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剣岳の神様から伝言を貰いました。ある方の施療中だったのですが、彼女に「私に会いにくるように」との事。後でネットで調べてみると、剣岳の神様というのはアメノタヂカラオノミコトという私にも縁深い神様でした。 さすがに剣岳は一般の人には登頂の大変難しい山です。新穂高ロープウェイの到着点までくれば大丈夫という副メッセージも付いていました。さすがに新穂高から剣岳は見えないかもしれないのですが、何か縁のある山同士なんだそうです。 こういうメッセージはシンプルで楽です。ただ伝えられたご本人は大変かもしれません。行かなきゃならないわけですものね。まぁレジャーのようなつもりで楽しんで行って来て下されればいいんですが。
2010年05月31日
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霊視の中でそういう仕事をしている牧師さんに出会いました。映画のような内容の仕事とはちょっと違うような感じでした。 普段は村周りの巡回牧師さんのような感じで、お医者さんのような仕事も兼ねていて、心理カウンセラーのような感じもありました。狐憑きや犬神憑きのような症状の人達の心理療法をしたりしていました。いろんな悩み事の相談役と言った感じでもあります。 ただ、エクソシストとしての仕事も何百人に一人、何千人に一人くらいの割合でしていたようで、映画と同じ悪魔「ベルゼブブ」が相手としていたようです。その都度退けることは出来たようですが、人の心の闇の中から無限蔵に湧き出してくるのが悪魔という存在のようで、もぐらたたきのようなもので、その争いは終わることが無いようだと感じていたようです。 エクソシストという映画を見たときも感じたことですが、神と悪魔というのは光と闇というよりも、共に「人を試すもの」という存在のような気がしてなりません。一神教の場合には、人の心の中の深い部分に鋭く抉(えぐ)りこんで来るような「追求」があるような気がします。 多神教の我々には理解できない「醜さ」のようなものを感じてしまいます。多神教のほうが醜く見えるのかもしれませんが、それは自然というものを人の中に取り込んでしまう西洋文明の混沌さに原因があるのかもしれません。混沌(カオス)というものに飛び込んでしまうか、冷静に見ているかの違いなんでしょうか?
2010年05月30日
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この季節は野鳥たちにとっては営巣期間になります。ワンコの散歩に近くの川原を歩くと中州の茂みの中からヨシキリという鳥たちのギチョ!ギチョ!という鳴き声が激しく聞こえてきます。カップル造りに大忙しなのだろうと思います。そうかと思えば川原の近くの散歩道にはカラスのヒナがチョコンと座っていました。巣から落ちたのでしょうか。親カラス達が心配そうに近くを徘徊していました。これくらい大きくなっていれば、もうすぐ飛べるようになるし大丈夫だろうと判断しました。 緑が濃くなってきて木の葉が沢山茂ってくる頃を見図るように、野鳥たちは営巣タイムに入ります。これから段々バードウォッチングには難しい季節になります。それは鳥たちが子供を育てる季節ということにもなります。自然というのは何てきちんとシステムが出来上がっているのでしょうか。 濃い緑も、葉陰をゆする爽やかな風も、鳥たちの鳴き声も何もかもが自然のうつろいを感じさせます。
2010年05月29日
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昨日、祟られている人二人に施療しました。一人は家重代の祟られ方で戦国時代に殺した相手に祟られて七代限りの祟りで「家」に憑いている祟りなので、私にはどうしようもなく、祟っている相手の人は私の守護霊のお坊様と何だかしみじみ話している始末。 もう一人の方は生霊に祟られていて、何だか首を変な感じに曲げて睨んでいる女性の霊で、「この人は私を無視している」とか言って恨んでいました。念の強い人らしくて一瞬でこんな生霊を憑けてしまったらしいです。ご本人に聞いてみたら最初は思いつかなかったようですが、後になって障害を持った知人の女性がいて、その人からのメールを無視してしまって音信不通にしていたことを思い出されました。私が視たその女性の外見なんかもぴったり同じだったので、その人だろうということになりました。 「障害を持たれた方などは念が強い方が多いのです。貴女は何気なく無視したのかもしれませんが、相手にすればとてもショックだったのだと思います。連絡を取って仲直りしてあげてください。」とお話しました。 そしたら昨晩寝室に何やらおかしな気配が・・・。どうも間接的祟りを軽く受けてしまったようです。般若心経を詠んでから寝ました。後でもう一度般若心経詠んでおこう。施療中もピリピリ悪念を感じて辛かったです。
2010年05月28日
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最近、近くの図書館を利用しています。歩いて15分くらいのところにある玉川図書館という大きな施設です。 一度に10冊まで借りられて二週間が返却期限になります。人気の作家の作品は常に借り出されていて中々借りられませんが、まだ文庫化されていない本で読んでいないものが大量にあることがわかり、少しずつ楽しんで読んでいます。 昔、小学校の図書室に入りびたりで月に十冊近くも借りては読んでいた頃を思い出します。貸し出しカードというのが裏表紙に付いていて、そこに名前を書くのが楽しみだったような気もします。 一時は図書館に勤められたら幸せだろうなぁなんて思って、図書館の司書の資格を取ろうかなんて思ったりしたものです。 でも、自分が本当に好きなものは仕事にしないほうが良いというわけの判らない直感のようなものがあり、それは止めました。大好きな映画や音楽のそばにいたら楽しいと思って、レンタルビデオ・CDの会社に入社しましたが、それは本当に好きなものが「本」であって映画や音楽は二番目・三番目だったからかもしれません。 世の中から無くなって困るもの。それの順位は「本・映画・音楽」という順番なのかもしれません。もちろん、それ以外にも無くなって困るものはいっぱいあります。 「家族」「山」「信じるもの」「自分」・・・・・でも、まぁ何て人と言う生き物は強欲なのだろうと思います。自分の思いをこんなに何よりも最優先させようとする生き物は他にいないのかもしれません。 本を読む・・・それも自分の知りたいという欲望を満たす行為なのかもしれません。
2010年05月27日
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霊視を始めると「子供は苦手だな」というつぶやきが聞こえてきました。彼の前世は江戸時代の漢方医でした。禿頭で、気難しい顔をして薬材をつぶしていました。 彼は子供や女性の患者が苦手。でも、子供や女性にはとても丁寧な診療をし、しかもとても親切でお金が無い患者でも子供や女性の場合はお金を取らずに診察していました。 彼の中で「苦手」という意識は愛情の裏返しのようなものだったようです。深く愛する存在に対して「苦手意識」を持つというのが彼の精神的傾向のようでした。 お話すると現世の彼も同じ精神傾向を持たれているようで、それでも本質はとても愛情豊かな人です。どこかで少し表現方法が歪んだのだろうと思います。こういう人は愛すべき人です。霊視をしながら微笑んでいました。
2010年05月26日
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母が丹精したピンクの薔薇が大輪の花を咲かせています。小さな庭で一生懸命育てていたので、人に見せたくて私の院に飾ってあります。写真をアップしようとしたのですが、容量が大きすぎて失敗してしまいました。
2010年05月25日
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ハワイという島々に日本人ほど惹きつけられている民族はいないかもしれません。 日本の竜脈は西には中国東北部に伸びていますが、東にはハワイまで伸びているような気がします。つまり、霊的に繋がっているポイントがハワイなのではないかと考えられます。 ハワイの「マナ」。そして中国の「(竜の)氣脈」。共に同じ地球のエネルギー流のように思います。そして扇の要のようになっているのが、日本という国のようです。 アメリカと中国という二大国が日本のこれからの命運を担っていくことでしょう。逆に言うと日本こそがこの二大大国の関係の鍵になる国になるはずなんですが、そういう事に気付いていてもきちんとした戦略を持った日本の政治家はまだいないようです。それは、この霊的な組織図が読めていないからかもしれません。 ハワイの古代の人達がよく私の霊視の中に出てきます。まるで日本人の女性たちの魂のふるさとのような感覚を感じることがあります。特に「フラ」と呼ばれる踊りのルーツが巫女的な人達を通じて、日本人の女性たちの魂の奥底と繋がっているのがよくわかります。 ハワイと中国の東北部、この二つに注目していきたいと思います。
2010年05月24日
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人を守護するものたちの姿が一番はっきりとわかるときは、その人が苦しみ悩んでいるときです。 そういうときに霊視させていただくと、大きく包み込むように、もしくは優しく寄り添うようにそばいる「守護するもの」の存在を視ることになります。 孤独な時間だろうと思えるそんな時に、本当は見えない存在が一番強く近くにいて守っていてくれるのだと私はわかりました。 人が苦難に打ち勝てるのは、そういう見えない存在のエネルギーをいかにすばやく自分の中に導きいれることが出来るかなのだろうと思います。そこから、運も開け、打開策も見えてくるのだろうと・・・・。 苦しみ悩んでいるときは「一人なんだ。」と思い込み勝ちですが、本当にそんな時にこそ、見えない守護者はそばに来ているのだと思うべきなのだろうと思います。
2010年05月23日
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子供の頃、近くの松立寺というお寺さんで読経を習っていました。弟と二人で、私は小学四年生くらいだったでしょうか。弟は一年生くらいです。どういう経緯でそうなったのか、全く不明ですが、きっと私達兄弟が習いたいと言ったのだと思います。若い住職さんに浄土真宗のお経のややこしいイントネーションのものを何ヶ月か習っていました。 一通り読めるようになると兄弟で檀家さん廻りもさせられたような記憶もあります。その内に若い住職さんに男の子が出来て、その習い事は終わったような気がします。もしかしたら、子供が出来なかったので跡取りとして考えられていたのか?まぁそんな事もないのでしょうが、その名残で私は今でも立派にお坊さん並みにお経を読むことが出来ます。 霊視の中でやはり浄土真宗の僧侶だった記憶が甦り(よみがえり)、母方にはやはり浄土真宗の寺があるので、何となく私の仏縁は筋金入りという感じもします。 そう言えばいじめられっ子だった私が唯一同級生達に一目置かれていたのは、皆で飼っていたザリガニが集団死したときに私がお経さんを読んだときくらいだったような記憶もあります。小学生が抑揚(よくよう)も正しく、きちんとお経を読めるのは珍しいことだったようです。
2010年05月22日
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霊視をしていると結構頻繁に現れてくる人達です。古代日本の山岳地域に流浪していた部族だと思うのですが、これだけ頻繁に視えるということはきっと私もその一員だった前世があるのだろうと思います。 何しろ山の中に入ると落ち着きます。あらゆる動植物が「おかえり」と言っているような気持ちになります。そして、白川郷の合掌集落の屋内に入ったときのあの超安らぐ感覚は木に包まれる、山の生活という過去世の記憶なのだろうと実感します。 白山という山はとても懐が深くて、観光化されていない登山道が何本かあります。そういう道を歩いていると山の神秘に出会うことがあります。そういうときにデジャ・ビュに襲われます。驚いているのですが、ここは危ないとか、ここは大丈夫とか本能的に理解している自分がいます。山を決して見くびらない自分がいるのも不思議です。これだけ山が好きならどんどん無謀な山入りをしそうなものですが、とても慎重に山を敬っている自分がいます。 山の民の血がこういう私の一部を作っているのは間違いないような気がします。 最近、山に行っていません。近々行って来たいと思います。
2010年05月21日
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子供の頃、町を遊び歩いていました。そういう時に子供が歩く空間というのは、普通の大人が決して通らない空間だったりするんですよね。 お墓の間とか、空き家の中とか、川縁の人がめったに通らない用水路の縁とか・・・。子供だから当たり前に遊びまくっていましたが、今考えると子供だけの空間というものがあったような気がします。 事故にあってもきっと大人達には探しきれないのではないかと思うような空間を動いていました。それが当たり前のように・・・。 今、そんな空間は決して私の目には映ってきません。子供の目線はとても低いから、そんな目線でなければ見えなくなってしまったか、それとも子供の純粋な心で無いとそういう空間への入り口は目に入らないのかもしれません。 どんな場所も怖いとは感じませんでした。何かに守ってもらっていたのか・・・多分守ってもらっていたのだろうと思います。擦り傷や切り傷はしょっちゅう付けていましたが、動けなくなるような怪我は全くしませんでした。高い塀から飛び降りたりいつもしていたのに。昭和40年代の町の中の出来事です。
2010年05月20日
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京都の鞍馬山の大天狗です。お話をしました。彼は蛇神と仲が悪いらしく、蛇神の巫女だった前世を持つ女性が京都に来ることを拒否して何やら妨害工作をしていました。 どうやら、私は天狗様とは相性が良いらしくお話をさせてもらったのですが、古代日本の土着の神である蛇神とどうして仲が悪いのかはわかりませんでした。まぁ、蛇と鳥は相性が悪いものですが・・・・。 彼女の京都での修行は、一時のことなので許してやってほしいと説得して何とかわかってもらいました。このエリアでは一番上位の天狗様なので、彼の了解を得れば他の天狗たちも悪戯はしないはずです。天狗達の悪戯というのはなかなかバカにできない力を持っているものです。 これは霊界の中での、私の妄想の世界での一人働きのようなもので、彼女は何も知りませんし、伝えるつもりもありません。
2010年05月19日
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子供の頃から何度か田植えや稲刈りの手伝いをしたことがあります。 田植えで水を張った田に入るとにゅるにゅるとした泥の感触とヒルに血を吸われた記憶が残りました。 田の土は何代にもわたってろ過された細かな土になっていてねその田の底の土が良い陶器を焼く土になったりするとどこかの本で読んだ記憶があります。 田には神様も妖怪も住んでおられる。日本人の心の元になる場所でもあります。米という字を分解して「八十八回」という漢数字にして、それだけの手間隙と苦労をかけて「米」というのは作り出されるとも聞いたことがあります。 昔は耕運機も田植え機もなかった。除草剤やアイガモ農法なんていうものもなかった。皆、人の手で行われてきた。農具はとても貴重なものだった。田のそばには見守る神様の姿があっただろうと思います。 田んぼのありがたさを忘れてしまって何年経ったのだろう?と日本人として考えてしまいます。
2010年05月18日
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びっくりするくらいに良いお天気が続きます。お日様がピカピカと照り輝いて、風が爽やかに吹きまくって、五月の上天気というやつです。 大日如来というのは仏様の中での中心仏、お日様の化身でもあられますが、この仏様がニコニコと微笑んでいるような天気です。 いつでも人のそばにいてくださる仏様ですが、これほど天におおらかに存在しているのがわかる天気というのも珍しいです。 ありがたい。ありがたい。南無阿弥陀仏。
2010年05月17日
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石川英輔氏の「大江戸シリーズ」の小説を愛読しています。初回の出会いは「大江戸神仙伝」という本だったように思います。 現代の製薬会社に勤めていた経歴のあるフリーライターの男性が江戸時代に転時(タイムスリップ)する能力に目覚めて、現代と江戸時代を言ったり来たりするというお話が基本です。 面白いのは江戸時代の生活の豊かさ、合理性、人々の面白さでしょうか。現代に失われてしまったものが、数多く残っていて「貧しくて、汚くて、せせこましかった」江戸時代なんてとんでもない誤解だということが石川さんの社会描写で詳しく描かれています。 それは島根の松江を訪れたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が見た昔の日本の鄙びた懐かしい風景を思い起こさせるものです。日が昇り働き始め、日が沈むと休んでしまう。人の生活の基本的なリズムが身体と心に見事に沿っていた時代。 潮干狩りに行ってもせせこましく貝をせっせと採るわけではなく、振袖を着てのんびりと砂浜を歩いて楽しむ・・・そんな江戸時代の女性のレジャー感覚というのは優雅なものに感じられます。 医学が今ほど発達していないから、人の死というものがとても身近にあったという悲劇は描かれているけれど、それよりも「生」を謳歌する逞しさが勝っていた時代のようにも感じられます。 エネルギーもそんなに使わず、食品にも何の化学物質も含まれていない。戦争なんてどこかの遠い国の話だというような平和な時代。人の数が少なくて、便利ではないけれどどこか憧れてしまう時代のように思います。
2010年05月16日
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その女性が院に入ってくる姿を視ていたら、女性の姿が重なって視えました。誰かの霊体が就いているなぁと思いました。 施療しながら就いている霊の声を聞くと、「その男からは逃げたほうがいい」とやたら言っているようです。身内で亡くなられた女性の霊なら善意の忠告ですが、そうでない場合は横恋慕の女性の生霊の可能性もあるので、深く関わらないようにして施療を終えました。 その後、ご本人に話しを聞くと身内で年齢の近い亡くなった方はいないとの事。こういう憑く霊魂は人を騙すのが得意だったりするので注意が必要です。それは「生霊」というものがたちが悪いということでもあります。生きている人の思念が固まった霊体は現世のいろんなものに囚われているからたちが悪いです。 彼女の恋愛事情はお聞きしていろいろわかったので、祓うことにしました。久しぶりの九字切りの呪法でちょっと疲れました。雲散霧消しましたが、現世でのこれからの対処のほうが大変かもしれません。彼のほうにも問題があるんだよなぁ・・・・。
2010年05月15日
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また弥勒菩薩を視ました。中国から渡来した弥勒菩薩の坐像を呆けたように見ている仏師の姿が視えました。 彼は仏師であり僧侶でもあるようでした。弥勒菩薩のどこに魅せられたのか、その美しさになのか、その湛えている「未来」の広がりになのか・・・・多分その両方に魅せられたのだろうと思います。 弥勒菩薩は何億年もの未来に衆生を救うとされている御仏です。その深遠なる未来の時間の流れの果てに救われる我が魂を夢見て、人は信仰の対象とするのでしょう。 決して人が見ることが出来ない「未来」という瞬間。その具現化したものが弥勒菩薩なのかもしれません。非人間的なものを感じさせるその御仏に、人は何を感じるのでしょうか。 この霊視の対象者であった女性に対して伝わってきたメッセージは「未来に託しなさい。」という短いものでした。でも、それだけで彼女にはわかったようでした。泣いていました。伝わり、それで彼女の心に少しでも平安が得られたのなら嬉しいことです。
2010年05月14日
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本当に申し訳ないのだけれど、うっとうしいのが営業目的の電話です。施療中にかかってくることがしょっちゅうで、当院は私一人で切り盛りしているので手を止める結果になってしまうのが困りモノです。 その方たちは一生懸命なのでしょうが、当院では販売物は一切置くつもりがないので無駄だし、広告も意外なほど費用がかさむ上に一旦始めたら続けないと効果が無いものなので慎重になります。 特にFAXの自動送信は迷惑極まりないです。三回は必ず繰り返して送られてくるし、機械相手に文句も言えず腹が立ちます。 ナンバーディスプレイにすればいいのですが、これは当院では転送サービスもしているので費用が意外とかさみます。(本当に個人の自営業者は細々と節約しなければならないのです。) 定休日にも構わず掛かってきます。無言で切ってやろうかと思いますが、客商売というのは「敵を作らない」のが基本原則なので丁寧に事情を話して切ります。 営業の皆さん、大変でしょう、頑張ってください。でも、当院にだけは電話してこないでください。(苦笑)。
2010年05月13日
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昨日はお客様に長時間の施療を希望される方がいて、珍しく身体が疲れてしまいました。夕食後、これも珍しくため息なんかをついていたら気にしてくれた家内が娘にマッサージを頼んでくれました。 一応、娘は指圧・按摩・マッサージの専門学校に通っていました。その娘に久しぶりにマッサージをしてもらいながら、「イテテテテッ」と言いながら何だか幸せな気分になっていました。 家族がお互いに身体を触れ合い、施療できる関係というのはとてもいいものです。言葉で触れ合えない部分が身体を通して感じあえるというところがあります。子供が大きくなるとスキンシップというのはほとんどなくなるものですが、どうやら我が家の場合は私が娘や家内に施療する場合もあるし、娘にこうして施療してもらえる場合もあるので、本当に恵まれている関係だなぁと感謝しています。 娘には最後に一言「父、もう少し痩せたほうがいいよ。」とキツイ一言を頂きました。
2010年05月12日
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またテレビ番組のお話です。NHKのヒューマン・ドキュメンタリーで「特別養子縁組」の家族のお話をしていました。 それは色々な事情でどうしても子供が出来ない夫婦が、どうしても自分では産んだ子を育てられない親から子供を頂いて、特別養子縁組という形にして育てていくという内容です。 特別養子縁組という関係になると戸籍上は本当の親子の形になつてしまうのだそうです。そして、子供を貰う方は「無条件」という条件で子供を頂くということになるのだそうです。例え障害のある子が来たとしても受け入れなければならないということです。 番組では三人の子供を育てている家族と、子宮摘出の手術をした三十代の夫婦がこれから養子を貰うというシーンが放映されていました。三十代の夫婦は実の母親と子供に対面して、子供を渡されるのですが、母親はどうしても子供を渡すことが出来ません。そして、受け取る女性も涙を流していました。実の子を他人にあげてしまう・・・その辛さ、そしてその辛さが心からわかってしまう母親になる女性、だけど三ヵ月後そのご夫婦は本当に幸せそうに子供を見つめていました。 渡した実の母親はどんな心の重荷を背負ってこれから新たな人生を送っていくのだろうと思いました。そんな時にもう一組の三人のご養子を育てている家族では長女の12歳の子が産みの母に会いたいと訴えていました。 この養子縁組を取り仕切るNPO団体は里親になる人に子供にはきちんと生みの親が別に居ることを話しながら育てるように指導しているのです。 生みの親には様々な事情があります。結局女の子は会えませんでしたが、小学校卒業と中学入学のお祝いの品と手紙を実の母から貰えて泣いていました。 子供を授かって、いっしょに家族になって生きていく・・・それだけの当たり前のことなんですが、それがどんなに幸せなことなのか改めて思い知らされました。
2010年05月11日
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それは本当だと思っています。水子供養なんていうのは、本義がずれて来てしまっていると思います。亡くなった子供は母親を守護する存在になります。それに感謝し子供のことを忘れませんよという意味での供養が昔はあったのだと思います。 ご先祖様の霊にしても、亡くなったペット達の霊魂にしても基本的にほとんどの魂が現世の人達の幸せを願い、守ってあげたいと思っているのだと思います。 悪戯をするのは、土地に呪縛された哀れな浮遊霊か、「家」の因縁に縛られた家霊とでも呼べばいいような雑霊たちがほとんどです。意味もなく怖がらせる霊能者の方たちがおられるから、一般の人達で誤解している方達が多いようです。 先日霊視した方に就いていた水子の霊などは金色に輝いてあまりに立派な姿をしていたので、大本教の神様と勘違いしてしまいました。 これは言ってもいいことなのだろうと思うのですが、霊に悪戯されるのは現世の人間にも多少の問題があるからです。心が弱っていたり、気力が萎えてしまっていると「幻覚」のようなものを感じてしまうのもあるのだと思います。 全ての事象の原因は「その人の中」にあるのです。自分をしっかりと見極めること。自分を許してあげるのか、叱咤激励するのか、突き放して冷静に見つめるのか、何しろ「祟る霊」などというモノに原因を押し付けないで自分を見つめることが大切だと思います。
2010年05月10日
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GW明けの休日。家族三人で滋賀県へドライブに行ってきました。 まずは因縁の余呉湖へ。娘に天女のはごろもの樹を見せて、「ここでお前の前世の娘は亡くなったんだぞ。」と伝えるも娘は「ふぅ~~ん」とそっけなく流していました。 相変わらず余呉湖は静かで綺麗な湖面を湛えていました。 観光市場のようなところで鮎の佃煮やらさばのなれ寿司やらを購入し、賎ケ岳リフトへ。 ここは古戦場として有名で、しかしながらリフトで頂上へ登ると眺望が素晴らしいらしいのでピックアップしてあったので麓のわかりにくいリフト乗り場を探して三人で頂上へ向かいました。リフトを降りて300Mほど歩いて登ると噂どおりの素晴らしい眺望でした。琵琶湖の大きな湖面が広がり、遠くには竹生島も見え、反対側には余呉湖が見え、もう一方には滋賀の平野も望めました。 ここでは武士の魂もふらふらと漂っていましたが、娘と家内の強い生気に当てられて近寄ってきませんでした。 その後彦根市へ移動。キャッスルロードという彦根城の近くの商店街で近江牛の昼食を食べ、彦根城を見学しようと思ったら、駐車場が満杯で断念。帰ろうかと思いつつ走っていたら多賀大社が近くにあることに気付き、大社へ向かいました。 思っていたよりも大きくない神社にちょっと驚きつつ、お参りをし、御札を購入し、神様にご挨拶。何だかここの神様は大きくて広い存在なんだけれど、希薄な感じがしました。時代が経ちすぎて、ここに居る意味を無くしたように感じました。 天気が良くて、風が爽やかで、心地よい旅になりました。
2010年05月09日
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私は強烈な雨男です。最近は少し弱くなりつつありますが、母も雨女なのでいっしょに外出すると必ず雨が降っていました。 家内は強烈な晴れ女です。娘は微妙な晴れ女です。だから家族三人で出かけると晴れます。母が入ると雨か霧になります。 今日は家族三人で出かけます。晴れたようです。でも、最近私は風男の感もあるので風が強くなるかもしれません。
2010年05月08日
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その方の霊視を始めると洪水の後に、父母と許婚を亡くして泣いている娘さんの姿が視えました。そして視ているとダブダブの服のようなものを纏った神様のような存在が現れて、彼女に道を示し手を引いて歩いていきました。 施療後に彼女に話すと「水害で愛する人を亡くして・・・」と話した途端に「そう!そうなんです。」と堰を切ったように話し始められました。 以前長い間お付き合いしていた方をふとしたことから突き放して別れてしまい、気になりつつ過ごしていたら、その方が釣りに行って高波にさらわれて亡くなられたそうです。そして、彼はいつもダブダブの服を着ていたそうで・・・。 彼が亡くなられてまだ四十九日も済んでいないそうなのですが、彼が彼女のそばにいるのは間違いないようで・・・。開高健さんの釣りの本を私が手に取ったのも彼がそばに来ていたからかもしれません。 彼女のそばには彼の魂がいて、ずっと守っていってくれるようです。優しい人だったのでしょう。ずっと彼といっしょにいれば・・・それでも前世の因縁で結局彼は水の事故か災害で亡くなる運命だったのでしょうか?それは誰にもわからないことですが、常に愛する人は精一杯愛することが大切なのだと感じました。
2010年05月07日
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開高健さんの「オーパ!」という本をまた読み直しています。開高さんは私の崇拝する作家の一人です。文章の緻密さ、流麗さ、そして生き様の見事さが人を魅了します。 「オーパ!」というのはポルトガル語の感嘆句です。ブラジルでは誰もが驚いたり感心したりするとこう叫ぶのだそうです。この本は開高氏がブラジルのアマゾン河を中心にして動き回った「釣り紀行」の内容と素晴らしいブラジルの風景写真がいっしょになったドキュメンタリー本です。 いつ読んでも楽しく、内容が深いので時間を忘れさせてくれます。本の中で開高氏は暇つぶしに「シャーロック・ホームズの帰還」なんていう本を、アマゾンを遡る船の甲板でハンモックに寝そべりながら読んでいます。 あぁ、私もアマゾンで釣りをしながら旅してみたい。 「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。 三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。 八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。 永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。 中国古諺 」 (オーパ!より抜粋)
2010年05月06日
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よい季節になりました。暑くも無く、寒くも無く、心地よい風が吹いています。まだ煩わしい虫たちも発生していなくて、窓を開け放つと爽やかなだけの風が吹き込んできます。 草花も芽吹き、咲き誇りつつあり、緑も徐々に濃くなりつつあります。もうすぐ梅雨が来て、夏になる・・・私の苦手な夏がやってきます。冬よりも夏が苦手です。この晩春の季節に夏を思うと、気だるくなつてしまいます。 子供の頃は毎日小学校のプールに通っていたものです。水の中が気持ちよくて気持ちよくて、その頃は冷房なんていうものはありませんでした。耳の中に入った水を熱いコンクリートに押し当てて取ったりしていたものです。 あの頃は「夕立」なんていうものがきちんとあって、「熱帯夜」なんてほとんど無かったものです。夜は遊びつかれてぐっすりと眠ったものでした。 今年の夏は海水浴に行きたいものです。海の水に一度浸かっておくと不思議と風邪を引きにくくなるものです。 でも、今年の夏はアイスランドの火山灰のせいで冷夏になるかもしれませんね。取り留めの無い話になってしまいました。
2010年05月05日
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シンクロニシティも時々とんでもない形で現れることがあります。村上もとかさんが描く「仁」という漫画の最新刊を読んで、坂本竜馬が殺されるシーンを見た後で、霊視をしていたらそっくりの殺害シーンを霊視してしまいました。 う~ん、こういうのはあまり視たくない。こういう殺人事件の因果というのは暗い結果しか現世で及ぼさないから困りものです。この場合は殺人を犯した人は本当に殺したい人を大切な人がかばってしまい、大切な人のほうを誤って殺してしまう結果になってしまいました。こういう結果は人の意思でどうこうできるものではありません。 交通事故のようなもので、不可抗力で起きてしまう場合もあるものです。大切なのは、その後にどう対処していくかということだろうと思います。罪をきちんと償い、反省し、そして済んだことは済んだことと認識して、自分を許すということも考えなければ物事は停滞し、因果はますます混乱していきます。渦中にいる人にとっては何が何だかわからないような状況にもなるでしょうが、負のループはそこできちんと断ち切るべきなのです。
2010年05月04日
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最近来院される方の抱えている問題が「重い」です。以前から重い問題の方は大勢おられたとは思うのですが、最近は特に何だかズシリと感じてしまいます。 身体の痛みや不都合もこじれている場合が多くて、他のマッサージ店で強く揉まれ過ぎて神経を痛めてしまったり、何十年も我慢してきた腰痛だったりして、そう簡単には治り切らないものが多いです。 お灸が使えれば治すのも短時間で済むはずなんですが、如何せん私には国家資格が無いので使うことが出来ません。使うことは出来ないのですが、お灸の腕は相当なもので(自分で言うのも恥ずかしい限りなのですが・・)指圧というか楽圧を十年以上やっているとお灸をするツボが簡単にわかるようになるんです。身体に触るとココダと身体が教えてくれます。 心や精神的な問題も重いものを抱えておられる方が少なからずおられます。問題解決のためには霊的に相当深く探り、しかも確認を繰り返して自分自身の霊視力を研ぎ澄まさないとダメなので、自信喪失を繰り返してしまいます。あぁ、自分自身が「重く」なっている・・・軽くならないとダメだなぁ。心が自由でないと霊視というのは正確に出来なくなるものですね。
2010年05月03日
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壁に伝わっている蔦の葉の影に何かの存在を感じたりします。蕗の葉の下の人達と言えば、コロボックルたちのことなのですが、葉陰に何かの存在を感じることがあります。 町の雀たちが街路樹の下の茂みに隠れて餌を食べている姿を見るときに、こういうさり気ない隠れ家の中に何かの存在を感じることもあります。 霊界から現実界を視る場合、その「窓」はこういう葉陰にあるのではないかと思ってしまいます。草葉の陰より・・などと言う言い回しが昔からありますが、霊的に敏感だった昔の先人達はそういうものを感じ取っていたのかもしれません。 木陰に入ると安らいだ気持ちになりますが、あれはもしかしたら何となく半分霊的な感覚を魂が感じているからかもしれません。
2010年05月02日
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自由な国に住んでいます。何をするのも自由だし、何を話しても書いても読んでも自由です。そうでない国がそばに幾つもあります。そういう国で暮らしている人達ってどんな気持ちなんだろうと思います。 日本という国に夢と希望が溢れているとは思いませんが、それでも平和と自由というものがふんだんにあるということだけは確かだし、ありがたいことだと思います。 自由というのは空気と同じでいつも周りにあるときは何気なく思っているけれど、無くなった瞬間にその大切さを骨身にしみて感じるものなのだろうと想像します。 アメリカ大陸とヨーロッパ大陸、そして日本。かろうじて平和と自由と繁栄が約束されている地域。それ以外の地域には不自由と戦争と貧困が蔓延っています。地球全体が統一されて皆が平和と自由を少なくとも手に入れられる日というのはいつか来るんでしょうか?
2010年05月01日
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