神社という神社の大きな石の行燈が海の灯台代わりになっていたというから、日本海もすぐ近くに見えていたのだろうと思うと、昔の地形に思いが馳せます。 金沢の旧市街(二つの川に挟まれた地域)は古くからの町割りがそのまま残っている部分が多くて、歩いていても建物は近代的ですが、何となく江戸時代くらいの風情を感じることが出来ます。 特徴的なのは「用水」が何本も縦横に走っていることです。加賀平野と呼ばれる豊かな米所を有していた加賀藩は、稲作をとても大切に考え、農業用水を丁寧に作っていきました。 そして「十村」という農民をまとめる組織を独自に整備して、農業基盤を確固としたものにしていたそうです。北陸の人間は根っこがくそ真面目ですが、こういう土壌があったから出来た人間性かもしれません。 金沢の古地図などを見て、またそぞろ歩きをしたくなりました。
2010年10月13日
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彼女の昔の彼氏が事故で亡くなった。それで彼女は彼の母親のところに度々訪れていっしょに泣いているのだと言う。その亡くなった彼には新しい彼女もいて幸せだったのだと言う。それでも彼女は私のところに来るたびに、彼のことが忘れられず、彼も自分を忘れて欲しくないと思っていると言う。彼を忘れてしまったら、自分たちだけ幸せになってと彼が恨むはずだと言う。 「祈る」という行為は道を指し示す行為だと私は考えています。その人の思いと神や仏のいる世界とを結びつける行為だけれど、そこに何の打算も無く、報われようとする意思も無く、ただ感謝の思いを光の先に届ける行為だと思っています。 亡くなった人の魂は必ず生きている人たちに対して祈っていると思います。それを「自分のことはもう忘れて新しい道を歩んでいって欲しい」という言葉に変えるのは簡単ですが、そう言っても遺された人達は理解できないのかもしれません。 亡くなった人達にとっては現世は光の世界でもあります。自分達の魂も光の世界へ向かうのだけれど、生きていた世界も光の世界なのだと思います。生命に満ち溢れた光の世界。それが現世の別の姿でもあると思います。 その光の世界に生きていながら、その素晴らしさに気付かずに亡くなった自分を懐かしんでばかりいてはいけないと魂になった存在はわかるのだろうと思います。 彼らの祈る思いに応えなくてはいけない。生きていることを喜び、心の中に祈りの思いを秘めて、精一杯生きる努力を続けていくべきなのだろうと思います。それが死者に対する「祈り」の行為の最上級の形になるのだと私は信じています。
2010年10月12日
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霊視をしていると何だか懐かしい気持ちになってしまう方が時々おられます。きっと前世でつながりがあった方なのだろうと思います。 自分がこの人とどんな前世を過ごしたのだろうと思いますが、そういう時は中々視えにくいことが多いのです。自分の前世に関しては視えるときは一人でふわ~~っとしているときに限るので、きっとそういう仕組みになっているのでしょう。 でも、この懐かしい気持ちというのは前世というものが確かにあって、人と人の魂が何がしかのつながりを持っていることの確認になります。そういうことを確信させてくれるのです。確かな事がはっきりしない霊的な情報の中で、唯一私が確かなものを感じる瞬間でもあります。
2010年10月11日
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母親と二ヶ月に一回はドライブに行ってあげることにしています。父親が亡くなって、何となく親の有り難味が再認識され、生きている間普通に歩ける間に母親に好きなところへ行く楽しみを提供してあげるのもいいかなと思い・・・恥ずかしながら実践しています。 昨日は倶梨伽羅不動尊へ。着いた時間がちょうど護摩行が始まる時間で、母親といっしょに護摩の炎を見ていました。 段々と護摩壇の炎が剣の姿になり、龍の姿になり、不動明王のお姿にもなってきて、何度もこの炎は見ているのですが、こんなにはっきりと姿形が見えてきたのは初めてでした。こういう顕現は有難いことです。 母親が最近弘法大師様の有難さに開眼しているので、その奇瑞なのかもしれません。母親は霊感などは全く無い人ですが、強く守られている強運の人ですのでこういう事も多々あることです。 その後は富山県のアローザ温泉というところまで足を伸ばして気持ちのよい温泉に入り帰ってきました。 一日中しとしとと雨が降るあいにくの天気でしたが、何となく何かに導かれていたように感じる休日でした。
2010年10月10日
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毎日神棚に若水(毎朝一番先に汲んだお水)とどぶろく(にごり酒)を供えています。 二拝して、祓い詞を述べ、さらに二拝二拍手一礼。 それにしてもどぶろくを捧げろと伝えてきた神様は本当にどぶろくが好きらしく、一度もらった清酒を供えていた時期があったのですが、機嫌が微妙に悪いのが伝わってきました。 無くなると困るので、近くのデパートの地下のお酒売り場まで買いに行くのがとても面倒くさい。でも仕方ない。神様のご機嫌を損ねるとあまりよろしくないようです。(苦笑)
2010年10月09日
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ウィキペディアでは 死生観(しせいかん)とは、死を通した生の見方をいう。類型には: 人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか? 死後や死者をどう捉えるか? 生についての人々の考え方や理解の仕方 生きることとは何か?死ぬこととは何か? などがある。 宗教や文化、又はその人の人生が成功だったか失敗だったかによっても異なる。死生観の定義自体も、見る者の視点によって異なる。民族によって死生観は当然異なることが多く、民族間の確執に死生観の相違が関わっている、とされるケースもある。 と書かれています。 日本人は特に「無常観」という滅び行くものに「美」を見出すという哲学的な観念があって、それが自殺者を多く出す原因にもなっているらしいです。 私の死生観は、人が生きているのは「タオ」という目に見えない大きな「流れ」のようなものが人生にも世界にもあって、それが人の生死を支配していると考えていて、それは何も規制したり制限したりすることは無いけれど、唯一自ら命を絶つことだけは禁じていると思っています。 何となく生きて何となく死んでもいいし、精一杯人のために尽くして生きてもいいのですが、「死」を常に意識して生きることは大切なのかもしれないと考えています。ただし、死は別れではあるけれど消滅ではありません。人が生きた思いというのは残っていきます。また「タオ」という大きな河の中に永遠に残されていくものだとも思っています。一部にはなるけれど、その意味や存在が吸収されて消えてしまうことはありません。 人は尊重されるべきものです。その思いもとても尊重されるべきものだと思っています。
2010年10月08日
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「海猿3」を観にいきました。家内が石川テレビというフジテレビ系列の地方局のアンテナショップで働いているので、招待券を頂いて私はそう見たくも無かったのですがお付き合いで・・・(伊藤英明ファンの方ごめんなさい。)。 人の命を災害現場で救うことを職業にしておられる方達には頭が下がります。命よりも大切なものはないので、それを救う手段を手に入れるために普段からどれほどの訓練をされていることか・・・、こういう方達のおかげで私達の生命は守られているわけです。 テレビなどで実在のこういう消防士や自衛隊の方達を視ると、必ず四天王の姿が守護仏として背後に視えたりします。 大日如来を守護するために四方を守護する仏の眷属たちの姿が彼らの背後にあるのは至極当然なのかもしれません。 彼ら広目天、増長天、持国天、多聞天は基本的に陽気で朗らかな性格の方達です。そんなものがこの映画にも影響を与えているようでした。
2010年10月07日
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この番組も何故か好きでよく観ています。ボロボロでグチャグチャの室内が綺麗に荷物を運び出されて、スッキリしていくところが好きです。 古い天井が引き剥がされて柱と壁だけになっていくところが好きです。 壁の間に様々な断熱材が詰め込まれていくところを見ていると羨ましく思い、基礎の鉄筋コンクリートが職人さんの手で見事に敷かれていくところも綺麗だなぁ、羨ましいなぁと見てしまいます。 新築の建物を作り上げる「ドリームハウス」というテレビ番組も好きですが、元々ある柱や構造物を大事にしながら仕上げられていくこの番組のほうが住居に対する愛情が感じられて好きかもしれません。 子供の頃から大工さんの仕事などをそばで見ているのが好きなほうでした。自分自身がそういうことには不器用なほうなので憧れがあるのかもしれません。不器用ながら以前住んでいた持ち家では家屋の修繕は自分でしていました。そういう工夫をしているときが好きでした。 もし才能があったら、きっと大工さんのような仕事を選んでいたかもしれません。男性の中には必ずこういう建築衝動のようなものがあるような気がします。 現在住んでいる住まいはビジネスホテルだった鉄筋コンクリートの建物ですが、リフォームの時には私の希望で間取りを決めさせてもらい、完成後に自分で室内の書棚などは全て取り付けました。少ない予算である程度自分なりに上手くできたビフォーアフターになりました。
2010年10月06日
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自殺者の数は年間で三万人を越えています。これは交通事故死亡者よりも断然多い数です。ほとんどが経済的理由や精神病によるものらしいのですが、詳しいことは私にはわかりません。 自ら命を絶つというのは霊的な世界からすると「救われない」選択なのですが、先日の霊視の中で一つの「道」が示されました。 遺された家族の方達に示された道。それは儚い望みなのか、確かな希望なのか・・・私には判断できませんが、それは現世において地蔵菩薩、観世音菩薩に願い死者の魂を手元で修行させてほしいと願うことだということです。 確かに私の従姉が何十年も前に自殺のような事故のような亡くなり方をしていて、後に私が霊視が出来るようになったときに現れて「今、私は観世音菩薩の元で名前を頂き修行をしている」と伝えてきたことがありました。それを聞いたときはとても嬉しかったのですが、それが自殺した魂の救われる道だとは認識できませんでした。 地蔵菩薩も観世音菩薩も畜生道に堕ちた魂を救ってくださる有難い仏様ですが、この仏様たちが唯一そういう魂たちを救い出そうと動いてくださっていることは確かなようです。 どんな境遇のものにも救われる道はあるということです。何かに対して深い感謝の念を持ちたい心境です。
2010年10月05日
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話の長い人は苦手です。自分ではせっかちだとは思わないのですが、約束した時間の五分前には必ず行っているタイプなので、せっかちなのかもしれません。 話も要領よく手短にまとめて話すようにしています。簡単で判りやすくというのが基本姿勢です。 だらだらといつまでも自分のペースで話す人に付き合っているとイライラしてしまいます。聞いている相手の立場というものを考えて欲しいと思ってしまいます。 要するに「相手の立場に立つ」ということが出来ない人が苦手なようです。 それ以外には、相手を見下す人だったり、言葉も丁寧で相手のことも慮っているようでいて本当は相手のことを考えていない人だったり、自分の中の論理に酔っているような人だったり・・・・私は人の好き嫌いが激しいほうなのだろうか?と悩んでしまいます。 自分自身も他の人に苦手だなぁと思われているのかもしれません。誰にでも好かれるというのはとても難しいことですね。テレビタレントの方達などはさりげなく皆さん「誰にも嫌われにくい」という要素をクリアしているのですよね。凄いことなのかもしれません。 本音では誰にでも好かれるようになりたいとは思っていません。自分が嫌うように嫌われる人には嫌われても構わないと考えるようになりました。年を取って面倒くさくなったのかもしれません。 ごめんなさい。私に不快感を感じさせられた人達。
2010年10月04日
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棒術というのは六尺くらいの木の棒を使う武術のことです。有名な人では宮本武蔵の小説の中に出てくる夢想権之助という方がおられます。 棒術というのは対刀剣を目的としていて、殺傷能力が低い武術です。勿論、達人が振るえば殺してしまうことも簡単でしょうが、基本的には刀剣の勢いをそらす、受け流す、跳ね飛ばすような動きがメインになるようです。 先日わざわざ九州から来てくださった男性のお客様を霊視したところ、棒術の師範をしておられた武術家が視えました。農業をしながら、近在の農家の男達に棒術を教えていたようです。 言っていた言葉が印象的でした。「刀で農業は出来ん(刀で百姓は出来ん)。刀など畑に突き刺しても邪魔なだけだ。棒なら肥やしも運べるし、上手いことやれば土も耕せる。」 人を傷つけることが大嫌いな人だったようで、郷士のような土着の武家だったようです。弟子達に教えていることは、人も土も愛情を持って接してやれば豊かな実りを与えてくれるということです。刀を持って人と接しても何も実りをもたらすことはなく、刀というのは自分の心に向けて持つべきものということのようでした。 現世のこの方も教師をされておられるとのこと。前世から人を教える立場につく宿命を持っておられるのだろうと思いました。 実はもう少し深いメッセージにもなっていたのですが、これはこの方のプライベートにも関わることになってしまうので、ここには書けません。私とこの方だけの神託になります。
2010年10月03日
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日本列島の形は特殊だと考えています。世界全体の大陸の形に相似すると考えることもあれば、人の身体との類似も想像できます。 一般的には「龍」の姿と見る傾向もありますが、先日行った糸魚川市でフォッサマグナによって少し折り曲げるような形で出来上がった列島の形を意識してみると、やはり人体に似ているのかもしれないと考えられます。 大きな地震が発生した場所やこれから発生しそうな場所を人体になぞらえて考えると、今の日本人の疾患の多い場所と連想できるような気がします。 人体で霊的に重要な場所は「丹田」という臍下三寸の場所ですが、これがまた伊勢神宮のある辺りになるようで、熊野にも近いというところです。東京は「?中」というツボの位置に当たります。胸の乳首と乳首の中間点という辺りです。(このあたりの位置の決定はあくまでも私の独断と偏見です。) 日本列島と日本人という民族。これからどんな風になっていくのでしょうか?
2010年10月02日
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熊野行きが決まってしまった。どれだけ行きたいと思っていてもパック旅行の催行人数が集まらなくてキャンセルになったり、こちらの都合で行けなくなったりして、どうしても熊野の神様には来なくていいといわれ続けて数年間。 先日、院のお客様に熊野本宮の牛王印を頂いてこれは呼んでくださったかな?と思っていたら旅行申し込みで即、催行決定で11月には行けることになってしまいました。 熊野の神様とは相性が悪いのだろうと推測しています。「火」の神様が多い系統の神々群の密集地ですから、「水」にわずかな「火」を含む私の系統は嫌われる確率が高いだろうなぁと思っていました。 宿泊するホテルは海の中の島にあります。これは、水の中の火という私にぴったりの宿泊地。神様はこういう段取りまでつけているようです。 那智大社には強く惹かれています。どんな神々と出会えるのか、楽しみです。
2010年10月01日
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