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半村良さんの小説「ガイア伝説」というのを読みました。この中に気になることが書いてありました。 地球のあらゆる地域で起きていることは全て連動しているということです。例えば、中国から春先に飛んでくる「黄砂」というのは遠くハワイまで飛来すると言います。それと同じように植物が飛散させる種子や特殊な物質は世界中に飛び散ってその情報を伝えていると言うのです。 つまり、植物には種を進化させて翼のような機能を備えさせてより遠くへ飛ばすものがいますが、より遠くへ飛んだ種の情報を母体である木が知らなければ進化させることはできません。という事は、木には遠くに飛んだ種からの情報を受け取る何かの手段を持っているという事になるのだそうです。 同じように植物達は人間にはまだ理解不可能な手段で遠くの植物に情報を送る何かの物質を飛散させているのだろうと半村さんは考えたようです。これは現実に世界の科学者の一部も考えている理論のようです。 そして、今、世界の植物達は人間によって虐げられています。枯葉剤の大量散布によってベトナムの森林は死に絶え、アマゾンでは大量の森林消滅が続いています。彼ら植物達が世界に撒き散らしている何か特殊なホルモン物質が「いじめられている、虐げられている」という情報を世界にばら撒いていて、それに感応した子供たちが悲惨な「いじめ」という行為に走っているのかもしれないと半村さんは本の中で言っていたようです。 私も何か同感する部分があります。ガイア理論というのは地球を一つの生命体と考える理論ですが、人は自分で自分の首を絞める行為を続けているのかもしれません。 因果応報という言葉の意味も深く考えなければならないのではないでしょうか。
2010年06月30日
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私も実は一年ほど前に五十肩という症状になりました。腕が上がらなくなり、下着や服が着にくくて、夜寝ていても下になった肩のあたりが痛かったりしました。 これは身体の中性脂肪やコレステロールの増加が原因のようです。私もこのとき中性脂肪が異様に増えていました。 男性は五十歳くらいになったときに、やはり基礎代謝量が減るのだと思います。それなのに、相変わらず三十代くらいの食欲で脂っこいものをバリバリ食べていると中性脂肪やコレステロールが知らないうちに増えて、肩周りの関節の周辺に乳酸やら何やら動きを阻害する物質が付着していってしまうのだろうと推測されます。 私は、すぐに脂肪を減らすサプリメントを飲み始め運動をして食事制限をして体内の脂肪を極力減らしていきました。すると五十肩はみるみる解消されていって、今では何ともありません。 人の身体というのはきちんと警告を発してくれるように出来ているようです。わかってみると五十肩という症状は身体全体から伝えられた大切なメッセージだったようです。
2010年06月29日
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タイの生まれの女性の方が不思議な話をしてくれました。その方がタイの田舎のほうに泊まったときに、日本兵の亡霊が出てきたそうで、「私が日本へ帰りたいので貴女を日本に行けるように手配します。」と告げたそうです。そして何ヶ月後かに彼女は奨学金制度に選ばれて、日本へやってきたそうです。 彼女に連れられて日本兵の魂は日本へ帰ってきました。私が霊視したところでは彼の故郷は滋賀県のあたりだったようで、彼女は大阪へ上陸して滋賀県の施設へ入ったそうです。 戦地で亡くなられた日本兵の遺骨はまだ数多く外地に残っています。彼らは魂だけでも日本へ帰りたいと願っているのでしょう。 彼女はこちらで高野山の僧侶に日本兵の魂を呼び戻す祈願をしてほしいと思っているようです。確かに高野山ならそういう外地の魂を引き寄せる力があると思います。ぜひ、彼女に高野山に赴いてほしいものです。彼女の「氣」の道を通じて多くの日本兵が帰還できるはずです。 戦後はまだまだ終わっていないようです。死後の世界について少しでも知識を得ていた人なら魂になってすぐに帰ってこられたでしょうが、そういう知識もなく物質主義に縛られていた多くの兵士は遺体と共に、まだ戦地に縛られたままなのでしょう。痛ましいことです。
2010年06月28日
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大学のときに剣道部に入りました。仲の良かった友人がテニス部に入り、私もフラフラと生まれて初めてのスポーツ部に入ってしまいました。それほど運動神経が良いわけではないので、そんな上達もせずに一応初段の認定だけは受けました。 それよりも部の仲間たちとの交流が楽しかったです。飲み会や合宿や他校との交流試合なんかもあって、そのときの友人や先輩とは今も年賀葉書だけですが交流は続いています。 町の道場主というおじいちゃんに稽古をつけてもらったときは、初めて「威圧」という言葉の意味を肌で感じました。私達より全く動きは鈍いのに打ち込めない迫力が身構えると迫ってきました。 後輩の中に「天文台に勤務したい」と夢を語っていた奴がいました。純粋な奴で勉強も出来る子でしたが、彼の夢は叶ったのだろうか?少しだけ気がかりです。 現代の剣道は「速さ」が勝負の分かれ目になっている部分が半分ほどあります。もちろん後の半分は精神面や技術の鍛錬が含まれているのですが、太刀行きの速さは高校生のほうが大学生より速いかもしれません。時代小説の中の剣術の世界は、現代剣道には無いのかもしれません。
2010年06月27日
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看護師さんを霊視したら、背後にそんな人の姿が視えました。月の光が煌々と差していて、それなのにその人には影が出来ません。 あぁ、亡くなられた人なんだなぁと思いました。何故、こんな形で視せてくれるんだろう?・・・あぁ悲しすぎる「死」だったんだなぁ・・そう伝えたかったんだ・・・でも生きている人達を呪ったり恨んだりするつもりは無いんだなぁとも感じました。 その看護師さんはターミナル・ケアの部署におられるとのこと。亡くなられる方が数多くおられるのでしょう。それでも彼女は誠意を持って接しておられる、愛情を持って接しておられる、だから誰もが未練を持たずに亡くなられていくようです。 月の光に影が映らない人達。悲しい死者の方たち。美しい姿でした。
2010年06月26日
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今朝、変な夢を見ました。税理士をしている従兄(十歳以上年上)の運転する車でどこかへ向かおうとしていると、何だか山道を変な風に迷っていってしまって、立ち往生してしまった。 そして、どこか神社か寺院のような大きな建物の中に紛れ込んでしまう。そして、そこの主のような人物(?人ではないような気がする)にこう言われる。 「そのような能力を持っているのに、修行をして伸ばさないのは勿体無い。ここで修行をしてみないか?」何だか舞台は「千と千尋の神隠し」のような感じの場所に感じられた。 嬉しいような、不安なような不思議な気分だったけれど、気持ちは高揚しているように感じられました。何かの存在から伝えられてくるメッセージのような感じがしました。 そして、近くの繁華街から聞こえてきた「サッカー!!ニッポン!!」という歓声で目を覚まさせられました。どうやら日本チームが勝ったらしい。
2010年06月25日
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前世で中国の皇后の専属の医者をしていた女性を視ました。皇后は「老い」をとても恐れていました。医者に命ずることは自分を若く美しいままに保つ方法を研究することでした。 その皇后付きの女官の一人に年を取っても若く美しいままの女性がいました。それで医者はその女性と皇后のあらゆることを比較研究したようです。 結論は「美食」と「粗食」でした。皇后は身体に良いと言われる美食を制限なく摂り続けていました。それに比べて女官のほうは禅宗の僧侶が食べるような粗食を続けていたのです。 消化器官というものも年を取ります。贅沢な食事を続けていることで皇后の消化器官は内部から老齢化していっていたわけです。それに比べて女官の消化器官は食事の量自体も少ないので若いままに保たれていたわけです。 皇后はそれを聞かされて美食を止めたのかどうか、多分一笑に付して食べ続けたように思います。
2010年06月24日
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また何か禍々しいもの(まがまがしいもの)に憑かれている女性を視ました。 カラス天狗のようにも視えるし、若い男性のようにも視えました。これは彼女が以前付き合っていた男性の中に天狗系のあまりたちが良くない人がいたんだなぁ・・・その男性が彼女に恨みというか未練を持っているんだろうなぁ・・と推察されました。 幸い私の守護神の方は天狗系とはお話がしやすい神様なので、そちらから説得してもらって離れてもらいました。 男の未練というのは・・・・どうしょうもないものですね。天狗系は性質的にはしつこくないはずなのですが、とりあえずまたやってくると彼女が迷惑なので護符を渡して部屋に貼っておいて貰うことにしました。 彼女の前世は京都の芸者さん。その時代にも鞍馬辺りの天狗様に懸想(けそう・・思い憧れること)されたことがあるようです。 天狗に好かれる魂なのでしょうか。面倒なことです。 ちなみにカラス天狗にも性質の良いのと悪いのがいます。
2010年06月23日
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勝手な独白(独り言)なのですが、今の住まいは鉄筋コンクリート造りの四階建てのビルで、三階と四階が住まいで二階が職場というか整体院になっています。一階には母が住んでいます。 でも、私の理想の住まいは木造の家です。それも古い日本家屋が好きです。土間があったりするとなお良いです。屋根まで続く吹き抜けがあって、太い梁や大黒柱が黒光りしているような家に住みたいと思っています。そういう家をリフォームしてきちんと断熱処理をして、バリアフリーにも出来るだけして、そういう家に住みたいと思っています。 畳と木に囲まれた生活が一番落ち着くように思います。日本人の魂に染み付いた記憶のようなものがあるせいでしょうか、植物に囲まれているとホッとする心があります。 住まいにはこれまであまり恵まれてきませんでした。いつか、自分の理想の住まいに住んでみたいとは思っていますが、この建物は母が生涯を掛けて建てたものなので、母が生きている間は引っ越すことはできないだろうと思います。 しかも家内は自然の中の生活などは決して出来ない町育ちの女性なので、私の理想の田舎暮らしなんて夢のまた夢のような感じです。 でも、いつか。
2010年06月22日
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その方の前世を霊視すると追い詰められたような感情が襲ってきました。何か恐ろしいものが攻めてくるので大急ぎで逃げ出さなくてはならないという感覚でした。 周りが視えてくると、今のイスラエルあたりの国のようで彼はユダヤ人でした。オスマントルコが攻めてくるので大急ぎで国を脱出してアフリカのほうに逃げていかなくてはならないという状況のようでした。 彼らユダヤ人はそれから何百年も何千年も放浪の民族となるのです。今はイスラエルという自分達の国を持つことが出来ましたが、それでも国の内部にいろんな問題を含んでいます。 彼らは知的で商才に富み、アメリカやヨーロッパで大きな権力を握っている民族ではありますが、それは自国を持たずに世界を放浪してきたことで鍛えられたものでもあるのでしょう。 そういう人種の前世を持って日本に生まれたという彼は何をしなければならないのか?どんな運命を担っているのか?興味があるところです。
2010年06月21日
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以前、院に来られた女性に「もうすぐ赤ちゃんが授かりそうな気がします。」と告げたそうで、告げた本人はもう忘れていたのですが、ご本人が「おっしゃったとおりでした。」と赤ちゃんを抱いて友人の方と二人で訪れてくれました。 霊視するといつものようにご先祖様のお一人が守護霊となって守っておられました。赤ちゃんを出産するとしばらくの間ご先祖様の一人が守護する形で就かれるのが普通のようです。 この方は彼女の父方の曾おばあちゃんらしいですが、「この娘(母親)はまだ母親としての自覚が無さ過ぎる!」と文句を言っておられました。「父親も他人事のような感じで、困る」とも。どこの両親も子供が生まれた直後はそんなものですよ、と言ったのですが、彼女(その守護霊)の時代にはそんなことは無かったようです。 時代によって人の意識というのは変遷するようです。昔の母親というのは産んだ直後から母親としての自覚と仕事を心得ていたようです。それは、今よりも医療技術も進んでいないし、子供が大切にしかし、即働き手としてあてにされたような時代だったからかもしれません。 それでも、どんな時代にもお母さんに成り立ての人にはこうやって霊界から強力な守護が就くように決められているんだなぁと自然の摂理のようなシステムにいつものように感心してしまいます。
2010年06月20日
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江戸時代に憧れがあります。今のような「消費社会」ではなくて完全な「リサイクル社会」だった時代です。 その当時、照明というのは良くて蝋燭(ろうそく)の光りでした。行灯(あんどん)の灯りなんてとても弱くて、部屋の四隅には「暗がり」が存在していました。 そういう暗がりには人は何かが「いる」と思ってしまったのかもしれません。自分の家の中に夜になると別の存在がいるかもしれない空間が存在するわけです。 でも、何だかそういう暗がりがある暮らしに憧れてしまいます。薄闇の中に人は何を視たのでしょうか?病気の原因も今のようにはっきりしなかった時代ですから、そこに病魔の姿を視たのかもしれません。治安もそんなに良かったわけではなかったですから、悪党の影を視たのかもしれません。 でも、今の室内照明のくっきりはっきりした明るさの中にある夜の生活は何だか味気ない気がします。 部屋の中にホタルが飛び込んできても、現代ならホタルと気付かずに殺虫剤を掛けてしまうかもしれません。 薄暗がりの中、ホタルの光りを楽しみたいものです。
2010年06月19日
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タオ療法というのは遠藤喨及先生が創始した指圧法で、心と身体を同時に癒す癒しの技です。 私は根性がなかったので、途中までしか学べませんでした。しかし、この療法は難病を癒す力を持っています。これは本当です。その技の一部はスピリチュアルな世界にも伸びていて、私はそちらに特化してしまった形ですが、本格的にこの技術を習得された方に施してもらえれば、いろんな症状が緩和されると思います。 最近、このタオ指圧の公式ページを覗いたら施療所が開設されていました。東京と京都にもあるようです。もし、受けてみたい方がおられましたら予約制ですので、電話して行って見て下さい。大げさな言い方ですが、世界の一流の技が体験できるはずです。 ホームページのアドレスはhttp://www.taoshiatsu.com/jp/です。
2010年06月18日
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その場の「氣」が澄んでいると拍手の音はパンと響いてそこら中に鳴り響きます。 何か不純なものが潜んでいたりすると拍手の音は濁った打音になってしまいます。 人が両の手で鳴らす音。こういう音に「神氣」というのは反応するものなのですね。 力士が踏みおろす四股の足には地を清める力があったとのこと。 人はあらゆる生き様で自然や宇宙と繋がっているものなのですね。
2010年06月17日
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梅雨に北陸も入りました。梅の雨と書いて梅雨。確かに梅干も腐りそうな雨と熱気が襲ってきます。 でも、この雨が無いと農作物も自然の草木も育たない。迷惑するのは人間だけ・・というところです。いやいや人間もこういう自然のサイクルを体の中感じて生きているのかもしれません。 子供の頃の梅雨の印象はその時その時で変わっていったものです。小学生くらいのときは一瞬で通り過ぎて楽しい夏休みが到来・・だったし、中高生くらいだと何かアンニュイな心持になって井上陽水の「傘が無い」なんかを聴いていたものです。 今の年齢で感じる梅雨は「眺める雨」という感じかな。身体に降りかかる雨の感触を遠い過去に置き忘れてきてしまったような年齢になりつつあります。 でも、私の魂の一部には龍神系の感覚もあるので「水」の感覚をにやにやしながら楽しんでいる部分があります。雨は嫌いではないです。 雨が降って山肌を覆いつくす杉林から木々が呼吸する雲霧が立ち昇る姿を見ていると、鳥肌が立つくらいに「神」を感じます。大きな存在が呼吸する姿というのは「神「に近い感触わ人に与えるもののようです。 私の好きな梅雨の季節です。
2010年06月16日
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一度だけ出会った人でもその顔をはっきりと思い出せる場合、その相手というのは「氣」の力が強い人間だということはわかっています。 顔が思い出せない人というのは「氣」の力が普通か弱い人というわけです。そういう意味で言えばテレビに出ている俳優やタレントやミュージシャンなんていう人種の方達は全て「氣」の力が人より優れているわけで、しかも印象が良くなければダメなわけだから随分と特殊な人達なのかもしれません。 「氣」に携わって生活しているとそういう他人の「氣」を計るのが癖のようになってしまいました。 自分自身の「氣」との相性も何となく感じるようになります。やはり、「氣」の相性が良いと施療もスムーズに進みます。 何しろ「氣」というのは一人ひとりの人の「個性」というか「魂」の色というか力の程度を明確に表しているもののようです。「氣」が正確に読めれば、人と話さなくてもその人の何がしかがわかるような気がするのは私の驕りなのかもしれません。
2010年06月15日
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妖怪っぽい人達っていますよね。私は滅多にあったことはないですが、一生のうちに何度かそういう人達が周りに集まってくる時期があるものです。 「逢魔が時」とでも言えばいいのでしょうか。私はそんな時はそういう人達との交際を楽しんで流すようにしています。嫌っても近づいてくるものですし、楽しんでいるといつの間にか流れ去っていくものです。 自分自身の中にそういう類のものを呼び寄せる「氣」のようなものが出来ているのだろうと思います。 超個性的な人達。妖怪○○と呼んでも構わないような人達。時々いるものです。
2010年06月14日
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恥ずかしいお話ですが、私の父の家系は頭頂部の毛髪が薄くなる傾向があり、私もその傾向が見えてきました。みっともなくなったらいっその事スキンヘッドにしてしまおうかと考えていたのですが、TVのCMで爆笑問題が頭髪の悩みはお医者さんでと言っていたので近くの皮膚科のお医者さんへ行ってみました。 すると「プロペシア」というお薬を処方されました。これは前立腺の治療に使われていたお薬なのですが、その副作用として頭髪の抜け毛を防ぐ効果が発見され、こういう治療に使われるようになったものでした。半年間毎日一錠ずつ服用していたら、本当に抜け毛が減って薄くならなくなりました。 ただ、この治療は自由診療という部類に入り保険が効きません。そしてオープン価格というかお医者さんによって代金が違ってきます。最初の皮膚科では一か月分で一万円近くかかっていました。今は、ネットで調べてもう少し安いお医者さんに行って施療を受けています。 施療と言っても「プロペシア」というお薬を処方してもらうだけです。毛生え薬ではないのですが、毛髪が薄くなる男性(女性もかな)にとっては幸せなことです。 ちなみに副作用は全く無い薬ですが、前立腺ガンの検査をした場合に異常を知らせる数値が半分になるので、その点だけは注意が必要なのだそうです。こういう医療技術というか薬についての新発見はこれからまた色々と出てきてくれるといいのですが。
2010年06月13日
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お年寄りに「長生きしてくださいね」とよく言いますが、もう一言付け加えたほうが良いように思います。 「健康で長生きしてくださいね」ですね。 病気や怪我で不自由な生活であれば長生きしても何の楽しさもないように思います。生きている間にどうしても陥ってしまうのが、病気や怪我の類です。こういうものからなるべく自分が遠ざかって生きていくのに必要なことは「工夫」と「愛情」なのだろうと思います。 自分の体質や性質をよく把握して、自分に合った食事や運動を「工夫」して生きていくことが大切だろうと思います。辛かったり、痛いところがあったりすれば生きていくのが楽しくなくなりますものね。 そして「愛情」は自分に対してではなくて、周りに対して与えていくことが大切だろうと思います。それがいつの間にか自分の生き方を温かく支える環境を作り上げていくことになるはずですから。
2010年06月12日
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亡くなった人を思うということは大切なことだし、魂の浄化にもなることなのですが、例えば事故で急死したような人を身内で無い人がいつまでも思って泣いているなんていう状況は亡くなった人の魂にとってねどんなものなのだろうか?と思います。 事故で急に亡くなられた場合、身内の方達は皆、途方に暮れて心も穏やかではないだろうしご本人の魂もパニック状態だろうと思います。 こういうときにお葬式や四十九日の法要などの行事は遺された人達の心を安定に導く良い処方箋になります。 身内の方達はこれで少しずつ穏やかに落ち着いていかれます。 ただ例えば恋人が急死したりしたら女性はいつまでも亡くなった男性の思い出に浸り、いつまでもその魂を自分のそばに置いておきたいと願ってしまうものなのかもしれません。 しかし、それは亡くなった人の魂にとってはとても辛いことのようです。生きている人の思いに引き付けられて成仏できない状況に陥ってしまうことにもなりかねません。 辛いことですが、他人であるならば早く亡くなった人のことは忘れて新しい一歩を歩みだしてあげることが大きな供養になるのだろうと思います。
2010年06月11日
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私と同じ職業の人達に氣を吸い取る体質の人達がいることに気付きました。 その人達を施療した後、何かいつもと違う疲労感があり、すぐに「氣が吸い取られた」とわかりました。 私と同じ仕事ということは人の身体に触っているわけだけれど、そうしながら氣を吸い取っているということは施療されている人達はいつのまにか元気を無くして行っているということだから・・・これは迷惑だろうなぁ。 この人達は自分では「氣」なんていうものに関心もなく仕事を物理的にこなしているだけらしいから、自分達がその仕事によって「お金」と「氣」の両面で助けられていることなんて半分気付かずにいるわけです。 知らないうちにそういう仕事を本能的に選んでしまったのかもしれません。そのくせ身体はがたがたになっていました。病気を幾つも抱えていました。という事は、そういう形で人の「氣」を吸い取るのは「悪い邪気」もいっしょに吸い取っているということでもあるのかもしれません。 それなら功罪相半ばというところです。それにしても「知らない」ということは大変なことです。 私は恵まれています。「氣」の存在に気付かせてもらいましたから、邪気をどう処理するかということもいつのまにか勉強して、身についていました。だから、この仕事を何年もやっていても健康でいられるようです。ありがたいことです。
2010年06月10日
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昨晩は当院のお客様でもある女性のチェロのミニコンサートが近所の喫茶店の二階のミニホールであって聴きに行きました。 コンサート内容は サン=サーンス 白鳥 J.Sバッハ 無伴奏チェロ組曲第四番変ホ長調 J.Sバッハ フランス組曲第五番ト長調より A.ドヴォルザーク チェロ協奏曲op.104より第二楽章 A.ピアソラ ル・グランタンゴ でした。三十人限定の(というかそれだけしか入らない)小さなホールでしたから、チェロの音に囲まれてしまうようなコンサートになりました。 彼女を霊視したときには彼女のことは何も知らなかったのに宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」の情景が視えてきて、彼女がチェロと関連していることがすぐわかってしまいました。彼女も驚いていたようです。それから何度か施療に来られています。彼女を霊視するといつも童話のような世界が視えます。音楽家の霊的な世界というのは、こんなものなのか?それとも彼女が独特なのか? 昨日の演奏会も彼女の温かくて純朴な人柄が溢れているようなものでした。演奏家というのは演奏にもよるけれど、人柄でも人を惹き付けるものなのかもしれません。
2010年06月09日
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彼女の霊視を始めると木の格子ごしに座っている和服姿の女性が視えました。彼女は座敷牢に閉じ込められて生活している女性のようで、とても高貴な身分の女性のようでした。 しばらく視ていると段々事情が視えてきました。彼女はさる大名家の姫君です。彼女は年頃になり家臣の御付の男性と恋仲になりました。しかし、姫君ですからそんな恋が許されるものではありません。 その内に政略結婚まがいの結婚話になって某藩へ嫁ぐことになりました。そこで嫁いだ先で彼女は狂ったフリをしたわけです。錯乱した状態を装い実家である藩へ差し戻される形になりました。もちろんそれで本当の恋が実るわけではなく、狂った姫君として一生幽閉されて暮らすしかしょうがないわけです。 でも、彼女は全く後悔していませんでした。自分の思いを貫いたわけですから。一生狂った女性を演じて過ごしていました。自分が好きだった男性の前でもその仮面を外すことはありませんでした。 現世の彼女に対するメッセージ。「自分の思いに正直に生きなさい。そうすることが唯一後悔しないで生きられる道なのだから・・」
2010年06月08日
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その方の前世は死刑場で死刑囚の世話をする役目をしていた囚人でした。ただ、坦々と死刑囚の世話をして死刑にする日になったら刑場に連れてきて、木の十字架のような磔台(はりつけだい)に乗せて、下から槍で突き刺して殺す・・・そのとき形ばかりの「南無阿弥陀仏」を唱える・・・その繰り返しの人生でした。 自分の身体はモノのように感じ、人の死も無駄なものに感じ、信仰心など全くなくて、意味のない日々を過ごしていました。 その時に彼女が現れました。とても綺麗で穏やかな雰囲気を持った囚人で、それに心惹かれた彼でしたが、世話をしているうちにどう考えても彼女が濡れ衣の罪を着せられて死刑囚になったことがわかりました。 それでも彼女は坦々と死刑になる日を待っています。そして、彼女は彼に信仰を持つことの大切さを何気なく教えていきました。仏様の広大無辺な愛情のお陰で自分も心穏やかに誰を恨むこともなく生きてこれたことを伝えていきました。 彼の心の中に何か温かいものが芽生えて行きました。そして、彼女の死刑実行の日。彼は彼女の腹に槍を突き刺しながら、心の底から初めて「南無阿弥陀仏」と名号を唱えていました。 彼のそれからの人生は仏様と共にある惨めだけれど豊かなものになっていったようです。
2010年06月07日
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暑くなってきたので住居の窓にすだれを付けました。私の家は一部四階建てのビルですので、すだれはサッシ枠の外側に器具をつけて吊るします。 すだれを通して外の景色を見ていると、何だかあの世からこの世を見ている気分になります。こちらからは決して見えないけれど、あちらからはこんな風にこちらが見えるのかもしれないという感じです。 明るい光に満ちている外からは暗い室内があるこちら側はすだれによって暗くなっていて見えません。でも暗い室内からはすだれの「外」ははっきりと明確に見えるようです。 すだれを吊るすと夏がやってきた気分になります。お盆にはまた、あちらの世界と近くなります。皆、こんな風にこちらを見ているんだろうなぁと思いました。
2010年06月06日
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今日は百万石祭りです。市祭ということで、毎年雨が降るので有名なお祭りですが、今年は晴れるようです。 でも大名行列というイベントが当院の近くの大通りを通過予定なので、お客様が大迷惑。皆さんお祭り渋滞等を避けて今日の午後は予約が入っていません。開店休業というところです。 閑話休題。 先日お客さん(男性)の霊視をしたら、青白い柱のような人影がそばに視えました。「お兄ちゃん、あぶない」とか何とか言いながらそばで守っているような感じが視えました。 施療中に聞いてみたら来る前に自宅で妹さんにぶつかられて戸に身体が挟まったそうで、「妹の奴、謝りもしない!」と怒っておられたが、妹さんの生霊が心配して就いていますよと教えてあげた。 仲の良いご兄妹のようです。
2010年06月05日
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人の中にはどんな人にも必ず「宝箱」が仕舞われているのだそうです。 先日の霊視の中で霊界から告げられたことです。 宝箱の中身はその人の「才能」や「夢をかなえる力」なのだろうと思います。 どんな人もその宝箱を心の中に抱えて生きています。その箱の前で何が入っているのか期待と不安の中で開くことに躊躇(ちゅうちょ)する人がほとんどかもしれません。 もしくは、こんな箱どうせ空箱だ!とひねくれてそっぽを向いてしまっている人もいるかもしれません。 でも、どんな人にもその「宝箱」は与えられているんです。それを信じて何かを為そうとするときは勇気を持って、一歩を踏み出すべきなのだろうと思います。 開けないでいる・・・そのことが一番良くないことです。開ける工夫をする、開けて中身を使い切る、そういうことをしていくべきなのだと思います。
2010年06月04日
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昨日の休日。久しぶりに山の緑に包まれたいと思い、白山麓へドライブしてきました。 最近、熊の出没が多いのでホームセンターで熊除けの鈴を買い、いざ白山へ。 途中の村でお昼にお蕎麦を戴きました。いつも行っている「みたき」というところも美味しいのですが、たまには違うところにと今回は「花川」というお店に。 こちらも普通の民家を店舗にしているような造りのお店でした。そして食べたのが白いお蕎麦。まるでそうめんのような細い蕎麦で一日15食限定というものでした。なかなか美味でした。小さな蕎麦粥、突き出し、蕎麦湯が付いて1200円。家内は温かい山菜蕎麦を食べました。こちらも美味しかったようです。 それから手取川ダムを越えて、白山市ノ瀬の野営場まで行こうと思ったのですが、冬季通行止めがまだ続いていて行けませんでした。手前の「緑の村」というキャンプ場でのんびりと緑と川のせせらぎを楽しんでから帰宅しました。まだ山では藤の花が満開でした。そして、山の中は気温も22度くらいで涼しい感じでした。 夏山開きが済んだら、また来ようと思いました。菊理姫様もそのときは迎え入れてくれるだろうと思います。
2010年06月03日
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彼女が院に入ってきて声をかけてくると背筋が何故かピンと伸びました。アレッ?と思って視てみると彼女の守護をして大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)が就いておられました。 仏教の教えを広め、仏教に帰依するものを温かく守り迎えると言う「智恵」の象徴でもある菩薩様です。 彼女はホメオパシーの勉強をされていて、ホメオパスになるために日々頑張っておられる人だから応援に就かれたのだろうと察しました。 心の素直な人には霊界も応援しやすいらしく、彼女には時々天使やら神様やらが就かれて守っているのを視ます。今回は大勢至菩薩です。彼女にもお伝えしましたが、プレツシャーにならなければいいがと思います。あちらの応援というのはただ温かく見守るだけなので、強制力は無いのです。というかそんな類の思いは持っていられないのが、霊界の意思のいいところでもあり、物足りないところでもあるのですが。 高貴な霊的存在ほど現実界に影響を与える直接的な行為や意思は薄いものです。低位の霊的存在ほど逆にガサツに影響を与えてきます。それは現実界の私達がきちんと理解していかなければならない「力」の意味なのだろうと思います。
2010年06月02日
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最近、霊視の内容が変化してきました。過去世がストレートに視えることが減って、その人の深層心理が先に視えてくるようになりました。 そうしたら、これがご本人には思い当たらない内容ばかりでピンとこない話をする結果になってしまいます。間違ったもの、もしくは私自身の思い込みを視ているのかとも思いました。もしかしたらそうなのかもしれません。 しかし、何故過去世ではなくてその人の現在の潜在意識を覗くことになってしまうのか?もしかしたら、その心の部分のほうが身体の不調やトラウマの原因に近いものなのかもしれません。 遠い過去世の話はご本人も興味深く、楽しく聞いていただけるものかもしれません。しかし、それは現世の心と身体にとっては本当に直接的に関係してくるものではなく、ごく間接的に何かを語りかけてくるものだったのかもしれません。 もう少しずつ直接悩みを見据える必要が私自身に出てきたのかもしれません。もちろん、過去世を気楽に視ているのも楽しい時間なのですが、霊界というのは別の道へ進むように私に促しているのかもしれません。
2010年06月01日
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