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今年一年家族全員が無事に過ごして来れました。何もかも皆様や守ってくださっている見えない方達のお陰だと思っております。 フト後ろの神々を視たら、何と神棚に収まっておられる。ふ~~ん神様というのは歳の終わりには神棚に入られるんだ・・・と思ってしまいました。 収まるところに収めるものは収めて新しい年を迎えるのだ、と思いました。 反省も後悔も収める場所に収めてしまって、新しい年には「希望」と「明るい光」を従えて望みたいと思います。 皆様も良いお年を。
2010年12月31日
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今年は出雲と熊野へ行くことが出来ました。どちらの神様もなかなか曲者の神様で、力も強いけれど来た人間に対して科す制約も強いものがあるような気がしました。 神様というのは世界的に言えば「精霊」のようなものなのだろうと思うのですが、土地や時間と結びついているので強い「呪むでもあるように思います。 人が喜んでその前に立つのは霊的に盲目の状態だからであって、もし目が見える状態なら相当覚悟をして立つだろうと思います。 何かを成すときには対価を等しく払わなければならないというのは万国共通のルールであり、真理だろうと思います。 神様に願い事をするなら、自分自身にも厳しく身を慎んで自然環境に為になることをするとか約束しないとダメなんだけれど、現代人の方達はそんなことを考えているのでしょうか?多分、神様というのは与えてくれるだけの甘い存在だと思っているのかもしれません。 私はだから出雲でも熊野でも出来る限り「願い事」なんていうものはしないようにしました。だって自分を厳しく律するなんていうことは並大抵の覚悟で出来ることではないですからね。 神様は強く叶えるものでもありますが、逆に激しく律するものでもあることを知ってほしいものです。
2010年12月30日
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私もその一人なのですが、例えば今、能登半島のどこかの町のどこかで一人で暮らしているおばあちゃんが居られるとしたなら、その人にとっては例えば裏の畑で採れた大根を積もった雪ノ下の貯蔵所に埋めることが今日の大仕事かもしれません。 誰にも知られることも無く、それが何かの役に立つわけでもなく、それでも日々淡々と送られていく生活が普通にあるわけで・・・。 テレビなどを日常的に見ていると、世の中は特別な人だらけで、その人達を中心に動いているような気分になってしまいますが、本当は「普通の人達」というのが大部分を占めていて、その人達の生きる作業が積み重なって世の中というのは動いているわけで・・・・。 時々私はそういう普通の人達のことを深く思ってしまいます。そういう人達が健やかに穏やかにすごして行ってほしいと思ってしまいます。特別な人達なんてどうでもいいと思ってしまいます。 普通の人達の皆さん、よいお年をお迎えください。
2010年12月29日
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最初に視えたのは整然と並んで駆けてくる馬に乗った人の集団でした。何だろうとずっと目を凝らしていると、アメリカ西部の平野が周りに視えてきて「これは騎兵隊というヤツだ!」と思いました。 初めて視る騎兵隊。インディアンから開拓民を守る正義の軍隊。という昔のアメリカ西部劇のイメージはすでに無く、原住民であるインディアンの人達を虐殺していったアメリカの暗部の象徴としか見えません。 彼は正義感にあふれる、とても素直な性格の青年で理想に燃えて騎兵隊に入隊したようでした。でも、女性や子供まで虐殺する騎兵隊の行為にさすがに疑問を覚え、少しずつ任務の中で女性や子供のインディアンたちを逃がす仕事を続けていたようです。 最後は残虐な行為をしている同僚を傷つけようとしたために、同僚の兵隊に後ろから撃たれて亡くなりました。こういう騎兵隊員も多くいたと思います。アメリカ人の気質としてはどちらかというと大らかで親切な人が多いのです。だから、そういう気質の人は除隊したりさせられたり、時には殺されたりしてならず者の集団に選抜されていったのが末期のころの「騎兵隊」なのだろうと思います。 昔の西部劇の突撃ラッパと共に開拓民を助けにやってくるヒーローのイメージは全く作られたものとしか言えないように思います。 彼女も前世の魂を受け継いでとても素直で正義感のある性格です。それだけに上の命令を盲目的にこなしていると、いつか自分の望んでいない仕事をしてしまっていることになりかねないので、この前世の情報が視せられたのだろうと思いました。素直な性格の人は霊界から愛されるものなのですが。
2010年12月28日
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マヤの時代を霊視していました。広大なジャングルの中に石の都市を作り上げたマヤ文明。 その中で「水」を管理することを任されていた人が前世の姿でした。ジャングルの中で「水」を管理するということは呪術よりも高度な霊的な作業になるものだったようです。 石の町に降った雨の水をどう流してまとめていくか?農業や漁業(養殖なども行われていたらしい)に使う水をどう溜めて運用していくか? それらの計画に必要なのは数学や土木工学の高等な知識ととともに、霊的な流れを見極める「目」と「心」が大切なようでした。 父性と母性を併せ持つ人間でないと出来ない作業だったようです。緑の魔界は人にそういう資質を求めていくものだったらしいです。 このマヤ文明というものは多角的にそれぞれの分野でとても深い底を持った文明だったようです。「水」の管理ということでだけでさえ、これほど底が見えない知識があったのですから・・・。
2010年12月27日
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私の母親は78歳で、死を身近に感じる年齢になり「死後の世界」というものが本当はどんなものなのか、知りたがっているようです。 「死後の世界地図」という本の購入を頼まれ、アマゾンで中古本を購入して母に渡しました。私も読んでみましたが、今ひとつピンとくる内容ではありませんでした。 これはあくまでも私の推測ですが、死後の世界というものは唯一無二の一つの世界が確立されているのではなくて、無限に変化する様々な世界の複合体のような形になっているのではないかな、と感じています。 一人ひとりの感性が違うように、一人ひとりに違う色や形で見えてくる、体験させられるものが死後の世界なのではないかな、と思っています。 言い方を変えるなら、一人ひとりが作り出してしまう部分もあるのが死後の世界なのではないかという事です。地上というか、生前の生き方で魂の色づけが一人ひとり違ってくるように、死後の魂のあり方も人それぞれということです。それで、お互いのコミュニケーションは取れるのか?きっと今よりもわかりやすく交際できるようになるような気がします。人がそれぞれに違う存在なのだということがはっきりとわかる世界なのだろうと思うからです。 何しろ死後の世界の真実は生前には決してわからないようになっている。ということは知る必要が無いという事なのかもしれません。
2010年12月26日
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こんな吹雪の日、野鳥たちはどんな風にやり過ごしているんだろう?下生えの草木の茂みの中でじっとしているのだろうか? そんな小さな動物達の姿を見たことはありません。でも晴れればまた元気に飛び回っているからには何とかやり過ごす方法を見出しているのでしょう。 人間は家を作り暖房に「火」を使い、こんな吹雪をやり過ごします。でも動物達は生きる本能と育んできた身体だけで乗り切っているのでしょう。そう考えると小さなスズメでさえもとても逞しいものに思えます。 人に必要なもの。動物たちに必要なもの。同じだけれど、人はもう少し何かを我慢することを覚えたほうがいいのかもしれません。 冬本番です。
2010年12月25日
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何もかも上手く行かないとき、自分をゼロにしてみよう マイナスにするんじゃなくて プラスにするんじゃなくて ゼロにしてそこからスタートする 後ろは見ない 前にはまた積み重ねの毎日が始まるのかもしれないけれど それでもゼロにしてみよう 人は生まれたときにゼロから始まる 誰かに助けられてプラスになっていく 自分のことだけ考えたときにマイナスになっていく ゼロはもう一度生まれなおすこと そこから始めてみよう
2010年12月24日
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一人の人間に最低限必要な空間はこれだけだという昔の人の教訓のような言葉です。 現代の大金持ちは一人で何百畳もの空間を占有して悦にいっている人もいるし、心のお金持ちは狭いみすぼらしい田舎屋で何気なく心豊かな生活をしているし、本当に貧乏な人は六畳一間のアパートで何人もの家族で窮屈に住んでいたりします。 住環境というのはその人を現すものだと言いますが、広い家で豊かな家具に囲まれて生活しているから、その人が豊かな人だとは思いません。 自分の気に入ったものに囲まれていれば、自分が愛したり愛されたりするもの達に囲まれて暮らしていれば、そこがどんな住環境でも人は幸せに豊かに暮らせるものだと思っています。 心の家というのは、お金で作れるものではなくて、その人が生きることの中に何を中心に持ってくるかで決まるものなのだろうと思います。そして、それは決して「お金」であってはならないし、「モノ」であってはならないのだろうと思っています。 心の家というのは「他者に尽くす」心から作り出されていくものなのだろうと思っています。
2010年12月23日
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というのを昨晩から今朝にかけて泊りがけで入院検査してきました。 以前から家人よりいびきがうるさいという苦情が来ていて、ぐっすりクリニックというところを受診したところ気管が一般の人の四分の一しかないと言われて大ショック。 外見ではそんなに太っていないように見えたのですが、内臓脂肪がついていたようです。それ以来間食禁止にして、運動も毎日続けるようにしていますが、とりあえず睡眠時無呼吸症候群の状態を調べてもらうために検査入院してきました。 脳波計やら心電図やら、喉や鼻のセンサーやらべたべた付けられて、ぐっすり眠るというのは至難の業で・・・それでも半分くらいは熟睡していたようで、まだ検査結果の解析は二週間以上先にならないとわからないのですが、夜勤でチェックしておられた検査技師の女性が「どうも何回か呼吸が止まっていたようですよ。」というような恐ろしいことを告げてこられて・・・。 若干高血圧気味になっているのも、この睡眠障害が原因なのかもしれません。家人に感謝しないといけないかも・・・。
2010年12月22日
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昔々ある山里の村のはずれのお山のてっぺんの一本杉にカラス天狗が一人住んでいました。 彼はこの山里の村一体の守護を任されていました。でも一人ではなかなか全部の家々を守りきることはできません。かと言って誰かに頼ることも出来ず、何とか一生懸命お役目を務めていました。 村のお地蔵様がそんな彼に優しく声をかけてきました。 「一人だと自分のためにと考えてしまい勝ちだけれど、貴方は自分のためではなくて村人や山の動物のために頑張っているんだよ。時には彼らに頼りなさい。」 そうか・・・と彼は思いました。自分が、自分がと何でも一人でやってしまおうとするのは結局自分を真ん中において考えているからで、本当は自分も村人や山の動物たちに生かされている生き物なんだ。皆にも助けてもらえばいいんだ。彼は何となく心が楽になって、皆に声をかけて助けてもらいながらお役目を続けていきました。 こんな物語が霊視をしていたら視えました。
2010年12月21日
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熱愛真っ最中の女性の霊視をしたら「桃源郷」が視えました。 女性は愛の真っ只中に居ると桃源郷に入ってしまうんだなぁと勝手に実感してしまいました。それはそれは幸せなことで、何があっても乗り越えてしまうわけだ。女性の強さは自分の中に「愛」によって桃源郷を作ってしまえることにあるのかもしれません。 同じ日に世界の秘境とも言えるような、周りに日本人が一人もいない国で生活をしている嫁いで行っている日本人女性の方達の番組もテレビで見ました。 彼女たちも心の中に桃源郷を作っているから、どんな所で生活していても「愛」がそこを桃源郷にしてしまうんだろうなぁと思ってしまいました。 男と違って女性は強いです。
2010年12月20日
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生まれつきどうもへそ曲がりなところがあって、安易な道が示されると出来る限りそちらは通らない、進まないようにしてしまいます。 自分の中にこうしたい、ああしたいという欲求があってもそれが楽な道だと感じてしまうと止めてしまうことが多いようです。 五十歳を過ぎて、安易な道、楽な道というのが結局良い結果をもたらさない方向なのだとわかってきました。きっとこれまでのへそ曲がりは霊的な導きだったのかもしれません。 だからと言って私が努力家かと言ったらとんでもなくて、結構自堕落な人間です。だからこそ、環境的に厳しいところに自分を追い込んでおかないとダメだと悟っていたのかもしれません。 人生の岐路にあってあえて厳しい道を選択してどうだったのか?人間として自分のダメな部分が多少補強されたかなと思います。 今、自分の前に「新しいことを始めよ」とメッセージが何度も届いています。安易な道は通らない・・・はずです。
2010年12月19日
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ネット上の友達の一人が「小豆」についての霊的考察をされていて、それに触発されて「小豆洗い」という妖怪のことを考えてしまいました。 彼は「ゲゲゲの女房」にも出てきたので水木さんにも愛されている特別な妖怪だと思います。彼が出現するときは必ず水の近くで、それは小豆を水で洗っているからそうなのだろうけれど、何となく「小豆」と「水」という関係が霊的に意味があるような気がします。 そう言えば子供の頃からもう一体気になる妖怪がいて、それは「あかなめ」という妖怪でお風呂場に出て、人の垢を舐めるというものです。昔の我が家の風呂場は暗かったので、何となくそばに居るような気がしたものです。 どちらも「水」と関係が深い妖怪です。水は「氣」を吸収したり集めたりする性質を持っているので、妖怪のようなものも感じやすいだろうし、現れやすいのかもしれません。 「豆」というのも「大地の氣」が凝縮したもので「邪」を祓う力があると言われるものです。そして小豆と言えば「赤飯」。先ほどのあかなめという妖怪も身体が赤いのが特徴で「赤」という色もやはり邪を祓う力があると言われる色です。 妖怪というのはどちらかと言うと「邪」に近い存在と思われているようですが、実は「邪」に近い場所に「聖」であり「清」であるものも存在するというのは真理のような気がします。
2010年12月18日
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彼女の前世はインディアンの少年でした。彼のトーテムはアライグマ。人を疑うことを知らない純粋な心を持っていました。 侵略してきた白人の男に愛想良く相手をしてもらって、すっかり丸め込まれてしまって最後は男に裏切られて大虐殺の中で殺されてしまいました。 だから、現世でも彼女は人を信じやすく騙されやすい因果を持っています。しかも素直な性格の割りに頑固な部分も持っているので、あまり人の忠告を聞きません。危ないことです。 前世の彼は12歳で亡くなっているので、お聞きしたところ彼女も現世で12歳のときに交通事故に遭い危なかったそうです。 「煙草を吸っている男性は貴女を最終的には裏切る可能性があるので気をつけなさい。」そうこの前世のインディアンの少年は彼女に伝えたかったようです。このメッセージはしっかり伝えたのだけれど、彼女は本当に真面目に受け取ったのだろうか?ちょっと疑問です。外国のほうが恋愛が上手く行くという話のほうに興奮していたような感じだったので、ちょっと心配です。
2010年12月17日
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昨日は用事があって倶梨伽羅不動尊へ行ってきました。用事というのはおみくじを引くこと。倶梨伽羅さんのおみくじはとてもよく物事を照らし出してくれるので、大事な決定事項があるときはいつも頼ってしまいます。 おみくじの内容はちょっと書けませんが、とても参考になるものでした。昨日は雪が降るかもしれないような大変な天気だったにも関わらず、倶梨伽羅不動尊には結構な人数の参拝客の方達が来られておりました。 護摩行の炎の煤で黒くなった本堂の中に参拝の方達は、定時の護摩行の始まるのを待っておられました。何だか不動明王よりも優しい仏様が一人ひとりの頭を撫でていくのが視えたような気がしました。 外は氷雨が降りつける激しい天気。でもお堂の中には温かい雰囲気が漂っていました。
2010年12月16日
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NHKのスペシャルドラマですね。司馬遼太郎さんの冒頭の文章が好きです。 「坂の上の空の一点、その坂の上の雲だけを見つめて歩いていく・・・」そんな明治の男達の姿が爽やかに描かれています。 何て単純で勇壮な生き様なのかと思います。黎明期の近代化の進む日本の中で前向きにひたすら歩んでいく男達の生き様は本当にすがすがしいです。 昔の人は偉かった・・・なんて言いますが、本当におじいちゃんやひいおじいちゃん達は偉かった。生きる力が濃いように思います。 逆に言うと今の人達の生き方は薄いように思います。まぁ、私の独断と偏見なんですが・・・。濃く生きている人達ももちろんおられるのですが、軸がぶれているように思えてなりません。 坂の上の雲・・・自分には見えているのでしょうか?
2010年12月15日
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何度か書いたこともあるのですが、長野県に私の大学時代の親友がいて毎年自家で作ったリンゴを送ってきてくれます。蜜がたっぷりと入ったとても美味しいリンゴで毎年楽しみにしています。 その友人はとても男らしくて優しい男で、私に「男とは」とか「人とは」というものをさりげなく教えてくれた存在でした。長男だった私には「男としての見本」というべき存在が無かったので(父親はあまりそういう対象にならない人だったので)、本当に大切な存在でした。 一番厳しく教えられたのが「他人の悪口や陰口は言わない」ということでした。私の母親は結構悪口や陰口を言う人だったので(もっぱら父親のことでしたが)私のルールの中にはそういう規制が無かったようでした。 本当にさり気なく教え込まれたので、いつのまにか私は出来る限り人の悪口や陰口を叩かないように心がけるようになっていました。 彼とは北海道への撮影旅行なんかを何週間もいっしょに行ったりしていたし、入学当初の二年間は下宿が同じでした。いっしょに銭湯にも行って背中を流し合ったりしたものです。 リンゴが届くとお礼の電話をするのですが、いつも優しく暖かい彼の言葉といつの間にか仲良くなってしまっている彼のお母様や奥様との会話も私の心を強くしてくれます。 友達というのは心を強くしてくれる存在ですね。
2010年12月14日
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珍しく心が落ち込んでしまいそうな状態だったので(別に何の理由も無く)、心の中の光にアクセスしました。 光からエネルギーが流入してきます。心が光に満たされて暖かくなっていきます。自然と涙が出そうになってきます。 生かされているんだよ、目には見えないけれど沢山の魂が見守って応援してくれているんだよと光が教えてくれます。 もう大丈夫です。自分は決して一人ではないとわかります。愛されているとわかることは本当に力になるものですね。 人の心の底には無限のエネルギーとアクセスできるポイントがあります。素直な心はすぐにそれを見出すことが出来るようです。 素直な心でいつまでもいたいものです。
2010年12月13日
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昨日の休みは母親と気比神宮へ。敦賀まで二時間ちょっとのドライブでした。強風と雨という天気予報でしたが、どちらもそれほどではなく帰る頃になって雨が降ってきました。 父親が亡くなって、親といる時間の期限が実感されて母親と二ヶ月に一度はどこかに出かけようと心に決めています。 気比神宮は二年ほど前に家内と娘と来たことがあります。今は社務所が新築工事をしていました。 突然男の人が話しかけてきました。母親に境内の「長命水」を飲ましていたら、ガイドをしている男性が話しかけてきました。ガイドさんをしているくらいだから、話したくてうずうずしている感じです。 その方のお話の中で面白かったのが「猿田彦命」に関するお話。大きい神社に行くと必ず入り口近くに猿田彦命を祭る分社のようなものがあるのだそうですが、神社の参道の真ん中は神様の通る道だから普段は参詣者は歩いてはいけないのですが、猿田彦命の神社にお参りを先にしていれば道の真ん中を歩いてもいいのだそうです。それは猿田彦命が先導の神様だから、導いてくれるからなのだそうで・・・。 なるほどなるほど、今日はこのメッセージが伝えられる日だったのかなぁと思いました。猿田彦命様は私とは仲が良い神様なのですが、より神様に近づけてくださる力を持った神様だったようです。 神社にお参りした後、気比の松原を見て、ヨーロッパ軒でソースカツ丼を食べて帰ってきました。良い町ですね、敦賀は。
2010年12月12日
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テレビの画面で栗城さんという若者が世界最高峰とも呼べる山の頂付近でインターネットを使って自身の登頂の様子を放送していました。 その時、画面に遺体が・・・。本当に綺麗な青空と白い雪、凄まじい強風の中に横たわっている遺体には登山靴がしっかりと履かれていました。 聞いたことがありました。エベレストなどの頂上付近で亡くなると、遺体を降ろしてくることは出来ずにそのまま放置されてしまうということ。だから、ヒマラヤの登山ルートには放置された遺体がゴロゴロしているということ。 山で亡くなる。それは登山家としては本望なのかもしれません。一年中氷点下の世界で遺体を食い荒らす動物もいない世界でその身体は永久に同じ姿が残されていくわけです。 その魂は山の神が引き取っていくのでしょうか?平地の何分の一しか酸素が無いような場所で、ただひたすらに頂上を目指す人の目に、その魂は何を語りかけてくるのでしょうか? 火星には二万メートルを越える山があると聞いたことがあります。もし、人類が火星に移住するようなことがあったら、きっとその山にも登る人が出てくるのだろうなぁと思います。
2010年12月11日
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そのお客様は霊視目的で以前に一度来られた方でした。そのときに身体の診断をして「泌尿器系が弱いですよ、どこか悪いかもしれません。」というようなことを私は告げたようです。 そのお客様は身体の健康面には自信があったそうです。それでも私の言ったことが少し耳の底に残っておられたようで、夜中に右脇腹の疼痛があり普段ならほって置くのに救急外来へ行ったのだそうです。 病院に着いたら痛みは治まりつつあつたそうですが、「尿路結石の可能性もあるから、CTを撮っておきましょうか?」という担当医師の言葉にCTを夜中に撮って帰ってきたそうです。 そしたら翌朝に病院から呼び出され左の腎臓に腫瘍があると告げられたそうです。何の自覚症状もなかったので大変驚いたそうで、今もそのショックは続いているようでした。 自分の健康に自信があっただけにショックは大きかったことだと思います。ただ、腎臓は幸いな事に二つある臓器で転移する可能性も低い臓器です。私も身体を診せてもらいましたが、大丈夫なように思えました。 私の告げたことが少しでも役に立って有難いことだと思いました。本当に少しでも早く見つかってよかったです。 そして、このときの彼女の霊視では(霊視の際には腫瘍のことは知りませんでした。)室町時代くらいの町屋の奥さんで、お寺の施餓鬼(貧しい人や病人の世話をする催し)の手伝いを一生懸命している姿が視えました。 今、彼女の霊視で何故こんな他人のために尽くしていた姿が視えたのか?私も彼女も何となく深く納得する部分がありました。これから彼女には社会的なボランティア活動をさせていただくように考えてみてくださいとお話しました。
2010年12月10日
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冬になると思い出すのは、高校生のころの三階にある図書館の窓から見ていた吹雪の夜の光景です。 高校が田園の中にポツリと建った高校だったので、吹き付ける風が強くて冬の雪はとても激しく舞っていました。 夜遅くまで部活で(SF愛好会なんてのを創設して楽しんでいました。)残っていて暗くなった外の景色をぼんやりと見つめていたものです。 これから何が始まるのかわからない人生のスタート地点近くで、闇の中を舞う白いものが数多くの人の魂なのではないかと感じていたようです。 色々な可能性が残されていた時代でしたが、もう一度戻ってみたいとは思わないものです。心の中の風景の一つとして大切にはしていきたいですが・・・。
2010年12月09日
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お客様から聞いたお話です。 美容院を経営されているご夫婦なのですが、友人の方達と家族ぐるみで伊勢神宮へ参拝する旅にでられまして、毎月一日十一日二十一日が神馬が参拝する行事がある日と聞いて、先月の二十一日に行かれたそうです。 私にも「行くんですよ!」と事前に話してくださっていたので、「伊勢神宮の正殿の前の白い直垂(ひたたれ)があるんだけれど、神様がよく来たねと歓迎してくれているとバタバタとそれが風にはためいて開くんですよ。」というお話をしていました。 それでご夫婦もその白い直垂を見ていたのですが、全くピクリとも動かなかったのでガッカリしていたら、その時たまたま現天皇陛下のお姉様という方が参拝に来られていて、彼の方はもちろん皇族なので本殿内で参拝をされて、下ってこられて、ご夫婦の前を通っていかれたら、風など全く吹いていないのに正殿の直垂がバタバタバタッとはためいて地面と平行になるくらいに上がって、ずっとはためいていたそうで、天皇陛下のお姉様が本殿前の石段を下がるにつれて段々直垂も下がっていったそうです。 参拝客を整理していた近衛兵の人達が美容師のご夫婦に「あっ、今のうちにもう一度参拝されればいいですよ。」と直垂がはためいている間にもう一度参拝させてくれたそうで、近衛兵の人も直垂のことを知っていた風だったとのこと。 ご夫婦のご主人は私に興奮気味にこの話を伝えながら、「やはり皇室の方達と神様というのは繋がっていて、こういう方達が日本の平和なんかを神様に祈ってくださっているんだなぁと実感しました。鳥肌ものでしたよ。」とおっしゃっていました。 後でご夫婦にこの天皇陛下の姉君の写真も見せてもらいました。背は丸くなっておられましたが、しゃんとしたお姿で参道を歩いているお姿でした。古い時代なら斎宮として、伊勢神宮に篭っておられる立場の方なのかもしれないと思いました。 不思議で平和なお話です。
2010年12月08日
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最初は「鷹」が視えました。あの雄雄しい鳥です。「孤高」という言葉が胸に沁みてきました。 それは女性の視点でした。鷹はある武将の腕にとまっているのでした。そして、その武将と鷹をそばから見つめている女性。それは織田信長の側室だった吉乃という人の視点でした。 彼女には鷹と信長が同じように見えたようです。真の孤独を心で知っている男性。そして、そういう男性を愛する自分も孤独というものをよく知っている。そう感じていたようです。 女性の中には孤独な男性に惹かれてしまう人がおられるようです。でも、真の孤独を知っている男性というのはそんなに多くはいません。孤独を装う男性が多いのです。そのほうが女性の関心を引き寄せられることを知っているから、自分をそういう風に装うようです。 嘘の孤独をまとっている男性は本当の優しさを持っていません。どこかで逃げる心を持っています。 真の孤独を知っている男性は決して女性を裏切ることはしません。その代わり滅多に女性に心の中を見せることもしませんが・・・。 織田信長という人は真の孤独というものを心に持った人だったのでしょう。だからこそ吉乃は深く愛したのだろうと思いました。
2010年12月07日
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子供の頃は何も考えませんでした。食卓の前に座れば食事は出てくるし、学校へ行けば勉強だけをしていれば済みました。 けれど社会に出てみると、いろんな人と付き合わなければならないし、我慢して嫌な事もしなければ食べていけないこととなりました。 それでも高度経済成長の時代は仕事はあったし、終身雇用制も定着していたので自分の「分」というものを守っていれば生活は安泰でした。 でも社会が低成長時代に入ると、雇用が不安定になり、人による差別化が激しくなり、所得格差が広がり、社会的身分というのが流動化して、個人の生活というのはとても多様化してきました。 「守ろう」としても「守れない」という状況が増えてきて、年間の自殺者が三万人を越える時代になりました。 人は守るべき「自分」というものを社会から見つめなおすように攻められる時代になったと言うべきかもしれません。 そして人は「自分」と言うものの中に「魂」という目に見えないものがあることに気付きつつあります。それがどうやら目に見えないものに支配されたりされなかったりしていることにも気付きつつあるようです。 実は「自分を見つめなおす」ということはその「自分」というものの先に「他の人々」という一見自分には関係ないように思える存在があって、その人達の幸せを考えることが本当は「自分」というものを幸せにすることに繋がっているんだということに、大多数の人は気付けないでいるようです。 「自分」というものを考え込みすぎて、「自分さえ良ければ」というマイナスのスパイラルに落ち込んで行ってしまうようです。 世の中というものは「自分」と「他の人々」で出来ています。それは「鏡」のように対になっています。自分の環境というものを変えようとするなら、まず「他の人々」を変えていかなければならないのですが、それに気付く人はなかなか居られないようです。 実は「神仏」や「霊界」というのはそういう仕組みを判らせるためのマニュアルのような役割もあるのですが、そういう風に捉えてくれる人もまた少ないようです。「神仏むも「霊界」も「自分」のために存在していると考えてしまうようですが、そうではなくて「自分」というものを支えてくれている「他の人々」というものに目を向ける方法を教えてくれる存在なのだという事なのだと思います。
2010年12月06日
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お客様の女性がパワーストーンの関係者から、店舗でさりげなく販売されている「石類」は全て浄化がされていないので、ただ単純に身に付けるのは危険だと言われたと言うお話を聞きました。 お客様は自分に合った石を見つけるために様々な石を買って、その関係者(霊能者らしい)のところに持っていったところ、そんな風に言われて浄化には大変な手間と時間がかかるから合わない石は土の中に埋めて処分するように言われたらしいです。 パワーストーンについては商売にして詐欺まがいのことをされる人がいて、被害にあったという方の話を時々聞きます。 そういう石に関わる人がそういうことをするのは浄化されていない石を扱っているせいなのかどうか定かではありません。 私は石を一切身に付けるつもりはありません。私の魂の性質はほとんどが「水」の性質でそこに少しの「火」と「風」が混ざっています。そして水と土は相克関係(お互いに殺しあう関係)にあるので、石とは相性が悪いのです。 それにしても石が未浄化とは・・・。ふざけたお話です。石が未浄化なのではないのだろうと思います。魂の性質として石と相性の悪い方がおられるということなのだろうと思います。自然に存在しているものに浄化されていないものなどあるはずがありません。どちらかと言うと人が関わるから穢れるということはあるかもしれませんが・・・。 自分自身の魂の性質を知り、世界を構成する要素の性質を知ることが大切なのだと思います。
2010年12月05日
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正式にはスルターンと言うのだそうですが、イスラム君主国の国王などを現す称号だそうです。 彼女の前世はスルタンの護衛隊長でした。時々、こういう偉い人の護衛の任務をしている前世が出てきます。自分の身を犠牲にして人を守るという行為は気高いものと霊界ではみなされるのかも知れません。 忠誠を尽くし、自分を律して生涯をかけてその人を守るという行為は修行者にも似て「他のために尽くす」ということになるのかもしれません。 私達の日常の中でも、誰かのために懸命に生きる・働くというシチュエーションはあるものです。そういう立場になれるということは一種、幸せなことなのかもしれません。それが家族の為、愛する人の為ということであれば最高なのかもしれません。そうされている人達がそれを自覚しているかどうか、そういうことは問題ではないのかもしれません。 自分のために生きるということも大切な事です。でも、誰かのために懸命に頑張っている人というのはかっこよく見えますね。 私も自分以外の誰かのために一生懸命頑張っていきたいものです。自分のことを気にしないでいられるという状況は幸せな事なのかもしれません。
2010年12月04日
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「ネ」というのは「呪」の一種。深い深い因縁、業(カルマ)とも言えます。 沖縄の「ネ」は深い深い海の底から繋がっている海草のようなもの。 人の心の足のくるぶしあたりに絡み付いていたりします。 人の心の優しさにつけ込んで根を張ります。だから取り去るのはとてもやっかいです。 でも、そんなに怖いものでも無い部分もあります。それは人の息遣いから生まれたようなものでもあるから、人の「生」を拒否するような意味合いは持ちません。 共生しつつ繋がっているような部分もあるようです。 まぁ、それにしても「ネ」は取ったほうがいいから海の神様に頼みに行きましょう。 金沢なら大野湊神社。福井・敦賀の気比神宮あたりが最高かもしれません。
2010年12月03日
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今、流行っている風邪はとてもしつこいものです。熱はそんなに出ないのですが、喉の痛みとか鼻水とかが長く続き咳も長引きます。 私はもう治りつつあるのですが、母親が引いてしまいました。近くの耳鼻咽喉科のお医者さんにも通っているのですが、中々治りません。 ただ、昨日思い切ってお灸をしてみたところ随分とよくなりました。首筋のポイントや肩甲骨の近くの肺のツボあたりに集中してお灸をしたのが効いたようです。お灸恐るべし。 鍼灸の先生が書いた本を読むと、本当に鍼灸の道を目指すものは指圧を十年やりなさいと書いてありました。確かに、私も指圧を十年以上しているのですが、そうすると自然とお灸のポイントがわかるようになりました。これは不思議なのですが、お灸のツボというのは経絡指圧のツボと重なる部分が多いようです。 少なくとも母の風邪が楽になって、ホッとしています。皆様も今の風邪にはお気をつけください。
2010年12月02日
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現在公開中の映画「武士の家計簿」は加賀藩の算用場(今で言うところの政府の財務省)に勤めていた武士の日常を描いた映画で石川県だけは地元ということで全国に先駆けて先行上映されています。 ちなみに主人公の武士の屋敷があったのは私の家のすぐ近くになります。 こんな話を始めたのも先日の霊視で江戸時代末期の算用学者の前世を視させてもらったからです。 彼女の前世はその学者さんで、どこかの藩に招聘されて財務管理を任されていたようなのですが、彼は金銭の運用を「戦い」と考えていたようで、他藩に負けないように地場産業の育成や運上金の運用などを模索していたようです。 江戸時代も末期になって本当の戦などはありえない時代でしたが、逆に各藩の財政の逼迫は大変なもので、財務状況をよくするためには「金の戦」に勝たなければならないと彼は考えていたようです。 私も霊視をしていて、なるほどと思いました。戦いというのは弓矢・刀槍を持ってのものだけではなくて、武士にとって「藩の財政」の向上を賭けた戦いというものもあったのだと気付きました。 武士は食わねど高楊枝・・・ではなくて必死で食うための工夫をしていた武士もいたのだという事ですね。
2010年12月01日
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